伝統板・第二 2551429

本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。


心の法則②

1:夕刻版 :

2017/02/11 (Sat) 18:36:47

        *伝統板・第二「心の法則①」からの継続です。
           → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6866994


(1)《心の法則を知る日》

   物質を物質だと思って排斥し軽蔑した時代は過ぎたのである。
   物質は神の生命の変形だと云うことが発見されたのである。

   物質を大切にするものは神を大切にし、
   神を拝むものだと云うことがわかったのである。

   結局、物質は無く、神の生命のみがある。
   神一元の世界なのである。

   物質がただの『物』の塊であるならば、法則に従って
   使用しなくとも、『物』そのものとしての価値を現すべき筈
   であるが、物質が価値を現すのは、法則に従って、
   それが『処を得て』置かれたときだけである。

   即ち『物質』そのものの力ではなく、法則の力であるのである。

   吾々はもっともっと法則を発見しなければならないのである。
   物質は無く、法則のみがあるのである。
   この世界が法則の世界だと云うことを知らなければならないのである。

   吾々が不幸であるのは法則を知らないからである。
   吾々が不健康であるのは法則を破るからである。

   吾々の生命はコトバであり、コトバは『宣(のり)』であり、
   則(のり)であり、法(のり)であるから、吾等の生命は法則を発見し、
   法則を生かしたとき、一層幸福となり、より一層健康となる。


   現在人間が発見している法則は、
   神の無限の法則のうちの極く一小部分に過ぎないのである。

   物質としてあらわれ、精神としてあらわれているけれども、
   本(もと)は一つ、神である。

   法則は物質面にもあらわれれば、精神面にもあらわれる。
   精神の法則も閑却してはならないのである。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=346

            <感謝合掌 平成29年2月11日 頓首再拝>
2:伝統 :

2017/02/18 (Sat) 18:37:55


       *「「第六感」で決めると、すべてに迷わなくなる!」
         普天間 直弘・著(P31~33)より


人の悩みは、大別すると次の二つしかありません。

「自分のこと」
「自分以外のこと」

ここでいう自分以外とは人間も含まれますし、
物との関係や出来事、環境のすべてが含まれます。

自分の悩みは自分が動くことで解決できます。
逆にいえば自分が動くことでしか解決できない悩みのことです。
 
反対に、自分以外の悩みとは、自分が動くことでは解決できないもの。
よって「思いどおり」にはならないものがほとんどでしょう。
 
例えば、自分が興味をもって何かを勉強したいな、と想ったとします。
ピンときた学校のパンフレットを取り寄せたり、インターネットで情報を検索したりと、
あなたの「想ったとおり」の学びの場を見つけるために行動を起こすことで、
人生を豊かにすることができます。

しかし、自分の子どもに受験をさせたいと考え、あれこれと塾を探して通わせたとしても、
必ずしもあなたの思惑どおりに子どもが勉強してくれるとは限りません。
なかなか思いどおりにはならないものです。
 
気づかれた方もいらっしゃるでしょうが、
「想い」とは“Feel”のことであり、
「思い」は“Think”にあたります。

純粋に感じたことは想いとつながって、本質のあなた自身とも連動しますが、
大半の「思い」には「こうなればいい、ああなればいい」と、
自分の「我」から発せられる思惑や期待や願望が引っ付いてきてしまいます。

思いどおりにならないことへの不平不満が起きてしまう原因は、
ひとえに私たちの心のぶれが原因なのです。

            <感謝合掌 平成29年2月18日 頓首再拝>
3:伝統 :

2017/02/23 (Thu) 19:34:04


         *「生活の智慧365章」(P40)より

その国の偉大さは、その国民の偉大さによってはかられる。

その国民が偉大であるというのは、”自然科学の法則”を最も多く知り、
それを最も多く利用すると同時に、
”心の法則”を知りそれを順用することに優れていて、

”自然科学の法則”の活用と”心の法則の順用”とが
豊かにバランスを得ている場合である。

”自然科学の法則”の活用のみに重点がおかれて、
”心の法則の順用”が忘れられているときには
現在のような人類の危機を孕(はら)むことになるのである。

もっと「心の法則」の科学を一般的に普及して、
「物質界の法則」の智識とバランスを得させるようにする事こそ、
世界平和の基礎となるものである。

            <感謝合掌 平成29年2月23日 頓首再拝>
4:伝統 :

2017/02/27 (Mon) 18:29:27


          *『生長の家』(昭和24年11月15日の法語)より

   光明思想の根本的な教の一つは、
   「 類は類を呼ぶ 」 ということなのである。

   「 豊かなる想念は豊かなる事物をひきよせる 」 のである。

   貧乏は決して人間に与えられたる宿命ではないのである。
   それは 貧しき けちな想念の反映として
   現われて来たのにすぎないのである。

   けちな想念の中(うち)には
   「 与えることを惜しむ 」 心があるのである。

   人に深切を与えることを惜しむ心、
   物をなすのに深切丁寧さを与えることを惜しむ心、
   自分の労苦をだすのを惜しむ心 ― すべてこういう惜しむ心が
   貧乏となって現われて来るのである。

   与えれば与えられるのが心の法則である。



   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

            <感謝合掌 平成29年2月27日 頓首再拝>
5:伝統 :

2017/03/01 (Wed) 19:00:52


          *『生長の家』創刊号(P6~7)より

諸君は単に「心の法則」を研究して之を生活に応用するだけで
人類の幸福生活を成就する大仕事が実際出来るかを疑われるであろう。

併し釈迦は「萬法唯心」と喝破し、キリストはニコデモの問いに対して
「真理は汝を自由ならしめん」と云ったのである。

「萬法唯心」とは一切は心の現れだと云うことである。
キリストの云った真理とは實に吾らに内在する「心の法則」のことである。

火の法則を知るものは火を駆使し、水の法則を知るものは火を駆使する。
心の法則を知るものは運命の自由を得るのである。

『生長の家』は此の心の法則を人類に伝えることによって
人類を運命の暴虐の手から奪回することを期するのである。

此の生長主義の精神運動は今より凡そ20年以上よりメタフィジカル・ヒーリング、
クリスチャン・サイエンス、デイヴァイン・サイエンス、ニュー・ソート、
メンタル・サイエンス・・・

等々の名に於いて全世界を風靡する一大精神運動となっているのであって、
此の心の法則の応用により今現に救われつつある人々は全世界に夥しいのである。


多くの人々は或は忽ち病の床から起き上り、或は逆境を征服し、
或は貧困の首かせから脱却しつゝあるのである。

併し必ずしもそれは西洋伝来の精神運動ではないのであって日本には古くから
神代より存する唯神の生活法そのものが此の生長主義を体現していたのである。

            <感謝合掌 平成29年3月1日 頓首再拝>
6:伝統 :

