伝統板・第二

2543059
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伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/11/13 (Sun) 08:13:25

  
    新しい項になります、ありがとうございます。


  伝統様の<トランプ劇場を楽しく観る(読む)>

童子様から、<TPP交渉参加の協議入り決断は旧民主党政権ではなかったか>

勉強になります!(^^)!





 今朝からは、「愛は相手を恵む」 谷口輝子先生の御文章です。


      愛は相手を恵む   谷口輝子先生


 毎月お山で開かれる学生の集まりには、いつも一つのテーマ

を中心に、各自の意見が発表されることになっているが、最近の集まりには「愛とは」というテーマであった。

司会者の指名によって、次ぎつぎと全員が、活発に発言してゆかれた。

「愛とは」、一言で言えない大きくて深い内容をもっているか

らであろうが、一人ひとりが異なった言葉で「愛」について語られたが、いづれもみな真実をうがったものであった。

中には佐賀藩の葉隠論語を持ち出して、

「武士道とは死ぬることと見付けたり」と言って、主君に対す

る愛は、主君に命を捧げることであり、即ち「愛」とは死ぬことであると言う人もあった。
 
 忠ということ、孝ということ愛国ということなどが語られた

が、戀愛については余り発言がなかったのは、彼ら学生たち

は、余りに若くして、恋愛の経験者が少ないからであろうか。

私は自著「女性の書」断想の中で、「・・・・・愛するとはど

ういう意味であろうか、愛するということは、他を神の子にす

ることである。仏にすることである。愛すると言うことは、対

者より神性を引き出すことであり、仏性を拝み出すことである。

求むる愛、奪う愛は煩悩の愛であり、地的な愛である。・・・・・」と書いている。

執着のない、手垢の付かない愛は、対者を幸せにし、高め上げるばかりである。

学生たちの話を聞いている私の脳裡に、前日観て来た芝居のことが浮かんで来た。

                                                   (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/11/14 (Mon) 08:20:10



スーパームーン、1日前、すばらしかったです(^^)/

今晩は曇りか雨で観られないというので、夕べとなりました。

深夜までは煌々と高い所に輝いていました。何か癒されます。

 伝統様もしっかり採り上げられております(^^♪。






 谷口輝子先生の御話です。


 それは東宝劇場で上演されていた「三国志」という芝居であった。

中国の大ロマン「三国志」の筋は、この限られた狭い誌上では書くことが出来ない。

私はただ、上演された幾つかの場面から、「愛」についての感想を書いて見ることにした。

 袁州の旧太守袁胤の息女娥眉は、宮中にいる伯父を頼って、

首都洛陽の城門附近に来た時、間諜の疑いをうけて捕えられてしまった。

彼女は自分は間諜ではない。伯父に逢いに来ただけであると言

い訳をしていると、それを聞いていた多くの将軍の中に、青年将軍の曹操がいて、

「娥眉の云うことがまことならば、命乞いをしてやろう」と
言って、娥眉を引き取ることにした。

娥眉は処刑される身を救って貰ったので、曹操に対して深く恩

を感じているので、曹操は娥眉を利用しようと考えて、自分の間者として宮中の形勢を探らせることにした。

命の恩人の命令なので、娥眉は宮中での見聞きしたことを曹操

に、御恩返しのつもりで報告していたが、次第に曹操を愛するようになった。

                       (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/11/15 (Tue) 08:14:05



渡部昇一先生のお姿が痛々しかった。

NHKが真正面から写さないのも不自然だし…。桜井先生も登場しなかった( ;∀;)









谷口輝子先生の御話です。



曹操は玄徳、関羽、張飛の三人は、今は味方であるが、いずれ

は敵となるから、彼ら三人に毒茶を飲ませろと命じるが、娥眉は恐れおののきながら曹操を諫めていた。

娥眉は美しくて優しい娘であったが、曹操は自分が主権を握る

ためには、彼女に肉体を捧げてまでも敵将を籠絡することを命じた。

 三年の月日が流れる。

今は長安に新帝を迎えた董卓が全盛を誇っている。

娥眉の伯父王允の館では、董卓軍随一の豪勇で、五百人力の呂布を客として招いていた。

酒を飲みつつ美女娥眉の舞を見ていた呂布は、すっかり彼女の

美貌に魅せられて、彼女を妻に欲しいと乞うと、伯父は快諾した。

呂布は両手を高く上げて躍り上がって喜んだ。

                                                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/11/16 (Wed) 08:20:57



志恩様がご紹介の自衛隊音楽祭、冒頭のみ拝見しましたが、恰好いいです(^^)/

なにか、清々しい気持ちになります。日本の善さが表現されて・・・・。

後、すべて観ようと思います。







谷口輝子先生の御話続きです。



 呂布に娥眉を与えると約束しながら、曹操と王允とは、呂布

主従を離反させようと、罠をもうけ、娥眉を囮として董卓の許

へ行けと命じる。娥眉は泣く泣く董卓の寝室へ出かけて行った。

それを感づいた呂布は、嫉妬の余り、董卓と対決すると、そこ

へ飛びこんで来た曹操、王允らによって斬りつけられ董卓は息絶えてしまった。

計られたと知った呂布は、王允を斬り娥眉を連れて逃げ去った。

 二年の月日の流れのうちに、壮烈をきわめた戦いがくり返されていた。

大勢の避難民の中に、病んで落ちぶれた呂布とその妻娥眉の姿があった。

孫堅軍に包囲された曹操は、かつては利用ばかりしようと考え

ていた娥眉に対して、今は愛をもつようになっていて、落ちぶ

れた娥眉を救おうとしたが、娥眉はその手を拒んで言った。

「私は今は倖せでございます。呂布のまことの愛によって、私も心から呂布を愛するようになりました。

呂布は私を宝物のように大切に大切にしてくれました。私は呂
布の妻でございます・・・・・」

 と言って、呂布にすがり付いて死んで行った。

呂布夫婦はみすぼらしい姿をしていても倖せな顔をして死んで行ったのであった。

「宝物のように大切にしてくれました」という娥眉の言葉が、いつまでも私の耳に残った。

                       (つづく)




Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/11/17 (Thu) 08:35:10



      北海道侵攻もあった、昭和20年8月8日の史実と、

今の「共同開発」を思う時、複雑な気持ちに襲われます( ;∀;)







谷口輝子先生の御話です。



「愛」とは、対者を宝物のように尊び大切にすることである。

自分の欲望のために、対者を汚し、ふみにじる者は、愛を知らない人である。

愛とは、対者を生かすことであり、対者を神の子らしく大切にし、生き甲斐を与えることである。

愛とは、対者を自分に縛りつけることではなく、対者を自由に放つことである。

 いつか新聞のコラム欄に、国木田独歩の恋愛について出てい

たことだが、国木田独歩は日清戦争従軍文士記者慰労宴に招か

れて、佐々城病院邸に出席した時、令嬢信子の美貌に魅せられ

てから、せっせと佐々城家を訪れるようになり、遂いに徳富猪

一郎(蘇峰)の媒酌で結婚し、逗子に新居をもったのだったが、何ヵ月かして、突然信子は姿を消してしまった。

独歩は狂人のように心当りを探しまわったが、信子は見付かっても彼の許へは帰らなかった。

信子は親しくしていた相馬黒光女史に

「ひどく貧しい上に、あの人、一分も私から目を放さないの。

あたし苦しくって生きていけないわ」と語ったそうである。

これによると、独歩は愛する妻に余りにも執着して、愛情の紐でしばりつけていたようである。

どんなに愛されても、見つめつづけ、心で縛りつづけられたら、対者は苦しさに堪えがたくなるのであろう。

執着の愛、対者の自由を奪う愛は、いと低い愛である。

対者を信じて放ったら、対者は決して逃げようとはしないのである。

愛する人をして、苦しくって生きていけないわと言わしめるよ

うな愛は、天的な愛ではなかったから、その結合は永遠のものとはならなかったのであった。

                       (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/11/18 (Fri) 08:52:21


        コスモス様のご紹介になる、月の満ち欠けの情勢占い?も気になります!(^^)!

 スーパームーンも既に4日くらい経ちましたが、今の時間も

まだ西の空に沈まず、薄く残っています(^^♪


とにかく、今は、トランプ、トランプです。

あの豪邸でもう安倍首相は会談しているんでしょうか?

あまり、TPPや中国は話題に出さぬよう、と忠告されてますが、さて仕上げを御覧じろ、ですか(^^♪

トランプ氏、ドル安誘導らしいですが、どう?






谷口輝子先生の御話です。あと2回です。



私は学生たちが恋愛について語らなかったので、ここに異性間

の愛情について書いて見たが、愛とは、天地の一切のものに対

して与えられるところの、美しい感情であり、温い行為であり、何ものも拒み得ない有難い贈物である。

 高い愛は何ものをも清め生かすばかりである。

宗教生活をしている一人の親の詩を読んで私は、子と親と、そ

のまた親と、その祖先と、代々つながり生きている倖せを思った。

その詩は角畑無方氏の「親の願い」であった。

  親の願いは↓                 →子が

  子の倖せである      仏の慈悲に触れることである

  子の倖せの第一は→    

  それが↓

  親への            →祖先の延長である
  孝養の第一である               
                 その自己が

  祖先は           如来の光明に触れることが

  自己のうちに生きている   祖先への

  自己は→          供養の第一である



 千葉大学薬学部教授の宮木高明氏は、子供の頃はひどい偏食であったと朝日の「母の味」欄に書いて居られる。

子供の頃はと書いて居られるのだから、今はもう偏食は治っていられるに相違ない。

子供の頃の宮木さんは、生もの、野菜が嫌いで、果物しか食べなかった。

漬物は全く駄目だったし、あぶら身は嫌いなので、肉はそれを

取り除いて食べるので、栄耀からも味覚からも自身を見放して居られた。

                       (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/11/19 (Sat) 08:03:36




豪華タワー居宅会談(^^♪、成功裡に終了(^^♪

この写真が証明してませんか(^^♪








谷口輝子先生の御話、最後です。



或る日、中学の頃お世話になられた先生を父君が自宅へ招待されたことがあった。

その時その中学校の先生が、生徒だった宮木高明さんに説教をはじめられた。

「君はお母さんに感謝しなければいけないよ。どういう訳か知っていないだろうね。

キミは、あれも食わぬこれも嫌だと言う。それでは栄養不足で体を悪くしてしまう。

ことに野菜は何とか口に入れさせようとしてお汁の中に、人参

だ蕪だ、あれだこれだと摺りおろして入れて居られたのだよ。解ったか」

 と明かされたのである。

宮木さんは驚いたと言うより、「参った」というのがその時の心境だったそうである。

そう言えば、豆腐のお味噌汁だと思って食べると、何だか複雑
な味がしていたと気がついたそうである。

 子供の我儘を、そうかそうかと甘やかして通させて居る親は愚かな親である。

何とか苦心して悪癖を治そうとするのが賢明な愛深き親である。

愛するとは、対者から「実相」を引き出すことでもある。

                       (おわり)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/11/20 (Sun) 08:00:04




        <ブラジル・サンパウロ市で11月11日が

「生長の家谷口雅春先生教会の日」として制定される>


すごいことをやりますね(^^)/

因みに11/11、吾らの結婚記念日ではあります('◇')ゞ

先般、シシャモの日にも制定されていました(^^♪

4匹を紐に下げた形だそうです(^^♪








さて、今朝からは、

大聖師と愛国学生との問答集です。(理想世界9/1日号)



