伝統板・第二 195555

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ひかりの一日一言27~智慧はどうしてくるか

1:伝統 :

2017/06/01 (Thu) 04:23:34

ひかりの一日一言《1日》

《1日 不思議な無限の叡智》

吾々は肉体からいうならば常に死につつあるのである。
吾々に肉体を構成する細胞、それは生れ、組織をつくり、
その割り当てられたる仕事をし、やがて死んでいく。

その死んで行った後の椅子を、新しく生れた細胞が埋め、
前の細胞が行って来た仕事の引き継ぎをして、
全体として統一ある仕事が行われるのである。

新たに生れた細胞は生きていて、仕事を引き継いで、
継続してその任務とする仕事に従事する“引き継ぎ”は
如何にして行われるであろうか。

引き継がおこなわれるためには“心”がなければならないのである。

細胞から細胞へとその事務引継ぎは行われるのだろうか。
それとも、中枢からの命令が無線伝導で行われるのだろうか。

直接その事務引き継ぎが行われるにしても、
中枢からの命令が無線伝導で行われるしても、いずれにせよ、
細胞が生きていて、それに“心”があるからこそ引き継ぎができたり、
中枢の命令が感受できるのだといわなければならないのである。

或いはそれは“心”によって感受するのではなく、
電子計算機のように自動的にその引継ぎや命令の伝達が行われるのかも知れない。

併し尚(なお)、問題は残るのである。
この極めて微小な、肉眼で見えないほどに小さな細胞に
電子計算機のような複雑な構造が組み込まれているだろうか。

若しそうだったら、そのような微小な中に複雑な構想を組み込んだところの
「創造者」は実に驚くべき叡智を備えた者でなければならない。

それは到底、吾々人間の脳髄の知恵でできることではないのである。

脳髄をも造ったところの不思議なる「無限の叡智」それを神というのである。
吾々はどうしても神の存在を認めなければならないのである。

谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P147~148) より


・・・

<関連>

(1)伝統板・第二「ひかりの一日一言25~幸福はどうしてくるか 」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7538235

(2)伝統板・第二「ひかりの一日一言26~悦びはどうしてくるか 」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7557795

           <感謝合掌 平成29年6月1日 頓首再拝>
2:伝統 :

2017/06/02 (Fri) 04:43:23


《2日 新陳代謝と老衰》

常に新陳代謝の行われている人体は、或る生理学者の説によると、
人体の柔らかい部分の組織は、もう2ヵ月もたったら殆ど過去の細胞は死滅して
運び出され、新しい細胞によって、再組織せられているということである。
(脳細胞だけは別である。)

それなのに、その人体の構造や形態が、数ヵ月前の今日(きょう)も全く同じき
構造をもっているというのは、如何なる理由によるのであろうか。

それは電子計算機のように自動的にそれが計算されて、
新しい細胞が自動的に元の位置を占めるからであろうか。

自動的に、そのような新陳代謝が行われるのだったら、
全く同じき変わらない構造をもっている人体は老衰し、皮膚はしわみ、
精力は衰えて行くのは何故であろうか。

人体の電子計算機が不完全な為なのであろうか。
それとも、人体は物質であるから、電子計算機でも、
それが物質で出来ている限りに於て長期間使っているうちには全体が摩耗して、
ちびて来るからであろうか。

併し新陳代謝の行われない物質の機械では禿(ち)びて来て長期間には
使いものにならなくなるのは当然だけれども、

人体は新陳代謝が行われているから、長期間使用して禿(ち)びて来て
使いものにならない場合は、その部分は、新しい細胞がその組織を再造してくれるから、
それだけでは老衰の原因の説明にはならないのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P148~149) より

           <感謝合掌 平成29年6月2日 頓首再拝>
3:伝統 :

2017/06/03 (Sat) 04:39:29


《3日 心と生理作用》

人体の老衰の原因は、単なる物質的機械のような新陳代謝の出来ないものなら、
「使い禿(ち)びる」で説明されるけれども、

新しい細胞が常に古い細胞と置き代っているから、
「使い禿(ち)びる」と説明できないとすれば、
如何なる理由によるのであろうか。

ここに物資的原因以外に、“心”をその原因者として
説明に取り入れなければならないことになるのである。

“心”というものが吾々人体の生理作用に非常な影響を与えるもの
であることを考慮に入れなければならなくなるのである。

ちょいと羞恥の感情を起せば顔は赤くなるし、恐れればふるえるし、
悲しめば涙が出る。梅干を見れば唾液が湧く。

このように機械的な電子計算機の調節のほかに、
人体には、精神的要素によって生理作用の異なってくる要素がある
ことが明らかである。

老衰の原因も、心の要素を考慮に入れるとき説明し易くなるのである。

或る人は心の鑿(のみ)をもって老衰をきざみ、
或る人は心で血行や新陳代謝を盛んならしめて、
その老衰をふせぐことができるのである。

『甘露の法雨』には

「若(わか)しと思うものは若返り、
老いたりと思うものは老い朽(く)つるも宣(むべ)なるかな」

と示されている。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P149~150) より

           <感謝合掌 平成29年6月3日 頓首再拝>
4:伝統 :

