伝統板・第二

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【32年祭】 - 伝統

2017/06/17 (Sat) 04:49:12

今日(6月17日)は、谷口雅春先生の【32年祭】です。



昭和60年6月13日(朝)3時30分 【谷口雅春先生 最後のお言葉】


 『”病なし! 迷いなし! 罪なし!”

 これが生長の家の根本真理であります。

 それでは、神様ただ今より眠らせていただきます』


その後、眠りに入り、
神様から託された使命を全うし、
昭和60年6月17日午前7時53分、眠ったまま最高級神界に旅立たれました。

《感謝・合掌》

   ・・・

<参考Web>

(1)生長の家“本流宣言”掲示板~「谷口雅春先生【26年祭】 (2737)」
    → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=535     消滅

(2)生長の家“本流宣言”掲示板~谷口雅春先生【27年祭】 (10234)
    → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=2425     消滅

(3)生長の家光明掲示板・第一 ~谷口雅春先生【28年祭】 (9307)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1767    消滅

(4)生長の家光明掲示板・第二 ~谷口雅春先生【29年祭】
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1796    消滅

(5)伝統板・第二 ~谷口雅春先生【30年祭】
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6515046

(6)伝統板・第二 ~谷口雅春先生【31年祭】
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6915417

           <感謝合掌 平成29年6月17日 頓首再拝>

神様への挨拶 - 伝統

2017/06/18 (Sun) 05:04:16


       *谷口輝子先生・著『師と仰ぎ 夫と仰ぎて』(P225~226)より


『病室は狭くて私の寝る場がなかったので、
私は入院の翌日も翌々日も病院に夫を見舞ったが、
夫は静かに細眼を開けて横たわって居られた。

附き切りだった上野さんに毎日の状況を書いて貰ったが、それによると、

“(六月)十三日の午前三時三十分頃、先生が、

「病無し、迷無し、罪なし、これが生長の家の根本真理であります。
それでは神様、只今より眠らせて項きます。
それでは神様、只今より眠らせて頂きます」

と同じ言葉を2回くり返された”


上野さんの文章はこれで終っていた。

夫の肉体の命はこの現象世界を去る時、
神様に永眠することを挨拶されたのであった』

           <感謝合掌 平成29年6月18日 頓首再拝>

聖き師はも失せましぬ - 伝統

2017/06/19 (Mon) 04:32:23


          *先代の掲示板より
            ~聖き師はも失せましぬ (2740)
              日時:2011年06月12日 (日) 22時37分
               名前:童子


長崎県立諫早高校発行 『御書院』 平塚俊克教諭


『聖(たふと)き師はも失せましぬ』

あはれあはれ、聖き師はも失せましぬ。

夢とけぶれる若き日に、仰ぎそめしは亡き父の、
いざなひ賜(た)びし御経本(みきやうぼん)、
あやしく躍る心もて、読みつ誦(とな)へしそが日より、

聖師と称(よ)びつ、ひた熱く、燃ゆる想ひに都へと、吾をいざなひたまひける、
吾が情は師を仰ぐ、わが道標(しるし)とはなりにけり。


心拙(つたな)く身の弱く、けがれ迷ひつ都なる、日々はもすぎてふるさとに、
ひそみ養ひいつしかに、妻もめとりぬ子も生(あ)れぬ。

人を教ふる師とさへも、称ばるる日々を重ねつつ、あはれ五十路(いそぢ)は過ぎてけり。
さはれ年経(としふ)るそのままに、師の賜はりしみ教へは、いよよ尊く頼もしく、
心を浄め身を鍛へ、現はさばやないと高き、まことのいのちの、すがたはも、想ひ憧れ、

はた迷ひ、迷ひ去るべくうち坐り、み経は誦(ず)しぬ声高く、
されば楽しき人の世や、全(まつた)きいのちの現はるる、
影なる道にとこしへに、幸(さいはひ)多く戯(たは)ぶるる、
これぞまことの人の生(よ)と、高き諭(さと)しを悦びつ、

あしたゆふべに、うち坐り、朝な夕なにみ経誦(ず)す、師がみ教へのなかりせば、
拙きこの身、このいのち、生きて甲斐はもなかりけん。

さはれ影なる生(よ)なかればか、聖き師はも去りましぬ。
あはれ、あはれ、聖き師はも失せましぬ。

涙あふれて掌(て)を合はせ、師が御写真(みすがた)にぬかづけば、
声無き声のみ口より、獅子吼したまふたふとさよ。

いつかこの身は終ふるとも、吾は死なずと説きたるを、ゆめゆめ疑ふことなかれ。

ひとたび縁(えにし)得たる身の、永久(とは)の別れはあらざると、
吾が説きし言(こと)まことなり、み言遺(ことのこ)して賜はりし、
師のみ姿をしのぶにも、またも涙はあふれて来て、さなりしかなり、さるべしと、

