伝統板・第二

2534926
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/07/14 (Fri) 08:07:43



新しき項にて、謹んで真理の言葉を写させて頂きます。

伝統様、皆様ありがとうございます<m(__)m>。

 暑中お見舞い申し上げます。









 さて、今朝からは、やはり理想世界誌昭和42年12/1号より

大聖師の御文章です。11回続きます。




”相対的祈り”と“絶対者の祈り“  ――中外日報紙上の比屋

根安定氏の感想文を読んで――

                               谷口雅春先生


 「黙祷は誰に向かって行う」のかについて比屋根安定氏が9月13日号の“中外日報“紙上に書いていた。

氏がそれを書いた動機は、東京朝日の”声”欄に次のような

米兵が靖国神社に黙祷したという投書が載り、更にその数

日後、米兵の黙祷は「黙祷という芝居をしたに過ぎない」

という反論がその“声”欄に出たので、それに対する有名な

クリスチャンとしての比屋根安定氏の感想が起草されたわけなのである。

“声”欄に出た最初に取り上げられた投書というのは次のようなものである。

「八月十五日にわたしは靖国神社に行ったところ、米兵一隊が来たので不快であった。

彼らは写真をとっていたが、正午になるや思いおもいの姿をして黙祷をしたのを見て、わたしは驚き感激した。

日本人は多くいたが、一人も黙祷しなかった。」

 以上は比屋根氏の引用せる投書の大意であるが、その反

論の大意は次の如きものである。

「米兵の黙祷という記事に、私も感激した。しかし彼らは、黙祷という芝居に上手なのである。

われわれ日本人は、黙祷という芝居に恥かしがる。気まりが悪い。

殊に上から、黙祷しろといわれると、したくなくなる・・・・・」

比屋根氏は、キリスト教徒が、毎日三度食事毎に黙祷し、

眠る前に黙祷し、日曜日に教会に行って着席すると黙祷

し、散会する前に黙祷するのであって、そういう黙祷の習
慣があるのであって、必ずしもそれは”芝居”ではない。

「神道者は、神社か教会の前で黙祷するし、仏教者は念仏

するが、それも黙祷の一種であるが、終戦記念日に靖国神

社の前で、黙祷するのは何に向かって黙祷するのか目標が

ハッキリしないために、祈る人が少ないのではないか」という意味を氏は指摘していられるのである。

                                               (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/07/16 (Sun) 07:47:31




何か、異変( ^ω^ )、昨日も投稿した氣がしていましたが。。。












 雅春先生の御言葉です。

昭和42年「理想世界」誌12/1号よりです。



    “冥福”を祈るという意味


 死者又は死者を祀った祭壇に対して吾々が祈る場合に

「死者の霊の冥福を祈る」と大抵の日本人は漠然というの

であるが、死者の霊に向かって祈るのか、死者の霊が冥界

に於いて福を得るために、一層偉大なるある神霊又は如来

に対して祈るのかハッキリしないことが往々にしてあるのである。

比屋根氏の言う処によれば、

「戦後間もなく、東京朝日に出た投書に”葬式に出たとこ

ろ日本人たちは死者に向かって弔辞を述べたが、

西洋人たちは遺族に対して弔辞を述べた。どっちが正しいのか“というのがあった」そうである。

 キリスト教の人は、死者の霊は“永眠”していると信じて

いる人が多いので、永眠していて、こちらが何をいっても

聞こえないと思っているから“死者に向かって弔辞を述べ

ない”で遺族に対して弔辞を述べたのは当然のことである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/07/17 (Mon) 08:00:17


今週は、投稿の断続的になりますことをご容赦ください<(_ _)>。










 雅春先生の御文章です。



  日本人は本来“永生”を信じて“死”を認めない


 日本人、特に仏教を信じているひとたちの場合には死者は

死者でない、その人の霊が肉体という衣裳を脱いで、霊界

に旅立つと信じているのであるから、訣別の言葉をのべる告別式というのがあるのは当然である。

告別式には親しい人たちが集まって別れを告げるのであ

り、その代表者数人が別れを惜しむ辞(ことば)を述べ、

生前の徳を讃えて、謂わば“歓送の儀式”をするのである。

それは「弔辞を述べる」と一般的にいわれているかも知れ

ないけれども、「頌徳の辞」であり「歓送の辞」であるか

ら死者の霊(即ち霊界に旅立つ人)に対して述べるのは当然のことであるのである。

「西洋人は遺族に対して弔辞を述べる」と投書にあったそ

うだが、「弔辞」とは「とむらう辞(ことば)」である。

「とむらう」というのは如何なることであるかというと、

金沢庄三郎博士の『広辞林』をかりに披いて見ると、

「人の死をかなしみ、其の喪にある人を見舞いて、哀悼の

意を表すること。くやみ。」という風に解説されているのである。

したがって弔辞は、西洋人だけが遺族に弔辞を述べるので

はなく、日本人でも、弔辞即ち「おくやみの辞」は遺族に対して述べるのである。

投書者が、日本人は弔辞を死者に向かって述べるかの如く

書いているのは「告別のことば」を弔辞と間違えて書いたに過ぎないのである。

 この点では残念ながら比屋根氏も、この投書者と同じ

く、「弔辞」と「告別のことば」とを間違えて

「わたしは西洋人の方(注。弔辞を遺族に述べる方)が正

しいと信ずる。死の一線が、生者と死者との間を断絶させたから、実は死は悲しくも痛ましい。

もし弔辞を死者に対して述べるなら、幽霊、夢枕、口寄せ、イチコを信ずることになる。

現世と来生とは、死の深淵によって断ち切られている。黙祷の相手は、死者でないと、私は信ずる。」

「わたしは信ずる」と断言せられると、それは単にパーソ

ナルな一個人の信念又は信仰であって反論の余地もない

し、他人の信念に容喙する権利もないが、これは西洋人式

又はクリスチャンの西洋人式な考え方であって、それが正しいか、正しくないかは別問題なのである。

                     
                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/07/21 (Fri) 08:31:20




【めぐみへの手紙】、ほんとうに涙無くしては読めないです。










 間が空きましたが、相済みません。



 雅春先生の御話続きです。



  果たして“死の一線”は生者と死者とを断絶するか


 比屋根氏は肉体の死と共に「死の一線が生者と死者との

間を断絶させた」といわれるが、それは五官の感覚にて見

える世界から断絶されただけであって、霊的世界的立場に

立って見れば、普遍の“霊の海”に肉体という“括弧”の中に

つつまれて生活していた人間が、その”括弧”が外されただ

けであるから、むしろ“括弧”によってその普遍性が限定さ

れていた”限定”が外されたのであるから、肉体という籬

(まがき)がなくなって、一層吾々と親しい関係になったのである。

従ってそれを{断絶}と考えるのは、肉体的立場に立つ人

だけから見ての事であって、霊的立場にたって見れば、生者と死者とは決して断絶されてはいないのである。

吾々が「念ずる言葉」は直ちに霊界における人々の霊に通じて相感応するのである。

それだから聖経を人工流産児の霊に捧げて読誦すれば、そ

の人工流産児の霊が救われ、その霊の悩みの霊波に感受し

て小児麻痺にかかっていた病人が癒されたりする例を生ずるのである。

生者と死者とは決して「死の一線」で断絶したのでな

く“肉体”という括弧が除かれただけ、吾々は霊的には緊密に接触することができるのである。

だから死者にむかって「告別のことば」をのべたり、聖経

を読誦したりしても少しも不自然ではなく、また、実際死者の霊に通ずるのである。

むしろ「肉体」という括弧の中に霊が包まれている所謂る

「生きている人間」に於いては、肉体が真実を覆いかくし

ていることがあり、肉体は愛情の媚びを呈していながら、

その腹の中はわからないで、もどかしいことが屡々あるのである。

                    (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/07/25 (Tue) 07:43:22




炎天下の球場で高校野球の応援にいそしんでおりました(^^♪。

良き結果が得られて、夢のよう、谷口雅春先生にも深く感謝申し上げます。

ありがとうございます。









 谷口雅春先生の御話続きです。



    “いのる”という事の本当の意味


 比屋根氏は「祷るとは、下から上へと申し上げるので

あって」と、その定義を当然のごとく、その他の定義は悉

く間違っているが如く書いているが、「祷り」の語義は決して「下から上へと申し上げること」ではないのである。

祈りの語源は「イノリ」(命宣)であって、イノチの底深く言葉又は想念で宣言することがイノリなのである。

イの言霊(ことだま)が「命」を意味するのは「命の根」

という意味で、米食民族の日本人が米の生る草を「稲」と

いうのも、また「イノチの気」という意味で「息」という

のも、更に「イノチの気がめぐる」という意味で「生き

る」というのも、いずれも”イ“の言霊がイノチを意味しているからである。

乃ちイノリは〈生命で宣る〉ということにほかならない。

それには「下から上へ申し上げる」のは祈りであるが、

「上から下へ申したら祈りではない」ということではないのである。

目上の人でも、目下の社員が海外へ出張するときに空港へ

見送りに出て、社員と握手を交わして、

「君の健康と幸福と成績の向上を祈るよ」といってあげても、別にそれは不自然でも不合理でもない。

又そういって別れてからその上役がその海外派遣の社員の

ために、神に対して本当に祈りを捧げなかったにしても、

彼が空港で別れの時にいった「祈るよ」といった言葉は必ずしもウソをついたのではないのである。

上役が相手の手を握って「君の健康と幸福と成績の向上を

祈るよ」と其の時、生命の底深く念じたとしたならば、そ

れは既に「生命の底の宣り言」をそのとき行なっているのであるから、それは既に「祈り」なのである。

それは誰に対してであろうか。

海外派遣の社員の事を、心の底で念じたのである。

それは社員に対して宣べているのでもあるし、宇宙の霊の

大海に於いてコトバの力で、その社員の健康幸福向上が述べられているのである。

コトバの力が強ければ宇宙の霊の大海に波動を起こし、一

波万波を生んで、その霊的波動が本当にその社員の健康幸福向上を実現することに役立つことになるのである。


                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/07/26 (Wed) 08:09:15





<新聞は倒閣運動の “ビラ” だ!>・・・、

正解です!(^^)!。







 雅春先生の御話です。


 相手に対してその幸福を念じても宇宙霊に祈ったと同じ

 「祈り」は結局「コトバの力」であるから、相手の人に

対して「祈り」又は「念じ」ても、それは宇宙の霊の大海

の中で念ずる”言葉の力”であるから、一波万波を生じて宇宙霊の創化の力を動かすのである。

従って、宇宙の大霊を「神」と称するならば、それは「神に対して祈った」と同じことなのである。

だから、私たちは人に対して常に善念を起こすようにし、

深切心を起こすようにし、電車に乗っても「同車の全ての

人々が神に護られて健康で幸福で繁栄いたしますように」

と「祈る」又は「黙念」することが、実際その人たちを幸
福にする原動力を与えつつあることになるのである。

「同車の全ての人々が神に護られ健康で幸福でありますよ

うに」というような祈りは、下から神に対して上に向かっ

て祈っているのでもなければ、同車の人々に向かって呼びかけているのでもないのである。

自己の内にある「生命」が、その生命の念ずることは、宇

宙大生命の中に於いて祈るのであるから、宇宙大生命の創

化の力を動かして、その祈る言葉の内容を具体化することになると信じて祈るのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/07/27 (Thu) 08:17:26




童子様は速記の素養などあるのでしょうか(^_-)-☆。








 雅春先生の御話です。


      絶対者の祈り


 この種の「祈り」は、比屋根氏の言葉「死者」に対して

祈るか、「神」に対して祈るか――という二つの区別以外の

祈りであり、「何々に対する」ということがないのである。

即ち「相対的祈り」ではないのであり、「絶対者の中に坐

して、みずから絶対者と一体に融合しながら、コトバにて宣言する」のである。

これは創世記の第一章にある「神、光あれと言い給いければ光ありき」の祈りと同じなのである。

神が「光あれ」と生命の底ふかくコトバによって宣言せら

れたら(即ち祈られたら)光がコトバの創価力によって出現したのである。

この場合、神は誰に向かって祈られたのであろうか。

神は誰に向かっても相対的に祈られたのではなく、絶対者として、ただ祈られたのである。

これは「絶対者の祈り」である。

日本人は誰に向かって祈るという相対的懇願の祈りより

も、この種の「絶対者の祈り」をなす習慣が自然にあるのである。

だから、西洋流に分析して考えてみると、それは誰に向

かって祈っているのか、神に対して祈っているのか、相手

に対して祈っているのか、不明瞭に感じられることがあるのは当然なのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/07/28 (Fri) 08:10:43



