伝統板・第二

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機会(チャンス) - 伝統

2016/11/29 (Tue) 03:32:12

時々刻々が《機会》である

        *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月29日)より

人間の一生涯の時間を平均35万時間だと計算した人がある。

フランクリンは

「君は自己の生命(せいめい)を愛するか。
然らば、けっして時間を浪費してはならない。
なぜなら時間こそ君の生命(せいめい)が造られている実質であるから」

と言ったということである。

時間の貴重さは、『生命の實相』の生活篇の第一章にも書かれていることであって、
空費されたる時間は再び取り返すことができないのである。

時間を空費する者は時間を殺しつつあるのであり、
時間を殺しつつある者は自分の生命を殺しつつあるのである。

無駄に過ごされる時間に、何が行なわれつつあるかといえば、その間(かん)に
人は健康を失いつつあり、若さを失いつつあり、人格がもっと輝き出るはずのものが
失われつつあり、学識経験からもっと広くなるはずのものが失われつつあり、
掴(つか)めばすばらしい幸運がひらけてくる機会を放棄しつつあるのである。

機会なしと言うことなかれ、心さとき人々にとっては時々刻々が機会であり、
時々刻々の機会に心の練(ね)れていないものは、画期的な大機会が来たときに、
それを迅速に掴むことができないで、あたら、見逃してしまうのである。

これを大音楽家ハイドンの例に見よ、彼は貧しき馭者(ぎょしゃ)の家に生まれ、
ある音楽教師の下(もと)に走り使いをする小僧として雇われたのである。
しかし彼はその間(あいだ)にも時間を無駄にしないで音楽の知識を吸収するにつとめたのである。

彼の外見的な不幸はなおつづいた。彼はウィンナ(=ウィーン)で理髪小僧になったのであるが、
その間(あいだ)にも彼は音楽の勉強と、自己改造と機会を捉えることに時間を空費することは
なかった。

彼はある日店に来た市の有力者の靴が埃によごれているのを見てその靴をただ深切の気持ちで
磨いてあげたのが機会となって、その人と知合いになり、そこに機会が掴まれたのである。

1798年この憐れなる少年の作曲「天地創造」が楽壇に紹介されるや、
永遠に沈まない太陽の光のような華やかな讃嘆の声にとりまかれたのである。

彼はかくて世界的音楽家となり、皇帝、皇后と食事をともにし、王子たちに取り巻かれる貴族の
ごとき生活を送るにいたったのであるが、この貧苦と貧乏のうちで時間を空費することなく作曲
された「天地創造」こそは彼の全生涯八百有余の作曲のうち最も大なるものだと言われているのは
何を語るであろうか。

皇帝と食事をともにする栄誉も世界的大作曲家としての栄誉も
貧しき「無(な)き時間」のうちに自己訓練して得た成果であるということである。

ローマは一日にして成らず、
最大の栄誉は「無(な)き時間」を活かして自己訓練するところから得られるのである。

         <感謝合掌 平成28年11月29日 頓首再拝>

総ての機会を与えられている - 伝統

2016/12/14 (Wed) 04:43:56


         *「苦難と恐怖の克服法(人間救いの原理)」第2章より

人生に出て来る経験は實に同じものは二つない、
實にそれを享受するのは絶好の機会であり、
吾々はそれを享受することを人間の特権として悦び受ける覚悟がなければならないのです。

如何に吾々の人生が退屈であろうとも如何に苛辣に吾々の環境が閉ざされていようとも、
それはすべて心の法則によるのであって、特にある特定の人々のみを
神は愛し給うのではないのです。

それは実業界の大立者にも、総理大臣にも、会社員にも、
いと小さき雇人にも当てはまるのです。

そこには自分自身の「心」に似た環境が附きまといます。
環境は心の法則に随って顕れ、法則は神が我らのために普遍的姿を
あらわし給うたもので、利用厚生に役立つように現れているのです。

科学界の成功者が法則の完全なる利用者であるように、
人生の体験に於いては「心の法則」の完全なる利用者が、
より高き魂の進歩を勝ち得るのです。

吾々が何をしようとも、何処に居ろうとも、如何なる立場に置かれようとも、
吾々の前には神が「法則」といういと従順な姿で吾々にサービスし給うべく
顕れていられるのです。

「与えよ、然らば与えられん。」
「審判くなかれ、汝も審判かれん。」
「自分自身の心の角で怪我をするな。」

「笑う門に福来る。」
「泣き面に蜂が螫す。」

「奪う者は奪われん。」
「侵略する者は侵略せられん。」

諸君がどの道を選ぶかは自由であるが、
法則は算術のようにハッキリと答えを示してくれるのです。

諸君は法則によって何を選び取るか。

どちらにせよ、総ての機会を与えられているのです。

(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理②>(2016年09月30日)より、抜粋。
  「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=550 )


         <感謝合掌 平成28年12月14日 頓首再拝>

ピンチをチャンスに変える言葉 - 伝統

2016/12/27 (Tue) 03:49:52


声に出して言いたい、ピンチをチャンスに変える「魔法の4文字」

        *Web:MSG2NEWS(ビジネス2016.12.13)より

ピンチのときに使う言葉

ピンチはチャンス、という言葉がありますよね。
しかし、残念ながら目の前の現実が一気にチャンスになる! なんてことはありません。


それではいったいピンチはチャンス、とは具体的にどういったことをいうのでしょうか?
ピンチをチャンスに変えるには具体的になにをすればいいのでしょうか?

ピンチな状況にはもちろんのこと感じ方、捉え方によって個人差はありますが、
ほとんどの場合、落胆したり、自己嫌悪になったり、 自責の念にかられたりします。
そして、どんどんとネガティブな方向へ気持ちが向きます。

これは誰しもがそうなることなので、さほど問題ではありません。


問題なのは引きずり過ぎることや原因ばかりにとらわれ、責めすぎることです。
そうすると、ピンチから脱しようとしても、

「どうせ上手く行かない」
「どうせやっても無駄だろうな」
「なんでこんなことになってしまったんだ」

などと、ネガティブなオーラに包まれたまま負の連鎖が生じ、
ピンチから脱することが益々しんどくなってしまいます。


ですので、ピンチから脱するには、そのピンチという事実をどう考えるか?
どう捉えるか? がとても重要となってきます。


たとえば、社員に今月の給料が払えないほどの状況にいるとします。
明らかに大ピンチです。

こうした時に

「なぜこんなことになってしまったのか?」
「どうしてあの時、手を打たなかったのか?」
「この先一体どうなってしまうんだ。」
「やっぱり俺には社長業は向いてないのか?」

などと、それまでのことを後悔したり、未来の不安を感じます。

こうしたピンチに対して、原因を追求したり、後悔するばかりだけでは
状況は一向に良い方向へ向かいません。


なので、ピンチである事実、その意味を考えるようしてみるのです。
今のこのピンチという状況には、「何かしらの意味がある」と疑うのです。

自分の殻を破り一回り成長するための試練かも?
社員が一致団結するかどうかの試練かも?
会社が飛躍を遂げるために超えなければならない試練かも?
これまでのやり方を捨て、新たなものを築き上げる機会かも?

など。結論付けなくても、こうした考えや解釈を1つでも持つことで、
ピンチであるという現実を受け入れ、冷静にその現実に対しての対処・施策・献策を
講じることが出来ます。

「いやっ、そんなことはわかってるよ。
でも実際ピンチになればそういう考えになれないから困るんじゃないか?」

なんて反論の1つや2つがありそうですが…。


それならば、こういうのはどうでしょう?

ピンチになったとき、「せっかく」という言葉を実際に口に出すのです。
ウソでもいいから強制的に出すのです。
言霊というものがありますが、口に出すことで自分自身に暗示をかけることができます。


「せっかく」という言葉を出すとわかりますが、
このあとに続くのは「せっかく○○なのだから…」となります。

そして、「○○なのだから…」のあとには、「こうしよう」という言葉が続いてきます。
つまり、「せっかく」という言葉を発することによって、
最後は建設的で前向きな表現になるということです。


たとえば、
「せっかくこんなにも酷い状況に陥ったんだから、この際、思い切ったことをしよう」とか、
「せっかく給料も払えない状況なんだから、それでも俺についてきてくれるスタッフが
いるならば一生守ってやろう」。

少々強引で日本語的におかしくなるかも知れませんが、
ピンチになったときにこそ言葉を選び口に出してみましょう。


これが「せっかく」ではなくて「やっぱり」とか「どうせ」とか「なんで?」
という言葉を使っているとピンチから脱することはありません。
これは自分以外、他人に対しても同じです。


たとえば、同僚がミスをして酷く落ち込んでいるとします。
励ますにも色々あるでしょうが、「せっかくミスしたんだったら、
この際、もう同じミスを二度としないようにするにはどうすりゃいいか
考えることができるはず。いい機会だよ」って伝えるのと、

「なんでミスをしてしまったんだ?」
「やっぱりミスをしたのか。」
「どうせミスをするに決まっている。」

「なんで」「やっぱり」「どうせ」を頭に使ってしまうのとでは全然違います。
「なんで」「やっぱり」「どうせ」は、悪気はなくても相手をさらに追い込んでしまいます。


他人のピンチにも「せっかく」という言葉を使いチャンスに変えてあげるようにしてみましょう。

また、「せっかく」という言葉は、
「せっかく○○なのだから」「せっかく○○してくれたのだから」
と感謝を感じることのできる言葉でもありますので、
ピンチのときに「せっかく」を使うことでピンチという状況にも感謝することができます。

ピンチを感謝することができれば、自ずとチャンスは見えてくる、そういうものです。

ということで、ピンチの時には「せっかく」という言葉を発してみましょう。
そのとき、ようやくピンチがチャンスに変わります。


《まとめ》

『ピンチのときには「せっかく」という言葉を使う。』

現在、未決の問題や課題をノートに列挙する。
列挙したことに対して「せっかく」という言葉を使い、
その問題や課題を与えられている意味を考える。

上記を踏まえ、問題や課題を解決するためにやるべきことを考えノートに書き出す。

   (http://www.mag2.com/p/news/231286?utm

         <感謝合掌 平成28年12月27日 頓首再拝>

【17歳のチャップリンは僕らにこういうだろう】 - 伝統

2017/01/11 (Wed) 03:24:12


         *メルマガ「人の心に灯をともす(2016年12月03日)」より

   (真山知幸氏の心に響く言葉より…)

   チャップリンは6歳にして貧しい人々のための施設「貧民院」に入所したため、
   まともな学校教育を受けることができなかった。

   芸人だった父は酒乱で、チャップリンが1歳のときに離婚。
   安いアパートの屋根裏部屋での生活は、母の歌手としての収入だけで成り立っていた。

   チャップリンが舞台に立ったのは5歳のとき。

   急に舞台で声が出なくなった母が、観客からの激しいヤジで
   袖(そで)に引っ込まざるを得なくなり、その代役として舞台に送り込まれたのが、
   そもそもの始まりだった。

   わずか5歳で舞台に立たされるなんで、緊張して泣き出してもおかしくない状況だが、
   チャップリンはオーケストラの演奏をバックに、当時流行していた曲を堂々と歌い始める。

   歌の途中で、客席からお金が次々に投げ込まれると、
   チャップリンは「お金を拾ってからつづけます」と歌を中断してお金を拾い始めた。

   すると観客は大笑い。


   母の喉は回復することはなく、この舞台を最後に引退。

   生活はさらに苦しくなり、仕送りを気まぐれに送ってきていた
   父親も37歳で他界してしまう。

   その後、母も病に倒れるなど、次から次へと人生の困難が、
   若きチャップリンに降りかかってきたのだ。


   チャップリンは自伝で、次のように書いている。

   「新聞売子、印刷工、おもちゃ職人、ガラス吹き、診療所の受付、等々と
   あらゆる職業を転々としたが、その間も(異父兄の)シドニィと同様、
   俳優になるという最終目標だけは、一度として見失わなかった」

   チャップリンは仕事と仕事の合間に、俳優事務所を訪ね歩いていた。

   「14歳だ」と告げると、相手はみな驚いたが、実際の年齢は12歳だった。

   年上にサバ読んだつもりだった。


   ある日、そんな努力がついに実って、チャップリンは
   『ロンドン子ジムのロマンス』『シャーロック・ホームズ』の芝居で、
   少年役を務めることになった。

   40週にわたる地方巡業。

   何もかもが初体験だったが、チャップリンの演技は
   観客だけではなく、仲間からも評価された。


   いくつかの寸劇を行いながら、大きなチャンスが巡ってきたのは、17歳のときだ。

   イギリスの劇団のオーナーから、『フットボール試合』という芝居で、
   ハリイ・ウェルドンという当時人気を博したコメディアンと同じ舞台に立つ
   チャンスを与えられたのである。

   「どうだ、『フットボール試合』でハリイ・ウェルドンの相手役がやれるかね?」

   突然、転がり込んできたチャンス。


   チャップリンは戸惑うことなく、堂々とこう答えた。

   「ええ、私に必要なのは、チャンスだけです」


   オーナーも初めはどこまでやれるのか半信半疑だったが、
   2週間のテストの結果、チャップリンは見事に合格した。

   初舞台では、当時珍しかった「後ろを向いて登場する」というアイデアで
   注意をひきつけて、振り向けば真っ赤な鼻をつけた姿で驚かせた。

   つかみで笑いをとれば、後は得意のドタバタアクション芸で、
   観客を笑いの渦へと巻きこんでいった。

   主演を完全に食ってしまうほどの活躍ぶりで、
   評論家たちはこぞってチャップリンを絶賛。

   大きなインパクトを与えた。


   チャップリンが秀でていたのは、
   いつでも「チャンスされあればやれる」というように準備をしていたことだ。

   さまざまな職業で生活資金を稼ぐ一方で、舞台で場数も踏み、経験を積んでいた。

   環境や他人のせにすることなく、ただ自らの才能を信じて前に進み続けたのである。


   《「17歳のチャップリンは僕らにこういうだろう」 
   チャンスは突然やってくる。 チャンスが来てから準備していては遅い。》

        <『君の歳にあの偉人は何を語ったか』星海社新書>

              ・・・

野球のイチロー選手の名言がある。

『準備というのは言い訳の材料となり得る物を排除していく、
そのために考え得る全ての事をこなしていく』

『しっかりと準備もしていないのに、目標を語る資格はない。』

『小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くただひとつの道』


何一つ準備をしていない者には、チャンスは永遠に訪れない。

仮に、大きなチャンスが降ってきたとしても、準備をしていない者にはそれが見えない。


「とんでもないところに行くただひとつの道」

たとえ今出番がなくても、準備を怠りなくする人でありたい。

         <感謝合掌 平成29年1月11日 頓首再拝>

【チャンスはいたるところにある】 - 伝統

2017/01/25 (Wed) 03:14:07


         *メルマガ「人の心に灯をともす(2017年01月20日)」より

   (ジェリー・ミンチントン氏の心に響く言葉より…)

   「チャンスは一度しかめぐってこない」とよく言われるが、
   それはまったく事実に反している。

   おそらく、想像力の乏しい悲観論者の考え方だろう。

   実際は、あなたの周りにチャンスはいくらでもころがっている。

   ただ、よく注意していないので気がつかないだけなのだ。


   では、どうすればチャンスが見つかるだろうか?