2017/06/04 (Sun) 04:17:55


《4日 人類全体の総合された想念》

機械的な磨滅や使い禿(ち)び以外に老衰の原因が心にあるとすれば、
その心は「個人の心」であるか、「人類の心」であるか
ということが問題になってくるのである。

その心は「個人の心」でもあるし、「人類の心」でもある。
人類全体の総合された想念が人類意識というのである。
人類意識の中に「人間は幾歳になったらこれほど老衰する」という共通総合の想念がある。

個人の意識は人類意識の黒潮の中を泳いている一尾(いっぴき)の魚みたいなもので、
自由意志もあり、欲する方向に運動する自由もあるのだけれども、
やはり人類意志全体の潮流の方に動かされることは避け得られない。

黒潮に乗って一定の方向に黒潮の色と同じの背の蒼い魚が群れをまして泳いで行くように、
人類全体の「人間は必ず老衰する」という潮流に押し流されながら、
人間も群れをなして老衰の方向に進んでいくのである。

ただ潮流の流れを、その人がどの程度「人間は神の子で、老いない」
という想念によって逆泳し得るかによって、その人の若さの持続が異なるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P150~151) より

           <感謝合掌 平成29年6月4日 頓首再拝>
5:伝統 :

2017/06/05 (Mon) 04:13:50


《5日 寿命の延長》

「老衰しない」ということと、その人の此の世の寿命が尽きて
霊界に誕生することとは別であるのである。

その人の地上の寿命というものは、その人の魂が、地上の任務に赴任する時に
あらかじめ定められたる赴任期間というものであって、大体その人の赴任期間は、
その人の赴任が発令されたときに定(さだ)まっているのである。

それは会社の社員は外国へ出張赴任を命ぜられるとき
大体その赴任期間が定(さだ)まっているのとよく似ている。

しかし海外でその社員が予定以上の成績をあげたとき、会社ではその社員を、
も少し其処に駐在せしめた方が会社によって利益だと考えられるときには
出張滞在期間が延長されることがある。

それと同じように、その人が地上生活を営んでいるうちに、
自己の霊的進歩に成績をあげると共に、その人の周囲の人々の魂の進歩に
一層成績を挙げるとみとめられる場合には、地上生活の任期は延長せられて、
一層長生きを享受せしめられることもある。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P151~152) より

           <感謝合掌 平成29年6月5日 頓首再拝>
6:伝統 :

2017/06/06 (Tue) 04:34:32


《6日 長生きと霊魂の高下》
 
長生きする者、必ずしも霊魂の進歩が高いと云うにはきまっていないのである。

地上の修行が完了しないために、
いつまでも同じ学級にとどまらせられているために、
地上生活が長引いている如き長生きもある。

つまり4か年に卒業するはずの大学を7年間もかかって
卒業するのんびりした学生もあるようなものである。

長生き必ずしも《のんびり》ではない。

10数年間も、或は20数年間も病苦と闘いながら、
その受苦(といっても、それは学課であるが)の本当の意義がわからないために、
尚寿命が尽きず、苦しみながら此の世の生活を終え得ない霊魂もあるのである。


しかしまた霊魂がみずから進んで苦痛の科目を励むことによって、
急速に霊魂の進歩を得べく、肢体不完全に生れて来たり、
小児麻痺の後遺症で肢体不自由の中で修行している高級な霊魂もある。

ただ一概に、長生きだとか、健康だとかで、
その人の霊魂の高下を判断することはできないし、
病苦であえいでいるからとて魂が低いという訳でもないのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P152) より

           <感謝合掌 平成29年6月6日 頓首再拝>
7:伝統 :

2017/06/07 (Wed) 04:34:43


《7日 高級霊にも色々の等級がある》

霊魂の品等(ひんとう)には色々の段階があるのであって、
高級霊と称せられる者のうちにも色々の品等がある。

まだ受苦を必要とする如き程度の高級霊は、
苦痛や業の存在をみとめている程度の高級さであって、
まだ地上の修行を必要とする段階の高級さであるのである。

地上の修行を必要とするからこそ地上生活の受苦を選んでいるのである。

 
霊魂の高級さが高くなるに従って、もう受苦の必要はなくなるし、
また受苦をみずから進んでしなくなるが、しかし斯くの如き霊といえども、
すべて彼らが生きている限りに於て働く使命があるのである。

過去の善業の上に胡坐(あぐら)をかいて働きを怠ることは許されないのである。
若し働きを怠るようなことがあると、摂理の手が再び地上誕生の霊的流動の上にのせて
苦しみつつ働かねばならぬような境遇のところへ生れ変らせることになるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P153) より

           <感謝合掌 平成29年6月7日 頓首再拝>
8:伝統 :

2017/06/08 (Thu) 04:10:46


《8日 読書百遍の意味》

宇宙には、吾々がそれから避けることの出来ない法則があるのである。
それは、原因あれば必ず結果があるという法則である。
それは物質界に於てもそうであるが精神界に於てもそうであるということである。

