伝統板・第二

382680
「谷口雅春先生に帰りましょう」は、こちらです。「案内板」は、こっちです。

本掲示板の目的に従い、法令順守および社会倫理の厳守をお願いします。本掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付のうえ、本掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

すべてに感謝!③ - 伝統

2017/10/13 (Fri) 03:24:08


    *伝統板・第二「すべてに感謝!②」からの継続です。
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6833611


   《感謝は実相の詳福を現実化するための反射鏡》

         *『白鳩』(昭和49年1月21日の箴言)より

   テキストにある「人間が大生命なる神の最高の自己顕現であること
   を自覚できるならば」の句の次に、私は「その自覚ができて、
   それを感謝の念をもって受取ることができるならば」の三十一字を、
   後から追加して書き入れることにしたのである。

   それは何故であるかというと、「感謝は実相の生命原理を
   形ある世界に実現するための一つの方法」 〈『信仰の科学』二六五頁〉 
   であるからである。


   神から来れる恵み〈実相〉は天から来る〃光〃みたいなものである。
   それを反射する空気が稀薄であれば、受取る光も薄明になり、
   温度も低くなる。

   更に空気が全然ない真空圏になれば、全然暗黒であり、極寒の状態である。

   これは空気がないために、折角、太陽から光と熱とを送られて来ても、
   〃反射〃という応答がないために、その光と熱とが現実化しないのである。

   それと同じく〃実相〃に於ては既になくてはならぬ必需品はことごとく、
   〃神の子〃たる吾らには、神から与えられているけれども、

   それを受けるに必要な〃感謝〃の心をもって応答しないと、
   その神から既に与えられているものが現実化しないのである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=809


・・・

<関連Web>

(1)「光明掲示板・第一」内スレッド「感謝の日々 (1211)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=278    

(2)「光明掲示板・第二」内スレッド「すべてに感謝! (10537)」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2021

(3)「光明掲示板・第三」内スレッド「すべてに感謝! (32)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=17

(4)光明掲示板・伝統・第一「すべてに感謝! (49)」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=31

(5)伝統板・第二「すべてに感謝!①」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6462213

        <感謝合掌 平成29年10月13日 頓首再拝>

《既にある恵みに感謝せよ》 - 伝統

2017/10/28 (Sat) 04:55:13


          *『 生長の家 』(昭和26年1月22日の法語)より

   既に現象界にあらわれている何らかの善きものあらば、
   神の恵みであると思って感謝せよ。

   その感謝の念が 次の恵福を現象し出して来るための
   波長を合わすことになるのである。

   日光に感謝せよ、空気に感謝せよ、水に感謝せよ、住居に感謝せよ、
   食物に感謝せよ、衣服に感謝せよ、すべての人々に感謝せよ。

   その感謝の念波によって、次の恵福が受信されて来るのである。

   不健康であるのも 感謝が足らぬからである。
   貧乏であるのも 感謝が足らぬからである。

   本当に感謝の念が高まれば
   健康ホルモンが旺(さか)んに分泌されて健康になるし、

   本当にすべての物に感謝すれば 行届いてサービスするから
   貧乏になりようもないのである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51

        <感謝合掌 平成29年10月28日 頓首再拝>

【感謝のエネルギーは想像を超えて作用する】 - 伝統

2017/11/14 (Tue) 03:56:55


      *メルマガ「人の心に灯をともす(2017年11月07日)」より

   (医師、矢作直樹氏の心に響く言葉より…)

   《感謝のエネルギーは想像を超えて作用する》

   そして大切なこと。
   それは、過去の自分と比べないこと。

   肉体は若いうちが華(はな)です。
   でも若いうちは経験値も低いもの。

   年を取ると経験値が上がりますが、逆に肉体は衰えます。

   肉体と経験値はトレードオフ(何かを得ると何かが犠牲になる)の関係にあるのです。

   私自身、例えば5年前と比べると確実に衰えました。

   でも、これが加齢の正しい進展具合だなと実感していますので、
   今は無理のない範囲で動いています。

   そしてからだに感謝するだけで、疲労の回復が早いことは今も実感します。


   私の友人に齋藤應典さんという方がいます。

   彼は映画やドラマの現場に欠かせない有名なスタントマンでしたが、
   ある日、仕事中に大事故に遭います。

   その結果、脊椎(せきつい)骨折を含む全身約30カ所骨折、
   左腎臓裂傷(さじんれっしょう)という状態となり、
   医師からは再起不能と告げられました。

   絶望の淵で自暴自棄となった齋藤さんでしたが、
   ぴくともしないからだへの強い怒りを、
   ある日を境に感謝の思いに変えます。

   彼は自分のからだに向かって、こう言ったそうです。

   「これまで悪かった。これからは大事にする、
   だから一緒に頑張って欲しい。いつもありがとう」


   関係者の誰もが齋藤さんが再び歩けるようになるなど想像すらできない中、
   そこから不思議なほど回復を始め、
   齋藤さんは現在、全国を飛び回る著名なパーソナル・トレーナーとなりました。

   感謝のエネルギーは私たちの想像を超えて強く作用します。

   どんなときでも、からだに感謝。

   いつもありがとう、と感謝。

   からだは最期の瞬間まで一緒にいてくれる、かけがえのないパートナーです。

          <『身軽に生きる』海竜社>

            ・・・

筑波大学名誉教授の村上和雄氏はこう語る。

『自分の体は自分のものだと思っているかもしれませんが、
実は私たちの体はすべて借りもの、要するに“レンタル”なのです。
レンタルですので、期限が来れば返さねばなりません。
これが「死ぬ」ということです』


貸主は神さま。

借主は魂。


体はお借りしているもの。

しかも無料で。


どんなに地位や名声があろうと、豪華な家屋敷や、億を超えるお金があったとしても、
死んであの世に行くときはそれを持って行くことはできない。

同時に、どんなに美人であろうと、鍛え抜かれた体であろうと、
あの世へ自分の体は持ってはいけない。

つまり、体も、豪華な家屋敷も、お金もすべて、この世にいる一瞬の間のレンタル。


スポーツの選手で、自分の道具を丁寧に扱い、
まるで生きているもののように感謝の念を捧げる人は、道具から応援される。

これは、体も同じ。

体に感謝して大切にすれば、体も応援してくれる。


「感謝のエネルギーは想像を超えて作用する」

どんなときでも、からだに感謝したい。

        <感謝合掌 平成29年11月14日 頓首再拝>

《求むるものを先ず心の中に受けて感謝せよ》 - 伝統

2017/12/03 (Sun) 04:54:00


        *『白鳩』(昭和49年1月22日の法語)より

   それゆえに、聖書にはイエスが「汝ら祈りて何事にても求むるとき、
   既にそれを受けたりと信ぜよ。乃(すなわ)ち汝はそれを得ん」と
   教えていられるのであるけれども、

   私は、そのイエスの語に「感謝」を追加して
   『信仰の科学』の本には次の如く書いておいたのである。

   『感謝は実相の生命原理を形ある世界に実現するための
   一つの方法なのである。
   聖書は「汝ら祈るとき、既に受けたりと信じて“感謝せよ”」と
   教えているのである』

   この圏点を行文の傍点として附したる
   “感謝せよ”の四字は私が追加したのである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=809

        <感謝合掌 平成29年12月3日 頓首再拝>

《感謝は無限供給の源である》 - 伝統

2017/12/18 (Mon) 03:41:25


        *『 生長の家 』(昭和25年1月26日の法語)より

   より尚(なお)一そうよき仕事がほしいと思うならば、
   今与えられている仕事に対して感謝せよ、
   そして、できるだけその仕事に 自分のもっている力をそそぐのである。

   与えれば与えられるの法則がそうに動く。
   賃金が少なければ そのもらった賃金に感謝せよ。
   感謝している中(うち)に賃金が増えて来るのである。

   自分の上役が自分に対して ひどいと思ったならば、
   それは自分が上役に対して 感謝の心の足らぬ反映であるから
   その上役に対して感謝して全力を尽せ。

   そこから無限の供給が現われて来る。


   → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/a8c99dfdc22dc89aa35868f892bddbb5

