伝統板・第二

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ひかりの一日一言⑯~心霊への目覚め - 伝統

2016/07/01 (Fri) 04:09:14

ひかりの一日一言《1日》

《1日 科学は色即是空を実証して来た》

宇宙はただ一つの実質がある。
それを科学が次第に発見し来ったのである。

それは現れたとき「有る」として感じられるけれども、
あらわれない時には感じられない実質である。

ある物理学者はこれをエンーテルと名づけたが、
それが波動するときには光となり、
渦巻をつくるときには粒子となる。

波動も渦巻もなにも作らないときには、それは「無」であり、
如何なる測定機にもかからないのである。

しかしそれが「有無」の相対の単なる「無」でない証拠に、
そこからして万物が生ずるのである。

仏教で、色即是空と云った真理の「空」の意味の一面が
科学によって実証されるようになって来たのである。

同時に無相にして相ならざることなき「仏」とか「神」とかの存在が
科学によって実証されて来たのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P129) より

・・・

<関連Web>

(1)ひかりの一日一言⑬~幸・不幸の岐れ道
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6818439 

(2)ひかりの一日一言⑭~意識を高く昇らせよ
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6866429

(3)ひかりの一日一言⑮~理想を高く掲げよ
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6898754

           <感謝合掌 平成28年7月1日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《2日》 - 伝統

2016/07/02 (Sat) 04:49:02


《2日 神はカクリミである》

神は隠身(かくりみ)の略である。
姿形が見えないで或る《はたらき》を持ったものを、
すべて《カ》クリ《ミ》即ちカミと日本では称して来たのである。

随って日本人のカミと称するものの中には、宇宙一切の本源にまします
創造主(つくりぬし)の神もあれば、人間の霊魂もあるし、なかには
狐狸蛇蟇等の霊魂もおまつりしてカミと称してあがめているものもあるのである。

狐狸(きつねたぬき)といえども、その生命の本質は「神」であるから、カミと崇めて
祭祀すれば観る通りにあらわれて来るのであるから、神通力を発揮するのもあるが、
すべて個別霊の神通力には限りがあるので、何でも叶えてくれると云うわけには
行(ゆ)かないのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P130) より

           <感謝合掌 平成28年7月2日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《3日》 - 伝統

2016/07/03 (Sun) 04:22:16


《3日 創造の神には偏頗な不公平はない》

限りなき全能の力をもちたもう神は、創造主(つくりぬし)の神である。

しかし創造主(つくりぬし)の神は、個別霊のように愛憎の念をもって、
吾々に或る時は利益を与え、或る時には復讐をしたまうようなことはないのである。

それは全人類の親様であるから、一視同仁にすべての人々に平等の愛をそそぎたもうのであって、
「太陽が善人にも悪人にも平等にその光を与え、雨が善人にも悪人にも平等にその潤いを与える
ごとく、いかなる人間をもゆるしたまいて平等に恵を与えたまう」のである。

ただわれわれが光を受けることができないのは、
光に対して背を向けるか、眼を閉じるかしているからである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P130~131) より

           <感謝合掌 平成28年7月3日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《4日》 - 伝統

2016/07/04 (Mon) 04:32:41


《4日 人間は霊であると云う意味》

「霊」と云う語は、広い意味をもっている。
一般にそれは「非物質であって霊妙なはたらきあるもの」と云う意味である。

霊と云えば、宇宙霊すなわち「天地の本源神」と云うような場合もあれば、
肉体を抜け出た個別霊すなわち「霊魂」を意味する場合もある。

「人間は霊である」と云うような場合は、「人間は霊魂である」と云う意味でなく、
人間は「非物質にして霊妙なはたらきを有する神霊である」と云う意味である。

「霊妙なはたらき」と云う意味には「神通自在」と云う意味もあれば、
「生命力を有する」すなわち「霊活者」であると云う意味もある。

即ち「人間は霊である」と云う意味は
「人間は非物質にして神通自在の生命そのものであり霊知者である」と云う意味である。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P131) より

