伝統板・第二 2535725

本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。


住吉大神

1:伝統 :

2017/02/11 (Sat) 05:08:31

このスレッドは、あらためて、「住吉大神」に関する情報を集めてまいります。


東道(みちびき)の神「塩椎神」

          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月11日)」より抜粋

塩土老翁(しおつつのおじ)なる老翁(おきな)来たりて神武天皇に
「東(ひんがし)に美地(うましくに)有り」と御奏上申し上げたということが
『日本書紀』に書かれている。


この塩土老翁(しおつつのおじ)は『古事記』では塩椎神(しおつちのかみ)とて目無堅間
(めなしかつま)の小船(おぶね)を作り彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)を乗せ
まつって金銀(こがねしろがね)饒(さわ)なる竜宮海に導き奉ったと出ている。

竜宮海とはウミの底である。
「創造(うみ)の根底(こんてい)」にある世界とは現象のよって
もってあらわれる根元の世界である。換言すれば実相の浄土である。

目無堅間(めなしかつま)の小船(おぶね)とは、時間の目盛(めもり)無く空間無く堅く
つまりたる小なる一点である。換言すれば、無時間・無空間の世界、時空を超越し、そこより
時空生まれる一点(久遠の今此処)に乗るとき衆宝(しゅうほう)あまねく充つる竜宮海に入る
ことができるのである。

「無字透関(むじとうかん)」である。「無」を超えてさらに実相地(じっそうじ)に透関する
ときに竜宮海すなわち、無限供給の極楽浄土を実現することができるのである。
この無限供給の極楽世界に入る方法を教えたまう神が塩椎神(しおつちのかみ)である。

そして竜宮海は極楽にして住み吉きがゆえに住吉世界ともいい、
住吉世界の本尊を住吉大神(すみよしのおおかみ)と申し上げるのである。

竜宮海は時間空間を超えた世界であるから、浦島太郎はそこにあるとき永遠(えいえん)に
年(とし)老いず、このことを仏教では無量寿世界に入るとき無量寿仏と同じ悟りに入ると
言うのである。

老病死の三奸(かん)を征伐せられてから住吉大神は茅渟(ちぬ)の海に面して
長湾(ちょうわん)をなせる山峡(やまかい)に鎮め祀られたのである。

今は神戸市東灘区住吉に本住吉神社があり、神功皇后を主神とし、脇神(わきだち)として
筒男(つつのお)の三神をお祭りしてある。
後に泉州堺に御遷座申し上げたるにより、ここを本住吉神社というと承っている。

三韓征伐とは、老病死の三奸(かん)の克服の象徴物語である。
住吉大神(すみよしのおおかみ)が竜宮の大神であり、無量寿仏のあらわれである以上、
老病死の三奸(かん)を克服せられたことは当然のことでなければならない。

            <感謝合掌 平成29年2月11日 頓首再拝>
2:伝統 :

2017/02/12 (Sun) 04:50:18


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月12日)」より

わたしは御影町(みかげまち)および住吉村に住んでいたとき、
たびたび住吉神社に参拝して人類光明化のために祈願をつづけたものである。
そこころからわたしは雑誌『生長の家』を書きはじめたのである。

その後、生長の家神と申し上げるは塩土老翁(しおつちのおじ)、筒男神(つつのおのかみ)で
あらせられると知らされ、ハットしてその端倪(たんげい)すべからざる因縁に驚いたのである。

塩土神とは水火津霊(シホツチ)の神である。
水の霊(陰の原理)と火の霊(陽の原理)とを津なぎ結びて、一切を生み出す「生みの神」である。

だから塩土神(住吉神社・塩釜神社に奉斎)は古来安産の神として称せられ、
エホバ神の「懐妊(はらみ)の劬労(くるしみ)を増すべし、汝は苦しみて子を産まん」という
宣言を覆して、子を産むのに無痛分娩なることを実証したのである。

生長の家の教えを聞いてそのとおりに守るものは無痛分娩であるのはそのためである。
塩釜大神(しおがまのおおかみ)とは水火醸神(しおかみのかみ)として
陰陽交叉(いんようかみあ)いて生み出す神という意味である。

生長の家神を拝みたければ住吉神社に参るがよし、塩釜神社に参拝するのもよい。
われわれの団体は無宗派の万教帰一を説く団体であるから、
拝殿もなければ御祈祷をするということもない。

ただ書籍、講演、放送、直接指導等によって老病死を克服する教化団体である。

            <感謝合掌 平成29年2月12日 頓首再拝>
3:伝統 :

2017/02/26 (Sun) 04:49:30


       *Web: 嬉しい 楽しい ありがたい
            大熊良樹(講師)の公式ブログ(平成26年10月11日)より

谷口雅春先生は、幽斎殿の斎神は、
当初「天照大御神」「住吉大御神」「観世音菩薩」と思われていた。。

しかし「御心」を問われているうちに、
霊感のある女性から来た手紙での指摘に「神意」を観られるのである。

そして、斎神を決定される。

「天照大御神様」

「塩椎大御神様」

「住吉大御神様」

  御三神であると。


その意味は、

「天照大御神」様の具現化としての

「住吉大御神」様、「塩椎大御神」様であるが、

「塩椎大御神」様は、「御心」の具現であり、
「御教え」であり「聖典」の象徴である。

「住吉大御神」は、その「御教え」を行動化
(「浄化」澄み良し)する象徴であるのである。

しかして・・

3・11「東日本大震災」では、
塩釜神社を祭祀する、宮城県を中心として「津波」の
被害を受けたのであった。

聖典を象徴する海の神(産みの神)塩釜(塩椎大神)が、

津波(流産児の涙)で・・冒されたのだ。
なんということであろう。


昭和60年5月24日。

最終講話で尊師は、私はもうお話しすることはない。

全て本に書いてあるから、読んでいただければいいのです。

とはっきり御遺言されたのでありました。

それを踏まえていうならば、

生長の家的な、解釈であれば、「御教え」である「聖典」の
多くをおろそかに(読めなく)することそのものが真理隠蔽と
なるのであります。


そのことで必然、最初で最後
谷口雅春先生が、神の御名で出された大号令。

「神命の書」さえも隠蔽されたのでありました。

       ・・・

  『生長の家』誌昭和46年6月號より



      「神命の書」
   -----------------------------------
 
     住吉之大神宣り給ふ
     汝はわが愛する御子
     われ汝に使命を授く
     往きて年間三百萬人
     の胎児を救ふべきぞ
     かくて日本人の業 浄まらん
     然るとき 天之岩戸開かれ
     天照大御神の神靈
     出御せられて日本國
     の實相あらわれん

       神命の書 雅春


   ------------------------------------

    (http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/17437922.html?__ysp=56We5ZG944Gu5pu4

       ・・・

(中略)

私も、この時期に「録を食んだ者」として・・安易に、批判できる立場にはない。

ただ、「鎮護国家」外しだけは、絶対にしてはならないことをしてしまったことを思う。


もし、違和感を感じないのであれば、
それは「神の真義とその理解」
(あるいは「生長の家30年史」・「40年史」・「50年史」)を読んでいないからだろう。

そこには、尊師(生長の家・生長の家大神)が「鎮護国家」のためにこそ、
出現されたことの因縁が重ね重ね書かれてあるのだ。

生長の家の「悟り」と「神観」の全貌がそこに明記されているのである。


差を取り(悟りて)、真理を祈る(いのちの宣言)ことが重要である。

無限生長の家(本来の宇宙のあり様)を、
みなが、こころを一つにして、日々、祈りたいものである。

久遠の今を生きる。
日々、神の子を生きることが大事である。

無限の今、

実相を喜んで生きることが重要である。

       (http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/12416789.html )

            <感謝合掌 平成29年2月26日 頓首再拝>
4:伝統 :

2017/03/15 (Wed) 04:32:32

           *白鳩』昭和37年4月号『住吉大神出現の由来因縁について』より

此の真理の啓示を受けましたのは、私が兵庫県武庫群住吉村に住んでおりました頃に、
勇湯という銭湯がありまして、午前五時頃からもう新湯が沸いておりましたので、

風呂好きの私はいち早くその銭湯へ出掛けて行き、快い湯加減に温まって
爽やかな気持ちになり、身も清浄、心も清浄にあらい浄めたそのままに、

勇湯から三丁ばかりの距離にある産土神社なる本住吉神社に、
毎朝日参して日本国の隆昌と皇室の御安泰とを祈願して帰ることにいたしておりました際に、

その本住吉神社の大神から霊感をいただいたのであります。

従って、生長の家の説いている真理を掲示された本尊神は住吉神社であらせられるのであります。

   (http://www.sakaerukai.com/hyogo/seichi/sumiyosi/Sumi_jin.htm より)

                  ・・・

      *『理想世界』(昭和49年12月号)より
       ~『光明思想の原点、人類光明化運動の神々の系譜』

わたしは兵庫県神戸に生まれた。

わたしの産土神は生田神社で、
その祭神は天照大御神の御妹君の稚日女神だということである。

―人間の運命は半分は過去の生まれ変りの世代に行為して来たことの集積決算で定まるが、
残り半分のうち、その約半分は今世の努力による自分の〝心の持ち方〟と
〝行為〟の如何によって定まり、

残りの運命は産土神その他の高級霊の導きによって定まり、
又は修正されたり、指導せられたりするのである。

(略)

わたしの運命の大体の方向は、私の過去世の業績に基く決算によって、
産土神が、何某の許に生まれよ、しかして何某の許へ養子に行き、
結局住吉大神の御旨を奉戴して人類光明化運動に励むと同時に、
日本国家を護る運動を起こすように導かれたのであった。


            <感謝合掌 平成29年3月15日 頓首再拝>
           
5:伝統 :

2017/03/30 (Thu) 03:55:57

           *「神の真義とその理解」<龍宮住吉本宮建立の意義>より

《産土の神に導かれて》

私(谷口雅春)の運命の大体の方向は、私の過去世の業績に基く決算によって、

産土神が、何某の許に生まれよ、しかして何某の許へ養子に行き、結局、
住吉大神の御旨(みむね)を奉戴して人類光明化運動に励むと同時に、
日本国家を護る運動を起すように導かれたのであった。

そのようなことになっていたのは、5人兄弟のうち、私だけが養子に行って、
異なる運命の道を歩むことになり、私だけが高等教育を受けることが出来、

「生命の実相哲学」を創始することになった事実を振り返ると
常に産土神に導かれていたことがわかるのであります。

 
《産土の神と人類光明化運動の関係》

私(谷口雅春)が産土神である生田神社に祭祀されている稚日女君命さまに導かれて、
住吉大神の人類光明化運動(宇宙浄化運動)に参加するに至ったのは、

後になって稚日女君命さまが、
生田神社に祭祀されるに至った由来を調べてみた結果
一層明らかになったのである。

それは神功皇后さまが新羅の侵攻を迎え討たれたとき、
住吉大神と共に稚日女君命さまが神功皇后さまの戦いを守護せられたことが
凱旋のとき、神示によって明らかになり、神功皇后が稚日女君命さまを
生田神社の本尊として宮造りをしてお鎮め申すことになったのである。

こうして生地の産土神を神功皇后の国家防衛に守護された生田神社の稚日女君命と戴く私が、
こうして八十歳(ご執筆時)を超えながら国家防衛に奔走せずにいられないのは今尚、
この大神の守護の下に導かれていると考えられるのであります。

しかもこの神が住吉大神と共に神功皇后の新羅侵攻に対する防衛軍に神助を与えられた
ということは、尚、一層生長の家の使命が国家防衛にあたるべき因縁深きことが
拝察されるのであります。

            <感謝合掌 平成29年3月29日 頓首再拝>
6:伝統 :

2017/04/24 (Mon) 04:03:59

           *「谷口雅春先生を学ぶ」(平成23年1月号)より

生長の家の大神は住吉大神です。
この住吉大神は、またの名を塩椎神、塩筒之男神と申し上げる神様であります。

『古事記』にあらわれた住吉大神は、
同書においては塩椎神と現われておられ、水と塩とをもって浄める海の神様として
現われられた上筒之男神、中筒之男神、底筒之男神という三柱の神様でありまして、
総じて塩筒之男神とも申し上げます。

まず、住吉大神は伊邪那岐大神の宇宙浄化の御禊祓の、
最後の浄化作用としてウミの神としてお生まれになり、
伊邪那岐大神の左の眼より天照大御神がお生まれになる下準備として
浄化の働きをなされて、天照大御神の御降臨を導いたのであります。


また、住吉大神は導きの神であり、『古事記』によりますと、
日本皇室の御先祖の日子穂手見命が、兄君の釣針を借りて海に出て
その釣針を失ったとき、龍宮界へご案内して釣針を得られた道案内の神、
塩椎神であらせられます。


さらに、塩椎神は邇々芸能命が天降りますときに、
事勝国勝神として現われられてご案内し、「此処に国あり」とお導きして、
すべての事に打ち勝ち、国が打ち勝つところの働きをなさいました。

また後に、神武天皇が日向の高千穂におられて、
「何処に都を作れば八紘一宇の世界を建設するのに都合がよいか」と考えておられた時に、
「東の方に美し国あり、そこへ行って都を造ったならば、
必ず世界を統一することができます」と申し上げて、道案内をなされた東道神が塩椎神です。


さらにまた後には、仲哀天皇が崩御なされた後に、
住吉大神は神功皇后に神懸りになって、三韓征伐の道案内をしておられます。

住吉大神は、塩筒之男神とも現われられる海の神様でありますから、
神功皇后の率いられる軍艦を新羅に導かれて、潮満珠の力によって
海水を満潮以上に高めて津波のようになし、新羅の都を水浸しにしました。

そして、神功皇后の海軍が新羅の都に横づけになった時に、
新羅王は、「吾れ聞く、東に神国有り、日本と謂う。亦聖王あり天皇と謂う。
必ず其の国の神兵ならん」と言って、降参したと『日本書紀』には記されてあります。

このように、住吉大神は宇宙浄化の神であられ、国の重大事にあたって現われられて、
その導きをなし給う神様でありまして、

谷口雅春先生は「住吉大神は宇宙本源の神があらわれて宇宙を浄化し
住み吉き世界にせられるお働きのときの名称であります」
(『神の真義とその理解』)と述べておられます。

この住吉大神をお祀りしているのが、兵庫県神戸市の本住吉神社であり、
谷口雅春先生が住吉村に住んでおられて、毎日、本住吉神社にお参りなさっている頃に、
大神から啓示を得られて生長の家の教えが誕生したのでありますから、
生長の家の本尊神である生長の家大神は、住吉大神のことであらせられるのです。

