伝統板・第二
大祓 - 夕刻版
2017/06/26 (Mon) 19:55:36
今週の金曜日(30日)は【夏越祓(なごしのはらえ)】
この半年間のけがれを祓い、夏以降の疫病除けを祈願する行事。
生きていれば、いろいろな過ちを犯してしまいます。
また、多くの命を頂いて、生きる糧にしているのも事実です。
古来から、今年の命に対する感謝と、年越しまでの「見えない力」
を宿すための、日本伝統の大切な儀式です。
この機会に、お近くの神社にお参りすることをお勧めいたします。
大きな神社には、大きな茅の輪ができ、参拝者を迎えようとしています。
茅の輪では、和歌を口ずさみながら、くぐります。
(ただし、神社によっては、異なるようです)
第一回目の歌
『思うこと皆つきねとて麻の葉を きりにきりても祓ひつるかな』
(水無月(6月)の晦日(みそか)に私の悩みが皆無くなってしまえと
麻の葉を細かく切って御祓いをする。)
第二回目の歌
『水無月の夏越の祓する人は、千歳(ちとせ)の命延(の)ぶというなり』
(水無月(6月)の夏越の祓いを受ける人は、延命効果があるといわれている。)
第三回目の歌
『宮川の清き流に禊せば 祈れる事の叶はぬはなし』
(御神域に流れる清い川で穢れを落とせば、祈り願う心は天に通じるということである。)
改めて、「命」について考えることができる夏越の大祓いは、
日本人にとって、とても貴重な文化です。
<参考Web:茅輪神事の由来
→ http://www.shinmeisya.or.jp/html/tinowa01.html >
・・・
<参考Web>
(1)本流掲示板「【夏越祓】 (3083)」
→ http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=606
(2)光明掲示板・第一「”「大祓」” (5150)」
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=973
(3)光明掲示板・第一「夏越の大祓い (9549)」
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1812
(4)光明掲示板・第二「年越の祓」 (4126)
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=860
(5)谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐
「禊祓祝詞講義」 『大祓祝詞の私解』
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=48
(6)伝統板・第二「夏越祓」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6525486
(7)伝統板・第二「年越の祓え」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7148313
<感謝合掌 平成29年6月26日 頓首再拝>
Web:谷口雅春先生の「生命の實相」を学ぶ からの紹介 - 伝統
2017/06/27 (Tue) 18:35:05
(1)「タチハナの音」で宇宙を浄める使命
日本民族の宇宙的使命について
――開祖・谷口雅春先生「古事記講義」の真実
→ http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/19722230.html
(2)禊祓祝詞(みそぎはらいのりと)講義 ①
→ http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/19722317.html
(3)禊祓祝詞(みそぎはらいのりと)講義 ②
→ http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/19722413.html
(4)禊祓祝詞(みそぎはらいのりと)講義 ③
→ http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/19722492.html
(5)禊祓祝詞(みそぎはらいのりと)講義 ④ (最終回)
→ http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/19722629.html
<感謝合掌 平成29年6月27日 頓首再拝>
今こそ、禊ぎ祓いの時である! - 伝統
2017/06/28 (Wed) 20:13:01
*Web:みすまるの珠 より
(http://misumaru.o.oo7.jp/kinkyoframe1.html)
~岡 正章(おか・まさあき)
(1)67 「天津神国津神八百萬の神等共に天斑駒の耳振立てて聞召せ」
(2)68 今こそ、禊ぎ祓いの時である!
69 今こそ、禊ぎ祓いの時である!(2)
70 今こそ、禊ぎ祓いの時である!(3)
71 今こそ、禊ぎ祓いの時である!(4)
72 今こそ、禊ぎ祓いの時である!(5)
(3)73 禊祓と、住吉大神宇宙浄化の祈りについて(1)
74 禊祓と、住吉大神宇宙浄化の祈りについて(2)
75 禊祓と、住吉大神宇宙浄化の祈りについて(3)
76 禊祓と、住吉大神宇宙浄化の祈りについて(4)
77 禊祓と、住吉大神宇宙浄化の祈りについて(5)
78 禊祓と、住吉大神宇宙浄化の祈りについて(6)
79 禊祓と、住吉大神宇宙浄化の祈りについて(7)
<感謝合掌 平成29年6月28日 頓首再拝>
夏越の大祓を前に―――大祓で祓われる罪とは? - 伝統
2017/06/29 (Thu) 18:48:38
*Web:朝日神社(.facebook~2012年6月25日 )より
大祓において、罪と穢を祓うのですが、この文字が持つイメージが
皆さんに誤解を与えているのではないでしょうか。
罪とは法に定められているもので、罰をもって報いるのが現代の常識です。
「罪」という漢字は説文解字において「魚を捕うる竹の網」、「网」(魚を取るアミ)と
「非」との合わせ字であり、
「罪」という字の下部にある「非」は、羽が互いに背きあっている形であり
「罪」は、人の道に背くような悪いことをしたために、世の中に張りめぐらされた
法律のアミにひっかかった人のことを示すという意味であると捉えることができます。
では、大祓で祓う罪とは、この法にかかわる罪のことを表すのでしょうか?
