伝統板・第二

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谷口雅春先生【31年祭】 - 伝統

2016/06/17 (Fri) 04:44:04

今日(6月17日)は、谷口雅春先生の【31年祭】です。



昭和60年6月13日(朝)3時30分 【谷口雅春先生 最後のお言葉】


 『”病なし! 迷いなし! 罪なし!”

 これが生長の家の根本真理であります。

 それでは、神様ただ今より眠らせていただきます』


その後、眠りに入り、
神様から託された使命を全うし、
昭和60年6月17日午前7時53分、眠ったまま最高級神界に旅立たれました。

《感謝・合掌》

   ・・・

<参考Web>

(1)生長の家“本流宣言”掲示板~「谷口雅春先生【26年祭】 (2737)」
    → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=535     消滅

(2)生長の家“本流宣言”掲示板~谷口雅春先生【27年祭】 (10234)
    → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=2425     消滅

(3)生長の家光明掲示板・第一 ~谷口雅春先生【28年祭】 (9307)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1767    

(4)生長の家光明掲示板・第二 ~谷口雅春先生【29年祭】
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1796    消滅

(5)伝統板・第二 ~谷口雅春先生【30年祭】
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6515046

           <感謝合掌 平成28年6月17日>

「使命を生きる祈り」 - 伝統

2016/06/18 (Sat) 04:29:39

「使命を生きる祈り」の原型の御文章発見!!

          *Web:大熊良樹(講師)の公式ブログ(2016/6/16)より
          (http://blogs.yahoo.co.jp/panda41415151/14565991.html

    《使命を生きる祈り》

      住吉大神(すみよしのおおかみ)
      宇宙を浄め給う

      宇宙浄めの天の使い
      として生まれしが、
      ○○○○(氏名)なり。

      神は○○○○に使命を授け給う 
      今日何を為すべきか教え給う 

      この神より教えられし使命を
      実践することが、
      ○○○○の生き甲斐であります。

      ・・・

○○に、御自分の名前や、
家族の名前を入れて毎日祈る。

谷口雅春先生直伝の
「祈りの文言」である。


何を為すべきかがわかる。

           <感謝合掌 平成28年6月18日>  

久遠不滅の大法 - 伝統

2016/06/19 (Sun) 04:52:06

          *谷口清超先生・著「伸び行く日々の言葉」(P256)より抜粋

生長の家の創始者・谷口雅春大聖師は
昭和60年6月17日に長崎市に於いて昇天された。

地上の肉体は必ずいつかは昇天日を迎えるが、それは魂の死ではない。
本当の《いのち》は永遠不滅であり、神であり、仏である。

そのことを大聖師は一生涯を通して解き明かされた。
病気も不幸も災難も死も戦争もなく、
罪も迷いもない実相の完全円満を、大聖師は常に説法された。

この御教えは久遠不滅の大法である。

           <感謝合掌 平成28年6月19日>  

ご昇天20日前のご文章 - 伝統

2016/06/20 (Mon) 04:57:45

【谷口雅春先生ご昇天20日前(昭和60年5月28日)のご文書】
   ~「實相と現象」(谷口雅春著作集第4巻)「はしがき」から抜粋

・・・

「神真理を告げ給う」の冒頭には、次の如くに述べられている。

「”わたし”は今まで多くの教祖や哲人を通して人生の意義を説いて来た。
君たちのうちには熱心に真理を色々の書物を読み、色々の学者の説を読み、
それに基いて思索をし既に人生の意義を知ることが出来た人もある。

しかしそんな人は非常に稀であって、大抵は自分の偏見や既成概念の中を迂路チョロしていて、
悟ったつもりで実際は悟っていないか、真理なんて求めても到底得られるものではないのだ
という絶望感で、"聖なる求め"を放棄している人もある。

そのような人達に”わたし”"は今再び真理を知らせてあげたい愛念によって、
今此処に谷口雅春を通して真理を説こうと思うのである。」

更に次の節には、

「・・・それらの宗教教祖や碩学や大悟の中に”わたし”は宿って、人々を導くために
”わたし”は書いたり、説いたりして来たのである。真理は人間の肉体から生まれて来る
ものでも、人間の脳細胞から生まれて来るものでもなく、実にそれらの人々に宿っている
”わたし”がそれを説いているのである・・・・。」

「しかし”本当の教祖”というべき”真理の啓示者”"は”實相世界”にある”神”のみである。
イエス・キリストも『師というべき者は、唯ひとり天の父のみである』といっているし、
谷口雅春も、”自分は教祖ではない。実相世界に生長の家の本部はある”といっているのである。」