    「信用できない人」ですって、稲田大臣辞任"(-""-)"。

判っちゃいないよね( ◠‿◠ ) 。










 雅春先生の御話です。


     神想観に於ける祈り


 吾々が神想観と称する座禅的瞑想の祈りをするのは、神

に対する懇願的祈りではなく、前記の「光あれと言い給い

ければ光ありき」の言うが如き、創造神と本来一体であ

る”神の子”がコトバの力によってコトバで表現するものを

具体化するところの”絶対者の祈り”であるのであって、こ

れが相対に堕さないところの最も高き意味の祈りなのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/07/30 (Sun) 07:42:01




<If I go away to the sea~>・・・、

中仙堂様のご投稿から、凄いフィルムが残っておるのですね(^_-)-☆。

なぜやら、昨朝の私の投稿が消えておりましたので、再び
今朝に繰り返します。







雅春先生の御話です。あと、3回です。



   生者の言葉は死者の霊に通ずる


 これは祈りとは別の事項であるが、比屋根氏が、「もし

弔辞が死者に対して述べ得るなら、幽霊、夢枕、口寄せ、

イチコを信ずることになる」といって、いかにも此の種の

心霊現象的なものや霊界通信の如きものを信ずるのは迷信

であると割り切った如き書き方をしていられるが、これは多少僭越でもあり、独断的でもあるのである。

何故ならイエスは死して四日間墓に葬られている(即ち死

者なる)ラザロに対して「死せるに非ず、生けるなり、起

きよ」と宣言されたとき、ラザロが墓から蘇生って歩き出

したという如き聖書の記事は、死者(ラザロ)と生者(イ

エス)の間は決して断絶していないことをあらわしているのである。

イエスにできたことは、神の子たるすべての人間に成し得ることであらねばならないのである。

死者にむかって聖経『甘露の法雨』を読誦して蘇生した実例も時々あるのである。

先年私がブラジルへ講習・講演旅行をした時に、ブラジル

綿輸出株式会社々長夫人の松尾みさきさんは

既に小児麻痺が急性症状化して息が絶え、眼球が乾き、脈

拍が絶えて数時間たった自分の娘を『甘露の法雨』を繰り

返し読誦することによって蘇生らした実例を述べられた。

そしてたとえ治っても、どこかに運動麻痺か感覚の障害が

起こるにちがいないと医者がいったその娘が、完全に癒や

されて、今では小学校で常にクラスの上位で優秀な成績を

あげていること、その奇蹟的事実を得てから、ブラジル人

の葬式に参列して、聖経『甘露の法雨』を誦することに

よって、死より生へ蘇生らした数例があることを報ぜら

れ、その死より蘇生った娘さんから講演会の壇上で私たちに花束を送られたことがあるのである。

イエスが生者と死者との壁をやぶってラザロに呼びかけて

蘇生させたことが現代に於いても出来ないことはないのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/07/31 (Mon) 07:34:00




   <「さすがに稲田さんは素晴らしい」と沢山の人に言

われる日が来ることを、私は祈っております。・・・>。



 私も同感です(^_-)-☆。







 雅春先生の御話です。


    霊媒には本物と詐術とがある


 無論、霊媒をつかって死者の霊を呼び出して、それと対

話するような現象には随分いかがわしいインチキや詐術があり得るのである。

殊に料金をとって、亡霊を呼び出す如き商売的な霊媒は、

料金の関係上、招霊をしてもその霊が何かの都合で出て来

ない場合には、料金を返還せねばならぬであろうから、そ

んな時には霊媒は詐術をつくって、本当にその霊が出現した如き声色をつかって話し出す。

そして誰にでも当て嵌まるような会話で「死者の霊」のような顔をしてお茶を濁すのである。

そんなのを見た人は、心霊現象―特に口寄せやイチコは詐術であるという。

詐術にちがいないのである。

しかし、詐術の数例があるからとて、すべての心霊現象を詐術であるというのも極端な間違いであるのである。

                     
                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/08/01 (Tue) 08:40:24


   童子様の「真相深入り! 虎ノ門ニュース」5人しか

見てないのですか( ;∀;)。


 中仙堂様、伝統様の「縄文人ゲノム解析」も興味津々です(^_-)-☆。








 雅春先生の御話、今回のお終いです。


   九条武子夫人の霊が憑かるという霊媒


 岡山に女の霊媒があって当時有名な歌人の九条武子夫人

の霊が出て来て話すので、これも歌人で九条武子女史の生

前、親交のあった宮崎白蓮夫人に、岡山のその霊媒研究者

の一人から、宮崎白蓮夫人にその霊媒実験に立会ってくれるように依頼状が来たことがあった。

白蓮夫人は大本教などにも立寄ったことがあり、霊媒現象

の実験はたびたび見て知っているので、「その霊媒に出て

来る九条武子夫人というのとは度々手紙を交わしたことが

あるが、その武子夫人の霊に、“私に手紙を寄越すとき

に、発信人の名前を封筒にどのように書いて寄越した

か”ときいてみて下さい。それの回答が実際に精確に符合

したら武子夫人本人の霊かも知れないから、出掛けて往ってよい」という返事を白蓮夫人は出したのである。

 ところがその返事には「私は、白蓮さんに手紙を出すと

きは、封筒に四季の草花にちなんで、“菫子より”と

か、”藤子より“秋海棠”とか書いて出しました」というのであった。

そして、それは実際とは全然符合しないのであって、それ

は霊媒がインチキで芝居をするか、霊媒にかかっている低

級霊そのものがウソをつくのか、いずれかであったのである。

そんなことが、判明したので白蓮夫人はその霊媒実験の場に参会しなかったということであった。


 けれども、こんな例があるからとて、すべての心霊現象
を詐術であるとして疑うのは行き過ぎであるのである。

フランスの有名な科学者にして天文学者であるカミュ・フ

ラマリオン博士はThe Unknown(未知の世界)という厖

大な著書の中で、どうしても単なる幻覚だと解釈できない

「死者の霊の出現」及び「死の刹那・近親者に現れた霊
姿」の多数の実例を挙げているのである。


私の訳した「霊界の妻は語る」(谷口雅春選集第七巻)の

原著者レジナルド・M・レスターはロンドンの新分記者

で、霊魂の存在など全然信じない唯物論者であったが、自

分の妻が死んでから、その愛妻の念のために、あらゆる心

霊現象の会や霊媒を訪問し、その現象を否定し否定し、否

定しつつも、ついにどうしても否定し切れない事実にぶつかる。

そして正しい霊媒はやはりこの世にあることはある。そし

てそれに憑(うつ)って本当の自分の妻の霊が出て来て霊

界の状況を詳しく語るのであるが、その懐疑と否定を重ね

ながら、ついに自分の妻の霊と語るいきさつの自然さを読

まなければ、結局、霊媒通信もウソだということになるの

で、疑う人は、このような種類の本を読んだ後で、結論を下してもらいたいと思うのである。


 ついでに断言するが、私は先般、ローマ大使館に会食に

招待されたとき、「キリスト信者は、死者の霊は永眠と

言って、キリストの再臨のときまで霊界で眠っていて、キ

リスト再臨のときにはじめて眼をさますと信じているので

しょう」と訊いたら、「そんなことはない。カトリックで

は死者の霊は霊界で生きて活動していると信じているし、

その霊交のための記念祭の催しの如きも催されるのだ」と

いう返事をきいたので、それを参考のために附記してこの稿を終ることにする。

                                              (おわり)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/08/02 (Wed) 08:37:37

     


  <なぜなら、人間は、神の被造物ではないからです。(“神 真理を告げ給う”に詳しく書いてあります。)

谷口雅春先生は、人間は、神から産み出された神の子と教えて下さっていました。

ここに人間の尊厳があるのに、雅宣総裁の人間観は、極めて低いと思われます。・・・>・・・。


お久しぶりに、あめのうずめ様がご投稿されております(^_-)-☆。









 さて、今朝からは、時期はずれますが(*^-^*)、


  昭和四十三年 「理想世界」誌 1/1号より、です。

写真は本年8月のカレンダーの仙厓和尚の書、です。


 輪読のための青年法語  新しき年にこうして天国を建

設しよう             谷口雅春先生


♤・・・毎朝、出勤、登校前にその日の法語を声高らかに読みましょう。…♤


   元旦のことば  ♤   “神の子”の使命を自覚して

 
新たなる年を迎えるのである。肉体的人間の自覚を超克し

て、“神の子・人間”の自覚に超入すべき時が来たのであ

る。神の子たる人間は神の後嗣ぎ者として、神の創造せる

世界の未完成部分を完成させる使命を有するのである。

これを聖書の創世記では、神は六日間で此の世界を完成し

て、七日目は人間の創造におまかせになったという象徴神話で示されているのである。

 神は新しい品種をつくり、種をおろし、それを野生のま

まで生い茂らせる。その野生のままの不完全さを更に一層完全な良き品種に育てるのが人間の使命なのである。

                                               (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/08/03 (Thu) 07:53:18



    伝統様のブログ、なかなか読めないのがネックです

"(-""-)"。ごめんなさい<m(__)m>。










 雅春先生の御話です。


   二日のことば  ♤ 人間の生き甲斐


 筆者の少年時代には、”桃の味”というのは、噛んでみる

と野生の青臭い、多少ゴリゴリと歯音のする余り甘さの濃

厚でない普通の桃と、多少、形が小さくて果肉全体が真赤

な“肉桃”と称する桃の果実があったきりで、水蜜桃も白桃もなかったものである。

その野生の自然桃を、人間は益々改良して、現在の美味あふれた果実たらしめたのである。

“自然”の手の届かないところに精緻に手を届かせて、神の創造に協力し、これを完成するのが人間の使命である。

尊いかな人間の使命。その使命を完うすることが人間の生き甲斐である。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/08/04 (Fri) 08:39:45




     水仙様の馬渕睦夫先生の動画{和の国を~」

目から鱗です(*^-^*)。

産経新聞、曽野綾子先生、信ずるに足らず(*^-^*)とは。

コワいですね~。











 雅春先生の御話です。


 三日のことば  ♤  人間の文化的創造について


 また筆者の少年時代には林檎の果実は、大抵酸味が強く

て、甘みの少ない、淡白な味のもので、その最高の品種の

ものでも“紅玉”と呼ばれている林檎酸の強いものであった

が、その自然のままの品種に、人間の改良が加えられて、

最近のデリシャスや、ゴールデン・デリシャスや、リ

チャードというような実に芳醇な味わい深い品種を生じたのである。

創世記には人間の万物を改良して一層良きものを創造する

使命を「生めよ、増やせよ、これを従わせよ」示されてい

るのである。自然のままの不完全な姿で甘んじているのが人間の使命ではないのである。

万物を従わせて、人間各々の個性ある創造を、自然の基盤の上に創り出すのが人間の使命であるのである。

文化とは要するに自然の基盤の上に人間各々の個性ある創造をつくりあげて行くことにほかならない。

                                              (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/08/05 (Sat) 08:42:36




志恩様の雄弁に敬意を表します(^^)/。

すごいです。









 雅春先生の御言葉です。


 四日の言葉  ♤  人工過剰にして天授の恵みをこわしてはならない


 されど、人工には行き過ぎを生ずることあるのである。

食品の着色やインスタント食品で天然のビタミン等を失っ

て、ただ目で見て美しく軽便で手間がかからないなどのた

めに、神が与えた健康成分をこわしてしまった食品などは感心しないのである。

人間は、神の創造の基盤の上に、一層よきものを付け加え

て創造し、それを完成させるのが使命であるのに、神の創

造せる良き成分をこわしてしまうのは人間の天分をそこな

い、使命を冒涜するものだといわなければならないのである。


                    (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/08/06 (Sun) 07:46:25




     台風5号が気になる今日この頃です(*^-^*)。

 生長の家の大神、護り給え!