        <感謝合掌 平成29年12月18日 頓首再拝>

いっさいの人々・事物に感謝する【決意の日】 - 伝統

2017/12/31 (Sun) 04:33:33


        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月31日)より

 本年最後の決意の日である。
 新しき天と地とを迎えるために潔(きよ)むべき日である。
 
 家を潔め、心を潔め、新しき花嫁の装いをした「真理(キリスト)」が釈迦が、
 その人の中に天降って来ても、その「真理(しんり)」の坐り場所がないような
 不潔なことをしておいてはならない。

 毎日の眠る前の神想観に、新しき次の日を迎えるべく、すべての人とその罪とを赦した
 と念じ、さらにその人に愛を送り祝福を送ったと同じように、今夜は眠るまえに
 いっさいの人々を赦し、

 いっさいの人々に感謝し、いっさいの事物に感謝し、感謝の念で心の中の汚れを洗い浄め、
 愛と祝福の念で、心の中を美しく装飾して、

 いつでも新しき「生命(せいめい)」の、新しき「真理(しんり)」
 の花嫁が天降って来ても招じえられるように魂の準備をして眠ろう。

 人々よ、安らかであれ。われはすべての人々に感謝する。
 よく戦ってくれた。よく働いてくれた。
 あなたたちがいてくれたのでわたしの生活が光栄あるものとなったのである。

 雷霆(らいてい)も、暴風も、山雨も、地震も、海しょう(津波)
 も、それはわたしを高めるためのものでしかなかったのである。

 われ、一切人(いっさいじん)、万事万物に感謝する。
 人々よ、平安なれ。

            <感謝合掌 平成29年12月31日 頓首再拝>

食膳で感謝すること - 伝統

2018/01/05 (Fri) 04:39:09


          *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月5日)より抜粋

食膳で感謝することである。
食物の本源である神の生かす力に、それを造ってくれた百姓の労苦に、
それを調理してくれた妻・娘または召使にである。

食物はまずくとも決して小言を言わぬことである。
食物の小言を言ったために終日その家庭が不快になったような経験は、
人類の誰でもが持っていることである。

食物そのものよりも、心の愉快さと、空腹とが食物の味を増すのである。
遠足に行って食べる梅干と握り飯の美味しさを思えば、このとこの真理は解る。

心が愉快でないときどんな食物もまずい、まずいのは自分自身の心の罪であり、
料理をしてくれる他(た)の家族や召使の罪ではない。

空腹でないために、美味しくないのは、
習慣に捉えられて空腹でないのに食事をするためである。

精神的に進歩したい人は、朝食を廃して、
出勤前の2時間を善き読書に費やすがよい。
毎朝2時間の読書の習慣は、その人をかなり向上もさせれば、博学多識にもする。

時間がないという者は、時間を造らない人のことである。
時間は、他の多くの道具などと同じく、人間によって製造せられるものである。

            <感謝合掌 平成30年1月5日 頓首再拝>

恩恵に包まれていることに気づき、感謝する - 伝統

2018/01/10 (Wed) 04:15:53


          *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月10日)より

冬の日光ほど嬉しいものはない。
寒いときに日光の恩恵について考えるほどには、
われわれは空気の恩恵について感謝していない。

われわれは食物に感謝するように空気にも感謝しなければならぬ。

われわれは空気の恩恵について感謝すべきことに気がついたとき、
われわれの周囲に感謝すべきものがかくも多数に充ち満ちていることに気がつくだろう。

大地、家、畳、すべての調度 ―― ひとつも自分が造ったことのないこれらのものを
われわれは平然と使いながら生きているのである!

         <感謝合掌 平成30年1月10日 頓首再拝>

【マイナスの価値しかないと思えることさえにも、意味を見出して感謝する】 - 伝統

2018/01/18 (Thu) 04:37:08


       *メルマガ「人の心に灯をともす(2017年12月20日)」より

   (渡辺和子氏の心に響く言葉より…)

   女子学生たちと五十年以上接していて気がつくことは、
   この年頃の人たちの多くが、愛に必要なのは、
   すばらしい対象に出会うことだと考えていることです。

   それも決して間違いではないのですが、
   その対象が「すばらしさ」を失った時にも、
   果たして愛し続けることができるかどうか、
   ここに「愛の本質」が問われています。

   健康だった相手が病気になってしまった時も、
   前途を嘱望(しょくぼう)されていた相手が挫折にあった時にも、
   その人を愛し続けることができるかどうかは、

   私たちが自分の中に、
   「愛する力」を養い育てているかどうかに、かかっているのです。

   エーリッヒ・フロムが『愛するということ』という本の中で、

   「愛するということは、単なる熱情ではない。
   それは一つの決意であり、判断であり、約束である」

   ときびしい言葉を述べているのも、この愛の本質を指摘したものと言えるでしょう。

   ふだんからピアノの練習もせずに、
   立派なピアノを見つけさえすれば、上手に弾けると思ったり、
   絵を描く練習もせずに、ひたすら美しい景色を探している人にも似て、

   ふだんから「愛する」練習をしないで、
   すてきな人との出会いを待っていては、いけないのです。


   愛する力を育てるためには、まず私たちが毎日の生活の中で
   「当たり前」と考えていることや、人、物を「有り難い」と、
   感謝の気持ちで受けとめることが大切です。