           <感謝合掌 平成28年7月4日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《5日》 - 伝統

2016/07/05 (Tue) 03:32:24


《5日 物理学は神を発見した》

最近の物理科学の進歩により、物質は原子より成り立つが、原子は若干の素粒子より成り立ち、
その素粒子は「無」よりして突如として発生し、また「無」に帰することが発見されたのである。

結局、「物質」は「無」の変形であることが発見されたのである。
しかし単なる「無」は何もないからそれが変形しようにも変形のしようがない。

その「無物」の世界に《ある》エネルギーが加わって
原子のようなものが凝結し発生したのである。

その「あるエネルギー」は高等数字的な秩序をもって
素粒子、原子、分子の離合集散等その他の発展を支配している。

従ってそれは驚くべき叡智を備えたエネルギーだといえる。
この叡智を備えたエネルギーをわれわれは神と称するのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P132) より

           <感謝合掌 平成28年7月5日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《6日》 - 伝統

2016/07/06 (Wed) 04:16:04


《6日 悪しき現象に心を乱すな》

人間の幸福と健康とを持ち来たす真理の中心となるものは
「神がすべての渾(すべ)てである」と云う真理である。

そして「神は無限の智慧であり、無限の力であり無限の愛であるから、
神の創造せられた世界には不幸や病気は決して存在しない」と云う真理である。

この真理に目覚めるとき一切の不幸と病気とは消えるのである。

もし現象に現れる不幸と病気とを実在と信じ、それに心が捉えられ、
それと心が格闘して心乱れる時は乱れた心の表現にしか過ぎない病気や不幸
は却って増大するのである。

悪しき現象は乱れたる心の反映であり、影であるから
心が平らかになれば、消えるのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P132~133) より

           <感謝合掌 平成28年7月6日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《7日》 - 伝統

2016/07/07 (Thu) 04:32:21


《7日 大自然の浄化力》

悪しき現象は煙のようなものである。 
濛々と立騰(たちのぼ)る煙の中にいる時に、その煙を消そうとして
更に燃料を注ぎ込んではならないのである。 

煙をして煙自身を処置せしめよ。 
必ず煙は薄くなり、やがて消えてしまうのである。 

宇宙には自浄作用と云うものがある。 

その自浄作用が神の癒す働きであり、
傷をしたときに中から自然に癒(なお)って来る働きであり、
大掃除をしたときの空中の埃が自然に消え行く働きであり、

諸君が病気に見舞われたとき、
それに心を捉えなければ自然にそれが癒されてゆく根源力である。

この根源力を吾々は神と云うのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P133) より

           <感謝合掌 平成28年7月7日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《8日》 - 伝統

2016/07/08 (Fri) 03:36:30


《8日 霊力は物質を変化する》

「霊」という字の意味を、正体がわからないで何でも自在にあらわす実体だという意味に
解するならば、正にエーテルは「霊」の科学的面であるということが出来るのである。

 
イエスは水を葡萄酒に変じたり、五つのパンを五千人の食糧に増加することが出来た。

それは一種の不可思議力であって、われわれの思議の及ばないところではあるけれども、
エーテルから万物が生じて来るということが判り、素粒子の配列と組み合せとは、
或る「知性」(法則)によって支配されているのであるということがわかるならば、

