伝統板・第二

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ひかりの一日一言22~光に向う我が運命 - 伝統

2017/01/01 (Sun) 04:50:33

ひかりの一日一言《1日》

《1日 我れ今日(こんにち)新生す》

我々が眠りより覚めて意識の世界に再び帰って来たとき、
其処に我々は新しく生まれた自分を発見するのである。

過去との一切のつながりは、
除夜の鐘(かね)を境として、完全に断ち切られたように見える。

過去の一切のものは完全に過ぎ去ってしまったものに感じられ、
「新しく生きるのだ」と云う希望と決意とが湧き起って来るのである。

まことに正月元旦は新生の時である。

”元旦の曙こそ、
我々の心が清らかな白紙のように浄(きよ)められている時である。

あなたの未来は、今あなたの掌中に握られているのである。

今、この時、善き事を考えましょう。
今善き事を計画しましょう。

まことに1年の計は元旦にあるのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P3) より

・・・

(1)ひかりの一日一言①~⑫ については、次のスレッドの「2016/04/30」に
   投稿した記事に表示されているWebアドレスにて確認できます。
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6818439


(2)ひかりの一日一言⑬~⑲ については、次のスレッドとそのスレッド内
   の「2016/10/01」に投稿した記事に表示されているWebアドレスにて
   確認できます。
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7021791 


(3)ひかりの一日一言⑳ については、次のスレッドで確認できます。
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7058416

(4)ひかりの一日一言21 については、次のスレッドで確認できます。
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7097406

           <感謝合掌 平成29年1月1日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《2日》 - 伝統

2017/01/02 (Mon) 04:47:24


《2日 われ新生活を実践す》

1年の最初の日が、過去を清算して
新生活の新計画を樹(た)てる日であるに対して、

その次の日は新生活の第一歩を実践する日だと云うことが出来るのである。

売初(うりそ)め、買い初(そ)め、仕事の仕初(はじ)めなど、
新生の喜びの気分で生活の第一歩を清浄(せいじょう)に始める日である。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P4) より

           <感謝合掌 平成29年1月2日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《3日》 - 伝統

2017/01/03 (Tue) 04:33:51

《3日 朝起きた時にこの簡単な方法で》

今、新生せり。

こう云う考えは、私達を清らかな新生活にまでおし進める力を持っているのである。
だから新年でなくとも、つねに今、新年だ。
今、新生だと常に考えることはまことによいのである。

吾々は毎日新生するのである。
毎朝々々が新生である。

この新生の最初の時間 ―― ポッカリと目覚めたその瞬間に、善きことを考えましょう。
「私は神の子だ。健康だ。素晴らしい朝だ。好い事が屹度訪れて来る」
こう心の中で、又言葉に出して二十遍となえてから起きましょう。

そして神想観をすぐ寝床の上で坐って行ないましょう。
この簡単な方法が、あなたに無限の可能性をひらいてくれる事になるのです。

無限に完全なあなたの實相への扉をひらいてくれるのです。

無限に円満な人格が日に日に大成されて来るのです。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P4) より

           <感謝合掌 平成29年1月3日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《4日》 - 伝統

2017/01/04 (Wed) 04:46:18


《4日 人間の心の想いは動力である》

人間の心の思いは動力であるということを知らねばならない。
心に描いたことが形にあらわれるのである。
此の事は何度繰返しても繰返し過ぎるということはない位に重大な真理なのである。

キリストは「先ず神の国と神の義(ただしき)を求めよ。その余のものは汝らに加えらるべし」
と教えられた。具体的に現実世界に善きものが現れてくるに先だって先ず心の世界に、
神の国を描くことが必要なのである。

「もし芥子種ほどの信だにあらばこの山に動いて海に入れというといえども必ず成らん」と
キリストが言われたのも、実現に対する信仰が心の世界に打ち建てられれば、神の国に在る
一切のものがこの世に実現することになるのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P5) より

           <感謝合掌 平成29年1月4日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《5日》 - 伝統

2017/01/05 (Thu) 03:55:32


《5日 心は全ての造り主》

すべての地上の建造物は、先ず建築家の心の内に描かれたものが実現したのである。
原子爆弾といえども科学者の心に描かれたものが実現したのである。
心は全ての造り主である。