谷口雅春先生は、日本国家の混乱、人類意識の迷妄を、
住吉大神のご神威によって速やかに浄化し消尽することを願われて、
昭和五十三年に、九州長崎の地に龍宮住吉本宮を御造営なされました。

住吉大神を顕斎する住吉本宮造営の意義については、
谷口雅春先生は『生長の家』誌昭和五十年九月号に於いて、次のように説いておられます。

「龍宮から住之江大神の御神威の出現を願って、この世界を浄化して頂いて、
天照大御神の御光を六合に照り徹らして頂く道を開いて頂き、
日本国家を千万年安泰にする霊的礎を築くために建立する住吉本宮であって、
吾々個人が御利益を貰うために拝むとかいう、そんなお宮ではないのです。

端的にいえば、鎮護国家を目的とするお宮であって
住吉大神の御出御をお願いするための社である。
それが〝龍宮住吉本宮”である」

    (http://manabukai.org/precept.html

            <感謝合掌 平成29年4月24日 頓首再拝>
7:伝統 :

2017/05/09 (Tue) 04:42:53


           *「終戦後の神示」より抜粋

われは7つの燈臺に火を点ずる者である。

われは白髪の老翁である。
白髪とは久遠永劫より続く無量寿の象徴である。

われは彦火火出見尊が魚(な)釣らす鈎(つりばり)を失い給ひて
憂ひ泣きたまふ海邊(うみべ)に来りて、尊を龍宮海に導きたる
鹽椎神(しおつちのかみ)である。

鹽椎神とは水火土之神の謂(いい)である。
霊は水火土と顕れ、一切のものは水火土から生れたのである。
われは霊の海、創造の神である。

水即ち『おしめり』と火即ち『ぬくもり』と『土』の働きとがあって
萬物は生ずるのである。

黙示録には『われはアルファなり、オメガなり、生と死との鑰(かぎ)を持てり』
と録(しる)されてゐるのがそれである。

われを単に海の神だと思ふな。
龍宮海の神の如くあらはれてゐるのはウミ(生み)の象徴であり、
龍宮無限供給の神のシンボルである。

われは一切の創造(うみ)の神であるから無にして無尽蔵である。

日本の国が貧しくなったとて歎くことはない。
日本の国は不幸にして我れを容れなかったのである。
キリストの教会を閉鎖せしめ、そのほか色々の圧迫を加へた。

『生命の實相』も不当に用紙を配給せぬやうにして其の出版を閉鎖したのである。

われは愛の神であるから神罰を当てたのではない。
真理に目を閉ぢ、『我』を突き貫してつひに自壊するときが来たのである。

日本の国民よ、歎くな。
迷ひの自壊の後には必ず住よしの世界が来るのである。

われを戦ひの神と思ふな。
われは平和進駐の神である。
住吉とは平和の理想境と云ふことである。

わが行くところに平和は来り、わが行くところに龍宮無限の供給は来るのである。

キリストはわれの別名であるから、キリストを押し込めたのが可かぬのである。

(中略)

住吉の神はまだ本当にあらはれてゐぬ。
併しもうあらはれるに間もないのである。

住吉の神があらはれたら、伊邪那岐神の左の眼が真に清められて、
日本の實相荘厳の姿があらはれるのである。

古事記の預言を廃れりと思うふな。
預言は成就しつつあるのである。
ただその預言を間違って解釈する人が多いのである。

(昭和二十年十一月二十七日未明神示)

            <感謝合掌 平成29年5月9日 頓首再拝>
8:伝統 :

2017/05/23 (Tue) 04:10:42


<昭和52年11月22日> 
【 生長の家秋季記念日の祝賀式における講話  谷口雅春 先生 】


「住吉大神と私」という題で話すことにいたします。

この記念日を多勢様お祝い下さいまして、有難うございます。有難うございます。(拍手)

明日は<新嘗祭>と、
昔の大祭日の名前でいえば・・・そういうように称え奉る日であります。

新嘗祭というのは、日の大神・・太陽の神様が・・言い換えると天照大御神様の
その御いのちを受けて稲穂が育って、そして新たなる天照大御神の御いのちを、
それが宿っている新穀を、天皇陛下が、われわれ国民と共にいのちを新たにするために
お喫りになる真に芽出度い日であります。

言い換えると、新たに、天皇陛下および国民のいのちが更にお生まれ変りになって、
そして新しく光を輝かし給う尊き日であります。

その前日に、何が起ったかといいますと、
宇宙浄化の神であられる住吉の大神の宇宙浄化が起りまして、
そしてはじめてこの宇宙が浄まって、

そして新たなる天照大御神の御いのちの宿ったそのお米を、
天皇陛下と共に食べさして頂く、真に有難い日なんでありますねえ。(拍手)

「その新嘗祭の前日に私が生まれたということは、
ただの偶然ではない」と・・・いうようなことを、
誰か熱心な誌友の方が手紙に書いて送って下さったのであります。(拍手)

まことに嬉しいと思うのであります。

偶然ということは一つもない。

私のいのちの洗礼は ―― 今から五十三年前ですが、
関東大震災でスッカリ、持てる物を全部焼き滅ぼして、すべての浄めが終って、
わたしは、郷里の神戸へ帰ってきました。

そして神戸というのは神の戸でありますが、
関東大震災で浄め終って、“無”になって、
裸一貫で、神の戸を開くために神戸へ帰って来たわけであります。

裸一貫で神戸の養父の家に暫く落ち着きましたが、わたしが就職した会社は、
私の郷里の養父母の家からは非常に遠くて交通が不便でした。

無論、自動車のない時代であり、阪神電車や阪急電車は通っているが、
その電車の停留所まで行くのにずいぶん時間がかかるのでした。
電車の駅まで行くのに30分ぐらい歩かなければならない。

往復は1時間になりますが、あんまり時間が勿体ないと思いまして、
その“時間が勿体ない”と思ったことが、
つまりそういう不便な処へ住まわねばならんようになったことが、
それが、その“艱難”が道を開くと、いうことになるわけであります。

艱難は道を開くのであります。

それで、交通時間が短くてすむような、“もっと便利な所へ往きたい。
どこか神戸市の郊外に、そんな処はなかろうか”と、思いまして、
阪神間すなわち大阪と神戸の中間の位置で、
神戸の衛星都市みたいな処を探しておったのです。

そしたら、阪神電車の住吉駅の少し山手に上がった処に、
良い家が見つかったんです。
それが住吉村梅ノ木という所でありました。

ちょうど好い位置に、空き家が見つかったので、その家にあがって2階から見渡すと
何と立派な広い庭園が自分のお庭のように見えるのです。

当時その住吉村っていうのは日本一の富豪村でした。
当時の日本一の大金持の久原房之助の邸やら。東洋紡績の阿部社長邸宅やら、
名前はいちいち憶えてませんが、当時の関西の富豪たちの邸が充満している村です。

まことに竜宮が実現しているような街でした。

それですから、その梅ノ木の空き家の2階へ上がって見渡すと、何という富豪の庭か
知らんけれども見渡す限り、広々と美しーい庭園が見えるんです。
「これは良い家だぞ」というわけで、これを借りることにしようと、
いうことになりまして、其の家に引越して来たのであります。

交通不便の養父母の家を先ず私は神から与えられ、他の住所を探さす気を起させ、
それで、神戸市の郊外を探させ、住吉村に引越すようになったことが、
つまり神様の導きであります。

その住吉村字梅ノ木の極く近くに、本住吉神社と称われまして ―― 

神功皇后様が、歴史では三韓征伐といわれている時のことです。
新羅の大軍が日本を襲って来つつあるその時に、仲哀天皇が香椎宮に本陣を構えて、
敵軍に対峙しておられましたが、
仲哀天皇は戦い半ばにして薨去(おなくなり)あそばされた。

そこへもって来て熊襲が反乱を起して南方から攻めて来る。
まことに内憂外患交起るということになったわけです。

敵に“交戦中の日本の国の王様が今亡くなられた”なんていうことを知らしたら、
敵は、ますます気勢を添えて、攻撃の矛を強めることになるというので、神功皇后様は
男装をして、そして仲哀天皇の薨去を秘匿して遺骸を密葬なさいまして、
近畿地方の河内の国へ御遺体を運ばれまして、そこで埋葬なさったわけであります。


それから神功皇后さまは近畿地方の船を集めて、日本の海軍を編成して、
いよいよ新羅の軍艦と海戦を交えるということになりまして、その時に、
日本の海軍は熊野灘の方からズーッと海を回って瀬戸内海を通って、
玄界灘の方へ出て、新羅の軍艦と交戦するという、その途中であります。

その途中に、いま住吉と呼ばれている辺りに、上陸なさいまして、
海軍でありますから、竜宮の大神にまします住吉大神をお祀りになりまして
戦勝の祈願をなさったわけであります。

これがいまの本住吉神社であります。

その時に、住吉大神が神功皇后様に授けられたのが、

汐干珠と潮満珠という如意宝珠であります。
 
如意宝珠といってもこれは物質の宝石の珠ではないのであって、これは御霊であります。
如意自在に何でも呼び出したり、何でもよくないものを消す働きのある宝の御霊であります。

ミタマというのは霊のことでありまして、われわれの霊の中には
“否定の霊”と“肯定の霊”とがあるのであります。

“否定”というのは、“悪をうち消す働き”で
“肯定”というのは、“正しいものを、たしかに是れだと認める働き”であります。

それで如意宝珠のうちの汐干珠というのは、悪を否定して消してしまう。

「この世界は神のつくり給うた世界だから悪はナイのである」と、
「悪と見えているものでも決してそんなものは、神は創造らないからナイのである」と、
否定する御霊のはたらきです。


そして潮満珠というのは
「この世界は善なる神がお創造りになったその世界だから、
善なるものしかない、味方しかない、敵はナイ」という、
そういう善のみを肯定するところの御霊のはたらきであります。

これが“汐干珠”と“潮満珠”との二つなのであります。

この如意宝珠の二つの霊をお戴きになりまして神功皇后様は、
いよいよ玄界灘へ出て新羅の艦隊と交戦することになりました。

その時に、先ずお投げになりましたのが汐干珠であります。
ここから神話になるわけですけれども ―― 象徴的神話であります。

汐干珠をお投げになりますと、汐が退いてしまう。
悪を否定するんです、敵と見ゆるものも<敵はナイのである>と、
心の世界で消してしまう神想観の思念です。

すると、汐がズーッと退いてしまう海の水が無くなってしまった。
どんな大艦隊でも戦えない。新羅の軍艦も、あれは水があるので浮いているんですが
水がすっかり干てしまうと倒れるより仕方がない。

それで新羅の軍艦はみな倒れて、海底の砂の上に横転んでしまったのです。

その時に神功皇后さまは、今度は“潮満珠”をお投げになりました。

先ず、“汐干珠”で「この世界は敵はナイ」という御霊で、
その敵を消してしまったあとで、

「この世界はただ善のみである。味方のみである」という御霊を働かす。

今でいうと、神想観の思念をなさったのが、潮満珠をつづいてお投げになったことです。

すると、今まで退いておった海の水が湧き出て来て、滔々と何処からともなく大波が
押し寄せて来て、水がなくて倒れている新羅の軍艦を波で洗って、
新羅の艦隊は全滅するということになったのであります。

これが住吉大神のおはたらきで、
日本の危機を救うために如意宝珠を授け給うところの神様が、住吉大神で、
古い時代の読み方では、住吉大神(すみのえのおおかみ)と申し上げるわけで
あります。

住吉大神が宇宙浄化の神であられるというのは、
「悪はナイ」と、みんな悪を消してしまって、
善ばかりにして下さる神さまだから、
宇宙浄化の神さまであることは明らかであるわけであります。

さて、その神功皇后さまが日本の勝利のために祈られた日本で一番古い本住吉神社と
いま称われている住吉神社が、私が移転した家の極く近くにあるんです。

その神社の近くに勇湯というお風呂 ―― 銭湯があったのです。
私はその頃から、朝風呂が好きでありましたが、
その勇湯は、午前五時になるとちゃーんと沸かしてくれているんでした。

だから、わたしは午前五時の初風呂に間に合うように早起きして、
その風呂へ入ったのでした。

そして身体を浄めて、そして自宅へ帰る・・・その道すがらというと
勿体なさ過ぎるけれども、浄め終って、もう何の穢れもないその浄まった体で
その住吉神社にお参りをして、そして日本国の隆昌と天皇家の弥栄とを
お祈り申し上げまして帰ることにしておったのであります。

その時に神さまから霊感を戴いて、
そして「今起て!」という神の声を聴いたわけなんであります。

ここに、この生長の家の発祥の使命の秘密があるのであります。

   理想世界ジュニア版 昭和53年 三月号 真理百話 第九十六話より

            <感謝合掌 平成29年5月23日 頓首再拝>
9:伝統 :

2017/06/09 (Fri) 03:44:51


        *「美しき日本の再建」(P155~156)より

塩椎神は水火津霊神(しほつちのかみ)であり、陰(みず)と陽(火)を
連結(津、つなぐ、つづける等)して、一切を生み出し給う実相・龍宮海の
創造神にましまし、”産(う)み)”の本源神であるから、
”海の神”をもって表現し、綿津見大神とも申し上げるのである。

ワダとは海原のことであり、”津”は接続しであり、”見”は”身”の
発音類似の”アテ字”であって、”本体”ということを意味する。

それゆえにワダツミノ大神とは、「産み(創造)の《御本体》の大神」を
意味するのである。

水火津霊大神と申し上げるときは、その陰陽和合して一切を産み給う
《御はたらき》の方に重点を措(お)いた表現であり、

住吉大神と申し上げる場合は、その創造の御はたらきを汚れなき状態に
あらしめて住み吉き世界を実現するための創造の御はたらきを《浄化》し給う
御使命を表現した御神名であり、

綿津見大神、塩椎大神、住吉大神は三神にして同時に一神にてましますのである。

            <感謝合掌 平成29年6月9日 頓首再拝>
10:伝統 :

2017/06/28 (Wed) 04:16:18

 
        *「美しき日本の再建」(P153)より

さて、日子穂穂出見命が海辺で立って嘆いておられると、
塩椎神があらわれて、その嘆きの理由をおききになるのです。

日子穂穂出見命がその経過をお話しになると、塩椎神は

「私はよき方法を知っております。”目無堅間(めなしかつま)の小船(おぶね)”
というものをしつらえますから、それに乗って竜宮へお出でなさいませ。
そこは実相世界でございますから、何一つ失われたものはございません」

と申し上げて、”目無堅間の小船”にのせて竜宮に命(みこと)を
御案内申し上げるのである。

この塩椎神こそは生長の家の大神であらせられ、竜宮の本尊であらせられ、
その世界は実相世界であり、極楽浄土であり、住み吉(よ)き世界であるから
住吉大神(すみよしのおおかみ)とも名づけられるのである。

