伝統板・第二

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親への感謝・親孝行(2) - 伝統

2017/09/23 (Sat) 04:54:45

   *伝統板・第二「親への感謝・親孝行(1)」からの継続です。
     → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6459720


   《あなたは人間として生まれたことを喜ばねばならぬ》

          *『白鳩』(昭和49年1月23日の箴言)より

   最近の唯物論的教育を受けたところの若い人のうちには、
   「頼みもしないのに、親が自分を産みやがったので、責任は親にある」 
   などと此の世に生まれたことを感謝し得ない子供が随分あるらしいが、

   人間の‘いのち’は 〃神のいのち〃 の自己顕現であるから、
   そして 〃神〃 は創造者であり表現者であり
   ‘何らかの生物’となって自己表現せずにはいられないのであるから、

   もし「人間」という 〃親〃 を媒介として、あなたに宿っている 
   〃神のいのち〃 が自己表現する機会にめぐまれなかったならば、
   あるいは、もっと下等な生物の親を媒介として 〃あなたのいのち〃 
   は自己表現して、豚や、犬や、鼠などに生まれていたかも知れないのである。


   その事を考えて見るならば、神が、あなたに宿る 〃神のいのち〃 
   (それがあなたの生命だ)を人間であるあなたの両親を通して、
   「人間の形」で此の世に出現せしめられたことが、
   こんなに有りがたいことかがわかる筈なのである。

   両親に感謝せよ。 両親に感謝せよ。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=809


・・・

<関連Web>

(1)「光明掲示板・第一」~「親への感謝、親孝行」
    →  http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=77     

(2)「光明掲示板・第ニ」~「親への感謝・親孝行」
    →  http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=15  

(3)光明掲示板・第三「親への感謝・親孝行」
    →  http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=51

(4)光明掲示板・伝統・第一「親への感謝・親孝行」
    →  http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=10

           <感謝合掌 平成29年9月23日 頓首再拝>

《父母に感謝の誦行をする功徳》 - 伝統

2017/10/08 (Sun) 04:33:10


          *『白鳩』(昭和49年1月24日の箴言)より

   生長の家の練成会で、 〃浄心行〃 の修行の終末に近づいたとき
   「お父さん、お母さん、ありがとうございます」の感謝の言葉を
   繰返しとなえる誦行があるのであるが、

   この修行中 〃言葉の力〃 と 〃群集心理の力〃 との併合で、
   本当に両親に感謝する心が沸々と起って来、今までの親不孝の思いを
   起していたことが自然に詫びられて来て、懺悔の涙が湧き起って、
   咽び泣き、すすり泣きする人たちが道場の諸方に出て来るのである。

   こうして潜在意識の中にある 〃迷いの心〃 が涙と共に浄化排泄
   されて病気が忽然と消えるような奇蹟も起って来るのである。

   
   もしあなたの病気が医者にかかっても、なかなか治らないような場合には、
   神から来る生命の流れは、祖先 → 父母 というパイプを通して
   あなたに来ているのであるのに、

   祖先に感謝せず、祖先の供養を怠り、父母に感謝せず、
   むしろ父母を恨んだり、憎んだりしていたために、の神からの 
   〃生命の流れ〃 が、パイプの中の「忘恩の思い」で詰っているから、
   あなたの 〃生きる力〃 が底をついているのであるから、

   祖先供養をして祖先の霊にお詫びし、
   聖経『甘露の法雨』を祖霊の向上のために読誦供養し、
   病臥のままでよいから間断なく 

   「お父さん、お母さん、ありがとうございます」 の語を繰返すとよい。

   これによって不思議に、神の生命の流通パイプがひらかれ、
   重病が治る実例があるのである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=809

           <感謝合掌 平成29年10月8日 頓首再拝>

「孝」~漢字考 - 伝統

2017/10/26 (Thu) 04:07:00


     Web:「漢字-老・考・孝の成り立ち」について考える(2015-01-21)より

(1)「老」

  ①「老」の「匕(か)」以外の上の部分は
   長髪の人を横から見た形で、長髪の垂れている姿です。

  ②「匕」は「真」の旧字「眞」の上部にある形と同じで、
   人が転倒(てんとう)した姿で死者のことです。
   この場合は「死に近いこと」を表しています。

  ③つまり「老」とは、長髪の年老いた人の意味です。


(2)「孝」

  ①「孝行」の「孝」は、長髪の老人に「子」を加えた形で
   「子どもが老人によく仕える」意味です。

  ②つまり「おやおもい」の意味なのです。

   孝 = 老 + 子

   子が年老いた親を大切にする(孝行)

   (http://blog.goo.ne.jp/tudukimituo1028/e/145b58127d033586e5c2eed90ea0eb67

           <感謝合掌 平成29年10月26日 頓首再拝>

孝という字は老と子との合成である。 - 伝統

2017/11/11 (Sat) 03:19:29


       *谷口雅春先生・著『幸福をひらく鍵』(P149)より

子が老を負んぶしている象(かたち)である。

これは親をいたわる象でもあるが、子は親の生命を背負って出現したという象でもある。
子の生命の淵源が親であり、親子一体、祖孫一体の愛を表現する文字である。

子が親につかえ、親が子をいつくしむ親子の愛情は、
その生命の淵源する一体の實相から来るのである。

親の愛は、子供が“何をするから愛する”のではない。
子供との一体感において、純粋無条件に愛するのである。

母親の無条件の愛が徹底したとき、子供も無条件に母親を愛するのである。
愛は互いに反映するのである。

親が子を愛する場合には、自分の産んだすべての子を愛するのである。
一人だけを愛して他を顧みないということはないのである。

無論、その子供の性質や精神状態の如何によつては、
その愛情が稀薄になることはあるにしても、
根本に於てすべての子供を愛するということには変りはないのである。

ただ親から愛されている受動的の愛では、進歩がなく創造がないのである。
愛は受動的段階から創造的段階にまで進まなければならない。
ただ愛を受けるだけではなく、愛を興えるやうにしなければならない。

受ける愛より興える愛に進むのである。
消極的愛より積極的愛へと向上するのである。


<参考Web>

谷口雅春師の一元論の中にみる親孝行 
 → http://blog.goo.ne.jp/teruyasu2012817/e/e746c2a358c150583252666e19e21df0

           <感謝合掌 平成29年11月11日 頓首再拝>

親孝行をしていると、自分の生命の尊厳さが解る - 伝統

2017/11/29 (Wed) 03:22:47


     *「昭和52年5月5日、日本武道館に於ける青年大会での講話筆記」より

天照大御神を本尊にして祀っている宗教に黒住教というのがあるんです。
既にご存知でしょうが、黒住教っていうのは黒住宗忠という
非常に立派な親孝行の少年があって、その親孝行の孝心の功徳によって、
高い次元の世界にのぼって行って、ついに黒住教祖になったのです。


皆さん、“孝は百行の基”という諺がありますが、
親孝行をすると、“牝鹿の脚”に乗るように高いエレヴェーターに昇るんです。
そして別の高い次元の神聖な世界に出るのです。本当です。

それは消極的に他を赦したり、罪あるものを赦すだけじゃないんです。
積極的な徳を積むことになるのです。

現代の、それも戦後の多くの少年や青年は親を愛するどころか
親を憎んだりしとるんですね。

それは戦後の教育が占領軍の仕組んだ日本人の徳性を
破壊する目的で指導せられているからです。

親を憎んだり怨んだりしているから、魂がこの高きレヴェルへ昇る
エレヴェーターに乗れないで、奈落の底へ降りるようなエレヴェーターに
乗っとることになり、自分の生命の価値を見失い、
小学生や中学生で自殺する者が多く出てくるのであります。


《親孝行をしていると、自分の生命の尊厳さが解る》

本当に親孝行の心を起こすと、親を尊敬できるから、
その親から生まれた自分が尊いことがわかるのです。

そんなら親孝行とはどうするんだということになるんですが、
端的に言えば、親のよろこび給うようにしてあげたいという心、
これが親孝行の心なんです。


《少年時代の黒住宗忠はこうした》

宗忠が少年の時に、お母さんが、
「お前、隣の村へちょっと用足しに行ってくれないか」といわれた。
「ハイ」と言って親の言う通りにしてあげる、「ハイ」と。

すると、お母さんが空を仰いで天気を見て、
「あッ、雨が降りそうだから、高下駄を穿いて行きなさいよ」とこう言われた。

「ハイ」と、いって高下駄を穿いて出かけようとすると、
お父さんが天気を見て、「雨降らんよ、草履はいて行きなさい」と、
こう言われた。

そしたら宗忠は、「ハイ」と素直に言って、一方に高下駄を穿いて、
他方に草履をはいて、チンバを引きながら隣り村へ出掛けた
というのは有名な逸話です。

お父さんは「草履はけ」と言うし、お母さんは「高下駄はけ」と言うから、
これにどちらにも「ハイ」と素直に従って一寸不便だけれどもチンバ引いて行った。
ーーという位に彼は素直だったんです。

この黒住宗忠の素直さをあの石川達三という小説家が、
何でも『人間の壁』とかいう題で「朝日新聞」連載の小説に書いていました。

それは学校の先生を主人公にしたような小説でね。
(僕は全体を読まんから知らんのだけれどもね)ーー

僕と家内とは、一つの机の向こうに家内が坐っておって、
僕が此方に坐って(これは東京での話ですけれどもね)、
そしてその間にこう小さい、衝立が机の上にあって、

顔は見えるが互いに書き物をしているのを覗いとったりすると書き難いから、
小さい衝立みたいなのが机の真中にこうあって、
衝立のこちらで僕が原稿を書いていると、家内は向う側で新聞を読んでいたが、
石川達三の『人間の壁』という小説読んで、

小説の中の一節にところどころ赤鉛筆でこう傍線を引いて
「ここ読んでごらんなさい」と言って、その新聞を僕に寄越した。


《民主主義教育というものは、互いに審(さば)き合う教育だから家庭が冷たくなる》

それで読んでみたら、黒住宗忠の素直な行為を批判した
学校の先生の対話の一部に赤線が引いてあるのです。

「あんな封建道徳というものは、大変な間違いだ。
一方の足に草履をはいて、他方(いっぽう)の足に高下駄をはいて、
ねえ、あんな能率の悪いことを、親の言い付けだからといって素直に従うなんて、
そんな馬鹿な封建道徳があるか」

ーーということを、小学校の先生たちが問答している場面があるんです。

そこへ赤い傍線をこう引いて、家内は僕に、

「あなた、これはなんと思いますか」と言って訊くんです。
それで僕はこう言ったんです。

「これは石川達三の言う通りだよ。石川達三の言うのは間違っとらん。
それは論理的には間違うとらんけれども、それは、知識の判断だけだ。
愛がな'い'のである」
と言ったんです。

「知識というものは、善とか悪とか能率とかなんとか、
そんなことばっかり考えるんだ。ところが愛というものは、
善悪の判断を越えて、能率なんかの判断を越えて、
そして愛する人が『こうしてくれ』と言われたら、
その通りにしてあげたくなるのが愛なんだ。

それで、現代の教育の荒廃というものはどこから来るかというと、
愛がないからなんだ。愛がないので、親に仕えるということはしないで
知識ばかりで、親を審(さば)くことを教えている。

知識っていう奴は善悪を裁いて、それで屁理屈を言って、
互いに喧嘩することばっかりやっているんだね。
そこに、現代の教育の欠陥があるんだよ。」

ということを、そのとき家内にしたことを覚えているんです。

だから批判精神ばかりで家庭が冷たく温かさがない、
これも少年の自殺の原因の一つだと思う。


《黒住教はこのようにして生まれた》

それはそれとして、まあ、その位に黒住宗忠は少年時代から親孝行だったんです。

ところがねえ、その親が両親(ふたおや)とも1週間ほどの中に相次いて、
なにか流行病で死んじゃったのです。

そしたら、宗忠は、そんなに両親を愛しておったのに、
両親が死んじゃったものだから、非常に悲しんで、胸を悪くして、
いまなら結核でしょうが、労咳(ろうがい)という病気になったんです。

それで段々だんだん悪くなって、医者がもう
「君の命はもうここ五日ぐらいしかない。だからもう会いたい人には、
呼んで会っとかないいかん」と宣言された。

その時に、宗忠が思い出したのは、
支那の古い『孝経』という古典の、ある一節です。

「身体髪膚これを父母に受く、これを毀傷せざるは孝の始めなり」

という言葉があるんです。

身体や、髪の毛や、皮膚や、この肉体というものは、
これは父母に受けたものだから、父母から受けたものは大切にして
傷つけないのが親孝行の始めであるという意味です。

しかし宗忠は考えた。

人間は、この肉体の他に、まだもっと尊い“心”というものがある。
その“心”を、私は両親が相次いて死んだんで、悲しくって悲しくって、
毎日その心を切り刻むように苛めて悲しんでおった。

ああ済まなかった。私は親不孝だった、
もう五日しか生きていない私の命だけれども、
その五日間でも、親から戴いたこの命をよろこばしてあげましょう、
もっと明るい心になって喜ばしてあげましょう。

それが親孝行なんだと、気がつきましてねえ。

それから彼は、あの岡山県の瀬戸内海に面しているあの海岸に翌朝立って、
昇る太陽を拝んだ。斎戒沐浴して朝日を拝んだ。

眼を細くして今まさに昇りつつあるところのその太陽を見た時に、
日の大神の後光がパーッと降りそそぐように自分に入って来る

……それを胸をひろげてフーッと吸ったら、
自分の中に天照大御神の精気が、スーッと入って来るように如実に感じられて、
「もはやわれ生くるにあらず、宗忠ここにあって生くるにあらず、
天照大御神のい'の'ち'ここに在って生くるなり」という大自覚を得たんです。

そしたらもう嬉しくって嬉しくって、
今日までもう五日しか生きない命だと思うとったら、
“永遠に死なない天照大御神の生命に生かされている自分であった!”と、
覚ったのです。

宗忠は余り嬉しいので、1週間ほどの間、もう笑って、笑って、
夜の目も眠らないで笑っておった。

1週間ほどたつと、やがて気が静まって……悦びが静かになって気がついてみたら、
結核が癒ってしまっておったのであります。

このように黒住宗忠は、本当に親孝行の心を起こしたとき、
神意(みこころ)の天に成る世界ーー天照大御神の世界ーーその世界に、
自分の心の波長が合ったのであります。

その時に、彼は、自分の命の中に埋蔵されている
無限の健康の源である無限能力がねえ、自然にこう湧き顕(で)てきて、
病気が癒ったのであります。

宗忠はこの自分の体験談を人に話すと、この話をきいた人の病気がまた癒るのでした。
それから人がだんだん集まってきて黒住教という立派な宗教ができたのでありますが、

僕は三時四十五分に終わる予定ですが、
ちょっと五分間延びまして三時五十分になりましたので、今日はこれで終わります。

ありがとうございます。(拍手)

   (http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/23393052.html より転写)

           <感謝合掌 平成29年11月29日 頓首再拝>

親孝行 - 伝統

2017/12/16 (Sat) 03:40:04


         *「森信三随聞記」寺田一清・著 より

森信三先生は3歳の時に養子にだされました。
しかも、百姓の家にです。
養父母に関しては感謝のみを綴っておられます。

そういった中で森信三の恩師である西晋一郎先生の言葉は私を貫いた言霊があります。

「親より受けた恩の有無厚薄を問わない。親即恩である。」

この言霊は親孝行という言葉を痛快にそして一刀にした言霊であります。

また、江戸初期の哲学者 中江藤樹先生の
「孝即敬愛」の言霊の出会いも素晴らしい言葉であります。

神仏に拝むこと親孝行は同じであります。

なぜなら、親は連綿たる祖先の生命を継ぐものであるから
親を大事にするということは神仏を大切にすると同じといっておられます。

     (http://ameblo.jp/agete3/entry-11079976322.html

・・・

<関連Web:森信三>

(1)伝統板・第二「『一日一語』(森 信三) 」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6714587