物質は自ら自発的に動いて一定の形をとることはできません。
湯呑みが勝手に歩いたり、万年筆が勝手に動いて文章を書くということもあり得ない。

プランシェット(心霊現象の自動書記で御筆先を書く道具)が自働して文字や絵を書くのは、
その道具が勝手に動くからではなく、それを動かす霊があるからである。

吾々の肉体細胞の成分が一定の姿に配列されて健康になるのも病気になるのも
皆心の働きによるのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P5~6) より

           <感謝合掌 平成29年1月5日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《6日》 - 伝統

2017/01/06 (Fri) 03:34:24


《6日 人間の心の荘厳さ》

物質が自動して一定の形に配列することができないのに、
日月星辰という完全な天体系統が形成され、その天体の上に、
組織の極めて複雑精緻なる構造を有する動植物が造られたということは、
その構造に物質の分子を並べる知恵ある「心」がなければならないのである。

宇宙全体をかく設計構造した「心」は「宇宙」に満つる心でなければならない。
その「宇宙に満つる心」を神というのである。

その心は宇宙に満ちているから、人間のうちにも宿って人間の心となっている。
だから人間の心は神の心と同じように何でも造る力を有するのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P6) より

           <感謝合掌 平成29年1月6日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《7日》 - 伝統

2017/01/07 (Sat) 04:17:09


《7日 心の力と言葉の力》

人間の生命(せいめい)は、宇宙全体の生命(せいめい)の一部分であり、
人間の心は宇宙全体の心の一部分であるのである。

星を造り、太陽を造り、一切万物を造ったと同じ心が、人間に宿っているのである。
だから人間の心は一切のものを造ることが出来るのである。

「心の力」と云うものは単なる空想でも、観念論でもないのである。
現実に立証し得る所の力なのである。

特に信念をもった心の力が、言葉によって発せられるとき、
それは驚くべき大いなる創造力を発揮するのである。

信念をもった宗教家や占い者や医者が、「お前の運命はこうなる」と云ったとき、
その言葉の通りになるのは、心の力が言葉を通して有力に働いた結果である。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P6~7) より

           <感謝合掌 平成29年1月7日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《8日》 - 伝統

2017/01/08 (Sun) 04:12:06


《8日 脳髄は心の波の発信機である》

心はラジオ波と同じく、生命(せいめい)の波動であるから、
同波長のものが相感応し、相集まって来て、形にあらわれて来ること、
ラジオやテレビジョンによく似ているのである。

従って、自分の周囲に集まって来る人々は、環境、境遇、財福・・・等は
悉く自分の心の波長が引き寄せたものだと云うことが出来るのである。

此処に運命は自分の心で支配し得る原理があるのである。

すべて宇宙に存在する事物は、心に根源があるのですから、
心の波によってそれを引き寄せ具体化することが出来るのである。

脳髄は吾々の生命(せいめい)が「心」の波を発信する機関である。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P7) より

           <感謝合掌 平成29年1月8日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《9日》 - 伝統

2017/01/09 (Mon) 04:29:54


《9日 心の波長はこのように感応する》

吾々の思うことは、脳髄から発射されて四方にひろがり
適当な受信的同波長のところへ往って、感応する。

読心術というのもそれであり、虫の知らせとか人に会った第一印象とか、
何となく虫が好くとかいうのも皆、心の波を五感を通さずして直接感ずるのである。

吾々の心の波は、相手を定めて強力に発射すれば特にその人に強く感ずるのであるが、
(例えば汽車の中で向かせようと思って、「こちらへ向けこちらに向け」と強く思念すれば
必ず、その人はこちらを見ます。)

特に相手を定めない想念は、不定の方向に全体にひろがって行き、
多少とも周囲の人々に影響を与えて、更に同波長の心の人を動かして、
その人を自分の方へ近づけるような働きをするのである。

自分の好むと好まぬとに拘らず
同波長の者が集まって来て、自分の運命を定めるのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P7~8) より

