伝統板・第二

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勇気ある知の巨人、渡部昇一 - 伝統

2017/04/18 (Tue) 04:00:26

渡部昇一氏死去 戦後の言論空間に風穴、勇気ある知の巨人

        *Web:産経新聞 4/18(火) 1:04配信 より


渡部昇一さんが17日、86歳で亡くなった。

人権教や平等教といった“宗教”に支配されていた戦後日本の言論空間に、
あっけらかんと風穴を開けた真に勇気ある言論人だった。

いまでこそ渡部さんの言論は多くの日本人に共感を与えているが、
かつて左翼・リベラル陣営がメディアを支配していた時代、
ここにはとても書けないような罵詈(ばり)雑言を浴びた。

渡部さんは、反論の価値がないと判断すれば平然と受け流し、
その価値あると判断すれば堂々と論陣を張った。

もっとも有名な“事件”は「神聖喜劇」で知られる作家、大西巨人さんとの論争だろう。
週刊誌で、自分の遺伝子が原因で遺伝子疾患を持った子供が生まれる
可能性のあることを知る者は、子供をつくるのをあきらめるべきではないか、

という趣旨のコラムを書いた渡部さんは「ナチスの優生思想」の持ち主という
侮辱的な罵声を浴びた。

批判者は《「既に」生まれた生命は神の意志であり、その生命の尊さは、常人と変わらない、
というのが私の生命観である》と渡部さんが同じコラムの中で書いているにもかかわらず、
その部分を完全に無視して世論をあおったのだ。

 
大ベストセラーとなった「知的生活の方法」も懐かしい。
蒸し暑い日本の夏に知的活動をするうえで、エアコンがいかに威力があるかを語り、
従来の精神論を軽々と超え、若者よ、知的生活のためにエアコンを買えとはっぱをかけた。

また、英国の中国学者で少年皇帝溥儀の家庭教師を務めていた
レジナルド・F・ジョンストンが書いた「紫禁城の黄昏」を読み直し、
岩波文庫版に日本の満州進出に理があると書かれた個所がないことを発見、
祥伝社から完訳版を刊行したことも忘れられない。

繰り返す。

勇気ある知の巨人だった。(桑原聡)

 
■ジャーナリストの櫻井よしこさんの話

「非常に博識で、歴史問題や東京裁判などあらゆるテーマについて精通しておられた。
日本の国柄について、優しい語り口で解説することができる、かけがえのない存在です。

今、日本はとても大事なところに立っていて、
渡部先生に先頭に立って日本のあるべき姿を論じていただけたら、
どんなに力になったかと思うと本当に残念です」

   (https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170418-00000502-san-soci

・・・

(ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。
 生前のご活躍に、天界とこの地上より感謝と称賛の花びらが
 降りそそがれております。
 ただ、ただ、感謝あるのみです。 合掌 )

『コロンブスの卵』 - 伝統

2017/04/18 (Tue) 17:58:40

(以降は、渡部昇一氏の言葉の数々を紹介してまいります。)



       *メルマガ「人の心に灯をともす(2011-12-08)」より

   (渡部昇一氏の心に響く言葉より…)

   コロンブスが新大陸を発見してスペインに帰ると、朝野を挙げて熱狂して迎えた。

   ところが、あまりに評判が高いので、これに反感を持つ者もいた。

   ある日、数人の貴族富豪がコロンブスを招いて盛大な宴会を開いたが、
   みんな尊大で、傲慢で、コロンブスの評判のいいのがしゃくにさわっていた
   連中ばかりだったから、酒が回るとだんだん無礼なことをいい始めた。


   「君はアメリカを発見した。
   もちろん結構なことだが、いわば当たり前のことじゃないか。
   誰でも西へ西へと行けば、アメリカにぶつかるに決まっているのだ。
   ただ偶然に、君が最初にぶつかったというだけのことじゃないか」

   といった具合に嫌味をいう。

   それがまた、この招待の目的だったのである。

   コロンブスは黙って、この無礼を聞いていた。

   そして、静かに立ち上がって、ゆで卵を一つ持って、こういった。

   「皆様、どなたでも、この卵を真っ直ぐに立ててくださいますか」

   一人ひとり試みたが、卵のことだから
   ころころところがってしまって、うまく立たない。

   最後にコロンブスが

   「それでは私が立てて見せましょう」

   といって、卵の端を少し割って平たくして、そこを下にして卵を立てた。

   それを見て、人々は笑った。

   「なんだ馬鹿馬鹿しい。それなら誰だってできるじゃないか」

   すかさずコロンブスはいい返した。

   「そうです。誰もできる容易なことです。
   しかし、この容易なことは、たった今、どなたもできなかったのです。
   他人のしたことを見れば、誰でも容易なことだと思いますが、
   誰もやらないときに真っ先にそれをやるということが貴いのです。
   真似ることは全く易しいんですがね」

   この言葉にさすがに皆のものはシュンとしてしまった。

            <『人生を創る言葉』致知出版>

               ・・・

イタリア人のコロンブスは、地球の球形なることを信じ、
狂者と嘲(あざけ)られながら、ついにスペイン女王の援助を得て、
アメリカ大陸を発見した。

この「コロンブスの卵」は、コロンブスの偉業を伝えるために
脚色された作り話だともいわれているが、いずれにせよ、
戦前の教科書にも載っていた有名な話だ。

だれでもできると思われていることでも、最初にそれを行うのは非常に難しい。

「口では大阪の城も建つ」という言葉もあるように、
口でいうのは簡単だが、言ったこと、考えたことを、実行に移すのは難しい。

ましてや、「そんなことはとっくに知っていた」とか、
「ずっと前から考えてた」などと言って、
人の偉業をこき下ろす人は寂しい人だ。

「言うは易く行うは難し」

行動もしないで、人の批判をするだけの悪しき評論家であってはならない。

たとえ失敗したとしても、とにかくやってみるという、「実践者」でありたい。

            <感謝合掌 平成29年4月18日 頓首再拝>

渡部昇一氏を悼む - 伝統

2017/04/19 (Wed) 12:29:31

          *メルマガ「宮崎正弘の国際ニュース」(2017年04月19日)より


渡部昇一氏が4月17日に亡くなった。振り返れば、氏との初対面は四半世紀以上前、
竹村健一氏のラジオ番組の控え室だった。

文化放送で「竹村健一『世相を斬る』ハロー」とかいう30分番組があって、
竹村さんは1ヶ月分まとめて収録するので、スタジオには30分ごとに
4人のゲストが待機するシステム、いかにも超多忙、「電波怪獣」といわれた
竹村さんらしい遣り方だった。

ある日、久しぶりに呼ばれて行くと、控え室で渡部氏と会った。
何を喋ったか記憶はないが、英語の原書を読んでいた。

僅か十分とかの待機時間を、原書と向き合って過ごす人は、
この人の他に村松剛氏しか知らない。
学問への取り組みが違うのである。

そういえば、氏のメインは英語学で、
『諸君!』誌上で英語教育論争を展開されていた頃だったか。

その後、いろいろな場所でお目にかかり、世間話をしたが、
つねに鋭角的な問題意識を携え、話題の広がりは世界的であり、
歴史的であり現代から中世に、あるいは古代に遡及する、
その話術はしかも山形弁訛りなので愛嬌を感じたものだった。

近年は桜チャンネルの渡部昇一コーナー「大道無門」という番組があって、
数回ゲスト出演したが、これも一日で二回分を収録する。
休憩時に、氏はネクタイを交換した。意外に、そういうことにも気を遣う人だった。

そして石平氏との結婚披露宴では、主賓挨拶、ゲストの祝辞の後、歌合戦に移るや、
渡部さんは自ら登壇すると言いだし、ドイツ語の歌を(きっとお祝いの歌だったのだろう)
を朗々と歌われた。

芸達者という側面を知った。情の深い人だった。

政治にも深い興味を抱かれて、稲田朋美さんを叱咤激励する「ともみ会」の会長を務められ、
ここでも毎年1回お目にかかった。
稲田代議士がまだ一年生議員のときからの会合で年々、参加人員が増えたことを喜んでいた。

最後にお目にかかったのは、ことしの山本七平授賞式のパーティだったが、
氏は審査委員長で、無理をおして車椅子での出席だった。
「おや、具体でも悪いのですか」と、愚かな質問を発してしまった。

訃報に接して、じつは最も印象的に思い出した氏との会話は、
三島由紀夫に関してなのである。

三島事件のとき、渡部さんはドイツ滞在中だった。
驚天動地の驚きとともに、三島さんがじつに偉大な日本人であったことを
自覚した瞬間でもあった、と語り出したのだった。

渡部さんが三島に関しての文章を書かれたのを見たことがなかったので、
意外な感想に、ちょっと驚いた記憶がふっと蘇った。

三島論に夢中となって、「憂国忌」への登壇を依頼することを忘れていた。

合掌。


<参考:桜チャンネルの渡部昇一コーナー「大道無門」
    渡部 昇一 & 宮崎正弘(平成25年2月1日)
http://www.dailymotion.com/video/xxeoc8_%E6%B8%A1%E9%83%A8-%E6%98%87%E4%B8%80-%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E6%AD%A3%E5%BC%98-%E5%B9%B3%E6%88%9025%E5%B9%B42%E6%9C%881%E6%97%A5_news


            <感謝合掌 平成29年4月19日 頓首再拝>

移民問題を、渡部昇一先生の書「日はまだ昇る」より学ぶ - 伝統

2017/04/20 (Thu) 12:36:50


          *メルマガ「ロシア政治経済ジャーナル」(2017年04月20日)より

渡部昇一先生が17日、心不全で亡くなられたと聞き、とても悲しんでいます。

私が渡部先生の本をはじめて読んだのは、今から27年前。


「日はまだ昇る~日本経済「浮沈」の秘密」

というタイトルでした。

当時私は、モスクワに留学したばかり。

ソ連人も、世界中から来ている留学生たちも、皆

「日本が好きだ!日本はすごい!」

というので、とても驚いていた。


「え~~~、日本は世界中から嫌われているはずじゃないの?」

自虐史観に染まっていた私は、わけがわかりませんでした。

しかし、渡部先生の「日はまだ昇る」を読んで、納得したのです。


▼現在の「移民問題」を予言

渡部先生はこの本の中で、
1958年にイギリス旅行されたときの経験を書いておられます。

ロンドンのユースホステルに泊まったところ、働いているのは、
パキスタン人など外国人労働者ばかりだった。

いまから60年近く前、すでにそんな状態だった。

保守党の政治家の一部は、当時から

「外国人が増えていけば、将来ロンドンで人種戦争が起こり、血が流れる」

と警告していた。

そして、1958年当時、こんなひどい遊びがあった。

<パーキ・バッシングと言って、
パキスタン人を殴りにいく遊びが、すでにあった。

(中略)

最近では、毎夏のようにテムズ川の南岸では血が流れている。

イノク・ポーエルが言ったとおりの
惨憺たる状況になってしまったのである。>(140~141p)


皆さん、覚えておられるでしょうか?

ロシアでも、自分の応援するチームが負けた時、サッカーファン一部は、
「キルギス人の清掃員を殴って憂さ晴らしする」そうです。

ペテルブルグのテロは、キルギス生まれのウズベク人
(ロシアに帰化)がやったとされています。

もし彼が、何度もひどい目にあったとすれば、
「ISに入って復讐してやる!」と考えたとしても、不思議ではありません。


私は、久しぶりにこの本を読んで、
「なんだ、ロシアと同じことがイギリスでも起こっていたのか」と驚きました。

渡部先生は、いいます。

<こういった現実は、人道的な議論を超越して起こる現象>(141p)

である、と。


昨年、イギリス国民は「EU離脱」を選択しました。
その大きな理由の一つが「移民問題」だったことは、皆さんもご存知です。

このような現実をまったく知らないのか、日本政府は、

「遅れをとりもどせ!」とばかりに、せっせと外国人労働者をいれています。

欧米ロの失敗をそのまま繰り返すとは、なんと愚かな・・・。


▼日本は、なぜ西ドイツに勝ったのか?

さて、敗戦後「奇跡の経済成長」をはたした国が、2つありました。

日本と西ドイツです。

両国とも、「焼野原」からのスタートでしたが、奇跡的復興をなしとげた。

しかし、ハイテク分野では、日本が西ドイツに勝ちました。

何が原因だったのでしょうか?

渡部先生は、
「西ドイツには、安い外国人労働者が大量に流れ込んだから」としています。

<日本には、東ドイツから逃げてくる人間、
または地続きのユーゴ、スペイン、イタリア、トルコ、
あるいは韓国から来る人間がいなかったので、

その人手不足をロボットで乗り切ろうと、懸命の努力をしたからである。

一方、西ドイツには大量の人間が流入したから、
ロボットを作る必然性がなかった。

だが、この時の選択の違いによって、

気がついてみると最先端の技術力、それもロボット分野で、
圧倒的な差を日本につけられてしまったのである。>(145p)


意識的ではないにしろ、当時の日本政府は、正しい政策を行っていたのですね。

一方、今の日本政府は、西ドイツの失敗を活かすことなく、
あえて間違った道を進んでいます。


▼介護ロボットの開発と普及を急げ!

また、渡部先生はこの本の中で、

介護が必要なお年寄りに対し、非常に残酷な仕打ちをしている
ケースについて書いておられます。

しかし、寝たきり老人の世話を長期間耐え続けることは、
非常に難しい現実があると。

それで、日本政府は、「フィリピンから看護人を入れよう」などと主張しています。

こういう発想について渡部先生は。

<高齢化社会へと、どんどん加速していくのに、看護人は減る一方だ。
そこに、日本語を知らない外国人を入れようなどという発想は、
双方にとって、まことに非人間的なことだろう。>   (149p)


では、どうすればいいのでしょうか?

<基本介護はロボットにすべきであり、国家が懸賞を出しても、
こういうロボットの開発を急ぐべきだと、私は考えている。>(同上)



▼「移民問題」の本質

私は、移民全般に反対ではありません。

シリコンバレーに来るような優秀な人材はどんどん入れるべきだと思います。

しかし、「3K移民」にはずっと反対しつづけています。

なぜでしょうか?

それが、「差別」だからです。

なぜ、差別?


口に出していうかは別として、「移民推進派」の本音は、

「日本人が嫌がる仕事は、貧しい外国人を安く雇ってやらせればいいさ!」

だからです。

これは、差別ではないですか?


「移民推進派」の人たちは、
「優秀な外国人が日本に繁栄をもたらす」などといいます。

しかし、実際に大量に入れているのは、「3K移民ばかり」なのです。

渡部先生は、おっしゃいます。


<たしかに、

「人手が足りなかったら外国人労働者を入れるべきで、
それが国際化というものだ」

と主張する日本人もいる。

しかし人手が足りないような仕事は、
日本の青少年が嫌がる仕事であり、だから人手が不足なのである。

そこへ外国人を入れよというのはまことに失礼な発想だ。

しかも安く上がるからというのでは、さらに失礼な発想だろう。>


<日本人が嫌う仕事を、
金があるのを幸いに外国人にさせようというパターンは、
レイシストのそれと少しも変わらない。>(155p)


同感です。


渡部先生は、「外国人労働者」「移民」ではなく、

「ロボット化」によって、日本は繁栄しつづけることができる

と考えておられました。


私もそう思います。

それにしても、「日はまだ昇る」。

27年前の本なのに、まったく古さを感じさせません。

こんな大昔に、今起こっていることを予言していた渡部先生は、

やはりすごいと思います。

皆さんも、是非ご一読ください。

            <感謝合掌 平成29年4月20日 頓首再拝>

「孫子」 - 伝統

2017/04/21 (Fri) 17:58:42


          *Web:渡部昇一の「日本の指導者たち」 より
                (日本経営合理化協会「経営コラム」)

シナ大陸で出た本のうち、
ヨーロッパで最も重んじられたものは何か、と言えば『孫子』であろう。

儒教あるいは儒学が重んじられた文化圏では当然『論語』などの四書五経が
影響力を持ったが、儒学はキリスト教文化圏ではあまり意味がない。
シナ文化やシナ文学を専門とする人たち以外にはほとんど関係がない。

ところが『孫子』とは違うのである。
軍事の関係者が注目し、尊敬してきているのだ。
そしてヨーロッパで軍事学の知識は高級インテリにとっては必修のものとされている。

まだベルリンの壁が崩壊しない頃、日本を訪問した西ドイツの首相B氏が、
日本の首相F氏に、「西ドイツの現在の最大の関心事はソ連の中距離ミサイルである」
と言って、その話をしたが、

日本の首相は、そのミサイルの名前も性能も、またそれに対抗するための
NATO側のミサイルの名前も性能も全く知らなかったので、
西ドイツの首相の方が驚いたという。

ヨーロッパでは似たような国力の国々が戦争し続けてきたから、
軍事に無関心では、政治家にはなれないし、経済界でもリーダーになれなかったのである。

そういう風土の中ではすぐれた軍事の本ならどこの国のものでも読まれるし評価もされる。
それで『孫子』は最も広く国際的に評価されてきたシナの本ということになるのである。
『孫子』はリーダーを志す人の必読の書としての評価が国際的に確立しているのだ。

孫子が誰かということについては学者の間で議論があるが、
われわれが『孫子』として知っている内容は、かの『三国志』の英雄である
曹操(魏の武帝という)が注釈した『魏武注孫子』という本から出ている
と知っておけば十分であろう。


