伝統板・第二 2527906

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伝統様、ありがとうございます  17

1:道産子 :

2017/09/27 (Wed) 08:26:58

https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1506468418.jpg


今朝より、新しき項にて謹写させて頂きます<m(__)m>。


 観普賢菩薩行法、意外に唱えやすいところがあります。
繰り返しもありますし…(^^♪。


 吾普く我が全身を感ずるに此身このまま普賢の身なり

六牙の百象(ろくげのびゃくぞう)に乗り、花片(はなびら)が悉く如意宝珠なる蓮華の宝座に坐し、・・・、


 「象に乗り、宝座に坐す」は面白いです(^^♪。








 今朝よりは、例の、清超先生のコラム?「窓」です。





   「理想世界」誌 昭和43年1/1号 「窓」

                谷口清超先生

〇宇部へ行った。快晴の空を飛んで、朝十時過ぎに宇部飛行場につくと、出迎えの人はまだ誰もいなかった。

あまり早く着きすぎたからである。

宇部の講習会は女子高校の体育館で行われ二千六百十八名であった。

山口県も次第に力を伸ばしつつあって、誌友数一二七三三となり、聖使命約九千口である。

県下には百六十万の人口があるというから、まだ誌友は一%に達しないが間もなく達するであろう。

白鳩会は七つの綜連合と五十二の地区連と二百Ⅻの支部会をもって大いに活躍している。

青年会は理誌約一千で、三百位の会員がいる。十四単青あって、将来は伸びるであろう。

 重宗参議員議長も来られたので、一緒に道場の地鎮祭に

出席した。この道場は「生長の家松下道場」と

言って、阿知須町の見はらしの良い高台にたてられる予定

である。敷地は一万坪くらいあって、大成建設で請負って

地ならしをしていた。宇部市から車で二十分ぐらいの所である。

松下村塾にならって、青年育成のための教化道場であり、

「生長の家」の練成をやるわけだが、資金の寄附金を一般有志有力者から求める方式である。

小郡から、特急で岡山に向かった日もよく晴れていた。山

口県では雨を求めていたからきっと雨がふるだろうと話した。

広島をすぎ岡山につくと雨がふりだした。岡山では、幹部

の方「烏城を見ませんか」というので烏城に行って見た。

ここはもと第一岡山中学校があって、私は昔ここへ通学していたことがある。

なつかしい思いで石垣や堀を眺めた。

それらは昔とちっとも変っていなかったが、其の他の建物

は大変な変わりようだ。昔の古い黒い烏城はなく、鉄筋コ

ンクリートでエレベーターがついていた。石垣の間に、かすかに残る昔の面影を求めて、私は歩いた。

裏の旭川の土手も大変変っていた。渡し舟もなくなった。

帰りに上之町を歩いたら、道巾が広くなって、しゃれた店が並んでいた。

 丸善へ立ちより、本を買って雨の中を後楽帰って、洗濯をした。

重宗さんも同じ宿らしかった。

                    (つづく)
2:道産子 :

2017/09/28 (Thu) 07:52:29




ケント・ギルバート著『ついに「愛国心」のタブーから解き放たれる日本人』・・・、

伝統様、童子様のお蔭(^^♪で購入を決めました。ありがとうございます。(勿論、破邪顕正様はその元(^^♪です)











 清超先生の「窓」です。あと5回続きます。


〇岡山の講習会は市民会館で行なわれ千九百二十名であった。

岡山県も次第に伸びつつあり、明るい雰囲気が漂ってき

た。新しい教化部を建設しようと、郊外に土地を物色中であるという。

岡山県の相愛会連合会は六地区連があり、三十八相愛会で、誌友数一万、聖使命約九千である。

人口百七十万というから、もう一ふんばりで一%台になる。白鳩会は十六地区に分れ支部会が百五十五ある。

さらに最寄会を飛躍的にふやそうと努力中であったから、きっと益々充実するであろう。

白鳩誌約五千五百である。青年会は十三あり分会が十。こ

れらは今年中に単青になりうるものであるからきっと単青数もさらにふえるであろう。

全国大会には来年は二百四十名来る予定(最低百五十)でがんばっている。

拡大運動を強力に展開中である。光明実践委員九、講師八

十、伝道員六五三名で、県全体としては御教えが地下水の如く浸透しつつあるようだ。

教化部長をはじめ幹部の方々の地道な努力のたまものであ

ろう。幹部が大変調和しておられようだから、きっと大飛躍すると思う。

今回の講習会の後には引き続き生政連大会がもたれ、田中

会長が来られた。私は午後の夕食をすませて津山経由で鳥取に向かった。

二軸連結の気動車が津山に近づくにつれて、快晴になり、澄んだ秋の景色が現れ、冷えて来た。

柿が赤く輝き、山はほんのりと紅葉している。すっかり気分がなごんだ。

                                               (つづく)
3:道産子 :

2017/09/29 (Fri) 07:49:11

 


<安倍総理が日本を取り戻すために、超人的とも言

える努力をされて来たが、それが解っていれば「リセット」などと言う言葉は簡単に出て来ないはず。

 彼女の思い上がりと無責任を強く感じます。

安倍総理の上に、神様のご加護がありますように心から祈ります。有難うございました。
・・・>・・・。


 コスモス様がわかり易く教えてくださいました(^^♪、

有難うございます。







 清超先生の「窓」です。


津山まで見送ってくれた岡山の幹部の方々と別れて空いた

列車の中で本を読んだり眠ったりしているうちに、夕方となり鳥取についた。

鳥取の講習は美しい市民会館で行なわれ、千百四十二名で

あった。鳥取県は人口六十万弱であるから、県としては少

数である。しかし最近次第に運動が組織的に行なわれるよ

うになり、誌友数二六二九、聖使命二千三百になった。

まだ人口当たりの率は二00人に一人であるが、これから次第にのびて行くことであろう。

相愛会も十九、白鳩支部会五十三となっている。青年会も

現在十あるが、年内(昭和四十二年内)には九つふやす計画だというから、現にだいぶふえている筈である。

全国大会には六十名参加を目標としていると言っていた。

堺港、松崎、淀江、逢坂、赤碕、倉吉などの地方では中々活動している。

宿泊した小銭屋旅館の奥さんがあいさつに来られて、『生

命の実相』を読んでいるし、今日も講習会へ行ったと話しておられた。小谷さんという人である。

講習会第二日が終るとすぐ駅にかけつけ、特急に乗って米子に出て、そこから空路東京に帰った。

                                               (つづく)


 
4:道産子 :

2017/09/30 (Sat) 08:36:41




コスモス様が命を守る会をご紹介されております。

総選挙の旋風( ;∀;)に、伝統様が警鐘を。

神風とはならぬとは思いますけど!(^^)!。








 清超先生の「窓」です。


〇土砂降りの雨の中を東京駅から名古屋に向かった。

そこから岐阜県の可児町の講習会に行く。ここは小さな町で、講習会は初めての土地である。

それでも町民センターに九百十三名集まられた。

岐阜県は百三十人に一人の割りの誌友数である。幹部会

で、「聖使命」紙の印刷や紙質が悪くて、これでは地方新

聞にも劣るという意見が出た。そして地方新聞と聖使命九月一日号を見ると、たしかに悪いようだ。

そこで帰って相談してみることにした。

 相愛会数八十四、白鳩支部会数七十一であるから、白鳩支部をもっとふやしてくれるようにたのんだ。

青年会は単青四十二である。理想世界誌をのばすことをやるそうだ。大いに期待している。

 夜は自動車で二十分ほど離れた八百津町の「蘇水館」に

一泊した。とても見晴らしの良い静かな山上の宿であっ

た。眼下には湖があり、朝は雲が街近くたれこめて大変美しかった。

東京に帰ってみると、羽田は全学連反代々木派の暴力で大

騒ぎであったが、彼らは「革命」のためには手段を択ばず

暴力を振い、遂に学生をひき殺し、警官と学生に多くの負傷者を出した。

計画的にしくまれた暴力には、もはや何一つ学生らしさはない。

彼らはいたずらに世論からハネ上がり、自分達「反安保勢

力」の足をすら引っぱる。彼らは新聞が「イデオロギーやくざ」という名をつけた。

佐藤首相も南ベトナム訪問の時期ではなかったのである。

そもそもアメリカ訪問に「重みをつける」などという根性

がいけないのだ。政治家はもっと「神意」に直結していなければならない。

吉田元首相が、この時期に死去されて、佐藤さんが早々南

ベトナムから引きあげたのも、決して意味のないことではなかった。

                     (つづく)

5:道産子 :

2017/10/01 (Sun) 07:41:09

https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1506811269.jpg

<ただ童子様の投稿を読み、もし自公が過半数で踏み

とどまり、選挙後、自公、希望、維新の連立ということに

なれば、一気に憲法改正ができるでしょう。

憲法改正、特に9条改正は喫緊の課題ですので、この状況が神風と成ることを祈るしかありません。>・・・。

一地方民様の願いの通りいけば万々歳です(^^♪。


 画像は仙厓和尚の「雲助は酒で寒さは 富士の雪」図
です(^^♪。10月のカレンダーです。










 清超先生の「窓」です。


〇川口講習会(千三百名参加)を終って、広島へ行った。

晴天にめぐまれ、柿もミカンも色づいている。

広島県はかなり組織的に充実して来ており、ことに白鳩会の伸びが目ざましい。

白鳩総連合三、地区連合会六十あって、白鳩支部会は三百

九ある。つい最近も安芸地区連に四十支部、広島東部地区連に二十支部会が増加した。

このようにして全県下に網の目のような組織が着々実現しつつあることは、全くすばらしい。

ことに清水現会長を助けて、副会長の小早川さん、元会長

の宮崎さんが一丸となって活動していることは、県下の白

鳩会員にすばらしい影響を与えていることと思う。「白鳩

号」という自動車も出来たというので、ちょと乗せてもらった。

 相愛会連合会は二十六地区連で八十一相愛会、青年会は十三単青で県内を五地区に分けて活動している。

約五百名の会員で活動しているが、まだ数的には今後に期待せざるを得ない。

要するに「いのち」をかけるところの愛情の問題である。

講習会に参加された数は千八百二十三名。この数は会場の広さによって制約された数であろう。

誌友数二万五千程であり内白鳩誌友数一万八千位である。理誌は約千四。

非常によく晴れた両日であった。東京本社に所用があると

いう大成建設の松田さん(教化部幹事長)と一緒に飛行機

で帰った。この日、平和公園の中は平和な人々の群で一杯であった。

                    (つづく)
6:道産子 :

2017/10/02 (Mon) 08:28:39

  

  <希望の党の選挙公約の予定は


「消費税増税凍結」「原発ゼロ」「夫婦別姓」というあたりのようで

安保法制だの憲法改正だのというのを除けば社民党です。
・・・>・・・。


 色々読んでますが、希望の党の現実を勉強させて頂いております。有難うございます。

だけど、政治の世界も奥深いです(#^.^#)。

昨日の若狭氏のコメント「現状を打開しなければ」は、気になりますよね。小池さんはともかく、彼はどういう人物なんでしょうか?










