伝統板・第二
ひかりの一日一言28~無限の供給を受ける道 - 伝統
2017/07/01 (Sat) 03:46:15
ひかりの一日一言《1日》
《1日 物質は神の愛の表現》
キリストが或る時、奇跡を行った。
五つのパンを五千人に分けたら食べ飽きて尚籠十二杯に山盛りにパンが残った。
そんな馬鹿らしいことがあるのかと一見思われるのであるが、聖書を注意して読むと、
イエス「一片のカケラも残らないように其のパンの屑を集めよ」
と弟子に指令しているのである。
爰(ここ)に真に無限供給の原理があるのである。
一片のカケラも全て神からの賜(たまもの)なのである。
その賜を尊重する心のあるところに、そのカケラが増殖して、
ついに十二杯の籠に山盛りのパンともなったのである。
神からの賜を尊重しないで、唯単にそれを物質的な塊だと、
軽くあしらっているところに、人間が貧しくなる原因があるのである。
物質はそのまま「神の愛の実現」である。
百丈和尚は一枚の菜の葉が川へ流れて行ったのを駈足で追って行き、
それを拾って「仏物」として押し頂いたと云うことである。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P177) より
・・・
<関連>
(1)伝統板・第二「ひかりの一日一言25~幸福はどうしてくるか 」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7538235
(2)伝統板・第二「ひかりの一日一言26~悦びはどうしてくるか 」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7557795
(3)伝統板・第二「ひかりの一日一言27~智慧はどうしてくるか 」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7575483
<感謝合掌 平成29年7月1日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《2日》 - 伝統
2017/07/02 (Sun) 03:51:33
《2日 生活力欠乏の原因》
「物質は物質に非ず、それは神の愛の具象化である。」
私たちが一片のパンの欠けらをも神の愛として感謝する心になるとき、
私たちは実相の世界にある無限供給の霊的波動に波長を合わすことができ、
必要に応じて、その欲するものを現実の世界に実現して来ることができるのである。
生活力の欠乏 ―― 即ち虚弱や病気 ――それから、経済力の欠乏 ――
すなわち貧乏や物質不足は、私たちが神の愛の具象化に波長を合わさなかったときに、
テレビに放送が映って出ないように、受信力の欠陥としてあらわれて来るのである。
この原理を知らないために、或る種の人は、物質の潤沢を確保するために、
霊的世界に波長を合わすことを忘れて、
逆に貪欲になって、貪り取ろうと云うような気持ちになるのである。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P178) より
<感謝合掌 平成29年7月2日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《3日》 - 伝統
2017/07/03 (Mon) 03:27:32
《3日 天の倉に貯えられた徳》
人の富を、その外形的な数量的な物質や貨幣の量によって
はかってはならないのである。
真理を知ったところの人は、全ての富は物質の量ではなくて、
天の倉に貯えられたる霊的なる「徳」であり、その眼に見えざる「徳」が
必要に応じて物質的な富として形をかえて現象界にあらわれて来るものだ
と云うことを知っているのである。
人間は神の最高の自己実現としてつくられたものであるから、
神が人間を貧しくつくるようなことをしたまう筈はないのである。
神は人間を自己の最高実現として、最高の「徳」を実現することを
目的としていられるのであるから、「徳」を行じ「徳」を実現するとき、
おのずから経済的にも豊かに「其の実相の富」を此の世に実現することが
できるようになっているのである。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P178~179) より
<感謝合掌 平成29年7月3日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《4日》 - 伝統
2017/07/04 (Tue) 04:02:42
《4日 現象の奥にある実相の富》
人生の目的は富を得ることでもなければ、
名声を羸(か)ち得ることでもないのである。
人生の目的は最高の神の自己実現として、
人格を神格にまで高めることである。
現象にあらわれている富を求めることは却って「実相の無限の富」を忘却させて、
自己に与えられている富を縮小することになるのである。
神が与えたまう富は、霊的なものであって、
物質的な富は、ただその影に過ぎないのである。
神は霊であり給う。
それゆえに神は霊の賜(たまもの)を与えたまう。
即ち、愛を与えたまい、智慧を与えたまい、生命(せいめい)を与えたまうのである。
それを感謝し受け且つ働かすとき、波長が合って、
それがテレビの画面に映像があらわれるように、
物質界の富としてあらわれて来るのである。
現象の有限の富だけを握って、
其のために現象の背後にある「実相の富」を見失ってはならない。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P179~180) より