           <感謝合掌 平成29年1月9日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《10日》 - 伝統

2017/01/10 (Tue) 04:37:44


《10日 類は類を招(よ)ぶのが宇宙の法則》

「類は類を以って集まる」「類は友を呼ぶ」と云う法則は心の世界にも、
生命(せいめい)の世界にも当て嵌まるのである。

同じ土地に、梅の樹(き)と福寿草とを植えて置くと、
梅の木は梅の花になる成分を土から引き寄せるし、
福寿草は福寿草の花になる成分を土から引き寄せる。

土を空へ放り上げても土の上に落ちて来て、土は土で集まる。
水蒸気は水蒸気で集まって雲となり、水は水で集まって河となり、
海となるのである。

鳥は鳥づれ、犬は犬連れ、ルンペンはルンペン連れ、
斜陽階級は斜陽階級連れ、社用階級もまた然(しか)りです。

あなたはどんな「類(るい)」を自分の周囲に呼びたいと思いますか。

それがあなたの運命をつくるのです。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P8~9) より

           <感謝合掌 平成29年1月10日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《11日》 - 伝統

2017/01/11 (Wed) 03:32:17


《11日 貴方のお心次第ですよ》

同じ土壌から収集した成分を、その成分の分子をどう云う風に配列して、
そんな形の花にするかは、その植物の内部生命の知性(心)によるのであります。

人間でも同じことであります。

同一家族が同一食物をたべながら、その同じ成分でお婆さんは白髪(しらが)を
作りますし、お爺さんは渋紙(しぶがみ)のような皮膚を作ります。

お嬢さんは瑞々しい柔らかい皮膚を作りますし、
息子さんは、逞しい筋肉を作ります。

それはその人の内部生命の知性の然らしむる処であります。

内部生命の知性とは「心」の働きでありますから、
皆さんが、心で始終思っている通りに、それに類するように
貴方の身体(からだ)は作られるのであります。

「肥えるも痩せるも病気になるのもあなたの心次第です」と云う訳です。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P9) より

           <感謝合掌 平成29年1月11日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《12日》 - 伝統

2017/01/12 (Thu) 04:02:48


《12日 現象を見るな 実相を見よ》

常によき想念、感情を続けて持っておれば、
あなたの肉体は美しく、逞しく健康でありますが、

常に他(た)を害するような、又、常に取越苦労をしたり、常に人を憎んだり、
恨んだり、他の悪を発見したりする心を持続していますと、

貴方の肉体にはみぐるしい皺(しわ)ができ、或いは生理作用が不調になって、
ついには病気としてあらわれて来るようになるのであります。

キリストは「外見によって相手を判断してはならない」と教えました。

生長の家では現象は《ない》、実相を見よ、

どんな人間でもその実の相(すがた)は「神の子」であるから、
神の子は必ず完全であるとして拝んでおれば、
どんな外見のよくない者でも完全な者になるのであります。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P9~10) より

           <感謝合掌 平成29年1月12日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《13日》 - 伝統

2017/01/13 (Fri) 03:17:10


《13日 横取りをせず縦取りをせよ》

生長の家の教えでは、「縦取りはよろしいが 横取りは可(い)かぬ」 と申します。 

横取りと云うのは、有限の世界から物を取って来ることでありまして、
それは必ず誰かと衝突するのもであります。 
これには必ず奪い合いを生じ、戦いや争いが起こってまいります。 

縦取りというのは、神の世界から、無限の世界から、頂いて来ることであります。 
これは頂いても相手は減らない頂きようです。 

そんな頂き様が 本当に出来るのでしょうか。 

貴方が何をやっても儲ける方から考えていると、「横取り」の方であります。 

これを「お客を喜ばせたい」「人類に献(ささ)げたい」と云う方から考えていると、
それは神へと縦に連(つらな)っているのであります。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P10~11) より

           <感謝合掌 平成29年1月13日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《14日》 - 伝統

2017/01/14 (Sat) 04:12:12


《14日 神に祝福されるには》

若し、貴方が人のために尽そう。
人に献げたいと云う方向に、あなたの行動が、又は職業が働いていますならば、
必ず貴方は神に祝福されるのであります。

若し貴方が、愛されたいと思うならば、
それは自分に「愛」を奪いとろうとする考えでありますから、
「愛」が得られないことになるかも知れないのです。

しかし「愛してあげよう」と云う心になれば、あなたは屹度その人から、
(でなければ、他の人から)愛されることになるのであります。

「愛されたいから愛しよう」と云うのでは、
まだ利己が先に立っていますから効果が少ないのであります。

毛筋ほども利己の考えを取去り、
純粋に愛したときに何が起こるかやって見ましょう。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P11) より