これについて日本ではじめて律(刑罰法)と令(行政法)を併せて制定した
「大宝律令(701年)」を基に考えてみたいと思います。
ちなみに大宝律令は現存しておりませんが、大宝律令の内容を養老律令(757年)が
踏襲しており、養老律令に対する公的注釈書「令義解」が現存しているため
ひも解くことが可能です。
当時の日本は、大国(唐)と対等な関係を築くために中央集権化による
国力強化を急いでおりました。大宝律令という法律が作られたことで、
中央集権体制が整ったとみることができます。
対外的には
「日本にだっておたくのような律と令を明文化した法律がある中央集権国家なんだよ」
ということを示したのです。
律12篇約500条、令30篇約954条からなる大宝律令は後の養老律令に
引き継がれるほどの完成度でありました。
この大宝律令の令(行政法)の中にある「神祇令」に大祓が定められており、
また奈良時代には朱雀門の前に天皇以下、文武百官が集り国の安寧を願って、
国家の祭祀として行われておりました。
一方で、律(刑罰法)には「名例律」において罪の種目を明らかにしておりますが、
その冒頭においては天皇・国家・神社・尊属に対して以下の犯罪を行ったものは
八虐とするとあり、
(1)謀反(2)謀大逆(3)謀叛(4)悪逆
(5)不道(6)大不敬(7)不考(8)不義という名前が罪についております。
この六番目に記されている「大不敬」とは、大社を壊したり、神宝・祭具を盗んだり、
勅使に反抗したりする罪のことです。
八虐には刑の減免を認めず、八虐の刑は国家的犯罪であり
おおむね死(斬)を用いると記されており、大罪と考えられていたことがわかります。
このように、令では大祓(「罪A」を祓うこと)を定めつつ、
律において刑罰対象の「罪B」を定めております。
この「罪A」と「罪B」が仮にイコールで結ばれるのであれば、
八虐の刑の身も大祓で祓うことができることになりますので、
それぞれの「罪」が別の解釈であったと考えるほうが自然です。
故にあくまでも律令の時代においては、律で定められた、
つまりは法律で定められた罪は大祓によっては祓われないという解釈ができると思います。
では、ここでいう「罪A」とは何か?
律令に定めの無い罪ですので、
律令前の時代から引き継いでいる罪の観念ではないでしょうか。
律令前の罪の観念を知るには、遠回りして一度時代を下って説明する必要があります。
905年醍醐天皇の命により藤原時平らが編纂をはじめ、時平の死後は藤原忠平が引き継ぎ
927年に完成し、その後改訂が加えられ967年に施行された「延喜式」という
律令の施行細則があります。
律令をより細かに定めているものであり、奈良時代以前より宣まれている祝詞も
この延喜式に掲載され「延喜式祝詞」と言われております。
この延喜式祝詞の中に「六月晦大祓(十二月は此にした准へ)」があります。
現代では詠まれていない古代の大祓祝詞です。
この祝詞の中に「罪とは」と述べた箇所がありますので以下に抜粋します。
-成り出でむ天之益人等が、過ち犯しけむ雑雑の罪事は、天津罪と、
畔放・溝埋・樋放・頻蒔・串刺・生剥・逆剥・屎戸、許許太久の罪を
天津罪と法り別けて、
国津罪とは、生膚断・死膚断・白人・胡久美・己が母犯せる罪・己が子犯せる罪・
母と子と犯せる罪・子と母と犯せる罪・畜犯せる罪・昆虫の災・高津神の災・
高津鳥の災・畜倒し、蠱物為る罪、許許太久の罪出でむ-
結論からいうと、これが律令以前の罪の観念であり、大祓で祓われる罪です。
天津罪(あまつつみ)として畔放(あなはち)・溝埋(みぞうみ)など書かれた
八種の罪は、農耕や祭祀を妨害するという、共同体に対しての罪と考えられます。
国津罪(くにつつみ)として生膚断(いきはだたち)・昆虫の災(はうむしのわざわひ)
などの十四種の罪は、古代の人々にとっての個人的な罪や、罪によって共同体に
災いをおこすと考えられています。
昔の人々は稲作を中心に共同体を作っておりました。
稲作は1人ではできず、様々な作業を共同体の中の人々が一致団結して行ってきたのです。
