伝統板・第二

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魂の法則 - 日曜版

2016/07/03 (Sun) 12:05:40


このスレッドでは、ヴィセント ギリェム・プリモというスペインの方による
著書「魂の法則」について、その要点を紹介して参ります。


題名: 「魂の法則」
スペイン語原題: “LAS LEYES ESPIRITUALES”
著者: Vicent Guillem Primo ヴィセント ギリェム・プリモ
邦訳: 小坂 真理


この「魂の法則」の原本は、2008年に初版が出されています(スペイン)。

日本語版は、2014年7月2日ナチュラルスピリット から発行されました。
なるべく安価にしたいとの希望から、著者、訳者とも印税を放棄しています。


内容紹介(Amazon より)

  スペイン人のバレンシア大学病院のがん遺伝子の研究者の著者が、
  幽体離脱で出会ったイザヤと名乗る存在から教えられた「魂と生き方の真実」とは?


  この本は、高次の存在から全世界の人びとに贈られた「愛のメッセージ」です。

  エゴを捨て、愛に生きるようになることが、魂の進化だと、この本は説いています。

  魂の本質について、生き方の真実について、細かく科学者らしく書かれています。

  エゴの諸層についても、かなり分析されています。

  イエス・キリストが本当は何を説いたかについても詳細に書かれています。

  『神との対話』にも似た、今の時代のバイブルにもなりうる本です。

              ・・・

イザヤから日本の皆さんへ

こんにちは、日本の兄弟の皆さん!
まだ私のことは知らないだろうが、どうかこのように呼ばせて欲しい。


この度『魂の法則』を日本の皆さんに紹介できることは、大変喜ばしく嬉しいことだ。

この本で伝えたいことが、しかるべきところに ―― つまり一人ひとりの意識と感性に ―― 
届いてくれることを私は願ってやまない。

より大きな気づきを促すきっかけとなり、
それが各人の真心を目覚めさせることに繋がってくれればいい。
このことが今、大いに必要とされているからだ。


こうしてやっと皆さんに『魂の法則』を届けられるようになるまでには、
それはそれは長いこと、骨身を削って協力してくれた多くの兄弟たちがいたのだ。

だから私は、それらの存在全員をとてもありがたく思っている。
私と私の仲間たちの感謝の気持ちは、永久に変わることがないだろう。


兄弟の皆さん、ありがとう。私の愛が届くことを願って。


2014年1月13日
                        私、イザヤより

             ・・・

はじめに

これは、全世界の人びとに贈る愛のメッセージだ。

メッセージがどのようにしてもたらされたのか、また誰から伝えられたのかは、
ここでは重要ではない。問われるのはその内容だろう。

これをどう扱うかは、各人の自由だ。

無視しても、批判しても、検証しても、あるいは君自身の人生に適用してもらっても構わない。
僕自身は、色々な経緯の後に、人生に応用するということを選んだ。


本書の主人公で、僕の対話相手であるイザヤが架空の人物なのか実在するのか、
彼との会話が本物なのか、それがどのような状況下で起きたのか、
などを判断するのは君に委ねたいと思う。

いずれにせよ、これが君の心に届くように、真心をこめて書いたことに偽りはない。


僕の役に立ったように、君にとっても有意義なものとなってくれることを願う。


真の自分を知り、感情を目覚めさせてエゴを解き放つと共に、人生の目的に気づいて、
自分に起きたことや今後起きることを理解するために役立てて欲しい。

希望を持ち続け、他の人びとへの共感を深め、いつかは皆を愛せるように。
また、自分が生きる世界を理解し、いかなる逆境からも大いなる恩恵を引き出して、
愛において成長できるように。


つまり、君が本来の自分になれて、自由で自覚しながら真実の愛、すなわち
無条件の愛を体験できて、そしてそれによって、さらに幸せになってくれることを願う。


すべての愛をこめて。
                              ヴィセント・ギリェム

                 ・・・

著者(ヴィセント・ギリェム)について

Web:著者(ヴィセント・ギリェム)のインタビュー
    → http://tamashiinohousoku.blogspot.jp/p/blog-page_13.html

                 ・・・

目次

プロローグ

第一の法則: 「進化の法則」

第二の法則: 「自由意志の法則」

第三の法則: 「霊的裁きの法則」又は 霊的な作用と反作用(原因-結果)の法則

第四の法則: 「愛の法則」    

イエスの地上での使命

・・・

<関連Web:「イエスの地上での使命」
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6899465 >


            <感謝合掌 平成28年7月3日 頓首再拝>

「進化の法則」~《霊的世界》その1 - 伝統

2016/07/10 (Sun) 12:27:09

第一の法則: 「進化の法則」(P43~131)

☆ 魂の目的は、果てしなく永遠に進化し続けること。

☆ 何において進化するのか?

  愛と叡智において。
  愛なくして進化はない。
  愛なくして叡智はない。
  愛なくして幸福はない。

☆ 進化は、各人の意志と努力にかかっている。


《霊的世界》(P44~59)

Q:生まれる以前には何があるのですか。

A:死んだ後と同じ、「生」だ。
  物質界に縛られない生の期間と、赤ん坊に転生して物質界に戻ってくる期間とを、
  交互にくりかえしている。

             ・・・

Q:死んだ後はどうなるのですか。


A:魂は肉体を離れて、元いた霊的世界へ帰り、物質に縛られることなく生き続ける。
  言い換えれば、霊界から来た魂は、生まれたばかりの赤ん坊として転生して物質界と繋がり、
  肉体の死を迎えるまで物理的に生きる期間を過ごす。

  死の瞬間に肉体との絆は切れて、霊界に戻る。

  人がどこから来てどこに行くのかについての秘義は、

  「天に昇った者はいないが、天から降りてきた者はいる」

  という簡単だが非常に奥深いくだりによってイエスが公言していた。

  これは、ヨハネの福音書三章十三節(3, 13)に記載されているが、
  今までその意味が完全には理解されることはなかった。

             ・・・

Q:どういう状態でその霊界に戻るのでしょうか。
  つまり、目覚めた状態なのですか? 自分たちに起きた事を自覚しているのでしょうか、
  それとも複数の宗教で信じられているように「最後の時」のような事態になるまで
  昏睡状態でいるのでしょうか。


A:昏睡状態どころか、転生している時より霊界にいる時の方が、
  現実をずっと良く自覚しているのだ。

  肉体を離脱することで、魂が意識を失ったり、
  寝ぼけたままの状態になるのだと考えてはいけない。

  各魂の進化程度と死の状況によって期間が異なる、
  一種の混乱期を経るとは言え、魂は霊界で真の生を見出し、色々な事を自覚するのだ。
  その中には、何が転生の目的であったのか、ということも含まれる。

  霊界は君たちの世界以上に実体のあるところなので、
  もちろん、他の存在と一緒に関わる業務もある。

  実際のところ、君たちの世界というものは、
  霊界の実像が歪められて投影されたものに過ぎないのだ。

             ・・・

Q:正確にはどこに行くのですか。


A:どの魂も肉体を捨てると、各自の進歩状況に応じた次元の霊界に行くことになる。
  それは、生存中にどれだけ「愛の法則」に見合う行為をしたかで決まる。

  しかし、他の生き物を酷く苦しめる行為をした犯罪者の魂などは、
  その行いが足かせとなって、下層アストラル界の低い波動レベルに囚われてしまうのだ。

  それとは全く逆に、我欲の大部分に打ち克つことができ、
  愛情に満ちた行動をした魂は、
  上層アストラル界の一番高い波動領域まで昇っていけるのだ。

  この2つの極端な例の間には、無数の中間層が存在しているのだが、
  どこに行くのかは、それぞれの魂の霊性レベルと、
  どれだけ「愛の法則」に沿った行ないをしたかによる。

             ・・・

Q:波動レベルとは?


A:波動レベルは、魂の進化状態がエネルギー次元に反映されることだ。
  高振動の波動は、愛の能力が高く、エゴを脱却できた進化した魂のエネルギー体のものだ。
  低周波の波動は、まだ我欲で行動している進歩のみられない魂のものだ。

  この両者の間に、中間的な進化段階にいる魂たちが存在していて、
  波動レベルも中ほどなのだ。

  どの魂も肉体を離れた後は、それぞれの進化レベルに応じて、
  自己の波動レベルに相当する次元に移行するのだ。


  肉体に制限されて全体を捉えられない者に霊的世界を描写するのは、
  生まれつき眼が見えない者に色とはどういうものかを説明するようなものだ。
 
  霊界は実体があり、魂の本当の故郷で、
  常に存在し今後も存在し続ける触知可能な世界であり、
  始まりと終わりのある物質界と違って、破壊されることがない。

             ・・・

Q:実体のあるものなら、どうして見ることができないのですか。


A:見えないからといって、存在しないことにはならない。
  肉体を持っている時に知覚できるのは、物理的感覚で捉えられることに限定される。

  たとえば、見ることのできる光の範囲は虹の七色に限定され、
  下限の赤色から上限は紫色までの周波数に限られる。

  霊界は君たちが知覚できない周波域内に存在していて、
  この領域の中にも高低まちまちの波長がある。

  物質とはエネルギーが凝縮された形態に過ぎず、原子よりも小さな粒子に分解でき、
  分解によって一部が光に変化することが分かった。

  光と物質が大きく異なる性質を持つとは言え、
  両者の違いは本質的なものではなく、構造と凝縮度合いの違いによる。

  水に起こることをイメージするといい。
  構成要素が変わらないにも関わらず、微粒子の動き具合によって、
  固体(氷)、液体、気体(水蒸気)と、大変異なる性質を見せるだろう。

  霊的な世界と物質界との間には、中間的な階層が存在している。
  一番希薄なものから濃密なものへと、
  霊界・メンタル界・アストラル(エネルギー)界・物質(物理)界にまとめられる。

            <感謝合掌 平成28年7月10日 頓首再拝>

「進化の法則」~《霊的世界》その2 - 伝統

2016/07/17 (Sun) 12:02:35


Q:「アストラル界」と「霊界」の違いはなんですか。

A:霊界というのは、全てが生まれ出る次元であり破壊されることはないが、
  アストラル界は、霊界がエネルギー次元に具現化したもので、
  物質界ほどではないにしろ、「生命の本質」はかなり濃縮されている。
 
  「霊界」という言葉を、「物質界」の対比語として捉え難い3つの精妙な世界
  (霊界・メンタル界・アストラル界)をまとめて指すために使用することがあるが、
  「アストラル界」は、物質界に近い見えない世界で、より具体的だ。
 
  どの惑星もエネルギー的に対応するアストラル球体と繋がっている。
  アストラル界には密度の異なる色々な波動層があるが、
  物理的な惑星の表面に近い層が最も濃密で、繊細になるほど表面からは遠ざかる。

  より精妙な層の自然の方が美しく完全だが、どれもに谷や山や河があり、動植物もいる。

  アストラル惑星は、生命に溢れ、
  地球と繋がりのある霊魂や転生していない様々な命の故郷だ。

  物質界で生まれる大多数の者の源点であり、死ぬ者たちの目的地だ。

  魂は肉体を離れると霊界に戻るが、通常は自分の霊性に応じたエネルギーレベルに見合う、
  アストラル惑星内の波動レベルに移行する。 

             ・・・

Q:その世界や、死後に行くレベルが知りたいです。

A:魂が進化していくと自己の波動を高め、新しいレベルに見合った振動領域へと上昇していく。
  異なる波動レベルを、振動が高まり密度が薄くなっていく順番に、
  アストラル下層・中層・上層に分類できる。
 
  アストラル上層の霊魂たちは、魂の目的が何であるかを完全に自覚しており、
  意識的な進化の段階にいるて、他の魂の進歩を手助けすることに注力する。 
 
  下層には、霊性進化の乏しい霊魂がいる。
  中層には、中間的な進歩段階で、転生している魂の大半は、
  肉体を捨てた後にここに行くことになる。

             ・・・

Q:アストラル下層界は地獄、上層界は天国、そして、中間層は煉獄に匹敵するのではないですか。
 
A:地獄、煉獄、天国などの概念こそ、私が話している霊的な実相が
  大いに歪められたイメージであり、実体と似ている点はほとんどない。

  アストラル下層の全ての住人が「悪者」とは限らないし、「苦しむ」訳でもない。
  「悪者」という定義も不完全なものだ。

  知力のみにおいては進歩したが愛に関してはほとんど成長していない、
  怠惰な魂、と呼んだ方が良かろう。

  宇宙には、最も原始的なものから最も進化したものに至るまで、
  全ての存在にふさわしい場所があり、
  感情の学習の初歩段階にいる者の故郷が、アストラル下層だ。
 
  常に悪に従事する霊魂などいないし、
  サタンにつきものとされる全能な破壊力を持つ者など、なおさらだ。
 
  アストラル下部に住む霊魂は、感情面でほとんど進歩していない。
  それは、彼らが幼い魂だったり、感情を余り成長させることができなかったからだ。
  我欲にまみれて幸せを知らない彼らは不幸なのだ。

             ・・・

Q:魂は、肉体から解放されると思考が赴く場所に移動できるのですよね。

A:そうだが、自分自身の振動レベルと同調できる範囲内でだ。

  高次元の魂ほど自由に動き回ることができ、
  不快感はあるものの下のレベルに降りることができる。
 
  魂は自己の波動レベルを高めない限り、自分より上のレベルに行くことができない。
  違うレベル間での魂の交流は、常に、より進歩した者が低い域に降りることで成り立つ。

  区分けは急激なものではなく緩やかなもので、
  大気の濃度が地表を離れるにつれて薄くなっていくのと同じだ。  

            <感謝合掌 平成28年7月17日 頓首再拝>

「進化の法則」~《進化の構図》 - 伝統

2016/07/24 (Sun) 18:45:49

「進化の法則」~《進化の構図》P60~72

Q:物理的生への誕生が始まりでないとするのなら、魂の始まりは何ですか。

A:魂がいつ創造されるのかは分からない。
  「生命の火花」となる「魂の素」が創られる。

  「生命の火花」は、その後何百万年にもわたって、
  自己の進化レベルに見合う物質形態に結びつく経験を通して改善してゆくプロセスを体験する。

  充分に進化してずっと高度なものになると、それを魂と呼ぶ。
  魂は、体という物質形態に結びついて、その経験から学んでゆく。

  原初の段階では「魂の素」は、より単純な物質形態に結びつく。

             ・・・

Q:前世では動物だったこともあり、もっと遡れば石に生まれたこともあるのですか。

A:その段階では、「生命の火花」が独立した魂だとも、
  石が鉱物界で独自性を持つとも考えられないので、
  魂が石に転生していたというのは正確ではない。

  石を割ってしまったとしたら、「生命の火花」は分割されてしまうだろうか?
 
  しかし、犬の個別性の度合いは遥かに進んだものなので、
  「魂の原型」が犬に転生している、と言うことはできる。

             ・・・

Q:連続的な転生プログラムで、何を成し遂げるのですか。

A:魂の存在が、知識においても感情においても進歩し、叡智と愛において成長することだ。
  段階的な進化を通して到達できる限界の上限は、神の能力だ。

  だが神の能力は無限なので、限界はない。
  それは、絶え間ない永遠の進化のプロセスだ。

             ・・・

Q:初期の「生命の火花」や鉱物・植物・動物界での転生の時期に、
  学ばなくてはならないことは何でしょう。
 
A:進化の初期的な段階の魂が、赤ん坊のように自分自身の存在すら自覚できなくとも、
  学習が妨げられることはない。

  学んだ事は永久に記憶されるので、無自覚ではあるものの、新しい転生を始める時には、
  それまでの前世と転生間の期間との総体から得られた全ての知識を携えるので、
  ゼロからのスタートとはならない。

  物理次元での進化の過程は霊界側から誘導されたもので、
  進化する魂が、向上する能力を発展させるためにふさわしい
  物理的な受け皿を見出せるようにする。

  魂の成長には、最も単純なものから最も進化したものまで、
  物質界の全ての形態を体験する必要があるからだ。

             ・・・

Q:魂が進化してゆくにつれて、
  下等な種に転生する「魂の原型」が少なくなることはないですか。
  そのような種はどうなるのですか。
 
A:魂を創造する工程は決して止むことがないので、
  常に様々な進化段階のものが存在する。

  同時期に同じ進化の飛躍を遂げる存在が大勢いれば、
  ある時期に用のない種が恐竜のように絶滅したり、
  進化した新種が増殖したりする要因になるかもしれない。

  魂は進化するに従って、さらに進化した物質的な体に転生する必要があるのだが、
  自分の能力からかけ離れたものでは、その状況が手に負えなくなる。

             ・・・

Q:人間の魂は動物に生まれ変わりますか。

A:それは進化を後戻りさせることになるので、人間から動物への転生は不可能だ。
  進化が停滞することはあるが、すでに乗り越えた進化段階に
  逆行したり後退したりすることはない。

             ・・・

Q:誰もが動物だったことがあるのだとしたら、高等哺乳類への行いを問題視します。

A:その通りだ。彼らは君たちの弟分なので、より大きな配慮や尊重に値する。
  しかし大半の人は、人間の生命や権利すらも尊重していないので、
  見下しているものを尊重するように期待するのは難しい。

  霊的に進歩してゆくにつれ菜食主義になり、動物の権利が尊重されるようになる。
  君たちの世界のように、動物を檻に閉じ込めたり、虐待したり殺したりもしない。

             ・・・

Q:魂が特定の種での転生を止めて、
  さらに進化した種に生まれ変わるのは、何によるのですか。

A:魂がその期間に遂げた進歩による。
  同等レベルの種に転生しながら充分学び取らない限り、
  直ぐ上の段階の種に移行できないのだ。

  進歩が速いものが、一段上の種に転生できるのだ。

             ・・・

Q:僕たちが、肉体的に人間の種の能力を超えて進化したらどうなるのですか。

A:君たちはまだ身体器官の潜在能力をその4分の1も使っていないので、
  身体が増大する能力を支え切れないほど古くなったというには早過ぎる。

  人間という段階は、魂の進化の終着どころではないのだ。
  現在の地球人のレベルでさえ、魂的にも肉体的にも、
  進歩したレベルとは言い難い。

            <感謝合掌 平成28年7月24日 頓首再拝>

《人間の構成形態》 - 伝統

2016/07/31 (Sun) 12:07:09

《人間の構成形態》P73~77

Q:人間は肉体と魂とで成り立っていて、
  魂に知能や感受性や意識や意志などの能力があるのですよね。
 
A:実際にはより複雑なものだ。
  「生命の本質」または「魂の素」は4つの異なる状態に濃縮されて、
  霊界・メンタル界・アストラル界・物質界を形成すると言っただろう。

  人間もこれらの性質を持っていて、相互に関与し合う4つの体から成り立っている。
  振動の低い順から、肉体、そしてアストラル(エネルギー)体、メンタル体、霊体となる。

  物的な肉体は、アストラル体の構造で決定された型やタイプを基に成り立っている。
  アストラル体は、メンタル体を構成した型が基になっており、
  メンタル体は、霊体が示した型に基づいている。

             ・・・

Q:アストラル体とは何ですか。

A:外見は身体に似ているが、光り輝いていて半透明である。
  肉体の上に被さって密接に結びついているので、体組織の細胞の一つ一つに浸透し、
  必要な生命エネルギーを供給する。

  ガスの微粒子が生命エネルギーを取り込み波動を高めて、
  振動数を弱めながら肉体に伝達するのだ。
 
  アストラル体は7つの層から構成されていて、
  その各々が異なる周波域で振動しているので個別の色と関連づけられ、
  肉体のそれぞれの機能と関係している。
 
  身体に生命エネルギーを供給する電気系綱に似ており、
  無数のケーブルや電線で構成されている。

  これらは、特定箇所で経脈と呼ばれる束にまとまって、
  ここを大きなエネルギーの流れが通過する。

  エネルギーの入り口となる主要な中枢はチャクラと呼ばれるが、
  それらは7つで、脊髄に沿って存在する。

  チャクラの各々は、アストラル体の各層と身体との繋ぎ目に当たる。

             ・・・

Q:メンタル体と霊体とは何ですか
 
A:重要なのは、メンタル体が思考の拠点であり、
  その一方で、霊体は意識や意志や感情の拠点であるということだ。

            <感謝合掌 平成28年7月31日 頓首再拝>

《人間の転生とそれが霊性進化に果たす役割》 - 伝統

2016/08/07 (Sun) 12:34:58

《人間の転生とそれが霊性進化に果たす役割》P78~85

Q:霊性進化における輪廻転生の目的とは何ですか。

A:肉体化する一回一回が特定の課程を評定する機会で、
  合格すれば次の課程へと進め、霊的次元で新たな教えを学び始める。

  魂の準備が整い新たな知識が身につくと、
  実践を通してそれを自分のものにしようと、
  再び肉体に宿る。

             ・・・

Q:なぜ物質界で、何度も生きる必要があるのですか。

A:進化途上の魂も生徒であり、必要とされ習いたいと思う全てのことを学ぶには、
  一度以上の人生が必要となるのだ。

  君たちの惑星は、小学校のようなものだ。
  全て学習し終えた時に、さらに高度な教育を施す別の学校に移れるのだ。
  それまでは、地球または同等レベルの世界で、進化し続ける。

             ・・・

Q:過去生を、どうして忘れる必要があるのですか。

A:現在の人生の目的に集中するには、
  自由意志で行動する妨げとなる自他の記憶をなくして、
  過去の行為に言動が制限されないようにする必要がある。

             ・・・

Q:進化の法則と矛盾します。毎回ゼロからのスタートとなりませんか。

A:具体的な思い出は忘れてしまうが、霊的に学習した事は忘れない。
  肉体上の記憶は確かにゼロからのスタートとなるが、
  霊的な記憶はそうならず、学んだ全てを記録する。

  前世の記憶があると、進歩の少ない魂は、情報過多で発展が妨げられる怖れがある。 
  過去生で殺人を犯し、本人も他の魂もそれを覚えているような状況では、
  過去に烙印を押されてしまう。

  過去生を忘却して転生すれば、魂が証人保護プログラムで守られるように、
  新しいアイデンティティーを獲得できる。

             ・・・

Q:生きている間は、過去生を思い出せないのですか。

A:思い出せない訳ではない。
  自発的に思い出す人たちもいるし、
  退行催眠術によって詳細を思い出せる人たちもいる。

  しかし、過去の事が人を愛せない口実にされないように、
  充分に進歩した魂が大多数生まれ変わる世界にならない限り、
  意識的な記憶を持つことは無理であろう。

             ・・・

Q:輪廻転生を信じる宗教の方がいいとは思えません。
  ヒンズー教は、不平等を正当化するために利用されています。

A:魂を進化させるのは内面的な成長であって
  外面的な知識でないことを知る、いい見本だろう。

  我欲を正当化するために、輪廻転生の意味づけを変えてしまったのだ。

  カースト制度を正当化するヒンズー教徒は、魂の直近の過去も知らずに、
  不可触民は前世で悪行をしたと想定し、その人を助ける代わりに、
  その人生をできる限り困難なものにするためにカースト制を利用すして、踏みつけるのだ。

  不平等を正当化するのは、我欲に根ざした嘆かわしい結論だ!

            <感謝合掌 平成28年8月7日 頓首再拝>

《霊界との交信》 - 伝統

2016/08/14 (Sun) 12:07:55

《霊界との交信》P86~102

Q:しつこくて申し訳ないですが、魂の進化を成し遂げるには、
  連続的な転生のシステムがどう機能するのかを、
  皆が自覚していた方がよくありませんか。

A:魂の進化は、その魂自身が本当にそれを決断した時にのみ、本物となる。
  魂が、成長を指導してくれる高次の霊魂の存在を常に意識してしまえば、
  指導霊がいるかどうかに左右されて、自由に行動できなくなってしまうだろう。

  大人に対する恐れや尊敬から、親や先生の前で特定の行動を取ってしまう子どもと同じだ。
  大人がいなければ、いたずらをしてもしかる人がいないので、子どもはもっと自由な気分で、
  本来の姿に近い全く別の振る舞いを見せる。

  後見役の高次の霊魂の存在がより明らかなのは、魂が肉体から解放されて霊界にいる期間だ。

  記憶を失くして、監督されている確証もないまま物質界に転生するのは、
  魂が何の制約も受けずに完全に自由に行動できるためで、自己の経験を通して
  自分自身でしたいことを決めるためだ。


                ・・・

Q:それでは、肉体に宿っている間は、霊的な真相を自覚できないのですか。

A:そうとも言えない。もしそうだとしたら、肉体に宿った状態の君と私とが、
  今そのことで話をしているということもあるまい。

  霊的な真相を掘り下げたいと心から願う者は、必要な答えや霊的な援助を得るであろう。
  君自身の例を見てごらん。君は、本質的な疑問を自問し始め、心から探し求めたので、
  その答えを受け取りつつある。

  だが、大抵の人は違う方向を見ていたいのだ。

  宇宙が物理的にどう機能しているのかを知りたい、という偉大な好奇心が、
  君たちを毎回、さらに重要な科学的な発見をするように駆り立てている。

  霊性においても魂が充足感を得るためは、自己の疑問に答えを見出す必要があり、
  因果関係を探求することで、表面的には隠れている事実を発見できるのだ。

                ・・・

Q:それはどのようにするのですか。どのようにして答えを得るのですか。

A:「魂の法則」は魂に刻まれているので、自分自身を掘り下げようと奮闘すれば、
  表面的には隠れている霊的な真相が分かる。

  魂には、目の前の偽物から本物を見極められる何らかの力がある。
  それは良心や感情のささやきであり、魂の進化が進むにつれて、益々明瞭なものとなる。
  時々立ち止まってそれらに耳を傾ければ、多くの答えを得られるだろう。

  しかし自分の真実でもある霊的な真相を知っていくには、
  自分で努力してそう決意しなければならない。

  だから、古いことわざでは「汝自身を知れ、しかるに宇宙を知るであろう」と言うのだ。

                ・・・

Q:でもその方法では、両親に捨てられる小さな子どものように、
  魂を運命に委ねて見捨ててしまうことになりませんか。

A:魂は見捨てられてはおらず、ガイド役の霊たちが常に助けてくれている。
  自分で本当に解決できない問題がある時には、さり気なく答えを暗示してくれている。

  ただ、君たちには多くの怖れやタブーがあり、自分の先入観や思い込みと
  折り合いがつかない回答を認めようとしないので、霊界にいる同胞は、
  なかなか支援できずにいるのだ。


                ・・・

Q:どういうことですか。

A:例を挙げようか? 死に対する君たちの態度を見てごらん。
  今日では、死は西洋社会ではタブーであり、魂が肉体を離れる度に、
  家族や愛する者の間で、真の悲劇が繰り広げられる。どうしてだろうか?