(2)伝統板・第二「修身教授録・一日一語(森 信三)」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7150729

           <感謝合掌 平成29年12月16日 頓首再拝>

“親孝行せよ” とは魂の内に宿る至上命令である - 伝統

2018/01/22 (Mon) 03:21:16

      *「聖経『甘露の法雨』講義」(P49~53)より

◇真理とは何ぞや

聖経には、神は 「真理、光明、智慧、絶対の愛」 とあります。 
「真理」というのは「真(まこと)の理(ことわり)」と書かれているのであります。 
神様というのは真の理である、理(ことわり)というのは道理ですね。 

これは天理教でも“理(り)は神じゃ”というふうに言っております。

「真理」というものは永遠に変らない「天地の道理」であって、
例えば「ニニンが四」というようなものを、真理と言うのであります。 
「ニニンが四」は算数上の真理、数学上の真理であります。 

真理にも色々の範疇がありまして、道徳上の真理もあれば、哲学上の真理もある。 
「ニニンが四」は数学上の真理であります。

では真理とは何ぞや。 それは「コトワリ」であります。 
コトは日本語では「《御コト》」〈命/みこと〉であり、英語では《ゴト》〈God〉であり、
ヨハネ伝第1章にある「元始(はじめ)にコトバあり、コトバは神と偕にあり、
コトバは神なりき」とあるそのコトバであります。 

「コトワリ」の「ワリ」は「割り」でありまして、神よりワカレ出でたる道理、
神がコトバによって「これは斯く成る」と定められたものであります。


◇真理というものには普遍妥当性がある

真理の特徴とするものは、普遍妥当性という事であります。 
普遍というのは“普”という字も“遍”という字も“あまねく”という字であります。 
“遍く”というのは、「どこにでもかしこにでも到る処にある」という意味であります。 

“妥当”というのは、正しく当てはまるというという事でありまして、
どこにでもいつでも正しく当て嵌まる、永遠に到る処に変ることがないのが
普遍妥当性のあるというのであります。

「ニニンが四」という数学上の真理は、日本でも、アメリカでも、ソ連でも、
印度でも、中共でも、アフリカでも、何処へ行ってでも当て嵌まるのであります。 

また、過去にさかのぼって、2千年前でも、3千年でも、地球の出来る前でも、
地球が出来てから後でも、吾々が死んでから幾10万年経っても「ニニンが四」
という数学上の真理は変ることなく、常に2を2倍すれば「ニニンが四」となる
のであって、いつも変らず、時間に関らず空間に関らず、何処へ行っても、普遍妥当である。 

即ち正しく当て嵌まるのであります。 
これが真理の特徴なのでありまして、
時々ふらふら変るようなものは真理ではないのであります。

科学も真理をもとめて研究されているのですが、
科学的真理だなどと世間では言われておりましても、
過去の科学的学説は間違っていたというような事が発見されることが
随分あるのであります。 

これを称して「科学は日進月歩である」というのでありますが、 
過去に真理と認められていたものが覆されて、又別の説が建てられたりする
ような場合には、過去の学説は真理の仮面を被っていただけであって、
本当の真理ではなかったという訳です。 

何時でも正しく当て嵌まるのが、これが真理の特徴でありまして、
神様というものは、どこにでも当て嵌まる処の「真(まこと)の理」である訳です。 
神様というのは、この「真理」の本体なのです。

 
◇万人の内に宿る“金剛宝戒(ほっかい)”

皆様の心の内に宿っている、親孝行したいというような思い  ――  
これはどこにでもいつでも当て嵌まるところの普遍妥当性のある真理であります。 

これは皆様の内に宿る神なる生命(いのち)が、
「かくの如くあれ」と内部から叫んでいるのであって、
決して封建時代の遺物であるというようなものではないのであります。 

親孝行という事は民主主義のアメリカへ行ってもどこへ行っても
やはり褒めらるべき徳行であり、

その反対に親不孝ということは何処へ往っても排斥せらるべき
不徳であるという訳であります。

社会の変遷にしたがって道徳の規準が変化すると言われておりますが、
道徳にも一時的な暫定的に通用するものでその時代の社会のあり方に適合する
ための基準もありますが、どんなに社会制度が変り、国内事情が変っても、
根本的に変らない基準もあります。 

左側通行がよいとか、右側通行がよいとかいうようなのは前者であり、
親孝行が善であるというのは後者であります。 

一般に吾々の良心と言われるものが、「これを為すべし」と命ずることは
永久にかわることなき道徳だということができるのであります。

良心というものは「自己に宿る仏性」と言っても良いのであります。 
仏教では「良心」のことを「金剛宝戒」と言っております。 

金剛不壊すなわち永久に壊けることなき最高の宝ともいうべき
戒律の本体という意味であります。 

その「金剛宝戒」として吾々の中に宿っている道徳律というもの  ――   
ドイツ語で謂うと Sollen〈ゾルレン〉 と言われているものですね  ――   
これは日本語では「当為」と訳しておりますが、

吾々の生命(いのち)の底から湧き上がって来る 
「当(まさ)に斯くの如く為すべし」 という“至上命令”であります。


◇”親孝行せよ”とは魂の内に宿る至上命令である

無論、吾々の心が迷って、親不孝でもしようと思ったら、それは出来ない事もない。 
けれども自暴自棄になって色々と理屈をつけて、親不孝してみても、
親不孝者には必ず内心に“悔い”がある。 

何だか自分の内から、「それはいかんぞ」と言って咎めてくる《あるもの》があるのです。 

“良心の叫び”とでもいうようなものが出て来る。 
それを胡麻化すために、酒に酔ってみたり色々悪いことをする。 
肉体の快楽で胡麻化そうとする。 

そうして金がなくなって借金が払えない。 
切羽つまって盗みをする。 

しかし盗みをするという事はいけないという事を誰に教えられないでも彼は知っている。 
「盗む勿)なか)れ」という事はどこへ行っても、いつの時代にも通用する道徳律である。

その道徳律に背いて盗みをすると、どこからか、自分の心の底から気が咎めて、
「お前はいかんぞ」という思いが出て来る。 

これが仏教でいう金剛宝戒であり、道徳上の真理であり、
ドイツの哲学者カントが「実践理性」と名づけたところのものである。

常に到る処に金剛不壊に壊けないで通用するものが「真理」である。 
神様は人間の内に「神性」として、実践理性として、
また「金剛宝戒」として宿っていられる。 

金剛とは永遠に砕けない、宝石のような貴い戒めであり、「良心」の叫びであります。


◇内部理想の叫びに素直に従うものは幸いである

神は吾々の内に“良心の叫び”として“汝斯くの如く為すべし”という
“至上命令”として宿っているのであります。 

これを私は 『青年の書』 の第1章に 「内部理想」 という語を使って
書いておいたのでありますが、吾々は、自己の内から至上命令として
「汝、これを為せ」と叫ぶところの「内部理想」を本当に生き切った時に、
自分の内から「でかした、でかした、お前は善く生きた。 お前は素晴しい!!」
という賞讃の声がするのを聞くことができるのであります。

それは耳には聞えるかどうかは知らんけれども、
吾々の魂の底からそのような“声なき叫び”が聞えて来るのです。 

その「声なき叫び」を発する《もと》が即ち「自己の内部理想」であり、
「ゾルレン」であり、「至上命令」であり、「金剛宝戒」であり、
「良心」であり、仏教で謂えば「仏性」であり、
キリスト教で謂えば「内在のキリスト」でありまして、
それこそが皆様の「本当の生命」なのであります。

肉体が肉体の快楽だけを求めて此の「本当の生命」に逆らうような事をすると、
気が咎めるような感じがして来るのは、それは「本当の生命」の自己破壊であり、
自己背反であるからであります。 

吾々は、吾々の内に産みつけられたその「生命(いのち)の實相(ほんとのすがた)」
即ち「本性」のそのままに、内在の“至上命令”そのままに生きている時に
魂の“安らぎ” “安心”何ともいえない“心の平安” “安らかさ”と
いうような感じが自然と湧いて来るのであります。

この永遠に変らない生命の本性が「真理」である訳であります。 
此の如何なる時代にも何処の国土へ行っても、永遠に変らない「真理」として
吾々に宿っているもの、これが「神」であります。

それで、聖経には神を 「宇宙を貫く法則」 であると示され、
その次に 「真理」 と示されているのであります。

           <感謝合掌 平成30年1月22日 頓首再拝>

手紙 ~親愛なる子供たちへ~ - 伝統

2018/02/08 (Thu) 03:47:41


樋口了一/手紙~親愛なる子供たちへ~
https://www.youtube.com/watch?v=55EjDYHlMHc


【作詞】不詳(原詩はポルトガル語)
【訳詞】角 智織
【日本語補詞】樋口 了一
【作曲】樋口 了一

年老いた私が ある日 今までの私と 違っていたとしても
どうかそのままの 私のことを 理解して欲しい
私が服の上に 食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを 教えたように 見守って欲しい

あなたと話す時 同じ話を何度も何度も 繰り返しても
その結末を どうかさえぎらずに うなずいて欲しい
あなたにせかまれて 繰り返し読んだ絵本の あたたかな結末は
いつも同じでも 私の心を 平和にしてくれた

悲しいことではないんだ 消えて去って行くように 見える私の心へと
励ましの まなざしを 向けてほしい

楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのを いやがることきには 思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたと お風呂に入った 懐かしい日のことを

悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい

いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ 出来なくなるかも知れない
足も衰えて 立ち上がる事すら 出来なくなったなら
あなたが か弱い足で 立ち上がろうと 私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの 手を握らせて欲しい

私の姿を見て 悲しんだり 自分が無力だと 思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力が ないのを知るのは つらい事だけど
私を理解して支えてくれる心だけを 持っていて欲しい

きっとそれだけで それだけで 私には勇気が わいてくるのです
あなたの人生の始まりに 私がしっかりと 付き添ったように
私の人生の終わりに 少しだけ付き添って欲しい

あなたが生まれてくれたことで 私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変らぬ愛を 持って笑顔で答えたい

私の子供たちへ
愛する子供たちへ

http://www.utagoekissa.com/tegamishinainarukodomotachihe.html

・・・

       *「笑う人には福来たる」高橋恵・著(P87~92)より抜粋

(1)この歌詞はもともとポルトガル語で書かれたもので、作詞家不詳だそうです。
   これを日本語に訳したものをパーキンソン病の歌手、樋口了一さんが
   歌われています。

   親と子の絆の深さや関係性は、世界共通。
   時代も国も関係ありません。

(2)歳をとると、人間は誰でもわがままになっていきます。
   無茶を言いますし、家族に迷惑をかけるときもあると思います。
   もちろんそのころに対して、自覚もあるでしょう。

   私は、そんなときにはぜひ、
   家族にその歌を聴かせてあげるのがよいと思います。

   私が試したところ、なかなか効果的のようです(笑)。

(3)冗談はともかく、変わっていく親を受け止め、
   愛するということは大事なことだと思います。

(4)残念ながら死を避けることはできませんが、
   親の生き方、親の残した言葉、これらを次の世代に伝えていく
   ことはできます。

   そんな生き方をしないといけないと思います。


           <感謝合掌 平成30年2月8日 頓首再拝>

親孝行とは何をすることですか - 伝統

2018/03/01 (Thu) 04:53:04


        *『真理』第5巻女性篇(P225~227)より

黒住教という宗教があります。
これはもう新興宗教というには余り古いのでありまして、
宗派神道の方に入れられているのでありますが、この黒住教祖の黒住宗忠と
いう人は、幼い時から非常に親孝行であったのであります。

どれ程親孝行であったかといいますと、何でもたいへん曇っている日に
使いにいくことになったのでありますが、お母さんが「雨が降りそうだから、
傘持って高足駄を履いて行きなさいよ」とこうわわれた。

宗忠は母の言うままに高足駄を履いて出かけると、途中で出逢ったお父さんが
「今日は天気だ。大丈夫だよ、草履を履いて行け」とこういわれた。

そこで「はい」といって、と素直に片足に草履を履いて、片足に高足駄を履いて、
《ちんば》をひきながら用達しに行ったという位に、素直な人であったのです。


親孝行という問題、これは現在の民主主義時代には余り尊ばれないようでありますが、
しかし、これは大変な問題です。

「孝は百行の基(もと)」という言葉もありますように、凡ゆる善徳の根元をなす
ものが、この親孝行というものなのであります。

真に親孝行であれば富みますし、真に親孝行であれば肉体も健康になります。
何故ならそれは根を培うことになるからであります。

せは、親孝行をするということは一体どうすればいいのであるかといいますと、
何も難しいことはないのであります。

親の欲し給う如く、素直にその通りにしてあげたら、これが親孝行なのであります。
親の欲したまわないことを、勝手に人間智慧で、こうしたら善かろうか、
ああしたら善かろうかと思ってやると、親の好まないことを却(かえ)って
親に強制していることがあるものです。

「向かわんと擬すれば却って乖(そむ)く」と云う言葉がありますが、
人間智慧のはからいは駄目であります。

           <感謝合掌 平成30年3月1日 頓首再拝>

親には、希望があれば全部やってもらっている。 - 伝統

2018/03/14 (Wed) 04:15:02


     *Web:一日一冊:今日の名言(2018-03-02)より

(1)大前 研一氏の書より

   親には、「やりたいことはないか」 「どういうことに興味があるか」と、
   しょっちゅう聞いて、希望があれば、
   僕の時間とお金が許す範囲で 全部やってもらっている。
 
   あそこへ行ってみたいと、言われたら、必ず実現させる(p145)

   (「50代からの選択―ビジネスマンは人生の後半に  どう備えるべきか」<P145>)

