伝統板・第二

2529512
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(三月)の法語 - 伝統

2017/03/01 (Wed) 04:28:37

このスレッドでは、他の掲示板等から、次の5つの法語を紹介してまいります。



(1)『 生長の家 』 昭和二十三年三月号法語 

   *Web「龍宮住吉大神」からの転載です。
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13096845.html?type=folderlist

(2)『 生長の家 』 昭和二十四年三月号法語

   *Web「住吉大神浄め給う」からの転載です。
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/d/20140514

(3)『 生長の家 』誌 昭和二十五年三月号の箴言 (一日の法語 ~ 二十八日の法語)

   *Web「谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐」からの転載です。
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67

(4)『 生長の家 』誌 昭和四十年三月号の箴言
   *Web「谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐」からの転載です。
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121

(5)『 生長の家 』 昭和四十六年三月号法語 
   *Web「龍宮住吉大神」からの転載です。
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12621806.html

   (”明鏡 さま”のお許しをお願いいたします)



・・・

【一日の法語(3月1日)】

(1)《人生の問題は向上の段階》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13096845.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   問題は 人間を一層高い世界へ誘う招待状みたいなものである。

   問題の解決は 唯 上昇の足場に過ぎない。
   いかにそれを扱うかの心境に魂の進歩がある。

・・・

(2)《人間は神の自己顕現である》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/ea6279982ab50e1bf49551141362d738


   (抜粋として)

   大自然は人間を神の自己顕現として、
   肉体の上からも、精神の上からも、能力の上からも、
   最高完全の神的標準に到達することを望んでいるのである。

・・・

(3)《神は到(いた)る処(ところ)に在(いま)す》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   神は到る処に みちみちていられるのである。
   神は 無限の愛であり 無限の智慧であり 無限の生命であり、
   常に吾らを その無限の愛をもって 護(まも)っていられるのである。

・・・

(4)《神を金融業者と間違えてはならない》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   神は高利貸でも、銀行屋でもないから、上手に説き服せたら
   金を貸して下さるというような方ではないのである。

   キリストが説いたように
   「 人は二人の主(しゅ)につかえることはできない 」のである。

   私たちは「 物質の幸福 」を求めている限りに於いて、
   霊的な主につかえることはできないのである。

・・・

(5)《“二つの世界”に生きる私達 》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12621806.html


   (抜粋として)

   私たちは、二つの世界に住んでいるのである。

   縦の生活に於いては
   神からつながる“ 神の生命 ”( 神の国 )を生き、

   横につながる“ 心の展開 ” としての世界では
   現象世界を生きているのである。


・・・

<参考:3月の谷口雅春先生の言葉>

(1)弥々生うるいのち~「生命の實相」第37巻幸福篇上
   → (光明掲示板・第二) 
     http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1215

(2)神は愛なり~光明法語<道の巻>
   → (谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐)
     http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=72

(3)弥生「万物めぐむ」~光明道中記
   → (谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐)
     http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=73


            <感謝合掌 平成29年3月1日 頓首再拝>

【二日の法語(3月2日)】 - 伝統

2017/03/02 (Thu) 04:22:20


(1)《同じ問題でも受け方で魂の向上が異う》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13098489.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   かりに或る人が泥棒に着物をとられたとする。

   甲は それに対して嘆き かなしみ失望し落胆する。
   乙は それに発奮して、大いに仕事に努力する。

   丙は 俺もとられた、取り返してやれと思って自分も泥棒になる。
   丁は 自分の不注意に気付いて今後の生活をもっと慎重にする。
   戊は 自分の不注意に気づいて一層 謙遜になる。

・・・

(2)《楽なと云う誘惑に負けるな》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/a6b2c549cb3d7b00ec804b63ed14c8da


   (抜粋として)

   すべて物事を完成するのは
   「 この方が楽だ 」 という誘惑に耳をかさず、
   
   法則の示す所に鞏固(きょうこ)なる意志をもって
   進んで行く事によって得られるのである。

・・・

(3)《人間は神の意識的顕現》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   人間は神の創造力の最も精巧なる現れであり、
   神の最高顕現として、また意識的顕現として
   一切の現象を支配する力を与えられているのである。

   神だけでも宇宙の創造は完成しないのであって、
   神と人間と相よって宇宙の創造は完成するのである。

・・・

(4)《霊か、物質か、いずれを選ぶか》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   神はただ霊の賜物(たまもの)のみを与えたまうのである。

   「 神は霊なれば拝する者も霊と真(まこと)とをもて拝すべきなり 」

   (『ヨハネ伝』第四章二四節)とイエスは教えていられるのである。

・・・

(5)《自己拡張欲の衝突の世界》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12621860.html


   (抜粋として)

   人間は、横につながる“ 心の展開 ”としての現象世界では、
   彼の内包する“ 無限 ”を空間的に表現せんと欲するが故に、
   自己拡張、自己伸展を主として願うのである。

   しかもその表現の場である地球という天体は面積に限りがあるが故に、
   自己拡張せんとする者たち互いに衝突し、自己伸展せんとする者同士が
   奪い合いを演ずることになるのである。

   (世界の紛争は)
   いずれも異るアイディアの自己表現・自己主張・自己拡大の衝突である。

   私は悲しい思いでそれを看戍(みまも)っているのである。

            <感謝合掌 平成29年3月2日 頓首再拝>

【三日の法語(3月3日)】 - 伝統

2017/03/03 (Fri) 04:45:42


(1)《祈りの実現には時間的要素がいる》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13102172.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   祈りは必ず成就するのである。

   祈りとは 常に深く魂の奥底で
   繰返している言葉である。

   併し今日祈ったからとて
   明日必ず成就するとは決まっていない。

   併しそれは永久に生えないのではない。
   性急では いかぬのである。

・・・

(2)《神業を成就せんがために肉体を正しく使え》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/d63e57736d0871bf7c1900b6faaba805


   (抜粋として)

   吾々が人生に生まれたる目的は 常に云う通り、
   神の み業を地上に於て成就せんがためである。

   従って吾らが地上に生まれたる目的は
   働くことによって 神の目的を成就するにあるのである。

・・・

(3)《法則は受動者であり 人間が主動者である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   人間は自然界の法則を駆使して事物を創造する。

   法則は 神の 「 受動的現われ 」 であり、
   人間は 神の 「 能動的な現われ 」 である。

・・・

(4)《天国を地上に実現するには》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   天国が地上にあらわれるためには、
   人間自身が一変して、地的な欲望を去り
   天的にならなければならないのである。

   神は霊であるから、神を愛するならば、
   もっぱら霊を愛しなければならないのである。

・・・

(5)《わが国は此の世の国に非ず》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12627438.html


   (抜粋として)

   現象の世界にいくら勝利を得たにしても、
   結局は現象界はうつり変る世界であるから、
   その勝利した状態は、やがて “ 無 ” に帰する世界である。

   私たちが本当に勝つのは「 “ 無 ” に帰する世界 」 でない
   ところの世界に於いてでなければならない。

   即ち 「 わが国はこの世の国に非ず 」 でなければならないのである。

            <感謝合掌 平成29年3月3日 頓首再拝>

【四日の法語(3月4日)】 - 伝統

2017/03/04 (Sat) 03:48:53


(1)《花を求めて果実を与えらる》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13105196.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   併し神は花以上に、
   更に吾らに大いなる美味なる果実を与えるべく
   嫩葉を先ず用意せられたのである。

