伝統板・第二

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日本の使命 - 伝統

2016/10/01 (Sat) 04:31:56

日本の建国は神話からはじまる~その1

        *「古事記と現代の預言」(序~神話というものについて)(P1~2)より


   建国記念日を二月十一日に制定するときに、
   神武天皇建国が二月十一日であるということは神話に過ぎないのであるからとて
   (旧)社会党や進歩的文化人から反論せられたのであるけれども、

   日本の建国が神話から始まるところに
   日本の建国がなお一層尊貴なものであることを
   唯物論者たちには理解できないのであったのだ。


   新約聖書の「ヨハネ傳」には「太初(はじめ)に、コトバあり、
   コトバは神と偕(とも)にあり、コトバは神かりき。
   …萬(よろず)のものこれに由りて成り、…これに生命(いのち)あり…」

   というふうに示されているのであるが、

   私は「はじめにコトバあり」ということは、
   「はじめに神話あり」ということだと言うのである。


   神話を排斥する唯物論者は、事物の根元を単に物質の素粒子が結合して
   成立したものであるかの如く考えていて、素粒子や原子や分子を現実の形態に
   排列統合してそれを有機的組織にまで発展せしめた
   「内在の力」については知ることができないのである。


   日本的思惟(しい)に従うならば、
   日本人は「存在」の根元を神より発したものとしてこれを把(とら)える。

   日本人には、「存在」はコト(事)であり神はミコトであり、
   ミコトとは御言(みこと)であり、”言事不二(ごんじふじ)”であり、
   みことを漢字にて表現するのに「命」(いのち)なる文字をもってする。

   存在の根本生命であるものは、”コトバ”であることを直感的に知っていたのが
   日本民族なのである。

            <感謝合掌 平成28年10月1日 頓首再拝>

日本の無我献身による大東亜の民族の解放 - 伝統

2016/10/02 (Sun) 06:37:04


    *「光明道中記(その身まったし)」(10月2日)より 抜粋

すべて他を制して之を墜(お)とし、それによって自分が利益を得んとする精神力は、
ついには自己を陥れて自己に危害を加えるものである。一時的の成功は斯くして
得られるかも知れないが、結局は自己を奈落に突き落とすに到るのである。

往年のナポレオンいま何処にありや、カイゼル今何処にありや、
またヒットラー何処にありや、スターリン何処にありや。

危いかな、全世界を共産化するまで、その赤カの手をゆるめない理想をもつ
マルクス・レーニン主義者の行動を警戒せよ。


『古事記』が八俣の”遠呂智(おろち)”(遠きロシアの智慧)という象徴的名称にて
預言したところのマルキシズムの世界侵略政策が南下して来て、奇稲田姫(瑞穂国)を
侵略し、更にアジア全土に亘ってその赤化より護らんがために起ち上がったのが、
あの大東亜戦争であった。

それ故に日本はこの戦争を大東亜の民族の解放戦争と称したのである。

かくて南方諸民族は白人の支配下から独立し世界に新秩序が生まれたのである。

犠牲を惜しまず護りつづけた日本の無我献身がおのずから世界を此処まで
引摺って行ったのである。

           <感謝合掌 平成28年10月2日 頓首再拝>

白人の桎梏から解放せしめた戦い - 伝統

2016/10/04 (Tue) 03:38:26


    *「光明道中記(その身まったし)」(10月4日)より


【他人の不幸に面したら一緒に泣いてあげよ。
  泣いてもその悲しみに捉われるな。(『生命の實相』第九巻)】

吾々は人生観を変えなければならない。

世界を覆う世界大戦も、武器によって起こったのではなく、
人生観によって起こったのである。

その人生観とは「生存競争必須」の観念である。
「奪う」か「餓死するか」二つに一つを選べの矛盾的人生観である。


大東亜戦争は自国を犠牲にすることによって、
大東亜の非圧迫民族を白人から解放する目的で、
国民の血をそそがれたのだ。

最初はこれを自覚しないで、ドイツ流に
「持てる国と持たざる国との生存競争的展開」であるとして、
その人間自然の不可避的事実であると価値づけようとした人もあった。

併しドイツは「ダンヒチを寄越すか、寄越さなければ武力で奪う」と傲語したのであって、

日本が八紘為宇の理念に無我献身して
南洋諸国延いてはアフリカ諸国をも白人の桎梏から解放せしめたのとは
理念の相違があるのである。

成功の秘訣は奪うことではなくて献げることにある。
戦勝の秘訣も、奪うことではなくて献げることにある。

形は敗戦の如く見えても、献げる戦争には敗戦はないのである。

民族の自覚に貢献してこれらを独立せしめたのは勝利である。

           <感謝合掌 平成28年10月4日 頓首再拝>

日本の建国は神話からはじまる~その2 - 伝統

2016/10/18 (Tue) 03:59:16


        *「古事記と現代の預言」(序~神話というものについて)(P2~3)より

   神話は虚構のものであり、架空の物語であるとして唯物論者は排斥するけれども、
   一切のものは神話によって始まるのである。

   ”東京タワー”も神話によって始まったし、
   霞ヶ関ビルも神話によって始まったのである。

   神話は「いまだ現実にあらわれていないものを心の中に想像し、心の中に
   描かれたもの」のことである。

   ”東京タワー”もはじめからあんな現実的造形物が存在したのではないのであって、
   建築設計家の心の中に、想像力によって描かれたもの即ち神話であったのだ。

   
   想像力によって、はじめに心に描かれたものが神話である。

   それを近代人は計画といったり、設計といったり、プランといったり、
   アイディアといったりするのである。

   そして計画とか設計とかプランとかアイディアとかいう語を使えば、
   それは当然のこととして反対しないのであるけれども、
   神話といったら排斥するのである。


   つまり近代人は概ね、頭脳が混乱していて「神話アレルギー」に罹っているのである。

   そんな混乱した頭脳から見たのでは、「存在」の根元も判らないし、
   日本建国の尊さも理解できないのは当然である。

           <感謝合掌 平成28年10月18日 頓首再拝>

日本の建国は神話からはじまる~その3 - 伝統

2016/11/01 (Tue) 04:08:27


        *「古事記と現代の預言」(序~神話というものについて)(P3)より

《聲字即実相》

   キリスト教では、「はじめにコトバあり」と宣言したが、
   弘法大師は「大日経」にもとづいて、「聲字即実相」(しょうじそくじっそう)
   と喝破したのである。

   「聲字即実相」とは、事物の本質即ち実相はコトバであり文字であるという
   ことである。

   コトバに表現し、文字に表現すれば、それは具体的事物になるから、
   具体的事物の本質即ち実相は結局「コトバ」でありは「文字」であると
   いうことを弘法大師は指摘したのである。

   その直感力のすぐれたること、現在の唯物論者や、
   進歩的文化人のとうてい及ぶところではないのである。

           <感謝合掌 平成28年11月1日 頓首再拝>

日本の建国は神話からはじまる~その4 - 伝統

2016/11/15 (Tue) 04:17:44


(4)古代の神話、現代の神話

    <「古事記と現代の預言」(序~神話というものについて)より>

   「古事記」や「日本書紀」にあらわれたる日本建国の神話は、
   単に一個の人間の創作ではないのであるそれは民族神話である。

   日本の古代民族がいつのまにかそのような神話を想像力によって創作したので
   あって、日本の建国も日本の文化の発達も、古代日本民族の想像力がつくり
   出した神話の創作したものである。

   日本建国以来の日本の国体も、歴史の発展も、
   「古事記」や「日本書紀」にあらわれた神話の具体化に過ぎないのである。

   唯物論者は、この世界が物質の微粒子が偶然的契機によって結合して出来上がった
   という神話をつくり出したのである。彼らは、物質の素粒子が如何なる意図で結合して
   このような宇宙や世界をつくり出したか、それを見て来た訳ではない。

   ただ彼らは自己の想像力によって宇宙の起源を想像して唯物論をつくり出したに
   過ぎないのである。だから唯物論は、物質の存在しか知ることのできない
   低次の人間精神がつくり出した神話に過ぎないのである。

   彼らは唯物論そのものが「低次の神話」であることに気がつかないで、
   もっと高次の神話であるところの神の宇宙創造や、神による日本建国の事実に
   ついては反対しようとするのである。