・・・

<参考>神話「海幸彦・山幸彦」

(1)つり針ばりをなくしてしまった山幸彦
   → http://www.kanko-miyazaki.jp/kaido/50story/shinwa/019/

(2)山幸彦、竜宮城に行く
   → http://www.kanko-miyazaki.jp/kaido/50story/shinwa/020/

(3)塩満珠と塩乾珠
   → http://www.kanko-miyazaki.jp/kaido/50story/shinwa/021/

(4)山幸彦、海幸彦をこらしめる
   → http://www.kanko-miyazaki.jp/kaido/50story/shinwa/022/

            <感謝合掌 平成29年6月28日 頓首再拝>
11:伝統 :

2017/07/17 (Mon) 03:59:10


            *『実相と現象』(P32~33)より

この生長の家大神とは誰方であるかと言いますと
これは阪神間の本住吉神社にお祀りしてあるところの
住吉大神(すみのえのおおかみ)であられまして、
『古事記』に、天照大御神様がお生まれになるに先立って、

此の大宇宙浄めの神として、水と塩(霊)とを以って浄め給うところの
上筒之男神、中筒之男神、底筒之男神と言われる三柱の神様を一体に総称して、
住吉大神(すみのえのおおかみ)<俗称すみよしの大神)と申しているのであります。

生長の家が発祥した前後に私が住吉村に住んでおりまして、毎日その本住吉神社へ
お参りしたものでありまして、その当時、霊感に啓示されて此の生長の家の教
と云うものが現われて来たのは今申し上げた通りであります。

爾来「一切の宗教は一つである」「真理は一つである」との啓示に導かれて、
古今東西の宗教を比較宗教学的に研究し、いずれの宗教も、その説き方は異なっても、
どの宗教も人間を救う”唯一の真理”を説くのであるから、
どの宗教も互いに分立せずに手を繋げと云うことを説いて来ているのであります。

『古事記』にあらわれたる住吉大神は其の後同書に塩椎神(しおつちのかみ)又は
塩椎翁(しおつちのおきな)<『日本書紀』・神武天皇の巻>として現われて
いらっしゃるのであります。

塩椎神は潮筒之男神(しおつつのおのかみ)であらせられまして、
海の潮(うしお)を上潮(うわしお)、中潮(なかしお)、底潮(そこしお)と
分けまして、

上筒之男神、中筒之男神、底筒之男神の三柱に現われているのでありますが、
総じて塩筒之男神(しおつつのおのかみ)と申し上げるのであります。

此の神様は宇宙創造の神であると同時に、宇宙浄化の神であり、
東道(みちびき)の神でもいらせられます。

            <感謝合掌 平成29年7月17日 頓首再拝>
12:伝統 :

2017/08/04 (Fri) 04:59:33


         *『叡智の断片』(P196)より

龍宮海に入る方法を、塩椎神(しほつちのかみ)おしえたまう。

目無堅間(めなしかつま)の小船(おぶね)に乗れよと。

小船とは如来の願船(がんせん)なり。
目無(めなし)とは時計の目盛なきなり、無時間なり。
堅間(かつま)とは空間が堅くつまって空間なきなり、無空間なり。

目無堅間の小船とは、無時間・無空間の、時間・空間そこより発しそこに帰る、

時空未発の「今」一点なり。
「今」の中に一切時間・一切空間がつつまれてあるなり。

            <感謝合掌 平成29年8月4日 頓首再拝>
13:伝統 :

2017/08/19 (Sat) 04:05:37


            *『実相と現象』(P33~36)より

この住吉の神様は、いったい、どういう時に顕れていらっしゃるかと言いますと、
日本国の危急の時に顕れ来られて、日本の国をお護りになる神様が、この住吉大神であります。

三韓征伐の時に ―― 征伐と言いますと、大変こちらが強そうで侵略的でありますけれども、
実はあの時には、新羅が日本に侵略して来たのであります。

そして日本の危急の時でありまして、恰もその頃仲哀天皇が御崩御あらせられたが、
天皇御崩御の報がつたわり、日本国が動揺していると見られたならば、
新羅が益々勢いを得て攻めて来るかも知れないのであるから、
神功皇后様は男装をなさいまして、軍艦に乗って瀬戸内海を進んで行かれたのであります。

その時にですね、兵庫県の、あの住吉村という所、そこへ上陸あそばして、
そこに住吉大神をお祀りになって、戦勝の祈願をなさった。

それは、新羅が征めて来まして、日本が滅びるか、潰れるかと云うような
国家の一大危機に当たっておりましたので、神功皇后は住吉大神をお祀りして、
日本の戦勝の祈願をなさったのであります。

そしたら住吉大神が潮満珠(しおみつのたま)潮干珠(しおひるのたま)という
二つの珠―総称してこれを如意宝珠というのであります。

この如意自在の宝珠をお投げになりまして、
ついに日本は新羅の海軍に大勝利を博したのであります。

潮干珠(しおひるのたま)というのは潮を干かせる珠であります。
潮が干くと水がなくなるのであります。潮が干いて水がなくなると、
新羅の軍艦は浮いていることが出来ないので横に倒れてしまう。

そこへ今度は潮満珠(しおみつのたま)をお投げになったのであります。
そしたら横に仆れている軍艦が沈んでしまい、新羅の海軍は全滅致しまして、
日本が大勝利を得たというのであります。


《”否定”と”肯定”との想念が如意宝珠である》

これは象徴的物語でありまして、潮干珠(しおひるのたま)と云うのは
欲せざるものを「否定する思念」であります。
潮満珠(しおみつのたま)と云うのは欲するものを来らせる「肯定の思念」であります。

珠(たま)と云うのは「魂」であって、魂で念ずる事を象徴しているのであります。
ここに吾々が、困難に面した時には如何に思念すべきかと云うことを
住吉大神が教えていられるのであります。

困難が吾々を襲い掛かって来たと見えるとき、
「斯くの如き困難はあるかの如く見えているけれども、実は存在しないのである」と
魂の底ふかく強く念じて、それを〝心の世界〟で否定してしまうのが、潮干珠であります。

「新羅は日本を敵として非常に優勢に見えているけれども、
日本の国は神国であるから、決して敵に滅ぼされると云う事はないのである。
日本に敵して来る様な新羅の国は存在しないのである」と、

魂の底ふかく否定するところの思念が、〝潮干珠〟であります。

そして「日本の国は神国であって神が護っておられ、
天照大御神様の直系が世々吾が子孫の君たるべき国なりと、
神のコトバによって宣言されている所の国であるから、
決して滅びない所の永遠不滅の国である」と

魂の底深く念じて、その真理を強く肯定することが〝潮満珠〟であります。

皆さんがすべて何事でも困難が出てきた時に、
この潮干と潮満との二つの魂―即ち如意宝珠によってですね、

「こんな困難というのはないのである」と否定し、
「既に自分の希望は実現しているのである」と肯定する。

否定と肯定とのこの二つの思念、即ち〝如意宝珠〟を用いますと、
必ず皆さんは希望を実現し、目的を成就することが出来るのであります。

これを住吉大神は神功皇后にお教えになったわけなのであります。

            <感謝合掌 平成29年8月19日 頓首再拝>
14:伝統 :

2017/09/07 (Thu) 05:03:22


       *『実相と現象』(P36~54)より抜粋

さて、この住吉大神を神功皇后がお祀りになりましたので、
その所の地名が住吉村と云うことになったのであります。

その住吉村に私がおりまして、毎朝風呂場で禊をして、
その浄まった直ぐのけがれのない体で毎朝、その住吉神社に参拝して
日本国の隆昌のために祈っておった時に、

霊感をいただいて始まった教が生長の家であって、
その教の本尊、即ち本統(ほんとう)の教祖は住吉大神であらせられるので、
私はただその教のラッパに過ぎないのであります。

この住吉大神は如何なる神様であるかと言いますと、
人生を住みよき世界にする所の神様であります。
仏教で言うと、この神様は阿弥陀仏に当たるのであります。

阿弥陀仏は、十方に満ち満ちておられ、それが現実に人格的に姿を顕して人を
お救いになるという時には、阿弥陀仏そのままでは出てこられないで、
”観世音菩薩”のお姿をして出てこられると云う事になるのであります。

この観世音菩薩が生長の家の神様なのであります。

観世音菩薩は、普門成就の仏様であります。
観世音菩薩という仏様は、普門成就のキリスト教にも、神道にも、
この観世音菩薩は示現して教を垂れていられるのです。

神道に於いては、住吉大神、塩椎大神、それからまた綿津見神と云う様に
龍宮の大神として顕れてましますのであります。

”住みよしの世界”は實相世界の事であります。
一切のものが豊かに具わっている所の極楽な世界であります。
仏教の極楽世界は、神道の住吉大神様の”住吉世界”と同じものであります。

”住吉世界”とは”龍宮界”のことであります。
龍宮界には、七宝が充満している。
”七”とは「一切を成就する」数であって、”七宝”とは一切の宝をあらわす。

一切の宝が龍宮界には充満しているのであります。

龍宮世界は、現象以前の世界であります。
時間の生ずる以前の世界でありますから、所謂る不老郷であります。

住吉大神は”水火津霊(シオツチ)”即ち”陰陽をツナグ霊”であって陰陽を
結び合わして生命を結び合わして生命を生み出すところの神様であります。

それでありますから、天地創造の神であり、生みの神であり、”龍宮界”即ち、
海の底(産みの底)の神であります。

海の底の神とは、一切のものをウミ出す本(もと)の根源の神であるから、
宇宙創造の神であります。


『古事記』においては、宇宙創造の神様の禊祓いという宇宙浄化作用として、
住吉大神がお生まれになっているのであります。

この現象世界を波静かにならしめるために龍宮海即ち實相界の神様であられる
住吉大神(すみのえのおおかみ)が、何とかこの日本の国を救わねばならない
というので、

丁度その自分に私が住吉村におって住吉神社へ毎朝お参りをしておったので、
それで神様が私に使命を与えられてラッパとしてこの教を説けと云う事に
なったのであります。

・・・

<本住吉神社
 http://www.hyogo-jinjacho.com/data/6301005.html >

            <感謝合掌 平成29年9月7日 頓首再拝>
15:伝統 :

2017/09/28 (Thu) 04:20:51


《光明思想の原点、人類光明化運動の神々の系譜》

        *『理想世界』(昭和49年12月号)より

わたしは兵庫県神戸に生まれた。

わたしの産土神は生田神社で、
その祭神は天照大御神の御妹君の稚日女神だということである。

―人間の運命は半分は過去の生まれ変りの世代に行為して来たことの
集積決算で定まるが、残り半分のうち、その約半分は今世の努力による
自分の〝心の持ち方〟と〝行為〟の如何によって定まり、
残りの運命は産土神その他の高級霊の導きによって定まり、
又は修正されたり、指導せられたりするのである。

(略)

わたしの運命の大体の方向は、私の過去世の業績に基く決算によって、
産土神が、何某の許に生まれよ、しかして何某の許へ養子に行き、
結局住吉大神の御旨を奉戴して人類光明化運動に励むと同時に、
日本国家を護る運動を起こすように導かれたのであった。

               ・・・

《住吉大神様への月初めのご挨拶》

         *昭和54年6月1日〝月初めの感謝祭〟 より

私がこのお祭りに出席いたしておりますのは、必ず月初めのご挨拶に参りたい。
過去の月日の恵みお護りを感謝申しあげたい。
そしてこの月も御神徳を頂きたい。

そう言う意味でお参りさせて頂いているわけであります。

住吉大神様は愛の神の体現者として全ての罪を浄めてなくしてしまうところの
―人格の神様でありますから、私は住吉大神に会いたい!!お目にかかりたい!!
という感じがするのです。

それは本当にお父さん!!お母さん!!というような気持なのですね

     (http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=1071 
      子記事 日時:2017年01月11日 (水) 18時06分 より)

            <感謝合掌 平成29年9月28日 頓首再拝>
16:伝統 :

2017/10/16 (Mon) 03:49:12


         *昭和38年全国代表者会議御結語 より

“人間神の子”を説く宗教は他にもある。
“肉体も環境も心の影”と説く宗教もある。
万教帰一だから根本は同じである。

だがそれでは、特に何故生長の家が出現したのか、生長の家の神は住吉大神である。
その住吉大神が、なぜ今ここに、日本の国土にこの時期に顕れ給うたのか。

そこが非常に大切なところである。
『古事記』に示される如く、住吉大神は天照大御神の御誕生の直前に顕われられた。
最後の宇宙浄化の働きとして、宇宙の大神が住吉大神と顕われ給うたのである。


天照大御神の御誕生とは、日本の実相の誕生ということである。
日本なるものの魂が具体的に宇宙を照らす光となると云うことである。 
この直前に、最後の浄化の働きとして住吉大神が今ここに顕われ給うたという、
ここに生長の家出現の真意があるのである。


ただ単に、人間は神の子であり、物質ではない。肉体は無い。
病気は治ると云う、それだけの事ではないのであって、

天照大御神の光が宇宙に天照らすべく、天皇陛下の御稜威(みいつ)を発現せしめて、
日本の国を救い、世界を救うと云うところに、生長の家出現の本当の意義がある。


従って単に、個人の救いにとどまらず、宗教的自覚をおし進めて、
国家の成仏、人類全体の成仏、宇宙の成仏と云うところまで行かなければならない
のであって、その一つが政治活動なのである。・・・

 (http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/44108545.html )

               ・・・

人間神の子、病気なしだけが生長の家の特色ではない。

宇宙浄化の最後に現れられた住吉大神が生長の家の大神であること。

即ち、住吉大神が、日本において、生長の家においてお現れになったのは、
生長の家こそが日本の実相を顕現する唯一の宗教であるということである。

従って、日本人である限り生長の家に入らざるを得ないのである

 (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/4176bd3f442ea28f82bb600b4464dce1

            <感謝合掌 平成29年10月16日 頓首再拝>
17:伝統 :

2017/10/31 (Tue) 03:32:42


      *『 国のいのち 人のいのち 』はしがき より

これ( 補注:日本国内の精神的、思想的、分裂、対立の状態 )は、

禍津日(まがつひ)の神の出現で、過渡的現象としての自壊作用であり、
やがて本当の天照大御神ご司配の日本国が出現する時が近づきつつあるのである。

それに先立って、浄め払いのために
住吉大神(すみよしのおおかみ)の御出御がなければならないのである。

住吉大神は 『 古事記 』 及び 『 日本書紀 』 の記録によれば

天照大御神 御降誕(ごこうたん)に際し、また天孫降臨(てんそんこうりん)の折り、
神武天皇(じんむてんのう)御東征(ごとうせい)の際、
神功皇后(じんぐうこうごう)の三韓(さんかん)征伐(せいばつ)の時、
仲哀(ちゅうあい)天皇崩御(ほうぎょ)し給い日本国が危機に面した時など
顕われ給いて、日本の国をお護りになった神様であらせられる。

