伝統板・第二

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浄心・懺悔 - 伝統

2016/12/20 (Tue) 04:04:57

《ニセモノの自覚を捨てよ》

         *「光明法語」(12月20日)より

「悔改めよ、天国は手の届くところにある」とキリストは言った。

ニセモノの自覚を捨てなければ、ニセモノのままで、
自分は神の子だと頑張ったとて何にもならぬ。

鍍金(メッキ)は本物だと頑張っても本物にはならぬ。
鍍金を剥がして本物を出してこそ「わしは本物だ」と主張する資格があるのだ。

鍍金(メッキ)を剥がす方法が『悔改(くいあらた)め』であり、懺悔である。
懺悔なしに自覚の転回は不可能である。

洗濯することなしに、垢)あか)を流し捨てることなしに
「私は清潔です」と頑張って見ても駄目だ。

            <感謝合掌 平成28年12月20日 頓首再拝>

《自己を死に切る》 - 伝統

2016/12/21 (Wed) 04:38:14


         *「光明法語」(12月21日)より

『悔改め』を佛教では『懺悔』と言い、自己放棄と言い、
パウロは『自己を死に切る』と言った。
一遍、肉体としての自分を死に切ったとき、霊の自分に復活(よみがえる)るのである。

自分を肉体だと思っている限りに於いて、
人間はエデンの楽園から追放せられなければならない。

自分を肉体だと思う知恵は、地(物質)に執した蛇の知恵である。
蛇は地を這う動物であり、地は物質を表徴し、

物質ありとして執着する五官を『蛇』をもってあらわし、
その蛇に教えられたる知恵を『知恵の樹の果』をもって表徴する。

            <感謝合掌 平成28年12月21日 頓首再拝>

《懺悔(ざんげ)によって心を浄めよ》 - 伝統

2017/01/07 (Sat) 04:28:10


      *『幸福を招く365章』第12項(P246~247) より

すべての妄想、邪念、激情・・・・・その他病気不幸を来す想念感情は、
懺悔によって消えるのである。

雲は晴れても晴れないでも円月であるのに相違ないけれども、雲が綺麗(きれい)に
洗い流された時にのみ下界からもその美しい円月が観(み)えるのである。

迷いの心が五官の世界に、どんな不完全な相(すがた)を投影しておろうがいまいが、
人間の本当の姿は、円月のように完全であるにちがいないが、

しかし下界の世界(肉眼の世界)にも、人間の本当の完全な相があらわれるためには
迷いの心を懺悔の心によって「ああ済まなかった」と洗い流す事が必要なのである。


懺悔によって、雲を涙の雨で洗い流した後に必要なのは、いつまでも過去の罪に
捉(とら)われない事である。吾々(われわれ)は手掌(てのひら)を返すように、
迷いから悟りの方へ、闇から光の方へクラリと心を転向しなければならない。

手の甲が上を向っていたのが、クラリと手掌を一転して上向けば既に手の甲は上にないが
如(ごと)く、罪あり、迷いありと見えた心の状態も、それを「あゝ間違っていた」と
光の方を振向けば、既に闇は消えて無いのである。

いつまでも、罪や、迷いや、悪をありと思ってはならないのである。


(初出~「生長の家(昭和25年10月11日~12日)

            <感謝合掌 平成29年1月7日 頓首再拝>

「心の浄化」は無意識の支配から逃れる方法 - 伝統

2017/01/22 (Sun) 04:47:06


             *「感謝力」原久子・著(P11~14)より

※無意識⇒潜在意識と無意識は違います。

無意識には親の考え方や教育などの影響、その時々に感じたことや思ったことが蓄積されます。
親が心配性だと生まれたときから既にそういうエネルギー(心配の波動)が全部入ってきてしまう。

また、無意識には個人的な業というカルマ、両親のカルマ、先祖のカルマ、
地域・国家・地球のカルマもありそういう影響を受けてしまう。

そして私たちは無意識に常にコントロールされてしまっているので
自分はこうしたいと強く思っても、思った通りの行動に移せないということが多い。


そこで、どうしたらその無意識にあるもののコントロール下から逃れられるかというと
無意識にあるものを直視すること、認めることです。
ところが多くの人が自分の無意識下に何があるかも気づいていません。

また、何となく自分の内側から出てくるマイナスの感情に気づいても、
そのような嫌な自分は見たくないわけです。
自分はそんなはずはない、などと思って、嫌な物は拒絶し、
ふたをして見ないようにしているのです。

ところが、つらくても醜い自分の心と向き合ってきちっと見ると、
それは無意識ではなくなってしまうのです。

自分のドロドロした醜い部分を見るということは解放につながるのです。

その場合、自分を責めたり、非難したり、あるいは自己嫌悪に陥ったりすることは、
心の浄化にはまったく関係ありません。
ただ、現実をあるがままに認めればよいのです。

(中略)

心の浄化が進むと、無意識の中にあったものがだんだん表面に出てくるので
コントロールされるものが少なくなっていきます。

そうすると、本来、私たちの心の一番奥にある真我のエネルギー、
愛とか感謝とか喜びといわれるプラスの思いが、
心の中にあふれるようになっていきます。

今までは無意識の心の曇りで真我のエネルギーにベールがかかっていたために、
私たちは自由に真我のエネルギーと触れることができない状況下に置かれていたのです。

ですから、そこで常に感謝していられるような自分になるためには、
心の曇りを晴らすことが必要であり、それは、具体的には、無意識にあるものを見て行く、
ということなのです。

            <感謝合掌 平成29年1月22日 頓首再拝>

《性格も運命も改善し得る》 - 伝統

2017/02/06 (Mon) 04:50:02


         *『幸福を招く365章』第1項(P18) より

心があなたの行為、環境、運命等をつくり出す原動力なのであります。
併し「心」と云うものを現在意識ばかりだと考えていては間違います。

現在意識は吾々の表面にあらわれている心であって、
全体の心の略々(ほぼ)5パ-セント位しか占めていない。

あとの95パ-セントと云う莫大な心の領域は表面にあらわれていないのだけれども、
それが内部から、見えざる手もて、隠れたる力で、吾々の行動を左右しているのである。
この事は『人間性の解剖』(新選谷口雅春選集)を読めば実に容易くわかるのである。

この潜在意識にレコ-ドされた感情や観念が、人間を無意識の世界から
引摺って動かしているのである。それを仏教では業の力と云っている。

業を淨める方法が発見されるまでは、
人間は業力に支配せられるところの奴隷に過ぎないのである。

どうにもならない性格だと思われていたもの、運命だと思われていたものも、
潜在意識を浄めることによって変化することが解ってきたのである。 

            <感謝合掌 平成29年2月6日 頓首再拝>

感情の浄化ワーク - 伝統

2017/02/22 (Wed) 04:07:58


       *「「第六感」で決めると、すべてに迷わなくなる!」
         普天間 直弘・著(P76~80)より

誰にもぶつけられない怒りや思いを紙に書いて燃やしてから流すワークです。


用意するのは、白い紙と筆記用具です。
ワープロなどで打たず、必ずご自分の手で書いてください。

・白い紙
・筆記用具
 

紙には「縦書き」で、思いのたけを書いてください。
遠慮することはありません。

何に対して腹を立てたり、憎んだりしたのか。
できる限り詳細を書いて、心の中にある塊をすべて吐き出すのです。
後ほど説明しますが、必ず「縦書き」で記すことは守ってくださいね。
 
そうして書いた紙を今度は燃やします。
燃やすときは空き缶など、深くて周りに灰が飛び散らないものがいいでしょう。

以前、ガラス製の灰皿の上で燃やした人がいましたが、
燃やしているうちに「パンッ!」と灰皿が十文字に割れてしまったとのこと。
ガラス製でも割れてしまうことがあるくらい
「念」を燃やすのはネガティブな感情のエネルギーが放出されることなのです。
 
そして燃やしながら、必ず次の呪文を心の中で何度か唱えてください。


   「思いのすべてを書きましたが、書いた自分も、書かれている対象も、許します」

 
書かれた「念」からは、ものすごい悪臭が生じることも多いので、
室内ではなく、屋外で燃やすようにしてください。
なるべく他に火が燃え移るものがないような広めの場所が適しているでしょう。

 
さて、ここからが肝心なところです。
燃やし終えて残った灰を、今度はトイレに流します。

そのまま土の中に埋めようとした人もいましたが、
トイレの水で流すことが大切ですから、ここは忘れないようにしてくださいね。
 
流しながら、トイレの神さまに向かって次の言葉を唱えます。

    「すべてを許しましたので水に流してください」

なぜ「感情の浄化」をこのような方法で行なうのかというと、
私たちの「意識」を目に見える形にしながら
印象的に行なったほうが消し去るのが早いからです。

「このワークをやって半年くらい怒る気がしないんです。
怒りがないのでかえって心配ですが・・・・・」
と戸惑う人もいました(笑)。

「いいの、いいの。怒りが出てきたら、また燃やせばいいからね~」
 
私は笑いながら気楽に答えるようにしています。
 
人間に喜怒哀楽があるのは、悪いことではありません。
どのような感情を抱いたとしても、後でちゃんと平常心(中庸)に戻れたらいいのです。
 
さて、白い紙に自分の思いを書くときは「縦書きにしてください」と述べました。
なぜ縦書きなのか、おわかりでしょうか?
 
