伝統板・第二

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正食 - 伝統

2016/11/17 (Thu) 03:50:04

《鶏卵礼讃を止める日》

          *「光明道中記」(11月17日)より

【汝等何を食い何を飲まんと思い煩う勿れ。(『生命の實相』第一巻)】

鶏の飼料の値段が昂騰しているのに鶏卵は
生産過剰で価格が低落して副業農家は赤字で悩んでいるとの事である。

幼少期には鶏卵は発育促進にバランスを得た栄養成分をもつのであるから
大いに食べて農家の経済を補ってあげるがよい。何しろ1個の卵殻の中にある成分だけで、
雛鳥の骨格も筋肉も内臓も脳髄も生成するだけの成分が揃っているのだからである。

併し病人や老人にとっては、あまり推奨し得る食物ではない。
それはその成分にコレステロールが含まれているからである。

コレステロールは老人に於ては血管壁に沈着して血管の硬化し、高血圧や、脳出血の原因になる。
病人にとっては消化不良では醗酵性下痢を起すことがある。
鶏卵は柔らかいから病人の食用として消化が好いなどと思っていると全然その反対である。

人間は「何を食い何を飲まんと思い煩う勿れ」が生長の家の主張である。
鶏卵食を摂(と)らなければ、また何々食を摂らなければ病人や虚弱者に栄養が摂れない
などと思うなというのである。

鶏卵以外の普通の食物にもっと栄養の多いものがザラにあり、外見は硬くとも、
硬い食物繊維が胃腸を刺激して消化液の分泌を促進する。

鶏卵を食するなら硬く茹でた方が生卵よりもよく消化する。
鳩や鶏は消化を促進する刺激剤として瓦礫や貝殻を食したりする。

            <感謝合掌 平成28年11月17日 頓首再拝>

《日本的食物に目覚める日》 - 伝統

2016/11/18 (Fri) 03:42:41


          *「光明道中記」(11月18日)より

【自然は生命の源泉である。(『百事如意』)】

日本人の体位低下は、西洋人の健康増進法を直輸入したところに原因していることを
気付かぬ人が多いのは残念である。
同じ人間のようでも西洋人の健康食物と日本人の健康食物とは異なるのである。

生物の食物は、其処に生まれた周囲に生じている食物を食べるのが適食である。
同じ芋虫だと言って大根に出来た芋虫は大根の葉を食って最も生長する。
蚕は桑の葉に生じた芋虫であるから大根を食わせたら死んでしまうであろう。

西洋人と日本人との相異は、その出生せる場所が異なるから、
桑に出来た芋虫と、大根に出来た芋虫との食物の相異のように、
人間の食物も相異しなければならぬ。

日本人に西洋的食餌を押付けるのは、蚕に大根葉を食わせるのと同じである。
体位が低下し虚弱になるは、そのまま素直(与えられた場所のもの)を失って、
何を食い何を飲まんと思い煩(わずら)ったからである。

三韓征伐時代の日本人は西洋人の食物を全然食しないで純粋の日本食で玄米を食していたから、
その体躯はいまよりもズッと骨太であった。

当時の軍刀などはあまりに長身で現在の日本人はそれを引き抜くことすら困難である。
また重量も非常に重く到底現在の日本人には自由に振舞わしかねるものである。

            <感謝合掌 平成28年11月18日 頓首再拝>

《身土不二の真理を悟る》 - 伝統

2016/11/19 (Sat) 03:23:59


          *「光明道中記」(11月19日)より

【消化吸収とは食べた物を「人間自身」に変化してしまうことである。
                         (『生命の實相』第六巻))】

台湾の水牛は台湾産の稲藁(いねわら)を食うが、
日本産の稲藁を与えても食わないと云うことを
台湾から来た人に聴いたことがある。

人間から見れば産地が異なっても同じ稲藁に見えるけれども、
動物は本能が発達しているから、
産地の相異による自分の食物としての適不適を知っているのである。

尤(もっと)も熱帯産米は幾分パサパサしていて日本人の嗜好に適しない。
何故パサパサするかと言うと、脂肪分が少いからである。

熱帯地に住む人間には身体を熱せしうむる脂肪分が不必要であるから、
自然は熱帯地米の脂肪分を減じているのである。

茲(ここ)にも大自然が観られる。
大自然の心は熱帯地に住む人には熱帯の産物を食せよ、
寒帯の人間には寒帯の食物を食せよと云うことである。

北海道その他、寒冷の地域に行くと脂肪の多い鮭や鱒が河川を盛り上るように上って来る。
寒地の人間の食物としてあれほど身体を温める食物は他に多くないのである。

鮭や鱒は温帯の大多数の日本人には食用に供することは遠慮し、
緯度から言えば北海道と同じ又はその以北にあたる
ヨーロッパ方面に住む民族に輸出すべしである。

国際収支の上からも健康上からもこの方がよいのである。

魚も、果物も、成るべく自分の住む土地の附近に出来たものを食べるべし。

エネルギー危機の時代に輸送力の節約にもなる。

            <感謝合掌 平成28年11月19日 頓首再拝>

《正食に帰る日》 - 伝統

2016/11/20 (Sun) 03:13:54


          *「光明道中記」(11月20日)より

【生長の家は病気を治すところではなく、病気を放すところである。
                      (『生命の實相』第十四巻)】

国民体位低下の原因に数えられるものに砂糖の過食がある。
砂糖の過食は、人間が味覚と云う五官的快楽に諛(こ)びるための
「何を食い何を飲まんと思う」心の状態の反影としての不自然食である。

その不自然的害悪を成るべく避けるためには2つの方法がある。

成るべく自分の生活地の緯度の近いところで産した砂糖を食用にすることである。
東北地方や北海道の人なら北海道附近で採れる甜菜糖を食することである。
本州の人なら成るべく本州に近いところの沖縄方面で採れる砂糖を食すべきである。

同一の形に見える砂糖でも霊妙な感覚で感ずるならば、
産地によって悉くその成分が異なるのである。

日本の精糖源は台湾、東南アジア、南米と段々日本を遠ざかって行くが、
日本の需要は出来るだけ、北は北海道の砂糖、南は沖縄産の砂糖を以てする方が、
日本人の健康食に敵(かな)う。

沖縄糖の中には精製工程が不完全で
手工業的製産で黒砂糖などを作っているとこともあるらしく、
それらは一層完全食として体位向上に適するものである。

菓子も「黒羊羹」のように黒砂糖のものの方が飽きが来ないのは、
成分が自然をそのままで平均しているからである。

自然が尊い。

          <感謝合掌 平成28年11月20日 頓首再拝>

人間の正しい食物について - 伝統

2016/12/07 (Wed) 03:56:12


         *新版「心と食物と人相と」(P16)より

人間を創造し給える神は、その食物として植物性のものを与えられたのであって、
動物性のものを「食物として与う」とは「創世記」には書かれていないのである。


「創世記」は次のように書いている。

「神いひ給ひけるは、見よ、我れ全地の面(おもて)にある種のなる諸(すべ)ての
草蔬(くさ)と、核(たね)ある木果(このみ)の結(な)る諸(すべ)ての樹とを
汝等に与ふ。これ汝らの糧(かて)となるべし」(「創世記」第1章29節)


すなわち、穀類と、野菜類と、果物とを人間の食物として与うということを
明記しているのであって動物を殺して食するなどということは神の御意志では
ないのである。

          <感謝合掌 平成28年12月7日 頓首再拝>

食物の選択如何は人類の運命を変える - 伝統

2016/12/22 (Thu) 04:48:17


        *「心と食べ物と人相と」はしがき(P3~4)より

「平和、平和」と叫びながら何故人類は、
大量殺戮兵器を、競争して製造しっつあるのだろうか。
何故、世界の至る所に戦争の叫びが絶えないのだろうか。

この現象を、精神分析の大家カール・A・メニンジャー博士は、
「人類は自己処罰しっつあるのだ」と説明している。

何のための自己処罰であるか。
それは食用のために、人類は多くの獣類を殺しているからだ。
殺した者は”殺し″によって報いられなければならない。

現在意識は肉食をとることが習慣性になっているので、それを罪悪だとは思わないけれども、
潜在意識の奥の奥には、”良心”という仏性があり、神性があり、審判官がある。

その”良心”が立ちあがって、人類を審判し、人類みづからを自己処罰するために、
いろいろの病気をつくったり、大量の自己処罰のために、戦争という一掃的な死刑執行場を
くり広げるのである。

(中略)

食物は”心”を変え、人相を変える。

そして人間は”心”によって行動し、
人相を観れば運命を預言できるとすれば、
食物の選択如何は人類の運命を変えることが判る。

          <感謝合掌 平成28年12月22日 頓首再拝>

《肉食に蝕まれつつある日本人》  - 伝統

2017/01/07 (Sat) 04:21:53


        *「心と食べ物と人相と」第2部<肉食と平和の関係>(P48~49)より

近頃、日本人の気性が戦闘的になりつつあることは否定できません。

それは学生騒動を見ても、賃上げ闘争にしても、自分の利益のため、
または主張を通すためには、周囲の人々や、国民全体に、どんな迷惑をかけてもかまわない、
自分の利益を達成し、主張を通しさえすればそれでよいのだという、

その戦闘的行為とその内面的精神とは、日本人の食生活が変わり、肉食度が増加した結果、
動物食には、動物が殺される時の恐怖や怨恨や憤怒の感情が動物の腺組織を刺激して
発生した毒性のホルモンが、動物の死骸の肉体の中に含まれているので、

