伝統板・第二 189360

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法則としての《神》②

1:伝統 :

2016/07/26 (Tue) 04:04:25


     *伝統板・第二「法則としての《神》①」からの継続です。
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6532750


《神に於いては無法則》

           *「光明法語」(7月26日)より

神は決して「法則」と云うようなもので自縄自縛されてい給うような方ではない。
その意味に於いて、神自身から言えば、「無法則」である。

しかし、神はその創造活動があらゆる方面において調和し、秩序だっているから、
それを人間の方から見ると、神の創造は「法則」と云う「道」を通って行なわれる
ように見えるのである。

精神の法則も、物質の法則も「一(ひとつ)」の神の調和した創造の二面であるから、
互いに調和しているのである。

不調和に見えるのは観察が足らなぬのである。

            <感謝合掌 平成28年7月26日 頓首再拝>
2:伝統 :

2016/07/27 (Wed) 04:29:06


           *「光明法語」(7月27日)より

爆弾に中(あた)っても死なないと云うのは神の法則の自己破壊であって、
そんな事が尊いのではない。

爆弾の中らぬような所へ、自然に、心の働きで、自分の身体(からだ)が行っている
事が、心の法則と物質の法則との調和である。

毒を飲んでも死なぬのではなく、毒など自然に飲まなくなる事が、
心の法則と物質の法則との調和である。

天災地変や列車の顛覆が起こっても大丈夫と云うのではなく、
天災地変や列車の顛覆の所などへ立ち寄らぬ様になるのが
心の法則と物質の法則との調和である。

            <感謝合掌 平成28年7月27日 頓首再拝>
3:伝統 :

2016/08/08 (Mon) 03:53:06


            *「光明法語」(8月7日~8日)より

八月七日 神とは何ぞや

物理学者や天文学者の研究が発見したところでは、物理や天文の世界を支配しているのは
数学的法則であって、滅裂(めつれつ)出鱈目(でたらめ)のものではないと云う事である。

物質の世界や天体の世界が、法則なき雑然とした滅多(めった)矢鱈(やたら)に成り立って
いるものならば、それは偶然の出鱈目の産物だと言い得るであろうが、数学的法則でそれが
成り立っている事を知るならば物質や天体を構造せしむるに到った力は余程数学的知性を
もったエネルギーだと言わねばならないのである。

叡智を有する不可思議力を神と言う。

・・・

八月八日の法語 法則は神の顕現

人間の頭脳が、自然を研究するに従ってそれを支配する法則が段々徐々にわかれば、
自然を構造したところの知性(神)は、吾々人間の頭脳知よりも遥かに発達した知性
であると言わなければならない。

「神」と言うと迷信くさく思う人があるが、
「法則」と言えば、科学者も信仰しているものである。

『甘露の法雨』には、神の事を「宇宙を貫く法則」と書かれている。
すべての事物は法則によって支配されている。

併し法則をば必ずしも「物質法則」に限る必要はない。

            <感謝合掌 平成28年8月8日 頓首再拝>
4:伝統 :

2016/08/14 (Sun) 03:24:54


            *「光明法語」(8月14日)より

物質を研究する科学は、その研究が次第に深くなるに随って、
その奥に横たわる法則や秩序や、智慧なしには構造することが出来ない微妙複雑なる構造に、
驚異の眼(まなこ)をみはるに到り、

此処についに、
物質の奥底にあって一切のものを構造する本源者「霊なる神」を
みとめずにはいられなくなるのである。


凡(およ)そ「法則」とは神が人間にわざと利用しやすきよう、
常に普遍妥当なる形においてあらわれたものであって、
結局「法則」を研究する科学は神を研究することになるのである。

            <感謝合掌 平成28年8月14日 頓首再拝>
5:伝統 :

2016/08/26 (Fri) 03:39:18


        *『生活の智慧365章』(P276~277)より

生命(せいめい)は常に物質の機械的な無機物的状態を克服し、
それを自分の想念の形にまで造形するために戦って来たのである。

生命(せいめい)が物質の機械的な法則に支配されている限りに於ては
生物は発生することができなかったのです。

物質の法則は、生命(せいめい)の前には
常に服従して来たものであることが判るのである。

生命(せいめい)は肉体を構成している物質の物理化学的法則を必要に応じて
巧みに利用しつつ、必要に応じて、物資のハタラキを抑制し、
それを征服して自己の希望する形にまで築き上げるのである。

若し私たちの“心”が物質の法則に優位をみとめるならば、
生命(せいめい)の力はそれだけ物質の力に譲歩して、
生命(せいめい)が自主的な力を減弱することになるのである。

“生命(せいめい)の法則”が常に“ 物質の法則“よりも優位に立って、
これを克服し得たところに生命(せいめい)の凱歌があがり、
生命体を発生することができたのである。

生命体の発生のみならず、既に発生した生命体を健康に維持する上にも、
無機物の法則を克服して、有機体を作り、更にそれを総合して精密なる
オーメーション装置の一大運動機構をつくり上げ、それをたくみに操縦して
間断なく修復作用を行いながら常に健康を維持し得ているのが、吾々の生体なのである。

1分1秒と雖(いえど)も、“生命(せいめい)の法則”が物質の無機物的な
分解下降現象にその優位を奪われたならば、其処に病気の現象を起すのである。

私たちは、どこどこまでも“生命(せいめい)”(即ち神)が物質の法則に対して
常に優位を保つように“心”を神の方に振り向け、
“内在の神”(生命力)の働きを尚一層健全にする必要があるのである。