           <感謝合掌 平成29年1月14日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《15日》 - 伝統

2017/01/15 (Sun) 03:54:51


《15日 心の重荷を神におまかせなさい》

高い山に登るには、荷を軽くしなければなりません。
そうでないと脚がくたびれます。
心臓がつかれます。

吾々の魂が向上するためには、心の重荷を取去らねばなりません。
憎しみや、怒りや、心配や、貪(むさぼ)りの心を捨てなければなりません。
そんな重荷を取り去ったとき、魂は軽々と上に昇ること出来るのです。

併し世間には色々問題があります。
その問題の重荷をどうして取去ることが出来ましょうか。
其処が難しいと云われます。

その重荷を神に預ければ好いのです。
「重荷を負える者よ、我れに来れ。我れ汝らを休ません」 
と神は被仰(おっしゃ)っているのであります。

眠りしなに祈ることです。そして

「神様この問題を貴方の智慧と愛とにまかせて眠らせて頂きます。
眠っている間に解決して下さいませ」

と念じながら眠りに入(はい)ることです。

快い安らかな眠りがおとづれます。
そして、翌日になれば新しい事件の展望がひらけます。
よい考えが湧いて来ます。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P11~12) より

           <感謝合掌 平成29年1月15日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《16日》 - 伝統

2017/01/16 (Mon) 04:49:29


《16日 不幸を呟いてはならない》

片時(へんじ)と雖も呟いてはならないのです。
精神分析の大家は「呟く者の恋は成就しない」と云っています。

呟く者の雰囲気は暗いのです。
心の波長が悪くなるものですから、好い事は決して集って来ないのです。

他(た)から同情を求める心をもっているから、呟いたり、訴えたりするのです。
それは卑怯な心です。

決然とお立ちなさい。自分が自分の主人公におなりなさい。
同情を求める心は、自己を不幸に陥れる心です。
何故(なぜ)なら自分が本当に幸福だったら誰も同情してくれないからです。

多くの人々は「他(た)から同情されたい」と云う悪趣味を満足させるために、
病気になったり、不幸になったりしています。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P12) より

           <感謝合掌 平成29年1月16日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《17日》 - 伝統

2017/01/17 (Tue) 04:34:20


《17日 呟けば病気となり感謝すれば治る》

呟くかわりに感謝することです。
万物に感謝することをもって新生活を始めようではありませんか。

同じものでも不平をもって受取っては、自分自身の心も苦しいではありませんか。
同じものでも感謝して受取れば、苦痛が苦痛で無くなり、困難が困難で無くなるのです。

和歌山の講習会で川上喜一氏と云われる元海軍将校が終戦後内地に帰還して見ると、
国内の状態は見るに耐えない有様なのでそれに対して不平不満の心ばかりを起していたら、
全身が硬直して全然板のように棒のようになっていて一寸も動かない病気に罹った
体験談をなさいました。

阪大病院で診て貰ったが全然治療法がない。
その時、和歌山県の生長の家連合会長藤田氏に触れて毎晩『甘露の法雨』を読むことと、
『有りがとうございます』を1日1万編となえて感謝の念を起すことを勧められた。

さて手が動かないので『有りがとうございます』を何遍となえたかをどうして数えようかと思って、
天井の羽目板の木目で心覚えをして其の言葉を心で唱えていたのです。

すると、自分の子供が2個の熟した柿の実を樹からもいで来て、
「お父さんこれをおあがり」と云って懐に入れてくれた。

その時、無性にありがたい感じが起って思わず、自分の手の胸の上へあげて合掌した。
その時はじめて手が動きだしたことが分かり、やがて、全身が自由に動き出したのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P13~14) より

           <感謝合掌 平成29年1月17日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《18日》 - 伝統

2017/01/18 (Wed) 04:34:10

《18日 骨は肉親の中心者である》

多くの病気は感謝と懺悔とによって治るのである。
骨の病気は先祖又は《肉親の中心者》(骨は《その》象徴である)に
感謝の足りないところから起こるのである。

骨の外傷(がいしょう)もやはり其れと同じ原因である。

ニュヨークの長老教会の医療部の整骨専門のフランダース・ダグラス博士の挙げた実例にも、
「今日は姑が訪問して来る日だと云うので応接室を掃除している時、その部屋の絨毯に
躓いて脚の骨を折り、病院に担ぎこまれた」例を挙げてある。