その屍肉を食する人間には、殺害されつつある動物の、殺害者に対する闘争の感情を
掻き立てる毒素が、食肉者に経口的に移入せられるのです。

これらの毒素は肝臓によって処理して無毒化されるしくみになっているのだけれど、
あまりその毒素の量が多くなると肝臓は処理にくたびれて、処理不能となり、
その結果その人間は、肉食動物のごとく短気になり、少しの事でも興奮して、
相手を殺傷しても平気であるような気質が養成せられるのであります。

(中略)

”栄養、栄養”と肉食を奨励する政治や、マスコミ記事や、
パン食の学校給食が氾濫しているが、

豊葦原(とよあしはら)の瑞穂国(みずほのくに)に生まれた人間は、
もっと本来の食事 ―― 米食に還るべきであります。

          <感謝合掌 平成29年1月7日 頓首再拝>

“平和運動”と称して闘う人たち - 伝統

2017/01/31 (Tue) 04:50:43


        *「心と食べ物と人相と」第2部<肉食と平和の関係>(P49~50)より

「平和運動」「平和運動」と、平和を愛好する標語をプラカードに掲げながら、
その標語とは全然ウラハラな闘争的にならざるにはおられない“気質の荒れ”は、
一方では日本人の菜食が肉食に変化して来て、ホルモンの成分に異常を来たしつつある結果
だというほかはないのであります。
 
性欲の異常な興奮も肉食から来るのであります。
性遂行の倒錯化が到るところに起こって、有夫(ゆうふ)の婦人女性の姦通は勿論、
今の憲法では許されているし、

妻子のある男だと知りながら平気で、その男を遂情(すいじょう)するのを不道徳だと
思わないような世相は肉食の増加からくるものであります。

なぜなら、肉食の中に性欲を興奮せしめるコレステリンが多量に含まれていて、
性欲を興奮せしめる性ホルモンはコレステリンを材料として体内で生産せられる
からであります。
 
          <感謝合掌 平成29年1月31日 頓首再拝>

なぜ僧院の修行者は植物食なのか - 伝統

2017/02/19 (Sun) 04:30:11


        *「心と食物と人相と」第2部<肉食と平和の関係>(P51~52)より

古来、修行中の僧侶は性生活を清浄にし、煩悩にわずらわされないために
菜食と穀食とを主として、肉食をして山門に入らないようにしたのも、
肉食は殺生であるからとの理由にもよるが、

自然の体験から、罪を犯すごとき結果を招きやすい性欲の興奮を避けるための
自然の知恵でもあったのであります。

(中略)

僧院の修道者が肉食を排して清浄なる植物食をとることにしているのは、
植物性食物は血液を清浄にし、心に平和と静謐(せいひつ)とを与え、
戦闘の心を鎮め、真理を悟得するために適当な心的状態を与えるからであります。

          <感謝合掌 平成29年2月19日 頓首再拝>

《肉体の浄化に就いて》 - 伝統

2017/03/04 (Sat) 04:09:29


        *『幸福を招く365章』第2項(P41~42) より

私達の肉体が霊化するに従って、動物食や、アルコール飲料や、煙草や、甘味料や、
性的刺激を与えるものなど、肉体の低次の面を刺激する欲望が次第に減じて来るのである。

そして肉体の組織が霊妙になって来るに従い、カロリーの浪費も少なくなり、
肉体が霊的に働いてもエネルギーの消耗は極くわずかとなるから、食糧も次第に少量となり、
脳髄の調整に必要な睡眠も極くわずかですむようになり、しかも却って疲労感が少なくなる。

こうして肉体が浄化されるにつれて、今度は浄化された肉体が霊をして働きやすくならしめ、
霊魂の向上に貢献することできるようになる。

だから、肉体の霊化するのを待たずに、肉体の方から進んで動物食や、酒類や、煙草や、
甘味料や、性的刺激物を遠ざけるように努力すると、その努力によって肉体は普通よりも
一層早く霊化して霊魂の向上に役立つようになるのである。

          <感謝合掌 平成29年3月4日 頓首再拝>

歯の形から、摂取する食べ物を学ぶ - 伝統

2017/03/14 (Tue) 04:53:32


           *「光明道中記」(3月14日)より抜粋

【不健康は自然の生命の流れが何かの不自然で塞がれたことである。(『百事如意』)】


人間を造ったのは「自然」である。
自然を静かに観察する時は、何が生命を活(い)かすものであり、
何が生命を抑えるものであるかが判る。

(中略)

歯の形を見よ。
人間は何を食する生物であるか。

門歯8枚は菜食動物の歯、犬歯(けんし)4枚は肉食動物の歯、
残り20枚は臼歯(きゅうし)であって
穀食を搗(つ)きくだくように設計せられている。

人間は菜食が好いか肉食が好いかは、自然を観察すれば好い。
32枚の歯のうち4枚だけが肉食の歯であるから、
肉類は全食量の 1/8 を適量とする。

          <感謝合掌 平成29年3月14日 頓首再拝>

類は類を招(よ)び「人はその食物に似る」 - 伝統

2017/03/16 (Thu) 04:32:45


           *「光明道中記」(3月16日)より抜粋

類は類を招(よ)び「人はその食物に似る」
執濃(しつこ)い食物を好む民族のみが執着強く、欲深き者である。

日本人にして牛肉を多食し、魚族でも油濃きもの
 ―― 鯖(さば)、鰯(いわし)、鯵(あじ)の如き背の青き魚、
鮪(まぐろ)、鮭(さけ)、鱒(ます)の如き赤身の魚を多食する時は、
それが日本人の淡々たる性格に適せざるが故に、

その成分の一部が巧みに体外に排泄せらざる時には、
皮膚に雀斑(そばかす)、頬焼けなどとなってあらわれる。

生れつき雀斑多き者は概ねその父母が此種の食物の愛好者である。

          <感謝合掌 平成29年3月16日 頓首再拝>

吾々は、形が善き性質を表現する食物を食べるべきである - 伝統

2017/03/17 (Fri) 04:22:21


           *「光明道中記」(3月17日)より抜粋

「人はその食に似る」と言えば如何にも唯物論的に考えられる。
人間が食べるところの「物」に似ると云うのであれば「物」が主となり、
人間が従になって了う。

併し更に深く考えて見ると、
「物」は本来自性(じしょう)なく、「物、物に非ず」である。

それが或る一定の形状、色彩、性質を有すると云うことは、
それはその「物」の内部に、その形状、色彩、性質に対応するところの
心の波が存在していることを現わしているのである。

(中略)

或る植物が或る一定の形状をしていると云うことは、
その植物の内部に動いている心の波が、
そう云う形をもって象徴(しるし)となし得るような相(すがた)で
波打っているのである。

そうすれば吾々は形が善き性質を表現する食物を食べるべきである。

人間自身に内在する諸種の潜在的性質のうちから、
その食物に内在する心の波が「共鳴」の原理によって、
その同種のものだけを表面に引出すからである。

          <感謝合掌 平成29年3月17日 頓首再拝>

食が骨格を変え、人格をも変える - 伝統

2017/03/19 (Sun) 04:27:35


           *「光明道中記」(3月19日)より

実際、肉食を多くする人間は、それが数代に亙(わた)って続くときは
人間の骨格、歯の形状さえも肉食獣に似て来るのは事実である。

近頃の若い人たちは外側の門歯4本が犬歯のように尖っている人が可成り多い。
下顎が発達して横に広がり、下顎の蝶番(ちょうつがい)の支点から力点までの
距離が短く、強靭なる肉を前歯で噛むのに力の節約が出来る設計になる。

その結果、平安朝や元禄時代の面長の瓜実顔(うりざねがお)の上品にも優美な顔は
少なくなって顎が横広がりである円顔が多くなる。

所謂近代的美人が円顔であるのは、人間の形態が、その食物の結果、
羊や馬のような草食的従順形態から、ライオンや虎や猫のような
肉食的攻撃形態に移ったことを示している。

その肉食動物は表面媚び優しく装(よそお)いて、
(猫やライオンや虎などの外装の毛皮の如何に優美なるかを見よ)
油断を見て跳(と)びかかって相手の死命を制するのである。

正々堂々と働かずに、猫撫で声の如き外交をもって
人の膝に登りつき他の寵(ちょう)を得る。

牛馬の如き草食的従順形態は、外面を飾らず、猫撫で声も出さず、
その装いも美しく飾らず、
ただ営々と努力を持って世のために自己を献(ささ)げて働くのである。

          <感謝合掌 平成29年3月19日 頓首再拝>

食物にも調和が必要である - 伝統

2017/03/20 (Mon) 03:28:32


           *「光明道中記」(3月20日)より

【陰陽結ばれた所に生かす力が湧いて来る。(『生命の實相』第六巻)】

植物食の中でも色々の食物がある。
その食物の中に内在する「心的存在(こころのなみ)」は
その植物の性質(こころ)だけの
相異である。

速やかに成長して速やかに腐敗し枯死するような植物には、その通りの心がある。
そいう「心」を含んでいる食物を食すれば、吾々の神の子としての自覚が
積極的に相手を支配しない限り、自分が受動的である限り、
速やかに伸びて持続性のない性質が引き出される。

(悟って超越すれば別である)

類似のものが類似のものを引き出すのである。

昆布、大根、蒟蒻(こんにゃく)、蓮根(れんこん)などの「コン」の名の附く食物は
「根気」をよくし、持続性を強める。
これは言葉の類似による「類は類を呼ぶ」心の法則の応用である。

牛蒡(ごぼう)などは一以て貫く精神のあらわれとして、
食すれば終始一貫持続性を強める。

伸びるばかりで自分ひとりで立つことの出来ない瓜類、蔓藷(つるいも)類などは
引締る力のないものとして、引締る力のある塩気を強く鹹(しおから)くして
食すべきである。