われとわが身に説きつつぞ、ただうち坐り師が書(ふみ)の扉をたたき仰ぎ読み、
み経は誦(ず)してこの後も、強く明るく生くべしと、誓ふ日々ぞも、きのふけふぞも。


 とこしへにまこといのちのその国に師はもみ教へ垂れたまふぞも

 さいはひは永久(とは)の聖の師の君の教へいだきつ生くるいのちぞ

 食(お)すなくも泰然とはた端然となごみ笑ませし君のたふとき

 別れ告げ真理(まこと)説き終へ神に乞ひ永眠(ねむ)りたまひしあはれ聖師よ

 神去りていませし君の安らなるつひのみ言のただにたふとき


      谷口輝子先生 『女性に生まれ愛に生き』より

        <感謝合掌 平成29年6月19日 頓首再拝>

師と仰ぎ、夫と仰ぎて - 伝統

2017/06/23 (Fri) 04:10:11


(今回の記事は、本スレッド内子記事「神様への挨拶ー2017/06/18」を含んだ
 初出の「白鳩」誌からの紹介です)

          *「白鳩」(昭和60年10月号)(P40~49)より
            ~谷口輝子 生長の家白鳩会総裁

結婚して65年たつ今年、私の夫ははじめて病院に入院された。
それは体のどこかがわるいからというわけではなく、食欲が減って来て、
パンを一切れだけ口に入れたり、牛乳を少し飲むようになり、

遂には6月5日には、孫の荒地佳代子が、祖父の好物の海苔巻きのお寿司を、
心をこめて作ってくれたが、それを嬉しげに、じっと見つめただけで
箸を取られなかった。

その日から6日間、絶食が続いた。
毎日一緒に食卓についていた私は、夫の顔をのぞき込んでは、

「お父様、少しでも召し上がって下さい。
一口でもよいからお口に入れて下さないね、
貴方が食べないで、お顔が小さくなって行くと、私淋しいから、食べて頂戴、
何か食べたいものが有ったら仰しゃって下さい」

「何も食べたいものは無いよ、食べようと思うと、お腹から拒絶反応があるんだ」

「拒絶反応ってどんなことですか?」

「食べないと母さんが心配するから、箸を取ろうとするとね、お腹の中から
『必要ないよ』と拒絶して来るんだ」

と言われた。

一般の人が不良な食べ物や、食べ過ぎをした場合、胃から吐き出す俗称「ヘド」
なるものとは異るらしい。幾日も食べないのだから、吐き出すものもないらしい。
私は夫の言われる拒絶反応なるものを不審に思った。

過去に病院の看護婦をしていた前本山職員の上野志保子さんは、
心をこめて総裁先生の看護に勤めてくださったが、主治医から、

「なんでも異常があったら直ぐ知らしてくれ」

と言われて一応全身の診察をして下さったが、

「6日間も絶食していて、淡々とした顔をして居られる原因が判らないほど、
体に異常がない。一度長崎大学病院にお連れして、診察して貰われたら
如何でしょう」

私はこの主治医の言葉を聞いて、大学病院には種々の近代的な優れた診察器械が
あると聞いたので、その機械の診察によって、絶食の原因が発見され、
大切な夫が再び食物を摂られ、一日も永く生きられるのなら有難いなあと思った。

「お父様、大学病院へ行って、絶食の原因が判り、また食べて下さるように
なったら嬉しいわ」

と言った。しかし夫は、

「入院なんかしたくない」

と断乎と言われた。その翌朝、主治医がまたやって来て、

「矢張り大学病院へ入院して頂きたい」

と真面目な表情をして言われた。私は、

「お父様、大学病院で一度診察を受けて頂きたいわ」

「大学病院が、そんなに行かせたいなら、勝手に連れて行け」

とお任せの表情であった。

主治医は直ちに病院に電話して、
良い部屋の交渉をしたりして居られるようであった。

11日の午後、主治医が夫に同車して、別の車で、恵美子と雅宣と貴康と
上野さんが随行した。私も行きたかったが、家族たちが血圧の高い私を
案じて、「今日はやめて」と強く言って出発した。

車を見送っていた私は「これ限り、夫はこの家に生きて帰らない」などとは
思えなかった。今度帰宅されたら、以前のように、何でも元気に食べて
下さると希望をもっていた。