(2)「孝行のしたい時分に親はなし」 という江戸時代の川柳があります。

   いつの時代でも、
   自分の親については 後悔したくないもの。

  「親の意向をよく聞く」、 ということが大事なのでしょう。

(3)親によって やりたいことは違います。

   いろいろやりたい人もいれば、お金を使わないことにこだわる人もいる。

   最後の瞬間に、後悔しないことを最終目標にすれば良いのだと思います。

    (http://www.1books.jp/entry/2018/03/02/071504

           <感謝合掌 平成30年3月14日 頓首再拝>

洗脚礼 - 伝統

2018/04/02 (Mon) 03:11:10


中華圏では、「洗脚礼」といって、
子どもが親の足を洗うことで親子の絆を深める
伝統的な儀式が各地で行われているとのことです。


次に紹介するのは、日本でのある会社の入社試験のお話しです。


その会社の社長は、次のようなことに気づかれたそうです。

ノウハウや制度ばかりを追求しても
社員の心が豊かにならないと組織は活性化しない。

「本当の感謝とは何か? 」

を社員に実体験させてこそ、お客様に心から感謝できる社員が育つ。

このことに気づいた社長は毎年の入社試験の最後に、
学生に次の2つの質問をするようになったそうです。

まず

「あなたはお母さんの、 肩たたきをしたことがありますか?」

ほとんどの学生は、「はい」と答えるそうです。

次に

「あなたは、お母さんの足を、洗ってあげたことはありますか?」

これには、ほとんどの学生が、「いいえ」と答えるそうです。

「では、3日間差し上げますので
 その間に、お母さんの足を洗って報告に来てください。
 それで入社試験は終わりです」

学生たちはそんなことで入社できるのならと、
ほくそ笑みながら会社を後にするそうです。

ところが、母親に言い出すことがなかなかできないのです。

ある学生は、2日間母親の後をついてまわり、

母親から

「おまえ、気が狂ったのか?」

と聞かれました。

息子

「いや、あのー、お母さんの足を洗いたいんだけど。」

母親

「なんだい? 気持ち悪いねー」

こうしてその学生は
ようやく母親を縁側に連れて行き、たらいに水を汲み入れました。

そして、お母さんの足を洗おうとして、お母さんの足を持ち上げた瞬間・・・・

母親の足の裏が、あまりにも荒れ放題に荒れて
ひび割れているのを掌で感じて、絶句してしまいました。

その学生は心の中で

「うちはお父さんが早く死んでしまって
 お母さんが死に物ぐるいで働いて、自分と兄貴を養ってくれた。

 この荒れた足は、自分たちのために働き続けてくれた足だ」

と悟り、胸が一杯になりました。

そして

「お母さん、長生きしてくれよな」と

ひとこと言うのが精一杯でした。


それまで、息子の「柄にもない親孝行」をひやかしていた母親は

「ありがとう」

と言ったまま黙り込んでしまいました。

そして、息子の手に、落ちてくるものがありました。

母親の涙でした。


学生は、母親の顔を、見上げることができなくなって

「お母さん、ありがとう」

と言って、自分の部屋に引きこもったそうです。

そして翌日、会社に報告に行きました。


学生

「社長、私はこんなに素晴らしい教育を、受けたのは初めてです。

 ありがとうございました」


社長

「君は一人で大人になったんじゃない。

 お父さんやお母さんや いろいろな人に支えられて大人になったんだ。

 そして、これからはな、自分一人の力で一人前になるのではないんだ。

 私も、お客様や従業員やいろいろな人達との出会いの中で
 一人前の社会人にならせていただいたんだよ」

 (http://next.spotlight-media.jp/article/86826896234483422

           <感謝合掌 平成30年4月2日 頓首再拝>

父母を憶い出ずる - 伝統

2018/04/22 (Sun) 03:44:57


   *「光明道中記」(4月22日 父母を憶い出ずる日(私の実父の祥月命日))より

【一人でも本当の人間を作ることは天における神様の喜びであります。
                         (『生命の實相』第十七巻)】

私は生みの親の死に目にはどちらも逢っていない不幸者である。
生みの父の亡くなったときには、「オトキチキトク」の電報を受けて
故郷へ還って見るともう生父(ちち)の霊魂は肉体を去っていたのである。

中学へ入学するとき其の戸籍謄本によって此の人が私の生父であると知りながら
一度も生父として名乗ることも出来なかったし、これからも名乗る機会もないであろう。

私の宅の神仏を祭る祭壇の一部には生父の写真があるが、それも或る日、
生父が山へ草刈りに出かけていた時、通りすがりのアマチュア写真家が写して。
あとで1枚くれたのを長い間空気に曝し、蠅の糞などで蔽われ、

ところどころ表面が剥げて原型をとどめないのを、
家内の発案で強いて修正複写して兄弟たちに頒(わか)った其の1枚である。
もし此の写真がなかったら私の生父の写真はないのである。

生母(はは)の死んだときは、私は関東大震災に逢って神戸の養父母に厄介になっていた。
生母はすぐ隣家(となり)で死んだのだが、私はその臨終の席に招ばれもしなかった。

私は生母のところへ往来(ゆきき)するのを養父母に遠慮していたし、
ほかの人も私の心を察して私を臨終に招ばなかったのであろう。

父母はこうして四人あったので、
その仲に立って非常に神経過敏に心を遣っていた私であった。

           <感謝合掌 平成30年4月22日 頓首再拝>

実父母、養父母への感謝 - 伝統

2018/04/25 (Wed) 03:17:52


           *「光明道中記」(4月25日 因縁尊き日)より

【貴女の我(が)でこれは善だとか批判してはなりません。
     今日から良人を神様だと思いなさい。(『生命の實相』第十七巻)】

自分の生みもしないしない子を幼い頃から育てるのは大変な骨折(ほねおり)で
あったであろう。
私は可愛がられていたから、養父母のことを実父母だと思っていたのである。
その位私は可愛がられていたのだ。

その事を私は心から感謝するものである。

私の実父母のところで育てられていた私の肉身の兄妹たちは
私ほど学校教育を受けなかった。

若し私が生まれた家に育てられて生活していたならば、
今日の『生長の家』は存在しなかったかも知れぬし、
私の運命も非常に変わったものとなっていただろう。

子に貰われるも、貰われぬも、養子にやられるのも、みんな神の指図であり、
そして自分自身が前世から持っていた種蒔(たねまき)の芽が生えたのである。

因縁不可思議であり、また不可思議でもない。
ただ斯くあるものが斯くあることが貴いのである。

私は或る誌友から「あなたの今日あるのは両親のお蔭であるから
生長の家の各教化部にあなたの両親の写真を掲げて拝せしむべきである」と
忠告されたときに私はハタと当惑した。私の親の写真は4人ある。

           <感謝合掌 平成30年4月25日 頓首再拝>

《希望実現の第九則「父母に感謝」》 - 伝統

2018/05/26 (Sat) 03:21:55


        *『人生の秘訣365章』第4篇(P104) より

希望を実現するための第九の法則は「父母に感謝する」ことである。
父母なくして吾々の存在はないのである。

昔から「子をもって知る親の恩」という諺があるように、
親というものが、どんなに自分の子を愛しているかということは、
子供にとっては到底思いも及ばない深さである。

親は子供を叱ることがあるかも知れない。
愛するからこそ、「そんな状態で放置してはいかん」と思って
叱らずにはいられないのである。

隣りの子供が同じことをしても叱らないのは、
隣りの子供は、自分の子供ほどには愛していないからであり、

また隣りの子供は、自分が注意してやらなくとも、
それぞれの両親が責任をもって愛しており、
こちらから余計な注意や助言を興えないでも大丈夫だと思うからである。

「叱る子供」ほど、その両親は彼を愛していて、
ほっておけない気がしているのである。


その親の深い深い愛情を思い起して、毎日神想観のときに
両親の顔を思い浮べて「お父さん、お母さん、ありがとうございます」
と繰返しとなえて感謝するがよい。

そんなことが希望実現や事業の繁栄に何の関係もないじゃないか
と思う人があるかも知れないが、大いに影響があるのである。

           <感謝合掌 平成30年5月26日 頓首再拝>

【孝行したいときに親はなくても親孝行をする方法】 - 伝統

2018/06/23 (Sat) 03:10:55


      *メルマガ「日本一元気になるビジネスマガジン」(平成30年6月18日)より

人生を振り返ると、
私は両親には人一倍迷惑をかけてきたなあと反省です。

ちいさいころはケガばかりしていましたし、
大学は東京に行くと一人暮らしをして、
大学院にまで行って脛を人よりもかじっていました。

結婚して子供ができてからも、
何かと心配をかけていたように思います。

さらにはこの年になっても、
選挙に出たりするというのは、
なかなか普通の人にはない親不孝のパターンですね。

失業して、さらに落選して浪人するというのは、
きっと親としては心臓に悪いことだっただろうなと、
今になってみると感じるところです。


すぐそばに住んでいるのですが、
なかなか忙しくて会う機会がなかったりもするので、

親孝行をできるはずなのに、
できていないなあとこれまた感じるところです。

親孝行は親が生きているうちにしなければという、
あたりまえのことを思い出しました。



いや残念ながら、
私は両親とも他界してしまって、
親孝行したくてももうできないんだよ、

という方ももしかすると
このメルマガ読者の皆さんの中には、
いらっしゃるかもしれません。


しかしそれでもなお親孝行をする方法が二つあります。


一つは、お墓参りをして、
お墓の前で会話をすること。

これはきっと亡くなられた親御さんも喜んでくれることでしょう。
お墓をきれいにしてくれたりしたならば、
さらによろこんでくれること間違いなしですね。


二つ目は、自分を大切にすること。
健康面でも精神面でも自分自身を大切にすることは、
必ずや天上の親御さんがよろこんでくれるはずです。


親が生きているうちに親孝行をするべし、
というのは鉄則ですが、

もう亡くなられてしまったとしても、
よろこんでくれる方法がありますので、
ぜひいますぐに実行してみてはいかがでしょうか。


きっと、天上のお父さんやお母さんからほめられるはずですよ。

           <感謝合掌 平成30年6月23日 頓首再拝>

天忍穂耳尊(あめのおしほのみこと)の孝行 - 伝統

2018/07/18 (Wed) 03:35:32


        *「日新館童子訓・武士道の教科書」
           松平容頌(著)、中村彰彦(訳)(P20~21)より

天忍穂耳尊は、天照大神の皇太子であらせられた。
天照大神が老齢となりたまいてのち、天子の位を尊にゆずり、
日向国高千穂峯のもとにあらたに都をたて天下を統治なさろうとして
尊に三種の神器を授けたもうたところ、

尊は丁重に請いたもうて位を皇孫瓊瓊杵尊にゆずり、尊自身は
旧都大和国(やまとのくに)高市(たけいち)大宮にとどまりたまいて
大神につかえ、心をこめて孝行を尽くさせたもうた。


それ孝は百行の本(もと)であり、この徳は人が生まれた時から
天性として備えているものである。

尊は大神が下さる天子の位がきわめて尊いものであるのに
ものの数としたまわずその位をおゆずりになり、
万世のために教えを垂れさせたもうた。

まことにありがたいことである。

これは遠い昔のことであり、詳しくは書くことができないが、
わが国における孝行の道は天地(あめつち)がひらけると同時に
はじまったのである。

孝行が人としてもっとも高雅なおこないであることは、
ここからも推しはかることができよう。

           <感謝合掌 平成30年7月18日 頓首再拝>

【親孝行の日】 - 伝統

2018/08/08 (Wed) 04:33:15

今日8月8日は【親孝行の日】。

父母を大切にする精神を全国に広めるために、
親孝行全国推進運動本部が1989年(平成元年)に制定。
「8(ハハ=母)8(パパ=父)の語呂合わせ。

・・・


明治天皇が煥発した教育勅語には、12の徳目が示されております。

その第一に、「孝行 ~ 親に孝養をつくしましょう。」とあります。

            ・・・

貝原益軒は、『養生訓』巻第八 において、
「親」と「子」の在り方を、次のようにアドバイスしている。


  ≪ 貝原益軒 親孝行の「養生訓」
   ~自分の親を愛さず、他人を愛してどうする ≫  


  世の中を眺めてみると、年老いて子に養われている人の中には、
  若いときよりも怒りっぽくなり、子や人を責めてばかりいる人が多い。

  それだけでなく、欲も深くなっているようだ。


  健康のためには、なるべく怒りと欲を抑えたほうがよい。
  わが子の不孝を責めず、物事に寛大になるように心掛け、心を楽に保つべきである。


  子としては、年寄りの性質をよくわきまえ、父母が怒りを起こさないように、
  ふだんから気を配っておくことが大切だ。

  父母を怒らせるのは、大変な不孝だからである。


  また、親から「おまえのような親不孝者はいない」と責められた子供が、
  反対に「うちの親はボケてしまった」などと悪口を言いふらしている。
  これこそ、大不孝である。


  年老いると、寂しさに耐えられなくなるものだ。
  これがまた、健康に悪い。

  子たるものは、時々側へ行って、
  なんでもいいから話をして、親の心を慰めたほうがよい。

  友人や妻子とは親しく行き交い、いつまでも語り合っていながら、
  父母に対しては面倒がって、ほとんど話をせず、近づこうともしない。

  こんな者は、自分の親を愛さず、他人を愛しているのだ。

  恩を受けた親を遠ざけるとは、全く道理に背いている。
  なんと愚かなことか。         

            ・・・

中国の儒教の古典『孝経』には、次のようにあります。

(1)親を愛し慕う気持ちを持つ

       *『天国の親が喜ぶ39の習慣』植西聡・著(P62~64)より

   『親を愛する者は人を憎むことはない。親を慕う者は人を毛嫌いすることはない』

   という言葉があります。


   この言葉が意味するのは、
   「あらゆる対人関係の基本は、親子関係にある」ということです。

   人が生まれて初めて出会う人は、親です。
   初めて声をかけ合うのは、親です。
   初めて人間関係を結ぶのは、親です。

   その親を愛し慕う気持ちを持てる人は、親以外のどのような相手であれ、
   やさしい気持ちで愛し慕うことができる、ということだと思います。

   親に対して親しみを感じられるようになることで、
   会社の同僚にも、友人にも、同じ親しみを持って
   つき合っていけるようになると思います。


(2)謙虚な気持ちをもって、親を思い続ける

       *『天国の親が喜ぶ39の習慣』植西聡・著(P75~76)より

   『親に対して謙虚でいられる人は、誰に対しても謙虚な心を忘れることがない』

   という意味を表す言葉があります。


   親とは、言いかえれば、永遠の先生であり、指導者であり、
   人生の良き先輩だとも言えます。

   たとえ親がこの世にいなくとも、天国の親に向かって、
   そのような敬意を持っておくことが大切だと思います。

   そして「天国から私を導いてください」という
   謙虚な気持ちをもって、親を思い続けることで、

   『孝経』に述べられているとおり
   「誰に対しても謙虚でいる」ことができるようになります。

            ・・・

お釈迦さまは「仏説父母恩重経」で、次のように説かれております。

   善男子、善女人よ。わたしたちは、父親にいつくしみ(慈)の恩を、
   母親にあわれみ(悲)の恩をうけている。

   なぜなら、人間がこの世に生まれてくるには、
   前世に自分が蒔いた善悪の種子(たね)を
   直接原因とし、父と母とを間接条件としているからだ。

   父がなければ、わたしたちはこの世に生まれてこないし、
   母がなければ育つことができない。


私たちは、両親から非常に大きな恩を受けています。

その恩に十種あると、お釈迦さまは『仏説父母恩重経』に説かれています。


   父母の恩の重きこと、まさに天に限りないのと同じである。
   善男子・善女人よ、この父母の恩を詳しく説くならば、十種の恩徳となる。


   (1)懐胎守護の恩~この世に誕生するまで受けた恩
   (2)臨生受苦の恩~この世に誕生する際に受けた恩
   (3)生子忘憂の恩~子供の健康を一心に念ずる親の恩

   (4)乳哺養育の恩~睡眠時間を削りながら母乳で育てられた恩
   (5)廻乾就湿の恩~おねしょした際に受けた恩
   (6)洗潅不浄の恩~汚れたおむつ・服を洗ってもらった恩

   (7)嚥苦吐甘の恩~子どもの発育を優先してもらった恩
   (8)為造悪業の恩~悪行をしてまでも守ってもらった恩

   (9)遠行憶念の恩~子どもの遠出の際心を配ってもらった恩
   (10)究竟憐愍の恩~老いても、慈しみを受けた恩

    <参考Web:漫画「父母恩重経」>
      http://byoung.tulip-k.jp/comic/hubo/index.html

            ・・・

ビジネスの神髄は親孝行にあり


 親孝行も出来ない人間はお客様に尽くす事も出来ない。

 親孝行を通じて人に感謝するされると云うことは自分の喜び、
 人に尽くすということは、実は己の喜びであることを知る。

                (東日本ハウス 中村功)

