伝統板・第二 195553

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想念

1:夕刻版 :

2017/03/05 (Sun) 18:35:20

人間は環境にも遺伝にも支配されない

           *「光明法語」(3月5日)より

人間は環境に支配されると言うが、真の環境は自分自身の想念である。
人間は自己選択の自由に与えられているのであって、如何なる環境からでも、
自分の想念によって其の波長に合うものだけを吸収するのである。

縦には無限の遺伝の中から、自分の想念に合うものだけを表現するのである。
人間の遺伝を遡(さかのぼ)れば神に達するのであるから、吾らは中間の遺伝を無視して、
神に波長を合わせさえしたら、神の完全さが今此処に実現するのである。

神に波長を合わすのが神想観である。

            <感謝合掌 平成29年3月5日 頓首再拝>
2:伝統 :

2017/03/22 (Wed) 19:19:25


           *『 生長の家 』(昭和24年11月7日の法語)より

   人は自分自身を信ずる通りの所のものに
   自分自身の運命を決定するのである。

   不安動揺限りなき心の状態では、
   不安動揺限りなき有様が現われて来るほかはないのである。

   吾々は不安を去り、取越苦労を避け、恐怖心を去り、
   如何なる場合にも 唯(ただ)幸福のみが来たるを
   信じて待たなければならないのである。

   信じてまてば 必ず道は開かれるのである。

   現象界に物が実現するためには 必ず時間の要素がいるのである。

   時間の要素を忘れてしまって、今 種を蒔いて置いて、
   翌日芽がでないからといって 神の存在を疑うようではならないのである。

   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

            <感謝合掌 平成29年3月22日 頓首再拝>
3:伝統 :

2017/04/06 (Thu) 19:29:20


         *『幸福を招く365章』第2項(P42) より

想念は力であり、想念する事物と同じ傾向、または種類のものを受信し、
牽引するものであることは精神科学では公認された法則となっているのである。

あなたの心のタイプを自己反省して御覧(ごらん)なさい。
誰かがあなたに対して過ちをした場合、
あなたはカンカンに憤って怒鳴り散らすでしょうか。

若しそうならば、あなたは非常に攻撃精神の鋭い人です。
では又、あなたは非常に他から攻撃される性質をもっているのです。

これをイエスは「汝ら人を審くこと勿れ。己が審きたる量にて汝も審かれん」と
教えているのです。

あなたが寛大な人であるならば、世間もあなたに対して寛大であるでしょう。
あなたが人に対して愛深ければ、人もあなたに対して愛深いでありましょう。

あなたが或る人に注いだ愛は、その人からは報いられない場合には、
必ず他の人から復(かえ)って来るものであります。

            <感謝合掌 平成29年4月6日 頓首再拝>
4:伝統 :

2017/04/20 (Thu) 19:11:50


         *『生活の智慧365章』(第3部歓喜の泉)第4篇(P100) より

あなたの人生はあなたの想念の具象化である。
「あなたの想念」と仮にいうけれども、人は自己独特の精神の上に
周囲の人物から色々の想念を感受して「自己の想念」を混成するのである。

幼い時には、両親及びその家族から最も多く想念を感受して、
それを総合して「自己の想念」を混成する。

十三歳以上になると、個性が独立して来て、必ずしも周囲の想念ばかりに
支配されなくなるけれども、依然として両親・家族・人類から
その想念の影響を感受して、全然「無影響」ということはあり得ないのである。

併しながら年を重ねるにしたがって個性的は表現要求は強くなるが、
同時に幼児以来受けて来(きた)った家族及び人類から感受した想念も
その人の潜在意識に固定化して抜きがたき傾向を形づくることにもなる。

その固定化した傾向が、よき想念・明るき想念である場合は、
その人の生涯に善き影響をもちつづけるが、

それが悪しき想念である場合には、その人の生涯に常に悪しき影響を与えつつ、
その人の運命を暗い方法に導いて行くことになるのである。

            <感謝合掌 平成29年4月20日 頓首再拝>
5:伝統 :

2017/04/24 (Mon) 18:11:52


          *「真理」第9巻生活篇(P266)より

心のなかに何か不安な不健全な暗黒な想念感情が起って来た場合、
その不安な不健全な暗黒な想念感情を追い払おうと思って戦っても、
それを容易に追い払うことが出来ないで、
執拗に蜘蛛の網のようにそれがまつわり附いてくる時には、どうすべきか。