この前少し話したから、病院の状態は重複してお開きたくないないが、
病室は狭くて私の寝る場がなかったので、私は入院の翌日も病院に
夫も見舞わったが、夫は静かに細眼を開けて横たわって居られた。

附き切りだった上野さんに毎日の状況を書いて貰ったが、それによると、

”・・・12日の午後12時過ぎ、先生は、
「病院には食事が出るんじゃなかったですか」
と言われたので、看護婦さんに伝えると、午後5時30分頃
食事が届けられた。先生に、

「お粥と梅干でございます」と申上げ、お見せすると、先生は、
「僕は病人ではないから、お粥はいらない」
と言われた。

その看護婦さんがお食事をすすめると、先生は顔を横にふられて、
「食事というものは一家団欒で食べるものを食事というんです」
と言われ、食事はなさいませんでした。

6月13日、午前2時30分頃、先生が、
「お茶を飲みたい」
と言われたので、

公邸より持参したお茶をお入れして、ベッドの上半身の方を
高くして、お湯呑を受け取られた先生は、お茶を三口、
『ゴク、ゴク、ゴク』と美味しそうな音を立てて飲まれました”


私は後で考えたことは、この時のお茶が、お口に入れるものの最後の
ものだったから、世に言う「死に水」に当たるものと思われた。


”13日の午前3時30分頃、先生が、

『病無し、迷無し、罪なし、これが生長の家の根本真理であります。
それでは神様、只今より眠らせて項きます。
それでは神様、只今より眠らせて頂きます』

と同じ言葉を2回くり返された”

上野さんの文章はこれで終わっていた。

夫の肉体の命はこの現象世界を去る時、神様に永眠することを
挨拶されたのであった。


6月17日の朝であった。
私はまさか今日夫が死去されるとは思っていなかったのに、
昔から俗に言う『虫が知らす』と言うことか、
白羽二重の着物の仕上りが気になって来た。

本山の庶務部の阿倍君に頼んだ白羽二重の着物の仕立てを急いでくれと
電話で命じた。すると家人が「白い着物は今朝早く届いて居ります」と
言うので驚いた。

すると8時前に家人が私の部屋に急いではいって来た。これから病院へ
お見舞いに行こうと考えて、着替えもして玄関へ出ようとした私に、

「只今病院からお電話でございます。先生は今お亡くなりなりましたと・・・」

私は玄関前に待っている車に飛び乗ろうとすると、

「もう直ぐお帰りになりますから、奥様はお待ちになって
準備を整えていて下さいと申されました」

と家人は病院からの申し入れを伝えるのであった。

私は清潔な敷布団を座敷に敷き、白羽二重の着物と白木綿に
『甘露の法雨』を写経された着物を傍に置いた。
お顔を覆う白布も重ねられた。

間もなく玄関の戸が静々と開けられた。
仰向けになり、白布で顔を覆われた夫の遺体は
何人かの男たちに持たれて座敷へ運ばれて来た。

敷布団の上に移されると、恵美子、雅宣、貴康たちの手によって、
手早く甲斐甲斐しく白羽二重の着物に着替えさせられて、
『写経』の着物を拡げて覆われた。

私の家族たちは、私をそっとさせて置きたかったのか、
自分たちですらすらと事を運んで行った。

家族も手伝う人たちも一段落させると室を出て行った。
遺体のそばには私一人が残った。

私は亡き人の右に近づいて正座した。
そして、自分の左の頬を夫の右頬にぴたりと着けた。ひやりっと感じた。
なつかしさ、慕わしさが湧然と私の全身に湧き起り、

「お父さま、お帰りなさい」

と叫んだ。

「貴方は今日から天国に行ってしまわれるのですか。
私を一人ぽっちにして、嫌です、嫌です。
このくっ着いた二人の頬っぺを離れさせないで下さい。
一緒に焼場に行って、同じ骨壺に入りましょう」

私は冷たい夫の頬に、いつまでも、いつまでも離れたくなく、
じっと体を動かさないでいたが、

突然、襖の外から、

「奥様、どうなさいましか」

と若い女の声が呼んだ。

私はハッとして我れに返った。

私の理性は直ちに私の体を立ち上がらせて廊下へ押し出した。

私はこの現象世界にまだ生かされて、
これからまだまだ忙しい日々がつづくのであった。


師であり、夫である彼の人は、まだまだ永遠に私の師として夫として、
幽明境を飛び越えて、私を護り、私を導いて下さるのである。

        <感謝合掌 平成29年6月23日 頓首再拝>

ああ 永遠の魂の父 谷口雅春先生~その1 - 伝統

2017/06/24 (Sat) 03:40:31


          *「白鳩」(昭和60年10月号)(P61~73)より
           ~谷口雅春先生追善感謝座談会
            (法貴、中原、常松、菊川:白鳩会・幹部の方々)