   (http://kyokuseki.blogspot.com/2018/03/blog-post_470.html


           <感謝合掌 平成30年8月8日 頓首再拝>

人類を愛するとは ・・・・・ - 伝統

2018/09/21 (Fri) 02:36:22

       *徳久 克己 青年部長『生長する青年』誌より

生長の家の 『七つの光明宣言』 の第七條に、

「吾らは正しき人生観と正しき生活法と正しき教育法とにより
病苦その他一切の人生苦を克服し相愛協力の天国を地上に建設せんが為に実際運動を起す」  
と宣言されています。


生長の家の 「人類光明化運動」 は、
最も正しい意味での 「世界平和運動」 であります。  

生長の家を病気治しだけの宗教であると思ったり、家庭調和だけの宗教である、
と思ったりしている人がありますが、そんな人は生長の家を正しく認識していない人です。

勿論、病気も治ります、家庭調和も実現します。 
しかし、それは生長の家の真理を実践した一つの功徳で、それが目的ではありません。

「相愛協力の天国を地上に建設する」 ということは、
世界平和を実現するということでありまして、
生長の家の運動が正しい平和運動であるということを深く認識しますと、
私たちはこの運動に挺身せずにはいられなくなります。


ある時、練成会にきた一青年が私のところへきて、

「私は人類を愛します。 ですから、平和運動に挺身しているのです」 といいます。

『君が人類を愛するということは、ほんとうにすばらしいことだね!』

「はい、私はイノチの限りガンバリます」 と胸を張っています。


『君がそんなに人類を愛するなら、家へ帰って、まず、君の最も身近な
お父さん、お母さんをしっかり愛し、感謝してきなさいよ』

青年の顔色はサッと変りました。

「いや、それは!」

『君は、あんなに人類を愛するといっていたのに、
お父さんやお母さんは、君のいう人類のなかには、入っていないのですか?』

胸を張っていた彼はすごすごと帰って行きました。 

人類という漠然とした、抽象的なものは愛せても、
人類のなかで自分に最も近い、具体的な父母は愛せない、ということになると、
まことにおかしなことです。

このようなムジュンはどうして起るかといいますと、
正しい人生観、正しい生活法が確立されていないからなのです。 

どんなに言葉の上で 「人類を愛する」 とか 「平和運動に挺身する」 
といってみても、正しい意味での 「人類愛」 「平和運動」 がわかっていないと、
とんでもない 「人類愛」 や 「平和運動」 になってしまうのです。

童子様ブログ(09/05/13)
http://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p10.html

           <感謝合掌 平成30年9月21日 頓首再拝>

《父母は神と自己をつなぐ媒介である》 - 伝統

2018/11/07 (Wed) 02:52:38


        *『人生の秘訣365章』第8篇(P189~190) より

“七つの灯台の点燈者の神示”に、

「・・・・神に感謝しても父母(ちちはは)に
感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」

ということが示されているのである。

神に祈っても、その祈りがかなえられないことがあるならば、
先ず「自分は父母に感謝しているだろうか」ということを
反省してみるべきである。

吾々の生命(せいめい)は祖先を通じ、父母(ちちはは)を通して、
神の生命(せいめい)が今此処に顕現しているのである。

神が“人間”として自己顕現を遂げようと欲しても、
父母(ふぼ)という媒介を通してのみそれは可能であって、
父母(ふぼ)が存在しなかったならば神の生命(せいめい)は
“自分”として顕現することができなかった訳である。

父母(ふぼ)を媒介としてのみ
人間の生命(せいめい)は神につながるのである。

それゆえ、父母(ちちはは)に感謝しない者は、
人間と神とを繋ぐ媒介の一つを断ち切ることになるのである。

だから父母(ふぼ)を憎んでいたり、反抗したりしていながら、
神に何かの功徳(おかげ)を求めても得られないことがあるのは
当然のことである。

それは自己と神とを繋ぐ媒介を断ち切っているからである。

           <感謝合掌 平成30年11月7日 頓首再拝>

親を想う - 伝統

2018/12/11 (Tue) 03:53:55


「想うた 親を想う」篇(30秒) 【公式】
https://www.jti.co.jp/corporate/tvcm/kigyou50-30.html


「想うた 親を想う」篇(60秒) 【公式】
https://www.jti.co.jp/corporate/tvcm/kigyou50-60.html


スペシャルムービー「想うた 親を想う」篇(120秒) 【公式】
https://www.jti.co.jp/corporate/tvcm/kigyou50-120.html



《親を想う》

何も知らずに 逆らっていた
汗かく姿 見ようともせず
世代だ時代 きっとわからない
決めつけてた 子どもの僕は



風邪を引いても 落ち込んでても
電話の向こう側 気づいてくれる
温かい声 優しく背中を押してくれる
あなたの声



今はまだいいさ 言い訳ばかり
情けないけど 過ぎる毎日
変わりゆく自分 急ぐ自分に
今さら届く いつもの言葉



今だから言える 聞いていて欲しい
恥ずかしいけど 伝えたいんだ
変わらぬ愛情 注ぐあなたに
今なら言える 僕の想い



ありがとう
嗚呼

           <感謝合掌 平成30年12月11日 頓首再拝>

母への葛藤、溢れるばかりの想い - 伝統

2019/04/13 (Sat) 04:26:06

       *メルマガ「人間力」( 2019.4.11 )より

───────────────────
藤原咲子(高校教師・エッセイスト)

※『致知』2007年2月号
※連載「致知随想」


藤原咲子(ふじわら・さきこ)
―――――――――――――――――――――
1945年、父・新田次郎(本名・藤原寛人)と、
母・藤原ていの長女として、
満州国新京市(中国長春市)に生まれる。
立教大学文学部を卒業後、東京教育大学で
比較文学を、北京師範大学で中国語を学び、
高校で中国語を教える。
数学者・エッセイストの藤原正彦は次兄。
───────────────────

……………………………………
「お母さん、私が嫌いなの?」
……………………………………

私は昭和20年、終戦の1か月前に
満州国新京市(現在の中国長春市)で生まれました。

終戦後、父が捕虜収容所に送られたため、
母は数多くの死体が横たわる中、
1人で幼い2人の兄の手を引き、
生まれたばかりの私を〇ュックの中に隠して、
命からがら引き揚げ船に乗り込んだといいます。

*〇:リ

当然私にその時の記憶があるわけではありませんが、
ほどけかけた〇ュックの隙間から見えた北極星と、
引き揚げの異様な空気はなぜか鮮明に覚えています。

壮絶な引き揚げで衰弱した母は、帰国後病の床に臥しました。

死病と恐れられた肺結核でしたから、
子どもたちは近寄ることを許されません。

事情のわからない私は、
ただただ母の温かい愛情が欲しくて、窓越しに母の様子を見ていました。

幼稚園から帰った私に「咲子、おいで」と言って、
木綿の布団をそっと開けてくれる母の姿をどれだけ夢見たでしょうか。

病との闘いに奇跡的に打ち勝った母は、
やがてその壮絶な引き揚げ体験記『流れる星は生きている』を書き上げ、
作家藤原ていとして一歩を踏み出しました。

だがそこにいたのは私がずっと待ち続けてきた
温かくて優しい母ではありませんでした。

幼子3人の命を失うことなく
引き揚げという苦境を乗り越え、
ただ成功者として社会から讃えられる母だったのです。

私は兄たちよりずっと厳しく育てられました。

少しでも甘えようものなら

「あんなに苦労して連れて帰ったのに、
いつまでもわがまま言うんじゃないの」

という言葉が返ってきました。

お母さん、
どうしてそんなに怒るの、
私が嫌いなの?

引き揚げ時の栄養失調で多少の言葉の遅れがあり、
友達とうまく話すこともできず、
学力でも兄たちに追いつけない私は、
いつの間にかすべてに自信を失っていました。

と同時に、私が生まれたことが
母には不満だったのではないかと、
様々な憶測が頭の中をよぎるようになりました。


……………………………………
50年間続いた母子の確執
……………………………………

子どもの頃の私の楽しみは何よりも読書でした。

図書室や家庭の書棚にあるいろいろな本を
引っ張り出しては、本の世界に浸りました。

しかし、母の『流れる星は生きている』だけは、
どうしても手に取る勇気がありませんでした。
幼い頃、一体何があったのか。

その疑問が解かれるのが怖かったからです。

しかし、中学受験が間近に迫った12歳の頃、
そのストレスから逃げるように
『流れる星は生きている』を読んでいる自分に気付きました。

そしてその本の中で
私のことを描写している数行を発見したのです。


「咲子が生きていることが、
 必ずしも幸福とは限らない」


「咲子はまだ生きていた」


ああ、お母さんはやっぱり私を愛していなかった……。

1人の赤ん坊を犠牲にし、
2人の兄を生かそうとしていたのです。

これを読んだ時はしばらく声を失い、呻き声をあげていました。

たった数行が母の私への不信を生み出し、
それから50年もの間、母への反抗が続きました。

私は火がついたように母に食ってかかり、
母を責めるようになりました。

母が涙を流し、

「あんたなんか連れてこなきゃよかった」

と言うまで諍いは終わりませんでした。


平成15年、私は整理をしていた書庫から
偶然にも『流れる……』の初版本を見つけました。

約50年ぶりに茶色の木皮の紋様のカバーを開くと、
そこには「咲子へ」という見慣れた母の字体がありました。


「お前はほんとうに赤ちゃんでした。
 早く大きくなってこの本を読んで頂戴、
 ほんとうによく大きくなってくれました。母」


現在と変わらぬ美しい字体で書かれたこの1行は、
強く閉ざした私の心をひと突きにし、
私の中の何かが崩れ落ちるのを感じました。

12歳の時に目に留まった
「まだ咲子は生きていた」の1文は母の落胆ではなく、

劣悪な状況下で健気に生きていた私への
感動だったのだとこの時ようやく気付いたのです。

母に対する気持ちが
和らぎ始めたのはそれからです。

……………………………………
湧き上がる母への愛
……………………………………

そんな母もいま米寿を迎え、数年前から認知症に侵されています。

病状が進むにつれて母は穏やかになり、
反発していた私にも優しく接するようになりました。

病が進み始めた頃、伊豆の別荘に母と何度も行きました。

駿河湾と富士山が見渡せる場所に車を停め、
漁船の走る海を母と眺めました。

私は1歩後ろへ下がり、
母の病状を観察するかのように

「ほら、イカ釣り漁船が行くねえ」

と話しかけました。

すると母は、

「バカだねえ、お前は。
 あれは引き揚げ船だよ」

と力強い眼差しで海を見ているのです。


この時の母の横顔に思わず私は息をのみこんで、
涙を抑えることができませんでした。

たった1人で幼子3人と日本に引き揚げた時の母の孤独感、

人に言えない苦労が刻まれた横顔に強い寂寥感を感じたのです。

その寂寥感は私の中のそれと重なり合い、
気がつくと私は母をこの上なく
いとおしく思うようになっていました。


人が人を許し、人に優しくすることを知った時、
初めて人は心の静まりの中に真実が見えてくる――。

母はそれを身をもって私に伝えてくれた気がします。

認知症は私にじっくり母と向き合うきっかけを与えてくれました。

私を一人前にするために
厳しく育ててくれた母に、いま心から感謝しています。

           <感謝合掌 平成31年4月13日 頓首再拝>

父母を憶い出ずる日(私の実父の祥月命日) - 伝統

2019/04/22 (Mon) 03:54:34


           *「光明道中記」(4月22日)より

【一人でも本当の人間を作ることは天における神様の喜びであります。
                         (『生命の實相』第十七巻)】

私は生みの親の死に目にはどちらも逢っていない不幸者である。
生みの父の亡くなったときには、「オトキチキトク」の電報を受けて
故郷へ還って見るともう生父(ちち)の霊魂は肉体を去っていたのである。

中学へ入学するとき其の戸籍謄本によって此の人が私の生父であると知りながら
一度も生父として名乗ることも出来なかったし、これからも名乗る機会もないであろう。

私の宅の神仏を祭る祭壇の一部には生父の写真があるが、それも或る日、
生父が山へ草刈りに出かけていた時、通りすがりのアマチュア写真家が写して。
あとで1枚くれたのを長い間空気に曝し、蠅の糞などで蔽われ、

ところどころ表面が剥げて原型をとどめないのを、
家内の発案で強いて修正複写して兄弟たちに頒(わか)った其の1枚である。
もし此の写真がなかったら私の生父の写真はないのである。

生母(はは)の死んだときは、私は関東大震災に逢って神戸の養父母に厄介になっていた。
生母はすぐ隣家(となり)で死んだのだが、私はその臨終の席に招ばれもしなかった。

私は生母のところへ往来(ゆきき)するのを養父母に遠慮していたし、
ほかの人も私の心を察して私を臨終に招ばなかったのであろう。

父母はこうして四人あったので、
その仲に立って非常に神経過敏に心を遣っていた私であった。

           <感謝合掌 平成31年4月22日 頓首再拝>

養子となるも、神の指図であり、前世の因縁である - 伝統

2019/04/25 (Thu) 21:24:45


           *「光明道中記」(4月25日 因縁尊き日)より

【貴女の我(が)でこれは善だとか批判してはなりません。
     今日から良人を神様だと思いなさい。(『生命の實相』第十七巻)】

自分の生みもしないしない子を幼い頃から育てるのは大変な骨折(ほねおり)で
あったであろう。
私は可愛がられていたから、養父母のことを実父母だと思っていたのである。
その位私は可愛がられていたのだ。

その事を私は心から感謝するものである。

私の実父母のところで育てられていた私の肉身の兄妹たちは
私ほど学校教育を受けなかった。

若し私が生まれた家に育てられて生活していたならば、
今日の『生長の家』は存在しなかったかも知れぬし、
私の運命も非常に変わったものとなっていただろう。

子に貰われるも、貰われぬも、養子にやられるのも、みんな神の指図であり、
そして自分自身が前世から持っていた種蒔(たねまき)の芽が生えたのである。

因縁不可思議であり、また不可思議でもない。
ただ斯くあるものが斯くあることが貴いのである。

私は或る誌友から「あなたの今日あるのは両親のお蔭であるから
生長の家の各教化部にあなたの両親の写真を掲げて拝せしむべきである」と
忠告されたときに私はハタと当惑した。私の親の写真は4人ある。

           <感謝合掌 平成31年4月25日 頓首再拝>

親守歌 - 伝統

2019/06/16 (Sun) 04:23:46

        *「孤独になる前に読んでおきたい10の物語」
          神渡 良平・著 (P27~29)より抜粋

抜群の成績だった忠夫さんは、中学3年生になると、熊本県で一番の難関である
熊本高校を受験すべく、毎日深夜まで勉強しました。

12月のある寒い夜のことでした。
父親が忠夫さんを呼びました。
母親は父の横に座って、じっと忠夫さんを見つめています。

忠夫さんは父からよい話が聞けるものと思い、期待で心が躍っていました。

ところが父親の口をついて出たのは、
忠夫さんに水を浴びせるような言葉でした。
「熊本に行くのはあきらめて、地元の高校に行ってくれ」

それを聞くなり、信じられず、凍りづいてしまいました。

(中略)