今や、日本国は 有史以来の思想的及び政治的危機に際し
吾らが 「 竜宮住吉本宮 」および 「 鎮護国家(ちんごこっか)出竜宮顕祭殿
(しゅつりゅうぐうけんさいでん)」 を造営し奉るのも、

一(い)つに 住吉大神に現象の表に臨御(りんぎょ)していただいて
直接その御光を頂き、日本国の危機の暗雲を一掃して頂き、天照大御神の御光を
現象界にまで射照し給い、炳焉(へいえん)として日本国本来の実相が顕現して、
思想的にも政治的にも日本国家が本来建国されたる中心理念の礎(いしずえ)の上に立ち、
確乎安泰たるを得んがためである。


本書の公刊の目的も同じことである。
今上陛下が国史上初めて、お健やかに御即位満五十年の記念すべき日を迎えられた今日、
尚一層ひろく天皇国家の基礎をなす理念につき、国民すべてに深く理解して頂きたい
ためである。

昭和五十一年十二月二十五日

谷  口  雅  春

 (http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/40beed3196cc47be89e30e234ed7170a より転写)

            <感謝合掌 平成29年10月31日 頓首再拝>
18:伝統 :

2017/11/16 (Thu) 03:43:33


           *光明掲示板・第一「住吉村の地名の由来」より

さて、この住吉大神を神功皇后がお祀りになられましたので、
その所の地名が住吉村ということになったのであります。

唯今、阪神電車のガードの下になっている所に"玉の井"とか、
何とかいう清冽な泉が噴出している池がある。
非常に美しい泉の水でありまして、いつでも澄明な水が湛えられている。

あそこで神功皇后は"御影"をお写しになったのであります。
尊き方のお姿のことを"御影"と言うのであります。

神功皇后が御影をお写しになりましたというので、
後世その土地が"御影"という地名になったのであります。
先日この遺跡を訪れましたら、澄明な池は緑色の藻で濁っていたので
残念に思ったのであります。

あの付近にはたくさん花崗岩が出たのでありまして、
今は殆ど取り尽してなくなっているようでありますけれども、
時々道路工事なんかをして、深く地面を掘ると大きな花崗岩が出て来るのであります。

そこであの辺から出る所の黒いそばかす様の斑点のある花崗岩を御影石
と俗称されることになったのであります。

その御影の町の西方に阪神電車の停留所に上石屋という所がある、
其処を縦走する川を石屋川と言う。

御影石を掘り出す所の石屋さんがずっと並んでおったらしいので、
その地名が上石屋として残っているわけなんであります。

その住吉村に私がおりまして、毎朝風呂場で禊(みそぎ)をして、
その浄まった直ぐのけがれのない体で毎朝、その元住吉神社に参拝して
日本国家の隆昌のために祈っておった時に、

霊感をいただいて始まった教えが生長の家であって、
その教えの本尊、即ち本統の教祖は住吉大神であらせられるので、
私はただその教えのラッパに過ぎないのであります。

   (http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou/&mode=res&log=15 より転写)

            <感謝合掌 平成29年11月16日 頓首再拝>
19:伝統 :

2017/12/06 (Wed) 04:37:32


           *光明掲示板・第一「住吉大神と阿弥陀仏との関係」より

この住吉大神は如何なる神様であるかと言いますと、
人生を住みよき世界にする所の神様であります。

仏教で言うと、この神様は阿弥陀仏にあたるのであります。

阿弥陀仏の慈悲の働きが観世音菩薩、阿弥陀仏の智慧の働きが勢至菩薩であります。
阿弥陀・観音・勢至の三尊一体であります。

生長の家の神様は観世音菩薩であると言われておりますが、
その本地は阿弥陀仏であります。

聖観世音菩薩の仏像を拝見致しますと、宝冠をかぶっておられる。
その宝冠の真ん中に普通は、もう一つ仏像が刻んであるのであります。

その宝冠の仏像は阿弥陀仏であります。
これは観世音菩薩が阿弥陀仏の示現であることをあらわしております。

阿弥陀仏は尽十方に充ち満ちておられる"宇宙の本体"的実在であらせられ、
尽十方無礙光如来とよばれているのであります。

尽十方というのは、八方に天地の二方を加えて十方であります。
十方をことごとく尽してあらゆる方角にも充ち満ちていられる
無礙の光が阿弥陀仏なのです。

無礙というのは、どんなものにもさわりにならない障礙物にならないで、
どこにでも満ちておられることであって、
「光」というのは「智慧」のことであります。

宇宙遍満の智慧が阿弥陀如来である。

如来は尽十方に充ち満ちておられるから、
「彼の仏如来は去って去る所なく、来つて来る所なく」と、
法顕訳の『大無量寿経』に書いてありますように、
去来して、どこからどこへ来迎あそばされてお救けになるというような、
そういう空間的な、距離的な働きがなく、
十方――あらゆる方角――に充ち満ちておられるのが阿弥陀如来であります。

だから現実に人格的に姿を顕して、人をお救いになると言う時には
、阿弥陀仏そのままでは出て来られないで、
"観世音菩薩"のお姿をして出て来られるという事になるのであります。

この観世音菩薩が生長の家の神様であります。

   (http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou/&mode=res&log=16 より転写)

            <感謝合掌 平成29年12月6日 頓首再拝>
20:伝統 :

2017/12/26 (Tue) 04:19:16


           *「新講『甘露の法雨』解釈」より

<ミカエル大天使(P19~20)>

生長の家の神様とは、この観世音菩薩であり、
「生長の家の神様どうぞお姿をお見せ下さい」と熱心に祈っているとき
観世音菩薩のお姿をお現しになったこともあるのであります。

この観世音菩薩は、キリスト教ではミカエル大天使とあらわれてましますので、
萬教帰一的立場からいえば同じ「天のつかい」であります。

ミカエル大天使というのは、天使の中の最高の大天使・・・が
生長の家の神様――即ち仏教に於ける観世音菩薩に当るところの方であります。
三十三身にミカエル(身変える)神通力をおもちになって救いたまうのであります。

             ・・・

<住吉大神と塩椎大神(P20~21)>

このミカエル大天使は神道では『古事記』に記載されている住吉大神にあたる神様であります。
『古事記』や『日本書紀』には、日本の重大時又は危急の場合には、
つねにこの住吉大神が現れて導いておられる記事があります。

またこの神の別名を塩椎神(しほつちのかみ)と申されまして
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)が兄の火照命(ほてりのみこと)さまから
貸して頂いた釣(つりばり)を失って、元の釣を返せといわれるけれども、

見渡す限り広々とした海原に、その失われた釣を取り戻そうと思っても、
どの魚がそれを取っていったか、どこにあるやら分からないで
茫洋とした海を眺めながら泣いておられる時に、
「塩椎神来りて問いけらく」というように『古事記』には書かれてあります。

これは“神話”即ち“真理”を内に含む象徴的寓話でありまして、
悩んでいられる彦火火出見尊は神武天皇の祖父君にあたられる方でありまして、
悩める時期の日本国の象徴であります。

即ち日本の国がどうしたらよいか分からないというような重大時に出て来られて
導きの天使として人格的に出て来られるのが住吉大神即ち塩椎神であります。

塩椎神は「水火土」(しほつち)とも書きまして、
「シ」とは「水」の言霊(ことたま)で、陰であります。
「ホ」というのは「火」の言霊で陽であります。
「ツ」は「繋ぐ」、「続く」の“ツ”であります。

「陰」と「陽」とを繋ぎ合わせて一切のものを創造する宇宙の本源神が
姿をあらわされたのが塩椎神(水火津霊神-シホツチノカミ)であります。

“シホツチ”の「チ」というのは「霊」であります。我々の肉体に血が流れている。
これは霊が具体化して全身を流れているので、それだから生きているわけであります。

さて、この塩椎翁(しほつちのおきな)ともいわれて翁の姿
――老人の姿を以て現れるのであります。

けれども、それは決して老耄(おいぼれ)という意味ではないのであって、
時間なき宇宙の初めから、久遠を通してズーッと生き通しているという意味で、
老人の姿を以て現れるわけであります。

・・・

       *「幸福を開く鍵」(P50)より

太陽に感謝せよ。太陽は唯の物質ではないのである。
太陽の神霊は日本では天照大御神として知られているが、
その宇宙浄化の働きは住吉大神(すみよしのおほかみ)である。

住吉大神の御はたらきなる太陽熱によって地上に於ける水分の蒸発や
電気的流れを生じて宇宙は浄化されつつあるのである。

住吉大神はミカエル大天使長として、19世紀宇宙浄化のお役目を執行すべく
大権を委任されているのである。

・・・

          *「古事記と日本国の世界的使命」(P165)より

しかし、如何にヤマタノオロチに深謀遠慮がありましょうとも、
日本の国には宇宙創造の時以来、その天爾の使命遂行のため
惟神なる深謀が行ってあるのでありますから恐れることはありません。

『かくて、天に戦争おこれり。ミカエル及びその使いたち龍とたたかう』

ミカエルというのは天使の長であり、古事記で云えば水火津霊翁に当たり、
生(縦―火)長(横―水)の交叉の神であり、日本国の天爾の大守護神であり、
彦火々出見命を龍宮界へ無事御案内申し上げた神であります。

・・・

《住吉大神なるミカエルが立ち上るとき》

     *谷口雅春先生をお慕いする掲示板
      「あなたが昭和【平成】のミカエル軍です(童子 さまの記事)」より転写


『・・・旧約聖書の一番終りのところに、ダニエル書と云う預言書があります。

これはペルシャのネプカドネザル王と云う王様の在世の頃に出たところの預言でありまして、
預言者ダニエルが霊感を得て異象(まぼろし)に見たところの事が書いてあるのであります。

異象(まぼろし)と云うのは象徴的霊示であります。
ダニエルの預言には其後に起った各国家の興亡の事がズーッと適中してあらわれて来て
おって、そして現在世界最後の時に近づいておるのであります。

今が世界最後の時と判断すべきか、尚後のことか、それを如何に判断するかは
人間のことでありますけれども、その中にこう書かれておるのであります。

「その時、汝の民の人々の為に立つところの大いなる君(きみ)ミカエル起ちあがらん。
是れ艱難(なやみ)の時なり。国ありてよりこの方その時に到るまで、
斯かる艱難(なやみ)ありし事なかるべし。」


「その時に大いなる天の使の長(おさ)であるミカエルが、立ち上る」とありますが、
これは住吉大神のことであります。

「天の使」と云うのは、神様の救いの霊的波動が人格化して現れたお姿を指して言う
のでありますが、それの一番長(おさ)であるところのミカエルと云う大天使が
愈々世界浄化にたち上るのであります。

住吉大神は宇宙創造の陽神イザナギノ大神のミソギ〈宇宙浄化〉の御働きが
人格化してお生れになったと古事記にはあります。

その住吉大神なるミカエルが立ち上るときこそ
「国ありてよりこの方、斯かる艱難(なやみ)ありし事なかるべし」であります。

しかし斯う云う世界最後の土壇場と云うような人類最後の苦悩と云うような時が来てさえも、
「悪を為す者は益々悪を為さん。悪しき者は一人も暁(さと)ることなかるべし」と
書いてあります。

それには、人類全部は決して良くなると書いてない。
然しながら使命を受けて人を助けたところの者は、「空の星の如くなりきて永遠に到らん」
と書かれているのです。

それはまことに、高級霊なる皆さんの事であります。

そして使命を受けて人を真理にみちびいたところの者は
「空の星の如く輝きて永遠に到らん」と云うことになっているのであります。・・・』

      ( 『人類光明化運動指針』第十条の解義からでした。)
      (http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=25

            <感謝合掌 平成29年12月26日 頓首再拝>
21:伝統 :

2018/01/15 (Mon) 04:45:35

       *新講「甘露の法雨」解釈(P260~261)より

住吉大神は白髪老翁の姿であらわれます。
久遠無窮を表象するのが白髪であります。

これがキリスト教の聖書「黙示録」の本尊であられる久遠のキリストの姿です。
肉体のキリストは三十三歳の若さで磔(はりつけ)になったのでありますが、
そのような弱輩の肉体キリストでなくて、永遠不滅のキリスト、
白髪の老翁のキリストこそ本当に実相のキリストであるわけです。

仏教ではそれが応化して観世音菩薩として現れているのです。
かくの如く三十三身に応化して各所に現れておられるのです。

『古事記』には、この応化神が人格を持って人間的に、
鹽椎(しほつち)の翁として現れていられる。

一切のものを産出す所の神様であるから、
水火土神(しほつちのかみ)とも申し上げるのであります。
即ち一切のものは、水と火と土とによって産れるのであります。

「水」即ち「しめり」があり、「火」即ち「ぬくもり」があって、
「土」即ち地球があって、一切のものは生まれて来るのであります。
だから水火土の神様は一切の創造の神であります。

この水火土の神様は、日本の国のまさに艱難の時に、
日本の国が重大の危機に面している時に、
その導きをするために生れて来ておられるのであります。
(『秘められたる神示 ―― 神示講義<秘の巻>』参照)

これは宇宙の大神であるけれども、
仮に臣下の位に垂迹(すいじゃく)してあらわれて、
日本国をお護りになるのであります。

            <感謝合掌 平成30年1月15日 頓首再拝>
22:伝統 :

2018/01/30 (Tue) 03:55:54


       *新講「甘露の法雨」解釈(P260)より

それから生長の家の神様は竜宮の神様ともいうのであって、
イザナギノ大神の宇宙浄化(みそぎ)の最後におうまれになった住吉大神様、
『古事記』では住吉大神(すみのえのおほかみ)と読まれ、
生みの底(海の底)即ち実相世界の大神であります。

実相世界は住吉世界、これは極楽浄土とも称せられ、
住み吉(よ)い世界であり、そこの大神であるから住吉の大神と言われているのであります。

『古事記』に伊邪那岐・伊邪那美大神及び天照大神の他に、
大神という名が書いてあるのは住吉の大神だけであります。

            <感謝合掌 平成30年1月30日 頓首再拝>
23:伝統 :

