伝統板・第二

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青年法語~新しき年にこうして天国を建設しよう - 夕刻版

2017/09/13 (Wed) 20:15:42


”道産子 さま” ありがとうございます。
”道産子 さま”のお蔭で、新たに、谷口雅春先生の法語を
このスレッドに残せることに感謝申し上げます。
http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7597413 からの転載です)



輪読のための青年法語~新しき年にこうして天国を建設しよう

                     谷口雅春先生

        *「理想世界」誌(昭和43年1月号)の法語より

(上旬)

【元旦のことば~“神の子”の使命を自覚して】


新たなる年を迎えるのである。肉体的人間の自覚を超克して、
“神の子・人間”の自覚に超入すべき時が来たのである。

神の子たる人間は神の後嗣ぎ者として、
神の創造せる世界の未完成部分を完成させる使命を有するのである。

これを聖書の創世記では、神は六日間で此の世界を完成して、
七日目は人間の創造におまかせになったという
象徴神話で示されているのである。

神は新しい品種をつくり、種をおろし、それを野生のままで生い茂らせる。

その野生のままの不完全さを更に一層完全な良き品種に育てるのが
人間の使命なのである。

・・・

【二日のことば~人間の生き甲斐】


筆者の少年時代には、”桃の味”というのは、
噛んでみると野生の青臭い、多少ゴリゴリと歯音のする余り甘さの
濃厚でない普通の桃と、

多少、形が小さくて果肉全体が真赤な“肉桃”と称する
桃の果実があったきりで、水蜜桃も白桃もなかったものである。

その野生の自然桃を、人間は益々改良して、
現在の美味あふれた果実たらしめたのである。

“自然”の手の届かないところに精緻に手を届かせて、
神の創造に協力し、これを完成するのが人間の使命である。

尊いかな人間の使命。その使命を完うすることが人間の生き甲斐である。

・・・

【三日のことば~人間の文化的創造について】


また筆者の少年時代には林檎の果実は、大抵酸味が強くて、甘みの少ない、
淡白な味のもので、その最高の品種のものでも“紅玉”と呼ばれている
林檎酸の強いものであったが、

その自然のままの品種に、人間の改良が加えられて、
最近のデリシャスや、ゴールデン・デリシャスや、リチャード
というような実に芳醇な味わい深い品種を生じたのである。

創世記には人間の万物を改良して一層良きものを創造する使命を
「生めよ、増やせよ、これを従わせよ」示されているのである。

自然のままの不完全な姿で甘んじているのが人間の使命ではないのである。

万物を従わせて、人間各々の個性ある創造を、
自然の基盤の上に創り出すのが人間の使命であるのである。

文化とは要するに自然の基盤の上に
人間各々の個性ある創造をつくりあげて行くことにほかならない。

・・・

【四日のことば~人工過剰にして天授の恵みをこわしてはならない】


されど、人工には行き過ぎを生ずることあるのである。

食品の着色やインスタント食品で天然のビタミン等を失って、
ただ目で見て美しく軽便で手間がかからないなどのために、
神が与えた健康成分をこわしてしまった食品などは感心しないのである。

人間は、神の創造の基盤の上に、一層よきものを付け加えて創造し、
それを完成させるのが使命であるのに、

神の創造せる良き成分をこわしてしまうのは人間の天分をそこない、
使命を冒涜するものだといわなければならないのである。

・・・

【五日のことば~日本的美しさを汚してはならない】


近頃のアメリカ婦人は大抵髪を染めているので、
その婦人と結婚しても、自分の妻の本来の髪の毛の色がどんな色だか
知らない良人が多いということである。

併し、最近では日本婦人が西洋婦人の真似をして、
折角、天然の美しい黒髪を紫色や茶色に染める人たちが殖えて来たことは
まことに遺憾なことなのである。

日本人の黒髪は、その小麦色の皮膚の色にマッチして
最も配色の調和した美しさを保っているのである。

大体“黒”は洋装にしても和装にしても、
顔の色を引き立たせて美しく見せるもので、
単に美しさだけではなくて上品で高貴さをもっているのである。

しかも縮れていない素直な黒髪の美は日本女性の優美さの特色を
発揮しているもので、それは源氏物語の絵巻物や、それを舞台劇に実演した
姫君姿の裾まで垂れる黒髪の美しさは喩えようのない美しさである。