<感謝合掌 平成29年7月4日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《5日》 - 伝統
2017/07/05 (Wed) 04:43:01
《5日 無限の宝庫を開く鍵》
愛行をもって「実相の無限の富」の宝庫の扉をひらくために鍵とせよ。
利己心をもって「現象有限の富」を得ようとするならば、
それは 「有限」を互いに取り分多く分配しようとするのであるから、
其処に必ず無理が出て来て争いや戦いを生ずるのである。
誰がどんなに使っても減らないところの富と云うものが実相世界にはあるのである。
実相の富は無限であるから、其処から幾ら富を引き出して来ても、
其処には尚、無限の富が残っているのである。
徳を積まないで、現象の富のみを積もうと考えてはならない。
背後の「徳」を失っている現象の富は吾々に生活の豊かさと安全とを
保障するように見えながら実は色々の心労を齎(もたら)すのである。
それは権力を保障するように見えながら嫉妬羨望と勢力争いとを生ずる。
それは幸福を保障するように見えながら不幸を招来し、
永遠を約束しながら須臾(しゆゆ)して消えるのである。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P180) より
<感謝合掌 平成29年7月5日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《6日》 - 伝統
2017/07/06 (Thu) 04:21:44
《6日 富は聖なる目的に使うもの》
現象の富は、神の国なる実相の富の現象界への延長であることを
知らなければならない。
それであるからその富は、
ただ貪(むさぼ)って蓄積するだけに使ってはならないし、
浪費するために使ってもならないのである。
それは実相世界の素晴らしさを現象世界にあらわすための
聖なる目的のために使わなければならない。
換言すれば建設的な目的にのみ使わなければならないのである。
ただ蓄積のためのみに使ってはならないし、
ただ消費するためのみに使ってはならないのである。
無論、聖なる目的のために使うためには、
半端な資金ではどうにもならない事であるから、
ある金額に達するまでそれを蓄積したり、共同貯蓄することも必要である。
学校や学生寮を建設したり宗教目的に使われる建物をつくったりするのは、
聖なる目的にかなうもので、建設的な目的に使うことに当たるのである。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P181) より
<感謝合掌 平成29年7月6日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《7日》 - 伝統
2017/07/07 (Fri) 04:47:30
《7日 真の富はエデンの園から》
必要な建設的目的に使うために蓄積されたる富は、実相の投影であるけれども、
未来に起るであろう何か不祥事を予想してたくわえる富は恐怖の投影であるから、
その予想する心が、予想する不幸を呼び寄せることになるのである。
心に予想することが実現すると云うのが心の法則であるから、
不幸を予想してたくわえた富は、将来必ず予想した不幸が来て、
それを消耗してしまうことになるものである。
病気したときの治療費として金を貯える人は、恰度(ちょうど)、入院費用だけが
貯まったときに、本当に病気に罹(かか)って、その貯金を治療費に使ってしまい、
恰度その治療費の貯えがなくなったときに病気が治ったりするのである。
真の富と云うものは、一切のものが其処から生み出されて来る「エデンの園」(龍宮海)
即ち実相界から供給されて来るのであって、常に実相に波長の合う心を持っておれば
必要に応じて、それが現象界の富となって供給されるのである。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P181~182) より
<感謝合掌 平成29年7月7日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《8日》 - 伝統
2017/07/08 (Sat) 04:09:03
《8日 欠乏は心の産物》
すべての欠乏は、自分の心の産物なのである。
自分の心がケチであり、もっと力を出さなければならない時に
力を出すことを吝(おし)んだり、
「実相」に智慧を仰げば、もっとよい智慧があらわれ来るのに、
現象の知恵によって実相の智慧を覆い隠してしまった結果なのである。
その道の専門家の指導で株に投資して一時的に大いに儲けたように見えていても、
それが実相の智慧に導かれた富でない限りは、一朝経済界の破綻が来た際に、
株券がただ1枚の紙片に化してしまうのである。
よろしくもっと全智なる神の智慧の導きに随うべきである。
全智なる神が吾々自身の内に宿っていたまうのである。
よろしく吾等は神想観を内観し、
其処から如何に富を処置すべきかを判断すべきである。
すべての人間の内部には無限の智慧が宿っているのである。
その智慧を引き出す道が神想観である。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P182~183) より
<感謝合掌 平成29年7月8日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《9日》 - 伝統
2017/07/09 (Sun) 04:45:17
《9日 肉の欲望と魂の願望》
人間は自己に忠実でなければならない。