師の偉大さと真理の深さに改めて驚きました~法貴雪子・白鳩会会長)(P61~62)


私は生長の家の御本部におりますから、うすうす谷口先生が何時ものご様子とは
違うということは、おききしておったのです。

でも、そうすぐに霊界にいらっしゃるとは誰も思っていませんで、
日常の業務をしておったんですが、亡くなられる前の日、何となく予感がした
というんでしょうか、朝神想観をしていましたらね、何者かに催促をされる
気がするので早く本部に行ったんです。

そして私が講演に行く予定のところを何者かにうながされるように、
べつの講師に、代わって貰うようにしたんです。

その日の夕方、緊急招集で色々と相談ごとがあったんですが、
家に帰ったのが9時半でした。

明くる朝、17日の4時頃胸がしめつけられるようで目が覚めたんですが、
それで神想観をしておりましたら、本部に行くように気がせいてなりません。

それで何となく家にいられないものですから早々に本部に行ったんです。
それから理事長室に行きましたら、谷口先生が亡くなられたということを
お聞きしました。

うながされた理由がわかりました。

理事はすぐに家に帰って用意して長崎に行くようにとのことでしたが、
あふれるように涙がこみ上げてきたのは谷口先生の密葬が終わって帰って来て、
一信徒にもどった19日の夜でした。

その時、『生命の實相』を出して、開いてみたんです。その時、
「ああ、これを書いて下さる御方は、もうこの世にはおいでにならないのだ」
と思いました。

そうしたら『生命の實相』の一行一行が光り輝いて見えたんです。

もう涙がとめどもなく流れました。

明くる朝『甘露の法雨』を誦げたんですが、一行一句、
「ああ、大変大変、まあ、こんなことまで書かれていたのか」と、

谷口先生の偉大さを、改めて、身にしみるほど解らして頂きました。

        <感謝合掌 平成29年6月24日 頓首再拝>

ああ 永遠の魂の父 谷口雅春先生~その2 - 伝統

2017/06/25 (Sun) 04:56:09


かぐわしい霊香をかがやかしていただいたのは


~前白鳩会京都第一教区連合会長 中原 映(P62~63)

私は17日のお昼のテレビのスイッチを入れました時、
パッと谷口先生の御逝去のニュースが出ましたの。

「あっ」と、もうびっくししましてね。

私は何も存じませんでしたので、「あらっ」とおどろきまして、
それから何ともいえない気持ちでおりました。

京都の強化部に電話しましたが、御本部から連絡があったら、
お知らせしますということでした。

それからすぐに谷口先生の御本を読ませて頂きましてね。
しみじみと先生の御言葉がまた一層、自分の身にしみるようで、
もう何とも言えない気持ちでした。

              ・・・

~前白鳩会島根教区連合会長 常松 智恵子(P63~64)

私は、何かが起こるような時に、霊香をかぐことが随分ございますんです。

今から考えてみますと、今度も、谷口先生が亡くなられる1か月程前から、
何か得もいわれぬ匂いが立ち込めてくるんですね。

それで何が起こるのかしら、私の家に何が起こるかしらと思っていたんです。

私どもは、谷口先生は何時もお元気だ、お元気だと念じ続け
何時も先生の御健康をお祈りさせて頂いていますから、何時も谷口先生は
御元気で私達を導いていらっしゃることしか頭にないものですから、

テレビで谷口先生の御昇天のニュースを見た時、本当にどうしようかと
思うほど戸惑いましたけれども、

「ああ こんな時、泣いちゃいけない、私達は谷口先生から永遠の生命を
教えて頂いているんだから」 と、気を取り直しました。

かつて『生長の家』誌昭和55年8月号の<霊界通信体験記>
「護国の英霊かく語りき」の中で、英霊たちが、

「あの方(谷口先生)は表面は人間の姿をしていらっしゃるが、
実は住吉大神の化身でありますよ」

と語られた一節を尾道の木曽正人さんが紹介してしらっしゃいましたように、
私もかねがね、谷口先生というお方は、この世ではもう二度とお目にかかれない
聖者だということは、もうしみじみ解っておりましたけれども、

あのテレビのニュースを見たとき、

「ああ、これだな、あのかぐわしい霊香をかがして頂いていたのは」 とね。

それで顔を動かすと、何時もそういう香りをかがして頂いていましたね。

それからもう決意を新たにして、谷口先生のお示しになったものをこれから
本当に行じて行かなけくてはならないとい気持ちになりましたけれども、
もう二、三日は、只呆然としておりました。