そのような天然の美が与えられてあるのに、それを短く刈り込み、
更に縮れさせクセ毛にして、同色や紫色に染めるなどは、

神の創造の基盤の上に、一層その美を完成するのでなく、
天授の美をこわして得々としているのであるから、
これは天分無視の神を冒涜するものにほかならないのである。

・・・

【六日のことば~労働は神聖にして商品ではない】


労働の意義をもっと理解し尊重しなければならない。
労働とは金銭を儲けるために肉体のエネルギーを
切り売りすることではないのである。

人体の切り売りだと思うから労働によろこびが伴なわないで、
いたずらにくたびれるのである。

悦びの伴なうはたらきにはホルモンの調和した分泌があり血行はよくなり、
生理作用が順調となっておのずから健康がととのうのである。

働いたら損だ。遊んでいるのがラクである。

働きは”損をすること”だから、その賠償に賃金をもらうのだというような
考え方にもとづいて賃上げ闘争をあおる団体もあり、人間もあるけれども、
これは大変な誤解である。

働きというものを通して人は地上に生を享けた所以の任務を果たして、
人々の幸福に奉仕しつつ自分の魂が向上するのである。

現代人はもっと労働の神聖なる意義を知らなければならない。

・・・

【七日のことば~あなたの毎日に感謝せよ】


「日々是好日」と禅宗の高僧は喝破したのである。

エマソンは「“毎日その日その日が一年ぢゅうもっとも良き日である”
とあなたの魂の上に書き録せ。あなたの生活せるすべての日は
どんな毛織物よりも、もっと豪華な衣装なのである」といっているのである。

毎朝、その日が訪れて来たときに、

「今日は良いことが来る。
今日もまた“神の日”であるから良いことが来るに相違ない、
ありがとうございます」と、

現実に“良い事”があらわれて来るまでに、既に良い事が霊の世界に於いて
完成していて、それが現実界に移行しつつあるのであると観じ、
その日、その日を尊敬し感謝することを毎日の習慣とするがよい。

自分の環境・境遇・身辺にあらわれる状態は、
自分の心の反影としてあらわれるのであるから、
毎日を尊敬し、感謝し、ただ善事のみを期待すれば、
必ず善事のみあなたを訪れることになるのである。

・・・

【八日のことば~本当の幸福は単純生活から得られる】


心の幸福を得んと欲すれば、単純清潔な生活を営むがよい。
それは最も安価にして最も高貴なる幸福生活となるであろう。

単純を忘れ、清潔を忘れて、濃厚なる快楽を得ようとおもえば、それは、
逆に最も高価にして、長くつづく心の悩みを獲り入れることになるのである。

新聞連載の小説でも、また単行本でも、
凡そ真実に人生を描いた著作を読むならば、
この事が本当であることが判るであろう。

・・・

【九日のことば~魂の悦びはこうして得られる】


「あなたはどうした時に最大の魂の悦びを感じたですか」
とたずねられたとき、ある人はこう答えた。

「貧しい未亡人が家賃に困って、その支払いのために日常必要な家具を
売ろうとしているときにその家賃を代わりに払ってあげた時だった。

その未亡人の感謝の目つきを想い出すとき、
今も私はその時の魂の悦びを復習するような気がします」


人は与えたときに、そして相手から感謝の眼差しで見られたときに、
魂の悦びを感ずるのである。

 
オスカー・ワイルドは獄中にあって、年老いてヨロヨロに衰弱した
既決囚が未決囚に水をかついで搬んでくるのを見て、
その水桶を代わりにかついで搬んでやった。

そして、その老人が何ともいえない嬉しそうな
感謝の表情をしたのを見たときに本当に魂の悦びを感じた。

そして彼が今まで経験してきた絢爛たる衣裳につつまれた
どんな肉体の快楽よりも、そうした愛行の方が、無限に美しいと感じた。

そしてキリストこそ世界最大の美的生活者であると結論したのであった。

・・・

【十日のことば~愛行によって人を救った時の悦び】


愛行を実践しないで、魂の悦びも、美的生活も、
生長の家の真理を論ずる資格はないのである。

何故ならその人には本当の魂の悦びの体験をもっていないからである。

 
高知のある吃音の青年は、もう物心がついた時には大へんな吃音に
悩まされていたのであるが、こんな吃音に私を産んだのは
両親が悪いのだと両親を非常に恨んでいたのであった。


