伝統板・第二 158259

「谷口雅春先生に帰りましょう」は、こちらです。「案内板」は、こっちです。

本掲示板の目的に従い、法令順守および社会倫理の厳守をお願いします。本掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付のうえ、本掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。


伝統様、ありがとうございます  14

1:道産子 :

2017/03/12 (Sun) 07:55:00

 


    今朝からはまた、新しい気持で謹写させて頂きます。

 台湾の張栄発氏に感動(童子様ご投稿)、代田健蔵先生の御講話

にも感動。









谷口清超先生のコラム「窓」(昭和42年理想世界誌10/1号)

です。



「窓」        谷口清超先生


 〇 今年もまた夏が来た。

 久し振りで大分県の連合会長、小野安人さんからお便りがあって、幾つかの歌や詩が記されていた。

次のごとし・・・・・。


 谷口清超先生に捧ぐる 生長の家大分県連合会長 小野安人


師を迎う車「高千穂」若青葉みなぎる峡の豊後路に入る

庭は山大き蚊も出づ僧房の如き旅館に師と宿りたる

師の問いに言葉貧しき幹部会青葉過剰に庭にあふるる

一ひらの雪漂いて秋澄める湯の街別府に師をば迎うる

豊かなる姿明るき若き師を我ら迎えば由布ひかり立つ

ひかり立つ鶴見さやけく豊かなる姿明るき師をば迎うる

さしのべて握手する師のぬくみほのぼのとせり我は迎えて


 谷口恵美子先生『子として母として』を拝読して

(父と私)

乞わるれば眼鏡捨て得ず彼岸餅

子に乞われ眼鏡はずせず夕餉かな

庭歩くせめて暇あれ光明化

(なまこ)

「母ちゃん」と我を呼ぶ母母子草

アボガドの名もざる秋灯下

(子供部屋のお話)

天国のお顔ター坊福寿草

(寿美)

誰よりも母が好きとて隣り膳

祖父はいう末はスターよ寿美バラ

(母は美しく)

美しき母と師も言う秋桜

(ターちゃんのおはなし)

ターちゃんの祈りイキトチイケルユー

(あなたが素晴らしいから)

すばらしきあなたよ君よおじぎ草

(我が家は天国)

うちがよい嫁にはゆかじ山の家


                      (つづく)
2:道産子 :

2017/03/13 (Mon) 08:29:16




   『 教育勅語の真実 』 伊藤哲夫 著、買わねば(^^♪。

明鏡様、ありがとうございます。









 清超先生の「窓」です。あと6回位あります。


(おかあさまおてがみちょうだい)

子へ便り二階市階段上通り

ニコポスト父母への手紙月見草

(花作り)
色も好く花も大きくバラの花

手作りのバラを父賞で夫好む

つつましきこの師この家合歓の花

(名もなく美しく)

たのもしやフクフク総裁子達夢

受けつぎし性や姿や仕事まで

行末は父の務をそのままに

瓜二つ性と姿を祖父父に

(教えられつつ生きる)

先生と同姓あなたとうらやまれ

(女として)

おとうちゃま好きな人みな手を上げろ

父も手を上げてみんなと笑いけり

(ただひとすじに)

おてつだいたのしからずやほめられ帳


☆(輝子先生の白鳩誌五月号 三月の喜びを読んで)

春まだ浅く 寒けれど 喜びつづく 三月の 七日の宵に 六

人の いとし子孫は 笑顔もて

贈る寄書 スイッチの タイムも永く 母上の 歳も永き 句

のやわく テレビ人気の はなはんに

はるかに優る ははそばの 母を讃うる やさし歌 いついつ

までもそのままに

あれとショールを贈る孫 女こけしが 三宝に 載せしおはぎ

の絵を描きおくる 孫女は 受験中

英語で祝う 孫さまの 二匹金魚の おどけ顔 いつも若くて

 きまりよく イヤミ言わないイライラの

イの字もないよおばあさま ふざけコトバにほほ笑みて まど

いうるわし この家庭 文学一家 あたたかし

                       (つづく)