これは「姑に逢いたくない」と云う潜在意識の願望のあらわれであるけれども、同時に
姑(肉親の中心者)に対する破壊する心をあらわしている。

人間の潜在意識の秘密を知ろうとする者は、谷口雅春選集『人間性の解剖』又は
『精神分析の話』を読んで頂きたい。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P14) より

           <感謝合掌 平成29年1月18日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《19日》 - 伝統

2017/01/19 (Thu) 03:52:21


《19日 富を現象界に映写し出すこと》

どんなに貧しくとも今断々乎として「我れすでに富めり」と念ぜよ。
現象を見るな。現象は過去の心の投影(かげ)だ。

今、「自分の富める光景」を心に強く描いてそれを潜在意識に焼きつけよ。
そして「富」の映画フィルムを造るのだ。

現象界は想念のフィルムの投影(かげ)であるから
心にハッキリと「自分が富める光景」を描いたならば、
富の現象化の第一段階は完成したのである。

しかしそれだけではフィルムが完成しただけであるから
まだ現象面(うつしのせかい)に出て来ないのである。

現象面(うつしのせかい)に映し出すためには
それから機械を運転しなければならない。

即ち「富」の想念を強く描いたのち自然に催し来(く)る行動を
躊躇(ちゅうちょ)なく自信をもって実行することである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P14~15) より

           <感謝合掌 平成29年1月19日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《20日》 - 伝統

2017/01/20 (Fri) 03:06:53


《20日 時機を逃がさぬこと》

今、行って安全確実なことでも、1分後には危険きわまることがある。
踏切の通過でもそうであるが、ある事業を行うのでも商品の売買でも同じことである。
こうしてある人は失敗して破産し、ある人は1分の相違で大儲けして成功する。

今になすべきことを次に延ばすな。

一つの仕事または返事をたった1日延ばした為に
それに関連した多くの事件が幾十日も延びることになり、
ついにその計画が腐ってしまって台なしになることもあるのである。

目の前にある仕事を忠実に履行せよ。

然らば、それが次の大いなる成功の足場となるのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P15) より

           <感謝合掌 平成29年1月20日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《21日》 - 伝統

2017/01/21 (Sat) 03:54:40


《21日 深く感情によい事が来ると信ぜよ》

想念は動力である。
更に感情は、一層深いところの動力である。

感情の底から、常に「自分は神の子だからよいことが来る、よいことが来る」と信じ、
念じているときに、その感情が根となって、ハッキリした想念があらわれて来る
―― 即ち茎が伸び葉がひらいて来るのである。

その葉が日光を吸収し炭酸ガスを吸収して立派な花咲き果(み)を結ばせるように、
想念は、自分の選択した波動を自己に吸引し吸収し形の世界に
その欲するところのものを実現してくれるのである。

何をハッキリ想念してよいかがわからないときには、ただ感情の底深く
「自分は神の子であるから、よいことが来る、よいことが来る」と
念ずるだけでよいのである。

ハッキリした想念はその感情の根からやがて生まれてくるものである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P16) より

           <感謝合掌 平成29年1月21日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《22日》 - 伝統

2017/01/22 (Sun) 04:51:44

《22日 困難を恐れてはならない》

山中で大きな熊に出会ったときには決してその熊から眼を外(そ)らしてはならないと
云われている。熊を恐れることなく見詰め、そして寧(むし)ろ微笑して彼を見詰める
のである。

すると熊は決してあなたに飛びかかって傷つけることは出来ない。
やがて熊はあなたの眼の前から姿を消す。

それと同じように、どんな困難も微笑してそれを迎える者には、
困難が困難でなくなるのである。

若し熊を恐れて、彼から目をそらせば、熊は直ちにとびかかって来て
あなたを一撃のもとに扼殺(やくさつ)してしまうのである。

困難はこちらが恐れずに立向かえば羊のように温順(おとな)しくなるが、
こちらが恐れれば熊のように跳びかかって来るのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P16~17) より