   イギリスの名宰相チャーチルは

   「悲観論者はチャンスの中に困難を見るが、楽観論者は困難の中にチャンスを見る」

   と言っている。

   アインシュタインも同じ意見で、

   「困難の中にはチャンスが隠されている」という言葉を残している。


   チャンスはいたるところにある。
   積極的にチャンスを探そう。

   最も簡単な方法は、身近なニーズを見つけてそれを満たす工夫をすることだ。

   実際、一部の人はこの方法を絶えず実践して成功をおさめている。


   チャンスが到来するのをじっと待っていてはいけない。
   チャンスは自ら見つけるものなのだ。

   発明王エジソンが面白いことを言っている。

   「ほとんどの人がチャンスを見逃してしまうのは、
   チャンスが作業服を着ていて、いかにも大変そうに見えるからだ」


   《常にアンテナを張りめぐらせて社会のニーズを見つけよう。
   どれほど困難な状況でも、必ずチャンスはある》

          <『自分の価値に気づくヒント』ディスカヴァー>

                ・・・

幸運は不幸の顔をして現れるという。

運やチャンスも同じで、困難や大変そうな中に隠れている。


実際、あの大変な出来事があったから、今の自分がある、と後になって思えることは多い。
だが当たり前の話だが、
その困難や大変なことから逃げている人には、チャンスは永遠に訪れない。


嫌なことがあったとき、「これは後でネタになる」と思えるかどうか。
自分がそれを乗り越えたとき、ネタとして話すことができる。

そうほんとうに思っている人は、その困難なことをちゃんと記録しておく。

自分が壇上に上がって講演するときのイメージを
ありありと思い浮かべることができるからだ。


「チャンスはいたるところにある」

困難の中にチャンスを見つけ出せる人でありたい。

         <感謝合掌 平成29年1月25日 頓首再拝>

心が若ければ常に機会がある - 伝統

2017/02/07 (Tue) 04:48:29

《80歳なお若年である》

           *「光明法語」(2月7日)より

68歳になる老人が 私に、『もう此の年になってからは私には機会は到底ないのです』。
こう言って嘆いた。
こう云う人は地上にもう用事のない人である。

機会は余所(よそ)にあるのではなく、自分の心の中にあるのである。
心が若ければ人間は青年と同じように常に機会がある。

30歳で若死にする青年のことを思えば70歳になっても、
尚、百歳を生きる自覚をもっておればまだまだ機会はあるのである。

私の老母は80歳になっても山に柿の種子を植えて『この柿の實るのを楽しむ』と言われた。

         <感謝合掌 平成29年2月7日 頓首再拝>

《機会は凡(あら)ゆる処(ところ)にある》 - 伝統

2017/02/22 (Wed) 04:29:54


        *『 生長の家 』(昭和24年8月31日の法語)より

   どんな機会にも ちゃんと用意が出来ているのが
   神の子の生活である。

   世界には無数に門がついていて
   そこから誰でも入って
   成功を獲得することができるのである。

   しかし門があるということに気がつかぬものは
   何時(いつ)までも入ることはできないのである。

   門の存在を知り、
   そして 門を叩(たた)くことである。


   http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12875205.html

         <感謝合掌 平成29年2月22日 頓首再拝>

機会に焦点を合わせよ - 伝統

2017/03/10 (Fri) 03:39:12

成功は「機会の活用」で決まる~連戦連勝だったカエサルの戦略思考

       *Web:ダイヤモンド・オンライン( 2016年3月28日)より


【法則2】戦闘で負けないことより機会に焦点を合わせる

   なぜカエサルだけが、どんな敵にも勝てたのか?
   ハンニバルのカルタゴ軍が敗北して、ローマは領土をさらに拡大。
   三頭政治で彗星のように出現したカエサルは、現在のフランスに位置するガリア地方で
   多くの民族と戦い、全土を征服する。

   なぜカエサルは、どんな敵にも勝つことができたのか。


《英雄カエサル、ローマで内乱を起こす》

連戦連勝したハンニバルですが、ポエニ戦争はカルタゴの敗北で終わります。
ハンニバルの強さに気づいたローマは戦略転換を図り、ハンニバルがいない敵軍とだけ戦い、
ハンニバル軍を避けてイタリア外のカルタゴ勢力を壊滅させたからです。

直接戦闘では無敵のハンニバルも、ローマの仕掛けた総力戦に次第に勢力を削られ、
最後はカルタゴ本国へ侵入したローマ軍を追い、ザマの戦いで敗北を喫します。

ザマの戦いから約100年後、ユリウス・カエサルがローマで生まれます。
40歳で三頭政治家の一人となり、2年後にガリア地方(現在のフランス周辺)総督となり
ガリア戦争を開始。ローマ支配に反旗を翻した地方部族に勝利を重ねます。

共和政ローマでは三頭政治と元老院がバランスを取っていましたが、
三頭政治家の一人クラッススの戦死で、もう一人のポンペイウスと元老院が結託。
ガリア戦争で英雄となったカエサルを排除しようと目論みます。

元老院がカエサル軍の解散を命じるも、カエサルは拒否。
彼を「国家の敵」と宣言した元老院に対抗して、
カエサルは祖国ローマに向けて軍事侵攻を開始します。

紀元前49年、イタリア本土に進攻するためカエサルはルビコン川を渡りました。
ポンペイウスと元老院は、カエサルの支持者が多いローマでは不利と判断して南方へ移動。

カエサルは彼らを追撃してスペインで元老院側を撃破するも、
北アフリカでは配下のクリオ軍が全滅します。

紀元前48年にはファルサルス(現在のギリシャ)でポンペイウス軍と激突。
敵の行軍形態を見てカエサルは素早く対策を講じて、右翼からの攻撃で敗走させます。

カエサルはポンペイウスを追ってエジプトに入り、美しい女王クレオパトラと出会い、
女王の敵プトレマイオス13世を倒します。

紀元前45年にポンペイウス派の残存勢力も一掃しますが、
翌紀元前44年3月に元老院の議場内でブルータスに暗殺されます。


《成功は戦闘そのものにではなく、機会を上手くつかむことにある》


カエサルは幅広い種類の敵に、異なる戦場で勝利し続けた稀有な人物です。
彼の戦略眼を示す言葉を、カエサル自身の著作『ガリア戦記』から紹介します。


「成功は戦闘そのものにではなく、機会を上手くつかむことにある」
                (『ガリア戦記』講談社学術文庫版より)

カエサルにとって「機会」という言葉は何を意味したのでしょうか。
「機会」とは、勝利を待ち構えて先回りできるチャンスをつかむことです。

ある情報に接したとき、彼は「その動き(情報)の行き着くところ」を読み、
優位な場所を自軍が先回りして手に入れることで度々勝利しました。

ゲルマニア人との戦闘では、敵将アリオウィストゥスの動きから、
別の部族(スエビ族)との合流を防ぎ、戦争に必要な食糧の他、物資が豊富な
ウェソンティオ城市を奪取するため、カエサルは昼夜兼行で進軍して占領し
守備隊を先に置いてしまいます。

ベルガエ人との戦争では、他の部族から情報を収集し、ベルガエ人の軍隊が集結しつつある
と知ると、食糧補給の段取りをつけた瞬間に出発。あまりにカエサルの到着が早いので、
ベルガエ人の一部部族は戦闘を諦めてすぐに降伏したほどでした。


彼の勝利を支えたもう一つの秘密は、適切な場所への砦(城塞)の構築でした。

ガリア戦争のクライマックスで、敵のリーダーのウェルキンゲトリクスを
アレシア城市に追い詰めたときのこと。

丘の上にある城市の中に立てこもる敵は8万人、包囲するローマ軍は5万人、
またリーダーの危機を知ったガリア部族は総力25万人で救援に駆けつけました。

ローマ軍は長さ20キロを超える包囲城塞を築き、内側と外側からの敵を受け止め、
最後はローマ軍の勝利に終わります。この勝利は、極めて強固な城塞をカエサル軍が
1ヵ月をかけて完成させていたことによってもたらされました。


《徹底して機会に焦点を合わせよ》

カエサルの姿勢を「機会活用戦略」と呼ぶならば、どんな特徴があるのでしょうか。

☆カエサルに学ぶ機会活用の実践

・(これから)戦場となる場所に最速で到着し優位を占める。
・(これから)必ず必要になる物資を押さえる。
・(これから)必ず通過する場所に強固な自軍の砦を先に築く。


ビジネスでも先行者優位という言葉があるように、最初に新カテゴリーの製品を発売したり
、一番にサービスを展開する企業は広く消費者に認知されるチャンスを得ます。
必ず必要になる物資を押さえるとは、戦争でいえば資材や食糧、兵員のことになりますが、
ビジネスでは特許などの知財、小売では利便性の高い立地などを意味します。

「スマホのインテル」の異名を持つ米クアルコム社は、
通信用のベースバンドプロセッサで2014年には世界シェア六割を超える企業です。
同社の躍進はCDMAという通信技術の開発で成し遂げられました。
携帯端末が高速通信(3G)に移行する際に、同社のCDMA方式が広く採用されたからです。

Wi‐Fi技術を持つ企業の買収などでスマホに関連する知財をがっちりと押さえて、
スマホの利用者が世界的に広がることが同社の収益向上に直結するように
ビジネスが組み立てられています。

クアルコムは旧世代の携帯端末ビジネスでは、競合他社に苦戦した経験を持ち、
3Gへの移行を機会として照準を合わせていました。

これは次の会戦に必要な物資(技術)を押さえ、
通行する消費者が大量に増える道に強固な砦を築くことに似ています。


《起業家ビル・ゲイツ氏に見る機会活用戦略》

世界長者番付で13年連続の一位だったビル・ゲイツ氏は、高校時代から当時普及し始めた
コンピューターにのめり込み、ハーバード在学中に友人のアレンと大手企業に
プログラムを売り込むも、最初は上手くいきませんでした。

しかし1974年に新発売のコンピューター「アルテア」が雑誌に掲載されているのを見て、
二人は衝撃を受けます。

「それに気づいた瞬間、二人はパニックに襲われた。『ああ!?オレたち抜きで始まっている!?
皆がこのチップのために本物のソフトフェアを書き始めるぞ』(中略)。

PC革命の第一ステージに参加するチャンスは一生に一度しかない――私はそう考え、
そしてそのチャンスをこの手でつかんだ」(ウィリアム・ダガン『戦略は直観に従う』より)

二人はアルテアの販売元MITSに電話をかけ、
このPC上で作動するBASICプログラムを開発中だと話しました。
この電話で相手の興味を引き、6週間後に契約に成功します。

この体験から、ゲイツは次の洞察を得て大富豪になるための機会に先回りをします。

「ハードウェアが安価になり、高性能なソフトウェアがハードウェアより重視されるように
なれば、至るところにコンピューターが普及するだろう。われわれは他社が安価なハードウェア
を販売することに賭け、他社に先行してソフトウェア開発の会社を設立した」(前出書より)


ゲイツは自ら体験したことから、コンピューターが世界的に普及してハードが低価格になる
と予想しました。彼はこの機会に先回りしてソフトウェア会社を設立し、
勝利を待ち構えることができる優位点を誰より早く占領したのです。

機会活用戦略を知る者は、ある情報やトレンドから事態の「行き着く先」を予測して
勝利を待ち構えることができる場所を独占します。

これはまさにカエサルの得意技でした。
先行者利益を確実に得るためには、特許を含めた知財戦略、また立地や人材が最優先となる
ビジネスではそれらをしっかり押さえなければなりません。

これはカエサルが戦う前に優位な地を選び、食糧を押さえ、
必ず強固な砦をつくったことに似ています。


今の情報による流れはどこに行き着くのか。
最終的にどんな展開と結末になるのか。
事態を傍観するだけでは、勝利は目の前を素通りしてしまいます。

機会を上手くつかむためには、カエサルのように、
流れに先回りして勝利を待ち構えることが不可欠なのです。

   (http://diamond.jp/articles/-/88180

          <感謝合掌 平成29年3月10日 頓首再拝>

《時機を逃がさぬこと》 - 伝統

2017/03/25 (Sat) 04:56:54


         *『幸福を招く365章』第1項(P15) より

今、行って安全確実なことでも、1分後には危険きわまることがある。
踏切の通過でもそうであるが、ある事業を行うのでも商品の売買でも同じことである。
こうしてある人は失敗して破産し、ある人は1分の相違で大儲けして成功する。

今になすべきことを次に延ばすな。

一つの仕事または返事をたった1日延ばした為に
それに関連した多くの事件が幾十日も延びることになり、
ついにその計画が腐ってしまって台なしになることもあるのである。

目の前にある仕事を忠実に履行せよ。

然らば、それが次の大いなる成功の足場となるのである。

          <感謝合掌 平成29年3月25日 頓首再拝>

《神と共に行為する者は常に機会がある》 - 伝統

2017/04/12 (Wed) 05:02:46


           *『生長の家』(昭和24年11月19日の法語)より

   到(いた)る処(ところ)に機会がみちているのである。
   自分にとっては機会は無限である。

   時々刻々一挙手一投足、神が自分を通じて表現し給わんとする
   よき機会であるのである。

   自分は神と共に何事をもなすが故に
   決して失敗するということはないのである。

   神は決して自分の力にできないような難問題を
   課し給うということはないのである。

   どんな難問題と雖(いえども)自分に与えられた問題は
   必ず自分の力で解決することができるのである。

   なぜなら自分の力は自分の力ではなく
   神から与えられた力であるからである。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

          <感謝合掌 平成29年4月12日 頓首再拝>

【「困った」の次には何かいいことがある】 - 伝統

2017/04/28 (Fri) 04:48:18


            *メルマガ「人の心に灯をともす(2017年04月25日)」より

   (萩本欽一氏の心に響く言葉より…)

   成功っていうのは、安全な道にはないんです。
   安全な道には、失敗もない。

   でも、大成功というのは、ひじょうに危険な道にしかない。

   どうして危険な道が大成功なのかというと、危険な道はめったに人が通らないから。

   だから、大成功なんだよね。


   困った時に「ああ、困った、俺ってなんて情けないんだろう」って言う人には、
   運は来ないの。

   運っていうのは、困った時に
   「困ったはチャンスかもしれない」と言いう人にしか来ないんです。

   でも、10人のうち9人は「困った」って言うんですよね。

   だから、これまでの歴史を見ても、世の中で大成功をおさめる人っていうのは、
   全体の1割くらいでしょう。


   人間て、いつも困るようにできてるんです。
   で、10人のうち9人は困ったから逃げちゃうんだよね。

   「困った、困った」って言いながら、逆に運のないほうに行ってしまう。


   たとえば、会社で窓際に行かされたら、
   「自分は会社で認められてないんじゃないか」ととるわけですね。

   「認められてないんじゃあ、もうダメだ」って。

   で、会社を自分からやめて、もっと困っていく。

   それが9人ですよ。


   でも、そのなかにひとり、「困った」という言葉を使わない人がいるんです。

   窓際に行かされても、「自分は必要じゃないんだ」とか、
   そういう言葉はないんだよね。

   「窓際でお休みしろっていうことは、これは転職しろっていうことかな。
   ということは、俺にとって今がチャンスなのかもしれないな。
   じゃあ、そっちをちょっと考えてみるか」って、この機会に逆に踏ん張る。

