伝統板・第二

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臨死体験 ~ アニータ・ムアジャーニさんの場合 - 夕刻版

2017/10/13 (Fri) 19:39:10


        *『喜びから人生を生きる』
         ~アニータ・ムアジャーニ著(P96~106)より

(アニータ女史の魂が身体を抜け出し、病院内の様々な出来事を描写するシーン)

病院に担ぎ込まれた時、周囲の世界が夢のように幻想的に見え、
意識がだんだん遠のいていきました。

昏睡状態で病院に到着した私を見て、医師は助かる可能性はない
と断言はしないまでも、非常に厳しい態度でした。

そこは、いつも治療に通っていた病院ではありませんでした。
これまで通っていたのは、本格的な病院というよりも大きめのクリニック
のようなところで、このような緊急事態に対処する設備がなかったのです。

近所にある小規模な医療施設で治療を受けるというのは私の選択でした。
そのほうが、あまり恐ろしさを感じなくて済んだからです。

私は病院が大嫌いでした。というのも、親友のソニとダニーの義弟が、
二人とも大きな癌専門病院で亡くなったので恐ろしかったのです。
 
しかし、その朝、私が昏睡状態に陥ったのでダニーがクリニックに電話をかけると、
私の主治医は、香港で一番大きい、最新設備が整った病院に運ぶように指示しました。
そこには、専門の医師チームがいるからです。

ですから、この病院へ来るのも、ここの医療チームに治療を受けるのも初めてでした。
 
癌専門医は、私を見た瞬間、明らかにショックを受けた様子でした。
 
「奥様の心臓はまだ動いていますが、意識はもうありません。助けるには手遅れです」
と、医師はダニーに告げました。
 
「医師は誰のことを話しているんだろう? 私は、こんなに気分がいいのに。
ママやダニーは、どうしてあんなにおびえて心配そうなの? 
ママ、どうか泣かないで。何があったの? 私のせいで泣いているの? 
お願い、泣かないでちょうだい。私は大丈夫よ!」

私は大声で言っているつもりでしたが、声になりませんでした。
 
母を抱きしめ、慰めて、私は大丈夫だと伝えたいと思いました。
なぜそれができないのか、まったく理解できませんでした。

「どうして、身体が言うことをきかないの? 
どうして死んだみたいに横たわっているの? 
愛するダニーや母を抱きしめて、私はもう大丈夫で、
痛みもまったくないと安心させたいのに……」

事態が深刻だったため、医師はただちにもう一人のベテランの癌専門医を呼び、
助けを求めました。私は臨死状態になり、これまでよりもはるかに鋭敏に、
自分の周囲で起こっていることに気がついていました。

身体の五感は働いていませんでしたが、それとは比べものにならないくらい、
あらゆるものを鋭く感じ取ることができたのです。
まるで、完全に異なる知覚が目覚めたようでした。

それは、単なる知覚以上のもので、起こっていることすべてを包み込み、
まるで自分がゆっくりとそのすべてと一つになっていくように感じられました。

ベテランの癌専門医は、私の全身をMRIでスキャンするため、
すぐに放射線室へ運ぶようにと医療チームに命じました。
私の頭は枕の上に乗せられていました。

すでにお話ししましたが、肺が液体でいっぱいだったので、
頭を平らにすれば液体が上昇してきて窒息してしまうからです。
 
私は携帯用の酸素ボンベをつけていましたが、放射線室に着くと
酸素マスクを外され、身体を持ち上げられて、MRIの装置の中に置かれました。
すると、数秒間で息が詰まり、私はむせ始めたのです。
 
「酸素マスクを取らないでください。妻は平らになれないんです! お願いです、
息ができないんです。そのままにしていたら死んでしまいます!」
医療チームに叫んでいるダニーの声が聞こえました。

「奥さんを平らにする必要があるんです。心配なさらないでください。
できるだけ静かにやりますから。
30秒間くらいなら、酸素マスクを取っても大丈夫です」
と放射線技師の一人が説明しました。

そして技師は、30秒から40秒おきに、酸素マスクをつけるために
MRIの装置から私の身体を引き出し、それからまた中へ入れるということを
繰り返しました。このために、かなり長い時間がかかってしまいました。

スキャンが終わると、私は集中治療室へ運ばれました。
 
絶対あきらめないでほしいという夫の必死の訴えに、
医師チームはできるだけの処置を施しました。

時間は刻々と過ぎていき、私は集中治療室で、途方に暮れる家族が見守る中、
針や管を突き刺されました。

私のベッドの周囲には、両脇の患者から隔離するために、
厚いカーテンが引かれていました。
ダニーと母は、カーテンの外側で待っていました。
 
看護師たちは小走りで動き回り、死んだような私の身体を酸素タンクにつなぎ、
水分やブドウ糖の点滴準備をしていました。

ベッドの上にある、血圧や心拍数をチェックするモニターにもつながれました。
鼻から栄養チューブを入れて胃の中に直接栄養を送り込み、
人工呼吸器によって、酸素を供給されていました。

栄養チューブがなかなか入らず、喉の筋肉を麻痺させるスプレーをかけて、
なんとか胃の中まで入れることができました。
 
人々がやってくるたびに、それが誰で、何をしているのかわかりました。
目を閉じていたのですが、自分の周囲で起こっていることだけでなく、
それ以外のことも詳細にわかる気がしました。

私の知覚は、今までよりもはるかに鋭くなっていました。
あらゆることがわかり、理解できるようでした。

それも、実際に起こっている出来事だけでなく、
みんなが感じていることについてもです。
まるで、一人ひとりの中を見通して、感じられるようでした。

そして、私の現状に対する彼らの恐れや絶望やあきらめがひしひしと伝わってきたのです。
 
「ダニー、ママ、なんて悲しそうで、おびえているの……。
私はもう苦しくないのよ。そう伝えられたらいいのに……。
ママ、お願いよ、泣かないで。私はここにいるのよ、ママのすぐそばに!」

私は、周囲で起こっていることに十分気がついていました。
あらゆることが同時に起こっているようでしたが、自分が何かに注意を向けると、
それが瞬時にクリアに感じ取れました。

「血管が見つかりません!」看護師の一人が慌てふためいたように
担当医師に告げるのが聞こえました。その声は恐怖感に満ちていました。
 
「血管が確保できません。手足の細さを見てください、もう骨だけです。
しばらく栄養をとっていないんですよ」これは、男性の看護師の声でした。
 
「まるでもう希望はないような言い方だわ。きっと助からないと思っているんだ。
それも当然だわ……」と私は思いました。
 
「肺が液体でいっぱいだ。少しでも楽に呼吸できるように、水を抜かないと」
ベテランの癌専門医が言いました。

医師たちが私の身体に対して懸命に処置を施している様子を、
私はじっと眺めていました。
私の身体はとても小さく見え、その瞬間私が感じていたものをすべて入れるのは、
不可能に思えました。

医師チームはものすごいスピードで処置を行い、そこには緊迫感が漂っていました。
同時に、私の運命を変えるには遅すぎたことを認めるような空気もありました。
私はあらゆる細部にまで気がついていましたが、私の身体は何も感じていませんでした。

そこにあるのは、大きな解放感とこれまでになかった自由の感覚だけだったのです。
 
「まあ、なんてすばらしいの! すごく自由で軽いわ。何が起こったのかしら? 
こんなに気分がいいのは初めて。もうチューブも車椅子も必要ないわ。
誰の助けがなくても自由に歩き回れるし、呼吸も全然苦しくない。本当にすごいわ!」

私は、病院のベッドに死んだように横たわっている自分の身体に対して
何の愛着も感じていませんでした。
それは自分のもののようには思えませんでした。

今、私が体験していることに比べれば、あまりにも小さく、
つまらないものに見えたのです。
私は、自由で、解放された、とてもすばらしい気分でした。

苦しみや痛みや悲しみも、すべて消えていました。
もう何も私を妨げるものはなく、こんなふうに感じたことは、
人生で一度もありませんでした。
 
癌にかかってからの4年間は、まるで自分の身体の囚人のようでした。
けれど、やっとそれから解放されたのです。
私は初めて自由を味わっていました。

無重力みたいに、自分がどこでも行けることに気づき、
それが普通のことのように感じられました。
まるで、これが物事を認識する本当のやり方にも思えました。

夫と医師が、集中治療室から12メートルも離れた廊下で話しているのに
気づきましたが、それも不思議には思いませんでした。
 
「残念ですが、もう奥様のためにできることは何もありません。
奥様の臓器はすでに機能を停止しました。レモン大の癌が、頭蓋骨から下腹部まで、
すべてのリンパ系組織に広がっています。

肺だけでなく、脳も液体でいっぱいです。
癌による皮膚病変も見られます。おそらく今晩が山でしょう」

医師はダニーに、そう告げました。私が会ったことのない医師でした。
 
ダニーの顔に苦悩の表情が浮かんでいくのを目にし、
私は彼に向かって叫びたくてたまりませんでした。

「ダニー、私は大丈夫。だから心配しないで。お医者さんの言うことは聞かないで。
それは真実じゃないわ!」でも、私には何もできませんでした。
彼には私の言葉が聞こえなかったのです。
 
「妻を失いたくないんです。まだその準備ができていないんです」
ダニーは医師に訴えました。
 
自分の身体に対して何の愛着もありませんでしたが、
ぐったりとした身体の周囲で起こっているドラマに、
強く感情を揺さぶられました。

何よりも、私を失う絶望感に苦しむダニーを、少しでも楽にしてあげたかったのです。
 
「ダニー、私の声が聞こえる? お願いだから、聞いてちょうだい。
私はもう大丈夫だって知ってほしいの!」

周囲で起こっている感情的なドラマに入り込もうとすると、
より大きな力が働いて、そこから引き離されるような感じがしました。
まるでもっと壮大な計画が展開しているかのようでした。