   マイナスの価値しかないと思えることや、
   不幸、災難、苦しみにさえも意味を見出して、
   これまた「有り難い」と感謝できる時、

   私たちは愛すべきものを随所(ずいしょ)に持ち、
   愛し難い人さえも、その人の存在そのものの価値を認める、
   愛深く幸せな人間になれるのです。

         <『幸せはあなたの心が決める』PHP研究所>

           ・・・

昔の人は、「一緒に苦労してくれないか?」とプロポーズして結婚したという。

今の人は、「一緒に幸せになろう」と言って結婚する。


一緒に苦労するのが前提なら、二人で苦労することは何ともない。

しかし、幸せになろうと言って、
苦労することになってしまったら「話が違う」ということになる。

昨今、離婚が増えているのは、こんな理由もあるからではないか、と。


日常の中で、当たり前の幸せに気づける人は、
普段から苦労することを厭(いと)わない人。

苦労が前提だから、ちょっとした幸せにも気づくことができる。


物事はうまくいかなくて当たり前、と肚をくくると、
ほんの少し成功しただけで感謝できる。

スタートラインを低くとることはとても大事だ。


マイナスの価値しかないと思えることさえにも、
意味を見出して感謝できる人でありたい。

         <感謝合掌 平成30年1月18日 頓首再拝>

感謝に充たされた者が仏なのである - 伝統

2018/01/19 (Fri) 04:30:37


           *「光明道中記」(1月19日万物有り難く合掌する日)より

【そのままで既にその本来相が仏であり神の子である。(『生命の實相』第六巻)】

そのまま有難いと拝むこころが仏である。
仏はどこに在るかと探して見ても判らないが、
有難いと汝が感謝している心がそのまま仏である。

感謝が仏であり、慈悲が仏である。
仏が隠れた相(すがた)が鬼である。
鬼と云うものが別にあるのではない。仏が隠れたのが鬼である。

死んだら鬼に成ると云うのは、死ぬとは生命が其処から離れたと云うことに他ならぬ。
生命が現れたら鬼は自ら消えるのである。

お前は鬼のような心をしている ―― と言われたら、
大抵の人間は「そんな筈はない」と言って驚く。

併し「貴方はそれでは感謝と慈悲とに充たされているか」と訊くと
「そうではありません」と答える。

感謝に充たされていない者は鬼なのである。
慈悲に満たされていない者も鬼である。

今日から鬼である事を止め、今日から仏にならんとするのは大いなる進歩である。

            <感謝合掌 平成30年1月19日 頓首再拝>

《感謝は恩恵の流れに対してスイッチを捻る事である - 伝統

2018/02/01 (Thu) 04:03:22


         *「光明法語」(2月1日)より

吾々は電燈の光を得ようと思えば先ずスイッチをひねる事が必要である。
先ず吾々みずから或る力を与えるのである。
すると光が与えられる。

太陽は照っていても、その光を受けようと思えば先ず自分が眼を開かなければならぬ。
眼を開くと云う動作を与えることによってのみ太陽の光は与えられるのである。

そのように吾らはすべての恩恵を与えられているのであるが、
それは先ず自分が恩恵に向かって感謝することによってのみ、
その恩恵がわがものになるのである。

感謝すると云うことはスイッチを捻(ひね)る事に当る。

            <感謝合掌 平成30年2月1日 頓首再拝>

ありがたさは物の分量にあるのではなく、心の《目ざめ》にある - 伝統

2018/02/09 (Fri) 03:25:13


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月9日)」より抜粋

われわれは毎日空気を吸っているが、
機械的に空気を供給されているがゆえに
ありがた味を感じない。

われわれは太陽がなくては生きられない人間でありながら、
太陽は機械的に毎朝地平線から顔を出すから
太陽のありがた味をさほど感じない。


しかし、これでよいだろうか。

目ざめて立て! 

わたしたちはあらゆる恩恵のうちに生きているのである。

ありがたさは物の分量にあるのではなく、心の《目ざめ》にある。
心の《目ざめ》ている人を悟っていると言う。

一かど悟っていると自負している人が
常に不平を唱えているのは何を悟っているのか、
訊いてみたい。

            <感謝合掌 平成30年2月9日 頓首再拝>

【自分がいかにありがたい状況に生きているか】 - 伝統

2018/02/21 (Wed) 03:25:21


         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2017年12月24日)より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   生れてからずっと目が見えいない人は、
   「1秒でもいい、いや0.1秒でもいいから、親の顔を見てみたい」
   「結婚した相手の顔を見てみたい」
   「子どもの顔を見てみたい」と思いながら生きているそうです。

   私たちは、0.1秒どころか、生まれてこのかた目が見えないことなどない
   にもかかわらず、目が見えるということに対して、
   感謝することなどまずありません。

   それどころか、
   「あれが欲しい」「これが欲しい」「あれをよこせ」「これをよこせ」と
   現状に対して不満ばかり口にしています。


   私たちは小さい頃から、足りないものをリストアップして、
   それを手にいれなければ幸せになれないと教え込まれています。

   そのように洗脳されているのです。

   それを、「夢と希望に満ちあふれた生活」といいます。


   それに対して、私は「夢と希望もない生活」を送っています。
   夢も希望もない代わりに、悩みも苦しみも煩悩(ぼんのう)もありません。

   私は酒もタバコも麻雀も、娯楽といわれるものは何もしませんし、
   休みもほとんどありません。

   「何が楽しくて生きているのですか?」とときどき尋ねられることがありますが、
   「ただ幸せをかみしめて」生きている。


   「自分がいかに恵まれているか」「自分がいかに幸せか」
   「自分がいかにありがたい状況に生きているか」ということに気づいたら、
   「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」の「五戒」など口から出てきません。

   願いがかなったら、望んだものが手に入ったら感謝する、
   というのは、本当の感謝ではありません。

   何も要求することなく、不平不満を言うこともなく、
   いま目の前にあるものをありがたく味わう。

   それこそが、本当の「感謝」なのです。


   人は、自分がいかに幸せな状況のなかで生きているかに気がつきません。

   それは、海で泳いでる魚は、海を見ることができません。
   それで「自分も海をみてみたい」と思い、
   釣り人が垂れている釣り糸にガブリ!とかぶりつくのです。

   すると海の上に引っ張り上げられる。

   それで初めて、魚は海というものを見ることができるのです。


   釣り上げられた魚が「私」なら、釣り上げた人とは「神さま」。

   釣り上げられた状態は何かといえば、「事故、災難」。

   海とは、「幸せ」そのものです。

   神さまに「幸せというものを見せてください」と言うと、
   神さまは「わかりました」と言って、災難や事故というものを起こして、
   私たちを釣り上げてくれます。


   かぜをひいて、丸1日何も食べられなかったら、
   かぜが治ったときに食べた1杯のおかゆがとてつもなくおいしく感じられるでしょう。

   元気いっぱいで毎日おいしいごちそうばかり食べていたら、
   おかゆのおいしさはなかなかわからないでしょう。

   では、かぜで丸1日食べられなかったことは、
   はたして不幸なことだったのでしょうか?

   そうとはいえないでしょう。

   その体験があったからおかゆのおいしさ(幸せ)を味わうことができたのです。

   私たちが「幸せ」を感じるためには、
   その前には一般的に「つらい、苦しい、大変」といわれる状況が起こるようです。

   そういう構造になっている。


   そのことに気づいたら、
   私たちはつらいこと、苦しいこと、大変なことに遭遇したときも、
   一喜一憂せずに、平静な心でいられるかもしれません。

        <『人生は4つの「おつきあい」』サンマーク出版>

           ・・・

人は、「失って初めて、その大切さに気づく」という習性がある。

それは、両親だったり、恋人だったり、健康だったり、する。

当たり前の日常が、いかに大切な日々だったのか、いかに有り難かったのか。

やっかいなことに、それを失ってみないと気づかない。


「ありがとう(有り難う)」の反対は、「当たり前」だと言われる。

目が見えることも、耳が聞こえることも、話しができることも、
本当は、当たり前ではない。

有ることが最も難しいことなのだ。

奇跡のようなこと。

そのことに気づいたとき、
当たり前のように過ぎていく日常には感謝しかなくなる。


それは、自分の体に対しても同じ。

寝ている間も動いてくれている心臓や肺、ありとあらゆる臓器は
文句もいわず365日休みなく動いてくれている。


自分がいかにありがたい状況に生きているか、に気づける人でありたい。

            <感謝合掌 平成30年2月21日 頓首再拝>

【「感謝」の本当の意味】 - 伝統

2018/03/07 (Wed) 03:49:41


         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2018年01月17日)より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   感謝することで片づくのが、対じん関係です。

   「対じん関係」とは、対人と対神、の両方です。


   ここはちょっと重要なポイントなのですが、
   神社仏閣に行って、お願いやお祈りをする。

   自分の夢や希望を叶えてくださいとお願いする
   …そういうふうに日本人は教わってきたのですが、
   宇宙的に言うと、そのお願いをした瞬間、実は、神仏を敵に回すことになります。

   どういうことかというと、その行為は、
   いま自分が取り囲まれている状況が気に入らないと言いに行ったと同じなのです。

   つまり宣戦布告に行ったのです。


   例えば、「体のどこそこが悪いので治してください」とお願いに行った。

   自分の身体に、悪いところが1、2カ所ある。

   ところが順調に動いている場所が、9998ヶ所ある。

   この9998ヶ所に対して、常日頃、一回も手を合わせ、感謝もしていない。

   「痛いところだけ、なんとか治してください」と言いに行ったということは、
   9998に対する感謝が欠けているということです。


   同じように、「収入が少ないので、もっと収入を増やしてください」
   とお願いしたとする。

   神社仏閣に自分の足で行くことができたということは、
   今日まで食べてこられた、その体を保つことができた、
   ここまでやって来る交通費も払えた、来るだけの時間的なゆとりも取れた
   …そういうことです。

   その意味でいうと、それだけでもすごく恵まれています。

   ほんとうに恵まれていなければ、神社仏閣に来ることさえできません。

   経済的にあるいは身体的に、それが許されない人さえいるのです。

   それなのに、もっと売上げを上げてくれとか、
   利益を確保させてくれというお願いは、
   いま十分に食べられるようにしていただいているという現実を超えて、
   「もっともっと、まだまだ」と言い続けているということにほかならない。