塩気は物を引締るから肉類などを鹹(しおから)くすると硬くなりすぎる。
万物は陰陽で保つ。求心力と遠心力である。

塩気は求心力、霊の力であり、
水気は遠心力 ―― ぶよぶよと膨れて外にひろがる力である。
家庭にも食物にも調和が必要である。
(以上、石塚食養法の理論)

          <感謝合掌 平成29年3月20日 頓首再拝>

砂糖過食の戒め - 伝統

2017/03/21 (Tue) 03:28:08


           *「光明道中記」(3月21日)より抜粋

肉は焼けば縮まる、求心性の強いものであるからである。
餅は焼けば膨れる、遠心性のあるものだからである。

更に砂糖の乾餅(かきもち)は焼けば随分と大きく伸びる。
遠心性のものに遠心性のものを重複追加したからである。

肉は塩漬けにして焼けば益々縮まって硬く不味(まず)くなる。
求心性のものに求心性のものを重複追加したからである。

肉は淡(うす)く塩気を与え、砂糖を加えて甘味多くして食すれば美味である。
求心性のものと遠心性のものと陰と陽との調和である。

太陽は光を放ち、地球は光を吸収する。
遠心性と求心性との調和である。
其の調和の中から万物が生まれるのである。

肉食を主にしている西洋人が砂糖を多食するのは余りに害はない。
それは求心性の肉と遠心性の砂糖が調和するからである。

焼けばふくれる遠心性を其の内部力として包蔵する米を常食としながら、
徒(いたずら)に西洋の食習慣を輸入して、同じく遠心性の砂糖を過食する
ところに弊害があるのである。

遠心性を其の内部力として包蔵する食物を偏して食せば、
遠心性を中に空(うつ)ろにするが故に、内部が空ろになる筈である――

それは大阪医大の片瀬淡教授が実験せる砂糖過食の酸性血液症が
骨の成分が溶解して骨が軽石状になった実験に相照応する。

          <感謝合掌 平成29年3月21日 頓首再拝>

菜食と肉食との優劣 - 伝統

2017/04/07 (Fri) 06:14:08


         *「生命の實相」第2巻實相篇下(P7~11)より

河上肇博士の訳された『如何に生活すべきか』という本には、
菜食の人と肉食の人との健康を比較し、いろいろの実験のすえ、
菜食した人間の方が持続力が強いという統計を発表してあるのであります。

医学博士二木謙三氏や小田部荘三郎氏も本当の健康は菜食でないと得られない
といって菜食をすすめていられます。

この小田部博士の話によりますと、一時、全欧米を風靡(ふうび)した
大拳闘選手バットリング・ネルソンが、ある時勝ちうべき勝負に敗れた一大原因を、
その朝にとった肉食に帰し「肉食がわたしを疲労せしめた」と
嘆声をもらしたとのことであります。



《肉食中に含まれる毒素は殺された動物の精神力》

肉食から来る健康に対する有害作用の原因を、
医家は消化吸収に困難なために胃腸内で腐敗して毒素を発生する
と説明しているのであります。

もちろんそういうふうな説明のしようもありましょう。

しかし見のがしてならないのは、肉食に供せられる動物が死の刹那に苦しむ。
一寸の虫にも五分の魂をもっていて苦しみながら、その不条理な殺害に対して
憤りながら死ぬということであります。

憤るさいには動物はたいてい相手に噛みつこうとするのでありまして、
これは害悪の精神力が客観化した結果、相手を歯で傷つけると同時に、
唾液中に発生した毒素で相手をたおそうとする作用となったのであります。

そのさいに発生する毒素はハブ蛇毒のように猛毒作用を有するものもあれば
それほどでないものもありますが、ともかく「いかり」すなわち「害悪の精神力」が
物質化して毒素を唾液中に発生することは明瞭なのであります。

それと同時にその怒った動物の血液中にはこの毒素を中和する抗毒素が発生します。
そうでないとハブ蛇はもちろん他の動物でも怒ると同時に自分自身が
その毒に当てられて毒死してしまわねばなりません。

ところが相手をたおして自分を護ろうというのが怒りの目的でありますから、
「自分を護ろう」という精神力が物質化してこの抗毒素となるのであります。

ところが、抗毒素それ自身は毒でないかと申しますと、
それは反対性の毒素がない場合、すなわち抗毒素ばかりでは
またかえって毒作用を有するのであります。


《肉食生活者の短気な理由》

ところでわれわれが動物を食します場合には、むろん動物の唾液などを食べませんから、
唾液中の毒素を食べる恐れはありません。

しかしわれわれが肉食をする場合には筋肉組織中に含まれている血管も
一緒に食べてしまうのであります。

牛肉などは血液は大部分搾り出してしまってあるのですが、
その血管内にはやはりいく分の血液が残っており、
その血液の中には「憤怒の毒素」と中和してはじめて無毒となるところの
有力な毒分(抗毒素)が含まれているのであります。

肉食家は肉を食するごとにこの毒分を食べているのであります。

医家の説によりましても、また実際の人間について見ましても、
また肉食動物と菜食動物とを比較してみましても、
肉食する物は非常に気が短くて腹を立てやすいのであります。

これはなぜかと申しますと、常に肉食している結果「憤怒の毒素」と合して
中和しなければ治まらない毒性をもった抗毒素を吸収しているので、
この抗毒素を中和するために「憤怒の毒素」を必要とする結果、
生理的に怒ることを要求して来るのであります。

だから肉食家はどうしても腹を立てやすい、羊や馬はめったに腹を立てないが、
虎や獅子はすぐ腹を立てる。人間でも肉食をしているとどうしても興奮しやすいので、
あまり神経過敏で夜中眠りにくいような人は肉食を避け、
菜食にする方がよいとは専門家の説であります。


メタフィジカル・ヒーリングの立場から申せば
「何を食(くら)い何を飲まんと思い煩うことなかれ」でありますから、
肉食菜食は問題にはならない。

ただ「摂理」がわれわれに与えてくれたところのものを感謝して
平和な心で食べていればよいのでありますが、

ここに肉食菜食の話をしましたのは、心の作用(はたらき)が
どういうふうにして客観化して生理的物質となるかの経路を
ご説明申し上げるためであります。

元来物質には毒性も抗毒性もないのでありまして、
これに毒性を賦(あた)えたり、抗毒性を与えたりするのは
「念(こころ)」の力であります。

ハブ蛇毒はハブ蛇の「害悪の精神力」が物質化したのであって、
精神力がまず起こってそれが物質化して毒物となるのであって、
物質が先ではないのであります。

物質そのものに毒性というものが固有しているならば、
物質の毒性が精神の力によって解消してしまうことはできないはずであります。

ところが前述しましたように、岩野医学博士がモルモットに試みた実験によれば、
物質的存在と思われたハブ蛇毒の毒性が、精神療法家の念力によって中和して、
毒性を発揮しなくなったのであります。

これは物質の毒作用というものは本来物質の固有的性質ではなく
「念(こころ)の力」によって生じたものであるから、
反対の「念の力」を作用させればおのずから消滅するという
「生長の家」の主張に裏書きを与えたわけであります。

          <感謝合掌 平成29年4月7日 頓首再拝>

人間はその食べる食物に似てくる - 伝統

2017/04/26 (Wed) 03:29:23


      *「心と食物と人相と」第1部<健康と食物と心の関係>(P20~24)より

「類をもって集まる」ということは、その生物の住んでいる周囲に自然に生産する
食物を適食するという場所の類似のほかに、人間はその食べる食物によって、
その容貌が変化してくるということであります。

肉食をするとその食べる食物によって、
その容貌が変化してくるということであります。

(中略)

肉食獣は一時的に猛烈な力をだすのでありますが、普段はなまけていて、
他のものを突然襲って奪おうとしますが、

草食動物は、満遍なく平均に力を出してよく働き、
なまけることが少ないのであります。

人間も食物の種類によって、
多少これに類似の性格を帯びるに到るのであります。

・・・

次のWebには、「心と食物と人相と」第1部<健康と食物と心の関係>の内容が
反映されております。参考としてアドレスを紹介しておきます。

    → http://tenshoku.s109.coreserver.jp/INYO7-1.html

          <感謝合掌 平成29年4月26日 頓首再拝>

野菜は鹹(しおから)くして煮て食べましょう - 伝統

2017/05/13 (Sat) 03:18:14


      *「心と食物と人相と」第1部<健康と食物と心の関係>(P30~31)より

カリ塩は、ものをやわらかく(引きしめると反対)する性質(分子を分散せしめる
陰の性質)をもっております。

植物の開花または出穂前にカリ肥料をほどこしますと、
やわらかい果実や穀物が多くみのるのであります。

木灰にはカリの成分が多くふくまれております。
それは植物の成分のうち燃えないミネラル(鉱物成分)の中では
カリ成分が最も多いからであります。

筍(たけのこ)などの固い部分も、
灰のアクをもってゆでると柔らかくなるのであります。

そこで人体成分を構成しているミネラルのうちで、
肉体を固く引きしめる成分(陽)と、
分子を分散せしめてやわらかくふくらます成分との
陰陽のバランスを得せしめることが、

人間を生理的に平衡状態におく、
すなわち健康状態にあらしめる一つの方法になるのであります。

木灰の成分には食塩成分はほとんどふくまれていないで、
カリ塩成分のみ多量にふくまれていることから考えてみますと、
植物食ばかりをとると、どうしても食塩成分がバランスの上から
足りないことがわかります。