その不健全な想念感情と戦うことをやめよ。
「悪に抗すること勿れ」(キリストの山上の垂訓の中の語)
と云う箴言はこの時にも真実なのです。

私たちは、病気であろうと、人間であろうと、事件であろうと、
悪の存在をみとめてそれと戦う必要はないのです。

それよりも必要なのは、よき想念、明るき想念、悦びの感情、積極的な精神
と云うような健全なものを心の中に満たすようにすればよいのです。

その根本は「神の護り」の想念をもって自分の心を満たせば、
その反対のものは逃げ去ってしまうのです。

            <感謝合掌 平成29年4月24日 頓首再拝>
6:伝統 :

2017/04/30 (Sun) 19:01:01


         * 『 生長の家 』(昭和24年1月7日の法語)より

吾々の想念は吾々の周囲に起るところのすべての出来事に影響を与え
それを変化しそれを修正するのある。

黒住教祖(くろずみきょうそ)が
「立ちむかう人の心は鏡なり己が姿をうつしてや見ん」と歌った如く、
周囲におこる事件が自分にとって不調和であるのは自分の心が不調和であるからである。

更に想念は吾々の肉体内部に行われるところの生理作用を変化し
体内を流れる血液及び琳派液(りんぱえき)並びに内分泌液(ないぶんぴえき)等の
性質を変化するのである。

何が変化するかというと、それは諸君自身が変化するのである。
まず自分自身が責任をとらなければならぬ。

   (https://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12023091.html

            <感謝合掌 平成29年4月30日 頓首再拝>
7:伝統 :

2017/05/11 (Thu) 20:37:13


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月11日)」より

第一創造の世界=第二創造の世界。
この2つの世界を繋いでいる=(パイプ)は想念(こころ)である。

想念(こころ)は大きくなければ、
第二創造の現象世界に完全な状態はあらわれない。

想念(こころ)は=(パイプ)であるから、
想念(こころ)で力んでみてもなんにもならない。

凝念(ぎょうねん)は生長の家の神想観ではない。
=(パイプ)を大きく持つのが神想観である。

小さなことに興奮しているようなことでは功徳はないのである。

人相ではこの=(パイプ)は眉間にあらわれる。
眉間に剣(ケン)があったり、八の字が寄っていたり、
凹(へこ)んでいるようなことではいかぬ。

            <感謝合掌 平成29年5月11日 頓首再拝>
8:伝統 :

2017/05/13 (Sat) 19:28:11


          *『 真理 』第9巻 生活篇第11章(P304~305)より

   私たちの肉体の状態、そして環境、境遇等ことごとく想念感情の具象化です。
   それは何らかの機会に自分の潜在意識に飛び込んだ想念感情のこともあるし、
   過去からの物の考え方の習慣性であることもあります。

   この潜在意識に蓄えられている「考え方の習慣性」を変化しない限りは、
   自分の肉体の状態も、家庭生活の状態も、勤務先の環境も、
   決して変化するものではないのです。

   私たちが過去の「考え方」の習慣性に支配されている限りは私たちは過去の
   「考え方」の奴隷であって、新しい「自己支配」と云うことは出来ないのです。

   想念(即ち潜在意識中に、どう考えているかと云うこと)が
   私たちの人生を動かしている主要な設計構図であり、
   動力の回転の仕方を変化するものであるのです。

   私たちの想念感情が一変すれば、私たちの境遇も運命も一変するのです。

            <感謝合掌 平成29年5月13日 頓首再拝>
9:伝統 :

2017/05/16 (Tue) 18:19:18


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月16日)」より抜粋

毎日、毎時、毎分、毎秒、毎瞬、われわれは何を想うか、いかなる感情を起こすか、
何を意志するか、何を言論するか、何を行動するかの自由を持っているのである。
その自由のゆえにこそ人間の尊厳が存在するのである。

かくのごとき自由は機械にはもちろん、
単なる動物にすら存在しないところのものである。

しからば諸君はまず何を想念すべきであろうか。
悪を想念するならば、悪は現象し来たるであろう。
善を想念するならば、善は現象し来たるであろう。

病気を想念するならば、病気は現象し来たるであろう。
戦争や敵意を想念するならば戦争や敵意は現象し来たるであろう。
平和のみ善意のみ想念するならば平和のみ善意のみが現象し来たるであろう。