日本が大日本帝国として世界に威張っていた時代と、
大東亜戦争とその敗戦を体験的に知っている私から見て、
最も痛切な文句を二つばかり『孫子』からあげてみよう。

まず書き出しの部分にある文句である。
「戦争は国の大事であって、死ぬか生きるか、国が存続するか滅亡するかの別れ道
になることであるから十分に考えなければならない。」

第二には「従って〔戦争にはもの凄く金や物や人が消耗されるので〕戦いは
荒っぽくてもとにかく早くやるのがよいのだ。うまく長く戦うというようなことは、
いまだかつてないのである。」

日本がアメリカやイギリスと戦う羽目になったのは、
昭和十五年にヒトラーのドイツとムッソリーニのイタリアと
三国軍事同盟を結んだからである。

当時はドイツもイタリアもバリバリの社会主義国である。
日本とは貿易関係もたいしてない。
そんな国々と同盟して石油を売ってくれる
アメリカと敵対するのは正気のさたではなかった。

特にナチスのユダヤ人迫害を知っていたらその世界的影響も考えるべきだった。
一番重要なことは、「負けない側」につくことなのだ。

その点だけでも当時の日本のリーダーたちがよく考えたらよかったのに、
その一番肝腎なことを考え抜いていなかったのである。
それで日本は敗れた。

次ぎに、戦争の準備は十分やるが、
やったらすぐ終えなければならないということである。

日清戦争も日露戦争も、日本は軍事的にも外交的にも十分に準備した上で、
いずれも二年もかけずに終了している。

満州事変も十分準備した約一万の日本軍が、
四十倍の四十万の張学良のシナ兵を追い払って、
一挙に満州国独立まで持って行った。

 ころが昭和十二年以後のシナ事変(日中戦争という人もある)では、
日本は全く準備していない時に戦争をしかけられた。

あわてて兵力の逐次投入を続け、北京、上海、南京、武漢三鎮と占領しながらも
戦いは終わらず、国際情勢がどんどんけわしくなって、
ついに英米とも戦うようになったのである。

 
孫子は教えるのだ。

リーダーにとって一番重要なことは、常に敗けないようにすること、
つまり、いつも勝つ側についていること。

そして準備は十分にするが、始まった戦いはすぐ終えるようにしなければならない、
ということである。

 (中華人民共和国や中華民国の略称として「中国」を用いるが、
地理的、民族的、文化的、通史的な場合はシナ、
つまり英語のチャイナに相当する語を用いる。

元来、「中国」は東夷西戎北狄南蛮に対する語で、
周辺の諸民族を獣や虫扱いした差別語である。)

      (http://www.jmca.jp/column/watanabe/1.html

            <感謝合掌 平成29年4月21日 頓首再拝>

心学とは - 伝統

2017/04/22 (Sat) 12:58:07


          *メルマガ「人の心に灯をともす(2013-04-21)より

   (渡部昇一氏の心に響く言葉より…)

   講談社を創業した野間清治が、ある民衆教育団体の主催する講演会を
   聞きに行ったときのことである。

   そこにはあらゆる職業、あらゆる地位の男女の聴衆がいた。

   大学生も小学生もいた。
   紳士もいたし、粗末な身なりの労働者もいた。
   富める者も貧しき者も、学者も無学者もみんなが座っていた。

   講演する人も、いろいろな階層を代表するようにさまざまだった。

   しかし、有名な実業家が立って話すと、サラリーマンや大人は熱心に聴くけれど、
   子供や学生は退屈した顔をしている。

   大学教授の講演はインテリ層には受けているが、
   老人、婦人の頭の上は通り越しているようだ。

   野間は講演をずうっと聴いていたが、
   全聴衆を引きつけるような人はいまだ登場していなかった。

   やがて演壇に有名な僧侶が立った。

   彼が二言三言話すと満場がしんとなって、
   小さい子供までがその言葉を聞き逃すまいと一所懸命聴いている様子だった。

   その僧侶は、たとえ話や逸話を使いながら仏教の教えを面白おかしく話していた。

   野間は「これだ! 」と思った。

   万人向けの雑誌を創る鍵はここにあるとひらめいたのである。

   たとえ話や逸話ならば誰でも聞く。

   これこそまさに江戸時代の「心学(しんがく)」の本領である。

   「心学」というのは特定の人に話すわけではなく、教える人が

   「自分の家に話を聞きにきなさい。誰でもかまいません。
   武士でも町人でも、老人でも子供でも女でもかまいませんよ」

   といって集めて、面白い話、たとえ話、みんなが納得すること、
   道歌などを聴かせていたのである。

   つまり、いつの時代であれ、すべての人が話を聴くのは、
   たとえ話、偉い人の逸話などの面白いもので、
   しかも為になる話だったということなのである。

   思想史の中では軽視されているといっていいが、
   日本を変える大きな力となったものに「心学」がある。

   江戸時代に発達した心学は、仏教であろうが神道であろうが、儒教であろうが、
   心を磨く材料になるものはどんどん使えばいいと考えるユニークな思想であった。

   この心学こそが、日本で生まれた真に日本的な思想であると私は思っている。

   心学が最も大切にするのは「自分の心を磨く」ということであって、
   そのための材料になるものであればなんでも構わないから取り上げる。

   宗教のように「最初に教義ありき」ではなく、「最初に心ありき」なのである。

   つまり、心学は普通の宗教とは逆に人間中心であって、
   そうであればこそ、どんな偉大な宗教の思想も
   自分を磨くための材料になってしまうのである。

   人間の心が銅の鏡であるとすれば、仏教も儒教も神道も、
   それを磨く「磨き砂」となるわけである。

   このような心学の考え方は、
   日本の江戸時代が生んだ「人間主義」の思想といっていいと私は思っている。

          <『「仕事の達人」の哲学』致知出版社>

               ・・・

石田梅岩は、江戸時代に「石門心学」と呼ばれる思想を打ち立てた人だ。

当時、「士農工商」の封建社会の中で、商売の尊さや、利の大切さを教える
梅岩の教えは画期的だった。

聴講料は無料、出入り自由、女性もOKの講義は、
「勤勉・誠実・正直」の精神を伝えたという。
多くの人に伝えるには、分かりやすくなければならない。

たとえ話や、逸話や、体験談、など、
誰もがあたかも情景が目に浮かぶような話をする人は、
わかりやすく、ストンと腹に落ちる。

落語や講談がその最たるものだ。
落語の寄席に長く通った人に、講演が上手な人が多いのもうなずける話だ。

心を磨く大切さを教える「心学」は、どんなに時代が変わろうと大切だ。

・・・

<参考>

(1)知られざる講談社・創業者の偉業
    → http://www.mag2.com/p/news/247084

(2)石門心学 とは
    → http://shuseisha.info/sekimon-shingaku.shtml


            <感謝合掌 平成29年4月22日 頓首再拝>

『渡部昇一の少年日本史』~渡部昇一氏の生前最後の著書 - 伝統

2017/04/23 (Sun) 08:44:30


『渡部昇一の少年日本史』あとがき より

         *メルマガ「人間力」(2017年04月22日)より


博識、鋭い論説で知られ、多くの人に惜しまれながら
八十六歳で逝去された渡部昇一氏が、

若い世代に向けて綴った日本通史の決定版『渡部昇一の少年日本史』。

本書刊行に込める思いを、逝去される1か月前、
渡部氏が「あとがき」に綴ってくださいました。

渡部氏が次世代のために託した
“遺言”ともいえる最後の作品。

ぜひ多くの方にお読みいただけることを願ってやみません。


…………………………………………

このたび思いがけず若い人たちのために
日本通史を書く機会を与えられました。

歴史の書き方にはいろいろあると
いうことは本文で述べていますのでここでは繰り返しませんが、
やはり虹として見るという見方が一番重要だと思います。

そのような虹を見るために、
私は本書を書くにあたって日本史の参考書を積み上げて
詳しく調べて書くというやり方をわざと避けました。

そして、日本史の中で私が重要だと考えている
出来事を ―― 言い方を変えれば、私が日本の歴史に見た虹を ―― 
参考文献に頼ることなく一気に語りました。

しかも、若い人が読者になると
いうことなので、極力わかりやすく語ったつもりです。


ですから、この本を読んでいただければ、
私という人間が日本史をどのように捉えているか、
どのようにイメージしているか、

日本と他の国にはどのような違いがあると考えているのかが
よくわかっていただけると思います。

どこの国でもそれぞれに、
国民は自分の国を誇りに思っていることでしょう。
同時に、どこの国でもあらを探そうと思えば
いっぱい出てくるものだと思います。

しかし、そういうあら探しは
専門家や特別興味がある人がやればいいことです。

一般の人にとっては、
自分の目に虹として映るような国を
持てるということが何よりも幸いなことなのです。

「こういう国に生まれたんだなぁ」と
喜べるということが一番大事です。


      (略)


私もすでに八十六歳です。
体調はいつも必ずしもいいとは限りません。

その点で本書は、皆さんが生まれるよりも
少し前に生まれて、皆さんの知らない戦争も含めて
日本の歩みを見てきた渡部昇一という人間が、
これからの日本を支える若い人たちに向けて
書いた一種の遺言とみなしていただいても結構だと思います。

本書を通じて、私たちの世代が見てきた日本の輝かしい虹を
若い世代の人たちが受け継いでくれることを願ってやみません。

                     平成29年4月
                      渡部 昇一 

             ・・・

『渡部昇一の少年日本史』目次 より

         *メルマガ「人間力」(2017年04月23日)より

…………………………………………………
序 章 日本人にしか見えない虹を見る 【歴史の見方】
…………………………………………………

膨大な歴史的事実の中で、
ある国の国民の目に映るものを「国史」という

歴史の史料には文献(リテラトゥール)と
遺跡(リアリエン)の二種類がある

卑弥呼や邪馬台国が出てくる
『魏志倭人伝』のニュースソースは噂話?

記紀神話にいきいきと描かれている
黎明期の日本の姿


……………………………………………………
第一章 神話と歴史が地続きになっている国 【神代・古代】
……………………………………………………

【国造り】男女がそれぞれの役割を果たしながら
     協同で造った国・日本

【高天原】天照大神とスサノオの物語から
     見えてくる皇室の起源

【神武天皇】神話時代と歴史時代の
      境目に立つ初代天皇

【記紀】日本の古代を記した
    『古事記』『日本書紀』の作られ方

【日本人の起源】日本民族の祖先は南の島から
        船に乗ってやってきた


…………………………………………………………
第二章 遠い祖先たちが生きていた古代日本の姿 【古代】
…………………………………………………………

【日本の根本精神】神武天皇が即位式で唱えた
         世界初の人種平等思想「八紘一宇」

【日本武尊】日本武尊の東征が教える
      古代天皇族の姿かたち

【三韓征伐】神功皇后の三韓征伐が示す
      古代日本と朝鮮半島の関係

【仁徳天皇】“品が良くてつつましやか”という
       皇室の原点を仁徳天皇に見る

【仏教伝来】神の国であった日本で初めて
      仏教を重んじた用明天皇

【推古天皇】蘇我馬子に暗殺された
      崇峻天皇の後を継いだ日本初の女性天皇

【十七条憲法】第一条「和を以て貴しと為す」の
       裏にある神道派と崇仏派の確執

【遣隋使】隋の煬帝を怒らせた聖徳太子の国書に
     書かれていたこと

【大化の改新】蘇我氏の野望を砕き、
       古代日本の“近代化”を目指した天智天皇

【壬申の乱】女帝が出現する背景には
      必ず皇室の争いがある

【古事記】漢字の音によって日本語を表すことを考えた
     太安万侶の大発明

【万葉集】天皇から下層民まで、『万葉集』の
     採用基準となった「和歌の前での平等」

【藤原時代】初めて臣下から皇后を出した藤原氏の女子教育

【奈良の大仏】官民一体になって造り上げた
       世界一巨大な鋳造仏

【正倉院】慈愛に満ちた光明皇后が残した
     世界最古の博物館

【百万塔陀羅尼】グーテンベルグより
        六百五十年前に実在した世界最古の印刷物

【和気清麻呂】皇位を奪い取ろうとした
       道鏡の謀略を阻止した和気清麻呂の活躍

【藤原道真】学問の神様として有名な菅原道真は
      怨霊として恐れられていた

【紫式部】国文学勃興の時代に生まれた
     世界初の長編小説『源氏物語』

【藤原道長】絶対権力を我が物にした藤原道長が
      天皇になろうとしなかった理由


第三章 武士政権の誕生と荒ぶる天皇の逆襲【中世】

第四章 信長・秀吉・家康の時代から江戸幕府の興亡へ【近世】

第五章 新しい日本の創生と欧米列強の圧力【近代】

第六章 日本の底力を見せた戦後の復興【現代】


……………………………………………………
●中学生、高校生からも感動の声、続々!!
……………………………………………………

歴史を好きな高校生も苦手な高校生も
この本を読めば、歴史への見解が変わると思います。  
(高校2年 柴原天音さん)


今まで学校で教わったり、新聞やテレビで形作られた私の価値観が、
この本を読んで大きく変わりました。
(高校3年 山本雄文さん)


教科書よりも丁寧にわかりやすく
書かれていてとてもよかったです。
(高校2年 奈良都美さん)


日本にもこんなにすごい人がたくさんいるんだということを
知ることができて、勉強になりました。
(中学3年 野口咲良さん)


日本が元軍を追い払えたのは、神風のおかげだと思っていたが、
北条時宗の功績がすごいものだと初めて知った。
(高校2年 高瀬莉生さん)


日本史の知識は十分にあると自負していましたが、
教科書には載っていない真実が書かれており、
つい読み入ってしまうほど興味深い内容でした。
(大学1年 江口道明さん)


            <感謝合掌 平成29年4月23日 頓首再拝>

【ひとつひとつかたづける】 - 伝統

2017/04/24 (Mon) 18:02:34


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2015-05-05) より

   (渡部昇一氏の心に響く言葉より…)

   チャールズ・ラムは、30年間インド商会に勤めていた。
   その30年間、毎日毎朝10時に出勤して、午後4時まで勤務して
   家に帰るという、判を押すような生活を送っていた。

   当時はバカンスなどまだなかったから、
   休むのは日曜日とクリスマスぐらいのものだったと思われる。

   ラムは夜の時間を読書と著述にあてていたが、
   いつも、もし自分に昼間の勤務の時間がなかったらどんなにいいだろう、
   どんなにたくさんいいものが書けるだろうと、勤め人の身の上を悲しく思っていた。

   ところが、ラムの希望が満たされるチャンスがやってきた。

   インド商会がラムの長年の勤務に感謝して、
   ラムを休職にして、その上で恩給を与えることに決めたのである。


   これを聞いてラムは非常に喜んだ。

   たとえ10万円やるからもう10年辛抱しろと言われても、
   あの囚人のような生活に戻るのは嫌だと思った。

   彼は嬉しさの余り、友人である詩人のバートンにこんな手紙を書いた。

   「私は自由の体になったのだ。
   私はこれから50年は生き延びるだろう。
   私の暇な時間を少し君に売ってあげたいものだ。

   確かに人間のすることで一番よいことは、
   何もしないで遊んでいることで、
   熱心に働くことはおそらくその次によいことだろう」


   それから2年が経った。
   長い飽き飽きした2年だった。

   この間にラムの心境は全く変わっていた。

   会社員や普通の役人のような平凡な仕事、決まった一つの仕事を毎日繰り返すこと、
   毎日毎日コツコツ働くことが、今ままで気づかずにいたけれど、
   実際は自分にとっての薬であることを知ったのである。


   ラムは再び友人のバートンに手紙を書いた。

   「人間にとって、少しも仕事がないのは、仕事があり過ぎるよりも悪いものだ。
   暇であると、自分で自分の心を食うことになるが、
   およそ人間の食う食物のうちで、これほど不健全な食べ物はない」


   チャールズ・ラムは美しい随筆や文学作品を残した人である。

   その執筆のために自由な時間を乞(こ)い求めたのだが、
   その望みが叶(かな)ってしまうと、
   かえって苦しくなってしまうことに気づいたのである。


   これは、ヒルティの教えとも通じ合う。

   ヒルティは「仕事をする自立」という言い方で表現しているが、
   公の仕事をきちんとこなしながら、立派な仕事をなしとげている。

   多くの人は時間がないことを歎き、
   それを理由に何もなしえぬまま生涯を終えてしまう。

   だが、時間がない中で時間をつくる工夫をすることによって、
   大きな仕事ができるということも確かにある。

   規則的な仕事のある方が、
   かえって自由時間の活用に結びつくことをラムは示している。

   ヒルティも示している。

         <『人生を創る言葉』致知出版社>

           ・・・

「けれど けれどで 何もしない  ひとつひとつ かたづけていくんだよ」

相田みつを氏の言葉だ。


普段から読書をする習慣のない人が、暇になったので急に読書をするようになった、
などということはほぼありえない。

忙しい最中(さなか)でも、本を読む人は読む。

もっとお金があったら、もっといい家に生まれていたら、
もっといい学校を出ていたら…
そして、もっと時間があったら、と嘆(なげ)く。


うまくいかなかったことを、人のせいにしたり、まわりのせいにする人は、
「けれど けれどで 何もしない」。

現状を憂(うれ)えたり、嘆いたりせず…

目の前の一事を、ひとつひとつかたづけたい。

            <感謝合掌 平成29年4月24日 頓首再拝>

【万感を込めて、無心で眺める】 - 伝統

2017/04/25 (Tue) 18:15:55


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2011年10月01日) より

   (渡部昇一氏の心に響く言葉より…)

