伝統板・第二

2558232
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

天皇陛下「象徴の務め困難に」 - 夕刻版

2016/08/08 (Mon) 17:46:08

陛下「象徴の務め困難に」


動画:http://news.yahoo.co.jp/story/280


天皇陛下が「生前退位」に強いご意向 「象徴の務め困難に」 
摂政には否定的 ビデオメッセージに「お気持ち」込められ
産経新聞 8月8日(月)15時4分配信

天皇陛下は8日午後3時から、象徴としてのお務めについての「お気持ち」を
ビデオメッセージで表明された。お言葉は以下の通り。

     ◇

 戦後七十年という大きな節目を過ぎ、二年後には、平成三十年を迎えます。

 私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、
 ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、
 この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。

 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、
 どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、
 現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、
 私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた
 天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。

 伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、
 更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、
 いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、
 人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

 そのような中、何年か前のことになりますが、二度の外科手術を受け、
 加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、
 これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、
 どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、
 また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。

 既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、
 これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、
 難しくなるのではないかと案じています。

 私が天皇の位についてから、ほぼ二十八年、この間(かん)
 私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。

 私はこれまで天皇の務めとして、
 何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、

 同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、
 思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。

 天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、
 天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、
 天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、
 常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。

 こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、
 私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。

 皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行(おこな)って来た
 ほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、
 その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、
 私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈る
 という務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、
 その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。

 また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、
 天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。
 しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、
 生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

 天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、
 これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも
 様々な影響が及ぶことが懸念されます。

 更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、
 重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ヶ月にわたって続き、
 その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が、一年間続きます。

 その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、
 行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。

 こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

 始めにも述べましたように、憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。
 そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、
 これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえて
 この国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、
 安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。

 国民の理解を得られることを、切に願っています。

  (http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160808-00000603-san-soci

天皇陛下のお言葉の真意 - 伝統

2016/08/17 (Wed) 18:11:21


上記の、天皇陛下のお気持ちについて、ほとんどのメディアは「生前退位」に
関するものであると、捉えているようです。

けれども、繰り返し拝読してみると、
「天皇陛下のお気持ち」とメディアの解釈では
ズレがあるような気がしておりました。

そこで、「天皇陛下のお気持ち」を正しく理解をするために、
メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成28年8月17日)から
以下の情報を紹介させていただきます


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

これは「生前退位」問題ではない
──陛下のビデオ・メッセージを読んで

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 遅ればせながらですが、今月8日に発表された、
 陛下のお言葉をあらためて読んでみたいと思います。

 結論から先にいえば、これは巷間伝えられているような、
 「生前退位」の表明ではないと私は考えます。

 それはお言葉のなかに「生前退位」なる表現がどこにも見当たらないからではありません。
 制度上の制約を考えれば、「生前退位」の表明などあるはずもないのですが、
 もともと陛下のお気持ちはほかにあるのだと私は考えます。

 いみじくもお言葉は「象徴としてのお務めについての」と題されています。
 高齢化社会という現実を踏まえたうえで、「象徴天皇」のあり方について、

 国民が主権者であるならば、主権者の立場において、
 国民に深く考えてほしいというのがお気持ちなのでしょう。

 憲法上の制約をわきまえつつ、「個人として」という異例とも思える表現を用いながら、
 国民に対して呼びかけられたのは、それだけ強い思いがおありなのでしょう。

 それはここ数年の問題というより、戦後70年の「象徴天皇」制度のあり方
 そのものに対する国民への、じつに率直な問いかけなのだろうと思います。


▽1 歴代3位のご長寿

 議論の前提は「高齢化」です。
 「天皇もまた高齢となった場合、どのようなあり方が望ましいか」と、
 陛下は問いかけておられます。

 歴史を振り返ると、推古天皇以後、宝算70歳を超えてご長命なのは12人おられ、
 そのなかで82歳の今上陛下は、昭和天皇(87歳)、後水尾天皇(84歳)に次いで、
 歴代3位となられました。

 多くの天皇は若くして退位なさっているため、
 70歳を超えてなお皇位にあるのは、古代の推古天皇、光仁天皇のほか、
 昭和天皇、今上天皇のお二方のみであり、
 75歳を超えられたのは昭和天皇と今上陛下だけです。

 天皇の高齢化はきわめて現代的な現象だということが分かります。
 明治以後の終身在位制度が重くのしかかっているのと同時に、
 近代以降の「行動する」天皇のあり方に大きな要因があると考えられます。

 装束を召され、神々の前に端座される祭り主であるだけでなく、
 洋装し、ときに軍服に身を包むこととなった近代天皇の原理は行動主義です。

 この原理に立つとき、いずれ否応なしに立ちはだかるのが、ご健康・高齢化問題です。

 実際、「2度の外科手術」をも経験され、お年を召された陛下は、
 「次第に進む身体の衰えを考慮する時,これまでのように,
 全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが,難しくなるのではないかと案じて」
 おられます。


▽2 行動主義

 陛下は「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましいあり方を、
 日々模索しつつ過ごしてきた」と仰せです。

 お言葉によれば、天皇のご公務とは、
 「国事行為」および「象徴的行為」のほか、「伝統」です。

 「伝統」とはすなわち宮中祭祀でしょうが、
 慎重な陛下は「祭祀」とは表現されませんでした。

 政府・宮内庁の考えでは、祭祀は「皇室の私事」であり、ご公務として扱われません。

 しかし陛下は
 「天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来」
 られたのでした。そしてそのことが重要なのです。

 まず国事行為があるという憲法第一主義ではなくて、
 「国平らかに、民安かれ」という古来の祭祀の精神に立ち、祈りの延長上に、
 憲法上の務めがあると陛下はお考えのようです。

 政府・宮内庁の理解とは異なり、
 皇室の伝統と憲法の規定とはけっして対立しません。


 今上陛下が皇后陛下とともに、地方を訪ね、
 国民と親しく交わられることを「大切なもの」とされたのは、
 祈りが出発点だからでしょう。

 しかし政府・宮内庁による、行動主義に立つ象徴天皇制は、
 天皇の高齢化という現実に対して、行動主義的ご公務のご負担軽減どころか、
 皇室の「伝統」に強烈な圧迫を加えたのでした。

 それが昭和の悪しき先例にもとづく、平成の祭祀簡略化でした。
 陛下の問いかけはこのとき始まったのでしょう。


▽3 祈りの精神

 国事行為ほかご公務を、
 「限りなく縮小していくことには無理があろう」と陛下はお考えです。

 実際、御在位20年を過ぎて実施された宮内庁のご負担軽減策にもかかわらず、
 ご公務は逆に増え続けていったことは、当メルマガの読者なら周知のことでしょう。

 逆に文字通り激減したのは、皇室の伝統たる祭祀のお出ましでした。

 行動主義に立ち、地方へのお出かけや国民との交わりを重視するなら、
 ご公務はむしろ永遠に拡大し続けるのが宿命です。

 A県にお出かけになって、B県にはお出ましにならないというのは、
 民が信じるすべての神々を祀るという祈りの精神に反します。

 選択肢としては摂政を置くという考え方もありますが、陛下は疑問を投げかけました。
 お言葉では「求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで
 天皇であり続けることに変わりはありません」と踏み込まれました。

 陛下は、実際に象徴としての務めを十分に果たせる者が
 その地位にあるべきだとお考えであることは間違いないようです。

 しかしそれは直ちに「生前退位」の表明であるとはいえないでしょう。

 日本国憲法も皇室典範も想定していない「高齢化」という現実を前に、
 天皇の「あり方」を問題提起しておられるのだと思います。


▽4 戦後の国民主権が問われている

 陛下は続けて、御代替わりの諸儀式にも触れられました。
 「社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます」と語られました。

 ずいぶん衝撃的ですが、さもありなんです。

 昭和から平成への御代替わりのとき、政府は準備らしい準備をしていなかったと聞きます。
 泥縄的に識者の意見などが参考にされましたが、
 結局、国家主義華やかなりし大正から昭和への御代替わりがモデルとされました。

 祭祀に造詣の深かったといわれる高松宮宣仁親王は、
 とくに大嘗祭について、「大嘗宮は要らない。神嘉殿で足りる」
 というお考えだったようですが、昭和の先例が踏襲され、
 大がかりな大嘗宮が造営されました。

 英知を結集し、時間をかけて、現代に相応しい制度作りができなかったからです。

 明治の時代は、宮務法の頂点に立つ皇室典範の制定から
 約20年後に皇室祭祀令が裁定されたほか、皇室法の体系が順次、整備されました。

 しかし戦後は皇室典範自体が一般法となり、皇室令はすべて廃止され、
 もっとも重要な皇位継承でさえ抽象的な規定しかなく、
 原理原則を失ったまま、何十年もの時間が空費されました。

 政府・宮内庁が正式に御代替わりの準備を始めたのは昭和63年夏でした。

 平成になってからも同様です。

 朝日新聞は、陛下のお言葉を受け、翌日の社説で、
 「政治の側が重ねてきた不作為と怠慢」を指摘し、
 とくに安倍内閣の消極性を批判していますが、

 ものごとをけっして矮小化すべきではないと思います。

 問われているのは、個々の内閣の取り組みではなくて、
 明文法的基準を失った戦後70年の象徴天皇制のあり方そのものではないでしょうか。

 不作為と怠慢は、主権者たる国民とその代表者すべてに帰せられるべきでしょう。

 むろん天皇・皇族のお出ましをイベント・ビジネスに利用してきたメディアもまた、
 追及を免れることはできないでしょう。


▽5 誘導される世論

 前回、「生前退位」論議には、以下の4つの問題があると申し上げました。

(1)「退位」「譲位」と異なる「生前退位」は、いつ、誰が、なぜ言い出したのか?

(2)NHKのスクープをリークした「宮内庁関係者」の目的は何か?

(3)陛下の本当のお気持ちはどこにあるのか?

(4)「生前退位」実現には皇室典範改正など何が求められるのか?

 スクープ以後の議論がもっぱら(4)に集中している歪さも指摘しましたが、
 今回、謎がもうひとつ増えました。

 すなわち、(5)陛下のお言葉が発せられるようになった理由は何か、です。


 すでに指摘したように、陛下のお気持ちは「生前退位」ではないと思います。
 陛下のお気持ちを、「生前退位」と意図的に表現したうえで、
 メディアにリークした「宮内庁関係者」がいるということでしょう。

 そのことと、陛下みずから語られることになったこととは、
 いかなる関係にあるのでしょうか。

 メディアの議論は、お言葉以後もなお、「生前退位」に集中しています。
 日経の世論調査では、「生前退位」を「認めるべきだ」が
 じつに89%に達したと伝えられています。

 陛下のお気持ち表明にもかかわらず、
 これとは別に、「生前退位」の創作者によって世論は誘導され続けています。

 今上陛下が「生前退位」したとしても、陛下の問題提起は何ら解決されないのです。


◇ 筆者のプロフィール ◇

 斎藤吉久(さいとう・よしひさ) 昭和31(1956)年、福島県生まれ。
 弘前大学、学習院大学を卒業後、総合情報誌編集記者などを経て、現在はフリー。
 テーマは、天皇・皇室、宗教、歴史、食文化など。
 発表記事などはFacebookの「ノート」で読める。

 著書に『天皇の祈りはなぜ簡略化されたか』(並木書房)、
 共著『日本人なら学んでおきたい靖国問題』(青林堂)、
 私家版電子書籍「検証『女性宮家』論議」など。

           <感謝合掌 平成28年8月17日 頓首再拝>

過去3回、国会で審議された「生前退位」 - 伝統

2016/09/01 (Thu) 19:05:08


    *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成28年8月28日)より

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

過去3回、国会で審議された「生前退位」
──30年前、宮内庁は譲位を容認しなかった

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 この世を長く生きてきたご老体を侮ってはならないとつくづく思った。

 御年80の元参議院議員・平野貞夫氏が、国会で過去に3回、
 「生前退位」について議論したことがあると誌上座談会で指摘している
 (「週刊ポスト」2016年9月2日号
  〈http://www.news-postseven.com/archives/20160824_440504.html〉)。

「マスコミの皆さんは不勉強で知らない人が多いですが、
生前退位の話は、昭和天皇崩御より前の昭和59年に、
国会の内閣委員会で議論したことがあるんですよ。

実際には、これまで2回議論されている。
そういった経緯があるわけだから、
今になって陛下にああいうことを言わせたら気の毒なんですよ」

 
国会議事録で検索すると、なるほど以下の3件がヒットする。

(1)昭和58年3月18日参議院予算委員会

(2)昭和59年4月17日参議院内閣委員会

(3)平成4年4月7日参議院内閣委員会

 いずれも参議院での議論だった。


▽1 皇室典範改正は「デマ」

(1)は、江田五月議員(社民連)が、ウォーターゲート事件、ロッキード事件に触れつつ、
当時、「生前退位」問題が話題になっていることを取り上げ、皇室典範改正の可能性を
法制局にただそうとしたのだった。

「皇室典範を改めて、皇位の継承を天皇の生前退位によってもできるようにして、
そして恩赦を適用して何とか救おうというようなことがいろいろ世上取りざたされて
おりますが、まず皇室典範、これは国会で改正することができるものであるのかどうか
ということを、これは法制局になりますか、伺います」

これに対し、法制局を制して答弁したのは中曽根康弘首相で、
「不謹慎なデマだ」と完全否定している。

「いま皇室典範を改正して云々という言葉がありましたが、
私はそういうデマに政治家がだまかされてはいかぬと思います。
それは非常に不謹慎なデマだと思うのです。
事皇室、日本の象徴である皇室に関することについて、
いまのようなことを結びつけるということは私は非常に心外であります。
そのことだけをまず申し上げて法制局長官から答弁させます」

この答弁に、江田議員は「いいです。デマであるということをはっきりさせて
いただければそれで結構です」と応じ、これで質疑応答は終わっている。

 
かつて若き日に、同じ国会(昭和27年1月31日衆院予算委)で、
「もし天皇が御みずからの御意思で御退位あそばされるなら」と質問し、
吉田首相から「非国民」と撃退された中曽根氏だが、のちに自身が首相になると、
風見鶏の面目躍如というべきか、皇室典範改正の論議それ自体を封じたのだった。

蛇足ながら、新聞記事では、私が知るかぎり、「生前退位」に言及した初例は、
「朝日新聞」昭和62年12月15日夕刊の皇室関連記事だが、
国会ではその5年前、野党議員の質問に登場していた。

ただ、政府答弁では「生前退位」の表現は避けられた。


▽2 今日と異なる宮内庁の姿勢

(2)は、ほかならぬ平野氏が座談会で取り上げた国会審議で、
この日は皇室経済法の一部改正が議題だった。

最初に質問に立ったのが公明党の太田淳夫議員で、内廷費・皇族費の改定問題について、
山本悟宮内庁次長(のち侍従長)らとのやりとりがあったあと、まさに今日と同様、
昭和天皇がご高齢のなか、激務をこなされている現実をあぶり出し、
「生前退位」の提案が出ていることを指摘したうえで、宮内庁の考え方を問いかけている。

「天皇陛下も御高齢であられますし、皇太子殿下も銀婚式を迎えられたわけです。
満五十歳を超えられていますが、そのためかどうかあれですが、
一部には天皇の生前退位ということも考えてはどうかという声もあるわけですけれども、
宮内庁としてはこれはどのように考えてみえますか。検討されたことがございますか」

 
これに対する山本次長の答弁はじつに興味深い。

山本氏は、昭和天皇はたいへんお元気である。
皇室典範は退位の規定を持たない。
天皇の地位を安定させるためには退位を認めないことが望ましいと承知している。

摂政、国事行為の臨時代行で対処できるから宮内庁としては皇室典範を再考する考えはない、
というのである。今日の議論とは真逆なのだ。


▽3 「天皇の地位安定のため退位を認めず」

議事録を正確に引用すれば、以下の通りである。

「御指摘のとおり、いろいろな御意見を伺う機会はあるわけでございますが、
先ほど来申し上げますように、現在、陛下は御高齢ではいらっしゃっても
非常にお元気に御公務をお務めあそばしていられるわけでございます。

現行の皇室典範は、御指摘のとおりに、生前の退位というものについての規定を全く置かない。
置かないということは、制定当時からその制度をとっていないということを申していいのだろう
と思います。

この現行の皇室典範が制定されます際にいろいろな場において
議論がされているようでございますが、制定いたしました趣旨としては、
退位を認めると歴史上見られたような上皇とか法皇とかいったような存在がでてきて
それが弊害を生ずるおそれがあるのではないか。

歴史から見るといろいろな批判があり得たわけでありまして、
こういったことは避けた方がいいということが一つ。

それから、そういった制度があれば必ずしも天皇の自由意思に基づかないで
退位の強制ということがあり得る可能性もないとは言えない。
これも歴史の示すところだと思います。

それから三番目には、逆に今度は天皇が恣意的に退位をすることができる
ということになるとそれもまたいかがなものか。

こういったようないろいろな観点からの論議がございまして、典範制定当時、
そういった制度は置かないということになったと存じております。

結局、ねらったところは、天皇の地位を純粋に安定させることがいいのだ、
それが望ましいというような意味から退位の制度を認めなかったというように
承知をいたしているわけでございまして、

こういったような皇室典範制定当時の経緯を踏まえて、
かつまた身体の疾患または事故等がある場合には現在でも摂政なりあるいは
国事行為の臨時代行なりというような制度によりまして十分対処ができるわけでありますので、
現在、宮内庁といたしましてこの皇室典範の基本原則に再考を加えるというような考えは
持っていないところでございます」



▽4 宮内庁の方向転換の理由は?

この山本答弁によって分かるのは、今日、「宮内庁関係者」のリークを起点として、
皇室典範改正を訴える議論が盛んに展開されているけれども、
当時の宮内庁は、退位容認=皇室典範改正の可能性を完全否定し、
もっぱら「国事行為臨時代行法による代行の適用」(太田議員)で足りる
と考えていたことである。

「生前退位」という表現も避けられている。

とすると、それから30余年、宮内庁がいまや、女系継承容認=「女性宮家」創設も含めて、
方針を180度転換させたように見えるのはどうしたことなのか。

陛下の「生前退位」のお気持ちが出発点だから、
宮内庁が皇室典範改正にシフトすることは十分、大義名分が立つ、ということだろうか。

しかし、世上、伝えられているのとは異なり、「生前退位」が陛下のご意向ではなく、
宮内庁当局者の発案だったのだとしたら、説明にはならない。

宮内庁当局は方向転換の理由を、納得のいくよう十分に説明する必要があるだろう。

 
いみじくも「週刊ポスト」の座談会で、平野貞夫氏はさらにこう指摘し、
「生前退位」をスクープしたNHKの報道姿勢を批判している。

「今回のことで私が問題視しているのは、NHKが勝手に『陛下の意思は生前退位だ』
と限定して、それを実行しろと報道していることです。これは大問題です。

皇室典範で両院議長と総理、最高裁長官などで構成すると規定された皇室会議で
まず議論すべきなのに、それを差し置いて、NHKが国権の最高機関であるかのように
ふるまっている」

「陛下の意向をNHKに伝えた人間がいて、NHKもそれを切り札に議論を
ショートカットしようとしている。しかし、天皇は政治に関与してはいけないわけで、
陛下のお気持ちは切り離して、国民が自律的、理性的に判断しなければ国民主権とは言えない」

平野氏はNHKを批判しているが、問われているのは報道したNHKではなくて、
意図的に「生前退位」をリークしたと思われる「宮内庁関係者」ではないだろうか。

いや、戦後70年、象徴天皇のあり方を真剣に考えてこなかった
平野氏ら政治家の責任こそが問われているのではないのか。


▽5 退位が認められない3つの理由

(3)は、平成になってからの審議である。
この日のテーマは予算だったが、時あたかも江沢民が中国共産党中央委総書記として
初来日した翌日で、午前中は日本の侵略と賠償、請求権問題、天皇の訪中問題などが
議題となった。

午後になり、質問に立ったのが社会党の三石久江議員で、宮尾盤宮内庁次長との間で、
加藤紘一内閣官房長官をも交えて、質疑応答が展開された。

三石議員は単刀直入に、「天皇の生前退位の問題について伺います」と切り出し、
歴史上、譲位された天皇がしばしばおられるのに、なぜ認めなくしたのか、と質問している。

これに対して宮尾次長は、3つの理由があると答弁している。

「これも現在の皇室典範制定当時いろいろな考え方があったようでございますけれども、
その制定当時、退位を認めない方がいいではないか、こういうことで、
制度づくりをしたときの考え方といたしましては三つほど大きな理由があるわけでございます。

一つは、退位ということを認めますと、これは日本の歴史上いろいろなことがあった
わけでございますが、例えば上皇とか法皇というような存在が出てまいりまして
いろいろな弊害を生ずるおそれがあるということが第一点。

 
それから第二点目は、必ずしも天皇の自由意思に基づかない退位の強制
というようなことが場合によったらあり得る可能性があるということ。

 
それから第三点目は、天皇が恣意的に退位をなさるというのも、
象徴たる天皇、現在の象徴天皇、こういう立場から考えまして、
そういう恣意的な退位というものはいかがなものであろうかということが
考えられるということ、これが第三番目の点。

こういったことなどが挙げられておりまして、天皇の地位を安定させることが望ましい
という見地から、退位の制度は認めないということにざれたというふうに
承知をいたしております。

以上でございます」


▽6 誰が「生前退位」といわせているのか?

三石議員はさらに責め立てる。つまり、「生前退位」は歴史的伝統のはずだが、
伝統重視を掲げつつ、現代の国民意識を基準に否認するのは矛盾だと指摘するのだった。

「ただいまの御答弁は、天皇の地位が日本国民の象徴であるという新憲法の趣旨にそぐわない、
また生前退位にはいろいろな弊害があるので、伝統として生前退位はあったけれども、
現代の国民意識から認めるわけにはいかないということだと思うんです。

この生前退位は、横田耕一氏の法律時報によりますと、百十三人の天皇のうち六十三人、
実に五二・五%なのです。

立派に伝統的制度ですが、現代の国民意識のもとでは認められないということのようです。
このように皇位継承に関して伝統を重んじるとはいいながら、時代の道徳的判断あるいは
趨勢に応じて、あるいは道徳的にも受け入れられない伝統は、現行の皇室典範では
外されてきたわけです」

 
これに対する宮尾次長の反論が聞きたいところだが、三石議員は話題を男系主義に転じてしまう。
それはそれでまた興味深いのだが、今日のテーマとは異なるし、長くなるので、
残念だが触れない。

簡単にいえば、当時の宮内庁の見解では、憲法が定める「皇位の世襲」は
男系男子による継承と解釈されていた。

宮内庁が女系継承容認へと踏み出すのは、宮尾次長退任後、鎌倉節長官の登場を待ってのこと
といわれる。女系継承容認=「女性宮家」創設論の浮上が転換点であることは間違いないと思う。

30年前、宮内庁は退位を制度的に否認し、「生前退位」なる表現をも避けていた。
その宮内庁内で、10数年前、「生前退位」検討の動きが生まれたとする報道もあるが、
そうだとして、陛下ご自身が「生前退位」のご意向を示されたとされるのは、
どう見ても不自然だと思う。

つまり誰かが「生前退位」と表現させていると考えるほかはない。

いったい誰が、何のために?

   (http://melma.com/backnumber_170937_6412709/

           <感謝合掌 平成28年9月1日 頓首再拝>

窪田順正氏が解く「生前退位」の謎 - 伝統

2016/09/03 (Sat) 17:41:47


      *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成28年8月31日)より

 平成28年8月31日発行 vol.343
◇◇───────────────────────────────◇◇
 斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「オモテ」「オク」のトップが仕掛け人だった!?
──窪田順正氏が解く「生前退位」の謎

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


社会に出てすぐ、月刊総合情報誌の編集記者になりました。
どこの媒体にも載っていないスクープ記事で全ページを埋め尽くすのが雑誌のコンセプトで、
編集業務の最初のステップは新聞・テレビの情報を鵜呑みにせず、裏読みすることでした。

以来、情報を疑うことが習い性となりました。

ニュースの多くは中央官庁の記者クラブに垂れ流しされる発表ネタを
二次加工したものですから、まともに受け取る方がおかしい。

独自取材によるスクープならまだしも、
意図的なリークを臭わせる特ダネならなおのことです。

 
前回の読売新聞による「女性宮家」創設スクープにしても、
今回のNHKによる「生前退位」報道にしても、納得できないものを感じるのは、
当時からの勘が働くからです。


▽1 問題意識に答えるリポート

前々回、陛下の「生前退位」論議には5つの問題がある、と指摘しましたが、
私の問題意識に答えてくれるリポートにようやく巡り会うことができました。

ノンフィクション・ライター窪田順生氏による
「宮内庁の完全勝利!?天皇陛下『お気持ち』表明の舞台裏」
(DOL特別レポート。2016年8月26日〈http://diamond.jp/articles/-/99848〉)です。

窪田氏は大胆にも、
「宮内庁が仕掛けた、巧妙な情報戦であった可能性が浮かび上がってくる」
と指摘しています。

つまり、陛下みずから率先して「お気持ち」を表明されたというのではなくて、
宮内庁幹部が工作した結果であり、側近らが一連の「生前退位」論議の仕掛け人だった
ということになります。

少なくとも「お気持ち」表明までは宮内庁の完勝である、と窪田氏は結論づけています。

窪田氏のリポートは、5つの謎のうち、
(1)歴史にない「生前退位」(「譲位」「退位」ではない)を言い出したのは誰か、
(2)NHKにリークしたのは誰か、その目的は何か、
(3)なぜ、どのようにしてお言葉が発せられることになったのか、

の3つについて、事実は何だったのか、大きな示唆を与えてくれます。

同時に、窪田氏も同様らしいのは残念ですが、
陛下の「お気持ち」が「生前退位」にあるという既成事実化によって
どんどん先走りする議論に、慎重さを求めるものといえます。


▽2 「駆け引き」に長けた高級官僚

窪田氏の分析を要約すると、以下のようになります。

1、(常識論的理解への疑念)NHKの「生前退位」スクープ以後、
  宮内庁は内部関係者のリークを全否定し、抑え込もうとしたが、
  やがて陛下に押し切られるように「お気持ち」の表明となった。

  この場当たり的で、陛下を晒し者にする広報対応は「悪手」と見て取れる。
  けれども「生前退位」という陛下のお気持ちを国民に届けるという目的遂行からすれば、
  まったく逆に、かなり練り込まれた「戦略的広報」だといえる。

  宮内庁は高度な世論形成を行っている。


2、(「生前退位」報道の仕掛け人)「オク」(侍従職)のリークと信じる人が多いようだが、
  毎日新聞の続報によると、「オモテ」2人と「オク」2人、
  それに皇室制度に詳しいOB1人による「4+1」会合で、制度的検討が進められてきた。

  「オモテ」と「オク」のトップが一丸となって「お気持ち」を世に出すことを
  検討していたとする報道の信憑性は高い。

  宮内庁がNHKに抗議していないことからすると、
  NHKのスクープを仕掛けたのはほかならぬ「4+1」会合である可能性がある。
  NHKと宮内庁が「裏で握ったスクープ」だったのではないか。


3、(宮内庁トップが描いたシナリオ)一連の流れには随所に官僚らしい計算が込められている。
  NHKが報道し、宮内庁が否定すれば「どっちが本当か」と国民の注目を集めることができ、
  陛下に「お気持ち」を表明していただく名目が立つ。

  NHKのスクープから宮内庁の全否定、陛下の「お気持ち」表明は
  「4+1」会合が描いたシナリオではないか。


4、(マスコミを利用した理由)「お気持ち」表明が目的なら、
  まどろっこしいプロセスは不要で、「正面突破」的戦略で足りると
  首をかしげる人がいるかも知れない。

  だが、国民的議論が起きていないなかで宮内庁が陛下に、
  皇室典範改正を示唆するような政治的発言を促すことはあり得ない。
  幹部が陛下のお考えを慮って代弁することもできない。


5、(正攻法では議論は困難)国民も官邸も納得する形で、
  陛下が「お気持ち」を表明できる状況を作り出すには、報道機関にスクープさせ、
  これを形式的に否定し、「真実を知りたいという国民の求めに応じる」という
  大義名分のもとで、陛下ご自身に「お気持ち」を表明していただくことである。

  手練れの高級官僚ならではの「情報戦」である。


6、(官邸と宮内庁)メディアを手駒にして「情報戦」を繰り広げる一連の動きは、
  「天皇・皇后両陛下と皇族方の健康維持は国民の願いで何より優先すべき課題」(風岡長官)
  と言い切る宮内庁が、皇室典範に消極的な安倍政権に対して仕掛けた
   「緩やかな謀反」と見えなくもない。


以上、要するに、窪田氏の謎解きの核心は、
30年間、「駆け引き」に明け暮れてきた辣腕官僚こそが「生前退位」論議の仕掛け人だ
という1点に尽きます。


▽3 仕掛け人は「4+1」か

そうだとして、謎はさらに深まります。まず、本当の仕掛け人は誰なのか、です。

窪田氏は「4+1」会合が仕掛け人とみています。
つまり現在の風岡体制ということですが、

私は違うと思います。

窪田氏も言及する毎日新聞の報道では、
「5月半ばから、早朝に会合を行うなど活動が加速。生前退位に伴う手続きの検討」
と伝えられています。この情報は風岡体制仕掛け人説を補強するものです。

 
ところが、「週刊新潮」7月28日号によれば、
平成21年に陛下と皇太子殿下、秋篠宮殿下による3者会談が設けられ、
24年2月に心臓手術を受けられ、3月に東日本大震災一周年追悼式にご臨席になったころから、
陛下は「天皇としての任を果たせないのならば」と3者会談で漏らされるようになり、

6月に風岡長官が就任すると3者会談が定例化し、
長官もオブザーバーとして同席するようになったとされています。

とすれば、風岡体制から1代遡って、
羽毛田長官、風岡次長、川島裕侍従長、佐藤正宏侍従次長の時代から
すでに動きが始まっていたと見なければなりません。

24年といえば、陛下の手術と前後して、
いわゆる「女性宮家」創設に関する有識者ヒアリングが2月に始まりました。

「女性宮家」検討担当内閣官房参与に就任したのは、
小泉内閣時代の皇室典範有識者会議で座長代理だった園部逸夫元最高裁判事で、
キーパーソンとされました。

また、前年暮れに「女性宮家」創設を著書で明確に提案したのは、
渡邉允前侍従長(宮内庁参与)でした。

園部氏はつい最近、新聞インタビューで
「天皇といえども人です。……人道主義の観点が必要です」と
「生前退位」に賛意を示しています。

仕掛け人を現在の「4+1」に限定しなければならない理由はどこにもありません。
デザインする人と実行する人が同じである必要もありません。

NHKのスクープは「陛下が天皇の位を生前に皇太子さまに譲る
『生前退位』の意向を宮内庁の関係者に示されていることが分かりました」でした。

この「宮内庁関係者」はデザイナー自身なのかどうか。


▽4 陛下の本当の「お気持ち」

次に、「生前退位」が陛下の「お気持ち」とされている点について、考えてみます。
陛下の本当の「お気持ち」とは何か、です。

そのことは、なぜ「巧妙な情報戦」が仕掛けられたのか、
宮内庁当局者たちの戦略を明らかにすることにもつながります。

窪田氏は「『生前退位』という陛下のお気持ち」に一片の疑いも抱いてはいないようです。
最初に陛下の「生前退位」のお気持ちがあり、宮内庁トップは「お気持ち」を国民に届ける
ためにひたすら知恵を絞った高度なライフハックだったというわけです。

