伝統板・第二

2527767
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/11/24 (Fri) 08:42:42




   新しき気持にて、又謹写を続けさせてください<(_ _)>。

北の地は、再び銀世界です(^^♪。










 今朝よりは、谷口雅春先生の理想世界誌昭和43年2/1号よりの御話です。



  “生学連”は何をなすべきか    谷口雅春先生


      = 宇宙兵器の惨害に面して  人類が生存するために =


   ♡ 共通の広場について


 ロスアンゼルスのドニ―ル・W・フレッグ博士という人

から次のようなお手紙を戴いたので鶴田昌世君にできるだけ精確に訳して貰った。

『この地上に今日まで人類が築いてきたあらゆる文明と技

術とは、物質的にも、金銭的にも又人間の努力に於いても

莫大な代価が支払われて来ているのであるがその文明と技

術とはこれ等の代価を払ってそれ自身が着想し生み出して

来たエネルギーによって、今や何時とも解らぬ自己壊滅の危機に瀕しているのである。

この一見したところ不合理と思われる逆説は、人間社会或

いは文明がそれ自身気付かずして機械的に自己破壊を引き

起こすと言うよりは寧ろ、人間社会或いは文明が成し遂げ

得る技術の進歩には究極的限度があるのであるというが如き説に属するものである。

問題は、人間関係に於いて適切なる解決策或いは相互に受

諾しうる解決策が無いように見える処に生じて来るのであ

る。しかしながら、もしも解決策が見出だされないなら

ば、この人間関係の文明を終結せしめる懼れがあるのである。

 あらゆる文明は、その中に自己破壊の種子を包含してい

るべきが当然であり、実際包含しているのである…・・こ

の仮定条件は新しいものではなく、又我々の現代文明を直

ちに或いは突然に自己破壊に遭遇せしめる懼れのあるものでもない。

何時の時代にも、政治的社会的霊的指導者達のほとんど

が、自己の判断力を能う限り活用してこれ等の問題に直面して来たのである。

しかしながら彼等先人達の苦心の中からは未だに何らの解

決策も、解決に至る適切なる糸口さえも出て来ていない現状である。

精々先人達の努力は、恐るべき終局の訪れを今日まで延ば

し得たのみであり、懸命に最終的解決策を探求する努力を後に続く世代に譲り渡したくらいのものである。

道理を弁えた人、子を持つ親、人々の指導者たるものは皆、今の時点に於いて自問せねばならぬ・・・・・

「私の導きを求めて見つめる吾が子に、そして子孫に私は

美しさと好機とに満ちた地球を子孫の当然受け継ぐべきも

のとして残して行く心算(つもり)なのか、それとも汝斯

くあるべしとの良心と理性とがついに滅んだでしまった事

実を永遠に留めておく記念碑として太陽を回る焼土と化し

た地球上に、子供達の焼け焦がれた死骸がまき散らされることになるのであろうか?」と。

                     
                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/11/25 (Sat) 07:57:03



氷点下の世界です(^_-)。まるで・・・(-_-)。








 大聖師の御講話です。ドニール博士のお説、難解です。



何人も、それ以外に道があるとか、或いはもしも我々が何

とか適当な期間この自己破壊の問題を放置しておくことが

出来さえすれば、問題自身が自ら解決するであろうなどと考える誤を犯してはならない!

 もしもこの地上の文明が将来何らかの意味で実質的に進

歩すべきものであるならば、この文明が現在直面している

問題の真の根本的性質を究明すべく我々は今着手せねばならない。

我々は有効な解決策を打ち出すことを期待する前に、如何

にして何故我々を滅亡に導く諸問題が生じて来るのであるかと言う事を学ばねばならない。

 社会学は、自分と相手との関係を研究し、更にその関係

をより素晴らしいものに、より「生産的なものに、より永

続するものに成し得る方法について研究する学科であると定義されてきた。

しかしながら、この学科には未だ純粋に科学的な基礎が築かれていないと言うのが事実である。

社会学は科学としてよりもむしろ一つの技術として発達し

て来たのであるが、当然科学であるべきであり、もしも今

後ずっと存続すべきものであるならば科学とならねばならぬものである。

 多くの指導者、そして自称指導者達は、人が隣人に対し

てとるべき適正な心的態度と行動とについて教示してい

る。それ等の教えはほとんど皆、本にして出版されるならば信奉者を得るであろう。

或る教義には信奉者が少数で、又ある教義には国あるいは民族全体が熱心な献身的信奉者になることもあり得る。

けれども信奉者達がそれぞれの指導者に随順して行くの

は、その教義が素晴らしいという何らかの実証があるから

というよりはむしろ、主としてその教義の審美的或いは感情的魅力に引かれる故である。

その結果、精確な目的計画性のない一連の社会的企てが、

信奉者の思考と行為とを或る程度まで支配し得る立場にあ

る指導者達によって指揮されてしまうことになるのである。

これ等の社会的企ての中、あるものは部分的に、或いは全

面的に功を奏することもあり得るが、多くの場合全面的に失敗に帰することになるであろう。

更にその場合には恐ろしい悲劇と破滅とを全人類に齎すこともあり得るのである。

更にこれ等の企ては実質的には決して人間関係の分野に於ける知識を少しも豊かにするものではないのである。

何故なら、これ等の企てはどれ一つとして万人が共通に納

得している何らかの事実、或いは(事実とまでは行かなく

とも)信念を基礎として計画され、或いは設定されて来たものではないからである。

 それ故社会学に於いては、何らかの意味で重要な永続的

進歩がなされる以前に、社会学が真の科学としての地位を

得るまでに発展せしめられねばならないのであ

る・・・・・社会学としての共通の(広場定義領域)の外

延を、世界的規模に立って決定し、且つそれを学術的文書

にまとめ上げることによって社会学を真の科学として確立せねばならないのである。

あらゆる民族、国家、学派の中から適正に選ばれた代表者

が皆、これは有効な原理或いは方法であるとして認めるに

相応しい社会学・・・・・そのような社会学たらしめる仮

定条件(前提)、原理或いは論理の進め方等を総合的に、

関係者が相互に協議して決定する様、国際性を有する世界的規模の努力が払われねばならないのである。

                                               (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/11/26 (Sun) 08:01:20



愛知 大眞理講演会、何かワクワクしますね(^^♪。

オワリの始り、ですか(^^♪。


『 名著講義 』 藤原 正彦 著  文藝春秋(単行本)

購入します(^^♪。


<悪口を言う者は生長の家信徒ではない!!谷口雅春>

良きご投稿です(^^♪。考えさせられます。悪口と批判(^_-)。









 大聖師の御講話です。ドニール博士のお説続きです。


           〇


 一般に自然科学として知られている所の、人類が探求し

てそれによって知識を得て行く部門に於いては、その共通

の広場(定義領域)というものがずっと以前に決定され、

且つ学術的に文書としてまとめ上げられているのである。

その学術文書は元来定期刊行雑誌に依存しているのであ

り、特にそれらを更に立派なものにしようとの目的で世界

各地から集まる科学者達の努力によって、今日見られる如き学術文書にまで育てられて来たのである。

科学者たちのこのような努力が実って、今日では物理学に

関する教科書は、実際世界中何処に於いても手に入れることが出来るのである。

これ等の書籍は様々な国籍、民族に属する人々が編集して

いるのであるが、それぞれの教科書には同一の規則、法則そして論理の進め方が見出されるのである。

この同一性と言うものは、どの民族に属しどのような社会

学的或いは経済学的観念を有するかと言う事には無関係に世界中の物理学者が認めているものである。

このように教科書が科学の基礎を為す共通の広場(定義領

域)を明確にしている。この基礎に立ってこそ、新しい現

象を観測して新学説或いは新しい仮定を生み出すことが可能なのである。

新しい概念が創造される時には勿論それに関する賛否様々な意見が出て来るのは、殆ど必定である。

たとえ二人或いはそれ以上の物理学者が同様の現象を観測

したとしても、彼等はその観測結果を説明するのに互に全く異なった学説を創り出すことも可能なのである。

併しながら、彼等は皆共通の広場(定義領域)と言う同一

の基礎に立って研究しているのであるから、比較してどの

学説が勝れているかを判定する特別の実験法を考案することは通常可能なのである。

科学者は既に仮定条件(前提)と言うものを認めてしまっ

ていて、その仮定条件(前提)の下に実験して来たのであ

るから、実験の結果に対しては皆等しく従っているのであ

り、少なくとも更に勝れた学説或いは勝れた実験が公式化

されるまでは、その結果を認めて受け入れなければならないのである。

従って物理学上の何らかの不一致が生じた結果として、戦

い或いは取り立てて言う程の反目さえ、未だかって起きたことが無いのである。

物理学は共通の広場(定義領域)と言う一つの基礎の上に

立っているので、論争を鎮め、相違点を解消するに充分な方法が常に見出され得るのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/11/27 (Mon) 08:11:09



諦念とは、「心を諦(あきら)かにする」=道理を悟る、の意なのですね(^_-)。

聖経にもありますが、あきらめの心と単純に思って居りました( ;∀;)。

 今朝の光明道中記より学びました。








 大聖師の御話より。


一方、社会学に於いては、お互いが其処に立って研究し話

し合う共通の広場(定義領域)が未だ特に定められておら

ず、学術的文書にもされていないのである。この故に、誰

もが互に納得出来るような判定実験或いは判定方法が公式化され得る基礎が無いのである。

それ故大勢の人々が、時には国全体が他の国の人々の信条

とは全然逆である如き仮定と信条を受け入れて、それを固守するようになることが屡々起こるのである。

これ等の相違点を解消する為の適切な手段が無い故に、双

方の間の摩擦が増大して行き、それが屡々戦争に通ずるのである。

勿論戦争は、争い合っている観念形態のどちらが勝れていると言う如き判定は出来ない。

その観念形態を奉じている関係者相互の戦闘能力の優劣を判定し得るのみである。

その戦争が如何に激烈であり、長期に亙るものであろうと

も、又誰が勝利者になろうとも、その戦争の発端となった

問題を解決する方向には依然として少しも近づいていないのである。

数カ月、或いは数カ年を経て、先頭参加者達が幾分でもそ

の傷が恢復した時には、彼等は再び戦う用意が出来ている

のであろう。勝利者は通常、このような遭遇戦から学ぶものは何もないのである。

又もし敗者が何か学ぶものがあるとするならば、それは自

分の軍隊の失策の最大欠陥を如何にして回避するかという事位なものである。

            〇

 文明というものが、局地的な破壊力を有する簡単な兵器

だけでも所有している限り、その文明は無意味な悲劇も、

局地的なものは大目に見て耐えることが出来るという事である。

そして一人の指導者の気まぐれから、何百万という罪のな

い人々が無惨な不時の死に逢い、何百年もの間培ってきた

人類の努力が一掃されてしまうかも知れぬ。が、その民族

及びその文明の少くとも一部分は滅亡をまぬがれるであろう。

 併しながら、絶大なエネルギーを有し、全地上を破壊せ

しめ得る兵器が存在する場合には、事態は一変するのであ

る。簡単な局地戦用兵器による損害を受けても、その文明

は立ち直ることが出来ようが、原水爆の如き超兵器による損害は致命傷となる。

 真の文明を築く基礎を創り出すことに我等は今着手しな

ければならないと言う事を、自己保存本能は勿論のこと、

汝斯くあるべしとの内在理性も命じているのである・・・・・』

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/11/28 (Tue) 08:16:30





    江崎道朗著「日本は誰と戦ったのか」また購入しなければ(^^♪。

 神々の友達様にも賛同(^^♪。


 昨日の私の「諦念」は「諦観」の間違いでした。

お詫びして訂正です<m(__)m>。









 大聖師の御話です。


 ♡  思想の共通の場を持たない悩み


 以上ドニール博士の指摘している通り、今や人類が存続

し得るか絶滅してしまうのかの重大な危機に面して最も支

障となっている問題は、イデオロギーとイデオロギー、民

族と民族、国家と国家、更に一国の中に於いても階級と階

級、集団と集団とが、お互いに理解し合うために、“共通の広場”をもたないということである。

全てが「自分だけの善」をつかんでいて、「他の認める

善」を一応十分聴いてやり、それについてよくよく考えて

見てやって、その中にも存在する共通の真理を見出して、

その共通点に於いて、互いが手を握ろうとしない事である。

 十一月の中旬、テレビ放送で大学生たちの憲法に関する

討論会を聴いていたが、一人が発言すると、その発言の終

らないうちにその反対論が飛び出して来る、かと思うと、

その反対論に対する反論が更に飛び出して来て、互いに自

分の考えのみを主張して、相手の考えや言い分を全然聴こ

うとしないので、吾々視聴者にとっては、各人の主張が殆

ど何をいってるのか判らないで唯、喧々囂々たる噪音に化してしまった。

それで私は全部を視聴しても各自の主張の意味が判らないので、途中でスイッチを切ってしまった。

 このようなことはこの討論会だけのことでないのであっ

て、これは全く世界の思想群の対立の縮図だと見られぬこともないのである。

このような全く相容れざる対立は、共産主義国家と自由主

義国家の主張の上にもあるし、同じ共産主義国家でありながら、ソ連と中共との間にもある。

国内的に言っても議会のおける保守系政党の発言と革新系

発言の間にもけざやかに見られるのであって、革新系では

何でも保守系の政策には頭から反対して常住反対病に罹っ

ていりような有様で、何を政府筋や与党が言おうとも、そ

れを充分聴いて良い所を取り入れて、それを契機に互いに

手をつなぐ共通の広場にしようという考えは毛頭もないのである。

雑然混沌全く収拾しがたい混戦の世界である。これでは世

界に平和が来るどころか、常に何らかの意味での戦争が到る所で行なわれているのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/11/29 (Wed) 08:25:38




首相も、タジタジ、国会中継(^_-)。

 何か、スッキリしませんねえ~(^_-)。

「虎ノ門」は判るんですが。








 大聖師の御話です。



 ♡  イデオロギーは人間のためにある  


 これが所謂民主主義世界の特徴であるのであろうか。

北ベトナム乃至ベトコンと、南ベトナム乃至アメリカとが

なかなか和平交渉に入れないのも、互いに相手の言い分を

充分聴いて理解しようとしないために何時までたっても果

てしなき泥沼的戦争が続いて、その間に多くの人命が失われつつあるのである。

彼等はイデオロギーの奴隷であって、人間がイデオロギー

を使うのでなくて、イデオロギーに人間が使われているのである。

ソ連は革命五十年を経て、やっと多少資本主義経済組織の

美点を認めて、利潤制度などを採用して生産性の向上に役立て、国民の生活を豊かにしつつある。

そうすると、中共では、そのようなソ連を修正主義だと罵

倒する。すると、ソ連は中共を「真の共産主義国ではなく

一種の専制主義国である」と罵倒し、互いに一触即発の危険な国交状態になっている。

この状態が出て来るのは何故であろうか。

                     (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/11/30 (Thu) 08:08:29



コスモス様の末井勉先生のご本ご紹介、続きが楽しみです(^_-)-☆。



 今朝の光明道中記より。

「物の本質は物に非ずしていのちであるから、用をなした

ときにいのちは発揮され、命は無形のものであるから、い

のちを発揮した時物は無形となって発顕するのである。」

なかなか難しいです(^_-)。







 大聖師の御話です。


 ♡  “知”は黒白を分離する


 イデオロギーというものは“知”の範疇に属する問題で

あって、“愛”の範疇に入る問題ではないのであ

る。“知”は“審く”のである。知は黒白を分離し分割する。

“2”は“2”であり、“3”は“3”であり、“2”は“3”に同和することができないのである。

黒は黒であり、白は白であり、「俺は黒だぞ、白でない

ぞ」と一方が言えば、他方は「俺は黒なんかでないぞ、白

だぞ」と言い返す。そこには何ら調和の道はないのであ

る。要するに“知”のみあって“愛”が欠乏しているのである。

科学は“知”の領域であり、科学のみの発達するところ、そこには何ら融合の道はない。

“自己主張”と“自己主張”とが互に突っ張り合って衝突するばかりである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/01 (Fri) 08:17:17



下総の野人様が思想家・柄谷行人氏の9条論をご投稿。9条=徳川の平和?論、何か説得力ありのご説(*''ω''*)。

雅春先生なら、なんと御反論されますか。








 大聖師の御話続きです。


 ♡  自己主張の方便としての一時的団結


 世論、自己主張を貫くために、そして他の主張を打ち砕くために団結することはある。

しかしそれは自己主張を貫くために徒党を組んで他を破ろ

うとするのであるから真の愛の団結ではないから、他を破

る目的を達成した後には、その団結は破れて内部抗争が起きる。

そして、以前は同じ目的の団結であったのに主導権争いをして冷酷なる内部同志の粛清が始まるのである。

過去に於いて同志として互いに扶けあった者同士が仇敵となって殺し合いをするのである。

それはソ連の革命五十年の歩みを見ても、現在の中共の文

化大革命と称する造反運動を見ても明らかであるのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/02 (Sat) 08:33:34