   祈りが成就しないのではなく、
   祈りは成就しつつあるのである。

   それなのに ただ自分が性急な為に
   成就しないと見誤るのである。

・・・

(2)《健康とは調和である》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/6f45f7a9ae28413739cf381ebfe69b51


   (抜粋として)

   健康とは 肉体が完全に調和して活力が旺盛であり、
   心の命ずる所に従って自由に肉体が動作し、
   脳髄がその機能を営み、

   しかも長く疲れないで
   その働きが 常に活発であるという事である。

・・・

(3)《物質は法則の現われ》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   法則は材料であり、人間が創造者である。

   だからどんな物質でも、それ自身は法則の現われであって、
   毒になるとか薬になるとかというような
   自性(じしょう)はないのである。

   だから物質には自性はなく、人間が主動者であるのである。

・・・

(4)《戦争は 「 心の状態 」 の投影である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   一所懸命 祈ったら、神はその祈りに答えて下さりそうなものであるのに、
   何故 その祈りがきかれないで、戦争は止(や)まなかったのであろうか。

   それは人間自身が変らないからである。人間自身を変えないでいて、
   戦争と称する 「 物質的状態 」 だけを変えようと試みたからである。

   「 物質的状態 」 は 「 心の状態 」 の投影(かげ)であるから、
   「 心の状態 」 を変える祈りこそ 先ず為すべきであったのに、
   それが為されていなかったのである。

・・・

(5)《“ 肉体 ” は本当の自分ではない》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12630675.html

   (抜粋として)

   肉体という “ 波動の体(たい) ” は、
   地上で、その人の生命が使命を果すための一種の宇宙服であって、
   地上の使命が終ると結局消えてしまう運命にあるのであって、

   それは、 “ 本当の自分 ” ではないのである。

   “ 本当の自分 ” というものは、永遠の価値あるところの
   永遠に存在するものでなければならないのである。

            <感謝合掌 平成29年3月4日 頓首再拝>

【五日の法語(3月5日)】 - 伝統

2017/03/05 (Sun) 03:49:34


(1)《謙遜にそして勇敢に》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13107742.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   自分を高慢(たかぶ)っても可けないが、
   自分を卑(いや)しめてもならない。

   「 謙遜にそして勇敢に 」 と云うことが
   神の子の標語でなければならない。

・・・

(2)《人生の目的達成には健康が必要である》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/9bba2a69c7a35da352ed611c201ffad0


   (抜粋として)

   もし肉体の健康が低下するならば
   心の能率も低下するのである。

   そこで肉体の完全なる健康は
   如何にして得ることができるかが問題となるのである。

・・・

(3)《法則も智慧も神から来る》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   法則を駆使する所の力は 吾々の智慧から出て来るのである。
   その智慧は 神から出て来るのである。

・・・

(4)《世界平和のための祈り》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   戦争は結果であり、争闘精神が原因でありますから、
   戦争の根源となるべき
   争闘精神が無くなることが先ず必要なのである。

   私たち生長の家の信徒は、
   唯(ただ)

   「 神の無限の愛 われに流れ入り給いてわれに於いて光明燦然と
   輝き給い、その光 愈々輝きを増して全地上を覆い すべての人類の心に
   愛と平和の思いを以って満たし給う 」

   と祈ることにしたのである。

   愛と平和の思いに満たされたら争闘精神はなくなり自然に戦争はやみ、
   平和が招来されるからである。

・・・

(5)《人間の実相は “ 無限に生きるもの ”》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12633110.html


   (抜粋として)

   “ 無限に生きたい ”という願いが
   人間の心の奥底から生まれて来るのは、

   “ 無限に生きること ”が人間そのものの本性(ほんしょう)で
   あるからでなければならないのである。

   それ故に 人間の実相は
   “ 無限に生きるもの ”であるといわねばならない。

            <感謝合掌 平成29年3月5日 頓首再拝>

【六日の法語(3月6日)】 - 伝統

2017/03/06 (Mon) 04:24:34

(1)《争い勝つ祈りはきかれない》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13111474.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   実相世界には争いもなく、
   争いに勝つと云う事もないから
   争い勝つ祈りはきかれない。

・・・

(2)《心を楽観的に有(も)て》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/786363eb0e47603eeb0fa3f979b655ab


   (抜粋として)

   すべて楽観的な人生観をもたない時には
   人間は決して健康を長く持続することはできないのである。

・・・

(3)《神を内に自覚する時、力が湧き出(い)でる》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   神は 常に吾と ‘ とも ’ にあるのである。
   
   いつでも吾々がそれを自覚する時、
   神の力が湧き出て来るのである。

・・・

(4)《“儲け”ないで“儲かる”方がよい》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   「 儲けよう 」 と思ってする仕事は儲からず、
   本当に、最大多数の人のためになる仕事をしようと、
   「 儲け 」( 物質的欲望 ) を度外にして、

   人類の為になる新しきアイディアに燃える人が却って儲かるのである。


   リコーの市村社長も“ 儲‘け’る事業と儲‘か’る事業 ”と
   ‘け’ と ‘か’のたった一字違いだが其処に非常な相違があることを
   指摘しているのである。

・・・

(5)《肉体としての自覚から脱却して》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12637259.html


   (抜粋として)

   新陳代謝する肉体は、人間のほんとうの「 我 」ではない
    ー 「本当の自分」ではないのである。

   私たちが“ 永遠の生命 ” を得るためには、
   私たちは人間を「 塵 」(物質的元素)の集合体ではなく、
   「 霊的実在 」 であるという自覚にまで復活しなければならないのである。 

            <感謝合掌 平成29年3月6日 頓首再拝>

【七日の法語(3月7日)】 - 伝統

2017/03/07 (Tue) 04:17:21


(1)《人類の進歩に逆行する祈りはきかれぬ》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13115133.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   凡そ人類の進歩に逆行する祈りはきかれない。

   神は地上に自己の無限内容を
   無限生長 又は 無限進歩の形で表現したまうのが
   現象世界の使命であるからである。

・・・

(2)《「 人生 」 を彫刻する道具を大切にせよ》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/83cdf00cc2b4683e48b89e6342f96730


   (抜粋として)

   肉体は吾々が目的を達成する為に使う
   一種の道具の様なものである。

   芸術家は制作に要する道具を大切にするのであって、
   制作に要する道具を大切にしないような者は
   良い作品を得られぬのである。

・・・

(3)《失業は他(ほか)の地盤に魂の栄養を見出(みいだ)さんがため》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   失業を恐れてはならない。

   神が今までの仕事を停止せしめ給うたのは
   他にもっと重要な仕事があるからである。

   失業の中に 神の導き と 祝福 とを感じて
   感謝することができるならば、
   あなたは間もなく新しき職業を発見する。

・・・

(4)《「祈る心」と「念仏申す心」》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   神は霊であるから、神は無限の救いの霊波を放送していられるけれども、
   人間の霊的部分の、而(しか)も波長の合う部分にだけ感応するのであるから、
   特に霊的に波長を合わした人だけが、神の霊波に感応して救いを受けることに
   なるのである。

