伝統板・第二

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或る譬話・寓話からの学び③ - 夕刻版

2017/01/08 (Sun) 19:40:57


《この線を短くしてみよ》

  「昔、バーバルという道化師が、ムガル帝国のアクバル皇帝に
  仕えていました。バーバルは、賢いことで有名でした。
  アクバル皇帝は、よくバーバルの知恵を試しては、喜んでいました。

  ある日、アクバル皇帝は、床に1本の線を引いて言いました。

  “バーバルよ、この線を短くしてみよ。
  ただし、どこも消してはならぬ! ”

  この知恵比べは皇帝の勝ちだと、誰もが思いました。
  どこも消さずに線を短くするなんて、できるはずがありません。

  ところがあっという間に、皇帝もまわりの人々も、
  皇帝の負けを認めることになりました。」


この話は、ジョージ・シャノンさんとピーター・シスさんの、
「どうしてかわかる? 」に出ていた寓話です。

さて、道化師バーバルは、
どうやって、床に引かれた線を短くしたのか?

この問題のポイントは、本当に線を短くすることではなく、
短くなったと、アクバル皇帝を含めたまわりの人々を納得させることです。

  「バーバルは、その線のそばにもっと長い線を引いたのさ。」

比較の対象を作ることで、最初の線を短いと感じさせたんですね。


この寓話から、私たちは一体、何を読み取るべきなのでしょうか?

それは読み手によって異なります。


こういった寓話は、数式で表すのとは違い、
読み手によって、解釈に幅があり、感銘を受ける深さにも違いがあります。

同じ映画を見ても、感動するシーンや感情移入する登場人物が、
人によって違うのと一緒です。

同じ人が読んでも、その時の環境や心理状況によって、
得られる教訓が違う場合さえあります。

それが、寓話やストーリーの持つ、一つの魅力です。

・・・

<関連Web>

(1)「光明掲示板・第一」内のスレッド「或る譬話・寓話からの学び (9201)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1744      

(2)「光明掲示板・第二」内のスレッド「或る譬話・寓話からの学び (25)」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=13  

(3)「光明掲示板第三」内のスレッド「或る譬話・寓話からの学び」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=30

(4)「光明掲示板・伝統・第一」内「或る譬話・寓話からの学び (102)」
    → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=61

(5)「伝統板・第二」内スレッド「或る譬話・寓話からの学び①」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6464916

(6)「伝統板・第二」内スレッド「或る譬話・寓話からの学び②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6728968

            <感謝合掌 平成29年1月8日 頓首再拝>

魔法のザクロ - 伝統

2017/01/13 (Fri) 18:47:23


        *「ユダヤに伝わる健康長寿のすごい知恵」
          石角 完爾(著)、石原 結實(監修) (P47~50)より

あるところに仲良しの3人兄弟が住んでいた。

兄弟はそれぞれ成人に達したので、10年間各地で修行をすることにした。

1番上の兄は東に、

2番目の兄は西に、

一番下の弟は南に旅立った。

兄弟たちは旅立ちの前に、
「それぞれの修行期間の間に、自分が見つけた最も不思議なるものを
持ち帰ることにしよう」と誓い合った。


1番上の兄は東に行き、ある旅人から
世界のすみずみまで見える不思議なガラスのコップを買った。
中をのぞくと、世の中を見渡せるのだ。

1番上の兄は、「このコップこそ、世界で最も不思議なものに違いない」
と確信した。


2番目の兄は西に行き、ある町で絨毯(じゅうたん)売りに会った。
目の前にある絨毯がモソモソと動いたので、

「なんだ、これは」と聞くと、

「この絨毯は生き物で、空高く飛べます」といわれた。

そこで2番目の兄は、「これこそ、世界で最も不思議なものだ」と思い、
大金をはたいて買った。


一番下の弟は、どんどん南に行くと、森に入った。
その森の中に、1本の不思議なザクロの木が立っていた。

木には花はいっぱいついているのに、実は真っ赤に熟れてたもの1つしか
なっていないのだ。

そのザクロの実を取ろうと手を出すと、手のひらにポタッと落ちてきた。

するとまた不思議なことが起こった。

咲いていた花の1つが、急に真っ赤な熟れたザクロの実に変わったのだ。

「これこそ最も不思議なものだろう。この木を持って帰ろう」
と思ったとたんに、ザクロの木はパッと消えてなくなってしまった。

あわてて手の中を見ると、ザクロの実だけは消えずに残っている。

1番下の弟は、このザクロの実を持って帰ることにした。


10年後に再会した3人の兄弟は、それぞれ不思議なものを見せ合った。

すると、ガラスのコップに、ある国のお姫様が重病で寝ている姿が映った。

そのそばで王様が嘆いていた。
「誰か治してくれる者はいないか。
そんな医者に頼んでも、この娘は快復しない。死んでしまいそうだ」

これを聞いた3兄弟は、魔法の絨毯に乗ってお姫様のもとに飛んで行った。

そして一番下の弟が、このザクロの実を食べればお姫様の病気がよくなるに違いないと考え、
そのザクロを半分に割ってお姫様に差し出した。

ひと口、ふた口、お姫様がザクロを食べると、顔に精気が戻り、
半分食べると立ち上がることさえできた。
そして治ったのだ。

王様は感激し、
「お前たちのおかげで姫が重病から快復した。
3人の兄弟の誰でも、姫と結婚してよい。
3人で話し合いなさい」


するとお姫様が「私に質問させてください」と割って入った。

まず、1番上の兄に姫が聞いた。

「あなたは、世界の隅々が見渡せるガラスのコップで、
私の重病を発見してくださいました。
その望遠鏡のようなコップは今でも元のままですか?」

1番上の兄 ―― 「はい。まったく全く元のままです。」


姫 ―― 
「2番目のお兄様、あなたは魔法の絨毯に乗って私のところに
いち早く駆けつけてくれました。その絨毯は今でも空を飛べますか?」

2番目の兄 ―― 
「はい、全く元のままで何も傷ついていませんし、空を飛べます」


姫 ―― 
「末の弟様、あなたは私にザクロの実を食べさせて病気を治してくれましたが、
そのザクロの実はどうなりましたか。」

一番下の弟 ―― 
「はい、お姫様に半分差し上げましたので、今は半分しかありません」


そこで姫は、高らかに決意を述べた。

「私は、この一番下の弟と結婚します。
彼は私のために、たいせつなザクロを半分失ったのですから」



「ノーペイン・ノーゲイン」―― 犠牲なくして成功なし

「何も失わず、楽して成功する(健康を得る)ことなどあり得ない」

3兄弟の中で一番失ったものが大きかった一番下の弟が大きなリターンを得る。

今の安易な成功(健康)を得ようとする日本人への警告を含んだ、
ユダヤ民族に伝えられている健康哲学、金銭哲学、人生哲学の説話です。

            <感謝合掌 平成29年1月13日 頓首再拝>

難破船の3人の乗客 - 伝統

2017/01/16 (Mon) 18:32:27


        *「ユダヤに伝わる健康長寿のすごい知恵」
          石角 完爾(著)、石原 結實(監修) (P222~223)より

あるとき、帆船が嵐に遭って難破した。
流れ着いたのは、フルーツのたくさんある島だった。
その島で船の修理を済ませて出航することになった。

乗客は3人いた。

一人の乗客は、いつ修理が終わって船が出てしまうかわからないので、
取り残されたら一大事だと、船から降りなかった。
嵐に遭い何日も空腹だったが、船が出てしまうのが心配だったため、空腹を我慢した。


もう一人の乗客は、島に降りたが、船が見える範囲のところでフルーツを食べ、
船の修理の様子を見て、出航前に船に戻ってきた。
たらふく食べられなかったが空腹を満たし、フルーツで水分補給もできた。


もう一人の乗客は、島の中まで入ってフルーツをたらふく食べた。
おなかいっぱいになって戻ると、船は出航した後で、島に取り残されてしまった。


船を降りなかった乗客は飢えて、その後の航海に耐えられずに死んでしまった。
島に残された乗客も無人島から脱出できずに、そこで一生を終えた。

            ・・・

物事にはリスクがつきものです。

この説話では、飢餓のリスク、取り残されるリスクの2つが登場しました。

2つのリスクを計算し、正確な状況判断をした乗客だけが助かったという話です。

欧米では、リスクの分析が日本よりはるかに優れている。

日本だと、危険について抽象的なイメージで語ります。
心配なことがあると、「怖い」という恐怖感で語り、
冷静に分析しない傾向が強いのです。

欧米では国や地域社会の政策からビジネスまで、リスクを強調します。
ある行動をすると損失と利益がどのようなものになるのか、
確率を列挙したデータを作成し、それによって意思決定をするのが当然となっています。

リスクの程度を可能な限り定量化した上で、相互に比較する「可視化」を試みます。

            <感謝合掌 平成29年1月16日 頓首再拝>

カメ一家のピクニック - 伝統

2017/01/30 (Mon) 21:19:05


        *Web:「世界の昔話」より

 むかしむかし、あるところに、カメの一家が住んでいました。
 お父さんガメと、お母さんガメと、男の子のカメの三匹です。

「今日はいいお天気だから、あそこに見える丘の上までピクニックにいかないか?」
 お父さんガメが言うと、お母さんガメも子ガメも賛成しました。

「まあ、それはすてきね」
「わーい、ピクニックだ、ピクニックだ」

 そこでお母さんガメは、ピクニックのお弁当のしたくを始めました。
 お弁当の中身は、ツナのかんづめ、シチューのかんづめ、ミカンのかんづめ、
 モモのかんづめ、それからお母さんの手づくりのサンドイッチです。

「おいしそうだな。はやく丘の上に行って、食ベたいね」
 子ガメは、とてもうれしそうです。
 ごちそうをバスケットにつめると、三匹は出発しました。

 でもカメは足がおそいので、ノロノロ、ノロノロ歩きます。
 がんばって、がんばって歩きましたが、1年半たっても、
 まだ道の半分しかきていませんでした。

 それからもがんばってがんばって歩いて、3年目にようやく丘の上に到着しました。

「やれやれ、やっと着いた」
「ぼく、お腹がペコペコだよ」
「さあ、食べましょう」

 お母さんガメは、かんづめとサンドイッチを草の上に出しました。
 それからバスケットの中を、ゴソゴソと探します。
「あら、ないわ」
 お母さんガメは、バスケットをさかさにしてふりました。

「お母さん、どうしたの?」

「それが、かん切りを家に忘れてきたのよ」
「ええっ・・・」
「ええっ・・・」
 三匹は、顔を見合わせました。

 かん切りがなくては、かんづめを開けられません。
 しばらくして、お父さんガメが言いました。

「坊や。家へ帰って、かん切りを持って来ておくれ」

「ええっ! ぼくが?」

「お願いよ、坊や。そのかわり、お前がここに戻って来るまで、
 何にも食べないで待っているから」


「・・・ちぇっ」
 お父さんガメとお母さんガメに頼まれて、
 子ガメはノロノロとやぶの中に入っていきました。

 お父さんガメとお母さんガメは、じっと子ガメを待ちました。
 待って待って、1年がたちました。
 もう、お母さんガメはお腹が空いて、しかたがありません。

「お父さん、サンドイッチを少しだけ食べましょう。ねえ、いいでしょう?」
 お父さんガメは、首を横に振りました。

「いいや、だめだ。あの子が帰ってくるまで、がまんしよう」
 待って待って、2年がすぎました。

 お腹が空きすぎて、お父さんガメとお母さんガメはフラフラです。
 お父さんガメが、言いました。
「どうだろう。サンドイッチのはしっこを、ほんのひとかけらだけ食ベようか?」

 今度は、お母さんガメが反対しました。
「いいえ、お父さん。あの子と約束したんですから、帰って来るまで待ちましょうよ」
 そこで2匹は、こうらの中に首をひっこめて、ジッとだまり込みました。

 待って待って待って待って、とうとう6年がたちました。

「お父さん、もうわたし、死にそうですよ」
「そうだな。行きに3年、帰りに3年。
 あいつもそろそろ帰って来るだろう。少し食べはじめるか」

 お父さんガメとお母さんガメは包みを開けて、サンドイッチを取り出しました。
 そして口に入れようとした、その時です。

 近くのやぶの中から、子ガメが出て来てさけびました。
「あっ! 約束を破るの? ずるいなあ。
 やっぱりぼく、ずーっと、ここにかくれて見張っていてよかったよ」

 カメの一家は、いつになったらお弁当を食べられるのでしょうね。

   (http://hukumusume.com/douwa/pc/world/08/22.htm


            <感謝合掌 平成29年1月30日 頓首再拝>

くさったリンゴ - 伝統

2017/02/08 (Wed) 18:59:36


         *アンデルセン童話 より

むかしむかし、あるところに、それはそれは仲の良い
お百姓(ひゃくしょう)夫婦(ふうふ)がいました。
 
二人の家は屋根にこけや草が生えていて、窓はいつも開けっぱなしです。
庭には番犬が一匹いて、池にはアヒルが泳いでいます。
季節の花が門(もん)をかざり、リンゴの木も植わっていました。

ある日の事と、お母さんがお父さんに言いました。
「ねえ、お父さん。
 今日は町で、市(いち)がたつんだって。
 家のウマも、何かととりかえてきてくれないかい。
 あのウマは草を食べて、小屋にいるだけだからね」

「それはいいけど、何ととりかえる?」

お父さんが聞くと、お母さんはネクタイを出して来て、
それをお父さんの首にむすびながらニコニコ顔で言いました。

「決まってるじゃないか。
 それは、お父さんにまかせるって。
 だって家のお父さんのする事に、いつも間違いはないんだから」

「そうかね、そんならまかせられよう」
と、お父さんはウマに乗って、パッカパッカ出かけて行きました。

「おや?」
向こうから、メスウシを引いてくる人がいます。

「ありゃ、見事なメスウシだ。きっといい牛乳がとれるぞ」
お父さんはそう思うと、その人にウマとメスウシをとりかえっこしてほしいと頼みました。

「ああ、いいよ」
その人はお父さんにメスウシを渡し、ウマに乗ってパッカパッカ行ってしまいました。

お父さんはメスウシを引いて帰ろうかなと思いましたが、
せっかくだから市を見に行くことにしました。
すると、のんびりとヒツジを連れた男に出会いました。
「こりゃ毛並みのいいヒツジだ」

お父さんはメスウシとヒツジをとりかえようと、声をかけました。
ヒツジの持ち主は、大喜びです。
何しろウシは、ヒツジの何倍も高いのですから。

お父さんがヒツジをもらってのんびり行くと、
畑の方から大きなガチョウを抱いた男が来ました。

「あんなガチョウが家の池に泳いでいたら、ちょっと鼻が高いなあ」
そう思うとお父さんはさっそく、ヒツジとガチョウのとりかえっこをしようと言いました。
 
ガチョウを抱いた男は、大喜びです。
何しろヒツジは、ガチョウの何倍も高いのですから。

お父さんがガチョウを抱いて町の近くまで行くと、
メンドリをひもでゆわえている人に会いました。

「メンドリはエサはいらねえし、タマゴも産む。お母さんも、きっと助かるぞ」
 お父さんはガチョウとメンドリをとりかえないかと、もちかけました。

メンドリの持ち主は、大喜びです。
何しろガチョウは、メンドリの何倍も高いのですから。

「やれやれ、大仕事だったわい」
お父さんはメンドリを連れて、一休みすることにしました。
お父さんがお酒やパンを食べさせてくれる店に入ろうとすると、
大きな袋を持った男にぶつかりました。

「いや、すまん。ところでその袋にゃ、何が入っているのかね? 甘いにおいがするけど」

「ああ、これは痛んだリンゴがどっさりさ。ブタにやろうと思ってね」
それを聞くと、お父さんはいつだったか、お母さんがリンゴの木を見ながら
こんなことを言ったのを思い出しました。
「ああ、いっぱいリンゴがとれて、食べきれなくて痛んでしまうくらい家においとけたら。
一度でいいから、そんなぜいたくな思いをしてみたいねえ」

お父さんは男に、メンドリと痛んだリンゴをぜひとりかえてほしいと頼みました。
「まあ、こっちはそれでもかまわないが・・・」
男は首をかしげながら、リンゴの袋を渡しました。
何しろメンドリは、リンゴの何倍も高いのですから。
 
お父さんはリンゴの袋を持って店に入り、お酒を飲みパンを食べました。
ところがうっかりしていて、リンゴの袋を暖炉(だんろ)のそばに置いたので、
店中に焼けたリンゴのにおいが広がりました。
 
そのにおいで、そばにいた大金持ちの男が声をかけてきました。
「気の毒に。リンゴを損しましたね」

「いやあ、いいんだ、いいんだ」
お父さんは笑って大金持ちに、ウマが痛んだリンゴに変わった
とりかえっこの話を聞かせました。
 
話を聞くと、大金持ちの男は目を丸くしました。
「それは、奥さんに怒られますよ」
 
お父さんは、首を大きく横にふりました。
「いやあ、家のかみさんは、おれにキスするよ」

「まさか! 本当にキスしたら、ぼくはあなたにタルいっぱいの金貨をあげますよ」
大金持ちの男は、そう約束しました。

お父さんは大金持ちの男と一緒に、家に帰りました。
「おかえり」
と、出迎えてくれたお母さんに、お父さんは大金持ちの男の前で話し始めました。

「ウマはね、まずメスウシととりかえたよ」
「へえ、そりゃお父さん、牛乳がとれてありがたいねえ」

「だがな、メスウシをヒツジにとりかえたのさ」
「ますますいいね。セーターがあめるよ」

「けど、ヒツジをガチョウととりかえた」
「ガチョウはお祭りに食べられるよ。おいしそうだね」

「でも、ガチョウはメンドリとかえちまった」
「ああ、運がいい。タマゴを毎日食べられるなんて」

「そのメンドリを痛んだリンゴととりかえて、ほれ、戻って来たとこだ」
「わあ、幸せだ。
 だってさ、お父さん、聞いとくれよ。
 あたしはさっき、ネギをかしてもらいにお向かいに行ったんだよ。
 そしたら奥さんが『家には痛んだリンゴ一つありません』って、ことわったのさ。
 
 でも、どう?
 今のあたしは、その痛んだリンゴを持っている。
 
 アハハハ、ゆかいだねえ。
 こんないい気分は、初めてだ。
 やっばり、お父さんのする事に間違いはないねえ」
 
お母さんはそう言うと、うれしそうにお父さんのほっぺたにキスをしました。
 
それを見た大金持ちの男は、

「素晴らしい! なんて幸せな夫婦なんだ!」
 
そう言ってお父さんとお母さんに、約束通りタルいっぱいの金貨をプレゼントしました。

   (http://hukumusume.com/douwa/pc/world/06/16.htm )

・・・

以下は、Web:「climb a door 幸せは, まず家庭から」(2009/8/24)より

アンデルセンの童話「おじいさんのすることに間違いない」によって、諭されています。
皆さんもご承知のとおり、この物語の粗筋は、お金が必要になったおじいさんが、
素晴らしい駿馬を牛と取替え、牛を山羊と取替え、山羊を鶏と取替え、
最後にはあろうことか、鶏を腐ったリンゴ1袋と取り替えてしまう。

それを見ていた大金持ちが、「さぞかしおばあさんが怒るだろう」と言うと、
おじいさんは、「いいや、家のおばあさんはいつも、おじいさんのすることに間違いはない
と言うよ」と言うので、
「もしそれが本当なら、わしの土地を全部上げよう」と、家までついて行く。

するとおじいさんから駿馬が腐ったリンゴになった話を聞いたおばあさんは、
「おじいさんのすることに間違いはない」と言って、そのリンゴを欲しがっている
隣家へ届けに行き、おじいさんは約束通り土地を手にして、豊かな老後を送った、
という物語ですね。

素晴らしい駿馬が、だんだん価値の低い物と交換されて、
最後には腐ったリンゴに換えられてしまい、大損したように見える。

けれども最後には、おじいさんを心底信じているおばあさんの言葉によって、
思ってもいなかった莫大な財産を得るわけですね。


運命のケミカライゼーション、自壊作用であると教えられました。
時間空間の世界に住んでいる私達は、時として、思いがけない不遇な出来事や、
予想に反した悪い結果が現れることがあります。

ですから一見悪い状態が起きても、「もう駄目だ」とか、「神も仏もあるものか」と
「何故こんなことに」と言って、落ち込んでしまうと、逆念は逆念を呼んで、
一層悪い状態になってしまうんですね。

大体私達は、自分にとって都合の好いことは善、都合の悪いことは悪と、決めて、
それに引っ掛かってしまいがちですが、そうではないんです。

 では私達に与えられているところの、無限供給とは何か? と言いますと、
それは、求めている人にとって、

 最も必要な時に、
 最も必要な物が、
 最も必要なだけ与えられる。

 ということなんです。やたらと物や金が集まって来ることではないんですね。

この世の中には、心で認めるものが現われるという、「現象顕現の法則」があります。
神様が、「光あれ」と宣言された時に、宇宙に光が現れたように、
私達神の子も、自分の切なる願いを実現させるには、やはり言葉で宣言しなければなりません。

言葉は神であることを知らねばなりません。
そして三界は唯心の現れであることを知らねばなりません。

 貧しい人々は常に自己の貧しさを呟きがちですが、
それはますます言葉の力で自己を貧しくするに過ぎません。

 今日からわれわれはいっさい自己の貧しいことを口にしないでいましょう。
そして、貧しい遣る瀬ない窮乏感に襲われてきたならば、静かに別室に退いて
「神想観」をして精神を統一し、

「神とわれとは一体である。
神はすべてのものをもち給う。
神のもち給うものをわれもまたもつのである。
すべての物はわれに与えられているから自分は貧しくないのである」

という意味の言葉を強く強く自己に自信のできるまで思念されるのがよいのであります    

http://blogs.yahoo.co.jp/banecyun/20748504.html )