併しその「自己」と云うのは如何なる自己であろうか。
美味なる食物を欲し、美しき服装をし、異性と戯れ遊びたいような
煩悩が本当の自分の「自己」であろうか。
「自己に忠実でなければならない」と云う語(ことば)で多くの人々は
利己的本能に身を投じて、魂の節操を失ってしまったのである。
「自己に忠実であれ」と云う場合の「自己」とは、
肉体の本能的自己のことではないのである。
肉体は、魂が地上に於て仕事をなすための乗物又は作業服として、
その自己修復と自己保存のオートメーション作用としての
食欲や性欲を発動するのであるが、
それらの欲望は飽くまでも「魂」の使命を果さしめるための
基礎工事としての欲望であって、
「魂」そのものの願望ではないのである。
「自己に忠実であれ」と云うのは
「魂」そのものの願望に忠実でなければならないと云うことである。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P183~184) より
<感謝合掌 平成29年7月9日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《10日》 - 伝統
2017/07/10 (Mon) 04:04:44
《10日 肉体の自我と魂の自我》
「霊肉の闘い」と言う語句があるが、その語句のなかにはハッキリと魂の要求と、
肉体の本能とが別であると云う直観が含まれているのである。
肉体の本能的自我を「低き自我」と云う語(ことば)であらわせば、
魂の自我は「より高き自我」又は「高次の自我」とでも言い表すべきものである。
吾らは「高き自我」に対して忠実でなければならないのである。
若し私たちが「高次の自我」に忠実ならんことを欲(おも)うならば、
「肉体の自我」の要求をしばらく退けて、ひたすら「魂の自我」の囁きに
心の耳を傾ける修練をしなければならない。
多くの宗教教祖が、(釈尊やイエスをも含めて)断食や水行を行って、
肉体的自我の要求たる食欲や色欲や所有欲や名誉欲や睡眠欲すらも退けて、
「魂の自我」の要求に耳を傾ける修行を積まれたことは伝記の記述するところである。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P184) より
<感謝合掌 平成29年7月10日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《11日》 - 伝統
2017/07/11 (Tue) 04:32:05
《11日 内に宿る霊(たましい)の叫び》
肉体は個々別々の存在であり、自他分離の存在であるが、
霊(たましい)から言えば、「個人の霊」は神なる「普遍霊」の
一部が人間に宿っているのである。
だから自己の「内に宿る霊(たましい)」の叫びに耳傾けると云うことは、
同時に「普遍霊」の導きに対して耳傾けると云うことにもなるのである。
それから無限の智慧の導きが湧き出てくるのである。
この「内部の霊(れい)」の呼び掛けが私たちの道徳生活に対して
あらわれて来る場合には、これを「良心の叫び」と言い、
日常生活での導きや、発明発見等の場合の導きとしてあらわれて来る場合には、
これを直観とか直覚とは呼びのである。
それは普遍霊の導きが、普遍霊の分霊なる
「霊(たましい)の自我」を通してあらわれて来るのである。
私たちがこの「霊(たましい)の自我」の導きに心の耳を傾け、
その導きの通りに実践するならば、
現実生活が健康と愛と繁栄とを実現せる
「実相そのまま」の天国となるのである。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P185) より
<感謝合掌 平成29年7月11日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《12日》 - 伝統
2017/07/12 (Wed) 03:09:30
《12日 豊かさがもたらす思念》
一時的な快感や一時的の豊富さは人間的工夫によって操作して
得られることがあるけれども、永遠の魂の悦びや、永遠の豊かなる流れは
人間的工夫によっては得られぬものである。
自己の魂の底にある霊を通して神につながる事によってのみ、
私達は永遠の魂の悦びと供給の豊かなる流れを受けることができるのである。
私たちは何としても、現象だけに頼らず、この内なる霊の鍵を通して
無限の供給の流れと結びつかなければならないのである。
外のものに頼るよりも「内なる鍵」を通して無限の宝庫の扉をひらくのである。
私たちの内には霊感とも云うべき内部の能力が宿っており、
その燈火(ともしび)が私たちを導いて下さるのである。
「わが魂の底の底なる神よ。無限の力わき出でよ」
暇あるごとに常にこの言葉を黙念して、内部の無限の力より汲むべきである。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P185~186) より
<感謝合掌 平成29年7月12日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《13日》 - 伝統
2017/07/13 (Thu) 04:08:46
《13日 事業好転の思念》
どんなに神に祈っても、問題が解決しない事があるならば、
それはあなたが其の問題をつかみ過ぎているからである。
祈りは既に成就して、それは現実化しようとして其の途上にあるのだけど、
あなたが余りに問題を心でつかみ過ぎているために、
その現実化の通路がふさがれているだけである。