(中略)

この世界は有情非情同時成道・山川草木国土悉皆成仏の世界であり、
すべて仏心の展開せる世界であって悪は存在しないとの正しき見解の確立である。
すべての人間はすでに成れる仏であって完全なる自由を有するとの正しき人間観の確立である。

かくて正しき世界観人生観立ってのち、われらは想念の自由によって
正しくその真理を思惟しなければならない。
またわれらは言葉の自由によって正しくその真理を表現しなければならない。

もしわれらが正しき世界観、人生観に到着していようとも、
正しく想念せず、正しく善き言葉のみを発しないときには、われらの人生は不幸にみちたもの
となり、われらの住む世界は悲惨憂苦みち満ちたものとなるほかはないのである。

われらの人生が幸福なものとなるか、不幸なものとなるかは、
われらの想念と言葉が何を表現するかによって定(き)まるのである。

人類の霊魂なお稚くして何を想念すべきか、何を言葉に表現すべきかを知らず、
いたずらに敵意ある世界を心に描き、(正見の反対の邪見である)互いに
悪想念と悪感情とをそそり、言葉に敵意を表現するをもって足れりとなす。

その行くところや悲惨なる末路なるべきは、
およそ「心の法則」によって、然らざるをえないのである。

人間の霊魂よ進歩せよ。高級の霊魂は今後の世界の推移をいかに見るか。

われらはここに人生の深き指針として本全集『生命の實相』第九巻・第十巻「霊界篇」を
世に送り、魂の向上の必須要件を説くとともに、
今後の世界の推移を示す指標とするものである。

            <感謝合掌 平成29年5月16日 頓首再拝>
10:伝統 :

2017/05/20 (Sat) 19:49:18


          *「女性の幸福365章」(P88)より

永遠の生命(せいめい)の流れの中にあなたの身を投ぜよ。
生命(せいめい)の大海に泳ぎいでよ。
溺れることなき龍宮海に無限の宝を得(う)るがよい。

龍宮海とが「創造の本源世界」―― 創造(うみ)の根底(そこ)である。

あなたの運命はあなた自身の掌中にある。


よき想念を常に持つことにしましょう。
よき想念はよき行動を伴う。
ひとたびのよき行動はひとたびでは終わらないのである。

行動はそれが終わったのちにも蓄積されて習慣となり、
次の行動をひき起こす原動力となり、
それがあなたの将来の運命を決定する。

運命は決して他動的に外部の権威者から
割当てられたものではないのである。

すべて自分が蓄積しておいたところの
過去の想念・行動・習慣・業の具象化であるから、

今後、幸福な運命をもちたいと思うならば、
先ず常に、明るき、楽しき、善き、裕(ゆた)かな、
積極的な想念をもつように心掛けるがよいのである。

よき智慧と、温かき愛情と、敬虔な感情とを
常に持つ者は富める者である。

            <感謝合掌 平成29年5月20日 頓首再拝>
11:伝統 :

2017/05/26 (Fri) 19:09:21


        *「生活と人間の再建」第2章(P27~28)より

吾々は余りにも長期間に亘って、現象界の事実であるところの想念の世界に
「悪の思い」をつぎ込んで来たのである。

吾々は清らかな澄き通った清冽な水のような實相の世界に「悪」の想念の泥を投げ込んで、
それをかき回して、「この水は濁っている」というが如くに
「この世界には悪が満ちている」と呼んできたのである。

それは結局自分の想念の影を見ているのであって、
本当に悪は実在するのではないのである。

水は濁ったように見えても、水そのものは常に純粋なる酸素水素の化合物であって、
濁っているのは水ではなくて泥そのものが濁っているに過ぎないのである。

それと同じく、汚く見えるのは實相が汚いのではなくして、
自分の想念で濁らしたその想念そのものが汚いのに過ぎないのである。

想念を浄めよ。
そうすればこの世界は、純粋の水の如き清らかな實相が
そのままに見えてくるのであって、即ち、天国が地上に実現するのである。

              <感謝合掌 平成29年5月26日 頓首再拝>
12:伝統 :

