伝統板・第二

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輪読のための青年法語~人類と世界が求めている人となれ - 伝統

2017/07/07 (Fri) 20:40:48

輪読のための青年法語~人類と世界が求めている人となれ

                     谷口雅春先生

        *「理想世界」誌(昭和42年12月号)の法語より

(上旬)

【一日のことば~愛他的な人間となること】


人類が求めている人になれ。

人類はどういう人を求めているのか。
利己主義な人を求めているのか、愛他的な人を求めておるのか。

無論愛他的な人を求めているのである。

では利己主義的生活をやめて、
これから常に愛他的な生活を送るようにしようではないか。

・・・

【二日のことば~世界は特色ある個性的人物を求む】


世界が求めている人になれ。

人類は如何なる人を求めているか。
人類は類例的な人間を求めているのではないのである。

神は自己の内に“無限”を包蔵しておられて、無限種類の個性ある人間を、
神自身の“無限”の自己表現としてお造りになったのである。

そのうち最も完全に神が計画したもうた個性ある
その人の特色を生かすことができた人間が、即ち「神の傑作」なる人物である。

劇団でいえば、座長であり、立役者であり、一座のスターである訳である。

類型のままで、個性ある特色を発揮し得ない者は、映画にもテレビにも
その字幕に自分の名が出ないところの「その他多勢」の仲間である。

人類を眺め渡すに、
碌々として「その他多勢」の類型に甘んじている人がどれほど多いか。

類型のままで個性を発揮し得ない者は、“カケ替え”がいくらでもある
人物であるから、別段人から殊更に求められる者ではないのである。

諸君はそんな類型的な人間になってはならない。

人から求められる ―― 否、神から求められているところの、
君自身でなければ発揮できない特色のある人間にならなければならないのである。

・・・

【三日のことば~世界は勇敢なる人を求む】


世界が求めている人になれ。

人類は如何なる人を求めているか。
困難に面したら直ぐまいってしまって
困難に屈服してしまうような人間を求めてはいないのである。

困難がでて来るほど気力百倍し、
困難と取り組んで必ず打ち勝つような
勇敢なる人間をこそ求めているのである。

古代ギリシャでスパルタが覇を称えていたとき、その勇将の一人は

「われは敵の軍勢の数をかぞえず、
われは克服すべき敵が何処にあるか
ということだけに関心があるのである」

といったそうである。

敵の数をかぞえて、その想像される敵の“数量”だけに圧倒されて
前進の勇気を失ってしまう如きは、勇気なき者である。

真に勇気ある者は困難の量などは考えずに、どこに克服してやれる敵
又は困難があるかと、それを見つけ出して、それを遂に征服するのである。

世界はかくの如き勇者を求めているのである。

学校の難しい学科を避けて通るが如きは、
勇敢なる青年の為すべき事ではないのである。

・・・

【四日のことば~世界は正義の人を求む】


善と信ずることには断じて為して、その抵抗を恐れてはならない。
悪と信ずることは、いかに自分に利益があってもしてはならない。
それが勇敢にして正義の人の為すべき道である。

