伝統板・第二

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「般若心経・講義」~立花大敬さんの講義 - 夕刻版

2017/01/18 (Wed) 18:05:29

谷口雅春先生による『般若心経』講義は、別のスレッドにて紹介しております。
( → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6995626 )


このスレッドでは、別の角度から解説した、
立花大敬さんによる般若心経・講義を紹介してまいります。

(立花大敬さんは、北九州を拠点として、「禅の会」を主催しており、
 元は、学校の教師を兼ねておりました。)


般若心経・講義~その1

【般若心経講座 ―心による想いの実現法―】

般若心経は、「目標達成のお経」です。

インドから般若心経を持ってきた玄奘三蔵(げんじょう さんぞう、三蔵法師)は
長き旅の間、大変な苦労をされたが、苦難に直面すると般若心経を唱えることで乗り越え、
目標を達成することができたといわれています。
 

<塙保己一>
 
江戸時代に、塙保己一(はにわ ほきいち)という人物がいました。
 
9歳で盲目となり、江戸に出てきたが己の境遇、人生に絶望し
16歳で自殺するも助けられ生き残りました。
 
「学問したい」という希望を持ち続けている保己一は按摩(あんま)を習い、始めます。
しかし、お代はお金ではなく、本を読んでもらうとしました。
そして、抜群の記憶力でその内容を覚え、学んでいったのです。

その噂を聞いた旗本の松平氏が感心し、保己一を呼んで
一日おきに朝4時から8時まで勉強させてあげることを約束しました。

「源氏物語」を聞かせてもったことに感動し、
保己一は34歳で文献をまとめる作業を手がけることを決意します。

この時、目標を達成させるために、保己一がやったことは、般若心経を読むことでした。
1000日間、毎日100巻唱えることを神に約束しました。
計10万巻唱えることを誓ったのです。

 
41歳で刊行始めます。
弟子も増え、作業は順調に進みました。

しかし、保己一、47歳の時に火事に遭い、それまでの全てが燃えてしまいます。

これには弟子達も深く落胆し、師である保己一に涙ながらに
「先生、これでもうすべて終わりです」と訴えます。

しかし、この時、保己一は、

「お前らには手も足も頭もある。それに俺にはない目もあるじゃないか。やり直しや」
と笑顔で述べ、再建を目指します。

そして、74歳で記録や手紙にいたるあらゆる資料をまとめ編纂した
「群書類従」をとうとう仕上げることができたのです。

 
その後も生涯に渡って保己一は、般若心経を1日100回唱えたそうです。

保己一にまつわる有名な話は他にもあります。

ヘレン・ケラーが保己一の伝記を読んで大いに励まされ、発奮したのです。
 
ケラーは、初来日した際、渋谷の保己一縁の地をまず訪れ、
保己一の銅像をさわり、机にふれて

 「自分が今あるのは、この人の御蔭です」と言ったそうです。

                ・・・
 
<鍵田忠三郎>

鍵田忠三郎(かぎたちゅうざぶろう)は、奈良市長も務めた政治家ですが、
38歳の時、結核になりました。 
当時、結核は不治の病で、医者から「残り2年の寿命」と診断されます。

鍵田は、弱ったからだで四国のお遍路に行くことを決めます。
1番札所から歩みます。進んでも、進んでも死にません。
でも、28番札所までたどり着いた時、倒れてしまいました。

病状は悪化し、病床で一度息を引き取ります。
しかし、間もなく再び息を吹き返しました。
 
この時のことを鍵田は「大きな命を知る」と述べていますが、
臨死体験を経て再び生を得たのです。
 
起き上がり、検査した時には結核はすっかり無くなっていたのです。
 
「おまけの人生」と生き返ったと鍵田は述べ、生きている間に
般若心経を100万巻あげるとの約束を神と交わします。
 
保己一にして10万巻なのに、これの10倍です。
 
この約束によって鍵田は簡単には死なないという運命を得ました。
 
神様との約束だから、果たすまで長生きすることになるからです。

神様との約束にはこうした工夫も実は必要なのです(笑)



「シェルドレイクの仮説」というものがあります。
 
これは「直接的な接触が無くても、ある人や物に起きたことが他の人や物に伝播する」
という学説で、「経験の場」ができると、次に他の人の経験がたやすくなる
ということを説いています。

 
そうした意味で、般若心経は、先人が般若心経による
目標達成の“経験の場”を開いてくれているといえます。

般若心経は読むだけでそうした成功体験につながるのです。

            <感謝合掌 平成29年1月18日 頓首再拝>

般若心経・講義~その2 - 伝統

2017/01/20 (Fri) 18:56:59


【経題の章 ~ 般若心経は“心のお経”】

心の性質を

「摩訶(まか)」
「般若(はんにゃ)」
「波羅蜜多(はらみった)」

の3つあげています。

(1)「摩訶」は、大きい、という意味です。心の大きさを表しています。

   心というと、“ハート”と言って心臓ぐらいの大きさを連想するかもしれませんが、
   心は身体より大きく、そこには山や月、太陽も入るぐらい大きいのです。

 
(2)「般若」は知恵のことです。

   “心さん”は頭がいい。
   すべてを知っています。

   外出した帰り、電車の中で雨が降り始めました。
   リックサックの中には大事な本が入っています。
 
   濡らしたくないので、
   「雨が降ったけど濡れないでよかった」と奥さんに言っている自分をイメージします。
 
   駅に着くと小雨になっていました。
   効果はあったけど、「僕の力はこの程度かな」と思う。

   そう思いながら空を眺めていると、車がすっと横にくる。
   窓が開いて、「どこまで行かれるのですか?」「それなら、よかったら乗りませんか」
   と声をかけられる。
 