  今朝の光明道中記。

「宗教とは自分を諦め行く真理である。諦めるとは自分を思いあきらめて捨ててしまう事でもなければ、自分を胡麻化すことでもない」・・・。





大聖師の御話です。


    ♡  派閥はこうして発生する


 革命の恐ろしいのは、このように冷酷な血も涙もな

い”知”の働きであるから、日本に於いても日本共産党が分

裂したり、前進座が分裂したり、其の他、社会党、自民党

をも含めて派閥闘争が止まないのは、“愛”が欠けてイデオロギーだけで運動しているからである。

人間の考えつくイデオロギーなどは、本質的には完全なも

のはあり得ないから必ず反対論者が出て、それに和協雷同

する権力追従の陣笠連が出来て、それは派閥となる。その

派閥の頭目を何とか懐柔しておかないと、足並みを揃え

て、自己主張できないから、折角、慣れて幾分か掌管する

部局のことが分かりかけた大臣をやめさせて、時に内閣改造というのをやる。

受持部局のことは何も知らない反主流派の党員を伴食大臣

にして”マア、マア“と事態を平穏にして、内閣の寿命延ばしをはかるのである。

こんな杜撰な気持で善政が敷けるわけがないから、物価は上がり続けて国民は迷惑するばかりである。

                                             (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/03 (Sun) 07:56:25




     なんだか、色んなご投稿が入り乱れて、混乱状態です(^_-)。

だけど、無限供給の神示、の凄い事(^^)/。









 大聖師の御話です。


        ♡  欲心


 物価は上がり続けるに拘わらず、総理大臣を初めとして

大臣諸公は自分たちの歳費(つまり月給)をあげる事には大いに賛成であるのである。

しかも、それの昇給額は月割にして十万も十五万も上がる

というのであるから、労働者や一般庶民にとっては垂涎の的になる。

総評が一万円以上の給料のベースアップを要求しても政府閣僚は何とも言えぬであろう、

代議士諸君も自分の歳費の値上げが便乗させてもらえるの

で歳費の値上げだけは、さすがに社会党や共産党員の代議士も反対しないらしいのである。

それが産業界でも人件費増大による物価の昂騰の一原因に

なっている現況には、政府閣僚諸君も頬かぶりの状態である。

 愛がなくして、“知”と“欲”ばかりが旺(さか)んであ

る。だから悪知恵をもって、自分の財欲と権勢欲を満足するためにだけ、徒党を組んであるのが政党である。

お釈迦さんが「この地球上に生まれて来ている人間」や

「生類」たちを”欲界”の生物だと仰言ったということだ

が、まことに”欲界”だなと絶望的感じを深くするばかりである。

                                              (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/04 (Mon) 08:35:00



   末井先生のうんちのお話、すごいです(^_-)-☆。

 黒田平戸市長も勇気のあるお人です。

 教科書に異変、困ったことです"(-""-)"。


 今朝の光明道中記に、

「ヒットラーが世界大戦を惹き起こしたとき、ヘンダーソ

ン前駐独英大使が、ヒットラーを評して「彼は何事にも

『諾(イエス)』と答える人間に囲まれている誇大妄想狂

だ」と言った語(ことば)を思い出すが、人は何事にも

「諾」と答える人間に囲まれているとき却って災厄を惹き起こすのである。」

と、ありました。








 大聖師の御話です。


 ♡  佐藤一人を衛るために数百人の警官が負傷した


 私は『白鳩』十二月号に、全学連の第一羽田事件のこと

に言及して、このままの憲法では第二、第三の羽田事件が

起こるに相違ないことを予言しておいたが、佐藤首相がア

メリカ訪問のために羽田空港を出発する時には、第一羽田

事件に数倍する乱闘事件が起こったのは、読者諸氏の周知のことである。

そういう乱闘事件が起こることを佐藤首相は知っていたか

らこそ、数千人の警官を自分を護衛する目的で配備計画をたてさせておいたのである。

佐藤一個の生命や身体を護らせるために数千人の警官が動

員され、その中の数百人が重軽傷を負うことは判っていても、佐藤はアメリカ訪問を敢行したのである。

佐藤栄作の生命も、ひとりの警官のいのちもいずれも“神
の子”のいのちであるから、その尊さは同一であるのだ。

これを平等に尊重することこそ民主主義である筈である。

それなのに彼は徳川将軍が御出向遊ばされる時の如く、五

千人の警護の警官に護られて、自分さえ安全であれば警官

のいのちなど虫けら同様と言わんばかりに出御ましましたのである。

私はこれを見て佐藤栄作が嫌いになったのである。彼には愛が無いのである。

警官に対しても愛があったら、そんな事は出来るはずがないのだ。

警官諸君も天皇陛下を護るために生命を棄てたり、重傷を

負ったりしたのなら満足できるであろうけれども、佐藤栄

作を護るために、自分の生命が危険にさらされたり、一生

涯傷痕が残るような負傷をさせられたのでは「死んでも死

に切れない」のに似た何ともやりきれない気持がするに違いないのである。

自動車事故で死んだり傷ついた者又はその遺族への慰謝料

は、裁判所の判例では数百万円から最高二千二百万円(大

阪地方裁判所の判決)を支払うべしという判決があったこ

とをラジオで聞いて覚えているが、交通事故は偶然に起

こった傷害であるが、羽田事件に於いて重軽傷を負った警

官は佐藤首相の命令によって佐藤栄作を護るために偶発事

故でなく「予定された傷害」を受けたのであるが、警官が

傷害を受けるに至った責任者は佐藤であるから、どのよう

な方法や金額で警官に謝罪し慰謝しようとするであろうか。

佐藤栄作は果たしてこれらの被害者が入院している病院を

一々訪問して、ねぎらいの丁重なる言葉でもかけてやるだ

けでもするであろうか。(これを書くのは今晩佐藤首相が

日本に帰着するという日の昼であったが、翌日のラジオを

聞いても佐藤首相は鎌倉に静養に行くそうで負傷警官を見舞う気持はないらしい。)

                                              (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/05 (Tue) 07:55:05

  


2日前の悠然としていた月の入りの美しさには感動しました。ごく、ゆっくりなんですね・・・。

早朝でしたが、今はもう大分遅い時間になってます。

兎さんが右側に逆さまになっていたのが可哀想でした(^_-)。

 新月前夜に攻撃なんてコワいNewsも見ました(´・ω・`)。











 大聖師の御話です。


    ♡  愛のない団体は分裂する


 兎も角”愛”のない人間、“愛”のない世界には本当の平和は来らないのである。

そこには権力闘争と、欲心闘争とがあるだけである。

私は殆ど現象的には、地球上の欲界に生まれている人間に絶望しているのである。

愛のない心では、大学生の団結も分裂するばかりである。

日共系の全学連もあれば反日共系の全学連もあり、反日共

系のも民青とか三派とかカクマルとかいうように分裂して

いて、一つの大学でも、その学部の異なるに従って主義主

張や運動方法を異にして派閥的になっているところもあるそうである。

私はこのような惨事の起ることを知りながら、佐藤首相が

アメリカ訪問を決行した首相の”愛”のなさを攻撃したが、

羽田に警官隊を攻撃するために投石と角材を用意して立ち

向かった全学連の行動に至っては、何処にも“愛”は見られないのである。

南ベトナムを訪問し更にアメリカを訪問しようという佐藤

首相が、ベトナム戦に日本国民を介入させる行動とみとめ

てそれを阻止するための全学連の純粋なる愛の行動である

ならば、佐藤首相ひとりに面会して陳情すればよいし、そ

の陳情が許されなければ首相邸前に角材も投石もなしにハ

ンストでも、もっと穏やかで有効な行動がとれた本当に首相のアメリカ行を阻止できる筈なのである。

当時の全学連の襲撃行動は、佐藤首相が飛行機でアメリカ

へ向けて出航した後にも、警官隊に向かって加えられてい

たのであって、全然、佐藤首相の訪米阻止の目的ではないことを暴露したのである。

聞くところによると、革命勢力にとっては警官は政府に味

方する革命阻止勢力の役割を果たすのであり、彼等は独占

資本主義の手先であるから、それを如何にして叩けば有効

であるかの籠手しらべとして、即ち革命の予行練習としてそれを実戦的にやったのであるとの事である。

集会結社の自由を国民の基本的人権としてみとめた現行の

憲法ではそのような実戦的予行練習を未然に防ぐことは出

来ないのであって、予備行動を充分やらしておいてから警

官でそれを防ごうとするから、警官のいのちは佐藤一人の

いのちを衛るために軽々しく棄てなければならなくなるのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/06 (Wed) 08:20:53



   今高杉晋作か、青山さん(^^♪。







 大聖師の御話です。


 ♡  反戦の根本立場は“愛”でなければならぬ


 ベトナム参戦反対は、それは全学連がやるにしても進歩

的文化人がやるにしても人間の生命の尊重の根本立場から行わなければならないのである。

ベトナムの戦争をやめさせてベトナム人や米人の生命が

尊重せられることはよい事ではあるけれども、そのために

日本人同志が国内で相戦って血を流すなどという事は本末を顛倒した愚かな戦闘行為であるのである。


                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/07 (Thu) 08:55:27



  清超先生の御乱心(´・ω・`)、まともには受けられません。

瀬戸口久子先生、懐かしきお名前のような・・・、残念な晩年でした。







 大聖師の御話です。あと3回です。


    ♡  生学連は何を為すべきか


 そこで吾々の生長の家学生会全国総連合(生学連)は如何に行動すべきであろうか。

吾々の”生長の家”と謂う宗教が萬教帰一であって、諸宗の

神髄を礼拝することを本義とするのであるから、そのよう

な信仰を中心に動く生学連は、学内に於ける他の学連のメ

ンバーの実相が”神の子”であり、たとえ現在”迷”に煽動さ

れて過激な行動をとっている学生であるにしても、それは

イデオロギーに迷わされているだけであって、生命の危険

をも冒してそのイデオロギーのために行動しようとする衝

動の奥底には深い”人類愛”が動いているのであり、ただそ

の人類愛を実現するための向き方が、愛とは反対の方向に

向いているために、結果として、却って愛とは反対の乱闘

事件や殺傷事件を惹き起こすに至るのであることを吾ら自

身が知るとともに、深く彼らの魂の奥底に潜む”人類愛”を

尊敬し、それを正しい方向に向けるために「話し合いの」

場を持つような懇談会や、静粛な討論会などを持つように工夫することである。


                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/08 (Fri) 08:35:58




末井先生のご文章、スムーズで読みやすいですね。

そして、中身が濃い!(^^)!。


 中仙堂様、堂々、です!(^^)!。








 大聖師の御話です。


革命五十年を経て国民の福祉増進のためには資本主義経済

組織を取り入れなければならなくなっているソ連の現状

は、共産主義が既に五十年も実行してみて、それでは国民

は幸福にも裕かにもならぬというテスト済みであるという

事実や、革命後十七年を経てもまだ国内の安定を得ていな

い中共の事情など、人類愛に燃えて自分の生命を冒して行

動しようという彼等に話せば屹度わかると私は信ずるのである。

現在の情況では、何党が政権を取っても皆自分の属する団

体又は党の利益のために行動するのであるから、偏った政治にならざるを得ないのである。

ただひとり日本天皇のみは、どの団体の利益代表でもなけ
れば、どんな資本主義会社又は組織の利益代表でもない。

終戦時の「自分の体はどうなっても良いから戦争を止め

る」と仰せられた事実や、終戦後、みずから「この戦争の

責任は一人自分のみにある。国民には責任が無いから自分

を処刑せられたい」とて皇室所有の全財産を提出せられ、

更に宮中奉安の歴代天皇の御物までも占領軍司令部に提出

して国民の食糧補給をマッカーサー元帥に願われた事実な

ど話せば、天皇政治こそ最高の理想的政治形態であることがよく分かって頂くことが出来ると思う。

「悪に強い者は、善も強い」という古諺があるが、そ

の”強さ”は理想に対する“執念の強さ”のことであって、そ

の理想の方向がたまたま真理と反対の方向に向かっている

場合「悪に強い」という事になり、その理想の方向を真理

実現の方向に向き直させれば「善に強い」という事になるのである。

全学連の青年たちは、この種の一種の理想家であり、方向

を日本民族信仰、日本民族の伝統信仰、そこに人類の理想

実現の金波羅華が象徴する天皇制国家のあることを認識せ

しめ、その理想実現に彼らの熱情を傾けさせるようにすれ

ば、屹度「善に強い人間」になってくれるのであるから、

そういう話し合いの機会と場を作って学内の生長の家グ

ループを強化し、全学連運動を吾らと協力態勢に導いて行

くことこそ、吾ら生学連の使命であると私は信ずるのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/09 (Sat) 08:05:37




    伝統様の丁酉(ひのととり) - 夕刻版 に何か、コワい預言のようなものが・・・!(^^)!。









 大聖師の御話、この項の終りです。


  ♡  平和愛好者と平和実現者とは異なる


 最後に言いたいのは、”平和愛好者(Peace Lo

ve)“と“平和実現者(Peace Maker)”とは異なるということである。

平和を愛好し平和を口に唱えながら常に闘争して行く人々によっては決して平和は造られないという事である。

平和は平和を実行しつつある人、平和を生活する人によってのみ実現せられるのである。

キリストは、「幸いなるかな、平和ならしめる者(Pea

ce Maker)、その人は”神の子”と称えられん」と

山上の垂訓で説いたのであって、決して、平和を愛好する

人を”神の子”と称えられんと説いたのではないのである。


平和は先ず自己の心の中に確保し堅持せられてそれが外界に投影するのである。

「幡(はた)の動くに非ず、風の動くに非ず、仁者(あな

た)の動くなり」と『無門関』は喝破しているのである。

                    
                    (おわり)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/10 (Sun) 07:59:00




  <種子の播き方を教えてくれる所が練成会でありますか

ら、練成会に参加して、種を播いておけばよいのです。いずれ芽を出し、実を結びます。・・・>・・・。


 末井先生のご文章より拝借<m(__)m>です。








 さて、今朝からは、 「尊敬されること」谷口清超先生

の御文章です。(昭和43年3/1号よりです



 ☆尊敬とは何か? 


  人はその尊敬を得たいと熱望する。しかしその何たるかを知る人は少ない。

  人生の悲喜劇はここにはじまる。

   誰が尊敬されるか

 人を尊敬したり、人から尊敬されるということは、大変すばらしい事であります。

民主主義時代になったら人を尊敬しなくて良いかと思った

ら大間違いで、お互いに敬愛し合うことは如何なる時代でも極めて大切なことなのです。

ところがどうも此の頃は、無作法な人々が多くなる傾向が

あり、それを民主主義と思い違えている人もいるらしいのです。

人の肩にドシンとぶつかっても平気で行ったり、バスの座

席に大股を広げて腰掛けたり、禁煙を無視したり、会場を汚したりして平気であります。

 このようなことは、人を尊敬し、人を愛する心があったら、とてもできないことなのです。

尊敬するとは、必ずしも目上の者に対してのみではなく、

人間の「神性」を礼拝する心になれば、誰に対してもできる事ではないでしょうか。

多くの人は、人から尊敬されることを求めるが、人を尊敬
することをしない。ここに根本的な間違いがあります。

人を尊敬する者が、真に人からも尊敬されるのであって、

もしそうでなくて「尊敬されている者」は、実は本当に尊

敬されているのではなく、怖れられていたり、煙たがれていたり、嫌われていたりするだけです。

ただ人々がその人の前でヘイコラするのは、そうしないと

こちらの首が危なかったり、商取引に悪影響があったりするからに過ぎません。

従って彼がお辞儀され、尊敬されているように見えます

が、本当は「彼」がされているのではなく、お金や地位が

尊敬されていて、「彼」はそのお金や地位の単なる「皮袋」に過ぎないのです。

 こんなことではつまらんじゃないですか。そのようなお

辞儀や敬意は、本当の尊敬から出たものではなく、保身の術から出たもので一種の金銭獲得戦術に過ぎない。

だからいくらそれを受けても、決して悦べないのでしょ

う。悦べないから、そうしてもらっている人は益々横暴と

なり、権力者ぶるという事になり、遂には汚職等の犯罪にまで発展する可能性があるのです。

                    (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/11 (Mon) 08:22:03



  中仙堂様の必死のご説得、アクエリア様の核武装論、

切実ですよね!(^^)!。










 清超先生の御話続きです。


        心 の 影


 では、本当の尊敬とは一体どんなものでしょう?