引き離されていくにつれて、すべてが完壁であり、
計画通りに進んでいると理解できたのです。
 
周囲の状況から感情が離れていくと、自分がすべての空間を満たすほど
拡大し続けていることに気づきました。そ
れは、私と他のすべてのものが一つになるまで続きました。

私はあらゆるものを包み込み……いえ、あらゆるもの、
そしてあらゆる人になりました。

家族と医師の間で交わされている会話の一語一句がわかりました。
彼らが病室からずいぶん離れた場所にいたにもかかわらず、わかったのです。

夫の顔からは恐怖感が見てとれ、まるでその瞬間私が夫になったかのように、
彼の恐れが感じられました。
 
その時初めて、私は兄のアヌープにも気づきました。
彼は私に会うために飛行機に乗っていて、まだ何千キロも離れたところにいました。

彼の心配そうな様子を見て、再び私は、自分が物質世界の感情的なドラマに
引き込まれるのを感じました。
 
「まあ、アヌープだわ。飛行機に乗っている。どうしてそんなに不安そうなの? 
私に会うため香港に来るみたい」

早く私のところへ行きたいという切迫感が伝わってきたのを覚えています。
彼に対して、とても強い感情がほとばしりました。
 
「可哀そうなアヌープ……。私のことが心配で、何とか死ぬ前に会いたいんだわ。
大丈夫よ、アヌープ。私はここで待っているわ。だから急ぐ必要はないのよ。
もう痛くも苦しくもないんだから」
 
私は手を伸ばし、彼を抱きしめて、
自分は大丈夫だと安心させてあげたいと思いました。
でも、なぜかわかりませんが、そうすることはできませんでした。
 
「アヌープ、私はここよ!」
 
彼の到着まで、私の身体が死なないでほしいと思いました。
もしそうなれば、彼がどんなに苦しむかわかっていたので、
そんな目にあわせたくなかったのです。
 
でも、兄に対する愛情が大きくなり、妹の死の苦しみを経験させたくない
という思いが強くなった時、また大きな力によって、その感情から
引き離されていくのがわかりました。

自分の感情に支配され始めると、自分が拡大していき、
すべての愛着が消えていくようでした。

そして再び、より大きなタペストリーが存在するという安堵感に包まれ、
すべては壮大な計画通りになっていると実感したのです。

さらに遠くへ広がっていくにつれて、
この超自然的な状態がおかしいものには感じられなくなりました。
実際、それが普通ではないという意識はまったくなく、ごく自然なものに思えたのです。

私は、自分に施されているあらゆる処置の細部にまで十分気づいていましたが、
外見上は、昏睡状態に見えていました。

私は、どんどん外へと広がっていき、
周囲の物理的環境から引き離されていくのを感じました。

そこにはもはや空間や時間の拘束はなく、どんどん拡大し続けて、
より大きな意識と一つになっていくようでした。

身体を持っていた時には体験したことのない、自由や解放感がありました。
それは、歓喜や幸福が散りばめられた、至福感としか言いようのないものでした。

病気で死にかけている身体からの解放、そして、
病気による苦痛や痛みから自由になった喜びから生じたのでしょう。

向こう側の世界に深く入っていき、拡大しながらすべての人やものと
一つになるにつれて、愛する人たちや周囲の状況への愛着がゆっくりと
消えていきました。

その間、すばらしい”無条件の愛”としか表現できないものが私を取り囲み、
しっかりと包んでくれたのです。

でも、その感覚は”無条件の愛”という言葉では十分に表せるものではありません。
それはあまりにも乱用されすぎて、言葉の持つ強烈さが失われているからです。

ともあれ、長い身体的闘いからやっと解放された私は、
この自由というすばらしい体験を楽しんでいました。

それは、身体的にどこか別の場所へ行ったというよりも、
むしろ目覚めたような感覚でした。
おそらく、悪夢からやっと目覚めたのかもしれません。

私の魂は、その真のすばらしさをやっと悟ったのです。
それは次第に、私の身体や物質世界を超えて遠くへと広がっていき、
この世の存在だけでなく、時間や空間を超えた別の領域までも広がり、
同時にその一部になりました。

愛、喜び、恍惚感、畏敬の念が私に注がれ、私の中を流れ、私を飲み込みました。
そして、これまで存在していることさえ知らなかった大きな愛に包まれました。
これほど大きな自由や生きているという実感を味わったのは初めてでした。

すでにお話ししましたが、私のベッドから遠く離れた場所で話している
医師と家族の会話が、突然わかるようになったのです。
これは、物理的には不可能なことでした。
 
このような強烈な感覚は、この世のものとは違い、
それを正確に言い表すための言葉は見つかりません。

これほど完全で、純粋な、無条件の愛は、
私がこれまでまったく知らなかったものでした。
何の資格も要求されず、何の判断もされず……まったく差別もありませんでした。

その愛を得るために何もする必要がなく、何の証明もしなくてよかったのです。

   (今回は、Web:よろず屋寸話録(2017年10月2日)からの転写です)

・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・第二「臨死体験 ~ アニータ・ムアジャーニさんの場合」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1821


(2)光明掲示板・第三「臨死体験 ~ アニータ・ムアジャーニさんの場合」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=76

・・・


<参考Web>

(1)“本流宣言”掲示板「ヒア アフター(来世・あの世) (7227)」
   → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1711


(2)光明掲示板・第一「臨死体験 (7380)」~(メル・ギル氏、川津 祐介氏)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1374


(3)光明掲示板・第三「臨死体験~鈴木秀子さんの場合」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=361


(4)伝統板・第二「臨死体験~ベティ・イーデイさんの場合」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6476705


(5)伝統板・第二「臨死体験~ダニオン・ブリンクリーさんの場合」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6592058


(6)伝統板・第二「臨死体験~木内 鶴彦さんの場合」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6635843


(7)伝統板・第二「臨死体験~9つの証拠」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6741355


(8)伝統板・第二「臨死体験~メラン・トーマス・ベネディクトさんの場合」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6862043


(9)伝統板・第二「臨死体験~コルトン君の場合」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6961081


(10)伝統板・第二「臨死体験~エベン・アレグザンダー博士の場合」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7044663


(11)伝統板・第二「臨死体験~中山康直さんの場合」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7621792


(12)伝統板・第二「臨死体験~小林健氏の場合」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7610138


           <感謝合掌 平成29年10月13日 頓首再拝>

あちらの世界で亡くなった父や友人と遭遇 - 伝統

2017/10/15 (Sun) 20:45:17

臨死体験 ~ アニータ・ムアジャーニさんの場合(その2)


(アニータ女史の魂が、あちらの世界で亡くなった父や友人と遭遇するシーン)

        *『喜びから人生を生きる』
         ~アニータ・ムアジャーニ著(P106~114)より抜粋

驚いたことに、私は十年前に亡くなった父の存在に気づきました。
それは、私に信じられないほどの安心感を与えてくれました。
 
「パパ、ここにいたの! 信じられないわ」

実際には、そう言ったのではなく、ただ思っただけでした。
そのような感情を抱いたというほうが正しいかもしれません。

その世界では、感情が唯一の対話方法だったのです。
 
「そうだよ、アニータ。おまえや家族のために、いつもここにいたんだよ」
父は私にそう伝えました。
これも言葉ではなく、感情によるものでしたが、私にははっきりとわかりました。
 

それから、3年前に癌で亡くなった親友ソ二にも気づきました。
父やソニの存在が優しく抱きしめるように私を包み込んだ時、
ワクワクした高揚感に満たされ、心から楽になったのです。

彼らは、私が気づくずっと前からそばにいてくれ、
病気の最中も見守っていてくれたのだとわかりました。
 
さらに、他の存在にも気づきました。それが誰なのかわかりませんでしたが、
彼らが私のことをとても愛し、守ってくれていることがわかりました。
彼らはいつもそこにいて、私が気づいていない時でさえ、
大きな愛で包んでくれていたのです。

ソニの本質と再びつながったことは、私にとって大きな安らぎでした。
彼女が亡くなって、ずっと寂しかったからです。
私と彼女の間には無条件の愛しかありませんでした。

その次の瞬間、私の本質が、ソニの本質と一つになり、私は彼女になりました。
私は、彼女がここにも、そこにも、あらゆる場所に存在するとわかったのです。
彼女は、愛する人全員のために、いつも、すべての場所にいることができました。
 
私は身体の五感ではなく、まるで新しい感覚を手に入れたように、
限界のない知覚を使っていました。
それは、通常の能力よりもはるかに鋭く、360度が見渡せて、
自分の周囲を完全に認識できました。

驚嘆すべきことのようですが、それが普通に感じられたのです。
もはや身体の中にいることのほうが、制限された特殊な状態であるように感じました。

           <感謝合掌 平成29年10月15日 頓首再拝>

(時間のとらえ方) - 伝統

2017/10/16 (Mon) 20:32:36


その世界では、時間も違うものに感じられました。
私はすべての瞬間を、同時に感じていたのです。
つまり、過去、現在、未来の自分が関係するあらゆることを、同時に認識していました。

さらに、いくつかの人生が同時に繰り広げられているのを感じました。
一つの人生では、私に弟がいて、彼を守ろうとしていました。
その弟の本質は、アヌープと同じだとわかりました。

ただし、その人生で、彼は私よりも若かったのです。
時代や場所ははっきりわかりませんでしたが、田舎暮らしのようでした。
家具などほとんどないあばら家に住み、
私はアヌープの面倒を見て、両親は畑で働いていました。

姉として弟の世話をし、家族の食べ物を確保して、
外部の敵から身を守っている自分をありありと体感している間、
その生活が過去世のものだという感じはまったくしませんでした。

確かに、風景はかなり昔に見えましたが、
まるで今ここで起こっているようだったのです。
 
言い換えれば、時間は、この世で体験するような直線的な流れではありませんでした。
私たちの理性が、周囲で起こっていることを
連続したものに並べているような気がしました。