2017/03/06 (Mon) 18:37:02


          *「神と偕に生きる真理365章」(P202)より

音楽も即興曲のように、
ただその場の感情やムードの自然の動きでつくられるものがあると同様に、
人生も、ただその場の感情やムードで、その営みをつづけることも出来ないこともない。

明るい感情やムードで、その人が人生を生きて行くならば、明るい即興曲のような
人生がうまれて来るであろうし、暗い感情やムードで、その人が人生を生きて行く
ならば、暗い即興曲のような人生がうまれてくるであろうが、

幅のひろい華麗な質量のゆたかな一大交響曲のような色彩ゆたかな人生を
創作して行くためには、”作曲に必要な法則”を知っている必要があるのと
同じように、心の法則”を知っている必要があるのである。

            <感謝合掌 平成29年3月6日 頓首再拝>
7:伝統 :

2017/03/29 (Wed) 18:14:07


           *「光明法語」(3月29日)より

吾々は原因結果の法則の世界に生きているのである。
その原因は他から来るのではなく、自分から来るのである。

吾々が人々を愛すれば人々から吾々は愛されるのである。
人々に与えれば人々から与えられるのである。
吾々が人々を賞賛すれば人々から賞賛されるのである。

愛は愛を呼び、憎みは憎みを呼ぶ。
奪うものは奪われ、殺す者は殺される。

眠るときに愛念を起して眠れ、
感謝の念を起して眠れ、
明日の事を神にまかせて眠れ。

決して争いや、心配の心で眠るな。

            <感謝合掌 平成29年3月29日 頓首再拝>
8:伝統 :

2017/04/02 (Sun) 19:08:11


        *Web:2012年の黙示録 より抜粋

トーチェ夫妻の教えの要点を簡単にまとめますと、次のようになります。

(1)私たちがいま体験している現実は、
   私たちの心(潜在意識)が作り出したものである。

(2)この現実を好ましいものに変えるためには、
   私たちの潜在意識の中身を変えなくてはならない。

(3)私たちの潜在意識は周りからのさまざまな情報によって影響を受けている。

(4)どのような情報を受け入れるかということも非常に大切になる。

(5)潜在意識の中身を変えるには、
   心の持ち方を変えるための努力が必要である。

  (http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/Teutsch.html )



詳細は、伝統板・第二「トーチェ氏の心の法則」にて確認できます。
  → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6693578

            <感謝合掌 平成29年4月2日 頓首再拝>
9:伝統 :

2017/04/20 (Thu) 19:10:03


   *「出逢う力 世界を動かす神秘のルール」浅見 帆帆子・著(P44~49)より抜粋

(1)好きでないものと一緒にいると、エネルギーの循環がないどころか、
   知らないうちにあなたのエネルギーが漏れていきます。

(2)あなたが意識を向けたことがあなたの中に流れ込んできます。

   それが良いとか悪いではなく、長く触れているものには
   あなたのエネルギーが同調するということです。

   たとえば、自殺の名所とされている場所に頻繁に足を運んでいれば、
   いつのまにか、その場のエネルギーに引っ張られます。
   あなたの雰囲気全体が、「そのエネルギー」に染まるのです。
   雰囲気だけでなく、言動も変わっていくことでしょう。

(3)会ってモヤモヤするのは、会わなくていい、というサインなのです。

(4)運がよくなる秘訣は、特別なことをするのではなく、
   あなたに来ている本音の感覚(直感)をもっと信頼して、
   その通りに動くことなのです。

            <感謝合掌 平成29年4月20日 頓首再拝>
10:伝統 :

2017/05/01 (Mon) 18:57:06


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月1日)」より

お山のつつじが真盛りである。
万物がわたしのために讃歌を歌っている。

讃歌の世界、花びらの降りそそぐ世界、この世界がそんな美しい世界だと知ったとき
わたしはこのお山へ招かれて来たのである。

「三界は唯心の所現である。」釈迦のこの哲学が真実であるならば、
心の法則を知ることは三界を自由に動かし、
運命を自由に支配することとならざるをえないのである。

「なんじの信ずるがごとくになんじにまでなれ」キリストのこの信仰が真実であるならば、
信念の法則を知ることは環境を自由に支配し、肉体を思うまま健康にし、心に思うまま
法悦と歓喜と平和を満たすところの唯一の鍵であるといわなければならない。

心の法則なるかな。信念の法則なるかな。

せっかく、光明真理に触れたのであるから、もう一度この問題を復習してみることは、
これからの自分の生活を確固とした基礎の上に置くことになるのである。

            <感謝合掌 平成29年5月1日 頓首再拝>
11:伝統 :

2017/05/08 (Mon) 20:23:02


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月8日)」より

心で《もの》を造るのは心の法則に従うほかはない。

病気を治そうと思えば、治るような心になるほかはない。

人に頼んでも、金を払っても、そんなことでどうにもなるわけではない。

            <感謝合掌 平成29年5月8日 頓首再拝>
12:伝統 :

2017/06/12 (Mon) 18:55:30


    *『光明法語』(六月の法語「天国は汝の内にあり」6月12日)より

神に波長を合わすには、
ラジオと同じく先ず放送局がある事を認めなければならない。

神を先ず認め、神は無限に寛大に吾らの願いをきいて下さるものである事を、
認めなければならぬ。

神が神罰を与えるような苛酷な存在であると吾々が認めるならば
「苛酷」な波長に波長を合わす事になり、
苛酷なものが現象界に実現することになるのである。

それよりも吾々は神は愛深き存在であり、無限の癒やしであり、
無限によきものを吾らに与え給うべく待ちかまえていられるのである
ことを信ずれば、それに波長を合わすことになるのである。

        <感謝合掌 平成29年6月12日 頓首再拝>
13:伝統 :

2017/07/05 (Wed) 19:54:32


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』<7月5日>(P7~8)より

なんじの欲する事物の上になんじの心を集注せよ。
なんじの欲せざる事物の上になんじの心を集注せいてはならない。

病を欲するならば、病の上に心を集注せよ。症状を気にかけよ。心配せよ。
しからばなんじの病は必ず増大すべし。
心をそれに集注するものが実現するからである。

多くの人々がなぜ不幸であり、不健康であるかの原因は、
好まないものにことさら心を集注して心配するからである。
なぜ、君は自己の欲せず希望せざるものの上に心を集注するのであるか。

幸福ならんと欲する者は、自己の幸福のみに心を集注せよ。
他の人の幸福のみに心を集注せよ。他の人の幸福を羨(うらや)んではならない。
幸福を羨む心は、幸福を否定し、抑制し、不幸を欲する心であるがゆえに、
みずから不幸を招くのである。

他人の幸福を自己の幸福と感じうるものは、自分が今いかに現実に乏しくとも、
他(た)のすべての人の幸福が自分自身の幸福であるがゆえに、
すでに豊かであるのである。

なんじの欲する事物の上になんじの心を集注するとき念の創化作用によって、
ついにそれをこの世界に現実化するに至るのである。
なんじ、何を欲するや。これをまず自己自身に問え。