   ハマトンは「知力には二種類ある」と語った。

   これを私の言葉で言えば、
   一つは鷲(わし)や燕(つばめ)の如く一挙にスーッと飛ぶような知力、
   もう一つは駝鳥(だちょう)の如く足を踏みしめて進むような知力である。

   鷲や燕は地面を歩けないけれど、大空を飛べる。

   駝鳥は地面を素早く歩けるが、走った先に何があるか案外わからず、
   走った先が崖ということもある。


   松下幸之助氏は雄大で、鷲のような知力を持っている。

   たとえ知識がなくとも、はるか遠方を見通せる。

   しかも見えるだけでなく、「電気器具の潤沢なる供給を目指すべきである」という
   独自の水道哲学を提唱する。

   なまじ学問がないので、考えることが皆独創的になるのだ。

   松下氏は子供の頃から通常の学問や常識にこだわらず、つねに先を見ていた。


   ではどうすれば「鷲の知力」が身につくかというと、「これ」という王道はない。

   それでもヒントはある。

   それは万感を込めて世の中を見続けることである。

   例を挙げるなら、昭和天皇である。


   ニクソンショックの後、
   それまでの1ドル=360円が308円になるという急激な円高が起きた。

   輸出産業が大打撃を受けると考えた当時の水田三喜男大蔵大臣は、
   「大変なことになりました」と、昭和天皇に報告に行った。

   ところが昭和天皇はこれを受けられて、
   「円が高くなるということは、日本人の労働の価値が高くなることではないか」
   とおっしゃった。

   水田大臣は返す言葉がなく、冷や汗を流して引き下がったという。


   これは昭和天皇が「日本人はこれからどうあるべきか」と、
   国や国民の運命を朝から晩まで無心でお考えになっていたからではないだろうか。

   そこから数字や理屈から導かれるものとは違う、
   鷲の目で見た答えを見出されていたのだ。


   無心とは、松下氏がよく口にした「素直な心」であり、
   つまりは「とらわれない心」である。

   万感を込めて、無心で眺める。

   これは知力の働きとしては受け身である。

   知識や情報を獲得しに行くのではない。

   受け身で世の中をザーっと眺め「こうではないか」と結論に至る知力なのだ。


   松下氏も積極的に情報を集めたり、計算をするといったことは、あまりしなかった。

   そうした中からこそ、「鷲の知力」は育まれるように思う。


   知識や数字を使うのは、参謀の役目である。

   リーダーは、決断さえできればいい。

   トップに立つには学歴は不要で、学歴が必要なのは人に使われる人である。

   最近では、「銀座まるかん」の創業者・斉藤一人氏がそうである。
   斉藤氏の学歴は中卒で、独自の人生訓やビジネス訓を記した著書を多く出している。

         <『人を動かす力』PHPビジネス新書>

                 ・・・

松下幸之助氏と豊臣秀吉は規模は違うが似たところがある。

ともに学問や学歴がなかったが、秀吉は天下を統一し、
幸之助氏は松下電器(パナソニック)を創り上げた。


学問や知識がなくとも、未来を見通す知力がある人は、激動の時代を乗り切れる。

しかし、なまじ半端な知識があると、それにとらわれ、判断を間違える。


金融の世界では、一流の知のエリートたちが、
デリバティブという怪物をつくりあげ、その崩壊によって
世の景気が一気に悪くなる元凶をつくった。

つまり、「駝鳥の知力」だったからだ。


「鷲の知力」とは、高いところから見下ろすという、俯瞰(ふかん)思考で、
細かいところにとらわれないで、ボーっとして眺(なが)めることだ。

宮本武蔵は五輪書の中で、物の見方は、大きく広く見ることが必要で、
遠い所を近くに見て、近い所を遠くに見ることが大事だ、と言っている。

相手の早い刀の動きは、凝視しせず、ボーっと見ることで、
わずかの差で太刀を避けることができる。


個々の現象にとらわれていては本質は見えない。

情報もまたしかり、である。


何かを判断するには…

「世のため人のためになるのか」、「人の喜びにつながるのか」、
を常に問い続け、その上で、万感を込めて、無心で眺めたい。

            <感謝合掌 平成29年4月25日 頓首再拝>

渡部昇一『書痴の楽園』 - 伝統

2017/04/26 (Wed) 16:32:16

”渡部昇一『書痴の楽園』” の動画アドレスをまとめてみました。

おそらく、「#39 『おくのほそ道』の『本当の奥深さ』」以降の動画は、
生前最後の映像に近く、そして、
このシリーズは渡部昇一氏の集大成にも匹敵するのではと感じております。

もしかしたら、この動画シリーズは、非公開になるのかも知れません。
ご関心のある方は、急いで視聴したほうがよいようです。


#1 書庫探訪スペシャル~前編~
      https://www.youtube.com/watch?v=kZIpJV6GGko

#2 書庫探訪スペシャル~後編~
      https://www.youtube.com/watch?v=Ko5jJ_hEFjA


#3 知の巨人と夏目漱石『こころ』
      https://www.youtube.com/watch?v=IZ98lH2QwiU

#4 知の巨人が語る夏目漱石『こころ』
      https://www.youtube.com/watch?v=5cBZVss6_tE

#5 知の巨人と『こころ』漱石 完結編
      https://www.youtube.com/watch?v=q3WQ6Bm8Mws


#6 社会派ミステリーの巨匠 松本清張①
      https://www.youtube.com/watch?v=67tbpTzTRpo

#7 社会派ミステリーの巨匠 松本清張②
      https://www.youtube.com/watch?v=8ugQKrlXZPM

#8 社会派ミステリーの巨匠 松本清張 完結編
      https://www.youtube.com/watch?v=7r-olG19uH4


#9 知の巨人が語る“啄木” ~詩と詩人とは~
      https://www.youtube.com/watch?v=ukkqAYTrpT4

#10 知の巨人が語る“啄木と短歌” ~ふるさとと歌ごころ~
      https://www.youtube.com/watch?v=1aTFK-RbZIA

#11 知の巨人が語る“啄木と短歌” ~完結編~
      https://www.youtube.com/watch?v=CHec4RYKrIc


#12 時代小説の大家 藤沢周平①
      https://www.youtube.com/watch?v=BiSRX3IXOjY

#13 時代小説の大家 藤沢周平②
      https://www.youtube.com/watch?v=em4dbdW484U

#14 時代小説の大家 藤沢周平 完結編
      https://www.youtube.com/watch?v=GplnP61y80c


#15 知の巨人が語る“三島由紀夫”
      https://www.youtube.com/watch?v=x6UEMziMNeY

#16 知の巨人が語る“三島由紀夫 運命の一冊”
      未公開

#17 知の巨人が語る“三島由紀夫”完結編
      未公開


#18 渡部昇一流 “知的・快老生活のすすめ”
      未公開

#19 渡部昇一流 “知的・快老生活のすすめ” 第二弾
      未公開

#20 渡部昇一流 “知的・快老生活のすすめ” 第三弾
      未公開


#21 シェイクスピア“謎の作家と失われた年月”
      未公開?

#22 時代を超越する“シェイクスピア”の世界
      未公開?

#23 今も息づく“シェイクスピア”の鼓動
      未公開?


#24 WHY? なぜ知の巨人は「努力論」推しなのか?
      https://dhctv.jp/movie/100626/ (非公開へ)

#25 『努力論』は現役女子大生に通用するのるか?
  https://www.youtube.com/watchv=cHjMOsB2In0 (非公開へ)

#26 『努力論』は悩める青春を救えるのか?
      https://www.youtube.com/watch?v=tyFzW3No298(非公開へ)


#27 現代に語り継ぐ『古事記』とは?
      https://www.youtube.com/watch?v=dhyCPds7-jU (非公開へ)

#28 『古事記』と現代女性の熱い関係?
      https://www.youtube.com/watch?v=EJ2gAUSzedM (非公開へ)

#29 『古事記』と日本人 21世紀に伝えたい神話
      https://www.youtube.com/watch?v=M1F8E3QKIbc
 (非公開へ)

#30 書庫探訪スペシャルⅡ(前編)
      https://www.youtube.com/watch?v=FlUTJ5ODJtw

#31 書庫探訪スペシャルⅡ(中編)
      https://www.youtube.com/watch?v=N5LCpVG76Sc

#32 書庫探訪スペシャルⅡ(完結編)
      https://www.youtube.com/watch?v=XEDHq3ymSR4


#33 渡部昇一 運命の一冊パスカルの『パンセ』
      https://www.youtube.com/watch?v=c3AGK2ROwdQ

#34 パスカルの『パンセ』若者よ この本に賭けろ!
      https://www.youtube.com/watch?v=U-EddFS_LBg

#35 知の巨人が語る『パンセ』完結編~パスカルの奇跡~
      https://www.youtube.com/watch?v=B9-EN9xWsx0 


#36 渡部昇一 22歳 ~ハーンとの邂逅~
      https://www.youtube.com/watch?v=wEDD951Xl1g

#37 渡部昇一 22歳 ~ハーンと漱石 運命の時代~
      https://www.youtube.com/watch?v=WgdW51MZD_U

#38 渡部昇一22歳 ~ハーンが教えてくれたこと~
      https://www.youtube.com/watch?v=ZgZddYZ-2jE


#39 『おくのほそ道』の『本当の奥深さ』を解き明かす
      https://www.youtube.com/watch?v=psu0B9H7cF8

#40 松尾芭蕉が築いた日本文化の神髄とは?
      https://www.youtube.com/watch?v=sthDhIRjI3Y

#41最終章 春の句会に 花が咲く
      https://www.youtube.com/watch?v=_emM-3HMcbg


#42 日本を育てた巨人・渋沢栄一 その人生の誘惑
      https://www.youtube.com/watch?v=xMEYppErO1o

#43 男の生きざま 渋沢栄一の青春時代
      https://www.youtube.com/watch?v=QihMHamYVX4
 

渡部昇一『書痴の楽園』ネット配信中の番組
https://dhctv.jp/performer/p2606/

            <感謝合掌 平成29年4月26日 頓首再拝>

よいことをして忘れる - 伝統

2017/04/27 (Thu) 17:08:55


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2017-02-05) より

   (渡部昇一氏の心に響く言葉より…)

   ■「親切を与えた人は黙るべし、受けた人は語るべし」(セネカ)

   親切をしたことは言わないほうがいい。

   親切にされた人は、大いに語るべきである。

   与えた親切はどうしても言いたくなるものだが、なるべく抑え、
   受けた親切はなるべく語りたいと私は思っている。


   ■同僚が困っている時に助けてやるとか、上司に叱られた同僚がいたら、
   彼にかわって上司に弁解してやる、といったような貸しが
   組織の中においては必要です。

   そして、そのような貸しが多い人ほど、人望が出ます。

   ただその場合、いくら貸しをつくっても、代償を求めない貸しでなければいけない。

   取り立てるという意識なしの貸しです。

   返したければ返せばいい、というような感じです。

   そして代償を求めない貸しを、どんどんつくっていく。

      <『渡部昇一 一日一言 (知を磨き、運命を高める)』致知出版社>

             ・・・

石川洋氏はこう語る(心の杖ことば 笑顔開運・ぱるす出版より)。

「《よいことをして忘れること》

佛教に「忘行」という戒(いまし)めがある。

他のために尽くして忘れるということは、難しいことであるが
釈尊は忘れて初めて、よいことになるのであると、教示されている。

「かけた情けは水に流し、受けた恩は石に刻もう」

という道歌を知り、身に沁みるものがあった。

受けた恩を石に刻んで、感謝の心を養っていけば自ずから
“させていただいて有難う”という心が生まれてくる」



「恩を仇(あだ)で返す」

という言葉がある。

恩を受けた人に対し、感謝するどころか、害を加えるような仕打ちをすることを言う。

それを、「忘恩の徒(と)」という。


受けた恩を忘れる人は、自分にもいつか必ず同じことが起こる。

そうではなくて大事なことは、『よいことをして忘れること』。

かけた情けは水に流し、受けた恩は石に刻む人でありたい。

            <感謝合掌 平成29年4月27日 頓首再拝>

【競争はなくならない】 - 伝統

2017/04/30 (Sun) 18:55:41


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2016-05-11) より

   (上智大学名誉教授、渡部昇一氏の心に響く言葉より…)

   競争は確かにしんどい。
   だから、ともすれば競争がない状態をつくろうとする。

   だが、競争がなくなると、外部からであれ内部からであれ、崩壊がやってくる。

   商業というのは、競争が本質です。
   競争というのは自由と同義語です。
   商業の中にある本質的な自由。

   多少行儀が悪くとも個人個人が生き生きしている社会より、
   とにかく騒ぎがなくて、一見整然としている社会のほうがいいんだと考える、
   いってみれば停滞主義者には商業は目障りなんです。

   この停滞主義者というのは、右翼左翼を問いません。

   案外革新とか改革とかをしきりにいうのが停滞主義者だというのは、
   歴史を見ればよくわかります。

   上と下を平準化するのがいいことなのだ、という思想。

   これはぜひとも払拭しなければならない。

   能力のあるやつはどんどん稼いで、金持ちになれるようにしないといけません。

   そうでないと、国全体が活力を失い、やがて天の一角から競争者が現れて、
   ひとたまりもなくやられてしまうことになる。

   敗者の救済は、あくまでも救済の原理でやるべきでしょう。

          <『渡部昇一 一日一言』致知出版社>

             ・・・

多くの人は競争相手は同業他社だと思っている。

しかし、ITやIOTの劇的な進化により、思わぬ業界の見も知らぬ企業が、
ある日突如として競争相手になる、などという事例は多い。

つまり、「競争相手は時代の変化」だということ。

いくら同業者の集まりの中で談合等を行ったり、
官主導で価格を決め競争を排除したとしても、
全く新しい業界や違った産業からの進出があれば、競争はなくならない。

むしろ、手厚く守られている業界ほど、革新的な新規業者が出てきたときに、
多くの既存企業が倒産の危機にさらされる。

「宿泊施設を1軒も所有していないAirbnb(エアビーアンドビー)が
世界一の宿泊業社になった。
タクシーを1台も所有していないUBER(ウーバー)が世界一のタクシー会社になった」

と、藤村正宏氏は語る。

同様に、新聞等のマスコミも、インターネットの記事や、
個人がSNS等で発信することにより、発行部数を確実に落としている。

新聞の競争相手は新聞ではなかったということ。

世の中のことは古来より、「進歩発展」か「現状維持」のどちらかしかない。

現状維持とは、つまり退歩するということ。

「競争はなくならない」

「競争相手は時代の変化」という言葉をかみしめたい。

            <感謝合掌 平成29年4月30日 頓首再拝>

【小さな恍惚】 - 伝統

2017/05/19 (Fri) 18:32:57


       *メルマガ「人の心に灯をともす(2017年05月19日)」 より

   (渡部昇一氏の心に響く言葉より…)

   《“小さな恍惚(こうこつ)”をいたるところで見出すことができる人は幸せである》


   天皇陛下が子どものころの英語の教師だったヴァイニング夫人は、
   少女のころ、夕暮れの空を飛んでいく鷺(さぎ)か何かの鳥を見たときに、
   一瞬、その美しさに我を忘れるような体験をしたと書いている。

   そのとき以来、夫人は小さなことにうっとりとする体験を
   大切にするよう努めたという。


   人生において、大きな喜びで夢中になれるようなことは
   あまり多くはないかもしれない。

   しかし、小さな恍惚(こうこつ)を感じる目を持っていれば、
   人生はもっと充実感に満ちたものになるはずだというのだ。


   松尾芭蕉の句に、「山路来て 何やらゆかし すみれ草」というのがある。

   すみれ草は、普段は目にもとめない草だが、それについ見とれてしまう。

   このときの芭蕉も、ヴァイニング夫人と同じく、
   小さな恍惚の状態にあったと言えよう。


   こいういう「小恍惚」とも言うべきことが起こるときこそ、
   本当に、自己が伸びているときである。

   小恍惚を人生のいたるところで見出すことができる人は、
   幸いな人であり、生きがいのある人生を送っていると言える。

   ヴァイニング夫人の鷺や芭蕉のすみれ草のように、
   ある情景に目を奪われるといったことに限らない。

   数学の問題が解けたときの言いようのない満足感、
   時間を忘れて小説に引き込まれているときの充実感、
   素晴らしい音楽に聞きほれているとこの心地よさ。

   すべてが小さな恍惚だ。


   ここで言っておかねばならないのは、
   このときの心の状態が受け身であるということだ。

   これは、けっして自分の努力によって獲得したという、
   能動的、もしくは挑戦的な姿勢から得られるものではない。


   なぜ、こんな話をしているかというと、
   「努力は大事」という思考にはまりこんで、
   努力至上主義に陥る人が多いからである。

   たしかに努力は大事だ。

   しかし、断じて努力=価値ではない。

   ここを見誤って、努力しないで得たものには価値がない
   という迷信に染まってしまうと、小恍惚を得ることも、
   小恍惚を見出すことで成長することもできなくなってしまう。