   その1人が成功していくんじゃないの。


   だから、みんなが「困った、困った」って言ってる時は、
   僕は逆に「何かいいことがあるぞ」って思う。

   これまでだって、困った後に、大成功にぶち当たってる。

   とんとん拍子に行って大成功じゃないですよ。

   全部、困ったの次が大成功。

   その繰り返しだった。


   テレビの番組だって何度も外してるけど、そのたびに、
   「ああ、エライことになっちゃった。この困ったを困ったじゃなくしなければ」って、
   思いながらやってきた。

   でも、希望もすごくあった。

   「よし、これはきっと、次に何かいいことあるに違いないぞ!」って。

         <『人生にはチャンスが三度ある』ビジネス社>

                ・・・

「ピンチはチャンス」という言葉がある。

「幸せは、不幸の顔をしてやってくる」という言葉と同じで、
チャンスもピンチの顔をしてやってくる。

ピンチのときそこであきらめてしまうか、
ここを乗り切れば次にすごいチャンスが待っている、と思うのか。


すべての「困った」ことの中には、チャンスが隠されている。

世の中の成功した新しい事業のほとんどは、
この「困った」ことを解決した先にあるからだ。


「困った」という言葉を使わない人は、何か打つ手があるはずだ、
解決する方法があるはずだと、どんなに苦しいときでもグチや泣き言を言わないし、
参ったと言わない。

『「困った」の次には何かいいことがある』

「困った」ことから逃げずに、チャンスを見つける人でありたい。

          <感謝合掌 平成29年4月28日 頓首再拝>

《世の中に行き詰りはない》 - 伝統

2017/05/11 (Thu) 03:15:13


          *『生長の家』(昭和24年11月26日の法語)より

   すべての事情が行き詰って来たと見える時にも、
   本当の行きづまりというものは決して存在しないのである。

   行きづまりと見えるものは新しき道の開ける始めである。
   神の与え給うた好機会が今自分に開かれつつあるのである。

   行きづまった時には、神が方向転換を教え給うているのである。
   余り昔の習慣に縛られていてはならないのである。

   もし神の無限の愛と無限の智慧と無限の力とを信ずることが
   できるならばどんな変化が起って来ようとも、それは唯 良くなる
   外に道はないと受けとることができるのである。

   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=102

          <感謝合掌 平成29年5月11日 頓首再拝>

【神様が“ひいき”したくなるような人】 - 伝統

2017/05/23 (Tue) 03:49:16


       *メルマガ「人の心に灯をともす(2017年05月12日)」より

   (人材教育家、井垣利英氏の心に響く言葉より…)

   チャンスというものは人にいただき、自分でつかむものです。
   ぼんやり待っていてるだけではチャンスはやってきません。
   「棚からぼたもち」なんてないのです。

   では、チャンスをつかむためにはどうしたらいいのでしょうか?

   そのためには、自分を導いてくれる人、自分よりも上にいる人に
   可愛がられることが必要です。

   これがない限り、チャンスなんて絶対に来ません。


   「チャンスが来ない」と言っている人は、
   この肝心な「上にいる人に可愛がられる努力」をしているでしょうか?

   その努力をしていないのに、チャンスをもらえるはずはないのです。

   ここをわかっていない人がたくさんいます。


   もし不平不満があるのならば、まず上の人に可愛がられる努力をしてください。

   この努力というのは、ゴマをすることではありません。

   上にいる人ほど、「ゴマをすられている」と分かりますから、
   そんなことをしても意味はありません。

   可愛がられるということと、ゴマをするということは全く違います。
   ここを間違えないでください。

   いくら自分で「能力がある」と思っていても、
   チャンスをくれる人が認めてくれなければ能力がないのと同じです。

   これはすごく重要なことです。


   では、どうしたらいいのかということですが、
   人から認めてもらうためには、仕事に役立つ勉強と、
   可愛がられる努力の二つをすることが大切です。

   どちらか一方ではダメです。

   二つともやってくださいね。

          <『仕事の神様が“ひいき”したくなる人の法則』致知出版社>

                 ・・・

もし、自分が神様だったらどんな人を「好きになる」か、「ひいき」するかを考えてみる。

空の上から俯瞰(ふかん)して、人々をじっと見るのだ。

神様からひいきされる人は、

いつも明るい「笑顔」があり「文句や愚痴を言わない」、
「使う言葉が前向きで肯定的」、「可愛げや愛きょうがある」、
「向上心があり勉強熱心」、「感謝が多い」、
「楽しそうに生きている」人たちだろう。

この反対の「いつも仏頂面(ぶっちょうづら)」で、「文句や愚痴が多く」、
「否定的なことばかり言う」、「不機嫌」、「なげやりで勉強嫌い」、
「不平不満・悪口・泣き言が多い」、「つまらなそうに生きている」ような人は、
神様から可愛がられない。


人間世界も同じだが、上からじっと見ていると、
可愛がられる人か、可愛がられない人かはよくわかる。

自分しか見えていない人は、
自分が一番がんばっていて、苦労していると勘違いしている。

そして、自分のことしか言わない。


神様が“ひいき”したくなるような人になりたい。

          <感謝合掌 平成29年5月23日 頓首再拝>

《人の捨てた処(ところ)に自分の 「 機会 」 がある》 - 伝統

2017/06/08 (Thu) 04:22:36


          *『 生長の家 』(昭和24年9月2日の法語)より

   機会というものは始終吾々の周囲にあるのである。
   エヂソンもフォードもそれを手近な処から発見したのである。
   
   まずそれを発見するには、この世界には何が欠乏しているか、
   何が求められているかを知ることである。

   そしてその欠乏しており、求められているものを供給してやるようにしてやれば、
   富が出来るのである。

   多くの運のいい人は人が捨てたものを拾って自分の富とするのである。


   ミケランヂェロはフローレンスの町にごもくの中にすてられていた
   一片の型のくずれた大理石を見出してそれに彫刻し始めたのである。

   それは下手な未熟な彫刻家が鑿(のみ)で彫りそこなって傷つけて
   すててしまったものであった。

   多くの彫刻家はミケランヂェロよりもさきにそれを見たにちがいなかったが、
   品質は立派なものだが、さて残念なことには、形がどうにもならないように
   くずれているのであった。

   ミケランヂェロはすべての彫刻家がみすてたこの大理石をとりあげた。

   そしてそのすてられた大理石のこわれた形をした
   そのままの青年の姿をほりあげたのであった。
   それが彼の作品の中で有名な青年ダビデの彫刻である。

   人のすてたものの中に自分の機会があるのである。
   悪いと思っているものがよきものに変わるのである。

   時は待たねばならぬ。
   そして今あるものを愛しなければならぬのである。


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          <感謝合掌 平成29年6月8日 頓首再拝>

《伸びる時に伸びるのではない》 - 伝統

2017/06/25 (Sun) 05:06:19


          *『 生長の家 』(昭和24年9月4日の法語)より

   或る機会をつかんですばらしく伸び得る所の人は、
   実はその機会に伸びたのではなくして、
   すでに蓄積されていた所の過去の訓練が一時に爆発したのである。

   如何なる成功も 過去に蓄積された
   自己訓練の賜(たまもの)ならざるものはないのである。

   あらゆる事物は、それを始める前に充分なる用意が要るのである。


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          <感謝合掌 平成29年6月25日 頓首再拝>

好運のチャンスは自分がつくる - 伝統

2017/07/14 (Fri) 03:33:40


       *「神と偕に生きる真理365章」(P202~203)より

チャンスというものは、
外から突然やって来るものであるかのように見えるけれども、
実は自分がつくって、自分が引き寄せるのである。

昔から「積善(せきぜん)の家に余慶(よけい)あり」という諺(ことわざ)がある。
善行を積んでおけば、それが天の倉に蓄(たくわ)えられていて、
ゆたかなる利子が常にあなたに払い戻されることになるのである。

他(ひと)に悦びを与えることをしないで、
自分が悦びを得るチャンスなど近づいてこないのである。

人に対して、つねに愛行をつつめ、人の悦びに奉仕している人には自然に、
自分が悦べるようなチャンスがめぐって来るものである。

          <感謝合掌 平成29年7月14日 頓首再拝>

《機会は 常の素養にある》 - 伝統

2017/07/28 (Fri) 03:18:15


        *『 生長の家 』(昭和24年9月11日の法語)より

   好機会が到来した時に、
   その機会をとらえ得るものは
   内に蓄えた能力あるもののみである。

   やってくる所の機会をどの程度生かすかは
   その人の素養如何(いかん)によるのである。

   人間よろしく、自己の時間を惜しんで自己教養につくすべし。

   くだらぬゴシップや低い享楽や、つまらない遊びで、
   もっとも発達期にある自分の知能を発達せしめないでおくものは、
   いざという好機会が来た時に 空しくそれを見逃してしまう外はないのである。


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          <感謝合掌 平成29年7月28日 頓首再拝>

《時期の熟するのを待つ》 - 伝統

2017/08/11 (Fri) 03:53:38


     *『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第7篇(P189~190) より

急いではならない。
急ぐ心は老衰をはやめ、血圧を高くし、死期を早めるばかりである。

物には時期の熟する機があるのである。
物事が熟しないうちにもぎ取ろうと思ってはならない。

熟しないうちにもぎ取った果物は、酸っぱいか、苦いか、渋いかして、
衛生にもよくないのである。

熟しないうちに物事を成就しようと思ったならば、
屹度無理が出来て自分か誰かが傷つくのである。

十字路で「赤」の信号が出ているならば、
「青」の信号が出るまで待っていることが必要である。

「赤」は停止の符標であるから、どんなに急いでいても停止符標が
出ている限りは停止していなければ却って危険を招くのである。

時期の熟するのを待ちなさい。
今は停止符標が出ていてもやがては必ず、
行進符標の「青」が出て来る時が来ます。

その時には機会を失わぬように行進なさい。

          <感謝合掌 平成29年8月11日 頓首再拝>

《蜜蜂(みつばち)を見て人生を学べ》 - 伝統

2017/08/26 (Sat) 04:19:48


          *『 生長の家 』(昭和24年9月16日の法語)より

   昔ギリシャで、
   蜜蜂に はるばる遠くまで蜜を集めにやるのは可哀(かわい)そうであるから、

   蜜蜂の巣の近くへ いつでも花のあるようにしてやれば、
   蜜蜂は助かるであろうというので、
   その周囲に花園を造って始終 花をたやさないようにしたら、

   その蜂蜜は もう少しも蜜を集めなくなったということである。


   ある人が いつも花咲いている印度(いんど)の国に蜜蜂を移住せしめたら、
   きっとどっさり蜜が集ってよかろうと考えて蜜蜂を印度へ連れて行ってみたが、
   これ又 蜜を集めなくなったということである。


   ここに自然の法則があるのである。
   労しないものは獲得することができないのである。

   自分から敢(あ)えて とらないで、
   唯(ただ)与えられるだけでは、そこに機会はないのである。


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          <感謝合掌 平成29年8月26日 頓首再拝>

《働く処(ところ)に人生の意義と機会がある》 - 伝統

2017/09/12 (Tue) 04:38:12


         *『 生長の家 』(昭和24年9月17日の法語)より

   吾々が地上にこの生を享(う)けたのは、
   神の創造力の尖端(せんたん)として、
   創造の御業(みわざ)を完成せんがために出現したのである。

   ラスキンは 「 吾々がこの世に送られたのは、何らか自己の魂を打ちこんで
   なすべき仕事をなさんがために送られたのである。」 といっているのである。

   又 フィリップ・ブルックは 「 生とは何ぞや 」 という問に対して

   「 生の何たるかを知る人は 働く人である、
   そして働きのみが生きる事であると叫ぶであろう 」 といっているのである。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=31       

          <感謝合掌 平成29年9月12日 頓首再拝>

《果実は熟した時とるべきである》 - 伝統

2017/09/29 (Fri) 03:38:35


        *『 生長の家 』(昭和33年9月17日の法語)より

   急いではならない。
   急ぐ心は老衰をはやめ、血圧を高くし、死期を早めるばかりである。

   物には時期の熟する機があるのである。
   物事が熟しないうちにもぎ取ろうと思ってはならない。

   熟しないうちにもぎ取った果物は、酸っぱいか、苦いか、
   渋いかして、衛生にもよくないのである。

   熟しないうちに物事を成就しようと思ったらならば、
   きっと無理が出来て自分か誰かが傷つくのである。

   十字路で『赤』の信号が出ているならば、
   『青』の信号が出るまで待っていることが必要である。

   『赤』は停止の符標であるから、どんなに急いでいても
   停止符標が出ている限りは停止していなければ
   却って危険を招くのである。

   時期の熟するのを待ちなさい。

   今は停止符標が出ていてもやがては必ず、
   行進符標の『青』が出て来る時が来ます。

   その時には機会を失わぬように行進なさい。

          <感謝合掌 平成29年9月29日 頓首再拝>

《仕事の能力ある人は 常に機会を見出す》 - 伝統

2017/10/17 (Tue) 03:23:15


        *『 生長の家 』(昭和24年9月22日の法語)より

   仕事の出来ない人は、如何にその生活が豊かであっても、
   どこかふらふらした脆弱(ぜいじゃく)な所があって、
   一朝(いっちょう)経済界の変動が来たような時には、
   もろくも倒れてしまって再び起き上ることができないようになるのである。

   もし不断に、仕事を以て鍛えられていた人ならば、
   経済的変動が如何に起ろうとも、
   自由にその環境に対応して縦横自在の才能を奮って、

   時代の押し流す力に溺(おぼ)れてしまうということはないのである。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=31

          <感謝合掌 平成29年10月17日 頓首再拝>

《最善の機会は 刻苦精励である》 - 伝統

2017/10/31 (Tue) 03:28:53


        *『 生長の家 』(昭和24年9月30日の法語)より

   まことにも 刻苦精励こそは
   諸君の人格を鍛える所の 学校教師であり
   最善の機会である。

   如何なる官公私立の学校へ行かなくとも、
   真に諸君が 刻苦精励して自学自習するならば、

   きっと正規の学校教育を受けた人よりも
   尚一層大いなる、労力、精神力、人格力を
   獲得することができるに違いないのである。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=31

          <感謝合掌 平成29年10月31日 頓首再拝>

小さな偶然のできごとはきわめて重要 - 伝統

2017/11/21 (Tue) 04:15:14


        *メルマガ「人の心に灯をともす(2017-09-29)」より

   (ロバート・H・フランク氏の心に響く言葉より…)