しかして、健康を欲するならば、「われは完全なり健康なり。われは生命(せいめい)なり。
われは神の子なり。われは永遠の存在なり。われは不老なり。われは何物をも羨まず。
われは日々にいっそう、神の子の完全さを顕現するなり」と常に精神を集注して念ずべし。

諸君が成功を欲するならば、常に偉大なる物のみを心に描け。
偉大を念ぜずして偉大になった者は一人もないのである。
小なる計画は人を魅(ひ)曳きつける磁石的力を有しないのである。

いやしくも失敗を予想するなかれ。しかし細心であれ。一歩一歩を大切にすべし。
大望を抱くものは日常生活に気をつけるのである。
気をつけることと、恐怖することはちがうのである。

将棋の木村名人のように一分一秒を大切にして、
しかも最後の勝利を前途に描く者はついに勝つのである。


心の法則を知らざる者は、健康を欲しながら病気を念じ、
成功を欲しながら失敗に精神を集注し、
すべて逆に逆にと心を使うから失敗するのである。

されば健康を欲し成功を欲するものは少なくともその基礎知識として勝利の常識として
わたしの「人生は心で支配せよ」の本一冊ぐらいは読んでおかなければならないのである。

・・・

<参考Web>

(1)谷口雅春先生の著書「人生は心で支配せよ」
    → https://www.ssfk.or.jp/p/a/101160.htm

(2)”山ちゃん1952 さま”のブログ「人生は心で支配せよ~はしがき」
    → http://tecnopla1011.blog.jp/archives/1122148.html

         <感謝合掌 平成29年7月5日 頓首再拝>
14:伝統 :

2017/07/11 (Tue) 18:24:44


        *『生長の家』(昭和41年12月15日の法語)より

   人間は 〃神の子〃 であり、神は人間の父母(ちちはは)であるから、
   神が人間に不幸をもち来すことなどは絶対にあり得ないと知ることは、
   これまた恐怖を無くする根本である。

   神が人間に神罰を与えると思って恐怖を信じている人もあるが、
   神罰など絶対にないのである。

   旧約聖書にはエホバ神が神罰を与えたような出来事が書かれている
   けれども、あの場面に書かれているエホバ神とは 〃心の法則〃 を
   擬人化して象徴的に書かれているのである。

   即ち自分が 〃斯う云う観念をいだけば、このような報いを受ける〃 
   という 〃想念の象徴化〃 が報いとして現実世界にあらわれるという
   〃法則〃 を擬人化(パーソニフィ)して 〃エホバ神〃 と
   書かれているである。

   このことを知って旧約聖書を読むならば、あの中に書かれてある
   真理が合理的に解釈されて非常によく解るのである。

 
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=783

         <感謝合掌 平成29年7月11日 頓首再拝>
15:伝統 :

2017/07/18 (Tue) 19:48:07


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』<7月18日>(P23)より

写真を写すにも、絞りを調整することによって、
その写真が上手に写ったり下手に写ったりするのである。

それと同じく現世をよくするには心の「絞り」を調整することが必要である。

内部が整うて、外界が整うのである。
何か外界に悪しきことが起こったら、まず内部を調整すべきである。

         <感謝合掌 平成29年7月18日 頓首再拝>
16:伝統 :

2017/07/28 (Fri) 18:37:57


          *『白鳩』(昭和42年12月18日の法語)より

   人生を支配している法則には大別して、
   物質的な自然界の法則と、 〃心の法則〃 とがあるのである。

   自然界の法則は学校でも学ぶし、坊間に色々の書籍も出ているのである。
   しかし 〃心の法則〃 の方はあまり説かれていないのである。

   しかし物理化学の法則を利用して機械化したり、
   工業生産に応用するのは別として、 

   〃人生〃 という有機的な社会機構の中で希望を達し勝利を得るには 
   〃心の法則〃 を知らなければならないのである。 
   〃心の法則〃 に乗った人が、目標の金的を射とめるのである。

   〃心の法則〃 の第一には、心に強く思う事は、
   それが具体化してあらわれるということである。

   随分多くの人が、私は失敗するかも知れぬと終始強く、
   そう思っているために失敗しているのである。

   テレビの角力(すもう)を見ていても、横綱にも苦手というのがあって、
   相撲の前歴で幾回も負けた記憶のある相手には非常に取りにくい
   のであってまた負けるケースが多いのである。

   これは「負けるかも知れぬ」という思いが強く潜在意識に残っていて
   「強く思うことが具体化した」実例である。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=782


         <感謝合掌 平成29年7月28日 頓首再拝>
17:伝統 :

2017/08/16 (Wed) 19:01:29


           *『生長の家』(昭和41年12月16日の法語)より

   エホバ神の名(みな)は、固有名詞ではなく、
   出埃及(エジプト)記に書かれている通り“I am”なのである。

   “I am”はすべての人にやどっており、その“I am”が
   「私は何々である」と想念する通りに現実世界の事物はあらわれる
   のであるから、エホバ神は 〃心の法則〃 なのである。

   仮に手近にある『三省堂英和大辞典』(昭和五年版)の 
   Jehovah(エホバ)のところをひらいてみると、『へぶらいノ語デ
   「我在り』トイフ義。即チ神(上帝)ノ名デ其永遠不変自存デアル
   コトヲ示ス』とある。

   即ち永遠不変の自存の I am が人間に宿っていて、 
   〃アイ・アム・・・・何々〃 という通りにその人の運命が
   あらわれるという 〃心の法則〃 そのものがエホバなのであるから、

   エホバが罰を与えたり、復讐したりするのは、
   何も第三者である神が人間を罰するのではなく、
   自己に宿る I am が、その心で想い、心で信ずる通りに
   あらわれる訳である。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=783

         <感謝合掌 平成29年8月16日 頓首再拝>
18:伝統 :

2017/08/19 (Sat) 19:34:59


       *『生活の智慧365章』(第2部歓喜の泉)第5篇(P121~122) より

あなたの魂の底ふかく欲するところのものをあなたは必ず得ることができるのである。
あなたはその深く欲する事物を「既に受けたり」と信じて感謝するがよいのである。

しかしその深く欲する事物が、それが成就することによって他の人を陥れたり、
他の人の損失に於てそれが成就するような事情(ことがら)を祈っては、
それは決して聞かれないか、

或いは自分の念力の強さで一時きかれたように見えても、
それは神が与えたまうたものではなく、自分の念力の強さで、
“強奪”したものであるから、“奪うものは奪われる”の心の法則にしたがって、

それは結局自分にとって不幸な結果を齎(もたら)し、“奪ったもの”
に利子をつけて返却せしめられるような結果となるのである。

天の網は疎(まばら)なように見えても、
決して原因結果の法則から漏らし給うことはないのである。

         <感謝合掌 平成29年8月19日 頓首再拝>
19:伝統 :