そして共同体ごとで神を祀り、
共同体のための祈願(つまりは天災や雨乞い、豊作や子授けですが)を
誰ひとり欠けることなく行うことがシキタリでした。
誰かが欠けたり、怠けたりすることで農耕や祭祀はうまくいかず、
災いが起こると考えていたのです。
ここでいうシキタリは共同体の法であり、邪魔したり怠けたりすることは罪です。
つまり大祓の罪とは、共同体のためにしてはならず、慎まなければならないことを指します。
折口信夫は「ツミ」という言葉は「ツツミ」を短くした言葉で、
それは「慎み」という語と関係していると説いております。
その根拠はなくとも何故かすんなり頷けてしまいます。
現代において、この慎む「ツミ」とは
共同体いわゆる社会に対して慎むべき言動や行動一般を指し、
それは妬み・嫉み・いじめ・暴言・嘲笑・怠慢といった
日々なにげなくしてしまったことを指すように思います。
この行為に対し反省し、自らの中に凝り固まった後悔の念を祓い再び慎むことを
決意することが、大祓における罪を祓い清らかになることなのではないでしょうか。
最後に、法律的な罪を犯した人が祓われることができるか、
ということについて述べて終わりたいと思います。
被害者側の立場として考えれば決して安易に祓われていけない罪です。
刑に服したからといって、罪は祓われるものではありません。
しかしながら、祓われる救いがないわけでもありません。
その論拠は、「古事記」の中にあります。
神々の中で一番最初に罪を起こしたのは、須佐之男命です。
須佐之男命は天上で悪行を繰り返した結果、遂には機織女を死なせてしまいました。
この悪行に悲しまれ天照大御神様が御隠れになったのが天岩戸神話です。
無事に天照大御神様が岩戸よりお戻りになられたその後、
須佐之男命の罪はどうなったのでしょう。
須佐之男命は、八百万の神々から糾弾され、贖罪の品を山のように科され、
髭をそられ、すべての爪をはがされ、高天原から追放されました。
これは「刑に服した」と考えられます。
その後、須佐之男命は地上に降り、テナヅチ・アシナヅチと会い、
クシナダヒメを救うためにヤマタノオロチを退治するのです。
これは「更生して、他人を救うこと」と考えられます。
これにより須佐之男命は人々に大切にされ、
いまでも全国の神社で祀られる神様となったのです。
須佐之男命の罪は、「刑に服し贖罪し、更生して他人を救うこと」で
祓われたことになります。
断っておきますが、須佐之男命は元々が天照大御神の弟神であり、
天上においても非常に貴い神だからこそ、ヤマタノオロチを退治するという機会を
与えられたのであり、人間がそう易々と人を救う機会を与えられるわけではありません。
常に他人を慮り、自らを役立てる機会を探し続けなければなりません。
長い贖罪の旅であると思います。
しかしながら、その旅路の先には罪の祓われる日が必ず訪れます。
再び悪行に染まるという安易な道を取らず、須佐之男命のお示し戴いた導きに従い、
自らの罪を祓う善行に務めていただきたいと思います。
(https://www.facebook.com/RoppongiAsahiJinja/posts/325565700864969)
<感謝合掌 平成29年6月29日 頓首再拝>
水無月晦大祓 - 伝統
2017/06/30 (Fri) 19:54:25
*Web:はじまこ神主のブログ(2013年06月29日)より
中臣祓の元となった「水無月晦大祓(みなづきつごもりのおおはらへ)」
(前段は、前触れとして大祓に参集した皇族・百官に対して
「祝詞をよく聞け」という内容の文言から始まります。
これは当初の大祓詞が参集者に対して宣り聞かせるものであったことの名残です。)
集侍(うごな)はれる親王(みこたち)、諸王(おほきみたち)、
諸臣(まえつきみたち)、百官(もものつかさ)の人たち、
諸(もろもろ)聞こしめせと宣(の)る
天皇(すめら)が朝廷(みかど)に仕(つか)へ奉(たてまつ)る
比礼(ひれ)挂(か)くる伴男(とものを)、手襁(たすき)挂くる伴男、