    愛についての統一的所見    谷口雅春


     ――愛国学生は斯く語る――


司会―愛国心を論ずる場合、“愛”と“国”とがどういうものであ

るかということがわからなかったら論ずることは出来ないと、先月の集まりで教えてもらいました。

又現在の社会に目を転じてみますと、青少年の犯罪増加、犯罪

年齢の低下、性道徳の頽廃等、全て本当の愛が不足している為だと思います。

そこで今月は愛というものを先月教えてもらいましたが、もう
少しつっこんで皆なで考えてみたいと思います。

それでは愛の段階または愛とは何かというところから入っていきたいと思います。

それではA君。

学生A-愛とは信ずることだと思います。

学生B-僕は絶対的な愛は神様だけしか持てず、私達はそれに
近づく様努力しなければいけないものだと思います。

学生C-僕は愛とは自己を死に切ることだと思います。そして愛の極致は無我帰一することだと思います。

武士道の精神が至純至高の愛だと思います。

学生D-僕は、本当の愛は相手の実相を信ずる、そして相手を

尊敬する、そして、その実相の善さが顕れるように導くのが愛の実践だと思います。

学生E-自己を死に切って相手の身になって考える。相手をたてる、それが本当の愛だと思います。

学生F-僕は相手の本当に欲するものを生かしてやるのが愛だと思います。

学生G-愛とは”自他一体感”であると思います。


司会―これで大体学生諸君の意見が出揃ったわけでありますが、

どうも皆の考えはバラバラでありますが、先生から統一見解を

というようなものに当るお言葉を頂きたいと思うのですが…。


谷口―皆さんの考えは、表現はまちまちですが、皆、一つの真理に統一している様に思います。

A君は「愛とは信ずることである」とおっしゃいました。

何を信ずるかといったら実相を信ずるんだとこういうようにD君は言われましたね。

またG君は愛とは自他一体感であると言われましたね。

それは”現象的人間”言い換えると”肉体的人間”をみていると、

皆な別々の存在であって、互いに何らのつながりもないけれど

もですね、その現象の肉体人間の奥にあるところの本当の人

間、即ち実相をみる時に、彼は自分と一つの生命であるという自覚がわいてくる。

そして、自分と一つなる互いの生命の実相は神である。

自分にも相手にも、神の生命が宿っていると信ずる。だから、

かれは完全であると、実相のよさを信ずるということになるわけですね。

 相手の内に神が宿っているという実相がわかると、自然に尊
敬と信頼とがわいて来る。

そのような愛は、相手を享楽の対象にするような愛ではない。

本当に高い愛は、D君のいったように、相手に宿っている完全

な実相をみてそれを引き出すというのが本当の高い愛である。

                       
                       (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/11/21 (Mon) 08:26:42

 

        北海道はW感動で大変です(^^♪

 後、バスケットやフットサルやらありますが、そちらの方はもう一息ですか…('◇')ゞ。

アイスホッケー、カーリング、スケート、ジャンプなど冬のアスリートも1流が多いでしょう(^^)/









 大聖師の学生との対話、続きです。



     光明皇后の施浴の供養


 例えば光明皇后が千人の病人を洗ってあげたいという念願を

たてられて、それは奈良に遺跡がありますが、湯殿をこしらえて九百九十九人の体を洗ってあげられた。

そうしたら最後の千人目に癩病患者がやってきた。そして私の

背中の癩病で腐っている所から流れている膿血をお吸い下さいませと言った。

癩病患者を愛するというのはそれはどうすることかというと、

癩病患者はきたないなあと思うことでもなければ、癩病患者と

いうもののきたなさを憐れんでやるということでもないんですね。

本当の高い愛は相手の不完全さを憐れむのでもなければ同情するのでもない。

同情するとか憐れむ程度の愛もあるけれども、本当の高い愛と

いうのは、癩病患者に対しても、癩病患者の奥にある癩病患者

でないところの“如来の命”が宿っているという実相を信じ敬し

て、その実相を深くみると、その時に癩病患者だと思っていた

それが癩病患者でなくて“東方阿閦(しゅく)如来の姿”を顕わしたと言う光明皇后の体験のようでなければならない。

 それが法華経の常不軽(ぎょう)菩薩の、どんな罪人と見え

るような者に対しても、その実相を信じてその実相を拝み出すという生き方である。

これが非常に高く深い愛の最高段階であるということになると思うんですね。

                                                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/11/22 (Tue) 08:15:25



   
 大聖師御生誕123年、お祝い申し上げます。(本日)


  < 真理 教 をきくのは 聴聞 

  聴 → 心を傾けてきく  が正解です


  師、先達に対して、またインタビュー記事に使用すること

は 恥かしいことです。・・・>・・・。


少々難解です!(^^)!


子供→子ども、いつも、なにか違和感がありました(*_*;







 大聖師の学生との対話です。



    猫可愛がりは低い愛である


 生長の家の教育法というのもやっぱりそういう教育法である。

単に子供を舐めるように可愛がるだけではない。

子供を猫可愛いがりに愛して、むやみにしたい放題にさせて喜

んでいるというような愛の段階は、低い愛であって高い段階の

本当の愛ではない。それは執着の愛であり、煩悩の愛である。

子供の内に宿っている本当に深いもの――その真性を愛するのが本当の愛である。

「彼はいたずら小僧ではないのである。神の子である。完全である」と、その実相を観てそれを深く尊敬して愛する。

そのような愛が徹底したら、今まで不完全に見えていた姿が消えて、完全な立派な子供がそこに出現してくるのである。

これが本当の愛であり、高い段階の愛であるということになるのです。

                       (つづく)



Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/11/23 (Wed) 08:24:20



         大聖師の御誕生日における御話は尊い。

 眞子様のお姿も美しい!(^^)!。






 大聖師の学生との対話です。



    宮林理さんの逸話

 最近僕の家内が「白鳩」の原稿を書いたんですが、その原稿

を見せて貰ったら、愛媛県の川之江の宮林理さんの話が書いてあったんです。

その話は或る日、宮林さんが僕の家を訪問して来て「先生私

は、先生のお宅の門にある表札をどうしても貰いたいのです」といわれるんです。

それで僕は「あれはちょっと持っていかれたら困る。その代り

に、これをあげよう」といってですね、お守り用の“甘露の法雨”をあげたんです。

“甘露の法雨”ならそれはまあお金を出せばお受けできるもの

で、特別の先生宅の門標の代わりにはならんと宮林さんは思う

たけれども、まあ先生が下さったんだからと思って持って帰っ

た披いてみたら、僕の直筆で何か祝福の語がそれに書いてあった。

“ああ、これは先生の字が書いてあった。やっぱりよかった”と

いうわけで、非常に喜こんで、宮林さんは、それを、しじゅう

懐中しておられたのでありますが、そしたら、或る日、汽車の中で、その“甘露の法雨”を盗られた。

                                                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/11/24 (Thu) 08:24:35



 <谷口雅春先生は天界で笑って居られますよ。>・・・。

 がんこ親爺様が嘆いていらっしゃいます(*_*;。









 大聖師と学生の対話、続きです。



その掏ったスリの男は、あいつにちがいないということがわ

かったので、その相手のところに近づいて、「君その僕のフト

コロの中から取った“甘露の法雨”を返してくれ。それはわしの

命より大切なものやから、その代わりにこの財布を、財布のま

ま全部やるからその“甘露の法雨”を返してくれ」といったら、相手は返事しない。

返事したら”俺が盗んだ”ということを自白することになると思ったんでしょうね。

その男は、そのまま返事をしないであっちへ行っちゃったのです。

ところが、しばらくしたら、一人の少年が“甘露の法雨”を持っ

てきて、「ある人に頼まれて、これを返しにきた」というんです。

そのとき宮林さんは、財布を出して、「この“甘露の法雨”をこ

とずけた人に、約束したんだから、この財布を持っていってその人にやってくれ」といって、財布を出した。

しかし家へ帰るのに、まだ途中の乗り物代がいるというので、

それだけを財布から出してあと全部財布ごと中のものをやったというのです。

宮林さんはこういう純情な正直な人であった。

その時は、そのまますんだんだけれども、それから後に、或る

日宮林さんはどうしたんでしたかな(輝子夫人を顧みて問う)


                       (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/11/25 (Fri) 08:18:39





        <加藤氏の 『慟哭の通州』 と藤岡氏の

 『通州事件』 を、日本人なら、いまこそ読むように強く勧めたい。・・・>・・・。

・・・、何とも言えぬ感想を持った(*_*;







大聖師と学生の対談です。



輝子夫人―宮林さんは“甘露の法雨”を掏った男にところへ往っ

て、財布をみせて、「この中の銭皆お前にやるから、今取った

もの返してくれ」といったら、相手はだまっていたので、宮林

さんは仕方なしに汽車を降りて駅で合掌して祈ってたんですって。

そしたらそこへ子供が、そのスリの使いなんですね、その“甘露の法雨”を持ってきてさし出した。

宮林さんが合掌して相手の実相を祈っていたら、掏摸の仏性があらわれて返す気持ちになったんですね。

それでそれを貰って、財布の中のお金を全部やるといったのだ

けれども、乗物代だけないと家へ帰るのに困ると思っていくら

か乗物代だけ減らして、あと財布ごと全部やったんですね。

そして家へ帰ってから“あの全部やるいうたのに、汽車賃だけ乗

物代だけ減らしてたってことは、スリに噓ついたことになる”と思って何だか気になってしようがなかったんですって。

そしたら後日、別の男のスリから丁度、その時減らした乗物代だけとられた。

それは既に”自分のもの”でないのを自分が持っていたので、自

分に属しないものは自然に去っていくことになったんですね。

併しそれが、今日の“愛”って問題にどうつながるんですか。


                       (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/11/26 (Sat) 08:15:01




     「日本会議の新憲法」ご立派です!(^^)!










大聖師の学生との対話です。



     泥棒も信頼の愛に触れて改心した

谷口―それはね、これはもう一遍泥棒にやると約束した。既

に”彼のもの“であるとやくそくしたもんだから自分のフトコロの中にあっても、それは”自分のもの”ではない。

これは“相手のもの”であるからというわけで、相手にその財布

をやったけれども、その中から次の乗物運賃だけは必要だから

というわけで、一時、その運賃だけの金を自分の方へ持っておったけれども、今度はスラれてしまった。

やっぱり自分の受取るべきものでないものは、元へ帰るんだと

いうような話であったわけなんですが、その時、宮林さんの心

に、その泥棒を、”こいつ、悪い奴だ”と、憎む心が起こってい

たら、決してその財布をやろうという気持は起こらなかったと思うんです。

それはやっぱり、宮林さんの心の中に、そんな泥棒に対してで

も、現象の姿はたとい泥棒であっても実相は彼の中に本当の神

なるものが宿っているということを信じたので、宮林さんには、そういう行いが出来た。

さっきA君がいった「愛とは信ずることである」が実行された訳ですね。

宮林さんの信頼の愛に触れてきっとそのスリは改心したに違い

ない。それだから、かれは”甘露の法雨”を持って寄越したので

あって、彼は決してした交換に財布を貰いたいと思って持たせてきたのじゃないと僕は信ずるのです。

宮林さんの合掌して祈っている姿を見て“あんな善い人のものを

取ってすまなかった”という気持ちが起こった為に、その”甘露の法雨”を返しに来たわけなんですよ。

相手の実相の正しさを信じて、約束したものは相手に与えるというような気持で祈った時に泥棒もやっぱり改心した。

愛とは相手を信頼して相手に宿る神性―神なるものーを拝み出すということである。

これが本当の愛であるというので、ここに実際生活における一つの実例として宮林さんの逸話を話したのであります。

                       (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/11/27 (Sun) 08:08:21



 日本会議は、前身の 「日本を守る会」 「日本を守る国民会議」 以来、一貫して 「憲法改正」 「新憲法制定」 を提唱してきました。


 平成3年6月、日本を守る国民会議は冷戦終結後の内外情勢の変化を受けて 「新憲法制定宣言」 を発表しました。 その後、2年間の研究活動を経て平成5年に 「新憲法の大綱」 を発表し、徳間書店から 『新憲法制定宣言』 を刊行しました。・・・。