2017/09/08 (Fri) 17:38:51


       *『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第8篇(P206) より

宇宙には無限の供給が充ち満ちているけれども、
それを現実世界に持ち来すためには、
それが現実世界にあらわれて来るための通路を作らなければならない。

 
景色は無限にひろがっているけれども、
それを写真に撮影して現像するためには、先ずその人の持つカメラの
レンズをどの方向に向けるかを定めなければならないのと同じである。

どんなに美しい景色が無限にひろがっているにしても、
私たちはカメラのレンズを向けた方向の景色だけ写真にうつし取るのである。

それと同じく私たちの「心のレンズ」を暗い方面にのみ向けるならば、
私たちは、暗い事物のみを現象世界にあらわすことになるのである。

これに反して私たちの「心のレンズ」を明るい方面のみ向けるならば
明るい世界が現象界にあらわれて来るのである。

         <感謝合掌 平成29年9月8日 頓首再拝>
20:伝統 :

2017/09/22 (Fri) 20:09:27


   *『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第8篇(P202~203) より

繁栄のコツ

心の法則によって富もうとする場合、兎もすれば人々は、
労少なくして多くの富を得ようとするような
間違いにとらわれることがあるのであるが、
心の法則は決してそんな魔術ではないのである。

少なく価を支払ったものは少なく受け取るより仕方がないのが心の法則なのである。

 
いつか短波放送で東京の成田屋と云う店が非常に繁昌しているのを
放送記者が訪問して主人の成田さんにその繁栄のコツと云うようなものを
聴いていたが、

成田さんは引揚者であり、最初は微々たる店を開いていたが、
繁栄するには良き品を安価に売らねばならないと云うので、
毎日築地の卸売市場へ商品を買いに行くのであったが、

都内電車の始発に乗って築地に行っていたのでは他の商人が安い商品を
仕入れてしまった後で、自分の店に安い良品が手に入らないと云うので、
始発電車の2時間前に自転車を自分の足で漕いて築地まで通って
安価な良商品を手に入れて顧客(とくい)にサービスしたと云うことであった。

 
ひと以上に親切な努力とサービスとがあってのみ本当の繁栄が得られるのである。
繁栄する店には繁栄する原因があり、つぶれる店にはつぶれる原因があるのである。
皆経営する人の心である。

         <感謝合掌 平成29年9月22日 頓首再拝>
21:伝統 :

2017/09/25 (Mon) 20:00:00


    *『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第8篇(P209~210) より

「心に描いたものが形にあらわれる」と云う心の法則は、同時に
「心に描かないものは形にあらわれない」と云う限界の法則でもある。

心に暗いものを描きながら、明るい事物を希望しては無駄である。
「類をもって集る」と云う心の法則は、
「類でないものは集まらない」と云う法則でもある。

 
私たちは単に其の法則を学んだだけで足れりとせず、
つねにそれを実践する訓練をつまなければならない。

自己の欲する「希望された状態」を既にあるかの如く
心に描く練習をしなければならない。

其の練習をしないでおって、行きずりに一寸(ちょっと)
「明るい心」をもっただけで、「明るい事物」が現れなかったからと云って、
「心に思った通りにあらわれない」などと思ってはならない。

人間の心は、現在意識の底に潜在意識があって
それが尚(なお)も暗黒を想念している事があるからである。

         <感謝合掌 平成29年9月25日 頓首再拝>
22:伝統 :

2017/10/01 (Sun) 20:11:43


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』
       <十月「円満具足」10月1日>(P92)より

すべての事物は、心の想うことによって存在に入ったのである。

神が心に星辰を想い、天体を想うことによって、諸々の星辰天体が生じたようにである。

われわれの周囲の事物はわれわれが心に想うことによって存在に入ったのである。
そうすれば自分の好まない事物を心に想わないようにしなければならない。

「想うもの」が出て来るのであるから、敵を想えば敵が出て来る。
戦争を想えば戦争が出て来る。
病気を恐れて、心に警戒すればするほど病気にかかるのである。

ということは予防的なことをいっさいするなという意味ではない。
戸締りをしないで徹夜で泥棒を恐れているよりも、
戸締りをして泥棒を思わないで眠る方がよい。

           <感謝合掌 平成29年10月1日 頓首再拝>
23:伝統 :

2017/10/03 (Tue) 21:25:18


     *『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第8篇(P206~207) より

《パン種とふくらす力》

実相世界はメリケン粉の中の入れられたパン種のようなものである。
それは内部からふくらんで現象の形をつくろうとするのである。

しかしその「パンの形」を如何にするかは、
パン焼師が心によって水で捏ねたメリケン粉を
如何なる形にして置くかによって定まるのである。

麭焼師(べーカリー)がメリケン粉の塊を
丸くして置けば丸い形のパンが出来るのである。

麭焼師(べーカリー)がメリケン粉の塊を
細長くして置けば細長い形のパンが出来るのである。
コッペ型にして置けばコッペパンが出来るのである。

 
それをふくらす力は内部の実相にあるのだけれども、
どんな形にふくらすかは人間自身が如何なる心で
如何なる形をつくっておくかによって定まるのである。

法則は厳重であり、愛憎によって現象界の姿を変化するものではないのである。

          <感謝合掌 平成29年10月3日 頓首再拝>
24:伝統 :

2017/10/05 (Thu) 20:13:32


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』
       <十月「円満具足」10月5日>(P94)より

見える世界に不幸や病気が起こったからとて、それをそのまま実在だと思い、心に描けば
描くほど、その映画のフィルムの複製を幾本も新たにつくって映写することになるから、
その不孝や病気は治らないのである。

映画の世界(眼に見える世界)に不孝を映して見ることが嫌いならば、フィルムの世界
(心の波で作る映画の世界)における原画を訂正しなければならないのである。

現象界は結果であって、原因ではないのである。原因の表現が結果である。
だから結果であるところの不幸や病気を根絶しようと思うならば、
原因であるところの心の波で描く原画を変更しなければならない。

心の波で不幸や貧乏や病気を描くな。

           <感謝合掌 平成29年10月5日 頓首再拝>
25:伝統 :

2017/10/11 (Wed) 22:09:51


    *『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第8篇(P220~221) より

若しあなたの事業が失敗したように見えようとも、
真実何処にも失敗と云うものが存在しないと云うことを知らねばならぬ。

「失敗」と云う観念にあなたが固執するとき、
「類は友を招ぶ」と云う心の法則によって、
益々「失敗」と見えるような事件が重なってあらわれて来るのである。

失敗を転じて成功に導こうと思うならば、
「失敗」と云う観念を、心の黒板から拭い去ってしまわなければならない。

イエスが「悪に対して抗する事なかれ」と言い、
「上衣を盗る者には下着をもとらせよ」と言ったのは、

悪と見ゆるものに対して無抵抗であるときは、
悪は本来存在しないものであるから、
その悪は生長しつつあるかの如き観を呈しつつ
実は自壊して行きつつあるものだからである。