世界は正義の人を求めているのである。

利益に眼を眩まされてフラフラ動揺するが如き人は、頼りにならない人である。

「あの人なら決して間違いはない」という人、
信頼できる人を人類は求めているのである。

正義のためには焚(ふん)刑も笞(ち)刑も磔(たく)刑をも恐れず、
正義と一つになって進む者は、

肉体を滅ぼすことがあっても正義は永遠のものであるから、
永遠の正義と共にその人の生命は不死であるのである。

私は戦時の特攻隊の人々の魂を尊敬する。

これ等の青年は“永遠の理想”を心に描いて、肉体は滅びても
“永遠の理想”とその生命を一体化した人であるからである。

・・・

【五日のことば~世界は責任をみずから負う人を求む】


「成功するにせよ、失敗するにせよ、
その仕事に自分が関係する限りは、その成否の責任は自分のある」

というような人を世界は求めているのである。

このような人は、

「一切万事われより出でてわれにかえる」

という真理を充分自覚した人なのである。

失敗したときにアリバイを他に求め、責任の所在を他に移して、
自分が言い逃れようとする人の如きは信頼できない人である。

失敗したときに、

「その失敗は自分の責任である」

と言い得る人は勇敢な人であるのである。

失敗の原因が自分にあると告白したときに、周囲の人々、関係団体の
人々の非難の声や攻撃の目が自分に集中することを知りながら、
その失敗の原因を自分に帰し得る勇気のある人は、
必ずや、将来、失敗を転じて成功と化し得る人であるのである。

始終、責任逃れをしている卑怯な人を、世界は決して求めないのである。

・・・

【六日のことば~世界は決断力ある人を求む】

左顧右眄躊躇逡巡して、何事をも勇敢に実行する勇気を欠き、
決断することのできない人は常に好機を見逃して
大なる成功を成し遂げ得ない人である。

事物に対して明敏な判断力をもち、

「われ是を成さんとする、必ず成る」と判断した限りは、

即刻それを実行に移す決断力をもつ事が必要である。

実行の勇気なきもの、実行の決断を鈍る者は常に社会の下層にあって、
実行の勇ある者、実行の決断力あるものの指揮によって動くほかはないのである。

世界は決断力ある者の指揮の下に決断力なきものが率いられて動いているのである。

諸君は率いる者となるか、または率いられる者となるか。

・・・

【七日のことば~世界は競争者を歓迎する人を求む】

 
競争者があらわれて来るので却って生活に生き甲斐を生じて来るのである。

よき競争者があるとき、
生命は緊張して“張り”のある生活を営むことができるのである。

競争者があるので自分の能力の進歩する契機をつかむことができるのである。

若し挑戦者がなければ囲碁の名人も、
自分で碁盤上に白黒の石をもてあそぶだけで、緊張感もなければ、
生き甲斐を感ずることもできないのである。

私は千葉周作の伝記を「北斗の人」と題するテレビ劇で見たが、
彼はみずから競争者を求め、みずから挑戦者となって、
一層高く剣技を磨こうとするのである。

その意気、その勇気、その決断力あってこそ、やがて弟子二千五百人を
数える無敵の北辰一刀流の流祖となることができたのである。
彼は試合を恐れない。みずから試合を求めたのである。

商機を掴むのも、剣技に到達するのも同じことである。

「どんな競争者が来ても負けないぞ」という自信と、普段の研学及び実践によって、
常にみずからが進歩している如き人を世界は求めているのである。

・・・

【八日のことば~世界は恐怖なき人を求む】


恐怖は一つの精神的習慣であり、一種の精神的病気であるのである。

環境が変わり、相手が変わり、競争者又は敵対者が変われば、
恐怖がなくなるかと思うと、決してそうではないのである。

自分自身の心が一変して、

「人間神の子・恐るるものは何もない」という悟境に入らない限りは、

どんなに環境や境遇や相手を変えてみても恐怖は去らないのである。

 
こんな穿った童話がある。

或る所に魔術師が住んでいたが、その魔術師の家の近所に一匹の二十鼠が
棲んでいたが、可愛想に常に猫の来ることを恐れて戦々恐々としていたのである。

魔術師はその鼠を不憫に思って魔術の力によってその鼠を猫の形に変えてやった。

すると、その鼠は自分の体が猫の形に変わると、
今度は犬を恐れ出して戦々恐々としだしたのである。

何故なら猫より犬の方が強いと思うからである。
そこで魔術師はその鼠を犬に化けさせてやったのである。

すると、その犬は虎を恐れてビクビクしだしたのである。
そこで魔術師はそれをかわいそうに思い彼を虎にしてやった。

そると、この鼠は、虎のような猛獣になったのだから、もう恐れる必要は
なかろうと魔術師は安心していると、豈にはからんや、虎になった鼠はまた今度は
「人間の猟師に自分はいつ銃殺されるかも知れない」と思って恐怖し出したのであった。