3:道産子 :

2017/03/14 (Tue) 08:38:47




    アクエリアン様のご投稿から、「素読」という言葉を憶えました(^^♪。

教育勅語、素読始めました。

 黛敏郎先生、今生きていらっしゃれば…。








 清超先生のコラムから、続きです。




〇四年ぶり栃木県の宇都宮の講習に行った。上野から一時間半で行けるから速いものだ。

栃木莊という宿にとめていただいた。ホテルと書いてある通り、女中さんが年中洋服をきているのが印象的であった。

会場は体育館で、千二百六十三名集まってくれた。第二日は雨であった。

栃木県はこの頃次第に伸びて来て、組織も次第に拡充しつつあるのは喜ばしいことである。

誌友二千七百、聖使命二千名といった現状で、相愛会数十三、

白鳩支部会十五というから、まだこれからであるが、以前よりはぐっと充実して来た。

宇都宮市も一相愛会であったのが六相愛会に増殖し、中々活気

づいているし、足利市も二相愛会になって大いに伸びようとしている。

青年会も宇都宮市は活発であるが、県全体としては、単青八である。これを三十単青にふやそうとしている。

今年の全国大会には五十名参加した。

宇都宮青年会には百五十名ぐらいいて、火曜と金曜とに集まっている。

それに生高連や誌友会が日曜にあるから多い人は週三回集合して運動しているわけである。

これからの発展を大いに期待したい。

丹沢副教化部長も大いに活躍しておられる様子であった。


                       (つづく)

4:道産子 :

2017/03/15 (Wed) 08:17:19




     「狙われた美女」(^^♪、侍Jの如く「急場をしのいで」くれることを願います。


 しろうさぎ様、奮闘に敬意を表しますが「一生懸命」はいただけません(^^♪。








 清超先生の「窓」です。


〇秋田県の講習会に行った。

東京は雨であったが、秋田につくと曇りで、気温は二十五度ぐらい。やはり秋田はだいぶまだ涼しい。

石橋旅館という古い宿に休憩してから、講習会場に赴く。

どんよりと曇って、風のない一日であった。

二日目も曇り、講習会は千六十四名であった。

秋田は今迄中々千名以上にならなかったが、今回は受講券を全

部はじめに前金で配布したので、力が出たと

佐々木連合会長さんは話しておられた。

秋田県は毎年二割ぐらいのびているが、最近は組織も次第に

整って来つつあるので、これからはどんどん発展するであろう。

しかしまだ今のところ相愛会数二十五、白鳩支部会数四十であ

る。白鳩は昨年の二十四支部から見ると大いにふえたのである。白鳩誌数約千三名で、全誌数は二、八八六である。

秋田県の人口は百十万というから、四千名にならないと東京都とは同じ率にならないわけである。

講師会は二十八名の受験者があったから、大幅にふえるであろう。

県全体としても活気づいていて、土崎なども大変生き生きとしてきている様子であった。

ただし青年会は単青が秋田と湯沢の二ヵ所にしかなく、生高連

七ヵ所である。これを大いにふやして『理想世界』誌も増大す

ることを、本間委員長は話しておられた。ホンマの話であろう。

佐々木連合会長は秋田県一の玩具商になったそうだが、喫茶店

もやっていて、ここではコーヒーを百円で何杯でものませる。

最高レコードは十六杯コーヒーをのんだ高校生がいて、彼はそ

の夜一睡も出来ず鼻血を出したそうである。ムチャをしてはいけない。百円と健康とを取引しては損である。

私がアイスクリームを百円でいくらでもたべさせる店の話をし

たら、佐々木さん大いに乗気になって、やってみたいようなことを言っておられた。

                                                   (つづく)
5:道産子 :