日本語には書き順というものがありますよね。
習字のときをイメージしてみましょう。

筆にたっぷり墨汁をつけて、できる限りひと息で綴るようにと言われます。
それは、次の書き順へと移るときも、空中ではすべてがつながっている
という考え方によるものです。
 
これは言霊の波動をつなげ、文字がもっているエネルギーそのものを
伝わりやすくするためだと私は思います。

書かれた文字にエネルギーが入っているからこそ、
縦書きできちっと文字を読むとき、自然とこちら側も
背筋を伸ばして読む姿勢になるものでしょう。

横書きでも読めないことはありませんが、
一つひとつの言葉が横並びになった横書きの文字では、
エネルギーが切れてしまっているので思いの力が入りにくいもの。

本気の思いを込めるときには、
日本語の場合、「縦書き」がいちばん合っていると思います。

            <感謝合掌 平成29年2月22日 頓首再拝>

「ケ、ケ、ケ、ケ」 でいやな感情を放出しよう - 伝統

2017/04/23 (Sun) 03:57:06


         *『「笑い」の秘密』越智啓子・著(P180~182)より

嫌いなのはとても気になっているということ、すなわち「嫌い」なことは
「好き」という感情の裏返しが含まれていることがあります。

そこには、「宇宙の真理」があります。


(中略~過去生での嫌な体験があり、今生ではそれを避けようとしている場合があります)


《好き嫌いの中には、自分の過去のデータが含まれています。》

そして、好き嫌いは、過去の自分を知る大切なきっかけになります。

もしあなたが、嫌いなものや、嫌いな人のことが気になったり、引き寄せの法則を
わかっているのに、どうしても受け入れたくないということでしたら、
それはきっと解放のベストタイミングです。

過去生のいやな体験やトラウマを解放し、もう一度好きになるチャンスなのです。

なぜ嫌いなのかを思い切り熱く語って、放出してしまいましょう!

《最期に「ケッ! 」と言うと、しっかり放出できますよ。》

なぜなら、神代文字のカタカムナで「ケ」は「放出」の意味をもっているからです。

日常生活でもいやなことがあったら、小さく「ケッ! 」と言って、
エネルギーを吐き出してみましょう!
「ケ、ケ、ケ、ケ」と4連発すると、かなりストレスが発散されます。


もし、カエルが大好きな人は、「ケロ、ケロ、ケロ、ケロ」とカエルのように
鳴くと、調子が出てきます。
悩んでいたこともケロッと忘れて、本来の自分にカエルことができます。

神代文字のカタカムナの思念(=エネルギー)読みでは、
「カエル=帰る=変える=替える=返る=代える」など、
すべて同音同意になります。

つまり、カエルは、「エクスタシーチェンジ」なのです。

  *「エクスタシーチェンジ」
    → http://nankurustaff.ti-da.net/e3462339.html

            <感謝合掌 平成29年4月23日 頓首再拝>

潜在意識を浄める - 伝統

2017/04/28 (Fri) 05:01:52

 
           *「光明道中記」(4月28日)より抜粋

愚かなる人と賢者との相違は、愚かなる人は一時の感情に捉えられて失敗するし、
賢者は冷静な智慧によって、その野生的な感情を駆使して一定の方向に利用して行く
のである。

腹の立っている時には人に怒鳴り附けてはならないし、
腹の立っている時には人に手紙を書いて投函してはならない。

耐(たま)らなければ書くだけは書くが好い。
罵(ののし)れるだけその書き物の中で罵るが好い。
併しその手紙を投函してはならないのである。

激情は壁に打(ぶ)っ衝(つ)かったゴムボールのように
吾々の投げたと殆ど同じ力で投げ返されて来るものである。

書きたいだけ書いたならば、その怒(いかり)の念は既に形の世界に顕れた
のであるから、新たな激情も煽(あお)らない限り、その最初の実現力を失って、
耐(た)まらないと云う程にはならないのである。

もうその時赦せば好い。

吾々への神の啓示は、一度吾々の潜在意識面へ照射されてから
現在意識へ反射して出て来るのである。

吾々の潜在意識が「幸福」を吸収して了うならば、
「幸福」になる方法は現在意識面へ浮かび上がって来ないのである。

潜在意識に色々の悪感情を蓄積して置くならば、
どんなに神がその人に「幸福」の光を投げかけても、
その人の現在意識には不幸になる道のみが思い浮かぶだろう。

            <感謝合掌 平成29年4月28日 頓首再拝>

日常の出来事は、潜在意識中の優勢観念が磁石となって回転する - 伝統

2017/04/29 (Sat) 04:50:40


           *「光明道中記」(4月29日)より抜粋

吾々の潜在意識の中には色々のものがある。
その中で最もどう云う種類の観念が優勢を占めているかと云うことによって
其の人の運命は決するのである。

其の人の周囲に集まって来る日常無数の出来事は、
その人の潜在意識中の優勢観念が磁石となって回転するのである。

吾々の潜在意識中の優勢観念が、「人間神の子・万事良くなる」という
大信念であるならば、その人の周囲に起るところの大小無数の事件は必ず
其の人が幸福になるように、その人が発展するように好転好転又好転するのである

            <感謝合掌 平成29年4月29日 頓首再拝>

《懺悔の心が病いを癒す》 - 伝統

2017/06/14 (Wed) 04:26:11


        *『 生長の家 』(昭和24年12月28日の法語)より

   大体、泌尿器及び生殖器等にあらわれて来る病気は、
   夫婦関係の不調和、先夫先妻の関係、三角関係などの心の悩みが、
   その心の影として、夫婦関係の機官にあらわれて来るものなのである。

   「甘露の法雨」を読んでも、この問題が解決しない限りは
   それが治らないこともあり得るのである。

   さきに述べた婦人も亡夫の仏前で、今まで恨んでいたことを懺悔して
   お詫びし感謝の心を起して「甘露の法雨」を誦(よ)んだとき、

   亡夫の霊も浮ぶことが出来、
   その妄念の凝結としてあらわれていた子宮癌が
   消え去ってしまったのである。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

            <感謝合掌 平成29年6月14日 頓首再拝>

《懺悔やまいを癒す》 - 伝統

2017/07/03 (Mon) 03:35:43


          *『 生長の家 』(昭和24年12月29日の法語)より

   荒井英太郎講師が佐世保で 「 懺悔の神示 」 を講義したとき、
   長い間、脚が硬直していて まがらなかった人が、
   脚の関節が柔かになり、自由に動き出したような奇蹟とも見える
   神癒が行われた。

   柔かい心になれば肉体が柔かくなり、その硬直がとけるのである。

   懺悔は今まで、

   「 これで何が悪いことあるものか 」 と頑張っていた頑固な心が

   ほぐれて、やわらかくなり、


   「 ああ、済まなかった 」 と今迄(いままで)の悪い心を

   打消してしまうのであるから、過去の罪が消えてしまうのである。

   みずから 「 善し 」 として 「 病いを起していた心 」 を肯定しては
   病いは治らない。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

            <感謝合掌 平成29年7月3日 頓首再拝>

懺悔によって赦されよ - 伝統

2017/07/14 (Fri) 03:28:07


           *「光明法語」(7月14日)より

「赦された」と云う実感は、神と自分とを隔てていた堤を取り去る事になり、
其処からして神の癒力が流れ入るのである。

キリストの「汝の罪はゆるされたり」の言葉が、
よく難治の病者をいやしたのも此の理によるのである。

悪は悪と気がついたとき、その罪は消えたのである。
何故なら、悪が悪と気がつくとき、
もう自分は上の境涯に立って過去の自分を見ているからである。

かかるとき、キリストは言った。
「汝の罪ゆるされたり、去って再び罪を犯す勿れ」。

            <感謝合掌 平成29年7月14日 頓首再拝>

《懺悔は心の浄化である》 - 伝統

2017/07/27 (Thu) 04:27:43


         *『 生長の家 』(昭和24年12月30日の法語)より

   懺悔は、自己の心の中に凝結していた 「 間違いの心 」
   (精神分析の言葉をかりて云えばコンプレックス)を
   洗い流すところの浄化作用を完成するのである。

   「 すみません、すみません 」 と両親に今までの不孝の罪を懺悔したとき、
   良人は今までの行届かなかった我侭(わがまま)の心を懺悔したとき、
   多くの病気は癒されているのである。

   「 あなたならこそこんなにして下さるのに、
   私の尽くしようが足りませんでした。
   こんな不つつかな私でございますのに
   こんなにも愛して下さいまして、有り難うございます 」 と、


   真に全心全霊、お詫びと感謝とをしたとき病いは癒えるのである。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

            <感謝合掌 平成29年7月27日 頓首再拝>

あなたの潜在意識を浄めよ - 伝統

2017/08/11 (Fri) 03:55:47


         *『 如意自在の生活365章 』(P246~247)より

常に自己が“ 神の子 ” であることを忘れず、物思う時にはまず
「自分は神の子である」ということを三遍ぐらい唱えるか、想うかしてから
何事でも決定するがよい。


そうすれば、あなたの心の中に
貧想や病念や禍(わざわい)の想念は決して浮かんでこないであろう。

そしてあなたが心(潜在意識を含む)に思わないことは
決してあなたの生活にあらわれてこないのであるから、
貧乏や病気や禍はあなたの生活には決して這入(はい)って来ないであろう。

しかしあなたの潜在意識の中に、まだ気がつかずに残っている
貧想や病念や禍の想念がある場合には、それは依然(いぜん)として
具体化するところの潜在エネルギーとして潜んでいるのであるから、
貧乏や病気や災害が出て来るかもしれないのである。