   人間は、何かが思うようになっていないと、
   思い通りになっていないことだけを挙げ連ねるものです。

   仕事も、対人関係も、健康も。

   しかし多くの場合、不足している以外の9999ヶ所は、スムーズにいっている。

   そのことに対して、一度も、一カ所にも
   手を合わせたことがなく、感謝をしたこともない。


   どこか不調だったり、お金がうまく流れていなかったり、集まってこなかったら、
   「たまには感謝をしてみたら? 」という
   宇宙からのメッセージととらえたらどうでしょうか。

   「ああ、そうか。足りないことをもっと寄こせ、もっと寄こせ、ではなく、
   これまでほんとうにたくさんにいただいたことに、感謝が足りなかった」と、
   気がつくかもしれません。

   何かが叶ったから、手に入れたいものが手に入ったから感謝するという感謝は、
   実はほんとうの感謝ではありません。

   それは感謝ではなく、我欲が満たされたというに過ぎない。

   我欲が満たされたら、また次の要求をして、
   さらにその我欲が満たされたら感謝する…これは、
   ほんとうの感謝ではないように思います。


   「感謝」とは、すでにいただいている9999のものに対して
   気づくこと、手を合わせること。

   それができるようになると、
   何を叶えてくれとか、何かを手に入れたいなどとは考えなくなります。

   だから、神社仏閣はお願いに行くところではなく、お礼を言いに行くところ。

            <『釈迦の教えは「感謝」だった』風雲舎>

               ・・・

この「感謝」の考え方は、「幸せ」とまったく同じ考え方。

「幸せ」な人は、何か幸せなことがあったら幸せなのではなく、
普段の生活のなかにほんのささいな「幸せ」なことを見つけて幸せになれる。

あれがないから幸せになれないとか、これがないから不幸だと言っている人は
いつまでたっても幸せにはなれない。


不平不満に目がいくのか、「感謝」や「幸せ」に目がいくのか。

事実は一つでも、感じ方、見方によって人生はまったく変わってくる。


「感謝」のほんとうの意味は、すでにいただいている「幸せ」に気づくこと。

感謝多き人でありたい。

            <感謝合掌 平成30年3月7日 頓首再拝>

《すべての恵みの本源を知る》 - 伝統

2018/03/09 (Fri) 04:08:34

今日3月9日は「サン(3)キュー(9)」(THANK YOU)で、「感謝の日」。
過去・現在・未来におけるすべての人・物・事にの感謝の思いを寄せる日です。



《すべての恵みの本源を知る》

      *『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P23) より

何よりも大切なのは、吾々の生活になくてはならぬ全てのものが、
実はその本源が神より来(きた)るものであることを知ることなのです。

それを本当に知ったとき、真実神への感謝の念が起って来(く)るのです。

神への感謝の念が本当に起って来(き)たとき、
吾々の精神波動が“神の国”と完全に霊交し得る精神波動となって来て、
“神の国”に既にあるところの健康、財福、希望実現、その他
あらゆる善きものが現実化することができるようになるのです。

            <感謝合掌 平成30年3月9日 頓首再拝>

【どんな不幸を吸っても、吐く息は感謝に】 - 伝統

2018/03/13 (Tue) 04:07:31


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2018年02月10日)より

   (渡辺和子氏の心に響く言葉より…)

   私どもの大学の正面玄関に、
   プロテスタントの牧師、河野進さんが書いてくださった、
   一つの小さな詩がかけられております。


     天の父さま

     どんな不幸を吸っても

     吐く息は感謝でありますように

     すべては恵みの呼吸ですから


   学生でいるあいだは不幸の息をあまり吸わせないように、
   先生たちが配慮をいたします。

   しかしながら、卒業をして、その正面玄関を背にして出ていけば、
   その先にある職場、結婚生活、社会には、往々にして
   思いもかけないような不幸がたくさん漂っている空気が待ち構えています。

   生きていくためには、その空気を吸わなければなりません。

   思わぬ不幸を吸い込んでしまったとしても、
   それをそのままで、吐き出す人になってほしくない。

   さらに増幅して、大きな不幸にして
   ほかの人に吐きかけるような人になってほしくない。

   それを感謝に変えて吐き出す人、それがある意味で
   本当に強い人であり、本当に優しい人だと思います。

   ほかの人が吸う空気を汚さない、その強さと、ほかの人を思いやる優しさを
   学生たちに身につけて欲しいと願っています。


   しかしながら、それは決してやさしいことではありません。

   私たちが生きていくうえで、この不幸の息をどうしても吸い込んでしまうとしたら、
   人のせいにしないで、むしろその不幸を自分の中で感謝に変えていく。

   そしてそれは、真珠がつくられていくのと同じプロセスだと私は思うのです。


   真珠貝というものは、自分にとってあまり望ましくない異物が入ってきたときに、
   それをいやがって吐き出してしまわないで、その異物の刺激により分泌される液で、
   異物そのものを軟らかく、そして固く包んでいきます。

   それを繰り返し大きくなったものが、真珠になるのです。

   同じように、私も自分の生活の中に入り込んでくる異物、不幸を受けとめて、
   私しかつくれない真珠を自分の一生涯をかけてつくっていきたいと思っています。


   苦しいこと、いやなこと、私たちにとってマイナスの価値しか持たないもの、
   それは必ずしも悪いものではありません。

   それがなかったら真珠がつくれないのです。

   それがなかったら感謝の息が吐き出せないのです。

   そう思うときに、もしかすると、私たちの生活の中にいやなもの、
   苦しいこと、そういうものがあっても、それを受けとめて自分なりに、
   自分しかつくれない真珠に変えていける、
   そのことを、ありがたいと思って生きなければいけないのかもしれないと思います。


   毎日の忙しい生活の中で、
   私たちが木を切る手を休めて斧を見つめるということは、
   ふだん気づかない、しかしながら身の回りに
   たくさん転がっているありがたいものをありがたいと気づくゆとりを持つ、
   ということかもしれないと思います。

           <『現代の忘れもの』日本看護協会出版社>

              ・・・

「不幸は感謝のかくし味」

断食をしたあとの、食事のおいしさは格別だ。

それが、なにも味のないただのお粥(かゆ)であったとしても、
この世にこんなに美味しいものがあったのかと思うほど。

「空腹は最高の調味料」という言葉があるが、
空腹があるからこそ、食事をしたときの喜びを感じることができる。


これは、「病気が治ったとき、しみじみと健康のありがたさを感じる」というのと同じ。

病気や、不幸という(世間一般でいう)負の部分があるからこそ、
健康や幸福を感じることができる。


つらいことや困難に出会ったとき、
不平不満、愚痴、泣き言、文句を言ってまわりの人のテンションを落とすのか。

逆に、どんなに現在不幸にであっても、まわりに感謝し、周囲を明るくする人であるのか。


「どんな不幸を吸っても、吐く息は感謝」の人でありたい。

            <感謝合掌 平成30年3月13日 頓首再拝>

【誕生祝いは感謝祭】 - 伝統

2018/03/25 (Sun) 03:52:16


         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2018年02月24日)より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   「誕生日おめでとう」と言われて、
   「別におめでたくもない」とか「またひとつ年をとっただけでうれしくない」とか、
   そのように思う方もいるかもしれません。

   でも、誕生祝いの本当の意味を知ったら、
   感じ方が変わってくるのではないでしょうか。


   誕生祝いのほんとうの意味とは、
   「あなたがこの世に生まれてくれて、ありがとう」ということです。

   「あなたがいてくれたおかげで、どれほど幸せで、楽しく、
   豊かな時間を過ごすことができたかわからない。
   この時代に共に生きていてくれて、ありがとう」ということです。