靫(ゆぎ)負(お)ふ伴男、剱(たち)佩(は)く伴男、伴男の八十(やそ)
伴男を始めて官官(つかさづかさ)に仕え奉る人等(ども)の
過(あやま)ち犯しけむ雑雑(くさぐさ)の罪を、
今年(こぞ)の六月(みなづき)の晦(つごもり)の大祓(おおはらへ)に
祓ひたまひ清めたまふ事を諸(もろもろ)聞こしめせと宣る
そして、大祓詞を奏上した後、最後に…。
四国(よくに)の卜部(うらべ)等(ども)、
大川道(ぢ)にも退出(まかりいで)て祓ひやれと宣る
と唱えます。
「四国(よくに)の卜部(うらべ)」とは朝廷のある都より見て四方にある国の意で、
卜部(うらべ)とは大祓の儀式を司る役人の事です。
ですが、一般神社の大祓では、親王(みこたち)、諸王(おおきみたち)、
諸臣(まえつきみたち)、百官(もものつかさ)の人達に変わって、
氏子崇敬者対象として…。
集侍(うごなわれる)町々氏子の人等諸々聞食(きこしめ)せと宣(の)る
〔※直後、祭員がオー、と警蹕(けいひつ)のような返答〕
天下(あめのした)四方(よも)の国の人達が 過ち犯しけむ罪穢(つみけがれ)を
天(あま)つ宮事(みやごと)以ちて 祓ひ清め給ふ本(もと)つ御手風(みてぶり)の
随(まにま)に
今年六月(みなづき)三十日の夕日の降(くだち)の大祓に
是の〇〇神社の祓戸(はらへど)の置座(おきくら)に
祓物(はらへもの)置き足(たら)はして
祓の神事(かむごと)仕(つか)へ奉(まつ)らば
大神(おほかみ)の宇斯波伎(うしはき)知食(しろしめ)す
御氏子の町々の家々には 今日より始めて罪と云ふ罪は在(あ)らじと
祓ひ清むる事を 諸々聞食(きこしめ)せと宣(の)る〔※直後、祭員返答〕
(https://ameblo.jp/hajikamijinja/entry-11562828881.html)
<感謝合掌 平成29年6月30日 頓首再拝>
夏越祓(なごしのはらえ) - 伝統
2018/06/29 (Fri) 18:25:54
明日6月30日は、【夏越祓(なごしのはらえ)】。
《「我」を捨てなければはじまらない》
*「神道 感謝のこころ」葉室頼昭・著(P154~157)より
神さまからのお恵みをいただきたい、神さまを知りたい、
神さまを見たいと願ったとします。
それでは、いったいどうすれば神さまを知ることができるのでしょうか。
神さまの世界は理屈の世界ではありませんので、どれほど説明しても、
言葉では神さまを表現したり説明することはできません。
つまり、神さまを知るには自分で体験するほかないのです。
その第一は、神社でよく行われる祓(はら)いです。
罪(つみ)や穢(けが)れを祓うことです。
罪とは悪いことをした罪ではなく、神さまからいただいた素晴らしい人間の姿を、
包み隠してしまうことを指します。
穢れとは、汚いということではなく、人間を生かしてくださる
神さまの気を枯らしてしまうもののことです。
まずこれを祓うことです。
昔から人間は、自分たちが知らない間にいろんな罪穢れを身につけてしまい、
それによって病気になったり、いろいろな不幸事が起こることをよく知っていました。
それを祓うために6月と12月の晦日(みそか)に大祓をして、
半年の間に身についた罪穢れを祓って清い体になり、健康で幸せな人生を送ろうとして、
ずっと昔から神社でお祓いの行事が行われているのです。
この罪穢れのなかでいちばん大きなものが「我(が)」だと私は思っております。
神さまのお恵みをいただきたい、
神さまを知りたいという人はよくいらっしゃいますが,
こうした場合、まず自分の「我」をなくしなさいと申しあげております。
神道的生活の基本は「神さまの恵みと祖先の恩とに感謝」ということです。
自分の力で生きているんだと思うと、そこに必ず「我」が出てきます。
この「我」をなくすためには、なにごとも神さまのお恵み、
祖先の恩によって生かされているということを実感することが非常に大切なのです。
また、こういう生活をしないことには、本当に神さまを知ることはできないのです。
祓いの力と自身の精進によって「我」がなくなったとき、
