伝統板・第二

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皇紀2677年 - 伝統

2017/02/10 (Fri) 04:22:13

明日は『建国記念の日』。
もともとは「紀元節(きげんせつ)」という明治時代の祝日でした。

明治5年(1872年)、太政官布告で1月29日を神武天皇即位の祝日とすることを定め、
明治6年(1873年)に紀元節と命名、太陽暦に換算して2月11日とした。
建国祭とも呼ばれた。

紀元節は日本書紀の中にある
初代天皇の神武天皇(じんむてんのう)が即位された日なのです。

『日本書紀』巻第三に辛酉年春正月庚辰朔天皇即帝位於橿原宮とあるのに基づいている。

辛酉(かのととり)・年春・正月・庚辰(かのえたつ)朔(ついたち)
とあり、これが旧暦の1月1日なのです。
これを新暦(太陽暦)で換算すると、紀元前660年2月11日となります。


紀元節は、昭和23年(1948年)に廃止され、
昭和41年(1966年)「建国記念の日」として制定されました。

その趣旨は「建国をしのび、国を愛する心を養う。」となっております。


・・・

以下は、Web:「誰も知らない!潜在意識の魔法」からの抜粋紹介です。


《世界最古の君主国日本》

日本は世界史上最長の歴史を誇る王朝であり、皇室は今もなお凛と輝きを放っている。

初代の神武天皇が即位されたのが紀元前六六〇年。

以来二千六百年以上の間、神武天皇の男系の子孫が脈々と皇位を継承してきた。

これを「万世一系」という。

そして現在の天皇陛下は、第百二十五代であられる。

神武天皇の即位によってヤマト王権が誕生し、それが後に大和王朝となり、現在の皇室に繋がる。

大和朝廷から現在の皇室までの間には、王朝交替を示す、
考古学的事実、文化の断絶、文献資料などは認められず、
一つの王朝が継続していることは疑う余地がない。

しかも、王朝だけでなく国家にも断絶は認められない。

確かに政治の仕組みは時代と共に変化してきた。

大和朝廷が成立してから間もなく、政治的実権は天皇の手を離れ、豪族が政権を担った。
平安時代後期には初の武家政権が誕生したことで朝廷から政治的実権が切り離され、
それは幕末の大政奉還まで続き、明治維新に至る。

そして大日本帝国憲法発布によって我が国は立憲君主国となり、
現在は日本国憲法の体制下にある。

しかし、それら統治機構の変更は「政体」の変更であって、

天皇が君臨する状態、もしくは天皇と国民が目に見えない絆で結ばれた状態を示す
「国体」は建国から一貫して変更はない。

よって、我が国は朝廷の歴史に断絶がないだけでなく、国家の歴史にも断絶はない。
大和朝廷と現在の日本国は同一なのである。


日本の皇室が世界史上最長の歴史を誇るだけでなく、
我が国は現存する国家の中で、最古の国家ということになる。

現在でも正史である『日本書紀』を根拠に、
神武天皇即位にちなんだ毎年二月十一日が「建国記念の日」とされている。

国家にとって建国の記念日は最も重要な日だが、
日本は「建国記念の日」を『日本書紀』を根拠に設定している。

このことを重く受け止めるべきだろう。

日本人であれば、好むと好まざるとにかかわらず、
正史『日本書紀』が建国の歴史をどのように書き記しているか、知っておくべきではないか。

初代天皇の即位によって我が国の歴史が始まった。
日本の歴史は天皇の歴史であり、また天皇の歴史は日本の歴史なのである。

ところが、「万世一系」、脈々と王朝が継承されることは容易ではなく、
世界広しといえども、百代以上継承された王朝は日本をおいて他にない。

世界で2番目に長い歴史を持つデンマーク王朝は千年余り、
また3番目の英国王室は九百数十年の歴史である。


ローマ法王といえば、2000年の歴史を持つ、世界でもっとも権威ある存在のひとりです。
英国国王でさえ、ローマ法王には上座を譲ります。

ところが、そのローマ法王が唯一、自ら上座を譲るのが、日本の天皇です。

わたしたち日本人は、それだけすごい皇室のもとに生まれている。


天皇陛下のご公務は、年間2000件にもおよび、その中には閣議決定書類への押捺、
国会開会式へのご出席、認証官任命式、外国特命全権大使の信任状捧呈式、
勲章親授式などの政治、行政関連のご公務に加え、

年間400件を超える海外からの賓客との会見、

2700年の伝統に育まれた各種宮中行事、

さらには全国戦没者追悼式、日本学士院授賞式、日本芸術院授賞式、日本国際賞授賞式、
国際生物学賞授賞式などといった式典へのご出席、国内各地への行幸、海外へのご訪問など、
まさに超人的なハードスケジュールを、日々おこなしになられています。

