伝統板・第二

2930312
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鎮魂祭&新嘗祭② - 伝統

2017/11/22 (Wed) 17:06:53

明日(11月23日)は、新嘗祭ですが、その前の大事な神事として
今日(11月22日)、宮中等で鎮魂祭が行なわれます。


【鎮魂祭】

鎮魂祭(ちんこんさい、みたましずめのまつり)とは、
宮中で新嘗祭の前日に天皇の鎮魂を行う儀式である。

宮中三殿に近い綾綺殿にて行われる。

 (http://garo.co.jp/inoue/?p=1118 より引用)

        ・・・

新嘗祭 と 鎮魂祭


「新嘗祭(にいなめさい)」と、
その前日に行なわれる秘儀・「鎮魂祭(みたましづめのまつり)」。

       *Web:「にっぽん文明研究所」より 

新嘗祭は天皇がその年の収穫を天地すべての神々に感謝し、
新穀をすすめ自らも食するという最重要の祭儀です。

明治6年に旧暦の11月をそのまま新暦に移し、日を23日に固定しました。

旧暦で行なわれてきた新嘗祭は、
伊勢神宮の天照大神に新穀を奉る神嘗祭の9月よりかなり遅く、
霜月(11月)の2度目の卯の日と決まっていました。ちょうど冬至の頃です。

その前日の寅の日の鎮魂祭は、
奈良県天理市に鎮座する最も古い神社の石上神宮に祀られる
宇摩志麻治命(うましまぢのみこと)が、神武天皇と皇后の長寿を祈り、
十種瑞宝(とくさのみづのたから)を以って執り行なったことが起源とされます。

宮中で伝えられていた鎮魂祭は当日の夜、歌舞のあと、
巫女がたらいに似た宇気槽(うきふね)を逆さまにしてその上に立ち、
木製の鉾(ほこ)で“ひふみよいむなや……”という天の数歌を唱えながら
10度槽(ふね)の底を突くという作法をします。

これは天の岩戸の神話を反映しています。
その度ごとに神官が柳筥(やないばこ)という箱の中の「御玉の緒」という糸を、
合計10回結び箱に納めます。

その間に女官が天皇のお召し物の収められている御衣筥(みそはこ)の蓋を取り、
箱とともに中のご衣装を振動させます。

鉾で突くのは、天皇の衰えようとする御魂を呼びさまして活力の復活、
糸結びは遊離しようとする御魂を身中に結んでの鎮め、
御服の振動は御魂の躍動を促す、という意味をこめた古代の呪術的な神事なのです。

日取りは変更されましたが、この鎮魂祭の儀式は新嘗祭とともに
現在の皇室に引き継がれております。



<参考:天の数歌>

(1)動画「天地の数歌~ひふみ祝詞」
    → https://www.youtube.com/watch?v=1XVy4C-iSo0

(2)天の数歌(あめのかずうた)と言霊的解釈

  ①Web:moto MEMO BOX(2016年07月14日)より
    → https://ameblo.jp/motoharu567/entry-12180429005.html

  ②Web:黙示録の渚にて(2012-09-09)より
    → http://shoutakaamahara.blog.fc2.com/blog-entry-23.html

  ③Web:和良久(344)
    → http://www.walaku.com/bbs344.htm

・・・

<参考Web>

(1)「光明掲示板・第一」内スレッド「鎮魂祭 (3849)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=739 (消滅)

(2)「光明掲示板・第一」内スレッド「新嘗祭 (3306)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=641

(3)「光明掲示板・第一」内スレッド「新嘗祭(概要と今年の祭事) (3897)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=749 (消滅)

(4)「光明掲示板・第二」内「鎮魂祭と新嘗祭」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=633

(5)「光明掲示板・第三」内「天皇陛下の祈り」~新嘗祭 (2014年11月23)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=226