そして精神界と物質界との連関に於ては、
想うことは物質界に実現する原因となるということである。
一切の文化的産物は人間が「想う」ことによって生み出されたのである。

 
「想うこと」も、その「想い」が強烈でなければ、
それは潜在的に蓄積されたままであるが、

その蓄積が次第に増強されて来るときには、
突如として強烈なる内圧力となって
外界にそれが現れて来ることになるのである。

「読書百遍意おのずから通ず」という諺があるが、

「人間神の子」の思想も、
『生命の實相』を精読すること幾十回を重ねるにしたがって、

「人間神の子」の想念が
潜在意識に愈々多く蓄積されついに爆発的な力となって、
その想念が現象的に具体化することになるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P153~154) より

           <感謝合掌 平成29年6月8日 頓首再拝>
9:伝統 :

2017/06/09 (Fri) 03:29:13


《9日 泣き面に蜂》

想念は、その想われている内容が、やがて実現するだけではなく、
「類(るい)をもって集まる」又は「波長の合うものは感応する」という法則によって、
その想われている事柄以外に、その想念に波長の合う番組(出来事)を
次から次へと実現すること、テレビの受像機のようになるのである。

このことを古人は知っていたので「泣き面に蜂」というような諺があるのである。

すなわち、ある悲しい事件が起こって泣いていると、その悲しい事件ではなく、
また別の、併(しか)しその悲しみに波長の合う色々の
「痛い出来事」が引きつづいて襲って来ることになるのである。

だから悲しい事件が見舞って来たときほど
その悲しみの感情から早く脱却しなければならない。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P154~155) より

           <感謝合掌 平成29年6月9日 頓首再拝>
10:伝統 :

2017/06/10 (Sat) 04:07:42


《10日 悲しみはこらえず、これを転換せよ》

悲しみの感情から脱却すると云うことと、
悲しみの感情をこらえて内部へ押し込んでしまうこととは異なるのである。

こらえて内部へ押し込んでしまった感情は、それが消えないで、
所謂る「抑圧感情」と称せられるところのものとなって、
それがある程度以上蓄積されると

具象化して病気を引き起こす原因となるのである。

そこで悲しみの感情は、単にこらえて押し込むだけではなく、
その感情を他(た)の方向へ誘導し光明化したものとしなければならない。

即ち不幸が起こって来たときに、

「この不幸は不幸ではないのであって、幸福に到達するための途中の踏み石である」

と思い返すか、

「この不幸は過去の業が形にあらわれて消え行く姿である。
過去の業が消えたあとには幸福が来るほかはないから有り難いのである」

と念ずるがよいのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P155) より

           <感謝合掌 平成29年6月10日 頓首再拝>
11:伝統 :

2017/06/11 (Sun) 03:39:32


《11日 難有り、有り難し》

不幸が来るごとに、これで過去の業が消滅し、今後好転の運命を刻む自分になった
のであり、謂わば、この不幸は、幸福への曲がり角だと観ずることができれば、
どんな不幸がやって来ても、失望落胆することはなくなる筈である。

このように考えを転ずることに成功するならば、
どんな不幸や困難がやって来ても、もう大丈夫である。

 
これは悲しみの感情を抑圧することではなく、
その感情を方向をかえて光明の方へ誘導するのであるから、
もう悲しみが悲しみではなく、悲しみが光明に変質してしまっているのであるから、
それは将来、不幸を現象化する原因が消えたことになっているのである。

だから黒住教祖は「難有り、有り難し」という風に漢字をまじえて
解り易く説明されているのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P156) より

           <感謝合掌 平成29年6月11日 頓首再拝>
12:伝統 :

2017/06/12 (Mon) 04:15:50


《12日 幸福の鍵は何処にあるか》

若しあなたに「どんな幸福の扉でも開く鍵があるのですが、
あなたはそれを欲しくありませんか」と言われるならば屹度あなたは
「本当にそんなものがあるならば、それを得たいものだ」と思われるでしょう。

その鍵は決して金属でできているものでも、
楠(くすのき)や檜(ひのき)の板で出来ているものではありません。
そんな物質で出来ているものは結局はこわれるものであります。

虫食い錆びくさるものに幸福を求めてはならないと教えられました。

その鍵は“霊的なもの”で出来ているのです。
そして他物(たぶつ)にそれを求めても得られるものではなく、
自分自身の内にその鍵があるのです。

その鍵を『生命の実相』と呼ぶのです。

それは必ずしも書籍の名前ではありません。
『生命の實相』の本はその鍵の在所(ありか)を示した本ですから
そのように名づけたのです。

その鍵はすべての人が自己の内にもっている万人具有の鍵であります。
人間の生命(せいめい)のうちには「無限」が宿っているのです。
その無限に気がついたとき、その人はその鍵を発見したのです。

自分自身の生命のうちに「無限」が宿っている、何という素晴らしい事でしょう。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P156~157) より

           <感謝合掌 平成29年6月12日 頓首再拝>
13:伝統 :