            <感謝合掌 平成29年2月8日 頓首再拝>

きこり と さとり - 伝統

2017/04/04 (Tue) 18:32:45


           *佐藤俊明のちょっといい話(第5話)より

一人のきこりが斧で木を伐ろうと、山深く入ったら、
さとりという珍しい動物が姿をあらわした。

きこりがこれを生け捕りにしようと思うと、さとりは直ちにその心を読み取り、

「俺を生け捕りにしょうというのかネ」

という。

きこりがびっくりすると、

「俺に心を読まれて、びっくりするとはお粗末な話だ」

という。

ますます驚いたきこりは、

「ええ、小癪な奴。斧で一撃のもとに殺してやろう」

と考えた。

するとさとりは、

「こんどは俺を殺そうというのか。いやー、おっかない」

と、からかうようにいう。

「こりゃーかなわん。こんな不気味な動物を相手にしておったんでは、めしの食いあげだ。
こんなものにかかわらないで、本来の仕事を続けよう」

と、きこりは考えた。

するとさとりは、

「俺をあきらめたのか。かわいそうに!」

といった。

きこりはこの不気味な動物を諦らむべく、再び元気をだして木を伐ることに没頭し、
力いっぱい斧を木の根元に打ちおろした。
額からは玉なす汗が流れ、きこりは全く無心になった。
 
すると、偶然、全く偶然に、斧の頭が柄から抜けて飛び、さとりにあたり、
おかげでさとりを生け捕りにすることができたという。
 
きこりの心を読み取り、きこりをからかった動物も、
無心の心までは読み取ることができなかった。

         ・・・

有名になろうとあせると、世間では「売名家」と、その心の裡を読み取ってしまう。
自分だけ成績を挙げようとがむしゃらに努力すると、同僚から「点取虫」といって嫌われる。

大儲けしょうともがくと、「がめつい奴」と軽蔑され、
これではさとりという非凡な動物を捕らえることはできない。
 
売名や点取りや欲得を思わず、孜々として現前の仕事に没入する直心によってのみ、
現前にあって人をほんろうする珍しい動物「さとり」を、結果として捕らえることができる。
 
たとい山中深く入ったにしても、分別妄想がはたらく限り、静寂の境とはなり得ない。

直心こそは静寂な修行道場そのものであり、また非凡なさとりの境地でもある。


無罣礙:「無罣礙」(むけいげ)、これは「般若心経」にでてくる言葉で、
罣とは引っかけるの意。礙はさまたげる、さわり、障害の意。
したがって「無罣礙」とは分別や妄想によって心が束縛されないこと。
そこに「直心」が現成する。

   (http://www.jtvan.co.jp/howa/Sato/houwa005.html

            <感謝合掌 平成29年4月4日 頓首再拝>

胡蝶の夢 - 伝統

2017/04/07 (Fri) 18:52:07

胡蝶の夢 斉物論-荘子

【原文】

昔者、荘周夢為胡蝶。
栩栩然胡蝶也。
自喩適志与。
不知周也。
俄然覚、則遽遽然周也。
不知周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。
周与胡蝶、則必有分矣。
此之謂物化。


【訓読】

昔者、荘周夢に胡蝶と為る。
栩栩然として胡蝶なり。
自ら喩しみ志に適へるかな。
周なるを知らざるなり。
俄然として覚むれば、則ち遽遽然として周なり。
知らず周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるか。
周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。
此れを之れ物化と謂ふ。


【日本語訳】

昔、荘周は夢で蝶になった。
ひらひらとして胡蝶そのものであった。
自然と楽しくなり、気持ちがのびのびしたことだった。
自分が荘周であることはわからなくなっていた。

にわかに目覚めると、なんと自分は荘周であった。
荘周の夢で蝶になったのか、蝶の夢で荘周になったのかはわからない。

しかし、荘周と胡蝶とには、間違いなく区別があるはずである。
こういうのを、「物化」というのである。

     ・・・

     *Web:リーラ(2017年01月15日)より

ひらひらと空中を跳ぶ蝶々がいました。

花が生い茂った草原はまるでパラダイスのようであり、自分の羽も軽やかです。

でも平穏な日々ばかりではありません。

ある時は雨に濡れ、ある時は風にあおられ、生きるのは大変なことも多いのですが、
それでも蝶としての毎日を生き抜いています。



そんな蝶の中に、ある日突然、一つの想いが湧きました。


「もしかしたらこれは夢なのではないか。私は人間だったのではないか」


その瞬間、現実が揺さぶられ、蝶は夢から目覚めました。


その夢を見ていたのは荘子でした。

あまりにリアルな夢の印象はまだ消えません。


蝶々になっていた時は、自分が蝶であることを疑わずに、蝶の生活を謳歌していました。

それが夢だったなんて。


すると荘子の中に、また新しい疑問が湧きました。


「もしかしたらこちらが夢なのかもしれない。
蝶の私が、いまこの夢を見ているのではないだろうか。

荘子の私が、蝶の夢を見ていたのか、
それとも蝶である私が、荘子の夢を見ているのか、

はてどちらであろう。」

             ・・・

この話は面白いですね。


この話をどう解釈するかは人それぞれかもしれません。

荘子も蝶も、それを生きている主体は同じであり、
形が変わっても主体は変わらないということが、原文(斉物論)に出てくる意味です。

万物には様々な形態があるけれど、その奥にある主体は同じ一つのものだということです。


さらには、この話は、何もかもすべては夢であるということにもつながります。


我々が生きてきた数十年の人生は、生々しく現実に見えるけれど、
蝶が生きていた毎日も同じように現実に見えていたし、
まさか夢などとは夢にも思わなかったのです。


死ぬときに、この人生が夢のようなものだったということを知る人は、
昔からたくさんいたようです。

戦国時代の武将のように、常に生死の狭間を生きていた者たちが
最後に残した言葉からも、それは見て取れます。

彼らは死と隣り合わせだっただけに、我々以上に強烈に生きた者たちだと思われます。

にもかかわらず、こんな言葉を残しています。



織田信長  

人間五十年 下天のうちに比ぶれば 夢幻の如くなり

一たび生を得て 滅せぬもののあるべきか



上杉謙信  

四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一杯の酒



明智光秀

逆順無二の門 大道は心源に徹す 

五十五年の夢 覚来めて一元に帰す



豊臣秀吉  

露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは夢のまた夢  




たとえ夢だとしても、いまの我々にとってこれは現実です。

だから、自分が一番いいと思ったように生きるとしましょう。


本当にこの人生が夢だと分かれば、なんだってチャレンジできますね。



よし、それでは今日、ずっと思い続けてきたあの人に、熱い心を告白してみようか。

うまくいけば丸儲け。

うまくいかなくても、しょせん泡沫の夢なのだから。

            <感謝合掌 平成29年4月7日 頓首再拝>

王様とネズミ - 伝統

2017/04/08 (Sat) 18:27:48


         *「Pot with the Hole 穴のあいた桶」 プレム・ラワット(著)(28)より

ある日のこと、王様がコックに命じました。

「これまででもっともおいしい世界一のデザートをつくってくれ」

命じられたコックは、うなづいてキッチンへと戻りました。

王様からこうしたことを命じられるのは
めずらいいことではありませんでした。

「今までで一番おいしいデザートを食べたい」 と
毎晩毎晩、王様は言うのです。

コックは、毎晩繰り返されるこのやり取りが
だんだん嫌になってきました。

なぜなら、どんなデザートをつくっても王様は満足しないのです。
次の日もまた次の日も「今までで一番おいしいデザートを」 と
言い続けました。

ある日、コックは王様に、一泡吹かせてやろうと考えました。


夕食後、これまでで、もっともおいしいデザートが
王様の前へと運ばれてました。

このデザートのおいしそうな香りは
宮殿はおろか、森全体まで広がっていきました。

誰もが我慢できなくなるほど、それはそれは良い香りでした。


王様がそのデザートを、ガツガツとむさぼるように食べ始めた時
宮殿中のネズミも我慢できず、
王様のダイニングルームに集まってきました。

ネズミは、いたるところにいました。
ダイニングテーブルの上にも、ネズミで埋まり始めていました。

デザートを求めて、カーテンをはい周り、
小さなネズミは、デザートのわずかなかけらでも残っていないかと
大様のひげのなかまで滑りこむほどでした。


これは、宮殿の一大事でした。

部屋のカーペットの上も、カーテンの裏も
ネズミでいっぱいなのに、まだまだ次から次へと、
そのデザートを求めて、ネズミが部屋に集まってきました。

この大惨事をどう解決すればいいのか、
緊急の会議が招集されました。


ゴホンと、ひとつ せきばらいをした王様が言いました。

「何か対策はあるか?
私たちの宮殿は、ネズミによって侵略されてしまった。
何か解決策をもっている者は、その策を口にせよ」

大臣たちは互いに話し合った末

「殿下、ネズミを退治するために猫を集めるべきだという結論に至りました」

と答えました。

この解決策は確かに合理的な気がしました。

そこで将軍が呼びつけられ、王国中の猫を集めて
宮殿へと連れてくるよう、命じられました。


すぐに猫たちが連れてこられました。

するとあっという間にネズミはいなくなりました。
しかし、確かに宮殿からネズミはいなくなりましたが
今度は宮殿が猫だらけになってしまいました。

あちらもこちらも、見渡すかぎり猫だらけです。

猫たちは、何でもかんでも引っかいてまわり
宮殿の高価な家具の上にゆったりと横になり
大切なカーテンで爪を研いています。

あたり一面、ニャーニャー、ゴロゴロという猫の声が響き渡っていました。


そこで、再び会議が招集されました。

王様は

「誰か、何かほかに妙案はないか? 」

と口火を切りました。

前回同様、大臣たちは大声で議論を始めました。

しばらくして彼らは言いました。

「殿下、今度は猫が嫌う犬を連れてきてはいかがですか」

それを聞いた王様は、再び将軍を呼び、王国中の犬を集めて
即座に宮殿へと連れてくるよう命じました。

すると、すぐに猫は犬に取って代わられました。


しかし、そうしたところで、犬は犬で
自分のやり方をもち込んでくるだけのこと。

宮殿はあっという間に、あちこち犬がうろつき
吠える声でいっぱいになりました。

今度は、宮殿は犬だらけです。


またまた宮中会議は招集され
今度は、犬は虎は苦手だから虎を集めて
宮殿に連れてくることになりました。

すると、すぐに犬はいなくなり、宮殿は虎だらけになりました。

これにより宮殿は深刻な事態となりました。
虎たちは凶暴で、いつ自分たちを襲ってくるかもしれないと
誰もが虎を恐れて、身動きひとつできなくなったのです。


そのため次の会議の招集は大変な困難をともないましたが、
やがて、虎が怖がる象を集めて
すぐに連れてくることになりました。

象が到着し始めると
虎はあっという間に宮殿から姿を消しましたが
後には大きな混乱が待っていました。


今や宮殿は象だらけ、動く隙間もないほどです。
象はさまざまなものを壊すため、大変な騒ぎになってしまいました。
そしてあっという間に、宮殿は象のふんでいっぱいになりました。


そこで、またまた会議が招集され
今度は宮殿にネズミが集められることになりました。
象は、ネズミを恐れるからです。


将軍は命令に従い、ネズミを集めました。
ネズミが集まり始めると、象は宮殿を去って行きました。

そして宮殿は再び、初めの状況へと戻ったのです。


このころになり、ようやく王様は、これらの大失敗は
すべて自らの責任であると気がつきました。

自分の強欲さえなければ、このような事態は起りえなかったと
深く深く反省したのです。


             ・・・

何か問題が生じたとき、人はどうしてもその場しのぎの対応をしてしまいます。
しかし、本当にその解決方法で、ものごとは良くなるでしょうか。

起こっている問題の本質そのものを理解せずに解決しようとすると、
結果的には、より一層の混乱と、たくさんの時間や資源の浪費に
つながってしまいます。


今、あなたの悩みの種になっている問題は何ですか?
その問題の真の原因はどこにあるのでしょうか?

            <感謝合掌 平成29年4月8日 頓首再拝> 

「かぐや姫」に隠された恐怖の裏ストーリー - 伝統

2017/05/05 (Fri) 19:02:33


(時間と心に余裕のある方のみ、お読みください)

・・・

           *Web:東洋経済オンライン(2017年5月5日)より

「かぐや姫」に隠された恐怖の裏ストーリー 「竹取物語」は愛の物語なんかじゃない

《見たこともない姫に身もだえるチャラい平安男子たち》

長年愛読され続けて、親しまれてきた『竹取物語』は、誰でも1度は目を通したことのある
有名な作品である。その主人公であるかぐや姫は、驚異的な速さで大人の女性に成長し、
この世のものとも思えない美貌の持ち主とうわさされるようになる。

それを聞いた若い男たちはみな身もだえて、身分の差も気にせず彼女を自分のものにしたい
と思い悩む。1度も姿を見たことがないのに、そこまで恋に燃えるというのは、
おなじみの平安時代らしいチャラさである。

そして、かぐや姫に心底ほれ込んだ男たちは、思いつくかぎりの巧妙な手口で、
脅威すら感じてしまうナンパ術を披露する。

そのあたりの垣にも、家の門にも、居る人だにたはやすく見るまじきものを、
夜は安き寝も寝ず、闇の夜に出でても、穴をくじり、垣間見、惑ひ合へり。
さる時よりなむ、「よばひ」とは言ひける。
人の物ともせぬ所に惑ひ歩けれども、何の験あるべくも見えず。

【イザ流圧倒的意訳】

その家に仕えている人でさえ彼女の姿を見る機会がめったにないというのに、
この男どもときたら夜もろくに寝ないで屋敷のまわりの垣根やあらゆるところに穴をあけて、
どうにかして中を覗(のぞ)こうとうろついている。

そのとき以来、この行動を「夜這(よば)い」(強引すぎる求婚)と呼ばれるようになった。
まともな人なら考えもしないところにまでふらついたりするが、まるで効果がない。

(中略)

ここの数行では、「垣間見る」(ものの隙間〔すきま〕から誰かをこっそり覗き見る)と、
「夜這い」(男性が求婚して女性のところに通いつめる)という表現が使用されている。

似たような意味合いを持つ言葉には、「呼ばふ」(求愛のために女性のところに行く)
「逢ふ」「語らふ」「契る」「髪を乱す」などがあるが、
どれも男女が深い仲になるという状態を表している言葉だ。

平安時代の人たちが得意としていた比喩の領域に足を踏み入れると、もうキリがない。

(中略)

そこでやはり思うのだ。愛の文化を育むことができた平安時代の貴族たちは、
きっとヒマをもてあましていたから、あれだけのパッションがあったに違いない。

出会いがないと嘆く働き詰めの現代人に、
少しだけでもその情熱を分けていただきたいところだ。

もちろん、『竹取物語』は、暇な貴族が愛におぼれ、かぐや姫に対して
ストーカー行為を繰り返すだけの話ではない。


《すごい人たちに求婚させている》

「物語の元祖だわ~」という紫式部先生の絶賛の言葉からわかるように、
『竹取物語』は現存する最も古い物語だ。
作者は不明だが、当時の藤原政権にかなり批判的な立場にあった、
中級貴族の男性知識人らしい、という点に多くの研究者の意見が一致している。

その見知らぬ作者が残したこの作品は、さまざまな歴史がうかがえる貴重な資料である
だけではなく、緻密に練られたプロットの中に、楽しい要素がふんだんに盛り込まれた
優れた小説でもある。

『竹取物語』で面白いのは、随所に散りばめられている裏ストーリーだろう。

たとえば、かぐや姫には数え切れない求婚者が群がるわけだが、この「人選」がなかなかだ。
最終候補に残ったのは、石作皇子、車持皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、
中納言石上麻呂足という、恋愛中毒の貴公子5人。

誰よ、こいつら? しょせん想像上の物語の人物じゃん……と思いきや
実はそれぞれ実在した歴史的人物なのである。

しかも、あらためて名前を見直してみると、皇子、大臣、大納言、中納言……
当時のヒエラルキーに詳しくなくてもなんとなく錚々(そうそう)たるメンバーが
集まっている感じが伝わる。

名前がほぼそのまま、または少しもじった程度のカムフラージュしかしていないので、
当時の読者にはそれぞれの正体がすぐに見破られたはずだ。

ご周知のとおり、この貴公子たちはかぐや姫から難題を出されて、
それぞれ窮地に追い込まれる。要するに物語の中で、当時の最高権力者たちが
ネタにされているわけだ。

平安時代がリベラルだったとしても、そこまで言ってしまって大丈夫なのか、
作者不詳……と今さらながら心配になる。

もう1つ興味深いのは、かぐや姫は人間界の人ではないので、
「結婚できない」という設定だ。

女の姿を持っている以上、結婚をしないわけにはいかない、と迫る爺さんに
かぐや姫が放つ一言がなんとも印象的だ。

「翁、年七十に余りぬ。今日とも明日とも知らず。この世の人は、男は女にあふことをす、
女は男にあふことをす。その後なむ門広くもなり侍る。いかでか、さることなくてはおはせむ」

かぐや姫の言はく、「なんでふさることかし侍らむ」と言へば……


【イザ流圧倒的意訳】

「じいはもう70歳を過ぎて、今日や明日死んでしまってもおかしくない。
この地球の住人はみんな男というものが女と結婚して、女というものが男と結婚する。
そうして子供を設けて、その繰り返しじゃ。それが普通なんだから、
姫がそんなことをせずにいられるのは良いわけではありません」

それを聞いたかぐや姫は「どうして結婚などというものを必要とするのですか?」

「なんでふさることかし侍らむ」というかぐや姫の問いには、
現代にも通じる問題意識が感じられる。

姫が結婚をしないのは人間界に属していないからだと解釈されることが多いが、
それだけが原因なのだろうか。逆に、「結婚を否定できる立場」にするために、
作者がわざわざ姫を「月から来た人」に仕立てたということも考えられるのではないか、
と思う。

浮気されちゃうし、あとで後悔するぐらいだったら、結婚するもんか!
と時代の常識に逆らってかたくなに反対するかぐや姫の姿勢をみると、
「ブラジャーよおさらば」というスローガンのもと、デモに出ていたウ
ーマンリブの立役者の姿が思い浮かぶ。

作者不詳がフェミニストで、女性の味方だったかどうかはさておき、
彼には結婚を否定するれっきとした別の理由があったのではないか。


《最初から勝ち目のない戦いに挑む貴公子たち》

平安時代においては、女御たちが内閣の会議に参加することはなかったが、
男性の出世は女性との「恋愛」によるところが大きかった。

誰と結ばれて結婚するか、あるいは、誰と離縁するかによって、
抜擢人事の対象になったり、逆に立場が危うくなったりすることは日常で、
良い結婚は権力を手に入れる王道手段だったのである


が、姫が結婚できないという設定になっている以上、求婚者がどう頑張っても
彼女がもたらすであろう権力と莫大なおカネを手に入れることは、誰であろうとできない。

つまり最初から勝ち目のない戦いに貴公子たちは挑まされるのだが、
それぞれの冒険と破滅する過程はとても詳細につづられている。

作者不詳は何らかの理由で当時の権力者に反感を抱いていたのだろうが、
手に入れることのできない目標に向かって空回りする彼らの姿をここまで
詳細につづる背景には、作者不詳の時の権力者たちに対する深い恨みがあると言われている。

はたして作者不詳のドSっぷりは、貴公子たちが超難題に挑む場面でクライマックスを迎える。


「いづれも劣り優りおはしまさねば、御心ざしのほどは見ゆべし。
仕うまつらむことは、それになむ定むべき」と言へば、
「これよきことなり、人の御恨みもあるまじ」と言ふ。

【イザ流圧倒的意訳】

どなたの愛情にも優劣をつけられないので、私の願いをかなえてくれるかどうか、
それこそ愛の証拠じゃないかしら。欲しいものをもって来てくれる人がいれば、
その人を結婚相手にするわ」と姫が言い、
爺さんは「そりゃいい考えだ。それならみんなが納得してくれるだろう」と大いに賛成。

やれやれ、ちょっとした宝石とか立派な着物とかで我慢してくれるだろう、
と高をくくっていた貴公子たちもすぐに賛成するが、
待ち構えていたのは想像を絶する難題ばかりだ。


石作皇子には仏の御石の鉢。それはインドに1つしかないという高級品だ。
3年間ほどブラブラしてから、そこらの山寺に置いてあった黒くすすけた鉢らしき代物を
盗んできて、シレッとした顔で姫に出してみるが、即バレて脱落。

さすがにこんな根性無しの男を姫と結婚させるわけにはいかないと爺さんも納得する。


《エスカレートしていくかぐや姫の「注文」》

車持皇子には中国にあるといわれている蓬莱の玉の枝を注文。
根が銀、茎が金、実が真珠の木の枝という、
誰も実物を見たことがない品を探すのは至難の業だ。

それっぽいものを作れば竹取の爺さんもかぐや姫もうまくごまかせると企んだ車持皇子は、
全国から職人を集めて秘密工場を造る。
完璧な偽物が出来上がり、姫と爺さんがだまされそうになるが、
報酬がきちんと支払われていなかった職人の内部告発によって、
車持皇子のウソがばれてしまう。

財力も失い、大恥をかき、2人目の挑戦者も断念。


右大臣阿倍御主人には中国にある火鼠(ひねずみ)の裘(かわごろも)を注文。
インドの次は中国――やはり海外のブランド物にあこがれるのは現代女性だけではないようだ。
火鼠なんぞ、想像しただけでも背筋が凍るのだが、その毛を織って作った布が火に燃えず、
汚れても火に入れると真っ白になるという特別なものだと言い伝えられていた。

そんな珍しい高級品は簡単に手に入れられるはずがないが、右大臣阿倍御主人は、
このコネやあのコネを使って、それを持っていると言い張る商人を見つけることに成功。

お人好しなのか、確かめもせずに大金を注ぎ込み、目当ての品を手に入れて、
スキップでもしながら得意げに姫のところに持っていく。

以前贋作にだまされそうになった姫は早くも学習して、プレゼントが差し出されるや否や、
すぐさまに火をつける。案の定、贈られた布が目の前でメラメラと燃え始める……。

「さればこそ異物の皮なりけれ」と言ふ。

大臣、これを見給ひて、顔は草の葉の色にて居給へり。
かぐや姫は、「あなうれし」と喜びて居たり。
かの詠み給ひける歌の返し、箱に入れて返す。

なごりなく 燃ゆと知りせば 皮衣 おもひの外に おきて見ましを

とぞありける。されば帰りいましにけり。

【イザ流圧倒的意訳】

「偽物だったわねぇ」と姫が言う。
大臣は、盛大に燃える毛皮を見て、草の葉のように顔を青ざめて、ポカンと座っている。
その一方姫が「うれしい、わーい!」と大喜び。

大臣が品を持ってきたときに差し出した歌への返歌を、
毛皮が入っていた箱に入れてその残りかすと一緒に突っ返した。

そんな簡単に燃えるものだと知っていたら、
火になんかに近づかせないで眺めていたのにぃ。
残念!