(6)伝統板・第二「鎮魂祭と新嘗祭」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6672834

          <感謝合掌 平成29年11月22日 頓首再拝>

新嘗祭(にいなめさい) - 伝統

2017/11/23 (Thu) 05:08:17


今日11月23日は、新嘗祭が行われます。

新嘗祭は、その年に収穫された穀物(新穀)を神に勧め神を祀る行事です


新嘗祭の語源は「新饗(にいあえ)」と考えられます。
新穀を捧げて饗応するという意味です。
では誰が誰を饗応するのでしょうか。

それは戦前の新嘗祭の説明にあるとおり、「天皇が神々を饗応する」のです。

戦後はこの新嘗祭は皇室典範に記載された儀式から外れたそうですが、
法的にはこの儀式を行う必要はなくなっても、皇室においては
重要な宮中行事として継続されております。

儀式は、23日の夕方から始まり翌日の未明まで行われます。

新嘗祭の歴史は古く日本書紀では「天武天皇六年(AD 677)十一月乙卯の日」
に行った記録があります。日本書紀での記録と言うことでは仁徳天皇四十年にも
新嘗祭の記述があります。


この際、捧げられる米、粟は
各都道府県毎に2軒の農家が選ばれてこれを献納するそうです。

この伝統は明治25年に全国の都道府県知事(この時点では北海道は
入っていなかったが、後に加わる)の連名での要請ではじまったものだそうで、
戦後も農協が中心となって継続しているそうです。

http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0746.htm

・・・

<関連Web>

(1)天皇陛下、恒例の稲刈り

   天皇陛下は9月13日、皇居内の生物学研究所脇の水田で、
   恒例の稲刈りをされた。

   開襟シャツにズボン姿の陛下は、鎌を手に腰をかがめ、
   春に自ら田植えをしたもち米の「マンゲツモチ」と、
   うるち米の「ニホンマサリ」計100株を丁寧に刈り取られた。

   収穫された米は、伊勢神宮の神嘗祭に奉納されるほか、
   11月23日の新嘗祭などの宮中祭祀(さいし)にも使われる。

   陛下は日本古来の稲作を伝承するため、
   昭和天皇から田植えや稲刈りを引き継がれている。

   (http://www.sankei.com/life/news/170913/lif1709130064-n1.html

(2)皇室献上米~「抜穂祭」

  ①富山県~「新嘗祭」献上米を収穫 朝日町

   宮中の恒例儀式「新嘗祭(にいなめさい)」に献上する米の収穫神事
   「献穀斎圃抜穂祭(けんこくさいほぬきほさい)」が(9月)二十三日、
   朝日町舟川新の山崎久夫さん(75)方の献穀田であり、
   小学生の女の子が務める「刈女(かりめ)」が稲穂を刈り取った。  
   神事には、山崎さんの家族や地元の農業関係者ら約九十人が参加。

   (http://www.47news.jp/localnews/toyama/2017/09/post_20170927080307.html

  ②北海道~共和町

   皇居で行われる新嘗(にいなめ)祭への献上米を収穫する
   抜穂(ぬいぼ)祭が(9月)19日、町発足の農家
   小野宏将(ひろゆき)さん(44)の水田で行われた。

   共和町からの献上米は2007年以来10年ぶりで小野さんが7人目。
   小野さんは5月から献穀田で「ゆめぴりか」を栽培してきた。

   抜穂祭では、きょうわ農協の女性職員3人と小野さんの長女真莉奈さん(6)が
   編みがさに紺色の着物を着て刈女(かりめ)を務めた。
   風雨の中、足元に気をつけながら黄金色の稲穂を丁寧に刈り取った。

