伝統板・第二

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イエスの地上での使命 - 夕刻版

2016/06/01 (Wed) 20:27:28

先日、「復活」(参考→https://www.youtube.com/watch?v=C8G_w0xf1xg)という映画を観て、
あらためて、イエス・キリストの功績について取り上げてみたいとの思いが募りました。

そこで、このスレッドでは、イエス・キリストについて、
「魂の法則」という著書から、その使命に関する情報を紹介してまいりたいと思います。

              ・・・

「魂の法則」の原本は、2008年に初版が出されています(スペイン)。

日本語版は、2014年7月2日ナチュラルスピリット から発行されました。
なるべく安価にしたいとの希望から、著者、訳者とも印税を放棄しています。


内容紹介(Amazon より)

  スペイン人のバレンシア大学病院のがん遺伝子の研究者の著者が、
  幽体離脱で出会ったイザヤと名乗る存在から教えられた「魂と生き方の真実」とは?


  この本は、高次の存在から全世界の人びとに贈られた「愛のメッセージ」です。

  エゴを捨て、愛に生きるようになることが、魂の進化だと、この本は説いています。

  魂の本質について、生き方の真実について、細かく科学者らしく書かれています。

  エゴの諸層についても、かなり分析されています。

  イエス・キリストが本当は何を説いたかについても詳細に書かれています。

  『神との対話』にも似た、今の時代のバイブルにもなりうる本です。

              ・・・

《イエスの地上での使命~その1》(P309~314)

(構成的には、著者による質問に対し、イザヤという霊的存在が答えるという形になっています)

Q:彼が本当のところ誰だったのか、地上での使命があったのだとしたら、
  それが何だったのか知りたいのです。

A:良かろう。生まれてから二千年も経つのに、
  彼のメッセージはまだ正しく理解されてはいないのだ。

   ・・・

Q:どういう意味ですか。

A:彼の死後、あたかも彼のものであるかのように、無数の付け足しが盛り込まれていって、
  携えられた教えの本来の意味が徐々に歪めてられてしまったのだ。

  イエスの使命を理解するには、彼が言ったように、「麦粒」と「麦殻」、
  つまり真実と偽りとを区別する必要があるのだ。

   ・・・

Q:それで、彼の任務は何だったのですか。何をしに来たのですか。

A:霊的進化の道を教えに来た。「魂の法則」を教えに来たのだ。
  中でも「愛の法則」の伝道に力を注ぎ、「汝の隣人を自分のごとく愛しなさい、
  汝の敵を愛しなさい」という無条件の愛のメッセージをもたらした。

   ・・・

Q:ナザレのイエスは、神自身の生まれ変わりだったのですか、
  それとも神の子だったのですか。

A:ナザレのイエスは、非常に進化した魂が転生したものだった。  

   ・・・

Q:少なくとも、神の子ではあったのですね。

A:そう、君たちと同じように真の神の子だ。
  違いと言えば、彼はそれを自覚していたが、
  その他の人たちには自覚がない、ということだけだ。

   ・・・

A:それなら、イエスはそれほど超自然的でも神聖な存在でもなく、
  僕たちのようにただの人間だったのですか。

Q:君たちのように正真正銘の人間だったが、もっと高度に進化していた。
  進化することで段々と神に近づけると理解するなら、
  イエスは君たちよりも神に近かったと言えよう。

   ・・・

Q:でしたら、僕たちも進化すれば、イエスが転生した時の進化レベルに
  到達できるのでしょうか。

A:そうだ。しかも、同じレベルに限らず、もっとずっと高いレベルに達することも可能だ。
  霊的進化の工程は、止まるところがないのだ。
  だが、それがただ一度の肉体生では無理なのは明らかだ。

  イエスと同じ域に至るには、君たちも多数の転生をして、無数の体験をする必要があろう。
  それに、君たちがそこに達する頃には、イエスも他の全ての魂と同じように進化を
  続けているので、さらに高いレベルに進んでいるであろう。