そこで、植物食には必ず、塩気で味をつけて食べるか
醤油からく煮てたべるのがよいのであります。

トマトや、西瓜(すいか)や、胡瓜(きゅうり)なども、
食塩を少量ふりかけて食べますと、味の調和を得るのであります。

ラッキョや茄子(なす)の生(なま)を食べても美味しくありませんが、
これを塩漬けにして食べると美味しいのです。

味が調和するということは、自然が「食用としての成分が調和していること」
を教えてくれているのであります。

料理は砂糖加減と塩加減とが大切なのはそのためであります。

          <感謝合掌 平成29年5月13日 頓首再拝>

砂糖を過食することをやめましょう - 伝統

2017/05/26 (Fri) 03:48:43


        *「心と食物と人相と」第1部<健康と食物と心の関係>(P31~33)より

砂糖は血液を酸性にします。
血液は一定のアルカリ度を保っているのが正常なのであります。

血液の酸度が高まってきて、一定のアルカリ度が保てなくなりますと、
人体は自衛のために、自分の歯や骨の中の石灰分(カルシューム)をとかして
血液のアルカリ度を保とうとするのであります。

そのために、歯が脆(もろ)くなり、むし歯にかかりやすくなり、
骨は粗(あら)くなり、結核菌に対する抵抗力が乏しくなります。

特に精製糖の人体に対する害は著明なるものであります。
副食物の調理には、決して精製糖を使ってはなりません。
やむを得ず使う場合には、ほんの少量を使うのがよいのであります。

およそ副食物の味の《よさ》は、
自然に何となく旨味(うまみ)を感ずる程度がよいので、
「砂糖で甘くしたな」とわかる甘未をもたせたのは下手の骨頂であります。

女中(お手伝い)さんに料理をまかせてあるような家庭の食物は、
たいてい甘すぎる料理をするのであります。

(中略)

終戦後まもなく私の宅に来ました女中さんの一人は、
御飯に砂糖をふりかけてたべていたりしました。

(中略)

それは、感情がイライラしている人間に対してはその「甘さ」の感じそのものが、
ある麻酔的なハタラキを与えるので、イライラが緩和されてくるのであります。

その女中はタラフク砂糖を食べたあげく、砂糖が嫌いになってしまいました
 ―― というよりは、母と自分との精神的葛藤が、私の家にいるうちに、
調和して精神的のカラサがなくなってきたために、むやみに「甘さ」を
ほしがらなくなったのであります。

(中略)

アルコールも煙草も砂糖も麻酔的または慰安的ハタラキをもっているのであります。

料理人は自分の好む「甘さ」を美味しいと感じますので、
不幸な境遇に堕ちたカラい人生に、せめて砂糖の「甘さ」で
あまやかされたい女中さんが、ちょうど適当な味だと思ってつくった料理は、
必ず「甘すぎる」のであります。

          <感謝合掌 平成29年5月26日 頓首再拝>

甘未をたべる場合の注意 - 伝統

2017/06/11 (Sun) 03:51:10


     *「心と食物と人相と」第1部<健康と食物と心の関係>(P36~37)より

砂糖をたべるならば、なるべく黒砂糖をたべることです。
純粋の砂糖は白くて美しいけれども、砂糖黍(きび)にふくまれている
全体の成分が調和して保たれていないので、
一方に偏しているために害が多いのであります。

神のつくった食物そのものに害があるのではなく、人工を加えて
自然の調和を破りすぎたところに害が一層多いのであります。

砂糖は陰性の食物であります。

太陽が地球等を太陽系等の中心に引きしめているように、
引きしめる力を陽の力といっておきましょう。

そして地球その他の惑星が外に分散して行こうとしている力を
陰の力といっておきましょう。

砂糖入りのカキモチでも焼いてごらんなさい。
「ぷう」とふくれて外に分子が分散して行って
中味はフワフワな粗(あら)いものになります。

純粋の砂糖を多くたべると、人体の骨でも歯でも筋肉でも、
こうした粗いものになって、充実した堅実な組織にならないのです。
こうした堅実でない肉体組織の人は病気に犯されやすいのです。

ところが黒砂糖は、砂糖黍をしぼった汁に石灰を大量に投じて
そのアク気を中和しながら煮つめて造るのでありますから、

陰性の砂糖の成分が陽性の石灰(カルシューム)で中和され、
「分散する力」と「引きしめる力」とがバランスを得ていますから、
健康食だということができます。

黒砂糖には甘蔗(砂糖黍)の成分から繊維素をのぞいたすべての成分に
カルシュームが入っているのですから栄養が平均しています。

しかたがって成長期にある児童の食物として恰好のものであります。

自然はよくしたもので、
幼い児童は黒砂糖でつくった駄菓子をこのむものであります。
これは成長に必要だからであります。

黒砂糖には、糖蜜が分離されていませんから、
この成分が老衰を防ぎ頭髪を長く保つに役立ちます。

          <感謝合掌 平成29年6月11日 頓首再拝>

穀物や果実を食べる場合には - 伝統

2017/06/30 (Fri) 02:57:16


      *「心と食物と人相と」第1部<健康と食物と心の関係>(P37~38)より

陽は「引きしめる力」、陰は「分散させる力」でありますから、
穀類(米、麦、豆類等)及び果実は外皮に陽成分が多いのであります。

皮は外から引きしめて一定の形を保たしめているのです。
だから果実は蜜柑でも林檎でも外皮にニタミンもカルシュームも多いので、
皮ごとたべるのがよいのであります。

従来は歯の弱い人にはそれができませんでしたが、現今ではミキサーが考案されて、
大抵の果実なら、ミキサーで果実の全成分を液体にして食用とすることができます。

米麦でも、内部はほとんど穀粉ばかりであるのに、その外皮にはいろいろな
ビタミンやミネラルが含まれているのです。

玄米を搗(つ)かずに、米粒全体を食用にすればよいわけですが、玄米の食用に
慣れない人の胃腸では玄米の銀皮は消化し得ないで、歯でかみくだかれないで
胃腸へ入った米粒の中味へは消化液が滲透しないために。全体の養分の吸収率を
害しますが、半搗米(はんつきまい)、または胚芽米にして食用にする方がよい
のであります。

(中略)

半搗米、黒砂糖、よく漬かって乳酸菌で酸味を帯びた「大根の漬物」を食べていると、
小麦胚芽、糖蜜、ヨーグルトをたべないでも、日本的食物で、これらと同じ成分を
たべることができるのであります。

          <感謝合掌 平成29年6月30日 頓首再拝>

ゴマ塩の効果 - 伝統

2017/07/18 (Tue) 03:48:35

      *「心と食物と人相と」第1部<健康と食物と心の関係>(P40~41)より

毎食、半搗米の飯一膳に、ゴマ塩半グラム位ずつかけてたべれば非常に健康になります。
ゴマは、あらゆる食品のうちで、第一級のカルシウムと油とを含んでいるのです。
まるでカルシウムと油の塊みたいなものです。

その油の消化吸収をよくするための塩が、ゴマ塩には適当に混和されている
のですから、こんな便利な食品はありません。

かつて石塚左玄氏などは、玄米食にゴマ塩と味噌汁と沢庵だけあれば、
人間の健康に不足はないといった位です。

ついでにゴマ塩のつくり方を申しておきましょう。
ゴマは香ばしい匂いのするまで炒り、焼塩または精製食品塩を
ゴマ2:塩1の割合で混合し、擂鉢で軽くすって、ゴマを半ば粉砕しておくのです。

焼塩にする方がよいのは、不純な塩はマグネシウムの含有量が多すぎて
健康によくないためで、焼けばマグネシウムが水にとけてなくなり
吸収し難くなるからです。

ゴマを半ば粉砕する理由は、全然粉砕してない場合は、胃の弱っている場合には
消化液が滲透せずしょうかしないことがあるし、あまり細かく粉砕して、
塩と全然一体になってしまったら、香味がなくなるからであります。

上のごとく製したのを1週間分位ずつ造って、小さな蓋物に入れて貯蔵し
毎食食卓に出して、御飯にふりかけて食べるのであります。

・・・

<参考Web>

(1)ゴマの成分
       http://www.takusei.net/eiyo.html
       http://www.henko.co.jp/goma/

(2)驚くほど万能!美味しいごまの5大効能まとめ!
       https://www.drwallet.jp/navi/16263/

・・・

<参考>

*凝固剤としてのマグネシウム(にがり)に関連した参考となるWeb
 → http://www.global-clean.com/html/nigari_sayo/index1.html


          <感謝合掌 平成29年7月18日 頓首再拝>

コゲ飯の茶漬けは胃腸の妙薬 - 伝統

2017/08/06 (Sun) 03:52:57


      *「心と食物と人相と」第1部<健康と食物と心の関係>(P41~42)より

胃腸の弱い人は、コゲ飯の茶漬に沢庵漬けでおあがりになるとよろしい。
コゲの香ばしい匂いは食欲をそそり消化液の分泌を促します。

日本茶の浸液には、相当の水溶性の葉緑素が含まれていると同時に、
そのアルカリ度が非常に高いために、ともすれば胃酸過多に傾きやすい
胃の弱い人には、そのアルカリ度が非常に効果をあらわすのであります。

茶にはビタミンB・Cが著明に含まれておりますので、
糖分澱粉等がエネルギーに化すときにぜひ必要なビタミン成分を供給し、
それがまた間接に胃腸を丈夫にすることにもなります。

(以下略~補足項目、注意項目等の記載あり)