その言葉を読んだ大臣が黙って帰った。

もはやコメディそのもの……。

しかし、燃え立つ炎を眺めながら大臣の失敗を笑っているかぐや姫はまるで悪女。
顔こそきれいだが、情けゼロ。そして、大喜びの彼女の後ろに隠れて、作者不詳、
あなたがニヤッとしているのも、わたしにはわかる……。

日本人はよくもこの物語を子どもに読み聞かせている、と驚く。


続きまして大納言大伴御行は竜の首に光る玉を持ってくるように命じられる。
こりゃもう命懸けだ。大納言大伴御行は他の挑戦者と違ってもう少しまともで
真剣にそのお題に取り組もうとするが、自ら船に乗っているときに嵐に遭い死にそうに。

何せ相手は竜だもの……。

命こそ落とさなかったものの、神経や内臓をすっかりやられて、
腹がパンパンに膨れ上がって、両目はスモモを2つくっつけたように腫れあがっている
という変わり果てた姿に。

あれは女じゃない、悪魔だ!! とかぐや姫を罵(ののし)り、
もう2と彼女が住むところに近付こうとしなかった。


《かわいそうな最後の挑戦者が手にしたものは》

そしていよいよ華々しくフィナーレ。
中納言石上麻呂足には燕(つばくらめ)が持っている子安貝というお題が出される。
ほかの品に比べるとちょっと地味に見えるが、思わぬ展開が待っている。

子安貝をかっぱらうために、燕がヒナを産み落とすタイミングを見計らっていると、
どこからともなく現れた物知りのおじいさんに、燕は尾をあげて7度回ってから
卵を産み落とすと聞く。

それでは、と待ち構える中納言。
平安時代では身分の高い男性ほど裾の長いものを身に着けていたようだが、
足に引っかかりそうな衣服を着て、頭に被り物をして籠に乗る中納言と、
その周りに忙しく動いている家来たちの様子を想像しただけで、笑いがこみあげてくる。

物知りのおじいさんに言われたとおり、回っている燕を見かけ、
急いで籠を引っ張ってもらうのだが、何かをつかんだと思ったら落ちてしまう。
気絶後、やっと目が覚めたら……。

「ものは少しおぼゆれど、腰なむ動かれぬ。されど子安貝をふと握りもたれば、
うれしくおぼゆるなり。まづ、脂燭さして来。この貝、顔見む」と
御頭もたげて御手をひろげ給へるに、燕のまり置ける古糞を握り給へるなりけり。


【イザ流圧倒的意訳】

意識が少しはっきりしてきたけど、腰が抜けて動けない。でもどうだっていいんだ! 
子安貝をしっかり握っているんだもん! うれしくてたまらない!! 
明かりを持ってきて、早く見たい!」と頭を上げて、手のひらをゆっくりと広げた。

ところが、子安貝を握っていたんじゃなくて、なんと燕が垂らした
古糞をぎゅっと握っていただけだった。

ほかの挑戦者と比べて近い場所で手に入れることができる、
最も地味な品を頼まれたにもかかわらず、かわいそうな中納言石上麻呂足は
成功するどころか転落し、大恥をかく。

そのあとすっかり元気をなくし、なんと命まで落としてしまう。
かぐや姫のせいでついに死者が出てしまったのである。

そしていよいよかぐや姫がすべてを捨てて、遠いところへ旅立つ日がやってくる。
この世の記憶をすべて失った姫は、結局最後まで「愛」というものを知ることなく、
地球を去っていく。


《これは愛の物語なんかじゃない》

かぐや姫は近づく男性に難題を出して破滅に追い込む、冷酷な女だ。
そして彼女の周りに群がる男たちは権力や財力はもっているものの、
ウソつきだったり、詐欺師だったりする。

非情な女の目を通して、人間の欠点や汚点が一つひとつ暴露されていくわけだが、
彼らの「敗北」こそ権力に反発しようとしていた不詳の作者が
最も望んできたことなのだろう。

この物語には恋や愛なんてちっともない。
あるのは、欲望と傲慢さ、そしてウソだけだ。

日本では、いまだに愛の物語やSFとして取り上げられがちだが、
作者不詳が徹底的なまでに権力者を苦しめるこの話は、
当時からユーモアの効いた風刺小説として読まれていたと言われる。



  (https://news.infoseek.co.jp/article/toyokeizai_20170505_170052/?p=1

            <感謝合掌 平成29年5月5日 頓首再拝> 

おじいさんのミルク - 伝統

2017/05/22 (Mon) 19:10:21


       *「Pot with the Hole 穴のあいた桶」プレム・ラワット(著)(34)より

大金持ちのおじいさんがいました。
おじいさんには、ベッドに入る前に
温かいミルクをカップに1杯飲む習慣がありました。

お使いが、おじいさんの寝室に
温かいミルクをもって行くことになっていましたが
彼は、毎晩そのミルクを「飲んでみたいなー」と思っていました。


ある日のこと、
ついに彼は、そのミルクを4分の1杯飲んでしまいました。
そして、代わりにお湯をたして、ごまかしておきました。

お湯がたされたミルクを飲んで
「おかしい。味が薄いぞ。
お使いがわしのミルクをこっそり飲んでいるのでは? 」

そう疑ったおじいさんは、翌日もう1人お使いを雇い
最初のお使いがミルクを盗んでいないか
見張るように命令しました。


その晩、最初のお使いがいつものようにミルクを用意して
4分の1杯を飲んだとき
それを見た2人目のお使いが言いました。

「ご主人様から、きみを見張るように頼まれた。
けれど、ミルクをぼくにも分けてくれるなら、黙っておくよ」

そこでお使いは、さらに4分の1杯を2人目にも分けました。


その晩に運ばれた、ミルクを飲んだおじさん。
「ミルクが、ますますひどい味になった」

そこで、もう1人を雇い、最初の2人を見張るように命じました。


3人目のお使いが、見張っていると
2人がミルクを飲んでいます。すると彼は

「ぼくにも分けてくれたら、ご主人様には何も言わないよ」


こうして、おじいさんのミルクは4分の1だけ。
残りの4分の3はお湯になってしまいました。

ミルクを飲んだおじいさんは、怒って
「今度こそ、こらしめてやるぞ」と
もう1人を雇い、最初の3人を見張るように命じました。


その晩、3人がミルクを飲んでいると、4人目の新人が
「ぼくの分は? 」と尋ねました。

すると最初の3人が
「君に4分の1あげたら、何も残らないので、バレてしまう」

それを聞いた4人目は「大丈夫、ぼくに考えがある」 と言い
残りのミルクを飲みほしてしまいました。


その夜、おじいさんがいくら待っても、ミルクが届きません。
そのうちに、うとうとしてしまい
いつしか、いびきをかいて寝てしまいました。


おじいさんが、眠ったのを確かめた4人は
こっそり部屋に忍び込み
ミルクを飲みほしたカップからミルクの泡を指にとって
寝ているおじいさんの口のまわりにつけました。


翌朝、おじいさんは、カンカンに怒って
4人のお使いを呼び出しました。

「毎晩、温かいミルクを飲むために、お前たちを雇っているのに
昨日は誰ももって来なかった。どういうことじゃ? 」

するとお使いは答えました。
「ご主人様、ちゃんともっていきましたよ。
 ご自分の顔を鏡で見てください」


おじいさんが、手鏡を引き出しから取り出して
自分の顔を見たところ、口のまわりにミルクの泡がついています。

「おや、口のまわりにミルクが・・・。
 ということは、ミルクを飲んだのかもしれないなぁ」

おじいさんは、少し不思議な気持ちになりながら
鏡に映る自分の顔をみつめていました。

            ・・・

本当の幸せや感謝は、あなたの心のなかからわき上がってくるものです。

世の中が認める“いい会社に入ったから”
“人気の高いアクセサリーともらったから”
“素敵な家を建てたから”

幸せになったり、感謝したりするのではありません。

自分自身が心から実感しているかどうかが大切なのです。

”こういう人は幸せだ””こういう状況には感謝しなくてはならない”という、
世の中が決めた公式や、見せかけだけの言動に振り回されないでください。

それはまるで、飲んだ実感や満腹感がないのに、
口のまわりについたミルクの泡に惑わされるようなものです。

            <感謝合掌 平成29年5月22日 頓首再拝> 

イノシシとキツネ - 伝統

2017/06/19 (Mon) 18:38:16


          *イソップ 童話 より

【危機管理~普段の準備】


牙を研いでいるイノシシを見て、キツネが不思議そうに尋ねました。

   「イノシシさん。どうして君は牙を研いでいるの?

    猟師がいるわけでもないし、危険が迫っているわけでもないのに。」


それを聞いてイノシシが答えます。

  「たしかにそうかもしれない。だけど、いざという時に牙を研いでいたら

    間に合わないからさ。面倒でも、こうして牙を研いでおけば、

    いますぐにその時が来ても大丈夫なんだよ。」

             ・・・

この話はイソップ寓話の中の一つで、
不断の努力と普段の準備の大切さを示唆しています。

もちろんそのような努力や準備は無駄になる可能性がありますが、
いざという時に事を有利に運ぶためには普段の準備が欠かせません。

万が一の敵襲に対し、即反撃できる備えが必要です。

            <感謝合掌 平成29年6月19日 頓首再拝> 

幸せをさがす王様 - 伝統

2017/06/21 (Wed) 19:55:33

         *「『ありがとう』で運は開ける」中井俊巳・著(P4~6)より

美しい妃(きさき)とかわいい子どもたち、
かずかずの財宝に恵まれた王様の、日々の悩みと苦しみは、

「自分はまだ幸せというものを味わったことない」

ということでした。

「幸せとは何か、どうすれば幸せを手にいれられるのか」

大臣たちに訊いてもわかりません。
学者たちに尋ねてもわかりません。
 
そこで、著名な占い師を呼んで占ってもらったところ、
「この国で最も幸せな者のシャツを着ればわかる」と言います。

ひそかに大臣を遣わし、捜索がはじまりました。
大臣は国中の大金持ちや有名人などを訪ねてまわります。

しかし、金持ちは「幸せ? とんでもない。それより、この国は税金が高すぎる。
そのせいで、私の家では車が3台しか買えないないんだ」
と渋い顔をします。

有名人は、「幸せ? 何を言っているの。
まだ、この国には、私を知らない人が大勢いるのよ」
と眉間にシワをよせます。

だれを訪ねても、その口からは愚痴と不平不満が出るばかりです。

この国で最も幸せな者のシャツは見つからず、3か月が徒労に終りました。
 
疲れ果てた大臣は山村の小道で休んでいたところ、
何か楽しげなひとりの若い羊飼いに出会います。

大臣はふとその若者に声をかけたくなりました。

「あの、あなたは、もしかして、いま幸せですか?」
 
大臣の必死な形相に驚いた若者ですが、目を輝かせて答えました。

「お日様は昇る。雨も降る。
ぼくはみんなが好きだ。みんなもぼくが好きだ。
幸せだよ。もちろん」

この人だ! と確信した大臣は
「いくらでも金を出すから、あなたのシャツゆずってください」と頼みます。
 
しかし、それは無理な話でした。

その若者は上着の下にシャツを着ていなかったからです。

          ・・・

私たち人間の多くは、この王様のようではないでしょうか。
 
美しい妃やかわいい子ども、財宝や権力を持っていてもいなかったとしても、
いまの状態に幸せを感じていなければ王様と同じです。
 
あの王様のように、いま持っているものの良さを知らない。

あって当たり前だと感じ、大切にもせず、有り難くも思わない。

それどころか、ついつい愚痴や不平が出てくる。

他にいいものがあるだろうと、外を捜しまわり、他人をうらやみ、ねたみもする。

そして、ストレスをためる。

そういうことがありはしないかと反省するのです。

幸せというものはどこか遠くに存在するのではありません。
すぐ近くにあるのです。

せも、すぐ近くにあっても、気づくことはむずかしい。

身近なものを大切にし、感謝しなければ、まず見つからないと思います。

幸せというものは、あの若者のシャツのように目には見えず、
その人の心の中にあるものですから。

・・・

(この「幸せをさがす王様」という寓話は、
『生命の實相』のなかでも、紹介されております)

            <感謝合掌 平成29年6月21日 頓首再拝> 

ロバとニワトリとローソク - 伝統

2017/07/06 (Thu) 19:01:01


           *「ユダヤ賢者の教え 第一巻」ヨヘベッド・セガル(編)より
          (P22~25 より抜粋)

ラビ・アキバは、ある時に、ロウソク一本とニワトリとロバだけを連れて旅に出た。

ニワトリは朝の目覚まし、ロバは荷物を運んだり疲れた時に乗るため、
ロウソクは夜にもトーラを読むためだった。

ラビ・アキバは、とある町に辿りついた時に、
一晩宿を貸してくれるように頼んだが、どの家からも断られてしまった。

ラビ・アキバは、人々の冷たい仕打ちに腹を立てることもなく、
「神のなさることはすべて良いことだ。」と言い、
町からやや離れた丘で、野宿することにした。


そして、丘の上でロウソクに火をつけて、トーラーを読もうとしたら、
突然ライオンが現れてロバを食べてしまい、
次に猫が来て、現れてニワトリに噛みついた。

そのうえ、強い風が吹いて、ロウソクの火が消えてしまった。

ラビ・アキバは、真っ暗やみにただ立ちつくしていた。

それでも、「神のなさることはすべて良いことだ。」とラビ・アキバは言って、
静かに落ち着いていた。

ロバはいなくなったし、ニワトリも、そしてローソクの明かりもなくなってしまった。

それでも、ラビ・アキバは言った。

「すべて神のなさることは、良きことなり! 」


すると、遠くの方で悲鳴声があがり、
やがて近くの道をがちゃがちゃと音を立てながら多くの人が過ぎ去っていった。

あとでわかったのは、敵の軍隊が町を襲い、人々は殺されるか捕虜になった。

道を通る音は、敵の軍勢の足音だった。


もしロウソクの火がついたままだったら、また、ニワトリやロバがいて鳴き声をあげれば、
ラビ・アキバの居場所がわかり、同じように殺されるか捕虜になったことだろう。

しかし、ラビの姿は暗やみにまぎれて見えず、
ラビは命びろいをした。


ラビ・アキバは命を救ってくださった神に感謝し、また旅をつづけた。

・・・

*トーラー:ユダヤ教の聖書(タナハ)における最初 の「モーセ五書」

            <感謝合掌 平成29年7月6日 頓首再拝> 

羊飼いダビデ - 伝統

2017/07/13 (Thu) 18:22:11

           *「ユダヤ賢者の教え 第一巻」ヨヘベッド・セガル(編)より
          (P177~178 より抜粋)

イスラエルのダビデ王は少年のころ、父親のヒツジの番をしていた。

毎日ダビデは、ヤギやヒツジを連れ砂漠に出て行った。

大きくて丈夫なヤギたちが、か弱い子ヤギをおしのけて、
やわらかな草をむさぼっているのにダビデは気がついた。
残った固い草は、子ヤギには歯がたたなかった。

―― まだ丈夫な歯がはえそろっていない子ヤギたちには、
新鮮でやわらかな草を食べさせないといけない。
大きなヤギたちは固い草でも食べられる丈夫な歯がある
と、ダビデは心のなかで思った。

ダビデはどうしただろう?

かこい場を3つ作って、柵で仕切った。
ひとつは子ヤギに、ひとつは年とったヤギに、
そして残りのひとつは若い丈夫なヤギ用だった。

毎朝、ダビデが子ヤギの柵をあけると、子ヤギはあちこち喜んで駆けまわり、
やわらかな甘い草をほおばった。

それから、年よりのヤギをかこい場からだすと、
ヤギたちは固くもやわらかくもない草をはんだ。

最後にダビデは、若くて丈夫なヤビたちのかこいをあけた。
もう、固い草しか残っていなかった。
だが、頑丈な歯をもった若いヤギたちは固い草を噛みくだいて食べた。

こうしてどのヤギも十分に食べ、押しあいへしあいもなくなった。


神は、その様子をごらんになっていた。

―― 自分のヤギを、一頭一頭十分に気をくばって飼えるものに、
神のヒツジを、イスラエルの民をおさめさせよう。

そして神は、ダビデを全イスラエルの王になさった。

            <感謝合掌 平成29年7月13日 頓首再拝> 

愚直なロバ - 伝統

2017/07/15 (Sat) 20:03:38


           *「ユダヤ賢者の教え 第一巻」ヨヘベッド・セガル(編)より
          (P179~181 より抜粋)

ラビ・ハニナ・ベン・ドサは庭でロバを飼っていた。

あるとき、ロバが野に出て、のんびりと草を食んでいた。
そこに盗人たちが通りかかり、ロバの首に縄をかけて、隠れ場に連れていった。

隠れ場には大きな庭があった。
ロバが悲しげに首を垂れているので、盗人たちは、

―― きっと喉が渇いて、しかも腹がすいているのだろう

と思い、すぐに大麦と水を運んできた。
ロバは水にも大麦にも口をつけなかった。

―― きっと甘やかされて、上等な大麦しか食べていないんだろう。

と、盗人たちは上等な大麦を運んできた。
それでも、ロバは口につけなかった。

ロバは盗品の大麦を食べたくなかった。

―― どうしたもんだろう? 何も口にしないぞ。病気で、すぐにも死ぬかもしれん。
   いそいで外に捨ててしまおう。

盗人たちは、ロバの首の縄をとき、庭の外に追い出した。


ロバは何もたべていなかったので、ひどく弱っていた。
それでもロバは歩き出した。
一晩中歩きつづけ、朝になってやっと、ラビ・ハニナ・ベン・ドサの家にたどり着いた。

ラビ・ハニナ・ベン・ドサの息子が、鳴き声を聞きつけた。

息子が駆けていって、門をあけ、ロバを入れた。

なんとあわれな姿だったろう。
やせ衰えて、ロバは今にもくずれおれそうだった。


大麦の袋が運ばれると ―― ロバは食べた。
バケツいっぱいの水が運ばれると ―― ロバは飲んだ。

ロバはまた、ラビのもとで、ラビのために働けるのがうれしかった。

            <感謝合掌 平成29年7月15日 頓首再拝> 

食べものを粗末にしない - 伝統

2017/07/16 (Sun) 19:34:34


           *「ユダヤ賢者の教え 第一巻」ヨヘベッド・セガル(編)より
          (P168~170 より抜粋)

バビロニアに豊穣の年があった。
麦が豊かな実りをもたらした。

バビロニアの人々は食事の残りを平気で捨てるようになった。
パンは貴重な食べものではなくなって、粗末にあつかわれだした。
ある日、市場で数人の男たちがパンを投げあってふざけていた。

そこへ尊敬を集めていた賢者のラブ・イェフダが通りかかった。
ラブは、それを見て思った。

―― 人々は飽食で、神の『食べものを無駄にするな』という教えを忘れてしまった
らしい。どうやら世の中に飢餓がおとずれて、ふたたび神の教えを思い出す
必要があるようだ。

ラブ・イェフダは心正しい人だったので、神はその言葉のとおりになさった。

雨の降らない年がやってきた。
畑には、何も芽がふかなかった。

豊穣の年に残った食料が高値をつけ、人びとは、その食料をもとめて
長い行列をつくった。

飢えた人々は、食べものがありあまっていたときに、
なぜ粗末にしたのだろうと後悔した。
人々は飢えにうめいた。


ラブ・イェフダはいつも家にいて、外に出ることがなかったので、
人々がいかに飢えに苦しんでいるかを知らなかった。

ほかのラビたちは民の苦しみを見て、ラブ・イェフダに市場の状況を
見てもらうようにした。

ラブ・イェフダは、市場の一軒しか開いていない店の前に並んだ
民の長い列を見て、「世に飢餓が満ちたようば」と言った。


「断食をして、神に慈悲をもとめよう。
飢えた人々に食べものをお恵みくださるように祈らねばならん」

ラブ・イェフダは、すぐさま、わきの手伝いに命じた。

「わたしの靴をとってくれ!」(ヨム・キプールやティシュア・ベアブのような
断食の日には、はきものをはいてはならない)。

手伝いの男がラブの靴の片方取ると、雨が降りだした。
アブがまだ祈りをはじめないうちに、神はこの心正しいラブの願いを
聞きとどけられたのだった。

翌日には、遠い国から米や麦、その他いろいろの食料を積んだ船がバビロニアに着いた。
飢えた人々に食料がくばられ、人々は神の慈悲に感謝して、食べものを味わった。

            <感謝合掌 平成29年7月16日 頓首再拝> 

親切な男の話 - 伝統

2017/07/27 (Thu) 18:24:09


         *Web:瑞雲院法話のページ より

(これは「チベットの民話」という本で見つけたお話に、少し手を加えたものである。)


昔チベットにたいそう気前のいい親切な男がいた。
彼はあらゆる仕事に精通した働き者だったので、誰からも信頼され愛されていた。

ある日、彼の住む村に高名な僧がやって来た。
すると男はその高僧に逢いに行き、ていねいに礼拝と挨拶をしてから、
敬意を表すカタという白いスカーフを贈り、そして一つの質問をした。

「私は残りの生涯を仏陀の教えに捧げたいと思います。
悟りを開いて智恵と慈悲を身につけ、すべての人々、一切の生きとし生けるものを
救いたいと思います。それにはどうしたらよいのでしょう」

高僧は男の顔をじっと見つめていたが、男が真剣にそのことを望んでおり、
動機も純粋であることが分かったので、丁寧にその方法を教えた。

「山中の洞窟にこもって瞑想の修行をしなさい。そしてこの祈りの言葉を称えなさい。
そうすれば悟りを得て智恵と慈悲を身につけ、全てのものを救うことが
できるようになるだろう」。そう言って祈りの言葉を授けた。