   つまり、誕生祝いは“感謝祭”。


   それを知ったら、いくら照れがあったとしても
   「別にうれしくない」とか「誕生日なんて祝ってもらわなくてもいい」
   などとは思わなくなるでしょう。

   「あなたがこの世に生まれてくれて、ありがとう」と言われて、
   うれしくない人などいないでしょうから。


   誕生日にはもうひとつの側面があって、
   それは母親が命をかけて産んでくれたこと、
   そのことに対して感謝をする日でもあります。

   誕生日は年に一度ですが、
   「生まれてくれて、ありがとう」と365日毎日言われたら、
   どんなに幸せでしょう。

   「誕生祝」の何気ないひと言は、
   生き方について考えさせてくれる深い言葉なのかもしれません。

   《あなたがこの世に生まれてくれてありがとう。》

           <『宇宙を解説 百言葉』イースト・プレス>

             ・・・

人として、最も悲しいことは、
自分の存在を無視されたときであり、存在を認めてくれなかったとき。

「おまえなんかいらないよ」「死んじまえ」「出ていけ」
「二度と会いたくない」等々の存在を無視する言葉や、
「目を合わせない」「挨拶しない」とか、「なぐる」「叩く」等の動作や行為。


反対に、自分の存在を認められた時ほどうれしいことはない。

その究極の言葉が、「 あなたがこの世に生まれてくれて、ありがとう」。


「またひとつ年をとっただけでうれしくともなんともない」などと
年配の人がシニカルに言うことがある。

皮肉っぽく、あざ笑うような態度をシニカルというが、これは不機嫌と同義語。

不機嫌は伝染(でんせん)する。


だれかに何かをもらったら、どんなものでも
「ありがとう」とニコニコして受け取るのが真に成熟した大人。

「不機嫌は最大の罪」という言葉があるが、
逆に、機嫌のいい人は、まわりを幸せにする。

誕生祝をしてくれたら、上機嫌で「ありがとう」とその感謝の気持ちを受け取る。


「いくつになっても誕生祝いはうれしい」という人には限りない魅力がある。

            <感謝合掌 平成30年3月25日 頓首再拝>

人生と云う食膳に上り来る出来事をありがたく食する - 伝統

2018/03/31 (Sat) 03:31:11


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月31日)」より

必需物(なくてならのもの)はすべて与えられている。

必需物(なくてならのもの)は一つの事物ではない。
一つの事物にのみ執着する者は、自分の人生に流れ入って来る
「神の与えた必需物(なくてならのもの)」を拒むものである。

世に肥(こ)えることのできない児童に偏食者というのがある。
食膳に上がったものをそのままありがたく受け入れない。
アレかコレかの選択が多すぎる者である。

食膳の食物(しょくもつ)をすべてありがたく拝んで食べる者の
胃腸病は治って肉体が肥えてくるように、

自分の人生に流れ入(い)ってくるいっさいの事件を喜んで受け、
そのすべてから滋味を吸収し、去り行くコースには執着せず、
新たに人生の食膳に上(のぼ)り来るものをまた新たに合掌して受け、
食する者はついには人生の豊かなる肥満者となるのである。

            <感謝合掌 平成30年3月31日 頓首再拝>

《すべての物に感謝する祈り》 - 伝統

2018/04/09 (Mon) 03:36:30


         *「光明法語」(4月9日)より

また神はすべてのものの内にましますが故に、すべてのものに感謝し、
それを讃(ほ)めたたえることは偉大なる祈りである。

神に感謝しても万物に感謝しえないものは、
真に全く神に感謝しているのではないのである。

ただ神に対する祈りは、神の表現である「万物」に対する祈りよりも、
尚一層直接的であると言い得るのである。

されば吾々は毎日或る一定の時間は神に対して
心を完全に振り向ける祈り(神想観)を行事なければならぬ。

それと共に神の表現である万物に感謝しなければならぬのである。

            <感謝合掌 平成30年4月9日 頓首再拝>

《常に感謝する祈り》 - 伝統

2018/04/13 (Fri) 03:22:41


         *「光明法語」(4月13日)より

常に間断なく善き事を考えている者のみが
善き事を来る様に祈っている事になるのである。

常に間断なく善き事を考えている者とは、常に今ある状態を不平に思わず、
既に「實相の完全な相(すがた)」があるとして感謝している者の事である。

常に感謝している者は、常に善き事を祈っていることになる。

併し、単に今ある状態に甘んじている者は、
それ以上の状態を祈っているのではないから、
其れ以上の結構な事物は現れて来ないだろう。

「實相無限の善」を今ありと感謝する者のみが無限に改善し
生長する善き事を得るのである。

            <感謝合掌 平成30年4月13日 頓首再拝>

感謝をするとなぜ病気が治るのか - 伝統

2018/04/26 (Thu) 04:28:30


       *「心と体にいい話108選 人生を変える食事法」
           山本敏幸・著   (P36~37)より
   
食べ物が血液を作り、血液が60兆個の細胞を作っています。
血液がきれいになると、脳に良い血液が送られて、精神も安定してきます。

食べ物から良い血液を作るときに「酵素」が必要です。
酵素は36℃以下になると働きにくくなりますから、
『食源病(ガンやリウマチ等さまざまな病気)』を治すには
身体を冷やさないことが一番重要です。

身体が冷えた毎日を過ごすと、次に『心が冷え』てきます。
身体と心が冷えて夜眠れなくなります。
心が冷えた人はガンやリウマチ等になりやすくなります。

しかし、一度冷えた心を温めるのは大変難しい。
朝から夜まで『過去と他人に左右されて』いるから、
身体も心もなかなか温めることが難しい。


心を温める最高の秘訣が『感謝~ありがとう』の言葉と態度・行動です。
感謝すると全身がリラックスしますから、酵素が働き血液が動いてきます。
ガンやリウマチ等々の病気を治す秘訣は、『感謝~ありがとう』の実践です。

『感謝~ありがとう』の実践は宇宙法則の一つですから、
実践したら必ず答えが出ます。

            <感謝合掌 平成30年4月26日 頓首再拝>

感謝報恩の日 - 伝統

2018/04/29 (Sun) 03:58:25


           *「光明道中記」(4月29日)より

【富を自分の方へ引き寄せようと思うまでに、
 自分自身を全体のために与えなければなりますまい。(『生命の實相』第十七巻)】

吾々の潜在意識の中には色々のものがある。
その中で最もどう云う種類の観念が優勢を占めているかと云うことによって
其の人の運命は決するのである。

其の人の周囲に集まって来る日常無数の出来事は、
その人の潜在意識中の優勢観念が磁石となって回転するのである。

吾々の潜在意識中の優勢観念が、「人間神の子・万事良くなる」という
大信念であるならば、その人の周囲に起るところの大小無数の事件は必ず
其の人が幸福になるように、その人が発展するように好転好転又好転するのである

―― 若しそれでもその人に幸福がやって来ないならば、その人は傲慢になり過ぎて、
万事が神から来ることを忘れ、自力の信念の効果によるものとして
感謝と報恩との行を忘れて了ったからである。

感謝は「幸福」の機関が回転する心棒に注す油のようなものである。

報恩は「幸福」の機関が生産した物品の配給である。

いくら「幸福」の機関が上等だからとて、油を注さなかったり、生産品を処置しなかったら、
その機関は詰って了い、「幸福」の機関の運転は停止して了うであろう。

            <感謝合掌 平成30年4月29日 頓首再拝>

感謝で与えられ、不平で奪われる - 伝統

2018/05/10 (Thu) 03:12:12


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月10日)」より

感謝する程度にしたがって与えられ、不平を持つ程度にしたがって奪われる。

            <感謝合掌 平成30年5月10日 頓首再拝>

《上司の一番大切な仕事は、部下に感謝することです》 - 伝統

2018/06/04 (Mon) 03:41:03


部下がまったく思い通りに動いてくれない。 どうしたらいい?

    *「あなたの人生がつまらないと思うんなら、
      それはあなた自身がつまらなくしているんだぜ。」
       ~ひすいこたろう・著(P123~126)より

あなたは、自分を思い通りにできていますか?

「5キロやせたい」と思ったら1ヶ月でやせられて、
部屋もいつもきれいに整えておけて、やらなければいけないことにも、
いつでもすぐにとりかかることができますか?