            <感謝合掌 平成28年8月26日 頓首再拝>
6:伝統 :

2016/09/07 (Wed) 04:48:12


         *『生活の智慧365章』(204~205)より

此の世界には、その運行を司っている法則がある。
その法則を実際に応用することによって、私たちは労しただけの効果を挙げ、
或は価を払っただけの悦びや楽しみを得ることができる。

私たちが法則に順応すれば、法則は私たちに順応してくれるのである。

法則には自然科学の法則と、心の法則とがある。

今までは、自然科学の法則だけが重んじられていて、
心の法則が軽んじられていたために、
多くの人々は「労多くして、効すくなき生活」を送っていた。

「自然科学の法則」と、「心の法則」とは車の両輪のようなものである。
一方の車輪が欠けていると、生活に能率があがらない。

科学的に繁栄の法則にかなうような方法を講じても、
心がそれに副わなかったら繁栄はない。

滋養物をいくら食っても、心が心配に満たされていたら、
健康になれないようなものだ。

            <感謝合掌 平成28年9月7日 頓首再拝>
7:伝統 :

2016/09/16 (Fri) 03:33:09


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月16日)より

宇宙には動かすべからざる法則が支配しているのである。
その法則は人間が作った法律のようにごまかしたり、くぐり抜けたりできぬものであり、
絶対に終始一貫かわらざるものであるのである。

もしこの宇宙の法則の一貫不動性というものがなかったならば、
太陽系統は成り立たず、人類の生活は成り立たないことになるのである。

終始一貫性はある意味では純潔の美徳であり、ある意味では誠実の美徳である。
宇宙は純潔と誠実との美徳によって支えられているというも過言ではないのである。

人間もこの宇宙に存在する以上、誠実と純潔との美徳なければ、
大宇宙の生活と波長が合わないのである。

人生に繁昌成功せんとするには純潔と誠実とが必要である。

             <感謝合掌 平成28年9月16日 頓首再拝>
8:伝統 :

2016/09/17 (Sat) 03:30:53


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月17日)より

宇宙の終始一貫せる法則の中には、因果応報の法則がある。
原因あれば必ず結果があるという法則である。

いかに狡猾に原因だけを造っておいて、結果だけをのがれようと試みても、
結果は早いか遅いか、あるいは他の形態をもってするか、
いずれにせよその人に報いてくるのである。

イエスが5つのパンと小さき肴(さかな)2つを5千人に分け与えて
なお12の籃(かご)にパンの余りが残っていたという奇跡が行なわれたときに、
なぜそのような奇跡があらわれたのであろうか。

それは愛のゆえに分け与えたこと、
そして「廃(すた)るものなきよう擘(さ)きたる余りを集めよ」
というイエスの教えを実行したからである。

無限供給を念じさえするならば、物の余りを粗末にしてもさしつかえない
と思うのはまちがいである。

             <感謝合掌 平成28年9月17日 頓首再拝>
9:伝統 :

2016/09/30 (Fri) 04:35:51


          *『善き人生の創造』第二章 (P26~28)より  

この宇宙の叡智は、自由意志的設計者として
能動的に自己の欲するところのものを設計し構成して行く力を持っている。

それは天体、鉱物、植物、動物等・・・自主的自覚意識によって自分の運命を
決定することの出来ないところの低位の存在は、此の宇宙の叡智によって設計され、
その設計の通りに受身に造られたまま、此等の存在は宿命的なものを受取るのであります。

ところが、ひとたび人間が、宇宙の叡智の最高の顕現として、人格的に現れて来たときには、
その能動的、自己設計的な自由を神は人間に譲り渡し給うたのであります。

そして人間は自己の運命の自主的設計者として、
ならびに、神の意識的自覚的創造の中心者として、
自然界や自己の環境を自己の想念の通りに創造し変改する力を与えられ、

神御自身(宇宙の叡智)そのものは、単に受身の態度をとって、
「法則」と云う受動的形となり、人間の意識的自覚的創造力の「想念的原型」の通りに
実に従順に随って、与えられた「想念の原型」通りに活動する事になっているのであります。

神は自発的能動的叡智としては、実に素晴らしい宇宙の構図を想念されたのでありますが、
法則としては、実に無我であり、何等恣意を用い給うことなく、
常に一定の法則的秩序以外にははみ出給うことはないのです。

何処、何時、誰、と云う要素が異なっても、2プラス2は4であると云うように、
実に忠実に一定の律を守って、事物を現象化せられるのであります。

若し、法則なるものが時々変化して、或る時には2プラス2が5になったり、
また、或る時には2プラス2が八になったりしたのでは、
吾々は法則を利用する事が出来ないのであります。

そこで神は「自由の本体」であられながら、
法則としては、一定の律以外には作用し給わないのであります。


<精神(生命の叡知的面)は物質の運動慣性を変化する>

宇宙の最始源には、宇宙遍満の霊として未発之中(中庸の語)なる陰陽未剖(いんようみぼう)
の「天之御中主神」(宇宙未発之中神(あめのみなかぬし))がい給うて、
それが能動受動の二神に分化せられたのであります。