   ・・・

Q:イエスも進化するために、輪廻のサイクルを経験しなければならなかった、
  とほのめかしているのですか。
  それは、かつては僕たちのように全くの未熟者だった、という意味ですか。

A:そう示唆しているのではなく、断定しているのだ。
  イエスも君たちと同じように、物的界での経験を通して改善せねばならなかった。

  そして、自分の意志力と個人的な努力によって、
  地上で果たした任務を遂行する上で求められた進化のレベルに至ったのだ。

  君たちはイエスが行ったことに強い衝撃を受けたが、
  それをほとんど理解することができなかった。

   ・・・

Q:イエスは、進化を続けるために、肉体に宿って十字架上で死ぬ必要があったのでしょうか。

A:いや、すでに何のカルマも負債も背負っていなかったので、その必要はなかった。
  あれほど酷な最期を迎える必要もなく、自己進化を継続できたであろう。
  だが、それがどんな影響をもたらすかを知っていたので、好んでそうしたのだ。

  イエスが偉大なのは、カトリック教会があれほど強調してきたように、
  十字架にかかって死んだことではない。

  もしもそれがイエスの功績なのだとしたら、その時代にはそれが罪人の処刑法だったので、
  同じ形で死んだ何十万人の人びとにも、功績を認めなければならないだろう。

  イエスの最大の功績は、携えてきた愛のメッセージを布教した果敢さと勇気にあるのだ。
  そうすることで、多大な苦悩や死さえも被ることを知っていたにも関わらず、
  誰の脅しにも屈せず、自分の考えを変えることがなかった。

   ・・・

Q:では、何のためにそうしたのですか。

A:後進の同胞への愛のためだ。
  イエスのように無条件の愛を知った魂は、償いの必要性のためではなく、
  遂行せねばならぬ任務のために行動するのだ。

  通常それは、どのように愛をもって生きるかの手本を示すことと関係している。
  魂は、ある段階からは、愛だけを動機として行動する。

  多くの魂が、発展の遅れた世界への転生を希望し、後輩を支援して愛に生きることで、
  もっと速く幸福に到達できるようにする。

  この場合に遭遇するネガティブな状況は、贖罪のためではなく、
  霊的に劣った世界自体に元来備わっているものだ。

  だが彼らは、苦痛も死も怖れていないので、
  そのような苦悩を味わうことや殺されることすらいとわない。

  高次に進化しているので、死が存在しないことを知っており、
  肉体の命は魂の命のほんの一瞬に過ぎない、と分かっているのだ。

   ・・・

Q:では、劣った世界に転生する高次の魂が、学ぶためにではなく、
  教えるためにだけやって来るのだとしたら、その人生では余り進化できないのでしょうね。

A:いや、そうではなく、人生のいかなる試練からも学び取ることができるので、
  教えるためだけではなく学ぶためにもやって来るのだ。

  そして、自己の愛と理解の度量を常に試されることになるので、
  自分と同等レベルの世界にいるよりも、速く進化できるようになるのだ。

  さらに、愛に満ちた環境では露呈せず、極限状況でなければ表面化しないような、
  奥深く隠れた自分の欠点を浮き立たせてくれる。

  こうして、欠点を改善する機会が得られるので、
  エゴ(我欲)を除去する面で前進できるのだ。

・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・伝統・第一「イエス・キリスト (110)」
    → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=64