   本は無事濡れませんでした。
 
   “心さん”がすべて知っているので、“心さん”に任せておいたらいいのです。
   自分の力ではなく、心に任せる。
 
   しかし、任せられない人が多いようです。
   私のような“弱虫”ほど任せられるようです。


   頼み方も大事です。
   「雨をやみなさい」というような
   自然現象を変えようとするお願い事はよくないようです。


(3)「波羅」はゴール(目標)のことです。

   「蜜多」は行った(行ってしまった)。

   “心さん”はイメージを自動的に形にしてしまうという力を持っているのです。
   私はこれを「お自動さん性」と呼んでいます(笑)

   自動的にゴールに行ってしまうのです。
 
 
   「あくび」をします。
   実は少し前に自分の前にいる人があくびをしていた。
   周りの行動が自分に影響してくるのです。

   「病気、治れ」とイメージすると病気になります。
   「治れ」という否定語のイメージはなかなか難しいようです。
 
   ですから、
   「健康になれ、健康になれ」とイメージすることが大切です。

   「広い心」は思いを実現します。
   「のびのびした心」「弾力のある心」「温かい心」「明るく潤いのある心」が
   心のエネルギーを高めます。

   願い事の「目標」をまず集中してつくります。
   きちんと確立すると、寝ていても目標は心の中で生きています。
 
   「お任せ」しておくと、“心さん”は目標に向かって飛んでいきます。
 
   そのためには「仕事など日常生活をしっかりする」ということが大切。
   目の前のことを大切にしないと、
   “心さん”が目標に飛んでいけないようです。

            <感謝合掌 平成29年1月20日 頓首再拝>

般若心経・講義~その3 - 伝統

2017/01/24 (Tue) 18:33:27


【概説の章~この世の仕組み】

(1)五蘊皆空(ごうんかいくう)

   五蘊とは「色」「受」「想」「行」「識」のこと。

   命は「永遠の光」です。
   昔からずっとそうでした。
 
   でも、それだけではおもしろくないので神様は“心さん”をつくりました。

   光が“心さん”に降り注ぎ、当たって通り抜けると、そこには世界ができます。
   この世界のことを「色」と言います。

   その「色」を見て、「受」けとり、「想」い、
   心に描きこむことを「行」と言います。
   “心さん”がドラマつくることが「識」。
 
   この「色」→「識」までを「刹那」と言います。
   一巡、一巡でこの世はプツッ、プツッと切れているのです。

   「心に書き込むと、そこに命の本質である光が当たり、
   「世界(人生のドラマ)」が現れる」

   この仕組みを先人は発見した。これが「五蘊」です。

 
   「悪循環」はよく知っている方が多いと思うので、「善循環」の例をあげますと、
   この人イヤだなと思う人のことを、ひとつでも良い点を探すように心がけて
   「ちょっといい人」にすると、

   それが心に書き込まれ、ドラマ(目の前の世界)でも「ちょっといい人」になる。

   また、良いところを探して、「結構、いい人」と書き込むと
   「結構、いい人」としてドラマに現れる。
 
   この世はそういう仕組みになっているのですよ、と教えてくれているわけです。

   “心さん”は、ドラマが大好きです。
   書いたことをすぐにドラマにします。
 
   「想」まではカット(除去)可能ですが、
   一度“心さん”に書いたものはカットできません。


(2)観自在菩薩

   「観自在菩薩」という神様はこのことを発見して、
   この世の問題を解決された方です。
 
   観自在菩薩とは、観ることが自在であり、
   どんなことでも観ることができるということ。
   観ることで世界を作り直せる、世界を自由につくれる方です。

  ①観方を味方にする
 
  ②「心」が先で「形」は後

   心に映ったことは世界として現れます。
   問題だなと思うことは、心に映る前に消すということです。

   ある方が、結核にかかり、その直後、「心を変える」この仕組みに気づき、
   最初は無理しながらでも笑うことを練習すると結核がすっかり治った
   という話もあります。

   人は一人ひとりが、本質は光です。
   「永遠の光」が自分なのです。
   「永遠の光」のイメージを心に映せるようになると、
   長生きできるし、豊かに生きられるようになります。