それは「人格」に対して払われるところの敬意であり、そ

うしなければこちらが損をするという種類のものではないのです。

もしこちらが損になるから相手を尊敬するのなら、それは

相手に捧げられるものではなく、自分自身に与えられたものであります。

そんな自閉的なものが”尊敬”ではない。”尊敬”はあくまで

も、こちらの「神性」があちらの「神性」を認めて讃嘆す

るのであって、このような意味で人を尊敬する人が、又人からも尊敬されるに価するのであります。

 従って、真の尊敬は、人に強要できるものでもなく、権

力や暴力や腕力で贖うことができるものでもありません。

自分が実力を蓄え、自分の人格が高まる以外に尊敬される

方法はない。いかに威張ってもだめであり、権力や暴力を振ってもだめなのです。

そのような“強がり”や“虚勢”は、必ず失敗します。永久に
虚勢を張り通すことは絶対に不可能です。

そんなことをする暇があったら、もっと実力を養成して
「徳」を積むことを志した方が、はるかに楽で賢明です。

徳や人格が高まれば自然にそれは顕われてくるものであっ

て、そうなれば当然人から愛されるし、敬意を払われるに違いありません。

たとえ人が自分を知らず、敬意を払わなくても、こちらが人々を敬愛し得るだけで、充分ではありませんか。

「あの人は素晴らしい、この人も立派だ、なんという素晴

らしい人々を友人に持ち、家族に持っているのだろう!」

と感激し得る人くらい幸福な人はいないのです。ところがその反対に、

「あの人も、この人も、自分よりも劣っている。何と世の中にはバカばかりがいるのだろう」

と人々を軽蔑している人は、御本人もまたそのバカの仲間だという事を告白しているだけです。

何故なら、この世の中には「環境は心の影」という原則が

あって、こちらの心がと相手に映ってあらわれて来るものだからであります。

 昨年の秋、私が岡山県の講習会に行った時のことでした。

倉敷市浜町六三八に住んでおられる梶原康夫さんがこんな話をされたのです。

梶原さんは現在二十八歳で、先祖伝来の豆腐製造業を営んでおられる、大変すばらしい青年です。

たしかに今は素晴らしいのだが、嘗てはそのすばらしさがあらわれていなかった。

どうしてかというと、やはり人間を「肉体」と考え、その

「肉体人間」観から凡ての人々がつまらなく愚劣に思えていたからです。

「肉体」というベールでおおって世の中を見ていると誰で

も世の中の人々が愚劣に見え、自分自身がいやになって来るのであります。

                     (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/12 (Tue) 08:14:57



    <自殺をしたら病気が治って了(しま)うということは不思議なことです。>・・・、末井先生のお話、本当に不思議ですよね~!(^^)!。

あめのうずめ様が清超先生を批判されております。

清超先生の御話を謹写する私としては、じくじたる思いです('◇')ゞ。お強い意志が必要だったのかもしれませんが。








 清超先生の御話です。敢えて続けます。


     大 嫌 い な も の


 梶原さんは六歳の時父親に死別し、以来母の手一つで育てられたのでした。

現在は、祖母と母と、二人の妹さんとの五人家族ですが、

長男の康男さんが、家業の豆腐製造業を継いだのです。

ところがこの仕事をやって見ると、はげしく肉体を酷使し

なければならないにも拘らず、金の方は余り儲からない。

豆腐は日本人の食生活になくてはならぬものですが、それ

を製造する人に対して充分の尊敬が払われていないという実情です。

このため、康男さんは、こんな仕事を自分に残して死んだ

父親を恨みました。さらに又、自分を育てた母に対してもすこぶる不満でした。

幼くして父を亡くした長男は、母に対して強い責任を感ず

ると同時に、いつまでも自分を子供扱いにする母に対して反発するものです。

 自分はもう一人前なのだ。私がこの家の大黒柱なんだ。

その大黒柱に対して、どうしてもっと“尊敬”を払わないのか、・・・・・と言いたいのです。

彼の胸中には劣等感と傲慢心とが混在した。

そこで或る日、康男君は、母にこう宣言しました。

「お母さん!私は今後、あなたをずっと見てあげるんですよ。だから私の言う事は絶対聞きなさい!」

 彼は母に命令しようとした。随って祖母や妹二人には、

それ以上に厳しく当たり散らし、自分を「尊敬」するように強要しました。

けれども、前に述べたように、「尊敬」は力や外圧によって強制されるものではありません。

尊敬されるべき人格となって行く時に、はじめて尊敬が自分に与えられて来る。

ところが康男君は、人格や愛情の方はそっちのけにして、暴力や権力で尊敬を勝ち取ろうとしたのでした。

 このような当時の康男君にとって、一番嫌いなものが一つあった。

それは、母が二十数年来信仰し続けて来た「生長の家」です。

これが嫌いで嫌いでたまらない。いや、嫌いというよりは、憎くて仕方がない。

母の心が「生長の家」に傾倒して、自分の方に傾いていな

い。自分には相談しないで、「生長の家」に相談し、「生

長の家」の先生の言う事なら何でも聞く。全くけしからん!と思うのでした。

 だからこそ、「私がこの家の大黒柱だ。私の言うことを聞け!」などと、ヤボなことを言い出したのです。

それは康男さんが母を愛していた証拠でありますが、又同時に「生長の家」を誤解していたからでもあります。

「生長の家」の外にいて、「生長の家」に敵対しようとしている。

こんなことは全く不可能なことなのです。

そこからは「尊敬さるべきもの」は何も得られはしない。

しかも尚、「尊敬」を求めて威張り散らしていたのです。

                    
                    (つづく)



Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/13 (Wed) 08:19:38




 <その結果不思議なことに、その日の夜から私の足が、

昼間は痛みますが、夜寝床の中に入って体が温かくなりま

すと、バラバラに散った骨が、コトコトコトコトと、元の所に戻って来て、嵌(はま)るのです。>・・・。


何ですか、この奇蹟は(^^♪。末井先生のお見事なマジックです(^_-)。いいね、どころの騒ぎ('◇')ゞじゃありません。










 清超先生の御話です。


    存在価値を知らせるために


 こんな生活をしていて幸福であり、健康である道理がありません。

やがて梶原君は、頭が痛く、身体はだるく、胃や腸までも悪くなってしまいました。

こうなるといくら威張ろうとしても、力が出ない。まる二

カ月間というもの、仕事をするでなく、遊ぶのでもなく、ただ悶々とした日々を送っていました。

すると、これを心配して母親は、思い余って怖る怖る言いました。

「まことにすまないけれど、お前、飛田給の練成道場へ行ってくれないか・・・・・」

 何を言うか!あの憎らしく大嫌いな「生長の家」へ行けとは何事か!

併し、康男君の心に、フッとこの時別の考えが浮かんだのです。

「そうだ。この機会に、私が等化十日以上も家を留守にし

たら、その間母や家族たちに、私の存在価値を再認識させることが出来るではないか。

私がいなかった、家族はどんなに困るだろうか、仕事が出来なくて、大変だと判るに違いない。

そうしたら、いやでも応でも、彼らは私を尊敬するようになるであろう。

しめた!このチャンスに思い切って飛田給へ行ってやれ!」

 こう気付いた康男君は、権威者らしく言うのでした。

「よし!そんなら行ってやろう。ただし、条件がある。現在家にある金を全部寄越せ。」

 有金を全部持ち出せば、家族の人々は一層困り果て、自

分の存在をいやでも認識するであろう。しかしてその結

果、私を尊敬するようになるに違いないと計算し有無を言

わさず有金を全て持ち出して、飛田給へやって来ました。

しかし乍ら梶原君は、飛田給へ着いたとたん、「しまった!」と思った。

「私の来るところは、こんな薄汚い病院跡ではない!」

 その頃の飛田給は旧い建物の家です。その上さらに困っ

たのは、あのまずくってたまらない(と彼は思った)食事

である。それどころか、けしからぬことがまだまだ一杯ある。

練成道場では、練成を受ける人から金を取り立てながら、

食事の後で食器を洗わせ、掃除をさせ、布団の上げ下しまでさせる。

おまけに、便所掃除までさせるとあっては、言語道断!挙句の果てに、

「有り難うございます」と言えとはこりゃ何事か!梶原君は癪にさわって、癪にさわってたまらない。

                                               (つづく)









Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/14 (Thu) 08:24:13




 <真理は実践してこそ初めて我がものとなるのであって、

真理をただ本の上で学びとった、いわゆる"知る"ということだけであっては、絵に描いた餅のようなものです。>・・・。

末井先生のお言葉、耳に痛いです('◇')ゞ。

だけど先生のご文章は類まれなる感動もの、です、一気に引き込まれてしまいます(^^♪。

コスモス様ありがとうございます<m(__)m>。









 清超先生のお話です。こちらも中々面白いです。

  
     奪いとる心

「とんでもない所へ来てしまった。此処は決して永居をするところではない。一刻も早く帰ろう」

 と思いながら、自己紹介の時、こう言いました。

「私は、母に頼まれて、仕方なくやって来ました。私はこ

こには二、三日しか居るつもりはない。合掌なんかやらない」と。

 その時、合掌が出来なかった人は、梶原君と、もう一人の青年との二人だけでした。

更に、困ったことがある。

それは、あの、たまらなく手のだるく、脚の痛くなる神想観と称するものをやらされる。

あれは一体なんだ!

「こんなやっちもないことを、どうしてやらせるのか。バカバカしい!」

 と思いながら、部屋の人のすすめもあるので、仕方な

く、もう帰ろう、もう帰ろうと思いながら、三日の昼までいました。

さて、三日目の講話が終り、部屋に帰って来てみると、驚

いたことに、外部から泥坊が入って、梶原君の部屋が荒ら

されている。しかも、とられたものは、梶原君と、もう一人の「合掌の出来なかった青年」のものばかり。

 全く、意外でした。が、決してこれは泥坊が二人の自己紹介を聞いて選別した訳ではない。

「環境は心の影」でありますから、心の荒れすさんだ者の荷物が荒らされるという事になったのです。

金をとりながら、便所掃除をさせ、有難うございますと言

わされると不平タラタラで、「奪われる心」でいるものが「奪われる姿」をあらわしたのでした。

 おまけにさらに驚いたことには、梶原君が家からかっさ

らって来た、現金がとられている。この金を持っていたら

家族のやつめ困るだろうと思って、“奪いとる心”を起こし

た、その金が逆に奪いとられて、「困らせられる」ということになった。

加と逆上した梶原君は、「それ見ろ!神も仏もないじゃな
いか。宗教の道場に、泥坊が入るとは何事だ!」

 とカンカンになって早速事務所に怒鳴り込みました。

「ここで金をとられたのだから、全部弁償しろ」というわけです。
「こんなところには、もう一刻もおれないから、わしはすぐ帰る!」

 すると事務所の人が、おだやかに言うのです。

「今はあいにく局長が巡幸に出ていていませんから、しばらく待って下さい。」

「局長は、一体いつ帰るんだっ!」

「今晩か、もしかすると、明日の朝になります。」


                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/15 (Fri) 08:16:01

  

   森田元青年会会長が亡くなられたようです。

北海道にいらっしゃった折に、お逢いしたような(言葉をかけたような?)

幻の記憶が・・・。失礼な言葉であったようで、後々反省しきりでした。

先生の爪の垢でも煎じて頂きたい気持ちです。











 清超先生のお話です。


        神想観で


ええい、仕方がない今すぐここを飛び出したら、盗難に

あった金を払ってもらえないから損だ、金を払ってもらお

うと思えば、局長が帰るまで、もうしばらくここに居なければならない。

梶原君は、とられた金が惜しいばっかりに、もう少し飛田

給にいる事に決めました。で仕方なく、午後の講話を聴きに出て行ったのです。

するとその時のお話が、梶原君の一番嫌いな“親孝行”の話でした。

何たることか!と仕方なく聴いていると、さんざん親孝行の実例やら何やらを話された後で、

「皆さん、瞑目合掌してください。」
 というのです。これがまた梶原君にとって大嫌いな行事です。

しぶしぶ合掌して、おとうさんおかあさん、有難うござい

ます、有難うございます、と念ずる「神想観」をしつつ、

父母への感謝のコトバを捧げているとやがてあちらから

も、こちらからも、啜泣きの声が漏れて来る、そのうち、思っても見ない事が起こりました。

それは郷里で母が一所懸命仕事をしておられる姿が、忽然
として梶原君の眼前にあらわれたのでした。

気がついてみると、梶原君の胸の底から、熱いものがこみ上げて来る。

それが、どうしたことか、熱い涙となって、頬を伝わって

流れ落ちるのです。あたかも永い間母を愛し続けて来た梶原君の心の奥底の氷が、とけて流れて来るように・・・・・。

 あとからあとからと、こみ上げて来て、涙が頬を伝わる。

ああ、母は私を今迄、どんな気持ちで育てて下さったか、

母は今、ああして、仕事をしながら、私の事を思っていて

下さる・・・・・そう思うと、もうこらえることできなくなり、梶原君は、大声をあげて泣き出しました。

彼の号泣が講堂に響き渡ると、あとは全く無我夢中でした。

梶原君が自己紹介した後で、十日間いて練成を受けるよう

にと深雪に忠告して下さった奥さんがいらっしゃったの

で、梶原君は、その奥さんのところへ飛んで行き、

「奥さん!有難うございます!僕は十日間受けさせて頂きます!」
 と、叫ぶ、あとはもう言葉にならず、その奥さんに手を取られて、泣き伏した。

すると周囲におられた人々が集まって来て、力づけ、はげまし、祝福して下さる。

梶原君は、生まれてはじめて、

「お母さん有難うございます、有難うございます」と心から感謝することが出来ました。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/16 (Sat) 08:03:13




  大熊 良樹先生も素晴らしいお人である。

 昨日の森田先生の肩書、間違いました。正しくは会長さんでなく、委員長さんでした。






 清超先生のお話、お終いです。


         懺悔と尊敬


 突如として、彼の本心があらわれたのでした。反抗心が

消えて、悦びが吹き出した。心が変わると、一切が変わるのです。

その晩から、今迄あれほど不味かった食事が、なんともい

えず美味しく感じられます。あとの食器洗いもお掃除も、布団の上げ下しも、楽しくてたまりません。

梶原君は、生れてはじめて、自分で自分のシャツを洗いま

した。そして、有難うございますととなえ乍ら、便所掃除が出来るようになりました。

それは、如何なる金銭をもってしても贖うことのできない歓喜でした。

父母に、心から感謝するとは、かくもうれしく、楽しく、心安らかなものであろうか――

 四日の朝になると、練成局長さんが帰って来られたというので、部屋に呼ばれました。

梶原君が局長さんの前へ行くと、局長さんは、愛念を込め

て、気の毒な目にあったことを慰め、おわびを言い、所持

金はすべて事務所に預けてもらうのが建前だから、盗難に

あった全額はお支払いできないけれども、半額は弁償したいと思うと言われました。そして、

「君は、直ぐ帰ると言って居られるそうだが、どうしますか。最後まで練成を受けませんか」ときかれるのです。

梶原君は答えました。

「先生、済みません!私が悪かったのです。練成は、最後

まで受けさせて頂きます。そして盗られたお金なんか要りません。」

 こうして練成をつづけて、見事に「神性」を顕現された

梶原君は霊によって生まれ替わり岡山県に帰って行かれま

した。家の敷居をまたぐと、夜半にも拘らず、家族全員が迎えてくれました。

その時の康男さんは、まだのどまで出ていた「有難うございます」と言うことができませんでした。

しかし、それからは毎日「神想観」をし、『甘露の法雨』を読誦して、『生命の實相』を貪るように読みました。

或る日、『甘露の法雨』をあげている時、泣けて仕方がない。声が詰まってしまうのです。

あの飛田給での感激と同じ感激が再び湧き上がりました。

「神に感謝しても、父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」と書かれてあった。

康男さんは、父の御霊のお祀りしてある仏壇の前で、

「お母さん、有難うございます。僕が悪かった、ゆるしてください」と、心から懺悔しました。

こうして彼は完全な「生長の家」人となることが出来たのです。

現在梶原君は家族全員の尊敬と愛念を受けて、光明化運動と四代目の家業とに全身を打ち込んでおられるのです。


                                              (おわり)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/17 (Sun) 07:43:38


  <私は宇治にかなり長く置いて頂いた訳ですが、明け

ても暮れても献労だった。常識的に考えれば、脂汗流して

働けば、人間の身体は疲労するし、体力の衰耗(すいもう)で疲れるものだと思う。

 ところが信仰の世界はそうではない。働けば働くほど元

気になるという。そこで、嬉しくなって活き活きしてくる。・・・>・・・。


働かざるもの食うべからず、唯物論も一理ありますか('◇')ゞ。意味が少し違いますか。









 さて、今朝よりは、丁度、理想世界誌昭和43年2/1号に
森田征史委員長のご文章がございましたので、紹介することにしました。



 —ー—120万 学生の光明化を目指して

          驀進する生長の家学生会全国総連合  その思想と行動  

           生長の家学生会全国総連合中央委員長  森田征史先生



 昭和三十五年、日本は安保騒動の嵐の中に、ほとんど全国的なスケールで巻き込まれていた。

連日連夜、赤旗の波は、都市という都市、町という町を、埋め尽くしていた。

そして。巷という巷には、巨大な蛇が怒号を吐きながら踊り狂っていたのである。

 その波は、否、その波の中の中心的地点は、全国の大学の中に於いて、最も激しいものであった。

「全学連=ゼンガクレン=」、その名は、エンサイクロペ

ディア・ブルタニカ(大英百科事典)にも載せられている。

全学連は、当時、全国の大学の殆どに於いて、学生の間の

安保論争に勝利を博し、学生運動の主導権を握り、日本の

学生の良識の代弁的地位を得て、学園内から街頭に進出し

た。彼らの思想と行動は、日本赤化革命路線を強烈に突っ

走る「日教組」、「総評」、「共産党」、「社会党」と完

全に同一的立場をとり、むしろ、それらの反日的勢力に支

えられ、煽られて、”岸内閣打倒”、“日米安保体制の破

壊”、”日本中立化”、”日本共産化”、の国内及び、国際的

勢力の完全な前衛として存在することの確認から常に出発していた。

確かに、多くの国民の眼には、大学の良識は、“安保反

対”を指向していると強く印象付けられたことであろう。

しかも学生のみならず、むしろ善良な学生を扇動して、彼

等を街頭に狂走させたのは、所謂「進歩的文化人」の中核

を自認している、教授連であったし、その教授連自身も、

プラカードを手にして、街頭をデモったのであるから・・・・・。

                                              (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/18 (Mon) 08:06:02




     明鏡様が「 天皇陛下万歳 」 の意味の話題をされております(^_-)-☆。







 森田先生のご文章です。


併し乍ら、当時、ほんとうに大学の良識は、“安保反対”を指向していたのであろうか。

決してそうではなかったのである。

全国に存在していた”生長の家学生”は、谷口雅春先生が

『理想世界』『日の丸か赤旗か』等の中で、昼夜を問わず

連続的に執筆された正しい日本の進路への“神のみ声”に導

かれて、相愛会、白鳩会、青年会の同志の人々の物心両面

における支援の下に、津々浦々で立ち上がっていたのである。

 例えば、首都東京に於いては仙頭青年会長を中心にし

て、数十名の学生が生長の家本部を拠点に、起居を共にし

て、連日連夜、学園に或いは、街頭に立ち、日章旗を先頭に祖国の正しい道を叫び続けていた。

当時、予定されていた、アイゼンハワー米大統領の訪日の

際、羽田空港から宮城までの道程に於いて、お出迎えの陛

下とアイゼンハワー大統領に、全学連の過激派が“物理的

制裁”を加えるという情報を手にしていた吾らの同志達

は、文字通り、“醜の御楯”として、全学連下の暴挙に対して、自分の身体を捧げる覚悟をしていたほどであった。

あの“安保闘争”嵐の中で、吾らの同志達の思想と行動は、

神武天皇建国の理想である「大和建国」の理念への恋闕で

あったのであり、「刃に血塗らずして」という神武天皇御東征のときの絶対平和的行動であった。

そして、その姿は、谷口雅春先生から常日頃教え伝えられ

た「祖国日本の危うきとき、その正しき道路を指し示す塩椎の翁(住吉大神)の分身分霊であった。

それは、兵庫県神戸における当時の吾らの同志達の行動をもって、その一例を掲げることが出来る。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/19 (Tue) 07:57:42