2017/05/31 (Wed) 18:37:12


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月31日)」より

心の法則にせよ、物質の法則にせよ、いずれも反対の方向に働くことができるのである。

同一の力が自動車を前方にも後方にも動かす。
磁気の陽極は惹き、陰極は反撥する。

ある種の想念と感情は建設的創造的であって、友そのほか助けとなる力を呼ぶ。
これとは全然反対の効果を生ずる想念および感情もある。

それは誤解と争いと悪意とを創る。
この種の想念感情を消極的であると言うのである。
破壊的沈滞的で個人の進歩を妨げるからである。

実際失敗する人は、好ましくない状態を作り出す方向に心の法則を働かしているのである。

次に述べる箴言はメンタル・サイエンスの箴言であって
算術の法則と同じに信頼のできる基本的な法則であり、
さっそくあなた自身にも適用されるものなのである。

すなわち「今日貴下(きか)の生活の中にある好ましくないもの、
貴下の健康・幸福・成功を妨ぐるものは、その好ましいものと同様に、あなた自身が心の法則に
働かしめてみずからそれをもたらしたからそこに存るのだ」ということである。

些細な事件、不慮の出来事、損失または利得、結婚したり離婚したり、
その他人生に起こるすべてのことの背後にはある見えざる力があり、
その見えざる力が具象化しつつあるのである。

その見えざる力は実は自分自身が起こした想念の力なのである。

諸君は想念の法則によって動いている宇宙に住んでいて、そこで想念の法則が、
あたかも物理的法則が星の運行を支配するがごとく、
諸君の運命の運行を支配しているのである。

「想念の法則」とは「因果の法則」ともいい、
現在意識すなわち自覚ある心の思想、感情、希望に常に応えてくれる宇宙普遍の心、
阿頼耶識の働きを言うのである。

これは神の働きまたは「真如縁起」ではない。
阿頼耶識の働きである。
次に主観心の説明を試みる。


阿頼耶識は心理学上の潜在意識にほぼ一致するものであるが、もっと広義に用いられる。

夢の状態で活動する心、習慣の背後にある心、タイピストや音楽家の指に
眼があるかのごとく働くその指を通して働く心である。

それはわれらの生命(せいめい)の内部にあって
われわれの身体を母胎にいる間から創造した心である。
そして今もその心は再創造を続けているのである。

阿頼耶識が浄化されてアンマラ識となるとき真如実相の智慧に近づくのである。
それが真如実相の智慧に近づくにしたがい、肉体を創造する力は完全となるのである。

われらの肉体細胞は日々死んでいるのであって、新しい細胞と組織とを創造し、
生活過程で消耗したものと取り換えつつあるのであって、
その再創造が、浄化された阿頼耶識によって導かれるとき、
肉体の再創造は完全となり、健康なる肉体が創造せられる。

これに反して阿頼耶識が浄化されないとき肉体の再創造は不完全となり病気となるのである。

            <感謝合掌 平成29年5月31日 頓首再拝>
13:伝統 :

2017/06/02 (Fri) 20:58:22


    *『光明法語』(六月の法語「天国は汝の内にあり」6月2日)より

一人一人の人間は各々放送局であると同時に受信セットであるとも言い得る。
各々の放送局である個人は、或は悲しみの念波を放送し、或は怒りの念波を、
或は憂いの念波を放送している。

二十二億の『人間放送局』から別々に放送されるこれらの想念・感情の波は、
類似の波長を起こす受信機(人間)の所に群り集まって想念の集団をなして
具象化するのである。

だから自分が起こした悲しみの波のみが自分の身辺に具象化するだけではなく、
悲しみの念波を起こせば自分以外の悲しみの波も集まって来て具象化する。

        <感謝合掌 平成29年6月2日 頓首再拝>
14:伝統 :

2017/06/04 (Sun) 18:52:54


《深く感情によい事が来ると信ぜよ》

           *谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P16) より

想念は動力である。
更に感情は、一層深いところの動力である。

感情の底から、常に「自分は神の子だからよいことが来る、よいことが来る」と信じ、
念じているときに、その感情が根となって、ハッキリした想念があらわれて来る
―― 即ち茎が伸び葉がひらいて来るのである。