その知性を支配する霊的能力をもつ人があらわれるならば、物質の素粒子を変化して、
水より葡萄酒を作るなどということが可能であるといわなければならないのである。

 『生命の實相』第一巻實相篇第一章”近代科学の空即色即是空”参照


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P133~134) より

           <感謝合掌 平成28年7月8日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《9日》 - 伝統

2016/07/09 (Sat) 03:53:11


《9日 生命(せいめい)は酵素を触媒に環境を変化す》

霊力が物質を支配して、水を酒に変ずるなどと云えば、迷信らしく考える人があるかも
知れないけれども、バクテリアでさえ水を酒に変ずるのである。

バクテリアは生物でないと造り得ない酵素をつくり出して水を酒に変ずるのである。
酵素は一種の触媒であって、自己の周囲にある物質の化学変化を左右するのである。

即ち生物は、酵素をつくり出すことによって、それを媒介として、
自己の周囲の物質の化学変化を左右する。

 
聖者は、科学ではまだ感知し得ない一種の霊的酵素を発散することによって、
自己の周囲にある物質の化学反応を支配し得るなどと言ったら
迷信だと云い得るであろうか。

同一食物がある人の胃腸の中に入れば完全消化してゲップなどは全然出ないのに、
或る人の胃腸の中に入ると、瓦斯(ガス)に変化して仕方がないのは、
その人の生産する酵素が異なるからである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P134~135) より

           <感謝合掌 平成28年7月9日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《10日》 - 伝統

2016/07/10 (Sun) 04:03:15


《10日 人の出す雰囲気で酒も梅干も腐る》

糠味噌の腐るような声(雰囲気)を出す男もあれば、
その人がまたぐと、梅干がくさるような雰囲気を出す月経中の婦人もある。
その人の雰囲気はその人の周囲で行われる化学反応を左右するのである。

同じ醸造法によって、同一の麹(こうじ)を使い、同一の資材を用いて酒を作っても、
その醸造家の精神状態によって酒の味が異るのである。

このことは事実によって立証されているけれども、
人間の雰囲気の問題を除外して考える科学では、永遠に不可解の謎であるのである。

陽子及び中性子等の集合によって出来ている原子核の状態、
その周囲をめぐる陰電子の数によって、物質の原子の性質は変るのである。

しかし科学は、いかなる「知性」が、陽子や電子の如き素粒子をかくの如く排列しているのか、
その「知性」の本体を知ることは出来ないのである。

(排列:順序よくならべつらねる。  配列:ならべる。とりあわせる
  → 参照 http://blechmusik.xii.jp/d/misc/hairetu/     )

谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P135) より

           <感謝合掌 平成28年7月10日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《11日》 - 伝統

2016/07/11 (Mon) 03:08:00


《11日 心はただちに脳髄の物質に変化を起す》

心が物質を支配するといえば、すぐ迷信らしく考える人の方が迷信である。

吾々が心を変化するごとに脳髄細胞の物質は、
その想念の性質及び感情の強弱に従って変化しつつあるのである。

そして微妙な人体電気的な流れの変化が神経細胞を伝わって
、内臓の運動や消化液やホルモンの分泌量及び性質を変化するのである。

心は、自分の作用を及ぼす範囲内にあるところの物質に
このように変化を与えつつあるのである。

吾々の心が調和したものになればなるほど、その心の及ぶ範囲内にある
物質の化学変化(生理作用等)は調和したものとならざるを得ないのである。

肉体に病気が起るのは、その人の心が調和した状態でないから、
その周囲に起る生理化学作用が擾乱されて不調和な状態を来たしたのである。

だから心が調和を取り戻したら生理作用も調和を取り戻して健康となる。

谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P136) より

           <感謝合掌 平成28年7月11日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《12日》 - 伝統

2016/07/12 (Tue) 03:42:03


《12日 物質の運動は心の運動の影である》

分子も、原子も、電子も、互いに密着しているものは一つもないのである。
だから、どの一つでも、互いにつづいていて動かされるものとてはない。

分子も、原子も、電子も、「無」なるエーテルの中に泳いでいるのである。
「無」を媒介として分子も原子も、電子も動くのである。
この「無」は神秘不可思議なるものであって、一切を動かす原動力となるものである。

形にあらわれている分子、原子は、その背後にある
「非物質」なる「無」の運動の影にすぎない。
「無」の中に一切があり、一切の運動がある。

形あるもの及びその運動は、其の投影であるのである。
吾々の手足の筋肉や、内臓や、脳髄裁縫の運動は、悉く、
この「無」の中のエネルギ―が、その指示する方向に左右されて行われているのである。