 上述の文章の如く、「冒頭を1字下げに」にする(小学校で教えられる)のは、かの夏目漱石が普及させたという。

後、それに便利な原稿用紙が広まったの、とも。


 また、ある俳人の言。「七十パーセントだけ調べて百パーセントの話をすることはできない。それでは単なる水増しになってしまう。

百二十位調べ、その内の七割を話すのがいい。その時話せなかったことは、自分の栄養として蓄えられることだろう」・・・、成程と思いました!(^^)!。


もひとつ、直近の「現代の名工」に選ばれた、博多人形師の

川﨑幸子さん、古事記や万葉集の女性を表現されておられるのが印象的です。

http://www.hakataningyou.com/bijin/







大聖師と学生の対話、続きです。




       自己を死に切る愛について


 それから、C君の「武士道とは死ぬことと見つけたり」という

「愛とは自己を死に切ることだ」というのも高い段階の愛ですね。

「死ぬ」っていうことは、「死ぬ」という語を使って表現して

いるけれども、「死に切る」とは実は「相手の実相と、一つになる」ということである。

自分という殻を破ってしまわなければ、相手の実相と一つになれない。即ち自他一体になれない。

「肉体の自分」という殻をかぶっている限り

は、”彼”と”我”と、“自分”と”相手”とは別々の存在であると、見える。

神の生命を互いに宿し生れている”彼”と”我”とは本来一体であ

るのだけれども、それを別々の存在であると見るのは妄想なん

ですから、その妄想を殺し切るというのが「死ぬ」というわけです。

”彼”と”我”と分離して、別々の存在であるというその妄想を殺してしまうときに、愛が成就するのです。

キリストも、「人、その友のために命を捨てる、これより大な

る愛はなし」というような語で、愛とは「自分を死に切ること

だ」という意味を表現しておりますが、”自分”という個別的な

殻をつくって彼と分かれていると思わせる偽物を全部断ち切る―

それが「死ぬ」ということであって結局、実相の自他一体を実
現するということが「自我を死に切る」ということですね。

                       (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/11/28 (Mon) 08:20:19




       トランプさん、カストロ氏を「独裁者」と切り捨てる!(^^)!

どういう性格? 伝統様のブログを読み返してみよう!(^^)!









大聖師と学生の対話続きです。



それですから、人さまの喜ぶように自分は苦しくとも、人さま

の魂が喜ぶことをしてあげるとか、或いは、人が向上すること

を何かしてあげるということは自分を「死に切る」高い段階の愛である。

 人間が向上するとか、魂が喜ぶとかいうのは、やっぱり実相

の中にある“本物”の善さが尚一層前よりも多く出てくることですね。

相手の人に前よりも実相の完全さがもっと、充分出てくるよう

にしてあげる深切というものはやっぱり深い愛であるわけです。

人に深切にするということは、その人に宿る実相を信じて拝み

出す一つの働きとみることもできるのです。

                       (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/11/29 (Tue) 08:02:19


      何も考えず「学ぶ」誌、などと言って来ましたが、

この度の、破邪顕正様のご提案は的を得ておられると思いました。

「菩薩会」「雅春先生の会」親しみやすくて最高ではないでしょうか。

私も「大聖師」などと、これより、堅ぐるしい表現はしないようにいたします(^◇^)


ところで、志恩様の紹介されている、凄い、理論的なトキ様ですが、やっぱり男性なのでしょうね('◇')ゞ







 雅春先生と学生との対話、続きです。


       深く切なる深切の愛


 今ここに“深切”という言葉を使ったけれども、シンセツとい

うのは、よく「親しく切」という字を書くけれども、僕はいつでも「深く切なる」というのを書くんです。

本当のシンセツというのは、必ずしも親しくなれなれしくすることではない。

親しく馴れなれしくすることは必ずしも親切じゃないんです。

それは、やさしく馴れ馴れしくするそういう親切も中にはあるけれども、それは必ずしも高い段階の愛ではない。

本当のシンセツは深く切なるものでなければならない。

つまり、存在の実相、或いは生命の実相の深く深い底から出て
くるその生命の動きを行ずることが本当の深切である。

言い換えると、実相との実相のつながりに於いての自他一体の

自覚から愛が生命の深いところから動いてくる切なる思いが深切である。

だから実相から深く切なる思いが湧いてくるのが本当の深切である。

単に親しくなれなれしくする親切だったら、これはたとい愛で

あっても、低い段階の愛であって、溺愛とか、性愛とか、偏愛

とかいうものになって、実相そのものの正しい深い愛が出て来

たのじゃなくて、それは仏教で所謂る解脱しなければ煩悩に属するものである。

釈迦はそのような煩悩から解脱せられた時のことを阿含経では「諸愛ことごとく解脱し」という語で表現している。

吾々は煩悩に属する愛を超克し実相における“我”と“彼”との一

体観、“一”と“多”と“全てのもの”とが一体であるという偏らな

い平等の自覚にまで愛を高めて行かなければならないわけです。

                                                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/11/30 (Wed) 08:22:00





       北方領土、拉致問題、やりきれない難問が日本人をイライラさせます(*_*;

安倍首相で解決出来ませんか(^^♪ 延びた任期中に。








  雅春先生と学生の対話から。



     ”結び”の発展としての此の世界


 日本では古代に於いては、この「愛」という語は使わなかったのであって、「結び」といったのですね。

「産霊」とかいて”結び”と読ませている。

“結び”というのは、羽織のヒモを結んだり、帯を結んだりする”結び”と意味に於いて同じことである。

ここに一本のヒモがある。それには両方の端があって、両端は互いに別の方を向いている。

両端はそれぞれ陰と陽とであり、右と左とにわかれて両方に向

いているわけなんだけれども、本来一つのもの、両極である。

その両極を一つに結び合わすと、そこに結び合わさない時には
見られなかった新しい美しい形が出来あがってくる。

羽織の紐でも、帯でも、水引きでも両端を結び合わすと一方だけでは得られなかった美がうまれて来る。

つまり自と他が結び合わされた時に、自分だけでも彼だけでも

得られなかったところの一層複雑な美というものが構成されてくる。

それが更に複雑に組み合わされて複雑な天然美も、人間社会の美も構成されて来る。

結局、この世界は、「結びの発展」であると見ることもできるのです。

最初は小さな単位的な結びが、段々更に結び合って大きな組織を形造って、段々大きくなっていくわけです。

                                                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/01 (Thu) 08:34:06


      「愛国虚言」、「生長幼稚園」、「表裏ある写真

集」、いろいろ考えさせられますね!(^^)!







  雅春先生と学生の対話から。


   生命の根源者との一体感としての愛


 それは物理学の素粒子が集まってそれから原子となり原子が

また陰陽のイオンで結びついている様な物体が構成されてくる

ような具合に、陰陽未剖判の中性子が、陰陽の素粒子に剖判

し、それが更に結び合って、世界が発展して行く、その陰と陽

との両極が、右と左と両端が、結び合わされて一つになるとい

うことが出来るのは、二つにわかれているようだけれども本来一つだからなんです。

右と左があるけれども、それは一つのヒモの左と右みたいなもので、全ては一つの生命から生まれてきている。

その「一つの生命」なるもとを知るということ、換言すれば自

分の「生命の根源」と「自分」との一体の自覚をもつというこ

と、即ち神を愛すること、これが一番深い愛になってくるわけです。

イエスはこれを「汝、心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし

て汝の神を愛せよ。これ第一の誡命(いましめ)なり」といっている。

神を愛するとは、まず根源を知ることであります。

                                                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/02 (Fri) 08:00:34



      水上勉さんの「足もと提灯」すばらしい物語です(^_-)-☆

先祖供養は怠れません。






 雅春先生と学生の対話、あと二回です。


我々はどこから生まれたかというと、宇宙大生命から生まれて

きたのであります。だから宇宙大生命と自分とは一体である。

この自覚を得て、宇宙大生命の御意(みこころ)に副うことを念願する。

これは最も高く広く宏大なる愛である。

吾々が宇宙大生命と一体であると自覚できるとき、吾々は宇宙

大生命の御心であるその理念の中に自分が融け込んでいく。

そして宇宙大生命の中にある理念と、自分の生活とが一体になる。

言いかえると、宇宙大生命の理念をこの現象世界に顕わす為に活動するということになるのです。

それでは、宇宙大生命の理念とは何であるか。

宇宙大生命の理念の姿が展開したものが、あの金波羅華の姿で

ある。即ち、まん中に永遠に変ることなき唯一つの中心がある。

そして一切の存在、一切の生命は、その中心より発して中心に帰一する。

ことごとくのものが中心生命なる一つの神に統一されて、中心

を礼拝して、そこに互いに一体でありながら、完全なる秩序と

いうものが存在して、平等でありながら差別があり、「調和お

のずから備わり」と聖経に示されている秩序ある姿が存在するわけなんです。

                       (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/03 (Sat) 08:04:36


      谷口雅春先生は神様であるか?とお尋ねがあったようですが!(^^)!、

たしかに、私どもから観ましたら、まさに神様であります。

間違いないことと思います。

先生は、また、「あなた方は谷口雅春である」と仰ったのですから、恥ずかしながら、私どもも神様なのでしょう(^^)/










  雅春先生と学生の対談、お終いです。




この秩序ある姿を地上に実現する祈りが、キリスト教の「主の

祈り」即ち「御心の天に成るが如く地にも成らせたまえ」なの
です。

「天に成るが如く」というのは、すでに「天」即ち超越界なる

実相世界に、宇宙大生命の御心は成就して中心帰一の金波羅華
の相(すがた)は成就している。

実相に於いて既に成れるところの宇宙大生命の理念の地上への

顕現に自分の生命が一つになるということは宇宙大生命との自

他一体感であって、自他一体の自覚が愛なんですから、これは、宇宙大生命を愛すということにほかならない。

この宇宙大生命の金波羅華の理念が、地上に具体的国家として

顕現したのが、万世一系の天皇を変らざる中心として中心に帰一している日本国家である。

それは現在の現象的姿を見ておったら、あまり完全には、その

秩序整然たる金波羅華の姿が出ていないけれども、日本国存在

のその奥を観るときに、即ち、その奥にある実相をみるとき

に、その完全な金波羅華の姿が日本国家の奥に内在することがわかる。

その実相たる金波羅華の姿を地上に実現することが、「みここ

ろの天になるが如く地にも成らせる」ことであり、

その実現の為に宇宙大生命に協力するということが、宇宙大生

命即ち神を愛するということであり、それが日本国に於いては同時に国家を愛するということになるわけなんです。

このように考えてゆきますと、最初に皆さんが述べられ

た“愛”ということに対する回答も皆、バラバラに異なる考え

じゃないのであって、皆各々、「愛」の一面を説いておられる

ということができるのであって、それに対して僕が、皆さんの

意見を綜合して統一的見解を示したということになるわけです。

この問題は、まあこれ位にしておきましょう。

                                                   (おわり)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/04 (Sun) 07:38:34


      眠れぬ夜は、何度も「浄円月観」と

「摩訶般若波羅蜜多心経」を唱えながら寝に入るのが習慣となって居ます(^^♪。

さて、今朝から、また清超先生のコラムからです。(理想世界

昭和42年9/1号から)