従って、あなたの潜在意識を浄める必要があるのである。

潜在意識を浄化するには
「ただ神のみ善のみ実在する」という真理を書いた文書を繰返し読み、
毎日、神想観を修して、その真理を精神統一中に念ずるがよい。

            <感謝合掌 平成29年8月11日 頓首再拝>

悔い改め - 伝統

2017/12/19 (Tue) 02:43:08


        *「光明法語」(12月19日~20日)より

《汝は何者であるか》

汝は汝の自己が「汝自身が何者であるか」と信じている通りになるのである。

汝は弱小であると信じている限り弱小になる。
汝はすでに偉大であると信じておればその信ずるとおり偉大となるのである。

信念は山をも動かす。

信とは人偏に言(コトバ)であり、コトバは本質である。

人間の本質に対する自覚が信である。
人間の本質が神の子であることを信じたときに、その神の子の完全さが現われる。
自己の本質を自覚するまでに、ニセモノの自覚を捨てなければならなぬ。

それが悔改(くいあらた)めである。

・・・

《ニセモノの自覚を捨てよ》

「悔改めよ、天国は手の届くところにある」とキリストは言った。

ニセモノの自覚を捨てなければ、ニセモノのままで、
自分は神の子だと頑張ったとて何にもならぬ。

鍍金(メッキ)は本物だと頑張っても本物にはならぬ。
鍍金を剥がして本物を出してこそ「わしは本物だ」と主張する資格があるのだ。

鍍金(メッキ)を剥がす方法が『悔改(くいあらた)め』であり、懺悔である。
懺悔なしに自覚の転回は不可能である。

洗濯することなしに、垢)あか)を流し捨てることなしに
「私は清潔です」と頑張って見ても駄目だ。

            <感謝合掌 平成29年12月19日 頓首再拝>

《自己を死に切る》=懺悔=自己放棄 - 伝統

2017/12/21 (Thu) 03:17:09


           *「光明法語」(12月21日)より」

『悔改め』を佛教では『懺悔』と言い、自己放棄と言い、
パウロは『自己を死に切る』と言った。
一遍、肉体としての自分を死に切ったとき、霊の自分に復活(よみがえる)るのである。

自分を肉体だと思っている限りに於いて、
人間はエデンの楽園から追放せられなければならない。

自分を肉体だと思う知恵は、地(物質)に執した蛇の知恵である。
蛇は地を這う動物であり、地は物質を表徴し、

物質ありとして執着する五官を『蛇』をもってあらわし、
その蛇に教えられたる知恵を『知恵の樹の果』をもって表徴する。

            <感謝合掌 平成29年12月21日 頓首再拝>

ふと、昔の自分が「した」「起こした」を思い出す瞬間の対処 - 伝統

2018/01/07 (Sun) 03:40:41


        <あるWeb情報をもとに、作成したものです>

(1)例えば

  ①他人にした嫌なこと。
  ②今思い出しても、顔から火が出るほど恥ずかしい自分の発言・行為。
  ③お世話になった人への、不義理。
  ④他人に謝らないまま、終わっていること。

(2)ふと、自分で思い出す訳は

   それは、自分の良心からのサイン・合図であることが大半なのです。

   「本当のアナタは、それを忘れていても良いの?」
   「忘れたまま、コノ世で反省しないまま、アノ世に帰ると後悔するよ。
   因果に成るよ」

   と教えてくれています。

(3)これらは、相手との問題ではなく、
   すべては、自分自身の良心が納得するか、否か、の問題なのです。

(4)死後に体験すれば、10倍ですから、生前に思い出すことが大事。

   もし、ふと、思い出したとき、それを反省せずに無視してしまうと、
   そのことはそのまま、死後の世界に持っていくことになります。

   そうなった場合、次のようなことになります。

   人は死後の世界に入りますと、肉体を失くしている為に、
   心の感覚が10倍の鋭敏さに変わることを想像してください。

   痛みも(自殺者だけに残ります)、快楽も、反省で悶えることも、
   今の10倍の大きさに増幅されることを想像してください。

   心が10倍の鋭敏さに成りますと、

  ①過去のすべてを思い出します。
   今生も、その前の過去生も含めて、自分の履歴を思い出します。

  ②今生で、他人に迷惑を掛けたことも、
   相手の立場に成り切ってその痛みや苦しみを、
   自分の鋭敏な心がアノ世で体験します。

(5)その後の魂の行く先

   迷惑を掛けた相手の立場を、自分の死後に初めて思い出して体験しますと、
   それに耐えられない・苦しむ魂が大半です。

   そして、自分から、
   こういう自分が行くべき世界を「自ら」「自分で」選択します。

   もうこの段階では、どんな生前の悪人でも、天国を自分で選ぶ人はいません。
   それほどウソが付けない、素直な状態に戻っています。

   天国も地獄も、偉い他人が選別や指示をする訳では無いのです。
   自分から「申し出る」「自己申告する」ことに必ず成ります。

   ただ、どの列に並ぶかを教えてくれるだけの天使(精霊)は居ます。
   コノ世から垣間見た人は、その精霊が「選別者」だと勘違いをして来た
   歴史が有りますが、実際には違います。

(6)「ふと思い出す」は、コノ世で心を浄めるチャンスなのです。

   もう相手に謝ることが出来ない時は、

  ①それを思い出した時に、心中で相手に謝ること。
  ②反省して、二度と繰り返さないと誓うこと。
  ③今後は違う人に、その分の善行的なお返しで、上書き修正をすること。

   これで緩和されて行きます。

   本当の自分が「その様子を見て」納得して行くことに成ります。
   自分の良心が「その後」を見て、許し始めます。

   そうすることで、死後に思い出して苦しむことも、
   因果に残ることも、無くなって行きます。

(7)一番に畏れるべき相手は?

   一番に畏れるべき相手は、本当の自分(良心・内なる神)なのです。

   本当の自分は、いつも一緒に体験している訳ですから、
   ウソも誤魔化しも出来ません。

   だから観念して、ギブアップして、自分の良心に従って生きる人は、
   コノ世もアノ世も最善に成って行きます。

            <感謝合掌 平成30年1月7日 頓首再拝>

潜在意識クレンジング - 伝統

2018/01/24 (Wed) 03:16:00

●“0ゼロ”潜在意識クレンジングを体験する


      *メルマガ「自分から覚醒できる 潜在意識革命」(2018年01月04日)より

1枚の紙を用意してください。

そこに

決してあなたが聞きたくない言葉、
他人から言われたくない言葉、
あるいは過去に言われて酷く傷ついた言葉

を書いて下さい。

「お前はホントウに役立たずだな!」

「あなたは、一体これまで何をやってきたの?」

「あなたは、頭が悪いですね」

「お前は、なんでそんなに太ってるの?」

などのような言葉です。


最初の人称は2人称で書きます。

つまり「お前は…」「あなたは…」「君は…」

というように、
実際に他人から言われたように書きます。


書き終わったら、
その紙を伏せて、深呼吸して下さい。


そして、
紙をめくって書いてある言葉のエネルギーがあなたに向かってくるのを
感じて下さい。

体のどこに感覚(感情的な痛み)があるかに気づいて下さい。

もし書いてある事を読んでいる時に何も感じないとしたら、
本当に傷つくような言葉を見つける必要があります。


この最初のステップの重要な点は、
あなたの体の中に入ってくるエネルギーの反応を感じるということです。


“0ゼロ”潜在意識クレンジングの初心者の内は、ネガティブなものを扱います。

その理由は
自然な体のシグナルに注意を払う事をしてこなかったり、ブロックしたり、
無視したりする術を身につけてしまっている人が多いからです。

そこで重いパンチを受けるような
はっきりとした体験を最初にするわけです。

体の中に生じた感覚の場所を特定できたら、その場所に注意を移します。

意識し続けられるように手をその場所を当てるようにして下さい。

そして、
これらの感覚は単にエネルギーの撹乱かブロックされている事が原因で
起こっているのだと考えます。

同時に
そのエネルギーが流れ込み、通過し、出て行く回路が確実に存在します。

ここで意識して、自分自身にこう尋ねて下さい。

「このエネルギーはどこへ流れて行きたいんだろう?」


殆どの人がパッと思い浮かぶと思います。

上か下か、右か左か、それは重要ではありません。


もし分からなければ、もう1度紙を見て下さい。


そして体が感じる所に手を当てて、
感じている範囲の端からエネルギーが柔らかくなって、

ちょうど、氷から煙が出ているように、流れを感じます。

そのエネルギーが流れるように感じたら、
さらに流動的になるままにさせて、体の外へ流れ出るようにさせます。


紙に書いてある言葉を読んで、エネルギーがスムースに流れ込み、

必要な回路を流れて、出て行き、そしてエネルギーに満ち溢れた感覚や、

この(紙に書いてあるような)エネルギーに心が乱されなくなるまで、
この過程を繰り返してみて下さい。


もし友人が一緒にいるとさらによいエクササイズになります。

紙に書く代わりに友人に、
自分が言われたら嫌な言葉を言ってもらい、

上記のエクササイズを行ってみて下さい。

            <感謝合掌 平成30年1月24日 頓首再拝>

激怒したら思い出して。マイナス感情が消える「6秒の奇跡」とは - 伝統

2018/02/10 (Sat) 04:43:48


         *Web:MAG2NEWS(2018.02.01 )より
              ~by 『致知出版社の「人間力メルマガ」』

マイナスの思いを消す「6秒の奇跡」

人の言動で心が動いてしまいそうになる時、
それを防いでくれる「6秒の奇跡」と呼ばれる方法があります。

例えば、誰かから激しく叱られたり罵倒されたりしたような場合、
「あっ、いま動揺してしまっているな、傷ついたな」と客観的な目で自分を観察し、
6秒間呼吸を整えて心を静めるのです。

