伝統板・第二 164316

「谷口雅春先生に帰りましょう」は、こちらです。「案内板」は、こっちです。

本掲示板の目的に従い、法令順守および社会倫理の厳守をお願いします。本掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付のうえ、本掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。


伝統様、ありがとうございます  14

1:道産子 :

2017/03/12 (Sun) 07:55:00

 


    今朝からはまた、新しい気持で謹写させて頂きます。

 台湾の張栄発氏に感動(童子様ご投稿)、代田健蔵先生の御講話

にも感動。









谷口清超先生のコラム「窓」(昭和42年理想世界誌10/1号)

です。



「窓」        谷口清超先生


 〇 今年もまた夏が来た。

 久し振りで大分県の連合会長、小野安人さんからお便りがあって、幾つかの歌や詩が記されていた。

次のごとし・・・・・。


 谷口清超先生に捧ぐる 生長の家大分県連合会長 小野安人


師を迎う車「高千穂」若青葉みなぎる峡の豊後路に入る

庭は山大き蚊も出づ僧房の如き旅館に師と宿りたる

師の問いに言葉貧しき幹部会青葉過剰に庭にあふるる

一ひらの雪漂いて秋澄める湯の街別府に師をば迎うる

豊かなる姿明るき若き師を我ら迎えば由布ひかり立つ

ひかり立つ鶴見さやけく豊かなる姿明るき師をば迎うる

さしのべて握手する師のぬくみほのぼのとせり我は迎えて


 谷口恵美子先生『子として母として』を拝読して

(父と私)

乞わるれば眼鏡捨て得ず彼岸餅

子に乞われ眼鏡はずせず夕餉かな

庭歩くせめて暇あれ光明化

(なまこ)

「母ちゃん」と我を呼ぶ母母子草

アボガドの名もざる秋灯下

(子供部屋のお話)

天国のお顔ター坊福寿草

(寿美)

誰よりも母が好きとて隣り膳

祖父はいう末はスターよ寿美バラ

(母は美しく)

美しき母と師も言う秋桜

(ターちゃんのおはなし)

ターちゃんの祈りイキトチイケルユー

(あなたが素晴らしいから)

すばらしきあなたよ君よおじぎ草

(我が家は天国)

うちがよい嫁にはゆかじ山の家


                      (つづく)
2:道産子 :

2017/03/13 (Mon) 08:29:16




   『 教育勅語の真実 』 伊藤哲夫 著、買わねば(^^♪。

明鏡様、ありがとうございます。









 清超先生の「窓」です。あと6回位あります。


(おかあさまおてがみちょうだい)

子へ便り二階市階段上通り

ニコポスト父母への手紙月見草

(花作り)
色も好く花も大きくバラの花

手作りのバラを父賞で夫好む

つつましきこの師この家合歓の花

(名もなく美しく)

たのもしやフクフク総裁子達夢

受けつぎし性や姿や仕事まで

行末は父の務をそのままに

瓜二つ性と姿を祖父父に

(教えられつつ生きる)

先生と同姓あなたとうらやまれ

(女として)

おとうちゃま好きな人みな手を上げろ

父も手を上げてみんなと笑いけり

(ただひとすじに)

おてつだいたのしからずやほめられ帳


☆(輝子先生の白鳩誌五月号 三月の喜びを読んで)

春まだ浅く 寒けれど 喜びつづく 三月の 七日の宵に 六

人の いとし子孫は 笑顔もて

贈る寄書 スイッチの タイムも永く 母上の 歳も永き 句

のやわく テレビ人気の はなはんに

はるかに優る ははそばの 母を讃うる やさし歌 いついつ

までもそのままに

あれとショールを贈る孫 女こけしが 三宝に 載せしおはぎ

の絵を描きおくる 孫女は 受験中

英語で祝う 孫さまの 二匹金魚の おどけ顔 いつも若くて

 きまりよく イヤミ言わないイライラの

イの字もないよおばあさま ふざけコトバにほほ笑みて まど

いうるわし この家庭 文学一家 あたたかし

                       (つづく)



3:道産子 :

2017/03/14 (Tue) 08:38:47




    アクエリアン様のご投稿から、「素読」という言葉を憶えました(^^♪。

教育勅語、素読始めました。

 黛敏郎先生、今生きていらっしゃれば…。








 清超先生のコラムから、続きです。




〇四年ぶり栃木県の宇都宮の講習に行った。上野から一時間半で行けるから速いものだ。

栃木莊という宿にとめていただいた。ホテルと書いてある通り、女中さんが年中洋服をきているのが印象的であった。

会場は体育館で、千二百六十三名集まってくれた。第二日は雨であった。

栃木県はこの頃次第に伸びて来て、組織も次第に拡充しつつあるのは喜ばしいことである。

誌友二千七百、聖使命二千名といった現状で、相愛会数十三、

白鳩支部会十五というから、まだこれからであるが、以前よりはぐっと充実して来た。

宇都宮市も一相愛会であったのが六相愛会に増殖し、中々活気

づいているし、足利市も二相愛会になって大いに伸びようとしている。

青年会も宇都宮市は活発であるが、県全体としては、単青八である。これを三十単青にふやそうとしている。

今年の全国大会には五十名参加した。

宇都宮青年会には百五十名ぐらいいて、火曜と金曜とに集まっている。

それに生高連や誌友会が日曜にあるから多い人は週三回集合して運動しているわけである。

これからの発展を大いに期待したい。

丹沢副教化部長も大いに活躍しておられる様子であった。


                       (つづく)

4:道産子 :

2017/03/15 (Wed) 08:17:19




     「狙われた美女」(^^♪、侍Jの如く「急場をしのいで」くれることを願います。


 しろうさぎ様、奮闘に敬意を表しますが「一生懸命」はいただけません(^^♪。








 清超先生の「窓」です。


〇秋田県の講習会に行った。

東京は雨であったが、秋田につくと曇りで、気温は二十五度ぐらい。やはり秋田はだいぶまだ涼しい。

石橋旅館という古い宿に休憩してから、講習会場に赴く。

どんよりと曇って、風のない一日であった。

二日目も曇り、講習会は千六十四名であった。

秋田は今迄中々千名以上にならなかったが、今回は受講券を全

部はじめに前金で配布したので、力が出たと

佐々木連合会長さんは話しておられた。

秋田県は毎年二割ぐらいのびているが、最近は組織も次第に

整って来つつあるので、これからはどんどん発展するであろう。

しかしまだ今のところ相愛会数二十五、白鳩支部会数四十であ

る。白鳩は昨年の二十四支部から見ると大いにふえたのである。白鳩誌数約千三名で、全誌数は二、八八六である。

秋田県の人口は百十万というから、四千名にならないと東京都とは同じ率にならないわけである。

講師会は二十八名の受験者があったから、大幅にふえるであろう。

県全体としても活気づいていて、土崎なども大変生き生きとしてきている様子であった。

ただし青年会は単青が秋田と湯沢の二ヵ所にしかなく、生高連

七ヵ所である。これを大いにふやして『理想世界』誌も増大す

ることを、本間委員長は話しておられた。ホンマの話であろう。

佐々木連合会長は秋田県一の玩具商になったそうだが、喫茶店

もやっていて、ここではコーヒーを百円で何杯でものませる。

最高レコードは十六杯コーヒーをのんだ高校生がいて、彼はそ

の夜一睡も出来ず鼻血を出したそうである。ムチャをしてはいけない。百円と健康とを取引しては損である。

私がアイスクリームを百円でいくらでもたべさせる店の話をし

たら、佐々木さん大いに乗気になって、やってみたいようなことを言っておられた。

                                                   (つづく)
5:道産子 :

2017/03/16 (Thu) 08:32:06




      伝統様の「丁酉」にも出ていましたが「次々」首相

候補の稲田大臣、しっかりど根性で切り抜けていただきたいものです(^_-)-☆。


 夕べの侍Jのメンバー(監督初め)誰も君が代歌ってませんね

あれじゃ、ロスへ行っても?じゃないですか(^_-)。













 清超先生の「窓」です。



〇秋田の講習の終った夜は大雨となった。

朝七時の急行に乗って青森に向かう途中快晴となり、津軽富士が美しく青空に浮いて見えた。

汽車は前と後に煙の出る蒸気機関車をつけて走る。久しぶりに「煙が目にしみた」。

青森も快晴だが大変あつくびっくりするくらいであった。青森は今年一ヵ所だけの「特別研修会」である。

教化部で行なわれ、田中忠雄、園頭広周、森安子の諸氏が講師として参加された。

参加者人員は五百二十五名で、幹部研修会としては成功であった。

青森県はこのごろとくにすばらしくなって、伸びつつある。こ

れが幹部の表情に生き生きとあらわれているのは喜ばしい。

毎月聖使命、誌友が六十名ぐらいづつ伸びているという。現在

聖使命四五三四口(三、七二六名)誌友数五、六二〇である

が、聖使命では福島県を追いぬいて、誌友数では接近しつつある。

従来福島県が東北一位であったから、一、二位を争っていることになる。

白鳩会も二、四三一の誌数で、百十八の支部会が出来ていた。

講師も六十三名が活動し、新しく二十八名が受験された。伝道員数二百十五である。

青年会としては『理想世界』誌八七六で、これからさらに充実してもらいたい所である。

白鳩会員の中から、「青年会にもっとしっかりしてほしい」と

いう声が上がった。幹部数が足らないから、もっと養成しなければならないのである。

弘前の青年会も以前のように華々しく復活させてもらいたいという要望があった。しっかりやって下さい。

昼夜三日の研修会は、非常に暑かったが、有意義でもあった。

私達が来てから急に夏型気候となって、三十度内外になった。これは青森としては暑い方である。

しかし、夜半はぐっと冷えるから、他の地方にくらべると大変しのぎよいのである。東京はさぞ暑いだろうと思った。


                      (つづく)
6:道産子 :

2017/03/17 (Fri) 08:15:28




政界、風雲急を告ぐ状態ですか!(^^)!