           <感謝合掌 平成29年1月22日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《23日》 - 伝統

2017/01/23 (Mon) 04:54:00


《23日 自己の内に神を見出せ》

信仰は山をも動かす。

自信力が個人的なものである限りは、
まだその信念の力は完全に発揮されないのである。

信念が神と云う絶大なものと結びついて信仰になるとき、
それは山をも動かす力となるのである。

「若し、芥子だねほどの信あらば、この山に動いて海に入れといえども、必ず成らん」と
イエスが云ったのは真実である。

絶対不敗の信念こそ、神の成功を得る最高の途(みち)である。

人は自分の心の中に「成功」又は「失敗」を携えて歩むのである。
それが外部からくるのだと思って、外部に依存している限りは着眼点が間違っているから、
失敗が相ついで起こるのである。

外の世界は内なる世界の反映だとわかって、
はじめて人間は自分自身の主人公となるのである。

自己の内界に無限力なる神を見出し、
その力によって進むものには、失敗はあり得ないのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P17) より

           <感謝合掌 平成29年1月23日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《24日》 - 伝統

2017/01/24 (Tue) 04:48:11


《24日 性格も運命も改善し得る》

心があなたの行為、環境、運命等をつくり出す原動力なのであります。
併し「心」と云うものを現在意識ばかりだと考えていては間違います。

現在意識は吾々の表面にあらわれている心であって、
全体の心の略々(ほぼ)5パ-セント位しか占めていない。

あとの95パ-セントと云う莫大な心の領域は表面にあらわれていないのだけれども、
それが内部から、見えざる手もて、隠れたる力で、吾々の行動を左右しているのである。
この事は『人間性の解剖』(新選谷口雅春選集)を読めば実に容易くわかるのである。

この潜在意識にレコ-ドされた感情や観念が、人間を無意識の世界から
引摺って動かしているのである。それを仏教では業の力と云っている。

業を淨める方法が発見されるまでは、
人間は業力に支配せられるところの奴隷に過ぎないのである。

どうにもならない性格だと思われていたもの、運命だと思われていたものも、
潜在意識を浄めることによって変化することが解ってきたのである。 


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P18) より

           <感謝合掌 平成29年1月24日 頓首再拝>  

ひかりの一日一言《25日》 - 伝統

2017/01/25 (Wed) 03:16:41


《25日 業の形成と解消》

強烈に思念したこと、感情の底深く思いつめたこと、
最初はそんなに強烈に思ったことでなくても、
それが反復して思ったり、心に描いたりしたこと、
呆然として或る程の精神統一状態にあるときパッと投げかけられた暗示

――これらは潜在意識に蓄音機のレコードのように刻みつけられて「因」となり、
それが動き出す「縁」が来るのを待っているのである。

そしてそれが動き出せば必ず、その潜在意識にきざまれた通りの動き方をする。
戦争も、多くの個人的殺人も、経済界の動きも、個人の性格的な行動も、
それによって左右せられるのである。

それを宗教家は「業の催し」だと云う。
しかし業とは心の業(わざ)である。

心の方向を一転することによって業の方向が変わるのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P18~19) より

           <感謝合掌 平成29年1月25日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《26日》 - 伝統

2017/01/26 (Thu) 04:49:50


《26日 一切の業から超出する道》

「性格」と云うものは、反復して心に描いていたものが、
その方向に動き易くなった「人間の心の型」を云うのである。

吾々は一度や二度練習してもピアノを上手に弾くことはできないけれども、
幾度も繰返しているうちに、努力なしに自然に指が動くようになって来る。

更に反復していると、「月光の曲」と題を思うだけで、
その曲譜の通り自然に指が動くようになる。

それと同じく、性格を自分の思うように改めるのも、
最初は自分の想念を自分で支配することが出来なくとも、幾回も繰返しているうちには
何の苦もなく自分の想念を支配し得るようになって来る。

先ず神想観して、

「吾は神の子である。いと優れたるものである。吾は霊である。
霊は自由自在であるから自分は何ものにも支配せられない。
自分は一切の業から超出せるものである」

と思念する練習を毎日繰返すが好いのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P19~20) より

           <感謝合掌 平成29年1月26日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《27日》 - 伝統

2017/01/27 (Fri) 03:30:40


《27日 人それぞれに修行がある》

誰でも自分の境遇は他の人のそれに比べて条件が悪いように考えたがるものであるが、 
それは卑怯な考えであり、或る意味では自分の苦難を誇張して自慢するこころであるから、
受難礼賛(じゅなんらいさん)の心であるから、却って苦難を呼び寄せることにもなるのである。