 
(3)根本は「我は光なり」です。

   禅宗はこの光を目指す宗派でもあります。

   この“心さん”の仕組み、
   「我は光なり」を自分のものにしていくと
   気をつけなくてはいけないことが出てきます。

   「スムージング現象」が起こるのです。
   良いことも悪いこともパッ、パッ、パッとすぐに結果として現れるようになります。

 
   生活の中で、お薦めするのは、「日拝」です。
   「日拝」がいい。
 
   日の出を礼拝する。朝日を心に刻み込む。
   最低100回やると変わってきます。
 
   般若心経もいらないほどです。

            <感謝合掌 平成29年1月24日 頓首再拝>

般若心経・講義~その4 - 伝統

2017/01/28 (Sat) 18:29:53


【菩薩の章~普賢菩薩の心の法】

空海さんは、般若心経を唱えると、文章につられて「菩薩(ぼさつ)」が次々と現れる、
そして、あなたの想いの実現のために協力してくださるようになると説いています。

菩薩の出現の順番は

①普賢(ふげん)菩薩、
②文殊(もんじゅ)菩薩、
③弥勒(みろく)菩薩、
④観音菩薩です。


「色即是空 空即是色」

普賢菩薩は、白い象に乗っています。
目標を立てて、それを願いとして、行(実践)をする時に、
その人を守り、指導してくれるのが普賢菩薩です。

般若心経の「色不異空(しきふいくう)~亦復如是(やくぶにょぜ)」というところを読むと、
普賢菩薩が現れると空海さんはおっしゃっています。

「色即是空(しくそくぜくう)」とは、映像はなくすべてスクリーンは真っ白ということ。
「空即是色(くうそくぜしき)」は、真っ白なスクリーンなのでどんなことでも描ける。
どんな映像も自由なんですよ、ということです。

“心さん”に「イライラ」「不幸」「ぷんぷん」と書いている上に「幸せ」と書いても、
「幸せ」は実現しません。

「幸せ」と書く前に、その前に書き込まれている悪い文字を消さなくてはいけないですね。

しかし、どうやって消すのか。消せないからみんな困るのです。

普賢さんはその消す方法を、「行ですよ」と言っています。

消す方法のひとつは、般若心経唱えることです。
肉体にエネルギー持っていくと心にエネルギーが行かなくなります。
ですから、読むとすっきりします。

 
もうひとつ「足運び法」があります。
このことも昔の人はよく知っていました。
 
目標が決まったら神社でもお寺でも教会でも自分の足で歩いて行ってみる。
「御百度参り」がありますが、目標のため100回お参りしてみてください。
続けてやらなくてもいいのです。

足を運び、100拝してみる。
すると、心がすっきりする。
目標がはっきりするのです。

 
この他に、「善行回向法」もいいですね。
これは、良いことをすることで心を広くする方法です。

「エネルギー増える」ことが功徳が積まれることです。
「徳」とは、人生において使用可能な心のエネルギーのことなのです。
 
禅では「功徳」を大事にしています。
エネルギーないというのは功徳がないということです。
人が誰もついてこないのは功徳がないためです。

 
スポーツすることもいいです。
「スポーツ法」ですね。
 
スポーツをして、その後、天に向かって「幸せになるぞー!」と叫ぶ。
すっきりした心で実現を願うので、叶います。

以上のようなことが、普賢菩薩の方法としてあります。

            <感謝合掌 平成29年1月28日 頓首再拝>

般若心経・講義~その5 - 伝統

2017/01/31 (Tue) 19:10:31


文殊菩薩の心の法

次は「文殊(もんじゅ)菩薩」です。

般若心経の本文では「是諸法空相(ぜしょほうくうそう)~不増不滅」までが
文殊さんの出番です。

文殊菩薩は、ライオンに乗っています。
姿は子供で、身体は黒く、手には剣(つるぎ)をもっています。


「不生不滅 不垢不浄 不増不滅」
スクリーンの上で生き、そして滅びる。
人は無意識に自分自身を制限しています。
 
人は時間の中で物事をとらえます。
そこには経歴のブロックがあったりします。

 
禅の神様である仰山(きょうざん)禅師は、ある日、夢を見たとおっしゃいました。
その夢には、お釈迦様と文殊菩薩が会合しており、その隣の3番目の席が空いていました。
 
禅師は、その席にすっと座ったところ、
「今日は3番目に座った人が説法をする日です」と言われました。
仰山さんは「差別を絶しています」と言って説法を締めくくります。

