伝統板・第二 164318

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神の創造

1:伝統 :

2017/04/01 (Sat) 03:59:12

天地の開くる音を聴く日

           *「光明道中記」(4月1日)より

【父の愛と母の愛、天の生気と地の生気と両々そろって万物は育成する。
                           (生命の實相第十一巻)】 
    
「一(はじめ)に神天地を創造(つく)り給えり」と云う言葉を、
何か遠い昔に神様が天地を創造し給うたのであって、
何かもう現在には何の関係もない、たとい関係があるにしても、

それは既に「創造り終え給うた創造」の惰力のようなものに過ぎないので、
今からどうにでも出来ないものであると考えるのは誤りである。

創造は「今」行なわれているのである。

「一に神天地を創造り給えり」と云うのは
「今」が一(はじめ)であり、「今」が終(おわり)である。

一は、一、ニ、三、四・・・の現象的相対的一ではなく、
原始(はじめ)であり、終末(おわり)であり、
一(アルファ)であり、一(オメガ)であるところの「一」である。


「今」わが運命は、わが健康は、創造られつつあるのである。
何によって。

それは言(ことば)によって、
言(ことば)は神であり、それに生命(いのち)あり、
すべてのもの言(ことば)によって創造られつつあるのである。

「物質」は《無い》 ―― 《無い》と云うことがよく理解し得ないものは、
一旦は「物質」は《ある》 ―― と思っても好い。

併し「物質」は如何なるものであるか、それはエーテル波動であり、
エーテル中の結紐(むすぼれ)であり、旋渦(うずまき)であり、而(しか)も
アインシュタインの相対性原理出でて以来、
エーテルは「無」を仮に名附けたものであることが判明した。

          <感謝合掌 平成29年4月1日 頓首再拝>
2:伝統 :

2017/04/22 (Sat) 04:26:09


          *『 生長の家 』(昭和40年3月24日の法語)より

   生物学が進歩し、人体の生理活動の機構が分析され、研究され、
   いかに肉体の機構が組み立てられていて、
   それが作動するかが明瞭となり、

   肉体の成分が精密に分析されて、いかなる栄養素が
   如何に組み合わされているかが明らかになったとしても、
   なお 其処(そこ)には 科学ではどうしても説明できない
   或る点に達するのである。


   誰がそのように精巧なる人体機構を案出し、
   どの成分をどのように排列(はいれつ)することによって
   「人間」という驚くべき装置(比喩的に謂う)を発明したのであるか
   ということである。


   その「誰が」を見た人はないのである。
   その発明者を見たことはないのである。

   人体だけではなく、一木(もく)の植物を考えてみても、
   その最初の発生のもとになった「種子(たね)」は
   誰が考案したのであるか。誰が発明したのであるか。

   その発明者が「 神 」 であるのであり、
   「 神 」 が、それを考案したのである。

   「 考案する 」 とは霊の世界に於いて
   「 想念を用いる 」 ということである。

   万物は霊の世界に於いて神の想念によって創造され、
   それが時間空間の「認識の形式」を通して
   現象界に転現して、吾々はそれを見ているのである。

    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121

          <感謝合掌 平成29年4月22日 頓首再拝>

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