伝統板・第二

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海賊と呼ばれた魂の人~出光佐三 - 夕刻版

2017/02/17 (Fri) 18:27:53

先日、映画「海賊と呼ばれた男」を鑑賞してきました。

素晴らしい映画で感動溢れる場面が多く、幾度も涙が出ました。

一番印象に残った場面は、出征していた社員が、復員してくる場面です。

国のため出征していた人たちの思いを感じると、涙を禁じえませんでした。

そして、谷口雅春先生の復員者を迎えるに当たってのご文章が
脳裏に浮かびました。(「大和の国 日本」<帰還同胞を迎えて P142~152>)


その他にも、涙を誘う場面が多くありました。




さて、以下の情報は、数年前、東京の著名な易占師が、
出光佐三さんの本質を易占したものです。

         ・・・

最近のベストセラー、「海賊と呼ばれた男」を読んだ。
著者は百田尚樹さん。
出光石油の創業者、出光佐三氏の伝記小説のようなものだった。

昔は石油が手に入らなかった。
その石油が安価に手に入るようになったのは出光氏のお蔭だった。

出光氏の功績の大きさと勇敢さ気骨の高さは、
理想の人間を超える生き神様のように思えた。

ここまで精神性の高い人間が本当にいるのだろうか・・・、
本は出光氏を事実よりもかなり美化して書いていているのだろうと私は思った。

百田尚樹さんの「永遠のゼロ」では号泣したので、今回も読む前から期待していたが、
本は人物をいくらでも美化して書ける、本当だったら凄いんだけどな・・・と
真実かどうかも解らないので感動できないし泣けない、と冷静に読んでいた。

しかし、最後のほうでは話半分と思いながらも感動の涙がでた。


出光佐三氏が亡くなった時、昭和天皇が出光さんの事を短歌にされた。

「出光佐三逝く 三月七日 国のため ひとよつらぬき 尽くしたる
                        きみまた去りぬ さびしと思ふ」

天皇陛下が歌にしたからと言って、
立派な人格者とは言いきれないと言う人もいるだろうが、
国の為にひとよつらぬき 尽くし と
天皇が詠われるほど出光氏の人物が光っていたものと言える。


出光氏の本質と、本で表現された出光氏とどのくらいの違いがあるのだろう。
出光氏の本質を知れば、本の出光氏がどこまで美化されているかが解る。
そんな気分で、出光佐三氏の本質を占った。

出光氏の本質、人間性を易はこう示した。

社会の為、人の為になるのが誠の生き方と信じ実行する人。
もしそうすることによって失敗し、悲劇となっても、
真実の生き方や在り方を貫けないなら生きる意味が無い。

社会の為なら命をささげる覚悟を持つ。誠心誠意ある生き方を望む。
社会のためになり人の為に生きれる事が本望の人。

出光佐三さんの人間性は、海賊と呼ばれた男で百田さんが書かれている以上に
もっと崇高な精神を持った生き神様そのものだったと、
易を通して私は信じることにした。


出光氏の部下たちは、どんな過酷な事でも喜び率先するように働いたようです。

人にとり、心から尊敬でき信頼でき敬える存在があったら、
それだけでも生きる力が生じるのだと思えてきた。

それほどの気持ちにさせてしまう、それほどの誠心誠意あふれ、
勇敢で智恵と正義感を持ったリーダーが出光氏だったのです。

心底信頼できる人に従い、その結果死んだとしても、
信じた生き方の中で死〇るならば、充実した人生となり本望であり喜びなのだろう、
と、この本を読んでそう思えました。

*〇:ね

そう思わせるほど出光氏の人間性には、誠意と正義感の崇高さが際立っているのです。

そんな人がこの世の中に一人いるだけで地球は救われるし、国も救われるし、
存在を知っただけで、「この地球にこんな人間がいたんだ」と知っただけで、
地球で生きる希望を見出せるのです。

            <感謝合掌 平成29年2月17日 頓首再拝>

出光佐三に贈った、昭和天皇が詠まれた和歌 - 伝統

2017/02/18 (Sat) 18:39:36


         *Web:日本史はくぶつかん(2016年11月2日)より抜粋


出光佐三と言えば、皇室を暑く崇敬した事でも知られる人物です。

当時の皇室の方々も佐三の想いについては知っていたようで、
1981年に佐三がなくなった際、昭和天皇が「出光佐三、逝く」として
以下のような歌を詠んだ事は広く知られています。


「国のため ひとよつらぬき 尽くしたる きみまた去りぬ さびしと思ふ」


この歌の意味を簡単に解釈してみると…

「あなたは我が国が困難な状態に置かれる中、
国家と国民の為に尽くし、日本人の誇りを取り戻してくれた。
そんなあなたがいなくなり、私は寂しいと思っている」

といった感じになるでしょうか。


実は、天皇が一般人の逝去をおしんで歌を詠むという事は、
めったにないケースなのです。
それだけ佐三に対する昭和天皇の信頼は扱ったのでしょう。

一方の佐三も、日本人が昔から大切にしてきた和の精神、
助け合いの精神を重んじてきた事でも知られています。

戦後、経営が苦しい中従業員を1人も解雇しなかったのも、
こうした精神から来るものなのでしょう。


こうした佐三のスタンスを表す言葉で有名なのが「日本人にかえれ」という言葉です。

    (http://nihonshimuseum.com/idemitsu-sazo/ より抜粋)

               ・・・

(以下は、出光佐三・著「日本人にかえれ」はしがき<1971年初版>からの言葉です)

**************************************

戦後、四分の一世紀を過ぎ、日本は見事な復興をなしとげて、
さらに「経済大国」とよばれるほどに成長しました。

そして70年代が国際化の時代といわれるように、日本はいまや世界を相手に発言し、
主体的に選択、行動しなければならぬ時代に入ったわけです。

この新しい時代を迎え、われわれはあらためて日本および日本人とはなにか
という根本的な問いをみずから投げかけて、これからの日本のあるべき姿に
深い思いをひそめなければならぬと思います。

百年前、あの明治維新に、若き志士たちが日本の伝統を踏まえながら、
広い視野と果敢な行動力をもって、近代日本の基礎を築きあげていったように、

現代日本の青年もまた、今日の国際的な試練の場に立って、
日本の将来を決定づける重大な責務をもっているといえます。


「私は日本人として、日本人らしく、実行の道を歩いてきた。
 妥協を排し、誘惑に迷わず、ただひたすらに日本人の道を歩いてきたにすぎない。」

これは、本書の著者、出光佐三が、八十七年の豊かな人生経験と、
六十年にわたる事業経営をふりかえって吐露した言葉であり、信念です。


出光佐三はいう。

「戦後、世界は、交通の発達によって、一日で世界を回れるほど時間的に狭くなったことを、
 まず認識する必要がある。

 この狭い所に百以上の異民族が雑居しているのであるから、もはや
 権利思想や個人主義というような対立的思想では絶対にうまくいくはずがない。

 お互いに譲り、お互いに助ける互譲互助、和のあり方でなければならない。

 ところが権利思想の国では、譲るということが権利の放棄となり、
 邪道、卑屈、罪悪となるくらいに譲るということを絶対に理解できない。

 日本民族と外国人との根本的な違いである。

 そこで日本人がこの日本伝統の互譲互助、和の姿に一刻も早くたちかえり、
 対立闘争で行き詰っている世界に平和と福祉のあり方を教えるのが、
 今日の日本人の世界的使命である。
 そして、その使命を担っているのが日本の青年である」と。

本書はこのように出光佐三の日本の青年に対する限りない信頼と期待をこめて
編纂されたものです。

            <感謝合掌 平成29年2月18日 頓首再拝> 

「恩に報いていく人生を貫いた、出光佐三」 - 伝統

2017/02/19 (Sun) 18:47:00


       *『致知』2014年3月号
        ~ 北尾吉孝(SBIホールディングス社長) × 北 康利(作家)
          対談より

・・・

『海賊と呼ばれた男』のモデルになり、いま再び脚光を浴びている出光佐三。


「人は資本なり」
「一人の馘首(解雇)もならぬ」


これらの言葉に象徴されるように、 人間尊重に立脚した経営道を生涯貫き、
出光興産を100年企業へと導いた名事業家です。

・・・

《人間尊重の精神を築いた教え》

北尾 出光さんは人間尊重の精神を深くお持ちで、
   おそらくその根本は彼の両親から来ているところが大きいと思います。

   出光さんの父親は福岡県の宗像で染め物業を営み、

   「働け。 そして質素にせよ。 ぜいたくをするな」
   
   というのが口癖だったそうです。

   しかし、化学染料の台頭で藍玉が売れなくなり、倒産してしまう。

   それでも一所懸命に働き、
   僅かな稼ぎの中から彼に学費を仕送りし続けている。


   そういう親の愛情を一身に受けたことが
   その後の人生に繋がっていくんだと思います。


北  出光さんは最初に酒井商会という小さな店に丁稚奉公に行きますよね。

   その主人である酒井賀一郎さんに感謝をして、後年、酒井さんが亡くなってからも、
   出光の神戸支店へ行く前に必ず酒井商店に寄って、
   酒井さんの遺影に頭を下げるのが習慣だった。

   その部屋は謝恩の間と呼ばれていたと。


北尾 受けた恩を忘れない。


北  驚いたのは、家を建てる時に、親の家より高い所には建てず低い所に建てた。

   お墓の大きさも、先祖の墓が一番大きくて、
   次が両親の墓で、自分の墓は一番小さい墓にしたこと。

   親を含め、受けた恩を忘れない。
   これは優秀な人に共通した生き方のベースです。
 

《恩に報いていく人こそ幸運に恵まれる》


北尾 もう一つ、出光さんの人格形成に大きな影響を与えたのが
   神戸高商(現・神戸大学)で出会った先生の存在です。

   学問的には、内池廉吉教授がそうでしょう。

   「これからは金儲けをする商人はいらなくなる。
   生産者と消費者の間にあって、ただ一つの配給業者のみが残る」

   という教えを受けて、
   中間搾取するものを排除し、できるだけ安く、いまで言う
   カスタマー・サティスファクション(顧客満足度)を
   100%以上に持っていこうと考えた。


   それが後に創り上げる「大地域小売業」に繋がっていくわけです。

   それは石油製品の製造を行うだけでなく、販売まで直結にするという仕組みです。

   消費者にとっていいと思ったことを何がなんでもやり抜く実行力がまた凄い。



   それから精神面では、水島銕也校長の教育ですね。

   士魂商才、つまり清廉潔白で責任感の強い武士の魂をもって、
   商人として機敏に才を発揮するということを叩き込まれた。

   そしてまた、事業を起こすにあたって資金を提供してくれた日田重太郎さんに
   出会うのも神戸高商の時ですからね。


北  本当に人間の縁というのは不思議なものだと思います。


北尾 資産家だった日田さんは「こいつは将来、大きなことをやる男だ」と見込んで、
   自分の別荘を売った8千円のうち6千円を出光佐三に恵んだ。


北  それも「返す必要はない」と言ったと。
   そんなありがたい人いないですよ(笑)。


北尾 出光さんはその恩に応えて、
   後に造った船に「日田丸」と名前を付けていましたよね。

   神佑天助という言葉を出光さんはよく使われていますけど、

   恩にきちっと報いていく、
   そういう心掛けの人は天の配剤ともいうべき幸運に恵まれるのでしょう。

            <感謝合掌 平成29年2月19日 頓首再拝>

海賊と呼ばれた男 出光佐三物語 - 伝統

2017/02/21 (Tue) 18:09:46


            *Web:ねずさんのひとりごと(2016/12/28)より

「題名のない音楽会」というテレビ番組があります。
この放送は、昭和39(1964)年8月から続くご長寿番組で、
東京12チャンネルで放送されています。

もともとこの番組は、TBSとの専属契約を打ち切られて苦境に陥っていた東京交響楽団に、
出光佐三さんが、新たな活動の場を与えてあげようと企画した番組です。

番組は、番組途中でCMを入れない構成であることでも知られていて、
現在もそれは守られています。

番組スポンサーは出光興産です。
一社だけの提供です。

番組途中でなぜCMが入らないかというと、
番組スポンサーの出光興産の創業社長である出光佐三(いでみつさぞう)氏の
「芸術に中断は無い」という考えに基づくものです。


その出光佐三氏に有名な言葉があります。

「社員は家族だ。
 家計が苦しいからと
 家族を追い出すようなことができるか?
 会社を支えるのは人だ。
 これが唯一の資本であり今後の事業を作る。
 人を大切にせずして何をしようというのか。」

昨日書いた岩崎弥太郎もそうですが、どこまでも会社は「利益のために存在する」のではなく、
「人のために存在する」という考え方です。

昨今では、儲けのために人をないがしろにする会社が多くなりましたが、
ではそうした会社が長く継続して生き残れているかというと、答はNOです。


世界に、創業から200年以上経過する会社は5,586社(計41カ国中)あるそうです。
このうち半分以上の3,146社が日本の会社です。

さらに創業千年以上の会社が7社、
500年以上が32社、
100年以上になると、その数5万社以上です。

それだけご長寿企業がたくさんあるということは、
終身雇用、儲けよりも人という、日本的経営の考え方が、
正しい、もしくは理にかなっているということになります。

出光佐三氏は、終生自分は、社長でも会長でもない。
どこまでも出光商会の店主であるという考え方を押し通しました。

具体的には次の4つの理念を掲げ、これを終生守り抜いています。
それは、

 (1) クビを切らない
 (2) 定年を設けない
 (3) 出勤簿を作らない
 (4) 労働組合をつくらない

というものです。

これを出光佐三氏は、出光の「四無主義」と呼びました。

ひと目見ておわかりいただけますように、
これは戦後、欧米からマネジメント手法として輸入され、
いまではごくあたりまえになっている、

 リストラをする
 定年制を敷く
 勤怠管理を徹底する
 労組を置く

といった、現代企業があたりまえとする考え方の対局にある考え方です。

なぜ対極になるかというと、これもまた出光佐三氏の言葉があります。それは、

「社員は、雇用しているのではない。家族なのだ」

というものです。

佐三氏は、これを「人間尊重主義」、「大家族主義」の経営哲学と呼びました。
要するに、昔からある日本式商店の経営哲学です

出光佐三氏は、明治18(1885)年、福岡県赤間村(現・宗像市)で生まれました。
生家は、地元で藍問屋を営んでいて指折りの資産家でした。

ご先祖は、大分にある宇佐八幡宮の大宮司だったそうです。
宇佐八幡宮というと、和気清麻呂の物語に出てくる御神託をいただいた、あの神宮です。

佐三氏は、小学校に入った頃は、病弱でしたし、ひどい近眼でした。
そのために本が読めない。
また、視力が弱くて体力も弱い。

そこで佐三氏は、本を読んで学ぶかわりに、
常に「なぜか、どうしてか」と必死で考える習慣を身につけたそうです。

そして16歳のとき、旧制福岡商業に入学しました。
福岡商業では、ストライキの首謀者などをしています。
このときは、ついに学校側を屈服させることに成功しています。

その代わり、成績は下る一方となりました。
卒業時の成績は下から二番目にまで落ちています。

20歳で、神戸高等商業(現 神戸大学)に入学した佐三は、
そこで二人の師匠に出会いました。
ひとりは水島鉄也という、初代校長です。

この校長は、

「カネの奴隷になるな。 『士魂商才』をもって事業を営め」

と教えてくれました。

武士の商法という言葉があります。

明治維新のあと、官職を失った多くの武士が「生き馬の眼を抜く」という商業界にあって、
財産をなくし、路頭に迷いました。
もともとは、それを茶化して言われた言葉が、その武士の商法です。

そういう時代への反省から、明治の終わりごろには、国内には拝金主義が台頭しました。

義理人情や筋道や道理や正しさではなく、
とにもかくにも「儲かりさえすれば良い」という思想や行動が主流となっていったのです。

ところがそんな時代の中にあって、水島校長は、

「人を大切にせよ、武士道の精神をもって商売に励め」

と教えてくれたのです。

江戸の昔「もし期日に返済なくば、人前で笑われても異議なく候」と
借金の証文に書いた武家と、とにかく儲かればよいという商家では、
その基盤となる考え方がまるで違います。

だからこの当時、武家の流儀では商売はできないというのが、常識となっていました。
ところが水島校長は

「それでも武家の心を失ってはならぬ」

と説いたのです。

そして、

「男子たるもの、国家に貢献できる事業を営め」

と生徒に語りました。

もうひとり、佐三はなくてはならない出会いがありました。
それが、内池廉吉教授です。
内池教授は、

「これからの商人は、生産者と消費者を直結し、
 その間に立ち、相手の利益を考えながら、
 物を安定供給することにその価値がある」

と教えてくれました。

この時期、佐三氏の実家は、商売が傾きかけていました。
このため、いまでいう大学生活を送る佐三氏には、家からの仕送りはありません。
このため佐三氏は、家庭教師のアルバイトをして、学費と生活費を得ていました。

そのときに教えた子供の親に、日田重太郎という名の大変な資産家がいました。
日田重太郎の趣味は、神社仏閣の巡拝でした。

たまたま佐三氏の実家が、宇佐八幡宮の大宮司だったことを知った日田氏は、
佐三氏を無条件に信頼してくれました。

明治42(1909)年、神戸高等商業を卒業した出光佐三氏は、
神戸で小麦粉と石油を扱う酒井商店に、丁稚として入店しました。
酒井商店は、小麦粉と機械油を売っている従業員4、5名のこぢんまりした商店です。

高等商業というのはいまでいう大学です。
いまのように、誰もが大学に進学するという時代ではありません。
ですから当時は大学出は学士様と呼ばれたし、官庁の職員や大企業で重用してくれました。

ところが出光佐三氏は、大企業ではなく、零細商店に入社したのです。

なぜこんな小さな会社を選んだのかと、学友たちはいぶかりました。
それどころか仲間たちからは、
「お前は気違いだ。学校のつらよごしだ」とさえ非難されました。

高等商業を卒業しながら、丁稚奉公に出るというのは、学校のメンツを汚してるというのです。

しかし佐三氏は、周囲の非難などまったく意に介しませんでした。
なるほど大企業に入れば、収入も多いし生活も安定します。
しかし大企業では、仕事の一部しか担当できない。

自分が将来、独立して事業を営もうとすれば、
仕事の基礎から終わりまで、全部を覚えなければなりません。

そうであれば、小さな商店の方が、むしろ、
なにもかも担当させてもらえますから、仕事を速く覚えられます。

さらに佐三氏には、ひとつの勝算がありました。
それは、「これからの時代は、必ず石油の時代になる」というものでした。
酒井商店は、油を扱っていたのです。

こうして佐三は、大学を出ていながら、小学校卒がなるような丁稚になり、
前垂れのはっぴ姿で自転車に乗って集金に駆け回りました。
いまでいったら、かっこ悪いことかもしれません。
けれど未来の独立を夢見る佐三氏にとっては、それは夢を叶えるプロセスでした。