この夢物語で仰山さんは私たちに何を伝えようとしているのでしょうか。
 
お釈迦様と文殊菩薩の隣の席ですから、普通なら気後れして逃げ出してします。
自分にはふさわしくないと自ら決めてしまい、自らを制限し、限定してしまいます。

でも、人生では、今のあなたにふさわしい「空席」は決してこないし、
今のあなたにふさわしい「仕事」も絶対やってきません。

仰山さんは答えは「席があったら坐りなさい」、
「仕事がきたらやりなさい」ということです。
 
グズグズ文句なしに、思い切って、サッと席に着き、サッと働き出せば、
必要な能力も、必要な智慧も、次々限りなくわきあがってくるものだと言っているのです。

金光教の教祖の湯川さんのお話で、
10年間病気だった人をお祈りして治してあげようとすると、
どれぐらいで治るのかと訊ねられた。

「1日で治します」と言うと、
「10年も病気だったのに1日で治るわけない」と言う。

「じゃあ、1週間で治しましょう」と言うと、
「10年、病気だったのに1週間ですか?」と今度は訊かれたという話があります。

世界は1刹那(せつな)で切れているのです。
 

「不垢不浄」は、けがれていない、きれいでないということです。
 
罪の意識で病気になり苦しむ人がいます。
「私はダメな人間だ」「私は汚(けが)れてしまった」
「過去にこんな罪を犯しているから取り返しがつかない」・・・
 
他人の評価に自分をゆだねているんです。

 
人は“光”そのものです。
“光”は汚れることができないし、傷つくこともできません。
そして、“光”は歩みを止めることもできません。

 
「不増不滅」は、増えたり減ったりしない、
この世はスクリーンに映ったドラマなのですよ、とうことです。
10円は描きやすいのに、100万円は描きづらいと自分が思っているだけなのです。
 
描く手間は一緒です。

自らが描き出した映像の世界に、のめりこみ、巻き込まれることによって、
人は思い通りの人生を送れなくなるのです。

スクリーン上で展開されている“増減ゲーム”から
ひとまず眼を放し、心の豊かさを持ちましょう。
 
心さえ、たっぷりうるおって、あったかくて、
光いっぱいの明るさをたもっていれば、豊かさのシンボルである
“お金”ぐらい、いくらでもやってきます。

 
文殊さんは「思いを断つことが大切」とおっしゃっています。
 
だから、剣を持っていて、その「光の剣」で絶つ。
 
文殊さんはウジウジをスパッと断っているのです。

            <感謝合掌 平成29年1月31日 頓首再拝>

般若心経・講義~その6 - 伝統

2017/04/19 (Wed) 19:46:40


次に、弥勒(みろく)菩薩です。
 
般若心経の「是故空中、無色無受・・・、無眼界乃至無意識界」の部分がそれで、
ここを読むと弥勒様が現れて、「そうだ、その通りだよ」と拍手して励ましてくださると、
空海さんは説いています。

弥勒さんは心と世界の関わりの様相を詳しく分析研究した「唯識学」をつくった方です。
本当にあるのは「思いの響き」だけということをおっしゃいました。
ですから、音に耳をすませています。

「種子(しゅうじ)」
「薫習(くんじゅう)」
という言葉があります。

「種子」はいつも震えています。
プラニド形といって振動で変化する紋様があります。
江本勝さんの言葉によって変化する水の結晶もこのためです。

種子の響きが姿を変えていきます。
 
人には「本音」というものがあります。

「私は幸せ、私は幸せ」と念じている人がなぜ不幸になるのか?
これは、そう言うたびに私は不幸、私は不幸と思っているからです。
今の不幸を意識しているから不幸になります。

そうした意味で「本音」に気をつけましょう。

「薫習」は、横にいるだけで自分にも薫りが移るということ。
共鳴現象もそうですが、これを使うと効果を見込めます。

たとえば、成功者の本を読んだり、講演を聞いたりすることもそうです。
「薫習の法」ともいいます。

私は東京好きです。東京には繁栄の気があります。
繁栄の気にふれるために訪れたりしています。

「随喜法」も良いですね。
成功した人がいたら「ふん、何さ」と言うと成功を否定したことになるので、
その人は成功しません。
人の成功を喜んであげることが、その波動を受け、自分の成功になるのです。

金光教の教祖さんは、「悪口を言う人がいたら、逃げろ」と言っていたそうです。
 
悪口の波動は強烈なのですね。

普賢さんは白像に乗り、文殊さんはライオンという乗物に乗っていましたが、
弥勒さんは乗物に乗っておられません。
これは、弥勒さんにはもう乗物は必要ない。

ただ、天命とひとつになっていれば、
おのずと想い通りになってゆくのだからと知る段階に達しておられるからです。

            <感謝合掌 平成29年4月19日 頓首再拝>

般若心経・講義~その7 - 伝統

2017/04/22 (Sat) 17:22:50


「ひとつ命」にすべてはつながる


いよいよこれで最後となります。
 
観音様です。
 
般若心経の「無智亦無得、以無所得故(むちやくむとく いむしょとくこう)」の
10文字のところを読むと観音様が現れて、
「よし、よし」と笑みをうかべてうなずいてくださると空海さんはおっしゃっています。

自分の知恵がない「無智」、
自分の能力がない「無得」、
自分のものとすることはない「無所得」。

宇宙には大きな響きが広がっているそうです。
そして、その響きに同調するメロディーを描くと願いごとはすぐに叶います。
 
逆にこれに反する思いの目標はなかなか叶わないし、叶わない方がいいのです。
 
歴史上、名を残していますが、多くの人々の犠牲のもとで地位を築いた
織田信長や豊臣秀吉の子孫は不幸でした。
願いが叶ったからいいというわけではないのです。

観音様は、音、響きを感じています。
その人の持っている個性でその音、響きに同調できるようにすることが大切です。
 
自分の能力ではない
自分の力ではない
自分の所有ではない
 
そんな同調の方法なのだと思います。

僕は42歳から思いのままの人生を送らせていただいております。
近頃はそんな思いのままもなくなって、
「思い及ばぬ人生」を感じられるようになってきた気がします。
 
宇宙全体の思いを感じます。

「思い及ばぬ人生」が観音様の生き方なのです。
今日、この場所にいらした方の中にはそんな世界を見通せる人が出てくるのかもしれません。
僕は30世紀に向けて自分ができることをしていこうと思っています。