  自分のパラダイムを変えなければ説明がつかない、という理由だけで、
  君たちが死後に魂が存命する証拠を見ようとしないからだ。

  別の次元に渡った魂が、別れの挨拶をするためや愛する者を安心させるために
  何らかの形で現れる時、それが君たちの思考回路と相容れるものではないので、
  単にあり得ないと思い込んで、見たり感じることを信じようとしないのが常だ。

  そして頭では、ショック状態による幻覚に違いないと思い込むのだ。

  他方、宗教の影響もある。宗教は、実際の証拠や証言にはよらず、
  信じ難い馬鹿げた教義に基づいて、死や死後の説明をするのだ。

  また、彼らが承認していない霊界とのコンタクトは全て、単なる想像、
  あるいは過去の時代のように「悪魔のしわざ」だと断定し、
  あの世とのいかなる交信も恐れさせるのだ。

  また、機器で計測できるものしか信じず、この件を真剣に調査することを拒否した
  物質至上主義の科学の影響もある。

  物質至上主義の科学は、末期患者や臨死体験をした病人を診て、思い切って
  死のベールを剥がして真相に近づこうとする、少数だか勇気ある研究者の仕事を、
  あらん限り邪魔するのだ。

  結果として、死の過渡期にいる人やその愛する者たちは、信じるに足る説明も
  慰めになる希望も見出せずに、情緒的には完全に見捨てられてしまうのだ。


                 ・・・

Q:助けてもらうにはどうしたらいいでしょう。

A:とても簡単な事だ。ただそう頼めばいい。
  心からの願いをテレパシーで霊界に送って、何が起こるかを待てばいい。
  ただ単純に、自分の状況や必要なことを話して、助けを頼むのだ。

  指導霊たちは、これらのメッセージを受け取って対処するためにいるのだ。
  心から誠実に、霊的進歩を達成したいという思いで頼むのであれば、
  返答が得られるだろうかと疑う必要はない。

  これが本当の祈りなのだ。

  神やイエスや聖母を崇め祭るお祈りを何回となくくりかえすのが祈りではないし、
  それは君たちとっても霊界にとっても全く意味をなさない。


                 ・・・

Q:ガイド役の魂たちとはどう交信するのですか。
  僕は、言葉でもヴィジョンでも他のいかなる方法でも、ただの一度も聖霊と
  交信した覚えがないのですが、霊界からの援助とはどういうものでしょうか。

A:君は、私と交信を始めるまでは、と言いたいのだろう。
  今では私も肉体を持っていないからね。だがこれは通常の交信方法とは違うので、
  君の言いたいことは理解できるよ。

  受け取る支援が明確でないとしたら、それは君たちの自由意志に干渉しないように、
  非常に精妙な方法で与えられるからだ。

  それに、魂が本当に必要としていて、受け入れ態勢がある時にだけ、手助けされる。

  ガイド役の魂は、良心のささやきを介して、頭の中で君たちに話しかける。
  他の魂たちも頭の中で話しかけ、悩み事の種類に応じて助言する。

  よって、各人の良心の声の中には、ガイド霊や霊的な兄弟などの霊界からの声も
  一部に含まれていることになる。だが、無数の転生で培った叡智を宿した
  自分自身の魂の声も含まれているのだ。

  いずれにせよ、この心の声は、問題を解決するための助言や援助となって、
  人生が辛かろうが幸せであろうがいかなる状況であろうと、そこから君たちが
  霊的進化のための最大の恩恵を引き出し、我欲を取り除く工程や無償の愛についての
  学習に役立つようにしてくれる。

  援助を受けるには、それが可能だと確信し、答えを見出す必要のある質問をして、
  良心のささやきがもたらす返答に耳を貸さなければならない。


                 ・・・

Q:これは、瞑想と関係しますか。

A:瞑想も有効だ。霊的観点から言えば、瞑想は、日常の問題から頭を解放して
  内面の声が聞けるような冷静な状態に達することだ。
  それは、自分の欠点を見つめ改善し、気持ちを大切にし始めるのに役立つ。

  瞑想は、自分自身を知るために自己分析をすることでもあり、
  いつ我欲のままに行動し、いつ心に従って行動したかを認識できる。

  それが分かるのであれば、どんな瞑想法を用いるかは、重要ではない。
  見栄えが良かろうが悪かろうが、構わない。

  人は往々にして、本質的なものではなく、表面的なものにこだわるが、
  何をするかではなく、どういう意図でするのかが問題となるのだ。

  こんなことを言うのは、深い呼吸をしながら頭を空にして、何時間も蓮の姿勢のまま
  座って我慢していられる、大変器用で柔軟な人たちは沢山いるのだが、

  瞑想状態から離れるやいなや霊的な悪癖に戻ってしまい、
  特定の技法を行っているだけで自分をスピリチュアルだと思い込んでいるからだ。

  それは瞑想ではなく、そのふりをしているだけなのだ。


                 ・・・

Q:でも、どうやって良心の声を聞くのですか。僕には大変難しいことに思えます。
  一体どのように、良心の意思と頭の中の他の一般的な思考とを見分けるのですか。
  全く簡単には思えませんが。

A:良心の声を明瞭に聞くには、しばらくの間頭の中のおしゃべりを止めさせ、
  その間日常的な心配事から頭を解き放とうとしなければならない。

  一日に独りになれる静かな時間を設け、自分の欠点やその日の行動を内省してみる。
  そして、心から願えば、必要な答えを見出す助けや、試練にしっかりと
  立ち向かえる力が与えられる。

  良心の声は、我々をおだてるものではなく、ひいきもせず嘘もつかず、
  我々のエゴを不快にするようなことも言う。

  霊的に交信できるチャンネルが開いている人もいるが、それは、この受信方法を
  信頼して能力を改善しようとしたからだ。そういう人は、自分で熟考して得た答えと
  指導霊たちから貰った答えとを見分けることができ、彼らと意識的に対話ができる。


                 ・・・

Q:これが、霊界側が僕たちを助ける唯一の方法ですか。

A:いや、君たちは皆、睡眠中にもより直接的な援助を受けている。
  身体が眠っている間、魂は物理次元をしばらく離れて霊的次元に行くのだ。

  そしてそこでガイドや親しい者に出会って、日々の諸問題を解決するために
  手を貸してもらい、頑張る気力を貰う。つまり、意識はしていないが、
  夜の間に皆がアストラル体で旅をしているのだ。

  大抵の人は、睡眠中の霊界との交流体験をはっきり覚えてはおらず、
  夢として大まかなイメージや記憶が残る。

  夢には、覚醒状態では理解しづらい事柄を明確にしてくれる霊的な援助が、
  暗号化されて含まれているのだ。

  だから、元気でいるには、充分に睡眠を取ることがとても大切なのだ。
  良く眠れないと霊界と直接交信できなくなって、物質界の試練と向き合うための
  助言や活力を受け取れないからだ。


                 ・・・

Q:それでは、夢はアストラル旅行(幽体離脱)の記憶なのですか。

A:いつもそうではない。大半が精神的な心配事だ。
  しかし中には、幽体離脱の多少はっきりとした記憶もあるが、
  その多くが暗号で象徴される。

                 ・・・

Q:それでは夢には解釈があるのですか。

A:夢が霊界からの援助であれば、解釈できる。
  全ての夢に共通のシンボルがあり、通常はシンボル自体に解釈の鍵が存在する。

  雄牛は試練や物質的誘惑を表し、子どもたちは感情を意味する。
  水は、感受性だ。清らかならば、感受性もそうだということだ。
  水が濁っていれば、感受性にも何らかの翳りがあるのだ。
  利己的な意図を表す場合もある。

  家は、霊的な内面を表す。ドアからではなく窓から家に入るのは、
  正直ではなく、何かを隠しているか操ろうとしていることだ。

  徒歩や車で様々な困難がある道を進むことは、霊性の道程を表すことが多く、
  そこに出現する障害物が、これから遭遇する試練を意味する。

  アイスクリームは自己満足を表している。

  下に落ちることは情緒的下落、落ち込みを意味する。

                 ・・・

Q:でも、それぞれのシンボルの意味を知らなければどうしますか。

A:シンボルの解釈は習うことができる。
  通常は夢自体の中に解釈の鍵があって、魂自身が、その夢が重要なのかどうか、
  自分に関係があるのかないのかを感じ取る。

  もし独りで解釈できないのなら、霊界が理解できるように必要なヒントをくれるだろう。
  だが初めに、自分を掘り下げたいと思う必要があり、
  それから睡眠中に、そのために役立つものを貰えるのだ。

                 ・・・

Q:なぜ直接的にではなく、暗号で援助が与えられるのですか。

A:魂の自由意志を侵さず、魂自身に自己発展の努力をさせるためだ。

  いい数学の教師であれば、生徒に本当に力をつけさせたい場合は、問題の解答を
  直接与えてはならず、行き詰った時に適切で正確な説明を与えて、
  生徒自身で問題を解くよう手助けをすべきだと知っているものだ。

  進化途上の魂にも同じことが言える。

  解答を直接あげてしまったら、自力で霊的な試練を解決しようとしないので、進歩がない。
  怠慢になり、ガイド役が自分の問題を解決してくれるのを待つようになるだろう。

  その人自身が決めなければならないことを教えてあげることも、
  自由意志に関与することになるので、正当とは言えない。

  魂は自分で決断しないといけないのだ。

  だが、自力で問題を解決するために知っておく必要があるのに独りでは気づけない
  重要な細部もあるため、ヒントは与えられる必要があるのだ。

  魂が、自己の問題を完全に自覚しており、独りで解決する能力がある場合には、
  助けは不要なので与えられない。

  それは、裕福な人びとの地域に食料を配りに行くようなもので、
  彼らは配給される食料は独自に入手できるので、全くの無駄となってしまうのだ。

                 ・・・

Q:どうして僕たちは、睡眠中に離脱することを自覚できないのでしょう。

A:自分の意志で肉体から離れられて、幽体離脱の間に起こったことを
  完全に自覚している人たちもいるよ。

                 ・・・

Q:人間は皆、アストラル旅行ができるのですか。

A:無意識だが、睡眠中の特定の段階では皆が旅をする。
  突発的に離脱に成功して、そのことを自覚する者もいる。
  だが、意識的にできる人はほんの少数だ。

  的確な訓練をして忍耐力を持てば、君たちの多くが、
  意識的にアストラル体での旅を実現できるだろう。

  だが、大多数がそれが可能だとは信じておらず、
  そのための練習もしないので、結局何も起こらないのだ。

  進化した世界では、個人的な成長に役立てるために、子どもの時から
  意識的にアストラル・トリップを教えるので、誰にでもできるのだ。

                 ・・・

Q:アストラル旅行がし易いかどうかの能力は、何によって決まるのですか。

A:各人の魂の能力や、霊的に進歩したいという意志、霊性に関する自覚、
  生まれる前に選択したことなどによる。

  身体から完全に離れる必要がなく、もっと直接的な方法で霊界と接触できる
  天性の能力を生まれつき備えている人もいる。
  そういう人を通常、霊媒と呼ぶ。


                ・・・

Q:霊媒とは何ですか。

A:霊媒とはチャンネルを意味する。
  霊媒は、他の人と比べて、より直接かつ明瞭に霊界と交信できる人で、
  一般人が普通の電話回線しか持っていないとするなら、
  インターネットの高速回線ADSLを持っているようなものだ。

  大半の人は、自分の周囲からは、五感が捉えられるものしか感じ取れないので、
  物質界の向こう側に霊界が存在するということに、全く確信が持てない。

  だが霊媒は、あたかも強力なアンテナを持つかのように感度が高く、
  一般人の普通のアンテナでは捉えられない様々な周波域で送信されてくる放送でさえ、
  受信できるのだ。


                ・・・

Q:でも、霊媒が皆同じではないし、その霊媒能力も違うと思うのですが。
  霊媒力には様々な種類があるのでしょうか。

A:そうだ。その表現形態や霊界との主なコンタクトの種類で分類することが可能だ。
  この分類形式を用いると、霊体を見ることのできる霊視霊媒と、
  彼らの話を聴くことのできる霊聴霊媒がいる。

  自動書記は、筆記によってメッセージを受ける者のことで、
  自分が書く内容を自覚している場合としていない場合がある。

  直感霊媒は霊感を与えられて、直接頭の中で霊的メッセージを受け取る者だ。

  憑霊霊媒は、自分の身体や感覚の全体または一部を、肉体のない霊が
  物質界で具現するために一時利用できるように貸したり受容する者で、
  後で自分の身体のコントロールを取り戻す。

  治療霊媒は、高次の霊から送られるエネルギーを通流させて、
  肉体を持った魂の生命状態を改善しようとする者だ。

  過敏霊媒は、五感を使わずに、
  霊の存在やその状態またはメッセージなどを感知できる者だ。

  予知霊媒は未来や過去の映像を捉えられる者だ。


                ・・・

Q:それでは霊媒者は、自分のガイド役とずっと簡単に交信できるので、
  他の人よりも優遇されていますね。

A:生来の霊媒体質というものは、他者を ―肉体の有無に関わらず― 助けるために
  使用されるべき道具のようなもので、それを利用してもっと速く進化が
  遂げられるように、特定の場合に必要とされる魂に与えられる。

  だが、一旦生まれ変わると大半の者が、能力のない人びとに理解されずに
  その力を持たない方が良かったと思ったり、個人的な利益に力を使用しようとするのだ。

  交信できる範囲は、指導霊に限定されずに霊界全般となるが、
  この世界も君たちの世界のように、皆が善人である訳ではないのだ。

  様々な進化段階にいる霊がいて、霊媒のチャンネルは全てに開かれているので、
  良い影響も悪い影響も受ける。霊媒がチャンネルをどのように使用したいかによって、
  高次あるいは低次の霊の影響を呼び寄せるのだ。

                ・・・

Q:それなら低級霊も、僕たちに影響できるのですか。

A:そう、低級霊もだ。肉体を持った者は全て、霊媒であろうとなかろうと、
  霊魂からの影響や助言を受けるが、それには低級霊も含まれている。

  だが高級霊の場合と同様に、彼らを甘んじて受けない限り関与されることはない。
  低波長の存在は、自分が波動を下げた時にだけ同調してくる。
  魂の弱点や欠点のスキをつかれて、つけ込まれるのだ。

  有害な感情や「愛の法則」に反する行為などが、つけ込まれるきっかけとなる。

                ・・・

Q:でも低次の霊は、いつも嫌がらせをするために、たとえば霊媒などに近づくのですか。

A:そうとは限らない。
  辛い環境から抜け出すための助けを求めて、近づくこともある。

  彼らは、何かの理由で物質生に強く執着を残してしまった魂で、
  霊界から直接援助が提供されていることに気づけないのだ。

  苦しむ彼らにとっては、霊媒は霧の中の灯台のようで、霊界の目的地に向かって
  彼らを前進させるために必要な援助を与える仲介役となる。


                ・・・


Q:霊媒力はこの世では余り評判はよくありません。

A:そうだね。君たちの進化レベルの世界ではよくあることだ。


Q:どうしてですか。

A:色々な理由がある。

  一つには、隠れた私欲を満たすために低級霊を引き付けて
  霊界との交信を利用しようとした者などが、悪い手本となったからだ。

  また、地上の権力者にとっては霊媒力が発達してしまうと不都合だったので、
  あらゆる手段で弾圧し、蔑んだのだ。

  霊界から直接与えられる知識によって人類が覚醒してしまい、霊的な真相や
  人生の真の目的を自覚して進化を阻む鎖から解放されようとしたら、権力者は、
  私益のために人類を騙し操り搾取し続けてきた全ての影響力を失う羽目になるからだ。


                ・・・
  
Q:でも誰もが霊界との独自の繋がりを持っているのだとしたら、
  他者との媒体となる特別な繋がりを持つ人がいるのはなぜでしょう。

A:全ての人間の霊界とのチャンネルが開いていたとしたら、
  他者のための媒体になろうとして、魂が転生する意味も余りないだろう。

  だがこの世の多くの者は、意志力が足りないためか、
  疑念や怖れのせいか、自分の繋がりを作動させるのが非常に難しく、
  必要とする援助を受けられないでいるのだ。

  そこで霊界は、肉体に宿った魂に進化上必要なメッセージを伝えるという
  明確な使命を担って生まれて来た特定の魂を、代弁者として利用する。

  はっきりさせておきたいのは、霊界と人間世界との交信は、
  常に存在し続けるということだ。

  どのようにどんな形でそれが行われるのかには関わらず、
  転生した魂は、霊的な援助を受けて進歩する必要があるのだ。


                ・・・

Q:でも霊界には、助けてくれようとする善意ある霊魂だけでなく、
  進歩させまいと画策する低級霊もいて、彼らも僕らと交信できるのですよね。
  相手がどちら側の者で、どういう意図があるのかは、どうやって見分けるのですか。

A:メッセージの質を吟味することが、相手の能力を把握する一番いい方法だ。
  心に届き愛を育むために役立つ善いメッセージなら、善良な霊からのものに疑いはない。

  メッセージによって我欲の感情が引き起こされるのなら、
  相手がイエスや聖母や聖テレサなど、どんなに偉大な名を語ったとしても、
  それは善い意図など持たない詐欺師だと考えて間違いない。

  イエスが言ったように「実を見て木を知るのだ。健全な木に腐った実はならないし、
   腐った木もいい実をならせることはできない」のだ。

                ・・・

Q:どの霊と交信するかは何で決まるのですか。

A:霊との交信は、インターネット上の人と通信することに良く似ているが、
  それはどちらの場合も、話し相手を見ることができないからだ。

  両方とも遠くの場所の人たちと連絡を取れるが、その人たちを知らないので、
  善意の人もいるだろうし、我々を騙そうとする悪意ある人もいるだろう。

  我々の興味の対象により、連絡する人のタイプが変わる。
  特定のテーマに関心があれば、その話題のチャットや掲示板を求めて、
  同じ趣味の人たちと交信するだろう。

  たとえば、他者を支援する非営利団体に加入したいと思っている人は、
  そのテーマのサイトや掲示板を探すだろう。これは、善意のない者が興味を持つ話題
  ではないので、このような掲示板で悪意のある者に出くわすことは余りない。

  だが、た易く金持ちになれると触れ込んだり、
  写真で恋人選びをするようなところであれば、
  何もいいものは得られないと確信すべきだ。

  それと同じように、霊媒であろうとなかろうと、各人の思考や行為の近似性によって、
  どういうレベルの霊魂の影響を招くのかが決まるのだ。

  つまり、賭け事やくじにはまっている人は、死後も依存性が抜けない賭博狂の
  霊の影響を引き付け、これらの霊が自分たちの期待を満たすために
  当事者の悪癖を増長するのだ。

  その反対に他者を助けたいと思う人は、善意ある霊魂の影響を受けて、
  目的を果たすように支援してもらえるのだ。

  したがって、高次で善意ある霊魂と通信するには、自他の魂の改善に
  その交信を役立てたい、という誠実な思いを持つことが一番確実なのだ。

  気高い気持ちや思考になると、チャネラーとその周りには高い波動が生じるので、
  善意を持たない低波長の霊は近寄れなくなるのだ。


                ・・・

Q:でも、霊媒であろうとなかろうと、有害な霊の影響を被ってしまって、
  更生したいと思っても、彼らのせいで正しい方向に戻れなくなることはないでしょうか。

A:そんなことはない。どの道を選ぶかは自分次第だ。
  確かに、いじめる対象を失いたくないがために影響を及ぼし続けようとする、
  昔の悪い仲間と手を切るのは難しいだろうが、

  各人の「自由意志の法則」は侵害できないので、
  彼らは、本人の意志以上の影響を及ぼすことができない。

  しかも話した通り、我々全員には、魂を指導し守護してくれる、
  高度に進化した個人的なガイド霊がついているのだ。

  宗教では「守護神」と呼ばれる者だ。

  この存在は、多くの低級霊を束ねたよりも強い力を持ち、
  正しい道へと我々を導くために、常に我々の傍にいる。

  その気になれば、絶えず邪魔しようとしている低級霊たちなど、
  簡単に追い払ってしまえるのだ。

  だが多くの場合、人はこの援助を欲しがらず、本人の自由意志が尊重されているので、
  「守護神」は自分の生徒がつき合いたい仲間と一緒にいることを容認し、
  生徒が再び意見を聞きたくなる時まで待機するのだ。

  また、それほど高次ではなくとも、手助けしようと見守ってくれる別の存在もいる。
  彼らは、愛する仲間や亡くなった家族や友人、または知らない人の場合もあるが、
  必要な者を助けようとする善意の霊たちなのだ。

  しかし、くりかえすが、本人が彼らの声や援助を受け付けないのであれば、
  時が熟すのを待つしかないのだ。

                ・・・

Q:どうしたらこのようなネガティブな霊の影響を振り払えますか。

A:君たちの態度でだ。

  「愛の法則」に従って感じ、考え、行動しながら生きるようになればなるほど、
  高次の霊の影響を引き付けるようになるので、
  低級霊に嫌がらせをされる機会を与えなくなるのだ。

            <感謝合掌 平成28年8月14日 頓首再拝>

《転生のプロセス》 - 伝統

2016/08/21 (Sun) 12:42:50

《転生のプロセス》P103~112

Q:初めに、死後あるいは肉体から離脱した後に、何が起こるかについてお話ししましたが、
  生まれる前のことをもっと詳しく知りたいです。

  どうやって転生するのですか。魂が生まれる前からあるとするなら、
  それが宿る肉体との関係には始まりがあると思うのですが、
  魂はいつどのように赤ちゃんの身体に入るのですか。

A:一般的に、転生する魂は、受胎前から未来の家族を訪問し始め、中には、
  母親と父親に子どもを持ちたいという欲求を呼び起こさせるケースもある。

  受胎すると、魂は受精卵と結びつき、妊娠中はそれが正しく成長して発達できるように
  関与するので、肉体との絆は、魂が肉体から分離する時まで切れることがない。

  妊娠中は、転生しようとする魂のアストラル体と胎児の身体が、段階的に融合していく。
  生まれ変わる魂は、胎児にされることや母親が感じ取ることなどを感知し始める。

  この時期、魂はすでに肉体と結びついたとは言え、まだ充分自由に移動でき、
  霊界の友人やガイドとの交流もある。

  霊界から物質界、あるいはその逆を、魂が行ったり来たりしている移行期には、
  誕生に備えて、物質界での両親や親戚になる者たちと馴染んだりする。

  しかしながら、魂が赤ちゃんの身体と合体するのは、通常は誕生の瞬間だ。

                 ・・・

Q:でも、子どもが欲しくないのに生まれて来てしまうカップルが沢山いますが、
  それはどうしてなのですか。

A:避妊対策を講じている場合でも、両親の性欲を刺激して、うっかりさせるのだ。

                 ・・・

Q:一方では、子どもが欲しいのに、どんなに努力しても生まれない両親もいます。

A:君たちは、自分たちが転生の過程をコントロールしているとでも思っているのかい?
  そうだとしたら、間違っているよ。

  すでに言った通り、転生は、魂同士の転生以前の合意によるのだ。

  肉体的に何の障害もないのに、子どもが欲しくてもできない場合がある。
  それなのに、別の場合では、その気がないのに思いがけなく子どもができて
  しまうことがある。

  だから「生と死は天の意思」いう民間のことわざは的を得ていると言えよう。

  人間はこの世に魂がやって来るのを、妨げたり遅らせたりはできる。
  だが、霊界で予定されていなかったり、霊的基準に照らして妥当だと判断されなければ、
  魂が来るよう強いることはできないのだ。

  また胎児には、善し悪しを知覚できる魂がすでに結合しているのだから、
  ずっと繊細に扱わないといけない。

  胎児は、愛情をもって受け入れてもらえると感じれば嬉しくなり幸せで、
  歓迎されなかったり中絶などの危害を加えられると感じれば苦しむのだ。

                 ・・・

Q:親が望まない子どもや、育てきれない子どもは生まれない方がいいと考えたり、
  奇形があって生まれるとこの世で苦しむことになると考えて、
  妊娠中絶に賛成している人もいますが。

A:それなら、子どもがすでに生まれていて面倒を見られなかったら、
  同じような理由で、捨てたり殺したりするのが正当だと思うのかね?


Q:もちろんそうは思いませんよ。生まれたばかりの子どもを
  捨てたり殺したりするのは、非人間的な行為で犯罪になってしまう。

A:それならどうして、子どもがお腹から出た後では犯罪で、
  お腹にいる時にはそうは見なされないのかい?


Q:子どもが形作られる前の、まだ胎児とならない妊娠初期の何ヶ月かの間に流産させる、
  ということなのだと思いますが。

A:君の話を聞いていると、問題の焦点は、形成中の命が細胞の集合体から
  子どもと見なされる境界を越えるのはいつか、ということのようだ。

  細胞の集まりと考えられている間は、中絶は合法的だが、その固まりが子どもと
  判断されるなら、生命尊重の思想を真面目に検討しなければいけないと言うのかい?


Q:そうだろうと思います。

A:その考え方によると、胎芽が、細胞の集まりから子どもだと判断される境界を越えるのは
  いつかね?  十日後か、一月か、三ヶ月か、五ヶ月か?


Q:分かりませんよ。いつから子どもだと見なすかについては、
  人それぞれ独自の意見を持っていると思います。

  もしかすると三ヶ月未満はそうではなく、
  それ以後は子どもと見なすのかもしれません。

A:実際のところ、中絶賛成派は、人間の命は誕生をもって始まり死によって終わるとする
  主義に基づいており、形成中の存在をいつから人間だと見なし始めればいいのか、
  はっきりと分かっていない。

  そのため、これと同じ人びとが、病の末期で苦しむ場合や寝たきりの重度の身体障害
  がある場合などに、安楽死を支持することになるのだ。

  こうしたことが起こるのは、生命を物質主義的観念で捉えるから、つまり、
  物理的生命の存在しか認めず、物質界に具現するために使う肉体を、
  人間そのものと同一視しているからだ。

  だからこの視点では、妊娠の初期の、胎芽の細胞がまだ赤ん坊の形態を取るほど
  分化していない段階では、人間だと見なしていないので、妊娠中絶に不都合を感じない。

  しかし霊的観点から見れば、「魂の素」がなければ生命はあり得ないので、
  肉体そのものは、それが胎児のものであろうと子どもや大人のものであろうと、
  生命ではない。

  生命とは魂の命であり、転生する肉体の命ではない。

  注目すべきは、肉体の発育ではなく、魂がいつ胎芽と結びついたかで、
  それが命の始まりであり、それはすでに言った通り、受胎の時点なのだ。

  それゆえ、魂が肉体に結合した後に妊娠を中断させるのは、
  生まれ変わる魂の自由を侵すことになるのだ。


Q:でも、この世の大部分の人は、生まれる前の生命の存在を信じてはいないので、
  物事をそのような角度から見るのは、母親にとって大変難しいだろうと思います。

A:全ての人間は、よって、全ての母親は、肉体化がどのように行われるのかを
  本能的に知っている。肉体を持つ誰もが、数え切れないほどこの過程を経験してきた
  からだ。

  良心の声は、中絶をすれば生まれ変わって来る存在の自由意志を侵すことになる、
  と忠告してくれる。


Q:しかし、子どもが欲しいかどうかを決める母親の自由もあるでしょう。

A:確かにそうなのだが、本当に子どもが要らないのであれば、
  肉体に宿る存在が登場する前に、対策を講じるべきだ。
  つまり、始まったプロセスを中断しなくてもいいように、避妊対策をするべきだ。


Q:避妊具を使って、出産を制限すべきですか。

A:君たちの世界では、責任を取れる数以上の子どもは妊娠しない方がいいし、
  避妊は、転生する魂を損傷せずに妊娠を防ぐ手段となる。

  進んだ世界では、魂を宿すには性関係以上のことが求められ、
  進化の必要性によって生まれる子どもの数が違うのだ。



Q:でも理由はともあれ、母親が子どもを欲しくなくて、でも対策を講じていなくて...

