伝統板・第二

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希望實現② - 伝統

2016/12/19 (Mon) 03:58:29

     *伝統板・第二「希望實現①」からの継続です。
        → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6461366


《正しき希望成就のための祈り》

         *「聖経 真理の吟唱」(P83)より

私は”神の子”である。

神の生命(せいめい)が私の生命(せいめい)なのである。
神の心が私の心なのである。
神の智慧が私の智慧なのである。
神の愛が私の愛なのである。
神から考えられた仕事が私の仕事なのである。

神は宇宙に遍在したまうのである。
”神の子”は、神なる”無限者”が、
”私”という個性をもって顕現するための表現口なのである。

我がねがう事は、神なる”無限者”が願うことであり、
わが願うことは、宇宙に遍満する”神”の創造の力を動かし
必ず成就することになるのである。

神なる”無限者”の栄光は、
人間なる”個性”を装うた姿をもって顕現するのである。

人間がこの世に顕現しなかったならば、神は如何に無限力であり、
無限創造力であり給うても、その栄光を顕わすこともできないし、
その栄光をみとめる者も存在しないことになるのである。

それゆえに、人間は神のために必須欠くべからぎる存在であり、
人間がこの世に出現したいうことは、
まことに荘厳きわまりなき貴(とうと)き出来事であるのである。

それゆえに、私は今後決して劣等感をもたないのである。
私は人間のこの世に出現せる意義を知るがゆえに、生き甲斐が常に感じられて、
生きているそのことがただ嬉しく悦ばしいのである。

今こそ、自己が〝神の子〟であり、
人間誕生の荘厳さと意義とを深く自覚したがゆえに、私は、その悦びを常に、
私の生活に、表情に、態度に、言葉に表現するのである。

私は常に悦ぶがゆえに、その悦びは人々に伝わり、
私が接近するすべての人は私の明るい雰囲気を感染して、
同じく悦びに満たされ、生き甲斐を感じ、健康さえも増進するのである。

わが行くところ、常に”繁栄の雰囲気”を伴うがゆえに、
私が働く会社または団体は繁栄せずにはいないのである。

人々はわが雰囲気に明るさと繁栄の精神波動とが伴っていることを感ぜずに
いられないから、わたしの面接する人は常に私に好意をもち、
私の目的に協力せずにはいられないのである。

私が職を求めるならば、必ずその職は得られるのである。
私が事業を起すならば、必ず協力者や後援者があらわれてくるのである。

私は”神の子”であるから、神なる宇宙遍満者が私に協力しているのである。
私が希望することは宇宙遍満者が希望していることである。
それゆえに、私は決して利己的なことを希望したりはしないのである。

宇宙遍満者の希望は常に公平であり、すべての人々の悦びとなることのみである。
私の希望することはすべての人々を悦ばし、すべての人々を幸福にし、
そして私自身もその希望の実現によって生き甲斐を感ずるのである。

ありがとうございます。 

            <感謝合掌 平成28年12月19日 頓首再拝>

願望をかなえるプロセス - 伝統

2017/01/05 (Thu) 03:53:22


          *「夢がかなうとき、「なに」が起こっているのか?」
            石田 久二・著  (P88~89) より

(1)願望を明確にする。

 ↓

(2)願望に対する執着を強める(ストレスをかける)。

 ↓

(3)自分の願いが人のためになることを思い、
   感謝の念を持ちながら、力が抜けるまで執着する。

   ①「感謝」する → ②”人のため”を思う → ③力が抜けるまで執着する

 ↓

(4)力が抜ける=さとり(リラックスする)

   さとりとは差を取ること、自我がなくなること。
   輪ゴムが引っ張られてストレスをかけられ、緩んでリラックスしたときに飛ぶように、
   緩んだときにこそ実現するのです。

 ↓

(5)願望実現


これがさとりのメカニズムであり、
さとりに向かうことこそが、
願いをかなえる「宇宙の法則」。

            <感謝合掌 平成29年1月5日 頓首再拝>

《求め切なれば、ついに与えらる》 - 伝統

2017/01/18 (Wed) 04:48:52


         *『 生長の家 』(昭和46年10月23日の法語)より


  『 ルカ伝 』 第十一章には
   此の “ 主の祈り ” をイエスが教えられた次に、

   イエスは 次のように言っていられるのである。―

   『 汝らの中(うち)たれか友あらんに、
   夜半(よなか)に その許(もと)に往(ゆ)きて
   「 友よ、我に三つのパンを貸せ。わが友、旅より来りしに、
   之に饗応(きょうおう)すべき物なし 」 と言う時、

   かれ 内より答えて

   「 われを煩わすな。戸は はや閉じ、
   子らは 我と共に臥所(ふしど)にあり、
   起(た)ちて与え難し 」 という事ありとも、

   われ 汝らに告ぐ、友なるによりては 起ちて与えねど、
   求めの切なるにより、起(お)きて
   其(そ)の要する程のものを与えん。

   われ 汝らに告ぐ、求めよ、さらば与えられん。
   尋ねよ、さらば見出さん。
   門を叩け、さらば開かれん。

   すべて求むる者は得、尋ぬる者は見出し、
   門を叩く者は 開かるるなり。

   汝らのうち父たる者、たれか其の子、魚(うお)を求めんに、
   魚(うお)の代りに蛇を与え、卵を求めんに蠍(さそり)を与えん。

   さらば汝ら、悪しき者ながら、善き賜物(たまもの)を
   その子らに与うるを知る。

   まして天の父は 求むる者に聖霊を賜わざらんや 』

   私は 聖書のこの一節が好きであって、
   バキューム・オイル会社につとめていた頃、
   仕事の合間や、休憩時間に眼をつぶって

   「 求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。
   門を叩け、さらば開かれん。すべて求むる者は得、尋ぬる者は見出し、
   門を叩く者は開かるるなり 」 と

   自己暗示的に、自分だけに聞えるような低声(こごえ)で
   繰返し念じたものであった。

   そしたら、次から次へと道がひらけて来て
   “ 生長の家 ” の運動が こんなに大きく拡がってくるように
   なったのであった。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=32

            <感謝合掌 平成29年1月18日 頓首再拝>

満月に願い事をして幸せになる7つの方法 - 伝統

2017/02/11 (Sat) 09:05:04


満月の力を活用し、願いを叶える方法

今日、2月11日は、今年2回目の満月。
丁酉としては、最初の満月です。

        *Web:セレンディピティ より

(1)青い紙とペンを用意する。

   心が落ち着いて、整理をしやすい、青い紙が良いとされていますが、
   なければ白い紙でも大丈夫です。


(2)満月から24時間以内に書きましょう

   今日(2月11日)の満月の時刻は、09:33。


(3)願い事を書く

  ①書く数は2~10個まで。

  ②具体的にイメージをしながら、『私』などの一人称を使い、
   一文一項目の肯定文(アファメーション)で書くことが大切です。

   たとえば

   『元彼への未練が断ち切れますように』

   『夜更かしがやめられますように』

   ではなく


   『私は彼への未練を断ち切りました』

   『私は夜更かしをしません』

   となります。


   宣言であったり、願い事が成就した後の形で書くのがコツです。


(4)満月の日の日付と署名をする

   願い事を書き終わったら、

   ◯月◯日(今日であれば2月11日) ◯◯◯◯(自分の名前)

   と書き込む。


(5) 願い事を読み上げる

   書いたことを声に出して読み上げて、イメージを高め、効果も高めます。


(6)感謝の気持ちをのべながら破く

   (例えば)

   『さようなら、今までありがとう』

   『私は新たな自分に生まれ変わりました。ありがとう』

   『私は◯◯さんを許します。ありがとう』


(7)ゴミ箱へ捨てる

   燃やしてもよい。

   袋に入れて捨ててもよい。
   (こ場合は、ひと塊にならないように、ふんわりと空間を持たせる)

  (http://serendipity-japan.com/full-moon-wish-5865.html

            <感謝合掌 平成29年2月11日 頓首再拝>

想像力と言葉の力によって希望を成就せよ - 伝統

2017/02/24 (Fri) 04:22:10


       *『如意自在の生活365章』(P203)より

人間は“神の子”として、神の生命を宿し生まれているのであるから、
神と同じき創造の方式をとるのである。

すなわちいまだ肉眼に見えざるものを
心の世界に設計し、それを言葉にて表現するのである。

建築の設計にしても、機械の発明にしても、法律の制定にしても、
新しき事業計画にしても、いずれも、まだ見えざるものを想像力によって心に描き、
それを図形化して、言葉(文字を含む)によって

「これを創造(つく)ろう」または「この通り実行しよう」

と公布し、宣言し、または人々に語ることによって、

人間および事物が具体的に動き出して“心の世界”に
描かれたものが“現実の世界”に具現化することになるのである。

諸君も希望を実現しようと思うならば、まず想像力によって“心の世界”にそれを描き、
それを心で図形化して、言葉によって宣言してそれを行為に移したならば、
その希望は成就することになるのである。

            <感謝合掌 平成29年2月24日 頓首再拝>

願い続け、そして宇宙に身を任せる - 伝統

2017/03/16 (Thu) 04:16:49

          *「夢がかなうとき、「なに」が起こっているのか?」
            石田 久二・著  より


願望にはとことん執着しても構いません。願望を叶えれば良い訳ですから。

放置すれば、潜在意識は、安心・安全だけを求めてしまいます
。潜在意識にとっては変化は危険なものなのです。

潜在意識の正体は身体です。
即ち体が、過去、変化により、危険に晒された事を記憶しているのです。

しかし下図のように、願望をあきらめずにストレスをかけ続けると、
ある時にバン!となって願望は実現してしまいます。

       願 望
        ↑(願望と現状の差=苦しみ)

   現在 ⇒  ⇒  ⇒  ⇒  ⇒  バン !  ⇒ 【実現】  

        ↓
       現 状


寝る。忘れる。没頭する。あきらめる。こういった感じでしょうか。

リラックスした時に願望が叶うというのは、ブレークスルー!の次の下りと同じです。

--------------------------
そして、休む事を恐れるなと教えてくれます。
友人のマーシが素晴らしい名案を思い付いたのは休暇をとり、
問題を解決しようとする努力をやめた時でした。
--------------------------


自我がなくなる時に、さとりがやって来ます。

即ち他人とためという事です。

しかし神様といえば良いのか、天使と言えば良いのか、
宇宙と言えば良いのか分かりませんが、仮に神様と呼んだ場合、
神様も忙しいので、できるだけ多くの人が幸福になるような願い
でないと受け入れられないのです。

一方、潜在意識は「ありがとう」の感謝の言葉で完了するのです。
要するに自分を安全に導いてくれている事に対してです。

あなたの願望の達成は世のため、人のためにあります。


では願望を叶えるプロセスはどうなっているかと言うと

願望を明確にする。

   ↓

願望に対する執着を高める(ストレスをかける)

   ↓

力が抜けるまで執着する。(”ため”+感謝)

   ↓

力が抜ける=さとり(リラックスする)