親切な男はさっそく村を出て山に入り、人里離れたところに洞窟を見つけると、
そこにこもって瞑想と祈りの修行を始めた。

しかし悟りはなかなか開けなかった。

二十年の歳月が過ぎたとき、その高僧が再び村にやってきた。
それを聞いた男は高僧に逢うため山を下りてきた。

すでにたくさんの人が集まっていたので、彼は幾日もしんぼう強く待ちつづけ、
自分の番が回ってくると丁寧に礼拝と挨拶をし、それからカタを贈り質問をした。

「私は二十年間、教えられた通り修行してきました。
しかし未だに悟りが開けません。何か間違っていたのでしょうか」


高僧が訊いた。「わしは何をするように言ったのかな」

男は二十年間やってきたことと、修行の経過を詳しく説明した。
高僧はその説明を最後まで真剣に注意深く聞き、話が終わると
しばらく沈黙したまま男の顔を見つめていたが、やがて静かな口調できっぱりと断言した。

「ああ、それは、まったく無駄だったようじゃ。間違ったことを教えてしまった。
それでは決して悟りは開けない。気の毒だが悟りを開くのはもう諦めなさい」


この言葉に男は気が動転し、叫び声をあげて泣き出し高僧の足もとに倒れ伏した。
それを見ながら高僧はさらに言った。

「申し訳ないが、私があんたにしてあげられることはもう何もない」

親切な男は重い足取りで山の洞窟へ戻ってきた。
「二十年間、悟りが開けるものと信じて修行してきたのに、
今になってその望みを捨てなければならない。もうずいぶん歳も取ってしまった。
これからどうしたらよいのだろう」


男は洞窟の中の平らな岩のうえに足を組んで坐り、目を閉じて考えた。
その岩は二十年間、彼の修行の場であり、寝床であり、机でもあった岩である。
そして男は決心した。

「たとえ悟りが開けなくても、祈りと瞑想を続けるしかない。
ほかに私にできることがあるだろうか」

男は悟りをひらく希望を捨てたまま瞑想を実行し、慣れ親しんだ祈りの言葉を唱えた。
するとたちまち悟りが開けた。彼は世界の実相を見た。

すべての真理が目の前に姿を現し、人々を平安に導くために
必要な智恵と慈悲も自ずから備わった。

仏陀の教えを広めるために、洞窟を出て世の中に帰って行くべき時が来たのである。

そのとき男は理解した。
悟りを開く邪魔をしていたのは悟りに対する執着だったことを。
それが最後の関門だったのである。

男は洞窟を出てじっと下の村を見つめた。
こんなにはっきりとものが見えたことは、これまで一度もなかった。

空を見上げると雪の峰々にひと筋の虹が架かっていた。
その虹を見たとき、あの高僧の穏やかな笑い声が聞こえたような気がした。

「この命は雨の小さな一滴(ひとしずく)

 生まれてはすぐに消え失せる一片(ひとひら)の美と心得よ

 されば目標を定めよ

 すべての昼夜をそれを成し遂げるために用いよ」

  (http://www7b.biglobe.ne.jp/~zuiun/193shinsetuna-otoko.html

            <感謝合掌 平成29年7月27日 頓首再拝> 

弓の名人と油売り - 伝統

2017/08/04 (Fri) 21:02:26


            *プレム・ラワット講演より

昔あるところに、弓の名人がいました。
その名人は、一の矢を的に命中させると、
二の矢で一の矢を裂いてしまうほどの腕前でした。

その技を見せて村から村へと渡り歩き、集まってきた見物人は、
見たこともないその技に拍手喝采を送っていました。

ある日名人は、とある小さな村にやって来ました。
いつものように弓を取り出し、矢を的に命中させると、
村人は「いいぞ、いいぞ」と喝采を送ります。

ところが見物人の拍手が静まると、後の方から
「そんなこと、練習すれば誰でもできるさ」と大きな声がします。


その声が名人の耳に届くと、気になって仕方ありません。

でも名人は続けます。
二本目の矢をつがえ、それを射ると最初の矢に命中、裂いてしまいました。
見物人は再び「すごい、すごい、お見事」と驚嘆の声を上げます。

するとまた同じ声で「それくらい、練習すれば誰でもできるさ」と野次が飛びます。

この見世物が終わるころには、名人はずいぶん苛立っていました。
彼の方は名人芸を披露しているのに、くだんの男は「練習すれば誰でもできるさ」と
何度も野次を飛ばすのですから当然です。

ついに名人は見物人の後の方まで行き、その声の主を見つけます。
男は竹の天秤棒をかつぎ、前にも後ろにも油壷をぶら下げて油を売っているのです。

名人は油売りに向かって
「練習すれば誰でもできるなどとよくも言えたものだ。
お前なんぞ、たかが油売りだろう。俺様ときたら、この腕前見たさに
見物人がはるばる遠くからやって来るほどなのだ」と迫ります。

油売りは名人の方を見て
「あゝ、練習すれば誰でもできるようになりますよ。
では、私がひとつお見せしましょう」と言います。

すると、油売りは一本の瓶を取り出し、その口に穴あきの硬貨を置きました。
そして、その硬貨の小さな穴を通して、壷の油を、
何と一滴もこぼさずに瓶に注ぎ込みました。

男は名人に向き直ると「今度はあなたやってくださいよ」と言います。

もはや名人にはなすすべもありません。
まさに熟練、つまり、日々練習を重ねることが何をもたらすかを思い知らされたのです。

              ・・・

あなたは、毎日 何を練習していますか。

優しい気持ちを持つことですか。

それとも、不平不満を言うことですか。

心の奥にある平和を感じる練習をしてください。
そうすれば それが上手になります。

・・・

講演者 プレム・ラワット に関しては、次のスレッドにてご確認ください。

(1)伝統板・第二「Pot with the Hole 穴のあいた桶」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7082715

(2)伝統板・第二「Pot with the Hole 穴のあいた桶 ②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7601255

            <感謝合掌 平成29年8月4日 頓首再拝>

「名馬の骨」 - 伝統

2017/08/18 (Fri) 18:47:31


         *『斎藤一人 商人道』尾形 幸弘・著(P20~21)より

「名馬の骨」という中国のお話があります。

昔、中国の王さまが「名馬を買って来い」と指示をします。
言われた人は馬の骨を入れた壷を持って帰ってきて、
「これが名馬の骨でございます」って言う。

そしたら、王さまはビックリして
「お前、いくら名馬でも、骨じゃしょうがないだろ」って言うのですが、

その人は
「王様、違います。名馬を買ったんじゃ話題になりません。
だけど、名馬の骨を買えば、
『あそこの王様は、名馬だったら骨でも買う』って噂が立ちます。
そしたら、ここにいながらにして、国中の名馬が集まります。」
と答えるのです。

そしたら、ホントに、国中から名馬が集まってきたのです。

              ・・・

名馬の骨を買ってきたヤツ、ほんとうに頭がキレるんだよ。
何をすると人が噂するか、人間の心理を読んでいたんだよ。

思い通りに噂をコントロールする。
それをサラッとやれることが、中国人の「頭のよさ」という
観念のなかに含まれているんだよね。

オレは、商人に大切な「頭の良さ」というもの、究極の眼力は、
「何をすると人は何を思うかを見抜く」、ってことだと思っているんだよ。

            <感謝合掌 平成29年8月18日 頓首再拝>

こびとのくつや - 伝統

2017/09/04 (Mon) 17:38:14


       *「グリム童話」より

あるところにおじいさんとおばあさんがいました。
 
とっても親切で、破れた靴を見ると、
「お金はいらないよ」と言って直してあげていました。
すると、途端に貧乏になっていき、最後の革になってしまいました。
 
おじいさんが「最後の革か」とポツリと言ったら、
おばあさんは「最後まで素敵な靴を作りましょう」と励ましてあげました。
 
そしてその日は寝たのですが、翌朝、机の上に立派な靴が作られていました。
それをお店に出すと、すぐに売れてしまい、新しい革を買うことができました。
 
すると翌日はその革でまた立派な靴が作られていました。
それをお店に出すと、途端に売れてしまいます。
お店も繁盛しました。
 

どうして靴ができているのだろうと、
夜中におじいさんとおばあさんは起きて見ていました。
 
すると裸の小人が一生懸命に靴を作っているのです。
 
翌日、おじいさんとおばあさんは小人のために小さな服と靴を作ってあげました。
 
すると夜中に出てきた小人たちは大喜びでした。

             ・・・

「こびと」は誰にでもいて、その正体は「潜在意識」と呼ばれているもの。

普段は出てこないけど、いざとなったらすごい力を発揮する連中。

どんな時に、「こびと」が出て来るかというと、
童話では「最後の革」になったときだけど、
それを現実に照らし合わせると、「ギリギリ」ということ。

やるだけやってもう後がない、
そんなときに潜在意識はすごいい力を発揮して
バババ~ッと仕事をやっつけてくれる。

   (「夢がかなうとき、「なに」が起こっているのか?」
         石田久二・著(P24~31)より )

            <感謝合掌 平成29年9月4日 頓首再拝>

砂漠が美しいのはね、どこかに泉を隠してるからなんだよ - 伝統

2017/09/11 (Mon) 19:14:20

目には見えないもの

       *サン=テグジュペリ著 『星の王子さま』より

『砂漠が美しいのはね、どこかに泉を隠してるからなんだよ』

僕の知らない 遠い所から来たという人、自らを“王子”だと名乗る人
   
そんな不思議な“王子さま”が、ふと 僕に語りかけた

初めは意味が解らず ただ呆然と その言葉を聞いていた
   
すると 王子さまは こう 説明してくれた

『果てなく続く一面の砂漠。ただ茶色一色の世界』

『でも、それが、とても美しく見える』


「なぜ?」 僕は尋ねた。

『それはね、どこかに必ず、水があるからなんだよ』

『青い秘密を隠した砂漠は、とても美しい』

『秘密を隠しているからこそ、砂漠は美しい。とても魅力的だ』


「それでも、砂漠が美しいとは思えないな」

僕は 王子さまに反論するように云った だって・・・
「どこにあるか分からない、見えない泉を信じるなんて」僕にはできない
「泉がどこにあるか分かる砂漠なら、美しいと思えるかもしれないけど」

そんな僕を見て 王子さまは笑った

『初めから水があるって分かっていたら、砂漠は砂漠じゃないだろう?』

『茶色い世界。でも、どこかに必ず青い希望がある。だから美しい世界』

なるほど

ほんの少しだけど 王子さまの言葉が理解できた気がする

すると 王子さまは こう つづけた

『本当に大切なものは、目には見えないんだよ』

『砂漠が泉を隠しているのと同じ。本当に大切なものは見えないんだ』



そうか そういうことだったのか

人は形あるものばかり追い求め 形あるものばかりを大切にする

でも 本当は 違うんだ

本当に大切なものは 形なんてない
だから 目には見えないものなんだ

目には見えない 形のないものこそ 本当に大切なもの

でも 本当は 見えるんだ

本当に大切なものは 形なんてなくても 見えるんだ
ただ 誰も見ようとしないだけ

見ようとしなければ 見えない

形あるものは いつか壊れる
だけど 形ないものは 壊れることはない 永遠に

形はなくても 大切なもの

それは愛 それは夢 それは希望


「やっと解ったよ、王子さま!」

そう言いかけて 振り向くと
そこには もう 誰もいなかった

「せっかちな王子さまだなぁ・・・」

思えば 初めて会ったときも 忙しそうだった
それでも 僕に 語りかけてきてくれたのだ

大切なことを残して 風のように去っていった王子さま
きっと 別の場所で また 誰かに同じことを語りかけてるんだろう


   「ありがとう」

そう 心の中でつぶやいたとき
ふと 王子さまが微笑んだ気がした

あの いたずらっぽい 笑顔が      

            <感謝合掌 平成29年9月11日 頓首再拝>

因幡の白兎 - 伝統

2017/10/11 (Wed) 22:06:47


(あらすじ)

昔々、隠岐の島に住む1匹の白兎が、ある姫神に会いたいと思い
因幡の国へ行きたいと考えていました。
しかし、隠岐の島と因幡の間は海でとても自力では渡れません。

そこで白兎はワニザメをだまして向こう岸に渡ろうと考え、
『ワニザメさん、君たちの仲間と僕たちの仲間とどちらが多いか比べてみようよ』
と提案し、 ワニザメを因幡の国まで並べさせ、
その上をピョンピョンと渡っていきました。

そしてもう少しで向こう岸に着こうというとき、あまりの嬉しさについ、
『君たちはだまされたのさ』と言ってしまいました。

それに怒ったワニザメは、白兎の体中の毛をむしり取り、
あっという間に丸裸にしてしまいました。

丸裸にされた白兎がその痛みで砂浜で泣いていると、
そこに大国主命の兄神様が大勢通りかかり
(大国主命の兄神達は、隣の因幡の国に八上姫という美しい姫がいる
という噂を聞きつけ、 自分のお嫁さんにしようと、
因幡の国に向かっている途中でした)、

面白半分に『海水で体を洗い、風に当たってよく乾かし、
高い山の頂上で寝ていれば治る』と言いました。

白兎が言われたとおりにしてみると、海水が乾くにつれて
体の皮が風に吹き裂かれてしまい、ますますひどくなってしまいました。

あまりの痛さに白兎が泣いていると、兄神達の全ての荷物を担がされて
大きな袋を背負った大国主命が、兄神達からずいぶんと遅れて通りかかり、
白兎に理由を尋ねました。

そして、『河口に行って真水で体を洗い、蒲の穂をつけなさい』と言いました。

白兎がその通りにすると、やがて毛が元通りになりました。
たいそう喜んだ白兎は『八上姫は兄神ではなく、あなたを選ぶでしょう。
あのような意地悪な神様は、八上姫をお嫁にもらうことは出来ません』と言い残し、
自らが伝令の神となって、兄神達の到着より前に、
この事実を八神姫に伝えたのでした。

これを知らない兄神達は、先を競って姫に結婚を申し込みましたが、
姫はそっけなく対応し、『私はあなた方ではなく、大国主命の元へ嫁ぎます』
と言い、兄神達を追い返したのでした。

           ・・・

白兎は八上姫(やがみひめ)と大国主命との縁を見事に取り持ち、
鳥取県で『白兎神社』の御祭神となっています。

   ( http://sirousagi.com/story.html )

・・・

因幡の白兎 (いなばのしろうさぎ)【読み聞かせ】日本昔ばなし
 → https://www.youtube.com/watch?v=0Eh2YK3WeRk

・・・   

童謡・唱歌: ♪大黒さま
 → https://www.youtube.com/watch?v=SI1e2Vhnkzo

「大黒さま」 (曲/田村虎蔵・詞/石原和三郎)

一、

大きな袋を 肩にかけ
大黒様が 来かかると
ここにいなばの 白兎(しろうさぎ)
皮をむかれて 赤はだか


二、

大黒さまは あわれがり
きれいな水に 身をあらい
蒲(がま)の穂綿(ほわた)に くるまれと
よくよく教えてやりました


三、

大黒さまの言うとおり
きれいな水に 身をあらい
蒲(がま)の穂綿(ほわた)に くるまれば
兎(うさぎ)はもとの 白兎(しろうさぎ)


四、

大黒さまは だれだろう
大国主命(おおくにぬしのみこと)とて
国をひらいて 世の人を
助けなされた神さまよ


*歌ではガマの穂わたとなっていますが、
 古事記原文では蒲黄(ほおう)のこと。
 パウダー状の蒲の花粉は止血剤・鎮痛剤などとして
 古代から使用されていました。

            <感謝合掌 平成29年10月11日 頓首再拝>

因幡の白兎~(古事記)と考察 - 伝統

2017/10/12 (Thu) 20:07:54

因幡の白兎(古事記)

故此大國主神之兄弟八十神坐。然皆國者避於大國主神。所以避者。
其八十神各有下欲婚稻羽之八上比賣之心共行稻羽時。於大穴牟遲神負{代巾}。
爲從者率往。於是到氣多之前時。裸菟伏也。爾八十神謂其菟云。汝將爲者。
浴此海鹽。當風吹而。伏高山尾上。故其菟從八十神之教而伏。
爾其鹽隨乾。其身皮悉風見吹拆。故痛苦泣伏者。最後之來大穴牟遲神見其菟。
言何由汝泣伏。菟答言。僕在淤岐嶋。雖欲度此地。無度因。故欺海和迩
【此二字以音。下效此】言。吾與汝竸。欲計族之多少。故汝者隨其族在悉率來。
自此嶋至于氣多前皆列伏度。爾吾蹈其上。走乍讀度。於是知與吾族孰多。如此
言者。見欺而列伏之時。吾蹈其上讀度來。今將下地時。吾云。汝者我見欺。言竟。
服。因此泣患者。先行八十神之命以。誨告浴海鹽當風伏。故爲如教者。我身悉
傷。於是大穴牟遲神教告其菟。今急往此水門。以水洗汝身。即取其水門之蒲黄。
敷散而。輾轉其上者。汝身如本膚必差。故爲如教其身如本也。此稻羽之素
菟者也。於今者謂菟神也。故其菟白大穴牟遲神。此八十神者必不得八上比賣。
雖負袋(衣の部分が巾)汝命獲之。

          ・・・

(因幡の兎の古事)

        *Web:白兎神社 より

古事記(和銅五年正月太朝臣安萬呂所撰)上巻に日く


八十神、おのもおのも稲羽の八上比売をよばはんの心ありて、
共に稲羽に行きける時に、大穴牟遅の神に袋を負せ、
供人として率てゆき是に気多之前に到りける時に、赤裸なる兎伏せり。

八十神其の兎に謂ひけらく、
『汝はこの海塩を浴み、風の吹くにあたりて、高山の尾上に伏してよ。』といふ。

故に其の兎、八十神の教えのまゝに伏しき。

こゝに其の塩の乾くまにまに其の身の皮、ことごとに風に吹きさかへしからに、
痛みて泣き伏せれば、いやはてに来ませる大穴牟遅の神、其の兎を見て、
何ぞも汝泣き伏せると問ひ給ふに兎申さく、

『僕、淤岐ノ島にありて、この地に渡らまく欲りつれども、渡らむ由なかりし故に、
海の鰐をあざむきて言ひけらく、「吾と汝と族の多き少きを競べてむ、
故に汝は其の族の在りのことごとに率ひ来て此の島より、気多之前まで、
皆並み伏し渡わたれ、吾其の上を踏みて走りつつ読み渡り、
ここに吾が族と何れが多きといふにとを知らん。」

かく言ひしかば欺かへて列伏せりし時に、吾、其の上を踏みて読み渡り来て、
今、地に下りんとする時に、吾「汝は吾に欺かへつ。」と言終れば、
即ち最端に伏せる鰐、我を捕へて、ことごとに我が着物を剥ぎ、
これによりて泣き患ひしかば、先だちて行てませる、
八十神之命もちて、海塩を浴みて、風に当り伏せれと教へ給ひき。

故に教への如くせしかば、我が身ことごとに傷えつ。』と申す。

こゝに大穴牟遅神、其の兎に教へ給はく
「今急く此の水門に往きて、水もて汝が身を洗ひて、其の水門の蒲黄をとりて、
敷散らして、其の上に、まころびてば、汝が身、元の如く必ず癒えなむ。」
と教へ給ひき。

故に教への如くせしかば其の身もとの如くなりき。

これ稲羽の素兎といふ者なり。

今に兎神となも云ふ。

故に其の兎、大穴牟遅神に申さく、
『この八十神は必ず、八上比売を得給はじ、袋を負ひ給はれども汝命ぞ得給はむ。』
と申しき。

こゝに八上比売、八十神に答へけらく、
『吾は汝たちのことは聞かじ、大穴牟遅神に嫁はな。』と言ふ

          ・・・

先代宮司の考察

白兎というのは、実は野に住む兎でなく、
神話時代にこの地方を治め信望の高かった一族のことを言ったもので、
白兎と呼ばれたのは、兎の如くおだやかであったからだと言われています。

その一族が航海を業としており、沿海をおびやかしていた
「わに」と呼ばれていた賊と淤岐之島付近で戦ったのです。

最後の一戦で負傷して苦しんでいる白兎の一族が、
大穴牟遅命(大国主命)に助けられ、後に大穴牟遅命と協力して
「わに」を討伐してこの地方を治め、
大穴牟遅命には八上比売を嫁とらせたというのであります。

そのこともあって、縁故の深い此の山に宮居を定めるに至り、
後世までも白兎神として崇敬される様になったものであろう。


以上が、宮司の考察ですが、

大正の鳥取新報にも同様な記事がありましたので紹介します。


大正9年11月発行 「鳥取新報」記事

この付近を領していた白兎神は、和邇の大軍と淤岐ノ島で戦った。

和邇と云うのは日本海を荒らして居る乱暴な船乗り共であった。

古事記には此の戦いの有様を面白く書いて居る。
和邇の大軍が押し寄せた模様を、「頭を並べて」と記し
火花を散らして白兎の神々が、この和邇と戦う姿を、
「和邇の頭を数えつ、飛んだ」と書いて居る。

白兎神は淤岐ノ島から気多ノ前まで押し寄せて来る和邇の大軍を物ともせず戦ったが、
最後の和邇の為に打ち破られ血に塗れて倒れた。

これを見ると和邇軍は、勝鬨を挙げて引き揚げたのである。

古事記にはこの様を「最後の和邇、我を捕えて我が衣を剥げり」と書いて居る。

勇敢な白兎の神様も、虫の息となりて打ち倒れていたのであろう。

      (https://hakutojinja.jp/mythology/

            <感謝合掌 平成29年10月12日 頓首再拝>

浦島太郎 - 伝統

2017/10/20 (Fri) 17:58:34


童謡【浦島太郎 歌詞】

むかしむかし浦島は
助けた亀に連れられて
龍宮城へ来て見れば
絵にもかけない美しさ

乙姫様のごちそうに
鯛やひらめの舞踊り
ただ珍しく面白く
月日のたつのも夢のうち

遊びにあきて気がついて
おいとまごいも そこそこに
帰る途中の楽しみは
みやげにもらった玉手箱

帰って見れば こはいかに
元いた家も村も無く
みちに行きあう人々は
顔も知らない者ばかり

心細さにふた取れば
あけてくやしき玉手箱
中からぱっと白けむり
たちまち太郎はおじいさん

   (https://www.youtube.com/watch?v=O_t0nymEIYs

            ・・・

珍説浦島物語~龍宮は宇宙の彼方に

        *Web:天文教育 2010 年 11 月号
               ~作花一志(京都情報大学院大学)