そんなときには、あなたの心をその問題から完全に放してしまうのがよいのである。
「この問題を神様あなたにおまかせします。
わが意を成さんとするには非ず、神のみ心のままにならしめ給え」
と祈ることによって、自己解放をとげ、自分の心を自由にするのがよいのである。
「祈り」と云うものも、執着をもって遮二無二祈るときには、
自己の祈りの念力によって何物かを成就しようと自力的に力むことによって
却って其の祈りの成就を妨げるのである。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P186~187) より
<感謝合掌 平成29年7月13日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《14日》 - 伝統
2017/07/14 (Fri) 03:21:59
《14日 繁栄をもたらす夜の思念》
「今日(こんにち)一日の仕事を神の智慧によって導き給え」
毎朝ささげられるこの祈りは、其の日の最初から自分のなすべき仕事を
神にあづけて、自己解放を遂げるために適当な祈りである。
そしてその祈りにつづいて
「神はわが内に宿り給うて、
今日(こんにち)わが為すべき事を教えたまうのである」
とその祈り成就の黙念をするのである。
そして仕事に出かけて、夜眠るとき又は、夜の神想観の時に、
「今日(きょう)一日の仕事を神の智慧によって導きたまうて
有りがとうございます。今夜の眠りをやすらかに護りたまいて、
明日(あす)また神の仕事をさせて頂く力を内に恢復せしめ給え」
と祈ってから眠るのである。
この祈りを続けるとき、自分で力むことがなくなり、
神から智慧と力とが流れ入る心のパイプが開放される結果、
事業も順調に行くようになるのである。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P187) より
<感謝合掌 平成29年7月14日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《15日》 - 伝統
2017/07/15 (Sat) 04:00:18
《15日 毎日必ず何かを貢献する》
あなたが生きていると云うことは、神がそして此の世界が、
そして人類が、あなたの貢献を何事か希望している証拠である。
随(したが)ってあなたの方から言えば、あなたが生きている限りは、
神に対して、そして此の世界に対して、人類に対して
何かを貢献しなければならないのである。
あなたが何事かをするとき、この仕事は神のため、世界のため、人類のため、
と思って、「この仕事をさせて頂きます事を感謝致します」と念じてすれば
疲れることも少なく、生き甲斐が感じられ、精神も身体(からだ)も
一層すこやかになるのである。
実際、人間は実相に於ては、神と一体であり、全人類と一体であり、
その実相から無限の力が流れ入って来るのであるけれども、力が不足するのは、
その一体なる実相を自覚せず、自分だけで事を運ぼうとするからである。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P188) より
<感謝合掌 平成29年7月15日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《16日》 - 伝統
2017/07/16 (Sun) 04:41:20
《16日 “ I am” の特権》
あなたは素晴らしい特権を持っているのである。
それはあなたの内に「I am」(私は…である)が宿っているからである。
あなたは「私は……である」と念ずる処のものになるのである。
「私は病気である」と念じたら、あなたは病気となる事も出来るし、
「私は神の子で健康である」と命じたら、健康になることもできるのである。
あなたは此の特権を愚かなことを実現するためにつかってはならないのである。
この特権を利用して、「私は神と一体である」と常に念じて、
「神と一体である」ところの実相を日常生活に実現するようにしたいものである。
神との一体感が深まれば、何を為すにも恐怖感が無くなり、自信力が湧いて来、
時と処と人とに応じて適当な智慧が湧いて来て、失敗することがなくなるのである。
(トロワード著、田中忠雄訳『聖書の神秘を開く』日本教文社刊参照)
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P188~189) より
<感謝合掌 平成29年7月16日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《17日》 - 伝統
2017/07/17 (Mon) 03:45:46
《17日 時期の熟するのを待つ》
急いではならない。
急ぐ心は老衰をはやめ、血圧を高くし、死期を早めるばかりである。
物には時期の熟する機があるのである。
物事が熟しないうちにもぎ取ろうと思ってはならない。
熟しないうちにもぎ取った果物は、酸っぱいか、苦いか、渋いかして、
衛生にもよくないのである。
熟しないうちに物事を成就しようと思ったならば、
屹度無理が出来て自分か誰かが傷つくのである。
十字路で「赤」の信号が出ているならば、
「青」の信号が出るまで待っていることが必要である。
「赤」は停止の符標であるから、どんなに急いでいても停止符標が
出ている限りは停止していなければ却って危険を招くのである。
時期の熟するのを待ちなさい。
今は停止符標が出ていてもやがては必ず、
行進符標の「青」が出て来る時が来ます。