A:それなら彼女は、将来また生まれ変わることになった時に、自分の母親が
  同じような理由で、彼女を中絶しようとすることに同意してしまうことになるのだ。

  なぜなら、因果の法則は、我々が招いたのと同じ状況に我々を置くものなので、
  前生で母親として中絶をした魂は、次に生まれ変わる時には子どもとして中絶されたり、
  妊娠することができたのに生む気がなかったので妊娠できなくなったりするのだ。

  子どもと両親との間の問題の多くが、
  中絶したりそうしようとしたことから派生したものだと知っているかね?

  転生する魂が充分進化していなければ、未来の親に生まれる機会を奪われたことを赦せず、
  霊界から悪影響を与えて復讐しようとするのだ。

  また、やっと転生できた際に、
  妊娠中の無意識下の記憶が自分や親への敵対心に変容することもある。

  それがトラウマとなり、精神的または肉体的な病気で生まれることもあるのだ。

                 ・・・

Q:霊的観点から見て、中絶が容認されるケースは全くないのですか。
  母親が死ぬリスクがあるとか、強姦の結果としての妊娠とか、子どもが奇形を持って
  生まれてくるとか、幾つかの外的な要因を思いつきますが。

A:最初の二つのケースは、容認することができる。
  特に、母親が死ぬかもしれない明らかな危険性がある場合はだ。

  まだ生まれていない者の命と、もう生まれている者の命とのどちらかを選ばなくては
  ならないとしたら、後者を選ぶ方が好ましいからだ。


  強姦の結果妊娠した場合は、生まれる魂の権利よりも母親の自由意志が優先される。
  意に反して妊娠してしまった訳なので、母親には子どもを産まない権利があり、
  それは「自由意志の法則」に反する行為とは見なされない。

  しかし強姦といったおぞましい行為に起因するものでも、
  霊界は、常に生命を育むように応援する。

  このような状況が偶然の成り行きである場合は少なく、魂の前世での行いのせいで
  対峙する状況なのかもしれないと理解すべきだ。

  どちらにせよ、一番しっくりする選択肢を選ぶのは母親でなければならない。


  君が提示した最後のケース、つまり胎児が何らかの先天性の病を持って生まれてくる場合は
  他とは全く異なり、それを理由に中絶することは、霊的観点からは擁護できない。

  君たちの物質主義的な視点では、何かの先天性の病を持つ人の人生は無駄であり、
  苦しみには意味がないと思われている。

  しかし、霊界では、別の展望で物事を見るのだ。
  不完全な肉体の奥に、健全な肉体に宿るのと同じ魂がいることを理解しなさい。

  魂が、その力量に見合う道具を持たないために物質界で完全に自己表現できなくても、
  健全な身体に宿った存在と同じように感じたり気づいたりできない訳ではないし、
  自分自身で選択したであろうその体験から学べない訳でもない。

  このような状況に生まれ変わる魂は、偶然にそうなったのではない。

  君たちには多難で不可解に見えるかもしれないが、
  それは、転生する魂と受け入れ家族の霊的な進化に、貢献できる環境なのだ。

  肉体または精神の障害というものは、肉体が死を迎えるやいなや消滅する、
  一時的な状況に過ぎないのだ。しかし、その体験を通して目覚め、補強された
  本人や他の人たちの感情は、霊的な成果として永遠に存続する。

  だから、このケースのような状況で中絶をすることは、
  一人か複数の魂の進化の可能性を断つことになるのだと気づきなさい。

                 ・・・

Q:それなら、赤ん坊の先天的な病気を避けるために、卵子・精子・受精卵の選別などの技術を
  用いるのは、病気が進歩に役立つよう魂が選んだ状況かもしれないし、
  前世での悪行の結果かもしれないので、間違ったことなのですか。

A:もちろん間違っていない。それは全く別だ。
  病気やその他の苦痛を伴う状況を予防しようと尽力することは、常に肯定できる。
  だがそれによって、別のもっと辛い状況を生み出してはならないのだ。

  病気を防ぐ行為が非難されるのではなく、命に反する行為が非難されるのだ。

  前のケースでは病に苦しむという災いを避けようとして、
  生命の抹殺という別の災いを生み出しているのだ。

  だが、この二番目のケースは全くその逆だ。
  命を生み出しながら病気と闘うことで、命は破壊されないので、常に肯定できるのだ。

  いかなる場合でも、助けが必要な人を、その人が誰であったか何をしたかに関わらず、
  助けてあげるべきだと心しなさい。

  人間を左右する理解し難い辛い状況が何に起因するのかという知識は、
  理解を深め、理解によって必要な人を支援できる力を得るために与えられるのだ。

  前世での悪事に見合っているという口実が、
  その人への支援を拒むために利用されてはならない。

                 ・・・

Q:母親の体外での、試験管での受精の場合、胚移植されない受精卵はどうなるのでしょうか。

A:魂は、冷凍された受精卵には結合しないので、心配無用だ。
  このような体外受精のケースでは、受精卵に成長できる可能性が全くなければ、
  魂は結合しない。

  魂は、受精卵が発育できるように子宮に戻される時に、宿るのだ。

  だが、体外受精や人工授精であった場合には、
  両親の魂よりも霊的に進歩した存在が顕現する可能性は失われる。


Q:それは、なぜですか。

A:なぜなら、そうなるためには両親となる魂が愛し合う必要があるからで、
  受胎の性行為の間に、愛という高振動のエネルギーを蓄積させた瞬間に、
  ずっと進化した高波動の魂の入体を可能とするからだ。

                 ・・・

Q:魂の過去の意識や記憶は、いつ失われるのですか。

A:妊娠の過程で失い始めることもあるが、トラウマとなる急激な形ではなく、
  眠気を催した時のように、魂は徐々に昏睡状態に入っていく。
  進化の乏しい魂は直ぐに昏睡状態となる。

  進化した魂は霊的により自立しているので、意識ももっと後に失う。
  誕生の瞬間まで自由自在でいられ、子どもとして何年か経過するまでは
  自由を完全に喪失しない場合もある。

                 ・・・

Q:男性として生まれた魂が次に女性に生まれ変わることや、その逆も可能ですか。
  要は、魂は常に同じ性に生まれ変わるのですか、
  それとも転生から転生で、異なる性に変われるのでしょうか。

A:純粋な状態では魂には性別がないので、
  性別とは、物質界で顕現する必要性から生じるものだ。

  よって、霊的な学びの必要性によって、
  同じ魂が一つの人生では男性であり、次には女性になることがある。

  だが、転生にはどちらかの性をより熱心に選ぶ傾向が見られ、男女として
  一緒に転生することを決めた双子の魂がいる場合は、相手は反対の性を選ぶ。


Q:でも僕の理解では、肉体から離れた魂が生きている人に現れる場合には、
  男性か女性かを区別できることが多いようです。
  魂に性別がないのでしたら、どうしてそういうことがあり得るのですか。

A:肉体を離脱していても、魂がまだ人間の進化段階にいる場合には、性別を区別できる
  特徴をアストラル体に保ち、自己の進化状態に見合った外見や一番好きな姿で
  現れることができるのだ。

  死後間もない魂は、少なくともしばらくの間は最後の生の容姿の特徴を保っている。
  だが、魂が進化していて、最後の転生の出来事から完全に解放されている場合には、
  その顔立ちはより美しく、老化の跡は見られないだろう。

  とても高次な霊は、生きている人の前に現れる必要があれば、
  自分が果たさなければならない任務に最適に見える容貌を取る。

            <感謝合掌 平成28年8月21日 頓首再拝>

《他世界での生》 ~ その1 - 伝統

2016/08/28 (Sun) 13:02:12

《他世界での生》(P113~131) ~ その1

Q:最初に、万物の生命を包括する計画のことや、
  各惑星に対応するアストラル球体のことなどをお話し下さいました。

  しかも、あなたの回答の多くに、
  「進化した世界で」起こることについての付け足しがあります。

  以上のことから、まだ取り上げられてはいないのですが、
  他の惑星には知的生命体がいるのだと推察するのですが。

A:もちろんだ。宇宙は広大だ。
  宇宙全体には、絶えず進化し続ける無数の魂がいて、
  完全性を目指して進むために物質界で転生する必要がある。


Q:どうして、地球外の文明や人類が存在するという確固たる証拠がないのですか。

A:進化レベルが君たち以下、または同等の文明では、他の世界に旅したり
  交信したりする科学技術の手段を、まだ持ち得ていない。

  また、より進化した人類は、君たちの惑星を訪れて交流する能力があったとしても、
  君たちの進化に干渉しないように心がけていて、もっと精妙な方法で関与している。

  それでも、よその世界の存在からコンタクトがあった証拠は、大変古い時代から
  数多く存在し、多くの文明の聖典に記載されている。

  当たり前だが宇宙人という呼び方ではなく、神々とか神の使者として。

  現在でも、今の君たちの科学技術の成果を大幅に凌駕する
  移動能力を持つ宇宙船の目撃例は無数にある。

  また、君たちへの支配権を失う恐れからどの政府も隠そうとしているが、
  よその世界の存在とコンタクトしたという人びとの証言も無数に存在する。


Q:あなたが、より進化した人類と言う時は、
  テクノロジーの面でもっと進化しているという意味ですか。

A:霊性面で、もっと進化している人類という意味だ。
  もちろんテクノロジーの面でも君たちよりもずっと進化しているが。


Q:技術面では進化しているのに、
  霊性が僕たち以上に進歩していない人類とか文明もあり得ますか。

A:そうだ、実際に存在する。
  だが「愛の法則」に従っていなければ、科学技術を内紛や近隣の文明に対して
  悪用して、結局は自己破滅してしまうのだ。

  愛と自由意志の尊重を基盤に築かれた文明だけが、
  破壊活動には時間も資源も労力も浪費することなく、
  建設に専念するので、永続するのだ。

  このように結局は、霊的に進化した文明の方が、
  科学技術面でもさらに進歩しているのだ。

                ・・・

Q:「愛の法則」に従わずに自己破滅してしまった文明に住んでいた魂は、
  どうなってしまうのですか。

A:すでに言ったように魂は不死だから、もちろん、霊的次元で生き続ける。
  文明が破壊され遺物となった跡に転生して、進化を続けるのだ。

  その惑星が完全に破壊されてしまった場合は、転生が可能となる自分の星に
  似た別の惑星のアストラル次元に移転させられるのだが、

  これは君たちの世界で、都市が洪水で壊滅した場合に
  危険の少ない地域に生存者を収容するのと同じことだ。

  通常、最も進化が遅れている者は、生存環境がずっと苛酷なさらに後進の惑星に
  移動させられ、一度は手にしていたのに維持できなかったもののありがたみに
  気づくように学ばされるのだ。

                ・・・

Q:それでは、他の惑星出身の魂が地球に転生したり、
  逆に、地球のものが別の惑星に転生することもありますか。

A:それはあり得るし、破壊された惑星のような極端なケースだけではない。
  自己の進化レベル以上の惑星には転生できないという制限つきだが、
  ある惑星から別の惑星への定期的な魂の移行は起こる。

  移行できる星は、自分の出身惑星と同等か下のレベルでなければならないのだが、
  自分のレベルよりも後進的な惑星の場合には、同時に、波動対応の問題が生じる。

  つまり、進化した魂が下位の惑星に転生する時には、その星特有の肉体に
  顕現できるように、自分のアストラル体の振動パターンを再調整しなければならない。

  魂の振動レベルが惑星のものよりもずっと高い場合には、
  この調整は実質的に不可能となる。

  君たちに分かり易く例えれば、普段着ているものよりも
  2サイズも小さい服を着ようとするようなものなのだ。

  だから、地球に転生できる進化した魂のレベルは、
  君たちよりほんの一段高いかだけに過ぎないし、
  特別の場合でも二段階上が限度だ。

            <感謝合掌 平成28年8月28日 頓首再拝>

《他世界での生》 ~ その2 - 伝統

2016/09/04 (Sun) 12:15:31

《他世界での生》(P113~131) ~ その2

Q:破壊されなかった惑星出身の魂は、どんな目的で別の惑星に転生するのですか。

A:一般的には霊的進化を促進するためだ。
  進化した魂は、自分より進化の遅い惑星に転生して、
  その惑星生まれの魂の霊的成長を促進することができる。

  ある魂がその惑星の魂の平均よりも速く進化してしまい、
  自己のリズムで進化し続けるには、そこが物足りなくなることもある。
  そうすると、小学校の最終学年を終えると中等教育を受けるために学校を変わるのと
  同じように、自分のレベルに合うもっと進化した次元に転生する。

  また、特別な時期には特定の惑星で、自分の能力を試して進化の工程を
  速められるような恵まれた環境が整えられる。

  ある惑星に、集団的な飛躍を遂げようとする魂が大勢いる場合には、
  その新たな段階に生まれてきた魂の要請に応じるために、
  惑星自体が再編される必要がある。

  ある惑星がこのような状況におかれている時には、同等な進化レベルにある
  他の惑星の沢山の魂が魅力を感じ、それを体験して自分の霊的成長に役立てようと、
  その星への転生を希望する。


Q:他の惑星の魂たちにとって、そんなに魅力的な環境とはどういうものですか。

A:実は、君たちの惑星は、レベル変化をする可能性に近づいているのだ。
  第三レベルの惑星から第四レベルに移行するかもしれない。

  もしも充分な数の魂が、魂の目的や魂が不死であることや、皆が兄弟であることを
  自覚し、愛を学びこの世の諸悪の根源である我欲を放棄して、霊的に進化するために
  転生するのだと気づけるなら、この飛躍を実現させられるかもしれない。

  そのような存在は、物事を行う上での新しい方法を地球にもたらし、
  愛に基づいたやり方で、社会・経済・政治などの全ての面で世の中を変えようと
  力を尽くすことだろう。

  しかし同時に、世界を操る権力者のように我欲を捨てたがらない者が大勢いるので、
  進化した魂による改革の試みを全力を挙げて阻止しようとするだろう。

  彼らは、同胞を搾取して得た権力や物的財産を放棄するのが嫌なので、
  何の変化も望んでいないのだ。

  各々の魂は、愛のために戦うのか、それともエゴのために戦うのかを
  決断すべきで、選んだもののために精力的に活動すべきだ。

  これは、愛の党派を選んだ魂の成長にとっては、
  特別なチャンス、素晴らしい環境となる。

  なぜなら、まだ我欲に執着していてあらゆる手段を講じて目標を達成させまい
  とする者の無理解・中傷・暴力など、無数の障害と対峙しなくてはならないからだ。

  そして、これらのあらゆる種類の攻撃や屈辱や非難にも関わらず、
  愛を信じ続けられるならば、無条件に愛せるようになるという、
  魂の最大の目標に一歩近づけるのだ。



Q:ええ、その事なら知っています。映画では善人が勝つこともあるのでしょうが、
  現実では平和主義の善人は虐殺されてしまって、最後にはいつも悪人が勝つのです。
  歴史を見ればそんな話で一杯です。初期のキリスト教徒とか、カタロス派とか...

A:確かにこの戦いが永遠に延長されれば、
  利己的な集団は変革の全ての試みを永久的にボイコットするかもしれないので、
  愛情深い集団に霊的な停滞と、無益で不毛な苦悩をもたらすであろう。

  しかし、このように熾烈な戦いは無期限には続かない。
  最終的には2つのグループの分離が必要となろう。

  分離するということは、2つのうちのどちらかのグループが、
  自己の進化レベルの条件に見合った別の惑星に生まれ変わるために、
  立ち去らなくてはならないということを意味する。

  君たち人類は今、このような過程を経験していて、
  最終的には話しているような魂の選別が行われるだろう。


Q:聖書の黙示録の最後の審判を思い出しますが、何か関係があるのですか。

A:聖書に記されている最後の審判とは、
  起こり得る地球の未来のヴィジョンとしてこのプロセスを垣間見た作者が、
  自分の能力の範囲で書き表わしたもので、個人的な解釈の一つと言える。

  一周期のおしまいは、もちろん世界の終末ではなく、
  一つの段階の終わりに過ぎない。

  また、今のところは我欲を放棄しないと決断していても、
  それが最終決定となる訳でもない。

  人はいつでも好きな時に意見を変更できるし、
  今その機会を活用しなくても、後でそうすることも可能だ。

  よって、「善人を右に、悪人を左に分ける」選択するのは神ではなく、
  自分自身の決断なのだ。

  霊界は、皆に同じだけの機会を与えているので、何をしたいのか、
  どんな世界に生きたいのかを決めるのは、自由意志を持った自分自身なのだ。
  意志の力と努力がどちらに向いているかで、得られるものが決まる。

  愛の中で暮らしたい者は、愛に基づく世界に生きる。

  我欲の中で暮らしたい者は、そのように生きることが自分を不幸にすると
  気づいて変更を決意するまでは、エゴに基づく世界で生きるだろう。


Q:それで、どれが去るグループでどれが残るグループなのですか。

A:場合による。2つの選択肢がある。

  進化できた魂の数が、惑星を愛の方へ向かわせるのに充分でなければ、
  惑星全体での進化の飛躍は遂げられない。

  惑星は現在の振動レベルを保ったまま、飛躍を遂げなかった魂を留めるので、
  もっと高い進化レベルの惑星に移されて転生するのは、飛躍を遂げた者となろう。

  その場合、地球は相変わらず第三レベルの惑星であり続け、エゴからの脱却を
  望まなかった魂によって占住され続けるので、再び何千年もの間、
  克服できなかった試練と同じ類のものに向き合うことになるのだ。


  一方、我欲の放棄を願った愛情深い魂は、
  各自が到達できた進化レベルに応じて上位の惑星に転生する。

  彼らはそこで、自己の内面と調和する他の存在と出会え、誰にも邪魔されずに
  自分の愛を表現できるので幸せになれ、さらに高次な目標に挑戦できるのだ。


  前のケースと反対に、進化できた魂の数が、
  人類が「魂の法則」に従って前進し統治できるようになるために充分であるなら、
  惑星自体が進化の躍進を遂げるだろう。

  その場合は、進化の跳躍を遂げた者が地球に残ることになり、
  進化できなかった者が同等の進化レベルの別の惑星に移転させられて、
  そこで生まれ変わるのだ。


  これが、イエスが山上で行った説教の中での
  「柔和な人たちは、幸いである。彼らは地を受け継ぐであろう」の意味である。

  この一文は、輪廻転生や、進化の法則や「霊的裁きの法則」の知識がなければ
  理解できないであろう。

  柔和な人びとが地を所有できるとは、どういうことであろうか?

  我々は、圧制者・権力者・暴君が、常に土地に対する権力と支配を誇示し、
  「柔和」な平和主義者は虐殺されたくなければ紛争から逃れねばならないのを
  見飽きてきたので、理解し難いだろう。

  それは他ならず、イエスが、進化レベルに応じた選別の過程に言及しているからで、
  将来は地球に愛と平和において進歩した(柔和な)魂を連れて行く、という意味なのだ。

  一方、「愛の法則」に従わない者は自己進化レベルに見合った惑星で転生するように、
  移転つまり「追放」されるのだ。


            <感謝合掌 平成28年9月4日 頓首再拝>

《他世界での生》 ~ その3 - 伝統

2016/09/11 (Sun) 12:05:43

《他世界での生》(P113~131) ~ その3

Q:ここに留まれない魂は、どのように他の世界に移転するのですか。

A:ゆっくりとした段階を踏むだろう。

  地球の波動レベルと調和できない魂は、死後は地上で転生するのを止め、
  自分と同じ進化レベルの他の惑星に生まれ変わるようになる。

  地球がレベルを上げた場合には、波動レベルの上昇自体が、
  その域に達しなかった魂がこの世に生まれ出ることを不可能にするので、
  彼らは自己振動レベルに相当する別の世界に生まれなければならない。

  ある時期からは、同じ波動パターンの子どもだけが生まれることになるだろう。



Q:それでは、別の惑星に移動するには、死を待たねばならないのですか。

A:通常はそうなるが、常にそういう訳ではない。

  惑星レベルでの大災害の場合には、その惑星から別の星へと大規模に
  人びとを移動させるに足るテクノロジーを持った地球外文明の関与によって、
  肉体をまとった魂の移動が可能になる。

  それは、地球の特定の地域で天災が起こった際に、
  被災地の生存者を治療したり避難させるために、
  人道支援の任務を開始するのと似たやり方だ。


Q:進化の飛躍ができなければ、惑星が霊的に停滞することになるのでしょうか。

A:全くそういうことはない。
  何千年か経てば、進化の飛躍をする別の似たようなチャンスが巡ってくるだろう。

  その時には、現在の自分勝手な魂の大半も愛に目覚めるに足る充分な経験を積んでいて、
  前回にはしたいとも思わなかった進化の飛躍が可能となるのだ。

  地球には過去にも、このような集団的な進歩のチャンスが幾つかあった。

  人間が充分な進化を遂げた一番最後の時には、それが君たちの星では少数派だった
  ために、別のより進化した惑星に移住させられ、地球は進化を成し遂げられなかった
  存在の住み家となったのだ。

  同じような状況をたどっていた他の惑星は、
  その時の地質学的な変動を利用して、惑星間の大移動を行った。

  地球は、それぞれの惑星で進化の跳躍ができなかった人類グループの
  避難所のようになったのだ。


Q:それは、地球上の多くの種族が僕たちの惑星出身ではなく、
  他の世界からやって来たという意味なのですか。

A:そういうことだ。
  またこの事から、君たちが全員兄弟であることを認識することもできる。

  宇宙の多くの場所での生命の発達形態は、地球のものと大変似通っていて、
  様々な惑星由来の種族間の違いも最小なので、
  お互いに交流し合って兄弟として共存することが可能なのだ。


Q:そう認めるのは難しいですが。

A:人類の歴史に関する君たちが知り得ない過去の事象が沢山あるので、
  そう思うのが普通だ。

  過去に犯した不正を人民に知らせず、過ちから学ばせまいとする様々な時代の
  支配者によって、歴史的な記録は、数え切れないほど抹消されてきたからだ。
  無知な民ほど扱い易いのだ。

  「歴史を忘れた民は同じ過ちをくりかえす」と、格言にもある。

  だが良く観察すると多くの文化に、地球外の星々からやって来た人種が
  その民族や種族の起源だとする、世代から世代へと語り継がれてきた
  先祖由来の伝承が存在している。



Q:地球が経験するかもしれない進化の大飛躍についてお話し下さったので、
  その素晴らしい未来のことをもっと詳しく知りたいです。

  でも、現在の地球と人類の悲惨な状況からみると、
  それは随分先のことのようで、正直言えば夢物語に思えます。

A:実現しそうにないその未来こそ、何十億もの惑星では現実なのだ。
  確かに地球と人類の現状は嘆かわしいものだが、
  二三百年の間に物凄い展開があり得るのだ。例を挙げようか?

