伝統板・第二 2535598

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上機嫌②

1:夕刻版 :

2017/06/02 (Fri) 20:47:12

     *伝統板・第二「上機嫌①」からの継続です
        → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6738090

【ニコニコ上機嫌】

           *メルマガ「人の心に灯をともす(2016年11月21日)」より

   (樺旦純氏の心に響く言葉より…)

   フランスの思想家アラン・ヴァレリーは、『幸福論』の中で

   「不愉快なことがあった時は、できるだけ上機嫌でいるように努めよう。

   そうすると、小さな悩みは消え、豊かな心を持てる」と。


   上機嫌法を推奨するヴァレリーは続けてこう語る。

   「イライラしている時、何もかもが気に食わなく思えてくるが、
   こういう時こそ、上機嫌療法をやってみることだ。

   たとえ不運や、つまらない問題に直面しても、できるだけ上機嫌でいようと努める。

   すると、不愉快な出来事も、上機嫌な種になる」


   つまり、上機嫌のふりをしていると、心まで機嫌がよくなってくるという。

   古代ギリシャの自然哲学家デモクリトスは、「笑う哲人」と呼ばれていた。

   彼は博識ぶりをひけらかすことなく、いつも明るく豪快な人物だったらしい。

   人生の目標は「快活であること」、
   すなわち楽しむことだと唱えていたほどである。


   デモクリトス曰く。

   快活でいるためには、暴力や極端な情熱に走らず、
   さりとてクソ真面目でもなく、ほどほどが一番だという。

   彼は90歳で他界するまで、温和で、友情を大切にし、
   楽しく生きるをモットーに快活な生活を送った。

   当時、アリストテレスをしのぐ天才だったといわれているが、
   人々から親しまれ、好かれていたことが想像できる。

   デモクリトスが滅多に怒らず、心の平静を保っていたのは、
   彼が人間として成熟し、深刻な問題でも笑い飛ばしてしまえるぐらいの
   余裕があったからだろう。


   私たちの身近をみても、いつも笑顔で明るい人が
   一人や二人はいるものだが、悩みが一つもない人はいない。

   もしかしたら、彼らも心の中に深刻な問題を抱えているかもしれない。

   それでも、人前で明るくふるまえるのは、
   自分の感情をうまくコントロールする術を知っているのである。


   明るく笑顔をふりまく人は、みなに親しまれる。

   明るい性格は、一つの財産といえる。


   もしも上機嫌でいたいと思ったら、
   笑顔を浮かべ、機嫌よく話したり行動することである。

   疲れてだるい時、体調がすぐれない時、
   「ああ、疲れた」と繰り返し言っていると、疲れが増してくる。

   そんな時は、「まだ大丈夫だ」「もうちょっとやってみるか」と
   プラスの自己暗示にかけ、明るい笑顔を作ってみよう。

   なんとなく元気が出て、上機嫌になってくるものである。


   言葉の暗示は、自分をうまくコントロールするのに効果がある。
   プラスの暗示はプラスの結果を生みやすいのだ。

   疲れている時こそ機嫌よくふるまい、楽しい会話を心がけよう。
   快活にふるまうことで、人生も好転してくるはずだ。

          <『運のいい人の習慣』KKロングセラーズ>

               ・・・

斎藤一人さんはこう語る。

「隣の人がどんなにブスッとしていても、自分の機嫌をとるんです。
それで、自分だけニコニコしているんです。

機嫌を悪くするということは『悪』なんです。
で、正しく、楽しく、毎日を生きているみなさんが、
『悪』に合わせちゃいけないんです」


斎藤一人さんは、自分で自分の機嫌をとるという。

その最も効果的な方法が笑うこと。


また、嫌なことがあった時に、そこから立ち上がる方法が「ありがとう」と言うこと。

五日市剛さんは、

「嫌なことがあると、嫌なことを考える。
そうするとまた嫌なことが起こる。

『ありがとう』はその不幸の連鎖を断ち切ってくれる言葉だ」

という。


毎日を、ニコニコ上機嫌で暮らしたい。

            <感謝合掌 平成29年6月2日 頓首再拝>
2:伝統 :

2017/06/07 (Wed) 19:11:05


           *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年10月02日)」より

   (山崎拓巳氏の心に響く言葉より…)

   毎日できるだけいい気分でワクワクして過ごしたい…。
   そのほうが「いい運気」にも恵まれそうだから。

   そう思っていても、日常のことを引き摺(ず)ってしまったり、
   あまり環境の変化がなくて、うまくワクワクする方向に
   気持ちが切り替えられない…。

   そんな人もいますよね。

   きっと、どこかに自分をワクワクさせてくれるものがあるはずだって、
   探しているんだけど、なかなか見つからない。

   そう、あの「青い鳥」を求めて探し続けるみたいに
   「今の自分のいる場所には何もワクワクがない。
   自分の人生を生きる場所は、もっと別のところにあるはず」って、
   ひたすら探し続けてしまう。


   だけど、ほんとうのところ、気分良く自分の人生を生きられる場所、
   ワクワクさせられる場所って、どこか遠くにあるわけじゃないんです。

   それを見つけるいちばん簡単な方法は、
   自分の身近な人たちを常にいい気分にさせることです。

   だって、自分の身近な人たちがハッピーになるのなら、
   自分だってたちまちいい気分になれるはずでしょ。

   私たちはとくに、身近な人間に対してつい手抜きをしがち。

   それをまず改めてみるんです。


   誰と、どこにいても、いつも同じように、丁寧にちゃんと話す。

   それはもはや思いやりと同義語だと思うんです。

   誰かのために手間や時間をかけるっていうのは、相手への思いやりそのもの。


   ワクワクするような特別な出来事も運を呼び寄せるために大切だけど、
   楽しいことだけが大事じゃないんです。

   毎日の何気ないことだって大切。

   どんなことをしていても、そこに自分にしかできない
   ちょっとした思いやりを付け加えることはできる。

   だから普段の生活でも、周りの人をいい気分にさせたり、
   皆に刺激を与える人のほうがどんどん運を呼び寄せるってこと。


   「ほら、こんなの知ってる?」

   「これって、すごいよね~」

   なんて、サービス精神良すぎるぐらいの生き方をしている人は
   「運」にも愛される人なんです。

   そういう人は、無理やり、どこか遠くに
   自分が成功できる場所を探しに行かなくても、
   運がその人を前に押し出してくれるっていうわけなんです。

           <『強運が舞い込むとても小さな50のこと』SB文庫>

              ・・・

まわりをいい気分にさせる人には…

明るくて元気がある。

きちんとした挨拶がある。

「はい」という気持ちのよい返事がある。

ニッコリとした笑顔がある。

「ありがとう」や「感謝」の言葉が多い。

嫌な顔しないで面倒な頼まれごとを受けてくれる。

話をきちんとよく聞いてくれる。

ちいさなことにも、驚いたり、笑ったり、共感してくれる。

思いやりのある温かな言葉がある。


家庭内の雰囲気を瞬時によくする方法があるという。

それは、家族間で「挨拶の励行」と「丁寧な言葉を使う」こと。

気持ちのよい挨拶と、丁寧な言葉は、みんなをいい気分にさせる。

これは、職場でも学校でも同じこと。


身近な人たちをいい気分にさせる人でありたい。

            <感謝合掌 平成29年6月7日 頓首再拝>
3:伝統 :

2017/06/18 (Sun) 18:53:20


         *メルマガ「人の心に灯をともす(2017年06月01日)」より

   (医師、鎌田實氏の心に響く言葉より…)

   ヘミングウェイは、「世界は素晴らしい、闘う価値がある」と述べています。

   彼の人生は、マッチョで元気いっぱいに、
   一本道をまっしぐらにきたようにイメージされがちですが、
   じつは躁うつ気質があり、悩み、悶え、迷い続けてきました。

   でも、堂々と悩み続けていたように思います。

   そこから道が見えてくると彼は信じていたのだと思います。


   ヘミングウェイは、悩みながら、ビッグになっていきました。
   悩んでもいいのです。
   迷ってもいいのです。
   そんな自分を肯定することが大事です。


   700万年前にアフリカを出て、
   長い旅を続けてきた人類は、哺乳類の中でも弱い存在です。

   その弱い人類が、どうやって生き残って、
   ほ乳類の頂点に君臨するようになったのか…。

   それは人間が苦境を乗り越えられるようにつくられているからではないかと、
   僕は思っています。

   苦境に陥ると、誰でも「もうだめだ」と、つい考えてしまいます。

   でも、そうではない。

   「負けるようにはつくられていない」と思い込めばよいのです。

   そうすれば自ずと陽気になれるし、自信も湧いてきます。


   もう一つ、「好奇心」も重要なキーワード。

   ホモサピエンスが「出アフリカ」を果たした背景にあるもの、
   それは「好奇心」です。

   好奇心は人間を成長させます。
   人類の歴史の中で、常に新しいものをつくりだす源泉は好奇心です。

   好奇心は若い時代特有のものではありません。
   いくつになっても好奇心はもち続けられるし、
   それがあれば、人間は元気になれる。


   「好奇心」「陽気でいること」「人間は負けるようにはつくられていない」

   この3つを忘れなければ、どんな絶望に出合っても、
   人生をおもしろくつくり直すことができるのです。


   「すべて優秀なものは陽気だ」というヘミングウェイの言葉を信じて、
   できるだけ陽気に振る舞うようにしてきました。

   どんなに土俵際に追い込まれても、
   「人間は負けるようにはつくられていないんだ」という
   彼の言葉も自分を支えてくれました。

   いい言葉が人生の支えになりました。


   アフリカのケニアとタンザニアの間にそびえ立つ、
   標高6000メートル近い山の頂上の万年雪を眺めながら、
   彼はこんな言葉も残しています。

   「知っているだろうが、僕が唯一失わなかったものは好奇心だ」

             <『遊行を生きる』清流出版>

              ・・・

詩人のゲーテは、「人の最大の罪は不機嫌」と言った。

不機嫌の反対は、上機嫌。

上機嫌の人は、明るくて陽気だ。


ウォルト・ディズニーは、好奇心についてこう語る。

「私たちは前進を続け、新しい扉を開き、新たなことをなし遂げていく。
なぜなら、好奇心旺盛だからだ。好奇心があればいつだって新たな道に導かれる」

好奇心がある人には、未来がある。

好奇心とは、未知のものに対する、知りたいという欲求や興味のことだからだ。


いくつになっても好奇心を持ち、機嫌よく陽気に暮らしたい。

            <感謝合掌 平成29年6月18日 頓首再拝>
4:伝統 :

2017/08/01 (Tue) 18:30:22


        *メルマガ「人の心に火を灯す」(2017年07月30日)より

   (元ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子氏の心に響く言葉より)

   ある時、一人の大学生から葉書をもらいました。

   「シスターの心には、波風が立つことはないのですか。いつも笑顔ですが」

   私は返事を書きました。

   「とんでもない。波風が立つこともあります。
   ただ、自分で処理して、他人の生活まで暗くしないように、
   気をつけているだけなのです」と。


   シスターになったからといって、
   人間である限り、いつも心が平穏であるはずはありません。

   心ない人の言葉や態度に傷つき、思うようにいかない物事に心騒がせ、
   体の不調から笑顔でいることがむずかしいこともあります。

   生来、勝気な私は、特に管理職という立場にいることもあって、
   人前では明るく振る舞い、笑顔でいるように心がけています。

   暗い顔をしても物事がうまくいくわけではなし、
   他人の生活まで暗くする権利はないと、
   自分に言い聞かせていることは確かです。


   生まれつき笑顔の少なかった私が、笑顔を多くし始めたのは、
   誠にお恥ずかしいきっかけからでした。

   20代に入って、アメリカ人と一緒に働くようになったある日、
   1人の男性職員から、「渡辺さんは笑顔がすてきだよ」といわれたことによるのです。

   ほめるということは大切なのですね。


   笑顔で生きるということに、もう少し自分らしい意味を与えるようになったのは、
   30代になってからの「ほほえみ」という詩との出合いでした。

   「お金を払う必要のない安いものだが、相手にとっては、非常な価値を持つものだ」
   という言葉に始まる詩は、次のように締めくくられていました。


   もしあなたが 誰かに期待した
   ほほえみが得られなかったなら

   不愉快になる代わりに
   あなたの方から ほほえみかけて ごらんなさい

   ほほえみを忘れた人ほど
   それを必要とする人は いないのだから



   この詩との出合いは、私の笑顔の質を変えました。

   チャームポイントとしての笑顔から、他人への思いやりとしての笑顔、
   そしてさらには、自分自身の心との戦いとしての笑顔への転換の始まりとなったのです。

   それは、ほほえむことのできない人への愛の笑顔であると同時に、
   相手の出方に左右されることなく、私の人生を笑顔で生きるという決意であり、
   主体性の表れとしての笑顔でした。


   そして、この転換は、私に2つの発見をもたらしてくれました。

   その1つは、物事がうまくいかない時に笑顔でいると、
   不思議と問題が解決することがあるということです。

   お姑さんとうまくいかない卒業生が、
   「シスター、本当ですね。注意された時に、笑顔で『ありがとうございました』
   というようにしてから、2人の間がとてもよくなったのですよ」と、
   報告してくれました。


   もう1つの発見は、自分自身との戦いの末に身についたほほえみには、
   他人の心を癒(いや)す力があるということです。

   とってつけたような笑顔でもなく、職業的スマイルでもなく、
   苦しみという土壌に咲いたほほえみは、お金を払う必要のないものながら、
   ほほえまれた相手にとっては大きな価値を持つのです。

   ほほえまれた相手を豊かにしながら、
   本人は何も失わないどころか、心豊かになります。


   不機嫌は立派な環境破壊だということを、忘れないでいましょう。

   私たちは時に、顔から、口から、態度から、
   ダイオキシンを出していないでしょうか。

   これらは大気を汚染し、環境をよごし、人の心をむしばむのです。

   笑顔で生きるということは、立派なエコなのです。


   ある日、修道院の目上の方が私にいいました。

   「シスター、何もできなくなってもいいのよ。ただ、笑顔でいてくださいね」

   ありがたい言葉です。

   この同じ言葉を、年齢にかかわりなく、かけ合ってゆきたいものです。


   《何もできなくていい。ただ笑顔でいよう
   (笑顔でいると、不思議と何事もうまくいく。
    ほほえまれた相手も、自分も心豊かになれるから)》

          <『置かれた場所で咲きなさい』幻冬舎>

                ・・・

「人間の最大の罪は不機嫌である」と言ったのは詩人のゲーテ。

不機嫌というのは伝染するからだ。

次々と人を不機嫌にしてしまうパワーを持っている。


が、反対に笑顔も伝染する。

一人が笑顔になれば、まわりの人も自然と笑みがこぼれる。


「笑ってあげなさい。笑いたくなくても笑うのよ。笑顔が人間に必要なの」( マザー・テレサ)

不機嫌と笑顔と、どちらが人にとって必要かは言うまでもない。

人生を笑顔で生きてゆきたい。

            <感謝合掌 平成29年8月1日 頓首再拝>
5:伝統 :

2017/08/03 (Thu) 20:26:30


        *『 生長の家 』(昭和26年6月26日の法語)より

   若(も)し悲しみが あなたの心の部屋に忍び入るならば、
   いつまでもその悲しみのお客様を自分の心の部屋に
   とどめ置いてはならないのである。

   若し人を憎む思いが あなたの心の応接室に忍び込むならば、
   出来るだけ其の不要なお客様を逐い出さねばならないのである。

   若し腹立ちが 貴方の居間に忍び入るならば、
   とっとと、その腹立ちを貴方の心の居間から逐い出せ。

   それらはあなたの味方ではなく、
   あなたから幸福と健康とを奪い去ろうとする
   悪魔の「 廻し者 」なのである。

   大体、悲しくなったり 腹が立ったり、人を憎んだりするのは、
   他の人の働きで自分が害されると思うからである。

   「 われは神の愛したまう神の子であるから
   何者も自分を害することは出来ない 」と
   念ぜよ。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127

            <感謝合掌 平成29年8月3日 頓首再拝>
6:伝統 :

2018/01/28 (Sun) 19:35:16


         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2017-12-05)より

「与える人」が成果を得る

   (辻秀一氏の心に響く言葉より…)

   心理学者のチクセントミハイは、
   時間を忘れて何かに集中している状態を「フロー」と呼んでいます。

   フローの状態になると、少ないエネルギーで高いパフォーマンスを生み出せます。

   フローが最高潮に達した状態は「ゾーン」や「ピークエクスペリエンス」と表現され、
   いわゆる無我の境地のことです。

   アスリートが驚異的な記録を出したり、奇跡的なプレイをしたりするときは、
   ゾーンの状態で無理なくハイパフォーマンスを実現しているのです。


   チクセントミハイのフローの定義を私はもっと単純に、
   「機嫌がいい心の状態」をフロー、
   「機嫌が悪い心の状態」をノンフローと呼称しています。


   集中、リラックス、ワクワクは少しずつニュアンスが異なるとしても、
   すべて「機嫌がいい」状態としてくくることができます。

   揺らがず・とらわれずの心の状態です。


   もう一方のノンフローも同じことです。

   落ち込んでいるのもノンフローですが、ムカついているのもノンフローです。

   「落ち込んでいる」と「ムカついている」は厳密には異なる状態ですが、
   日本語ではどちらも「不機嫌」と表現できます。

   揺らいで・とらわれている心の状態です。


   フローにもノンフローにもいろいろな感じがあって、程度の差もあります。
   けれど、少なくともフローなほうにいけば、
   何をやっても機能は上がって行動の質は良くなるし、
   ノンフローなほうへいけば全体の質は落ちます。

   たとえば、見返りなどなくても、自分が何かを与えて
   相手が喜んでくれるという事実だけでフローになれる。

   具体的に何かを与えなくても、何かを与えようと考えているだけでフローになれる。

   日本人にはもともと、物に頼らなくても
   心の平和や幸せを自分の中につくり出していく心の働きが備わっているのです。


   「応援思考」

   「感謝思考」

   「思いやり思考」

   これが、私の考える「与える3原則」です。


   与える思考の王道が「応援」です。

   ほとんどの人は、応援は相手のためにするものだと思い込んでいます。
   しかし、本来の応援とは、人を応援することで自分自身の心にエネルギーを生み出すこと。

   つまり、機嫌良く生きるための人間の叡智なのです。


   感謝思考と思いやり思考も同じです。
   「ありがとう」を形にしたり「ありがとう」の気持ちを言葉にしたりするのではなく、
   「ただありがたいな」と考える。

   思いやりをモノやお金で表すのではなく、
   「ただ思いやりを持とう」「ただリスペクトしよう」と
   考えているだけで気分が良くなってきます。


   神社へお参りしたとき、願い事をするのではなく、
   日々の暮らしの無事に感謝して手を合わせると、とても心が落ち着いてきます。

   お墓参りや仏壇に手を合わせるときも、特別な理由はなくても
   「ご先祖様ありがとうございます」という気持ちを念じていると、
   清々(すがすが)しい気持ちになるのではないかと思います。