ところが佐三氏に困難がやってきました。
実家の藍屋の商売がいよいよ傾き、もうやっていけなくなってしまったのです。

このため佐三氏は、一日も早く独立開業しなければならない状況となりました。
丁稚奉公では、給金はタカが知れているからです。

けれど、所詮は丁稚です。
給料はたかが知れいてます。
いまどきのように、ベンチャー向けの開業資金融資制度なんてなかった時代です。
頭を抱える佐三氏のもとにある日、日田重太郎氏がやってきました。

日田氏は、佐三氏に、当時のお金で六千円を渡してくれました。
これは、現在のお金に換算したら、約1億円です。

日田氏は、
「京都にある家が売れてな、六千円の現金ができたんだ。
 それを君にあげよう」
と言いました。しかもそのお金は、「貸す」のではなく「もらってくれ」というのです。


ただし条件が三つありました。
 第一 従業員を家族と思い、仲良く仕事をすること。
 第二 自分の主義主張を最後まで貫くこと。
 第三 自分がカネを出したことを人に言わないこと、です。

佐三氏は「果たして自分にできるだろうか」と迷ったそうです。
けれど、腹を決めました。

「よしっ。水島校長の言われる、人道主義と士魂商才の商人となろう。
 そうなることで、この日田さんへの恩返しをしよう!」

ここに大切なポイントが2つあります。
ひとつは、日田氏の大金の寄付は、もちろん佐三の人柄を信頼してのことだということです。

佐三の実家は、このときすでに傾いていることを日田氏も知っています。
1億円のキャッシュをあげれば、そのお金は、単に実家の借金返済資金に流用され、
佐三氏が丁稚のままでいる、あるいはどこかに逃げてしまうというリスクもあったのです。

それでも日田氏は、寄付をしましょう、と言ってくれました。

「金は大事だ。
 しかし、それ以上に、人を信頼することはもっと大事なことではないだろうか。
 そしてお国のために役立つこと。
 君にはそれができる。」

どこまでも「人」が第一なのです。

第二の条件は、上に示された三つの条件は、
いずれも無形のもの(=インタンジブル)であるということです。

拝金主義は、
「いま、カネを持ってる、
 いまカネを稼いでいる、
 いま贅沢な暮しをしている」
というように、とかく「いま」しかみようとしません。
とにかく「いま」さえ良ければ、何をやっても構わないと考える。

日本の近くにある歴史のない国など、国をあげてそれをやっています。

ところが伝統的な日本的価値観では、過去現在未来にまたがる普遍性を大切にします。

そうなると、いまこの瞬間に金を持っているということよりも、
もっと大切な価値があるということを大切にするようになります。

そしてこの場合、自力で人道主義と士魂商才を、
新しい資源エネルギーの未来に向けて実現しようとする男への投資こそが、
まさに価値ある行動となるのです。

明治の終わりごろの日本には、まだまだそういう無形のものを大事にするという
日本人本来の文化的価値観が、色濃く残っていたのです。

明治44(1911)年6月、佐三は福岡県門司市(現在の北九州市門司区)に、
出光商会を設立しました。
このときの佐三氏は、まだ25歳です。
これが、後の世界的大企業、出光興産の創業です。

事務所の正面には水島校長の揮毫による「士魂商才」の額を掛けました。
商品は、日本石油下関支店の機械油です。
佐三氏は、その特約店の資格をとったのです。

ところが、油が売れません。

理由は二つありました。
ひとつは石炭から電気モーターへの切り替えの時代で、
機械油の需要そのものが減っていたということです。

もうひとつは、佐三氏の商売の姿勢です。
機械用の油ですから、当然、営業の相手は工場や商店です。
商売人同士のお付き合いですから、袖の下はあたりまえですし、値引きもあたりまえです。

ところが「士魂商才」を掲げる佐三は、
「そんなことまでして売る必要はない!」
とにべもないのです。

おかげで日田氏からもらったお金は、3年で底をついてしまいました。

さすがの佐三も、憔悴しきって日田氏を訪ねました。
「申し訳ない。廃業したい」
と申し出る佐三氏に、日田氏は言ったそうです。

「三年で駄目なら五年、五年で駄目なら十年と、
 なぜ頑張らないのですか。
 さいわい神戸にまだ私の家が残っています。
 それを売れば当面の資金には困らないでしょう。」

日田氏の断固とした姿勢に、佐三氏は慄然としたそうです。
日田さんは、本気で命がけでワシを信じてくれている。

こうなりゃ、なにがなんでも前に進むしかない!
日田さんに家を売らせるわけにはいかん!

倒産寸前の佐三氏は必死に考えました。
単に目先の売上げの確保ではない。
もっと抜本的に、強気で士魂商才を実現するにはどうしたらよいのだろう。

佐三氏は考えに考えます。

そこで、「海賊」をすることを思いつきました。
「海賊」といっても、船を襲うのではありません。
夜中の十二時から早朝の二時頃にかけて、
漁船がエンジン音を響かせながら帰ってくるのを待ち構えたのです。

漁船のエンジンは「ポンポン蒸気」と呼ばれるツーサイクルの焼き玉エンジンです。
焼き玉エンジンには、燃料油として「灯油」が使われます。
佐三は、帰ってくる漁船が岸辺に着く前に、伝馬船で漁船に近づいて、
海の上で「灯油」の代わりに「軽油」を売ったのです。

軽油は、灯油より下級です。
ですから軽油で漁船の焼き玉エンジンを回すと、クサイにおいがでます。
けれど値段は灯油の半額なのです。

当時の燃料油店というのは、油を元売りから買ってきて消費者に売りました。
小売りは特約店の仕事です。
特約店は、下関、門司、小倉、博多など地域別に分かれて、それぞれに縄張りがあります。

陸にあがった漁師たちは、その港を縄張りとしている特約店で燃料を買います。
そしてその縄張りは、同業の特約店が、荒してはならないというのが、
しきたりとなっていました。

そこで佐三氏は、縄張りがない海上で、油を売ったのです。
文句を言われると、
「海に下関とか門司とかの線でも引いてあるのか」
と言い張りました。

佐三氏が「海賊」と呼ばれたゆえんです。

多少ニオイがあっても、値段が半値の軽油販売は大当たりしました。
佐三氏はさらに工夫し、揺れる船上での油の販売のために、
「計量器付給油船」という海上給油装置まで開発しています。
そして事業を軌道に乗せました。

いったんは廃業まで決意したこの年(大正3年)、
佐三氏は南満州鉄道への車軸油の納入に成功しました。
当時、南満州鉄道で使う油は、スタンダード社などの外国の油が独占していたのです。
独占は癒着を生み、癒着は高いコストとして跳ね返えります。

佐三は、そのからくりを見抜き、満鉄当局に粘り強く交渉したのです。
国産油の品質の良さを実験とデータで示し、それを使うことが、
満鉄に利益をもたらし、国益にも適うことを具体的に示したのです。

さらに大正8(1919)年には、貨車のトラブルが続出していた南満州鉄道に、
酷寒でも凍結しない「ニ号冬候車軸油」を納入して、
満鉄から感謝状と銀杯を受領しました。

ところが、大正13(1924)年、第一銀行(現みずほ銀行)が
、突然、25万円の借入金引き揚げを要請してきたのです。

いわゆる「貸しはがし」ですが、実はもっと手が込んでいて、
儲かっている会社にいきなり貸金の引揚げを要求をし、
引揚に応じられないなら、銀行員を社長や役員に迎えろ、としたのです。

まるでヤクザみたいなやり方ですが、いまも、
いろいろな会社に銀行員が親元の銀行から派遣されて役員などになっています。

さすがにこのときは佐三氏もまいりました。
一時は自殺説までささやかれたくらいです。

ところが二十三銀行(現大分銀行)の林清治支店長(当時)が、
肩代わり融資を決めてくれたのです。
佐三は、ぎりぎりで窮地を脱します。

もしこのとき、大分銀行の肩代わりがなければ、
当時儲かっていた出光興産は、出光佐三社長が引退し、
商売のまったくわからない第一銀行の行員が社長に就任していたことでしょう。

そのようになった出光興産が、果たしていまのような大手企業となり得たかは、疑問です。

そして佐三氏は昭和7(1932)年には、門司商工会議所会頭に就任し
、昭和12(1937)年には高額納税者として貴族院議員となりました。

佐三は、満鉄を経由して朝鮮、台湾にまで進出し、
さらに支那事変の拡大と共に、支那本土に営業網を拡大しました。
そして出光商会は、この時期に、従業員千名程を抱える大会社に成長したのです。

こうして個人経営の出光商会は、昭和15(1940)年には改組して、出光興産株式会社となります。

ところが、その5年後の昭和20年、日本は戦争に破れてしまいます。
日本は外地を失いました。
国内は焦土と化し、佐三氏もすべてを失なってしまいました。

その昭和20(1945)年8月17日、出光佐三は社員二十人を集めて訓示しました。
そのときの言葉です。

「愚痴はやめよう。
 世界無比の三千年の歴史を見直そう。
 そして今から建設にかかろう!

 泣き言はやめよう。
 日本の偉大なる国民性を信じよう。
 そして再建の道を進もうではないか!」

具体的なアテなどありません。
けれど佐三氏は、日本を信じたのです。

さらにこの1ヶ月後、佐三氏は驚くべき宣言をしました。それは、
「海外から引き揚げてくる社員は一人もクビにしない!」
というものでした。

当時の出光の従業員数は、約1,000名です。
そのうち約800名が、外地からの復員です。
外地で力を伸ばした企業が、その外地の販路をすべて失ったのです。
資産もない、事業もない。
膨大な借金があるだけです。

どうやって復員者を受け入れるというのか。
どう考えても、やりくりできるはずなんてありません。
多くの企業は、ガンガン人員整理をしていました。
それを出光佐三は約1千名の従業員の首を、誰ひとり切らないと宣言したのです。

いい加減なことを言ったのではありません。
それは考えに考えての結論でした。

そしてこの宣言は、佐三氏自身の決意の表明でもありました。
どうにもならないどん底に落とされても、なお道は必ずどこかに通じている。
「道、極まって尽きず」は、尾崎行雄の「人生劇場」の台詞です。

佐三氏自身、どうにもならない、廃業するしかない中で、
若い頃、事業のチャンスを得た男です。
その成功体験が、佐三自身の信念になっていたのかもしれません。

出光興産は、復員者してくる社員のクビを切らないため、何でもしました。
ラジオも売りました。
醤油も売りました。
酢も売りました。
畜産や養鶏にも手を出しました。
思いつく限りのことに手を出したのです。

けれども付け焼刃の仕事は、どれもうまくいきません。
どうしようもなく追い詰められて、
一部の社員には自宅待機命令を出さざるを得なくなりました。
する仕事がないからです。

それでも佐三氏は、戦前に集めた書画骨董を売り払い、
銀行から可能な限り借金をして、待機組にすら給料を払い続けました。

復員後、気力を失い、郷里に引きこもっていた青年がいたそうです。
その彼が、出光に辞職の手紙を書こうとした時、父親が彼を烈火のごとく叱ったそうです。

「お前が兵隊に行っている6年間、
 出光さんは給料を送り続けてくれたんだ。
 それを辞めるとは何ごとか!
 すぐ出光さんにお礼の奉公をしろ。
 6年間、ただで働け。
 それから帰ってこい!!」

当時の父親の気迫が伝わってきます。
青年は思い直したといいます。

待望の石油事業に復帰する機会は、意外に早く訪れました。
GHQ(占領軍本部)が、旧海軍のタンクの底に残った油を処理し活用せよ」
と指令を発したのです。

それは、タンクの底に入って油を汲み取る作業でした。
タンク内にはガスが充満し、窒息や中毒の危険がありました。
爆発の危険もあります。

普通なら誰もが請けない仕事です。
誰も請けない仕事だから、日本人にオハチが回ってきたのです。

佐三氏は「これで石油界に復帰する手がかりができた」と喜びました。
全社員を動員してタンクの底さらえ作業を開始します。

廃油にまみれ、泥まみれになり、鼻腔をつくがまんならない悪臭だけでなく、
中には手足がただれる者も出ました。
たいへんな作業なのです。

しかし誰もねをあげませんでした。

「俺たちは石油屋だ、
 油の扱いは俺たちの仕事だ」
という誇りに満ちていたのです。

「底さらえ」作業は、約1年半に及びました。
そして出光興産は、廃油2万キロリットルの汲み取りに成功しました。

このときの丁寧な仕事ぶりはGHQと、
その背後にいる米国石油メジャーに強烈な印象を残しました。

これが、後に正式に石油界に復帰する足がかりとなり、
出光蘇生の原点となっていくのです。
いまでも「タンク底にかえれ」は出光興産の合言葉です。

昭和28(1952)年3月のことです。
この時期、イランは英国資本の油田を強制的に摂取して国有化したため、
英国と国交断絶状態になっていました。
英国海軍は報復のため、ペルシャ湾を航行するタンカーを監視し、
イランから石油を積み出そうとするタンカーを拿捕しようとしていました。

このことは、イランにとっても、肝心の石油を売ることができないという、
むつかしい状況を招いてもいました。

「いまイランに行って石油を積み出せば、
 石油を安く仕入れることができ、
 さらにイランと日本の国交を切り開くことができる。」

佐三氏は、当時出光興産が所有していたただ一艘のタンカー「日章丸二世」に密命を与えました。

「日章丸二世」が向かう先は、サウジアラビアということにしました。
しかし船長と機関長の2名だけが、実はイランに向かうと知っています。

成功すれば、一艘の積荷で、二億円の儲けです。
けれどタンカーが拿捕されて失敗すれば、4~5千万の赤字となります。
そして出光興産は倒産します。

日本は、この前年に占領から独立したばかりです。
その日本が、連合国の一員である英国の横面を張り倒す行動に出るのです。

神戸を出航した「日章丸二世」は、18日後、ひそかにイラクに入港しました。
英国の監視下にあった港に入港したのです。
このニュースは、まさに世界のトップニュースを飾りました。

そして世界中が注目する中、イランの石油を満載した日章丸は、
夜陰にまぎれ、他船との交信さえも一切止めて、ひそかにペルシャ湾を抜け出しました。
そしてインド洋を横断し、約一カ月かけて、無事、川崎に入港しました。

このニュースは、占領に打ちひしがれていた当時の日本人の心を奮い立たせました。
そして、世界に日本の海運技術の凄味を見せつけました。
また、イランと日本の信頼関係の絆を深めました。

これに対し、英国アングロイラニアン社が「待った」をかけます。
積荷の石油は、英国のものであるというのです。
そして東京地方裁判所に提訴しました。

裁判のとき、佐三は東京地方裁判所民事九部北村良一裁判長に次のように述べています。

「この問題は国際紛争を起こしております。
 私としては、日本国民の一人として、
 俯仰天地に愧じない行動をもって終始することを、
 裁判長にお誓いいたします」

日本人、ここにあり!です。

裁判に勝利した佐三氏は、昭和31(1956)年、徳山湾に日本一の製油所を建設しました。
その製油所建設の竣工式に、佐三氏は大恩人である日田重太郎を招待しました。

すでに82歳の高齢になっていた日田氏に佐三氏は、
「すべてあなたの御恩のおかげです」
と述べました。

日田氏は、
「あなたの努力と神様のご加護ですよ」
と言って、佐三に手を差し出しました。
佐三はその手をしっかりと握りしめました。

日田が神戸に住んでいた頃、佐三氏は神戸支店員を毎晩、
日田家に派遣し、年老いた重太郎の晩酌の相手を命じていました。
夏には軽井沢にある出光の別荘を日田氏のために提供していました。

淡路島で行われた日田の葬儀には、出光興産の「社葬」として、
佐三自ら参席し、生涯の大恩人に報いています。
佐三氏は、日田への恩を、生涯をかけて報いたのです。

昭和56(1981)年、95歳で出光佐三氏は人生の幕を下ろしました。

彼を支え続けた側近の一人石田正實は、安らかに眠る佐三の横顔を見ながら、

「この人は、生涯ただの一度も 私に
 『金を儲けろ』とは 言わなんだ。
 40年を越える長い付き合いだったのに……」

と呟いて落涙したそうです。
あとは言葉になりませんでした。


佐三氏は、終生「社長」でも「会長」でもなく
「出光商会」の一介の「店主」を押し通しました。
佐三のモット-は、

 「人間尊重」
 「大家族主義」
 「黄金の奴隷たるなかれ」
 「生産者から消費者へ」

というものでした。
彼は、若き日に師匠から教わった教えをそのまま、生涯にわたって実践し抜いたのです。

その佐三氏は、皇室を崇敬することが極めて篤い人でもありました。
また出光興産の東京本社には佐三の郷里の氏神である宗像神社があります。
佐三が逝去したおり、昭和天皇は、佐三に次の歌を贈られました。

 国のため
 ひとよつらぬき 尽くしたる
 きみまた去りぬ
 さびしと思ふ
   出光佐三逝く 三月七日

ありがたいことです。
会社は、ひとつの家族。地域も家族。国家も家族。それが日本流の考え方です。

(中略)

日本人にとって、会社は「家族」です。
それが、西洋風でもない。共産主義風でもない、日本風の商家の考え方です。

なにごとも西洋かぶれするのではなく、私たちはいまあらためて、
日本流経営学というものを学んでみる必要があると私は思います。

   (http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3249.html#more )

            <感謝合掌 平成29年2月21日 頓首再拝>

宗像大社と出光佐三 - 伝統

2017/02/24 (Fri) 19:07:12


(1)宗像大社

  ①由緒

   ここ宗像の地は、中国大陸や朝鮮半島に最も近く、
   外国との貿易や進んだ文化を受け入れる窓口として、重要な位置にありました。

   日本最古の歴史書といわれる「日本書紀」には、
   「歴代天皇のまつりごとを助け、丁重な祭祀を受けられよ」との
   神勅(しんちょく)(天照大神のお言葉)により、
   三女神がこの宗像の地に降りられ、おまつりされるようになったことが記されています。

   *神勅(しんちょく)→ http://www.munakata-taisha.or.jp/html/shinchoku.html


  ②御祭神

   宗像大社は天照大神の三柱の御子神をおまつりしています。
   三女神のお名前は

   田心姫神(たごりひめのかみ)、
   湍津姫神(たぎつひめのかみ)、
   市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)と申し上げ、

   田心姫神は 沖津宮(おきつぐう)、
   湍津姫神は 中津宮(なかつぐう)、
   市杵島姫神は 辺津宮 (へつぐう)におまつりされており、

   この三宮を総称して「宗像大社」と申します。


(2)動画(出光佐三と宗像大社)
   → http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/movie/munakata_movie.html