   ↓

願 望 実 現


尚、宇宙へのマジックナンバーは”3”です。

そして願いは、本当に忘れた頃に叶うのです。

すべては宇宙にお任せ、そしたら不思議と願いは叶います。

ただし、一定のエネルギーを得たければ、
それ相応のエネルギーを宇宙に放出しなければなりません。

成功しない理由は、言い訳にあります。
そして、あなたは価値がないと言う刷り込みにあります。

怒りの感情は自分を守るために必要です。
運の悪さは身体に怒りを溜めている事が原因です。
感情を殺して、ニコニコしている必要はないのです。

いい人はどうでもいい人なんです。

あなたは怒っていいんです。

あなたは悲しんでいいんです。

あなたは怖がっていいんです。

書く事で感情を放出しても良いのです。

書く事の次は言う事です。

怒り、悲しみ、怖れを放出すると喜びだけが増幅します。
喜びが喜びを呼び、楽しい事、喜ばしい事しか起こらないようになります。

全てを好転させる一言です。

・「私は私」
・「私は大丈夫」
・「私はここにいる」
・「私は大切な一員だ」
・「私はすでに愛されている」
・「私はありのままの私で良い」
・「私は特別でユニークな存在だ」

そしてあきらめの心境に。あきらめれば滝に打たれても苦しくありません。

あきらめとは、力を抜き、宇宙に身を任せる状況です。
宇宙を信頼しましょう。
あきらめの時には息をふっと吐くのです。

ストレスはリラックスに転じます。ストレスを楽しみましょう。




そうして、それでもどうしようもなければ、祈れば良いのです。

人間にとって、幸せとは成長の事です。
宇宙はあなたを成長位させたがっています。

そのために苦しみが存在しています。
苦があるから生きているのです。
従って、もっと苦を楽しみましょう。

そして転ばぬ先の杖を捨てましょう。
願いを叶えるためには安全領域を超える必要がある時もあります。

素直に願えば、願いは叶います。

  (http://mitsuyama.doorblog.jp/archives/52044201.html )

            <感謝合掌 平成29年3月16日 頓首再拝>

本当の希望を見出す - 伝統

2017/03/23 (Thu) 03:28:54


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月23日)」より

人生において最も恐るべき敵は恐怖であり、人生の中で最も助けとなる味方は希望である。

しかしいっさいの浮世の希望が打ちくだかれた時に、人間は本当の希望を見出すのである。

            <感謝合掌 平成29年3月23日 頓首再拝>

望んだものを手に入れるための5つのステップ - 伝統

2017/04/08 (Sat) 03:58:00


引き寄せの法則を働かせる5つのステップとクリアリング

       *「なぜ、あの人にばかり奇跡が起きるのか? 」
         ジョー・ヴィターレ(著) (P63~67) より

(1)ネガティブな考えを一掃し、自分の願望だけに集中する

  ①生活の中のネガティブな出来事に気を取られられないようにするということです。
   陰口をたたいたり、悪い噂を広めたりしてはいけません。

  ②引き寄せの法則の基本的真理の一つは、
   「あなたに有利に働くこともあれば、不利に働くこともある」ということです。

   いつも否定的な考えを持ち、自分に欠けているもののことばかり気に掛けて嘆いていると、
   さらにネガティブなものを引き寄せてしまいます。

   自分の願望に集中し、常に肯定的な言葉を使い、ポジティブに考えていれば
   良い出来事が見えてくるようになるのです。


(2)価値のある願い事をする

  ①設定した目標に向かって人生を歩んでいる人でも、
   本当に価値のあることをしているのか自問する必要があります。

  ②どうしたら達成できるのか見当もつかないような目標を設定すると、
   引き寄せの法則の威力を最大限に引き出すことができます。
   あなたにとって本当に価値のあるものを求めましょう。


(3)反対意思をクリアリングする

  ①あらゆる反対意思を取り除かなければ、前に進むことはできません。
   反対意思を見つけるいちばん簡単でわかりやすい方法は、
   感情的に反応したときにその原因を考えることです。

   誰かの言葉や何らかの出来事に反応して、悲しくなったり、怒りを感じたりしたのなら、
   よく調べてみる必要があります。

  ②こうした感情を一掃しなければ、目標を達成することはできません。
   念入りに追跡しましょう。

   さもないと、これから何度もまた同じ感情が頭をもたげてくるに違いありません。

   ⇒ 反対意思を排除するのに有効な方法としてハワイの秘法「ホ・オポノポノ」が
     あります。(P102~116)


(4)目標をネヴィライズする

  ①多くの人々に影響を与えた思想家ネヴィル・ゴダードは、
   求めているものをすでに手に入れたように振る舞うことを提唱しました。

   求めるものを心の中で視覚化し、
   実現したら感じるであろう強い感情を伴いながら、それを実感します。

  ②感情には非常に強い力があり、エネルギーを集中させることができます。
   そして、エネルギーが集中すると目標達成の方法と可能性が見えてきます。

  ③強い感情を伴いながら全身で感じられるくらい具体的に視覚化することを、
   私はネヴィル・ゴダードに敬意を表して「ネヴィライズ」と呼んでいます。


(5)願望を手放す

  ①これは文字どおり、願望をいったん手放してすべてを宇宙にゆだねることを意味します。

  ②手間暇かけて計画を立てたり、視覚化したりしておきながら
   手放すなんてばかげていると思うかもしれません。
   しかし、【これしか願いをかなえる方法はない】のです。

  ③一つの決まった方法で望んだものを手に入れることに執着するのは、
   ほかの方法で同じ結果を得るチャンスを放棄することにほかなりません。

   そのため、願望を手放して宇宙にゆだね、
    いずれ道が開けて望んだものが手に入ると信じる必要があるのです。

以上。
5つのステップを踏めば、望んだものが何でも手に入るようになります。

・・・

<参考:「ホ・オポノポノ」~ジョー・ヴィターレ>

(1)私は『あなたを成功と富と健康に導くハワイの秘法』という本で、
   反対意思を排除するのに非常に有効な「ホ・オポノポノ」という
   クリアリング・テクニックを紹介しました。

   ホ・オポノポノを知ることができたのは、イハレアカラ・ヒューレン博士のおかげです。

(2)ホ・オポノポノの教えは、人生に起こる出来事は、
   その原因について本人がどう考えているかにかかわらず、
   すべてその人の責任であるという考え方に基づいていて、

   博士はこれを病院での治療に活用していました。

   また博士は、自分を愛することができなければ、
   人生に対する責任を受け入れることも、より高いレベルでの
   クリアリングや癒やしを通じて人生を変えることもできないとも説いています。

   これを実践する方法は簡単で、次の言葉を繰り返すだけです。

   「ごめんなさい」
   「許してください」
   「ありがとう」
   「愛しています」

(3)ホ・オポノポノを用いれば、
   あなたが制約のない世界に到達するのを妨げている思考や感情、過去の出来事を
   クリアリングすることができます。

  ①この作業はすべて心の 中で行うもので、直接会ったりしなくても
   人や出来事に深い影響を及ぼすことができます。

   ヒューレン博士は、ハワイ州立病院で、過去に犯罪を犯した精神病患者を
   治療しているときに、これを経験しました。

  ②一人ひとりの患者に意識を集中し、ホ・オポノポノのフレーズを唱えたところ、
   診察をしなくても患者の心の病が癒やされたのです。

   この話をすると大抵の人は「まさか」と言います。
   正直なところ、私自身もこれを理解するのにかなりの時間を要しました。

(3)ホ・オポノポノの基本理念は、
   人生で起こるあらゆる出来事を受け入れることにあります。

   つまり、周りの人や環境のせいにせずに、自分で人生に対する責任を負うのです。

   それにはまず、あなたは愛される価値のある人間であり、
   愛は人生で起こった出来事に対してあなたを許し、
   その出来事からあなたを解放してくれるということを思い出しましょう。

   その上で、すべての責任を受け入れるのです。

(4)私は数年間ホ・オポノポノを実践してきましたが、
   これまで私が出会ったあらゆる方法の中でも特に有効であることは間違いありません。

   ホ・オポノポノを実践すると、

   あなたの人生に10倍多くの奇跡が起こるようになります。


   そして、それまでは決して変えることなどできないと思っていた、
   あなた自身やほかの人々を変えることができるのです。

   【ホ・オポノポノを実践すると奇跡を体験できます】 

   自分の人生を愛し、自分の人生で起こるすべてのことを受け容れ、許しましょう。

   ホ・オポノポノの実践が、
   あなたの心をクリアリングし、奇跡をあなたに体験させてくれます。

<参考Web:ホ・オポノポノ
       → http://hooponopono.the-secret-law.com/ >

            <感謝合掌 平成29年4月8日 頓首再拝>

義しき願い・真の願い - 伝統

2017/04/26 (Wed) 03:34:09


        *『生活の智慧365章』(P100~102) より

《義しいあなたの願い》

あなたが成就しようと欲する事柄にもっと自信を持ちなさい。

本当にあなたの欲する事柄が義しいものである限り、
それは既に実相世界に存在する”存在の秩序”が現実化して
あらわれようとする衝動であるのですから、必ず成就するのです。

何故(なぜ)なら実相世界の”無限の力”がバックとなって、
その事柄を現象世界に推し出そうとしているのだからです。

「義(ただ)しい」という意味は、「秩序の正しさ」をあらわすのです。
この語(ことば)が「君臣の義」などというように使われるのでも判ります。
「義理を立てる」などというのもそれです。

義(ぎ)は宜(ぎ)と同意味で、
時の宜しきにかない、処の宜しきにかなうことです。

現象世界での《自分ばかり》の「都合の好さ」ではないのです。

実相世界には既に無限に完全な秩序があり、
秩序が正しいから大調和の世界なのです。

その実相世界に既に存在する事物が現象世界に実現するための
押し出す”心の催し”が起こるのが義しいあなたの”願い”なのであります。



《「真の願い」を見分ける法》
 
あなたの願いを思いつくだけ沢山紙に書いて御覧なさい。
そしてその一つ一つについて次の4つの基準によって検討して御覧なさい。


(1)私は真にそれを欲しているか、また真にそれが必要であるか。

(2)その願いの成就が自分又は他人の魂の向上に役立つか。
   却って魂の向上の邪魔になるか。

(3)その願いが成就することによって、
    他の人に損害又は迷惑を懸けることにならないか。

(4)その願いが成就することが家庭、社会、国家、人類等に役立つか。


若しあなたの願いが、真に切実に必要なものではなく、
神意それほど切実に欲するものでない場合には、その願いは
「実相の世界に既にあるもの」の現象界への推進(おしだし)ではないのです。

またその願いが成就したら、自分の肉体的満足や本能の満足なっても、
自分又は他の人の魂の向上にならないもの、又は魂の堕落になるようなものは、
それは実相世界の秩序にはない妄想の産物なのです。


またその願いが成就しても都合のよいのは自分だけで、
他(た)の人々や社会、国家、人類に迷惑又は損害を与えるものは、
真に実相世界に存在する秩序ではないのです。

すべて真の願いはそれが成就することによって自己のみならず
直接間接に社会、国家、人類等に役立つものである筈です。

この4つのテストに合格した事柄は、既に実相世界に存在する事柄であるから、
私たちが切にその実現を心に念じ、波長を合わすようにつとめる時、
必ずそれは成就するのである、自信を持ってよい。

            <感謝合掌 平成29年4月26日 頓首再拝>

あなたの基本的な願望が大切である - 伝統

2017/05/16 (Tue) 04:59:43


      *『心の力の秘密』 ユージン・ロイ・デービス(著)(P194~195)より
         (1964年 伊藤正・谷口雅春共訳)

あなたが一度この世に実現しようと堅く決意したものは、
その決意を中和するか修正しない限り、必ず実現して
あなたの体験するところとなるのである。

それ故あなたがある確乎とした希望を実現しようという決意に到達し、
その実現のありさまを命の底深く実感するとき、
宇宙に遍満する心の大海原を動かす力が発生し始め、

あなたの生涯をかけた目的の実現に同調する人たちが
あなたと自然交渉を持つようになるのである。

こうしてあなたをして正しい方向に
着々と動かす機会があなたの前に現れ始めるのである。

われわれは大抵多くの願望を持つものであるが、
その中でわれわれが意識的にせよ、無意識的にせよ、断々乎として実現しようと
自ら決意するようになった強力な願望だけが実現することになるのである。

われわれの決意はこのように自分の夢を実現するために必要なことを実行する
動機を与えるものなのである。

そして、あなたが自分で目的とするところのものを、
既に実現せる現実として心に描き込むとき、
その夢を達成するに必要な手段は自働的に備わってくることになるのである。

そこであなたに次のような質問を発してみよう。

自分に必要とする資金を全部もっているということは一体どういう状態であるのか、
あなたは確実に心に描くことができるであおるか。

更に多々益々増大する資金のことをあなたは、
はっきり心に描くことができるであろうか。

            <感謝合掌 平成29年5月16日 頓首再拝>

願いをかなえるには - 伝統

2017/05/29 (Mon) 03:57:44


3.願いは宇宙方程式「Y=ax+b」でかなう!