   ときには、不運に思えるものでさえ、成功のきっかけになることがある。

   グラッドウェルは、20世紀初めニューヨークに移住して、
   被服産業で成功したユダヤ人について触れている。

   彼らの子どもたちは、ロースクールを卒業しても、
   ニューヨークの一流法律事務所には採用されなかった。

   当時そうした事務所は、
   裕福なプロテスタントの家庭出身の弁護士を雇っていたからだ。

   そこで、ユダヤ人弁護士は自力で小さな事務所を開き、
   企業の敵対的買収訴訟など一流事務所が敬遠する案件をもっぱら扱った。

   その結果専門スキルを身につけて、
   1970年代から80年代の敵対的買収訴訟の急増に乗じることができた。

   この新市場で優位に立った彼らは、以前自分たちを煙たがった
   大手事務所の弁護士よりはるかに多く稼いだ。


   「小さな偶然のできごとはきわめて重要だ」と認めることは、
   「成功は才能や努力とは無関係だ」と主張するのとは違う。

   競争が激しい分野で成功する人は、とても優秀でたいへんな努力家だ。


   ウォーレン・バフェットが会長を務めるバークシャー・ハサウェイの
   副会長チャーリー・マンガーはこう記している。

   「望むものを手に入れるためのいちばん確かな方法は、
   それにふさわしい人になろうと努力することだ」。

   成功を求める人にとってなにより役立つ助言は、
   他者に高く評価される仕事において深い専門知識を身につけろ、
   ということだろう。


   専門知識は運ではなく、何千時間もの努力によって身につく。

   それでも、偶然のできごともまた重要だ。

   成功は大きな幸運に恵まれなければほとんど不可能だからだ。

   <『成功する人は偶然を味方にする 運と成功の経済学』日本経済新聞出版社>

             ・・・

一見すると不幸な出来事が、後になって考えてみると、
それが幸せになるきっかけだった、と思うことは多い。

「幸せは、不幸の顔をしてやってくる」と言われるゆえんだ。

それを、「ピンチはチャンス」ともいう。



《成功は“ランダム”にやってくる! 》(阪急コミュニケーションズ)の中に
こんな言葉がある。

『成功者は、偶然の出会い、突然のひらめき、予期せぬ結果などを経験している。
彼らは運命を変えた瞬間のことを振り返り、「あの瞬間がすべての始まりだった」と言う』


何か予期せぬことがあったとき、そこに何か意味があるのかもしれない。

そんなときは、たとえそれが面倒で、損なことであったとしても、
その流れにとりあえず乗ってみることも必要だ。

理屈で考えず、野生の勘や、ひらめきを大事に、とにかく行動してみるのだ。


世界は予測不可能の速さで大きく変化している。

だからこそ、誰もが予期せぬ方法で、世界に打って出る可能性を持っている。


「小さな偶然のできごとはきわめて重要だ」

偶然の出会いや、突然のひらめきを大事にする人でありたい。

          <感謝合掌 平成29年11月21日 頓首再拝>

機会なしと言うことなかれ - 伝統

2017/12/10 (Sun) 04:01:36


        *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(P151~153)より抜粋

時間の貴重さは、『生命の實相』の生活篇の第一章にも書かれていることであって、
空費されたる時間は再び取り返すことができないのである。

時間を空費する者は時間を殺しつつあるのであり、
時間を殺しつつある者は自分の生命を殺しつつあるのである。

無駄に過ごされる時間に、何が行なわれつつあるかといえば、その間(かん)に
人は健康を失いつつあり、若さを失いつつあり、人格がもっと輝き出るはずのものが
失われつつあり、学識経験からもっと広くなるはずのものが失われつつあり、
掴(つか)めばすばらしい幸運がひらけてくる機会を放棄しつつあるのである。

機会なしと言うことなかれ、心さとき人々にとっては時々刻々が機会であり、
時々刻々の機会に心の練(ね)れていないものは、画期的な大機会が来たときに、
それを迅速に掴むことができないで、あたら、見逃してしまうのである。

これを大音楽家ハイドンの例に見よ、彼は貧しき馭者(ぎょしゃ)の家に生まれ、
ある音楽教師の下(もと)に走り使いをする小僧として雇われたのである。
しかし彼はその間(あいだ)にも時間を無駄にしないで音楽の知識を吸収する
につとめたのである。

彼の外見的な不幸はなおつづいた。
彼はウィンナ(=ウィーン)で理髪小僧になったのであるが、
その間(あいだ)にも彼は音楽の勉強と、自己改造と機会を捉えることに
時間を空費することはなかった。

彼はある日店に来た市の有力者の靴が埃によごれているのを見て
その靴をただ深切の気持ちで磨いてあげたのが機会となって、
その人と知合いになり、そこに機会が掴まれたのである。

1798年この憐れなる少年の作曲「天地創造」が楽壇に紹介されるや、
永遠に沈まない太陽の光のような華やかな讃嘆の声にとりまかれたのである。

彼はかくて世界的音楽家となり、皇帝、皇后と食事をともにし、
王子たちに取り巻かれる貴族のごとき生活を送るにいたったのであるが、

この貧苦と貧乏のうちで時間を空費することなく作曲された
「天地創造」こそは彼の全生涯八百有余の作曲のうち最も大なるものだ
と言われているのは何を語るであろうか。

皇帝と食事をともにする栄誉も世界的大作曲家としての栄誉も
貧しき「無(な)き時間」のうちに自己訓練して得た成果であるということである。

ローマは一日にして成らず、
最大の栄誉は「無(な)き時間」を活かして
自己訓練するところから得られるのである。

         <感謝合掌 平成29年12月10日 頓首再拝>

《80歳なお若年である》 - 伝統

2018/02/07 (Wed) 03:25:13


           *「光明法語」(2月7日)より

68歳になる老人が 私に、
『もう此の年になってからは私には機会は到底ないのです』。
こう言って嘆いた。
こう云う人は地上にもう用事のない人である。

機会は余所(よそ)にあるのではなく、自分の心の中にあるのである。
心が若ければ人間は青年と同じように常に機会がある。

30歳で若死にする青年のことを思えば70歳になっても、
尚、百歳を生きる自覚をもっておればまだまだ機会はあるのである。

私の老母は80歳になっても山に柿の種子を植えて
『この柿の實るのを楽しむ』と言われた。

         <感謝合掌 平成30年2月7日 頓首再拝>

心をひらけば何時でも到る処に機会がある - 伝統

2018/02/23 (Fri) 04:19:09


         *『真理』第3巻初学篇(P62~63)より

「機会があったらやって見ましょう」
そんな自信のない、弱い言葉を吐くようでは駄目であります。

「機会だって? 機会はわしが造るのだ」と、
ナポレオンは彼の心の全盛期に言っています。

機会を自分自身で造るとは、心が常にひらいておれば
到る処機会ならざるはないと云うことであります。

若し倒れても、それは起上がる機会なのです。
その起き上がるときには倒れた姿勢から起き上がるに要する
筋肉が特に発達するのでありました、倒れると云うことすら、
発達の機会なのであります。

すべてのものは用意されているのであります。

支那大陸にはアメリカ大陸と同じように殆ど無限の地下の資源が
埋蔵されていたし、その文化の発達はアメリカより、ずっと古いですが、
地下資源を開発する点では、アメリカ人の心の方が先に用意されましたから、
アメリカは世界一の富める国となりました。

支那の人民の心は最近まで科学的に用意せられませんでしたので、
現在のところでは、アメリカほどには資源が開発されていないのです。

此の世界は心の鍵でひらけば、無限の宝の庫(くら)の扉を
ひらくことができるのです。

石灰石からでも、ビニロンと云うような織物が出来ます。
石炭からナイロンのような丈夫な糸がつくられます。

やがて空気から食物や織物をつくることも発明されますでしょう。

すべてのものは到る処に用意されているのです。

ただ吾々の心が用意されるまでは、出て来ないだけのことです。
先ず心の窓をひらいて神様の智慧を流れ入らせましょう。

それには是非毎日神想観を実修して、神との一体感を深めましょう。

         <感謝合掌 平成30年2月23日 頓首再拝>

【自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ】 - 伝統

2018/03/24 (Sat) 03:07:27

       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2018年03月16日)より

   (リクルート創業者、江副浩正氏の心に響く言葉より…)

   起業家は、起業するとき「こんな事業をしたい」「こんな会社にしたい」という
   夢や理想を必ず抱く。

   親しい仲間と立ち上げる場合も同じで、全員が同じ方向を向いている。

   しかし、1年経ち、2年経ちすると、考え方が違ってくるケースもある。

   急成長したベンチャー企業が突然低迷するのも」
   案外この“理想のベクトル”が一つではなくなったことがあるのかもしれない。

   経営者にカリスマ性があれば、その人間的な魅力や個性によって
   社員はその人についていくが、一度ベクトルがずれると、
   なかなか元の軌道には戻らない。

   私はそもそもシャイな性格で、カリスマ性はない。
   人前で話すことも苦手だった。
   社員の前で話すときは前日から準備して臨んだが、
   専務の森村稔はしばしば忠告した。


   「ドラッカーはこう言っているとか、松下幸之助語録にこうあるといった、
   他人の説を引用した話や新聞記事を引用した話が多く迫力がない。

   また、状況説明的な話が多すぎる。

   “僕はこう考えている”“リクルートをこんな会社にしたい”
   “みんなこうしてほしい”という経営者自らのメッセージを強く打ち出さないと、
   力強さに欠ける」


   そういわれても、私は自分のメッセージがなかなか出せなかった。

   それは、リクルート創業期の私が克服しなければならない弱点でもあったのである。

   そのためもあって、リクルートでは私の思いや経営に対するスタンスについては
   「社是」あるいは「心得」などとして文章にし、それを社員教育に教材にした。

   それが結果的にリクルートに共同体意識を醸成し、
   独特の企業風土や企業文化が形成されたように思う。


   リクルートについて、外部の人たちの多くは「自由闊達(かったつ)」
   というイメージを持っておられるようだ。

   事実大半の社員は、風通しの良い、何でも自由に発言できる会社であると思っている。


   社是と社訓は私が草案を書いた。

   それをもとにじっくりT会議(泊りがけの取締役会)で議論を重ね、
   森村稔に補筆してもらった。

   こうしてつくったのが、次の「経営の三原則」である。


   《経営の三原則》

   1. 社会への貢献

   2. 個人の尊重

   3. 商業的合理性の追求


   「社会への貢献」とは、これまでにない新しいサービスを提供して、
   社会の役に立つこと。

   リクルートの目標として掲げた。

   だから「新しいサービスがどんなに儲かる事業であっても、
   社会に貢献できない事業ならば、リクルートは行わない」とした。


   「個人の尊重」は、人はそれぞれに違いがある。

   得意なことと不得意なこととがある。

   その違いを積極的に認め、各人が得意なことを組織に提供しあって
   大きな成果を上げていくことを目指す。

   もっとも、多くの場合、人はやりたいことと、できることとは違う。
   自分が思っている自分と、人が見る自分とも異なる。

   単純に個人を尊重するのではなく、そのギャップは埋めなければならない。
   そのために、自己申告制度やR0Dなどのプログラムを導入した。


   「商業的合理性の追求」は、松下幸之助語録に
   「利益を上げ税を納めるのが国家への貢献」とある。

   これを教訓とし、リクルートも「仕事の生産性を上げ、
   仕事のスピードを高め、高収益会社にして税金を納めることが
   リクルートの誇り」とした。


   企業が収益を上げるには、

   1. 質の高いサービスを提供する

   2. モノ・サービスをスピーディーに提供する

   3. コストを下げて顧客への価格を下げる


   という3つの方法がある。

   リクルートでは、このうち1と2に重きを置いた。

   仕事はできるかぎり外部の一流アートディレクター、デザイナー、
   一流のライター、一流のカメラマンに依頼し、経費節約には関心が低かった。

   情報の価値は時間の経過とともに下がる。
   原稿用紙を節約するよりスピードを大切にしたのである。


   社是と同時に社訓も決めた。

   私は高校の漢文の時間に出会った言葉、易経の
   「窮すれば変じ、変ずれば通じ、通ずれば久し」を人生の指針の一つにしていた。

   その言葉をもっと積極的に表現したのが、

   「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」

   私が考え、これを社訓にしてはどうかと提案すると、みんなも賛同してくれた。

         <『リクルートのDNA』角川oneテーマ21>

             ・・・

リクルートほど、各界、各分野の経営者やリーダーを輩出している企業はない。

それは、「社員皆経営者主義」を掲げているからだという。


江副氏には、資源小国の日本が世界の荒波の中で生き延びるには、
新しい産業がいくつも生まれることが必要だとの強い思いがある。

そして、「起業家精神」こそが、経済を活性化させ、日本経済を復興する、と。


大事なことは、どんなに個人を尊重し、社内が自由闊達であっても、
会社の方向性というベクトルだけは合っていなければならない。

もし方向性が間違っている人がいたら、
その人にパワーがあればあるほど、能力があればあるほど、
会社の進む方向とは真逆に進み、最悪の場合、会社は倒産に至るからだ。


「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」

起業家精神を旺盛に発揮し、自ら機会を創り出したい。

・・・

<参考>

(1)『リクルートのすごい構”創”力』
   →  http://smoothfoxxx.livedoor.biz/archives/52267478.html

(2)NHK「おはBiz」(2017年9月11日)
   → https://www.nhk.or.jp/ohayou/biz/20170911/index.html

(3)日経ビジネス(2017年12月19日)
   ~リクルート、「不の解消」の使命掲げて世界へ
   → http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/278209/121400175/

         <感謝合掌 平成30年3月24日 頓首再拝>

《機会は、あなたの心の中にある》 - 伝統

2018/04/29 (Sun) 04:00:49


        *Web:(H11年光明日訓~15日)より
             (http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6455552

   神は無限の善であり、愛であり、智慧であり、供給であるから、
   今・此処に無限の善と祥福とが自分の内にあるのである。

   まことにも、あなたの内に一切があるのである。

   あなたが自己の本性の完全さを自覚すればする程、
   現象界にはその完全さを実現するために自然的順序ある動きが現れて来るのである。


           谷口雅春著『希望を叶える365章』より

             ・・・

   上記の言葉は、「希望を叶える365章」(P40)
   小項目「あなたの内に一切がある」からの抜粋です。
   全文は、以下の通りです。

      

   今、此処に自分のうちに神が在(ましま)すのである。

   神は無限の善であり、無限の愛であり、無限の智慧であり、無限の供給であるから、
   今・此処に無限の善が無限の祥福が自分の内にあるのである。

   キリストは「神の国は汝の内に在り」と教えている。

   まことにも、あなたの内に一切があるのである。

   それなのに外にそれらのものがあると思って、自分の内を磨くことをしないで、
   外にそれを掴もうとするところに間違いがある。

   それは恰(あたか)も映画のスクリーンに向かって、スクリーンにある映像を
   つかもうと思って跳びついて行くようなものである。

   映画面上の画像は、それ以前に作られたフィルム上の画像であるように、
   現象界の事物は、それ以前に作られてある「心の姿」の投映でしかないのである。

   あなたが自己の本性の完全さを自覚すればする程、
   現象界にはその完全さを実現するために自然的順序ある動きが現れて来るのである。

         <感謝合掌 平成30年4月29日 頓首再拝>

スキマに、チャンスがある - 伝統

2018/08/05 (Sun) 03:53:43


        *「人生はニャンとかなる! 明日に幸福をまねく68の方法」 
          水野 敬也・著 (09)  より


戦後まもない頃、現在のソニーの前身である「東京通信工業」の設立式で、
創業者の井深大氏が、20数人の従業員に向けてこう言いました。

「大きな会社と同じことをやったのでは、我々はかなわない。
しかし、技術の隙間はいくらでもある。
我々は大会社にはできないことをやり、新しい技術をもって、
祖国復帰に役立てよう」