そうすれば、マイナスの思いが消えていき、
気持ちを乗っ取られずに済むと言われています。

刺激に対してすぐに反応してしまえば、感情の虜になってしまいます。

自分を冷静に観察するこの練習を続けていくうちに、
人の言うことはそれほど深いものでも真実に根ざしたものでもないことが分かってきます。

そして「人の目ばかりを気にして生きる自分、欠点の多い自分であっても、
大自然から生かされている尊い存在なのだ」という自覚が芽生えてきて、
いつの間にか自分を受け入れることができ、自分自身と仲よしになっていくことでしょう。

セルフイメージを高める一番の方法は、
このように人間は大自然によって生かされていることを実感し、
それに感謝することです。

人間を生かしてくれるのは大自然だけではありません。
親や学校の先生、友人、隣近所の人たち、職場の上司や同僚など
多くの人たちの支えがなくては、私たちは生きていくことができません。

自分に愛情を注ぎ、育ててくれようとした人たちに
思いを馳せてみることも自己肯定に繋がります。

もちろん、人間は成長するにしたがって多くの失敗や挫折を経験します。
そのことがトラウマになって先に進めなくなる人がいるかもしれません。

そういう時は小さな成功を自分で認めて、自信を積み上げていくことです。

「きょうも頑張って仕事ができた」
「お客様から喜んでいただけた」
「道に落ちていたゴミを拾った」

というような些細なことでも「ああ、いいことができた」と
喜ぶ習慣をつけることが大切なのです。

まるで親が小さな子供を褒めて育てるように、
当たり前と思えるようなことでも自分で自分のいいところを見つけて教育していく中で、
いつの間にかセルフイメージは高まっていくことでしょう。

顔の形が異なるように、人間の個性も皆違います。
共通しているのはただ一つ、奇跡的な命を授かって生かされていることです。
その素晴らしさに気づいていただくことが私の何よりの願いです。

   (http://www.mag2.com/p/news/348820 )

            <感謝合掌 平成30年2月10日 頓首再拝>

《潜在意識を浄(きよ)めるには》 - 伝統

2018/04/15 (Sun) 02:39:33


         *「光明法語」(4月15日)より

日本は現在意識では勝つように祈り乍ら、
潜在意識では、「靖国神社で会おう」というように祈っていた。
又みずから「水漬く屍(しかばね)」「草生(む)す屍」になる様に祈っていた。

現在意識で「成功」を願い乍ら、
潜在意識には「失敗して、死して靖国神社に祀られる」様に
祈っていたわけだから、その祈りは成就して負けたのである。

必ず「成功」を実現せんと欲するならば現在意識・潜在意識共に、
「成功」を念願しなければならぬ。

その為には神想観して潜在意識の底までも「吾神の子なり必ず成功する」
との念を深く印象せねばならぬ。

            <感謝合掌 平成30年4月15日 頓首再拝>

怒りの感情は紙に表わし、そして赦せば好い - 伝統

2018/04/28 (Sat) 03:28:16

 
        *「光明道中記」(4月28日 心の主人公となる日)より

【神と私とは父子の関係だ。本当に愛して愛されている。
                   (『生命の實相』第十七巻)】

愚かなる人と賢者との相違は、
愚かなる人は一時の感情に捉えられて失敗するし、
賢者は冷静な智慧によって、その野生的な感情を駆使して
一定の方向に利用して行くのである。

腹の立っている時には人に怒鳴り附けてはならないし、
腹の立っている時には人に手紙を書いて投函してはならない。

耐(たま)らなければ書くだけは書くが好い。
罵(ののし)れるだけその書き物の中で罵るが好い。
併しその手紙を投函してはならないのである。

激情は壁に打(ぶ)っ衝(つ)かったゴムボールのように
吾々の投げたと殆ど同じ力で投げ返されて来るものである。

書きたいだけ書いたならば、その怒(いかり)の念は既に形の世界に顕れた
のであるから、新たな激情も煽(あお)らない限り、
その最初の実現力を失って、耐(た)まらないと云う程にはならないのである。

もうその時赦せば好い。

吾々への神の啓示は、一度吾々の潜在意識面へ照射されてから
現在意識へ反射して出て来るのである。

吾々の潜在意識が「幸福」を吸収して了うならば、
「幸福」になる方法は現在意識面へ浮かび上がって来ないのである。

潜在意識に色々の悪感情を蓄積して置くならば、
どんなに神がその人に「幸福」の光を投げかけても、
その人の現在意識には不幸になる道のみが思い浮かぶだろう。

            <感謝合掌 平成30年4月28日 頓首再拝>

《潜在意識の浄化法》 - 伝統

2018/05/23 (Wed) 04:34:09


     *『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P72) より

過去の不快な事柄を全部自分の心から放ち去ろう。
誰が何時、何処で何をいったとか、何をしたとか ―― 
そんなことを常に心にもって心を汚していて、
それで光明思想の信者だといえますか。

怒り、憎しみ、恨み、悲しみ、軽蔑、屈辱・・・
そんな事で心を傷つけるのは馬鹿々々しいではありませんか。

人間の幸、不幸は、物質の多寡や、環境境遇によるのではなく、
自分の心を平和に愉しく快適に保つことによって得られるのである。

現在意識から一切の怒り、憎しみ、恨み、悲しみ、軽蔑、屈辱を
棄て去るだけではなく、

潜在意識に印象されているそれらの不快な想念感情を
綺麗に拭い去ることが必要である。

その為には神想観して次の如く、神の愛につつまれている自分を、
心に強く深く念ずるがよいのである。――

「神の無限の愛われにふりそそぎ、われを取り巻き、
われを無限の愛をもって抱きしめ給う。

神は、わがすべての罪をゆるしたまい、
すべての罪を悉く”無”にまで粉砕したまうのである。
わが罪は悉く”無”にまで粉砕されたのである。

われは一切の”罪”も”業”もなきものとなったのである。
だから私の心の底にある一切の怒り、憎しみ、恨み、悲しみ、軽蔑、屈辱等の傷は
悉く消え去ったのである。 ありがとうございます。」

            <感謝合掌 平成30年5月23日 頓首再拝>

懺悔が癒す - 伝統

2018/07/14 (Sat) 04:23:29


       *「光明法語」(7月14日の法語 懺悔によって赦されよ)より

「赦された」と云う実感は、神と自分とを隔てていた堤を取り去る事になり、
其処からして神の癒力が流れ入るのである。

キリストの「汝の罪はゆるされたり」の言葉が、
よく難治の病者をいやしたのも此の理によるのである。

悪は悪と気がついたとき、その罪は消えたのである。
何故なら、悪が悪と気がつくとき、
もう自分は上の境涯に立って過去の自分を見ているからである。

かかるとき、キリストは言った。
「汝の罪ゆるされたり、去って再び罪を犯す勿れ」。

            <感謝合掌 平成30年7月14日 頓首再拝>

心の窓ガラスを清掃して - 伝統

2018/12/09 (Sun) 04:05:19


       *『無限者との協調』 ラルフ・ウォルドー・トライン 
          1896年 谷口雅春訳

もしあなたが自己自身の中心から一切の事物を支配することなく、
あれやこれやの事物をして、あなたに害を与え、災いを起こし、
かつ煩わす力を与えるならば、

それらがもたらす害悪を自己創造のものとして受け、
永遠の善にましまし、すべてのものを祝福したまう神に対して
小言などを言わぬがよい。


ある人の詩にこういうのがある。 ---

われは誓う
住む人のこころ清ければ
その住まうところの浄土清し
住む人のこころ突兀(とっこつ)として棘(いばら)多ければ
その人の住まうところ突兀として棘茂る



もしあなたの魂の窓ガラスが汚れており、
いろいろな異物で覆われてスジがついているならば、
その窓を通して眺められる世界も汚れて見え、
スジがついて秩序混乱したように見えるのである。

不平を唱えることを止めよ。

しかしながら、あなたの暗黒な考え --- 
「憐れなる、不幸なる者よ」という事実を自己にとどめておいて、
さてその原因であるあなたの魂の窓を浄めるのに
何を絶対必要とするかを仮借なく見極めなければならないのである。


しかし、自身の魂の窓を浄めて、
「永遠の太陽」の光が内部全体を照り輝かし、
外なる景色を何の曇りもなく見得るようにしている
あなたの友だちは、同じ世界に住んでいながら
全然あなたとは別世界に住んでいるのだという事実を知らなければならない。

だから、あなたの魂の窓ガラスを洗い浄めなさい。
そしてある他の世界を求めるよりも、その浄められた魂の窓からして、
素晴らしく既に美しい世界を見るのがよいのである。

そしてもし、あなたが今ここにいて至るところに
素晴らしく美しい世界を見出すことができないならば、
あなたはどこへ行っても素晴らしい世界を見出す機会などはないのである。


読み人知らずの詩に ---

詩人野を歩めば
赤い実のなる草叢(くさむら)を
ちりばめるものはルビーの詩語か

シェイクスピア道を歩めば
いずこの街を行く人もことごとく
仮面舞踏会の変装者か

この詩のような人間の動きが起こるのである。

  (http://www.cwo.zaq.ne.jp/coach/windowpane/ )