   ただ無心に敬い、ただ無心に感謝する。

   こうやって人は、自分の心にエネルギーをつくり出し、自分の糧にしているのです。

         <『「与える人」が成果を得る』ワニブックス>

                 ・・・

「人間の最大の罪は不機嫌である」

とゲーテは言ったという。

斎藤一人さん流にいうなら、不機嫌な人は「地獄言葉」を言う人。
地獄言葉とは、
「ついてない」「不平不満」「グチ・泣き言」「悪口・文句」「ムカつく」等々の言葉。

これらの言葉は、言うだけでなく、思っただけでも不機嫌になる。

不機嫌なときは、ノンフローな状態。
ノンフローなときは、パフォーマンスが上がらない。


逆に、機嫌がよい人は「天国言葉」を言う人。
天国言葉は、
「ついてる」「うれしい・楽しい」「感謝」「しあわせ」「ありがとう」等々。

これらの言葉に囲まれている人は、いつも機嫌がいい。

言えばいうほど、パワーがわいてくる。


応援することも同じだ。
応援は相手に与えるだけでなく、自分にパワーをもらえる行為。

だから、心から本当に応援している人は機嫌がいい。

いつも機嫌よく、「与える人」でありたい。

            <感謝合掌 平成30年1月28日 頓首再拝>
7:伝統 :

2018/04/24 (Tue) 18:07:29


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2018年04月24日)より

   (アランの心に響く言葉より…)

   ■明るいことばを、心からの感謝のことばを、ひとことかけよう。

   冷めた料理が運ばれてきても大目に見よう。

   この上機嫌の波に乗ればどんな小さな浜辺にでもたどりつける。


   オーダーをとってくれるウェーターの声の調子が違ってくる。
   テーブルの間を通っていく人たちの態度も違ってくる。

   こうして上機嫌の波動は、自分も含めたみんなの気分を
   軽やかにしながら、自分の周りに広がっていく。

   これには際限がない。

   とはいえ、始め方には細心の注意をはらおう。

   気持ちよく一日を始めよう。

   気持ちよく一年を始めよう。



   ■うれしそうな表情は、だれにとっても気持ちいいものである。

   自分がよく知らない人の場合はとくにそうだ。

   その意味を考えたりせずに、額面どおりに受けとればいいからである。

   それがいちばんいいことなのだ。

   うれしそうな合図には、それを発信した本人を
   うれしくさせる傾向があるということは、奥深い真実である。

   こういう喜びに満ちた表情は、それを見ならうことで、
   絶えず自分に返ってくるのだ。


   ■にこにこしたところでどうということはなく、
   それで気分が変わることもないように思っているから、
   わたしたちはにっこりしてみようともしない。

   ところが、しかたなく愛想笑いを浮かべて
   丁寧にあいさつをする礼儀正しさのおかげで、
   すべてが変わることはよくある。

   生理学者はその訳を百も承知している。

   笑顔はあくびと同じように体の奥深くまで広がって、
   のど、肺、心臓というふうに次々と緊張をゆるめていくのである。

   ここまで即効性があり、かつ絶妙のバランスで効く薬を
   見つけることは、医者でもたぶん無理だろう。

          <『アランの幸福論』ディスカヴァー>

                ・・・

「悲観主義は感情からくるもの、楽観主義は意志からくるもの」

というアランの言葉がある(本書より)。


つまりぐっとこらえたり、コントロールせず、
感情のおもむくままに暮らしている人は、
悲観主義になってしまうということ。

だからこそ、楽観主義には意志の強さが必要。

不機嫌と上機嫌も同じで、上機嫌になるには意志が必要。


どんなときも上機嫌であろうと決め、嘘でもいいから、
笑ったり、冗談を言ったり、機嫌よさそうにしていると、
やがて本当に機嫌がよくなってくる。

笑顔も同じで、別に嬉しいことがなくても、
笑顔でいると後から嬉しいことがやってくる。


上機嫌の種をまく人でありたい。

            <感謝合掌 平成30年4月24日 頓首再拝>
8:伝統 :

2018/04/25 (Wed) 17:50:28


   <メルマガ「人の心に灯をともす(2018.2.27)より>

   (浜松医科大学名誉教授、高田明和氏の心に響く言葉より…)


   「喜び」はすべてをよい方向へ動かします。

   これを強く主張したのが、江戸時代の神道家で、
   1850年に70歳で亡くなった黒住宗忠です。

   彼は修行がようやく実を結ぼうとしたところ、
   7日間の間に両親を失い、しかも結核になってしまいました。

   医師も見放し、絶望の淵をさまよっていましたが、
   ふとしたことから心の本質を悟りました。

   同時に、この本当の心は喜ぶことを好むと悟ったのです。


   それからは、周囲の人が気がおかしくなったのではないかと思うくらい、
   絶え間なく笑ったといいます。

   するとさしもの結核も次第に治ってゆき、ついに病が完治したのです。

   この体で当時70歳まで生きたことは、彼のやり方が正しかったことを示しています。


   彼は手紙の中で、

   「人は陽気ゆるむと陰気つよくなるなり。
    陰気勝つときは穢(けが)れなり。
    穢れは気がかれることで、太陽の気を消すなり。

    そこから種々いろいろなことが出来(しゅったい)するなり。

    何事もありがたい、ありがたいにて日をおくりなされ候はば、
    残らずありがたいになり申すべきなり」

   と述べています。


   さらに彼は修業者に対しても、

   「何ほど道を守っても、心陰気になれば、出世はなりがたく候、
   なにとぞ春の気になってご修行あそばされるように」

   と忠告しています。


   この世で成功した人を見ると、なんとなくそばにいたい、いっしょに話したい
   という雰囲気をもつ人ばかりです。

   人は本来、仏の心の持ち主ですから、相手の明るい心と付き合うのを好むのです。

   それにひきつけられるのです。

   ですから明るい心の持ち主は仲間や支持者を得ることができ、
   それが成功につながるのです。


   人はひとりでは何もできません。
   しかし人間が集まり、争いを起こさないというのも難しいことです。

   この困難を可能にするのが、明るい心です。

   明るい心は相手の心を覆う雲を消散させ、心の光を発揮させます。

   このように知らず知らずのうちに心の光が輝くようにさせた人は、
   相手になんともいえない幸福感を与えます。

   これがその人にひきつけられる理由なのです。

   心は明るさを求めています。

   これを自覚し、人に自覚させるには、
   つねに明るく、笑いにあふれる人物になることが必要なのです。

   笑いましょう。

   少しのことにも喜びを見出し、笑いの材料にしましょう。

   欧米でもユーモアをもつ心は最大の美徳とされているのは、
   こうした理由があるからなのです。

         <『脳と心に効く言葉』二見レインボー文庫>

             ・・・

何人かで談笑しているとき、後から遅れて入ってくる人がいる。

その人が入ってくると、途端にその場がパーッと明るくなったり、
笑いがたえなくなるような人と、逆にみな押し黙ってしまったり、
話が弾(はず)まなくなってしまうような人もいる。


人の持っている明るさはすぐに伝染する。

明るさは、 上機嫌な人に宿り、不機嫌な人には寄り付かない。

そして、上機嫌な人は、いつも陽気で、笑いがたえない。


「心は喜ぶことを好む」

いつも機嫌よく、笑いのたえない人生をおくりたい。

            <感謝合掌 平成30年4月25日 頓首再拝>
9:伝統 :

2018/05/06 (Sun) 17:58:18


       *「お金持ちが肝に銘じているちょっとした習慣」
             菅原圭・著(P135~138)より

仕事を通じて出会ったお金持ちの中には、
その後、しだいに個人的なお付き合いへと進んでいった方も多くいる。

彼らに対して、時には冗談まじりとはいえ、つい言い過ぎてしまったこともあった。

だが、仕事で成功し、お金も十分手に入れ、超然と人生を謳歌している彼らは、
そんなことで感情的になったり、まして怒ったりしないのだ。

思うように事が進まないとすぐにイライラしてしまう私は
そのたびに恥ずかしくなり、その気持ちを隠そうと、
さらに感情が揺れ動いてしまうというありさまなのだが。


いつも上機嫌でいることは、いまや大人のマナーだといわれている。
ちょっとしたことでキレるなど、自分の感情もコントロールできない人は
一人前の大人と認められない。

まして、仕事の世界では、感情の波が激しいと
判断や指示にも影響が出てしまい、ミスをしがちになる。

私が尊敬している方の1人に、とりわけ上機嫌な人がいる。K氏である。

私は、彼の軽い笑みを含んだ表情が陰ったところを見たことがない。
それどころか、とても忙しくしているので疲れている日だってあるはずだが、
そんな様子も表情に出さない。

あるとき、思い切ってK氏にその秘訣を聞いてみたところ、こんな答えが返ってきた。

「私だって普通の人間ですから、腹の虫がおさまらないときもあれば、
疲れから、気分がすっきりしないことだってあります。

そういうときには、自分をちょっと上から見てみる。

ドローンで空中から撮影するような感じで自分を見ると、
不機嫌な顔をしている自分は、私が日頃最も軽蔑し、
いちばん嫌いな人なのだと気がつきます。

そう気づいた瞬間、これではいけない。
すぐに気持ちを切り替えようという思いが湧いてくるものですよ」

なるほど、気分が落ち込みそうになったり、苛立ちそうになったら、
自分を突き放し、他人を見るような目線で見ていればいいということなのだ。


自分を客観視するなんて難しそうなことはできないと思うなら、
もっと簡単な方法もある。

イライラがこみ上げてきそうになったら、1から10まで数えてみるとか、
お気に入りの歌の1フレ-ズを心の中で歌ってみるとか。

人間は案外単純なもので、「今何に対して怒ろうとしていたんだっけ? 」
と怒りの種さえ忘れてしまう。

おかげで多少自分をコントロ-ルできるようになった。
すると、仕事の縁も以前より長く続くようになってきた。

継続は力なり。
これは仕事についても金言だ。
仕事が続けば、必然的にお金との縁も途切れなくなる。

穏やかで温かな感情を持ち、いつも上機嫌でいる人は、
結果的にお金にも恵まれることになる。

そんな図式は確かに成り立つといえそうだ。

            <感謝合掌 平成30年5月6日 頓首再拝>
10:伝統 :

2018/05/14 (Mon) 19:02:15


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2018年05月14日)より

   (明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…)

   あなたは日々の生活のなかで、次のような人を見かけたことがないでしょうか。


   朝の通勤ラッシュ時、満員電車で少し肩を押されただけで舌打ちをしている人。
   ご近所同士で挨拶しようとすると、スタスタと歩いていってしまう人。
   スーパーマーケットで小さな子どもが泣き出しただけで、眉(まゆ)をひそめる人。

   飲食店のスタッフが少し雑談をしているだけで、クレームをつける人。
   電車がちょっとでも遅延すると、駅員に詰め寄って怒鳴る人。
   ベビーカーを見かけると、「邪魔」という感情を隠さない人。

   朝出社したときに、同僚に挨拶もせず、仏頂面でデスクに向かう人。
   会議で自分の提案がうまく通らなかったといって、つっけんどんになる人。
   部下が失敗したときに、周囲の目も気にせず、ヒステリックに怒鳴りつける人。


   挙げていくときりがありませんね。

   どれも、おそらく心当たりのある光景ではないでしょうか。

   しかもこうした行動をとっている人には、
   地位も分別もありそうな方もかなりいらっしゃいます。


   もしかしたら、あなた自身もこれらの行動をとってしまい、
   後悔したこともあるかもしれません。

   あるいは、自分がそうした行動をとっていることに気づかずに、
   周囲から「あの人って不機嫌だな」と敬遠されている可能性もあります。


   機嫌とは、人の表情や態度に表れる快・不快の状態です。

   つまり不機嫌とは、不快な気分を表情や態度に表しているさまをいう言葉です。


   現代を生きる人の多くがかかえているのは、
   行き場のない「慢性的な不機嫌」です。

   情報伝達の差し迫った必要性があるわけでもなく、
   不快であることを伝えても事態は何も解決しないのに、
   無意味な不機嫌を世の中に撒(ま)き散らしている人があまりにも多い。

   電車の中で舌打ちしたからといって、満員電車が解消されるでしょうか?

   インターネットで書き散らした罵倒(ばとう)が、
   社会を良くしたことがあったでしょうか?

   誰も「舌打ちや罵倒をしたら事態が良くなる」と思っているわけではないのに、
   表に不機嫌が滲(にじ)み出てしまっている。

   現代人は四六時中誰かの不機嫌な言動にさらされ、
   ちょっとずつ精神を消耗しています。

   そして自らも、知らず知らずのうちに不機嫌に侵食されてしまっているのです。


   中年から老年にかけての男性の不機嫌の問題をいち早く取り上げたのが、
   シェイクスピアの『リア王』でした。

   リア王は、愛情深い末娘が自分におべかを使わないことに激昂(げきこう)して
   彼女を追放し、甘言を弄(ろう)する上の娘たちをかわいがった結果、
   身を破滅させて荒野をさまようことになります。

   老人の不機嫌が招く悲劇をこれ以上なく描いた作品です。

   さすがにこの本をお読みの方の中に国王はいないでしょうが、
   身につまされっる教訓が詰まった作品です。

   プチ「リア王」にならないためにも、
   まずは自分の不機嫌に自覚的になってみてください。


   「40歳を過ぎたら、普通にしていても不機嫌そうに見える。
   上機嫌くらいでちょうどいい」と自覚するだけでも変化が起きます。

   「いつも上機嫌」と聞いたとき、あなたはどんな印象を抱くでしょうか?

   お調子者で何も考えていない不用意な人なのではないか
   と考える人も多いかと思います。


   逆に「いつも不機嫌」というと、しかつめらしい顔をして
   難しいことを考えている、つまり「頭がいい人」と考えるのでは
   ないでしょうか。

   知的な人間はやたらとニコニコと愛想よくふるまわない、
   作家や学者というのは根暗で不機嫌なものだという風潮が
   根強く存在しています。

   まず正しておきたい誤解が、
   知性と機嫌は決して結びついてはいないということです。


   機嫌というのは、理性や知性とは相反する分野のように思われがちですが、
   気分をコントロールすることは立派な知的能力の一つです。

   仏頂面をしている人、他人に辛辣(しんらつ)なことを言う人のほうが、
   よく物を考えているように思えるかもしれません。

   ところが実際は、前向きに生産性のあることを考えている人の
   頭やからだは柔軟に動いています。
   表情もやわらかですし、ポジティブな空気を発するものなのです。


   不機嫌がクセになると、頭も身体も動きにくくなります。

   運動不足と同じで、こころの運動能力が下がってしまうんですね。

   気分をコントロールすることはこころの運動能力を維持し、
   仕事や人間関係のパフォーマンスを上げる知的技術です。

          <『不機嫌は罪である』角川新書>

             ・・・

「人間の最大の罪は不機嫌である」

と言ったのはドイツの詩人である、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。


人間の最大の罪とはかなり大袈裟のように感じる。

しかし、笑顔やあくびが伝染するのと同じように、
不機嫌もあっという間に伝染するということを考えるとそれも納得できる。

家庭や会社の中において、朝から晩まで、全員が不機嫌だとしたら、
その家庭も会社も、早晩(そうばん)崩壊してしまう。


上機嫌も不機嫌もあっというまに周りに伝染する。

どうせ伝染するなら上機嫌の方がいいに決まっている。


毎日を、上機嫌で暮らしたい。

            <感謝合掌 平成30年5月14日 頓首再拝>
11:伝統 :

2018/05/17 (Thu) 18:30:24

青森の神様・木村藤子がアドバイス「イライラは幻想なのです」

       *Web:MAG2NEWS(2018.04.23)より抜粋


人間生きていれば、必ずイライラする瞬間があります。
この「イライラ」という感情が生まれる瞬間に
自分の中で何が起きているのかを考えてみましょう。


私たち人間は、例えるなら受信機のような存在。
五感(目、耳、鼻、口、肌)で自分の外の世界を認識した瞬間に(受信した瞬間)、
自分の中に感情が芽生えます。

感情にもいろいろありますが、どういった感情が自分の中で芽生えるかは
個人個人の価値観、考え方、受け取り方によります。

価値観や考え方、受け取り方というものは人それぞれ違うものですが、
それはひとりひとりの過去の体験が違うからです。
価値観や考え方、受け取り方は過去の体験によって築かれていくのです。

そのようにひとりひとりがまったく違う受信機なのですから、
同じ現象でも受け取り方は変わってきます。
同じ映画を見ても、どう思うかは人によって違います。

何を当たり前のことを。と思われるかもしれませんが、これには真意があるのです。

誰かと同じものを見たり体験しても、人によって感じ方が違うということは、
外の世界から受信するものは絶対的なものではありません。


うなぎはおいしい。

そうかもしれません。
しかし、「おいしくない」と感じる人もいますね。
うなぎそれ自体には「おいしい」も「おいしくない」もありません。
うなぎはうなぎ。ただそれだけです。

感情というのは至極、主観的なものであって絶対的なものではないのです。

つまり、ご質問いただいた「イライラ」という感情。
その感情は絶対的なものではありません。

言ってみれば幻想なのです。
勝手に頭の中で作り出した主観的な現象です。

とはいえ、実際に「イライラ」しているのは間違いありません。
いくら分析しようが何をしようが、「イライラ」していることに変わりはありません。


しかし、わざわざ「イライラ」にフォーカスする必要性もないのです。
なぜなら、その感情はすぐに消えてなくなるのですから。

過去を振り返って、
自分が「イライラ」したときを果たしてどれほど思い出せるでしょうか。
ほとんど思い出せないのではないかと思います。


それは当然のことで、「イライラ」は数十秒すれば消えてなくなります。
何時間も、何日も、何週間も、何ヶ月も、何年も、何十年も「イライラ」は続きません。
すぐに消えてなくなるものです。

そのような感情に振り回される必要性などどこにもありません。
「イライラ」したら冷静に自分を客観的に観察しましょう。

「あ、私イライラしてるな」

「でもこの感情はすぐに消えるんだよね」

そうやって、自分を上から見て観察するのです。

そうしているうちに、気づけば「イライラ」は消えています。
「イライラ」した感情は心地よいものではありません。
なくせるならなくしたい感情でしょう。

しかし、「イライラ」という感情があるからこそ、
その逆のリラックスした状態があるのです。

それが人間の世界の法則。
すべては対になっているのがこの世界。
すべては相対的なのです。


「イライラをなくしたい!」

と思う方は多いかと思いますが、
そうした無理なことを考えること自体が「イライラ」を誘発させます。

感情は寄せては返す波のようなもの。
突然、発生したかと思えば、突然消えてなくなる無常なもの。

そうした人間の原理を理解するだけでも、感情は安定するでしょう。

     (http://www.mag2.com/p/news/357247

            <感謝合掌 平成30年5月17日 頓首再拝>
12:伝統 :

2018/05/20 (Sun) 18:15:04

キライな人に会って不機嫌になるのなら会わないで「上気元」でいたほうがいい

           *「上気元」斎藤一人・著(P113~118)より

人間を不機嫌にさせるものに、2つのことがあります。

ひとつは「会いたい人に会えないこと」。

もうひとつは、「会いたくない人に、会わなくてはいけないこと」。

この2つのことが、あなたをめちゃくちゃ不機嫌にさせます。

「会いたい人に会えない」って言う方は、なんとかなるんです。
その人と会っているところを想像するんです。
そうすると、とたんに「上気元」になれますから(笑)。

その人と会っているところをずっと想像しながら、楽しく生活するんです。

ちなみに、自分を「上気元」にするためには、何を想像してもいいんですよ。
自分に都合がいいことを、いくらでも考えていいんですよ(笑)。

だから、好きな人と会えないときは、心の中でいくらでもデートしてください(笑)。
夢の中でも、デートしてください(笑)。


ところが「会いたくない人に会わなくてはいけない」というのは、
どうにもこうにも苦しいものです。

「会いたくない人って、どういうひとですか? 」っていうと、
ウマがあわない人。

その人のことを想像しただけで、とたんに不機嫌になるような人っていますよね(笑)。
そういう人とは、会わなければいいんです。

イヤな人と会って、不機嫌になるくらいなら、
会わないで「上気元」でいた方がいいんです。

こういうふうに言うと、「それはお姑さんの場合は、どうしたらいいんですか? 」
「それが兄弟の場合は、そうしたらいいんですか? 」って聞く人がいます。

お姑さんでも、兄弟でも、不機嫌になるなら、会わなければいいんです。
相性の会わない人と無理に会うことで、相手のことも不機嫌にするんです。

ととえば「夫の実家に帰ると、お姑さんが私にいやみを言うんです」っていう場合、
お姑さんは何であなたにいやみを言うのでしょうか?  