その「無」とは心にほかならない。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P136~137) より

           <感謝合掌 平成28年7月12日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《13日》 - 伝統

2016/07/13 (Wed) 04:20:47

《13日 物質の運動は心の運動の影である》

吾々が現象にとらわれている限りに於いては、
吾々の幸福は、外界に振り回されているところの果敢(はか)ない存在である。

外界に自分の都合のよい事があらわれて来ると幸福感を味わい、
外界に自分の都合の悪いことがあらわれて来ると不幸に感ずるのである。

このような状態にある人間はまだ自主独立性のある人間とはいえない。
それはただの外界の奴隷に過ぎないのである。

自分が自分の主人公である人間になるためには、外界は内界(即ち心の世界)の影である
ことを知って、現象に不幸があらわれているときにも、それを過去の心の影であるとして
心に止(とど)めず、常に心に光明を描いて、心の力によって将来に幸福を想像してゆく人に
ならなければならないのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P137) より

           <感謝合掌 平成28年7月13日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《14日》 - 伝統

2016/07/14 (Thu) 04:51:47


《14日 外界を支配する秘訣》

外界を、完全に自分で支配するには、五尺何寸、十何貫の
肉体的自分の力では到底及びもつかないことである。

吾々が完全に外界を支配しようと思うならば、
別の「大いなる自分」の力を出して来なければならないのである。

「肉体の自分」以外の「別の大いなる自分」と云うのは何であろうか。
吾々のうちには「神の生命」が宿っている。
それが「別の大いなる自分」である。

神の生命(せいめい)が宿っていて吾々の護りとなっていられるのである。

「わが魂の内なる神よ、無限の力湧き出でよ」と数回となえながら
瞑目して自分の内なる神を呼び出すのは一つの方法である。

また「神よ、この問題を私はあなたの無限の愛と智慧とにおまかせ致します。
あなたは屹度(きっと)あなたの無限の智慧と愛とによって、この問題を
すべての人の幸福となるよう解決して下さいます」と念じて静かに待つ心境になるのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P138) より

           <感謝合掌 平成28年7月14日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《15日》 - 伝統

2016/07/15 (Fri) 03:20:11


《15日 天地一切のものを祝福せよ》

肉体が眠っているうちにも、神は吾々の内部に活動したまうて
わが体内にては生理作用を完全に営ませ下さっているのであります。

しかし神は吾々の体内に、吾々の知らぬうちに生理作用を営んでいられる如く、
吾々の外界に於ても摂理と云う形で、外界の事件を適当に処置していられるのでありまして、
吾々の眠っている間にも事件は自然に進行しつつあるのであります。

事件は事件が解決したときに、急に解決したのではなく、眼に見えぬ世界で徐々に進行
しつつあったのが、或る時期が来るとハッキリと形にあらわれて解決するのであります。

あなたの心のうちに天地一切のものを祝福しなさい。
「天地一切のものよ、お前たちを私は祝福する。お前たちが幸福であることを祈る」と
心のうちで暇があれば唱えなさい。

あなたが眠りしなに斯のように一切のものを祝福することは貴方を幸福に導きます。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P138~139) より

           <感謝合掌 平成28年7月15日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《16日》 - 伝統

2016/07/16 (Sat) 03:33:04


《16日 幸福とは精神の問題である。》

この世界は唯一つの神につくられたものであり、
互いに一つの法則によって支配せられていて何らの例外もない。

自分を不快にするものは、他の人をも不快にするし、
他の人を幸福にするものは、自分をも幸福にするのである。

キリストはその原理を知っていて隣人を愛するとは
「己れにせられんと欲する如く隣人に為せ」と教えているのである。

それが人間を幸福になるための黄金律であるのである。

人間に幸福を来(きた)には物質的環境と云うものが善くならなければ
幸福になれないと考えるのは間違いである。

彼女が自分に好意をもってくれるのだと信ずるだけでも、
人は有頂天の幸福感を味わうことが出来るのである。

或る人に憎まれている、疑われている、悪い人だと思われている
―― と考えるだけでも人間は不幸になる。

金殿玉楼と幸福とは大して関係はない。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P139~140) より