2017/03/16 (Thu) 08:32:06




      伝統様の「丁酉」にも出ていましたが「次々」首相

候補の稲田大臣、しっかりど根性で切り抜けていただきたいものです(^_-)-☆。


 夕べの侍Jのメンバー(監督初め)誰も君が代歌ってませんね

あれじゃ、ロスへ行っても?じゃないですか(^_-)。













 清超先生の「窓」です。



〇秋田の講習の終った夜は大雨となった。

朝七時の急行に乗って青森に向かう途中快晴となり、津軽富士が美しく青空に浮いて見えた。

汽車は前と後に煙の出る蒸気機関車をつけて走る。久しぶりに「煙が目にしみた」。

青森も快晴だが大変あつくびっくりするくらいであった。青森は今年一ヵ所だけの「特別研修会」である。

教化部で行なわれ、田中忠雄、園頭広周、森安子の諸氏が講師として参加された。

参加者人員は五百二十五名で、幹部研修会としては成功であった。

青森県はこのごろとくにすばらしくなって、伸びつつある。こ

れが幹部の表情に生き生きとあらわれているのは喜ばしい。

毎月聖使命、誌友が六十名ぐらいづつ伸びているという。現在

聖使命四五三四口(三、七二六名)誌友数五、六二〇である

が、聖使命では福島県を追いぬいて、誌友数では接近しつつある。

従来福島県が東北一位であったから、一、二位を争っていることになる。

白鳩会も二、四三一の誌数で、百十八の支部会が出来ていた。

講師も六十三名が活動し、新しく二十八名が受験された。伝道員数二百十五である。

青年会としては『理想世界』誌八七六で、これからさらに充実してもらいたい所である。

白鳩会員の中から、「青年会にもっとしっかりしてほしい」と

いう声が上がった。幹部数が足らないから、もっと養成しなければならないのである。

弘前の青年会も以前のように華々しく復活させてもらいたいという要望があった。しっかりやって下さい。

昼夜三日の研修会は、非常に暑かったが、有意義でもあった。

私達が来てから急に夏型気候となって、三十度内外になった。これは青森としては暑い方である。

しかし、夜半はぐっと冷えるから、他の地方にくらべると大変しのぎよいのである。東京はさぞ暑いだろうと思った。


                      (つづく)
6:道産子 :

2017/03/17 (Fri) 08:15:28




政界、風雲急を告ぐ状態ですか!(^^)!

 コスモス様の被災しない神社群もスゴイです!(^^)!。













 清超先生の「窓」です。



〇東宝映画の「日本のいちばん長い日」という終戦時の歴史を

映画化したものの試写会に招待され、東宝株式会社の試写を見せてもらった。

二十人の席のある小さな東宝の第二試写場で見たが、東宝社長の松岡辰郎氏や早川雪州さんなどが来ておられた。

日本終戦の八月十四日の最後の御前会議から、十五日の天皇陛

下の御放送に至るまでの経緯が、かなり忠実に紹介されてあ

り、阿南陸相(三船敏郎)森近衛師団長(島田正吾)鈴木総理(笠智衆)などが好演していた。

天皇陛下の御姿も、もちろん演技者であるが、ぼんやりと写っ

ている。難しいだろうが、適役者が真正面から取り組んだらよかったと思う。

明治天皇の映画化もされていることだから、出来ない事はなかろうと思う。

井田中佐(高橋悦史)などもうまくやったが、其他の反乱将校は概ね怒鳴りすぎでヒステリックでありすぎた。

田中大将も出て来るが、これも反乱軍に対する人格的説得が描かれておらず、ミスキャストであろう。

その他はマアマアといったところでとにかく青年としては色んな意味で一見の価値あるまじめな映画である。

東宝の映画興行業務部次長の雨宮さんの話では、大抵の試写会

は八割ぐらいの入りだが、今回だけは満員であるとのことであった。(試写会は三回程度行われたらしい)

                                                   (つづく)
7:道産子 :

2017/03/18 (Sat) 08:10:19




<教育勅語と現代語訳

       12の徳目

1.親に孝養をつくしましょう(孝行)

2.兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)

3.夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和)

4.友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信)

5.自分の言動をつつしみましょう(謙遜)

6.広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)

7.勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)

8.知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)

9.人格の向上につとめましょう(徳器成就)

10.広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務)

11.法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)