  人類の科学技術レベルを、西暦1800年当時と2000年とで比較してごらん。
  本当に驚くべき進歩を遂げた。

  しかし、君が二百年前に遡って当時の人びとにそのことを話したとしても、
  誰も君を信じようとはしないだろう。

  だから、人間が、知的・物的発展に注ぎ込んだのと同じ意志力と熱意を、
  霊的進展に応用したとしたらどうなるかを、想像して見たまえ。

  地球は今、霊的覚醒の時代を生きている。
  覚醒したいと願う魂が全員目覚めて実行に移せば、物事は急速に変わるだろう。

            <感謝合掌 平成28年9月11日 頓首再拝>

《他世界での生》 ~ その4 - 伝統

2016/09/18 (Sun) 10:47:29

《他世界での生》(P113~131) ~ その4


Q:そうでしたら、僕たちが手本や模範にできるか、
  「愛の法則」に沿った進化した文明ではどのように暮らしているのかお話し下さい。

A:喜んで。
  ちょうど、君たちより一段または二段上の進化レベルの文明について話そう。
  それ以上進んだ文明での暮らしを話したとしても、君たちには理解し難い
  だろうからだ。

  いずれにしても、完全に同一の文明はないのだと思っていなさい。
  だが、進化した文明全てに共通する事柄はあり、
  それは精神面に関係するので、そのことについて説明しよう。

  中でも最も重要なのは、それらの文明が個人及び集団の霊性進化の工程を
  自覚していることで、全力を向けて、個々の住人や人類全体の霊的進歩に
  務めているのだ。

  そのため、全ての規則や法律、政治や資源管理の形態などは、
  「愛の法則」やその他の魂の法則に感化されたものだ。

  結果的に、憎しみも、個人や集団のエゴも、いかなる暴力も存在せず、
  誰にも虐待されることがない。

  ゆえに、戦争やテロや犯罪行為は一切存在せず、皆が兄弟だと認め合っているので、
  殺人・○春・誘拐・独裁制・軍制・奴隷制もないのだ。

  (○:売)

Q:まるでユートピアです。それで、どのようにしてそれを成し遂げたのですか。

A:自分本位の考えは破壊や苦悩しかもたらさず、
  真に幸せになる唯一の方法は愛すことだ、
  との結論に達することができたからだ。

  そして、彼らは、愛を育てることと心の中のエゴを徐々に除去することに
  全エネルギーを注ぎ、その世界を調和のとれた暮らし易い我が家へと
  変化させたのだ。

  しかし、そこに到達するまでにバラ色の道をたどれた訳でなく、
  困難な進化のプロセスを経てきたのだ。

  彼らも自分たちの利己的な行為の結果を味わわねばならず、
  君たちのような苦難をなめなければならなかった。

  利己的で愛が欠如している道を通ってはどこにもたどり着けない
  ということにどれだけ早く気づけるかが、どういう世界になるかの違いだ。


Q:彼らの政府と政治・経済の構造についてお話下さいますか。

A:通常、どの惑星にも惑星全体の政府がある。

  地域ごとに歴史的独自性を保持し、中央政府に組み入れられている
  自治体はあるものの、独立した政府を持った国家や民族という区分は
  存在しないのだ。

  中央政府は、公共の福祉を達成するために惑星の住人の必要性に応じて、
  生産手段の管理と運営をする。

  要するに、多くの人を犠牲にして一部だけを優遇する利己心がないので、
  民間企業は存在しない。したがい、企業利益を維持するために広告を通して、
  製品を消費するように過度に煽る必要性もない。

  特定の消費財を購入できるように、労働時間に見合う労力の価値を測量する
  方法はあるが、それ自体に独立した価値があるお金そのものは存在していないので、
  銀行や証券などの投機的金融事業を通して利潤を追求する経済活動は排除された。

  それゆえ、インフレーションも通貨の切下げ・高騰もなく、
  利子という概念も存在しないのでその増減もなく、経済は非常に安定している。

  ある製品の代価が変化するとしたら、
  それは生産に必要な資源の保管量だけが原因だ。

  しかし、事前に準備を整える能力が優れているので、
  特定の原料や枯渇燃料の依存からは脱却している。

  環境をとても大事にするので、汚染しない再生可能エネルギーを徐々に適用した。
  それらは僅かな残留物しか残さないが、それもほとんど 100%再利用される。

  社会面では、食糧・住居・教育・仕事といった最低限の権利は、
  単に生きているだけで誰にでもその権利がある。したがって、飢えも
  「ホームレス」も、ローン・貧困・失業・未就学も存在しない。

  住民たちの物的生活レベルはかなり快適で、
  惑星全域のどんな場所でも住人でも似通
っている。

  これらの惑星の住人には我欲がないので、
  富や物的財産を蓄積したいという気持ちがないのだ。


Q:働くとしたらですが、人びとは何に従事するのですか。

A:大多数の人は公益のために、教育や科学・テクノロジーの研究に従事し、
  全地域の全住人の生活レベルを可能な限り改善させ、
  個人と集団の霊性進化を促進させようとしている。

  第一産業と第二産業、つまり農業と工業で一番負担となる労働は
  完全に自動化されており、専門家の仕事は生産過程を監督することとなる。

  一日の労働時間は君たちの惑星よりもずっと短いが、
  不快な仕事に就く者も才能が活かされていない者もいないので、ずっと生産的だ。

  また、自分の仕事で公共の福祉に貢献するのが皆の喜びなので、
  他人に食べさせてもらうような怠け者は一人もいない。

  さらに、社会形態自体が製品を宣伝する必要がないので、
  地球に存在する売買に関わる販売業や広告業などの特定の職業は存在しない。

  必要とされるものだけが生産され、もっと多くまたは少なく消費しろと
  プレッシャーをかけられることもなく、各人が相応分を取る。

  結果として流行は存在しないので、消費の傾向が気ままに変わることはなく、
  住人の健康や内的・外的な健全性が向上するより良い製品ができた時だけに
  変わることになる。

  余計な活動を取り除けば、個人としても物質的・破壊的で利己主義な活動に従う
  必要がなくなるので、世の中は、テクノロジーにおいても霊性においても
  急速に進歩できるのだ。


Q:説明を聞く限りでは、地球上の複数の国での共産主義または社会主義
  の経済システムに似ているようです。

A:幾つかの点においては確かにそうだ。


Q:でもこのシステムは、地球では完全な失敗に終わったのです。

A:社会主義を導入した地上の国々では、暴力でそれを強行し、
  精神的な概念がなく物質面だけに基づいていたことを考慮すべきだ。

  その一見した集団性にも関わらず、実際には、不平等を生み出す基となる
  各人の我欲が、自己のイデオロギーを他者に押しつける優勢な階層を
  出現させていたのだ。

  社会主義が本物となり機能するためは、物質面だけでなく精神面でも
  そうする必要があり、各自が納得して採り入れなければならない。
  君たちの世界で起こったように、力づくでの強制によってではいけないのだ。


  つまり、各人の心から我欲を根絶して愛に置き換えなければならず、
  そうして初めて、内面の変化の論理的な結果として、集団レベルでの
  物的な変化が自然に現れるのだ。

  地上の利己的・物質的で無神論な社会主義に対して、
  これらの世界では「精神的社会主義」と呼べる生き方をしている。


Q:それで、政府のシステムはどのようになっていますか。
  民主制や共和制や王制などなのでしょうか。


A:これらの名称ではどれも適切に定義をすることができない。
  これは、最も進化した者たちの政府なのだ。
  叡智と愛において一番能力のある者に、最も責任を与えるのだ。


Q:地上に、それと似たような政府がありますか。

A:一番似ているのは、長老会議を行うアメリカンインディアンの部族のものだ。


Q:統治者はどのように選ばれるのですか。

A:それは各惑星で異なる。

  通常は、様々な分野の代表者からなる色々な審議会があって、
  その中での理事の投票によって調整役を決める。

  この調整役は交代制であったり、任期が長期に及ぶなど、惑星により様々だ。


Q:どうやってこれらの閣議の一員となるのですか。

A:幼児期に示した能力によって、特定の人に、指導業務に焦点を当てた教育を施す。
  そして、その能力が開発されていくに従って、段々と責任が大きい職に就き、
  幹部の役目の要請に応じるのだ。


Q:政府が階級組織化しているようで、余り民主的な制度には見えません。
  人民が選出するのではなく、上層の人たちが自分たちの後継者を選んで
  いるように思えます。

A:これらの世界の人びとは、政府が最も賢く愛情深い人びとの手中にあると
  知っているので、この政府の形態に合意している。

  統治者には、君たちの世界のように、支配したり抑圧したり権力を濫用する
  意思などなく、全くその反対なのだ。

  彼らは、同胞の進化を助けるチャンスだと思い、
  自分の能力の最大限を発揮するのだ。

  統治者は、富や特権を積むために権力にしがみつく気は毛頭ないが、
  思いもしないだけではなく、そのような役職に就いても、他の住人と比べて
  何の特別な恩典もないのだ。

  しかも、市民全体に影響を与えるような決定は、国民投票でなされる。


            <感謝合掌 平成28年9月18日 頓首再拝>

《他世界での生》 ~ その5 - 伝統

2016/09/25 (Sun) 12:14:25

《他世界での生》(P113~131) ~ その5


Q:少数の選ばれた者だけが統治できる寡頭政治に思えますが。

A:確かに、それらの世界では、誰もが統治業務に参加できる訳ではない。

  だが、地球では権力エリート階層は、最も裕福で経済的な支配力を持つ
  家族で構成され、一般的に霊性が低く極端に自我が強く、
  権力と富に野心を燃やしているが、これらの世界では正反対なのだ。

  指導権はまさに、最も我欲が少なく、最も愛のレベルが高く、
  一番謙虚で智慧のある者たちに与えられるのだ。


Q:それでも、同じ人たちが余りにも長い期間統治をする、
  階級制度化した政府組織に見えます。

A:君がそう見るのも無理はない。

  地球では、権力の座に一定期間いた者は、最初はそうでなくても腐敗してしまい、
  自己の利益や特定の支配グループのためだけに権力を行使するので、
  君たちはその他の者が損害を被るのを見慣れてしまっているのだ。

  だが、あちらの世界ではそうではない。


Q:まだはっきり分かりませんが。

A:それでは、理解できるように君自身の世界での例を挙げてみよう。

  君たちの世界ではある人が医者になるには、何年間もの専門教育が要求され、
  最低限の経験を積んだ後に専門家であることを証明したり、大変厳しい
  倫理上の規範を守る約束をしなくてはならない。

  こんなにも準備をした後で、4年毎にポストから外されるとするなら、そ
  れは大変な無駄となる。

  君が盲腸を患って手術を受けなければならないと想像したまえ。
  今話したような人が外科医であって欲しいと望むかい、それとも
  外科教育を受けていない人の中から執刀医が選ばれる方が好ましいのか?

  君たちの世界は後者の例のように、良心の呵責のない人が誰でも
  統治任務に参入できるようになってしまっているのだ。

  だが、進んだ世界では、君たちが医者に要求するのと同じように、
  経験があり特定の愛のレベルに達していることを実際に証明してみせるよう、
  統治者に要求するのだ。


Q:それでは、民主主義が進んだ政治形態だとは思われないのですか。

A:私の説明の仕方が悪かったのかもしれない。

  特定の人に強制されることなく、
  人びとに政府を選ぶ力があるという点は、霊的にはやや進歩している。

  実際、先ほど説明した内閣は、それらの世界の市民に自由に選出されたもので、
  新たに導入される重要な変革には必ず会議と住民の賛同が必要だ。

  しかし往々にして、代表者を選ぶために定期的に選挙をするということが、
  自由で民主的であることにはならない。

  もしかすると、裏で権力を操る者たちにとって都合のいい者の中から、
  候補者がある程度事前に選出されているかもしれないし、
  他を虐げて特定の政党をひいきする宣伝がなされているかもしれない。

  スターリンとヒトラーが候補者である選挙ならどう思うかね?


Q:白紙で棄権した方がいいでしょうね。

A:ともあれ、地球の政治家層に蔓延する腐敗レベルを見る限り、
  同じ人を長い間権力に就かせておくのは好ましくないので、君たちの世界では
  今のところ、定期的な選出制度が一番進んだ政治形態だろう。


Q:待ってください。裏で権力を操る者たちについて何か言われていましたが、
  それはどういう意味ですか。

A:時には政治の要職にある者が本当の統治者ではなく、
  取り替えのきく操り人形に過ぎない、ということに気づくべきだ。

  定期的に選挙をしたり野党が存在すると見かけ上は民主主義に思えるが、
  それは、人びとを無知蒙昧に放置したまま搾取し続ける目的しかない、
  エリート層の独裁の隠れみのに過ぎないのだ。


Q:教育はどんなですか。

A:精神・頭脳・身体を総括して能力の最大限まで育成し、
  才能に応じて各人を指導する。

  これらの世界では、五感以外の知覚能力が大変発達しているので、
  そのお陰で教師も生徒をずっと良く理解し、個々の力量や
  才能や関心事を知ることができる。

  学業教育以外では、透視力・テレパシー・念動力など君たちが
  容認しないような個人の可能性を開発し、
  それによって生徒は高次の霊性との繋がりを発展させようとする。


Q:それで、どんな信仰を持っているのですか。

A:宗教自体は存在しない。

  宗教を、特定のドグマを信じ特定の規範を強要する、司祭や教義で
  構成された組織で、何らかの形でそこに入会しなくてはならないもの、
  と理解するとしたらだが。

  先にも言った通り、彼らは、霊的な真相、各人の起源と目的地、
  宇宙を司る諸法則を明確に自覚しているのであり、
  それが惑星で実施される教育・経済・政治などの活動に反映される。

            <感謝合掌 平成28年9月25日 頓首再拝>

「自由意志の法則」~その1 - 伝統

2016/10/02 (Sun) 12:24:14


第二の法則: 「自由意志の法則」(P133~

☆ 魂には、自分自身の運命を選び、進化したいか否かを決める自由がある。

☆ 魂が、自己決断で「愛の法則」と調和するときは、すなわち、
  この法則を理解し同意し、これに則って行動することなので、進歩する。

☆ 何の強制・強要にもよらず、魂が自分で進化しようと心に決め、
  努力した場合のみ、霊的に進歩できる。

☆ 進化は、自由の中のみにある。

               ・・・

Q:多くの説明の中で、自由意志を、尊重すべき重要なものとされていますが。

A:その通りだ。


Q:でも、厳密に言うと、自由意志とは何でしょうか。

A:魂が、自分自身でしたいことを決められる能力だ。


Q:それでは自由意志を尊重するのが、なぜそんなに重要なのですか。

A:それが基本となる「魂の法則」の一つで、魂の進化向上の支柱となるからだ。

             ・・・

Q:では、「自由意志の法則」とは何ですか。

A:「魂の法則」の一つで、魂には自分自身で自己の運命を選ぶ自由が
  ある、とするものだ。


Q:なぜ、自由意志によって、魂が進化向上するのですか。

A:なぜなら霊的な進歩は、本人自身の決断でそれを心に誓った時、
  つまり何の強制・強要もなく、魂の自由意志で進歩しようと決めた場合にのみ、
  本物となるからだ。


Q:なぜ、そうなのですか。

A:進歩が強いられたものなら、強制または強要していたものが失われるや、
  魂は元の状態に戻ってしまい、あてがわれた環境には順応できないからだ。


Q:「自由意志の法則」が「魂の法則」なら、
  なぜ地上ではこれが適用されていないのでしょうか。

A:適用されているよ。「魂の法則」は、各魂の真髄に刻まれている。

  魂には、常に幸福を求めるように駆り立てる力があって、
  幸福を追求することによって進化する。

  魂は本質的に自由な存在なので、愛がなければ幸せになれないように、
  自由でいられなければ、霊的に完全に幸せでないのだ。

  神が魂に自由でいることを望まなければ、
  奴隷であっても幸せでいられるような性質に創ったことだろう。
  しかし、実際は、全くその逆なのだ。

  すなわち、魂は、どのような形であろうと隷属していると不幸なので、
  自由であるために創造された、と結論づけられる。

  宇宙のどこでもそうであるように、地球でも、魂は自由なのだ。



Q:しかし現実には、僕たちの惑星の大半の人は、自由に行動するどころか、
  無理をしてやりたくもない事をしたり、そうするように強いられたりしています。

A:全くその通りだ。君たちの世界ではそうなのだ。

  大多数の住人がほとんど進化していないために、
  「自由意志の法則」は、いつも守られることがない。

  それは、人がまだこの法則を知らないせいか、
  自由意志を尊重するには我欲の放棄が不可欠なので、
  故意にこの法を尊重したくないかのどちらかだ。

  霊的学習の狙いの一つに、他者の自由意志の尊重があるが、
  自分の自由意志も尊重しなければならないのだ。

            <感謝合掌 平成28年10月2日 頓首再拝>

「自由意志の法則」~その2 - 伝統

2016/10/09 (Sun) 12:25:12


Q:「自由意志の法則」は、もっと進化した他の世界では、
  住人側から理解され、尊重されているのでしょうか。

A:その通りだ。これは、宇宙レベルの「魂の法則」なのだから。
  そして、それらの世界では、他の「魂の法則」と共に、自由意志の
  尊重が重視されるがゆえに、君たちのよりもずっと幸せなのだ。


Q:彼らにこちらに来て、幸せの秘訣を教えてもらえませんか。

A:進化した魂は、「自由意志の法則」を理解し尊重し遵守しているがために、
  進歩が少ない魂が住まう世界と関わる時は、特に、この法則に違反しないように
  非常に気を遣うのだ。

  害を与えるつもりがなくても、関与し過ぎると、進歩の遅れた魂や文明が
  より高度なものに依存してしまい、その惑星の進化を停滞させてしまう。

  そのため、霊界や高次の世界から下級界に与えられる援助は、いつも
  とても精妙でなければならず、絶対に要請側の意に反してはならず、
  その自由意志を無理強いしてもならない。

  それぞれが、支援を受けて成長したいという意志表示をする必要があるのだ。


Q:問題の焦点がはっきりしないのですが、分かり易く例を示して下さいますか。

A:いいだろう。高度な世界から地球に人がやって来て、皆がその人の能力を認めて、
  地球の政府を明け渡し、全ての問題を解決してもらおうと決めたと想定しよう。

  その出身地では、魂の諸法が理解され、動物を尊重し、その殺傷を禁じ、
  菜食主義であったとする。

  そのため、その人が、そのやり方を模倣し、
  狩猟や闘牛、肉の消費などを禁止する動物保護法の奨励を決めたなら、
  君たち地球人は、自ら進んでそれを放棄するだろうか?



Q:どうするか、分かりません。
  賛同する者も反対する者もいると思います。

A:どんなに甘く見ても、現状では人類の80%以上が、その方策に反対するだろう。
  そして新しい法律の導入を阻止しようと、地球上で、酷く暴力的な抗議運動や
  反乱が起きるだろう。

  ジレンマに陥った主導者は、どうすべきであろうか?

  人民を満足させるために、自分自身の信念を放棄すべきか、
  またはその反対に、大多数が反対しても法律を押しつけるべきだろうか?

  最初の選択をすれば、自分の意に反したことを行う必要があるので、
  自分自身の自由意志に背くこととなる。

  二つ目を選べば、民衆の意に反する法律を課すので、
  彼らの自由意志に背くことになる。


Q:それは、解決策のないジレンマですね。

A:実は解決法はあって、現にそうなっている。
  つまり君たちの世界では、進化した者が統治していない、ということだ。

  君たちレベルの世界で、実際に進化した者が政治の要職に就いていないとしたら、
  それは単に、君たちの大半が彼らに指導されたくないか、
  それとも、その改革案を受け入れたくないからなのだ。

  そして彼らも、強制しても無駄なことを知っているので、
  自分たちの意志を強要しようとしない。

  君たちの惑星の歴史では、ある程度正直な者たちが権力の高職に就いて、
  より良い方向に舵取りをしようと試みたケースが数多くあった。

  それなのに、どうなってしまったろうか?

  短い期間しか存続できなかったのだ。
  周囲の者が、彼らを排除してしまったのだ。

  だから進化した魂は、助言を与え、強要せずに手本を示して説得するに留まり、
  それぞれの人が、納得したものを選ばなければならないという訳だ。

            <感謝合掌 平成28年10月9日 頓首再拝>

「自由意志の法則」~その3 - 伝統

2016/10/16 (Sun) 12:28:44

Q:地上に「自由意志の法則」を適用して、進化した世界のように、
  僕たちがそれを守ることを決意したとしたら、どんないいことがありますか。

A:隷属・強要・抑圧・懐柔・傷害のあらゆる形態がなくなるだろう。
  進化した存在は、絶対に他者の生命の権利を侵すことがない。

  それゆえ、戦争や死刑、殺人や堕胎など、
  他人の命の権利を侵害する行為はなくなるだろう。
  子どもや大人への暴力や性的虐待もなくなるだろう。

  よって幼児偏愛・強姦・○春や、他者の意志を捻じ曲げたり強要する性行為
   ―― 特にもっと弱く無防備な場合 ―― の全ての形態が消滅するだろう。

   (*○:売)

  思考や感情の自由な表現を阻む全てのものが消えるだろう。
  よって、検閲、操作、詐欺、弾圧や誘拐も存在しないだろう。

  人種・宗教・文化・経済・政治やその他の違いから、他人への抑圧・攻撃・統制・
  暴力を正当化する利己的な宗教・哲学・学説は、どれも消滅する。

  それゆえ、人種差別、全体主義、ファシズム、宗教的狂信、軍国主義、帝国主義、
  資本主義なども、少数の者の利得がその他大勢の苦悩の上に成り立つイデオロギーなので、
  なくなるだろう。

  魂を強要して隷属させる形態は、それが物的であろうと精神的なものであろうと、
  どれも失敗に終わるだろう。

  なぜなら、魂の内面は、隷従させられるものに反抗し、遅かれ早かれ、
  自由を求めて全力で戦うからだ。

  魂の「自由意志の法則」を尊重しない教義・宗教・イデオロギー・政治及び
  経済体制の、どれもが不安定で短命なのはこの理由による。

  一方、「魂の法則」に基づいたものは、安定しており永続的だ。

  家族の輪の内外を問わず、親が子をまたは子が親を、夫が妻をまたは妻が夫を、
  上司が従業員を、強者が弱者を、奴隷化したりや肉体的・精神的に虐待することは、
  全てなくなるだろう。

  他の生き物に苦痛を与えたり殺したりする趣味や気晴らしは、どれもなくなる。

  特に高等哺乳類など進化が近い存在に対する、闘牛、狩猟、釣りや、
  発展国での畜産など、それをしなければ人間の生存が脅かされてしまうと
  反論できないような行為はなくなるだろう。

            <感謝合掌 平成28年10月16日 頓首再拝>

「自由意志の法則」~その4 - 伝統

2016/10/23 (Sun) 12:27:23

「自由意志の法則」~その4(P140~141)


Q:でも、法則に従うには、それを知るのが大事ですよね。
  どうすれば興味のない人たちに、何らかの形で強要せずに、
  教えることができるのですか?

  登校を拒否する反抗的な子どもに、学校に行くよう強制するのと
  同じようにする必要はないでしょうか。


A:「自由意志の法則」を守るのは、魂が自由に決断することを尊重するためだ、
  と言ったばかりだろう。

  どんなに霊性の高い法則でも、それを押しつけてしまえば、
  法則自体に違反することになるので、本質的にそうできないのだ。


  強要するのは、最善策ではない。

  繰り返すが、押しつけたり強制して得られたものは、
  強制力がなくなると、失われるのだ。
  魂は本来の姿に戻ってしまい、あてがわれた環境には順応できないのだ。


  輪廻転生をして前世の記憶を忘却するのは、まさしく、
  魂が自由意志を経験し、何の規制も受けずに自分の力で進化するためのものだ。

  そのこと、つまり前進するか否かや、進歩するための試練の種類を決めるのは、
  魂自身の自由であることは、前に充分話しただろう。


  君が言った、子どもと学校の例に関しては、霊的に最も進化した教育の潮流では
   ―― それは君たちの世界にも届いているが ―― 

  学習を退屈なものではなく魅力的にして、
  強制せずに子ども自身の能力を刺激する方法を模索している。
  義務ではなく熱意、それが、子どもが学ぶ一番いい方法だ。

              ・・・

Q:それなら、どれが、「魂の法則」を教える正しい方法でしょうか。


A:唯一の方法は、手本を示して説得することで、
  それが地球に転生した高次の存在が行ったことだ。

  私は、「愛の法則」や「自由意志の法則」、その他の「魂の法則」を
  教えるために地上に転生した、イエスや仏陀やクリシュナ、ゾロアスター、
  アントリオン(訳注:アトランティスの時代の賢者で、そ叡智は後世の
  ギリシャのソクラティス、プラトン、アリストテレスなどに伝えられている)
  や、他のアヴァター(神の化身)など高次の者のことを言っているのだ。

  彼らは、法則を個人的に適用した自分自身の生き方で、
  魂の諸法と協調した生活の手本を示した。

  しかし、それを真似するように人を強要することは決してなかった。

            <感謝合掌 平成28年10月23日 頓首再拝>

「自由意志の法則」~その5 - 伝統

2016/10/30 (Sun) 12:19:49


Q:イエスの信奉者だとされる人たちには、
  「自由意志の法則」は、きちんと伝わらなかったようですね。

  暴力や強制や恐怖を通して、自分の信仰を、他者に力づくで押しつけたのですから。
  宗教裁判や十字軍を行った、カトリック教会を指しているのですが。

A:それは、信奉者たちが、授かったメッセージのレベルに達していなかったのだ。

  しかしそれは、イエスやその他のアヴァフアクター(神格者)のせいではなく、
  総体的に進化が乏しい君たちの世界の我欲のせいで、それが特定の人たちに
  元は真実であった教えを  独占させ、他人を支配し操るために、
  教え自体を歪めてしまったのだ。

  押しつけたり強要する宗教や信仰は、魂を進化させることなどできないし、
  真実だとも、神や高次の霊性と調和しているのだとも考えられない。

  「自由意志の法則」を破る者は誰であれ、神の仲介者であろうと、
  神の意向に沿う者とも見なすことができないので、時間が経てば、
  成す術もなく地上から消えるであろう。

  しかし、それはかなり大事な話になるので、別の機会に特別に扱おう。

                  ・・・

Q:でも、高次の存在が関与してくれたにも関わらず、
  この世界で、物事が大きく改善されたようには見えないのですが。


A:幾らかは改善されたよ。

  過去の時代には、人間が食用に、家畜のように飼育されたこともあったが、
  今の君たちには、嫌悪すべきことに思えるだろう。
  今日地上では、事実上、人肉食は淘汰された。

  合法的な奴隷制度が存在し、全世界で奴隷の売買が行われていた時から
  まだ200年も経っていない。

  現在では別の形の隷属化が存在するとは言え、少なくとも合法的な奴隷制は
  すべての国々で追及され罰せられたので、法の陰に潜んでいる。

  世界ではまだ複数の地域で、宗教上の理由から迫害されることもあるが、
  激しさも残虐性も緩和され、宗教改革以前の欧州では想像もできなかった
  信仰の自由の権利を保障する法規が、多くの国に存在する。
  また、懲罰の方法としての死刑は、多くの国で廃止された。

  国連のような国際組織で、人権宣言憲章が草稿され承認されたことは、
  それが実際に遵守されている訳ではないが、蹂躙できない基本的権利に
  同意できる進化した魂が、君たちの惑星にも存在するのを示す明確な例だ。

  その中では、自由意志の行使を保障する権利がはっきりと具体的に記載され、
  人類の自由意志を侵害するものを阻止する行動を確約するよう、
  諸国に要請している。

  それゆえこの憲章は、「自由意志の法則」が上手く応用されたもの、
  と見なすことができる。

  十戒の中でも、「殺すなかれ」「盗むなかれ」のように、
  自由意志に言及した戒律が幾つかある。

  しなくてはならないことがまだまだ沢山あるとはいえ、
  過去の時代の状況と比較すれば、進歩しているのだ。

            <感謝合掌 平成28年10月30日 頓首再拝>

第三の法則:「霊的裁きの法則」~その1 - 伝統

2016/11/06 (Sun) 13:20:56


第三の法則:「霊的裁きの法則」又は 霊的な作用と反作用(原因-結果)の法則

☆ 他者にすることは、自分自身にもすることになる。

☆ 魂が自分の過ち(万物の生命に反する行為)を自覚し、
  それを償えれば、霊的に進歩できる。

                 ・・・

Q:無神論者は、「神が実在するのだったら、この世の多くの理不尽を許す筈などない」
  と声高に主張していますが、これを、どう思われますか。

A:そのような意見の者は、人の命が肉体の誕生と共に始まるという信念を持つために
  霊的な真相を完全に理解できず、それで、地上の一部の劇的な状況を理不尽だと
  解釈してしまうのだと思う。

  人間の生が誕生をもって始まると見なせば、神が初めから一部の者だけを優遇して、
  その他の者を虐げているように見えるので、この世は不平等で、創造主がいても
  同じように不公平なのだろう、という避けがたい結論に行き着いてしまう。

  生まれた時から、先天的な病気や極貧、歓迎されない家族の下に生まれるなど、
  災難が山積みの人生が見込まれる人がいる一方で、
  ずっと賢く美しく、深く愛され健康で、神のお気に入りに思える人がいないだろうか?