・・・


         *Web:齋藤シーサイドブログ(2017-01-10 )
              ~海賊と呼ばれた男~出光佐三と宗像大社

宗像大社は、またのお名前を「道主貴(みちぬしのむち)」と言います。

「貴(むち)」とは、最も高貴な神に贈られる尊称

他には、伊勢神宮の大日靈貴(おおひるめのむち~天照大神)、
出雲大社の大己貴(おおなむち~大国主命)のみ

それも道主なんで
あらゆる道を導かれる最高神として古くから御皇室をはじめ、
多くの人々の崇敬を受けており、現在も交通安全はもとより、
人生の道、修行の道、芸事の道、商いの道、勉学の道など
「すべての道を司る神」として多くの参拝客が訪れています。

そうなんです
道をつかさどる神

石油は車や船の燃料ですし、戦後の復興にはかかせないものでした
しかし・・・日本では石油がとれない
外国から輸入するしかない!!
海外から大型タンカーで石油が運ばれてきますが

もともと宗像大社が道主になったのは
海上の安全を守るため
奇跡ともいえるロシアのバルチック艦隊を破ったのも
宗像大社の沖ノ島の付近、当時の戦いを宗像大社の宮司が記録しています

古くから 日本と海上安全を守る海人族が祭る神だったので
出光さんはそのご加護をうけているのは明らかです。

海賊と呼ばれましたが 私的には 海神と呼ばれた男と言いたい。

とにかくこの出光さん
宗像三女神さんからご指名うけてお生まれになったとしかいいようがないんです。

もともと出光家は宇佐神宮の宮司の家柄だそうで
三女神の発祥は、『書紀』にも記されているように
豊前国一の宮宇佐神宮です。

宇佐神宮から宗像神社へと三女神を遷幸させたとする伝承が
両社を結ぶ曲線上の三社に残っています。

そして名前にも三の字が。
こんなことってあるんですね~~。

すごいお役目を背負っているのを
ご本人もわかっていらっしゃったんでしょう。

こんな名言を残しています

         ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

   私の育った町は特殊な土地柄で、宗像神社という有名な神社があった。
   私はその御神徳を受けたと考えている。

   私はいま神社の復興をやっているが、神というものを今の人はバカにしている。
   私どもにはバカにできない事実がたくさんある。

   私の会社は災害を一度も被っていない。
   理屈は色々つくかもしれないが、
   社員は神の御加護と信じているのだからしょうがない。

   また信じないわけにはいかないだろう

         ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

   私は日本人として生まれ、日本人として育てられ、
   そして日本人として経営をしている

         ☆   ☆   ☆   ☆   ☆


《出光さんは日本にとって何が大切かわかってらっしゃる方》

まさに光=81 日本の国番号でもあります。


そしてお名前を数霊でみてみると

いでみつ=122
 1キーワード:明鏡止水・スバル・才気煥発・にぎやか・弁護・滅亡

 122は栄枯盛衰を表す数霊です。
 自分の保身のために才能を扱えば衰退し
 全体の調和発展のために使えば栄華が訪れます。
 今の自分の立ち位置をきちんと見極め、明鏡止水の心境で進みましょう。

さぞう=71
 キーワード  地球・国生み・神話・聖書・家族・初穂・年輪 ・鈴・心意気・音楽

 意味 71は地球意識と関連する地球意識と関連する数霊です。
 とりわけ「始まり」や「生まれる」といった生成エネルギーとかかわっています。
 鈴の音も清らかに、壮大な音霊、言霊、数霊が響き合う 実におおらかで、
 清々しい気に満ちています。


そして一番びっくりしたのが
いでみつさぞう=193

リュウグウノツカイ、
 玉依姫(タマヨリヒメ)、
 弥勒如来、
 新羅明神になります。


これこそまさに海神と呼びたい出光佐三さまならではの数霊


リュウグウノツカイと玉より姫

玉より姫は海神(わたつみ)の娘で
トヨタマヒメ(乙姫)の妹で 神武天皇の母
まさ竜宮の使い。

(以下 略)

   (http://ameblo.jp/shicyusuimeiseiha/entry-12235937690.html

            <感謝合掌 平成29年2月24日 頓首再拝>

黄金の「虜(とりこ)」となるな - 伝統

2017/02/28 (Tue) 19:32:57


《創業の精神》 

出光佐三の言葉には、それぞれの時代の動きが鮮明に反映されるとともに、
時間を超えた重みと真実に裏打ちされた価値が感じられる。

佐三の若き日々には、日露戦争に勝ったことで社会の価値の尺度が
武士道精神から「黄金の奴隷」=拝金主義へと急速に変わりつつあった。

明治の末である。
当時、「明治元禄」とまで呼ばれた軽桃浮薄の風潮が広がっていた。

佐三がいた阪神地方は、とくにその風潮が強く、商工会議所の会頭が学校にきて、
「これからは学校の先生なんか駄目だ。金さえ儲ければいい」などと講演したという。

佐三は、この風潮を冷ややかに見つめ、批判的にとらえていた。

そこから社是ともなる、「黄金の奴隷になるな」という言葉が導き出されたのだ。

学生時代の佐三は、金持ちが金(かね)の奴隷になっている姿を見て、
その後、「黄金の奴隷になるな」と言って出光を創業した。

人間が物に恵まれるということは、必ずしもよいことではない。
気候や天然産物に恵まれている地方では、人間として優れた人が出にくい、
と佐三は言う。

自身の出身は、温暖な九州だが、気候・天然産物に恵まれてはいるものの、
台風というすさまじい天災を毎年経験する土地柄だ。

 
ぜいたくをせずに貯蓄をして、翌年の天災に備えるという精神、
そして、お互いにいたわり合うという九州人の性格はここから出来上がっている、
と佐三は語る。

この九州人独特のいたわり合うという性格もあって、
佐三は、いかなる場合にも従業員の立場を尊重してきた。

佐三は、経営に社会主義のいいところを採り入れたともいわれる。
しかし、社会主義の非能率なところは戒めて、その弱点は採用しなかった。
その後、共産主義が日本に入ってきた時、いいところは採って悪いところは捨てよとも言った。

 
働く人の立場を尊重することは認めるが、
「人間を平等なもの」と考える点には反対した。

人間の行為には善悪もあれば、勤怠、強弱などの差が存在する。
それをすべて「平等」に扱うということは「人間の否定」だと。

人間は、その立場を尊重し、人情を加えて公平に処適しなければならない、
その佐三の「行き方」は創業以来の実行と体験から生まれたものだ。

また、景気は循環し、好景気はつねに続くものではない。
それを忘れていると不況がきたときに取り乱してしまう。
佐三は、景気がいいときに、景気が悪くなったときのことを考えて準備させた。

好況でもぜいたくはさせず、順境のときほど経費を削減する。
会社に届いた封筒は、裏返しにして使う、といった小さなことから実践する。

そうすることで、儲かっているときには利益が社内に留保される。

儲かったからといってボーナスを必要以上にはずんだり、
みんなで遊びに行こうということをすると、いざというときには大混乱となる。
一方で、逆境のときに立てた計画は堅実で間違いがないものだ。


佐三の精神の底流には寛大さもあった。
人間ならだれにだって過ちがある。

佐三は、自分が過ちを犯してもとがめられず、
社員が犯すととがめられるという法はない、と言う。

忘れてはならないのは、自己反省する心であり、反省する心の積み重ねだ。
それによって、はじめて失敗が尊い経験となってあとで生きてくる。

資本家だって、金の威光を過信して、過って「黄金の虜」になってしまったのだから、
その失敗は、あまりとがめずに、心から悔い改めればよいと佐三は言うのだ。

佐三は、「遊び」は働くための遊びであるといい、「ぜいたくは人を殺す」とも言う。
給料は「働く」ための生活の保障であって、ぜいたくをするためにあるのではない、
というのが佐三の感性だ。

「幸福は老後にあり」とも言っている。
自分の老後、また、他人の老後をしあわせにするために、
人間はぜいたくをせずに働くべきであるという。

企業、社会、国家の一員として「自由に働く」ことこそが、
自らの労働にたいする「最大の報酬」だという発想が底流にあるのだ。

佐三が常々言っているのが、「給料は労働の対価ではなく、生活の保障だ」という言葉だ。
ぜいたくは戒めるが生活は保障しなければならない。
社員の家族が仲良く暮らしていくために衣食が足りるようにする、それが給料だという。

給料が仕事に対する報酬ではないとすれば、本人に対しての報酬とは何か、
それには佐三はこう答える。

「適材適所によって自由に働かせ、人生を楽しませること。
日々の仕事を楽しんで、時間も忘れ、公私の別も忘れて愉快に働くということ、
こういうふうにして人生を楽しませることが報酬だ」

 
金から離れた「心と心」のつながりを日本人は持っているという。
「物の分配」は人生の一部にしか過ぎず、
「人間尊重」=人間の尊厳を重視するということである。

労働を切り売りするのではなく、心を共有し、労働を愉しむことが目的となるのだ。

給料は、それについてくる保障に過ぎない、ということだ。

            <感謝合掌 平成29年2月28日 頓首再拝>

出光の「七不思議」が示唆する豊かさ - 伝統

2017/03/03 (Fri) 18:12:30


出光には「七不思議」があるといわれる。 

その第一は、出光には馘首がないということだ。
いったん入社した社員は、親と子供のような関係となって、
無条件に守られるというのである。
 
しかし、子供である社員は、なにか難関にぶつかると、すぐに会社を辞めたがるものだ。
昔から積極的に動く社員ほど、なにかにぶつかってくじけて、辞めようと思ってしまう。

出光では、「やりかけたことは終始一貫してやり遂げろ」という方針で、
事情がどうあっても途中では会社を辞めさせない、それが、本当の親切である
というのが、佐三のいう「人間愛」だった。

 
そして、出光には定年制もない。これが「七不思議」の第二だ。
もし、体の調子が悪くて、まだ若いがこれまでの仕事では働くことがむずかしい、
というのであれば、出光では、そういう人でもできる仕事を斡旋する。

「七不思議」の第三は、出光には労働組合がないということだ。

そして、「七不思議」の第四は、その労働組合ができても
自発的に解散してしまうということである。
絨首がなくて、定年制がないので、労働組合の必要性もあまりないのだ。

「七不思議」の第五は、出勤簿がないことだ。
人間尊重の精神から、社員を信頼すれば、タイム・レコーダーで管理する必要もなくなる。

「七不思議」の第六は、給料を発表しないということだ。
創業当初のことだが、これも人間尊重という立場から、
人間を金で見積もるということは、とうてい尊重していることにならないという発想だ。

そもそも日本人は金で評価されることを得意としない。
佐三が言うには、「九州あたりでは、親切を人に施してもらった人が、
金を渡そうとしたら、『貴様、人の親切を金で買うのか』とけんかになった」という。

「七不思議」の第七は、「残業手当を社員が受け取らない」ということだ。
佐三が、時間外手当てを制度化したら、だれも居残りをしなくなったので、
たずねたら社員はこう言ったという。

「私たちは、仕事が残っているからそれを片付けているのであって、
手当をもらうために会社に居残っているのではありません。
生活は安定しているので、手当ては不用なのです」

こう言って、各自が自宅に仕事を持ち帰って、片付けていたという。
まさしく、経営する側の気持ちを、社員のほうが先に汲んでいるということだろう。

佐三は、それを聞いて時間外手当ての制度をやめた。
すると社員たちは今まで通りに居残りをするようになった。

こうしてみると「出光の七不思議」は、実は「不思議」でもなんでもない。

佐三はこう言う。
「要するに人間を愛情で育てた結果だと思う。愛情で育った人間は非常に純情であるから、
お互いが人を疑わず信頼の念が強い。

そして、互譲互助の日本精神を知って一致団結、和の精神、呼吸というものを
会得しておるから、少数で非常に力強い威力を発揮することになる」

これこそが、出光の精神であり、佐三の言う「心の豊かさ」の源流なのだ。

            <感謝合掌 平成29年3月3日 頓首再拝>

日本国民を救うため命を張った出光佐三の偉業 - 伝統

2017/03/15 (Wed) 17:30:58

日本国民を救うため命を張った出光石油創業者・出光佐三の偉業

           Web:MAG2NEWS(2017.03.06 )より

《名経営者に学ぶ 出光佐三》

戦後ゼロからの再出発をした出光は、苦難を乗り越え、
どうにかタンカーを有するまでになったのですが、
独資を貫いたためにアメリカメジャーから締め出しに合い、
遂には油の輸入ができなくなります。

会社にあるお金であと半年で会社は立ち行かなくなります。
出光佐三は、これだけあれば、社員の再就職先を決めるには十分と考えて、
会社の整理にかかろうとしていました。

そんな矢先、イランの石油を買わないか? と、話が舞い込みます。

当時のイランはイギリスから独立したばかり、
石油施設の全てはイギリスが建設し、イギリスが石油の権利を主張していました。

イランが海外に石油を売ろうとすると、イギリス海軍が邪魔をします。
タンカーを拿捕し、イギリス軍が取り上げるのです
。実際に、イタリアのタンカーが拿捕され、世界中どこも、
イランの石油を買おうとはしていなかった。

非常に危険性が高く、拿捕だけではなく、撃沈される恐れまであったからです。


さて、あなたが経営者なら、この時どんな決断をしますか?

アメリカメジャーに頭を下げ、資本提携をして、油を供給してもらう。
そうすれば、普通に油を買うことができます。


ただ、出光佐三は、日本の油が外資に握られることは、日本の独立性を妨げると考え、
ここまで、独立独歩を貫いていました。

商売を変える。油以外の商品を売るという判断もできます。
実際戦後は、ラジオ修理から漁業まで、食うために何でもやった会社です。

潔く会社をたたむ。社員を引き受けてくれる会社を探し、会社を整理して綺麗にたたむ。
これも一つの考え方です。


さあ、あなたはどんな判断をするでしょう?


出光佐三は、イランに石油を買いに行く、そのように決断をしました。
まさに、命を懸けた決断であり、万一、船員に何かあれば、
腹を切る覚悟をもって行ったものと思われます。

幹部数名と船長と機関士だけで、秘密裏に実行したものでした。
イラン国民のため、日本の独立性を維持するために、
出光佐三は、命を懸けて行動したのです。

船員たちは、第2次大戦では海軍で従事していたので、
常に命をかけて船に乗っていた人たちだったから達成し得た偉業と言えるでしょう。

出光佐三の決断は、単に会社の存続などではなく、
イラン国民並びに、日本国民を救うという、天命をもって行ったことです。

この使命感の強さ、そして信念の強さは、凄いです。

同じ日本人として尊敬します。
こんな先輩が、ほんの半世紀前に、企業家として活躍されていたと思うと、
自分の枠にとらわれることなく、もっと、できることがあるんじゃないかと、
自分を鼓舞できます。

実際には、イランから石油を乗せて日本に戻るまでに、
いろんな難局を乗り越えたようです。

また、日本に戻ってからも、裁判が開かれ、その裁判に勝利して、
初めて、油を手にできたわけです。

ちょっとスケールが大きすぎて、参考になり難いかも知れませんが、
凄い日本人がいたわけです。

   (http://www.mag2.com/p/news/241857 )

            <感謝合掌 平成29年3月15日 頓首再拝>

出光佐三と仙厓和尚 - 伝統

2017/03/26 (Sun) 18:16:17


”道産子 さま” いつもありがとうございます。

出光佐三著「人間尊重五十年」より抜粋された資料を、
興味深く拝読させていただきました。
折角ですので、このスレッドにも、転写させていただきます。
お許しをお願いいたします。

・・・


             *出光佐三著「人間尊重五十年」より抜粋

7 仙厓和尚          昭和二十五年三月

本年は寅の年である。

ここに掛けてある虎の画は、正月に私の宅にかけたもので、仙厓さんが描かれた画である。
私は学生時代から仙厓さんの書画が好きであったから、盛んに集めた。

出光商会を創めてから旅行から帰って来たときに、
骨董屋が和尚の画をもってきていないとさびしい思いがした。
その後四十余年間、引き続き集めたので、仙厓さんの収集家として名を成した。

嬉しく思っている。

私ははじめから仙厓さんの書画そのものが好きであったので、
その後仙厓さんの逸話等を聞いて、剽軽な面白い坊さんだと思ったが、それだけである。

この気軽な洒落者があの有名な円通禅師であることを知ったのはずっとあとの事である。

私は画を通して和尚を知ったのであった。
禅師にあこがれて書画を集めたのではない。

ここにかかっている大幅は、虎の親子が戯れ遊んでいる図である。

幻住庵(仙厓さんの隠居所)の韜光(とうこう)和尚の箱書に、
咄莫言画猫為虎と言い尽くしたるごとく、恩愛溢るる親子の猫を描いて、
一声月明に嘯く猛虎の風格を顕わしている。

和尚は若くして狩野派の密画を学び、その技巧は驚くべきものである。
とうてい今ごろの画家の及ぶところではない。

それが次第に変化していって、この虎のように、子供のような画になっている。

博多に行って骨董屋に仙厓さんの書画を注文すれば、立ちどころに何十幅でも集まる。
しかし大部分はにせものである。

それほど誰にもたやすく書けるような字であり画であって、
その実は、極地の技巧から絶対に抜け出て解脱しきったところの、
死生を超越した芸術の絶対境そのものである。

修養とか、苦行とか、瞑想とか、何とかかとか
あらゆるものを征服した、いわゆる肝芸である。

何十年かの間にこの肝芸に感化されているつもりなのが、
われわれ出光人の今日であると思う。

草葉の陰で和尚さんが、「このにせもの野郎どもが」と
苦笑されているお姿を見るような心地もする。

猫を描いて虎とされた仙厓さんと、虎を描いて猫となる出光との差である。呵々。

この大幅に讃して「竹十二枚陣瑚で鯛釣る」とあり、
その脇に「陣瑚一合辱く存候」と添書きがしてある。

思うに、赤貧の信者あって先祖が何かの供養のくばりものに
竹の画十二枚を仙厓さんにねだり、その礼に陣瑚(糯米の粉)一合を持ってきた。
その一合の米の粉に対するお礼としてさらにこの虎の大幅を贈ったものらしい。