身体を持っていなければ、実際のところ、
過去も現在も未来もすべて同時に起こっているのです。

時間のあらゆる点を同時に知覚できるというのは、
向こう側の世界での明確な理解に役立っていましたが、
今それを思い出したり、説明しようとすると混乱が生じます。

直線的時間が存在しない時、出来事の連続性ははっきりしなくなり、
それについて話すと不自然な感じがしてしまうのです。

五感の制限により、私たちは時間の一つの点に集中させられ、
これらを一列につなげて直線的現実を創り上げているように思えました。

さらに、私たちの身体の制限された知覚が、
目で見え、耳で聞こえて、触ることができ、匂いを嗅ぎ、
味わえる範囲に閉じ込めているのです。

でも、身体的制限がなくなった私は、時間や空間のあらゆる点と
同時に関われるようになりました。

           <感謝合掌 平成29年10月16日 頓首再拝>

(存在) - 伝統

2017/10/17 (Tue) 19:25:09


拡大した領域での私の気づきは、どんなに説明しようとしても、
言葉では言い表せません。その明快さは驚くばかりでした。
 
「宇宙は理にかなっていた! 」と私は理解しました。

さらに、どうして自分が癌になったのかとうとうわかったのです。
私はその瞬間のすばらしさにあまりにも夢中になり、
しばらく病気の理由について考えられなかったのですが、
やがて、深く探ってみることにしました。

そして、そもそもどうしてこの世に生まれて来たのかも理解できたように思えました。
自分の真の目的について悟ったのです。
 
「どうして突然、すべて理解できたんだろうか?」私はそれが知りたいと思いました。
「誰がこの情報を与えてくれたんだろう? 神様かしら? 
それともクリシュナだろうか? それともブッダ? イエス・キリスト? 」

その時、「神は存在ではなく、存在のあり方なのだ。
そして、私は今、そのような存在のあり方をしている」という悟りが得られ、
その感覚に圧倒されたのです。
 
           <感謝合掌 平成29年10月17日 頓首再拝>

(人生体験の意味) - 伝統

2017/10/18 (Wed) 20:14:28


私は、自分の人生が、これまで出会ったすべてのものの中に
複雑に織り込まれているとわかりました。

私の体験は、無限に広がるタペストリーの、壮大で色とりどりな
イメージを織りなす一本の糸のようなものでした。
他の糸や色はすべて、私の人間関係を表しており、私が関わったあらゆる人生でした。

私の母、父、兄、夫、そして、ポジティブあるいはネガティブなやり方で
私の人生に現れた、あらゆる人たちを表す糸がありました。

「まあ、子どもの時に私をいじめたビリーの糸もあるわ!」
 
あらゆる出会いが織り込まれており、この時点までの
私の人生の集大成である織物が出来上がっていました。

私は一本の糸にすぎませんでしたが、
その完成像に欠くことができない存在だったのです。

これを見ながら、自分のユニークな本質を表現することは、
自分自身への、自分が出会ったあらゆる人への、そして人生そのものへの
義務であると理解しました。

自分以外のものになろうとすれば、良い状況がもたらされるどころか、
真の自己を否定することになるのです。
他の人たちは真の私を体験する機会を失い、
私自身も人々と真実の関わりを持てないでしょう。

本当の自分にならないことは、
私がここにやってきた目的を宇宙から奪い取ることなのです。
 
その明晰な状態で、自分が、いつも思っていたような人間ではないことも理解しました。

「ここで私は、身体も、人種も、文化も、宗教も、信念も持っていない……
でも存在し続けているわ。

それなら私は一体何なの? 私は誰だろう? 
小さくなったり、弱くなったような感じはしないわ。

それどころか、とても大きく、強力で、
すべてを包み込んでいるような感じ……こんな体験は初めて。
こんな風に感じたのは、これまで一度だってないわ」

           <感謝合掌 平成29年10月18日 頓首再拝>

(存在の真実) - 伝統

2017/10/19 (Thu) 20:13:32

この時私には身体がなく、身体的特徴はありませんでしたが、
私の純粋な本質は存在し続けており、それは完全な自分と何ら変わりませんでした。

実際、それは身体よりもはるかに大きく、強烈で、包括的でした。
それはすばらしい感覚だったのです。
自分は永遠の存在であるような気がしました。

まるで、始まりも終わりもなく自分は存在していて、
これからもずっと存在し続けるという感じがしました。
自分はただすばらしい存在だという気づきであふれていたのです。
 
「自分がそのような存在だと、どうして今まで気づかなかったのだろう?」
と思いました。
 
これまでの人生の累積であるすばらしいタペストリーを目にした時、
なぜ今日いる場所へ至ったのかはっきりとわかりました。
 
「自分の歩んできた道のりを見てみなさい。
どうして自分にあんなに厳しかったんだろう? 
どうして自分を責めてばかりいたんだろう? 
なぜ自分を見捨ててしまったの? 

どうして自分のために立ち上がって、
自分の魂の美しさをみんなに示そうとしなかったんだろう?」
 
「どうしていつも他人を喜ばせるために、
自分の知性や創造性を抑圧ばかりしていたんだろう? 
本当はノーと言いたいのにイエスと言って、自分を裏切ってばかりいたわ。
どうしてありのままの自分でいる許可をいつも他人に求めていたんだろう? 
なぜ自分の美しい心に従って、自分の真実を語ろうとしなかったんだろうか?」
 
「まだ身体にいるうちに、どうして私たちはこのことが理解できないんだろう? 
自分にあんなにまで厳しくするべきじゃないって、
私はなぜわからなかったんだろうか?」

私はまだ、無条件の愛と、受け入れられた雰囲気に包まれていました。
自分のことを新しい目で見ることができ、宇宙の美しい存在に思えたのです。
私は存在するだけで、愛の込もった思いやりを受けるに値するのだと理解しました。

何か特別なことをする必要もなく、ただ存在するだけで、愛される価値があったのです。
それ以上でもそれ以下でもありませんでした。

このような理解は私にとって驚くべきものでした。
なぜなら、愛されるためには努力する必要があるといつも思っていたからです。
好かれるに値する人間にならなくてはいけないとずっと信じていました。
ですから、実はそうでないとわかったのは、すばらしい発見でした。

単に自分が存在しているということだけで、私は無条件に愛されていたのです。
この拡大した、偉大な本質が本当の自分だと知った時、
考えられないほどの明瞭さの中で私は変容しました。

それは私という存在の真実でした。
私は新しい自分を見つめながら、自らの気づきの光となっていきました。
そこで起こっていることの流れ、輝き、驚くような美しさの邪魔をするものは、
何一つありませんでした。


           <感謝合掌 平成29年10月19日 頓首再拝>

(個と全体) - 伝統

2017/10/20 (Fri) 18:05:26

私たち全員がつながっていることにも気づきました。
その織り込まれた統合体は、人間や生物の範囲を超えて、
もっと外へと拡大していき、すべての人間、動物、植物、昆虫、山、海、
生命のないもの、そして宇宙全体まで含んでいるように感じられました。

宇宙は生きていて、意識で満たされており、
すべての生命や自然を包み込んでいるのだと悟ったのです。

あらゆるものが、無限の"全体"に属していました。
私も、すべての生命と複雑に絡まり合っていました。

私たちはみんな、その統合体の一つの側面なのです。
すなわち、私たちは一つであり、一人ひとりが集合的"全体"に影響を与えているのです。

私は、ダニーの人生と目的が、私の人生としっかりつながっていて、
もし私が死〇ば、彼はすぐにあとを追うだろうと知りました。

  (〇:ね)

けれど、たとえそうなったとしても、
より大きな全体像においてはすべて完壁なままだとわかりました。
 
さらに、癌は、私が何か間違ったことをしたことへの罰ではなく、
また、以前信じていたような、自分の行動に対するネガティブなカルマでもない
と理解しました。

すべての瞬間に無限の可能性が秘められていて、
その時々私がいる場所は、自分の人生のあらゆる決断や選択や考えが
結実したものでした。

つまり、私が抱いた多くの恐れや私の持つ偉大な力が、
この病気となって現れてきたのです。


           <感謝合掌 平成29年10月20日 頓首再拝>

(臨死体験の深さを隠喩や類推を用いて表現すると) - 伝統

2017/10/21 (Sat) 19:55:03


        *『喜びから人生を生きる』
         ~アニータ・ムアジャーニ著(P115~123)より抜粋


自分の臨死体験について話そうとしても、その体験の深さと、
あふれるようにやってくる知識の量に見合う言葉が見つかりませんでした。

ですから、最善の方法として、隠喩や類推を用いて表現することにしました。

私が伝えようとしていることの本質を
少しでもうまく表すことができればと願っています。
 
巨大で、真っ暗な倉庫を想像してみてください。
あなたは、たった一つの懐中電灯だけで、そこに暮らしています。
そのとても大きな空間の中で、あなたが知っているのは、
小さな懐中電灯の光で見えているものだけです。

何かを探したいと思った時、それを見つけられることもあれば、
見つけられないこともあります。でも、見つけられないからといって、
そのものが存在しないというわけではありません。

それはそこにありますが、あなたが自分の光で照らしていないだけです。
たとえ照らしていたとしても、見たものを理解できないかもしれません。

また、それについてある程度はっきりわかることもあるかもしれませんが、
たいていは何だろうかという疑問が残るでしょう。

あなたは自分の光が照らすものだけを見ることができ、
自分がすでに知っているものだけを理解できるのです。
 
身体のある生活とは、このようなものです。

私たちは、自分の感覚を集中しているものだけに気づき、
すでに馴染みがあるものだけを理解できます。
 
では、ある日、誰かが電気のスイッチを押したと想像してください。
そこで初めて、輝きと音と色がパッとあふれ出て、
あなたは倉庫全体が見えるようになるのです。

なんと、そこはこれまで想像していたような場所ではありませんでした。
赤や黄色や青や緑の光が点滅し、輝いています。

その中には、これまで見たことがなく、
理解できない色もあります。これまでに聞いたこともないような、
臨場感にあふれたすばらしい旋律が部屋中に響き渡っています。

さくらんぼ色、レモン色、朱色、グレープフルーツ色、ラベンダー色、
金色の虹のようにネオンサインが脈動し、踊っています。

電気仕掛けのおもちゃが棚の周りを走り回り、
棚の上には、言い表すことのできないような色合いの箱、包装物、紙類、
鉛筆、絵の具、インク、缶入り食糧、色とりどりのキャンデーの箱、
発泡性飲料、チョコレート、シャンパン、世界中からのワインがあります。