            <感謝合掌 平成30年12月9日 頓首再拝>

効果的なエネルギーの浄化方法 - 伝統

2018/12/27 (Thu) 03:36:16


         *Web:ホリスティック雅代メソッド(2018年06月18日)より


サイキック・ビルの「効果的なエネルギーの浄化方法」



最近はいろいろな場面で浄化の必要な人が増えています。

今日は、ビルが教えてくれた効果的なエネルギーの浄化方法をご紹介します。


(1)瞑想し、イメージ化して、自分を大きな白いぴかぴかした大きな光で包み込む。

   これは嫌なエネルギーを出している人に会う前とか、
   自分を守りたい時に非常に効果的。


(2)松や杉は浄化作用がある。

   きれいな松(又は杉)の木の枝を切ってきて、頭の上からつま先まで、
   サッサと小さなほうきやブラシでほこりを落とすように、浄化する。

   その後、木の枝は、ゴミとして焼却するか、流れている川に投げ捨てて処理をする。

     (最近は焼却はできないので、川に捨てる)


(3)自分が嫌だなと思っていることがあったら、それを紙に書いて、
   クルクルと巻くか、折りたたみ、外などの安全な場所で、
   火をつけて燃やし、光に変わったとイメージ化する。

   自分の問題、悩み、否定的な思いなどを燃やして、
   ライト(光)に変えてしまうとよいとの事。
   
   くれぐれも『火の用心♪』を。


(4)森林、山、公園、水辺など自然の中を歩く。

   特に裸足で歩くと、足から否定的なエネルギーが出る。


(5)松や杉のオイルをアロマ・ディフューザー(芳香拡散器)に入れて焚く。

   アロマオイルを4~5滴、蒸留水、又はアルコールと混ぜて、
   部屋の中にスプレーするのもお勧め<これは簡単で非常に効果抜群>

(6)自然の精製してない塩を小皿に盛り、家の数箇所に置いておく。
   (月に1回、塩を交換。古い塩は、必ずゴミに捨て処分する。)

   家の雰囲気が暗い場合などは、部屋ごとに塩をまく。
   1日そのままにしておくと、塩が悪い気を吸い取ってくれる。
   その塩を、翌日、掃除機で吸い取る。

(7)皮を剥いた玉ねぎを部屋の中に置いておく。

   エネルギーの浄化効果だけでなく、病原菌・ウィルスを
   吸い取ってくれるので、病気の感染予防にもなる。
   (1~2日間置いてから、また剥いて再度使い、
   (2~3回使ったらゴミに捨て処分する。)

(8)家の中に炭を置く。

   古くなったストッキングや靴下の中に炭を入れて、
   クローゼットや引き出しの中などに置いておくと、
   衣類・靴などから否定的なエネルギーを取ってくれる。
   防臭効果もあるので、一石二鳥。

(9)松が原材料の「パインソール」でお掃除をする。

    (これは洗濯にも使える)

(10)サウナ、スチームバス(水蒸気バス)などに入る。

(11)「悪いものが流れている(浄化している)」ということを
    イメージ化しながら、手を洗う、シャワーを浴びる、お風呂に入る。

    特に、医療関係者やヒーリングなどをしている人は、患者一人を診終わったら、
    その都度、必ず手をきれいに洗うこと。そして、窓を空けて、悪い気を外に出すこと。

    患者の悪い気などは、必ず下(床)に行くので、その悪い気を外に出すようにする。

    それらをきちんと行わないと、
    自分や他の患者にその気がくっついてしまうので、要注意!

    患者を直接触ったりして、ヒーリングをしている人は、
    患者ごとに、きちんと浄化をしないと自分が同じ病気にかかることがある。



≪ビルからのメッセージ≫

浄化が正しくできると、気分が良くなる、エネルギーが上がる、体が軽い感じになる、
爽やかな気分になる、味覚や嗅覚が変わるというようなことが起こります。

いずれかを感じない場合は、やり方が間違っているか、その方法で効果がないと
いうことなので、別の方法を試してみること。

色々試し、自分に一番合った方法を見つけることをお勧めします!


また、心身のメンテナンスとして、病気や不調にならないよう、自分のエネルギーと
免疫力を高めるためにも、雅代メソッドで提唱しているような、バランスの良い食生活と
栄養補強、エゴスキューなどの毎日の適度な運動(呼吸法を合わせるとよい)、
十分な睡眠をとることなどもお勧めします。



時には、何か芸術など、美しいものを見たり、体験をすることで、心・魂が癒され、
喜ぶことや感動すること、そして、思いっきり楽しい事をして、大いに笑うことなども、
良いエネルギーを持続させる上でとても大事です。



Enjoy your life! (人生を楽しんで!)

    (https://ameblo.jp/masayokoshiyama/entry-12369173633.html

            <感謝合掌 平成30年12月27日 頓首再拝>

心を浄化する3つの言葉と2つの方法 - 伝統

2019/04/18 (Thu) 03:47:49


       *Web:今日も良いことがあるように(2019/03/24)より

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心を浄化する言葉と方法

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角 礼寿書『心を浄化する魔法の言葉』には、
元気になれて、幸せになれる言葉がたくさん紹介されています。

著者の角 礼寿さんは、以前、自己啓発のインストラクターをされていました。

入社当時は、ほぼ最下位の成績で、肩身はせまく、
退職を考えてしまうほどだったそうです。

しかし、ポジティブな言葉を繰り返すことを続けるようになって
自分も状況も変わってきました。

翌月から、成績が伸び、気がつくと上位にランキングされるように
なり、その状態は退職するまで続いたのです。

その素晴らしさを伝えたくて、セラピストとしてご活躍のかたわら、
メルマガ「自分が好きになるメンタルビューティートレーニング」を発行。

それがきっかけとなり『心を浄化する魔法の言葉』が生まれたのです。

この本に紹介されている言葉は、心を元気に、ハッピーに、
そして、浄化してくれるものばかりです。


その中から3つほどご紹介してみましょう。

●「わたしは自分が大好きです」

●「わたしは日ごとにあらゆる面でどんどんよくなっている」

●「わたしに関わるすべての人たちが、幸せで豊かで安全で健康でありますように」

こんな前向き・肯定的な言葉がいっぱいです。



「心を浄化する」という点では、私はこの2つの文が好きです。

(1)一番よい方法は、その相手に直接謝ることです。

(2)それができない状況ならば、「相手の幸せを心から願うこと」です。



「一番よい方法は、その相手に直接謝ること」

もしも誰かにわだかまりがあれば、謙虚な気持ちで自分を反省してみること。

勇気を出して自分から謝ることができれば、
相手はきっと自分の気持ちを受け入れてくれる、そう信じたいと思います。

もしも相手が許してくれなくてもいいのです。

それは相手の心の問題ですから。

自分が反省して謝ったことで、神様は必ずゆるしてくださいます。




「相手の幸せを心から願うこと」

人の「幸せを心から願うこと」ができたらどんなにいいだろうかと考えます。

まず身近な人の「幸せを心から願うこと」

ちょっとわだかまりのある人の「幸せを心から願うこと」

出会う人、みんなの「幸せを心から願うこと」

それができれば、私たちにも多くの幸せが降り注ぐでしょう。


人の幸せ願い、言葉を発しよう。

あなたもきっと他の人から幸せを願ってもらっています。(^.^)

出典:角 礼寿著『心を浄化する魔法の言葉』(毎日コミュニケーションズ)

  (https://lucky.t-nakai.work/2019/03/24/thinking-38/

            <感謝合掌 平成31年4月18日 頓首再拝>

潜在意識を浄化する - 伝統

2019/04/28 (Sun) 04:53:13


        *「光明道中記」(4月28日 心の主人公となる日)より

【神と私とは父子の関係だ。本当に愛して愛されている。
                   (『生命の實相』第十七巻)】

愚かなる人と賢者との相違は、愚かなる人は一時の感情に捉えられて失敗するし、
賢者は冷静な智慧によって、その野生的な感情を駆使して一定の方向に利用して行く
のである。

腹の立っている時には人に怒鳴り附けてはならないし、
腹の立っている時には人に手紙を書いて投函してはならない。

耐(たま)らなければ書くだけは書くが好い。
罵(ののし)れるだけその書き物の中で罵るが好い。
併しその手紙を投函してはならないのである。

激情は壁に打(ぶ)っ衝(つ)かったゴムボールのように
吾々の投げたと殆ど同じ力で投げ返されて来るものである。

書きたいだけ書いたならば、その怒(いかり)の念は既に形の世界に顕れた
のであるから、新たな激情も煽(あお)らない限り、その最初の実現力を失って、
耐(た)まらないと云う程にはならないのである。