   (https://www.hokkaido-np.co.jp/article/133637

             <感謝合掌 平成29年11月23日 頓首再拝> 

知っておきたい「新嘗祭」 貴重映像で解説 - 伝統

2017/11/24 (Fri) 12:29:53


        *Web:QテレNEWS(2017年11月22日)より

この時期に多く検索されるのが、11月23日に行われる
五穀豊穣を感謝する宮中祭祀「新嘗祭(にいなめさい)」。

どんな祭祀なのか、4年前に公開された貴重な映像があった。

2013年11月23日に天皇陛下が80歳になられたことを記念して
初めて撮影・公開された宮中での新嘗祭の映像。

古来の伝統にのっとり、明かりはかがり火のみ。
天皇陛下は侍従に足元を照らされ、神嘉殿(しんかでん)と呼ばれる
殿舎(でんしゃ)に入られる。

中では、全国から献納された新米などを感謝をこめて、
神々に供えるとともに、自らも召し上がるという。

そんな「新嘗祭」は恒例の宮中祭祀の中で、最も重要なもので、
その年の農作物の収穫を感謝する神事だ。

 
三峯神社・山中さん「(お米は)神様から頂いた食べ物」

秩父のこの神社でも、古くから大切な神事として、毎年、新嘗祭を行ってきた。

山中さん「稲作を行うには、天気、気候がとても大事」
「それは人間の力が及ばないことで、神様が天気を左右していると思われていた」

 
そんな神様にお供えするのは―

山中さん「お米が一番大事。お米からできているお酒、お米からできているお餅など」

 
11月23日に行われる宮中の新嘗祭では、天皇陛下も皇居内の水田で、
自ら稲を育てその年に収穫した新米を新嘗祭で供えられる。

   (http://www.news24.jp/articles/2017/11/22/07378590.html~動画あり)

    (http://www.nicovideo.jp/watch/sm32311119~上と同じ動画のみ)

             <感謝合掌 平成29年11月24日 頓首再拝> 

新嘗祭 過酷な儀式どのように執り行われるのか - 伝統

2017/11/25 (Sat) 13:54:47

たいまつの明かりに照らされ、天皇陛下「別のお姿」
…新嘗祭 過酷な儀式どのように執り行われるのか

       *Web:産経オンライン(2017.11.23)より

23日は国民の祝日「勤労感謝の日」だが、
その年の収穫を神々に感謝する戦前の大祭日「新嘗祭(にいなめさい)」から
引き継がれたことは意外と知られていない。

連合国軍総司令部(GHQ)が神道の神話や祭礼、
儀式を起源とする祝日の廃止方針を示し、昭和23年に施行された祝日法で
「新嘗祭」の名が消えたためだ。

一方、皇居の神嘉殿(しんかでん)では、今年も天皇陛下が新嘗祭に臨まれた。

「宮中祭祀(さいし)の中でも最も重要で、かつ過酷な儀式の一つ」(宮内庁幹部)
である新嘗祭とは、どのように執り行われるのか。

 
新嘗祭の「夕(よい)の儀」が始まるのは23日午後6時。
白の絹でできた伝統の「御祭服(ごさいふく)」を身にまとった陛下が、
綾綺殿(りょうきでん)から儀式が行われる神嘉殿に移られる。

御祭服は新嘗祭でのみ陛下が身につけられる装束。
その重さから、着替えられるのに数十分かかるという。

たいまつの明かりのみが照らす中、白い装束姿の陛下が
神嘉殿までの「御拝(ごはい)廊下」を進まれる様子について、

祭祀をつかさどる掌典職の1人は

「これから国のため、国民のために祈るという決意や使命、
お気持ちが伝わってくる。
地方ご訪問などで国民と触れ合われるときとは、全く別のお姿」

なのだと話す。


儀式中は側近らも神嘉殿に入ることは認められず、
陛下と神事を手助けする2人の采女(うねめ)のみ。

そこで陛下は全国から献上されたり、皇居で収穫したりした
米と粟の新穀、新米から作った酒などを神前に供えられる。

続いて神前に拝礼し「御告文(おつげぶみ)」で一年の五穀豊穣(ほうじよう)と
国家、国民の幸福を祈られる。

さらに、供え物を神々とともに食される「直会(なおらい)」に臨まれる。
最後に綾綺殿に控えていた皇太子さまが神嘉殿で拝礼され、
陛下と皇太子さまが一緒に神嘉殿を後にされる。