 コスモス様の被災しない神社群もスゴイです!(^^)!。













 清超先生の「窓」です。



〇東宝映画の「日本のいちばん長い日」という終戦時の歴史を

映画化したものの試写会に招待され、東宝株式会社の試写を見せてもらった。

二十人の席のある小さな東宝の第二試写場で見たが、東宝社長の松岡辰郎氏や早川雪州さんなどが来ておられた。

日本終戦の八月十四日の最後の御前会議から、十五日の天皇陛

下の御放送に至るまでの経緯が、かなり忠実に紹介されてあ

り、阿南陸相(三船敏郎)森近衛師団長(島田正吾)鈴木総理(笠智衆)などが好演していた。

天皇陛下の御姿も、もちろん演技者であるが、ぼんやりと写っ

ている。難しいだろうが、適役者が真正面から取り組んだらよかったと思う。

明治天皇の映画化もされていることだから、出来ない事はなかろうと思う。

井田中佐(高橋悦史)などもうまくやったが、其他の反乱将校は概ね怒鳴りすぎでヒステリックでありすぎた。

田中大将も出て来るが、これも反乱軍に対する人格的説得が描かれておらず、ミスキャストであろう。

その他はマアマアといったところでとにかく青年としては色んな意味で一見の価値あるまじめな映画である。

東宝の映画興行業務部次長の雨宮さんの話では、大抵の試写会

は八割ぐらいの入りだが、今回だけは満員であるとのことであった。(試写会は三回程度行われたらしい)

                                                   (つづく)
7:道産子 :

2017/03/18 (Sat) 08:10:19




<教育勅語と現代語訳

       12の徳目

1.親に孝養をつくしましょう(孝行)

2.兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)

3.夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和)

4.友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信)

5.自分の言動をつつしみましょう(謙遜)

6.広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)

7.勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)

8.知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)

9.人格の向上につとめましょう(徳器成就)

10.広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務)

11.法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)

12.正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう(義勇)


――以上によって永遠の皇国を支えましょう>
・・・。


 中仙堂様のご投稿から引用させて頂きました<m(__)m>。

稲田大臣ももっと、しっかり「解説」してあげればよかったのに・・・。( `ー´)ノ。










 清超先生の「窓」です。最後です。



〇今年の夏は、心配されていた雨も適当にあったり、日照りもかなり続いたので、稲もよく出来たところが多いようである。

我が家の庭も樹木や草が鬱蒼と茂って、雀や野鳩がよろこんでいる。

いつか毎日のように来てなついていたキジは、プッツリと来な

くなっていた。あまり人になれていたので、人に奪われたのかもしれないが、その代わりに山鳩が庭に来るようになった。

近ごろではよく慣れて、餌をもらいに毎朝とんで来て、近よってもとび立たない。

毎朝ガーガグーグーと鳴いて餌をもらっている。雀どもとは”共

存共栄”しているが、夫婦の山鳩以外の山鳩が来ると、彼は追っかけまわして逃がしてしまう。

まっかなカンナがさき、ケイトウも赤い。いつの間にか門の近くの猿スベリが白い花をつけていた。

ヘチマもヒョウタンものびた。青年会もそれ以上にグングンのびてもらいたいものである。

〇何と言っても『理想世界』誌を読む同志を拡大しなければな
らないのが現状である。

そのために、相愛会や白鳩会の子弟は、全員青年会に入り、誌

友となってもらう運動が、全国的に繰りひろげられているのである。

「生長の家」は本来、もともと「家族ぐるみ」の信仰であるべ

きが当然であるから、もう既にそうなっているべきであったのであるが、現実はそうではない。

先ず相白の子弟を家庭訪問をしようというのである。そしてそ

の付近に住んでいる青年達を紹介してもらって、その青年達に

も誌友になってもらうべく、さらに家庭訪問の範囲をひろげて行こうというのである。

こうすれば、「生長の家」の家庭の青年のみならず、さらにそ

の近辺の新しい青年達にまで真理を伝え、誌友会へ参加してもらうことができる。

しかもその際、『生長の家』、『白鳩』など、他の神誌をもっ

て行けば、『理想世界』誌などと同時に、相・白の誌友をも勧

誘することが出来て、「三者協力」の運動方針にそうことができる訳である。

この方法は、青年会員全員が、楽しい気持で参加できるし、あ

らゆる意味で大変有意義な運動であるから、諸君は必ずこの「家庭訪問」に参加してもらいたいのである。

さらに相愛会、白鳩会の人々は、この青年の運動を積極的に応

援し、て、「ここにもこういう青年がいますよ」と、紹介し、

時には青年達と一緒について行って紹介していただきたい。

こうすることによって、凡ゆる青年及び大人が「伝道」するこ

とができ、真の「生長の家」人としての自覚を持つことができるのである。

又、どんな運動にも反復と持続とが必要であるから、すくなく

とも今年一杯はがんばって、第二期運動の成果を確実なものに

してもらいたい。そして、その結果を。中央部に報告知ることも、幹部諸君は決して忘れないでほしい。

組織の拡大は、コミュニケーションの充実なくしては不可能で

ある。この意思伝達は「一方通行」ではだめなのである。ナシ

のつぶての幹部など、「生長の家」青年会にあってはならない。

呼べば答える、打てば響く、いのちの通った同志の組織でなければ、偉大な発展はのぞめないのである。

理屈を言うよりも、この一つのことでも実行しよう。

かならず報告すること、そしてかならず「訪問」することを!

 
                                                   (おわり)

8:道産子 :

2017/03/19 (Sun) 08:09:33




TV東京に谷口雅春先生が報じられております。

最大関心事ではあります。








さて、今朝からはまた、番外編(^_-)、

伝統様の夕刻版「出光佐三」に関連した、出光佐三著「人間尊重五十年」より、ほんの一部を抜粋、紹介させて頂きます。




 7 仙厓和尚          昭和二十五年三月


 本年は寅の年である。

ここに掛けてある虎の画は、正月に私の宅にかけたもので、仙厓さんが描かれた画である。

私は学生時代から仙厓さんの書画が好きであったから、盛んに集めた。

出光商会を創めてから旅行から帰って来たときに、骨董屋が和尚の画をもってきていないとさびしい思いがした。

その後四十余年間、引き続き集めたので、仙厓さんの収集家として名を成した。

嬉しく思っている。

私ははじめから仙厓さんの書画そのものが好きであったので、

その後仙厓さんの逸話等を聞いて、剽軽な面白い坊さんだと思ったが、それだけである。

この気軽な洒落者があの有名な円通禅師であることを知ったのはずっとあとの事である。

私は画を通して和尚を知ったのであった。

禅師にあこがれて書画を集めたのではない。

ここにかかっている大幅は、虎の親子が戯れ遊んでいる図である。

幻住庵(仙厓さんの隠居所)の韜光(とうこう)和尚の箱書

に、咄莫言画猫為虎と言い尽くしたるごとく、恩愛溢るる親子の猫を描いて、一声月明に嘯く猛虎の風格を顕わしている。

和尚は若くして狩野派の密画を学び、その技巧は驚くべきものである。

とうてい今ごろの画家の及ぶところではない。

それが次第に変化していって、この虎のように、子供のような画になっている。

博多に行って骨董屋に仙厓さんの書画を注文すれば、立ちどころに何十幅でも集まる。

しかし大部分はにせものである。

それほど誰にもたやすく書けるような字であり画であって、そ

の実は、極地の技巧から絶対に抜け出て解脱しきったところの、死生を超越した芸術の絶対境そのものである。

修養とか、苦行とか、瞑想とか、何とかかとかあらゆるものを征服した、いわゆる肝芸である。

何十年かの間にこの肝芸に感化されているつもりなのが、われわれ出光人の今日であると思う。

草葉の陰で和尚さんが、「このにせもの野郎どもが」と苦笑さ
れているお姿を見るような心地もする。

猫を描いて虎とされた仙厓さんと、虎を描いて猫となる出光との差である。呵々。


                       (つづく)
9:道産子 :