 雅春先生の御言葉です。


五日のことば  ♤  日本的美しさを汚してはならない
 

 近頃のアメリカ婦人は大抵髪を染めているので、その婦

人と結婚しても、自分の妻の本来の髪の毛の色がどんな色だか知らない良人が多いということである。

併し、最近では日本婦人が西洋婦人の真似をして、折角、

天然の美しい黒髪を紫色や茶色に染める人たちが殖えて来たことはまことに遺憾なことなのである。

日本人の黒髪は、その小麦色の皮膚の色にマッチして最も配色の調和した美しさを保っているのである。

大体“黒”は洋装にしても和装にしても、顔の色を引き立た

せて美しく見せるもので、単に美しさだけではなくて上品

で高貴さをもっているのである。しかも縮れていない素直

な黒髪の美は日本女性の優美さの特色を発揮しているもの

で、それは源氏物語の絵巻物や、それを舞台劇に実演した

姫君姿の裾まで垂れる黒髪の美しさは喩えようのない美しさである。

そのような天然の美が与えられてあるのに、それを短く刈

り込み、更に縮れさせクセ毛にして、同色や紫色に染める

などは、神の創造の基盤の上に、一層その美を完成するの

でなく、天授の美をこわして得々としているのであるか

ら、これは天分無視の神を冒涜するものにほかならないのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/08/07 (Mon) 08:09:33



「幸福への出発」雅春先生のあの語り口、清超先生の語り口、懐かしいですね(^^♪。

今でも、しっかり聴けることは素晴らしいことです。










 雅春先生の御言葉です。




 六日のことば  ♤  労働は神聖にして商品ではない


 労働の意義をもっと理解し尊重しなければならない。

労働とは金銭を儲けるために肉体のエネルギーを切り売りすることではないのである。

人体の切り売りだと思うから労働によろこびが伴なわないで、いたずらにくたびれるのである。

悦びの伴なうはたらきにはホルモンの調和した分泌があり

血行はよくなり、生理作用が順調となっておのずから健康がととのうのである。

働いたら損だ。遊んでいるのがラクである。働きは”損を

すること”ことだから、その賠償に賃金をもらうのだとい

うような考え方にもとづいて賃上げ闘争をあおる団体もあり、人間もあるけれども、これは大変な誤解である。

働きというものを通して人は地上に生を享けた所以の任務

を果たして、人々の幸福に奉仕しつつ自分の魂が向上するのである。

現代人はもっと労働の神聖なる意義を知らなければならない。

                     (つづく)




Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/08/08 (Tue) 07:59:16




    <生長の家は毒物を食しながら、

心で「これは毒物ではない、栄養食品である」と思念しながら食べたら、
毒が変じて栄養となると云うのではない。

心が完全に働けば、本来食物でない物(毒物と仮に称す)を食べなくなるのである。・・・>・・・。


 伝統様の「正食~」が目について、(毎日の食事のことが関心事ですから(^^♪)

読みましたら、添加物のことも気にかかり、大いに参考になりました<m(__)m>。

 オピニォン・リーダー(^^♪、青山氏も頼れる人です(^^)/。








 雅春先生の御言葉です。


  七日のことば  ♤  あなたの毎日に感謝せよ


「日々是好日」と禅宗の高僧は喝破したのである。

エマソンは「“毎日その日その日が一年ぢゅうもっとも良

き日である”とあなたの魂の上に書き録せ。あなたの生活

せるすべての日はどんな毛織物よりも、もっと豪華な衣装なのである」といっているのである。

毎朝、その日が訪れて来たときに、「今日は良いことが来

る。今日もまた“神の日”であるから良いことが来るに相違

ない、ありがとうございます」と、現実に“良い事”があら

われて来るまでに、既に良い事が霊の世界に於いて完成し

ていて、それが現実界に移行しつつあるのであると観じ、

その日、その日を尊敬し感謝することを毎日の習慣とするがよい。

自分の環境・境遇・身辺にあらわれる状態は、自分の心の

反影としてあらわれるのであるから、毎日を尊敬し、感謝

し、ただ善事のみを期待すれば、必ず善事のみあなたを訪れることになるのである。

                     (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/08/09 (Wed) 08:00:22



    大聖師、も、うかうか使えなくなったようです( ;∀;)。

 蒼穹様の「アメリカの大罪」よく判ります。













 雅春大聖師の御言葉続き、です。


 八日のことば  ♤  本当の幸福は単純生活から得られる


 心の幸福を得んと欲すれば、単純清潔な生活を営むがよ

い。それは最も安価にして最も高貴なる幸福生活となるであろう。

単純を忘れ、清潔を忘れて、濃厚なる快楽を得ようとおも

えば、それは、逆に最も高価にして、長くつづく心の悩みを獲り入れることになるのである。

新聞連載の小説でも、また単行本でも、凡そ真実に人生を

描いた著作を読むならば、この事が本当であることが判るであろう。


                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/08/10 (Thu) 08:46:14




   破邪顕正様のご投稿の癒し例の素晴らしさ(^^♪。

 
 今朝よりしばらくお休みを頂きます、よろしくお願いいたします<m(__)m>。








 雅春先生の御言葉です。


 九日のことば  ♤  魂の悦びはこうして得られる


「あなたはどうした時に最大の魂の悦びを感じたですか」とたずねられたとき、ある人はこう答えた。

「貧しい未亡人が家賃に困って、その支払いのために日常

必要な家具を売ろうとしているときにその家賃を代わりに払ってあげた時だった。

その未亡人の感謝の目つきを想い出すとき、今も私はその時の魂の悦びを復習するような気がします」

人は与えたときに、そして相手から感謝の眼差しで見られたときに、魂の悦びを感ずるのである。

 オスカー・ワイルドは獄中にあって、年老いてヨロヨロ

に衰弱した既決囚が未決囚に水をかついで搬んでくるのを見て、その水桶を代わりにかついで搬んでやった。

そして、その老人が何ともいえない嬉しそうな感謝の表情をしたのを見たときに本当に魂の悦びを感じた。

そして彼が今まで経験してきた絢爛たる衣裳につつまれた

どんな肉体の快楽よりも、そうした愛行の方が、無限に美しいと感じた。

そしてキリストこそ世界最大の美的生活者であると結論したのであった。

                                               (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/08/18 (Fri) 08:39:26





ようやく復帰です(^^♪。相済みません。

色々のことがあったようですが、よき方へ向かいますよう・・・( ◠‿◠ ) 。








 雅春先生の御言葉続けさせて頂きます。



十日のことば  ♤  愛行によって人を救った時の悦び


 愛行を実践しないで、魂の悦びも、美的生活も、生長の家の真理を論ずる資格はないのである。

何故ならその人には本当の魂の悦びの体験をもっていないからである。

 高知のある吃音の青年は、もう物心がついた時には大へ

んな吃音に悩まされていたのであるが、こんな吃音に私を

産んだのは両親が悪いのだと両親を非常に恨んでいたのであった。

精神分析的に観れば目上に対する反抗・攻撃・不平・怨嗟等の心は目上即ち頭部の病いとして具象化するのである。

彼は烈しい神経症にかかって毎夜不眠に苦しんで自殺した

いと思うほどであった。ところが、或る日ふとした機縁で

彼は『生命の實相』の本を得て、眠れぬままにそれを読ん

で、はじめて、この世に“生”を享けた意義をさとり、遭い

がたき貴きこの人生に生まれることを得た父母の恩を知

り、父母に対する反抗・不平・怨嗟の念が消えてしまった。

頭部を攻撃する精神が消えると同時に頭部の病い、神経症が消えてしまって心気爽快になったのであった。

彼は「我を救える者はこの“生命の実相”の真理である。こ

の真理を人に伝えて人を救うことによって報恩行をしなけ

ればならないと思って、病人を訪問しては、生長の家の真理を説いたのであった。

ある日殆ど危篤だった病人が、二度目に見舞いに往ったと

きに治っていて、彼の顔を見ると、「あなたのお蔭で私は

このように救われたのです。あなたが無かったら私は死んでいたのです。あなたは生命の恩人です。

あなたは私にとって神から遣わされた神の人です。」

こういって合掌して彼を拝んだ。

その感謝の表情を見、“神の人”として拝まれたときに、彼は本当に自分が”神の子”であることを悟った。

そして「肉体の父母があればこそ、“神の子”が、こうして

此世に生まれ出て、人を救うことができるのだった。考え

て見れば、あの人も、あの人も、あの人も救われた。私が

この世に生まれなかったら此らの人は救われなかったのだ。

ああ、生れてよかった。お父さん、お母さん、ありがとう

ございます。よく私をお産み下さいました。」と本当に感

謝の念で一杯になり、今まで詣ったことのなかった父

母のお墓に参拝して感謝の言葉を述べ、祖先に感謝報恩の

ため聖経『甘露の法雨』を墓前で読んでいると、少しも吃

ることなく流暢にスラスラと読め、自分も驚いて、初めて吃語癖が治った事に気がついたのであった。

吃語は精神分析してみると父母に対する反抗に起因するの

が多いので、父母に本当に感謝する気になった時、完全に治ってしまった実例が他にも沢山あるのである。

                                               (つづく)



Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/08/19 (Sat) 08:14:59




志恩様も感嘆、源流様の頭脳(^^)/。物質の頭脳じゃないです(*^-^*)。








 雅春先生の御言葉です。



  十一日のことば  ♤  新婚の夫婦のために


 彼が父母に感謝する気持ちになったとき、吃音が全治しただけではなく運命が好転しはじめたのであった。

というのは、彼には恋していた女性があったが、彼は吃音

の故に、その恋しい思いを打ち明けることができなかっ

た。そして吃音が治った時に、彼ははじめて彼の彼女に対する思慕の情を打ち明けることができたのである。

彼女は一人娘でであったので、かれは彼女の許へ養子婿として往った。

彼女は恋している間は彼にとって完璧な何処にも欠点のな

い理想的婦人像のように見えていたけれども、さて結婚し

てみると遺憾なことに、彼女の左の耳は幼い時に中耳炎をわずらった結果、殆ど聾になって聞えなかった。

そのため良人が左側からモノを言うと聞こえないので、じれったくなって夫婦喧嘩をすることも度々あった。

理想と現実とは異なると彼は稍々幻滅を感じていた。彼は

その頃、炭焼を業として半月は山にこもって炭を焼いていた。一定量の炭を焼き終ると山から降りて自宅に帰る。

自宅には恋女房が待っているというので、久し振りに足ど

りも軽く自宅の前まで来るのだったが、さて格子戸をひら

いて妻を呼ぶと、妻の難聴の方の耳が玄関に向いていると

きには聞こえないで、いくら呼んでも返事がない。そんな

事で、じれったくなり恋しい心が恨みに変って、また夫婦喧嘩をするのだった。

こんな話を彼はその頃京都の大都記事の講堂でひらかれた

生長の家西日本教化部開設記念幹部講習会に来たとき、広

島の教化部長をしていた松本道樹先生に打ち明けて相談した。

すると松本先生は、

「それは奥さんの実相が観世音菩薩であって、既に完全な

相であることを拝んだらよいんだよ。それには、君の細君

の写真をジッと見詰めながら、この詩を繰り返し念ずることにして御覧」

と、次のような詩を示された。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/08/20 (Sun) 07:41:39



      長村婦美子、寺田繁三両先生の逸話が語られています(^_-)-☆。

 トランプ政権は最強の軍人政権に、そうなんですか・・・。

左翼メディアには負けて欲しくないですね。










 雅春先生の御言葉です。


 十二日のことば  ♤  愛行が人間の天分である


 英国の文豪チョーサーはこんなことをいったそうである。

「どんなに美味しい食物でも八時間は美味しく食べつづけ

ることはできない。どんな楽しい遊びでも八時間もつづけ

れば飽きて来て面白くなくなる。しかし人のためにする愛

の働きは八時間以上つづけても依然として興味がうすらがない」と。

 愛行が人間の天分であることを道破し得て妙である。

                                              (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/08/21 (Mon) 07:53:51




なぜか、十一日のことばの「詩」が抜けておりました。

失礼いたしました。改めて付け加えさせて頂きます<m(__)m>。






 “人間は皆観世音菩薩である

   あなたも観音

   わたしも観音 

   どこも円満、観世音
  
   円満完全観世音
   
   あなたも観音
   
   わたしも観音
   
   ふたり調和し実相円満“

 
 さて彼は教えられた通りに、一ばんよく写った自分の好

きな妻の写真をもって、山に籠って、炭焼きの閑暇な時間

を見ては、その写真にむかってこの詩を念ずることにしたのであった。

半月の間、彼は毎日こうして念じつづけて、山から降りて

自宅に帰って来ると、彼が妻を呼ぶまでに走り出て来て、

「あなた悦んで下さい。私の左の耳は幼い時に中耳炎にか

かって聞えなくなっていたのですが、今日は急にきこえ

て、砂利の上をお歩きになる足音ですぐあなただと分った

のですよ」と感激に涙ぐみながら彼の両腕の中に倒れ込んだというのである。

新婚の夫婦にとって参考になる話である。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/08/22 (Tue) 08:19:35