算盤と数字からはどうしてもバランスのとれぬ難問題である。

しかしながら信仰と赤貧とで割算をやり、その答えが尊い人間と出たときに
仙厓先生の胸算用が読める。

和尚の相手はいかなる場合も人であった。
金銭の匂いがひどかったり、名声の光の強いものは大嫌いであった。

この大幅に岩瀬君が「貧者の一燈」と題したのも面白い。

和尚の老後の友だちは子供と貧乏人と酒飲みと、庵の裏に棲んでいた狐とであった。

人間尊重に向かって画は盛んに書かれた。

書いてもらいにくる人があまり多いので、


      うらめしや わが隠れ家は雪隠か

             来る人毎に紙置いて行く


と狂歌して、老後「絶筆」の碑を建てて断られたが、
それでも酒飲みの一丸岩根と子供だけはどうにも断りきれなかった。

万屋という酒屋に逸品が沢山伝わっているのも、岩根の酒代である。

こちらに懸けてある小幅は、虎が竹に頭をすりつけている画である。
痒いところに手が届かねば竹でこする、と讃がしてある。

長男昭介が先日これを解いて、
融通無碍、円転滑脱、ものにこだわらないことだといった。

そのとおりである。

それにしても思い出す話は、当時熊本に豪潮という有名な荒法師があって、
九州の禅堂を荒らし回った。

ある日仙厓さんの聖福寺の道場破りに来るということになった。

和尚さんが山内で畑いじりをしておられる折から、
雲をつく大入道が山内にぬっと現われた。

きわめて小柄な仙厓さんはちょこちょこと走り出て、大入道の耳に口を寄せささやいた。

「今日は豪潮という坊主が道場荒しに来るから、半殺しにして
やると言って、荒法師どもが手ぐすね引いて待っているから」と
揶揄して帰した有名な話がある。

ものにこだわらないで大局を簡単にかたづけてゆく円転ぶりはこの小幅に躍如としている。

現代世界に対する重大なる示唆である。

この書画を通じての仙厓さんは一遍の洒落者にすぎないが、
この人こそ禅堂にその人ありといわれたる円通禅師その人である。

京都本山の妙心寺から綸命(りんめい)により紫衣を賜ることになったが、
名利に恬淡なる和尚は固辞して受けず、和尚の死後、
円通禅師を謚(おくりな)されたのである。

                                                   (つづく)


15 サム・フランシスと仙厓 
 (雑誌『芸術新潮』十二月号掲載) 昭和三十四年十二月


先ごろアメリカを回った際、私がサム・フランシスの絵を求めたことについて
感想を述べるようにとのことである。

今年の四月であった。

ニューヨークにちょうど東野芳明夫妻が来ているというので訪ねたところ、
それはサム・フランシスのアトリエで、彼がパリにいる間の留守を頼まれている
というのであった。

部屋にはいると、サム・フランシスの絵がかけてある。

同行のT氏が、「あ、これは描きかけですか」と言ったが、私の第一印象は、
描きかけともなんとも思わず、ただ「あっ」というショックだった。
何かに打たれたのである。

東野君が「描きかけじゃない」と言う。

するとまたT氏が、絵の真中の白の部分をさして「滝ですか」と聞き、
東野君が「滝じゃないですよ」と答えた。

なるほど、T氏の言うように、その白の部分は描きかけとも滝とも見えた。

その白の部分は色が塗ってあったのであるが、私は目が悪いし、夜でもあったため、
白の絵具と思わず、直感的に日本画の白紙の印象をもった。

「ははあ、白紙の絵がある。」そう思ってその日は辞去したのであるが、
ニューヨークを発って旅行している間中、この絵が頭にこびりついて離れないのであった。

それで東野君に譲ってもらいたい旨頼んで、手に入れたわけである。

アメリカで買った絵はこの一点だけであるが、”絵を買う”という感じでなく、
ただ”欲しかった”のである。

その帰途、サンフランシスコの近くのオークランド美術館で、館長とこんな話をした。

(この美術館では二年前に白隠、良寛、仙厓の三人の書画展をしたことがある)―――

あなた方の油絵というものは全部塗りつぶさなければならない。
組織と理屈とあらゆるもので埋めてしまって、人間のはいる余地がない。

ところが日本画は木を一本描いて影も描かない。
そこには人間がはいることになっている。

鳥が一羽描いてあれば、あとの木や石は人間がはいって考えるのだ。

日本画には、そういう人間のはいる余地がある―――

そう私が言うと、館長は、いいことを聞いたと喜んでいた。

そういうふうに、私は洋画は塗りつぶすものと思っていたが、
サム・フランシスの絵に人間のはいる余地を見て、面白いと思ったのである。 


それより以前、去年の二月、パリのヴェルサイユ宮に行ったときのこと、
まことに立派な御殿で、それこそ目を奪うばかりであった。

なるほど、きれいだな、さすが芸術の国だなと一応は思いながら見て行くと、
ヴェルサイユ講和会議のあった瑠璃の部屋にはいった。

大広間中、切子のガラスで張ってあるが、
とげとげしく身を切られるようで落ちつかない。

日本人には向かないのだと思いながら歩いていた。

ヴェルサイユ宮を出て、古垣大使を訪ねると、応接間の床に黒一色の絵があった。
大使の説明によれば、それはこのごろフランスで流行っている
新進画家のビュッフェの描いたものだそうだ。

なんです、これは。

これは絵じゃないですよ。

それでは”無”ですか。

そうですね。

というようなことで別れたことがあった。

                                                   (つづく)
絵でなく“無”であるという感じが外国の作家から出ていることを、
私はこのごろしきりに感じている。

フランスの作家たちは、東洋から”無”というものをとりいれて、
そこに芸術の美しさを見ているのではないかと思う。

私は三十代のとき、弐本の書というものが外国人にわかれば、
ほんとに日本というものがわかる、日本の芸術というものがわかるだろうと考えていた。

しかし字の意味はわからないだろう、われわれは字の意味がわかるから書が面白いのだが、
外国人には永久にわからないだろう、惜しいことだ、外国人にほんとうの芸術を
知らせることはできないと思っていた。

その解決がやっとこのごろついた気がしている。

先日、タビエ、アセット、ガレリーらが来て、仙厓の書画などを見せてくれと言う。
いろいろ出して見せると、ガレリーが、はじめ書を掛けられた

ときはたいした感じをうけなかったが、ここにいる間に
書が一番印象に残った、と言って帰った。

そのことを私は考えて、こんな結論めいたものに到着した。

―――われわれは、書と字を混同していないか。

字なら活字でいいが、書はただ字を書に応用したということではないか。
たまたま字というものが芸術に応用されて書になっている。

だから、外国人は日本の書を見るときに、
字を読まずに芸術に触れているのではないだろうか。

絵の最高のものは墨絵だというが、私は、子供のころから墨絵に心をひかれていた。
骨董屋の言うには、普通の人はまず極彩色からはいって、淡彩に行き、
そして墨絵ということになるのだが、

あなたはまだ若いのに、初めから墨絵とはどういうわけだろうと言う。

私は、極彩色にはまだ関心があるが、淡彩や色のついたものは嫌いである。

ブリジストンでマチスの絵を見たとき、はじめは色の鮮やかな時代がつづく。
「は、きれいだな」と思ってみていくうち、しまいに線に変わっている。

ちょうど仙厓の線を見るような感じになっている。

私は、「マチスはとうとう色はとれなかったな」とひとりごとを言って帰った。

仙厓は墨で色を出すところまで行っている。

だがマチスは線はそこまで来たけれども、色はとれなかったという意味である。

墨は黒いが、“無”である。無は無限大である。
墨色から“無”に触れんとしているのではないか。

白地に人間がはいるように、そこに人間がはいっているのではないか。
私はそんなふうに考えている。

西洋の人間の考えには“有”というものがあって、“無”というものはない。

ところが東洋には無の思想がある。
そこに外人と日本人との違いがあると私は思う。

その無という財産を、外国から求めているのが現代だと思う。

仙厓の絵を外人に説明するのに、よく白隠の達磨と比較する。

そのとき、この達磨は白隠という坊さんが描いた。絵を描いたのだ。

仙厓という人も若いときは<絵>を描いている。

しかし、その絵はしまいに絵でなくなったので、
これは絵ではない、しいて言えば、思想だ。

そう言って説明するのである。

仙厓も若いときは立派な<絵>を描いた。
それが抜けきったとき、絵でないものになった。

書にしても、楷書を書いて書き抜いて草書や行書に抜けたのが、立派なものになっている。

書がわかれば日本がわかるという私の三十代のころの考えは、
今思っても当たっていると思っている。

日本でもフランスでも抽象絵画が盛んであるが、
理屈を描いてあるのがほとんどで、嫌な感じがする。

このサム・フランシスの絵などは理屈も何もなく、無だけである。

やはり芸術というものは世界共通のものだ。


私はこの間、巨きなことを学んだ。
孟宗竹を七、八十本植えたところがある。
人間が植えたもので、植えたときには見られないものだ。

ところが二カ月たたぬうちに形がついてきている。

竹が互いに話し合って、お前はそっちお前はこっち、と全体をまとめている。

和田三造氏がそこへ来て、竹でさえお互いに物言うて芸術をつくっているのだぞ、
人間恥ずかしいじゃないか、と言っていた。



サム・フランシスまで加わった私のコレクションは、殷周の銅器にまで遡る。

二十七、八のとき、支那、満州に渡って、そのとき安いものをであったが、
三点か五点買って帰った。

館で求めたものであるが、その中にいいものがあるということだ。

ひとつは舎利塔であるが、小さい中に蓮華の花があり、脚は獣の脚である。

これを京都の鑑定家の蔵六に見てもらったところが、
何度行っても、箱が置きっぱなしで、わからないと言う。

しかし、たいしたものであることは確かで、
おそらく正倉院だかの舎利塔と同じ類だろうと言う。

そして、「後学の教えを待つ」と書いて、一カ月くらいして亡くなってしまった。

そんなものをたくさん買って帰って来た。

私の集めた唐津を、アメリカでも仙厓の展覧会といっしょに出さないかと言われた。

唐津はもう出来ないのであるし、私のものという感じがしないので、
財団法人のようなものをつくっておこうかと考えている。

季節の美術館のように、美術的な目で集められたコレクションでなく、
たとえば私という一つの目を通じて集めたコレクション、
仙厓とサム・フランシスが並べてかけてある美術館が建つ日もあるかもしれない。

とはいえ、それは大変な仕事で、私が破産してしまいそうだ。

美術館もいいが、ここで常に私の考えていることを述べておきたい。

並大抵ではない苦労を重ねていままで保存されてきたものを、
今のように、美術館にぞんざいに並べて、わけもわからぬ子供にまで
やたらと見せるというのは困ったことだと思う。

われわれの祖先が千年以上も苦心して保存してきたものを、
現代人が自分のわがままで短期間につぶしていいかどうかということは、
再考を要することではないか。

現代は芸術のない時代だと思う。

その上に、過去の遺産を壊してしまえば、何も残らないことになってしまう。

すべてなくなったあとどうするか、心細いことである。


                 (おわり)

http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7374384
(2017/03/19 ~ 2017/03/25 )より転写

            <感謝合掌 平成29年3月26日 頓首再拝>

みずから顧みて尊い人になれ! - 伝統

2017/03/28 (Tue) 19:00:56


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

社会は人間がつくったもの。人間のための社会である。
社会の中心は人間でなければならない。

人間中心 
人材を養成する。

それが今日の「人間尊重」ということになった。
これも「みずから顧みて尊い人になれ」というのが、出光の人間尊重なのだ。


自分が顧みるのであって、人が何といってもいい。
人が「馬鹿」といったって自分が馬鹿でなければ、いいじゃないかということだ。

反対に「あなたは偉い人ですね」とおだてられて偉がっておる馬鹿がおるか。
自分が顧みて人間として恥ずかしくない人であればいい。

道徳をわきまえている人、

お互いということをわきまえておる人であればいいのであって、
人からいわれることではない。

-出光 佐三-

http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_1.html

            <感謝合掌 平成29年3月28日 頓首再拝>

いかなる場合でも相手に対して愛情をもってほしい - 伝統

2017/03/29 (Wed) 18:09:32

            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

人間は愛情によって育ちます。
しかも愛情によって育った人は、人間として、最も尊重すべき人であり、
そして、お互いに仲良く和の力を発揮する。

対立闘争なんかない、これだけです。

だから諸君は、今後いかなる場合でも相手に対して、愛情をもってほしい。

騙されたっていいじゃないか。
騙す奴は騙せというくらい。・・・。

愛情をもって、部下や同僚に対して、処置していくことです。

  (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_2.html

            <感謝合掌 平成29年3月29日 頓首再拝>

精神的定款を忘れるな - 伝統

2017/03/30 (Thu) 18:53:43


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

諸君が会社に入ってすぐいわれることは、出光には定款が二つあるということです。
一つは法律上の定款で、諸君が知っておるように石油業である。
もう一つは精神上の定款である。

人間がお互いに仲よくすれば、こういう強い力がでるということを示すことである。
それが出光の本当の仕事である。

それで、私が六十年近く、いってきておることは
「人間として本当に尊い人になれ」ということです。

今は「人間尊重」というものが乱用されて、何か人に物を与えたり、
家を与えたりすることのようにいわれておりますが、
私はそんなことをいったことはない。

「みずから顧みて尊い人になれ」ということをいっている。
人間そのものが尊いのであって、人から物をもらうことではない。

人から尊敬されるのではなくて、自分が自分を尊敬する。

その尊い人がお互いに仲よく力を合わせて、
その合わせた力をお互いのためにもちいる。

これが日本人のあり方であり日本の国体のあり方である。
それを私は六十年近くやってきておる。

http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_3.html

            <感謝合掌 平成29年3月30日 頓首再拝>

士魂商才 - 伝統

2017/03/31 (Fri) 17:55:39


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

生活を質素にしたり、われわれが経費を節約するというようなことは
金を尊重することで、奴隷になることではない。

それからまた、合理的に社会・国家のために事業を経営してそして、合理的に利益をあげる。
これは金を尊重することだ。

しかしながら、昔の商人のように人に迷惑かけようが、
社会に迷惑かけようが、金を儲けりゃいい。これは金の奴隷である。
それを私はとらなかった。

しかし、私は金を尊重する。
昔の侍が金を尊重することを知っておったならば
私の先生が私に書いてくださった額にあるように
士魂商才 侍の魂を持って商売人の才を発揮せよ。

この士魂商才が武士によって発揮されて日本の産業は、
明治時代に外国のいいところを採り入れて、
りっぱな事業家がたくさん出たと思うのです。

http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_4.html

            <感謝合掌 平成29年3月31日 頓首再拝>

努めて難関を歩め - 伝統

2017/04/01 (Sat) 18:16:37


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

僕は努めて難関を歩け、ということを言ってきた。
ある目標に達する時にイージーゴーイングをすれば、すぐに達せられる道がある。
これは経済学の教えである。

けれど僕は、努めて難関を歩けということを言って、
経済学の原理とは反対の行動をとってきた。

なぜかといえば人間の目標は、ここにあるのではない。
その先の先にある。
イージーゴーイングをやって、ここにきた人は、
ここまでは難関を歩いてきた人と一緒であるが、この先にまだ難関がある。

その時には、もう登れない。
それは金持ちの坊ちゃんと一緒で、人間としての力がない。

努めて難関を歩いて、努めて苦労を味わう。
これが人間としては、大切なことである。
これを僕は教えてきた。

投機で金儲けはやらないという、経済原理に反することを言ってきたから、
明治、大正、昭和の初め、いわゆる資本主義の全盛時代には極端に苦しんだ。
その苦しみが今日の出光をつくる、大きな基礎である。

http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_5.html

            <感謝合掌 平成29年4月1日 頓首再拝>

私の一生は学生生活の延長 - 伝統

2017/04/02 (Sun) 19:00:29


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

「教」だけではいけない。
「教育」の「育」によって人間ができるんだと。

そして、育った人間が初めて学問を活用するのである。
ということを水島先生に教わったのです。

それからもう一つは、内池廉吉博士という方が配給論、倉庫論を教えておられました。
この方に今で言えば事業の社会性というものを教えられた。

事業は金儲けじゃないのだ。
社会のためにあるべきものであるという事業の社会性を私に教えられた。

これを私が「そうだ」と思って実行しておるのが、
今の出光のこの経営のあり方なんです。

大阪の黄金万能の教訓と水島先生の愛の教育とそれから、
内池先生の事業は社会性を持つべきものであるという、
この三つの教訓を受けて、

私がそれを五十年間、実行に移したということに過ぎないのです。

それで私は「私の一生は学生生活の延長である」ということをよく言います。
学生の時に考えておったこと、学生の時にこれはいいなと考えたことを、
五十数年間今でも貫いておる。

それが間違ってなかったということを私が証明しているわけなんです


http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_6.html

            <感謝合掌 平成29年4月2日 頓首再拝>

今後、商売人はいらない - 伝統

2017/04/03 (Mon) 20:40:31


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

「商人はいらない。
しかし、生産者も消費者も増えていく中で
その生産者と消費者が直接取り引きすることはできない。

この中間にあって生産者に対しては、
『消費者はこういうものを希望していますよ。』ということを知らせて
生産の方向を決める。

また消費者に対しては、
『こういう新しいもの。こういう便利なものができましたよ。』ということを知らせて
消費者の便宜を図る。

いわゆる生産者と消費者のためになる、配給者としての商人は絶対に必要である。」

金があるのにまかせて、問屋業をやって中間搾取をする。
またある問屋業は、金によって買い占めをやって儲けると
いうようなことが、当時はあったんです。

「中間搾取はしちゃならないが、生産者と消費者の間にあって、
配給を簡素化する商人は絶対に必要である。」

配給論、倉庫論をやっておられた内池廉吉博士という方がとある講演で言われた。

私は「これだ。これをやろう。」ということで、
私の会社が消費者に直接売る形を作りました。

「消費者本位の石油業」という言い方をしていますが、
中間の無駄を省く、今の「流通革命」なんです。

 (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_7.html

            <感謝合掌 平成29年4月3日 頓首再拝>

不況克服への道 - 伝統

2017/04/04 (Tue) 18:38:49


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

今のような状態が戦後の日本の本当の状態であるから、
ここから自力で立ち上がる。

それには、ここで苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いて、
経営学を応用するような経営者になるということです。

ところが、大勢の経営者の中には非常にまじめに経営している方と
ふまじめに経営している方があって、いずれもとばっちりを受けて苦しんでおられる。

それだから、ここでまじめに経営して、とばっちりを受けて
苦しんでおられるようなところには、国家なり銀行がこれをよく見分けて助けてやる。


ここで玉石をより分ける。

玉は拾いあげてどこまでも立派にみがきあげるが、
石はこの際、おっことすというくらいの度胸がなければ、
この日本のほんとうの立ち上がりは、できないと思うのです。

今のような苦境が、戦後の日本の真相であるという覚悟をきめ、
苦境に直面して、自分をみがき、自力をつけて、ほんとうに立ち上がったならば、
世界に対して恐ろしいものはないと思うのです。