 
これではまるで美談のようにも聞こえますが、そうなのでしょうか。

もともと「生前退位」なる言葉はありません。
昭和13年から終戦の年まで、帝室学士院が編纂・刊行した『帝室制度史』にも、
戦後、宮内庁書陵部が編纂した『皇室制度史料』にも、「譲位」とあるだけです。

左翼用語とは決め付けられないまでも、国会審議では30数年前、
すなわち昭和天皇の晩年に野党議員が使用したのが最初です。
そのことは前回、お話ししました。いまと状況が似ていることも指摘しました。

けれども、国会で野党議員から「生前退位の検討をしたことがあるか」と質問され、
答弁に立った宮内庁幹部は「退位を認めないことが望ましい」
「臨時代行で対処できるから典範改正は不要」と否定しただけでなく、
「生前退位」という表現すら避けています。いまとは逆です。

 
宮内庁の姿勢が一変したのは、終戦60年、平成17年6月のサイパン島御訪問のようです。
宮内庁内部から「生前退位」検討の動きが始まったらしいのです。「

週刊現代」は、御訪問が閣議決定されたが、強行スケジュールは
ご高齢の陛下にはかなりのご負担なので、と説明しています(同誌2005年5月21日号)。

折しも小泉内閣時代、皇室典範有識者会議が開かれているから、
「即位」と「退位」の両方について明記すべきではないかという声があると伝えられています。

宮内庁内部のこの動きが10数年来、ずっと続いているのだとすると、
「生前退位」論議はけっして陛下のお気持ちが出発点ではないことになります。

陛下のお気持ちと宮内官僚の「生前退位」論には一致しないのであり、
今回の1件は陛下のお気持ちを国民に伝えるため、当局者が知恵を絞り、
仕掛けたのではなくて、もっと別の動きだという可能性があります。



▽5 「生前退位」ではなく「ご公務のあり方」

7月13日のNHKのスクープは「天皇陛下『生前退位』の意向示される」でした。

なぜNHKは「譲位」ではなく、「生前退位」と伝えたのでしょうか。
陛下は「生前退位」と表現し、関係者にお気持ちを示されたのでしょうか。
なぜスクープはこのタイミングだったのでしょうか。

 
まず一点目です。

陛下は「生前退位」とはおっしゃっていないのではないでしょうか。

8月8日のお言葉にはむろん「生前退位」はありません。
陛下は「天皇もまた高齢となった場合、どのようなあり方が望ましいか」を
問いかけられたのでした。

身体の衰えから象徴としてのお務めを果たしていくことが難しくなるのではないかと案じられ、
一方で、国事行為や公的行為の縮小、摂政を置くことにも疑問を投げかけられ、
また、ご大喪関連行事が長期にわたって続くことにも懸念を示されたうえで、
象徴天皇の務めが安定的に続くことを念じられました。

 
これをNHKは「生前退位の意向が強くにじむ」と伝えていますが、
単純すぎるのではないでしょうか。
「譲位」のお気持ちがあるとしても、それはあくまでお気持ちの一部なのだろうと私は考えます。

その意味では、菅官房長官が
「ご公務のあり方について、引き続き、考えていくべきものだと思う」と
述べているのは正しいと思います。


つまり片言隻句を捉え、先走って拡大解釈し、歴史に前例のない「生前退位」表明と
表現した人物がいるのです。それは宮内庁関係者なのか、それともNHKなのか。

「生前退位」のご意向と報道されれば、それが先入観念となり、
現行制度の改革、皇室典範改正が必要だという議論に発展することは必至で、
実際、世論はそのように誘導されています。

窪田氏が分析したように、仕組んだのが宮内庁トップだとすれば、
彼らの意図は陛下のお気持ちを国民に伝えるというより、「女性宮家」論議のあと、
すっかり下火になっていた皇室典範改正論議に再度、火を付けることにあったのだろう
と私は強く疑っています。

そして、仕掛けは首尾良く成功し、宮内庁当局者は「完勝」したのです。


▽6 むしろ長期政権への期待か

それなら、なぜいまなのか。

なかには参院選で自民党が大勝したのを見て、陛下が改憲阻止に動いたなどと
深読みする人もいますが、あり得ないでしょう。

むしろ百戦錬磨の官僚たちが長期政権化の兆しを見せる安倍内閣にすり寄り、
挑戦的に制度改革への期待をかけたとみるべきでしょう。

風岡宮内庁長官はお言葉のあと、

「(陛下は)今後の天皇のあり方について、個人としての心情をお話になられた」

と説明しています。

長官はさらに、

「(陛下は)去年からお気持ちを公にすることがふさわしいのではないかとお考えだった」

とも説明しました。

うやら陛下は、昨年からお気持ちを国民にみずから示すことを希望されていたようです。

なぜ「昨年から」なのでしょう。

たぶん皇太子殿下の年齢を考慮されたのでしょう。
昨年2月、殿下は55歳となられました。
ちょうど陛下が即位された年齢です。

「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ」
(お言葉)られればこそのタイミングでしょう。


陛下はそこまで追い詰められているということだろうと拝察します。


▽7 「陛下vs宮内庁」の微妙な関係

戦後の歴史を振り返ると、日本国憲法施行とともに皇室典範は一般法となり、
皇室令はすべて廃止されましたが、これらに代わる法体系はいまもほとんどありません。

たとえば、登極令、皇室服喪令、皇室喪儀令、皇室陵墓令に代わるものがない。
このため前回の御代替わりは泥縄に終始したのです。

戦後の象徴天皇制度は昭和天皇と今上陛下が身をもって築かれてきたというより、
国民および国民の代表者たちの不作為と怠慢以外の何ものでもありません。

だからこそ陛下は国民に問いかけているのです。

象徴天皇制度がそもそも法的に未整備なら、ご在位20年のあと
開始されたご公務ご負担削減策に明確な基準があるはずもありません。

しかも陛下は皇室の伝統と憲法の規定の両方を追い求めておられるのに、
当局者は憲法第一主義に走り、その結果、祭祀のお出ましばかりが激減したのです。

窪田氏のリポートは最後に「官邸vs宮内庁」の対立構造を示していますが、
むしろ見定めるべきなのは、宮中祭祀とご公務をめぐる「陛下vs宮内庁」の微妙な関係
なのではありませんか。

女系継承容認の皇室典範改正にもご公務ご負担軽減にも失敗した宮内庁当局者は、
安倍政権と対立するどころか、陛下のお気持ちを利用し、

「生前退位」報道に素直に誘導される世論を味方に付けたうえで、
問題を官邸に丸投げして、結果的に皇室典範改正の果実を得ようと仕掛けたのだ
と私は想像します。

そして安倍政権は「生前退位」実現程度でお茶を濁すわけにはいかなくなったのです。

http://melma.com/backnumber_170937_6414051/

           <感謝合掌 平成28年9月3日 頓首再拝>

小林よしのり先生のブログなどを読む - 伝統

2016/09/09 (Fri) 18:28:14


      *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成28年9月8日)より


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

世論誘導に簡単に乗る「生前退位」支持派の人々
──小林よしのり先生のブログなどを読む

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「生前退位」論議がどんどん先走りしている。

ご意向の実現には典範改正か特措法かという議論もさることながら、
こんどはNHKの報道が今年の新聞協会賞に選ばれたという。

たしかに「国民的議論を提起した。与えた衝撃は大きく、
皇室制度の歴史的転換点となり得るスクープ」(授賞理由)かも知れない。

だが、もともと宮内庁関係者によるリークだろうし、
それどころか宮内庁幹部たちが仕掛け人ともいわれる。

格調高い皇室報道というにはほど遠く、
不審さがぬぐえないスクープは、受賞に値するのだろうか。

それにしても、どうにも分からない。
陛下の本当のお気持ちは「生前退位」(「退位」「譲位」ではない)なのか。

ビデオ・メッセージは、なぜ「生前退位」の表明と簡単に解釈されているのだろうか。

 
ここでは「生前退位」支持派の代表格といえる漫画家の
小林よしのり先生のブログ〈http://yoshinori-kobayashi.com/category/blog/〉などを読み、
検証してみたい。

結論からいえば、根拠らしいものはほとんどないように見える。
メディアを利用し、「生前退位」論議を仕掛けたらしい知恵者の誘導に、
まんまと乗せられているのではないか。

あるいは逆に、陛下のお気持ちとされるものに便乗しているのか。


▽1 報道に一片の疑問も感じていない不思議

NHKがスクープした先月13日、小林先生はさっそく
「おそるべき天皇、生前退位の真相」〈http://yoshinori-kobayashi.com/10725/
を書いている。

ブログは冒頭、
「天皇陛下が『生前退位』のご意向を示されたという報を聞いて、思わず身震いした。
まったくおそるべき陛下です」に始まる。

この日、夜7時のNHKニュースは、
「天皇陛下が、天皇の位を生前に皇太子さまに譲る『生前退位』の意向を
宮内庁の関係者に示されていることが分かりました。数年内の譲位を望まれている……」
と伝えた。

ほかのメディアも後追いし、たとえば朝日新聞は、
「天皇陛下が、天皇の位を生前に皇太子さまに譲る『生前退位』の意向を示していることが、
宮内庁関係者への取材でわかった」と伝えている。

陛下への直接取材は不可能だから、あくまで「宮内庁関係者」を通じた二次情報なのだが、
小林先生のブログでは、ご意向は明々白々な既成事実となってしまう。

ブログは「このご意向を、このタイミングで発表されたこと自体に、
陛下のおそるべき覚悟を察しなければなりません」と続く。

「このタイミング」とはどういうタイミングなのか、わかりづらい。
しかも「発表」ではなくて「リーク」だろう。
「リーク」なら「陛下の覚悟」とはいえない。

それとも陛下が「リーク」させたのか。そんなことはないだろう。

先生は、8月4日のブログでは、「男系男子」にこだわる日本会議を「国賊集団」と罵倒し、
最大級の激しい批判を加えているのに、議論のきっかけとなった「生前退位」報道には
一片の疑問すら感じていないらしい。不思議といわねばならない。


▽2 「生前退位」なる皇室用語はない

もともと「生前退位」なる皇室用語はない。
NHKニュースには「譲位」もあるが、同義とみるべきだろうか。
同じ意味なら、なぜ「譲位」と表現せずに、聞き慣れない新語を用いるのか。

誰がそう表現したのか。陛下か、「宮内庁関係者」か、それともNHKか。

8月28日のメルマガに書いたように、
国会審議では昭和58年3月に参院予算委で江田五月議員が使用したのが最初らしい。

その後、国会答弁に立った宮内庁幹部は「生前退位」という表現を避けてきた。

昭和天皇はたいへんお元気である。
皇室典範は退位の規定を持たない。
天皇の地位を安定させるためには退位を認めないことが望ましいと承知している。

摂政、国事行為の臨時代行で対処できるから皇室典範を再考する考えはない、
というのが当時の宮内庁の姿勢だった。

今日とはまったく正反対である。

だとすると、なぜいま「生前退位」なのか。
先例が破られ、方向転換するのは、ご意向だからなのか。

昭和40年代、昭和天皇が、側近が進める祭祀簡略化に対して、
「御退位」「御譲位」のご意向を示されたことが「入江日記」(昭和48年2月9日)に
記録されているが、当時の宮内庁当局者は実現しようとはしなかった。

まして先帝と同様、皇室の伝統を大切にされてきた今上陛下がみずから、
歴史にない「生前退位」と仰せになるとは思えない。

とすれば、陛下のお気持ちを、誰かがある種の意図をもって、
「生前退位」と言い換えたのであろう。

少なくとも、陛下のご意向とされているものと本当のお気持ちとは別だ、
と考えなければならないのではないか。

今上陛下が「生前退位」のお気持ちを示されたのではなくて、
陛下のお気持ちが「生前退位」と表現されたのであろう。
それは誰によってなのか。

「宮内庁関係者」か、NHKか。目的は何なのか。

私ならどうしてもそのように推論せざるを得ないのだが、
小林先生はまるで火を見るより明らかだといわんばかりに、
陛下の「生前退位」のご意向を慮り、皇室典範改正論議へと大胆に話を進めている。

「現行の『皇室典範』は天皇の譲位を認めていないため、
天皇陛下のご意向をかなえるには『典範改正』は必須です」

正確にいえば、日本憲法第2条は
「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、
これを継承する」と定めている。

だが、現行の皇室典範には退位規定がない。
そのため典範改正が必要だという先生流の結論が導かれるのだろう。

 
しかし、そうでもない。


▽3 つきまとう胡散臭さ

小林先生と同様、「生前退位」支持派の1人に所功先生がいる。
両先生は女系継承容認でも一致している。

そのお二人の対談が「週刊ポスト」8月5日号
http://www.news-postseven.com/archives/20160725_432414.html?PAGE=1#container
に載った。

小林先生が「皇太子殿下が継ぐのだから、そのあとは直系の子である
愛子さまが継ぐのがいちばん自然だ。男系絶対という古い風習に囚われるべきではない」
と持論を展開すると、

所先生は「いまはまず、陛下のご意向実現を最優先に考え、皇室典範第4条を
終身在位に限らず、生前退位を可能にするよう的を絞るべきだ」と応じている。

所先生もまた、「生前退位」報道を無批判に受け入れているらしいことが分かる。

そういえば、「女性宮家」創設論議のきっかけとなった読売新聞の特ダネでも、
同様のことが起きたのを思い出す。

「羽毛田長官が野田首相に伝えた」というスクープは長官本人によって強く否定された。
歴史に前例のない「女性宮家」を、いったい誰が、何の目的で言い出したのか。

提案者がかげに隠れたまま、わずか数か月後には有識者ヒアリングがスタートし、
男系維持派と女系継承容認派との甲論乙駁が繰り返された。

 
そして、いままた両者の対決が始まったのである。

皇室制度は国家の基本中の基本である。
であるからには、その変更には公明正大な議論が望まれる。
それなのになぜこうも胡散臭さがつきまとうのか。


▽4 退位が認められない理由

話を戻すと、皇室典範改正は簡単ではない。

所先生も代表編者として参加し、まとめられた『皇室事典』(皇室事典編集委員会、平成21年)
には次のように説明されている。

「退位規定 『皇室典範』に退位条項はない。天皇の地位は国民の総意に基づくものとされ、
天皇個人の発意があっても『国民統合の象徴』は、国民の総意がなければ退位できない
と解される。

『皇室典範』の審議過程で天皇の自由意思で退位を認めるとすれば、
退位に対応する即位辞退の自由も認めなれれば一貫しない。
即位は憲法、典範の規定に基づいており、象徴の安定性からいっても自由意思は認められない。

退位や即位の自由を認めれば、誰も即位しないことも考えられ、
皇位は不安定になるなどとして、退位規定は入れられなかった」

この項目の執筆者は高橋紘・元共同通信記者(故人)である。
高橋氏も女系継承容認派の1人だった。

小林先生は7月13日のブログで、「皇室典範改正は国会が決めること」で、
「天皇陛下が直接、改正を要求できない」ので、

「ご高齢になったことから、『憲法に定められた象徴としての務めを
十分に果たせる者が天皇の位にあるべきだ』として譲位のご意向を表明された」
とお気持ちを推量している。

だが、少なくとも『皇室事典』によれば、天皇の自由意志による退位を認めない
というのが憲法および皇室典範の精神なのである。

陛下はお言葉で
「象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ」
られたが、制度的安定のために「生前退位」を法制化し、
その結果、皇位の不安定化を招くとしたら、矛盾以外の何ものでもないだろう。


▽5 お気持ちの尊重ではなく便乗か

陛下のご意向を想像するのは自由だが、匿名のリークを元にし、
歴史に例のない「生前退位」なる造語で伝えられたご意向報道を鵜呑みにするかのように、

小林先生は、「現在の状態で譲位すると次の皇太子がいないという事態になります」
「典範改正となると、女性天皇・女性宮家を認め、愛子さまを皇太子にしよう
という議論が浮上しないわけにはいきません」と議論をどんどんエスカレートさせている。

繰り返して強調するが、「生前退位」なる言葉は少なくとも皇室の歴史にはない。
皇室の伝統を重んじる陛下ご自身が「生前退位」と仰せになるとは思えないし、
かつての宮内庁は「生前退位」を避けてきた。

とすれば、ご意向を「生前退位」と言い換えて表現した誰かがいるはずで、
報道を丸呑みにすることはできない。

まして、女系継承=「女性宮家」創設容認論へと引き込むのは我田引水そのものだろう。
陛下のご意向を尊重するのではなくて、逆に便乗していることにならないか。

小林先生は8月8日のブログでは、政府内で浮上した特別立法案に反対を表明している。
いわく、「なんとしても『皇室典範改正』を妨害したいらしい。
典範改正の折に、女性宮家を創設せざるを得なくなることを恐れているのだ」。

さらに8月21日のブログでは、「これは天皇陛下と安倍政権の戦争なのである」と、
安倍内閣の特別立法案に敵対姿勢を一段と強めている。

小林先生の反対表明は理解できなくもないが、「生前退位」論議を超えて、
女系継承容認=「女性宮家」創設を実現させたい
先生ご自身の並々ならぬ決意を浮かび上がらせる。


▽6 息を吹き返した女系継承容認論

小林先生が7月13日のブログで、
「天皇の譲位が禁止されたのも、女性天皇が禁止されたのも、たかだか
明治の皇室典範からのことで、長い皇室の歴史から見れば、わずかな期間に過ぎないのです」
と解説するのはなるほど正しい。

けれども、いままさに議論されている「生前退位」(「退位」「譲位」ではない)は、
ご公務をなさる天皇の行動主義が前提となっているのであり、
天皇がほとんど御所からお出ましにならなかった近世まではあり得なかった。

明治になり、ヨーロッパの王制に学んで近代君主となり、
行動主義を原理とするようになったからこそ、
高齢化に伴う制度のあり方が問われるのである。

古来の祭り主というお立場から立憲君主となった明治以後の天皇のあり方を否定するのなら、
「国会議員は、今度こそ天皇陛下のご意向をくんで、
皇室典範の改正を行わなければなりません!」(7月13日のブログ)とは
別の選択肢もあり得るだろう。

ところが、現実は、NHKのスクープによって、
すっかり下火になったはずの女系継承容認=「女性宮家」創設論を
ふたたび燃え上がらせたのである。

リークの目的は、「生前退位」のお気持ち実現より、むしろそこにあったことを疑わせる。

そして果たせるかな、小林先生らの女系継承容認論が息を吹き返したのである。

だから胡散臭いのである。
女系継承容認論者にとっては待ちに待ったチャンス到来であり、
お気持ち報道のいかがわしさなど、どうでもよいということになるのだろうか。


▽7 お言葉は「生前退位」の表明か

8月9日のブログは、前日、陛下のビデオ・メッセージを拝した先生の感想である。

「天皇陛下のお言葉を聞いて、ただただご希望どおりにして差し上げたいと思ったのは、
わしも一般国民とまったく同じである。

陛下のこれまでの『全身全霊』の国民のためのお務めに、素直に感謝しているから、
そのお礼に皇室典範を改正してあげたい。政府は早急にこれに取り組んでほしい。

そう願わずにはいられなかった」

 
いかにも忠良なる臣民を思わせる文章だが、ここには「生前退位」の「せ」の字もない。
陛下はお言葉で「生前退位」のお気持ちを表明された、と完全に信じ切っているからか。

マスメディアもおおかた同様だから、仕方がないかも知れない。

 
しかしお言葉は正確には「象徴としてのお務めについての……」と題され、
「生前退位」ではない〈http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12〉。
むろんお言葉のなかに「生前退位」という表現は用いられていない。

NHKのスクープ報道に由来する先入観念を排して、お言葉を素直に読めば、
陛下は「天皇もまた高齢となった場合、どのような(象徴天皇の)あり方が望ましいか」
を問いかけられたのではないか。

陛下は、身体の衰えから象徴としてのお務めを果たしていくことが難しくなるのではないか
と案じられ、一方で、国事行為や公的行為の縮小、摂政を置くことにも疑問を投げかけられ、
また、ご大喪関連行事が長期にわたって続くことにも言及し、懸念を示されたうえで、
象徴天皇の務めが安定的に続くことを念じられたのだ、と私は思う。

 
陛下は仰せになった。

「これから先,従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合,
どのように身を処していくことが,国にとり,国民にとり,また,私のあとを歩む
皇族にとり良いことであるか」

これを「生前退位」の表明と読むのは単純すぎないだろうか。
「譲位」のご意向があるとしても、それはお気持ち全体の一部なのではないか。

一部を拡大解釈し、過去に例のない「生前退位」表明と決め込んで、
その実現のため、やれ典範改正だ、いや特別立法だと突き進み、
あわよくば女系継承=「女性宮家」創設をも実現しようと企てる、
匿名の仕掛け人たちの思惑に乗って社会が動いていくことに、私は大きな危険性を感じる。

小林先生はどうだろうか。

http://melma.com/backnumber_170937_6417671/

           <感謝合掌 平成28年9月9日 頓首再拝>

所功先生の見方についての検証 - 伝統

2016/09/17 (Sat) 18:34:01


      *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成28年9月16日)より

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ご意向=「生前退位」と解釈する所功先生の根拠 前編
──非歴史用語をあやつる歴史研究家

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


前回は、漫画家・小林よしのり先生のブログをテキストに、
陛下のお気持ち=「生前退位」(「退位」「譲位」ではない)と解釈する根拠と
問題点について考えました。

結局のところ、根拠らしいものは何も見出せませんでした。
つまり、メディアの報道を鵜呑みにしているとしか受け取れないのです。

いや、本当にそうなんでしょうか。
5年前、読売新聞の「特ダネ」に端を発した「女性宮家」創設論議でも
同じようなことが起きましたが、知識人クラスでも案外、マスコミ情報を
批判的に読めないということなのでしょうか。


今回は、小林先生と同様、女系継承=「女性宮家」創設容認論者の1人であり、
かつ「生前退位」支持派でもある所功先生の見方について、検証してみます。

テキストに取り上げるのは、「多言語発信サイト」と称する「nippon.com」掲載の
「天皇陛下『生前退位』のご意向と実現への展望」
http://www.nippon.com/ja/currents/d00232/?pnum=5〉です。

この記事は末尾に「7月30日 記」とありますから、
8月8日のビデオ・メッセージの前に書かれたことが分かります。

陛下のお言葉を拝する以前の先生のお考えですが、先生は丸呑みどころか、
すっかりNHKの広報部員、もしくは巷間、仕掛け人と目されている
老獪な黒幕たちの代弁者にでもなってしまったかのような印象が否めません。


▽1 論点は「高齢化」だけなのか

7月13日の夜、先生は「天皇陛下『生前退位』のご意向」と伝えるNHKの報道に接し、
「まさにビックリ仰天した」そうです。

その後、「報道の全文を何度も読み直し、また(NHKの)担当者から説明を受けて、
内容は『ご意向』に近いと信じて差し支えないと考えるに至った」と打ち明けています。

そのうえで先生は、マスコミの取材に答え、次のように感想を述べました。

「象徴天皇制度が存続していくための最も根本的で重大な問題を提起されました。
(近現代の皇室制度が作られた)当時は予見できなかった高齢化・長寿化が
急速に進行していますから、21世紀の現実にそぐわない制度の改革(典範の改正)は、
そろそろしなければなりません。今こそ数十年先を見通した議論が必要です」

不明なのは、「重大な問題提起」をしたのは誰かです。
主語が抜けています。
国語的には「陛下は」と解釈されるところですが、そのように断定していいものなのかどうか。

また論点は、「高齢化・長寿化」だけではないと私は思います。
それは天皇がお出ましになり、ご公務をなさるという優れて近代的な皇室の行動主義です。

ご高齢になっても「ご活動」を止めるに止められない。
だから陛下は苦悩されるのでしょう。
そもそも象徴天皇のお務めとは何か、が本質的に問われているのだと思われます。

将来を見据えた「議論が必要」なのは仰せの通りでしょうが、
それは国民主権を前提とした発想だということも同時に指摘されなければなりません。

皇位継承問題は本来、国民的議論に馴染むテーマだと、先生はお考えでしょうか。
皇室制度の安定、皇位の安定のために、という目的を重要視するなら、
むしろかつてのように皇室典範を「皇家の家法」に戻すべきではないかと私は考えます。


▽2 なぜ宮内庁は抗議しないのか

先生が報道の内容を「『ご意向』に近い」と考えた根拠は、
「(国民が)ほとんど好意的に受け止めている」ことに加えて、
報道に抗議しない宮内庁の反応だ、と説明されています。

「宮内庁の風岡典之長官も、表向きに関与してないと言い訳しながら、
報道の核心を否定していないから、おおむね事実だとみられる」と先生は推理しています。

しかし報道によれば、「報道の核心を否定していない」のではなく、全面否定したのです。
その夜、宮内庁次長は取材に応じて、「報道されたような事実は一切ない」と述べ、
長官も「次長が言ったことがすべて」と否認したとされます(朝日新聞)。

ただし、正式な抗議をしてはいません。問題はそこでしょう。
報道を全面否定するなら、なぜ宮内庁として正式に抗議しないのか。

そしてこれまた読売新聞の「女性宮家」スクープと似ています。
「宮内庁が野田首相に要請」「長官が首相に伝えた」を長官は強く否定しましたが、
宮内庁が正式抗議したとは聞きません。

言い出しっぺが不明のまま、国民的議論は始まったのです。

メディアが伝えた「ご意向」は匿名の「関係者」を仲介にした二次情報であり、
宮内庁トップは全否定しています。
むろん真偽を直接、陛下に確認することはできません。

事実なら、なぜ正式ルートをとらないのか。
前代未聞のリークと思われる情報の出所はどこなのか。
リークの目的は何か。

当局者はなぜ報道を否定するのか。

どこまでが事実で、どこからは事実でないのか。
スッキリしません。

とりわけ釈然としないのは、「生前退位」という表現です。
歴史家なら、「生前退位」という皇室用語がないことなど先刻承知のはずで、
なぜ「生前退位」と表現されるのか、疑問視してもいいはずなのに、
所先生は完全にスルーしています。なぜでしょう。

それどころか、「すでに何年も前から当事者・関係者が検討を重ね、
数年先まで見通した精緻な内容であることに、率直なところ感心するほかない」
と先生は絶賛しています。

「関心」すべきなのは、「内容」か、それともリークという手法でしょうか。


▽3 宮内庁が全面否定した理由

所先生は、NHKの第一報を10のポイントに分け、それぞれ解説を加えています。
その流れに沿って、以下、それぞれ検証してみることにします。

(1)天皇陛下が皇位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」の意向を、
   宮内庁関係者に示されていることが分かった。数年以内の譲位を望まれている
   ということで、陛下自身が広く内外にお気持ちを表す方向で調整が進んでいる。

   この点について、所先生は、陛下は「生前退位」のご意向を、身内の方々だけでなく、
   「宮内庁関係者」にも示されたといわれる。

   にもかかわらず、宮内庁が関与を否定したのは、
   「ご意向」実現には「皇室典範」の改正という政治的要素がからむからだ、
   と説明しています。

   憲法上、天皇は「国政に関する権能を有しない」とされており、
   側近としては距離を置いたに過ぎないというわけです。

   だから、「(陛下)自身が広く内外にお気持ちを表す」場合も、
   「生前退位」に直接言及することはないだろうと先生は予測しています。

   しかし、宮内庁は「関与を否定」したのではなくて、「事実」を全面否定したのです。

   先生は、NHKの報道を宮内庁幹部が否定した理由を説明し、
   憲法上の理由を挙げているのですが、だとしたら、なぜ
   宮内庁は典範改正が求められるような「ご意向」実現へと動くことになったのか。

   そのこととNHK報道とはどう結びつくのか。

   一部で囁かれているように、仕掛け人はほかならぬ宮内庁で、
   「宮内庁発表」の形をとれば憲法に抵触するおそれがあるので、
   メディアにリークして、「お気持ち」を国民に知らせる間接的手法が
   採られたという理解でしょうか。

   老練な宮内庁当局者によるメディア利用なのか、
   それとも宮内庁とNHKの出来レースか。

   先生は「何年も前から検討を重ね、数年先まで見通した精緻な内容」と
   絶賛していますが、だとしたら、なぜ「退位」ではなく、「生前退位」なのか。
   「検討を重ね」たのなら、「退位」を使わない深謀遠慮は何でしょう。

   かつて宮内庁は「生前退位」という表現を避けていたはずです。
   それどころか、「退位」を否定していたのではありませんか。


▽4 ご負担軽減に失敗した宮内庁の責任は?