   たしかに、求めるものに向かって一心に努力することは美しい。

   ハンディキャップを厭(いと)わず、失敗を恐れず、
   とにかくやってみるべきだということは、これまでにも述べたとおりである。

   ただ、「努力、努力」と思いつめるあまり、
   努力すること自体が一番の価値だと錯覚してしまっては元も子もない。

   それは、ある種の傲慢である。


   だから、ときには、受け身の姿勢になって、
   小さな恍惚を「授(さず)けられる」という心境に浸ってみてもいいのではないか。

   今日、自分があることのありがたみがわかるはずである。

          <『人生の手引き書』扶桑社新書>

               ・・・

ため息には、良いため息と、悪いため息とがある。

良いため息は、心の底からする「ふぅ~」という安堵感のある深くて長いため息。

悪いため息は、「はぁ」という気落ちして空気が抜けるような短いため息。

よく、ため息をすると運が逃げる、と言われているのが悪いため息(短いため息)だ。


肚の底からする深くて長いため息は、
大息(たいそく)や長息(ちょうそく)とも言われる。

深い感動や、驚き、あるいは緊張がとけたときにする、
いわゆる「小恍惚」の状態をいう。


《“小さな恍惚(こうこつ)”をいたるところで見出すことができる人は幸せである》

いたるところに小さな恍惚を見つけ出せる人でありたい。

・・・

『人生の手引き書』は、amazon.co.jp によると、
渡部昇一先生が読者に託した遺言書!  となっております。
(2017/4/30) 発刊。

            <感謝合掌 平成29年5月19日 頓首再拝>

追悼動画の紹介 - 伝統

2017/05/21 (Sun) 17:51:24


(1)追悼番組 渡部昇一先生を偲んで 
        宮脇淳子 倉山満【チャンネルくらら】

       → https://www.youtube.com/watch?v=bbbUR7cd2UE


(2)【追悼特番】渡部昇一先生を偲んで
         ~稲田朋美防衛大臣、小堀桂一郎先生とともに[桜H29/5/13]

       → https://www.youtube.com/watch?v=8axZdYGkFKQ


            <感謝合掌 平成29年5月21日 頓首再拝>

皇室はなぜ尊いのか - 伝統

2017/05/22 (Mon) 19:12:29


      *『皇室はなぜ尊いのか:日本人が守るべき「美しい虹」』渡部昇一・著より

(1)皇室について、いまの日本の子供たちがどういうイメージを
   もっているかはわからないが、戦前、私たちが子供だったころは、
   皇室は「日本人の総本家」というイメージが共通していたように思う。

   昔は、日常の体験を通して、子供も本家と分家の関係を学び、
   「数ある本家のうちの総本家みたいなものが皇室」という考え方は
   すっきりと頭に入った。

(2)昔、ドイツ留学してドイツ人と接していたら、いろいろお国の話も出る。
   「いま、日本はこうだ」と話しても、
   残念なことに「お国自慢」はなかなかできずにいた。

   ある日、ドイツ人から「君の国には戦争中、テンノー(天皇)というのがいたな。
   あの人はどうしているんだ?」と聞かれた。

   「戦前も戦中も、いまも同じです」と答えたら、先方はたいへんに驚いた。
   負けた国で一番上にいた君主が
   敗戦後も同じ地位にあることなど考えられなかったのだ。

(3)日本の天皇とヴィルヘルム二世とでは状況も立場も違う。

   ヴィルヘルム二世は自分から戦争したがった。
   昭和天皇が戦争をしたがらなかったことは、当時の国民は誰でも知っていた。

   戦争を始めたのは内閣で、収めたのは天皇という意識のほうが強かった。
   だから、天皇は退位したり亡命したりしなくてもいいという総意があった。

   ドイツ留学中の私は、このときひらめいた。
   「皇室がお国自慢の種になるのではないか」

(4)ドイツ人にはこれほど詳しくは説明しなかったが、
   神武天皇から五代さかのぼると
   皇室の先祖として崇められている伊勢神宮の神様にたどり着くことを伝えた。

   「ギリシア神話のアガメムノンの子孫が絶えずに、
   いまもギリシアの国王であったとしたならばどうであろうか」と問うた。

   誰もがアガメムノンを知っているし、
   いまのギリシアの状況も知っているから、「ああっ」という表情になる。

(5)これらにより、日本が古い国であることを知らしめることができたのである。
   このレトリックはじつに効果的だった。

   私はドイツに続いてイギリスへ留学したが、イギリスでも同じだった。
   いや、イギリス人のほうがもっとピンと来るところがあった。
   まだ王様がいるからだ。

   現在のイギリス王家は、1714年にドイツから来た人に始まる。
   日本の皇室と比べたら、昨日できた王家のようなものである。

(6)第二次世界大戦後の天皇陛下のご巡幸は、
   日本の精神史の1ページを飾ってもいい出来事である。

   日本人の天皇観を理解するためには外せない。
   数百万の人が死んだ敗戦の直後である。
   恨まれてもいいはずなのに、天皇を恨んでいた人がいない。

   「日本はすべて困難のなかにあるけれども、
   ただ一つ動かない安定点は天皇である」と、
   当時のイギリスの新聞が書いた。

(7)共和制を誇りに思っているアメリカ人でも、爵位とか貴族などには憧れがある。
   それを利用して、イギリスの貴族が貧乏すると、
   アメリカの大実業家から嫁をもらう。

(8)神話に連なる歴史を有する国は、世界にほとんどない。
   現代のゲルマン人にとって神話は神話であり、
   ギリシア人にとっても神話は神話である。

(9)貴種としての純度が高い皇室があるので、
   日本はどんなに貧乏な貴種でも尊敬心が失われない。

   戦国時代、食えない公家が地方に行くと、どこでも尊ばれた。
   なぜかというと、武士は朝廷での地位が低いことを知っていたからだ。

・・・
       
<参考Web:一条真也の新ハートフル・ブログ(2015-09-17)
       http://d.hatena.ne.jp/shins2m+new/20150917/p2 >

            <感謝合掌 平成29年5月22日 頓首再拝>

知の巨人のラストメッセージ(動画)の紹介 - 伝統

2017/05/23 (Tue) 19:03:46


(1)渡部昇一『書痴の楽園』 #45
   知の巨人のラストメッセージ① ~巨人が愛した作家たち~

     → https://www.youtube.com/watch?v=uj2_S8okMlU

(2)渡部昇一『書痴の楽園』 #46
   知の巨人のラストメッセージ② ~人生編~

     → https://www.youtube.com/watch?v=H-HxkbyAjHk

(3)渡部昇一『書痴の楽園』 #47
   知の巨人のラストメッセージ③ ~書庫探訪総集編~

     → https://www.youtube.com/watch?v=Wk0jZVMSYtg

            <感謝合掌 平成29年5月23日 頓首再拝>

明治維新人物学 - 伝統

2017/05/24 (Wed) 18:28:18


      *『明治維新人物学:明治の教訓、日本の気骨』渡部昇一/岡崎久彦(共著)より

(1)連綿たる歴史と文明的土壌が維新の成功を導いた。


(2)西郷隆盛を一言でいってしまえば、全く私心のない人だ。
   頭の中では天下国家のことしか考えていない。
   だけど、小さなことについてものすごく礼儀正しい。

(3)勝海舟

  ①勝海舟は剣道とともに禅の修行をしている。
   これは西郷との共通点でもある。

   禅が何に効いたかと言うと、度胸がつく。
   白刃の間を何度もくぐったけれど、全然びくともしなかった。

  ②勝という人は、実によくなんでも見えている人だった。
   見えていて、それに対して正確な措置をとっている。
   よくあれだけ物事を大きく見ることができたなと。

  ③勝は、理屈を言うんじゃなしに、問題があったらすぐに解決する。
   そうでなきゃいかん。

   何かあると、「考えさせてくれ」とか、
   「それは大事な問題であるから熟慮検討ののち・・・」
   なんて言わないで、
   「こうやって解決する」とスパッスパッと言える人間というのが、
   現代でも最高の人物だ。

   それができたのは、
   戦後では岸信介と田中角栄ぐらいでしょう。

  ④大胆にして細心。
   一言でいえば、勝は超天才的な人で、
   加えて禅と剣道で腹ができていたということだ。

(4)明治の最高の頭脳である伊藤博文。

  ①伊藤の人物を推し量るときにまず言及したいのは、
   彼の書く文章のすべてが明治の最高の名文であるということ。
   論理の乱れがない。

  ②円転滑脱の柔軟さこそが伊藤の持ち味だった。

  ③驚異的な体力が伊藤の業績を生んだ。
   いつも4時間ぐらいしか寝なかった。

   彼はいつだれが会っても快活で機嫌がよかったというので、
   大変な体力だ。
   本当に病気をしなかった。

   明治天皇は、「伊藤の健康は病的だ」と評されたという。

(5)陸奥宗光というのは本当に天才だと思う。
   陸奥の目標は不平等条約の改正と議会民主主義で、
   日清戦争はたまたまだったが、
   あのときの処理ぶりは天才と言うしかない。

   天才を使えるような政府、これが明治ですね。
   もうそれに尽きる。

(6)日本の明治維新が成功したのは、
   極端な近代化と極端な復古運動とが一緒になった。
   まさにその微妙なバランスにあったと思う。

   明治天皇はその両方をなされた。

(7)伝統史観というのは要するに教養主義のこと。
   戦前の高等教育までは教養主義の伝統が残っていた。

(8)アングロサクソンとの信頼関係確立が、
   日本の繁栄を決定づける。

            <感謝合掌 平成29年5月24日 頓首再拝>

渡部昇一『日本人の道徳心』(ベスト新書) - 伝統

2017/06/09 (Fri) 19:43:45


         *メルマガ「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」(2017年06月09日)
            書評欄 より


   二宮尊徳、本居宣長、吉田松陰、勝海舟、中江藤樹、橋本左内、西郷隆盛と
   日本独自の道徳律、その背景にあった文化的特質の根源を探る

 
「知の巨人のラストメッセージ」と副題にあるが、
いまの日本人の道徳観の欠如を衝いた本である。
本書はDHCシアターでの連続講義に加筆した経緯がある。

ともかく最近の若い日本人は、礼儀知らずであり、電車に乗っても老人に席を譲らない。
寝たふりならまだしも、老人がいることに気がつかないでスマホに熱中しているからだ。

評者(宮崎)の経験でも、日本ほど老人に席を譲らない国は珍しい。
あの韓国でも、ドライな香港でも、老人にはちゃんと席を譲ってくれる。

日本の若者はシルバーシートがあるから、制度的にそれで良いと考えているらしい。
だから逆にシルバーシート、優先席には座らない。
その意味ではたしかに合理的だが、基本的な道徳心が不在である。
 
学校で道徳を教えず、いまでは「修身」という道徳を教える学科はなく、
そして教育勅語は顧みられなくなって久しい。

卒業式でも『仰げば尊し』を歌わないのだから、さもありなん。
先生を友だち扱いする風潮も、教職員の劣化というより使命感の欠如である。

教育とは知育、体育と徳育が重要なのに、前者ふたつに熱心でも、
徳育をしないから(教師にとっても、どう教えて良いか分からないらしいのだ)、
礼儀知らずが輩出してしまった。
 
戦前、『修身』の教科書は小学1年生で次のことを教えていた(教科書はカタカナだった)。

(1)よく学び、よく遊べ。
(2)時間を守れ。
(3)怠けるな。

(4)友だちは助け合え。
(5)喧嘩をするな。
(6)元気よくあれ。

(7)食べ物に気をつけよ。
(8)行儀をよくせよ。
(9)始末をよくせよ。

(10)モノを粗末に扱うな。
(11)親の恩。
(12)親を大切にせよ。

(13)親のいいつけを守れ。
(14)兄弟仲良くせよ。
(15)家庭(を大事に)。
 
渡部氏は
「日本は世界最古の国家であり、そこには他国にない長い伝統と習慣が息づいている」
ゆえに、「独自の文化が育んできた中で、日本は、より洗練された『道徳観』『倫理観』
を養ってきた」
 
だが他国の文化流入と異様な価値観の混入により、
日本古来の道徳律はいつの間にか歪んでしまったのだ。
 
かくして本書は道徳の本源を追求するために、
第二部として歴史上の偉人たちの生き方に学ぶとして
二宮尊徳、本居宣長、吉田松陰、勝海舟、中江藤樹、野口英世、橋本左内、西郷隆盛と続く。

・・・

<参考:amazon.co.jp による内容紹介

世界に通用する、日本独自の“心のあり方"とは?

「知の巨人」のラストメッセージ!

今、日本から道徳や倫理、さ
らにはマナーやモラルといったものが著しく欠けていっている。

このような状況を危惧してか、文科省が「道徳」の授業を義務教育において
教科化するという(小学校が2018年度から、中学校が2019年度から)。

しかし、小学校や中学校で道徳の授業が教科化されたからといって、
日本の古き良き道徳観をすぐに取り戻せるとはとても思えない……。
「今の教育の間違いは、子供に理屈を言うこと」―。
“芯"のなくなった日本社会へ最後の提言、著書渾身の道徳論!


日本人の“道徳心"を取り戻せ!

●「無作法なことはするな」―子供への教えは簡潔に

●正直に生きたほうが気持ちがいい

●大切なのは恥を知り、心を磨くこと

●学問には「耐久性」を与える力がある

●普通の人でも“徳"のある人間になれる

●成功は「自らの努力」+「他者の手助け」

●何歳になっても事を成し遂げられる etc.

            <感謝合掌 平成29年6月9日 頓首再拝>

追悼 渡部昇一先生~安倍晋三氏 - 伝統

2017/06/16 (Fri) 18:03:18


          *「月刊 致知」(2017年7月号)より

「知の巨人」を偲ぶ

 巨星、堕つ――。  
 尊敬する渡部昇一先生の突然の訃報に言葉を失いました。

 保守の論客であり、確固たる歴史観を貫き、また文学・文化にも造詣深い、
 まさに「知の巨人」でありました。

 渡部先生の知遇を得て、ご指導賜りましたこと、政治家として幸運でした。
 5年前、自民党総裁選に再挑戦した際、
 私の背中を強く押してくださったのも、渡部先生でした。

 総裁選の前に、先生にお招きいただき、ご自宅を訪問したことがあります。
 その際、ご家族による素晴らしい演奏会と奥様の手料理でおもてなしくださいました。
 愛情で結ばれた、ご一家の絆の強さに感銘を受けたことを今でも覚えています。

 そのあと、書庫にもご案内いただきましたが、十五万冊の蔵書に圧倒され、
 「知の巨人」と言われる所以は、ここにあると納得しました。

 早いもので第2次安倍内閣が発足して4年半が過ぎました。

 この間、先生からご叱責されたこともありますが、
 様々な場面で温かい激励のエールを送ってくださいました。

 私が熟慮に熟慮を重ねた戦後七十年談話について、
 渡部先生は月刊誌で「この未来志向の談話があれば、
 少なくとも『戦後百年』までは新たな総理談話は不要である。

 大手を振って国際社会への貢献を果たすべきだ……
 『戦後』は安倍談話を持って終わりを告げることになったと言えるだろう」

 と評価してくださいました。

 この七十年談話をめぐっては、保守層からの批判もありましたが、
 私がこの談話に込めた思いを、先生は深い洞察を加え、
 最大限の賛辞を贈っていただいたことは望外の幸せでした。

 先生の励ましの言葉で、どれほど勇気付けられたことか。

 渡部先生はエッセイ『知の湧水』の中で、
 敗戦の後も皇室が維持され「昭和」が続いたことについて、

 「自国の歴史の一貫性こそは、意識下において愛国心のもととなり、
 国民としての誇り、国の繁栄のもととなる」

 と説いておられます。

 先生は歴史観、憲法、教育、安全保障という国の根幹にかかわる問題について
 揺るぎない信念を貫き通されました。

 まさに保守の神髄であります。

 これまでの渡部昇一先生のご厚情に改めて深甚なる謝意を表しますとともに、
 心からご冥福をお祈りいたします。
 先生、どうか天上からお見守りください。

                      安倍晋三氏(内閣総理大臣)

            <感謝合掌 平成29年6月16日 頓首再拝>

追悼 渡部昇一先生~石原慎太郎氏 - 伝統

2017/06/17 (Sat) 20:07:22


          *「月刊 致知」(2017年7月号)より

該博な教養を備えた無類の愛国者

渡部さんはまさに「知」の巨人とも言える人だった。
それを証すのは彼の新邸に構えられた書庫の蔵書の膨大な数とその質の素晴らしさだった。
 
書庫を案内されて私が共感したのは、私自身もよくあることだが、
書庫に入って取り出した本をすぐに読みたくなって立ち読みすることが多々あるものだが、
その立ち読みするための本を置く台がしつらえられていたり、
さらに高じて取り出した本を熟読するための簡単なベッドまで備えられていたものだった。

中にはある時大学の教授としての給料の全てをはたいて買い求めた
と言うような本もあったし、ビアズレーの挿絵の載ったイエローブックの初版本まであった。

彼の英語に関する該博な教養は並のものでなしに、英語の源泉のケルト語にまで及んでいて、
並の英語通の及ぶところではなかった。
 
いつか家族連れでの外国旅行中に私が以前ヨットレースに出かけたアメリカで、
ヨットの部品の買い物に行った店で知らされたある表現の便利さに感心して、
ああした慣用の表現を教えぬ日本での英語教育の欠陥を口にしたら、