          <感謝合掌 平成29年8月6日 頓首再拝>

セリエ博士の驚愕反応説 - 伝統

2017/08/21 (Mon) 04:42:40


      *「心と食物と人相と」第1部<健康と食物と心の関係>(P44)より

しかし、何よりも心の持ち方が大切です。
胃潰瘍でも、順反応または驚愕反応として起こる自律神経の過剰興奮によって
起こるというこがわかってきたのです。

すなわち、外界に起こるいろいろの事件に心が驚愕して、その事件に順応する
ためにどうしようか心が悩む ―― その心の悩みが自律神経を過度に興奮させて、
その部分の血行や、消化液やホルモンの分泌に「行きすぎ」を生じて、
その結果、胃腸の粘膜に潰瘍を生ずるということがわかってきたのです。

恐怖で自分の心がなやんでいる場合にも、それと同じ原理で自律神経の過剰興奮が、
恐怖のつづくかぎり、続くものですから、まず、そのような恐怖心をとり去るために、
固い食品をたべさせて、「君の胃腸は弱いのではない、眠っているのだ」と言って、
安心するよう暗示を与えて、コゲ飯でも食わせることがよいのであります。

もっとも、これは普通の胃弱の患者の場合で、
腸チブス患者のように、固形食を摂ったら腸穿孔を起こすおそれのある病人には、
応用すべきことではありません。

          <感謝合掌 平成29年8月21日 頓首再拝>

生き物を殺して食するのは残酷か - 伝統

2017/09/05 (Tue) 04:50:15


      *「心と食物と人相と」第2部<肉食と平和の問題>(P46)より

殺生とか慈悲とか残酷とかいう問題を考える場合には、
真剣でなければならないのである。

ただ問題を提起して相手を試みてやろうと思うのでは、
正しい答えは得られないのである。


生命を殺すことは、生命をもつ者の共通の悲しみであって、
どうすれば殺さないで生きられるかを真剣に考えることは、
坐禅の際に与えられる公案の解釈よりも、
もっともっと重大な人生道場での公案であり、

『先生、お米を食べることも、殺生ではありませんか』と
揶揄するような気持でたずねて、先生からその解釈を教えられて
『それでわかった』というような安っぽい問題ではないのである。

坐禅の公案は自分で解決しなければならないし、
そこに魂の進歩があると同じように、
人生道場での公案も自分で悩み自分で考え、
自分で解決するところに魂の進歩があるのである。
  
   (https://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/21374458.html

          <感謝合掌 平成29年9月5日 頓首再拝>

《一切衆生ことごとく仏性あり》 - 伝統

2017/09/25 (Mon) 03:23:02


      *「心と食物と人相と」第2部<肉食と平和の問題>(P47~48)より

牛を屠殺場に曳いて行くときには、何となくそれを感じて
牛も涙をこぼすということを私は聞いたことがあります。

私は『生命の實相』の中でアメリカの屠牛場の悲惨な光景を書き、
トルストイの菜食論を紹介した。これを読む人がひとりでも多く、
肉食の残虐行為から遠離(おんり)せられんことを希望したからである。
 
仏教は因果を説き、殺生を十不善の第一戒においているのであります。
そして原因あれば結果は循環してくることを説くのが仏教であります。

殺す者は殺されるのであります。

人類が動物食を続行して、殺生という悪徳の上に人類だけが
繁栄しようと思って、いくら平和論を説いても、それは自己の殺生欲を
くらますごまかしに過ぎないのであります。


平和論をなすもの、本当に平和を欲するならば、
肉食という殺生欲をやめることから始めなければならないのであります。

          <感謝合掌 平成29年9月25日 頓首再拝>

想念の浄化によって生活を浄化せよ - 伝統

2017/11/05 (Sun) 03:44:10


        *「心と食物と人相と」第2部<肉食と平和の関係>(P51~52)より

心に描くことが形にあらわれる。
動物を殺して、その肉を食いながら、心に”平和”を描くことができるでしょうか。
もしできるならばそれは、”道徳的反省”の欠如した精神薄弱者であるのであります。

世界中の多くの人がこのような精神薄弱者になっているから、
”平和””平和”と叫びながら、いたるところに闘争が開始され、
また継続されているのであります。

若い人たちよ、その若い清浄な、まだ汚れていない精神の上を
”死”の影や、”殺し”の影や、”病気”の影や、”不潔の想念”の影を
印しないようにせよ。

高く清く高邁にして純粋なる想念を維持するようにつとめよう。
清く高く純浄なる想念は、清浄なる空気、清浄新鮮なる食物と同じく、
血液を浄らかならしめ、それが反転して、精神を清らかならしめ、
清らかなる生活を好むにいたらしめるのであります。

          <感謝合掌 平成29年11月5日 頓首再拝>

《鶏卵は、病人や老人にとっては、あまり推奨し得る食物ではない》 - 伝統

2017/11/17 (Fri) 04:33:10


          *「光明道中記」(11月17日鶏卵礼讃を止める日)より

【汝等何を食い何を飲まんと思い煩う勿れ。(『生命の實相』第一巻)】

鶏の飼料の値段が昂騰しているのに鶏卵は
生産過剰で価格が低落して副業農家は赤字で悩んでいるとの事である。

幼少期には鶏卵は発育促進にバランスを得た栄養成分をもつのであるから
大いに食べて農家の経済を補ってあげるがよい。

何しろ1個の卵殻の中にある成分だけで、
雛鳥の骨格も筋肉も内臓も脳髄も生成するだけの成分が揃っているのだからである。

併し病人や老人にとっては、あまり推奨し得る食物ではない。
それはその成分にコレステロールが含まれているからである。

コレステロールは老人に於ては血管壁に沈着して
血管の硬化し、高血圧や、脳出血の原因になる。
病人にとっては消化不良では醗酵性下痢を起すことがある。
鶏卵は柔らかいから病人の食用として消化が好いなどと思っていると全然その反対である。

人間は「何を食い何を飲まんと思い煩う勿れ」が生長の家の主張である。
鶏卵食を摂(と)らなければ、また何々食を摂らなければ病人や虚弱者に栄養が摂れない
などと思うなというのである。

鶏卵以外の普通の食物にもっと栄養の多いものがザラにあり、外見は硬くとも、
硬い食物繊維が胃腸を刺激して消化液の分泌を促進する。

鶏卵を食するなら硬く茹でた方が生卵よりもよく消化する。
鳩や鶏は消化を促進する刺激剤として瓦礫や貝殻を食したりする。

          <感謝合掌 平成29年11月17日 頓首再拝>

身土不二 - 伝統

2017/11/19 (Sun) 04:44:07


          *「光明道中記」(11月18日~19日)より

《日本的食物に目覚める日》

【自然は生命の源泉である。(『百事如意』)】

日本人の体位低下は、西洋人の健康増進法を直輸入したところに原因していることを
気付かぬ人が多いのは残念である。
同じ人間のようでも西洋人の健康食物と日本人の健康食物とは異なるのである。

生物の食物は、其処に生まれた周囲に生じている食物を食べるのが適食である。
同じ芋虫だと言って大根に出来た芋虫は大根の葉を食って最も生長する。
蚕は桑の葉に生じた芋虫であるから大根を食わせたら死んでしまうであろう。

西洋人と日本人との相異は、その出生せる場所が異なるから、
桑に出来た芋虫と、大根に出来た芋虫との食物の相異のように、
人間の食物も相異しなければならぬ。

日本人に西洋的食餌を押付けるのは、蚕に大根葉を食わせるのと同じである。
体位が低下し虚弱になるは、そのまま素直(与えられた場所のもの)を失って、
何を食い何を飲まんと思い煩(わずら)ったからである。

三韓征伐時代の日本人は西洋人の食物を全然食しないで純粋の日本食で玄米を食していたから、
その体躯はいまよりもズッと骨太であった。

当時の軍刀などはあまりに長身で現在の日本人はそれを引き抜くことすら困難である。
また重量も非常に重く到底現在の日本人には自由に振舞わしかねるものである。

・・・

《身土不二の真理を悟る》

【消化吸収とは食べた物を「人間自身」に変化してしまうことである。(『生命の實相』第六巻))】

台湾の水牛は台湾産の稲藁(いねわら)を食うが、日本産の稲藁を与えても食わないと
云うことを台湾から来た人に聴いたことがある。

人間から見れば産地が異なっても同じ稲藁に見えるけれども、動物は本能が発達しているから、
産地の相異による自分の食物としての適不適を知っているのである。

尤(もっと)も熱帯産米は幾分パサパサしていて日本人の嗜好に適しない。
何故パサパサするかと言うと、脂肪分が少いからである。

熱帯地に住む人間には身体を熱せしうむる脂肪分が不必要であるから、
自然は熱帯地米の脂肪分を減じているのである。

茲(ここ)にも大自然が観られる。
大自然の心は熱帯地に住む人には熱帯の産物を食せよ、
寒帯の人間には寒帯の食物を食せよと云うことである。

北海道その他、寒冷の地域に行くと脂肪の多い鮭や鱒が河川を盛り上るように上って来る。
寒地の人間の食物としてあれほど身体を温める食物は他に多くないのである。

鮭や鱒は温帯の大多数の日本人には食用に供することは遠慮し、
緯度から言えば北海道と同じ又はその以北にあたるヨーロッパ方面に住む民族に輸出すべしである。

国際収支の上からも健康上からもこの方がよいのである。
魚も、果物も、成るべく自分の住む土地の附近に出来たものを食べるべし。
エネルギー危機の時代に輸送力の節約にもなる。

          <感謝合掌 平成29年11月19日 頓首再拝>

《砂糖の過食を戒める》 - 伝統

2017/11/20 (Mon) 03:51:19


          *「光明道中記」(11月20日 正食に帰る日)より抜粋

【生長の家は病気を治すところではなく、病気を放すところである。
                    (『生命の實相』第十四巻)】

国民体位低下の原因に数えられるものに砂糖の過食がある。

砂糖の過食は、
人間が味覚と云う五官的快楽に諛(こ)びるための「何を食い何を飲まんと思う」
心の状態の反影としての不自然食である。

その不自然的害悪を成るべく避けるためには次の方法がある。

成るべく自分の生活地の緯度の近いところで産した砂糖を食用にすることである。
東北地方や北海道の人なら北海道附近で採れる甜菜糖を食することである。
本州の人なら成るべく本州に近いところの沖縄方面で採れる砂糖を食すべきである。

          <感謝合掌 平成29年11月20日 頓首再拝>

WHO発表「砂糖は1日25gまで」 - 伝統

2017/12/09 (Sat) 03:22:32

(上記「砂糖の過食を戒める」に関連し)

WHO発表「砂糖は1日25gまで」

         *Web:MAG2NEWS(2016.03.03)より

(1)砂糖の摂取量 は、砂糖25gは「ティースプーン6杯ぐらい」

(2)市販のドリンクにはどれぐらい砂糖が入っている?