能動は、呼びかける者、受動は従う者であります。
また能動は自由意志であり、受動は法則であります。

更に又自由意志は精神的なものと現れ、法則は物質として現れたのであります。

かくして精神は物質を支配し、物質は精神によって一定の形態に造り出されます。
そして能動的なる精神は物質に運動する方向を与え、物質はその与えられた方向に、
抵抗又は反対の力の加わらない限り運動慣性(惰力)をもって
永久に動いて行こうとするのであります。

即ち物質は与えられた精神的エネルギー(主導的なるもの)の業力の形象化として
続いて行くのでありますから、エネルギーの具象化とも言い得ると同時に
精神の反影又は「心の反影(かげ)」とも言い得るのであります。

本来宇宙霊は一つでありますが、その主導的部分が「精神」と現れ、
その主動エネルギーが動力であり、そのエネルギーの受動的蓄積が
物質に与えられた運動慣性でありますから、

ひとたび主動エネルギーの主体たる精神が働けば
物質の運動慣性を変化する事が出来なければならぬのであります。

而して又、実際に「生命現象」と云うものは、
生命が精神的主導者として単なる物理化学的な習慣的機械運動以上に、
物質分子の離合集散を支配しつつあることによって成立っているのであります。

 (http://kaerou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=15388555 より転写)

             <感謝合掌 平成28年9月30日 頓首再拝>
10:伝統 :

2016/10/19 (Wed) 03:31:14


          *『生活の智慧365章』(P209)より

私たちはみずから其処へ行くことによって
其の風光を楽しむことが出来るのである。

テレビや映画でも風光を楽しむことはできるが、
それは、またそれだけに価(あたい)を支払ってあるからである。 

すべて何らかの形に於て相当の支払いをしないでいて
事物を得ようと思ってはならないのである。

無論、価を支払わないでも得られるときがあるけれども、必ず何らかの形で、
その後にそれ相当の価を支払わさせられるのである。

それが因果の法則であり、平衡の法則である。

法則と云うものは、無限に自由なと云うものではない。
法則と云うものは事物の運動に限界を与える条件であるからである。

酸素と水素とが集まって水となる法則は、
酸素と水素以外のものが集まっても水にはならないと云う制限の条件である。

             <感謝合掌 平成28年10月19日 頓首再拝>
11:伝統 :

2016/10/27 (Thu) 03:54:56


          *「光明法語(10月27日)」より

神の波長に合わぬと言っても、その場合、神が人間を罰し給うのではないのである。
光に対して眼をつぶっている者が「暗い」のは、神罰ではなくして、
理としてそれが出て来るのである。

そして「暗く」して打突(ぶつ)かり、頭を打って痛いと思って、その人が眼をひらいて、
そして方向転換するのは、神が頭をなぐったのではなくて、自分が頭をぶつけたのであり、
そして自然に眼がひらくのは、「理」として自然に来るのである。

これを「摂理」と言う。
不幸に出遇(であ)ったと思っている時に神の導きがある。

             <感謝合掌 平成28年10月27日 頓首再拝>
12:伝統 :

2016/10/30 (Sun) 04:43:22

理」は神から来る

          *「光明法語(10月29日)」より

「理」はどこから来たかと言うと、神から来たとも言える。
しかしそれは神罰と云うものを課するために神がつくったものではなく、むしろ神御自身が
人間によって利用できるように「一定不変」の形になってあらわれ給うたものである。

自然界の法則も同じである。
神は「自由の本体」であるから変幻自在である。
しかし「変幻自在」では人間は神を利用することが出来ないのである。

それで神は一定不変の法則となり、一方では「科学の法則」となり、
一方では「心の法則」となってあらわれたのである。

・・・

「理」に順応せよ

          *「光明法語(10月30日)」より

高圧電線に触れて傷つくのも、機械の歯輪(はぐるま)にはさまれて傷つくのも、
食い過ぎて胃を悪くするのも、「科学の法則」にふれたからである。

腹が立ったり、悲しんだり、取越苦労をして
病気になるのは「心の法則」にふれたからである。

食いすぎて胃病になっても別にそれは神が罰を当てたのではない。
それは「理」によってなっているのであって、「理」に逆らったからに過ぎない。

省みて「理」に順応して、高圧電線にふれる時にゴムの手袋をはめ、
歯輪(はぐるま)の間に手を入れず、食べすぎねば傷つくことはない。

             <感謝合掌 平成28年10月30日 頓首再拝>
13:伝統 :

2016/11/11 (Fri) 04:08:06


         *「生長の家」(昭和26年7月12日の法語)より

繁昌は一日にして来たらず、それが単なる偶然の好運であるかに見えても、
必ず過去に蓄積されている善き想念、善き言葉、善き行為、善き感情が
現実化して生ずるのである。

すべての想念、感情、言葉、行為の結果は実現しないではいないのである。
それは原因結果の法則である。
原因結果の法則には、物理的な法則と、心の法則があるのである。

大抵の人は物理化学的法則のみを知っていて、心の法則を知らないのである。

繁栄せんと欲する者は顧客に対してよき想念、善き感情、深切な注意、
行き届いたサービスの精神を揮(ふる)い起さなければならないのである。


     (『幸福を招く365章』第10項(P219)に収載)

             <感謝合掌 平成28年11月11日 頓首再拝>
14:伝統 :