   祈りや念仏は、それによって神仏が動かされて、特別 「 祈る人 」 や
   「 念仏する人 」 だけに恩恵を与え給うというのではないのである。

・・・

(5)《みずからを「土の塵」として神から絶縁したる人間》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12641456.html


   (抜粋として)

   アダムとイヴとは、エデンの楽園 ( 神の祝福の満ちみちた世界 )
   から追放されることになったのである。

   「 追放される 」 とは、神の “ 祝福 ” 又は “ 神の護り ” から
   断絶状態に置かれたという意味であって、
   ある地域から地域に移送せられたという意味ではないのである。

            <感謝合掌 平成29年3月7日 頓首再拝>

【八日の法語(3月8日)】 - 伝統

2017/03/08 (Wed) 04:47:05


(1)《人間の職業は無限》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13118214.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   人間の進歩は無限であり、
   従って人間の職業の範囲も無限である。

   今までの職業がふさがれて来る事は、
   神が既に新たなる職域を準備していられる証拠である。

・・・

(2)《仕事の質と量とは 肉体の健康に左右せられる》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/ef6eae2970b16d98b4b74b3632f26661


   (抜粋として)

   世の中には吾々の道具である所の肉体が
   錆びた大工道具のように、
   いつも不健康で鈍(なまく)らであるがために、

   善き仕事をしようと思いながらも
   できないで斃れてしまう人が
   随分沢山あるのである。

・・・

(3)《職業を得るには心を明るくせよ》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   職業を得(え)んとする者は
   まず明るい雰囲気をもたなければならない。

   その人が ただいるだけでも、
   周囲の人の能率をあげ得るような明るい雰囲気をもつ人は、
   誰(たれ)でも その人を雇いたくなるのである。

・・・

(4)《人間は肉体の自力によって救われるのではない》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   人間が救われるのは肉体の意識的努力によってではなく、
   その人間に宿っていて、まだ眠っている
   “神の子”なる“実相”に神が触れたまい、
   その眠りを醒まさせ給うた時に始まるのである。

・・・

(5)《神との断絶関係にある人々》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12656059.html


   (抜粋として)

   楽園に復帰するためには「 生命の樹の果 」即ち
   “ 生命の実(じつ)の相(すがた)”を食して、
   「 生命は神より来る 」という霊的自覚を
   蘇生(よみがえ)らすほかはないのである。

            <感謝合掌 平成29年3月8日 頓首再拝>

【九日の法語(3月9日)】 - 伝統

2017/03/09 (Thu) 03:51:40


(1)《神は新陳代謝の神である》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13121590.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   今までのものを掴むこと勿れ。

   過去のものは
   過去に意義があったのである。

   神は停滞の神ではなく、
   「 新陳代謝 」 の神である。

・・・

(2)《常に鋭く希望に燃えるには》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/e5cea46adbcbc6da4fb29709d36e342c


   (抜粋として)

   人間は 常に健康でなければならない。
   希望は 常に鋭く燃えなければならない。

   エネルギッシュでその希望実現のためには
   どこどこまでも勇往邁進し得る意志力をもつものは
   遂に 「 人生 」 を傑作たらしめるのである。

・・・

(3)《明るさは最大の美徳である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   明るさは何よりも最大の美徳である。

・・・

(4)《神、汝の実相に触れ給う》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   諸君が 「 生長の家 」 を知ったのは、実は、諸君自身が知ったのではなく、
   神が諸君の実相たる“神の子”に触れ、その眠りを醒まさせられたのである。

   換言すれば 「 汝われを選びしにあらず、われ汝を選びしなり 」 と
   神は 諸君に対して呼びかけていられるのである。

   諸君はこの光栄に感激感謝しなければならないのである。

・・・

(5)《神の祝福を受ける唯一の道》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12660019.html


   (抜粋として)

   何よりも大切なのは、神の“ 祝福 ”の放送や、
   神の恩寵の放送を受像し得るように、
   “ 自分の心 ”という受信機を調整するよりほかに、
   神の国の至福無限の状態を地上に実現することはできないのである。

            <感謝合掌 平成29年3月9日 頓首再拝>

【十日の法語(3月10日)】 - 伝統

2017/03/10 (Fri) 04:05:48


(1)《自分を与えて、他から与えられる》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13124555.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   よき生活とか、豊かなる生活とか、美しき生活とか、愛深き生活とか、
   そう云うものは 実相の世界にもあるものだから祈れば与えられる。

   しかし先ず 「 自分の全力 」 を
   自分から与えねばならぬ。

・・・

(2)《肉体は生命力の貯水池》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/ebd6d39a4ba597c90a3de1f23b6b5a38


   (抜粋として)

   吾々の肉体は
   吾々の生命力の貯水池のようなものである。

   吾々の生命力は
   肉体の中に仮りに体力として貯えられて
   各方面の用に使われるのである。

・・・

(3)《明るい心が幸福の根元である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   明るき心には 波長の共鳴の原理によって、
   明るきもの、楽しきもの、愉快なるもの、
   凡(およ)そ 見て楽しく喜ばしきもののみが集って来る。

   神は 「 喜び 」 であり、
   神の喜びが自分を通して表現されつつあるのである。

   喜びを表現しないものは 自己に宿る神を窒息せしめつつあるものである。

・・・

(4)《肉体的自覚の外皮を脱ぎ棄てること》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   この「 肉体としての自分の自覚 」 を脱ぎ棄てる程度にしたがって、
   内部にある「 神なる生命 」 が愈々(いよいよ)はっきりと展開して
   益々 その実相の完全さを発揮するのである。

・・・

(5)《何故、この世界に不幸が存在するのだろう》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12662814.html


   (抜粋として)

   神は霊であり、人間も“神の子”であるから、

   どちらも霊であるから、神と人間とは互いに霊交できるという
   自覚に立ち帰ってこそはじめて、人間は神の祝福の霊波に波長が合い、
   色々の楽しい恩寵をゆたかに受け得るようになれるのである。

            <感謝合掌 平成29年3月10日 頓首再拝>

【十一日の法語(3月11日)】 - 伝統

2017/03/11 (Sat) 04:44:35


(1)《より高き仕事に対する立場》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13127396.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   高い仕事に対しては時としては
   見窄(みすぼ)らしい足場が与えられる。

   それに全力を尽すとき次なる足場が与えられる。

   現在の仕事に全力を尽し乍(なが)ら、
   その余裕で新しい仕事をやるのは好(よ)い。

・・・

(2)《一度失われた其の日の生命力は取り返されぬ》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/43c6ce7d70d244e87e64f86abf60df4c


   (抜粋として)

   失われたその日の時間のエネルギーは
   再び取り返す事は出来ないのである。

・・・

(3)《彼を神の御手に預けるよう祈れ》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   神は決して誰一人をも見逃し給うことはないのである。
   彼も亦神の救いの御手の中にあるのである。

・・・

(4)《神想観を繰り返して 「 自覚 」》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   神想観を実修する度毎に、
   自己の生命は暦(こよみ)の年齢によって老衰せず、
   如何なる外部的状態によっても破壊されざる金剛不壊の存在であることを
   知るのである。

・・・

(5)《あなたの祈りがきかれない場合》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12666350.html


   (抜粋として)