 (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_8.html

            <感謝合掌 平成29年4月4日 頓首再拝>

「お互い」ということを世界が探し求めている - 伝統

2017/04/05 (Wed) 18:40:50


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

個人主義は利己主義になって、自分さえ良ければいい、
自分が金を儲ければ人はどうでもいい、
人を搾取しても自分が儲ければいいということになっている。

ところが本当の個人主義というのは、そうではなくて
お互いに良くなるという個人主義でなければならない。

それから自由主義はわがまま勝手をするということになってしまった。

それに権利思想は、利己、わがままを主張するための手段として人権を主張する。

この立派な個人主義、自由主義、権利思想というものが悪用されているのが
今の時代で、行き詰っている。

それで私はよく会議で言うんだが、

「お互いという傘をかぶせてみたまえ。個人主義も結構じゃないか。
個人が立派に力強くなっておって、そしてお互いのために尽くすというのが、
日本の無我無私の道徳の根源である。

自由に働いて能率を上げて、お互いのために尽くすというならこれまた結構である。
それから自分が人間としてしっかり権利をもって、
お互いのために尽くすというなら結構だ。」

と言うんです。

互譲互助、無我無私、義理人情、犠牲とかはみんな「お互い」からでてきている。
大家族主義なんていうのも「お互い」からでてきている。
その「お互い」ということを世界が探しているということなんだ。

(http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_9.html)

            <感謝合掌 平成29年4月5日 頓首再拝>

過去の苦しみを楽しめ - 伝統

2017/04/06 (Thu) 19:24:41


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

「昔を考えると実によかったですね。
二十代のことを考えると実に楽しかった。
二十代にかえりたいですな。」

と僕に言った人がいる。

「いや私は真っ平ご免です。
私の七十代までの出光というものは死ななければ逃れられない、
という苦しみを五十年やってきた。

その苦しみをまた、二度とやろうとは私は思いません。
若い時なんかにかえりたいとは思いません。」

実に死にまさる苦しみをやってきた。

ところが八十を越しての私はその過去の苦しみを楽しんでいる。
私くらい一生恵まれた者はない。

八十を越して

「ああいい人生であった。あんな苦しみをしたが、あれがよかった。」

苦しみは、ああ苦しかったというだけですむ。

ところが、今日の1日1時間は長い。
その1時間を「ああ よかった。」と過ごすのと
「悪いことをしなければよかった。」と思って過ごすのと…これが人生の幸福だ。

人生の幸福というものは老後にある。
僕くらい幸せな者はありません。

ということは過去の苦しみを楽しんでいるということだ。

これが人生なのだ。

 (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_10.html

            <感謝合掌 平成29年4月6日 頓首再拝>

科学・技術の進歩の前に人間の尊厳が確立されていなければならない - 伝統

2017/04/07 (Fri) 18:47:57

            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

技術、科学の進歩の前に人間の尊厳が確立されてなければ、
科学、技術の進歩を喜ぶわけにはいかない。
不幸せとみなければならない。

これを我々が、解決しなければならない。
人間の尊厳を尊重するということが遅れている。ということです。

人間の尊厳を確立する時代に明治101年から、私は入ったと思うんです。
これが日本人に対する大きな責任であり、世界的使命であると思います。

あとは諸君がお考えになって、日本人が本当の人間の尊厳をもっている、
和をもって、貴しとする民族性であるということを考えて、
我々がこの事業をやっていく上にも「人は資本なり」という考えで、
人間のあり方を立派にして社会に見せる。

そして、日本全体が十年、二十年、三十年後に今の若い人がそれをつくりあげて、
そして、世界に示して世界の平和福祉に貢献するということが仕事であると思うのです。

http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_11.html

            <感謝合掌 平成29年4月7日 頓首再拝>

組織は心の中にあり - 伝統

2017/04/08 (Sat) 18:34:43


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より抜粋

組織はあっても、形式的な組織はなつたけ小さくして、
ほんとうの組織は心の中にもつようにしなければならない。
そうすると非常に人間が少なくて済む。

組織は命式として必要だが、
ほんとうの組織や規則は自分の中にしっかりもっていて、
形式的な組織に縛られてはいけない。


そして、これができるのは日本人だ。
外国の経営は「和」ということがないんだよ。
外国では権利を主張して、お互いが対立しているから譲り合うことがないだろう。

そこで対立している人を組織でつなぐことになる。
だからそれは烏合の衆であって人数ばかり多く要して、
しかも力は弱いものである。

日本人にとって組織は形式的なものであって、お互いが心でつなぎ合っている。
それが日本の和だ。
両者の違いは、口では説明できないが、実際にやってみると、非常な差が起こる。

組織中心の外国の行き方はたくさんの人が必要で、
しかもお互いに権限を主張して対立しているので、力は弱い。

日本では、組織にとらわれずに一人ひとり仲よく
団結の力を発揮するから、人間は数が少なくても非常に力が強い。

 (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_14.html )

            <感謝合掌 平成29年4月8日 頓首再拝>

種々の方針や手段は、人間尊重から派生的に出てくる - 伝統

2017/04/09 (Sun) 18:35:51


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より抜粋

小なりといえども出光商会は創業当時より理想をもち、主義を立ててきたのであります。

今日となって商売にもそれが真の行き方であったと思われる。
人間がつくった社会である、人間が中心であって、
人間を尊重し自己を尊重するのは当然すぎるほど当然である。

種々の方針や手段はこれから派生的に出てくるのである。

人間尊重は、人材の養成となり、努力主義となり、家族主義となり、
温情主義となり、拝金思想の排斥となる。
営業の方針も、投機の排除となり、実力主義となり、実行主義となるのであります。

過去において黄金の力は人情の弱点に乗じて金力万能の時代を招来したのでありました。
私共は人間としてこれに対抗し苦闘して来たのであります。

今や世界は一大転回をなしつつあるのであります。
次に人情の弱点を突くものは数学的理論であり、
理屈万能の時代であり、理屈倒れの世の中であり、
人間が理屈に使われる時代で あるかも知れない。

人間としてわれわれは理屈に挑戦して、
人が理屈を支配するの本体に引き戻さねばならぬかも知れない。

人間の社会であり政治であり教育であり文化であり思想であり経済である以上、
これらの中に強く人情の長所美点を織り込んだる時にこれらは永久性を与えらるるのである。

同時に人情の短所弱点を発揮したる時にまた永久性を失うのである。
大衆は力足らずして人情の弱点に陥り易い、金に屈し或は理論に使われるような
弊害を醸し易いのであります。

われわれは永久に人間万能の時代醸成のため奮闘を続けねばならないだけの
覚悟を要すると思うのであります。

かくして初めて人生に意義あり生き甲斐ある所以であります。
世俗に超然として衆愚を中心に引き戻さんとする
無欲垢衣の名僧智識の心境もかくして窺知せらるるのであります。

 (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_15.html

            <感謝合掌 平成29年4月9日 頓首再拝>

現在の出光を試験管内の参考品と見るところに、製品の尊厳があり将来性がある - 伝統

2017/04/10 (Mon) 19:13:34


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

苦節三十年、店員とともによく働き、またよく苦労に耐ええたと思います。
そして何ものか出来たようでもあり、しかして創作も加味されているようでもあり、
自分のみでなく他人にも鑑賞してもらえるような気もするのであります。

三十年は非常に長くもあり一瞬の短さでもあります。
出来たものは大きいともいえるし、試験管内の研究品ともいえるのであります。

出来たのは人の力の試験か、なんだと一笑に付せられるような、
平凡な、簡単な、至極ありきたりのものであります。

人生の真理というものは概してこのたぐいであります。

現在の出光商会を完成に近づきつつありと思うのは退歩であり、
試験管内の参考品と見るところに、製品の尊厳があり将来性があり、
また過去の努力の甲斐があるのであります。

人間尊重は真理であり、また実行においてわれわれは勝ったのであります。

しかしいまだ試験管内のことであるかもしれない。
社会全体に製品として利用されうるかは今後に残されたる問題であり、
私の生涯もあるいは研究室に終わるのかもしれない。

いずれにせよこの大問題解決の責任は新入店員諸君の双肩に残されたものであります。
不幸にして諸君は出光商会順調の時代のみを見て忍苦の体験を有しない、
生か死かの極地に身をおくの機会を得られない、死線の苦しみを体得しえない、
死中活を得るの心境など思いも寄らないのである。

環境を支配するにはいまだあまりに力が弱いのであり、
むしろ環境に引きずられるのである。

幸いに先輩諸君の創業当時の燃ゆるがごとき意気と、
その後における不撓不屈(ふとうふくつ)の精神とを思索し、
私がただ三十年の体験にのみよってものしたるこの一文を熟読玩味し、
つとめて難につき苦難に向かい、試練の機会を逸せず、修養の生涯を送るならば、
必ずや大事を完成することができると信ずるのであります。

かえすがえすも先輩の築きたる温室に中毒せざらんことに留意せられたいのであります。

  (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_16.html )

            <感謝合掌 平成29年4月10日 頓首再拝>

「人間都市」をつくろう - 伝統

2017/04/11 (Tue) 18:04:01


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

(1966年3月 徳山市連合婦人会会員への公演 「日本婦人のまとめる力」より)

私がこちらにくる十日ほど前、社員といろいろ研究をやっておるときに、
ひょいと「人間都市」という言葉がでた。

今までにも産業都市、工業都市、あるいは文化都市、政治都市というようなことは
いろいろ言われておりましたが、人間が楽しみ、みんなが和気あいあいと仲良くする
「人間都市」ということは一度も言われたことがありません。

そのような都市は世界にも例がない。
これを大阪や名古屋にすぐやるというわけにはいきません。

周南地方はこの「人間都市」をつくるためにはちょうどころあいの都市だから、
ここに「人間都市」の見本をつくってみようじゃありませんか。

それが非常にいいということは、誰がみたってわかりますから、
それを今度は山口県全体に及ぼせば、山口県が、「人間の県」になる。

さらにこれを日本の政治、教育に及ぼしていけば、日本全体が初めて「人間の国」となり、
「人間尊重の国」になる。
そうすれば初めて、対立闘争の外国人が、和のあり方を目でみることができるようになる。


外国人には、和のあり方をいくら理屈や書いたもので説明したってだめです。

これをたとえて言えば、インド人に北極の寒さをいくら口で説明してもだめだが、
一度、北極につれていけば簡単にその寒さがわかるということです。

それだから、外国人に和のあり方を知らせるためには、体験さす以外には方法がない。

日本人が和の形、人間のあり方、平和福祉のあり方の形をみせて、
おまえたちは間違っているぞ、対立闘争はしあわせじゃないぞ、ということを知らせたら、
世界が初めて平和、福祉の世界になるのではないか、と思うのです。

そうなるまでには十年かかるか、二十年かかるかわかりませんが、
何十年かかったって、やるべきものをやらなければ、
人類は全滅してしまうことになるのです。

そして、これをやれるのは皆さんお一人、お一人なんです。

皆さんがたが、ご家庭を慎ましやかに、控え目に、
そして大きな愛の懐で抱きかかえられるように、この徳山全体を抱きかかえてくだされば、
ここに「人間都市」が実現します。

  (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_17.html

            <感謝合掌 平成29年4月11日 頓首再拝>

出光は実行有言である - 伝統

2017/04/12 (Wed) 19:02:47


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

(昭和54年4月 店主室教育第11期生に対する訓辞「人間のあり方がすべて決する」より)

空理空論はだめだということだ。
だから実行しなければだめだということは一般の通論になっている。

逆に言えば、“有言不実行”ということは、何もせんということだ。
学者がそうだよ。
理屈ばっかり言って実行はできん。

“有言不実行”の次に、黙って実行せよというのが、“不言実行”だ。
実行に重きをおいたのだ。
一般社会の人は、黙って実行せよということになっている。


ところが出光は“不言実行”で黙っておってはいかん。
実行して、それをもって人に示唆を与えるのだ。
これが“実行有言”じゃないか。

実行して、人にこうしなさいといえるのが出光じゃないか。
示唆を与えるのだ。

“実行不言”は、我利我利亡者のやることじゃないか。
そうじゃなくて、世間のため、人のために教えてやろうということになれば、
“実行有言”じゃないか。

それはいま、出光がやっていることだろう。
なんでも、あからさまにやっている。
僕が、ものを隠したことがあるか。あればいってみたまえ。首切るぞ(笑)。

実行して、人にこうしなさいというのは、いいことを実行していないといえないよ。

世間のためになるいいことをして、こうしなさいというのが“実行有言”だよ。

そこに出光がきているということだ。
わかるか。わかるとすれば頭はいいな(笑)。

  (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_18.html

            <感謝合掌 平成29年4月12日 頓首再拝>

運営より経営 - 伝統

2017/04/13 (Thu) 20:04:46


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

(1948年4月 詔書奉読式における訓辞「運営と経営」より)

先年私は、貴族院の会議において運営より経営に移せと迫ったことを思い出した。

戦時中、事業経営者の力は無視せられて、
すべては企画され、その運営が各方面に指図された。
こうなると事業家は指図のままに動いておればよいので、
事業は全然事務となり、経営者は受動的となり、
責任は軽く、経営は運営と変わったのである。

戦時中経営という言葉は消失して、運営という言葉のみが用いられていた。

元来事業の経営ということは非常にむずかしいことで、
学者や理論家や宗教家にできるものではない。

学理や理論にとらわれてはならないのはもちろん、
多くの場合これから離れねばならぬ。

頭のいい、素質のいい人が、多年の間学問や理論を参考にして、
人間という生き物、社会という動いているものを相手に命がけで体得した六感、
見透しの力を基として、非凡の努力をなすところに生まれてくるのである。

運営が受動的、事務的、無責任なるに反し、
経営は主動的であり、事業であり、責任そのものが経営である。

責任者なき運営は理論倒れとなり、生産の不振となり、
インフレの進行、国家の破産となる。

経営者として責任ある人を得てはじめて事業は成立するのである。

ひとり事業のみでない、国家の政治も運営より経営に移すべく、
責任ある経営者を選ばねばならぬ。

アメリカの援助をあおぎ、外資の導入を語るには、
まず運営を経営に改める態勢を整えねばならぬ。

責任政治の確立、統制の極度の緩和、自由市場の復活、税制の大改革、
労働法規の改善、等々によって、人々による経営をはじめ、
予算の均衡を得たる国家、収益のある事業を実現せねばならぬ。

まず責任政治家、責任経営者の育成に進まねばならぬ。
かくしてはじめてアメリカは日本援助の目的を達し、
資本投下の気にもなるのである。

要は実力ある真の経営者をつくり、
早く運営より経営に移るべきである。

  (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_19.html

            <感謝合掌 平成29年4月13日 頓首再拝>

大きく行き詰まれば、大きく道が開ける - 伝統

2017/04/14 (Fri) 19:54:48


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

(1975年8月『文藝春秋』掲載「九十歳でもゴルフはできる」より)

最近、財界人の中にも、やれ不景気だ、
やれ日本の前途は暗いだなんてこぼしてるのが多いね。
日本人ならもう少し自信持たにゃいかんですよ。

ぼくは今度『永遠の日本』という本を出したんですが、
このタイトルはアンドレ・マルローさんの言葉からとった。
外国人のマルローさえ認めてるのに日本人がそう悲観することはないんですよ。

不景気大いに結構、天下大乱いいじゃないですか。ぼくは楽観主義ですよ。

人間ちゅうものは苦労しなけりゃだめ、
苦労すればするほど、人間、立派になるんです。
ぼくなんか努めて苦労してきましたからね。
何が起こったってビクともしやせん(笑)。

世の中の中心は人間ですよ、金や物じゃない。

その人間というものはね、苦労して、鍛錬されて、はじめて人間になるんです。
苦労しなきゃ、人間の呼吸はわからんということですよ。

だから、人間尊重のぼくに言わせりゃ、もっと混乱せよちゅうことになる(笑)。

大きく行き詰れば、大きく道が開けるということです。

金や物や組織に引きずられてちゃいかん。
そういう奴を、ぼくは金の奴隷、物の奴隷、組織の奴隷と言うて攻撃しているんだ。

石油業界だって石油危機以来、たいへん苦労している。
今のままでいくとつぶれるところも出てくるかもしれん。
政府が手を打ってつぶさんようにしているけれど、
本当は一つ、二つつぶれたらいんだ(笑)。

そうすりゃ、皆、考える。
石油業界も他力本願じゃなく、まず自力で改善していくことが先ですよ。

「逆境にいて楽観せよ」という言葉がぼくは好きなんだ。

悪い時にヘトヘトになるな、
これを突き抜ければ、あとがいいぞということですわね。

小さい水溜たまりにでも風が吹けば波が立つんですよ。
波のない世の中なんてありますか。

  (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_20.html

            <感謝合掌 平成29年4月14日 頓首再拝>

資金難の中で事業は絶えざる発展をつづけた。この苦しみが人を育てた - 伝統

2017/04/15 (Sat) 18:18:49



            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

(1949年10月 詔書奉読式における訓示「事業と芸術」より)

生産者より消費者への小売業には、まず施設の建設、商品のストック、
売掛金の増加等のため非常に資金を要する。

これが満州、朝鮮、台湾と大地域に及ぶに従い、
資本はますます不足を感ずるようになり、
当時の資本主義の時代では、口こそ対人信用はとなえられたが、
肝心の人を見ることがむずかしいので、

貸すほう でも安易な方法をとり、物や金に対して貸す結果となり、
出光の資金難は至難の道を歩き続けた。

しかも人によって事業はどしどし発展し、
その結果は事業はいつも資金に先んじて伸びてゆく。
資金の不足は出光の年中行事となった。

店内において、金儲けと配給者としての使命の達成との矛盾が起こった。

私はまたこの矛盾の真只中で考えて考えて考え抜いた。

問題は簡単である。
資本家に屈して資本主義経営に移るか、
あくまで民衆の事業としての経営に猛進するかの二途のいずれを選ぶかであった。

もちろん金融業者の中にも真剣に出光を研究し検討し興味を持つ人もあり、
またこれらの人々の支援は徹底的なものがあった。
私の唯一の力であり尊い慰めであった。

私は信念に生きるための苦しみを甘受して決して逃げなかった。
今日からは想像もできないような資金難を甘受しつつ、
また店内を戒めつつ外部の了解につとめた。

そして資金に苦しみ苦しみ、長い年月の間事業は絶えざる発展を続けた。
この苦しみが私とともに店員を人として訓育したことはいうまでもない。

かくて人は事業をつくり、事業は資金をつくっていった。
人と金の順序についても信念をもつようになった。

終戦直後、出光の人が口々に、出光は人が資本である、
出光は資本を失っていない、この生きたる資本は馘首(かくしゅ)すべきでないと、
言い合ったことも当然のことである。

  (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_21.html

            <感謝合掌 平成29年4月15日 頓首再拝>

「お互い」ということで解決できないものはなに一つありません - 伝統

2017/04/16 (Sun) 17:59:18


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

(「永遠の日本」発刊に際して「日本の青年へ」より)

私はこの十数年来、講演する場合の演題は、
いつも「日本人の世界的使命」ということに決めております。

これはどういうことかと言えば、今、世界は対立闘争で行き詰まっております。
第二次世界大戦後、世界の永遠の平和と人類の福祉を目標につくられた国際連合は、
組織としては、もうこれ以上大きいものはないというほど、完全なものができておりますが、