夕の儀が終了するのは午後8時。

同様の次第で午後11時から24日午前1時まで
「暁(あかつき)の儀」が執り行われる。

儀式は各2時間ずつ、計4時間に及ぶ。

陛下は重く、動きにくい装束で、大半の所作を正座したまま行う。
このため新嘗祭が近づくと、陛下は御所でくつろぐときも、
慣れるために正座のまま過ごされることで知られる。

それ以外にも「過酷」と評される理由の1つが気温だ。

この時期、儀式の時間帯には10度を切るほど冷え込む年もあるが、
神嘉殿には暖房がない。

「寒さだけでも相当、体にこたえる。
今年84歳になられる陛下にとってはなおさらだろう」(宮内庁関係者)。


陛下の体への負担を考慮し、75歳の平成21年から
暁の儀のお出ましを最後の30分間に、
77歳の23年からは夕の儀でも同様に短縮された。

80歳の26年からは、暁の儀へのお出ましを取りやめられている。

ちなみに、昭和天皇は69歳で暁の儀へのお出ましをやめ、
70歳で夕の儀も途中からとしている。

 
宮内庁によると、陛下が昭和天皇が暁の儀へのお出ましをやめた年齢になり、
同様の対応を勧めたのに対し「従来通り」を望む強い意向を示されたという。

心臓の冠動脈のバイパス手術などを経て、現在の形に落ち着いているが
「できることならすべてに出たいという気持ちは、今も変わっておられないだろう」
(宮内庁関係者)。

現在も、掌典職のトップで儀式の一部を代行する掌典長から侍従を通じ
「終了」の報告を受ける午前1時過ぎまで、陛下がお休みになることはない。

ある掌典職は「昨年8月のビデオメッセージでは『全身全霊』という言葉で
象徴天皇の務めを表された。新嘗祭に臨まれる姿勢は、それを体現されている」
と話す。

来月1日の皇室会議を経て、陛下の譲位時期は31年春が想定される。
このため、陛下が新嘗祭に臨まれるのは30年が最後となる。

  (http://www.iza.ne.jp/kiji/life/news/171123/lif17112316150016-n1.html

             <感謝合掌 平成29年11月25日 頓首再拝> 

新嘗祭と柏の葉 - 伝統

2017/11/26 (Sun) 12:35:40


        *Web:大和心を語るねずさんのひとりごと(H29.11.23)より

11月23日は「新嘗祭(にいなめさい)」の日です。
いまは「勤労感謝の日」と呼ばれていますが、
これは昭和23(1948)年にGHQによって、名称を変更させられたものです。
しかしどうしてこの日が「勤労感謝の日」と呼ばれるかというと、
その理由はこの日が「新嘗祭」だからです。

新嘗祭というのは、
今年の新穀を天皇が新米を神々に捧げて饗応するという皇室催事です。

歴史的には仁徳天皇が新嘗祭を執り行なったことがはじまりで、
すでに1600年以上の伝統があります。
そんじょそこいらの国の成立よりも、はるかに古い歴史があるのです。

新嘗祭は、これに先立って
10月17日の「神嘗祭(かんなめさい)」が、まず行われます。
こちらは伊勢神宮で行われるもので、
その年に収穫された新穀を天照大御神に捧げます。

これを受けて、次いで今度は皇居で11月23日に行われるのが、
「新嘗祭(にいなめさい)」です。

「新嘗祭」では、天皇陛下が皇居内にある神嘉殿(しんかでん)という
特別な御殿の中に篭もられ、そこに天照大御神をはじめ、
天神地祇(てんじんちぎ)のすべての神々をそこにお招きされ、初穂お供えして、
神々とともにこれをお召し上がりになられます。
天神地祇とは、天つ神、国つ神のことです。