観音様は、手に蓮(はす)の花をもっています。
なぜこの花をもっているのでしょうか。
 
蓮の花は別々に咲いているように見えますが、
水の中の泥の下では根はつながっています。
命はひとつなのです。そのシンボルが蓮の花です。

宇宙の響きもこの蓮の花と同じく、ひとつにまとまろうとしています。
その流れに合わない願いは、叶いません。
 
「ひとつ命」というゴールにすべてがつながっているのです。
それがわかってくると、ふっと思うことが叶うようになってきます。

野ギツネになったお坊さんの昔話があります。
お坊さんが五百回生まれ変わりをするのですが、
因果によってずっとキツネになっています。
 
そのことに悩み、苦しみ、さまざまなことを心みますが
人間ではなくいつもキツネとして生まれることになってしまいます。
 
そして、とうとう、ある時、
「自分はキツネでいいや(キツネとして生きていこう)」と思った瞬間、
キツネとして生きていくことが終わり、
人間として生まれ変わることになるというお話です。

 
【呪の章】
 
「呪」は口+祝という文字からできています。
宇宙全体にはある響きが響いています。
これに同調できるかが大切なのです。
 
では、この宇宙の響きとはどういう響きなのでしょうか。
それは、「祝福の響き」なんです。

般若心経の「大神呪(だいじんしゅ)」とは、
大いなる祝福のことです。
 
「大明呪(だいみょうしゅ)」は、
喜びと光明でいっぱいということです。
 
「無上呪(むじょうしゅ)」は、
高く澄みきった祝福、
 
「無等等呪(むとうどうしゅ)」は、すべての人に平等に与えられ、
包み込まれているということです。

同調すると自分がこの響きを響かせられるようになる。
これが「無等等呪」なのです。


【真言の章】
般若心経の終章はこうです。

「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆賀 般若心教」
 (ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい 
            ぼうじそわか はんにゃしんぎょう)

お釈迦様が悟られた時に叫ばれたのがこの言葉だったのです。

それぞれの意味は、
 
「羯諦(ぎゃてい)」は、着いた、
 
「波羅(はら)」は、目的地(ゴール)に、
 
「波羅僧(はらそう)」は、ゴールに皆一緒に着いた、
 
「菩提(ぼうじ)」は、ひとつ命の成就、
 
「娑婆賀(そわか)」は、めでたく、ありがたし、
 です。

これらの言葉は、「完了形」として表されています。

お釈迦様は悟りによって、人類の最後を確認されました。
 
それが「ひとつ命」を悟ることが目標ということでした。
「ひとつ命」になった、皆が同じ悟りとなったという目標です。

 
【成果の章】
 
「思いを実現するというのも、欲なのではないのか」と聞かれることがあります。
悟りを教えないということで失望される方もいます。
確かに悟ろうとすることも欲です。
 
しかし、「ひとつ命」だけを目標にしていたら、人は伸びないのです。
すべてを欲として認めた上で、仕事、配偶者、人、物事との関わりを、
一つひとつ自分なりにきとんとやっていくことが自分を伸びていくことになるのです。

欲を翼にして悟りをひらくということを、お釈迦様もおっしゃっています。
 
自分の目の前にこそ大切なことがあり、
きちんと向き合っていく心に「ひとつ命」というゴールがあるのです。

人  人  人  人  人  人  人  人  人  人  人  人  人  人  人  人  人  

これで立花大敬先生の「般若心経講座」は終了です。

以上は、Web「ツキを呼ぶ感謝のことのはブログ」からの転載です。
  (http://kansya385.blogspot.jp/2008/08/blog-post_12.html

            <感謝合掌 平成29年4月22日 頓首再拝>

逆読み般若心経~その1 - 伝統

2017/06/29 (Thu) 18:51:45



         *「2万人の人生を変えた23通の手紙」
            立花大敬・著(P198~212)より

《心のゴムひも法》

「祝う」の語源は「結(ゆ)わう」からきているのだそうです。

「結婚されたお二人がしあわせでありますように」
「この子が順調に育ち、立派な人になりますように」
「私はこの男性とむすばれますように」

などというように、相手の人やペアやグループが将来こうであってほしいという
未来の目標(ゴール)を設定して、まず自分の「心」をその未来の一点にしっかり
結(ゆ)わいつけます。