そこで魔術師は、環境や境遇や形をいくら変えてやってみても、
その「生き物」その者の自覚が変わらなければ何にもならない、
心の変わらない奴は救いようがないというので、
怒って、「お前はもとの二十日鼠になれ」と怒鳴った。

するとその虎はもとの鼠の形に帰って依然として猫を恐れて
戦々恐々としていたというのである。

諸君はこの二十日鼠のような人間になってはならないのである。


・・・

【九日のことば~世界は決断敢行の人を求む】


強固なる意志をもって、周到なる計画を果敢に実践する人の前には
困難も自然に道をひらいて平かとなるのである。

鋼鉄の意志をもって戦車の如く困難を切り開いて行く者のまえには
その前進を阻むところ塹壕も鉄条網も何もないのである。

決意を新たにして困難に立ち向かうとき、今まで弱者と見えた者が、
強者と見えた者を圧倒することができるのである。

嘗て鼠の如く怯懦であった者が、死にもの狂いで強者に立ち向かうとき、
窮鼠却って猫を食むが如く、強者を征服することができるのである。

困難を恐れず、強者を恐れず、敢然と困難に挑みかかり、
強者に挑戦する勇者にして、はじめて
世界に名を成す者となることができるのである。

・・・

【十日のことば~世界は逆境を征服した人を讃える】

有名人の多くは逆境を征服した人々である。

かりに文壇に雄飛した人だけに限っても、吉川英治、山岡荘八、長谷川伸など
有名な小説家が殆んど義務教育をも受けていないで古典を充分読みこなし、
その古典の史実にもとづいて、歴史的仮名遣いを殆んど少しも間違なしに
大部の小説を書くことができたことを思えば、

戦後の若い人は歴史的カナ遣いも正漢字をも知らず、戦後学校で教えこまれた
“伝統破壊”の一方的な考えで、歴史的カナ遣いや正漢字がつかってある
先輩の文章を見ると、「これは間違っている」と独断的な批評を下して、
得々としている如きはまことに噴飯に耐えない感じがするのである。

本誌の諸君は、もっと古典を読み、古代又は中世又は徳川時代の
日本人の学者が何を考え、如何なる精神をもって生活していたかを学んで、
日本人に生まれたことを誇りとするようにならなければならないのである。

輪読のための青年法語~人類と世界が求めている人となれ - 伝統

2017/07/08 (Sat) 04:20:40

(中旬)

【十一日のことば~世界は不可能を可能とする人を求む】


ナポレオンの辞書には「不可能」という文字がなかったといわれている。

「断じて行わば鬼神をも避く」という諺が日本にはある。

アメリカの南北戦争の時の勇将グラント将軍の辞書にも
「不可能」という文字がなかったとも伝えられている。

意気阻喪した副官がアレキサンダー大王に
「それは私にはできません。それは不可能です」と言ったときに、

大王は

「馬鹿!! 断固として行なう者の前には不可能はないのだ!! 」

と叱咤したと伝えられている。

勇将の志向するところ皆同じである。

そして勇者の下に弱卒なくこれらの将軍は常に勝利を得ることができたのである。

・・・

【十二日のことば~労苦や努力には積極的価値がある】


困難を克服することなしに、また労苦することなしに、
獲得した勝利には、本当の価値はないのである。

労することなくして得た栄誉は、
恰も労苦なくして賭場で儲けた金のように、
泡沫の如く消えて行く栄誉である。

同じ十万円でも労苦してたくわえた金は有効につかえるが、
博奕で得た十万円は大抵、不道徳な行為や、悪事を為すために
消費されるのである。

外見から見たら、同一の形をした十万円の如く見えていても、
それに存する内在的価値が異なることに注意しなければならないのである。

・・・

【十三日のことば~本当に君は奮闘努力しているか】


人間は努力と労苦とのみによって
真の値打を自分の人格につけることができるのである。

困難が価値があるのは、人間から努力と労苦とを喚び出すからである。

戦後の青少年は体格はよくなり背丈は伸びて来たけれども体力が乏しい。

殊に都会の青年がそうであるということをラジオでも新聞でも言われているが、
それは所得倍増景気にのって、都会の家庭の生活は概ねラクになって
栄養食を充分食することができる一方、奮闘努力する必要なくして、
即ち困難なくして伸びているから、困難に面して耐久力が乏しいのである。