すごいのは、この新嘗祭の慣例です。

なんと、ご飯が柏(かしわ)の葉の上に盛られ、
陛下は古代箸(こだいばし)でそのご飯をお召し上がりになられるのです。

まず古代箸ですが、これは下の図にあるように、トングのような形をしたお箸です。
古代においては、我が国の箸は、このような形をしていました。

ちなみに古事記では、須佐之男命(すさのをのみこと)が
高天原から地上に降り立ったとき、川の上流からお箸が流れてきたので、
上流に人が住んでいるとわかったという記述があります。

お箸一本では、それがカンザシなのか、木切れなのか判別はつきません。
なぜお箸とわかったかというと、古代のお箸がトングのような形をしていたからです。


そして極めつけが、盛り付けに使われているのが、お茶碗ではなく、
「柏の葉」であることです。

新嘗祭は、仁徳天皇の時代にはじまったと公式に記録されている行事ですが、
この時代には当然、ご飯を盛り付ける際のお茶碗はありました。

にもかかわらず、仁徳天皇がこの新嘗祭をお始めになられたとき以来、
お茶碗ではなく、柏の葉にご飯を盛り付けられているということは、
仁徳天皇ご自身が、仁徳天皇のご在世当時よりも、
はるか古くからの伝統に従ったということです。

我が国では、いわゆる食事に使われる土器は、
発掘されたなかで一番古いものが1万6500年前のものです。

お茶碗などに塗る漆(うるし)は、1万2500年前には、
すでに漆の木が栽培され、漆が用いられていたことが確認されています。

8000年くらい前になると、茶碗から土瓶、弓などに至るまで
漆で彩色が施された道具類が発掘されています。

新嘗祭は、我が国最高の存在であられる陛下が、
大切な神々をお招きしてお食事を共にされる行事です。

少し考えたらわかることですが、普通、そうであるならば、
その時代の最高の食器にご飯を盛り付けて、お食事を召し上がられるはずです。

そして何千年も前から漆が使われていたなら、普通に考えれば、
漆塗りの高価なお茶碗を用いてお食事を振る舞われるはずです。

ところが、それが「柏の葉」なのです。

どうして柏(かしわ)なのかということは、
「かしわ」という大和言葉が明確に示しています。

「かしわ」という言葉は、もともと「かしきは(炊葉)」とか
「かしは(食敷葉)」に由来します。

柏の葉に盛り付けるご飯の稲は、もともと熱帯性植物で、
寒冷地での栽培はしにくいものです。

ところが柏の木は、その寒冷地にも強い。
しかも肥沃な土地を好む木です。

そして柏は、広葉樹なので、普通なら冬には葉が落葉するところ、
柏は落葉しないまま冬越えをし、翌年の春には新芽を付けます。

我々は男の子のお祝いの「端午節句(たんごのせっく)」に
柏餅(かしわもち)をいただきますが、これは柏の木が、
古い葉が落葉しないまま新しい葉と絶え間なく入れ替わることから、
「葉(覇)を譲り家運隆盛をあらわす」として、食べられる習慣になったものです。


要するに新嘗祭に柏の葉が用いられるのは、
「稲作が行われながら食事にはお茶碗ではなくて柏の葉が用いられていた、
いったいいつの時代なのかわからないくらいはるか古い昔の習俗」を、

仁徳天皇の時代に慣習として復元され、その復元された古代の習俗が、
21世紀となった今日においても、まだ続けられているということなのです

いったい日本はどれだけ古い国かということです。

そして陛下が、毎年の新穀を神々に感謝してくださり、
また明年の豊作をご祈願してくださっているから、
私たちは美味しいお米を毎年いただくことができるのです。

そのことに、国民をあげて感謝をする日だから、
もともと新嘗祭の日が国民の祝日となっていたのです。

国民の勤労に感謝するなら、勤労するのは一年中のことです。

そうではなく、古来続く新嘗祭の日だから感謝のための祝日なのです。

私たちは、私たちのほんとうの意味での祝日を取り戻していく必要があると思います。

   (http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3585.html

             <感謝合掌 平成29年11月26日 頓首再拝> 

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