        *「運がいいとき、「なに」が起こっているのか? Good Luck! 」
          石田 久二・著(P31~36)より要約

  Y:結果 
  a:方向 
  x:行動、エネルギー 
  b:資源(元々の資質)


つまり、願いを叶えるために重要なのは、
 
「a(方向)」と「X(行動・エネルギー)」
 
の積なのです。

            <感謝合掌 平成29年5月29日 頓首再拝>

《わが願いを神の沃地(よくち)に播種(はしゅ)せよ》 - 伝統

2017/06/14 (Wed) 04:24:12


         *『生長の家』(昭和24年12月13日の法語)より

   吾が願いを単なる心の表面にとどめて置くだけでは、
   その願いは成就するのに遠いのである。

   その願いを潜在意識の中につぎこみ、さらに宇宙の潜在意識の中へ
   その願いを移植する事が必要なのである。

   それには自己の願いを自己のものとして願うだけではなく、
   最後に 「 み心のままにならしめ給え 」 と、神にその願いの成否を
   完全にまかせてしまうことが必要なのである。

   「 自分の願い 」 として握っていた 「 願い 」 の種子(たね)は
   自分の掌(たなごころ)の中に握っているだけでは
   まだ発芽しないのである。

   神の生命の沃地に投げ出してこそ発芽する。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=96

            <感謝合掌 平成29年6月14日 頓首再拝>

個人の希望の波動は、宇宙の心をして、希望を満たす働きとなる - 伝統

2017/07/03 (Mon) 04:00:34


        *『生命の實相』第8巻観行篇(P114~115)より

ひとりひとりの心は宇宙に遍満している心につながっている。

ひとりの心に起こった希望の波動は全宇宙の心に感じられ、
宇宙のどこかに希望を満たそうとする《働き》が起こり、その《働き》が波及してきて、
ついにわれわれの起こしたその希望を満たしてくれるようになっているのであります。

「われらの希望は空しからず」

「求めよ、さらば与えられん」

とはよく言ったものであります。

            <感謝合掌 平成29年7月3日 頓首再拝>

希望は既に成就せりと信ぜよ - 伝統

2017/07/19 (Wed) 04:24:40


        *『幸福を招く365章』(P103)より
 
多くの人たちは、自分の祈りが成就しないのが当たり前であると云うような
前提的観念のもとに祈っているのではないでしょうか。

だから此等(これら)の人たちは、祈りが成就したならば、
それを驚くべき奇蹟であるかのように驚くのであります。

有り得べからざることがあったので、「有りがたい事」だなどと云うのであります。
こんなことでは可けません。

自分の祈りが成就するなどと云うことは有り難いことだと考えずに、
かかる希望を私に起せたまうのは既にそれが当然成就すべきものであるがゆえに、
かかる希望を起さしめ給うたのであるとこそ考うべきであります。

更に進んでは、その事は実相に於いては既に成就しておればこそ、
その投影としてかかる希望を抱かしめ給うたのだと信ずべきであります。

            <感謝合掌 平成29年7月19日 頓首再拝>

願いを成就する祈り - 伝統

2017/08/04 (Fri) 04:51:28


        *『希望を叶える365章』(P19)より

神を信ずること、神の善にして、
無限の智慧、愛、生命、供給、歓喜、調和を信ずること。

その神が自己の内に宿っていることを信ずること。
自己の"内なる神"と"普遍なる神"との一体を信ずること。

"普遍の神"と"内在の神"とが一体であるがゆえに、
自己の欲することを神に対して呼びかければ、
"普遍の神"はその欲する事物を成就するために
必要なあらゆる要素を集めて引寄せて下さることを信ずること。

以上のことを信じて祈る時、
自己の正しき願いは何事でも成就しないということはないのである。

正しき願いとは、その願いが「愛」に背かない願いであることである。
即ちその願いの成就によっ て、他の人の願いが妨げられたり、
他の人が損をしたり迷惑したりすることのない願いの事である。

            <感謝合掌 平成29年8月4日 頓首再拝>

ストレスのあとには願望実現の「答え」がやってくる - 伝統

2017/08/19 (Sat) 03:49:26

13.ストレスのあとには願望実現の「答え」がやってくる

        *「運がいいとき、「なに」が起こっているのか? Good Luck! 」
          石田 久二・著(P85~89)より要約

(1)ストレスをかけながら願ったものは、
   リッラックスに転じたときにかなう。

   登山を例にすると

   登る → ストレス  (登山中に、質問をする)
   下る → リラックス (下山中にサインを受け取る)

(2)ストレス状態で「質問」を繰り返すと、
   それがリラックスに転じた瞬間「答え」がやってくる。

(3)大哲学者カントは毎日決まった時間に散歩をしていた。
   日本の哲学者西田幾太郎は毎日同じコースを散歩していた。
      (この散歩道は、「哲学の道」として観光名所になっている)

(4)歩いたり走ったりしながら質問するとよい。
   困ったら登ろう、歩こう。

            <感謝合掌 平成29年8月19日 頓首再拝>

100日で願いをかなえる「秘伝」 - 伝統

2017/09/03 (Sun) 04:18:39


      *「夢がかなうとき、「なに」が起こっているのか?」
         石田久二・著(P99~100)より


(1)ステップ1

   ペンとこの本付属の「秘伝ノート」を用意する。
   (ペンは2色ボールペン、
    ノートは、市販の手帳サイズのものでも可)

(2)ステップ2

   「3つの願い」を決める。

  ①100日以降にかなうものにする。
  ②否定形と形容詞を使わない。
  ③完了形または進行形にする。

  ④それぞれ15字~20字以内におさめる。
  ⑤自分以外の誰かが幸せになることを頭の片隅に置く。

(3)ステップ3

   大きく息を吸って一つ目の願いを、3回書く。
   書いている間は息を止める。
   書き終わったら大きく息を吐く。

(4)ステップ4

   また大きく息を吸って二つ目の願いを、3回書く。
   書いている間は息を止める。
   書き終わったら大きく息を吐く。

(5)ステップ5

   また大きく息を吸って三つめの願いを、3回書く。
   書いている間は息を止める。
   書き終わったら大きく息を吐く。

(6)ステップ6

   最後にリラックスして、「ありがとうございました」と1回書く。

例)

【日付:9月3日】

1、2017年以内に月収50万円超えました。
  2017年以内に月収50万円超えました。
  2017年以内に月収50万円超えました。

2、今年中に結婚を前提とする彼氏(彼女)ができました。
  今年中に結婚を前提とする彼氏(彼女)ができました。
  今年中に結婚を前提とする彼氏(彼女)ができました。

3、2018年 夏には、彼氏(彼女)とセドナに行きました。
  2018年 夏には、彼氏(彼女)とセドナに行きました。
  2018年 夏には、彼氏(彼女)とセドナに行きました。

4、ありがとうございました。

            <感謝合掌 平成29年9月3日 頓首再拝>

希望実現への4つのプロセス~その1 - 伝統

2017/09/19 (Tue) 04:32:19


     *『心の力の秘密』 ユージン・ロイ・デービス(著)(P212~213)より

《アイディア又は願望》

宇宙の空間を満たしているエーテルは、無数のアイデアで満ちあふれているのである。
そして我々は自分の心境の程度にしたがって、
そのアイデアを感受することができるのである。

すなわち我々の心が開いて受け入れ態勢になっておれば、
それらのアイデアを受けることができるのである。

願望を抱くこと自体は少しも悪いことではない。
どの道我々は願望を実現する行動に移るまでに、
まずその夢を実現する体験を得たい、という願望を持たねばならぬのである。

他から強制を受けていだくに至った願望、
または自分の人生の方針や達成目標と矛盾する願望は、
エネルギーと時間の浪費となるのである。

しかしそれが成就した場合に我々の人生経験を豊かにし、
さらに我々が交渉を持つ全ての人たちを裕福にするような願望であれば、
それは懐(いだ)いてもよいのである。

            <感謝合掌 平成29年9月19日 頓首再拝>

希望実現への4つのプロセス~その2 - 伝統

2017/10/05 (Thu) 04:30:07


     *『心の力の秘密』 ユージン・ロイ・デービス(著)(P213~215)

《アイディアの選定と決意》

これは一番大きな問題となることが、屡々あるのである。
創造的な人たちは、しばしばあまりにも多くのアイディアを持っているものである
から、彼らはどれに時間を費やしたらよいのか、選定に迷うものなのである。

あなたはあるアイデアなり企画を選んでこれにしようと決定し、
その実行計画を詳細に打ち立てた後は、それはすでに実現したのである
との実感を心に堅く確立することによって、
自分自身が「アイデアの実現」そのものと一体になるのが良いのである。

このことは、あなたがアイデアの実現方法をどのような経路で、
いかにしてやるかなどと具体的に考えようとする前であっても、
断じてなすのがよいのである。

これはアイデアの実現計画のうちで非常に重要な部分を占めるのである。

われわれは自分には大きな夢を実現する器量も能力もないのであるとしり込みして、
夢を大きく描くのをしばしば躊躇するのであるが、
あなたは心にこのような考えをはびこらせてはならぬのである。

あなたは、自分の夢は今すでに実現せる現実であるとして、こころで実感するがよい。
記憶せよ。夢はすでに成就したと心に受け入れてしまうとき、
それは自働的に実現のための手段を動かす力となるのである。

だからあなたは「自分の夢はすでに現実である」と心にありありと実感することを始めよ。

今それを始めるのだ!