「陰極は陽転する」と云うのは、暗黒はそれ自身で自壊するからである。

           <感謝合掌 平成29年10月11日 頓首再拝>
26:伝統 :

2017/10/17 (Tue) 19:27:39


       *「栄える生活365章」(P33)より

実相を今既にある小さな恵福(けいふく)に対して行うならば
次なる一層大なる恵福(けいふく)がやって来ることになっているのである。

今、小さくとも常に現在与えられている恵福(めぐみ)に対して、
不平不満足で怨嗟の声を発し闘争して奪い合うような凄まじい荒れた心では、
荒れた結果しかあらわれて来ないので

鶴見の二重衝突事件や、三池の粉炭爆発事件や、その他無数の交通事故が
頻々(ひんぴん)として起こって来るのはまことに止むを得ない
”心の法則”の実現であるのである。

”心の法則”とは、感謝の心を起こせば感謝すべき事件が集まって来、
荒れた心を起こせば荒れた事件が集まって来るという法則である。

その心の法則を知らないために、幸福を求めながら却って我武者羅に
荒れた心を起こし、そしていろいろの荒れた災害を惹き起こしているのである。

           <感謝合掌 平成29年10月17日 頓首再拝>
27:伝統 :

2017/10/20 (Fri) 18:07:17


       *『 生長の家 』(昭和24年2月22日の法語)より

   神は その人が仏教徒であるから特に保護するとか、
   キリスト教徒であるから特に保護するとかというようなことはない。

   如何なる宗教の信者も、爆弾に触れれば爆死する。
   法則は 宗教の差別なく万人に同様に適合される。

   しかし吾々は自由意志をもっており、
   意志の選択能力をもっており、
   高圧電気や爆弾に触れない位置にいることは自由である。

   そしてどの位置に自分がいるかということは
   心の法則によって定まる。

   その人の心の波長が
   その人が自然に行きたくなる位置を決定する。

   それは 「 類の心は類を呼ぶ 」 という心の法則による。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12984530.html

           <感謝合掌 平成29年10月20日 頓首再拝>
28:伝統 :

2017/10/27 (Fri) 19:13:00


          *「光明法語(10月27日)」より

神の波長に合わぬと言っても、その場合、神が人間を罰し給うのではないのである。
光に対して眼をつぶっている者が「暗い」のは、神罰ではなくして、
理としてそれが出て来るのである。

そして「暗く」して打突(ぶつ)かり、頭を打って痛いと思って、
その人が眼をひらいて、そして方向転換するのは、
神が頭をなぐったのではなくて、自分が頭をぶつけたのであり、
そして自然に眼がひらくのは、「理」として自然に来るのである。

これを「摂理」と言う。
不幸に出遇(であ)ったと思っている時に神の導きがある。

           <感謝合掌 平成29年10月27日 頓首再拝>
29:伝統 :

2017/10/28 (Sat) 19:42:03


          *「光明法語(10月28日)」より

病気をした為に神を知ったと言い、災難を受けたために神信心をするようになった。
これは神の導きであったと言う人がある。

これは摂理であり、「理」であり、神が自由意志をもって、導かんがために、
病気や不幸を課したのではない。

「理」にしたがって、心の通りの姿が、肉体や境遇に反映してあらわれるのである。
眼をとじていれば暗いが、その暗いのは「理」に従って暗いのであって、
神罰によって暗いのではない。

暗くて頭を打つのも「理」にしたがって頭を打つのであって神罰ではない。

           <感謝合掌 平成29年10月28日 頓首再拝>
30:伝統 :

2017/10/29 (Sun) 19:32:50


          *「光明法語(10月29日)」より

「理」はどこから来たかと言うと、神から来たとも言える。
しかしそれは神罰と云うものを課するために神がつくったものではなく、むしろ神御自身が
人間によって利用できるように「一定不変」の形になってあらわれ給うたものである。

自然界の法則も同じである。
神は「自由の本体」であるから変幻自在である。
しかし「変幻自在」では人間は神を利用することが出来ないのである。

それで神は一定不変の法則となり、一方では「科学の法則」となり、
一方では「心の法則」となってあらわれたのである。

           <感謝合掌 平成29年10月29日 頓首再拝>
31:伝統 :

2017/10/30 (Mon) 18:59:46


          *「光明法語(10月30日)」より

高圧電線に触れて傷つくのも、機械の歯輪(はぐるま)にはさまれて傷つくのも、
食い過ぎて胃を悪くするのも、「科学の法則」にふれたからである。

腹が立ったり、悲しんだり、取越苦労をして
病気になるのは「心の法則」にふれたからである。

食いすぎて胃病になっても別にそれは神が罰を当てたのではない。
それは「理」によってなっているのであって、「理」に逆らったからに過ぎない。

省みて「理」に順応して、高圧電線にふれる時にゴムの手袋をはめ、
歯輪(はぐるま)の間に手を入れず、食べすぎねば傷つくことはない。

           <感謝合掌 平成29年10月30日 頓首再拝>
32:伝統 :

2017/10/31 (Tue) 19:27:49


          *「光明法語(10月31日)」より

それと同じく「心の法則」と云う理によって起こる災禍や病気は、
神の肆意(しい=かってきまま)による神罰でないから、顧みて、自分が如何なる心を
もったかを反省し、理に逆らっていた心の持ち方を捨て、理に順応する心の持ち方に
心を転ずれば災禍や病気は治るのである。

何よりも今まで神の光に眼を瞑(ふさ)いでいた眼を開くことが大切である。
そうすれば暗がりにいて頭を打つ様な馬鹿らしい病気や災難は受けなくなる。
人を打つ心をもてば、自分が打たれる。

心の法則は何も難しい事はないのである。

            <感謝合掌 平成29年10月31日 頓首再拝>
33:伝統 :

2017/11/04 (Sat) 19:57:35


       *「光明法語」(11月4日の法語)より

ヘンリー・ヴィクトリー・モルガン氏が指摘したように、或る夫人は自分の少数の
白髪(しらが)が出来かかったのを「白髪は無くなる、白髪は無くなる」と毎日思念し
続けた結果、1ヵ月後には全頭が真白(まっしろ)になって「思念の力もクソもあるか」
と大いに憤慨したそうであるが、

「白髪がなくなる」と念ずる事は「白髪は今ある」と念ずる事を言換えたもので、
毎日「白髪」を思い起こさせる事になるのである。

総(すべ)て、病気の形や状態について、それを論議し、
思い浮かべる必要はないのである。

            <感謝合掌 平成29年11月4日 頓首再拝>
34:伝統 :