またそのお忙しい中でも宮中の賢所では
毎朝私たち国民の幸せと世界平和を祈られているのが我が国の天皇なのです。

そんな日本に生まれた私たちは幸せものですね。

http://ameblo.jp/yumeforum5107/entry-12121616265.html

・・・

<関連Web>

(1)“本流宣言”掲示板・「皇紀2672年 (6717)」
    → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1567  → 消滅

(2)光明掲示板・第一「皇紀2673年 (6361)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1198

(3)光明掲示板・第二「皇紀2674年 (5420)」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1113

(4)光明掲示板・伝統・第一「皇紀2675年」
    → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=83

(5)伝統板・第二「皇紀2676年」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6757091

(6)伝統板・第二「神武天皇」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6456469

(7)伝統板・第二「神武天皇(2)」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6765219


            <感謝合掌 平成29年2月10日 頓首再拝>

日本の建国・肇国 - 伝統

2017/02/11 (Sat) 04:45:46

          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月11日)」より抜粋

今日(2月11日)は神武天皇が大和(やまと)に遷都せられた記念すべき慶ばしい日である。
”みすまる”の魂が高千穂の高御座(たかみくら)に天降りして弥数多(いやあまた)の国を
大和(だいわ)する八紘一宇(Universal brotherhood)の精神が形にまで顕れて、
大和国(やまとのくに)に都(みやこ)することになったのである。

それはおよそ二千六百年前であるという。

日本の国は領土という土塊の容積ではないのである。
「大和(だいわ)」の理念そのものが日本国で、
それが地上に天降って形を整えたときが日本の建国である。

しかし日本の肇国(ちょうこく)はなおそれ以前に遡る。
畏くも明治天皇が教育勅語に「国ヲ肇ムルコト宏遠ナリ」と仰せ給いしことに鑑み奉るも、
わが日本の肇国は数をもって言い現わすことのできない悠久久遠の太初(たいしょ)に
遡ることが明らかである。

神武天皇なお高千穂にましませしとき「天祖の降跡(あまくだり)ましてより以遠(このかた)、
今に一百七十九万二千四百七十余歳」と『日本書紀』に明記してあるから、彦火瓊々杵尊(ひこ
ほのににぎのみこと)より神武天皇に到るまですでにこれだけの皇紀を経ているのである。

これは神話であるから「大和理念」の地上顕現が悠久であることの象徴と見るべきである。

日本の建国の歴史をわざと長くないように考証して喜んでいる人もあるが、
それは結局自己侮辱であり、自己破壊本能の展開に過ぎない。

人間には「生」の本能と「死」(自己破壊)の本能があって、「生」の本能が旺(さか)んなる
ものが栄え、「死」の本能が」「生」の本能に打ち勝つとき衰えかつ滅びるのである。
自己を矮小に言うことに誇りを感ずるような悪い趣味は止めた方がよい。

そのころ塩土老翁(しおつつのおじ)なる老翁(おきな)来たりて神武天皇に「東(ひんがし)
に美地(うましくに)有り」と御奏上申し上げたということが同じく『日本書紀』に書かれて
いる。東方より「大和(だいわ)」の理念が生まれて来るという象徴物語である。

・・・

<参考Web>

(1)光明掲示板・第一『天皇信仰と日本國體』 第四章 日本の心と日本的思惟 (2200)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=459

(2)光明掲示板・第一『天皇信仰と日本國體』 第五章 祖国を生くるものの為に (2772)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=564

(3)光明掲示板・第一『日本國の使命』 16年10月の法語 (1596)
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=346

(4)伝統板・第二「日本民族の精神・日本国の使命」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6572898

(5)伝統板・第二「日本の使命」
   → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7021798 

            <感謝合掌 平成29年2月11日 頓首再拝>

日本建国の理想 - 伝統

2017/02/12 (Sun) 04:52:11


          *『生長の家の全貌』(16頁 ~ 19頁)より

日本國體を護持し、日本国民の自尊心を護持し、大和の理念を展開する精神的基礎
 ― 日本建国の理想


神武天皇建国の歴史物語は、戦後の日本の各学校の教科書では、
それが神話であって、歴史的事実ではないと否定せられて来ましたけれども、
これは日本建国の理想を抹殺するものでありまして、誠に由々しき大事なのであります。