忠夫さんは両親をさんざんののしり、
父の甲斐性のなさを責めました。

日頃は厳格な父でしたが、その夜は忠夫さんが何と父をののしっても
ひと言も言わず、黙ってうつむいていました。
母はおろおろするばかりでした。

それからの忠夫さんはぷっつり勉強をしなくなりました。
忠夫さんは父母も家族をも無視し、
家の中には重苦しい雰囲気がただよいました。

そして年が暮れ、昭和32(1957)年の元旦になりました。

荒木さんの家では毎年元日には、
家族そろって初詣に行くことになっていました。

母親はふて腐れて寝ている忠夫さんのところに何度もやってきて、
一緒に来ないかと誘いましたが、忠夫さんは無視して
布団を被ってふて寝していました。

母親はとうとうあきらめ、しょげ返って、
他の家族とともに出かけていきました。


忠夫さんがふと気がつくと、枕元に5,6枚の年賀状が置いてありました。

忠夫さんは寝そべったまま、それらをめくりました。
ほとんどが同じクラスの友達からのものです。
「今年もよろしく」
「高校受験をがんばろう! 」
などと書いてありました。

ところが最後の1枚だけが違っていました。

差出人の名前は書かれていませんでしたが、
母からのものだとわかりました。

そこにはお母さんの悲痛な叫びが記させていました。


   お前に明けましておめでとうというのは、本当につらい。
   母ちゃんは、お前が元旦に、みんなの前で笑いながら、
   おめでとうと言ってくれる夢を何回も見ました。

   母ちゃんは、小さい頃お前が泣き出すと、
   子守歌を歌って泣きやませたものです。

   でも、今はもうお前に歌ってやる子守歌もないので、
   本当に困っています。

   今度はお前が母ちゃんに、親守唄(おやもりうた)を歌ってほしい。


(母ちゃんがそげん辛い思いばしとったとは・・・)

忠夫さんは床の中で声をあげて泣きました。


このハガキのおかげで忠夫さんは両親の気持ちを思うようになり、
元気に地元の天草高校に進み、とうとう難関の九州大学に合格しました。

お父さんは忠夫さんの大学進学費用を捻出するため、
大切に残してあった庭木を売って3万円を作ってくれました。

忠夫さんは、それ以外は父母の援助をほとんど受けず、
奨学金とアルバイトで大学を卒業し、
希望していた企業に就職することができました。


忠夫さんはお母さんに、

「今度はお前が親守唄を歌っておくれ・・・」

と頼まれて、ハッと目が覚めたといいます。


お母さんからの悲痛な一言で、自分のことしか考えない、
一人よがりで未熟な子どもから、周囲の人々のことにも
心を配ることができる大人へと脱皮できたのでした。

            <感謝合掌 令和元年6月16日 頓首再拝>

幸せヒント・親に感謝できる子は幸せになる - 伝統

2019/08/15 (Thu) 04:10:43

       *Web:今日も良いことがあるように(2019/08/05)より抜粋

感謝ができない子どもは、不幸です。

してもらって当たり前、
してくれなかったら、泣いたり怒ったりするのです。

本当は、してもらって当たり前のことなんかありません。

今日ごはんが食べられるのも、
寝るところ、着る服があるのも
当たり前でないと教えたいものです。


★これでハッピー!★

     当たり前のことへの感謝を教えよう。

           ・・・

いくつになっても親に感謝する


親は、本当にありがたい存在です。

自分を産んで育てくれた人ですから、
いま自分があるのは、親のおかげです。

親が子どもを育てるのは、
24時間年中無休で無償で奉仕しているようなものです。

たとえそばにいなくても、いまは天国でも
親への感謝を忘れてはいけないのです。

★これでハッピー!★

   一日一度は親に感謝しよう。

   (https://lucky.t-nakai.work/2019/08/05/happy-23/ )

            <感謝合掌 令和元年8月15日 頓首再拝>

『 親子の縁 』  - 伝統

2019/09/14 (Sat) 04:50:49


       *Web:〇△□ のお坊さん
            ~埼玉県所沢市  金仙寺副住職 青木亮敬


弘法大師空海が開山した和歌山県の高野山には、
いくつものお寺が建ちならび、遠方から来る人々を迎え入れています。

山内の一寺である密厳院は、
新義真言宗の祖である興教大師覚鑁が創建した寺院として、
その長い歴史をいまに伝えています。

密厳院のとなりには、有名な苅萱堂があります。
ちなみに意外と知られていませんが、
苅萱堂は本院である密厳院によって管理されているお堂です。

苅萱堂には、江戸時代に歌舞伎の演目ともなった
苅萱道心(かるかやどうしん)と石童丸の哀話が伝えられています。


ときは平安末期。現在のお堂のあたりで、
苅萱道心という僧侶が修行の日々を過ごしておりました。

苅萱道心は、俗名を加藤左衛門尉繁氏(かとう さえもんのじょう しげうじ)といい、
かつては筑紫国(つくしのくに:現在の福岡県)苅萱荘博多の領主でした。


繁氏には桂子(かつらこ)御前という正妻と、
千里(ちさと)御前という側室がいました。

ある日、繁氏は普段から仲のよい二人の妻が、
本心ではお互いを憎しみあっていることに気づきます。

妻たちの本心を見抜いた繁氏は、
わが身が犯した罪の深さを反省し、家も地位も捨てて出家します。

その後、安養寺円慶を頼って高野山に入り、名を円空とあらためた繁氏は、
蓮華谷(れんげだに)に庵(いおり)をむすび、修業の生活へと入りました。

いつしか円空は、周囲から苅萱道心と呼ばれるようになっていました。


繁氏の出家後、
千里御前は播磨国(はりまのくに:現在の兵庫県南西部)
大山寺の観海上人のもとで、繁氏の一子石童丸を出産しました。

石童丸が14歳になったとき、
繁氏とよく似た僧侶が高野山にいるという噂を耳にします。

石童丸は、まだ見ぬ父 繁氏に会いたい一心から、
母の千里御前とともに高野山へと向かいます。

千里御前と石童丸は、やっとの思いで高野山のふもとにある
学文路(かむろ)の宿にたどり着きます。

ところが、そこから先は、
高野山の女人禁制というきびしいおきてに阻まれてしまいます。

仕方なく、石童丸は母を宿に残し、ひとり高野山に登っていきます。

広い山内で父の行方をたずね歩く石童丸は、
奥之院に架かる無明の橋で一人の僧とすれ違います。
その僧は、母から聞いた父の姿によく似ていました。

石童丸が自分の身の上を話したところ、僧の顔色が一瞬変わりました。
この僧こそ、石童丸の父 苅萱道心円空その人だったのです。
しかし、浮世を捨てて仏に仕える身となった円空には、
親と名乗ることが許されませんでした。

円空は、適当な墓石を指して、
「探している父親はすでに亡くなった」と話して石童丸を母のもとへと帰します。

悲嘆にくれながら学文路の宿に戻った石童丸には、
さらなる悲劇が待ちかまえていました。
母千里御前が長旅の疲れで急病となり、
わが子の帰りを待ちわびながら亡くなったというのです。

突然、天涯孤独の身となってしまった石童丸は、
再び高野山に戻り、円空の弟子道念となりました。

円空は、道念に生涯父子の名乗りをすることはありませんでした。
それから30年以上、苅萱堂がある地で師弟として修行に励んだということです。

苅萱道心と石童丸の物語は、涙をそそる哀話として後世に伝えられています。

しかしこの物語は、その悲劇だけを伝えるのではなく、
親子の縁がいかに深く強いものであるかをわたしたちに教えています。

この時代の出家は、俗世の縁をすべて断ち切ることを意味していました。
それでも、親子である苅萱道心と石童丸との縁は、
ついに切れることがありませんでした。

そして、息子を待ちわびた千里御前の石童丸にむける想いは、
わが子に会いたさの一心で女人禁制の高野山を訪れた
お大師さまの母君と同じ母の愛情です。

わたしたちは、家族、友人知人、職場の同僚、恩師など、
自分の身の回りにいる人をあたりまえのようにいる存在として軽視しがちです。

しかしわたしたちは、ひとりで生まれてきたのではありません。
またひとりでは生きていけないのです。

わたしたちは、自分が他の人々とつながっていることを意識しなければなりません。
自分とは、人の縁のうえに成り立つ存在であることを知り、
その縁に感謝しなければならないのです。

とくに親子の縁は、もっとも大切にしなければなりません。
なぜならば、自分という存在をこの世に送り出した、
感謝してもしつくせない縁であるからです。

そして親子の縁は、相手をいつくしみ、
思いやる心をはぐくむ土台となる縁でもあります。

もういちど、もっとも自分に身近な親子の縁について
考えてみなければならないときがきています。

      ( http://past.bussei.gr.jp/houwa/2007.06-5.aoki.html )

・・・

<参考>

谷口雅春先生は、
「真理」第9巻生活篇(《愛をのせた霊的微小体》P223~224)において、
加藤左衛門尉重氏の得度について紹介しております。

  → 「ひかりの一日一言53~霊的微小体を活用して」 (28日)
     http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7890665

            <感謝合掌 令和元年9月14日 頓首再拝>

親孝行は自然の感情 - 伝統

2019/09/30 (Mon) 04:17:47


         *「女性の幸福365章」(P375)より

子が親の言うことをきくのは「屈従」を強いられて従うのではない。
それを「屈従の倫理」と称して、子をして親に背かせようと企図するのが、
日教組の「倫理綱領」である。

子が親の言うことをききたくなるのは、子が親を愛しているからである。
愛している人の言うことなら、何でもそのように」してあげたいのが
人間の素直な自然の感情である。

恋愛している場合でもそうである。
その「自然な感情」を「屈従」という言葉の力によって破壊してしまうのが
”赤い人”の物の考え方である。

素直な自然な親孝行の感情が、「屈従」という「言葉の手品」で一蹴される。
子供はその自然の愛情をとじさせられて、愛情のやり場がないので破壊的な感情を
爆発させたり、歪んだ方向に愛情を満足させて堕落の淵に沈むのである。

生長の家の練成道場に来て親孝行の感情を復活させた少年が、家に帰って
「お父さん、お母さん、有難うございます」と言い得たときに、
「人生が見ちがえるように明るくなりました」と悦ぶ姿を見ると、

親に孝行したい感情というものは、
本来自然に子供には備わっているものでありことが判るのである。

            <感謝合掌 令和元年9月30日 頓首再拝>

親孝行とは何をすることですか - 伝統

2019/10/16 (Wed) 04:36:44


           *『真理』第五巻女性篇(P225~227)より

黒住教という宗教があります。

これはもう新興宗教というには余りに古いのでありまして、
宗派神道の方に入れられているのでありますが、
この黒住教祖の黒住宗忠という人は、
幼い頃から非常に親孝行であったのであります。

どれ程親孝行であったかといいますと、
何でもたいへん曇っている日に使いに行くことになったのでありますが、
お母さんが「雨が降りそうだから傘(からかさ)を
持って高足駄(たかあしだ)を履いて行きなさいよ」とこういわれた。

宗忠は母の言うままに高足駄を履いて出かけると、途中で出逢ったお父さんが、
「今日は天気だ。大丈夫だよ、草履を履いて行け」とこういわれた。

そこで「はい」といって、素直に片足に草履を履いて、片足に高足駄を履いて、
《ちんば》をひきながら用達しに行ったという位に、素直な人であったのです。


親孝行という問題、
これは現在の民主主義時代には余り尊ばれないようでありますが、
しかし、これは大変な間違いです。

「孝は百行の基(もと)」という言葉もありますように、
凡ゆる善徳の根源をなすものが、この親孝行というものなのであります。

真に親孝行であれば富みますし、真に親孝行であれば肉体も健康になります。
何故(なぜ)ならそれは根を培うことになるからであります。

では、親孝行をするということは一体どうすればいいのであるかといいますと、
何も難しいことはないのであります。親の欲し給う如く、素直にその通りにして
あげたら、これが親孝行なのであります。

親の欲したまわないことを、勝手に人間智慧で、こうしたら善かろうか、
ああしたら善かろうかと思ってやると、親の好まないことを却(かえ)って
親に強制していることがあるものです。

「向わんと擬(ぎ)すれば却って乖(そむ)く」と云う語(ことば)もありますが、
人間智慧のはからいは駄目であります。

            <感謝合掌 令和元年10月16日 頓首再拝>

親孝行は、今日一日だけ、毎日が今日一日だけ - 伝統

2019/11/02 (Sat) 04:22:15

        *Web:GAIA(2009年01月11日)より抜粋

「今日一日」という佐々木将人さんの素敵な話が載っていた。

佐々木さんの奥さんには兄弟が3人いるにもかかわらず、奥さんの両親を世話していた。
このままでは義理のお兄さんにも失礼で、筋違いだ。
かといって奥さんの両親にもう来るなともいいかねて困り果ててしまった。


そこで佐々木さんは師として仰いでいた中村天風師の教えを乞うことにしたのである。

ひととおり事情を説明するのをじっと聞いておられた先生は、
おもむろに口を開かれて、

「妻の両親と共に住むのは、道が違うというものだ。
しかし、親孝行というのも、修行のうちだ。
帰ってもらうにしても、せめて 今日一日だけ、面倒をみてごらんなさい。」

とおっしゃった。

佐々木さんは、命を捨ててもとまで信頼しきってきた中村師の言葉に、
正直すっかりがっかりしてしまった。

「いくら道が違うといっても、明日、帰らすとはあまりにも殺生ではないか。
忠孝仁義は人の道ではないのか」

と、佐々木さんは心安らかず帰路についたのであった。

電車に乗って、本を開いても、憤懣やる方なく、頭に入らない。
何度も、先生の言葉が頭の中をめぐっていたのであった。

『今日一日だけ、面倒をみなさい』

・・・

突然「ハッ!」と気が付いた。

「そうか親孝行は、今日一日だけなんだ。毎日が今日一日だけなんだ!」

私は無明の迷いから醒めた。そして先生のお宅の方を向いて合掌した。

 
夕食後のことである。
私は、妻の両親を前にして、話を切り出した。

「この家に来て、妻の手伝いをしてくださるのは、いつも感謝しています。
しかし、世間体というのがあります。
義兄さん達の顔をつぶすことはしたくありませんので
申し訳ありませんが、明日帰ってください」

といった。

妻の両親は言葉も無く、うつむいたままだった。
妻はいたたまれず、涙を隠すようにして台所へ走った。
夫婦は最も近い他人にして、背中合わせ不仲となると地球一回りの最も遠い他人となる。
その夜は最も遠い他人だった。

 
翌日、両親は荷物をまとめ、帰り支度を始めた。
私はわざと、

「どこへお出かけですか?」

とたずねる。

「いや、昨夜、明日帰ってほしいと言われたから」

という。

「ですから、明日帰ってください。今日ではありません。」

というと、しばらく、両親は私の言葉の意味が分からなかったようだった。

「実は、昨日天風先生のところに行き、お言葉を頂いたのです。

『人生は今日一日』なのです。

私は親孝行がいくらよいといっても、正直なところ、一生面倒みるのは嫌です。
しかし、今日一日だけは我慢できます。
ですから、今日一日だけは気楽にして、明日になったら、帰って下さい。」 

両親と妻は、言葉も無く涙を流した。

それから「今日一日」が20年続いた。

そして、義父は、寝たきりの病に伏した。それが、約2年続いたのだ
最後の時、義父は私の手を握り、一筋の涙を流して旅立っていった。

~「人生山河ここにあり」(P117~119) マネジメント社~

  (http://plaza.rakuten.co.jp/jifuku/diary/200901110006/ )