2017/03/20 (Mon) 08:16:28




     <浄土真宗 大谷口派>うれしいですね(^_-)-☆。









 出光佐三先生(^^♪のお話から。あと6回位です。



この大幅に讃して「竹十二枚陣瑚で鯛釣る」とあり、その脇に「陣瑚一合辱く存候」と添書きがしてある。

思うに、赤貧の信者あって先祖が何かの供養のくばりものに竹

の画十二枚を仙厓さんにねだり、その礼に陣瑚(糯米の粉)一合を持ってきた。

その一合の米の粉に対するお礼としてさらにこの虎の大幅を贈ったものらしい。

算盤と数字からはどうしてもバランスのとれぬ難問題である。

しかしながら信仰と赤貧とで割算をやり、その答えが尊い人間と出たときに仙厓先生の胸算用が読める。

和尚の相手はいかなる場合も人であった。

金銭の匂いがひどかったり、名声の光の強いものは大嫌いであった。

この大幅に岩瀬君が「貧者の一燈」と題したのも面白い。

和尚の老後の友だちは子供と貧乏人と酒飲みと、庵の裏に棲んでいた狐とであった。

人間尊重に向かって画は盛んに書かれた。書いてもらいにくる人があまり多いので、


      うらめしや わが隠れ家は雪隠か

             来る人毎に紙置いて行く


と狂歌して、老後「絶筆」の碑を建てて断られたが、それでも
酒飲みの一丸岩根と子供だけはどうにも断りきれなかった。

万屋という酒屋に逸品が沢山伝わっているのも、岩根の酒代である。

 こちらに懸けてある小幅は、虎が竹に頭をすりつけている画である。

痒いところに手が届かねば竹でこする、と讃がしてある。

長男昭介が先日これを解いて、融通無碍、円転滑脱、ものにこだわらないことだといった。

そのとおりである。

それにしても思い出す話は、当時熊本に豪潮という有名な荒法師があって、九州の禅堂を荒らし回った。

ある日仙厓さんの聖福寺の道場破りに来るということになった。

和尚さんが山内で畑いじりをしておられる折から、雲をつく大入道が山内にぬっと現われた。

きわめて小柄な仙厓さんはちょこちょこと走り出て、大入道の耳に口を寄せささやいた。

「今日は豪潮という坊主が道場荒しに来るから、半殺しにして

やると言って、荒法師どもが手ぐすね引いて待っているから」と揶揄して帰した有名な話がある。

ものにこだわらないで大局を簡単にかたづけてゆく円転ぶりはこの小幅に躍如としている。

現代世界に対する重大なる示唆である。

この書画を通じての仙厓さんは一遍の洒落者にすぎないが、こ

の人こそ禅堂にその人ありといわれたる

円通禅師その人である。

京都本山の妙心寺から綸命(りんめい)により紫衣を賜ること

になったが、名利に恬淡なる和尚は固辞して受けず、和尚の死後、円通禅師を謚(おくりな)されたのである。

                                                   (つづく)
10:道産子 :

2017/03/21 (Tue) 08:23:28

http://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1490052209.jpg


      聖徳太子復活、稲田大臣「核武装論」いい(^_-)ニュースなど、聴かれます。





 出光佐三氏の著書から。続きです。



15 サム・フランシスと仙厓  (雑誌『芸術新潮』十二月号

掲載) 昭和三十四年十二月


 先ごろアメリカを回った際、私がサム・フランシスの絵を求めたことについて感想を述べるようにとのことである。

 今年の四月であった。

ニューヨークにちょうど東野芳明夫妻が来ているというので訪

ねたところ、それはサム・フランシスのアトリエで、彼がパリにいる間の留守を頼まれているというのであった。

部屋にはいると、サム・フランシスの絵がかけてある。

同行のT氏が、「あ、これは描きかけですか」と言ったが、私の

第一印象は、描きかけともなんとも思わず、ただ「あっ」というショックだった。何かに打たれたのである。

東野君が「描きかけじゃない」と言う。

するとまたT氏が、絵の真中の白の部分をさして「滝ですか」と聞き、東野君が「滝じゃないですよ」と答えた。

なるほど、T氏の言うように、その白の部分は描きかけとも滝とも見えた。

 その白の部分は色が塗ってあったのであるが、私は目が悪い

し、夜でもあったため、白の絵具と思わず、直感的に日本画の白紙の印象をもった。

「ははあ、白紙の絵がある。」そう思ってその日は辞去したの

であるが、ニューヨークを発って旅行している間中、この絵が頭にこびりついて離れないのであった。

それで東野君に譲ってもらいたい旨頼んで、手に入れたわけである。

 アメリカで買った絵はこの一点だけであるが、”絵を買う”という感じでなく、ただ”欲しかった”のである。

                                                   (つづく)
11:道産子 :

2017/03/22 (Wed) 07:56:53

http://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1490137013.jpg



「< 日本の誇り > 元田永孚(もとだながざね) ―  表に出ない明治第一の功臣」

 明鏡様がすばらしいご投稿をされております!(^^)!。










 出光佐三氏の御著書より。


その帰途、サンフランシスコの近くのオークランド美術館で、館長とこんな話をした。

(この美術館では二年前に白隠、良寛、仙厓の三人の書画展をしたことがある)―――

あなた方の油絵というものは全部塗りつぶさなければならない。

組織と理屈とあらゆるもので埋めてしまって、人間のはいる余地がない。

ところが日本画は木を一本描いて影も描かない。そこには人間がはいることになっている。

鳥が一羽描いてあれば、あとの木や石は人間がはいって考えるのだ。

日本画には、そういう人間のはいる余地がある―――

そう私が言うと、館長は、いいことを聞いたと喜んでいた。

そういうふうに、私は洋画は塗りつぶすものと思っていたが、

サム・フランシスの絵に人間のはいる余地を見て、面白いと思ったのである。 

 それより以前、去年の二月、パリのヴェルサイユ宮に行った

ときのこと、まことに立派な御殿で、それこそ目を奪うばかりであった。

なるほど、きれいだな、さすが芸術の国だなと一応は思いなが

ら見て行くと、ヴェルサイユ講和会議のあった瑠璃の部屋にはいった。

大広間中、切子のガラスで張ってあるが、とげとげしく身を切られるようで落ちつかない。

日本人には向かないのだと思いながら歩いていた。

ヴェルサイユ宮を出て、古垣大使を訪ねると、応接間の床に黒一色の絵があった。

大使の説明によれば、それはこのごろフランスで流行っている新進画家のビュッフェの描いたものだそうだ。

なんです、これは。

これは絵じゃないですよ。

それでは”無”ですか。

そうですね。

というようなことで別れたことがあった。

                                                   (つづく)
12:道産子 :

2017/03/23 (Thu) 08:16:16

http://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1490224577.jpg


龍様が稲田大臣のことを書かれております。

少々心配事です(-_-)/~~~ピシー!ピシー!。

学ぶ会の講演がまことでありますよう(^_-)。











 出光佐三氏のご著書から続き。


絵でなく“無”であるという感じが外国の作家から出ていることを、私はこのごろしきりに感じている。

フランスの作家たちは、東洋から”無”というものをとりいれて、そこに芸術の美しさを見ているのではないかと思う。

 私は三十代のとき、弐本の書というものが外国人にわかれ

ば、ほんとに日本というものがわかる、日本の芸術というもの

がわかるだろうと考えていた。しかし字の意味はわからないだ

ろう、われわれは字の意味がわかるから書が面白いのだが、外

国人には永久にわからないだろう、惜しいことだ、外国人にほ

んとうの芸術を知らせることはできないと思っていた。その解決がやっとこのごろついた気がしている。

先日、タビエ、アセット、ガレリーらが来て、仙厓の書画などを見せてくれと言う。

いろいろ出して見せると、ガレリーが、はじめ書を掛けられた

ときはたいした感じをうけなかったが、ここにいる間に書が一番印象に残った、と言って帰った。

そのことを私は考えて、こんな結論めいたものに到着した。

―――われわれは、書と字を混同していないか。

字なら活字でいいが、書はただ字を書に応用したということではないか。

たまたま字というものが芸術に応用されて書になっている。

だから、外国人は日本の書を見るときに、字を読まずに芸術に触れているのではないだろうか。

 絵の最高のものは墨絵だというが、私は、子供のころから墨絵に心をひかれていた。

骨董屋の言うには、普通の人はまず極彩色からはいって、淡彩に行き、そして墨絵ということになるのだが、

あなたはまだ若いのに、初めから墨絵とはどういうわけだろうと言う。

私は、極彩色にはまだ関心があるが、淡彩や色のついたものは嫌いである。

 ブリジストンでマチスの絵を見たとき、はじめは色の鮮やか

な時代がつづく。「は、きれいだな」と思ってみていくうち、しまいに線に変わっている。

ちょうど仙厓の線を見るような感じになっている。

私は、「マチスはとうとう色はとれなかったな」とひとりごとを言って帰った。

仙厓は墨で色を出すところまで行っている。

だがマチスは線はそこまで来たけれども、色はとれなかったという意味である。

                       (つづく)
13:道産子 :

2017/03/24 (Fri) 08:35:47

http://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1490315656.jpg


       伝統様が勇気のあるご発言をされています。

中仙堂様も持論を仰っていますし、志恩様も独自の情報を出されております!(^^)!。

決着は検察が握ってる?