 清超先生の「窓」です。

〇吉田さんの死去にともなって、吉田さんの歩んだ道の再

評価が行なわれているが『東京新聞』の“放射線”は次のように書いてあった。

『吉田さんが二十日新聞週間の始まったその日に死んだこ

とは、吉田さんの最後のアイロニー(皮肉)ではないかと

思う。吉田さんは政治的術策のうえから新聞を大いに利用はしたが、信用はしていなかった。

だから「日本の新聞は読まない」とか「新聞より捕り物帳

の方がおもしろい」などと、日本の新聞記者のは聞きすてならぬ、ふざけた放言をした。

しかし、吉田さんが日本の新聞を軽蔑するのに無理はな

かった。周知のように、吉田さんは太平洋戦争の戦前及び戦中徹底した反“軍部”で、親英米派であった。

だから軍部が日本国民を引きずってヒットラーのドイツ、

ムッソリーニのイタリアと組んで“枢軸”をつくることに大層腹を立てていた。

そのとき日本の新聞は軍部のシリ馬に乗り、もしくは軍部

と結託して、国民を枢軸賛美、反米英へ駆り立てていったのである。

(中略)その新聞が、敗戦とともに、生まれつきの民主主義信奉者のような顔をして、民主主義を説いた。

吉田さんは、そういう軽薄な新聞なら、いかようにも使い

道があると考えたから、新聞の責任を問うようなことはいわず、利用だけしたのである。

「日本の新聞は読まない」などとからかいながら――そして

いま日本の大新聞は再びあやまちを犯し始めているように見える。

昔の軍部に代わる存在が社会党、共産党、総評、進歩派学

者、文化人だろう。大家壮一氏が言うように、“昔陸軍、今総評”である。

新聞はそれらにおもねり“売らんかな主義”の反米記事を満

載しつつある。ソ連や中共が、昔のドイツ、イタリアに相当する。

昔の独伊は、資源と市場を“持たざるもの”として”持てるもの”米英への決戦を挑んだ。

 いま、ソ連や中共は“民族解放”の名のもとに同じことを

やり、日本の進歩派や新聞はそれに同調してナショナリズムをうたい上げ“ベトナム、沖縄”で米国を非難する。

吉田さんはいった。「日本は海洋国家と提携するとき興隆し、大陸国家と結ぶとき衰運に向かう」と』
                  (膳 鶴満)

                     (つづく)
7:道産子 :

2017/10/03 (Tue) 08:22:46




   虎ノ門ニュース、注目2票目投票しました(#^.^#)。

長文ですから、大変です。だけど、重要ニュースですよね。









 清超先生の「窓」です。最終回です。


〇台風三十四号が来るという時、総裁先生は鹿児島、私は
逗子の講演会に行くことになっていた。

ところが台風は途中で急に進路を変え、中部地方を通って新潟県の方へ抜けてくれた。

そのため先生は翌朝飛行機で私は電車で夫々講習会地へ赴くことができた。全く台風さんは生きているのである。

逗子での講習会は体育館で行われ二千四百名の盛会であった。

神奈川県はここのところバランスを保った発展をつづけ、順調に伸びている。

相愛会数四十二、白鳩支部会八十一、青年会三十一で、誌友数は約一万六千、聖使命約一万三千六百口である。

これは格幹部の方々が力を合わせて活動し組織化を進めて

いるからであって、大変すばらしい。但し県の人口は四百

六十万というから、人口率からいくと、決して高くはない。

言いかえれば、神奈川県はまだいくらでも発展する余地が

あるということであり、又その“聖使命”があるということである。

今度の講習会でも、その動員は大変スムーズに、無理なく

行われたということで、県の実力が向上して来たことを明らかに物語っている。

二日とも快晴に恵まれた。鎌倉の和光という美しい旅館に泊めて頂いた。

ここは川端康成さんが、よく執筆に泊られる所だという、

朝、江の島あたりに出て見ると、富士山がくっきりと見

え、ヨット・ハーバーには、釣り人達が沢山並んで荒波の中に釣り糸を垂れていた。

〇長い間青年局で活躍した女子部長の勅使河原さんが結婚のために本部をやめることになった。

結婚式は十一月一日、芝君(神奈川県、石川島重工勤務)のよいお嫁さんになるのだそうだ。

お幸せに。そして光明化運動は永久に。
 

                     (おわり)
8:道産子 :

2017/10/04 (Wed) 08:14:52




    志恩様VS真実、熾烈な戦いです!(^^)!。


 今日は仲秋の名月、見られそうにありませんが、月は常に存在しています(^^♪。

伝統様のご投稿にも、見られます。懐かしき投稿も(#^.^#)。よく、図々しく、あのように(私は)書けたものです(^_-)。








 今朝からは大聖師の御話です。


     羽田事件で死んだ山崎博昭君の考え方

              谷口雅春先生


     ――山崎君は罪の自覚の自己処罰で自殺を避けて事件死を選んだのである――


 十月十八日私は宇治の宝蔵神社大祭に参列するために新幹線で東京を発ったのである。

電車の中で大沼君が持って来てくれた”週刊朝日”と”サンデー毎日”とを読んだ。

朝日の方には『死んだ山崎博昭君の日記』と題して、羽田の全学連の学生デモのことが詳細に出ていた。

そのデモで全学連の同志が奪って運転する警備自動車に轢

き殺されたか山崎青年の日記を見ると、山崎君には”死の本能”が強く働いていたことがわかるのである。

以下山崎君の日記の一部を”週刊朝日”から引用して分析することにする。

『一九六七年九月十六日

精神があらゆるものから自由であり得るためには、自己の精神の分析が出来る能力があらねばならない。

自意識がそれである。しかし我々の自意識をくもらせるもの、すなわち、精神を束縛するものが現に存在する。

物質。精神が物質から自由であるためには、いかにすればよいか。』

『ここでいう物質とは人間の動物的欲求をも、また、動物

的恐怖をもまたふくむものであるが、しかし人間の歴史

は、それが(筆者註。精神が物質から自由になることが)いかに不可能であるかを知らせている。・・・・・』

その後の数行の文章は難解で、意図するところが明瞭でな

いので省くが、ここに「動物的欲求」とあるのは「肉体的

欲求」のことであり、「動物的恐怖」というのは「肉体的

恐怖」のことであり、物質として表現されている人間が、

このような“物質としての肉体”の制約を越えることが如何にむつかしいかを山崎君は嘆いているのである。

ここには、「人間が完全自由を得るためには、肉体から離

脱したい」という隠れたる願いがひそんでいることをあらわしているのである。

                     (つづく)
9:道産子 :

2017/10/05 (Thu) 07:59:31




観普賢菩薩行法の「白象に乗り、蓮華の宝座に坐す」

は、一旦、象より降りて、宝座に坐す、ということでしょうねえ(^_-)。

 また、若狭氏も、夫婦別姓賛成とか、何をか言わん、でしたね(^_-)。

 もひとつ、中秋の名月と満月が一致するのは五輪の後の3年間と聴きました(^^♪。
 







 大聖師の御話です。


しかし山崎君は、敢て、この肉体を殺して魂の自由を得る

ための実際行動を敢行するだけの充分の勇気がないことを自己反省せずにはいられなかったのである。

ここで山崎君が肉体から離脱したがっていたとみられる語句を彼の日記の中から引用してみると、

『近代以降人間の意識は低俗に言えば俗生における相対化

にばかり向いていたのじゃないかな・・・・・死は、それ

を破壊するだけの力を持つけど・・・・・絶対性

ネ・・・・・でも現代人は疲れてるからね・・・・・(自
分が問題だぞ)』

 ここには年をとるにつれて人間が世間ずれをして疲れて

しまって俗物化し、生活が相対化して自己の絶対的自主性を失ってしまうことに対する反抗がある。

近代社会に於いて、人間が低俗化しないためには、死を選

ぶほかはない。自ら選んだ自主的な死は、相対的人間生活

を破壊する絶対的な力がある・・・・・併し、「自分が問題だぞ」と彼はいうのだ。

自分には、みずから死を選ぶ勇気があるだろうか。

そこで彼は、それだけの勇気があるかどうかを自問自答する。

『ニーチェは永遠の青春だ。サルトルの否定性としての人

間存在なんてのも永遠の青年たらんとする宣言だ。青年の

特権は老人を軽蔑しつくす事にある』

 ここには”永遠の青年”になるためには、現実の生活を否定して、超人とならねばならぬと彼は考えた。

永遠の青年になるためには、老人を軽蔑しつくさねばなら

ぬ。換言すれば自分が老人になるまで生きていてはならないという意味である。

青年の生命の高まりの一瞬に現実の生命を否定して、現実

の生活の否定によって、超人の――永遠に老いない――生命を

獲得しなければならぬと、彼は自己の潜在意識が、現実の

生活を否定することを希望していることを暴露しているの

である。そして、その次に彼は、

『生はやはり苦痛と恐怖か。永続革命は人間には重いのでは。生は重い。(真理はその裡に在り)』

 などと書いて、生の苦痛と恐怖とを告白する。

「永続革命」という語の意味は不明であるが、永続革命が

人間にとって重い」というのは、恐らく意識の自己革命を

なしとげて、永遠に超人の心境で現世に生活することは自分には重いという意味のように受ける。

そして山崎君は、この世俗化し、肉体の欲望に縛られてい

る自分から離脱するために「自殺の誘惑」にかられなが

ら、しかも自殺は罪悪であると知るが故に、かれは自殺の

形をとらないで、自分の生命を断ち切る行為を選んだのである。

そして既に、羽田に向かうその時に、自分の事故死を潜在意識の世界に予定していたのである。

                     (つづく)



10:道産子 :

2017/10/06 (Fri) 08:11:12




     先日のTVで櫻井よしこ先生が「日本」を

「にほん」と仰ってたのが気になりましたけど…(^_-)。


 伝統様の月のウサギのお話、いいですね(^^♪。

夕べは格別に美しい満月(^^♪、でした。思わず、「月に願い」を懸けておりました。










 大聖師の御話です。



というのは、私が宇治の宝蔵神社大祭記念の講習会を終っ

ての帰途、新幹線の“ひかり”号で、たまたま10月30日号

の“週刊サンケイ”を読んだときにそれが明らかになったのである。

其の週刊誌には『羽田デモで死んだ山崎君一家の悲劇』と

いう記事があって、それには山崎君の葬儀が詳しく載っていた。

『・・・・・式の終わり近くなって、焼香の列に加わらな

いで、横からじっと集会所の中の遺族を見つめていたセー

ラー服の女学生が、思いつめた表情で、集会所の裏口に歩み寄った。

「おかあさんをよんでいただけませんでしょうか。博昭さんと知り合いのものですけど」

出て来たおかあさんの春子さん(四二)に、その女学生は、とぎれとぎれに話すのだった。

「あの、わたしのだしたお手紙、もう着いたでしょうか。

お手紙だけでは気がすまなくなって、うかがいました。

私、大津から京都の女学校に通っているのですけど、ひと

月ほど前、電車のなかであぶないところを、博昭さんが勇

気をだして助けてくださいました。命の恩人なんです。

それから、ときどきお会いするようになって・・・・・六

日にもお会いしたのです。そしたら“あした東京にデモに

いくんだ。もしかしたら、もう会えないかも知れない。出

発を延期して、もう一度会いたいねえ”っていわれました。

そのときは、どんな意味かわからなかっただけれど、重大な決心をしていたのではないでしょうか。

そんな大事な意味があったのなら、おウチのかたにもお知

らせしたら、とめられたかもしれないのに・・・・・と思

うと申しわけなくて。・・・・・」(週刊サンケイ13頁)

                                               (つづく)
11:道産子 :

2017/10/07 (Sat) 07:54:18

     


 怖い隕石、酸素不足、リベラルならぬリラベル、

色々勉強しております<m(__)m>。







 大聖師の御話です。


山崎君は、この多分、かなり親しく交際していたその女学

生に「もう会えないかも知れない」と、自分が自殺なら

ぬ”自殺行為”で自分の精神又は魂が”物質”の束縛から自由

になることを求め、こんどのデモを機会に、その願いを果

すことをこの少女に予告しようとしたのにちがいないのである。

その少女に送るための詩であろうか、日記の中にこんな詩を書いている。

 ”思想の花びらをあなたに与えたくて・・・・・

 愛らしいその口元に私の言葉で

 君の心に私が住むため

 君の生が一層輝きを持たんがために、

 でも、心に思想の花びらを持ちたい、
 君と共に“ (週刊朝日)