答えは簡単です。

息子に帰ってきてもらいたいけれど、嫁にはきてもらいたくない。
そういうお姑さんの気持ちを察してあげてください(笑)。
これはお姑さんを「上気元」のままにしておく、思いやりでもあるんです。

だから、ご主人だけを里帰りさせて、自分は行かなければいいんです。

もちろん、不機嫌にならない範囲の人であれば、会えばいいんですよ。

でも、不機嫌になるくらいイヤな人なら、会わなければいいんです。
イヤな人間と無理に付き合って、苦しい思いをしながら、幸せにはなれません。

不機嫌になる人とは会わないで、その分、自分が「上気元」になる人に会ったり、
「上気元」になることをやっていればいいんです。

そうしていると不思議なもので、久しぶりに会ったときには
不機嫌にならず、仲良くしていられます。


            <感謝合掌 平成30年5月20日 頓首再拝>
13:伝統 :

2018/06/29 (Fri) 18:07:40


       *Web:PRESIDENT Online (2018.6.1) より抜粋
            ~齋藤 孝(さいとう・たかし)明治大学文学部 教授

《慢性的な不機嫌に蝕まれている現代人》

あなたは日々の生活のなかで、次のような人を見かけたことがないでしょうか。

   ・朝の通勤ラッシュ時、満員電車で肩を押されただけで舌打ちをしている人。
   ・ご近所どうしで挨拶しようとすると、スタスタと歩いていってしまう人。

   ・スーパーマーケットで小さな子供が泣き出しただけで、眉をひそめる人。
   ・飲食店のスタッフが少し雑談をしているだけで、クレームをつける人。

   ・電車がちょっとでも遅延すると、駅員に詰め寄って怒鳴る人。
   ・ベビーカーを見かけると、「邪魔」という感情を隠さない人。

   ・朝出社したときに、同僚に挨拶もせず、仏頂面でデスクに向かう人。
   ・会議で自分の提案がうまく通らなかったからといって、つっけんどんになる人。
   ・部下が失敗したときに、周囲の目も気にせず、ヒステリックに怒鳴りつける人。

挙げていくときりがありませんね。
どれも、おそらく心当たりのある光景ではないでしょうか。
しかもこうした行動をとっている人には、
地位も分別もありそうな方もかなりいらっしゃいます。

もしかしたら、あなた自身もこれらの行動をとってしまい、
後悔したこともあるかもしれません。

あるいは、自分がそうした行動をとっていることに気づかずに、
周囲から「あの人って不機嫌だな」と敬遠されている可能性もあります。


《不機嫌にも「役割」はあります》

不機嫌にも「役割」はあります。
というのも、感情は情報伝達のための手っ取り早い手段でもあるからです。

たとえば喫茶店で、店員から不要なミルクを入れられそうになったときに
「ちょっと!」と遮るのは、効果的な不機嫌といえるでしょう。

取引先で交渉に不利になる情報を部下が明かしそうになったときに、
「君!」とむっとした顔をするのも、方便としての不機嫌です。

取り返しのつかない状況を未然に防ぐために、
やむなく情報伝達としての不機嫌を活用することは、必ずしも悪いことではありません。


《現代人は四六時中、誰かの不機嫌な言動にさらされている》

しかしここで言いたいのは、現代人の不機嫌の大半は、
こうした情報伝達のためではないということです。

現代を生きる人の多くがかかえているのは、行き場のない「慢性的な不機嫌」です。
情報伝達の差し迫った必要性があるわけでもなく、
不快であることを伝えても事態は何も解決しないのに、
無意味な不機嫌を世の中に撒き散らしている人があまりにも多い。

誰も「舌打ちや罵倒をしたら事態が良くなる」と思っているわけではないのに、
どうしても表に不機嫌を出してしまっている。

現代人は四六時中誰かの不機嫌な言動にさらされ、ちょっとずつ精神を消耗しています。
そして自らも、知らず知らずのうちに不機嫌に侵食されてしまっているのです。



《だれもが上機嫌を保てるようになるべきだ》

不機嫌を抑えて人に見せないというのも、本来は私たちの職務の一つです。
職場に不潔な人がいたら、周りのみんなは厭(いや)な気分になるでしょう。
同じように職場に不機嫌な人がいたら、それもやはり厭な気分になるでしょう。

不機嫌でいると、「感じ悪いな」と思われるだけでなく、
「この人、人前でこんなに不機嫌さを出していて、社会人として大丈夫だろうか」
と警戒される可能性もあります。

単に寝不足や空腹ゆえに不機嫌だったというときも、他人は斟酌してくれません。


本当に不機嫌というわけでなくとも、
職務としては合格点をとれていない人は思いのほかたくさんいます。

だからこそ私はだれもが上機嫌を保てるようになるべきだと考えているのです。

   (http://president.jp/articles/-/25278

            <感謝合掌 平成30年6月29日 頓首再拝>
14:伝統 :

2018/07/03 (Tue) 19:45:04


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2018年06月27日)より

   (リチャード・カールソン氏の心に響く言葉より…)

   私たちはいつだって、
   気分がよくなったり悪くなったりするのをまわりのせいにする。

   休暇直前になって締め切りが迫った仕事を指示されるとか、
   上司が突然怒り出すとか、誰かのせいで遅刻したとか、
   こうした出来事のせいでイライラさせられていると思い込む。

   でも、本当はそうではない。

   前述したように、あなたの気分を左右しているのはすべて、
   あなた自身の「考え方」だ。

   それがわかってくれば、あなたは自分の気分とうまくつき合える。


   たとえば、ふさぎ込んでいるときは、
   できるだけ重要な決断はしないとか、

   大切な顧客に電話するのは、
   やる気がわいてくるまで待つといったことが、できるようになるのだ。

   自分の今の「気分」に気づき、理解して、気分に合った行動をとるのは、
   その日の天気に合った服を選ぶのに似ている。

   暑い日には涼しい格好をし、寒い日には上着をはおり、
   雨の日には傘をさす…気分とも、そうしてつき合えばいい。


   そして、まわりの人の気分にも波があることを知っておこう。

   相手の気分に合わせて自分の気分を変えるということではない。

   その人の気分を考慮に入れるだけで、
   いろいろなことがストレスなく回り始める。


   たとえば、部下がどうも機嫌が悪そうだとわかれば、
   気分が浮上するのをちょっと待ってから新しい仕事を指示する、
   といった具合に、

   機嫌がいいときなら部下はこちらの話を聞く耳を持つだろうし、
   ムキになったりしない。

   逆でも同じこと。

   仕事が忙しい時期にどうしても休暇を取りたいという相談を上司にするなら、
   やはり上司の機嫌がいいときを狙ったほうがいい。


   ただし、その人が不機嫌になっているのか、いちいち詮索しないこと。

   誰だって、気分に浮き沈みがある。

   もちろん「なぜ、そんなに仏頂面をしているんだ」と
   相手を責めたりしてもいけない。

   あなただって不機嫌になっていた瞬間があるはずで、お互いさまなのだ。


   また、「不機嫌なのはあなたのせい」と
   相手に責められたとしても、真に受けないこと。

   その人が不機嫌なあまり、あなたの態度に必要以上に
   厳しい目を向けているだけかもしれない。

   だから、あなたが思い悩む必要はないのである。

   <『自分のまわりにいいことばかり起こる法則』(浅見帆帆子訳)三笠書房>

               ・・・

機嫌がいいことは、人生を生きる上で、一、二を争うくらい大切なことだ。

なぜなら、不機嫌は伝染するから。

機嫌のいい人と一緒にいれば、気分は明るくなって、
笑いや、元気が出てくるが、

不機嫌な人と一緒になったら、気分は暗くなり、
仏頂面で、憂うつになり何もやる気が起こらなくなる。

不機嫌はまわりを不幸せにしてしまう。


逆に言うなら、まわりがどんなに不機嫌であっても、
自分だけは機嫌よく過ごす必要がある。

あの人が不機嫌だから私まで不機嫌になったという、
まわりに左右されている人は、人のせいにする人だ。

自律している人は、自分の機嫌は自分で取る。


いつも機嫌のいい人でありたい。

            <感謝合掌 平成30年7月3日 頓首再拝>
15:伝統 :

2018/07/05 (Thu) 19:12:47


         *Web:いい気分ドットコム より抜粋

(1)「いい気分」になると決める

  ①まずは、どんなときにも、
   「いい気分になること」こそを目標にすると決める!

  ②「いい気分」になるために、自分のよろこびを理解し、
   自分の可能性を信じて、前に進もうとすること!

  ③好まないことや望まないことを考えてしまっている
   自分の「思考」を放っておかず、「気分」の変化にうまく対処し、
   「いい気分」でいられる時間を少しずつでも長くしていこう。

  ④何をするときも、どこにいるときも、
   まずは「いい気分」を目指してみようと決めること。


(2)「現実」を悪くとらえるのをやめる

  ①どんなことにも「良い・悪い」の判断を下さず、
   ありのままにとらえ、対応してみよう。

  ②考えが狭くなっているときには、要注意。

  ③ネガティブな感情を覚えたら、
   より広い視点から、「現実」を見つめ直そうとしてみよう。


(3)他人ではなく自分を見つめる

  ①他人がどう思うか・どうするのかは重要ではないことを理解し、
   自分がどう思うか・どうするのかということについて、考えていくこと。

  ②自分についての判断や選択をするのは、自分であることを忘れない。

  ③他人の自由を100%認め、自分も100%自由であることを理解する。


(4)「本当の自分」と繋がる

  ①心をしずめて内なる自分と繋がり、自分本来の姿に戻る。

  ②「本当の自分」の気持ちを理解し、愛しみ、大切にする。

   「正しいかどうか」「損か得か」で物事を判断しようとするのをやめて、
   「自分が満足を感じられる」と思うことを選択する。

  ③愛をもって物事をとらえ、多くを工夫しようとすること。


(5)いましていることに集中する

  ①人生の問題について深刻に悩むのをやめて、
   現在の瞬間に自分ができることを、確実にしようとすること。

  ②いま現在を楽しみながら、さらなる幸せや成功に向かっていこう!
   現在が面白くないときには、面白くなるよう工夫をすること。

  ③少しずつステップアップする現在を味わい、
   未来に期待して、毎日を充実させていく!


(6)いますぐ自由に人生を楽しむ!

  ①好きなものを求め、好きな人と過ごし、
   よろこびをもたらしてくれるものを見つけようとすることに、
   努力を惜しまないこと。

  ②狭い考えをもって、未熟な状態のまま立ち止まろうとするのをやめて、
   自分を良い状態にもっていけそうなことを考えてみる。

  ③とにかく、思いついたことを、いますぐやってみよう!

      (https://i-kibun.com/menu002.shtml

            <感謝合掌 平成30年7月5日 頓首再拝>
16:伝統 :

2018/07/07 (Sat) 20:18:51


いまや"不機嫌"でいることは重い罪である
それなら上機嫌を保ったほうが有益


       *Web:PRESIDENT Online (2018.6.9) より抜粋
            ~齋藤 孝(さいとう・たかし)明治大学文学部 教授

《不機嫌はなぜ許されなくなったのか》

(1)現代日本では、不機嫌な個人が多大な損をこうむる傾向が強まっています。
   これには二つの大きな要因があります。

   一つは、私たちの社会が「快適に暮らしたい」という
   快楽欲求をつねに追求しているから。

   各個人が快楽を求めあった結果、各人が働く側にまわったときには
   その要求に対応しないといけないという状況です。
   現代は、とかく不機嫌に厳しい時代なのです。

(2)そしてもう一つ現代において重要なのが、
   とりわけ若い人たちが「傷つきやすくなった」ということです。

   核家族化が進んで大人からきつい言葉を言われることが少なくなったことが
   あるのか、誰かの不機嫌を感知するとすぐに萎縮してしまうという人が
   増えているように感じています。

   相手が不機嫌さに傷つく度合いが高くなっているぶん、
   不機嫌の罪が重くなってきているのです。

(3)部下のミスを指摘するときに「それ全然ダメ」と言ってしまえれば
   上司としては楽でしょうが、現代ではそうはいきません。

   過剰にサービスを要求されるのも、必要以上に傷つかれるのも、
   それはそれで生きにくい社会といえなくもありませんが、
   今後そのような傾向が逆行するとは考えられません。

   むしろ自分にとって不機嫌がいかに損かということを理解し、
   上機嫌を目指すほうが、はるかに有益といえるでしょう。


《この10年で言葉の「負の破壊力」が格段に増大した》

(1)今の時代、説教ほど危険なものはありません。
   相手は傷つくのみでこちらの真意は伝わらず、
   その後の関係性がギクシャクしてしまう、

   もっと悪いと保護者が出てきて周囲を巻き込む問題に発展する、
   こうしたことは今さまざまな教育現場で起こっています。

(2)しかし不機嫌を使わずに、言いたいことを伝えることはいくらでもできます。

   不機嫌を退けるうえで、ジョークは大きな味方です。
   ジョークを言えるということは、「自分は事態を客観的に把握し
   自己をコントロールできています」と相手に示すことにもつながります。

   はっきりとわかる形で冗談を言えると、
   そのことで笑いが起きて、全体の空気が良くなります。

   (http://president.jp/articles/-/25279

            <感謝合掌 平成30年7月7日 頓首再拝>
17:伝統 :

2018/07/10 (Tue) 18:51:36


        *『不機嫌は罪である』齋藤孝・著 より要点の抜粋

(1)中年から老年にかけての男性の不機嫌の問題をいち早く取り上げたのが、
   シェイクスピアの『リア王』でした。

   リア王は、愛情深い末娘が自分におべっかを使わないことに激昂して
   彼女を追放し、甘言を弄する上の娘たちをかわいがった結果、
   身を破滅させて荒野をさまようことになります。

(2)性別や年齢にかかわらず上機嫌に見える方はたくさんいます。

   なぜなのか? 

   それは彼らが、自分の機嫌をコントロールし、周囲に上機嫌に
   見せるためのワザを身につけているからです。

(3)機嫌というのは、理性や知性とは相反する分野のように
   思われがちですが、気分をコントロールすることは
   立派な知的能力の一つです。

  ①ステップ(1)自分の「不機嫌の芽」を知る。

  ②ステップ(2)からだを上機嫌モードにする。

  ③ステップ(3)こころを取り戻すわざを身につける。

(4)まずはもっと「自分の気持ちを考える」ことを学ぶべきなのです。
   自分の気持ちがわからないままで、どうして他人の気持ちを
   思いやれるでしょうか。

(5)今は、イノベーションを起こすにも、
   チームワークが必要とされる世の中です。

   チームワークで最大の効果を出すためには、
   天才であっても上機嫌が求められます。

(6)あなたが上機嫌になれば、周りも上機嫌に変わっていく。

(7)現代のインターネットはみんながコメンテーターとして
   断罪する「私裁」の刑場になりつつあります。

   私裁、つまりリンチは、世界中のあらゆる国家の法律では禁じられています。

(8)「自分には正義がある」と思うこと自体が危険。

(9)文字に残るものに関しては基本的には不機嫌を露わにしない。

(10)人間の三大欲求を思い出してみてください。
   食欲、性欲、睡眠欲ですよね。

   実は、この三大欲求の裏には、共通する一つの欲求があります。
   それが「温まりたい」というのものです。

(11)不機嫌をなおす7つの習慣

  ①自分の「普通」は不機嫌に見えると自覚する。

  ②情報を遮断して自分の時間を持つ。

  ③血流を意識して、こまめにからだをほぐす。

  ④「一定の状態」を保つのがプロだと意識する。

  ⑤「まずいな」と思ったら一呼吸入れる。

  ⑥ネガティブな感情は、表現物に乗せて洗い流す。

  ⑦人の不機嫌を見て、自分の不機嫌をなおせ。

(12)不機嫌を抑えて人に見せないというのも、本来は私たちの職務の一つ。

            <感謝合掌 平成30年7月10日 頓首再拝>
18:伝統 :

2018/08/04 (Sat) 18:54:38


      *「フリーエネルギー版 宇宙にたった1つの神様の仕組み」
        飯島秀行・著(P73~75)より

世の中には、ちょっとした事ですぐ腹を立てる人がいます。
また逆に何を言われても、平然な人もいます。
この二人は何処がどう違うのだろう、という事です。

短気者は、冷静な判断がし難い人が多いと思います。
自我意識が強いという事です。
自分を中心に物事を考えるから、自分に都合が悪くなると、自分は悪くない、
とすぐ弁解する意識の持ち主です。

短気者に原理を理解出来ている人はいません。
何故なら自我意識の強い人だからです。
悟りへの道から遠ざかっています。
何をやっても上手くいかない性格です。

 
上手に物事を運ぶには、冷静な判断が必要です。
冷静な判断が出来る人に、短期者はいないのです。
温厚な人は、人に何かを言われても、目くじら立てて、怒る事はしません。

何故この人は、私にこんな事を言うんだろう、
と相手の気持ちに成って判断します。
全体を一つとして、判断する癖が付いていますから、
滅多な事が無い限り、怒る事はありません。
 
そのような人は、相手の立場に立って、相手の為に怒りますから、
怒った後は、直ぐ冷静に戻って、いつまでも根に持ちません。

 
短気者は、いつまでも根に持ちますから始末に負えません。

すぐ怒る人と、なかなか怒らない人とでは、人生に大きく影響してきます。

原理の理解度と共に冷静さが増してきます。
短気者に怒るな、と言ったところで怒らなく成る事はありません。
 
暴力とて同じ事です。
暴力を振るうな、と言っても、暴力を止める事は、ありません。
短気や暴力を止めるには、原理の理解が必要なのです。
 
原理を知らない人、原理を知ろうと思わない人に、短気や暴力が存在するのであって、
知っている人、知ろうと努力している人に、短気や暴力は、存在致しません。

短気者や暴力亭主に、他人が幾ら言い聞かせたって、無駄な事です。

短気や暴力を止めるのには、原理の理解が必要なだけなのです。

今、物忘れや記憶が消える人が多くなっていると聞きます。
これらの症状もすべて同じ事がいえます。

 
固定概念を持つ頑固者ほど、これらの症状が出やすいのです。
 
健康で幸せを望むなら、原理を理解する道を歩む、これ以外ないのです。

何故なら、原理そのものが、健康で幸せな世界だからです。

            <感謝合掌 平成30年8月4日 頓首再拝>
19:伝統 :