 出光佐三氏の御著書から。芸術を語っている時でもないですが、前回&今回の仙厓和尚の書画、

続々甘露の法雨の「虎は首を俯垂れて猫の如く優しくなれり」
と、
「よろこべば、よろこびごとがよろこんで~」を印象させてくれるものです( `ー´)ノ。






墨は黒いが、“無”である。無は無限大である。

墨色から“無”に触れんとしているのではないか。白地に人間が

はいるように、そこに人間がはいっているのではないか。私はそんなふうに考えている。

 西洋の人間の考えには“有”というものがあって、“無”というものはない。

ところが東洋には無の思想がある。そこに外人と日本人との違いがあると私は思う。

その無という財産を、外国から求めているのが現代だと思う。

仙厓の絵を外人に説明するのに、よく白隠の達磨と比較する。

そのとき、この達磨は白隠という坊さんが描いた。絵を描いたのだ。

仙厓という人も若いときは<絵>を描いている。

しかし、その絵はしまいに絵でなくなったので、これは絵ではない、しいて言えば、思想だ。

そう言って説明するのである。

仙厓も若いときは立派な<絵>を描いた。それが抜けきったとき、絵でないものになった。

書にしても、楷書を書いて書き抜いて草書や行書に抜けたのが、立派なものになっている。

書がわかれば日本がわかるという私の三十代のころの考えは、今思っても当たっていると思っている。

 日本でもフランスでも抽象絵画が盛んであるが、理屈を描いてあるのがほとんどで、嫌な感じがする。

このサム・フランシスの絵などは理屈も何もなく、無だけである。

 やはり芸術というものは世界共通のものだ。

私はこの間、巨きなことを学んだ。

孟宗竹を七、八十本植えたところがある。人間が植えたもので、植えたときには見られないものだ。

ところが二カ月たたぬうちに形がついてきている。

竹が互いに話し合って、お前はそっちお前はこっち、と全体をまとめている。

和田三造氏がそこへ来て、竹でさえお互いに物言うて芸術をつ

くっているのだぞ、人間恥ずかしいじゃないか、と言っていた。

                       (つづく)
14:道産子 :

2017/03/25 (Sat) 08:09:21

http://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1490396961.jpg


しゃべる地球儀、要注意です!(^^)!。

教科書にも相変わらず、虐殺30万の記述もあるんですね、注釈付きでも(*_*;。








 さて、出光佐三氏の御著書の最後です。

ご参考まで、仙厓和尚の般若心経も載せておきました。










サム・フランシスまで加わった私のコレクションは、殷周の銅器にまで遡る。

二十七、八のとき、支那、満州に渡って、そのとき安いものをであったが、三点か五点買って帰った。

館で求めたものであるが、その中にいいものがあるということだ。

ひとつは舎利塔であるが、小さい中に蓮華の花があり、脚は獣の脚である。

これを京都の鑑定家の蔵六に見てもらったところが、何度行っても、箱が置きっぱなしで、わからないと言う。

しかし、たいしたものであることは確かで、おそらく正倉院だかの舎利塔と同じ類だろうと言う。

そして、「後学の教えを待つ」と書いて、一カ月くらいして亡くなってしまった。

そんなものをたくさん買って帰って来た。

 私の集めた唐津を、アメリカでも仙厓の展覧会といっしょに出さないかと言われた。

唐津はもう出来ないのであるし、私のものという感じがしない

ので、財団法人のようなものをつくっておこうかと考えている。

季節の美術館のように、美術的な目で集められたコレクション

でなく、たとえば私という一つの目を通じて集めたコレクショ

ン、仙厓とサム・フランシスが並べてかけてある美術館が建つ日もあるかもしれない。

 とはいえ、それは大変な仕事で、私が破産してしまいそうだ。

美術館もいいが、ここで常に私の考えていることを述べておきたい。

並大抵ではない苦労を重ねていままで保存されてきたものを、

今のように、美術館にぞんざいに並べて、わけもわからぬ子供にまでやたらと見せるというのは困ったことだと思う。

われわれの祖先が千年以上も苦心して保存してきたものを、現

代人が自分のわがままで短期間につぶしていいかどうかということは、再考を要することではないか。

 現代は芸術のない時代だと思う。

その上に、過去の遺産を壊してしまえば、何も残らないことになってしまう。

すべてなくなったあとどうするか、心細いことである。


                       (おわり)
15:道産子 :

2017/03/26 (Sun) 07:47:47




    閑話休題('◇')ゞ、お久に宮里藍18位に躍進(^^♪、

稀勢の里、土俵入りご立派、負けても、あの歓声はスゴイ(^^)/。












 今朝からは大聖師の青年法語、三十日です。



 昭和42年11月1日号 「理想世界」誌  輪読のための青年法語

    吾等青年何を為すべきか   谷口雅春先生


 ♧・・・毎朝、出勤、登校前にその日の法語を声高らかに読みましょう。・・・♧


    一日のことば ♧ 組織づくりの大切なること


 何事でも完全な成績を円滑に挙げるためには組織づくりということが大切なのである。

松下電器が家電生産業者の中で最高の収益を挙げているのはそ

の販売網の組織づくりが広く且つ綿密に行われているからである。

資生堂が化粧品業界で最高の売り上げを挙げているのも組織づくりがたくみであるからである。

人間が猿その他の哺乳動物よりも知能がすぐれ、地球の支配者

になって居るのも、人間に宿る神の生命が“大脳”という複雑精巧なる生理的組織をつくるのに成功したからである。

数個のトランジスターや、数個のダイオードを単につなぎ合わ

しただけでは、それは完全な携帯用ラジオにも電子計算機にもならないのである。

それが精巧なるラジオとなり、テレビとなり、電子計算機とな

るには、部品と部品とを適当の順序に配置し、それを完全円滑

に連絡せしめる叡智に導かれた精緻な組織がつくられなければならないのである。


                       (つづく)
16:道産子 :

2017/03/27 (Mon) 08:28:52




      色々ありますね(^^♪、龍様も感動の稀勢の里奇跡の

大逆転V、「事実は小説より奇なり」です。大感動です。

稀勢の里大ファンの身としては天にも昇る心境です(^^)/。

だけど、藍ちゃん、またスタミナ切れ、でも諦めないで欲しい(^_-)-☆。


伝統様、いつものお優しいお心掛けありがとうございます!(^^)!。

コスモス様の情報も見させていただきました<m(__)m>。

光明面からの一刻も早い終結を祈るばかりです。時間の無駄です。











 大聖師の御言葉です。


 二日のことば  ♧  組織づくりと、魂の救いの問題


 教えの内容がいくら立派であっても、教えの布教網の組織づくりが下手であっては、その教えは伸びないのである。

宗教は、魂の問題であり、魂の救いは個々の人間の問題であ

り、外形の組織づくりばかりに狂奔していると、魂の内的問題がおろそかになるおそれがある。

魂の救いは、個々の“悟り”又は”信心”の問題ではあるけれど

も、その個々の人間も教えに触れなければ魂の救いの門に入る

わけにはいかないのであるから、伝道の組織づくりを完全にし

て誰でも教えに触れ易いようにしてあげることが、人を救う道である。

人を救わずして、自分だけ悟ったとか、救われたとか考えるの

は、一種の利己主義であって、そんな人が”救われた”などと自任しているのは、唯の増上慢に過ぎないのである。


                       (つづく)
17:道産子 :

2017/03/28 (Tue) 08:24:13



    まだ、興奮冷めやらぬ新横綱ニュース(^^♪、

「綱を締める度に気持ちが引き締まり、体が清められる感覚だった」

「何か見えない力感じた15日間」

 最後には泣いてしまったけど、君が代をしっかり歌ってましたね(^^♪。侍Jとは違って!(^^)!。


 昭惠夫人と籠池夫人のメールやりとり、も「事実は小説より奇」です!(^^)!。








 大聖師の御言葉です。


 三日のことば    ♧  自分の勉強科目を純粋培養せよ


 良き酒類を醸造するには雑菌の入らないところの無菌性の部

屋で、目的とする酒を醸造するための醸造菌だけの充分発育す

る環境をつくらなければならないのである。良き薬品を製造するにも同様なことが言えるであろう。

あなたが勉強して、あなたの心の中に立派な{成果}をつくり

出すためには、その勉学の途中で、自分の注意を外らすような何物も傍らに置かぬがよいのである。

純粋培養ではないけれども”純粋勉強”の状態に自分をおくと

き、その研究科目に対する良質の知識獲得の成果が得られるのである。

 書斎を整頓して、目的以外の、心を他に外らすようなものを置かないこと。

部屋が雑然として散らかっていると、心も散乱し易いこと、部

屋がキチンとしていれば、心もキチンとして、心が統一して不要な事柄を考えなくなること。

書斎の整頓そのものが勉強の能率をあげ、時間を節約し、すべてをプログラム通りに進行させることになるのである。

                                                   (つづく)




18:道産子 :

2017/03/29 (Wed) 08:09:46



教育勅語、暗誦、遅々として進まず('◇')ゞ、内容が

多々にわたり(^_-)、塚本幼稚園児には負けておられませんから

必死です。

 父母に孝に兄弟に友に、辺りまでは行ってますが…( `ー´)ノ。






 大聖師の御言葉です。


   四日のことば  ♧  組織を通して活動すれば、効果が百倍する


 組織づくりが完全に行なわれると、各方面へ自分が出張して

直接交渉することをしなくても、組織がそれを行ってくれることになるのである。

即ち、自分の力で、組織の末端まで延長して、末端組織の数だけ倍乗して働くことになるのである。

この自分の力の倍乗法を知らないで、何でも彼でも自分がやら

ねばならぬと一所懸命力んでいて、時間が足りず、或る距離以

上には足が伸びず、結局効果があがらないような先輩があるけ

れども、働きたくて、世話をしたくて仕方がない人が多勢ある

のに、そんな人を動員すれば、熱心に働いてくれるのに、それ

を働かせないで自分ばかり忙しいのは、まことに気の毒なことである。

そんな人は、自分は大いに神さまのために尽くしているような

恰好でありながら、他の人が神様の御用を尽くす邪魔していることもあり得るのである。

                                                   (つづく)
19:道産子 :

2017/03/30 (Thu) 08:35:21




<“「七つの燈台」に託された願い”