 日附なしの日記の冒頭近くには、山崎君は“「罪と罰」

における現代的意義”と書いているのであるが、彼は近代

の青年にはめずらしく、唯物論になり切れないで、罪の自覚になやんでいたことに注目しなければならない。

そして彼は次の如く自分自身を責めているのである。

自己が自己を責めているということは、”自己処罰”を宣告

しているということなのである。曰く、

『地球上に生を受けて、十八年と十ヵ月、私は一体何をし

て生きて来たのだ。現在にすら責任を持たず、未来に対す

る責任もなく、ひたすら懐疑と無関心の間を揺れ動き他人の言葉で自己弁護をする。

この私は一体誰だ。』

 このように山崎君は自己を叱責し、自己を告発する。そ

して被告である山崎君自身の声として被告的陳述をしているのである。――

「僕には勇気がないという事は分っています。・・・・・

僕は本質的に日和見なのですよ。勇気をもって一方を肯定す
れば、他方からの攻撃。ようするに僕は生きてゆく資格がないのです。弱い人間なのです」

この陳述には、彼は自分自身に対して『生きて行く資格が

ない』と自己宣告することは、自分に対して死刑の宣告を下していることである。

山崎君は、『自分は弱い人間なのです』と劣等感を告白

し、その”弱さ”を自分で打ち破ろうとして努力している。

学生デモの嵐の中にわざわざ京都から上京してあの闘争に

参加したのは、この”弱さ”の劣等感を打ち破ろうとする山

崎君自身の意識的努力と、「貴様のような者は、生きてい

る資格がないのだ、〇ね!」という潜在意識的な死への誘

惑とが混淆した自己処罰行為であったとことがわかるのである。

若し、山崎君が生長の家の思想に触れ「人間神の子」の真

理に触れて弱さの劣等感を克服していたならば、彼は自己

処罰的死刑執行を、自分の身体に課するために、わざわざ

羽田闘争に出かけて行かなかったであろうにと思うと、私

は、もっともっと、青年層にこの生長の家の光明思想を浸

潤せしめなければならぬという責任を感ずるのである。

“弱さ”の劣等感から逃れる事のできなかった山崎君は、日

記の中で、AとBとの対話の形で、半ば独白的に次の如く呟くのである。
                                               (つづく)

  *〇=死。
12:道産子 :

2017/10/08 (Sun) 07:54:02




    杉田水脈さん、当選させてあげたいですね(^^♪。








 大聖師の御話です。


『A 人間は全部弱いんだ・ここが肝腎なのだ。それでも

だよ、人間は努力するんだ・・・・・僕は人間は生きてゆ

く上でどうしても罪を犯さなきゃならんと思っている。か

といって、生きなければ、それはそれ以上の罪なのだ。僕たちの生は罪の浄化のためにのみ意味をもつんだよ。・・・・・』

 以上掲げた日記の自問自答の対話でわかるように山崎君

は、「人間は罪を犯さずに生きられない」即ち罪人の自覚を深刻にもっていたのである。

そうかといって、その罪を犯さずに生きられない不浄な地上人生を逃避するために自殺する訳にもいかない。

自殺は「罪を犯しながら生きていくよりもそれ以上の罪悪なのだ」彼は考える。

右するも罪を犯すことになり、左するも罪を犯すことにな

る。その両途の間に板挟みになって「人間は努力するほか

はない」その努力の生活を送りつつ罪を浄化するのが人間の生なのだと山崎君は考える。

 山崎君は非常に頭が好い。人間が”罪の子”であり、“罪

を犯さずには生きられない”という前提に立つ限りに於い

て、頭の良い人間はこの山崎君のように考えるほかはないであろう。

彼は全学連的な行動で、国内の治安を紊すことは「罪を犯すことだ」と知っていたであろう。

しかし佐藤首相が南ベトナムを訪問し、そして合衆国を訪

問し、合衆国と南ベトナムとがあの越南でベトコンや北ベ

トナムに大量の爆撃を加えて毎日多数の殺人を犯している

戦争に日本国が協力することになるのは善くないことだと

考えながらそれを其の儘、どんな阻止行動にも出ないのは、一層罪を犯すことになるであろう。

日本がベトナム戦に介入することを黙って阻止しないのは

「僕には勇気がないからだ」「自分はこの人間的弱さを克

服しなければならない」「この人間的弱さを克服するため

に僕は敢えて羽田空港における阻止行動に参加する」

山崎君の日記にはこのような考えが滲み出ているのである。

そして此の罪を犯さずには生きられない世界に於いて、国

内に騒擾を起こすという罪を犯しながら、日本国のベトナ

ム戦争介入という「より一層大なる罪を阻止する」勇敢な

行動を、意識的に努力することによって、自殺によらずし

て、罪を犯さずには生きられない此の不浄な世界から離脱することを彼の潜在意識は希望したのだ。

そして彼はその目的を達したのであった。

                     (つづく)
13:道産子 :

2017/10/09 (Mon) 07:59:57



<ところで、日本の正式な国号は何かというと、「大日本帝国」となっているのであります。

「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と明治憲法に書かれております。

その後、この日本の国号を変更したという事実はどこにもありません。・・・>・・・。


 源流様のご投稿より<m(__)m>。

故に、これだけでも、今の「日本国憲法」は偽物というわけです。








 大聖師の御話です。今朝で終わりです。


人間を罪深き者と考え、”罪の子”と考え、罪を犯さずには

生きられない“不幸な生物”だと考えている限りに於いて、

最善の努力を尽くしても結局人騒がせをして人々に迷惑を

かけながら、自分の死を招くくらいのことしか出来ないのである。

 私は第一次世界大戦中、ドイツで製造された武器によっ

てユトランド沖の海戦でドイツ軍艦が撃沈された事実等を

挙げて正にこれは自己処罰であるといったメニンジャー博

士の説を紹介した事があるのであるが、現に今アメリカが

戦っている南ベトナムに於いて、アメリカで製造して南ベ

トナムに送られた兵器をベトコンが鹵獲してその米国製兵

器によってアメリカ兵を殺戮しつつあるという事実は、こ

れまた「自己処罰」というほかはないことを指摘したいのである。

戦争というものは戦勝国と雖も、物質的損失は勿論、戦争

前よりも人情が殺伐となり、国民の道徳的低下は免れない

のであって、結局、物心両方面からの損失となるに違いな

いのに、何故驚くべき巨額の資金を使って、尚、宇宙兵
器、水爆兵器の開発に人類は熱心になるのだろうか。

これは、結局、ひとりひとりの自己処罰では、罪の意識を

解消するのに間に合わないので、大量自己処罰の一形式として戦争を起こしているのであると解釈できる。

だから、戦争を防止するためには、自己処罰の必要を絶無

にするために、「人間神の子、本来“罪”なし」の信仰を普及するより仕方がないのである。

この普及が吾々生長の家の使命である。

心ある青年、人類に平和を持ち来たす天使たる自覚を持つ

青年は悉く生長の家に結集されなければならないのである。

                     
                    (おわり)

14:道産子 :

2017/10/10 (Tue) 08:30:44

   

   今日は10月10日、谷口恵美子先生の御誕生日と憶えておりますが。

恵美子先生の御話と思いましたが、丁度紹介するものが無く、
輝子先生の御話がありましたので謹写させて頂きます。

 また、伝統様が光明道中記の10月10日の波羅蜜多の行を

ご投稿されておりますが、折よく(#^.^#)私めも、今朝から光明道中記の毎日を仏前で読誦することにしたばかりです(^_-)-☆。

有難うございます。






 昭和四十三年「理想世界」誌2/1号よりです。



  青年何を為すべきか      谷口輝子先生


 昨日「改造内閣」が組閣され、今朝の新聞には、認証式を終えた閣僚たちの写真が載っていた。

二十四日の朝日新聞の「天声人語」を読んだ私は、なさけなくなってしまった。

・・・・・近頃の大臣はまず「一年」が相場、名前も覚えないうちに変ってしまう

△自民党議員の三分の一が「大臣経験者」という有様だ。

こうなれば未経験者は焦り出し、早くどこかの大臣のイスにつきたがる。

大臣になればハクが尽し、肩書は選挙に大いにモノをい

う。お国入りの”栄誉感”も味わえるし、政治資金の集まり方も違って来る

△大臣病患者がウロウロといて、その熱望を逐次かなえてやらねば、党内あちこちに欲求不満がこうじる。

大臣になることを終生の願望とし、あと一息というので、

眼の色も変らんばかりの連中が、各派閥にひかえ、あこが

れのイスにつく順番を待っているのだから、総理大臣たる

もの、代議士男一匹の悲願に対し、希望を持たせる「善政」もやらねばならぬ。

△各派閥を何とかなだめ、その協調態勢のうえにのっかる

自民党総裁兼総理大臣は、かくて、大臣の異動を頻繁にや

り、大臣を各派閥から仕入れる仕儀となる。ある派閥から

多く大臣をとると、他の派閥がむくれてるから、バランスを考えねばならぬ・・・・・。

などと、天声人語氏は、大臣をはじめ政界人を、如何にも下らない人間のように書いている。

自民党に好感を持っていないからであろう。

理想もなく使命感もなく、ただ自分一個の「名誉」や「権

力」やハク付けを欲して、大臣席獲得の順番を待ちこがれている者ばかりのように書いている。

そんな政治家も中には居るであろう。しかし私は、そんな人ばかりだと思うことは余りにも悲しい。

二十六日の朝刊には、各大臣が、それぞれに自分の役目についての抱負を語っている。

三木首相は「来月、北方領土の折衝」について語り、灘尾

文相は、「自治破壊者には厳しく」と言い、その他の大臣たちも、それぞれの抱負を語って居られる。

それらは口先だけでなく、命がけで実行して貰えるならば、国民はその真心に承服するに違いない。

                                               (つづく)



15:道産子 :

2017/10/11 (Wed) 07:56:02



自民・公明300大台はあるのでしょうか?

期待してます(^^♪。

(伝統様「小池劇場」より)








 輝子先生の御話、続きです。


「愛」は宗教界だけのものではない。立派な政治は矢張り

「愛」を基盤としてとして行なわれるべきであって、自己一身の利益を考える人には、善政は行われる筈はない。

また善政を行なわない政治家の末路は悲惨であるばかりでなく、その子孫も不幸である。

 ソ連のスターリン首相の最後は、毒殺されたという噂も

あり、まだその死因が不明であるが、彼の血の粛清によって、おびただしい人々が殺されている。

彼の最後は幸福でなかったようだし、彼の熱愛していた一

人娘のスベトラーナは、祖国を亡命して逃げ回り、今はソ

連の敵視しているアメリカで、『回想録』を書いている

し、彼女の兄のワシリーは野垂れ死にをしたと彼女は書いている。

 善政を行なわなかったために、多くの自国民を殺し、最

愛の二人の子も不幸にしてしまったスターリンが死に、政権は四年後にフルシチョフの手に握られた。

そのフルシチョフは、三十二年の“反党グループ”追放に際

して窮地に陥った時、ジューコフ元帥に助けられたのに、

自分が政権を握ると、ジューコフ元帥を追い出してしまった。

そして、我が世の春を謳歌していたフルシチョフも、何年

か後にはまた政権の座をブレジネフやコスイギンに奪われてしまった。

奪った者は奪われる。この繰り返しはいつまで続くことであろうか。

 名誉も権力も財産もあってもよい。しかしそれは、自己

の利益の増大のために役立てるのであっては、少しも価値高いものではない。

それを社会のために、人類のために役立ててこそ尊いものとなる。

 大臣の椅子にあこがれたり、社長夫人にあこがれたり、

スターにあこがれたり、そのような子供じみた浅い心状では、本当の立派な生き方は出来ないものである。

大物になるには、大物らしい働きが出来なければならない。

大臣の椅子に着けば、一国の政治を見事にやり遂げ、国威

を海内に輝かし、国民に幸福な生活を与えるために、自分

一個の名利を顧みることなく、懸命に他に捧げる人でなかったら、立派な政治家とは言われない。

大臣にあこがれる政治家の卵たちは、先ず大きな椅子に着

いて、名誉と権力と収入を考える前に、自国の生長と国民

の幸せのためには、如何に為すべきかについて、祈りを深めねばならない。

国のため、国民のためにとの祈りから出発した政治でなくては、多くの人の支持と尊敬は得られないであろう。

                                              (つづく)
16:道産子 :