・・・

Webでは、「佐々井将人」となっておりましたが、
著書で確認したところ、「佐々木将人」が正しい名前でしたので、
正しい名前に訂正しております。

              ・・・

【佐々木将人】
1929年(昭和4年)2月1日 - 2013年(平成25年)2月15日[1])は、
日本の合気道家、神道家。

山蔭神道上福岡斎宮(埼玉県ふじみ野市)宮司、合気道神明塾塾頭[2]。
合気道(合気会)八段。
中央大学経済学部卒、同大学院法学部専攻科修了。雅号「乾舟」(けんしゅう)

<参考Web>
佐々木の将人師範インタビュー記事
「一瞬一瞬を明るく生きるのが人生だ」より
https://www.dou-shuppan.com/aikido_w/2013/02/21/001/


            <感謝合掌 令和元年11月2日 頓首再拝>

親不孝な自分についての悔恨の情、お詫びの手紙 - 伝統

2019/12/13 (Fri) 04:45:13


       「生長の家」(昭和33年6月号「明窓浄机」)より

昭和33年3月21日の研修会での体験発表の時間に、
奈良県北葛城群当麻村大畑の寺田喜代子さん(23歳)が体験発表された。

寺田さんは富裕な農家の生まれであるが、幼いときから両親が常に
「男でないと仕事が出来ない。女では仕方がない」
と口ぐせに言われるものだから、

「男になりたい」 願いが潜在意識に深く根をおろした結果、
言語動作等ことごとく男のように粗暴になり服装なども
ほとんど男としか見えないような服装をつけるようになり、
馬などを扱うときにもほとんど全く男と同じような態度、
語調でどなりつけるようになった。

年頃になっても、その男性的性格がいよいよ甚だしくなるにつれ、
両親が心配して、「もっと女らしくなれ」 と言うものだから、

「幼い時には女では駄目だ。男でないと、仕事はできん、
と口癖のように言っておきながら、いまさら 『女らしくなれ』 とは何事だ」
―― と大いに憤慨して両親を恨み両親に反抗するようになり、

酒は毎日五合? くらいは飲み、
煙草は毎日三十本以上ないと足りないように
心がすさんでしまっていたのであった。

ところが縁あって、宇治の生長の家修練道場に来て、諸先生の話をきき、
更に楠本加美野講師の親不孝が治った体験を交えた話をきき、

神想観中に

「お父さん、ありがとうございます。お母さん、ありがとうございます」

と心で念じていると、

今までの親不孝な自分についての悔恨の情が
沸々とたぎるように沸き起こって来て、泣けて泣けて仕方がなかった。

それから、「祈りの間」にはいって祈りながら、存分に泣いたのである。

「祈りの間」を出て、山に上って見ると、
そこにひときわ大きく輝いている星が自分を見詰めているように感じられた。

その星を見ていると、それが母の慈愛深い眼を思い出させた。

「あの星は母の眼なのである。母は私を愛して
私がよい娘になってくれるようにと常に私を見詰めていてくれるのである」
と思うと涙があふれ出て来た。

今まで母に反抗してすまなかった。
涙にかすんだ眼に、その星がぼんやりとなり、
その星が母の顔になって見えるのである。

彼女は大声で 「お母さん!!」 と叫んだ。
この声が奈良県にいる母に通じればよい…… 再び彼女は大声で
「お母さん!!」 と叫んだ。

大粒の涙が彼女の眼から滝のように流れ落ちた。

彼女は母親に心をこめて今までの不孝を詫びる愛情の手紙を書いた。
それから幾度も幾度も母親に手紙を書いた。

そして此の体験談を発表した最後に、その母から来た 「喜びの手紙」 を
泣きながら彼女は読みあげたのであった。

   (Web:生長の家宇治別格本山 より抜粋)

         <感謝合掌 令和元年12月13日 頓首再拝>

父母を憶い出ずる日(私の実父の祥月命日) - 伝統

2020/04/22 (Wed) 04:14:51


      *「光明道中記」(4月22日)より

【一人でも本当の人間を作ることは天における神様の喜びであります。
                         (『生命の實相』第十七巻)】

私は生みの親の死に目にはどちらも逢っていない不幸者である。
生みの父の亡くなったときには、「オトキチキトク」の電報を受けて
故郷へ還って見るともう生父(ちち)の霊魂は肉体を去っていたのである。

中学へ入学するとき其の戸籍謄本によって此の人が私の生父であると知りながら
一度も生父として名乗ることも出来なかったし、これからも名乗る機会もないであろう。

私の宅の神仏を祭る祭壇の一部には生父の写真があるが、それも或る日、
生父が山へ草刈りに出かけていた時、通りすがりのアマチュア写真家が写して。
あとで1枚くれたのを長い間空気に曝し、蠅の糞などで蔽われ、

ところどころ表面が剥げて原型をとどめないのを、
家内の発案で強いて修正複写して兄弟たちに頒(わか)った其の1枚である。
もし此の写真がなかったら私の生父の写真はないのである。

生母(はは)の死んだときは、私は関東大震災に逢って神戸の養父母に厄介になっていた。
生母はすぐ隣家(となり)で死んだのだが、私はその臨終の席に招ばれもしなかった。

私は生母のところへ往来(ゆきき)するのを養父母に遠慮していたし、
ほかの人も私の心を察して私を臨終に招ばなかったのであろう。

父母はこうして四人あったので、
その仲に立って非常に神経過敏に心を遣っていた私であった。

         <感謝合掌 令和2年4月22日 頓首再拝>

因縁尊き日 - 伝統

2020/04/25 (Sat) 04:54:11


           *「光明道中記」(4月25日)より

【貴女の我(が)でこれは善だとか批判してはなりません。
     今日から良人を神様だと思いなさい。(『生命の實相』第十七巻)】

自分の生みもしないしない子を幼い頃から育てるのは大変な骨折(ほねおり)で
あったであろう。
私は可愛がられていたから、養父母のことを実父母だと思っていたのである。
その位私は可愛がられていたのだ。

その事を私は心から感謝するものである。

私の実父母のところで育てられていた私の肉身の兄妹たちは私ほど学校教育を受けなかった。
若し私が生まれた家に育てられて生活していたならば、今日の『生長の家』は存在しなかった
かも知れぬし、私の運命も非常に変わったものとなっていただろう。

子に貰われるも、貰われぬも、養子にやられるのも、みんな神の指図であり、
そして自分自身が前世から持っていた種蒔(たねまき)の芽が生えたのである。

因縁不可思議であり、また不可思議でもない。
ただ斯くあるものが斯くあることが貴いのである。

私は或る誌友から「あなたの今日あるのは両親のお蔭であるから
生長の家の各教化部にあなたの両親の写真を掲げて拝せしむべきである」と
忠告されたときに私はハタと当惑した。私の親の写真は4人ある。

         <感謝合掌 令和2年4月25日 頓首再拝>

本当の親孝行 - 伝統

2020/08/14 (Fri) 02:51:59


     *メルマガ「週刊エヌ・ピュア」(2020年08月12日)より

「親孝行ができなかったことを後悔している」

と、話した人がいました。

それに対して、
小林正観さんは次のような話をしてくれました。

『親が生きている間に、
 親に何かしてあげることを親孝行というのではありません。

 本当の親孝行は、親が亡くなったときから始まります。

 親があちらの世界に行って、こちらを見たときに、

「ほら、見てください。
 あれが私の娘です。

 いつも笑顔で、おだやかに楽しく生きているでしょう」

 とか、

「あれが息子です。

 いつも誠実で、まわりの人に喜ばれているのが私の息子ですよ」

 と、自慢できるような、生き方を、自分がすること。

 それが、最大の親孝行です』


親孝行とは、親に何かをしてあげることだけじゃなくて、

親が自慢できるような生き方を子ども(自分)がすること。

だから、親孝行に、手遅れはないんです。

 ー  ー  ー  ー  ー 

親が健在でも、すでにあの世へ行っていても、

いちばん身近な
「ご先祖さま」である「親」に喜んでもらうことは、

そこから先へ連綿とつながるご先祖様への
「最高の供養」になるように思います。


帰省も自粛ムードの今年のお盆だからこそ、

こんなふうに
ご先祖さまへ想いを馳せてみるのも
いいんじゃないでしょうか (^_^)

・・・

<参照>

◆本当の親孝行◆  小林正観 
http://www.shingroup.co.jp/monroe-52.html

         <感謝合掌 令和2年8月14日 頓首再拝>

親孝行は、すべての人間関係の土台である - 伝統

2020/12/10 (Thu) 02:34:40


        *Web:宮古毎日新聞(2013年7月31日)
             ~日本親業協会親業インストラクター 福里 盛雄

(1)親孝行は、人間としての幸せの土台である。

   時代が、どんなに変化しようとも、
   永遠に変化しない人間の幸せな社会生活の基本的理念が
   存在し続けるのです。

   命がけで、自分を生み育て、
   この世で一番愛情を尽くしてくれた親を心から尊敬し、
   ご恩に報いる親孝行の思想は、
   人間にとって基本的な人格形成の土台でもある。

(2)親孝行の効果

  ①親孝行を実践している子供は、
   人間性の豊かさという大きな宝を獲得していることになる。
   この宝こそ、生きる大きな力となります。

  ②親孝行は私たちの日常生活を心豊かにする栄養剤だ
   と言っても、言い過ぎではありません。

   (http://www.miyakomainichi.com/2013/07/52678/

         <感謝合掌 令和2年12月10日 頓首再拝>

因縁尊き日 - 伝統

2021/04/25 (Sun) 04:43:43


           *「光明道中記」(4月25日)より

【貴女の我(が)でこれは善だとか批判してはなりません。
     今日から良人を神様だと思いなさい。(『生命の實相』第十七巻)】

自分の生みもしないしない子を幼い頃から育てるのは大変な骨折(ほねおり)で
あったであろう。
私は可愛がられていたから、養父母のことを実父母だと思っていたのである。
その位私は可愛がられていたのだ。

その事を私は心から感謝するものである。

私の実父母のところで育てられていた私の肉身の兄妹たちは私ほど学校教育を受けなかった。
若し私が生まれた家に育てられて生活していたならば、今日の『生長の家』は存在しなかった
かも知れぬし、私の運命も非常に変わったものとなっていただろう。

子に貰われるも、貰われぬも、養子にやられるのも、みんな神の指図であり、
そして自分自身が前世から持っていた種蒔(たねまき)の芽が生えたのである。

因縁不可思議であり、また不可思議でもない。
ただ斯くあるものが斯くあることが貴いのである。

私は或る誌友から「あなたの今日あるのは両親のお蔭であるから
生長の家の各教化部にあなたの両親の写真を掲げて拝せしむべきである」と
忠告されたときに私はハタと当惑した。私の親の写真は4人ある。

         <感謝合掌 令和3年4月25日 頓首再拝>

「孟宗の親孝行」 - 伝統

2021/05/17 (Mon) 02:01:36


      *Web:亀の知恵( 2019.10.18)より抜粋

あなたはご存じでしょうか?

現在、日本には広く孟宗竹が植わっています。

もともと中国から曹洞宗の開祖道元禅師が中国から帰国される際に
竹の実を持ち帰り、故郷である現在の京都府の乙訓(おとくに)に植えた
ところから広がったのだそう。

持ち帰った竹の種類は「孟宗竹(もうそうちく)」。

この名前は、三国時代の呉の国の孟宗という人物に由来します。

孟宗は小さい頃に父親を亡くし、母に育てられます。

母は、学問を修めさせようと学問所に送り出すのですが、
その際、通常よりも厚い敷布団と大きな掛け布団を作って
持たせたと言います。

理由を尋ねられた母親は、
自分の息子には人を引きつける徳はなし。

けれど、この布団を持って行けば、
それを求めて人がより、同じ床で寝たりして、
志を同じくする人と仲良くできるかもしれないと答えたそうです。

孟宗はそんな母の思いやりに応え、学問に励み、役人となります。

はじめは低い地位で雨漏りするような家に住み、嘆いたこともありましたが、
やがてその才能を認められ、養魚池の監督官となります。

孟宗は自ら魚をとり、漬け物にして母に送ったそう。

しかし母は、魚を管理する役目の者がそうしたことをすれば、
疑いを招くとして、すべて送り返したといいます。


高齢になって病に伏せった母が、好物の筍を食べたいと願いました。

しかし季節は冬。

孟宗は竹林に向かったものの、筍は見当たるはずもありません。

天に向かい祈り涙し慨嘆していたところ、
雪がとけ、辺り一面、筍が生えてきたのです。

孟宗はそれを持ち帰り、筍の汁物を母に食べさせたところ、
病が癒え、天寿を全うすることができたのでした。

これを知った人々は、孟宗の孝行が天に通じた故と語り合い、
この竹を孟宗竹と呼ぶようになったと言われています。

https://kamenochie.com/post-13503/

・・・


以下は、関連として
メルマガ「夢の言の葉」(2021年5月17日) ---旧暦4月6日---
                     
           【立夏】末候 竹笋生 (たけのこしょうず)

からの紹介です。


『早生竹』(わせたけ)

 ☆--------------孟宗竹(もうそうちく)の異名--------------
 
現在、最も広く出回っているのは、「孟宗竹」の筍(たけのこ)です。
 
 
「孟宗竹」が日本に伝わるまで、主に食べられていたのは、
「淡竹(はちく)」や「真竹(まだけ)」の筍。
 
 淡竹は五月頃、続いて、真竹が出てきます。
 
 
 それに対して、孟宗竹の筍が出てくるのは、四月頃。
 
 そこから、別名『早生竹』と呼ばれるようになりました。
 
 
 
 ところで、「孟宗竹」という名は、漢名ではありません。
 
 
 ──昔、中国に、孟宗という青年がいた。
   
   彼は、病気の母親に、好物の筍を食べさせたいと、
   真冬に筍を探し回る。
   
   雪の竹林で、奇跡的に探し当て、
   母親に食べさせることができた──
   
   
 この故事にちなんで、日本で名づけられたといわれます。
 
 
 
 他の筍よりも早く出てくるだけでなく、
 大きくて、やわらかくて、おいしい孟宗竹。
 
 日本の親孝行者からも、
 おおいに歓迎されてきたことでしょう。
 
         <感謝合掌 令和3年5月17日 頓首再拝> 

あなたは、両親に頼んで生まれました - 伝統

2021/06/27 (Sun) 04:43:47


      *Web:ミナミのライト らいと ライフ~light, right, life~
           (2018-02-28)
           https://www.youtube.com/watch?v=ZNtD0xiIuLU

子どもが生まれる・・これは偶然ではありません。

偶然に精子と卵子が出会って受精して、
それが成長して子どもとなる・・のではありません。

偶然ではないのです。

そこには、両親と子どもの合意がしっかりとあるのです。


子どもになりたい(テラに身体を持っていろんな経験をしたい)
個性のエネルギーがいます。

そして、エネルギー場から見て、
一番したいことが出来そうな両親を探すのです。

自分のやりたいことが出来るぴったりの両親を見つけたとき、
その個性のエネルギーは、両親のエネルギーに
・・私をあなた達の子どもとして産んでください・・とお願いするのです。