  しかし我々が、今生は各人の生のほんの短いエピソードに過ぎず、
  今編は、今の魂の状況と内容的にきちんと噛み合うこれまでの連載ものの続編で、
  ふさわしい結末であると考えられれば、以前は理解できずに不公平に思えた事柄を、
  次第に理解し始めるであろう。

  実に全ての魂は、同じ起源から生じている。

  魂という存在は全て、無知・無自覚な生命の素として等しく創造されたが、
  無数の転生経験を総合して、愛と叡智の最高次元に達するまで、
  絶え間なく永久に進化する可能性を宿している。

  ある魂と他の魂との唯一の違いは、創造された時期、つまり魂の年齢による。
  魂の生命の創造過程は、止むことがないからだ。

  あるものは、君たちの銀河系がまだ星雲になる以前の何十億万年前に冒険を開始し、
  物質界への数え切れない転生の歴史があるが、他のものはまだ進化を始めたばかりの
  いわば若い魂だ。

  各々の行為と決断により、進化の道程は真っ直ぐにも、曲りくねったものにもなるし、
  遅くなったり速くなったりもする。

  ほんの稚(いとけな)い幼児期から、愛と理解の偉大な能力を持ち、
  年齢に不釣合いなほど精神的にとても成熟している人がいる一方で、

  肉体上では大人や老人になのに、まだ振る舞いが幼稚で、見かけほど年がいっていない
  ように思える人がいることに、気づいたことはないだろうか?

  ある魂と他の魂との霊性能力の違いは、一見先天的なものに見えるが、
  魂の年齢差と、これまでの転生を霊的進歩のために有効活用してこられたかによる。

  各人の今生の環境の違いは、宿命の産物に思えるが、
  実は、これまでの前世や肉体に宿っていない期間に、決断してきたことに起因するのだ。

            <感謝合掌 平成28年11月6日 頓首再拝>

第三の法則:「霊的裁きの法則」~その2 - 伝統

2016/11/13 (Sun) 12:05:44


Q:現在の人生での行いが、過去のものとどう関係するのですか。

A:宇宙的な法則がある。
  それを「霊的裁きの法則」、「原因と結果の法則」、「霊的な作用と反作用の法則」
  などと呼べるが、

  その概要は、魂は与えたものと全く同じものを受け取る、というものだ。

  それは、我々が他者にすることは、実際には我々自身にすることになる、
  ということに等しい。

  各魂は自らが創り出した状況に立ち向かわなければならない、というのが
  この法則の結論であり、それゆえ、魂が人生で直面する逆境の多くは、
  前世で自分が作り出した原因の帰結、又はその影響なのだ。

                ・・・

Q:それがなぜ、宇宙的な法則なのですか。

A:なぜなら魂は、宇宙の諸法や万物の生命に反する自分の行為や状況に立ち向かって、
  それを解決しない限り幸せになれないし、自己の霊的な進化においても
  前進できないからだ。

  「自由意志の法則」において、好きな道を選び適切な決断をする自由が、
  認められているとするのなら、「霊的裁きの法則」では、自分の行為の一つ一つが
  それぞれの結果をもたらし、遅かれ早かれそれらが自分に影響することを
  知らねばならない。

  別の言い方をすると、「種は自由にまけるが、刈り取る責任がある」のだ。

  つまり、行為の担い手として正当に思える行いなら、
  受け手としてもそう見えるべきで、その逆も然りだ。

  だが、もし自分がしたのと同じことをされたくないのなら、
  そこにはあまり善意がないという訳だ。

  我々にとって善くないことは、他者にとっても善くないのだ。

  イエスを含む多くの偉大な預言者が、

  「自分にして欲しいと思わないことは、他者にしてはならない」、
  「自分がして欲しいと思うことは、他者にもしなさい」

  と言っていたのを、君たちも耳にしたことがあるだろう。

  「作用と反作用の法則」を知ったからには、これらの金言に、一文を付け加えて

  「自分にして欲しいと思わないことは、他者にしてはならない、
  《なぜなら結局は自分自身にもしてしまうことになるのだから》」、

  「自分がして欲しいと思うことは、他者にもしなさい、
  《なぜなら本当は自分自身にするのだから》」とするべきだ。


  「私たちが他者にすることは、私たち自身にもすることになる」とい
  う至言に、霊的裁きの原理が含有されている。

                ・・・

Q:どうして、「霊的な作用と反作用の法則」と呼ぶのですか?

A:それは、ある意味でニュートンの第三の法則、
  つまり伝統物理学の作用と反作用の法則に似ているからだ。

  これに馴染がない者に説明すると、この法則は、物体が他方にある力をかけると、
  同時に同じ大きさの力で押し戻される、ということだ。

  つまり、二人の宇宙飛行士が宇宙空間で手を繋いでいて、
  一方が他方を押したとしたら、自分自身も等しい力で逆方向に移動させられるのだ。

  銃や同様の武器で撃ったことがある人なら、
  物理的作用・反作用の法則をよく知っている。

  射撃では、銃が弾丸に力をかけて、
  弾丸が物凄い速さで外に飛び出すというのは周知の事実だ。
  しかし実は、弾丸は、同時に銃に、同じ力を反対方向にかけるのだ。

  作用・反作用の法則が存在するがゆえのこの反力は、銃器業界では
  「後退」として知られる大変強いもので、訓練できていない場合には、
  銃を支えていた部位が怪我してしまうこともある。


  物理的な作用・反作用の法則に類似する「霊的な作用・反作用の法則」は、
  霊的な次元では、他者に行った全ての行為は同じ規模で我々自身に戻される、
  と言っているのである。

  それは実生活では、他者に行うことは全て、
  実際には我々自身に行うことになる、という意味である。

  各人がそれぞれの行為と向き合うことになるというのがこの霊的裁きの基本であり、
  自分の行為の結果を経験した後で、その行為を修正するか否か決めるのは本人次第なのだ。

            <感謝合掌 平成28年11月13日 頓首再拝>

第三の法則:「霊的裁きの法則」~その3 - 伝統

2016/11/20 (Sun) 12:24:42


Q:他者に対する行為は、どのように霊的進化に反映されるのですか?

A:それらの行為が「愛の法則」に反するものなら、
  魂が進化の高域へ上昇するのを阻む錨(いかり)のように重たいものとなる。

  反対に、「愛の法則」と調和した行為は、気球のバーナーの炎のように作用する。
  炎は空気を熱すると、ガス粒子の振動レベルを増加させ、気球内部の空気濃度を
  希釈し、気球がもっと大気の薄い地帯まで上昇していくことを可能とする。

  同様に、「愛の法則」に賛同する行為は魂の波動を高め、もっと高振動で
  さらに霊性が高いアストラル界域まで上昇することを可能とする。

              ・・・

Q:それにしても、この法則が一般的に適用されているようには見えませんが。
  世間に知れた殺人鬼や犯罪者や大量殺戮者が、一度も裁判にかけられないまま、
  歳を取ってから、穏やかに亡くなってはいないでしょうか?

A:特定の原因または行為に連結した結果は直ぐには顕れないので、
  犯罪者が生存中に罪を償うのを観ていない者には、
  裁きが存在していないような印象を与える。

  確かにただ一度の人生では、特に地上の権力の座を占める者の場合であれば、
  多くの犯罪行為が、裁きを逃れて終わってしまう。

  このような場合には、他者を傷つけて「愛の法則」に違反した者は、
  その後の転生で、自分の行為の結果と向き合うことになる。

  
  ある統治者が戦争を招いて、大勢の人を拷問し死刑にする命令を下したとしよう。
  でもその権力がゆえに、地上のどの裁判所でも、絶対に裁かれることも
  有罪とされることもなかったとする。

  だがその人生で帳尻が合わされなかった借金は、以後の転生に持ち越され、
  かつての死刑執行人が、明日は一見無実な犠牲者となり得るのだ。

  説教でよく耳にする「義に飢え渇く人びとは幸いである、その人たちは満たされる」
  という一節は、地上で裁かれなかったことは、疑いなく霊的な裁きによって
  解決されることを意味している。

  だがそれでも、この仕組みは、懲らしめるためのものではなく、
  教えるためのものだ。

  いずれにせよ、悪いことをした魂は自分自身に負債を負い、前進していくためには、
  まず自分が与えた害を自覚して、次にそれを償うことが必要となる。

              ・・・

Q:その対極には、生存中に多くの善行を積んだのに、感謝されるどころか、
  中傷されたり拷問されて、殺されてしまった人たちがいるのではないでしょうか?

A:「霊的裁きの法則」のコインの裏面も見なければいけない。

  「愛の法則」に従って行動ししても同輩から感謝されずに、その善行の対面として
  無理解、拒絶、暴力、拷問や死を受け取った者たちは、人間の独善的な法律に縛られない
  真の世である霊界で、行為の成果が報われるのだと確信すべきである。

  これが、イエスの言葉の「心の貧しい ―― 謙虚であるとの意味だ ―― 
  人びとは幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人びとは、幸いである、
  その人たちは慰められる」が意味することだ。

            <感謝合掌 平成28年11月20日 頓首再拝>

第三の法則:「霊的裁きの法則」~その4 - 伝統

2016/11/27 (Sun) 11:35:54


Q:なぜ、作用と反作用、つまり行為とその結果との間に、
  時間のズレがなければならないのですか?
  行為と反動が連続した方が、もっと公正ではないですか?

A:反作用は行為の瞬間に起動するが、直ちに効果を発揮しないの。
  行為が「魂の法則」に賛同するものなら、「霊的な褒美」を受け取り、
  反するものなら「霊的な負債」を負うと言えるが、

  その「収穫」は、魂が自分を試す期間が終わるまで、
  つまり人生が終わるまで延期される。

  それは、試験の際に、完全に終了するまでは成績を知ることができず、
  また、終えた問題を先生が採点し終わらなくても次に進んでいくのと同じだ。

  請け負い仕事では、途中ではなく終了した時点で報酬を受け取るように、
  「魂の法則」に則った行為の場合も直ちにではないが、
  いつかは霊界で妥当な代償を授かる。

  この「霊的報酬」は、最終的に魂が肉体を離脱した時点で、
  もっと愛に満ちた霊が居住する高い次元まで昇って行くことを可能とする。

  霊的な負債の場合には、償い自体は、魂自身の意志で自発的に損害を
  修復しようと決意するまで待たされるが、それは必然的に、
  魂が自己の言動を自覚したことを意味する。

  「自由意志の法則」により、償いを強いてはならない。
  いつその状況に立ち向かうのかを決めるのは、魂自身である。

  しかし霊的に進歩したいのであれば、遅かれ早かれそれに立ち向かい、
  犯した過ちを償わなければならない。
  罪の償いがされない限り、新たな試練には立ち向かえないのだ。

  人生が終了すると、「愛の法則」に反した行為の重みで、
  似通った性質の魂が住むアストラル界の下層レベルに留まることとなる。

  「愛の法則」と調和できずにお互いに傷つけ合うレベルなので、
  かなり不幸で苦悩に満ちた生活となるが、ここで更生の決断が待たれる。

            <感謝合掌 平成28年11月27日 頓首再拝>

第三の法則:「霊的裁きの法則」~その5 - 伝統

2016/12/04 (Sun) 12:18:41


Q:魂は、他者に与えた害を、どのように自覚できるようになるのでしょうか?

A:魂は、肉体の死後のどこかの時点で、最後の転生中に起こった
  最も道徳的な部分に関わる事件を徹底的に振り返らされる。

  魂は、この人生回顧の間に、それらの経験一つ一つにおいて、その時の
  自分の気持ちのみならず、自分の行為に影響を受けた他の人たちの感情や情緒も
  感じ取り、その人たちの悦びや不快を自分のことのように感じるのだ。

                 ・・・

Q:具体的にどういう目的で、回顧するのですか?

A:魂が、「魂の法則」や他者への行為に関して生存中に決断したことの
  重要性に気づいて、進化に役立てるのが目的だ。

  つまり、愛を持って行動したのか、
  エゴ(我欲)によって行動したのかを、顧みるのだ。

  また、その転生で取り組んだどの科目に合格し、
  不合格なのはどれなのかを知るのが目的だ。
  今後の転生での試練は、これまでの転生での行動によるところが大きいからだ。

                 ・・・

Q:最後の審判みたいではないですか?

A:それに似てはいるが、魂を蔑(さげす)んだり罰する意図は全くなく、
  「魂の法則」や万物の生命に対する行為を自覚できるようになるためなのだ。

                 ・・・

Q:自分の行為が正しかったか正しくなかったかを、判定するのは誰ですか。

A:高次の霊の手助けを得て、自分自身で判定する。

                 ・・・

Q:生存中に気づけなかったのに、自分の行動が不当だったかどうかを、
  どうして自覚できるのですか?

A:高次の魂が助けてくれるので、自分の進化レベルではまだ持ち得ていない、
  霊的な洞察力が授けられるのだ。

                 ・・・

Q:自分自身を裁くのでしたら、完全に公平にはなり得ないのではありませんか?
  魂が自分をひいきしないように、どう阻止するのですか?

A:今言ったように、魂は高次の存在に誘導されて、霊的に明晰な状態にいるので、
  自分をえこひいきするような行動はとらない。
  その状態で、現実をありのままに、完全に公平に見ることができる。

                 ・・・

Q:そして、どうするのですか?

A:魂は、自分の悪い言動を修正してその後の転生で克服できるように
  準備をして、能力に応じた償いのための試練を選ぶことになる。

  それは、魂が選びたい方法による。
  ゆっくりだが時間がかかる修復もある一方で、
  試練はきついがもっと速く進化するために役立つものもある。

                 ・・・

Q:そうだとしても、直後には何が起こるのですか?
  つまり、魂は直ぐ次の生で、早速、前世の行為の修復に取り組むのですか?

A:矯正する意図を全く見せない魂が沢山いるので、必ずともそうとは限らない。
  彼らはそのために、下層アストラル域に停滞してしまい、
  更生の前段階を踏まないで、再び転生して来てしまう。

  また、魂が更生のプロセスを開始したとしても、
  初めは善と親和する意志力が弱いので、厳しい試練には耐えられない。

  よって、負債の償いに直面しないで済む過渡的な転生をし、
  更生のための意志力と忍耐力を養う準備期間とする選択肢もある。

  きつい試練に立ち向かう本当の贖罪のための転生は、
  魂に充分用意が整って、確固とした改善の意志を持った時にやって来る。

            <感謝合掌 平成28年12月4日 頓首再拝>

第三の法則:「霊的裁きの法則」~その6 - 伝統

2016/12/11 (Sun) 11:45:40


Q:「負債を持つ」魂には、どんな種類の試練が待っているのでしょうか?


A:一般に、前世で自分が生み出したのと類似した状況を、
  自分が身を持って体験する。

  そして、「魂の法則」と何が調和し、何がしていないのかを
  自覚して、罪の償いに尽くす。

              ・・・

Q:理解できるように、例を挙げていただきたいのですが。

A:良かろう。
  大農場と耕作奴隷を所有する、18世紀の白人の家庭へ、ある魂が転生したとしよう。

  おそらくこの魂は、両親の教育によって、
  農奴も自分同様に感じ苦しむ人間なのだと気づかない。

  また、物的なものかを問わず個人の利益のために 、
  他の生き物の意志を蹂躙してはならないことや、
  それが自分と同じ人間の場合にはさらに悪質であることに気づけない。

  そのため、奴隷制は「愛の法則」と「自由意志の法則」に反する行為だ、
  と思い至らないでいる。

  大人になってそこの若旦那となったこの魂に、
  奴隷を所有するのがいいことかと尋ねたならば、
  「汚い無知な奴隷と立派な領主とをなぜ比較するのだ」と、
  彼の自尊心を怒らせるに違いない。

  「汚い・無知・奴隷」というのは、彼が積極的に維持してきた状況だ。

  もしこの状態が妥当だと思えるのなら、それは、逆の立場からも
  この状況を経験することに、同意していることになる。

  つまり、以後の転生では、自分の家族に隷属する農奴の
  息子または娘として生まれ、奴隷であることから生じる苦悩を、
  身を持って体験するの。

  そして今度は奴隷となった魂に、奴隷制は良いことかと尋ねてみれば、
  それは非人道的だと語り、「神よ、私が一体何をしたというのですか」と、
  自分の不運を苦々しく嘆くことだろう。

  結局のところ、自分がまいた種を刈り取ったに過ぎないのだ。

  もし彼がこの経験から有益な教訓を引き出せたとしたら、たとえば
  再び大農場の領主に戻るなど、社会の諸相を変えられる立場になった時に、
  自分が前世で内面的に学習したことを思い出し、
  奴隷制度の廃止に尽くすかもしれない。

              ・・・

Q:この例から、奴隷は前世では、奴隷制を利用していた領主だったかもしれない
  と推測すべきなのですね。

A:そう、そして領主が、奴隷なのだ。

  自己の自由が尊重されるための最善策とは、どんな状況でも
  他者の自由を尊重することなのだ、と気づくに至るまで、
  同じグループの魂が、多くの人生で両方の立場を交代で経験することだろう。
  すべてがこうなっている。

            <感謝合掌 平成28年12月11日 頓首再拝>

第三の法則:「霊的裁きの法則」~その7 - 伝統

2016/12/18 (Sun) 12:57:45


Q:でも、自分がしたのと同じ目に遭わせるのは、
  目には目を、歯には歯を、に等しいのではないですか?

A:これは懲罰ではなく、学習形態なのだと言っておこう。

  正しい行いをしたと胸を張っていられるのなら、
  自分がしたのと同じことをされるのも、全く怖くはないだろう。
  そればかりか、その善行に見合う報酬を受け取ることを、待ち望むであろう。

  しかしそうではなく、エゴ(我欲)によって、他者を足蹴にしたのだったら、
  自分が蒔いた悪い種を収穫する気にはあまりならないだろう。

  復讐の一種のように、違反者を罰することが目的だとしたら、
  「目には目を」だと理解できる。

  しかし、この法則の趣旨は罰することではなく、
  他人に行った行為を自ら体験して、魂の進化を促進させることなのだ。

  別の言い方をすると、「霊的裁きの法則」は、我々が学び取れる
  ような方法で、各人をそれぞれの行為と向き合わせてくれる。

  そして、自分が招いたものと文字通り同じ状態を経験する必要はないものの、
  それが最も速い習得法なので、惨めな霊的な劣等感から脱却したいと願う
  多くの魂がそうしている。

               ・・・

Q:それほど過激にならない別のやり方で、負債から解放される方法はないのですか?

A:試練の厳しさは、本人がどれだけ早く霊的な借金を返済したいのかと、
  試練を乗り越える力があるかどうかによる。

  試練は、魂にそれを乗り越える準備が整った時にだけ訪れる。

  利子の付かない銀行貸し付けに似ており、カルマの借金がある進化を望む魂には、
  負債を支払って更生するための選択肢が複数提示されるのだが、
  どれを選ぶかは自分の決定による。

  時間はかからないが高額な分割金で返済することも、
  時間はかかるが低額な分割金で払い戻すことも可能だ。

  清算し終えるには、より多数の転生が必要となるが、霊的なガイドたちは、
  二番目の選択肢、つまり借金をより楽に支払う方を勧める場合が多い。

  しかしながら大抵の場合、魂は、犯した罪の呵責で苦しむ状態から
  抜け出したいと急いでいて、カルマを素早く消し去ることができるように、
  より厳しい試練を選ぶ傾向がある。



  いずれにせよ、魂は試練に向き合うことを承諾しなければならず、
  上手く乗り越えられるように、準備を整えるのだ。

            <感謝合掌 平成28年12月18日 頓首再拝>

第三の法則:「霊的裁きの法則」~その8 - 伝統

2016/12/25 (Sun) 12:30:33


Q:「カルマ」とは何を意味しますか。

A:東洋起源の言葉で「霊的負債」ということに等しい。

            ・・・

Q:でもある種の試練はとてつもなく辛そうで、そこからは、
  「人生は涙の谷である」という教訓以外は、引き出せそうにないですよ。

A:原因を知らずに判断しているからだ。

  犯罪がお咎めなしだった物語の冒頭部分しか見なかった多くの者にとっては、
  その人が裁きを受けなかったのが不公平に見えたろう。

  だが観客が、その後の転生で勘定が清算される第二話だけを見ても、
  災いがどこに起因するのか理解できないので、そのような辛酸を
  味わわねばならない人がいることが、理不尽に思えるのだ。

  しかし、もしその魂の犯罪に満ちた過去を知っていたとしたら、
  多くの者が、二つ目のチャンスをあげようとさえしなかったろう。

  霊的世界では、いつも次のチャンスがある、
  いや、更生の機会は無数にあると言った方が良い。

            ・・・

Q:霊的世界に改悛の機会が無数にあるのだとしたら、
  たとえばキリスト教義で見られるような、悪者に対する永遠の刑罰や
  懲戒の信念はどこから生まれたのでしょうか。

A:永遠の懲罰の概念は、神聖な源から発したものでない。
  根拠に欠け霊的な真相に一致していない。

  不合理な怖れで人びとを支配しようとした、
  聖職階層が導入した誤った教えの一つに過ぎない。

  他者の霊道の探求に寄与する指導役を自負する者が、そうするどころか、
  人びとをさらに混乱させ、思考を操作して愚かにし、
  弱点を利用して自らの地位を上げたのだ。

  彼らは、嘆かわしくも、すでに充分に苦境に満ちたその道のりを、
  邪魔することに一役買ったのだ。

            <感謝合掌 平成28年12月25日 頓首再拝>

第三の法則:「霊的裁きの法則」~その9 - 伝統

2017/01/01 (Sun) 12:58:08


Q:では多くの人が、人生の悲惨な出来事は、事前の打診もなく
  強制されたものだ、という感じを受けるのはなぜでしょうか?

A:それは生まれ変わる前に決めたことで、
  魂は肉体に宿ると過去を忘れてしまうので、
  自分ではその決断に関与していないと思ってしまうからだ。

  「魂の法則」を知らない者は理解できないだろうが、
  進化の一歩を踏み出す決意をした多くの魂は、非常に困難な状況に立ち向うのだ。

  多くの人は、何もしていない善人が、運命のいたずらのように、
  悲惨で不幸な数々に見舞われなければならないことが、理解できない。

  そして、善人がこれほどひどく苦しまねばならないのだから、
  真の裁きが存在する訳がない、と結論づける。

  しかし、もしその魂の過去を垣間見ることができるとしたら、
  その原因の訳だわかるだろう。それはつまり、その魂は「魂の法則」と馴染む前に、
  犯した罪の埋め合わせをしているということなのだ。

  したがって、困難に立ち向かう人たちがいることを喜びなさい。

  第一にその人たちは、更生しようと深く肯定的に改心した魂であり、

  第二にそれほどの試練に直面すること自体がかなり進んだレベルに達したということで、
  負債を集中的に清算することにも成功する可能性があるからだ。

             ・・・

Q:それでは、魂が出会う否定的な状況の全てが、
  過去の行為の結果であると理解すべきですか?

A:いや、そうではなく、その多くは今生の行為の直接的な結果だ。
  また自分が生まれ変わった惑星の進化レベルに特有のものもある。

             ・・・

Q:それは、負債がない魂でも、
  贖罪とは関係のない逆境を経験する可能性がある、ということですか。

A:そうだ。それは頻繁に起きていることだ。
  しかし、そうするかどうかは、魂が自由に選択する。

             ・・・

Q:そうすることに、どのような意味があるのですか?
  自虐的に思えます!

A:魂は、苦しむのが楽しいからこの道を選ぶ訳ではないのだ。
  また、苦悩自体が全く不毛なものであり、霊的に何も成長できないのだとしたら、
  それもやはり意味をなさない。

  しかし、それによって、愛の学びにおける霊的な進歩ができる。

  そして、真の幸福へと近づけるので、自己記録を更新してゴールした
  長距離選手がレースを頑張って良かったと思えるように、
  悲痛な状況を上手く乗り越えられると、努力の甲斐があったと思うものなのだ。

  このような選択は進化した魂特有のもので、
  後進の同胞を助けるために転生して導こうとする、愛の行為なのだ。
  そして同時に、自分自身もさらに速い進歩を遂げようとする。

  なぜなら、後進の者の恩知らずな行為と不正の多くに耐えなければならないので、
  無条件の愛の能力が試されるいい機会となるからだ。

            <感謝合掌 平成29年1月1日 頓首再拝>

第三の法則:「霊的裁きの法則」~その10 - 伝統

2017/01/08 (Sun) 12:35:08


Q:逆境は進化の役に立ち、その多くが過去の行為の結果であると言われても、
  前世のこととは切り離して、余りにも不平等で非人道的な耐え難い
   ―― たとえば飢餓や貧困や戦争など ―― 許せない物事があります。

  それなのに、大変善良で能力が高いとされる存在たちは、
  人類のこの嘆かわしい未来を変えるために何もしてくれません。
  これにはどう返答されますか?

A:確かに、非人道的で許しがたいことは数多くあるが、それらは地球に転生した
  魂たちが生み出したもので、それらを自覚し、地表から撲滅する努力をするのは、
  その責任があり、そうすることができる人間自身でなくてはならない。

  すでに述べた通り、霊的な進歩は、何の強制も強要もされずに、
  本人の自由意志と努力で決断されて、内面に取り入れられた時にだけに起こる。

  これは、「自由意志の法則」という、霊的に進化した存在全てに
  尊重されている「魂の法則」だ。

  これが、神や他の高次の存在の、
  この世の不正を改善する姿が見られない理由である。

  ある問題を解決しようと全能の存在がこの世に現れたとしても、
  その決断がすべての者の意向に沿う訳ではないので、それまで救世主を要請していた
  地上の者は、今度は自由が失われたと文句を言うであろう。

  君たちの世界には、エゴを放棄する覚悟のある人も、自分のものだと思っている物を、
  それを持たない人びとと分かち合うことのできる人もほとんどいないので、
  どんな決定であったとしても、損をしたと思う不平分子は常にいることだろう。

  だから人間には、物質界で思う存分に自由意志を使う経験をさせて、
  自分が招いた状況に対処させるのだ。

  苦しみはエゴのせいであり、エゴが人類の心に君臨し続ける限り、
  戦争も飢餓も貧困も不正もなくならない、という結論に独りで達しなくてはならない。

  すべての災いを根絶する唯一の方法は、
  一人ひとりの心から我欲を一掃することだが、
  エゴの毒を解毒できるのは、愛だけなのだ。

  腕組みをしながら救済者がやって来るのを、待っていてはいけない。

  行動するのだ。そうすれば助けが得られる。
  「愛の法則」を信奉する高次の魂は、いつでも君たちを
  蔭から応援するために、そばにいるのだ。

  しかし、君たちの意に反することはできないので、
  君たち自身の意志で、率先して行わなければならない。

  川に落ちてしまった者が助けを求めているにも関わらず、
  本人は腕を動かしてなんとか泳ごうともせず、
  浮ぶ努力さえしないのと同じことになるからだ。

  自分の運命の流れを変えるのは君たち自身だ。

  決断すれば、その力が出る。

  そうではなく、間違いを犯す度に、父親が助けに来てくれるとしたら、
  一体どんな方法で進歩できると言うのだ?