スポーツは盛んであるけれども、それは困難に対する奮闘ではないのである。

親が奮闘努力して儲けた金を唯あそびにつかって「体育」「体育」と
やっているだけだから、体格は立派でも、それは白く塗りたる墓の如く、
精神力の方は空っぽなのが多いのである。

「体格はよいが体力が乏しい」とは、実は
「体格は立派だが、毅然とした精神力が乏しい」という方が本当なのである。

宿題やスポーツで奮闘努力するのと、生活の第一線でギリギリの線で
奮闘努力するのとでは同じ奮闘努力であっても意気込が違うのである。

・・・

【十四日のことば~あなたの希望実現を阻むもの】


あなたが成功する上に、或いは希望を実現する上に、
その障礙となったものは何であろうか。

あなたは、誰がどうしたとか、境遇が悪いからとか、
運が悪かったとか、金持ちの家に生まれなかったからだとか、
色々の理由を挙げて自己弁解するかも知れないのである。

併し他にアリバイをつくって自己弁解することを止めよ。


他にある原因は、
いずれあなたの成功と希望実現との本当の障礙ではないのである。

あなたの成功と希望実現とを阻んだところの障礙は
あなたの「自分自身の心」なのである。

あなたは

「私の心は希望実現を望んで始終前進するように努めていたので、
自分の心が自分の前進を阻もうなどとは未だ嘗て思ったこともなかった」

というかも知れない。

その弁解が、実は他にアリバイを造って、
自分の責任のがれをしようとしていることなのである。

失敗したときには、ひるがえって自分自身の心を見つめるがよい。

屹度あなたの心の内に、
あなたの前進を阻む潜在意識があったに相違ないのである。

・・・

【十五日のことば~希望実現の根本要素としての自覚】


あなたの希望を実現するには、
希望を実現するための「力の自覚」がなければならないのである。

簡単な例で説明するならば、

あなたが「歩く」という行動を実現するためには
「歩ける」という自覚がなければならないのである。

「歩けない」という自覚があれば一歩も歩くことはできないのである。

それはある人に催眠術をかけて、
「君は歩くことができない。一歩も足は前進しない」という暗示をかけて
「歩ける」という自覚を失わせておいて、

「さあ、歩いてごらん」と言ったら、
彼は一歩も歩くことができないので明らかである。

すべては自覚の問題である。

「歩ける」という自覚のある者は自由に歩けるし、
「まず自分の希望は実現する」という自覚のある者は、
自然に希望を実現する力を発揮し、希望実現に要する要素を諸方から
招き寄せて目的を達するに到るのである。


・・・

【十六日のことば~あなたを批難する者に感謝せよ】


あなたを悪しざまに批評する者に感謝せよ。
あなたを叱ってくれる者に感謝せよ。

あなたに媚び諂う者は、単にあなたの御機嫌をとるために、あなたを
完全無欠の人間であるかの如く称めたたえてくれるかも知れないけれども、

悪評家は、あなた自身に気のつかない欠点で、みずからそれを是正しようと
思えば是正できる欠点を指摘してくれるので
それは一種の表示計(インディケーター)の役目をしてくれるのである。

大部分の機械がオートメーションで自働的に作業を進めるようになっている
近代の大工場に於いては、機械の作働の欠点や不調和がメートル式に
別の室(へや)からインディケーターをみつめていると直ぐわかって
大事に至らないようになるよう設計されているものである。