その実態は、平和と福祉を実現できないのみでなく、
ますます微に入り、細にわたって混乱は激しくなるばかりです。

それでは、今日の世界の混乱はなぜ起きているのでしょうか。

ここで忘れてならないことは、交通、通信が非常に発達して、
一日で世界中をまわるほど、世界が時間的に狭くなっているということです。

今の世界は神奈川県とか埼玉県とかの広さのところに、
百以上の異民族が雑居している形ですから、
対立闘争の思想では、うまくゆくはずがありません。

今や人類が従来の思想をまったく転換しなければならない時代に
入っているということです。

そうしますと、今日では外国の権利思想、個人主義、対立闘争の思想は、
もう時代おくれのものであり、そこに浮かびあがってくるものが、
日本のお互いに譲り合い、お互いに助け合うという「互譲互助」、
「お互い」という道徳のあり方ではないでしょうか。

「お互い」ということで解決できないものはなに一つありません。

そしてこの「お互い」という道徳をもっているのは、
日本民族だけでありますから、今、世界の人びとが熱望してやまない
平和、福祉を打ちたてるために日本人は特別の大使命をもっている
ということであります。

 (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_23.html

            <感謝合掌 平成29年4月16日 頓首再拝>

「示唆を与える」ということについて - 伝統

2017/04/17 (Mon) 19:01:46

            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

(出典:「マルクスが日本に生まれていたら」(3~4頁))


質問

店主は、いろいろな場合に示唆とか、示唆を与えるという言葉を使われています。
おそらく、いまからの質疑応答の中にも、示唆という言葉が出てくると思いますが、
これはいったい、どういうことでしょうか。


出光

この示唆という言葉は戦時中に出来たんだ。
軍が戦時統制の名のもとに、組織・機構・法律のみに頼って
人の真の力を無視した行き方をした。

これはたくさんの人を要して、しかも非能率な行き方で、
いわゆる烏合の衆、力の弱いものなんだ。

これに対して出光は、人間中心、和の精神にもとづく
少数精鋭主義の簡素強力な行き方を主張したのである。

そして、だいたい同量の石油を扱っていた満州では専売制がしかれ、
北支では各種の委員会、共同販売会社が出来て2百人以上の人数が配置されたのに対し、
出光にまかされた中支ではわずか3人で上部の統制業務をやってのけた。

こういう3つの極端に違った形が出来た。

こういう事実を見て、出光社内に出来たのが、

「出光は石油配給という些事(さじ)をやっているのではない。
出光の真の目的は、人間が真に働く姿を現わして国家・社会に示唆を与えることにある」

というあの言葉だ。

つまりこの示唆という言葉は、
軍の非能率を戒めたことがきっかけとなって出来た言葉だ。

そしてその後、人間の真に働く姿をもって示唆を与える
ということがいつとはなしに出光の精神的な信念となってしまっている。

ぼくがあらゆる機会をとらえてこの言葉を使うのも、そういうことからだ。

そして産業界のみならず、政治、教育などすべての方面に和の姿をつくって、
日本全体が和の姿にもどり、その姿をもって対立闘争している世界に
示唆を与えるようになってほしいというのが、ぼくの希望だ。

  (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_24.html

            <感謝合掌 平成29年4月17日 頓首再拝>

尊重すべき人間は愛情と鍛錬によって育つ - 伝統

2017/04/18 (Tue) 18:16:09

            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

(出典:1966年刊『マルクスが日本に生まれていたら』85~86頁)

出光

そこで話を本筋にもどすが、
さっき、出光は搾取はないとか、社員全部が経営者である、ということを言ったが、
それではどうすれば、そういう経営になるかということが問題だ。

それは上に立つ人が、愛をもって従業員を育てる、
そして自ら率先して、努めて難関に向かってこれを鍛錬すること以外にないと思う。

愛によって鍛錬する、
鍛錬は口先で従業員を鍛錬するのではなくして、
上の人が身をもって先に立つということだが、
そこにはじめて尊重される人間が出来てくることになる。

出光では開店後から終戦まで、そして現在まで、
ぼくもいつも先頭に立って、社員とともに苦労してきている。
出光の若い人が強いのもそこに原因がある。


こういう行き方は、経済学で言う経済原則とは全然違う。

経済学では、最小の労力をもって最大の効果を収めるということを言うだろう。
経営でいえば、なるたけ働かずにイージー・ゴーイングをやって
金を儲もうけるということになると思うが、ぼくはその行き方を採らなかった。

同じところに達するのに、最小の労力をもって最大の効果を収める道と、
難関を通っていっても行ける道とがあるならば、ぼくは自ら選んで難関を通ってきた。

難関を通るということは、人間を養成するということだ。

イージー・ゴーイングをやったならば、
金は儲かるかもしれないが、人間は養成されない。

だから、その到達点よりさらに先に進もうとするときに、
イージー・ゴーイングをやってきた人は挫折してしまうが、
難関の道を歩いてきた人は、次の難関も容易に乗り越えることができる。

ここに金の力と人の力との相違がはっきり現れてくるんだ。

ぼくが開店以来、資本家・金持の金を使うことをせずに、
一方においては大地域小売業という、資金がいくらでも要る方法を採った
ということは、非常な難関を歩いたということだ。

それから終戦後、世界石油カルテルに対して戦いを挑んだということも、
難関を努めて歩いたということになる。

今でもわれわれは、政府とたたかいつつ、自ら進んで難路を歩いている。

そういうわけで、愛をもって人を育てて、
努めて自分が率先して難関に向かう、ということが基本だ。

  (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_25.html

            <感謝合掌 平成29年4月18日 頓首再拝>

出光には資本家の搾取がなくて、全員が経営者である - 伝統

2017/04/19 (Wed) 19:37:39


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

(出典:1966年刊『マルクスが日本に生まれていたら』74~75頁)

質問

ちょっと理屈を言いますが、もちろん経営に加わっているという意味では、
すべて経営者なんですけれども、ふつう経営者という場合には、
経営の指導を行い、その経営に対して最高の責任をとる者という意味があると思います。

たとえば軍隊を例にとりますと、皆軍人である。
軍人という点では皆、変わりないのだけれども、
その中にファンクションとして将軍があり、参謀がおり、
下士官がおり、兵隊がいるというぐあいに、それぞれ分担がある。

それぞれが自分の立場で軍人としての任務を果たしている。
その場合の将軍の機能を果たしているものが、
経営では経営者だということになります。


出光

ぼくが言っているのは、経営学で言う経営者を言っているのではない。
企業の中に社長、専務、営業部、経理部というような組織があるのは当然だ。

けれども、組織の一人一人、皆が、自分が責任をもってやっておる
その心構えは、経営者の心であるということだ。

事業経営をやっているものは、
ぼく一人ではなく全員でやっているということなんだ。

そのことについては、君たちも知っているように、
開店後数年たってから、随分ぼくが悩んだ問題だ。

僕は独立自営したが、
店員はぼくの独立自営の陰に犠牲になって搾取されているのか、
という疑問が出た。

いろいろ考え悩んでいるうちに、店員を自由に働かせて
各自の仕事の上では独立させよう、ということで解決がついた。

経営学で言う経営者とか使用人という観念は、出光にはないよ。
形式的な組織としては社長も専務もあるが、お互いの心掛けは、
皆が全責任をもって経営しているということだ。

  (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_26.html

            <感謝合掌 平成29年4月19日 頓首再拝>

Re: 海賊と呼ばれた魂の人~出光佐三 - 童子

2017/04/19 (Wed) 20:14:24

乱入します

 【告知】です

 公益社団法人 国民文化研究会 講演会

 第19期 第29回 国民文化講座

 『出光佐三と日本人』 ― その高き精神的気圏に触れよ

 
 ●講師  新保 祐司 先生

(文芸批評家、都留文科大学教授)


 ●日時  平成29年6月10日(土)

 午後1時半開会~午後4時20分閉会(予定)
  (講演前に当会会員の所見発表を行います)

  開場 13:00

 ●場所 靖国神社「靖国会館」

 半蔵門線・東西線・都営新宿線「九段下」駅より徒歩5分
 JR「飯田橋」または「市ヶ谷」駅より徒歩10分


 ●会費 1,500円(学生500円)

 ※支払いは当日受付にて

 ●定員150名

 ●主催公益社団法人 国民文化研究会

 ●後援産経新聞社

 ●協賛「日本の家」伊佐ホームズ株式会社



 講師紹介 新保 祐司 (文芸批評家、都留文科大学教授)


昭和28年(1953)、仙台市生れ。東京大学文学部仏文科卒。出光興産勤務を経て、批評活動を本格化。2007年、フジサンケイグループ第8回正論新風賞を受賞。

著書に、『内村鑑三』、『日本思想史骨』、『正統の垂直線 透谷・鑑三・近代』、『国のさゝやき』、『信時潔』(以上構想社)、『異形の明治』(藤原書店)、『シベリウスと宣長』(港の人)、編著書に『「海ゆかば」の昭和』(イプシロン出版企画)、『別冊環⑱内村鑑三』、近著に『「海道東征」への道』(藤原書店)などがある。

現在は、都留文科大学副学長・教授。産経新聞コラム「正論」執筆メンバー。戦後封印されてきた皇紀2600年奉祝曲「海道東征」(昭和15年、北原白秋作詞・信時潔作曲)の復活公演を牽引し、話題となっている。



◆講師の言葉から


《出光興産の創業者、出光佐三(映画『海賊とよばれた男』の主人公のモデル)が昨今話題になっている。 四十歳過ぎまでこの会社で働いた私としては感慨深いが、出光佐三に『日本人にかえれ』と題した著作がある。 この四十年ほど前の呼びかけは、今日一層の重みを持って日本人の心に響いてくるのではないか


今や、日本人は精神の芯を大方(おおかた)失ってしまったからである。文明開化以降百五十年ほど経過して、特に「戦後民主主義」の下で日本人であることからあまりにも離れてしまった現在の日本人は、改めて「日本人にかえ」らなければならなくなったのである。


出光佐三の言葉に「僕は青年に呼びかける。政治家をあてにするな、教育に迷わされるな、そして祖先の伝統の血のささやきを聞き、自らを頼って言論界を引きずれ、この覚悟をもって自ら鍛錬し、修養せよ、そして、その目標を明治時代の日本人たることに置け」という呼びかけがあるが、この「祖先の血のささやきを聞」くことによって日本人は「日本人にかえ」ることができるのであり、戦後の風習や世上を覆う通念から「脱却」しなければならない。》

(平成二十六年一月一日付け産経新聞・正論より)


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” 童子 さま” ありがとうございます。 - 伝統

2017/04/20 (Thu) 18:59:07


” 童子 さま”の 【告知】のご投稿、謹んで拝読いたしました。

そして、新保祐司氏のことを教えていただき、感謝申し上げます。


新保祐司氏をWebで探索したところ、次の資料がヒットいたしましたので、
このスレッドの関連として、以下に掲載いたします。

(1)【正論】年頭にあたり 新保祐司氏 「日本人に返れ」の声が聞こえる
   http://prt.iza.ne.jp/kiji/column/news/140101/clm14010102260001-n1.html

   (この中に、” 童子 さま”紹介の「講師の言葉から」があります)

(2)【正論】
   映画『海賊とよばれた男』の主人公、出光佐三の高き精神的気圏に触れよ 
   文芸批評家、都留文科大学教授・新保祐司(2017.1.27)
   http://www.sankei.com/column/news/170127/clm1701270004-n1.html


   (以下は、抜粋です)

   佐三が、昭和15年の紀元2600年の年にまとめた
   『紀元二千六百年を迎えて店員諸君と共に』に出光の主義方針が掲げられている。
   このタイトルそのものが、佐三の思想を表している。

   「紀元二千六百年を迎えて」であり、「店員諸君と共に」なのである。

   この文章に「人間尊重」「大家族主義」「独立自治」「黄金の奴隷たるなかれ」
   「生産者より消費者へ」が挙げられている。

   この佐三の考えは、日本人であることの深い自覚から生まれたものであり、
   単に経営を成功させるための功利的なものではなかった。
   戦後の高度成長の波に乗っただけの経営とは、正反対の考え方であった。


   ≪アウトサイダーの道こそ正統≫

   しかし今日、高度成長を牽引(けんいん)した「名経営者」たちよりも、
   出光佐三の価値が広く認められる機運にあるということは、

   「戦後民主主義」の中で「日本人」たることを怠ってきた日本人の心に、
   本来の日本人とは何かというヴィジョンを求める心が湧き上がってきている
   ということではないか。

   経営、あるいは政治・経済の運営にも、
   日本人としての自覚が必要だということであり、
   浅薄な人間観、国家観、世界観では、もはや通用しないということである。

   アメリカ的経営に侵食されてきた弊害に気付いて近来、
   日本的経営の重要さが見直されているが、
   それには、出光の在り方が「示唆を与える」のではないか。

   日本的経営を経営学のレベルでとらえるのでは足らず、
   本当の日本的経営の根本には、日本人の自覚と愛国心がなくてはならないからである。

            <感謝合掌 平成29年4月20日 頓首再拝>

道徳は時代や社会とともに変化するか - 伝統

2017/04/21 (Fri) 18:04:27


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

(出典:1966年刊『マルクスが日本に生まれていたら』177~179頁)

質問

マルクスは、道徳や倫理が人間や社会にはじめから備わっているものではなく、
人間社会の発展にしたがって発達するものと考えています。

そして階級社会では、階級的道徳が存在し、
それぞれ階級の利益を表現するものであると考えています。

ところで店主は、時代と民族を越えた普遍的な道徳を認められますか、
それとも道徳は時代とともに変化すると考えられますか。


出光

道徳というものは、時代とともに変わるようなものではない。
人間社会の平和・福祉をつくるのが道徳であって、あとはなにもありゃしない。

道徳というのはつくるものでもなければ、書いたものでもない。
人間の心の中にあるものだ。

二人以上の人間社会で平和にしあわせに暮らしましょうということ、それが道徳なんだ。

しかし人間は矛盾性やわがままを発揮して非道徳なことをするから、
それを戒めるために宗教、哲学などがある。

ところが、西欧では征服者が被征服者を治めるために法律をつくり、
規則をつくってそれを守るのがモラルであるように、
鈴木 大拙(すずき だいせつ)*先生からぼくは聞いておるがね。

そういう対立闘争のモラルというものは時代とともに変わるだろうし、
国によって違うだろう。

しかし道徳は全人類が平和にしあわせに暮らすということであって、それ以外にはない。
したがって民族や時代や国によって変わるようなものではない。
この意味で、思想も道徳も人類の存するかぎり唯一永久不変である。



質問

店主は、先ほど道徳の理念として、二人以上の人間が生活するには、
お互いに仲良く平和に暮らすことだ、と言われましたが、
そのような考えの出てくるもとは、なんでしょうか。


出光

そのもとは愛だよ。人類愛。

愛ということは、これは簡単に言えば、
相手の立場をいつも考えるということ、
とくに強い人が弱い人の立場をいつも考えるということだ。

相手の立場をいつも考える、ということは互譲互助だ。



鈴木 大拙: 1870~1966 哲学者、禅の研究家。

禅を軸とした東洋思想を英語でも著し、海外に広めた。
1949年文化勲章受賞。

店主とは仙厓和尚の書画を通じて親しくなった。

 (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_28.html

            <感謝合掌 平成29年4月21日 頓首再拝>

社会構造の改革が先か、人間育成が先か - 伝統

2017/04/22 (Sat) 17:20:52


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

出典:1966年刊『マルクスが日本に生まれていたら』102~103頁)

質問

これまで出光の経営の具体的あり方を通して、
いかに人間が疎外状況から抜け出すかについて述べていただきましたが、

マルクスと出光の変革の対象やその方法について比較してみますと、
変革の対象として、マルクスは社会構造そのものを変えることによって、
平和なしあわせな社会をつくりたいと考えたのに対し、

店主は、人間そのものが尊重すべき人間に帰ること、
一言で言えば、本来の日本人に帰ることによって、
その人間が住みよい社会をつくればいいと考えておられる。

またその方法としては、マルクスは階級闘争の道をとったのに対し、
店主は、まず愛情と鍛錬によって、享楽やぜいたくをつつしむ
尊重すべき人間を育成して、その人がいろんなことを判断していけば、
立派な社会が出来るということを、現実に出光という事業経営の中で示しておられる。

こういうように要約できると思いますが…


出光

社会は人間がつくっているものだから、
その人間がまず、心の人間に帰れということだね。

愛情を中心としたような人間が、
社会の仕組みを仲良く住みよいようにつくればいいんだ。

知恵ばかり発達したような人間では、知恵を悪用してなにをするかわからない。
とくに大きな戦争の後では、知恵ばかりが急激に発達して
心は退廃してしまうのが普通なのだ。

それが今日の世界の行き詰まりを来たしている原因じゃないかね。
だから心の人間でなくてはならない。

最近ぼくは「知るところを忘れて行うところを知る」という言葉をよく使うんだが、
今日のごとき知恵ばかり発達しているときには、
知恵を忘れて心の人間となって行うことが最も必要じゃないかね。

心の人間がつくれば、平和と福祉の社会が出来るということであって、
理屈でいくら社会構造を変えてみても、なんにもならない。

平和・福祉をつくろうとする人間の心が出来て、
その心が知恵や技術を利用して、社会の仕組みを考えていくということだ。

そしてその心は、日本の平和の三千年の歴史に示されているということだね。

  (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_29.html

            <感謝合掌 平成29年4月22日 頓首再拝>

社会の矛盾に引きずられてはいけない - 伝統

2017/04/23 (Sun) 18:59:22


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

(出典:1966年刊『マルクスが日本に生まれていたら』108~110頁)


質問

人間が社会から影響をうけて、
人間の考えやあり方が変わってくることもあると思いますが…



出光

影響のうけ方が問題だ。
人間の矛盾性から起こる社会の矛盾に人間が引きずられてはいけない。

ぼくは学生時代に、大阪の商人が人間としての矛盾性を発揮している姿をみて、
黄金の奴隷たるなかれ、と言って出発したんだが、

その場合のぼくは、人間の尊厳というものを自覚して、
人間社会はああいう姿であってはいけないと思って、
引きずられずに反発したんだ。

なにか最近では、自分が悪いことをしたり、堕落したりすることを
社会の責任であるかのように言う風潮があるが、

人間が、自分でつくって自分で矛盾性を発揮している社会に影響をうけ、
引きずられるなどということは、主客転倒しておりはしないか。
そんな本末を誤るようなことをしてはいけないということなんだ。

社会は人間がつくったものだから、矛盾性があるのはあたりまえだけれども、
自らの矛盾性を戒めつつ、それを克服し、間違いを改善していくところに、
人間の人間たる所以、すなわち人間の心のあり方があるということだ。