そのタイトルで文章を書くのであれば、最低限、谷口雅春先生

のご著書『女の浄土』ぐらいは拝読しておかないといけないのではありませんか。

因みに、この聖典は絶版になってはいません。

拝読しようと思えば、今すぐにでも拝読できるはずですから。

とくに、「第十九章 仏典・聖書より観たる宇宙の実相-日本

の国体と憲法との奥にあるもの」は信徒必読のご文章であると私は考えます。

その中から、少し、引いておきます(322~323頁)。


《私の言うことは非常にナショナリズム的に他から観られるか

も知れませんが、海外の書籍などにも、生長の家はナショナリ

ズムにつながるというような紹介記事を書いたものがあります

が、世界的に組織をもち、生き生きと活動しているアメリカの

新しいキリスト教リリジャス・サイエンスの理事長である

ウイリアム・ホルナディ博士が数年前見えたときに、その事について質問せられたことがあります。

その時に私はこう答えたのであります。

「イエスの教えた模範的祈りの〝主の祈り〟に於て〝天にまし

ます吾らの父よ、御名(みな)をあがましめ給え、御国を来らしめ給え。

御心の天に成るが如く地にも成らしめ給え〟と祈るように教え

られているのであるが、天には唯一つの永久変らざる神がい

らっしゃって、すべてのものがその唯一つの神の御心に帰一しているのでありましょう。

そうすれば、天にそのように御心の成るが如く地にも成るとす

ればその御心が地上に成り、その御心が国家にあらわれるなら

ば、永久変らざる中心が国家にも成就しなければならない。

そのような永久変らざる中心である万世一系の天皇をもつ国は

日本だけであって、国家としては最も神意にかなう形態をとと

のえているのが日本国家である」と申し上げたのであります。

すると、ホルナディ博士は大いに頷いて、賛成の意を表されたのであります。

だから『古事記』『日本書紀』等の示すところの天皇中心国家

というものはキリスト教の示す世界観又は国家理想とも完全に一致するものであります。

これをナショナリズムだ軍国主義だとキリスト教側から反対さ

れるのは理窟に合わないのであります。》・・・。>



破邪顕正様のご投稿より、大聖師の御言葉です。只々、納得の

御文章です(^^♪。






 5日の言葉も続けます。


   五日のことば  ♧  協力者を組織化する必要


 多勢の人が自分の運動に共鳴し協力してくれていても、その

協力者が完全に統制のとれた組織化となって活動してくれない

場合には、そこに必ずエネルギーの浪費(ロス)が出て来るのである。

思い思いに勝手に協力してくれるためにその仕事が重複した

り、する必要のないことをして却って全体としての運動を阻害したりすることが起こって来るのである。

ここに一つの運動に大勢協力してくれる場合にはその役割の組織化が必要となってくるのである。

「天は人の上に人を創造(つく)らず人の下に人を創造(つ

く)らず」とは民主主義の標語であるけれども、運動を進め仕

事を協力してやる場合には中心的な位置から、更に分割された

色々の部門の長(チーフ)が必要であり、チーフの下に素直に

運動してくれるメンバーが必要であり、命令系統がハッキリし

ていなければ効率的に仕事の能率をあげ運動を前進さすことはできないのである。

                                              (つづく)


20:道産子 :

2017/03/31 (Fri) 08:24:02




     幸福の科学の国防論('◇')ゞ、村西とおる氏の原発論

聴いてみなければ判らないものです!(^^)!。

いずれにしても、身の引き締まる思いでいっぱいになります。










 大聖師の御言葉です。


  六日のことば  ♧  身辺の雑物を整理して組織化せよ


 何でもキチンと組織的に片付ける習慣を若いときからつけて

おくことは、将来、事物を組織化する能力を増進することになるのである。

自分の着衣を脱いだところにそのままでダラシなく放っ散らかしておくような生活習慣をつけてはならない。

室の中がキチンとしていれば、その中にいる人間の心もキチン

として来て、自分が引き締まって勉強もし易くなるのである。

仕事の時間の一割、又は二割は、その仕事をするに必要な道具

や文房具や参考書を探すための時間に費やされるといわれている。

婦人ならば、裁縫仕事をしながら、使った鋏を置く場所を決め

ていないために、鋏が布地の下になったり、色々のものの下に

まぎれ込んでいて、その鋏を探すために全仕事をなす時間の二割位の時間を費やしてしまうそうである。

阪急電鉄の社長であり、東宝劇場の創立者であり、東宝歌劇の

発案者であった故小林一三氏は、実業界の今太閤といわれる程

の明敏な頭脳の持主であって東宝系、阪急系の諸事業の基礎を

きづいた人であったが、秩序の感覚の非常にすぐれた人であっ

て、自分の仕事に必要な諸道具、参考書類は、自分の寝台から

すぐ手を延ばせば届く位置においており、それらを取りに往復する時間を節約するように計画されていたという。

万事がその通りで仕事が綿密に組織化されていたのである。


                      (つづく)



21:道産子 :

2017/04/01 (Sat) 07:50:33





        <またもや、朝鮮帰化人 国賊の 小泉進次郎の 悪巧みか・・?!>・・・。


志恩様のご投稿から。

もう、判らないことばかりです(*_*;。









大聖師の御言葉です。


   七日のことば  ♧  幸運と不幸とは自分がつくる


 誰にでも一生涯のうちには、大きな濤のうねりのように運命

のうねりがその人を下から押し上げてくれる時期が一度や二度

は必ずあるものである。その運命の波濤にうまく波乗りできる

ものは、急速にそして快適に、波の上昇を楽しむことができるのである。

しかし、そのような”運に乗る”ことのできる人は平常から“波乗り”の訓練のできている人だけである。

平素の訓練のない人は運命の波のうねりに自分の足をすくわれ

て倒れてしまい、波に呑まれてついに溺れ死ぬかも知れないのである。

運が好いとか、運が悪いとかいうけれども、それは結局、平素

の自己訓練がしてあるか否かにかかってあるのであっ

て、“運”と称する外来の”何物”かに、自分の生涯が左右されているのではないのである。

                       
                       (つづく)


22:道産子 :

2017/04/02 (Sun) 08:28:26




    <そんな雅宣教を生長の家と思い未だに教化部へ通っている人が居るのが不思議な事だ。・・・>・・・。

桜吹雪様(ちょっとコワい('◇')ゞ)のご投稿から。

「著名人」も???です。











 大聖師の御言葉です。


  八日のことば  ♧  あなたは幸運の雲を巻き起こせる


 内部に常に蓄積されていた蘊蓄とか学殖とか徳行とかが、やがてその人の運命としてあらわれるのである。

何も身につけていなかったら、どんな好い機会が来ても、外にあらわす何ものもない。

外部にあらわれるものは既に内にあったものだけがあらわれるのである。

既に内にないものはあらわれようがないのである。

ふだんに、よく勉学し、教養を積み、自分の能力の進歩を、マ

ラソン選手が毎日必ず走って脚を鍛えるように、自分の研学の

目標を定めて、その方面の能力を毎日一層鍛えておくのもの

は、やがて時が来て雲に乗って竜が昇騰するように、好運の雲

を巻き起して見る見るうちに人類の救済者とも一国の宰相とも一党の総裁ともなるのである。

                       
                       (つづく)




23:道産子 :

2017/04/03 (Mon) 07:57:01





杉田水脈さんの産経プレミアム、参考になります!(^^)!。童子様の発信力。









 大聖師の御言葉です。


  九日のことば  ♧  片岡秀公丈(ひできみさん)の雄弁を聴く


 こないだ、国立大劇場に招かれて、「学生のための歌舞伎の解説」を観にいった。

片岡秀公丈の歌舞伎の由来や舞台の説明や囃子道具の解説は、

私の今まで知らない事を沢山教えてくれて、色々参考になったのである。

背広を着て素顔で舞台に立った秀公丈は素晴らしい雄弁で、聴

衆・観客の心を捉えるコツを心得ていて真面目な解説の中に歌

舞伎の声調(こわいろ)を時々交えて吾々を倦きさせず、擒縦(きんしょう)自在の趣があった。

これだけ自由自在に言葉の力を駆使し得るためには幼い時から

余程の訓練を経て来た結果にちがいないのである。吾々宗教人

も人を救うためには、自己訓練をきびしくして、聴衆を倦きさ

せないで真理を説き、悟りに導く言葉の力を鍛えておかなければならないと思った。

吾々は勉強が足りないのではないか。吾々は自己訓練が足りないのではないか。

レジャーが多すぎ、その時間が自分を研くためにつかわれない

で、ただ詰らない娯楽や呆心に浪費されているのではないか。


                       (つづく)


24:道産子 :

2017/04/04 (Tue) 08:23:18




    <人 (明治41年)

【 道をだに ふみたがへずば 世の中の 人のこころは やすくぞあらまし 】


述懐 (明治37年)

【ほどほどに 身をも心も つくすこそ 人と生れし つとめなりけり 】>・・・。


伝統様の、明治天皇の御製ふたつ。

このようなお心から生まれた教育勅語のどこがおかしいのでしょうかね('◇')ゞ。


今朝の新聞、一斉に反対論争一色です(*_*;。

曰く「…そもそも明治政府が天皇制を守るために国民に授けた教えだ。…軍国主義に利用された。・・・過去の遺物が力を持って
はホラー映画より恐ろしい」ですって!(^^)!。