この言葉通りソニーは他にない技術を開発し成長しました。


ソニーのヒット商品に『ウォークマン』があります。
このアイデアを思いついたのも当時名誉会長だった井深氏でした。

当時、録音機能の無いテープレコーダーなど売れるわけが無い
と反対する人間が大半だったといいますが、井深は
スキマの必要性をいち早く見抜き、商品化に乗り出したのです。


どんな分野にも、まだ誰も手をつけていない場所があります。

そして、そこには宝が埋まっているのです。

             ・・・

  【偉人たちの名言】

(1)始まりは、どんなものでも小さい。  (キケロ)

(2)独創的なものは、始めは少数派である。
   多数というものは独創ではない。   (湯川秀樹)

(3)(今現在、最も恐れている挑戦者は? と訊かれて)
   「どこかのガレージで、まったく新しい何かを
   生み出している連中だ」        (ビル・ゲイツ)

         <感謝合掌 平成30年8月5日 頓首再拝>

好機会は常にある  - 伝統

2018/10/26 (Fri) 04:18:28


       *『如意自在の生活365章』(P53~54)より

”実相の世界”には無限の善きものが充満しているのである。

その無尽蔵の倉庫からいかにして、
それを現実界に持ち出すことができるか、
その方法がわからないという人があるかもしれない。

方法がわからないのは、
人間の頭脳智によって、どうしようかと心悩むからである。
人間の頭で考えてはわからなくても神ならわかるのである。

神の智慧を出して来るがよいのである。
神の智慧を出して来るとき、いかなるものでも
成就しないということはあり得ないのである。

神は全智であり給うから
人間には能(あた)わぬと思われることでも
容易に成就することができるのである。

神の智慧を出して来るには、神想観をして、
神の智慧の導きが出るように祈るがよいのである。

祈りによって神の智慧が出て来るとき、
自分の一挙手一投足が、自然によき機会を
常に巧みに捉えることができるようになってくるのである。

機会は常にあるのである。

         <感謝合掌 平成30年10月26日 頓首再拝>

【来た船に乗ってしまう】。 - 伝統

2018/12/03 (Mon) 03:09:09


        *メルマガ「人の心に灯をともす」(2018.12.01)より

   (明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…)
  
   私はチャンスの女神は前髪しかない、
   という絵を見たことがあります。

   たしかに前髪しかなくて、後頭部は見事にはげていました。

   チャンスの女神の後ろがはげている絵が
   あまりに強烈で忘れられなくて、何かあるたびに、
   あの絵がまざまざとまぶたに浮かんできます。


   私はひょんなことから朝の報道番組を
   毎日帯で担当するオファーを引き受けました。

   私のように朝起きるのが苦手な上、
   ただでさえ忙しい人間にとって、
   朝の番組は絶対に引き受けてはならないものでした。

   それにこれ以上仕事を増やさなくても、
   うまく回っているのですから、
   番組のオファーを断ってもまったくかまわなかったのです。

   でもその時浮かんだのが、後頭部がはげた女神の絵でした。


   オファーにはタイミングがあって、その時しかできない経験があります。

   私は小学校の頃から、日本を明るく前向きにしたいと漠然と思ってきたので、
   番組を通してそれが表現できる機会が与えられたのなら、
   チャンスを生かそうと思いました。

   別に成功も失敗もありません。

   チャンスがあればやってみる。

   そうすれば経験知が新たに加わります。


   経験は余裕につながります。

   ですからチャンスがあった時は、好き嫌いとか、
   得手不得手で判断せず、とにかくやってみるのがいいと思います。


   結婚も同じです。

   自分を好きだと言ってくれる人がいれば、それはひとつの機会です。

   この人と結婚してうまくいくのかとか、
   親はどんな人たちなんだろうなど、いろいろ深く考えてしまうと
   二の足を踏んでしまい、婚期を逸してしまうこともあります。

   あまり深く考えずに、機会としてとらえていく
   身軽さがあると、いいのではないでしょうか。


   要するに、深く考えてすぎて結局行動しないよりは、
   来た船に乗ってしまうほうがいいのです。

   受験生が第一志望の大学に行きたいと思っていたのに、
   第二志望の大学に来てしまったとします。

   その時感じる挫折やコンプレックスなどいろいろあることでしょう。

   でも入学した大学という船に乗ったのですから、
   その場所で活躍しようと思えばいいわけです。


   何事にも「その時来た船」があります。

   「好き」という感情から出発しないで、結婚相手を
   年収や学歴、身長、健康状態などさまざまな条件をあてはめて
   ぶのであれば、かえって選択ができにくくなってしまいます。

   そうではなくて、もっとトータルに「縁」というものをきっかけにして
   気軽にとらえていくのが「運」がいい人になるコツなのではないでしょうか。

             <『運の教科書』筑摩書房>

              ・・・

小林正観さんは、人からの「頼まれごと」を
気持ちよく引き受け続けていくと、
そこに人生における自分の役割が見えてくる、という。

「頼まれごと」とは、齋藤孝氏のいう「その時来た船」だ。

逆に言うなら、人からの「頼まれごと」を
なんだかんだ文句を言って引き受けなかったり、
嫌々渋々引き受けるような人にはだんだんと
「頼まれごと」はやってこなくなる。

つまり、「その時来た船」と言うチャンスがやってこなくなる。


『思考の向きが前向きでポジティブだと、
失敗してもすぐ次にチャレンジするので、チャンスが多くなります。

一方ネガティブな人はチャレンジするのに消極的ですから
チャンスが少なくなるので、いよいよ落ち込んでいく
というサイクルになります』(齋藤孝)


失敗の数をかぞえるのではなく、チャレンジの数をかぞえた方がいい。

それが「頼まれごと」。


あまり深く考えず、来た船に乗ってしまう人はチャンスが多い。

多くチャレンジをし続ける人でありたい。

         <感謝合掌 平成30年12月3日 頓首再拝>

心が若ければ人間は青年と同じように常に機会がある - 伝統

2019/02/07 (Thu) 04:48:06


        *「光明法語」(2月7日《80歳なお若年である》)より

68歳になる老人が 私に、
『もう此の年になってからは私には機会は到底ないのです』。
こう言って嘆いた。

こう云う人は地上にもう用事のない人である。

機会は余所(よそ)にあるのではなく、自分の心の中にあるのである。
心が若ければ人間は青年と同じように常に機会がある。

30歳で若死にする青年のことを思えば70歳になっても、
尚、百歳を生きる自覚をもっておればまだまだ機会はあるのである。

私の老母は80歳になっても山に柿の種子を植えて
『この柿の實るのを楽しむ』と言われた。

         <感謝合掌 平成31年2月7日 頓首再拝>

チャンスの掴み方 - 伝統

2019/02/14 (Thu) 04:44:15


       *Web:ザ・レスポンス(2019.2.12)より

こんなとき、あなたならどうしますか?

少し想像してみてください・・・

「セールスレターの仕事を取りたい。やってみたい」
そんな気持ちを持ちながら参加したセールスライティングのセミナー。

席に座ってセミナーがスタートするのを待っていた時、、、

「隣いいですか?」

と40代のジャケットを着た男性が声をかけてきた。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

と会話をしながら、顔を見てみると、なんとなく見覚えがあるような気がしてきた。

実は、この隣に座ってきた男性。

ずっと前から、、、

”いつかこの商品のセールスレターを書いてみたい”

と思っていた憧れの商品を売っている会社の社長だった。





知っているか?知らないか?
憧れの商品のセールスレターを書けるチャンス。
こういうチャンスは人生でそう何度も何度もあるものではないかもしれません。

ですが、今、その会社の社長が目の前にいます。

でも、、、

「憧れの商品を誰が売っているのか?」

この情報を知らなければ、隣に座った男が社長だと気づくことはできません。

そうなると、自分の夢を叶えるチャンスが目の前に転がっていることに
気づくことができるわけがありません。

気づかなければ、
このチャンスはそのままどこかへ転がって行ってしまうでしょう・・・


すぐに動けるか?立ち止まるか?

「あっ!あの商品を売っている○○社長だ!」

そう気づいたとして、、、

「うお!すげぇ!」

と思って、もっと話しかけようか、どうしようか、迷っている。

そうこうしているうちに、セミナーが終了。

そして、ほとんど話をすることなく、社長は席を立って帰ってしまう。

そうなってしまうと、やっぱりなにも変わりません。

自分の友達に、、、

「この前、セミナーで○○社長に会った!やっぱりオーラがあったわ」

なんて世間話をするのが関の山。

少し楽しい気持ちになれるかもしれませんが、それだけで終わりです・・・



どれだけ準備しているか?
○○社長に気づき、その場で商品の話をしたとしたら、、、

「めちゃくちゃ大ファンで、
この商品のセールスレターを書くのがちょっとした夢なんです」

そして、

「セールスレターを書かせてくれないですか?」

と頼んでみました。

でも、、、

社長はそんなことを突然言われても、初対面の人に仕事を頼むのは不安があります。

こういうときに「やらせてくれ!やらせてくれ!」と
ただ子供のように伝えるだけでは相手は困ってしまいます。

そうなると、この話がうまくいく確率は低いでしょう。


ですが、、、

大好きな商品ですから、
こんなアイデアでセールスレターを書きたいと思っている。
なぜなら、昔大ヒットしたセールスレターで、
似たような商品をこのアイデアで売って成功しているものがある。

ということを伝えたり、、、


少し違うジャンルだけで、このアイデアを試したら、これぐらいの売上が上がった。
しかも、何年間も売れ続けている。

といったこと。

その他にも、、、

「今までにこういうセールスレターを書いたことがある」

とパソコンの画面を見せて、セールスレターを見てもらったり、、、


社長さんが抱えている課題について話を聞いたり、、、





ここまでやることができれば、このセールスライターが
チャンスを掴む確率はどれぐらい上がるでしょうか?


これは架空の話。


ですが、現実も…
起業しようとか、新しい事業をはじめようとしているとき。

どういうトレンドが来ているか?ということを知らなければ、
そのトレンドに乗るというチャンスに気づくことはできません。

社長の顔を知らなければ、チャンスが来ていることに気づかないのと同じように。

トレンドが来ているとわかっていても、
すぐに乗らなければ、そのトレンドは過ぎていってしまいます。

準備をしていなければ、トレンドに乗ろうとしても乗ることは難しいでしょう。


チャンスを阻む3つの壁

(1)情報不足なら、そもそもチャンスは見つけられない。

(2)すぐに行動できなければ、チャンスは逃げていく。

(3)準備をしている人しか、チャンスは掴めない。


あなたは次、どんなチャンスを掴みたいですか?

そのためにどんな準備をしますか?

  (http://www.theresponse.jp/blog/saleswriting/72597/?ts=mag_yamada_190212 )

         <感謝合掌 平成31年2月14日 頓首再拝>

《 あなたの今いる所が好機会である 》 - 伝統

2019/03/13 (Wed) 04:57:13


       *『人生の秘訣365章』第2篇(P63~64) より

好機会は一生に数回しかないというものではないのである。
好機会は常に《ある》のである。

何故なら、すべての現象の進展の奥には、
実相が尚一層完全に表出し出ようとする“催し”があるからである。

実相が尚一層完全に表出せんとする機会を捉えるならば、
その人は好運に乗ることになるのである。

神の創造は常に行われているのである。
創造のあるところ、常に機会はあるのである。

あなたの生活が実相から催して来る創造の波に乗るならば、
その波に乗った瞬間が好機会を捉えたのであり、
その後は自然に波のまにまにあなたの運命が上昇して行くのである。

実相の催しに同調できるならば、
あなたが今いるところがそのままに好機会なのである。

         <感謝合掌 平成31年3月13日 頓首再拝>

《凡ゆる環境は自己表現の好機会 》 - 伝統

2019/06/14 (Fri) 04:52:18


         *『 生長の家 』(昭和25年4月17日の法語)より

   吾は 凡ゆる機会を自己表現のチャンスであるとみるが故に
   如何(いか)なる変化をも恐れないのである。

   吾は 常に よろこぶのである。
   吾は 如何なる環境に対しても
   自己表現の機会であるとして感謝するのである。

   画家は自分の写生する景色が常に同じ景色であっては
   完全に自己表現をとげることができないのである。

   だから色々の景色の所へ でかけて行って それを写生するのである。

   それと同じ様に 吾は自分を迎えてくれる凡ゆる境遇(かんきょう)を
   自己表現であるとして感謝するのである。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13817989.html

          <感謝合掌 令和元年6月14日 頓首再拝>

ピンチをチャンスに変える - 伝統

2019/07/19 (Fri) 04:09:51

ピンチをチャンスに変える(トーマス・エジソンの日記から)

        *Web:今日も良いことがあるように(2019/05/14)より

▼世界の発明王、トーマス・エジソンの日記です。

   私は、耳が不自由になって以来、想像力が無限に広がった。

   それと同時に、よけいな雑音を耳にしなくなった。

   私は、耳が聞こえない分、雑音をシャットアウトして、
   書物の世界を通じて自分の世界を広げることができた。

   デトロイトの公共図書館に通い、
   私はAの棚からZの棚まで、すべての書物を読んだ。


▼偉大な作曲家、ベートーヴェンが難聴だったことは知っていたのですが、
エジソンも少年の頃からそうだったんですね。

エジソンは、10台のとき、列車に乗り遅れそうになったとき、
車掌に両耳をつかれまれて、引き上げられた瞬間に難聴になったのだそうです。

耳が不自由になるということは、非常に辛いこと。

ずいぶん悩んだでしょう。

しかし、彼は書いています。


   「耳が聞こえないことは、
    たくさんの『とてもいいもの』をもたらしてくれた」


彼は、耳が聞こえないで自分を不幸だと思わず、
自分に「たくさんの『とてもいいもの』をもたらしてくれた」
とプラスに考えたのです。

このような発想ができたからこそ、彼はたくさんの偉大な発明ができたのですね。


▼たとえば、ベルが作った電話機を試してみたのですが、
難聴の彼には、よく聞こえませんでした。

そこで、それを改良に改良を重ね、
さらによく聞こえ、実用化できるものを作ったのです。

その技術が、蓄音機の発明にもつながったとこと。

エジソンは、自分に起こったピンチの状態を
チャンスに変える知恵とたくましさをもっていたのです。


▼厳しい状況であれば、人間は本来の能力を遺憾なく発揮します。

私たちもそうです。

試練があれば乗る超えるために、
これまで眠らせていた力や知恵を使うようになるものです。

エジソンだって1つのものを生み出すのに、1万回以上も失敗したんです。

失敗したら、新しい工夫を加えて、またチャレンジすればいい。

そう考えると、ピンチは、成長し飛躍できるチャンスの場なのです。


   ピンチを通して成長できる。 (^.^)