2016/11/28 (Mon) 04:42:41


          *『聖経 真理の吟唱』(P230~233)より


神は宇宙を貫く法則であり給う。
宇宙の法則は殺す法則ではなくて、生かす法則であるのである。

それゆえに、宇宙の法則に随順して生活する者は生き、
宇宙の法則に背反して生活する者は死するのである。

それを知るがゆえに私たちは今後必ず宇宙を貫く法則に
随順して生活することを期するのである。


われは宇宙の法則に随順するがゆえに、神はわれを祝福し給うのである。
法則に随うことは神に随うことである。
われは神に随って行動するがゆえに、わが為す事は必ず成就するのである。


宇宙の法則は、調和であり、平衡である。
行き過ぎは必ず譴(とが)めを受けるのである。

われは神の導きに随い、調和によって万事を解決することを行ずるのである
から、わが関係する事物はことごとく調和あるすがたで解決されるのである。

古聖は、「服従は最高の自由なり」と言ったが、

われは、一切において我を出さず、宇宙最高の法則に随って
行動しようと欲するのであるから、
わが為すことは、神の協力を得てすらすらと万事が運ぶのである。

それゆえに、私は最高の自由を常に確保し得ているのである。


宇宙の法則は「愛」である。
「愛」は我を通さず、自他一体の真理にもとづいて行動するのであるから、
われは他(た)の人々と常に調和して常に他の人々の幸福になるよう
行動するのである。  

それはまた自他一体であるから、愛は反転してきて
自分の幸福にまで報い来るのである。


われは悦びに満たされて、法則に随順し、愛を行ずることを希(こいねが)う。
愛は憎しみよりも強いのである。

憎しみは「虚(きょ)」の力であり、マイナスの力に過ぎないのであるから、
積極的力であり、実在の力である愛に刃向かうことはできないのである。

それゆえに私に対する人は、自然に憎しみが剥落し、愛をもって
置き換えられるようになるのである。


われは法則に随順せんことを希い、それを行ずる。

神の法則は智慧であるから、法則に随順せんことを希う私たちには、
常に神の智慧の導きがあるのである。

だから不測の禍(わざわ)いがきたろうとするときには自然の導きによって
その不測の禍いから避けるようになっているのである。

法則に随う者は、法則によって罰せられるということはないのである。
それゆえに私たちは常に安全である。

常に安全に護られ、常に栄え、祝福されている私たちは
まことに幸福なるかなと言うほかはないのである。

われ宇宙の法則なる神に感謝し奉る。

             <感謝合掌 平成28年11月28日 頓首再拝>
15:伝統 :

2016/12/11 (Sun) 03:32:51


           *「光明道中記」(12月11日)より

【心を尽し、力を尽して自分自身の無限の可能性を信ぜよ。(『生命の實相』第四巻)】 
                 
宇宙の法則は無限生長にある。換言すれば進歩にある。
だから必ずしも隴(ろう)を得て蜀(しょく)を望むのが悪いのではない。

ただそれが「公(おおやけ)」なる道に乗らないのが悪いのである。
彼が「公」なる道に乗る限りに於いて、進歩を心がけること、前進を心掛けること、
成功を心がけることは正しいことであり、祝福されることである。

前進する者は衰退しない。
前進する者は多くの困難と戦わなければならない。
困難と戦うことには色々の新しい経験を得る。困難と苦痛とは異なる。

新しい経験は自分の生命の中から「新しい推理」を発掘して来る。
前進するものは常に新しい鉱石に打(ぶ)つかる。

吾々の獲得は、そのたび毎に増加するのである。
吾々の獲得は眼に見えた成果のみではない。
もっと眼に見えない魂のダイヤモンドが吾々の前進によって得られるのである。

そして此の魂のダイヤモンドは、その採掘の動機が利己的でなければならない程、
「公」であればあるほど、より多く獲得することができるのである。

人間は物質的にどれだけあれば生活出来るか、
それは極(ごく)僅(わず)かな分量である。
それ以上に費やされるのは多くは虚栄(みえ)のためである。
此の分量を「公」にために献げよ。

             <感謝合掌 平成28年12月11日 頓首再拝>
16:伝統 :

2016/12/27 (Tue) 03:58:56


物質の法則というものは本来の意味で謂(い)えば 「無(な)い」 のである。
何故(なぜ)なら、物質は影であって実在ではないからである。

物質の法則と見ゆるものはすべて想念の法則である。
心の法則である。
物質そのものが法則を与えるのではなく、心が法則を与えるのである。

自然界の法則は「神の想念の法則」の上に「人間の心の法則」を二重映ししたものである。

神の想念の法則は不変でありただ善のみ生ずるが、人間の心がその上に印(いん)する法則
はその人の心に従って二重映し的に、善のみの状態を不完全に現像して病気等があるかの
如くあらわすのである。

病気は心の相(すがた)の現像であって本来無いのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第12項(P249~250) より
(初出~「生長の家(昭和25年10月16日)

           <感謝合掌 平成28年12月27日 頓首再拝>
17:伝統 :

2017/01/12 (Thu) 04:23:08


      *『幸福を招く365章』第12項(P249~252) より

《自然の法則も心で変化する》

京都府舞鶴市に有名な外科の医学博士があった。

常にレントゲンで患部を診察して執刀施術をするのであったが、
ついに自分の右の手にレントゲン潰瘍を生じて手指(しゅし)を
3本切除しなければならなくなったのである。