2018/02/17 (Sat) 03:35:09


      *昭和38年の「全国代表者会議」ご結語での、尊師のお言葉より

何故 生長の家が出現したのか。

生長の家の神は住吉大神である。

その住吉大神が、なぜ今ここに、日本の国土にこの時期に顕れ給うたのか。

そこが非常に大切なところである。

『古事記』に示される如く、住吉大神は天照大御神の御誕生の直前に顕われられた。

最後の宇宙浄化の働きとして、宇宙の大神が住吉大神と顕われ給うたのである。

天照大御神の御誕生とは、日本の実相の誕生ということである。

日本なるものの魂が具体的に宇宙を照らす光となると云うことである。

この直前に、最後の浄化の働きとして住吉大神が今ここに顕われ給うたという、
ここに生長の家出現の真意があるのである。

ただ単に、人間は神の子であり、物質ではない。肉体は無い。

病気は治ると云う、それだけの事ではないのであって、
天照大御神の光が宇宙に天照らすべく、
天皇陛下の御稜威(みいつ)を発現せしめて、
日本の国を救い、世界を救うと云うところに、生長の家出現の本当の意義がある。

  (谷口雅春先生に帰りましょう・第二
    (2018年01月19日)破邪顕正さまご投稿記事 より抜粋転写
    → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/mode=res&log=2034 )

            <感謝合掌 平成30年2月17日 頓首再拝>
24:伝統 :

2018/03/04 (Sun) 04:47:48


         *「神秘面より観たる生長の家四十年史」より

釈迦やキリストの神姿のことばかり書いたが、
住吉大神のことに言及しないと、神・仏・耶三教が一つの本尊に帰一し、
一つの救いの真理に帰一することの証明にならないので、それを次に書くことにする。

『秘められたる神示』の巻頭に収録されている"終戦後の神示"には次の如く、
白髪の老翁の神姿が示されているのである。

「われは七つの燈台に火を点ずる者である。吾は白髪の老翁である。
白髪とは久遠永劫よりつづく無量寿の象徴である。

われは彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)が魚釣(なつ)らす釣(つりばり)を
失ひ給ひて憂ひ泣きたもふ海辺に来たりて、尊(みこと)を龍宮海に導きたる
塩椎神(しほつちのかみ)である。

塩椎神とは水火土(しほつち)之神の謂(いひ)である。
霊は水火土(しほつち)と顕れ、一切のものは水火土から生まれたのである。

われは霊の海、創造の神である。
水即ち『おしめり』と、火即ち『ぬくもり』と『土』の働きとがあって
万物は生ずるのである。

 
黙示録には『われはアルファなり、オメガなり、生と死との鍵を持てり』と
録(しる)されているのがそれである。

われを単に海の神だと思ふな。
龍宮海の神の如くあらわれているのはウミ(生み)の象徴であり、
龍宮無限供給の神のシンボルである。

われは一切の創造(うみ)の神であるから無にして無尽蔵である。

(中略)

日本の国民よ、嘆くな。
迷ひの自壊の後には必ず住みよしの世界が来るのである。

われを戦ひの神と思ふな。
われは平和進駐の神である。
住吉とは平和の理想境と云ふことである。

わが行くところに平和は来り、わが行くところに龍宮無限の供給は来るのである。
キリストはわれの別名であるから、キリストを押し込めたのが可(い)かぬのである。

(中略)

まだ日本の神の姿はあらはれてゐない。
今は伊邪那岐(いざなぎ)の神の禊祓(みそぎはらひ)のときである。
伊邪那岐神は日本の神、日本の象徴である。

これから八十禍津日神(やそまがつびのかみ)、大禍津日神(おおまがつびのかみ)など
色々の禍(まが)が出て来るが、それは、日本が『穢き(きたなき)』心になってゐたときの
汚れが落ちる働きであるから憂ふることはない。

この禊祓によつて日本国の業が消え、真に浄った日本国になるのである。

心を明るく持ち、神直日(かむなほひ)、大直日(おほなほひ)に見直して、
禍を転じて福となさねばならぬ。

かくて斎女(いづのめ)の神はあらはれ、本当にこの世が斎き清められて、
その後に住吉の神があらはれるのである。

住吉の神はまだ本当にあらはれてゐぬ。
併(しか)しもうあらはれるに間もないのである。

住吉の神があらはれたら、伊邪那岐神の左の眼(みめ)が真に清められて、
日本の実相荘厳の姿があらはれるのである。

古事記の預言を廃(すた)れりと思ふな。
予言は成就しつつあるのである。ただその予言を間違つて解釈する人が多いのである。」

(昭和二十年十一月二十七日未明神示)


ここには久遠無量寿を象徴して白髪の老翁とあらわれていられる。
そして"創造の神"としての「水火土神(しおつちのかみ)」と、
創造が完成して住吉の世界を地上に持ち来たす「住吉大神」とが、
"始め"であり、"終り"であり、アルファであり、オメガであり、
「キリストは我の別名である」と示されて、

「黙示録」にあらわれている白髪の老翁のキリストが
水火土神(しおつちのかみ)・住吉大神と本来一つであることが示されているのである。

この「住吉の世界」(生みの底ー龍宮世界)が生長の家であるから、
「生長の家は久遠の昔からある」という神示に照応することになるのである。

  (光明掲示板・第一
   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou/mode=res&log=30 より転写)

            <感謝合掌 平成30年3月4日 頓首再拝>
25:伝統 :

2018/03/27 (Tue) 04:02:30


           *『神の真義とその理解』より

次にキリスト教の方では、生長の家の神様はどう顕れているかと云いますと、
「黙示録」と云うのが、『新約聖書』の一番終のところに附いておりますが、
その第一章に、「七つの燈台の間を歩む人の子の如きもの」と云う
白髪白髯の神様があらわれていられますが、それであります。

『生命の實相』全集の第一巻をお開きになると一番最初に何が書いてあるかと云うと、
「黙示録」の第一章のうちの「白い衣を裾まで垂れたところの白い髯の神様が
この七つの燈台の間を歩いている」と云うところが、引用して載せてある章であります。

併してその直後に「七つの燈台の点燈者の神示」と題して、
「汝ら天地一切のものと和解せよ。……皇恩に感謝せよ。汝の父母に感謝せよ、
汝の夫又は妻に感謝せよ。汝の子に感謝せよ。汝の召使に感謝せよ。
一切の人々に感謝せよ。天地の万物に感謝せよ」と云う神示が載っております。

あの神示は誰方から啓示されたかと申しますと「七つの燈台の点燈者」であります。
「七つの燈台の点燈者」と云うのみで神名は示されておりませぬ。

この神様はみずから顕れるのではなくて隠れたる働きであります。
自分が光るのではなく、凡ての者に燈(ひかり)を点ずる役目をする
と仰せられているのであります。

而してこの白髪老翁の神が、「黙示録」の第十九章十一節から二十一節迄
「王の王」が世界を統一遊ばされると云うことをお示しになっているのであります。

「黙示録」というのはキリストの弟子のヨハネと云う人が、
その当時キリストが死んでから迫害されてそうして小アジアのパトモス
というところへ流されていらっしゃいました時に、
霊能力が開いて、白髪の老翁の神姿を見た。

白髪の老翁が仰せられるのに、これから後速かに起るべきことを汝に黙示し、
汝の霊眼に見せるからそれを書き誌して置け、このことは必ず起るのである、
もう既に起り済みである、「事既に畢(おわ)れり」とこう仰せられまして、
見せられた黙示の中に斯う書かれているのであります。

「われまた天の開けたるを見しに、視よ白き馬あり、
之に乗りたまう者は『王の王、主の主』であって、その方がこの地上をさばき給う。
その時血なまぐさい戦いが起って、そうして到頭世界は一君に統一せられる。

その時旧き天と地は過ぎ去って、新しき天と地とが現われて来る。
新しき神都が、夫のために飾りたる新婦の如き準備(そなえ)して地上に、
この地上に天降って来る。

即ち地上に天国浄土が実現しまして、神人と偕に住み、人、神の民となり、
神みずから人と偕に在して、かれらの目の涙をことごとく拭い去りたまう。
そうして今より後は一切の悲しみも、苦しみも、歎きもなくなって了う」

 
と云うように書かれておりますが、これこそ、
生長の家の善一元の人類光明化運動が全世界に浸透する最後の段階であるのであります。

この事実を指し示し給うた神様が白髪の老翁であります。

是こそ日子穂々手見命様に龍宮界を指し示し、
神武天皇様に大和の国に都つくるべきことを指し示したまうたと
同じお働きでありまして、

お働きの上から云いましても、
聖書にあらわれたる「七つの燈台の点燈者」なる老翁の神様と、
『古事記』及び『日本書記』にあらわれたる鹽椎神又は塩土翁とは
その御役目に於一致するのであります。

   (http://tingokokka.blog.fc2.com/blog-entry-266.html より転写)

            <感謝合掌 平成30年3月27日 頓首再拝>
26:伝統 :

2018/04/18 (Wed) 03:39:52


       *光明掲示板・第一「生長の家大神とは住吉大神である 」より

この生長の家大神とは誰方であるかと言いますと、
これは阪神間の元住吉神社にお祀りしてあるところの
住吉(すみのえ)大神であられまして、

『古事記』に、天照大御神様がお生まれになるに先立って、
此の大宇宙浄めの神として、水と塩(霊)とを以て浄め給うところの
龍宮海の神様として現われたところの上筒之男神・中筒之男神・底筒之男神
と言われる三柱の神様を一体に総称して、住吉大神(俗称すみよしの大神)と
申しているのであります。

生長の家が発祥致しましたのは今から四十年程前でありますが、
その前後に私が住吉村に住んでおりまして、毎日その元住吉神社に
お参りしたものでありまして、その当時、霊感に啓示されて
この生長の家の教えと云うものが現われて来たのであります。

爾来「一切の宗教は一つである」「真理は一つである」との啓示に導かれて、
古今東西の宗教を比較宗教学的に研究し、いずれの宗教も、その説き方は異っても、
どの教えも人間を救う"唯一つの真理"を説くのであるから、
何の宗教も互いに分立せずに手を繋げと云うことを説いて来ているのであります。


『古事記』にあらわれたる住吉大神はその塩椎神(『日本書紀』神武天皇の巻)
として現われていらっしゃるのであります。

塩椎神は潮筒之男神であらせられまして、
海の潮を上潮、中潮、底潮と分けまして、
上筒之男神・中筒之男神・底筒之男神の三柱に顕れていられるのでありますが、
総じて塩筒之男神と申し上げるのであります。

 
この神様は宇宙創造の神であると同時に、宇宙浄化の神であり、
東道(みちびき)の神でもいらせられます。

     (http://bbs5.sekkaku.net/bbs/koumyou/mode=res&log=12

            <感謝合掌 平成30年4月18日 頓首再拝>
27:伝統 :

2018/05/17 (Thu) 03:57:08


         *『希望を叶える365章』(P148)より

生長の家に於いては”生長の家大神”が神と人間との間の媒介となり給うのである。
生長の家大神とは象徴的名詞であって固有名詞ではないのである。

「生(せい)」とは縦に生(の)びる「時間」を象徴し、
「長(ちょう)」とは横に展(の)びる「空間」を象徴し、
「生(せい)」と「長(ちょう)」則ち時間と空間とが縦横交叉して
宇宙(家)構成するのが「生長の家」である。

かくて宇宙の神を象徴的に「生長の家大神」と称(よ)び奉るのである。


仏教においては「生長の家大神」は観世音菩薩(その御本体は阿弥陀仏)と現れたまい、
キリスト教に於いては「黙示録」にあらわれたる白髪の”久遠のキリスト”と顕現し、
神道に於いては住吉大神又は水火津大神(しほつちのおおかみ)又は
綿津見神(わたつみのかみ)と顕れてましますのである。

それは一切を創造(うみ)だす本源の世界 ――  生みの根底(そこ)
(龍宮を「海の底」とするのはそれを象徴した神話である)なる
龍宮の大神にましますのである。

一切の善きものを其処より出でて現象化するのである。

だから龍宮海に入(い)るとき一切のもの得られざることなしである。

”神想観”こそ、龍宮海に入(い)る”目無堅間の小船(おぶね)”である。

「われ今五官の世界を去って”実相世界”(龍宮海)に入(い)る」である。

其処に入(い)るとき一切の希望は成就しているのである。

            <感謝合掌 平成30年5月17日 頓首再拝>
28:伝統 :

2018/06/14 (Thu) 03:30:07

       *昭和38年全国代表者会議御結語
         ~ 生長の家創始者 谷口雅春先生

( 一部抜粋 )


・・・何故 生長の家が出現したのか、生長の家の神は住吉大神である。

その住吉大神が、なぜ今ここに、日本の国土にこの時期に顕れ給うたのか。


そこが非常に大切なところである。『 古事記 』に示される如く、
住吉大神は天照大御神の御誕生の直前に顕われられた。

最後の宇宙浄化の働きとして、宇宙の大神が住吉大神と顕われ給うたのである。


天照大御神の御誕生とは、日本の実相の誕生ということである。

日本なるものの魂が具体的に宇宙を照らす光となると云うことである。 

この直前に、最後の浄化の働きとして住吉大神が今ここに顕われ給うたという、
ここに生長の家出現の真意があるのである。

ただ単に、人間は神の子であり、物質ではない。肉体は無い。病気は治ると云う、
それだけの事ではないのであって、

天照大御神の光が宇宙に天照らすべく、
天皇陛下の御稜威(みいつ)を発現せしめて、
日本の国を救い、世界を救うと云うところに、

生長の家出現の本当の意義がある。

https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/df8326f008d2ba6170d45275d98b660c より転写)



(以下、全文謹写)

「生長の家出現の真意」

昭和38年全国代表者会議御結語
 
谷 口 雅 春 先生 

ありがとう御座います。
見渡す限りなつかしい顔 が沢山並んでおられます。
よく来て下さいました。

ありがとう御座います。

さて、講師の文科会で決定されました内容の中に、
「人間神の子、肉体は無い、物質はない」ということを
徹底的によく分かるように教えるというのが、
講師の使命であるという話がありましたが、

もう少し、それに付け加えておきたいと思うんであります。

それは「人間神の子の教えをしている宗教は、沢山あるのであります。
それは『ひとのみち』でも人間神の子といっており、特に終戦後の『ひとのみち』
今のPLは生長の家の教義の殆ど全部真似をしておりまして、
「人間は神の子」であるといい「肉体も環境も心の影」は我象といって
我の形が現れているというように説明している。

そういうわけですね。それでは生長の家もPLも同じ事ではないかということになる。
それは万教帰一だから、根本は同じだけれども、しかし、それでは
どうして生長の家でなければならないかとう事をですね、
本当にそれをつかんで頂かなかったんら、キリスト教の教えでもいいのであって、
生長の家に来る必要がないのである。