           <感謝合掌 平成28年7月16日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《17日》 - 伝統

2016/07/17 (Sun) 03:55:03


《17日 自己が不当に虐待されたときは》

人生の幸福が精神の雰囲気如何によって定まるということがハッキリするならば、
自分が幸福になるためには、自分の精神状態をハッキリ自分で支配することを
覚えなければならないのである。

他(ほか)の人や、環境に原因を求めて、
ほかの人や環境に対して不平や不満の感情を起してはならないのである。

自己が不平や不満の感情を起すならば、自分の雰囲気が悪くなるのであるから、
かえって不快な物を自分の身辺に引き寄せることになるのである。

何事かが都合が悪くなり、自分が他から不当な取り扱いを受けたり、
自分が他(た)から嫌われたりするならば、それは原因が自分の雰囲気にあるのであるから、
人を憎むことなく自分の内を反省してみて、

「神の無限の愛われに流れ入りてわが雰囲気をよくしたもう。
われはすべての人を愛するが故に、すべての人々も我を愛するのである」と念ずるが好い。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P140) より

           <感謝合掌 平成28年7月17日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《18日》 - 伝統

2016/07/18 (Mon) 04:41:23


《18日 祈ってもきかれない場合》

神に導きを求めて、静かに坐するとき、かすかなる声なき声が聞こえて来ることがある。
その時は何の導きもきかれなくとも、それが愈々)いよいよ)、
実践の時になると適当な考えが浮かんで来ることがある。

併し祈っても祈るものが与えられない場合には、
何か自分に重大な事を忘れている事があるのである。

「そんな事を願うよりも、もっと切実な汝の魂にとって必要なことを願う事が
あるのではないか、そんな下らない事を願う心を捨てよ」

と神が考えたまうような場合には神のみ声は、願う方向には聞こえて来ないのである。

神が答えたまわないのは、それに応えることが却って
その人の魂の正常な生長に邪魔になる場合である。

かかる場合には充分反省して見て、何を求むべきかの根本を正さなければならぬ。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P141) より

           <感謝合掌 平成28年7月18日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《19日》 - 伝統

2016/07/19 (Tue) 03:40:21


《19日 人間が幸福になるためには》

人間が幸福になるためには、自分の周囲に光をみなければならない。

この世界を物質の機械作用で、
人間の欲望などは踏み躙(にじ)って勝手に動いている世界だなぞと思ってはならぬ。
それは希望のない恐ろしい宿命論だ。

機械的世界観と、宿命的人生観ほど人間を不幸に陥れるものはない。
それは宿命と云う鉄鎖にしばられている囚人の人生観だ。

人間が幸福になるためには、この世界を神の愛に満たされている世界だと観じなければならぬ。
愛にとりまかれている感じのみが人間を幸福にするのである。

『この世界は神の国である。自分は神の愛ぐし児である』
との自覚が深まれば深まるほど、人間は光にとりまかれ、幸福感が深まってくるのである。

すべての人間を神として観よ。
すべての事物の中に、その動きの中に神の愛が充ち満ちて我等を生かしつつあると観よ。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P141~P142) より

           <感謝合掌 平成28年7月19日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《20日》 - 伝統

2016/07/20 (Wed) 03:19:58


《20日 此処に天国浄土が実現するには》

今日は人に是非とも深切を尽して見る一日としようではないか。
何か人のためにさせて頂くことを心掛けて一所懸命にやって見ようではありませんか。
それを真に実行して見たときにあなたの心に平和と感謝とが訪れるでしょう。