(2)伝統板・第二「イエス・キリスト」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6456086

            <感謝合掌 平成28年6月1日 頓首再拝>

《イエスの地上での使命~その2》 - 伝統

2016/06/03 (Fri) 18:57:26

          *「魂の法則」(P314~316)より

Q:イエスの話に戻りますが、彼はどこからも援助を受けずに、
  独りで仕事をしたのですか。

A:人が愛に突き動かされて尽くす時には、
  さらに進化した霊的存在からの影響を受けるにふさわしくなる。

  イエスの場合は、その中でもロゴス・キリストに影響された。

              ・・・

Q:ロゴス・キリストとは誰ですか。

A:君たちの惑星の進化の最高責任者となる霊的な存在だ。

              ・・・

Q:でしたら、聖なる三位一体の三人とは、神とキリストとイエスなのですか。

A:それは分からない。
  そう言い出した人たちでさえ、
  それが何を意味しているのか知りはしないと思うからだ。

  断言できるのは、神が唯一であることと、
  キリストとイエスが、神とは異なる別々の存在であることだ。

  それゆえ、彼らは神でも神の顕現でもないが、御心と調和しているので、
  神の代理人とか神の使者、などと捉えることは可能だろう。

  つまり、彼らは「愛の法則」を遵守する者で、
  進化の計画に自主的に参加しているのだ。

              ・・・

Q:キリストはイエスを通してどのように行動したのですか。

A:イエスはある時点から人生の最後の数年間は、
  ロゴス・キリストにインスピレーションを与えられ、励まされて、行動した。

  実際、イエスが任務を完了できるためには、その必要があったのだ。

              ・・・

Q:でしたら、話していたのはイエスですか、それともキリストですか。

A:二人で行動していたと言っておこう。
  キリストから閃きを与えられて、イエスが話していたのだ。

  だが、イエスは決して自分の意識や個別性を失わなかったし、
  自由意志を失いもしなかった。

              ・・・

Q:イエスは、地上に再び生まれ変わるでしょうか。

A:キリストは必要とあらば、人間の進化段階にいる魂を転生させて、
  いつでもそれに顕現するだろう。

  イエスの前にもそうしたことはあるし、
  地球の霊的進化が求めるなら、今後も再び、そうするであろう。

  転生するのがイエスであるか、別の似たような進化程度の者であるかは重要ではない。

  あらかじめ言っておけるのは、新たな救世主・預言者・アバターなどとして
  生まれ変わる際には、キリスト教徒が待ち望むように、茨の冠に十字架を背負った
  ナザレ人としてではないし、釘で血にまみれた手もしてはいないということだ。

  外見的には、普通の人であろうが、通常の域を超える、
  愛と霊的叡智の能力を備えていることだろう。
  だがそれは、隣人愛のメッセージと霊性進化と同調できる者にしか感知されないのだ。

  またイエスが現代に転生した場合に、最初に彼を攻撃して布教させまいと
  あらゆる手段を講じるのは、イエスを旗印にしている教会そのもののお偉いさん方だろう。

  なぜなら、彼の教えが地球の人類の心に浸透してしまえば、
  彼らが宗教的貴族でいられる日々も数えるほどとなり、凡人に帰してしまうからだ。

              ・・・

Q:イエスについて最初に話された時に、彼の本来のメッセージには多くの付け加えがされて、
  伝えたかったことを歪めてしまった、と言われましたね。
  当初の教えと、後世の追加事項とを、どう見分けるのですか。

A:ごく単純に、「魂の法則」に反する信念はどれもイエスの教えではない、
  ということになる。

  イエスはこれらの法則を熟知しており、聞く耳を持つ者に伝達しようとしたのだ。


            <感謝合掌 平成28年6月3日 頓首再拝>

《イエスの地上での使命~その3》 - 伝統

2016/06/04 (Sat) 18:23:57

《イエスの地上での使命~その3》(P316~320)

Q:イエスの真の教えの中で、最も大切なものを幾つか挙げていただけますか。

A:もちろんだ。

(1)全ての人間は、人種を問わず、性別や宗教を問わず、同じ本質である。
   すなわち、皆、進化途上の魂であり、それゆえ、兄弟である。
   この根本的な教えは、以下の金言に収められている。

   「神の御言を聞いて行う者こそ、わたしの母、わたしの兄弟なのである」(ルカ 8,21)