そして、両親がそれにOkをしたときに
はじめて子どもとして生まれてくるのです。


ある意味あなたが両親を選んだということなのです。

だから、勝手に産んだなどと言う言葉はナンセンスなのです。


なので、父親も母親も子どもも、
みんなそれぞれ別の個性のエネルギーだということです。

両親と身体のDNAは繋がっていても、
個性のエネルギーはまったく別だということです。

だからもちろん、子どもは親のものであり、
コントロールしてもいいということはありません。


子どもは(あなたは)目的があってテラに転生しています。

目的ですよ・・役割とか使命とかではありません。

あなたが物質次元のテラで、
物質の身体を持って体験したいことがあった・・それが目的です。

ただ、遊びたかったのです。

何の遊びをするか・・それが転生の目的です。

音楽を奏でたかったのかもしれません。

山登りをしたかったのかもしれません。

もしかしたら、テラにしかないお金というものが
どんなものなのか知りたかったのかもしれません。

物質世界の愛とはどんなものなのか?体験したかったのかもしれません。


どんな目的にせよ、とにかく物質世界を体験したかった。

それには物質の身体が必要だった・・だから、ご両親に頼んだのです。


親もそうです。

その子どもを持つ(産む)ことによって、いろんな経験が出来ます。

その子がどんな目的で転生したいのかを知って、産むことを合意したのです。


言い方はあまり好きではありませんが・・親子といっても他人なのです。

なにか特別な関係があるのではありません。

ただ、物質的なDNAが繋がっている(似ている)だけなのです。

それぞれ別の人格の他人なのです。

それがしっかりとわかれば、親子の関係も変わってきます。


お互い別の個性のエネルギーであり、
お互い尊敬しあい、お互いの存在を感謝する・・

これが愛です。

親子の関係はどんどん変わって行きます。

生まれたての子どもの時と、幼児のころ、
そして大きくなって行く過程においてどんどん親子の関係は変わってきます。

関係というか、接し方ですね。

生まれたてのころの接し方と、
大きくなってからの接し方は変えていかなければいけません。

でも、変わらないのは、お互いの尊敬と感謝です。

お互いに対しての尊敬と感謝があれば、うまくいきます。

言葉を話せない幼児であっても、
その子にはその子のしっかりとした個性のエネルギー(人格)がある
ということを忘れないでください。

それを忘れてしまうと、その子をコントロールしたくなってきます。

自分のものだと思い違いをしてしまいます。


これ以上お話しすると長くなってしまいますので、
今日はここまでにしたいと思います。

今日一番お伝えしたかったのは、

親と子どもはまったく違う存在(個性のエネルギー、人格)だ

ということです。

https://ameblo.jp/kuni-isle/entry-12356218238.html )

         <感謝合掌 令和3年6月27日 頓首再拝> 

親孝行にまつわることわざ - 伝統

2021/07/31 (Sat) 03:55:50


        *Web:春夏秋冬その他より抜粋

(1)「親孝行、したいとき時分に親はなし」

   有名な親孝行のことわざです。
   「親孝行したいときにもう親はいない」という意味です。

   親が健在のうちは、親孝行は難しいのかもしれません。
   いなくなってはじめてありがたさが分かるのかもしれませんね。

   親が健在のうちに親孝行を是非しておきましょう。


(2)「親孝行と火の用心は灰にならぬ前」

   こちらも同じような意味ですね。
   親孝行と火の用心は灰になる前に、前もって行うようにという意味です。

   先人たちも悩みは一緒なのかもしれませんね。


(3)「いつまでもあると思うな親と金」

   親はいつまでもそばにいてくれるわけではなく、
   いつかは死んでしまうものです。

   お金もあると思って使っているうちに必ず無くなってしまう。

   自立とお金の大切さを伝えることわざです。
   思わず背筋がヒュッと伸びてしまいますね。


(4)「子にすることを親にせよ」

   自分の子どもにしていることを、
   自分の親にもしなさいという意味のことわざです。

   自分の子どもにはどうしても甘くなってしまいますよね。

   なのに、自分の親には厳しく反発してしまう。
   子どもに向けている愛情深さを親にもやりなさいと説教されている感じですね。

   親になって初めて自分の両親の偉大さが分かるのかもしれません。


(5)「親の心、子知らず」

   大抵の子どもは親のことなんてどうでもよく、反発します。
   それが健全なのですが、「うちの子はどうして言うこと聞かないのか」
   と親はげんなりしてしまいますよね。

   子どもというものは親のことを分からない生き物なのかもしれません。


(6)「親には一日三度笑って見せよ」

   あなたは親に笑っていますか?

   親にとってあなたの笑顔は宝物です。

   1日3度笑うことが一番の親孝行だということわざです。

   是非実践してみましょう!

   (http://kisetsuneta365.com/filial-duty-day/


(7)「子を持って知る親の恩」

   子育ては意外に大変なものです。
   それは自分が子供を持ってみなければわからないものです。

   自分の子育てを通じて親がどのくらい自分の子育てで苦労してきたか
   を知ることができるようになるはずです。

   それによって親への感謝の気持ちが大きなものになってくるはずです。

   そして親孝行をすることの意義を
   十分に理解してそれを行うことができるようになるのです。

   (https://filialpiety-fam.com/oyakoukou/kotowaza/


(8)「石に布団は着せられず」

   親が死んでしまってからでは、
   どんなにしたくても親孝行はできないというたとえ。

   「石」は墓石のことを表していて、
   墓石に布団を着せて親孝行するわけにはいかないという意味です。


(9)「子養わんと欲すれども親待たず」

   親が元気なうちに孝行しなさいということを伝えることわざ。

   親の面倒をみられる年齢になって親孝行しようと思っても、
   親はそれを待ってはくれずこの世を去ってしまうことから。


(10)「声なきに聴き、形なきに視る」

   最善の努力をして親孝行をしないさいということを伝えることわざ。

   親孝行をするには、親が声に出して言わなくても親の気持ちを察し、
   親の姿が見えなくても親が何をしようとしているかを
   察するぐらいの注意力が必要だという意味です。


(11)「孝は終身父母を慕う」

   真に親孝行な人は、
   一生の間どんなときでも父母を深く思って忘れないこと。


(12)「親思う心にまさる親心」

   子供が親のことを思う心よりも、
   親が子供を思う心の方がはるかに深いという意味。

   どれだけ親に感謝していても、
   親がこれまであなたにしてくれたことと比べたら全く勝てない、
   ということを教えてくれます。


(13)「孝は百行の本」

   親孝行は、あらゆる行いの大もととなるものだという意味。


(14)「親の掛替えはない」

   親はかけがえのない存在であるという意味。

   当たり前ですが、あなたの親は二人しかいません。
   父親と母親。

   あなたの人生を作り出してくれた両親を大切にして、
   後悔のない親孝行をしてあげてください。


(15)「焼け野の雉子(きぎす)、夜の鶴」

   子供のことを思う親の愛情がとても強いことのたとえ。

   雉子は雉(きじ)のことで、巣のある野が燃えてしまうことが
   あっても我が身の危険を顧みずに子供を救おうとし、
   また、霜が降りて凍えるような寒さの夜に
   親鶴は小鶴を羽根で覆って温めることから。


(16)「樹(き)静かならんと欲すれど風止まず」

   物事が思い通りにならないたとえで、
   特に親孝行をしようと思う時に、
   もう親は亡くなっていてこの世にいなくてかなわないこと。

   風で揺れている樹木が静かになろうとしても、
   風が止まらないのでどうしようもない意からきている。

   風樹の嘆ともいう。

         <感謝合掌 令和3年7月31日 頓首再拝> 

親孝行の日~風樹の嘆 - 伝統

2021/08/08 (Sun) 04:46:55


今日は、親孝行の日(8月8日 記念日)

1989年(平成元年)に親孝行全国推進運動協会が制定。

「88」が「は(8)は(8)」「パ(8)パ(8)」と読める語呂合わせと、
「ハチハチ」を並びかえると「ハハ(母)チチ(父)」となることから。

「親孝行したい時に親はなし」というように、

あとで後悔することがないように、
親への感謝の気持ちを形にしたい日。

https://www.ytjp.jp/2019/08/08/kyouhanannohi/


親孝行の日の由来と面白い雑学
https://kerokero-info.com/what_today_calendar/what-today-0808-2/

・・・

風樹の嘆

            *「親の心」木村耕一(編著)より

孔子 風樹の嘆

   ~孝行のしたい時分に親はなし 石に布団は着せられず

 今から約2千5百年前のことである。

 孔子が斉(せい)の国へ向かっていた時、
 前方から、大きな泣き声が聞こえてきた。

 「大層悲しそうだが、どうも普通ではない」と言って、
 馬車のスピードを上げさせた。

 少し駆けた所で、号泣している男を発見した。

 孔子は車から降りて、彼に尋ねた。

 「あなたは、どなたですか」

 「丘吾子(きゅうごし)という者です」


 「葬式があったようにも見えませんが、なぜ、そんなに泣くのですか」

 「私は、大変な過ちを犯したのです。
  晩年になって気がついて後悔しましたが、今さらどうにもなりません」


 「どんな過ちか、聞かせていただけませんか」

 「若いころから、私は、学問が好きで、諸国を巡っておりました。
  ある日、学問の道にはキリがないので、
  これくらいで郷里に帰ろうと思いました。
 
  年老いた父母のことが心配になってきたのです。

  しかし、家に戻ってみると、両親は、すでに亡くなっておりました。

  木が静かに立っていようと思っても風がやまないように、
  子供が親を養おうと思っても、
  親はその時まで待っていてはくれません。

  過ぎ去って二度と帰ってこないのは、歳月です。
 
  二度と会うことができないのは、親です」


 ここまで言って、男は、水中に身を投げて死んでしまった。

 孔子は、弟子たちに、

 「これは一人ひとりが教訓としなければならない大切なことだ。
  この、哀れな男と同じ過ちを犯さないように」

 と言った。

 「親不孝をしている」という負い目は、誰にでもあるだろう。
 丘吾子の姿は、よほど強い衝撃を与えたようだ。

 すぐに、13人の弟子が、

 「父母のことが心配です。
  万一のことがあっては、取り返しがつきませんので、
  本日限りで、おいとまを頂きたいと思います」

 と願い出て、孔子の門に別れを告げ、郷里へ急いだという。


 ここから、父母が死んでしまい孝行できない嘆きを

 「風樹の嘆」

 というようになった。

 日本でも、昔から、

 「孝行の したい時分に おやはなし」

 「石に布団は着せられず」

 といわれている。 

・・・

風樹の嘆 (ふうじゅのたん)
Web:伊賀山人音楽故事
https://ameblo.jp/igasanjin/entry-12493967955.html

         <感謝合掌 令和3年8月8日 頓首再拝> 

真の孝行 ~ お釈迦様の教え - 伝統

2021/08/11 (Wed) 03:17:10


真の孝行/真の先祖供養 お釈迦様の教え
志紀行 鈴木康生の仏教志学舎(2021/08/10)
https://www.youtube.com/watch?v=BA0AUEPNT1I

00:00 父母恩重経~究竟憐愍
02:49 真の孝行とは
06:09 真の先祖供養とは

・・・

<参照>

お釈迦さまは「仏説父母恩重経」で、次のように説かれております。

   善男子、善女人よ。わたしたちは、父親にいつくしみ(慈)の恩を、
   母親にあわれみ(悲)の恩をうけている。

   なぜなら、人間がこの世に生まれてくるには、
   前世に自分が蒔いた善悪の種子(たね)を
   直接原因とし、父と母とを間接条件としているからだ。

   父がなければ、わたしたちはこの世に生まれてこないし、
   母がなければ育つことができない。


私たちは、両親から非常に大きな恩を受けています。

その恩に十種あると、お釈迦さまは『仏説父母恩重経』に説かれています。


   父母の恩の重きこと、まさに天に限りないのと同じである。
   善男子・善女人よ、この父母の恩を詳しく説くならば、十種の恩徳となる。


以下、十種の恩徳です。

【1】壊胎守護の恩 ~ 十月十日、お腹の中で血を分け肉を分かながら、
            どんなに自分の体調が優れなくても、
            ただただ元気な子どもの誕生を願い育ててくれる恩

【2】臨生受苦の恩 ~ 出産の時に、激しい苦痛を受ける恩

【3】生子忘優の恩 ~ 赤ちゃんの産声を聞いた途端に、
            出産の苦しみが喜びに変わる恩

【4】乳哺養育の恩 ~ おっぱい、ミルクを飲ませて育ててくれる恩
            自分で食べることが出来ない子どもに食べさせ、
            育ててくれる恩

【5】回乾就湿の恩 ~ どんな寒い日でも、子どもがおねしょをすると、
            子どもを自分の乾いた布団に寝かせ、
            代わりに親が濡れた冷たい布団に寝てくれる恩

            つまり、何時も子どもには
            良い環境を与えようとしてくれる恩ですね。

【6】洗灌不浄の恩 ~ おむつ洗いや、お漏らしした服はじめ、
            どんな汚れ物も厭わず洗ってくれる恩

【7】燕苦吐甘の恩 ~ 美味しいもの、いいものは子どもに与え、
            自分は後回で、不味いものでも食べてくれる恩

【8】為造悪業の恩 ~ 子どもを育てる為に止むを得ない状況で、
            悪いことに手を染めても、
            その報いを受けることを厭わない恩

【9】遠行憶念の遠 ~ 遠くに行った子どものことを常に心配してくれる恩

            遠く離れて暮らしていても、
            いつも、体は大丈夫だろうか、仕事は大丈夫だろうか
            お金は大丈夫だろうかと心配してくれる恩

【10】究境憐愍の恩 ~ 生きている時は子どもに何かあれば
            自分が身代わりとなり、引き受けようとし、
            死んでからは、あの世から守ろうとしてくれる恩


Web:仏教自由帳(2010年03月02日)
    父母恩重経
http://blog.livedoor.jp/miracakoto/archives/51570811.html

         <感謝合掌 令和3年8月11日 頓首再拝> 

父母を憶い出ずる日(私の実父の祥月命日) - 伝統

2022/04/22 (Fri) 07:36:48


      *「光明道中記」(4月22日)より

【一人でも本当の人間を作ることは天における神様の喜びであります。
                         (『生命の實相』第十七巻)】

私は生みの親の死に目にはどちらも逢っていない不幸者である。
生みの父の亡くなったときには、「オトキチキトク」の電報を受けて
故郷へ還って見るともう生父(ちち)の霊魂は肉体を去っていたのである。

中学へ入学するとき其の戸籍謄本によって此の人が私の生父であると知りながら
一度も生父として名乗ることも出来なかったし、これからも名乗る機会もないであろう。

私の宅の神仏を祭る祭壇の一部には生父の写真があるが、それも或る日、
生父が山へ草刈りに出かけていた時、通りすがりのアマチュア写真家が写して。
あとで1枚くれたのを長い間空気に曝し、蠅の糞などで蔽われ、

ところどころ表面が剥げて原型をとどめないのを、
家内の発案で強いて修正複写して兄弟たちに頒(わか)った其の1枚である。
もし此の写真がなかったら私の生父の写真はないのである。

生母(はは)の死んだときは、私は関東大震災に逢って神戸の養父母に厄介になっていた。
生母はすぐ隣家(となり)で死んだのだが、私はその臨終の席に招ばれもしなかった。

私は生母のところへ往来(ゆきき)するのを養父母に遠慮していたし、
ほかの人も私の心を察して私を臨終に招ばなかったのであろう。

父母はこうして四人あったので、
その仲に立って非常に神経過敏に心を遣っていた私であった。

         <感謝合掌 令和4年4月22日 頓首再拝>

親孝行の大切さを再認識しよう - 伝統

2022/05/12 (Thu) 09:37:06

       *メルマガ「人間力」(2022.5.12)より
───────────────────

家族の絆が薄れ、育児放棄や幼児虐待、
親殺し、子殺しなど
様々な問題が噴出しています。

中国思想史家の竹内弘行さんは、
こういう混迷の時代だからこそ
親孝行の大切さを説いた東洋古典『孝経』に
光を当てるべきだと説きます。

『孝経』とはどのような書物なのでしょうか。
『致知』6月号特集に登場された
竹内さんのお話の一部を紹介します。

───────────────────

(竹内)