(2)陛下は昭和天皇の崩御に伴い、55歳で、現行憲法の下、
   はじめて「象徴」として即位された。

   現代に相応しい皇室のあり方を求めて、新たな社会の要請に応え続けられ、
   公務の量は昭和の時代に比べ、大幅に増えている。


(3)天皇の務めには、国事行為のほかに、象徴的行為があると考えられ、
   陛下は式典の出席や被災地のお見舞いなどに臨まれてきた。
   また、公務には公平の原則が大切だとして、大きな変更をなさらなかった。

   これについて、所先生は、陛下が即位以来、
   「象徴天皇とは何をなすべきか」をつねに考えてこられたこと、
   天皇の務めには国事行為、公的行為、祭祀行為の3つがあること、
   年中ほとんど休まれる暇がないこと、を補足しています。


   問題は、公的行為と宮中祭祀です。

   公的行為として、先生は国体などの三大行幸ほか、各種式典、被災地へのお出まし、
   国賓・公賓の歓迎、大使・公使の慰労、外国御訪問などをあげていますが、
   これらはとくに法的基準があるわけではありません。

   陛下みずから象徴に相応しいご公務をお考えになり、
   社会の要請に応えられてきたと説明されているのは、裏返していえば、
   明文法的規定がないことの何よりの証明です。

   要請があれば陛下はお断りにはなりません。
   しかも公平の原則を重視されますから、役所の各種イベント、
   メディア主催の展覧会など、お出ましはどんどん際限なく増えることになります。

   とくに多いのが拝謁で、宮内庁がもっとも気にかけていました。
   春秋の勲章受章者の拝謁はほぼ1週間続きます。

   今年6月、今上陛下は皇后陛下とともにラグビーの国際試合を観戦されましたが、
   夜8時を過ぎてのご公務を調整したのは、親善試合を後援した大手新聞社なのか、
   それともラグビーフットボール協会名誉会長の地位にある元首相なのか。

   いずれにせよ、これでは7年前の中国国家副主席ごり押し特例会見を批判できません。

   こうして、平成20年の御不例をきっかけとして始まった
   ご公務ご負担軽減策にもかかわらず、ご公務の件数は増え続けました。
   つまり、ご公務には法的基準も歯止めもないことこそ、注目されなければなりません。

 
   他方、古来、天皇第一のお務めとされた宮中祭祀は現行憲法下では私的行為とされ、
   陛下のご高齢、ご健康問題を理由に、真っ先にご負担軽減の対象とされました。
   皇室の伝統を重んじる陛下としては断腸の思いだったに違いありません。

   ご公務に法的基準がないなら、当然、軽減策にも基準はあり得ません。
   そして、軽減策はものの見事に失敗したのです。
   それは誰の責任なのでしょうか。

   所先生はご負担軽減策の失敗も宮中祭祀簡略化も一顧だにせず、
   モヤモヤ感の残る「ご意向」実現へとひた走るのでした。


▽5 宮内庁は「退位」否定から容認へ転じたのか

(4)昨年の誕生日会見で、陛下はご自身の老化を率直に認められた。

   別の宮内庁関係者は「象徴としてのあるべき姿が近い将来体現できなくなる
   という焦燥感やストレスで悩まれているように感じる。
   象徴であること自体が最大の負担になっているように見える。
   譲位でしか解決は難しいと思う」と話している。

   所先生は、この「別の関係者」について、
   「誰かは分からない。あるいは分からないことになっている」とし、
   そのうえで、陛下の苦悩を国民に知らせる必要があると考えたのだろうと推測しています。

   まず、取材に応じ証言した内部関係者は複数いることになります。
   また、後追いしたメディアも、「関係者への取材でわかった」と伝えていますから、
   「関係者」は特定できるのでしょう。

   それならなぜ実名報道しないのか。
   もしやこの「生前退位」報道は、宮内庁とNHKほかメディアの
   出来レースではないのでしょうか。

   また、「関係者」の発言で、「譲位」と表現されているのは注目しなければなりません。
   「生前退位」=譲位という解釈なら、なぜ「生前退位」とわざわざ表現され
   なければならないのか。

   皇室用語にない「生前退位」と表現したのは
   「宮内庁関係者」なのか、それともNHKなのか。

   国会では「生前退位」について3回、審議されたことがありました。

   昭和59年4月17日の参院内閣委員会では、山本悟次長が、
   皇室典範は退位の規定を持たない。
   天皇の地位を安定させるためには退位を認めないことが望ましいと承知している。

   摂政、国事行為の臨時代行で対処できるから
   宮内庁としては皇室典範を再考する考えはない、と答弁しています。
   質問者は「生前退位」という言葉で表現したのに対して、宮内庁はこれを避けました。

 
   平成になって「生前退位」が取り上げられたのは、4年4月7日参議院内閣委員会で、
   これが最後ですが、13年11月13日の参院共生社会に関する調査会で、
   羽毛田次長(のちの長官)が、「退位」制度の導入を訴える議員の質問に対して、
   「私どもは考えていない」と答え、あらためてきっぱりと否定しています。

 
   今回の報道で、NHKはこの調査会答弁を、
   「『生前退位』が認められていない理由」として伝えていますが、
   質問者も次長も「退位」と表現しているのであって、「生前退位」ではありません。

   報道は明らかに事実に反するだけでなく、
   NHKは「生前退位」=「退位」と理解していることが分かります。

   それならなぜ「退位」を使わないのか。

   さて、NHKの「生前退位」報道は、もし宮内庁が仕掛け人だとすれば、
   宮内庁は「退位」否定から「生前退位」容認へと方向転換したということ
   なのでしょうか。

   それとも路線変更ではなくて、これまで「退位」を否定してきた立場から、
   陛下の強い「ご意向」を前に、方針決定の判断がつかず、「距離を置いた」どころか、
   「我、関せず」とばかりに、国民の前に丸投げし、責任逃れしているのでしょうか。

   もしかしたら、「ご意向」を楯にして、国民に問いかけることで、
   責任を陛下と国民に押しつけられる。劇的な路線変更がおきたときの免罪符にできる、
   との読みがあるのでしょうか。

   この点については、後編であらためて検証することにします。

     (後編に続く)

  (http://melma.com/backnumber_170937_6421087/

           <感謝合掌 平成28年9月17日 頓首再拝>

所功先生の見方についての検証(後編) - 伝統

2016/09/20 (Tue) 18:51:10


      *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成28年9月18日)より

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ご意向=「生前退位」と解釈する所功先生の根拠 後編
──歴史家の良心を失わないでください

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


(前編から続く)

▽6 「5年ほど前」ではなく「7年前」

(5)ご意向は皇后さまや皇太子さま、秋篠宮さまも受け入れているという。
   陛下がお考えを示されたのは5年ほど前で、以来、変わっていないという。

   なぜ「5年ほど前」なのか、所先生は何も説明していません。

   NHKの報道では、「ご意向」が示された背景にあるのは陛下の「ご高齢」で、
   「象徴としての務めを果たせるものが天皇の位にあるべきで、
   十分に務めが果たせなくなれば譲位すべきだ」というお考えを
   一貫して示されてきたと説明されていますが、所先生はここでは触れていません。

   陛下は即位以来、皇室の伝統と憲法の規定とを重視してこられましたから、
   むしろ「祭祀を十分に行い、ご公務を十分に果たせる者が」と
   お考えなのだろうと私は思います。

   つまりNHKの報道は「祭祀」が抜けています。

   「祭祀」は「皇室の私事」であり、憲法の政教分離の原則上、国は介入できない、
   といういつもの判断があるからなのか、ともかく「ご意向」が曲げて伝えられている
   可能性を私は疑っていますが、所先生の言及はありません。


   ○ご公務や祭祀のあり方を問われているのではないか

   陛下の「ご意向」が示されたのは、毎日新聞や「週刊新潮」が伝えるところでは、
   「5年ほど前」ではなくて「7年前」に遡ります。

   21年、御所と東宮との間にすきま風が生じていたころ、
   陛下と皇太子殿下、秋篠宮殿下による3者会談が実現しました。

   つまり、ご公務ご負担軽減策、そして平成の宮中祭祀簡略化が始まったころと
   時期的に重なります。全国植樹祭など三大行幸啓はご臨席のみでお言葉は「なし」となり、
   宮中祭祀は、皇室第一の重儀とされる新嘗祭が簡略化され、旬祭の親拝が減らされました。

   24年、心臓手術成功のあと、「天皇の任が果たせないならば」と
   陛下は「ご意向」を漏らされるようになったといわれます。

   医師団の判断で、過度な肉体的負担を避けなければならなくなったからでしょうか。

   同年6月に風岡典之長官が就任すると3者会談は定例化し、
   長官もオブザーバーとして同席し、「ご意向」を聞き及ぶことになったようです。

   今年5月、これまで以上のご負担軽減策が提示されると、
   陛下はことのほか強い難色を示され、「軽減策を出すのなら、なぜ退位できないのか」
   と反論されたと伝えられます。

   そうだとすれば、陛下は「退位」ではなくて、まして「生前退位」ではなくて、
   行動主義に基づく「ご公務」や祭祀のあり方を問われているのではないでしょうか。

   その後、押っ取り刀で、宮内庁トップ2人と侍従職トップの2人、
   それに皇室制度に詳しいOBによる「4+1」会合が開かれるようになり、
   内閣官房副長官とのすりあわせも行われ、両陛下にも報告されてきたとされています。

   検討課題は、皇室典範改正、元号、退位後の呼称などといわれますが、
   ご公務のあり方についてはテーマとされたのかどうか。
   なぜ「生前退位」ばかりがスクープ報道されることになったのか。

   先生は疑問をいだかれないのでしょうか。


▽7 「ご意向」ではなくて宮内庁の「検討」課題

(6)現行制度では「生前退位」は認められていないが、
   「摂政」を置くことが認められ、「国事行為の臨時代行」が行われている。

(7)明治の皇室典範は、歴史上、譲位が強制され、政治的混乱が起きたことなどを理由に、
   皇位継承を天皇の崩御に限定した。現行の皇室典範にも引き継がれている。

   宮内庁は「生前退位」が認められない理由について、
   恣意的な退位への懸念などを挙げてきた。

   これについて、所先生は、近代以前の「生前退位」が
   「強制」や「恣意」による恐れもあったと考えられたからだと説明しているのですが、
   歴史上、「生前退位」はあったのでしょうか。

   歴史にあるのはあくまで「譲位」「退位」でしょうが、
   歴史家のはずの先生はこれまた言及していません。


   ○「生前退位」を避けてきた宮内庁

   以前、国会では「生前退位」について3回、審議されたことがあると書きました。
   いずれも参議院で、(1)昭和58年3月18日予算委員会、
   (2)昭和59年4月17日内閣委員会、(3)平成4年4月7日内閣委員会の3回です。

   (2)では、山本悟次長が、皇室典範は退位の規定を持たない。
   天皇の地位を安定させるためには退位を認めないことが望ましいと承知している。

   摂政、国事行為の臨時代行で対処できるから宮内庁としては皇室典範を
   再考する考えはない、と答弁しています。
   その際、宮内庁が「生前退位」という表現を避けていることは注目すべきです。

   平成の時代になって、国会で「退位」が話題になったのは12回で、
   うち宮内庁幹部が答弁した直近のケースは、13年11月21日の
   参院共生社会に関する調査会です。

   羽毛田信吾次長(17年4月から長官)は、退位制度導入を訴える
   高橋紀世子議員(三木武夫首相の長女)に対し、退位が認められない理由を挙げたうえで、
   「現在の段階で退位制度を設けるというようなことについては私どもは考えていない」
   と答弁しています。

   このように昭和の時代も、平成になってからも、「退位」を否定しただけでなく、
   「生前退位」という表現を避けてきたのが宮内庁です。


   ○ご意向の前に「生前退位」を検討していた宮内庁

   ところが、です。「週刊現代」平成17年5月21日号によると、
   同年6月のサイパン御訪問の強行スケジュールが陛下にはかなりのご負担であることから、
   「生前退位」検討の動きが庁内に出ていると関係者が証言しているというのです。

   この報道が正しいとなると、3者会談で陛下が「ご意向」を漏らされたとされる
   はるか以前に、ほかでもない宮内庁当局者が「生前退位」を検討していたことになります。

   ちょうど小泉首相の私的諮問機関である皇室典範有識者会議が開かれていたとき、
   羽毛田長官の時代で、会議での議論を望む声もあったとされています。

   宮内庁内でいったい何が起きたのでしょうか。

   いわゆる「皇統の危機」を背景に、政府・宮内庁内に皇位継承に関する
   非公式研究が段階的に進められ、16年5月には女性天皇を容認する
   極秘文書がまとめられたといわれます。

   政府部内では、女帝容認・女系継承容認と「女性宮家」創設が
   一体の形で議論されてきたようです。

   同年末には皇室典範有識者会議が発足し、典範改正は公式検討に移行しました。
   17年6月のヒアリングでは所先生が女系継承容認、「女性宮家」創設を提案しています。
   つねに政府サイドで発言する先生の面目躍如です。

   会議の目的は「皇位継承制度の安定的な維持」であり、
   不安定要因である「退位」もしくは「生前退位」が議論された形跡は
   議事録などにはうかがえませんが、宮内庁関係者の間では「生前退位」が
   水面下で話題になっていたのかも知れません。

   羽毛田次長が長官に昇格したのは会議開催中の17年4月で、
   同年11月には女性天皇・女系継承を容認する報告書が提出されました。

   報告書には「女性宮家」の表現はありませんが、婚姻後も皇室にとどまる
   という中身は文章化されています。


   ○「生前退位」法制化に舵を切った宮内庁の真意

   もしかして、「生前退位」は当局による女系継承容認=「女性宮家」創設論と
   つながっているのでしょうか。

   次長時代、「退位」制度の検討を否定していた羽毛田氏が、
   長官就任後、一転して、「生前退位」法制化に大きく舵を切ったように見えるのはなぜか。

   なぜいまになって宮内庁の検討ではなくて、陛下の「ご意向」とされているのか。

   もしや「生前退位」実現は表向きで、仕掛け人の本当の目的はいったん下火になった
   女系継承容認=「女性宮家」創設の議論を再開させ、実現させることではないのか。

   陛下の「退位」表明に、これ幸いと便乗し、皇室典範改正論の復活を号令しよう
   とした人物が複数、いるのではないか。

   国の制度を安定的に維持するため、国の1機関たる天皇の国事行為、
   それと関連するご公務は最優先されなければなりません。

   そのため官僚たちが不安定要因である「退位」を否定してきたのは道理ですが、
   「退位」のご意向を逆手にとり、皇室制度改革に向けて正面突破しようとする
   関係者が、さりとて正式ルートでの発表はできず、代わりにメディアに
   「生前退位」をリークしたとすれば、辻褄は合います。

   期待されたのは安倍政権の政治力です。
   尊皇派が率いる同政権は典範改正には慎重ですが、長期政権化が予想されます。

   支持率も高い安倍政権に「ご意向」を突きつけて、退路を断ち、
   典範改正の実現を強く迫ったというのが真相ではないかと想像します。

   ご意向なら、方向転換の責任も回避できます。
   歴史上、強制や恣意による「退位」とご意向による「生前退位」とは
   別だと考えられているかも知れません。

   ただ、典範改正派と慎重派との抜き差しがたい対立の再現、
   堂々巡りの論争は避けようもありません。
   なればこそ、安倍政権に期待が集まるのでしょう。

   所先生は、NHKの担当者からそのような説明は受けなかったのでしょうか。


▽8 皇室典範改正程度の問題なのか

(8)退位の実現には、皇室典範を改正し、生前退位を制度化することが考えられる。
   あるいは特別立法も考えられる。

   検討すべき課題は多岐にわたるとみられ、いずれにせよ国会での審議は避けられない。

   これについて、所先生は、現行法にない「生前退位」の実現には、
   「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」と定める「皇室典範」第4条を改正し、
   制度化するのが本筋だが、当代かぎりの特別立法も考えられると解説しています。

   しかしその程度の問題なのでしょうか。

   国会審議が避けられないのは、現行制度上は仰せの通りですが、デメリットもあります。
   「皇家の家法」とされてきた皇位継承に、専門知識が乏しく、
   移ろいやすい民の論理を割り込ませることです。

   それは占領期の混乱の再来であり、前代未聞の椿事です。

   明治の皇室典範は宮内庁、枢密院会議で検討され、勅定されました。
   憲法とは違って公布されず、しかし憲法と同格の法規であり、
   憲法が国務法の頂点に立つのと同様、宮務法の頂点に位置しました。
   改正には議会の議決を要しませんでした。

   現行の皇室典範は日本国憲法の下にある1法律に過ぎません。
   改正が必要なら、国会で審議せざるを得ません。

   皇室制度は国民の多数意見によっていつでも変更できることとなったわけです。
   歴史にない女系継承容認も可能です。
   けれども、もはや国民的議論は避けられません。

   ○宮務法体系に代わるものがない

   さらに大きな問題は、戦後、新たな憲法が制定され、天皇=「象徴」と明記されながら、
   この70年、皇室制度の名に値するものが整備されてこなかったことではないでしょうか。

   明治の典憲体制下では、皇室典範を頂点とする宮務法の体系が形成されましたが、
   戦後、新憲法施行とともに、新しい皇室典範は1法律に格下げされ、
   皇室令はすべて廃止されました。

   しかし宮務法体系に代わる新たな法制度はいっこうに形成されませんでした。

   たとえば御代替わりに関しては、かつては登極令(明治42年公布)、
   皇室服喪令(同)、皇室喪儀令(大正15年制定)、皇室陵墓令(同)がありましたが、
   戦後はこれに代わるものがありません
   〈http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/kunaicho/hourei.html〉。

   未曾有の敗戦のあと、「宗教を国家から分離すること」を目的とする、
   苛烈な神道指令が発せられました。

   古来、皇室第一のお務めとされてきた祭祀は
   「皇室の私事」として存続することとなりました。

   「いずれきちんとした法整備を図る」というのが政府の方針だったようですが、
   いまもって果たされぬままです。

   皇室令は全廃され、宮務法の体系は失われましたが、
   日本国憲法施行の前日、宮内府長官官房文書課長の依命通牒、
   いまでいう審議官通達が発せられました。

   「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、
   従前の例に準じて、事務を処理すること」(第3項)。

   これによって皇室祭祀令および附式に記された宮中祭祀の祭式は占領下でも、
   社会党政権下でも、存続することとなりました。

   しかし独立回復で神道指令などが効力を失ったのちも、
   かつての宮務法体系に代わる象徴天皇制度の法体系が整備されることは
   ありませんでした。明文法的基準がないのです。

   日本法制史の専門家である所先生は、なぜその点を問いかけないのですか。
   それどころか、「生前退位」がご意向だと信じ込み、
   典範改正論議の再開を目の前にして、喉を鳴らしているかのように見えます。


   ○絶大なご意向の威力

   昭和40年代以降、入江相政侍従長の独断専行で祭祀簡略化が起こり、
   さらに富田朝彦長官が登場すると、政教分離の厳格主義によって
   祭祀改変が一段と進みました。

   古来、祭り主とされてきた天皇は制度上、
   日本国憲法に基づく象徴以外の何ものでもなくなったかのようです。

   現在の宮内庁にとって、宮中祭祀は占領軍と同様、「皇室の私事」です。

   依命通牒第3項によって守られてきた、天皇第一のお務めである祭祀は、
   ほかならぬ依命通牒の第4項「従前の例によれないものは、当分のうちの案を立てて、
   伺いをした上、事務を処理すること」によって、祭式の変更が余儀なくされました。

   判断基準は政教分離であり、最大の変更は毎朝御代拝でした。

   宇佐美毅長官の時代、皇太子殿下(今上天皇)の賢所での御結婚の儀は
   「国の儀式」(天皇の国事行為)とされたのに、続く富田長官の時代には
   宮内官僚の祭祀への関与が敬遠されることとなり、
   平成の御代替わりでは大嘗祭は「皇室の行事」とされたのです。

   皇室典範有識者会議が開かれていたとき、議論の行方を憂慮された寛仁親王に対して、
   羽毛田長官は「皇室の方々は発言を控えていただくのが妥当」と口を封じました。

   続く風岡典之長官は、「御陵および御葬儀のあり方」を公表し、
   御陵の規模の縮小、御火葬の導入に踏み切りました。
   打ってかわって「両陛下の御意向を踏まえ」との説明でした。

   宮内庁にとって、御葬儀は「皇室の行事」です。「国の行事」ではありません。
   政教分離の厳格主義に基づいて、国の行事と皇室行事との分離挙行という
   昭和の先例踏襲が早くも宣言されたのです。検討過程は非公開でした。

   議論らしい議論が起きなかったのは「ご意向」の絶大な威力によるのでしょう。
   これに味を占めたのか、今回の「生前退位」実現も「ご意向」が出発点とされています。

   蛇足ながら、昭和28年1月、秩父宮雍仁親王が薨去されました。
   親王は遺書に「遺体を解剖に伏す」「火葬にする」「葬儀は無宗教で」と綴られており、
   「遺志を尊重するように」との昭和天皇の勅許を得て、親王喪儀が簡略化された
   神道形式で行われたあと、一般告別式は無宗教で執行されました。


▽9 近代日本に「皇太弟」はいない

(9)皇太子さまが即位されると秋篠宮さまが皇位継承順位1位に繰り上がるが、
   皇太子にはなれない。このため秋篠宮さまの位置づけも検討の対象となる。

(10)皇太子さまが即位されると、新たな元号に改められる。

   これについて、所先生は、皇太子殿下が皇位を継承されたのち、
   弟君の秋篠宮殿下は皇位継承順位1位になっても、「皇嗣たる皇弟」と位置づけられず、
   皇太子不在になるので、

   第8条「皇嗣たる皇子を皇太子という。
   皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という」の改正も避けられない、
   と解説しています。

   けれども、天皇・皇室史に詳しい所先生なら百も承知でしょうが、
   皇太子不在は歴史的に珍しいことではないと思います。

   そしてこれは皇位継承問題というより、皇太子不在によって東宮職が廃止され、
   官僚たちも不要になり、職を失うという官僚たちの失業問題なのではありませんか。

 
   明治以後を見てみると、明治天皇の践祚は慶応3(1867)年1月、
   即位の礼は明治元(1868)年8月で、

   嘉仁親王(明治12年8月生まれ。のちの大正天皇)が立太子されたのは
   明治22年11月、この間、約20年にわたり、皇太子は不在でした。

   大正天皇の践祚は大正元(1912)年7月、即位の礼は大正4(1915)年11月でした。
   裕仁親王(明治34年4月生まれ。のちの昭和天皇)の立太子の礼は
   翌5年11月に行われました。

   旧皇室典範下では、立儲令(明治42年)に
   「皇太子を立つるの礼は勅旨に由り之を行う」(第1条)などと定められていました。

   昭和天皇の践祚は昭和元(1926)年12月、即位の礼は3年11月で、
   明仁親王(昭和8年12月生まれ。今上陛下)の成年式・立太子の礼が行われたのは
   27年11月です。

   この間、明仁親王ご誕生まで、皇位継承第1位だった、
   昭和天皇の弟君・秩父宮雍仁親王が「皇太弟」と称されたことはあったのでしょうか。

   旧皇室典範は「儲嗣たる皇子を皇太子とす。
   皇太子在らざるときは儲嗣たる皇孫を皇太孫とす」(第15条)と定め、
   「皇太弟」の規定はありませんでした。

   現行皇室典範の第8条は内容をそのまま引き継いでいるだけです。

   今上天皇の皇位継承は平成元年1月で、即位礼正殿の儀は2年11月に行われました。
   徳仁親王(昭和35年2月生まれ。いまの皇太子殿下)の立太子の礼は3年2月でした。

   なお平成の御代替わりでは、「践祚」という用語と概念が消え、
   古代からの践祚と即位の区別が失われました。
   これも明文法的基準が失われた結果です。

   ○歴史家なのか運動家なのか

   所先生は皇室典範第8条の改正の必要性を訴えていますが、
   それよりも立儲令に代わる法的整備の方が求められているのではありませんか。

   旧皇室典範下には、皇族会議令、皇室祭祀令、登極令、摂政令、立儲令、
   皇室服喪令、皇族身位令、皇室財産令、皇族服装令など宮務法の体系が定められ、
   皇室典範自体、明治40年と大正7年の2度にわたって増補が行われています。

 
   以上のようなことは、所先生には常識のはずですが、
   先生はなぜか皇太子不在がさも未曾有の異常事態到来であるかのように喧伝し、
   典範改正が不可避だと力説しています。

   先生の執念は、「生前退位」の「ご意向」実現というより、
   皇室典範改正論議を巻き起こすことの方に重心があるのでしょうか。

   つまり、天皇・皇室の歴史を正確に叙述する歴史家に飽き足らず、
   新たな歴史を切り開くことに意欲満々な運動家と映ります。

   そういえば、女系継承容認=「女性宮家」創設論議のときもそうでした。
   小泉内閣の皇室典範有識者会議に招かれ、歴史にない女系継承容認のみならず、
   「女性宮家」創設をもいち早く提唱したのが、ほかならぬ所先生でした。

   当時の週刊誌は先生を、「女性宮家」創設優先を訴える研究者として
   紹介しているくらいです。「女性宮家」ヒアリングで持論を展開されたのはむろんです。


   ○仕掛け人たちにとっては便利

   それほど「女性宮家」創設論のパイオニアとして圧倒的存在感を示す先生ですが、
   皇室の伝統を可能なかぎり維持すべきだといいつつ、歴史にない「女性宮家」創設を
   可能にすべきだと訴えるのは論理矛盾です。

   しかも一方で、「継嗣令」や淑子内親王の例を挙げ、
   女系継承や「女性宮家」が歴史にあったかのような議論を展開したのが先生でした。

   先生は「前例はある」と主張したいのか、
   それとも「前例はないが大胆に新例を開くべきだ」と訴えたいのか、
   私にはワケが分かりません。


   今回も同様です。先生が議論しているのは過去に前例のある「退位」なのか、
   それとも歴史に存在しない「生前退位」なのか。

   ただ、新例を開こうとする仕掛け人たちにとっては、
   皇室の歴史と伝統の堅持を高らかに宣言し、そのために歴史の断片を提示したうえで、
   シナリオどおりに表舞台で踊ってくれるような先生はきわめて便利です。

   だから存在感はなおのこと増すのでしょう。

   しかし、歴史家には失ってはならない歴史家の良心があるはずです。
   歴史家である先生にとって、歴史の事実とは何なのか。

   事実の前に謙虚さを保ち続ける歴史家の魂が失われることがないようにと、
   私は心から願わずにはいられません。

    (終わり)

   (http://melma.com/backnumber_170937_6422014/

           <感謝合掌 平成28年9月20日 頓首再拝>

「文藝春秋」今月号の編集部リポートを読んで - 伝統

2016/09/26 (Mon) 19:02:51


      *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成28年9月25日)より

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

結局、誰が「生前退位」と言い出したのか?
──「文藝春秋」今月号の編集部リポートを読んで

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

事実の核心に肉薄しようとする良質なジャーナリズムが
まだまだ日本には生きていると実感しました。
しかし、それでも結局、分からないのです。

この文春リポートのように「譲位」「退位」なら、まだしも理解できます。
けれどもNHKのスクープ以来、議論はすべて「生前退位」です。
誰が、何のために、過去の歴史にない「生前退位」などと言い出したのか。

そしてなぜメディアの特報という経路をたどることになったのか。
それも、ご意向の表明から何年も経っているらしいいまごろになって、です。


▽1 「譲位」を仰せになった瞬間

文春編集部がまとめたというリポートは、
6年前、平成22年7月22日夜の御所で開かれた参与会議の情景を
つぶさに描き出すところから始まります。

この夜、両陛下のほか、羽毛田宮内庁長官、川島侍従長、
3名の宮内庁参与(湯浅元長官、栗山元外務事務次官、三谷東大名誉教授)が集まり、
参与会議が開かれました。

開口一番、陛下は「私は譲位すべきだと思っている」と述べられ、
はじめて御意思を伝えられました。

「譲位」を表明された瞬間でした。

皇后陛下をはじめ出席者全員が反対しました。
摂政案の提示もありましたが、陛下は「摂政ではダメなんだ」と否定されました。

自由な意思で行われなければならないとも仰せになり、
まれに見る激論となったものの、陛下のご意思は揺るぎません
。陛下が退室されたとき、時計の針は夜の12時を回っていました。

NHKのスクープ報道では、陛下がご意向を示されたのは「5年ほど前」でしたから、
文春編集部の記事では1年ほど遡ることになります。

もし文春リポートの方が正しいとすると、
NHKに内部情報をもたらした情報提供者はこの参与会議には出席していなかった
ということかも知れません。


▽2 「ご在位20年」が契機

毎日新聞や週刊新潮の報道では、発端は「7年前」でした。

週刊新潮によると、21年に天皇陛下、皇太子殿下、秋篠宮殿下による
3者会談が開かれるようになり、席上、「天皇の任を果たせないなら」と
ご意向を漏らされるようになったと伝えられています。

ただし、24年の心臓手術以後のこととされています。

文春の情報ではもっと早く22年夏からであり、だとすると、
理由は心臓手術後のご公務にご懸念を抱かれた結果ではないということになります。

 
それならなぜ陛下は「譲位」のご意向を示されるようになったのか。
大胆に推察するなら、ほとんど注目されていない祭祀問題ではないか、
と私は推測します。

宮内庁がご負担軽減策を打ち出したのは、「ご在位20年」が契機だといわれます。

渡邉元侍従長によれば、18年春から2年間、宮中三殿の耐震改修が実施され、
祭祀が仮殿で行われるのに伴って、祭祀の簡略化が図られました。

工事完了後も側近らは、ご負担を考え、簡略化を継続しようとしましたが、
陛下は「筋が違う」と認められません。
ただ、「在位20年の来年になったら、何か考えてもよい」と仰せになったので、
見直しが行われたと説明されています(渡邉『天皇家の執事』)。


▽3 「これ以上、軽減するつもりはない」

20年2、3月、ご健康問題を理由に、ご負担軽減策が発表され、
その後、同年11月に陛下が不整脈などの不調を訴えられると、
軽減策は前倒しされました。

けれども鳴り物入りの軽減策にもかかわらず、ご公務は逆に増え続け、
一方、文字通り激減したのが、古来、皇室第一のお務めとされてきた祭祀のお出ましでした。

軽減策は皇室の伝統を標的としていました。

当時、祭祀のあり方をめぐり、陛下と宮内庁との間で、
激しいつばぜり合いがあったことが想像されます。
そして結局、軽減策は失敗しました。

ご在位20年記念式典および記念行事が行われたのは21年11月ですが、
注目したいのは、翌22年12月に行われたお誕生日会見です。

陛下は「ご自身の加齢や今後、お年を重ねられる中でのご公務のあり方について、
どのようにお考えでしょうか」という記者の代表質問に対して、
次のようにきっぱりとお答えになりました。

「一昨年(平成20年)の秋から不整脈などによる体の変調があり、
幾つかの日程を取り消したり、延期したりしました。
これを機に、公務などの負担軽減を図ることになりました。
今のところ、これ以上大きな負担軽減をするつもりはありません」
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h22e.html

文春リポートでは、この約半年前に「譲位」のご意向が示されたことになっています。
いわゆるご公務もさることながら、

「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」(順徳天皇)ならば、
祭祀をみずからなさらない祭り主のお立場がどれほど耐えがたかったことか、
いまさらながらお気持ちが拝されます。


▽4 祭祀簡略化に抵抗された陛下

陛下は即位後朝見の儀で「大行天皇の御心を心とし、日本国憲法を守り」
と仰せになったように、即位以来、皇室の伝統と憲法の規定の両方を
大切になさってこられました。

一般にいわれているように、陛下は単なる護憲派ではありません。
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okotoba-h01e.html#D0109


ビデオ・メッセージからうかがえるように、
陛下は「国平らかに、民安かれ」と祈る古来の祭祀の精神に立ち、
その延長上に、憲法上の務めがあるとお考えです。

陛下にとっての「象徴」天皇とは、憲法が定める「象徴」のみならず、
長い歴史の中で培われてきた「象徴」でもあります。

仰せになる「象徴としての務め」とは当然、祭祀とご公務です。
皇室の伝統とは祭祀です。

政教分離政策の厳格主義を堅持する宮内庁にとって、祭祀は「皇室の私事」ですが、
陛下にはもっとも重要なお務めなのでしょう。
125代の長きにわたって、祭祀によって国と民を1つに統合してきたのが天皇です。

であればこそでしょうが、たいへん興味深いことに、
22年は祭祀簡略化の流れが一旦やんでいます。

 
たとえば、元旦の四方拝は19年以降、昭和天皇晩年の先例を踏襲し、
神嘉殿南庭ではなくて、御所で行われましたが、
22年には本来の神嘉殿南庭に復しました。

四方拝に続く元日の歳旦祭、3日の元始祭も、前年はお出ましがなく、御代拝でしたが、
この年は親拝なさいました
http://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/show/1?quarter=201001〉。

祭り主のお務めを重んじる、強いご意思が感じられます。

当時、祭祀は「これ以上、形式化しようがないほど形式化している」と
嘆かれるほどだったようです。

それで、陛下は「これ以上、負担軽減するつもりはない」と
さらなる簡略化に強く抵抗され、斥けられたのでしょう。

争わずに受け入れるのが天皇の帝王学ですから、異例な意思表示といえます。
しかしおのずと限界はあったのでしょう。

25年暮れ、陛下は傘寿を迎えられました。


▽5 なぜNHKのスクープだったのか

文春リポートによると、宮内庁参与は陛下の私的相談役で、
会議は1、2か月ごとに開かれます。
22年7月以降は、「譲位」「退位」について議論が重ねられました。

陛下のご主張は変わらず、出席者たちも説得が不可能であることを悟り、
翌年になると議論は「退位」を前提としたものへと移りました。

しかし事態は進みません。
「退位」を実現させるには官邸を動かさなければなりませんが、
当時は民主党政権下で、鳩山内閣時に起きた「特例会見」事件がしこりとなって残り、
相談しづらい状況が続いていました。

その後、野田内閣と続く民主党政権は安定感を欠き、
重大事項を任せる状況にはありませんでした。

 
陛下は「一刻も早く意向を表明し、退位を実現させたい」と望まれていました。
その背景にはいよいよ老境に達した「体の変調」のご自覚がおありだったようです。

24年に宮内庁トップは羽毛田長官から風岡長官に交替しました。
他方、政権交代で自民党の安倍内閣が成立しました。

しかし信頼関係は築けませんでした。
安倍政権は東京五輪招致運動のため高円宮妃にIOC総会ご出席を要請し、
またしても対立構図が生まれたからです。

タイムリミットは迫っていました。
陛下は「平成30年までに」と仰せだったからです。

そのためには28年中には議論を始める必要があります。
結局、お気持ちの表明は28年に持ち越されました。

そして7月、NHKは「生前退位」表明をスクープし、
最高責任者の風岡長官は翌月のビデオ・メッセージを見届けたあと、
退任することとなりました。

「8月表明」が決まり、情報の縛りが解けて、メディアに情報が流れたということでしょうか。
長官最後の大仕事は意図したことなのか、それとも「70歳定年」の結果なのか。