  破邪顕正様のご投稿から引用させて頂きます<m(__)m>。


《五官の眼で見れば、地球に生じた黴の一種にすぎない人間が、般若の智慧で見れば、神仏のままの法身である。

これをキリストは「人あらたに生まれる」と言われたのです。

法身とは真理の身体である。

キリストが言われた「吾は生命なり真理なり道なり」である。

現実人間は、一方に滅すべき「肉」なりとの妄覚と、久遠

不滅法身なりとの内在自覚との、二つの「覚り」の間に彷徨するところの鵺的存在である。

肉より生じたという妄覚を打破してしまわないかぎりは、生命内在必然の要請が満足しない。

この内的必然の要請を満足せしむるものが、仏教では釈迦

が摩耶夫人の右脇に懐妊したとの神話であり、キリスト教ではマリアの処女懐妊の神話である。

それは人間は「肉より生まれたる肉」にあらずとの自覚の転換である。

キリスト曰く、「肉より生まるるものは肉なり、霊より生まるる者のみ霊なり。」

この自覚に生まれかわるとともにいっさいの物質としての

肉体に付随するところの苦厄が解放されるのであります。》


(『生命の實相』第39巻「仏教篇」(128~129頁)より)









 雅春先生の御言葉です。


 十三日のことば  ♤  すべての物に最高の完全さを発揮さす秘密


 十八世紀の頃ローゼクルーシャンという魔術的奇蹟をあ

らわすという神秘主義の一種の宗教が欧州に伝播したことがある。

その一人の教師がエディソンに対ってこんな話をした。

「エメラルド(宝石の一種)の中に一人の妖精が住んでい

て、その宝石に近づくすべてのものを最高の完全さに一変さす神秘力をもっていた。

水がそれに近づけば水はダイヤモンドの光を発した。金属

がそれに近づけばその金属はそれぞれ特有の最高の輝きを発した。

それに鉛をちかづければ白金の輝きを帯びるのであった。

それを煙に近づければ煙は輝く焔となり、焔はやがて光となり、光輝燦然と輝く。

そして、その光に人が触れると一切の苦悩と悩みが消えて

しまって輝くような悦びが内から湧いて来るのであった。」

こんな話を彼はエディソンにした。エディソンが、この妖

精はどのようにしてこの奇蹟をなすのかと問うと、

「それは満足と感謝の念を使うのだ」とローゼクルーシャンの教師は答えた。

                     (つづく)





Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/08/23 (Wed) 07:51:48




  『真理の吟唱』「〝神の子〟の実相を自覚して健康を得る祈り」(145~148頁)


《…私たちが〝神の子〟であるという自覚に目覚めるため

には〝肉の子〟であり〝猿の子〟であるという先入観念を棄て去ることが必要である。

出発点にいつまでも立っていては、到着地点に行き着くことはできないのである。…

人間は〝肉の子〟であり、〝猿の進化したもの〟であると

いう科学的出発点を離れて、歩み出すことが必要である。》


《キリストは「肉より生まるる者は肉なり、霊より生まるる者は霊なり」と教えているのである。

仏典の伝うるところによれば、釈尊は女の子宮から生まれたのではなかった。

兜率天にましました魂が麻耶夫人に降下したのである。

聖書の説くところによれば、イエスは天の使いが神界より

〝神の子〟の魂を携えきたって処女マリヤの胎中に授けたのである。

それは神話でも何でもよい。》


《人が〝神の子〟であるという自覚を得るためには、物質

的証拠のみを求める科学の世界から出発して、神話の世界に勇敢に歩み出さなければならないのである。

『生命の實相』の聖典には「人間は未だ嘗て女の子宮から生まれたことはない」と示されているのである。

子宮から生まれたように見えても、それは子宮から生まれ

たのではなくして、神界より天降った〝神の子〟の霊が、

しばらく子宮に滞在したのであって、霊は子宮から生まれ

たのではなく、子宮に滞在して、母親から物質的栄養の補

給を受けてその栄養を資材として地上に誕生したのである。

肉体は〝神の子〟の霊が営む生活訓練の被服であり道具であるにすぎないのである。》



以上、破邪顕正様のご投稿より引用させて頂きました<m(__)m>。








 雅春先生の御言葉です。


   十四日のことば  ♤  幸福生活の秘密


 人は自分が「今持っていないもの」をほしがって、「あ

れが得られたら、もう思い残すことはない」などと考え

て、「幸福」の源泉が「今持っていないもの」にあるかの如き錯覚を起こすのである。

そして、それが得られたとき、もうそれに感銘しなくな

る。そしてまた「今持っていないもの」を求めるのである。

このような人間の精神傾向が進歩をもたらしたのであるけ

れども、それでは幸福は「永遠に手の届かない所」にあることになる。

 今、「幸福生活を送ろう」と思うならば、今もてるもの

に感謝し、今もてるものの善しさと美とを充分享受しなければならぬのである。

“今”の中に無尽蔵の幸福があるのにそれに気がつかないで幸福に飢えている人が沢山ある。

それは、“今”を充分感謝してその中にある滋味を発揮して享受することをわすれているからだ。

メエテルリンクの「青い鳥」の童話はあまりにも有名であ

るが、チルチル、ミチルは幸福の青い鳥を探して世界じゅ

うを旅したけれども何処にも幸福の青い鳥はみつからなかった。

そして失望して自分の家に帰って来たら、其処に「幸福の青い鳥」は、はじめからいたのであった。

                    (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/08/24 (Thu) 11:54:07




宇治・宝蔵神社にて、御守「甘露の法雨」が用意されてるようですが、本物ですか"(-""-)"。









 雅春先生の御言葉です。



 十五日のことば   ♤  吾らの前途は洋々たるものがある


 ジョージ・マグドナルドは古城に住んでいる老人とその息子の話を書いている。

彼らはこの古城の城主の後裔であったが、封建時代は過ぎ

去ったので彼に仕える家来もなく、何の収入もなく従って

食物を買う金もなく殆ど飢えて死のうとしているのであった。

しかし彼らの祖先は、将来、子孫が窮乏したときにそれを

売れば莫大な金額になって裕に生活できるために、ひそか

に高貴な大粒の宝石類を、その城の奥深く秘筐に隠してお

いたのであるけれども、彼らはそれを知らなかったという話である。

どんなに豊富の中にいてもそれに気がつかない限りは人は貧しいのである。

宇宙には“神”という我らの祖先によってイザという時に必

要に応ずるように無限の富が蔵(かく)されているのである。

人類は今、宇宙開発の名のもとに、その無限の宝庫を探し出すまだ緒(いとぐち)をつけたばかりである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/08/25 (Fri) 08:20:36




      アクエリアン様が森田征史元青年会長の檄を

ご投稿されております。貴重です。








 雅春先生の御言葉です。


 十六日のことば  ♤  幸福になれない王様


 幸福は物質の中にはないのである。

ペルシャの童話にはこんなのがある。

その国の王様は色々忙しい問題があって、王様としての生活は煩わしく苦しいばかりであった。

それで王様は占師をよんでどうしたら自分は幸福になれるのかと訊いたのである。

占師は、「王様、あなたが幸福になるためには、国ぢゅう

で一番幸福な人を探し出して、その人の着ているシャツをお召しになれば幸福になれます」と答えた。

王様は、幸福な人は富豪か高位高官の人たちであろうと

思って、その方面の人たちを、いちいちたずねてみても、富豪や高位高官の人には誰も“幸福な人”はなかった。

王様は失望して庶民の間に“幸福な人”をもとめるように命じた。

すると“幸福な人”がみつかった。

その幸福な人は農夫であって毎日朝早く起きて畑を耕し、

自分の好む時に、自分の好む食事をとって、疲れれば横た

わり、眠く成れば眠り、自然を友にして、何の心配も屈託もなく生活していた。

侍従が「彼こそはわが国で最も幸福な人物であります」と報告した。

王様は「彼のシャツを持って来い」と侍従に命じた。

侍従は、「恐れながら申し上げます」彼はシャツを来てい
ません。毎日半裸体で耕しております」と答えた。

イエスが「富める者の天国に入ることの難き事、駱駝の針

の孔を通るが如し」といった言葉が想い出されるのであ

る。と同時に、定期的に賃上げ闘争をして世間を騒がしな

がら少し富まずに、物価騰貴で齷齪している何処かの国の労働貴族を想い出させるのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/08/26 (Sat) 07:46:05



   <これらの多国籍企業は、利益をタックスヘブンで運用し、米国に納税しない。

つまりグローバリストとは、売国奴のことではないのか。

かれらがリベラルはメディアと組んで、トランプ批判を展開しているのである。>・・・。


トランプさんのことが気になり、久しぶりに、伝統様の「トランプ劇場~」を拝見いたしますと、このような結論が見えました( ◠‿◠ ) 。









 雅春先生の御言葉です。


   十七日のことば  ♤  世界を征服した大王より幸福なる者


 古代マケドニアのアレキサンダー大王はその勢力、ギリ

シャの諸都市は勿論、ペルシャ、小アジア、エジプト、イ

ンドに至るまでも及んで、殆ど当時知られていた全世界を征服した帝王であった。

それにも拘らず、大王は常に本当に幸福な安心の境に入ることができなかった。

何故なら、力によって征服した者は常に力による反撃を警戒しなければならないからであった。

そこで大王は賢人ディオゲネスこそ最も“心の平和”を得た

哲人であるという名声をきいて“心の平和”を得て本当に幸福になりたいと思ってディオゲネスを訪ねた。

ディオゲネスは家を持っていないで酒造につかった空樽の中に住んでいた。

大王は「自分は本当に心の平和”を得て幸福生活を送りた

いと思うのだが、どうすればよいか、それを教えてくれ。
お礼にお前の望みの物を何でも与えるから」といった。

ディオゲネスは、

「私は何も要らないが、大王よ、そこを退いてくれ。私は

今日向ぼっこをしていたのだが、大王が其処にいられると此処が陰になりますから」と答えた。

                                              (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/08/27 (Sun) 07:35:34





    <『甘露の法雨』 は自然に 『生命の實相』 が縮約して歌われいるので、

単に現実界の人間が読誦して悟りを開いて病苦悩苦を去るばかりでなく、

霊界の諸霊もその読誦の声を聞いて悟りをひらき、迷える障りの霊も守護の霊となり。

霊前で読誦することによって難治の諸病が無数に癒えている。

これこそ神仏礼拝の際その祭壇に対いて読誦すべき生長の家の聖経である。・・・>・・・。


 伝統様のご投稿から『生命の實相』第20巻詩篇集(頭注版?)より引用させて頂きました。








 雅春先生の御言葉です。


 十八日のことば  ♤  蟻地獄に陥った虫の如く


 ある紳士が銀行王ロスチャイルド家を訪れてその豪奢を

きわめた応接室に並んでいる黄金で輝く椅子や調度をながめながら、

「まるで此処は天国のようでございますな。あなた様こそ

世界一の幸福者でいらっしゃる」と感嘆するようにいった。

ロスチャイルドは笑い出した。

「この私が幸福ですって? 今も私は、ある人からお手紙

を戴いたところなんですよ。その手紙には明日の晩までに

五十ポンドの金をこの宛名まで送って来なかったら、お前の生命はないぞと書いてありましたよ。

こんな私がどうして幸福者なんでしょう。」

しかし多くの人々はこのロスチャイルドの足許にでも近づ

きたいと犇めき合い、争い合い、互いに他を落して自分が

上になりたいと、砂丘の窪みにつくられたアリジゴクに陥った虫のように空しくただ足搔いているのである。

                                              (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/08/28 (Mon) 08:00:40

 