   「誰でも天におられるわたしの父の御心を行なう者が、
   わたしの兄弟、姉妹、また母である」(マタイ 12,50)

   このことから、魂の進化の工程から除外される者など一人もいないことが分かる。

   どんなに酷い罪業を犯したにせよ、決して見捨てられはせず、
   永遠に有罪とされることもない。
   改悛して、真の幸福に到達する機会はいつでもあるのだ。

   そしてこれは、福音書でも次のように表明されている。

   「もしある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、
   九十九匹を山に残しておいて、迷った羊を捜しに行かないだろうか。

   そしてもし見つけられたなら、その人は、迷わずにいた九十九匹のことよりも、
   その一匹のことを喜ぶだろう。

   そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、
   あなたがたの天の父の御心ではない」(マタイ18,12-14)


(2)魂の生命は永遠であり、死は存在しない。

   「 体を殺しても、魂を殺し得ぬ者どもを、恐れるな」(マタイ 10,28)

   「天に昇った者はいないが、天から降りてきた者はいる」(ヨハネ3,13)

   二番目の節の意味については、前にすでに話している。
   これは、出産を経て物理的に生まれ変わる全ての人は、霊界(天)からやって来て、
   肉体の死後はそこに戻るという意味だ。


(3)地上の人間の務めは、無条件に愛すことを学び、我欲から解放されることだ。

   魂がどれだけ成長したかは、愛の力量だけで量られる。
   愛が我々を進化させる、つまり、神へと近づけるのである。

   「あなたがたも聞いている通り、『隣人を愛し、敵を憎め』と言われている。
   しかし、わたしは言っておく。

   敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
   あなたがたの天の父の子となるためである。

   天の父は、悪人の上にも善人の上にも太陽を昇らせ、
   正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからだ。

   だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、
   あなたがたも完全な者となりなさい」 (マタイ 5,43~48)

  
   「わたしの戒めは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、
   あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ 15,12)


(4)霊的進化は、自分自身の努力にかかっている。
   人間の死後の運命は、生存中の「愛の法則」に基づいた行為、
   あるいは反した行為によってのみ、決定される。

   「しかし、真理を行なう者は、光の方に来る」(ヨハネ 3, 21)

   「まことに言っておく。
   あなたがたが地上でつなぐことは、みな天においてもつながれ、
   あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう」(マタイ 18, 18)


(5)各人は、それぞれ神との独自の繋がりがあるので、
   仲介者に依存して霊界と交信すべきではない。

   「そこで、あなたがたに言うが、祈って求めるものは何でも、
   すでに叶えられたと信じなさい。そうすれば、その通りになるであろう。

   また祈るとき、誰かに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。
   そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの過ちを赦して下さるだろう」
                               (マルコ 11, 24-25)


   「そしてこれが、神に対する私たちの確信だ。
   すなわち、何事でも神の御心にかなう願いをするのなら、
   神はそれを聞きいれて下さるということだ」(ヨハネによる第一の手紙5章14節)


   「そこで、あなたがたに言う。求めよ、さらば与えられん。
   捜せよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。
   すべて求める者は得、捜す者は見出し、門を叩く者には開かれるであろう。...

   このように、あなたがたは悪い者であっても、
   自分の子供には、良い物を与えることを知っているのだ。

   とすれば、あなたがたの天の父はなおのこと、
   どうして求める者に聖霊を下さらないことがあろうか」(ルカ 11, 9-13)


(6)魂の成長は、ただ一度の肉体生では終わらず、
   高度な霊性を獲得するには、多数の転生が必要となる。

   イエスは彼に答えて言った、

   「よくよくあなたに言っておく。
   人は誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」


   ニコデモは言った、

   「年をとっているのに、人はどうして生まれることができるのですか。
   もう一度、母の胎に入って生まれることなどできましょうか」


   イエスは答えられた、
   「よくよくあなたに言っておく。
   人は、水と聖霊とから生まれなければ、神の国に入ることはできない。
   肉から生れる者は肉であり、聖霊から生まれる者は霊である。