2017/10/12 (Thu) 07:56:47




早速出ました、「自公300議席超うかがう」(^_-)。

引き締めて行かねば…、と言う処でしょう。








 輝子先生の御話です。


大学生にあこがれる少年少女は、ただ入学さえしたら良い

と考えて、遮二無二勉強して、さてどうやら入学できると、安心してぼんやりしているのが多いそうである。

ぼんやりから立ち上がっても、勉学を目的の大学生の本分

を忘れて、政治運動に走り、事ある毎に暴動を起こしたりする。

 大学に入学したら何を為すべきか。

ひたすらに学問を勉強し、それによって得た知識をもって、卒業したら社会のためにお役に立つことである。

学生のくせに、勉学もろくにしないで、学生運動とやらに

走り廻っている連中は、基礎がしっかり出来ていないの

で、何か偉そうにやって見ても、確信がないので、途中で脆くも崩れてしまう。

 先日の羽田乱闘事件で、警察に引かれた学生のうちの七

十四人に、父母を呼んで逢わせたところ、彼ら若者の多くは、

『「お母さん御免ネ。もうこんなデモには参加しないよ」と涙を流して詫びたり、

「ボクは石を投げてないよ。棒を持っていただけだよ」と弁解しているのや、

「下宿生活が無味乾燥だったので、学生運動に参加して見た」というのもいたそうである。

自分一個としての、しっかりした信念とか理想はとかはな

く、ただ先輩の職業運動家らの指令を受けて、付和雷同し

ているのが多いから、このような学生たちは、父母の顔を

見たら、涙を流して、幼児のように甘え、先輩がそそのか

したら、またその尻馬に乗って、ヘルメットをかぶり、長い角材を握って駆け出すのであろう。

                     (つづく)
17:道産子 :

2017/10/13 (Fri) 08:11:55



観普賢菩薩行法、だいたい行えるようにはなりましたが、

大日本神国観とともに、なかなか難しい行です(^_-)。

会得までに何年かかりますか(^_-)。

 白象より降りて、蓮華の宝座に坐す、と思っておりましたが、

白象の鞍に蓮華の宝座があり、そこに普賢菩薩が坐って居られる、ということでした。








 輝子先生の御話です。


二日前に、練成局の名久井君は、婦人局長その他の白鳩五

名と同行して、羽田で傷つけられて入院中の警官たちを、

各病院に見舞いに行った。警官たちの怪我の箇所はまちまちであった。

育仁会病院にいた警察官は、背骨を角材で殴られて、骨を三本折られて体が全然動かない。

半年の入院を要するとのことであったし、市川病院では、

眼の上を石で殴られて、ヘルメットを被っていても効果な

く、ヘルメットを割られて眼に当たり、眼は物凄くはれ

て、お岩みたいな顔をしているのを、僕は写真に撮って来ました、と言って居られた。

 私の孫の一人が、昨日学校からで帰ってきて「倫理の先

生がね、学生は警官の足ばかりを打ったのに、警官は学生

の頭ばかり打ったんだと言われたのよ。警官の方が悪いって」

「そんな一部分のことを見て全体のように言っては駄目

ね。警官が背骨を折られたり、眼をやられたりしていることを、昨日聞いたばかりよ」と私は答えた。

純真な生徒たちに、かたよった話をしてはいけないと私は思った。

                     (つづく)
18:道産子 :

2017/10/14 (Sat) 07:53:04



アクエリアン様が田中忠雄先生、三島由紀夫氏、小山常美氏を紹介しています。

しろうさぎ様も貴いご体験をされています。










 輝子先生の御話、この回、終わりです。


名久井君は別の日に新宿の東口に立っていると、二十数名

の学生が「負傷学生を救う資金カンパ」をやっているのを見つけた。

名久井君は単身その中に近づき、その集めたお金は何に使

うのかと質し、その資金は、全学連運動に全部使われるこ

とを感じとったので、群衆を呼び集めて「羽田事件の学生

は正しいか、悪いか」ときくと、群衆はみな、

「全学連は悪い」と答えたので、学生たちに資金カンパを

止めて貰い、群衆の手伝いを得て、学生の持つチラシを全部集めたり、看板を下ろさせたりしたのであった。

 二十四日には名久井君は、台湾の蒋経国部長の、チラシ

を配っている学生があることを知り、また出かけて行った。

そこには女子学生二名を加えて十二名の学生が、「台湾と

日本とは軍事同盟を結んでいる」その他出鱈目を叫びつつ、チラシを配っているのであった。

名久井君は学生と三十分ほど議論をしてから、また大衆に

集まるよう呼びかけたら、六十人ほどの人々が名久井君を

取り巻いた。名久井君は、

「皆さん、僕はもう言う事はありません。皆さん言うこと

ありませんか」と言ったら、集まった人たちは、

「そうだ! お前の言ってることが正しいから続けろ!」

と言ってくれたので、名久井君はオーヴァーを脱いで、またしゃべり続けた。

すると大衆の中にいた学生たちも応援してくれて、全学連

に反論をしむけてくれたりし、全学連の持っていた、残部

のチラシ三千枚ばかりを提出させ、皆でそのチラシを引き

破り、看板も半分に折って渡し、皆に手伝って貰って、そ

こらに散らかっていた紙屑を整理して帰って来たという事であった。

 一人の青年が、或る日は二十数名の青年たちに向かって
行き、或る日はまた一人で、十二名に向かって行った。

その自信と勇気と真心に、私は力いっぱいの拍手を送った。

我こそは日本を愛する青年だという確信に満ちた若者は、

自分一個の利害などは念頭になく、千万人と雖も我れ行か
んの心意気をもって、勇気ある行動が出来るのである。


                    (おわり)
19:道産子 :

2017/10/15 (Sun) 07:54:09



自民党が危ない、選挙は水物?「安倍一強」のカラクリ?

この際、圧勝を願いたいですけど、敵もさるもの、なかなか

スンナリはいかないんでしょうか(^_-)。









 さて、今朝からは、理想世界誌に続けてお書きになっておられる

「輪読のための青年法語」です。


 吾ら“神の子”の自覚の上に立ちて   谷口雅春先生

           (昭和43年「理想世界」誌 2/1号より)


    一日のことば  ♡  “神の子”を生活せよ


 勇敢であれ。人間であれ。真に人間であるという事は“神の子”であるということである。

勇敢に“神の子”たる実相を肯定せよ。

劣等感に屈服してはならない。劣等感は万悪の根元である。

勇敢に“神の子”であれ。“神の子”の善を生活に実践せよ。


                     (つづく)
20:道産子 :

2017/10/16 (Mon) 07:56:23


      <女優・歌手、神職、古事記アーティスト、海上自衛隊幹部学校客員研究員など

多才な吉木誉絵(佐久弥レイ)さん>・・・、頼もしい方が・・・(^^)/。










 大聖師の御言葉です。


 二日のことば  ♡  美の創作と鑑賞について


 人生は魂の進歩の道場である。人生は肉体が享楽するためにあるのではないのである。

肉体は魂に仕えるためにあるのである。美の鑑賞は、肉体の享楽ではないのである。

美の創作は、実相界にある“美”の本質を、現象界に映し出

して再現したものであって、その美を鑑賞するのは魂の世

界のことであって、肉体の享楽とは次元を異にするのである。

                     (つづく)

21:道産子 :

2017/10/17 (Tue) 07:49:15



      明鏡様がよき誦行散歩をされております(^^♪。

人間、歩かなきゃダメです(^^♪。ストレッチもいいです、







 大聖師の御言葉です。




   三日のことば  ♡  美感と肉感とについて


 肉体を離れて味わう快感を美感というのである。

絵画を鑑賞してその美を味わう。音楽を鑑賞してその美を味わう――そのような場合の快感を美感というのである。

 手に触れて快い、肌にさわって気持ちがよいなどという

快感は、肉体の一種であって、それは肉体に即いた快感であり、魂が悦ぶのではないのである。

肉体に即いた快感に惑溺しているときには魂はその向上進歩を忘れて、肉体の惑溺に引きずられて退歩する。

古代の仏教徒は女性に触れることを“汚れる“かのごとくに

女性を遠ざけたのであるけれども、それは”女”という”人

間”を”汚れている”として排斥したのではないのである。

女性の肉体に触れて味わう快感は、肉体についた悦びであ

るが故に、それに溺れるとき、魂の向上進歩が一時阻害せ

られるからであって、女性の肉体そのものの魅力の強さを

表現したのであって、女性の魂が下等であるとか、救われ難いとかいう意味ではないのである。

                    (つづく)


22:道産子 :

2017/10/18 (Wed) 08:07:09




     野の百合の花様が教団の選挙方針?をご紹介下さっております(^_-)。

驚天動地、というところでしょうか(^_-)。


「風なし自民党」に台風21号が悩みの種かも(^_-)。










 大聖師の御言葉です。


 四日のことば  ♡  乗馬に主人公が引き回されてはならない


 肉体の魅力にまどわされてはならないし、肉体に触れて味わう快感にまどわされてもならないのである。

肉体は魂が乗って修行するところの乗馬であることを知らなければならないのである。

魂の向上進歩のことをわすれて肉体の快楽に惑溺する者

は、乗馬が主人公となって騎士を引きずって走っているようなものである。

魂は自主権を恢復しなければならないのである。馬からは

やがて降りなければならない。魂のみが永遠の存在ではないか。

                    (つづく)
23:道産子 :

2017/10/19 (Thu) 08:14:50




「火事は最初の5分、選挙は最後の5分」蘊蓄のある格言?です。

自民もあまり伸びると、おごりが出るし…(^_-)。









 大聖師の御言葉です。


  五日のことば  ♡  法則に従って生活せよ


 宇宙の法則に対して素直に従順でなければならない。

法則に従うことによってロケットは月にも達するし、金星にも到達する。

法則に逆らうときは目的を達することはできない。

法則を求めよ、法則を発見せよ。法則に従って生活を改善せよ。


                     (つづく)
24:道産子 :

2017/10/20 (Fri) 08:21:05

https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1508455266.jpg


温厚な(^_-)志恩様が、少々過激になられております(^^♪。

 新編『生命の實相』の表紙など「ダサイ」そうです(^_-)。
写真載せてみましたけど、「ダサイ」とは思えませんけど…(^_-)。(当該写真のバックはダサかったです(^_-))

 注釈が下、も違和感はありませんし、却って見易いと思って見ています。

字は大きくてこれもグ~(^^♪、今朝気がついたのが、栞の代わりにFancyなうさちゃんなどのイラストの「目印」(説明出来ない(^_-))がついてました。
センス極上です(^^♪。

価格はお高いですけど、大聖師の御著書を思えば、そんな事も言ってられないかも知れません。が、その裡にもう少し購入しやすい価格になればうれしいです。









 大聖師の御言葉です。


   六日のことば  ♡  名声や財物を目的にしてはならない


 自己の理想をもって行動せよ。自己の名声や、財物を目的にして行動してはならない。

無我の愛をもって、国家人類のために尽すがよい。

名声や財物は自然にその人に従い来るであろう。

 私心をもって計画的に名声をつくり上げ、私欲をもって

計画的に財物を得るならば、やがてそのカラクリが明るみ

に出たとき、名声なかりし時よりも、財物なかりし時よりも、その人は一層みじめになるであろう。

                     (つづく)

25:道産子 :

2017/10/21 (Sat) 07:56:24




 <「神よ、日本の国を治める政治が神のみこころを心とする人たちに握られますように、国民の心を浄めたまえ。

「神よ、日本国民が左右両派に岐(わか)れることなく、

日本の国のみ栄えのために、一心同体となって協力することができますように全国民を導きたまえ。

「神よ、今度の衆議院議員選挙に本当にあなたを理解し、

あなたのみ心の議会に於ける代弁者となるような善き人を当選せしめ給え」

(こう祈ってから、次の歌を繰返し黙唱して光明みちわたる世界を観想する。)