2017/12/20 (Wed) 19:54:15


     *「大丈夫だよ、すべてはうまくいっているからね」
       ~斎藤一人・著(P62~63)より

あなたに起きる出来事。

それはしあわせなこともあれば、不幸なこともあると思います。

それらすべての出来事に対して
「これは100%、自分の責任なんだ」と思えたとき、
自分の人生を100%コントロールすることができるようになるんです。

これを「100%の法則」といいます。

たとえば部長がいつもあなたにばかり怒るんだとしたら
「部長が悪い」とみるのではなく、
「私の中に部長を怒らせるなにかがあるんだ」とみる。

そういう目を持つと、「確かに部長はすべての部下に怒ってるわけじゃない」
ということがわかりますし、

「ならば怒られないようにするにはどうすればいいか」
ということもわかるんです。

自分が何回も騙(だま)されるんだとしたら、
「自分が騙されるのを見抜けない」とか、
なにか騙されやすいところがあるはずです。


とにかく、この「100%の法則」は
自分に起こる出来事を100%自分の責任だとみる法則なんです。

これがもし、50%は自分も悪いけど、相手も50%悪いんだとしたら、
あなたの人生は相手に50%支配されていることになります。

相手が90%悪いんだとしたら、
相手はあなたの90%を握ってることになるんだよね。


ところが100%自分の責任だとすると、自由度も100%になります。

だから自分の人生を100%自分のために生きようとするなら、
この{100%の法則」を知っておいたほうがいいのです。


   人生でなにが起きても、原因のすべてを自分目線で見つめてみること。
   そこには学ぶべきことが必ずあるからね。

            <感謝合掌 平成29年12月20日 頓首再拝>
35:伝統 :

2017/12/21 (Thu) 19:06:57


        *『 生長の家 』(昭和23年3月10日の法語)より 

   金を儲けたいと思って小説を書いても
   其の小説は人の心を動かすことは出来ないであろう。

   人を動かす文学的作品は
   人を動かす文学的使命のみを深く感じた人のみによって
   製作せられるのである。

   人を動かす宗教的作品もまた然りである。

   金を神に祈っても何にもならぬ。
   神の世界には 「 金 」 などは存在しないのである。

   よき生活とか、豊かなる生活とか、美しき生活とか、愛深き生活とか、
   そう云うものは 実相の世界にもあるものだから祈れば与えられる。

   しかし先ず 「 自分の全力 」 を
   自分から与えねばならぬ。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13124555.html?type=folderlist

            <感謝合掌 平成29年12月21日 頓首再拝>
36:伝統 :

2017/12/25 (Mon) 18:50:08


          *『 生長の家 』(昭和24年3月14日の法語)より

   人に奉仕する希望も有(も)たず賃金の為に
   「与えられた仕事」を遂行するような人間は奴隷である。

   奴隷はいやいや仕事をするからくたびれる。
   疲れているから一つの事物に精神を集中する事ができない。

   あちらを向きこちらを向き、
   嘆息し欠伸(あくび)をし、
   煙草に火をつけて一ぷくするのである。

   そして人生何の為に
   こんな働きをしなければならないかと考える。
   そして薄給を不幸に思うのである。

   「 与えれば与えられる 」 が心の法則であるから、
   人に奉仕する心なくして出し惜しんだ働きで、
   多くを与えられることはあり得ないのである。


    → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/17cc10be369b926cf12f5351b88e4602

            <感謝合掌 平成29年12月25日 頓首再拝>
37:伝統 :

2018/01/06 (Sat) 19:30:05


         *『 生長の家 』(昭和23年3月19日の法語)より

   普通の人間の望むところは
   健康と富と幸福感とである。

   幸福感のうちには
   自分の能力の生長感や、
   世間や家族から感謝尊敬せられたい念や、

   事業の繁栄伸展や、
   よい考えが浮かぶと云う事や、

   愛されている感じ、
   愛している感じ、

   創造にともなう幸福感などがある。

   それを得るにはどうしたら好いか。

   愛されたければ
   先ず愛することである。

   尊敬されたければ
   先ず他を尊敬することである。

   家族を尊敬する家長は 家族から尊敬せられ、
   工員を尊敬する工場主は 工員から尊敬せられる。

   蒔いた種子のみ生えるのである。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13221451.html?type=folderlist

            <感謝合掌 平成30年1月6日 頓首再拝>
38:伝統 :

2018/01/10 (Wed) 19:43:10


           *「大丈夫だよ、すべてはうまくいっているからね」
             ~  斎藤一人・著(P74~76)より

「100%しあわせだ」
「100%自分に責任がある」

このことを理解するためには
「原因と結果の法則」も知る必要があります。

この世で起こる出来事(結果)には、それを起こした原因が必ずあります。
だから、あなたに起こる出来事にも、すべてに
必ず原因があって、それは100%自分にあるんだよね。

そう言われると驚く人もいるでしょう。

でもね、信じられないかもしれないけれど、それは本当のことなの。

さらに、このことをもっと深く理解するためには
「刈り取りの法則」も知る必要があります。

あなたがまいたタネは、あなたが刈り取らなければいけません。

他人がまいたタネを刈り取ることもできませんし、
自分がまいてできたものを放棄することもできません。

農業と同じです。
田んぼに植えた苗のぶんだけ稲穂が実るのです。

もし刈り取りを放棄すれば、
それがまた新たな因果を生むことになります。

その因果は今世だけではなく、来世も続きます。

今世で刈り取れないほど大きな因果を生んだ場合は、
何世代もかけてそれを刈り取ることになるのです。

だから私たちは、つねに良いタネをまくように心がけ、
悪いタネをまいてしまったときは、それをせっせと刈り取ればいいんです。


部下の失敗に対して「バカやろう! 」って怒ると、
あなたが“怒りのタネ”をまいたことになります。

怒ったらスッキリするかもしれないけど、
その怒りは必ず回り回ってあなたのところに返ってきますからね。

だから「ダメじゃないか」とやさしく言って、
「次からはこうやってやるんだよ」って指導する。

それでもできなかったら
「悪い。俺の教え方が悪かったんだな。次はもっと工夫して教えるよ」
って言っていると、

その人にも慕われ、教え方もうまくなり、みんなからも好かれる…
まいたタネを自分が刈り取るのです。

このように、怒りをまくか、愛をまくかで
刈り取るものが全然違ってきちゃうんだよね。

つまり
「100%法則」や
「原因と結果の法則」、
「刈り取りの法則」を知ると、

人生を自分で100%コントロールできるようになるんです。


   この3つの法則を知って、理解して実践することで
   あなたの人生も見える景色が変わっていくからね。

            <感謝合掌 平成30年1月10日 頓首再拝>
39:伝統 :