      「窓」     谷口清超先生


○名古屋に一泊して、翌日一宮の講習に行った。

 今回は愛知県二ヵ所の一日講習である。一日講習といっても

私の場合は、一日半講習(二日講習)と同じ奉納金で行なわれ

る。一宮では市立体育館で行われ、千八百十一名であった。

六月とはいえ晴天続きで、真夏のような暑さである。

後の幹部会は近くの神社の社務所で行なわれた。

愛知県は全般的に昨年九月に来た時よりはるかに活気づき、上昇線をたどっている。

ことに誌友づくりに力をいれ、過去八ヵ月間に五、二一三名ふえている。

祈りの中に拡大運動をすすめているのは、大変結構なことだと

思う。ことに特徴があるのは、「愛知県誌友七万名達成菩薩感

謝運動」という長い名前の運動、略して「愛七菩薩運動」、もう一つ略して、「愛七」である。

これは今年の五月からはじめたもので、一人が新人十名の名を

書いた祝福録を毎日祝福して祈り、毎日十円づつ奉納金を出し
て、貯金箱(菩薩像をしている)の中にいれるのである。

こうして毎月これを相愛会でまとめて銀行預金にする。すると

十三ヵ月たつと十人分の年極誌友が出来、毎日祈っているこの

新人十名にすすめると必ず誌友になって下さるというわけである。

このようにして菩薩行をする人が六月三日までには既に二千七百名ぐらい出来たということであった。

きっと着々として成果が上がり、すばらしい事になるだろうと思う。

                       (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/05 (Mon) 08:19:29




     <現に、「雅春先生の会」には、毎月、引きも切らず、入会してくださる方がおられるわけです。・・・>・・・。

 破邪顕正様のお言葉です。

このまま、ずんずん伸びよ(^^)/。









 谷口清超先生の「窓」です。


愛知県では相愛会も百五、白鳩支部会百六十八、単青三十と

なって、伸びつつある。ただし青年大会行きは今年は百六十名

で昨年の二百六十名にくらべると後退した、委員長の安藤君に

「どういうわけか」ときいたら、主として「気のゆるみ」との答えであった。

今年はきっと頑張って、来年の大会には面目一新してくれることと思う。

理想世界誌はだいぶふえているのである。つまり「やろう」と思えばやれる力をもっているということである。

一宮の講習会には青年局に鋳て最近やめた大森さんがきてきいていた。大方結婚の話でもあるのだろう。

一宮が終わるとすぐ自動車で岡崎に行き(約一時間半)、野々山さん宅にとめて頂いた。

ここは六年前にも泊めて頂いた所で、大変涼しい風の入るお宅である。

講習会は市の城北会館という所で行なわれ、二千三百九十二名であった。

たしかに愛知県は伸びつつあるようだ。青年会員も沢山活躍していてくれた。

このところ晴天続きで干害もあらわれていたが、この日は豪雨がふった。

会が終わる頃はカラリと晴れ上がったので、集まられた人々に

は影響はなく、すばらしい雨でお百姓さんもよろこんでいたにちがいない。

会が終わって、幹部会を終え、車で豊橋に向かった。

                       (つづき)


Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/06 (Tue) 08:22:50


     新聞にこういう情報を得ました(^^♪。


<「明治」という近代国民国家日本の陽光が昇り出したころ、

天皇はまだ10代後半の青年だった…>。

<明治45年天皇崩御後、京都の伏見桃山陵に埋葬され、他方、東京では、天皇と皇太后を祭神とする
「明治神宮」造営という一大プロジェクトが動き出した。

東京で荘厳な神社林を造り上げるには、150年もの長大な時間が必要だった・・・>。

<明治神宮の内苑は国費だが、外苑は民間の献金でまかなわれ、全国から大量の献木も集まった…>・・・。









 清超先生の「窓」です。


○欧米を視察旅行しておられたハリウッドの牛山さんから、次のような手紙が来た。

それは牛山さんが帰国されるのと同時に配達されたものであったが――


『毎々格別の御指導を賜り有難く厚く感謝申し上げます。五月

羽田出発後ハワイ、ロスアンゼルスにおきましては妻メイと共に光明化の為にスピーチをさせて頂きました。

 渋谷さん、大野さんが中々の努力教化運動をされて居り二世

三世の教育がかの地に於いて如何に重大であるか今更の如く感ずる事が出来ました。

 五月二十日にはニースに於てロータリー世界大会に出席二万

人のロータリマンの前に於て次回会長東ヶ崎潔氏の「人類愛と世界調和」の講演は全世界の人々に感銘を与えました。

東ヶ崎氏は香港生まれの二世であり我が生長の家の教えと同じ

ロータリー精神を強く持って居られ日本人として初めて世界ロータリーの会長となられるので心強い限りであります。

ロータリーアンの中に藤田さん後藤さんの如き立派な生長の家

信者の居られる事は今後これらの人々とのグループも必要かと存じます。

神と共なれば不可能なしのみ教へのスバラシさを身近に感じ只々感謝あるのみであります。

谷口雅春先生御夫妻様並に若奥さまにくれぐれもよろしく御鶴声の程お願い申し上げます。

                         再拝

  六月六日       巴里にて
                                                  牛山清人
 谷口清超先生
    御侍史  』

                       (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/07 (Wed) 08:09:07



        中川八洋掲示板、コワいです!(^^)!。

どう解釈すればいいのでしょうか???











 清超先生のコラム「窓」です。


○東京都八王子での講習会に、両日とも自動車で通った。早朝だ

と約一時間五分、ラッシュ時だと一時間四十五分はかかる。

一日は晴天であったが、二日目は曇って、あとで雨になった。干天続きのため、雨が待望されていたわけである。

東京都の三多摩地区は中々進取の気性に富んでいて、都内とヤヤ違った気分だが、人口は百六十万くらいで地域は広い。

講習会人員は三千六百二十名だった。次第に活発になって行きつつある状況がうかがわれて大変うれしかった。

会場は市民会館で、すこぶる音響のよい所である。

東京都は昨年の誌友三万増加運動以来、とみに活力をまして来た。今年は誌友十万を目指して進んでいる。

きっと実現されるであろう。中中計画的にやっておられるようである。

三多摩地区を受持っている川上講師(副教化部長)は大いに活躍して、今回も四千人を集めると言っておられた。

組織も整備され、幹部が一致して立ち上がる気運になり、誌友

の末端まで「伝道者」の自覚をもつようになれば大発展をとげるにちがいない。

青年会も大会参加者は昨年より二割五分増しの千四百名であっ

た。そしてその参加人数が、各支部組織活動の力に比例しているということであった。

東京都は現在約四万三千の誌友数で、聖使命三万七千六百である。これが今年中に飛躍的にふえる筈である。

                                                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/08 (Thu) 08:00:14




    <現在、外務大臣がモスクワに行っているが、
モスクワでは、我が国がロシアに金を渡すことだけが確定し、あ

とは、十五日に山口県に来るプーチンを「すがる」思いで迎えるだけの結果となるだろう。・・・>・・・。

 西村真悟氏の言うようになるんですか!(^^)!。









 清超先生「窓」の最後です。


○七月になってから大阪の講習会に行った。

会場がないため教化部で行なわれたが二千四百二名でぎっしり満員であった。テレビで別室できいた人も沢山おられた。

大阪地方は全般的に教勢は伸びつつある。誌友約三万であるが白鳩誌は約一万四千で、組織ものびつつあるのはすばらしい。

ここは白鳩会綜連合会というのが十二つくられる予定で今六つ出来ていた。その下に白鳩地区連が幾つかあるわけである。

相愛会連合会には教区が二十一あって、夫々正副教区長が定められている。

青年会も、今年は百五十名であったが、来年の全国大会には五

百名参加するといっていたから、大いに期待している次第である。

はじめて大乃屋という天満橋の旅館に泊めて頂いた。

見晴らしのよい五階からは、はるか彼方に松坂屋の大きなビルが見え、河や公園も見える。

松坂屋の出来るまえは、ここから食事しながら天神祭りの船などが見えたと女中さんが話していた。

両日とも雨であったが、農作物や水源地には慈雨であったらしい。

再びイスラエル軍とアラブ連合軍が砲火を交えたとニュースが
報じているが、どうか平和であってもらいたいものだ。

それにしても先ず日本の平和を確保するために吾々は国内の分

裂活動を防いで、大調和の状態にもって行かなければならないと痛感するのである。

                                                   (終わり)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/09 (Fri) 08:30:46




      上泉信綱様がまっとうなご提案をされております。

童子様の情報、ジョン・レノンのエピソードは大いに関心あり。

ビートルズのメンバーではFavariteな歌い手です(^_-)-☆。









さて、今朝からは、

谷口雅春先生の御言葉です。


 昭和42年10月1日号

 輪読のための青年法語  あなたの運命を形成するもの 

                 谷口雅春先生


 一日のことば  ♢  微笑(ほほえみ)をもって困難を征服せよ
  

 避けることの出来ない壁にぶつかったとき、毅然として挫折

することなく、微笑みをもってこれに対し、勇敢にその壁に攀じ登るものは者は勇者である。

強き信念と決意の前には、いかなる高き障壁も平かになるのである。

環境がどうの、条件がどうの、といって自己の失敗を弁護するような卑怯者になってはならない。

                                                   (つづく) 

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/10 (Sat) 07:57:45



        どれほど考えても、「講習会」が減少ながら開催されているというのが不可思議現象です(*_*;








 雅春先生の御言葉です。


   二日のことば  ♢  出来る以上の事を為せ


「武士道とは死ぬことと見つけたり」とは葉隠れ武士道の第一

カ条であるけれども、職責の上に立って、全生命を賭ける勇気

と誠心(まごころ)のない者は、凡そ何事をやらせても一流の仕事を成し遂げることはできないのである。

「出来るだけの事をしたんですが・・・・・」というような弁解は卑怯者のすることである。

出来る以上の事を成し遂げるもののみが、世の中に傑出して大事を成就する資格があるのである。

                                                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/11 (Sun) 08:12:58

   <悟りというものは体験である。 宗教は体験である。 
体験のない悟りは、九官鳥が人の云う言葉を鸚鵡返しに意味も

なく喋るのと同じであって、悟ったようなことを云うが、本当は何の意義も把んでいない。

 そんならその体験による悟りと云うものはどこにあるかと、

理屈を云う人もあるのですが、悟りというものはどこにあるか

と云うと、〈りっしん〉篇に 〈吾〉 と書いてありますよう

に、本来吾々の心の中にあるのです。 自分の内に仏の世界が

あるのです。 自分の内に仏の世界が初めからあって、そこが

極楽なんです。 これを 「一切衆生仏性あり」 と云うのです。・・・>・・・。


童子様のご投稿から引用させて頂きました。








  雅春先生の御言葉です。


  五日のことば  ♢  剣の精神は”ハイ”の精神である


 昭和アルミニューム社長の原田富一氏は、二系新聞の“交遊

抄”欄、自分が一高に入学して撃剣部に入ったとき、師範席に

あって原田氏を指導して下さった佐々木保蔵先生の愛情ある指導のことについて述べている。

「先生の平素の言動にはまことに掬すべきものが多かった。

ある先輩は『君たち先生の側にいるものは先生の言葉を記録し

ておくがよい。後日必ず得るところはある』と言われたが、ついにそれはできず今になって残念に思う。

先生はよく名前を呼ばれたら即座に『はい』と答えるべきで

『何ですか』と聞くのは心のわだかまりのある証拠だと言われた。

また『剣は人の体(たい)を表わす。しかしこっちが鏡になら

なければ、ほんとうのものは映らない』と言われた。」

「はい」の精神こそが、純一無雑の、澄み切った日本刀の精神であるのである。

民主主義と称して、事毎に言挙げして「はい」を失った時、天下騒然として治まらないのである。

                       (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/12 (Mon) 08:12:01



        沖縄にも立派な信徒がおられるのですね(^_-)-☆。


当欄には、異変が('◇')ゞ。

 雅春先生の御言葉の三日目、四日目を謹写しようとしましたら、なんと御言葉中に、いわゆる「保育園落ちた、日本〇〇」の〇〇の文字が含まれていたことで、投稿が出来ないことになってしまいました('◇')ゞ。
残念でしたが、この後、六日目から続けさせて頂きます。






  六日のことば  ♢  ある蛙の愛について (1)