「すめらぎの大御光(おおみひかり)みちわたり

        わがひのもとの国は泰(やす)けし」>。


 破邪顕正様のご投稿より引用させて頂きました<m(__)m>。







 大聖師の御言葉、続きです。


   七日のことば  ♡  不正義を討つに遠慮してはならない


 理想を掲げて正義の戦いを戦うがよい。正義に反する者に遠慮して躊躇逡巡する者はついに正義を失う。

不正義が世の中に跋扈する原因は正しい人があまりにも無

気力で温順しく、不正義と戦う勇気を失っているからである。

不正義をゆるして置くのは不正義の跋扈に対して応援しているようなものである。

そのような人は、不正義の者に連累する犯罪者である。正

義が引っ込めば不正義がはびこり、真理が引っ込めば不真理が幅をきかす。

                                              (つづく)
26:道産子 :

2017/10/22 (Sun) 07:44:42




伊勢湾台風並み、とは大変なことです。

秋葉原の盛り上がりが功を奏してくれればいいですね(^^♪。










 大聖師の御言葉です。


  八日のことば  ♡  真の平和と幸福は愛行により来る


 一にも愛行、二にも愛行、三にも愛行・・・・・愛行を通して、人間に宿っている神性があらわれるのである。

小さな愛行もおろそかにしてはならない。

日常生活では巨大な愛行によりも、小さな愛行が普通多くの人々を生かすのである。

愛行によって、自己の心に真の平和と幸福と繁栄とが来るのである。

愛行によってのみ、世界に真の平和と幸福と繁栄とが持ち来たらされるのである。

                     (つづく)
27:道産子 :

2017/10/23 (Mon) 08:21:15



大聖師も屹度喜んでおられる事でしょう(^^)/。

 稲田先生、杉田先生、お見事でした(^^)/。

うれしいですね。







 大聖師の御言葉です。


  九日のことば  ♡  真に実行する人となれ


 苟も事を乗ずるには、中途半端な誠心を以ってなしてはならないのである。

熱意と周到な注意をもって実行しなければならない。

易々加減にやっておいて「実行しました」と思ったり言っ

たりすることは、ある意味ではウソを吐いているのである。

“やる限りは、他の人々には真似の出来ない位な精緻周到

な計画をもって、一寸の隙も無く、やり通してこそ「実行しました」と言明する資格があるのである。

                                               (つづく)





28:道産子 :

2017/10/24 (Tue) 08:18:28

   


  <「 予想する 」 ということは一種の「 祈り 」である。

不幸や災厄や戦争や病気を

予想することは、それらの不祥事を起るように祈っているのと同じことである。

「 軍備は戦争を予想するから却(かえ)って戦争を招く 」 と主張する者もあるけれども、

「 国家の威厳 」 として軍備をととのえるとき 「 その威厳によって、決して他国は

自国に侵略などしてくるものではない 」 と云う信念が湧いて来るならば、

軍備は決して戦争を予想することにはならないのである。

軍備と云うものを、ただ戦うためのものだと考えることは間違いである。

軍備は女郎蜘蛛(じょろうぐも)や毛虫が毒々(どくどく)しい色をしているために

鳥類からの捕獲をまぬがれるのと似ている。鳥類が昆虫をとろうと思えば、

毒々しい色彩などは何ら防禦(ぼうぎょ)の実力はないのであるが、

それがあるがために一種の威厳を備えていて、小鳥は此(これ)らの蜘蛛(くも)や

毛虫には近寄ることを敢(あえ)てしないのである。・・・>・・・。


 明鏡様のご投稿より。新編「真理」の御文章のようです。







 大聖師の御言葉です。


   十日のことば  ♡  失敗を通して科学も人間も前進する


 現象にみじめであっても、貧しくあっても、失敗を重ねても、それで失望落胆してはならない。

現象の失敗は、「成功」の嫩葉(ふたば)である。あらゆる失敗を通して科学は進歩して来たのである。

失敗する毎に、新たに法則が発見され、その新たに発見された法則によって科学は前進した。

諸君の魂も失敗を通して、失敗毎に前進しつつあるのであ

る。失敗する毎に前進を意識する者は益々進歩し、失敗す

る毎に劣等感を生じて萎縮する者はついに人生の落後者となるほかはないのである。

                                               (つづく)



29:明鏡 :

2017/10/24 (Tue) 13:36:32


道産子 様

合掌、ありがとうございます。

新装新版 『 真理 』(光明思想社 発行) は、新版 『 真理 』(日本教文社 発行)と内容もページ数も
全く同じものです。

カバーの表紙等が変わり、紙質が、新編『 生命の實相 』に似ていて、文字も濃いので、
読みやすくなっております。

本の厚さは、新版に比べて、数mmほど薄くなってコンパクトになりましたので、全11巻(別冊を含む)を
新装新版で揃えた場合、ちょうど、一冊分 新版よりも、本棚のスペースが少なくても済むと思います。

再拝。

30:道産子 :

2017/10/25 (Wed) 08:34:06




  明鏡様、わざわざお出まし有難うございます<m(__)m>。

 新編「生命の實相」も早や約半分まで刊行され、嬉しく存じます。

 新編「真理」もぜひ揃えたいと思って居ります。
(教文社版は持って居りますが)

 思い出しましたが、日訓の件、めくり慣れ?て、月末も
スムーズにめくれております(^^♪。

何でも、慣れ、なんですね。毎日が大事なことがよく判りました。
今後とも、よろしくご指導願います<m(__)m>。








 大聖師の御言葉です。


 十一日のことば  ♡  勝者となり主人公となれ


 物質に対する執着を棄てよ。肉体の快楽に対する欲望を棄てよ。

物質は常に変化して恒常なる価値を持っていないし、肉体

はやがて脱ぎ棄ててしまわなければならない魂の実修服に過ぎない。

一時価値を追求するよりも永遠の価値を追求せよ。

魂は永遠であり、肉体の死を越えて永遠に存続する。肉体

を魂に隷属せしめる者のみが真の勝者であり、肉体の欲求に隷属する者は敗者であり肉体の奴隷である。

勝者となり、主人公となれ。

                     (つづく)
31:道産子 :

2017/10/26 (Thu) 08:31:08




トキ様が「原子力発電はピーポイントで攻撃不可能」と仰っております(#^.^#)。


 小川栄太郎著、ぜひ読みたいです。今朝の新聞にも「森友値引き 最大6億円過大」などと出てますし…。









 大聖師の御言葉です。


  十二日のことば  ♡  自己の実相を生かす者


 利己的であるという事は、自己の実相を包み隠す者である。その“包み”を“罪“というのである。

あなたの実相は、”神の子”であり、神の生命に於いて、す

べての人間、すべての生き物、すべての存在と一体である

から、すべてを生かすように生活してこそ、あなたが“神の子”である実相を生かすことになるのである。

すべての者を愛し、すべてのものを生かす者こそ、自己の本質を生かす者である。


                     (つづく)
32:道産子 :

2017/10/27 (Fri) 08:39:17




久し振りに、大聖師の神想観のテープを聴かせて頂きましたら、

そのお声の朗々たること、気合のすさまじいこと(^_-)-☆

に圧倒されました。


 「いのちの環」最近号を見せて貰いましたが、雅宣氏の

主張には何か、結構説得力があって危険ですね(^_-)。









 大聖師の御言葉です。


 十三日のことば  ♡  “神の子”らしく模範生活を営め


 常に人から見られても模範的な生活をするがよい。それは人に見せびらかして自己を誇るためではない。

全ての人は他の人の行動や生活の有様を見て、それを「暗示」として受取るのである。

すべてのあなたの一挙手一投足は、他の人に対する暗示となるのである。

ベトナムの仏教徒が政治不満に対する自己主張のために焼

身自殺をすることが新聞記事に写真入りで報道されると、

今迄日本には全然なかった焼身自殺を、佐藤首相訪米直前に実行した人が日本にもあらわれた。

全ての行動及びその報道は、善悪共に暗示となって他の人々を動かしているのである。

自分の身体だからどうしても好いというわけのものではないのである。

人は行動すれば、必ず周囲に何かを与えているのである。

それが善の影響か、悪の影響か、によって諸君の行動の価値は定まるのである。

                     (つづく)
33:道産子 :

2017/10/28 (Sat) 07:49:19




アクエリアン様も、何だか新編『生命の實相』に異議を唱えられております(#^.^#)。




 大聖師の御言葉です。


 十四日のことば  ♡  肉体の欲望の聖化について


 肉体を霊に対して従属せしめよ。ということは肉体の欲望を全然否定せよという事ではないのである。

肉体の欲望が、肉体自身の利己快楽的なものから一転し

て、霊の要求に従ってこれを従属せしめるとき、肉体の欲

望が窒息せしめられるのではなく、肉体の欲望が聖化せられ崇高化(sublimate)されるのである。

それは肉体にとっても、有りがたいことであり、やがて老

い病み、朽ち果てて消えてしまう肉体が、永遠に朽つるこ

となき、滅する事なき価値につながるということになるのである。

                                               (つづく)

34:道産子 :

2017/10/29 (Sun) 07:52:15



     八重山日報、今どき稀有な、信ずるに足る情報源のようです(^^)/。








 大聖師の御言葉です。


 十五日のことば  ♡  自己をして自己たらしめよ


 自己の引受けた職務を徹底的に遂行せよ。責任を回避してはならない。

併し、他の人の領域に頭を突っ込んではならない。

これは協力するなという意味ではない。協力することが自

己の職責であることもある。いらぬオセッカイを為すなという意味である。

他の人をして他の人そのものたらしめよ。その代り、自己をして自己そのものたらしめよ。

他の人の欠点を語るな。欠点を語って、それを興味本位に笑い話にするなどは最も悪い趣味である。

欠点を語る場合には、愛念をもって静かに暖かい語調で本人に勧告せよ。

                     (つづく)

35:道産子 :

2017/10/30 (Mon) 08:07:54




  「青山議員 セクハラ疑惑」でビックリも、よく見たら、「立憲民主・」とあって一安心(#^.^#)。










 大聖師の御言葉です。


 十六日のことば  ♡  常に“神の子”の自覚を深めるがよい


 常に“神の子“なることを憶い起こすがよい。

「私は神の子である。神がこの仕事を為さしめ給うのである」と念じつつ勉学し、又は行動せよ。

神との一体感が深まるにつれてあなたの生命及び魂が浄化され聖化されるのである。

”神の子”の自覚は、神の無限の智慧と愛と生命と供給との

後嗣者(あとつぎ)であることを暗黙のうちに肯定することになるのである。

従って日常生活中にも、神の智慧に導かれ、愛深き行動が

とれることになり、常に健康で、世の中に貢献できる仕事を成し得るのである。

                     (つづく)
36:道産子 :

2017/10/31 (Tue) 08:24:05




毎朝(土)読誦の「光明道中記」仏教用語も絡んで、なかなか難解です(#^.^#)。

今朝も、最後に
<御社の「光明」も「しばら」で光明真言に言う「じんばら」は此の「しばら」で光明(神)の事です>・・・と。

 奥深過ぎて(^_-)従いて行くのにアップアップです。








 大聖師の御言葉です。


  十七日のことば  ♡  神に与えよ、神はまた汝に与え給わん


 常に神を念ぜよ。「我れ神と偕にありて、この聖業を成さしめ給う」と念ぜよ。

ただ神のために、神の栄光をあらわすために何事もなすが

よい。それが却って神からの協力をあなた自身に得ることになるのである。

これは「与えよ、さらば与えられん」の法則にかなうのである。

神にあなた自身を与えれば、神はまた神御自身をあなたに与え給うのである。

                     (つづく)
37:道産子 :

2017/11/01 (Wed) 08:18:14

    



   <國の生成・成り立ちが欧米とは全く異なり、市民革命も経験してゐないわが日本國に、

 西洋國家思想たる「社會契約論」を基礎にした憲法が押

し付けられたのである。この一点を以てしても『現行占領憲法』に正統性がないことは明白である。

 日本の國家観と西洋國家観とは根本的に異なる。>。


 コスモス様のご投稿より引用させて頂きました。

四宮正貴氏の論調?です。








 大聖師の御言葉です。


 十八日のことば  ♡  “本立って道生ず”ということ


 犬養道子さんが、はたちの時悩んだ話を書いている中

に、「本立って道生ず、とは、女学校一、二年のとき読ん

だ論語の中の最も好きなことばであったが、生とは何、死

とは何、人間とは何、と言う永遠の課題を解くことなしに勉強は無意味であろうと深刻に考えたのであった。

人間存立の意味を解くことは、すなわち本を立てる事であ

り、生と呼ばれるこの偶有の意味を知ったとき、勉強も含

めた“道”の様々は自ずから生ずるに違いないと考えたのであった。」(朝日、四十二年十一月十一日号)