それから未来の一点にしっかり結びつけた「心」をゴムひものように伸ばして
「贈り物」にくくりつけて、この贈り物を相手の人に届けるのです。

そうすると、その「贈り物」を受けとった人に
その「心のゴムひも」が結(ゆ)わいつけられます。

このようにして、その人はあなたが設定した未来のゴール地点と
「心のゴムひも」を介して結ばれることになります。

そうしますと、それ以降、その「心のゴムひも」の弾力がその人に作用し始めて、
未来のゴール地点に向かって引かれていき、ついに到達することになるのです。

ですから、「祝いごと」とは
「(未来の目標地点と対象の人を結びつける)結(ゆ)わえごと(作業)」なのです。

それが本来の「お祝い(お結わえ)」で、たんなる儀礼ごとではなく、
呪術的行為であったことがわかりますね。

ですから、お祝いごとの贈り物には「水引」という紙縒(こよ)りを
糊(のり)でくっつけて結び目をつくった紐を添えますね。
「お祝い」が「お結わえ」という神事であることがよくわかります。

おそらく「水引」は
「実(み)出ず(現実として現れる)引き(目標地点に引き寄せる)」
からきた言葉なのでしょうね。

よく若い女性がミサンガというのでしかっけ、手首につける組みひもを
編んで好きな男性に送ったり、毛糸でマフラーを編んで贈ったりしますね。

これは結び目を繰り返し編むことによって、その男性と自分とがしっかり
結ばれるように「念」を込めているわけですね。結んでつくった結び目に
よって男性が離れていかないようにしているわけですね。

つまり本能的な「お結わえ」の神事(呪術)ですね。

さて、なぜこうした話をしたのかと言いますと
『般若心経』には、4つの「呪」が出てくるからです。

このお経での「呪」は「お祝いの呪」でした。
そして上の例からおわかりのように、「お祝い」は「お結わえ」なのです。

私たち一人ひとりに祝福の「心のゴムひも」が結わえつけられています。
そしてその「心のゴムひも」によって私たちは全員、別々の方向から、
別々の道をたどりながらも未来の同一ゴール地点に引き寄せられていきつつあります。

では、私たちに「心のゴムひも」を結わえつけたのは誰なんでしょうか。
誰の「心のゴムひも」が引き伸ばされて私たちに届いているのでしょうか。

それはもちろんお釈迦様ですね。

お釈迦様が、私たちが最終的に到達する本来のゴール地点をご自身の「心」に
確認してしっかり結わえつけて、そのゴール地点から無数の「心のゴムひも」を
引き伸ばして祝福の念のプレゼントとともに、私たち全員(人だけでなく、
動植物も、山や川や海も)に結わえつけたのです。

その「祝福のとき」から私たちはお釈迦様の「祝福の心のゴムひも」に引かれて、
少しずつゴールに向かって歩み始めて、今、そのゴールへの途上にいます。

そして間違いなく、ついにお釈迦様が設定したゴール地点に
ひとり残らずゴールインすることになるのです。

            <感謝合掌 平成29年6月29日 頓首再拝>

逆読み般若心経~その2 - 伝統

2017/07/01 (Sat) 18:22:01


《『般若心経』が示す「4つの特徴」》

お釈迦様が私たちに結んだその「心のゴムひも」には
4つの特徴があると『般若心経』では示されています。
それえは「4つの呪」ですね。

ひとつ目は「大神呪(だいじんじゅ)」です。
これは、お釈迦様が私たち一人ひとりをゴール地点で結んだ
「心のゴムひも」には大変なパワーと偉大な能力がある、ということです。

あなたにはとても登れそうもない厳しい(人生の)断崖絶壁であっても、
その「大神呪(だいじんじゅ)」の「心のゴひも」の強力な弾性力に
助けられて一気に登り切ることができます。

深い谷だって、幅広い激流の大河だって、お釈迦様の「心のゴひも」の
高性能弾力でジャンプして飛び越えることができるのです。

またこの「大神呪(だいじんじゅ)」が人(神)格の形をとってあなたを
適切な方向に導いたりもします、現実の人を介して語る場合もありますし、
あるいは神霊の出現という形で導くこともあります。


2つ目は「大明呪(だいみょうじゅ)」です。

これは、お釈迦様が私たち一人ひとりをゴール地点と結んだ「心のゴムひも」には
大変な智慧や洞察力がある、ということです。

お釈迦様があなたに結ばれた「心のゴムひも」は、
そのゴール地点まで一直線の道を歩ませようと、なにがなんでも
ズルズル引っ張っていくというわけではありません。

あなたをどのように導いていけば、あなたが今のあなたにふさわしい
順調な成長ができるのか、しっかり明るい智慧と洞察力で見通して、
場合によってはゴール地点とは逆の方向に歩ませたりするのです。

そんな逆行状態をあなたは逆境だと思ったりするかもしれませんが、
そんな場合でも、今はこんな状態にいるけれども、ついに「しあわせの国」に
到達できることは決まっているのだ、お釈迦様がそう仕組んだのだ、
という信念を揺るがしてはいけません。

私たちは「正定聚(しょうじょうじゅ)」なのです。
これは浄土真宗の言葉で、いつの日か必ず仏(ひとついのち)になるという
ゴールに到達できると決まっている人たちのグループをそのように呼びます。
「(仏になることが)正しく定まっているフループの人たち(聚)」です。


3つ目は「無上呪(むじょうじゅ)です。

これは、お釈迦様が私たち一人ひとりゴール地点と結んだ「心のゴムひも」の
弾性力はついにゴールインする日まで決して作用をやめることがない、
ということです。私たちは決して見捨てられることはないのです。