   何故であるかというと、彼は物質の法則の支配する物質の世界にいて、
   神の霊波には波長の合わない、次元の異る世界に住んでいるからである。

            <感謝合掌 平成29年3月11日 頓首再拝>

【十二日の法語(3月12日)】 - 伝統

2017/03/12 (Sun) 04:29:34

(1)《祈りは不断の生活にある》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13140836.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   祈りというものは、必ずしも或る一定時間
   大声又は黙念で神に懇請する事ではない。

   病気や不幸や悩みは 常時、出来るだけ言葉に出さず、
   心に認めず、思わず、光明のみを念ぜよ。

・・・

(2)《金儲けに狂奔(きょうほん)して生命を縮めるな》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/a57e6da6e05bc0cc5356a5baad19975c


   (抜粋として)

   吾々の生命力の尊さは、
   到底(とうてい)金銭を以て償うことはできないのである。

   金もうけに狂奔して健康を犠牲にし、
   肉体を完全に健康に守る所の法則を破って省みないという人が多いのは
   まことに残念なことである。

・・・

(3)《神は一羽の雀(すずめ)も見戍(まも)りたまう》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)
 
   愛する者が失敗しようとしているのを嘆くことは いらぬのである。
   その人は失敗するようにみえていても 神が導いて訓練していられるのである。

   神は決して その人から目を放ち給うことはないのである。
   あなたの智慧の導きよりも 神の導きは もっと正しく彼を導くのである。

   神に祈れ。 「 彼をあなたの完全なる智慧によって導き給え 」 と。

・・・

(4)《覆土(ふくど)を排除することによって新芽は伸びる》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   実相を観じていさえすれば、安保条約や軍備がなくてもよいではないか、
   憲法改正などしないでもよいではないか。ソ連からでも中共からでも、
   日本へ来たい者は自由に入国させてやればよいではないか ー などという議論は、

   「 実相の芽 」が顕われるために「覆土(ふくど)」を排除しないでもよい
   ではないかという議論に似ていて、実相の完全さと現象処理の問題とを
   混同した議論である。

・・・

(5)《祈っても通じない場合と、祈らなくても既に備わる場合》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12669621.html


   (抜粋として)

   自分は“神の子“であり、
   神の有(も)ち給える一切の御徳を継承する権利を
   そのまま既にもっているのであるという自覚を得たとき、

   もう神に向って叫ばなくても、要求しなくても、
   そのまま彼は“神の子”であり、
   既にあらゆる善(よ)きものが“自分のもの”となるのである。

            <感謝合掌 平成29年3月12日 頓首再拝>

【十三日の法語(3月13日)】 - 伝統

2017/03/13 (Mon) 04:45:27


(1)《朝の祈りは斯くせよ》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13143699.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   「 神よ、わが眠りのうちにも呼吸せしめ給い、
   血液を循環せしめ給い、消化と栄養と休養とを与え給いて、
   新しき今日の生活に準備せしめ給いし事を感謝します。

   是は皆神の創り給いし霊的法則によって行われたのでございます。

   夜中 安全に守られ 祝福せられました如く、
   今日も亦 安全に吾等を祝福し給いて
   家業(又は営業)にいそしましめ給え。
 
   神様 あなたの守りに感謝致します。」 と 祈れ。

・・・

(2)《始めから疲れているような人間になるな》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/336669be970d5b34e8d0e58cf8adf110


   (抜粋として)

   吾々の健康力は
   非科学的な出鱈目(でたらめ)な生活や、
   悪習慣や、放蕩三昧の行いや、
   その他 面白からぬ精神感動等によって
   低下せしめられるのである。

   会社員は、出勤して事務所に到達した時に、
   すでに疲労したような顔をしているのである。

   そんなことで良い仕事の出来ようがないのである。

・・・

(3)《目が覚めると先(ま)ず神を思い起せ》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   毎朝 目が覚めたら まず神を思いおこすべきである。
   然(しか)らば 神も亦 あなたを思い起し給(たま)うであろう。

・・・

(4)《何故、現象界の処置が必要であるか》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   神は無敵であるということは、
   何もしないで外敵に身をさらすということではない。

   時と処と相手に応じて、神が適当な処置をとらせ給うて、
   自然的過程を通じて敵と見えたものが害をしなくなるということである。

・・・

(5)《神は頼まなくとも常に恵みを与え給う》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12669692.html


   (抜粋として)

   神は私たちに向って「神は、お前たちが頼まなくても、お陰は既にやってある。
   わが恵み汝に足れりなのだ」と仰せられているのである。

   しかもその恵みが完全に自分の身辺や境遇や健康にあらわれないのは、
   自分の心を波長のちがう処に向けているからなのである。
 
            <感謝合掌 平成29年3月13日 頓首再拝>

【十四日の法語(3月14日)】 - 伝統

2017/03/14 (Tue) 04:42:08


(1)《顔を洗う時の祈り》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13146472.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   顔を洗う時にも、神に感謝せよ。

   「 神よ、あなたの創造(つく)り給いし水に感謝致します。
   わが顔を洗う事は

   新しく悦びに満ちた生活を始める象徴として感謝します。

   この水によって わが皮膚が美しく清らかに保たれます事を感謝致します。」

・・・

(2)《奉仕する心で働かない者は多くの報いは期待できぬ》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/17cc10be369b926cf12f5351b88e4602


   (抜粋として)

   「 与えれば与えられる 」 が心の法則であるから、
   人に奉仕する心なくして出し惜しんだ働きで、
   多くを与えられることはあり得ないのである。

・・・

(3)《他(ほか)から妨げられるのも神の導きである》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   神の智慧に頼るものは、
   自分の動きが たとい他から妨げられることがあっても、
   それに対して不平をおこす事はないのである。

   自分にとって適当でないものが自(おのず)から妨げられて行く所に
   本当の神の導きがあるのである。

・・・

(4)《実相の顕現としての幸福生活》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   本当に永遠にくだけない不滅の幸福生活というものは、

   それは自己の生命の深層に横たわる普遍なる神(実相)から
   汲みだされて来てあらわれて来るものなのである。

・・・

(5)《祈りがきかれる場合の機構について》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12673972.html


   (抜粋として)

   本当は、祈らなくとも与えられていたものが、
   祈りによって人間自身の心の波長が、
   既に与えられていた恵みを受像し得るようになったのである。
 
            <感謝合掌 平成29年3月14日 頓首再拝>

【十五日の法語(3月15日)】 - 伝統

2017/03/15 (Wed) 04:20:57

(1)《顔を剃(そ)るときにも》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13817365.html


   (抜粋として)

   顔を剃る時もその剃刀(かみそり)に感謝せよ。

   「 この剃刀は 神の愛と智慧との表れでございます。
   之によってわが容貌が美しく保たれ
   清々(すがすが)しい気持を蘇生(よみがえ)らせて頂きます。

   この剃刀の切れ味は、神の智慧の現れでございます。
   顔に‘ふき’出物もなく美しく滑かなる皮膚は
   神の愛の現れでございます。」

・・・

(2)《休日の翌日の勤務状態は大抵悪い》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/ac7ff90053dbf2987efeb6ee3a37674d


   (抜粋として)

   大抵の社員は休日の翌朝出勤すると、
   まだ出勤したばかりであるのに
   既に長期間の激務に従事した後であるかの如くすでに疲れており、
   できるだけ早く自宅へ帰って休みたいような様子に見えるのである。