もうその時赦せば好い。

吾々への神の啓示は、一度吾々の潜在意識面へ照射されてから
現在意識へ反射して出て来るのである。

吾々の潜在意識が「幸福」を吸収して了うならば、
「幸福」になる方法は現在意識面へ浮かび上がって来ないのである。

潜在意識に色々の悪感情を蓄積して置くならば、
どんなに神がその人に「幸福」の光を投げかけても、
その人の現在意識には不幸になる道のみが思い浮かぶだろう。

            <感謝合掌 平成31年4月28日 頓首再拝>

《神の愛の前に懺悔しましょう》 - 伝統

2019/08/06 (Tue) 04:47:03


          *「真理」第9巻生活篇第6章(P158)より

神は無限の大いなる光なのです。
無限に大いなる光に照らされたならば、そんな闇でも
消えてしまうのが当たり前なのです。

あなたが何か間違いを演じたり、罪を犯したと思われるならば、
あなたの眼の前に神の大いなる愛の光が充ち満ちている有様を
心に描きなさい。

そしてその過ちを神の前に懺悔なさい。
心で一心に懺悔したら良いのです。
人に懺悔するには及びません。

”神の愛の大いなる光”の前に懺悔するのです。

淘宮術(とうきゅうじゅつ)では
「大空(たいくう)に懺悔する」という語(ことば)があります。

”神の愛の大いなる光”と云うのも”大空(たいくう)”と云う
のも同じような意味であります。

大空(たいくう)には無限の浄化力があるのです。
それは神の大愛の一つの象徴的あらわれであります。

春秋(はるあき)の大掃除に、そんなに畳を叩いて埃を出しても
いつの間にか大空(たいくう)は澄み切ってしまうでしょう。

それと同じにあなたの罪も過ちも神の愛の前には
消えるほか仕方がないのです。

           <感謝合掌 令和元年8月6日 頓首再拝>

記憶の底に隠れた憎み・恨みを浄める - 伝統

2019/08/21 (Wed) 03:32:00


          *「幸福を開く鍵」(P69)より

いくら思い出して見ても、私は、そんなに憎んだり恨んだり、嫉妬したりした記憶がない、
誰と不調和なのかわからないが、兎も角、自分の運命境遇というものが順潮でないという人が
あるならば、それは潜在意識の底に、その憎しみ恨み嫉妬の感情が埋まっていて、

表面の記憶に浮かび上がって来ないだけのことであって、実際には「何か」不調和な陰気な
感情があって、それが陰気なくらい運命や境遇を引き寄せつつあるのである。

此の、記憶にものぼらない不調和な感情を消してしまい、
陽気な感情とそれを置きかえることによって、
あなたの運命及び境遇は必ず好転するのである。


その記憶の底に埋もれている不明の不調和の感情を浄めるためには次の如く念ずるがよい。

「神の愛が天降って来て私を包んでいるのである。神の愛が私の全存在を満たし、
私の潜在意識の底にあるすべての憎み恨み嫉妬の感情を、その残滓にいたるまで悉く許し、
それを浄め給ふのである。

私はこれら一切の不満の感情から癒されたのである。
そして私の潜在意識の底には、唯“愛”のみ“調和”のみ“明るさ”のみ“陽気さ”のみ
充満しているのである。

だから“類は類を呼ぶ”法則によって、
私の周囲には愛と調和と陽気な明るい運命と境遇のみが集まって来るのである。」

           <感謝合掌 令和元年8月21日 頓首再拝>

懺悔により、本物の自覚へ転回せよ - 伝統

2019/12/20 (Fri) 04:54:00


      *「光明法語」(12月20日《ニセモノの自覚を捨てよ》)より

「悔改めよ、天国は手の届くところにある」とキリストは言った。

ニセモノの自覚を捨てなければ、ニセモノのままで、
自分は神の子だと頑張ったとて何にもならぬ。

鍍金(メッキ)は本物だと頑張っても本物にはならぬ。
鍍金を剥がして本物を出してこそ「わしは本物だ」と主張する資格があるのだ。

鍍金(メッキ)を剥がす方法が『悔改(くいあらた)め』であり、懺悔である。
懺悔なしに自覚の転回は不可能である。

洗濯することなしに、垢)あか)を流し捨てることなしに
「私は清潔です」と頑張って見ても駄目だ。

           <感謝合掌 令和元年12月20日 頓首再拝>

怒りの感情は紙に表わし、そして赦せば好い - 伝統

2020/04/28 (Tue) 04:51:43

 
       *「光明道中記」(4月28日《心の主人公となる日》)より抜粋

【神と私とは父子の関係だ。本当に愛して愛されている。
                   (『生命の實相』第十七巻)】

愚かなる人と賢者との相違は、愚かなる人は一時の感情に捉えられて失敗するし、
賢者は冷静な智慧によって、その野生的な感情を駆使して一定の方向に利用して行く
のである。

腹の立っている時には人に怒鳴り附けてはならないし、
腹の立っている時には人に手紙を書いて投函してはならない。

耐(たま)らなければ書くだけは書くが好い。
罵(ののし)れるだけその書き物の中で罵るが好い。
併しその手紙を投函してはならないのである。

激情は壁に打(ぶ)っ衝(つ)かったゴムボールのように
吾々の投げたと殆ど同じ力で投げ返されて来るものである。

書きたいだけ書いたならば、その怒(いかり)の念は既に形の世界に顕れた
のであるから、新たな激情も煽(あお)らない限り、その最初の実現力を失って、
耐(た)まらないと云う程にはならないのである。

もうその時赦せば好い。

           <感謝合掌 令和2年4月28日 頓首再拝>

《懺悔はどうして病気を治すか》 - 伝統

2020/05/10 (Sun) 04:55:45


          *「真理」第9巻生活篇第5章(P137~138)より

親が懺悔の心を起したら、子供の病気がこんな風に治るのである。
懺悔と云うのは、わけもわからないで無暗に「すみません」とか
「私が悪うございました」とか言ってあやまらせることではないのである。

真理の光に照らされて、自分の今までの心の持ち方や行いが間違っていたことが、
ハッキリわかって、その間違っていた心や行いを「まことに申し訳ありません」と
キッパリ捨てようと決心することである。

つまり「間違い」を「間違い」だと知ったことはそれだけその人の「智(ち)」が
明らかになり、以前より高い心境になったことであり、その「間違い」を
再びいたしますまいと念ずることは、既にその人が間違いの生活の中にないことで
あり、従って自然に、「間違い」の反映としての病気が治ることになるのであります。

親が懺悔の心を起して子供の病気が治るのは、
子供は親の心の影であるからであります。

           <感謝合掌 令和2年5月10日 頓首再拝>

前世のトラウマを解除する方法 - 伝統

2020/07/02 (Thu) 04:10:53


         *Web:宇宙の兄弟たちへ(2020年6月26日)より

人には前世というものがあると聞いたことがあるでしょう。

今世のあなたとして生まれる前に、
別な過去の人物として生まれていたことがあるのです。


それを輪廻転生・生まれ変わりと言います。

以前に生きていたあなたを前世と言います。

いまはサラリーマンをしている人が、
かつて江戸時代にお侍さんとして生きていた人もいれば、
平和な現代に生きていても、前世で戦争の時代に生きていた人もいます。

そうした前世を生きている時に、トラウマになるような強烈な体験をした時に、
今世で記憶は失われていても、何かしら痕跡といいますか、
心理的な引っ掛かりを持って生まれてくる事があります。


今世の自分からすると、なぜそうなのか自分でも分からないのですが、
不思議な引っ掛かりを持っていることがあります。

たとえば高所恐怖症であったり、閉所恐怖症や先端恐怖症、水が怖いとか、
何らかの恐怖症を抱える事が多くあります。

ほかにも何故か人に裏切られるのではないかと疑心暗鬼になったり、
見捨てられる不安にさいなまれたりします。

自分では何故そう思い込んでしまうか分からないのに、
そう思ってしまう事があるのです。

これらの中には、前世での体験が影響をしていることがあります。

たとえば、前世で高い所から落ちて亡くなった場合には、
今世でその記憶はなくとも、高い所が極端に苦手になってしまう事があります。

前世で裏切りにあって亡くなった方は、
今世でも対人関係でまた裏切られるのではないかと
疑心暗鬼におちいってしまうでしょう。

そのように前世の体験が今世もトラウマとして出てくる場合があります。


前世のトラウマを癒す方法として、ブログでは簡単な方法を紹介したいと思います。

まず一番簡単な方法は、自分自身に
「これは前世の影響で、今世は関係ないのだ」と言い聞かすことです。

何度も自分自身に言い聞かせていく事で、自分を納得させていきます。

中には前世からの影響だったと知る事で、すぐに効果が出る人もいます。

直ぐに治らなくても、何度も言い聞かせていく事で、徐々になおしていきます。


つぎに、トラウマとなった感情を、
目に見えない風船にイメージで吹き込んでいきます。

吐く息と共にイメージの風船に吹き込んでいって、
風船が感情でいっぱいにさせます。

そしてその風船を風と共に空高く飛んでいくのを想像してみます。

自分から離れて、トラウマとなった感情が空高く飛んでいきます。

これを何度か繰り返していきます。

風船と共に、心の奥のたまっていた感情が飛んで行って、
浄化されていくのをイメージしていく方法です。

前世のトラウマに悩んでいる人は、これらを試してみてください。

        (https://www.spacebrothers.jp/2020/06/blog-post_26.html )

           <感謝合掌 令和2年7月2日 頓首再拝>

懺悔が徹底したとき、病気は消えてしまう - 伝統

2020/10/07 (Wed) 04:09:26

        *「光明法語(10月7日《病気は心の影》)」より

病気が自他の肉体に現われても、
肉体は霊の最高顕現であるから病気に罹ったなどと思うな。

その病気を「自分の心の影」だと見よ。

神の霊の完全なる顕現である肉体に、自分の誤れる「心の影」として
不完全なる状態をあらわして済みませぬと謝り切れ。(これ懺悔である)。

そして瞑目合掌精神を統一して完全なる神人(ゴットマン)の実相 ――
霊にして霊光遍照する自己の体を観よ。(正しき観である)。

この懺悔が徹底したときに、
肉体の奥にある完全なる霊的実相が顕現して
病気は消えてしまうのである。

            <感謝合掌 令和2年10月7日 頓首再拝>

懺悔は心の浄化 - 伝統

2020/12/31 (Thu) 05:03:04

懺悔の神示 (朗読女性)
https://www.youtube.com/watch?v=rVDM-d6q6p0

・・・

粟野真弘のblog(2017年11月25日)
懺悔の神示
http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/51140457.html