▽6 謎はほとんど謎のまま

NHKのスクープは、「天皇陛下『生前退位』の意向示される」でした。
「『譲位』の意向示される」ではありません。
NHK・WORLDは英語で「abdication」と表現しています。

朝日新聞の英語版も同様ですが、「退位」ではダメなのでしょうか。


陛下がご意向を漏らされてから、6年経ったいまになって、
どういう経路で、いかなる目的で、いったい誰が、情報を外部に流したのか。
なぜ、どのようにして、「退位」は「生前退位」に変わり、特ダネが生まれたのか。

 
文春リポートは残念ながら、ほとんど明らかにしていません。
謎は謎のままです。

そもそも、陛下の本当のお気持ちは「退位」なのか。

いみじくもビデオ・メッセージが「象徴としてのお務めについて」と題されているように
http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12〉、

陛下のお気持ちは、象徴天皇制度のあり方を国民に問いかけることではないのでしょうか。
「譲位」はあくまでその一部ではないのか。

ビデオ・メッセージで陛下は、
「次第に進む身体の衰えを考慮するとき、これまでのように、
全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが難しくなる」と仰せになりました。

それは「象徴のお務め」としてのご公務が行動主義に基づいているからでしょう。

目下の議論はここが欠けているのではありませんか。
「生前退位」スクープの衝撃がそれだけ大きかったのでしょう。
「生前退位」と表現した仕掛け人の意図もそこにあるのかも知れません。


▽7 議論が曲がっていく

かつて薄化粧をほどこされ、装束を召されて、御簾のかげに端座されていた天皇が、
明治の開国とともに洋装となり、ときに軍服を召され、ご活動なさる近代の天皇へ
と変身されました。

戦後は軍服を身にまとうことはなくなりましたが、
ご活動なさることが天皇の本質であるかのように考えられています。

主権者とされる国民がこの象徴天皇制度を今後も支持するのであれば、
そしてご負担軽減ではご高齢問題の解決にはならず、摂政案も否定されるのなら、
NHKが伝えたように、

「象徴としての務めを果たせるものが天皇の位にあるべきで、
十分に務めが果たせなくなれば譲位すべきだ」という選択肢が成り立ちます。

 
陛下が数年来、問いかけておられるのは、「生前退位」法制化ではなくて、
そのような行動主義に基づく象徴天皇のあり方の是非なのではありませんか。

「生前退位」報道の衝撃に必要以上に圧倒され、ご意向を実現するためと称し、
やれ皇室典範改正だ、いや特別法だと賑やかに展開されている議論は、
本来のテーマをねじ曲げてしまうのではないかと私は恐れます。

NHKは「陛下が『生前退位』の意向がにじむお気持ちを表明」と
執拗に繰り返しています。
政府は経団連名誉会長らをメンバーとする有識者会議の設置を決めました。

どんどん話が曲がっていくように感じるのは私だけでしょうか。

象徴天皇のあり方が問われているのだとしたら、
「生前退位」の法制化では済まないはずです。

それとも、ご意向に基づき、ご意向に沿って政治が動くことは憲法に反するので、
そのようにはしないということでしょうか。

http://melma.com/backnumber_170937_6424819/

           <感謝合掌 平成28年9月26日 頓首再拝>

宮内庁長官はなぜ退任したのか - 伝統

2016/10/03 (Mon) 18:07:00


      *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成28年10月2日)より

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

風岡宮内庁長官はなぜ退任したのか
──新旧宮内庁長官会見を読む

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


忘れないうちに指摘しておきたいことがあります。

不二歌道会(大東塾)の発行する月刊「不二」9月号の巻頭言に、
編集発行人の福永さんが「現行皇室法の根本的見直しを」を書いています。

たとえば、皇室経済法をめぐる問題点として
「(三種の神器、宮中三殿について)もし仮に譲位がなされた場合は、
相続ではなく生前贈与となり、贈与税が発生するおそれがある」ことや

「(皇室典範が定める)皇室会議への親臨も御意思の表明も能わず、
皇族の監督権も失われた」戦後の現実などが指摘され、
根本的かつ幅広い議論の必要性を訴えています。

不二歌道会は、戦後右翼の重鎮で、歌人としても知られた影山正治氏が設立しました。
歌道の修練が人格形成の基本とされ、敬神尊皇を重んじ、紀元節復活運動や
靖国神社国家護持運動などを展開しました。影山氏は元号法制化を訴え、自決しています。

皇室典範改正か、それとも特別立法かという世間の議論とはひと味違う、
伝統右翼の名に恥じないさすがの見識だと思います。



▽1 有識者会議開催決定と重なる

さて、政府は先月23日の閣議で、風岡宮内庁長官の退任、
山本次長の長官昇格、西村内閣危機管理監(元警視総監)の次長就任を決定しました。

また、「天皇の公務の軽減等に関する有識者会議」を開催することが決められました
http://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201609/23_a.html〉。

有識者会議の開催については、菅官房長官は閣議後の会見で、
「今上陛下が現在82歳と御高齢であられることも踏まえ、
天皇の公務の負担軽減等を図るために、どのようなことができるのかを
様々な観点から検討する必要があると考えてます」と目的を説明しました。

政府の説明では「生前退位」とはどこにも表現されていませんが、
メディアは「天皇陛下の『生前退位』を検討する有識者会議」と伝えています。
議論がますます曲がっていく印象が否めません。

そういえば、野田内閣のとき、いわゆる「女性宮家」創設をめぐって行われたのは
正式には「皇室制度に関する有識者ヒアリング」でした。
今回もまた絶妙なネーミングを編み出したものだと感心します。
あっちにもこっちにも知恵者がいるようです。


それはともかく、奇しくも同日の閣議決定となった宮内庁長官の交替劇ですが、
なぜ急な交替となったのでしょうか。


▽2 「落とし前」を付ける?

報道によると、宮内庁長官は70歳定年だそうです。
風岡長官の場合、9月15日に70歳になりました。
通例では3月いっぱいまで勤め上げるそうですが、
風岡長官は9月26日付で退任することとなりました。

異例な性急さです。

時事通信は、「天皇陛下のお気持ち表明に至る過程で、
宮内庁の対応に不満を持った首相官邸が、人事でてこ入れを図ったようだ」
と伝えています〈http://www.jiji.com/jc/article?k=2016092500057&g=pol〉。

いわゆる「生前退位」問題は平成30年がタイムリミットとされ、
そのためには今年中に議論を開始させる必要があるといわれます。
とすれば、次長就任から約11年、側近として務め、陛下が内々に
退位を表明された初期の段階から事態を把握している風岡長官が少なくとも来春まで、
有識者会議の議論に関わった方が好都合なはずです。

けれども、人事権を持つ内閣はそのようには考えなかったということです。
時事の記事では、政府関係者が「誰かが落とし前を付けないと駄目だ」と
語るほどの険悪さがあったと伝えています。

長官が詰め腹を切らされるというのは、よほどのことです。
具体的に何の責任をとることなのか。官邸は何に「不満」なのか。
ヒントとなり得るのは退任会見です。


▽3 会見で明らかにされた3点

風岡前長官は退任会見で、「このタイミングでの退任で、やり遂げた感はあるのか」
と単刀直入に聞かれ、次のように答えています
http://www.sankei.com/premium/news/160927/prm1609270008-n3.html〉。

「5、6年前に陛下の方から今までのご活動が困難になったときに
どう考えたらいいのかということがスタートとなって勉強してまいりました。

具体的な対応をどうするのかということもありますし、
また、お気持ちをどういう形で表明すればいいかも含めて検討し、
去年くらいから公にする考え方の元に進めていましたが、

内容が陛下の憲法上のお立場という関係で慎重に取り扱うものでしたので、
内閣官房とも調整をしました」

「これからどうするかという難しい次のステップに入る時期ですので、
次の長官に委ねた方がいいんだろうとの判断のもとに行いました。
長い道のりのあるスタートの役割を果たさせていただいたと思います」

ここで風岡長官は、
(1)5、6年前、陛下の意思表示があった、
(2)昨年ごろからお気持ちの表明を模索してきた、
(3)憲法問題もあるので、内閣官房とも調整した、の3点を明らかにしています。

これらはメディアが明らかにしてきたことと事実関係において、大差はありません。

けれども、7月にNHKが「スクープ」したときの受け答えとは明らかに異なります。


▽4 みずからウソを認めた

朝日新聞の報道では、NHKが7月13日の夜、
「陛下が『生前退位』の意向示される」を報道したあと、山本次長が取材に応じて
「報道されたような事実は一切ない」「大前提となる(陛下の)お気持ちがないわけだから、
(生前退位を)検討していません」と全面否定し、
風岡長官も「次長が言ったことがすべて」と述べたと伝えられました。

風岡長官の退任会見はみずからウソを認めたことになります。

もっともスクープの翌日の長官会見は微妙でした。
NHKの報道では、風岡長官は前夜とは打ってかわり、お気持ちをにおわせたのでした。

「お務めを行って行かれるなかで、色んな考えをお持ちになることはあり得る」

「陛下は憲法上の立場から、制度については具体的な言及を控えられる」

「陛下もお年を召すわけで、将来のことを考えると、いままでどおりお務めを
果たすことが難しくなるということが一般的にはあり得ることなので、
それを踏まえて幅広く考えることは必要なことだ」

 
一方、菅官房長官は同日の記者会見で「ご意向を事前に把握していたのか」と聞かれ、
「まったく承知していない」と否定しています。

官邸と宮内庁との間にすきま風が吹いていたことは明らかでしょう。
官房長官の言葉尻には不快感さえ漂っていますが、
一方の風岡長官は「内閣官房と調整した」といまも言い張っています。

もしやメディアを利用した一連の仕掛け人は風岡長官自身なのでしょうか。
というより、なぜ長官は退位のお気持ちを思いとどまらせず、
逆に実現へと動くことになったのか。退位の否定が、
戦後の政府・宮内庁の一貫した方針だったはずなのに、です。


▽5 官邸と宮内庁との溝

8月になると陛下みずからビデオ・メッセージでお気持ちを表明され、
事態は仕掛け人たちのシナリオに沿って動いているようにも映りますが、
形勢は変わりつつあります。

官邸と宮内庁との溝が今回の人事に影響を与えていることは言わずもがなでしょう。

風岡長官は退任記者会見で、陛下のお気持ち表明が
「スタートになったということは感慨深いものがあります」と述べ、
「難しい次のステップ」は「次の長官に委ねた方がいい」と
後任者にバトンを渡しました。

罷免に近い退任のはずなのに、不思議に爽やかささえ感じられます。

緊張気味なのは、風岡長官同様、NHK報道を全面否定していた山本新長官です。
連座もできず、逆に重責を押しつけられました。

官邸との関係改善を強く意識しているのか、
「内閣官房と緊密に連携をとりながら」と協力関係をひたすら強調しています。

それはそうでしょう、危機管理のプロで、伊勢志摩サミットの陣頭指揮を振るった
警察官僚のトップが次長として乗り込んでくるのです。
新長官の前途には針のムシロが広がっています。

誰が「生前退位」と言い出したのか、どこから極秘情報が漏れたのか、
なぜNHKのスクープだったのか、一部始終を官邸は早晩、知ることになるのでしょう。

http://melma.com/backnumber_170937_6428521/

           <感謝合掌 平成28年10月3日 頓首再拝>

光格天皇にみる「あるべき天皇像」 - 伝統

2017/01/10 (Tue) 18:42:10

天皇陛下の譲位 光格天皇の「あるべき天皇像」を模索した姿は天皇陛下に通じる 
~東大名誉教授・藤田覚

        *Web:産経新聞(デジタル)(2017.1.10)より

江戸時代末期に在位した光格天皇(第119代 1771~1840年)は、
幕府との対立を辞さず、天皇と朝廷の権威復活を図り、現皇室の礎を築いたことで知られる。

光格天皇をはじめとした近世皇室史を研究し、
『幕末の天皇』(講談社学術文庫)などを著した東大名誉教授の藤田覚氏(70)は、
譲位を希望される天皇陛下と光格天皇の共通点を指摘した。


 □ □ □ 

光格天皇と現在の天皇陛下には似通った部分があるように思います。
それは「あるべき天皇像」を自らの手で描かざるをえなかったという特別な境遇です。

天皇陛下の直系のご先祖である光格天皇は、傍系の閑院宮家から即位しました。
天皇に即位する皇族は普通、幼少時代から「天皇になるための教育」を受けます。
周囲からさまざまな教えを受ける中で「天皇かくあるべし」ということが自然と身につく。

しかし、光格天皇はそうした経験が全くなかった。
「天皇はどうあるべきか」「どうあるべきでないか」を試行錯誤を繰り返しながら、
模索せざるをえなかったわけです。

光格天皇は、江戸幕府と激しく対立しながら、
簡素化されていた新嘗祭を古来の形式に戻すなど、朝廷の儀式や儀礼を再興させ、
天皇の権威の強化を図りました。

天皇の政治的発言はあってはならないとされた江戸時代にあって、
飢饉に苦しむ民への米の放出を幕府に申し入れ、実現させたこともあります。

 
この強靱な意志は「あるべき天皇像」を強烈に意識せざるをえなかった境遇と
無縁ではないはずです。


「象徴天皇」として即位した初めての天皇である天皇陛下も、
同様の模索を重ねられてきたのではないでしょうか。

光格天皇がそうであったように、「あるべき象徴天皇像」を手探りで
作り上げてこられたのだと思います。

東日本大震災直後の避難所への慰問で、天皇陛下が膝をつき、
住民と同じ目線で声をかけられる場面がありました。
それまでの天皇像からすれば考えられないことでしょうか。

国民が苦難に直面しているときは、なるべく近くで寄り添い、苦しみをやわらげる-。
これが新しい天皇像であるというのが天皇陛下のお考えなのだと思います。

 
天皇陛下は、昨年8月に表明した「お気持ち」の中で
「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合」の社会の停滞や
国民生活への影響に懸念を示されました。

これも、ご自身で作り上げられた「あるべき天皇像」にそぐわない
というお気持ちの表れなのだと理解しています。

昭和天皇の崩御の前には、幼稚園の運動会まで延期や中止になるような
「自粛ムード」が日本列島を覆いました。

国民に寄り添う象徴天皇として、こうした状況を再び招いてはならない
とお考えなのではないでしょうか。

天皇陛下が譲位の制度化をお望みなのであれば、そのご意向に沿うほかないと思います。
象徴天皇という新しい天皇像をお一人で作り上げられた陛下がおっしゃっているわけですから。


幕末に光格天皇が主導した神事や儀礼の復古は、
天皇の政治的・思想的な権威強化につながり、
明治以降の近代天皇制へと引き継がれていきました。

天皇陛下の「お気持ち」表明も、将来は歴史上のエポックメーキングな出来事
として振り返られるはずです。

(松本学、広池慶一)

 ◇ 

■光格天皇(1771~1840年) 第119代天皇。
現在の天皇家の祖にあたる。

後桃園天皇の崩御に伴い、9歳で傍系の閑院宮家から即位。
幕府と衝突しながら中世以来絶えていた神事の再興や朝権の回復に努め、
「天皇」の称号を約900年ぶりに復活させた。

1779年から1817年まで約39年天皇に在位し、
仁孝天皇(第120代)に譲位後は上皇として23年君臨した。

http://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/170110/plt17011008000002-n1.html

           <感謝合掌 平成29年1月10日 頓首再拝>

〈問題提起〉次の御代替わりを「国の行事」に - 伝統

2017/04/03 (Mon) 21:12:41


      *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成29年4月2日)より

全国民に大きな衝撃をもたらした今上陛下の「生前退位」問題は、
ようやくゴールが見えてまいりました。

陛下が昨夏、ビデオ・メッセージで国民に問いかけられたのは、
退位が認められるかどうかというような陛下の「個人」的問題ではなくして、
戦後の象徴天皇制度のあり方そのものだろうと私は考えておりますが、

まことに残念ながら、その後の議論は退位の認否と法制化の手法に集中しております。

事態を傍観せざるを得ないのは、我が身の無力とただただ恥じ入るばかりですが、
事ここに至った以上はやむを得ません。

むしろ気にかかるのは、陛下の退位によって次の御代替わりが早まり、
そのことによって必然的に浮上する新たな課題です。

それは、前回、様々な不都合が指摘された御代替わりの正常化についてです。
対応を急がなければ、次も、またその次も、悪しき前例が
そのまま踏襲されざるを得ないからです。

私たちには手をこまねいている時間的余裕はないでしょう。

最大の問題は、古来、御代替わり諸儀礼のうちもっとも中心的行事とされてきた
大嘗祭が前回は「国の行事」ではなく、「皇室行事」とされたことです。

もちろん理由があることでしょうが、
それらは不正確な情報に基づいているように思えてなりません。

誤解があればこれを解き、誤りがあるならば正されなければなりません。
大嘗祭はどうみても「国の行事」とされるべきではないでしょうか。

大嘗祭のみならず、御代替わりの諸儀礼全体を
「国の行事」と位置づけ直すべきではないでしょうか。

ここに長文を認め、関係者各位に問題提起しようと思い至ったのは、
事態が差し迫り、時間が限られるなかで、皆々様と問題意識を共有し、
問題解決に向かって一歩でも二歩でも前進させたいと心から願うからです。


▽1 二分方式で失われた国家的性格

いちばんのネックは、ほかならぬ大嘗祭の形式と趣旨に関する誤解でしょう。

大嘗祭は、一般的な理解では、宗教儀礼とされています。
政府の立場も同様です。

特定の宗教である神道の形式だというのなら、
「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」とする憲法の政教分離原則に抵触する
という法解釈が当然、生まれます。

 
けれども、ここに根本的な間違いがあると私は思います。

先の御代替わりでは、石原信雄・元内閣官房副長官が回想しているように、
昭和天皇崩御ののち、「きわめて宗教色が強いので、
大嘗祭をそもそも行うかどうかが大問題となりました」(石原『官邸2668日』平成7年)。

このため内閣に置かれた準備委員会などで、数か月にわたる検討が行われ、
その結果、天皇の「国事行為」として行うことが困難とされ、
「皇室行事」として行われることになりました。

ただ、大嘗祭には公的性格があるから、費用は宮廷費から支出されることが相当と判断され、
閣議で口頭了解されました。


まず注目したいのは、「国の行事」と「皇室行事」との二分方式です。
なぜ全体的に「国の行事」とされなかったのでしょうか。

最初に二分方式が採用されたのは、昭和34年の今上陛下(当時は皇太子)の御成婚でした。
このとき賢所大前での結婚の儀など3儀式が「国の儀式」(天皇の国事行為)と
閣議決定されたのは、じつに画期的なことでした。

宮中祭祀はすべて「皇室の私事」とした神道指令下の憲法解釈がここに正されたからです。

けれども、その一方で、旧皇室親族令附式にも記載される
神宮神武天皇先帝先后山陵に勅使発遣の儀や納采の儀などは「国の儀式」とはされず、
一連の儀式が二つに振り分けられることとなりました。

結婚儀式が「国の儀式」とされたのに、はるかに重要な御代替わりの大嘗祭が
「国の行事」とされないのは、常識的に考えて不自然ですが、それだけではありません。

御成婚ではもっとも中心的な儀式が「国の儀式」と位置づけられたのに対して、
御代替わりでは二分方式の基準に憲法の政教分離原則が新たに置かれることとなり、
もっとも重要な大嘗祭が「国の行事」とは見なされなくなったのです。

 
旧皇室令で明文法的に集大成された千年を超える皇室の伝統は
戦後憲法の規定と対立するとされ、皇室の伝統行事を伝統のままに行うことは
憲法の趣旨に反すると解釈されて、皇室の伝統より憲法の規定が優先されることにより、
御代替わり諸儀礼の伝統的名称や形式がいとも簡単に新憲法風に改変させられました。

大嘗祭は「皇室行事」とされることで祭祀の形式はそっくり守られましたが、
国家的性格は失われました。

大嘗祭が行われたこと自体は間違いなく大きな成果です。
天皇の聖域たる祭祀の中身が国家の干渉を受けずに済んだのは、
怪我の功名かも知れませんが、手放しで満足すべきでしょうか。

 
現行憲法および現行皇室典範制定の直接的責任者だった井出成三・元法制局次長は、
何十年も前に、この分離方式を次のように強く批判しています。

「宮中祭祀は憲法上、いわゆる宗教であり、国費を支出して行い、
国家機関たる地位にあるものが参列することは、憲法上問題があるとして、
式典を二分して観念し、

皇室の儀式は公の機関でない掌典職が執り行い、費用は内廷費で賄い、
別途に国の式典を行い、宮中祭祀の色彩を一切除去することが正しいと考え、
あるいはその一方を行うほかはないと考えることは、形式的な解釈に引きずられて、
本質を見失っているのではないか」(井出『皇位の世襲と宮中祭祀』昭和42年)


▽2 稲作儀礼ではなく米と粟の複合儀礼

大嘗祭は宗教儀礼でしょうか。
憲法が禁止する「宗教的活動」なのでしょうか。

先の御代替わりのあと、内閣官房が編集・発行した『平成即位の礼記録』(平成3年)は
大嘗祭について、「稲作農業を中心としたわが国の社会に、古くから伝承されてきた
収穫儀礼に根ざしたもの……」と説明していますが、完全な誤りでしょう。

稲とともに、神事に用いられる粟の存在が、まったく見落とされているからです。

宮中の御儀は古来、非公開を原則とする秘儀ですが、
関係する記録は「儀式」「延喜式」「後鳥羽院宸記」など、いくつも伝えられています。
漢文体で難解なものがほとんどですが、漢字仮名交じりで読みやすい史料もあります。

 
たとえば、京都・鈴鹿家に伝わる「大嘗祭神饌供進仮名記」(仮題)一巻は、
大嘗祭の中心的儀礼である大嘗宮の儀について次のように記述し、
新帝が米と粟の新穀を神前に捧げて祈る「米と粟の儀礼」であることを
生々しく説明しています。

「次、陪膳(はいぜん)、両の手をもて、ひらて(枚手)一まいをとりて、主上にまいらす。
主上、御笏を右の御ひさ(膝)の下におかれて、左の御手にとらせたまひて、
右の御手にて御はん(飯)のうへの御はし(箸)をとりて、
御はん、いね、あわを三はしつつ、ひらてにもらせたまひて……」
(宮地治邦「大嘗祭に於ける神饌に就いて」=『千家尊宣先生還暦記念神道論文集』
昭和33年所収)

 
陪膳とは陛下の祭儀に奉仕する采女のことで、枚手は柏の葉で作るお皿です。
ピンセット型の箸などとともに、古儀が継承されています。

 
平成の大嘗祭もむろん同じです。

宮内庁がまとめた『平成大礼記録』(平成6年)は大嘗宮内陣での儀礼について、
「次に神饌を御親供になる。次に御拝礼の上、御告文をお奏しになる。次に御直会」
と説明しているだけですが、

当時、掌典職に在籍し、御代替わり儀礼に携わった神道学者の記録は以下のように詳述し、
「米と粟の祭り」であることは明白です。

「御親供 御飯筥の米御飯(こめのおんいい)、粟御飯(あわのおんいい)……などの
神饌を、御親(おんみずか)ら竹製の御箸でとられ、規定の数だけ枚手(ひらで)に
盛り供せられる」

米と粟に軽重の差はなく、ともに供されるのなら、「稲作儀礼」ではありません。


それなら、粟とは何でしょうか。
政府の表現を借りるなら、稲作以前の畑作農耕社会に伝わる収穫儀礼の捧げ物でしょうか。

 
私たちはしばしば日本人=稲作民族と思い込んでいますが、民族のルーツは多様です。
稲は帰化植物であり、日本列島は必ずしも米作適地ではありません。

正月に米の餅を食べない「餅なし正月(イモ正月)」の習俗が全国的に分布することも
知られており、「焼き畑民の歴史的経験の痕跡ではないか」(坪井洋文『イモと日本人』)
と指摘されています。

粟はこの焼畑農耕民の主要作物であり、儀礼文化上、とくに重要視され、
台湾の先住民などは粟の神霊を最重要視し、粟の餅と粟の酒を神々に供えたといわれます。

水田稲作が伝来する前、日本列島に暮らす畑作民たちに、
南方に連なる粟の食儀礼が古来、伝えられていたことを想像するのは
間違っているでしょうか。

 
大嘗祭は天皇一世一度の新嘗祭ですが、もっとも古い新嘗祭の記録は
『常陸国風土記』で、そこには米ではなくて粟の新嘗祭が描かれています。
民間には古くから、稲作民の米の新嘗とは別に、畑作民の粟の新嘗が存在したようです。

 
一方、宮中新嘗祭は民間の新嘗祭とは異なります。
延喜式には米と粟が併記され、古くは天皇の日常の食事が米と粟だったことが
推測されています。

もし宮中新嘗祭も大嘗祭も「稲の祭り」ならば、
稲の新穀を賢所で皇祖天照大神に捧げれば十分です。

実際、「天皇の神社」である伊勢の神宮では、徹頭徹尾、稲の祭りが行われています。

しかし天皇みずから斎行される宮中祭祀では、
手ずから稲と粟が皇祖神ほか天神地祇に捧げられ、
「国中平らかに、民安かれ」と祈られるのです。

大嘗祭は、民間の稲作儀礼とは区別されるべきでしょう。

大嘗祭は畑作民の儀礼と稲作民の儀礼の複合と考えられるのではありませんか。


▽3 米と粟による国民統合の国家儀礼

なぜ天皇は稲作儀礼と畑作儀礼の複合を行われるのでしょうか。

それは天皇の祭祀が、宗教儀礼であるというより、
国民統合の国家儀礼だからではないでしょうか。

戦後随一の神道思想家といわれる葦津珍彦先生は、天皇の存在理由を生涯、追究し、
「祭り主こそが天皇である」「天皇の祭儀は、国家の精神的基礎を固め成し、
国民の精神を統合して行かせられるためにも貴重な御つとめなのである」
(「神聖をもとめる心」など)と書き残していますが、

天皇=祭り主だとして、天皇の祭り=「稲の祭り」ならば、
稲作民の精神を統合し得たとしても、稲作伝来以前からの畑作民をも
ひとつに統合することは不可能でしょう。

仏教公伝を伝える『日本書紀』は、崇仏廃仏論争の際、
廃仏派の物部大連尾輿や中臣連鎌子が

「我が国家(みかど)の、天下に王(きみ)とましますは、
恒に天地(あまつやしろ)社稷(くにつやしろ)の百八十神(ももつあまりやそかみ)
を以て、春夏秋冬、祭拝(まつ)りたまふことを事(わざ)とす」

と語ったと記録していますが、

このころすでに天皇は多神教的祭儀を斎行する祭り主だったことが推察されます。

 
古代の日本は氏姓社会でした。
天皇は稲作民の神に稲を捧げて祈られるのと同時に、
畑作民の神に粟を捧げて祈られたのでしょう。

稲作民の儀礼、畑作民の儀礼を複合的に斎行すればこそ、
多様なる民の側のそれぞれの祈りに呼応し、
国と民を統合する国家的機能を果たされることになったのではないでしょうか。

 
葦津先生は、天皇制の多面性、および民の側の天皇意識の多彩さに注目し、
根強い民の天皇意識が「国および国民統合の象徴としての天皇制を支えている」
(「国民統合の象徴」=「思想の科学」昭和37年4月号)と指摘しました。

天皇の存在に目を向けるだけでなく、
天皇と民の関係論的視点を提示したのはさすがの慧眼というべきでしょう。

 
一神教世界ではこうはいきません。

「あなたには、私をおいてほかに神があってはならない」が絶対神の教えであり、
ローマ教皇は一神教の神に祈るほかはなく、
信徒も同様に、多彩な神意識などあり得ません。

近年、ローマ教皇が3代にわたり、イスタンブールのブルーモスクに詣で、
平和の祈りを捧げたことが話題になりましたが、
教皇が唯一神以外に祈ることはあり得ません。

アメリカ同時多発テロの3日後、ホワイト・ハウスの依頼により、
ワシントン・ナショナル・カテドラルで追悼ミサが行われ、
歴代大統領や政府高官が参列し、諸宗教の祈りが捧げられ、
以来、多宗教的祈りが世界の潮流になりつつありますが、

みずから諸神に祈るのは昔も今も日本の天皇のほかにはおられません。

公伝当時の仏教は国家儀礼としての仏教であり、古代中国や朝鮮では仏教が伝わると、
従来の儒教儀礼が廃され、仏教儀式に取って代わられたようですが、

日本では仏教が国家的に受容され、天皇が仏教の外護者となり、
さらに天皇自身が仏教に帰依するようになられたのちも、
既成の信仰は守られ、多神教的、多宗教的平和共存が保たれました。

 
推古天皇の御代、仏教思想に基づいて制定された十七条憲法の第1条には
「和を以て貴しと為し」とあり、儒教もしくは日本古来の「和」の思想が宣言されていました。

宗教的多元主義が今日の時代の流れだとすれば、
天皇の祭祀は千何百年も前にこれを先取りするものであり、
人類の歴史の先端を行くものです。

古代律令には「およそ天皇、即位したまはむときは、すべて天神地祇祭れ」(神祇令)
と記され、歴代天皇は「凡そ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」
(順徳天皇「禁秘抄」)を心に刻まれたのでした。

 
近代になると、赤十字運動ほか、
キリスト教の社会事業を物心両面から支援したのが皇室でした。

昭和天皇には幼少期からたくさんのキリスト者が近侍していました。
キリスト教徒にはキリスト教徒の天皇意識が生きていました。

世界に稀なる平和で安定した多神教的、多宗教的社会の中心が天皇の祭祀です。

大嘗祭は憲法に抵触する特定の信仰に基づく宗教儀礼ではなくて、
むしろ多様な国民の信仰を同等に認め、信教の自由を保障する、
価値多元主義的に国と民を統合する国家儀礼と理解されるべきではないでしょうか。

それを一面的な理解で、「大嘗祭は神式だから」と
国家儀礼の座から引きずり下ろしたのが、先の御代替わりではなかったでしょうか。

誤解に基づく大嘗祭のあり方は直ちに見直されるべきでしょう。


▽4 失われた祭祀存続の法的根拠

ふたつ目の問題は、政教分離に関する誤解です。

明治維新後、新政府は祭政一致、神祇官再興を表明し、神仏分離が図られました。
年来の神仏習合の清算は予想外の激しい廃仏毀釈へと転化しましたが、
大きく変更を迫られたのは仏教ばかりではありません。

社寺領の上知が布告され、「神社は国家の宗旨」とされた半面、
神官・社家の世襲が廃され、陰陽道の布教は禁止され、
虚無僧の一派や修験道が廃止されました。

托鉢も禁止されました。

幕末の宮中では仏教や陰陽道などが複雑に入り交じった祭儀が行われていたようですが、
維新後、仏事はすべて禁止され、宮中行事は激変しました。

四方拝、歳旦祭、祈年祭、神嘗祭、新嘗祭など旧来の祭儀に加えて、
天長節、紀元節、春秋の皇霊祭など新たな祭祀が生まれ、
天皇みずから斎行される石灰壇御拝(いしばいだんのごはい)は
側近による毎朝御代拝に代わりました。