 <「一つの物体(光源)の周囲に百万の鏡を按きて
 
相対せしむれば百万の光を発せん。

 人は神より発せる光であって

 甲乙丙丁互いに相分れて別々の存在と見ゆれども

 すべて “神” なる一つの光源の反映であって、

 本来一つの光であって、

 すべて一体であるからその実相を自覚すれば

 互いに愛と讃嘆の念湧き起らん」>



 <その時、ひとりの男の人が私のいる列車の窓口ヘ
 
つっと近づいて来て、私を合掌して拝んだ。そして云った。

 「私は今日、刑務所から出て来た者であります。
 
娑婆へ出て来たけれども、どうして今後生活すれば好いか見当が付かないのでした。

 しかし私は先生の合掌していられるそのお姿を拝しました。

 そして私は今後どのようにして生活すればよいかを知らして頂きました。」

 私は列車の窓から腕を突き出して、その男の人の手を握った。

 「兄弟よ、あなたは“神の子”である。如来である」 と私は心で念じた。>



 <あの時代の中学教師と中学生との精神関係を喚び戻すことが出来れば楽しいと思う。

 私は数学の時間に幾何や代数の問題で先生に屁理窟を云

うと、先生は 「もう谷口君にかかったら負けだ」 と笑いながら云った。

 今でも先生と生徒との関係が愛情によって結ばれていたことをなつかしく思う。>・・・。



高知の神社様のご投稿から引用させて頂きました<m(__)m>。








 雅春先生の御言葉続きです。


   十九日のことば  ♤  徳性が高まらない限りは富は不幸の源泉である


 金さえ得たら幸福が得られるように思って心身を金のた

めに摺りへらしている人たちが多いけれども、
金銭が人間を幸福にするものではないのである。

金銭の奪い合いを中心にして、人類がどんなに殺傷その他

の罪を犯し絶え間なき闘争を繰返しているかわからないのである。

ダンプカーその他の営業用自動車が人間を一年間に一万人

以上を轢き殺しているのも、一定時間に出来るだけ往復の
回数を殖やしたいからであるのである。

富豪になればなる程搾取することが好きになったり、二号

や三号を造って家族を地獄状態に陥れたり、処理する物質

が多くなればなるほどその持主の徳性が高まらねば、却ってその人の禍となり、その人を不幸に陥れるのである。


                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/08/29 (Tue) 08:04:29



志恩様が、自然農法、自然栽培について熱く語られています(^^)/。




 ノンフィクション作家、保阪正康氏の「私のなかの歴史」(北海道新聞掲載)で、


<国民党政府の資政(顧問)だった陳立夫氏は「日本人は傲慢で、東アジアの文化を全く理解していなかった」

・・・、蒋介石の次男蒋緯国は「(日本軍は)哲学なき軍隊の進む道をやみくもに進んだ」・・・、

そして、孫文の孫の孫治平の取材でも「あの時代の日本の侵略については『恨』の一字。今も私は怒っている」

・・・>・・・。

本当の取材なんですかね( ;∀;)。







 雅春先生の御言葉です。


 二十日のことば  ♤ 宗教の使命とするもの


 物質を所有したり支配したりする悦びを味わうようにな

ると、大抵の人は、「もう少し余計に所有したい」という欲望にかられるようになるのである。

「も少し利権を得たい」と、その欲望には限りなく、限り

ある物質や領土の支配権を得たくなって其処に果てしない争いや戦争が起こるのである。

この欲望の根元を整理しないでいて、戦争だけを回避する

ために平和運動をいくら叫んでみても、平和運動と称する闘争が起こるだけのことなのである。

この欲望の根元を整理するのが、心が神に向かう宗教運動なのである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/08/30 (Wed) 08:04:43



  《…現行の「日本国憲法」を評価するならば、それはマイナス点しか与えることが出来ない。

それは日本国の伝統を故意に破壊して、日本国を東洋の一

弱小国に留めおいて再起不能の状態に継続する目的のため

に、戦争直後の占領軍が表面は、自由と平和との美名の下に、美辞麗句を列べて作文した憲法であるからである。

謂わば当時の占領軍が「将来、日本国が決して強国となら

ないように」という〝呪詛(のろい)の精神〟を籠めてめて起草したものであるからである。>・・・>。

(『生長の家』誌・昭和52年8月号の「明窓浄机」より)


 破邪顕正様のご投稿より引用させて頂きました。


 中仙堂様、重陽の節句と彼の国の建国記念日の一緒、を
嘆いていらっしゃいます( ;∀;)。








 雅春先生の御言葉です。


 二十一日のことば  ♤ “汝ら思い煩うこと勿れ”


 世の中には心配しなければならない物事は何一つないの

である。世の中の物事は二つに分類することができるのである。

それは「解決し得る問題」――これは解決し得るのだから心

配はいらない――と「解決不可能の問題」とに分類することができる。

ところが「解決不可能の問題」は、いくら心配しても解決不可能なのだから、心配しても仕方がない。

どちらから考えても、此の世の中には心配すべき何事も存

在しないのである。解決し得る問題は、“心配”という形で

心を悩まさないで「神の智恵必ずこの問題を解決し給う」

と念じて、心に自信と平和とを維持しながら淡々たる心境

で解決に当たれば、屹度名案が浮かんで来て解決するのである。

                                              (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/08/31 (Thu) 08:15:49



志恩様がポルポト政権について教えてくださいました

!(^^)!。










 雅春先生の御言葉です。



 二十二日のことば   ♤ 困難は人生に味わいを増す


 人生は塩と砂糖の調和によって美味を増すのである。

”甘い”ことの来ることばかりを待ちのぞんで、辛いこと

や、鹹(しおから)いことを一歳拒んでしまうならば、恰

も毎日、甘い砂糖菓子やぜんざいばかりを食べさせられた

ら、うんざりして食欲がなくなってしまうのと同じよう

に、人生が退屈で、何事かを為さんとする気力もなくなってしまうのである。

食欲のない時に胡椒や七味唐辛子などが食欲をそそるよう

に、苦く辛い仕事が目の前に出て来たときに、眠りかけて

いた生命の胃袋が活発に活動をはじめるということになるのである。

困難は困難ではなく、生命力を刺激して、それを充分に活

動せしめる塩・胡椒の役目をしてくれるものだから、困難

がでて来た時には、困難に対して、自己の内在の力を刺激
してこれを振りしぼらしてくれる賦活剤として歓迎せよ。

                                              (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/09/01 (Fri) 08:22:19

  


 <しかし、世界に誇るべき「天皇」を忌避(きひ)し、封印するなんて、

「もったいない」にもほどがあります。

冷静になれば、これがいかにバカらしいことであるかがわかるでしょう。・・・>・・・。


 伝統様が、ケント・ギルバートさんの著書より抜粋しておられます(^^)/。

本当に「愛国心のタブーから解放される日本人」でありたいものです。


 写真は仙厓和尚の9月の「仙厓秋果之竹」、巧く描けた
得意の竹の絵を自慢?しております(^^♪。

本当にお上手です(^^♪。

 もひとつ、学ぶ会の光明日訓カレンダー、すっかりめくりの癖がついて(^^♪きっちりめくれるようになりました。

日々の努力?というものはスゴイものです。一日一日の積み重ねが良き成果を生むのですね。

















 雅春先生の御言葉です。


二十三日のことば  ♤  あなたの幸福は何処にあるか


 幸福を求めたら、幸福は逃げて行くのである。

幸福への期待が大きいほど、さてその言葉を現実につかんでみたときに、その幸福の空しさを知るであろう。

幸福は、それを求めないで、他の人のために尽くしているその過程の努力の中にあるのである。
 
登山家は危険を冒して氷壁や断崖を攀じのぼるの過程に幸福を味わうのである。

頂上に登ってみたら一時爽快な感じがするかも知れぬが、

頂上の爽快さというものは、そう長くは続かぬのである。

だから登山家は、登頂すると間もなくその頂上から降りはじめるのである。

人生もトップに登ってしまえば、それが最後である。トップに登る努力の過程に悦びも生き甲斐もあるのである。

                    
                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/09/02 (Sat) 08:04:16




   小池都知事、英断、いいね(^^)/。








 雅春先生の御言葉です。


  二十四日のことば  ♤  物質追求の世界に永久の幸福はない


 幸福と物質追求の利己的行為とは決して両立しないのである。

それにも拘らず、幸福を追求するつもりで、自分の利益を計ろうとするから大抵の人は失敗するのである。

幸福は他の人を幸福にしてやりたい愛他的精神で実践して

いるその過程の中に味わうことができるところの精神的美味である。

物質そのものに幸福感が得られるなどと考えることは妄想に過ぎないのである。

聖経『甘露の法雨』は次の如く説くのである。

“夢と妄想との産物なる物質と肉体とに求むること勿れ・・・・・

物質に神の国を追い求むる者は

夢を追うて走る者にして

永遠に神の国を建つる事能わず“


                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/09/03 (Sun) 07:29:27




    羽黒小太郎様、いい仕事してますね~(^_-)-☆。









 雅春先生の御言葉です。


 二十五日のことば  ♤  天国の夢を追うて走る人々


 本当に、幸福生活は所得倍増の如き金銭や物質の増加によって築かれるのではないのである。

贅沢な絨毯によって覆われた床の上に、マホガニーの家具

が並び、高価な泰西名画が壁にかかっている室の中で、

色々の不浄な陰謀が計画せられ、不幸の種が蒔かれ、姦通

や離婚や殺人の罪が醞醸されつつある例は度々あるのである。

天国は満足と感謝と相愛の心によって築かれるのであって物質の豊かさによって生ずるのではないのである。

政府が「は所得倍増」という物質的甘言をもって誘惑し、

それに相呼応するが如き国民が賃上げ闘争に毎年浮き身を

窶していて、何うして天国日本が実現するという希望が得られようか。

それはまことに夢を追うて走る者でしかないのである。

              
                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/09/04 (Mon) 07:49:15




眞子様のご婚約会見、「太陽と月」の譬えが実に好印象でした、まだまだ日本も捨てたものではないですね(^^♪。










 雅春先生の御言葉です。


 二十六日のことば  ♤  今此処が神の国である


「そこはいつも智恵と平和と調和とがいつも棲みついてい

る理想的家庭だと私が見た最高の幸福な家庭の幾つかは、

それは寧ろ貧しい人の家庭であった」とマーデンは書いている。

日本の農村に、このような平和な幸福な家庭が見られるのではないか。

貧しさの中にこそ、物を、単に物質と見ずして神に感謝す

る心が湧いて来るのであり、棄ててしまってよいような些

細なものでも小、いたわり、育て、繕って、それを愛して生かして使う智恵と愛とが湧いて来るのである。

私は補布(つぎ)のあたったシャツを愛して着、もうその

浴槽の框の板のつぎ目が腐蝕して水漏れがしそうな湯槽を白セメントで修理しつつその浴槽に浸るのである。

着物は私の手に入るとき、唯の物質ではなくなって「神からの賜物」と化するのである。

神の賜物はばかりが充満している世界が「神の国」なのである。


                    (つづく)
 

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/09/05 (Tue) 08:28:28



青山さんのお話、コワイです、切迫してますね、ただただ、神仏に祈るしか私には出来ません。

 先祖代々の霊位よ、皇祖皇宗よ、どうぞ日本を守り給え!









 雅春先生の御言葉です。


 
 二十七日のことば  ♤  天国はあなたの近くにある
 

 現象世界は既に完全になった世界ではないのである。

そこにある未完成と不完全とに不平や怒りをぶち撒けてい

ては、いつまでたっても幸福は得られる筈はないのである。

他の人が掃除しなければならない場所でありながら、自分

の任務をわすれて掃除していない時には其処を掃除してあ

げるのが、陰徳を積むことになり、幸福を築くのである。

天国的な生活は、他の人が忘れたり看過している仕事を互

いに相扶けて協力するところに愛が生まれ、知恵が生じて

幸福なる天国的雰囲気が其処に生ずることになるのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/09/06 (Wed) 07:55:23


    プーチンさんが「制裁は役に立たぬ」と言っている。

何だか、北朝鮮が、開戦当時の日本に似ているような気もしてくる。

「人間神の子」、からすれば、完全対決も考えもの、の気もして来ました。「目には目を」は日本の心じゃないでしょう?

 今朝の雅春先生の御言葉なども、う~んとうなっちゃいます!(^^)!。


なお、明日はお休みさせてください<(_ _)>。








 雅春先生の御言葉です。


 二十八日のことば  ♤  あなたの行く処必ず天国は実現する


 人々が醜を見出すところに美を見出し、言葉の力によっ

てその美の表現を強化するときは、醜は消えて、唯、美のみ顕われるのである。

人々が悪を見出すところに善を見出し、言葉の力によって

その善を讃嘆して強化すれば、悪は消えて、唯”善”のみが実現することになるのである。

人々が“罪”を見出し、彼を批難するときに、その人の“美

徳”を見出し、その人の実相が“神の子”であることを言葉

の力によって強調するならば、その人の実相たる”神の

子”が顕現し、その人は本当に美徳を備えた善人となるのである。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/09/08 (Fri) 08:23:36



     不動明様が正論を発せられております(^^♪。








 雅春先生の御言葉続きです。



 二十九日のことば  ♤  職場を光明化するために


 職場に臨んだとき、同僚にむかって善意の微笑をもって挨拶せよ。

職場の人々の感情の硬化は忽ち去って、なごやかな明るい雰囲気は生じ、職場が天国となるのであろう。

良き仕事はなごやかな明るい雰囲気の中でのみできるので

あり、憂鬱な雰囲気の中では能率が落ちてしまい、仕事の品質も必ず悪くなるのである。

                     (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/09/09 (Sat) 07:44:29




しろうさぎ様のお嬢さんの神癒、見事ですね(^^)/。

すばらしいことです。おめでとうございます!!