その葉が日光を吸収し炭酸ガスを吸収して立派な花咲き果(み)を結ばせるように、
想念は、自分の選択した波動を自己に吸引し吸収し形の世界に
その欲するところのものを実現してくれるのである。

何をハッキリ想念してよいかがわからないときには、ただ感情の底深く
「自分は神の子であるから、よいことが来る、よいことが来る」と
念ずるだけでよいのである。

ハッキリした想念はその感情の根からやがて生まれてくるものである。

              <感謝合掌 平成29年6月4日 頓首再拝>
15:伝統 :

2017/06/10 (Sat) 19:44:18


           *『幸福を招く365章』第2項(P24~25) より

わたし達が先ず気がつかなければならないことは
想念は“力”であるということなのです。

単に“力”であるばかりでなく、
運動の方向づけをする知性ある“力”だと云うことなのです。

あなたは度々(たびたび)この事をわたしの著書の中できかされたにちがいありません。
しかも実際この原理を生活に応用しているかというと、必ずしもそうではありません。

あなた達は実際、自分の欲せざる事を心の中に想念することがあります。
事物の暗黒面を考えることがあります。

何か自分の希望しない方向に事物が進んで行きはしないかと
考えて恐怖することがあります。

この考えることが想念でありまして、暗黒を考えるがゆえに、その想念の力で、
事物の進行を暗黒の方へ方向づけることになるのであります。

想念が力であると云うことは、催眠術の実験に於いて「右手はあがる」と
想うだけで「右手が上がる」事実からも証明できます。
「右手を上げよう」と欲しても、「この手は上がらぬ」と想念すれば上がらぬのです。

(中略)

私たちをとりまいている一切の現象界の事物は何一つとして、
其の本源を心に発しないものはないのです。
 
先ず最初に漠然と何かしたい感情が起こります。
つぎにそれがハッキリした想念となり、想念は意欲をおこし、
想念と合した意欲は行動化して、想念した方向に素材を動かし排列します。

自分の想念がその構成の状態を方向づけるものだということを忘れてはなりません。

もっと明るい方向へ、元気溌剌たる方向へ、自分の心を向けましょう。

              <感謝合掌 平成29年6月10日 頓首再拝>
16:伝統 :

2017/06/21 (Wed) 20:00:49


          *「光明法語」(6月21日)より

見る姿・形は一種の暗示となって吾々の魂の中に投げ込まれるのである。

友だち又は知人の悪しき範例(おてほん)を見ていると、その悪しき姿が自分の潜在意識内の
レコードとなり、縁を得ればその通りの悪しき姿が自分の行為(おこない)に現れてくる。

善き友と交わり、善き友の行為(おこない)を見、善き友の言葉をきく事は、
目に見えぬ無限の宝を内に積むことになるのである。

潜在意識の中にあるよき想念は、無限のよき宝であると云うのは、
其処から無限の善きものが湧き出るからである。

すべて心に入りたる物はやがて形となって顕れて来る。

        <感謝合掌 平成29年6月21日 頓首再拝>
17:伝統 :

2017/06/27 (Tue) 18:37:33


          *「生活と人間の再建」第2章(P28~29)より

20世紀になってからも人類の最大の発見は事物の根底に横たわるものは
単なる物質ではなくして、「想念」であるということの発見である。

新興物理学の進歩の従って物質は結局「無」なるところのエーテルのうずまきに
すぎないということが発見され、かくてそのエーテルを動かしているところの力は、
「形のない知性的エネルギー」であるということが発見されたのであって、

知性的エネルギーとは即ち想念に外(ほか)ならないのであるということが
発見されたのである。

宇宙にみつる一大本源が神であり、すべての天体も鉱物も植物も生物も、
すべてこの「神の一大知性的エネルギー」によって具象化されたものであると
いうことが発見されたのである。

この「知性的エネルギー」が吾々に宿って、
吾々の生命(せいめい)となっているのである。

従って吾々の起こす想念は宇宙にみつる神の想念の一部であり
全体につながっているのであって、吾々の想念が事物を創作するという
力があるということは当然のことなのである。

だから、根本に於いてこの世界の実相が「絶対善」であっても
吾々は想念によって仮りに悪をこの世界に創造して、
それによって自ら苦しむことができるのである。

            <感謝合掌 平成29年6月27日 頓首再拝>
18:伝統 :