われわれが心に決意するとき、どのようなことが起こるのであろうか。

われわれは心という素材の「実質」の大海原に住んでいるのであって、
われわれが心に描くイメージの通りに、その心という「実質」は絶えず型どられ、
形成され、さらに修正されたりしているのである。

それ故、われわれが確乎たる立場を心に確保するとき、
周囲の外界が自分の信念通りの形をとり始めるのがわかり始めるのである。

もし、われわれが、建設的な信念を懐くのを止(や)めてしまうならば、
われわれは自分の周囲の外界が、恐怖と最も弱体化された想念の反映として、
不安の様相を呈するのに甘んじなければならぬのである。

われわれは常に、自分の信念をそのまま外部に現象として表現しつつあるのである。
毎日時々刻々、われわれは自分の想念、感情、根強い信念によって潜在意識を型どり、
形成しているのである。

そしてわれわれの意識状態はそのままわれわれの生活体験として反映して出て来るのである。

さて、われわれは自分の信念を強固に保持するときは、
周囲の情勢が我々の信念通りに生活に反映してくるのが分かり始めるのである。

すなわち、そのとき、心にいだいていた新しき願望が具体化し、
実現する過程として、自然と必要な人に会い、機会を得、才能や資金に恵まれ、
そしてさらに内からの導きも自分の心境に相応しいものが出てくるのが分かるのである。

このような法則の働きは誰にでも普遍的平等に非人格的に作用するものであると
記憶しておくことは当を得ているのである。

あなたが適当な人に会うことができ、機会に恵まれ、才能を見出し、資金を与えられ、
アイディアを思いつくようになって、万事都合よくゆく時でさえ、このような好結果は
宇宙に遍満する心の実質が人間の必要に応ずるために具体化したものに
他(ほか)ならぬのである。

あなたは一時(いっとき)なりとも、外部に現れた心の反映を
事物の原因であると思ってはならぬのである。

外に五感を感じられるように顕れたものは、
内なる心が描く想像の結果に他(ほか)ならぬのである。

            <感謝合掌 平成29年10月5日 頓首再拝>

希望実現への4つのプロセス~その3 - 伝統

2017/10/21 (Sat) 03:25:06


     *『心の力の秘密』 ユージン・ロイ・デービス(著)(P215~217)

《アイディアそのものが既に現実そのものだと堅く信ずること》

あなたは自分の信じるところのものがたとえいまだ実現していなくても、
信念を翻すようなことがあってはならぬのである。

ある有名な実業家に「あなたは始めは無一文であったのに
今は巨額の財貨を持っていらっしゃるが、この事実をどう説明されますか」
という質問を発してみたら、この裕福な実業家は答えるのだった。

「君は私が無一文で出発したと勝手に仮定したが、それは間違っている。
私が出発したときは、すでに私はそのとき全てを心の世界に持っていたのだ。
私のしたことは自分の意志通りにそれを形づくっただけである。
だれでも機会は平等に持っているのである。」

このようにおよそ希望実現のもととなる実質的素材は今すでにここにあるのである。
我々はただそれを適当な時間と空間面に、適当な形を与えるだけの問題である。

あなたは心という原料を用いて、自分がつくって世の中に提供したいと
欲するものを製造しつつあるのである。

仕組みはそれほど簡単であるのである。

あなたが想念感情の乱れによって、失敗と混乱を身辺に現しているときでさえも、
あなたが創造しつつあることには変わりはないのである。

ただあなたの想像力の働き方がその場合、
調和と完全の線に沿っていいないというだけのことである。

現世に秩序と均衡を映し出すためには、心の内容が整っていなければならぬのである。
あなたは自分の欲しないことを心に思い浮かべる代わりに、自分の欲することを心に描き、
それを観ずるようにせよ。

そして、それをありありと実感して実現するようにせよ。

あなたは、ものの考え方、見方が自分と異なる人があなたの考え方を改めさせよう
と迫ってきた場合、そのときあなたは自分の見解が正しのであるという確信が持てる
ならば、断固として「ノー!」と拒絶せよ。

あなたは何者にも束縛されない自分自身の見解を保ち、内なる霊感を維持し、
自分が正しいと信ずる方向に前進せよ。

            <感謝合掌 平成29年10月21日 頓首再拝>

希望実現への4つのプロセス~その4 - 伝統

2017/10/22 (Sun) 04:06:35


   *『心の力の秘密』 ユージン・ロイ・デービス(著)(P217~218)より

あなたの夢の実現をみる”鍵”は、あなた自身がその夢の実現の主動者であり、
責任者であるという心境に達していなければならぬのである。
ここが一番大事なところなのである。

もしあなたが自分が実現したいと欲することを実現させる責任者だという
自覚を持つことができるならば、あなたは必ず活動を開始し、
願望の実現のために実行する必要があると感ずることを為さねばならぬのである。

あなたは自分の夢を実現するために、できることは何でもせねばならぬのである。
何時如何なるときに何を行動するかという「適時(タイミング)」を順序立てて
置くのはよろしい。

しかし、いざ、その時になって、行動する気力がないと言って、
無駄に機会を逸して時間を浪費してはならぬのである。


あなたの知っている通り、大抵の人は一切万事周囲に起こる出来事の結果であって
原因ではないのである。彼らは直ぐに心を動かされ、他人の言うなりに操られ、
人の指示通りに動くのである。

それはまるで他人が自分の代わりに考えることを欲しているかのようである。
あなたは、こうした低い意識状態から進んで脱極せねばならぬのである。

勿論あなたh人生の諸々の現象に対し鋭敏に反応せねばならぬのであるが、
同時にあなたは積極的に行動の主動者でなくてはならぬのである。

あなたは事物を動かす原因者とならなければならぬのである。
さて、あなたはこのような正しい方向に積極的に第一歩を踏み出す
ことができるだろうか。


あなたの周囲を観察すると、男にせよ、女にせよ、
よく生活の均衡がとれてこの世に何かを成すところのある人たちは、
この世界を成立させている要素に対して恐れずに立ち向かっている人たち
であることがわかるのである。

万物は同じ一つの基本的な心の実質から生じたものであるという真理を把握するとき、
あなたは何を取り扱っても恐怖心を抱かなくなるのである。


あなたにも多くの人たちは、霊的であるためには世俗的なものを
拒否し無ければばならぬ、という観念に今もなお、しがみついているのである。

又、彼らは物質的に貧しいということは、霊の世界では富んでいることである、
という信念に固執しているのである。

しかし、本当は、われわれはこの世で雄大なる規模で活躍を続けながら、
それでいて同時に霊的に目覚めていることが可能である。

実のところ、あなたの霊的な自覚が高まれば高まるほど、それだけあなたは
善事に対し強力な影響力をものつ人たることを得ると私は信ずるのである。

            <感謝合掌 平成29年10月22日 頓首再拝>

実相完全の願いの実現 - 伝統

2017/10/24 (Tue) 04:44:11


          *「光明法語(10月20日~24日)」より

《強力なる願い》

「切実なる願い」はきかれる。
切実とは単に「強力なる事」ではない。

深切真実と云う事である。
深切とは表面浅膚(せんぷ)の反対である。

流行を追い、虚栄を追い、時局に乗り、時流に投じ、世間の噂に動かされた其の結果
「こうしたい」と思う事は、如何なるものでも「強力なる願い」だと云うことは出来ない。

キリストはゲッセマネの園に於いて
「みこころならばこの苦き盃をわれより取去り給え」と血の汗を流して強く祈った。

併しそれは彼の切実なる願いではなかった。

・・・

《切実なる願い》

イエスの切実なる願いは「モーゼが金の蛇を竿の先にあげてユダヤ民族を神の怒りより
救った如く、みずからが十字架にかかって人類の罪の意識を身代わりとなる事」であった。

だから彼は「モーゼが蛇を挙げた如く、我れも挙げられるとき来らん」と預言した。
それは潜在意識の切なる願いであったのである。

併し現在意識の強き願いは、「この苦き盃をわれより取去り給え」であった。
現在意識の如何に強き願いがあるとも、潜在意識の中にその反対の願いがあると成就しない。

・・・

《「祈り」は願望実現が目的でない》

神様にまかす位ならば、「祈り」の必要はない。
「祈り」をするのは自分の願いをかなえる為であって、祈りに志向性はつきものである。

自分の願いがないならば「祈る」必要はない ―― と考えるのは間違いである。
「祈り」と云うものは、「親なる神」と「子なる人間」との人格的交わりとして
欠くべからざる人間の行事なのである。

だから、潜在意識の深き願いは、神のみこころでなくても
「心の影」として実現するのである。
だから、欲するものを実現するばかりが祈りではないのである。

・・・

《潜在意識と現在意識の食違い》

吾々人間の潜在意識の願いには、実相本来の願い(既に実相に於いて与えられている本性)
そのものではない。「歪(ゆが)み」があるものである。

現在意識の願いが遂げられないのは、
潜在意識の願い(又は想念)がその反対であって邪魔をするからである。

戦争中、日本人は現在意識の願いは「勝ちたい」と云う事であったに拘らず、
潜在意識の願いは「海ゆかば水漬く屍(かばね)・靖国神社で会おうよ」(負けて死ぬ)
事であった。

そこに現在意識の願いと潜在意識の願いとに食違いがあったのである。

・・・

《実相完全の願いの実現》

この現在意識と潜在意識の食いちがいはどううして起こるのか。

それはみずからの「実相の願い」(本来与えられている本性又は使命)を
ツツミて知らざるところから来るのである。
換言すれば、それはツツミ(即ち罪)である。

「みこころのままにならしめ給え」と祈ることは単に自己の現在意識の願いを捨てるに
とどまらず、潜在意識の願いの歪みまでも、その自我放棄によって捨てることになる。

かくて現在・潜在の両意識の歪みが悉く捨てられて実相完全の願いのみが実現する。

            <感謝合掌 平成29年10月24日 頓首再拝>

《希望する想念は明瞭なるを要す》 - 伝統

2017/11/08 (Wed) 03:53:46


         *『 生長の家 』(昭和24年2月26日の法語)より

   環境は自分の心の影であるけれども、
   心の習慣性がまだ消えないで、
   ハッと悟っただけでは
   尚(なお)完全に、良き環境があらわれて来ないことがある。

   新しき世界に就(つ)いての観方、
   新しい人間に就いての観方、
   生活の新しい実践法がその人に確立しない限り、

   過去の人間観、世界観、生活の仕方の惰力と云うものは、
   継続していて、それが現象界に具象化してあらわれて来ることになる。

   吾々が想念するところのものが漠然たる希望であり、
   明瞭を欠くようなことでは具象化する力は少ないのである。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13045874.html

            <感謝合掌 平成29年11月8日 頓首再拝>

その人に適する願い - 伝統

2017/11/12 (Sun) 03:46:25


       *「光明法語」(11月12日の法語)より

グレンクラーク教授が、まだ『魂の切なる願い』の著書を発表せず
生活が楽でなかった頃、8ドル70セントの鉱石式ラジオを、
家庭の和楽や知識の増進の為に欲しいと思った。

それは「それがなければ死ぬ」と云う程切実なものではないが、
それでなくとも此の程度の
願いは「その人に適する願い」として与えられるものなのである。

否、既に与えられているのである。

それが現実に現れて来るには、祈りによって心の波長を
「既に与えられている実相」の波長に合わす事である。

            <感謝合掌 平成29年11月12日 頓首再拝>

《少しでも疑念あらば成就せぬ》 - 伝統

2017/11/29 (Wed) 03:19:56


       *『 生長の家 』(昭和24年2月27日の法語)より

   欲する事物を明瞭に心に描いて、
   「 宇宙の心 」 に 印象すれば、
   「 宇宙の心 」 がそれを実現して呉れるのである。
             ( 「 人生は心で支配せよ 」 参照 )