 2日ばかり、また<m(__)m>お休みさせてください。









 雅春先生の御言葉です。


 三十日のことば  ♤  父母はあなたを導く神の示現である


 職場の悩みを家庭に持ち込んではならない。

仕事の悩みは仕事場のみに封じ込んで置くのがその人の家庭を幸福にする道なのである。

しかしまだ父母に養われている学生・生徒の時代には、学

業の悩み、交友の関係など、父母を信頼して万事、父母に打ち明けて、如何に対処すべきかにつき相談するがよい。

父母ほどその子供を愛してくれている人は他にいないのである。

愛のあるところに良き知恵は湧いて来るのであり、父母は

子供に倍する長期間の人生経験をもっており、その訓(さ

と)しに素直に従うとき、その長期間の経験を通して、最も適切な助言をして貰えることになるのである。

全く、父母は、あなたを導く神の示現であるのである。
父母に感謝せよ。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/09/12 (Tue) 08:26:13




アクエリアン様のご投稿、興味をもって読ませて頂きました。

生政連掲示板は誰が書いているんでしょうか(#^.^#)。

しろうさぎ様は「冬眠」のご様子ですが…。











雅春先生の御言葉です。今回の最後です。


 三十一日のことば  ♤  言葉の力で地獄を造ってはならない


 関東大震災で全市民がリ歳空いたり、大東亜戦争の爆撃

で全財産が烏有に帰したりしたような大被害は、その損失

又は不幸は巨大であるけれども、そして物質の欠乏は現実

にも著しくあらわれて、生活は困難であるけれども、却ってあきらめがついて心はサッパリし易いのである。

またその被害の程度により、人により、境遇により、あき

らめ難い悲痛な感じを与えるにしても、そのような大事件は一生涯にそれほど度々はないのである。

ところが、自分の家庭や仕事場での小さな口論、小さな侮

辱、とるに足らぬ非難、一寸した罵言、とるにたらぬ自分

の癖の指摘、それらの暗い方向の言葉の力は指先に刺った

棘のように、いつまでも相手の人を傷つけて、ついにはそ

の人をノイローゼとし、又は廃人にしてしまうこともあるのである。

決して人を侮辱したり、悪や、癖を指摘して、それを話材

にして楽しむというような“言葉の力”で家庭や職場で地獄を造ってはならないのである。

天国はあなたの善き言葉、明るい言葉、尊敬の言葉から生まれるのである。

                     (おわり)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/09/13 (Wed) 08:08:18




五度の近眼が「甘露の法雨」読誦で快癒。

伝統様のご投稿より(^_-)-☆。


 今朝の新聞に、米国他の「制裁」は日本の戦前を想起する、とのコラムが・・・。

さもありなん? どうなのでしょうかね?








 今朝よりは、恵美子先生の

「無限力は発揮できる」の御文章です。



 無限力は発揮できる       谷口恵美子先生

       (「理想世界」誌昭和43年1月1日号より)


 テレビをつけますと、丁度フーテン族が片ひざを立て、

伸ばした髭を顔半分に垂らして、無気力な無表情な顔で映し出されていました。

その中の男の子にアナウンサーが聞きました。

「どうしてそういう長い髪をしているのですか」 「別に・・・・・」

「首飾りをしていますね、どうしてそんなのしているのですか」 「もらったから・・・・・」

「誰にもらったのですか?」 「ひとに」

「人に決まっているでしょう」なんとこれが青年との対話とは驚くべきものです。

又髪を妙に女の子のように伸ばしてゴーゴーや恋の歌を

歌って身体をふったり、くねらせたりしている歌手が大も

てで、その人達を見たいと重軽傷者まで出す騒ぎを起こしている有様です。

その名前もタイガースやジャガースなどと動物の名前をつ

け、踊ればモンキーダンスということになり、人間として

の美しさや尊さなどとは、凡そ縁遠い雰囲気に熱狂している青少年が、多勢いることは情けないことです。

これはほんの一部だというかもしれませんけれど、女の子

のミニスカートと共に一つの流行となってしまっているようです。

バーナード・ショウは「流行とは人がつくる伝染病」だと

いっていますが、伝染病に罹った人はまことに気の毒な人といわねばなりません。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/09/14 (Thu) 07:47:43




  <智の巨人、ホーキング氏が

「人類はあと百年の命だ」と言われたそうです。>・・・。

 中仙堂様のご投稿から。









 恵美子先生の御文章です。


人間と動物の違うところは、人間は霊的にも知的にも勝れていることです。

人は世の中をよくするために何をしたらよいか、自分の為

に、自分が如何に生きるべきか考えることができますが、動物はただ生きているのです。

世界の平和、人類の幸福、人間は様々なことを考える心を持って絶えず進歩しているのです。

人間はすばらしい神の子ですから多くの人に役に立つことをして喜んでもらいたいのです。

人の真似をして無気力に何となく生きているのなら猿にでもできるでしょう。

その人達は国家も、家も、平和も戦争も別に自分とは何の

関係もないのです。又片よった思想や主義に引っぱり廻されて人間らしい生活をしていない若者もいます。

 結局、人間とは何であるかを正しく理解していないからいろいろの間違った行動が起こってくるのです。

神様によって造られた愛深いすばらしいものが人間であ

り、愛を行うことにより互に喜び合い、喜ばせ合い平和な家や社会や国家を造ることができるのです。

そう自覚した人にはそのような、人間神の子の尊い生活ができるのです。

無気力な動物に近いものだと自覚すれば、そのような恰好

をして何となく無意味な生活をすることになるのです。

どう自覚するかによってその人は決まるのです。

                    (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/09/15 (Fri) 08:11:36




  「切り義理っす」で、そーれさん!!が破邪顕正様に見えてきました(^_-)。








 恵美子先生の御文章です。


「自信をつけた司葉子」と題して、朝日新聞十月二十二日

号に彼女のことが書いてありましたが、毎日放送が、まだ

新日本放送といっていた頃に、その秘書をしていた美貌に目をつけられ、女優になって十三年目を迎えたのです。

デビュー作では「まるで学芸会みたいだからやめたらどう

だ」といわれたり、六年目頃には、「もうこれ以上伸びそ

うもないからやめたい」といい出したりしていた彼女が、昨年は各映画賞の女優主演賞をひとりじめにしたのです。

そして「昨年は幸運でしたが、本当の自分の力をためされるのは、ことしです」といった。

そしてことし、映画、舞台、テレビと次々と主役をこなし自信をもってそれらを演じているのです。

昨年の「最大の幸運」それは「紀ノ川」で松竹の撮影所入

りしたとき、司は中村登監督に「大根ですからよろしく」とあいさつしたのです。

すると中村監督は「映画界はけんそんが通じる世界ではな

い。二度と自分自身を“大根女優”などといってはいけない」ときつくたしなめたのです。

この時の言葉が司の心にもう大根ではない、やればできるという自覚をさせたわけです。

今迄は「大根ですからまあこれ位でも」という気持ちがあったのでしょう。

はじめ「紀ノ川」の主役には司葉子がよいと原作者の有吉

佐和子さんがいっても映画会社の人は「きれいだけ
どもヘタだから」と取上げなかったそうです。

それまで自分が大根だと思ってやっている仕事は他の人から見ても大根にしか見えなかったのです。

この賞をもらって司は「賞をもらって不器用で能がないと

いう劣等感のかたまりだった私にも、女優としての自信ができたのです。」といっています。

このようにはじめからすばらしい素質があるのに、「つま

らない者です」と思い込んで生活している人が多勢いるこ

とでしょう。そう思っている限り本当のすばらしさが出てこないわけです。

私は罪深い弱いものですから、キリストによらなければ救

われないのです。といっているかぎり、その人は救われな

いでしょう。私は神と一つの生命であり、キリストと一つ

のいのちである、すでに救われている素晴らしいものであ
る。と自覚した時その人は救われて自由自在なのです。


                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/09/16 (Sat) 08:06:22





いわれなき非難をされて、あの世の雅春先生も屹度苦笑されておられることでしょう(^_-)。

(志恩様のご投稿より)







 恵美子先生の御文章です。最後です。


同じ朝日新聞のページに新劇や新派の演出家である松浦竹夫氏がこういっています。

「新劇の人は役になりきろう、なりきろうとする。つまり

戯曲のなかに生きることばかり考えるんで、それはそれで

アンサンブルでつくりあげる上から必要なことなんです

が、逆に芝居が舞台から奥へとひっこんでしまう感じになることがよくあるんです。

ところが水谷八重子にしろ晩年の花柳章太郎にしろ、ある

いは藤田まことだって、自分を見せるというか、自分の個性で勝負しようというところがあるでしょう。

今の日本の新劇で欠けているのは、役者が『オレをみろ』といい切れるだけの自信ですね」

 これは俳優のみでなく誰でも通じることだと思います。

サラリーマンにしても、その会社の自分の与えられた役に

なり切ることだけでなく、自分の生命を精一杯生かした仕

事をして、多くのアイデアを出し会社の発展のため、又会

社を通して社会にも貢献していってこそ生き甲斐ある生活だと思うのです。

良い事をする気持ちはあっても、なかなか勇気がなかった

り、人がどう思うだろうとか、うまくできないかもしれないとか取越苦労をしていては何もできません。

「大根ではない」「神の子である」という自覚をもって勇

敢に正しいこと良きことに体当たりしてやっていくとき、必ずすべてがよくいくでしょう。

神の子の自覚は毎日神想観をして、真理の本を読み、御教

えを実際行動に現わしていく時、いよいよ深まり、神の子人間としての生命あふれる無限力が発揮できるのです。

                    
                    (おわり)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/09/17 (Sun) 07:45:39

   

   <ケントさんは、日本人のタブー感覚の原因は、

戦後、GHQが行った日本人に罪悪感を植えつける洗脳工


「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」にあると喝破。

その結果、日本人が自国の歴史と文化の神髄を

知らない状態に置かれたことが大きいと説く。

 では、ケントさんが見つけた日本の神髄とは?

豊かな日本語、

人々の中に脈々と息づく「美の精神」「武の精神」「草莽の精神」、

そして長い歴史を通して天皇が示してきた「理想」…。>・・・。


伝統様のご投稿より<m(__)m>。


ケントさんのご本、まだ購入してません(*^-^*)。









 さて、今朝からは、清超先生の御文章です。


  真の勇気を持とう   谷口清超先生 
 

      = 弱者の自覚と強者の自覚 =


 青年の勇気とは、どのようなものでしょうか。

佐藤首相がベトナム行きのとき、羽田で反日共系全学が暴

徒と化し、警官と渡り合ったことは、新聞で大々的に報ぜ

られたのですが、一体あのような行動が勇気と称せられるものでしょうか。

彼らは集団暴徒と化したのであり、もし彼らに真の勇気が

あるというのならば、凡てのやくざ集団にも勇気があり、彼らも又ほむべき人々と言えるかもしれません。

「イデオロギーやくざ」を弁護する者は、彼らには思想が

あり、主張があるというかもしれないけれども、あの程度の思想や主張なら、やくざにもあります。

ある意味からいえば、冷静に行動できる、一人必殺の右翼の方が、もっと勇気があるともいえるでしょう。

(佐藤首相がベトナムにあの時期に赴いたことは、決して

良いとは思えないのであって、これは又別に考えるべきであります。)

しかし、本当の勇気とは、決してこのような「暴力」を伴

うものではないし、そうであってはならないのです。大体

暴力は自分の力の限界を感じて、やけくそになっているも

のがふるうのであって、こちらに「やっつけられそうな気

持」がするから自分がやっつけられる前に相手をやっつけようとする。

そうでなければ、安心してニコニコしておればよいような

ものでしょう。ところが、「弱者」はそうはしておれな

い。そこでいち早く暴力で相手を傷つけようとするのであります。
 
 戦争でも傷害事件でも羽田暴力事件でも、又その根源に

横たわっている「日本国憲法」の押しつけられた問題で

も、みなそのような「弱者の自覚」から起こるのであって

決して「勇気ある強者の自覚」から生ずるものではありません。

そこで、この世の中から戦争や押しつけられた暴力をなく

しようと思うならば、どうしても「弱者の自覚」をかなぐ

り捨てて、「強者の自覚」もたなければならないのである。

その{強者}も、真の強者でなくてはならないのであっ

て、暴力をふるって、強いて強がっているような「インチキ強者」の自覚では駄目なのです。

しからば「真の強者」とは、どんな者でしょう?