2018/09/09 (Sun) 19:11:43


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2018年07月31日)より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   ストレスで毎日イライラするという人がいます。

   電車の中でも「押した」「押された」ということで
   朝からけんかをする人たちもいます。

   私もよく「ストレスを減らしたい」という質問を受けます。

   そういうときは、次のような話をします。


   今、私の横をある人が通り過ぎて行くとします。

   この人が通り過ぎて行くときに何か私に言ったとします。

   そのとき私がこの人の言ったことに何も感じなかったら、
   この人は単に通り過ぎるだけの人です。


   さらに次の人が来て、この人が私に何か言ったとします。

   そのとき私がイライラしたとすると、
   私がイライラした瞬間に、私をイライラさせる人が地球上に生まれたのです。

   「ちょっと待ってください、
   それではイライラさせる人というのはいないのですか。
   自分が勝手にイライラしたからイライラさせる人が生まれるのですか?」

   …答えはそのとおりです。


   自分がイライラしなければ、自分をイライラさせる人はどこにもいない。

   これが宇宙の原理です。


   さらにもう1回説明します。

   目の前にすごく嫌な人が(嫌な人というのは本当はいないのですが)来た
   と私が思ったとする。

   私が嫌な人と思った瞬間に、この人は嫌な人になります。

   私が嫌な人だと思わなかったら、
   この人は何も関係ない人として通り過ぎて行きます。


   ある人が私の目の前を通り過ぎて行くときに、面白い人と私が思ったとする。

   私が面白い人と思わなかったら、
   この人は私にとって関係のない人で、単に通り過ぎるだけの人です。


   「それではイライラさせる人も、嫌な人も、面白い人も、
   結局、宇宙には存在しないのですか。
   全部自分が決めた瞬間に生まれたのですか?」

   …まったくそのとおりです。全部自分が産み落としているのです。


   出来事についても同じです。

   ある現象が私の前を通り過ぎて行くとき、
   私が何の感情も抱かなかったらこれは単に通り過ぎるだけのことです。

   ある現象が私の目の前に来たとき、
   この現象が私にとって不幸だと思ったとします。

   私が不幸だと思った瞬間にこの現象は不幸になりました。


   私が不幸だと思わなかったら、
   これは何の関係もなくただ通り過ぎるだけのことです。

   次に来たときに、このことについて私が幸せだと思ったとする。

   思った瞬間にこれは幸せなこととなったのです。

   そして私が思わなかったら、
   これは単に通り過ぎるだけの関係ない現実です。


   「正観さん、では幸せも不幸も全然宇宙にはないのですか。
   自分が勝手に決めるのですか」

   …その通りです。


   通り過ぎる現象は自分に関係がないと思ったら関係がなく、
   それを心地いい、幸せだと思ったら幸せなことになります。

   しかし、それを不幸だ、不幸せだ、つらい、悲しい、悲劇だと思ったら、
   この人がそう決めた途端に悲劇になるのです。

   ですから自分が思わなかったら、
   自分の前に幸福な現象も不幸な現象も実は存在しません。

   あまりにも簡単すぎて、みなさんがっかりしていませんか?

         <『みんなが味方になるすごい秘密』KADOKAWA> 

              ・・・

自分の意に沿わないできごとには、
それが飲食店であろうが、コンビニであろうが、
怒鳴りつけたり大声で文句を言ったりする人はいる。

反対に、すこしぐらいのミスや間違いは何の問題にもせず、
「ありがとう」と、ニコニコと明るく機嫌よく帰って行く人もいる。

同じできごとでも、ある人は「自分をイライラさせた」と思い、
別の人はそれが「何にも気にならない」。


転んで骨折しても、
この程度ですんでよかった「ありがたい」と思う人もいれば、
なんてツイてないんだ「不幸」だと思う人もいる。

事実は一つだが、とらえ方は人によって180度違う。


嫌なことが気にならない人は、
満ち足りて余裕があって、機嫌のいいポジティブな人。

そして、他人は他人、と思っている。

嫌なことにすぐに反応したりイライラする人は、
日頃、人から認められていなくて、いつもいっぱいいっぱいで、
すぐに不機嫌になったり、ネガティブな考え方をする人。

だから、他人やまわりのことが気になって仕方がない。


「イライラさせる人はいない」

どんなことにも、誰に対しても、イライラしない方法を身につけたい。

            <感謝合掌 平成30年9月9日 頓首再拝>
20:伝統 :

2018/10/02 (Tue) 18:56:34


         *Web:デイリーインスピレーション(2017.8.29)より抜粋

おはようございます。


人はなぜ不機嫌になるのでしょうか?

職場で学校で家庭で、不機嫌になってしまったり、
不機嫌になっている人に振り回されたりする毎日を送っている人がたくさんいます。

不機嫌は思い通りいかない外界、すなわち環境・出来事・他人に
自らの心の状態が侵されている状態です。

不機嫌の背景には期待思考や未来思考、結果思考や正誤思考などが介在しています。

いずれも自分の思考の結果不機嫌になるのであって、
決して周りのせいで不機嫌になっているのではないのです。


不機嫌は重罪です。

不機嫌な人は不機嫌を引きずって
今目の前にいる人の二度とない今この瞬間の質を下げてしまっているのです。

質をないがしろにしている人に幸せはありません。

今この瞬間の質は人間の貴重な人生の財産であり、
目の前にいる人の唯一無二の時間という財産を踏みにじっていることになるのです。

自分が不機嫌で構わないと思っている人は、この原則を知る必要があります。

(中略)

それぞれの上機嫌があって、それはその人自身の品格や品性でもあると思います。


上機嫌は成熟した大人の証明です。

上機嫌な今この瞬間を自分の責任で生きる!

それが自分と世界のためなのです。

    ( http://www.drmaltz.jp/?p=20918

            <感謝合掌 平成30年10月2日 頓首再拝>
21:伝統 :

2018/10/15 (Mon) 17:04:32


       *Web:東洋経済ONLIN(2016/04/21 )
            ~西多 昌規 : 精神科医 スタンフォード大学医学部精神行動科学

(1)不機嫌になる原因のひとつとして挙げられるのが、フィジカルな問題です。
   きちんと休息や睡眠を取れていなかったり、ウツ気味だったりすると、
   人は自らの欲求を抑えることができなくなります。

   この欲求不満が、不機嫌に繋がります。

(2)同時に、不機嫌を引き起こすものとして注目すべきなのが、
   「自己評価の低さ」と「甘え」です。

   私たちは、誰もが「認めてもらいたい」「好かれたい」
   「思い通りにことを進めたい」など様々な欲求を持っています。

   これらは基本的に「他人を自分の期待どおりに動かしたい」という欲求です。

   こうした欲求が満たされないと、不満や怒りが生じます。

(3)不機嫌な人とは、自分に自信がなく他人に甘えている人なのです。

   不機嫌な人でいるということは、未熟なままでいるということです。

(4)一般的に、「~すべき」「~するはず」と考えている人は、
   不機嫌になりやすい傾向があります。

   相手に期待しすぎると、不機嫌になってしまうのです。

(5)上機嫌でいるためには、それらの思い込みを捨て、相手に望みすぎることをやめましょう。

            <感謝合掌 平成30年10月15日 頓首再拝>
22:伝統 :

2018/10/16 (Tue) 16:57:15


       *Web:東洋経済ONLIN(2016/04/21 )
            ~西多 昌規 : 精神科医 スタンフォード大学医学部精神行動科学

(1)相手の不機嫌に動揺すると、自分まで不機嫌に感染してしまいます。

(2)他人の不機嫌に感染しないためには、
   「問題のありか」をはっきりさせるとよいでしょう。

(3)そもそも、不機嫌の原因がどこにあったとしても、
   不機嫌を表現しているのは、まぎれもなく不機嫌な本人です。

   不機嫌を表に出すかどうかは本人の問題であって、あなたの問題ではありません。
   自分に非がないことがはっきりしているのなら、「
   あの人の不機嫌は、あの人の問題。私の問題ではないな」と意識して、
   不機嫌な人の策略に乗らないようにしましょう。

            <感謝合掌 平成30年10月16日 頓首再拝>
23:伝統 :

2018/10/17 (Wed) 20:14:43


       *Web:東洋経済ONLIN(2016/04/21 )
            ~西多 昌規 : 精神科医 スタンフォード大学医学部精神行動科学

(1)自分のミスや不出来のせいで、相手を不機嫌にしてしまうこともあります。
   そんなときは、後ろめたさから、自分もどうしても不機嫌になりがちです。

(2)このような場合、人望がある人は、「申し訳ありません」と腰を低くすると同時に、
   「再びこんなことにならないよう、今後は○○という対策を採りたいと思います」
   と建設的で前向きな態度を取ります。

   ふてくされるような卑屈な決して態度は取りません。

(3)どんな悪い環境や不運に見舞われても、
   建設的で前向きな態度を持ち合わせている人間は、
   周囲から「この人は困難を切り開くエネルギーを持っている」と見なされて、
   ナメられることがありません。

   ナメられないので、不機嫌をぶつけられることもなく、
   だからこそ建設的で前向きな人は、誰に対しても自分の意見が
   しっかりと述べられるようになります。

(4)いつもニコニコと上機嫌でも、
   肝心なときに言うべきことを言えなければ、人望は得られません。

   どんなに状況が悪くても不機嫌な態度を取らず、言うべきことはしっかり言う。
   建設的で前向きな態度を取り続けることが、人望を得るコツといえるでしょう。


            <感謝合掌 平成30年10月17日 頓首再拝>
24:伝統 :

2018/10/18 (Thu) 18:05:17


       *Web:東洋経済ONLIN(2016/04/21 )
            ~西多 昌規 : 精神科医 スタンフォード大学医学部精神行動科学

(1)不機嫌になりやすい人の特徴として挙げられることのひとつに、
   「関心の幅が狭い」ということがあります。

(2)疎外感にプライドや自己愛を耐えがたく傷つけられるせいで、
   人は不機嫌になりやすくなります。

   ですから、いつも上機嫌でいるためには、
   疎外感を感じなくて済むように、自らで対処するとよいでしょう。

(3)常に上機嫌でいたいという人は、読みたい本を買って読みましょう。
   関心の幅を広げ、小さな気づきを積み重ねることで、
   不機嫌の虫をゆっくりと退治していくことにつながるでしょう。

(4)『幸福論』で名高いフランスの哲学者・アランは、同著(新潮文庫)のなかで、
   「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」と
   言っています。

   嫌なことで落ち込んだり悲しんだりするのは気分に流れされやすい人であり、
   いつも機嫌良くしている人は意志の力でつねに機嫌良くいるよう努めているということです。

   いつも上機嫌でいられる人は、甘えない。
   だからこそ、信頼に足る人だということ。
   そのことをいつも忘れずにいたいものです。

   (https://toyokeizai.net/articles/-/114060

            <感謝合掌 平成30年10月18日 頓首再拝>
25:伝統 :

2018/10/20 (Sat) 18:15:46


           *メルマガ「人の心に灯をともす」(2018年10月16日)より

   (明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…)

   現代は、インターネットという、
   誰でもいつでも不機嫌をまきちらせてしまえるツールが誕生し、
   「他人の不機嫌には傷つきやすいのに、自分の不機嫌は無意識に発散させてしまう」人が
   増えている時代です。

   不機嫌を人にさらしている状態は、いわば「裸の王様」です。

   荒波のように波立った不機嫌を鎮め、オブラートに包んだ言動ができれば、
   自分も周囲も安心して社会生活が送れるようになります。

   マナーは自衛手段でもあるのです。


   周囲の空気が硬く委縮していても、他者へのサービス精神にあふれ、
   生きることのエネルギーにあふれた人が一人でもいれば、
   場の調子は必ず良い方向へと転じていきます。

   上機嫌であるというのは、人に対してオープンであるということです。

   その時々の気分で揺れることなく、つねに安定した上機嫌の心持ちを
   維持継続して物事に対応できる「オープンマインド・オープンバディ」な人は、
   円滑にコミュニケーションができます。

   コミュニケーションを通じて周囲にも良い効果を及ぼすことができ、
   結果的に自分の気持ちもさらに向上します。


   「上機嫌は人のためならず」。

   周囲の不機嫌に悩んでいる人、コミュニケーションの取り方に悩んでいる人こそ、
   上機嫌の効能に助けられるはずです。


   たとえば急ぎの用事があって電車に乗ろうとしたところ、
   前にいるお母さんとベビーカーの動きがおそく、
   自分が乗る前に電車のドアが閉まってしまったとしましょう。

   「子連れで出かけるのは本当に大変だろうなあ」と
   いたわりの心が持てる人もいるでしょうが、

   一瞬「やっぱりベビーカーは邪魔だな」「あの母子がいなかったらなあ」と
   イラッとしてしまう人もいることでしょう。

   「不機嫌の芽」が出る瞬間です。

   私は「不機嫌の芽」自体が必ずしも悪いものだとは思っていません。

   心のなかに不快な気持ちが生まれること自体は生理反応であり、
   人間としての性(さが)であるからです。


   以前、「機嫌とは、人の表情や態度に表れる快・不快の状態」だと述べました。

   感情の変化をその時点で確認し、抑えて、人前で見せなければいいのです。

   万一その場で舌打ちをしてしまっても、
   「あ、今のは良くなかったな」と自分を立て直すことができれば、
   上機嫌に一歩近づけます。


   あるいは、家族や友人に「今日ベビーカーが邪魔で電車に乗れなくてさー」と
   グチを言ってしまうことはあるでしょう。

   それでもまだ大丈夫。

   彼らはあなたの元々の性格や普段の行動を知っています。

   「まあまあ、そんなにイライラしなくても」「あなたらしくないんじゃない」
   と諫(いさ)めてくれ、「あ、今のは良くなかったな」と
   すぐに反省することができるはずです。


   しかしこのところの日本では、
   自分が思ったことをすぐにSNSに書いてしまう人が後を絶ちません。

   「今日電車に乗ろうとしたらベビーカーが邪魔で乗れなくて、用事に遅れちゃった。最悪」

   すると、どうでしょうか?

   あなたの不機嫌…他者に対する不寛容さを露(あら)わにした不用意な発言が、
   いきなり全世界に発信され、拡散し、多くの人に「未熟な人」という印象を
   与えてしまいます。

   これは非常に危険な状態だということが、おわかりでしょうか。


   「陰口」とされるものが、「陰」ではなくなり、公にさらされています。

   SNSは、こうして不用意に発せられた不機嫌な言葉であふれています。

   家でくつろぎながら何気なしにつぶやいたことが
   世界に伝播(でんぱ)することで、あなたの評判が下がったり、
   人間関係が破壊されたり、最悪職を失ったりすることもありえます。


   現代人は他者の不機嫌に傷つきやすくなっている一方で、
   24時間攻撃性を発揮できるようにもなりました。

   その主戦場はあなたも毎日ふれているであろうインターネット。

   もっと言えばツイッター、フェイスブック、LINEなどといった
   SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)です。

   情報テクノロジーの発達とともに、インターネットは、
   個人が自由に発言しコミュニケーションできる場所を数々生み出してきました。


   発信とコミュニケーションの機会が生まれたことで、
   人類社会に数々のメリットがもたらされたことは疑いようのない事実です。

   しかしその一方で、個人が自由に発信しコミュニケーションできるという
   インターネットの利点は、不機嫌を増大、蔓延させ、遠くまで広げてしまう
   という弊害ももたらしてしまったように思います。


   自動車の免許をとるときは、誰でも必ず自動車教習所に通って講習を受け、
   実技・筆記の双方で試験を受けて、合格する必要があります。

   もちろん免許を持っていても事故を起こす可能性はありますが、
   教習を受けているからこそ、人々は「いつ何かの拍子に加害者になるかもしれない」
   ということを頭の片隅に置きながら、身を引き締めて運転を行えるわけです。


   それに対してSNSはどうでしょう。

   免許どころか運転講習すらないのに、
   誰もが無責任に自分の気分を発信できてしまう。

   私はこれは非常におそろしいことだと思っています。

   みんながみんな、知らず知らずのうちに複雑な首都高速に乗っかってしまっている。

   SNSでの発言が原因で職を失った人や、
   他人の発言に傷ついて自殺した人もいるような状況なのに
   「いつか何かの拍子に加害者/被害者になるかもしれない」と言う発想が
   希薄な人が多いように見受けられます。


   インターネットには、自分も無免許運転であるにもかかわらず、
   他人を取り締まろうという不機嫌で傷つきやすい運転者があふれています。

          <『不機嫌は罪である』角川新書>

               ・・・

「上機嫌は人のためならず」とは、「情けは人のためならず」からきたもの。

人に親切にすれば(情けをかければ)、相手のためになるだけでなく、
やがては自分によいことがかえってくるということ。

上機嫌も同じで、自分が上機嫌でいれば、
それはやがて、上機嫌がかえってくるということ。


齋藤孝氏は、周囲が不機嫌なときは、
日本の神話「天の岩戸」を思い出すといいと言う。

天の岩戸とは、言うまでもなく、アマテラス大御神が
弟スサノオノミコトの乱暴な言動にほとほと耐えかねて、
岩戸の中にこもってしまったという話だ。

アマテラス大御神は、太陽の神様なので、世の中は真っ暗になってしまった。

そこで他の神々が相談して出した結論が、岩戸の前で宴会をするということ。

みんなで岩戸の前で、酒を飲み、歌って踊って、大笑いをした。

すると、アマテラス大御神は、私がこもっているのに、
「何でみんなでそんなに楽しそうにしているの」と気になって、
岩戸を少し開けたときに、力持ちの神様がその岩戸を目一杯開いたという物語だ。


つまり、こうした笑いや、踊り、歌などで、場を楽しくして、
不機嫌な人を上機嫌にするということ。

だから、上機嫌こそが問題を解決する、という教えだと斎藤氏は言う。


「上機嫌は人のためならず」

いつも上機嫌な人でありたい。

            <感謝合掌 平成30年10月20日 頓首再拝>
26:伝統 :

2018/10/25 (Thu) 18:18:16


        *「不機嫌は罪である」齋藤孝・著(P46~47)より

(1)現代は、24時間他人の不機嫌にさらされる時代である。

(2)不機嫌には 「慢性的不機嫌」 と 「瞬発的不機嫌」がある。

(3)不機嫌をなおすには3つのステップがある。

(4)現代では「職業としての上機嫌」が求められている。

(5)「快楽欲求の追求」と「傷つきやすさの増大」により、
   不機嫌の不利益はますます増している。

(6)特に職場で不機嫌であることの不利益は、はかりしれない。

(7)天才と子ども以外は、上機嫌でいるに限る。

            <感謝合掌 平成30年10月25日 頓首再拝>
27:伝統 :