【出典】浜田和幸著『未来を創る エジソン発想法』

   ( https://lucky.t-nakai.work/2019/05/14/thinking-63/ )

          <感謝合掌 令和元年7月19日 頓首再拝>

ピンチは潜在能力を 発揮するチャンス - 伝統

2019/08/12 (Mon) 04:21:43


        *Web:今日も良いことがあるように(2019/02/05)より

ラーメンが好きです。

インスタントラーメンも、もちろん好きです。

「チキンラーメン」
「カップヌードル」

子どもの頃から大好きです。

これらを世界で初めて生み出し、96歳で天寿をまっとされた
日清食品の創業者、安藤百福さんに感謝をこめて、
今日は、安藤さんの名言をご紹介します。

まったく知らなかったのですが、
安藤さんは、なんと48歳、無一文で、
インスタントラーメンの開発に乗り出したのです。

それまでは様々な会社の社長や信用組合の理事長を務めていたのですが、
その信用組合が破産。

その負債を負い、無一文となりました。

ただ自宅が残っただけです。

このままでは、人生、敗北・・・。

48歳の安藤さんは、
インスタントラーメンの開発にこれからの人生を賭けることにしたのです。

彼は裏庭に掘っ立て小屋を立て、来る日も来る日も、
インスタントラーメン開発の研究を続けました。

いまでは当たり前ですが、お湯をかければ食べられるラーメンなんて、
これまで誰も考えつかなかったことです。

モデルもないし、作り方なんて、誰も知りません。

ですから、考えて考えて、実験を重ねて重ねて、研究し続けました。

失敗を繰り返し、挫折を味わい、1日睡眠が3~4時間の日が続きました。

そして、1年間を経て、安藤さんはついに発明します。

世界初のインスタントラーメンの誕生でした。

1958年に商品化されると、どんぶりに入れて湯を注ぐだけで
おいしく食べられる「チキンラーメン」は、瞬く間に人気商品となりました。

そして、ご存じのように、いまでも根強い人気のラーメンとなっているのです。

(安藤さん、よくぞ開発してくださいました!)

安藤さんは後に語っています。


   「事業と財産を失い、裸一貫、絶対の窮地から出発したからこそ、
    並でない潜在能力を発揮できたのではないか。逆説的に言えば、
    私に事業失敗がなければ、(チキンラーメンの開発に没頭するという)
    これほど充実した時間はもてなかっただろうし、
    即席めんを生み出すエネルギーも生まれなかっただろう」


誰でも潜在能力をもっています。

その能力を発揮できるかどうかは、いろいろな要素があると思います。


   ・明確な目標をもっているか?

   ・その目標に向かって今日、行動しているか?

   ・その行動を日々、続けることができるか?

   ・失敗を繰り返しても、あきらめないで、常に目標に向かっているか?


このような意識で行動している人は、いずれ目標を達成するでしょう。

特に、窮地に立たされている人は、
自分の眠っている能力が発揮しやすいのです。

「窮鼠、猫を噛む」ではないですが、
逃げ場がなく、やるしかない!という状態で、必死になれば、
誰でも普段の何倍も力が発揮されます。

ですから、ピンチこそチャンスです。

窮地は、人間を成長させるのです。

ピンチのときに自分の潜在能力を発揮させよう。



●安藤百福さんに感謝をこめて・・・名言をあと2つ●

「明確な目標を持ったあとは執念だ。ひらめきも執念から生まれる」

「知識も大切だが、知恵をもっとだせ。知識は比較的簡単に手に入るが、
 知恵は大きな努力と体験がないとなかなか手に入らない」by 安藤百福


この安藤さんの言葉をチキンラーメンを食べながら、味わってみたいものです。

安藤百福さん、ありがとうございました!

出典:鈴田 孝史 著『安藤百福のゼロからの「成功法則」』(かんき出版 )

     ( https://lucky.t-nakai.work/2019/02/05/word-29/ )

          <感謝合掌 令和元年8月12日 頓首再拝>

《凡ゆる機会に祈ること》 - 伝統

2019/08/29 (Thu) 04:45:04


          *『 生長の家 』(昭和23年3月17日の法語)より

   出勤の時、電車に乗っても 其の電車に感謝するのである。
   かくの如く凡ゆる機会を 神に対する感謝の機会とするのである。

   かくて、その人の生活全体が 「 祈り 」 となり
   「 念仏申す心 」 となるのである。

   「 この電車は 神の愛と、智慧と、吾々を生かしたまう力との
   表現(あらわれ)でございます。神の法則がこの電流の中に行われ、
   それによって電車が動いているのです。

   私がこの電車に乗ることによって、
   私は神の智慧と愛と生命とに直接接触しているのです。

   この電車を動かす偉大なる力は私の中にも流れているのです。」


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13161387.html?type=folderlist

          <感謝合掌 令和元年8月29日 頓首再拝>

ピンチは改善・発展のチャンスである - 伝統

2019/09/14 (Sat) 04:48:33

ピンチは改善・発展のチャンスである(松下幸之助)

         *Web:今日も良いことがあるように(/2019/06/30)より


   好況よし、不況もまたよし。

   不況は改善・発展への好機である。

     松下幸之助


松下幸之助さんによると、「松下電器は不況の度に伸びてきた」そうです。

たとえば、1929年、世界恐慌のあおりを受けて、
売り上げが激減したことがあります。

この時、松下さんはどう考えたか?

世界的な不況だから仕方ない、とは考えませんでした。

社員をリストラして対応しよう、とも考えませんでした。


「不況は、改善、発展の好機である」と考えたのです。


ですから、松下さんは、社員を一人も解雇せず、給料も下げませんでした。

その代わり、工場を半日操業にして、
社員全員で、たまった在庫を販売することにしました。

いきおい社員の意欲は高まりました。

その結果、長引く不況で他の会社が低迷する中、
松下電器は、逆に業績を伸ばし続けたのです。


1964年の景気後退を受けて開かれた、通称「熱海会談」のときもそうです。

「不況は、改善、発展の好機である」という考えにブレはありません。


松下さんは、3日間にわたって、
全国の販売店の代表者たちの苦情や意見を傾聴しました。

当然、販売店自身の努力不足が原因の経営不振にも気づきましたが、
まずは松下電器本社の責任を痛感し、皆に陳謝しました。

「松下電器があるのは、皆さんのおかげです。
これからは心を入れ替えて出直しします」

そして、販売体制の大改革に着手しました。

その結果、業績は劇的に回復し、大躍進を遂げたのです。


人間は、好況のときが続くと、
「このままで、いいだろう」と、安易な気持ちが生まれてきて流されます。

そのため、小さな問題があっても見過ごし、
反省し、改善するきっかけがつかめません。


ところが、不況に直面すると、危機感が生じ、「なんとかしなければ・・・」と、
一所懸命に考えるうちに新たな課題が見つかます。

皆がいっそう意欲をもって、あらゆる面で改善に真剣に取り組むことができます。


これは個人レベルでも同じでしょう。

ピンチは改善、発展のチャンスです。

ピンチのときに、前向きに考え、人の意見を素直に聞き、
謙虚に反省すれば改善、発展、飛躍のチャンスになるのです。


学校では、先生が生徒に問題を出します。

生徒は、その問題をクリアーしていくことで、成長していきます。


社会では、誰かがあなたに問題を出します。

あなたは、その問題をクリアーしていくことで成長していきます。

これからも問題は、大なり小なり起こります。


その問題は、あなたが成長するチャンスなのです。


   問題があるときがチャンスだと考える。(^.^)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【出典】 佐藤悌二郎著『図解 松下幸之助の行動学』

松下幸之助さんの考え方・生涯をわかりやすくまとめた良書です。

      ( https://lucky.t-nakai.work/2019/06/30/thinking-94/ )

          <感謝合掌 令和元年9月14日 頓首再拝>

【「ふざけんな! 」って言いたくなるときはチャンス】 - 伝統

2019/11/19 (Tue) 04:07:21

       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2019年11月02日)

   (ひすいこたろう氏の心に響く言葉より…)

   僕の肩書きは、天才コ〇ーライターです。
   自分で天才と名乗っているわけですが、それには理由があります。

   誰も言ってくれないから、自分で言うことにしたのです。

   「それが何か問題でも?(笑)」

   でも、不思議。

   自分で言っていると、
   次第に、まわりがそう言ってくれるようになるんですね。

   言ったもん勝ちです。

   そんなわけで(どんなわけだ)、
   僕はコ〇ーライターの仕事もしているのですが、
   あるとき、キャラクターグッズの仕事で、キャラクターのセリフを
   何パターンも考える仕事を頼まれました。

   *○:ピ

   締切りは1週間後というタイトなスケジュールでした。

   ちょうどその時期は、本の締切りも重なっており、
   なかなか時間がとれないときだったのですが、何とか引き受けました。

   そして、寝ずに考え提出した翌日、電話が入りました。


   「ひすいさん、た、た、大変申し訳ございません!
   せっかく提出いただいたんですが、キャラクターが変更になりまして。
   も、も、申し訳ないんですが、その変更になったキャラクターのセリフで
   新たにセリフをお願いできないでしょうか?み、み、3日後までに…」

   「変更だと? ふざけんな! こっちは寝ずにやったんだ!」

   と、ここは、怒ることだってアリな場面でしたが、実際の僕はこう言ったのです。


   「ははははははははは。変更ですか!?
   よくあることじゃないですか。何度でもやりますよ」


   担当者はビックリしたようです。

   急な設定変更で僕に怒られると思って電話したら、
   「何度でもやりますよ」って笑いながら言うので。

   でも、そのことですっかりその担当者さんは僕のファンになってくれて、
   「ひすいさんはホンモノだ」と社内で広めてくれたようなんです。

   そして、ギャラの高い仕事は、僕に回そう、回そうと
   根回ししてくれるようになったのです。


   「ふざけんな!」って言いたくなるときや、逆境においこまれたとき、
   そんなピンチのときほど、見方を変えれば絶好のチャンスなんです。

   何のチャンスだと思いますか?


   「相手の心に、伝説に残るチャンスです。」


   こんな状況で、もし「何度でもやりますよ」って笑えたら、
   相手のヒーローになれるんです。

   僕だって、この場面は、
   「ふざけんな。こっちは徹夜で朝までやったんだ!」って
   ほんとは言いたいわけですよ(笑)。

   でも、そこをグッとこらえたら、
   相手の心に伝説に残ることがわかっているので、ムリしてでも笑いましたよ。


   「心の中では、よくあってたまるかって思いながらもね(笑)。」


   相手が困っているときこそ、相手の想像を超えてやる!

   そう思うときって、自分の限界を超えられるんです。

   そういえば、こんなこともありました。

   あるホテルで寝坊してチェックアウトに遅れたことがあって、
   フロントから電話が入ったのです。

   「お客様、もうチェックアウトの時間を過ぎています」

   そう怒られると思ったら、宿の方はこう言ったのです。

   「準備は大丈夫でしょうか? お荷物を運ぶのをお手伝いしましょうか?」

   もう、この一言で、僕のハートはノックアウトです。

     <『犬のうんちを踏んでも感動できる人の考え方』祥伝社黄金文庫>

               ・・・

飲食店やコンビニで、逆ギレして怒鳴っている人を見たことがある。

確かに店側はミスをしたかもしれないが、
そこまで怒る必要はないだろうと、周りは暗くて嫌な気分になってしまう。

逆に、「ふざけるな!」と誰もが怒っても不思議はないような場面で、
ニッコリ笑って、その場を和ませるようなことを言ったら、
まわりはどんなに救われることか。


切羽詰まった場面においても、
なお、相手を気遣う言葉を発することができる人は、めちゃくちゃカッコいい。

心の中がどうであれ、口から出て来る言葉がその人の人格を決定するからだ。

よく斎藤一人さんが言う、お蕎麦屋さんで、心の中でどんなに
「天ぷらうどん」が食べたいと思っていても、
口から出た言葉が「ざるそば」だったら、ざるそばが出て来るに決まっている、
というのと同じだ。


『「ふざけんな!」って言いたくなるときはチャンス』


相手の心の中に、伝説として残るために…

どんなときも、周りを和ませる言葉を使える人でありたい。

          <感謝合掌 令和元年11月19日 頓首再拝>


時々刻々が《機会》である - 伝統

2019/11/29 (Fri) 04:36:20


        *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月29日)より

人間の一生涯の時間を平均35万時間だと計算した人がある。

フランクリンは

「君は自己の生命(せいめい)を愛するか。
然らば、けっして時間を浪費してはならない。
なぜなら時間こそ君の生命(せいめい)が造られている実質であるから」

と言ったということである。

時間の貴重さは、
『生命の實相』の生活篇の第一章にも書かれていることであって、
空費されたる時間は再び取り返すことができないのである。

時間を空費する者は時間を殺しつつあるのであり、
時間を殺しつつある者は自分の生命を殺しつつあるのである。

無駄に過ごされる時間に、何が行なわれつつあるかといえば、
その間(かん)に人は健康を失いつつあり、若さを失いつつあり、

人格がもっと輝き出るはずのものが失われつつあり、
学識経験からもっと広くなるはずのものが失われつつあり、
掴(つか)めばすばらしい幸運がひらけてくる機会を放棄しつつあるのである。


機会なしと言うことなかれ、心さとき人々にとっては時々刻々が機会であり、
時々刻々の機会に心の練(ね)れていないものは、画期的な大機会が来たときに、
それを迅速に掴むことができないで、あたら、見逃してしまうのである。


これを大音楽家ハイドンの例に見よ、
彼は貧しき馭者(ぎょしゃ)の家に生まれ、
ある音楽教師の下(もと)に走り使いをする小僧として雇われたのである。

しかし彼はその間(あいだ)にも時間を無駄にしないで
音楽の知識を吸収するにつとめたのである。

彼の外見的な不幸はなおつづいた。
彼はウィンナ(=ウィーン)で理髪小僧になったのであるが、
その間(あいだ)にも彼は音楽の勉強と、自己改造と機会を捉えることに
時間を空費することはなかった。

彼はある日店に来た市の有力者の靴が埃によごれているのを見て
その靴をただ深切の気持ちで磨いてあげたのが機会となって、
その人と知合いになり、そこに機会が掴まれたのである。