精神分析的に観れば目上に対する反抗・攻撃・不平・怨嗟等の心は
目上即ち頭部の病いとして具象化するのである。

彼は烈しい神経症にかかって
毎夜不眠に苦しんで自殺したいと思うほどであった。

ところが、或る日ふとした機縁で彼は『生命の實相』の本を得て、
眠れぬままにそれを読んで、はじめて、この世に“生”を享けた意義をさとり、
遭いがたき貴きこの人生に生まれることを得た父母の恩を知り、
父母に対する反抗・不平・怨嗟の念が消えてしまった。

頭部を攻撃する精神が消えると同時に頭部の病い、神経症が消えてしまって
心気爽快になったのであった。

彼は
「我を救える者はこの“生命の実相”の真理である。この真理を人に伝えて
人を救うことによって報恩行をしなければならない」と思って、

病人を訪問しては、生長の家の真理を説いたのであった。

ある日殆ど危篤だった病人が、
二度目に見舞いに往ったときに治っていて、彼の顔を見ると、

「あなたのお蔭で私はこのように救われたのです。
あなたが無かったら私は死んでいたのです。あなたは生命の恩人です。
あなたは私にとって神から遣わされた神の人です。」

こういって合掌して彼を拝んだ。

その感謝の表情を見、“神の人”として拝まれたときに、
彼は本当に自分が”神の子”であることを悟った。

そして

「肉体の父母があればこそ、“神の子”が、こうして此世に生まれ出て、
人を救うことができるのだった。考えて見れば、あの人も、あの人も、
あの人も救われた。

私がこの世に生まれなかったら此らの人は救われなかったのだ。
ああ、生れてよかった。お父さん、お母さん、ありがとうございます。
よく私をお産み下さいました。」と

本当に感謝の念で一杯になり、今まで詣ったことのなかった父母のお墓に
参拝して感謝の言葉を述べ、祖先に感謝報恩のため聖経『甘露の法雨』を
墓前で読んでいると、少しも吃ることなく流暢にスラスラと読め、
自分も驚いて、初めて吃語癖が治った事に気がついたのであった。

吃語は精神分析してみると父母に対する反抗に起因するのが多いので、
父母に本当に感謝する気になった時、完全に治ってしまった実例が
他にも沢山あるのである。

Re: 青年法語~新しき年にこうして天国を建設しよう - 道産子

2017/09/14 (Thu) 07:56:02



   伝統様、日頃のご精進いつも感動をもって見つめております<m(__)m>。

騒がしい現実世界、大聖師は如何に思われておることでしょう。

 微力ながら、この類まれなる御教えを伝えて参るしかご恩返しは出来ません(*^-^*)。

 伝統様のご健勝を祈ります。

              ありがとうござます。

青年法語~新しき年にこうして天国を建設しよう(中旬) - 伝統

2017/09/14 (Thu) 18:09:28

(中旬)

【十一日のことば~新婚の夫婦のために】

彼が父母に感謝する気持ちになったとき、
吃音が全治しただけではなく運命が好転しはじめたのであった。

というのは、彼には恋していた女性があったが、
彼は吃音の故に、その恋しい思いを打ち明けることができなかった。

そして吃音が治った時に、彼ははじめて
彼の彼女に対する思慕の情を打ち明けることができたのである。

彼女は一人娘でであったので、かれは彼女の許へ養子婿として往った。

彼女は恋している間は彼にとって完璧な何処にも欠点のない
理想的婦人像のように見えていたけれども、
さて結婚してみると遺憾なことに、彼女の左の耳は幼い時に中耳炎を
わずらった結果、殆ど聾になって聞えなかった。