 という言葉がある。

読者は既に、人間存在の根本の意義を知ったのである。

(まだよく解らない人は私の『いのちの革命』の本を読んで頂きたい。)

即ち人間は”神の子”であり、神の最高の自己実現であるこ

とを知ったのである。即ち「本が立った」のであるから、

その「本」の真理を枯らさないように毎日怠らず神想観を

続けるならば真理の幹がすくすくと伸び育ってそこから無

数の枝が出来て爛漫と花咲き実を結ぶように、自然によき

アイデアが生まれて来、それを実行することによって良き結実を得ることになるのである。

本が立った後には、本を育てることを忘れてはならないのである。

本は立ったが、幹が枯れたのでは何にもならない。


                     (つづく)
38:道産子 :

2017/11/02 (Thu) 08:19:02




     桃の実3つ様のご投稿にはただただ感動いたしました(^^)/。

身が引き締まります。

あまむし庵様の別称でしょうか?(#^.^#)。









 大聖師の御言葉です。


  十九日のことば  ♡  自己を“商品”として下落せしめてはならぬ


 報酬を求めて事をしては“生命”が“売り物”にまで低下する。

現代のコマーシャルリズム旺盛の世界での人間の禍は、すべての人間が商品価値として取扱われることである。

商品価値のない人間は無価値の如く思い違いされていることである。

映画の大スターが、テレビで薬の広告のサンドウィッチ・マンみたいなことをする時代である。

真の人間は「神の子であって、売らず、買わず、唯々黙々

として無我無心に人類のために自己の天分を尽すのである。

 物質的所有を欲しいと思う心を棄てよ。肉体的快楽を欲しいと思う心を棄てよ。

その時初めて、霊があなたの主人公となるのである。

霊の要求が優先することによってはじめて肉体は霊に従属

し、その程度に従ってあなた自身が主人公となり、真に人権が恢復されるのである。

真の人権の恢復は、単に制度の上で人権の自由が宣言され

ても、みずからが肉体の欲望に従属している限りは、
依然としてその人の魂は奴隷であるのである。

肉体の人権を恢復するという名に於いて、“霊の人権”を蹂躙しているのが今の憲法であるのである。

“霊の人権”を恢復する自主的憲法の制定こそ最大の喫緊事である。


                     (つづく)
39:道産子 :

2017/11/03 (Fri) 08:38:51



   「十三夜に曇りなし」、まずまずのお月見は出来ました(^^♪。

 立花隆氏「共産党考」勉強になります。

志恩様、ありがとうございます。











 大聖師の御言葉です。


  二十日のことば  ♡  天授の神物に感謝せよ

 物質的な欲望を殲滅し、肉体的な欲望を断絶し、霊の理想とするところに邁進せよ。

しかして自己の生活に自然に与えられ、自然に供給されるものを天授の衣食住として感謝し満足せよ。

その天授の生活資料は、それが肉眼にはたとい物質の姿を

していても、それは物質ではなく霊的産物であるのである。

すべて天授の神物として感謝して受けるとき粗食が美味と

一変し栄養満点となり、茅屋は金殿玉楼以上の平和と歓喜

とをもたらし、敝衣はそのまま綺羅の如き肌触りをもってあなたを包むのである。

                     (つづく)
40:道産子 :

2017/11/04 (Sat) 08:25:50




   <生活協同組合が共産党の資金源だなんて、私も考えていませんでした。・・・>・・・。

しろうさぎ様と「同感」です(^_-)。









 大聖師の御言葉です。


二十一日のことば  ♡  言葉は人間の性格を左右する


 良き言葉、洗練されたる言葉を使え。

流行の舌足らずの言葉や、文法無視の言葉や、投げやりの

頽廃語調の言葉や、荒々しく人を叩きつけるような語調の

言葉を使ってはならない。言葉は創造者であり、創る力を持っているのである。

頽廃語調の言葉や歌はその人間を頽廃的人物とし、荒々し

い言葉はその人間に乱暴粗暴なヤクザ的性格を植えつける。

これに反して、良き言葉、洗練されたる言葉を常に使うよ

うにするならば、その人の性格は善良となり、洗練されたる風格を持つようになるのである。

まことにも言葉は創る力を持つのである。

日本国憲法に「表現の自由」が定められているからとて、

その自由を濫用して、自分の性格を悪化する言葉を使うのは自殺的行為である。


                     (つづく)

41:道産子 :

2017/11/05 (Sun) 07:35:37

https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1509834937.jpg


      「在日 テレビ局」見てみました(^_-)。

本当なんでしょうかね( ;∀;)。


 今朝の道央、中山峠の現況です、冬到来です(^_-)。











 大聖師の御言葉です。


二十二日のことば  ♡  常不軽菩薩の生き方を生きよ


 すべての人間を憎んだり軽蔑してはならない。

無論、現象にあらわれたる人物を見るならば憎むべき人間もあり、軽蔑すべき人間もある。

しかしこれらの不完全な姿は、彼らの仮面であって、仮面の奥に完全なる実相の面があるのである。

現象を見ず実相を見よ。

全ての人間はその実相に於いて”神の子”であるのであり、

その”神の子”を観じ、瞑想し、心に礼拝し、言葉に讃歎す

るとき、その人の完全なる実相があらわれて来るのである。

「我れ常に人を軽んぜず、すべての人に宿る如来を観て礼拝す。」

これが法華経の常不軽菩薩の生き方である。

                                              (つづく)
42:道産子 :

2017/11/06 (Mon) 08:31:21

https://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1509924681.jpg

    両首脳のツーショット、笑顔がいいですね(^^♪。

先日の天皇陛下と会見のフィリピン大統領のお顔の穏やかなこと、

一見こわもての人物の、垣間見せる穏やかな表情、真の顔じゃないでしょうか(^^♪。








 大聖師の御言葉です。


 二十三日のことば  ♡  心の雑草の根を断ち切れ

 自己を霊によって支配することができる者が真の勇者であり、勝者であるのである。

利己心を容赦なく芟除(せんじょ)せよ。

利己心よりして、怒り、憎しみ、貪欲、虚偽、嫉妬、羨

望、恐怖等・・・・・一切の心の雑草を生ずるのである。

利己心のない心が「本当の自分の心」なのである。

利己心なくすべての人々を愛せよ。自己の能力を人類救済のために与え切れ。

与えて、与えて、与え切れ。

いくら与えても減ずることなき「真の自己」を発見せよ。

                    
                    (つづく)
43:道産子 :

2017/11/07 (Tue) 08:34:01



    虎ノ門ニュース、1%の吐露?しかないそうです(^_-)。頼りにしてるのに…。


 横田早紀江さん、日本の母、ですね。大統領に向かっても背筋がピンとして、ご立派です。

「なんでこんなに時間がかかるのか」誠に・・・。

「制裁も必要だけど、対話も。戦争は駄目」正論ですよね(^^)/。










 大聖師の御言葉です。


 二十四日のことば  ♡  真理の言葉は善実現の永遠のエネルギーである


 真理を語れ。相手が受容れないでも失望することはないのである。

語られたる言葉は創造る力があって常に雨中のどこかに

あって、その言葉にふさわしきものを創造しつつあるのである。

キリストは「天地は失せん。されどわが言葉は失せず」といっている。

「わが言葉」という場合のキリストの言葉は「真理の言葉」のことである。

キリストは「われは真理なり、道なり・・・・・」と言っていることを想起せよ。

常に機会ある毎に、接する人々に真理を説くがよい。また

怠らず毎日、真理を説いた聖経『甘露の法雨』を朗読するがよい。

その真理の言葉は、「天地は失せるとも永遠に存在して、

善き事物を創造する」潜在的エネルギーとなるのである。

                                               (つづく)

44:道産子 :

2017/11/08 (Wed) 08:18:20




いやなニュースに如何に対処するや、生長の家人の正念場(^_-)。









 大聖師の御言葉です。


 二十五日のことば  ♡  真の敵は汝の“内“にある


 他の人の努力に頼ることなく、みずからの努力によって自己を高めあげるがよい。

自己のみが自己の味方であり、同時に自己のみが自己の敵である。

”肉体の自己”を克服した「自己」は、“真の自分”の味方で

あるし、”肉体の自己”を克服せられたる「自己」は“本当の自分”の敵となる。

                    
                    (つづく)
45:道産子 :

2017/11/09 (Thu) 08:11:55




    不動明様、源流様のご投稿にくぎ付け(^^♪。









 大聖師の御言葉です。2月はうるう年で、あと4日。


 二十六日のことば  ♡  内在の神を見つめよ


 自己の内部をよく見詰めるがよい。

あまりにも現代の若い人たちは、外ばかり見てうつつを抜かしている状態である。

外の喧騒や、外の快楽に心を奪われるとき、内部の充実が忘れられるのである。

外に心を奪われるとき、その人は粗暴となるか腰抜けとなる。

内観して、自己の内に“神”があり自己の内に”無限力”があ

ることを自覚してのみ、その自覚の外延として、外に力が

働く時は、落ち着いた力となり、静かなる勇気となって、暴虎馮河の勇となることはないのである。

何事も”内”から始まるべきである。


                    (つづく)



46:道産子 :

2017/11/10 (Fri) 08:47:04



観普賢菩薩行法、行じています(^^♪。

 「光明道中記」なかなか難しいです(^_-)。


 明日お休みさせてください<(_ _)>。









 大聖師の御言葉です。


 二十七日のことば  ♡  内部に流れる聖なる力


内部に流れる聖なる力を見出すことが根本である。

その聖なる力を見出してそれの導きに従って行動する者

は、例えば流れに従って河を下ると同じように、安楽にし

て平穏に速力早く行動の目的を達することができるのである。

内部の聖なる力の流れに逆行して“我の力”をもって事を為

すべく突進して行く場合には労多くして効少ないのである。

自己の内部の聖なる導きを見出すために怠らず神想観を毎日実修するがよい。


                     (つづく)


47:道産子 :

2017/11/12 (Sun) 08:01:11




<志恩ー
つまり、私が雅宣さんを 産んだというのかい?