1798年この憐れなる少年の作曲「天地創造」が楽壇に紹介されるや、
永遠に沈まない太陽の光のような華やかな讃嘆の声にとりまかれたのである。

彼はかくて世界的音楽家となり、皇帝、皇后と食事をともにし、
王子たちに取り巻かれる貴族のごとき生活を送るにいたったのであるが、

この貧苦と貧乏のうちで時間を空費することなく作曲された「天地創造」こそは
彼の全生涯八百有余の作曲のうち最も大なるものだと言われているのは
何を語るであろうか。

皇帝と食事をともにする栄誉も世界的大作曲家としての栄誉も
貧しき「無(な)き時間」のうちに自己訓練して得た成果であるということである。

ローマは一日にして成らず、
最大の栄誉は「無(な)き時間」を活かして
自己訓練するところから得られるのである。

          <感謝合掌 令和元年11月29日 頓首再拝>

時節に乗ることが大切 - 伝統

2020/03/14 (Sat) 04:48:56


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月14日)」より

現象界においては時節が事を成就する。
時節に乗ると乗らぬとは、成敗(せいはい)の基(もとい)である。

時節に乗る秘訣は神に一致すること。
神に一致するには、《今ある》状態をまずありがたいと享受して、そこで百%を行ずること。

急ぐはことを破壊し、急ぐ息はセク息である。

            <感謝合掌 令和2年3月14日 頓首再拝>

【チャンスの女神の前髪を掴むには】 - 伝統

2020/03/29 (Sun) 03:58:03


         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020年03月17日)より

   (ひろゆき(西村博之)氏の心に響く言葉より…)

   おそらく古い常識は、あなたの柔軟な考えを邪魔してくる。

   たとえば、「銀行に就職が決まった」と親に言ったら、
   「一生安泰だね」と言われるかもしれない。

   けれど、金融庁の調べによると、
   地方銀行の利益の合計額は年々落ち続けていて、
   5年以上連続で赤字を出している銀行が増えている。

   銀行業界は、体力のないところから潰れていくことが決まってしまっているわけだ。

   いくら世間体のいい銀行勤めでも、あなたが優秀で努力家だとしても、
   日本全体の銀行が少なくなっていく波には逆らえない。

   それなら、追い風が吹いている業界に移ったほうがいい。


   大事なのは、自分の感覚だ。

   若い人だとネットバンキングを使うのが当たり前だし、
   ATMがあればお金が下せるので、銀行の窓口なんて近所になくても
   そんなに困らない感覚がある。

   その一方で、高齢の人だと、ネットバンキングは使わないし、
   振り込みは窓口に行ってやるので、近所に窓口があることが必要になる。


   10年後、窓口をたくさん作る銀行と、
   ネットバンキングの充実とコンビニATMを使えるようにした銀行の
   どちらが経済的にうまくいくか。

   こんな答えのわかりきった問題ですら、考え方の古い高齢者は間違えてしまう。

   それくらい「考え方のクセ」はなかなか取れない。


   若い人にはあと何十年もの人生があるが、
   いまの時代に必要な知識を持っていない高齢者のせいで
   損をするのは若い人のほうだ。

   年寄りは逃げきってしまうから、どうでもいい。

   努力をしないで成果が出せる環境はどこなのか。

   それは、現在の情報や知識を仕入れて、賢い判断で選ばなければわからない。


   僕は、1976年生まれの「就職氷河期世代」だ。

   この世代の特徴は、「自分の頭で考えることができる」ということだと思う。

   僕らより上の世代は、バブル世代であり、時代を謳歌してきた。

   会社からも守られてきただろう。


   彼らの世代が、いま、早期退職でリストラの嵐に巻き込まれている。

   僕の世代は時代が悪かったぶん、
   考えることを余儀なくされ、おかげで能力が身についた。

   皮肉だが、悪い環境には人を育てる側面があり、
   時代が悪いことがチャンスにもなる。

   僕より上の世代は、「昔はよかった」と話す人が多い。


   しかし、ちゃんとデータを見ることができれば、
   昭和の時代より平成のほうが、殺人事件や餓死が少なく
   幸せの総量は多いことがわかる。

   人生で選択肢が目の前にあるときに、
   どういう基準で考えるのかは人それぞれ違う。

   そこには、「判断軸」が存在する。

   「考え方の考え方」みたいな部分だ。

   長期的な目線を持ち、「よりよい選択肢をとる」というクセがつくように、
   根っこの部分をつくる必要がある。

       <『1%の努力』ダイヤモンド社>

             ・・・

ひろゆき氏は「1%の努力」についてこう語る。

『アリの巣を観察すると、大きく分けて2つのタイプに分かれるという。
「働きアリ」と「働かないアリ」だ。

「働きアリ」は、任された仕事を一生懸命にこなす。
巣を掃除し、エサを運び、せっせと働く。

「働かないアリ」は、ダラダラと何もせず過ごし、たまにぷらぷらと外を出歩く。
サボっているように見えて、たまに「バカでかいエサ」を見つけて、
巣に戻って報告をする。

それを他のアリたちが運んできてくれる。

そんな「働かないアリ」であれ。

「働かないアリ」のように、お金や時間にとらわれない状態になると、
チャンスが見えるようになる。

2時間でやるべきことを1時間で終わらせて、1時間を余らせること。
さらに、30分で終わらせることはできないかと考え続けること。

天才は「1%のひらめき」をして、凡人は「99%の努力」をする。』


『「幸運の女神の前髪」という話がある。

幸運の女神には後ろ髪がついていないから通り過ぎたら捕まえることはできない、
という例えだ。

あるとき、
あなたの元に起業メンバーにならないかという誘いがくるかもしれない。
当日誘われた飲み会に運命の人が来ているかもしれない。

それもこれも、つねに「余裕」を持っていないと掴むことはできない。

また、順風満帆な人生にピンチがやってくるときもある。

そんなときも、スケジュールに余裕がないと頭の中はパンクしてしまい、
視野はどんどん狭くなる。

ヒマは全力で作っておいたほうがいい。

時間は余るものじゃない。

作り出すものだ。

世の中には、予定をパンパンに詰め込んで片っ端から対処するタイプの人もいる。

その場合、幸運の女神が現れたら、
両手はお手玉をしながら器用に前髪を掴めるのかもしれない。

ただ、凡人には難しい。

少なくとも片手は空けておかないと、チャンスを掴むことはできない。

「努力で解決しよう」「頑張ればなんとかなるかも」と考えている人は、
つねに両手が塞がっていてチャンスを取り逃す。』



中国の古典、「大学」の中に次のような言葉がある。

「心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味」

(心、ここにあらざれば、見れども見えず、
 聞けども聞こえず、食らえどもその味を知らず)

心がここになくて、うわのそらだったら、
何を見てもそれが見えないし、何を聞いても聞こえないし、
何を食べてもその味がわからない。

意識がそこにいっていないからだ。

多くの人は見たいと欲するものしか見ない。


心がここにないということは、余裕がないということ。

余裕がないと、目の前のことに忙殺されてしまい、
ものすごいチャンスが目の前を通り過ぎても見過ごしてしまう。


余裕がある人は、そこにどっぷり浸からず、
物事を色々な角度から眺めることができる。

同時に、短期的にではなく長期的にものを見ることもできる。
また、枝葉ではなく、本質でものを見ることもできる。


「チャンスの女神の前髪を掴むには」

常に心に余裕を持ち、色々な角度から物事を見ることができる人でありたい。

            <感謝合掌 令和2年3月29日 頓首再拝>

「伝説の会議」 - 伝統

2020/05/10 (Sun) 04:43:03

    *メルマガ「名言セラピー~この星にSpark JOY その28」(2020.04.14)より)

昭和36年。
経営の神様、松下幸之助(当時67歳)率いる
松下通信工業(現在のパナソニック)の幹部全員が集まり会議が開かれていました。

それは、後に「伝説の会議」と呼ばれます。
その全貌をお伝えしましょう。

トヨタ自動車から松下通信工業に対して、
大幅な値引き要求があったのです。

松下が納めていたカーラジオを半年以内に
20%コストダウンしろ、との要求があったのです。

これは松下にとって、
「死〇」というに等しいくらいのムリな要求でした。

  *〇:ね

松下の幹部たちは困り果て、言葉もでない。
20%のコストダウンなんて絶対ムリ。

静まり返る会議室に、あの男が現れます。
松下幸之助の登場です。


ここから幸之助の伝説のトークが始まります。
第一声はこう。
「どうして、トヨタはこういう要求をしてきたんや?」

トヨタのこの要求の裏には貿易の自由化問題がありました。
GMやフォードといった大メーカーとの価格面での競争が本格化し、
このままでは日本の自動車産業そのものが滅んでしまう、
という危機感がトヨタにはあったのです。


「そうか。そういうこっちゃな。
 でも、よく考えてみい。松下がトヨタさんの立場だったらどう考えるかや。
 やはり、同じ要求をしていたかもしれんな。

 君らは無茶な要求やと驚いてるが、 トヨタさんはどうや。
 どうすればコストダウンを達成して、
 日本の自動車産業を発展させていくことが
 できるかという危機感でいっぱいやろう。

 いわば業界全体、 さらには国のためを考えてるんや。
 松下一社の話とは違うんや。
 ここは『できません』と断ってはいかんと思う。
 なんとしてでも、値を下げなければならん」


幸之助のこの発言に対して、 幹部の一人がこう発言した。

「けれどもトヨタの要求はまず5%、半年後に15%。計20%という無茶なハードルです」

それに対して幸之助はこう返した。

「コストダウンというのは5%、10%を目標にしたらかえってできないんや。
20%となると、もう小手先の知恵ではどうにもならない。

発想を全て変えないとできん。
大きさを半分にしてしまうくらいの発想でないと、これはできんわな?

これは単に値引き要求を受けた というだけのことではないんや。
日本の産業を発展させるための公の 声だと受け止めなければならんのやないか?

もし20%の値引きに耐えられる 製品ができたら、どうや?
トヨタさんだけやなく世界で通用する製品になるんやないか?」

ここで、会議室の空気が一変したといいます。

この会議に参加していた幹部の一人は

「最初、みんなが困惑して淀んでいた会議の雰囲気が
 ぱっと晴れたかのように明るくなった」

と語っています。

「これができたときには全世界の会社が売ってくれと飛んでくるで。
 そう考えると、これはピンチやないな。
 松下にとって飛躍への天佑やな。

 チャンスやと思わんか?

 ありがたいことに、できたら買ってくれるという先まで決まってるんや。
 こんなにありがたいことはないで。
 普通は納入先を探さなあかんのやからな」


幸之助がこう語り終える頃には、

「やります!やります!きっとやり遂げます」

と、幹部一人一人の気持ちは燃えあがっていました。


最後に幸之助は幹部にこう言ったという。

「よし、その調子やで。ところで、いま利益はどのくらい出とるんや?」

「3%です」

「なに!? 3%やて? 少なすぎるで、それは」

数分前まで深刻に困り果てていた幹部が、
やる気になり、そして最後のこの会話で笑いが起きた。


やる気があり、笑いもある。

そんなところには、天使が舞い降りるのです。


結論を書きましょう。
松下、コストダウン20%達成。
本気になって協力してくれた松下の心意気に、
トヨタも販売台数という形で答えた。

つまり、コストダウン20%したにもかかわらず、
以前よりも松下の利益が増えたのです。

まさに、この瞬間、松下通信工業がカーラジオのトップメーカーへ踊り出たのです。


「人間は行きづまるということは絶対にない。
 行きづまるというのは、自分が“行きづまった”と思うだけのことである」
by松下幸之助


●復活ルール
行き詰ったときは、発想を根こそぎ変えるチャンスです。



「人間は行きづまるということは絶対にない。
 行きづまるというのは、
 自分が“行きづまった”と思うだけのことである」by松下幸之助

「好景気は企業が伸びる。 不景気は人が伸びる」by松下幸之助


まさに、今こそ、
腹に落としたい
松下こーちゃんの名言ですね。

            <感謝合掌 令和2年5月10日 頓首再拝>

【「制約」はチャンス】。 - 伝統

2020/06/09 (Tue) 04:36:13

       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.06.06)より

   (アダム・モーガン&マーク・バーデン氏の心に響く言葉より…)

   制約の持つポジティブな力は、いたるところで発揮されている。

   たとえば、遊びにおいて、
   ルールという縛りがあればこそ、ゲームは人を夢中にさせる。

   縛りをゆるめてしまえば、面白さは色あせてしまうだろう。


   ビジネスの世界もまた、制約ゆえの豊かな実りにあふれている。

   制約は次の4つの異なるグループに分かれる。


   1.「基礎の制約」成功のためには欠かせないとされる
    基礎的要素に制限がある。

   2.「リソースの制約」資金や人材など、重要なリソースに制限がある。

   3.「時間の制約」何かをするための時間の長さに制限がある。

   4.「方法の制約」何かをする時に、ある決まった方法で
    おこなわなければならないという形で制限がある。


   「基礎の制約」の例としては、(オンラインストアであるために)
   試し履きをしてもらえない状態で靴屋を始めることが挙げられる。

   ザッポスのことだ。

   この制約がきっかけとなって、ザッポスは2つの重要な要素を導入した。

   1つは「送料はこちらで負担します、返品も簡単です」という販売プロセスと、

   もう1つは、これもよく知られているが、
   ザッポス曰く「顧客に感動をもたらすサービス」だ。



   「リソースの制約」の例は、サウスウエスト航空だ。

   1970年代に所有する4機の航空機のうち1機を売却しなければ
   ならなくなったのだが、一方でそれまでに獲得した航路は手放さないと決めた。

   航路を維持するため、3機で4航路を運航する方法をあみ出す必要があった。

   ここでまた別の制約が生まれる。

   「時間の制約」だ。

   3機で4航路を運航するためには、
   空港での折り返し準備時間を10分以内にするほかない。

   到着した乗客と荷物を降ろし、機内を清掃し、新たな乗客と荷物を乗せる。

   これを10分で行うのだ。

   当時のアメリカの国内線の平均折り返し準備時間は1時間。

   短縮をやり遂げる方法(たとえば、座席指定なしという
   当時としては新しい方法の導入)を編み出した結果、
   4つの航路を維持できたのに加え、他の航空会社ではよくある
   滑走路での待機時間がなくなり、これが顧客をなびかせた。