そのため良人が左側からモノを言うと聞こえないので、
じれったくなって夫婦喧嘩をすることも度々あった。

理想と現実とは異なると彼は稍々幻滅を感じていた。

彼はその頃、炭焼を業として半月は山にこもって炭を焼いていた。
一定量の炭を焼き終ると山から降りて自宅に帰る。

自宅には恋女房が待っているというので、久し振りに足どりも軽く
自宅の前まで来るのだったが、さて格子戸をひらいて妻を呼ぶと、
妻の難聴の方の耳が玄関に向いているときには聞こえないで、
いくら呼んでも返事がない。

そんな事で、じれったくなり恋しい心が恨みに変って、
また夫婦喧嘩をするのだった。

こんな話を彼はその頃京都の大都記事の講堂でひらかれた
生長の家西日本教化部開設記念幹部講習会に来たとき、
広島の教化部長をしていた松本道樹先生に打ち明けて相談した。

すると松本先生は、

「それは奥さんの実相が観世音菩薩であって、既に完全な相であることを
拝んだらよいんだよ。それには、君の細君の写真をジッと見詰めながら、
この詩を繰り返し念ずることにして御覧」

と、次のような詩を示された。


 “人間は皆観世音菩薩である

   あなたも観音

   わたしも観音 

   どこも円満、観世音
  
   円満完全観世音
   
   あなたも観音
   
   わたしも観音
   
   ふたり調和し実相円満“

 
さて彼は教えられた通りに、一ばんよく写った自分の好きな妻の写真を
もって、山に籠って、炭焼きの閑暇な時間を見ては、
その写真にむかってこの詩を念ずることにしたのであった。

半月の間、彼は毎日こうして念じつづけて、
山から降りて自宅に帰って来ると、彼が妻を呼ぶまでに走り出て来て、

「あなた悦んで下さい。私の左の耳は幼い時に中耳炎にかかって
聞えなくなっていたのですが、今日は急にきこえて、砂利の上を
お歩きになる足音ですぐあなただと分ったのですよ」

と感激に涙ぐみながら彼の両腕の中に倒れ込んだというのである。

新婚の夫婦にとって参考になる話である。

・・・

【十二日のことば~愛行が人間の天分である】


英国の文豪チョーサーはこんなことをいったそうである。

「どんなに美味しい食物でも8時間は美味しく食べつづけることはできない。
どんな楽しい遊びでも8時間もつづければ飽きて来て面白くなくなる。
しかし人のためにする愛の働きは八時間以上つづけても
依然として興味がうすらがない」と。