           <感謝合掌 平成28年11月15日 頓首再拝>

唯物論は、西欧人のつくり出した神話である - 伝統

2016/12/02 (Fri) 04:37:01


    <「古事記と現代の預言」(序~神話というものについて)より>

   唯物論から出発した唯物史観からはマルクスの創作した神話であり、
   人間は猿から進化した動物に過ぎないというのは、ダーウィンの創作した神話である。

   それは想像力の貧困を物語るほか何ものでもないのである。
   彼らには物質しか見えない低次の意識しかもっていないのである。

   物質の奥に、物質を超えたところに霊的な本質があるということを知るだけの
   高次の意識がないのである。

   彼らにもっと高次の意識があるならば、想像力がもっと飛躍して霊的物語を創作し
   得たのであろうに、彼らは唯物論とか、唯物史観とか、類人猿の進化物語以上には
   飛躍し得ない神話しか創作し得なかったのである。

   しかし「はじめに神話(コトバ)あり、神話は神と偕にあり、神話は現実化する力あり」
   であるから、ダーウインが類人猿からの人間進化の神話をつくり出したとき、人類は
   その方向に動き出したのである。

   そしてそのような人間観がひろまるに従って、「人間の解放」と称して
   人間の動物面又は獣性が解放され始めたのである。


   そしてマルクスが唯物史観をつくり出し、その史観の中でやがて世界に共産主義が
   蔓延するという神話をつくり出したとき、その神話が世界各国の政治型態や、経済組織
   をその神話の通り変革し始めたのである。

   ソ連(ロシア)や中国やその他の共産主義的国家群はすべて
   マルクスの作り出した神話が具象化したものである。

           <感謝合掌 平成28年12月2日 頓首再拝>

日本人よ、自己と自国の尊厳を知れ - 伝統

2016/12/14 (Wed) 04:53:43


    <「古事記と現代の預言」(序~神話というものについて)より>

   しかし日本人よ。もっと自己の尊厳を知り、自国の尊厳を知れ。

   西洋人のつくり出した神話によって、その国が支配されるようになったとき、
   その国は形の上では独立国であっても、中味は植民地であるのである。

   凡そその国の文化といい得るものは、その国の民族それ自身が創作したもので
   なければならないのである。そうでなければ、その国の文化が如何に絢爛たる
   ものであっても、それは輸入文化であり、植民地文化であるのである。


   ダーウインの類人猿進化説や、マルクスの唯物史観に動かされて、
   日本古来の文化の傳統が歪められるならば、日本は文化の面において既に独立国家
   たる本質を失いつつあるのである。


   吾々日本人は断じて、ダーウインのつくった神話や、マルクスの創作した神話に
   よって、日本の文化を侵略させてはないのである。

   日本の完全独立が叫ばれる聲が激しいけれども、形の上で外国軍隊が駐屯しなく
   なっても、日本人たちの精神の世界において、そして、もっと深い、そして、魂、
   の深層において、外国人のつくった唯物論的人間観や、唯物論的国家観を君臨
   させておく限りにおいて、

   精神の上、魂の上では、本来の日本国は滅びてしまって植民地となっていると
   いわなければならないのである。


   日本人よ、日本人の顔していて中味の精神は外国の神話で満たされ、
   それによって動かされている半人半獣の怪物になってはならないのである。

           <感謝合掌 平成28年12月14日 頓首再拝>

神話の実現 - 伝統

2016/12/29 (Thu) 04:30:20


    <「古事記と現代の預言」(序~神話というものについて)より>

   日本民族は人間をダーウインの如く、獣人、として把握しないで、
   神人、として把握したのである。

   それゆえに、古代人は、すべて何々之命(なになにのみこと)と称したのである。
   そして男子を、日子(ひこ)即ち天照大御神(あまてらすおおみかみ)の御子(みこ)と称し、
   女子を、日女(ひめ)即ち天照大御神の御子と称したのである。

   
   そして日本民族ぜんたいを天孫民族(てんそんみんぞく)と称して、
   神の生命の降臨であると把握し、国号を「大和」(ヤマト)又は日本(ひのもと)と称して、

   日の大神の降臨によって六合(りくごう)を照徹してこれを光明化し、
   一切の人類を大和(だいわ)の理想のもとに包容する偉大なる国家として
   この国を出発させたのである。

   「六合を兼ねて都を開き、八紘(はつこう)を掩(おお)いて宇(いえ)と為さん」
   という神武建国の宣言は、まさに日本民族が創作した一大戯曲であり、
   一大詩劇の一節であり、神話の実現であるのである。


   戦後の唯物論的歴史家は「実證、実證」と称して、遺跡や日本文化の残留物だけを
   探しまわって、日本民族の精神的歴史を知ろうとしないから本当の日本国も
   本当の日本民族もわからないのである。

   残留物を探しまわって日本の生命を知ろうとしても不可能なのは、
   死骸をいくら探して見ても生命が見当たらないのと同じである。


   日本国の生命の歴史は神話に求めることによってのみ得られるのである

           <感謝合掌 平成28年12月29日 頓首再拝>

天皇国日本 - 伝統

2017/01/17 (Tue) 04:49:48


    <「古事記と現代の預言」(序~神話というものについて)より>

   「日出ずる国」として天照大御神(あまてらすおおみかみ)の「豊葦原(とよあしはら)の
   千五秋(ちいほあき)の瑞穂国(みずほのくに)は、
   是(こ)れ吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり」


   という神勅(しんちょく)より出発した日本国は、世界を光をもって照らして
   地上に「大和」の天国を招来する使命をもつ国であるとの神話を自覚意識は勿論、
   潜在意識の深層にもっていて建てられた国家である。

   マルクスの神話が西欧諸国や中共を動かして特殊の文化を形成しつつあると同じように、
   文書以前に出発し、やがて「古事記」や「日本書記」によって傳承されたる日本民族の
   神話が、日本の建国となり、そこに独自の日本文化を形成し、
   日本独得の天皇中心国家を形成して今日に至ったのである。


   この日本民族神話の中核を形成するものは、「大和」(やまと)の理念であり、
   天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)なる創造神をもって始まる神話の
   第一章の「御中」を中心として全世界が大調和にまとまる理想である。


   日本は概ね東洋文化に属し、東洋文化は霊的文化、宗教文化であると称せられている
   けれども、

   実は日本民族の創作した神話は、、御中主、の理念によって、一切万象を統合し、
   東洋の霊的文化と西欧の物質文化と両方を一つの「絶対無」の中心に包摂して、
   それを大和(だいわ)する理想を表現しているのである。

   日本民族創作の衣食住の習慣又は方式をよくよく観察してみると、
   その事がよく分かるのである。


   日本民族よ、もっと日本民族の創作した独自の文化の尊厳に自身をもって頂きたい
   のであり、ゆめゆめ、外国創作の神話に日本文化を蹂躙せしめてはならないのである。

   そして「天皇国日本」は日本民族が創作した世界最大の文化的創作であって、
   これより大なる大芸術は他のどこにもないことを知って、
   この国體を尊重して貰いたいものである。

        昭和43年4月22日      著者しるす

           <感謝合掌 平成29年1月17日 頓首再拝>

全世界を家族となし全世界動乱の因を断つのが日本の使命である - 伝統

2017/01/25 (Wed) 03:31:53

           *「光明道中記」(1月25日)より

【自分の利益のために楽しもうと思って性欲を扱いますと、
 性欲が汚れたものに見えて 来るのです。(『生命の實相』第二十巻)】

「高天原(たかあまはら)に神詰ります」と実に朗々とした声で祝詞(のりと)が響いて来る。
朝の空気を動かし、霧を動かし、「高天原なる大宇宙に神が充満している」と云う観念が
天地を動かす、実に荘厳だ。

それを古代日本人は知っていた。
常に古代日本人は「大宇宙(たかあまはら)に神遍在(つまりま)す」と誦(とな)え念じ、
邪気を祓(はら)っていたのである。

神が充満しているから、悪の存在はあり得ない。
尽天尽地ただ神のみである。神光遍満、邪気不在である。
その大宇宙を「家」と見たのが古代日本人である。

吾々はそれを生長の家と名附けた。

「生」の縦に生びる神漏伎(かむロギー)と、「長」の横に長びる神漏美(かむロミー)と、
一つの中心普遍的神漏皇(かむロゴス)が陽陰の対偶と分化しあらわれて、
陽陰の偉大な素晴しき交流となった家が「生長の家」である。

私の家が生長の家ではない。大宇宙が「家」であり、生長の家の理で充たされている。
生長の家の理を隠蔽することなく生きた時に、其の人が生長の人となり、
其の人の家が生長の家となり、国家が生長の国家(いえ)となる。

組合(クミ)と云う意味での国々は世界到るところにあるが、
国家すなわち国がそのまま家族であるのは日本のみである。

全世界を家族となし全世界動乱の因を断つのが日本の使命である。

            <感謝合掌 平成29年1月25日 頓首再拝>

真(まこと)の日本人 - 伝統

2017/01/27 (Fri) 03:45:57


           *「光明道中記」(1月27日)より

【火にも焼けざる皇位の久遠無窮性を立証せんが為に、火を着けて皇子をお生みになったのです。
                              (『驀進日本の心と力』)】