2018/10/26 (Fri) 18:12:55


      *Web:活かす読書(2018年06月04日)
           ~不機嫌は罪である の書評 より

ステップ1.自分の「不機嫌の芽」を知る
     ~:「不機嫌がきているな」と思ったら、
        その場から離れ相手と距離を置き、冷静になる。

 自分が不機嫌になりつつあることに気づくには、
 自己を客観視する必要があります。

 一度感情の細かい状態モニタリングして、
 自分自身のパターンを把握しておくと、
 「不機嫌の芽」が出てきた瞬間に気づくことができます。

 少しでも「不機嫌がきているな」と思ったら、トイレに行きましょう。

 実際に用をたさなくても、手や顔を洗うだけでも構いません。

 トイレに行って、元の場所に戻るだけでも、
 「不機嫌の芽」を摘むことができます。


ステップ2. からだを上機嫌モードにする
      ~からだの調子を整えあたためて、不機嫌の芽がでにくくする。

 普段から「不機嫌の芽が出にくい状態」を
 維持するには、からだの調子を整える必要があります。

 メンタルケアの王道は、からだを経由して、
 こころに働きかけることです。

 目指すのは、心身のほぐれたの状態。

 この状態をつくる有効な方法が呼吸法です。

 鼻から3秒吸って、2秒お腹の中にぐっと溜めて、
 15秒かけて口からゆっくり吐き出します。

 また、からだを温めて、リラックスするために、
 「湯船によく浸かる」ことも有効です。


ステップ3. こころを取り戻すわざを身につける
      ~気分が変動したときに煩悩から解放し、
       平常心を取り戻す技を身につける。

 からだの状態が上向いた後は、こころの状態もケアする必要があります。

 上機嫌への第一歩は「ふっきる」こと。

 断言力・想像力・自分を笑い飛ばす力を
 身につけ、執着をふっきり、自己肯定します。

 そして、こころの状態を一定に保つために、
 「切り替えのスイッチ」を用意しておくものいいでしょう。

 齋藤さんオススメの気軽に試せるスイッチは、
 「腕をぐるりと回して、肩甲骨をほぐす」
 方法です。

また、本書では上機嫌の特効薬として、
「音楽」を聞くことが紹介されていました。

   (http://ikadoku.blog76.fc2.com/?no=3295 )

            <感謝合掌 平成30年10月26日 頓首再拝>
28:伝統 :

2018/11/14 (Wed) 17:17:37


        *Web:人生について考える(2015年2月22日)より

『人間の最大の罪は不機嫌である。』

ゲーテは上記のように述べたそうですが、最大の罪っていうのは
ちょっと言い過ぎでは、と思いますよね?。

でも、どうやらそうでもないようです。

悪い噂は良い噂の何倍ものスピードで広まると言います。

この手の話はNETにも沢山掲載されていますが、
とにかく人は(私も含めて)「悪い噂話」や「他人の不幸な話」が大好きです(汗)。

どこどこのお店のサービスが悪いとか、あの人は感じが悪かったなんていう
「悪い噂」は、枯野に火が燃え広がるように、瞬く間に広がってしまいます。

また不機嫌は伝染するとも言います。



『あなたがいつも悩んだり、イライラしたり不機嫌でいたりすると、
その感情が家族を病気にするかもしれません。個体としては別でも、
不健康は潜在意識を媒介して伝染するのです』

マーフィー牧師によれば、人は無意識(潜在意識)でつながり合っているので、
心の不機嫌や不健康は伝染するというのです。

この世界の多くの人は、どんな人でも間に6~7人の友達や知り合いを介在させれば、
つながりあうという学説がありますが、もしも不機嫌が伝染するなら、
私の不機嫌が次々に伝染して、それはもう周りがみんな「不機嫌病」に
かかってしまいます(汗)。


(六次の隔たり:
http://mslabo.sakura.ne.jp/WordPress/blog/2014/06/22/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AB%E5%BA%83%E3%81%8C%E3%82%8B%E5%8F%8B%E9%81%94%E3%81%AE%E8%BC%AA/ )


まさにゲーテの言うとおり、不機嫌は罪なのかもしれません・・・。

でも世の中には、いくら自分が機嫌よく振舞っていても、
あるいは笑顔で対応しても、笑顔を不機嫌で返してくるような
「残念な人」がいるのも事実です。

自分の不機嫌が周りを不幸にしていることなどお構いなしに、
「自分が、自分が、自分が」と自己主張をする人は、本当に残念ですし、
ついついこちらにも不機嫌が伝染してしまいます。


「置かれた場所で咲きなさい:渡辺 和子:幻冬舎」で、
シスターである渡辺さんは上記のような世の中にふれ、
次のような「ほほえみ」という詩を紹介されています。


   もしもあなたが 誰かに期待した
   ほほえみが得られなかったなら
   不愉快になる代わりに
   あなたの方から ほほえみかけて ごらんなさい

   ほほえみを忘れた人ほど
   それを必要とする人は いないのだから


笑顔を不機嫌で返してくるような人ほど「本当は笑顔に飢えている」
と渡辺さんは指摘されます。だから、そんな人には笑顔で答えてあげる。




『人がいらだったり、不機嫌だったりするのは、あまり長い間
立ち通しでいたせいであることがよくある。
そういう時、その人の不機嫌に対して理屈をこねあげたりしてはいけない。
椅子を差し出してやるがいい』

幸福論で有名なアランも上記のように述べていますが、
ここでいう「立ち通し」とは「苦労や不幸な思い」の事でしょう。
だからそんな人には「椅子=笑顔や親切」を差し出してあげるべきだと言うのです。


先の本で渡辺さんは次のようにも書かれています。

「何もできなくていい。ただ笑顔でいよう」

どんな時も「ただ笑顔でいる」事は、簡単そうに見えて、ずいぶんと難しいように思えます。

しかし、不機嫌な人にあわせて自分も不機嫌になるのではなく、
自分だけは笑顔(それが難しければ、せめて普通)でいてあげる。
不機嫌の連鎖を止めるのですね。



『笑顔は人生に効くクスリです』(福田 純子:エッセイスト)

http://mslabo.sakura.ne.jp/WordPress/blog/2015/02/22/%E4%B8%8D%E6%A9%9F%E5%AB%8C%E3%81%AF%E7%BD%AA/ )

            <感謝合掌 平成30年11月14日 頓首再拝>
29:伝統 :

2018/11/15 (Thu) 17:42:44


        *「不機嫌は罪である」齋藤孝・著(P131)より

(1)不機嫌は「状態」なので、
   からだの調子をととのえることでも改善できる。

(2)目指すべきは心身のほぐれた「オープンマインド・オープンバディ」

(3)慢性的な不機嫌は、「温まりたい」欲求が満たされていないことと
   かかわっている。

(4)からだを温めるには、リラックスした姿勢と深い呼吸が不可欠である。

(5)深い呼吸をマスターすると、緊張しなくなり、
   コミュニケーション力も向上する。

(6)世界的なムーブメント「マインドフルセス」も上機嫌に役立つ。

(7)昔の日本人のように「湯船によく浸かる」ことも、上機嫌の作法。

(8)他人から上機嫌に見えるためにも、
   「表情」と「声の張り」を見直そう。

            <感謝合掌 平成30年11月15日 頓首再拝>
30:伝統 :

2018/11/18 (Sun) 18:08:59


        *「不機嫌は罪である」齋藤孝・著(P182)より

(1)自分の「普通」は不機嫌に見えると自覚する。

(2)情報を遮断して自分の時間を持つ。

(3)血流を意識して、こまめにからだをほぐす。

(4)「一定の状態」を保つのがプロだと意識する。

(5)「まずいな」と思ったら一呼吸いれる。

(6)ネガティブな感情は、表現物に乗せて洗い流す。

(7)人の不機嫌を見て、自分の不機嫌をなおせ。

            <感謝合掌 平成30年11月18日 頓首再拝>
31:伝統 :

2018/11/25 (Sun) 18:03:44


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2018年11月13日)より

   (明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…)

   今、世の中はどんどん軽やかな文化になりつつあります。

   よく、日本から「大人」がいなくなったという話も聞きますが、
   私はそうは思いません。

   全体的に若々しくなった、ということなのです。


   昔と比べて、電車のマナーは格段によくなってきていますし、
   公共機関のサービスの質もどんどん上がっています。

   もちろん例外もありますが、
   それらは常識が行き渡り、社会が成熟している証拠でしょう。

   つまり、全体的に人々が“きちんと”してきているわけです。


   かつての大人(中高年)には、どこか不機嫌そうでいかつく、
   重たいイメージがありました。

   昔の文豪であれば、不機嫌そうにしていても
   周囲が気を遣ってくれるかもしれませんが、今はそういう時代ではありません。

   つまり、重く威圧的な大人は、時代とマッチしないのです。

   不機嫌そうにしているだけで職場の雰囲気を重くしますし、
   その不機嫌さ自体が、ある種のハラスメントにつながりかねない世の中です。


   軽やかなスピードがあって、いつも笑顔で上機嫌。

   周りの雰囲気をやわらかくし、
   趣味や愚痴を言われてもおおらかにふんわりと受け流す。

   修羅場のようなシチュエーションでも、それ自体を面白がる余裕を持ち、
   白黒はっきりつけようとせず、むやみに一喜一憂しない。

   そんな人物こそが、今の時代に求められる
   スマートな「大人」だといえるでしょう。


   ところが、これだけ社会が成熟し“きちんと”しているにもかかわらず、
   かつてと比べて、ストレス耐性が弱くなっているという事実があります。

   昔ならざらにあったようなことでも心の傷となり、
   ひどい場合はトラウマとなって病院に通う人も少なくありません。

   そこで求められるのが、「大人の対応力」です。


   「大人の対応力」とは、いわばディフェンス力。

   言い換えれば、自分が傷つかないように対応できる力のことです。

   自分をきちんとコントロールできる大人は、
   多少の攻撃にあっても傷つくことがありません。

   なぜなら、どんな場面においても、フレキシブルに対応できる力があるからです。

   決してカッとせず、ムッとせず、力まず、やらわかい選択肢を考えます。

   当然、不用意に他人を傷つけることもありません。


   自分自身をコントロールして、きちんと大人の対応をしておけば、
   「あいつにこんなことを言われてしまった!」
   「どうしてあのとき、あんなことを言ってしまったんだろう」と、
   根に持つようなこともなくなります。

   なぜなら、本当の「大人」は、後で愚痴をこぼさずにすむように、
   その場でしっかり臨機応変に対応できる力を持っているからです。

   大変な苦労をしている人ほど、自分が大きな歯車の中で、
   いろいろな人や物の助けがあってこそ生きていけるのだと感謝しているものです。

   そして、どんなことがあっても「たいしたことないよ」
   と涼しい顔で言う強さを持ちあわせています。

   とても格好いいですね。

   こういう人は経験が豊富なので、たいていのことには動じないのです。

   これぞ、「大人」の本来の姿ではないでしょうか。

          <『大人の対応力』ワニブックス>

              ・・・

欽ちゃん(萩本欽一)はカッとなることについてこう語っている。
(「まけるが勝ち、勝ち、勝ち!」廣済堂新書)より


『「負けるが勝ち」よくこう言いますよね。

僕もそう信じています。

でも、なんで負けるほうが勝ちなんだと思いますか?

僕なりの理由はこう。“負けたほうが運がたまるから”。

誰も必ず人と意見が衝突することがあるけれど、
そういうとき「自分のほうが正しい」とか「議論に勝ちたい」って、
つい思っちゃいますよね。

でも、そう思ったら負け。

勝とうとすると自分の運が減っていくんです。

カッとなって「てめえ、ばか野郎!」なんて相手に言うと、
それだけで運が10ポイントも減点されちゃう。

「てめえ」でマイナス2ポイント、「ばか野郎」で8ポイントの減点。

売り言葉に買い言葉で1時間も相手を罵っていると、
それだけで2000~3000ポイントも運が減ります。

このマイナス分は、なかなか取り戻せないですよ。

だから言い合いになったときは、自分が正しくないかということより、
運を減らさないことを大事に考えたほうがいいの』


まさに、大人の対応だ。

カッしたり、ムッとしたりしないため、大人の対応力を身につけたい。

            <感謝合掌 平成30年11月25日 頓首再拝>
32:伝統 :

2018/11/28 (Wed) 19:17:28


         *Web:ダヴィンチニュース(2018.10.3)

現代を生きる人の多くがかかえているのは、行き場のない「慢性的な不機嫌」です。
情報伝達の差し迫った必要性があるわけでもなく、不快であることを伝えても
事態は何も解決しないのに、無意味な不機嫌を世の中に撒き散らしている人が
あまりにも多い。

 
この文章を読んで身に覚えのある人はいませんか。
朝の通勤電車が人身事故で遅れたとき、そのイライラを
TwitterやFacebookでつぶやいてしまった経験は?

よく考えてみれば、不機嫌を表に出したところで
物事がうまくいくケースは極めて少ないことがわかります。

不機嫌だと仕事の生産性も落ちますし、建設的な話し合いを持つことも難しくなります。
不機嫌を表に出すことは世間にとっても自分自身の人生にとっても「罪」である、
と断罪するのは『不機嫌は罪である』(齋藤孝/KADOKAWA)です。

 
湧いてきた感情を即座に文字にしたくなる気持ちはわかります。
しかし、それを読んだ人はどのような気分になるでしょうか。
TwitterやFacebookでそのような投稿を目にすると気分が滅入ります。

あまりにもひどい内容だとそういう投稿をした人の人間性を
疑ってしまうこともあるかもしれません。

中には不機嫌というのは、自分がなりたいからなるのではない、
周囲の状況や環境が不機嫌にさせるのだ、と考える人もいるかもしれません。

そういう人は次のように考えてみるとよいのではないでしょうか。

機嫌というのは、理性や知性とは相反する分野のように思われがちですが、
気分をコントロールすることは立派な知的能力の一つです。

気おくれすることなく、不機嫌を他人に見せることのできる人の多くは
おそらく自分のことをバカだとは思っていないはずです。

バカでないのなら、自分の機嫌くらいコントロールできるようにならなければなりません。

それではどのようにして私たちは自分の機嫌をコントロールすればよいのでしょうか。

私たちは子どもの頃から「他人の気持ちを考えましょう」と教わります。
しかし、著者は自分の機嫌をコントロールする方法として最初にするべきことは、
意外にも「自分の気持ちを考える」ことだといいます。

 
自分の気持ちがわからないままでは他人の気持ちなど思いやれないというのがその理由です。
客観的に行動するためには自分の状態を細かくモニタリングできていることが必要です。

自分の思考や感情のパターンを把握しておくと、
不機嫌な感情が湧き起こった段階で冷静にその状態を見つめることができます。

本書では気づいたやり過ごす緊急避難的な方法のほか、
不機嫌の芽ができにくい状態をつくるための心の整え方、
そして安定した状態を取り戻すワザを身につけるための方法が解説されています。

他人に不快な思いをさせないために上機嫌でいることが必要なのでしょうか。

そうとは限りません。上機嫌の最終目標は自分を上機嫌にするだけでなく、
周囲もおだやかな上機嫌にすることです。

機嫌は自分一人で維持するのはなかなか難しいこと。
自分が上機嫌になることで、周囲も上機嫌にしてしまうのが狙いです。

つまり、上機嫌でいることは自衛手段にもなるということです。
みんなの機嫌がよくなれば、組織としてのパフォーマンスも上がるので
結果としてみんながハッピーな状態になることができます。

人は機嫌がいい人のところに集まります。

上機嫌を心がけることで悩みの突破口が見つかったり、
思わぬところで仕事に役立つ話が舞い込んできたりすることもあるかもしれません。

上機嫌でいることは周囲を巻き込んで「よい流れ」を作り出すことでもあります。
人生はよいことばかりとは限らないからこそ、上機嫌でいることが大切です。

      (http://news.line.me/issue/oa-davincinews/729eee329653 )

            <感謝合掌 平成30年11月28日 頓首再拝>
33:伝統 :

2019/01/17 (Thu) 20:06:18


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2018年12月20日)より

   (ジェリー・ミンチントン氏の心に響く言葉より…)

   あなたが選択をするたびに何が起こるだろうか?

   あなたは変化をつくり出し、そうすることによって自分の人生経験を変える。

   だが、それで終わりではない。


   「小さなどんぐりが生長して大きな樫(かし)の木になる」という格言のとおり、
   最初はささいなことでも、やがて大きくなる可能性がある。

   あなたの選択は自分の人生経験に影響を与えるだけでなく、
   多くの人の人生を変える可能性があるということだ。


   たとえば、ある人が誰かに腹を立てると、二人とも気分を害する。

   そしてその二人は別れたあとで出会う人たちに自分の怒りをぶちまける。

   幸せな感情も同様だ。

   楽しそうに話をしている人たちは、その幸せを他の人にも伝える。

   このように、どんな感情も次々と周囲に広がっていく。

   
   ドミノ倒しを想像しよう。

   ひとつのドミノを倒すと、次々とドミノが倒れる。

   私たちの行動が周囲の人に影響を与えるのもそれと同じ原理だ。


   世の中に影響を与えるのは、私たちの感情だけではない。

   私たちの行動もまた、地球上の人びとに影響を与える。


   あなたがどんな感情を表現し、どんな行動をとるかは、あなたしだいだ。

   しかし、それはネガティブであるよりポジティブであるほうがずっといい。

   それはまさに、自分が世の中にとって
   有益な存在となるか有害な存在となるか、どちらを選ぶかという問題だ。

   今後、自分がなんらかの選択をするとき、
   それが世の中に好影響か悪影響のどちらを与えるかを必ず自問しよう。


   《自分の行動が多くの人の人生を変える可能性があると考慮して最善の選択をしよう》

        <『自分の価値に気づくヒント』ディスカヴァー携帯>

               ・・・

多くの人は、自分の行動など世間に影響を及ぼさないと思っている。

影響を及ぼすことができるのは、ひと握りの有名な、
政治家や、経営者、人気ブロガー、テレビタレント、スポーツの選手たちだろう、と。

しかしながら、本当は、誰もが、毎日、他人に大なり小なり影響を与えている。


それは例えば、家庭や仕事のできごとや、
あるいは毎日見るFacebookやlineやメール、また他には、
いつも行くコンビニやレストランや、車や電車で移動中に感じたこと。

その中で、ちょっとほっこりしたり、感動したり、嫌な気持ちになったり、
喜んだり、腹が立ったり、嬉しくなったり、気分が悪くなったり、と色々な気分になる。

これが他人に影響を与えているということ。

積もり積もれば、人は人に大きな影響を与えている。


それは例えば…

毎日、怒ってばかりいる人。

毎日、不機嫌な人。

毎日、イライラしている人。

毎日、愚痴や泣き言ばかり言っている人。

毎日、人の批判や悪口ばかり言っている人。

こんな人が、まわりにいい影響を与えられるわけがない。


そうではなくて…

毎日を、笑顔で、明るく、上機嫌で、
感謝の言葉を口にし、うれしい、楽しいと言っている人に。

多くの人にいい影響を与えられる人でありたい。

            <感謝合掌 平成31年1月17日 頓首再拝>  
34:伝統 :

2019/01/19 (Sat) 18:30:23


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2018年12月13日)より

   (精神科医、斎藤茂太氏の心に響く言葉より…)

   誰にでも嫌いな人はいる。
   私にも「いっしょにいると不愉快だ」と思う人はいる。

   しかし、そういう人でもうまく利用することはできる。

   私は、嫌な人物に出会うと「他山(たざん)の石」と思うことにしている。

   「他山の石」とは、どんなものでも自分を磨く助けになるという意味だ。

   他の山でとれた粗悪な石でも、自分が玉(宝石)を磨くときの
   砥石(といし)に使える、ということである。

   自分のやっていることには、なかなか気がつかないものだ。

   だが、相手の言動で不愉快な思いをすると「自分も気をつけよう」と思う。

   「あれはやっちゃいけない」「ああならいほうがいい」と気がつく。

   これはありがたい。

   この、嫌な人のおかげで、またひとつ、やってはいけないことがわかった。

   そう思うと、少しは口惜(くや)しさが晴れる。


   また、その場では負けたような気がして嫌な気分でも、
   内心、「なんとかあいつをやっつけてやろう」「追い越してやろう」と
   自分が努力するエネルギーの源泉になる。