  ①WHOによると、スプーン1杯のケチャップには約4g、
   炭酸飲料1缶(350ml)には約40g程度の砂糖が含まれているそうです。
   炭酸飲料を1缶飲めば、1日の砂糖摂取量を軽くオーバーしてしまうこと
   がわかります。

  ②こうした飲料は最近では500mlサイズのペットボトルが主流のため、
   ドリンク1本あたりの砂糖含有量は50~70g程度と、
   摂取目標の2倍以上の数値になってしまうことも珍しくありません。

   これは砂糖の含有量の多さが指摘されているエナジードリンクなどでも同様です。

  ③一般的な缶コーヒー(190ml・微糖タイプやブラックは除く)にも
   1本あたり15g程度の砂糖が含まれているため、
   1本飲めば1日の目標量の半分以上の砂糖を摂ったことになります。

(3)パンやお惣菜にも注意が必要

  ①市販されている加工食品の多くに砂糖は使用されています。
   菓子パンでなくても、食パンなど市販のパンのほとんどには
   砂糖が使用されています。

   コンビニやスーパーなどで販売されているお惣菜にも砂糖が使用されています。

   これらに含まれる砂糖の量は、購入者にはわかりにくいものです。

  ②こうした理由から、肥満や生活習慣病、アレルギー疾患などが気になる人は、
   まず砂糖含有量の多いジュースや缶コーヒーを飲むことを控えて、
   できるだけ調理した人や成分のわかる食品を摂ることを心がけるようにする
   とよいでしょう。

   (http://www.mag2.com/p/news/153385?l=cjw0de4fef

          <感謝合掌 平成29年12月9日 頓首再拝>

肉食のときの偈 - 伝統

2017/12/28 (Thu) 03:30:04


         *『白鳩』(昭和39年10月号)より

あなたが肉食をしなければならぬとき、心の中でこのように念じましょう

  『あなたの尊い生命(いのち)の献げものを
  わたしは今合掌して受け取ります

  それをわたしは一層高い生命(せいめい)に高めあげて
  更に一層高い生命(せいめい)に献げます

  あなたのささげられたる生命(せいめい)が無駄にならないように
  わたしはわたしの生命(せいめい)を尊い目的のために生きる事を誓います

  あなたの生命(いのち)もわたしの生命(いのち)も
  ともに天国から天降って来た生命(せいめい)ですから

  ともに斯して天国に帰るのです』

   (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/08ba3ab7d2a3b2ec39077720f7e5225a

          <感謝合掌 平成29年12月28日 頓首再拝>

肉食生活を続ける限り世界に平和は来らず - 伝統

2018/01/13 (Sat) 04:25:56


        *「心と食物と人相と」第2部<肉食と平和の関係>(P52~53)より

私はアメリカへ行ったとき、立派な宗教家で尊敬に値する地位にある米人と会食をした際に、
その米人が、鶏肉を串に刺したように、大腿部の肉から突き出ている骨を指先で握りながら、
その肉を貪り食っている姿を見た時に、平和を唱えながら日本に原爆を落とし、
ベトナムで多くの血を流していた米人の性格の生ずる原因を見たような気がしたのであります。

「これでは世界に平和が来るのは未(いま)だし」という感を深くしたわけであります。

日本人の食生活がだんだんアメリカ化して肉食偏重に傾きつつあるとき、
「ヤンキー・ゴー・ホーム」などといって外部の米国人を追い払うことができても、
内臓の中まで侵入して来て、血液を、そして精神をも、肉食獣化しつつある外来毒素を
どうするつもりだろうか。

「ヤンキー・ゴー・ホーム」は、その米国的食生活を追放(ゴーホーム)させなければ、
精神までも「大和(だいわ)」から「好戦的」に変えてしまいつつあるのであります。

外部へ向かって国際的に戦争するかわりに、毎日毎日、賃上げ闘争、順法闘争、学生戦争、
何々戦争・・・で明け暮れている現状の根源的原因の一つは、
その門歯が肉食化しつつある原因とおなじものであるのであります。

          <感謝合掌 平成30年1月13日 頓首再拝>

肉食の功罪について - 伝統

2018/01/29 (Mon) 03:47:06


        *「心と食物と人相と」第2部<肉食と平和の関係>(P53~54)より

ミヨシ油脂の三木春逸社長が、海外 旅行をおえて帰朝しての感想が、
かつて日本経済新聞に出ていましたが、
それには「生活の洋風化とかいって最近は”肉食人間”がふえているようだが、
これは考えものだ。 海外旅行をしてみて、日本のよさがつくづくわかった。
これは食べ物からきていると思う。

西洋は”悪魔の国”、東洋は”仏の国”、日本は”神の国”だ。
”肉食人間”の国は行動も文化 も粗野で荒々しい。
もちろん体格だけはりっぱになるが、頭はカラッポだ。

最近、殺伐な事件が多いのは日本人が肉食人間になってきたからではないか。
それは肉食の鷹と草食の小鳥を比較すればわかる」という一節がありました。

地上の人類全部が肉食をやめるようになれば世界に目ぼしい戦争はほとんど
なくなるであろうと思います。

しかし残念なことに日本の政府は肉食奨励論者であって、国費をつかって
海外から牛肉などまで輸入していて、そして「平和」を叫ぶのだから、
平和の叫びが空回りしてしまうのであります。

動物を殺しまたは殺させて食べること、
平和を悦ぶ心とは黒白相容れない種類のものであるのであります。

アメリカ人がもし肉食をしていなかったら、
日本にトルーマンは原爆を落とさなかったであろうし、
ヴェトナムのあのような戦争は起こさなかったのではないでしょうか。

          <感謝合掌 平成30年1月29日 頓首再拝>

お母さんの食生活が子供を病気に - 伝統

2018/02/17 (Sat) 03:09:49


        *Web:ホリスティック雅代メソッド(2017年07月21日)より


残酷なくらい正直な話9(家族編)お母さんの食生活が子供を病気に

テーマ: 「日本女性が変わると日本が変わる」

と常々言っている私ですが、お母さん達がきちんとした栄養の知識がなく、
子供の好きなものを食べさせていると、子供達は心も体も不健康になります。

今日は、酷いアトピーの子供のお母さん自身の問題から原因を紐解いていきます。
______

私は過去に健康の説明会のために、アメリカ中を駆け巡っていたことがあり、
様々な人たちに出会い、思いがけない発見や学びもたくさんありました。

ニューヨークのある空手道場で説明会をした時のことです。
道場の先生(ご主人)は朝起きるのが苦手でした。

しかし、私のお勧めの頭が冴える栄養補強食品を一錠飲んだだけで、
翌日あれだけ起きられなかったご主人が早起きし、
道場のお掃除をするまでになったのです。
奥さんはびっくり仰天!


また、その栄養補強食品を飲み続けると、
それまで子供に教える際、子供が動き回る度にイライラしていたのに、
それがなくなったというのです。

体調も抜群で、今度は生徒にも飲ませたそうです。



すると試合の前に飲ませた3人が3人とも優勝し、
先生は大感激で、私を招いて健康説明会を主催したのです。

その時、どうしても先生が話を聞かせたい人がいました。

酷いアトピーでとても困っている「R君のお母さん」でした。

しかし、彼女は開始時間に遅れ、たまたま空いていた前の席に座りました。

そして、座るやいなや、キョロキョロと左右や天井を見始めたのです。

初めは遅れてきたので、「落ち着くのに時間がかかるのかな?」と思っていましたが、
ずっとこの落ち着きのない態度を続け、自分の体を触ったり、手を見たり、
頭や体を動かしたりで、黙って私のほうを見ていられないのです。



目の前の人がチョコチョコ体を動かすので、
私も気が散って集中できず、本当に困ってしまいました。

少ししてパッと閃いたのです。

「彼女は多動症だ。だから、息子さんがアトピーなんだ」と。

そして、この家庭の問題はすぐわかりました。

それは栄養不足!