   その点 疑いが少しでもあっては 実現が不能になる。
   
   「 宇宙の心 」 は 無限力であるから
   如何なる念を描こうとも
   吾々がそれを求め過ぎると思ってはならないのである。

   吾々が少しでも
    「 こんな虫の好い事を求めたら きいて貰えないかも知れない 」
    などと潜在意識が少しでも思うならば、
   自分の潜在意識の思った通り実現しないことになる。

   多くの失敗者は 此の種類に属する人である。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13058494.html

            <感謝合掌 平成29年11月29日 頓首再拝>

《真に望むことは既に実現している》 - 伝統

2017/12/15 (Fri) 03:44:58


          *『 生長の家 』(昭和24年2月28日の法語)より

   真に望まないことは、
   祈っても実現しないことがある。

   それは心が自己放棄しているからである。

   しかし真に望まないのに実現するのは、
   恐怖する事物である。

   恐怖する事柄は
   常に切実に思わずにいられないから実現するのである。

   また魂の底深く真に望む事物は、
   既に実相の世界に於いてそれが実現しているから、
   その実在の圧力によって思わずにはおれないから、
   自然にそれを熱望するようになって来るのである。

   希望を捨てず、
   常にそれを心に描け。

   その心境が 実相の実現力に一致する時期が来れば
   必ず成就するのである。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13060929.html

            <感謝合掌 平成29年12月15日 頓首再拝>

希望を実現する3つの肥料 - 伝統

2018/01/20 (Sat) 03:20:16


         *「希望を叶える365章」(P43)より

希望を実現するためには、“ 希望の樹 ”に肥料を与えなければならないのである。
その肥料には3種類ある。霊的肥料と、精神的肥料と、物質的肥料とである。

すべて与えた程度に報い返されるのが法則である。
肥料を“希望の樹”に与えないでいて、その“ 希望の樹”が
大なる成功の果を結ぶと考えてはならないのである。

 
霊的肥料を与えるには神想観をして、実相無限の供給を観じて、
観の中で、その仕事を“ 無限供給の霊 ”の中に包んでしまうがよい。
すると実相“ 無限供給の世界 ”からその事業が育てられ、
その事業を育てるに必要な人材や資料や要素が自然に集って来ることになるのである。

次に精神的肥料は愛と智慧とをその仕事及びその仕事の協力者
及び従業員に注ぐことである。

愛がその仕事に注がれず、また仕事をしてくれる人に愛を注がないでいたら、
その事業を育成するために必要な主要な精神的肥料が与えられないことになるのである。
                  
           <感謝合掌 平成30年1月20日 頓首再拝>

希望を実現する心の要素 - 伝統

2018/02/06 (Tue) 03:31:59


         *「希望を叶える365章」(P46~47)より

一旦、心に描いて、それを実現しょうと念願した希望又は理想は、
それが、まだ実現の曙光が見えないからとて途中で放棄してはならないのである。

それは湯を注ぎつつあるがまだ透明にならない片栗粉と同じことである。
それは眼に見えない世界に於いてその「実現」が進行中なのである。

藉(か)すに時間をもってしなければならない。
希望の実現には「愛」「努力」「祈り」、そのほかに「明るさ」が必要なのである。

常に不平を言ったり、不遇を呟(つぶや)いたり、陰気にふさび込んでしまったりする
習慣があるならば、直(ただ)ちにそれを止めなければならない。

不平の代わりに感謝を、呟きの代わりに讃歎(さんたん)を陰気の代わりに
希望に満ちた明るさを、心に常に把持するようにしなければならない。

人の悪口(わるぐり)を話材にするゴシップの習慣も止めなければならない。

人を讃(ほ)めれば自分も讃(ほ)められ、そこから希望が実現する道が
ひらかれて来るのである。

           <感謝合掌 平成30年2月6日 頓首再拝>

《必ず実現する希望》 - 伝統

2018/02/21 (Wed) 03:37:14


       *『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P10~11) より
    
生長の家の”智慧の言葉”(註「ひかりの語録」に集録)に
「希望は実現の母である」という語(ことば)がある。

若しあなたが、何かを求めて、それが得られるという希望をいだくならば、
それは既に潜在意識の奥地に、その希望の卵が受精して、
胎児となって胎動しつつあるのである。

「吾れこれを願う、神とともに願うのである。
この希望を実現することは神のみこころなり」という大いなる堅信をもって、
どんなに途中に困難があろうとも、その希望の実現に邁進するならば、
必ずやその困難を克服してその希望を成就することができるのである。


しかし、その「希望を実現することは神のみこころなり」ということが本当である
ためには、その希望を実現することが、他(た)の人に迷惑をかけたり、
他(た)から奪うことになるような希望であってはならない。

そんな希望は「我(が)の願い」であって「神のみこころ」ではあり得ないので
あるから、強(し)いて「神のみこころ」だと思い込んでも、それは”ウソ”を
”本当”だと思い込もうとする偽りであるから成就することは難しいのである。

           <感謝合掌 平成30年2月21日 頓首再拝>

希望成就、2つ秘訣 - 伝統

2018/03/08 (Thu) 04:38:27

           *『希望を叶える365章』はしがき(P2~3)より抜粋

(1)希望の在所(ありか)を先ず知る。

  ①希望を達成したいと思うならば希望は一体何処にあるか、
   希望の在所(ありか)を先ず知って置かなければならないのである。

  ②私たちが切実に実現したいとこいねがう希望は、
   それが既に《あり》、既に内部に実現せるがゆえに、
   それを外に表現せずにはいられなくなって、
   「希望」とか「理想」とかいう形をとって、表面にあらわれて来るのである。

  ③心を調(ととの)えるようにしたとき、内部の力が外界に表現されて
   希望が成就する道がひらかれるのである。


(2)心の法則”を知って、それを実行に移す。

  ①”心の法則”を知らないで、人生を渡って行くのは、
   電気の法則を知らないで、発電機をいじくったり、
   ラジオを組立ててみようとするのと同じくまことに危険なことである。

  ②多くの人たちが、希望を成就しようと願いながら、
   人生の航路で傷ついて倒れてしまうのは、
   人生を支配している”心の法則”を知らないで、
   出鱈目に、行き当たりバッタリの生活を送っているからである。

  ③若し、あなたが「希望」というものの所在を本当に知り、
   それを内から外へと導き出して来るための
   ”心の法則”を知って、それを実行に移すならば、
   あなたの希望は必ずや如何なる希望でも成就することになるに相違ないのである。

           <感謝合掌 平成30年3月8日 頓首再拝>

願いを成就する祈り - 伝統

2018/03/26 (Mon) 03:33:07


          *『希望を叶える365章』(P19)より

神を信ずること、
神の善にして、無限の智慧・愛・生命・供給・歓喜・調和を信ずること。

その神が自己の内に宿っていることを信ずること。
自己の”内なる神”と”普遍なる神”との一体を信ずること。

”普遍の神”と”内在の神”とが一体であるが故に、自己の欲することを
神に対して呼びかければ、”普遍の神”はその欲する事物を成就するために
必要なあらゆる要素を集めて引き寄せてくださることを信ずること。


以上のことを信じて祈るとき、
自己の正しき願いは何事でも成就しないと云うことはないのである。

正しき願いとは、、その願いが『愛』に背かない願いであることである。

即ちその願いによって、
他(た)の人の願いが妨げられたり、
他の人が損をしたり迷惑したりすることのない願いの事である。 

           <感謝合掌 平成30年3月26日 頓首再拝>

未来の光明について希望と空想をもて - 伝統

2018/03/29 (Thu) 03:43:34


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月29日)」より

損失を恐れるものは損失の奴隷となり、
損失に蹂躙(ふみにじ)られて滅ぼされてしまうであろう。

損失は本来ないこと、損失のごとく顕われて見えるものも、
必ず本当は収穫への道行きであることを知ることは智慧である。

過去の傷害についてクヨクヨ思い煩う者は生命を摩り減らす。
クヨクヨ思い煩う暇があるならば、未来の光明について希望と空想をもつべきである。

希望は実現の母。
心に描いて待つものは必ず成就する。

待つ間に心を掠(かす)める「不安」が事を毀(こわ)すのである。
「不安」は蒔いた種子(たね)を毎日掘り返してみる働きである。
かかる農夫に培われる植物は育たない。

            <感謝合掌 平成30年3月29日 頓首再拝>

《先ず真に自己が何を求めているか》 - 伝統

2018/04/14 (Sat) 03:16:55


         *「光明法語」(4月14日)より

先ず真に自己が何を求めているか、自分の求めが曖昧であってはならない。

Aの土地の仕事もしたいし、Bの土地にも帰りたいし、
自分自身の要求が二個に分裂しながら
Bの地に借家を求めるべく祈ってもかかる祈りは成就しない。

神に求めるには吾が求むる事物が何であるかを知らなければならない。

現在意識(自分が気がついている心)が求めている物と、
潜在意識(自分に気がついていない心)の求むる物とが
食違っていてはならないのである。

現在意識の求めが実現しないのは潜在意識の求めが反対であるからだ。

            <感謝合掌 平成30年4月14日 頓首再拝>

【予祝のすすめ】 - 伝統

2018/04/26 (Thu) 04:25:22


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2018年01月28日)より

   (ひすいこたろう氏の心に響く言葉より…)

   《喜べば 喜びごとが 喜んで 喜び連れて 喜びに来る》

   この世界の最大の罪は「不機嫌」でいることです。
   不機嫌はうつるからです。

   ではどうすれば「上機嫌」(いい気分)でいられるか。


   それは「前祝い」をしちゃうこと。

   いいことなんか何ひとつなくても、先にお祝いしてしまえばいい。

   じつは、この「前祝い」は、日本人が
   古来からやってきた願いの叶え方でもあるのです。


   たとえば、お花見や盆踊りは、古来日本人の願いを叶えるための知恵でした。

   春に満開に咲く桜を秋のお米の実りに見立てて、
   先に喜び、お祝いすることで秋の豊作を引き寄せようというのが、
   お花見の由来です。

   盆踊りも、豊作を喜ぶ「前祝いダンス」。

   前祝いすることを「予祝(よしゅく)」と言いますが、
   予祝こそ上機嫌をつくり、願いを叶える最高の方法なのです。


   あの俳優の武田鉄矢さんが鳴かず飛ばずだったときに、
   この「予祝」をしたことでブレイクしたというお話があります。

   ある日、鉄矢さんのお母さんが、寝ていたお父さんを起こして
   「今から祝杯をあげよう」と突然言い出した!