   まわりがあまりにいい人ばかりでは、幸せかもしれないが、
   満足してしまい、それ以上に発奮しない、ということにもなり得る。

   しかし、ありがたいことに、世の中は嫌な人間にことかかない。

   だから、しょっちゅう発奮することができる。

   人間観察の力も養われる。


   電車に乗っていても、周囲を観察していると楽しいものだ。

   なかにはデーンと足を開いて二人分の座席を独占している人もいる。

   「他人様(ひとさま)への思いやりが全然ないなあ。あれはよくない」と思う。

   ちょっと他人に気を配る気持ちがあれば、あんなことはできない。

   こういう人は自分のことしか頭にないのだろう。


   反対に、私の家内などは電車の中で、重そうな荷物を抱えた20代の若奥さんに
   「どうぞお座りください」と席をゆずったりしている。

   自分の年を忘れている。

   これには相手も困ってしまう。

   私も以前は席をゆずると、自分がまだ若いという気持ちになって、気分がよかったが、
   相手への思いやりもその年齢なりに変わってくるものだと気づいた。

   あなたの周囲にも、きっと「感じの悪い人」がいるだろう。

   その人は、実は、神様がおつかわしになった悪い見本例である。

   毛嫌いせずに「いい人間関係をつくるのに役立った。ありがたや、ありがたや」
   とつぶやいてみるといいのである。

            <『ほがらかに品よく生きる』新講社>

               ・・・

小林正観さんは、「イライラさせる人」はいないという。

いるのは、イライラする人がいるだけ。

ある人をみて、Aさんはイライラし、別のBさんは何も気にならない。


これは、幸不幸の現象と同じ。

幸福という現象や、不幸という現象があるわけではなく、
幸福と感じる人と、不幸と感じる人がいるだけだ。


たとえば、道で転んで足を骨折してしまったとき…

ある人は、この程度ですんでよかった、ラッキーだった、ツイてる、と感謝する。

別のある人は、ホントにツイてない、まったく嫌になる、
なんでこんなことばかり起こるんだろう、と悲観する。


いつの時代にも、どんな世界にも、嫌な奴(やつ)は必ずいる。

だが、それを「その人がいるから自分も有頂天にならずにすんでいる」とか
「“人の振り見て我が振り直せ”という神様からのメッセージなんだな」と思うなら、
その人は幸せな人生を送れる。

反対に、「いつか仕返ししてやる」「今度会ったら怒鳴り返してやる」と思うなら、
その人は不幸の道をまっしぐらだ。


不愉快な人に会った時…

「いい人間関係をつくるのに役立った。ありがたや、ありがたや」とつぶやける人でありたい。

            <感謝合掌 平成31年1月19日 頓首再拝>    
35:伝統 :

2019/02/24 (Sun) 19:16:47


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019年02月24日)より

   (齋藤孝氏の心に響く言葉より…)

   現代人は他者の不機嫌に傷つきやすくなっている一方で、
   24時間攻撃性を発揮できるようにもなりました。

   その主戦場はあなたも毎日ふれているであろうインターネット。

   もっと言えばツイッター、フェイスブック、LINEなどといったSNSです。

   情報テクノロジーの発達とともに、インターネットは、個人が自由に発言し
   コミュニケーションできる場所を数々生み出してきました。

   しかしその一方で、個人が自由に発信しコミュニケーションできる
   というインターネットの利点は、不機嫌を増大、蔓延させ、遠くまで広げてしまう
   という弊害ももたらしてしまったようです。

   このところの日本では、
   自分が思ったことをすぐにSNSに書いてしまう人が後を絶ちません。

   「今日電車に乗ろうとしたらベビーカーが邪魔で乗れなくて、
   用事に遅れちゃった。最悪」

   すると、どうでしょうか?

   あなたの不機嫌…他者に対する不寛容さを露(あら)わにした不要な発言が、
   いきなり全世界に発信され、拡散し、多くの人に「未熟な人」という印象を
   与えてしまいます。

   これは非常に危険な状態だということが、おわかりでしょうか。


   「陰口」とされるものが、「陰」ではなくなり、公にさらされてしまう。

   SNSは、こうして不用意に発せられた不機嫌な言葉であふれています。


   「自分のSNSなんて周囲の知人しか見てないし…」
   と思うかたもいるかもしれません。

   しかし、意外と広がってしまうものです。

   過去には、バイト先でショーケースの中に寝転がった写真を撮影して
   SNSにあげた不用意な学生が、店をクビになるだけでなく、
   その店自体も閉店に追い込まれてしまった、というような事件も頻発しています。

   いわゆる「バカッター炎上」と呼ばれたものですね。


   家でくつろぎながら何気なしにつぶやいたことが
   世界に伝播(でんぱ)することで、あなたの評判が下がったり、
   人間関係が破壊されたり、最悪職を失ったりすることもありえます。

   私はSNSのこのような現状を、
   たくさんの無免許運転車が首都高速を走っているような状態だと感じています。

   しかもインターネットには、自分も無免許運転であるにもかかわらず、
   他人を取り締まろうという不機嫌で傷つきやすい運転者があふれています。

         <『不機嫌は罪である』角川新書>

            ・・・

齋藤孝氏は本書の中でこう語る。

『おすすめしたいのが、周囲が何かで不機嫌になっているときほど、
ジョークを言うということです。

そこで思い出すのが、『古事記』でつづられた「天の岩戸」のエピソードです。

太陽神であり日本でもっとも尊い神様とされている天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、
弟の素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴な言動にほとほと耐えかねて
「もうイヤです」と岩戸の中から出てこなくなってしまったことがありました。

大地に日光がささず、作物は育たず、世界から秩序が失われました。

そこで他の神様たちはどうしたか。

彼らがとったのは「宴会を催す」という方法でした。

みんなで岩戸の外で酒を飲み、歌って踊って、天照大御神の気を引いたのです。

八百万の神々が大笑いしているのを聞いた天照大御神は
「なんで私がこもっているのにみんなそんなに楽しそうにしているの」
と気になってしまい、

岩戸の外から「あなたより尊い神様が来ているからですよ」と言われて、
戸をガガガッと開けてしまいました。

こうした笑い、踊り、歌い、楽しい場を催すことによって
不機嫌な人を上機嫌にしてしまうんですね。


似たような例で「北風と太陽」という童話もあります。

これらが伝えているのは、
上機嫌こそが問題を解決するという非常に前向きな教えです。

私たちも、「魔女狩り」ではなく
「天の岩戸の宴会」の光景を、心にとどめましょう』


不機嫌な人を説得したり理論で屈服させようとしてもうまくはいかない。

正義感や理屈では人は動かないからだ。

大事なことは、自分がいつも機嫌よくしていること。


不機嫌は伝染するが、同様に上機嫌も伝染する。

いつも上機嫌でいる人でありたい。

            <感謝合掌 平成31年2月24日 頓首再拝>  
36:伝統 :

2019/03/12 (Tue) 18:30:54


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019年01月29日)より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   私たちは「喜ばれる存在として生きる」ために生れてきました。

   「喜ばれる存在として生きる」ことは、自分が達成目標を掲げて、
   そこに駆け上がったり、人より抜きん出たりすることではありません。

   「喜ばれる存在になる」=「頼まれやすい人」であること。


   人生の中に達成目標・努力目標はいりません。

   頼まれて、こき使われて、疲れ果てて死ぬ。

   これが人間の生き方です。


   心から楽しくて幸せなのは、友人たちからたくさんの頼まれごとをして、
   「しょうがないなぁ」と言いながら引き受けていくこと。

   頼まれごとが次から次へ来ている人は、それだけで人生が流れているということです。

   頼まれたことをやっていて、こき使われて、疲れ果てて死ぬ。

   それが人生のすべてであり、喜びです。


   《私たちは「喜ばれる」ために生れてきた。
   「喜ばれる」とは、頼まれごとを引き受けていくこと。》

        <『脱力のすすめ』イースト・プレス>

             ・・・

小林正観さんは、「頼まれごと」についてこう語る。(本書より)

『「頼まれない私はどうすればいいの?」と言う人がいます。

「頼まれる人はいいけど、私はなにも頼まれない。どうすればいいのだろう?」と。

頼まれない人は不機嫌な顔をしています。

人間の顔には表情筋が何十本とあり、
不平不満、愚痴、悪口を話すときは、表情筋の三分の二を使っています。

その筋肉を使えば使うほど、どんどん険(けわ)しい顔になっていく。

怖い顔をして、不機嫌な顔をしている人には、とても頼みにくい。

頼まれるかどうかというのは、顔が命です。

口元が上がっていて、眉間にシワが寄っていない、
顔全体がゆるんだ感じの人は、頼まれやすくなります。

同じようなことを3年間頼まれていると、
「私はこういう人生なのかな」と思う瞬間が来ます。

それを「立命の瞬間」と言います。』


欽ちゃんこと萩本欣一さんは、「イヤなほうから幸運の矢が飛んでくる」という。

苦手な方から幸運の矢が飛んでくる、と言うことでもある。


これは頼まれごとを引き受ける状況と似ている。

多くの頼まれごとは、めんどうなことだったり、ちょっとイヤなことだったり、
他の人が引き受けないこと、だったりする。

そんな頼まれごとを、文句や愚痴や泣き言を言わず、運命だと思って淡々と引き受ける。

すると、運がたまり、自分の生きる筋(すじ)が見えてくる。


たとえば、定年後、頼まれごとが多い人は幸せだ。

人から必要とされているからだ。


「頼まれない人は不機嫌な顔をしている」

頼まれごとの多い人生をおくりたい。

            <感謝合掌 平成31年3月12日 頓首再拝>  
37:伝統 :

2019/06/06 (Thu) 19:21:58


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019年04月20日)より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   講演会などに行って、100人の会場の中で仮に90人くらいが大笑いをしていると、
   体調の悪い人や、不機嫌な人など、残りの10人くらいの人も、
   ついつい笑ってしまって元気になって帰っていくことになります。

   だから笑顔になれる環境は、すごく重要なのです。


   でも実際は、たとえば電車の中では、なかなか思い切り笑えない。
   喫茶店で、思い切り笑いたくても笑えない。
   特に、夜、家族が寝静まっているところでは笑えません。


   だから、もし今笑える環境にいたら、笑ったほうがいいのです。

   せっかく参加費を払って講演会に来たのだったら、
   皆が笑っているときに不機嫌な顔をしないで、
   思いきり笑ってしまったほうが、
   いい波動、明るい波動を受けて、自分も元気になります。

   もし、その日、少し体調が悪いとか、疲れ気味という人がいて、
   その両隣の人が、本当に心をこめてうれしそうに楽しそうに、
   「うれしい」「楽しい」といったとする。

   そうすると、真ん中にいるその人は元気になっているはずです。


   大変不思議なことに、家族の中で病気の人がいるとき、
   その病気の人が、自分の口では「うれしい」「楽しい」「幸せ」「ありがとう」
   という言葉をずっと言いつづけていたにもかかわらず、
   病気がより悪くなってしまうことがあります。

   病気の人が、無理に病気と闘わないで、受け入れてニコニコしていたら、
   その結果として病気がどんどんよくなるはずなのですが、
   全然よくならないで、どんどん悪くなってしまったという場合もあるのです。


   そういう人には、ある共通点がありました。

   それは、家族に心配性の人がいた、ということです。

   その家族や周辺の人で、心配ばかりして、
   悪いことばかりを考えていた人が存在していた可能性があるのです。

   「目の前の人のことを心配してあげるのが、優しいことだ」
   と誤解をしている人がいる。

   その人が、24時間365日、病気の人を心配しつづけた結果として、
   心配されていた人の体がどんどん悪くなってしまった、ということがある。

   それは、共鳴共振だったかもしれません。


   逆に、本人が「苦しい」「つらい」と愚痴を言っていても、
   「大丈夫、大丈夫、全然なんでもない」というふうに
   家族やまわりの人が言っていたら、本人は「そうかな」と言いながら、
   どんどん元気になってしまう、という場合もある。

   “私”が思うことによって、“私”がニコニコすることによって、
   近くにいる人の細胞が変わる。


   「幸せにしてあげたい」と思った瞬間に、
   「あなた方は幸せじゃないですよね」と言っているのと同じです。

   だから、私は、皆さんに対して幸せになってもらいたい、
   とは全然思っていません。

   自分自身が幸せなので、幸せをかみしめながら生きているだけ。


   楽しそうに生きている人のそばにいると、自分の体も楽しそうな状況になる。

   愚痴や泣き言ばかり言っている人のそばにいると、
   細胞がシュンとして元気がなくなる。

   そばにいる友人や家族とは、互いに大きく影響し合っています。

         <『「そ・わ・か」の法則』サンマーク出版 >

             ・・・

「人間の最大の罪は不機嫌である」

と言ったのはドイツの詩人、ゲーテ。

なぜなら、不機嫌は伝染するからだ。

まわりに、不機嫌な人がいると不機嫌になり、
機嫌のいい人がいると機嫌がよくなる。


「今から、楽しそうにしてください」と急に言われたとしても、
なかなかなれるものではない。

しかし、まわりに楽しそうにしている人がたくさんいれば、
すぐに自分も楽しくなる。


商店街の商店や、中小企業で「後継者がいない」問題が日本中で多く起きているが、
商店主や社長が楽しそうに仕事をしているかどうかが問われている。

いつも不機嫌で苦虫をかみつぶしているような商店主やトップのもとに、
未来ある後継者がくるわけがない。

未来に好奇心がある人、どんなことでも面白がれる人、勉強が大好きな人、
明るくて積極的な人、威張らない人、勇気がある人、
そして、いつも笑いがあふれていて、人生を楽しんでいる人のまわりには、
たくさんの人が集まり、後継者もちゃんとできる。


「楽しそうに生きている人のそばにいると、自分の体も楽しそうな状況になる」

まわりの人から、あんなふうに楽しそうに生きてみたい、と思われる人でありたい。

            <感謝合掌 平成31年6月6日 頓首再拝> 
38:伝統 :

2019/06/17 (Mon) 19:35:25


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019年06月05日)より

   (明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…)

   《大人は微笑んでいる》

   ギリシャ生まれのラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は
   「日本人の微笑」という随筆を書いており、その中で
   「日本人の微笑とは、念入りに仕上げられた作法である」
   ということを述べています。

   日本人は、自分の悲しみを語るときですら、
   相手にそれが伝染せぬように微笑みをたたえる。

   それが作法だというのです。

   これが、外国人から見た日本人の印象だったのでしょう。


   大人の対応ができない人の多くには、微笑みが足りません。

   「面白い嫌味を思いつくものですね~」などと微笑みを浮かべていれば、
   相手の嫌味もこちらには響きません。

   ですから、微笑みというものを一つの“技”として
   身体に沁み込ませておくことは、たいへん重要なことなのです。


   ときには爆笑するような笑いも大切ですが、
   この場合は「いつも静かに笑っている」というような
   “微笑”がポイントですよ!

          <『大人の対応力』ワニブックス>

            ・・・

嫌味を言われたり、ちょっとした嫌がらせを受けたりしたときの対応によって、
大人であるか、あるいは未熟な子どもであるか、すぐにわかってしまう。

端的に言えば、余裕があるかないかの違いだ。

すぐにキレてしまったり、不機嫌になったりする人には余裕がない。


顔にすぐ出てしまう人だ。

顔にすぐ出る人は、感情を抑えることができないし、
自分の気持ちをコントロールできない。


心や気持ちをコントロールできない人は、逆に、外見を変えることも必要だ。

外見とは、微笑みをたたえたり、
「ありがとう」と口に出して言ってみたりすること。

反対の動作をすることによって、心や気持ちが穏やかに変わってくる。

つまり、余裕ができる。


怒りや、悲しみなど、心が波立ったときに、そのバランスをとるものが微笑。

微笑とは、アルカイック・スマイルのこと。

日本の飛鳥時代の仏像(広隆寺の弥勒菩薩が有名)などに見られるが、
口元だけの微笑みで、生命感と幸福感を演出するための技法だといわれる。


「大人は微笑んでいる」

微笑みは、まわりの人をホッとさせる。

            <感謝合掌 平成31年6月17日 頓首再拝> 
39:伝統 :

2019/12/20 (Fri) 19:36:14


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019年08月21日)より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   釈迦や玄奘や空海や龍馬ならずとも、
   出会う人みんなを味方につけていくような人間はたくさんいます。

   この四十年間、私はそういう人たちにずいぶん会ってきました。


   著名な、何か事をなしたというような人ではありません。

   お目にかかってすぐに、おお、これは…という
   すばらしい人物がゴロゴロいることに気がつきました。

   この人の敵側には回りたくない、この人の味方でいたいという人です。

   初対面でも、それがわかります。


   すると大事なことは、出会う人に向かって、
   説得するのではなく、ただ味方にすること。

   そのために味方になってくれるような自分の人格をつくることです。


   ニコッと笑って、目の前の人が味方になってくれそうな笑顔をつくる。

   そういう内容の人間になる。

   出会う人出会う人を味方につけていくと、ものすごく楽しい人生になります。

           <『淡々と生きる』風雲舎>

               ・・・

笑顔が似合う人は、機嫌のよい人だ。

反対に、笑顔が似合わない人は、不機嫌な人。


「人間の最大の罪は不機嫌である」

と言ったのはドイツの詩人であるヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。


いつも不機嫌だったら、出会う人出会う人はみんなどんどん離れていく。

味方になることは絶対にない。


また、「魅(み)は与(よ)によって生(しょう)じ 求(ぐ)によって滅(めっ)す」

という無能唱元氏の言葉がある。

魅力というのは、与えることで生まれ、
求めることによって無くなってしまう、ということ。

つまり、ギブの人。


「味方になってくれるような自分の人格をつくること」

いつも上機嫌で、ギブの精神あふれる人でありたい。

            <感謝合掌 令和元年12月20日 頓首再拝> 
40:伝統 :

2019/12/23 (Mon) 19:11:27


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019.12.20)より

   (菅原圭氏の心に響く言葉より…)

   「大人になる」とは、
   社会的な関わりのなかで生きていく自覚をもつということだ。

   上機嫌でいるか、不機嫌でいるか。

   大人になると、それはもう、
   自分ひとりの問題ではなくなるという認識をもっていたい。


   「上機嫌は大人のマナーだ」という言葉を聞いたことがあるだろう。

   機嫌のよしあしはまわりにすぐ広がっていく。

   上機嫌なら問題はないが、不機嫌だと大問題だ。

   たちまちまわりに広がった不機嫌が、
   その課や部など、ひいては会社全体の士気を下げ、
   運も引き下げてしまうからだ。


   不機嫌な人がひとりいると、その場の空気を調え、
   元通りの成果をあげるためには、上機嫌な人が3人以上いなければいけない。

   これは科学的に証明されている事実である。

   アメリカの心理学者マーシャル・ロサダは10年間にわたって
   アメリカ国内60社のマネジメントチームを観察し、
   「業績のいいチーム」と「業績の悪いチーム」における
   ポジティブな言葉とネガティブな言葉の使用頻度などを比較し、

   「業績のいいチーム」ではポジティブな言葉がネガティブな言葉の約3倍、
   使われていることを明らかにした。


   「ロサダの法則」と呼ばれるこの研究結果を拡大解釈すると、
   チームの業績を上げるには、ポジティブな言葉を発する上機嫌な人が、
   ネガティブな言葉を発する不機嫌な人の3倍いなければならないことになる。

   逆にいえば、不機嫌な人は上機嫌な人の3倍もの影響力を放ち、
   まわりを不機嫌一色にしてしまうといえる。

   恐るべし、不機嫌パワー!