突然ロケット花火が爆発して放射状に広がり、
花や滝などのきらめく光の像を見せています。
 
あなたの周りで起こっている
あらゆることの広大さ、複雑さ、深さ、大きさは圧倒的です。

その場所の端々までは見えなくても、
自分が認識している以上のものが存在するとわかっています。

あなたは、自分が生き生きした無限ですばらしいものの一部であり、
目や耳でわかるものを超えた大きなタペストリーの一部だという
強烈な感覚を得るでしょう。

これまで現実だと考えていたことが、実は、あなたを取り囲む
途方もない驚異的なものの中の小さな点にすぎないと理解します。

そして、いかにさまざまなものが互いに関わり合い、
ふさわしい場所にぴったりと当てはまっているかがわかるでしょう。

倉庫の中には、これまで見たこともなく、
夢にも思わなかったすばらしい色や音や感触のものが、
すでに知っていたものと一緒にあったことに気づくのです。

あなたが気づいていたものでさえ、まったく新しい状況の中で、
真新しく、超現実的に見えるでしょう。
 
再びスイッチが消えても、この体験におけるあなたの理解や明晰さ、
驚異の念や活気は誰も奪い取れません。
倉庫にあるすべてのものについて、あなたが知っていることも消去できません。

そこに何があり、それをどのように手に入れ、何ができるのか---
あなたは、小さな懐中電灯で暮らしていた時よりも、
はるかに多くのことを知っています。

           <感謝合掌 平成29年10月21日 頓首再拝>

(選択) - 伝統

2017/10/22 (Sun) 20:29:39


(アニータ女史の魂が、再びこちらの世界に戻る決心をするシーン)

そして、この意識清明な瞬間に体験したあらゆることに対して畏敬の念を抱いています。

人生はこれまでとはまったく異なる意味を持つようになり、
あなたの新しい体験は、この気づきから創造されていくでしょう。
 
私は、向こう側の世界で新たに得た理解に驚き、
すべてを包み込む意識を楽しみながら、探検していました。

そうしているうちに、自分が選択しなければならないことに気づきました。
 
再び、近くに優しい父親の存在を強く感じました。
まるで抱きしめられているようでした。
 
「パパ、やっと家に帰ってきた気がするわ。ここに来れて、とても嬉しい。
つらい人生だったから」と父に言いました。

「でもアニータ、おまえはいつもここにいたんだよ。これまでも、これからもずっと。
そのことを忘れるんじゃない」まるで言い聞かせるようでした。
 
子どもの頃、父といつもうまくいっていたわけではありませんが、
今、父から感じられるのは、すばらしい無条件の愛だけでした。

生きていた時の父は、若いうちにお見合い結婚をさせようとするなど、
いつもインド人社会の基準を私に押しつけようとしたので、私はイライラし、
それに従えない自分を不適格者だと感じていました。

けれど、今は、文化的制約や期待も存在せず、
父が私に対して抱いているのは純粋な愛だけだったのです。
 
現世で父が私に課していた文化的なプレッシャーはなくなっていました。
それらはすべて、身体を持った存在としての側面にすぎないのです。
そのどれもが、死後にはもう重要ではありませんでした。

それらの価値感は、死後の世界へは持ち越されないのです。
唯一残っているのは、私たちのつながりと、
お互いが抱いていた無条件の愛だけでした。

私は初めてこのように父に愛され、父のもとで安らぎを感じていました。
まるで、やっと我が家に帰ってきたような、すばらしい感覚だったのです。
 
父との対話に言葉は必要なく、互いに対する理解が完全に溶け合っていました。
父のことが理解できただけでなく、まるで私自身が父になったようでした。

亡くなってからも、父はずっと家族と一緒にいてくれたことに気づきました。
父は母のそばにいて、母を助け、見守り、私の結婚式や闘病生活でも、
ずっと私のそばについていてくれたのです。

私は、父の本質が、これまでよりはっきりと自分に話しかけているのに気づきました。
 
「アニータ、今はまだここに来るべき時じゃないんだよ。
でも、私と一緒に行くか、身体に戻るか、おまえが自分で決めなさい」

「私の身体は重病で、癌に侵されているの。もうあの身体には戻りたくない。
だって苦しみ以外何もないんだもの。私にとってだけじゃなくて、
ママやダニーにとっても……。戻る理由なんか何もないわ」

という思いが直ちにあふれ出てきました。

無条件の愛の状態がこの上なく幸せだったのは言うまでもありませんが、
私は身体に戻るという考えに耐えられませんでした。
今いる場所に永久にいたかったのです。
 
このあと起こったことを説明するのは、非常に困難です。
 
第一に、私が意識を向けたものは何でも、自分の目の前に現れるような気がしました。

第二に、時間はまったく問題となりませんでした。
時間はまるで存在していないかのようで、
それについて考慮する必要さえなかったのです。
 
このことが起こる前に、医師は私の臓器の機能を検査して、
すでに報告書を書いていました。

でも、向こう側の世界では、その検査結果と報告書の内容は、
これから私がしなければならない決断、つまり生きるか、
このまま死へ向かうかという決断次第だったのです。

私が死を選択すれば、検査結果には臓器機能不全と書かれ、
もし身体に戻る選択をすれば、臓器が再び機能し始めたと記されるでしょう。
 
その瞬間私は、「もう戻りたくない」と決意しました。
そして、自分の身体が死んでいくのを感じ、臓器機能不全による死だと
医師が家族に説明している場面を目にしました。
 
同時に、父が私にこう告げました。

「アニータ、おまえが来れるのはここまでだ。
これ以上進んだら、もう戻れないんだよ」
 
物理的な境界線ではありませんでしたが、
自分の前に、エネルギーレベルの違いによって区分された、
見えない境界線があるのがわかりました。

もしそこを渡れば、もう二度と戻れないのです。
身体とのつながりは永久に切断されてしまい、私が目にしたように、
家族は、悪性リンパ腫による臓器機能不全で亡くなったと医師から告げられるでしょう。

無条件の愛と、自分が受け入れられた感覚はすばらしいものでした。
私は永遠にその状態にいたかったので、境界線を越えようと思いました。
そこには痛みも、苦しみも、ドラマも、エゴも存在せず、
私はあらゆる生きものと創造物の純粋な本質に包まれていました。

まさしくすべてが一つであると感じていたのです。
 
私は、医師からの死の知らせに取り乱した家族のほうへ意識を向けました。
ダニーは、私の胸に顔を埋めて、やせ細った手を握り、深い悲しみにむせび泣きながら、
身体を震わせていました。

母は信じられない様子で、真っ青になり、私の前に立ちつくしていました。
兄のアヌープはやっと到着し、私の死に目に会えなかったことに
ショックを受けていました。
 
けれど、私の身体や家族に起こっていることに巻き込まれそうになると、
再び自分の感情から引き離されていったのです。

私は、もっと偉大なストーリーが展開しつつあるという安堵感に包まれました。
そして、たとえ戻らない選択をしても、生命という壮大なタペストリーの中で、
なるようになるのだと知りました。

死のほうへ歩き続けると決心した瞬間、私は新しいレベルの真実に気がつきました。
 
自分が本当は誰かに気づき、本当の自分のすばらしさを理解したので、
もし身体に戻る選択をすれば、病気は急速に治癒するだろうとわかったのです。
それも何週間や何ヶ月かけてとかではなく、わずか2、3日のうちにです。

もし身体に戻ったら、医師は癌の痕跡すら見つけられないでしょう。
「一体どうやって?」この意外な新事実に驚き、その理由を知りたいと思いました。
 
その時、身体は、自分の内側の状態を反映したものにすぎないと悟りました。
もし内なる自己が、その偉大さと大いなるものとのつながりに気づけば、
私の身体はすぐにそのことを反映し、病気は急速に治るでしょう。

私には選択権があると知っていましたが、
何かそれ以上のものが存在するとわかりました。

「私にはまだ実現していない目的があるような感じがするわ。
でもそれは何だろう? どうやって見つけられるのだろう?」

そこで私は、自分がすべきことを探す必要はなく、
自然に目の前に現れてくると知りました。

それは、何千人という人たち、おそらく、
何万もの人たちを手助けすることと関係しているようでした。
彼らと臨死体験で得たメッセージを分かち合うのかもしれません。

でも、自分から追い求める必要はなく、
また、それをどうやって実現するかを考える必要もないのです。
ただ、自然の展開に任せていればよいことでした。
 
自然の展開へ到達するために、私がすべきことは、
ありのままの自分でいることだけなのです。

私は、これまでのすべての年月において自分に必要だったのは、
ただありのままの自分でいることだったと悟りました。
自分を非難したり、欠点があると思ったりせずにです。

同時に、私たちの本質は純粋な愛だとわかりました。
誰もが純粋な愛なのです。
完全なるものからやってきて、それに戻るのであれば、そうでないはずはありません。

このことを理解したら、自分であることをもう恐れることはないでしょう。
愛であることと本当の自分であることは一つであり、同じことなのです。
 
もっとも大きな新事実は、雷光のとどろきのごとくやってきました。
単に自分の本当の姿である愛でいれば、自分も他人も癒せるとわかったのです。
これまで理解できませんでしたが、それは明白なことに思えました。

もし私たちがみんな一つで、無条件の愛という全体のさまざまな側面であるなら、
私たちはみんな愛の存在だということです。

私は、それが人生の唯一の目的だと知りました。

つまり、本当の自分でいて、自分の真実を生き、愛であることです。
私が理解したことを確認するように、
父とソニが私にこう言っているのに気づきました。
 
「自分が本当は誰かという真実を知ったのだから、もう一度身体に戻って、
今度は何も恐れずに思い切り生きなさい!」

・・・

 <Web:よろずや本舗(2017年10月2日、5日、9日) より複写>

           <感謝合掌 平成29年10月22日 頓首再拝>

「人生はギフト」「喜びを見出すこと」「自分らしくいること」 - 伝統

2017/10/28 (Sat) 19:37:34


「人生はギフト」「喜びを見出すこと」「自分らしくいること」。。。
アニータさんのお話から③

          *Web:「yumi-yumiのひとりごと(2014年09月08日)」より

《人生はギフト》

人生 色々あります。
表向き 平穏無事を望みながら
チャレンジし続けることを魂では望んでいるのかもしれません。

苦しさの中にいるときはわからなくとも
学び、気づき、後で振り返るとギフトをもらっていた

ということは多々ありますよね。

せっかくこの世に生きているのです。

あちら側の世界に行った人たちの思いは
この人生はギフトなんだから大切にして欲しい
幸せになって欲しい だそうです.