   鉄矢さんは「めでたかことは、なーんにもなかばい」と伝えると、
   お母さんは「とにかく先に祝おう」と。


   鉄矢さんはポカーン(笑)。

   すると、お母さんは言いました。


   「おまえには貧乏神が取り憑(つ)いている。
   でも乾杯すれば、その貧乏神は
   『ここまで苦しめているのに、まだおめでとうとか言ってるよ』
   と拍子抜けして離れていく。

   だから親子三人で一芝居打とう」と。


   こうして親子三人で予祝をしたら、鉄矢さんのもとに、
   『幸福の黄色いハンカチ』の映画出演のオファーがきたのです。

   鉄矢さんはこれが「予祝」だったのだと、あとで知ります。

   喜べば、喜びがやって来るんです。

         <『3秒でハッピーになる 超名言100』ディカヴァー>

            ・・・

予祝とは、先に祝ってしまうこと。

願いや想いが、あたかも本当に叶ったかのように祝う。

これは、言霊(ことだま)の原理と同じ。


言霊とは、言葉に宿る霊的なパワーのこと。

嫌なことを言えば、嫌なことが起き、
楽しいことを言えば、楽しいことが起きる。

結婚式のスピーチなどで使ってはいけない言葉とされる「忌み言葉」も同じ。

縁起の悪い言葉であり、運を落とす言葉。


予祝は運を高める。

            <感謝合掌 平成30年4月26日 頓首再拝>

求むるものを考え、実現までに努力し、神の計らいを信頼せよ - 伝統

2018/04/27 (Fri) 03:31:45


          *『生命の實相』第37巻幸福篇上(4月27日)」より

なんじの求むるものをまず考えよ。
考えることはそれが得られる初めである。
考えた相(すがた)が《すでに》あるとしてその実現にまで努力せよ。

供給無限の世界において、ある事物を得ようと思う「思い」が
自分の内に起こったことがすでに「自分ならぬ」はからわれである。

それを計(はか)らわせ給いしものに信頼せよ。

            <感謝合掌 平成30年4月27日 頓首再拝>

「願いごとを叶える諏訪大社・建御名方神の秘法」 - 伝統

2018/05/20 (Sun) 03:49:40

         *Web:「ツキを呼ぶ感謝のことのはブログ」(2008年5月16日)より

古神道に伝わる「願いごとを叶える諏訪大社・建御名方神の秘法」
先日、古神道に古くから伝わるといわれる「願いを叶える秘法(呪文)」を教わった。
 
秘詞を熱心に唱え、そのあと願望成就を祈願するだけである。
交渉事の際も唱えれば都合よくいき、勝負ごとにも絶大な効果があるそうである。

個人的には、この「秘法」とはちょっとした必然を感じる出会いがあった。
休日、文章をまとめる手伝いを依頼されて、新宿の事務所に朝10時半に訪ねて
1時半には作文を終え昼食をとり、前の夜に夢で見た神田明神を初めて訪れた。
 
「誰かに呼ばれているのかな」と思ったが1時間ほど境内にいても
声かけられるわけでもなく、導かれるわけでもないようなので、
夏祭りに向けて公開されたばかりの神輿(みこし)を見たりしながら
時間をつぶし帰ることにした。

最寄りのお茶の水駅から1時間ほどかけて自宅近くの駅に着くと携帯の着信が鳴った。
出ると、かなり焦った感じで「つくってもらった文章がパソコン上で消えてしまった」
との連絡。

しばらくファイルがどこかに保存されていないか探してもらったが、
どこにも見あたらず消去されていることが確実の様子。
翌日が提出の締め切り日ということなので、再び新宿まで引き戻すことになる。
 
こんなことは滅多にないことなので、
「これは何か良いことに出会えるのかもしれない」と思い、
神経をいつもより敏感にしながら、楽しみにしていたらその夜、
出会えたのがこの「秘法」である。
 
しかも、この秘法は、諏訪大社の建御名方神(たけみなかたのかみ)の秘法で、
僕の氏神様である鹿児島の南方神社の祭神でもあり喜びはひとしおである。


「みなかたの 神の御力(みちから) 授かれば 祈らむことの、叶わぬはなし
野辺(のべ)に住む けだものまでも縁(えにし)あれば 暗き闇路(やみじ)も 迷わざらまし
我身守り給え 幸(さきわえ)給え」


以前に書いた霊がついたとしても「ツイてる!」の言葉で
強烈な後押しに変わるという教えに通ずるところがありそうな呪文だが、
かなり力があるらしい。上手に活用していただければと思う。

   (http://kansya385.blogspot.jp/2008/05/blog-post_16.html

・・・

<参考:途絶えた諏訪大社の神事の秘法
    → http://open.mixi.jp/user/9069628/diary/1963585116 >

            <感謝合掌 平成30年5月20日 頓首再拝>

神様へ手紙を書く - 伝統

2018/05/28 (Mon) 04:04:32


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月28日)」より

われわれの魂の底なる希望を実現する祈りを、紙に書いて神に訴えるようにする時、
その祈りの実現性がいっそう多くなるということは
グレン・クラーク教授の著書の中にも書かれている事実である。

生長の家の信徒の中にも欲する事物を紙に書いて壁面に掲げ置き、常にそれを眺めて、
そのすでに成就せる有様を心に描いて感謝する気持を起こしているとき、
その希望が成就せる実例はずいぶんたくさんあるのである。

ある婦人は一大難関に出会(でくわ)して、
人間力ではどうしてよいかわからない時、
突如として神に頼もうという感じが湧き起こり、
神に対して手紙を書きはじめたのである。

「神よ、あなたは無限智であります。無限愛であります。無限力量であります。
あなたは無限の愛をもってわたしを導いて下さいます。
あなたは無限の智慧をもってわたしがこの難関を切り抜ける道を教えて下さいます…」

それから具体的な問題をこまごまとその神様に送る手紙の中に書きはじめたのである。

すると、自分一人でどうしようかと思いまどう心の騒ぎがしだいに落ちついてきて、
神とともに、その事件について対処する道を考えているような
安らかな気持にになってきたのである。

そのうちに事件の全貌がハッキリしてきた。
何が問題の重要な部分であるか、何が問題とするに足りない部分であるかが
ハッキリしてきたのである。

その神への手紙を書いているうちにはまだ完全にその問題は解決せず、
解決の緒(いとぐち)が見えていただけであったが、
その3日後にはすべてのことが順調に進行して万事解決したのである。

病気の時に神にこれに類する手紙を書いて、
急に病気が快方に向かった実例があるのである。

神に手紙を書くことによるこれらの功徳が起こる原因は、
それを書いているうちに心が完全に神に向かうことになるからである。

そして「吾れ神と偕(とも)に在り」という自覚が起こってき、
そのために心の平和が回復し、神の叡智に波長が合うようになってき、
したがっていっさいの問題が順調に解決するようになるのである。

ただ、祈っているだけでもむろん効果があるのであるが、
15分間以上も雑念なしに完全に神に心を振り向けて祈ることは
やや困難な人が多いのである。

しかし手紙を書くとなれば、
30分はおろか1時間以上も神に対して心を集中することができる。
そのために神との一体感がいっそう起こりやすく、効果もそれに従って多いのである。

            <感謝合掌 平成30年5月28日 頓首再拝>

《希望は実現の母》 - 伝統

2018/06/18 (Mon) 04:08:16


      *『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P73) より

「希望は実現の母である」と生長の家の”智慧の言葉“に書かれているのである。

あなたの心の底深く催して来るところの願いは、
既に実相鬼於いて成就しているのである。
これを「みこころが既に天に成る」というのである。

それを現実世界に実現することを
「みこころのに天に成るが如く、地にも成らせ給え」というのである。

「天」とは「実相世界」のことである。
実際、一切の善きものは既にそれが実相世界に存在するのである。

存在しないものを此処に持ち来すのは難しいであろうけれども、
既に存在するものを、「其処から此処へ」というふうに持って来ればよいのであるから、
それは少しもむずかしい事はないのである。

それをむずかしいと感ずるのは、
実相の世界に既にそれが成就していることを自覚しないで、
「むずかしい」と勝手に自己否定してしまうからである。

            <感謝合掌 平成30年6月18日 頓首再拝>

希望は神授である - 伝統

2018/07/03 (Tue) 03:29:18


       *「希望を叶える365章」(P54)より

心に「希望」が湧いて来るのは、
神さまから「希望の樹」の種蒔きがあったのである。

肥料も既に与えられているのだけれども、それを使わなければ役に立たない。
肥料には幾種類もある。

先ず、素直に、「これは神さまからの授かりものである」と
其の「希望」なり「着想」なりを神化して受けることである。
次には神から授かった「希望」であるから必ず成就するほかはないと
「信ずる」ことである。

その次には、この「希望」は神授のものであるからそれを実現するための
方法・順序・資財・協力者等も神が授けたまうにちがいないと信じて、
「わが業(わざ)はわが為すに非ず・・・・・」と深く祈って、
その実現方法等についての啓示を待つことである。

そして、啓示が来ると来らないとに拘(かかわ)らず、
自己の持てる何らかの能力を献げて隣人を利益するがよい。

「隣人への貢献」は愛の実践にほかならないから、
「愛」なる神に波長が合って神からの導きが得られるのである。

            <感謝合掌 平成30年7月3日 頓首再拝>

希望實現のための16箇条 ~(その1、その2) - 伝統

2018/07/17 (Tue) 03:32:18

         *「昭和43年、谷口雅春先生講演記録」より


希望實現のための法則十六箇條 (その1、その2)

法華経の如来壽量品には

『天人が天の太鼓を撃ち、諸々の技芸を競うて、
天から萬陀羅華の花びらふりそそぎ、
衆生及び佛を飾って今現にこの美しき實相の浄国があるのに、

衆生たちの眼には〃焼け尽きて憂怖諸々の苦悩が充満している〃
ように見えているのだ』という真理が書かれている。

天国実現も、地獄実現も、ただ自分の心の波長を合わすか否かにあるのである。


◆認めるものが顕れる

希望実現のための〃心の法則〃の第一は
『みとめるものがあらはれる』ということだ。

諸君は、今現れている現象の有様を、
究極的に真実そのままの姿だと思ってはならない。

現象には真象と偽象とがあり、真偽混交して二重写しの写真のように、
本来の実相が曇らされ、歪められて現れているのである。

真象とは『甘露の法雨』の冒頭ちかく示されいるところの
「神の心動き出でて言葉となれば、一切の現象展開して萬物成る」とあるところの
「神の想念」の展開としての現象である。

この「神の想念」の展開としての現象は即ち〃真象〃であって、
実相世界に神のコトバが展開して成就せる世界である。

そしてこの真象の世界においては「神があらわれば乃ち善となり、義となり、
慈悲となり、調和おのずから備わり一切の生物ところを得て争う者なく、
相食む者なく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし」と
『甘露の法雨』に示されているが如き萬徳円萬の世界なのである。

  
しかし、このような萬徳圓萬の世界が真実の象(真象)として実在しているに拘らず、
それは「認めなければあらわれない」のである。

不完全な偽象の世界を越えて、この真実の象(かたち)の世界をみとめるために、
皆さんは、肉眼を閉じ、心の眼を開いて實相を観ずる修行『神想観』を
毎日怠らず実修するがよい。



◆希望の成就を妨げるものは何か

希望実現の〃法則第二〃は『想うものが現れる』ということである。

その「想うもの」が真象であろうが、偽象であろうが、
常にそれを怠らず想うことにするならば、その「想うもの」の現実化し、
具体化してあらわれるのである。

それゆえに、私たちは常に「斯くありたい」と希望し念願するものを
絶えず心に想うようにつとめるがよい。

「斯くありたい」という願いを、絶えず心に持続するのであるけれど、
それと同時に、しかし「とてもそんな良いことは私のような者には
現れて来てくれないであろう」という不安や恐怖を伴いながら、
「希望するもの」を心に描いているのでは、結局は「わが希望は実現しないであろう」
ということを絶えず心に描いていることになるのであるから、
その自分の心に描く通りには実現しないことになるのである。