諸君の体は一千兆に及ぶ細胞が恰も大工場の機械の部品の如く一糸紊れず
作業しているのであるから、誰かが欠点をすぐ見つけてくれる標示計になって、
時々批難してくれることは、吾々の生活が大事に至らないために
必要なことなのである。

あなたを悪しく批評する者に感謝し、
それがたとい瑣細な欠点であっても、それを直ぐ改めるようにするがよい。

・・・

【十七日のことば~世界は困難に挑戦する人を求む】


多くの有能なる青年が歴史のページから消えてしまったのは何故であるか。

ただ困難に挑戦し、困難を克服し、勝利者となった者のみ
が歴史のページに残るのだからである。

「何も歴史のページなどに残らなくともよい」という人もあるであろうが、
歴史は常に世界を動かした大人物及び勝利者の歴史であるのである。

諸君自身が「そんな人間はあってもなくても人類の歴史に何の影響もなかった」
というような俗物とならないためには、常に困難に挑戦し、困難を克服し、
勝利者とならなければならないのである。

・・・

【十八日のことば~温室育ちになってはならない】


困難を避けて生活する者は温室育ちの植物みたいなものである。
一度温室から外に出されると冷気に触れて枯れてしまうほかはないないのである。

困難によって鍛えられた鉄のみ優秀なる剣となり、
日本刀となることができるのである。

困難によって鍛えられない刀はナマクラであって役に立たない。

そのナマクラはイザという戦の最中、敵と刃を交えていると、
折れたり、ひん曲がったりするのである。

自己の力を信頼する自信力と、実生活に生きる実力とは困難に挑戦して
それを克服し得た者のみが得ることができるのである。

そして実戦の自信力ある者のみが
歴史に残る大業を成就することができるのである。

・・・

【十九日のことば~困難と戦った樹木は堅緻になり名木となる】


大地に蒔かれたる種子は
何の困難もなくそのままでは生長することはできないのである。

自分を取り囲む土壌の重圧に耐えながら、
養分と水分とを吸収して根を出し、芽を出す。

その幼弱なる若芽と発根とは、生まれたての柔かな組織でありながら
土壌の中の小石その他障害物に挑戦しながら伸びて行くのである。

そして時には寒風と戦い、酷熱の日光に直射(ちょくしゃ)されても
怯むことなく、自然界の脅威を克服しつつ生長する。

この困難なる挑戦によって、年輪は堅緻となり、有能なる名木にとなるのである。

困難と戦ったことのない木材は到底、立派な床柱となって
貴賓を招ずる奥座敷を飾ることはできないのである。

・・・

【二十日のことば~“人づくり”の根本要素は? 】


困難を戦うことによって、自己に埋蔵されたる偉大なる力を
潜在的可能から、現実的事実に移すことができるのである。

幾多の試練、幾多の悲しみ、幾多の屈辱 ――― それらに耐えつつ
吾々は人格の強さと深さと厚みとを増すのである。

困難こそ「人づくり」に必要なる栄養素である。

困難に打ち克った人の容貌には強さと深さと落ち着きがあるのである。

それ故に「獅子はその仔を千仭の谷に落とす」といわれている。

試練の中に落されない温室育ちはついに大成することができないのである。

幼い時に寒冷に逢い、農夫の足によって度々踏みつけられない麦は、
強靭に育つことはできず、また多くの実を結ぶことはできないのである。

輪読のための青年法語~人類と世界が求めている人となれ - 伝統

2017/07/08 (Sat) 12:47:31

(下旬)

【二十一日のことば~世界は周囲の重圧に屈しない人を求む】


若し抵抗や摩擦や圧迫がなかったら、モーターは回転することができず、
電車は走ることが出来ず、電灯は点ることはできず、
人間は歩くことさえも殆ど不可能になってしまうのである。