  とうとう、志恩様、ダチョウのお肉を推奨されております(^^♪。








 森田先生のお話、続きです。


あの日、吾らの同志達は、早朝から教化部に集まり、祖国

日本と同胞の実相に深い祈りを捧げた後、手に手に自分た

ちで作ったビラを持ち、元町の三宮神社の前に立って“安

保体制、及び安保改定”の必要性を道行く人々、商店街の人々に訴えていた。

折しもその時、西側の道路から、「ワッショイ・ワッショ

イ・アンポハンタイ・アンポハンタイ」と数本の赤旗を先

頭にして、千数百名の文化人と学生のデモが来たのである。

吾らの同志達は、日章旗を一人が初夏の風になびかせ、他

の二人が「安保改定を賛成しよう」と書いた、白い大きい横幕を持っていた。

丁度、デモ隊が。吾らの同志達の目前にさしかかった時、

デモ隊は立ち止まって手にしていたマイクで口々にののし

り、プラカードを打ち振り、僅か数メートルの距離を置いて、日章旗と赤旗が対決したのである。

吾らの同志達の数はたった七人であった。

瞬間的に彼我の間に鋭い刃金のような緊張感がみなぎっ

た。道行く人々も次に起こる場面を想像しかねて、不安の

眼の色に変っていた。しかし、その時、吾らの同志達は誰れ言うとなしに、“合掌”していたのである。

その姿を見て、デモ隊は最初嘲笑していたかのようであっ

た。が、次第にその声は小さく弱くなり、暫くして同志達

の眼が開いた時、そこに見たものは、赤旗は力なく下に垂

れ下がり、プラカードは肩に担がれ、声もなくぞろぞろと歩き始めた群衆であった。

周りにいた人々から思わず讃嘆とも驚ろきともつかない声が上がった。

このような事例は、唯神戸だけではない。福岡に於いても、大阪に於いても見出すことが出来る。

安保騒動は、樺美智子君というと尊い若い生命を犠牲にして下火になって行った。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/20 (Wed) 08:16:29




   伝統様のご投稿が???('◇')ゞ。







 森田先生のお話です。


        二


 僕らがあの“安保闘争”から学んだことは数え切れないほどである。

”住吉大神の分身分霊”としての選ばれた使命を、あれほど

痛感したことはなかったし、又、それだけに、必勝の信念を得ることが出来た。

しかし乍ら、その反面、反省し残念に思ったことも多かっ

た。その最大のものは、“吾々には、全国の大学を結ぶ強力な組織が無い”ことであった。

あの時、全学連は、全国の大学に拠点を持つ強力な組織を

持ち、その優れて豊かな情報交換の機能を縦横無尽に発揮

し、とによって各大学の自治会を握ることによって得た莫

大な資金(大学に於いては、各大学生一人一人が、年額平

均一、○○○円自治会費をその大学自治会に支払っており、

例えば一万人学生がいる大学では、年額一千万円もの金が

集められ、自治会執行部が、それを使用している)と、国

内、国外からの膨大な支援金をもって、自由自在に一般の

善良な学生を操り、学内での安保反対闘争の主導権を握

り、全国的な舞台で展開された闘争にいて、大学は彼等の

最も信頼し得る安定勢力としてのがんけんな砦であったのである。

勿論、安保体制、安保改定賛成の声も大学の中には皆無で

はなかった。が、しかし、それらは、組織もなく散在して

おり、強大な全学連の組織力に圧倒されて、殆ど力を持たなかった。

                     (つづく)




Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/21 (Thu) 08:10:54



<そしたら「傘掛けがない」と言う。大工さんに注文して、鳥居みたいな二段掛けの傘掛けをつくった。ところが大工さん知らないものだから、五十本掛かるようにしてしまった。

二十一本持って行ったら半分も足りないでしょう。見たところ寂しい。そしたら駅長さんが、

 「末井さん、半分も掛かってないんで寂しいなあ」
 「ああそうですか。つくりましょう」

 合計五十本作って、掛けた。隣りの備前福河の駅には十五本と、赤穂に関係ある通勤者のためと思って寄付した。>・・・。

 何でしょうねえ、この磊落、純朴さは!(^^)!。








 森田先生のお話です。まだまだ続きます(^^♪。



これではいけない、一体日本の大学はこれからどうなるのか。

反日的な革命勢力は決して容赦をしない。危機は、ただ昭

和三十五年だけではない。彼等は、形式的に安保闘争に於

いて敗北したが。が、その闘争に於いて彼らが動員した数

は延べ一五〇〇万人にも上るという。一時的には敗北したが、しかし、あきらかに勝利であったと見てる。

日本に天皇があわします限り、安保体制破壊ー日米間の離

反―中立―非武装―革命という青写真には何らの変更もきた

さないし、その青写真の実現化のために、手を変え、品を

変えて、大学の赤化に拍車をかけて来るであろう。(その

後、一連の学生会館闘争、授業料値上げ反対闘争、原子力

潜水艦入港反対闘争等、当然路線上に於いて、正当で、価値ある革命闘争が大学の中で繰り返されてきた)

 僕らはこれまで、余りにも受身であった。

事が起こって、危機が顕在化して初めて行動していた。そ

れも散発的で、弱々しく、僕らの同志達は常に孤立し、孤独感に陥っていた。

此のままでは、日本実相の顕現はおろか、迫りくる革命の

荒波も防ぐことは出来ないばかりか、次第に僕らの力は弱

くなり、遂には大学の良識は壊滅するに違いない。

大学の破壊は日本の破壊である。日本の破壊は人類の破壊である。

                                              (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/22 (Fri) 08:32:27




  伝統様、寝ていらっしゃるのでしょうか!(^^)!。

 末井先生、大活躍、9条の闇!(^^)!、判り切ってるのにねえ・・・。







 森田先生のお話です。


僕らは、何としても、そのような状況下から脱出し、消極を積極に変え、受け身を能動に変えなければならぬ。

光明化運動とは、現状に妥協したり、それを維持しようと

することではない。眼前にある現状とは、神の世界ではなく、闇の世界であり、破壊と混乱と堕落の世界なのだ。

そのような世界を革命勢力から守ろうとしているのか。それもやっとの思いで・・・・・。

否々、決してそうではない筈だ。

僕らの目指す世界は、天皇実相、日本実相、人間実相の顕現した世界でなければならぬ。

それは、現状に於いては保守ではなく、革新でなければならぬ。真の革新こそ、“維新”である。

 そのためには、強力な神の力の進軍がなされなければな

らぬ。癒着した唯物論的人間観、国家観、世界観を打破しなければならぬ。

それは、人類の迷妄に対する“たたかい”である。

大学は、祖国日本の知、情、意の豊かな宝庫であり、大学

は民族と人類との希望である。その大学が、革命と混乱の

嵐に包まれていて一体何としよう。大学こそ、塩椎の翁の生命が充ち満ちていなければならぬ。

その為にこそ、全国の大学の全てに、光明化運動の拠点を築こう。

そして、その拠点をしっかりと結んで、強力な団結力をた

もち、一人の力を数百倍に拡大し、一つの拠点の力を数百

倍にも拡大して働かねばならぬ。そして、常に、正しき神

の生命を受けるために、組織の統制を正しくし、総裁、副総裁の下に結集しなければならぬ。

”生学連”は実にこのようにして昭和四十一年五月、第十八回全国大会において誕生した。

                     (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/23 (Sat) 07:55:33




   <どんな環境や境遇に置かれても、“有難い!”と決めてしまって、それから後は、有難い、有難いと思い続けることです。>・・・。

 末井先生のお言葉です

 中仙道様が、尖閣の危機を叫んでおられます







 森田先生のお話です。


        三


 現在、生学連は着実に発展している。発展当時、七十校

ほどしかなかった”学生会”(学内光明化の拠点)も、わず

か一年半ほどで倍加している。全国六〇〇の大学に真理の灯台の輝く日も間近に迫っている。

僕等は、益々”祈り”を強くし、”学習”に励み、”行動”を積極的に展開してゆかねばならぬ。

 生学連の組織における同志的連帯は非常に強固となって

来た。各学生会での活動の情況は毎月の報告書、及び書簡

等で着実に中央書記局に送られて来ており、僕らは学生会

の同志達が本当に一所懸命に活動していることを、自分の

ことよりも良く知っている。僕達の同志達の紹介するために、安藤君の書簡を引用したい。


『合掌、君(書記長の鈴木君のこと)にこの報告をやれる

のを嬉しく思う。選挙(自治会の選挙のこと、長崎大学で

は、僕等の同志が、民青、社青同等の革命勢力に勝利し、

ここ一年半三期にわたり、自治会の委員長の座を獲得し

た)に勝った。辛い選挙であった。僅か二十一票差。

開票時は一〇〇票程負けていたが、あとで盛り返し遂に勝

つことが出来た。この間僕は護国神社で真剣なる祈りを捧
げて来た。二十一票差でも何でもとにかく嬉しかった。

開票のあった三十日、涙が出る程であった。一人になりた

かった。・・・・・・・・・僕にとっては背水の陣だっ

た。というのはリコール署名を社青同諸君が提出したからである。

私はリコール総会を開いてもすぐに勝てるだけの支持率挽回をはかってみる必要があった。

僕はこの一週間をこれにかけた。演説にかけた。そしてその結果はアンケートに明白である。

八〇・一%開館賛成、八五%バリケード反対[学生会館の

管理運営をめぐってN大は三年前から学生とN大学当局が

対立し、学生側(社青同が率いている)は、学生会館を一

般学生に使用することを禁じ、バリケードを築いた]

鈴木君、これが一般学生というものであろうか。

七月三日以来、社青同によってアジられて入館ボイコットを決めた諸君が、今ではもう入館に賛成なのである。

僕はこれで・・・・・少なくとも自治会支持をふやすことが出来たと信じられるようになった。・・・・・』

                                               (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/24 (Sun) 07:57:54



    天皇陛下の御誕生日の賑わいは、うれしいものです。






 森田先生のお話です。あと3~4回でしょうか。


次に清水八代江君の書簡を紹介しよう。

『最初は、五月の全国大会で理想世界誌の一括購入を決心

して帰りました。松木先生の『理想世界』は霊的弾丸であ

るという文に接し、それをしっかりと心に収めました。そ

して親しい友、顔見知りの友、パッと目の合った人など、に『理』誌をすすめました。

すると誰かから聞いたりして、私も生長の家を知っている、という人があらわれてきました。

この人達を中心にして、初めての人をも含めて十二人程のグループが出来たわけです。

夏休みには、四名程度練成を受けたり、又練成の手伝いをしてくれました。

素直な菩薩のような人ばかりで、教室でも、ロッカーで

も、会うと生長の家の素晴らしさ『理』誌の素晴らしさを楽しく話します。

現在『理』誌を読んでくださる人は二十人程になりまし

た・・・・・まだ、お教えに触れていない人、すべての青年に霊性に目覚めるチャンスを与えたいと思います。

この生長の家のみ教えによってのみ彼らの実相は顕現する

のです。そう思うと、クラスの一人一人、又、学園全体に

愛を感じ礼拝したくなります。ほんとに使命大なり生学連です』

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/25 (Mon) 08:05:42




  <今日は(24日)は、クリスマスイブ、
正しくは、今夜から明日(25日)の夕刻までが、クリスマスです。


 【A Merry X'mas! メリークリスマス! a Merry Christmas!】

         ・ ☆ . ・ . ・ . ・ . ・ .  ・.  .
         ・ ** .  ・ 〇 ・ Merry Christmas!!  .
         ・ **** . ・ o   ・ .  . ・
           ****** ・ . o ・    ・    ・
          ********   _П /\/\ ・   ・
          **********  /\Ц\・/\ \ ・ Д.
          ************ / 仝 \____\ /\\ (^^) ・
         ++++ || ++++|П|田 |++++ ||.| +++  (:)・



 伝統様のご投稿より紹介させて頂きます<m(__)m>。








 森田先生のお話です。


以上の二つの活動のパターンは、全く異なっている。そし

て、いずれもが実に懸命な努力によってなされており、そ

の活動に従事している僕等の同志達は、美しく、且つ、逞しい。

現在、僕等の焼く一五〇の大学での活動は、非常に柔軟性

に富んでいて、決して一定の型に固執して、その大学の環

境、仲間の開発し得ている力、活動の時点等の情況との相関関係において無理を生じていない。

しかし、そうであるからと言って、生学連の活動が無統制であるのではない。

僕等の全ての同志達は、学園に真理を伝達することに重点を集中し切っている。

組織もあらゆるパターンを持ちながら、そのことを最も効果的に推進してゆくために動いている。

仮りに、革命勢力が昭和四十五年を捉えて、大学の中に革

命の拠点を構築し、昭和三十五年安保闘争の再現を夢見た

としても、再びあの時のように簡単に大学の良識が、彼等によって晦まされることはない。

僕等の同志達が着々と積み重ねて来た組織活動の成果は、

数多くの大学生に正しき日本人の指向性を培い、大学の良

識は次第に回復し、革命勢力の意図と行動は、頑強な抵抗に直面するだろう。

現時点における状況は、彼等が暴力的に、非合法的に行動

すればするほど、僕等の勢力は、それらのエナジーを逆に吸収し、力を増強し、同志の拡大を為し得ている。

例えば、去る九月十一日以来、社青同の諸君達の非合法的

手段で強制的に挙行した、学内ストは、その故に起ち上

がった学園正常化の有志達の中に、一挙に二十数名の生長

の家学生を見出し、多数の良識ある学生の決起を促した。

                    
                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/26 (Tue) 08:30:41




   雌鹿の足の御講義、あの語り口、素晴らしいです。

途中まで聴いて、じらされています('◇')ゞ。

白髭の御爺さんは誰なのでしょう?









森田先生のお話です。あと3回位ですか。


        四

 生学連は、確かにこれまでにない程伸展している。しか

し、それは決して、僕等の使命の全てが順調に遂行されつ
つあるという事ではない。

人類光明化運動という大きい視野から見れば、本来的には

学生はもっと多角的なオリエンテーションを要求されているのだ。

その第一は、学問の分野においてである。現代文化の骨組

みは、それを支えている学問体系であることは言を俟たない。

マルクスの資本論以来唯物史観に至る迄の、あの学問体系

を前提にし、骨子として、はじめて、ソ連、中共等の共産

圏文化が生まれつつあるのだ。そして、その学問体系が、

所謂、唯物的人間観によって発想されたものであれば、僕

等が谷口雅春先生から教えて戴いた“唯神実相論的人間

観”に基いた文化の裏付けは、当然その間に新しい学問体系を想起せざるを得ないのだ。

光明化運動の進軍が、現代社会のあらゆる角度からの浸透

を余儀なくされている今日、その骨格的構造を一挙に破壊

し、新しい秩序を打ち立てる為にこそ、学問分野での決定的な勝利を要求されている。

憲法・政治・経済・教育等々、この複雑な構造を持つ、現代社会への対決の学問的課題は無数に近い程ある。

僕等は、自分の専攻する学問分野において、力強く取組

み、将来の新しい学問体系樹立の嚆矢を放たなければなら

ぬ。そして、その指向性に基づく僕等の日常の勉学の積み

重ねは、連続的に迫って来る、日本の直面する外交問題、

政治問題、社会問題、憲法問題等の光明化運動の時の流動

に敏感に対処することを要求される、必要な活動の理論的

根拠を打ち出すことが出来るし、運動展開の際の強力な理

論武装を運動の他の同志達に与えることが出来る。その

他、中高校生たちの育成等、僕等の組織の充実に従って、僕等でなければ出来ない大切な課題は多くある。


                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/27 (Wed) 08:45:38



  白髭のお爺さん,実は暖房器具等も扱う実業家だったのですかね(^^♪。

光明思想を持てば、事業もスンナリうまく行くのでしょう。このお爺さん、彼方此方に行っては成功の秘訣=雌鹿の足の秘密、を触れ回ったわけです。愛行ですか(^^♪。

「叡智の断片」にもG・クラーク博士の逸話は載っていましたね。

 だけど、大本教の御筆先を信じて、浴衣?に縄の帯、タケヒゴ?の袋に歯ブラシとタオルのみの先生と「よく結婚してくれましたね」と、おどけて仰って、練成の方々に受けて居られたところなど、すばらしきユーモアの溢れるところでした。