それ(矛盾)は変化というものであって、
人間から独立した矛盾なんてものではないよ。

変化はいつの時代でも、どういう社会でもあるよ。
そういう変化に対して、平和に仲良く暮らすという人間の心で
正しく対処していけば、そこに進歩繁栄が生まれる。

反対に、人間が我欲・エゴイズムの矛盾性を発揮して対処すれば、
そこに矛盾が起こって、対立闘争したり混乱したりして退歩となる。

変化も、人間次第で進歩ともなれば退歩ともなる。

要は人間が心を正しくもって対処していくことだ。

 (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_30.html

            <感謝合掌 平成29年4月23日 頓首再拝>

社会では プラス に人情を加える - 伝統

2017/04/24 (Mon) 18:04:17


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

(出典:1966年刊『マルクスが日本に生まれていたら』65~67頁)

出光

今度の戦争中、共産主義から転向した人が相当出た。
門司でもその人たちの「更生会」が出来て、そういう人を保護し指導する会があった。
ぼくはそのとき門司の商工会議所の会頭で、その会の副会長、
つまり資金集めをさせられていた。

或るとき、20人ばかり会員が寄ったときに、小倉の或る検事が、
せっかく君らが更生してもやはり衣食が安定しなければまた動揺するかもしれない、
という意味のことを訓示の中にちょっと入れたんだ。

そうしたら1人が立ち上がって、
「今の検事の話はけしからん。実に検察官らしい態度で不愉快だ。
われわれは食わんがために生きているのではない。主義のために生きているんだ」と言う。
そうしたらみな黙りこんでしまった。

そこでぼくは、主義者というものは、人のことばかり責めることを知っておって、
自分のことを顧みることを知らない態度があたまにきたので、すぐ立って

「君は検察官が検察官らしいと言ったが、今の君の態度は主義者らしいぞ。
人のことばかり責めずに自分のことも少しは考えたらどうだい。
検察官は検察官らしいのがいいじゃないか。君は主義者らしいからいいじゃないか。
俺は油屋をやっていて、油屋らしいからいいじゃないか。

それがらしくなかったら、おかしいぞ。そこで一つ君に問題を出すが、
1と1を加えるといくつだい」と言ったんだ。

そうすると、2じゃないですかと答えた。
ぼくは「それは数学、学問だが、そのまま社会に応用していいか」と、さらに突っ込んだ。

そうすると、「学問も社会も同じですよ」、こういう返事だ。

だからぼくは「それは違う。社会では1プラス1にさらに
人情というものも加えなければならない。人情を加えなければ社会には通用しないぞ。
君らは学問をそのまま社会に応用する悪い傾向がある」と言ったら、
相手は黙りこんでしまった。

後でその人は「あの油屋のおやじは面白いことを言うね」と言っておったそうだ。

  (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_31.html

            <感謝合掌 平成29年4月24日 頓首再拝>

日本の家族主義 - 伝統

2017/04/25 (Tue) 18:21:24


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

(出典:1966年刊『マルクスが日本に生まれていたら』46~47頁)


質問

店主の「人間が平和に仲良く暮らす社会」の具体的な内容や姿が、
だんだん浮き彫りにされてきましたが、それは日本の家族主義が
土台になっているように考えられますが…


出光

そうだ。日本の家族主義は、親子兄弟仲良く暮らすという平和な、
しあわせな姿として、世界に誇るべきなんだ。

家族の中に中心があって、そのもとに、皆が愛情と信頼でつながっている。
愛によって育った人は、純情であって人を疑わず信頼するから、一致団結する。

ぼくは日本の家庭のあり方をみて、
出光における大家族主義の行き方と比べてみることがあるんだ。

出光の大家族主義は、日本の家庭におけるような信頼と愛情の姿を、
会社の中で実現したいということなんだが、会社ではお互いに
血のつながりがないので、お互いに他人としての遠慮があって、
わがままをつつしんでいるので、うまくいっているんだね。


ところが、家庭は血のつながりという大きな愛情に安心して、
お互いにわがままが出るから、表面上は会社のようにうまく行かないように見える
場合もあるが、いったん家庭の外から圧迫が加わったりすると、
理屈なしにさっと家族全員がまとまるんだね。

君たちも経験や実感がありはしないか。
最後は血のつながりで、すべて自然に解決されてしまうんだね。

これが家庭生活の根幹をなすものであり、日本民族の基礎をつくっている。

    (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_34.html

            <感謝合掌 平成29年4月25日 頓首再拝>

世界に示唆を与える - 伝統

2017/04/26 (Wed) 16:51:10


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

(出典:1966年刊『マルクスが日本に生まれていたら』213~214頁)

質問

日本人の和の道が、日本の、さらに世界の檜舞台に迎えられて、
多くの人々の共感と理解を得るためには、どうしたらよいと思われますか。


出光

次にわれわれ出光のことだが、日本人出光が創業以来55年間、
ただ日本人としての道を忠実に歩いた結果、資本主義・社会主義・共産主義の
いずれの主義にもとらわれず、40年前にその長短を取捨選択して、
仲の良い、力強い形をつくりあげているということは、
これはもう非常に貴重なことだと思うね。

ということは、出光は、小さいながらも、
こうすれば愛によって平和に仲良く力強くいけますよ、
という呼吸を会得して、その実態を持っているわけだからね。

そこで、われわれとしては、この実体・体験をもって、
日本人および世界の人々に平和と福祉のあり方について示唆を与えなければならない、
と思うんだ。

かねがねぼくは、出光では石油業は手段にすぎないと言って聞かせているが、
出光の真の目標は、この示唆を与えるということなんだ。

この言葉は、君たちも知っているように、
戦時中、軍と一部の官吏が人間を無視して組織倒れのことばかりやったのに対して、
人間中心の出光の生き方をもって、国家・社会に示唆を与えよと言ったんだが、

今はもう国家・社会というよりも、世界の平和と福祉のあり方に示唆を与える
というふうに、われわれの示唆のあり方も躍進してきていると思うんだ。

君たち若い人が、そういう自覚をもって、
石油業という手段をとおして、この尊い仕事を実現していってもらいたい
というのが、ぼくの希望だ。

    (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_35.html

            <感謝合掌 平成29年4月26日 頓首再拝>

玉音を拝して - 伝統

2017/04/27 (Thu) 18:11:41


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

(出典:1972年刊「我が六十年間 第一巻」152~153頁)

しかしながら、この後、最も直接にかつ深刻に諸君を不安ならしむるものは、
この後の苦しみである。

焼野ヶ原に於けるドン底生活、更に加わる新たな負担、突破せねばならぬ建設の苦しみ、
これらに堪え得るかの不安である。

この大任を果たし、聖旨(せいし)に答え奉り、祖先の霊に報告するは容易の事でない。
これは、死に勝る苦しみを覚悟せよ、との一言に尽きると思います。
この後引続き種々なる苦難が来る毎に、死んだ方がましだと思う事が続くと思う。

私は創業二~三十年前、人生は斯(か)くも苦しいものか、
死ななければこの苦しみより逃れる事は出来ないとしみじみ苦しみ続けた。
親友も私が自殺するであろうと何度も思ったか知れないと、語ってくれた。

この連続した苦しみは私も今日にして居るのである。
艱難(かんなん)汝(なんじ)を玉にす、と言う事はどうしても忘れられない。

三国干渉、日露戦後の国難が過去において日本を強化し発展させ
第一次世界戦争の一時の安逸が日本を如何(いか)に国歩艱難に導いたかは、
かねがね述べた通りである。

苦労は力(つと)めてせよとは、
店是(てんぜ)であり私の常套語(じょうとうご)である。

戦時中の今迄の苦労が偉大なる精神的根幹を強化した事も述べた。

この後の苦労が国家の前途に大なる結果を齎(もたら)す事も争えない事である
とするならば、吾々は如何なる苦しみも堪え忍ばねばならぬ。
しかしながら、この苦労は吾々があって知らない深刻なものである。

食糧の不足、失業問題の解決、思想下の闘争、働いても働いても追い来る窮乏等々、
一つだけでも相当の苦労である。

これら大苦労の重複、しかも連続する艱苦(かんく)、
死んだ方がましと言う事になる覚悟をせねばならぬ、
これが国家に対し祖先に対する責任であり、やがては、世界人類に対する務めである。

第一線にある同胞同志のこの後の苦難を思う時、
吾々の苦労はまだやさしいものであると思う。

日本人は艱難を永久の友とする所に、
日本精神あり、武士道あり、人類に対する貢献があるのである。

苦労を恐れるものは日本人たり得ないものである。

  (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_36.html

            <感謝合掌 平成29年4月27日 頓首再拝>

新しき発足(抜粋) - 伝統

2017/04/28 (Fri) 18:37:32


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

(新に入店されるラジオ部の人々のために)

(出典:「我が六十年間 第一巻」164~165頁)

(若い人でも容易に一店を預ける)

出光が日本、台湾、朝鮮、満州、中国の大地域に於ける六十数ヶ所の店舗を
二百人未満の店員を以て経営して居た事は一般の想像も付かない小人数であって、
之(こ)れ全く一店一、二人の店が多数にあったからである。
二十一、二歳の青年が容易に一店を任されて自由に働く。


(大店長も小出張所主任に変り得る)

二、三人の勤務でよい程度の小出張所が設けられる場合でも、
其(そ)の仕事が重要且(か)つ困難であって手腕ある人を要する場合には、
大店長も喜んで小出張所主任に甘んじる。

支店長とか次席とか課長とか無官の太夫(たいふ)とか形式的名前など
一向に頓着(とんちゃく)せぬ事になって居る。
其の時々の仕事の重要さによって仕事そのものを楽しむ事となって居る。

全く人間尊重より来る能率的真に働く姿である。
斯(か)くて仕事は実質的にテキパキと進められ片付られて行く。

出光の人はよく働くと言われる。
到底他店の追随し能(あた)はざる放れ業である。
吾々(われわれ)は斯くて尊重されつつ。


(社会・国家の為に働き抜かねばならぬ)

我々は生れながらにして、社会国家の限りなき恩恵を受けて居る。
社会の恩に対して酬(むく)いねばならぬ。 働き抜かねばならぬ。

吾々が皇室及び国体より受ける国恩は日本独特のものであって、
日本人特有の義務である。

此の社会国家の恩恵を感ぜざる者は我儘(わがまま)者である。
我儘は国体生活には禁物である。
社会の平和を乱し根底を破壊する。

故に先(ま)ず社会の恩恵に対して謝恩の念を有すべきである。
此れから犠牲的精神が出る。犠牲は更に謙譲の徳となる。

生まれながらにして人としての権利を有し義務を負うと言う事も、
又犠牲謙譲の徳を尊ぶ事も齊(ひと)しく社会運行の減摩剤である。

相克摩擦を緩和するのが目的である。
唯(ただ)権利義務思想の尖鋭闘争的なるに比し、
犠牲謙譲の円満平和的なるを歪む事は出来ない。

権利義務の思想に諦めざる所以(ゆえん)である。

我が日本が三千年の国体を持続したるのも
全く此(こ)の円満平和的なる思想の賜である。

此の歩みは飽(あ)く迄(まで)も堅持して世界平和の基調たらしめ
全人類の為に貢献せねばならぬ。此んな考え方で来たのであるから。

  (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_39.html

            <感謝合掌 平成29年4月28日 頓首再拝>

人の力 - 伝統

2017/04/29 (Sat) 18:37:10


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

(出典:「我が六十年間 第一巻」171~172頁)

終戦直後私は店員を馘首(かくしゅ)しない事を言明しました。

終戦により大東亜地域に於ける出光の全事業は消滅したのである。

内地の石油業は石油配給統制会社に取り上げられて、形ばかり残って居るに過ぎない。
八百の店員に職を與(あた)へねばならぬ。
学校を出てすぐ入社して今日に及んでいる人だけでもやめて貰(もら)ったら
と言う説が出たのも無理はない。

大部分を退店さすのが常識と思う。

然(しか)るに私をして軽々と全店員を辞めさせないと言明さしたるは
無論大家族主義による事であるが、その実店員諸君が私の口を借りて
自ら言明したと見るべきである。

即ち人の力である。

私は事もなげに出光の復興を信じて居た。
これは合理的熟考の結果でなくして、即興の直感が私を斯(か)く言はしめたのである。

私の心の底に潜在して居る人の力に対する信頼感が斯くせしめた。
それから間もなく重役(その頃、山田、林、原田、山本の諸君)は、
出光は事業も資産も無くなって居るが、多くの店員が残っていると、私を慰めてくれた。

九月も過ぎ十月を迎えるも仕事は見付からない。
石統も仕事を行えない甚(はなは)だ心淋(さみ)しい。

この頃、山陰道の開墾事業や紀州の漁業が芽をふき始めた。
内地の復員者何十人かに達したが海外よりは便りもない。

この頃から石統が解散して出光はその一役を買わねばならぬ等の噂も出た。

若(も)しそうなったら石統の人が加勢をしてくれるだろうか……私は不安を感じた。
人の力の欠如が私を斯く感ぜしむる。

海外から帰る迄(まで)は仕事は始められぬ。
野垂れ死にをすると思った。
この不安も人の力に起因する。

十一月の末から初めにかけてラジオ部の話が持ち込まれた。
全国に百以上の店を新設して店舗網を張る事である。
難事業である。

誰もがやらない無謀に近い計画である。
重役は大体不賛成である。
私は四面楚歌である。

しかしながら私は軽々と決心した。
すぐと実行に取り掛った。
私を斯く決心せしめたのも人の力である。

之(これ)を要するに終戦後の昨年は、人の力により確信を持ち、
又反対に人の力を待たざる事によりて不安を感じ、
徹頭徹尾人の力に対する瞑想(めいそう)の中に年は暮れた。

   (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/word_40.html

            <感謝合掌 平成29年4月29日 頓首再拝>

所感(如何橋流而水不流) - 伝統

2017/04/30 (Sun) 18:58:44


            *Web:出光アーカイブ(今月の言葉)より

(出典:「我が六十年間 第一巻」189~190頁)

此處(ここ)に掛けてある一軸は、円通禅師仙崖和尚の筆であって、
後方の人々には見難(にく)いだろうが、

川に水が流れている上に一本の丸木橋がかかっていて、
その橋を一人の人が落ちまいと腹這(はらば)って渡っている画で、
贊(さん)に『戦々兢々人過橋上如何橋流而水不流』 と書いてある。

囚水が流れてチャント橋が懸っている画に橋流れて水流れずと言う贊である。

これは禅の教えであるから色々な深遠な意味があると思うが
私は此の中から物を近視眼的に見るな、遠き先の方を見よ、と言う意味を、
又物を見るに其の一部に囚(とら)はれず全体を達観せよと言う意味を取り上げたいと思う。

流れない安全だと思ってシッカリとしがみついて居る橋は
その実は何時かは朽(く)ち果てて落ちる。
或いは其人が取りついた刹那(せつな)に流れるかも知れない。

安心の出来ないものである。

之に反し其人が流れ失せると思う水は海に注ぎ雲となり、
谷川の水となり永久に存在して居る。

目で見てこそ橋は不動であり静の形であり、流れ失せる水は動であるが、
一歩深く心で見れば橋こそ動であり水こそ不動であり静である。

之を水力電気に例を採るとすれば誰しも水の流れる力即ち動の力によって
水力電気は起ると思うが、之を計画した人はダムに溜って居て流れない溜り水
即ち静の力を基礎として設計したものである。

一時的の流れを考えたのではなく水の永久性が考えられたのである。

吾々は物の見方考え方を此の画により教えられる。

大局的に日本に対する世界の観方(みかた)は根本に変って来た。
殊に米国の輿論(よろん)は急変して来た。
此の相反する二つの事実は何事を示唆するか。

如何橋流而水不流の極意である。

闇の橋、ゼネストの橋、其日暮しの橋、戦々兢々として国民は掴(つかま)って居る。
何處(どこ)迄も他力依存である。

戦々兢々過橋上である。
何時かは橋と共に流れる。

二千六百年来不変な水、国体の水、自力の水、これこそ人の力であり頼むべき力である。
水不流の悟りであり、肚の力である。眼前より目を放ち、そして遠き先を達観せよ。

  (http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/monthly/word_42.html

            <感謝合掌 平成29年4月30日 頓首再拝>

出光佐三の名言~その1 - 伝統

2017/05/03 (Wed) 19:28:33


          *Web:「龍の声」(2014-10-02 )より


(1)自分に薄く、その余力をもって人のために尽くせ。

(2)人と違うことをやるには

   よく私のやっていることは非常に変わっておると言われるが、
   一般人とは全然違った歩き方をしているからだろう。

   それは結局、本を読まずに考えてきたことから来たんじゃないかと思う。

   体が弱いし神経衰弱であるから第一に仕事を怠ける。
   何をやってもすぐあくびが出たり嫌になってしまう。
   また短気になる。それを何とか克服していこうというので病と闘ってきた。

   それが私の一生を貫く大きな原動力になった。

(3)信用を落としてまで金儲けはしない

   私は人材本位であり、金は儲けたいが
   信用を落としてまで金を儲けることはできない。

   すると、支店長あたりから見ると私のような考えは馬鹿らしく思えるらしい。
   「世の中は金がなければなんにもできない。どんなことをしても金は儲けたい
   というのが万人の望みではないか」と言うのだ。

   それで、支店長と私はいつも喧嘩した。

(4)苦労をすればするほど人間は完成に近づく

   君らは3年か5年大学に行ったために自惚れすぎている。
   そして、人間が完成したように思っているが、
   人間というものは実に何も力はないのだ。

   ここの会社に入ったならば、まず俺は大学を出た、卒業した
   という気持ちと卒業証書を捨てろと言う。

   人間社会の人情の複雑な中に飛び込んで、その中で鍛えて鍛えて鍛え上げていく
   ところに人間の偉さが出てくる。

   苦労をすればするほど人間は完成に近づくのだ。

(5)毎月売れるものを商う

   門司に出て石油の店を始めた。
   それまでは小麦をやっていたのを、なぜ石油にしたかというと、
   潤滑油は毎月売れるからだ。

   衣食足りて礼節を知るというから、
   まず衣食の道だけは決めてかからねばならない。

   それには潤滑油みたいに毎月売れるものをというわけだ。

(6)仕事は第一線で働く人だけにやらせる

   人間は自分のする仕事が直接目に見えないと、仕事をする気にはならないものだ。
   第一線の本当に働く人だけで仕事をやったらいいだろう。

   人間があまりに多いと、自分の仕事の持ち分がわからなくなる。
   そうしたときは働かなくなる。

(7)自分で考えることの重要性

   本を読まなかったので自然自分で考えるようになる。
   本を読んでいたらかえって何事も人の後を追っかけているようなことが多かったろう。
   私の考えはそこで生きてくる。