12.正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう(義勇)


――以上によって永遠の皇国を支えましょう>
・・・。


 中仙堂様のご投稿から引用させて頂きました<m(__)m>。

稲田大臣ももっと、しっかり「解説」してあげればよかったのに・・・。( `ー´)ノ。










 清超先生の「窓」です。最後です。



〇今年の夏は、心配されていた雨も適当にあったり、日照りもかなり続いたので、稲もよく出来たところが多いようである。

我が家の庭も樹木や草が鬱蒼と茂って、雀や野鳩がよろこんでいる。

いつか毎日のように来てなついていたキジは、プッツリと来な

くなっていた。あまり人になれていたので、人に奪われたのかもしれないが、その代わりに山鳩が庭に来るようになった。

近ごろではよく慣れて、餌をもらいに毎朝とんで来て、近よってもとび立たない。

毎朝ガーガグーグーと鳴いて餌をもらっている。雀どもとは”共

存共栄”しているが、夫婦の山鳩以外の山鳩が来ると、彼は追っかけまわして逃がしてしまう。

まっかなカンナがさき、ケイトウも赤い。いつの間にか門の近くの猿スベリが白い花をつけていた。

ヘチマもヒョウタンものびた。青年会もそれ以上にグングンのびてもらいたいものである。

〇何と言っても『理想世界』誌を読む同志を拡大しなければな
らないのが現状である。

そのために、相愛会や白鳩会の子弟は、全員青年会に入り、誌

友となってもらう運動が、全国的に繰りひろげられているのである。

「生長の家」は本来、もともと「家族ぐるみ」の信仰であるべ

きが当然であるから、もう既にそうなっているべきであったのであるが、現実はそうではない。

先ず相白の子弟を家庭訪問をしようというのである。そしてそ

の付近に住んでいる青年達を紹介してもらって、その青年達に

も誌友になってもらうべく、さらに家庭訪問の範囲をひろげて行こうというのである。

こうすれば、「生長の家」の家庭の青年のみならず、さらにそ

の近辺の新しい青年達にまで真理を伝え、誌友会へ参加してもらうことができる。

しかもその際、『生長の家』、『白鳩』など、他の神誌をもっ

て行けば、『理想世界』誌などと同時に、相・白の誌友をも勧

誘することが出来て、「三者協力」の運動方針にそうことができる訳である。

この方法は、青年会員全員が、楽しい気持で参加できるし、あ

らゆる意味で大変有意義な運動であるから、諸君は必ずこの「家庭訪問」に参加してもらいたいのである。

さらに相愛会、白鳩会の人々は、この青年の運動を積極的に応

援し、て、「ここにもこういう青年がいますよ」と、紹介し、

時には青年達と一緒について行って紹介していただきたい。

こうすることによって、凡ゆる青年及び大人が「伝道」するこ

とができ、真の「生長の家」人としての自覚を持つことができるのである。

又、どんな運動にも反復と持続とが必要であるから、すくなく

とも今年一杯はがんばって、第二期運動の成果を確実なものに

してもらいたい。そして、その結果を。中央部に報告知ることも、幹部諸君は決して忘れないでほしい。

組織の拡大は、コミュニケーションの充実なくしては不可能で

ある。この意思伝達は「一方通行」ではだめなのである。ナシ

のつぶての幹部など、「生長の家」青年会にあってはならない。

呼べば答える、打てば響く、いのちの通った同志の組織でなければ、偉大な発展はのぞめないのである。

理屈を言うよりも、この一つのことでも実行しよう。

かならず報告すること、そしてかならず「訪問」することを!