私は、あんな左翼は、産んだ覚えはありませんけれどね。
人のせいにするんじゃないよ。・・・>・・・。


 スゴイ啖呵です(^^♪。











大聖師の御言葉です。あと2日です。


 二十八日のことば  ♡  釈尊とキリストとの教えるもの

 
釈尊やキリストやその他の聖なる教祖たちのみがとくべつに神の恩寵を得ているのではないのである。

ただこれらの先輩は、どんな人間でも、みんな“神の子”で

あるから、彼の如く為すならば、内部の聖なる生命の流れ

を、自分の生活に導き入れて偉大なる力を発揮し、幾多の

聖業を成し遂げることができるのだという模範を示されたに過ぎないのである。

若し釈迦、キリストが”普通の人間”には迚もできない事を

成し遂げられたのだとすれば、釈迦、キリストは、大いな

る見物としては価値があるかも知れないが、人間を救済する力とはならない。

ところが釈迦、キリストが発揮し得たところの偉大なる力

を、釈迦、キリストの如くなすことによって吾ら一般の人

間もそれを為すことができるための、その範例を示された

のが釈迦、キリストだとみとめる事によって、吾々は

釈迦、キリストの先蹤を追うことができ、そこに彼ら先達の生活が吾らの救済力となり得るのである。

諸君よ、あなたがたもまた自己が”神の子”なる実相を潜在

意識の底の底まで信ずることができるならば、釈尊の如

く、キリストの如く大いなる聖業を成し遂げることができるのである。

                    (つづく)



48:道産子 :

2017/11/13 (Mon) 08:44:08



  <谷口雅春師の著書「生命の實相」は私の幼時、つね

に病める祖母の枕頭に並んでいた。燦然たる光明の下に生

命の芽の芽生えるその象徴的デザインは、幼い私の脳裡に刻まれていた。

それから四十年、俄に身辺に谷口師に私淑している人たちを見出すようになったのである。

つい先頃も、「生長の家」の信仰を抱く二三の学生が、私

の自衛隊体験入隊の群に加わったので、親しく接する機会を得た。

彼らは皆、明るく、真摯で、正直で、人柄がよく、しかも

闘志にみちた、現代稀に見る好青年ばかりであった。そし

て、「もし日本に共産革命が起きたら、君らはとうする

?」という私の問に、
「そのときは僕らは生きていません」という、最も潔い、最も爽やかな言葉が帰ってきた。(略)・・・>・・・。


 印象的な御文章です。

中仙堂様のご投稿より<m(__)m>。









 さて、この度の御言葉、の最後です。


   二十九日のことば  ♡  無限力を利用するのと仕えるのとは異なる


 自己を尊敬するがよい。自己の肉体の逞しさや、容貌の美しさを尊敬するのではない。

自己の内部に生きている「本当の自分」「”神の子”たる

自分」が釈尊やキリストと全く同じき永遠の存在であり、

無限価値の存在であることを自覚して、それを礼拝し、その神性に拝跪してそれに仕えるのである。

「肉体の自分」がそれに「仕える」のだということを忘れてはならないのである。

「肉体の自分」が「本当の自分」の無限力を利用してやるのだと考えてはならない。

これでは、同じ”無限力の自覚”であっても、本末転倒であって結局良い結果は得られないのである。

「肉体の自分」はどこまでも、「本当の自分」の無限力の

前に謙遜に跪いて礼拝し、そのみこころをきいてそれに

随順し仕え奉る気持になってのみ、その無限力が尊き目的のみに使われることになるのである。

                     (おわり)


  
49:道産子 :

2017/11/14 (Tue) 08:30:40



    虎ノ門ユース、最後まで読んでしまいました(^^♪。







 さて、今朝からは、

谷口輝子先生の御話です。



    神もうでの心    谷口輝子先生


      「理想世界」誌 昭和43年3/1号


 今年のお正月は全国的に好天に恵まれたので、神社参拝者たちには好都合であった。

元日の午後、私たちの家族八人は、打ち揃って明治神宮に向かった。

表参道を歩き、神宮橋を渡り、大鳥居をくぐるまでは、私

たちの歩行はスムーズに進行していたが、やがて道幅いっぱいの群衆の流れはハタと止まった。

「前の方に何かあったのかしら」私は手を結び合っていた夫に言った。

「さあ、どうしたのかなあ」と夫は答えながらまた歩き出された。

十歩ほど歩くとまた人々は動かなくなった。

「お巡りさんが何人も立っていますよ、何かあったのでしょうね」

「あれはお巡りさんじゃないよ。立ったままだよ。巡っていないよ」と夫の冗談に、私はハハハと笑った。

すると私たちのすぐ後を歩いていた寿美が

「何がおかしいのお祖母さまっ」と大きな声で呼びかけた。

「だって、お祖父さまが、立ってるだけだからお巡りさんじゃないと仰有るのよ」

寿美も後ろで笑っているようであった。

十歩歩いては止まり、七八歩歩いては止まりを繰返しているうちに、私たちの不審は解けて来た。

前方から、マイクロホーンを通した大きな声が、交通整理

のために、少しずつ区切って通行を遮断していることを告げたからであった。

群衆は前方の人を押し、後方の人から押されて自由を奪われ、右へ行くことも左へ行くことも容易ではなかった。

 御手洗の近くまで来た時、スピーカーから大きな声が響き渡った。

「皆さん、真中を歩かねばならないと思って居られるの

で、真中ばかり混み合います。左側も右側も、御利益には変りがありません」

 群衆はドッと笑い声をあげた。数万の笑い声である。数万の笑顔であった。

一人のお巡りさんのユーモアが数万を湧き立たせ、神宮の
奥深い森の中まで、和やかな雰囲気は広がっていた。

                    
                     (つづく)

50:道産子 :

2017/11/15 (Wed) 08:26:05



     伝統様、ご多忙のところ、わざわざ謹写の纏め有難うございます<m(__)m>。

 お陰様で、謹写の間違いも発見され(#^.^#)有難く思います。

一日の最後の(神?)は”神の子”が抜けておりました。

謹写の難しさは痛感するところであります。

併し乍ら、大聖師の教えの奥深さには大いに感化され、身を清められております。

有難いことと、継続を心に留めて居る毎日です。

御指導有難うございます。









 輝子先生の御話です。


拝殿に近い門は、中央、左、右と三列に分れてくぐらねばならなかった。

スピーカーの指揮に従って、渋谷、原宿方面へ帰る人々と共に流れて、私たちは右側をくぐって出た。

門前の一段高い所に立って見廻したが、清超夫婦と三人の孫の姿は、群衆の中に呑まれて見当らなかった。

私たち夫婦は手を結んでいたので離れようがなかったし、

私たちの後に、ひたすら従いて来た寿美と二人の女中は、

一斉に辺りを見廻したが、五人の姿は見つけ得なかった。

 拝殿の少し手前までやっと進んで、そこで礼拝した私たちは、右側の門の前に立った。

そこは少し高くなっているので、しばらく立ち止まって清

超たちの姿を見つけようと思った。しかし、余りに物凄い人並みの中では、見出すことは出来なかった。

 元日の明治神宮の参拝者は百二十万を超えたとマスコミ

は報じていたが、その百二十万の大群衆が、道幅いっぱい

にギッシリ詰まりながら流れて来ては、拝殿の近くに来て礼拝し、右と左に別れて流れて行くのであった。

 私が見ていると、拝殿の前まで進むことが不可能と知

り、賽銭箱に賽銭を入れることが出来ないので、遠くから

賽銭箱目がけて力いっぱい投げるので、前方にいる人々の

頭や体に銭が当り、痛い思いをする人が沢山あったようである。お巡りさんが

「お賽銭が頭に当たって怪我をした人がありますから、子

供を肩車に乗せている人は、直ぐ子供を降してください」とマイクで叫んでいた。

「神様に銭を投げるってことあるか」と夫は言って居られた。

「どういうつもりで投げるんでしょうかね」と、私は群衆を見渡しながら考えていた。

しばらくして諦めた私たちは家路についた。

門前のインターフォンで聞いて見たら、清超たちはもう帰っているという事であった。

「お祖父さまたち、先にお帰りになったとばかり思ってい
ましたわ」と言いながら、恵美子たちは出迎えていた。

私は机の前に坐り、そばに置かれたいろいろの新聞を開いて見た。

                                               (つづく)

    
51:道産子 :

2017/11/16 (Thu) 08:23:07

 

<当時、谷口雅春さんという方が仏教の教えの真髄

をベースに、「生長の家」という新興宗教をおこしてい

ました。それを母親が信仰し始めて、私も、そういう集ま

りに2、3回連れていってもらいました。これは 私の結核を治そうという気持ちもあったんだろうと思います。

 当時、隣にご夫婦が住んでいて、奥さんがきれいな人

でした。その方が生け垣の向こうから、「和夫ちゃん、

気分はどう?」とか言ってくれるわけです。その奥さん

も「生長の家」の信者で、「こんな本が出たよ」といっ

て、縁側まで『生命の實相』という本を持ってこられ

る。それを貸していただいて、貪るように読んでいった。・・・>・・・。


 紹介様の稲森和夫氏のインタビューより引用させて頂きました<m(__)m>。








 輝子先生の御話です。


世界的な歴史学者アーノルド・J・トインビー博士夫妻が

来日されたことは、各新聞で報じられていたが、トイン

ビー博士が一カ月の日本旅行を終えられて、最後の京都産

業大学での記者会見を行われた時、記者団の幾つかの質問に答えられた中に、

「私に多くの神社仏閣(東西本願寺、知恩院、法然院、天

竜寺、平安神宮、伊勢神宮、高野山など)を見せて貰ったが、此処には沢山の参拝者があった。

しかし、彼等は信仰を目的として参拝しているというより

も、芸術的な何かを求めて見物している者の方が多いと見受けられた。

こうした現象は、キリスト教団にも見られることで、世界

的な動向と思える。ただ回教国だけは、精神の伝統を続行していることが見受けられる」

 と語って居られ更に、この動向を解決していくために、

「私どもは、悩みを通じて真理を求めていく。形式を離れ

て真理を学びとることが必要である。そういった姿勢が

あってこそ、本当の意味の伝統を守ることが出来ると思う。

世界の将来は、現在の日本を見る事によって予想されるだろう」
 と話を結ばれたそうである。

トインビー博士は、日本の多くの神社仏閣へ集まる日本人

たちから、参拝というよりも見物という感じを受けられたようである。

それはその通りだと私は同感せずに居られなかった。

明治神宮参拝と称して、晴天とは言え、寒空に出かけて

行った百二十万の人々の中に、どれだけ祭神に在します明

治陛下を尊崇している人があることか、銭を投げつける

人、オーヴァを脱がない人、首巻を取らない人たちの多

かったことを思うと、彼等や彼女たちは尊崇して礼拝に来

たのではなく、元日の宮参りという習慣によって集まって来たように思えた。

                                               (つづく)
52:道産子 :

2017/11/17 (Fri) 08:30:20




  「瓶では殴ってない」・・・、既に翌日に握手して仲直りしていたものが、どうして、こんな錯綜したニュースになってしまうんですか(^_-)。

当該ニュースの最初に「貴ノ岩には10勝を期待してる」

とか「握手して仲直りした」情報が流れたにもかかわらず(^_-)そのニュースはどっかへ消えてしまってました( ;∀;)。











 輝子先生の御話です。


テレビを見ていると、神宮橋の上で、若い婦人アナウン

サーが、通りかかる参拝者の誰れ彼を呼び止めては、参拝の感想などを聞いているところが映っていた。

「お参りになった感想はいかがですか」「そうですね清々しい気分になりますね」

などと口々に答えていた。

私たちは元日だけでなく、総薄宇する対象者に向かって、

毎日のように頭を低く垂れて礼拝し、尊崇の念をもって相

手と一体となった時、うき世の罪も穢れも悩みも忘れ去って、清々しい心地になるものである。

 私は元日の表参道に散り敷かれた紙屑を思い出した。神

もうでする人と、参道に紙屑を散らす人とは同じ人なのである。

神と仰ぐ御方を真に尊崇するならば、その参道に糸一すじも落とすことはできない筈である。

 神もうでする心が真心であるならば、その神域を清めたくこそなれ、穢すことは出来ないものである。

神社方では年の暮れに、きれいに掃き、水をたっぷり撒か

れたらしく、砂はしっとりと湿っていたので、百二十万の大群衆が歩いても、土ほこりが全然立たなかった。

この神社方の行き届いた為され方に対して、参拝者たちは、紙屑をまき散らしたのであった。

                                               (つづく)
53:道産子 :