2018/01/11 (Thu) 20:07:39


       *「大丈夫だよ、すべてはうまくいっているからね」
            斎藤一人・著(P77~78)より

では、こうした法則はなんのために存在するのか。

それを一言でいえば、「魂の成長のため」ということになります。

私たちの魂は何度も生まれ変わります。
その生まれ変わりの中でさまざまな経験や体験をしながら、
魂を向上させるのです。

私たちは生まれてくるとき、
今世でどのような経験や体験を通じて魂を成長させるかを、
あらかじめ大まかに決めてきます。

親や兄弟、そして出会う人など、
テーマに応じた環境を選んで生まれてくるのです。

しかし、私たちは生まれてきたと同時に
今世の目的や過去世のことなど、魂の記憶を容易に思い出せなくなります。

なぜかというと、そのほうが魂の向上に役立つからです。

でも、それでは目的地がわからず、道に迷ってしまいますよね。

そのために魂の親である神様は、
さまざまな“しくみ”をつくってくれました。
法則もその一つなんです。

さらに言えば、性格や好き嫌いや欲も神様がつけてくれたものです。
だからそれを否定するより活かすことを考えたほうが、人生はうまくいきます。

それでも人は間違ったり、迷ったりします。
そんなときに神様はいろんな方法で“お知らせ”をくれるんです。


病気になったり、不幸になったりするのも
「それは間違いですよ」という神様のお知らせなんです。


正しくておかしなことは起きないんだよね。
それがこの世のしくみなんです

身体(からだ)の調子がおかしいというのも、どこかが間違っているからなんだし、
しあわせになれないというのも、根本的にどこか、なにかがまちがってるんです。


だから、「この先にはしあわせが…」って言うけど、
その間違いを直さない限り、しあわせにはなれないんだよ。


   すべては魂が成長できるために起こるからね。

            <感謝合掌 平成30年1月11日 頓首再拝>
40:伝統 :

2018/03/29 (Thu) 19:22:16


           *「光明法語」(3月29日)より

吾々は原因結果の法則の世界に生きているのである。
その原因は他から来るのではなく、自分から来るのである。

吾々が人々を愛すれば人々から吾々は愛されるのである。
人々に与えれば人々から与えられるのである。
吾々が人々を賞賛すれば人々から賞賛されるのである。

愛は愛を呼び、憎みは憎みを呼ぶ。
奪うものは奪われ、殺す者は殺される。

眠るときに愛念を起して眠れ、感謝の念を起して眠れ、明日の事を神にまかせて眠れ。
決して争いや、心配の心で眠るな。

            <感謝合掌 平成30年3月29日 頓首再拝>
41:伝統 :

2018/04/07 (Sat) 18:42:05


       *『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P11~12) より

あなたが若し縁談がおそいならば、愛の表現が足りないのである。
愛を求めるよりも、先ず愛を与えなければならないのである。
与えたものが与え返されるのが心の法則であるのである。

あなたは自己の内に宿る「愛」の表現の道をひらきなさい。
あなたは自己の内にやどる「神の愛」を愛し、
それを生き生きと実生活に表現しなければなりません。

あなたが「愛」を求めているように、あなたの魂の半分である人も、
やはり「愛」を求めているのです。

それにも関わらず、2人が出会わないというのは、
「愛」の表現が足りないからなのです。
もっと自由に「愛」を表現しなさい。


職業を求めている人が、職業を得られない場合に、誰もやとって
くれなくとも、眼の前にある色々の人のためになる仕事 ── 
窓硝子拭きとか、廊下の掃除とか道路の清掃とか ── を真剣に
「ありがとうございます」ととなえながら奉仕していると、自然に
その人に職業が与えられる実例があるように、

あなたが愛を求むれば先ず、神を愛し、神の愛のために
報いを求めず愛することを実践するがよいのです。

隣人の幸福になるために愛を実践するのです。
やがて時がきます。

互いに半分であり、求め合っていた2人が相会う時が来るのです。 

            <感謝合掌 平成30年4月7日 頓首再拝>
42:伝統 :

2018/05/08 (Tue) 17:32:54


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月8日)」より

心で《もの》を造るのは心の法則に従うほかはない。

病気を治そうと思えば、治るような心になるほかはない。

人に頼んでも、金を払っても、そんなことでどうにもなるわけではない。

            <感謝合掌 平成30年5月8日 頓首再拝>
43:伝統 :

2018/05/11 (Fri) 18:48:24


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月11日)」より

第一創造の世界=第二創造の世界。
この2つの世界を繋いでいる=(パイプ)は想念(こころ)である。

想念(こころ)は大きくなければ、第二創造の現象世界に完全な状態はあらわれない。
想念(こころ)は=(パイプ)であるから、
想念(こころ)で力んでみてもなんにもならない。

凝念(ぎょうねん)は生長の家の神想観ではない。
=(パイプ)を大きく持つのが神想観である。

小さなことに興奮しているようなことでは功徳はないのである。

人相ではこの=(パイプ)は眉間にあらわれる。
眉間に剣(ケン)があったり、八の字が寄っていたり、
凹(へこ)んでいるようなことではいかぬ。

            <感謝合掌 平成30年5月11日 頓首再拝>
44:伝統 :

2018/05/21 (Mon) 20:23:52

 
        *『女は愛の太陽だ』(P26~27)より

美貌よりも表情の善さが男性を魅きつけるのである。

表情も態度もジェスチャーも一種のコトバである。
しかも表情は、自分の心情をあらわすコトバである。

うまれつき美貌でないからとて歎くことはないのである。

コトバは創造主である。
明るきよき表情は、よき運命を引き寄せるのである。

1分1秒間といえども、自分の心に“暗い影”をおとしてはならない。

心に描かれた“暗い影”はただちに形に化して表情としてあらわれると同時に、
現象化して、自分の運命となってあらわれるのである。

            <感謝合掌 平成30年5月21日 頓首再拝>
45:伝統 :

2018/07/05 (Thu) 19:29:16


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(7月5日)より

なんじの欲する事物の上になんじの心を集注せよ。
なんじの欲せざる事物の上になんじの心を集注せいてはならない。

病を欲するならば、病の上に心を集注せよ。症状を気にかけよ。心配せよ。
しからばなんじの病は必ず増大すべし。
心をそれに集注するものが実現するからである。

多くの人々がなぜ不幸であり、不健康であるかの原因は、
好まないものにことさら心を集注して心配するからである。
なぜ、君は自己の欲せず希望せざるものの上に心を集注するのであるか。

幸福ならんと欲する者は、自己の幸福のみに心を集注せよ。
他の人の幸福のみに心を集注せよ。他の人の幸福を羨(うらや)んではならない。
幸福を羨む心は、幸福を否定し、抑制し、不幸を欲する心であるがゆえに、
みずから不幸を招くのである。

他人の幸福を自己の幸福と感じうるものは、自分が今いかに現実に乏しくとも、
他(た)のすべての人の幸福が自分自身の幸福であるがゆえに、
すでに豊かであるのである。

なんじの欲する事物の上になんじの心を集注するとき念の創化作用によって、
ついにそれをこの世界に現実化するに至るのである。
なんじ、何を欲するや。これをまず自己自身に問え。