 
                                                   (おわり)

8:道産子 :

2017/03/19 (Sun) 08:09:33




TV東京に谷口雅春先生が報じられております。

最大関心事ではあります。








さて、今朝からはまた、番外編(^_-)、

伝統様の夕刻版「出光佐三」に関連した、出光佐三著「人間尊重五十年」より、ほんの一部を抜粋、紹介させて頂きます。




 7 仙厓和尚          昭和二十五年三月


 本年は寅の年である。

ここに掛けてある虎の画は、正月に私の宅にかけたもので、仙厓さんが描かれた画である。

私は学生時代から仙厓さんの書画が好きであったから、盛んに集めた。

出光商会を創めてから旅行から帰って来たときに、骨董屋が和尚の画をもってきていないとさびしい思いがした。

その後四十余年間、引き続き集めたので、仙厓さんの収集家として名を成した。

嬉しく思っている。

私ははじめから仙厓さんの書画そのものが好きであったので、

その後仙厓さんの逸話等を聞いて、剽軽な面白い坊さんだと思ったが、それだけである。

この気軽な洒落者があの有名な円通禅師であることを知ったのはずっとあとの事である。

私は画を通して和尚を知ったのであった。

禅師にあこがれて書画を集めたのではない。

ここにかかっている大幅は、虎の親子が戯れ遊んでいる図である。

幻住庵(仙厓さんの隠居所)の韜光(とうこう)和尚の箱書

に、咄莫言画猫為虎と言い尽くしたるごとく、恩愛溢るる親子の猫を描いて、一声月明に嘯く猛虎の風格を顕わしている。

和尚は若くして狩野派の密画を学び、その技巧は驚くべきものである。

とうてい今ごろの画家の及ぶところではない。

それが次第に変化していって、この虎のように、子供のような画になっている。

博多に行って骨董屋に仙厓さんの書画を注文すれば、立ちどころに何十幅でも集まる。

しかし大部分はにせものである。

それほど誰にもたやすく書けるような字であり画であって、そ

の実は、極地の技巧から絶対に抜け出て解脱しきったところの、死生を超越した芸術の絶対境そのものである。

修養とか、苦行とか、瞑想とか、何とかかとかあらゆるものを征服した、いわゆる肝芸である。

何十年かの間にこの肝芸に感化されているつもりなのが、われわれ出光人の今日であると思う。

草葉の陰で和尚さんが、「このにせもの野郎どもが」と苦笑さ
れているお姿を見るような心地もする。

猫を描いて虎とされた仙厓さんと、虎を描いて猫となる出光との差である。呵々。


                       (つづく)
9:道産子 :