2017/06/13 (Tue) 03:38:29


《13日 「コトバの力」の正しい使い方》

自己の内に「幸福を開く鍵」が宿っていることを知っても、
その鍵をどのように使えば本当に「幸福の扉」が開くか、その使い道を知らなければ、
鍵はありと知りながらも、その扉を開くことができないでしょう。

その鍵を動かす力は“コトバの力”によるものです。

その力をどちらへ回転するか、どの方向へ向けて動かすかによって、
どのような大きな幸福がおとずれるか、小さな幸福しか与えられないかの
相違がでて来るのである。

時には“コトバの力”を逆回転させると、
そこから不幸が飛び出して来ることもあります。

“コトバの力”は双刃(もろは)の剣(つるぎ)であり、
自己が間違えば自己が斬られ、敵が間違えば敵が斬られるのです。

それは十字であり、×(ななめ)となる時は「必殺」であり、
正しく構えるとき「復活」である。

“コトバの力”を順に廻すということは、
人を称(ほ)め讃(たた)える称賛の言葉を使うことであり、
自己の受けたる恩恵を感謝する言葉を使うことである。

称讃と感謝の方向に鍵を廻転する事が大切である。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P157~158) より

           <感謝合掌 平成29年6月13日 頓首再拝>
14:伝統 :

2017/06/14 (Wed) 03:56:27


《14日 人の功績を認めよ》
 
現象的には、まだ其の人が色々の善き徳や行いや善き性質を
あらわしていないように見える時にも、その人の生命の実相には
無限の善徳や善き性質や善き行為が宿っているのである。

それを引き出すのが称讃の言葉の力である。

讃められれば讃められた方向に、
その人の行動力が動き出して活動を始めるのである。

それゆえに子供を教育する場合などには、特にその子供に欠けている
と思われる徳目が既に本当にあるかのように讃める言葉を使うならば、

その子供にやどる実相の完全さが、その讃められた方向に浮かび上がって来て、
その子供が本当に立派になって来るのである。

しかし子供ばかりではない。

無数の大人が如何に称(ほ)められることを欲しているかは、文化勲章や
藍綬褒章(らんじゅほうしょう)や、黄綬(おうじゅ)褒章を貰うことを
如何に光栄に考えられているかで明らかである。

人を使う秘訣も、従業員各員の功績をみとめて
称める言葉を如何に巧みに使うかにかかっているとも言い得るのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P158~159) より

           <感謝合掌 平成29年6月14日 頓首再拝>
15:伝統 :

2017/06/15 (Thu) 03:41:06


《15日 実相を礼拝して賞めよ》

しかし、人を称(ほ)めるにしても、その人から善き行為や性質を引き出す
方便又は技術として称めるのでは効果も薄いし、また本当ではないのである。

実際にすべての人間には実相として
「神の善徳」が宿っていることを信じ且つ知り、その実相を礼拝して、
誠心(まごころ)で賞め称えるのでなければ本当ではないのである。

これを『法華経』に於て常不経菩薩(じょうふぎょうぼさつ)が
その模範を示し給うて、その相互礼拝によって、
人々が仏の実相をあらわして成仏することを釈尊が示し給うたのである。

生長の家の教えは、

「汝ら天地一切のものと和解せよ・・・
和解するとは怺(こら)え合っていることではなく、
感謝し合ったとき本当の和解が成立する」

との根本的教示によって出発するのである。

相互礼拝、相互称賛も、本当にそれが手段や技術でなくなるためには、
互いに感謝し合う心境になることが必要なのである。

天地一切のものに感謝するとき、
天地一切のものの美点が自然にあらわれて来て
其人を取り囲むようになるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P159~160) より

           <感謝合掌 平成29年6月15日 頓首再拝>
16:伝統 :

2017/06/16 (Fri) 05:17:18

《16日 あなたは神の全徳の噴出口》

あなたは自己をもっと尊敬しなければならない。
天地を創造した無限の力の噴出口 ―― 
又は表出口が自分自身であるということを知らねばならない。

それを知ることによって、あなたは、はじめて他に頼ることなくして
自ら完全に立つ自分自身を発見することができるのである。

みずから立つ自分自身を発見し、本当に自己が神の全徳の表出口であると知った時に、
あなたは神の如く、人々を救おうという意欲が生れ、
且つ救う力が本当に湧き出てくるのである。

あなたが人を救うために立ち上るまでは、『生命の實相』を読んで概念的に
「人間は神の子だ」と知っていても、それは頭脳の表層でそれを理解しただけ
のことであって、本当に魂の底から、その真理を理解したとは言い難いのである。

「われ人類の救世主イエス・キリストと一体なり」

「われ人類の救世主釈迦牟尼世尊と一体なり」

「最早(もは)やわれ生くるに非ず、
天照大御神の生命(いのち)この身にあって生くるなり」

の自覚が本当に得られるならば、
人類の危機迫る現代に、じっとしていられる筈はないのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P160~161) より

           <感謝合掌 平成29年6月16日 頓首再拝>
17:伝統 :