私、今、その「以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」まで読み込みました(^^♪。

















大聖師の御言葉です。



  十日のことば  ♧  自己訓練の価を払って


 国立大劇場の入口で短冊形の印刷物をくれたので、演劇の説

明でもあろうかと思って幕間にポケットから出してそれを読むと、宝石の原石を差し上げるという広告であった。

さらに読んで行くと、その宝石は磨き方によって宝石の美しい

輝きを発揮するので、用途によってお好みの形に加工して美し

く仕上げて差し上げますから、その加工賃だけは負担して下さい――という意味が書いてあった。

「なるほど・・・・・」と私は頷いた。

わたし達は、”神の子”として“神の生命”という原石をただで譲り受けているのである。

しかし原石のままでは”神の子”らしい輝きを発揮することはできないのである。

その本具の光を発揮するためには磨かなければならないのである。

しかし磨くためには、ただで人に委せておいては駄目なので、値を払わなければならないのである。

それは自分の用途(使命)に従って、努力と勇気と忍耐とをもってする自己訓練という値をはらうのである。


                      (つづく)













25:道産子 :

2017/04/05 (Wed) 07:55:26




   <夫々の 感懐でございましょう。>と、中仙堂様が仰ってらっしゃいますが、

私は、なぜか東宮派('◇')ゞなのです。











大聖師の御言葉です。


  十一日のことば  ♧  あなたも屹度天才である


 早く天才を発揮する人もある。

そしてその多くは早く散るのである。

早春に咲き出でた梅も桃も桜も、夏まで咲いていることはないのである。

夏には夏の花が咲く、朝顔の花、竜胆の花、夾竹桃の花などは夏に長期にわたって私たちの眼を悦ばせてくれるのである。

人それぞれに、その天才を発揮する時期が異なるのである。
一年中美しい花を咲かせない松柏科の植物もある。

それは目立って美しい花を咲かせないけれども、よく風雪に耐

え、酷暑を忍び、亭々と高く聳えて、よく千年の樹齢を保つのである。

植物にも、それぞれ異なる使命と天分とを与えられているが如

く、人間にもそれぞれの天分が異なり、その発達・開花の時期

が異なるのであるから、他の人が早く出世をして幸運をつかんでいることを羨むことは要らないのである。

あなたには、あなたの型に従って適当な時期によき運命の花を開くのである。

                       (つづく)
26:道産子 :

2017/04/06 (Thu) 08:22:04




   さもありなん、戦後の、教育勅語の廃止はGHQの差し金

でしたか!(^^)!。童子様有難うございます。

稲田大臣も此の辺をはっきりコメント出来ないものなのでしょうかね~('◇')ゞ。










大聖師の御言葉です。


 十二日のことば  ♧  毎日努力して何らかの進歩をなせ


 草木はただ静かに立っているだけのように見えているけれど

も、寒冷の霜雪に耐え、酷暑の日照りに鍛えられながら、間断

なく自分の持っている全力を尽くして、水分と栄養を吸い上

げ、呼吸作用、同化作用を行い、できる限りの営みをつづけているのである。

毎日のいとなみ、毎日の努力なしでは植物は生きていることも

生長することもできないのと同じように、人間の魂も、毎日の

努力により、進歩して行かなければ退歩してしまうのである。

生命は生長が止まったら枯死又は衰頽がはじまるのである。

それは生命体の特徴として常に新陳代謝が行なわれねばならな

いのであるのに、みずから努力して新しきものを獲得すること

がなければ、過去にありしものを使い果すか、過去にありしも

のが錆びついてしまうかして、生命体は円滑なるはたらきを失ってしまうのである。

だからあなたは毎日、前進をなし、何らかの進歩を遂げることが必要である。

                       (つづく)

27:道産子 :

2017/04/07 (Fri) 08:09:05



新聞「読者の声」に「憲法と相いれない教育勅語」66歳の

投稿がトップに(-_-)/~~~ピシー!ピシー!。

少し、反論しておきますか(^_-)。暖簾に腕押しですけど…。










大聖師の御言葉です。


 十三日のことば  ♧  自他のために深切を尽くすこと


 神から与えられた能力を使って、そのとき出来るだけの奉仕をせよ。

他の人のためになる奉仕でも、自分のためになる奉仕でも、どちらでもよいのである。

他の人も神の子であり、自分も神の子である。

自分に深切を尽くすことが他の人のためになり、他の人に深切を尽くすことが自分のためになるのである。

深切を尽くすとは、親しく狎々しくて”甘やかす”ことではないのである。

自分及び他の人の内部に埋没されている本当に“価値あるもの”(実相)を引き出すようにすることである。

                       
                       (つづく)
28:道産子 :

2017/04/08 (Sat) 08:24:30



    徳久先生の「研究より実践を」キビシイ姿勢にじくじたる思いです。(童子様ご投稿より)









大聖師の御言葉です。

 十四日のことば  ♧  やりかけた勉強は徹底的にやれ


 何をやっても“人並み”程度では役に立たないのであり、その

程度では役者になっても「その他多勢」の中に入っていて、自分の名前は出ないのである。

人生は何も、自分の名前を出すための道具ではないけれども、

「その他多勢」の中に入れられる位なら、その人としての個性

ある独自の存在感を発揮していないということになるではないか。

何か人より優れた、自分でないと出来ないような個性ある一芸に練達するように努力せよ。

将棋をやれば名人となれ。相撲をやれば横綱となれ。英語をや

るなら、立派に英語演説でも、会話でも自由自在に話すことが

でき、英語の手紙でも、翻訳でも自由自在にできるようになるがよい。

書物を読むなら、自分の選んだ方面の凡ゆる図書を読破する決意をもって努力を継続するがよい。

中途半端な勉強振りをしていて、一体、この競争の激しい人生に何ができると思っているのだ。

勉強は徹底的にやるがよい。何でも徹底的にやったものには価値がある。


                      (つづく)
29:道産子 :

2017/04/09 (Sun) 07:59:42



5/3が近づいて、またぞろ新聞に「憲法70年」特集で、

「難産の憲法 民主国家の礎」「天皇主権の日本案拒否/「押しつけ論」生む下地に」&

北大名誉教授が「当時の世論 大多数が歓迎」ですって(*_*;。








  大聖師の御言葉です。


 十五日のことば  ♧  堅忍不抜にして、よく希望の山嶺に登る


 吾らの最大の栄誉は失敗しないということではないのである。

失敗しても失敗しても依然として起ち上る力をもっていることなのである。

そのたび重なる失敗を通して人間は進歩するのである。

それは剣の修行でも野球や庭球の練習でも、囲碁や将棋の勉強でも同じことである。

上段の人、上級の相手に対しては負け続けるのである。

負けること―――そして負けても起ち上がって再び負けまいとする

努力を重ねること―――が

上達のもととなるのである。

負けないのが偉いのではない。

幾度負けても起ち上がる力を失わないのが偉いのである。

天才とは努力の継続である。



                       (つづく)

30:道産子 :

2017/04/10 (Mon) 08:13:13




https://blogs.yahoo.co.jp/inoti333mamoru777/64091621.html

どうやら、道産子母(まだ?)のハッピー物語のようです(^_-)-☆。

平賀玄米様の「笑え」謹写も珠玉です。








 大聖師の御言葉です。


 十六日のことば  ♧  平和・平和・平和よ、汝は何を人類に与える


 平和は“人類の魂”の進歩に必ずしも貢献しないのである。

平和に甘やかされ、あまり平和で何ごともすることもないので

イタズラすることだけが退屈をまぎらわす道になってしまった

ような平和は、”人類の魂”の進歩にとって却って麻薬の働きをするのである。

八月十七日の『朝日』の“声”欄に二つの投書が続いて載っていた。その一つには、

「世界の数ある国家の中で、徴兵制度のない国家は日本だけで

ある。日本の若者だけが、自由を最も享楽していると言っても

過言ではあるまい」と大いに徴兵制度のない平和な戦争抛棄の日本国を讃美しているのである。

その戦争抛棄の享受している自由を一体多くの日本の青年たちは何の目的に使っているのかと問いたい。

盛岡の斎藤権次郎氏が「八月の上旬、上野発青森行きの夜行列

車で・・・・・下車するとき注意されて気がついたのだが、ベ

ルトからおしりにかけてガムがべったりとくっついている。脱いでいた靴にも入れようとした形跡があった。」

それは後ろの座席に大学生らしいアベックが二組ふんぞり返ってガムを噛んでいた。

いたずらの犯人はその二組のうちのどちらかだというのだが、

平和で金があって、親の脛をかじりながら、自由をふんだんに

享受して、こういうイタズラをする事がしか知らない人間が殖

えるような平和はそれを祝福してよいかどうか疑問だという意味が書いてあった。反省させる言葉である。


                       (つづく)
31:道産子 :

2017/04/11 (Tue) 08:43:20




   今、時の人は、古宮晴人氏と青山繁晴氏!(^^)!。

晴の名が共通して。

後者のコメントは、だけど、こわいです(-_-)/~~~ピシー!ピシー!。小心者は、日本の人口の如く、縮こまるばかりです。










大聖師の御言葉です。


  十七日のことば  ♧  終戦時の日本人はもっと清らかな精神をもっていた


 その筆者の斎藤権次郎氏は戦争中の思い出を書いて「ちょう

ど此の季節になると思い出すのだが、終戦の時、敗残兵として

マニラの東方山中をさまよい歩いた私達の仲間は大部分餓死した。

その行動はすべて清らかで、ある人は臨終の時に背嚢から一に

ぎりの米を取出して“これを食べて私の分もお国の再建につくし

てください”と言ったし、ある曹長は増水の川でおぼれかけた部

下を助けようと思い、疲れ果てたわが身を忘れて跳びこみ、水死した」といっているのである。

物資のゆたかさと、レジャーの多さとは、人間を利己的な享楽

に導く傾向があり、物資乏しくて、人間がまさに死なんとする

とき、人は互いに助け合う心を起こし、魂は異常に高揚するのである。

 もっとも斎藤氏は「もとより平和と堕落とは異質のものである」という語で最後を結ぶことを忘れていない。

平和そのものが悪いのではないが、平和とレジャーと所得倍増を何に使うかということが問題なのである。

                       
                       (つづく)