輝子先生のことは、家内、と呼んでおりました。


 9条新提案 「本九条は自衛権の発動を妨げない」   青山繁晴さんの提案が目立ちます(^^♪。









 森田先生のお話です。


僕等は現在、生学連活動にあって開発している力量は、非

常に部分的なものにしか過ぎないことを痛感しなければならぬ。

順調に伸展しているという事、理想的であるという事は違

う事なのだ。又、僕等は決して、現実を無視してはならならぬ。甘い夢から僕等の運動の進展を期待してはならぬ。

痛烈な事実認識とそれへの対決からのみ、僕等の運動は伸びてゆく。

その故にこそ、僕等は現実主義的でなければならぬ。

大切なことは現実主義であると、現状肯定主義は保守とは

全く異なることだ。現実主義こそ革新であり、現状肯定主義は保守である。

僕等は真の革新(維新)の思想と行動を持たねばならぬ。

最後に、僕等の天皇仰慕と祖国への恋闕に再び確認を持ちたい。

それは、僕達が地域的な愛国という、単なる右翼、ナショ

ナリストの集団とは全く次元を異にしていることを自から

も確認し、同胞や人類にも知らしてもらわなければならぬ。

ここに、『人類光明化運動指針』の第五条を掲載したい。

ここに僕等の思想と行動の原点があるからだ。

                     (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2017/12/28 (Thu) 07:49:01




   雅春先生の御講話、で印象的なのは、輝子先生の心臓

弁膜病の癒し方、神よりの力を輝子先生の患部に流れ入ら

しめ給うたことや、雨漏りのする居宅の畳に生えたキノコでの
ご夫婦の会話の素晴らしさ、など・・・。










 森田先生のお話です。最後です。

これより、年末、失礼ながら投稿をお休みさせて頂きます<m(__)m>。

新年に再開させて頂きます。







   第五条  『菩薩は何を為すべきか』より


 生長の家の各員は、人間神の子の自覚が、日本民族が悠

久の昔より世々代々承け継ぎ語り継いで来た「命(みこ

と)」の自覚にほかならず、生長の家の立教の使命が同時

に日本建国の理念の現成にほかならない事を明らかにすべきである。

日本民族は存在の窮極を、一切のものの生成の根源たる普

遍的絶対者を天之御中主神として把握し、その「中(みな

か)」への帰一とその「中」の展開、即ち宇宙普遍の原理

の地上的顕現を日本国家形成の理念とし、天津日嗣とはこ

の理念のさながらなる継承以外にはなく、天皇の権威は権

力をもって思うがままにこの国を支配する権利にあるので

はなく、この理念の継承実現にまします事、従って天皇を

中心と仰ぐ日本国家の発展は、天皇の人民支配の手段とし

ての国家の発展というが如き専制的な性格のものでは微塵

もなく、宇宙真理、即ち神意の地上顕現の至純至高の形体

としての日本国家の発展であること、これが日本神話の理

念であり、日本民族の理想であり、日本建国の精神である。

この真理現成の大まつりごとに、神の子として命(みこ

と)として自己の責任としてまつろい奉る事が實相の成就であることを明らかにすべきである。

単に自分の祖国たるのみの理由にて日本を愛するのではな

く、東洋と西洋との中間に位して一切を生かす大乗の真理

国家たる事が日本の理念であるからこそ、この国の国体を

鑚仰してやまず、この国の神の子国民として生を享けしめ

られた所以の深さに感泣し、わが一身もわが家庭もわが生

活もすべてこの理念現成に捧げられてはじめて存在の意義

を持ち得るものなることを、各自互に明確に自覚し合い、その行動の根拠となし合うべきである。

                     (おわり)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/01 (Mon) 08:39:10

   平成30年、戌年を良き年でありますよう、お祈り申し上げます<m(__)m>。

仙厓さんの素敵な書画です。










 新年にふさわしき、大聖師の御言葉を謹写させてください。

 合掌、有難うございます。


 昭和43年1/1号より。


      年頭に際して  四方拝の祈り
 
               谷口雅春先生


(天地四方に二拍手して合掌礼拝する。なるべく早朝の日の出に向いて瞑目して次の如く念ずる)

われ天地四方を礼拝す。天地四方、六合ことごとく神の顕現なり。

われ天地四方を礼拝す。天地新たに生まれたり。

新しき天と地、金波羅華の姿をもって 実相世界より天降りきたるをわれは見る。

金波羅華の中心座に、すめらみことの御座ありて、日の大神の御霊これに坐し給うを見る。

日の大神の御霊により後光燦然として輝き出でて六合を照り徹らせり。

六合照徹、光明遍照。
六合照徹、光明遍照。・・・・・・(繰り返す)
(日の大神の御ひかりを瞼の裡に凝視しつつ静かに深呼吸して、日の大神の霊気を全身に吸い込む気持ちとなる)

日の大神の霊われに流れ入りて、わが生命(いのち)と成り給えり。わが生命は日の大神の生命なり。

わが生命は日の大神の生命なり。最早われ生くるに非ず、

日の大神のいのちわれに在って生くるなり。

われ天照大御神様の顕現にましますすめらみことに帰一し奉る。

ありがとうございます。ありがとうございます。


次に、昭和43年3/1号より。


  輪読のための青年法語  日本人よ 戦後の“洗脳”の状態から覚醒せよ
                                         谷口雅春先生


    ◇・・・毎朝、出勤、登校前に その日の法語を声高らかに読みましょう。・・・◇


       一日のことば  ◇  人間は目的をもち理想をもたねばならぬ


 人間として地上に生まれた限り、あなたは生きるための”目的”をもたねばならぬ。

目的という語ではいくぶん足りない気がする。それでは“理想”をもたなければならない。

目的を持たず、碌々として人生を行き当たりバッタリに生

活している者は、その人の経済的状態が豊かであっても、精神的には浮浪者であり、ルンペンである。

 近頃、フーテン族という種類の若い人があらわれて来

て、神を長く伸ばして額と顔の半分ほどを乱れた髪で蔽

い、何の働きをすることもなく、食べ物を、他人の戸口で

乞い歩く者が出ているが、人生に目的も理想も持たない場
合には自然にこんな姿になりさがってしまうのである。

肉体も服装もすべて自分の心の投影であるからである。


                    (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/02 (Tue) 13:47:02


  <新年祝   (明治三十七年)

   あしはらの 国のさかえを 祈るかな 神代ながら

の としをむかへて>


 伝統様の「御製」より<m(__)m>。


 仙厓和尚の意は、犬にも佛性ありや、に対して、

意外にも(^_-)『無』と答えて(少々問題(^-^;)、雑念は風に吹かれて瓢のように受け流せ、と。

ムズカシ。






 雅春先生の青年法語です。


    二日のことば ◇  百合には百合の目的が、

人間には人間の目的が



 人間が地上に生を享けて目的をもち理想をもつために

は、”人間とは何ぞや”の根本自覚を先ず得なければならないのである。

人間がユリの花であるならば百合の花を咲かす目的又は理

想をもつであろうし、人間が桜であるならば、桜の花を咲かす目的又は理想をもつであろう。

無論、人間は植物ではない。

地上に人間が生まれた目的は百合の花を咲かせることでも、桜の花を咲かせることでもない。

しかし私が言いたいのは、百合には百合でなければ咲くこ

とのできない花を咲かせるし、桜には桜でなければ咲くことが出来ない花を咲かせるという事である。

そこにはその食属独特の特徴ある花の形を発揮するという事である。

そうすれば、人間は、どんな植物にもどんな動物にもない

独特の特徴ある天分を発揮するところに、吾々人間がこの

世に生まれた目的があり、理想があるのではないだろうか。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/03 (Wed) 08:37:37



https://www.youtube.com/watch?v=5xwRN4Uwa0A

 中仙堂様のご投稿より<m(__)m>。

まことに、興味深い事跡ではあります。

 今朝の月の鮮やかなこと、陽ののぼる寸前に姿を消しましたが。

スーパームーンらしいです(^^♪。

兎さんが右に逆さまになっているのが、少々可哀想でしたけど。








 雅春先生の御話です。


  三日のことば  ◇  人間は植物以上、動物以上に超出しなければ意義はない


 百合にも桜にも、潜在的な意識があるので春が来ればそ

れを知り新緑の新しき若葉を出し、それぞれの季節を知っ

て、その季節に応じて花を開く。(拙著『生命の謎』参照)

しかしこれら凡ての植物には”意識的な心“又は”自覚的な

意識”心理学用語で言えば、“現在意識”と称するような心はないのである。

ここに吾々は人間が地上に誕生した意義又は目的を見出すことが出来るのである。

人間は百合でも、桜でも、豚でも鶏でもないのである。

人間は植物以上のものであるのは勿論のこと、動物以上の

ものである。人体の一部の構成要素の中には植物的働きを

する神経繊維もあれば、植物性酵素のような成分もある。

更に脊椎動物と殆ど異ならない生理的構造と性欲及び食欲

の如き動物と全く異なることなき本能的欲望を備えている。

この限りに於いて、そしてその本能的欲望を満足させるこ

とだけしか人間がしないならば、彼は、動物の高さ以上に

一歩も出ないのであって、特に人間として地上に吾らが生

を享けて誕生した意義も目的も理想もないと言わなければならないのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/04 (Thu) 08:37:45




   昨年12月号「学ぶ」誌、月曜日の箴言、に寝床に入る前の祈りがありましたので、実行しております。


        寝床に入る前の祈り。


「私はすべての人々に対して愛と好意と深切の念を放送するのである。

私は今一切の人々に対して過去に於いて憎しみ怒り恨みの念を起こしたことをすべて捨てるのである。

私はすべての人々を赦したのである。

私がすべての人々を赦した如く神もわがすべての過ちを赦し給うたのである。

私は神の愛に包まれて平和である。」
            (新版『真理』第3巻324頁)





    四日のことば  ◇  動物性の土台に神聖性を接木した人間


 僕が不思議に思うことは、現行の日本国憲法はが、食欲

や性欲の如き動物的欲望の満足を願うことを基本的人権と

して大いにそれを尊重し、その追求満足を擁護し、推奨しているという事である。

つまり、人間存在の意義を動物性の欲望の水平面まで押し

下げていることである。そしてそれを「人間性の復活」の

如く世界人権宣言の実行の如く誤解させていることである。

岡潔先生もいわれるごとく、「人は動物だが、単なる動物

ではなく、渋柿の台木に甘柿の芽を接いだようなもの、つ

まり動物性の台木に人間性の芽を接木したものと言える」のである。

動物性の本能を持った脊椎動物と異ならない台木の上に、

人間性(もっとと精確に言うならば神性)の芽を接木したようなものが人間である。

これは渋柿の台木の生命力が強いので、甘柿の美味しさを

具体的に果実として押し出すために渋柿の生命力を利用し

たのであって、渋柿そのものの“渋い味”を発揮させるためや渋柿の果実を得るためではなかった筈である。

それなのに現行の日本国憲法が動物的な食欲と性欲とを基

本的人権として奨励鼓舞していることは、接ぎ木の台木そ

れ自身から芽を出して“渋柿”の果実を得るように奨励しているようなものである。

これでは神様(又は“大自然”)が、動物性の上に更に人間

性(又は神性)を接ぎ木せられた意義が失われてしまっているのである。

                     (つづく)



Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/05 (Fri) 09:01:35



  何だか、外野席がかまびしすきぬ今日この頃です(*_*;。人生いろいろ、入り混じれて・・・。

大聖師は屹度、苦笑されておられます。と思います。







雅春先生の御話です。


  五日のことば  ◇  動物以上の人間の特長とは何であるか


 人間が単に、動物と異ならない食欲、性欲の満足以上に

高邁神聖なる本性を発揮し得ないならば、それは「人体の

形を備えた動物」であって、神が特に人間を地上に生み給うた目的又は意義を完うするとは言えないのである。

人間が人間たるためには、食欲、性欲の如き、動物との共

通性以上に、特に「人間」なるものの特長を発揮しなければならないのである。

人間が人間たる特徴とは何であろうか。

食欲性欲を単に本能の跳梁に任せず、それを道徳的目的――

愛他的目的――のために制御統制して秩序あらしめることである。

乱倫乱婚の如き状態は、人体を備え乍ら、なお動物的境涯をその人は脱していないことをあらわしている。

或る〇〇をしている少女を捕えて、警官が補導したら、そ

の少女は「どうして〇〇が悪いのか私にはわからないわ。

自分も楽しくて相手の人も楽しんで、そしてお金が儲かる

んだもの。どこが一体悪いの?」と酒蛙々々(しゃあしゃ

あ)と言ったのには、補導の警官も説明の仕様がなくて困ったという事がある週刊詩に書いてあった。

                     (つづく)


 〇〇=春を売る事。

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/06 (Sat) 07:51:27



《私はこの日本の国をなんとか良くしたいと思っても人間の力ではどうすることもできない。

そこでどうしても神様の御力を呼びだして日本人の魂の世界を浄めるより仕方がない。

龍宮から住之江大神の御神威の出現を願ってこの世界を浄

化して頂いて、天照大御神の御光を六合に照り徹らせて頂

く道を開いて頂き、日本国家を千万年安泰にする霊的礎を築くために建立する。

それが〝龍宮住吉本宮〟であります。(一部要約)》


 破邪顕正様のご投稿より<m(__)m>。







 雅春先生の御話です。


   六日のことば  ◇  台木ばかり発達して精神の枯れた人間


 岡潔先生は「戦後、義務教育は延長されたのに女性の書長は平均して戦前より三年も早くなっている。

・・・・・人間性を抑えて動物性を伸ばした結果に他ならないという気がする。

たとえば、牛や馬なら生れ落ちてすぐ歩けるが、人の子は生まれて、一年間ぐらいは歩けない。

そしてその一年の間にこそ大切なことを準備している。

とすれば、成熟が三年も早くなったのは、人の人たる所以

のところを育てるのをおろそかにしたからではあるまいか」と言っていられる。

 私は人間の肉体面の成熟が三年も早くなったのは、肉体

的欲望を基本的人権として大いに鼓舞奨励し、各県や各学

校に体育館の設立を促進して肉体ばかりの発達を促す国家

の政策(その奥には現行日本国憲法がある)が大いに影響していると私は思うのである。

体育館はあるけれども心育館も養心会館もなく、その方面には政府はタッチしてはならない。

宗教に政府が援助してはならないのは勿論、教育は中立性

を持たねばならぬから文部省が教科課目などに干渉しては

ならぬことになっているので、政府は肉体の方の発達ばかりに、吾々の税金を使うばかりである。

だから、渋柿の台木に接いだ甘柿に「人間」というものを

喩えるならば、渋柿の台木の方から出る芽ばかりを尊重し

て、その方ばかりを伸ばす肥料をやっているから、渋柿の

台木から旺んに渋柿の新芽を吹いて元気旺盛で、それに折

角接ぎ木をした甘柿の芽の方は伸びるに伸びられず枯れそうになっているという訳だ。

体育旺んにして心育を忘れたのは、“肉体”という台木

に“神性”の新芽を接ぎ木した人間という存在が神性の新芽

は枯れて肉体の台木のみ旺んに性欲、食欲、所有欲の芽を吹いている恰好である。

この状態がいつまでも続くならば、地球上には人間は一人

もなくなって、”人間”の形をした動物ばかりになってしまうのである。

これで、いくら”平和”を叫んでみても、動物性と言うもの

は結局、性欲、食欲、所有欲のために争闘する程度の発達

しか遂げていないのであるから、地上に平和が持ち来たさ

れることは到底不可能のことというほかはないのである。

                     
                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/07 (Sun) 07:48:11




  「学ぶ」誌を贈りましたら、返されてしまいました('◇')ゞ。

それでもめげずに頑張ります(^_-)。






 雅春先生の御話です。


   七日のことば  ◇  道徳生活の黄金律

 動物性の台木の上に接ぎ木された“人間性”は如何なる特長を持つのであろうか。

単なる動物の本能以上のものを持っているに違いないのである。

私はそれを「五日のことば」の中で、”道徳的目的”とまたは”愛他的目的”という名称で呼んだ。

此の事を岡潔先生は次のように言って居られる・・・・・。

「人の人たる所以んはどこにあるのか。私は一にこれは人間の思いやりの感情にあると思う。

人がけものから人間になったというのは、とりも直さず人

の感情が判るようになったという事だが、この、人の感情が判るというのがじつにむつかしい・・・・・」

 この、人の感情が判って人の悦ぶことをしてあげたい、

自分の肉体的欲望を抑えてでも人を悦ばしてあげたい、人

を悲しませることや、人に不快な感じを与えることはした
くないというのが道徳的感情であり愛他的感情である。

即ち、「自己が為られんと欲する如く他に施せ」これが道

徳生活の黄金律であるが、それには”人の感情が判る”ようにならなければならないのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/08 (Mon) 08:24:55




 〈よくよく『新編生命の実相』をあらためて読むと、


 ①字が大きくて非常に読みやすい

 ②本文は上で脚注は下でも良い

 ③頭注版とは違った良さがある

 ④巻頭の編者はしがきが、初めて読む者を本文へいざなってくれる…等々>・・・。


なかみち様の新編『生命の實相』へのご感想です(^^♪。






 雅春先生の御話です。


 八日のことば  人間の感情がわかるのでなければ


「人類が人の感情がわかるようになるまでには、何千年ど

ころでなく、無限に近い年月を要したに違いないと思われるくらいにわかりにくい。

数え年で三つの終わりごろから感情という事がややわかる

が、それはもっぱら自分の感情で、他人の感情がかすかに

わかりかけるのは数え年で五つぐらいのことからのようだ。

・・・・・そのデリケートな感情がわからないうちは道義

の根本は教えられない」と岡潔先生は言われるのである。

近頃のテレビやラジオの座談会やドラマの主人公などに出

て来る若い人を見ていると、非常に個人主義で、親が子供を思う感情など全くわからない子供が多いのである。

「自分で考える」「何ものにも影響されないで自分の信ず

る通りにやるのが民主主義の生活で、正しいのだ。親の考

えなどに影響されるのは封建的だ」というような学校教育を受けている子供が多いからだと思う。

つまり人の感情など思いやる必要はない、大いに自己中心的にやれという教育が行なわれている結果である。

岡潔先生も、

「どうも今の教育は思いやりの心を育てるのを抜いている

のではあるまいか。そう思ってみると、最近の青少年の犯

罪の特徴が如何にも無慈悲なことにあると気付く。これは

やはり動物性の芽を早く伸ばしたせいだと思う」といっておられる。

                                               (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/09 (Tue) 08:26:05



   「学ぶ」誌を見れば、すべて氷解、な筈ですが(^_-)。








 雅春先生の御話です。


  九日のことば  ◇  人間の資格喪失


 ここで渋柿の台木に、甘柿の新芽を接ぎ木したという

喩えに還ると、“渋柿の心”にあたるのが、無慈悲で利己主

義で、自分に都合さえよければよいのであって、人の感情のわからない、思いやりのない心に当る。

民主主義だとはき違えて主張している生き方は、この“渋柿の心”なのである。

 だいたい唯物論的人間観を学校で教えられていると、物

質的存在としての面の人間、肉体存在としての人間、そし

て肉体的欲望の遂行の合理化のみを教えられるから、肉体

の物質面は、他人が酒を飲んでも、自分が酔う訳ではな

し、人が快楽を遂行しても、自分が快楽を味わうことが出

来る訳ではない、つまり彼我断絶で、共同的な同悲同喜の面が無いから、自然に利己的になり、個人的になる。

そして愈々個人的になることを“個人の目醒め”などと言っ

て尊敬すべき事の如く教育されるのだから、益々冷酷で残

酷で愛のない「思いやりのない」人間が養成される事になるのである。

これでは人間が人間である資格は「思いやりの感情」があ

ることだと岡潔先生のいわれる其の”人間の資格”の喪失した人間ばかりが造られることになる。

諸君はそのような資格喪失の人間になってはならないのである。

                                               (つづく)