それで神想観をしておりますと、谷口先生にやさしくして頂いたこと、
お教え頂いたことなど、色々と思い出されましてね。

昭和12年頃に生長の家に導かれて東京の赤坂の生長の家本部に通っている頃、
私はもともとキリスト教におりましたから、人間は罪の子だということしか
頭にないもので。それで、生長の家に入ったんだから、それを神の子に
切りかえようと思っておりました。

或る日、生長の家御本部に入る時に、さっと白い服装をされ髪を垂らした神様が
現われて「お前も神の子であるぞ!! 」とおっしゃった入信の時など思い出して、

「ああ、有難いことだったなあ、これから一層、先生の御教えを行じ
御恩返しして行きたい」と決意を新たにいたしました。

        <感謝合掌 平成29年6月25日 頓首再拝>

ああ 永遠の魂の父 谷口雅春先生~その3 - 伝統

2017/06/26 (Mon) 03:06:52

谷口雅春先生は私達一人ひとりの生命の中に
~前白鳩会大分教区連合会会長 菊川 スミ(P64~66)

私は丁度、谷口先生が御昇天なさった当日、
南大分の白鳩会の誌友会指導に行っておりました。
1時からですから、12時半頃に着いたんですが、誌友さんが

「今相愛会長さんのお宅に谷口先生が亡くなられたという電話が教化部から
かかってきました」というんです。

それで、もう、びっくり致しましてね。それから段々誌友さんが集まってきて、
テレビで谷口先生が亡くなられたといって、皆、驚いていました。

それで、私は、皆さんが集まったところで、
「先生に感謝の黙祷を捧げましょう」と云って、皆さんお祈りをしていますと、
皆さん、もう、啜(すす)り泣いてね。

それから「谷口先生に感謝のお聖経を誦げさして頂きましょう」と、
聖経『甘露の法雨』を皆さんで誦げさして頂きましたが、もう、
半分ぐらいは啜り泣いていました。

それから何時も『菩薩は何を為すべきか』の御本を持って歩くものですから、
あそこの第9条のところに、「この生長の家の人類光明化運動というのは、
谷口雅春個人が始めたのではない」という谷口先生の御言葉がありますね。

あそこのところを皆さんで一所懸命読んで、谷口先生御昇天なさっても、
私たちの生命の中に生きていらっしゃるんだから、谷口先生の御恩徳を
お慕いすると同時に、一所懸命に光明化運動をしましょう、
というようなことを皆さんにお話したんです。

そして17日の夜は、大分県の教化部でお通夜がありまして、
皆さんと御一緒にお通夜祭に行きました。

もう大分県の誌友信徒さんがいっぱい集まって見えまして、
もう教化部道場は入り切れずにあふれるほどでした。
菊の花をいっぱい飾りましてね。それは盛大でした。

それから十日祭、二十日祭と教化部でお聖経を誦げました。
そして家で神想観したりお聖経を誦げたりしておりますとね、

「ああ、この神想観というすばらしい行法も谷口先生に教えていただいたのだ」
と思い、有難涙が出て仕方ありません。

お聖経を誦げていても、御本を読んでいてもね、
「ああ、これも谷口先生の御生命(おんいのち)が今此処にあるんだ」と、
思うと、何だか有難涙がでてまいります。

そして谷口輝子先生にもお悔やみのお手紙を出したいと思うんですが、
書きかけるともう涙でしょう。情けないんです。
それよりも一所懸命に光明化運動をさして頂こうとやっております。

何だかとても手が足りないんですのよ。
たまたま私が家におりますと、「菊川先生いる」と電話があります。
「今日はいるの」と答えると、「まあ、うれしい、今行きます」という
具合なんです。

だから、こうした皆さんと一緒にこの御教え弘めさして頂きましょうと、
やっております。本当に生長の家の御教えはすばらしいんですものね。

私も生長の家に入る前はキリスト教でしたのでね。
天国にだけ神様はいらっしゃって地上は地獄だと思っていました。

そういう思いをしていたのがね、生長の家にふれ、『生命の實相』にふれた時にね、
天国は今此処にあるというでしょう。

神様は《我がいのちの中にある》と聞いたとき、もうびっくりしましてね。

        <感謝合掌 平成29年6月26日 頓首再拝>

Re: 【32年祭】 - estdsbpljMail URL

2020/08/29 (Sat) 03:51:23

伝統板・第二
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