一緒にいた英語通を任じている竹村健一が「そんな表現は英語としたら邪道だ」
と非難したが、

渡部さんが「いやいや指示形容詞を副詞として使うのは英語の正統な表現ですよ」
と古典の中の事例をあげてたしなめ、竹村も沈黙せざるを得なかったのは、
生半可な英語使いの私にとって極めて印象的なものだった。

そうした教養をはるかに上回って渡部さんは日本の伝統に関しての
該博な知識を踏まえての無類な愛国者だった。

世界が混迷の度を深め、日本人が己のアイデンティティーを見失いかけている現代に、
彼のような「知」の巨人を失ったことを痛切に悔やまずにはいられない。

                           石原慎太郎氏(作家)

            <感謝合掌 平成29年6月17日 頓首再拝>

追悼 渡部昇一先生~堺屋太一氏 - 伝統

2017/06/18 (Sun) 18:49:11


知的で良心的な愛国者
 
世に知的な人は少なくない。
豊かな知識と鋭い洞察力を持ち、未来を指し示せる人もいる。
ベンチャービジネスを開き、新技術を見付け、次世代の育成に当たる人々は多い。
 
良心的な人も少なくない。
世の毀誉褒貶を顧みず、常に信じるところを説いて止まぬ人士も珍しくはない。
また、今の世を憂い国を愛し、日本と日本人と日本文化を誇りとする愛国者も少なくはない。

だが、この3つが3つながらに鼎立している「知的な巨人」は、必ずしも多くはない。

知的な人でも世の風潮に媚びてありもしない日本批判に加わる者もいれば、
戦後の「東京裁判史観」から逃れ得ない者もいる。

中でも多いのは相も変わらぬマスコミ論調と官僚主導の事なかれ主義に溺れて
「無難な論調」に終始する人々である。

そうした方向からは、真に「良心的な」論調は生まれない。
分かったような、誰からも非難されないような話の繰り返しになってしまうからだ。
 
また、愛国的な論者も決して少なくない。
戦後70年。高度成長を成し遂げてからでも40年。
日本の良さ、日本国民の素晴らしさを語る者も珍しくなくなった。
 
だが、その一方で「日本的良さ」を強調する余り、
この国の歴史と文化に与えた外国と外国人との関わりを軽視する人もいる。
 
知的で良心的で愛国的であるためには、すべてを公正に見る知性と知識、
流行にもマスコミ論調にも媚びない骨太さ、そして内外の知識を深く知る勉学が必要である。

渡部昇一先生は、この3つを兼ね備えた碩学、勇気ある知的巨人だった。
ヨガの達人でもあったので、「あと十年は達者でご活躍いただける」
と思っていたが、残念である。

                              堺屋太一氏(作家)

            <感謝合掌 平成29年6月18日 頓首再拝>

追悼 渡部昇一先生~櫻井よしこ氏 - 伝統

2017/06/19 (Mon) 18:36:10


朗らかな、日本への愛と信頼にあふれた笑い声
 
渡部昇一先生、あなたはいつも朗らかでした。
 
日本が濡れ衣を着せられている歴史問題を語るときでさえ、
濡れ衣を着せる国家や民族の過ちを指摘して、真実の力は強いと、
朗らかに笑うのが常でした。
 
致知出版社が主催するホテルニューオータニでの会合にお招きを受ける度、
私は日本を取り囲む国際情勢について語り、日本人がなすべきことを説き続けました。
話に耳を傾け、大事な点に解説を加えて、深めて下さるのが渡部さんでした。
 
文字どおり古今東西の書物に通じ、
膨大な量を読んでおられることには圧倒され続けました。

単なる博覧強記ではなく、知識のひとつひとつが、
祖国日本への愛、信頼、誇りと一体化しているのを感じさせられました。

どれ程多くの若い世代の人々が、
『全文リットン報告書』の渡部さんの解説から大事なことを学んだことでしょう。

『紫禁城の黄昏』の解説では、岩波文庫の訳文から、
中華人民共和国に都合の悪い部分が削除されている事実を指摘なさいました。

東京裁判で証拠採用されなかった同書を、
どの章も削除することなく完訳の形で世に出されたこと、
その意味を説かれたことは、日本人の歴史観を極めて前向きに変える力となったはずです。

歴史に埋もれていた数多の事実に光を当て、
日本の名誉回復と、若い世代の自信回復の後押しをなさった渡部さんに、
心よりの敬意をはらいます。

そしてもう、あの朗らかな、そして日本への愛と信頼にあふれた笑い声を
きけなくなったことを、心底、寂しく思います。

渡部先生、万感の想いを込めて、申し上げます。

本当にありがとうございました。

                          櫻井よしこ氏(ジャーナリスト)

            <感謝合掌 平成29年6月19日 頓首再拝>

追悼 渡部昇一先生~佐々淳行氏 - 伝統

2017/06/20 (Tue) 18:23:22


日本の美しい桜が散った

初代内閣安全保障室長であった私が昭和天皇大喪の礼警備を最後に官を辞し、
素浪人ながら「危機管理」の専門家として文筆や講演、テレビ出演をするようになった頃、
渡部昇一さんは、すでに保守派の文化人として大活躍されていた。

いまでこそ「保守」は市民権を得ているが、
およそ三十年前は「時代錯誤」と同義語であった。

「憲法改正」だの「国益」だのと言い出せば、それだけでマスコミの目の敵、
発言の機会から締め出されかねなかったのだ。

そういう逆風の中にあって、戦後日本のあり方について、
筋の通った主張をずっと貫いてきたのが渡部さんだった。

渡部さん、日下公人さん、岡崎久彦さんら、
保守派の文化人でつくる「初午会」という集まりがあった。

昭和になって最初の午年生まれということから名付けられた会で、
私もそのメンバーである。
 
二十数年前のこと、竹村健一さんのご自宅完成時、室内コンサートに夫婦で招かれた。
中曾根元総理、ソニーの大賀典雄会長ほか、錚々たるメンバーの中に
渡部ご夫妻も招かれており、以来、家族で近しく付き合うようになった。

お互い、家に呼んだり呼び返したり、息子さんの結婚式、ご夫妻の金婚式にも伺った。
数年前から、私は脊柱管狭窄症で歩くのも難しくなったが、
折に触れ手紙をいただき、返信するという間柄だった。

渡部さんの訃報に接したのは、朝、庭の桜が急に散った日だった。

妻は「日本の美しい、懐かしい桜が散ってしまわれた」と寂しがっていた。

信じるところを誰に遠慮もなく正面から発信してきた渡部さんは、
保守派の拠り所であった。

安倍晋三総理が駆けつけたくらいだから、まさしく「御目見」「有職」であった。

ささやかな思い出を記して、心からの哀悼の意を表する次第である。

                       佐々淳行氏(初代内閣安全保障室長)

            <感謝合掌 平成29年6月20日 頓首再拝>

追悼 渡部昇一先生~鈴木秀子氏 - 伝統

2017/06/22 (Thu) 20:30:01


激痛を堪え忍び、最後の一息まで生き抜かれた

渡部先生の人生の締めくくりは、実に見事でした。
 
人は生きたように死ぬといいますけれど、激痛の中でも自分を見失うことなく、
最後の一息までしっかり生き抜かれました。

一度、あまりの激しい痛みにお医者様がモルヒネを使ったときに、
頭が朦朧とする体験をなさった先生は、頭がぼんやりするより激痛を堪え忍んだ方がいい
という選択をなさり、最後までそれを貫かれました。

私は最後の先生のご様子をずっと見守らせていただきましたが、
先生をサポートなさるご家族の皆様も実に立派でした。
先生のご意思を尊重し、先生の見るに堪えがたいほどの苦しみをも共に耐え抜かれました。

皆様が一致協力して、先生を支え続けました。
 
先生は最後まで生き抜く意欲を持ち続けられ、
足が萎えないようにご次男様ご夫妻に支えられながらも、
ご自分の足で毎日歩く訓練を続けていらっしゃいました。

そして、毎日毎日おっしゃることは、
どの人に対しても「ありがとう」という言葉のみでした。

「ありがとう」というときには神様への深い感謝がこもっていました。
私たちはその「ありがとう」という言葉を聞くたびに、
命あることのありがたさ、こうした家族のあることのありがたさ、
沢山の人とつながっていることのありがたさをしみじみ感じたものです。

「ひとりの人の尊い行為は、多くの人々に限りない功徳をおよぼす」
という言葉がありますが、渡部先生は、生涯を通して、とくに、
最後の日々の苦しみを多くの人のために捧げることによって、
どれだけの恵みをこの世にもたらしたか計り知れません。

先生が常に力を注がれた『致知』を通して、
先生に深い感謝を述べることができるのは嬉しいことでございます。

                       鈴木秀子氏(文学博士)

            <感謝合掌 平成29年6月22日 頓首再拝>

追悼 渡部昇一先生~童門冬二氏 - 伝統

2017/06/23 (Fri) 18:22:07


先生の鞄の中の風呂敷包み


感覚的人物観が許されるとするなら、
私は渡部昇一先生を英文学者とみたことは余りない。
むしろ漢学を色濃く加味した日本学の権威だと感じてきた。

『致知』で時折対談させていただいた。
その折、先生は大きな鞄の中から風呂敷包みを出された。
結び目を解いて中から一冊の和綴じの書物を出された。

『論語』だ。
先生はパラパラと頁を繰って私に示す。
「ごらんなさい」。

先生が指さす箇所に色の違う傍線が引いてある。
「この色は祖父、この色は父、そしてこの色は私です」。
先生が私に見せた『論語』は、家宝的書物だ。

先生はさらにこういわれた。
「傍線を引いた箇所が同じ所もあれば違う所もある。面白いでしょ」。
確かに面白い。

祖父、父、そして先生。同じ書物を読んでも傍線を引くところが違うというのは
、三代にわたる渡部家の『論語』の受けとめ方に、差異があることを示している。
先生はそれを大切にされていた。
しかもそれを風呂敷で包んで始終持ち歩いておられる所が面白い。
 
洋式鞄の中の風呂敷包み、その中の『論語』、
これが何よりも渡部先生の真髄を示していたと思う。

西洋の中の古代中国ではない、西洋よりも中国よりももっと大切な日本なのだ。

先生は日本国を愛しておられた。
日本人を愛しておられた。
その立場で歯に衣着せぬ発言を続けられた。
 
対談の時よく感じたのは、こっちを見る時の笑顔の端に、
キラリと鋭い切先の輝きがあることだ。
英国式の知の閃きだ。
 
私は生者が忘れぬ限り死者も生きていると思っている。
先生も同じだ。私の座右の書の一冊である『ドイツ参謀本部』と共に、
先生はいつも鞄の中の風呂敷包みを見せて下さる存在なのだ。

                           童門冬二氏(作家)


            <感謝合掌 平成29年6月23日 頓首再拝>

追悼 渡部昇一先生~中西輝政氏 - 伝統

2017/06/24 (Sat) 18:35:05


大切な人の、早すぎる死

「渡部昇一先生ご逝去」の知らせを聞いて、大きな驚きと共に、
何よりも「早すぎたのでは」との思いが頭をよぎった。

たしかに、多くの知己の方々が語っておられる通り、
この一年近く渡部先生は御健康を害され外目にも衰弱の御様子だった。

しかし私には「渡部先生に限って」、「きっと百歳を超えても現役でおられるはず」
との思いが強くあった。
 
以前、一度夕食を御一緒した時のこと、当時まだ壮年だった私でさえ閉口するほどの
大変なボリュームの肉料理の皿を二人分平らげて、なお物足りぬ御様子の健啖ぶりだった。

それにごく最近に至っても、あの誰もが驚く旺盛な仕事振りは
全く衰えを見せていなかったからである。

私が初めて渡部先生にお会いしたのは、
二十年前、山本七平賞の授賞式後の懇談の席上であった。
 
何かの話題から、私が往年のイギリスの歴史作家・サマヴェルの著作で、
世界史上の有名な政治家の伝記を扱った本
(D.C.Somervell, Studies in Statesmanship, London, 1923)には、
こんなことが書いてありますが、と言及したところ、

渡部先生は「今の日本にあの本を知っている人がいたのか」と大変喜ばれ、
その後も御自分のコラム等で、たとえ初対面でも貴重な知識を共有する人に出会うのは、
百年の知己に会う思いだ、との有名な箴言を引いて評して頂いた。
 
私にとって渡部先生は何よりも、ヨーロッパの文化と歴史を深く知る学者同志として、
かけがえのない知己であった。ある時は(その後、途中で立ち消えになったが)
昭和史の研究センターを設立して日本人の健全な歴史観の育成を図る計画に
共に取り組んだこともあった。

渡部先生は、数十年にわたり平明な叙述で、
しかし日本人にとって大切な考え方を説きつづけ、
一貫して日本の論壇をリードしてこられ、

また、あの独特な山形弁での当意即妙・軽妙洒脱な語り口は
全国の多くの渡部ファンを惹きつけてやまなかった。

私自身も座談の名手としての渡部先生から、西欧と日本に関わる
多くの問題で蒙を啓いて頂いたこともしばしばであった。

近年、「戦後七十年談話」などでは渡部先生と私とで評価は分かれたが、
それだけに今一度、親しく歴史論を交わす機会を楽しみにしていた。

それゆえに、このたびの訃報は私にとって、何としても「早すぎた」のである。
しかし「大切な人の、早すぎる死」、これこそまさに人の世の習い、と言うべきか。

渡部先生の御冥福を心からお祈り致します。

                      中西輝政氏(京都大学名誉教授)

            <感謝合掌 平成29年6月24日 頓首再拝>

追悼 渡部昇一先生~村上和雄氏 - 伝統

2017/06/25 (Sun) 18:24:57


日本と世界にとって大きな損失


渡部昇一氏は上智大学において、教育と研究に長年にわたり従事されました。
そして、大変優れた業績を上げ、瑞宝中綬章を受章されておられます。

渡部氏の専門は英語学ですが、言論活動は、その専門分野を遥かに超え、
歴史、政治、成功哲学、人物論など非常に広範囲のものでした。

何故そのような幅広い活動ができるのかと問われますと
「私は好奇心が旺盛で、つい他の分野にも興味を持ってしまうのだ」
と答えておられました。

渡部氏の大きな活動の特徴は、単に学術分野にとどまることなく、
一般人にも理解できる本を数百冊出版されていることです。
多くの大学人が狭い専門分野に閉じこもりがちなのに比べ、全く異色の存在でした。
 
以前、書庫を拝見させてもらったことがありますが、
十五万冊にも及ぶ日本語、英語、中国語などの書物が天井まで収蔵されており、
その質と量に圧倒されました。

ここに渡部氏の多彩な活動の原点を見る思いでした。
 
渡部氏は若いころ、ドイツ・ミュンスター大学、イギリス・オックスフォード大学に
留学した経験を持っておられます。当時、外国に行くのが大変難しい時代でしたが、
この外国での経験が、日本と日本人の価値を客観的に見る言論活動に役立っていると思います。

今後、世界に必要なことは、単に科学・技術の力だけではなく、
大自然の恵みに感謝し、凜として生きることだと思います。

そのためには、日本民族は誇りと高い夢を持って歩んでほしい
と切望しておられたように思います。


私はダライ・ラマ十四世と何度も対談しましたが、
法王は二十一世紀は日本人の出番が来ると確信しておられました。
今後は、日本人を含む東洋人の活躍する時代が来るように思います。

このような時期に、渡部氏を失ったことは日本と世界にとって大きな損失であります。

                        村上和雄氏(筑波大学名誉教授)

            <感謝合掌 平成29年6月25日 頓首再拝>

追悼 渡部昇一先生~横田南嶺氏 - 伝統

2017/06/26 (Mon) 19:50:26


渡部昇一先生を悼む

先生は、「知の巨人」と呼ばれ、「信念の人」とも称されます。
そこで、私も長い間、近寄りがたい先生だという印象を懐いていました。

しかしながら、有り難いことに近年致知出版社のご縁で、
親しく謦咳に接する機会に恵まれ、その印象は一掃されました。
実に温かい、人間味のあふれる先生でした。
 
隔月ごとの勉強会に同席させていただいて、たくさんの思い出を頂戴しました。
中でも先生のご自宅の書庫を拝見させていただいた感動は忘れ得ません。
十五万冊と言われる蔵書はまるで図書館のようでした。
 
先生は、一時期偏向的な思想を持った人たちから、糾弾されていました。
すべての授業を妨害されたこと、仲間の中には自ら命を絶ったり、
言論の世界から消えた者も多かったなど、当時のご苦労についてもうかがいました。

私は、即座に「先生はどうして平気だったのですか」と聞きました。
先生は、「学んで学んで学び尽くして確信したのだから、揺らぎようがない」
と答えられました。

膨大な蔵書を拝見して納得しました。
 
また、身の危険を感じることも多々あったと言われました。
それでも家に帰る時には、気持ちを切り替えて、
家庭には問題を持ち込まなかったというのです。

その時も、「どのように気持ちを切り替えられたのですか」と聞くと
「雁がん、寒潭かんたんを度わたる。雁去って潭に影を留めず」
という一句を口ずさまれました。『菜根譚』の句でした。
 