   そして全く仕事が手につかない。

・・・

(3)《そのままの心が神に一致する》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   心が型に捉(とら)われず、偏らず、かたくなにならず、
   すなおに、そのままに、のんびりとなっている時に
   神の智慧と本当に一致するのである。

   そのままが最も善いのである。
   道元禅師の身心脱落、脱落身心の境涯である。

・・・

(4)《脚下にしっかりと実相を踏んまえて》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121

   (抜粋として)

   神想観中には、
   現象を観るな。
   実相ばかりを観よ。

   実相を観ずることに徹底せよ。

   そして内部から催して来る智慧によって外界に向って行動せよ。

・・・

(5)《肉体という“ 道具 ”の主人公となること》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12678404.html


   (抜粋として)

   新たに生まれるということは、
   肉体の習慣性や本能に左右せられることなくして、

   肉体の習慣性や本能を無視するのではなく、
   それに支配されることなく、それを道具として
   地上に天国を建設することなのである。

   煩悩をそのまま菩薩に転ずることなのである。
   煩悩は肉体に属する“ 機械の運転力 ”見たいなものである。

   その機械をどの方向に利用するかは、
   人間の魂の指揮権に属することである。
 
            <感謝合掌 平成29年3月15日 頓首再拝>

【十六日の法語(3月16日)】 - 伝統

2017/03/16 (Thu) 04:24:41


(1)《食事の時の祈り》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13158902.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   「 宇宙の大気と光線と土壌とから、
   この美しく美味なる食物をつくり出し給いし
   神の不思議な力に感謝致します。

   種子、太陽、土壌、雨、農人、悉く神の愛の現れでございます。
   神とこの食事を造りたまいし人々に感謝致します。」

・・・

(2)《休日を生命力の浪費に使うな》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/404686637c8d16490700313d1d84fffe


   (抜粋として)

   彼らはそれをレクレーションと思い違え、
   「 人生を享楽(きょうらく)した 」 と考えて、

   その享楽のために
   如何に尊い生命力を犠牲にした事に気がつかない。

・・・

(3)《神は 光である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   神は光である。
   どこにも暗(やみ)はないのである。

   もしあなたが神の智慧の方へ振り向くならば 一瞬の中(うち)に、
   神から射(さ)してくる光は 事件の全体を照して、
   直ちに その事件を光明化してしまうことができる。

・・・

(4)《悪しき存在はすべて迷いの影である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   此の世界は、善なる神の創造せる世界であり、
   神のみが唯(ただ)一(ひと)つの存在の根源であり、
   人間は、善なる “ 神の子 ” であるから、
   悪なる存在もなければ、悪なる人間もないのである。

・・・

(5)《“ 肉体 ”という皮袋を装って》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12681508.html


   (抜粋として)

   肉体という“皮袋”を装って生まれ出たために、
   霊的感覚を謂わば“目隠し”されているようなのが人間である。

   そんな人間が“霊”そのものなる“神の国”への旅をつづけるには
   余程の勇気と忍耐と努力の継続とを必要とするのである。

   私たちは、時々、その目隠しを外して、霊的世界を直視する努力を
   続けなければならないのである。

            <感謝合掌 平成29年3月16日 頓首再拝>

【十七日の法語(3月17日)】 - 伝統

2017/03/17 (Fri) 04:16:37


(1)《凡ゆる機会に祈ること》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13161387.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   出勤の時、電車に乗っても 其の電車に感謝するのである。
   かくの如く凡ゆる機会を 神に対する感謝の機会とするのである。

・・・

(2)《憐(あわ)れなる人々を見よ》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/a3c4877a8482c4d01684e83a701730e9


   (抜粋として)

   大抵の人たちは 休日を
   直(ただ)ちに 「 心身を休める日 」 として用いないで、
   心身を一そう疲労さす日として用いるのである。

   次の日の能率が上がらないのは当然である。
   そしてそれらの人達は 自分の精神力の低下、能率の不足を、
   与える仕事量の少なさを省みないで他を呪う。

・・・

(3)《自己に光を点(とも)すには》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   神の光を受けるには、 「 与えるものは 与えらる 」 の法則に従って、
   自分自らが 他の人に光明を与えるものとならなければならないのである。

   まず 喜びの微笑(ほほえみ)を与えよ。人に慰めを与えよ。
   人々に希望を与えよ。深切を与えよ。

・・・

(4)《馬を“宝の車”の後ろにつなぐ勿(なか)れ》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   「 先ず神の国と神の義を求めよ。その余のものは汝らに加えらるべし 」 が
   正しき順序であるのである。

   多くの人たちは 「 その余のもの 」 (現象存在)を先ず求めて、
   それが沢山整うたら「神の国」ができ上がるように思っている。

・・・

(5)《潜在意識に“ 神の国 ”が印象されているならば》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12687565.html


   (抜粋として)

   私たちの潜在意識に、“ 神の国 ”の完全世界の光景が、
   恰もテレビのビデオテープのように印象されているならば、

   常に吾々の住む世界に“神の国“の調和した光景があらわれて来るのである。

            <感謝合掌 平成29年3月17日 頓首再拝>

【十八日の法語(3月18日)】 - 伝統

2017/03/18 (Sat) 04:36:52


(1)《車中の群衆に祈ること》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13216454.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   車中の群衆に もまれながらも祈れ。

   「 これらの群衆は皆神の子であり、吾々の兄弟である。
   神よ 此等の人々を祝福したまえ。
   これらの人々の家に残っている家族たちが皆な幸福で健康でありますように、
   神よ 彼らに祝福を与えたまえ。 」

・・・

(2)《自分の運命は自分が造る》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/5798ef1d2f7a1b278ba30ff640148c2b


   (抜粋として)

   自分の運命が向上しないのは、
   自分の与える分量が少ないからである。

   すべて自分の運命は
   自分自身で作るのである。

・・・

(3)《神を生きる自分》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   吾が生活は 神の生活である。
   吾が身は 神の身である。

   常に神は わが血液とともに全身をめぐる。
   わが全身は常に健やかであるのである。

・・・

(4)《私たちは自己の運命の主人公である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   現象世界が、実は、「 生活する人 」 自身の
   “ 心の状態の顕われ ” であることを知るとき、

   その人は自分の心を支配することを通して、
   病気をはじめとして人生の諸問題を自己の欲する方向に
   変化する事ができるのである。

・・・

(5)《あなたは常に進歩することができる》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12688064.html


   (抜粋として)

   私たちは常に実相世界から放送されている新しきアイディアを
   次から次へと受信することが出来るのである。

   それを実践することによって人間は常に無限に進歩し向上し、
   文化も無限に発達することになるのである。
 
            <感謝合掌 平成29年3月18日 頓首再拝>

【十九日の法語(3月19日)】 - 伝統

2017/03/19 (Sun) 04:20:20


(1)《蒔いた種子だけ生える》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13221451.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   愛されたければ
   先ず愛することである。

   尊敬されたければ
   先ず他を尊敬することである。

   蒔いた種子のみ生えるのである。

・・・

(2)《肉体は生命の乗馬》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/38206a9621f5c0c5901a36ffcc053d47


   (抜粋として)

   霊魂は騎手であり、
   肉体は それに乗って人生を走るところの 「 馬 」 である。

・・・

(3)《自分の心が変れば周囲が変る》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   自分の心の通りの世界が現われるのである。