2017/11/18 (Sat) 07:54:22




   <我々尊師の御後を慕う者も、真実を見極め世界平和

の祈り、宇宙浄化の祈りを絶やす事無く邁進したい所存です。>・・・。

 中仙堂様の祈りです。







 輝子先生の御話、今回の最後です。


「紙屑が一枚も落とされなくなった時、参拝者たちは本も

のになるのだ。拝殿に近づいた時、一人残らず外套や

ショールを脱ぐようになった時、形式的な信仰ではなく、まことの神の氏子になるのだ。

と私は思った。私はそうなった時に、もう一度トインビー博士に日本に来て欲しいと思った。

今の日本の人達は、余りにも信仰心が薄く、愛国心も薄い。

三日の日経新聞の「窓」欄を見ると、

「元日と二日だけで九千人近い日本人が香港に“上陸”、異国の正月を楽しんでいる。

元日の香港は日本の初夏を思わせる暖かさ、はたち前の若

者が目立つ日本人観光客は、ことばのカベを身ぶり、手ま

ねでたちまち解消、ビクトリアピーク、タイガーバーム

ガーデン城壁に囲まれた錦田村など、香港島から九竜市の

名所旧跡をバスで一気に回る強行軍が殆ど・・・・・見物も早いが買い物も早い。

三食付き総費用約五万円という三等船客の学生、BGでも

おこづかいは五万――十三万円、十分刻みのあわただしいス

ケジュールの合い間を見て、タバコ、時計、酒などのみや

げ品を、しこたま買い込み、米国人以上の上客と評判は上々?とか」と書いてあった。

日本の人達は、レジャーブームと言って、暇さえあれば旅

行して、各地の見物をしたり、温泉へ行ったりすることが

流行しているが、去年は例年以上にボーナスが多かったと

かで、右のように、香港だけでも二日間で九千人近い日本

人が見物に行ったと知ると、私は日本の国を思って、少々暗い心地になった。

 去年の秋、イギリスがポンド切り下げをしたために、世

界の国々は大きなショックを受け、日本の経済界も動揺して、株価はガタリと下落したほどであった。

アメリカもそれにつれて経済引き締め政策をとり、海外観光旅行の制限を行った。

日本も貿易に産業に影響を受けないでは居られない筈である。

たまたまボーナスが多く入ったからとて、浮き足立って遊び歩いては、日本の国を不利に導くことになる。

日本のお金を外国に持って行くからである。

もっともっと、地道に真剣に自分の楽しみだけでなく、

日本の国の繁栄と、日本人の真の幸福を考えて、みんなで、警鐘を打ち鳴らさねばならないと切に思う。

 
                    (おわり)



54:道産子 :

2017/11/19 (Sun) 07:46:44



 〈祖国愛という視座を欠いた言説(げんせつ)や行為は、どんなものも無意味である。・・・>。


 明鏡様のご投稿より。藤原正彦氏のご著書から。













 さて、今朝よりは、谷口恵美子先生の御話です。



  たよろうとしてはいけない    谷口恵美子先生


 机の上の本立ての間から覗いている見慣れない朱色の

薄っぺらいものを引き抜くと、それは小さなカレンダーでした。

暮れの忙しい時に、母の方からいくつか頂いた一つを本立に入れたままになっていたものです。

渋い朱の表紙をめくると、一月のカレンダーの「見ざる、

聞かざる、言わざる」の三猿の絵と、”如是”という字が目に入りました。

その下に順教と書かれているのを見て「あ、あの方達の絵

なのだ」と私は頷いて一枚ずつめくって鮮やかな風景画や花の絵を眺めました。

カレンダーの裏にはその画家たちの制作していられる姿の写真が載っています。

ある方は口に絵筆を持ち、或る人は足の指に絵筆を支えて

描いていられるのです。そしてその人達のことが簡単に説

明してありました。世界身体障害芸術家協会より届けられたものです。

 大石順教尼は不幸な事件で十七歳の娘盛りに両腕を切り

落とされ、其の後のいばらの道は想像を絶するもので、血

のにじむ努力を経て、口で書画の勉強をして両道に熟達された方です。

そして多くの体の不自由な子供達を引き取って教育し、生

きる勇気を取り戻させて今迄に二百五十人もの人を社会に送り出して来られたのでした。

「たよろうとしてはいけない。自分でやろうと努力しなさい」

 とはこのひとの教えで、老いた現在もなおそのような人達を預り良き師となっていられるのです。

                     
                     (つづく)
55:道産子 :

2017/11/20 (Mon) 08:25:44



平賀玄米様の「第二青年の書」謹写、素晴らしいです(^^♪。


 8年後の花嫁、雅子妃殿下のお出まし、良きニュースがありますね(^^♪。

 一方「核シェルター」やら極左講師の言動、鬱陶しいです( ;∀;)。










 恵美子先生の御話続きです。



イギリスのエリザベス・ヒギンズという女性は、踊る姿を

描くのが一番得意だというのですが、このひとの半生は舞

踊学校を出て、舞踊教師をやりながら多くの劇場と出演契

約を持ち、その生活のすべてが舞踊にささげられていたの

ですが、突然脊髄性マヒにおかされ、頭を動かすこと以外

は全身不随となり、二年間を鉄の肺の中で過ごしたのです。

その後口で絵筆を持ち、熱心に絵画の勉強を始められ、

ドーバー、ロンドンフェステイバルホール、カンタベリー

などでその作品が展示される水準となった人です。

 オランダのピーター・モレフェルトは高度の教育を経た

名高い画家でしたが、やはり脊髄性マヒのため両腕はもと

より、胸部その他の筋肉マヒとなり鉄の肺により、その生

命を保ちながら、その重病の中でも、信念を曲げず、足で

描く画家として再出発し、現在では手で描いたものと全く

区別が出来ないすばらしいできばえの作品を制作している人です。

                    (つづく)
56:道産子 :

2017/11/21 (Tue) 08:16:26




愛国本流掲示板も、凄く充実しております(^^)/。

といって、河口湖の常連様に褒められたので言う訳でもありません(^_-)。

少々、舞い上がっております。河口湖の常連様、ありがとうございます<m(__)m>。

重ねて(^_-)、「8年越しの」(8年後のを)に訂正させてください。


 桃の実3つ様のご投稿など、スゴイです。賛同を考えなきゃなりませんかも・・・。

現教団克服の大ヒントです(^^)/。











 恵美子先生の御話です。


大阪の足立巌氏は少年の時に関電事故で両腕を失った人で

すが、彼の一日は自分で洋服を着終わることで暮れてしま

い、誰もかまってくれない悲しさに、十四歳の時に鉄道自殺を企てたのです。

しかし列車の轟音を聞いているうちに、生きねばならない

と悟り、「トコトンやったれ」と決意して、両腕のない身

で様々な職業を経て、ついに口に絵筆をとって独学を開始

し、日本画、水彩画、油絵と勉強し、各地の展覧会に入選している人です。

 この会の創設者であり現会長であるドイツのエリッヒ・

シュテッグマン氏は二歳の時、小児マヒで両腕の自由を全

く失ったのですが、十五歳で美術学校に入学、二十歳では

すでに多くの都市でその作品を展示し、水彩、油絵、木

版、彫刻と多くの分野でその実力を高め、作品の展示はパ

リのフランス芸術家サロンを始めとして、シンシナティ美

術館、ハンブルグ、アテネ、ローマ、ベルリン、ミュン

フェンその他非常に多くの都市で行なわれているのです。 

この人が身障画家にとって、真に偉大な父であるといわれるのは、

「私はあわれみを欲しません。私にとってあわれみを受け

ることは、生涯かけて闘わねばならない悪い事なのです。」

 という精神に基いた指導と運動により、多くの不自由な

人達を立ち上がらせているからに他ならないと思います。

                    
                    (つづく)
 
57:道産子 :

2017/11/22 (Wed) 07:53:54




  <谷口雅春先生の御誕生の時を
   『生命の實相』第19巻には次のように書かれています。 

   私は神戸の烏原村で生まれた。そこは今、烏原水源地になっている。

   水源地には今、紺碧の水をたたえて、水の上に悠々白雲の
   たたずまいを映しているが、時たま夏から秋にかけて雨量が少なく
   旱天ばかり続くころには、水面がズッと低くなって、
   池の底が見えることがある。・・・

   わたしの生まれた土地はこうして満々と紺青の水にたたえられ、浄められて、
   何者にも侵されずに番人がついていて、それが汚されることから護られている。
   ・・・


   『わたしは陽暦、明治二十六年十一月二十二日の暁の六時に生まれたのである。
   陰暦にすれば十月十五日の満月の暁でちょうど満月が西の山の端に
   沈みかかってはいたが、まだ耿耿として光を失わず、
   そして朝日が東の方に差し昇りつつあったとき、
   太陽と月と二つの光に照らされつつ護られつつ生まれたのである。』・・・>。


 大聖師の生誕124年の良き日であります(^_-)-☆。

伝統様のご投稿より引用させて頂きました<m(__)m>。


誕生日の花は竜胆(りんどう)、花言葉は正義だそうです。

熊の胆よりもなお苦く(漢方薬)その名がついたようです。
青紫の筒状の5枚花は一際お美しい。










  恵美子先生の御話です。



一日が洋服を着終わることで終わってしまったり、足の指

に鉛筆を挟んで「あいうえお」を書くのに二カ月かかった

り、ノートの線にそって真直ぐに漢字を書くのに三年か

かっている中学生、其の他一人一人の血のにじむような努力に私は打たれました。

「たよっていてはいけない。自分でやればできるのだ」と

歯を食いしばり、血の汗をたらして何度も崩れては起ち上

がられたこの不自由な人達は、遂に自分の内の神のいのち

を出し切った美しい姿となって自由に羽ばたくことができたのです。

私の知っている人の中にも、手の十本の指を無くした青年

が、その指のない丸い手に万年筆を縛って立派な字を書いていられるのを知っております。

指が全部自由なのに、それに劣る字を書いている人のなんと多い事でしょう。

 恵まれているという事は怠けてよいという事ではないは

ずですのに、恵まれすぎていると、何もかも当り前で、そ

の芽軍に対しての感謝さえも忘れ、いい加減な日々の生活

をしているのではないかと、私自身反省させられたのでした。

全身マヒした人が、口が動くという事だけで、ひたすらそ

の良き口に全身全霊を注いで仕事をして、立派な芸術作品

を作り上げていられるのに、全身が動く人が、「こんなこ

とはむつかしいから出来ない、面倒だからやめておこう」

などと、血のにじむ努力どころか、汗も出ないようなこと

でやめてしまっては人間として恥ずかしいことだと思うのです。

この人達は余りにも悪いところが多いので悪いところに気

を取られていたのでは一生何もできなかったでしょう。ご

く僅かな良きところのみを感謝して生かし、自分の中の神

の力を出し切ったからこそ、魂の深い幸せを得たのだと思います。

                    (つづく)
58:道産子 :

2017/11/23 (Thu) 08:01:22



 徳久克己先生、榎本恵吾先生、ご講演は素晴らしいです(^^♪。


 社会事業団等の生誕124年祭の祝詞のご立派さ(^_-)-☆。


<思へば 尊師は新嘗祭の前日にあたる 陰暦(いんれき)

十月の満月が西の山の端(は)にさしかかりながら光を失は

ず 東にはさし昇る曙(あけぼの)の太陽が雲を破りともに

天空に輝きてそのご生誕を天地万物ことごとく祝福するが

ごとく 神霊に見まもられて兵庫県烏原(からすはら)村に

て此(こ)の現世(うつしよ)に生(あ)れまし出給(いでたま)ふ。・・・>・・・。












 恵美子先生の御話、の最後です。


私は庭に出て霜柱を踏みながらバラの剪定をしました。

僅かな葉を残して枯れ木のように見えるバラの枝も、近

寄って見ますと、ポツン、ポツンと小さな赤い芽が出てい

るのもあれば、太い枝の一部がふくらんで芽が出ようと色づき始めているところもあります。

秋から伸び放題になっているこの混み合った枝をそのまま

にしておきますと、春になってその混んだ枝の芽という芽

から新しい枝が伸び出して、互いに絡み合いぶつかり合いして花の数は多くても小さなものしか咲かないのです。

馴れない頃は短く剪定するのが惜しくて心配で、つい枝数

も多く長めに切っていましたけれど、今は思いっきりよ

く、良い芽を見つけると、その上を五ミリほど残して斜め
に下から鋏を入れることが出来るようになりました。

その芽が伸びて素晴らしい花を咲かせることがよく判るからです。

半分か三分の一に丈を詰められたそれらの枝は、残された

芽に全勢力を注ぎ、その芽はやがて立派な枝となって必ず見事な蕾をつけるのです。

又全部の枝を切り去っても、バラの生命のある限り、春に

なると土の中から新しい太い枝が伸びて花を咲かせるのを私は知っています。

それを両腕を失ったり、全身マヒした人が、残された部分

に生命をかけて美しく神のいのちを開花されるのと同じなのです。

 少しくらい苦しいことがあってもへこたれず、内なる神

の力を充分に出し切ってひたすら前進する人は必ず見事な仕事ができるでしょう。

                                              (おわり)
59:scdwzpink:

2020/08/29 (Sat) 03:50:37

伝統板・第二
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