生命(いのち)のひとつ流れの実相を把握するとき、眼の色は異り、皮膚の色は異るとも、
八紘は一宇であり、一家庭であり、すべての人種ことごとく天皇の徳に帰一し奉ることが
出来るのである。

ナチスの血の哲学、民族の哲学はゲルマン民族の栄えのために把握されたる哲学であった。
日本の哲学はそんな狭い精神でないのである。
東洋民族よ聯合せよ! と云う東洋民族の哲学でもないのである。

それはまだ血を見ている。
血を見るのは皮膚の色を見ることであり、骨格を見ることであり、人種の差別を見ることである。
人と人とを分割することである。

外国の哲学はどんなに優れていても結局は分割に落着く。
日本の哲学は包容帰一である。
ヒトとは霊止(ひと)であり「理念止まる」である。

全世界が一家庭たる理念降下し、義に於て君臣、理念に於て陛下の赤子である実相を知るとき、
何人種と言えども既に日本人である。

「日本を守る会」は他国と対立して、小さい現象日本国を守るのではない。
天皇を中心に全世界が一家庭となる包容帰一の日本の理想を守る有志の懇談会である。

            <感謝合掌 平成29年1月27日 頓首再拝>

《日本民族の使命を知る日》 - 伝統

2017/02/16 (Thu) 05:00:17


         *「生長の家」(昭和16年10月1日の法語)より

   日本神随(にっぽんかんなが)らの道は、
   宇宙と與(とも)に立つ道である。

   一人の人間が思索によって造り上げた理屈
   でもなければ哲学でもない。

   宇宙と與(とも)に立ち、宇宙にミチる精神が、
   そのまま日本民族を通してあらわれたる道である。

   随ってそれは日本民族精神であるとともに宇宙精神である。
   神の‘そのまま’のみこころであり、
   宇宙にミチているから道とも称するのである。

   それは宇宙にミチているのであるから、
   無論外国人の生命の中(うち)にも満ちているのであるけれども、

   大八州即ち東洋の日本列島は、伊邪那岐伊邪那美命の
   正しき天地・陽陰の結びによって創造された國であるから、
   その國に生れた民族は最も、宇宙にミチが正しく宿っているのである。

   そこで日本民族が‘そのまま’の心になるとき、
   其処に最も完全に『道』があらわれる。

   それは『神さながらの道』であるから、『神(かん)ながらの道』
   と云うのであるが、同時に日本民族の‘そのまま’の精神であるから、
   日本民族精神とも、また簡単に日本精神とも云うのである。

   論(い)うまでもなく、外国民族にも、その精神はやどっている
   のであるから、‘そのまま’の心になったときには
   外国人でも日本精神は理解出来る。

   単に理解出来るだけではなく、日本精神に成り得るのであり、
   それが理解出来、日本精神に成り得たとき、
   六合(りくごう)一都・八絋一宇の神武天皇様の御理想が
   実現するのである。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=346

            <感謝合掌 平成29年2月16日 頓首再拝>

世界は一つを直観した日本民族 - 伝統

2017/03/13 (Mon) 05:01:46


            *『古事記と現代の預言』(P37~38)より

真理は、すべての神は〝一〟であると同時に〝多〟であり、
〝多〟の姿 に化身または方便身としてあらわれるけれども本来〝一〟である。

また〇十〇億(昭和43年頃の世界人口の数)の人類は、
〇十〇億であると共に同時に 〝一つ〟の神のいのちである。

それが判らなければ、世界の平和をいくら叫んでも、
バラバラに別れて平和は来らない。

それが解るのが日本民族である。

今さら解ったのじゃなくて、『古事記』が書かれたその前から、ずっと悠遠な
歴史以前から、日本民族が言い伝えて来たところの其の天地開闢の物語を其のまま
稗田阿礼が憶えていて、それを太安万侶が書いたということに なっているのが
『古事記』であります。
  
その『古事記』に、既に〝一即多・多即一〟の真理が象徴的に書かれているのです。
まことに『古事記』は古代の日本民族が自覚した処の天地創造の原理と〝結びの哲学〟
が書かれているので尊いのであります。

この〝一即多・多即一〟の日本的な原理に依らなければどうしても、
世界は〝一つ〟にならない。

そこに日本民族がこの地上に生まれた使命がある。
  
この実に素晴らしい使命をもった民族の中に生まれた自分を
諸君は祝福しなければなりません。          

            <感謝合掌 平成29年3月13日 頓首再拝>

日本の使命を知らしめるために現れたのが「生長の家」 - 伝統

2019/01/23 (Wed) 04:50:46


           *「光明道中記」(1月23日 寒菊競い開く日)より

【十六方位の世界を一つの常住性ある永遠滅びぬ世界とするのが日本の使命である。
 (『秘められたる神示ー神示講義<秘の巻>』「久遠天上理想国実現の神示」)】
     

全世界を宇(いえ)と為す神武天皇の八紘為宇の建国の理想は決して侵略戦争ではない。
八方の国々が家族となって人類全体が睦み合う理念である。

此の理念を「生長の家」と言う。
理念は普遍的なものであるから、これは私の家ではない。

何故そう云う名称を附したかと言えば、
生は縦に無限に生(の)びることを現わし、
長は横に長(の)びることを現すからである。

縦の無限連続は時間であり、横の無限連続が空間であり、
縦と横と、時間と空間との交叉する万象発現の枢機を握るものが、
内に一切を蔵する無字であり、一切を統一する天皇(スメラミコト)の御天職である。

此の真理に世界の万民が目覚めないから万国互に相争うのである。

全世界は天皇に於いて一宇(ひとつのいえ)である。

万国の民にそれを告げ知らせる東道(みちしるべ)の役目を以って
出現したのが吾々の団体である。

病気が治り運命がよくなり、万事に成功すると云うが如きはただ副作用にすぎない。

天地の真理、すべてが生長する真理に随順して生きる時、
真理の中には病気不幸は存在しないが故に、
病気不幸が消えるのは当然のことである。

病気不幸が起るには何か真理に離れたことがある。
省みて真理に載るものは幸(さいわい)である。

            <感謝合掌 平成31年1月23日 頓首再拝>

全世界を家族となし全世界動乱の因を断つのが日本の使命 - 伝統

2019/01/25 (Fri) 04:53:20


           *「光明道中記」(1月25日 光明充満する日)より

【自分の利益のために楽しもうと思って性欲を扱いますと、
 性欲が汚れたものに見えて 来るのです。(『生命の實相』第二十巻)】

「高天原(たかあまはら)に神詰ります」
と実に朗々とした声で祝詞(のりと)が響いて来る。

朝の空気を動かし、霧を動かし、
「高天原なる大宇宙に神が充満している」と云う観念が
天地を動かす、実に荘厳だ。

それを古代日本人は知っていた。
常に古代日本人は「大宇宙(たかあまはら)に神遍在(つまりま)す」
と誦(とな)え念じ、邪気を祓(はら)っていたのである。

神が充満しているから、悪の存在はあり得ない。
尽天尽地ただ神のみである。神光遍満、邪気不在である。
その大宇宙を「家」と見たのが古代日本人である。

吾々はそれを生長の家と名附けた。

「生」の縦に生びる神漏伎(かむロギー)と、
「長」の横に長びる神漏美(かむロミー)と、
一つの中心普遍的神漏皇(かむロゴス)が陽陰の対偶と分化しあらわれて、
陽陰の偉大な素晴しき交流となった家が「生長の家」である。

私の家が生長の家ではない。
大宇宙が「家」であり、生長の家の理で充たされている。

生長の家の理を隠蔽することなく生きた時に、其の人が生長の人となり、
其の人の家が生長の家となり、国家が生長の国家(いえ)となる。

組合(クミ)と云う意味での国々は世界到るところにあるが、
国家すなわち国がそのまま家族であるのは日本のみである。

全世界を家族となし全世界動乱の因を断つのが日本の使命である。

            <感謝合掌 平成31年1月25日 頓首再拝>

天照大御神の御天職 - 伝統

2019/02/24 (Sun) 04:57:42


        *『古事記と現代の預言』(P165~166)より

天照大御神がその御髪(みかみ)にも御鬘(みかずら) にも、
おのおの八(や)尺(さかの)勾玉(まがたま)の五(い) 百津(ほつ)の
みすまるの珠(たま)を纏(まと)っておられたというのは、
天照大御神の御天職が表現されているのであります。
 