             ・・・

《喜びをみいだすこと》

例えば 妊婦の時は妊婦ばかり目についていました。
赤いあの車種を買おうかな と思っていたらやたらとその車に気づき、出会う。

そんなことありませんでしたか?


喜びにフォーカスしたら喜びを体験する。
ネガティブにフォーカスしたらそんな体験する。

だからこそ喜びに目を向ければ 喜びがもたらされるでしょう!

とアニータさんは話してくださいました。

うん。うん。確かにそうだな。。。と。

喜びに目を向けよう

           ・・・

《自分らしく生きる》

ハートとつながり 本当の自分をハートから生きる。
これは自分を愛することでもあります。

以上 アニータさんが幸せな人生を生きるポイントを6つ 伝えて下さいました。

      (https://ameblo.jp/pegasus314/entry-11921492466.html

             ・・・

<参考:6つのポイント>

(1)『自分を愛する』
   そのためには、『自分を批判しないこと』

(2)『全てはつながっている』

(3)『おそれなく生きる』

(4)『人生はギフト』

(5)『喜びをみいだすこと』

(6)『自分らしく生きる』

   *(1)~(3)については、光明掲示板・第三「アニータ・ムアジャーニさんの場合 」
    にて確認できます。
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=76
    
           <感謝合掌 平成29年10月28日 頓首再拝>

臨死体験から持ち帰ったたくさんのメッセージ - 伝統

2017/11/03 (Fri) 17:33:19


         *『喜びから人生を生きる!』アニータ・ムアジャーニ(著)より

「恐れずに、もう一度、自分の人生を生き直しなさい! 」

という言葉が私の頭でずっと鳴り響いており、すべてうまくいくと知っていました。

臨死体験から持ち帰ったたくさんのメッセージ―

私たちはみんな一つ、私たちの中心は愛、誰もがすばらしい・・の中で、
これが一番強力で、いつも心の中で聞こえていたのです。

そのメッセージは、父の声かソニの声で聞こえてきました。
すべての出来事は、展開されつつある大きな冒険の一部に思われました。

それに加えて、臨死体験のおかげで私は、
外側で起こっていることが内側に影響するのではなく、
内側にあるものが外側に反映するのだと考えるようになりました。

以前は、外側の世界が現実で、その範囲内で努力しなければいけないと思っていたのです。
おそらくほとんどの人が、そのように考えているでしょう。

この考え方では、自分のパワーを外の世界に与えてしまい、
外側での出来事に、自分の行いも気分も思考も支配されることになります。

感情的な反応や気持ちには実態がないので、現実のものではなく、
外側の出来事に対する反応にすぎないと思いがちです。
そのような考えでは、私たちは、自分の人生の創造者ではなく、
状況の被害者になってしまうでしょう。

私が癌にかかったことでさえ、
たまたま外側で"起こった"出来事でしかないということになるのです。

しかし、臨死体験をしてから、自分は神と一つであり、
偉大なる全体の一部だと考えるようになりました。

その中には、全宇宙のあらゆるものが含まれます。

過去に存在したものも、未来に存在するものもすべて含まれます。
すべてがつながっているのです。

私は、自分がこの宇宙の中心にいると理解し、
誰もがこの偉大な宇宙の中心にいて、
それぞれの立場で表現しているのだとわかりました。

    (http://romansulove.jugem.jp/?eid=15 より抜粋転写)

・・・

<関連動画>

アニータ・ムージャーニ
「スピリチュアルに生きるとは、ありのままの自分で生きること!」
 → https://www.youtube.com/watch?v=AdlzRoq9HMs

           <感謝合掌 平成29年11月3日 頓首再拝>

アニータ・ムアジャーニが語る、心と健康 - 伝統

2017/11/04 (Sat) 19:55:26


         *『喜びから人生を生きる!』アニータ・ムアジャーニ(著)より


私は、自分と他人のためにできる最善のことは、
意識的に自分をうきうきした気分にさせて、
幸せを感じることだと固く信じていますが、

"プラス思考"という考えにはあまり賛成ではないと言えば、驚くかもしれません。

すべての生命はつながっているので、
自分が上機嫌でいれば、全体にも大きな影響があるのは確かです。

でも、もしネガティブな考えが忍び込んできたら、それを批判せずに受け入れて、
ただ通り過ぎるのを待っているほうがいいように思うのです。

感情は抑圧したり追い出そうとしたりすればするほど、押し返してくるでしょう。

そうではなく、何の判断もせずに、
ただ自分の中を流れるのを許していれば、思考や感情は通り過ぎていくのです。

その結果、正しい道が自然に目の前に開かれ、真の自分でいられるようになるでしょう。


「ネガティブな考えが、人生にネガティブなものを引き寄せる」
という大雑把な説は、必ずしも真実ではありません。

この説のせいで、すでに苦しみを経験している人たちが一層ひどい思いをしているのです。

さらに、自分の考え次第で、もっとネガティブな状況を引き寄せるかもしれない
という恐怖感も生み出します。
この考え方をやみくもに主張すれば、つらい時期を過ごしている人たちに、
彼ら自らがその出来事を引き寄せたと思わせてしまうでしょう。

それはまったくの偽りです。

もし不愉快な状況を生み出したのが自分のネガティブな思考だと信じれば、
私たちはびくびくするようになるに違いありません。
けれど、そのような状況は、実際は、思考よりもむしろ感情と関係しているのです。

特に、自分自身についてどう感じているかが大切です。

また、ポジティブなものを引きつけるには、
単に陽気でいればいいというのは本当ではありません。

これは強調してもしきれないことですが、自分自身についてどう感じているかが、
人生の状況を決める上で一番大切なことなのです。

つまり、自分自身に正直でいることが、ポジティブでいるよりもずっと重要です。

私は、動揺することが起きた場合、
自分がネガティブな気持ちになるのを許しています。
なぜなら、本当の感情を封じ込めるよりも、体験するほうがはるかに良いからです。

それは、自分が感じていることと闘うのではなく、受け入れるということです。

判断せずに、許すという行為は、まさに自分への愛の行為です。

自分に優しくするという行為は、楽天的なふりをしているよりも、
喜びに満ちた人生を創造する上で、ずっと役に立つでしょう。

時折、とても陽気で、活気に満ち、優しい人であるにもかかわらず、
人生が崩壊しそうな人を見かけて、こう思うことがあるかもしれません。
「ほら、ポジティブでいるのは役に立たないんだ」と。

でも問題は、人が心の中で何を考えているか、わからないということです。

私たちは、他人が日々自分に何を話しているか、
あるいは幸せを感じているかどうかなど、見当もつきません。
そして、一番重要なことですが、彼らが自分自身を愛し、
重んじているかどうかというのは、わからないのです。

    (http://romansulove.jugem.jp/?eid=17 より抜粋転写)

           <感謝合掌 平成29年11月4日 頓首再拝>

アニータ・ムアジャーニさんの伝えたいこと - 伝統

2017/11/07 (Tue) 19:41:13


         *Web:『喜びから人生を生きる!』書評 より

《臨死体験前のアニータ・ムアジャーニさん》

「なぜ私が癌にかかったと思うか」という質問への答えを一つの言葉にまとめれば、
〝恐れ〟ということになるでしょう。 

では、私は何を恐れていたのでしょうか? 

何もかもすべてです。
たとえば、失敗すること、嫌われること、人をがっかりさせること、
十分じゃないことなどを恐れていました。

もちろん、病気も恐れていました。
特に癌とその治療法に恐怖感を抱いていました。

私は生きることを恐れ、死ぬこともひどく怖がっていたのです



《臨死体験で学んだこと》

自分が抱いていた恐れのために死んでいくのだと、直感的に理解しました。
私は、いつも心配ばかりして、本当の自分を表現できずに生きてきました。


実のところ、私という存在は、
この身体でも、人種でも、宗教でも、どんな信念でもありません。

(中略)

本当の自分とは、無限で、はるかに強力であり、
壊れたり傷ついたりすることのない完全な存在です



《ムアジャーニーさんが伝えたいこと》

一つの信念にもとづいて行動すれば、
自分が知っている領域内だけに閉じこもり、
結局、自分の体験を制限することになるのです。

自分の理解が十分ではないことを受け入れ、
不確実な状態を心地よく思えるようになれば、
無限の可能性の領域が目の前に広がるのです。



私の癌が治ったのは、心の状態や信念が変わったことよりも、
自分の真の魂が輝き始めたおかげだとはっきり言いたいと思います。
多くの人から、プラス思考のおかげで治ったのかと尋ねられましたが、そうではありません。

(中略)

私の癌が治ったのは、自分の有害な思考が完全に消えてなくなったからです。



気持ちが落ち着き、自分の中心を感じられるまで、
一人で座ったり、自然の中を歩いたり、音楽を聴いたりするのです。

そうすると、外側の世界も変わり始めて、何もしなくても
障害物が消えていくということに気づきました



望みが現実のものとして現れるかどうかは、
どれくらい早く私が不安を手放して、ただ信頼し、
くつろげるようになれるかによるのです。

一つの考えや結果に執着するほど、あるいは新しい冒険を恐れるほど、
進歩は遅れてしまうでしょう


《臨死体験から学んだ5つのこと》

(1)自分を愛すること。

(2)恐れなしに生きること。

(3)ユーモアを大切にしてよく笑うこと。

(4)命は贈り物であると理解すること。

(5)ありのままの自分を受け入れ、自分らしくいること。

     (https://simple-k.com/blog/books/anitamoorjani

           <感謝合掌 平成29年11月7日 頓首再拝>

無条件の愛 - 伝統

2017/11/10 (Fri) 18:57:25

           *Web:卵の中のKI☆MI ( 2014/07/21) より
                ~アニータ・ムアジャーニさんの臨死体験 無条件の愛

向こう側の世界に深く入っていき、拡大しながら
すべてのものや人とひとつになるにつれて、
愛する人たちや周囲の状況への愛着がゆっくりと消えていきました。

その間、すばらしい「無条件の愛」としか表現できないものが私を取り囲み、
しっかりと包んでくれたのです。
でもその感覚は「無条件の愛」という言葉では十分に表せるものではありません。