その時には機会を失わぬように行進なさい。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P189~190) より
<感謝合掌 平成29年7月17日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《18日》 - 伝統
2017/07/18 (Tue) 03:36:57
《18日 物質文明における見せかけの幸福》
物質文明が発達して来るにつれて、人間は幸福になるかと思うと、
だんだん人間は噪音(そうおん)になやまされることになった。
飛行機が発達して速力は迅(はや)くなってきたけれども、噪音は愈々はげしい。
最早、防音設備のない部屋では、静かなる録音が出来ないようになっている。
では音速以上の飛行機にのってでも旅行したら、
音を彼方へのこして置いて走るから噪音は聞こえないかと云うと、
音の壁を破る時の飛行のショックが大変なものであるし、
他の飛行機からの噪音も聞こえてくるし、自分の起こした噪音は
目的地に達して若干時の後に追いかけて来るから噪音を逃れる道はない。
原水爆は論(い)うに及ばず、物質文明は今や人間に幸福と見せかけて
不幸を与えようとしつつある。
若しこの文明を霊的に導きによって調節することがなかったら
人類は破滅に近づきつつあるのである。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P190) より
<感謝合掌 平成29年7月18日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《19日》 - 伝統
2017/07/19 (Wed) 04:12:54
《19日 素晴らしいアイディア》
神が人間に導きを伝える方法には色々の方法ある。
先ず「神格の内流」そして其の人自身が恰も考えるが如く、
そのままの状態でスラスラと善き言葉や、よき考えが思い浮かんで来るのである。
そこに何ら不自然な状態はないのに、その湧き出て来た言葉やアイディアが、
「人間たる自分では迚(とて)も考えられないような」
高さと格調とをそなえた妙想であるのに驚くのである。
下腹から沫が込み上げて来るように声がこみ上げて来て
奇想天外な事を話す場合がある。
これは明らかに憑霊(ひょうれい)現象であり、憑霊が喋るのであるから
二重人格にあらわれるのであって、これを天言通とも言う。
その憑霊の高さ低さによって宇宙の大神の神意を伝えるための
高級霊の言葉であることもあれば、人間を弄(もてあそ)んで
愚弄(ぐろう)することを悦ぶ低級な動物霊であることもある。
こう云う霊示は常識で判断して審神(さにわ)しなければならない。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P191) より
<感謝合掌 平成29年7月19日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《20日》 - 伝統
2017/07/20 (Thu) 03:22:49
《20日 災いをまぬかれる神示》
神示は必ずしも「言語(げんご)」と云う方法によってのみ伝えられるものではなく、
自然に或る行為を止’や)めたり、しなければならないように、事件が進展して来て、
自分の行動が支配されると云うこともある。
たとえば、いつも朝寝したことのない人が、その日に限って朝寝をしてしまって、
いつも利用していた省線電車の時間に間に合わないので、やむを得ず他の乗物を利用して出勤
したら、あの乗り遅れた省線電車は衝突して出火し、乗客の殆んど全部が死傷したと云う事件や、
その日、木星号飛行機に乗って大阪へ行く筈になっていたのに、
ある事情の突発で木星号にのれなくなって、飛行機の座席券が無駄になったが、
あとから考えて見ると、木星号に乗れないのが幸いだったという話もある。
木星号は運転をあやまって三原山に激突して粉砕し、乗客全員は死亡してしまった。
この朝寝や突発の事情が神示である。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P191~192) より
<感謝合掌 平成29年7月20日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《21日》 - 伝統
2017/07/21 (Fri) 04:00:11
《21日 夢による視覚的霊示》
時として夢などで未来のことを見せられることがある。
それは概ね霊示が多いのである。
旧約聖書の最後に収録されてあるダニエル書のある預言の如きは、
ダニエルにあらわれたる夢による霊示であって、しかもその預言は歴史に照らし
合わしてみるとき、悉く完全に実現していると謂われている。
祈りや精神統一の行事の時にあらわれる視覚的な霊示もある。
「黙示録」に記されているヨハネの見た異象(まぼろし)の如きはそれであって
多くは象徴的な図形をもってあらわれて来るが、何を象徴した図形であるのか、
その解釈は人間知の及ばないところであって、
それが歴史的順序を持ってあらわれて来たときに、成る程、この異象(まぼろし)に
あらわれた図形は、この事件の象徴として預言されていたものであって、既に霊界には
この事件の原型が存在していたものだと云うことが頷(うなず)けるのである。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P192~193) より
<感謝合掌 平成29年7月21日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《22日》 - 伝統