難しいですよね? 僕もムリ(笑)。


《人は自分すら思い通りにできない。
ましてや他人を思い通りにできるわけがない。》


だから思い通りに動いてくれないことに不満を持つのではなく、
思い通りに動いてくれることこそ奇跡としてとらえて、日々感謝することが先。


人は自分に文句を言う人のために、なにかやってあげたいとは思わない。
自分を大切にしてくれない人のために、なにかやってあげたいとも思わない。

でも、自分に対して感謝の念を抱いてくれている人のためなら、
なんとかして力になってあげたいと思うのが人です。

人は、自分に感謝の気持ちを持ってくれる人にこそ、ついていきたいと思うもの。

《上司の一番大切な仕事は、部下に感謝することです。》


成長とは、大きくなることではなく、
小さなことに感謝できるようになること!

            <感謝合掌 平成30年6月4日 頓首再拝>

「不足」ゆえにこそ感謝しなければならない - 伝統

2018/06/10 (Sun) 04:38:04


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(6月10日)」より

すべてがすでに与えられて、もう生み出しの必要のない世界にいるほど退屈なことはない。

「不足」を不平に思う人は、「不足」をこのゆえにこそ感謝しなければならないのである。

            <感謝合掌 平成30年6月10日 頓首再拝>

波動を上げる・感謝の呼吸法 - 伝統

2018/06/27 (Wed) 03:14:06


        *Web:波動を上げる方法(2008-05-23)より
             ~「呼吸セラピー」原久子・著


感謝の呼吸法は、「感謝する」という心の筋肉をつける呼吸法。

とても応用範囲のひろい呼吸法です。
プラスのエネルギーを発するので、よいことを引き寄せるようになります。
脳波がアルファ波になり、真我のメッセージを受け取りやすくなります。

(1)背筋を伸ばし、目は軽く閉じ、両手は丹田に当てます。
   そして、目の前に椅子をイメージして、心からお礼を言いたい方、
   お世話になった方に座っていただきます。

   その方をしっかり心に思い描いてください。

(2)軽く息を吸い、鼻から息を吐きながら上体を前方に倒していきます。
   このとき、両手を丹田に当てます。

   そして、一呼吸くらい息を残したところで、
   ヒップを一瞬締め、すぐに緩めながら、息が自然に入るにまかせます。

   そして上体を起こし、肩、みぞおちの力が抜けていることを確認します。

   このとき朝日の輝く光が、
   頭上からサーッと身体のすみずみまで入っていく様子をイメージしてみてください。

(3)次に、息を吐きながら、心に描いた目の前にいる相手にも、
   同じように頭上から朝日が入っていくところをイメージします。

   このとき「ありがとうございます」「お世話になりました」など、
   心の中でお礼を言います。

(4)息を吸いながら、今度は足の先から自分の身体の中に、
   光のエネルギーが充満していくところをイメージします。

   以上をくりかえします。

   (http://raisethewave.blog116.fc2.com/blog-entry-14.html

            <感謝合掌 平成30年6月27日 頓首再拝>

《感謝によって過去の経験から魂の栄養を吸収せよ》 - 伝統

2018/07/08 (Sun) 04:51:21


        *『人生の秘訣365章』第6篇(P151) より

感謝はすべてを癒やすのである。

身の病いを癒やし、心の病いを癒やし、事業の病いを癒やす。

過去に何があったにせよ、過ぎ去ったすべての出来事は、
良きにせよ、悪しきにせよ、自分に新しき経験を与え、
魂を富ますために役立ったのであるから、
その出来事のひとつひとつに対して感謝の思いを起すがよい。

あらゆる経験を通して、時には人間の肉体は苦しむかも知れないが、
魂は進歩し向上するのである。
すべての経験に対して感謝し得るようになったとき、
その経験が自分に与えた魂の栄養分を吸収したことになるのである。

            <感謝合掌 平成30年7月8日 頓首再拝>

《自己の魂と肉体に感謝する》 - 伝統

2018/07/20 (Fri) 03:59:28


        *『生活の智慧365章』
          (第3部繁栄の泉)第7篇(P197~198) より

神に感謝し、神の恵み給うた一切の事物に感謝し、
周囲のすべての人々に感謝しているけれども、
まだその人に感謝することをわすれがちである一人がある。

その一人は「自分自身」である。
「自分自身」の魂は神の子として此処に神から与えられた使命遂行に
尊き努力を捧げつつあるのである。

此の「自分自身」の魂に感謝を捧げないのは片手落ちである。
更にその「自分自身」の魂が乗り物として使命遂行の用途に使いつつある
「自分自身」の肉体に対して感謝しないのも片手落ちである。


例えば
「○○○○の魂よ、肉体よ、(○○は自分の姓名を唱える)いつも神から
与えられた尊き使命を忠実に遂行して下さってありがとうございます。」

と心で唱え、又は低声(こごえ)唱えるならば、
自分自身の魂も肉体も尊く使命遂行を自覚して、
堕落することもなく、不健康に陥ることもなくなるのである。

            <感謝合掌 平成30年7月20日 頓首再拝>

「今」「此処」既に円満完全の実相に感謝する - 伝統

2018/07/29 (Sun) 04:33:41


        *『光明道中記(7月29日 日々是れ好日と知る日)』より

【漂える雲の彼方にまんまるに澄み切る月ぞわが姿なり。(『生命の實相』第十一巻)】


雪峰(せっぽう)の法嗣(あとつぎ)に雲門和尚と云う人がある。
その雲門がある日公案を出して
「十五日已前(いぜん)は汝に問わず、十五日已後一句を道(い)い将(も)ち来れ」
と言った。

その問は十五日に提出されたものであるから、
「十五日已前」と云うのは過去を指し、
「十五日已後」と云うのは、これからの現在どう生きて行くかと云うことである。

師の意を揣(はか)りかねて誰もこれに門下の者は答えることが出来なかったので、
雲門和尚は「日々是れ好日(こうにち)」と自分の問に自分で答えた。


生長の家で言うならば、「そのまま素直に難有(ありがた)い」であり、
「今を生かせ」であり、「今の中に久遠があり」である。
日々を難有いとしてその日の行事に励むのが「日々是れ好日」である。

烈日燬(や)きつくすようでも、
それは好いお旱(ひでり)を頂いたのであって、ただ難有いのである。

風が吹いたからとて、風があるので害虫が育たず、
雨が降るので植物が育つ。

若し雨が降り過ぎて家が流れ、田畑に損害があるならば、
それは業(ごう)の自浄作用としてただ難有いのである。

 
動き流れる雲の彼方に「今」実相の円満そのままの姿を見る者は幸いなるかな。

         <感謝合掌 平成30年7月29日 頓首再拝>

感謝にはその実を示す報恩行が伴わねばならぬ - 伝統

2018/08/02 (Thu) 04:47:39


          *『生長の家』(昭和45年6月号)より

常に生命の本源者なる神に心を振り向けて感謝するようにするがよい。

そうする事によって、あなたの心は神につながり、
神の祝福の霊波と波長が合い、神の祝福を充分に受取ることができるのである。 

そのような心境になるとき、神の恵みと供給の霊波とは
常にあなたの日常生活に必要な事物や、協力者となって具体化して、
あなたの身辺にあらわれて来るようになるのである。

あなたが感謝によって、神の祝福の霊波に波長が合うことができている
という自信が出来たとき、不安感情というものが消えてしまい、
心が常に平静であって安定を得ることになるのである。 

そしてあなたの日常瑣末な生活にもまた何等かの大事業の計画遂行にも、
神の善知識の導きを受ける自覚で出来て来るのである。

“我れ是を為す、神と倶になしつつあるのである” という信念が出て来るから、
事にのぞんで、落着いて判断することが出来、決断を要するときには
速やかに決断することが出来、何を行うにも躊躇逡巡することなく、
する事為す事肯綮にあたって希望を成就することができるようになるのである。