育児放棄、幼児虐待、親殺し、子殺し……
家族を巡る痛ましい事件が後を絶ちません。

先の戦争を境に、家族は悪しき封建制度の名残として
否定的に見られるようになり、
家族よりも個人を重視する風潮が広がりました。

それに伴い、かつて大切にされていた
「孝行」という考え方が軽視されるようになったことは、
冒頭に記したような事件が頻発する現状と無関係ではないでしょう。

こうしたいまの日本において、
一人でも多くの方に繙いていただきたいと
私が切に願っているのが、『孝経』です。

『孝経』は、いまから2000年前に古代中国でまとめられた書物で、
儒教の祖・孔子が、3000人いたといわれる
弟子の中で最も親孝行者の曽子に、
親孝行についての教えを説く形式でまとめられています。

儒教の中核をなす四書五経には含まれていませんが、
その重要性は『論語』と共に高く位置づけられ、
東洋社会の家族道徳の原典として、
長きにわたり人々に大きな影響を及ぼし続けてきました。


「孝」とは、中国古来の道徳観念の一つでした。

その字形は、老人の「老」の下に「子」を配したもので、
子が老いた親を支えて孝養を尽くすことを表していました。

そして、子が孝養を尽くすことを「孝行」といい、
ここに道徳の根拠を置いて
「仁」(愛)の始まりとしたのが孔子です。

孔子の思想における「孝」は、
彼が最も重視した「仁」(愛)の思想の根本に位置していました。

(中略)

あいにく先述の通り、戦後は日本人の間から
「孝」についての意識が薄れ、
『孝経』を知らない人が大半になりました。

私は、いまのこの民主主義の世に、
かつての封建的な親子関係の復活を
望んでいるわけではありません。

しかし、家族を巡る問題が頻発するいま、
親は親、子は子という自覚を持って行動することの大切さを、
いま一度思い起こすべき時にきていることを痛感しています。

一人ひとりが家族という母体から生まれ、
家族を構成する一員であることを自覚し、
もう一度心の拠り所としての家族の価値を取り戻すこと。

そのためにも『孝経』を繙き、
かつて家族を支えてきた孝の思想とはどんなものだったのか、
虚心に振り返り、その原点を考えるべき時だと
私は強く思うのです。

・・・

<参照>

親孝行大賞受賞作品『本当の親孝行を』(2020年5月7日)
https://note.com/giveandgive/n/nb23a710c7894

         <感謝合掌 令和4年5月12日 頓首再拝>

【「養生喪死」とおもいやり】 - 伝統

2022/09/28 (Wed) 09:16:04


       *メルマガ「日本一元気」(令和4年9月26日)より

このメルマガでは孟子のお話をよく引用していますが、
天皇陛下のご長女、敬宮愛子内親王殿下の称号、お名前は、

中国古典の四書五経の一つ、
『孟子』離婁章句下の一節を原点とされています。


「仁者は人を愛し、礼有る者は人を敬す。
 人を愛する者は人恒に之を愛し、
 人を敬する者は、人恒に之を敬す」


『孟子』は古代中国、あるいは科挙の世界にとどまらず、
現代人にとっても、日本人にとっても大きな影響を及ぼしています。


さて、その『孟子』に、

「養生喪死」

という四字熟語があります(『孟子』梁恵王・上)。


生ある者を十分に養い、死んだ者を手厚く弔うこと。

子供が親に安定した生活を送らせ、
死んではとどこおりなく葬儀を行うこと。


孟子は、このことを民衆に心残りなくさせてやることが
王道政治の第一歩であると説き、あるべき政治の姿としました。

「養生」は父母や妻子を豊かに生活させる意です。

孟子は葬儀を重要視し、とりわけ「親の葬儀」を最重要価値としました。

「親の生存中に、孝養を尽くすことは当然であるが、
 これは平常の道徳であってそれほど大事とするにはあたらない。
 ただ、親が死に、その葬儀をするのは人生の大事にあたるものである」

さらに『孟子』のなかで、昔の習俗について述べています。

かつて、親を埋葬しない人々がいました。
親が死ぬと、彼らは死体を集めて溝に投げ入れるだけ。

ところがある日、その場を通りかかると、
狐が死体を喰らい、蝿や蛆が死体にたかっているのを目にします。

すると、とたんに額に冷汗が噴き出し、
彼らは、それ以上は見ようとしなかったというのです。


これについて孟子は、

「顔面に冷汗が流れたのは、他人の目を気にしてそうなったのではない。
 その反応は彼ら自身の心のもっと深いところから湧きあがったのだ」

と述べ、その後彼らは、急いで死体を埋めなおしたのだと。


親の葬儀、埋葬を行うことは、単なる慣習ではなく、
それはまさに親子の絆を証しているものであり、
死ですらそれをほどくことができないのだ、と記しています。


誰でも訪れる「死」。

そして、子より先に親がなくなることが一般であると考えれば、
親の葬儀を行うことが「礼の中心」、人の道の最重要な行為である。

これが孟子の指摘するところです。

そして、こうした仁や義が人にあるということが、
人と禽獣のちがいであるとも孟子は述べています。


思いやりや慈しむという「仁」という心は、
人間ならば誰にでもあるはずです。

やさしい心があふれるような、
そんな世の中になっていくようにしたいものです。

・・・

<参照>

伊勢ー白山 道(2022-05-29 )
現代社会の様々な『楢山節考』(ならやまぶしこう)
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/93d2c64bb855402fb2501d4991d45a40

        <感謝合掌 令和4年9月28日 頓首再拝>

父母を憶い出ずる - 伝統

2023/04/22 (Sat) 05:06:16


   *「光明道中記」(4月22日 父母を憶い出ずる日(私の実父の祥月命日))より

【一人でも本当の人間を作ることは天における神様の喜びであります。
                         (『生命の實相』第十七巻)】

私は生みの親の死に目にはどちらも逢っていない不幸者である。
生みの父の亡くなったときには、「オトキチキトク」の電報を受けて
故郷へ還って見るともう生父(ちち)の霊魂は肉体を去っていたのである。

中学へ入学するとき其の戸籍謄本によって此の人が私の生父であると知りながら
一度も生父として名乗ることも出来なかったし、これからも名乗る機会もないであろう。

私の宅の神仏を祭る祭壇の一部には生父の写真があるが、それも或る日、
生父が山へ草刈りに出かけていた時、通りすがりのアマチュア写真家が写して。
あとで1枚くれたのを長い間空気に曝し、蠅の糞などで蔽われ、

ところどころ表面が剥げて原型をとどめないのを、
家内の発案で強いて修正複写して兄弟たちに頒(わか)った其の1枚である。
もし此の写真がなかったら私の生父の写真はないのである。

生母(はは)の死んだときは、私は関東大震災に逢って神戸の養父母に厄介になっていた。
生母はすぐ隣家(となり)で死んだのだが、私はその臨終の席に招ばれもしなかった。

私は生母のところへ往来(ゆきき)するのを養父母に遠慮していたし、
ほかの人も私の心を察して私を臨終に招ばなかったのであろう。

父母はこうして四人あったので、
その仲に立って非常に神経過敏に心を遣っていた私であった。

          <感謝合掌 令和5年4月22日 頓首再拝>

【親に感謝を伝える】 - 伝統

2023/12/05 (Tue) 11:33:24


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2023.12.04)より

   (池川クリニック院長、医師、池川明氏の心に響く言葉より…)

   「お母さんは、私を理解しようとしない」「イヤなことばかり言う」と、
   腹を立てている娘さんがいました。

   お母さんの嫌いなところを挙げたらキリがありません。

   どこにも連れて行ってくれなかった、怒ってばかりいた、
   ほかの兄弟には優しいのに私には何もしてくれない......。


   そこで、聞いてみました。

   「本当に、どこにも行ってないの?」

   すると、「いえ。小さい頃は、家族で遊園地に何度か行きました」

   ちゃんと、連れて行ってくれているじゃないですか。


   「私には何もしてくれないって言うけど、
    小さいとき、朝ごはんはどうしていたの?
    自分で作っていたの?」

   「いえ。お母さんが作ってくれていました」

    「そう。学生時代、お弁当だった? 給食だった?」

   「高校生のときは、お弁当でした」

   「そのお弁当、自分で作っていたの?」

   「いえ。お母さんが毎日作ってくれました。
    でも、ほかの子もみんなそうですよ。そんなの当たり前です」


   「あのね、お母さんは、隣の家の子のためには、毎朝ごはんは作らないでしょう?
    あなたのためだから作るんだよ」

   「私のため?」

   「そうだよ。娘のためだから、わざわざ早起きして毎朝お弁当を作って、
    朝ごはんも作って送り出してくれたんじゃない」

   それに対する感謝はまったくなくて、
   お母さんのあれがイヤだ、これが嫌いと文句ばかり言っていたのです。


   だいたい、子どもは十数年生きてきた時点で、
   確実に親に面倒を見てもらっているのです。

   勝手に大きくなんてなれませんから。


   私の思う通りに、旦那が行動してくれない。

   私の思う通りに、子どもが勉強してくれない。

   私の思う通りに、お母さんが考えてくれない。

   私の思う通りに、誰も言うことを聞いてくれない。


   こうして周囲のダメなところ、イヤなところばかりに
   フォーカスしてしまえば、毎日してくれること、
   さりげない優しさや気遣いは見逃してしまいますから、感謝もできません。

   でも、そこに気づいたら、
   今日から小さなことでも感謝しようと思えるはずです。


   「日々、生きている」ということは、本当に幸せな奇跡です。

   それを実感すれば、自ずと、周囲の人への感謝、
   小さなことへの感謝が湧いてきます。

   意識は、いくらでもかえられるのです。

       <『魂の教科書』廣済堂出版>

           ・・・

産婦人科医の池川明氏は「体内記憶」の日本の第一人者だ。

たくさんの著作があるが、その中にこんな話があった。


『生まれる前の記憶を調査するうち、
 私は不思議な「記憶」と出会うようになりました。

 体内記憶、誕生記憶にとどまらず、
 「お母さんのおなかに宿る前」について語る子供がいるのです。

 幼い子どものファンタジーと思われるかたもいるかもしれません。

 ところが、不思議なことに、子どもたちが語る世界は、
 細かい部分は違っていても、いくつかの共通するイメージがあるのです。

 おなかに宿る前は、「雲の上」のような、
 ふわふわとして安らぎに満ちた世界で、
 自分と同じような子どもと一緒にいたこと。

 天使や神さまのような存在に、優しく見守られていたこと。

 そして、自分の意思で生まれることを決め、
 お母さんを選んで、この世にやって来たということ、などです。

 たとえば、子どもたちはこんなことを語っています。

 「お空から見ていて、あの人がいいなと思ったら、おなかに入るんだよ。
  ママはベランダにいたから、飛んできて入ったよ」

 「優しそうなお母さんを見つけて、おじさんに『あの家がいい』と言った。
  それで生まれてきたんだよ」

 「空の上から、弟と一緒にお母さんを見ていたよ。
  ぼくが『先に行くね』と言って、生まれてきたの」。

 子どもたちがお母さんを選ぶ理由は、それぞれ異なります。

 「優しいお母さん」「かわいいお母さん」が人気ですが、
 「寂しそうなお母さん」「泣いているお母さん」を選ぶ子どももいます。

 そういう子どもたちは、
 「ぼくが来たら、ママはさみしくないかなと思ったの」
 「ママに笑ってもらいたかったから」と、語っています。』 

  《子どもはあなたに大切なことを伝えるために生まれてきた。》 (青春出版社)より



「親が勝手に生んだ」とか「生まれてこようと思ったわけではない」
などという人がいる。

でも、この話の通りなら、
我々は誰もが「自分で親を選んで生まれてきた」ということになる。

もし、そうだとするなら、我々はとんでもない間違いを犯していることになる。

自分が決めてきた親や境遇に対して、文句を言っているということになるからだ。


今、親が生きている人はもちろんのこと、親が亡くなってしまった人も…

今一度、親に感謝の念を伝えたい。

          <感謝合掌 令和5年12月5日 頓首再拝>

父母を憶い出ずる日(私の実父の祥月命日) - 伝統

2024/04/22 (Mon) 10:06:39


      *「光明道中記」(4月22日)より

【一人でも本当の人間を作ることは天における神様の喜びであります。
                         (『生命の實相』第十七巻)】

私は生みの親の死に目にはどちらも逢っていない不幸者である。
生みの父の亡くなったときには、「オトキチキトク」の電報を受けて
故郷へ還って見るともう生父(ちち)の霊魂は肉体を去っていたのである。

中学へ入学するとき其の戸籍謄本によって此の人が私の生父であると知りながら
一度も生父として名乗ることも出来なかったし、これからも名乗る機会もないであろう。

私の宅の神仏を祭る祭壇の一部には生父の写真があるが、それも或る日、
生父が山へ草刈りに出かけていた時、通りすがりのアマチュア写真家が写して。
あとで1枚くれたのを長い間空気に曝し、蠅の糞などで蔽われ、

ところどころ表面が剥げて原型をとどめないのを、
家内の発案で強いて修正複写して兄弟たちに頒(わか)った其の1枚である。
もし此の写真がなかったら私の生父の写真はないのである。

生母(はは)の死んだときは、私は関東大震災に逢って神戸の養父母に厄介になっていた。
生母はすぐ隣家(となり)で死んだのだが、私はその臨終の席に招ばれもしなかった。

私は生母のところへ往来(ゆきき)するのを養父母に遠慮していたし、
ほかの人も私の心を察して私を臨終に招ばなかったのであろう。

父母はこうして四人あったので、
その仲に立って非常に神経過敏に心を遣っていた私であった。

         <感謝合掌 令和6年4月22日 頓首再拝>

因縁尊き日 - 伝統

2024/04/25 (Thu) 12:04:12


           *「光明道中記」(4月25日)より

【貴女の我(が)でこれは善だとか批判してはなりません。
     今日から良人を神様だと思いなさい。(『生命の實相』第十七巻)】

自分の生みもしないしない子を幼い頃から育てるのは大変な骨折(ほねおり)で
あったであろう。
私は可愛がられていたから、養父母のことを実父母だと思っていたのである。
その位私は可愛がられていたのだ。

その事を私は心から感謝するものである。

私の実父母のところで育てられていた私の肉身の兄妹たちは私ほど学校教育を受けなかった。
若し私が生まれた家に育てられて生活していたならば、今日の『生長の家』は存在しなかった
かも知れぬし、私の運命も非常に変わったものとなっていただろう。

子に貰われるも、貰われぬも、養子にやられるのも、みんな神の指図であり、
そして自分自身が前世から持っていた種蒔(たねまき)の芽が生えたのである。

因縁不可思議であり、また不可思議でもない。
ただ斯くあるものが斯くあることが貴いのである。

私は或る誌友から「あなたの今日あるのは両親のお蔭であるから
生長の家の各教化部にあなたの両親の写真を掲げて拝せしむべきである」と
忠告されたときに私はハタと当惑した。私の親の写真は4人ある。

         <感謝合掌 令和6年4月25日 頓首再拝>

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