2017/07/22 (Sat) 04:11:56
《22日 預言よりも常識と良心で》
預言はそれによって巨利を得るためのものでも、
危険をまぬがれるためのものでもないのである。
若し「汝は地震によって圧死する」と云う預言が出たとして、
どんな地震にも耐えられる鉄筋コンクリートの大いなる箱をつくって
其の中に生活して圧死をまぬがれたとしたならば、
「圧死する」と云う預言は実現しなかったと云うことになる。
すなわち、預言によって預言された事項から免れることができるならば、
その預言はあたらない預言だと云う「矛盾したもの」になるのである。
だから預言を当てにして、吉凶(きっきょう)禍福(かふく)の判断によって
自己の行動を定めようなどとは考えずに、常識と良心とによって行動することが、
人間として最も健全な生活であると云うことである。
誰でも何が善であるか、何が悪であるかは常識と良心とでわかるのである。
他(た)を侵(おか)してはならない。
殺生してはならない。
真剣に愛を行じなければならない・・・等々。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P193~194) より
<感謝合掌 平成29年7月22日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《23日》 - 伝統
2017/07/23 (Sun) 03:46:18
《23日 運命のプラス・マイナス》
毎日わたしたちは。自分の運命を自分で造りつつあるのである。
自分の生活にプラスをつけ加えるか、将(はた)またマイナスをつけ加えるか
と云うことによって自分自身の未来の運命を自己決定しつつあるのである。
人のためのなることを行えば、自分の運命にプラスを加えたのである。
人のためにならぬことを行えば、自分の運命にマイナスを加えたのである。
このような行動によるプラス・マイナスのほかに、
自分の心の明るさ暗さによって運命を左右するプラス・マイナスがあるのである。
常に「明るい心」をもっておれば、「類をもって集る」と云う心の法則にしたがって、
「明るい運命」が自分に集まって来るし、
常に「暗い心」を持ちつづけておれば、「暗い運命」が自分に集まって来るのである。
常に私たちは「過去の成績」(業)の中から立上りつつあるのである。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P194) より
<感謝合掌 平成29年7月23日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《24日》 - 伝統
2017/07/24 (Mon) 04:16:48
《24日 幸福への精神的導火線》
あなたの受くべき運命を「最高」のものとして想像せよ。
而してその「最高なるもの」が自己に近づきつつあると信ぜよ。
毎日毎日自分は一層幸福になり、一層健康になり、
一層繁栄に向かいつつあるのだと信ぜよ。
この明るい精神の根本的態度が
あなたを今よりもいっそう幸福に健康に繁栄に導く、
精神的導火線を築くことになるのである。
毎日毎日神の最高の智慧が自分を導くのであると信ぜよ、
かく信ずることによってあなたの精神は一層多く神の智慧に波長が合い、
神の智慧を一層完全に受信することができるのである。
神と自己との分離を想像してはならない。
つねに神とつながり、神に護られている自覚を持っていなければならない。
自分自身を自分の想念によって自己縮小してはならない。
常に「自分は神の子である」と云うことを黙念して自覚を強め、
もって、自己強化をはかるべきである。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P195) より
<感謝合掌 平成29年7月24日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《25日》 - 伝統
2017/07/25 (Tue) 04:18:43
《25日 今ある恵みに感謝する》
既に求むるものを受けたりと云う信念から衷心(ちゅうしん)からの
情熱的な感謝をするならば、奇跡的にその求るものを得ることができるものである。
「実際に求むるものがまだ現実にあらわれて来ていないのに感謝出来ません」
と言う人が往々にしてあるけれども、これは大変間違った考え方なのである。
先ず、既に与えられている無数の恵みについて感謝せよ。
空気、日光、住宅、衣類、家族、食物、健康等既になくてはならぬ
多くのものを与えられているのであってその事実に対して感謝せよ。
病人は、「まだ健康を与えられていないのに感謝なんど出来ません」と
言うかも知れないけれども、全身病の人は殆どないのである。
肺臓が悪くてもたぶん眼は見えるし、耳は聞こえるであろう。
手足も動くであろう。
たとい盲人であっても食物はたべられるであろう。
感謝すべき点をさがしたら無数にあるのである。
感謝すべき点を探し出して感謝せよ。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P195~196) より
<感謝合掌 平成29年7月25日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《26日》 - 伝統
2017/07/26 (Wed) 03:56:05
《26日 神に、家族同僚等に感謝する》
身辺の全てのものに感謝すると共にそれらの恵みを与えたまうた神に対して感謝せよ。
「ああ神の造りたまいし此の世界の妙なるかな!