〝珠〟というのは〝霊〟の象徴であり
天照大御神の神霊の天職は八尺勾玉のようだというのであります。

八坂と謂うのは、〝彌栄(いやさか)〟であります。
〝いよいよ栄える〟という意味、

マガタマと謂うのは眞輝魂(まがたま)であり
眞に光輝(こうき)燦然(さんぜん)たる魂だと謂う意味。
 
五百津というのは〝五百つづき〟即ち「数多く」ということであります。
数多くの国々の魂を一つに連珠(れんじゆ)のようにつなぎ合わせて
〝統(す)める丸める魂〟をもっていられるというのが
『みすまるの珠を纏(ま)き持たして』であります。
 
このみすまるの珠(たま)は、一つ一つの珠を壊さないで、それを生かしながら、
互い互いの連関(れんかん)に於いて其の美が顕揚(けんよう)されるのでありまして、

天照大御神の御天職は、世界の国々をつぶしてしまって一つの団子のように
まとめるのではなく、それぞれの国々の特徴を生かしながら、
互いに夫々が敵対することなく、各々の美が顕揚されるように
世界連邦的な統一をせられるのが御天職であり、
それはとりも直さず、日本国の使命なのであります。

            <感謝合掌 平成31年2月24日 頓首再拝>

日本国家の実相 - 伝統

2019/02/26 (Tue) 04:44:12


          *「真理」第一巻入門篇(P74~75)より

神話的に云いますならば、日本国家は、天照大御神の理念の中に先ず造られて、
それが「千五百秋の瑞穂の国は世々わが子孫の王たるべき地なり」と云う
天孫降臨の神勅となつてあらわれております。

神話と云うのは、作者が誰と云う一定の人間ではなくて
古代の民族が、その民族全体の精神によって作られたものであつて、
民族全体の一致した協同作品と云うようなものであります。

この民族の協同信念によって各人が集団して、
日本は天皇中心の国家を形作ったのでありますから、
日本国家が天皇中心の国家であると云うことは最も民主的なことであります。

この民族全体の協同精神が謂わば日本国家の設計のようなものであつて、
その協同精神の通りに、形の世界の日本国は、
家が色々の材料が集められて徐々に出来上がるように、出来たのです。

だから日本国家の本質及び設計は、天皇国家の姿をとるべく
日本民族全体の心の中に既にあったのであります。

それが世の中の進むに従い、形の世界に徐々に出来上がって来たのであります。

そして、神武天皇が大和に都をはじめた給うたのは、
天皇中心の国と云う日本民族全体の精神が具体化した
第一期工事の完成だと云うことになります。

            <感謝合掌 平成31年2月26日 頓首再拝>

萬物を神であるとして拝するのが日本民族の心持 - 伝統

2019/04/08 (Mon) 03:11:01


         *「生長の家」(昭和16年10月2日の法語)より
          ~《何事にも神々しき心持を持つ日》

   日本民族は何事にも神々しき心持を持っていたのである。

   無明(まよい)や執着が國を生んだのではなく、
   神が國を生んだと信じていたのである。

   いたるところに神を観たのであって、八百萬神々の思想は、
   その到る処に神を観たところの日本民族の聖なる心の反映である。

   神を観るものは、神の心が宿っているからである。
   他を神として礼拝し得る者は、自分自身の中(うち)に
   神性が目覚めているからである。

   自分の中に『光』の感覚の起らない者は、
   外界に『光』があっても見ることが出来ない。

   自分の中に『赤い色』の感覚が起らない者には、
   外界に『赤い花』が咲いていても、赤い花だとは感じ得ない。

 
   到るところに八百萬神々を見ることが出来た日本民族は、
   自分の中に神性は目覚めていたからである。
   即ち自分自身が『神』であるからである。

   だから古代日本人はみづからミコトと謂い、
   彦〈日子〉と云い、姫〈日女〉と称した。
   自己神性の自覚である。

   自分が神性を自覚したから、
   萬物にそのまま神性を観ることが出来、
   萬物に八百萬神々を見たのである。

   神性の自覚は、理論では説くことは出来ない。
   釈迦無尼佛も四十余年間説法したけれども、
   一字不説で、一字も説いたことはないと云われている。

   本当のことは言説を超えている。
   説くことが出来ない。ただ行ずるだけである。

   萬物を神であるとして拝した。

   その四方拝の精神こそ日本精神である。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=346

         <感謝合掌 平成31年4月8日 頓首再拝>

日本民族の使命 - 伝統

2019/05/20 (Mon) 04:43:48


      *『生長の家』昭和四十九年九月号より)
        ~ 生長の家総裁 谷口 雅春

われわれの日本の神武建國のときのその詔勅(みことのり)にあるやうに
宇宙大生命の聖意(せいい)を體(たい)して、

「六合(りくがふ)を兼ねて都を開き、八紘(くわう)を掩(おほ)ひて宇(いへ)となし、
世界の民族を一家族として、永久平和、永久繁榮の全地球國を創造する」

使命をもつて出現した國家なのである。

従つてその國民は他國にすぐれて豐かなる天分才能を與へられてゐるのである。

唯殘念なのは、その才能を經濟アニマル的に伸ばして行くことは
日本(につぽん)民族本來の使命を冒涜せるものと言わねばならないのである。

( ”亀の子 さま”のブログ<2019/2/11>
  https://blogs.yahoo.co.jp/kamenoko159357/35908181.html より転写)

         <感謝合掌 令和元年5月20日 頓首再拝>

日本の國は‘すめらみくに’である。 - 伝統

2019/07/30 (Tue) 04:30:57


        *「生長の家」(昭和16年10月号巻頭言)より

‘すめら’は澄む〈浄化〉統(す)める〈統一総欖〉
‘すすめ’〈前進、創造〉等の意味を含む。

澄むは浄化であり、復元であり、沈静であり、沈静は統一であり、
住み佳き世界の出現であるが、ただそれのみにては沈滞に陥るのである。

その沈滞を破って前進するのが、‘すすめ’である。

‘澄む’と進むとの正反を一つに統一し復元し、
更に新しく世界を創造して行く‘みくに’がすめらみくにである。

‘すめら’は一であり、『澄む』である。
澄むが前進によって分かれて陽陰となって現れる。
それが『‘むすび’』である。

『む』は群れである。〈ム声の発音の時の唇の形を見よ〉 
『す』は前述の如く統(す)である。 
『ひ』は開くである。

開けば光があらわれ、一切群生を統一して、スの一元に復元し、
さらに前進して、萬霊を開くのが‘むすび’である。

まず萬霊を産むのが産霊(むすび)であって、形を産むのではない。
形は、形なきもの〈霊〉の投影であって、
象(かたち)の力は影であって、影立つが形である。

されば影立(かたち)の世界は日本では現世(うししよ)と云われている。
まづ霊を清めて萬象清まるのである。


http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=346

         <感謝合掌 令和元年7月30日 頓首再拝>

古典に於ける東洋の日本列島への天孫降臨の歴史 - 伝統

2019/08/03 (Sat) 04:40:54


   *「光明道中記」(8月3日《古典の尊厳を知る日》)より

  【神は時代に相応して教祖を遣わし給い、それを通じて吾々に現れる。
                       (『生命の實相』第十一巻)】


エリオットは20世紀英国文学界の古典主義者であり、歴史主義者である。
流れる歴史の底に永遠不動の規範又は秩序を発見し、その規範秩序の中にのみ
価値を発見しようとする者である。

彼は近代を古典的時代よりも進歩せるものとする観方を否定し、進歩と云うものは
実はただ「超時間的の古典」又は「伝統」を発現せるものにほかならないのであって、

歴史的意識とは「時間的なるものと共に超時間的なるものの知覚であり、
また時間的なるものと超時間的なるものとの同時的知覚」であるとしている。

エリオットがそれを意識していたかどうか知らないが是は当(まさ)に
「華厳経」の「一時即一切時」の自覚であると思う。

今立つ此の歴史的一点に於て、久遠に成就せる「既成の歴史」が、
「既成の世界秩序」が、換言すれば、「古典」が其処に流れていると云う自覚である。

『古事記』が来るべき世界秩序の予言であると言い得るのもそのためである。
「既成の歴史」が今現在此処を流れているが故に、
現在は「古典」の発展であるほかあり得ない。

だから古典に於ける東洋の日本列島への天孫降臨の歴史は、
全世界への天孫降臨(神意帰一の世界連邦)となって実現するほかはあり得ないし、
大国主命の国譲りは各国の主権が神意連邦の中心に帰一することである。

          <感謝合掌 令和元年8月3日 頓首再拝>

日本国は世界の救世主たる使命を帯ぶ - 伝統

2020/07/24 (Fri) 04:51:17


      *「理想世界」(昭和43年6月11日の法語)より
        ~魂の高さは破壊することができない

肉体は破壊することはできるけれども、
魂の高さは破壊することができないのである。

特攻隊の兵士の肉体は破壊したかも知れないが、
かれらの愛国精神は国家の理想を護る為に散華して、
日本国家の理想と一つになったのである。

日本国家の理想とは何であるか。

それは「宇宙の理想」と一つのものである。
「宇宙の理想」とは釈尊の説く金波羅華の世界であり、
キリストの祈りである「みこころの天に成れる世界」である。

日本国を”侵略国”と誣(し)いる者は何者ぞ。去れ!! 