自らはクリスチャンでありながら、禅僧である私にも気さくに接して下さいました。
元寇を乗り越えられたのは、臨済禅のおかげであるとのご見識もお持ちでした。

「北条時宗の官位は何だったか」とのご下問に、私は「正五位下でした」と即答し、
更に「それを従一位に上げて下さったのが明治天皇です」と申し上げると、
先生は満足そうに頷かれました。懐かしい思い出です。

「若い者は勉強が足りない。もっと本を読まなければならない」という
叱咤のお声が今も耳に残っています。
 
ご冥福をお祈りします。

                     横田南嶺氏(臨済宗円覚寺派管長)

            <感謝合掌 平成29年6月26日 頓首再拝>

追悼 渡部昇一先生~藤尾秀昭氏 - 伝統

2017/06/27 (Tue) 18:32:46


修養の人 渡部昇一先生
 

渡部昇一先生が逝かれてひと月が過ぎる。
大事な人を亡くしてしまったという思いが日毎につのる。
 
先生と初めてお会いしたのは昭和56年の5月。
『致知』の特集「飴と鞭」にご登場いただいたのが最初である。
 
当時、先生は『知的生活の方法』がベストセラーになり、
多分、超がつくご多忙の中にいらっしゃったのだろう。

最初の取材依頼は、「自分はこれ以上人脈を広げたくない」と断られてしまった。

だが、単に話題の人ということでご登場をお願いしたわけではない。
この人のお考えをぜひ読者に伝えたい、という願いがあってこそである。
その思いを込めて再度申し込みの手紙を差し上げたところ、
先生はこちらの熱意を感じ取ってくださったのだろう、快く取材に応じてくださったのだ。

以来36年、先生には公私にわたり親しくご交誼ご指導をいただくことになった。

“知の巨人”とは先生によくつけられる形容詞である。
確かに先生は教養の人であった。しかし、それだけではない。
先生は同時に修養の人であった、という思いが私には強い。

このことを改めて痛感したのは、この程出版した『渡部昇一の少年日本史』の
口述筆記をした昨年のことである。取材の場に現れた先生のお姿に私は絶句した。

6月初旬に怪我をされてから食欲を失い一人では歩けなくなり、
二人の人に両脇から抱きかかえられて来られたのだ。
取材は無理、ととっさに思った。

だが、先生は初日は午後1時から6時まで、翌日も朝9時から午後2時半まで、
休憩なし、資料も一切見ず、時間と共に熱を帯びて語り続け、仕事を終えられた。
その仕事に懸けた気迫に、先生の積まれた修養の結晶を見た、と思った。

『致知』30周年記念式典の折のことも忘れられない。
式典の後、「藤尾さん、ぼくを50周年の記念講演の講師にしてくれませんか」
と申し出を受けたのだ。

「いいですね。先生97歳、私80歳、二人でやりましょう」と笑い合ったのだが、
それは叶わぬ夢になってしまった。

『致知』を深く愛してくださった先生。
『致知』が代表的国民雑誌になることを願い、力になってくださった先生。
その先生の願いを実現することを使命とし、50周年に向けて全力を尽くすこと。
これ以外に先生のご恩に報いるものはない、と強く思う。
 
先生、長きにわたり、ありがとうございました。

                          藤尾秀昭(致知出版社社長)

            <感謝合掌 平成29年6月27日 頓首再拝>

亡き父の書庫にて~渡部玄一氏 - 伝統

2017/06/28 (Wed) 20:01:28


父の書庫に座って呆然としている。
物言わぬ幾万の書物の重みが身体にのしかかってくるようである。
そして目の前に父の骨がある。

ただただ不思議に思うのは、あれだけの知識、知見はいったいどこに行ってしまったか
と言うことだ。父の死は私にとって切実な出来事であった。
 
これも父が日頃から言っていたa blessing disguise―仮装した祝福(一見不幸な出来事も
本人の心がけ次第で良いことのきっかけになり得ることの謂い)なのであろうか? 
今はとてもそう受け入れる気持ちになることは出来ない。

父はその死の半月ほど前、痛む身体を起こして家族と食卓を囲む機会を持った。
その時父が「自分ほど幸運に恵まれた人間はいない」と言っていたので、
私がなぜそうなれたと思うか問うた。
 
父はしばらく考えてから「それは自分が親にとても可愛がられたからだと思う」と答え、
そして「どんなに貧しいときも子供のためと思われる出費には母は一切文句を言わなかった」
と懐かしそうに話した。
 
父によれば、もし子供が生涯幸運に恵まれる事を願うなら、まずその子供を可愛がれ、
と言うことである。確かに私達もそうされてきた。
 
書庫を改めて見渡すと今更ながらその素晴らしさに驚く。
父はこれを一代で築いた。この書庫は幻ではなく現実にあるものだ。

この書庫を今後どのようにできるか今は分からない。

しかし一つの夢をこれほど見事に実現した証拠は私に呈示されている。
私が受け継ぐべきものはこの事実であり、それが出来た時、
初めて父の死がa blessing disguiseと言っていいものになるのかも知れない。
 

父の生前、父を支えてくださった読者の皆様、致知出版社の皆様に心より御礼申し上げます。

                           渡部玄一氏(チェリスト)

            <感謝合掌 平成29年6月28日 頓首再拝>

【明治維新を成し遂げた日本人のDNA】 - 伝統

2017/09/25 (Mon) 19:52:37


         *メルマガ「人の心に灯をともす(2017年09月25日)」より

   (渡部昇一氏の心に響く言葉より…)

   世の中の変化なんて気にするなと言われても、
   変化に乗れない人を落伍者とするかのような論調が跋扈(ばっこ)する中、
   そう簡単にはいかないのかもしれない。

   ならば、自分たちの祖先たちは時代の波をどう乗り越えてきたか
   振り返ってみてはどうだろうか。

   戦後の歴史教育は日本人の功績に重きを置かないようにできているが、
   過去の実績を見れば、日本人の変化に対する優れた対処能力は一目瞭然である。


   その最たる例は、やはり明治維新だろう。

   当時、西洋の近代文明を自家薬籠中(じかやくろうちゅう)の物にせんとした
   有色人種国は、日本だけである。

   島が動くかのごとき巨大な黒船に彼らは仰天したが、
   すぐに恐怖心より好奇心が優(まさ)ってしまった。


   現に、黒船の乗務員の一人は、船にやってきた日本人たちについて
   「これほど何にでも触れたがる人種は初めて見た」と、
   なかば呆(あき)れ気味に書き残している。

   さぞかし驚くだろうといろいろな機械を見せるのだが、
   見たこともないものを次々と目にした日本人は片っ端から触りまくり、
   中には懐紙(かいし)を出してスケッチを始める者までいたそうだ。

   もちろん、最後まで旧時代の「文武」と「農」にこだわった
   西郷隆盛のように、急激な変化に馴染(なじ)めなかった人もたくさんいた。

   しかし、総じて見れば、日本人は変化を受け入れるのが非常にうまい。


   中国やインドといった過去の優れた文明国までが
   白人諸国に屈したことを考えれば、驚異的と言っていいだろう。

   その後、日本は日清戦争、日露戦争と二度も大きな戦争に勝ち、
   民主主義も独自に発展させた。


   また、太平洋戦争では完膚(かんぷ)無きまでに潰されたが、
   戦後すぐさまアメリカに飛んだ日本の産業人が先頭となって
   奇跡的な経済復興を遂げた。

   この奇跡の復興は、のちのち120ヵ国にも上る
   世界中の発展途上国の手本となった。

   というのも、いちはやく日本型システムを導入した
   台湾や韓国が揃って成功したからである。


   日本の成功だけならば、日本は別格と片づけられていたかもしれない。

   しかし、旧日本領であったほかの国まで日本にならって成功したとなれば、
   「ならば我らも」とばかりに多くの国が続くのは、自然な流れと言えよう。

   日本は戦争に負けたが、その後半世紀あまりをかけて
   世界のトップに躍り出たのだ。

   そして、すべては、日本人が時代の変化に臆せず、
   自然科学でも産業でも、あるいは政治制度でも、
   優れたものは積極的に取り入れようという画期的なことを
   してのけた結果である。


   今は変化の時代だ。

   乗り遅れるなとマスコミなどは騒ぎ立てるが、
   それほど心配することではない。

   急激な変化と言っても、明治維新や敗戦に比べれば、たいしたことはないのだ。

         <『人生の手引き書』扶桑社新書>

             ・・・

渡部昇一氏は、こう語る(同書より)。

『私が学生のころ、ふとしたきっかけで
「音楽界は今、大きな曲り角にさしかかっている」と言う
ラジオ放送を耳にしたことがある。

そのときはなんとはなしに聞き流したのだが、それから30年あまり後、
今度もラジオで「音楽界は大きな曲り角にさしかかっている」と言うのを聞いた。

そうすると、2、30年もの間、音楽界は常に曲り角にあったということである。
屁理屈だと思うかもしれないが、これは、ある意味で、
時代というものの核心をついていると思う。

直線の時期など、皆無に等しいのではないか。
時代はいつも曲り続けているのだから、
いたずらに変化を恐れても仕方のないことだ。

どっしり構えて適応する力を養い続けていればいいのである』


新聞や各社の年頭のあいさつを読むと、20年前も、10年前も、
そして今年も同じように、昨年1年間は「激動の年」「大きな事件があった」
「経済環境はますます厳しい」「不透明な時代」「大きな変化」と書いてある。

まさに、「時代は大きな曲り角さしかかっている」と。


いつの時代も大きな変化がある。

そして、今もそれは続いている。

ITもAIもロボットも、過去何百年に一度の大変化と言われている。


「時代はいつも曲り角にさしかかっている」

明治維新を成し遂げた日本人のDNAを思い起こし…

好奇心を持ち、面白がるくらいの気持ちで、これを乗り切りたい。

            <感謝合掌 平成29年9月25日 頓首再拝>

渡部昇一 ~ 国民のコモン・センスを守り育ててきた一生 - 伝統

2018/02/12 (Mon) 17:45:28



      *Web:Japan On the Globe(H30.02.11)より

「素人の知」で専門家の暴走を批判し、
国民の「共有された思慮分別」を守り育ててきた一生。


(1)“素人の人”

   渡部昇一氏が亡くなって、もうすぐ1年経つ。
   渡部氏の編集者として20余年にわたって20点以上の
   著書の編集を行ってきた松崎之貞(ゆきさだ)氏は、
   「連峰」のような「知の巨人」だった、と評する。

   渡部氏は英文法専攻として出発したが、
   「和歌の前の平等」という国文学での卓見を発表し、
   文部省が教科書検定で「侵略」を「進出」に書き換えさせた
   という新聞報道を誤報であると指摘して沈静化させ、

   さらには「南京事件」や「従軍慰安婦」での
   歴史戦争の最前線で戦ってきた。

   これら以外にも人間学、知的生活などの分野でも多くの著書を残しており、
   まさに「連峰」型の知の巨人である。

   ただここで注意すべきは、
   英文法以外のすべての分野で渡部氏は「素人」だった、という事である。

   松崎氏は、この点を次のように論評している。


      渡部昇一は“素人の人”である。
      何事であろうと、素人として疑問を感じると、
      相手が大家であれ、斯界の権威であれ、その疑問をぶつけるからだ。

      「素人が口を出すな」といわれようと、
      おかしいと思ったらそれを口にする。
      あるいは文章にして発表する。

      ジャーナリスト・立花隆との論戦に発展した「角栄裁判」のケースなど、
      その格好のケース例である。

       [松崎之貞『「知の巨人」の人間学 -評伝 渡部昇一』, p191]


   「角栄裁判」のケースでは、元首相・田中角栄が
   ロッキードから5億円を受けとったとして一審で有罪判決が出て、
   角栄側が控訴すると、元最高裁長官が「一審の判決に服すべきだ」と発言した。

   これに対して、一審に不服があれば、高裁、最高裁に上告できる
   というのは国民の権利ではないか、と渡部氏は批判したのである。

   元最高裁長官と言えば法学の最高権威である。
   それに英文法学者が法律の問題で立ち向かったのだから、
   ドン・キホーテ並みの突進もいいところだ。

   一方、この長官は「渡部氏は法律の専門家でもないから反論しなかった」
   と発言したと伝えられている。

   素人なのに最高権威にも立ち向かっていく渡部氏と、
   素人相手の議論はしない専門家と、姿勢の違いは鮮明である。

   (次に続く)

            <感謝合掌 平成30年2月12日 頓首再拝>

(2)素人の国民が言挙げするのが民主主義の基本原理 - 伝統

2018/02/13 (Tue) 19:47:16


   たとえば英文法というような特殊な学問分野なら、
   専門家が素人とは議論しないというのはあっても良いだろうが、
   こと国政上の問題に関して「素人とは議論しない」という姿勢は、
   民主主義政治の根幹を否定する姿勢である。

   そもそも民主主義とは、一般国民が政治上の決定権を持つ制度である。
   政治家は自らの主張を国民に訴え、
   国民がその賛否を選挙における投票で示す。

   同様に最高裁判所の裁判官に関しても、国民審査の投票によって、
   その職責にふさわしくない者は解任される。

   したがって、裁判官もその判決について
   一般国民に判りやすいように説明する責任がある。

   一般国民とはほとんどの国政上の問題に関して素人であり、
   政治家や裁判官は専門家である(はずだ)。

   したがって、政治や裁判の問題に関して、
   専門家が素人とは議論しないと言ったら、
   それは国民の主権を無視した姿勢である、ということになる。

   民主主義社会では、素人の国民が政治や裁判でおかしいと思ったことは、
   どしどし言挙げをするというのが基本原理である。

   それを徹底的に行ったのが渡部氏であった。

   (次に続く)

            <感謝合掌 平成30年2月13日 頓首再拝>

身の危険も顧みずに - 伝統

2018/02/14 (Wed) 17:20:13

(3)身の危険も顧みずに

   もっとも床屋談義で素人があれこれ言いたいことを言うのは簡単だが、
   渡部氏の場合は公の場で発言したり、文章で発表する。

   この「角栄裁判」のケースでは、雑誌『諸君』昭和59(1984)年1月号に
   「『角栄裁判』は東京裁判以上の暗黒裁判だ!」と題して、
   60枚もの文章を発表しているのである。

   しかも当時の左翼が敵視していた田中角栄を弁護するだけに、
   その中に間違いでもあれば、集中砲火を浴びるリスクも大きかった。

   実際にジャーナリストの立花隆は「あまりにお粗末な議論」などと罵倒し、
   「朝日ジャーナル」で
   「ロッキード裁判批判を斬る?幕間(まくあい)のピエロたち」
   という連載で渡部氏批判を始めた。

   立花は法律の専門家ではないが、
   膨大な『ロッキード裁判傍聴記』を書き続けており、
   この裁判に関しては詳細を知り尽くした専門家である。

   その「渡部昇一の『知的煽動の方法』」「渡部昇一の『探偵ごっこ』」
   などと揶揄調の論法に対して、渡部氏は「立花隆氏にあえて借問す」
   と真剣な議論を挑んだ。


   (次に続く)

            <感謝合掌 平成30年2月14日 頓首再拝>

憲法違反の判例が固定化されたら、わが国はどうなるのか - 伝統

2018/02/15 (Thu) 17:42:54

(4)憲法違反の判例が固定化されたら、わが国はどうなるのか

   渡部氏があえて「暗黒裁判」と呼んだのは、
   検察側がロッキード社側の証人に刑事免責を与えて証言を得ており、
   弁護側の反対尋問を許さない点にあった。

   これは「刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ」
   という憲法第三十七条に違反する所為であった。


      刑事被告人が検事側証人に対して反対尋問するという、
      現憲法に明記されている重大な権利を否定するという判例を
      そのままにしておいてよいのか。

       [松崎之貞『「知の巨人」の人間学 -評伝 渡部昇一』, p195] 


   こんな憲法違反の判例が固定化されたら、わが国はどうなるのか、
   という危機感が渡部氏を突き動かしていた。
   渡部氏の主張が正しい事は、後の最高裁判決でも追認された。


   「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」への取り組みでもそうだが、
   渡部氏が敢えて素人ながら専門外の問題に果敢に挑んだのは、
   その道の専門家たちの暴走が国の行く末を危うくすると思われた時だった。

   国の将来を危うくする問題に関しては、その道の専門家に対しても、
   自らのリスクなど考えずに挑戦していったのである。


   (次に続く)

            <感謝合掌 平成30年2月15日 頓首再拝>

「素人としての知」をどう身につけるか - 伝統

2018/02/16 (Fri) 17:19:34

(5)「素人としての知」をどう身につけるか

   国の前途を憂う渡部氏の危機感が専門外での多様な著作群をもたらし、
   それによって多くの国民が啓蒙された。

   この危機感が氏の豊穣な知的生産の原動力だったのだが、
   我々一般国民として、もう一つ学ぶべきなのは、
   多くの分野の専門家にも屈しない「素人としての知」を
   渡部氏がどのように身につけたのか、という点である。