無限の智慧に充たされてあるかな!
無限の愛に充たされてあるかな!
無限の生命に充たされてあるかな!
無限の供給に充たされてあるかな!
無限の調和に充たされてあるかな! 」
と讃嘆の神想観を行うときには神に対して
最大の感謝を捧げていることになっているのである。
また暇がある毎に
「神さま、有りがとうございます」
と感謝の言葉を黙念するのもよい。
神に感謝したならば次に気分の家族、勤め先の先輩同僚
その他のメンバー等にも感謝すべきである。
感謝を黙念するだけではなく、言葉にあらわし態度にあらわすときは
周囲と一層調和してよい結果が得られるのである。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P196~197) より
<感謝合掌 平成29年7月26日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《27日》 - 伝統
2017/07/27 (Thu) 04:19:14
《27日 自己の魂と肉体に感謝する》
神に感謝し、神の恵み給うた一切の事物に感謝し、
周囲のすべての人々に感謝しているけれども、
まだその人に感謝することをわすれがちである一人がある。
その一人は「自分自身」である。
「自分自身」の魂は神の子として此処に神から与えられた使命遂行に
尊き努力を捧げつつあるのである。
此の「自分自身」の魂に感謝を捧げないのは片手落ちである。
更にその「自分自身」の魂が乗り物として使命遂行の用途に使いつつある
「自分自身」の肉体に対して感謝しないのも片手落ちである。
例えば
「○○○○の魂よ、肉体よ、(○○は自分の姓名を唱える)いつも神から
与えられた尊き使命を忠実に遂行して下さってありがとうございます。」
と心で唱え、又は低声(こごえ)唱えるならば、
自分自身の魂も肉体も尊く使命遂行を自覚して、
堕落することもなく、不健康に陥ることもなくなるのである。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P197~198) より
<感謝合掌 平成29年7月27日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《28日》 - 伝統
2017/07/28 (Fri) 03:12:13
《28日 ニセモノは本来ナイ》
あなた自身を神の創給(つく)りたまうた
其の儘の完全な相(すがた)であるとみとめましょう。
創世記には「神その造りたる全てのものを見給いけるに甚(はなは)だ善かりき」
と書かれているのである。
神の創造(そうぞう)せられた一切のものは
「甚だよし」即ち完全円満であって悪いものは本来無いのである。
悪いものは本来無い以上、悪なる病気や貧乏や戦争などは存在しないのである。
これが事物の実相である。
実相は実のスガタであって、実のスガタ以外のものはニセモノだ。
ニセモノは実のスガタの如く「見せかけ」ているだけであるから
アルかの如く見えても本来《無い》のである。
ではナイものが何故《アル》かと如くあらわれているかと言えば、
それは三界唯心であって、心のあらわす所であるのである。
心で病気をつかんでいる間は病気は消えないし、
ソ連とアメリカとが心で戦争をつかんで準備している間は
戦争の危険は消えないのである。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P198) より
<感謝合掌 平成29年7月28日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《29日》 - 伝統
2017/07/29 (Sat) 04:09:51
《29日 平和を祈るための言葉》
「われは神と一体である。われのみならず全人類は神と一体である。
それゆえに全人類は神に於て完全に平和であり、争いの心はないのである。
神は全人類の父でありたまい、すべての民族を平和に護りたまうのである。
或る民族が他の民族の領土を侵さなければ、
その民族が幸福になれないなどと云うことはないのである。
この真理をさとるとき、世界に平和は来(く)るのである。
われは全人類にこの真理を放送するのである。
全人類はこの真理の念送を今受信しつつあるのである。
トランプ氏もウラジミール・プーチン氏も習近平氏もキム・ジョンウン氏も
安倍晋三氏も、世界各国の指導者も、
すべての人類がこの真理をさとりつつあるのである。
神の愛がすべての人類に降りそそがれ、神の平和が地上にあまねく臨む。
すでにみこころは天になるが如く地にも実現したのである。
今より後(のち)、人類に戦いがあることなく、悲しみあることなく、
地の万民は天の父を仰ぎみて讃歎するのである。」
(*各国首脳の名前を現在に合わせて原文から変更しています)
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P198~199) より
<感謝合掌 平成29年7月29日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《30日》 - 伝統
2017/07/30 (Sun) 03:42:11
《30日 精神の同志を結集しよう》
私たち真理の使徒は、大衆が心につかんでいるところの
「悪」をありとして雷同的にみとめてならない。
大衆が心につかんでいるものが如何なるものであるかを知ることは、
医者が患者に対して聴診器を当てるように現状把握として
一応それを病気の兆候としてみとめねばならない。
人類の争闘精神の具象化現象として世界は戦争の危機に近づきつつある ――
と云うのは、現象の事実を聴診して所在を明らかにし、
その争闘精神を中和するために吾らが総力を結集すべき必要が
どれほどあるかを明らかにするためには現状把握をせねばならぬ。
しかし戦争の危機を、それが実現するまでに
精神の世界から抑制するのは宗教人のつとめである。
三界は唯心の現れであるから、若し、戦争を惹き起す闘争精神の量より
戦争を抑制する精神的力の結集が足りなければ、戦争の仮相的顕現を抑制することが
できないことになるから吾らは多くの同志を得たいのである。
されば現状の危機を把握した後(のち)は心を清めて
「平和を祈るための言葉」にあるが如く祈りましょう。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P199~200) より
<感謝合掌 平成29年7月30日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《31日》 - 伝統