 

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/10 (Wed) 08:07:12



   学ぶ会の新年の行事のさやけきこと(^^♪、

元旦の歳旦感謝祭、2日の皇居参賀、7日の武蔵野御陵参拝など・・・。

〝吾ら、尊師の御跡を慕いていざ行かん〟

雅春先生の宇宙浄化の祈りの素晴らしさ。

住吉の大神(住之江の)の祈りは毎朝唱えさせて頂いております。
有難うございます。








 雅春先生の御言葉、続きです。


   十日のことば  ◇  人類が肉食を止めなければ世界に平和は来らない


 ちかごろの人間が“思いやりのない”冷酷、残酷な個人主

義的感情を持っていて人間資格喪失の状態になっている原

因の一つには、戦後の食物の変化が重要な役割を演じてると思われるのである。

近頃の栄養学は、動物的蛋白質を良質の栄養素として宣伝

し、料理法でもテレビの宣伝で、動物蛋白、幾グラムという風に教えるのである。

動物の肉を摂取することは、動物の精神を自分の内部に吸収することなのである。

肉というものはただの物質ではないのである。

それは『甘露の法雨』に”心の絲を組み合わせて肉体の繭

をつくり”とあるように、動物の肉は「動物の心の糸を組

み合わせて」動物肉が出来ているのであるから、動物の肉

を食うという事は、”動物の心”を自己の肉に摂取吸収することである。

それだけ人間感情が動物感情に似て来るのである。動物を

殺して食しながら平和論を唱えて見ても、それはただ偽善であり、滑稽なだけである。

                     (つづく)





Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/11 (Thu) 08:21:34



  反憲様の怒りが、よく判ります!(^^)!。

窮極の主張であります!(^^)!。

大聖師の維新説に感動。










 雅春先生の、今日の御言葉です。


 十一日のことば  ◇  松下幸之助氏の羽田騒動観


 誰からか「経済雑感」と題した松下幸之助氏講演会の速記録が送られて来た。

パラパラと頁をめくっていると“治安と物価”という小見出しのところに次のような文句が目についた。

「・・・・・この前の羽田事件の問題でも、われわれの税

金によって作られた立派な自動車が八台も焼かれました。これは皆さん、新聞でご存知だと思います。

誰もおらんところで焼かれるのであるならば、これは焼き

得るのであります。しかしあの前には千人の警官が警戒し
て焼けていく姿をじっと見ていたわけですね。

そういう状態において八台の国家財産が消失してしまうという姿ですね・・・・・」

 私はこれを読んで今迄尊敬していた松下幸之助氏に対す
る尊敬がスーッと消えて行く感じがしたのである。

長者番付のトップにのし上がり、その会社はついに半期に

百億円を超える事業収益によって日本の実業家のトップに立った。

すると人からやんやとはやし立てられて、日本で自分が一番偉い気になり、好い気になって説教をはじめる。

そしてあの羽田事件で警官が五百名以上も重軽傷を負いな

がら、中には永久に不具廃疾になるような、脊髄骨を角材

で殴られて重傷を負ってまでも、全学連を制するために戦っているのである。

それなのに松下幸之助氏は、「あの前には千人の警官が警

戒して焼けていく姿をじっと見ていたわけですね」と、警

官は何もしないでじっと拱手傍観していたかの如き口調

で、警官の在り方が治安の維持に責任がある、その責任を

果さないで、ジッと見ていて国家の財産である自動車を八

台も焼いたというような攻撃口調の講演となっているのである。

これが今「日本の良識」の代表のように言われている松下

さんの発言なのであるから私は茫然としてしまうのである。

                     (つづく)








Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/12 (Fri) 08:15:48


   日本列島、真っ白ですね(^_-)。

南の方に暗い影が忍び寄ってはおりますけど…(^_-)。







 雅春先生の御話です。


 十二日のことば  ◇  全学連騒動の原因について


 羽田騒動によって代表せられる如き全学連の騒擾事件が

どのような原因によって起こっているかというようなこと

を考えたならば、松下幸之助氏の率いる松下財閥のような

巨大な資本主義の団体及び個人が巨額の富をつくっている

半面、住宅もなく、その日その日の衣食にも充分ありつけ

ない国民が多数できている社会機構や経済組織に対する憤

懣が、全学連をしてついにあのような過激な行動にまで駆

り立てた一つの大きな原因になっていることを一寸でも反

省してみるならば、全学連が警備用の自動車を焼くのを見

ながらそれを消し止められなかった警官を責めたり、「た

いへん国民に対して申し訳なく思うというような声明を総

理が出しておらない」と言って今度は政府攻撃や総理攻撃の演説をヌケヌケとやれるものだろうか。

無論、政府にも総理にも責任があるが、資本主義の財閥の巨頭には一層多くの責任があるのである。

きくところによると松下幸之助氏の富の如きは大変なもの

であって、毎日利子又は配当収入が幾百万円滔々として流

れ入るほどだということである。それを一体何に使っていられるのだろうか。

物価騰貴の原因を政治の貧困から来る治安の不安定だと松

下氏は指摘されているが半期に百億円以上も儲ける会社の

経営の在り方が、物価昂騰の原因の一つでないはずはないのである。

百億円を儲け寿しに、一億個の商品一個につき百円づつ売

価を下げて販売することにするならば、それは直ちに明らかに物価が百円づつ下がるではないか。

その販売価格を下げないで、百億円以上も儲けていて、物

価騰貴の原因を政府や警官に押付けるのはどういうものか。

公正取引委員会では、松下電器の製品の小売販売価格を下

げないように会社が小売店に指示したとか指示しないとかいうので、勧告を発したと新聞は報じているのである。

そんなことを一寸でも反省してみたら、あんな警官誹謗の松下演説などできる筈はないのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/13 (Sat) 08:07:09




   伝統様の<戊戌(つちのえいぬ・ぼじゅつ) - 夕刻版 >

巨大地震や株価30000円台など、サプライズが目立ちます!(^^)!。
ゆっくり読んでみたいです。

元旦に珍しく産土の稲荷神社にお参りしたことは吉兆であればいいですけど・・・(^^♪。







今日の御言葉です。


  十三日のことば  ◇  何が青年を左翼運動に駆り立てるか


 大分以前のことであるが、当時全学連の執行委員長をし

ていた一人の東大生の青年に、どうしてそのような全学連

運動に挺身するようになったか尋ねて見たら次のような回

答を得たと国民文化研究会(編集委員代表・小田村寅次郎

氏)編集の『国民同胞感の探求』なる本の13頁に記載されているのである。

「高校生(新制)のころから私には今の日本がずいぶん矛盾だらけに見えて来た。

政治家や実業家たちの腐れ縁も新聞をにぎわしていた。上層部の人達の邪悪が、自分の心を捉えて離さなかった。

やがて私はなんとかして世の中を改善する方法はないかと

考えるようになった。書物を読みたくなったし、正義感か

ら来る世の中を改善するほうほうはないものかと考えるようになった。

その時たまたま、ほんとうに偶然であるが、手にするよう

になったのがマルキシズムの本であった。そしてそれを教え導いてくれる年長者と接する機会が与えられた。

それからといいうものは、ただひたむきに心を弾ませなが

らそれを学んで来た。しかし、もしも私が高校生の時に、

マルキシズムでない別のものに触れ、それを教え導いてく

れる人たちに接していたとしたなら、私はその方向にまっすぐに進んでいたかも知れない。

今から考えて見ても、その時はそれほど社会悪に憎悪と憤

りを感じ、世の中をよくする方法を求める気持ちで一杯であった。」

この言葉の中には社会正義を求める純情な青年の精神が満

ち漲っているのであって、一方に於いて毎月幾百万円とこ

ろがり込む松下幸之助氏のような大富豪と、その日の衣食

住にも事足りない貧民階級の人々とが、非常な懸隔をもっ

て青年の目の前に立ちふさがっている事も、青年が赤化し

たり、全学連の人たちが社会革命運動を起こす根因があることを知らねばならない。

松下氏はこのようなことを反省してみた上で、治安の問題

など、単に政治家や警察官の不手際だと第三者の出来事の如く批評が出来るであろうか。

全学連下運動のような危険な運動を阻止するには、もっと

視野を広くして多くの階層の人達が真剣に協力する必要があるのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/14 (Sun) 07:53:53


  菊地藤吉先生は道産子だったのでしょうか!(^^)!。

今朝は紺碧の空('◇')ゞに三日月が鮮やかに輝いておりました。星が見えないのが不思議でしたが('◇')ゞ。空が明る過ぎたのかもしれません。







 雅春先生の御話です。


 十四日のことば  ◇  資本主義社会の欠陥について


 無論、どんな経済組織の中にあっても、微賤貧困より立

ち上がって大富豪になる人も、位人臣をきわめる人達もある。

現に松下幸之助氏の如きは、その最たるものであって、小

学校教育さえ碌々受け得られない境遇の中に育ちながら今日の大を成し得た立志伝中の人である。

私は資本主義経済組織の下積みとなって社会を詛い、国家

を呪っている人たちを反省させたり激励するために、ヘン

リー・フォードが一介の機械職工であったのが自動車王に

なり得たり、高橋是清(嘗ての大蔵大臣)氏がアメリカで

皿洗いをしていた貧しい青年であったことや吉川英治氏が

船の錆落としの製罐工であったり、山岡荘八氏が親の貧困

を救けるために新聞配達の少年として苦労の末、今日の大

を為した事等の実例を挙げて、資本主義社会は、共産主義

や、社会主義社会よりも、立身出世の機会が多い事実を挙

げて、呪詛することの代わりに、心を一転せよと、慰撫と激励の資料とすることはある。

けれども資本主義社会には根本的欠陥があるのである。それは優勝劣敗の世界であるという事である。

本当に愛深い人は「劣敗」のある世界を調和ある世界だと見ることは出来ないのである。

爰(ここ)に、「資本主義世界に於いても立身出世の実例

はある」と、いくら前記の如き人々の名を挙げて見ても、

劣敗者なき調和ある世界を希望する青年には世界革命の希望を捨てることが出来ない理由があるのである。


                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/15 (Mon) 08:13:52



   カラマーゾフの兄弟、など手元にも置いたことのない

無知なる私、恥ずかしいですね('◇')ゞ。

せめて、劇中劇でも読んでみましょうか、ざっと要約は読んでみましたが。

サタンとイエスのせめぎ合いのようです!(^^)!。

雅春先生の今日の御言葉にも何か連想させられます。







 雅春先生の御話です。


  十五日のことば  ◇  社会主義は果たして人間を幸福になし得たか


 しかし資本主義社会をつぶして共産主義社会や社会主義

国家をつくり出しても果たして人間は幸福になれるだろうか。

ソ連の民族はアメリカの民衆よりも裕かで幸福であるだろ

うか。ソ連にも階級があり僻地の寒村の農民の生活とフル

シチョフやコスイギンやブレジネフの経済生活は平等であるだろうか。

革命後五十周年を経て、今日の安定を得るまでにソ連国民

は千万人単位で数えるほどの粛清の犠牲者を出したといわれている。

優勝劣敗の世界の劣敗者のなき世界をつくりたい真に愛深

き青年は、そのような犠牲者を出す革命を「善し」と観ずることができるだろうか?

私は目的のためには手段を選ばず、その過程に於いてその

ような犠牲者を出す如き運動には反対せずに居られないのである。

一人の人間と雖も、神から何らかの使命をもって地上に誕

生せしめられたる者である。手段のためにそれらの人々を

一人でも殺すことは、神に於いて許さるべきことではない筈である。

そして常に目的のために手段を選ばず、そしてその目的は

何時になっても完全に達成することが出来ず、常に手段手

段の生活のみを営んでいる如き運動に対しては尚更である。

諸君はこのような運動に迷わされることがあってはならないのである。

要するに資本主義も社会主義も結局”物質”の裕かなる配分

方法によって人間に幸福が来るという幻覚の上に成立って

いる点に於いて、どちらも唯物論の落し児であって、どち

らの制度も経済組織も真に人間を幸福にすることは出来ないのである。

真に人類を幸福にする道は、人間そのものの自覚に革命が行なわれなければならないのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/16 (Tue) 08:06:26




   「幸福への出発」での優しい語り口、清超先生は立派な方でしたね。ユーモアもおありでしたし。

何か、カメラが不調で、電池の所でしたか、ゴミを取り除いただけで回復した、などと言うエピソードも懐かしいです!(^^)!。

身内に対する温情が後々仇になった感じがあるのではないでしょうか???









 雅春先生の御話です。


  十六日のことば  ◇  吾らの人類光明化運動


 人間の自覚の革命のみが、人間を真に幸福にすることが出来るのである。

この自覚の革命運動が生長の家の人類光明化運動なのである。

自覚革命が出来た時、その社会体制がどうあろうとも、そ

の経済組織がどうあろうとも、その人の身辺には”福の

国”とも謂うべき至福調和の状態が顕現するのである。

そして大多数の人々の自覚の革命が成就した時、自覚の革

命の反映として社会体制と経済組織も自然に一変して来るのである。

この自覚の革命を得ることをイエスは「新たに生まれる」

といい、「人新たに生まれずば神の国を見ること能わず」

と訓(おし)えたのであり、この自覚の革命を得ることを

釈尊は「悟りを開く」といったのであり、維摩経には「菩

薩、心浄(きよ)ければ浄土浄し」と訓えているのである。

自覚の革命なしに、物質の配分方法さえよければ人類に幸

福来るなどと考えるのは「いたずらに夢を追いて走る者に

して、永遠に神の国を見ることを能わず」
(『甘露の法雨』釈意)であるのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/17 (Wed) 08:07:56



   阪神大震災より早や23年、誠に早いものですね、

光陰矢の如し、あの早朝、神戸の友人に電話して、すぐ、繋がりました。棚の食器が崩れて、との事でしたが、無事でよかった!(^^)!。

しばらく、災害もなく平穏にうち過ぎております。
有難い事です。











 雅春先生の、今日の御話です。


  十七日のことば  ◇  どうして大人と若い人との考え方に断層が穿たれたか


 戦前、戦中、戦後の日本人はそれぞれものの考え方が違っていて其処に深い断層があるように言われている。

戦前(概ね、明治時代)に生まれた人には、しっかり勉強

して大いに立身出世をしよう――それを理想としてコツコツ

勉強し仕事に精励する所謂る”立身出世型”の人が多かった。

そして君に忠に、父母に孝に、兄妹夫婦仲よく相和し一旦

緩急あらば、義勇公に報ずる堅実な道徳型タイプの人が多

く、所謂る「教育勅語」型が理想像で、そのような人が尊敬せられていたのであった。

ところが戦中になると、立身出世型は個人主義・利己主義

的であると排斥せられ、一切の個人的欲望を廃無して天皇

中心に義勇公に奉ずる全体主義的生き方が尊重せられ、日本は独逸及びイタリーと結んで、天皇を中心とするファシ

ズム的全体主義に否応なしに追随せしめられることになった。

 ところが敗戦によって戦後となると、今迄の一切の個人

的欲望を棄て、全体を衛るために戦った戦争を「侵略」で

あると決めつけられ、戦争中の愛国者は戦争犯罪人として

起訴されたりこき下ろされたりした結果、全体即ち「公

け」のために尽すよりも個人主義的に生きるのが、所謂る

民主主義的で時代即応の生活だという事になり、戦中に国

家主義的に戦争を煽って来た文化人の中には、転身いち早

く進歩的文化人となって、戦中の顔を洗って戦中の自分の

言論など全く忘れたように、日教組の講師団のメンバーと

なり、反国家的マルキシズムの思想を宣布する闘士になっ

た人たちも可成り多く、これ等の人々が教壇に立って、反

国家的、反天皇的、反全体的、反公け的こそ新しき個人の

目覚めでありこれこそ正しい生き方であると生徒や学生たちに教えるようになった。

そのような教育を受けた人が所謂る戦後に育った若い人で

あり、戦後既に二十二年も経過した今日では、そのような

教育を受けた人が既に学校教師として、自分の好きなよう

に、個人主義的、利己主義的に生きる事こそ基本人権尊重

の生き方であり、家や国家や父母その他の目上の者に対す

る孝養を尽すなどという事は封建的、反動的で間違った道徳だと訓えるようになった。

こうして明治や大正生まれの人達の考えた道徳観とは全然

別の人生観に立つ青少年が族出することになって、明治時

代の人間と昭和時代の若い人との考え方に深い断層が穿たれることになったのであった。

                     (つづく)




Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/18 (Thu) 08:29:55



   恵美子先生、貴康先生、宮沢先生に、もっと表に出て来られることを願います。








 雅春先生の御話です。


  十八日のことば  ◇  占領軍は日本国民の結束力の破壊に成功した


 占領中に言論統制を、日本弱体化の方向に集中した占領

軍は、日本が世界五十二カ国を相手として、あれだけよく

戦うことが出来た日本国民の結束力を緩めようとして、国

民結束の中心であった天皇から一切の権能を剥奪して、結束の中心を失わしめるように努力したのだ。

そして、国民が結束するよりもバラバラになることが人権

尊重の近代思想であること、国家のために忠義を尽すなど

は最も馬鹿げたことであって、その馬鹿げたことを演じた

結果が、国土の至る処をこのように灰にしてしまったでは

ないか――と焦土と化した大都市の当時の現状を証拠物件として、所謂る愛国心の愚かさを強調したのであった。

そしてその愚かな愛国心が崇拝した”中心”が天皇であり、天皇崇拝、天皇国家崇拝ほど馬鹿らしいものはない。

国家を護るには、天皇の御名御璽で出た宣戦の詔勅などに

従うべきではないのであって、自分の国家は、今後馬鹿げ

た戦争などをしないように国民みずからが国家の主権を

もって、国家の進む方向を決めなければならない――こうい

う考えに誘導して国民結束の中核たる天皇から主権を奪っ

て、「主権は国民に在りと宣言し」と冒頭に謳った現行の

日本国憲法が押し付け的に制定されることになったのであった。

                    (つづく) 

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/19 (Fri) 08:08:14




   志恩様、わんわん様のギャグに感激(^^♪、余裕です。

そーれ様は女性?北海道にもいた?(^^♪。









 雅春先生の御話です。


  十九日のことば  ◇  植民地文化の花咲く日本


 こうして戦後の若い人たちは、物心のつく怱々愛国心の

バカらしさ、天皇崇拝のバカらしさを教えられ、恰もその

時、占領行政によって日本赤化の目的で占領軍が刑務所か

ら解放した共産党員及びその主義者が中核となって出来上

がった教員の団体日教組が日本の教育を支配するようになった。

これらの共産主義者は天皇あるが故に、旧体制の日本国あ

るが故に、不敬罪や治安維持法に引っかかって投獄された

人たちであるから、根本的に日本国に対する復讐的立場に

立っており、天皇攻撃、旧体制日本国破壊を目ざして教育もし運動もして来たのであった。

そのような赤化運動の中で、そのような赤化教育の中で

育って来た戦後の若い人たちが、古来今日に至るまで、日

本の国土に於いて、日本民族が旧き時代より祖先代々積み

上げて来た国家形成の独特の美点も、すべての文化的遺産

の美しさをも、掻い撫でに一切排除すべきものとして戦勝

国追随の植民地文化を花咲かせ始めたのも無理からぬことである訳だ。

しかし日本国は果たしてこれでよいかということだ。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/20 (Sat) 08:02:28




    <この教育勅語は渙発せられた明治二十三年頃の

日本国は、明治維新以来、いわゆる文明開化で、渡来して

きた欧米の物質文明が、今までの日本文化とくらべて、物

質的にはきわめて絢爛としたものであり、日本では今まで

あまりにその方面の開発がおくれていた物質界の法則を

ば、欧米人が自由に駆使して、日本人では今まで為し得な

かった業績を物質界に展開しているのであったから、日本

はそれと異なる優秀なる精神文化を発達せしめていたこと

を忘れてしまって、一にも二にも欧米文明模倣時代を招来

するに至っていたのがその時代で、明治十年頃から明治二

十三年の教育勅語渙発前後の頃まで、いわゆる鹿鳴館時代

というのを現出していて、芝の鹿鳴館には内外の名士貴顕

が集まって、ちょうど現代のキャバレーの如く、洋装をし

た婦人も交えてダンスを踊り狂い、色々いかがわしい風聞が漏れなどしていた時代だったのである。

明治天皇は、この風潮をご覧あそばされて、将来の国家及

び国民の健全なる発達のために憂え給い、時の総理大臣山

縣有朋、文部大臣芳川顕正を御前にお召しになり、国民の

踏むべき大道を示すべき勅語の起草を命ぜられたのであった。>・・・。


 破邪顕正様のご投稿より引用させて頂きました。
大聖師の『美しき日本の再建』の御文章です。

 また、YW様のご投稿は、次のように教えてくれます。

>「教育勅語」は1948年に基本的人権を損なうとして、衆

院で排除の宣言>を、参院では教育基本法制定により失効との決議を行っている。

>(2017年4月5日 毎日新聞 社説より)<

について補足させて頂くなら、1948年、すなわち昭和23年の時点で

我が国は実質的にGHQの支配の下にあり、国会での審議、法案も悉く

GHQの管理下にあって、上記の宣言も決議も、我ら日本国民の意思でも

就中、時の国会議員の意向でも全くないことをしっかりご認識頂きたく、
切にお願い申し上げます。>・・・。









 雅春先生の本日の御話です。


 二十日のことば  ◇  国民の思想をこうして植民地思想で放置してよいか


『国民同胞感の探求』の冒頭にその編集者は曰う。

「一国の将来を予測するには、つねにその国の青年学生の動向を見ればよいと言われる。

その国の青年や学生たちの志向が、高邁であるか、卑賤で
あるかは、確かに大きな分岐点であろう。

その国の若人たちの資質が堅実であるか、柔弱であるかに

よって国の運命が左右される事も、古今東西諸国民の興亡に歴史がよくこれを示している。

しかし高邁とか卑賤とか、又堅実とか柔弱とかいう抽象的

な比較は、もはや国家の運命を測る尺度ではなくなって来た。

卑賎な志や柔弱な資質を不可とする青年学生たちが、決し

て少なくないにも拘らず、その人達の志向するところが、

自国の運命の断滅をはかる方向に進む場合には、もっと別な角度からの見方が必要になって来る。

思想が国家にとって大切な問題点となって来るのはそのためであり・・・・・」

 ここに一国をリードする思想が如何なるものであるか

が、真に日本国の将来を慮かる者にとっての重大関心事となって来るのである。

日本の青年の大部分は決して柔弱ではない、行動的だ。

その行動的な青年がどんな思想に動かされて行動するかが重大な問題であるのだ。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/21 (Sun) 07:50:04

   


 <ですから、おかしな命令には、

信徒さんはどんどん反対して欲しいと思います。>。
 

 トキ様が仰っています!(^^)!。

相も変わらず、平穏に御教え(^_-)を実践し続けている教化部の皆さん、どうぞ、眼をお覚まし願います<m(__)m>。






 雅春先生の御話です。


  二十一日のことば  ◇  青年にどうしたら正しい思想を教育し得るか


 マルキシズムの思想に動かされつつ、この「自国の運命

の断滅の方向に」日本の若い熱情が勇敢に起ち上って具体

的な闘争を実践しようとしたのが羽田騒擾事件であるのである。

『国民同胞感の探求』の編集子は続いて言う。

「・・・・・らの行動が過激化し、常軌を逸することは批

判さるべきであるが、それは別として、その道に進まざるを得なかったプロセスを見落してはなるまい。

知性と青春と熱情と捨身と、それらを殉教的気魄に統一

し、みずからの信ずる方向に集中する姿、世の邪悪を吹き

飛ばそうとする彼らの清新なエネルギーにも、注目を寄せ

るべきであろう・・・・・立派な日本の青年学生たちを何故そうした方向に進ましめたのか。

問題はそこにある。

 そうだ問題はそこにあるのである。

爰に、嘗ての全学連の中央執行委員長をしていた一人の東

大学生が、この編集子にいった言葉「若しも、私が高校生

の時に、マルキシズムでない別のものに触れ、それを教え

導いてくれる人たちに接していたとしたら、私はその方向

に真直ぐに進んでいたかも知れない」という事に注目しなければならない。

日本の若い人の高校生時代に、もっと日本の祖国を愛する

心を、日本の伝統の善さを、日本独特の誇るべき特殊の文

化を愛するように導かなければ、今後ともにこの若き精鋭

のエネルギーが、自国の運命断滅の方向に向かって情熱を

つくして行動する人数が殖えて行くおそれがあるという事である。

併しマルキシズムで武装した日教組に属する高校の先生方

が、赤い思想の網を張って、これら純情の青年たちの思想

を一方的に歪んだ方向に統制して行きつつある危険なる状

態が、日本の教育界の現状であり、それを破るために、文

部省が乗り出そうとするならば、「思想の自由」を基本的

人権として強調する現行の日本国憲法に抵触するために、文部省は違憲として批難される。

教育の中立性の必要は、理論として誰もが認めているが、

日本の学校の教育は著しく左方に傾いているのであって、現状のままでは決して中立性ではない。

それを国家や為政者が中立不偏の方向に引き戻す事は、日本国憲法が許さないのである。

そこで吾々民間の団体が協力して立ち上がるほかに将来の日本を救う道はないのである。

”国民同胞”の同志による大学生の合宿教室や、生長の家が

学校の冬期休暇や夏季休暇を利用して、小、中、高、大学

生等の短期練成会を催している其の意義の重大さがそれによって解ると思う。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/22 (Mon) 08:11:18




    あの、道産子西部邁さんが自裁されました。

&四島占領に米が関与のニュースはまた驚天動地です。
















 雅春先生の御話です。


   二十二日のことば  ◇  一日も早く現行憲法の失効を宣言する必要がある


 現行の憲法は、日本が敗戦の結果、占領軍が上陸しその

軍政下に於いて、治下の日本国民に対する愛国心を失って

しまって、占領軍に抵抗できない腑抜けの魂になるような

計画の下にこの憲法を一方に押付けておいて、他方に於い

て占領軍の示唆により反祖国的思想を国民が持つようにマ

ス・コミが統制せられ、赤化の思想的種子を学校の教壇か

ら児童の潜在意識に播種しておいて憲法の定むる「思想の

自由」の名の下に反祖国的思想が幾ら萌え盛っても是を抑

圧することが出来ないように周到な計画がめぐらされていたのである。

この憲法が温存されている限り、日本弱体化の精神的種子

と、赤化の思想的種子から芽を吹いた日本覆滅の思想がど

んなに跋扈しても、その思想を抑圧したり、刈り取ること
は憲法違反という事になるのである。

現行憲法の虚偽術策による不合法な制定をハッキリさせ

て、その無効を宣言すること、一日早ければそれだけ国家の危機が軽減するのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/23 (Tue) 08:19:57



  今朝の「光明道中記」、<全世界を宇(いえ)と為す

神武天皇の八紘為宇の建国の理想は決して侵略精神ではない。八方の国々が家族となって人類全体が睦み合う理念である。
この理念を「生長の家」と言う。

理念は普遍的なものであるから、これは私の家ではない。

(中略)生は縦に無限に生びることを、長は横に長びることを現すからである。

縦の無限連続は時間であり、横の無限連続が空間であり、

縦と横と、時間と空間との交叉する万象発現の枢機を握るものが、内に一切を蔵する無宇であり、一切を統一する
天皇(スメラミコト)の御天職である。

此の真理に世界の万民が目覚めないから万国互いに相争うのである。(後略)・・・>・・・。


 北海道も冬の嵐が吹きすさんでおります!(^^)!。








 雅春先生の御話です。


 二十三日のことば  ◇  国家の理想像について


 昨年の十二月福岡市に於ける九電体育館で生長の家の講

習会があった時に、ひとりの高校の教師をしている人が演壇にあがって自分の思想遍歴の体験談をした。

この人は人類を救済する道は共産主義によるしかに道はな

いと信じて、つい最近まで運動を続けて来たのであった。

ところが或る事情で生長の家に触れ、諸方の誌友会場に出席してみる事にした。

すると会の終末には天皇の徳を讃え、天皇に対して感謝を

して終るので、馬鹿馬鹿しくなって軽蔑して帰るのであった。

併し彼は、生長の家の色々の出版物を読んでいるうちに、

『秘められたる神示』という神示解説の書物に触れ、生長

の家の描いている国家の理想像というものは、天皇中心の

社会主義国家というようなものであるという事が書かれて

いるので、はじめて釈然として、これよりほかに人類を救

済する道はない、自分の生涯の生命を捧げる決心をしたと発表されたのであった。

 思うにどんな社会主義国家でも、策謀をもって既成の政

権を打倒した悪賢い或る一党の実力者が中心になっている

のであるから必ず敵があり、反対党があり、そのためその

政権は安定していないのであり、それを長く安定させるた

めには反対思想に対する強力な弾圧や、反対思想家への広汎な粛清が行なわれなければならないのである。

そこに残虐行為が常に伴い、人類の幸福を目蒐(めが)け

ながら、常に人類を非人情的な不幸に陥れる結果となるの

である。(中共初期の人民裁判や最近の紅衛兵騒動を見
よ)

しかるに、天皇のみは無私である。

何党にも属せず、国民が危機に曝される時には、「唯自分
のみ罪あり」として国民の身代りになろうとせられる。

このような精神的主柱が“天皇”という具体的人格として国

家の中心であり給う社会主義国家ならば、最も安定した基

礎に立って、万民等しく恵福を均霑(きんてん)し得る理想国家が出現する筈なのである。

                     (つづく)









 

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/24 (Wed) 08:30:56




   <敗戦の原因は多々あれども戦争を始めたから敗けたのである。

(中略)迷ひの軍隊を皇軍だなどと思ったのが間違だったのである。

この神の教へは『自給多足・多給自足』と教へてあるのに

独逸にならって経済自給圏を確立しようと思ったりしたのが既に相対の心である。・・・>・・・。

(「日本の實相顕現の神示」より)


 大聖師の神示より、また学びました。








 雅春先生の御話です。


  二十四日のことば  ◇  洗脳された人間に本当の“思想の自由”はない


 兎も角、現行憲法の「思想の自由」は大変結構なことだ

と考えている人が多いけれども、その思想なるものは日本

国民が自由な状態に於いて発想したる自主的思想ではない

のであって、占領中の軍政下に於いて、毎日毎日ラジオ放

送によって、「日本は侵略国だ。」「日本は戦争中にこん

な残虐行為をしたぞ。」「天皇は戦争につながる。」

「天は人の上に人を造らず、人の下に人をつくらず。」

「民主主義だけが理想的人間観である。」こういうような
言葉を繰り返し繰り返し毎日毎日きかされるのである。

それがイヤでも応でも聴く人の潜在意識の底に印象せられ

て、それ以外の思想の自由を失ってしまわされたのである。

これが所謂る“洗脳”というやり方である。

洗脳されて自由発想が出来ないように教育されておいて、

「思想の自由」と称して、その人の自由発想にまかしたよ

うな顔をしていると、その洗脳作業中に暗示されたような

思想だけが、恰も自分自身の思想であるかの如く潜在意識から浮かび上がってくるのである。

進歩的文化人やそれに教育された若い人が、自分自身の自

主的な発想を失って、「社会主義こそ人類救済の道であ

る」と思い込み、ソ連の現状や、中共の現状を聴かされて

も、その不幸な国情に耳を傾ける自由を失っているのは戦

後占領軍が日本人に施したマス・コミを道具に使っての”洗脳”という催眠術にかけた結果なのである。

”洗脳“された人間には本当の思想の自由はないのであり、

思想の自由を与えられた顔をして、暗示された通りの思想を繰り返し思い浮かべているだけである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/25 (Thu) 08:40:48



  <『生長の家』は奇蹟を見せるところではない。
『生長の家』は奇蹟を無くするところである。

人間が健康になるのが何が奇蹟であるか。
人間は本來健康なのであるから、健康になるのは自然であって奇蹟ではない。・・・>・・・。


 伝統様の「神示」より引用させて頂きました。

 恵美子先生のピアノ素晴らしいです。









 雅春先生の御話です。


  二十五日のことば  ◇  中共に於ける“洗脳”方法について


 中共で洗脳して人間を共産主義者に改変してしまうのは

どういう方法をとっているのか知らない人が多いと思う

が、エドワード・ハンターは、中共に於ける“洗脳”方法の実例として次のような実例を挙げている。――

「彼はトラックの運転中に、うっかりして赤信号を突破し

たことがある。彼は呼び出しを喰って警察に出頭すると、罰金を課せられたうえ、小言を聞かされた。

曰く『蒋介石はよろしくない。赤信号を突破するのは甚だ
よろしくない。アメリカは帝国主義侵略国である。

君は常に赤信号に注意しなければならない。蒋介石は・・・・・』

お説教はこんな調子で繰返し繰返し続けられ、そのうちに彼は此の単調な繰り返しに気が狂いそうになった。」  

 これは一例であるが、留置所では飯も食わせないで空腹

で身体をフラフラにして置いて、その疲労のために自由判

断を衰えさせて置いて、それに”言語暗示”の言葉を繰返し

繰返し聴かせると、それは催眠術をかけられているのと同

じで、”赤信号を突破したことは悪い事である。それは帝国主義と同じことである。

蒋介石は赤信号を突破したのである。彼は悪い奴である。

アメリカ帝国主義の手先である“というような何の連絡も

ない非合理的な推論が恰も合理性を持った思想体系の如く

潜在意識につぎ込まれ、それは実は催眠心理学に基づいた

暗示方法で強制的に注ぎ込まれた思想であるにも拘らず、

自発的に自由発想による自分の新思想の如き錯覚に陥るのである。

これが即ち中共に於ける“洗脳”作業の実体なのである。

 上記の如き“洗脳” 方法が、終戦直後、占領軍が日本国

民全体に対して実施したという事を知らぬ人が多いのである。

即ち、毎日毎日私たちはラジオ放送で「戦争は悪い事であ

る、日本は戦争を仕掛けた悪い国である。それは愛国心が

悪いのである。天皇の命令で戦争したからこんな目に遭ったのである。

日本軍は戦争中こんな残酷なことをした。日本は侵略国である・・・・・」

此の種の言葉の繰返しを、腹が減ってフラフラになり、く

たびれ切っている国民の潜在意識に、愛国心や天皇崇拝の

つまらぬ事、日本国は侵略国で悪い国だという一方的な考えを吹き込まれたのである。

こういう催眠術的言語暗示の繰返しで多くの国民は洗脳されたのである。

そして戦中に愛国者として当時の戦争の神聖性を力説した

人間が、何時の間にか、自発的な思想転向であると自分で

は錯覚して、進歩的文化人となり、平気で戦争中に言った

自分の言葉と全然反対なことを言って日教組の講師団の一

員として革命思想の宣伝に狂奔することになったのである。

此の種の変節的な人達は、こういう洗脳方法に対し抵抗力
の弱い気の毒な暗示感応性の鋭敏な人達だったのである。

そして今も、祖国の伝統的日本思想や日本文化の善さに目

覚めることができないで革命に狂奔している所謂る進歩的

文化人なるものは、進歩的どころか、占領軍が洗脳のため

に注ぎ込んだ繰返しの言語暗示が、今尚、潜在意識に残続

していて、自主的発想の能力を喪失したままでいながら、

自発的思想転向だと思い込んでいるのであり、憲法が幾ら

「思想の自由」を強調していても、是等の人には、彼らの

思想を自由に放任するならば、彼ら自身の思想ではなく、

終戦直後、洗脳するために注ぎ込まれた「祖国侮辱の思

想」が恰も「自分自身の思想」のような顔をしてのさばり出るだけなのである。

彼ら進歩的文化人には真の思想の自由はない。カリモノの注ぎ込まれた思想の自由跳梁があるだけである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/26 (Fri) 08:22:57