この”わたし”は勿論、言うまでもなく神である。


このような文章 ―― 神の言(ことば)に接する毎に、私は畏れ平伏(ひれふ)すのである。

そして、 図り知れない神のはからい、摂理、お導きに、谷口は十二分にお応えし得たであろうか、
この九十余年の生を以て些(いささか)かの悔いることなく尽くし得たであろうか、
と魂の打ちふるえるのを覚えるのである。

そして谷口に賜った神々の大いなる恩寵に、唯々感謝合掌、
悦びが、悦びの波紋が見渡す限り拡がる様を、心眼に拝するのである。

(中略)

諸賢が、”聖なる求め”を放棄することなく、
日に日に高きを望み、深きに入り真理を体得せらんことを、
神に代わり切に切に望むものである。

              <昭和六十年五月二十八日 谷口雅春  識す>

           <感謝合掌 平成28年6月20日>  

ご昇天1か月ほど前のある日の会話 - 伝統

2016/06/21 (Tue) 03:56:10


          *谷口輝子先生・著「女性に生まれ愛に生きて」より

私の夫は昇天する1か月ほど前だったか、
テレビの夫婦げんかの場面を見て居られるところへ私は這入って行った。

夫は近づいた私に笑顔を向けられた。

「母さんの僕にくれた愛情は純粋だったね。有難う母さん」

「どう致しまして、行き届かない私でした」

二人はそのまま黙ってテレビを見ていた。

純粋とはどう言うことを言われるのであろうか。
「無我の愛」だったのであろうか、
「求めない愛」だったのであろうか。

65年の夫婦生活は、またたく間に過ぎたような気がするが、
また顧みると、永い永い、さまざまの生活の連続であり、
苦楽こもごも、笑いと涙の明暗の人生だったような気もするのであった。

夫は有難いことに、結婚の最初から死別の最後まで、妻なる私を信じていて下さった。

妻は夫の半身であり、一心同体であると云うことを、いささかも疑わない夫であった。

喜びも苦しみも一切を分け合って生きつづけて来た。
幽明境を異にした今後も、この思いは永遠に変わるまじと私は信じている。

        <感謝合掌 平成28年6月21日 頓首再拝>

谷口雅春先生ご昇天約一ヵ月半前(昭和六十年四月末頃)のご文章 - 伝統

2016/06/22 (Wed) 04:23:18


      *『碧巌録解釈』後篇――『碧巌録』終講の辞より P854~


私が毎日『碧巌録』を本誌(編註。「生長の家」誌)に於いて第九十一則まで講義を
続けて来たが、本稿に於いてその講義を締めくくることにする。

それは何故かと云うと、『碧巌録』第九十二則「世尊陞座(しんぞ)」の項に、
「文殊白槌(びゃくつい)して云く、諦観法王法(たいかんほうおうほう)、
法王法如是(ほうおうほうにょぜ)。世尊便ち(すなわち)下座」とあるからである。

即ち私も『碧巌録』第九十二則の世尊に倣(なら)って
講座から下座すべき時が来たと悟ったからである。

印度以来の仏法の講座の法式で、禅家に於いては、法座のレギュラーの講師に較べても
をさをさ劣らぬ最高の学者的人物が 白槌師(びゃくついし)と云う役割を演ずる。
現代で謂わば司会者となるのである。

そしてその司会者が、三度槌を打ち鳴らし、「法筵龍象衆、常観第一義」と言い、
新たにカチンと一つ槌を打ち鳴らし、それが合図に説法が始まる。

そしてその説法が済んだという時に、その司会者の白槌師が再び進み出て、
「諦観法王法、法王法如是」即ち
「これで法王の説法は終わりました。如是――是の(この)通り終わりました」という
意味を告げることになっている。

「法筵龍象衆」と云うのは、仏法の講座(法筵)に参聴するために集まったところの、
動物で謂えば神通自在の「龍」や、哺乳類のうちでは最も巨大な象にも比すべき
大人格者たちを尊敬して呼びかける語(ことば)である。

即ち「此の講座に参聴せられた龍象にの比すべき大人格者たちよ」と呼びかける挨拶語である。


茲(ここ)では、「今迄、私の書いて来た『碧巌録』の講座を毎号御愛読下さった偉大なる
読者諸賢様よ」と呼びかける言葉である。

弁舌を揮う講座ではないところの、文章に於いては、司会者たる白槌師が無いから、
筆者の私自身が白槌師の役をつとめる譯(わけ)である。



宇宙の真理と云うものは、それを長廣舌を揮って詳密鄭寧に書けば一生涯続けても、
書き終わるを得へく簡単なものではないが、それを百歳の長寿を保って最後の時が来るまで
書き続けても書き終わり得るべきものでもない。