あと残った拇指(おやゆび)と人差指の二本も切除するほかはないと云う時に
その医者は『生命の實相』を読んだのである。

そして人間は神の子であり、自然界の法則の主人公であり、自然界の法則を
駆使することは出来るが自然界の法則は人間を害することは出来ないと悟った。

すると潰瘍の進行は止って、手指の切断は不要となり
今では残った2本の手指で自由に外科手術を行っているのである。

              ・・・

《実相人間には法則は害し得ぬ》

レントゲン照射を過度に行うと潰瘍を生ずる。
それは自然の法則である。

その潰瘍は中々癒えがたいものであって患部が段々拡大し手腕全体にひろがる
惧(おそ)れがあり、そして又癌に移行することがある。
それは自然界の法則である。

その法則に従って医者は手術するのである。

ところがその患者が「人間は神の子であり、自然界の法則は人間を益するためにのみ
作用することが出来るのであって、人間を害するために作用するように見えるのは
自己の迷いだ」と悟ると

自然界の法則が人間を害しなくなくなるのは、
法則が不確実原理のものであって人間の信念によって左右せられる証拠である。

              ・・・

《実相人間は物質や黴菌には害されぬ》

真(しん)に健康を得ようとするならば、
物質が人間を支配し得る、黴菌が人間を支配し得る
と云うような考えを絶対的に克服しなければならないのである。

実相に於ては、人間は霊的存在であるから物質に支配されることはないのである。
実相に於ては、人間は万物の霊長であるから黴菌に支配されると云うことはないのである。

実相に於いては『甘露の法雨』にあるように「一切の生物処を得て争うものなく
相食(あいは)むものなく」互に害する状態は存在しないが故に
黴菌に冒されると云うこともないのである。

「絶対そんなことは《ない》。《ない》。《ない》。神の子の勝利だ」と
3万遍繰返して思念せよ。

              ・・・

《愛に背く法則は存在しない》

物質は人間を害する力であると云う古き皮袋の中に、
真理の新しき酒を注ぐことは出来ないのである。
また古き酒が充満している甕(かめ)の中に新しき酒を注ぐことも出来ない。

刻苦精励して、物質の人間に及ぼす権威を潜在意識の中から逐(お)い出し、
新たに人間神の子の権威を潜在意識の中にたゝみ込まなければならないのである。

在来の物質観を捨て去り、宇宙には唯一つの大法がある。
それは神である。
神の大法は愛であり、調和である。

愛にそむく法則、調和に背く法則などはあり得ようがない、従って、
人間に苦痛をもたらす法則などはあり得ようがないと云うことを知ることである。


(初出~「生長の家(昭和25年10月17日~20日)
  → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=85

           <感謝合掌 平成29年1月12日 頓首再拝>
18:伝統 :

2017/02/05 (Sun) 04:17:43


       *「希望を叶える365章」(P284~285)より

神は自分の意志をもって意識的に人間を処罰し給うことはない。

神は愛であるから、人間に完全な自由を与えたのである。
併(しか)し神は愛であるから人間悪しくなることを好み給わない。

しかし善くなるように「強制する」ことは人間を機械化することになるから、
人間を「善しか出来ない」と云う様(よう)には型に嵌め給わなかったのである。


神は、人間を「自由にならしめたい」と同時に、「自由意志で善ならしめたい」
この願いを実現するために、人間自身で、自分の想念や行為が善であるか悪であるか
を検針することができるメートルとして「法則」をつくり給うたのである。

そして法則に逆らえば悪い結果が出、法則に遵(したが)えば善き結果が出る
と云う事実によって、人間は自己反省をし、自由意志によって、
善なる想念及び行動を起こし自然に向上することができるようになっている。

そして更に人間が自由意志によって神から導きを受けようと思えば
神の智慧を授かることになっているのである。

           <感謝合掌 平成29年2月5日 頓首再拝>
19:伝統 :

2017/02/24 (Fri) 04:23:59


         *『如意自在の生活365章』(P159)より

われわれは”法則”を通さずして何事をも為すことはできないのである。
法則は人造のものではないのである。
法則は人間が生まれる以前から《ある》のである。

「神は宇宙を貫く法則」というふうに『甘露の法雨』には示されているのである。

そして法則を通さずしては何事もできないということは、
神を通さずして何事も成就しないことを示すにほかならないのである。

法則に感謝せよ。

法則は神の智慧による秩序であるとともに、
神がみずからを人間の利用に最も便利な姿に顕現して下さった
”愛”のおはたらきだということができるのである。

           <感謝合掌 平成29年2月24日 頓首再拝>
20:伝統 :

2017/02/28 (Tue) 03:35:14


           *「光明法語」(2月29日)より

電気の働きによって、電燈を得、電熱を得るためには、
吾等は電気の法則に従わねばならぬ。

神の働きによって色々の功徳を得る為には、吾々は神の法則に従わねばならぬ。
神の法則とは、『与える通り与えられる』と云うことである。

若し与えられなかったら祝すべきである。
それはなお天の倉に蓄えられて増殖しつつあるのだからである。
その報いが遅ければ遅いほどそれは複利計算で神様から利子がつけられるであろう。

一方に与えて置いたら、軈(やが)て予想そうもしない他のところから
無限の供給がやって来ると云うことである。

            <感謝合掌 平成29年2月28日 頓首再拝>
21:伝統 :