それはあまりにも乱用されすぎて、言葉の持つ強烈さが失われているからです。
ともあれ、長い身体的戦いからやっと解放された私は、
この自由というすばらしい体験を楽しんでいました。

それは身体的にどこか別の場所へ行ったというよりも、むしろ目覚めたような感覚でした。
おそらく悪夢からやっと目覚めたのかもしれません。
私の魂はその真のすばらしさをやっと悟ったのです。

それは次第に、私の身体や物質世界を超えて遠くへと広がっていき、
この世の存在だけでなく、時間や空間を越えた領域までも広がり、
同時にその一部になりました。

愛、喜び、恍惚感、畏敬の念が私に注がれ、私の中を流れ、私を飲み込みました。

そしてこれまで存在していることさえ知らなかった大きな愛に包まれました。
これほど大きな自由や生きてるという実感を味わったのは初めてでした。

すでにお話ししましたが、私のベッドから遠く離れた場所で話している
医師と家族の会話が、突然わかるようになったのです。
これは物理的には不可能なことでした。

このような強烈な感覚は、この世のものとは違い、
それを正確に言い表すための言葉はみつかりません。

これほど完全で、純粋な、無条件の愛は、私がこれまでまったく知らなかったものでした。
何の資格も要求されず、何の判断もされず・・・、まったく差別もありませんでした。
その愛を得るために何もする必要がなく、何の証明もしなくてよかったのです。

 
私は、これまでのすべての年月において自分に必要だったのは、
ただありのままの自分でいることだったと悟りました。
自分を非難したり、欠点があると思ったりせずにです。

同時に私達の本質は純粋な愛だとわかりました。
誰もが純粋な愛なのです。
完全なものからやってきて、それに戻るのであれば、そうでないはずはありません。
このことを理解したら、自分であることをもう恐れることはないでしょう。

愛であることと本当の自分であることはひとつであり、同じことなのです。

もっと大きな真事実は雷光のとどろきのごとくやってきました。
単に自分の本当の姿である愛でいれば、自分も他人も癒せるとわかったのです。
これまで理解できませんでしたが、それは明白なことに思えました。

もし私達がみんなひとつで、無条件の愛という全体の様々な側面であるなら、
私達はみんな愛の存在だということです。

私は、それが人生の唯一の目的だと知りました。
つまり、本当の自分でいて、自分の真実を生き、愛であることです。

  (http://haitaka.blog19.fc2.com/blog-entry-1450.html より抜粋)

           <感謝合掌 平成29年11月10日 頓首再拝>

「次元」ではなく「在り方」 - 伝統

2017/11/13 (Mon) 19:11:22


        *Web:自由人の カルマ・ヨガ ノート(2013.08.25 )より
             ~『喜びから人生を生きる』(アニータ・ムアジャーニ著)


人生の状況をもたらすのは、「思考」が原因ではなくて、
自分が自分自身について「どう感じているか」に関係していると彼女は説く。
 
そして「自分自身に正直でいること」が、
ポジティブでいることよりもずっと重要であると強調する――。


(1)「ある感情をネガティブなものだと判断し、それを否定しようとすれば、
   本当の自分の一部を抑圧することになります。

   そうして自分の中に障害を生み出し、
   自分の素晴らしさを十分に表現できなくなります。
 
   すべての感情を表現する必要はありませんが、
   でも、すべてを自分の一部だと受け入れなければいけないのです」

(2)「ネガティブな考え方が忍び込んできたときは、
   それを批判せずに受け入れ、ただ通り過ぎるのを待てばいいのです。
 
   感情は、抑圧したり追い出そうとしたりすればするほど、押し返してくるのです。

   そうではなく、何の判断もせずにただ自分の中を流れるのを許していれば、
   思考や感情は通り過ぎてきます。
 
   その結果、正しい道が自然に目の前に開かれ、真の自分でいられるようになるでしょう」

(3)「そのように何の判断もせずに、自分の感情の全波長を受け入れることでのみ、
   私たちは『無条件の愛』という自分の純粋な本質とつながるのです」


 
さらに彼女は、スピリチュアルな成長の邪魔者とされる「エゴ」に関しても、
単に追い払うのではなく受容することを主張する。

(4)「もしエゴを否定すれば、それは強く押し返してきます。
   拒絶すればするほど、生き延びるためにもっと反撃してくるでしょう。
 
   でも、無条件に自分のエゴを愛し、この人生で自分を表現するための一部だ
   と受け入れることができれば、もはやエゴは問題ではなくなるのです」

(5)「私たちは皆、エゴを持って生まれてきています。
   それは、この世では本当に自分の一部なのです。

   死んだときに私たちはエゴから解放されますが、
   生きている間はエゴと闘うほど、自己批判に苦しむでしょう。
 
   私たちが自分のエゴを無条件に愛したとき、
   はじめて他人のエゴも受け入れられるのです。

   そうすればエゴはもはや問題ではなくなり、
   あなたの素晴らしさが輝くようになるでしょう」


そして、あの世での自らの体験をふまえた上で、
輪廻の概念や、宗教との向き合い方について

(6)「臨死体験の前、私の人生の目的は、至福の境地に達すること、
   すなわち輪廻転生を超えて進化し、
   二度と肉体に戻ってこないように努力することでした。

   また、もしも私が欧米の文化圏で育っていたら、
   天国へ行けるように努力していたでしょう」


   「けれど、臨死体験のあと、私はまったく違うように感じています。
   この人生が終わった後も生き続けると知っているので、
   肉体的な死を恐れておらず、

   そして自分が今いる場所以外のところへ行きたいという願望もなくなりました。

   死後のことよりも、
   今この瞬間の素晴らしさにすべての注意を向けようと思っています」

(7)「もし輪廻転生などの概念が、多くの人が信じているようなものでないとしたら。
   私たちのゴールが、これまで考えていたものとは全く逆だとしたら。

   つまり天国や極楽とは、死後の世界ではなく、
   身体を持つ今ここに存在するものだとしたら――、一体どうなるでしょうか?
 
   天国を体験するのに、死ぬまで待つ必要はありません。
   私たちの真の素晴らしさは、今ここに存在しているのです」

(8)「私たちの『本当の家』というのは、場所ではなく、
   ひとつの『在り方』に過ぎないと思うのです。

   今この瞬間、私は我が家にいると感じています。
   ほかの場所に行きたいという気持ちはありません。
   ここにいようが、向こう側の世界にいようが、
   私にとってはまったく違いがないからです。
 
   それはすべて、無限である素晴らしい自分の異なる側面でしかありません。
   私たちの『本当の家』は、一人ひとりの内側にあり、
   私たちが行くところへどこにでも付いて来るのです」


そして、宗教やスピリチュアルの教師について、次のような注意点を挙げている。

(9)「もしある宗教において、『神より自分は劣っている』と思うのなら、
   あなたは誤解をしているか、その宗教が真実をうまく教えていないということです。
 
   もしグルや教師やマスターが、
   『あなたはまだ悟っておらず、そこに到達するために学び、解放し、手放す必要がある』
   と思わせているのなら、

   彼らはあなたの本当の姿をうまく教えていないか、
   あるいはあなたが彼らを誤解しているのです」――

(10)「あなたのそばにいるすべての人に、
   ありのままの自分でいることを思い出させてください。
   そしてその人たちに、ありのままを愛していると言ってあげてください。

   彼らは完璧であり、あなた自身も完璧なのです。
 
   ほとんどの苦しみは『劣っている』と感じることから生じています。
   あなたが学ぶべき唯一のことは、自分が到達したいと思っているものに
   既になっているということです」

(11)「恐れずに、自分の素晴らしさを思うままに表現してください。
   それが、あなたがこの世にいる理由です」――

   (http://mitsunakoudai.blog.fc2.com/blog-entry-212.html

           <感謝合掌 平成29年11月13日 頓首再拝>

日本での講演 - 伝統

2017/11/23 (Thu) 19:20:59


        *Web:女子力アップ
             「アニータ・ムアジャーニさんの臨死体験
              ~来日講演会レポート」


ニューヨークタイムズ誌やアマゾンでベストセラーとなった
『喜びから人生を生きる!~臨死体験が教えてくれたこと』
(ナチュラルスピリット刊)の著者、アニータ・ムアジャーニさんの
初来日となる講演会(2014年8月30日@中野ZEROホール)へ参加してきました。

(以下は、抜粋)


(1)彼女は2002年にリンパ腫の癌を発症し、2006年に臨死体験を経て
   大いなる愛とひとつであるスピリットの真実を思い出したことで、
   わずか数週間で癌が完治した経験を、世界中の人々へ伝える活動を
   なさっています。

(2)末期がんで臓器の活動が停止した昏睡状態の中、
   圧倒的な「無条件の愛」とひとつになる経験をしたアニータさんは、
   「自分が癌になったのは、それまでの細かい選択の積み重ねの上だったこと」
   「その仕組みがわかったからこそ、元の世界に戻ったら、
   癌は消えてしまうこと」がはっきりとわかったといいます。

(3)臨死体験中には、すでに亡くなっていたお父様や親友の「エッセンス」
   がやってきて、生前の罪悪感や嫌悪感が完璧なゆるしの中で溶け合うのを
   感じたそうです。

   お父様から「まだやることがあるからこちらには来てはいけない」
   というメッセージを受け取り、

   「体にいたときは感じたこともない解放感だったので、
   絶対に戻りたくないと思ったけれど」肉体の世界へ戻ったのだそうです。

(4)肉体は昏睡状態にあるにもかかわらず、彼女の危篤を聞きつけて
   インドから香港へ向かう飛行機に乗っているお兄さんの姿が見えたり、
   側にいる家族が考えていることや話していることもすべてわかったり、
   彼女のために遠く離れた場所で祈ってくれている親戚たちのことも
   見えていたといいます。