32:道産子 :

2017/04/12 (Wed) 08:33:44


    http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?
id=yuyu6&mode=res&log=40

伝統様の「明治天皇記」ご投稿から。

大聖師の御考えが広く渡らんことを。


ざっと、「~庶幾フ」までは憶えました。まだ、つっかかりますが(^_-)。









大聖師の御言葉です。


   十八日のことば  ♧  平和は果たして人間の魂を向上せしめつつあるか


 むろん、平和でレジャーがあり、金があるから、みんなの人間が利己主義になるのではない。

しかし”平和”を熱願する人々の中には、平和は”楽”ができる、

戦争ほどつらくない――というような利己主義といえないまで

も、個人的な享楽主義的要求が平和愛好の理由になっていて、

自分の国家は余所の国の軍隊が護ってくれて、他の国の平和を

維持するためにでも、自分の国の軍隊を危険なところへ派遣するのは御免だというような甘い考えの人も多いのである。

こんな平和は人間の魂の向上に役立つかどうかを私は時に考えることがあるのである。

                       (つづく)
33:道産子 :

2017/04/13 (Thu) 08:17:56



      南国土佐も後にして、ペギー葉山さんがお亡くなりになりました。

人格的にも尊敬できる天才シンガーでした。もう少しあの歌を聴きたかった、聴けますけどね、ずっと(^^♪。











大聖師の御言葉です。


 十九日のことば  ♧  大きな体育館ができるのが文化国家ではない


 それにどうして国家がレジャーを楽しむ人のために各県に巨

大な体育館を建てたり、野球場をつくったりする費用を援助するのか私には、随分わからないことが沢山あるのである。

そしてその体育館を利用できるものは、東京都一千万人の中の二万人にもない位である。

しかも、それで楽しむことの出来る人はレジャーと金とのある

金持の息子ばかりで、貧乏人は運動具もスポーツシャツも求めることはできないのである。

つまり一人の金持の坊ちゃんを遊ばすために都民五百万人がその費用を税金の形で負担しているのだ。

体育体育といってレジャーをスポーツ競技に利用する会場の建

設に莫大なる国民の税金を浪費していながら、吾々が精神講話

をするために体育館を貸してくれというと、精神講話は体育に関係ないと、貸してくれない体育館が沢山あるのである。

精神が如何に肉体の健不健に影響を与えるかを知らぬという精

神的無知者が体育館を管理している都市が随分あるのである。

そして精神の教養の乏しさの上に肉体のみ栄養食をすすめて巨

大日本民族をつくるのを厚生省の役目のように思っているか

ら、精神と肉体精力とのバランスが崩れて性的犯罪は増加するばかりである。

しかも一方に於いて、体重および身長の大なるものほど長寿で

ないという統計が出て、栄養食と運動とで肉体を巨大にするこ

とが本当の健康ではないということが明らかになりつつあるのである。

九大に普通の“内科”のほかに“心療内科”がつくられたよう

に“体育館”のほかに“心育館”を国費で建て、誰でも心育館に出

入りして修養につとめることを名誉とする位にならねば、本当
に文化国家だなどと誇らしげに言う資格はないのである。


                       (つづく)
34:道産子 :

2017/04/14 (Fri) 07:59:04

    必読! 『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』 ケント・ギルバート著(童子様ご投稿より)

破邪顕正様の尊師の憲法論解釈、必然です。
どうにか突破できないものですか。







 大聖師の御言葉です。


 二十日のことば  ♧  癌も精神的ストレスが原因で起こる


 ちょうど私がこんなことを考えている時に誌友の小林信(ま

こと)氏から八月十日号の『週刊現代』に癌の原因が精神にあ

るという記事が載っているというので同誌を寄贈して来られた。
その中に「タバコを吸わなくても肺癌になる」という題で、去

る七月十二日から十四日まで京都国際会館で開かれた”国際心身

医学睡眠学会”の第三日目に英国グラスゴー大学心身医学研究所

長のD・B・キッセン教授が家庭不和や、仕事上のトラブルから

生ずるストレスで肺ガンになるという日本の学界ではまだあま

り認められない学説を統計によって発表したことを新聞は報じ

ていたので、その紹介を私は十月号のどの雑誌にか書いたこと

があるが、この『週刊現代』はそれについて、慶大医学部神経

科心身症センターの阿部正医博士の診断した胃癌患者で、精神

のストレスが発癌の原因とみとめられる二例を掲げ、更に肺癌

だけではなく乳癌などの原因についても阿部教授は次のようにいっているのである。

「婦人の乳癌についても、同じような精神身体医学的な立場か

らの研究報告がリネカー以下七人のアメリカ人研究者によって発表されていますね。

昭和三十八年の事ですが、これも、本人の性格とか、母親など
が原因の一つとして数え上げられているのです。

・・・・・イタリアの学者ジョハジュなども胸部ガンについて

の精神身体医学的研究を発表していますし、アメリカのエバー

ソンとコレという医者は逆に“ガンの自然退行”つまり自然治癒の症例報告をしています。

キッセン報告を待つまでもなく、ガンと精神的要素は無関係と

はいえないと思いますよ」(注。胸部癌とは乳癌のことである)

 それなら、どうして体育館を精神修養の講話のために使わせないのか、唯物論の日本の政治がわるいのである。

政府は物質方面から癌の研究をする団体に多額の補助金を出し

て居ながら、精神的方面から癌の発生及び治癒についての研究

には補助金を出さないのは勿論、白眼的な態度をとっているのはどういうものか。

日本の政治はもっと、唯心論的要素をその政策面にとり入れな

ければ、本当に国家を良くし、国民を向上せしめることができないのである。

青年諸君がみずから政治家となった時に、否、代議士を選挙す

るときの選択基準として、もっと唯心論的世界観をもつ人を選んで欲しいと私は思うのである。

                                                   (つづく)




35:道産子 :

2017/04/15 (Sat) 08:06:03



      輝子先生の御文章は「深厚」なり。

 大聖師とともの海外御巡幸は凄いのひと言です。










大聖師の御言葉です。


 二十一日のことば  ♧  病気を製造しいつつある製薬会社


「人は二人の主に事(つか)えること能わず」とイエスは言っているのである。

その人の世界観又は人生観が唯物論的であるならば、その人の

関心をもつ凡ゆる人生問題が、物質の増減や物質の操作によってのみ解決できると思うのである。

その人が唯物論者であるならば、病気は、ある物質を人体にプ

ラスしたり、ある物質で毒素を中和したりすることによってのみ解決することができると思うのである。

そして薬剤の広告いよいよ熾烈にして、その広告の言葉が、疲

労、肩こり、夏バテ、神経痛、血管硬化等々・・・・・と病気

を、老衰を心に印象して病気や老衰を精神的に創造しつつあることには気がつかないのである。

いや、それは気がついてはいるかも知れないが、製造業者は、

薬ばかりを製造していては薬が売れないから、一方では病気を

恐怖さす言葉の暗示で病気を製造しておいて、その製造した病気の薬剤を売ろうという訳である。

既に出来てしまった病気には、薬剤で中和したり殺菌したりす

る必要があるから、薬剤の紹介や広告はある範囲に限って必要である。

薬剤の広告は医師にのみ読ませる「薬事新聞」等にのみ掲載を

限って、一般のマスコミにはのせない事が、国民を健康に導く上からは最良の策なのである。

しかし現行の憲法では「表現の自由」が定められているので、

薬剤会社の“広告や言論の自由”を制限することは違憲であるからどうすることもできないのである。

現行憲法はこの点でも其の欠陥を暴露しつつあるのである。

                      
                       (つづく)
36:道産子 :

2017/04/16 (Sun) 07:46:13



またぞろ、編集委員が「教育勅語がよみがえる?」で「一旦緩急あれば」を持ち出してます(^_-)。

締めに「先日、昭和一けた生れの読者から頂いたファクスにこう記されていた。『勅語、今も暗唱できます。恐ろしいことです』」

私、恐ろしいことしてるんですかね(^^♪。







 大聖師の御言葉です。


 二十二日のことば  ♧ もっと唯心論的政治を行うことだ


 健康特別法案の通過については与野党の間で激しい衝突があったが、みんなこれは物質の問題ではないか。

つまり健保の特別会計の赤字を埋めるために、どこから収入を

殖やそうかというヤリクリ法案であって、実につまらないことに国会の論議が集中されていたのである。

もっと健保の特別会計の赤字が出ぬようにする根本問題に何故とり組まないのであるか。

それはタダで医者にかかりたい病人が殖えて、その治療費を国
家の特別会計で負担せねばならぬから赤字が殖える訳だ。

病人が減れば治療費や薬代の負担が減り、赤字はなくなる。

病人を減らすには、製薬会社に薬ばかり製造させて、病気を広告宣伝の暗示でつくらせないようにすることだ。

そして「タダで診て貰えるから、病気に罹ってもよい」という

ような「病気に対する抵抗精神」の消耗を防ぐための抵抗精神の育成に力を注ぐべきだ。

それが幾百万の体育館をつくるよりも国民の健康増進に役立つのである。

実例を見るがよい。

生長の家の誌友の中には、もう三十年間、一度も医者にかかった事がないという人が随分沢山あるのである。

国民全体がこのようになれば、健保の赤字など忽ち解決するのではないか。

もっと唯心論的政治を行うことだ。

                       (つづく)  
37:道産子 :