2017/07/31 (Mon) 03:31:01
《31日 「今」を祝福しよう》
あなたは今日(きょう)より決して取越苦労も、
持越苦労もしないように決意したのである。
あなたは全力を“今”に集中して心を動揺せしめることは決してないのである。
また起こらないところの不幸を、「多分起こるかも知れぬ」と
取越苦労をしてみても何の甲斐もないことである。
恐怖のうちに心に描いた状態は最も現実し易いのであるから、
恐怖し取越苦労することは決してあなたの運命を好転せしめる原因とはならないのである。
だから、あなたは「今」あなたの働きの中に、
神が働きていたまうことをみなければならないのである。
あなたは「今」を祝福すべきである。
過去はそれが如何に良かったにせよ。
また如何に悪かったにせよ、
それは何らかの体験をプラスにして過ぎ去ったのである。
だからそれを歎くことは不合理であり、ただ感謝して別れればよいのである。
谷口雅春著『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P200~201) より
<感謝合掌 平成29年7月31日 頓首再拝>
<参考Web>
(1)ひかりの一日一言①
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6455552
(2)ひかりの一日一言②
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6479787
(3)ひかりの一日一言③
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6505650
(4)ひかりの一日一言④
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6527684
(5)ひかりの一日一言⑤
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6558249
(6)ひかりの一日一言⑥
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6584563
(7)ひかりの一日一言⑦
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6618774
(8)ひかりの一日一言⑧
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6651661
(9)ひかりの一日一言⑨
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6681257
(10)ひかりの一日一言⑩
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6711243
(11)ひかりの一日一言⑪
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6745089
(12)ひかりの一日一言⑫
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6778844
<以下は、「幸福を招く365章」より」>
(13)ひかりの一日一言⑬~幸・不幸の岐れ道
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6818439
(14)ひかりの一日一言⑭~意識を高く昇らせよ
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6866429
(15)ひかりの一日一言⑮~理想を高く掲げよ
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6898754
(16)ひかりの一日一言⑯~心霊への目覚め
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6929870
(17)ひかりの一日一言⑰~健康への招待
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6962847
(18)ひかりの一日一言⑱~寿福への招待
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6990572
(19)ひかりの一日一言⑲~愛を人生に処方して
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7021791
(20)ひかりの一日一言⑳~祈りを生活に処方して
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7058416
(21)ひかりの一日一言21~あなたも神癒が受けられる
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7097406
(22)ひかりの一日一言22~光に向う我が運命
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7149847
(23)ひかりの一日一言23~正しき想念の使い方
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7190605
(24)ひかりの一日一言24~われ肉体以上のもの
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7274701
<以下は、「生活の智慧365章」より」>
(25)ひかりの一日一言25~幸福はどうしてくるか
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7538235
(26)ひかりの一日一言26~悦びはどうしてくるか
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7557795
(27)ひかりの一日一言27~智慧はどうしてくるか
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7575483
光明日訓(平成28年版)
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7538248