2017/07/03 (Mon) 18:41:19


          *『幸福を招く365章』第2項(P24~25) より

わたし達が先ず気がつかなければならないことは
想念は“力”であるということなのです。

単に“力”であるばかりでなく、
運動の方向づけをする知性ある“力”だと云うことなのです。

あなたは度々(たびたび)この事をわたしの著書の中できかされたにちがいありません。
しかも実際この原理を生活に応用しているかというと、必ずしもそうではありません。

あなた達は実際、自分の欲せざる事を心の中に想念することがあります。
事物の暗黒面を考えることがあります。

何か自分の希望しない方向に事物が進んで行きはしないかと考えて恐怖することがあります。
この考えることが想念でありまして、暗黒を考えるがゆえに、その想念の力で、
事物の進行を暗黒の方へ方向づけることになるのであります。

想念が力であると云うことは、催眠術の実験に於いて「右手はあがる」と
想うだけで「右手が上がる」事実からも証明できます。
「右手を上げよう」と欲しても、「この手は上がらぬ」と想念すれば上がらぬのです。

            <感謝合掌 平成29年7月3日 頓首再拝>
19:伝統 :

2017/07/04 (Tue) 19:38:22


         *『 生長の家 』(昭和26年5月30日の法語)より

   人は想念する(考える)ところのものとなるのである。
   神は想念することによって宇宙を創造した。

   創造されたる宇宙は結果であって原因ではない。

   しかし結果を目的として想念したのではないのであって、
   想念されたるものを「 観(み)る心 」が
   「 認識の形式 」を通して「 物質宇宙 」として観るのである。

   人もまた想念するところのものを肉体にあらわすが、
   それは肉体にあらわそうと故意(ことさら)に想念しないでも、
   ただ、何の気なしに想念していたことが肉体にあらわれて
   病気となったりするのである。

   病気を治すのはその逆を行けばよいのである。

   病気を治そうと思わないでも善き想念を描いておれば病気は消える。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=110


            <感謝合掌 平成29年7月4日 頓首再拝>
20:伝統 :

2017/07/10 (Mon) 18:03:05


《読書百遍の意味》

     *『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P153~154) より

宇宙には、吾々がそれから避けることの出来ない法則があるのである。
それは、原因あれば必ず結果があるという法則である。
それは物質界に於てもそうであるが精神界に於てもそうであるということである。

そして精神界と物質界との連関に於ては、
想うことは物質界に実現する原因となるということである。
一切の文化的産物は人間が「想う」ことによって生み出されたのである。

 
「想うこと」も、その「想い」が強烈でなければ、
それは潜在的に蓄積されたままであるが、

その蓄積が次第に増強されて来るときには、
突如として強烈なる内圧力となって
外界にそれが現れて来ることになるのである。

「読書百遍意おのずから通ず」という諺があるが、

「人間神の子」の思想も、
『生命の實相』を精読すること幾十回を重ねるにしたがって、

「人間神の子」の想念が
潜在意識に愈々多く蓄積されついに爆発的な力となって、
その想念が現象的に具体化することになるのである。

            <感謝合掌 平成29年7月10日 頓首再拝>
21:伝統 :

2017/07/12 (Wed) 19:54:28


          *「光明法語」(7月12日)より

《宇宙は一つの生命体である。》

運動と云うものは「動くもの」とそれがその中で動くところの「媒質」とによって
可能となるのである。例えば魚は水中で動き、鳥は空中で動き、
ラジオの波は空間のエーテルを媒質として動く。

では吾々の想念は何を媒質として動くのであろうか。
吾々の想念は、「宇宙に満つる想念の普遍的波」の中で動くのである。
吾々の想念が全宇宙に伝わらないと云うことはあり得ないのである。

ただ、吾等はそれを自覚することが出来ないに過ぎない。
吾々の想念が或る処へ伝達して無限供給が出て来る原理は其処にある。

            <感謝合掌 平成29年7月12日 頓首再拝>
22:伝統 :

2017/07/15 (Sat) 20:12:45


     *『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第6篇(P154~155) より

想念は、その想われている内容が、やがて実現するだけではなく、
「類(るい)をもって集まる」又は「波長の合うものは感応する」という法則によって、
その想われている事柄以外に、その想念に波長の合う番組(出来事)を
次から次へと実現すること、テレビの受像機のようになるのである。