五節句は廃され、宮中三殿が成立し、やがて天皇の祭祀は皇室祭祀令として、
合理主義的、現実主義的に整備、確立されました。

近代法的に明文化され、憲法を頂点とする国務法とは別の宮務法として、体系化されました。

 
しかし敗戦後、いわゆる神道指令が発せられると、天皇の祭祀は国家的性格を否定され、
「皇室の私事」として存続することを余儀なくされました。

さらに日本国憲法の施行に伴い、皇室令は全廃されました。
皇室典範を中心とする宮務法の体系が国務法に一元的に吸収され、
新しい皇室典範は一法律となりました。

祭祀は明文法的根拠を失いました。

近代以前に引き戻されたのです。

それでも、祭祀の形式は従来通り存続しました。

宮内府長官官房文書課長による依命通牒が発せられ、
「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、
従前の例に準じて、事務を処理すること」(第3項)とされたからです。

ところが、昭和40年代になると、入江相政侍従長は依命通牒を無視して、
祭祀を「簡素化」する「工作」に熱中しました。無法化の始まりです。

毎月1日の旬祭の親拝は5月と10月だけとなり、
皇室第一の重儀であるはずの新嘗祭は簡略化されました。

昭和天皇のご健康への配慮であるかのように「入江日記」には説明されていますが、
疑わしいものです。それならそれで、なぜ正規のルール作りを怠ったのでしょうか。

50年8月には、宮内庁長官室の会議で、毎朝御代拝の変更が決められ、
装束に身をただして宮中三殿内で拝礼する形式から、
洋装で庭上から拝礼する形式に変更されました。

会議の議事録は残されていないようで、いわば密室での変更ですが、
国会答弁(平成3年4月25日の参院内閣委員会)などによると、
依命通牒第4項の「前項の場合において、従前の例によれないものは、
当分の内の案を立てて、伺いをした上、事務を処理すること」をあわせ読んだ結果であり、
やはり政教分離原則への配慮と推定されます。

占領前期の厳格主義への人知れぬ先祖返りです。

しかし宮中祭祀は、「国はいかなる宗教的行為もしてはならない」に該当する
特定の宗教でしょうか。

神道も同様ですが、教義もなく、布教の概念すらありません。
開祖も宣教師も信者もいないのです。

天皇の祭祀は国民の信教の自由を侵しようがありません。

戦前の明治憲法下では政教分離が不徹底だったという見方があり、
現行憲法下の厳格主義的対応を後押ししていますが、これも不正確です。

たとえば、大正12年10月に関東大震災の犠牲者を悼む東京府市合同の追悼式が
行われましたが、宗教者が排除され、既成の宗教形式が採用されない無宗教の式典でした。

当時の行政は「国家が宗教に干渉するのは世界の大勢にもとる」
(「中外日報」大正10年8月12日)という戦後にも勝る不干渉主義、
政教分離主義を徹底させていたのです。


▽5 究明されざるアメリカの国家神道観

今日、政教分離の厳格主義が天皇の祭祀を必要以上に縛り続けているのは、
「国家神道」に関する根強い偏見があるからでしょう。

近年、新たな国家神道研究が発表され、話題となりましたが、私はまったく感心しません。
研究者たちはほとんど例外なく、日本の近代宗教史を研究対象としているからです。

国家神道批判の出所は戦前・戦中期のアメリカなのであり、
アメリカ人にとって国家神道とは何だったのか、を究明せずに
国家神道研究はあり得ないでしょう。

アメリカは戦時中から、「国家神道」が「軍国主義・超国家主義」の主要な源泉であり、
靖国神社がその中心施設であり、教育勅語がその聖典である、と考えていたようです。

そのアメリカ譲りの国家神道観が戦後日本の行政に浸透し、
いまも天皇の祭祀に影を落とし続けています。

 
アメリカの国家神道観は戦時中の国策映画に端的に表現されています。

たとえばフランク・キャプラが監督したアメリカ陸軍省のプロパガンダ映画
「Prelude to War」(1942)や「Know Your Enemy : Japan」(1945)には、
「田中上奏文」が取り上げられています。

昭和2年に田中義一首相が昭和天皇に世界征服の手順を極秘で報告したとされる内容で、
日本では当初から偽書と一蹴されましたが、アメリカでは本物と信じられたようです。
なぜでしょう。

皇祖神を絶対化し、現人神天皇のもと、侵略地に次々と神社を建て、
国民に参拝を強制し、学校で教育勅語を奉読させ、急速に領土を拡大していく
という日本の姿は、

キリストの教えとローマ教皇の勅書に基づき、異教世界を侵略し、
異教徒を殺戮、異教文明を破壊した大航海時代以降のキリスト教世界の暗黒史と
二重写しです。


「教育勅語」の一節「之を中外に施して悖(もと)らず」は当初から
「日本でも外国でも間違いがない道だ」と解釈されており、
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(新約聖書)
というキリストの言葉とダブって聞こえたのでしょうか。

だとすれば、日本とキリスト教世界との軍事対決は避けられず、
「国家神道」は主たる攻撃目標に設定されざるを得ませんが、
「中外」は「朝廷の内と外」と解釈するのが正しいという指摘があります。

とすると侵略主義の聖典ではあり得ません。

アメリカは靖国神社の宮司らが世界征服戦争を実際に陰で操っている
と考えていたのかも知れませんが、そんな事実はありません。

それどころか、神職たちは一兵卒として応召しており、
これを聞いたGHQ高官が仰天したという話すら残されています。

 
日本での実写フィルムを巧みにつないだ宣伝映画は、彼らの日本観の反映です。
彼らは戦時体制下の日本をキリスト教徒の眼鏡で見、自画像を見るごとく、
日本の「軍国主義」に恐怖感を掻き立てられたのでしょう。

他方、日本の近代化は国を挙げて、太陽暦、法律、官僚、軍隊、貨幣、学校など
一元主義的なキリスト教世界の文化を受け入れることでした。
その先頭に立ったのが皇室でした。

多元主義の文明が一元主義世界の文化を積極的に受容し、
アジアで最初の近代国家を打ち立てたのは快挙ですが、
その先には未曾有の悲劇が待ち受けていたのです。


▽6 国家神道批判を恐れるあまり

ポツダム宣言は「無責任なる軍国主義が世界より駆逐せらるる」ことを表明しています。
敗戦後、GHQが発令した「神道指令」は「目的は宗教を国家より分離するにある」とし、
東京駅の神棚や注連縄までが撤去させられました。

宮中祭祀は「皇室の私事」としてのみ存続せざるを得なくなり、
靖国神社は国家管理を離れさせられ、教育勅語は奉読が禁止されました。
「軍国主義者」たちは公職追放されました。

当時の日本政府は「天皇の祭りは天皇個人の私的信仰や否や」という点については
深い疑問を抱きつつ、当面は「皇室の私事」説で凌ぎ、
いずれきちんとした法整備を図るとの方針だったといわれます。

ところが、占領後期になると、GHQは期せずして、神道指令の解釈を
「教会と国家の分離」に変更させ、神道廃止政策を取り下げました。

昭和26年の貞明皇后の大喪儀は準国葬として旧皇室喪儀令に準じて行われ、
国費が支出され、国家機関が参与しました。

斂葬(れんそう)当日、全国の学校では一斉に黙祷が捧げられました。
これを「国家神道への忌まわしき回帰」と猛烈に抗議するアメリカ人宣教師を、
驚くなかれ、GHQは斥けました。

独立回復後は神道指令自体が失効しました。

GHQはなぜ神道指令の解釈・運用を厳格主義から限定主義に変更したのか、
その理由は歴史の大きな謎です。
謎は謎のままとして、GHQは日本を離れました。

けれども、日本の「軍国主義」「国家神道」を過酷なまでに敵視したGHQでさえ
掌を返すように柔軟化したのに、独立回復後の日本政府が
宮中祭祀=「皇室の私事」説を覆すことはありませんでした。

靖国神社批判はやむことがなく、公人中の公人であるはずの
首相の参拝は「私人」の行為とされています。
教育勅語も公的に追放されたままです。

先の御代替わりでも、国家神道批判を恐れるあまり、
政府は御代替わり諸儀礼の宗教性を過度に避けたと指摘されています。

そして、憲法を最高法規とする一元主義の下に、
皇室の多元主義的伝統を従属化させたのです。

多元主義と一元主義の相克は続き、混乱の度を強めています。

それが戦後の日本です。


▽7 問題意識を共有する同志の結集を

陛下は即位以来、皇室の伝統と憲法の規定をともに大切にされることを
繰り返し表明されていますが、いかに困難かが分かります。

日本人はもはや畑作民でも稲作民でもなく、一様な国民となり、
天皇制を根強く支えるはずの多彩な天皇意識は一律化しています。

私たちは何者なのか、何者だったのか、問われているのは私たち自身なのでしょう。

 
一方、陛下は即位以来、一般国民との交わりを大切にされてきました。
子供、高齢者、障害者、被災者、そして戦没者。一様に見える国民にも多様性があります。

天皇には「民の声を聞き」「民の心を知る」という王者の伝統があるといわれます。
喜びや栄光だけでなく、悲しみや憂いを共有し、

「民安かれ」とひたすら祈られるのが天皇です。

1年365日みずから祭祀を重ねることで、祭り主の精神は磨かれ続けるのです。

祭祀の正常化は古来の伝統の継承にとどまらず、きわめて現代的なテーマだといえます。

大嘗祭のみならず御代替わり諸儀礼の正常化は容易ではありません。
賛同者が増え、国民の声が高まるとともに、より多くの国民を説得するには、
諸分野の学問研究が深まることが不可欠であり、焦眉の課題です。

葦津先生は一介の野人を貫きつつ、「学問は独りでするものではない」との考えから、
みずから進んで思想的に異なる研究者たちとも交わり、天皇研究、歴史研究を磨きました。

私たちもその後塵を拝して、問題意識を共有し、解決への意欲を共有する同志が集まり、
天皇研究を多角的に進め、広く発信し、確実な問題解決への気運を強く巻き起こすことが
求められていると思います。

  (http://melma.com/backnumber_170937_6509128/

           <感謝合掌 平成29年4月3日 頓首再拝>

有識者会議の最終報告書を読んで - 伝統

2017/04/24 (Mon) 18:14:42


      *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成29年4月23日)より


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
もっぱら「退位」を検討した「負担軽減」会議の矛盾
──有識者会議の最終報告書を読んで
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

おととい、天皇の公務の軽減等に関する有識者会議の最終報告書が安倍総理に提出された。
昨秋以来、短期間の間によくぞここまでまとめられたものだと思う。
関係者各位のご努力にまず敬意を表したいと思う。

ただ、報告書の中身を眺めていると、結局のところ、
「天皇の公務の軽減等に関する」という会議の名称とは完全に相違し、
もっぱら「退位」問題の検討に終始したのだとあらためて感じ入っている。


▽「退位ファースト」になった理由

報告書は以下のように6章立てになっている。
1はいわば序章だから、6章以外本論はすべて「退位」問題だということになる。

 1 最終報告のとりまとめに至る経緯
 2 退位後のお立場等
 3 退位後の天皇およびその后の事務をつかさる組織
 4 退位後の天皇およびその后に係る費用等
 5 退位後の天皇のご活動のあり方
 6 皇子ではない皇位継承順位第一位の皇族の称号等

なぜ「退位ファースト」の会議になったのか。
報告書がいちおう説明するところによれば、こうである。

まずご負担軽減について検討するようにという安倍総理の要請を出発点として、
有識者会議は議論を重ねてきた。

軽減策にはさまざまな方策があることがわかったが、
今年3月、衆参正副議長による
「『退位等についての立法府の対応』に関する議論のとりまとめ」が政府に伝えられ、
安倍総理が直ちに特例法立案に取り組む発言があったのを踏まえ、
関連する課題について議論を進めてきた、というのである。

 
ここにはメディアが伝えてきた、
陛下による「生前退位」の御意向表明や昨年8月のお言葉がない。

一連の動きは陛下のお気持ちが出発点であることは誰の目にも明らかなのに、
その事実にはフタをするかたちで議論が進められ、報告書がまとめられている。

 
それはなぜかといえば、天皇は「国政に関する権能を有しない」とする
憲法上の制約があるからだろう。

天皇の発議によって新たな法制度をつくるなどということは憲法上あり得ない。
あえて行うというなら、皇室典範どころか、まずは憲法を改正するのが筋である。

この法的な制約を打開しつつ、陛下の御意向に添うにはどうすればいいのか、
関係者にとっては最大の苦心だったろう。
会議の名称が「退位」でなかったのもその結果だろう。

逆にいえば、なぜそこまで手の込んだ援護を必要とする
むずかしい事態に立ち至ったのか、である。


▽翻意を促すべきだった

おとといの日経新聞は、その辺の事情を浮かび上がらせていて、おもしろい。

退位のご意向が宮内庁から官邸に伝えられたのは平成27年10月ごろだったが、
「即位と退位の自由は憲法上、認められない」が官邸側の結論で、
同年暮れの誕生日のお言葉での表明も見送られた。

官邸サイドは風岡宮内庁長官に「摂政ではダメか」と繰り返し陛下の翻意を促したが、
否定的な返答しか返ってこなかった。

そこへ昨年7月、NHKのスクープ報道があり、
官邸は方針転換を余儀なくされていった、と伝えている。

とすると、あのスクープは誰が何の目的でリークした結果だったのか。
日経によれば、情報提供者は長官でも次長でもないらしい。

さらに日経は、8月8日のお言葉の作成段階に、
異例にも安倍総理が関与したことを伝えている。

「宮内庁の初稿は海外の退位事例を紹介するなど、
陛下の退位の意向があらわになる文面だった」から、官邸は削除を要求した。

なるほど陛下ご自身が発表されたメッセージは、
メディアが「退位の意向をにじませた」といくら報道しても、
「退位」表明と素直に読めないのは道理である。

文章のつながりが不自然に感じられるところがあるのは、
削除の結果だったろうと想像される。

ここでどうしても指摘しなければならないのは、宮内庁トップの役割である。
退位の否認は官邸のみならず、宮内庁の方針でもあり、
国会でもそのように何度も答弁してきたはずである。

長官は職を賭してでも翻意を促すべきではなかったか。

もうひとつ、なぜ陛下は憲法や皇室典範の規定に基づく、従来の政府の方針に
まっこうから抵抗なさるような「譲位」表明をなさることになったのだろうか。

皇位継承以来、何度も「憲法を守る」と表明されてきたはずなのにである。

最大の謎といえる。


▽もう時間がない

ともかく来年12月には御代替わりがやってくることは確実らしい。
即位の礼・大嘗祭は再来年の秋という日程になるだろう。

ある宮内庁OBによると、御代替わり儀礼を瑕疵なく執行するには、
祭儀を担当する職員の人数を増やす必要があるし、練習も必要で、
来年の新嘗祭を経験させる必要があるという。

そのことは当然、来年度の予算にも関わってくる。
宮廷費、内廷費の増額が必至である。

だとすると、今年夏に来年度予算の概算要求があり、
12月に財務省原案が策定され、政府案が閣議決定される
というタイムスケジュールにあわせて、作業を急ぐ必要がある。

ましてや御代替わり諸儀礼の正常化を願うなら、
実質的にはほとんど時間的余裕はない。

           <感謝合掌 平成29年4月24日 頓首再拝>

歴史的天皇像の喪失 - 伝統

2017/04/25 (Tue) 18:30:11


      *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成29年4月24日)より

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
歴史的天皇像の喪失
──『検証「女性宮家」論議』の「まえがきにかえて」 1
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の座長代理を務めた
御厨貴東大名誉教授が新聞各社のインタビューで、
「女性宮家」創設への施策を進めるよう安倍政権に要求している。

新聞記事によると、その目的は「皇族数の減少への対応」とされている。

消化剤をかけられて鎮火されたはずの「女性宮家」創設論が
ふたたびメラメラと火勢を盛り返そうとしている。
見かけの目的をふたたび衣替えしたうえで、である。

もともと、過去の歴史にない「女性宮家」創設論は、
平成8年に政府部内で皇室制度改革に関する非公式検討が始まって以降、
女性天皇・女系継承容認論と一体のかたちで生まれたものと考えられる。

野田内閣のときには陛下のご公務ご負担軽減を目的として、
「女性宮家」創設について検討する有識者会議が設けられたこともあった。

そして今度は、「皇族数の確保」のための「女性宮家」創設だという。

以前、私はこの議論はけっして終わらないと指摘したが、案の定である。
最終目的が女系継承容認論にあることは無論のことだと思われる。
手を変え、品を変え、容認論者たちの並々ならぬ執念を感じさせずにはおかない。

けれども、なぜそこまでしないといけないのか。
何のための執念なのか。

ということで、数年前に書いた『検証「女性宮家」論議──
「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』を、
加筆修正のうえ、転載したいと思う。

あの議論は何だったのか、あらためて検証してみる必要性を感じるからである。


まえがきにかえて

宮中祭祀にも「女性宮家」にも言及しない前侍従長インタビュー


▽1 歴史的天皇像の喪失

125代の長きにわたって続く天皇の歴史の重みを顧みずに、
公布からたかだか70年の現行憲法を起点に考える、
いわば「1.5代」象徴天皇論が社会の各要所を支配し、皇室の伝統を脅かしています。

古来、国の中心に天皇が一貫して存在してきた意味と価値が自覚されることなく、
あるいは自覚できずに、いつの間にか本来的なお役目が否認され、
まったく異質なものへと変質させられようとしているようです。

天皇の変質は文明の揺らぎそのものです。
文明の危機ともいうべき、きわめて重大な歴史の転換点を
迎えているように思えてなりません。

昨年(平成26年)来、「戦後70年」という言葉を聞くようになりました。
歴史の大きな節目とされ、安倍内閣は「総理大臣談話」の取りまとめに向け、
有識者による懇談会を立ち上げました。

未曾有の敗戦から70年、大戦の反省と戦後の平和的歩みを踏まえて、
21世紀の新たなビジョンを模索することは大きな意味があり、
政府の意気込みは評価されます。

それだけ20世紀において国の内外にもたらされた戦争の惨禍は筆舌に尽くしがたく、
今日に至るまで尾を引いていることが分かります。

 
けれども、それ以上に深刻なのは、文明の根幹に関わる地殻変動です。

1200年以上前の古代律令に、

「およそ天皇、即位したまはむときは、すべて天神地祇を祭れ」(「神祇令」の「即位条」)

と定められ、鎌倉時代に順徳天皇が宮中の有職故実などについて記録された
「禁秘抄(きんぴしょう)」の冒頭に、

「およそ禁中の作法は神事を先にし、他事を後にす」

と明記されているように、
天皇とは国と民のため、皇祖神ほか天神地祇にひたすら祈る存在です。
むかしもいまも、天皇は1年365日、祈りの日々を過ごしておられます。

けれども、その事実すら、現代人の多くは知りません。
戦後のメディアはほとんど報道しないからです。

祈りの存在であることが天皇の天皇たるゆえんであり、
天皇が国の頂点に位置する統治者であることを意味してきたのですが、
その意味を現代的に説明してくれる人も見当たりません。

それどころか、天皇の祭祀は、まるで過去の遺物でもあるかのように誤解され、
側近たちからさえ敬遠されています。

 
占領期に憲法は変わり、天皇は国および国民統合の「象徴」と位置づけられ、
古代から天皇第一のお務めとされてきた宮中祭祀は「皇室の私事」に貶められたままで、
昭和40、50年代には、無原則な祭祀の簡略化が進められました。

平成に入ると、政府は、御代替わりの諸儀式を「憲法の趣旨」に反するとみなし、
歴史的変更を加えました。

ごく最近では、過去の歴史にない、女性天皇・女系継承容認の認否論議や、
いわゆる「女性宮家」創設論議が、立て続けに起きました。
その発信元は、後述するように、世界に冠たる、有能な日本の官僚たちでした。

国民的議論が盛んなのは悪いことではありませんが、議論の中身を見ていくと、
歴史的天皇像の喪失という憂慮すべき現実が浮かび上がってきます。

それは天皇制度の改革ではなく、終焉なのです。

  (http://melma.com/backnumber_170937_6519662/

           <感謝合掌 平成29年4月25日 頓首再拝>

歴史的天皇像の喪失~その2 - 伝統

2017/04/26 (Wed) 16:56:44


      *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成29年4月25日)より


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
渡邉允元侍従長の「遺言」
──『検証「女性宮家」論議』の「まえがきにかえて」 2
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


以下は、拙著『検証「女性宮家」論議──
「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの転載です。
一部に加筆修正があります。


まえがきにかえて

宮中祭祀にも「女性宮家」にも言及しない前侍従長インタビュー


▽2 前侍従長の「遺言」


歴史的天皇像の喪失は陛下の側近にまでおよんでいます。
というより、側近たちこそ、震源地なのでした。

たとえば、日経ビジネスオンラインは特別企画として、
戦後のリーダーたちが未来に託す「遺言」を連載していますが、

2月4日の第10回目に登場したのは、
今上天皇の側近中の側近である渡邉允(わたなべ・まこと)前侍従長でした
(この文章を書いた当時は前職でしたが、現在では元職です)。

記事をまとめた中川雅之記者によるプロフィール紹介では、
前侍従長の曾祖父・渡邉千秋氏は明治天皇崩御時の宮内大臣で、
父は「昭和天皇最後のご学友」として知られる渡邉昭氏。
現役の川島裕侍従長をのぞけば、唯一存命の侍従長経験者、と説明されています。

 
今上陛下に個人として近侍しただけでなく、
家柄としても皇室ときわめて関係の深いキーパーソンだというわけです。

けれども、そうであるなら、いや、そうであるだけに、じつに不可思議です。

記事には、古来、天皇第一のお務めとされてきたはずの宮中祭祀も、
ついこの間、国民的な大議論を巻き起こしたばかりの、いわゆる「女性宮家」創設問題も、
すっぽりと抜け落ちているからです。

渡邉前侍従長ら側近たちは御在位20年をひかえて、
ご高齢になった陛下のご健康をおもんぱかり、ご負担軽減に取り組みました。

けれども、いわゆる御公務はいっこうに減らず、それどころか逆に増え、
それとは対照的に、簡略化され、お出ましが激減したのが、
天皇第一のお務めである祭祀でした。

これが平成の祭祀簡略化です。
つまり、側近たちによる御公務ご負担軽減策は大失敗したのです
(拙文「天皇陛下をご多忙にしているのは誰か」=「文藝春秋」平成23年4月号)。

しかしそれなら、御公務そのものをあらためて大胆に見直し、
削減策を早急に講じるべきなのに、民主党政権は、皇室のご活動を安定的に維持し、
両陛下のご負担を軽減するため、女性皇族にご分担を求めたいという理屈で、
無謀にも皇室制度の検討に着手し、いわゆる「女性宮家」創設に関する
有識者ヒアリングを開始させました。

かまびすしい論議の発端は、後述するように、
御在位20年を機に、ほかならぬ前侍従長らが提案したことで、
メデイアの初出はこれまたほかならぬ日経本紙の連載でした。

ただし、このときの問題意識は「皇統の悩み」であり、
「『このままでは宮家がゼロになる』との危機感」と伝えられました。

しかし国家の基本に関わる大テーマについて、あれだけの大論争を呼び起こしながら、
結果的に何がどう変わったのか、嵐が過ぎ去ると、まるで何事もなかったかのように、
元側近は黙して語らない、責任も問われない、メディアも報道しようとしない。

これは、いったい、どういうことなのでしょうか?

  (http://melma.com/backnumber_170937_6519958/

           <感謝合掌 平成29年4月26日 頓首再拝>

歴史的天皇像の喪失~その3 - 伝統

2017/04/27 (Thu) 18:20:57


      *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成29年4月26日)より

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
前侍従長の「象徴」と陛下の「象徴」
──『検証「女性宮家」論議』の「まえがきにかえて」 3
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

以下は、拙著『検証「女性宮家」論議──
「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの転載です。
一部に加筆修正があります。


まえがきにかえて

宮中祭祀にも「女性宮家」にも言及しない前侍従長インタビュー


▽3 前侍従長の「象徴」と陛下の「象徴」

渡邉允前侍従長(いまは元職)は、インタビュー記事の冒頭、こう語っています。

「10年半で私が感じたことというと、やっぱり一番は天皇陛下の無私の心です。
一言で言ってしまえば、そういうことなんだと思うんですよ」

「天皇に私なし」とは古来、いわれてきたことです。

天皇には姓も名もありません。

たとえば、今上陛下の弟宮・常陸宮様は「正仁親王殿下」とお呼び申し上げますが、
陛下はあくまで「天皇陛下」です。
現に皇位にある天皇はお名前では呼ばれないのです。

天皇が固有名詞で呼ばれるのは、崩御(ほうぎょ)ののちのことです。

 
それにしても、不可解です、

「10年半、侍従長を務めました」

「一般の方々に比べて、普段の陛下のお姿を拝見する機会が多かったわけです」

とみずから語る「天皇家の執事」は、もっぱら今上陛下個人について語っています。

しかも、今上陛下の「無私の心」が何に由来するのか、
深く追究されていないようなのです。

前侍従長はまず日本国憲法を引用します。

「陛下は日本国の象徴であり、国民統合の象徴であるというお立場でいらっしゃいます。
これは寝ても覚めてもそうで、一時たりともそのお立場でない時間は無いわけですね」

前侍従長の説明は、陛下の「無私の心」があたかも現行憲法の
「象徴天皇」制度に基づいているかのような錯覚を覚えさせます。

けれども、そんなことはあり得ません。

すでに書いたように、天皇とは古来、公正かつ無私なる祭り主なのです。

 
たとえば、後鳥羽上皇の日記「後鳥羽院宸記」の建暦2(1212)年10月25日条には、
大嘗祭で新帝が神前に捧げる、天皇直伝で一般には知られない
「申詞(もうしことば)」について、弱冠14歳で即位された、
第3皇子の順徳天皇に教えられたことが記録されています。

「伊勢の五十鈴(いすず)の河上にます天照大神(あまてらすおおかみ)、
また天神地祇(てんじんちぎ)、諸神明にもうさく。

朕(ちん)、皇神の広き護りによりて、国中平らかに安らけく、年穀豊かに稔り、
上下を覆寿(おお)いて、諸民を救済(すく)わん。
よりて今年新たに得るところの新飯を供え奉ること、かくのごとし」(原文は白文)

 
今上陛下は、歴代天皇と同様、皇位継承以来、この申詞にあるように、
国と民のため、皇祖神のみならず天神地祇にひたすら祈る宮中祭祀を重ねられること
によって、「無私の心」を磨いてこられたのです。

陛下はまた、けっして単純な護憲派ではありません。
占領軍による「押しつけ憲法」と卑下され、せいぜい70年弱の歴史しかない
日本国憲法が、悠久の歴史を紡いできた天皇の精神の根拠となるはずはありません。

たとえば、御即位20年の記者会見で、
憲法が定める「象徴」という地位についての質問を受けられた陛下は、

「長い天皇の歴史に思いを致し、国民の上を思い、象徴として
望ましい天皇の在り方を求めつつ、今日まで過ごしてきました」

とお答えになりました
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h21-gosokui20.html〉。

 
陛下にとっては、「長い天皇の歴史」すなわち祭祀王としての歴史と、
現行憲法上の「象徴」というあり方の2つが同時に重要なのです。

10年以上もお側に仕えた側近中の側近なら、そんなことは容易に理解できるでしょうに、
前侍従長の「象徴」はあくまで現行憲法的「象徴」なのです。

前侍従長は、ほかの雑誌インタビューでは、こう述べています。

「昭和天皇は、新憲法下の天皇として戦後を生きられましたが、
やはりそれ以前に大日本帝国憲法下の天皇として在位されたことは否めないことでした。
一方、今上陛下はご即位のはじめから、現憲法下の象徴天皇であられた」
(インタビュー「慈愛と祈りの歳月にお伴して」=「諸君!」平成20年7月号所収)

昭和天皇は在位の途中から、なのに対して、
今上天皇は最初から、「象徴天皇」制度の下での「象徴天皇」だという理解です。

まるで皇室の伝統、天皇の祭祀を避けるかのような姿勢は、
「1.5代」象徴天皇論に取り憑かれた結果でしょうか?

  (http://melma.com/backnumber_170937_6519974/

           <感謝合掌 平成29年4月27日 頓首再拝>

歴史的天皇像の喪失~その4 - 伝統

2017/04/28 (Fri) 18:45:28


      *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成29年4月27日)より

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
社会的に活動なさるのが天皇ではない
──『検証「女性宮家」論議』の「まえがきにかえて」 4
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


以下は、拙著『検証「女性宮家」論議
──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの転載です。
一部に加筆修正があります。



まえがきにかえて

宮中祭祀にも「女性宮家」にも言及しない前侍従長インタビュー


▽4 社会的に活動なさるのが天皇ではない

渡邉前侍従長(いまは元職)はインタビュー記事のなかで、
「無私の心」の現れとして、陛下のご活動に言及しています。

若いころに親族と離ればなれになったハンセン病患者の療養所を訪ねられ、
老後を心配され、1人1人に親しく声をかけられ、
そのお姿に看護師たちがもらい泣きするというエピソードは、じつに感動的です。

 
宮崎県の西都原(さいとばる)古墳群では、あるとき住民が通りかかったところ、
突然、地面が陥没し、新たな古墳が発見された、という県知事の説明を受けられた陛下は、

「通りかかった方に、ケガはありませんでしたか?」

と質問なさいました。

ふつうの人なら古墳についてもっと知ろうとするだろうけれども、
陛下は違っていたというわけです。前侍従長は、

「とても小さいことだけど、だからこそ、
普段からそういう発想をしていなければ出てこない言葉だと思う」

と解説し、

「この方はこういうものの考え方なんだな」

と納得しています。

 
けれども、これはまったく間違っています。
感動的な話だけに、逆に困るのです。

 
第一に、古来、社会的に活動なさることが、天皇の天皇たるゆえんではないからです。
第二に、国民に心を寄せられるのを、今上陛下個人の人間性と見るべきでもありません。

天皇が各地に行幸され、国民と親しく交わられるようになったのは
近代以後のきわめて新しい現象ですが、陛下が国民1人1人に寄り添おうとなさるのは、
祭祀王としてのご自覚がおありだからでしょう。

古くから、天皇統治とは「しらす」政治、すなわち「知る」政治といわれ、
歴代の天皇は、多様なる民の多様なる声に耳を傾け、多様な心を知り、
喜びや栄光のみならず、悲しみや憂いを分かち合おうされます。

その王者の伝統は、神々に食を捧げ、みずから召し上がり、
神々と民と命を共有する祭祀を厳修なさることと軌を一にしています。

 
中川記者によると、前侍従長は退任後、「畏れ多いことながら」としつつ、
両陛下の普段の姿を広く知ってもらうために、講演活動を重ねているとのことですが、
祭祀の伝統を語らず、かえって

「宮中祭祀は、現行憲法の政教分離の原則に照らせば、
陛下の『私的な活動』ということにならざるを得ません」
(前掲「諸君」平成20年7月号インタビュー)

と明言してはばからないのは、皇室を敬愛する国民をむしろ混乱させるものです。

 
天皇は祭祀王だと位置づけられるなら、拝謁やお茶でご多忙になることはありません。
側近は陛下の祈りのお姿を国民に知らせればいいのです。

そうではなくて、社会的活動家だとすれば、陛下はますますご多忙を極めることになります。
陛下をご多忙にしているのは側近たちであって、皇室制度ではありません。

陛下が祭り主ではなくて、社会活動家であり、護憲派であるかのような
現行憲法を起点とする「1.5代」象徴天皇論を宣伝する、元側近の情報発信は、
国民のあいだに誤解を拡大させることにならないか、と心から心配します。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

 (http://melma.com/backnumber_170937_6519978/

           <感謝合掌 平成29年4月28日 頓首再拝>

歴史的天皇像の喪失~その5 - 伝統

2017/04/30 (Sun) 19:04:57


      *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成29年4月28日)より

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
社会的弱者のための天皇ではない
──『検証「女性宮家」論議』の「まえがきにかえて」 5
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


以下は、拙著『検証「女性宮家」論議
──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの転載です。
一部に加筆修正があります。


まえがきにかえて

宮中祭祀にも「女性宮家」にも言及しない前侍従長インタビュー


▽5 社会的弱者のための天皇ではない

渡邉前侍従長(いまは元職)が仰せの現行憲法的「象徴」天皇論を、
百歩譲って認めたとして、国民に寄り添う「象徴」としての行為と、

「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行う」

と定める憲法(第4条)の規定は、いかなる関係になるのか、
少なくとも私にはほとんど理解不能です。

 
前侍従長は「象徴」について、こう語ります。少し長いですが、引用します。

「『象徴』とは何か、と聞かれると答えにくいですよね。
でも陛下がされていることというのは、要は求心力を働かせるということ
ではないでしょうか。

これは非常に嫌なことではありますけど、社会から遠心力が働いて
外周部に追いやられてしまいがちな方々が実際にはいらっしゃる。

もうずっと以前からハンセン病や障害者スポーツなどに関わる方と
陛下は親交をもってこられましたが、そういう方々に求心力を働かせて、
遠心力ではじき飛ばされることがないようにする。

それがまさに『日本国民統合の象徴』として、
陛下がされていることなんじゃないでしょうか」

 
これも間違いだと思います。
社会的弱者のため、社会的にご活動なさるのが天皇という存在ではないし、
為政者の不始末を尻ぬぐいするのがお役目ではないからです。

 
古来、国と民をひとつに統合するのが天皇の第一のお務めであり、それが祭祀です。
天皇の「求心力」は「遠心力」を前提にしているのでもないでしょう。

前侍従長は、「もう1つ印象に残ったこと」として、
日銀総裁によるご進講の逸話を紹介しています。陛下は

「この頃、格差ということを聞くようになりましたけど、それについてはどうですか?」

とお尋ねになったというのです。

そのときの総裁の答えがピントはずれと感じた前侍従長は、ご進講のあと、総裁に

「陛下がああいうことをおっしゃっていたのは、
要するに格差で落ちこぼれる人が出てきているというふうに自分は理解していると。
その人たちのことはどうするんですかということだったんだと私は思いますよ」

と申し上げたというのです。

前侍従長の理解では、「遠心力」ではじかれた「弱者」を救済し、
「求心力」を働かせるのが天皇のお役目だということになるのでしょうか。

そうではなくて、もっともっと高い次元にあるのが皇位というものはないでしょうか?