多動症もアトピーも栄養不足が原因なのです。

お母さん自身が野菜など体に必要な食べ物は嫌いで、
多分、緑の野菜などはほとんど食卓に出さないだろうし、
食生活は相当に偏っているにちがいないと想像できました。



お母さんが栄養不足の典型ですから、
息子さんも問題がないはずがないのです。

母親が賢く栄養や体のことを勉強し実践しないで、
医者や薬に依存しても、自分も家族も健康にできないのです。

子供に問題があるなら、まずは自分たちの食生活を見直すことが一番重要です。
子供の不調は親の食生活や、生活の意識の低さの結果なのですから。

最近多い、鬱、認知症、アトピー、花粉症、膠原病、リウマチ、その他、
すべての病気や難病も、食べているものが大きく関係しています。

今では私は健康問題を聞くと、その人の食生活が
バッチリと当てられるぐらいになりました。

ヨーロッパの諺にあるように、

「私たちは食べている物の結果」なのです。

          <感謝合掌 平成30年2月17日 頓首再拝>

菜食、肉食、穀食の割合 - 伝統

2018/03/14 (Wed) 04:24:53


           *「光明道中記」(3月14日 自然を拝む日)より抜粋

歯の形を見よ。

人間は何を食する生物であるか。

門歯8枚は菜食動物の歯、犬歯(けんし)4枚は肉食動物の歯、
残り20枚は臼歯(きゅうし)であって穀食を搗(つ)きくだくように設計せられている。

人間は菜食が好いか肉食が好いかは、自然を観察すれば好い。

32枚の歯のうち4枚だけが肉食の歯であるから、
肉類は全食量の 1/8 を適量とする。

          <感謝合掌 平成30年3月14日 頓首再拝>

人間はその食するところの食物に似る - 伝統

2018/03/15 (Thu) 03:47:37


           *「光明道中記」(3月15日 待人来る日)より

【類は類を招(よ)ぶ。類でないものは反発する。此(この)法則で運命が形成される。
                           (『生命の實相』第一巻)】

ドイツの諺には「人間はその食するところの食物に似る」と云うのがある。
日本でも石塚食養法の石塚左玄氏は此の説をとなえて、
その食養法もそれによって指定せられていたのである。

ドイツでは生人参(なまにんじん)を食べると美しい歯と顔色になり、
蔓条(すじ)を追うて薯(いも)を作って行く馬鈴薯は推理力を、
その蔓(つる)の曲線美が芸術的である蔓豆は芸術的能力を発達させると言っている。

そこで人参を多く食するロシア農民は歯が非常に美しく顔色が人参色をしている。
馬鈴薯を小麦の代りに食べているドイツ人は世界一の哲学者科学者などを輩出している。

石塚氏は目の形が食物の形に似る事を事実を以て指摘した。
麦を常食とする人の目は麦粒の形をしており、米を常食とする人の目は米粒の形に
切れていると言って、その典型的な写真をその著書に掲げた事がある。

藷(いも)類を多食すると、手足が大きく伸びるのは藷そのものが
手足を伸ばして伸びて行くものだからだろうか。

藷は横にのびるものであるから、それを多食する者は正坐が下手であって
ごろごろと転がるものが好きである。

米を常食とする者は一株の苗から無数の株が増殖するように殖えるのである。

日本の国民は米に似てその発達増殖限りなしである。

「実るほど頭のさがる稲穂かな」。

          <感謝合掌 平成30年3月15日 頓首再拝>

類は類を招(よ)び「人はその食物に似る」 - 伝統

2018/03/16 (Fri) 03:17:37


           *「光明道中記」(3月16日)より抜粋

類は類を招(よ)び「人はその食物に似る」
執濃(しつこ)い食物を好む民族のみが執着強く、欲深き者である。

日本人にして牛肉を多食し、魚族でも油濃きもの
 ―― 鯖(さば)、鰯(いわし)、鯵(あじ)の如き背の青き魚、
鮪(まぐろ)、鮭(さけ)、鱒(ます)の如き赤身の魚を多食する時は、
それが日本人の淡々たる性格に適せざるが故に、

その成分の一部が巧みに体外に排泄せらざる時には、
皮膚に雀斑(そばかす)、頬焼けなどとなってあらわれる。

生れつき雀斑多き者は概ねその父母が此種の食物の愛好者である。

          <感謝合掌 平成30年3月16日 頓首再拝>

吾々は形が善き性質を表現する食物を食べるべきである - 伝統

2018/03/17 (Sat) 03:29:53


           *「光明道中記」(3月17日 人相応を知る日)より

【教育とは引き出すこと。(『生命の實相』第七巻)】


「人はその食に似る」と言えば如何にも唯物論的に考えられる。
人間が食べるところの「物」に似ると云うのであれば「物」が主となり、
人間が従になって了う。

併し更に深く考えて見ると、
「物」は本来自性(じしょう)なく、「物、物に非ず」である。

それが或る一定の形状、色彩、性質を有すると云うことは、
それはその「物」の内部に、その形状、色彩、性質に対応するところの
心の波が存在していることを現わしているのである。

例えば吾々が顔を赧(あか)くするならば、
顔は物質であって、自性なく、自分の力で赧(あか)くはならない、
何か赧(あか)くなるところの心の波が内部に起るときに顔が赧(あか)くなるのである。

それと同じく或る植物が或る一定の形状をしていると云うことは、
その植物の内部に動いている心の波が、
そう云う形をもって象徴(しるし)となし得るような相(すがた)で
波打っているのである。

草花の美しさは十七八歳の少女の羞じらう感じを与える
 ―― そしてその草花は生殖のために蝶(ちょう)を招んでいるではないか。
やっぱり、形は心の影だ。

そうすれば吾々は形が善き性質を表現する食物を食べるべきである。

人間自身に内在する諸種の潜在的性質のうちから、
その食物に内在する心の波が「共鳴」の原理によって、
その同種のものだけを表面に引出すからである。

          <感謝合掌 平成30年3月17日 頓首再拝>

食物は、人間の骨格、性格に影響を及ぼす - 伝統

2018/03/19 (Mon) 03:26:39


           *「光明道中記」(3月19日 人格完成の日)より

【教育の目的は完全なる人格の養成にある。(『生命の實相』第十三巻)】

実際、肉食を多くする人間は、それが数代に亙(わた)って続くときは
人間の骨格、歯の形状さえも肉食獣に似て来るのは事実である。

近頃の若い人たちは外側の門歯4本が犬歯のように尖っている人が可成り多い。
下顎が発達して横に広がり、下顎の蝶番(ちょうつがい)の支点から力点までの
距離が短く、強靭なる肉を前歯で噛むのに力の節約が出来る設計になる。

その結果、平安朝や元禄時代の面長の瓜実顔(うりざねがお)の
上品にも優美な顔は少なくなって顎が横広がりである円顔が多くなる。

所謂近代的美人が円顔であるのは、人間の形態が、その食物の結果、
羊や馬のような草食的従順形態から、ライオンや虎や猫のような
肉食的攻撃形態に移ったことを示している。

その肉食動物は表面媚び優しく装(よそお)いて、
(猫やライオンや虎などの外装の毛皮の如何に優美なるかを見よ)
油断を見て跳(と)びかかって相手の死命を制するのである。

正々堂々と働かずに、猫撫で声の如き外交をもって
人の膝に登りつき他の寵(ちょう)を得る。

牛馬の如き草食的従順形態は、外面を飾らず、猫撫で声も出さず、
その装いも美しく飾らず、
ただ営々と努力を持って世のために自己を献(ささ)げて働くのである。

          <感謝合掌 平成30年3月19日 頓首再拝>

求心性の食物と遠心性の食物の調和 - 伝統

2018/03/21 (Wed) 03:36:48


      *「光明道中記」(3月21日 実相展(ひら)いて現象整う日)より

【心が交わらないなら、肉体が交じり合って何の夫婦のまじわりでありましょうぞ。
                        (『生命の實相』第二十巻)】

肉は焼けば縮まる、求心性の強いものであるからである。
餅は焼けば膨れる、遠心性のあるものだからである。

更に砂糖の乾餅(かきもち)は焼けば随分と大きく伸びる。
遠心性のものに遠心性のものを重複追加したからである。

肉は塩漬けにして焼けば益々縮まって硬く不味(まず)くなる。
求心性のものに求心性のものを重複追加したからである。

肉は淡(うす)く塩気を与え、砂糖を加えて甘味多くして食すれば美味である。
求心性のものと遠心性のものと陰と陽との調和である。

太陽は光を放ち、地球は光を吸収する。
遠心性と求心性との調和である。
其の調和の中から万物が生まれるのである。

肉食を主にしている西洋人が砂糖を多食するのは余りに害はない。
それは求心性の肉と遠心性の砂糖が調和するからである。

焼けばふくれる遠心性を其の内部力として包蔵する米を常食としながら、
徒(いたずら)に西洋の食習慣を輸入して、同じく遠心性の砂糖を過食する
ところに弊害があるのである。

遠心性を其の内部力として包蔵する食物を偏して食せば、
遠心性を中に空(うつ)ろにするが故に、内部が空ろになる筈である――

それは大阪医大の片瀬淡教授が実験せる砂糖過食の酸性血液症が
骨の成分が溶解して骨が軽石状になった実験に相照応する。

          <感謝合掌 平成30年3月21日 頓首再拝>

食物は心を左右する - 伝統

2018/04/13 (Fri) 03:24:37


        *「心と食物と人相と」第2部<肉食と平和の関係>(P54~55)より

ある年、私は日本政府が、メキシコから流行病の菌で汚染したかもしれない
牛肉を、加熱装置で消毒した保証のあるものならば輸入することにした、
という報道をきいて、愕然として驚くと共に悲しんだのであります。