しかして、健康を欲するならば、

「われは完全なり健康なり。われは生命(せいめい)なり。
われは神の子なり。われは永遠の存在なり。われは不老なり。
われは何物をも羨まず。われは日々にいっそう、神の子の完全さを顕現するなり」

と常に精神を集注して念ずべし。

諸君が成功を欲するならば、常に偉大なる物のみを心に描け。
偉大を念ぜずして偉大になった者は一人もないのである。
小なる計画は人を魅(ひ)曳きつける磁石的力を有しないのである。

いやしくも失敗を予想するなかれ。しかし細心であれ。一歩一歩を大切にすべし。
大望を抱くものは日常生活に気をつけるのである。
気をつけることと、恐怖することはちがうのである。

将棋の木村名人のように一分一秒を大切にして、
しかも最後の勝利を前途に描く者はついに勝つのである。


心の法則を知らざる者は、健康を欲しながら病気を念じ、
成功を欲しながら失敗に精神を集注し、
すべて逆に逆にと心を使うから失敗するのである。

されば健康を欲し成功を欲するものは
少なくともその基礎知識として勝利の常識として
わたしの「人生は心で支配せよ」の本一冊ぐらいは
読んでおかなければならないのである。

・・・

*谷口雅春先生の著書「人生は心で支配せよ」

  ブログ「山ちゃん1952」(2013年11月16日)
   「如何にせば運命を支配し得るか」
   → http://tecnopla1011.blog.jp/archives/1122148.html

         <感謝合掌 平成30年7月5日 頓首再拝>
46:伝統 :

2018/07/09 (Mon) 18:59:33


       *『人生の秘訣365章』第4篇(P93~94) より

希望実現のための”心の法則”の第一は、
「みとめるものがあらわれる」ということである。

諸君は、今あらわれている現象の有様(ありさま)を、
究極的に真実そのままの姿だと思ってはならないのである。

現象には真象と偽象とがあり、真偽混淆(しんぎこんこう)して
二重写しの写真のように、本来の実相が曇らされ、
歪められてあらわれているのである。


真象とは『甘露の法雨』の冒頭ちかく示されているところの

「神の『心』動き出でてコトバとなれば一切の現象展開して萬物成る」

とあるところの「神の想念」の展開としての現象である。

この「神の想念」の展開としての現象は即ち“真象”であって、
実相世界に神のコトバが展開して成就せる世界である。

そしてその真象の世界に於いては

「神があらわるれば乃ち善となり、義となり、慈悲となり、
調和おのづから備わり、一切の生物處を得て争ふものなく、相食むものなく、
病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし」

と『甘露の法雨』に示されているが如き万徳円満の世界なのである。

しかしこのような万徳円満の世界が真実の象(真象)として実在しているに拘らず、
それは「認めなければあらわれない」のである。

不完全な偽象の世界を超えて、この真実の象(かたち)の世界をみとめるために、
皆さんは、肉眼を閉じ、心の眼をひらいて実相を観ずる「神想観」を
毎日怠らず実修するがよい。(拙著 『詳説・神想観』参照)

         <感謝合掌 平成30年7月9日 頓首再拝>
47:伝統 :

2018/07/11 (Wed) 20:42:44


     *『生活の智慧365章』
        (第4部繁栄の泉)第2篇(P39~40) より

人生は心の法則を逆用しないで順用するとき、
そんなに不幸なものでも危険なものでも複雑なものでもないのである。


愛すれば愛され、批評すれば批評され、憎めば憎まれ、相手を「好戦国」と
罵(ののし)れば、自己もまた「好戦国」と罵り返されるのである。

そんな分かり易い”心の法則”が米ソ両国の首脳者にもわからないで、
”物質”の法則ばかりを多く発見して原水爆の製造に血も道をあげているから、
人類は常に戦争の危険に晒(さら)されていなければならないのである。

世界の平和を持ち来すには”心の法則”を可及的すみやかに
人類に普及するほかはないのである。

         <感謝合掌 平成30年7月11日 頓首再拝>
48:伝統 :

2018/07/24 (Tue) 19:55:30


         *「光明法語」(7月24日)より 

人生には、精神の道と、肉体の道とが互いに縄のように交わりながら進んでいる。
吾々は心の法則の中にも住んでいるし、物質の法則の中にも住んでいるのである。

毒物(本来食物として創造(つく)られていない物の意であって、それは他の用途に
使えば毒物ではない。本来毒物は何もない)を食すれば胃腸を害し消化力を減ずるのは
物質の法則によるのであるが、

心配したり、腹立ったり、不快な思いをしながら食べるとき
胃腸を害し、消化力がにぶるのは心の法則によるのである。

         <感謝合掌 平成30年7月24日 頓首再拝>
49:伝統 :

2018/08/14 (Tue) 19:32:28


         *『生活の智慧365章』
           (第4部繁栄の泉)第2篇(P40) より

その国の偉大さは、その国民の偉大さによってはかられる。

その国民が偉大であるというのは、”自然科学の法則”を最も多く知り、
それを最も多く利用すると同時に、
”心の法則”を知りそれを順用することに優れていて、

”自然科学の法則”の活用と”心の法則の順用”とが
豊かにバランスを得ている場合である。

”自然科学の法則”の活用のみに重点がおかれて、
”心の法則の順用”が忘れられているときには
現在のような人類の危機を孕(はら)むことになるのである。

もっと「心の法則」の科学を一般的に普及して、
「物質界の法則」の智識とバランスを得させるようにする事こそ、
世界平和の基礎となるものである。

         <感謝合掌 平成30年8月14日 頓首再拝>
50:伝統 :

2018/10/31 (Wed) 18:46:30


          *「光明法語(10月31日)」より

それと同じく「心の法則」と云う理によって起こる災禍や病気は、
神の肆意(しい=かってきまま)による神罰でないから、顧みて、自分が如何なる心を
もったかを反省し、理に逆らっていた心の持ち方を捨て、理に順応する心の持ち方に
心を転ずれば災禍や病気は治るのである。

何よりも今まで神の光に眼を瞑(ふさ)いでいた眼を開くことが大切である。
そうすれば暗がりにいて頭を打つ様な馬鹿らしい病気や災難は受けなくなる。
人を打つ心をもてば、自分が打たれる。

心の法則は何も難しい事はないのである。

            <感謝合掌 平成30年10月31日 頓首再拝>
51:hwpipbbsf:

2020/08/29 (Sat) 22:01:29

伝統板・第二
hwpipbbsf http://www.gh1384ogts97v81zg17j883cdcd3ja05s.org/
[url=http://www.gh1384ogts97v81zg17j883cdcd3ja05s.org/]uhwpipbbsf[/url]
<a href="http://www.gh1384ogts97v81zg17j883cdcd3ja05s.org/">ahwpipbbsf</a>

  • 名前: E-mail(省略可):
  • 画像:

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.