伝統板・第二
眼の癒し② - 伝統
2016/10/10 (Mon) 04:17:16
今日、10月10日は、「目の愛護デー」です。
1931年(昭和6年)に中央盲人福祉協会の提唱で「10」「10」を横にして
目と眉に見立てて「視力保護デー」として始まりました。
・・・
《目を強健ならしめる法》
*「私はこうして祈る」(P104~108)より
まず正坐して延髄部に精神を集中するのである。
しかるのち網膜に向って通ずる神経を想念してそれに見る力があることを
強く想念し、網膜に精神を集中するのである。
瞼(まぶた)を固くとじ、しかしてのちこれをゆるめる。
上を見る気持ちで眼球を上方にあげ、
しかして次にできるだけ下を見るように眼球を下に向ける。
同様にして眼球をできるだけ左方へ、しかして右方へふりむける。
しかる後眼球を左から右へと廻転する。
しかして後、両眼の注意を前頭部の一念に集中し、生命力が眼球に
流れ入って両眼をサーチライトの如く輝かしめつつあると思念する。
それは単に肉体の視力を増加するだけでなく、
心の目を開くのにも役立つのである。
次の如く思念するのである。
「おお汝(なんじ) ――
藍色(あいいろ)の光線よ。
吾が視神経を貫きて流れよ。
しかして吾に真理を示せ。
ここに神の光がある。
ここに神の光がある。
吾が目を通して
汝はのぞくのだ。
汝はのぞくのだ。
すべては完全である。
すべては健やかである。
霊の眼も、二つの肉の眼も、
三つの眼、悟り目。
眼に見えざるお前を通して、光はいずこへ逃げたのか。
眼に見えざるお前を通して、光はいずこへ逃げたのか。
蓮華のように涙の池にうるおうた目よ。
もう泣くではない。
もう泣かないでおってくれ。
どんな嵐ももうお前の花葩(はなびら)を傷つけはしないから、
ここへおいで、
そして白鳥のように
祝福の静かな池の面(も)をすべっておくれ。
平和の和(なご)やかな面(おもて)をすべっておくれ。
智慧の太陽のさし昇るあけぼのがきているのだもの。
お前の光で私が輝くのだ。
私の過去も現在も未来もともに輝くのだ。
お前、私の二つの眼、
たった一つになれ。
単純になれ、
すべてを知り、すべてを見んがために。
一つの目 ―― 霊の目と一つになるのだ。
そして私の肉体を輝かしておくれ。
私の心を輝かしておくれ。
私の魂を輝かしておくれ」
・・・
<関連Web>
(1)光明掲示板・第一「【目の愛護デー】 (2366)」
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=485
(2)光明掲示板・第二「眼に関する神癒 (1710)」
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=390
(3)光明掲示板・第三「眼に関する神癒 (940)」
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=196
(4)光明掲示板・伝統・第一「眼に関する神癒 (196)」
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=77
(5)伝統板・第二「眼の癒し」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6632977
<感謝合掌 平成28年10月10日 頓首再拝>
《眠りに入らんとしてかく念ぜよ》 - 伝統
2017/01/09 (Mon) 04:36:00
*{光明法語」(1月9日)より
汝ら眠りに入る時、汝の掌(たなごころ)を汝の眼の上に置きてかく念ぜよ。
「この眼は神の眼である。善以外のもの、美以外のもの、
完全以外のものは何物も見ないのである。
この眼は神の眼である。
毎日毎日一層その実相の完全なる視力があらわれつつあるのである。
自分の眼は神の眼である。
人々の善さのほか美しさのほか、完全さのほかは何物をも視ないのである」。
かく念ずること毎就寝時にして、数ヵ月たちし時、
或る朝目覚むれば眼鏡(めがね)をかけていた眼が見えない。
眼鏡を外(はず)せば完全に見えた。その人の乱視性近視は治ったのであった。
<感謝合掌 平成29年1月9日 頓首再拝>
<盲人の目を開かせたはなし> - 伝統
2017/01/26 (Thu) 04:47:53
*掲示板「谷口雅春先生に帰りましょう・第一」
~橋本徹馬先生著『繁栄の書』より 黒住教祖・黒住宗忠さんの話
- 平賀玄米 2015/09/08 (Tue) 07:01:26 より
(http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15409949)
宗忠さんの高弟の一人に赤木宗一郎という人があった。
漢籍の素養の深い人であったが、二十歳の頃に、青そこひという病気のために失明した。
その後八年間、あらゆる治療を尽くしたが治らないでいる時、
ある叔父さんの勧めで、宗忠さんの講話を聞きに行った。
その時の宗忠さんの講話は「神の無限力を疑うな」という趣旨のお話であったという。
「昔、正直正兵衛という人があった。かねて不老不死の蓬莱国へ行きたいと願っていた。
ところが或る性(たち)の悪い米屋があって、正兵衛の阿呆を見抜き、
蓬莱国へ行く道を教えてやるから、その代り三年間無代で米搗きをしてくれと騙した。
そうして約束の期限が来ると、正兵衛を殺してしまう外はないと考え、
正兵衛を高い山へ連れて行き、松の大木に登らせ、両手を放せば蓬莱国だと叫んだ。
愚直の正兵衛はそれを真に受けて、すぐに両手を放してしまった。
すると先仞の谷底へ落ちて、粉微塵になるはずの正兵衛が、谷底から立ち登る
一朶の紫雲に乗って、悠々と昇天していった」というお話であった。
「神と共に永遠の生命を得んと思わば、疑いと分別の両手を放して、一跳直入せねばならぬ。
この境地に真に到り得たならば、病気ぐらいの治るのは、当然である」
と宗忠さんは付け加えた。
宗一郎さんはこの話で一度に脳天を撃ち抜かれてしまった。
宗一郎さんはあまりの驚きに、眼の見えぬのを忘れて、宗忠さんの方をふり仰いだ。
その瞬間彼の眼に光がよみがえったという。
宗一郎さんはその後宗忠さんの高弟となり、幾多の事績を残している。
夜明けなばかあと烏の啼く声や
ちちと雀のよろこびの日や
榊葉に木綿四手(ゆうしで)かくる露の間も
恵みはなれぬ天津日の影 などの歌は、赤木宗一郎さんの歌であるという。
<感謝合掌 平成29年1月26日 頓首再拝>