   さらには、昏睡中の彼女の病室を初めて訪れたはずの医師の名前や、
   病室の廊下で医師達が彼女について話している内容も彼女には
   把握できていたのです。

   それはまるで自分の意識が
   「あらゆるところに自由自在に存在できる」感覚だったそうです。

(5)目を覚ましてからは、あり得ない症例に戸惑う医者たちに
   何度も検査をされながら、「どうせ治るのだから検査なんて意味がない」
   と思うほど、

   彼女の意識の中で「癌のもとになっていた感情」が消えていることを
   感じていました。

   そして本当に、死に瀕して弱り切っていたはずの彼女の体は
   数日の間にどんどん回復し、数週間後には癌が完全に消えてしまったのです。

(6)彼女曰く、人生の旅とは“present moment(今ここ)”の積み重ねであり、
   著書にも書いてあるように、どのような選択も出会いも、
   壮大なタペストリーの中で完璧に織りなされています。

   未来への恐れや不安で「今ここ」を台無しにすることをやめて、

   「なぜ今、何のためにこれをしているのか?」
   「今日、自分に喜びをもたらすことは何か?」

   このように自分に問いかけてみましょうと仰っていました。

(7)また、わたしたちは手の指のように大本ではひとつなのだから、
   体があってもなくても心でつながっており、表面上の言葉を超えて
   「思い」は必ず伝わっています。

   だからこそ、誰かを愛の思いで包むことで
   “誤解のないコミュニケーション”が生まれるとのことでした。

(8)「神」とは指の一本一本が集まった集合意識(State of Being)であり、
   分離した肉体を持つわたしたちが作り出す問題とは、
   「外側で起こること(エゴのドラマ)」と自分を
   一体化させすぎてしまうところにあるそうです。

   ドラマを超えて「無条件の愛」を感じるには、
   自分が肉体を超えて「パワフル」な存在であることを思い出し、
   自分の価値を再認識することが必要だという彼女のメッセージは、
   とても力強く胸に響きました。

   「Value yourself.(自分の価値をわかってね)」

   アニータさんのこの言葉が印象的で、
   「バリューする=価値を認める」というのは体を動かすことなくできる
   「在り方の動詞」すなわち「祈り」なのだと感じました。

    (https://xn--cck6cuc533qjfh1zc.jp/columns/dyingtobeme

   ・・・

<関連:講演録>

(1)アニータ・ムアジャーニの講演から(1)
   → http://www.e-earthborn.com/2015/08/anita-transcript1/

(2)アニータ・ムアジャーニの講演から(2)
   → http://www.e-earthborn.com/2016/01/anita-transcript2/

(3)講演の映像
   → http://library.fora.tv/2013/12/12/anita_moorjani_dying_to_be_me

           <感謝合掌 平成29年11月23日 頓首再拝>

セミナー等における質疑応答① - 伝統

2017/11/25 (Sat) 20:54:38



(1)

Q.<この体験を言葉で表現するのは難しいですか? >

A.はい。
  言葉の表現をはるかに超えた体験でした。
  言葉にするとその経験が実際よりも小さくて狭いものになってしまいます。

  私が見たもの、気付いたこと、感じたこと、
  そして人生についての鮮明な理解は人間の想像をはるかに超えており、
  言葉はそうしたことを表現するようにはできていません。


・・・

(2)

Q.<この体験をした時、
   それに関連した生命を脅かすような出来事はありましたか? >

A.私はがんで死にかけていて、
  医師たちは36時間もたないだろうと言っていました。

  あの世とこの世の間をさまよい始めたのはこの時点からです。


・・・

(3)

Q.<この体験をしている間、意識と覚醒のレベルが最高だったのはいつですか? >

A.たぶん、この世に戻るかどうかの選択肢を与えられた時です。


・・・

(4)

Q.<臨死体験中に感じた最高レベルの意識と覚醒は、
   通常のものと比べてどうでしたか? >

A.通常よりももっとはっきりしていました。


・・・

(6)

Q.<臨死体験中に感じた最高レベルの意識と覚醒が通常のものとは
   異なっていた場合、どのように異なっていたか説明してください。>

A.昏睡状態にあったにもかかわらず、意識のある状態とない状態を
  行ったり来たりしていたようで、
  “あちら側とこちら側”の両方に気付いていました。

  耳に届く距離を超えた病室の外で起こっている会話も分かっていました。


・・・

(6)

Q.<その時の視覚は、通常のものと比べて(たとえば鮮明さ、視野、
   色、明るさ、奥行きの知覚、物体の堅さや透明度の度合いなど)
   異なっていましたか? >

A.はい。

  他の人から見れば私の目は閉じ、眠っている状態でしたが、
  私自身はまだ病室にいるという認識でした。

  というのも、病室にいる全ての人を“見る”ことができたからです。

  それと同時に、まるで2つの世界が同時に存在しているかのように
  別の次元を体験していました。


・・・

(7)

Q.<聴覚は、通常のものと比べて(たとえば鮮明さ、
   音源の認識力、音の高さ、大きさなど)異なっていましたか? >

A.はい。

  医師たちと私の家族が耳に届く距離をはるかに超えた
  病室の外で話している内容が聞こえました。


・・・

(8)

Q.<この体験をしている間、どんな感情を感じましたか? >

A.この地球上で経験したことのない、とてつもなく大きな愛です。
  たとえ何をしようと私は愛されているという風に、
  とても愛されているのを感じました。

  その愛にふさわしくなるために何かをする必要も、
  その愛に自分が値することを証明する必要もありませんでした。

           <感謝合掌 平成29年11月25日 頓首再拝>

セミナー等における質疑応答② - 伝統

2017/11/26 (Sun) 19:02:27


(1)

Q:<他の存在に会ったり見たりしましたか?>

A:はい。
  既に亡くなっていた父や親友をはじめ、たくさんの存在に囲まれていました。

  他の存在が誰かは分かりませんでしたが、私をとても愛してくれていて、
  そして守ってくれているのが分かり、たとえ私が気づいていなくても、
  いつもそばにいてくれたことを知りました。

・・・

(2)

Q:<臨死体験中に人や出来事について見たり聞いたりしたことで、
   後で実証することができたことは何かありましたか?>

A:はい。
  先生と夫が病室を出て廊下を進んだ所で話しているのが見え、
  会話も聞こえました。

  また私に会いに来るために飛行機に乗っている兄も見ました。
  いずれも実証され、先生と夫の会話に関しては
  一言ずつ繰り返して確認しました。

・・・

(3)

Q:<空間や時間が変化したという感覚がありましたか?>

A:はい。
  実際よりももっと長い間あちらの世界にいたように感じました。

  私があちら側で見たり学んだりした量は、
  こちらの世界だったらもっと多くの時間を要したはずです。

  それから検査結果についてですが、検査は既に行われていたにも関わらず、
  どういう結果が出るかはこの世に戻ってくるかどうかという
  私の選択次第でした。

  これによって私の時間に対する概念は根本的に変わってしまいました!!

・・・

(4)

Q:<特別な知識、宇宙の仕組みや目的を知っているという感覚がありましたか?>

A:はい。驚くほどの鮮明さで理解していました!

  なぜ自分ががんになったのか、
  自分のすることがどのように現実世界に反映されるのか、
  人生は贈り物であることに私たちが気付いていないことなどを理解しました。

  それから、何があっても私たちは
  とても深く愛されているということも分かりました。

  神様に自分自身を証明するために何かする必要はないですし、
  "天国"や"地獄"もありません。

  私たち自身がこの地球上に自分たちの天国、
  あるいは地獄を創っているのだということが分かり、
  この地球上に自分の天国を創るための重要な要素を学びました!


           <感謝合掌 平成29年11月26日 頓首再拝>

セミナー等における質疑応答③ - 伝統

2017/11/27 (Mon) 21:15:08


(1)

Q:<境界、または身体的構造を制限する域に達しましたか?>

A:はい。
  生きるか死ぬかを選択しなければならないと感じた地点に到達しました。

  そこには親友(2年前にがんで他界)がいて、
  そこは私が行けるぎりぎりの地点で
  それ以上行くと戻れなくなると教えてくれました。

  「ここが境界よ。ここがあなたの来られる限界なの。
  さあ戻って、あなたの人生を恐れることなくフルに生きて。」
  と彼女は言ってくれました。

・・・

(2)

Q:<未来のことが分かりましたか?>

A:はい。
  自分の身体が急速に治るということが分かっていました。
  そして実際にそうなりました。

  全ての検査結果は信じられないものになるだろうということも分かっており、
  これもそうなりました。

  スキャンや生体組織検査などの検査で、病気の痕跡が見つからなかったのです。
  臓器は正常に機能し、食欲も戻っています。
  そしてこうしたこと全てが起こることが分かっていました。

  臨死体験からまだ6ヶ月しか経っていませんし、
  私が見た他の贈り物がやってくるのはこれからですが、
  それら全てを受け取れる方向に私の人生が動き始めているのが分かります。

  私が見たものの一つは、私の目の前には長い人生があるということです!

・・・

(3)

Q:<臨死体験をする前にはなかった霊能力や、
  超能力、その他の特別な能力が体験後に備わりましたか?>

A:はい。
  体験後、直観力が高まりました。
 
  一人でいる時によく、あちら側に行った時に感じたのと
  同じ存在たちに囲まれているのを感じたり、
  臨死体験中と同じようにとても深く愛されているのを感じたりします。

・・・

(4)

Q:<他の人にこの体験を話しましたか?>

A:はい。
  この体験をした数日後、話ができるまでに回復してからすぐに夫、
  兄(体験中、飛行機に乗っているのが見えた)、母に話したのですが、
  その時は感無量となり全員で泣きました。

  そして、異常なしの検査結果が出ることを知っていたこと、
  それは私が生きることを選択したためにそうなったこと、

  私が聞いていた“会話”のことなどを話すと、家族は皆一様に驚いていました。

  その後、私の回復のスピードや、がんの痕跡が見られないことに
  衝撃を受ける医師たちを見て、家族全員変わってしまいました。

  臨死体験中ずっとそばにいてくれた親友にも話し、
  それを聞いた彼女の人生も変わってしまいました。

  退院後に外で人に会うようになってからは、
  たくさんの人に影響を与えてきました。

  なにしろ、彼らが最後に私のことを見たり聞いたりした時、
  私は死の床に着いていたのですから!