このことを古人は知っていたので「泣き面に蜂」というような諺があるのである。

すなわち、ある悲しい事件が起こって泣いていると、その悲しい事件ではなく、
また別の、併(しか)しその悲しみに波長の合う色々の
「痛い出来事」が引きつづいて襲って来ることになるのである。

だから悲しい事件が見舞って来たときほど
その悲しみの感情から早く脱却しなければならない。

           <感謝合掌 平成29年7月15日 頓首再拝>
23:伝統 :

2017/07/22 (Sat) 18:33:52


         *『白鳩』(昭和42年12月12日の法語)より

   自分の潜在意識に「私は不幸に生まれついている」という観念が
   いつの日にか固着してしまっているからこそ、
   その観念の具体化として現在の不幸はあるのだから、

   その潜在意識の既成概念に対して、それを打ち破る新しき想念
   又は人生観の戦いが始まらねばならぬのである。


   その戦いには「人間は神の子であって、本来不幸はあり得ない」という
   道理を全巻にわたって納得の行くように書いた書物を毎日讀むがよい。

   私はそのために『生命の實相』全巻を繰返し読むことを勧めるのだ。
   『生命の實相』を読むことによって胃癌の如き難症も消えてしまった
   実例が出て、世界を驚かして、

   それはインチキではないかと疑った人もあったが、
   今では誰もインチキ視する人はない、

   それは精神心体医学的立場から観れば
   必ずあり得ることなのだとわかったからである。


   「言葉」或いは「文章」は
   潜在意識に印象されている観念を変革する力があるのである。

   善き言葉は、善き観念を喚び起し、
   善き想念の繰返しは、それが潜在意識に繰返し印象されて、
   〃悪い運命〃をつくっていた「悪い想念」を中和して、
   悪運の根元を断ち切ることになるのである。


   〃病気が消える〃などということは
   運命好転の一つの面に過ぎないのである。

   潜在意識の内容が光明化すればもっともっと、
   運命のあらゆる面がよくなるので、
   その実例が無数に挙げられているのである。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=782

           <感謝合掌 平成29年7月22日 頓首再拝>
24:伝統 :

2017/07/26 (Wed) 19:16:09


          *「真理」第9巻生活篇(P207~208)より

すべての物質は「無」の中に起こったエネルギーの旋風であって、
それが物質の素粒子としてあらわれ、数学的秩序によって結合して色々の元素が
出来、更に色々の化学的結合が生ずることがわかったのである。

そしてその結合が滅多矢鱈ではなく素晴らしい数学的秩序によって進行する
ことによって、「無の中に起こったエネルギー」は一種の知性であり智慧であり
想念であることがわかったのである。

想念こそ万物の本源であり、生物の本源であり、新しき微生物の原因であるのである。

化学療法によって微生物を滅殺しても、微生物の発生の根因であるところの
同一「想念」が存在する限りは、また新たに微生物を生ずることになる。

その想念が具象化して或る形の微生物を生じたり、
或る種類の病気を生じたりするのである。

           <感謝合掌 平成29年7月26日 頓首再拝>
25:伝統 :

2017/07/30 (Sun) 18:33:18


         *「生活と人間の再建」(P47~49)より

吾々の全生活を、すべての瞬間を、
人類に対する而してすべての事物に対する善念を以て満たすということが、
自分の生活を幸福に築きあげる所の秘訣であるのである。

ゲーテはその秘訣を知っていたかの如く思われる。

ゲーテの『ヘルマンとドロ テーア』の中には
「瞬間のみが、人間の生とその全運命とを捧げる」 と書かれているのであり、
又彼は『イタリア紀行』の中に、

「私の発見した所では真 に賢明な人間のすべては、多かれ少なかれ、或は柔軟の差こそあれ、
次のような意見 に達し、又その意見を固執するものである。即ち、瞬間が万事である」
と書いている のである。