何のためにそのゆな不潔な獣肉を輸入して国民の血液を汚さねばならないのか、
私は政府要路の人たちにききたいのであります。

「食は心なり」という諺もあるのであります。

肉食をする獅子や虎や狼は獰猛であって、自己の食欲を満たすためには
他の生命を傷つけることを何とも思わないのであります。

そして平常は働かずに懶(なま)けている。
懶けていて貪り食いたいのが肉食獣の性質であります。

日本も戦後、肉食がふえて来るにしたがって懶けていて貪りたい人間が
ふえているのであります。できるだけ働く時間を少なくして収入を貪りたい
肉食獣的パターンの人間が増加しているのであります。

この事は「類をもって集まる」という法則からも説明できますが、
「人はその食する食物によってその性質が左右される」という
「食心一元」の理からも説明できるのであります。

          <感謝合掌 平成30年4月13日 頓首再拝>

肉食は眼の相をも変化する - 伝統

2018/04/28 (Sat) 03:30:03


        *「心と食物と人相と」第2部<肉食と平和の関係>(P55~56)より

桜沢如一氏は、食物によって人相が変わることを指摘しました。
肉食を多食すると、眼精(がんせい)が上を向いて、
瞳が眼の中央部にいなくなるので、一見して、
この人は肉食を多食した人だとわかるという説であります。

瞳が眼の中央になく、上方に傾いて、顔がマトモを向いていても、
瞳の下方の白眼が見える眼相を、”上目(うわめ)三白眼(さんぱくがん)”と
観相家は名づけたのであります。

三白とは眼の左右及び下部の三方向が白く見えるという意味です。

”上目(うわめ)三白眼(さんぱくがん)”の人間は性格が異常であって
偏執的であり、行動が時として狂暴になると観相家は伝えているのであります。

肉食過多の者が、肉食獣のように性格や行動が狂暴になるのは、
当然のことだというほかはないのであります。

          <感謝合掌 平成30年4月28日 頓首再拝>

肉食は歯の形を猛獣化する - 伝統

2018/05/25 (Fri) 04:32:51


        *「心と食物と人相と」第2部<肉食と平和の関係>(P56~57)より抜粋

それよりさらに、
顔面部の変化は歯の形が食物によって変化するということであります。

植物食を主として成長した人々は、犬歯と称する肉食に適する先の尖った歯が、
あまり先がとがらず、門歯の形に似てくるのであります。

それに反して肉食を多食して成長すると、
門歯の先が菜刀(ながたな)のように平らかでなくて、
犬歯のごとく尖ってくるのであります。

肉食すれば、だんだんその人の体質及び体格が肉食獣に
近づいてくることを示しているのであります。

          <感謝合掌 平成30年5月25日 頓首再拝>

肉食は戦争につながる - 伝統

2018/05/29 (Tue) 03:58:54


        *「心と食物と人相と」第2部<肉食と平和の関係>(P57~58)より

ともかく、食物は、ただの物質ではなく、生命体であり、
内に想念を蔵するので、食物をたべるのは想念を食べるのであります。

屠殺された動物の肉には、殺された動物の怒りの念やくやしさの念が
蔵されているので、肉食をすれば怒りっぽくなり、戦闘的になり、
争いが好きになる。

そして一時的な筋肉の打撃力は強くなる。
筋肉運動の速度も速くなる。
その代わり間断なく落ち着いて精神的な仕事をするには
適しなくなるのであります。

肉食動物の王者ライオンなどは、平常は働きもせずたいていじっとしていて
獲物を見ると迅速なる速力で近づいてその獰猛な力で一触の下に獲物を殺す。

プロレスの力道山のごときはライオンのごとく牛肉を多食したが、
その代わり、性格が怒りっぽくなり、時々、キャバレーや食堂などで
腹を立てて、その巨大なる腕力で人を殴って傷つけたようなことが
新聞に出ていたのを読んだことがあります。

そうした結果が人から恨まれ、暴漢に襲われて腹を刺されて、
それが原因で死を招いたのであります。

「世界の平和も、肉食の廃止から」といいたいのでありますが、
政府が肉食を奨励して牛肉なども国費を使って大量に輸入しているのだから、
我々の思想が政界を浄化しない限りは、国内の闘争も、世界の戦争も
なかなかおさまりそうにないのであります。

          <感謝合掌 平成30年5月29日 頓首再拝>

【人類が肉食を止めなければ世界に平和は来らない】 - 伝統

2018/06/18 (Mon) 04:10:23


      *「理想世界」(昭和43年3月10日)の法語より

ちかごろの人間が“思いやりのない”冷酷、残酷な個人主義的感情を持っていて
人間資格喪失の状態になっている原因の一つには、戦後の食物の変化が
重要な役割を演じてると思われるのである。

近頃の栄養学は、動物的蛋白質を良質の栄養素として宣伝し、料理法でも
テレビの宣伝で、動物蛋白、幾グラムという風に教えるのである。

動物の肉を摂取することは、
動物の精神を自分の内部に吸収することなのである。

肉というものはただの物質ではないのである。

それは『甘露の法雨』に”心の絲を組み合わせて肉体の繭をつくり”とあるように、
動物の肉は「動物の心の糸を組み合わせて」動物肉が出来ているのであるから、
動物の肉を食うという事は、”動物の心”を自己の肉に摂取吸収することである。

それだけ人間感情が動物感情に似て来るのである。

動物を殺して食しながら平和論を唱えて見ても、
それはただ偽善であり、滑稽なだけである。

http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7703461

          <感謝合掌 平成30年6月18日 頓首再拝>

健康のためには獣肉食を避けよ - 伝統

2018/07/05 (Thu) 03:55:04


     *「心と食物と人相と」第2部<肉食と平和の関係>(P61~62)より

善念を起こすとき、健康に必要なる内分泌(ホルモン)が分泌される。

あなたが常に善念をもちつづけるとき、大生命の叡智をして少しも歪みなく
あなたの”心のレンズ”を透過して潜在意識に入らしめ、その潜在意識の
指導によって生理作用が健全なる方向にいとなまれることになるのです。


しかしながら、肉体方向の注意もまた肝要であります。

肉体は魂(生命)の棲む”宮(みや)”であるからそれを清潔にする
ことを怠ってはならないし、清浄にして、健康な食物を、その人の
体格に応じた適当な分量をとるがよいのであります。


近代の健康食だと考えがえられている獣肉食のごときは、
人間を肥満に導くかは知らないが、それは自然の健康な肥満ではない
のであります。

体重がある標準以上になることは、あまり痩せすぎているのと同様に
不健康のしるしであります。

巨大な体格・体重をもつ横綱たちが、”栄養栄養”と美食を過食する
ために、糖尿病にかかって土俵をおりて行く実例を見るのは
誠に遺憾なことであります。

          <感謝合掌 平成30年7月5日 頓首再拝>

一切の罪悪の根元は「殺す」ということ - 伝統

2018/07/17 (Tue) 03:26:02

      *「心と食物と人相と」第2部<肉食と平和の関係>(P66~68)より

「殺す」ということは、あまりよくないことであるということは、
およそ全ての人類が肯定していることであるであります。

釈尊の説かれた十善の徳も「不殺生」ということから始まっているし、
モーゼの十戒も「殺す勿れ」ということから始まっている。

観方によれば、全ての悪徳はことごとくこの「殺す」ということの
変形であるということもできるのであります。

他国の領土を侵すことが罪悪であるとといううのも、
他国の人の生命の発展の領域を幾分か殺すから悪いのであります。

(中略)

一切の罪悪は、この「殺す」ということの変化であります。
だから「殺生」は、あらゆる悪徳の根元になっている
根本犯罪というべきものであります。

したがって、だれでも「殺す」ということがよくないことは
自明の真理として承認しているのであります。

「平和運動」ということが大いに叫ばれて「戦争反対」「再軍備に反対」と
囂々と叫ばれているのも、結局は「殺してはならない」という「自明の公理」
ともいうべき、人類全体が、それには反対できない公理というものが
が含まれているからであります。

しかし、そうして戦争反対、軍備反対ということが当然のごとく、
いくら叫ばれても、実際はソ連(現ロシア)もアメリカも軍備拡張をやっている。
それはなぜであろうか。
 
我々の世界は、大いなる業(ごう)の波によって動かされている。
換言すれば、この世界は、動・反動の法則によって支配されている世界であって、
この法則はあらゆる所に行なわれて常に行為が循環する。

与えれば与えられるし、殺せば殺されるということになっているのであります。

          <感謝合掌 平成30年7月17日 頓首再拝>

因果の法則は撥無(=排斥)できない - 伝統

2018/07/29 (Sun) 04:26:56


      *「心と食物と人相と」第2部<肉食と平和の関係>(P68)より

この「動・反動の法則」は厳然として常に因果の世界を支配しているから、
我々が生物を殺すことを何とも思わないというような気持ちで、
生物を殺して食べる ということを実行すると、

それは、その食べた時は、生物を殺して食べて自分だけが腹がふくれて大いに
エネルギーができて、そして何か大いに仕事ができる力を得たようだけれども、
それは結局、「動・反動の法則」によって、他を殺して食べた者は、
また自分の生命が殺されるということになる。

「殺される」といっても必ずしも市井の殺人事件のように血みどろになって
殺されるというだけの意味ではないけれども、さっき言った意味で、
もっと広範な意味における「殺される状態」というものが
そこにあらわれてくるのであります。


自分が「生命」を発展せしめるために、他の下級の生物を殺して食べて、
一時は、自分の生命が大いに発展したように思っておっても、
必ずそれは、マイナスの報復が循環して、その報復 がある姿をなして
あらわれてくるということになる。

これを因縁因果の法則ともいい、業の法則とも、原因結果の法則とも、
心の法則ともいうのであります。

          <感謝合掌 平成30年7月29日 頓首再拝>

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