日本国は世界の救世主たる使命を帯ぶ。

  (http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7735767

          <感謝合掌 令和2年7月24日 頓首再拝>

《華厳経に顕れたる日本国の実相》 - 伝統

2020/07/29 (Wed) 04:56:15

      *「理想世界」(昭和43年6月16日の法語)より

   釈尊が悟りを開かれて、宇宙の実相を其の儘に直感され、その宇宙の実相が、
   蓮華の華の如く、中心に“実”があって、その実相が十六方向に開く
   花弁の如く現象として展開していることを諄々として詳細に講説せられたのが、

   所謂華厳経であって、その詳しい経題は“大方広仏華厳経”と称ぶのである。

   ”大方広仏”とは「無限大にあらゆる方向に広がっている如来のいのち“
   という意味であって、英語でこれを表現すれば 
   Universal Buddahhood(普遍の仏性)である。

   ”仏”をキリスト教的に”神”の語をもってするならば
   ”大方広仏”というのは「遍在する神」である。

   そこで大方広仏華厳経とは、“普遍の仏性”又は「遍在する神」の
   生命の展開せる“純粋世界”は華厳即ち蓮華荘厳の世界である
   という事が説かれている御経である。

   この蓮華荘厳の世界は、その中心に蓮華日宝王地があって、その中心の王地に
   依ってその存在が支えられていることが、華厳経の廬舎那仏品に
   次のように書かれているのである。

   『仏子よ、当(まさ)に知るべし、此の蓮華蔵世界海の金剛囲山は
   蓮華日宝王地に依りて住せり』(『聖光録』286頁参照)

   金剛囲山というのは、蓮華蔵世界の中央部にある須弥山を
   取り巻いて八つの金剛の山脈があるのを指すのであって、

   それらが依って安住しているのは日の大神の宝の王様の国土によって
   支えられているからだというのである。

   天照大御神の神勅の実現たる日本国が宇宙の中央にあって、
   この宇宙の鉄骨ともいうべき金剛囲山を支えているのであって、
   これが吾々が日本国を世界唯一の真理国家だという所以なのである。

   (http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7735767 )

          <感謝合掌 令和2年7月29日 頓首再拝>

古典に於ける東洋の日本列島への天孫降臨の歴史 - 伝統

2020/08/03 (Mon) 04:33:24


         *「光明道中記」(8月3日《古典の尊厳を知る日》)より

  【神は時代に相応して教祖を遣わし給い、それを通じて吾々に現れる。
                       (『生命の實相』第十一巻)】


エリオットは20世紀英国文学界の古典主義者であり、歴史主義者である。
流れる歴史の底に永遠不動の規範又は秩序を発見し、その規範秩序の中にのみ
価値を発見しようとする者である。

彼は近代を古典的時代よりも進歩せるものとする観方を否定し、進歩と云うものは
実はただ「超時間的の古典」又は「伝統」を発現せるものにほかならないのであって、

歴史的意識とは「時間的なるものと共に超時間的なるものの知覚であり、
また時間的なるものと超時間的なるものとの同時的知覚」であるとしている。

エリオットがそれを意識していたかどうか知らないが是は当(まさ)に
「華厳経」の「一時即一切時」の自覚であると思う。

今立つ此の歴史的一点に於て、久遠に成就せる「既成の歴史」が、「既成の世界秩序」が、
換言すれば、「古典」が其処に流れていると云う自覚である。

『古事記』が来るべき世界秩序の予言であると言い得るのもそのためである。
「既成の歴史」が今現在此処を流れているが故に、
現在は「古典」の発展であるほかあり得ない。

だから古典に於ける東洋の日本列島への天孫降臨の歴史は、
全世界への天孫降臨(神意帰一の世界連邦)となって実現するほかはあり得ないし、
大国主命の国譲りは各国の主権が神意連邦の中心に帰一することである。

          <感謝合掌 令和2年8月3日 頓首再拝>

《“妙法蓮華”の秩序を体現せる日本国》 - 伝統

2020/08/18 (Tue) 03:52:06


        *「理想世界」(昭和43年6月29日~30日の法語)より

【二十九日のことば~“妙法蓮華”の秩序を体現せる日本国】

釈尊が衆(もろびと)に示して捻られた“金波羅華”の象徴するものは
『はい』と答える事だったのである。

金波羅華には中心があり、すべての花弁がその中心に喫して、
一糸乱れざる秩序と調和を示していることである。

そこには花弁が中心に向かって、自己主張して、国鉄の順法闘争や
賃上げ闘争のように争い立って騒ぐという事はないのである。

日蓮宗の信者が「南無妙法蓮華経」と唱えるのは、蓮華の如き中心帰一の
”妙法”即ち実相の秩序に帰依し奉ると唱えている事である。

実相の秩序に帰依し実相の秩序と一体となることは、
自己のいのちが、実相普遍の原理と一体になることなのである。

“妙法蓮華”の秩序を最も完全にあらわした国家は日本国のみである。

天照大御神(インドの用語では毘盧遮那如来)を中心に頂き、
その子孫たる歴代の天皇さまが永遠の国家の中心生命として
国民にその恵沢を霑(うる)おし給うて今に至る、

宇宙大生命の本源的中心生命がその応身を”生ける天皇”にあらわし給い、
吾ら国民悉くその中心生命に帰一し奉る時、その時、
地上に天国の秩序あらわれ、久遠平和の世界が実現するのである。


【三十日のことば~人間として最も高貴なる生き方】

吾ら世界唯一の真理国家――妙法蓮華の相を地上に具体的に表現せる
真理国家、この国こそ、実相永遠の秩序を具体化せる神聖国家である。

時としてこの国、その秩序乱れ、その国状、実相の秩序に背き、
或は国内騒然として紊(みだ)れるが如きことあり、
或は外国と交戦して敗れたる事ありと雖も、是必ず永遠の秩序に背き、
天皇の聖明を覆い奉り、天皇をないがしろにするか、天皇の名を籍(か)りて、
我見を主張し、自己の権力増強に天皇を利用するが如きことを生じたる
結果であるのである。

我ら日本国民、金波羅華の花弁になぞらうべき役目をなす者、
常に中心に帰一し、天皇のみこころに背かざらんことを希(こいねが)い、
愈々美しく金波羅華の実相を現象にまで咲き出でしむる事こそ、
吾ら国民の使命であるのである。

この時、われら日本国民、国家のいのちと一体となり、
宇宙大生命の秩序と自己同一し、“個”にして“全”、
“有限”にして“無限”の生命を生きることが出来るのである。

これこそ人間として最も高貴なる生き方でなくて何であろう。


http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7735767

          <感謝合掌 令和2年8月18日 頓首再拝>

日本の無我献身 - 伝統

2020/10/02 (Fri) 03:51:48


    *「光明道中記」(10月2日《無我献身の日》)より

【生命の尺度で価値を測れ、金ではかるな。(『生命の實相』第十一巻)】

すべて他を制して之を墜(お)とし、
それによって自分が利益を得んとする精神力は、
ついには自己を陥れて自己に危害を加えるものである。

一時的の成功は斯くして得られるかも知れないが、
結局は自己を奈落に突き落とすに到るのである。

往年のナポレオンいま何処にありや、カイゼル今何処にありや、
またヒットラー何処にありや、スターリン何処にありや。

危いかな、全世界を共産化するまで、その赤カの
手をゆるめない理想をもつマルクス・レーニン主義者の行動を警戒せよ。

『古事記』が八俣の”遠呂智(おろち)”(遠きロシアの智慧)という
象徴的名称にて預言したところのマルキシズムの世界侵略政策が南下して来て、
奇稲田姫(瑞穂国)を侵略し、更にアジア全土に亘ってその赤化より護らんがために
起ち上がったのが、あの大東亜戦争であった。