すべての人々はそれぞれの鍛錬(たんれん)の場が与えられているのであるから、 
第三者が考えるように他の人もそれほど楽ではないのである。 
しかしどんな困難もその人の受ける心境の上達するに従って楽になって来るのである。 

算術も最初は楽ではなかったが、楽になった頃には、その人は算術を卒業したのである。 
しかし算術を卒業した人も代数(だいすう)や幾何(きか)は又楽ではないが、 
やがてすべてが楽になる時が来る。 

それが、人生体験の卒業と云うものである。  


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P20) より

           <感謝合掌 平成29年1月27日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《28日》 - 伝統

2017/01/28 (Sat) 04:12:42


《28日 栄える運命を得るには》

人生問題を解決する鍵は「自分」の幸福と云うものに執着していた心を解放して、
「全体」の幸福ということに心を向けかえる処にあるのである。

利己から利他へ振向いたとき、われわれは狭い世界から、広々とした世界へ歩み出る。

人類全体に、(少なくとも隣人に)奉仕するのが本当の生活であるとわかったとき、
個人的利益に執着していた自分が馬鹿らしくなり、恥ずかしくなる。

そして人のため人のためと、他のためにつくしていると、
不思議に自分自身が、かえって生かされている事実を発見して驚くのである。

わが事のためでなくて尽している人は却って栄えるのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P20~21) より

           <感謝合掌 平成29年1月28日 頓首再拝> 

ひかりの一日一言《29日》 - 伝統

2017/01/29 (Sun) 03:06:15


《29日 天地一切と和解せば恐怖が滅する》

恐怖の心配とは、「不幸」を呼び寄せる接待係のようなものである。
恐怖したものは顕れ、心配したものは実現する。
こんな接待係は一日も早く追放しなければならない。

恐怖心に満たされた蛙(かえる)は、みずから恐れている蛇の口の方へ
引き摺られるように歩いて行くのである。

恐怖心に満たされた人は逃げる自由を失って自動車に轢かれる。
恐怖しなければ犬も咬(か)みつかないが、恐怖すれば犬も馬鹿にして咬みつくのである。

毅然として「われ神と供にあるが故に、恐るべきもの絶対になし」と信ぜよ。
天地一切のものが悉く、神より出でたる物であると知るならば、
吾らと等しくすべての者は自分と兄弟であるから恐るることが無くなるのである。

これが天地一切のものと和解することである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P21~22) より

           <感謝合掌 平成29年1月29日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《30日》 - 伝統

2017/01/30 (Mon) 04:43:33

《30日 子供を健康にするには》

恐怖する心は、恐怖する事物を自己自身に引き寄せるばかりでなく、
自己の愛する者(例えば自己の愛児)にその恐怖すべき者を引き寄せることになるのである。

自分の子供が常に「風邪を引きはしないか」と心配している場合には、
子供は風邪を引きやすいのである。

自分の子供が「お腹をこわしはせぬか」と心配している間は、
その子供の胃腸は虚弱であるのである。

愛児を健康にする道は、
「自分の愛児は神の子であるから、神が護ってい給うて常に健康である」と
毎就寝時に、愛児の枕元で思念しながら眠らせると好いのである。

「人間本来神の子・円満完全」の思想を説いた「甘露の法雨」を朗読して
聴かせながら眠るのもよい方法である。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P22) より

           <感謝合掌 平成29年1月30日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《31日》 - 伝統

2017/01/31 (Tue) 04:35:31


《31日 明るい心象のみ描きましょう》

光明思念によって病気を癒しまたは逆境を順境になおす方法は、現象は病気であっても
「汝は神の子であって病気はない。逆境はない」と強く想像して、
心に「健康にして幸福」なる状態の心象を描くことによって成り立っているのである。

即ちすでに病気であっても、「健康」の想念をある時間持続することによって
健康になるのであるから、その逆もあり得るのである。

すでに健康であっても「病気になりはしないか」「病気」を心に描くことによって
病気があらわれてくるのである。

諸賢に告ぐ、此の新年から、
唯(ただ)、明るい心象のみ、「健康」の想念のみを描きましょう。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第1項(P22~23) より

           <感謝合掌 平成29年1月31日 頓首再拝>

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