もう九十三歳の歳を迎えているので
何時、私の霊魂も現世から他界へ移住するよう神から命ぜられるかもわからない。

『碧巌録』の最後の章まで毎月一章づつ書いているのでは、それをとても書き了える
日時まで現世の寿命を保ちえるという保証も自信も私にはないのである。


好き機会に終講のチャンスを捉えて諸君とのお別れの挨拶を書いて置くのも
老人の智慧であると思いついたので、読者諸賢に、今まで御愛読下されたそのご愛念に
感謝の辞を述べて置くのが老人の智慧であり、礼儀でもあると思いついたのである。


それで、そのような意味のご挨拶を述べさせて置いて貰った方が、
一言の挨拶を述べないで頓死してしまったような無ざまな死に方をするよりも、
行き届いて生前の御礼を言って置いて、

何時他界しても皆さまに挨拶もしないで別れて行くよりも、
此の世に思い残すことがなくなり、もう何も此の世でして置くことは残っていないと
心の肩の荷を卸して、

他界へ移転して行く方が思い残すことが何もない、
気楽な気持ちで他界へ移住することが出来ると考えついて、
私は今、この様なあいさつ文を書いているのである。


それでは、「左様なら!!とニッコリ笑って、皆様とお別れ致しましょう。


しかし今別れても次の境涯で皆様と再会する時期が屹度来ると信じます。


私は今年(編註:昭和六〇年)四月の何日でしたか、好天に恵まれまして
「西海橋」と、その別れにふさわしい再会を約したような名称の。
長崎に住んでいる人なら誰にでも再会のできる西海橋公園に参りました。

その日は見渡す限り桜花爛漫と咲き揃っている公園で、昨年此処で出会った人々と
また今年も斯うして再会できる喜びを祝ったことでありました。

まことに西海橋公園は、彼岸(彼方の岸)に渡す橋の下に見渡す限り桜花が
爛漫と咲き揃っているのでした。

橋を通って彼岸に渡ってしまわないで、その下へ墜落しても、
此処が再会極楽浄土になっているという実相常楽世界を象徴的に再現したような世界
(公園)なのです。

この世界そのものが公園なのです。

私は此処へその日、好天気に恵まれまして観光に参りました。

私がいつでも出かけようと思う日は、いつも好天に恵まれるのです。

いえ、それは、その日が好天だから出掛けようと思ったと云うような順序で
起こる現象ではないのです。

私が自由意思で、”今日は出掛けよう”と思うと、
今まで雨が降り様に一天掻き曇っているような時にも、
急に雲が動き出して間もなく晴れ渡って蒼空になってしますのです。

まるで、”天の司(つかさ)“が私の外出を霊感によって察知し、
空の雲を蹴散らしてしまうようにです。

もう十数年前の事になりますが、私たち夫婦がドイツに参りました時には、
恰も多分十月頃だったと記憶しますが、その頃にはドイツは朝雨が屡々降る季節なのです。

その頃私をドイツ旅行で案内して下さったのは、日独交換教授で其の頃ドイツに
滞在中の山田先生と云われる方でした。

ある日私たちは一行が出かけようとすると、
山田先生は、今にも一雨降りそうな暗黒なお空の様子を見て、
「今日は外出を止めときましょう。雨降りですから」と言われました。

「いいえ、私たちが出かける時には雨は降らないことになっているのです」と
私は言って、観光に出掛けましたがお空はいつの間にか晴れ渡って
一滴の雨もその日は降りませんでした。

何でも私たちが外出して行動をおこそうとすると、
天候までも私たちの行動を祝福するが如く、降りかけている雨もやんでしまうのです。

こう云う現象を私は「潤滑現象」と名づけました。

その後、日本の若い学者の心霊現象研究のグループの機関誌を拝見していますと、
それには、そのように何事もスラスラと潤滑に滞りなく日常生活が行われる現象を、
やはり「潤滑現象」と名づけておられるのを拝見しました。

三界は唯心の所現でありますから、皆さん自身の心境の如何によりまして何事も、
そんなに力まないでも、何事でも、自分の日常生活が潤滑に滞りなく行われる
――潤滑現象が起こるようになり得るのです。