   この新しい運航方法は、格安航空会社としての長期モデルとなり、
   その後何年も記録的な収益が続くこととなった。



   4番目の「方法の制約」の例が、インドのアラヴィンド眼科病院だ。

   この病院を創立した医師は、インドの貧しい人々のために
   高品質の眼科手術を、欧米に比べては破格の値段で行うという目標を立てた。

   ひたすら効率を求めた結果、マクドナルドの研修所で見た
   流れ作業の訓練方法をまねたというのはよく知られている話だ。

   アラヴィンド病院では現在、イギリスの国民保険サービスの下で
   毎年行われる眼科手術の60パーセントに匹敵する件数の手術が可能だ。

   コストは1000分の1。

   合併症はイギリスにおける眼科手術での発生率の半分だ。



   ここに挙げた定評のある事業はそれぞれ、制約に向き合うことを
   余儀なくされたおかげで、経営状態の向上や変革を成し遂げることができた。

   制約を受け入れ、その中に新たなチャンスを見出したのだ。

       <『逆転の生み出し方』文響社 https://amzn.to/3gYcIfx

         ・・・

本書の中にこんな事例があった。

『イスラエルのネゲヴ砂漠にある農場は経済的な苦境にあった。
 農作物を作って売る以外のビジネスに手を伸ばさなければ
 倒産してしまうという状況に陥った。

 そこで、シムハ・プラスという技術者と組み、
 新しい灌漑システムを販売しようと考えた。

 プラスは何年か前に、同時に植えられた木々の中で
 1本だけが段違いに高く太くそびえていることに気付く。

 調べてみると、その大きな木の根元に絶えず滴(しずく)を
 したたらせているパイプのわずかな漏(も)れがあった。

 実験を繰り返し、一定の時間をおいて適量の水を供給する
 点滴灌漑には、驚くほどの成長を促す効果があることがわかった。

 点滴灌漑を使用し始めたとたん、
 農場における桃、梨、アンズの収穫量は劇的に向上した。

 しかも水の消費量を50パーセントも低下させた。

 この新しいシステムを売る会社は今や8億ドル企業だ。』


 ビジネスの世界において「制約」を受けない会社など一つもない。

 これは、人間の一生においても、同じことが言える。


 天変地異や、疫病、戦争、事故や病気といった、
 まさかの坂(さか)という制約。

 そして、人、モノ、金、などの制約。


 「制約」こそチャンス、といえる人でありたい。

            <感謝合掌 令和2年6月9日 頓首再拝>

《機会はどこにあるか》 - 伝統

2020/06/21 (Sun) 04:27:44


        *「生長の家」(昭和29年5月21日の法語)より

   「好機会をつかむ」という言葉があるが、好機会は常にあるのである。

   しかし、「つかむ」のは自分自身の心境の問題である。

   自分の心境が開いていなかったら、「好機会」が戸を叩いていてさえも、
   戸を開いて入れる事ができないのである。

   実際、吾々の心境がそれに相応しくなったとき、
   何事でも出来ないことはないのである。

   多くの実業界の名士が、実業界に成功しているのは、
   彼らの心境が実業界に成功するに相応しい状態になっているからである。

   ある会社の重役が羨ましいからとて、
   社員の一人をその重役の位置に仮に抜擢して据えてみても、
   前の重役通りの仕事ができるかどうかは疑問である。

   その人の心境によっては、
   前の重役よりも成績をあげうるが、その反対の場合も多い。

   心がどの程度その仕事に相応しいかが問題だ。

   https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2315

            <感謝合掌 令和2年6月21日 頓首再拝>

チャンスをものにしている人は、手を抜かず、圧倒的な量で行動している - 伝統

2020/06/29 (Mon) 04:35:05

【圧倒的な量をこなしながら必死に突き抜ける】

       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.06.01)より

   (橋下徹氏の心に響く言葉より…)

   チャンスを「つかむ力」をつけるには「行動」しかない。

   だから僕は、人生の選択で迷ったときには、
   選択肢の中で一番大胆な道を選ぶことをこころがけてきました。

   「前進」か「現状維持」かの選択なら「前進」、
   「今までやったことのない道」か「やったことのある道」なら
   「今までやったことのない道」、
   「楽な道」か「しんどい道」かなら「しんどい道」を選びます。

   50歳になた今では、そのような選択ができるかどうかはわかりませんが、
   エネルギーがみなぎっている45歳くらいまでは、
   常にそのような選択をしていくべきだと思っています。

   これこそがチャンスを「つかむ力」を蓄えていくための方策です。


   チャンスは平等に転がっています。

   あとは自分にチャンスを「つかむ力」が備われば、
   まるで運命のようにして、予想もしなかった人生が転がり始めます。

   僕が弁護士だけではなく、タレントから大阪府知事、大阪市長、
   国政政党の代表という一風変わったキャリアを歩んできたのは、
   常に「行動」する選択をした結果ですが、

   そんな人生となったきっかけも、これまでやったことのないことに
   チャレンジしようという選択でした。

   最初にたった一つ「チャレンジする」という選択をしたことが、
   僕のその後の人生を決めたといっても過言ではありません。


   1997年のある日、僕は突然、高校のラグビー部の先輩だった人から
   電話連絡を受けました。

   先輩は大学卒業後に放送局に勤め、当時ラジオのディレクターに
   なっていたのですが、その電話は、

   「担当している深夜番組に出演予定だった弁護士が、
    急に出られなくなってしまった。橋下、ピンチヒッターで
    出てもらえないか」という打診でした。

   「生放送だから、とにかく弁護士にその場に座ってもらうことが
    必要なんや。すごいことを話てくれなくていい。ただ席に座って、
    パーソナリティの振りに答えてくれるだけでいいから、
    とにかく来てほしい」

   そう言われて、僕は、いきなり生放送でしゃべることができるだろうか、
   と一瞬迷いましたが、これまでやったことのないチャレンジをやってみよう、
   という選択をしました。

   テーマは、神戸連続児童殺傷事件だといいます。

   その事件の犯人が14歳の少年だったことがわかり、
   世間に激震が走っていた頃のことでした。

   生放送の当日に連絡を受けたので、準備も何もありません。

   でも僕は、そのときにチャレンジの選択をし、
   そのことが結局、僕の人生のすべてを決めることになったのです。


   出演するとなれば、あとは手を抜かずに全力で取り組むことです。

   僕には、少年犯罪について自分なりの意見がありました。

   当時は、世間でも弁護士の世界でも、少年犯罪に関しては
   「未成年者である加害者を守れ!」という論調が圧倒的多数でした。

   でも僕は、未成年者だろうと凶悪犯罪を起こした人間は
   厳罰に処すべきであり、場合によっては死刑もありうるというのが持論。

   そこで当日のラジオ生放送では、
   その持論をはっきり述べることに力を入れました。


   すると、そんなことを言う弁護士は当時では珍しかったのか、
   その放送を聞いていた大阪のあるテレビ局のプロデューサーから、
   「うちの番組にも出演してくれないか」という依頼が入りました。

   これが僕のテレビ初出演です。

   その番組も生放送で、少年犯罪を特集する15分くらいの
   コーナーでの出演でした。

   ラジオのときと同様に持論を展開することに力を入れたところ、
   今度はその局で新しく始まる夕方の情報番組の
   レギュラーコメンテーターになってくれ、と言われました。


   持論を展開するには、しっかりと勉強しなければなりません。

   世間のだいたいの人たちが言っていることを「右に倣え」で
   同じように言うのは簡単ですが、世間の風潮と異なることを言うには、
   完璧な論理を構築しなければなりません。

   これまでの経緯や、学説、多数説、少数説の問題点などを
   すべて把握した上で、自分なりの持論を構築しなければなりません。

   ここで「自分の価値」を打ち出せるかどうが勝負です。


   そして、同じ曜日のレギュラーコメンテーターとして
   僕の隣に座っていたのが、あのデーブ・スペクターさんです。

   その後デーブさんが、「こんな弁護士がいる」と
   東京のテレビ番組に紹介してくれました。

   生放送は、準備したものがそのまますべて活きる
   という甘いものではありません。

   また弁護士が普通に解説するようなことを僕が解説しても、
   自分のウリにはなりません。

   一つのテーマに100くらいの準備をやって、使ったものは一つや二つ。

   場合によっては使ったものはゼロで準備の労力だけかかった
   ということも多々ありました。

   それでも手を抜かずにやり続けました。

   持論で自分のウリをだすだけでなく、
   「弁護士なのにスーツではなくGパンと革ジャン」という
   独自のスタイルもウリにしていきました。

   とにかく手を抜かずに出演していたら、
   「行列のできる法律相談」「そこまで言って委員会」
   「スーパーモーニング」「笑っていいとも!」など
   全国ネットや関西ローカルのテレビ出演が次々と決まっていったのです。


   その後、作家の故・堺屋太一さんから、
   大阪府知事選挙への出馬をすすめられ、政治の世界に入りました。

      <『異端のすすめ強みを武器にする生き方』SB新書>

            ・・・

橋下氏は本書の中でこう語る。

『20代、30代で、自分の人生をきっちりと計画し、
 その通りに人生を進めることができる人は、非常にすくないでしょう。

 僕も20代の頃は、人生で成功を収めている人は皆、
 きっちりと計画を立てている人だと思っていました。

 ところが、その後自分もそれなりの人生を歩み、
 国内、国外で成功を収めている人と数多く接触する機会を持ってきて、
 今、いえるのは、人生なんて計画どおりにいかない、ということです。

 成功している人も、ほとんどが思いもよらない人生の歩みになっている、
 ということです。

 では、何が人生を決めるかといえば、
 思いもよらないチャンスをしっかりとものにする人と、
 ものにできない人は明確に分かれるということです。

 そして、チャンスをものにしている人の共通点は、
 皆、その時々に、一生懸命手を抜かず、
 圧倒的な量で行動しているということです。

 圧倒的な量をこなしながら必死に突き抜けようと、もがき続けること。

 このような中で、まるで運命のような巡り合わせでチャンスをつかみ、
 大きな結果がやってくるのです。

 夢や希望を持てないから行動できない。

 仕事に楽しさを感じないから行動できない。

 これらはすべて言い訳ですし、
 このように言っている限り、
 チャンスをつかむことはできないでしょう。』


多くの講演会や啓発本では、「夢を持て」「大きな目標を立てろ」という。

たしかに、子どもの頃から夢を持ち成功した
野球のイチロー選手のような人もいる。

しかし、これは本当にごく少数の成功例だ。

そんな夢すら持てないし、何をやったらいいかも分からない人が大多数なのだ。


しかし、橋下氏のいう「たまたまやってきたオファー」を
圧倒的な熱量で対応する人を、周りの人はよく見ている。

たまたまやってきたオファーとは、
「たのまれ事」という無茶振りされた仕事のことを言う。

それはたいてい「初めてやること」だったり、
「自分の能力を超えていること」だったり、
「メチャメチャ忙しい中で頼まれたこと」だったり、
「一銭にもならない面倒なこと」だったりする。


そして、それをニコニコしながら機嫌よく受ける人を、
チャンスをつかむ人という。

反対に、渋い顔して「こんなに忙しいのに」とか、
不機嫌な顔で断るような人には、次のオーダーは来ない。

それをチャンスを逃す人という。


頼まれたことには、圧倒的な量の準備とあらん限りの熱量を使い…

チャンスをものにできる人でありたい。

            <感謝合掌 令和2年6月29日 頓首再拝>

【変化を歓迎する】 - 伝統

2020/07/15 (Wed) 04:30:36


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.06.26)より

   (ジェリー・ミンチントン氏の心に響く言葉より…)

   多くの人は変化をひどく嫌う。

   長い時間をかけて自分の生活を設計してきたので、
   ずっとそのままにしておきたいと思うのだ。

   しかし残念ながら、そういう態度では失望を経験することになる。

   なぜなら、永遠に変わらないものは存在しないからだ。


   変化を起こしたくないとき、人びとはそれに抵抗を試みる。

   それが徒労に終わることを理解していないからだ。

   それだけではない。

   必要な変化を起こす努力を怠っていると、
   かえって変化に飲み込まれてしまうおそれがある。


   変化について前向きに考え、賢者と同じように行動しよう。

   すなわち、人生を向上させるために変化を利用するのだ。

   変化が訪れたことを嘆くのではなく、
   人生を向上させるチャンスととらえ、
   幸運が訪れたのだと考えればいい。


   人生では何かがずっと同じままであることは決してない。

   生きることは絶えず変化にさらされることなのだ。


   進化論を唱えたイギリスの生物学者チャールズ・ダーウィンが、
   こんなことを言っている。

  「最も強い生物や最も賢い生物が生き残るのではない。
   変化に最もうまく適応する生物が生き残るのだ」

   《変化の中に隠されているチャンスを見つけよう。
     変化を拒絶するのではなく歓迎することが大切だ。》

      <『自分の価値に気づくヒント』ディスカヴァー携書>

               ・・・

このコロナ禍では、多くの飲食店や観光業、旅行業、運輸、等々、
さまざまなところが大きな痛手を受けた。

そして、リモート会議や、授業、講演が当たり前になり、
「なんだ、オフィスまで行かなくても仕事(授業)ができるじゃない」
ということがわかってしまった。

それにより、都心の一等地のオフィスから移転する会社も少なくないという。


しかし、逆に、コロナ前と同じに戻そうという動きもある。

捉え方は人によってさまざまだし、どれが正解ということもない。


だが、これだけのインパクトを与えたコロナという「変化」にたいして、
自分の中で何かが変わっていない人はかなりマズイかもしれない。

変化を変化として意識しなかったということだからだ。


「競争相手は同業他社ではなく、時代の変化」(鈴木敏文)

という言葉がある。

同業他社の動きばかり気にしている人も、かなりマズイかもしれない。


「男子、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」

という三国志の中の言葉がある。

真の男子(女子も同じ)たるもの、死に物狂いで勉学や修練すれば、
三日も会わなければ、 見違えるように成長しているものだ。

さあ、目をこらしてよく見るがよい。


コロナ禍が少しずつ収束に向かいつつある今、このコロナから何を学んだのか。

どれだけ変わったのか。

人も会社も、そこが問われている。


変化を歓迎する人でありたい。

            <感謝合掌 令和2年7月15日 頓首再拝>

時々刻々が《機会》である - 伝統

2020/11/29 (Sun) 05:03:37


    *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月29日)より抜粋

機会なしと言うことなかれ、心さとき人々にとっては時々刻々が機会であり、
時々刻々の機会に心の練(ね)れていないものは、画期的な大機会が来たときに、
それを迅速に掴むことができないで、あたら、見逃してしまうのである。


これを大音楽家ハイドンの例に見よ、

彼は貧しき馭者(ぎょしゃ)の家に生まれ、
ある音楽教師の下(もと)に走り使いをする小僧として雇われたのである。

しかし彼はその間(あいだ)にも時間を無駄にしないで
音楽の知識を吸収するにつとめたのである。

彼の外見的な不幸はなおつづいた。

彼はウィンナ(=ウィーン)で理髪小僧になったのであるが、
その間(あいだ)にも彼は音楽の勉強と、自己改造と機会を
捉えることに時間を空費することはなかった。

彼はある日店に来た市の有力者の靴が埃によごれているのを見てその靴を
ただ深切の気持ちで磨いてあげたのが機会となって、その人と知合いになり、
そこに機会が掴まれたのである。

1798年この憐れなる少年の作曲「天地創造」が楽壇に紹介されるや、
永遠に沈まない太陽の光のような華やかな讃嘆の声にとりまかれたのである。

彼はかくて世界的音楽家となり、皇帝、皇后と食事をともにし、
王子たちに取り巻かれる貴族のごとき生活を送るにいたったのであるが、

この貧苦と貧乏のうちで時間を空費することなく作曲された「天地創造」こそ
は彼の全生涯八百有余の作曲のうち最も大なるものだと言われているのは
何を語るであろうか。

皇帝と食事をともにする栄誉も世界的大作曲家としての栄誉も
貧しき「無(な)き時間」のうちに自己訓練して得た成果である
ということである。

ローマは一日にして成らず、
最大の栄誉は「無(な)き時間」を活かして
自己訓練するところから得られるのである。

            <感謝合掌 令和2年11月29日 頓首再拝>

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