浦島太郎が助けた亀に乗って竜宮城に行き、乙姫様と楽しく暮らし、
お土産に玉手箱をもらい、帰ってみたら知らない人ばかり、
開いた玉手箱から出た煙でたちまち彼はお爺さんになってしまった・・・

という童話は誰もが知っていますね。

この話の出典は『御伽草子』という室町~江戸時代にできた物語集です。

浦島太郎は『御伽草子』では、その後、鶴になり蓬莱の山へ飛び去ったと結び、
後日、亀とともに神として祀られたことになっています。

浦島伝説はずっと古くからあり、その原型は
私たちがなじんでいるものとかなり異なっています。

それを物語る奈良時代の文書は、なんと『万葉集』と『日本書紀』です。

『万葉集』では老いた彼はその場で死ぬことで終わっています。

また『日本書紀』では「雄略天皇二十二年秋七月」という年が書かれていますが、
その記述は非常に短く、詳しくは別巻(ことまき)でということで終わっています。

重要なのはその別巻(参考文献)である『丹後国風土記』です。
その原本は失われていますが、逸文(後世の書物に引用された文章)
として詳しく伝わっています。

万葉仮名なので不明な箇所(*の部分など)もありますが、
要点だけを現代文に訳してみます。

--------------------------------------

丹後の国、与謝の郡、日置の里、筒川の村に「筒川の嶼子(しまこ)」
別名「水江の浦の嶼子」という容姿端麗で優雅な男がいました。

ある日嶼子は、一人で大海に小船を浮かべて釣りをしていましたが、
三日三晩しても全く釣れませんでした。

ところがついに五色の大亀が釣れ、船上に上げて眺めていると
眠くなっていつの間にか寝てしまいました。

しばらくして目が覚めると、亀が美しい乙女に姿を変えていました。

ここは陸から離れた海の上、「どこから来たのですか。」とたずねると、
乙女は微笑みながら「あなたが一人で釣りをしていたのでお話ししたいと思い、
天上仙家から風雲に乗って会いきました。」と言います。

そして天地日月の果てまでと嶼子のそばにいたいとモーレツに求愛し、
海の彼方にある蓬山(とこよ)の国へ誘います。

初めは疑っていた嶼子も彼女の熱意(というより誘惑)に負けて、
一緒に行くことにしました。

嶼子は船をこぎ始めるとすぐに眠ってしまいました。

まもなく宝石をちりばめているように光り輝く大きな島に着きました。
そこはこれまでに見たことがない景色でした。

大変高くてきれいな宮殿があり、楼閣はすべて光輝いているように見えます。
二人は手を取り合ってゆっくりと歩んでいくと、
一軒の立派な屋敷の門の前に着きました。

乙女は「ここで待っていてください。」と言って中に入っていきました。
門の前で待っていると、7人の子供がやってきて
「この人は亀姫様のお婿さんになる人だ。」と語っています。

そして、次に8人の子供がやってきて、
また「亀姫のお婿さんはこの人だ。」と話しています。

嶼子は乙女の名は亀姫で、この宮殿のお姫様だと知りました。

しばらくして、乙女が出てきて「この7人の童は昴星で、8人の童は畢(ひつ)星ですから、
ご心配なく。」と説明して門の中へ案内しました。


ここから先は私たちの知っている童話とほぼ同じですが、最後が違っています。

嶼子は亀姫と結婚して、何不自由ない楽しい日々をすごしました。
ところが3年経って故郷へ帰りたくなり、妻・亀姫にそのことを話すと、
彼女は非常に悲しみ「永遠の誓いをしたのに、あなたは私一人を残して
帰ってしまうのですね。」と涙を流します。

しかしついに「私のことを忘れないで、また会いたいと思うのなら
決してふたを開けてはなりません。」と言って玉匣(たまくしげ)を渡します。

亀姫の両親に別れを告げ船に乗って目を閉じると、
たちまちのうちに故郷の筒川に着きました。

ところがそこにはかつての村の姿がなく、見たことのない景色ばかり、
しばらく歩いて、村人に水江の浦の嶼子の家族のことを聞いてみました。

すると不思議そうな顔をして「今から300年前に嶼子という者が、
海に出たまま帰ってこなかったという話を年寄りから聞いたことがあるが、
あなたはどうしてそんなことを急に尋ねるのですか?」という答です。

嶼子は村を離れていたのは3年間だと思っていたのですが、
実は300年も経っていたと知り、途方にくれてしまいました。

さまよい歩くこと1か月、再び妻に会いたくなり、
約束も忘れて持っていた玉匣のふたを開けてしまいました。

すると中から芳(かぐわ)しいにおいが天に流れていってしまいました。

ここで我に返って約束を思い出しましたが、すでに遅かったのです。

彼は首をめぐらしてたたずみ、涙にむせび、うろうろ歩き回るばかりでした。

そして次の歌を詠みました。

   常世べに 雲たちわたる 水の江の 浦嶼の子が 言持ちわたる


遙か彼方の芳音の中から亀姫の歌が、

   大和辺に 風吹き上げて 雲放れ  退き居りともよ 吾を忘らすな


嶼子は恋慕に耐えきれずに歌います。

   子らに恋ひ 朝戸を開き 吾が居れば  常世の浜の 波の音聞こゆ

これについて後世の人はこう歌いました、

   水の江の 浦嶼の子が 玉くしげ開けずありせば またも会はましを
   常世べに 雲立ちわたる たゆ*** 雲はつかめと 我ぞ悲しき

    --------------------------------------

物語はここで終わっています。

・・・

<参考:全国の浦島太郎伝説
    → http://www.asukanet.gr.jp/tobira/urashima/urashima.html >

            <感謝合掌 平成29年10月20日 頓首再拝>

もう一つの浦島太郎伝説 - 伝統

2017/10/21 (Sat) 19:49:18


         *Web:網野神社(京都府京丹後市)公式ホームページより

《水江浦嶋子(みずのえのうらしまこ) (網野町のうらしま太郎伝説) 》 


昔、銚子山古墳の地続きに日下部氏の屋敷がありました。
日下部曽却善次(くさかべそきゃくぜんじ)夫婦には子供がなく、
子宝に恵まれたいと百日祈願をしていました。

満願の夜、夫婦は不思議に同じ夢を見ました。  

神から「二人の願いを聞き届けよう。明朝、福島へ来い」とのお告げです。
翌朝、出かけると赤子が置かれており、夫婦は「嶋子(しまこ)」と
名付け大切に育てました。  

釣り好きの若者に成長した嶋子は、澄の江での漁の時は釣った魚を
一旦磯の「釣溜(つんだめ)」にビクのまま漬けておいたといいます。  

ある日、嶋子は福島で大変美しい娘に出会いました。

乙姫様でした。

二人は、夫婦の約束をし、小船で竜宮城へ行きました。

手厚いもてなしを受け三年の月日が経ちました。  

嶋子は故郷が恋しくなり、帰ることになりました。

乙姫様が「お別れに手箱を差し上げます。再びお出でくださる気持ちがあるなら、
決して中をお開けなさいますな」と美しい玉くしげ(玉手箱)を手渡しました。

嶋子は懐かしい万畳浜へ帰ってきました。

ところが、屋敷に着いてみると、雑草が茂って一面の荒野原に……。
竜宮城での一年は、人間界の何十年にもなっていたのです。
嶋子は悲しみ、途方に暮れました。

その時、玉くしげのことを思い出し、
これで数百年の昔に戻れるのではと箱の蓋を開けました。

すると中から白い煙が立ち上り、嶋子はしわだらけのおじいさんに。

驚いた嶋子は思わず自分の頬のしわをちぎって榎に投げつけました。
その後、嶋子がどうなったかはわかりません。

(網野町資料から)

   (http://aminojinja.sakura.ne.jp/urashimadennsetu.html

            <感謝合掌 平成29年10月21日 頓首再拝>

浦島太郎の原型/風土記・万葉集 - 伝統

2017/10/22 (Sun) 20:23:55


        *Web:日本の神様と昔話(2013/10/6) より

浦島太郎は原型からだいぶ形が変わってしまった昔話。

「丹後国風土記」(8世紀前半?)には、

助けた亀に連れられて竜宮城へ…
玉手箱をあけるとお爺さんになってしまう

という現代の中心部分は存在しない。

風土記は女性の熱烈な恋を描いた昔話。

海で釣りをしていた「水江浦島子」に神の娘が一目惚れ。



   「賎妾が意は、天地と畢へ、日月と極まらむとおもふ。
    但、君は奈何にか、早けく許不の意を先らむ。」


   この世に天地がある限り、太陽と月が輝いている限り、
   私はあなたを愛し続けます。あなたの返事を聞かせて。
   と愛の告白をして、浦島を常世(あの世)の国へ連れて行く。

そして故郷に帰りたいという浦島に渡された玉手箱。

その中に入っているのは、なぜか娘自身。

浦島が約束をやぶって玉手箱を開けてしまうと、
娘は湧き出る雲とともに常世の国へ飛び去っていく。


   大和へに 風吹き上げて 雲離れ 退き居りとも 我を忘らすな


私のことを忘れないで、という和歌を残して。

             ・・・

「万葉集」(8世紀半ば)になると話はだいぶ違ってくる。

釣りに夢中になった浦島が、この世と常世の境を超えてしまい、
海で出会った海神の乙女と出会い、常世で一緒に住み始める。

愛の言葉も特にないことから、もはや恋が主題ではなく、


   「老いもせず 死にもせずして 長き世に ありけるものを 世間の 愚か人の」


むしろ不老不死を手に入れたはずの人間が、
神との誓いを破ったことで楽園を喪失する昔話になっている。

また玉手箱で一気に歳をとる設定は「万葉集」で登場。

            ・・・

※亀・竜宮城・玉手箱のセットは室町時代の「御伽草子」が起源

     (http://pixy10.org/archives/33704153.html


・・・

<参考:万葉集巻九、雑歌、一七四〇~水江浦島子を詠んだ長歌>

春の日の 霞める時に 住吉の 岸に出で居て 釣船の とをらふ見れば 
古の事ぞ念ほゆる 

水江の 浦島児が 堅魚釣り 鯛釣り矜り 七日まで 家にも来ずて 
海界を 過ぎて榜ぎ行くに 海若の 神の女に 邂に い榜ぎ向ひ 
あひとぶらひ こと成りしかば 

かき結び 常世に至り 海若の 神の宮の 内の重の 妙なる殿に 携り 
二人入り居て 老もせず 死もせずして 永き世に 在りけるものを

(中略) 

住吉に 還り来りて 家見れど 家も見かねて 里見れど 
里も見かねて 怪しと そこに念はく 家ゆ出でて 三歳の間に 
牆(かき)もなく 家滅せめやと この筥を 開きて見れば 
旧の如 家はあらむと 

玉筺 少し開くに 白雲の 箱より出でて 常世方に 棚引きぬれば 
立走り 叫び袖振り 反側(こいまろ)び 足ずりしつつ 
たちまちに 情消失せぬ 

若かりし 膚も皺みぬ 黒かりし 髪も白けぬ ゆなゆなは 気さへ絶えて 
後つひに 寿死にける 水江の 浦島子が 家地(いえどろこ)見ゆ

   (http://manyoarakaruto.web.fc2.com/urasimataroh.html

            <感謝合掌 平成29年10月22日 頓首再拝>

かぐや姫が月に還った日は? - 伝統

2017/10/23 (Mon) 20:42:03


竹取物語
https://ja.wikisource.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%8F%96%E7%89%A9%E8%AA%9E


        *Web:天文教育 2010 年 11 月号
               ~作花一志(京都情報大学院大学)

「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり」で始まる『竹取物語』は、
竹の中から生まれたかぐや姫がお爺さんお婆さんに富をもたらし、
十五夜の月に還っていくという誰もが知っているお話ですね。

しかし実はこれ、童話でもSFでもなく反権力風刺小説なのです。
原本は残っておらず、成立年・作者とも不明ですが『源氏物語』に
「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」という文章があることから
平安初期の作品であることは確かです。

問題はかぐや姫に求婚する5人の公達で、そのうちの3人、
阿倍御主人(あべのみうし635-703:右大臣)、
大伴御行(おおとものみゆき646-701:大納言)、
石上麻呂(いそのかみのまろ640-717:左大臣)
は古代律令制が成立した飛鳥朝廷の高官です。

阿倍御主人の子孫には安倍晴明がいるし、大伴御行はもちろん大伴氏で、
石上麻呂は物部氏の末裔です。

また石作皇子(いしづくりのみこ)のモデルは多治比嶋(624-701:左大臣)、
車持皇子(くらもちのみこ)のモデルはなんと藤原不比等(659-720:右大臣)
であることが、江戸時代からの研究でほぼ確定しています。

かぐや姫はこの5人の公達にプロポーズを受ける条件として、噂にしか聞いたことがなく、
手に入れるのは非常に困難な珍しい宝物を持ってくるように伝えます。

石作皇子は天竺にある「仏の御石の鉢」を持参ということでしたが、
大和国十市郡の山寺にあった古い鉢を持って行って、見破られてしまいました。

車持皇子は「蓬莱の玉の枝(根が銀、茎が金、実が真珠の木の枝)」の
偽物を秘密の工房で千日かけて作らせ持って行きます。
翁はすっかり信用してかぐや姫ピンチ、そこへ報酬を支払われていない職人がやってきて
嘘がばれ、なんともお粗末な結末。腹いせにその職人たちを後で滅多打ちにしています。

阿倍御主人は唐土にある「火鼠の裘(かわごろも)(燃えないとされる布)」を
唐の商人から高値で購入しましたが、それは燃えてしまって贋物だと分かりました。

大伴御行は「龍の首の珠」を探しに、財をはたき行き先もわからず船出しますが、
大嵐に遭い、さらに重病にかかったため諦めてしまいました。

石上麻呂にいたっては「燕の産んだ子安貝」を取るために籠に乗って
大炊寮の小屋の屋根に上ったところ、燕の糞をつかんで転落して腰を打ち、
命を落としてしまいました。

このうち車持皇子が最も悪く書かれています。

かぐや姫はこの5人に無理難題を吹っ掛け退散させ、この左右大臣を含む
高位高官たちの失敗を嘲笑っています。

さらに帝からの入内命令にも従わず、最後には武力にも屈せず、
故郷の月へ帰ってしまうというたくましい女性です。
決してなよなよしいお姫様ではありません。

彼女は天上で罪を犯し地上に遣られ、それが許され月へ戻るわけですが、
これは左遷追放されたけど後年恩赦か何かで都に戻られた公家のようです。

そういえば光源氏も一時左遷されていますね。

この物語の最後に重要な文章があります。

月へ還っていくかぐや姫は帝に不死の薬と天の羽衣、帝を慕う心を綴った文を贈りました。
しかし帝は「かぐや姫のいないこの世で不老不死を得ても意味が無い。」と、
それを駿河国にある日本で一番高い山で焼くように命じました。

それからその山は「不死の山」(富士の山)と呼ばれ、
その山頂からは常に煙が上がるようになりました。
実際、平安時代には富士山は常時煙を吹いていたことが知られています。

かぐや姫を入内させようとし、月へ還ってしまってからも未練心を抱いている帝とは
誰でしょうか?

この5人が都にいた時の天皇は天武、持統、文武ですが(図2)、持統は女帝だから除かれ、
天武在位期に不比等はまだ若輩で表舞台には現れていない、従って文武(在位697-707年)
しかありえません。

かぐや姫が月へ還ってしまった日はこの在位期間の中秋の名月(旧8月15日)である
ことから推定できます。

文武天皇は父・草壁皇子が若死にしたので14歳で即位しますが、
お祖母さんの持統上皇(645-703)が実権を握っている間は、光り輝くとはいえ、
どこのだれかわからない田舎娘を宮中に迎え入れるなんてもっての他だったでしょう。

この帝は707年7月に24歳で亡くなっているので、
問題の宵は703年(大宝三年)~ 706年(慶雲三年)の中秋の名月となります。

結局、
703年9月30日、
704年9月18日、
705年9月7日、
706年9月26日、
この4つに絞られ、

没年直前の中秋の名月である706年9月26日(日) が最有力候補となりそうです。

『竹取物語』の舞台はどこでしょうか?京都府南部(長岡京市、八幡市、京田辺市)、
奈良県広陵町、富士市などの候補がありますが、
飛鳥藤原京に近いことから広陵町が有力です。


最後に『竹取物語』の作者は誰か?

空海、源順、紀貫之、紀長谷雄・・・多数の候補者が上がっていますが、
藤原不比等を嘲笑っているからには、藤原氏に恨みがあり、仏教・道教・漢籍・和歌などに
精通し、もちろん文才もある人でしょう。
そこで紀貫之(866?-945?)が最有力候補になっているそうです。

紀氏は古来の名族で、彼は『古今和歌集』の編者、『土佐日記』の作者としては
有名ですが、位は従五位上-木工権頭(いわば営繕課長)という冷や飯食いだったそうです。

そういえば彼のいとこの紀友則の有名な歌
「久方のひかりのどけき春の日に しづ心なく花のちるらむ」(百人一首)は
「桜の花が散るのを悲しんでいるというより、桜の後に藤(原)の季節に
なることを嫌がっている」ように思えますね。

・・・

<参考>

かぐや姫物語は真実だった
http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51840658.html


            <感謝合掌 平成29年10月23日 頓首再拝>

浦島太郎と竹取物語は一つの物語だった - 伝統

2017/10/24 (Tue) 19:09:15


       *「ヒナ型NIPPONの《2018:ミロク世グレン》の仕組み」
        ~飛鳥 昭雄/板垣 英憲/長 典男/内記 正時/ロッキー田中/著
          (P84~87) より

(長 典男)

皆さんはご存じではないと思いますが、浦島太郎とかぐや姫というのは、
実は繋がった物語なんです。

浦志太郎は亀を助けたことで竜宮城に招待され、乙姫様のもてなしを受けて、
それが心地よかったのでしばらく滞在した後、故郷に戻ってきました。
そしたら思った以上に時間が経っていて、誰も知っている者がいなくなってしまった。

その淋しさに、よせばいいのに開けてはいけないと乙姫様から指示されていたのにも
かかわらず、玉手箱を開けてしまいお爺さんになってしまいました。


実はここから竹取物語の話に入っていくのです。

お爺さんになってしまった浦島太郎は、誰も知っている人がいないこともあって、
故郷で暮らす虚しさから逃げ出すために山に入ったというのです。

そのとき浦島太郎を助けてくれたのが独り身のお婆さんで、その線で一緒に
暮らすようになったというんです。

なんか世間によくあるような話で下世話な気もするんですが、
実際にそうなったんですから、仕方ありませんね。


そんなある日、お爺さんが竹藪に竹を取りに行ったら光っている竹があって、
この光っているのはいったい何だろうと興味を惹かれて、その竹を切って
みたら出てきたのが赤ちゃんだった。

そして赤ちゃんを連れて帰り、かぐや姫と名付けて育てることにしたのです。

この辺はお伽噺の竹取物語で語られるとおりなんですが、そこには
隠された事実があるんです。それが何なのかというと、実はかぐや姫というのは
乙姫様だったんですよ。

乙姫様は浦島太郎のことを好きになってしまい、ずっと一緒に暮らしたいと
思うようになったらしいのです。それも竜宮城の乙姫ではなく、ひとりの
女性(人間)として結ばれることを望んだそうです。

そのため、一足先に玉手箱を持たせて浦島太郎を帰し、時期を選んで浦島太郎の
下に生まれるようにし、預けたあった玉手箱を開けて乙姫から一人の人間としての
女性、それも年頃の娘として生まれ変わる予定だったようなんですが、
先に浦島太郎が玉手箱を開けてお爺さんになっていた。

乙姫様はさずがっかりしたことでしょうね。
玉手箱というのは、その白い煙を浴びた者をたんに歳とらせるだけではなく、
竜宮城に住まう者を人間にする働きもあったらしいです。

それなので乙姫様は人間になることができなくなっただけではなく、
人間として歳をとることも許されなくなったので、乙姫様が持つ能力によって
3か月ぐらいで18歳ぐらいの娘にならざるを得なかったんです。

それでも、浦島太郎への思いは募ったままなのですが、肝心の浦島太郎は
お爺さんになっているだけではなく、その傍らにはお婆さんがいる。
何とも切ないですね。だから、かぐや姫は誰とも結婚しなかったんですよ。

そして、もうこのまま浦島太郎の傍にいても仕方がないという思いと、
人間になることができなかったので、いつまでも傍にいられないという思いから
月(竜宮城)に帰ることにしたそうなんですが、

帰るに当たって、その当時の天皇からも求婚されていたので、騙しているようで
申し訳ないという思いからか、「早く誰か奇麗なお嬢さんをもらって、
いつまでも幸せに暮らしてください」という置手紙を残したそうなんです。

それを受け取った天皇は「そんな物を今更もらって何になる。かぐや姫が帰った
のが月であるなら、その月からも見えるよう、天に一番近いところで燃やして
しまえ」と言ったそうで、

命じられた者は天に最も近い富士山の頂上に登り、思い出の品と共に、
かぐや姫の置手紙を燃やしたそうです。

これで浦島太郎の物語と竹取物語が終わるのです。

            <感謝合掌 平成29年10月24日 頓首再拝>

蜜蜂の魂 - 伝統

2017/10/26 (Thu) 19:04:36


       *「<苦難と恐怖の克服法> 人間救いの原理」第1章より


「昔或る処に一人の百姓が付近の森の中で
蜜蜂の大群を擁している蜂の巣を見つけたのでした。

これは素晴らしい、自分の農場に蜜蜂を飼うことにすれば、
何時も豊富に食卓に蜂蜜があることになる!