2017/03/17 (Fri) 04:25:08


      *『如意自在の生活365章』(P159~160)より

わたしたちは“法則”の世界に住んでいる。
どこにも“法則”の存在しない世界はないのである。

わたしたちは法則にとり囲まれて生活しているのである。
それは神の愛に包まれて生きていることである。
わたしたちは神の愛から逃げ出すことはできないのである。

わたしたちは法則に随順するとき
神の愛に護られることになるのである。


法則には物質面の法則と、精神面の法則と、
さらに霊的面の法則とがあるのである。

多くの人たちは物質面の法則のみを研究して
それを応用しているのであるけれども、
“精神面の法則”を理解し応用する人は少なく、
さらに“心霊面の法則”を理解し応用する人は稀であるのである。

            <感謝合掌 平成29年3月17日 頓首再拝>
22:伝統 :

2017/03/29 (Wed) 04:00:51


             *「人間救いの原理」第二章 運命が修正される原理 より

神は吾々に完全の自由を与え給う。
吾々が過てる道を選んだからと云って、吾々を強制的に方向転換せしめ給う
と云うことはないのであります。

神はただ「法則」の相(すがた)において内在的に働き給い、
人間の生活が一方に偏ったり、一つの形式のみに固定した時
自然に行き詰ってくることによって、人間自身の自由に於いて、
運命の修正が行われます。

吾々はこの運命の修正に対して反抗することも出来ます。
併しそうすることによって吾々の生活は苦しくなるばかりなのです。

吾々が素直に神の導き給う運命の修正に随順し乗託するとき、
物事はスラスラと運行して来、神の無限の力、無限の智慧、無限の愛に依って
生活は立所に光明面に転回せしめられ、人生の摩擦と悩みとは消え、
今迄よりも高次な極楽状態がその人の人生に現れて来るのであります。

人生の、そして宇宙の一つの法則は愛であります。
されば、それに従うことは簡単なことです。
併し必ずしもそれはイージーではないのです。

愛は神の法則の充足であります。
吾々は又愛とは生命であり、そして大いなる癒す力であり、
再建せんとする智慧であると云うことを知らねばなりません。

吾々が神の摂理によって如何なる悩みでも癒されたいと希(ねが)うならば、
吾々は先ずすべての人を(吾々の敵をも含めて)喜んで愛しなければならないのです。

日本の敗退は敵を愛しなかったところ(「憤激を新たにし」の詔書や、
出血作戦がそれを物語る)にあり、日本の再建が嘗ての敵たりしものを
「愛する」ことによって完成するのだと云うことを知らねばねりません。

多くの病気は、憤激することによって起こっています。
そして感謝し、感ずることによって治っています。
国家の病気も同じ原理で治るのです。

人生の實相は愛の流れであります。――祝福と調和と善の流れであります。
その流れの中に吾々が従順にその波に乗って棹さすならば、
総てはそのままに祝福された姿であり、調和と善とはそのままに実現するのであります。

  (谷口雅春先生に帰りましょう・第二「人間救いの原理② 」
     http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=550
   子記事「日時:2016年07月13日」 より転写)

            <感謝合掌 平成29年3月29日 頓首再拝>
23:伝統 :

2017/04/18 (Tue) 04:37:14


         *『生活と人間の再建』(P148~149)より

与えれば与えられるのは人生の法則である。
蒔かぬ種子は生えぬのである。
先ず第一に種子を与えなければ収穫は得られないのである。

この明瞭な道理を自覚しない人達が随分多いのである。
与える量が多い程受ける量も尚多いのである。

吾々は与えることによって、自分のもてるものがなくなってしまう
と恐れる必要はないのである。

供給の本源は無限なる神から来(きた)るのであって人間から来るのでないから、
与えたからといって減ると思う必要はないのである。

豊かに与えるに従って、神は豊かに与え給うのである。
 
吾々は他に与えるものといっても決して自分のものではないのである。
すべては神の造り給うたものである。
神から与えられたものを、ただ次へまわすだけである。

神は決してその恵みを吾々一個人の所有として独占するように
決して与えたまうているのではないのである。

神は神の造り給いしすべての者に対して豊かなる供給が循環し得(う)るために
必要な具合に与え給うているのであるから、次へ次へと廻すに従って、
又その次が与えられるのである。

だから吾々は利己主義を振りまわして、自分の持っているものを、
永遠に自分の所有として握ってはならないのである。

            <感謝合掌 平成29年4月18日 頓首再拝>
24:伝統 :

2017/04/26 (Wed) 03:31:35


          *「光明法語」(4月26日)より

神は法則である。
『甘露の法雨』には「神は宇宙を貫く法則」であると書かれている。

法則は秩序である。秩序性は一定の規則があると云うことである。
生命は一定の秩序あるところのみ出現し、秩序が破るれば生命は姿を消すのである。

動物は本能によって其の秩序性を守って生活し、
人間は自主的統制によって其の秩序性を守って健康に生活する。

人間の自由とは無秩序のことではなく、
自由意志と自由選択とによる完全なる自己統制である。

孔子の所謂(いわゆ)る「心の趣く所に随って矩(のり)を超えず」である。

            <感謝合掌 平成29年4月26日 頓首再拝>
25:伝統 :