愛行が人間の天分であることを道破し得て妙である。

・・・

【十三日のことば~すべての物に最高の完全さを発揮さす秘密】


十八世紀の頃ローゼクルーシャンという魔術的奇蹟をあらわすという
神秘主義の一種の宗教が欧州に伝播したことがある。

その一人の教師がエディソンに対ってこんな話をした。

「エメラルド(宝石の一種)の中に一人の妖精が住んでいて、その宝石に
近づくすべてのものを最高の完全さに一変さす神秘力をもっていた。

水がそれに近づけば水はダイヤモンドの光を発した。
金属がそれに近づけばその金属はそれぞれ特有の最高の輝きを発した。

それに鉛をちかづければ白金の輝きを帯びるのであった。

それを煙に近づければ煙は輝く焔となり、焔はやがて光となり、
光輝燦然と輝く。

そして、その光に人が触れると一切の苦悩と悩みが消えて
しまって輝くような悦びが内から湧いて来るのであった。」


こんな話を彼はエディソンにした。

エディソンが、この妖精はどのようにしてこの奇蹟をなすのかと問うと、

「それは満足と感謝の念を使うのだ」とローゼクルーシャンの教師は答えた。

・・・

【十四日のことば~幸福生活の秘密】


人は自分が「今持っていないもの」をほしがって、
「あれが得られたら、もう思い残すことはない」などと考えて、

「幸福」の源泉が
「今持っていないもの」にあるかの如き錯覚を起こすのである。

そして、それが得られたとき、もうそれに感銘しなくなる。
そしてまた「今持っていないもの」を求めるのである。

このような人間の精神傾向が進歩をもたらしたのであるけれども、
それでは幸福は「永遠に手の届かない所」にあることになる。

今、「幸福生活を送ろう」と思うならば、今もてるものに感謝し、
今もてるものの善しさと美とを充分享受しなければならぬのである。

“今”の中に無尽蔵の幸福があるのにそれに気がつかないで
幸福に飢えている人が沢山ある。

それは、“今”を充分感謝してその中にある滋味を発揮して
享受することをわすれているからだ。

メエテルリンクの「青い鳥」の童話はあまりにも有名であるが、
チルチル、ミチルは幸福の青い鳥を探して世界じゅうを旅したけれども
何処にも幸福の青い鳥はみつからなかった。

そして失望して自分の家に帰って来たら、
其処に「幸福の青い鳥」は、はじめからいたのであった。

・・・

【十五日のことば~吾らの前途は洋々たるものがある】


ジョージ・マグドナルドは古城に住んでいる老人とその息子の話を書いている。

彼らはこの古城の城主の後裔であったが、封建時代は過ぎ去ったので
彼に仕える家来もなく、何の収入もなく従って食物を買う金もなく
殆ど飢えて死のうとしているのであった。

しかし彼らの祖先は、将来、子孫が窮乏したときにそれを売れば
莫大な金額になって裕に生活できるために、ひそかに高貴な大粒の宝石類を、
その城の奥深く秘筐に隠しておいたのであるけれども、
彼らはそれを知らなかったという話である。


どんなに豊富の中にいてもそれに気がつかない限りは人は貧しいのである。

宇宙には“神”という我らの祖先によってイザという時に
必要に応ずるように無限の富が蔵(かく)されているのである。

人類は今、宇宙開発の名のもとに、その無限の宝庫を探し出す
まだ緒(いとぐち)をつけたばかりである。

・・・

【十六日のことば~幸福になれない王様】


幸福は物質の中にはないのである。

ペルシャの童話にはこんなのがある。

その国の王様は色々忙しい問題があって、
王様としての生活は煩わしく苦しいばかりであった。

それで王様は占師をよんで
どうしたら自分は幸福になれるのかと訊いたのである。

占師は、

「王様、あなたが幸福になるためには、国ぢゅうで一番幸福な人を
探し出して、その人の着ているシャツをお召しになれば幸福になれます」

と答えた。

王様は、幸福な人は富豪か高位高官の人たちであろうと思って、
その方面の人たちを、いちいちたずねてみても、
富豪や高位高官の人には誰も“幸福な人”はなかった。

王様は失望して庶民の間に“幸福な人”をもとめるように命じた。

すると“幸福な人”がみつかった。

その幸福な人は農夫であって毎日朝早く起きて畑を耕し、
自分の好む時に、自分の好む食事をとって、疲れれば横たわり、
眠く成れば眠り、自然を友にして、何の心配も屈託もなく生活していた。

侍従が「彼こそはわが国で最も幸福な人物であります」と報告した。

王様は「彼のシャツを持って来い」と侍従に命じた。

侍従は、「恐れながら申し上げます」彼はシャツを来ていません。
毎日半裸体で耕しております」と答えた。


イエスが

「富める者の天国に入ることの難き事、駱駝の針の孔を通るが如し」

といった言葉が想い出されるのである。

と同時に、定期的に賃上げ闘争をして世間を騒がしながら少し富まずに、
物価騰貴で齷齪している何処かの国の労働貴族を想い出させるのである。

・・・

【十七日のことば~世界を征服した大王より幸福なる者】


古代マケドニアのアレキサンダー大王はその勢力、
ギリシャの諸都市は勿論、ペルシャ、小アジア、エジプト、
インドに至るまでも及んで、
殆ど当時知られていた全世界を征服した帝王であった。