   あなたがたは新しく生まれなければならないと、わたしが言ったからとて、
   不思議に思うには及ばない。

   (...)天に上った者はいないが、天から下った者はいる」(ヨハネ 3, 3-13)



(7)「霊的裁きの法則」また原因-結果の法則。
   自分がまいたものを収穫する。

   「人を裁くな。自分が裁かれないためである。
   あなたがたが裁く通りに、あなたがたも裁かれ、
   あなたがたが量る通りに、あなたがたも量られるからだ」(マタイ 7,1-2)

   「だから、何事でも人びとからして欲しいと望むことは、
   人びとにもその通りにせよ」(マタイ 7,12)


(8)この他にも人が住んでいる世界はあり、ここと同じ目的がある。
   すなわち、霊性進化の学校として役立つことだ。

   「わたしの父の家には、住まいがたくさんある。もしなかったならば、
   そうあなたがたに言っておいたであろう」(ヨハネ 14, 2)

              ・・・

Q:イエスの発言に言及する時に、どうして福音書を引用するのですか。

A:福音書に収集されたものに限定されずに、イエスの教えを説明する方が、
  私にとっては簡単だ。

  だがそうしても、イエスが語ったものだと君たちが認めないであろうから、
  文献に記載されている彼の言葉を使用することに留めるのだ。

  そうすれば、私が勝手に創作しているのではないことが、君たちにも分かるだろう。


            <感謝合掌 平成28年6月4日 頓首再拝>

イエスの地上での使命~その4 - 伝統

2016/06/06 (Mon) 18:52:07

《イエスの地上での使命~その4》(P321~322)

Q:霊的な観点からは真実ではなく、イエスの死後に付け加えられたキリスト教の信念を、
  幾つか挙げていただけますか。


A:沢山あるが、霊的進歩に一番悪い影響を及ぼす、最も重要なものを挙げてみよう。

(1)宗教儀式の執り行いに道義的・精神的な何らかの価値があり、
   死後に天国での特権的地位の確保に役立つという信心。

(2)聖書や他の聖典が神の御言葉であるという信念。

(3)教会や聖職者が、地上における神の仲介者だと信じること。

(4)悪業を清算するには、告白が必要であり、司祭から免罪されれば解消されると信じること。

(5)最期に後悔すれば罪があがなわれる、という信念。

(6)イエスは十字架上で死ぬことで、人類の罪をあがなったと信じること。

(7)原罪への信念。

(8)性が何か罪深いものだと信じること。

(9)ただ一度の人生で、魂の行く末が永遠に決められる(救われる者には
   永遠の天国と栄光が約束され、罪人には永遠の地獄と罰が待ち受ける)
   と信じること。

(10)キリスト教徒と信者だけが救われるという信念。

(11)肉体の蘇りを信じること。


            <感謝合掌 平成28年6月6日 頓首再拝>

イエスの地上での使命~その5 - 伝統

2016/06/07 (Tue) 17:57:45

《イエスの地上での使命~その5》(P322~326)

Q:元々のイエスの教えにはこれらの信念がなかった理由を、一点一点、説明下さいますか。

A:よし、そうしてみるとしよう。これらの信念に、
  どうして「魂の法則」と矛盾する点があるのか、一つずつ順番に説明してみよう。

              ・・・

Q:最初のものから始めましょう。
  霊的視点からは、儀式や聖礼には何の有効性もないと言われましたね。

A:その通りだ。


Q:それは、どうしてですか。

A:霊性の道に、近道などないのだ。
  我々を霊的に進化させる、すなわち「救済する」唯一のものは、自己改善であり、
  我欲を手放し愛の能力を成長させることだ。それ以外にはない。