 
しかし神に感謝するには、思念や口先だけの感謝では、
偽善に陥り、虚礼に陥るおそれがあるのである。

感謝にはその実行としての報恩行を伴わなければならないのである。 
神への報恩行というのは、神の人類光明化の御意志に、世界平和の促進に、
世界平和の中核体としての日本国家の実相顕現に、 
“挺身” “致心” “献資” の三徳を行じて、
この尊き神業に協力するところが人間になくてはならないのである。 

どんなに事業が忙しくとも、家事が多忙であっても、
学問の事をゆるがせにできないにしても、尚、誠心(まごころ)がありさえすれば、
“挺身” “致心” “献資” の三徳全部を行ずることができるし、
そのうち一徳位は尚さら容易に出来得るのである。

出来ないのは、やる気がないからである。

  (https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/24585466.html より転写)

         <感謝合掌 平成30年8月2日 頓首再拝>

躓きを含めすべてに感謝 - 伝統

2018/08/05 (Sun) 04:01:16


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月5日)より

躓きは不幸な出来事であるが、われらがまた躓きにも感謝しなければならぬ。

躓きはわれらが人生の道を歩むのに、十分高く足を挙げていなかったことを
教えてくれるものである。われらは躓きによって、躓かないときよりもいっそう
多くのことを学ぶことができるのである。

躓きはまたわたしの心の眼を開いてくれるものである。
もし、今少し手前で躓かなかったら、自分の今歩いている道が、
谷底へ落下する道であることに気がつかなかったかもしれないのである。

理屈で言うのでも、失敗を諦めるために言うのでもない。
躓きは当然感謝さるべきものである。

躓かなくなりえた者は、その幸福をいっそう感謝すべきであるが、
躓きもまた感謝する価値がある。

そうすればわれらは人生のどこにも
感謝すべきものが充ちていることを発見しうるのである。

       <感謝合掌 平成30年8月5日 頓首再拝>

症状は生命の活動、症状に感謝せよ! - 伝統

2018/08/22 (Wed) 04:05:56


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月22日)より

症状が生命の活動であって死の活動でないのは、死んだら症状が無くなるので明らかである。
発熱や喀血や下痢や咳嗽(せき)を病気の活動だと思うのは明らかに錯覚である。

いわゆるわれわれが「病気」だと思っているこれらのごとき症状は、生活環境に抵抗または
対応せんとする内部生命の活動の顕われであって、「病気」そのものではないのである。

されば賢者は症状に感謝し、発熱や喀血や下痢や咳嗽が起こるごとに、内部生命の、
かほどまでにして自分を生かそうとしている努力に感謝するのである。

         <感謝合掌 平成30年8月22日 頓首再拝>

精神分析で止まるな! 感謝にまで誘え! - 伝統

2018/08/28 (Tue) 04:03:59


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月28日)より

若い娘さんがお嫁に行って、その家庭がおもしろからぬ場合に、
なんとかしてその婚家先から逃げ出そうという思いを起こすと、
病気になったりすることがある。

病気になったら実家に帰れると思うと
潜在意識がその目的を達成させるために肉体を病気にならせるのである。

嫁が、そういうふうに逃げ出そうと思っているかぎりは
本当の真心を尽すことができないから、舅、姑から見ても百パーセント
その嫁が真心を尽しているというように見えないから、
舅姑の方でも不満足である。

そこでどうしても嫁に対して冷たく当たるということになる。

そして嫁と岳父母(しゅうとたち)との間に仕切りができたようになる。
けれども逃げ出すことができない。
逃げ出すことができないのを逃げ出すために病気にでもなるほかしかたがない。
そこで潜在意識が病気をつくるのである。

夫婦間の仲がわるいために病気になれば、
胸の病気か、泌尿器生殖器の病気となって現われる。

岳父母(しゅうとたち)を憎んだり、自分をこんな家へ嫁がせたのは父母が悪いと、
父母を恨んだりすると脊椎カリエスになったり、頭の病気になったりする。

こうしてその人を精神分析しただけでは病気は治らない。
本人を説得して、本人の不平や憎みを捨てさせねばならぬ。

「ここがわたしの家である。
どんな苦しみであろうがどんな悪いところであろうがわたしの家である。
わたしが受けてそれを改善してゆくしか道がないのである」

そう思って、受くべきものを受けてしまう心境にならせたときに、
そしてそれを感謝の念に変えしめた時に苦しみというものが
消えてしまうのである。

これが和解の真理の応用である。
和解の真理というものは、都合のいいことだけに和解している
のじゃ足りないのであって、悪く見えるものをそのまま素直に受けて拝む。

痛み来たれば痛みに礼(らい)し、熱来たれば熱に礼し、下痢来たれば下痢に礼し、
いかなる症状をも敵と思わず、自然療能の催しなりとして感謝して受けるのである。
―― この心境に導くとき、病が消える。カリエスが消え、癌が消える。

精神分析は、分析の仕荒(しあ)らしだけではいかぬのである。
最後は「天地一切のものに和解し、感謝せよ」という宗教的心境にまで
誘導することが必要なのである。

神経性心悸亢進症などは心臓の動悸を恐怖していたのを、
一転して「心臓が動悸しているので血が循(めぐ)っているのである。
ありがとうございます」

と感謝の言葉を唱えさせるだけで、治ってしまった実例がある。

以前樺太の敷香(しすか)町の巡査をしていた星平治という人のごときは
札幌医大で両腎臓が結核に冒されているから治療の道なしと宣言せられたのを、

腎臓の疼痛ごとに

「自然療能博士が治してくださる信号だ。ありがとうございます」

とその疼痛に感謝し妻に和解するように指導しただけで治ってしまい、
戦争中召集されて満州へ3年も従軍していてなんら病気が再発しなかった
と報告せられた実例もある。

腎臓の病気も夫婦の心的葛藤から来るのであるから、
それを調和させたとき治った実例は多い。

        <感謝合掌 平成30年8月28日 頓首再拝>

すべてを感謝に変える - 伝統

2018/09/03 (Mon) 04:51:58


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月3日)より

人を審判(さば)く者は、また自分も審判(さば)かれるのである。

聖書に「人の負債(おいめ)を赦せ」とあるのは、人に金を貸してあるのに
その借金証文を全部焼いてそれを帳消しにせよという意味ではないのである。
そんなことをしたら商取引は成り立たないのである。

「あいつはわしに損かけている」という感じを捨てて、
「あの人のお陰で商売(その他なんでも)が成り立っているのだ。ありがとうございます」
という気持ちになることなのである。

憎しみや、呪いや、腹立ちの感じを感謝に変化してしまうことである。

できるならば、憎んでいた人の名前をいちいちとなえて
「わたしはあなたを赦しました。
わたしはあなたに感謝しています。ありがとうございます」
と毎朝夕20分くらいずつ思念するがよい。

             <感謝合掌 平成30年9月3日 頓首再拝>

感謝にはその実を示す報恩行が伴わねばならぬ - 伝統

2018/09/20 (Thu) 02:43:20

          *『生長の家』(昭和45年6月号)より

常に生命の本源者なる神に心を振り向けて感謝するようにするがよい。

そうする事によって、あなたの心は神につながり、
神の祝福の霊波と波長が合い、神の祝福を充分に受取ることができるのである。 

そのような心境になるとき、神の恵みと供給の霊波とは
常にあなたの日常生活に必要な事物や、協力者となって具体化して、
あなたの身辺にあらわれて来るようになるのである。

あなたが感謝によって、神の祝福の霊波に波長が合うことができている
という自信が出来たとき、不安感情というものが消えてしまい、
心が常に平静であって安定を得ることになるのである。 

そしてあなたの日常瑣末な生活にもまた何等かの大事業の計画遂行にも、
神の善知識の導きを受ける自覚で出来て来るのである。

“我れ是を為す、神と倶になしつつあるのである” という信念が出て来るから、
事にのぞんで、落着いて判断することが出来、
決断を要するときには速やかに決断することが出来、