   自分自身の心が変れば 周囲が自から変るのである。

・・・

(4)《自己の自覚の程度の投影としてのその人の現実生活》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   一切の不調和がまだその人の運命、境遇、環境、家庭等から消えないのは、
   その人が本当に「 実相 」の完全さを自覚していないか、
   たとい自覚していても、心が「 実相 」の完全さにのみ集注しないで
   道草を食っているからである。

   私たちは「 実相 」以外のものに、「 神の国 」以外のものに、
   心を止めて道草を食ってはならないのである。

・・・

(5)《神の自己実現としての生き甲斐》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12692749.html


   (抜粋として)

   人間は神の自己実現であるから、「 人間知恵 」 の迷いのレンズを通して、
   神からの自己実現の映像を曇らせてしまわない限りは、

   自然に自分の意欲するところが“ 神からの催し ” であり、
   自然に自分の環境にあらわれて来る人間関係や経済事情が、
   神さまから与えられた「 人生学校 」 となり、

   色々の教訓をそこから学びとり、学びとるに従って魂が向上し、
   魂が向上するに従って、物質的次元以上のよろこびを魂が味わうことが出来、
   生き甲斐が増して来るのである。

            <感謝合掌 平成29年3月19日 頓首再拝>

【二十日の法語(3月20日)】 - 伝統

2017/03/20 (Mon) 03:19:51


(1)《天地一切のものに感謝せよ》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13221520.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   吾々が祈るのは 「 既に与えられている実相の恩寵 」 に
   如何にして波長を合わすかの問題である。

   既に与えられている恩寵(めぐみ)に感謝する事が
   最も完全な波長を合わす道である。

   神と、神の被造物(周囲の一切のもの)に感謝せよ。

・・・

(2)《五官の奴隷になってはならぬ》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/85b12df2e85c7c6a75e0cd30e10a5f61


   (抜粋として)

   真に神から与えられたる天分を享(う)け楽しみ、
   それを伸ばして行く喜びこそ
   本当に 「 人生を享楽する 」 ことである。

   神の子の完全なる姿を実現せんとするものは、
   五官の奴隷になってはならぬ。

・・・

(3)《周囲の光景は自分の心の影》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   吾々は、谷に対して叫ぶが如(ごと)く ただ自分の言葉の反響を聞いて
   それを相手だと思うにすぎないのである。

   自分の口より出(い)ずる言葉が やさしければ
   相手から出る言葉も やさしいのである。

・・・

(4)《誰かの役に立つ事をしましょう》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   今日、誰かに必ず役に立つ仕事をしよう。
   大いなる仕事が見つからなかったら、
   目の前にある瑣細(ささい)な愛行や、
   深切な言葉や、奉仕や、清掃などの仕事でもよい。

   何か誰かに悦ばれる事を必ずするがよいのである。

・・・

(5)《神との一体感が深まれば》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12696377.html


   (抜粋として)

   神は愛であるから、神との一体感が深まれば、
   神の如く愛を行ずることが悦びとなるのである。

   神は智慧であるから、神との一体感が深まれば、
   時に応じ、機に応じ、処に応じて縦横無礙(むげ)の神智が
   湧き出て来ることになるのである。
 
            <感謝合掌 平成29年3月20日 頓首再拝>

【二十一日の法語(3月21日)】 - 伝統

2017/03/21 (Tue) 03:16:15


(1)《仕事中には斯く祈れ》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13221566.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   仕事の合い間、合い間に

   「 この仕事は、私と私の家族とを祝福する為の祈りである。
   この仕事を与え給いし事を感謝致します 」

   と念ぜよ。

・・・

(2)《自己の煩悩を克服する者が真の勇者である》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/2e7878132963d2752305f67c4761ed4f


   (抜粋として)

   奴隷は主人になることはできぬ。
   いわんや神の子たる資格はない。

   まず 「 自己 」 の煩悩を克服するもののみが
   真の勇者であり、勝利者である。

・・・

(3)《肉体の死は 「 滅ぶべきもの 」 からの脱却である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   肉体の死は ある意味から云(い)えば
   「 死すべきもの 」 からの脱却であるということができるのである。

   肉体の死とともに 人間は 「 滅ぶべきもの 」 から解き放たれるのである。

・・・

(4)《あなたの生活を天国生活にするには》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   小我(しょうが)に仕えるか、大我(たいが)に仕えるかだ。
   肉体の欲望や権勢欲や名誉欲に仕えるか、
   それとも唯、神に“のみ”仕えるかである。

   それによって、その人の生活が地獄にもなり、極楽にもなるのである。

・・・

(5)《神の生命との一体感が深まれば》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12697468.html


   (抜粋として)

   神との一体感が深まれば、神は完全なる生命であるから、
   神の完全なる生命の流入によって
   生かされている人間が病気するということはなくなるのである。

            <感謝合掌 平成29年3月21日 頓首再拝>

【二十二日の法語(3月22日)】 - 伝統

2017/03/22 (Wed) 04:55:52


(1)《感謝は周囲を光明化す》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13224919.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   斯くして一切のものに対する感謝が実践せられるとき、
   周囲が、環境が、仕事が、断然今までとは別様の姿を呈するのである。

・・・

(2)《秩序によって生命は具象化する》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/e1809f1cebc3b0ff31831ad0897bc252


   (抜粋として)

   すべての生命は 秩序によって発現するのである。

・・・

(3)《心の種子(たね)は 蒔(ま)いた時 既に発芽しつつある》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   吾々の祈りは、それが真に自分の求むる
   魂の叫びであるならば必ず聴かれるのである。

   実際に目に見える変化の前に、目に見えない変化が行われるのである。
   だから心静かに信じて待って 信念を失わないことが必要である。

・・・

(4)《祈りの方法及び意義について》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   神は既にあらゆる恵みを遍在的に放送していられるのに
   私たちが霊的に波長を合わさないときは、それを受信することができないのである。

   祈りは、自分の心のひびきを調律して神に波長を合わせる方法であり、
   神に懇請(こんせい)、懇願(こんがん)して、神を説得する方法ではないのである。

   だから 既に与えられている恵みに感謝の念を起す神想観が最も正しい祈りである。

・・・

(5)《“ 霊 ” と “ 心 ” と “ 肉体 ” と》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12702694.html


   (抜粋として)

   “心”は“霊”の謂わば“道具”であり、触手であり、
   それは恰も、蜘蛛(くも)が自分の本体から吐き出した糸みたいなものである。
   それによって外界を捕捉するのである。

   そしてそれが何であるかを知り、更に“心”のはたらきが具体化して、
   肉体という一層固形的な道具となって外界を捕捉するのである。

            <感謝合掌 平成29年3月22日 頓首再拝>

【二十三日の法語(3月23日)】 - 伝統

2017/03/23 (Thu) 03:25:14


(1)《人を呪わば穴二つ》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13227795.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   すべての正直な仕事、人類のためになる仕事は、
   それが感謝の念をもって行われるとき、それは尊き祈りであり、
   その祈りによって彼自身の運命も祝福せられるのである。

・・・

(2)《自己の肉体の性能を知って使わなければならぬ》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/553062294d09d68942d966e67fb38d84


   (抜粋として)