   人は、ひとりで生きているわけではない。

   家族、仕事の仲間、遊び仲間…。

   いつもまわりに人がいる。

   一人暮らしだとしても、背後には親や兄弟姉妹、友だち…
   自分の人生を支える多くの人がいるはずだ。


   いつも上機嫌でいることは
   こうしたまわりの人々の運も引き上げる効果があることを肝に銘じておこう。

   とくに役職者など、みなをまとめる立場になったら、
   自分をコントロールし、どんなときも上機嫌を保っていなければいけない、
   というくらいの自覚をもつべきだ。
   
        <『運のいい人が心がけているちょっとした習慣』河出書房新社>

             ・・・

「人間の最大の罪は不機嫌である」

と言ったのはドイツの詩人である、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。


なぜなら、不機嫌は伝染するからだ。


そして、現代において最も注意しなければいけないことが、
自分の「不機嫌」をSNSでまき散らすこと。

不機嫌なことを拡散している人は、「不機嫌な人」というレッテルが貼られる。

不機嫌をいくらまき散らしても、不機嫌が解消されることはない。

不機嫌が固定化され、ますます不機嫌にになるだけだ。



自分の機嫌をよくするには…

機嫌のいい人と一緒にいる。

機嫌がよくなる歌を聞いたり、動画を見たりする。

落語や漫才などを聞いて笑う

他人を上機嫌にする


面白いことをする


いつも上機嫌な大人でありたい。

            <感謝合掌 令和元年12月23日 頓首再拝> 
41:伝統 :

2020/02/03 (Mon) 22:16:52


       *Web:かんながら(2020.02.02)より

できる範囲でいいから、いまの自分が少しでも楽しい気分や、
いい気分になれる工夫をするのは、とても大切なことだと思います。

我々のマインドの構造そのものが深刻にできているので、
放っておくと気分が下流に流されがちです。

それを踏みとどまるには、ちょっとした気づきと工夫が必要だと思います。


人は怒りや落ち込みはすぐに感じようとしますが、
幸せは条件が整ってからにしようとする傾向があります。

いま抱えている問題が解決した時とか、足りない何かが手に入った時とか・・・

その幸せをいま感じようとするのです。


一番簡単なのは、好きなものをそばに置くということ。

ひとつでもいいからそんなものを持っていると
それだけで気分を良くしてくれます。

当たり前の話ではありますが、これがけっこう威力があります。


でも欲しいものを買う財力がないという人もいますよね。

本当はそういう考えがいつまでもその状態を作り出してしまうのですが、
そうは言っても無理だという人には無理な話です。


そんな人におすすめのが、
唇の両端を上げて微笑みの顔を作ってみるということ。

気分がいいとニッコリ微笑んだりしますが、それを逆にするのです。

顔から入る。

人はあなたの外側しか見ていないので、あなたが穏やかな顔をしていると、
見た人の心まで穏やかになります。

これを「和顔施」と言って、徳を積むことにもなるんですよ。


「施」という言葉からもわかるように、「ほどこし」であり「布施」の一つです。


布施と言うと金品を差し出すということが真っ先に浮かびますが、
それは布施の中のほんの一部でしかありません。

元々は、自分の代わりに修行をして真理を達成してくれる人を支援するために、
食べ物や着るものをほどこすということは必要でしたが、
現代はそんな例はほとんどなくなりました。


いまはむしろ、「法施」や「無畏施」が求められているいるように思います。


法施とは、あなたの気づきを分かち合い、
暗闇で手探りしている人たちに進むべき道を示すということ。


無畏施とは、心配や怖れから心を救ってあげるというもの。

いつの世も人を怖れさす情報を好んで流す人たちがいるので、
反対の力が必要です。

散々怖れさせておいて何事も起きなくても、
私の間違いでしたと責任を取る人はいません。


あとは、悪霊だとか祟りだとか怖れを商売にする人もいるので、
そんなことはないと教えてあげることも必要です。

そのような行為が無畏施です。

あなたならできるはずです。



そして和顔施。

顔全体ではなく、目だけで人を安心させる「眼施」というものもあります。

優しいまなざしというものですね。


そしてもう一つが「愛語施」

これも読んで字の如しで、何を語るにも愛をもって語る。

人を戒めるときも、愛の言葉で伝えようとする態度です。

これらが冒頭に話した「ちょっとした気づきと工夫」です。

人に施すというのは、自分がいい気分でいる最も近道であり、
それが福徳に繋がっていくのです。

これならできそうですよね。


引き寄せの法則も、基本は「布施」にあるような気がします。

   (https://abetoshiro.ti-da.net/e11429907.html )

            <感謝合掌 令和2年2月3日 頓首再拝> 
42:伝統 :

2020/02/05 (Wed) 00:07:57


(1)ステップ①自分の「不機嫌の芽」を知る。

(2)ステップ②からだを上機嫌モードにする。

(3)ステップ③こころを取りもどすわざを身につける。



ステップ①の「自分の「不機嫌の芽」を知る」というのは、
言い替えれば「自分の心を客観視してみる」ということです。

 
義務教育の中で私たちは、
「登場人物の気持ちを考えなさい」「作者の気持ちを考えなさい」
ということを繰り返し訓練させられます。

同級生と喧嘩をしたり何か酷いことを言ってしまったときには、
「相手の気持ちを考えなさい」と怒られもしたでしょう。
 
しかし、私からしてみれば、
まずもっと「自分の気持ちを考える」ことを学ぶべきなのです。

自分の気持ちがわからないままで、どうして他人の気持ちを思いやれるでしょうか。
自分について深く知り、細かい状態をモニタリングできて初めて、
落ち着いて客観的に行動することができ、相手の気持ちを思いやる
ことができるようになります。



ステップ②の「からだを上機嫌モードにする」

 からだが温まればこころも温まる。
 逆に、こころが温まればからだも温まる。


 具体的には、「からだを温める」ための簡単な身体技術として、

 物理的に身体を温める。「湯船によく浸かる」ことも有効です。


 身体の発熱能力を促進するための呼吸法。
   鼻から3秒吸って、2秒お腹の中にぐっと溜めて、
   15秒かけて口からゆっくり吐き出します。


もう一段の実践としての声の出し方、


ステップ③の「こころを取りもどすわざを身につける」

 からだの状態が上向いた後は、こころの状態もケアする必要があります。

 上機嫌への第一歩は「ふっきる」こと。

 断言力・想像力・自分を笑い飛ばす力を
 身につけ、執着をふっきり、自己肯定します。

 そして、こころの状態を一定に保つために、
 「切り替えのスイッチ」を用意しておくものいいでしょう。

 オススメの気軽に試せるスイッチとして、
 「腕をぐるりと回して、肩甲骨をほぐす」方法です。


   (https://note.com/gushou/n/n606984dad217 より抜粋)

   (http://ikadoku.blog76.fc2.com/blog-entry-3295.html より抜粋)

            <感謝合掌 令和2年2月4日 頓首再拝> 
43:伝統 :

2020/02/10 (Mon) 23:28:33


           *「不機嫌は罪である」斉藤孝・著より

(1)「心理的安全」
 
   職場を例にすると、不機嫌で雰囲気の悪いところでは
   仕事に集中できず、生産性も上がりません。
 
   働き方改革で少しは変化が起きて(?)いるかもしれないですが、
   上機嫌な職場=心理的安全なところ は離職率が低く、
   生産性もあがるなどいいことづくめなのです。


(2)「自分から上機嫌になる」
 
   挨拶でも、相手からしてもらおうと期待してもしょうがないですよね。
 
   機嫌も同じです。
   まず自分から上機嫌になることで周りの雰囲気が良くなり、
   コミュニケーションも円滑になっていきます。


(3)「SNSから距離をとる」
 
   SNSをやめましょう。という訳ではないです。
   不用意に他人の不機嫌に触れる機会を減らすだけでOKです。


(4)「現代人のからだは硬くて冷たい」
 
   現代人は平熱が低くなっているという調査結果もあるようです。
   人と話す前にからだを少し動かして、
   からだを温めるだけでも全然変わりますよ。


(5)「深呼吸をする」
 
   腹式呼吸で
   「鼻から3秒吸って、2秒お腹でぐっと溜めて、15秒かけて口からゆっくり吐く」
   だけです。
 
   副交感神経の働きが高まり、からだもこころも鎮静化されます。


(6)「お風呂に入る」
 
   最近、湯船に入りましたか?
 
   湯船に入ると、からだが温まり機嫌も良くなります。
   温泉に行くのもいいですね~、リラックスできそうです。


(7)「媚を売ることとは違う」
 
   「機嫌をとる」「サービスする」必要はありません。
 
   自分の気持ちを第一に、上機嫌になることで
   媚を売らなくても自然に物事が上手くいきます。


最後にもう一度3ステップをおさらいしましょう

 ①自分の「不機嫌の芽」を知る

 ②「からだ」を上機嫌モードにする

 ③「こころ」を取り戻すわざをみにつける

   ( https://note.com/pirombone/n/nf711996073fe )

            <感謝合掌 令和2年2月10日 頓首再拝> 
44:伝統 :

2020/02/12 (Wed) 00:31:15


         *Web:カドブン(2018年06月07日)より
              ~パトリック・ハーラン
               (芸人・東京工業大学非常勤講師)

僕は幼いころから上機嫌な人間だ。
といっても生まれつきというより環境的な要素が大きかったと思う。
 
僕の家は母子家庭で金銭的に辛い時期が多かった。
途方に暮れるお母さんを見ながら、
僕が元気づけなければならないと強く感じるようになった。

だから僕は笑顔を絶やさないようにしたし、
お母さんを喜ばせるため、
お母さんが笑うふざけ方やジョークのパターンを分析した。

この時に人を笑わせることは大切な仕事だと感じ、
それが今の職業を選ぶことにつながっている。
 
他にも上機嫌になった理由がある。
それはモテるため! 

年頃になってからは、どんな人がモテているのか、
周りを見渡して観察した。

なかにはちょっと暗めでミステリアスな人もいたけど、
やっぱり人気があるのは、明るくて一緒にいて楽しそうな人だった。
 
そこからは笑顔を自分の特技にしようと意識してきた。
当時は鏡の前で笑顔の練習をたくさんしたし、
タレントになってからももちろん欠かさない。

ベストな笑顔を47歳の今でも追求しているし、
おかげで若く見られるコツもつかんだ! 

口角を上げることで幸せホルモンが出るという話も聞く。
まさに「笑う門には福来たる」だ。
 
もちろん僕にも辛いことは起こるし、嫌な気分になったりもする。
ただ、それでも表には出さないよう「明るめなポーカーフェイス」は欠かさず、
超不機嫌を0、超上機嫌を100としたときに、
45~70ぐらいの表情を保つことを強く意識している。

周りを不快にさせないという配慮でもあるけど、
表情で冷静さを保つことが、体の内側にも影響して、
気持ちを落ち着かせることにつながっていると感じている。
 
また、小さなミスに自分の機嫌を左右されることが少なくなったのは、
年を重ねるなかで「時間がたつとどんな気持ちもそのうち流れていく」
と気付けたことが大きい。
 
今でも失敗したなあと憂鬱に思う時はある。
でも天気と同じで雨や曇りであってもいつかは晴れる。

だからこそ、自分を客観的に見ながら酸っぱい気持ち、苦い気持ちを
むしろ前向きにかみしめようという気分になれている。

だいたい最悪な気分になったとしても、
それが最悪な結果なのかは実はわからない。

仕事がなくなり、もっといい仕事が入る。
住宅ローンの都合で部屋をあきらめたあと、もっといい部屋に出会える。

こういった「禍わざわいを転じて福と為す」経験が結構ある。

だから未来を信じる。
失敗しても後で話のネタにできれば十分元が取れるしね。
 
それでも引きずるような時は気分転換にお笑い番組を観る。
とりわけアメリカのブラックユーモアは大好き。

極端なシチュエーションをネタにしているものが多いため、
一通り笑い終わったら、まだまだ自分は大丈夫だと
気持ちを切り替えることができる。

 
僕自身は日本人が不機嫌だと感じることはあまりない。
とりわけサービス業の人たちの接客術はトップレベルで気持ちいい。
アメリカではサービス業でも無愛想な人は結構いるよ。
 

けど真面目すぎて笑顔の場面が少ない人はいるように思う。
居酒屋での姿を見れば本来明るくふるまえるはずなのに、
仕事場では眉間に皺しわが寄ってしまっている人。

そのことで不機嫌に見えて損をしていたら実にもったいない。
 
機嫌がコミュニケーションに与える影響はとても大きい。

本書(『不機嫌は罪である』教育学者の齋藤孝・著)の主張である
「もっと自分の気持ちや、自分の見られ方を意識しよう」というのは
まさにその通りだと思う。
 
僕は東工大でコミュニケーションの授業をするなかで
(講義の内容は『ツカむ!話術』<*>という本になった)、

日本人に足りないと思うものとして「自覚、自信、自己主張」という話をしている。
 
自分の機嫌を自覚しよう。
自分の上機嫌が周りに与える良い影響を知ろう。

そうすれば自信も出てきて、もっと自分を出していけるようになるはず!

  (https://kadobun.jp/reviews/362.html

・・・

<参照>

*「ツカむ!話術」パトリック・ハーラン・著
伝統板・第二「雄弁家への道~「ツカむ! 話術」 」
 → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6543064

            <感謝合掌 令和2年2月11日 頓首再拝> 
45:伝統 :

2020/02/16 (Sun) 00:25:22


           *Web:BBM(2018年6月4日)より

(1)中年から老年にかけての男性の不機嫌の問題をいち早く取り上げたのが、
   シェイクスピアの『リア王』でした。

   リア王は、愛情深い末娘が自分におべっかを使わないことに激昂して
   彼女を追放し、甘言を弄する上の娘たちをかわいがった結果、
   身を破滅させて荒野をさまようことになります。

(2)性別や年齢にかかわらず上機嫌に見える方はたくさんいます。

   なぜなのか? 

   それは彼らが、自分の機嫌をコントロールし、
   周囲に上機嫌に見せるためのワザを身につけているからです。

(4)機嫌というのは、理性や知性とは相反する分野のように思われがちですが、
   気分をコントロールすることは立派な知的能力の一つです。

(5)不機嫌を脱して上機嫌へと至るための3つのステップ

  ①ステップ(1)自分の「不機嫌の芽」を知る
  ②ステップ(2)からだを上機嫌モードにする
  ③ステップ(3)こころを取り戻すわざを身につける

(6)まずはもっと「自分の気持ちを考える」ことを学ぶべきなのです。
   自分の気持ちがわからないままで、
   どうして他人の気持ちを思いやれるでしょうか。

(7)今は、イノベーションを起こすにも、チームワークが必要とされる世の中です。
   チームワークで最大の効果を出すためには、天才であっても上機嫌が求められます。

(8)あなたが上機嫌になれば、周りも上機嫌に変わっていく

(9)現代のインターネットはみんながコメンテーターとして断罪する
   「私裁」の刑場になりつつあります。

   私裁、つまりリンチは、世界中のあらゆる国家の法律では禁じられています。

(10)「自分には正義がある」と思うこと自体が危険。

(11)文字に残るものに関しては基本的には不機嫌を露わにしない。

(12)人間の3大欲求を思い出してみてください。
   食欲、性欲、睡眠欲ですよね。

   (中略)

   実は、この3大欲求の裏には、共通するひとつの欲求があります。
   それが「温まりたい」というのものです。

(13)不機嫌をなおす7つの習慣

  ①自分の「普通」は不機嫌に見えると自覚する。
  ②情報を遮断して自分の時間を持つ。
  ③血流を意識して、こまめにからだをほぐす。

  ④「一定の状態」を保つのがプロだと意識する。
  ⑤「まずいな」と思ったら一呼吸入れる。

  ⑥ネガティブな感情は、表現物に乗せて洗い流す。
  ⑦人の不機嫌を見て、自分の不機嫌をなおせ。

  (https://eliesbook.co.jp/review/2018/06/04/
    詳細を見る をクリック)


            <感謝合掌 令和2年2月15日 頓首再拝> 
46:伝統 :

2020/02/16 (Sun) 23:41:23

        *Web:コトバの力 ( 2018年9月24)より
             「あなたの人生がつまらないと思うのなら、
              それはあなた自身がつまらなくしているんだぜ。」
               (ひすいこたろう著)から紹介」

ドイツの文豪ゲーテは、人間最大の罪について、こう言っています。

人間最大の罪は不機嫌である

不機嫌であることこそ大罪です。

あるラーメン屋での例を挙げて説明しましょう。

お客さんが味噌ラーメンの食券を買ってイスに座りました。
店員が「味噌ラーメンでよろしいでしょうか?」と聞くと、
お客さんは「食券見ればわかるだろうが!いちいち確認するんじゃねーよ!」と怒鳴った。

怒鳴られた店員は、ラーメンを作っている職人に
うっぷんを晴らすかのように怒鳴り声でオーダーを伝えた。

すると職人は「なにあいつキレてんだ!?」と腹が立った。

この職人は、嫌な思いを引きずったまま帰宅。

ビールでも飲んで発散しようと冷蔵庫を開けるけれど、ビールがないので妻を怒鳴った。
妻はイライラし、子どもがピーマンを残しているのを見つけて怒鳴りつけた。

子どもは翌日、学校で友達に因縁をふっかけてケンカになり、母親が呼び出された。
事情を聞いたところ、昨晩母親に怒鳴られたことにモヤモヤを感じ、
ケンカになったと判明。


帰宅した母親が父親にそのことを告げると、
実は父親も職場でキレられて、妻にあたってしまった事がわかる。

翌日、父親は店員に「なんで昨日いきなりキレたのか?」を問うと、
不機嫌な客にむかつく対応をされたことが発端だったことが判明。

これ、フランチャイズのラーメン屋さんの説明会で話されている実話だそうです。


不機嫌は伝染していきます。

だから最大の罪なのです。

ということは・・・・・・・・
逆にあなたがご機嫌でいることは、まわりにハッピーを投げかけているということ。

ご機嫌も伝染していくからです。

ご機嫌でいるだけで、あなたは世界の幸せの立役者なのです。

http://www.imabari-meichu.ed.jp/power-of-words/%E4%BA%BA%E9%96%93%E6%9C%80%E5%A4%A7%E3%81%AE%E7%BD%AA%E3%81%AF%E4%B8%8D%E6%A9%9F%E5%AB%8C%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B/

            <感謝合掌 令和2年2月16日 頓首再拝> 
47:伝統 :

2020/10/14 (Wed) 22:49:52


        *<メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.10.14)より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   《天人五衰(てんにんごすい)》