何を行うにも躊躇逡巡することなく、
する事為す事肯綮にあたって希望を成就することができるようになるのである。

しかし神に感謝するには、思念や口先だけの感謝では、
偽善に陥り、虚礼に陥るおそれがあるのである。

感謝にはその実行としての報恩行を伴わなければならないのである。 
神への報恩行というのは、神の人類光明化の御意志に、世界平和の促進に、
世界平和の中核体としての日本国家の実相顕現に、 
“挺身” “致心” “献資” の三徳を行じて、
この尊き神業に協力するところが人間になくてはならないのである。 

どんなに事業が忙しくとも、家事が多忙であっても、
学問の事をゆるがせにできないにしても、尚、誠心(まごころ)がありさえすれば、
“挺身” “致心” “献資” の三徳全部を行ずることができるし、
そのうち一徳位は尚さら容易に出来得るのである。

出来ないのは、やる気がないからである。

             <感謝合掌 平成30年9月20日 頓首再拝>

感謝するということ - 伝統

2018/10/06 (Sat) 04:39:03


           *北尾 巳代次 『生長の家』(昭和45年6月号)より

兎に角感謝は癒す、と生長の家で教えて頂きますが、感謝の功徳は絶大です。

でも一体何に感謝するのですか、と時々反問せられる方があります。 
何に感謝すると言って当り前に感謝するのです。 
当り前程有難い事は無いと思うのです。

目が見える事、耳が聴える事、ものが言える事、手足が動く事、
この当然の事が一度当然さを失うと、忽ち天地が暗くなる程悩むものなのです。 

私達は平素から此の当り前に感謝する習慣をつけなければなりません。

皆様は子供の目が見える事を喜んでいらっしゃいますか。 
耳が聴えること、手足が動く事、考えてみると
感謝すべきことは山程あるのでは無いでしょうか。


あの大無量壽経の第十七の願の中で  『咨嗟して吾が名を称せよ』  
と教えられております。

咨嗟するとは声を大にして阿弥陀仏の徳を讃えよ、という事ですね。 

一杯の水を飲むにも  
『阿弥陀さま、あなたのおかげで此の有難い生命の水を頂かして頂けるのです。 
有難うございます』  と感謝せよという事なんです。

御飯を頂くにも単に物質の御飯を頂戴するのではない。 
これ悉く仏の功徳ならざるものは無いのであります。 
声を大にしてその功徳を讃え讃嘆称揚する人が極楽に住まわせて頂くのです。 

子供を育てるのも、吾が子であって吾が子では無い。 
これ皆神が授け給うた尊いみ宝として、
常にその徳を讃えるのが育児の根本になるのであります。 

夫婦の生活も互に咨嗟し合う所に幸福が築かれるのです。 

『汝等互に相愛せよ』 と創世記に有りますが、
この調和と感謝の悦びの生活こそ人間が神の祝福を享ける根本に成るのであります。

  (http://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p9.html <09/01/13>)

             <感謝合掌 平成30年10月6日 頓首再拝>

生長の家の教えは、忍辱に超越し、感謝を強調するのである - 伝統

2018/10/11 (Thu) 04:47:36


    *「光明道中記」(10月11日 精進堅固の日)より

【悟りの中間過程にある時は、信念を以て怠らず進め。(『生命の實相』第六巻)】

波羅蜜多(神格の内流による自覚)を得る方法に尚三つある。

尸(し)羅波羅蜜多(持戒波羅蜜多)、せん提波羅蜜多(忍辱波羅蜜多)、
毘利耶(びりや)羅蜜多(精進波羅蜜多)の三波羅蜜多がそれである。
これはいずれも「良心として顕れる神格の内流」に関係している。

神格の内流の愛行面が「布施」であり、神格の内流の悟道面が般若と禅那(換言すれば
智慧と静慮)とである。そして神格の内流の道徳面又は良心面が持戒、忍辱、精進である。

神格(仏性)そのものは一つであって不可分であるけれども、それに波長を合わせる方面
から言うと、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、般若の六つを立てて六羅蜜多としたのが
仏教である。

生長の家では忍辱の方面はあまり言わぬ。
如何なる不遇、不幸、逆境、侮辱に対しても克(よ)く耐え忍ぶことによって
仏性を開顕せんとする忍辱に代って感謝を強調したのである。

無理に「怺(こら)える」のでは和解が出来ていないと説かれている。
感謝が出来たとき「怺(こら)える」ことが要らないので辱(はずかし)めが
消えるのである。

           <感謝合掌 平成30年10月11日 頓首再拝>

観世音菩薩の示現として受けとめ、感謝の心を積極的に起す - 伝統

2018/10/12 (Fri) 03:24:29


    *「光明道中記」(10月12日 人を全部宥(ゆる)す日)より

【人を恨む心を以てしては恨み心を解くことは出来ぬ。(『生命の實相』第七巻)】

尤も仏教でも忍辱(にんにく)と云う到彼岸法(はらみたほう)をただ如何なる苦痛も、
迫害も、圧迫も、意地悪も耐え忍ぶと言う如く「怺(こら)える」程度に於てのみ
説いている訳ではない。

これは「忍辱」の第一段階であって他より害を加えられたのを耐え忍ぶところの
(一)”耐忍”である。

更に仏教では(二)”安忍”と云うのが説かれている。単に怺えるのではなく、
安んじて忍受するのである。受くべきものは受けるより道はない。
逃れようとすればする程苦しいのだと云う真理を知って安んじてうけるのである。

この境地に於ては病気が治ることさえある。
生長の家でも、病苦に喘いでいる人にこの「安忍」を説くことによって
病苦頓(とみ)に癒される実例さえある。

更に仏教ではその上の段階の「忍辱」が説かれている。

それは(三)諦忍(たいにん)と言うので、迫害する者も迫害される者も、
それらは”有る”ように見えても本来存在しないと道理を諦めることによって
瞋(いかり)の心を除くようにするのである。


生長の家ではもう「忍」と言わずに(四)感謝を説くのである。

迫害者も被迫害者も本来存在しないと否定して諦(あきら)めるのではなく、
斯く見えているのは観世音菩薩が我らを済度し給う為にわが心の相(すがた)を
仮りに斯くの如くあらわし示し給うのである。

有難いと、感謝の心を積極的に起すのである。

           <感謝合掌 平成30年10月12日 頓首再拝>

一切を感謝に変える - 伝統

2018/10/13 (Sat) 03:37:46


       *「光明道中記」(10月13日 甘露を飲む爽やかな日)より

【一つの憎みは十人の憎みを招び、一つの愛念は百人の愛念を招ぶ。
                        (『生命の實相』第十一巻)】


「忍」がまだ自覚されているのは「忍」の最上のものではない。
キリストは、「終りまで耐え忍べ」と言ったし、また「汝の敵を愛せよ」とも言った。

「終りまで耐え忍べ」と云う語(ことば)には「忍」がまだ忘れられていないし、
「汝の敵を愛せよ」と言う語は、「忍」が超えられて「愛」に変じている点では
一段の進歩ではあるけれども、まだ「敵」が忘れられていない。

生長の家では「敵はない」と言い、「忍」に代うるに「感謝」を以てするのである。

永嘉大師は、

「他の謗(ぼう)するに従(まか)せ、他の非するに任(まか)す。
火を把(と)りて天を焼く、徒(いたずら)に自ら疲るるのみ、
我れ聞いて却(かえ)って甘露を飲むに似たり、
鎖融(しょうゆう)して頓(とみ)に不思議に入る」

と言われたそうであるが、
この境地は素晴らしい高い大きな境地であるが、相手を見下げた感じがある。

「火を把(と)りて天を焼く、徒(いたず)らに自ら疲るるのみ」と云う語(ことば)には、
相手に対する呪詛さえある。その心境には感謝がない。
「我れ聞いて甘露を飲むに似たり」には、一種の独善的な感じがする。

どうしても一切を感謝に変える生長の家の到彼岸(はらみた)術は
忍辱波羅蜜多以上のものである。

           <感謝合掌 平成30年10月13日 頓首再拝>

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.