2017/06/17 (Sat) 04:33:49

《17日 あなたは宇宙神霊と一体である》

「あなたは偉大なる存在である! 
あなたは最も祝福されたる存在である、不滅なる存在である。
あなたは光輝燦然たる至福の存在、普遍の神性である。

あなたは至上の真理である。真理とは如何なるものか。
それは言詮不及(ごんぜんふぎゅう)、不立文字の存在である。

それを書きあらわすことはどんなペンにもできない。
それを言い現わすことのできる人は此世にひとりもない。

それはただ存在する全てのもの
 ―― 物質に至るまでの全てのものを含むすべてのものだ。
それを表現せんとする凡(あら)ゆる努力は却って
その偉大さを限定する試みとなるに過ぎない。」


これは印度現代の聖者シヴァナンダの言葉である。
これは真に真理をよく表現している。

諸君はこの語(ことば)に表現されているような
実に偉大な存在であるのである。

彼は又言う。

「人生の根本的目的は、宇宙神霊と永遠に一体なるところの
自己の実現を自覚せんがためである」と。
(デイヴァイン・ライフ誌1960年10月号)

まことに其の通りである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P161) より

・・・

<参考Web:スワミ・シヴァナンダ
        https://ameblo.jp/sukuriyoga/entry-12260535692.html >

           <感謝合掌 平成29年6月17日 頓首再拝>
18:伝統 :

2017/06/18 (Sun) 04:54:26


《18日 生きているから変化する》

行き詰ったときに道が開かれる。
行き詰りに恐怖することはないのである。

人智の行き詰まりに神智がひらかれるのである。
八方ふさがりの時に人は、ふさがっていない青空を見るのである。

変化を無常と見たのは暗黒にとらわれた小乗仏教者のことである。
大乗の仏教者はもっと明るくなければならない。

変化があるので生長があるのである。
生命(せいめい)が生きているから変化を生ずるのである。
銅像や乾物(ひもの)やミイラはあまり変化しないが、
それは生命が生きていないからである。

変化を通して「無限」が表現されつつあるのである。
それ故に、無常と見ゆる一点一面の生命(せいめい)の
動きの中にも久遠の生命を直観することができるのである。

“無常”の中に“常恆”(じょうこう)があり一瞬の中に永遠を孕(はら)んでおり、
「今」即「久遠」の生命(せいめい)を生きているのである。

その理由を日々の一瞬一瞬の生活にも忘れないで生きるとき、
一瞬一瞬が祝福されたるものとなり意義深きものとなるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P162) より

           <感謝合掌 平成29年6月18日 頓首再拝>
19:伝統 :

2017/06/19 (Mon) 04:16:17


《19日 祝福すべきかな変化無常》

この世は無常の世界であり、変化の世界である。

その変化無常を、好転の方へ変化せしめるか、
凶転の方に変化せしめるかの
鍵を握っているのはあなた自身なのである。

若し変化無常の世界でなかったならば、
吾々は日本の景色に春夏秋冬の異なる美を
楽しむことができなかったであろうし、

幼児から少年少女への生長の悦び、
そして青年期の元気溌剌とした活動と進展の悦び、
そして家族をつくって家族相和す悦び、
老いて孫をいだく歓びなど

色々異なる悦びなどの境涯を体験することができなかったに相違ないのである。

 
朝を迎えて東天に太陽はさし昇る、
そして落日は黄金色に西海に沈むのだ。

何という荘厳! 

何という変化の美ぞ。

落日の反映を受けて、刻々、
紫から淡紅(うすべに)に、淡紅から淡紫に変化し行く富士の嶺。

そして虹(にじ)のような暈(くま)をもつ雲海によって
その麓(ふもと)をかこまれている富士の嶺。

私は、刻々その位置を変化する飛行機上から
この秀麗きわまりなき富士の山容を見て感嘆した。

若し富士にこの変化がなかったらそれは唯、死灰(しかい)の堆積。

ああ変化無常こそ神の生きた芸術である!


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P162~163) より

           <感謝合掌 平成29年6月19日 頓首再拝>
20:伝統 :

2017/06/20 (Tue) 04:37:08


《20日 人間は進歩と向上あるのみ》

変化を悦びと見ないで、
過去の栄えと今の衰退とを比較して歎く者は憐れなるかな。

また過去にありし労苦を反芻(はんすう)して、
持越し苦労を続ける者も愚かなるかな。

植物に春夏秋冬の変化があるが如く、人生にも春夏秋冬があるのである。

冬が来て外に目立って伸びない時に植物は年齢の間隔をせばめて
堅緻な材質をつくるが如く、人間も艱難で鍛えられて堅実なる
人格と不撓(ふとう)の意志とが養成せられるのである。

未来の変化を想像して取越苦労をする者は、
神の此の世を“変化の芸術”とした摂理と慈悲とを知らないものである。
未来は悉く現在よりも、内容的に豊かにして富める者となることは間違いないのである。


年老いれば、外から見れば、形容枯槁し、その姿に老醜をあらわすと雖(いえど)も、
それは蚕が脱皮するに先立ちて、その皮膚の色変化し醜くなるのと同じことであって、
も早(は)や役に立たぬ外皮を脱ぐ準備をしつつあるに過ぎない。