「一切衆生仏性有」だから、仏性が宿っておって、人間仏の子である。
それでいいのであってですね、尤も祖先の宗教を止めろというのではないけれども、
祖先の宗教をやりながら、どうしても生長の家になっていなければならないという、
そこをつかまなければいかんと私は思うんです。

あの安保改定問題の時にあらゆる宗教が安保改定に反対したのであって、
その中でですね、はっきりと、安保賛成にあれだけの力を結集して、
おそらく生長の家の「赤旗か日の丸か」というあの運動によってですね、
国会を取り巻いた精神力を粉砕する事ができたのは、
生長の家の直接または間接的な影響であると私は思うのであります。

そういうふうなことが生長の家にできるのは宗教のくせに、
どうしてそういう運動ができるかと言うことは、
それは、生長の家の神様なる方は誰方であるかというその問題になるわけなんです。


“人間神の子”を説く宗教は他にもある。
“肉体も環境も心の影”と説く宗教もある。
万教帰一だから根本は同じである。


だがそれでは、特に何故生長の家が出現したのか、

生長の家の神は住吉大神である。

その住吉大神が、なぜ今ここに、日本の国土にこの時期に顕れ給うたのか。
そこが非常に大切なところである。

『古事記』に示される如く、住吉大神は天照大御神の御誕生の直前に顕われられた。
最後の宇宙浄化の働きとして、宇宙の大神が住吉大神と顕われ給うたのである。

天照大御神の御誕生とは、日本の実相の誕生ということである。
日本なるものの魂が具体的に宇宙を照らす光となると云うことである。

この直前に、最後の浄化の働きとして住吉大神が今ここに顕われ給うたという、
ここに生長の家出現の真意があるのである。

ただ単に、人間は神の子であり、物質ではない。肉体は無い。
病気は治ると云う、それだけの事ではないのであって、
天照大御神の光が宇宙に天照らすべく、天皇陛下の御稜威(みいつ)を発現せしめて、
日本の国を救い、世界を救うと云うところに、生長の家出現の本当の意義がある。

従って単に、個人の救いにとどまらず、宗教的自覚をおし進めて、
国家の成仏、人類全体の成仏、宇宙の成仏と云うところまで行かなければ
ならないのであって、その一つが政治活動なのである。・・・・・・

人間神の子、病気なしだけが生長の家の特色ではない。

宇宙浄化の最後に現れられた住吉大神が生長の家の大神であること。
即ち、住吉大神が、日本において、生長の家においてお現れになったのは、
生長の家こそが日本の実相を顕現する唯一の宗教であるということである。

従って、日本人である限り生長の家に入らざるを得ないのである

 昭和38年全国代表者会議御結語

<愛国本流掲示板「昭和38年全国代表者会議御結語」
       → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/daityouwa/mode=res&log=7790 >


            <感謝合掌 平成30年6月14日 頓首再拝>
29:伝統 :

2018/07/03 (Tue) 03:33:20


         * 『生長の家』(昭和21年2月号 P18~19)
           『象徴として観たる神話』 より
       
今は日本国の即ち古事記で云えば伊邪那岐の神様の禊祓の最中なのであります。 
吾々は偽の日本の国を祓い落さなければならない。 
鬼畜の日本の国を浄めなければならない。 

その最中であります。

そうすると色々の禍、穢いものが現われてくるでありましょう。 
八十禍津日神、大禍津日神と古事記に書かれているように
禍の神様が伊邪那岐神の禊祓の時に現われて来るのであります。

禊祓をすれば色々の垢が落ちる、これが色々の禍の発現であります。 
この禍は偽物の日本に振い落とされ、
新生の日本が出現する為の働きであるのであります。 

今や新生の日本が誕生せんとする前に偽物の日本が覆える。 
物質的に肉眼で見える日本が、今崩れ落ちるのであります。

崩壊するのは本来ない所の日本であるから、悲しむことは要らないのであります。 
之を吾々は嘆いてはならない。 

色々の禍  ―  古事記に所謂る八十禍津日神、大禍津日神が
現われて来るのであります。 

イザナギ、イザナミ以後の物語は、迷いの心の自己発展と自己崩壊、
崩壊後の新生等を象徴的に説いているのだと云うのはそれであります。

これは歴史でなく、内的世界の象徴神話であります。

次に神直眦神、大直眦神、伊豆能賣神の三神が現れて、
禍と見ゆることを神直しに見直し、大直しに直し、建てかえて
総ての罪を伊豆能賣神、即ち悟りの目を開いて斎き浄める
と云うことが象徴的に書かれているのであります。 

やがて三柱の筒之男神即ち住吉大神が現れてくるのであります。

 
住吉大神は生長の家の神様と言われて居りますが、
これは此の世の審判をする神であります。 

サバクと云うのは罪ある者を地獄へ落すのかと云うと、必ずしもそうではない。 
もつれている髪をサバクと云うのと同じく、世界の秩序を再建し、
あるべきものをあるべき処にあらしめて此の世を救う神様で、
神は一神であって、別神がある筈はない。

仏教に現れては観世音菩薩、
キリスト教に現れては、黙示録に現れている白髪の老翁なる、久遠のキリスト、
古事記に於ては住吉大神と書かれていますが、
その御働きがまだ本当に日本には現れていないのであります。 

吾々がそれを説いても官僚や軍部が吾々を圧迫し、
住吉大神の神徳を説く生長の家の講演会を束縛し、言論の自由を与えず、
その神を弘める為の機関雑誌を出来るだけ圧迫し、
用紙を無皆にしてしまったのであります。

 
斯くして住吉大神は未だ現れていないのでありますが、
やがてその全き教えが現れて来る時こそ、伊邪那岐の神様の 『左の目』 
〈即ち日本国の悟りの目〉 を洗う時であります。

此の住吉の大神の教え日本国の悟りの目をお洗いになった時に
お生れになられた神の御名は天照大神とあります。 
此の時に住吉大神のスミヨシの世界があらわれてくるのであります。 

即ち、この時に昭々として平和の光照り輝く
本当の日本の姿が現れてくるのであります。

それは戦いの姿ではない。 太陽の姿である。 
太陽は善人をも悪人をも一様に照すのであります。 
それは平等の心であります。 

之が天照大神様の御心であります。 
平和日本の心であります。 
総てのものに光と熱と、生命とを与えるのであります。 

決して戦ったり殺したり虐殺したりするのではないのであります。 
太陽の如く一切を照し育み暖めるのが日本の精神で、之が大和の精神であります。 
之が本当の日本の精神主義であります。

『本当の日本』 は肉体的、物質的、領土的な存在でもない。 
太陽の如き神愛そのものが日本の国なのであります。 

日本の国は諸君の、そして吾々の、そして私の心中に、
太陽の神愛が起ったとき、其処に日本の国は昭々とあらわれているのであります。 

奇しくも戦争中、勝ったように見え、敵を蹂躙したように見えていたときには、
実は真の日本の姿は消えていた。 

然るに今こそ平和日本の曙が来た。 
まだ完成していないが、ここにこそ真実の日本の国がある。 

日本を物質の国と見ているから亡びたと云う。 
併し、真実日本の大和国は決して亡びていないのであります。 
それは永遠の存在であります。 

総ての人の心に神の愛が起る時、
吾々の心の中に慈悲の心が起る時、
人を照す心が輝き始める時、

其処に大和(やまと)の国があるのであります。

     (https://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/18948013.html

            <感謝合掌 平成30年7月3日 頓首再拝>
30:伝統 :

2018/07/18 (Wed) 04:08:47


       *「聖経 続真理の吟唱」(P34~38)より

われ今、聖なる神の宝座の御前に坐し、われに尊き使命を授け給えと祈り奉る。

ここに神われに使命を授け給えり。

神は今その神名を明らかにしたまいて
“われは天照大御神の御出現のみ先祓いとして地上浄めのため、
宇宙創生の根元神にまします天御中主大神より遣わされたる
住吉大神(すみよしのおおかみ)なり”と宣り給う。


住吉大神は宇宙創生の根元なる創生(うみ)の底にましますゆえに、
われら是を称えて竜宮に在(ま)す大神と崇(あが)め奉る。

この大神、宇宙浄めのために一神にて
上中底の三神に分れて創造の秩序を明かならしめんがために
上筒之男神・中筒之男神・底筒之男神と顕われ給う。
 
この大神の御働きにより悪平等の混沌の世界は破れて
生命(せいめい)創造の上・中・底の秩序整いて此の世浄まり、
天照大御神生(あ)れましぬ。
 

宇宙浄めとは上・中・底の秩序が確立せられることにして
“汚(けが)れる”とは上中底の秩序がみだれて、底にあるべきヘドロが上に昇り、
上にあるべき浄水が底に沈み、上下の秩序失われ、

唯、平等に味噌も糞も同じ位置にあることを要求し、
瀬戸内の海に魚の棲みにくくなるが如く、
世界の秩序みだれて生命(せいめい)の中心原理が姿を没し去ることをいうのである。


かくてひとたびは浄まりたる此の世の秩序みだれ、
生命(せいめい)の大海濁りて泥海のごとくなりて、
生命(せいめい)の中心原理没し去る時来りぬ。
 
これを称して天照大御神の天之岩戸隠れというのである。


ここに於いて、世界混沌とし、中心は失われ、上下の秩序なく、
百鬼夜行のみだれたる姿を顕じ、再び宇宙浄化のため、
住吉大神出御し給う時が来たのである。


されば、住吉大神われに宇宙浄化の使命を授けたまいて、
われを全人類に住吉大神所伝の真理を放送するための
聖なる放送アンテナとならしめ給うたのである。
 
われ今、住吉大神に導かれて龍宮海を渡り、龍宮城に入(い)り、
神癒の社(やしろ)に坐して神想観を厳修(ごんしゅう)し、
心身浄(きよ)まりて、住吉大神より龍宮無量寿のいのちを授かり、

神は善にして、神は渾てにましますが故に
悪なる存在はひとつとして存在せざる真理を授かり、

すべての人間は“神の子”にして互いにみな
親子兄弟姉妹なるが故に争(あらそ)いも憎しみも本来なく
互いに扶(たす)け慈(いつく)しみ合い、愛し合う真理を授かり、

それをわが身に於いていま増幅せしめられ、強化せしめられて、
人間本来無量寿の《いのち》の真理と、天地の一切皆善(かいぜん)の
“知(ち)”の真理と、人間をはじめ一切の生物ことごとく
親子兄弟姉妹なる“愛”の真理とを全人類に対して放送するのである。


この放送を受くる者、我に頼る者、生長の家に頼る者、神縁ある者、仏縁ある者、
人縁あるもの悉くこの放送を受けて心身浄化せられ、今より後、
病いある者なく、貧しきものなく、悲しみは喜びに変り、
欲する善きものは悉く備わりて不足なく、争いと戦いとは止み、

人類にことごとく相和し、手をたずさえて大神の御許に来詣し大神をたたえ奉る。

天之岩戸ひらかれ、再び天照大御神出御(しゅつぎょ)ましまして
天地ただ歓びの光にみたされ、地上に天国生(あ)れましぬ。 

ありがたきかな。 ありがたきかな。

・・・

(初出は、昭和49年10月「光の泉」日々読誦毎月真理経で掲載)

            <感謝合掌 平成30年7月18日 頓首再拝>
31:伝統 :

2018/07/31 (Tue) 04:49:45


        *『理想世界』(昭和48月7月号 七月の祈り)より
 
イザナギの大神、ツクシの日向(ひむか)の立花(たちはな)の
小戸のアハギハラにて御禊祓いたまう。

ツクシとは尽十方なり、あらゆる方角を「尽し」てという意味にて
”九天”即ち”大宇宙”のことなり。

日向とは小なる地球上の日向の国のことではなく、
尽十方ことごとく日に向かう-即ち、”光明遍照”を意味するなり。

タチハナの小戸とは、すべての音霊(おんれい)の生みの母なる
五十音の竪(たて)の端(はな)にあるアイウエオの言霊なり。
この母音がすべての発音に入ることによって宇宙一切の言葉は完全音となるなり。

すべての言葉が完全となるとき、この宇宙は言葉が創造する世界であるから
宇宙が浄まり実相があらわれるなり。

この宇宙浄めの御禊(みそぎ)と言い、実相の蔽いをハギ除りてアラハスことを
アハギハラの地名にてあらわす。

イザナギの大神宇宙浄めの御禊の最後の浄化の神として
生まれ給いて住吉(すみよし)世界-即ち住みよき極楽世界の主神にまします
住吉大神にわれ至心を捧げて祈り奉る。

今や天照大御神の皇子(みこ)スメラミコト政治の圏外に追われ給いて
天之岩戸隠れの再現となりぬ。

そのため、この世、日々に暗く、”赤き龍(たつ)”全世界を
その赤カガチせる腹にてトグロを巻き、今や瑞穂の国の稲田姫をひと呑みにせんとして、
まことに暗澹たる姿なり。

仰ぎ願わくは須佐之男命(すさのおのみこと)に
草薙(くさなぎ)の神剣を授けたまいて、
此の世にはびこる迷いの雑草を刈り取らせ給い、

赤き龍の潜むべき蔭なき光の世界を呼び戻し給いて、
岩戸隠れまします天照大御神をその正位の宝座にあらしめたまいて、
尽十方ことごとく光明遍く照らす実相世界を実現せしめ給えと畏み畏みも祈り奉る。

 大神の智慧のみ光あきらけく照らして迷い残る隈(くま)なし(朗誦二回して終る)

 (https://blogs.yahoo.co.jp/kamenoko159357/35716222.html より転写)

            <感謝合掌 平成30年7月31日 頓首再拝>
32:伝統 :

2018/08/24 (Fri) 05:00:05


        *「日本を築くもの」(P7)より要点の抜粋

(1)住吉大神

  ①古事記に
   「我は、しこめしこめき汚き国に到りてありけり、
   大御体(おおみま)の祓いせな」と

   ”霊的宇宙の創造神イザナギノ命”が宣(の)り給うて
   最後の宇宙浄化をせられたとある。

   その宇宙浄化のオハタラキが人格化してお生まれになったのが
   墨江(すみのえ)ノ大神(住吉大神)である、

   と「古事記」は記載しているのです。

  ②住吉大神によって、宇宙最後の浄化が行なわれて、
   新しき世界が誕生するのである。

  ③住吉大神の宇宙浄化=人類光明化運動。


(2)住吉大神の使徒(霊の戦士)