   この「素人としての知」は、国民が素人として
   様々な分野の専門家を使っていかねばならない
   民主国家の欠くべからざる基礎である。

   この「素人としての知」がなければ、
   国民は政治家、裁判官、ジャーナリストなどの専門家に操られる
   愚民に過ぎなくなる。

   「素人としての知」を育てる秘訣を、
   渡部氏自身が若い頃に学んだと思われる逸話が残っている。

   渡部氏の両親は貧しくて、小学校の卒業証書も持っていなかった。
   その母親・八重野が、戦後まもなくの頃、

   東大経済学部教授・大内兵衛の
   「鉄、石炭といった重要な物資は私企業に任せると格差が生じるから、
   国家が管理して公平に配分すべきだ」という趣旨の主張を小耳に挟んで、
   こう言ったという。

   「それは配給にしろということじゃないの。
   勝手に商売させないような政治はどんなに立派なことをいってもダメよ」と。

   小学校も出ていない母親が、東大教授の論をばっさり切り捨てたのである。

 
   渡部氏は後年、ノーベル経済学賞を受賞するフリードリヒ・フォン・ハイエクが
   何度も来日講演をした時に通訳を務めた。
   そしてハイエクから学んだ事を次のように要約している。


      ハイエクがいいたかったのは(中略)
      自由市場に政府が干渉すると結局人間の自由が根こそぎ失われる
      ということなのである。

       [松崎之貞『「知の巨人」の人間学 -評伝 渡部昇一』, p101]


   自由市場経済を否定する共産主義や全体主義が独裁国家と化し、
   多くの国民を虐殺・虐待した事が20世紀の人類の経験した巨大な悲劇であった。

   その悲劇がなぜ生まれるのか、を分析したのがハイエクの学問だったのだが、
   小学校も卒業していない母親が、ノーベル賞を受賞した経済学者と
   同じ事を言っていたのである。


   (次に続く)

            <感謝合掌 平成30年2月16日 頓首再拝>

現実の経験か、机上の空論か - 伝統

2018/02/17 (Sat) 17:58:16

(6)現実の経験か、机上の空論か

   なぜ無学の母親がノーベル賞経済学者と同じ指摘ができたのか。
   この点は「それは配給にしろということじゃないの」という言葉が明らかにしている。

   戦時中の国家総動員体制で行われた配給制度は、一種の計画経済であった。
   それに真面目に従う人はひどい目に遭い、ずる賢い人は闇市で儲けた
   という経験を母親は味わっていたのだろう。

   いくら東大教授が崇高な理想と合理的な理論を持って説いても、
   それが配給の失敗という現実の経験に基づいていなければ、机上の空論である。

   実際の経験よりも机上の理論を重視するというのは、
   多くの専門家が陥りやすい陥穽である。

   フランス革命もロシア革命もシナ革命も、机上の空論を強行し、
   人類全体で1億人とも言われる犠牲者を出した。

   「人間はそれほど賢くない。我々が知らないことは沢山ある。
   だから一歩ずつ、闇夜を手探りで前進していこう」というのが、
   健全な保守主義者の姿勢なのである。

   この闇夜の例を使えば、計画経済でやっていこうというのは、
   頭で考えだした地図に基づいて、闇の中を突っ走るようなものだ。
   地図に書かれていない岩でもあれば、躓いて大怪我をしてしまう。

   そして専門家ほど自分の専門分野に自信を持っているので、
   闇夜の岩に躓きやすいのである。

   現実世界でどこにも成功したことのない共産主義に
   あれほど多くの知識人が惑わされた原因もここにある。


   (次に続く)

            <感謝合掌 平成30年2月17日 頓首再拝>

「本当に分かる」ということ - 伝統

2018/02/18 (Sun) 18:17:39

(7)「本当に分かる」ということ

   現実の経験に基づいて自分の頭で考えるという姿勢が、
   渡部氏の場合は常人離れして徹底していた。

   それを教えてくれたのが、旧制山形県立鶴岡中学校で
   渡部氏が出会って生涯の師と仰いだ老英語教師・佐藤順太だった。

   佐藤先生は17世紀のイギリスの哲学者フランシス・ベーコンのエッセイ
   「学問について」を取り上げ、文法から単語の意味まで精しく吟味していく。

   1時間に1行しか進まない時も何回もあった。
   渡部氏には、それがゾクゾクするほど面白かった。

   ある時、佐藤先生から
   「"nowadays"(近ごろ)という単語にはなぜsがついているのか?」と問われた。

   「s」が複数形を作るということを覚えていただけでは、説明にはならない。
   ほかの英文科の先生たちに聞いて回ったが、誰も答えられない。

   それが分かったのは2年後、渡部氏が大学に入って、
   英文法の本を読んでいたときだった。

   Sには副詞を作るという強力な働きがある。

   夏休みに帰省して、佐藤先生にこの発見を伝えると、にっこりとして
   「そういう疑間を一つでも自分で解くと、うんと力が伸びるものだ」と言われた。

   「本当に分かる」とはどういう事が分かると、
   渡部氏は「わからない」と言うことを怖れなくなった。

   大学の英文科ではむずかしい話をわかったように偉そうに言うのが普通であったが、
   渡部氏は英詩の大部分は不自然でわからない、と公言して憚らなかった。

 
   後にアメリカの大学に招聘されて1年間を過ごした時に、
   日本語の講談や捕物帖はゾクゾクするほど面白く読めるのに、
   なぜ英語の小説は面白く読めないのか、と考え、
   「自分の英語は本物ではない」と結論づけた。

   それからアメリカの通俗小説を読み続け、
   ついには身体がゾクゾクするほど面白く読めるようになった。

 
   このように「分からない」という事を恐れないから、
   「角栄裁判」にしろ「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」にしろ、
   自分が本当に分かるまで追求していく。

 
   特に左翼の専門家は、マルクスが大英帝国図書館の机上で
   壮大な理論をでっちあげたDNAを継承しているせいか、
   事実無視の思い込み、知ったかぶりが多いから、

   事実を丹念に調べて、自分が本当に分かるまで追求していく、
   という渡部氏の姿勢にはひとたまりもなく虚構が暴かれてしまうのである。

   (次に続く)

            <感謝合掌 平成30年2月18日 頓首再拝>

共同体の中で「共有された思慮分別」 - 伝統

2018/02/19 (Mon) 18:23:55

(8)共同体の中で「共有された思慮分別」
 
   こうした渡部氏の「素人の知」を大切にした姿勢を辿ってみると、
   "Common Sense"という言葉がしきりに思い浮かぶ。

   "Common"とは共同体の中で「共有された」という意味で、
   たとえばボストン・コモンと言えば、もともとボストンの市民が
   牛の放牧で共有して使っていた土地である。

   "Sense"は日本語で言えば「思慮分別」という言葉がぴったりする。

   したがって"Common Sense"と言えば、「共有された思慮分別」となる。
   一部の専門家だけが持っている知識や理論ではない。

   良き国民であれば、同様の思慮分別を共有しているはずだ、
   という前提がその背後にはある。

   しかも、この「共有された思慮分別」は共同体に属する人々が、
   代々の歴史的経験から蓄積してきたものである。

   「素人の知」と言えば、いかにも「専門家の知」に比べて低級に感じられるが、
   それは共同体の中で蓄積され、共有されてきた思慮分別なのである。

   たとえば、戦時下の配給制度のひどさを体験した人々は、
   渡部氏の小学校も出ていない母親が
   「勝手に商売させないような政治はどんなに立派なことをいってもダメよ」
   という言葉に共感しただろう。

   こうした"common sense"で結ばれた共同体としての国民が、
   専門家としての議員や行政官を選んで使うのが民主主義の原理である。

   渡部氏が生涯を通じて追求してきたのは、
   徹底した素人の、すなわち一般国民の立場から、
   歴史家やジャーナリスト、裁判官など専門家の暴走を批判し、
   それによって国民の"Common Sense"を守り、深めてきたことではなかったか。

   とすれば、渡部氏の生き様を天才として敬して遠ざけるのは、
   氏の本望ではないだろう。

   国民一人ひとりが自身の体験をもとに
  「本当に分かる」まで、物事を突き詰めて考える、
   それによって心中の「共有された思慮分別」の根っこを太く深く伸ばしていく。

   それが自由民主主義国家としての日本を強くし、
   ひいては日本国民をより幸福にしていく道なのである。
   我々が渡部氏から学ぶべきは、この道だろう。

   (了)

   (http://blog.jog-net.jp/201802/article_2.html

            <感謝合掌 平成30年2月19日 頓首再拝>

『魂は、あるか? 「死ぬこと」についての考察』渡部昇一・著への書評 - 伝統

2018/02/23 (Fri) 17:52:15



【書評】なぜ知の巨人は、死後の世界が存在すると結論づけたのか

         *Web:MAG2NEWS(2018.02.21)より
              ~by 『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』
                 編集長・柴田忠男

   【『魂は、あるか? 「死ぬこと」についての考察』渡部昇一・著 扶桑社】


出版の半年前に86歳で逝去した筆者はキリスト教徒である。
人間の存在を問うとき、「魂の存在」「死後の世界」「宗教」という
三つの原点についての問いは人間の存在の根幹に関わるもので、切り離すことはできない。

著者は自らの経験と、パスカルやウォレス、アレクシス・カレルなど
古今の偉人の生き方や言葉から、また自身の言語学者としての見地から、
数十年の思索を積み重ね、その問いに対する答えとして

「魂はある」「死後の世界は存在する」「信仰は弱い人間の心の支えになる」を導き出し、
それに救われたという。

神は、あるいは死後の世界は、「あるのかないのか」選ばなければならないのなら、
どちらのほうが私たちにとって利益が多いかを考えてみよう、とパスカルはいう。

「神はない」に賭けて死んでみて、神も死後の世界もないとしたらそれだけの話だが、
死んでみたら神も死後の世界もあったとしたらどうなる。

それに対し、「神がある」に賭けて勝負に勝ったらまるもうけだ。
負けたとしても何の損はしない。

ならば、ためらわずにあるほうに賭ければいい。
魂の存在や死後の世界を信じるかどうかも同じだ。
というパスカルの賭の精神を知ったとき、目から鱗が落ちる思いで、
悩んでいた自分にあきれた渡部先生だった。


どちらに賭けようが生きている間はリスクはないし、失敗もない。
ならばどうして後者に賭けないのか、とパスカルは問うている。

問題なのは、死後の世界や神や霊魂の存在を否定し、好き放題な生き方をしていて、
死んだらあったという場合だ。
とりかえしのつかないことになる。
ならないとは証明できない。


「ない」に賭けると危険率は50%である。
「ある」に賭ければ危険率は0%である。リスクは全くない。
それをなぜ好んで危険率50%の丁半博打をやろうというのか。

信じるか信じないかは、最終的にはそこに賭けるか賭けないかということである。
なんと分かりやすい話だ。「ある」派のわたしはスッキリした。

「魂の存在を信じ、霊魂は不滅だと考えれば考えるほど、
また死後の世界もちゃんと存在すると信じれば信じる程、
自分の生きている日々に安心感が湧いてきます」と書いた渡部先生は、
思ったとおりの死後の世界で満足していると思う。

シニア世代は、この賭けについて、お気楽に、しかし本気で考えるべきだ。

「無に帰して風にさまようくらいなら、一歩踏み出すくらい何でもないはずです。
なにせ、負けることのない、必ず勝つ賭けなのですから」と先生は結んでいる。

パスカル、カント、デカルト、ウォレス、カレル、若い頃のわたしは
この人たちのことを学ばなかった。本当に漫画漬けの馬鹿者だった。

もう取り返しがつかないが、いまは「ある」方に賭けているから平穏である。

 (http://www.mag2.com/p/news/350634


・・・・

以下は、amazon. から。


「死ぬこと」とは、どういうことか。
知の巨人が到達した究極の答えとは?

息子・渡部玄一氏の「まえがき」より

~死の床にあって父は「自分ほど幸せな者はいない」と言い切りました。
そして出会う人すべてに感謝の気持ちを表し、
死の直前まで取り乱すことはありませんでした。

それはある確信を持った者にしかあり得ない、見事な最期であったと思います。

<中略>

私は父の、そしてこの本のおかげで、もし将来私の息子が「死」について悩んでいたら
確信を持ってこう言うでしょう。

「お前、それは何の心配もないぞ」と。

それが父の残してくれた、大切な遺産です。~


序章 「死」を身近に感じ始めたとき

・本当の心の安らぎを得るにはどうしたらよいのか?
・「死」の不安は、自らの経験の中に答えを求めても、解消できない
・私に霊的な世界を垣間見せてくれた、伯母の不思議な力
・「人間には、肉体を超えた何物かがある」と教えてくれた、母の死

第一章 肉体は亡びても、魂は存在するのか?

・死は、前触れもなく襲ってくる
・「神は存在するか?」を問う三つの証明法
・人間に宿る「科学的精神」と「繊細なる精神」について
・「身体」から「精神」を分離させてしまったデカルトの罪
・・・etc.


第二章 不安をもつのは、そもそも

「人間とは、宙ぶらりんな存在」だからである
・知らないうちに嵌まってしまう"永遠の命を求める"という泥沼
・じつは、非常に重要な「死」の後のこと
・数学者パスカルは、なぜ"不可思議な世界"の存在を信じたのか?
・キリストが示した善なるオカルトと邪悪なオカルト
・・・etc.

第三章 魂の存在を否定した進化論について

・宗教界を震撼させた大問題--人間とサルとは、どこが違うのか?
・人種差別の元凶となった19世紀の"進化論"ブーム
・虫の採集から、「適者生存」を発見したウォレスの偉大な功績
・『種の起源』を完成に導いた、ウォレスの「分岐の原理」

第四章 人間を人間たらしめているものは、なにか?

・超一級の科学者たちが信じた、霊魂の存在
・サルから人間への途中で起こった
 ウォンタム・リープ(量子力学的飛躍)現象
・人間の言葉だけが持つ重要な特徴
・言語を持った人間の脳に、何が起こったのか?
・・・etc.

第五章 奇跡なくして、宗教は成立しない

・なぜ、ピウス九世は
知識人の失笑を浴びても、奇跡を教義に取り込んだのか?
・世界を震撼させた「ルルドの奇跡」
・理論というのは、常に、より高度な理論の出現に怯えている
・不安を前にしたら、自分の"心張り棒"がなにかを、問いかけてみることだ

第六章 私は、「死後の世界」が存在するほうに賭けた
・古代、日本人は言葉に霊的なものを感じる感性を持っていた
・人間は、物理的な肉体だけで成り立っているわけではない
・自然科学賛美に対するカレルの警鐘
・なぜ霊魂を表す言葉は、「息」や「呼吸」と関連しているのか?

私が数十年間考え続けてきた「霊魂論」の結論

            <感謝合掌 平成30年2月23日 頓首再拝>

渡部昇一先生の一周忌 - 伝統

2018/04/17 (Tue) 12:19:20

今日、2018年4月17日は、
渡部昇一先生の一周忌になります。


      *『人生の手引き書 壁を乗り越える思考法』
        ~渡部昇一著(扶桑社新書) より

(1)人のせいにしない(P17)

   人は往々にして、自分の失敗や人生が上手くいかない原因を
   自分以外の何かのせいにしたがる。

   そのとき頭を冷やして、上手くいかない原因は何なのか、
   本当に自分のせいではないのか、冷静に反省することが大切。

(2)不満を変化のきっかけにする(P24)

   不平不満があったとしても、
   それにグジグジしているだけでは現状は何も変わらない。

   大切なのは不満に気がついたとき、その不満を向上につなげていくこと。
   解決策を考えて、問題を解決していくことに全力を注ぐ。

   そうすれば、どんな不平不満も、自分を成長させるための大きな糧となる。

(3)チャンスは3回やってくる(P32)

   人生で大きなチャンスは3回やってくる。

   人生1度や2度チャンスを逃しても、そこで諦めてはいけない。
   失敗しても、そこで絶望せずに「まだチャンスはあるさ」くらい
   鷹揚にかまえておくのが良い。

   人生は長い目で考える事。
   もしチャンスが再び来たら、そのときは全力で食らいつけばいい。

(4)自分に自信がない人の特徴(P53)

   本当に自分に自信を持っている人は案外謙虚で、
   ちょっとやそっとのことでは動じない。

   一方自分に自信がない人は一見プライドが高そうに見えるが、
   その裏には劣等感が潜んでいる。

   そのため、ちょっとしたことに反応し人につっかかったり、
   激怒して攻撃してきたり、振る舞いに余裕がない。

   もし、人の些細な言動が気になったり、
   他人の行動にすぐ反応してしまう場合、
   その裏には不健全な劣等感が潜んでいる。

   一度その劣等感がどこから来ているのか、じっくり考えてみること。
   そして、その劣等感を+のエネルギーに変えること。

(5)仕事と遊びの違い(P94)

   仕事は最初は難しくても、取り組むうちにどんどん面白くなっていく。
   一方遊びは、最初は面白くても、やればやるほどどんどん飽きていく。

   ここが仕事と遊びの決定的な違い。

(6)お金について(P112)

   お金はその人を写す鏡。お金の使い方でその人の人間性が分かる。
   この意味で、お金は人の本性を分かりやすく暴いてくれる絶好のツール。

(7)好きな道を行け(P132)

   職業選択のヒントについて。
   仕事には流行の仕事、将来性がある仕事、堅実な仕事。
   いろんな選択肢がある。

   「どんな仕事に就けば稼げるか、将来得をするか」を考えて
   仕事を選ぶのも一つの考えだが、長い人生、何があるか分からない。

   どうせなら、自分が好きなこと、興味がある仕事を選ぶのがいい。
   本当に好きで選んだ仕事なら、どんなことがあっても我慢できる。

   仕事については、周りの動向や世の中の流行より、
   好きなのか、やりがいはありそうか、自分の心と相談して決めること。

(8)周りから浮いている人(P144)