若し強大な圧力や超高熱がなかったならば
原子力の平和利用も不可能となるのである。

レールに油を塗って摩擦をなくしたら汽車は坂道を登ることができないのである。

摩擦があるので発電機は電力をつくることができる。

貧しさの生活難のなかで国土建設の偉大なる努力が生ずる。

抵抗や摩擦や圧迫は、私たちから自由を奪う敵ではなく、
自己に埋蔵されたる無限の力を、引き出すところの契機を与えてくれる
味方であって敵ではないのである。

・・・

【二十二日のことば~享楽を理想とするか建設を理想とするか】


私は中共の東北地方を、紅衛兵が恰度はじまった1966年の8月から
67年2月まで約半年間撮影して来た岩波映画撮影の『夜明けの国』
という映画を試写会で見せて貰った。

その印象は、貧しさの挑戦の中から“建設の力”が湧いて来るということであった。

あの国では私利や私欲を滅して、唯「国づくり」に懸命になっているのだ
という印象を私は受けたのである。

そして日本は中共が攻めて来たら、
今のままの日本人の心では敗けるという感じがしたのである。

彼ら中共人は「自分の生活の享楽」などということを全然求めていないのである。

それに反して、現在の日本人は富裕の中にレジャーを求め、レジャーの中に
享楽を求め、享楽することを基本的人権として憲法に定め、その享楽費の
益々多くならんことのみを願って賃上げ闘争をし、国がつぶれても
会社がつぶれても自分たちの享楽費がふえたらよいという闘争である。

建設のために滅私奉公している国と、享楽のために内部闘争している国とが
戦うならば、どちらが勝つかは火を見るよりも明らかである。

明日の日本国の運命を担う青年達よ、日本人はこれでよいと思うのか。

(注。毛沢東派の紅衛兵のほかに実権派の紅衛兵もあり、実権派の
巻き返し運動で、内戦が行なわれている地方もあり、この映画のように
明るい建設的な場面だけが中共にあるのではないことは、

各種の新聞報道によっても明らかであり、毎日新聞、産経新聞、東京新聞の記者
が中共に不利な情報を流すというので国外追放を敢行したほどの秘密をもつ
中共のことであるから、

半カ年にわたって映画撮影を何らかの拘束も制限もなく
中共政府が岩波映画に許しておいたことは、この地区が模範地区であるか、
撮影して海外に紅衛兵の良さを宣伝するために便宜であるとみとめたため
であるかにちがいないと想像できるのであるが、

それにしても模範地区がこのようであるということは、
模範とすべき理想が私欲を滅して国家建設に邁進することにあるからであって、

私欲と享楽に邁進することを理想とし基本人権としている現状の憐れむべき
日本とを対比して私には感慨深きものがあったのである。)

・・・

【二十三日のことば~享楽に過ぐればその国は滅びる】


人生の営みを大別すれば創造と享楽との二つに分けることができる。

いくら享楽しようと思っても、創造されたものがなければ、
享受すべき資材も対象もないので、享楽は不可能となるのである。

創造は建設のはたらきであるから盛り上がるよりも
その度が過ぎれば頽廃し、衰退するのである。

文化が発達し、文化的産物が豊かになり過ぎ、
自分に享楽が出来るようになり、国民が享楽に溺れるようになれば
北方の新興蛮族にその国は滅ぼされる。

それが歴史の先轍である。

古代ローマでも秦の始皇帝でも同じことであった。

・・・

【二十四日のことば~精神的にも防衛上にも日本は危機に立つ】


日本も物資があり過ぎ古代ローマなみに宴会に舞踏会に酔い過ぎ、
レジャーの日を有頂天で踊り過ぎているうちに、北方の蛮族にも似たる新興の、
建国まだ18年しかたたない中共が攻めて来たら一体どうすべきであろう。