神武天皇が歴史的事実上、地上に存在したか存在しなかったと云うことは、
実証的な歴史家の研究に任せておいて好いのでありまけれども、

それよりも尚重大なことは、何故、日本民族が、そのような日本建国の歴史 
〈それが神話であるにせよ〉 創作したかと云うことであります。

凡そ創作と云うものはその作者の性格、理想、人間観、人生観、世界観等とが
その作中の人物にあらわされているものであります。 

そうすれば、その神話には、神武建国の歴史物語を創作した作者 
〈それは個人ではなく、日本民族であります〉 の性格、理想、人間観、人生観、世界観等
があらわれているのであります。

 第一その天皇の御名を 「神武」 と呼び奉ったところに、
日本の「武」は、決して私利私欲のために動かされない、
神威発揚の稜威顕現のためにのみ動かすものであると云う理想が
既に其処にあらわされているのであります。

神武天皇、即位建都の大詔には次の如く書かれているのであります。

  ・・・ 夫れ大人の制を立つる、義必ず時に随ふ。 
苟も民に利有らば、何ぞ聖の造に妨はむ。 
且当に山林を披き払ひ、宮室を経営りて、恭みて宝位に臨み、以て元元を鎮むべし。 

上は則ち乾霊の国を授けたまひし徳に答へ、下は則ち皇孫正を養ひたまふ心を弘めん。 
然して後に六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩ひて宇を為むこと。 亦可からずや。 
夫の畝傍山の東南、橿原の地を観れば、蓋し国の墺区か、治るべし。』
 

これを略解して見ますと、

『思うに大人が制度を立てるにあたっては、必ずその時勢に順応した良い制度を
立てなければならぬ。 苟も人民の利益になる事であったならば、
たとい聖人の制定したものであっても、その制度を変更するに何の妨げがあろうや。 
〈註:ここに日本天皇の民主主義的性格があらわれているのであります。〉 

朕は、いま山林をひらき伐採して宮殿を築造経営し、恭しい心持で天皇の位に即き、
人民の安寧と幸福とをはかるであろう。 

そして上は、神が国を授けたもうた其の御神徳に答え奉り、
下は皇孫以下が正しい心を養成するよがとし、そして天下を治める為の都をひらき、

その徳をひろめて、世界の八方の荒れたる隅々までも一つの家庭として
人類は皆兄弟として互いに手をつなぐべき目的を実現するために、
畝傍山の東南、橿原の地に都をつくるであろう。』

この詔勅には何処にも侵略的な精神は見られないのであります。

世界を一家族として、人類を兄弟とする其の中心地として
畝傍山の東南の橿原の地に都をつくろうと仰せられたのでありまして、

まだ此の詔には「大和国(やまとのくに)」と云う国号はあらわれておりませんが、
此の橿原の地を中心に「大和国(やまとのくに)」と称せられることになったのでありまして、

「大和(だいわ)」の国号そのものにも全世界の人類が一つの家族として和合する
と云う建国の理想があらわれているのであります。 

〈私の記憶によりますと、文書として日本の国号がヤマトと称せられている最初は
日本書紀の神功皇后の件であります。〉

兎も角、斯うして、日本の歴史は形の世界の歴史に神武天皇があろうがなかろうが、
日本民族の魂の歴史に於いては、その建国の精神の擬人化として神武天皇が
ましますのであります。

神武天皇と大和(やまと)の理想は日本民族の魂の中に
儼然として存在するところの理念でありまして、

形の世界はその理念の具象化として、徐々に展開して行くものでありまして、
途中に色々の消長や停頓がありましても、この「神武」の理念と「大和(だいわ)」の理念
とを骨子として、それに具体的歴史が肉付けられて行くのでありますから、

神武建国の事実は歴史中の歴史なる一大事因縁の「因」をなすものとして、
日本の歴史より決して抹殺し去るべきものではないのであります。

生長の家は斯う云う説き方によって、日本の國體を護持し、日本国民の自尊心を護持し、
現代の日本が「大和(だいわ)」の理念の展開として国際的に世界各国と手をつないでゆく
精神的基礎を与えるのに努力しているのでありまして、

そのことは、戦後私の書いた 『新生の書』 及び 『限りなく日本を愛す』 の本を
読んで頂ければ詳しくわかるのであり、ここにはその一端を書いたに過ぎないのであります。

これらの事は、すべて理念の世界は現象世界に先立つのであり、
現象世界は理念の世界を模倣して展開すると云う、根本教義から来ているのであって、
取って付けたように、愛国精神に迎合したものではないところに注目せられたいのであります。

  (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/ab182326f4f21c5b181df984f908b9de より転写)

            <感謝合掌 平成29年2月12日 頓首再拝>

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