  学びのためには、自分の決断が及ぼした効果を味わう必要があり、
  自由に行動して、一方の道を採るか、別の道を選ぶのかを決めなくてはならない。

            <感謝合掌 平成29年1月8日 頓首再拝>

第三の法則:「霊的裁きの法則」~その11 - 伝統

2017/01/15 (Sun) 13:08:22


Q:霊性がさらに進化している世界は、高次の霊性というものを示すために、
  どうして人を送って来てくれないのですか?

A:そうしたいと思ってはいるだろうが、何度とくりかえしているように、
  君たちの自由意志に干渉できないのだ。

  進化した物質界の人は、進歩の劣る世界側の合意と同意がなければ、
  その世界の発展に、集団として干渉できない。

  そこで、目立たない方法で、軍隊を上陸させたりもせずに、
  高次の人が地球に転生して手本を示すことで、援助をするのだ。

  そうすれば、その高度なテクノロジーの魔法に眩惑されることなく、
  感じ方や考え方の共似性によって、彼らの教えを取り入れてもらえるからだ。

  テクノロジーで圧倒するケースは、「自由意志の法則」を尊重しない文明なので、
  国民は高度な文明に依存してしまい、破壊的な結果がもたらされるだろう。

  自主努力の成果でないものは簡単に忘れられてしまうので、
  達成できたと思われた革新も、彼らが立ち去れば
  たちまち元の木阿弥となってしまうのだ。

  それに君たちは、現在は肉体を持たないガイド役や霊界の親しい者たちから、
  精妙な方法で、常に支援を受けている。

  援助を受けるために、どのように霊界とコンタクトしたら良いかは、もう充分話したろう。
  助けられるためには、助けが欲しいと願う必要があるのだ。

  なぜなら、孤独で世間からの孤立を願う者や、進化を望まない者には、
  その願いが尊重されるからだ。

  愛における進化を、誰にも強制することはできない。
  自分の意志で進化しようと決意しなければ無駄であるし、
  おまけに、「自由意志の法則」に違反することになる。

            <感謝合掌 平成29年1月15日 頓首再拝>

第三の法則:「霊的裁きの法則」~その12 - 伝統

2017/01/22 (Sun) 12:03:18


Q:もっと大きな災いを避けたり、平和や民主主義を守るためには仕方がない、
  と戦争を正当化する人たちがいますが、これに関してはどう思われますか?

A:もし本当に平和や自由を愛するならば、
  自分が主張することと反対のことをしてはならないだろう。

  目的に対して手段が矛盾するのであれば、その人は嘘つきか偽善者なのだ。

  手段は求める目的と合致しているべきで、
  目的によってその手段が正当化されることなどあり得ない。

  戦争によって平和は実現できないし、
  強制によって自由を得たり、不正によって正義を得ることも不可能だ。

             ・・・

Q:でも、大部分の人びとは平和に暮らすことを望んでいるのに、
  一部の権力者たちが戦争を決定してしまうではありませんか?

A:それなら、なぜ君たちが望むことと反対のことをする者に権力を渡すのか?

  君たちの世界の腹黒い支配者たちが、国民を戦争に招集したとしても、
  銃を取る者も他者に強要する者も誰一人おらず、武器を製造する者もいないとしたら、
  彼らがいかに邪悪であろうと、何できない筈だ。

  しかし、もしそれが可能だとするなら、
  それは君たちのエゴがそそのかされてしまうからだ。

  自分は他の者たちの殉教者だと納得させられてしまうから、
  羊は屠殺所に連れて行かれてしまうのだ。

  だからこれは、自分が同類の命を奪う権利があると信じて、
  他者も自分の命を奪ってもいいのだ、と納得させられてしまう者の問題なのだ。

             ・・・

Q:もし誰かが襲われて、自己防衛で加害者を殺してしまったとしたらどうですか。
  また、これは例ですが、子どもたちに危害を加える者がいて、
  加害者を殺さなければ子どもが守れない、としたらどうでしょう。

A:いいかね、霊的世界では、出来事自体はそれほど重要ではなく、
  その時の意図が重要なのだ。

  殺されるのを回避しようとしただけで、相手を殺すつもりのなかった者を、
  最初から殺意を抱いていた者と、同じように裁くことはできない。

  その人は、大きな損害を与えることなく被害を避けようと、
  できる限り努めるだろう。

  しかし、これは戦争に行く人たちのケースではない。

  人が戦争に赴く時には、いつかは他の人間を殺したり、自分が死ぬ羽目になると、
  完全に自覚している。

  神を信じる「愛の法則」の信奉者ならば、敵軍に転生した自分の兄弟を
  殺害に行くために、絶対に自ら進んで入隊などしない。

  殺人を正当化し得るほど高尚な理念や信仰は、何一つ存在しないからだ。

            <感謝合掌 平成29年1月22日 頓首再拝>

第三の法則:「霊的裁きの法則」~その13 - 伝統

2017/01/29 (Sun) 10:56:35

Q:でも、多くの人びとが意に反して徴兵されて、前線に赴くように強要されていることも、
  確かではありませんか。これについては、どうでしょうか。

A:当事者の魂にとっては、進退窮まることなので、かなり大きな試練であろう。
  しかし、このような状況は偶然ではない、と知るべきである。

  このような試され方をされる者は、おそらく前世では、
  他者を同じ状況に誘導したのであろう。

  これは、愛に賛同する自分の信念が試される、大変厳しい試練である。

  殺して殺人者になり果てるか、敵軍に拷問されたり傷つけられるか、
  造反者や裏切り者のレッテルを貼られ「友達」だった自分の一味から
  投獄・拷問されさらには死刑にされるか、を選択しなければならない。

  これらの選択には情状酌量の余地があるが、死ぬか殺すかの戦争に行くように
  他者を強要した者の責任はもっと重く、重責だとされる。

  君たちの世界では、命を危険にさらして敵軍の兵隊を殺した兵士は、勇者である。
  一方、一人の敵兵も殺さないで済むよう自分の命をさらした者は、臆病者とされる。
  しかしながら、霊的世界では、それが正反対となる。

  勇敢なのは、殺人に反対する平和主義者であり、造反者であり、裏切り者であり、
  兵役忌避者である。

  見知らぬ、おそらく別の信仰やイデオロギーを持つ者の命を守るために、
  死ぬまで自軍に迫害されることになるだろうと知りつつ自らの命を危険にさらすので、
  勇者なのだ。

  他方、どちらかの軍に自分が一番初めに殺されることを怖れて、
  他者の命を奪うために自分の命を冒す者は、勇者からはほど遠いのだ。

  いずれの場合にせよ、どちらを選ぶかを決めるのは魂だ。

  兄弟の殺害を拒んだために、利己主義者に報復されて地上で一時的に苦しむが、
  霊界で報酬を授かるのか。

  それとも、戦争のヒーローとして地上で報われるが、
  兄弟を傷つけたために、後で霊界で苦しむのか。

               ・・・

Q:それなら、他国を侵略しようとする国や勢力があったとしたら、
  攻撃されたり侵略されることを防ぐために、他の国々は何をするべきなのでしょうか。
  破壊されている間、腕組みをしてじっとしているのですか。

  ナチスドイツのケースが思い浮かびました。ヨーロッパやアメリカは、
  ナチスがその軍事力で世界を征服するがままにさせておくべきだったのですか。

A:君たちが知り得る人類の歴史の知識は、過大に操作されたものだ。

  多くの者が未だに、戦争には善い陣営がいると信じ、神が応援するのは
  常に自分が所属する方で、もう一方の陣営は悪魔に支援されるとする。

  しかし、敵対する側でも全く同じ意見で、
  自分たちこそが善人で神は彼らを支援しており、
  もう片方には悪魔に支援された悪人がいると思っている。

  君が言及したような戦争は、一朝一夕にはでき上がらないのだ。
  実際には戦争というものは、武力抗争が始まるずっと以前から練り上げられるもので、
  嘆かわしいことに、将来的に敵対することになる二つの勢力はお互いが
  武装するために予め協力し合い、それから破壊し合うために敵対するのだ。

  過激で暴力的なイデオロギーによって、国民は道徳的にも経済的にも
  退廃してしまうのだ。

  大規模な戦争は、国民が極度の困窮に陥るような、深刻な経済危機の後に起こってきた。

  これらの経済危機は偶然に派生したのではなく、他者の不幸と苦悩の犠牲の上に
  私腹を肥やして、さらに大きな力を得ようとする経済的・政治的な大権を持つ
  ごく少数の一グループによって意図的に誘発されたものだ。

  彼らは、悪の根源は、人種・宗教・信仰・文化などの違いがある人たちなのだと
  吹聴するために、自分たちの広報メディアに極端な理念を流布させているのだ。

  しかし、もしそれができるのなら、君たちの我欲をそそのかすことに成功し、
  君たちが我欲によって、他者の中に兄弟を見出せなくなってしまうからだ。

  真に愛を信じる者は、自分の兄弟 ―― 人類は誰でも兄弟なのだから ――
  を殺すために、絶対に戦争に行ったりしないだろう。

  君たちには子どもがいないのか?
  子どもたちに、戦争に耐え、傷ついたり殺されたり、飢えたり苦しんだりして欲しいのか?
  君たちの家や村や町が、破壊されたいのかい?

  もしそうでないのなら、それは相手側にとっても同じことで、戦争をすれば、
  望まない苦しみ・死・痛み・破壊を与えてしまう、と考えてみるのだ。
  敵側にも苦しむ子どもがいて、その子たちは貧困・飢餓・痛み・苦悩・破壊と死を患うのだ。

  君たち自身の子どもに望まないことは全て、他人の子どもにしてはならない、
  とはっきりと言っておこう。他者の子どもにすることは、実際には「霊的裁きの法則」
  によって、将来の君たちの子どもに対してすることになるのだから。

            <感謝合掌 平成29年1月29日 頓首再拝>

第三の法則:「霊的裁きの法則」~その14 - 伝統

2017/02/05 (Sun) 12:21:16



Q:お話によると、戦争の主な扇動者は少数で、残りは自分の我欲によって
  彼らに引きずられるままになるようですね。

A:そうだ。


              ・・・

Q:それなら、戦争の主犯者たちは、苦悩と破壊を大勢の人びとに
  もたらすので、霊的に莫大な借金を負いますね。

A:全くだ。反省して態度を改め始めてくれるかもしれないので、
  物質界の「権力者たち」が自身の借金をさらに増やしてしまう前に、
  言っておきたいことがある。

  彼らは、侵略や戦争を企てて、躊躇せずに不和や憎しみを国民の間に
  ばらまき、おまけに厚顔にもそれを、神や民主主義や自由やその他の
  高尚な名目の下に行って、それらの理念を汚がしているのだ。

  彼らは、血の凍るような種をまいているのであり、来世では、
  地雷をまく指示をした国の不具の子どもや、飢え死にさせた国の
  腹ペコな子どもとして生まれ変わり、否応なくふんだんに苦い果実を
  取り入れなければならない、と知るべきだ。

  物質界で権力があっても、霊界での地位は、お金や権力や影響力によるもの
  ではなく、どれだけ愛の能力を開発できたかだけで決まるので、
  現状は一時的なものに過ぎず、霊界でそれを維持することはできないのだ。

  この世の主だと思い込んでいた者たちが霊界に移動し、現実をありのままに見て、
  自分のせいで死んだり苦しんだりした者たちが、霊的には自分よりも上のレベルに
  いるのを見れば、なんという失望を味わうことだろう!

  国家元首は凱旋で礼遇されなぞしない。その反対に、悪行の報復をしたがっている、
  大勢の劣った者たちが待ち構えているのだ。

  自分が招いた苦しみの分だけ、苦しみを受けるのだ!

             ・・・

Q:結果として、不具や貧困や飢餓、その他の困窮と辛苦を味わう羽目になった、
  武力抗争の犠牲者には何と言ってあげられますか。

A:物質的なものを喪失することや、肉体の命ですら失うことに執着してはならない。
  それらは全て、仮初めなものなのだ。

  君たちは不死で、誰にも君たちを殺すことができない、と思い出すのだ。

  君たちが本当の生である霊界に戻った時には、そんなことはどれも
  どうでも良くなる。そこでは、全ての苦しみが癒されて、全ての傷も
  治されるのだ。そして、愛のみが重要となる。

  経験した災いの全てが、同胞の苦悩に敏感になることに役立ち、
  同じ経験を二度と誰もくりかえさないようにと願えるようになれたのであれば、
  それは結果として、愛せるようになったということで、たとえ僅かであっても、
  無駄ではなかったのだ。

            <感謝合掌 平成29年2月5日 頓首再拝>

第四の法則: 「愛の法則」~その1 - 伝統

2017/02/12 (Sun) 12:33:34


☆ 魂の目的は、自身の自由な決断で、無償の愛の経験を通して、幸福になることである。

☆ 愛なくして進化はなく、愛なくして叡智はなく、愛なくして幸福はない。

☆ 愛は、霊的宇宙を調和し躍動させる力である。



Q:くりかえし、「愛の法則」と言われていますが、あなたにとって愛とは何ですか?

A:愛は広義では、他者のことを自分自身のことのように感じる能力だと定義される。

             ・・・

Q:でも、愛は実在するものですか、それとも単なる抽象的な概念なのでしょうか?

A:愛は実際に存在し、「生命の本質」または「魂の素」の強い振動として顕れ、
  霊的次元からメンタル・アストラルを経て物質次元へと、すべての存在次元に伝わる。

  愛の顕現は、エネルギー的には最高の振動エネルギーで、
  星の光のように最も明るい光となる。

  この振動すなわち愛の波動は、光の波動と同様に、伝送し知覚することが可能だ。

             ・・・

Q:愛として、具体的に経験できるものは何ですか?

A:人は真の愛を体験すると、充足して完全な幸福を感じ、
  えも言われぬ波動と力と感覚で満たされる。

  そしてもうそれ以上、他には何も必要としなくなる。

  愛と感応した魂は、他者を自分自身の一部のように感じるので、
  他の人にも愛の至福を伝え、幸せになる手助けをしたいと望む。

  愛に満たされると、アストラル体の振動が高まるので、
  オーラは非常に大きくなり、さらに輝きを増す。

  愛の度量が大きければ大きいほど、
  その人の波動は高くなり、伝送可能なエネルギー量も増える。

  人が愛する時には、この愛の波動を相手に伝えている。

  受け手が敏感であれば、熱くはないが温かい強いエネルギーが波のように
  押し寄せる感覚と、体中を巡る波動を感じる。

  それは、魂にある気孔の一つ一つを満たすように、自分の一番奥深い隅々まで行き渡り、
  身震いさせ、平和と調和の雲に包まれている感じにさせる。

  このように内面が安定した状態では、人は楽観的で朗らかで、安心していて冷静で、
  自分自身の問題はそれほど深刻ではないと理解する。

            <感謝合掌 平成29年2月12日 頓首再拝>

第四の法則: 「愛の法則」~その2 - 伝統

2017/02/19 (Sun) 12:34:21


Q:お話を聞く限りでは、とても神秘的な体験のようです。
  僕たち人間に、どの程度達成可能なものか分かりません。

A:手は届くのだが、君たちは非常に物質的になっているので、
  愛を直接与えたり感じたりする感受性に欠けている。
  ドリルが音を立てている脇で、ラジオを聴こうとするようなものだ。

  そのため大半の人は、愛を感じるというよりも、愛がゆえになされる行為を評価する。
  もっとも、一体何が人をそう駆り立てているのかが理解できていないのだが。

                 ・・・

Q:愛がなぜ、「魂の法則」なのですか?

A:魂の内部に、そう刻まれているからだ。
  魂は、幸せになるために愛を必要とする。
  愛が欠如すれば、魂は、根っこから引き抜かれた花のように枯れてしまう。

  「自由意志の法則」で、魂が幸せでいるために自由が必要だとしたら、
  「愛の法則」では、魂が幸せでいるには愛すことが必要となる。

  これら2つの法則を統合すれば、魂は幸せでいるためには
  自由に愛すことが必要となる、と言えるであろう。

                 ・・・

Q:魂の幸福のために愛が必須であるなら、
  皆が愛せるように生まれついていないのはなぜですか?

A:愛する能力というのも、魂が自分の進化において、
  独自に発達させなければならない能力の一つなのだ。

  説明した通り、魂の火種は、創造された時点で無数の能力を秘めているのだが、
  それらを発達させる必要があるのだ。

  その一つが愛せる能力だ。
  愛すという能力を発展させることは、魂の進化の工程にとって最も重要な目標である。
  愛は、霊的宇宙を調和し躍動させる力である。

                 ・・・

Q:愛はどのように、宇宙の調和に影響するのですか?

A:我々霊的な存在は皆、愛の所業によって存在しているのだ!
  創造したいという衝動はすべて、愛という力に促されている。

  愛は、宇宙の霊的な結束を支える基礎となるものだ。

  愛と感応した魂は、宇宙のすべての生命の進化を手助けし、
  愛から溢れ出る至福を誰もが体験できるようにと願う。

  本当のものと永続的なものは、愛の基盤にのみ構築できる。

            <感謝合掌 平成29年2月19日 頓首再拝>

第四の法則: 「愛の法則」~その3 - 伝統

2017/02/26 (Sun) 12:42:24


愛 VS 我欲

Q:愛せるようになるために、最初にするべきことは何ですか?

A:愛すためには、自分自身でいなくてはならない。
  そして自分自身でいるためには自分を知らなければならない。

  他者を愛したければ、自分を知り、自分を愛すことから学びなさい。
  自分自身を愛せない者には、他者を愛すことができない。

               ・・・

Q:でも僕は、他者を愛すためには自分自身を放棄しなくてはならない、
  と理解していたのですが。

A:絶対にそんなことはない。君がしなくてはならないのは、
  エゴ(我欲)を放棄することだが、感情を放棄することではない。

  君たちは、愛とエゴとを混同しているので、
  愛についての概念が、間違ってしまっているのだ。

  自分を愛するというのは、自分が他者より優れていると思い込み、
  利己的な気まぐれを満たすことに専心することではなく、
  自分の愛情の欲求や感情を認めて、
  それを人生の原動力となるように発展させていくことだ。

  だからこそ私は、真に愛すためには、
  自分自身を知ることが非常に重要だと言っているのだ。

  自分を知るということは、感情と思考とを区別できることを意味し、
  感情から生まれるものと我欲から生まれるものを認識できることだ。


               ・・・

Q:それでは、愛と、愛ではないものをどう区別するのですか?

A:愛は、その最高の顕現において、無条件でなければならない。
  本当に愛する者は、何の見返りも期待しない。
  私益で行動する者は、本当には愛していないのだ。

  愛は自由でなければならず、そうでなければ愛ではない。
  人を強制して、愛すように仕向けることはできない。

  愛したいと願う者は、エゴを放棄することも望まねばならない。
  愛とエゴは、お互いに両立し得ない正反対の概念だ。

  エゴとは実際には愛の欠如なので、エゴを放棄しなければ愛せない。
  愛することを学ぶというのは、エゴからの脱却を学ぶに等しい。

  愛する能力を高めれば我欲は減少するが、その逆も、また然りだ。

               ・・・

Q:魂はどうやって、愛することを学ぶのですか。

A:それは、長い時間をかけて進歩させてゆく永続的なプロセスだ。
  魂は、人間の段階になる前に学び始めるが、愛に関して新しく学ぶことは
  尽きないので、この工程も決して終わることがない。

  話すことを学ぶ時のように、他者との絶え間ない相互作用による以外には、
  愛を発達させることができない。

  魂がほとんど成長していない初期の段階では、自分より進化している
  存在から受ける愛を情緒として体験する。それを快く感じるのだ。

  また、愛の欠如、すなわち自分のようにまだ愛すことができない者のエゴも
  体験する必要がある。

  これは不快ではあるが、愛の欠如と愛の存在を認識して両者を区別し、
  愛の実在を評価できるようになるので、自分の感情を発達させるための
  刺激とはなる。


  つまり、魂は、愛せるようになる前に、愛の送り手として手本を示してくれる、
  自分より進化した者の愛の受け手として、感受性を磨く。

  また、愛の欠如という手本を示してくれる、自分と同等、
  あるいはもっと利己的な者とも共存しなければならない。

  このような相互作用を総合して、魂は最初に情緒を、それから感情を、
  成長させることができるのだ。

  魂が他者からの愛を認識できるようになるのは、
  愛の送り手になる準備が整った時だ。

  最初に初めての愛情が芽生えるのは、自分を愛してくれた人(通常は家族の一員)
  に対してであり、自分に利己的な態度を取った者には敵対心を抱き、
  関わりを持たなかった人は何の関心もないただの人となる。

  この段階での魂は、愛すると情熱的であるが、愛を失うと報復的で恨みがましい。

  魂は、より進化した次の段階では、
  苦しみ自体が愛とは相容れない否定的なことだと気づく。
  そしてもはや、自分を傷つけた者に害を与えることを望まず、
  被った痛手を賠償させる手段であった復讐を放棄する。

  この段階を、進歩した条件付きの愛、と呼べるだろう。


  そのうち魂の理解力と感受性のレベルがかなり高まると、自分を憎み蔑(さげす)んで、
  耐え難い苦痛を与えた者たちも含めて、この世の全ての存在を愛する、
  という大きな飛躍を遂げる準備が整う。

  すなわち、イエスのような進化した存在たちが「汝の敵を愛せよ」と言って
  伝道したのと同じ、無条件の愛に達する最終段階に入るのだ。

  もちろんこれは一朝一夕にできることではない。

  最初の段階から最終段階に到達するには、途方もない歳月が必要となろう。

               ・・・

Q:理解できるように、これらの段階を要約していただけますか?

A:いいだろう。この道程は継続的なものだと言ったが、
  良く理解できるように、以下の段階に分けてみよう。

  (1)愛の受け手としても、送り手としても鈍感。

  (2)愛の受け手として部分的に敏感であり、送り手としては鈍感。

  (3)愛の受け手として敏感で、送り手として部分的に敏感(条件付きの愛)。

  (4)受け手としても送り手としても、とても敏感(進歩した条件付きの愛)。

  (5)受け手としても送り手としても、完全に敏感(無条件の愛)。


            <感謝合掌 平成29年2月26日 頓首再拝>

第四の法則: 「愛の法則」~その4 - 伝統

2017/03/05 (Sun) 14:00:59


Q:情動と感情の源泉となるものは何で、両者はどう違うのですか?

A:魂は進化の初期の段階では、情動を感じることしかできないが、通常、
  このような情動は、外界からの刺激に反応しているに過ぎない。

  情動の感知力は、人間以前の段階から発達し始めている。
  実際、犬や牛や馬やイルカなど、多くの高等哺乳類が、様々な形で
  かなり深い情動を感じたり表現したりしているのを、認めることができるだろう。

  情動を感じる体験を重ね、決断をする際に情動に配慮するようになるにつれて、
  魂は感情を発達させ始める。

  感情は、情緒の進化した形態、と考えてもらって良いだろう。

               ・・・

Q:情動と感情の違いと、両者の関係を、より詳しく説明いただけますか?

A:情動の継続時間は短く、
  一般的には、外部または内部の何らかの刺激によって誘発される。

  感情はもっと長く続き、魂により深く根ざしており、
  外界からの影響を受けるとは言え、外部の誘因が必ずしもその原因ではなく、
  魂自体の意志による。

  感情と情動は緊密に結びついている。

  感情は、情動を呼び覚ますことが可能だ。
  感情は、情動を湧き出させる内なる泉のようで、その意味では、
  情動は感情の表現形態の一つである。

  また、外界からの影響で感じられた情動は、特に感情に影響し、
  感情を起動させたり抑制する刺激剤となる。

  最も発達した感情は、愛である。
  無条件の愛の感情を体験するに至ると、それは永遠に尽きない感情なので、
  それを目覚めさせたり育てるために外界からのいかなる刺激も必要としなくなる。

               ・・・

Q:情動や感情は、魂のどの部分で生まれるのですか。

A:愛の情動や感情は、霊体で生まれる。
  利己的な情動や感情は、霊体で感じ取られるものの、
  エゴ的な要素はメンタル体で付加される。

               ・・・

Q:お話が分かりませんが、利己的な感情や利己的な情動とは何ですか。

A:利己的な姿勢から生まれる、否定的な感情や情動だ。
  実際には、利己的な態度は思考であるので、頭で生まれる。

               ・・・

Q:それでは、感情と思考は、別々の源から生まれるのですか。
  僕はこれまで両方とも、頭脳の産物だと思っていました。

A:それが実は、同じ源ではないのだ。
  感情は魂(霊体)から生まれ、思考は頭脳(メンタル体)から生まれる。

               ・・・

Q:エゴは頭脳で生まれ、愛は魂で生まれるということでしょうか?

A:そうだ。今言った通り、利己的な情動や感情は霊体で感じ取られるが、
  エゴ自体は頭脳で生まれるのだ。

               ・・・

Q:その点を明らかにして下さいますか。
  どうしてエゴが頭脳から生じて、
  そういう利己的な感情や情動は魂で感じられるのか、分からないのです。

A:もちろんだ。
  ガラス張りの丸屋根の下で懐中電灯をつけている人を思い描いてみよう。

  屋根のガラスが透明ならば、懐中電灯が発する光も、外から内部に入る明かりも、
  ガラスを通って変化することはほとんどないだろう。

  しかし、丸屋根のガラスが透明ではなく不透明だとしたら、
  内部から外部へ出る光も、外から丸屋根の中に入る光も、
  そこを通過することで屈折してしまう。

  懐中電灯を持った人は霊体に相当し、ガラスの屋根はメンタル体に相当する。
  丸屋根の不透明さが我欲を象徴している。

  利己主義は、他者の感情や情動(入ってくる光)をそれらが霊体に届く前に
  変化させてしまうので、その捉え方が変わってしまうだけでなく、

  霊体から生じる感情や情動(発信される光)やそれらの表現の仕方さえも
  変えてしまい、頭脳を通過する際の利己的要素にまみれたままで、
  他の人に受け取られてしまう。

            <感謝合掌 平成29年3月5日 頓首再拝>

第四の法則: 「愛の法則」~その5 - 伝統

2017/03/12 (Sun) 12:43:18


Q:愛とエゴの関係が、人間の本質にどう作用するのか、まだよくイメージできません。
  一体なぜ人は、愛することも利己的になることもできるのですか?
  この点を、どうか明らかにして下さい。


A:ああ、もちろんだ。人間というものが玉ねぎで、芯に愛という光を放つ魂を
  持っていると想像してみなさい。

  中心の光の発信元は何重もの層に包まれていて、その各々が少しずつ
  光の進行を妨げるので、全部の層に覆われてしまうと、外に出て行く光は
  ほぼ完全に遮られてしまう。

  これらの層の一つ一つはエゴを表しているのだが、最終的に愛という光を輝かせ、
  その最高の表現が可能になるように、序々に取り除かれていかねばならない。
  層を除去していくにつれて、内部の光(愛)は外に出易くなる。

  一番外側の層は、最も原始的で表面的な我欲に相当する。
  それは、虚栄心である。
  中間層は自尊心であり、一番内側のものは自負心である。

  人はそれぞれ、エゴを消去する工程の様々な地点にいる。

  地球に住む魂の大半は、最初の層の幾つかを除去できたに過ぎない。
  中間層の何枚かを取り除くことに成功した者もいるが、
  エゴの最も深層部を排除する過程にいる者は僅かである。

  このプロセスは連続的なもので種々様々なレベルの魂がいるとはいえ、
  大きく3つのグループに種分けしてみることができる。

  層の除去段階に従って、

   親切で見栄っ張りな魂、

   寛大でプライド(気位)の高い魂、

   愛情深く尊大な魂

  に分けられる。

                 ・・・

Q:なぜ、肯定的な形容詞と否定的な形容詞の2つを使って分類するのですか?