   一、頭上の華、萎(しぼ)む

   二、腋の下に汗を生ず

   三、衣装、垢膩(くじ)す

   四、身の威光を失す

   五、鬱々としてその座を楽しまず


   これは「天人五衰」といい、仏教用語です。

   六道の最高位である天道の住人は「天人」と言われているのですが、
   “不老長寿”ではあるものの、やはり生物としての限界があり、
   いずれ「死」を迎える。

   「天人」とは、「天上界に住む人」ではなく、
   人間の肉体を持ちながらも、
   人間の寿命に支配されていない人のことのようです。

   天人は、“不老長寿”ですから、歳をとらない。

   けれども、死なないのではなく、必ず死ぬとのこと。

   その死の前兆を示したのが、この「天人五衰」。


   死の50年ほど前になると、
   その人の頭上で美しく咲き誇っていた花がしおれたり、枯れたりし始める。

   死の40年ほど前になると、腋の下に汗をかくようになる。

   死の30年ほど前になると、着ているものが何となく汚れた感じになってくる。

   死の20年ほどまえになると、身の威光、つまりオーラがなくなってくる。

   死の10年ほど前になると、鬱々としていつも不平不満、愚痴、泣き言を言うようになる。


   「その座を楽しまず」というのは、
   「自分が立脚しているところ(仕事や家庭など)に対して、
    いつもつまらなそうで、文句ばかり言っている」という意味。

   私が言いたいのは、“不老不死”が人間に可能であるとか、
   “不老不死”が現実にあるとか、そういうことではありません。


   「生命力が最も落ちた状態」が「鬱々としてその座を楽しまず」である
   ということ、これがとても面白いのです。

   もし、今、自分が鬱々として、
   「その座を楽しまず」に文句ばかりを言っているのなら、
   まずそれをやめること。

   その状態は、生命力が最も落ちた状態かもしれません。


   その悪い「投げかけ」が、
   同じような不運を呼ぶことになってしまいます。

   ですから、悪い「投げかけ」を今すぐやめて、
   身のまわりを清潔にし、さらに家のまわりに気を配り、
   職場の花などに思いを馳せてる…などしてみてはいかがでしょうか。


   「不幸」や「悲劇」が存在するのではなく、
   自分がそう決めているだけです。

   文句を言っている自分が、文句を言いたくなるような現象を
   呼び寄せているのかもしれません。

   「鬱々として楽しんでいない」自分に気がついたら、
   ぜひ「天人五衰」の逆をやってみることをおすすめします。

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             ・・・

小林正観さんのお教えに、
「幸も不幸もない、それを感じる自分がいるだけ」というものがある。

どんな逆境に陥っても、それを不幸と思わない人はいる。

逆境の中に、楽しみや喜びを見つける人だ。


「生命力が最も落ちた状態」が
「鬱々としてその座を楽しまず」という状態だという。


まさに、ゲーテの言葉にあるように
「人間の最大の罪は不機嫌である」ということ。

不機嫌な人は、まわりを不機嫌にしてしまう。

負の連鎖になってしまうからだ。

不機嫌は、上機嫌な人に比べて3倍の負のパワーがあるという。


反対に、生命力が最も輝いている状態は、機嫌がいいとき、ということになる。

ニコニコして、ウキウキして、ワクワクしている状態。

一緒にいると、まわりの人も、自然に笑顔になる。


「悲観は気分、楽観は意思」という言葉がある。

悲観的な人は、ただ単に気分に流されているだけ。

しかし、楽観的な人は、嫌なことがあろうと、
自分の意思を働かせて楽観的になっている。


どんなときも、上機嫌でいられる人でありたい。

            <感謝合掌 令和2年10月14日 頓首再拝> 
48:伝統 :

2021/01/26 (Tue) 14:59:47


      <メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.01.16)>

   (心理学者、内藤誼人氏の心に響く言葉より…)

   私たちの感情というものは、自分がしている表情によって影響を受けます。

   楽しいことなど何もなくとも、ニコニコしていれば、
   不思議に心も陽気になってきますし、

   眉間にシワを寄せて、不機嫌そうな顔をしていると、
   いつの間にか不機嫌になってきてしまいます。

   これを「フェイシャル・フィードバック効果」といいます。


   私たちの脳みそは、自分がしている表情からのフィードバックを受けて、
   「笑顔なんだから、楽しいはずだ」と思い込みます。

   そして、ドーパミンなどの快楽物質を分泌しはじめるのです。

   私たちの脳みそは、表情にだまされてくれるのですね。


   「面倒くさいなあ」と思って、そういう顔をしていたら、どうなるでしょうか。

   私たちの脳みそは、面倒くさいという気持ちを引き出す乳酸などの物質を
   身体に分泌しはじめてしまいます。

   だから、余計に身体も疲れるのです。

   したがって、面倒くさい仕事に取り組むときには、
   もうこれ以上ないというくらいの満面の笑みを浮かべるのが正解です。


   「面白くもないのに、笑顔なんて作れませんよ!」と思うかも
   しれませんが、作り笑いでいいのですよ。

   インチキでも笑顔を作っていれば、楽しい気分にそのうちなってきますからね。

   フェイシャル・フィードバック効果が起きるから大丈夫なんですよ。


   イリノイ大学のマヤ・タミールは、面白くもなんともないときに、
   1分間、笑顔を作らせるという実験をしたことがあります。

   両頬に力を入れてもらって、口角が上がるような顔(つまり笑顔)
   をとってもらうと、なぜかポジティブな気持ちが生まれたのですね。

   また、タミールは、両眉に力を込めて、しかめっ面を作らせると、
   怒りっぽくなってしまうことも突き止めています。

   フェイシャル・フィードバック効果は、
   まことに強力な作用をもたらすと言えるでしょう。


   「まったく面倒くさい」と不愉快な顔をしてはいけません。

   そういう顔をしているから、なおさら面倒くさくなってくるのです。

   まずは自分の脳みそをだましてしまうためにも、
   とびっきりの笑顔を作ってください。

   「イヤだ、イヤだ」と思っても、どうせ逃げられないのですから、
   楽しくやったほうがいいに決まっています。

   そのためには、まず笑顔を作ることが大切なのです。


   退屈な作業でも、嬉々としてやっていれば、
   それを見た周囲の人たちも、楽しい気分になってきます。

   ひっとすると、「ちょっとその作業、僕にもやらせてよ」と
   言ってもらえることがあるかもしれません。

   『トム・ソーヤーの冒険』(マーク・トウェイン)には、
   「ごきげんなペンキ塗り」という話があります。

   ポリーおばさんに罰として塀のペンキ塗りを命じられたトム・そーやですが、
   鼻歌交じりに楽しそうにペンキ塗りをしていると、友達たちが代わりに
   やらせてくれとお願いしてきて、トム・ソーヤはそれを押しつけることができた、
   というお話です。

   どうせイヤなことをするのなら、せめて楽しそうにやりましょう。

   そのほうが自分も楽しめますし、
   ほかの人も手伝ってくれるかもしれませんよ。

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          ・・・

同書には「できるだけ幸せな声を出す」ということも書いてありました。

『私たちの感情は、自分のしている表情に影響を受けますが、
 同じことは、声にも言えるのです。

 怒りっぽい声を出していると、やっぱりだんだん心もムカムカしてきますし、
 できるだけ優しい声を出そうとしていると、優しい気分になってくるのです。

 オランダにあるアムステルダム大学のスカイラー・ホークは、
 幸せなときの声、悲しいときの声、怒っているときの声、
 不機嫌なときの声を出してもらう、という実験をしたことが
 あるのですが、それぞれの声によって、表情も変わることを
 明らかにしています。

 怒りの声を出そうとすると、自然に表情も険しくなり、
 幸せな声を出そうとすると、柔らかな表情になることが多かったのです。

 声と表情はどうも連動しているようなのです。

 ということはつまり、優しい声、幸せな声を出すように心がければ、
 それによって幸せな表情になり、幸せな表情を作っていれば、
 フェイシャル・フィードバック効果で、幸せな気分になるはずです。

 面倒くさいことをしなければならないときには、

 「ああ、自分はなんて幸せなんだろう」

 「ああ、私は仕事があって、お金までもらえて幸せだ」

 そんなことをわざと口にするのがいいかもしれませんね。

 ウソでもいいので、そういうことを口に出していると、
 本当に幸せな気分が生まれてくるでしょうから。』



「楽しいから笑うのではない、笑うから楽しいのだ」

という、アメリカの哲学者・心理学者の
ウイリアム・ジェームズの有名な言葉がある。


人間には伝染しやすいものが三つあると、小林正観さんはいう。

一つは、あくび。

一つは、不機嫌。

一つは、笑い。


詩人のゲーテは、「人の最大の罪は不機嫌」と言った。

不機嫌な人のまわりからは人は去っていく。

不機嫌がうつるからだ。


不機嫌な人は、不機嫌そうな声で話し、不機嫌そうな顔をしている。


「フェイシャル・フィードバック効果」を利用し、

面倒なことを始めるときも、そうでないときも…

とびっきりの笑顔で、楽しそうな声で話す人でありたい。

            <感謝合掌 令和3年1月26日 頓首再拝> 
49:伝統 :

2021/07/02 (Fri) 15:15:17

      <メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.01.23)>

   (辻秀一氏の心に響く言葉より…)

   「今の機嫌はどうですか?」と聞くと、

   多くの人は「普通です」と答えます。

   もしくは「機嫌がいいですか?それとも機嫌が悪いですか?」の質問には、

   「どっちでもないです」という答えがよく返ってきます。

   おそらく「普通」も「どちらでもない」も同じ意味合いでしょう。

   要するに、「よくわからない」ということです。


   機嫌は大事だとわかっていても、
   自分の機嫌に意識を向けながら生きている人は案外少ないのです。

   特に、日頃から結果重視で考えがちな人は、
   自分がノンフローなまま生きている自覚がありません。

   機嫌を問われてはじめて、
   「そういえば最近、何をしてもおもしろくないし、楽しくないな」
   と気づくくらい、ノンフローな状態をデフォルトだと思い込んでいるのです。

   自分の機嫌に意識が向かないのは、
   「機嫌に気づく」という感性が養われていないからです。

   心の状態を整えるには、「気づき」が不可欠です。


   たとえば、上司のミスを自分に押しつけられたら不機嫌になるのは当たり前。

   けれどそこで重要なのは、
   「自分は今、不機嫌だ」という心の状態に気づくことです。

   今、イライラしているな。

   今、落ち込んでいるな。

   心の状態は、自分の感情に気づくという簡単なことで変化します。

   こうして自分の不機嫌さに気づくだけで心は安定するのです。


   この気づきをもたらすものは俯瞰(ふかん)による客観性です。

   「外」に向かって暴走している認知脳を鎮静化させる一番の方法は、
   ライフスキルを働かせて「内(心)」に意識を向けること。

   その時々で自分の心に意識を向けて、
   鳥の目で見た自分の心の状態に気づくことが
   心を整えるライフスキルのベースとなります。


   自分の機嫌に気づくだけでも、あなたの機能は上がります。

   現に、経営者や社員が自分の感情に気づくトレーニングをして
   業績が上がった企業はたくさんあります。

   自分の機嫌に気づくことは人生の質を左右するくらいとても大事なこと。

   俯瞰して自分を見て、心の状態に目を向けることを習慣にしていきましょう。

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               ・・・

辻氏は「機嫌の価値化」こそ「与える」思考の原動力だと言う。

『誰もが機嫌良く生きたいと思っているでしょう。
 機嫌良くいられれば物事はスムーズで楽しい人生になることは
 わかっていると思います。

 自分の機嫌を他者にコントロールされたくない。
 日々の出来事にいちいち左右されたくない。
 自分の機能を上げて高いパフォーマンスで勝負したい。

 多くの人がそう願っていると思います。

 それなのになぜ、いつも機嫌良くいられないのでしょうか。

 答えは非常にシンプルです。

 みなさんの中で「機嫌良くいること」にそれほど価値がないからです。

 メンタルトレーニングは、自分の機嫌は自分で取るという
 ライフスキル脳を習慣化することです。

 メントレを継続してライフスキルが磨かれていく人には、
 ある共通点があります。

 自分が機嫌良くいることがなぜ自分の人生に良いのかを体感して、
 フローの価値が高いことです。

 自分の仕事、自分の人間関係、自分の人生において、
 機嫌がいいとどうなるかをとことん考えてもらいます。

 機嫌がいいほうが人に優しくできる、頭がシャープになる、
 良い判断ができる、アイデアがたくさんわく、行動力が増す、
 仕事がサクサク進む、よく眠れる、健康でいられる、
 シュートがよく入る、筋トレをより頑張れる、笑顔が増える、
 冷静でいられる…、

 こうやって何度も繰り返しフローの価値を自分で確認していきます。

 「たかがそんなことか」と思われるかもしれません。

 しかし、フローの価値が高まっていない人の心にフローな風は吹きません。

 こうした「価値を価値化する」ことこそが、
 実はライフスキル脳を磨いていく非常に重要なプロセスです。』


『心理学者のチクセントミハイは、
 時間を忘れて何かに集中している状態を「フロー」と呼んでいます。

 フロー状態になると、
 少ないエネルギーで高いパフォーマンスを生み出せます。

 フローが最高潮に達した状態は「ゾーン」や「ピークエクスペリエンス」
 と表現され、いわゆる無我の境地のことです。

 ゾーンに入るのは簡単ではありません。

 しかしそこまでいかなくても、フローの状態であれば、
 ムダなエネルギーを使うことなく質の良いパフォーマンスができます。』



人の「機嫌」はその人のパフォーマンスに莫大な影響を与えている。

「機嫌」がちょっとでも悪くなると、行動力は低下し、
怒りっぽくなったり、ネガティブなことを考えてしまったり、
否定的になり、そしてやる気がなくなる。

だからこそ、自分の「機嫌」が今どの状態なのかを
常に客観的に把握しておく必要がある。

つまり、心拍数や血圧や体温と同じように、常時モニタリングする。


自分の機嫌は自分で取れるという。

自分のパフォーマンスを上げ、フローの状態になるため…

自分の機嫌を常によくしておきたい。

            <感謝合掌 令和3年7月2日 頓首再拝> 
50:伝統 :

2021/08/24 (Tue) 14:37:07


         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.08.24)より

   (心理学者、内藤誼人(よしひと)氏の心に響く言葉より…)

   ハーバード・ビジネス・スクールのアリソン・ブルックスによると、
   不安を感 じると、たいていの人は、
   「落ち着け」などと自分に言い聞かせるそうです。

   けれども、これはあまり効果的ではない、とブルックスは言います。

   不安を「消す」作戦は、あまりうまくいかないのです。


   では、どうすればいいのでしょうか。

   ブルックスによると、

    「ワクワクしてきたぞ」

    「高ぶってきたぞ」

   と自分に言い聞かせるほうがいいのだそうです。

   自分に向かって話しかけることを
   『セルフトーク』"というのですが、これを上手に使うと、
   不安もやる気に変えられるのだそうです。

   「落ち着け」と言われても、落ち着けないから......


   ブルックスは、採点機能のついたカラオケで歌ってもらうという、
   とてもユニ ークな実験をしました。

   「自分の歌声を採点される」というのは、
   だれにとっても多少は緊張することです。

   歌う前に「落ち着け」と独り言を言わせるグループと、
   「ワクワクしてきたぞ」と独り言を言わせるグループに分けて、
   両者の得点を比較してみたのです。

   その結果、
   「落ち着け」と言わせたグループの平均得点が52.98点だったのに対して、
   「ワクワクしてきたぞ」と言わせたグループの平均得点は80.52点でした。

   なんと30点近い開きが出たのです。


   もちろん、「ワクワクしてきたぞ」と言わせたグループに、
   歌が上手な人ばかりを集めたのではありません。

   不安を感じたときに、「落ち着こう」と
   自分に言い聞かせても、落ち着けるわけがありません。

   そうではなくて、「よし、こんなにワクワクしてきた」と
   自分 に言い聞かせるのがポイントです。

   「そういう独り言」をつぶやいていれば、
   不安の感情をうまく「やる気」に結びつけることが可能になるでしょう。

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               ・・・

本書の中に《上機嫌な「フリ」をする》という文章がありました。

『楽しいことがあろうがなかろうが、常にニコニコした笑顔を心がけてください。

 つまり、上機嫌な「フリ」をするのです。

 私たちの脳みそは、私たちの「表情」に影響を受けています。

 上機嫌な表情をつくっていると、私たちの脳みそは、
 「きっと私は今、楽しいんだ」と錯覚して、
 ドーパミンなどの「快」を司る脳内物質をどんどん分泌してくれ、
 その結果として、本当に楽しくなってしまうのです。

 これを心理学では、「フェイシャル・フィードバック効果」と呼んでいます。

 「楽しいことがあれば、いくらでも笑えるのに......」ではなく、
 「笑っている」から、「楽しくなってくる」のです。

 この順番を間違えないこと。 楽しいことがあろうがなかろうが、
 始終、ニコニコと上機嫌にしていることです。

 そうすれば、心が弾んできて、陽気に暮らせるようになりますよ。

 心理学者の実験でも、このことは明らかになっています。

 米国イリノイ大学の マヤ・タミールは、笑顔をつくると、
 そのわずか1分後には、心がリラックスし、 喜びを感じてくることを
 突き止めました。

 愛想笑いであろうが、つくり笑いであろうが、
 たった1分で“てきめんな効果” が得られるわけです。

 また、タミールは、しかめっ面をつくらせると、
 気分がネガティブになることも明らかにしています。

 ですから、できるだけ不機嫌な顔をしないことも重要です。

 毎日、陽気に生きていれば、小さなことでイライラすることも減っていきます。

 心が上機嫌でいると、少々のことは、笑って許せるようになるのです。

 たとえば、待ち合わせをした相手が遅刻をしたとしましょう。

 こんなとき、心に余裕のない人は、イライラしてしまうものです。

 「自分は見下されているのではないか」
 「自分は大事にされていないのではないか」
 などと考えると、さらに怒りが募ります。

 ところが、笑顔をつくり、上機嫌でいれば、
 少しくらい相手が遅刻しても、
 「まあ人間なんだから、たまにはそういうこともあるよね」と
 気軽に受け流すことができます。

 腹もそんなに立ちません。

 とにかく笑顔。

 いつでも笑顔をつくっていることは、とても大切なのです。』


とりたてて楽しいこともないけれど、
笑顔をつくったり、上機嫌のフリをすると、
本当に楽しくなってくるという「フェイシャル・フィードバック効果」は、
言葉でも同じような効果があるという。

大勢の人の前でスピーチやプレゼンをしなければいけないとき、
不安でいっぱいなのに

「ワクワクしてきた」
「絶好調!」
「やった!」
「できる、できる!」
「最高!」

と言ったら、不安も吹き飛び、ワクワクしてくる。

それを、満面の笑顔で言う。


まさに、高杉晋作の辞世の句(後の句は野村望東尼)のごとくです。


「おもしろき こともなき世を おもしろく

 住みなすものは 心なりけり」


世の中の事象は、自分の心しだい、捉え方しだい。

面白くもなるし、つまらなくもなる。


だからこそ、ウソでもいいから上機嫌でいること。

すると、上機嫌があとからついてくる。


人生はドラマだ。

ドラマには、必ず緊張の極に達するような山場がある。

それがクライマックス。


事態がクライマックスにさしかかってきたら…

「ワクワクしてきたぞ」とあえて口に出せる人でありたい。

         <感謝合掌 令和3年8月24日 頓首再拝> 

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