   人間には、同じ人間であっても、
   その体質には色々あり、
   甲の人に適するものが、必ずしも乙の人に適しないこともある。

・・・

(3)《不完全な姿は 本来ない》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   現象に尚 不完全なことが現われて見える時にも、
   不完全な姿は 本来ないのであって、
   神の善が現われて出ようとする前兆にすぎないのである。

・・・

(4)《天国を地上にあらわすためにあなたの心を調律しましょう》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   神様の霊波(心の波長)に人間の心の波長を合わすと、
   神様の世界(実相世界)に実在する状態が肉眼に見えるように
   自分の周囲にあらわれて来る。即ち地上に天国が実現するのである。

   「 祈り 」というものは 懇請や“泣き付き”ではなく、
   自分の心を調和した状態にすることである。

・・・

(5)《人間は絶対自由の主体である》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12705562.html


   (抜粋として)

   人間の本体である“霊”は、“神の子”即ち“神の分霊”であるがゆえに、
   それ自身完全なる自由をもつのである。

   人間は“神の子”であるから、絶対自由を有するのである。
 
            <感謝合掌 平成29年3月23日 頓首再拝>

【二十四日の法語(3月24日)】 - 伝統

2017/03/24 (Fri) 03:14:11


(1)《感謝は休息の本質である》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13230320.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   感謝のない休息は
   本当の休息とはならない。

   休憩したら「ありがとうございます」と
   感謝すること。

・・・

(2)《自己の性能をよく知ること》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/9bfc10bfa4a1048ecf952bc0029acbdf


   (抜粋として)

   強烈な鍛錬に堪(た)え得るような体質もあるし、
   又 できるだけいたわって、余り強烈なことをせずに、
   静かな精神的仕事ならば 何時間働いても
   体にさわらないような体質もあるのである。

   すべて生活設計に於て、
   その人の肉体にぴったりあてはまる所の生活方法があるのである。

   それを巧(たく)みに使いこなせば 多くの仕事が出来るのである。

・・・

(3)《すべての人々を礼し敬せよ》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   吾々は 自分自身を神の子だと認めるだけでは足りないのである。
   すべての人々を神の子であると信じて、礼し敬しなければならないのである。

・・・

(4)《神が唯一の創造者である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   万物は霊の世界に於いて神の想念によって創造され、
   それが時間空間の「認識の形式」を通して
   現象界に転現して、吾々はそれを見ているのである。

・・・

(5)《一切の悪や不調和は非実在である》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12708750.html


   (抜粋として)

   神は唯一の実在であり、そのほかに実在するものは存在しないのであるから、
   神は普遍的存在であり、無限であり、一切の存在は神の無限内容の展開である
   ということである。

   従って一切の不幸や災害や病気や諸々の悪現象は
   “ 実相に於て ”存在しないのである。

            <感謝合掌 平成29年3月24日 頓首再拝>

【二十五日の法語(3月25日)】 - 伝統

2017/03/25 (Sat) 04:49:43


(1)《先ず神の国を求めよ》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13233937.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   「 富 」 を神の国の外に求めるから、
   「 神と富とに兼ね仕えること 」 になるのだが、
   先ず「 神の国を求めよ、富は自ずから汝に随い来るのである。」

・・・

(2)《自己に当てはまる生活設計がある》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/93c64f8d716832dcd2c38169d06c23ee


   (抜粋として)

   諸君がもし自分の身体を、一個の写真機械よりも愛して使いたいと思うならば、
   自分の肉体に 如何なる睡眠法が、食事法が、仕事の順序配列が、
   如何なる休養方法が、如何なる生活様式が もっとも適当するかということは
   数年ならずして自分自身に会得することができる筈(はず)である。

・・・

(3)《我は 到(いた)る処(ところ)に唯(ただ)善のみを見る》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   凡(あら)ゆるものの中に 神がみちみちていられるのであるから、
   吾々は 神から逃げだすことはできないのである。

   神は善であるから 吾々は善から逃げだす事はできないのである。
   されば 心の眼(め)を開いて見れば
   吾は到る処に唯 善のみをみるのである。

   神は自分の智慧であるが故に、
   吾は到る処に神の導きを見るのである。

・・・

(4)《如何にして現象界に不調和があらわれるか》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   私たちの生命は時間空間という「 認識の形式 」を“ 心でつくって ”、
   その形式面上に具象化して見るのである。

   そのような「 認識の形式 」を通して見る其(そ)の途上に於いて、
   あらわれる形に歪(ゆが)みがでて来たのが、色々の現象界にあらわれる
   擾乱(じょうらん)であり、混乱であり、病気であり、災害である。

・・・

(5)《“迷い”は虚像にすぎない》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12714145.html


   (抜粋として)

   “迷い”は真理を知らないために生じた虚像であるから
   真理を悟れば“迷い”が消えるのである。

            <感謝合掌 平成29年3月25日 頓首再拝>

【二十六日の法語(3月26日)】 - 伝統

2017/03/26 (Sun) 03:23:28


(1)《富とは一切の豊富さである》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13237011.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   富とは必ずしも金の事ではない。
   金があっても富んでいない人が沢山ある。

   富とは、よき考え、よき家族、よき師、よき弟子、よき雑誌、
   よき性質、よき能力、それを表現する機関・・・等々。

・・・

(2)《ゲーテの健康法》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/3b65b1ef55792bff232e540ea9c6fefc


   (抜粋として)

   私は必ずしも諸君に、晩年のゲーテの健康法を実行せよというのではない。

   ただ云いたいのは、肉体を諸君が人生の目的を達成するための道具として
   軽んじてはならぬと云うことである。

・・・

(3)《神から来る赤信号》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   もし何かの不調和が外界に現われて来たならば、
   それは 何か 自分の心か、言葉か、行いかが
   神から はなれたものであったからであるのである。

   それは神から与えられた 「 一種のストップ信号 」 であるのである。

・・・

(4)《神の智慧のままに生活する者は幸いなるかな》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   率直な心で神の智慧を受ければ、
   自然に何時(いつ)、如何になすべきかが示されるのである。

   イエスは「 空の鳥を見よ、播(ま)かず、刈(か)らず、倉に収めず、
   然るに 天の父はこれを養いたまう 」といっている。

・・・

(5)《自己を “ 神の子 ” と直観智で知る瞬間》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12717736.html


   (抜粋として)

   私たちが神を直観し、自己の実相が“ 神の子 ”であり、
   霊的実在を直観することが出来るのは、
   縦横厚みの三次元認識の牆壁(しょうへき)が砕け去った瞬間に於てである。

            <感謝合掌 平成29年3月26日 頓首再拝>

【二十七日の法語(3月27日)】 - 伝統

2017/03/27 (Mon) 04:40:57


(1)《金を愛するな》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13239072.html?type=folderlist


   (抜粋として)
 
   富を愛することが悪いのではなく、
   金‘のみ’を愛することが悪いのである。

   貨幣でツラをはろうと思っても
   本当の愛と誠のある人は金では自由にはならない。

・・・

(2)《人間の幸運と不幸とは自分自身の使い方にある》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/26dd104521bba4661342b5bd10bd8e38


   (抜粋として)