  その頃は歩くことも、そしてまともに呼吸もできないほど
  状態は悪かったのですが、
  今はまったく健康でいたって普通に見えます。

  退院してから初めてあるグループの集まりに行った時は、
  全員開いた口がふさがらないほど驚いて、
  入ってきた私をまるで幽霊でも出たかのように見ていました。

  誰もが私は死んでしまうと思っていたので、
  これほど早い私の回復ぶりが信じられなかったのです!

  それから部屋にいた全員に私の体験を話したところ、
  皆”ヒア アフター”を見ているので
  私が話したことを信じてくれましたし、

  そのうちの何人かは私の話を聞いて人生が変わったと言ってくれました。


<参考:映画『ヒア アフター』 
    http://www.youtube.com/watch?v=Sf9gRokFIRM
    http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1711 >

           <感謝合掌 平成29年11月27日 頓首再拝>

セミナー等における質疑応答④ - 伝統

2017/11/28 (Tue) 18:07:07


(1)

Q:この体験をする前から臨死体験について何か知っていましたか?

A:はい。臨死体験について読んだことはありました。
  けれど自分が経験するとは思ってもいませんでした。

  私が経験した臨死体験は、
  これまでに読んだことのある臨死体験とは全く違っており、
  光やトンネル、宗教上の人物も見ませんでしたし、
  自分のこれまでの人生が目の前にパッと映し出されるようなことも
  ありませんでした。

  臨死体験をしている間、自分では臨死体験をしているのか、
  幽体離脱をしているのか全く見当がつきませんでしたが、
  いたって普通に感じられました。

  別の次元に行っていたと気付いたのは、後になってからです。

・・・

(2)

Q:<臨死体験の直後(数日から数週間)、
   その体験の現実性をどのようにとらえていましたか?>

A:その経験は間違いなく現実のものだったと確信していました。
  私の身体からがんが消えてしまうという奇跡を説明できるものは
  それ以外になかったのですから!!!
   (奇跡を証明するスキャンや検査の結果があります!)

  そして体験中に得た力と理解から感じたパワー以外に、
  私の考え方をこんな風に変えることができるものは他にありません!

・・・

(3)

Q:<臨死体験中の経験の中で、あなたにとって特に意味のあるもの、
   または重要なものはありましたか? >

A:これ以上の力を与えてくれる出来事は想像すらできないほど、
  とにかく全てがパワフルでした。
  その中でも特に私に影響を与えたことが2つあります。

  ひとつは検査結果を変えることができたということ。
  これは、確かな(または実在する)ものなど何もない
  ということを私に気付かせてくれました。

  私たちは何でも変えることができるのです。

  さらに大きな影響があったのが二つ目で、がんで死にかけていた身体から
  どのようにがんが跡形もなく消え、完全な健康体になったかということです。
  しかもこんな短時間で!

  この経験で、がんを含む全てのものは実在しない
   (意識の変換ががんを消してしまいました!)
  ということを感じただけでなく、自分が非常にパワフルであることも感じ、
  人生観がすっかり変わってしまいました。

・・・

(4)

Q:<現在は臨死体験の現実性をどのようにとらえていますか?>

A:あの体験は間違いなく現実のものでした。
  まず、現在私は健康な身体の素晴らしさを楽しんでいます。
  こんな風に感じるのはしばらくぶりです!

  それから、これまでに感じたことがなかったような
  強い“つながり”を感じています。
  “導かれている”ような感覚です。

  何に対しても、もう恐れを感じることがありません。

  この世でやること全てを終わらせるまで自分は死なない
  ということが私には分かっています。
  そしてたとえその時が来ても、私には死の恐怖がありません。

  臨死体験以来、非常に多くの"偶然の一致"が起こっています
   (“導かれている”感覚はこうしたことによるもの)。

  たとえば、欲しいと思った時にそれが手に入ったり、
  自分に必要な人たちから電話があったり、
  そうした人たちに偶然出会ったり、
  自分が抱えている疑問に答えてくれるメールが届いたり、
  などです。

  人生が以前よりずっと楽になり始めたところですが、
  それでも元気になってからまだたった数か月です。

  気分はまだだいぶ高揚しており、
  今現在も起きたこと全てに現実味を感じています。

           <感謝合掌 平成29年11月28日 頓首再拝>

セミナー等における質疑応答⑤ - 伝統

2017/11/29 (Wed) 17:09:48


(1)

Q:<この体験はあなたの人間関係を具体的に変えましたか? >

A:はい。
  家族との絆はより深まりましたが、付き合う仲間は変わりました。

  昔からの友人の多くが以前とは別人のようになった私から離れて行った一方で、
  この体験後に知り合い、今の私を受け入れてくれる友人が何人かできました。

・・・

(2)

Q:<この体験はあなたの信仰や宗教上の慣習を具体的に変えましたか?>

A:よくわかりません。
  もともとあまり信心深くありませんでしたし、
  今も特定の宗教は信じていません。

  ただ、この経験によって死後の世界を“信じる”から、
  それが事実であると“知っている”に変わりました(霊的真実の直観的認識)。

・・・

(3)

Q:<この体験の後、薬やその他のもので体験したことの一部が
   再現されるようなことはありましたか?>

A:はい。
  静かな場所に心静かに一人で座っている時、愛されているという
  “つながった”感覚の中に戻り、
  他の存在がそばにいるのを感じることができます。

           <感謝合掌 平成29年11月29日 頓首再拝>

臨死体験で得た5つの教訓 - 伝統

2017/11/30 (Thu) 18:53:39


        *Web:QHHT- Space of Presence(2017-10-20)より

(1)1つ目に大切だと学んだこと

   私たちが意識を集中すべき 一番大事なことは愛です。
   それが1つ目です。

   愛について語る時 「人を愛しましょう」と言うのは簡単なことです。

   でも私が学んだのは 私が癌を患った理由の1つが
   自分自身を愛さなかったからだ ということです。

   これは非常に大切です

   自分自身を愛することは  自分に価値を見出すことです。
   自分に価値を見出すと 自分への接し方を人に伝えられます。

   自分を愛すると 他の人を支配したり いじめたりする必要がなくなりますし、
   人から支配されることも  いじめられることもさせません。

   自分を愛することは 人を愛することと 同じくらい大事なことなのです。

   そして自分を愛すれば愛するほど
   それだけの愛情を、人にも与えなくてないけないのです。


(2)2番目に大切なレッスンは、何をも恐れずに生きることです。

   ほとんどの人は 恐怖心を持つよう 教えられて育ちました。
   全てを恐れるべしと教わって来たのです。

   私もかつては何もかもを恐れていました。
   癌も恐かったし、悪いものを食べているのではないかとか、
   人の機嫌を損ねるのではないかとか、何もかもが不安でした。
   失敗も恐れていました。

   ほとんどの人が そうやって育ってきたのです。

   恐怖心に守られていると考えがちですが、それは事実ではありません。
   愛が守ってくれるのです。

   自分を愛し、人を愛することで自分の安全を確保し、
   他の人の安全を確保し、危険から逃れるのです。

   愛が恐怖心なんかよりも、ずっと安全を保ってくれます。


(3)私が学んだ3つ目の大切なこと、
   それはユーモア、笑うこと、そして喜びです。

   私たちは生まれつき 知っているはずです。
   生まれつき笑うことが 大切だと知っています。
   だって 子供達はいつも そうしてるでしょう?

   私達は皆、愛と恐れない心を持って 生まれてきました。
   でも、大人になるにつれて、それを失ってしまうのです。

   笑うことやユーモア、人生に喜びを見出すことは本当に大切です。
   あなたが思いつく どんな精神的鍛錬よりも、ずっと大切なのです。

   私達自身がもっと笑うことを学び、政治家が笑うことを学べば、
   私たちの世界は 全く違うものになるでしょう。

   そして、私たちがもっと笑えば 病気の人が減るでしょう。
   病院も減るし、牢獄も減るでしょう


(4)4つ目に大切なことは 命は贈り物だということです。
   本当です。

   ほとんどの人たちは、人生を雑用をこなすかのように生きています。
   でもそうあるべきではないのです。

   残念なことに、大切なものを失った時だけにしか、
   それがどんなに大切だったかに 気がつきません。

   私は自分の命を失いかけることによって、その価値を見出しました。
   同じ過ちを他の人に 犯してほしくないのです。
   だから、ここに立って メッセージをお伝えしているのです。

   どんなに命が大切か、手遅れになる前に気づいて欲しいのです。

   あなたの命は贈り物です。
   課される試練さえも贈り物です。

   私が癌に冒されていた時、それが私に与えられた最大の試練でした。

   でも今振り返ってみると、
   それは、私が手にした 最高の贈り物だったと感じます。

   人々は癌が ――
   いえ私さえも、癌が 私を殺そうとしていると思っていました。
   でも実際は、癌になる前から 自分で自分を殺していたのです。

   癌が私の命を守ってくれました。

   あなたが直面する、すべての試練は贈り物です。
   最後には、必ずその試練が 贈り物だったとわかるのです。

   もしその試練に耐えきれず、贈り物だと思えないのなら、
   それはまだ最後までに、たどり着いていないだけです。


(5)5番目に、最後に、私が学んだ大切なことは、
   一番大事なことは、いつでも自分らしくいることだということです。

   出来るだけ素顔の自分でいるのです。
   自分の光を出来るだけ輝かすのです。

   自分の個性を受け入れるのです。
   自分が誰であるか、自分自身を知り、
   自分を無条件に愛し、そして自分らしくいるのです。


この5つのことを心に据えて、恐れることなく人生を生きましょう!


   (http://qhht-space-of-presence.hatenablog.com/entry/2017/10/20/163045

           <感謝合掌 平成29年11月30日 頓首再拝>

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