吾れら更に脱皮して霊界に天翔けらん。
人間の生命には、ただ進歩あるのみ、向上あるのみである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P163~164) より

           <感謝合掌 平成29年6月20日 頓首再拝>
21:伝統 :

2017/06/21 (Wed) 03:46:52


《21日 無限の力は肉体の内にはない》

吾々は自分の持っていない力をあらわすことはできない、
と同時に自分の持っている力でも、
それを自覚しない時にはそれを自由に使うことはできないのである。

他(た)の人の持っている金を自分が自由に使うことができないのと同様、
その力を他の人がもっているのでは自分の自由にならないのである。

自分の“内”に“無限の力”が宿っていると自覚することができる者のみが
その力を自由に使うことが出来るのである。

その自己内在の“無限の力”を自覚するには、自分自身を単なる肉体だと思う
観念(かんがえ)を打ち破らなければならないのである。


有限矮小なる一個の肉塊、かくの如きものの内(うち)に、
何ぞ“無限の力”が内在する道理があろうや。

そこで肉体を単なる人間の外皮と見、人間の実相が、虚空に満つる霊体であり、
神の生命(せいめい)につながる者、神と一体であるとの自覚を得なければ
“無限の力”が自己の内に内在するということは到底自覚することはできないのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P164~165) より

           <感謝合掌 平成29年6月21日 頓首再拝>
22:伝統 :

2017/06/22 (Thu) 04:42:37


《22日 真理の理解に2種類ある》

自己の内に“無限”が宿っているということは『生命の實相』を読みまして
わかりましたが、その“無限”を現実世界に顕わす事は中々困難であって、
到底それは私に出来ない事ですという人々が随分あるのである。

それは「人間・神の子」の真理を頭脳の表層で理解したに過ぎないからである。
頭脳で理解したから「もうこの真理は解った」と思う。

しかしその真理と自分の全生命とが“一つ”になり切らないでいるから
その真理が現実化しないのである。

“読書百遍、意おのずから通ず”という諺があるが、
最初『生命の實相』を2、3回読んだだけでは頭脳の表層に印象されただけで、
深く自己の潜在意識に印象するためには、それを繰り返し繰り返し
聖典を読誦して潜在意識の深層に呼びかけなければならないのである。

それは恰も「眠る」という語(ことば)を度々繰り返されることによって
如何なる反抗者も催眠状態に入れるのと同様である。

 
併し現在意識は同一語の反復を嫌うのである。

即ち「もう知っている」と思い、
「知っていることを繰り返すのは面倒くさい、退屈だ」と思う。

そのために『生命の實相』の同じ巻を幾度も繰り返すことが不可能になる。
その不可能を可能とする為に、同一真理を別の言葉によって表現し、更に一層精密に
解読した次の巻や、毎月の神誌や、新刊の真理解説書が必要になるのである。

これらの神誌、聖典、書籍を巻を変え、号を重ねて読むことによって、真理を語る
言葉の刺激が新しくなって、潜在意識に深く真理が印象され、更に潜在意識の奥底に
眠っていた実相の「神性」が活性をもって呼び覚まされることになるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P165~166) より

           <感謝合掌 平成29年6月22日 頓首再拝>
23:伝統 :

2017/06/23 (Fri) 03:55:46


《23日 真理の消化、吸収》

潜在意識の奥底に横たわる普遍にして超越せる超在意識 ――
“個”としての肉体自己を超越しながら“個”として其処に顕現し表現せんとしている
“本当の自己”(即ち神性)の内には“無限”が内在しているのである。

その無限を開発すれば、無限を内蔵する鉱山から欲する鉱石を掘り出してくるように、
自己の欲する色々のアイディアや能力を喚び出して来ることができるのである。

 
吾々の意識の奥底に潜在する“無限”を現実化するに
は聖典、聖経、神誌の反復精読のほかに
神想観の如き瞑想によらなければならないのである。

潜在せる“無限”は色々の成分を含んでいるところの植物みたいなものであり、
それを真理解説の聖典等によって頭脳に入れることはその食物に消化する
ようなものであり、神想観の如き瞑想法は、その消化した真理を吸収し同化し、
真理と自己とが一体となる行事である。

その時、真理と自己とが一体となり、真理の馬に人間が乗っているのではなく、
”鞍上人無く鞍下馬無し”の如く「真理即自己」となるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P166~167) より

           <感謝合掌 平成29年6月23日 頓首再拝>
24:伝統 :

2017/06/24 (Sat) 03:42:46


《24日 運命における栄養不良》

若しあなたが非常に少(すくな)くしか神誌・聖典を読まず、
非常に少くしか神想観を行わないならば、

“無限”の栄養ある食物を与えられながら、
それを少ししか咀嚼せず、少ししか消化せず、
少ししか吸収同化しないようなものであって、
誠に残念な事だと言わなければならないのである。

若し食物の栄養分を吸収同化することが十分でないならば、
その外的表現としてあなたの肉体が痩せて来るのと同じように、

若しあなたが内在“無限”の宝庫から充分のアイディアや能力を
消化吸収同化することをしないならば、その外的表現として
あなたの運命が痩せて来ることは当然だといわなければならないのである。