こう考えた農夫は巣箱を買って、毎日毎日1ダース位づつ蜜蜂を捕獲して来て、
その巣箱の中へ入れたのでした。

そして大分沢山蜜蜂が巣箱の中に収められ、その巣箱に慣れてきたようでしたから、
箱の蓋を開けて蜜をとりにゆくべく蜜蜂を放ったのでした。

ところが、蜂の群れは蜜を集めに行くどころか、
一直線に森の中の元の巣へと帰って行きました。

そこで農夫は面食らって、

『こりゃ、どうしたものでしょうか、
何故蜜蜂は私の巣箱に帰って来ないのでしょうか』と、
専門家の蜜蜂飼いに相談致しました。

蜜蜂飼の専門家は次のように答えました。

『蜜蜂の群を貴方の農場へ移転するには、唯一つの方法があります。
それは蜜蜂の魂を捉えることです。若し貴方が蜜蜂の魂を捉えて来れば、
蜜蜂の群はそのまま貴方の農場へ移転してまいります。
魂のあるところに外形は従うので。』

『蜜蜂たちの魂とは何ですか?』と農夫はたずねました。

『蜜蜂の魂はその女王です。その女王を貴方の巣箱の中へ移しなさい。
すると彼らの魂である蜜蜂の女王を楽しませ悦ばせることのみが唯一の目的である
残りの蜜蜂は影の形に添うが如く貴方の農場の巣箱へ移住してくるでしょう』

                 ・・・

以上は大意をとったものであるが、この寓話は大変面白いと思う。
富を得んとすれば、富の魂を捉えれば好いのである。

富と云う外形の影のみに恋して、影と結婚しようと思っても、それは無駄のことである。
「形の富」は影に過ぎない、「富」の魂は、即ち「富」の本質は、
「人間の幸福に奉仕すると云う精神」なのである。

精神を捉えてわがものとするならば、
外形は、影であるから自然に吾らに随って来るのである。

http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=353 <2016年06月07日>)


            <感謝合掌 平成29年10月26日 頓首再拝>

隠元豆 - 伝統

2017/11/18 (Sat) 20:14:47

          *「善と福との実現」(P269~274)より

昔々、ジャックという王子があった。
彼はある王様と結婚した年老いた妃の子供であった。

巨大な鬼が王様を殺して妃と彼女の小さき王子とを追放したのである。
そして今やこの年老いた妃は只1匹の牝牛と少しの地面とを残しただけで、
生活するために妃は王子とともに身体も魂も、ともに激しく働かねばならなかったのである。

その中にこの二人は金がだんだんなくなった。
遂に妃は牝牛を金に換えるために王子を市場へやらなければならなかった。
その金でほんの僅か暫くの間生計が維持出来るのであった。

市場にいく途中で王子のジャックは羊を連れてくる一人の男にあった。
その男に旨くだまされて、とうとう自分の連れて来た牝牛を羊に換えてしまったのである。

次には豚を連れてきた男に会った。
この男も前の男と同じように弁舌が達者であった。
そうして、たちまち王子の羊を豚に換えてしまった。

その次に王子はそれを鵞鳥に、鵞鳥を雌鳥にと次々に換えてしまったのである。
やがてその雌鳥も其の次には一握りの隠元豆と取り換えて、
それを母の王妃に見せるために帰って来たのである。

其の時、母の王妃が癇癪を起してその一握りの隠元豆を窓の外に捨ててしまった
と云っても、其の母を責めるものはないであろう。
恐らく私も同じことをきっとしたであろうと考える。

王妃たちはその晩、充分に眠ったのであった。

彼女は翌朝めを覚まして驚いたことには、その隠元豆から芽が出て家の傍に
天にもとどく高さにすくすくと延び、蔓を網の目のように拡げていることであった。

王子は他の子供も恐らくやるであろうと思われるように、
その隠元豆の茎を昇って行った。
隠元の茎の頂上で、王子はそこに大きな台地があると云うことを見出した。

それは空中にある不思議なる国である。
それは彼の王様を殺した鬼と、その妻が住んでいる世界であった。

鬼は「ヒヒー、ヒ、フォ、フン、人間の匂いがするぞ」と言って居った。
鬼が王子を見つけたならば、彼を捕らえて殺してしまったかも知れない。

然し幸いなことに、鬼の妃が何時かはこの王様から奪った3つの宝物を、
真の持ち主が来て要求したならば返したやろうと考えていた。

この鬼の住家へ王子はそっと入って行くと、その度ごとに
父が盗み取られた宝を一つずつ取り返した。

一つは赤い雉であった。
そしてそれは毎日黄金の卵を産んだ。

もう一つは人間の手を触れないでも、自然に鳴る竪琴(ハーブ)であった。

そして最後のひとつは身に纏うと何処へでもゆける所の魔法の敷物であった。

              ・・・

さて、教授(グレン・クラーク氏)はこのお伽噺を解釈して

「私にとっては之は只のお伽噺ではない。人間生活の総ては牡牛を隠元豆に換えるか、
隠元豆を牡牛に換えるかどちらかの商売をしているのである。

吾々のある人々は決して他のことをしないのである。
吾々の全てはいつかは隠元豆の茎を登って行くと同じ機会にめぐまれるのである」

と云っている。

  (註)このお伽噺は『お爺さんの云うことに間違いはない』という
     アンデルセンの童話によく似ている。

     併しこれはもうひとつ深いものがある。

     それは隠元豆の種子を地に委ねて了ったことである。
     そのまま委せて眠ること其処に神の救いの神秘がある。
     斯う云う真理のこもった寓話を神話と云うのである。


以上、私はグレン・クラーク氏の宗教的お伽噺に於いて、王子が相手に謂われるままに
素直に幾万円にも値する牡牛を段々物質的外形の小さいものを交換し、ついに
形の極小なる併し内部に生命を蔵する隠元豆と交換した童話の筋書きを話したのである。

隠元豆と云う名称も、甚だ相応しい名称である。
内部に「《元》」を《隠》している種子であると云う象徴であるからである。

吾々が得なければならないものは形の大小ではない。
「内に生命を蔵するもの」でなければならない。

隠元豆とはなんであるか。
それは吾々個々の人々の生命そのものである。

吾々は自己の生命として、内に大生命の本《元》を《隠》し有っているのである。
自分の生命そのものが隠元豆なのである。

その譬喩的なお伽噺は、日本の「福は内、鬼は外」の追儺(ついな)の行事に
老いて撒くところの大豆の譬喩にも当て嵌まる。
内に生命を蔵する豆を見出すことによって、鬼が消えてなくなるのである。


王子はそれを窓から捨てて大地にゆだねた。

キリストは「一粒の麦若し地に落ちてしなば多くの実を結ばん」と云ったが、
大生命から頂いた「個生命」をそのまま窓のうちに、閉じ込められた「自我」の
内に、堅く自己を守ろうとしている限りに於いて、それは多くの実を
結ぶことは不可能なのである。

机の上に置かれた一握りの豆は芽を出すことすら出来ない。

吾々は百尺竿頭一歩を跳躍しなければならないのである。
自我の殻を破(わ)ることが必要だ。
そして一歩自我の殻の外に飛び出せ。

そこには大地が吾々を抱擁し育むべく待っているのである。

雨は降るかも知れない。
風は吹くかも知れない。
それは一見困難なる外界の世界に晒される。

併し、雨は却って吾々を潤してくれるものであり、
風は却って吾々から害虫を払ってくれるものなのである。

大地とは神の譬喩だ。
風雨はその摂理の象徴である。

かくて風雨の自然的なはからいによって豆の種子は、「吾々の個生命」は、
大地の中に、神の大いなる慈手の中に抱かれる。


王子は隠元豆を窓から捨て、それを大地に委ねて眠ったと云うお伽噺の筋は
それを物語るものなのである。

かくて隠元豆はスクスクと伸びる。
天まで達(とど)くほどに伸びる。
大地に抱かれ、天にまで伸びる。

大地は神の大愛の象徴であり、天は神の大智慧の象徴である。
神の無限の智慧と無限の愛とは、外にあり、内にあり、外と内との関係にあり、
内よりの衝動に導かれ、外よりの導きに従い行き、

ついにそこに嘗て自己のものであったが、いつか見失っていたところの
「黄金の卵を生む赤い鶏」「神来(インスピレーション)の竪琴」
および「神足通の絨毯(カーペット)」を見出すのである。

黄金の卵を生む鶏は「エデンの楽園」(実相の世界)に住んでいるところの
極楽鳥であり、我々の必要な時に必要に随って、
黄金の卵を生んでくれるのである。

黄金の卵とは「供給無限の黄金律」である。
此の無限供給の黄金律さえ手にするならば、必要に応じて、必要なものは。
今此処に、既にあるのである。

            <感謝合掌 平成29年11月18日 頓首再拝>

「善女のパン」 - 伝統

2017/11/25 (Sat) 20:46:01


      *Web:きっこのブログ(2009.05.07)より
           ~オー・ヘンリー作『善女のパン』

今からずっと前のこと、アメリカのとある田舎町に、
1人のアラフォーの女性が住んでいた。

その女性は、小さなパン屋さんを営んでいた。
決して醜かったワケでもなく、人並みの器量だったのに、
何故だか男性と知り合う縁に恵まれず、この年まで独身でいた。

とても慈悲深く、真面目な性格で、仕事一筋にコツコツと働いて来たので、
それなりの貯蓄も持っていた。
外見も人並みで、性格も良くて、お金も持っているのに、
男性との縁だけがなかったのだ。

そんな彼女だったけど、最近、気になっている1人の男性客がいた。
彼女と同じくらいの年齢のその男性客は、質素な背広を着ていて、
髭もキチンと刈り込んでいたが、毎日おんなじ服装で、おんなじ時間にやって来て、
2個で5セントの古いパンを買って行く。

このお店では、焼き立てのパンは1個5セントで、
硬くなった前日のパンは2個で5セントだった。

ある日、彼女は、この男性客がお金を払う時に、
指に絵の具がついていることに気づいた。

それで、彼女は、この男性客のことを
「古いパンを買うほど貧乏なのに一生懸命に絵を描き続けている真面目な芸術家の卵」
だと思い込み、一方的に好意を持ってしまう。

この男性客が来る時間が近づくと、ソワソワするようになって来た。
そして、それまでは茶色の地味なブラウスを着ていたのに、
ブルーの水玉模様のオシャレなブラウスを着るようになった。

そして、ある日のこと、彼女は、とうとう大胆な行動に出た。
男性客が買った2個の古いパンに、男性客の目を盗んでナイフで切れ目を入れ、
そこにタップリとバターを塗り、何事もなかったかのように包んで渡したのだ。

これは、彼女の好意の表われというよりも、慈悲深い心がしたことだった。
でも、彼女も女性なので、自宅に帰ってパンをかじり、
バターに気づいた男性客の喜ぶの顔を想像すると、胸が高鳴って来た。

でも、そんな彼女の思いとは裏腹に、1時間後、その男性客が怒鳴り込んで来たのだ。
その男性客は、画家ではなく、建築家の卵だった。

そして、毎日買いに来ていた古いパンは、
仕上げのペン入れをした製図の下書きを消すための消しゴムとして
使っていたというのだ。

男性客が言うには、1ヶ月も掛けてようやく完成した
コンテストに応募するための大作の製図が、最後の最後のところで、
バターのシミですべて台無しになっちゃった。

           ・・・

「善意・好意」から行なったことも、
時には「余計なおせっかい」になるというお話です。

    (http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2009/05/post-607e.html

・・・

<参考動画>「善女のパン」
      → https://www.youtube.com/watch?v=oJ78EKzoLjE

            <感謝合掌 平成29年11月25日 頓首再拝>

「イマダモクケイにオヨバズ」 - 伝統

2017/11/29 (Wed) 17:03:27

      *Web:「今日は残りの人生の最初の日」(2011年12月20日)より

安岡正篤先生の『呻吟語を読む』を紹介していた時に、
ふと双葉山さんの事が頭をよぎりました。

私は大分県の出身で郷里が生んだ大横綱双葉山さんの大ファンでした。

双葉山さんこそ
呂新吾さんが『呻吟語』で語る
深沈厚重(しんちんこうじゅう)の第一等の資質を持つ人物として
頭に浮かんだこともさることながら、

さらに、安岡先生と双葉山さんとの出会いにおける
或るお話を思い出したからです。

それは、「木鶏」の話です。

安岡先生の『人物を修める』(致知出版社刊)という
本の中にそれは書かれています。

このお話もとても奥深い人格形成にふさわしい実話で大好きなおはなしです。

引用させていただきます。

「恐らく老子とその最も代表的な後進である荘子と
前後する人と思われるのが列子であります。

しかし、この人については、
老子の後学で荘子の流(ながれ)であると推定される以外、
全くわかっておりません。

その「列子」に、「木鶏」(もっけい)の話があります。

紀渻子(きせいし)、
王の為に闘鶏を養ふ。
十日にして而して問ふ、
鶏已(よ)きか。
曰く、未だし。
方(まさ)に
虚憍(きょけう)にして
而して気恃(たの)む。

十日にして又問ふ。
曰く、未だし。
なお影響に応ず。

十日にして又問ふ。
曰く、未だし。
なお疾視(しつし)して
而して気を盛んにす。

十日にして又問ふ。
曰く、幾(ちか)し。
鶏、鳴くもありと
雖(いえど)も、
已に変ずることなし。
之を望むに木鶏に似たり。
其の徳全し。
異鶏敢(あえ)て
応ずるもの無く、
反って走らん。


これと同じ話が「荘子・外編」に出ております。

紀渻子という人が闘鶏の好きな王
(学者によって説もありますが、一般には周の宣王ということになっています)
のために、軍鶏(しゃも)を養って調教訓練しておりました。

そして、十日ほど経った頃、
王が“もうよいか”とききましたところが、

紀渻子は
“いや、まだいけません、空威張りして「俺が」というところがあります”
と答えました。

さらに十日経って、またききました。

“未だだめです。
相手の姿を見たり声を聞いたりすると昂奮するところがあります”。

また十日経って
ききました。

“未だいけません。
相手を見ると睨みつけて、圧倒しようとするところがあります”。

こうして、さらに十日経って、またききました。

そうすると初めて

“まあ、どうにかよろしいでしょう。
他の鶏の声がしても少しも平生と変わるところがありません。

その姿はまるで木彫の鶏のようです。
全く徳が充実しました。
もうどんな鶏を連れてきても、これに応戦するものがなく、
姿をみただけで逃げてしまうでしょう“

と言いました。


大変おもしろい話でありますが、
私はこの話を往年の名横綱双葉山関にしたことがありました。

これは双葉山関自身が『相撲求道録』という本に書いておりますが、
まだ横綱になる前の大変人気が出てきた頃でした。

双葉山を非常にひいきにしていた老友人に招かれて
一緒に飲んだことがあるのです。

なにしろ、
私もまだ若かった頃ですから、つい一杯機嫌で、
“君もまだまだだめだ”と申したましたところ、

さすがに、大横綱になるだけあって
私もそのとき感心したのですが、

“どこがいけないのですか”と

慇懃(いんぎん)に尋ねるのです。

そこで私が木鶏の話をいたしましたところが、
大層感じ入ったらしく、
それから木鶏の修行を始めたのです。

その後は皆さんもご存知のように、あのような名力士となって、
とうとう六十九連勝という偉業を成し遂げたのであります。

なんでもそのとき、私に木鶏の額を書いてくれということで、
書いて渡したのでありますが、
その額を部屋に掛けて、朝に晩に静座して木鶏の工夫をした。

本人の招きで私も一度まいりました。

今度の大戦(第二次世界大戦)の始まる直前のことでありますが、
私は欧米の東洋専門の学者や当局者達と話し合いをするために
ヨーロッパの旅に出かけました。

もちろん、その頃はまだ飛行機が普及しておりませんから船旅ですが、
ちょうどインド洋を航行中のときでした。

ある日、ボーイが双葉山からの電報だと言って
室に飛び込んできました。

なにしろ、当時の双葉山は七十連勝に向かって連戦連勝の最中で、
その人気は大変なものでしたから、ボーイもよほど興味を持ったらしい。

そして
“どうも電文がよくわかりませんので、
打ち返して問い合わせようかと係の者が申しておりますが、
とにかく一度ご覧ください”と言う。

早速手にとってみると
「イマダモクケイにオヨバズ」
とある。

双葉山から、負けたことを報せてきた電報だったのです。

なるほどこれでは、普通の人にわからぬのも無理はありません。

この話がたちまち船中に伝わり、とうとう晩餐会の席で
大勢の人にせがまれて木鶏の話をさせられたのを覚えています。

その後双葉山の木鶏の話が自然に広がり、
あちらこちらに鶏ならぬ人間の木鶏会ができました。
しかし、これは結構なことです。」

引用了


双葉山さんが69連勝を達成する時代というのは
昭和11年~14年で

当時、大相撲は、1月場所と5月場所の年二場所の興行でして
しかも、11日間でした。

12年5月場所から
13日間になりましたが、

それも、双葉山人気が凄まじいものであって
徹夜で入場券を求める人たちが後を絶たず
当時の相撲協会も判断を下し
昭和12年5月場所より13日間行われることになったのです。

その時代の69連勝です。
丸3年間の連勝記録です。

3年もの間、コンディションと精神力を高めていくのは
並大抵のことではなかったことでしょう。

双葉山さんは、元々、右目が見えません。
子どもの頃に吹き矢が当って失明を余儀なくされています。

また、小指も2回、事故で骨折しています。

ハンデもものともしない双葉山さんの精神力は
木鶏たりえたからこそ為しえた快挙といえるのではないかと思っています。

私が子どもの頃は、既に引退されており
私が知っている双葉山さんは

時津風部屋の親方として横綱、鏡里をはじめ
大関も多数輩出された名親方として

また、
日本相撲協会の理事長として相撲協会のトップに君臨されており、
数々の改革も為されたリーダーとして大活躍された方でした。

57歳の若さで亡くなられました。

(中略)

木鶏は、木で作られた鶏です。
真に強い闘鶏はまさに木鶏のようだと言います。

木で作られた鶏は無心であります。

そこには、相手に勝ちたいとか、名誉が欲しいとか、お金が欲しいとか、
人を憎む心も怒りも妬みも何もかもありません。

一切の我執を離れた時、人間を超えた真なる我、
尋常ならざる偉大な力が湧き上がってくると思うのです。

『今日は残りの人生の最初の日』

私たちもこの木鶏の寓話のように
虚心坦懐の我になれるのです。

それは、元々、備わっている性質だからです。

しかし、努力なしには為すことはできません。

今、この瞬間から意識して「木鶏」を目指すのです。
あなたは真の強者になり得るのです。

http://ageing-support.blogspot.jp/2011/12/blog-post_20.html

            <感謝合掌 平成29年11月29日 頓首再拝>

悲しみにとらわれてしまった王様 - 伝統

2017/11/30 (Thu) 18:43:17


          *「Q・次の2つから生きたい人生を選びなさい」 
            ~ハーバードの人生を変える授業 2 (P119)より抜粋

こんな昔話があります。

ある国に悲しみにとらわれてしまった王様がいまいsた。

王様は医者から薬をもらっても、知恵ある相談役からアドバイスをもらっても、
胸の中の悲しみを消せず、日に日に元気がなくなっていました。

宮中ではもうどうすることもできず、使いが国中に送られ、
王様を治した者には報酬を与えると伝えられました。

専門家たちが宮殿にやってきて力の限りを尽くしましたが、
効果はまったくありませんでした。

数日後、汚れた服を着た老人が宮殿の門までやってきて言いました。

「私は農民です。いつも自然から多くを学んでいます。王様を助けにきました」

王様の腹心は、
「おまえのような者の助けなど必要としていない」
と門前払いをしました。

「それではお会いしてくださるまで、ここで待ちましょう」

王様の症状は日増しに悪くなっていきました。
悲しみと無力感に打たれ、苦しみは永遠に続くかのようでした。
万策が尽き、ついに相談役は老人を招き入れました。

老人は黙って王様に近づくと、素朴な木製の指輪を渡して去っていきました。

王様は指輪に刻まれた言葉を読むと、それを指にはめました。

すると何カ月ぶりかに王様に笑顔が戻ったのです。

「何が書かれていたのですか。陛下」 と相談役は尋ねました。

「たった4つの言葉だ」 と王様は答えました。

「それも、また、必ず、去る」

          ・・・

どんな感情も永遠には続きません。

「苦しみが永遠に続くと考える」か、
「苦しみを一時的なものと捉える」か、
どちらを選択するか、あなた次第です。

あなたがつらい気持ちでいるとき、
「それも、また、必ず、去る」 を思い出してください。

            <感謝合掌 平成29年11月30日 頓首再拝>

王さまと商人の友情 - 伝統

2017/12/15 (Fri) 18:44:22

王さまと商人の友情~あるスーフィーの物語

         *メルマガ「星のしずく」(2017.12.14)より抜粋

昔バグダードに裕福な商人がいた。

豪華な家に住み、広大な土地に商船をいくつも所有していた。

ところがいつしか商人の運命は変調をきたしはじめた。

暴君に土地を奪われ、商船は嵐に沈没し、邸宅も天災にみまわれ、
家族さえも失ってしまった。

商人は旧来の友である西方の王に会うためにスペインに出かけた。

ここでも次々と災難に遭い、ロバが死に、山賊に襲われ
彼は奴隷として売りに出された。

なんとか逃げ出したものの
着の身着のままなんとか西方の国の宮殿にたどり着いた。


しかし宮殿に入り、王への拝謁(はいえつ)を申し出るには
身だしなみを整えておく必要のあることを悟った商人は
服を買うお金を貯めるため宮廷の下僕として働きはじめた。

商人はようやく侍従長との面会を許され
王と親しくしていたときの思い出を語った。

侍従長は彼の話が真実であることを認めたが
あまりにも長い間の貧困と困窮によって
話ぶりやふるまいが粗暴になっているのを見て
王に会わせる前に礼儀作法の訓練を受けさせねばならなかった。