2017/03/20 (Mon) 08:16:28




     <浄土真宗 大谷口派>うれしいですね(^_-)-☆。









 出光佐三先生(^^♪のお話から。あと6回位です。



この大幅に讃して「竹十二枚陣瑚で鯛釣る」とあり、その脇に「陣瑚一合辱く存候」と添書きがしてある。

思うに、赤貧の信者あって先祖が何かの供養のくばりものに竹

の画十二枚を仙厓さんにねだり、その礼に陣瑚(糯米の粉)一合を持ってきた。

その一合の米の粉に対するお礼としてさらにこの虎の大幅を贈ったものらしい。

算盤と数字からはどうしてもバランスのとれぬ難問題である。

しかしながら信仰と赤貧とで割算をやり、その答えが尊い人間と出たときに仙厓先生の胸算用が読める。

和尚の相手はいかなる場合も人であった。

金銭の匂いがひどかったり、名声の光の強いものは大嫌いであった。

この大幅に岩瀬君が「貧者の一燈」と題したのも面白い。

和尚の老後の友だちは子供と貧乏人と酒飲みと、庵の裏に棲んでいた狐とであった。

人間尊重に向かって画は盛んに書かれた。書いてもらいにくる人があまり多いので、


      うらめしや わが隠れ家は雪隠か

             来る人毎に紙置いて行く


と狂歌して、老後「絶筆」の碑を建てて断られたが、それでも
酒飲みの一丸岩根と子供だけはどうにも断りきれなかった。

万屋という酒屋に逸品が沢山伝わっているのも、岩根の酒代である。

 こちらに懸けてある小幅は、虎が竹に頭をすりつけている画である。

痒いところに手が届かねば竹でこする、と讃がしてある。

長男昭介が先日これを解いて、融通無碍、円転滑脱、ものにこだわらないことだといった。

そのとおりである。

それにしても思い出す話は、当時熊本に豪潮という有名な荒法師があって、九州の禅堂を荒らし回った。

ある日仙厓さんの聖福寺の道場破りに来るということになった。

和尚さんが山内で畑いじりをしておられる折から、雲をつく大入道が山内にぬっと現われた。

きわめて小柄な仙厓さんはちょこちょこと走り出て、大入道の耳に口を寄せささやいた。

「今日は豪潮という坊主が道場荒しに来るから、半殺しにして

やると言って、荒法師どもが手ぐすね引いて待っているから」と揶揄して帰した有名な話がある。

ものにこだわらないで大局を簡単にかたづけてゆく円転ぶりはこの小幅に躍如としている。

現代世界に対する重大なる示唆である。

この書画を通じての仙厓さんは一遍の洒落者にすぎないが、こ

の人こそ禅堂にその人ありといわれたる

円通禅師その人である。

京都本山の妙心寺から綸命(りんめい)により紫衣を賜ること

になったが、名利に恬淡なる和尚は固辞して受けず、和尚の死後、円通禅師を謚(おくりな)されたのである。

                                                   (つづく)
10:道産子 :

2017/03/21 (Tue) 08:23:28

http://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1490052209.jpg


      聖徳太子復活、稲田大臣「核武装論」いい(^_-)ニュースなど、聴かれます。





 出光佐三氏の著書から。続きです。



15 サム・フランシスと仙厓  (雑誌『芸術新潮』十二月号

掲載) 昭和三十四年十二月


 先ごろアメリカを回った際、私がサム・フランシスの絵を求めたことについて感想を述べるようにとのことである。

 今年の四月であった。

ニューヨークにちょうど東野芳明夫妻が来ているというので訪

ねたところ、それはサム・フランシスのアトリエで、彼がパリにいる間の留守を頼まれているというのであった。

部屋にはいると、サム・フランシスの絵がかけてある。

同行のT氏が、「あ、これは描きかけですか」と言ったが、私の

第一印象は、描きかけともなんとも思わず、ただ「あっ」というショックだった。何かに打たれたのである。

東野君が「描きかけじゃない」と言う。

するとまたT氏が、絵の真中の白の部分をさして「滝ですか」と聞き、東野君が「滝じゃないですよ」と答えた。

なるほど、T氏の言うように、その白の部分は描きかけとも滝とも見えた。

 その白の部分は色が塗ってあったのであるが、私は目が悪い

し、夜でもあったため、白の絵具と思わず、直感的に日本画の白紙の印象をもった。

「ははあ、白紙の絵がある。」そう思ってその日は辞去したの

であるが、ニューヨークを発って旅行している間中、この絵が頭にこびりついて離れないのであった。

それで東野君に譲ってもらいたい旨頼んで、手に入れたわけである。

 アメリカで買った絵はこの一点だけであるが、”絵を買う”という感じでなく、ただ”欲しかった”のである。

                                                   (つづく)
11:道産子 :