吾々は時々、刻々、瞬々、エンジンのガソリンが爆発して自動車が前進するように、
自分の想念感情が爆発し、それが行動となって自分の運命を前進せしめつつあるのである。

その想念の爆発力は、自分の想念の舵とる方向に
「運命の自動車」を前進せしめつつあるのである。

嘗て奪いし者は奪われる方向に、与えしものは与えられる方向に、
憎みし者は憎まれる方向に、愛せしものは愛される方向に、
与えた力はその等量を以て自分自身に向って反動し来たりつつあるのである。

人間には三つの権利が あるといわれている。
生きる権利、自由である権利、幸福を追求する権利、この三つ の権利が侵害されない時、
人間は生き甲斐を感ずるのである。

生活の創造はこの三つ の権利を隣人から奪わないようにすることから
始まらなければならないのである。

自分は他の人のこれら三つの権利を確保してやるようにつとめる時、
自分自身のこれら 三つの権利も確保せられるのである。

吾々は他の人々からこれら三つの権利を奪うようにすることもできるであろう。
そして一時は勝利者としての快感を味うことができ るかも知れない。
けれどもそれは、自分自身が却って「苦き杯」をなめることなしにはそれはできないのである。

他の人の生活権をおびやかしてはならない。
他の人の 自由をしばってはならない、他の人の幸福を奪ってはならない。
これが自分の生活を 幸福に創造する根本原理であるのである。

           <感謝合掌 平成29年7月30日 頓首再拝>
26:伝統 :

2017/08/02 (Wed) 19:24:04


         *「生活と人間の再建」(P65~66)より

神は愛であるから常に愛念を起こすということは
神の霊波を完全に受信するための最も大切な方法のひとつである。

如何に肉体的な生活が大自然の歩調に完全に合う生活を営んでいても、
心の波長が神の霊波と感合しないところの憎みや怒りや嫉妬や悲しみの念を
起こしているならば、宇宙の叡智の無線操縦の波を完全に受けることが出来ないが
ゆえに、

やがては肉体的な機能にも呼称を来(きた)し、生活の行路に於いて、
採るべき時に適当に採るげき処置を知るところの叡智の波を受信し得ず、
従って応変の処置を過って思わぬところに大失敗を来(きた)すような結果とも
なり、結局、その人の人生に何らかの行き詰まりを生ずるようになるのである。

(中略)

叡智は何処(どこ)から来(く)るか。
それは愛を行じ、神想観を行じ、真理の書を読誦し、
神と波長を合わすことによってである。

           <感謝合掌 平成29年8月2日 頓首再拝>
27:伝統 :

2017/08/13 (Sun) 19:38:19


          *『 生長の家 』(昭和25年12月4日の法語)より

   吾々の心はラジオ・セットのように
   同時に異る放送局の波長を受信すれば、
   ハッキリと一方のみを受信することが出来ないのである。

   神からの恩恵の放送をハッキリと受信しようと思ったならば、
   ひたすら神御自身と同じ波長の心を起すことが必要であるのである。

   神は 「 無限の赦(ゆる)し 」 であるから、
   神の恩恵を万福の完全さで受けようと思うならば、

   神と同様に、あらゆる人々に対する憤りや不満足を
   ゆるさなければならないのである。

   想念は 「 事物 」 の実質として宇宙の何処(どこ)にでも
   充ち満ちていること、
   恰(あたか)もエーテルの如(ごと)きものである。

   そして、自分が不満足を想えば不満を現すのである。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12276837.html

            <感謝合掌 平成29年8月13日 頓首再拝>
28:伝統 :

2017/08/15 (Tue) 19:28:11


          *『 生長の家 』(昭和25年12月7日の法語)より

   周囲の悪を変化せんとする努力をしばらく止(や)め、
   先ず自分自身の念を改造せよ。
   自分自身の心を改造せよ。

   急ぎ、あわてふためいて、過った方向に努力しても
   効果は少いのである。
   本当の効果は正しい方向に努力した時にのみ上るのである。

   先ず自分の心のうちに平和を確立しなければならない。
   危険が身にせまると思って実行したようなことは、その想念の通り、
   危険を自分の方へ引き寄せるのである。

   先ず 「 此の世界が神の国であり、自分の周囲の人々は
   悉(ことごと)く神の子であり、自分の周囲には悪を犯したり、
   自分にとって不満足な行為をするものは一人もない 」 と

   実相を思念せよ。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12287379.html

            <感謝合掌 平成29年8月15日 頓首再拝>

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