2017/04/17 (Mon) 08:16:31




17歳平野美宇選手、誕生日に、21年ぶりアジア選手権V(^_-)-☆。

藍ちゃんはトップと13打差の34位でした(^_-)。









 大聖師の御言葉です。


 二十三日のことば  ♧  常に伸びる機会がある


 住友商事の津田久社長は精神主義の人である。

精神主義の人にとっては唯物論者の景気循環論などに煩わされ

て、政府や日銀が金融引き締めの政策をとるから不景気が来て困るだろうと、取越し苦労をする必要はないのである。

津田さんはこういうのである。

「世間が不況になればうちが伸びる絶好のチャンス。他の商社

が社内の営業金利を上げるようなときがきても、うちは商談に

よっては逆に営業金利を下げるなどの積極策をとることもあり得る・・・・・」(八月十九日日経新聞)

 津田さんは何の信仰をもっていられる人かは知らないが、神

の智恵に導かれる者にとっては、経済界の変動ごとに自分の事業の伸びるチャンスがあるのである。


                       (つづく)
38:道産子 :

2017/04/18 (Tue) 08:06:13



 《十字架の本地も、卍の本地も悉く日の本にある。 『十』

 もヒノモトと讀み、卍もヒノモトと讀む。 いづれも中心よ

り四方に救ひの慈光の放射された相(すがた)を形どったもであるからヒノモトと讀む》


童子様のご投稿より。

これは人智の及ぶところのモノではないと思いますが。









 大聖師の御言葉です。


  二十四日のことば  ♧  人類委光明化運動を生涯の仕事とせよ


 仕事に熱情をもち、仕事を恋人とせよ。

それでこそあなたの仕事は発展するのである。

 ミケランジェロに向かって、ある人が「君は何故結婚しない

のかと」と尋ねたら、彼は、

「絵を描くことが私の妻であり、私の作品が私の妻の生んだ子供である」と答えたということである。

私は、青年諸君に対して、結婚せずに使命のみ邁進せよとはい

わないが、結婚するまでは熱心に人類光明化運動に尽くしてい

た人が結婚すると全然その運動から脱落してしまう人が多いのはまことに残念なことだといわなければならない。


                       (つづく)





39:道産子 :

2017/04/19 (Wed) 08:05:25




渡部昇一先生が亡くなられました。残念です。

伝統様のご投稿を読ませて頂きます。









 大聖師の御言葉です。



 二十五日のことば  ♧  人間は何のために生まれたか


 ある少年が近頃、野球の練習に熱心になって学校の勉強をしなくなった。

父母は心配して、先輩の先生に指導して貰うようにたのんだ。

その少年はその先生を尊敬し、その先生になついていたのである。

或る日その先生は、

「君は近頃非常に野球に熱心のようだが、どうだ、面白いか」とたずねた。

「面白いです。先生、僕は長島のようにホームランを沢山打ちます。」

「毎日練習しているのか。」

「ハイ、毎日々々バッテイングを懸命に勉強しているんです。」

「そうか。そして君は死んだら――誰でも肉体はいつかは死ぬん

だが――神様が”お前は肉体の中にいたとき、毎日何をして来た

か“と君の魂にたずねられたらどう答えるかね。」

「僕は毎日野球をやっていましたと答えます。」

「そうか。神様はその時“お前は毎日擂粉木のような棒ばかり掉っていて、誰のためにもなることをしなかったのか。

人間が地球世界に生まれて来るのは、何も棒を掉るのが上手になるためではないよ。

しかしお前はお蔭で棒を掉るのが上手であるから、これから霊魂の世界で毎日棒を掉らしてやる。

あそこに沢山の材木があるから、毎日薪割りの棒をにぎって、材木を叩き割ってみんな薪にしなさい。

そうしたら、棒を掉ることも誰かのお役に立つだろう“と仰言るだろう。君はそれでよいかね。」

 先生がそう仰言ったその日から少年は打棒を掉ることを止めて、学校の勉学に熱心になったということである。


                       (つづく)
40:道産子 :

2017/04/20 (Thu) 08:46:10



    童子様が「摩訶般若波羅蜜多心経」を、中仙道様が

大聖師の神想観など、採り上げられております。ありがとうございます。

どちらも、毎日誦げております。毎日、毎日・・・。







大聖師の御言葉です。



 二十六日のことば  ♧  少年時から生涯の理想を定めよ


 人生は昔は僅か五十年といわれていたが最近では平均寿命が男は六十七歳、女は七十二歳に延びて来たということである。

それにしても宇宙の悠久さに比べれば短いものである。

この短い寿命のうちに人類のためになるような何か偉大な仕事

を成し遂げようと思うならば、自分の天分又は最もすぐれたる

才能は何であるかをよく顧みて、自分の最も得意とする才能で

何をすれば、人類のために、或いは国家社会のために、或いは

隣人のためになるかを考えてその方面の勉強に一心に努力するがよい。

傍目(わきめ)をふってフラフラしている間に時間は過ぎ行く。

そして失われた時間は再び拾いもどすことはできないのだ。

一つの事に精神を打ち込んで努力すれば、野球のバットでなく

ても、何でも一つの技には通達できるものなのだ。

人類・国家・社会のためになる一つの技に努力を集中するがよい。


                       (つづく)
41:道産子 :

2017/04/21 (Fri) 08:24:16


     

<世の中に 絶えて桜の なかりせば
     春の心は のどけからまし 在原業平>

ずーっと彷徨っておりましたら、このような素敵な歌にめぐり逢えました(^_-)-☆。








大聖師の御言葉です。


 二十七日のことば  ♧  神はみずから助くる者を助く


 世界ひろしと雖も、自分の努力以外のもので自分を高めあげるものは何もないのである。

「信仰して神様に祈るがよい」と宗教家は助言するけれども、

その“神さま”というのは、自分の内に宿ってい給うのであっ

て、“本当の自分”そのものが”神の子”即ち“神の分身”――神なのである。

自分の内に宿り給う神を働かさないでいて、「神よ、わがために働きたまえ」と祈るのは、矛盾した話ではないか。


                       (つづく)


42:道産子 :

2017/04/22 (Sat) 07:16:51



今朝は早朝版です(^^♪。

まだ、北海道は冷えてます(^_-)。2~3度でしょうか。












 大聖師の御言葉です。




    二十八日のことば  ♧  使命感に燃えてする仕事は疲れない


 使命感に燃えて仕事に熱中しているときには真夏の酷暑に於いても暑さを感じないのである。

何か紛失物でもしてアクセクして探し回ったりすると本当に暑さを感じて汗みどろになるものである。

作家の水上勉氏は毎年、真夏には軽井沢ですごしていたが、今年は文学座の舞台稽古の関係で東京で暮した。

そして毎日自分の作品の舞台稽古の始動に文学座の稽古場に出

るのだったが、今年は殊更に暑熱がきびしかったし、文学座の

稽古場には冷房装置などない、扇風機が三つばかりあるだけだった。

その中で約そ二十人の男女が稽古しているのだ。

人いきれだけでも暑さが一層加わる筈だが、それにも拘らず、「どういうものか、私は暑さが気にならない。

芝居が、そうさせるのである。熱中すると、たとえてみれば、

心頭を滅却する心境に近いのである」と水上勉氏は書いている。

諸君も、自分の使命と感ずることに熱中するならば、疲れるこ

とも暑さも寒さも気にかからないで、常に健康で能率よき仕事をすることができるのである。


                      (つづく)
43:道産子 :

2017/04/23 (Sun) 07:35:29




セネガルのファトゥマタ ビントゥ ディオプさんの「弁論」すごいですね(^^)/。

Cruzeiro do Sul 【南十字星】様のご投稿から。









 大聖師の御言葉、いよいよあと二日です。


 二十九日のことば  ♧  人類光明化運動の脚本と配役


 小説や哲学的文章は孤独の書斎からうまれるが、芝居の脚本を書いても、芝居そのものは孤独ではでき上らない。

「芝居は、演出家、装置家、照明、効果、それに大勢の役者さんの団結なくては出来上がらない。

つまり、ここには創ることのむずかしさと喜びがついて回る。

稽古場に入ると、その息吹が感じられる。

私の貧弱な作品にたいする役者さんたちの愛情のようなもの

が、直接肌に感じられると、私は、演出家と相談して、あそこ

をああしたらとか、この台詞は変だから、こんな風に直そう

か、とか、観ながら脚本をふくらませていく・・・・」と水上勉氏は書いている。

それと同じことが我々の人類光明化運動にもいえるのではないだろうか。

私は宇宙の実相は「金波羅華の世界」であり、蓮華蔵世界であ

り、中心にスメラミコトがましまして、その御いのちの具体的展開が最も完全にあらわれている国家が日本国である。

それ故に、この日本国を大日本真理国と呼ぶという哲学的な悟りを、脚本として書いていく。

本当はその脚本は神様の書かれたもので、私はそれを写したに過ぎない。

すると、その脚本通りに幹部という演出家や、色々の役割を受

持つ人たちが集まって来て、それを立体的に実現するために、

「ここはこうした方が効果的だ」とか「あそこは、このように

する方が共同作業ができやすいではないか」という風に相談しながらその脚本に肉がつけられ具体化して行くのである。

そこには役割の分担と組織づくりがどうしても必要である。


                       (つづく)


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