2017/03/22 (Wed) 07:56:53

http://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1490137013.jpg



「< 日本の誇り > 元田永孚(もとだながざね) ―  表に出ない明治第一の功臣」

 明鏡様がすばらしいご投稿をされております!(^^)!。










 出光佐三氏の御著書より。


その帰途、サンフランシスコの近くのオークランド美術館で、館長とこんな話をした。

(この美術館では二年前に白隠、良寛、仙厓の三人の書画展をしたことがある)―――

あなた方の油絵というものは全部塗りつぶさなければならない。

組織と理屈とあらゆるもので埋めてしまって、人間のはいる余地がない。

ところが日本画は木を一本描いて影も描かない。そこには人間がはいることになっている。

鳥が一羽描いてあれば、あとの木や石は人間がはいって考えるのだ。

日本画には、そういう人間のはいる余地がある―――

そう私が言うと、館長は、いいことを聞いたと喜んでいた。

そういうふうに、私は洋画は塗りつぶすものと思っていたが、

サム・フランシスの絵に人間のはいる余地を見て、面白いと思ったのである。 

 それより以前、去年の二月、パリのヴェルサイユ宮に行った

ときのこと、まことに立派な御殿で、それこそ目を奪うばかりであった。

なるほど、きれいだな、さすが芸術の国だなと一応は思いなが

ら見て行くと、ヴェルサイユ講和会議のあった瑠璃の部屋にはいった。

大広間中、切子のガラスで張ってあるが、とげとげしく身を切られるようで落ちつかない。

日本人には向かないのだと思いながら歩いていた。

ヴェルサイユ宮を出て、古垣大使を訪ねると、応接間の床に黒一色の絵があった。

大使の説明によれば、それはこのごろフランスで流行っている新進画家のビュッフェの描いたものだそうだ。

なんです、これは。

これは絵じゃないですよ。

それでは”無”ですか。

そうですね。

というようなことで別れたことがあった。

                                                   (つづく)
12:道産子 :

2017/03/23 (Thu) 08:16:16

http://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1490224577.jpg


龍様が稲田大臣のことを書かれております。

少々心配事です(-_-)/~~~ピシー!ピシー!。

学ぶ会の講演がまことでありますよう(^_-)。











 出光佐三氏のご著書から続き。


絵でなく“無”であるという感じが外国の作家から出ていることを、私はこのごろしきりに感じている。

フランスの作家たちは、東洋から”無”というものをとりいれて、そこに芸術の美しさを見ているのではないかと思う。

 私は三十代のとき、弐本の書というものが外国人にわかれ

ば、ほんとに日本というものがわかる、日本の芸術というもの

がわかるだろうと考えていた。しかし字の意味はわからないだ

ろう、われわれは字の意味がわかるから書が面白いのだが、外

国人には永久にわからないだろう、惜しいことだ、外国人にほ

んとうの芸術を知らせることはできないと思っていた。その解決がやっとこのごろついた気がしている。

先日、タビエ、アセット、ガレリーらが来て、仙厓の書画などを見せてくれと言う。

いろいろ出して見せると、ガレリーが、はじめ書を掛けられた

ときはたいした感じをうけなかったが、ここにいる間に書が一番印象に残った、と言って帰った。

そのことを私は考えて、こんな結論めいたものに到着した。

―――われわれは、書と字を混同していないか。

字なら活字でいいが、書はただ字を書に応用したということではないか。

たまたま字というものが芸術に応用されて書になっている。

だから、外国人は日本の書を見るときに、字を読まずに芸術に触れているのではないだろうか。

 絵の最高のものは墨絵だというが、私は、子供のころから墨絵に心をひかれていた。

骨董屋の言うには、普通の人はまず極彩色からはいって、淡彩に行き、そして墨絵ということになるのだが、

あなたはまだ若いのに、初めから墨絵とはどういうわけだろうと言う。

私は、極彩色にはまだ関心があるが、淡彩や色のついたものは嫌いである。

 ブリジストンでマチスの絵を見たとき、はじめは色の鮮やか

な時代がつづく。「は、きれいだな」と思ってみていくうち、しまいに線に変わっている。

ちょうど仙厓の線を見るような感じになっている。

私は、「マチスはとうとう色はとれなかったな」とひとりごとを言って帰った。

仙厓は墨で色を出すところまで行っている。

だがマチスは線はそこまで来たけれども、色はとれなかったという意味である。

                       (つづく)
13:道産子 :

2017/03/24 (Fri) 08:35:47

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       伝統様が勇気のあるご発言をされています。

中仙堂様も持論を仰っていますし、志恩様も独自の情報を出されております!(^^)!。

決着は検察が握ってる?