 愛と県鳳来町町立鳳来寺山自然科学博物館の鈴木新一氏が、

モリアオガエルの不思議な産卵の知恵について日経新聞に書いていた。

「産卵の場所が決まると、おすはめすの背中におぶさって前足

でめすをかかえ、うしろ足で

めすの腹をさすってやる。そうすると、めすは卵と同時に、透明なねばっこい液を分泌する。

おすは、この粘液を後ろ足で一心不乱にかきまぜる。

粘液はブクブクあわ立ち、白っぽくなり、しだいに大きなシャ

ボン玉のようなあわのかたまりになり、ついには人間のこぶし大にふくれ上がる。

このかたまりが木の小枝や葉っぱにくっついてぶらりと垂れ下がるのである。

あわの中には黄白色の直径三ミリほどの卵が二百個から四百個ぐらい封じ込められている・・・・・・

卵は気温の高いときは一週間、低いときは十日ぐらいで孵化し、針のようなおたまじゃくしになる。・・・・・・

こうしてかたまりの中の卵が全部孵化し終わったころ、塊はすっかりなえしぼんでポタリと水の上に落ちる。

 水の中へ若し落ちないで陸地に落ちたら、おたまじゃくしは

そのまま死ぬ訳で是非水中に自然落下する位置にある樹の枝に卵を産まねばならぬのである。

                                                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/13 (Tue) 08:17:59



      <三笠宮崇仁親王殿下は男系を守ろうとされた  

 竹田恒泰様のご説明が印象的です。




 雅春先生の御言葉です。

伝統様のご指導に従い<m(__)m>、三日、四日目を写させて頂きました。ありがとうございます。




  三日のことば   ♢  その場にあって〇ね


「全員、自己の立てる場にあって〇ね。沈着に行動せよ」

これはパラクラヴァの戦いで、第九十三高地部隊を率いるコリ

ン・キャンベル将軍が、圧倒的に優勢なるロシアのコサック騎

兵部隊に襲撃された時に、自己の率いる全部隊に対して発せられた命令である。

私が言いたいのはパラクラヴァの戦いのことでもなければ、コ

サック騎兵の襲撃を撃退することでもないのである。

全ての人間は「今自己の立てるその場にあって死ぬ覚悟をもって全力を出し切らねばならぬ」ということである。

これほどの覚悟があって職務の上に立つものが少ないのを私は嘆くのである。

                       (つづく)

 


   四日のことば  ♢  剣の妙境を生活に生きて


「その場にあって〇ね」といわれたとき、「はい!!」と答えて一歩も退かない。

 それが日本精神であり、単なる死の讃美ではなく”大死一番大活現前」の剣の妙境である。

疲れたからブラブラ、遊びたくなったからノラノラ、そして一

生を半分眠ったような懶けた気持ちで暮らす――そんな下らない

人間は生涯、何の大事も成し遂げ得ない卑怯者であるのである。

                                                  (つづく)


 (*〇=死)


Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/14 (Wed) 08:26:28



       「択捉、国後 交渉せず」如何せん!(^^)!。







 雅春先生の御言葉、続きです。



「だから親蛙は必ず水の上にさし出した枝の上で産卵する。

ところが普通の状態では水の上に届かない枝も、卵塊をぶら下げるとその重みで水の上まで垂れ下がって来る。

母蛙はそうした計算をたくみにやってのけ、そんなすれすれの枝先にまで産みつける。

卵塊が地上に落ちることは絶対にない。本能とはいえ、不思議な力に感心させられる。」

 私もこれを読んで感動したのである。

親というものがどんなに、その子の繁栄を願っているかがわかるのである。

父蛙が母蛙のお腹をさすってやって助産婦の役目をしたり、お

たまじゃくしが一人立ちできるようになるまで棲むことに必要

な粘液の泡で出来た揺籃をこしらえてやる知恵、そして、その

揺籃からとび出した幼児がちょうど水中に落ちて泳げる位置

に、しかも、泡の揺籃の重味によって枝が垂れさがって水面に

近づく位置を計算して揺籃をつくる知恵は何処から来るか、そ

れは生物には“宇宙の知恵”が宿っている証拠でもあるが、そ

の“宇宙の知恵”は、親たるものの“愛”によって呼び出されて来ることに注意しなければならない。

蛙でさえも親は子をこんなに愛するのである。

親の愛というものが切実に感じられるのである。

神の愛を実現した人間の親はどんなに子供を愛していることであろうか。

                                                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/15 (Thu) 07:56:25



  《自分の人間力で『甘露の法雨』の真似をしたお経類似の

ものを創作して、それを読むことを勧め、その経本を売る。

それで本部へ奉納される奉納金は全部御自分の収入になる。

これほど旨いことはないのでありますが、その代り、こういう

狡猾な個人的な利欲的な行為をしますと、霊界からの守護がなくなります…》(56頁)


 破邪顕正様のご投稿から。

それにしても、夕べからの煌々たる(ほとんど)満月の輝きには恐れ入りました(^^)/。

先程まで、西の空に大きくありました(^◇^)。









 雅春先生の御言葉です。



    七日のことば  ♢  直感智の不思議さ


 いつか新聞の科学欄で読んだことがあるが、海亀の一種は

「干潮時に海岸の砂の上にあがって来て、砂に窪みをつくってその中に産卵する。

その卵が孵化して稚亀が這い出て来る時が、ちょうど最高の満

潮時になって満ちてくる潮に乗って海に帰るように、時期を見はからって産卵して置くのである。

卵から稚亀が這い出さないうちに潮がそこまであがると卵は波

にさらわれて孵化しないで死んでしまうので、それまではその

砂の窪みに潮が満ちて来ない“位置を測定して“と書いたけれども、人間のように頭脳智で測定するのではない。

それは本能智によって直感するのである。直感というものは分

析と綜合とによって結論を辛うじて得るような面倒くさい間接智ではなく、全体をそのままズバリと知る直覚である。

あまり頭脳智にたけていて、分析や総合のみに頼っていると、

使わない能力は退化するという原則によって、直感智が失われ

てしまうので、直感智を退化させず、益々直感智を発達せしめ

て、分析綜合の頭脳智の働く余地のない危急の場合に、直感智

を利用して安全なることを得るよう自己訓練をなしておくことが賢明である。

                       (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/16 (Fri) 08:21:15



     日本で絶大な人気を誇った、ベラ・チャスラフスカ、

数奇の運命をたどって今年8月かに亡くなったが、「平和憲法」を言及していたそうです(*_*;。

 北海道の白鳩さん!(^^)!、まだ脱却していない様子が伝わって来ましたね(*_*;。

北方領土もいまだ、霧の中だし・・・"(-""-)"。












 雅春先生の御言葉、続きです。


   八日のことば  ♢  蛇の直覚本能と人間の霊感


 もう十数年も前のことで筑後川が氾濫して、発電所が水浸し

になり、停電となり、電気が通じなくなったので、電力で開閉

する筑後川のダムの閘門が開かないで、閘門が閉じて水が下流

に流れるのを堰きとめたまま集中豪雨の水量が筑後川両岸の

山々に集注して、その流域は二階の高さ以上に水嵩が増したことがあった。

そのとき附近の人家は悉く流失してしまったが、そこに生長の家の一誌友が住んでいた。

彼の家も次第に増してくる水量によって二階の屋根の上まで浸水して来たのであった。

彼はこれ以上は水嵩がふえて来ては家の中にいるのは危険であ

ると感じたので、そのあたりにある立樹の一本を選んでその上方の枝まで登っていった。

洪水は益々水嵩を増して来る。

轟々と音をたてて流れる水にその辺の樹木は悉く倒れ流されて

しまうのに、その誌友の登って行った一本の樹だけが倒れないで高く聳えているのであった。

水嵩が増すに従って彼の腰かけている枝は水に侵って来るの

で、彼は更にのぼって梢まであがると、其処に数十匹の青大将(蛇)が梢に群を成していたのであった。

蛇はその本能的直感認識によって、その樹一本だけが流されな

いことを知っていて、群を成して梢まで登っていたのである。

そして生長の家誌友も毎日神想観を励んでいる人なので、”宇宙

の知恵”と常に波長が合い直感認識の能力が発達していたので、

その流されない唯一本のその大樹を選んでのぼることができ、生命が救かったのであった。

常に神想観して”宇宙の知恵”に導かれる準備のできている人は幸いなるかな。

                       (つづく)



Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/17 (Sat) 08:13:55




     NHKの「東京裁判」、パル判事が目立っていました

が、全員無罪というところを「有罪とはなり得ない(?)」と

か、「やはり侵略戦争ではあった」と言ったとの説明がついていたところなどが?でした!(^^)!。








 雅春先生の御言葉です。



  九日のことば  ♢  困難はあなたの向上の師である


 人は直面する困難を打開する努力のうちにその意志を鍛錬し、能力を向上させるのである。

国と国との戦争は国民全体の運命を含むところの一国の運命を

賭けての総努力であるから、戦争の殺人行為は好ましくないけ

れども、人間は戦争を通して、今までの能力の限界だと思われていたものを超えて能力を発達させる。

原子力の開発、音速を超えるジェット機や、ロケットや人工衛

星などの発明も、いつ熱い戦争が起こるかも知れないという冷戦下に於て発明されたのである。

 困難を避ける卑怯者には進歩はないのである。

困難に直面してこれを克服しようという努力を続ける者のみが真に向上し、発達するのである。

                       (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/18 (Sun) 08:01:27




   << 伏心というのは、邪なるを見て、それを調伏する

心であります。和顔でなければならないし、忍辱よくたえしの

ぶことも必要でありますが、いやしくも真理にそむく邪な説を

立てる者に対しては破邪顕正の剣を揮わなければならないので

あります。それが又、自分の魂をみがく道場となるのであります。』 >>(『維摩経解釈」』・・・・・。


破邪顕正様のお名前が、此処に見られました!(^^)!。


童子様の「プーチンの裏側」も注目です。












  雅春先生の御話です。


  十日のことば  ♢  イエスとノーとをはっきりせよ


 吾々は返事を曖昧にしてはならないのである。

相手の申し出に対しては“イエス”か、“ノー”かをはっきり表現しなければならない。

相手の申し出を、自分の意志が共鳴することができない場合

に”ノー”をはっきり言わなかったために、承認したものと誤解

されて、一生涯その尾を引く問題で苦しんでいる人もあるのである。

誰の要求に対しても、それが理不尽な要求に対しても“ノー”を

はっきりしない時は、相手に対する降伏を意味するのである。

 吾々が常にハイと従順に答えてよいのは、両親からの命令と、実相からの催しに対してのみである。

両親も時には間違うこともあれば、無理をいうことがあるかも

知れないけれども、両親の子供に対する言葉は“愛”から発して

いるために、一見その命令や助言が間違っている場合でも、素

直にそれを実行しているうちに、事情が好転して来て、「やは

り両親の言う通りにしてよかった」という時が来るのである。

それが愛の権威というものであり、愛は神の知恵を内に含むからである。

                       (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/19 (Mon) 08:20:22



     幾分、寒さの緩みがあって、助かっております(^^♪。

底冷えはしてますけど…('◇')ゞ。









 雅春先生の御言葉です。



 十一日のことば  ♢  屈辱の平和よりも更に尊いのは自立の精神である。


 アメリカの愛国者にして雄弁な政治家として知られている

パトリック・ヘンリー(Patrich Henry-1736~1799)或る日

の演説の中で、「いのちがそんなに尊いか、平和がそんなに甘

いものか。それを得るために鎖と奴隷の価を支払ってさえもそれを得る価値があるか。そんな卑怯な考えを棄てよ。

他の人はどの道を選ぶか知らないが、吾れに自由を与えよ、然らざれば死を与えよ」と叫んだということである。

ヴェトナムでアメリカが、あのような「引き合わぬ戦争」を続

けているのも、このパトリック・ヘンリーの叫んだ精神にほかならぬのではあるまいか。

敗戦後の日本では平和ノイローゼにかかって、国内では同胞相

闘うために旺んに闘争精神をあおりながら、外に対しては、防

衛の武器も持たずに、奴隷の如く外国にお辞儀をして平和を守りたいと言う卑怯な人が随分多いのに驚くのである。

このような人たちに対しては、評論家、村松剛氏が『週刊読

売』42年2月3日号に書いた次の如き平和論が参考になると思う。

「もし万一、奴隷状態におかれるようなことが起こったら、革

命戦争を起こしたほうがいいと思っている。・・・・・平和な

ら、どんな平和でもいいというぐあいにはゆかない。問題は、

幸福と名誉を裏づける平和を、いかにして築くかということである」

という言葉は示唆に富んでいる。

この言葉は前掲のパトリック・ヘンリーの演説に全く同じことである。

平和という偶像が尊いのではないのである。

各国の威嚇の前に奴隷の如く跪いて平和を希うのは日本民族の自尊心が許さないのである。

                       (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/20 (Tue) 08:19:48

 
  童子、伝統様の日ロ問題のご投稿大いに参考になります(^^)/

 二階氏のコメントが気になりましたところで…('◇')ゞ。



   <天皇国日本は、護られて行くと私は信じております。

 その為には、お腹の赤ちゃんを守る運動をしっかりやって、日本らしからぬ業を無くす努力を強力に続けて行く事が、何としても大切だと思っております。・・・>・・・。


 コスモス様も訴えられております。








 雅春先生の御言葉です。


  十二日のことば  ♢  何よりも大切なのは国力の充実


 作家の伊藤桂一氏は『論争ジャーナル』6月号で、「……打ちつ

づく戦争への出血や出費に、一言の弱音を吐かないアメリカ

と、すでに終ってしまった戦争について未だにグチや泣き言をいいつづける日本。

こうした対照を公平に検討してみると、おのずから日本という国の姿がうかびあがってくる。

戦争とか平和を論議する以前に、もっと考えねばならぬ問題があるのではないか・・・・・。

ついこの間まで吹けばとぶような韓国艦艇に追い廻され、泣き

泣き拉致される漁船を、指をくわえてみているしかなかった

日本が、国家利益の追求に眼の色を変えている世界の列強に向け

て、いかに平和を説いてみたとして、蚊の鳴くほどにも受けとってもらえはしなかったはずである。

大事なことは何よりも、日本それ自身の、国力の充実でしかないことは自明の理であったのだ」

                                                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/21 (Wed) 08:04:40



  <誰かの祝賀式や結婚式にビフテキでも出ることがある。すると、私は旨(うま)そうな

恰好(かっこう)をして食べるのですけれど 余(あま)り旨(うま)くないのですが、

そして衆生を救わんが為に食べながら真理の話をして、そういう人達と仲よくなって、

みんなを光明に導いて行(ゆ)く。


衆生と共に、輪廻(りんね)し、衆生と共に、生物(いきもの)を殺した料理を

食べていながら食べていないのです。現象を見る目で見ると、弱肉強食の世界であり、

実相をみれば救わんがための方便である。>・・・。


 明鏡様のご投稿から、雅春先生の述懐です。







 雅春先生の御言葉です。


十三日のことば  ♢  国力の充実を無視して個人の享楽を謳歌する憲法


「しかし国力の充実などを考えるな」と甘い考えの平和論者は言う。

自分の国の平和は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し

てわれらの安全と生存を保持しようと決意した」という、まこ

とに虫のよい憲法のもとで「すべての国民は、個人として尊重

される、生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利について

は、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政に上で、最

大の尊重を必要とする」と、現法憲法が保証してくれるではないかというのである。

そして個人の幸福追求の欲望を最大に尊重して、それが充たさ

れない時には「請願権」や「団体争議権」があるのであるか

ら、「公共の福祉に反しない限り」といってもそれは名称だけ

で「公共」とは「主権の存する国民の集まり」であるから、そ

れらの幸福追求のためにあばれるのは、まことに以って公共の

福祉にかなうところの処置であるから、いくらあばれても、い
くら享楽にふけってもよいのである。

だから、国会の周辺デモを規制することが違憲であるとの判決
が裁判所から出るのも当然のことであるという。

こんな憲法を改めない限りは、利己主義の人間ばかり殖えて、

国家を思う国民は益々減って日本の現状は決してよくなる気遣いはないのである。

                                                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/22 (Thu) 08:38:49



〈『神を審判く』 第2部 “イエスは十字架にかからず”>


童子様のご投稿から、雅春先生のイエス・キリストに対する

深い愛情が感じられてスゴイです。

イエスは本当に逃れて青森へ来られたのでしょうか…!(^^)!。


一方、スゴイご投稿量(^◇^)の、伝統様の「笑って、笑って

笑い飛ばせ!②」から、


<《ノーマン・カズンズ──「笑いの医療」のパイオニア》

(1)平和を愛するジャーナリストが……

   この名前は、心に刻んでおいたほうがよい。

   彼こそ「笑いの医療」のパイオニアなのだ。1915年、アメリカ生れ。

   彼自身が、大変な難病に冒され、医師から不治と死の宣告を受け、
   一時は絶望の淵で苦しんだ体験を持っている。

   その彼を”不治の難病”から救ったものが「笑い」だった。・・・>・・・。


雅春先生も常に仰っている、「祈れ、祈れ」などと(もう一つ失念('◇')ゞ)同様、本当に大切な行事(^_-)-☆です。







雅春先生の御言葉です。



 十四日のことば  ♢  若し中共が五百億弗の賠償を要求したら


 伊藤桂一氏はつづけて言う。「考えてみれば私たちには、敗

戦にからまる負債を、いつか何らかの形で返済を迫られる危惧がある。

それを要求されたとき、拒否する立場も、力も、われわれにはない。

いってみれば日本及び日本人は、平和と呼ぶ檻の中で、ある飼

い主によって飼われているにすぎないのかも知れないのである。

これをまず明瞭に認識しておくことが必要である。

 いつか何らかの形で返済を迫られる惧れのある敗戦にからまる負債とは何であろうか。

それはサンフランシスコ平和条約に参加していない中共への賠償のことであると思う。

「平和」と呼ぶ檻の中から引き摺り出す権利をもっている飼い主とは一体誰であるか。

それは中共である。

中国と日本国の関係は、台湾省の国民政府とは、「怨(うら

み)に報いるに怨をもってせず」という蔣総統の宣言によって

賠償要求は抛棄せられて平和条約が完了しているけれども、中

国本土に政権を握っている中共とは平和条約が結ばれていないのである。

愈々日本が中共と平和条約を締結する時には日本に対して「五

百億弗の賠償を要求する」と中共はいったことがあるのである。

「それを要求されたとき、拒否する立場も、力もわれわれには

ない」と伊藤桂一氏はいうのであるが、「それを要求されたと

きそれを支払う国力もないのである」と私は付け加えておきたいのである。

五百億弗を要求されたときのことを思うと、日本国民は「平和

という檻」な中で、今のように歌ったり踊ったり、ウィスキー

やブランデーに酔い痴れて、性あそびの享楽にふけっていてよいものだろうか。

「平和という檻」の外へ引き摺り出されて「五百億弗の賠償を

支払え、でないと中共の水爆が強制執行するぞ」といわれたら

拒絶する力も支払う力も、戦う力も何もなくてどうするつもりであろうか。

ドイツは第一次世界大戦に敗れて永久に支払っても支払い切れ

ない多額の賠償を背負わされた結果、ヒットラーが出現して国

力を充実し賠償拒否を宣言してやがて欧州全土を席巻する一大強国となった。

その後、ヒットラーの独裁政権があまりにも強力になり過ぎた

ので、ヒットラーは気が狂ったのであろう、常識から見て到底

なすべからざる虐殺をはじめたのであるが、それは別の話である。

日本の現状では中共に対して五百億弗の賠償拒否能力も、支払い能力もない。

それではお辞儀をして奴隷となるほかはないのではないか。

賠償ができなければ、賠償の代償に日本の全工業力を差押えるといわれたら青年諸君どうしたらよいと思うか。

そんなことを要求されないためには日本は強くなっていなければならないのである。

                       (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/23 (Fri) 08:18:57




  <○ 失しない物をさがす時「無い」「無い」と言って探すのではな  く「あった。あった。」 と言って探しなさい。



喜べば、喜びごとが、喜んで喜び集めて喜びにくる。・・・>・・・。


がんこ親爺様のご投稿から、落穂ひろい('◇')ゞ。









 雅春先生の御言葉です。



 十五日のことば  ♢  共産国は強国には手出しをしない


 東京新聞七月十三日号京大教授の猪木正道氏が三木外相の

「中国との平和共存」演説を批評した文章の中に次のようなことをいっている。

「中国ばかりでなく、ソ連など共産主義国の外交をふりかえる

と、政治的に不安定な国に対して、共産国の指導者たちがどれ

ほど無遠慮な内政干渉を試みたかは、だれの目にも明らかであろう。

共産主義者は力の信者である。相手が強ければ、保守政権であ

ろうと、反動政権であろうと、事実上の共存政策をとる。たとえ口先では敵視していても、決して行動では挑発しない。

スターリンがヒットラー・ドイツとの共存にどれほど苦心した

か、毛沢東がアメリカとの戦争に巻き込まれないようにいかに苦心しているかを想起しよう。

これに反して、相手が弱体だと見れば、スターリンも、毛沢東もためらうことなく武力を用いた。

この意味で、中国との平和共存政策を発展させてゆくために

は、わが国の経済的繁栄を保持し、政治的安定を強化することが不可欠の条件となる・・・・・」と。

 単に政治的安定を得るだけでなく、防衛力に於いても中国に対等の強さを堅持しなければならないのである。

                       (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/24 (Sat) 08:00:26



   <ちなみに、もととなった老子の「天長地久」から、
    
 天皇陛下の誕生日を天長節と呼んだように、

     皇后陛下の誕生日は地久節と呼ばれました。>

伝統様のご投稿から。


また、童子様のご投稿から、

<皇位の安定を揺るがす「パンドラの箱」 
              麗澤大教授・八木秀次氏>

は納得できるお考えのように思えました。



 昨日失念の事が蘇りました('◇')ゞ。

前述の中にちゃんと答えがありましたね。

「悦べ、悦べ、悦べ」でした。

「嬉しいな、楽しいな」もいいですね(^_-)-☆。







 雅春先生の御言葉、続きです。



 十六日のことば  ♢  一切のものその実相を見れば美しい


 どんなに醜(みぐる)しく見えるものでも、その電子顕微鏡

写真を見れば、実に美しい秩序整然たる構図をもつ組織を備えていることに驚嘆するのである。

吾々が何かの事実を見て、それをよくないと見えるのは充分その組織の奥に深く穿ち入らないからなのである。

すべてのものを恰も電子顕微鏡写真で見るように、その奥にあ

る実相を見るならば、天地一切のもの、全ての人間を含めて、悪いもの醜しきものはないのである。

内在の“善”を見、内在の“美”を見て、それを讃美し、あらわそ

うとする者は、常に自分の人生に天国を築くことができるのである。

                       (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/25 (Sun) 07:50:04




 ..:・^:.:*☆★☆★───────────☆★☆★:゜+::..
 +^・ __| Happy ★ Christmas|__::゜*
 *゜゜\ |                 | /*^:+*
 :+::*/   ̄ ̄ ̄) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄( ̄ ̄ ̄  \+:゜:
 ゜+:  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄*:^:^゜*゜.:+:+:^:.:+^**. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄*:.:^
 。 ゜ 。*  。  。    クリスマスですね!
  ___┌┐*。  ゜  ゜
 /\____\ ☆  *   ° *みなさんに
 ┃┌┐┌┐┏┫ ▲ 。        メリークリスマス♪
 ┃└┘└┘┃┃ ▲▲ * 〇
 ┗━━━━┻┛ □ 。(_)゜