  伝統様の「戊戌」ご投稿ざっと拝見しましたけど、それぞれの予言?の結果がどうなるのか、興味津々です(^^♪。







 雅春先生の御話です。


   二十六日のことば Ⅰ  ◇  ベトナム戦の本質を見過してはならない。


 ベトナム戦争は手套(てぶくろ)をはめた拳闘戦


 ついに日本国内での交通事故による昨年の志望者数は

即死一万三千四百二十人、入院後の死亡者を合算して一万七千名に達したとテレビ放送は伝えていた。

そして一九六一年一月から一九六七年十二月二十二日まで

のベトナム戦争でのアメリカ軍の昨年の戦死者の数はつい
に一万五千八百十二名に達したと新聞は報じていた。

これが七年間の戦死者の数である。

大東亜戦争に比べるとずいぶん、戦死者の数の少ない、

全くスポーツの戦争みたいな気がするのである。

何しろ日本内地の交通事故死の数より死者の少ない状態なのだから、日本内地の如く平静なのだと考えられる。

そして北ベトナム側の記録映画がテレビで放送されたのを

二回にわたって私は見たが、ベトナム人には少しも暗い
雰囲気も苦渋の表情もない。

実に明るい明朗な表情をして、「今度アメリカ飛行機が

空襲して来たら、それを射ち落すんだ」と空襲を楽しそうに待ち受けているのである。

それは年に一万七千人も交通事故で死んでも、日本人は

平気で笑いながら明るい顔をして街路を悠々と歩いたり、

自動車で疾走していて少しも暗い影が無いのと同じことである。

北ベトナム(ベトコンを含む)側の戦死者は七年間合計二

十万に達するとアメリカでは推定しているが、これは敵側の損害は多く見積もるので本当の数は判らない。

日本の交通事故の一年間の負傷者は六十二万九千百五十人という数に比べると非常に少ない。

ベトナム人にとっては、こんな状態の戦争は一種のボクシングみたいなものだと私には受け取れた。

ボクシングでも、時々、選手は死ぬことがあり、視力を失ったり、鮐廃疾になる危険はある。

危険はあるけれども、危険があるからこそスリルがあるの

であり、その試合の回数に比較してその危険発生率は少ないのである。

それは拳に手套をはめているからである。

                    (つづく)



Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/27 (Sat) 07:59:23




    <今回はひと月に2回満月がくる「ブルームーン」の皆既月食>と、

伝統様のご投稿に眼が止まってしまいました(^^♪。


 それにしても、トキ様は理論的な方です!(^^)!。









 雅春先生の御話です。


       二十六日のことば(Ⅱ)


 ベトナム戦争も、その接戦の回数や出動の人数に比べる

と、危険お発生率は非常に少ないのであって、アメリカ空

軍が非戦闘員である人民をも含めて全部を総撫でに日本全

土を絨毯爆撃したり、原爆一発で二十万の日本人を殺したような殲滅戦とは異なるのである。

謂わば健闘の選手がその試合に手套をはめて攻撃するのと

同じような限定戦なのであるから、危険のスリルを味わい

ながら、空襲の敵機を射落す楽しみは、射的遊びや、ボー

リングや、ケイバの大穴を当てるような楽しみで、ベトコ

ンや北ベトナム人は敵機の襲来を待ちもうけているのである。

そしてその射的遊びに要する費用や道具は、ソ連をはじめ

共産圏諸国から同情をもって送られて来、ソ連は、アメリ

カの新兵器に立ち向かうソ連自身の新兵器のテストのための試射場としてベトナムの地を使っているのである。

これではこの戦争は終わりようがない訳で、長引くのは当然のことである。

それは危険は伴なうけれど、危険ではあるが、それだけ実戦的な烈しいスリルを伴うスポーツであるからである。

スポーツというものは危険を伴う程興味が深いのである。

花札でもトランプ遊びでも金を賭けると興味が深くなるのは現実的危険を伴うからである。

つまりこの戦争は手套をはめた拳闘であり、現実的危険を賭けたトランプ遊びなのである。

この戦争の本質を見逃がして、平和工作をやってみても何の効果もない。
北べトナムにもベトコンにも停戦の意志はない。そして長

引けば長引くほど、世界の同情はベトナム解放戦線側に集

まり、よその大陸から対兵を派遣しているアメリカ側が侵略国だという印象を強めるだけのことなのである。

アメリカは悪い籤を引いたものである。

この戦争の本質を知らないでいるならばアメリカは何時ま

で経っても此の泥沼から脱することは出来ないに決まっている。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/28 (Sun) 07:23:58



   東京、岡山、埼玉各地で本流はしっかりと運動されてますね(^^)/。

 中仙堂様はITに長けていらっしゃいます(^^)/。









 雅春先生の御話です。二回分謹写致します。



   二十七日のことば  ◇  条件反射で動いている革命の闘士たち


 戦争直後のラジオ放送による洗脳が実に多くの日本人の

潜在意識に浸透して、戦中の愛国者を、赤色革命の闘士に

転向せしめたのは、当時日本国内の事情が食料の欠乏、そ

れと闘うための肉体の極度の疲労困憊―そして戦争の悲惨

が目の前に立証されている焼野原――そうした条件の下に、条件反射の生理・心理学的方法を応用したからである。

蛇使いが自由に蛇を意のままに駆使するように、蛇を洗脳

するためには、蛇に食物を与えずに疲労させておいて、そ

の蛇の檻に鎌首だけが辛うじて通れる孔をあけて置き、蛇

がその孔から鎌首を出すと、その瞬間針が無数にイガ栗のようについている白紙で頭を撫でる。

蛇が頭をもたげる毎に、針のついた白紙で頭を撫でると、

蛇は条件反射づけられて、自由意思の選択能力を失って、

今度は針の無い唯の白紙を近づけるだけで、蛇の首を“蛇

使い”の思いのままの処へ振り向けることが出来るようになるのである。

そして“蛇使い”の思いの儘の処へ蛇が動作した時に、飢え

ているその蛇に食物を与えるようにすると、“蛇使い”は思

いのままに蛇に芸をさせることが出来るようになるのである。

蛇自身は、自由意思で自己発想の考えで動いているようだ

けれども、空腹と、肉体の苦痛とを併用して生理的反射の

条件をつくり、そこに注ぎ込まれた暗示の効果によって左

右されているのであって、思想の自由など本当はないのである。

それと同じやり方で多くの日本人は洗脳されて、その時注

ぎ込まれた暗示の効果(観念の自動作用)で今もって動か

されながら、それを「思想の自由」だなどと錯覚しているのである。

                     (つづく)


 二十八日のことば  ◇  ソ連の洗脳方法について


「私は一九三五年以来、精神病学の教授をしており、モス

クワの精神病学の教授をしており、モスクワの精神病院にいた。

私は心理状態に及ぼす環境の影響について論文を書き、そ
の中で患者の取り扱いに関する一連の方法を考え出した。

実験は成功し論文は注目を引いた。ついで秘密警察に招か

れた――秘密警察は、私に反射の過程を研究するよう申し入

れた――彼らは正常な人間をどうやったら白痴に出来るかを見出すことに興味を持っていた。

私は正常の人間を白痴にすることは、その逆より遥かに容易であることを発見した。

ルーズな監視の下にきつい肉体労働を課し、系統的に食を減ずれば素晴らしい効果を生む。

その場合囚人をさまで殴る必要はない。

通常二ヵ年ほどその状態におくと、人間の知的能力は五十パーセント喪失するものである。

もちろんこれは集団の場合で、個々の場合はより顕著な効

果が得られるのである。」(ウラディミル・ペトロフ著

『シベリアの果て』『国民同胞感の探求』八十頁より孫引)

 シベリアに捕虜として抑留された日本人はこのようにし

て減食と激しい労働の中で健康な判断力を喪失せしめら

れ、そのような条件の中で赤い色に洗脳を完了したと認め

られた者から、順次、日本へ帰還せしめられたのであった。

それ等の人達の内、洗脳されたまま祖国覆滅の闘士となって今尚活動を続けている者も多いのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/29 (Mon) 08:32:25

  神秘家ゲリーボーネルさんの予言、コワいです!(^^)!。


 学ぶ会の「光明日訓」カレンダーのめくり具合(^^♪、好調子です。(写真参照)








 雅春先生の御話です。


   二十九日のことば  ◇  諸君は真に自由思想人とならねばならぬ


 洗脳された人間は、「思想の自由」で、自主的に発想し

ているつもりで、実は洗脳訓練中に暗示的に潜在意識に注

ぎ込まれた“観念“の自動力で動かされているから、ものの考え方が自由を失って偏っているのである。

軍備に対する考え方でも、フランスや中共が核兵器を持つ

ようになってから、国際的に発言力が増大し、それだけそ

の国家が大国として尊敬され、色々の点でその国家が国際的に有利になる。

国家が国際的に有利な尊敬される立場に立つと、その国の

国民は海外へ出てもバカにされなくなり、国民そのものの

有利になる。その国が充分な自衛力又は反撃力を備えていると、海外から攻めてこられなくなる。

アメリカがベトナムで北爆を強化しても中共を攻撃し得な

いのは、中共の自衛力又は攻撃力を恐れているからである。

充分な自衛力を備えていてことはこのような戦争抑止の力がある。

自国に充分な防衛力が無いならば集団安全保障によって防

衛力の強化を計らねばならぬことが目前の事実としてあっ

ても、洗脳を受けた人々は軍備を持つことの被害面又は消極面だけにしか心が自由に働かない。

思考の方向が洗脳訓練によって一方的にしか働かないようになっているのである。

そして軍備を充分もつためには、徴兵制度が敷かれて、自

分が強制的に徴発されるだろうとか、国民は戦場に引き出

されて自分や自分の兄弟子供も戦死するかも知れないとか、一方的な消極面だけを考える。

そして敵が攻めてくればアメリカに守って貰えばよい。し

かしアメリカに日本を守るための原子兵器や原子潜水艦が

来て貰っては困る。日本を護るための基地を貸すのも嫌

だ。アメリカ軍は愈々の時にガム島辺りの基地から日本を

護る為にやってくればよいではないか・・・・・という風

に、自国の防衛のことなど、まるで余所の国のように考える。

これが洗脳を受けて、「自由発想」の能力を停止せしめら

れて、洗脳暗示の残続効果だけで動いている人たちなのである。

「永久に戦争なき平和は唯、戦争を通してのみ実現する」

と毛沢東語録の中で宣言している中共が隣国で第七回目の

核爆発実験をやっているのに、その使用を抑止するための

力のバランスとしてアメリカの核の傘の内にいる以外に、

日本は現在の国力をもってしては自国を守る道はないの

に、「アメリカよ自国へ還れ」「核兵器を持ち込んではな

らない」と一方的な偏った物の考え方しかできないのは、

終戦後の占領行政によって洗脳された結果で、そうして洗

脳された人が教壇に立って若い人を自分の偏った思想によって教育しているからなのである。

日本の若い人よ、”洗脳”の呪縛を断じて截ち切って、先ず

完全な自由人となって、自由な考え方をすることだ。

洗脳は一種の精神的手品であるから、手品の種がわかれ

ば、手品師は魔術的力を失うのであるから、私は爰に日本

人はどうして洗脳されたのか種明かしを試みたのである。


                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/30 (Tue) 08:01:30




 <http://manabukaigifu.blogspot.jp/2016/10/blog-post_22.html

 生長の家高校生連盟の歌が聴かれます(^^♪。

至極の歌詞です。今朝の月のような。>










 雅春先生の御話です。


 三十日のことば  ◇  日本人は六年間も洗脳された被害者である


 第二次大戦の終結によって、占領軍は日本に上陸して来てその洗脳作業を六年間にわたって続けたのであった。

洗脳は空腹にしておいて重労働を課し、肉体も精神も虚脱

状態にして批判精神を麻痺状態にしておいて、いかにも尤もらしい語調で暗示を与える。

そしてそれに抵抗するならば“痛い”状態におき、抵抗しな

いで従順に従うときには餌をやることを繰返していると、

どんな動物でも飼いならされて飼主の命令通りに動いて芸をするようになる。

どんな動物でも大体こうして洗脳するのに二カ月くらいで

洗脳が完了するのだから、日本国民は、サンフランシスコ

に於ける平和条約が調印されるまで、六年間もそれが続け

られたのだから、日本人が古来の日本精神から虚脱して、

日本国自身を侵略国だと思い詰めるようになり、天皇や

国家や国旗までも戦争につながるので排斥すべきものだなどと考え出したのも、ある意味では無理はないのである。

戦争は世界中、どこの国でも一遍も戦争しなかった国など

無いが、どこの国でも戦争のとき自国又は味方の旗印とし

て国旗を掲げて闘って、戦勝した場合には国旗を高くふり

かざしたものであるが、それだからとて、「国旗が戦争に

つながるから、国旗掲揚など止めよう」と言い出した国民はない。

日本国民だけが普通人には常識上到底考えられない

「日の丸は戦争につながる」と国旗を戦争に結び付けて国旗掲揚

に反対したのは、それは群衆催眠術的暗示による六年間の

洗脳を経たために普通人に見られない国旗や国歌に対する異常な反応を呈するようになったのである。

催眠術をかけて、その人を暗示感応状態にしておいて、

「明日の午后三時になると君は晴天でも雨天でも必ず雨傘

を差してお庭を三辺回る。そしてそれが私が君に暗示した

結果だという事は思い出さない」と残続暗示を与えておい

て覚醒状態に導くと、その人は暗示された通りに、翌日の

午后の三時になると、晴天であっても、雨傘を開いて、それを差しながらお庭を三辺回るのである。

そして、それは自分の意思の自由、行動の自由で、自発的
に意思して行動しているのだと思っているのである。

今ごろ”日の丸“や”君が代“が戦争につながると反対してい

る人は、暗示にかかって晴天に雨傘を差してお庭を三辺回っている人に類するのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます 18 - 道産子

2018/01/31 (Wed) 08:14:38




   平賀玄米様のご逝去を悼みます。残念なことです。

 スーパー・ブルー・ブロンズ?ムーン、どうも観れないようです(^-^;。

北海道では、紋別・網走辺りはどうでしょうか。

 







 雅春先生の御話です。今回の最後ですね。1月も尽きました。


 三十一日のことば  ◇  日本人よ、戦後の洗脳から目を覚せ


 戦後の若い人と、戦前又は戦中の老年層又は壮年層の人

との間には、互いに理解しがたい「ものの考え方」に断層

があり、その断層が中々に越えがたい溝を形成していると

いうのは、洗脳によって物の考え方が、戦前戦中の年齢層

とは全然異なる方向に歪められているからだと解釈すると、原因がはっきりするのである。

洗脳されないような、しっかりとした思想の愛国者は悉く

追放になり、天皇があるので治安維持法に触れて獄中に監

禁された結果、天皇を恨んでいる階層と、容易に洗脳され

たところの、占領軍の日本弱体化政策にマンマとのせられ

た連中どもが教壇に立ったり、マス・コミを支配して言論

統制力を握って、洗脳工作としての「言語暗示」をラジオ

及び新聞(占領軍の検閲下の)によって流して、感じ易い

若い人々に、反国家的思想の暗示を毎日毎日六年間も印象させたのである。

そして洗脳された少年の中から又若い教育者が出て、自分

が洗脳された結果、そのような反国家的思想をいだいてい

ると自覚しないで、自由意志で、自主的発想のつもりで自

信を持った口調で、又次代の子供を教育するから、洗脳は

洗脳を呼び、将棋倒しのように反国家的な思想で、若い人たちが洗脳され続けるのである。

この現状が継続すれば、明治、大正生まれの比較的、占領

軍の洗脳に対して抵抗力の強かった老年層壮年層の人達が

死に絶えてしまったら、日本国は運命はどうなるか、まことに日本国の存在そのものに危機が迫っているのである。

そこで”教育の中立性”だとか、大学の自治などといって、

洗脳後の赤い教師の自由選択に教材や教科書を任せておい

たら、”教育の中立性”どころか、洗脳効果ばかりが若い人

にあらわれ、実に偏向極まりなき教育が国民に施されことになるのである。

しかし政府が教育に直接干渉しようと思っても、現行の憲法が有効だと認められている限りそれは出来ない。

すべからく、出来るだけ早く現行憲法の失効を宣言しなければ、悔いを千載に残すことになるのである。


                     (おわり)


名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.