バー、キャバレー、ダンスホールなどで騒いでいるうちに
何事が起こるかは計り知れないのである。

中共とはまだ平和条約が結ばれていないのである。

だからいつでも兵をもちいて日本に上陸しても文句はいえないのである。

蒋介石総統の国民政府は「仇に報いるに仇をもってせず」といって日本に
寛大な条件で平和条約を結んだけれど、も、その平和条約は蒋介石総統が
都落ちをして台湾に中国政権の新中心をつくった後であって、その時は
既に毛沢東の中共政府が大陸の政権をにぎっていた時なので、

蒋介石政府の
「仇に報いるに仇をもってせず」といった宣言が、
大陸本土の毛政権がみとめるとは考えられない。

中共と平和条約を結ぶときには中共からは賠償条件として五百億弗を
日本に要求すると聞いたことがあるが、これでは日本は破産してしまうのである。

その賠償に応ずることができなければ、「賠償として沖縄を中共に譲れ」
と中共が言って来たら日本はどうするか。

「戦争なき永久平和の世界を招来する道は戦争によるほかはない」と
毛沢東語録に書いて、世界赤化の方策を進めている中共が原子爆弾の
威力を背景に日本にこういう要求をして中共兵が堂々と日本に進駐
してきたら、現在の自衛隊の武装だけで対抗できるだろうか。

もしその頃、日本は安保受薬を廃棄していてアメリカ軍が日本防衛に
当ってくれない状態にあったら、中共の核兵器に対して何をもって
日本は対抗することができるのであろうか。

・・・

【二十五日のことば~諸君頼む! 日本国の運命は諸君の双肩にかかっている】


併し今からでも尚遅くはない。

日本の最弱点に国民が気がついた時、それを是正しようと思うならば、
日本は起ち上がることができるのである。

エマーソンはこういった事がある。

「風によって脆くも弱々しく打ち落とされた団栗の実が、それが隠忍自重して
土に埋まって雌伏しているうちに、それは生気をとりもどして、来春には
若葉が新しく芽を吹き、勢いよくその芽がのびて、
ついに檞(かしわ)の巨樹にまで生長するのだ」と。

日本もこのようにありたいものであるが、日本国民は戦敗によって団栗のように
打ち落されたが、アメリカの援助を得て、土中に長く隠忍自重して真の生気を
恢復することなく、

神武景気、天之岩戸景気、所得倍増、レジャーブームと、
根が深くのびないうちに花が早く咲き過ぎて、周囲には国際的冷戦の寒風が
吹きすさんで、幼弱な伸びすぎの享楽気分でヘナヘナになった日本の伸びすぎの
若芽は将に国際的寒冷の霜にあたって枯れようとしているのである。

これを立ち直らせるのは日本国民、特に青年の力が享楽精神より一転して
逞しき建設精神を勃然と燃え上がらせるほかに道はないのである。

諸君頼む!!