 出光佐三氏の御著書から。芸術を語っている時でもないですが、前回&今回の仙厓和尚の書画、

続々甘露の法雨の「虎は首を俯垂れて猫の如く優しくなれり」
と、
「よろこべば、よろこびごとがよろこんで~」を印象させてくれるものです( `ー´)ノ。






墨は黒いが、“無”である。無は無限大である。

墨色から“無”に触れんとしているのではないか。白地に人間が

はいるように、そこに人間がはいっているのではないか。私はそんなふうに考えている。

 西洋の人間の考えには“有”というものがあって、“無”というものはない。

ところが東洋には無の思想がある。そこに外人と日本人との違いがあると私は思う。

その無という財産を、外国から求めているのが現代だと思う。

仙厓の絵を外人に説明するのに、よく白隠の達磨と比較する。

そのとき、この達磨は白隠という坊さんが描いた。絵を描いたのだ。

仙厓という人も若いときは<絵>を描いている。

しかし、その絵はしまいに絵でなくなったので、これは絵ではない、しいて言えば、思想だ。

そう言って説明するのである。

仙厓も若いときは立派な<絵>を描いた。それが抜けきったとき、絵でないものになった。

書にしても、楷書を書いて書き抜いて草書や行書に抜けたのが、立派なものになっている。

書がわかれば日本がわかるという私の三十代のころの考えは、今思っても当たっていると思っている。

 日本でもフランスでも抽象絵画が盛んであるが、理屈を描いてあるのがほとんどで、嫌な感じがする。

このサム・フランシスの絵などは理屈も何もなく、無だけである。

 やはり芸術というものは世界共通のものだ。

私はこの間、巨きなことを学んだ。

孟宗竹を七、八十本植えたところがある。人間が植えたもので、植えたときには見られないものだ。

ところが二カ月たたぬうちに形がついてきている。

竹が互いに話し合って、お前はそっちお前はこっち、と全体をまとめている。

和田三造氏がそこへ来て、竹でさえお互いに物言うて芸術をつ

くっているのだぞ、人間恥ずかしいじゃないか、と言っていた。

                       (つづく)
14:道産子 :

2017/03/25 (Sat) 08:09:21

http://bbs7.fc2.com//bbs/img/_837600/837516/full/837516_1490396961.jpg


しゃべる地球儀、要注意です!(^^)!。

教科書にも相変わらず、虐殺30万の記述もあるんですね、注釈付きでも(*_*;。








 さて、出光佐三氏の御著書の最後です。

ご参考まで、仙厓和尚の般若心経も載せておきました。










サム・フランシスまで加わった私のコレクションは、殷周の銅器にまで遡る。

二十七、八のとき、支那、満州に渡って、そのとき安いものをであったが、三点か五点買って帰った。

館で求めたものであるが、その中にいいものがあるということだ。

ひとつは舎利塔であるが、小さい中に蓮華の花があり、脚は獣の脚である。

これを京都の鑑定家の蔵六に見てもらったところが、何度行っても、箱が置きっぱなしで、わからないと言う。

しかし、たいしたものであることは確かで、おそらく正倉院だかの舎利塔と同じ類だろうと言う。

そして、「後学の教えを待つ」と書いて、一カ月くらいして亡くなってしまった。

そんなものをたくさん買って帰って来た。

 私の集めた唐津を、アメリカでも仙厓の展覧会といっしょに出さないかと言われた。

唐津はもう出来ないのであるし、私のものという感じがしない

ので、財団法人のようなものをつくっておこうかと考えている。

季節の美術館のように、美術的な目で集められたコレクション

でなく、たとえば私という一つの目を通じて集めたコレクショ

ン、仙厓とサム・フランシスが並べてかけてある美術館が建つ日もあるかもしれない。

 とはいえ、それは大変な仕事で、私が破産してしまいそうだ。

美術館もいいが、ここで常に私の考えていることを述べておきたい。

並大抵ではない苦労を重ねていままで保存されてきたものを、

今のように、美術館にぞんざいに並べて、わけもわからぬ子供にまでやたらと見せるというのは困ったことだと思う。

われわれの祖先が千年以上も苦心して保存してきたものを、現

代人が自分のわがままで短期間につぶしていいかどうかということは、再考を要することではないか。

 現代は芸術のない時代だと思う。

その上に、過去の遺産を壊してしまえば、何も残らないことになってしまう。

すべてなくなったあとどうするか、心細いことである。


                       (おわり)

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