それは如何なる者によっても傷つけられず、如何なる者も自分をやり込める者がないという人々であります。

つまり「無敵者」であり、「全世界を味方にする者」であります。

                                              (つづく)



Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/09/18 (Mon) 07:59:17


<僭越ですがNEW (7616)
日時:2017年09月17日 (日) 15時50分
名前:中仙堂

人間が生まれる前からある知恵とは、聖経「甘露の法雨 知恵」に

知恵はこれ本来神のひかり

実在に伴う 円相的光なり
 
人間は光の子にして……

人間は神の子=神の生命そのものです(第三義の神)から破裂する心配は有りません。

脳髄以前の知恵をもっている自分とは、神の子の み教え一本槍さんの事です。

どうやって 引き出すかは、神想観と、愛他行です。
愛がどんどん出てくる所に神の無限の知恵も出て来ます。

あなたが引き出します。>・・・。


 素晴らしいお答えじゃないですか!(^^)!。

神想観と、愛他行!(^^)!。







 清超先生の御話です。あと5回です。



       = 無敵ということ =


 このような「無敵者」は、自分と対立して、自分を迫害

する者を持たないから、一番強い人であり、従って暴力をふるう必要が全然ないものです。

全世界が「味方」であるから、「味方」に暴力をふるうわ

けにはゆきません。その味方も、自分の意に叶わぬグズの

味方やフヌケの味方ではなく、「全てが神の子である」という味方です。

自分も「神の子」であり、他人も又「神の子」である。

一切が「神の子」であるという自覚があって、はじめて敵

がなく、味方ばかりであり、その味方も「完全な味方」でありうるのです。

「やがて敵になりうる味方」などという、「共産主義者の

味方」とは根本的にちがう真の味方ばかりをもっている

「神の子」-それが自分自身であると自覚するとき、その

ときはじめて「真の強者の自覚」を持つことができるのです。

 青年はすべからくこのような自覚に、一刻も早く到達し

なければなりません。そうすれば、どんなにたのしく明るく、のびのびとした毎日が送れることでしょう。

彼はもはや環境や境遇の奴隷ではないのです。環境を飴の

如くネジ曲げて、自由自在に造形しうる「無限力」の持主

であることを知っている。それが「神の子」ということです。
だから、決して環境に屈服はしない。現状に満足して、酔生夢死したりはしないのです。

”進歩主義者”と自称する「退嬰主義者」ではない。「なんでも反対屋」でもなければ「妥協々会々長」でもない。

「デモ、スト専従職員」でもなければ、録音機にも似た「シュプレヒコール屋」でもない。

彼は「独立独歩の真人」であり、「主体性の持主」であり、「個性的人格者」であります。

このような人間が沢山養成されるところが「真の大学」で

なければならない。に拘わらず現在の大学は、一体いかなる「学生」を生産しようとしているのでしょうか。

吾々は全学連の人達を、学生の真の代表者とは思わぬが、

彼らが全学連を名乗る以上、”学生の面汚し”をしていると言わなければなりません。

何故なら、彼らには「主体性」がないからです。彼らはプ

ラカード並みの頭脳しかない。彼らには「自分の考え」がない。

個性もなければ「思想」もなく「独自の行動の自由」すら

もない。「反対」に「反対」する気力もなく、「革命」と

称する麻薬をふりはらう気力すらももたない、“ヒステリー集団”にすぎないからであります。

                    (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/09/19 (Tue) 07:54:31




<ま、この他生の縁、多い少ないの多少じゃないんで

す。他の生涯に生まれとった、その時からの縁で深い深い

因縁によってこうして集まってこられて。例えば私が釈迦

無尼如来として生まれて、インドで講演しておった時に、

その時に、皆さんもその釈迦無尼如来の説法を聞いて、そ

して悟りを開いて菩薩となったような、そういう人もこう

たくさん集ってきておられる。これが他生の縁である。袖

振り合うだけじゃない、同じ真理の話を聴いて尚一層悟り

を深める、こういうね、有難い因縁を一緒にこう持つとい

うことは、これは滅多に得られないところの深い深い因縁であるわけでありますね。
 
                     (拍手)>・・・。



 大聖師の最終御講義の一部分です。(西海橋様のご投稿より)









 清超先生の御話続きです。


      =  吾らの義務  =


 ところが、一見このような愚劣人種の本質も、実は「神の子」なのであります。

彼らだけが特別下等につくられているのでもなく、プラカード的につくられているのでもない。

本当は皆「神の子」なのであり、すばらしい人間です。

だから、その証拠に彼らは決して自分で自分自身に満足し

ていない。きっと悲しい時間を持ち合わせているし、色々な問題をかかえて悩んでいるのです。

その悩みを解決するために、「真我」に対面することを教

えられていない。だから羽田集団暴力や、”総長のカンズメ」などをこしらえて、良心を麻痺せしめている。

それは弱者のあおるヤケ酒のようなものであって、このよ

うな暴力に逃避する以外に、良心の苦悩をまぎらわせる方法を知らない。

それはあたかも彼らの仲間が、フーテン族となったり暴走

カーマニアとなって、そのような生活に感覚をしびれさせているのに共通している。

そのしびれるような感覚が、彼らの良心のうめきを一時的に麻痺させる。

それが凡てを忘れさせる。

未来のことも、両親のことも、そして職業のことも、カン

ズメにされた”総長”や、羽田の警官こそ、いい迷惑です。全く気の毒な話です。

 そこで吾々は、このような若人達が日本青年の代表者づ

らをして、新聞紙上をうずめつくすことに、断乎として反対して立ち上がらなければなりません。

全世界に対して、日本青年は、とんでもない誤解を与えて

いるではないか。これは、かかる暴力をいみきらう多くの真の日本青年にとっての重大問題である。

国際社会で吾々の名誉が傷つけられ、人格がうたがわれている。

中共の紅衛兵並みに見なされる。「やっぱり東洋人は、似

ている…」などという噂が聞こえて来たら、果たして進歩的文化人は、よろこんでニンマリするであろうか。

吾々日本青年は、そのような世界的誤解を一掃しなければ

ならないのです。それが日本を愛し、平和を愛する者の当面の義務であります。

 しからば一体どうしたらよいか。言うまでもなく「真の

強者の自覚」即ち「神の子」の自覚を、多くの青年につたえることが先決です。

一人や二人の同志が手を握り合っているだけではいけない

のです。数名が「研究会」などで小さくかたまっているだけでは駄目なのです。

もっともっと多くの同志(同信者)をふやさなければなり

ません。そのような方面にこそ、真の勇気をふるい起こさ

なければならないのです。現状維持では絶対だめなのです。

青年会を急速に発展させ、同志を大量に獲得し、しかもお

互いが正しい「神の子」の自覚によって固く団結し、地上

に天国を実現すべく猛運動を展開しなければならないときであります。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/09/20 (Wed) 07:55:09



    蒼穹様が現憲法無効論を叫んでおられます!(^^)!。



 だけど、仕事人内閣が仕事をしないまま、とはこれ如何に(^_-)。








 清超先生の御話です。


       = 真実の勇気 =


 真の勇気は、そのような「神の御業」にこそあらわすべ

きであり、それは暴力の勇気ではなく「祈りの勇気」であり、「行の勇気」でなくてはなりません。

青年はもっと勇気をもって「祈る」ことを行うべきであります。

真の勇気は、暴力と正反対の静かな「祈り」の中に、もっとも必要とされるのです。

そして「祈り」の後に来るべき「行」の中に、さらに大きな勇気が必要です。

それらの行は、新聞紙上に書き立てられたることもなく、

多くの人に知られることもない。しかし、そのように人知

れず祈りかつ行ずることの中に、最も大いなる勇気と忍耐

力とがいるのであって、それをなしとげうる者が、「神」によって讃め称えられるのです。

そしてそれを実行する者には必ず「力」がつくのであり、

「主人公の自覚」ができ「われ世に勝てり」の悦びが与え返されるのであります。

 私が昨年の夏北海道を巡講した時のことでした。

室蘭市水元町一の明徳寮に住んでいる森俊文君という学生

(室蘭工業大学化学工業科三年生)が、こんな体験を話してくれました。

森君は、二年半前から単位青年会の委員長をして来られた

が、入信は高校二年生のとき、同級生からさそわれて会に行ったのがきっかけでした。

それ以来ずっと信仰を深め、室蘭工大に入学が決まってか

らは、すぐ青年会に入会し、一年足らずで十九歳の時委員
長に推されたのでした。

 さて、森君は委員長になったことはなったが、その町の

単位青年会はしばらく休会になっていたので、例会には誰もやって来ないのです。

そこで森君は誌友の子弟とか、前に青年会に入っていた青

年などの名簿をしらべ上げ、毎週水曜日の例会の前
に、一軒一軒さそって歩いたのでした。

その町はあまり広くなかったので、一時間半くらいで一回りする。それを毎週実行しました。

森君はこうして人々を会にさそって会場に行き、聖経を読

誦して例会に入ろうと思うけれども、さそった青年が集まって来ない。

「これから食事をすましてから行きます」という人や、

「今日はちょっと都合が悪い」という人や、色々いることはいるが、時間が来ても誰一人集まって来ません。

初めの一カ月くらいというものは、例会は常に森君ただ一人きりという淋しい状態でした。

                    (つづく)



Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/09/21 (Thu) 08:00:05




虎ノ門ニュース、引き込まれるように見てしまいました!(^^)!。









 清超先生の御話です。


       = 行動する祈り =


 委員長一人だけではとても例会は持てません。だから何とかしなければならない。

彼はその頃、『生命の實相』の全巻読破をやりつつあった

ので、今迄読んだことや教えられたことを考えて見ました。そのとき、

「病人は寝床をたたんで、直ちに健康な人として行動せよ」

という強い言葉を思い出した。

病人ですら蒲団をたたんで歩き出すのが本当なのである。

しからば青年がそれ以上の勇気を出して行動しなくてどうなるであろうか。

この原理を吾が青年会に運用したら、何をなすべきか―と

考えた。それは、この青年会が「既に三十人の会員がい

る」としてふみ出すことに当たるのではないか・・・・・

 その頃森君の青年会は地方講師をしている神先生のお宅

でやることになっていたが、その部屋にはテーブルが二つ

あった。そのテーブルを二つ並べ、座蒲団が十数枚あった

ので、それを机のまわりに全部ならべて、そこに青年会員が一杯来て坐っているとして出発しました。

森君は「祈り」を実行しはじめたのです。

まず自分が司会者となって、「本当に今日は沢山集まられ

て有難度うございます。只今より青年会の例会を開きます」と宣言する。

勿論、彼以外は誰一人来ていません。しかし、森君は並べ

た座蒲団の上に一杯人々が来ているものと想像して、そのように行動したのです。

それが「祈り」の行動化であり、「既に受けたりと信じて祈る」やり方ではないか。

森君は次いで、「皆さん、開会の祈りを行います、一同瞑目合掌してください」

と、一人で「祈り」をやる。これを一(ひと)月から二(ふた)月も続けたのでした。

その間、埋れた青年誌友を根気よく発掘して廻るのは勿論のことです。

さらに森君はこの奇妙な例会で、『生命に實相』の輪読会をはじめました。

「では”輪読会”をはじめます」、今日はまず二十一頁のところを、佐藤さん、ちょっと読んでください」

佐藤さんというのは実名の娘さんです。

誰も来ていないから、佐藤さんも来ていない。そこで司会

の森君は、すぐ佐藤さん老いると思しき席に飛んで行って、そこで一人二役をやって大声で読むのです。

やがてある分量をよむと、次に森君は司会の席に飛んで行って、

「さて、次を、それでは神君、読んでください」森君はこ

んどは、神君の席にとんで行ってそこで次の文章をよむ訳です。

一人何役もやるから、中々いそがしい。しかし”何もしない”よりは、ずっと張り合いがありました。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/09/22 (Fri) 07:56:53