それ故に日本はこの戦争を大東亜の民族の解放戦争と称したのである。
かくて南方諸民族は白人の支配下から独立し世界に新秩序が生まれたのである。

犠牲を惜しまず護りつづけた日本の無我献身が
おのずから世界を此処まで引摺って行ったのである。

           <感謝合掌 令和2年10月2日 頓首再拝>

民族の自覚に貢献してこれらを独立せしめた - 伝統

2020/10/04 (Sun) 05:03:35


    *「光明道中記」(10月4日《何かを人に施す日》)より

【他人の不幸に面したら一緒に泣いてあげよ。
  泣いてもその悲しみに捉われるな。(『生命の實相』第九巻)】

吾々は人生観を変えなければならない。世界を覆う世界大戦も、
武器によって起こったのではなく、人生観によって起こったのである。

その人生観とは「生存競争必須」の観念である。
「奪う」か「餓死するか」二つに一つを選べの矛盾的人生観である。

大東亜戦争は自国を犠牲にすることによって、大東亜の非圧迫民族を
白人から解放する目的で、国民の血をそそがれたのだ。

最初はこれを自覚しないで、ドイツ流に
「持てる国と持たざる国との生存競争的展開」であるとして、
その人間自然の不可避的事実であると価値づけようとした人もあった。

併しドイツは「ダンヒチを寄越すか、寄越さなければ武力で奪う」
と傲語したのであって、

日本が八紘為宇の理念に無我献身して南洋諸国延いてはアフリカ諸国をも
白人の桎梏から解放せしめたのとは理念の相違があるのである。

成功の秘訣は奪うことではなくて献げることにある。
戦勝の秘訣も、奪うことではなくて献げることにある。

形は敗戦の如く見えても、献げる戦争には敗戦はないのである。
民族の自覚に貢献してこれらを独立せしめたのは勝利である。

           <感謝合掌 令和2年10月4日 頓首再拝>

日本人は、太陽の子だ。清明心の子だ。 - 伝統

2020/11/03 (Tue) 05:03:39


        *「光明道中記」(11月3日《明治節、清明心の日》)より

【至上の愛は神と偕なる時おのずから出来る愛だ。(『生命の實相』第十一巻)】


   さしのぼる朝日のごとくさわやかにもたまほしきは心なりけり


明治天皇のこの御製を拝誦し奉る毎に朝日の如き無我の心境が思われるのである。

何故(なにゆえ)朝日はあんなにさわやかなのだろうか。

それは新たに生まれたからである。
手垢がついていないからである。

心に手垢がついていないと云うことが、
こんなにも清明(さわやか)な姿を顕わしめるのである。

太陽には我はない。そのままである。従順である。
さしのぼる時がきたとき差しのぼり、沈むときには沈んで悲しむと云うことがない。
落日を悲しいと見る者は見る人の心の反影に過ぎない。

烈々と照っても功を誇らず、常に跡をのこすことを求めず、来って驕(おご)らず、
去って悲しむと云うことがないのである。

而も一切衆生として、一物(もつ)として、その恩恵を受けないものはない。

まことに広大無辺なる姿である。

吾々の 《いのち》 は太陽より来る。
吾等太陽の如く生きんかな。
吾等は太陽の子だ。清明心の子だ。

どんな時にも光のみを見るのが日本人である。

よろこべ、勇み、楽しみ、潔(きよ)く前進せよ。

           <感謝合掌 令和2年11月3日 頓首再拝>

日本の使命を知らしめるために現れたのが「生長の家」 - 伝統

2021/01/23 (Sat) 02:47:13


           *「光明道中記」(1月23日 寒菊競い開く日)より

【十六方位の世界を一つの常住性ある永遠滅びぬ世界とするのが日本の使命である。
 (『秘められたる神示ー神示講義<秘の巻>』「久遠天上理想国実現の神示」)】
     

全世界を宇(いえ)と為す神武天皇の八紘為宇の建国の理想は決して侵略戦争ではない。
八方の国々が家族となって人類全体が睦み合う理念である。

此の理念を「生長の家」と言う。
理念は普遍的なものであるから、これは私の家ではない。

何故そう云う名称を附したかと言えば、
生は縦に無限に生(の)びることを現わし、
長は横に長(の)びることを現すからである。

縦の無限連続は時間であり、横の無限連続が空間であり、
縦と横と、時間と空間との交叉する万象発現の枢機を握るものが、
内に一切を蔵する無字であり、一切を統一する天皇(スメラミコト)の御天職である。

此の真理に世界の万民が目覚めないから万国互に相争うのである。

全世界は天皇に於いて一宇(ひとつのいえ)である。

万国の民にそれを告げ知らせる東道(みちしるべ)の役目を以って
出現したのが吾々の団体である。

病気が治り運命がよくなり、万事に成功すると云うが如きはただ副作用にすぎない。

天地の真理、すべてが生長する真理に随順して生きる時、
真理の中には病気不幸は存在しないが故に、
病気不幸が消えるのは当然のことである。

病気不幸が起るには何か真理に離れたことがある。
省みて真理に載るものは幸(さいわい)である。

            <感謝合掌 令和3年1月23日 頓首再拝>

全世界を家族となし全世界動乱の因を断つのが日本の使命 - 伝統

2021/01/25 (Mon) 02:54:16


           *「光明道中記」(1月25日《光明充満する日》)より

【自分の利益のために楽しもうと思って性欲を扱いますと、
 性欲が汚れたものに見えて 来るのです。(『生命の實相』第二十巻)】

「高天原(たかあまはら)に神詰ります」と実に朗々とした声で
祝詞(のりと)が響いて来る。

朝の空気を動かし、霧を動かし、
「高天原なる大宇宙に神が充満している」と云う観念が
天地を動かす、実に荘厳だ。

それを古代日本人は知っていた。
常に古代日本人は「大宇宙(たかあまはら)に神遍在(つまりま)す」
と誦(とな)え念じ、邪気を祓(はら)っていたのである。

神が充満しているから、悪の存在はあり得ない。
尽天尽地ただ神のみである。神光遍満、邪気不在である。
その大宇宙を「家」と見たのが古代日本人である。

吾々はそれを生長の家と名附けた。

「生」の縦に生びる神漏伎(かむロギー)と、
「長」の横に長びる神漏美(かむロミー)と、
一つの中心普遍的神漏皇(かむロゴス)が陽陰の対偶と分化しあらわれて、
陽陰の偉大な素晴しき交流となった家が「生長の家」である。

私の家が生長の家ではない。
大宇宙が「家」であり、生長の家の理で充たされている。

生長の家の理を隠蔽することなく生きた時に、其の人が生長の人となり、
其の人の家が生長の家となり、国家が生長の国家(いえ)となる。

組合(クミ)と云う意味での国々は世界到るところにあるが、
国家すなわち国がそのまま家族であるのは日本のみである。

全世界を家族となし全世界動乱の因を断つのが日本の使命である。

              <感謝合掌 令和3年1月25日 頓首再拝>

古典に於ける東洋の日本列島への天孫降臨の歴史 - 伝統

2021/08/03 (Tue) 04:36:40


   *「光明道中記」(8月3日《古典の尊厳を知る日》)より

  【神は時代に相応して教祖を遣わし給い、それを通じて吾々に現れる。
                       (『生命の實相』第十一巻)】


エリオットは20世紀英国文学界の古典主義者であり、歴史主義者である。
流れる歴史の底に永遠不動の規範又は秩序を発見し、その規範秩序の中にのみ
価値を発見しようとする者である。

彼は近代を古典的時代よりも進歩せるものとする観方を否定し、進歩と云うものは
実はただ「超時間的の古典」又は「伝統」を発現せるものにほかならないのであって、

歴史的意識とは「時間的なるものと共に超時間的なるものの知覚であり、
また時間的なるものと超時間的なるものとの同時的知覚」であるとしている。

エリオットがそれを意識していたかどうか知らないが是は当(まさ)に
「華厳経」の「一時即一切時」の自覚であると思う。

今立つ此の歴史的一点に於て、久遠に成就せる「既成の歴史」が、
「既成の世界秩序」が、換言すれば、「古典」が其処に流れていると云う自覚である。

『古事記』が来るべき世界秩序の予言であると言い得るのもそのためである。
「既成の歴史」が今現在此処を流れているが故に、
現在は「古典」の発展であるほかあり得ない。

だから古典に於ける東洋の日本列島への天孫降臨の歴史は、
全世界への天孫降臨(神意帰一の世界連邦)となって実現するほかはあり得ないし、
大国主命の国譲りは各国の主権が神意連邦の中心に帰一することである。

          <感謝合掌 令和3年8月3日 頓首再拝>

日本建国の使命、生長の家の使命 - 伝統

2022/01/23 (Sun) 06:42:42


        *「光明道中記」(1月23日《寒菊競い開く日》)より

【十六方位の世界を一つの常住性ある永遠滅びぬ世界とするのが日本の使命である。
 (『秘められたる神示ー神示講義<秘の巻>』「久遠天上理想国実現の神示」)】
     

全世界を宇(いえ)と為す神武天皇の八紘為宇の建国の理想は
決して侵略戦争ではない。
八方の国々が家族となって人類全体が睦み合う理念である。

此の理念を「生長の家」と言う。
理念は普遍的なものであるから、これは私の家ではない。

何故そう云う名称を附したかと言えば、
生は縦に無限に生(の)びることを現わし、
長は横に長(の)びることを現すからである。

縦の無限連続は時間であり、横の無限連続が空間であり、
縦と横と、時間と空間との交叉する万象発現の枢機を握るものが、
内に一切を蔵する無字であり、
一切を統一する天皇(スメラミコト)の御天職である。