・・・

【二十六日のことば~最初の誘惑に敗れる者は一生を誤ることがある】


最初の愚かなる官能の満足の誘惑の力に抗し得ないで、ヤクザや無頼の
仲間入りをして、官能満足の資金を不正賭博や脅喝によって得ようとする。

こうしてヤクザの団体がうまれて、社会に害毒を流すことになるのである。

「最初は一個の団栗から数千本の檞(かしわ)の大樹の森ができる」

とエマーソンは言ったが、

最初の小さな過ちを慎まなければ、一個の小さな実のように思っていたものが
森のように林のようにひろがって行くのである。

いかなる小悪でも、それを「この位のことは誰だってするんだから・・・・・」
と口実を設けてそれを犯してはならない。

それが習慣となるとき、第二の本性の如くなって、
将来それを直そうとするには非常な努力と忍耐を要することになるのである。

「蚊の翼のような小さな過ちが驚くような大事を惹き起こす」(スコットランドの諺)
ことになりかねないのである。

・・・

【二十七日のことば~あなたの人格は毎日あなたの行為で染めているのである】


小事が大切であるというのは、過ちを犯す方面にも真実であるが、
徳を積む上にも真実な言葉である。

あなたの人格の形成は、毎日積み上げられた日常の想念及び行為の
累積によって形成せられつつあるのである。

あなたの人格は、毎日あなたの想念及び行為の累積によって
染色せられた毛糸を巻いてつくられて行く毬のようなものである。

汚い色に染まった毛糸は、それを脱色するには非常な手数を要するのである。

・・・

【二十八日のことば~あなたも偉大なる天才になれるのである】


すべての物を見るのに、深くその意義を見、充分それを観察して
そこから真理を発掘するような観方をしなければならない。

雷を見て電気を発見し、林檎の落ちるのを見て地球の引力を発見するような
深い観方をしなければならない。

偉大なる天才とはそのような観方をする人である。

すぐれたる魂は一葉の落ちるを見ても宇宙の真理を発見するのである。

このような観方をする習慣を積むとき、
あなたも偉大なる天才になることができるのである。

・・・

【二十九日のことば~忍耐の精神は大事を成す】


小さな忍耐の不足から浅野内匠は赤穂藩をつぶしたのである。
これに反して大いなる忍耐は国を起こすことにもなるのである。

「鳴かずんば鳴くまで待とうほととぎす」の忍耐力をもった家康精神は、
最後に天下をとって三百年続く治世を護り得たのである。

小さな怒りを自由に発露したために織田信長は明智光秀に殺されたのである。

短気は損気であり、忍耐強く雌伏している間に実力を養う者は、
遂に天下を取るような大業を成し遂げ得るのである。

・・・

【三十日のことば~あなたの運命をよくするために】


嘗て東京の東宝劇場が火災を起こして多勢の観客が焼死したことがあった。

それは舞台に火花を演出するために使った懐炉灰の火花が
幕にうつって火を発したのが原因だったということである。

懐炉灰から飛び散った一点のような火がこのような惨事を惹き起こすのである。

三池炭鉱の炭塵爆発事件では数百名の人が死傷し、今尚、爆発の際に生じた
一酸化炭素中毒による脳障害で、正常な体力及び精神力を喚び起こすことが
できずに、何年も入院を続けている人があるということである。

兎も角、火花を散らしたり、爆発したりすることは非常な危険を伴うのである。

これは物質の火花や爆発に喩えたのであるが、諸君が腹立ち易く、
すぐ感情が爆発して火花を散らすような習性があるならば、
毎日、充分神想観を実修して、

「自分に接する人々はみんな神の子であって、自分を愛しているのだから、
何を言われ、何をされても、その奥にある実相の愛を見て、
私は腹立てないで感謝するのである」

と念ずることにして、自分の人格を淘(よな)げるようにするがよい。

・・・

【三十一日のことば~百〇八の“除夜の鐘”の象徴するもの】


愈々今年の終りの日である。

除夜の鐘は百〇八鳴るのである。

これは仏教で謂う「百〇八の煩悩」が尽き終って(撞き終わって)
消えてしまい、尽き終ると共に、煩悩なき清浄(しょうじょう)なる
自分になって新生して元旦の暁を迎えることになるための象徴的行事である。

過去に如何なる悪しく見えることがあったにせよ、
それらが悉く尽き終って消える日が今である。

すべての人々の過ちや侮辱や侵害や、悪口や裏切りやを悉く赦すがよい。

それに対して怒りや憎しみや恨みや不平や嫉妬などの残滓を心に背負って
いては、“百八の煩悩”を尽き終ったことにはならないのである。

では諸君よ、百〇八の除夜の鐘と共に、清浄無垢の”神の子”に新生して、
新しき逞しき輝く新生活を迎えられんことを希望する。

私は諸君に信頼する。




・・・

<関連~「理想世界」法語>

(1)昭和42年7月青年法語 「青年よ悪習慣の鏈(くさり)を断ち切れ」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6956412

(2)昭和42年9月青年法語 「宇宙の神秘を直観して」 
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7069750

(3)昭和42年10月青年法語 「あなたの運命を形成するもの」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7162032

(4)昭和42年11月青年法語 「吾等青年何を為すべきか」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7555739

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