「希望は必ず実現する」と必ず信じて、恐怖や不安を一掃することが必要である。

  (https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/17681630.html より転写)

            <感謝合掌 平成30年7月17日 頓首再拝>

希望實現のための16箇条 ~その2 - 伝統

2018/07/31 (Tue) 04:38:10


         *「昭和43年、谷口雅春先生講演記録」より

希望実現のための法則十六か条 (その3、その4、その5)

    
◆希望の実現に〃困難〃を予想してはならぬ

希望実現のための〃法則の第三〃は、『希望はすでに実現せり』と信ずることである。

『これから希望を実現させるのであって、その実現の途上には色々の困難が伴うであろう』
などと困難を予想してはならないのである。

困難を予想すれば予想する事物が『想うものがあらわれる』という
『第二の法則』に よってあらわれるのであるから、
困難を予想するならば、予想した通りに困難があらわれて来ることになるのである。

それゆえに『困難が来る』などという考えをあなたの心から一掃するがよい。

あなたが『希望する事物』を心に描いたとき、既にそれは『心の世界』において
『既に在る』のであるから、『既にわが希望は成就せり』と信じても、
それはウソでも方便でもなく、真実なのである。

そして『心の世界』に既に成就せる事物を現実界に移行せしめるのは
『法則に依る』のであって、あなたの自力でそれを移行せしめるのではない
のであるから 『この希望を実現するには困難を伴う』などと考えない方がよい
のである。


◆希望の実現には行動が必要である

『希望する事物』を掌を開いて大空に放下するだけで、
その希望は『法則』が成就するのであるから困難は伴はない ― というと、
何の行動をも起こさないで、『希望する事物』を想念して大空に放下するだけでよい、
ただ念じ祈っているだけでよいのだなどと誤解してはならないのである。


希望実現のための〃第四の法則〃は、内からの『催し』を行動化することである。

ビルの七階から『握っている希望』を掌を開いて落としたときに何が起るかを見よ。
掌から放たれた事物は、下へ向かって落下の運動を起こしているのである。

運動または行動のないところに、現象界への実現はないのである。

そこで、『努力して強いて押すこと』は要らないが、
『自然に起る落下の運動』を止めてはならないという二つの、
ちょっと矛盾すると見えるような『希望実現の行動過程』があることに
注意しなければならないのである。

皆さんは、希望を心に描いて『既にそれは成就せり』とハッキリとその実現を
心に描いて確信するときには、あなたの心の中に、そして、あなた以外の人の心にも
その実現に関係ある行動を起こしたくなるような〃こうしたらよい〃〃ああしたらよい〃
というような『催し』が起ってくるのである。

これは『自力の努力』ではなく、その実現のための『自然の催し』
(落下の法則にも譬うべきものの催し)が起っているのであるから、

希望の実現を心に描いて確信した後、自然に自分の心のうちに浮かんで来る
〃催し〃は、それを打ち消してしまわないで、素直に直ぐその〃催し〃の通りに
行動するがよいのである。

落下しないで、屋上のものは階下の地上に姿をあらはさないと同じように、
運動または行動なくして、ただ祈るだけで、希望は現実化することはないのである。



◆断行の勇気をもつこと

あなたの内には〃天与の希望〃が宿っているのである。

それは最初は漠然とした憧れであり、模糊とした感情であるけれども、
次第にそれが明確になって来たとき、それを実現するために敢えて断行する勇気を
持たなければならない。

希望実現の第五の法則は、断行の勇気をもつということであるのである。

断行の勇気を欠くところに、如何なる希望も実現することはないのである。

 (https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/17682159.html より転写)

            <感謝合掌 平成30年7月31日 頓首再拝>

希望實現のための16箇条 ~その3 - 伝統

2018/08/22 (Wed) 04:08:35


         *「昭和43年、谷口雅春先生講演記録」より

希望実現のための法則十六か条 (その5、その6、その7)

《与える者はまた与えられる》

希望実現の第6の法則は
『奪う者は奪われ、与える者は与えられる』という法則である。

私たちは、時々他から奪って、自分の勢力や、富を殖やせば
自分の希望を実現し易いと考えて、他を突き落として、
自分だけ上へ掻き上がろうとするような人を見かけるけれども、

そのような利己的な人は、一時は自分が高くあがるかも知れないけれども、
「他を突き落とした者は、また自分も突き落とされる」という法則によって、
やがて必ず自分が墜落する時が来るものなのである。

常に他の人たちのために尽くし、他の人たちのためにはかり、
他を祝福し、他の人の幸福のために「自己を与える」ならば、
自分もまた、他から祝福され、他から持ち上げられ、
自然に自分が幸福になるのである。


《今ある幸福に感謝の念を起すこと》

希望実現の第7の法則は、
既に与えられているところの「今ある幸福」が、
それがどんなに小さいものであろうとも感謝するということである。

「感謝の念のうちにこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう」
と神は示し給うているのである。

感謝の念は神の国に波長が合い、神の国にある一切の善きものを
現象世界に再生することができるのである。


《祖先に感謝すること》

希望実現の第8の法則は、
神に感謝すると共に祖先に感謝することである。

あなたという「生命体」の存在は、第1原因を神より発し、
祖先の生命及び霊魂を通して茲に「あなた」という独自の「個性ある人格」として
顕現して来たのである。

神がなければ「あなた」は無いし、
祖先がなければ「あなた」は存在しないのである。

「恩を知る」ということは「恩」という字が
「原因」の〃因〃という字と〃心〃との合字であることによって
象徴されているように、

あなたの生命が何処より来たかの原因を知り、今日「自分」が存在するのは、
神と因として先祖を第二原因とし、父母を縁として因縁相合して
自分が今此処に存在するのだということを知り、
その〃原因〃と〃縁〃とに対して感謝することである。

祖先に感謝するとき、祖先の霊波のつながりが出来、
祖先の霊の護りが増加し、あなたの希望が成就し易くなるのである。
      
    (https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/17724179.html より転写)

            <感謝合掌 平成30年8月22日 頓首再拝>

希望實現のための16箇条 ~その4 - 伝統

2018/09/16 (Sun) 02:44:08



         *「昭和43年、谷口雅春先生講演記録」より

希望實現の法則十六箇条 (その9、その10)

 ◆希望實現の第9則 『父母に感謝』

  希望を実現するための第9の法則は『父母に感謝する』ことである。

  父母なくして我々の存在はないのである。
  昔から「子を持って知る親の恩」という諺があるように、親というものが、
  どんなに自分の子を愛しているかということは、子供にとっては到底
  思いも及ばない深さである。

  親は子供を叱ることがあるかもしれない。
  愛するからこそ、「そんな状態で放置してはいかん」と思って叱らずに
  いられないのである。

  隣の子供が同じことをしても叱らないのは、隣の子供は、自分の子供
  ほどには愛していないからであり、また隣の子供は、自分が注意して
  やらなくても、それぞれの両親が責任をもって愛しており、こちらから
  余計な注意や助言を与えないでも大丈夫だと思うからである。

  「叱る子供」ほど、その両親は彼を愛していて、ほっておけない気がして
  いるのである。

  その親の深い深い愛情を思い起して、毎日神想観のときに両親の顔を思
  い浮かべて『お父さん、お母さん、ありがとうございます』と繰り返し
  唱えて感謝するがよい。

  そんなことが希望実現や事業の繁栄に何の関係ないじゃないかと、思う
  人があるかも知れないが、大いに影響があるのである。


◆希望實現の第10則 『夫唱婦和』

  子供が夫婦の間に生まれない場合には、
  夫唱婦和の原則がその家庭に行なわれていないのが原因であることがある。

  希望実現の第10則〃夫唱婦和〃の天地の法則に従うことである。

  夫は〃天〃の位置にあり、妻は〃地〃の位に座す。
  天は高くして地を覆い、地は低くして天を受け、天は陽徳を備え地は陰徳
  を備え、地は天の気を受けて排斥せずそれを内に孕むのである。

  陽は火徳を備えて烈々として激しけれども、陰は水徳を備えて柔らかく
  しなやかに柔順の徳を備えているのが天地の道理なのである。

  妻が柔順の徳を失うとき、河の流れが旱魃にて水を失いたるが如く、水田が
  乾いてヒビ割れたるが如く、そこに生命が棲むことが出来ないのである。

  男女同権が民主主義の現代の風潮のようであるが、
  男も女も、神の子であるから基本人権としての人間の本質又は人格の尊厳さ
  は平等であるから、夫婦は互に、夫は妻に内在する實相(神性)を尊敬し礼拝し
  妻は夫に内在する實相(神性)を尊敬し礼拝する相互礼拝の精神を持つことが
  大切である。

  『愛する』と称して愛獣(ペット)のように馴れ親しむばかりで尊敬の念を失う
  ときには、夫婦は〃神の子〃の神性をあらわさず、男女同権にひとしく互に
  愛獣(ペット)となるだけであるから、夫婦平等は平等であっても、互いに
  平等に軽蔑し合うことになってしまうのである。

  そのような家庭が真の幸福が得られる筈がないのである。
  夫婦というものは親しき間にも尊敬と礼儀がなければならぬのである。
  
    (https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/17740348.html より転写)

            <感謝合掌 平成30年9月16日 頓首再拝>

希望實現のための16箇条 ~その5 - 伝統

2018/10/03 (Wed) 03:18:53


         *「昭和43年、谷口雅春先生講演記録」より

希望實現のための十六箇条 (第11、第12、第13)

◆希望實現の第11則 『牝鹿の脚』(潜在意識にある自己限定を撤去する)

  自分の希望が成就しないのは、現在意識がその希望の成就を願いながらも、
  潜在意識の奥底に、その成就を妨げ又は拒むところの反対観念があるから
  なのである。

  それゆえに、希望実現の法則の第11は、
  潜在意識にある自己限定を撤去することである。

  これをグレン・クラーク教授は『牝鹿の脚』にたとえたのである。
  牝鹿の前脚は、峨々たる山径を滑り落ちないように、
  肉眼を持って見ながら適当な位置を踏む。
   
  すると後脚は、肉眼ではどこを踏むか見えないが、
  正確に前脚の踏んだ位置を踏む。
   
  それで前脚と後脚とが一致協力して
  どんな突骨たる山径でも滑り落ちずに上下することが出来るのである。

  これは希望を定めて進む現在意識を『前脚』にたとえ、
  それに協力して前進する潜在意識を『後脚』にたとえたのである。

  ところが常に平地を歩むのに慣れている乗馬は、
  前脚の踏んだその足跡を精確に後脚が踏まないので、
  峨々たる峻峰を登るときに、乗馬の後脚は思わず
  『滑り易い傾斜面』を踏んで墜落することがあるので危険なのである。

  それと同じように、希望の山嶺を向かって登り行く現在意識(前脚)が
  意気洋々と進んで往っても、潜在意識(後脚に当たる)が失脚するような位置を
  踏むと、成功しかけている事業が突然失敗するようなことが起るのである。