たとえば、近代を代表する啓蒙思想家の福沢諭吉は『帝室論』に

「帝室は政治社外のものなり」

と書きました。

福沢は、皇室の任務は民心融和の中心たる点にあると理解し、
政治圏外の高い次元での国民統合の役割を期待したといわれます
(小泉信三『ジョオジ五世伝と帝室論』)。

 
天皇にとっては、強者であれ、弱者であれ、
すべての民が「赤子(せきし)」のはずだし、
国民に寄り添う天皇のお出ましが、社会的不満のガス抜きに利用されてはなりません。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

  (http://melma.com/backnumber_170937_6521418/

           <感謝合掌 平成29年4月30日 頓首再拝>

歴史的天皇像の喪失~その6 - 伝統

2017/05/01 (Mon) 18:59:06


      *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成29年4月29日)より

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「象徴」天皇論の宣教師
──『検証「女性宮家」論議』の「まえがきにかえて」 6
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


以下は、拙著『検証「女性宮家」論議──
「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの転載です。
一部に加筆修正があります。


まえがきにかえて

宮中祭祀にも「女性宮家」にも言及しない前侍従長インタビュー


▽6 「象徴」天皇論の宣教師


渡邉前侍従長(いまは元職)は、日経ビジネスの連載企画の趣旨に沿って、
「陛下のメッセージ」に言及しています。

「僕が推測するに、天皇陛下がもし仮にここで次の世代に伝えたいことがあったら
何かという質問があったら、先の大戦のことをおっしゃると思うんです。

80歳のお誕生日のときに、80年で一番印象に残っていることは何かという質問に対して、
やっぱりそれは大戦のことだとおっしゃっていますから」

「絶対に戦争のことが忘れられないように語り継がれてほしいと。
これは陛下が後世に伝えたい非常に大事なメッセージだと思います」

編集部の注釈によると、インタビューは平成26年12月1日に行われました。
陛下はひと月後、「戦後70年」となる翌年の新年に当たっての「ご感想」で、
こう述べられました。

「(終戦から70年の)この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、
今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gokanso/shinnen-h27.html

前侍従長がインタビューで語った推察どおりということでしょうか。

けれども、私は違うと考えています。

前侍従長はインタビューのなかで、「終戦のとき小学校3年」だったという
戦争の「体験」「記憶」を強調しています。
しかし陛下の場合は、けっして個人的な「体験」だけではないと私は思うのです。

「私」的な「体験」からは「私」を離れた「無私の心」は生まれないし、
社会的なご活動を重ねることで「無私の心」が生じるなら、
明治以前、近代以前の天皇は「無私の心」をお持ちでなかったということなのでしょうか。

そんなことはあり得ません。

陛下が「戦争の歴史」を重視なさるのは、歴代天皇と同様、
国と民のために祈られる祭祀王だからでしょう。
いつの世も平和だとは限りません。

遠く神代の時代に、

「豊葦原(とよあしはら)の中国(なかつくに)は、是(これ)、
吾(わ)が児(みこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり」(「日本書紀巻第二」)

と皇祖天照大神(あまてらすおおかみ)から国の統治を委任されたという
お立場であれば、「無私の心」で真剣な祈りを捧げざるを得ません。
それが天皇の祭りです。

 
曾祖父は宮内大臣、父は「昭和天皇のご学友」、それほどご立派なお血筋の前侍従長に、
それが理解されないのか、そんなことはないでしょう。

実際、前侍従長は伊勢神宮での講演(平成21年6月)でこう語っています。

「陛下は宮中祭祀にあたって、天皇としての務めを果たすことを誓われ、
国民の幸せ、国家の平安、五穀豊穣を祈られるのですが、陛下は祭祀のときだけ突然、
そういうことをなさるわけではなくて、私の実感としまして、むしろつねに
自然にそういう御心でいらっしゃるということです」
                  (伊勢神宮広報誌「瑞垣」平成21年7月)

 
一見、天皇が古来、祭り主とされてきた歴史と伝統を十分に理解しているようにも見えます。
けれども、それなら、陛下のご高齢を名目に御公務ご負担軽減に取り組み、
実際はご負担軽減どころか、天皇の聖域である祭祀に不当に介入し、
さらに皇室の歴史にはない「女性宮家」創設まで提唱し、
そして、いままた現行憲法論的「象徴」天皇論の宣教師を演じているのは、なぜでしょうか?

 
側近が陛下より憲法に忠誠を誓うことは、謀叛ではないでしょうか。
皇室制度改革に名を借りて、皇室の歴史と伝統を否定する革命ではないのでしょうか?


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

  (http://melma.com/backnumber_170937_6521421/

           <感謝合掌 平成29年5月1日 頓首再拝>

歴史的天皇像の喪失~その7 - 伝統

2017/05/02 (Tue) 20:26:12


      *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成29年4月30日)より


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
理性の回復を信じたい
──『検証「女性宮家」論議』の「まえがきにかえて」 7
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 以下は、拙著『検証「女性宮家」論議
──「1・5代」天皇論に取り憑かれた側近たちの謀叛』からの転載です。
一部に加筆修正があります。


まえがきにかえて

宮中祭祀にも「女性宮家」にも言及しない前侍従長インタビュー


▽7 理性の回復を信じたい

いま2年の時を経て(一般に、「女性宮家」創設論議の発端は
平成23年11月の読売新聞のスクープが発端とされています。
それからもう5年半になります)、

あらためて、前侍従長ら側近たちが火を付けた「女性宮家」論議の検証を試みるのは、
より多くの方々に、さらに真剣に考えてほしいと願うからです。

70年前、未曾有の惨禍を招いた戦争が終結したあと、
戦勝国は勝利におごり、敗戦国は憔悴し、新たな無法が吹き荒れていました。

そのときインドのラダビノード・パール判事は、

「時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には、
その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、
そのところを変えることを要求するであろう」

と判決文(反対意見書)の最後を締めくくりました。

感情の動物である人間が冷静さを取り戻すには、時が必要です。

 
以下の文章は、国民的大議論が燃えさかった平成24年当時、書きためた
「斎藤吉久の『誤解だらけの天皇・皇室』メールマガジン」の記事を元にしています。

その後、新たに得られた知見と考察を加えるなど、大幅に加筆修正し、
電子書籍として再構成したのは、時の経過による理性の回復を信じたいからです。

結論的にいえば、いわゆる「女性宮家」創設論議には、
以下のような5つの実態と問題点が、少なくとも指摘されるでしょう。

(1)歴史的天皇像の喪失。天皇論といえば、社会一般に、現行憲法第一主義が浸透し、
   古来、「祭り主」「祭祀王」とされてきた歴史的な天皇のあり方に対する
   知識や理解が失われ、関心も払われなくなっていること。

(2)いびつな政教分離論。天皇を「祭り主」と位置づける皇室の伝統と、
   「国はいかなる宗教的活動もしてはならない」(日本国憲法第20条第3項)と
   規定する、憲法の政教分離原則を対立的にとらえ、
   天皇の祭祀を「特定の宗教」とみなして、
   不当に干渉することが一貫して続いていること。

(3)官僚たちの暴走。昭和の祭祀簡略化も、平成の祭祀簡略化も、
   側近たちの独断専行で進められたこと。
   女性天皇・女系継承容認へと踏み出したのも、有能なはずの官僚たちだったこと。

   「女性宮家」創設論はその延長線上にあるが、その目的とされた、
   陛下の御公務ご負担軽減を阻むカベもまた官僚社会だったこと。

(4)官僚と政治家と知識人とメディアの四角関係。
   皇室の伝統におよそ造詣のない政治家の発言をきっかけに、
   官僚たちの非公式検討が始まり、

   やがていわゆる御用学者と呼ばれるような知識人が参加し、
   さらに不正確な報道が加わって、混乱が増していくという実態があること。

(5)学問研究の未熟。
   天皇統治の本質は祭祀にあるが、天皇論を語るべき学問研究のレベルが
   時代のニーズに追いついていないために、バランスに欠けた論議が続いていること。

   とりわけ宗教学、神道学、祭祀学の深化、進展が急務と思われること。


以上、斎藤吉久『検証「女性宮家」論議』(iBooks)から抜粋。一部に加筆修正があります

  (http://melma.com/backnumber_170937_6521423/

           <感謝合掌 平成29年5月2日 頓首再拝>

伊藤智永毎日新聞記者の有識者会議報告批判を読む - 伝統

2017/05/11 (Thu) 20:57:25


      *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成29年5月11日)より


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
安倍流保守陣営を批判するだけでは足りない
──伊藤智永毎日新聞記者の有識者会議報告批判を読む
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「サンデー毎日」5月28日号に、伊藤智永記者が
「退位問題を徹底考察!! ポスト平成時代の天皇論」を書いている。

伊藤記者は、陛下が昨夏のお言葉で問題提起した「象徴のあり方」をめぐる
本質的な議論を、有識者会議が切り捨てていると指摘しているが、
そこまではまったく同感である。

 
陛下が国民に問われたのは、退位の認否ではなくて、
戦後の象徴天皇制度のあり方そのものであろう。

それに対して、もっぱら退位の認否と法制化の方法論にほぼ終始した
有識者会議は大いに批判されてしかるべきだと思う。

伊藤記者のこのような記事が現れたことに、私は心から敬意を表したい。
ただし批判もある。


▽1 有識者会議は動かなかった

発端となった昨年8月のお言葉とは何だったのか、伊藤記者は次のように解説する。

「天皇陛下は自らの体験を省察した結果、天皇の象徴性は、
憲法に列挙された国事行為だけでは実現されないと確信した。

どうすれば象徴天皇であり得るかは、時代に応じた独自の行為を
積み重ねることによって造形するしかなく、象徴天皇制として成り立つかは、
国民の理解と共感によって肉付けできるかにかかっている。

象徴天皇を具体化し、続けていくのは、優れて創造的な営みに他ならず、
そのための体力と気力と感性、若さと成熟のバランスが必要である。

自分と皇后が創始した象徴のあり方を、公務縮小や摂政という空白や中断を挟まず、
この先も息長く継続させていくためにどうすべきか、政府と国民が皆で考えてほしい、
と問いかけた」


「天皇主権が国民主権に変わった戦後民主主義でも天皇制を続けていくなら、
象徴天皇制でいくしかないと憲法は定めた。

自分と皇后は生涯かけてその実践に努めてきたが、
政府と国民はこの先も象徴天皇制を続けていく意志がありますか、
あるなら制度の改革が必要だが、何年も前から政府に働きかけても、
政治家は火中の栗を拾おうとしない。

官僚任せの先送り癖と事なかれ主義で一向に動いてくれなかった。
やむを得ず、思い切って国民に直接『個人として、これまでに考えて来たこと』
『私の気持ちをお話し』するので検討してほしい、と行動された」


「政府と国民に求められたのは、象徴天皇制に対する支持の再確認、
天皇、皇后両陛下が実践してきた象徴としてのお務めを評価するなら
『平成流』の定着と継続に協力してほしい、

また象徴制の担い手を安定的に確保(皇統継続)するために不可避な
女性宮家創設または女性天皇容認を早く決断してほしい、
という点にあったのは明白である」


しかし有識者会議は動かなかったと指摘し、
伊藤記者はさらに安倍流保守陣営への批判を展開している。



▽2 なぜ祈りに注目しないのか

伊藤記者と私の違いは4点である。

 
まず、「平成流」である。

陛下が皇后陛下とともに実践的に築き上げられてきた象徴天皇のあり方を、
皇室ジャーナリズムはしばしば「平成流」と呼んでいる。

伊藤記者によると、陛下はお言葉で、国民に「平成流」への支持を求めた
と解釈しているが、そうではないと思う。

もともと陛下は「平成流」を認めておられない。
ご在位二十年の記者会見では、ずばり
「平成の象徴像というものをとくに考えたことはありません」と答えられているほどだ。

陛下は、新しい皇室像を作られたのではなくて、
歴代天皇に思いを馳せ、歴史を引き継ぐことの重要性を指摘されている。

ついでながら、伊藤記者は「生前退位」なる表現を使用しているが、
そのような皇室用語はない。

女性天皇・女系継承容認=「女性宮家」創設を陛下がお望みであるかのような解説は
勇み足だと思う。

 

第2に、それと関連して、伊藤記者が
「宮中祭祀の多くは近世末期、人為的に創造された」と断定しているのには、
承知できない。

陛下はいみじくもお言葉で、
「天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来られた」
と仰せで、伊藤記者がいう「平成流」のご活動はこの祈りの結果であり、
その祈りは「およそ禁中の作法は神事を先にす」(順徳天皇「禁秘抄」)と歴代天皇が信じた、
天皇=祭り主とする古来の皇室観による。

振り返れば、宮内庁によるご公務ご負担軽減は、ご在位二十年を機に、
ご年齢とご健康を名目に始まったが、もっぱら標的にされたのは祭祀であり、
ご公務は逆に増え続けた。

このご負担軽減策の失敗によって、
皇室の伝統と憲法の規定の2つを大切にされることを繰り返し表明されてきた
陛下の苦悩がいちだんと深まったことは明らかだろうし、昨夏のお言葉へと
つながったことは容易に想像される。

伊藤記者が陛下の祈りに注目しないのは、偏見でもあるのだろうか。
祭祀の多くは明治の創作とする理解も疑わしい。

明治以前は大祭級では神嘗祭(かんなめさい)、新嘗祭(にいなめさい)の2祭、
小祭級では歳旦祭(さいたんさい)、祈年祭(きねんさい)、賢所御神楽(みかぐら)の3祭、
そのほか四方拝(しほうはい)、節折(よおり)、大祓(おおはらい)の3式がすでに定められていた。

新たな祭祀には、元年8月に創祀された明治天皇誕生日の天長節などがあるが、
これを「祭祀の多くは」と表現するのは無理があろう。正確な議論を望みたい。



▽なぜ宮内庁を批判しないのか

第3に、伊藤記者は政治記者だから、勢い安倍政権批判に傾くのは
理解できないわけではないが、バランスに欠けていないか。

憲法は国事行為については定めているが、ご公務には法的根拠はない。

であればこそ、陛下は全身全霊をもって、
みずから象徴天皇のあり方を模索し続けてこられた、
そうせざるを得なかったのだと思う。

戦前は皇室典範を頂点とする宮務法の体系があったが、
日本国憲法の施行とともに皇室令は全廃され、
それに代わる法体系はこの70年、作られなかった。

この不作為を批判されるべきは、安倍政権ではなくて、日本国民とその代表者たちである。
だからこそ、陛下は主権者とされる国民に問いかけられたのではないか。

 
第4は、舌鋒鋭い政権批判に引き替え、
伊藤記者の記事には宮内庁批判が見当たらないことである。

伊藤記者は陛下のお言葉を高く評価しているが、
なぜ陛下はみずからビデオでお言葉を発せられなければならなかったのだろう。

宮内庁長官ほか側近たちがお気持ちを代弁することはできなかったのか。

あまつさえ、関係者のリークと思われる「生前退位」報道が
ことの発端とならなければならなかったのは、なぜなのか。

私は、宮内庁の機能不全は明らかであり、批判されてあまりあると思うが、
伊藤記者はそうは思わないのか。
それとも宮内庁批判は次号に載るのだろうか。

「生前退位」なる用語でイメージ操作しようとしたメディアの責任も避けられないと思う。

  (http://melma.com/backnumber_170937_6527056/

           <感謝合掌 平成29年5月11日 頓首再拝>

ご公務ご負担軽減を検討しなかった有識者会議? 1 - 伝統

2017/05/17 (Wed) 18:48:33


      *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成29年5月17日)より

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
陛下のご公務の何が増えたのか
──ご公務ご負担軽減を検討しなかった有識者会議? 1
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


昨年来、陛下の「退位」問題が議論されることになったのは、
療養中で、ご高齢にもかかわらず、ご公務のご負担がいっこうに減らない
という実態があるからだった。

いったいご公務の何が件数として減らないのか。
原因が分からなければ、軽減策の打ち出しようがない。

ところが、その名もずばり「公務の負担軽減等に関する有識者会議」と銘打った、
総理の私的諮問機関がこれを具体的に検討した気配が感じられない。

それどころか、現実的な「負担軽減」より、
「等」の退位問題に一足飛びにテーマは発展し、
法制化の手法に特化してしまったのである。

宮内庁は肝心の検討材料となるデータを出し渋ったとも伝えられる。

それではお話にならない。どうしてそうなるのだろうか。

ここでは会議の資料をもとに、あらためてご公務ご負担について、具体的に考えみたい。



▽激増した「お茶・茶会」

有識者会議最終報告の「参考資料」に
「天皇陛下のご活動の概況及び推移」(70ページ)と題する一覧表が載っている。
昭和天皇と今上天皇のそれぞれ57歳、82歳時の各ご公務の件数が数値で示されている。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/koumu_keigen/pdf/sankousiryou.pdf

「国事行為は大きな変化は見られない。
行幸啓や茶会などの国民と接するご活動や外国ご訪問など全般に増加傾向」
との説明があり、「お茶・茶会」「行幸啓におけるご活動」
「外国ご訪問におけるご活動」の部分が赤枠で囲まれ、強調されている。


昭和天皇の場合、昭和33年、天皇57歳時の「お茶・茶会」はわずかに3件、
これが58年、82歳時には4件に増えた。

今上陛下の場合は、平成3年、57歳時の「お茶・茶会」が26件、
27年、82歳時には57件。
25年間でプラス31件(2.2倍)に増えている。

「行幸啓」は、昭和天皇の場合は125件から42件に減少したが、
今上天皇は88件から128件、プラス40件(1.45倍)、逆に増えた。

「外国ご訪問」は、昭和天皇のデータはないが、今上天皇は44件から10件。
マイナス34件と示されている。

とくに今上天皇の「お茶・茶会」の激増が顕著である。

何がこんなに増えたのか、今上陛下の「ご日程」から具体的に検証してみたい。
昭和天皇との比較もしたいところだが、残念ながら公表データがない、


▽今上陛下57歳時の「お茶・茶会」

まず、平成3年、今上陛下57歳時の「お茶・茶会」である。
参考までに皇后陛下のご公務もあわせて拾ってみることにする。

○ 1月10日(木) 皇后陛下 お茶(ブロッキー夫妻)(赤坂御所)
1 1月22日(火) 天皇陛下 お茶(退官認証官)(宮殿)
2 1月25日(金) 天皇皇后両陛下 お茶(帰朝大使夫妻
(ドイツ,マレーシア,リベリア,コートジボワール))(宮殿)


3 2月5日(火) 天皇陛下 お茶(退官認証官)(宮殿)
4 2月8日(金) 天皇皇后両陛下 お茶(新任外国大使夫妻
(ドミニカ共和国,コスタリカ,ルーマニア,エルサルバドル,
ヨルダン,モロッコ,オーストリア))(宮殿)

5 4月1日(月) 天皇陛下 お茶(世界保健機関事務局長)(赤坂御所)
6 4月8日(月) 天皇陛下 拝謁・お茶(衆議院,参議院の役員)(宮殿)
7 4月30日(火) 天皇皇后両陛下 お茶(スリランカ前大統領夫妻)(赤坂御所)

8 5月7日(火) 天皇皇后両陛下 お茶(新任外国大使夫妻
(フランス,大韓民国,ペルー))(宮殿)
9 5月14日(火) 天皇皇后両陛下 お茶(帰朝大使夫妻
(ニュージーランド,ポルトガル,チュニジア,ベトナム))(宮殿)


10 6月1日(土) 天皇皇后両陛下 お茶(英国王族マイケル王子殿下)(赤坂御所)
11 6月3日(月) 天皇皇后両陛下 お茶(日本芸術院賞受賞者,新会員)(宮殿)
12 6月10日(月) 天皇皇后両陛下 お茶(日本学士院賞受賞者,新会員)(宮殿)
13 6月27日(木) 天皇皇后両陛下 お茶(新指定重要無形文化財保持者)(赤坂御所)

14 7月5日(金) 天皇皇后両陛下 お茶(日本芸術院第一部会員)(赤坂御所)
15 7月9日(火) 天皇皇后両陛下 お茶(日本院学士第一部会員)(赤坂御所)

16 9月6日(金) 天皇皇后両陛下 お茶(新任外国大使夫妻
(メキシコ,ブルガリア,タンザニア,パプアニューギニア,
インドネシア,タイ,ミャンマー,ガボン))(宮殿)
17 9月13日(金) 天皇皇后両陛下 お茶(外国ご訪問首席随員始め)(宮殿)
18 9月17日(火) 天皇皇后両陛下 お茶(ご訪問3か国関係友好親善団体役員)(宮殿)

19 10月31日(木) 天皇皇后両陛下 茶会
(タイ,マレーシア,インドネシアご訪問関係者)(宮殿)

20 11月5日(火) 天皇皇后両陛下 お茶(文化勲章受章者,文化功労者等)(宮殿)

21 12月6日(金) 天皇皇后両陛下 お茶
            (帰朝大使夫妻(モンゴル,ネパール,リビア,ボリビア))(宮殿)
22 同日 天皇陛下 お茶(退官認証官)(宮殿)

23 12月12日(木) 天皇皇后両陛下 お茶(新任外国大使夫妻
             (ベネズエラ,デンマーク,キューバ,ネパール,
              バングラデシュ,コートジボワール,シンガポール,
              ニカラグア,カタール,ブラジル))(宮殿)
24 12月13日(金) 天皇陛下 お茶(退官認証官)(宮殿)

以上、24件で、有識者会議の資料より2件少ないのは、
「ご日程」に載らない「お茶・茶会」があるということだろう。

おそらく宮内庁HPの「ご日程」では、
皇后陛下お誕生日および天皇陛下お誕生日の祝賀行事の詳細が記載されず、
このとき行われたと思われる茶会がカウントできないからだと推測される。


▽陛下82歳時の「お茶・茶会」

 ともあれ、次に平成27年、陛下82歳時の「お茶・茶会」を見てみる。

1 1月26日(月) 天皇皇后両陛下 お茶(新任外国大使夫妻
           (エストニア,スウェーデン,マケドニア旧ユーゴスラビア共和国))
                                      (御所)

2 1月27日(火) お茶(帰朝大使夫妻(ミクロネシア兼マーシャル,
            ドミニカ共和国兼ハイチ,ミャンマー,ジンバブエ))(御所)

3 1月29日(木) 天皇皇后両陛下 お茶(日本学士院第一部長始め学士院第一部会員)
                                      (御所)
4 1月30日(金) 天皇皇后両陛下 お茶(新任外国大使夫妻
                   (欧州連合代表部,ケニア,セネガル))(御所)


5 2月3日(火) 天皇皇后両陛下 お茶(帰朝大使夫妻
                  (ペルー,スペイン,スーダン,イスラエル))(御所)
6 2月12日(木) 天皇皇后両陛下 お茶(ペーター・マウラー 赤十字国際委員会総裁)
                                        (御所)

7 2月23日(月) 天皇皇后両陛下 お茶(帰朝大使夫妻
          (ウィーン国際機関日本政府代表部,モザンビーク,
                 エジプト,ボツワナ))(御所)

8 2月26日(木) 天皇皇后両陛下 お茶(日本学士院第二部長始め学士院第二部会員)
                                      (御所)

9 3月5日(木) 天皇皇后両陛下 お茶(新旧警察庁長官)(御所)
10 3月6日(金) 天皇皇后両陛下 お茶(歌会始詠進歌選者)(御所)

11 3月18日(水) 天皇皇后両陛下 お茶
            (ウィリアム・ジェファソン・クリントン元アメリカ合衆国大統領)
                                       (御所)
12 3月19日(木) 天皇皇后両陛下 お茶(アメリカ合衆国大統領夫人)(御所)


13 4月22日(水) 天皇皇后両陛下 お茶
              (日本芸術院第一部長始め芸術院第一部会員)(御所)


14 5月12日(火) 天皇皇后両陛下 お茶
            (ジョージ・良一・アリヨシ 元ハワイ州知事夫妻)(御所)
15 5月21日(木) 天皇皇后両陛下 茶会(第7回太平洋・島サミット首脳会議に
                     出席する各国首脳夫妻等(21名))(宮殿)


16 6月1日(月) 天皇皇后両陛下 茶会
              (日本学士院賞本年度受賞者及び新会員等)(宮殿)
17 6月9日(火) 天皇皇后両陛下 お茶(新任外国大使夫妻
               (マレーシア,ギリシャ,パナマ))(御所)

18 6月22日(月) 天皇皇后両陛下 茶会
               (日本芸術院賞平成26年度受賞者及び新会員等)(宮殿)
19 6月29日(月) 天皇皇后両陛下 茶会(パラオご訪問尽力者)(宮殿)


20 7月2日(木) 天皇皇后両陛下 お茶(帰朝大使夫妻
          (パプアニューギニア兼ソロモン,バチカン,
           イタリア兼アルバニア兼サンマリノ兼マルタ,
             欧州連合日本政府代表部))(御所)

21 7月3日(金) 天皇陛下 茶会(第7回日本・メコン地域諸国首脳会議に出席する
                 各国首脳等)(宮殿)

22 7月7日(火) 天皇皇后両陛下 お茶(新任外国大使夫妻
                  (アルジェリア,タイ,エジプト))(御所)

23 7月13日(月) 天皇皇后両陛下 お茶(帰朝大使夫妻
                 (ベルギー,フィリピン,チリ,東ティモール))(御所)
24 7月23日(木) 天皇陛下 お茶(退職認証官)(御所)

25 7月30日(木) 天皇皇后両陛下 お茶(新任外国大使夫妻
                 (メキシコ,サモア,サウジアラビア))(御所)
26 7月31日(金) 天皇陛下 お茶(退職認証官)(御所)


27 8月5日(水) 天皇皇后両陛下 お茶(赴任大使夫妻
            (マーシャル,ルワンダ,チュニジア,リトアニア)
            (チュニジア大使からは併せて前任地のイラクからの
             帰国報告をご聴取))(御所)

28 8月6日(木) 天皇皇后両陛下 お茶(帰朝大使夫妻
             (ノルウェー兼アイスランド,リビア,
              コートジボワール兼トーゴ兼ニジェール,アルジェリア))
                                    (御所)

29 8月17日(月) 天皇皇后両陛下 お茶(帰朝大使夫妻
              (インドネシア,ウクライナ兼モルドバ,メキシコ,
                サウジアラビア))(御所)

30 8月19日(水) 天皇皇后両陛下 お茶(帰朝大使夫妻
               (タンザニア,ガボン兼サントメ・プリンシペ兼赤道ギニア,
               南アフリカ兼ナミビア兼スワジランド兼レソト,アンゴラ))
                                   (御所)

31 8月21日(金) 天皇皇后両陛下 お茶(新任外国大使夫妻
                (タンザニア,コスタリカ,ベトナム))(御所)


32 9月4日(金) 天皇皇后両陛下 お茶(帰朝大使夫妻
              (ナイジェリア,アラブ首長国連邦,
               カメルーン兼中央アフリカ兼チャド,トンガ))(御所)

33 9月7日(月) 天皇皇后両陛下 お茶(帰朝大使夫妻
            (ハンガリー,ジャマイカ兼ベリーズ兼バハマ,オーストラリア,
             ボスニア・ヘルツェゴビナ))(御所)

34 9月16日(水) 天皇皇后両陛下 お茶(赴任大使夫妻
              (コロンビア,スロベニア,ルーマニア))(御所)


35 10月6日(火) 天皇皇后両陛下 お茶(赴任大使夫妻
                 (ギニア,スウェーデン,イラク))(御所)
36 同日 天皇皇后両陛下 お茶(エドゥアルド・フレイ・ルイス=タグレ元チリ大統領夫妻)
                                   (御所)

37 10月20日(火) 皇后陛下お誕生日 天皇皇后両陛下 茶会
           (元長官,元参与,元側近奉仕者,元御用掛,松栄会会員等)(宮殿)
38 同日 天皇皇后両陛下 茶会(ご進講者等ご関係者)(御所)

39 10月21日(水) 天皇皇后両陛下 お茶(日本芸術院第一部長始め芸術院第一部会員)
                                     (御所)


40 11月4日(水) 天皇皇后両陛下 お茶(新任外国大使夫妻
                  (スーダン,カンボジア,デンマーク))(御所)
41 同日 天皇皇后両陛下 茶会(文化勲章受章者及び文化功労者等)(宮殿)
42 同日 天皇皇后両陛下 お茶(政策研究大学院大学学長,政策研究大学院大学
               特別教授及び東北大学大学院医学系研究科教授
             (フィリピンご訪問につき,本年6月同国大統領閣下ご来日
             [国賓]宮中晩餐に招かれた日比関係尽力者とのご懇談))(御所)

43 11月5日(木) 天皇皇后両陛下 お茶
            (ダニエル・エルナンデス・ルイペレス サラマンカ大学学長他)
                                      (御所)

○ 11月9日(月) 皇后陛下 お茶(平成27年度「ねむの木賞」受賞者(4名))(御所)

44 11月13日(金) 天皇皇后両陛下 お茶(赴任大使夫妻
                   (ラトビア,オマーン,エクアドル))(御所)

45 11月18日(水) 天皇皇后両陛下 お茶(新任外国大使夫妻
                   (ザンビア,ルワンダ,グアテマラ))(御所)

46 11月20日(金) 天皇皇后両陛下 お茶(赴任大使夫妻
                      (インド,キューバ,ラオス))(御所)


47 12月1日(火) 天皇皇后両陛下 お茶(新認定重要無形文化財保持者夫妻)(宮殿)
48 12月2日(水) 天皇皇后両陛下 お茶(新任外国大使夫妻
                    (ベルギー,ミャンマー,スリランカ))(御所)

49 12月3日(木) 天皇皇后両陛下 茶会(燈光会会員(燈光会創立100周年に当たり))
                                      (宮殿)
50 12月7日(月) 天皇皇后両陛下 お茶(赴任大使夫妻
                   (ボリビア,ドイツ,エストニア,アイルランド)
                  (ドイツ大使からは併せて前任地のインド兼ブータン
                   からの帰国報告をご聴取))(御所)

51 12月11日(金) 天皇皇后両陛下 お茶(赴任大使夫妻
              (在ジュネーブ国際機関日本政府代表部,ロシア,イスラエル)
                                       (御所)

52 12月23日(水) 天皇陛下お誕生日 天皇皇后両陛下 
             茶会(元長官,元参与,元側近奉仕者,元御用掛,松栄会会員等)
                                      (宮殿)
53 同日 天皇皇后両陛下 茶会(ご進講者等ご関係者)(御所)



▽外務省関連の「お茶」が増えた?