私たちの側から見ると、それは「無限向上心」のことです。

私たちを支配している「根源意志」がこれで、「いのち(意<い>の霊<ち>)」は
決して中途で自己満足することはない、これでいいと妥協することはない、
ゴールするまで決して歩みを止めないものなのです。


4つ目は「無等等呪(むとうとうじゅ)」です。

これはお釈迦様が私たち一人ひとりをゴール地点と結んだ「心のゴムひも」の
弾性力はすべての人をついに同一地点に誘導するのだ、ということです。

このことについては「等(とう)<等しい>」なのであるけれど、それぞれの
人が弾性力に引かれて歩む道は千差万別で、それぞれの人が歩む道はその人だけが
歩める独自の道なのです。その意味で「無等(むとう)<等しくない)」なのです。

以上のように、私たちはこのようにお釈迦様が私たちにくくりつけられた
「心のゴムひも」の弾性力に導かれて歩みを続けています。

            <感謝合掌 平成29年7月1日 頓首再拝>

逆読み般若心経~その3 - 伝統

2017/07/04 (Tue) 19:31:14


《お釈迦様が設定した「心のゴール地点」》

では、お釈迦様が目標設定して、みずからの「心」をくくりつけた
ゴール地点はどんなところなのでしょうか。

このゴール地点の様子も『般若心経』にははっきり示されています。
それが『般若心経』の末尾の「真言(しんごん)」です。

この真言、つまり「ギャーテー ギャーテー ハーラーギャーテー 
ハラソーギャーテー ボージーソワカ」(インドサンスクリッド語の文章)は、
翻訳すると次のようになるのでしょうね。


  着いた
  着いた
  ゴールに着いた

  みんなで一緒にゴールに到達できた
  ああ、その素晴らしい達成よ
  めでたし、めでたし


これは、お釈迦様が菩提樹のもとで悟りを開かれたときに人類の魂の
進化の最終到達点の「荘厳なビジョン」をごらんになり、感激のあまり
叫ばれた言葉なのだそうです。

そんな神聖なお言葉だから、中国語に翻訳しないで、お釈迦様が叫ばれた言葉を
その響きのまま音写して掲載したということなのでしょうね。

また、ほかのお経ではそのときのお釈迦様の言葉を、
解釈を含めて次のように翻訳しています。

「奇なるかな、奇なるかな、我(われ)と大地有情(だいちうじょう)と同時成道、
山川草木悉皆成仏」


現代語訳しますと次のように翻訳できます。

  不思議だ
  不思議だ
  
  私と大地(地球)上の生ある者たちことごとくが
  同時にゴールイン(成道)した

  山も川も草も木も
  ことごとく仏となった


『般若心経』の伝えとほかのお経の伝承は大筋において違っていない
ということがわかりますね。


さて、これらのお釈迦様がお悟りになったときの言葉から
次のようなことがわかりますね。

①人類の進化の最終段階では、すべての生ある者たち(人だけではない)が
 「ひとついのち」に復帰融合して「ひとつ」「ひとり」になるということ。

②その「ひとつ」「ひとり」のなかには、私たちが無生物と思っている
 地球上の大地や山や川や海や水や環境気象なども含まれること。

③『般若心経』には、「みんなで一緒に」とあり、
 他経には「ことごとく同時にゴールイン」とある。
 ひとりでも、ひとつでも取り残されているものがあればゴールインできない。
 すべての人がそろったとき、みんな同時に仏となる。


お釈迦様がお悟りになったとき、ごらんになった人類の魂の進化到達地点の
「ビジョン」はこのようなもので、この「荘厳なビジョン」をごらんになった
瞬間、そのビジョンはお釈迦様の「心」の中央にしっかり打ち立てられました
(創造の原点「おのごろ島」)。

そして、その「祝福のとき」からすべての地球上のいのちたち(山や川も含む)は
そのゴールに向かって歩み始め、今もなお歩み続けているのです。

このお釈迦様がごらんになった「ビジョン」は、私の「金平糖大作戦」という
人類の魂の進化ビジョンによく似ているということはおわかりですね。

            <感謝合掌 平成29年7月4日 頓首再拝>

逆読み般若心経~その4 - 伝統

2017/07/07 (Fri) 20:32:09


《「進化のスタート地点」はどこにあるのか》

最終ゴールの光景は同じですが、お釈迦様の進化モデルでは
スタートした地点の様子が描かれていません。

「個々のいのち」が「全体のいのち」に復帰する道程は示されていますが、
「全体のいのち」が「個々のいのち」に分離する道程は示されていません。
また、なぜ「個々のいのち」に分かれることが必要であったのかも示されていません。

この「全体のいのち」から「個々のいのち」への分離の過程は、
じつは旧約聖書には「アダムとイブの神話」として描かれています。

しかし、旧約聖書ではこの「全体」から「個々」への過程をいのちの堕落、
誤りの過程と解釈していて、これはこの神話が本来言わんとしていたことと
違うのです。

大敬さんの「金平糖大作戦」の進化モデルではその解釈の誤りを正して、
アダムとイブはエデンの園から追放されたのではなく、

「全体」が「個々」に分裂することは「人類の魂(全体のいのち)」が
いっそう進化するためにはどうしても必要であったこと、そしてこの
アダムとイブのエデンの園からの旅立ちは「追放」ではなく
「祝福の門出」であったのだと示しています。