A:分類によって、魂の利己的な部分を際立たせるのではなく、
  各段階の魂が発達させている資質も認めるようにしたいからだ。

  最初の形容詞は、魂が愛の育成に努める際に到達可能な代表的な資質を表し、
  2番目の形容詞は、魂のエゴの段階を示している。

  虚栄心に満ちた者は大変親切になれ、自尊心の強い者はとても寛大に、
  また自負心のある者は、エゴに打ち克ち感情のために戦おうとする時には、
  とても愛情深くなれるのだ。

  我々一人ひとりの中にエゴが存在することを認めて、それを自覚して
  克服するために定義づけをすることは、何も悪いことではない。

  魂にとって悪いのは、エゴの存在を認めようとしないことだ。

  つまり、本当に愛し真に幸せになるために除去すべき利己的な部分を
  全員が持っているという現実を認めないことである。

  アルコール中毒者が自覚しない限り治療できないのと同様に、
  認めないものを克服することはできないので、
  エゴを認識できないと霊的に停滞してしまう。

            <感謝合掌 平成29年3月12日 頓首再拝>

第四の法則: 「愛の法則」~その6 - 伝統

2017/03/19 (Sun) 12:45:17


《虚栄心(見栄)・自尊心(プライド)・自負心(尊大)》

Q:あなたが、虚栄・自尊・尊大と呼んだ我欲の3つの顕現形態の
  それぞれの特徴について、さらに詳しく説明して下さい。

A:いいだろう。虚栄心・自尊心・尊大という風に、最も低俗なものから
  巧妙なものへと、少なくとも3つの形態に我欲を分類することが可能だ。

  我々は、通常の会話の中でこの3つの言葉を頻繁に使用しているが、
  これから見ていくように、霊的な概念はずっと幅広く奥深く、多くの面で
  通常使用する意味とは異なっている。

  これからその一つ一つを定義して、顕現形態を分析してみよう。

                ・・・

Q:では、虚栄心とはどういうもので、どんな顕れ方をするのでしょうか?

A:虚栄心は我欲の最も原始的な形態だ。

  これは、若い魂と、知的面では充分進歩したにも関わらず、
  感情面ではまだ初心者の魂に特有なものだ。

  虚栄心の最大の特徴は、自分本位なことだ。

  特に自分が必要とすることや基本的欲求を満たすことに熱心で、
  他者の必要性にはほとんど、あるいは全くというほど関心を示さない。

  多くの場合に、他者の自由意志を侵害していることには気づかず、
  自分の自由意志ばかりを優先しようとする。

  見栄っ張りな人は自分が中心であろうとして、他の人たちから注目されることを望む。
  愛をほとんど知らないので、真の愛とおだてとの違いが良く分からない。
  愛よりも要求が多い。

  それゆえ、人間関係では、愛され愛すことよりも、
  知名度や賞賛や賛美を求め、おだてられたり自分の要望が叶うことを好む。

  見栄っ張りな人は常に自分と他者とを比較し、いつも人よりも上位に立とうとする。
  能力や物的面で自分より下だと見なした者を馬鹿にしたり蔑むことが多く、
  自分にとって有益だと思う人を過剰に賞賛する。

  常に自分の利益を優先し、不公平な行動を取ることが多い。
  そして、利己的な行為をカモフラージュしようと、しょっちゅう事実を曲げる。
  感情が未発達なので自分自身に不満を覚えることが多く、孤独になるのを極端に嫌う。

  頼れる人がいない限り、必要なことだけけでなく趣味や気まぐれまでを満たして
  もらおうと相手を思い通りに操ることが多く、周りの人を肉体的にも精神的にも
  縛り付けてしまう。

  しかし、期待通りにしてもらえなければ、すぐにその人間関係に飽きてしまう。

  そのため、家庭では伴侶や子ども、仕事では部下などの弱者を自分から逃れられない
  所有物のように見なし、好きなように使うことがしばしばである。

  自分に値すると思っていた注目が得られない場合には、被害妄想や攻撃、脅しや嘘など、
  思いつく限りの策を弄し、いかなる手段や代償を払ってでも、注意を引こうとする。

  この欠点が顕著に顕れると、そのネガティブな息詰まる波動で周りの人びとを
  消耗してしまう。だから、虚栄心というものを知らず、どうあしらっていいのか
  わからなければ、それに長い時間耐えられる人など滅多にいない。

  これが、彼らには知人は多いのに、あまり友人ができない理由だ。
  誰も何もせず自分だけがどれほど頑張っていることか、としょっちゅう自慢するにも
  関わらず、努力が要ることにはすぐに飽きて、他者に責任を負わせようとする。

  私心なく人にさりげなく尽くすことは稀で、いつもそれを誇示し、
  一般的に自分の行為以上の返礼を見返りに求める。

  見栄っ張りな人は、善い人になるつもりはなく、そう見せかけようとしている。

                ・・・

Q:それなら、そんな人が余りいないことを願いますよ。

A:実のところ、人類の4分の3はまだこの初期の進化段階にあり、
  君たちの世界の政治家層の一番の欠点が虚栄心なのだ。

  もっとも、自認できること自体がより進歩していることになるので、
  今話したことが自分に当てはまると言う人はいないと思うがね。

  君たちの惑星がこんな状態なのも、そのせいだ。

            <感謝合掌 平成29年3月19日 頓首再拝>

第四の法則: 「愛の法則」~その7 - 伝統

2017/03/26 (Sun) 12:43:27


Q:そんなふうに利己的な人と暮らすのは、耐え難いでしょうね。

A:このようなものや、もっと目立たないエゴから、
  君自身が無関係だとでも思っているのかね?

  進化していない人と一線を画そうとして、理解しかねると言い切ること自体に、
  君自身のエゴがチラついている。

  虚栄心の段階は、その後の自尊心と尊大という段階と共に、完全性へ
  の道程において、全ての魂が一つ残らず通過しなくてはならないものだ。

  これらの段階を超えられた者は、ある時点で自分の欠点に気づき、
  克服の努力をしたのであり、高次の人の見習うべき手本のお陰で、
  それを成し遂げることができたのだ。

  進化した魂たちが自分たちだけで前進して、進歩の遅い同胞を見捨てたとしたら、
  一体どんな愛を育んでいると言えるのだろうか?


  このように露骨な説明をしてしまうと、大変手厳しく思えるだろう。
  しかし私には、誰かを差別したり除外する意図はなく、君たちが虚栄心という
  エゴの形態を理解し、その知識を自己改善に役立てるよう望んでいるのだ。

               ・・・

Q:この場合は、虚栄心になって顕れる我欲のことですが、
  魂は、自分のエゴをどのように自覚して、克服していくのですか?

A:通常は、自分と似たレベルの者の利己的な行為を、身を持って痛感することによる。
  「霊的裁きの法則」は、他者の行為を通してであろうと、各人を自分の行為と
  向き合わせ、自己改革のために最大の恩恵が得られるようにする。

  魂は実際に苦しむことで感受性を高め、特に自分と似通った状況を
  経験した他者の苦悩を、より敏感に感じ取れるようになる。

  その者に対して芽生える連帯感は、愛の萌芽なのだ。

               ・・・

Q:魂は、自分の行為が生み出した苦悩を必ず実体験して、
  それらの行為が他者に有害であった、と学ばねばならないのですか?

A:いや、自分の行動が他者に与えた害を自覚でき、自分の過ちや他者の経験から
  学ぶことができれば、理解したことになるので、その必要はない。

  しかしそのためには、感受性や愛が充分に発達していなければならない。
  なぜなら、愛がある場合にのみ、他者の気持ちを苦悩も含めて、
  自分のことのように感じられるからだ。

  初歩段階の魂の場合は、自分の利己的な行為を自分自身が味わって苦しんだ方が、
  速く進歩することができる。

  一方、愛を育むことができれば、自分の過去の体験や他者の体験を理解することで、
  もっと速く進歩できるのだ。

            <感謝合掌 平成29年3月26日 頓首再拝>

第四の法則: 「愛の法則」~その8 - 伝統

2017/04/02 (Sun) 12:19:59


Q:理解によって、虚栄心を克服するにはどうしたらいいのですか?

A:最初の一歩は欠点を自覚することで、その次は態度を是正することだ。
  自分の欠点を認識したからと言って、それが表面化しないようにできる訳ではない。

  自覚し認めるだけではなく、エゴに従った行動を避け、その言いなりにならずに
  気持ちに従って決断するなら、エゴは次第に力を失い、最終的には克服されるだろう。

  自覚すれば、虚栄心がどういうものかを深く認識でき、それがどのように自分に顕れ、
  何によって増長されるのかを知ることができる。


  幸せになるためには周囲の注目の的となるのが重要で、皆から褒めたたえられたり
  ちやほやされて、喜びや贈り物や注目を山ほど貰うのがいい、と信じることで、
  虚栄心は増大する。

  虚栄心は、幸せになるためには、物であろうと人であろうと
  身の周りのすべてのものを所有する必要がある、と自分にも他人にも
  思い込ませるように現実を変えてしまう傾向となって顕れる。

  虚栄心は、進路にある全てのものを吸い込む掃除機みたいに自分に溜め込みはするが、
  持っているものを何一つ評価しない。

  それは、見たところ世界一素晴らしくそれなしには幸せになれそうにないおもちゃを
  買ってくれと、地団太踏んで親に要求する子どものようだ。
  だが、おもちゃを手に入れると、何分とも遊ばず、直ぐに飽きて壊してしまう。

  したがって、感情を呼び覚ます努力をせず、自分の気まぐれを満たすことばかりに
  夢中でいる限り、彼らは常に不満・空虚・不幸であり、他者から愛されても
  それが分からず評価もできない。

  自分自身の努力や意志によって成し遂げることでなければ、それを本当に理解して
  評価することも楽しむこともできないが、虚栄心の強い者は、何に対しても
  ほとんど努力をせず、他人が自分のためにしてくれるのを望む。

  目的を持った場合には、外見的・物質的・表面的なものが多く、
  魂の内面的目標であることは滅多にない。

  見栄っ張りな者は、自分で火を起こすのが面倒なので、
  いつも隣人の焚き火で暖を取る人に似ている。
  常に他人に依存し、自分自身では何もしない。

  自分に独自の火を起こせば、他人に頼って暖まる必要はない。
  この火は、霊的次元では愛の炎であり、魂を慰め暖め、進歩して
  本当に幸せになる力を与える。

                  ・・・

Q:でも、幸せになろうとして成功を求める人は大勢いますが、
  彼らに言えることはありますか?

A:自分自身を偽っていると言いたい。
  成功は虚栄心を満足させるが、感情にとっては落とし穴となる。

  幸福を勝ち取る唯一の方法は、自分を愛で満たすことだ。

                  ・・・

Q:理解を通して虚栄心を克服するにはどうするべきかを、短くまとめていただけますか?

A:いいだろう。
  虚栄心の強い者が欠点を克服する第一歩は、
  幸福は外部にあるのではなく、内面次第なのだと理解することだ。

  我々全員が学ぶべき大切な教訓は、 真の幸福とは、
  他者が自分を愛すかどうかで決まるのではなく、
  自分が愛せるかどうかによるということだ。

  だから幸せになりたければ、
  他者が自分を愛してくれるのをがむしゃらに求めるのを止め、
  自分自身の感情を目覚めさせるようにしなさい。

                  ・・・

Q:見栄っ張りな人にはどう助言して、自己進化に役立ててもらいますか?

A:他者の賞賛や慈しみ、成功や信任を得ることでは、絶対に幸せになれない。

  自分の人生に不満足で、孤独感や虚無感があるとしたら、
  不幸の原因を外部に探さないことだ。
  原因は外にあるのではなく、自分の中にあるからだ。

  満ち足りることはあり得ないので、他人の火で暖まろうとしてはいけない。
  他者が君のためにしてくれたり、してくれないことに左右されていないで、
  自らの炎を起こしなさい。

  利己主義は脇に置いて愛しなさい。
  内面の虚無感を満たす唯一の方法は、無条件に愛すことなのだ。

                  ・・・

Q:今言われたことは、前に話されたことと矛盾しているようです。
  他者から愛されることを放棄したとしたら、どうして自分を愛せるのでしょう?

A:説明が良くなかったかもしれない。
  愛されるのを放棄する必要はない。
  間違ったやり方で幸せを求めている、と言いたいのだ。

  天秤の片方の皿にだけ重りをかけて、均衡を保つように要求しているのだ。

                  ・・・

Q:どういう意味かがはっきり分かりません。
  理解できるように例を示して下さいますか?

A:いいだろう。
  世界にある全ての愛を分配するために、全人類を巨大な広場に集合させたとしよう。

  そして先ず 「愛が欲しい人はいますか」 と聞くのだ。
  すると、100%の人が 「僕だ、僕だ。最初に僕だ。僕が最も必要としている」 と
  訴えながら手を挙げることだろう。

  しかし次に 「愛を与えようという人はいますか」 と聞けば、
  広場はすぐに空っぽになり、手を挙げようと居残る者は僅かだろう。

  分け与たえることができるものは何か?
  少数の者が与える愛だけだ。

  これが君たち人類に起こっていることで、
  大半は愛を受け取るつもりしかないので、
  世界を支えているのは僅かな者の愛なのだ。

  しかも大半の者は、愛を受け取っているのではなく、
  主にエゴを満足させているだけなのだ。

  我々は主体性に欠け、愛が外からやって来るのを待っている。
  外部からの愛が、あたかも魔法のように我々に達して幸せにしてくれて、
  秘薬のごとく何をする必要もないと思い込んでいるのだ。

  しかし、必要なものを全て受け取っても、受身であり続けてエゴを克服しようと
  努めないのであれば、内面の全てを与えて君を愛してくれる存在が現れても、

  「まだ足りないよ。僕はまだ幸せではない。もっと愛してもらう必要があるよ」
  と言うだろう。

  そして、絶対に内面の虚しさを満たすことができないので、
  もっともっと、と要求するのだ。

  人がくれたものは決して評価せずに、貰っていないものばかりにこだわる。
  人生のどんなに些細な障害であろうと、文句の口実となる。
  朝起きた時に、曇り空なら寒いとぼやき、天気が良ければ暑いと愚痴るのだ。

  これは、幸福の求め方が間違っているからなのだ。

  自他に対して能動的に呼び起こす愛のみが、空虚な感覚を満たすことができるのだ。

  それゆえ、幸せになるためには、
  愛を受け取るだけではなく、愛を与える必要があるのだ。

            <感謝合掌 平成29年4月2日 頓首再拝>

第四の法則: 「愛の法則」~その9 - 伝統

2017/04/09 (Sun) 13:03:38


Q:虚栄心の問題に戻りますが、虚栄の段階にいる全ての人に
  同じ特徴があるとは言えないと思うのですが。

A:同じ特徴ではなく、虚栄には様々な段階がある。

  虚栄の初期の段階では、エゴは、

  強欲(自分の持っているものを他者と分かち合いたくない)、
  貪欲(他者を犠牲にしてもどんどん欲しがる)、
  羨望(自分が欲しがる物的なものを持つ人を拒絶する)といった、
  より原始的で物質的な顕れ方をする。

  魂が感情面を認識して進歩した次段階では、
  物質的な利己心は、霊的なものへと変化する。

  この段階での魂は、まだエゴにしがみついてはいるが、
  同時に感情も発展させ始めている。

  まだ愛を与えようとはしないが、愛の存在を認知し心地よいと分かっているので、
  愛を受け取ろうとする。

  強欲が執着(特定の人からの思いやりや愛を他者と共有したくない)に
  変わるのはこの時で、

  貪欲は独占(皆が自分だけに注目して優しくしてくれるのを望む)に変わる。

  一方、羨望はもっと上手く化けて、自分にはないが欲しいと思う美徳を持つ
  人たちに対する反感へと変わる。

  感受性が強くなって正義の概念はもっと発達するものの、エゴから離れられていない
  ため、損得が絡むと、故意に自分の得になる不公平な行動を取ることが多く、
  自覚している分だけ余計に罪深いと言える。

                  ・・・

Q:根本的にどのように進歩すれば、虚栄心の段階を克服したと言えるのですか?

A:虚栄と自尊とを区別する主な進歩は、魂の愛を目覚めさせることである。

  虚栄心の強い者は一方的に愛を受け取るだけだが、
  自尊心の強い者は、もう愛の送り手となれる魂である。

  それは、かなりしっかりと主体的に、
  本当に愛すことができる能力を獲得したことを意味する。

                  ・・・

Q;虚栄心の強い者は愛すことができない、
  または愛を体験したことがない、ということですか?

A:もちろんそうではない。全ての魂は愛すことができる。
  実際、自尊心のレベルに達した魂は、全てがそれ以前に、虚栄心の段階を経ている。

  また当然のことながら、一夜にして愛の発信者となったのではなく、
  愛の炎を灯すか消すかという、感情の発露とエゴとの葛藤が長く続いた
  期間があったのだ。

  虚栄心の強い者の炎は弱く、絶えずついたり消えたりをくりかえす。
  感情面で努力する確固たる意志に欠け、利己的な気まぐれを満たすことに
  まだ一生懸命なので、炎を育むことに力を注がないのだ。

  別の言い方をすると、虚栄心の強い者がまだ自分の炎を灯せず活性できずに、
  他者の火で暖まろうとする一方で、自尊心の強い者は、すでに自分の内面に
  炎を起こす方法を発見している。

  また、その火が力強く燃える時に生じる真の愛の片鱗を認識し経験したことがあるので、
  より鮮明な体験ができるように、確固たる意志で炎が消えないように努力している。

                  ・・・

Q:それでは、魂はどうやって、自分の火を起こす方法を学ぶのですか?

A:自分自身の体験と、進化した魂たちを手本にして学ぶのだ。
  虚栄心の強い魂は、通常、身近に転生した愛の送り手となる
  もっと進化した魂によって、手ほどきを受ける。

  それは自分の伴侶であったり、父親や母親、息子や娘、兄弟や姉妹などの家族である。

  多くの場合、他者が自分に尽くすことに慣れ切っている進化の遅い魂は、
  その時点では与えられていることを自覚できずに、もっともっとと要求し...
  遂には失う羽目になる。

  その時になって失われた愛を懐かしみ、かつての愛を再び味わいたいと願い、
  愛されていたのに評価できなかったことを自覚し認識し始める。

  この欲求によって、自分をそれほど愛してくれた人たちに対する
  最初の感情が芽生え、それが以後の転生に持ち越される。

  つまり、人が愛を与えられるようになるには、最初に愛を受け取れなければならない。

  要求ばかりしていた魂は以後の転生では、自分より進化の劣った者と身近に
  共存する体験を課され、過去に他者に求めたのと同じように要求されるであろう。

  こうして、他者の利己的な行為の中に自分のエゴを認識し、
  自分自身と向き合うことになるのだ。


  この学習は、愛の受け手または送り手という、主な役割を転生ごとに交代しながら、
  数え切れないほど継続することもある。

  送り手として与えれば与えるほど、受け手として受け取れるようになる。

  愛の道を歩むのか、それとも我欲の道を続行するかは、魂の意志次第なのだ。

            <感謝合掌 平成29年4月9日 頓首再拝>

第四の法則: 「愛の法則」~その10 - 伝統

2017/04/16 (Sun) 12:03:06

Q:虚栄心の段階を超えた魂は、他にはどんな進歩ができたことになるのでしょうか?

A:虚栄心から充分に解放され、完全に自尊の段階に入った魂が
  成し遂げたことを大まかに説明しよう。

  それは、しっかりとした愛の送り手になり、
  感情を理解できる魂になったことで達成できたものだ。

  ①何よりも正義の概念がもっと進歩している。

  ②自尊心に達すると、外見的なものよりも本物で公正なものに気づき、
   より公平に行動する。

  ③不平等になりそうな場合は、自分が得しようとはぜず、
   他者が被るであろう損害も考慮して決断する。

  ④もはや、ちやほやされたいとは思わず、真に愛され愛すことを求める。

  ⑤プライド(気位)の高い者が獲得した見栄っ張りとは反対の資質は、
   控えめになることであり、目立つことはしようとせずに、
   公正で寛大であることに満足を覚える。

  ⑥自分が愛する者には寛大である。
   それゆえ、人間関係においても注目の的になろうとはしない。

  ⑦百の表面的なつき合いよりも、一つの本物の友情を望む。

                  ・・・

Q:プライドの高い人は、見栄っ張りな人よりも霊的に進化しているので、
  進化の仕方も速いということでしょうか?

A:そのようなことはない。
  進化の速度は、エゴから脱却して愛そうとする、
  魂の意志と力のかけ方によるのだ。

  自尊心の強い者でも進化が止まってしまって、多くの転生で停滞したままになる
  こともあるし、虚栄心に満ちた者でも大いに努力して、素早い進歩を
  遂げることがある。

  だが、感情面の知識や自覚が大きいので、進化した者の方が能力があることも確かだ。
  彼らは進化しようとする意志がより一層固く、停滞すると苦しみが募るので、
  その不快感に後押しされて前進する。

  多くの転生経験を持つ進化した魂と、まだ若く余り進化していない魂とを
  比較することは、7歳の子どもと15歳の若者に同じ知能検査をして、
  その結果の有効性を信じることのように、馬鹿げている。

  7歳の子がどんなにIQが高くても、普通は15歳の方がいい結果を出すだろうが、
  それは、その子の方が年上で学習にかけた時間が違い、肉体的にも精神的にも
  もっと発達しているためで、比べることには何の価値もない。

  それゆえ、他者と進化度合いの比較はするべきではなく、
  自分自身が前回からどれだけ進歩できたのかを比べるべきだ。

  進化のレベル差は、どれだけ速く学んだかだけで決まるものではなく、
  魂がどれだけの時間をかけて進化してきたのかにもよるからだ。

  霊的な年齢は人それぞれだが、一般的には、古い魂の方が若い魂よりも進化している。
  それは進化にかけた時間がその分長いからだ。

  しかしながら、若い魂が大変速く進歩して、自分より年上の魂を追い抜く
  という特別なケースもあるし、その反対に、大変古い魂が霊的に長時間停滞
  してしまって、もっと若い世代の魂に追い抜かれるということもある。

                  ・・・

Q:進化レベルと進化速度との違いがはっきりする例を出していただけますか?

A:同地点からスタートする2台の車のうち、
  1台が、もう1台よりも1時間早く出発するようなものだ。

  初めは2番目に発車する方が遅れているが、もっとスピードを上げれば、
  いずれ1台目に追い着けるだろう。

  走った距離が魂の進化レベルに相当し、速度がその時々の進化のリズムだ。

            <感謝合掌 平成29年4月16日 頓首再拝>

第四の法則: 「愛の法則」~その11 - 伝統

2017/04/23 (Sun) 08:49:12


Q:自尊心の問題に戻りますが、自尊とは何で、どういう顕れ方をするのでしょうか?

A:自尊心の強い者の最大の問題は、他者に感謝されなかったり、利己的に振舞われたり、
  愛してもらえないことを、なかなか受け容れられないことだ。

  特に、愛情の絆を築いてしまった場合は、そうすることが難しい。

  プライドの高い者は、自分を愛してくれる者は容易に愛せるのだが、
  自分を愛してくれない者を愛すことがまだ難しい。

  そのため、自分が好きな者を在るがままに認めようとはせず、
  その美徳にも抵抗があるが、特に欠点は認めがたい。

  また、自分の考えが間違っているかもしれないと認めるのが、本当に難しい。

  報われない愛、すなわち、どんなに愛しても利己的な態度を
  改めてもらえないことが、我慢できない。

  両親・兄弟・伴侶・子どもなど、非常に身近な家族の場合は、特にだ。
  彼らを変えようと自分が努力して変化を期待するのだが、
  何も変えられないと絶望し、気落ちして怒ったりする。

  思いやりのあるちょっとした態度を示されると意のままになるのに、
  操られていたと気づくと激怒し、その人に恨みを抱く。

  表面的には自分の行為の代償は求めていないが、感謝されなければ、
  たとえば、相手を助けようと一生懸命やったのにその代わりに殴られたりすると、
  気持ちをどう整理していいのかまだ分からない。


  そのため、プライドの高い者が感謝をされなかったり、失恋したりという目にあうと、
  自尊心が次々に形をとって顕れる。

  感情を害されたり傷ついたりすると、自分の殻に閉じこもり、人間関係から孤立する。
  そして、怒り・憤り・無気力・意固地・恐れ・罪悪感が目覚める。

  自分の奥深い感情を傷つけられるのが怖いので、気持ちを表現するのを恐れ、
  感情や情緒を隠そうとする傾向がある。

  憐れみの対象になりたくないので、否定的な感情は抑圧し、弱みにつけ込まれ
  傷つけられるのが嫌なので、他人に弱さを見せようとしない。

  一方、見栄っ張りな人たちの嫉妬を買って睨まれたくないので、
  肯定的な感情も抑制する。
  肯定的な感情を抑制しがちなことで、彼らは不幸な気持ちになる。

  否定的な感情を抑圧したり隠したりして黙って耐えると、突発的に、
  激怒・憤り・怒りなどが爆発してしまうが、その後で罪悪感を覚える。

  人を信用せず、いかなる問題も自分だけで対処できると思い込む態度が、
  最も他の人たちから孤立させることとなる。

            <感謝合掌 平成29年4月23日 頓首再拝>

第四の法則: 「愛の法則」~その12 - 伝統

2017/04/30 (Sun) 12:25:03


Q:自尊心が最も有害な形で顕れるとどうなりますか?