それにも拘らず、
大王は常に本当に幸福な安心の境に入ることができなかった。

何故なら、力によって征服した者は
常に力による反撃を警戒しなければならないからであった。

そこで大王は賢人ディオゲネスこそ最も“心の平和”を得た哲人である
という名声をきいて“心の平和”を得て本当に幸福になりたいと思って
ディオゲネスを訪ねた。

ディオゲネスは家を持っていないで酒造につかった空樽の中に住んでいた。

大王は

「自分は本当に心の平和”を得て幸福生活を送りたいと思うのだが、
どうすればよいか、それを教えてくれ。
お礼にお前の望みの物を何でも与えるから」

といった。

ディオゲネスは、

「私は何も要らないが、大王よ、そこを退いてくれ。私は今日向ぼっこを
していたのだが、大王が其処にいられると此処が陰になりますから」

と答えた。

・・・

【十八日のことば~蟻地獄に陥った虫の如く】


ある紳士が銀行王ロスチャイルド家を訪れてその豪奢をきわめた
応接室に並んでいる黄金で輝く椅子や調度をながめながら、

「まるで此処は天国のようでございますな。
あなた様こそ世界一の幸福者でいらっしゃる」

と感嘆するようにいった。

ロスチャイルドは笑い出した。

「この私が幸福ですって? 
今も私は、ある人からお手紙を戴いたところなんですよ。
その手紙には明日の晩までに五十ポンドの金をこの宛名まで
送って来なかったら、お前の生命はないぞと書いてありましたよ。
こんな私がどうして幸福者なんでしょう。」

しかし多くの人々はこのロスチャイルドの足許にでも近づきたいと
犇めき合い、争い合い、互いに他を落して自分が上になりたいと、
砂丘の窪みにつくられたアリジゴクに陥った虫のように空しく
ただ足掻いているのである。

・・・

【十九日のことば~徳性が高まらない限りは富は不幸の源泉である】


金さえ得たら幸福が得られるように思って心身を金のために
摺りへらしている人たちが多いけれども、
金銭が人間を幸福にするものではないのである。

金銭の奪い合いを中心にして、人類がどんなに殺傷その他の罪を犯し
絶え間なき闘争を繰返しているかわからないのである。

ダンプカーその他の営業用自動車が人間を1年間に1万人以上を
轢き殺しているのも、一定時間に出来るだけ往復の回数を殖やしたい
からであるのである。

富豪になればなる程搾取することが好きになったり、二号や三号を造って
家族を地獄状態に陥れたり、処理する物質が多くなればなるほど
その持主の徳性が高まらねば、却ってその人の禍となり、
その人を不幸に陥れるのである。

・・・

【二十日のことば~宗教の使命とするもの】


物質を所有したり支配したりする悦びを味わうようになると、大抵の人は、
「もう少し余計に所有したい」という欲望にかられるようになるのである。

「も少し利権を得たい」と、その欲望には限りなく、限りある物質や
領土の支配権を得たくなって其処に果てしない争いや戦争が起こるのである。

この欲望の根元を整理しないでいて、戦争だけを回避するために平和運動を
いくら叫んでみても、平和運動と称する闘争が起こるだけのことなのである。

この欲望の根元を整理するのが、心が神に向かう宗教運動なのである。

青年法語~新しき年にこうして天国を建設しよう(下旬) - 伝統

2017/09/15 (Fri) 20:29:36

【二十一日のことば~“汝ら思い煩うこと勿れ”】


世の中には心配しなければならない物事は何一つないのである。
世の中の物事は二つに分類することができるのである。

それは「解決し得る問題」――これは解決し得るのだから心配はいらない――
と「解決不可能の問題」とに分類することができる。

ところが「解決不可能の問題」は、
いくら心配しても解決不可能なのだから、心配しても仕方がない。

どちらから考えても、此の世の中には心配すべき何事も存在しないのである。

解決し得る問題は、“心配”という形で心を悩まさないで
「神の智恵必ずこの問題を解決し給う」と念じて、
心に自信と平和とを維持しながら淡々たる心境で解決に当たれば、
屹度名案が浮かんで来て解決するのである。