本当の悦びは人からして貰ったときよりも、人に対してしてあげた時の方に
それがあると云うことが体験として分かるのであります。

更に今まで何の気にもかけなかった風のそよぎを、樹々の緑を、小鳥の囀りを、
神の愛の表現であるとしてきいて見ようではありませんか。

あなたの周囲に別の幸福な世界が訪れます。
なるほど此処が神の国だとわかってまいります。

そして、あなたの周囲にある家族のよろこばしそうな笑顔を御覧なさい。
まだ笑顔があらわれていませんでしたら、
笑顔があらわれているとして優しい言葉をかけてやんなさい。

本当に笑顔があらわれてまいります。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P142~143) より

           <感謝合掌 平成28年7月20日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《21日》 - 伝統

2016/07/21 (Thu) 03:11:33


《21日 現象界が不調和な時ほど調和を思え》

現象界は、心の世界に蓄積されたる想念の結果であるから、
現象界に面白くないことがたといあらわれようとも、
現象を見て、心を動揺さすことは要(い)らないのである。

現象は結果であるから、この世界をよくしようと思うならば、
原因の世界たる「想念」の力へ心を振り返らなければならないのである。

結果たる不完全な現象に心を振り向けて、
心配すればするほどその不調和の原因を倍加するに過ぎないのである。

あなたは、今後、決してそのようなことをして、不調和に対して、
力を貸してやるようなことをしてはならず、現象に不調和が起れば起こるほど、
心の世界に「調和」を描き「愛」を描き、完全円満な世界を描いて
心の天秤を調和の方へ垂下(すいか)するようにしなければならぬ。

やがて天秤が位置をかえるように、調和が現象界にもあらわれて来るであろう。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P143) より

           <感謝合掌 平成28年7月21日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《22日》 - 伝統

2016/07/22 (Fri) 03:10:17


《22日 勇敢に朗らかに遂行せよ》

如何なる義務があなたに課せられようとも、神はあなたの力であり、
それを遂行する力を内部から湧き出させて下さるのである。

だからあなたは何物をも恐れる事はいらないのである。

あなたの前にはあなたの自分の力でできないような仕事は
一つも与えられはしないのである。
あなたがそれを遂行することによって、
あなたの魂の高まるような仕事のみが与えられるのである。

だから人生は道場だということが出来るのである。
だから貴方は何事がやって来ても勇敢になりなさい。
明るくほがらかに従事しなさい。

あなたに勇気がわいて来、自信が出来、明るくほがらかになるほど、
貴方の力は倍加して来るのであります。

すべての事物はあなたがよき経験を積むためと、
魂が進化するためのみに与えられているのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P143~144) より

           <感謝合掌 平成28年7月22日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《23日》 - 伝統

2016/07/23 (Sat) 04:23:21


《23日 種子を蒔いたら大地に委せ切れ》

どんな困難の前にも勇敢に、神経質にならず、笑って生活出来るようになることは、
あなた自身の幸福のためのみでなく、あなたの周囲の人々に不壊の天国浄土を
建設してあげることになるのであります。

人は神経質になり、ビクビクし、動揺しはじめたら負けであります。
最後の5分間に勝敗は決定するのであります。
途中で折れてしまってはならない。

事物には、その各々について、場合について、人について、
それがうまくいく時機というものがあるのであります。

「果報は寝て待て」という諺もあります。
善き種子(たね)をまくことは必要でありますが、、種子をまいた以上は、
神経質に地面を掘り返して毎日見るというようなことでは可(い)けないのであります。

今、大地が雪におおわれていようとも、
春になれば発芽の時が来るということを信じなければなりません。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P144~145) より

           <感謝合掌 平成28年7月23日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《24日》 - 伝統

2016/07/24 (Sun) 04:47:10


《24日 救いはあなたの内部神性から来る》

あなたの救いは遠き天上から来るのではありません。
またはるかなる四方十万億土の彼方から来るのでもありません。

あなたの内に宿る神(内在のキリスト又は内在の仏性)から来るのです。

親鸞聖人は「信人よろこぶその人を如来とひとしと説きたもう。
大信心は仏性なり、仏性即ち如来なり」とお説きになって、
人間の内に宿る信心のこころこそ仏性であり、如来であり、
其処から救いが来るのだとお説きになっておられるのであります。