バグダートをあとにして3年もの間、
商人は以上のような困難に耐え、ついに王にまみえることができた。

旧友の来訪に気づいた王は
大切な賓客として座らせ彼の悲惨な体験を聞いた。

王は彼に100匹の羊をあたえ、お世話をするよう手配した。

王の計らいは商人の期待を下回るものだったが
丁重な挨拶をして王のもとを辞した。

ところが、羊たちは奇妙な病気にかかり次々と死んでしまった。

商人は宮殿に引き返し王に事情を説明した。
そして彼に50匹の羊をあたえた。

商人は屈辱に耐えながら羊たちを牧場に連れて帰ったが
とつぜん二匹の野犬が羊たちを襲い、すべて崖から追い落としてしまった。

商人は度重なる不運を嘆きながら、王にこの出来事を話した。

今度は二十五匹の羊をあたえられたが、ほとんど希望を失いかけていた。

すると今度はすべての雌羊が双子の子羊を産み落とした。
羊たちは元気よく豊かな毛に覆われ市場で売れるまでになった。

3年の月日が流れ商人は順調な仕事ぶりを王に報告するため
申し分ない正装をして宮殿に出向いた。

王はその報告を聞き
「山向こうにあるセビーリャの国をおまえに任せよう」といった。

そのとき
こみあげてくる怒りを抑えることのできなかった商人は思わず叫んだ。

「なぜあなたは最初に助けをもとめたとき
わたしに国を任せてくれなかったのですか?」

王は笑いながら答えた。

「100匹の羊を死なせたおまえに
あのときセビーリャの国を任せていたなら
いまごろあの国には一軒の建物さえ残っていなかっただろう」と。


引用:スーフィーの物語
(イドリース=シャー編著)

+++++++++++++++++++++++++++++

きっとあなたの友人は商人のような不運に遭っているのでしょう。

そうした場合、友人が悪運を出しきるまで
王が商人に対応したように、簡素な待遇に切り替えてみましょう。

王の商人に対する、友情に変わりありません。

それどころかはじめからセビーリャの国をまかせたい
衝動にかられたことでしょう。

しかし王は友情だけでなく、大いなる知恵もあったのです。

それが国家を守る処世術です。


規模はどのようであれ、あなたも国家をもつ王さまです。

友人である商人に対して、どのように接するのがよいのか。

上記の物語を参考にしてくださいね。


ちなみにスーフィーとは
イスラムの神秘主義者(修行者)のこと。

スーフィーの物語は読み手の
意識の境涯(意識レベル)によって異なる解釈が
見出させると言われています。



☆─今回のポイント─☆

1.あなたと友人の変わらない友情のためにも対処の仕方を変えてみよう。

2.悪運を出し切るまでは簡素な対応を。優遇してしまうとアダになってしまう。

3.スーフィーの物語は読み手の意識レベルで異なる解釈が引き出される。

            <感謝合掌 平成29年12月15日 頓首再拝>

【ペルシャ王子の成功物語】 - 伝統

2018/01/11 (Thu) 20:00:24


       *Web:成功への壁を打ち破ろう!(2008年12月10日)より

ペルシャの王子は、生まれつき、せむしでした。
12回目の誕生日のことです。
父親の王様が、「誕生日のお祝いに、何が欲しいか」と聞きました。

こぶのように背中が丸まったせむしの王子は、父親を見上げながら、
「私の彫像を彫ってください」と言いました。

そう言われて王様は、王子の部屋に来たことを後悔しました。
誕生日の贈り物の願いを聞いたことを後悔しました。
何か贈り物をしてやろうと思いついたことを悲しく思ったのです。

王様は「王子の誕生日など思い出さなければよかった」と思いました。
王子はせむしであることで、王様をなじり、辱めようとしているように思えたからです。

王様は言いました。
「しかし、もっと他に欲しい物があるだろう。」

すると、王子は「いえ、私は自分の彫像が欲しいのです。
誤解しないで下さい。今の私の姿の像ではありません。
私が真っ直ぐに立てたと仮定した時の私の姿を、像にしたものが欲しいのです。」

「これはなお悪い」と王様は思いました。

すると王子は

「そして、それを庭の窓から見える所に置いて、毎日眺めるんです」

と言いました。

やがて王子さまは毎日庭へ出て、像を眺めては真っ直ぐに背を伸ばそうとしました。
毎日毎日、来る日も来る日も、背を伸ばそうとしました。
こうして8年間、1日も欠かさず、王子様は背中を伸ばそうとしました。

◎そうして、21回目の誕生日、王子さまは背を真っ直ぐにし、
顔を真正面に向けて、あの像と向かい合い、目と目を交わし合わせて立ったのです。

http://archives.mag2.com/M0088100/20081210065000000.html


*この寓話は、谷口雅春先生も取り上げていたかも知れません。
 (記憶不鮮明で申し訳けありません)

           ・・・

◆「百聞は一見に如かず」と云われるように五感のうち、
 視覚は他の感覚よりも正確に情報を与えます。

 従って私達は習慣的に映像によって考えています。

 そこで達成された姿を映像や絵にして、
 それをいつも見ることで心に描き続けることを容易にします。 

 心に描いている夢は必ず実現されるのです。

            <感謝合掌 平成30年1月11日 頓首再拝>

童話「ウサギとカメ」の続編 - 伝統

2018/01/17 (Wed) 18:09:40


      *メルマガ「成功への道しるべ」(2018年1月17日)より

        
◆三遊亭歌之助という落語家がいます。普通の落語だけでなく、
 鹿児島出身で地元では鹿児島弁の落語をやったり、企業へ出かけて
 社員研修向けの落語をやったりもする一風変わった落語家さんです。


 下記のような話をしたことがあります。

 【私は普通の高校を卒業し落語の世界に入りました。
 林家コブ平は故林家三平(九代目林家正蔵)の長男で、
 いわば落語界のサラブレッドです。
 私はその林家コブ平と一緒に真打になりました。

 その披露の席で、マスコミは一斉にコブ平の方へ押し寄せ、
 私の方には見向きもしません。

 余りの悔しさに席を飛び出し、行先があったわけではなく
 来た電車に飛び乗りました。

 そこで時々声をかけてもらっている故養田実社長(ジュポン化粧品本舗)
 とバッタリ出合ったのです。

 穏やかならぬ私の顔を見て、「どうした! 」と尋ねられました。

 事情を話したところ、養田社長は

 「ウサギとカメの童話があるだろう。ウサギはどうして、
 のろまなカメに負けたのか?」と言われたので、

 私は「ウサギはいつでも勝てると油断があったのです。
 人生は油断してはいけないという戒めの童話だと思います。」
 と答えました。 すると

 「本当にそう思っているなら,零点の答えだ」と言って、
 次のような話をしてくださったのです。

 カメにとっては、相手はウサギでもライオンでも、なんでもよかったんだよ。
 なぜならカメは全く相手を見ていないんだから。

 カメにとって重要なことは、山頂に立っている旗、つまり自分の目標だ。
 それだけを見つめて歩き続けたんだ。

 一方のウサギの方はどうだ、絶えず相手のカメばかり気にして、
 大切な目標を一度も考えることをしなかったんだよ。

 君の人生の目標は、コブ平ではないだろう。
 カメのように自分の道を歩み続けることだよ」と教えてくださったのです。

 私は、この養田社長の一言で迷いが吹っ切れ、
 落語家として自分の目標に黙々と歩き続けようと決心出来たのです】


◆私達は成功を、いつも自分と他人との比較において考えますが、
 視野が広がれば広がるほど、自分より成功している人がいることに気付きます。
 自分の成功は小さなものになり、心穏やかでありません。


 SMIの創立者ポール・マイヤーは成功とは  
  「自分にとって価値ある目標を、前もって設定し、
         段階を追って達成していくこと」と定義しています。

 この道で生きると決めたら目標に向かって黙々と歩み続けることです。


◆ところでウサギとカメの話には続き? があるのです。

 ウサギは「もう一度レースをしたい」と言ったのです。
 カメは、快く応じました。
 今度はウサギが勝ちました。 

 レース終了後、皆で記念写真を撮ることになりました。
 勝ったウサギの横でカメが笑っているのです。

 ウサギは不思議に思い尋ねました。「なぜ負けたのに笑っているの?」

 カメは答えました。「最初のレースよりもタイムが良かったからだよ」  

 意味深い!! 敵は相手ではなく、自分です。 


<関連Web>

(1)「ベテラン弁護士の「争わない生き方」が道を拓く」西中務・著
    09 一切の悩みは、人と比較することから生じる(P26~27)より

   伝統板・第二「「争わない生き方」
   一切の悩みは、人と比較することから生じる(2016/06/10 )
    →http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6899459

(2)「ウサギとカメのその後の話」

   伝統板・第二「或る譬話・寓話からの学び②」(2016/09/13)
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6728968

            <感謝合掌 平成30年1月17日 頓首再拝>

失敗することを恐れる農夫 - 伝統

2018/02/16 (Fri) 17:59:08


        *「「人を動かす人」になるために知っておくべきこと」
          ~ジョン・C・マクスウェル(著)より(P202~203)

ぼろぼろの身なりであばら屋に住んでいる、年老いた農夫がいた。

草を噛んでヒマをつぶしている農夫の前を、ひとりの男が通りかかった。

男は水を飲ませてもらおうと思ったが、
いきなり水をせがむのはぶしつけな気がして、
まずは世間話をすることにした。


「今年は綿花はどうですか」

「ここにはねえよ」

「栽培しなかったんですか」

「まあな、ゾウリムシがつくと面倒だからな」

「じゃあ、トオモロコシは」

「植えとらん。雨が足りんかもしれんからな」

「だったら何を植えたんです」

「なんにも植えんかった。心配するのが嫌でよ」

         ・・・

世間には、この農夫のような考え方の人は多い。
失敗する恐れのあることをとにかく避けたがるのである。

こういう人は、勝利の興奮を経験することはできない。
安全ばかり追求していると、成功は逃げていくのだ。

一方、世界を変えていく人たちの中には、
あえて危険に身を投じていく人が少なくない。

真の目的意識がある人というのは、リスクを恐れないのである。

            <感謝合掌 平成30年2月16日 頓首再拝>

苦しみの袋 - 伝統

2018/04/04 (Wed) 18:16:42


       *Web:かんながら(2018年04月03日)より

ある男が毎日のように自分の境遇を嘆いていたんだって。

何故自分ばかりがこんなに多くの不幸に見舞われるんだ。
何故自分ばかりがこんなに苦しい思いをするんだってね。


そんなある日のこと。

夢の中に神様が出てきて彼にこう言ったんだ。

「お前をその苦しみから救ってあげよう。
お前の苦しみを全部この袋に詰めて明日の朝、大聖堂に持って行って、
壁のフックに掛けて来なさい」


男は喜んで自分の苦しみを一つ残らず袋に詰めて、
肩に担いで大聖堂に向かった。


そこには神様が言うように壁に多くのフックが備えられていた。

「あれ? フックは1つじゃないんだ。どれでもいいのかな」


そんな事を考えていたら、入り口からたくさんの人がぞろぞろと入ってきた。
みんな肩に同じような袋を担いでいる。

顔なじみやご近所さんもいて、
よく見たら隣のレストランのご主人もいるじゃないか。

彼は商売もうまくいっているし、綺麗な奥さんと仲むつまじく、
幸せを絵に描いたような人だった。

ん? 彼も同じ袋を担いでいる。
それも同じくらいの大きさのだ。


あまりの意外な出来事に男は自分の目を疑った。

(幸せそうに見えたのにな・・・)

みんなが聖堂に集まると、場内アナウンスが響いた。


「はい、ご苦労様でした。それじゃみなさん、
どこでもいいですから好きなフックに袋を掛けて下さい」

みんなやれやれという顔をして、持ってきた不幸の袋を壁に掛けた。

しばらくしたらまた場内アナウンスが響いた。

「あなたの袋は確かにお預かりしました。あなたの苦しみは今日限りです」

場内は拍手と歓声に包まれた。

するとまた場内アナウンスがあった。

「それではお帰りください。ただし手ぶらでは帰れません。
どれでもいいから好きな袋を一つお持ち帰りください。
誰の袋でもかまいません」


一瞬、場内が静まり返った。

やっと自分の肩の荷を下したというのに、別の袋を持って帰れだって?

しばらく場内に沈黙の時間が続いた。


そして一人が動き出したとき、われ先にと、
いっせいにお目当ての袋に向かって走り出した。

そしてその袋を取って足早に出口に向った。

みんなが手にしたのは、自分が持ってきた自分の袋だった。

どうせ同じ大きさの苦しみなら、
まだ自分の苦しみのほうが慣れ親しんでるから耐えられそうだ。


新しい苦しみなんて真っ平だ。

みんながそう思った。


その日から男は不平不満を言わなくなったんだってさ。


オシマイ

http://abetoshiro.ti-da.net/e9579402.html

            <感謝合掌 平成30年4月4日 頓首再拝>

「2匹の狼」 - 伝統

2018/04/30 (Mon) 18:25:09


          *「あなたの人生がつまらないと思うんなら、
            それはあなた自身がつまらなくしているんだぜ。」
            ひすいこたろうさん・著(ディスカヴァー)

   2匹の狼が闘っている。

   1匹の狼は恐れ、怒り、嫉妬、哀しみ、後悔、欲、傲慢、自己憐憫(じこれんびん)、
   罪悪感、恨み、劣等感、そしてエゴの象徴。

   もう1匹は、喜び、平和、愛、希望、分かち合い、安らかさ、謙虚さ、
   親切、友情、共感、寛大さ、真理、思いやり、そして信頼の象徴。


   この2匹が闘っている。

   ひとりの子どもがおじいさんに尋ねます。

   「Which wolf will win?」(どっちの狼が勝つの?)

   おじいさんは答えた。

   「The one you feed」(君が育てるほうだよ)

        ・・・

君が育てるほうが勝つ!

自分で選択しているだけなのです。

好きだと思えば好きになるし、嫌いだと思えば嫌いになる。

簡単だと思えば簡単だし、難しいと思えば難しくなる。

イライラすることも、落ち着くことも。

そのどちらも自分で選択できるのです。

また、【感情は、放っておいたら消えていく】という特長があります。

イライラは、時間が立つとおさまります。

嬉しい感情も、時間が立つとおさまります。

マイナスの感情は忘れるようにし、プラスの感情は覚える努力をしていくと、
周りの人にも上機嫌に接することが出来、
結果的に良い連鎖で満たされるのではないでしょうか。

自分の感情は、自分でコントロールしていきたいですね♪

・・・

心の中の二匹のオオカミ
 → https://sora-mizu54.com/contents_618.html

            <感謝合掌 平成30年4月30日 頓首再拝>

インド寓話の興味深い教え - 伝統

2018/06/19 (Tue) 19:38:06


       *「あなたが「宇宙のパワー」を手に入れる瞬間 永遠に続く幸せの源泉」
        ~ディーパック・チョプラ(著)(P111~112)より

昔あるところに、人生で2つのものだけに価値を見いだしている男がいました。

ひとつは、彼の「息子」
もうひとつは、「子馬」でした。

ある日、子馬がいなくなってしまいました。
彼は、深い絶望の中で過ごしていましたが、

やがて、子馬は、
美しい白い種馬と一緒に戻ってきました。
彼は、突如、有頂天になりました。


翌日、彼の息子がその種馬に乗って落馬し、
足の骨を折ってしまいました。
それによってまた彼は、有頂天の高みから、絶望のどん底へ落ち、苦悩していました。

やがて、政府軍が戦争のため、
すべての若者を招集しにやってきました。

政府軍は、村の若者全員を連れて行きましたが、
この男の息子だけは、足が折れていたため連れていかれずにすみました。
男はまた、絶望のどん底から有頂天になりました。

            ・・・

この対象依存のお話には終わりがありません。

生来、対象物は変化するものです。
私たちが対象で自分自身を認知している限り、
私たちは自分の真の本質を知ることはないでしょう。

対象を通して、または他人の目を通して自分自身を評価し、
理解するとき、私たちの人生はまるでジェットコースターのようです。

もし私たちが自分のアイデンティティーをこれら常に変化しているものに
結びつけていたら、人生は不安定のものになります。

            <感謝合掌 平成30年6月19日 頓首再拝>

イノシシとキツネ - 伝統

2018/06/20 (Wed) 18:09:44


          *イソップ寓話 より

イノシシが木のそばに座って、せっせとキバを研いでいました。

それを見たキツネが、不思議そうに尋ねました。

「猟師に追いかけられているわけでも、危険なわけでもないのに、
どうしてキバを研いでいるのですか? 」

「確かに、今は危険ではないので、キバを研がなくても大丈夫。
 しかし、危険な事が襲いかかって来た時には、
 キバを研いでいるひまはないだろう。
 めんどうでも、こうしてキバを研いでおけば、
 今すぐに危険が来ても、大丈夫なんだよ」


   (http://hukumusume.com/douwa/pc/aesop/06/06.htm

          ・・・

この話は、不断の努力と普段の準備の大切さを示唆しています。

もちろんそのような努力や準備はいつ役立つか分からず、
無駄になる可能性もあります。

しかし、何があっても大丈夫なようにしておくことは精神の安定
(落ち着き)をもたらし、状況に関わらず冷静に対応することを可能にします。

チャンスに際してもピンチに際しても状況を有利に運ぶには、
いざという時のために普段どのような準備をしているかということが大切です。

            <感謝合掌 平成30年6月20日 頓首再拝>

馬になりたいロバ - 伝統

2018/07/12 (Thu) 19:30:17


      *「下手な人生論よりイソップ物語」植西聡・著より

ある牧場に、毎日、重い荷物を背負わされ、
まずいエサしか食べさせてもらえない大変みすぼらしい姿のロバがいました。

その隣の子屋では、毛並みのツヤツヤしたウマたちが飼われていました。

ウマたちは人間から美味しいエサをたっぷり与えられたり、
丁寧に世話をしてもらっているので、ロバはうらやましくてたまりません。

「オレは毎日、人間にこき使われているというのに、
ウマたちは大事にされて快適に暮らしている」

「オレもウマに生まれてくればよかった。ウマがうらやましいよ・・・」


このようにロバは己の不運を嘆きつづけましたが、
あるとき、戦争が始まると事態は一転しました。

ウマたちは戦争に駆り出され、剣で傷つけられるなど、死ぬような思いをしたのです。

そして、瀕死の重傷を背負って戻ってきた一頭のウマがロバに向かっていいました。

「戦争に駆り出され、死ぬような思いをするなんて、もうこりごりだ。
ああ、ボクもキミのようにロバに生まれてくればよかった。
キミがうらやましいよ」

以来、ロバがウマをうらやましがることはなくなりました。

=======

隣の芝生は青く見えるのです。

人をうらやむほど、愚かなことはありません。

            <感謝合掌 平成30年7月12日 頓首再拝>

浦島伝説 壮大な変遷 - 伝統

2018/08/22 (Wed) 19:14:16


      *Web:日本経済新聞(2018/8/21)より

「亀に乗り竜宮城」は18世紀から、長寿の象徴と融合 林晃平



♪(歌記号)昔々、浦島は助けた亀に連れられて――。皆さんおなじみの物語だ。

若い漁師がある日、助けた亀の背中に乗って、海の底にある竜宮城にやってきた。
乙姫様の歓待を受け、帰りがけに渡された玉手箱を地上で開くと
、中から白い煙がモクモク……。浦島太郎は白髪のおじいさんになってしまったとさ。

◎ ◎ ◎

《最初は船で海上城へ》

ところが、浦島伝説がこんな形になったのはさほど昔ではない。
せいぜい江戸から明治以降だ。

もともと浦島は亀ではなく船に乗り、海上に浮かぶ竜宮城を訪れる。
玉手箱から立ち上る煙も五色だったり、乙姫が現れたり。
豊かなバリエーションに魅せられ、気がつくと研究を始めて40年近くたっていた。
まさに浦島太郎の心境である。


浦島伝説への関心は1982年、北海道苫小牧市の短大に職を得て、
国文学の作品講読の授業を受け持つ中で芽生えた。

室町から江戸にかけて数多く書かれた御伽(おとぎ)草子の
「浦島太郎」は本によって表現や内容がずいぶんと違う。
それを整理したら面白いんじゃないかと思った。

浦島伝説自体は7~8世紀の万葉集にも
「水江(みづのえ)の浦島子(うらしまのこ)」として顔を出す。
「浦島伝説を軸にした日本文学史が書けるぞ」と考えた。

 
古代は主に漢文の書物に登場する。
主人公の「浦島子」は船で亀を釣る。
亀は女に姿を変えて、浦島を常世(とこよ)や蓬莱(ほうらい)といわれる
異世界へと誘い、そこで暮らすのだ。

中世以降の御伽草子で浦島子から浦島太郎に名前が変わった後も、まだ亀には乗らない。
釣った亀を海に放すと、後で女が船で迎えに現れ、竜宮城や蓬莱に案内する
といったパターンが見られる。

亀に乗って竜宮城に行くのは、資料に基づく限り18世紀初頭からだ。
注目は江戸期に「蓑亀(みのがめ)」という亀の図像がめでたさの象徴として流行し、
時期が重なる点だろう。

蓑亀は甲羅の後に房状の藻がくっついており、
丹頂鶴とセットで長寿のシンボルとされた。
浦島も長寿の象徴。
浦島が亀に乗れば両者が融合し、めでたさは倍になる。

◎ ◎ ◎

《海外流出絵巻も研究》

こうした変遷は、絵巻物や絵本、木版印刷の板本の類いを
じっくり眺める中で気づいた。

明治以降に海外に流出したものが多く、浦島探索は必然的に世界規模になった。

絵巻物や絵本は英オックスフォード大学、大英博物館のほか、
仏国立図書館、米コロンビア大学などが所蔵する。
いずれも現地に足を運び実物を見て回った。

2003年にコロンビア大を訪れたときは、ニューヨーク市に外出禁止令が出るほどの大雪。
面会予定だった研究者の姿が見当たらず、往生したこともある。

国内各地もずいぶん回った。例えば北海道小樽市のオタモイ地区。
1935~52年ごろ、海に突き出した絶壁の中ほどに
「龍宮閣」と呼ばれた大きな遊園地があってにぎわったという。

現地を訪れると、いかにも竜宮城をイメージしたような楼門も保存されている。

「なぜこの地に?」とはじめは不思議だったが、
蜃気楼(しんきろう)の見える場所だと聞いて合点がいった。

歴史的にも竜宮城は蜃気楼と関係が深い。
蜃気楼は水平線のかなたにおぼろげな姿が浮かぶ。
それを竜宮城に見立てるモチーフの絵が江戸末期に数々見られる。

1854年に発行された錦絵は、当時蜃気楼の名所として有名だった
伊勢湾の四日市、桑名が舞台である。
歌舞伎役者演ずる浦島と乙姫の背後の海に、何とも豪壮な竜宮城が浮かんでいるのだ。