・・・

【二十二日のことば~困難は人生に味わいを増す】


人生は塩と砂糖の調和によって美味を増すのである。

”甘い”ことの来ることばかりを待ちのぞんで、辛いことや、
鹹(しおから)いことを一切拒んでしまうならば、恰も毎日、
甘い砂糖菓子やぜんざいばかりを食べさせられたら、
うんざりして食欲がなくなってしまうのと同じように、
人生が退屈で、何事かを為さんとする気力もなくなってしまうのである。

食欲のない時に胡椒や七味唐辛子などが食欲をそそるように、
苦く辛い仕事が目の前に出て来たときに、眠りかけていた
生命の胃袋が活発に活動をはじめるということになるのである。

困難は困難ではなく、生命力を刺激して、それを充分に活動せしめる
塩・胡椒の役目をしてくれるものだから、困難がでて来た時には、
困難に対して、自己の内在の力を刺激してこれを振りしぼらしてくれる
賦活剤として歓迎せよ。

・・・

【二十三日のことば~あなたの幸福は何処にあるか】


幸福を求めたら、幸福は逃げて行くのである。

幸福への期待が大きいほど、さてその言葉を現実につかんでみたときに、
その幸福の空しさを知るであろう。

幸福は、それを求めないで、
他の人のために尽くしているその過程の努力の中にあるのである。
 
登山家は危険を冒して氷壁や断崖を攀じのぼるの過程に幸福を味わうのである。

頂上に登ってみたら一時爽快な感じがするかも知れぬが、
頂上の爽快さというものは、そう長くは続かぬのである。

だから登山家は、登頂すると間もなくその頂上から降りはじめるのである。

人生もトップに登ってしまえば、それが最後である。
トップに登る努力の過程に悦びも生き甲斐もあるのである。

・・・

【二十四日のことば~物質追求の世界に永久の幸福はない】


幸福と物質追求の利己的行為とは決して両立しないのである。

それにも拘らず、幸福を追求するつもりで、自分の利益を計ろうとするから
大抵の人は失敗するのである。

幸福は他の人を幸福にしてやりたい愛他的精神で実践している
その過程の中に味わうことができるところの精神的美味である。

物質そのものに幸福感が得られるなどと考えることは妄想に過ぎないのである。

聖経『甘露の法雨』は次の如く説くのである。

“夢と妄想との産物なる物質と肉体とに求むること勿れ・・・・・
物質に神の国を追い求むる者は
夢を追うて走る者にして
永遠に神の国を建つる事能わず“

・・・

【二十五日のことば~天国の夢を追うて走る人々】


本当に、幸福生活は所得倍増の如き
金銭や物質の増加によって築かれるのではないのである。

贅沢な絨毯によって覆われた床の上に、マホガニーの家具が並び、
高価な泰西名画が壁にかかっている室の中で、
色々の不浄な陰謀が計画せられ、不幸の種が蒔かれ、姦通や離婚や
殺人の罪が醞醸されつつある例は度々あるのである。

天国は満足と感謝と相愛の心によって築かれるのであって
物質の豊かさによって生ずるのではないのである。

政府が「所得倍増」という物質的甘言をもって誘惑し、それに
相呼応するが如き国民が賃上げ闘争に毎年浮き身を窶いていて、
何うして天国日本が実現するという希望が得られようか。

それはまことに夢を追うて走る者でしかないのである。

・・・

【二十六日のことば~今此処が神の国である】


「そこはいつも智恵と平和と調和とがいつも棲みついている
理想的家庭だと私が見た最高の幸福な家庭の幾つかは、
それは寧ろ貧しい人の家庭であった」とマーデンは書いている。

日本の農村に、このような平和な幸福な家庭が見られるのではないか。

貧しさの中にこそ、物を、単に物質と見ずして神に感謝する心が湧いて
来るのであり、棄ててしまってよいような些細なものでも小、いたわり、
育て、繕って、それを愛して生かして使う智恵と愛とが湧いて来るのである。