伝統様の芸術作品(^_-)-☆を紹介します。







 
  雅春先生の御言葉です。



 十七日のことば  ♢  常にイライラする者は短命である


 七月十四日の朝日新聞の“海外トピックス”欄に「S~Zは短命説」という姓名判断が出ている。

曰く「姓の頭文字がアルファベットの終りに近いところ、特にS

からZの間の寿命は、他の人に比べて十二年も短いとのショッキングな研究結果が十二日、英国で公表された。

トレーバー・ウェストン医博(三九歳)が英国医学協会に報告

したもので、S~Zグループの人は、A~Rグループの人に比べて

二倍も潰瘍ができやすく、三倍も心臓発作に襲われやすいという。

 その理由が面白いのであって、S~Zの姓名をもっている人は

「名前を呼ばれるのがいつもあとなので、いらいらして待つ度

合いが大きく、試験の結果なども、ほかの者が合格とわかって

喜んでいるときに、自分の番はまだかと気をもまなければなら

ないkら」だそうで、この研究はロンドンの病院での十年にわたる調査が裏付けになっている。

諸君は常に雄大な気魂をもって人生に臨み、小さな失敗や栄進
にこだわることなく大海洋に掉さすが如く悠然と生活せよ。

或る先輩は入学試験に失敗してクヨクヨしている青年にいった。

「何を一年くらい入学が遅れたことをクヨクヨするか。ノンビ

リと生活して二年間寿命が延びたらその方が有利でもあるし、人格形成に役立つではないか」と。

まことに至言である。

入学者名簿のビリに姓名があるからとてクヨクヨするような愚かな人間にはなるな。

                       (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/26 (Mon) 08:10:14


ピコ太郎、君の名は。あまり興味はないけれども、

安倍首相のアピールには欠かせないものなのでしょうね(^^♪。


だけど、「黒潮市場」にも笑わせられます!(^^)!。


それよりも、今朝の東南の中空に、三日月(下弦?)が鮮やかに存在感を

表現して・・・、びっくりぽん!でした( `ー´)ノ。









 雅春先生の御言葉です。


  十八日のことば  ♢  自己信頼と自己尊敬


 人間が自己の人格を向上させるのに三つの条件がある。

第一に自己信頼又は自己尊敬である。

これは自己劣等感の反対である。

自己を劣等視する者は常に自己の進歩を自己抑制して大きく伸びることができない。

これに反して”神の子”として自己を尊敬し信頼できるものは、

自己の内に”無限の能力”と”無限の善”とがある事を自覚して、

その”無限”を常に発掘し表現することに自信と歓喜とを感ずるが故に、常に毎日進歩することが出来るのである。

                       (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/27 (Tue) 08:16:25



<トランプが鎖国すれば、世界で「人民元」が大暴れする>そうです!(^^)!。








  雅春先生の御言葉です。


十九日のことば  ♢  己に克つものは最大の勇者である


 ”神の子”としての自己尊敬が自己の内に確立したならば、その自己尊敬を裏切るような事はしてはならないのである。

それには“神の子”たる者が為すのにふさわしくないような低卑

な思いを起こさず、低卑な行為をしないように自己訓練をしなければならないのである。

しかし人間は”内在の神の子“たる本性と、それを包むに”肉

体“という他の哺乳動物と同様な本能をもつ”衣裳“又は”作業服“を有するのである。

したがって”肉体”の欲望が”神の子”たる本性の要求に優先する

ならば、”神の子”たる尊敬すべき資質を表現する機会を失い、

その人は単なる哺乳動物の欲望を満足させる動物の境涯に堕落してしまうことになるのである。

終戦後、日本弱体化のために押付け的に制定されたる日本憲法

はこの哺乳動物的欲望を基本的人権として強調しているので、

戦後育った若い人たちは動物的欲望の主張とその満足を当然権

利として要求して“神の子”たる魂の願いを軽んじる傾向がある

のであるが、それでは魂の乗馬であるべき肉体を、魂の上にお

いて、馬が人間の上に乗って主人公になっているのと同様である。これでは高貴なる人格形成はできないのである。

魂の願い適わない肉体の欲望を克服して、肉体をして完全に魂

の願望遂行に従属せしめること、これによってのみ高貴な人格が形成され得るのである。

だから高貴な人格形成の条件の第二は肉体の動物的欲望に打ち克つこと、即ち「克己」ということである。

古来、己に克つものは最大の強者であるといわれている所以である。

                       (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/28 (Wed) 08:14:53



      いつの間にか、申年も押し迫って参りました。

酉年を前にしての鶏の大量処分は何なのでしょうか(*_*;。

日本は何処へ行くのでしょう。









 雅春先生の御言葉続き、です。



  二十日のことば  ♢  己れに克つためには意志の強固が要請せられる


「己れに克つ」ためには、何が「真の自己」の願いであり、何

が「ニセモノの自己」(肉体的欲望)の願いであるかを知らねばならぬ。

即ちソクラテスの「汝みずからを知れ」ということである。

そして、「真の自己」の願いを成就するためには、「真の自

己」の本源の願いを生かすために派生せる肉体の欲望を剪定し摘果しなければならない。

それは恰も、美味の大きな果実を実らせるためには、不要の枝

を剪定し、不必要に多くの果実を実らせないで選りすぐった果

実だけを残して他の小果実を摘みとることが必要なのと同様である。

このようにしたとき、吾らの人格の最も尊貴なるもののみが果を結び、低卑なるものが影を消すのである。

それには意志の強固ということが必要な条件となるのである。

 戦後、新聞雑誌で見ると、「意志」という語が全く見当らず

「意思」という字が専ら使われているようであるが、人間の意

識活動を知・情・意に分類すると「思」というのは寧ろ「知」

に属するのであって、意欲し志向する心の働きとしては「意志」という語が私は適切であると思っている。


                       (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/29 (Thu) 08:33:39





       <日本が 「 拉致 」 を解決できない理由 /

櫻井よしこ > 

<スリランカの弁護士、セナカ・ウイーララトゥナ

氏の「日本の真珠湾攻撃はアジアを西欧の支配から解放した」

という論文・・・>

<昨日、私は、カネオへの海兵隊基地に、一人の日本帝国海軍士官の碑(いしぶみ)を訪れました。

 その人物とは、真珠湾攻撃中に被弾し、母艦に帰るのをあき

らめ、引き返し、戦死した、戦闘機パイロット、飯田房太中佐です。

 彼の墜落地点に碑を建てたのは、日本人ではありません。 

攻撃を受けた側にいた、米軍の人々です。 死者の、勇気を称

え、石碑を建ててくれた。 碑には、祖国のため命を捧げた軍

人への敬意を込め、「日本帝国海軍大尉」 と、当時の階級を刻んであります。

  The brave respect the brave.
   「勇者は、勇者を敬う」

 アンブローズ・ビアスの、詩(うた)は言います。・・・>


 良き情報の満載です(^◇^)。









 雅春先生の御言葉です。


   二十一日のことば  ♢  あなたの意志の力を強固ならしめるには


 何でも、使わない力は退歩するのである。

意志の力も使わなければ退歩する。

筋肉の力が、ボディ・ビルに見るように、少し自分の現在の力

では重荷に過ぎると思えるほどの重量を持ち上げたり、引っ

ぱったりする練習をつづけることによって、前よりも一層発達

するのと同じように、意志の力も、耐えがたきを忍び、なかな

か抑えがたき欲望を抑える練習をつづけることによって、今より一層発達するのである。

一人では肉体の欲望に負けてしまいそうな時にも、集団訓練又

は集団練成に於ては肉体の欲望に打ち克つための集団精神があ

らわれてきて、兎もすれば安易を欲する肉体の欲望に魂の自分
が屈服しそうになる時にも、己に克つ練成ができるのである。

集団練成を行う練成会が必要な所以である。

                       (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/30 (Fri) 08:05:09



      稲田朋美大臣、立派ですね(^^)/。

 強いです。印象はよくないような風もありますが('◇')ゞ、

首相「ノーコメント」も?でしたね。ゴルフ中じゃ仕方がありませんか!(^^)!。

 童子様、中山堂様のご投稿もご立派です。









 雅春先生の御言葉、続きです。


  二十二日のことば  ♢  魂の進軍と勝利の戦い


 汝の「ニセモノ」を監獄に投じ、汝の「ホンモノ」を獄舎より解放せよ。

それが根本的な人間革命である。

「ニセモノの自分」を自由に解放しておきながら、高貴なる人

格を形成しようと思っても、そこには唯、「ニセモノの自分」のジグザグ行進が始まるだけである。

この意味に於て人間の生活は、常に「ニセモノ」を克服する

「ホンモノ」の進軍と勝利の戦いだということができるのであ

る。勇気ある者は、いつも「ホンモノ」が「ニセモノ」に負け続けている戦いに満足していてはならないのである。

                       (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2016/12/31 (Sat) 08:09:51

 


      当掲示板管理人様、伝統様、本流の皆様、申年1年

お世話になりました。

ありがとうございます。<m(__)m>。

来年酉年も、ささやかながら、大聖師の御言葉など謹写させて頂きますので、よろしくお願い申しあげます。

  破邪顕正様の、<また、今回の安倍首相のハワイ・真珠湾訪問で、改めて外交音痴であることをまざまざと見せつけてくれたのが、蓮舫・民進党党首です。

表向き、一応は「大変大きな意義がある」と述べたあとで「不戦の誓いと言いながら、なぜ憲法解釈を変えて安保法制に突き進んだのか」と疑問を投げかけたからです。

蓮舫氏の言う「大きな意義」は、実は、安保法制の実現なくして達成できなかったことなのです。

それが、全然、分かっていない。・・・>・・・。

というご主張に納得いたしました。


本流のさらなる大発展を心より願っております。













 雅春先生の御言葉、続きです。


  二十三日のことば  ♢  人もし全世界を得るとも・・・・・


 肉体の利己的欲望に打ち負けた瞬間、その人の魂は生命(いのち)を失うのである。

「生命を得んとする者は却って生命を失い、生命を捐つるもの

は却って生命を得」とイエスがいったのはこの真理を述べたのである。

最初の「生命」というのは肉体的欲望の生命であり、後者の「生命」というのは“魂の生命”である。
 
このことをイエスはまた「人もし全世界を得るとも生命(たま

しい)を失わば何の甲斐かあらん」と喝破しているのである。

それにも拘らず全世界の何十分の一に足らぬ僅少な領土や利権

を得んがために“魂の生命”を失い、愛を失い、争闘にあけくれている人たちを見る毎に気の毒な気がするのである。

                       (つづく)





Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2017/01/01 (Sun) 08:48:16

   


    <《新たに生まれるあなたの自覚》

         *「神と偕に生きる真理365章」より


新しく生まれ変る年である。

新生の年である。

今まで自分を一個の物質的な存在であると思っていたのを

”人間は物質に非ず肉体にあらず、聖なる神の子であり、霊的実在である”と知る時が来たのである。

わが内に神の生命が宿っており、その”神の生命”が”本当の自

分”であり、肉体は地球という天体上で”神の生命”が一時的に被

服として身にまとい、地球上での仕事又は使命を果たすため

の”宇宙服”としてみずからの生命が織り上げたところの被服であると知るときを迎えたのである。

この自覚の生まれ変りを得なければ新しき年を迎えるというこ

とは、唯、齢(よわい)を重ねて老いて行くというだけで、

人間の存在に何らの深い意義もないことになるのである。

・・・。>・・・。

 
 新年おめでとうございます<m(__)m>。

伝統様のご投稿から引用させて頂きます。









引き続き、雅春先生の御言葉です。



  二十四日のことば  ♢  僅かの時間を大切にせよ


 バケツの底に小さな孔があいているのに気がつかずに水を一

杯入れておいたら、あとでその水を使おうと思うとカラッポに

なっていることがある。少しずつ逃げて行くものが最も大きな浪費となるのである。

私は講演旅行して講演のほか絶対に人に会わぬことにして講演

の余暇の断片的時間に執筆すると、自宅でまる一日執筆してい

るつもりの時よりも沢山原稿が書けることを発見したのである。

自宅にいると、色々の雑用や、一寸した話しかけの言葉が、バ

ケツの底の孔のように、私の時間を分断して奪って行くのである。

二、三の手紙を読んで、その返事を書いているうちに「もう昼食か」と驚くことがある。

原稿を書くのを職業としている文士がわざわざ旅館に「館詰

め」と称して執筆のための部屋借りをする人が多いのも、故あるかなと思うのである。

諸君は断片的な時間を無駄に流し棄てることなく、すべての自

分の時間を、何らかの自己の向上(肉体の健康及び学業の向上

を含む)に利用する工夫をして、毎日毎日を「魂の進歩の日」

として行くならば、他の普通の時間浪費の習慣に押し流されて

いる人よりは立派な、社会国家に貢献できる人になる事疑いなしである。

                                                   (つづく)


Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2017/01/02 (Mon) 08:50:18



新年早々、「悲報」が入っております。まことに嘆かわしく思います。










 二十五日のことば  ♢  砂礫が集まって岩石となる


 どんな大樹も小さな斧、鉞で打撃を繰返すことによって切り倒すことができるのである。

点滴は、やがて大岩石に孔を穿つといわれている。

一秒一秒が集まって百歳の長寿となるのである。

その代わり、一秒二秒をゆるがせにする者は百歳の長寿を無駄に浪費することになるかも知れない。

小さな砂礫が集まって大岩石となることがある。

秋田市の講習会の帰りに全日空の空港の貴賓室に、赤や藍(ら

ん)の美しい色の、今われたばかりの破片のように角だった小

石が凝結してモザイク模様を織り成している天然の凝礫(ぎょ

うれき)岩が置き物にして飾ってあったが、誰かがこれが「さ

ざれ石の巌となりて」という日本国家“君が代”の歌が真実であ

ることがわかりますねといっていたが、どんな小さな石の破片

でも、大自然の叡智で、こうして集めれば美しい置物になるのである。

(この岩は秋田で産するのかときいたら、係りの人は鳥取の産ですといっていた。)

 あなたの小さな時間の破片でも、若しあなたの叡智がそれを

集めて、あなたの人格形成に利用するならば大いなる結果を生むに相違ないのである。

                       (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2017/01/03 (Tue) 08:54:50

   


   〈《ご皇室の元日》

皇室の元日は祭祀が目白押し。

【天皇陛下の元日のスケジュール】(平成27年1月1日のスケジュール 宮内庁HPより)

5時30分 四方拝
5時40分 歳旦祭(御代拝)

9時05分 祝賀及びお祝酒(侍従長始め侍従職職員)
9時30分 晴の御膳

9時45分 祝賀(長官始め課長相当以上の者、参与及び御用掛)
10時00分 祝賀の儀(皇太子同妃お始め皇族各殿下)
10時10分 祝賀(元皇族、御親族)
10時15分 祝賀(未成年皇族)
11時00分 祝賀の儀(内閣総理大臣等)


迎えた1月1日の朝。

まだ薄暗く肌寒い、5時30分に四方拝という祭祀が始まる。
宮中三殿の西側に位置する、神嘉殿南庭のかがり火の中、地面に敷かれた畳の上で、
陛下は伊勢の神宮、山稜、四方の神々に拝礼される。

「天皇陛下の遙拝は、五穀豊穣、国民および国家の安寧を祈る宮中祭祀です。
同時に、陛下が最も重要視している私的祭祀でもあり、“重儀”と呼ばれます。

陛下は赤茶色の装束、黄櫨染御袍を身にまとい遙拝されます。
皇后さまもお出ましになりますが、陛下とご一緒するわけではなく、
別室にて祈りを捧げています。

両陛下ともに寒い中、大変な思いをされて、
国民のために祈りを捧げているのです」(皇室ジャーナリストの神田秀一さん)

それが終わると、陛下は宮中三殿それぞれに祀られている
天照大神や歴代天皇・八百万神の御霊などに拝礼する歳旦祭に臨まれる。

 
その後始まる、新年祝賀の儀では陛下は燕尾服、
美智子さまはローブデコルテ姿で皇族、内閣総理大臣、閣僚、宮内庁職員など、
次々と訪れる人たちから新年の挨拶をお受けになる。

待っている人たちの部屋を回るなど、数時間の間ずっと立ちっぱなしで、
挨拶をする人数はのべ600人以上にのぼる大仕事だ。

「午前9時過ぎから始まるこの儀式ですが、あっという間にお昼を過ぎます。
両陛下や皇族は、合間を見て飲み物やサンドイッチなどの軽食を召し上がる。
ゆっくり昼食をとれるわけではなく、休憩などもできません」(神田さん)・・・>・・・。


伝統様のご投稿から引用させて頂きました。








雅春先生の御言葉です。




  二十六日のことば  ♢ 意義の大小は人間の大小による


 小事の中に潜んでいる大事を見出すのが実相を観る知恵の働きである。

何でもない瑣事からヒントを得て大発明を成就することもあれば大思想を産み出すこともあるのである。

常に事物をよく観察して、その意義を考える習慣をつけておく

ときは、将来必ず、無限の石油資源を掘り当てたにも似た思想的または学的成果を得るときが来るのである。

 すべて小さき事物を軽んじてその意義を見出すことができない者は人間が小さいのである。

どんな瑣事にも、それを契機に大いなる意義を見出す者は人間が大きいのである。

意義の大小は、事物の大小によらず。人間自身の大小によるのである。

                                                   (つづく)


 

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2017/01/04 (Wed) 08:19:27

   


  <至上の御祖神の名を粗末な字でかまぼこ板のようなものに

書く非礼を詫びよ!!>・・・、貴康先生の心痛なる叫びでしょう。


 お眼直しに('◇')ゞ 新年の仙厓和尚の書画を掲げます。

越前小浜市に残る柴茶を掛け声?とともに書したもの。

鶏はどのような関連なのでしょう?








 雅春先生の御言葉です。


 二十七日のことば  ♢  あなたは偉大なる魂となれ


 自己の性格の弱さを克服しようとする努力の中からニイチェの”超人”の思想は生まれたのである。

父なき児が、まぶたの父を憧れる心からイエスの“天の父”の信仰は生まれたのである。

貧しさの中にあって運命を克服する努力の中に吉川英治、山岡荘八、長谷川伸などの有名作家が生まれている。

困難を克服する努力のない処からは価値のあるものは生まれないのである。

偉大なる魂は困難の中から高貴なるものを発掘するのである。

卑小なる魂は豊かさの中にあっても鼻もちならぬ糞穢(ふんえ)を掘り出すのである。

                                                   (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2017/01/05 (Thu) 08:05:21


    <どこかの、やっすい間伐材を 切断して作った
ド素人の ド汚い字で 御祖神の名を書いたインチキ臭~~い「札」!!!>・・・。

 志恩様らしいユーモア満点のご投稿(^^♪。

「やっすい」がいいですよね。


 中仙堂様の「Y遺伝子D系統」もスゴイです(^^♪。







 雅春先生の御言葉です。



  二十八日のことば  ♢  高く昇るほど謙遜になれ


 小なる成功に傲るものは、大なる成功を得ることができないで挫折するのである。

人は自分の樹てた功績に傲って他の人を軽蔑してはならないのである。

自分より卑しい地位に今ある人で、自分よりすぐれている資質を有する人たちは沢山あるのである。

「実るほど頭の下がる稲穂かな」という俳句がある。

上位にあがればあがるほど謙遜でなければならないのである。

出る杭は打たれ、威張る者には敵があらわれ、背伸びして高く見せようとする者は押えられて低くせられる。

                       (つづく)


   





Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2017/01/06 (Fri) 08:15:54




   <「かかるとき かかる首相を いただきて かかる目に

遭ふ 日本の不幸」(長谷川櫂)>・・・。


一瞬、長谷川氏なるものがとんでもないことをおっしゃる、と

思いましたら、勘違いでした('◇')ゞ。

 年頭の挨拶に昭和天皇の御製を紹介された首相のことではなかったのです。

私の拙作(^^♪。

 海峡を渡る鵯 命懸け('◇')ゞ。










 雅春先生の御言葉です。


   二十九日のことば  ♢  織田信長と徳川家康


 私は山岡荘八氏の「織田信長」が本能寺で明智光秀に反逆さ

れて自刃する前後の情態を錦之助が演ずるのを、先日、歌舞伎

のテレビ中継で観たが、彼はまさに勝ち誇って、その功業が多

くの部下の忠誠の上に成り立っているのだということを忘れ

て、自分のわが儘で何でもできるという過信によってみずから
滅びて往った光景がよく演出されていた。

これに反して徳川家康は、やはり戦国の武将であるから戦うと

きには狡猾な策略もあり、殺すことも敢てするけれども、戦い終った後は、部下を生かし、民を生かすことを忘れなかった。

そこに徳川三百年の治世が継続した所以があると思う。

殺す者は殺され、生かす者は生かされる天地の理法をおろそかにしてはならないのである。

                       (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2017/01/07 (Sat) 07:49:15



    「日本会議の研究」出版差し止め、ですって。

何をか言わん(^^♪。











  雅春先生の御言葉です。




 三十日のことば  ♢  言葉はあなたの運命を左右する


 部下を生かし、民を生かし、すべての人を生かす根本的なものに和顏・愛語・讃嘆があるのである。

和顏を失い、愛語を失い、讃嘆を失ったとき、信長は心の中で

は光秀に愛情をもち信頼をもちながら、信頼しているが故に、

一寸ぐらい荒々しい言葉を出しても自分に叛くことはないとの

安易な考えから、思わず発せられた言葉が憎悪と侮辱のように

光秀には受けとられて、ついに光秀は信長を討とうと決意したのであった。

本当の愛は、荒々しい粗暴な言葉では表現されないのである。

粗暴な言葉が、自分の一生涯の運命を崩してしまうこともあれば、死を招くこともあるのである。

あなたは如何なる言葉を発するか、よく自己の言葉を顧みて、

言葉の調子の荒っぽさをやわらげるよう自己訓練することが大切である。

                       (つづく)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - 道産子

2017/01/08 (Sun) 07:40:46



     何か、トランプさんのもの言いを聴いていますと、小気味のいい風もあるように思われますが如何!(^^)!。

 それにしてもよい陽気です(^^♪。来週からは冬が戻るようですけど…"(-""-)"。











   雅春先生の御言葉、この項の終りです。



 三十一日のことば  ♢  小さな一言一行があなたの運命を形成する


 熟練した考古学者は、わずかに古代の遺跡の中に残っている

骸骨の破片をつなぎ合わせて、その動物の全体の形を復元してみせることができるのである。

一個の摩滅し腐蝕した歯の形からしてそれが幾世紀前のどんな

生活していた生物であるかを言い当てることができるのである。

化石に印されている鱗の形でそれがどんな形の何族に属する魚類であるかも知ることもできる。

それと同じく、あなたが不用意に書いた原稿の文字、思わず発

した乱暴な言葉等によって、有識者はあなた全体の性格を知ることができるのである。

一字一点一画一語ことごとくあなたの人間全体を表現しつつあるのである。

その表現と、その表現に対する世界からの反応とがあなたの生涯の運命を決定するのである。

「自分は運が悪い」などという勿れ、あなた自身が今もそして常にあなた自身の運命を造りつつあるのである。

                                                   (おわり)

Re: 伝統様、ありがとうございます Ⅻ - weehfoolxMail URL

2020/08/29 (Sat) 22:00:14

伝統板・第二
weehfoolx http://www.gqsn5xt434r23375jidp303u37x9oe9is.org/
<a href="http://www.gqsn5xt434r23375jidp303u37x9oe9is.org/">aweehfoolx</a>
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