此の真理に世界の万民が目覚めないから万国互に相争うのである。

全世界は天皇に於いて一宇(ひとつのいえ)である。

万国の民にそれを告げ知らせる東道(みちしるべ)の役目を以って
出現したのが吾々の団体である。

病気が治り運命がよくなり、
万事に成功すると云うが如きはただ副作用にすぎない。

天地の真理、すべてが生長する真理に随順して生きる時、
真理の中には病気不幸は存在しないが故に、
病気不幸が消えるのは当然のことである。

病気不幸が起るには何か真理に離れたことがある。
省みて真理に載るものは幸(さいわい)である。

          <感謝合掌 令和4年1月23日 頓首再拝>

全世界を家族となし全世界動乱の因を断つのが日本の使命 - 伝統

2022/01/25 (Tue) 05:07:30


        *「光明道中記」(1月25日《光明充満する日》)より

【自分の利益のために楽しもうと思って性欲を扱いますと、
 性欲が汚れたものに見えて 来るのです。(『生命の實相』第二十巻)】

「高天原(たかあまはら)に神詰ります」と
実に朗々とした声で祝詞(のりと)が響いて来る。

朝の空気を動かし、霧を動かし、
「高天原なる大宇宙に神が充満している」と云う観念が
天地を動かす、実に荘厳だ。

それを古代日本人は知っていた。
常に古代日本人は「大宇宙(たかあまはら)に神遍在(つまりま)す」
と誦(とな)え念じ、邪気を祓(はら)っていたのである。

神が充満しているから、悪の存在はあり得ない。
尽天尽地ただ神のみである。神光遍満、邪気不在である。
その大宇宙を「家」と見たのが古代日本人である。

吾々はそれを生長の家と名附けた。

「生」の縦に生びる神漏伎(かむロギー)と、
「長」の横に長びる神漏美(かむロミー)と、
一つの中心普遍的神漏皇(かむロゴス)が陽陰の対偶と分化しあらわれて、
陽陰の偉大な素晴しき交流となった家が「生長の家」である。

私の家が生長の家ではない。
大宇宙が「家」であり、生長の家の理で充たされている。

生長の家の理を隠蔽することなく生きた時に、其の人が生長の人となり、
其の人の家が生長の家となり、国家が生長の国家(いえ)となる。

組合(クミ)と云う意味での国々は世界到るところにあるが、
国家すなわち国がそのまま家族であるのは日本のみである。

全世界を家族となし全世界動乱の因を断つのが日本の使命である。

          <感謝合掌 令和4年1月25日 頓首再拝>

久遠皇位を胆(きも)に銘ずる日 - 伝統

2022/01/27 (Thu) 04:49:11


           *「光明道中記」(1月27日)より

【火にも焼けざる皇位の久遠無窮性を立証せんが為に、
火を着けて皇子をお生みになったのです。 (『驀進日本の心と力』)】


生命(いのち)のひとつ流れの実相を把握するとき、
眼の色は異り、皮膚の色は異るとも、八紘は一宇であり、一家庭であり、
すべての人種ことごとく天皇の徳に帰一し奉ることが出来るのである。

ナチスの血の哲学、民族の哲学は
ゲルマン民族の栄えのために把握されたる哲学であった。

日本の哲学はそんな狭い精神でないのである。

東洋民族よ聯合せよ! と云う東洋民族の哲学でもないのである。

それはまだ血を見ている。
血を見るのは皮膚の色を見ることであり、骨格を見ることであり、
人種の差別を見ることである。
人と人とを分割することである。

外国の哲学はどんなに優れていても結局は分割に落着く。

日本の哲学は包容帰一である。
ヒトとは霊止(ひと)であり「理念止まる」である。

全世界が一家庭たる理念降下し、義に於て君臣、
理念に於て陛下の赤子である実相を知るとき、
何人種と言えども既に日本人である。

「日本を守る会」は他国と対立して、小さい現象日本国を守るのではない。
天皇を中心に全世界が一家庭となる包容帰一の日本の理想を守る有志の懇談会である。

          <感謝合掌 令和4年1月27日 頓首再拝>

日本の無我献身 - 伝統

2022/10/02 (Sun) 07:18:48


       *「光明道中記」(10月2日《無我献身の日》)より

【生命の尺度で価値を測れ、金ではかるな。(『生命の實相』第十一巻)】


すべて他を制して之を墜(お)とし、
それによって自分が利益を得んとする精神力は、
ついには自己を陥れて自己に危害を加えるものである。

一時的の成功は斯くして得られるかも知れないが、
結局は自己を奈落に突き落とすに到るのである。

往年のナポレオンいま何処にありや、カイゼル今何処にありや、
またヒットラー何処にありや、スターリン何処にありや。

危いかな、全世界を共産化するまで、その赤カの
手をゆるめない理想をもつマルクス・レーニン主義者の行動を警戒せよ。

『古事記』が八俣の”遠呂智(おろち)”(遠きロシアの智慧)という
象徴的名称にて預言したところのマルキシズムの世界侵略政策が
南下して来て、奇稲田姫(瑞穂国)を侵略し、
更にアジア全土に亘ってその赤化より護らんがために起ち上がったのが、
あの大東亜戦争であった。

それ故に日本はこの戦争を大東亜の民族の解放戦争と称したのである。
かくて南方諸民族は白人の支配下から独立し世界に新秩序が生まれたのである。

犠牲を惜しまず護りつづけた日本の無我献身がおのずから世界を此処まで
引摺って行ったのである。

           <感謝合掌 令和4年10月2日 頓首再拝>

日本の使命 - 伝統

2023/01/25 (Wed) 07:54:12


       *「光明道中記」(1月25日《光明充満する日》)より

【自分の利益のために楽しもうと思って性欲を扱いますと、
 性欲が汚れたものに見えて 来るのです。(『生命の實相』第二十巻)】

「高天原(たかあまはら)に神詰ります」と
実に朗々とした声で祝詞(のりと)が響いて来る。

朝の空気を動かし、霧を動かし、
「高天原なる大宇宙に神が充満している」と云う観念が
天地を動かす、実に荘厳だ。

それを古代日本人は知っていた。

常に古代日本人は「大宇宙(たかあまはら)に
神遍在(つまりま)す」と誦(とな)え念じ、
邪気を祓(はら)っていたのである。

神が充満しているから、悪の存在はあり得ない。
尽天尽地ただ神のみである。神光遍満、邪気不在である。
その大宇宙を「家」と見たのが古代日本人である。

吾々はそれを生長の家と名附けた。

「生」の縦に生びる神漏伎(かむロギー)と、
「長」の横に長びる神漏美(かむロミー)と、
一つの中心普遍的神漏皇(かむロゴス)が陽陰の対偶と分化しあらわれて、
陽陰の偉大な素晴しき交流となった家が「生長の家」である。

私の家が生長の家ではない。
大宇宙が「家」であり、生長の家の理で充たされている。

生長の家の理を隠蔽することなく生きた時に、其の人が生長の人となり、
其の人の家が生長の家となり、国家が生長の国家(いえ)となる。

組合(クミ)と云う意味での国々は世界到るところにあるが、
国家すなわち国がそのまま家族であるのは日本のみである。

全世界を家族となし全世界動乱の因を断つのが日本の使命である。

           <感謝合掌 令和5年1月25日 頓首再拝>

日本の哲学は包容帰一である - 伝統

2023/01/27 (Fri) 06:54:55

       *「光明道中記」(1月27日)より
         ~《久遠皇位を胆(きも)に銘ずる日》

【火にも焼けざる皇位の久遠無窮性を立証せんが為に、
火を着けて皇子をお生みになったのです。 (『驀進日本の心と力』)】


生命(いのち)のひとつ流れの実相を把握するとき、
眼の色は異り、皮膚の色は異るとも、八紘は一宇であり、一家庭であり、
すべての人種ことごとく天皇の徳に帰一し奉ることが出来るのである。