あなたが生きていられる其の生命(せいめい)の本質そのものが如来であって、
其処からあなたの救いが来、それがあらわれたら、如来があらわれたのでありますから、
其処がそのまま天国浄土になるのであります。

この事は大変大切なことでありまして、若しあなたの周囲に天国的環境が
まだあらわれていなかったら、あなたの中の如来が現れていないからで、
そんな事では、肉体が死んでからでも所詮は同じことであります。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P145~146) より

           <感謝合掌 平成28年7月24日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《25日》 - 伝統

2016/07/25 (Mon) 04:13:50


《25日 神子の自覚に帰り生活を更新せよ! 》

あなたの全身の細胞をあなたの喜びの感情を以って支配せよ。
それがあなたが健康になるための最初の最も重大なる精神的なのであります。

心痛はあなたの全身の細胞を悲嘆のドン底に押し沈め、折角偉大なる活力を
内に蔵しながら、悲しくも病気のまえに屈服せしめてしまうことになるのであります。

喜びの感情は全身の感情を活力もって湧き立たせ、
全身を活力であふれさせて若返されるのであります。

神は決して過去の罪を問いたまわない。
放蕩息子が貧しいのは神から罰せられたから貧しいのでないのであります。

神から勝手に離れているから貧しいのでありまて、
神のみもとに帰って来たら、直ぐ新しき沓をはかせ、あたらしき豊なる服装を与え、
富の循環の象徴であるところの指輪を与えて一大祝賀会を開かれたのであります。

神のみもとにへお帰りなさい。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P146) より

           <感謝合掌 平成28年7月25日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《26日》 - 伝統

2016/07/26 (Tue) 04:01:01


《26日 神に全托して愉快に楽しく勇敢に》

神は「重荷を負える者よ、我に来たれ。われ汝らを休ません」
と言い給うているのであります。

重荷を自己に背負う必要がないのであります。

それなら何もしなくて好いのかと云うとそうではありません。

責任を神に負わせて自分は神の子として
自由に神の導きのままに活動すれば好いのです。

重荷をもって重圧される感じで生活するのは、
神様の御心ではないのであります。

「「空を飛べる鳥を見よ、つとめず、倉にたくわえず・・・云々」
とイエスは教えていますが、
勤勉であるとか、必要な時のために貯えるえるなとか云う意味ではありません。

空の鳥のように、無邪気に神に負かせ切って囀るような楽しさで生きよ
と云う意味であります。

あなたはあなたとしての仕事を楽しく愉快にやればよいのです。

責任は神が持ち給う。

神に全托して、愉快に楽しく勇敢に。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P146~147) より

           <感謝合掌 平成28年7月26日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《27日》 - 伝統

2016/07/27 (Wed) 04:26:39



《27日 人類のためと思って愛他行をせよ。》

何事か神様の仕事をなせ。
それが神へつながる道である。
それについて報いを求めてはならない。

報いを求めた時、それはそれは神の仕事をしたのではなく
自分の為の仕事をしたことになるのである。

献資等も神につながる方法である。
いずれにせよ、報いを求めてはならないのである。
報いのための仕事は自分の仕事であって、神の為事(しごと)ではないのである。

神様のためだと思ってあらゆる仕事をなすことは、最も神につながる、良き方法である。
報いを求めなくとも、神は必要に応じて無くてならぬものを知り給うのであり、
必要に応じて必要なものを与えたもうのである。

ただあなたは人類の為、神の為と思もって愛他行を実践すれば良いのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P147) より

           <感謝合掌 平成28年7月27日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《28日》 - 伝統

2016/07/28 (Thu) 04:23:14


《28日 現象の不完全さを見ず実相を見よ》

われわれが神想観をするときには、
神がこの世界を見給う如く見て神想観をしなければならないのである。

神は「その造りたるすべてのものを見給いけるに甚だよかりき」と
創世記には書かれております。

つねに移り易(かわ)る現象界の事物を見て心を動乱させてはならないのです。
遷り易(かわ)るのは自分及び周囲の人々の心の投影(かげ)であって、
それは実物ではなく映画のようなものであります。