   人間の幸運と不幸とは、
   決して偶然の他力(たりき)に支配されているのではなく、
   同じ隣接地でも 甲の農家と乙の農家に貧富の差ができるように、

   自らのやり方で運命を作るのである。

・・・

(3)《神の愛は宇宙の到る処にみちみちている》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   神の愛は 宇宙の到る処にみちみちていて 吾らを護り給うのである。
   吾々の一本の毛も悉(ことごと)く神の目から見逃される
   ということはないのである。

   そのことに吾々は信仰をもたなければならない。

・・・

(4)《我みずからにては何事をも成し得ず》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   「 われみずからにては何事をも為し得ず、
   天の父われにいまして、この人体を造り給うたのである。」

・・・

(5)《“ 神の恵み既に汝に足れり ”》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12720463.html


   (抜粋として)

   既に「 足れり 」即ち「 十全の恵み 」
   「 至らざる処なき完全不欠の恵み 」を
   神は吾々に与えてしまっていられるのである。

            <感謝合掌 平成29年3月27日 頓首再拝>

【二十八日の法語(3月28日)】 - 伝統

2017/03/28 (Tue) 04:46:07


(1)《金を儲ける秘訣》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13243154.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   「 金々々 」 とそれを求めても、
   大いに得る事は出来ない。

・・・

(2)《努力や克己の代価を払わずには立派な仕事は出来ぬ》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/3f63c93b87a61146cf6b62391cc61790


   (抜粋として)

   何事に対しても、払っただけの代価にふさわしきものを得る
   ということは 真理である。

   秩序整然 と 健全なる生活を送るためには、
   それだけ 「 意志 」 や 「 努力 」 や 「 忍耐 」 や 「 克己 」 や
   如何なる誘惑にも屈しない所の 高貴なる節操の代価を払わなければならない。

・・・

(3)《病気を癒(いや)すには》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=67


   (抜粋として)

   「病気は自分の心の迷いである。今自分は心の迷いを去って
   神の姿そのものの完全なる姿をみるのである 」

   かく心の中(うち)に深く念じて 神の姿そのままに完全な自分の姿を
   心に描いてみつめるようにするならば
   やがてその病気は消えてしまうのである。

・・・

(4)《自己に宿り給う神を悦ばすこと》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   そのためには私たちは日常生活に、
   その「 神 」を悦ばすような愛行と善行とを
   しなければならないのである。


・・・

(5)《あなたが 「 神意実現 」 のパイプとなること》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12725762.html


   (抜粋として)

   自己を“ 無 ”にして神に全托するとき、
   神は無限の愛であり無限の智慧であり、
   その全智によって計画されたる「 愛の天国 」は、

   自然に私たちの「 カラッポの無私の心 」
   を通して現象界に流れ入って来て、
   あなたの身辺が自然に地上天国となるのである。
 
            <感謝合掌 平成29年3月28日 頓首再拝>

【二十九日の法語(3月29日)】 - 伝統

2017/03/29 (Wed) 03:52:48


(1)《富の本源は 愛と智慧とサービス》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13244831.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   金と云うものは
   神様の世界にはないのであるから、

   金を与えたまえと
   神様に祈っても与えられない。

・・・

(2)《何人も皆天才である》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/a4d2130b191eac505e47012874c8e640


   (抜粋として)

   何人も自己に与えられている天分の100%を発揮する時、
   必ず天才であり、必ず世に立って人々から喜ばれ 尊ばれる所の人
   となることができる。

・・・

(4)《一切万事、神より来る、唯感謝あるのみ》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   「 神 」即ち「 生命力 」が去ったならば、
   一瞬間もあなたは立っていられないのである。

・・・

(5)《“ 無私の祈り“としての神想観》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12729823.html


   (抜粋として)

   神想観は最も完全なる無私の祈りであるのである。

   「吾れ今、五官の世界を去って実相の世界に入る」とは、
   「五官の世界」即ち「現象世界」の一切の意欲を去ることである。

            <感謝合掌 平成29年3月29日 頓首再拝>

【三十日の法語(3月30日)】 - 伝統

2017/03/30 (Thu) 03:43:14


(1)《致富の秘訣は二つの真理にある》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13248280.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   第一は 最大多数の人類に広く要求せられるものを与える事。
   第二は、資本や門閥やそのほかどんな力をも借りずして、
   自分で新しく其の仕事を出発せしむることである。

・・・

(2)《精力を分散するな》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/e6402870302165fdff52653ecd4e2778


   (抜粋として)

   全生活力をもって
   勉強又は仕事と取り組むことが出来る者は
   必ず優勝強者となる。

・・・

(4)《すべての人種は悉く 「 神の兄弟 」 である》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   自己の内に宿り給う神、それがあなたの生命である。

   皮膚の色が異るとて、その人々に宿る「 神の生命 」は
   本来「 一つの神 」であるから互いに兄弟姉妹なのである。
   皮膚の色に拘(かかわ)らず兄弟姉妹互いに愛し合うべし。

・・・

(5)《“ 神の国 ” は汝の内に在り》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12734045.html


   (抜粋として)

   「人間が神の子である」という真理は、
   換言すれば“凡ての力”は既に与えられているのだということである。

   “凡ての力”が与えられているだけではなく、
   “神の国”(又は天国)は自分の内にあるということである。

            <感謝合掌 平成29年3月30日 頓首再拝>

【三十一日の法語(3月31日)】 - 伝統

2017/03/31 (Fri) 03:54:15


(1)《人類の日常生活に奉仕せよ》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13252992.html?type=folderlist


   (抜粋として)

   「 諸君の富は諸君の頭の中にあるのであって
   何処かの銀行にはないのである 」 と
   テリル・マン氏は云っている。

   先ず頭によって人類に今あるよりも一層役に立つ考案を考えることである。

・・・

(2)《「 仕事の奴隷 」 になってはならぬ》

   (全文は)
    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/fab0aaa08dd54ddb32c3963f44ab32a6


   (抜粋として)

   人は全生命力をもって「仕事」と取り組まなければならぬ。

   しかし徒(いたず)らに「仕事」「仕事」と仕事ばかりに熱中して、
   「仕事の奴隷」になってしまったために
   折角の天才が早く生涯のエネルギーを使い果して廃人となったり、
   短命に終ってしまったような例を見ることは、まことに悲しいことである。

   これは、自己を知らぬことと 不完全なる生活設計から来るのである。

・・・

(4)《天地万物 相互礼拝 相互感謝 の生活》

   (全文は)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121


   (抜粋として)

   神は到る処に充ちていられる。

   釈尊はこの真理を直感せられた。
   そうして「 有情非情同時成道、山川草木国土悉皆成仏 」
   と讚歎せられたのである。

   山も川も草も木も国土も悉く皆、仏のいのちの現成せるものである。
   宇宙の一切悉く神なる大生命の顕現ならざるものはないという意味である。

   この覚(さと)りに立って生活するとき、
   一切を礼拝し、一切に感謝する相互礼拝、相互感謝の生活が始まるのである。

     ( 谷口雅春著『 無門関解釈 』参照 )

・・・

(5)《“ 神の生命はわが内に在り ”》

   (全文は)
    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12743787.html


   (抜粋として)

   私たちは“神の子”で“ある”から、
   “神の生命”がわが内に“ある”のである。
   その神の生命の時間空間面に於ける自己顕現が
   私たちの肉体であるのである。

            <感謝合掌 平成29年3月31日 頓首再拝>

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