◎ ◎ ◎

《太宰作にはSF色》

浦島研究の醍醐味は、伝説そのものから亀や蜃気楼など
様々な興味が脱線気味に派生するところにある。
その傾向は、明治以降の近代になり、さらに強まっていく。

例えば作家の太宰治が1945年に執筆した「浦島さん」という作品。
空襲で全国の都市が破壊された当時の状況を反映して竜宮城を廃虚同然に描くなど、
SFを思わせる異色の作品だ。

戦後の小説やマンガ、紙芝居でも、未来にタイムスリップする話など、
実に豊かな浦島伝説の世界が開けていた。

積年の研究成果をこのほど「浦島伝説の展開」(おうふう)という書籍にまとめた。
分量は600ページを超えたが、まだ書き足りない。
浦島伝説を通して日本の歴史と文化を知る営みは続く。

(はやし・こうへい=苫小牧駒澤大学教授)

・・・

<参考>

(1)当スレッド内「浦島太郎 (2017/10/20)」

(2)当スレッド内「もう一つの浦島太郎伝説 (2017/10/21)」

(3)当スレッド内「浦島太郎の原型/風土記・万葉集(2017/10/22)」

            <感謝合掌 平成30年8月22日 頓首再拝>

「ガチョウと黄金の卵」の教訓 - 伝統

2018/11/20 (Tue) 18:02:14


        *『7つの習慣』スティーブン・R・コヴィー著(P61~63)より 


「ガチョウと黄金の卵」

ある貧しい農夫が、飼っていたガチョウの巣の中に
キラキラと輝く黄金の卵を発見した。

最初は誰かのいたずらだとうと思って捨てようとしたが、
考え直し、念のために市場まで持っていくことにした。

すると、卵はなんと純金だった。

農夫はこの幸運が信じられなかった。

翌日も、同じことが起きた。

来る日も来る日も、農夫は目を覚ますや否や、
ガチョウの巣に走って行き、新しい黄金の卵を発見した。

やがて、農夫は大金持ちになった。

ところが、富が増すにつれ欲が出て、せっかちになっていった。

1日1個しか生まれない黄金の卵が待ちきれず、
ついにガチョウを殺し、腹の中の卵を全部一気に手に入れようと決めた。

そして、いざガチョウの腹を空けてみると仲は空っぽだった。

黄金の卵はもちろんなく、
そのうえ黄金の卵を手に入れる手段さえも、
農夫は失くしてしまったのだ。

黄金の卵を生み出してくれるガチョウを殺してしまったのだった。


・・・

この寓話は、ひとつの自然の法則あるいは原則を教えてくれている。

それは、真の効果性を定義してくれるものである。

ほとんどの人は、効果性あるいは成功について考えるとき、
黄金の卵のことだけを考えがちである。
生産を上げ、目標を達成しさえすれば、それが「効果的」だと思い込む。

しかし、この寓話が示してくれるように、
真の効果性というものには二つの側面がある。

それは、目標を達成することまたは結果を手に入れること(黄金の卵)と、
その結果を手に入れるために使う資源あるいは目標を達成する能力(ガチョウ)、
の二つである。

つまり、ガチョウを疎かにし、
黄金の卵ばかりを追い求める生活様式を取り人れれば、
やがては黄金の卵を生み出してくれる資源を失くしてしまうことになる。

逆に、カチョウの世話ばかりして黄金の卵のことを全く考えなければ、
自分自身もガチョウも食べさせる資力を失りてしまうだろう。

効果性は、この二つの側面のバランスにある。

それをP/PC バランスと呼んでいる。

すなわち、目標達成(Performance)の P と、
目標達成能力またはそれを可能にする資源(Performance Capsbility)の
PC から名づけられた原則である。

・・・

大事に育てていれば、長く続くはずの利益を、
目先の欲にかられて犠牲にするなという忠告です。

・・・

<参考Web:7つの習慣⑮『ガチョウと黄金の卵』の教訓
        https://ameblo.jp/nobitapa/entry-12380621928.html >

            <感謝合掌 平成30年11月20日 頓首再拝>

魔術師と一匹の二十鼠 - 伝統

2018/12/08 (Sat) 19:12:17


         *『理想世界』(昭和42年12月8日の法語)より抜粋

   こんな穿った童話がある。

   或る所に魔術師が住んでいたが、
   その魔術師の家の近所に一匹の二十鼠が棲んでいたが、
   可愛想に常に猫の来ることを恐れて戦々恐々としていたのである。

   魔術師はその鼠を不憫に思って魔術の力によって
   その鼠を猫の形に変えてやった。

   すると、その鼠は自分の体が猫の形に変わると、
   今度は犬を恐れ出して戦々恐々としだしたのである。

   何故なら猫より犬の方が強いと思うからである。

   そこで魔術師はその鼠を犬に化けさせてやったのである。

   すると、その犬は虎を恐れてビクビクしだしたのである。
   そこで魔術師はそれをかわいそうに思い彼を虎にしてやった。

   そると、この鼠は、虎のような猛獣になったのだから、もう恐れる必要は
   なかろうと魔術師は安心していると、豈にはからんや、
   虎になった鼠はまた今度は「人間の猟師に自分はいつ銃殺されるかも知れない」
   と思って恐怖し出したのであった。

   そこで魔術師は、環境や境遇や形をいくら変えてやってみても、
   その「生き物」その者の自覚が変わらなければ何にもならない、
   心の変わらない奴は救いようがないというので、
   怒って、「お前はもとの二十日鼠になれ」と怒鳴った。

   するとその虎はもとの鼠の形に帰って依然として猫を恐れて
   戦々恐々としていたというのである。

            ・・・

   諸君はこの二十日鼠のような人間になってはならないのである。

            <感謝合掌 平成30年12月8日 頓首再拝>

「幸せをさがす王様」(カンドウ神父) - 伝統

2018/12/14 (Fri) 18:01:06


      *ブログ「心の糧・感謝の心で」( 2018-12-14)より

お日様は昇る。雨も降る。
ぼくはみんなが好きだ。
みんなもぼくが好きだ。
幸せだよ。もちろん。

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

S・カンドウ神父
(1897~1955)
カトリック司祭

「幸せをさがす王様」というお話をしましょう。

───────────────────

美しい妃とかわいい子どもたち、財宝の数々に恵まれた
王様の日々の悩みと苦しみは、「自分はまだ幸せというものを味わったことない」
ということでした。

「幸せとは何か、どうすれば幸せを手にいれられるのか」

大臣たちに訊いてもわかりません。
学者たちに尋ねてもわかりません。

そこで、著名な占い師を呼んで占ってもらったところ、
「この国で最も幸せ者のシャツを着ればわかる」と言います。

ひそかに大臣を遣わし、捜索がはじまりました。
大臣は国中の大金持ちや有名人などを訪ねてまわります。

しかし、金持ちは「幸せ?とんでもない。それより、この国は税金が高すぎる。
そのせいで、私の家では車が三台しか買えないないんだ」と渋い顔をします。

有名人は、「幸せ?何を言っているの。
まだ、この国には、私を知らない人が大勢いるのよ」と眉間にシワをよせます。

だれを訪ねても、その口からは愚痴と不平不満が出るばかりです。
この国で最も幸せな者のシャツは見つからず、三ヵ月が徒労に終りました。

疲れ果てた大臣は山村の小道で休んでいたところ、
何か楽しげなひとりの若い羊飼いに出会います。

大臣はふとその若者に声をかけたくなりました。
「あの、あなたは、もしかして、いま幸せですか?」

大臣の必死な形相に驚いた若者ですが、目を輝かせて答えました。

「お日様は昇る。雨も降る。ぼくはみんなが好きだ。みんなもぼくが好きだ。
幸せだよ。もちろん」

この人だ!と確信した大臣は
「いくらでも金を出すから、あなたのシャツゆずってください」と頼みます。

しかし、それは無理な話でした。
その若者は上着の下にシャツを着ていなかったからです。

───────────────────

これは、フランス人のカンドウ神父が、
幼いころにお母さんから聞いて忘れられなくなった話だそうです。

私も折りにふれてこの話を思い出すことがあります。

と、いうのは私たち人間の多くは、この王様のようではないかと思うからです。

美しい妃やかわいい子ども、財宝や権力を持っていてもいなかったとしても、
いまの状態に幸せを感じていなければ王様と同じです。

あの王様のように、いま持っているものの良さを知らない。
あって当たり前だと感じ、大切にもせず、有り難くも思わない。

それどころか、ついつい愚痴や不平が出てくる。
他にいいものがあるだろうと、外を捜しまわり、他人をうらやみ、ねたみもする。
そして、ストレスをためる。
そういうことがありはしないかと反省するのです。

物語「青い鳥」で、幸せをもたら鳥が実はすぐ近くにいたように、
幸せというものはどこか遠くに存在するのではありません。

すぐ近くにあるのです。
でも、すぐ近くに幸せの青い鳥がいても、気づくことは難しい。
身近なものを大切にし、感謝しなければ、まず見つからないと思います。

幸せというものは、あの若者のシャツのように目には見えず、
その人の心の中にあるものですから。

    (https://lucky.t-nakai.work/2018/12/14/story-10/

            <感謝合掌 平成30年12月14日 頓首再拝>

2人の若い商人の話 - 伝統

2019/01/22 (Tue) 18:36:12


       *Web:direct-connect (2019/01/22)より

「ふざけるな!」


新米商人の菊次郎(きくじろう)はこう叫んだ。

菊次郎は魚を売り買いする商人のところで働く新米商人。

なんですが、同じような仕事をしている新米商人の官兵衛(かんべえ)が
自分の3倍も小判をもらっていると知って、ムカついて、こう叫んでしまったんです。

あまりにもムカついた菊次郎は主人に直接聞いてみることにした。


菊「なんで、僕の小判がアイツの1/3なんですか!おかしいでしょう!」

主「まあ、待て。言いにくいことなんだが、それでも理由を知りたいか?」


菊「もちろんです!すぐに教えてください!」

主「わかった。じゃあ、教えてやろう」


そう言うと主人は菊次郎に、あることを仕事を任せた。


主人は菊次郎にある仕事を任せた

主「今、通り過ぎた荷物を積んだ馬がいただろう。
  あれが何を運んでいるか? 聞いてきてくれ」

菊「わかりました。すぐに行ってきます」

そして、菊次郎は必死に走り、馬を追いかけ戻ってきてこう言いました。

菊「カツオを運んでいる、とのことです」

主「そうか。じゃあ、そのカツオをどこに運んでいるか、聞いてきてくれ」


菊次郎はまた必死に走り、戻ってきてこう主人に言いました。

菊「カツオは市場に運んでいるだそうです」

主「そうか。じゃあ、誰に頼まれて運んでいるか聞いてきてくれ」


菊次郎はまた必死に走り、戻ってきました。

菊「隣町にあるライバルの魚屋でした」

主「そうか。じゃあ、値段を聞いてきてくれ」


そんなやりとりをさらに何度か繰り返したあと、
主人は菊次郎の3倍の小判をもらっている官兵衛を呼びました。

そして、官兵衛に菊次郎と同じように仕事を任せたんです。

主人は官兵衛に同じ仕事を任せた


主「さっき通りすぎた荷物を積んだ馬がいただろう。
  何を運んでいるか聞いてきてくれないか?」

官「はい。わかりました」

官兵衛は菊次郎と同じように、馬を追いかけ、話をして、戻ってきました。
そして、主人にこういったんです。

官「あの馬が運んでいたのはカツオでした。
  もう少し話を聞いてみたら、その魚を注文したのは隣町にあるライバルの魚屋でした。

  値段を聞いてみると5kgで小判1枚。
  うちなら、4kgで小判1枚で買うことができる。そう伝えると向こうも乗り気でした。

  なので、馬も長旅で疲れてるらしく、今、うちの倉庫で休憩してもらっています。

  いつも買っている値段と同じぐらいですし、すぐに売り切れると思いますが、、、
  カツオを買い取りますか?」



そして、主人は菊次郎に向かってこう言いました。

主「これで、なんでお前と官兵衛に払う小判の数が違うか、わかっただろう」

それを聞いた菊次郎は大いに反省することになりました。。。

             ・・・

《仕事は労力ではなく価値》

菊次郎はとてもまじめな青年で、いわれたことをしっかりとやっていました。

実際、菊次郎の方が何度もカツオを乗せた馬のところに走って行っていますから、
頑張っているのは菊次郎の方かもしれません。

ですが、、、

仕事の価値は、本来、相手にどれだけ価値を提供できるか。ここでポイントです。

そういう意味では、主人にとって菊次郎より、
官兵衛の方がありがたい存在であることは間違いありません。

それに、官兵衛はそんなに難しい技術がいることをやっているわけではありません。
ちょっとしたことに気づいているか、いないのか、それだけの差です。



《仕事の目的を知る》

主人が荷物を運んでいる馬について調べてほしい。

そういう仕事を頼むからには、当然目的があります。
そして、今回の場合は、馬が運んでいるものが自分の商売に関係があるかもしれない。
ライバルの情報を知れるかもしれない。などなど、なんとなく思うところがあるわけです。

その目的を汲み取って仕事を進められるかどうか。

これが菊次郎と官兵衛に支払われる小判の差になりました。

一見、どれだけつまらない、意味がなさそうな仕事にも目的があります。

その目的を意識して仕事をできるかどうかで、
仕事の価値を何倍にもできますし、やりがいにもつながります。

どんなものを運んでいるか聞きに行く仕事なんて、しょーもないですよね。

でも、なにかライバルの情報やビジネスチャンスにつながるかもしれない。
それを調査しにいこう。そう思うと、この仕事にも魅力が出てきますよね。

仕事の種類は人それぞれ。

置かれている環境も人それぞれ。

もちろん、そうなのですが、、、

あなたの状況なら、この話の教訓、どう活かしますか?

            <感謝合掌 平成31年1月22日 頓首再拝>

乞食の天使 - 伝統

2019/01/23 (Wed) 17:52:09


      *ブログ「心の糧・感謝の心で」(2019-1-11)より

スペインの民話

いつもよく働く靴屋のもとへ、あるとき、天使が現われました。
乞食の姿になって・・・。

靴屋は乞食の姿を見ると、うんざりしたように言いました。

「おまえが何をしにきたかわかるさ。
しかしね、私は朝から晩まで働いているのに、
家族を養っていく金にも困っている身分だ。
ワシは何も持ってないよ。
ワシの持っているものは二束三文のガラクタばかりだ」


そして、嘆くように、こうつぶやくのでした。

「みんなそうだ、こんなワシに何かをくれ、くれと言う。
そして、いままで、ワシに何かをくれた人など、いやしない・・」

乞食は、その言葉を聞くと答えました。

「じゃあ、わたしがあなたに何かをあげましょう。
お金にこまっているのならお金をあげましょうか。
いくらほしいのですか。言ってください」

靴屋は、面白いジョークだと思い、笑って答えました。

「ああ、そうだね。じゃ、100万円くれるかい」


「そうですか、では、100万円差し上げましょう。
ただし、条件が1つあります。
100万円の代わりにあなたの足をわたしにください」

「何!? 冗談じゃない!
この足がなければ、立つことも歩くこともできやしないんだ。
やなこった、たった100万円で足を売れるもんか」


「わかりました。では、1000万円あげます。
ただし、条件が1つあります
1000万円の代わりに、あなたの腕をわたしにください」


「1000万円・・・!?
この右腕がなければ、仕事もできなくなるし、可愛い子どもたちの頭も
なでてやれなくなる。
つまらんことを言うな。1000万円で、この腕売れるか!」


「そうですか、じゃあ、1億円あげましょう。
その代わり、あなたの目をください」


「1億円・・・!?
この目がなければ、この世界の素晴らしい景色も、女房や子どもたちの顔も
見ることができなくなる。
駄目だ、駄目だ、1億円でこの目が売れるか!」


すると、乞食は言いました。

「そうですか。あなたはさっき、何も持っていないと言ってましたけれど、
本当は、お金には代えられない価値あるものを
いくつも持っているんですね。
しかも、それらは全部もらったものでしょう・・・」

靴屋は何も答えることができず、しばらく目を閉じ、考えこみました。

そして、深くうなずくと、心にあたたかな風が吹いたように感じました。

乞食の姿は、どこにもありませんでした。

(この話は、スペインの民話を少し脚色したものです)

   ( https://lucky.t-nakai.work/2019/01/11/story-12/ )

            <感謝合掌 平成31年1月23日 頓首再拝>

3人のレンガ職人の話 - 伝統

2019/01/24 (Thu) 17:43:57


         *メルマガ「人間力」(2019.1.23)より

「3人のレンガ職人の話」を知っている方、きっと多くいらっしゃると思います。

旅人が3人のレンガ職人に対して、「何をしているんですか?」と問い掛け、
三人三様の答えが返ってくるあのお話です。

では、このお話にはまだ続きがあることはご存じでしょうか?

──────────────────
片岡 鶴太郎(俳優/画家)
   ×
朝倉 千恵子(新規開拓社長)

※『致知』2019年2月号【最新号】
※特集「気韻生動」P54
──────────────────

【朝倉】
このことにも深く関連すると思うんですけど、
3人のレンガ職人のお話ってご存じですか。


【片岡】
ぜひ聞かせてください。


【朝倉】
中世のヨーロッパで旅人が3人のレンガ職人に出会うんです。
旅人が「何をしているんですか?」って聞くと、

1人目は「親方の命令でレンガを積んでいるんだよ」
と面倒くさそうに答え、

2人目は
「レンガを積んで壁をつくっているんだ。
大変だが賃金がいいからやっているんだ」と答えました。

けれども3人目は「完成まで100年以上かかる
教会の大聖堂をつくってるんだ。
完成すれば多くの信者の拠り所となるだろう。
こんな仕事に就けて本当に光栄だよ」と答えたんです。


3人のやっている仕事は一緒です。でも志が違うんです。

1人目は言われたからやっているだけで、
2人目は食べるために否応なしに働いていて、
2人とも目の前の壁の部分しか見ていない。

けれども3人目は、歴史的な事業に参加して
多くの人を喜ばせたいという目的意識を持って仕事をしている。

しかも、自分が完成を見届けることのできない
100年先を見据えて仕事に取り組んでいるんです。


【片岡】
見据えているものが、他の二人と全然違うわけですね。


【朝倉】
ここまではご存じの方も多いんですけど、実はこの話には続きがあるんです。

10年後にこの3人はどうなったか。

1人目は相変わらず文句を言いながらレンガを積んでいました。

2人目は、賃金は高いけど危険の伴う屋根の上で仕事をしていました。

そして3人目は、現場監督として多くの職人を育て、
出来上がった大聖堂には彼の名前がつけられたんです。


私はこのエピソードを読んだ時に、涙が出るくらい感動したんです。

「これだ! 」って。

自分は3人目のレンガ職人になりたい。

教育を通して日本を、アジアをよくしたい。
そして私の後も100年続いていく、
志のある仕事をしたいと思ったんです。

            <感謝合掌 平成31年1月24日 頓首再拝>

”王さまと仏教” - 伝統

2019/04/27 (Sat) 17:21:02


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019年03月16日)より

   (ひろさちや氏の心に響く言葉より…)

   こんな仏教説話がある…。

   狩猟を趣味とする王さまがいた。
   政務のあいだをぬって、よく狩猟に出かける。

   一方、この王さまは仏教の信心に厚い。
   日ごろから仏教教団に布施し、しばしば聖地への巡礼もする。


   この王さまを家臣たちは笑う。

   仏教の禁じる殺生(せっしょう)をさんざんやっておいて、
   聖地巡拝(じゅんぱい)はおかしいではないか…というわけだ。

   その家臣たちの声が王さまの耳に入った。


   王さまは家臣を集めて話す。

   「ここに大きな鍋があって、湯がぐらぐら沸きたっている。
   中に金塊が入っているが、おまえたちはその金塊を取り出せるか」

   「できません。火傷(やけど)します」

   「しかし、わしにはできる。
   どうするかといえば、冷水をそそいでやるといいのだ。
   そうすると、熱湯もさめて、手を入れても火傷をしない」


   さらに王さまはつづける。

   「わしは国王であって、武人である。
   狩猟は武人にとって大事な鍛錬だからやめるわけにはいかん。
   そこでわしは、罪をつくった熱湯をさますために、聖地への巡拝をするのだ」


   わたしたちの職業も同じである。

   われわれが職業に専念すればするほど、
   悪行をつくり、他人に迷惑をかけることが多い。

   大事なことは、そのとき、生きていくためにはやむをえないと開き直らずに、
   素直に「すまない」と詫(わ)びる気持ちを持ち、
   反面において少しでも宗教心を持つことだ。

   ほんの少しでも熱湯の温度を下げるようにすればいいのである。

   そうすれば、「ほとけ心」という金塊が得られるであろう。

          <『捨てちゃえ、捨てちゃえ』PHP研究所>

             ・・・

人は殺生はいけないと思いつつ、
生きているものを殺(あや)め、それを食べる。

それは、植物であろうが動物であろうが、
たくさんの命の犠牲の上に自分がいるということ。

それゆえ、生きていくことは矛盾の積み重ねだ。


その意味では、潔癖すぎる人は、生きずらい。

黒か白か、右か左かと極端に走りやすいからだ。

本当は、黒も白も、右も左も、という選択もある。

それは、殺生した食物を食べるとき、
「ありがとう」「いただきます」と、自然の恵みに感謝する選択。


そしてさらに、そこで必要なのが、祓(はら)えだ。

神道においては、6月末に「夏越の祓え」という祭祀(さいし)があり、
12月末には師走の大祓式がある。

半年の間に身についた罪や穢(けが)れを祓う。

祈りではなく、祓えなのだ。

すると、熱湯の温度が下がる。



稲盛和夫氏は、

「相反する矛盾することを、平然とやってのけることができる人を名経営者という」

と言った。

そして心の奥底に、『素直に「すまない」と詫びる気持ちを持つ』こと。


人は、年齢を重ねれば重ねるほど、あの世に近づいていく。

言い変えれば、神さまに近づいていく。

だからこそ…

ある程度の年齢からは、宗教心を持ったほうがいい。

            <感謝合掌 平成31年4月27日 頓首再拝>

Re: 或る譬話・寓話からの学び③ - kgfsgystvMail URL

2020/08/29 (Sat) 03:52:08

伝統板・第二
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