A:自分には、真に愛されたり愛を受ける価値がないと信じ込んで、
  愛すことも無意味だと思うようになる。これは、自分自身で孤立してしまう態度で、
  寡黙で無気力、臆病、陰気、憂鬱で怒りっぽく、生きる気力のない人へと
  変貌させてしまうこともある。

  前に、虚栄心の強い者は愛されてもそれを評価できないと言ったが、
  自尊心の強い者は、愛されることを拒んでしまう。

  だから、どちらの理由であろうと、その人たちは欠点のせいで、
  愛されていても愛されていると感じられないのだ。

  虚栄心の強い者は、愛情を受け取るよりも、
  自分のエゴを満たしてもらうことに夢中だからだ。

  そして自尊心の強い者は、傷つけられるのを避けようと
  自分の殻に閉じこもってしまい、
  どんな愛情ですら受け取ろうとはしないからだ。

  それは子どもの時から、僅かな注意を引くために、
  あらゆることをする必要があったためかもしれない。

  だから、もっといいことはないし、在るがままに愛されることもない、
  と自分を納得させてしまったのかもしれない。

  そしてどうなると思うかね?

  自分が何をするかに関係なく、無条件に在るがままに愛してくれる
  という人が現れると、驚いて自分の内に隠れてしまうのだ。
  ただ単に信じられないので、拒絶してしまうのだ。

  「僕を利用しようとせずに、愛してくれるなど信じられない。
  これはきっと罠に違いない。受け入れようと心を開けば、きっとグサッと刺されて、
  もっと苦しむに違いない。だから心を開く甲斐はない」と思うのだ。

  こうして幸せになるために必要とされるものがあり、
  それを評価できるにも関わらず、気位が高いとそれを拒んでしまう。
  そして、苦しみたくないと苦悩し、感情を優先しなかったことで苦しむ。

                  ・・・

Q:自尊心を克服するにはどうしたらいいでしょう。

A:虚栄心の場合と同じで、最初の一歩は欠点を自覚することで、
  その次は態度を是正することだ。

  欠点を認識してそれがどのように具現するかの知識を得ただけでは、
  その出現を防ぐことはできないが、認識できさえすれば、
  人生で決断を下す際に、自尊心に従った行動を回避する助けにはなる。

  我々が心が命じるままに決断するとしたら、自尊心は徐々に弱くなり、
  最終的には制覇されるだろう。

  自覚すると、自尊心とは何か、自分にどのように顕れるか、
  何がそれを増長させるのかを深く知ることに繋がる。

  自尊心は、恐れ・不信・自己充足から発展し、
  孤立や感情の抑制という形態で出現する。

  自尊心は、魂の感受性にとっては鎧のようで、難攻不落の城壁のごとく
  魂を取り囲み、感情の出入りを妨げる。
  それゆえこの鎧を剥ぎ取る努力をせねばならない。

  プライドの高い者が自尊心を克服するために最初にするべきことは、
  自分には愛される資格はないし本当に愛してくれる人に出会うこともない、
  という思い込みから自由になることだ。

  真の相思相愛を求める者は、遅かれ早かれそれを見つける。
  似通った魂はお互いを探し求めるし、出会った時にお互いが分かるからだ。

  だが、悪いことから身を守ろうとして扉をピッタリ閉じてしまうと、
  固く閉じ過ぎたがために、善いことも経験できなくなるので、
  辛抱強い揺ぎない努力が必要だ。

  危害が及ばないように慎重になるのは良いが、
  感情を放棄しては駄目なのだ。

  忘恩を忘恩で返したり、憎しみを憎しみで、恨みを恨みで返すのも良くない。
  我々を苦しませることは、他者をも苦しませるからだ。

  感受が発達して  苦悩をより良く理解できた者は、
  自覚がないままに苦痛を与える者よりも、苦しみを生み出す責任が重い。

  すでに言ったが、繰り返しておこう。
  君たちは独りではないのだ。

  我々は一人残らず全員が、神や守護霊やその他無数の霊的存在や友人、
  そして肉体の有無を問わず霊的な家族に、深く愛されているのだ。

  しかもそれだけではない。つまり 君たちの一人ひとりには、
  魂の伴侶である双子の魂が存在し、それを介して、
  純粋な無条件の愛の目覚めを体験するのだ。

  ただ、そのことを自覚すればいいだけなのだ。

  また、自分を傷つけた恩知らずでも、赦すことを学ばねばならない。
  プライドの高い者は、まだ気づけていない者を理解する力があるので、
  かつては自分も同じ状態であったと認識すべきなのだ。

  同時に、本当の自分自身になる恐れを手放さなくてはならない。

  口では愛していると言いながら、従わせたいだけの人が仕掛けた罠からは
  自由にならねばならないが、反対の道を選んでもいけない。
  つまり、苦しみを恐れて、人間関係で孤立するのも良くない。

  愛して欲しいと望むのは悪くはないが、皆の愛の能力が同じではない、
  と知っておかねばならない。

  報われたいがために、親族だからとか一緒に暮らしているからという理由だけで、
  相手に自分と同じ強さで、愛したり尊重してくれるように要求してはならない。


  愛が与えられない場合に、もっと責任が重いのはどちらだろう?

  愛することを知らずに愛さない者(虚栄心が強い者)か、
  それとも愛せるのに欠点のためにそうしない者(自尊心の強い者)だろうか?

  自己の自由意志を放棄してしまうことになるのであれば、
  他者を喜ばせるために過大な努力をしないことも大切だ。

  相手のまだ目覚めていない感情を覚醒できると信じて、
  報われないのに過剰な努力をすると、いずれ失望や悲しみ、幻滅や苦々しさ、
  怒りや無力といった形のつけを払わされる。

  すでに言ったが、真の愛は、何の見返りも期待もせずに無条件に与えるもので、
  お返しする気のない人や全く与えることのできない人に、愛を強要できないのだ。

            <感謝合掌 平成29年4月30日 頓首再拝>

第四の法則: 「愛の法則」~その13 - 伝統

2017/05/07 (Sun) 12:26:06


Q:進化に役立ててもらえるように、
  気位の高い人に簡潔に言えることはあります?。

A:悲しみや虚しさを感じる時には、自分自身に閉じこもらないように。
  感じさえしなければ苦しみが緩和されるだろうと考えて、
  感情を抑圧してはならない。

  そうすればもっと苦しむことになるし、
  解消できない不毛な苦悩となるからだ。

  考えたことではなく、感じたことに従って生きようとしなさい。
  他者を思いやらねばならないが、その期待に沿おうとするのではなく、
  自分の気持ちに従うこと。

  人から傷つけられたことを口実にして、
  自分の不信感や孤立を正当化してはならない。

  自分の感情を利用したいのだと思う者には慎重になり、
  誠意を持って近づいてくる者には心を開くのだ。

              ・・・

Q:人の意のままにならずに、
  他者を傷つけないようにするにはどうしたらいいのですか?

A:相手の苦悩が我々の利己的な行為によるものなのか、
  それともその人自身のエゴ、つまり我々の意思や自由意志を
  尊重したくないためなのかを知る必要がある。

  我々の利己的な行為が原因なら、我々が是正の努力をするべきだし、
  相手のエゴのせいなら、苦しみを生み出しているのはその人自身なので、
  その人が改善しなければならない。

  他者のせいで苦しんでいると思っていても、
  独りで苦しんでいるのだと知るべきなのだ。

              ・・・

Q:でも、その人が変わりたくなければ、どうしますか?

A:その人にとって自己改善することが有益であっても、そう強制すれば
  本物ではなく自由意志を侵害してしまうので、相手に強要はできない。

  そうは言っても、その人に、他の人の意志を曲げる権利がある訳ではない。
  だから、自分本位な人の利己的な態度に従わされている人は、
  自分の感情や信念を曲げるべきではないのだ。

            <感謝合掌 平成29年5月7日 頓首再拝>

第四の法則: 「愛の法則」~その14 - 伝統

2017/05/14 (Sun) 12:13:22


Q:たとえば、ある人といざこざがある場合に、相手がその人自身のエゴで
  苦しんでいるのか、それとも僕の利己的な態度によって苦しんでいるのか、
  どうやって見分けられるのでしょうか?

A:相手の立場になって、どう感じるだろうか、
  その状況でどうして欲しいだろうかと分析してごらん。

  自分が発信者・執行者となって行おうとしていた行為についての判断が、
  その行為の受け手となれば変化するのなら、君の態度に何らかの利己心や
  不公正な部分があったということだ。

  送り手としても受け手としても同じ姿勢でいられるのなら、公正に近い判断だ。

  でも大抵のケースは様々だ。つまり、両者に利己的な部分があり、双方が
  自分のエゴを改めねばならないのだが、自我によらなければ確固とした態度を保ち、
  相手の利己的な行為に屈してはならない。

  最終的には「自分にして欲しくないことは他者にしてはならない」と
  「苦悩の原因であり意志の侵害だと知っていることを、他者が、自分や
  自分の庇護下の者にしないように尽くせ」という金言に要約できるだろう。

              ・・・

Q:よく理解できるように、例をいただけますか?

A:よろしい、例を挙げよう。
  教育の一環として子どもを叩く母親を想像してごらん。
  子どもに与える肉体的・精神的苦痛を考慮していない母親によると、
  それは、子どもを従わせる方法だそうだ。

  もし本当にその方針が正しいと信じているのなら、自分が夫に殴られることも
  問題なく容認できるということで、彼女が子どもに使ったのと同じ論拠を
  夫が持ち出して正当化しても、承服できることだろう。

  だが誰でもそうだが叩かれれば痛いので、彼女はこの状況を苦々しく嘆き、
  当然だが非常に苦痛なので、夫が殴り続けることには同意しないであろう。

  この母親は、夫に殴られて痛いのであれば、
  彼女がそうする時も子どもは同じように痛いだろうと気づくべきだ。

  そして現実から学ぶ気があれば、叩くことは苦痛を生み正当化できないので、
  それ自体が悪いことだという結論に達するであろう。

  この女性には、どんな解決策があるだろうか?

  子どもに対する暴力の行使を放棄するのだ。

  そうすることによって、自分自身のエゴを克服し、力づくで弱者の意志を
  曲げようと懸命になることもなく、同時に、自分の自由意志を踏みにじる、
  暴力的で利己的な夫の支配から逃れることに力を尽くせるのだ。

  攻撃する者がいじめる対象を失って苦しむのであれば、
  それは相手に苦しめられているのではなく、他者の意志を力ずくで曲げたい
  という我欲を放棄するのが嫌なだけなのだ。


            <感謝合掌 平成29年5月14日 頓首再拝>

第四の法則: 「愛の法則」~その15 - 伝統

2017/05/21 (Sun) 17:40:56


Q:先ほど、他者を喜ばせようと過剰な努力をしてはならないと言われましたが、
  誰かを愛すと、その人が幸せでいられるように
  あらゆることで喜ばせてあげようとすることと、矛盾しませんか?

A:喜ばせてあげればあげるほど愛していると考えるのは、
  大きな間違いで、善意ある者の多くが陥る大きな罠だ。

  愛している人には、その人を喜ばせる以前に、
  援助し、理解し、尊重しなければならない。
  喜ばすのと支援することの違いを知っておくことは大切だ。

  と、言うのは、誰かの機嫌を取る時に、手を差し伸べる代わりに弊害を与えてしまって、
  喜ばせたのは相手の我欲だけだった、ということもあるからだ。

  しかも、自分の自由を失って、相手の我欲に自分の意志を服従させて
  機嫌を取る時は、自分自身を犠牲にしているのだ。

              ・・・

Q:手助けと機嫌取りとを、どう見分けるのですか?

A:自分で超えなければならない試練や状況を背負っている人を、
  喜ばすだけで助けなければ、能力を試す機会を奪うことになるので、
  その人の魂の停滞に一役買ってしまう。

  真の手助けというものは、その人自身で試練や状況を解決できるように、
  支え励ましてあげて、前進できるようにしてあげることだ。

              ・・・

Q:援助することと機嫌を取ることの違いがはっきりする例を挙げて下さいますか?

A:そうしよう。

  先生に学校の宿題を家でするように言われた同じクラスの
  2人の子どもをイメージしてみよう。

  2人ともずっと遊んでいたいし
  宿題はうんざりするものなので、しないで済ませようとする。


  ひとりの父親は、息子が怒らないように、しかも宿題をやらずに
  学校に行くという羽目にならないように、自分が代わりにやることにするが、
  その間子どもは楽しく遊んでいる。

  もう一人のお父さんは、子どもがしばらくの間遊びを止めなくてはならなくても、
  子ども自身が宿題をするように、一緒に座って手伝ってあげることにする。

  最初のお父さんは、息子が嫌いな作業をしてあげているので機嫌を取ってはいるが、
  宿題は子どもに課された状況であり、その子の学習に必要なものなので、
  援助をしてはいない。

  この父親は、息子が怠惰で依存的で我がままになり、
  どんな状況でも自分の問題を解決してくれる人を求めるようになることに、
  加担してしまっているのだ。


  2番目のお父さんは自分の姿勢によって、遊びを中断したくない息子が怒る
  可能性を冒しているので、機嫌を取ってはいない。
  だが、子どもが学んで自己責任を受容することに寄与しているので、
  子どもを援助していることになる。

              ・・・

Q:それなら愛する人を喜ばすのは、いけないことなのでしょうか?

A:いつも悪いとは限らない。

  自分自身の自由を犠牲にしてしまう場合と、

  相手が独力で超えねばならない試練の肩代わりをして
  魂の停滞に加担してしまう場合が

  良くないのだ。

            <感謝合掌 平成29年5月21日 頓首再拝>

第四の法則: 「愛の法則」~その16 - 伝統

2017/05/28 (Sun) 12:06:46


Q:自尊心についてに戻りますが、
  自尊の段階を超えた魂は、どんな進歩を遂げたことになるのですか?

A:魂はもっと自信に満ち、自分の感情を自覚し、幸せに生きるためには
  気持ちに従って生きねばならないことを認識している。

  自分をありのままに見せることを、以前ほど恐れない。
  そのため、以前より打ち解け、明るく、自然で自由で、感情の防壁が少ない。

  自分の内にこもらなくなり、感謝をされなくても気にしなくなる。

  他人に、より共感できるようになる。

  ご機嫌取りに過大な努力を払わない、つまり、人の思い通りにされることが
  少なくなり、簡単に言いなりにならないので、恨みや怒りを覚えることも減る。

  愛しても見返りを期待しなくなる。

  心を開いて自分に向けられる他者の愛を感じ取り、
  心を許して自分の愛を他者に与える。

  否定的な状況にあまり影響されなくなり、以前より受け容れることができる。

  肯定的なことをもっと楽しめるようになる。

              ・・・

Q:自尊から次の尊大への移行を決定づけ、両者を別々の段階とするものは何ですか?

A:自尊心の強い者は、愛を与え受け取る能力があるのに、
  傷つくのを恐れるがためにその両方を抑制し、
  自分の周りに無感情という鎧を作ってしまう。

  この無感情という鎧が、気位なのだ。
  この鎧をほぼ完全に消滅できることが、次の段階への移行となる目印だ。

              ・・・

Q:無条件の愛への道のりの最終工程に到着しつつあるようですね。

A:まだそうではないのだ。

  魂が自分の抑圧や恐れから充分に解放され、
  感謝されないなどの否定的な態度を受容できるようになったとしても、
  その工程を完全に克服できたことにはならない。

  自尊心を乗り越えた魂はまだ、自尊心が進化したもっと巧妙な自我の形態である
  自負心を克服する必要がある。

              ・・・

Q:では、自負心というものが何で、どういう特徴があるのか説明して下さい。

A:自負心とは自信過剰から尊大になることで、
  君たちが誤って「自己愛」と呼ぶものが過剰にあることだ。

  この段階の魂に残された2つの克服すべき主要課題は、謙虚でないことと、
  執着、つまり愛する者の愛を分かち合うのが困難なことだ。

  自信過剰で尊大になると、他者を必要とせず、すべてにおいて自己充足的である。

  他者を助ける気はあるが、助けを求めるのは弱さの証拠だと思う欠点があるので、
  本当に助けを必要としていても自分から援助を求めることは稀である。
  そして、人に知られまいととする。

  自分の必要性や弱さや欠点、気落ちしていることなどを隠しがちで、
  「どうしたの? 何かできることはない? 」と聞かれることがないように、
  誰にも気づかれないようにする。

  そして気づかれると神経質になり、自分が自己充足できていないことを
  認められずに、腹を立てる。つまり、不信感・怒り・傲慢が表面化するのだ。

  自負心のある者は自尊心の強い者よりも感化されにくく、忘恩で報われても
  傷つくことも少ないのだが、中傷されたり裏切られたと感じると、
  自分の計画通りにいかなかった時のように、怒りと傲慢が頭をもたげてくる。

  たとえば、理解して助けてあげようとしている者から軽蔑されたりバカに
  されたりすると、怒りと不遜が目覚め、「俺が誰なのか分かってるのか」とか
  「よくそんな真似ができるな」、「そんな口を叩くなんて、一体何様のつもりだ?」
  などと返答をする場合がある。

  謙虚になれず、感謝されないことや侮辱を受容できない場合には、
  他者を種別して偏見を持ったり、接し方を変えたりする。

  自分のエゴを自覚し克服できなければ、
  助けて欲しいと近づいてくる人がいても、不信感に支配されてしまう。

  自分の偏見で特定の人が苦手になり、それぞれの必要性に応じて
  公正に平等に援助するのではなく、各人への不信感や恐れや不得手の程度などで
  判断することとなる。

  自負心のある者は独りでも平気だと思っているが、
  認め難くても実際には皆と同様に、幸せになるためには、
  愛し愛されていると感じる必要がある。

  そのため、感情面で自信がなくなると、
  独りで大丈夫だという外づらが崩れてしまう。

  確信していた愛を失う恐れは、不信感を募らせ、悲しませ、絶望的で無気力にする。
  こうなるのは、まだ執着心に苦しんでいるからで、
  愛する者の愛を共有するのが困難なためだ。

              ・・・

Q:僕には、ごく普通の反応に思えますよ。
  愛する者の愛を失うのが怖いのは、皆に共通することではないですか?

A:無条件の愛の経験に至っていたなら、本物の愛は絶対に失われないと
  知っているので執着で苦しむこともないし、何も怖いものがないだろう。

              ・・・

Q:ではどうやって、自負心の段階を超えるのですか?

A:繰り返しになるが、愛して理解し、欠点のままに行動するのを避けるのだ。
  魂が謙虚さを増し執着をなくすにつれて、尊大でなくなるだろう。

  そして、謙虚になり執着しないという資質は、見返りを期待せずに
  他者を心から助けるという、隣人愛の実践を通して発展する。

  自負心が強すぎる者が、失望や屈辱を味わうことを怖れて、
  自分が与えることのできる援助を惜しめば、欠点を増長させることになり、
  停滞してしまうだろう。

  だが、自分の怖れや偏見を克服し、気持ちに従って行動すれば、進歩できるだろう。

            <感謝合掌 平成29年5月28日 頓首再拝>

第四の法則: 「愛の法則」~その17 - 伝統

2017/06/04 (Sun) 13:14:50

Q:進化の視点からは何が我欲の起源ですか?
  つまり、魂の進化のどの時点で、エゴが生まれるのですか?

A:利己主義は動物的な生存本能の延長であり、魂が自分自身で決断し、
  自由意志で経験し始める時点で出現する。

  進化が人間の段階に達した魂は、自由意志の力を発揮し始めたばかりだ。
  知能は基本的に発達しているものの、感情面がほとんど発達していないため、
  本能に影響されて決断することが多く、その中でも生存本能に支配されている。

  その状態から、感情の学習を通して、自分の意志で決めながら独自の道を模索する
  という、本能から完全に独立した進化を遂げていくのだ。

               ・・・

Q:もう少し詳しく答えていただけますか? まだ理解できないのです。

A:もちろんだ。

  魂が獲得したばかりの自由意志を行使し始める時は、本能に基づいて行うが、
  本能は、動物界での進化段階で「魂の原型」が培った知識を集めた
  生物的プログラムの一種であり、人間の独立意志が発展する元となるものである。

  本能は欠陥を補う仕組みであり、まだ自分自身で決定することの
  できない諸問題に関して、自動的に決断を下してくれるプログラムである。

  それは自動操縦装置のように、操縦できなくても進路を修正してくれるのであり、
  まだ機体の舵取りを学んでいる段階でも、衝突せずに運転することを
  可能にしてくれる。

  本能の中には、どんなに過酷な状況下であろうと、肉体の死を避ける手段を
  探すように転生した魂を駆り立てるプログラム、とも言える生存本能と、
  種の存続には欠かせない生殖本能とがある。

  しかし魂は、同時に、初めての感情的な欲求を満たさねばという
  未知なる衝動も感じるので、満足はできない。

  だが、感情について無知であるため、これまで通りに本能を過大に
  満足させていればいいと思い込み、他の存在に与える害悪は考えずに
  知能をそのために使用する。

            <感謝合掌 平成29年6月4日 頓首再拝>

第四の法則: 「愛の法則」~その18 - 伝統

2017/06/11 (Sun) 19:51:24


Q:お話によると、我欲は、進化の発展上に元々備わっていたように思えます。

A:完全性へと向かう過程において、魂がある程度の期間にわたり利己的な段階を
  経ることと、それが多くの転生で継続し得るのは避けられない現実だが、
  それは有益であるとも言えるのだ。

  なぜなら、自分の個別性や意志を再認識して、愛がない時の気持ちを味わえるし、
  愛を感じられるようになるにつれて、愛がある時の感情を
  ありがたく思えるようになるからだ。

  そのため、初期的虚栄心と名づけられるエゴの最初の顕現形態は、
  若い魂に特有なものなのだが、基本的に物質主義で、最も原始的な本能を
  充足させることに向けられる。

  物質主義と消費主義や快楽主義といった姿勢につきものの
  貪欲と強欲や色欲が目覚める。

  そして集団的には、帝国主義や植民主義、
  つまり権力や物質的な富を切望して他者を搾取する態度となって現れる。

  人類の大部分はまだ霊的な思春期に浸りきっているので、
  君たちの惑星では未だにこの段階が優勢だ。

  魂が感情についての知識を得るに従って、
  このような物質的なエゴは霊的なエゴへと変容していく。
  それがより発展した虚栄心の段階だ。

  その段階でも魂はエゴにしがみついているが、同時に、感情も発達させ始めている。
  与えることにはまだ抵抗があるが、愛が存在するのを認識できてその恩恵も
  分かるので、愛を受け取ろうとする。

  強欲は執着に変わり、貪欲は独占に変わる。
  だが、それは一夜のうちに変化するのではなく、段階的にそうなるのであり、
  中間的な虚栄心という過渡期が存在する。

  中間期には、エゴのあらゆる顕現形態(貪欲・強欲・執着・独占)が
  様々なレベルで混在しており、これが現在の地球の支配的な状況なのだ。

  これらのエゴのうちの一つから脱却するのにも、
  計り知れない歳月がかかることがある。

  しかし魂がエゴを自覚し、それに流されれば他者を傷つけると認識した時から、
  自己の行為にもっと責任を持ち、自分がもたらす苦悩に関しても敏感になる。

  するとある時点で、魂は感情に目覚め、愛する必要性を感じ、
  幸福になるためには愛さねばならないと気づく。

               ・・・

Q:それからどうなるのですか?

A:愛を追い求め始めるのだ。
  そして自尊心の段階が始まる。

  この時期に魂は、愛を受けるだけでなく与えることも模索し始めるが、
  多数の障害に遭遇する。

  感じたり自覚をし始めるが、理解されないことや
  感謝されないことを身を持って体験し始める。

  それは、人類の4分の3という大多数が、
  まだ虚栄心のどれかの段階に陥ったままだからだ。
  未だに自尊心の前段階の因果を体験し、何が起こっているのか理解できないのだ。

  だから世の中全体を敵に回したように感じ、改善して愛し愛されたい
  という自分の思いが拒絶される気がする。

  感情的に失望してそれに負けてしまうと、エゴが頭の中で再び勢いを得て、
  発見したての感情を傷つけられまいと、自分の心を覆ってしまう。
  そして孤立することが苦悩を回避する手段だと思って、再び不信・内向・孤独に陥る。

  苦悩を避けるために諦めるという手段を選ぶ場合もある。
  利己主義者からの攻撃をかわそうと、その期待通りに自分を変えようとするのだ。

  霊的な病の中では最悪なものが芽を出し始めるのだが、
  それは、多くの肉体的な重い病の原因ともなる。

  つまり、自分の意欲と自由意志を放棄することであり、極端な場合には、
  魂はありのままに行動することも生きることもできずに、完全に周囲に隷属し、
  強制されたことを自分が望んでいることだと信じ込むに至る。

  しかし、これでは苦しみたくないがゆえに苦しむことになり、
  それは何の霊的な成長ももたらさない不毛な苦悩である。

  人類の4分の1ほどが、この自尊心の段階にいる。
  虚栄心から自尊心のへの段階の移行も突然起こるものではなく、
  その過程は緩やかであり、かなり長期にわたって両者の欠点が共存して顕れる。

               ・・・

Q:それで、この話はどう続くのですか?
  どのようにこの段階を超えるのですか?

A:愛すこと、それだけだ。愛のみが自尊心の殻を破れるのだ。

  説明した通り、プライドの高い者の方が、見栄っ張りな者よりも理解力があり、
  自分を傷つける者の仕打ちを受け止められるのだ。

  つまり、愛のない利己的な者は単に進化途上のまだ若い魂に過ぎず、
  感情の学びと我欲の放棄には時間かかるので多数の転生が必要かもしれないが
  次第に学んでいくだろう、と理解できるのだ。

  一つの人生で目立った変化が見られなかったとしても、
  進化していないことにはならない。

  今生での善人は、前世の知恵を鞄に詰めてやって来た生まれついての善人なのだ。
  一つの転生でも大きく進歩できるとはいえ、一夜のうちに海賊から聖人に
  変わるように求めるのは無理だろう。

  子どもが一日で話せるようにならなくても、言葉は何年もかけて習得していく
  ものだと分かっていて絶望しないでいられるのなら、幼い魂が愛せるようになるのに
  霊的に何年かかったとしても ―― 何回も転生することだが ―― 
  焦ってはいけないのだ。

  それゆえ、感情についてもっと理解できている魂は、
  たった一度の人生で自分と同レベルに達するように、
  自分以下の者に要求してはならないのだ。

  自分も多くの転生と努力を要したからだ。

  だから、その人の能力と意志力の許容範囲で学べることで良しとすべきだ。
  かつては自分もそれと同じ程度で、傍らでは、もっと進んだ者たちが、
  利己的な態度を我慢してくれていたのだと思い出すべきなのだ。

            <感謝合掌 平成29年6月11日 頓首再拝>

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