ナチスの血の哲学、民族の哲学は
ゲルマン民族の栄えのために把握されたる哲学であった。

日本の哲学はそんな狭い精神でないのである。

東洋民族よ聯合せよ! と云う東洋民族の哲学でもないのである。

それはまだ血を見ている。
血を見るのは皮膚の色を見ることであり、骨格を見ることであり、
人種の差別を見ることである。
人と人とを分割することである。

外国の哲学はどんなに優れていても結局は分割に落着く。

日本の哲学は包容帰一である。
ヒトとは霊止(ひと)であり「理念止まる」である。

全世界が一家庭たる理念降下し、義に於て君臣、
理念に於て陛下の赤子である実相を知るとき、
何人種と言えども既に日本人である。

「日本を守る会」は他国と対立して、小さい現象日本国を守るのではない。
天皇を中心に全世界が一家庭となる包容帰一の日本の理想を守る有志の懇談会である。

          <感謝合掌 令和5年1月27日 頓首再拝>

古典に於ける日本列島への天孫降臨の歴史 - 伝統

2023/08/03 (Thu) 14:41:08


   *「光明道中記」(8月3日《古典の尊厳を知る日》)より

  【神は時代に相応して教祖を遣わし給い、それを通じて吾々に現れる。
                       (『生命の實相』第十一巻)】


エリオットは20世紀英国文学界の古典主義者であり、歴史主義者である。
流れる歴史の底に永遠不動の規範又は秩序を発見し、その規範秩序の中にのみ
価値を発見しようとする者である。

彼は近代を古典的時代よりも進歩せるものとする観方を否定し、進歩と云うものは
実はただ「超時間的の古典」又は「伝統」を発現せるものにほかならないのであって、

歴史的意識とは「時間的なるものと共に超時間的なるものの知覚であり、
また時間的なるものと超時間的なるものとの同時的知覚」であるとしている。

エリオットがそれを意識していたかどうか知らないが是は当(まさ)に
「華厳経」の「一時即一切時」の自覚であると思う。

今立つ此の歴史的一点に於て、久遠に成就せる「既成の歴史」が、
「既成の世界秩序」が、換言すれば、「古典」が其処に流れていると云う自覚である。

『古事記』が来るべき世界秩序の予言であると言い得るのもそのためである。
「既成の歴史」が今現在此処を流れているが故に、
現在は「古典」の発展であるほかあり得ない。

だから古典に於ける東洋の日本列島への天孫降臨の歴史は、
全世界への天孫降臨(神意帰一の世界連邦)となって実現するほかはあり得ないし、
大国主命の国譲りは各国の主権が神意連邦の中心に帰一することである。

          <感謝合掌 令和5年8月3日 頓首再拝>

日本の無我献身 - 伝統

2023/10/02 (Mon) 09:14:54


       *「光明道中記」(10月2日《無我献身の日》)より

【生命の尺度で価値を測れ、金ではかるな。(『生命の實相』第十一巻)】


すべて他を制して之を墜(お)とし、
それによって自分が利益を得んとする精神力は、
ついには自己を陥れて自己に危害を加えるものである。

一時的の成功は斯くして得られるかも知れないが、
結局は自己を奈落に突き落とすに到るのである。

往年のナポレオンいま何処にありや、カイゼル今何処にありや、
またヒットラー何処にありや、スターリン何処にありや。

危いかな、全世界を共産化するまで、その赤カの
手をゆるめない理想をもつマルクス・レーニン主義者の行動を警戒せよ。

『古事記』が八俣の”遠呂智(おろち)”(遠きロシアの智慧)という
象徴的名称にて預言したところのマルキシズムの世界侵略政策が
南下して来て、奇稲田姫(瑞穂国)を侵略し、
更にアジア全土に亘ってその赤化より護らんがために起ち上がったのが、
あの大東亜戦争であった。

それ故に日本はこの戦争を大東亜の民族の解放戦争と称したのである。
かくて南方諸民族は白人の支配下から独立し世界に新秩序が生まれたのである。

犠牲を惜しまず護りつづけた日本の無我献身がおのずから世界を此処まで
引摺って行ったのである。

           <感謝合掌 令和5年10月2日 頓首再拝>

民族の自覚に貢献してこれらを独立せしめた - 伝統

2023/10/04 (Wed) 10:51:59


    *「光明道中記」(10月4日《何かを人に施す日》)より

【他人の不幸に面したら一緒に泣いてあげよ。
  泣いてもその悲しみに捉われるな。(『生命の實相』第九巻)】

吾々は人生観を変えなければならない。世界を覆う世界大戦も、
武器によって起こったのではなく、人生観によって起こったのである。

その人生観とは「生存競争必須」の観念である。
「奪う」か「餓死するか」二つに一つを選べの矛盾的人生観である。

大東亜戦争は自国を犠牲にすることによって、大東亜の非圧迫民族を
白人から解放する目的で、国民の血をそそがれたのだ。

最初はこれを自覚しないで、ドイツ流に
「持てる国と持たざる国との生存競争的展開」であるとして、
その人間自然の不可避的事実であると価値づけようとした人もあった。

併しドイツは「ダンヒチを寄越すか、寄越さなければ武力で奪う」
と傲語したのであって、

日本が八紘為宇の理念に無我献身して南洋諸国延いてはアフリカ諸国をも
白人の桎梏から解放せしめたのとは理念の相違があるのである。

成功の秘訣は奪うことではなくて献げることにある。
戦勝の秘訣も、奪うことではなくて献げることにある。

形は敗戦の如く見えても、献げる戦争には敗戦はないのである。
民族の自覚に貢献してこれらを独立せしめたのは勝利である。

           <感謝合掌 令和5年10月4日 頓首再拝>

全世界を家族となし全世界動乱の因を断つのが日本の使命 - 伝統

2024/01/25 (Thu) 11:09:06


        *「光明道中記」(1月25日《光明充満する日》)より

【自分の利益のために楽しもうと思って性欲を扱いますと、
 性欲が汚れたものに見えて 来るのです。(『生命の實相』第二十巻)】

「高天原(たかあまはら)に神詰ります」と
実に朗々とした声で祝詞(のりと)が響いて来る。

朝の空気を動かし、霧を動かし、
「高天原なる大宇宙に神が充満している」と云う観念が
天地を動かす、実に荘厳だ。

それを古代日本人は知っていた。
常に古代日本人は「大宇宙(たかあまはら)に神遍在(つまりま)す」
と誦(とな)え念じ、邪気を祓(はら)っていたのである。

神が充満しているから、悪の存在はあり得ない。
尽天尽地ただ神のみである。神光遍満、邪気不在である。
その大宇宙を「家」と見たのが古代日本人である。

吾々はそれを生長の家と名附けた。

「生」の縦に生びる神漏伎(かむロギー)と、
「長」の横に長びる神漏美(かむロミー)と、
一つの中心普遍的神漏皇(かむロゴス)が陽陰の対偶と分化しあらわれて、
陽陰の偉大な素晴しき交流となった家が「生長の家」である。

私の家が生長の家ではない。
大宇宙が「家」であり、生長の家の理で充たされている。

生長の家の理を隠蔽することなく生きた時に、其の人が生長の人となり、
其の人の家が生長の家となり、国家が生長の国家(いえ)となる。

組合(クミ)と云う意味での国々は世界到るところにあるが、
国家すなわち国がそのまま家族であるのは日本のみである。

全世界を家族となし全世界動乱の因を断つのが日本の使命である。

          <感謝合掌 令和6年1月25日 頓首再拝>

久遠皇位を胆(きも)に銘ずる日 - 伝統

2024/01/27 (Sat) 11:34:01


           *「光明道中記」(1月27日)より

【火にも焼けざる皇位の久遠無窮性を立証せんが為に、
火を着けて皇子をお生みになったのです。 (『驀進日本の心と力』)】


生命(いのち)のひとつ流れの実相を把握するとき、
眼の色は異り、皮膚の色は異るとも、八紘は一宇であり、一家庭であり、
すべての人種ことごとく天皇の徳に帰一し奉ることが出来るのである。

ナチスの血の哲学、民族の哲学は
ゲルマン民族の栄えのために把握されたる哲学であった。

日本の哲学はそんな狭い精神でないのである。

東洋民族よ聯合せよ! と云う東洋民族の哲学でもないのである。

それはまだ血を見ている。
血を見るのは皮膚の色を見ることであり、骨格を見ることであり、
人種の差別を見ることである。
人と人とを分割することである。

外国の哲学はどんなに優れていても結局は分割に落着く。

日本の哲学は包容帰一である。
ヒトとは霊止(ひと)であり「理念止まる」である。

全世界が一家庭たる理念降下し、義に於て君臣、
理念に於て陛下の赤子である実相を知るとき、
何人種と言えども既に日本人である。

「日本を守る会」は他国と対立して、小さい現象日本国を守るのではない。
天皇を中心に全世界が一家庭となる包容帰一の日本の理想を守る有志の懇談会である。

          <感謝合掌 令和6年1月27日 頓首再拝>

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