  ①新たなる世界の黎明は住吉大神から選ばれた
   天の使いたちによって持ち来たされるのである。
   
  ②住吉大神の使徒は、

   龍宮海より秘受(ひじゅ)されたる祈りによる”言葉の珠”
   潮満珠(しおみつのたま)と汐干珠(しおひるのたま)を有つのである。

   私たちは祈りの言葉の”汐干珠”によって、一切の悪と災害とを否定し、

   言葉の祈りの”潮満珠”によって実相常楽の世界を呼び出すことが
   できるのである。

   これが大神呪(だいじんじゅ)であり、大明呪(だいみょうじゅ)である。

  ③私たちは、常に暇ある毎に、次の如く祈らなければならない。

   「神の無限の愛われに流れ入り給いて、われにおいて愛の霊光燦然と輝き給う。
   その光輝きを増して全地上を覆い、すべての人類の心に愛と平和の思いを
   起こさしめ給うのである」

            <感謝合掌 平成30年8月24日 頓首再拝>  
33:伝統 :

2018/09/13 (Thu) 03:33:46

・・・

  *「生長の家」昭和33年「明窓浄机」より
    ~『生長の家五十年史』(P539)より抜粋

   生長の家大神は神道では住吉大神であらせられるから尚、
   (宝蔵神社の)奥の院には住吉神社を奉祀して
   その神徳を顕揚したい希望を持ってゐる。

・・・

   * 平成十五年九月 宇治別格本山総務・宮司 楠本加美野

昭和三十五年八月、宝蔵神社の落慶式で谷口雅春先生は、
宇治別格本山の“奥の院”に住吉神社と稲荷神社を建立する計画を発表なさった。

ところがその後、住吉神社を建立する計画は変更になり、
神癒の社入龍宮幽斎殿が建立されました。

『生長の家五十年史』には、

「龍宮住吉本宮・出龍宮顕斎殿」と「入龍宮幽斎殿」

について次のように書かれている。

「住吉大神が出御されるためには、吾々は一度“無”の門関を超えて、
龍宮界に超入し、真の意味で新生しなければならないのであり、
その目的のために建立されたのが入龍宮幽斎殿であったということが出来る。

入龍宮幽斎殿の建立から住吉大神の顕斎への道が具体的に開始されたと言うことができる」


昭和五十三年「龍宮住吉本宮・出龍宮顕斎殿」の建立、
顕幽両界の光明化の願いをこめて三年後には「龍宮住吉霊宮」が建立され、

また御心の天になる世界が地上に顕現する願いをこめて、
昭和五十七年「完成の燈台」が建立された。

大聖師谷口雅春先生の「顕幽相携えて大神の経綸を扶翼する」願いは、
このように実現されたと拝察される。 


・・・

『生長の家五十年史』より

(1)宇治別格本山には、入龍宮幽斎殿というのがある。
   
   あれは、神想観をして心を只管(ひたすら)住吉大神に振り向けて、
   自分の心が龍宮に入って行って自分の心が浄まるように
   お祈りするための宮である。

   自分が龍宮に入って行くのでそれが幽斎なのです。(P22)


(2)(宇治別格本山への)住吉神社の建立計画は、昭和41年8月の
   最高首脳者会にて、中止されることになりました。

   その後、谷口雅春先生は、宇治には、「神癒の社・入龍宮幽斎殿」
   を建立へと変更され、昭和45年9月29日に棟上式、
   昭和46年10月14日に落慶式が行われた。


   (『生長の家』昭和42年1月「明窓浄机」では次のようになっております)

     『神癒の社』は第七次元の実相界に実在する。

     (中略)

     私はあの宇治山頂に「神癒の社」を「入龍宮幽斎殿」として
     建てることに決めたのである。

     幽斎とは形式を通して神を礼拝するところの顕斎に対する語である。
     すなわち魂を鎮めて神と一体となることを期する神想観を厳修する
     斎殿のことである。

     龍宮とは”生みの底”即ち創造の根底であり実相世界であり、
     神想観によって、本来無病無苦無争の実相世界に入ることを
     ”入龍宮”というのである。

     幽斎殿(ゆには)は最初の住吉神社建立計画のときのように
     信徒の盛り上がる熱情と浄財のみによって建造しあちと思っている。

     そしてそれらの人が昇殿して神想観を厳修するところの
     幽斎殿(ゆには)にふさわしいものとしたい。

                       (P541)

・・・

<参考:神癒の社 入龍宮幽斎殿とは >

    *『生長の家』誌 昭和42年1月 「明窓浄机」より

(1)建設にあたって

   第七次元の実相界に存在する「神癒の社」を
   御心の天に成るが如く地上に建立するのは、
   神を宮の中に祀り込めて置く
   “容れもの” のような神殿を造ることではないのである。

   それは、実相世界の「神癒の社」の延長を現象世界につくることによって、
   現象世界の人間を実相世界の「神癒の社」に直参せしめる媒介をつくることである。

   そこでやはり私はあの宇治山頂に 「神癒の社」を
   「入龍宮幽斎殿」として建てることをきめたのである。

   幽斎とは、形式を通して神を礼拝するところの顕斎に対する語である。

   すなわち魂を鎮めて神と一体なることを期する神想観を厳修する斎殿のことである。

(2)入龍宮とは? 

   龍宮とは “生みの底” 即ち創造の根底の世界であり、
   神想観によって、本来無病無苦無争の実相世界に入ることを
   “入龍宮” というのである。

(3)幽斎殿の形について

   私は本尊として住吉神社を神社形式の神殿で建てれば 、形式の上から、
   神道の一宗派みたいな形になって、

   キリスト教やイスラム教までも包容する生長の家の
   万教包容の大理想が形の上から崩れてしまうので、

   本尊神を祀る神殿を建てるのなら、神式でも仏式でもない
   中道的な奈良の夢殿みたいな形式がよい。

   そして住吉神社というような神道的名称にしないで
   単に“本尊殿”と称して天照大御神を主神に、
   住吉大神、観世音菩薩をその左右に祭祀する構想を立て、
   四方靖郎氏に設計を依頼したのであった。

            <感謝合掌 平成30年9月13日 頓首再拝> 
34:伝統 :

2018/10/02 (Tue) 04:15:03


【 入龍宮幽斎殿 竣工慶祝献堂の祝詞 】


掛けまくも畏き、生長の家大神の御前に生長の家総裁谷口雅春敬って曰さく

まこと畏き極みにてありけり、
天照大御神の御勅(みことのり)もちて、伏見の本宮(もとつみや)に鎮ります
末一稲荷大明神の先導(みさきばしり)にて此の地を浄地と定め給ひ
天垂志(あまたらし)金色の霊光地より立ち騰りて示し給ひしこの聖域の山上に、

龍宮無限宝蔵の実相世界に到る霊交自在の殿堂として
入龍宮幽斎殿をつくるべしとの詔を受けしより既に沢(さわ)に年を経たり。


ついにわれら心身浄まりて時熟しければ御殿(みあらか)の敷地として
整地取掛かる折しもあれ天の雨降り注ぎおのづから崖崩れ、土砂流れ、
浄域の境内、自然に拡がりければ、御心に副い奉り巨岩大石を以って崖を止め

流れを防ぎここに広庭を創り成し、実相龍宮城の無量寿不老のいのちにて
一切衆生の老病死の迷夢を洗い浄めて、人間本来の無量寿の実相を顕現すべき
神癒の社を建立せんとし、既に二年(ふたとせ)を経たり。


昭和四十六年(むつのとし)、即ち始終睦みの年の十月十四日、即ち重重かさなる
吉き日を選びてここに社殿の中央に天照大御神、左右に龍宮の大神にまします
水火土大神、住吉大神をいつき祀り、これの殿(みあらか)を幽斎殿とし、

吾等龍宮の大神の導きを受け無量寿、無限智、無限愛、無限供給、無限歓喜、
無限大調和の世界と交通せんとす。


社殿の屋根の一点より拡がる八紘一宇を示し、八方に拡がるは八紘一宇を示し、
八方より一点に集るは万教帰一の教への根本義を現はす。
階段は修行に応じて各々の霊位の昇ることを示すなり。


内に龍宮無限無尽の宝を蔵し、八大龍王これを守護し給ふ。
神前に神座あり、住吉大神ここに出御し給ひて龍宮海秘法の真理を説き給ふ。

吾らこの龍宮海に入る”無”の門関に座して神想観を修して実相海に入らんことを
願へば龍宮城の扉開かれて龍宮無尽蔵の宝庫より欲するもの、好ましきもの、
美しきもの自然に湧出して吾らの所要を尽く満し給ふ。

これより後、貧しき者なく、病む者なく、苦しむ者なし。
事既に実相世界には成就せりと宣ふ。


此れの宮を入龍宮幽斎殿として大神に捧げ奉る。
大神これを受け給ふ有難きかな、忝けなきかな。

この社殿既に大神の神徳に満ち足り、満ち溢れたり。


吾らこの重々重なる此のよき日に竣工の慶びに満たされ献堂の儀式を
執り行なふことを得たるも、すべてこれ大神たちの神徳の顕現なり。

信徒の人々アメリカ、ハワイ、ブラジルを遠きとせず、集まり来たりて
広庭を埋め尽し聖経「甘露の法雨」を読誦して大神たちを称へ奉る。


庶幾くはわれらの願ひを諾ひ給ひ此の殿(みや)の本尊としてこれの御舎の奥殿に
末長く鎮りまして、吾ら諸人(もろびと)の入龍宮幽斎殿の修行を護り導き
祝福し給へと畏み畏みも祈願し奉る。

昭和四十六年十月十四日

            <感謝合掌 平成30年10月2日 頓首再拝>  
35:伝統 :

2018/10/20 (Sat) 04:43:17


      *昭和45年9月29日 宇治別格本山 「神癒の社入龍宮幽斎殿」上棟式
        ~『聖使命』新聞 昭和45年10月15日号 より


この入龍宮というのは龍宮へ入ると書かれておりますが、
龍宮というのは浦島太郎の話ではないのでありまして、
あれは象徴的神話でありますが、

龍宮というのは、海の底にあって、
一切のものを神様が生み出し給うところの底、即ち根底の世界であります。 
生長の家でいうと、これを実相の世界といっているのであります。 

この実相世界の主宰神である神様が、塩椎神、またのお名前が、
住吉之大神とおおせられるところの神様であります。

この龍宮というのは、時間空間を超えた世界でありますから、
時間の流れ以上でありますから、浦島太郎は龍宮へ行っている間、
年が寄らなかったというのであります。 

これが人間のいのちの実相であります。 実
相即ち実の相(すがた)実相の世界に今みなさんはいらっしゃるんです。 

仮りにこの世界に生れたかのごとくちょうどテレビ・セットに現われるように、
実相の世界にいながら、この地球というテレビ・セットにみなさんは
今姿を現わしておられるということになっております。


さて、この入龍宮幽斎殿というその頭に “神癒の社” とかかれておりますが、
これは丁度 『古事記』 に書いてある日子穂穂手見命様が龍宮へおいでになる時に
塩椎の神様が出て来られて、そして目無堅間の小船をお造りになって日子穂穂手見命様に 
「どうぞこれにお乗り下さいませ、まっすぐにおいでになれば龍宮へまいります」 
と龍宮へ道案内をしておられる神話が書かれているのであります。 

この目無堅間にあたるのが “神癒の社” であります。

この目無堅間の小船に乗れば、龍宮界へ入って行くということになる。 
目無とは、時間の目盛がないということ、それから、
堅間というのは堅い間と書くのですが、堅く空間があかないで詰っているので
無空間ということで、時間の流れなく、空間の広がりなく、
無の一点にこれは存在するわけなのです。

無の一点というと実相の世界の時間と空間とを超えた世界が
いよいよ現象界に展開して来るところの、たとえばレンズの中心のようなところであります。 

そのレンズの中心のようなところに、神の世界においてというか、霊的世界において、
実相の世界には病気も何もないのですから神癒ということもいらないのであります。

しかし、実相の世界から現象世界に展開して来る、
そのレンズのところが曇っていると、現象世界というスクリーンに映って来る姿が、
曇った姿、即ち、不幸災難、病気、貧乏というような状態が現われて来るのでありますが、

この幽斎殿にお坐りになって、その心のレンズを無空間、無時間の、
どんな引っかかりもないところの、空なる、無なる、心境になって
実相世界から直通して、何らの曇りも、屈折もなく直接実相世界が
現象世界に現われる境目のレンズになるところの “社” が 
“この神癒の社” であります。

      (https://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19035168.html

            <感謝合掌 平成30年10月20日 頓首再拝> 
36:伝統 :

2018/11/04 (Sun) 06:24:48


生長の家創始者谷口雅春先生は、
神癒の社 入龍宮幽斎殿の落慶式(昭和46年10月14日)に次のようにお話されました。

「われわれは人間界の色々の変化に引っ掛かって、
そして、現象界の色々の努力をしても、
それは、妄想によって縛られていますから何事も都合よくいかないのであります。

われわれは一遍“無”の門関を越えて、
そして龍宮界に入らねば多宝の世界に達することはできない。

そのために“龍宮”と書いた扉がこの奥の院の正面にある。

あれは“無”の門関の象徴であります。

龍宮というのは、これは神話でありまして、海の底というわけであります。

海というのは、一切の物を生み出すところの底、即ち存在の根底の世界で、
それは神々の世界である。

その神々の世界とわれわれが交通しないで
人間界の色々の現象に引っ掛かっている限りは、
よくしようと思うことが悪く回転していって、
そして行き詰まりを生じることになるのです」


・・・

【 入竜宮幽斎殿にての神想観に念ずる言葉 】

天照大御神(十回繰返す)
住吉大御神(十回繰返す)
塩椎大御神(十回繰返す)

吾れ今、此処、神癒の社“無”の門関に坐して
龍宮海に入らんことを願ひ奉る。
庶幾(こひねがは)くはわが願ひを諾(き)き給へ。

われ今、塩椎大神に導かれて龍宮海に入る。

ここ龍宮海なり、
神の無限の智慧の海なり、
神の無限の愛の海なり、
神の無限の生命の海なり、
神の無限の供給の海なり、
神の無限の歓喜の海なり、
神の無限の調和の海なり。

われ今、此処、龍宮海の龍宮城に座して
住吉大神より龍宮無量寿のいのちにて全身全霊浄めらる。
吾ら現象界妄想悉く浄められて本来の如意自在の実相顕わる、

わが全身如意宝珠なり、
一切の宝、吾が掌中にあり、欲するもの、好ましきもの、
おのづから顕れ、欲せざるもの、好ましからざるもの自ら去る。

・・・

実相直入の社―神癒の社 入龍宮幽斎殿
http://www.uji-sni.jp/yusaiden/shinsokan-gonsyu.htm


            <感謝合掌 平成30年11月4日 頓首再拝> 
37:伝統 :