現世浄土と云う語がありますが、自分の心境が何事にも滞らずに潤滑になりますから、
唯心所現の世界ですから現世がそのまま、極楽浄土の顕現になるのです。

釈迦牟尼如来は大無量寿経をお説きになりました直後、
「如来の當(まさ)に為すべきことはなし了(おわ)れり」と仰せられたと
伝えられております。

私は今まで本誌に『碧巌録』の講義を書き続けて来ましたが、
本講を以て、釈尊と同じく

「谷口雅春如来の當に為すべきことは成し了れり」

と申すことにしたいと思うのです。


『碧巌録』の第九十二則の「世尊陞座(しんぞ)」の項の垂示には、
「絃(げん)を動かして曲を別つ、千歳にも逢い難し」と云う句で始まっているが、
これは支那の古典『列子』にある伯牙(はくが)と云う人と鐘子期(しょうしき)と
云う人との間に交わされた故事のことを指しているのだと伝えられているのである。

それはある日、伯牙が琴を掻(か)き鳴らして、
「志、高山に在れば…」と上の句を歌い始めると、鐘子期は、忽ちそれは何の
曲であるかを瞬時にして察知して、
「峩々(がが)として泰山の如し」とその下の句を一緒に朗々と歌い出したと云うのである。

つづいて伯牙が、
「志(こころざし)、流水に在れば、」と上の句を歌い始めると、鐘子期は
「洋々として江河の如し」とその下(しも)の句を合唱したとう云う。

現代の事実を以て例示すれば、生長の家から出版している「日めくり日訓」の
或る日の項の上の句に、「愛は最後の勝利者である」とあれば、
「恒久的に敵する者は無い」とその下の句を並べて書いてあるのにも似ている。

これは対句になっていて時数も互いに同数である。

『碧巌録』にたくさんの此の種の対句がある。
例せば、その第九十三則の「大光作舞(まいをなす)」の項には、
挙(こ)す、僧、大光に問う。

「長慶道(ちょうけいいわ)く、
“齋(さい)に因って慶讃す”その意旨(いし)如何」
大光、舞を作(な)す。

「舞を作す」とは「全く有り難いことでございます」と 
慶讃の意を動作に表現したのである。

光云(こういわ)く、
“□(イ偏に爾)、箇のなにを見て礼拝したる哉”
僧舞を作す(まいをなす)。

  (伝統補足・・・□(イ偏に爾):お前、あんた)

光云く “這の野狐精(このやこせい)(野狐の霊が人間に化けて出現して
人間の真似をして礼拝しているので、礼拝の意義も何も分からずに動作を
真似ているだけだぞ。そのボロが禿げたぞと喝破した語である。)

これで『碧巌録』第九十三則の”本則”が終わっているのである。

大光禅師とは、もと京兆の人で、法を石霜禅師に嗣(つ)ぎ、
その後潭州大光山の禅院に住持しておられた居誨(こかい)和尚の事だと云う。

ある日、一人の僧來って問う。
「祗(た)だ達磨の如きは是れ”祖”たりや否や」と。

仏法は達磨が教祖となって創始した宗教ではないから、大光禅師は、
「是れ祖ならず」と答えた。

すると、問僧は、
「既に祖に非ずんば、又來って何を為す」と問う。

「ただ□(イ偏に爾)等の薦(すす)まざるが為すなり」
(お前達が本当に祖を薦挙しないからだ)
と応えている。

すると僧は、「我等が誰かほかの人を推挙した後は、如何?」と反問している。

すると、大光は、
「方(まさ)に彼を祖とするに足らず」とハッキリ答えている。

ほかの人を推挙しようが、推挙しまいが方(まさ)に宇宙の法則として、
彼は教えの祖として推挙するに足りないのである。


私が『碧巌録』の講義をここに連載しようが、連載しまいが方に(まさに)
私は『碧巌録』講義の祖ではないのである。私の今まで書き綴ってきた講義は、
単に先師の講義せられたところに啓発されたところの祖述に過ぎないのである。

『碧巌録解釈』後篇 [完]

(上野さんが一人でお傍にいるとき、父は四月の末頃に書いておいた
『生長の家』誌の「碧巌録」の終講の辞という長い文章を読み返し、
「日本教文社か、その関係の人に渡して下さい」と渡されたと)


        <感謝合掌 平成28年6月22日 頓首再拝>

Re: 谷口雅春先生【31年祭】 - vrjymzbtgMail URL

2020/08/29 (Sat) 16:10:41

伝統板・第二
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