有識者会議最終報告の参考資料では平成27年の「お茶・茶会」は57件とあるが、
公表されている「ご日程」から拾い出してみると、以上のように53件である。
公表データに記載漏れがあるのか、それとも私の計算間違いなのか。

「お茶・茶会」のうち、何が増えているのか。
一見すると、外務省関連の「お茶」が増えているように見える。

ほんとうにそうなのか、次回さらに分析してみたい。

  (http://melma.com/backnumber_170937_6529414/

           <感謝合掌 平成29年5月17日 頓首再拝>

ご公務ご負担軽減を検討しなかった有識者会議?~2 - 伝統

2017/05/20 (Sat) 19:52:31


      *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成29年5月19日)より

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
対象者で7つに分類できる陛下の「お茶・茶会」
──ご公務ご負担軽減を検討しなかった有識者会議? 2
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


有識者会議の資料をもとに、陛下のご公務ご負担について、分析を続ける。

有識者会議最終報告の「参考資料」にある
「天皇陛下のご活動の概況及び推移」(70ページ)によれば、
今上陛下の場合、平成3年、57歳時の「お茶・茶会」が26件だったのに、
27年、82歳時には57件となり、25年間で31件も増えている。
2.2倍という激増ぶりである。

 
前回は、公表されている陛下の「ご日程」から「お茶・茶会」を拾い上げたが、
これをグループ分けしてみる。

まず、平成3年、今上陛下57歳時の「お茶・茶会」である。
有識者会議の資料では26件だが、公表データで確認できるのは24件である。

対象者によって、
〈1〉認証官、
〈2〉帰朝大使夫妻、
〈3〉外国大使夫妻、
〈4〉外国要人、
〈5〉国内学術・芸術功労者、
〈6〉外国ご訪問関連、
〈7〉その他、

に分類できそうである。


▽今上陛下57歳時の「お茶・茶会」

〈1〉退官認証官 計4件

   お茶(退官認証官)(宮殿) 4件
   [1月22日(火)天皇陛下。2月5日(火)天皇陛下。
   12月6日天皇陛下。12月13日(金)天皇陛下。]

   憲法7条に定められる国事行為の第五号に官吏の任免のことが掲げられている。
   国事行為とされる認証時の認証官任命式に対応するものであろう。
   陛下おひとりのご公務であることが注目される。

   昭和期には行われていたものなのかどうか、比較が必要だが、
   残念ながら昭和期の公表データがない。

   12月6日には同日に帰朝大使夫妻のお茶も行われている。
   12月に2週続けてお茶が行われたことにも注目したい。
   1度に行うことはできないものなのか。


〈2〉帰朝大使夫妻 計3件

   お茶(帰朝大使夫妻)(宮殿) 3件
   [1月25日(金)天皇皇后両陛下(ドイツ,マレーシア,
                     リベリア,コートジボワール)。
   
   5月14日(火)天皇皇后両陛下(ニュージーランド,ポルトガル,
                          チュニジア,ベトナム)。

   12月6日(金)天皇皇后両陛下(モンゴル,ネパール,リビア,ボリビア)]

   全権委任状、大使・公使の信任状を認証することは天皇の国事行為であり、
   これに対応するものであろう。


〈3〉外国大使夫妻 4件
 
   お茶(新任外国大使夫妻)(宮殿) 4件

   [2月8日(金)天皇皇后両陛下(ドミニカ共和国,コスタリカ,ルーマニア,
              エルサルバドル,ヨルダン,モロッコ,オーストリア)。

   5月7日(火)天皇皇后両陛下(フランス,大韓民国,ペルー)。

   9月6日(金)天皇皇后両陛下(メキシコ,ブルガリア,タンザニア,
           パプアニューギニア,インドネシア,タイ,ミャンマー,ガボン)。

   12月12日(木)天皇皇后両陛下(ベネズエラ,デンマーク,キューバ,ネパール,
                  バングラデシュ,コートジボワール,シンガポール,
                  ニカラグア,カタール,ブラジル)。]

   憲法が定める国事行為に、「外国の大使及び公使を接受すること」とあり、
   信任状捧呈式は国事行為とされる。

   これに対応するものであろう。


〈4〉外国要人 計3件

  1 お茶(世界保健機関事務局長)(赤坂御所) 1件[4月1日(月)天皇陛下。] 

  2 お茶(スリランカ前大統領夫妻)(赤坂御所) 1件
                       [4月30日(火)天皇皇后両陛下。]

  3 お茶(英国王族マイケル王子殿下)(赤坂御所) 1件
                        [6月1日(土)天皇皇后両陛下。]

   憲法上は外国大使・公使の接受以外、外交関連の国事行為は既定がないが、
   国際親善を目的に、来日した国賓のための公式晩餐、その他外国要人、
   在京外国大使などのためのご引見、午餐などが行われており、
   これに準ずるものであろう。

   宮殿ではなく、お住まいの御所で行われていることに注目したい。


〈5〉国内学術・芸術功労者 計6件

  1 お茶(日本芸術院賞受賞者,新会員)(宮殿) 1件
                          [6月3日(月)天皇皇后両陛下。]

  2 お茶(日本学士院賞受賞者,新会員)(宮殿) 1件
                          [6月10日(月)天皇皇后両陛下]

  3 お茶(新指定重要無形文化財保持者)(赤坂御所) 1件
                         [6月27日(木)天皇皇后両陛下。]

  4 お茶(日本芸術院第一部会員)(赤坂御所) 1件
                          [7月5日(金)天皇皇后両陛下。]

  5 お茶(日本院学士〈ママ〉第一部会員)(赤坂御所) 1件
                          [7月9日(火)天皇皇后両陛下。]

  6 お茶(文化勲章受章者,文化功労者等)(宮殿) 1件
                          [11月5日(火)天皇皇后両陛下]

   国事行為には「栄典を授与すること」とあり、勲章親授式は国事行為とされるが、
   学芸を重んじてきたことは皇室の伝統でもある。

   宮殿で行われる場合と御所で行われる場合がある。


〈6〉外国ご訪問関連 計3件

  1 お茶(外国ご訪問首席随員始め)(宮殿) 1件[9月13日(金)天皇皇后両陛下。]

  2 お茶(ご訪問3か国関係友好親善団体役員)(宮殿) 1件
                          [9月17日(火)天皇皇后両陛下。]

  3 茶会(タイ,マレーシア,インドネシアご訪問関係者)(宮殿) 
                        1件[10月31日(木)天皇皇后両陛下]

 
   平成3年9月26日から10月6日にかけて、陛下は皇后陛下とともに、
   タイ、マレーシア、インドネシアを訪問された。
   このときの随員・関係者と交流を図られたものであろう。

   ただ、憲法上、天皇には、外国大使・公使の接受以外、外交上の権能はない。


〈7〉その他 計1件
 
   拝謁・お茶(衆議院,参議院の役員)(宮殿) 1件[4月8日(月)天皇陛下。]

 
   衆参両院正副議長、特別委員長、憲法審査会長らとお会いになったものらしい。
   第120回通常国会の会期中だった。拝謁を伴っていることが注目される。



▽「全身全霊の務め」の結果か

   以上、平成3年、今上陛下57歳時の「お茶・茶会」(実際は「お茶」のみ)
   は24件(有識者会議最終報告の参考資料では26件)。

   昭和33年、昭和天皇57歳時の3件、58年、82歳時の4件に比べて格段に多い。
   これはなぜなのか。

   「お茶」は憲法の国事行為と関連があるとはいえ、
   ご公務それ自体に直接的な法的根拠があるわけではない。

   昨夏の陛下のお言葉にあるように、
   陛下が「全身全霊をもって象徴の務めを果たして」こられたことの結果と
   解すべきなのかどうか。

   外国要人の場合は要請を受けてのものなのかどうか。

   陛下のご発案だとしたら、宮内庁当局はどのように関わったのだろうか。
   ご発案だけということは考えにくい。

   ご発案ではないのだとしたら、どのような目的と経緯で
   「お茶・茶会」は始まったのだろうか。

 
次回は、平成27年、陛下82歳時の「お茶・茶会」を分析する。
3年との比較もしてみたい。

     (http://melma.com/backnumber_170937_6530408/

           <感謝合掌 平成29年5月20日 頓首再拝>

ご公務ご負担軽減を検討しなかった有識者会議?~3 - 伝統

2017/05/28 (Sun) 19:18:17



      *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成29年5月28日)より

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
25年間で対象者が大幅に拡大された「お茶・茶会」
──ご公務ご負担軽減を検討しなかった有識者会議? 3
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


陛下のご公務ご負担について、分析を続けます。

前回は、平成3年、今上陛下57歳時の「お茶・茶会」24件について、
対象者によって、
〈1〉認証官、
〈2〉帰朝大使夫妻、
〈3〉外国大使夫妻、
〈4〉外国要人、
〈5〉国内学術・芸術功労者、
〈6〉外国ご訪問関連、
〈7〉その他、

に分類できることを指摘しました。

今回は、平成27年、陛下82歳時の「お茶・茶会」です。
有識者会議最終報告の参考資料では平成27年の「お茶・茶会」は57件ですが、
宮内庁HP上に公表されている「ご日程」では53件です。

 
何が増えているのでしょうか。

▽1 退官認証官と外国ご訪問関連以外は軒並み増える

〈1〉退官認証官など 計2件(3年は4件)
   お茶(退職認証官)(御所) 2件
   [7月23日(木)天皇陛下。7月31日(金)天皇陛下。]

   退官認証官の「お茶」は、平成3年には4件ありましたが、2件に減りました。

   3年には宮殿で行われていましたが、
   27年にはお住まいの御所で行われるようになりました。

   2週続けての「お茶」ですが、広い部屋のある宮殿なら1度に済まされ、
   ご負担が軽減されるかも知れません。


〈2〉赴任・帰朝大使夫妻 計17件(3年は帰朝大使夫妻のみで、3件)
 1 お茶(帰朝大使夫妻)(御所) 計10件
   [1月27日(火)天皇皇后両陛下(ミクロネシア兼マーシャル,
            ドミニカ共和国兼ハイチ,ミャンマー,ジンバブエ)。

    2月3日(火)天皇皇后両陛下(ペルー,スペイン,スーダン,イスラエル)。
    2月23日(月)天皇皇后両陛下(ウィーン国際機関日本政府代表部,
            モザンビーク,エジプト,ボツワナ)。

    7月2日(木)天皇皇后両陛下(パプアニューギニア兼ソロモン,バチカン,
         イタリア兼アルバニア兼サンマリノ兼マルタ,欧州連合日本政府代表部)。
    7月13日(月)天皇皇后両陛下(ベルギー,フィリピン,チリ,東ティモール)。

    8月6日(木)天皇皇后両陛下(ノルウェー兼アイスランド,リビア,
           コートジボワール兼トーゴ兼ニジェール,アルジェリア)。
    8月17日(月)天皇皇后両陛下(インドネシア,ウクライナ兼モルドバ,メキシコ,
            サウジアラビア)。
    8月19日(水)天皇皇后両陛下(タンザニア,ガボン兼サントメ・プリンシペ兼
          赤道ギニア,南アフリカ兼ナミビア兼スワジランド兼レソト,アンゴラ)。

    9月4日(金)天皇皇后両陛下(ナイジェリア,アラブ首長国連邦,カメルーン兼
               中央アフリカ兼チャド,トンガ)。
    9月7日(月)天皇皇后両陛下(ハンガリー,ジャマイカ兼ベリーズ兼バハマ,
             オーストラリア,ボスニア・ヘルツェゴビナ)。]

 2 お茶(赴任大使夫妻)(御所) 計7件
   [8月5日(水)天皇皇后両陛下(マーシャル,ルワンダ,チュニジア,リトアニア)
          (チュニジア大使からは併せて前任地のイラクからの帰国報告をご聴取)。

   9月16日(水)天皇皇后両陛下(コロンビア,スロベニア,ルーマニア)。

   10月6日(火)天皇皇后両陛下(ギニア,スウェーデン,イラク)。

   11月13日(金)天皇皇后両陛下(ラトビア,オマーン,エクアドル)。
   11月20日(金)天皇皇后両陛下(インド,キューバ,ラオス)。

   12月7日(月)天皇皇后両陛下(ボリビア,ドイツ,エストニア,アイルランド)
           (ドイツ大使からは併せて前任地のインド兼ブータンからの
             帰国報告をご聴取)](御所)。
   12月11日(金)天皇皇后両陛下(在ジュネーブ国際機関日本政府代表部,ロシア,
            イスラエル)(御所)]


   平成3年時は帰朝大使夫妻のお茶は宮殿で行われていましたが、
   27年にはお住まいの御所で行われるようになりました。
   御所なら、宮殿まで移動する必要はありませんから、その分、ご負担は軽くなります。

   しかし、集まれる人数は限られるでしょう。
   3年も27年もだいたい4人の大使が対象とされ、
   27年8、9月にはわずか数日後に「お茶」が繰り返されています。
   宮殿で10人の大使を対象とすれば件数は減るはずです。

   また、27年には帰朝大使のみならず、
   赴任大使についても「お茶」が行われるようになりましたから、
   それだけご負担は倍加したことになります。

 3(1991)年当時、166か国だった国連加盟国数は、27(2015)年には193か国と、
   16%増えていますから、単純計算で、ご公務件数は2.33倍に増えることになります。
   ご負担軽減に逆行する状況がなぜ生まれたのでしょうか。


〈3〉新任外国大使夫妻 計9件(3年は4件)
   お茶(新任外国大使夫妻)(御所) 計9件

  [1月26日(月)天皇皇后両陛下(エストニア,スウェーデン,
             マケドニア旧ユーゴスラビア共和国)。
   1月30日(金)天皇皇后両陛下(欧州連合代表部,ケニア,セネガル)。

   6月9日(火)天皇皇后両陛下(マレーシア,ギリシャ,パナマ)。

   7月7日(火)天皇皇后両陛下(アルジェリア,タイ,エジプト)。
   7月30日(木)天皇皇后両陛下(メキシコ,サモア,サウジアラビア)。

   8月21日(金)天皇皇后両陛下(タンザニア,コスタリカ,ベトナム)。

   11月4日(水)天皇皇后両陛下(スーダン,カンボジア,デンマーク)。
   11月18日(水)天皇皇后両陛下(ザンビア,ルワンダ,グアテマラ)。

   12月2日(水)天皇皇后両陛下(ベルギー,ミャンマー,スリランカ)](御所)。]


   新任外国大使夫妻の「お茶」は、3年時は宮殿で、4件、行われていましたが、
   27年は御所で行われるようになり、件数も2倍以上に増えました。

   月1回に抑制すれば、6件に減らせます。


〈4〉外国要人 計8件(3年は3件)
 1 お茶(ペーター・マウラー 赤十字国際委員会総裁)(御所) 
   1件[2月12日(木)天皇皇后両陛下]

 2 お茶(ウィリアム・ジェファソン・クリントン元アメリカ合衆国大統領)(御所) 
   1件[3月18日(水)天皇皇后両陛下]

 3 お茶(アメリカ合衆国大統領夫人)(御所) 
   1件[3月19日(木) 天皇皇后両陛下]

 4 お茶(ジョージ・良一・アリヨシ 元ハワイ州知事夫妻)(御所) 
   1件[5月12日(火)天皇皇后両陛下]

 5 茶会(第7回太平洋・島サミット首脳会議に出席する各国首脳夫妻等(21名))(宮殿) 
   1件[5月21日(木)天皇皇后両陛下]

 6 茶会(第7回日本・メコン地域諸国首脳会議に出席する各国首脳等)(宮殿) 
   1件[7月3日(金)天皇陛下]

 7 お茶(エドゥアルド・フレイ・ルイス=タグレ元チリ大統領夫妻)(御所) 
   1件[10月6日(火)天皇皇后両陛下]

 8 お茶(ダニエル・エルナンデス・ルイペレス サラマンカ大学学長他)(御所) 
   1件[11月5日(木)天皇皇后両陛下]

 
   憲法は、外国大使・公使の接受以外、外交上の権能を天皇に認めていませんが、
   実際は国際親善を名目に国連機関代表者や元元首、王族などとの「お茶」が
   行われています。

   3年は3件でしたが、27年には2倍以上に増えました。

   首脳会議が頻繁に行われる時代となり、
   出席者の「茶会」が設定されることになったこと、
   対象者が文化人にまで拡大されたこと、などがその要因でしょうか。


〈5〉国内学術・芸術功労者 計8件(3年は6件)

 1 お茶(日本学士院第一部長始め学士院第一部会員)(御所) 
   1件[1月29日(木)天皇皇后両陛下] 注、平成3年は7月9日に行われた

 2 お茶(日本学士院第二部長始め学士院第二部会員)(御所) 
   1件[2月26日(木)天皇皇后両陛下] 注、平成3年は行われていない。
   一部だけでなく、二部にも広がった

 3 お茶(日本芸術院第一部長始め芸術院第一部会員)(御所) 
   2件[4月22日(水)天皇皇后両陛下。10月21日(水)天皇皇后両陛下] 
   注、平成3年は年1回だったが、春秋2回行われるようになった

 4 茶会(日本学士院賞本年度受賞者及び新会員等)(宮殿) 
   1件[6月1日(月)天皇皇后両陛下] 注、平成3年は「お茶」だった

 5 茶会(日本芸術院賞平成26年度受賞者及び新会員等)(宮殿) 
   1件[6月22日(月)天皇皇后両陛下] 注、平成3年は「お茶」だった

 6 茶会(文化勲章受章者及び文化功労者等)(宮殿) 
   1件[11月4日(水)天皇皇后両陛下] 注、平成3年は「お茶」だった

 7 お茶(新認定重要無形文化財保持者夫妻)(宮殿) 
   1件[12月1日(火)天皇皇后両陛下]

 
   平成3年には学術・芸術功労者の「お茶」は6件でしたが、
   対象者が拡大されただけでなく、いくつかは宮殿での「茶会」に変わりました。

   芸術院第一部会員の「お茶」が2回行われているのはなぜでしょうか。


〈6〉外国ご訪問関連 計2件(3年は3件)

 1 茶会(パラオご訪問尽力者)(宮殿) 
   1件[6月29日(月)天皇皇后両陛下] 
   注、陛下は27年4月、パラオを訪問され、戦没者を慰霊された

 2 お茶(政策研究大学院大学学長,政策研究大学院大学特別教授及び
   東北大学大学院医学系研究科教授(フィリピンご訪問につき,本年6月
   同国大統領閣下ご来日[国賓]宮中晩餐に招かれた日比関係尽力者とのご懇談))
   (御所) 
   1件[11月4日(水)天皇皇后両陛下] 
   注、陛下は28年1月、皇后陛下とともにフィリピンを訪問された

 
   憲法は外交大使・公使の接受を除いて、天皇には外交上の権能はありませんが、
   外国ご訪問の機会が昭和の時代と比較して格段に増えました。

   けれども、3年は外国ご訪問の首席随員や関係国の友好親善団体役員との「お茶」が
   ありましたが、27年には行われませんでした。


〈7〉その他 計7件(3年は1件)

 1 お茶(新旧警察庁長官)(御所) 1件[3月5日(木)天皇皇后両陛下]

 2 お茶(歌会始詠進歌選者)(御所) 1件[3月6日(金)天皇皇后両陛下]

 3 茶会(元長官,元参与,元側近奉仕者,元御用掛,松栄会会員等)(宮殿) 
      1件[10月20日(火)皇后陛下お誕生日。天皇皇后両陛下]

 4 茶会(ご進講者等ご関係者)(御所) 
   1件[10月20日(火)皇后陛下お誕生日。天皇皇后両陛下]

 ○ お茶(平成27年度「ねむの木賞」受賞者(4名))(御所) 
   1件[11月9日(月)皇后陛下]

 5 茶会(燈光会会員(燈光会創立100周年に当たり))(宮殿) 
   1件[12月3日(木)天皇皇后両陛下] 
   注、燈光会は大正4年に設立された、航路標識つまり灯台に関する集まりらしい。

 6 茶会(元長官,元参与,元側近奉仕者,元御用掛,松栄会会員等)(宮殿) 
   1件[12月23日(水)天皇陛下お誕生日。天皇皇后両陛下]

 7 茶会(ご進講者等ご関係者)(御所) 
   1件[12月23日(水)天皇陛下お誕生日。天皇皇后両陛下]

 
   皇后陛下お誕生日、天皇陛下お誕生日に元職員たち、御進講関係者の「茶会」が
   行われることは平成3年にもあったと思われますが、
   宮内庁HPの「ご日程」には記載がありませんでした。

   3年は衆参両院の役員との「拝謁・お茶」が行われただけでしたが、
   27年には対象者が増えました。
   また、3年には皇后陛下のみの「お茶」はありませんでしたが、
   新たに設けられるようになりました。


▽2 退位問題に走らなくても軽減できるご負担

   以上、総評すると、御在位20年のあと、
   宮内庁はご公務ご負担軽減策を打ち出したはずですが、
   実際にはご公務の件数は逆に増えました。

   とくにここで検証した「お茶・茶会」にそのことがはっきり読み取れます。

   ただ、ご負担軽減策の効果がなかったのかどうかは、
   3年と27年との比較だけでは分かりません。

 
   陛下の「お気持ち」を受けて、有識者会議は軽減等について検討したことに
   なっていますが、結局、退位問題に終始しました。
   なぜ具体的にご公務のあり方を検討しなかったのでしょうか。

  「退位」以外に、ご公務を整理し直すことで、
   少なくとも「お茶・茶会」については軽減を図ることができるのではないか
   と思われます。

   それとも、陛下は「全身全霊」で、ご公務に務められたのであり、
   国民もこれを支持しているのだから、軽減を図るくらいなら、
   退位の方が望ましいという結論になるのでしょうか。
   私には大袈裟すぎるような気がします。

 
   次回は、ご負担軽減が始まったご在位20年前後の「お茶・茶会」について、
   分析してみたい。ご公務が拡大した時期をより明確化し、
   ご負担軽減策の効果の有無を検証したいからです。

   (http://melma.com/backnumber_170937_6534979/

           <感謝合掌 平成29年5月28日 頓首再拝>

ご公務ご負担軽減を検討しなかった有識者会議?~4 - 伝統

2017/05/29 (Mon) 20:55:00


      *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成29年5月29日)より


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ご負担軽減策にもかかわらず増えた「お茶・茶会」
──ご公務ご負担軽減を検討しなかった有識者会議? 4
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


有識者会議最終報告の「参考資料」に
「天皇陛下のご活動の概況および推移」が表示されています。

とくに増加傾向が顕著なものとして指摘されているのが、
「お茶・茶会」「行幸啓におけるご活動」「外国ご訪問におけるご活動」です。

昭和天皇の場合、昭和33年、天皇57歳時の「お茶・茶会」はわずかに3件、
これが58年、82歳時には4件とわずかに増えましたが、

今上陛下の場合、平成3年、57歳時の「お茶・茶会」が26件で、
昭和の時代に比べてそもそも多いのに、
27年、82歳時には57件に激増しました。

いつ、どのように増えたのか、
今回は平成19年、陛下74歳時の「お茶・茶会」を振り返り、考えてみます。

宮内庁が今上陛下のご健康問題を契機に、
ご負担軽減について最初に発表したのは20年2月で、
御在位20年が区切りとなり、21年から軽減策が採られるようになりましたが、
御在位20年の前後、「お茶・茶会」の件数はどう変化したのか、検証します。


▽1 軽減策直前の「お茶・茶会」

 まず、ご負担軽減策実施の直前、19年の「お茶・茶会」を拾い上げてみます。

1 1月17日(水) 天皇皇后両陛下 お茶
          (帰朝大使夫妻(ベルギー,デンマーク兼リトアニア,
           スリランカ兼モルディブ,イスラエル))(御所)

2 1月18日(木) 天皇皇后両陛下 お茶
          (新任外国大使夫妻(エストニア,スーダン,スウェーデン,レソト))
                                    (宮殿)

3 1月22日(月) 天皇皇后両陛下 お茶
           (帰朝大使夫妻(バチカン,タンザニア,ポーランド,
            ジャマイカ兼バハマ兼ベリーズ))(御所)

4 1月22日(月) 天皇皇后両陛下 お茶
           (ニュージーランドマオリ王及び同王妃)(御所)

5 1月29日(月) 天皇皇后両陛下 お茶
           (帰朝大使夫妻(フィンランド兼エストニア,ハンガリー,
            スーダン,ブルネイ))(御所)


6 2月9日(木) 天皇皇后両陛下 お茶
          (帰朝大使夫妻(軍縮会議日本政府代表部,エチオピア兼ジブチ,
           モロッコ,レバノン))(御所)

7 2月22日(木) 天皇皇后両陛下 お茶(日本芸術院第一部会員)(御所)


8 3月26日(月) 天皇皇后両陛下 お茶(元アメリカ合衆国国務長官夫妻)(御所)


9 4月9日(月) 天皇皇后両陛下 お茶
         (スウェーデン国王姉クリスティーナ殿下及び同夫君,他ご家族)(御所)

10 4月12日(木) 天皇皇后両陛下 お茶
         (帰朝大使夫妻(カナダ兼国際民間航空機関日本政府代表部,エジプト,
          エクアドル,チュニジア))(御所)


11 5月2日(水) 天皇皇后両陛下 茶会(外国ご訪問随員等)(宮殿) 
           注、この年5月に陛下は皇后陛下とともにヨーロッパ諸国を
           公式ご訪問になった。この日、茶会に先立ち、随員等の拝謁が行われた

12 5月16日(水) 天皇皇后両陛下 お茶
           (新任外国大使夫妻(コロンビア,ウルグアイ,トルコ,ウクライナ))
                                     (宮殿)

13 6月1日(金) 天皇皇后両陛下 お茶(ヨルダン国ムナ王母殿下)(御所)

14 6月11日(月) 天皇皇后両陛下 茶会
            (日本学士院本年度受賞者及び新会員等)(宮殿) 
            注、この日、茶会に先立ち、陛下は皇后陛下とともに、
            学士院会館での学士院第97回授賞式にご臨席になった

15 6月13日(水) 天皇皇后両陛下 茶会(外国ご訪問尽力者)(宮殿)

16 6月18日(月) 天皇皇后両陛下 茶会(日本芸術院本年度受賞者及び新会員等)
            (宮殿) 注、この日、茶会に先立ち、陛下は皇后陛下とともに、
                芸術院会館での第63回芸術院授賞式にご臨席になった

17 7月2日(月) 天皇皇后両陛下 お茶
           (帰朝大使夫妻(ニュージーランド兼サモア,ドミニカ共和国兼ハイチ,
            カンボジア,ホンジュラス))(御所)

18 7月12日(木) 天皇皇后両陛下 お茶
           (新任外国大使夫妻(ペルー,アンゴラ,ラオス,ロシア))(宮殿)

19 7月18日(水) 天皇皇后両陛下 お茶
           (帰朝大使夫妻(ニカラグア,ノルウェー兼アイスランド,
            ガボン兼コンゴ共和国兼赤道ギニア兼サントメ・プリンシペ,
            ウルグアイ))(御所)


20 8月9日(木) 天皇皇后両陛下 お茶
           (帰朝大使夫妻(チリ,スウェーデン兼ラトビア,メキシコ,
            ウズベキスタン兼タジキスタン))(御所)


21 9月6日(木) 天皇皇后両陛下 お茶(新認定重要無形文化財保持者夫妻)(宮殿)


22 10月3日(水) 天皇皇后両陛下 お茶(日本学士院第一部会員)(御所)
23 10月10日(水) 天皇皇后両陛下 お茶(日本学士院第一部会員)(御所)

24 10月11日(木) 天皇皇后両陛下 お茶
            (新任外国大使夫妻(ボリビア,大韓民国,ホンジュラス,
             ニュージーランド))(宮殿)

25 10月22日(月) 天皇皇后両陛下 お茶
            (新任外国大使夫妻(ガザフスタン,オーストリア,ギニア,
             コスタリカ))(宮殿)

26 11月5日(月) 天皇皇后両陛下 茶会(文化勲章受章者及び文化功労者)(宮殿)

27 11月8日(木) 天皇皇后両陛下 お茶
            (帰朝大使夫妻(グアテマラ,マレーシア,オランダ,
            ミャンマー))(御所)

28 11月28日(水) 天皇皇后両陛下 お茶
             (新任外国大使夫妻(ベナン,イスラエル,エジプト,
              ハンガリー))(宮殿)
29 11月29日(木) 天皇皇后両陛下 お茶(日本芸術院第一部会員)(御所)


30 12月10日(月) 天皇陛下 お茶(退職認証官)(宮殿)
31 12月12日(水) 天皇陛下 お茶(退職認証官)(宮殿)

32 12月14日(金) 天皇皇后両陛下 
             お茶(新任外国大使夫妻(ルクセンブルク,キューバ,
             ニカラグア,イエメン))(宮殿)

33 12月21日(金) 天皇皇后両陛下 お茶
             (新任外国大使夫妻(中華人民共和国,タジキスタン,ネパール,
              クウェート))(宮殿)


▽2 27年よりはるかに少ない件数

以上、33件が「ご日程」から拾い上げた「お茶・茶会」です。
天皇陛下お誕生日や皇后陛下お誕生日の祝賀行事の「茶会」は含まれていないので、
正確な件数はさらに増えるものと思われます。

とはいえ、平成3年の26件(有識者会議最終報告の「参考資料」)よりは多く、
27年の57件(同)よりはるかに少ないことが分かります。

つまり、21年から始まった宮内庁のご負担軽減策にも関わらず、
「お茶・茶会」は増えたということです。

それなら、何がどう増えていったのか、次回、分析することにします。

   (http://melma.com/backnumber_170937_6535038/


           <感謝合掌 平成29年5月29日 頓首再拝>

ご公務ご負担軽減を検討しなかった有識者会議?~5 - 伝統

2017/05/30 (Tue) 18:59:30


      *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成29年5月30日)より

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ご負担軽減策以後増えた日本大使夫妻、外国要人の「お茶」
──ご公務ご負担軽減を検討しなかった有識者会議? 5
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