私は補布(つぎ)のあたったシャツを愛して着、
もうその浴槽の框の板のつぎ目が腐蝕して水漏れがしそうな湯槽を
白セメントで修理しつつその浴槽に浸るのである。

着物は私の手に入るとき、唯の物質ではなくなって
「神からの賜物」と化するのである。

神の賜物はばかりが充満している世界が「神の国」なのである。

・・・

【二十七日のことば~天国はあなたの近くにある】


現象世界は既に完全になった世界ではないのである。

そこにある未完成と不完全とに不平や怒りをぶち撒けていては、
いつまでたっても幸福は得られる筈はないのである。

他の人が掃除しなければならない場所でありながら、
自分の任務をわすれて掃除していない時には其処を掃除してあげるのが、
陰徳を積むことになり、幸福を築くのである。

天国的な生活は、他の人が忘れたり看過している仕事を
互いに相扶けて協力するところに愛が生まれ、知恵が生じて
幸福なる天国的雰囲気が其処に生ずることになるのである。

・・・

【二十八日のことば~あなたの行く処必ず天国は実現する】


人々が醜を見出すところに美を見出し、
言葉の力によってその美の表現を強化するときは、
醜は消えて、唯、美のみ顕われるのである。

人々が悪を見出すところに善を見出し、
言葉の力によってその善を讃嘆して強化すれば、
悪は消えて、唯”善”のみが実現することになるのである。

人々が“罪”を見出し、彼を批難するときに、その人の“美徳”を見出し、
その人の実相が“神の子”であることを言葉の力によって強調するならば、
その人の実相たる”神の子”が顕現し、
その人は本当に美徳を備えた善人となるのである。

・・・

【二十九日のことば~職場を光明化するために】


職場に臨んだとき、同僚にむかって善意の微笑をもって挨拶せよ。

職場の人々の感情の硬化は忽ち去って、なごやかな明るい雰囲気は生じ、
職場が天国となるのであろう。

良き仕事はなごやかな明るい雰囲気の中でのみできるのであり、
憂鬱な雰囲気の中では能率が落ちてしまい、
仕事の品質も必ず悪くなるのである。

・・・

【三十日のことば~父母はあなたを導く神の示現である】


職場の悩みを家庭に持ち込んではならない。

仕事の悩みは仕事場のみに封じ込んで置くのが
その人の家庭を幸福にする道なのである。

しかしまだ父母に養われている学生・生徒の時代には、
学業の悩み、交友の関係など、父母を信頼して万事、父母に打ち明けて、
如何に対処すべきかにつき相談するがよい。

父母ほどその子供を愛してくれている人は他にいないのである。

愛のあるところに良き知恵は湧いて来るのであり、
父母は子供に倍する長期間の人生経験をもっており、
その訓(さと)しに素直に従うとき、その長期間の経験を通して、
最も適切な助言をして貰えることになるのである。

全く、父母は、あなたを導く神の示現であるのである。

父母に感謝せよ。

・・・

【三十一日のことば~言葉の力で地獄を造ってはならない】


関東大震災で全市民がリ歳空いたり、
大東亜戦争の爆撃で全財産が烏有に帰したりしたような大被害は、
その損失又は不幸は巨大であるけれども、
そして物質の欠乏は現実にも著しくあらわれて、生活は困難であるけれども、
却ってあきらめがついて心はサッパリし易いのである。

またその被害の程度により、人により、境遇により、
あきらめ難い悲痛な感じを与えるにしても、
そのような大事件は一生涯にそれほど度々はないのである。

ところが、自分の家庭や仕事場での小さな口論、小さな侮辱、
とるに足らぬ非難、一寸した罵言、とるにたらぬ自分の癖の指摘、
それらの暗い方向の言葉の力は指先に刺った棘のように、いつまでも
相手の人を傷つけて、ついにはその人をノイローゼとし、
又は廃人にしてしまうこともあるのである。

決して人を侮辱したり、悪や、癖を指摘して、それを話材にして楽しむ
というような“言葉の力”で家庭や職場で地獄を造ってはならないのである。

天国はあなたの善き言葉、明るい言葉、尊敬の言葉から生まれるのである。

          (おわり)

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