つまり、大敬さんの「金平糖大作戦」の進化モデルは、
仏教の進化モデル(最終ゴールを示す)と旧約聖書の進化モデル(出発点を示す)
を一体化して、この二大宗教が時代とともに方向を誤って

人類の歩みの歴史を「堕落」の過程であり、「終末」へのたどり道であると
解釈をねじまげてしまったのを(そのほうが権威を保つために都合がよかった
のでしょう)、

いやいや、それは人類の魂の必然的な進化過程であったのですよと、
本来そうであったという解釈に引き戻したものなのです。


さて、人類の魂の最終進化地点での光景が明らかとなり、
誰ひとりとして見捨てられず、すべての人(モノも)がゴールインできる
とわかれば(そう確信できたり、そう信じられるようになったりすれば)、
もう焦る必要はなくなりますね。

私もそうなれたので、自分の努力の必要がなくなってしまいました。
自分の人生の目標を設定して、それに向かって努力する
という必要がなくなってしまったのです。

なぜなら、目標はお釈迦様が設定してくださっているし、
お釈迦様の強力無比の「心のゴムひも」で導いてくださっているわけですから、
そのパワーと能力と智慧を信頼して身を任せて運んでもらっていればいいわけです。

これが「自分の頭の判断でない。自分のモノでない。自分の持ち物にしない」
という「観音法」なのです。

『般若心経』を後ろから逆にたどってきましたが、
ついに「観音ステージ」に登壇することができたのです。

            <感謝合掌 平成29年7月7日 頓首再拝>

逆読み般若心経~その5 - 伝統

2017/07/08 (Sat) 19:25:51


《たとえ誤っても、必ず正しい道に戻れる》

もちろん、お釈迦様の「心のゴムひも」の導きに身を任せて運ばれていくというのは、
自分の能力が必要なわけではないけれど、結構難しいことなのです。

どうしても自分の力に頼ろうと力んでしまったりするからです。

そういう身を任せる訓練を重ねているうちに「力を脱いて行動するコツ」が
わかるようになり、人が「心のゴムひも」の導きの通りに焦らず、力まず、
うぬぼれずに、その人本来の道を歩んでいけているかを判断でき、
勘どころで指導してあげることができるようになってきます。


もちろん、そんな道を誤っている人も最後は本来の道に戻ってゴールインできると
わかっていますから、焦らずに、気長に、そしてココソ! というポイントを
逃さずに指導してあげられるようになってくるのです。

これが逆読み般若心経で到達する「弥勒ステージ」です。
ここからは社会に復帰して、人とともに手と手を取り合って歩むことになります。

そして「弥勒ステージ」での学びが成熟してくると、この縁ある人たちとの
かかわりは来世にも続くことになるのだ、ついにゴールインするまで
一緒に歩むことになるのだ、と見通せるようになります。

そこまで来ると、自分にできるはずがないと思い込んでいたことどもが
簡単にできるようになってきます。

これはもちろん自分の能力でできるものではなく、お釈迦様の「心のゴムひも」に
素直に引かれていくので、自分を超えた能力が発揮できるようになるのです。
これが自己制約の束縛を突破していく「文殊ステージ」です。


人とのかかわりを学ぶことになる「弥勒ステージ」以降は、
そのかかわりを通して自己制約の束縛をほどいていくことになるのです。
人とのかかわりを通じて、自己を解放していくことになります。

このようにして自他一体(ひとついのち)の自覚をつけていきます。

そうなってくると、わが思いは自分だけの思いではなく、
もはや人類全体の思い(=お釈迦様の思い)となるので
「思い」がすぐに形の世界で実現するようになってきます。

いや、それ以上で、「思い以上」のこと、
「思いもおよばぬ」素晴らしいことどもが
形の世界に次々に生み出されてきて驚くことになります。

これが「普賢ステージ」です。
神道ではこの境地を「こふきの位(子<こ>・粉<こ>吹きの位」と呼びます。


このように力不足で、世渡りが不得手で、アカンタレの私が今や
『般若心経』を逆に読む道を歩んで、素晴らしい、生きがいのある、
喜びに満ちた人生を悪れるようになりました。

もちろん、若くて有能な人には、『般若心経』を順読み修行で
順次ステップアップしていく努力をしてほしいと思います。

しかし、自力では最後まで進めないのです。

自分というものに絶望して自分の能力をいっさい放棄し、大きな存在に
すべてを任せるという「自力・他力転換の段階(観音ステージ)を経ないと、
本当に人類の進化に貢献できる仕事はできないということも
知っておいてください。

            <感謝合掌 平成29年7月8日 頓首再拝>

Re: 「般若心経・講義」~立花大敬さんの講義 - dislriyromMail URL

2020/08/29 (Sat) 03:52:00

伝統板・第二
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