・・・

懺悔と感謝で、病いは癒える

       *『 生長の家 』(昭和24年12月29日~30日)の法語より

《懺悔やまいを癒す》

荒井英太郎講師が佐世保で 「 懺悔の神示 」 を講義したとき、
長い間、脚が硬直していて まがらなかった人が、
脚の関節が柔かになり、自由に動き出したような奇蹟とも見える
神癒が行われた。

柔かい心になれば肉体が柔かくなり、その硬直がとけるのである。

懺悔は今まで、

「 これで何が悪いことあるものか 」 と頑張っていた頑固な心が

ほぐれて、やわらかくなり、


「 ああ、済まなかった 」 と今迄(いままで)の悪い心を

打消してしまうのであるから、過去の罪が消えてしまうのである。

みずから 「 善し 」 として 「 病いを起していた心 」 を肯定しては
病いは治らない。


《懺悔は心の浄化である》

懺悔は、自己の心の中に凝結していた
「 間違いの心 」 (精神分析の言葉をかりて云えばコンプレックス)を
洗い流すところの浄化作用を完成するのである。

「 すみません、すみません 」 と両親に今までの不孝の罪を懺悔したとき、
良人は今までの行届かなかった我侭(わがまま)の心を懺悔したとき、
多くの病気は癒されているのである。

「 あなたならこそこんなにして下さるのに、
 私の尽くしようが足りませんでした。
 こんな不つつかな私でございますのに、
 こんなにも愛して下さいまして、有り難うございます 」 と、

真に全心全霊、お詫びと感謝とをしたとき病いは癒えるのである。

   (http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

            <感謝合掌 令和2年12月31日 頓首再拝>

《神の愛の前に懺悔しましょう》 - 伝統

2021/06/18 (Fri) 04:50:22


          *「真理」第9巻生活篇(P158)より

神は無限の大いなる光なのです。
無限に大いなる光に照らされたならば、そんな闇でも
消えてしまうのが当たり前なのです。

あなたが何か間違いを演じたり、罪を犯したと思われるならば、
あなたの眼の前に神の大いなる愛の光が充ち満ちている有様を
心に描きなさい。

そしてその過ちを神の前に懺悔なさい。
心で一心に懺悔したら良いのです。
人に懺悔するには及びません。

”神の愛の大いなる光”の前に懺悔するのです。

淘宮術(とうきゅうじゅつ)では
「大空(たいくう)に懺悔する」という語(ことば)があります。

”神の愛の大いなる光”と云うのも”大空(たいくう)”と云う
のも同じような意味であります。

大空(たいくう)には無限の浄化力があるのです。
それは神の大愛の一つの象徴的あらわれであります。

春秋(はるあき)の大掃除に、そんなに畳を叩いて埃を出しても
いつの間にか大空(たいくう)は澄み切ってしまうでしょう。

それと同じにあなたの罪も過ちも神の愛の前には
消えるほか仕方がないのです。

            <感謝合掌 令和3年6月18日 頓首再拝>

神に和解していない者は、懺悔しあやまり切るきることが必要 - 伝統

2021/07/13 (Tue) 04:02:12


         *「光明法語」(7月13日)
          ~ 生命の本源は神

吾らの生命の本源は神は神である。
神は無限の活力の源泉であり給う。
神より無限の活力が生まれる。

先ず自分が神から悦ばれていると云う自覚を呼び起す事が治病の根本になる。
神に憎まれていると思う者は自己処罰の潜在意識よりして自己を苦しめる。
その一面の現れが病気なのである。

されば神に憎まれていると思う者は神と和解する事が必要である。
神と和解するには、先ず祈りのうちに懺悔し神に徹底的にあやまり切るのである。
そして、赦されたと云う実感を獲(う)るのである。

            <感謝合掌 令和3年7月13日 頓首再拝>

懺悔によって赦されよ - 伝統

2021/07/14 (Wed) 02:56:52


         *「光明法語」(7月14日)より

「赦された」と云う実感は、
神と自分とを隔てていた堤を取り去る事になり、
其処からして神の癒力が流れ入るのである。

キリストの「汝の罪はゆるされたり」の言葉が、
よく難治の病者をいやしたのも此の理によるのである。

悪は悪と気がついたとき、その罪は消えたのである。
何故なら、悪が悪と気がつくとき、
もう自分は上の境涯に立って過去の自分を見ているからである。

かかるとき、キリストは言った。
「汝の罪ゆるされたり、去って再び罪を犯す勿れ」。

            <感謝合掌 令和3年7月14日 頓首再拝>

過去の心の傷を解除する方法 言葉化の力 - 伝統

2021/07/26 (Mon) 04:19:29


       *Web:宇宙の兄弟たちへ(2021.07.22)より

人は誰でも心の中に癒されていない傷を負っているものです。

その傷が時折、現在の意識に影響してきて、
思わぬ問題を起こしたりします。

たとえば過去に裏切られたり、傷つけられた経験がある時、
それに大きく感情が出てきます。

人によって反応は違いますが、
相手に激しい怒りを感じる場合も、悲しみで苦しく感じる人もいます。

またなかには、自分を否定してしまう人もいるでしょう。

そのように過去に大きな心の傷があって、
それが癒されていないと、現在自身に影響が出てきてしまいます。

過去の出来事を思い出しては、また怒りがよみがえってくる事もあるでしょう。

そして周りの人に八つ当たりする場合もあります。

あるいは悲しみの感情から、ふさぎ込んでしまう事もあります。

そのように、過去に残された意識が、現在の意識にまで影響してくるのです。


意識というのはエネルギーであって、
過去に残された意識があると、それがずっと作用し続ける事があるのです。

心の底に残されたこうした傷に反応しなくなるには、
記憶を抑え込んでしまう事ではありません。

記憶の底に沈めていると、姿は見えなくなりますが、
本人にも分からない不都合な事態を引き起こしてしまいます。

そのため過去のショックな出来事は、抑え込んでしまうのではなく、
客観視していく事で解除されていきます。

過去の出来事を思い出して、もしも怒りがこみあげてきたら、
それを抑え込もうとするのではなく、「私は怒っている」と言葉にしてみます。

言葉にしてしまうと、その感情は自分そのものではなく、
客観的な対象になっていきますので、
切り離してみていく事が出来るようになります。

過去のショックな出来事があったら、それを思い返した時に、
怒りが込みあげてきたとすると

「私の心は傷つき、そのため怒りがわいている」

と言葉にしてみます。


すぐに収まらなくとも、何度も繰り返し、思い返すたびに言葉化をしていきます。

そうすることで感情を客観視するようになり、
次第に自分から切り離していき、解除されていきます。

怒り以外にも、憎しみや悲しみ、恐れ、自己否定など、色んな感情で行えます。

どうしても過去の出来事を思い起こしては、心が波立ってしまうという方は、
この言葉化を試してみてください。

https://www.spacebrothers.jp/2021/07/blog-post_22.html

            <感謝合掌 令和3年7月26日 頓首再拝>

《ニセモノの自覚を捨てよ》 - 伝統

2021/12/20 (Mon) 04:58:03


         *「光明法語」(12月20日)より

「悔改めよ、天国は手の届くところにある」とキリストは言った。

ニセモノの自覚を捨てなければ、ニセモノのままで、
自分は神の子だと頑張ったとて何にもならぬ。

鍍金(メッキ)は本物だと頑張っても本物にはならぬ。
鍍金を剥がして本物を出してこそ「わしは本物だ」と主張する資格があるのだ。

鍍金(メッキ)を剥がす方法が『悔改(くいあらた)め』であり、懺悔である。
懺悔なしに自覚の転回は不可能である。

洗濯することなしに、垢)あか)を流し捨てることなしに
「私は清潔です」と頑張って見ても駄目だ。

            <感謝合掌 令和3年12月20日 頓首再拝>

《自己を死に切る》 - 伝統

2021/12/21 (Tue) 04:54:54


         *「光明法語」(12月21日)より

『悔改め』を佛教では『懺悔』と言い、自己放棄と言い、
パウロは『自己を死に切る』と言った。
一遍、肉体としての自分を死に切ったとき、
霊の自分に復活(よみがえる)るのである。

自分を肉体だと思っている限りに於いて、
人間はエデンの楽園から追放せられなければならない。

自分を肉体だと思う知恵は、地(物質)に執した蛇の知恵である。
蛇は地を這う動物であり、地は物質を表徴し、

物質ありとして執着する五官を『蛇』をもってあらわし、
その蛇に教えられたる知恵を『知恵の樹の果』をもって表徴する。

        <感謝合掌 令和3年12月21日 頓首再拝>

宇宙の修正力 - 伝統

2022/06/05 (Sun) 09:15:05


       *「光明道中記」(6月5日《罪浄まる日》)より

【罪は本来無いから、それに心が捉えられなければ消えるのである。
                    (『生命の實相』第十一巻)】

若し吾々の「念」そのままに此の世界が現じて来るものとすれば、
若し吾々の日々の憎しみの心の通りに、日々の悲しみの心の通りに、
日々の呟きの言葉の通りに、此の世の中の現象が悉く現れて来るものならば、
此の世界はもっと惨憺たる傷(いた)ましい状態を現出していただろう。