2018/12/09 (Sun) 04:15:44


       *「生長の家五十年史」(P542~544)より抜粋

昭和42年 1月     『神癒の社、入龍宮幽斎殿』建立計画を発表
      5月13日  入龍宮幽斎殿地鎮祭


昭和45年 7月18日  長崎県西彼杵郡西彼町の土地購入始まる
      9月28日  谷口雅春先生西彼町の購入地を視察
      9月29日  入龍宮幽斎殿上棟式


昭和46年10月14日  入龍宮幽斎殿落慶式


昭和47年 1月10日  生長の家九州別格本山開所式
      2月 8日  生長の家九州別格本山道場竣工式
      2月11日  生長の家九州別格本山練成道場開所式
      3月 1日  聖経『真理の吟唱』出版
      4月11日  宗教法人生長の家九州別格本山登記完了
      5月18日  九州別格本山生長の家総裁公邸地鎮祭
      7月25日  『美しき日本の再建』出版


昭和48年 1月22日  生政連讃歌「護国の神剣」発表(雅春先生作)
      3月     「護国の神剣の祈り」(理想世界3月号)
      7月     「護国の神剣発動の祈り」(理想世界7月号)
             入龍宮不可思議境界録の祈り」(光の泉7月号)
      8月     「金波羅華実現の祈り」(理想世界9月号)
     11月     「実相・中心帰一の世界勧請の祈り」(理想世界11月号)


昭和49年10月     「自己を浄化し。全人類を救済する祈り」(理想世界10月号)
             「天岩戸を開く祈り」(光の泉10月号)
     11月22日  住吉大神の神社建立の決意発表
     12月     「人類光明化運動の神々の系譜」(理想世界12月号)

             ・・・

       *「生長の家五十年史」(P554~555)より抜粋

昭和50年 1月 7日  ”神剣鍛造の儀”無事進み、この日奉納さる
      1月13日  雅春先生ご夫妻、本山総裁公邸に移転
      2月10日  住吉本宮敷地造成の地鎮祭
      2月28日  御造営奉賛会結成、献資活動開始

      6月13日  「龍宮住吉本宮」「鎮護国家出龍宮顕斎殿」名称決定
     11月 1日  龍宮住吉本宮・鎮護国家出龍宮顕斎殿地鎮祭


昭和51年 8月28日  龍宮住吉本宮立柱式
     10月12日  新練成道場地鎮祭
     12月 5日  金龍湖掘鑿式


昭和52年 3月15日  龍宮住吉本宮・鎮護国家出龍宮顕斎殿上棟式
      6月21日  龍宮住吉本宮社務所地鎮祭


昭和53年 6月 4日  新練成道場竣工式・金龍湖・飛龍の滝完成式
     10月14日  落慶大祭後「生長の家総本山」とする旨決定
     11月21日  龍宮住吉本宮・鎮護国家出龍宮顕斎殿新殿祭・鎮座祭

            <感謝合掌 平成30年12月9日 頓首再拝> 
38:伝統 :

2019/02/12 (Tue) 04:07:16


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月12日)」より

わたしは御影町(みかげまち)および住吉村に住んでいたとき、
たびたび住吉神社に参拝して人類光明化のために祈願をつづけたものである。
そこころからわたしは雑誌『生長の家』を書きはじめたのである。

その後、生長の家神と申し上げるは
塩土老翁(しおつちのおじ)、筒男神(つつのおのかみ)であらせられると知らされ、
ハットしてその端倪(たんげい)すべからざる因縁に驚いたのである。

塩土神とは水火津霊(シホツチ)の神である。
水の霊(陰の原理)と火の霊(陽の原理)とを津なぎ結びて、
一切を生み出す「生みの神」である。

だから塩土神(住吉神社・塩釜神社に奉斎)は古来安産の神として称せられ、
エホバ神の「懐妊(はらみ)の劬労(くるしみ)を増すべし、汝は苦しみて子を産まん」
という宣言を覆して、子を産むのに無痛分娩なることを実証したのである。

生長の家の教えを聞いてそのとおりに守るものは無痛分娩であるのはそのためである。

塩釜大神(しおがまのおおかみ)とは水火醸神(しおかみのかみ)として
陰陽交叉(いんようかみあ)いて生み出す神という意味である。

生長の家神を拝みたければ住吉神社に参るがよし、塩釜神社に参拝するのもよい。
われわれの団体は無宗派の万教帰一を説く団体であるから、
拝殿もなければ御祈祷をするということもない。

ただ書籍、講演、放送、直接指導等によって老病死を克服する教化団体である。

            <感謝合掌 平成31年2月12日 頓首再拝>
39:伝統 :

2019/11/22 (Fri) 14:07:22


       *Web:則天去私(2014年02月15日)より抜粋
            (則天去私・山ちゃん1952 さまの御了承をお願いします)

今、生長の家の信徒で「顕斎」と云ってもご存知でない方が大半だと思います。

この「顕斎」というのは昭和53年11月21日から28日の間、
長崎総本山において開催された生長の家において実に重要な大祭であります。

龍宮住吉本宮・鎮護国家出龍宮顕斎殿 落慶鎮座奉祝大祭です。
横綱若乃花の土俵入りや創作曲の「日本誕生」「住吉大神御出御」が
曩祖太鼓の若者によって打ち鳴らされた響きは顕斎殿にこだました。

プログラムとしては21日午後2時より神殿祭、午後4時まで鎮座祭が執り行なわれました。

22日は生長の家秋季記念日祝賀式典、午後から曩祖太鼓。

23日~28日までは落慶鎮座奉祝大祭

また生長の家の後援による“泥かぶら”が上演された。
その上演されたのは旧道場近くの中学校体育館によって開かれた。
また各駐車場において“神々の「祭り」”ということで長崎の竜踊り、
岩手県の鬼剣舞、島根県の海潮山王寺、愛媛県の伊予漫才、岩手県の鹿踊り、
地元西彼町の龍神祭、島根県津和野の鷺舞、鳥取県の傘踊り、岐阜の谷組踊り、
大分県の草地踊り、長崎県の黒丸踊、新潟の鬼太鼓、伊勢太神楽、京都の六斉踊、
兵庫の梯子獅子、岡山の備中神楽、山口の君が代踊、香川のさぬきばやし、
長崎ののんのこ節、熊本の虎舞、宮崎の高千穂神楽、宮崎の臼太鼓踊、
鹿児島小原節、沖縄舞踏など日本全国各地の伝統芸能が披露された。

また九州物産展も開催された。

23日から28日の6日間は日本全国の信徒5万5千人が馳せ参じた、
駐車場はバスですぐに満車となり約250台のバスから一斉に
仮トイレに駆け込む姿が長蛇の列を成したのは、
私にもイラつきを覚えさせたのは今も脳裏に鮮明と蘇る。

私は“神々の「祭り」”の実行委員であり、時として、配膳担当にもなった。
この6日間は四先生の御指導による祈り合い神想観において大いなる愛念として
如意宝珠を授かるという光栄に浴した。



さて、この「顕斎」の意義は皆様御承知のことですが
この大祭の終わりに近づいた27日に谷口雅春先生は庭園を散策されながら

「この美しいたたずまいの中に本当に神様がいらっしゃるのですね」

と語られたのであります。

まさに聖地に相応しき土地であった。

その時の記念出版として「聖経版 真理の吟唱」がありますが
その中には生長の家龍宮住吉本宮 鎮護国家出龍宮顕斎殿落慶記念と
印刷されているのである。



八紘一宇人類一家族成就の祈り

          谷口雅春

神は無相にして恰も鏡の如く、
鏡が鏡面に向った人の貌をそのまま映し出すが如く、
それを礼拝する人それぞれの心の相に従って
神がわれらに与え給うところの功徳も異ることになるのである。

住吉犬神を祭祀し奉る神社諸方にあれども、
住吉大神御出現の意義を正しく把握して、
その意義を完うせんがために神祀る神官も教少く、

たといかくの如き神官ありと雖も、
住吉大神の由緒及び御使命を参拝者に教える神官といいては殆ど稀なり。
それゆえに参拝者は住吉大神を唯、鎮守の神として、或は産土の神として、
或は安産のための腹帯を賜る神として或は繁栄の神として、
自己の個人又は一家の福祉のために参拝する氏子のみ多くして

国家一大事の時に方りて天照大御神の稜威の出現のための道を開く
宇宙浄化の大神として祭祀し又、参詣し礼拝する人々に至っては
絶無といってもよいのである。

それ故に龍宮宏大無辺の功徳を内蔵したまう住吉大神の“聊心の鏡”には、
鏡面に相対する参拝者の心の相だけの御徳しか顕現せずして今に至り、
それが長き習慣となり、

折角、宇宙を浄め給いて天照大御神の御光を六合に照り輝かす道を開き給う
住吉大神の大徳を埋没せしめて、この侭にては皇国の御光を宇内に輝かす道絶えたり。

その諒に乗じて現下、赤き龍の輩日本国の四方に回りてさまざまの策動をなし、
天皇は豊芦原の瑞穂国治しめす御使命の御座より単なる“象徴”という
人格も神格もなき空座に移され奉り、

そのために、天皇の御国ヽ既に皇国の姿失われ、
恰も天照大御神の天之岩戸隠れを再現せるが如き暗澹たる国情となり、
今や、いつ“赤き龍″の策謀成就して、この国に革命の焔燃えあがる
とも計り知れざる情態となっているのである。

この時、この際、妖気漂う革命の暗雲を一掃して、
日本国家の礎を安泰ならしめ、『古事記』に預言される如く、
豊芦原の瑞穂の国は世々天照大御神の神霊を世嗣し給う天皇の治しめす国なる

神定めの日本国の実相を顕現し泰るためには、
住吉大神を新たに宇宙浄化・鎮護国家の大神として更めて祭祀し泰り、
祭司の心も参詣者の心も共に浄まりて、

住吉大神の“御心の鏡”に彼らの向うとき、
大神の本来の国家鎮護皇国護持の御使命が完全に発動され
妖雲暗雲ことごとく祓い浄められ、“赤き龍“の住み家は
最早や日本国土に残る隈もなくなりて、

国土安泰、万民泰平を謳歌し、天照大御神の御稜威六合に照り徹りて、
神武天皇建国の御理想は実現せられ、ハ紘は一宇となり、
万国の民悉く集りて天照大御神の御徳を中心に仰ぎ泰りて
永久平和の世界連邦の理想必ずその達成を期すべきことを信じ、

茲に実相世界に存する龍宮住吉本宮の型代を地上に造営し奉り、
住吉大神を実相世界の秩序に従いて顕斎し奉り、
大神の御徳の全世界に光被せんことを冀う。
 
これを以て生長の家九州別格本山に住吉大神の神殿を建立する所以を明かにしたのである。
大神この趣旨を受けて嘉し給い、祭官及び諸民この趣旨に従って住吉大神を礼拝し泰るとき、
茲に全世界の浄化は成就し、まことに御心の天上に成るが如く、
地上に八紘一宇、人類一家族の永久平和の天国は実現するのである。

ありがとうございます。



まだ九州別格本山と呼んでいた時期である、
住吉大神の神殿建立は谷口雅春先生の悲願であり、信徒の願いでもあった。

   ( http://tecnopla1011.blog.jp/archives/3418530.html )

            <感謝合掌 令和元年11月22日 頓首再拝>
40:伝統 :

2019/11/24 (Sun) 05:04:38

昭和53年(1978年)11月21日
龍宮住吉本宮新殿祭・鎮座祭(23日28日落慶鎮座奉祝大祭)


生長の家 「龍宮住吉本宮」造成 記録映像
→ https://www.youtube.com/watch?v=8-jJAGg8S4A


  鎮座降神詞

  掛けまくも綾に畏き住吉大神(すみのえのおほかみ)龍宮実相世界の天津御座より、
  此の瑞(みず)の御殿(みあらか)龍宮住吉本宮の、御神座に奉安し奉る。

  ここに、“護国の神剣”に、大神の尊き神霊(みたま)を天降し給ひて
  鎮座(しづまりま)して この神剣を世界平和の核として、
  この神剣より世界全部に輝くところの平和の霊光を発し給ひて、
  まことに地上に天国を創造(つくり)給へと
  請(こ)ひ祈(の)み奉(まつ)らくと白(まお)す。

   警蹕(けいひつ)オーー
 
   住吉大神、高天原より天降りまして、この御神体に鎮まります。
   アーオーウーエーイー アーオーウーエーイー アーオーウーエーイー

   警蹕(けいひつ)オーー

   住吉大神、宇宙すべてを浄め給ひて、天照大御神の出でます道を浄め給へり。
   アーオーウーエーイー アーオーウーエーイー アーオーウーエーイー

   警蹕(けいひつ)オーー

   今ぞ護国の神剣に天降(あも)りましたる住吉大神の神霊(みたま)より
   平和の霊光世界全部に広がりまして、洵に地上に天国は創造せられる。

   明日より、総てのことは浄まりまして、世界は別の姿を現すのであります。

   有難うございます。有難うございます。

    アーオーウーエーイー アーオーウーエーイー アーオーウーエーイー
    (御気合)イユーウーウーッ

    警蹕(けいひつ) オーー

   (聖使命 昭和53年12月15日 第1127号
  龍宮住吉本宮・鎮護国家出龍宮顕斉殿 落慶鎮座奉祝大祭特集 より)

                  ・・・

   護国の神剣

   住吉大神の造営を思い立ったとき、
   恰度、岡山県の人間文化財たる名刀匠・藤本昭氏から私に刀剣を鍛えて
   奉納したいという申出を受けたのだった。

   それで私はこれこそ神示であり、この名刀匠が禊斎して鍛えた日本刀を
   住吉大神の御神体として、「この御神体に住吉大神の神霊を招き奉って
   祭祀すべし、

   もって日本を覆うところの暗雲たる八岐大蛇を寸断して、暗闇を消し
   以って天照大御神のみ光を岩戸の扉の外にまで照り輝すべし」との
   霊感を得、

   生政連本部の高森晴雄氏を、岡山に派遣して、その旨を藤本刀匠に
   伝えて貰ったのであった。

        (『生長の家』誌 50年2月号84頁)

   (http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/23746990.html より転写)


            <感謝合掌 令和元年11月24日 頓首再拝>
41:ocfglcgd:

2020/08/29 (Sat) 03:50:47

伝統板・第二
<a href="http://www.g81mkvtth8r0015xc7t0099qejpk1926s.org/">aocfglcgd</a>
[url=http://www.g81mkvtth8r0015xc7t0099qejpk1926s.org/]uocfglcgd[/url]
ocfglcgd http://www.g81mkvtth8r0015xc7t0099qejpk1926s.org/

  • 名前: E-mail(省略可):
  • 画像:

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.