前回は、ご公務ご負担策実施直前の平成19年、陛下74歳時の「お茶・茶会」を
「ご日程」から拾い上げました。

件数は33件で、平成3年の26件(有識者会議最終報告の「参考資料」)よりは
増えましたが、27年の57件には及ばないことが分かりました。

有識者会議最終報告の「参考資料」に「天皇陛下のご活動の概況および推移」が表示され、
「行幸啓や茶会等の国民と接する御活動や外国ご訪問など全般に増加傾向」と
説明されているのは誤りであって、

正確には、「お茶・茶会」についていえば、
ご負担軽減策にもかかわらず激増したというべきです。

 
有識者会議最終報告は、昭和33年、昭和天皇57歳時および58年、82歳時。
これと平成3年、今上陛下57歳時と27年、82歳時を比較し、
昭和天皇と比べて今上天皇のご公務件数がいかに多いかを浮かび上がらせているのですが、
そこがそもそも意図的に感じられます。

ご負担軽減策にもかかわらず激増したということがはっきりすれば、
会議の議論も変わっていたのではないでしょうか。


▽1 平成19年の「お茶・茶会」

さて、今回は、例によって、
対象者によって「お茶・茶会」を分類し、分析することにします。


〈1〉退官認証官 計2件(3年は4件。27年は2件)
 
   お茶(退職認証官)(宮殿) 2件
   [12月10日(月)天皇陛下。12月12日(水)天皇陛下]

   なぜ2日後にふたたび行われるのか、
   なぜ1日で終われないのか、私には分かりません。
   宮殿の大広間でも1度に集まりきれないほど、人数が多いのでしょうか。


〈2〉赴任・帰朝大使夫妻 計9件
   (3年は帰朝大使のみで3件。
    27年は帰朝大使夫妻10件、赴任大使夫妻7件の計17件)
 
   お茶(帰朝大使夫妻)(御所) 計9件
   [1月17日(水)天皇皇后両陛下(ベルギー,デンマーク兼リトアニア,
                     スリランカ兼モルディブ,イスラエル)。

   1月22日(月)天皇皇后両陛下(バチカン,タンザニア,ポーランド,
                   ジャマイカ兼バハマ兼ベリーズ)。

   1月29日(月)天皇皇后両陛下(フィンランド兼エストニア,ハンガリー,
                   スーダン,ブルネイ)。

   2月9日(木)天皇皇后両陛下(軍縮会議日本政府代表部,エチオピア兼ジブチ,
                   モロッコ,レバノン)。

   4月12日(木)天皇皇后両陛下(カナダ兼国際民間航空機関日本政府代表部,
                   エジプト,エクアドル,チュニジア)。

   7月2日(月)天皇皇后両陛下(ニュージーランド兼サモア,ドミニカ共和国兼ハイチ,
                   カンボジア,ホンジュラス)。

   7月18日(水)天皇皇后両陛下(ニカラグア,ノルウェー兼アイスランド,
                   ガボン兼コンゴ共和国兼赤道ギニア兼
                   サントメ・プリンシペ,ウルグアイ)。

   8月9日(木)天皇皇后両陛下(チリ,スウェーデン兼ラトビア,メキシコ,
                   ウズベキスタン兼タジキスタン)。

   11月8日(木)天皇皇后両陛下(グアテマラ,マレーシア,オランダ,ミャンマー)。]


   帰朝大使夫妻の「お茶」が御所で行われるようになったのは、
   21年以後のご負担軽減策の結果ではないようです。

   毎週のように、4人の大使を夫人とともに御所に招くスタイルが
   ご負担軽減策実施以後も変わらないのは、
   ご負担軽減策が及ばない聖域だからでしょうか。

 
   帰朝大使夫妻に加えて、赴任大使夫妻の「お茶」が行われるようになったのは、
   ご負担軽減策実施以後のようです。

   3年当時は赴任大使夫妻に対して、「拝謁」が宮殿で行われていました。
   19年も同様です。

   それが27年になると、「ご接見」「お茶」へと変わったようです。

   それはご負担を軽減することだったのでしょうか。
   毎週のように日程を組まずに、せめて月ごとにまとめられれば、
   ご負担は軽減されるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。


〈3〉新任外国大使夫妻 計8件(3年は4件。27年は9件)
 
   お茶(新任外国大使夫妻)(宮殿) 計8件

   [1月18日(木)天皇皇后両陛下(エストニア,スーダン,スウェーデン,レソト)。

   5月16日(水)天皇皇后両陛下(コロンビア,ウルグアイ,トルコ,ウクライナ)。

   7月12日(木)天皇皇后両陛下(ペルー,アンゴラ,ラオス,ロシア)。

   10月11日(木)天皇皇后両陛下(ボリビア,大韓民国,ホンジュラス,
                       ニュージーランド)。

   10月22日(月)天皇皇后両陛下(ガザフスタン,オーストリア,ギニア,
                              コスタリカ)。

   11月28日(水)天皇皇后両陛下(ベナン,イスラエル,エジプト,ハンガリー)。

   12月14日(金)天皇皇后両陛下(ルクセンブルク,キューバ,ニカラグア,
                                  イエメン)。

   12月21日(金)天皇皇后両陛下(中華人民共和国,タジキスタン,ネパール,
                            クウェート)。]


   新任外国大使夫妻の「お茶」は27年には宮殿から御所へ移りました。
   件数としてはご負担軽減策実施以後もほとんど変わりがありません。


〈4〉外国要人 計4件(3年は3件。27年は8件)

 1 お茶(ニュージーランドマオリ王及び同王妃)(御所) 1件
     [1月22日(月)天皇皇后両陛下]

 2 お茶(元アメリカ合衆国国務長官夫妻)(御所) 1件
     [3月26日(月)天皇皇后両陛下]

 3 お茶(スウェーデン国王姉クリスティーナ殿下及び同夫君,他ご家族)(御所) 1件
     [4月9日(月)天皇皇后両陛下]

 4 お茶(ヨルダン国ムナ王母殿下)(御所) 1件
     [6月1日(金)天皇皇后両陛下]

 
   外国要人の「お茶」もご負担軽減以後、逆に増えています。


〈5〉国内学術・芸術功労者 計8件(3年は6件。27年は8件)

 1 お茶(日本芸術院第一部会員)(御所) 2件
     [2月22日(木)天皇皇后両陛下。11月29日(木)天皇皇后両陛下]

 2 茶会(日本学士院本年度受賞者及び新会員等)(宮殿) 1件
     [6月11日(月)天皇皇后両陛下] 
      注、この日、茶会に先立ち、陛下は皇后陛下とともに、
        学士院会館での学士院第97回授賞式にご臨席になった

 3 茶会(日本芸術院本年度受賞者及び新会員等)(宮殿) 1件
     [6月18日(月)天皇皇后両陛下] 
      注、この日、茶会に先立ち、陛下は皇后陛下とともに、
        芸術院会館での第63回芸術院授賞式にご臨席になった

 4 お茶(新認定重要無形文化財保持者夫妻)(宮殿) 1件
     [9月6日(木)天皇皇后両陛下]

 5 お茶(日本学士院第一部会員)(御所) 2件
     [10月3日(水)天皇皇后両陛下。10月10日(水)天皇皇后両陛下]

 6 茶会(文化勲章受章者及び文化功労者)(宮殿) 1件
     [11月5日(月)天皇皇后両陛下]

 
   ご負担軽減策実施の前後でほとんど件数は変わりません。

   芸術院第1部会員や学士院第1部会員の「お茶」は年一度にまとめられれば、
   それだけご負担が減るように思われますが、できない理由があるのでしょうか。


〈6〉外国ご訪問関連 計2件(3年は3件。27年は2件)

 1 茶会(外国ご訪問随員等)(宮殿) 1件
   [5月2日(水)天皇皇后両陛下] 
   注、この年5月に陛下は皇后陛下とともにヨーロッパ諸国を公式ご訪問になった。
     この日、「茶会」に先立ち、随員等の拝謁が行われた

 2 茶会(外国ご訪問尽力者)(宮殿) 1件
   [6月13日(水)天皇皇后両陛下]


〈7〉その他 計0件(3年は1件。27年は計7件)

   3年には衆議院,参議院の役員の「拝謁・お茶」が宮殿でおこなわれ、
   27年には新旧警察庁長官や歌会始詠進歌選者の「お茶」が御所で行われましたが、
   19年にはいずれも行われていません。


▽2 有識者会議は議論すべきだった

   以上のことから、宮中祭祀のお出ましばかりが激減した、
   21年以後のご負担軽減策の不自然さがあらためて浮き彫りになると同時に、
   退位問題に終始した有識者会議の異様さが浮かび上がってこないでしょうか。

   ご負担軽減策にもかかわらず、なぜご公務は増えたのか、
   つまり、なぜ宮内庁の軽減策は失敗したのか、
   有識者会議は検証すべきではなかったでしょうか。


次回は22年の「お茶・茶会」について、分析することにします。
ご負担軽減策実施直後の動きを知りたいからです。

   (http://melma.com/backnumber_170937_6535086/

           <感謝合掌 平成29年5月30日 頓首再拝>

ご公務ご負担軽減を検討しなかった有識者会議?~6 - 伝統

2017/06/05 (Mon) 19:29:59

      *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成29年6月04日)より

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
≪再送≫より明確になった宮内庁によるご負担軽減策の失敗
──ご公務ご負担軽減を検討しなかった有識者会議? 6
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「御代替わり諸儀礼を『国の行事』に」キャンペーンを始めました。
皆様、ご協力のほどよろしくお願いします。
https://www.change.org/p/%E6%94%BF%E5%BA%9C-%E5%AE%AE%E5%86%85%E5%BA%81-%E5%BE%A1%E4%BB%A3%E6%9B%BF%E3%82%8F%E3%82%8A%E8%AB%B8%E5%84%80%E7%A4%BC%E3%82%92-%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%A1%8C%E4%BA%8B-%E3%81%AB

 
さて、前回まで、平成3年、19年、27年の「お茶・茶会」について、
件数の推移を見てきました。目的は有識者会議最終報告の検証です。

最終報告の「参考資料」は、昭和33年、昭和天皇57歳時および58年、82歳時。
これと平成3年、今上陛下57歳時と27年、82歳時を比較し、
昭和天皇と比べて今上天皇のご公務件数がいかに多いかを浮かび上がらせ、
「行幸啓や茶会等の国民と接する御活動や外国ご訪問など全般に増加傾向」
と説明していますが、ほんとうでしょうか。

 
じつのところ、この説明は誤りであって、
正確には、「お茶・茶会」についていえば、宮内庁によるご負担軽減策にもかかわらず
激増したのでした。そのことは、19年の数値を見ることによってわかります。

鳴り物入りのご負担軽減策は失敗したのです。
とすれば、その原因を明らかにする必要があり、有識者会議はまず第1に
そのことを検証すべきでした。

「退位」問題に一気に突っ走るべきではなかったのではありませんか。

 
今回は22年を調べてみます。
ご公務ご負担軽減が始まった御在位20年直後のデータを拾い上げることによって、
ご公務の件数が増えた時期をさらに明確化させることができると考えるからです。
ご公務件数が増えた理由も見えてくるかも知れません。


▽1 22年の「お茶・茶会」

1 1月13日(水) 天皇皇后両陛下 お茶
          (帰朝大使夫妻(カンボジア,ハンガリー,ポーランド))(御所)
2 1月18日(月) 天皇皇后両陛下 お茶
          (新任外国大使夫妻(モザンビーク,ガーナ,ドイツ))(宮殿)

3 2月8日(月) 天皇陛下 お茶(新旧警視総監)(御所)
4 2月8日(月) 天皇陛下 お茶(退職認証官)(宮殿)
5 2月15日(月) 天皇陛下 お茶(退職認証官)(宮殿)
6 2月17日(水) 天皇皇后両陛下 お茶
               (元ケニア環境・天然資源副大臣)(御所)
7 2月18日(木) 天皇皇后両陛下 お茶
            (新任外国大使夫妻(マレーシア,フィジー,グルジア))(宮殿)

8 3月11日(木) 天皇皇后両陛下 お茶
            (新任外国大使夫妻(ウズベキスタン,モルディブ,タイ))(宮殿)
9 3月11日(木) 天皇皇后両陛下 お茶(日本学士院第一部会員)(御所)
10 3月17日(水) 天皇皇后両陛下 お茶
             (在トロント日本総領事夫妻(平成21年7月カナダご訪問時の
               トロント日本総領事夫妻))(御所)
11 3月18日(木) 天皇皇后両陛下 お茶
             (新任外国大使夫妻(ブルガリア,シリア,カタール))(宮殿)

12 4月14(水) 天皇皇后両陛下 お茶
           (新任外国大使夫妻(タジキスタン,中華人民共和国,タンザニア))
                                       (宮殿)
13 4月22日(木) 天皇皇后両陛下 お茶(日本学士院第二部部長始め学士院第二部会員)
                                       (御所)

14 5月10日(月) 天皇皇后両陛下 茶会
               (バンクーバー冬季オリンピック入賞選手及び役員)(宮殿)
15 5月10日(火) 天皇皇后両陛下 お茶
          (帰朝大使夫妻(モロッコ,イエメン,スーダン,ウルグアイ))(御所)
16 5月27日(木) 天皇皇后両陛下 茶会
              (バンクーバー冬季パラリンピック入賞選手及び役員)(宮殿)
17 5月31日(月) 天皇皇后両陛下 茶会
               (日本芸術院賞平成21年度受賞者及び新会員等)(宮殿)


18 6月21日(月) 天皇皇后両陛下 茶会
            (日本学士院賞本年度受賞者及び新会員等)(宮殿)
19 6月22日(火) 天皇皇后両陛下 お茶
          (中国日本友好協会会長(平成4年中華人民共和国御訪問時の首席接伴員))
                                      (御所)

20 7月8日(木) 天皇皇后両陛下 
             お茶(日本学術院第二部部長始め第二部会員)(御所)

21 9月6日(月) 天皇陛下 お茶(新認定重要無形文化財保持者夫妻)(宮殿)
                  [皇后陛下には,ご不例によりお取りやめ]
22 9月9日(木) 天皇皇后両陛下 お茶
         (新任外国大使夫妻(ボスニア・ヘルツェゴビナ,イラク,チリ))(宮殿)

23 10月13日(水) 天皇皇后両陛下 お茶
         (新任外国大使夫妻(コソボ,ケニア,モーリタニア))(宮殿)
24 10月20日(水) 皇后陛下お誕生日 天皇皇后両陛下 茶会
          (元長官,元参与,元側近奉仕者,元御用掛,松栄会会員等)(宮殿) 
            注、3年、19年の「ご日程」では「祝賀行事」と
              記載されるのみで詳細は公表されていない
25 10月20日(水) 皇后陛下お誕生日 天皇皇后両陛下 茶会
           (ご進講者始めご関係者)(御所) 
            注、3年、19年の「ご日程」では「祝賀行事」と
             記載されるのみで詳細は公表されていない

26 11月1日(月) 天皇皇后両陛下 お茶
              (帰朝大使夫妻(大韓民国,中華人民共和国,オーストラリア,
               ベトナム))(御所)
27 11月4日(木) 天皇皇后両陛下 茶会(文化勲章受章者及び文化功労者等)(宮殿) 
            注、前日には天皇陛下による「文化勲章親授式・拝謁・
              お礼言上(文化勲章受章者)」が宮殿で行われている
28 11月15日(月) 天皇皇后両陛下 お茶
             (日本芸術院第一部部長始め芸術院第一部会員)(御所)
29 11月17日(水) 天皇皇后両陛下 お茶
             (帰朝大使夫妻(国際連合日本政府代表部,バチカン,
                          カタール,シンガポール))(御所)
30 11月25日(木) 天皇皇后両陛下 お茶
             (新任外国大使夫妻(スーダン,ホンジュラス,スイス))(宮殿)

31 12月9日(木) 天皇皇后両陛下 お茶
               (新任外国大使夫妻(エストニア,バングラデシュ,
                アイルランド))(宮殿)
32 12月15日(水) 天皇皇后両陛下 お茶
             (新任外国大使夫妻(インドネシア,セネガル,レソト))(宮殿)
33 12月22日(水) 天皇皇后両陛下 お茶
             (新任外国大使夫妻(ボツワナ,スロベニア,チェコ))(宮殿)
34 12月23日(木) 天皇陛下お誕生日 天皇皇后両陛下 茶会
            (元長官,元参与,元側近奉仕者,元御用掛,松栄会会員等)(宮殿)
              注、3年、19年の「ご日程」には「祝賀行事」とあるのみで、
                詳細は公表されていない
35 12月23日(木) 天皇陛下お誕生日 天皇皇后両陛下 茶会の儀
             (各国の外交使節団の長等)(宮殿 注、3年、19年の
            「ご日程」には「祝賀行事」とあるのみで、詳細は公表されていない)
36 12月23日(木) 天皇陛下お誕生日 天皇皇后両陛下 茶会
             (ご進講者始めご関係者)(御所) 
             注、3年、19年の「ご日程」には「祝賀行事」とあるのみで、
               詳細は公表されていない


▽2 もし失敗の原因を検証していたら

以上、宮内庁HPに掲載される「陛下のご日程」から、
22年の「お茶・茶会」を抽出すると、全体では36件でした。

前回まで見てきたように、3年の「お茶・茶会」は24件
(「ご日程」では24件。「有識者会議最終報告」では26件。
お誕生日祝賀行事の「茶会」が「ご日程」では記載されていないためと推測される)、

19年は33件(「最終報告」では取り上げられず)で、
27年は53件(「ご日程」では53件、「最終報告」では57件)でした。

とすると、21年の宮内庁によるご負担軽減策実施にもかかわらず、
「お茶・茶会」の件数はまったく減ることがなかったこと、
逆にその後、増えていったことがはっきりします。

少なくとも「お茶・茶会」についていえば、
宮内庁によるご負担軽減策は失敗だったことがより明確になりました。

 
今回の有識者会議は「天皇の公務の負担軽減等」が、表向きのテーマだったはずです。
宮内庁のご負担軽減策がなぜ失敗したのか、真っ先に、具体的に
検討すべきではなかったでしょうか。

そうすれば、「退位」の認否に特化する「最終報告」が提出されるようなことは
なかったかも知れません。
法的手法をめぐって激論する必要もなかったのではありませんか。

 
次回は、いつものように、「お茶・茶会」を対象者で分類し、
何がどう変化したのかを分析することにします。
件数が増えた理由が見えてくるかも知れません。

   (http://melma.com/backnumber_170937_6538309/

           <感謝合掌 平成29年6月5日 頓首再拝>

ご公務ご負担軽減を検討しなかった有識者会議?~7 - 伝統

2017/06/12 (Mon) 18:57:37


      *メルマガ「斎藤吉久の「誤解だらけの天皇・皇室」」(平成29年6月12日)より

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「きめ細かい調整・見直し」が実施されていたら
──ご公務ご負担軽減を検討しなかった有識者会議? 7
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


さて、前回は平成22年の陛下の「ご日程」から「お茶・茶会」を抽出し、
全体で36件だったこと、したがって21年の宮内庁によるご負担軽減策実施にも
かかわらず、「お茶・茶会」の件数はまったく減ることがなかったこと、
逆にその後、増えていったこと、をより明確化させました。

 
今回は、さらに「お茶・茶会」を対象者で分類し、
何がどう変化したのかを分析することにします。件数が増えた理由が少しは見えてくるかも知れません。


▽1 外務省関連の「お茶」が減らない

〈1〉退職認証官 計2件(3年は4件。19年は2件。27年は2件)
   お茶(退職認証官)(宮殿) 計2件
          [2月8日(月)天皇陛下。2月15日(月)天皇陛下]

   退職認証官の「お茶」は、いずれの年も、天皇陛下のみで行われています。
   27年は場所が宮殿から御所に移りました。
   御所に移ったのは正確には24年からのようです。

   22年の場合、宮殿で行われたわけですから、お住まいの御所とは違い、
   スペースは十分あるはずです。陛下のご負担軽減を図るのなら、2週に分けずに、
   一度に行うことはできないのでしょうか。

   オモテもオクも外務省OBが近侍するなかで、
   外務省が率先してご負担軽減に協力する体制はつくれないものでしょうか。


〈2〉赴任・帰朝大使夫妻 計4件
   (3年は帰朝大使のみで3件。19年は帰朝大使のみで9件。
    27年は帰朝大使夫妻10件、赴任大使夫妻7件の計17件)
 
   お茶(帰朝大使夫妻)(御所) 計4件
   [1月13日(水)天皇皇后両陛下(カンボジア,ハンガリー,ポーランド)。
    5月10日(火)天皇皇后両陛下(モロッコ,イエメン,スーダン,ウルグアイ)。
   11月1日(月)天皇皇后両陛下(大韓民国,中華人民共和国,オーストラリア,
                     ベトナム)。
   11月17日(水)天皇皇后両陛下(国際連合日本政府代表部,バチカン,
                    カタール,シンガポール)。]

   帰朝大使夫妻の「お茶」は、3年は宮殿で行われていましたが、
   19年に御所で行われています。したがって場所の変更は21年の
   ご負担軽減策実施の結果ではありません。

   件数としては、21年のご負担軽減策実施以降、逆に増えているようです。
   月ごとにまとめられれば件数は抑えられると思います。
   そんなに難しいこととも思えませんが、できない特別の理由があるのでしょうか。

   帰朝大使夫妻に加えて、赴任大使夫妻の「お茶」が行われるようになったのは、
   正確には27年で、それ以前は赴任大使夫妻の場合は「拝謁」「ご接見」でした。

   ご負担軽減に逆行するように見える「お茶」に変わったのには、
   どのような経緯があるのでしょう。

   外務省関連の「お茶」の件数が減らないのは、なぜでしょうか。
   幹部に外務省OBが多い宮内庁で、ご負担軽減が率先的に進まず、
   むしろ関連するご公務の件数が増えているように見えるのはなぜでしょうか。
   外務省からの指示でもあるのでしょうか。


〈3〉新任外国大使夫妻 計11件(3年は4件。19年は8件。27年は9件)
   お茶(新任外国大使夫妻)(宮殿) 計11件

   [1月18日(月)天皇皇后両陛下(モザンビーク,ガーナ,ドイツ)。
    2月18日(木)天皇皇后両陛下(マレーシア,フィジー,グルジア)。

    3月11日(木)天皇皇后両陛下(ウズベキスタン,モルディブ,タイ)。
    3月18日(木)天皇皇后両陛下(ブルガリア,シリア,カタール)。

    4月14(水)天皇皇后両陛下(タジキスタン,中華人民共和国,タンザニア)。
    9月9日(木)天皇皇后両陛下(ボスニア・ヘルツェゴビナ,イラク,チリ)。

   10月13日(水)天皇皇后両陛下(コソボ,ケニア,モーリタニア)。
   11月25日(木)天皇皇后両陛下(スーダン,ホンジュラス,スイス)。

   12月9日(木)天皇皇后両陛下(エストニア,バングラデシュ,アイルランド)。
   12月15日(水)天皇皇后両陛下(インドネシア,セネガル,レソト)。
   12月22日(水)天皇皇后両陛下(ボツワナ,スロベニア,チェコ)。]

   新任外国大使夫妻の「お茶」は3年、19年、22年は宮殿で行われていますが、
   27年には御所で行われています。ご負担軽減に配慮してのことと推測されますが、
   実際のところ件数が減っているとはいえません。

   月1回にまとめられれば、これも件数を抑制することは可能かと思われます。

   なお、離任外国大使には「ご引見」が行われています。


〈4〉外国要人 計2件(3年は3件。19年は4件。27年は8件)

  1 お茶(元ケニア環境・天然資源副大臣)(御所) 1件
            [2月17日(水)天皇皇后両陛下]

  2 お茶(中国日本友好協会会長(平成4年中華人民共和国御訪問時の首席接伴員))
       (御所) 1件[6月22日(火)天皇皇后両陛下]

   外国要人の「お茶」が増えているのは国際社会の進展によるものでしょうか。

   これも広くいえば、外務省関連のご公務です。


〈5〉国内学術・芸術・スポーツ功労者 計10件
                 (3年は6件。19年は8件。27年は8件)

  1 お茶(日本学士院第一部会員)(御所) 1件[3月11日(木)天皇皇后両陛下]

  2 お茶(日本学士院第二部部長始め学士院第二部会員)(御所) 
                       1件[4月22日(木)天皇皇后両陛下]

  3 茶会(バンクーバー冬季オリンピック入賞選手及び役員)(宮殿) 1件
                         [5月10日(月)天皇皇后両陛下]

  4 茶会(バンクーバー冬季パラリンピック入賞選手及び役員)(宮殿) 1件
                         [5月27日(木)天皇皇后両陛下]

  5 茶会(日本芸術院賞平成21年度受賞者及び新会員等)(宮殿) 1件
                         [5月31日(月)天皇皇后両陛下]

  6 茶会(日本学士院賞本年度受賞者及び新会員等)(宮殿) 1件
                         [6月21日(月)天皇皇后両陛下]

  7 お茶(日本学術院第二部部長始め第二部会員)(御所) 1件
                          [7月8日(木)天皇皇后両陛下]

  8 お茶(新認定重要無形文化財保持者夫妻)(宮殿) 1件
          [9月6日(月)天皇陛下。皇后陛下には,ご不例によりお取りやめ]

  9 茶会(文化勲章受章者及び文化功労者等)(宮殿) 1件
         [11月4日(木)天皇皇后両陛下] 
         注、前日には天皇陛下による「文化勲章親授式・拝謁・お礼言上
           (文化勲章受章者)」が宮殿で行われている

  10 お茶(日本芸術院第一部部長始め芸術院第一部会員)(御所) 1件
                        [11月15日(月)天皇皇后両陛下]

 
  日本学士院関連の「お茶」は、
  3年は第1部会員、学士院賞受賞者・新会員が対象の2件でしたが、
  19年には学士院賞受賞者・新会員の「茶会」が宮殿で行われ、
  会員の「お茶」が御所で2回行われるようになりました。

  これが22年には、ご負担軽減策実施にもかかわらず、第2部会にも拡大されたのです。

  当時、宮内庁は「御公務の調整・見直しに当たっては,
  御公務の重要性と一心にお務めになってこられた両陛下の御公務に対する御姿勢に鑑み,
  御公務そのものを削減するのではなく,それぞれの御公務の内容・方法等について,
  両陛下の御負担を少しでも軽減するという観点から,きめ細く調整・見直しを図る
  ことと致しました」(平成21年1月29日)と説明していました。

  しかし「きめ細かい調整・見直し」の結果、ご公務の件数は増えたのです。
  言行不一致以外の何ものでもありません。

  そしてやがて陛下は「譲位」を表明されることになったのです。
  どう見ても自然な流れとは思えません。

 
  ちなみに学士院は日本学士院法に基づく、功績顕著な科学者を優遇する機関で、
  第1部会は人文科学分野(定員70人)、第2部会は自然科学分野(定員80人)
  とされます。


  芸術院関連の「お茶」は、3年は芸術院賞受賞者・新会員が宮殿で、
  第1部会会員が赤坂御所で行われていました。
  19年には芸術院賞受賞者・新会員の「茶会」が催されることになりました。
  「お茶・茶会」に先立って、陛下は芸術院会館での授賞式にもご臨席になっています。

  日本芸術院は日本芸術院令(昭和24年)にもとづく、功績顕著な芸術家を
  優遇するための栄誉機関で、第1部は美術(定員56名)が対象とされています。

  新指定重要無形文化財保持者の「お茶」は、3年は赤坂御所で行われましたが、
  19年、22年、27年は宮殿で行われています。

  22年には、対象者がスポーツ分野にも拡大されました。
  これが宮内庁によるご負担軽減策の実態です。


〈6〉外国ご訪問関連 計1件(3年は3件。19年は2件。27年は2件)

 1 お茶(在トロント日本総領事夫妻
   (平成21年7月カナダご訪問時のトロント日本総領事夫妻)(御所) 1件
    [3月17日(水)天皇皇后両陛下]


〈7〉その他 計6件(3年は1件。19年は0件。27年は計7件)

 1 お茶(新旧警視総監)(御所) 1件[2月8日(月) 天皇陛下]

 2 茶会(元長官,元参与,元側近奉仕者,元御用掛,松栄会会員等)(宮殿)
         1件[10月20日(水)皇后陛下お誕生日。天皇皇后両陛下] 
         注、3年、19年の「ご日程」では「祝賀行事」と記載されるのみで
           詳細は公表されていない

 3 茶会(ご進講者始めご関係者)(御所) 1件
    [10月20日(水)皇后陛下お誕生日。天皇皇后両陛下] 
     注、3年、19年の「ご日程」では「祝賀行事」と記載されるのみで
       詳細は公表されていない

 4 茶会(元長官,元参与,元側近奉仕者,元御用掛,松栄会会員等)(宮殿) 1件
   [12月23日(木)天皇陛下お誕生日。天皇皇后両陛下] 
    注、3年、19年の「ご日程」には「祝賀行事」とあるのみで、
      詳細は公表されていない

 5 茶会の儀(各国の外交使節団の長等)(宮殿) 1件
   [12月23日(木)天皇陛下お誕生日。天皇皇后両陛下] 
     注、3年、19年の「ご日程」には「祝賀行事」とあるのみで、
       詳細は公表されていない)

 6 茶会(ご進講者始めご関係者)(御所) 1件
   [12月23日(木)天皇陛下お誕生日。天皇皇后両陛下] 
     注、3年、19年の「ご日程」には「祝賀行事」とあるのみで、
       詳細は公表されていない


 3年は衆議院,参議院役員の「拝謁・お茶」が宮殿で行われた1件だけで、
 19年には0件でしたが、ご負担軽減策実施後の22年には5件に増えましたが、
 これはお誕生日の祝賀行事の詳細が「ご日程」に記載されるようになった結果
 と思われます。

 その後、27年には新旧警察庁長官、歌会始詠進歌選者の「お茶」など
 7件(お誕生日の「茶会」を含む)に増えましたが、これは明らかに
 ご公務ご負担軽減に逆行するものといえます。


▽2 もしかしたら「譲位」の表明もなかった?

 以上、22年の「お茶・茶会」を対象者で分類してみると、宮内庁が説明する
 「きめ細かい調整・見直し」にもかかわらず、「お茶・茶会」の件数は減らず、
 とくに外務省関連の「お茶」が増えていることが分かります。

 有識者会議最終報告の「参考資料」の説明にあるように、
 昭和天皇と比べて今上天皇のご公務件数が多いとか、
 「行幸啓や茶会等の国民と接する御活動や外国ご訪問など全般に増加傾向」にある
 というような単純なものではありません。

 かつて宮内庁当局が表明していたように、ご負担軽減のために、
 もし「きめ細かい調整・見直し」が実施されていれば、陛下のご負担は
 確実に減らすことができただけでなく、陛下がご公務問題で懊悩され、
 「譲位」を表明なさることもなかったかも知れません。

 そうすれば、昨夏以来、皇室典範改正か、特例法かと
 大激論をかわす必要もなかったでしょう。

 いや、それどころか、こんどは「女性宮家」創設の大議論が再燃し、
 提唱者の1人である、外務省出身の元侍従長の露出度も増しています。
 つくづく尋常ならざる展開だと私は思います。

 それにしても、外務省のカゲが目立つのはなぜでしょうか。

   (http://melma.com/backnumber_170937_6541658/


           <感謝合掌 平成29年6月12日 頓首再拝>

Re: 天皇陛下「象徴の務め困難に」 - mijmdpbjMail URL

2020/08/29 (Sat) 03:52:09

伝統板・第二
[url=http://www.giw06p06r1apt9fle56k78qi0s0578g7s.org/]umijmdpbj[/url]
mijmdpbj http://www.giw06p06r1apt9fle56k78qi0s0578g7s.org/
<a href="http://www.giw06p06r1apt9fle56k78qi0s0578g7s.org/">amijmdpbj</a>

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.