   周囲とズレを感じて、どうにも溶け込めない人、浮いている人というのは、
   実は自分の世界観を持っている人。

   人間関係ではいろいろ苦労するが、そのズレを大切にすることで、
   その人独自の人生を送ることができる。

   だから周囲とどうしても合わないとき、ズレを感じるときは、
   自分を押し殺して我慢するより、ズレを大切にした方がいい。
   それがどこかで必ず生きてくる。

(9)できない理由を探さない(P175)

   人は何か問題にぶつかったときはつい、できない理由を探してしまう。
   それはいわば心の壁で、それを乗り越えられるかどうかで、
   その後結果が変わってくる。

   どうしても上手くいかない状況に陥ったとき
   まず乗り越えるべきは自分の心の壁。

   できない理由を探すのではなく、どうやったらできるようになるのか、
   そこに意識を向けること。

   そして、今すぐできることを見つけ、それに着手していくこと。
   そこから「不可能」が「可能」になっていく。

(10)運について(P196)

   運は頑張る人に味方する。

   何の努力もせず何かを得ることはできない。
   長く多くの積み重ねを続けるほど、素晴らしい偶然に巡りあう。
   こうして運は頑張る人を応援する。

(11)「待つ」という選択(P199)

   物事にはタイミングがある。
   動いてよいとき、じっとしている方がいいとき、
   いろんなタイミングがある。

   動いてはいけないタイミングを我慢して、じっとチャンスを待つ。
   人生にはそんな忍耐強さが必要。

   待つことは退屈でイライラしてしまうが、
   ここで我慢して自分を磨き続けていれば、時はやがてやって来る。

 ・・・

<参考Web:一条真也の読書館『人生の手引き書』
       → http://www.ichijyo-bookreview.com/2017/05/no1434.html >

            <感謝合掌 平成30年4月17日 頓首再拝>

開運と蓄財の秘訣 - 伝統

2018/04/19 (Thu) 12:05:36


        *『本多静六:財運はこうしてつかめ』渡部昇一・著 より

(1)この本のなかで本多静六博士が一貫して強調されているのは、
   「経済の自立がなければ、精神の自立はありえない」
   ということである。

(2)博士の蓄財方法はいたって単純な、
   だがひじょうに強力な方法であった。

   それは自分が月々もらう給料の4分の1を
   そっくりそのまま貯金し、
   残る4分の3で生活するというものだった。

(3)25歳で蓄財を開始した博士は、
   40歳のときには大学でもらう給料より
   貯金の利子や株の配当のほうが多くなった。

   定年の頃には、今の価値で500億円の貯金があった。

(4)「職業の道楽化」が良循環をつくる。

(5)博士はこう記している。

   「経済的な自立が強固になると、
   勤務のほうにもますます励みがつき、
   学問と教育の職業を道楽化して、
   ますます面白く、人一倍働いたものである」

(6)博士が4分の1貯金とともに、
   若い頃からずっと実行していたのが、
   毎日1ページ分以上の原稿を書くことだ。

   博士が生涯で370冊以上の本を書けたというのも、
   原稿を書くという作業を自分にとっての娯楽に
   変えてしまったからに他ならない。

(7)「漏らさない力」こそ蓄財の秘訣。

(8)「まず始めよ」の精神が運命を変える。

  ①あれこれ悩むより、まず手を着けろとヒルティはいう。
   実際に仕事に取り掛かったほうが、
   いろいろ知恵は湧いてくるものだし、
   思ったよりも仕事が楽に終わることを発見する。

  ②何ごとも手を着けてしまえば、自然とうまくいく。

(9)博士の教えを実践してみてつくづく分かったのは、
   当たり前のことだが、
   カネを貯めようと思えば、
   やはり無駄に金を使わないことに尽きる。

(10)「お金のあるところには、
   またいろいろ知恵が湧いてくる。
   そして、ますます面白い投資先が考えられるようになる」

(11)「お金というものは雪だるまのようなものである。
   初めのうちはほんの小さな玉であっても、
   しっかりした芯があれば、
   あとは面白いようにどんどん大きくなるものである。
   これは誰がやっても同じことである」

(12)昔から「積善の家に余慶あり」という。
   先祖が善行を積み重ねていると、
   思いがけないよいことが子孫に起こるということである。

(13)博士は子どものころ、
   米搗きをしながら漢文を覚えるという経験をして、
   暗記力はとても強くなった。

(14)数学の岡潔博士は、
   「若い頃は血反吐を吐くくらい暗記しないと頭は伸びない」
   と語っている。

(15)天才とは勤勉さである。

(16)博士は、山林学校(のちの東大農学部)を落第した。

  ①以後、彼は猛然と勉強した。
   ことに不得意であった幾何は、
   千題もある問題集を3週間ばかりですべてやってのけた。

  ②落第してからの勉強ぶりは、何も数学だけではない。
   他の科目も講義ノートをすべて暗記した。

  ③エキス勉強法とは、
   学校で習ったことの中で最も重要なところを要約し、
   別紙に書き出す。

   試験前になると、そのメモをポケットに入れ、
   暗記しながら散歩するという方法である。

   習った直後に要約を作れば、それだけでもある程度、
   記憶に残るというものである。

(17)即断即決こそ、成功の基本。

(18)体験から博士は、
   「何か話がまとまったら、
   その場ですぐに話を詰めておかなければならない」
   と痛感したという。

   印鑑がなければ拇印でもよい。
   その場で証文を作るべきであると記している。

(19)博士は金銭においても事業においても、
   いろんな経験を積み重ねているので、

   「正直だけでは人間関係も事業もうまくいかない。
   ときには、腹芸、テクニックを使ったほうが
   うまくいくことがあるのだ」と、

   著書の中で明快に述べている。
   このあたりも並みの学者ではない。

(20)博士は自分の体験として、

   「人生の最大幸福は、家庭生活の円満と職業の道楽化にある」

   と述べている。

(21)後藤新平は本多博士にこういった。

   「君は遠慮しているようだが、
   こんな仕事は誰がやっても完全なものなどできやしない。
   いい加減でいい。
   だだ、思い切ってデカイことをやればいい」

   後藤はこうもいった。

   「そんなことは百も承知だ。
   だが、何をやるにしても原案がいる。
   原案があれば、それに対して専門家が意見を言ってくれる。
   だが元になる案がないと何も始まらない。
   急ぐんだ」

・・・

<参考Web:「いまをどう生きるか 現代に生かすブッダの知恵」(2009年02月22日)
       → http://hiroyoshimiura.seesaa.net/article/114635054.html   >  

            <感謝合掌 平成30年4月19日 頓首再拝>

「チャーチル」 - 伝統

2018/04/24 (Tue) 17:10:07


先日、映画:ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男
を観てきました。

戦時という厳しい時に、国を率いるリーダーのあり方によって、
国家の行く末が決まるということ、そして、如何にそのリーダーの
力量(俯瞰の目で、過去から未来を見据える力、孤独に耐える力等)
が大事かということを考えさせられる内容でした。

<関連>

(1)映画:ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男
   予告動画  → http://www.churchill-movie.jp/  

(2)映画.com による紹介Web
   → http://eiga.com/movie/88218/critic/

・・・

以下は、渡部昇一氏による「チャーチル」論の紹介です。

         *Web:日本合理化協会コラムより
              ~渡部昇一

最近のBBC(イギリスのNHKみたいなもの)の世論調査で、
チャーチルは「史上最も偉大な英国人」に選ばれている。

そのリーダーシップについてはよく知られているが、
注目すべき諸点をもう一度見ておく必要がある。

第一にチャーチルは源頼朝や足利尊氏と同じくイギリスきっての名門の出身であり、
血筋が重要な役割を占めていた。

イギリスは貴族制が厳存している国であり、
それに対する国民的尊敬心が残っている。

チャーチルの先祖であるモールバラ侯爵はスペイン継承戦の英国総司令官、
連合国総司令官としてブレニムなどの戦場などで、何度も大勝利して
その軍事的天才はヨーロッパ中に鳴り響いていた。

軍事的才能は遺伝するというような素朴な考え方が一般にある。
国家の危機の時にチャーチルの背後には先祖の軍事的天才の後光が射す。

一方チャーチルは平和な時は失敗もする。
選挙に五回も落選していることはそれを物語る。

何度落選しても重要なポストに復帰するのは、
彼の才能もさることながら、名門中の名門だからだ。

 
第二に彼にはとび抜けた想像力がある。
この才能は彼がノーベル文学賞を受けるほど、
沢山のベストセラーを出していることからも分かる。

第一次欧州大戦の前に彼が首相に提出したフランスの戦場の展開予想は、
四十日の誤差でピタリと当たった。

イギリスの陸軍参謀長ウィルソンの大陸作戦計画は全く当たらなかった。

素人だけれども、想像力がすぐれているから専門家より秀れた
アイデアを持ち、かつ他人の突飛なアイデアも採用できる。

彼は元来は騎兵出身である。しかし第一次大戦前に海軍大臣になると
―――これは明治の頃、西郷従道陸軍中将が海軍大臣になったのと一脈通ずる
―――イギリスの軍艦の燃料を石炭から石油に変え、主砲の口径を
1インチ半(約4センチ半)大きくして15インチにするということをやった。

これが第一次大戦でイギリスがドイツ艦隊を押さえ込むことに成功した
最大の理由である。 

また、大陸の塹壕(ざんごう)戦を実際に見ると、
タンク(戦車)を考え出した。
もしこの案がすぐに採用されていたら、
戦争は一年早く終わっていたと言われている。

 
第三は落選して野にある時の生活の仕方である。
彼は前に述べたように文章家であり、
若い時からベストセラーを何点も出している。

その上、絵も上手で、ピカソもその才能をほめているくらいだ。

政治家は落選中は辛いものらしいが彼はその時間は悠々と読書し、
著述し、絵を画き、世界の大勢をじっくりと睨んでいたのである。

現代の社会で、一流の著述家が政治家になることの有利さは、
常に広い世間に向かって――イギリスの場合は英語だから世界に向かって
――自分の考え方を示すことができることだ。
この点、文学と言い、絵と言い、石原慎太郎氏の才能と一脈通ずる。

 
第四は彼のずば抜けた勇気である。
青年時代にアフリカの戦場に出て以来、第一次大戦でも戦場に出て、
恐怖を知らない者の如く振る舞っている。

向こう見ずともいえる冒険心は子供のときからのものであった。
いざという時に腰くだけになるようでは、非常時のリーダーにはなれない。
(加藤の乱の加藤紘一氏、靖国神社参拝の時の小泉首相と比較せざるをえない。)

 
第五には稀有の幸運である。
その伝記を読めば、何度も死んでおかしくない局面でも、
全くの幸運で助かっている。

たとえば怪我は普通は不幸である。
しかし彼は手の骨折のため騎兵なのに剣が使えず、
ピストルにしていたことがあった。これで助かったのである。

強運の人こそ一国のリーダーであるべきだ。

 
最後に一つ、彼の最大の間違い、失敗は日本と戦争したことである。
これはイギリス人も認めたがらず、日本人も指摘する人があまりない。

しかしイギリスがオランダに石油を日本に売り続けるように説得し、
アメリカに汪精衛(おうせいえい)政権を認めるように
チャーチルが働いて成功していたならば、大英帝国は今も健在であったであろう。

 
イギリスはヒトラーと戦うためにアメリカの援助を必要とし、
アメリカの言うことならば何でもきかねばならなかったのだから、
それは無理な話だったかもしれないが。

    (http://www.jmca.jp/column/watanabe/18.html

・・・


<参考Web>

(1)世界史の窓「チャーチル」
    → http://www.y-history.net/appendix/wh1505-034.html

(2)伝統板・第二「人の上に立つ者に求められること⑨ 」
   (2018/02/06 ~2018/02/12 )
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7691510

(3)知ってるつもり?!  ウィンストン・チャーチル(動画)
    → https://www.youtube.com/watch?v=s_ssvsIY7Oo

            <感謝合掌 平成30年4月24日 頓首再拝>

【不調のリズムに陥っているとき】 - 伝統

2018/05/09 (Wed) 15:21:06


         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2018年05月09日)より

   (渡部昇一氏の心に響く言葉より…)

   人生を長いスパンでとらえると、
   好調のリズムにあるときと不調のリズムにあるときがあります。

   私は書斎の人間ですから、好調、不調といっても
   リズムの振幅はそれほどではありませんが、
   政治や経済の世界に生きる人は、相当の揺れの幅があるでしょう。


   好調のリズムにあるときは問題はありません。
   その波に乗っていけばいいのです。

   では、不調のリズムに陥ったときはどうすればいいか。

   まったく不当に社長の座を追われたという人に会ったことがあります。

   話題はすぐに社長の座を追われたことになり、
   その人はいかに理不尽ないきさつでそうなったかを綿々と述べます。

   私はなんだか鬱陶(うっとう)しい気分になってしまいました。

   あとで聞くと、その人は口を開けばその話ばかりなのだそうです。
   その人には社長の座を追われたことは忘れない鮮明な記憶なのでしょう。

   しかし、その話を聞かされる側は、そういわれれば
   そういうこともあったかなという程度の記憶しかないものなのです。


   好調のリズムに乗っているときはよく目立ちます。

   しかし、不調のリズムに陥っているときは、
   まわりはその人が不調のリズムに陥っていることさえ気づかない場合が
   しばしばです。

   人間の他人に対する関心とはそのようなものです。


   その人は決して復活することはないだろうな、と私は思いました。

   他人が忘れているようなことをいい立てるのは、
   不調のリズムの振幅をわざわざ大きくするようなものだからです。

   事実、その人が復活したという話は、いまだに聞きません。


   三井の益田鈍翁は、中上川彦次郎によって
   経営の中枢から遠ざけられた時期がありました。

   そのとき、鈍翁はどうしていたか、お茶を楽しんでいました。

   そして中上川が行き詰まったとき、復活を果たすのです。


   イギリスの名宰相チャーチルも若い時から好不調の振幅が大きい人でした。

   困難に耐えて対独戦を指導し、ついに勝利を手にした最大の功労者です。

   それが勝利をつかんだ直後の選挙で落選してしまうのです。

   そのときチャーチルはどうしていたか。


   絵を描いたリ歴史を書いたりしていました。

   そして次の選挙で復活し、首相の座に再登場することになるのです。

   彼の生涯はそのパターンの繰り返しでした。


   不調のリズムに陥ったとき、それを恨み、こだわっていては、
   かえって不調の振幅を大きくし、その波に飲み込まれて
   視野を狭くしてしまいます。

   腐らず恨まずこだわらず、距離を置いて余裕を持つ技術が大切です。

   それが鈍翁にとってはお茶であり、
   チャーチルにとっては絵や著述だったのです。

   その技術があれば目配りがきき、有効な戦略を備えることができて、
   好調なリズムに変えるチャンスがきたときに、逃さずにものにできるのです。

          <『一冊まるごと渡部昇一』致知出版社>

              ・・・

松原泰道師はこう語っている。
(つまずくことが多い人ほど、大きなものを掴んで成功している。
日本人への遺言 )より

『元外務大臣で戦犯になった広田弘毅(こうき)さんが、
外務省の欧米局長のときに後の首相、幣原(しではら)喜重郎に嫌われて
人事異動でオランダ公使に飛ばされるんです。

当時はオランダと日本は通商がなかったので、この移動は左遷でした。

皆はこれを心配しましたが、当の本人は平気のへっちゃら。

そのときの心境を得意の狂句で吟(よ)んでいます。
「風車 風が吹くまで 昼寝かな」 風車はオランダのトレードマーク。

オランダは風車が有名、風車は風が吹かないとどうにも仕方がない、
風が吹くまで昼寝かな、と詠んだわけですね。

彼はのほほんとしていたけれども
本当に昼寝をしていたわけではもちろんありません。

その逆境時に、外交的ないろんな情報を集めて勉強するんです。
そして再び中央に戻ってソ連の大使になったときに、
その成果を発揮して成功を収めたのです。

彼は機が熟するのを待ったわけです。
慌てることなく、じっくりと。

物事にはいいときも悪いときも必ず“流れ”がある。
これに抵抗してはダメだと思うのです。

無理して慌ててもいい結果は得られません。
たとえ逆境の中だろと腐らずにいれば必ずチャンスはやってくる。
そのときのために努力を続けること』


廣田弘毅は、第32代の内閣総理大臣。


逆境のときに、まわりに、文句や不平不満を言う人は、
それを自分の肥やしにして、飛躍することはできない。

人は、逆境のときや、職を退くときの、
対応や態度によって人間の器の大きさがわかる。


不調のリズムに陥っているとき…

腐らず、文句を言わず、
飄々(ひょうひょう)と生きることのできる人でありたい。

            <感謝合掌 平成30年5月9日 頓首再拝>

Re: 勇気ある知の巨人、渡部昇一 - hebxltnmgMail URL

2020/08/29 (Sat) 21:58:09

伝統板・第二
hebxltnmg http://www.gpe9867m7wcc3jic518a0y4w238vk7e9s.org/
[url=http://www.gpe9867m7wcc3jic518a0y4w238vk7e9s.org/]uhebxltnmg[/url]
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