   人間は学問や理屈以外にも自分を磨く方法がある。

(8)大手を利用する

   いままでの世界カルテル(石油メジャー)というのは
   世界的には非常な貢献をしている。
   それがために今日の石油の繁栄がある。

   しかし、それにしても出光はカルテルに始めから終わりまでいじめつけられた。
   このことを根に持ったことは一時はあった。

   しかし、これは商売であるから、
   私はカルテルの過去の恩義を恩義として考えたい。

   日本のためにカルテルに尽くしてもらうようにすることが、
   私のこれからの仕事だと思っている。

(9)個人の感情ではなく、国家の仕事であると考え仕事する

   私は今後は、何もいままでのことにとらわれないで、
   出光個人の感情ではなく、私たちの仕事は国家の仕事である
   という見地から仕事を進めていきたいという気持ちを持っている。

(10)カルテル企業との付き合い方

   石油カルテルは悪いものかというと決して悪いものではない。
   これがあったから世界の石油資源が開発され市場も大きくなって
   今日の石油事業が存在するのである。

   メジャー・カンパニーがやっているカルテルは大功労者である。

   けれどもこちらが隙を与えると独占されて高く売りつけられる。
   こちらが実力を持って隙を与えないようにして向こうを利用していけば、
   向こうも喜んで日本のために尽くす。

   これがカルテルの本当の姿である。
   であるからこちらは実力をしっかり持っていなければならない。

(11)組織は小さく

   いまの官庁などは人間が組織に使われているが、
   我々の方は人間が組織を使うのだから組織は小さくてもいい。

   では組織は無用かというと無用じゃない。
   最小限度に使う。
   法律でも規制でも人間がしっかりしておれば最小限度で済む。

   私の会社は小さい組織だ。

(12)流通コストを下げるには

   生産者、消費者にどうしたら利益を与えるかというと、
   一番手っ取り早い話が経費の節約である。

   いろいろな関門、問屋、卸屋、小売、という経費を節約することである。

(13)生産者と消費者をつなぐ商人が生き残る

   学校を卒業して商売人になろうとした卒業間際に、内池廉吉博士がこう言われた。
   「これから商人というものはなくなる」と。

   私はこれから商人になろうとしているのに、これには驚かされた。

   また、「ただし、ひとつだけ残るだろう。それは生産が非常に複雑になり、
   消費者も無論複雑になる。この複雑な生産者と消費者の間に介在して、
   双方の利益を図る配給者としての商人がひとつ残る。これは学理である」と。

(14)信じるものをもつ

   私の育った町は特殊な土地柄で、宗像神社という有名な神社があった。
   私はその御神徳を受けたと考えている。

   私はいま神社の復興をやっているが、神というものをいまの人はバカにしている。
   私どもにはバカにできない事実がたくさんある。

   私の会社は災害を一度も被っていない。

   理屈はいろいろつくかもしれないが、
   社員は神の御加護と信じているのだからしょうがない。
   また信じないわけにはいかないだろう。

(15)逆境が人を育てる

   いま一人静かに考えると、体の弱かったということは不幸せであったが、
   その反面、非常に自分というものが変わったものにできたと思っている。

(16)自分を犠牲にして経営する

   禅的な言葉でいえば自分を殺す、身を犠牲にするというか克己の精神、
   これが私の信念である。

   したがって会社の経営も利益本位じゃなく
   商売本位、事業本位という考え方になった。

(17)理不尽なことには抵抗する

   法律、組織、機構の奴隷となるな。

(18)金儲けの前に、客儲けをしろ

   商売気を離れて油の用意をした。
   私のお客だけは油不足で仕事を休むようなことはなかった。

   他の事業会社では油が切れて事業を休んだところがたくさん出た。
   私はただお客のために油を用意しただけだ。

   しかし戦争が済んだら、油は出光に任せておけということになった。
   金は儲けなかったが、得意先を儲けたのだ。

(19)従業員は家族。家計が苦しいからと言って家族を追い出すのか

   君たち、店員(従業員)を何と思っておるのか。
   店員と会社はひとつだ。
   家計が苦しいからと、家族を追い出すようなことができるか!

   太平洋戦争敗戦で出光の海外部門をすべて失い、
   海外部門で働いていた従業員たちをどうするか社内で話し合った時の言葉。

   出光はこの後、一人もリストラせずに経営再建を成し遂げた。

(20)人材登用の基本は、登用する人に合わないことをやらせず、得意なことをやらせること

   人の頼みがたきを言うは、人その人を得ざりし所以にして、
   人その人を得れば必ずや好結果を得る。

(21)本を読むより、考えて考えて考え抜くことが重要

   本を読まなかったので、自然自分で考えるようになった。
   本を読んでいたら仕事も人の後を追っかけているようなことが多い。

   考えて考えて考え抜くことが大事だ。

(22)経営の原点

   出光の仕事は金もうけにあらず。
   人間を作ること。
   経営の原点は人間尊重です。

   世の中の中心は人間です。
   金や物じゃない。

   その人間というのは、苦労して鍛錬されてはじめて人間になるんです。
   金や物や組織に引きずられちゃいかん。
   そういう奴を、僕は金の奴隷、物の奴隷、組織の奴隷というて攻撃している。


  (http://blog.goo.ne.jp/ryuunokoe/e/5fbdbc2bbd52fb84b8acda8e79bcc020

            <感謝合掌 平成29年5月3日 頓首再拝>

出光佐三の名言~その2 - 伝統

2017/05/04 (Thu) 17:59:06


           *Web:出光佐三「魂の言葉」より

(1)すべて“平等”は人間の否定

   人情を無視したものを人間社会にあてはめても、それは合わない。

   人間は公平に扱わなければなない。
   ぼくが、いつも平等と公平を間違えるな、と言っているのはそこなんだ。

   人間は公平に扱われてはじめて満足するものであって、平等では満足しない。

     (http://www006.upp.so-net.ne.jp/amn/C2_3.htm

(2)逆境になってから悲観したのでは遅い

   順境にいて悲観せよ。

(3)失敗こそが“尊い経験”

   人間らしい過ちはとがめるな。

(4)天災に備える精神

   人間はあまり恵まれずに
   愛の手によって鍛錬されることが必要だ。

   ぼくは、
   ぜいたくは人を殺すとさえ言ってきている。

(5)日本の人情が平和の礎

   戦後、犠牲とか義理人情とかを悪く言う風潮があるが、

   ぼくに言わせれば
   これらこそが平和・福祉のもとなんだ。
   これは外国人にはわからないのが当然だよ。

(6)ゼイタクは人を殺す

   衣食は足れればいい。

   衣食をあまりむさぼると、
   人間は堕落するということだ。

   ぼくも子供のとき、
   金持ちになると人間が汚くなる、
   金に毒されて汚くなるという感じがあった。

   (http://www006.upp.so-net.ne.jp/amn/C2_2.htm

            <感謝合掌 平成29年5月4日 頓首再拝>

出光佐三の名言~その3 - 伝統

2017/05/05 (Fri) 19:07:21


           *Web:出光佐三「魂の言葉」より

(1)幸福は老後にあり

   金を離れて国家のために尽くし、
   お互いのために尽くすというのが人生であって、

   金をたくさん貰って、
   ぜいたくするということが人生じゃないと思う。

(2)一人ひとりが“経営者の責任”を持つ

   出光には資本家の搾取がない。
   資本主義の悪いところが、
   完全にはじめから取り除かれておる。

   次に出光では従業員全部が経営者であると言える。
   従業員とぼくの間に区別を付けていない。

(3)社会の中心は“人間”だ

   これはもう黄金万能の形で、
   金さえあれば何でもできる。

   金持ちが金のあるにまかせて、
   学生からみてけしからんことをさかんにやる。

   そこでわれわれ学生は
   “社会は人間が作ったものであるから、
   あくまでも人間が中心でなければならん。

   金が社会の中心で、金さえ持っておればあとはどうでもいい
   という社会はけしからん”
   ということを言い合った。

(4)三つの主義

   店の主義ともうしましても、
   別にとっぴなものでも、
   特別にむつかしいものではありません。

   もっとも平易簡単なることであります。
   すなわち、

   金の奴隷となるな、
   人物本位でいけ、
   仕事を楽しめ、というのであります。

(5)素晴らしき日本一の精神

   われわれは金において
   日本一を誇りたくはありません。

   すなわちその精神において、
   経営ぶりにおいて、
   人力の試練において、

   日本一、世界一をたたえたいので、
   あながち無謀のくわだてではありますまい。

      (http://www006.upp.so-net.ne.jp/amn/C2_1.htm

            <感謝合掌 平成29年5月5日 頓首再拝>

出光佐三の名言~その4 - 伝統

2017/05/06 (Sat) 18:02:57


          *Web:日本人にかえれ! 「魂の言葉 出光佐三」より抜粋


(1)「人の国」と「物の国」

    一般に日本は後進国で、外国は先進国ということが常識になっているが、
    それは物質文明、『物の国』としてはそういうことが言えるかもしれない。
    しかし、今日では、その物を中心として考える『物の国』は行き詰まっている。

    しかも、その行き詰まりを解決する道が『人の国』日本にあるんだから、
    『人の国』の新しい世界では日本が最も先進国であって、
    『物の国』が後進国じゃないかと言いうる。

(2)主義は物分配理論にすぎない

   資本主義、社会主義、共産主義は
   外国から借りたものだから、お返ししよう。

(3)質実剛健の農民魂

   一生働け、
   ゼイタクするな、
   家族仲よく。

(4)愉快に働くことこそが人生の楽しみ

   適材適所によって自由に働かせ、人生を楽しませること。
   日々の仕事を楽しんで時間も忘れ、公私の別も忘れて愉快に働くということ、
   こういうふうにして人生を楽しませることが報酬だ。

(5)「和」の精神で世界の範となれ

   まず日本人が本来の日本人にもどって、仲良く暮らすという

   平和・福祉の実体をつくることが必要だ。

   政治においては 派閥争いや政党間の無意味な闘争なんかやめて、
   身を捨てて国家・社会のために尽くすようにする。


   (http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-875.html?sp

            <感謝合掌 平成29年5月6日 頓首再拝>

出光佐三の名言~その5 - 伝統

2017/05/07 (Sun) 19:25:27


(1)わが社の資本はカネでなく、人間だ。カネは資本の一部だ。
   いちばん大切なのは人。

   人が第一であって、人が事業をつくり、事業がカネをつくる。
   カネは人についてくる。

(2)一出光の利益のために、イラン石油の輸入を決行したのではない。
   そのようなちっぽけな目的のために、50余命の乗組員の命と日章丸を
   危険にさらしたのではない。

   横暴な国際石油カルテルの支配に対抗し、
   消費者に安い石油を提供するために輸入したまでだ。

(3)海外から帰ってくる社員をクビにするだと?
   社員は家族だ。そんな薄情なことができるか。
   仕事がないなら探せばよい。

   安易に仲間をクビにして残った者だけで生き延びようとするのは卑怯者の選ぶ道だ。
   みんなで精一杯やって、それでも食っていけなくなったら、
   みんな一緒に乞食になろうじゃないか。

(4)真面目に働く者が、それに見合う報酬を受けるのは当然の理である。
   好・不況にかかわらず、社員の生活は保障されねばならない。
   ぜいたくはいけないが、貧しいのはもっといけない。

(5)いくら大学を出ていても困難を克服して、
   試練を乗り越えなければ何にもなりませんよ。

   人間が先であります。
   「育」が先で「教」が後である。
   それだから「教育」という言い方が間違いで「育教」といったほうがいい(笑)。

   (http://meigen.keiziban-jp.com/idemitsu

            <感謝合掌 平成29年5月7日 頓首再拝>

出光佐三の名言~その6 - 伝統

2017/05/08 (Mon) 20:20:57


(1)僕は景気のいい時に、景気の悪い時のことを考えて準備しておけと言っている。

(2)世の中に混乱がある。
   それもたったひとつで解決がつきゃしませんか。

   それは「お互い」ということですよ。
   我欲の人間が仲良く暮らすためには「互譲互助」の思想に
   徹する以外に道はありませんね。

   これは日本人の道徳の根幹です。

(3)人格を磨く、鍛錬する、勇んで難につく、つとめて苦労する、
   贅沢を排して生活を安定する、大いに思索する。

(4)人が「馬鹿だ」と言ったって自分が馬鹿でなければいいということだ。
   反対に「あなたは偉い人ですね」とおだてられて、偉がっておる馬鹿がおるか。

   自分が顧みて人間として恥ずかしくない人であればいい。
   自分が自分を顧みて立派な人間になるということだ。

(5)逆境の時に立てた計画は堅実で間違いない。

   (http://meigen.keiziban-jp.com/idemitsu

            <感謝合掌 平成29年5月8日 頓首再拝>

出光佐三の名言~その7 - 伝統

2017/05/09 (Tue) 21:24:54


(1)たんなる金儲けを目指すだけでは、真の事業とはいえない。
   そこには、真も善も美もない。
   事業も究極においては芸術である。

   事業には、常に普遍的な国利民福を念願した、
   また彼岸した真理性が望まれねばならない。

   出光の事業は、だれが見ても美しからねばならぬ。
   醜悪なる、たんなる金儲けであってはならぬ。

(2)終戦から2日後の8月17日、社員一同に対し僕は3つのことを伝えた。

   愚痴を止めよ。
   世界無比の三千年の歴史を見直せ。
   そして今から建設にかかれ。

(3)僕がいつも楽観的だと評されるのは、ひとえに苦労のたまものだ。
   恒心を得たのである。

(4)奴隷になるな。

   モラルの奴隷になるな。
   主義の奴隷になるな。
   数、理論の奴隷になるな。

   権力の奴隷になるな。
   法律、組織、機構の奴隷になるな。
   学問の奴隷になるな。

   人は黄金の奴隷になってはいけない。

(5)私は日本人として生まれ、日本人として育てられ、
   そして日本人として経営をしている。

   (http://meigen.keiziban-jp.com/idemitsu

            <感謝合掌 平成29年5月9日 頓首再拝>

出光佐三の名言~その8 - 伝統

2017/05/10 (Wed) 18:41:19


(1)独立不羈(どくりつふき)の精神の根本は、
   人間尊重であり、自己尊重であり、他人尊重である。

(2)何をやるにしても考えて考え抜く。それが私の一生である。

(3)金を軽んじても重んじてもいけない。

(4)自分に薄く、その余力をもって人のために尽くせ。

(5)よく私のやっていることは非常に変わっておると言われるが、
   一般人とは全然違った歩き方をしているからだろう。
   それは結局、本を読まずに考えてきたことから来たんじゃないかと思う。

   体が弱いし神経衰弱であるから第一に仕事を怠ける。
   何をやってもすぐあくびが出たり嫌になってしまう。また短気になる。
   それを何とか克服していこうというので病と闘ってきた。

(6)人間は自分のする仕事が直接目に見えないと、仕事をする気にはならないものだ。
   第一線の本当に働く人だけで仕事をやったらいいだろう。

   人間があまりに多いと、自分の仕事の持ち分がわからなくなる。
   そうしたときは働かなくなる。

(7)いまの官庁などは人間が組織に使われているが、
   我々の方は人間が組織を使うのだから組織は小さくてもいい。
   では組織は無用かというと無用じゃない。最小限度に使う。

   法律でも規制でも人間がしっかりしておれば最小限度で済む。
   私の会社は小さい組織だ。

(8)禅的な言葉でいえば自分を殺す、身を犠牲にするというか克己の精神、
   これが私の信念である。

   したがって会社の経営も利益本位じゃなく
   商売本位、事業本位という考え方になった。

(9)人の頼みがたきを言うは、人その人を得ざりし所以にして、
   人その人を得れば必ずや好結果を得る。

(10)人間社会は人間が支配している。
   その中で一番大きな働きをするのが、信頼と尊敬で結ばれた、
   真の和の人間集団の働きだ。

   (http://meigen.keiziban-jp.com/idemitsu

            <感謝合掌 平成29年5月10日 頓首再拝>

皇室の「無私」の霊統 - 伝統

2017/05/11 (Thu) 20:33:47


         *Web:サイタニのブログ(2011/9/21(水) )より抜粋

昭和49年5月、アンドレ・マルロー(仏の作家、政治家)が出光を
その美術館に訪ねたときのこと。


「日本人は精神の高貴さを持っています。なぜですか。
仏教も、その理由の1つではないでしょうか」とのマルローの問いに、

出光はこう答えているのである。

「そうじゃありませんね。二千六百年続いてきた皇室が原因ですよ」

皇室のご存在なくして、国民の心が1つになることはない。

皇室の「無私」の霊統があってはじめて、国民道徳も成り立つし、
高貴なる精神もまた醸成せられるのである。



そのことを谷口雅春先生は、「天皇国日本」という言葉で端的にお示しになられた。
さらに重要なことは、その国家の有り様こそは「宇宙の理想」そのものである。
だから、日本をして、真理国家、と言うのであると説破(せっぱ)されたことにある。

「日本国家の理想とは何であるか。
それは「宇宙の理想」と1つのものである。

「宇宙の理想」とは釈尊(しゃくそん)の説く金波羅華(こんぱらげ)の世界であり、
キリストの祈りである「みこころの天に成れる世界」である。

日本国を”侵略国”と誣(し)いる者は何者ぞ。去れ!
日本国は世界の救世たる使命を帯(お)ぶ」


その「使命」を肌で感じ、それに邁進することをもって、
自らの人生の至上価値と成したのがまさしく英霊に他ならない。

その護国の英霊を戦後は一貫して冒涜(ぼうとく)し続けてきた。
その悲しみを谷口雅春先生はこう記される。

「人間の高さは身長によって測らるべきものではない。
魂の高さによって測らるべきものである。

… 動機の純粋と無我神聖の魂の高さによって、
特攻隊の勇士の、魂、の価値を量(はか)ろうとしないで、

敗戦という結果によってその、死、の価値をはかって、犬死、だなどと
不謹慎なる語(ことば)を発する愚か者もある。

物質の富を追い求めて東西に奔走しながら死にのぞんで、
魂に、何の純潔さももたず。

その追い求めた富すらも冥土(めいど)へ持って行くことが
できない者こそ本当に犬死ではないか」

http://blogs.yahoo.co.jp/nyxyd264/27473345.html?__ysp=5Ye65YWJ5L2Q5LiJ44CB6LC35Y%2Bj6ZuF5pil

            <感謝合掌 平成29年5月11日 頓首再拝>

Re: 海賊と呼ばれた魂の人~出光佐三 - gtoqpegMail URL

2020/08/29 (Sat) 03:51:15

伝統板・第二
gtoqpeg http://www.gbw2fq08e3t707zh9g1i5medb9100y89s.org/
<a href="http://www.gbw2fq08e3t707zh9g1i5medb9100y89s.org/">agtoqpeg</a>
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