2017/04/30 (Sun) 04:56:15


           *「光明法語」(4月30日)より

種子(たね)を植えて恐怖なしに土地に委ねることが出来るのは、
法則が支配していることを知っているからである。
法則の支配を信じなければ恐怖するほかはない。

神は法則であり、蒔いた種子の通りの芽を出さしめるのであり、
例外なしにそうであるから吾々は恐れる必要がないのである。

罪人が蒔いても善人が蒔いても法則によれば同じ種子には同じ植物が生えるのであるから、
どんな罪人も、善き種子をこれから蒔けば善き植物が間違いなく生ずるのである。

何も恐るることはないのである。

神は法則であり偏頗(へんぱ)はない。

            <感謝合掌 平成29年4月30日 頓首再拝>
26:伝統 :

2017/05/08 (Mon) 04:33:42


          *「光明法語」(5月8日)より 

人生は進歩の法則、無限生長の法則によって支配されているのであるから、
旧態依然たるものは、次の新しきものによって取って代わられる。

商売のやり方でも、旧態依然たるものは新しき経済戦術によって
新商売をやる者には必ず圧倒される。

かくて職業を失うに到るとも、職業を失う者は幸いなるかな。
神は彼に新しき職業と、新しき環境を与え給うことによって、
新しき面から、彼の魂をみがき得る機会を与えたまうのである。

旧生活の破壊に失望することなく新しき位置と職業を与え給えと祈れば好いのである。

            <感謝合掌 平成29年5月8日 頓首再拝>
27:伝統 :

2017/05/20 (Sat) 04:20:29


          *「如意自在の生活365章」(P149~150)より

この世界は法則によって支配されているのである。
法則を無視しては何事も自分の思うようにはゆかないのである。

飛行機が飛行するためには、流体力学の法則を無視するわけにはゆかない。
石油を掘鑿するにもいろいろの物理的法則によらなければならない。

神の国にある宝物を受けとるには、
神は霊であるから、霊の法則を無視することはできないのである。

霊の賜物(たまもの)を受けとるには、
物質の器(うつわ)によって受けとることはできないのである。

霊の賜物を受けるには、霊に対しては霊的波動を浄める ―― 
すなわち魂を純粋にして受けなければならないのである。

感謝の霊的波動によって受けなければならないのである。
愛念の霊的波動によって受けなければならないのである。

暗い感情は神の光の霊波に背く。
それゆえに、心を明るくもって、光をもって象徴される
神の霊波に波長の合う心を起さなければならないのである。

            <感謝合掌 平成29年5月20日 頓首再拝>
28:伝統 :

2017/06/04 (Sun) 04:32:06


        *『 生長の家 』(昭和25年12月15日の法語)より

   「 行き詰れる者は福(さいわい)なるかな。
   汝らは新しき想念計画を生み出さん 」

   この世界は神の自己表現の世界であるから、
   いつまでも同じ考え同じやり方で
   通用するものではないのである。

   同じ考え、同じやり方をやっていたら
   必ず行き詰まる時が来るのである。
   そして新しき一層よき考え、よきやり方が案出せられる。

   そして新しきものを生み出さんとする宇宙的な力に協力する者は
   栄えるが、それに逆らって旧態依然たるものは衰え
   而(しか)して滅びるほかはないのである。

   常に新しくなるものは老いず、停滞せず、衰えず、
   愈々(いよいよ)栄えて隆々たるに到(いた)らん。

   これ宇宙的法則である。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12323201.html

            <感謝合掌 平成29年6月4日 頓首再拝>
29:伝統 :

2017/06/08 (Thu) 04:15:58


    *『光明法語』(六月の法語「天国は汝の内にあり」6月8日)より

親がその子に対して、善きものをあたえたくない場合を考えて見れば、
その子が親不孝の場合である。

間断なく親の言い付けに叛(そむ)き、親の意志に反して、与えたる富はただ他を害する為
のみに使う様な場合には親はその善きものを与える事をさし控えるであろう。

それは神を擬人的に人格的に考えたのであるが、神は人格であると同時に法則なのである。
その両面を見落としては真に神を理解したことにはならない。
神は超個性的法則であると同時に人間的な人格を備えてい給う。

それ故に神の子なる人間も人格を備えているのである。

        <感謝合掌 平成29年6月8日 頓首再拝>
30:伝統 :

2017/06/25 (Sun) 05:07:49


        *『白鳩』(昭和42年12月17日の法語)より

   自然は冷酷である。法則は冷酷であり、2を二倍すれば4になる
   〈2×2=4〉 という法則には情状を酌量して、2を二倍しても
   5にしてやるとか6にしてやるとかいうことはできないのである。

   あなたが幸福なる生活を送るためには
   法則を知らなければならないのである。
   法則に旨く乗った者だけが勝利を得るのである。

   〃法則〃 のことを仮に 〃真理〃 と名づけるならば、
   イエスの言った通り 
   「汝は真理を知らざるべからず、真理は汝を自由ならしめん」 
   であるのである。

   もしあなたが人生に於いて御自分の希望を達しようと思うならば、
   人生を支配している法則を知らなければならないのである。

   しかし法則を知るとき、法則は下僕の如く我に仕えるのである。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=782

        <感謝合掌 平成29年6月25日 頓首再拝>
31:伝統 :

2017/07/01 (Sat) 04:11:45

         *「生活の智慧365章」(P176)より

  いま吾が生活を支配する法則は、
  愛と信仰と繁栄と、そして真理とである。

  吾れは人の間違いもなしに吾が未来を透見し得る――

  何故なら吾れは今日(こんにち)
  未来の刈入れのために善き種子を蒔きつつあるからである。
  われは善き収穫を予期する。

  それ故、吾れは平和と信仰とのうちに晏然(あんぜん)としているのである。 
  我れは神の御手に委ねる。 

  神の法則は愛である。
  愛なる神に感謝致します。

             (谷口雅春著 『日々読誦三十章経』より)