それは、若し吾々の春秋の大清潔法(おおそうじ)のとき
畳を叩くときの埃(ほこり)がいつまでも浄まらないで空中に渦巻いているとしたならば、
吾等は到底生活に耐えないような環境を見出すだろう。

然るに、神は讃むべきかな、宇宙に浄化力を下ろしたまうて、
常に吾々の立騰(たちのぼ)らす塵埃を浄化して環境を澄み切らして下さるのである。

それと同じように、吾々の心から立騰(たちのぼ)らす無数の「心の埃」が
その儘、具象化(かたちにか)するならば、それこそ大変であるのに、
神はそれを常に修正していたまうのである。

吾々が暗の中で攪(か)き濁(にご)す心の塵埃もいつの間にか、
神の光で、空中の大気のように浄まって了(しま)うのである。

茲(ここ)に私は宇宙の修正力を観、神の愛を観るのである。

業(ごう)は永遠の存在であり得ないのは此の宇宙の修正力によるのである。

            <感謝合掌 令和4年6月5日 頓首再拝>

悔改(くいあらた)め - 伝統

2022/12/19 (Mon) 09:01:39


     *「光明法語」(12月19日《汝は何者であるか》)より)

汝は汝の自己が「汝自身が何者であるか」と信じている通りになるのである。

汝は弱小であると信じている限り弱小になる。
汝はすでに偉大であると信じておれば
その信ずるとおり偉大となるのである。

信念は山をも動かす。

信とは人偏に言(コトバ)であり、コトバは本質である。

人間の本質に対する自覚が信である。
人間の本質が神の子であることを信じたときに、
その神の子の完全さが現われる。

自己の本質を自覚するまでに、
ニセモノの自覚を捨てなければならなぬ。

それが悔改(くいあらた)めである。

         <感謝合掌 令和4年12月19日 頓首再拝>

《ニセモノの自覚を捨てよ》 - 伝統

2022/12/20 (Tue) 07:40:56


       *「光明法語」(12月20日)より

「悔改めよ、天国は手の届くところにある」とキリストは言った。

ニセモノの自覚を捨てなければ、ニセモノのままで、
自分は神の子だと頑張ったとて何にもならぬ。

鍍金(メッキ)は本物だと頑張っても本物にはならぬ。
鍍金を剥がして本物を出してこそ
「わしは本物だ」と主張する資格があるのだ。

鍍金(メッキ)を剥がす方法が
『悔改(くいあらた)め』であり、懺悔である。
懺悔なしに自覚の転回は不可能である。

洗濯することなしに、垢)あか)を流し捨てることなしに
「私は清潔です」と頑張って見ても駄目だ。

         <感謝合掌 令和4年12月20日 頓首再拝>

《自己を死に切る》 - 伝統

2022/12/21 (Wed) 07:48:09


       *「光明法語」(12月21日)より

『悔改め』を佛教では『懺悔』と言い、自己放棄と言い、
パウロは『自己を死に切る』と言った。
一遍、肉体としての自分を死に切ったとき、霊の自分に復活(よみがえる)るのである。

自分を肉体だと思っている限りに於いて、
人間はエデンの楽園から追放せられなければならない。

自分を肉体だと思う知恵は、地(物質)に執した蛇の知恵である。
蛇は地を這う動物であり、地は物質を表徴し、

物質ありとして執着する五官を『蛇』をもってあらわし、
その蛇に教えられたる知恵を『知恵の樹の果』をもって表徴する。

         <感謝合掌 令和4年12月21日 頓首再拝>

家を潔め、心を潔め、魂の準備をして眠ろう - 伝統

2022/12/31 (Sat) 10:35:06


        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月31日)より

 本年最後の決意の日である。
 新しき天と地とを迎えるために潔(きよ)むべき日である。
 
 家を潔め、心を潔め、新しき花嫁の装いをした「真理(キリスト)」が釈迦が、
 その人の中に天降って来ても、その「真理(しんり)」の坐り場所がないような
 不潔なことをしておいてはならない。

 毎日の眠る前の神想観に、新しき次の日を迎えるべく、すべての人とその罪とを赦した
 と念じ、さらにその人に愛を送り祝福を送ったと同じように、今夜は眠るまえに
 いっさいの人々を赦し、

 いっさいの人々に感謝し、いっさいの事物に感謝し、感謝の念で心の中の汚れを洗い浄め、
 愛と祝福の念で、心の中を美しく装飾して、

 いつでも新しき「生命(せいめい)」の、新しき「真理(しんり)」
 の花嫁が天降って来ても招じえられるように魂の準備をして眠ろう。

 人々よ、安らかであれ。われはすべての人々に感謝する。
 よく戦ってくれた。よく働いてくれた。
 あなたたちがいてくれたのでわたしの生活が光栄あるものとなったのである。

 雷霆(らいてい)も、暴風も、山雨も、地震も、海しょう(津波)
 も、それはわたしを高めるためのものでしかなかったのである。

 われ、一切人(いっさいじん)、万事万物に感謝する。
 人々よ、平安なれ。

            <感謝合掌 令和4年12月31日 頓首再拝>

怒りの感情は紙に表わし、そして赦せば好い - 伝統

2023/04/28 (Fri) 05:06:08

 
       *「光明道中記」(4月28日《心の主人公となる日》)より抜粋

【神と私とは父子の関係だ。本当に愛して愛されている。
                   (『生命の實相』第十七巻)】

愚かなる人と賢者との相違は、愚かなる人は一時の感情に捉えられて失敗するし、
賢者は冷静な智慧によって、その野生的な感情を駆使して一定の方向に利用して行く
のである。

腹の立っている時には人に怒鳴り附けてはならないし、
腹の立っている時には人に手紙を書いて投函してはならない。

耐(たま)らなければ書くだけは書くが好い。
罵(ののし)れるだけその書き物の中で罵るが好い。
併しその手紙を投函してはならないのである。

激情は壁に打(ぶ)っ衝(つ)かったゴムボールのように
吾々の投げたと殆ど同じ力で投げ返されて来るものである。

書きたいだけ書いたならば、その怒(いかり)の念は既に形の世界に顕れた
のであるから、新たな激情も煽(あお)らない限り、その最初の実現力を失って、
耐(た)まらないと云う程にはならないのである。

もうその時赦せば好い。

           <感謝合掌 令和5年4月28日 頓首再拝>

宇宙の修正力 - 伝統

2023/06/05 (Mon) 11:51:55


       *「光明道中記」(6月5日《罪浄まる日》)より

【罪は本来無いから、それに心が捉えられなければ消えるのである。
                    (『生命の實相』第十一巻)】

若し吾々の「念」そのままに此の世界が現じて来るものとすれば、
若し吾々の日々の憎しみの心の通りに、日々の悲しみの心の通りに、
日々の呟きの言葉の通りに、此の世の中の現象が悉く現れて来るものならば、
此の世界はもっと惨憺たる傷(いた)ましい状態を現出していただろう。

それは、若し吾々の春秋の大清潔法(おおそうじ)のとき
畳を叩くときの埃(ほこり)がいつまでも浄まらないで
空中に渦巻いているとしたならば、
吾等は到底生活に耐えないような環境を見出すだろう。

然るに、神は讃むべきかな、宇宙に浄化力を下ろしたまうて、
常に吾々の立騰(たちのぼ)らす塵埃を浄化して環境を
澄み切らして下さるのである。

それと同じように、吾々の心から立騰(たちのぼ)らす無数の「心の埃」が
その儘、具象化(かたちにか)するならば、それこそ大変であるのに、
神はそれを常に修正していたまうのである。

吾々が暗の中で攪(か)き濁(にご)す心の塵埃もいつの間にか、
神の光で、空中の大気のように浄まって了(しま)うのである。

茲(ここ)に私は宇宙の修正力を観、神の愛を観るのである。

業(ごう)は永遠の存在であり得ないのは此の宇宙の修正力によるのである。

            <感謝合掌 令和5年6月5日 頓首再拝>

浄靈浄化に対する考え方 - 伝統

2023/10/11 (Wed) 11:28:44

神人靈媒日記 浄靈浄化に対する考え方
mitama channel(2023/10/07)
https://www.youtube.com/watch?v=_njjCYf5ObI

            <感謝合掌 令和5年10月11日 頓首再拝>

気分が鬱だ! かなり落ち込んでいる! そんな時はこれ - 伝統

2023/12/20 (Wed) 11:33:33

気分が鬱だ! かなり落ち込んでいる! そんな時はこれ
Web:世界の動向と経済を分かりやすく語る(2022-09-09)
https://ameblo.jp/ba5603/entry-12763318725.html


・・・

<参照>

音を使って浄化する方法もあります。
Web:「れん」(2023-07-05)
http://crz.secret.jp/jyouka/entry4.html


なぜか【嬉しい出来事】がなだれ込む高波動音 - 魔除け
ティンシャ 浄化
https://www.youtube.com/watch?v=mPcFbPS3Cyk


【演奏1時間 チベットシンギングボウル】 共倍音ヒーリングサウンド
https://www.youtube.com/watch?v=n6gWOWbGHpQ


【陰陽法則】塩をスピリチュアル、浄化、食の観点から徹底解説
https://www.youtube.com/watch?v=-BGC3E1M34I

           <感謝合掌 令和5年12月20日 頓首再拝>

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