影と光とが旋回する映画の世界を実在だと思ってはならない。
 
うつり易(かわ)る映画の奥に千燭光、万燭光、無限燭光の神の光があることを
みなければならない。
その無限燭光の輝く世界が実相の世界である。

この限りなく輝く自分、この限りなく輝く世界をじっと見つめているときに、
世界が輝く浄土に化し、すべての人間が神の子なる素晴らしい実相をあらわすのであります。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P148) より

           <感謝合掌 平成28年7月28日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《29日》 - 伝統

2016/07/29 (Fri) 03:39:20


《29日 諸君よ平和の天使となれ》

吾々が神のつくりたまいし完全な世界を見詰める習慣をつけるとき、
現象世界にどんな状態があらわれて来ようとも、もう恐れることはないのである。

見せかけの不幸や、病気や、失敗は、
もう決して吾らから魂の平安と調和と幸福とを奪うことは出来ないのである。

吾々が自分のうちに常に生命を自覚し、
すべての出来事の奥に、摂理の愛の御手があることを知るならば、
すべての出来事に平和な、友達に対するような気持で相対することが出来るのである。

どんな事が起こって来ても平和な心境でいられる人が一人でもあるならば
その雰囲気の力で、その周囲のすべてのものが平和に化せられてしまうのである。

わたしは読者のひとりひとりが其のような人々になって下さることを
希わずにはいられないのである。

かかる人は真に平和の天使である。 


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P149) より

           <感謝合掌 平成28年7月29日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《30日》 - 伝統

2016/07/30 (Sat) 03:24:35


《30日 神の宝庫をひらく鍵》

「われは今、神と一体感を完全に得たのである。
神は無限の供給であるから、われは神と一体感を得ることによって
無限の神の宝庫から供給を受ける鍵を握ったのである」。

この自覚の鍵さえあれば必要に応じて必要なるものを自分は得ることが出来るのである。

この神との一体感の鍵によって第一の宝庫の扉はひらかれ、
「感謝の心」という鍵によって宝庫の第二の扉はひらかれるのである。

感謝なくして宝庫の扉をひらくときは、第一の扉だけがひらかれて
無限の宝を包蔵する中の扉をひらくことは出来ないのである。

神の宝庫には霊の宝が充満している。
物質の宝を得ようと思う必要はないのである。

神は霊であるから、その宝庫にも霊のみがある。

――しかし物質は「霊の影」であるから、霊の宝を得たときには
自然に物質も豊かに影を映すから、別に「物質」そのものを求めるには及ばない。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P149~150) より

           <感謝合掌 平成28年7月30日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《31日》 - 伝統

2016/07/31 (Sun) 03:15:15


《31日 憂鬱から起ち上がる道》
  
人は時々暗い想念にとらえられて、
人生に何の意義も価値も見出し得ないような感じに陥ることがあるのである。

しかしそれは其の人の「真物(ほんもの)」があらわれていないで、
宇宙間を雲のように浮浪している悲観論者の精神波動を
キャッチしたに過ぎないのである。

そのような暗い感じを自分自身の真物だと考えちがいして、
深い憂うつに捉えられてしまってはならないのである。

先ず、鏡に向かって顔を剃ることである。
そしてクリームでも化粧液でも塗って微笑せよ。

そして

「自分は楽しいのだ、神の子なんだもの。
この若々しい嬉しい顔を見よ。
自分は希望に満たされているのだ」

と念ぜよ。

人は時々感覚に誘導されて、暗くなったり、明るくなったりするものである。

暗い気持ちを消散させるために必要な表情や服装だったら
どんな方法をとっても好いのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第7項(P150~151) より

           <感謝合掌 平成28年7月31日 頓首再拝>

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