実感としてすべてに感謝の気持ちを抱くことができます。
ただただありがたくて、生かされていること自体がありがたい
と思うようになります。
何々なんだからありがたいということではありません。
理屈ではないのです。
子供の入試合格を神さまにお願いして希望の学校に入学できた、
健康をお願いしたら病気が治った、お金が儲かった・・・。
だからありがとうございますというのではないのです。
こういうときに「ありがたい」というのは、本当の感謝ではありません。
入学祈願して希望の学校に入れなかったとしてごらんなさい。
「なんだ,お願いしたけどさっぱりだ、聞いてくれなかった」となって
感謝しないでしょう。
これは,感謝ではなくて取引です。
お願いしてご利益(りやく)があったらありがとうと言うけれど、
そうでなかったら感謝しないというのではないのです。
感謝というのは理屈のない感謝です。
ありがたい、ただありがたいという気持ちが、本当の感謝なのです。
・・・
<参考Web:六月晦日大祓
http://www.7key.jp/data/thought/shintou/norito/tsugomori_ooharae.html
六月晦日大祓(祝詞奏上)
https://www.youtube.com/watch?v=xzeVeoz6K4Y >
<感謝合掌 平成30年6月29日 頓首再拝>
穢れを祓う - 伝統
2018/06/30 (Sat) 20:51:53
*メルマガ「大和しうるわし」(2018.06.26)より
6月30日は夏越の大祓い。
この夏を乗り切るための儀式が行われます。
神社では茅の輪が設けられ、半年間の穢れを祓います。
「水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり」
の和歌を唱えながら茅の輪をくぐります。
年に2回ある大祓いは、「区切り」の意味でとても大切です。
「なぜ、夏越の祓いには茅の輪をくぐるのか・・・」
という意味については、あまり重要ではないと思います。
私たちの国・日本でこの儀式が千年以上続いていることの方が大切です。
日本人として生きていくうえで、先人の作り上げた「命をつなぐ智慧」だからです。
毎日なんとなく過ごしていると、「区切り」が見えません。
先人の智慧である「暦」は連綿と続いている時間と空間に「区切り」を教えてくれます。
区切りを知ることで、新たな気持ちで「始める」ことができます。
物事の終わりと始まりを教えてくれるのが「区切り」の儀式です。
日本の文化では、七五三の儀式もあります。
これも、「区切り」です。
儀式が決まっているからこそ、命に対して感謝の気持ちも湧いてくるのです。
夏越の祓いには神社に行くことが大切です。
住んでいる近くの神社に行くことで、見えない力の存在を意識できます。
自分ひとりの力では生きられないこと、天地の恵みのお陰で命があること、
これらを改めて気づくことができるのです。
生きていると、どこか傲慢になります。
当たり前のようにお日様の恵みを受けていて、
当たり前のように食べ物を口にしています。
人間が生きていくためには、他の命を頂いているのに、気がつくことができません。
雨が降ることで作物が育ち、その結果命の糧を手に入れることができているのに、
雨を嫌がります。
自分に都合のいいことばかり望んでいて、当たり前に受けている
「見えない力」に気がついていません。
穢れとはそういうものです。
知らず知らずのうちに、何かを犠牲にして生きているから、
当然そのツケは回ってくるものです。
穢れを祓うことは、何も嫌なことがあったり、
災難が降りかかってきたから祓うわけではありません。
天地・自然(あめつち)の恵みに対して、
ただただ頭を垂れて、敬い尊ぶことなのです。
生きているだけで奇跡であり、有難いことなのですから、
たったひとつの命をこれからどのように使うのか、
感謝とともに決意を表すことです。
傲慢になっている自分自身を戒める「区切り」に素直に従うことで、
生きる力が湧いてきます。
<感謝合掌 平成30年6月30日 頓首再拝>