しかも気の毒にも、その運命の悪い人は、
何故自分の運命が悪いのかその理由を知らぬ場合が多いのである。

 
そのような運命の栄養不良の人たちは、
肉体の栄養不良の人たちが何か間食を求めたり刺激物を求めたりするように、
内部の“無限”から汲むべきことの代償として、肉体的五官の快楽で、
一時(じ)の衰弱感をまぎらそうとすることになるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P167~168) より

           <感謝合掌 平成29年6月24日 頓首再拝>
25:伝統 :

2017/06/25 (Sun) 04:57:35


《25日 光明面のみを見る》

事物の暗黒面を見てはならない。
また他(ひと)の暗黒面を見てはならない。
更にまた自分の暗黒面をも見てはならない。

暗黒面を見るとき、必ず自己の“心”の中に暗黒な事を描くことになるのである。
そして自己の“心”の中に描かれたものは必ず、いつかはその描かれたる姿が現実化して
自己の運命となったり、自己の境遇となったり、不測の災いとなったりして
あらわれて来るのである。


暗黒面を見るかわりに事物の光明面を見よ。
他(た)の光明面を見よ、更にまた自己の光明面のみを見よ。

光明面を見るとき、光明面のみが“心”に描かれ、“心”に描かれたものが増大し、
具体化し、自分が一層明るい気持ちになり、運命が一層好転し、身辺に気持ちよきもの
のみが現れ、ついに自己の住む世界が地上の天国浄土となるに至るのである。

暗黒面を見るよりも、光明面を見る方が余程楽であり、容易であり、気持ちがよいのに、
何故多くの人々は光明面よりも暗黒面を見たがるのであろうか。

彼らは心の法則を知らないからである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P168~169) より

           <感謝合掌 平成29年6月25日 頓首再拝>
26:伝統 :

2017/06/26 (Mon) 03:10:36


《26日 汝の信ずる如く汝になれ》

心に描くものが形にあらわれ、心に信ずる如くその人は成るのでる。
これが釈尊のお説きになった“三界唯心”の真理であり、
キリストがお説きになった「汝の信ずる如く汝になれ」の真理である。

若し面白くない事件が過去の暗い想念の具象化として
あなたの周囲に起こったとしても、その時、自分の心を暗黒の方向に
下降せしめて暗い失望落胆の境地に陥れてはならないのである。

若し暗い失望落胆の谷底にあなたの心が堕ちるならば、
折角、暗黒の後に光明が訪れて来ようとしている時に
その光の流れを堰き止めてしまう事になるのである。

暗黒が現象世界にあらわれて来るのは、過去の暗黒な想念の貯蓄が、
窓口から現象界に払い戻されて、
「暗黒の貯蓄」の残額が少なくなりつつあるのだということを充分知って、

もう「暗黒の貯蓄」は払い戻されたのだから、
今後は決して「暗黒」なことは出て来ないということを知り、
心を一転して光明面に転ずる習慣をつけましょう。

習慣は第二の天性となり、今後は常に幸福が訪れましょう。 


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P169~170) より

           <感謝合掌 平成29年6月26日 頓首再拝>
27:伝統 :

2017/06/27 (Tue) 03:30:39


《27日 宇宙の本源には無限智がある》

宇宙の最始元には、物質はまだ存在しなかった。
真空よりして物質が発生するその過程は今でも見ることができるのである。

宇宙最始元の其処は、星と星との間の空間のように真空であったのである。
その真空の中に極めて微量の水素がつくられつつあり、
それが、宇宙雲として観測せられるのである。

その水素は微量であるが、宇宙空間は広いのであるから総計すれば随分多量に上り、
それが集団して天体を形成したのだと天文物理学者は説明する。

 
そうして出来上がった天体上に無数の生物が生れたが、
その生物の微妙精緻な構造は、偶然に物質が集合して出来たというにしては
余りにも精巧複雑であり、人間の脳髄の知識などでは到底製造できない
極めて高度の知性の表現であるのである。

即ち宇宙は「真空」を素材として、
高度の知性によって一切を現したものだということができるのである。

鉱物の結晶から人体の組織に至るまで色々の形、構造、組織等悉く
人智の及ぶことのできない智慧によって設計されていることを思うとき、
どうしても宇宙の本源に無限智の神を認めずにはいられないのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P170~171) より

           <感謝合掌 平成29年6月27日 頓首再拝>
28:伝統 :

2017/06/28 (Wed) 03:44:47


《28日 想念は万物の創造者》

原子は無論肉眼には見えないし、
顕微鏡下にも殆ど見えないほどの微小なるものである。

この極小の中に驚くべきエネルギーが詰め込まれていて、
そのエネルギーの扉を開くとき巨大な動力又は爆発力を得ることができる事は
既に何人もよく知る通りである。

単に物質の微小体だと思われていたところのものが、
実は“原子の扉”を開いてみるとき、原子全体が驚くべきエネルギーの宝庫であり、
物質とは実はエネルギーの圧縮された塊であったことが判るのである。