Q:でも多くの人が、それを最も重要な事柄の一つだと信じていますよ。

A:自分自身を騙しているか、そのように騙されたいのだ。


Q:では、救済には儀式が不可欠である、という信念は、何に由来するのですか。

A:様々な教会の指導者たちが、人びとの霊性を監督し、私益に利用しようとしてきたからだ。
  「我々の言うことを聞けば、善人にならずとも、天国で優遇してやる」、と
  要請するようなものなのだ。


Q:でも教会は、善い人にならなくてもいい、などとは言ってませんよ。
  その上で、戒律も守るようにと、要求しているだけではないですか。

A:言葉ではそう言っていないのだろうが、既成事実がそう言っているのだ。
  儀式や聖礼や式典 ―派手であれば派手であるほど良い― に従うように
  あれほど強調するにも関わらず、隣人の支援に力を入れていないのなら、
  そう言っているのと同然なのだ。


Q:それなら、宗教に儀式があるのは、良くないことでしょうか。

A:人びとの霊性進化を操作したり逸脱させるために、
  儀式を利用するのは、良くないことだ。
  必要ないのに、どうして儀式を行い続けねばならないのだ?


Q:霊的なメッセージを喚起させる手段として、設けられたのではないでしょうか。

A:だが歴史を見ても、儀式や象徴は、メッセージを喚起するために役に立つ代わりに、
  代弁していた筈のメッセージ自体に置き換わってしまうことが多い。

  そして、それらの儀式や象徴を楯に取り、従うべき信仰にはことごとく反するという、
  さらに大きな過ちを犯してしまうのだ。
  その一例が、十字軍と宗教裁判だ。

  胸元に目立つ大きな十字の印を付けた服を着た人たちによる、大量虐殺や殺人だ。
  彼らは毎日、聖体を受けていたのだが、手には聖書を握ったまま、死の宣告を行ったのだ。

  隣人に対する愛の教えは、一体どこに見出せるのだろうか?


Q:でも、聖餐式のように、イエス自身によって伝達された儀式もありませんか。

A:いいや、そうではない。
  イエスが、自分が処刑されるまでに時間が残されていないと悟り、
  別れの晩餐に弟子たちを集めたことは本当だ。

  だが彼は、聖餐の儀式だけでなく、その他のいかなる儀式・式典・聖礼も
  確立しようなどと考えてはいなかった。

  さらに言えば、たとえ象徴的であろうと、キリストの肉体や血を口にするのは、
  カニバリズムを連想させ、イエスはそれと何の関係もない。


Q:では、聖餐式の儀式は何に由来するのですか。

A:それ以前からの宗教儀式が、キリスト教に組み込まれたのだ。
  実際のところ、そういう式典は全て、イエスの使徒を指すキリスト教徒の名称
  や彼らを象徴する十字の印と共に、後世に導入されたものなのだ。


Q:でしたら、十字の印もイエスに由来しないのですか。

A:十字架というものは、イエスの時代には、今の電気椅子と同じように、
  人を処刑するために用いられていたのだよ。

  正常な判断力があれば、自分の信仰の象徴に十字を使おう、
  と思いつく者など誰一人としていなかったろう。

  イエスが現代に生まれ電気椅子で処刑されていたとしたら、
  ペンダントとして電気椅子をぶら下げようとする者がいないのと同じことだ。


Q:このようなお話はかなりショッキングで、キリスト教徒やカトリック信者には、
  なかなか受け容れられないのではないかと思います。

A:そうかもしれないが、それが真実だ。
  またこの場では、霊的な真相に目を開くように、努めているのだ。

  イエスの地上での任務が、霊性進化の道を示すことであったと思い出してごらん。

  あの時代の宗教組織は、多くの迷信と偽りで人びとを怖れさせ、
  自らの富と権力への願望を満たすために神の名を利用して、
  長きにわたって、人びとの霊的な成長を阻止してきたのだ。