・・・

  *上記の言葉は、『日々読誦三十章経』内の
   十ニ日の経言(のりごと)~【愛と繁栄とを実現する言葉】 です。 

・・・

<参考>『日々読誦三十章経』については、次の掲示板を参照願います。

(1)谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐「日々読誦三十章経(経言)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/yuyu6/&mode=res&log=101

(2)「日々読誦三十章経(経言)」の基となった
   『如何にせば運命を支配し得るか』(P37~39)「真理に就いての瞑想」
   谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐「日々読誦三十章経」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/yuyu6/&mode=res&log=17

        <感謝合掌 平成29年7月1日 頓首再拝>
32:伝統 :

2017/07/18 (Tue) 04:00:45


          *「幸福をひらく鍵」(P82)より

神は「宇宙を貫く普遍の生命(せいめい)」であり、
その「生命(せいめい)」の歩む道が、法則である。

数学の法則、物理学の法則、化学の法則、力学の法則、電磁波の法則、重力の法則等
 ――  すべて法則なる者は「生命(せいめい)」の歩む道である。

その歩んだ軌跡が物質と見える足跡(あしあと)である。
足跡(あしあと)は影であり、足跡(あしあと)には生命(せいめい)はない。

足跡(あしあと)の奥に法則があり、法則は生きている。
法則は眼に見えないが、足跡(あしあと)の方は眼に見える。

法則を順用するとき偉大なる利用効果が発揮され、
法則を逆用するとき巨大なる破壊力を発揮する。

利用効果も破壊効果も、生命(せいめい)が法則を通して
はたらいた影に過ぎない。

             <感謝合掌 平成29年7月18日 頓首再拝>
33:伝統 :

2017/07/24 (Mon) 04:21:21


       *「光明法語」(7月22日~24日)より

《生長の家と科学》

生長の家は科学を否定しない。
寧ろ精神と物質との間に科学的法則を見出す。
だから精神科学といわれる所以である。

今迄は物質と物質の間のみに法則を見出して、
精神と物質との間に相互の因果関係があると云う事を忘れていた。

物質の法則の上に精神の法則の優位があるのは、ただの物理化学的法則以上に
それに精神が働きかけた時、物質はただの物質ではなく肉体となり、霊妙なはたらきを
現し、自然の物理化学的変化以上を有意志の変化にかえて了(しま)うのである。

・・・

《法則とは何ぞや》

法則とは物理化学の法則でも、精神の法則でも、神のはたらきの「道」である。
かかる「道」を通って、霊が、生命が、はたらくのである。

霊が、生命が、創造力が、働くところの「道」「方法」を知らないときに
吾々は生命の創造力の「道」に邪魔物を、知らず識(し)らずに置くことになる。
そこに生命の創造力は閉ざされ、病気を生じ、不幸を生じ、禍を生ずることになる。

科学とはかくの如き「道」を発見して、生命の創造力を豊かにる流露(るろ)
せしめんがためのものである。

・・・

《二つの法則》

人生には、精神の道と、肉体の道とが互いに縄のように交わりながら進んでいる。
吾々は心の法則の中にも住んでいるし、物質の法則の中にも住んでいるのである。

毒物(本来食物として創造(つく)られていない物の意であって、それは他の用途に
使えば毒物ではない。本来毒物は何もない)を食すれば胃腸を害し消化力を減ずるのは
物質の法則によるのであるが、

心配したり、腹立ったり、不快な思いをしながら食べるとき
胃腸を害し、消化力がにぶるのは心の法則によるのである。

             <感謝合掌 平成29年7月24日 頓首再拝>
34:伝統 :

2017/07/26 (Wed) 03:59:57


        *「光明法語」(7月26日)より

神は決して「法則」と云うようなもので自縄自縛されてい給うような方ではない。
その意味に於いて、神自身から言えば、「無法則」である。

しかし、神はその創造活動があらゆる方面において調和し、秩序だっているから、
それを人間の方から見ると、神の創造は「法則」と云う「道」を通って行なわれる
ように見えるのである。

精神の法則も、物質の法則も「一(ひとつ)」の神の調和した創造の二面であるから、
互いに調和しているのである。

不調和に見えるのは観察が足らなぬのである。

             <感謝合掌 平成29年7月26日 頓首再拝>
35:伝統 :

2017/07/27 (Thu) 04:25:08


        *「光明法語」(7月27日)より

《行く処必ず安全》

爆弾に中(あた)っても死なないと云うのは神の法則の自己破壊であって、
そんな事が尊いのではない。

爆弾の中らぬような所へ、自然に、心の働きで、
自分の身体(からだ)が行っている事が、
心の法則と物質の法則との調和である。

毒を飲んでも死なぬのではなく、毒など自然に飲まなくなる事が、
心の法則と物質の法則との調和である。

天災地変や列(汽)車の顛覆が起こっても大丈夫と云うのではなく、
天災地変や列(汽)車の顛覆の所などへ立ち寄らぬ様になるのが
心の法則と物質の法則との調和である。

             <感謝合掌 平成29年7月27日 頓首再拝>

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