宇宙は実にエネルギーが法則によって、無相より無限の相(すがた)に
色々と姿を変えてあらわれているものであることが判明したのである。

 
神はどんな微小体にも秘められている此の無限に巨大なるエネルギーをば、
如何なる手段によって変形して、この宇宙を、天体を、万物を造ったのであろうか。

宇宙の最始元には如何なる物資的道具も機械も無いのである。

神はただ“心”によって創造するほかに方法をもたなかった。
即ち神の“心”は唯“想念”することによって万物を想像したのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P171~172) より

           <感謝合掌 平成29年6月28日 頓首再拝>
29:伝統 :

2017/06/29 (Thu) 04:42:43

《29日 全ては想念の具象化》

人間は神の生命(せいめい)を宿し生まれた。
(実は神のほかに生命の根源は無いのだが)そして神の生命(せいめい)は
心に想念を思い浮かべることによって万物を創造したのである。

そうすれば神の生命(せいめい)を宿し生まれた人間もまた
想念によって万物を創造することが出来る筈である。

実際一切の発明も、設計も、機械も、建築も、文学も、美術も、彫刻も、政治も、
戦争も、平和も、悉く、もとは想念として心に浮かべられたものが具体化したのである。

では、あなたの想念に暗黒なことを描くな。
あなたの”想念”に唯光明のみを描けよ。
あなたは神の如く、“想念”によって万物を造る。

殊更(ことさら)に“想念”に暗黒を描いて
暗黒なるものを造る必要はないではないか。

あなたは“想う”という過程を通して、
常に間断なく“何ものか”(あなたの想うもの)を形の世界に
あらわすべくその要素を引き寄せつつあるのである。

あなたの“心”はラジオ波のように宇宙に広がる。
そして肉眼に見えない処のものを動かして引き寄せつつあるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P172) より

           <感謝合掌 平成29年6月29日 頓首再拝>
30:伝統 :

2017/06/30 (Fri) 02:43:28

《30日 神意の実現者たれ》

吾々が植物の種を蒔く。植物は発芽し生長し、花を開き、実を結ぶ。
この微妙にして神秘なる働きと機構と過程とは、どんな“電子計算機”でも
出来ることではないのである。

人智の最高を尽くした“電子計算機”も
一個の小さき植物の種子に及ぶことはできないのである。

人間はもっと謙虚に大自然の智慧の前に跪(ひざまず)いて、
神からの智慧を受けるようにしなければならないのである。
 
 
医師は傷口に消毒薬を塗って繃帯(ほうたい)する。
繃帯も消毒薬も、新しき肉芽となることも新しき皮膚となることもできない。
傷口に新しき肉と皮膚とを新生せしめるものは人体の内部に宿る神の生命である。

医師は神の生命(せいめい)の動きに唯協力するに過ぎない。
こう言っても私は医術をいやしめるのではない。

人間のすべての動きは「神の生命(せいめい)の動き」に
協力することによって万物を成就するのである。

「神の生命(せいめい)の動き」とは法則である。
法則を守り、法則に協力することによって、吾々は益々神と一体となり
偉大な神意の実現者となる事ができるのである。


谷口雅春著『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P173) より

           <感謝合掌 平成29年6月30日 頓首再拝>
<参考Web>

(1)ひかりの一日一言①
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6455552 

(2)ひかりの一日一言②
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6479787

(3)ひかりの一日一言③
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6505650

(4)ひかりの一日一言④
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6527684

(5)ひかりの一日一言⑤
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6558249

(6)ひかりの一日一言⑥
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6584563

(7)ひかりの一日一言⑦
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6618774

(8)ひかりの一日一言⑧
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6651661

(9)ひかりの一日一言⑨
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6681257

(10)ひかりの一日一言⑩
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6711243

(11)ひかりの一日一言⑪
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6745089

(12)ひかりの一日一言⑫
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6778844


<以下は、「幸福を招く365章」より」>

(13)ひかりの一日一言⑬~幸・不幸の岐れ道
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6818439

(14)ひかりの一日一言⑭~意識を高く昇らせよ
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6866429

(15)ひかりの一日一言⑮~理想を高く掲げよ
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6898754

(16)ひかりの一日一言⑯~心霊への目覚め
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6929870

(17)ひかりの一日一言⑰~健康への招待
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6962847

(18)ひかりの一日一言⑱~寿福への招待
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6990572

(19)ひかりの一日一言⑲~愛を人生に処方して
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7021791

(20)ひかりの一日一言⑳~祈りを生活に処方して 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7058416

(21)ひかりの一日一言21~あなたも神癒が受けられる 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7097406

(22)ひかりの一日一言22~光に向う我が運命 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7149847

(23)ひかりの一日一言23~正しき想念の使い方 
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7190605

(24)ひかりの一日一言24~われ肉体以上のもの
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7274701


<以下は、「生活の智慧365章」より」>

(25)ひかりの一日一言25~幸福はどうしてくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7538235

(26)ひかりの一日一言26~悦びはどうしてくるか
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7557795



光明日訓(平成28年版)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7538248

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