  これをフロイドは『生活心理の錯誤』の中で、多くの失錯が潜在意識中にある
  『反対観念』によって起ることを無数の実例を挙げて分析しているのである。



◆希望實現の第12則 『他から同情や憐憫を求めてはならない』

  多くの慢性病患者のうちには、
  現在意識の中には「治りたい希望」で一杯であるけれども、
  潜在意識の中に「病気でありたい願い」を持っているために
  治らない人が随分あるのである。

  「病気である方が働かなくて、ノンビリ寝ていられる」とか
  「病気である方が人から同情される。人からいたわれる」などという
  潜在観念が随分、治癒の日数を長引かせるのである。

  それゆえに、希望実現の心の法則第12条は
  『他から同情や〃いたわり〃を求める念』を棄てることである。


◆希望實現の第13則 『罪の意識を払拭せよ』

  潜在意識の中に頑張っているところの『希望の実現を阻害する念』の中には
  人類に共通している『罪悪観念』というのがある。

  「自分は罪人であるから、あまり幸福であっては勿体無い」とか
  「自分は罪人であるから、苦しみによってその罪を贖いたい」という
  自己の幸福否定によって過去の罪障を消滅したいという観念である。

  真に人間が、幸福に、裕に、健康に生活しようと思うならば、
  自己の潜在意識の中にひそんでいる〃罪悪観念〃と、
  罪の消去のために苦しみを必要とするという〃自己処罰〃の観念とを
  取り去らなければならないのである。

  生長の家では『人間は本来神の子で、罪の子でない』という真理を
  『生命の實相』等の書物に繰り返し説いて、
  自己処罰による病気其の他禍の原因を消滅せしめているので、
  『生命の實相』を唯読むだけで病気が治る実例が出るのもこの理由によるのである。

  それ故に希望実現の第13か条は「罪の子」とか「罪悪深重の凡夫」とかいう
  自己処罰を伴う観念を消去することである。

    (https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/17754081.html

            <感謝合掌 平成30年10月3日 頓首再拝>

希望實現のための16箇条 ~その6 - 伝統

2018/10/16 (Tue) 03:56:05


         *「昭和43年、谷口雅春先生講演記録」より

希望實現のための十六箇条 (第14、第15)

     ◆清貧礼賛の心を棄てよ

  清廉潔白で実に潔らかな生活を送っている善人が貧乏で苦しんでいるような実例が
  随分ある。
  所謂、清貧礼賛型の人である。

  キリスト教の聖書に「富める者の天国に入る事の難き事、駱駝の針の穴を通るが如く」
  とイエスが教えられていることをその言葉通りに信じて、富む事を罪悪だと思って
  いるのである。

  そのような考えが、現在意識にでも一寸でもあるならば、想念は磁石的な力である
  から、磁石の陰極と陽極とが互に反発するように富を反発して自分に来させないよ
  うにするのである。

  希望実現の第14箇条は『清貧礼賛』の心を棄て去ることである。

  「富」というものは、それ自体〃中性〃のものであって、〃善〃もなければ〃悪〃で
  もないし、〃浄〃でもなければ〃不浄〃でもないのである。

  善人が益々富んで、その富を大いなる善行のために、人類福祉のためにそれを使え
  ば、それは貧乏な善人が、ただ山に篭って何事もなし得ないよりも、幾千倍の善業
  を積むことになり、このような「富」は〃善〃であり、また〃浄〃である。

  汚職を重ねて自分の私腹を肥やし、下劣な享楽や自己の虚栄のために、その「富」を
  蓄えかつ使うならば、そのような「富」は〃悪〃であり、〃不浄〃である。

  それ故、善人こそ益々富んで、その富を人類の自覚と福祉のために使って頂きたい。




     ◆他の人の幸福を喜んであげること

  希望実現の第15箇条は、
  他の人の幸福や成功や健康を、我が事の如く喜ぶことである。

  世の中には随分、他の人の幸福を羨んで、他の人が大いに儲けたら
  「あいつはきっと不正なことをしたにちがいなり」と思ったり、
  「も少しあいつが失敗したら俺の方が、もっと儲かったであろう」などと考える人
  があるものだ。
 
  これは他の人の幸福や成功を否定する心であるから、同時に自分自身の幸福や
  成功を否定することになるのである。

  仏教では人の喜ぶ心を〃四無量心〃の慈・悲・喜・捨のうちの第三にそれを数え
  ている。

  
  (https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/17766935.html

            <感謝合掌 平成30年10月16日 頓首再拝>

希望實現のための16箇条 ~その7 - 伝統

2018/10/19 (Fri) 04:58:19


         *「昭和43年、谷口雅春先生講演記録」より

希望實現のための十六箇条 (第16)

     ◆『明るい心』は希望実現の総括的条件である


  ある時、弟子が釈尊に向かって尋ねた。

  「人が誰かを憎んだり、呪ったりした場合、その憎しみや呪いの念を相手が
  受けなかった場合には、その憎しみや呪いの念は何処へ往って、どうなりま
  すか?」

  「お前は人が誰かの所へ贈り物を持っていった場合、相手がその贈り物を受
  けとらなかったら、その贈り物は何処へ行くと思うか?」

  「その贈り物を相手が受け取らなかったら、その贈り物は、贈り主のところ
  へ返ってきます」

  と答えた。 その時釈尊は

  「その通り、人が憎しみや呪いの念を送った場合、相手がそれを受け取らなか
  ったら、その憎しみや呪いの念は自分に返ってきて、自分自身を害すること
  になるのじゃ」

  他を憎しみ、他を呪えば、その憎しみ、その呪いが自分に返ってきて、自分
  を傷つけるのであるが、

  その反対に他を祝福し、他の人の幸福を祈り、他の人の成功を祈り、他の人
  の健康を祈れば、

  その祈りは自分に返ってきて、自分自身が祝福され、自分が幸福になり、自
  分の事業が成功し、自分自身の健康は増大するのである。

  そしてその祈りをなすとき、必ず明るい心をもって必ずそれが成就すると確信
  して祈るがよい。

  希望実現のすべての条件が整うとも、この『明るい心』を失ったら、その希望
  は実現しないかもしれない。


  あなたの希望を実現する第16箇条は『明るい心』をもつことである。



  毎朝、鏡に向かって、にこやかな笑顔をし
  『私はこのように幸福で楽しいのだ』 と思って明るい心になって、
  〃今日〃をお迎えなさい。 〃毎日〃をお迎えなさい。
  

  あなたが恋人に会いに行くような嬉しい明るい心をもって〃今日〃を迎えるならば 
  〃今日〃もまたあなたを恋人のような明るい嬉しい顔をして迎えるである。

  なぜなら、あなたの迎える世界はあなたの〃心の展開〃であるからである。
  

  (『生長の家』創始者 谷口雅春師 (昭和43年講演記録)
         https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/17778758.html )

            <感謝合掌 平成30年10月19日 頓首再拝>

切実なる願い - 伝統

2018/10/21 (Sun) 04:03:38


          *「光明法語(10月20日~21日)」より

強力なる願い

「切実なる願い」はきかれる。
切実とは単に「強力なる事」ではない。

深切真実と云う事である。
深切とは表面浅膚(せんぷ)の反対である。

流行を追い、虚栄を追い、時局に乗り、時流に投じ、世間の噂に動かされた其の結果
「こうしたい」と思う事は、如何なるものでも「強力なる願い」だと云うことは出来ない。

キリストはゲッセマネの園に於いて
「みこころならばこの苦き盃をわれより取去り給え」と血の汗を流して強く祈った。

併しそれは彼の切実なる願いではなかった。

・・・

切実なる願い

イエスの切実なる願いは「モーゼが金の蛇を竿の先にあげてユダヤ民族を神の怒りより
救った如く、みずからが十字架にかかって人類の罪の意識を身代わりとなる事」であった。

だから彼は「モーゼが蛇を挙げた如く、我れも挙げられるとき来らん」と預言した。
それは潜在意識の切なる願いであったのである。

併し現在意識の強き願いは、「この苦き盃をわれより取去り給え」であった。
現在意識の如何に強き願いがあるとも、潜在意識の中にその反対の願いがあると成就しない。

            <感謝合掌 平成30年10月21日 頓首再拝>

潜在意識と現在意識の食違い - 伝統

2018/10/23 (Tue) 04:47:46


          *「光明法語(10月23日)」より

吾々人間の潜在意識の願いには、実相本来の願い(既に実相に於いて与えられている本性)
そのものではない。「歪(ゆが)み」があるものである。

現在意識の願いが遂げられないのは、
潜在意識の願い(又は想念)がその反対であって邪魔をするからである。

戦争中、日本人は現在意識の願いは「勝ちたい」と云う事であったに拘らず、
潜在意識の願いは「海ゆかば水漬く屍(かばね)・靖国神社で会おうよ」(負けて死ぬ)
事であった。

そこに現在意識の願いと潜在意識の願いとに食違いがあったのである。

            <感謝合掌 平成30年10月23日 頓首再拝>

「十字の秘術」、よく効きます - 伝統

2018/11/10 (Sat) 03:25:56


         *Web:「ツキを呼ぶ感謝のことのはブログ」(2008年5月23日)より

「十字の秘術」と呼ばれる呪文がある。

古神道(陰陽道ともいわれている)として古くから我が国に伝わる
おまじないのひとつであるが、今はほとんど伝承されずに一部の人のみが
知っているにすぎない。

先日、ここで「願いを叶える秘法(呪文)」として
諏訪大社の建御名方神(たけみなかたのかみ)の秘法をご紹介したところ、
「願いが叶った」という連絡を数人の知人から続々といただいた。
 
さすがは、「たけみなかたのかみ」である。
 
願いごとは良きことも悪しきことも叶うはずなので取扱い注意である。
 
つけ加えておくと、人を悪くする願い事は自分への強烈な“返し”が
しばらくすると必ずあるので、やめたほうがいい。


「十字の秘術」のすべてを僕が知っているわけではないが、
そのうちのいくつかをご紹介する。とても簡単でよく効くので覚えておくと便利だと思う。

<人前であがらない、動じないようになる>

左の掌(てのひら)に「天」という字を指で書いて、
心の中で「日」「月」の2字を念じる。
 
誰が、何が現れようと心が動じない。
 
(先日、永田町で森義朗元総理と仕事の関係者4人で会った際に試してみたが、
効果を完璧。隣の社長さんはものすごく緊張したらしいので事前に教えてあげれば
よかったと少し反省)

 
<食当たり、食中毒にならないようにする>
 
左の掌に「命」という字を空書きし、心の中で「日」「月」の2字を念じる。
飲食やお酒を飲むときに毒を払う。

http://kansya385.blogspot.jp/2008/05/blog-post_23.html

            <感謝合掌 平成30年11月10日 頓首再拝>

その人に適する願い - 伝統

2018/11/12 (Mon) 02:45:28


       *「光明法語」(11月12日の法語)より

グレンクラーク教授が、まだ『魂の切なる願い』の著書を発表せず
生活が楽でなかった頃、8ドル70セントの鉱石式ラジオを、
家庭の和楽や知識の増進の為に欲しいと思った。

それは「それがなければ死ぬ」と云う程切実なものではないが、
それでなくとも此の程度の
願いは「その人に適する願い」として与えられるものなのである。

否、既に与えられているのである。

それが現実に現れて来るには、祈りによって心の波長を
「既に与えられている実相」の波長に合わす事である。

            <感謝合掌 平成30年11月12日 頓首再拝>

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