   <信任案を連発し、解散して信を問え! と言っていたのは野党連だったこと。・・・>・・・。


 中仙堂様は職場にてご苦労をされておられるようです!(^^)!。
がんばって頂きたいものです。








 清超先生の御話、この項終りです。


      =  最初の一人  =


 森君は新免にこうした一人舞台を根気よく続けました。これは中々勇気のいることです。

誰かがみとめて新聞に書いてくれるわけでもなく、ほめてくれる訳でもない。

もしかしたら、誰かがみつけて、嗤うかもしれない。しか

し、そんなことが問題ではないのであって、それがよい事

であり、正しい「祈り」であり、「病人が蒲団をたたんで立ち上がる行動」にも匹敵する行いだからやるのです。

夜の七時から九時までが例会の時間と決めてあって、毎週

やりました。しかし八時になっても九時になっても誰一人来ない。

「今晩は行きますよ」と約束してくれた人があっても、本当に来てはくれない。

そのようなとき、淋しさがこみ上げて、勇気がくじけそうになるが、そこを頑張ってやり抜いたのです。

すると、やがて、途中でぽつんと一人だけ入って来る人が

出来るようになりました。それはもう八時半過ぎになっていましたが、森君は飛んで行って、

「やあ、よく来てくれた!」と、心から歓迎しました。涙がこぼれ落ちそうです。

それから三十分ほどすると、「今日の例会はこれで終わり

ました。皆さん、どうも有難う。又来週の例会にも必ず来

てください」と、終わってしまったが、このとき森君は、

一人の新しい会員を得ることが、どんなに嬉しいものであるかを、心の底から痛感しました。

来た人もおどろいたでしょうが、森君の熱心さにひきつけられて、やめないで来てくれました。

やがて、二人、三人と来るようになり、遂に五、六人から

十人も集まるようになり、何時の間にか「敷いた座蒲団」だけの数は必ず来るようになったのです。

こうして森君は「心に強く描き、そして行動化した祈りは

必ず実現する」という法則が真実であることを実証したのでした。

やがて森君の再興した青年会は、其の後はすこぶる順調に

成長して、今ではさらに新しい青年にむかってどんどん伝達することを努力しつつあるのです。

学生会としても、学内に「光明思想研究会」をつくり、初

めは五、六人から始めて、今では十人位の単位になっているのであります。

我々はこのような地味ではあるが、神意に叶う行動にこそ

勇気をふるい起こさなければならないのであって、徒に大

言壮語したり、暴力行為の奴隷と成り下がっていてはなりません。

暴力的雰囲気でカーッツとなって人を殺したり、傷つけた

りするには、勇気も信念もいらないが、無から有を生み出

し、天に成る世界を地に実現するためには、絶えまない努力と勇気とを必要とするのです。

私はこのような勇気をすべての青年諸君たちに、心から期待せずには、おれないのであります。


                     (おわり)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/09/23 (Sat) 07:40:31




    <そしていろいろの日本国の興隆浮沈はあったにしても、どんなときにも日本国が動揺せずに、

ここまで日本民族が発展してきました不倒翁の重心のごとく

ドッシリとして、その中心から

どんな時にも日本国が立直ることができた重心は天皇がましましたからであります。・・・>・・・。



 本日は「秋分の日、秋季皇霊祭」で祝日です。

伝統様の先祖供養よりの引用です<m(__)m>。


 話は飛びますが、新聞のコラム欄に、「稲妻は稲の夫(つま)」古来、稲は稲妻と交わって実を結ぶと。

先日、北海道は1日で2万回にもなんなんとする雷発生、
果たして豊作になるのでしょうか。








 さて、今朝よりは輝子先生の御話です。


  天才 秀才教育について思う   谷口輝子先生


 誰からか送ってきた雑誌『現代』の九月号が私の机上にあった。

開いて見るとその中頃に「初めて判った天才秀才を生む家庭」という記事があった。

筆者の進藤隆夫氏(国立公衆衛生院精神衛生室長)は、世

界に於ける二万六千人の天才秀才の分析から見た“最良の

環境”について、氏の研究を発表して居られるのであった。

 氏は二十年という長年月を費やして、世界中から天才秀

才を選んで、二万六千人のカードを作り、色々の角度から分析して、ようやく結論に達せられたようである。

進藤氏は「天才をつくるには、七つの条件が必要だ」と言って居られる。

 第一の条件は「素質」であって、名をあげた政治家、事

業家、軍人などは、貧しい家庭に生まれ、苦労を重ねた一

代目に多いし、自然科学者や美術、音楽関係の芸術家は、

有名人を親に持ち、恵まれて育った二代目に多いし、人文

科学系の学者、文学者、小説家などの環境は前者の中間位だとされている。

進藤氏の説の中に「しかし、父子二代とも一流人物という

家系は、全体の七・一パーセントだった。残り九二・九

パーセントは、つまり大多数の天才は無名の父から生まれている。

私(進藤)はこの事実をぜひ世間の親たちに知ってもらいたいと思う・・・・・」というのがある。

この言葉は、私たち「生長の家人」には直ちにうなづけることである。

「人間はみな神の子」の教えを頂いている私たちは、親が

有名であろうが無名であろうが、ひとしく「神の子」の素

晴らしい本質をもっていることを知っているからである。

 しかし、その勝れた本質も、埋没されていては何の役に

も立たない。それを掘り出し、鍛え上げ、磨き出してこそ

ダイヤモンドのごとき輝きも発揮されるし、ルビーやエメラルドのごとき美しさも見出されるのである。

或る人は、苦労艱難によって鍛え上げられて名刀となり、或る人は、師や親の善導によって輝く宝石となる。
 
 第二の条件は「特殊教育」であって、時宜に合ったやり方をせねばならない。

四、五歳から始める音楽や舞踊。中学校を卒業してからで

もよい絵画。中学の終りから高校までが最も才能がのびるという数学。

文学では、詩が中学の終りから高校、散文はぐっとおくれて二十歳―三十歳がピークになる。

自然科学では、化学が中学から高校、物理は高校から大学、生物は高校時代が最も大切。

こうした時機を逃さずに、専門化した特殊教育を受けるこ

とが、将来天才的な業績をあげるのに、一番役立つだろうというのである。

 第三の条件は「危機」であって、危機の内容は、親を失
う。養子や里子に出される。学校を中退する。

放校処分を受ける。家系の没落。結婚について親の反対に

会う。親の愛情を失う。失恋。展覧会やコンクールに落

選。その他物心両面で苦悩する運命にぶつかることだそうである。

                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/09/24 (Sun) 07:48:19



  <事情通様 (18419)
日時:2017年09月23日 (土) 23時10分
名前:神々の友達。

ありがとうございました。

でもせめて、

   事実は正確に伝えましょう

くらいの表題にしていただきたかった・・・です。>・・・。

には、思わず笑ってしまいました(^^♪。


 なんだか、不思議な、不可解な投稿が吹き荒れてますね!(^^)!。













 輝子先生の御話です。


 進藤氏は、ニュートンが、生まれた時すでに父が死んで

居り、三歳の時再婚した母の手から祖父母の手に移り、淋

しさをまぎらわせるために、日時計や水車をつくったりし

たことが、ニュートンに科学する心を植えつけたとか、幼

少時に里子にやられて辛酸をなめていた夏目漱石のこと

や、樋口一葉や林芙美子などの、貧苦の中で才能を磨かれ

たことや、失恋の痛手の中から名作「舞姫」を書いた森鴎

外や、ロダンやルオーなど、不幸の中から発奮した人たちの実例をあげて居られた。

 困難の中で魂が鍛えられることを谷口先生も今月の法語の中で説いておられる。

困難が天才を生み出すのは困難の受け方によるのである。

二十歳前後で親を失った人たちの中から、多くの天才を出

している一方、精神病者や非行少年になる例も多いそうで

あるが、何故同一条件で、明暗二様に分れるのかというと

前者は、社会、文化に役立つ仕事に情熱を注ごうとする

し、後者は逆に、自暴自棄に陥って非行少年になったり、

精神病者になったりして、エネルギーを生かすことなく浪費してしまうのだそうである。

 私はこの危機の内容を考えて見ると、谷口先生にも、このうちの幾つかが当てはまることを知った。

それは谷口先生の「自叙伝」にくわしく書かれてあるからである。

幾つも幾つもの危機を乗り越えて、今日の先生として存在せられるのである。

谷口先生は、四歳で養子に貰われた時が第一の危機であったけれど、幼くしてその自覚がなかった。

大学を中退した頃には、人生苦の壁にぶつかり、自殺を決意せられたこともあった。

しかし、その壁を打ち破って前進せられた。

貧困に苦しみ、恋愛に苦しみ、親の愛を失い、さまざまな

人生苦は、先生の魂を鍛え、才能を磨いてくれたようである。

親の愛を失い、親に依存することが不可能となった時、自己開発するしか仕方がなかった。

人間は誰でも、依存するものが無くなった時、発奮するか挫折するか、二つの道の一つに行くであろう。

発奮して「社会のために、人類のために役立とう」と思う

人は、世界的業績をあげるし、そうでなく、誰のためにも

役立とうと考えないで、ただ自己中心に生きる人は、社会に悪の種を蒔くだけで、不幸な人生を終るであろう。


                     (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/09/25 (Mon) 07:36:29



浄円月観の次に、ただ今、観普賢菩薩行法をはじめました(^^♪。

なにか私、普賢菩薩にあたるそうですので(^^♪やってみることにしました。

普賢の縁日は24日らしいですね(^^♪。

「無量義経」「法華経」「観普賢菩薩行法経」を法華の三部経というようです。








 輝子先生の御話です。あと2回です。



第四の条件は「刺激」であって、「危機」によって磨きを

かけられた才能も、処を得なければ充分に開花できないか

ら、良き師によって、その才能を正しい方向にむけて貰うチャンスを得ることであると進藤氏は言っている。

そして、日本にもたらした二つのノーベル賞も、その受賞

者の湯川博士も朝永博士も、原子力の理論では世界的に知

られている良き師なる仁科博士の善導があったからだというわけである。

この説も、「生長の家」で説く生命の教育を体得した教育

者たちによって「人間神の子完全円満」とか「神の子無限

力」「神性開発」などの信念による正しい指導を受けて、

「神の子」を開発されて、低能児が優良児になったり非行

少年が光明化されたり、親不孝者が孝行者になったりすることは、数え切れないほどである。

良き指導者の必要性を強く願わずには居られない。

 第五の条件は「テーマ」であって、刺激によって方向づ

けられた才能は、具体的な「テーマ」を与えられ、そこで

見事に花開くことができる。たとえば、明治の教育界に新

風を吹き込んだ新島襄は、欧米に留学して、みずからに

テーマを課し”日本がヨーロッパ文化をとりいれるなら、

ヨーロッパ文化の根源をなすキリスト教精神の教育を行う

べきである“とし、帰朝してから、独創的なキリスト教精

神の教育を行ったので、彼の蒔いた種子は今なお日本の一部に根強く生きていると言うのであった。

それはキリスト教だけでなく、生長の家でも独創的な「生

命の教育」を行っているし、仏教その他の宗教でも、それ

ぞれにその教えによる創造性のある「テーマ」によって教育されているようである。

普通の学校だと、知識の積み重ねばかりが多いので、利口

な人間は育成されるが、徳育の方はおろそかにされている
ので、立派な人格者は近来次第に減って来たようである。

宗教教育によってこそ、初めて愛と正義の人格が育てられるのだと思う。

                                              (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます  16 - 道産子

2017/09/26 (Tue) 08:07:19



    大地震からの逃亡顛末記、一種、スゴイ文章ではあります!(^^)!。










 輝子先生の御文章、終わりです。


第六の条件は「事件性」であって、天才的な業績が、社会

的反響を巻き起こして広く認められることだと進藤氏は言っている。

ダイナマイトを発明して世界中を驚愕させ、その遺産で

ノーベル賞を設けたノーベル氏は、二重の「事件性」を

もった人だし、奴隷解放という「事件」を起こしたリン

カーン大統領や、キューバ問題や、ホットラインなどで、

優れた国際政治を行なったケネディ大統領なども、暗殺と

いう事件性を持ったために、二重に歴史に記憶されることになったと言うのである。

奴隷解放やホットラインなどは素晴らしい事件であるが、

暗殺という事件は、有名にはなるであろうけれど、好ましい事件とは思えない。


 第七の条件は、「文化性」であって、更にむずかしい条件である。

先ず、歴史に名が残り、その業績が世界的な文化性を持たなければならない。

たとえば、世界の三聖人と言われている釈迦、キリスト、

ソクラテス級の人物であり、それよりもややスケールを小

さくして、近代の日本人からあげるとすれば、正岡子規だろう。

子規は、短歌と俳句の分野に写実主義をとなえ、万葉集の

価値を高め、古代と明治を結ぶ文化の同一性を証明した。

これは、日本文化にとって、きわめて価値の高い業績であると進藤氏は言っている。

天才秀才を生む最良の環境を知ろうとして、進藤氏は二万六千人の天才秀才を分析することに二十年を費した。

何という長年月の努力であったことか。

それは並々ならぬ興味があってこそ成し遂げられたことである。


 「・・・・・私がいう天才とは、知能指数が優れている

とか、将来大人物になりそうだとかいう可能性をもつ人間のことではない。

世界的な文化的社会的に創造をなしとげた人間のことである・・・・・」と進藤氏は言っている。


そうだ。知能指数が抜群の高さにあった人間で、凶悪犯人になったものも最近あった。

頭が良いというだけでは駄目である。

私は知人たちの赤ん坊に祝福を送るときに、いつも書く言葉は、

「・・・・・立派に生長して世の為にお役に立たれるように・・・・・」である。

社会のために、人々の幸せのために、お役に立つことができないならば生まれた生甲斐はないのである。

天才秀才を無限に掘り出して、世界の国々を明るくすることは、理想をもつ青年たちの大いなる仕事である。


                    (おわり)

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.