  複雑な儀式制度で気を逸らし、自分たちの思いのままにお金を巻き上げることに利用し、
  人びとを犠牲にして、派手な暮らしをしていたのだ。

  そして、イエスがその事実を明白にしたので、彼を殺したのだ。

  当時のユダヤ教会は、イエスの人物像を利用して教えを操り、人類の霊的な成長を
  阻んで生き永らえてきた今日の教会の姿と、非常によく似ていたのだ。
  もういい加減に、きちんと正されるべきだろう。


Q:儀式に反対なさるあなたの論拠はどれも大変結構なのですが、
  キリスト教徒からすると、聖書に記載されていないことは...

A:それなら、マルコの福音書の第12章(29-34節)を調べてごらん。
  そこには、ほぼ同じ教えが収められている。

  彼らが論じ合っているのを聞き、一人の律法学者がやって来て、
  イエスが巧みに答えられたのを認めて、彼に質問した、

  「すべての戒めの中で、どれが第一のものですか」

  イエスは答えられた、

  「第一の戒めはこれである、『イスラエルよ、聞け。われらの主なる神は、
  ただ唯一の主である。心をつくし、魂をつくし、意志をつくし、力をつくして、
  主なるあなたの神を愛せよ』

  第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ』
  この二つより大事な戒めは、他にない」

  そこで、律法学者はイエスに言った、

  「先生、仰せの通りです、『神はひとりであって、その他に神はない』また
  『心をつくし、知恵をつくし、力をつくして神を愛し、
  また自分を愛するように隣り人を愛する』ということは、すべての燔祭や犠牲よりも、
  はるかに大事なことです」

  イエスは、彼が適切な答をしたのを見て言われた、

  「あなたは神の国から遠くない」

            <感謝合掌 平成28年6月7日 頓首再拝>

イエスの地上での使命~その6 - 伝統

2016/06/08 (Wed) 18:25:38

《イエスの地上での使命~その6》(P326~329)

Q:第2点目では、聖書や他の聖典が神の御言葉である、
  と信じることは間違いだと言われましたね。

A:そうだ。



Q:では、聖書が神の言葉でないのであれば、何だとお思いになっているのですか。

A:旧約聖書は何冊かの本がまとまったもので、イスラエルの歴史の一部が
  収められているが、指導者たちの征服欲を正当化し、それが「神の意志」で
  あったと見せかけるために都合がいい修正がされている。

  また、平均よりも霊的に進化した存在、つまり預言者たちのかなり正しい教えも
  記載されているが、それはすでに、宗教的な信仰が狂信的に操作されていることを
  警告しており、真の霊性とはいかなるものかを垣間見ることができる。

  一方、新約聖書は、イエスの生涯で最も特出した事実、
  特に最後の数年間の公での説教、に関する口頭伝承を収録しようと試みたものだ。

  イエスが伝えようとした教えを部分的に収めた「福音書」と、
  以後の使徒たちの生活「言行録」と、人類の未来に関する著者の一連の
  ヴィジョンを集めた「黙示録」とから成る。


Q:「文書」に関して余り良い心象がないようですが、論拠を裏付けするために、
  折に触れ、新約聖書の文言を引用されていますね。

A:全てが偽りだとは言っていない。各々の事柄はそれぞれ正しく評価されるべきだ。

  山上での説教のようなイエスの公での宣教を著わした章句や喩え話の多くは、
  イエスが言ったことをかなり忠実に再現している。
  それで、私は引用しているのだ。

  イエスが演説に比喩を用いたのは、偶然ではなかったのだよ。
  そうすることで、教会に不都合であった多くの部分が改変されてしまうことから
  救ったのだ。

  人には比喩の意味が良く理解できなかったので、
  教会の検閲に引っかからずに済んだのだ。


Q:例を挙げて下さいますか。

A:たとえば、輪廻転生の概念は、新約聖書の2つの章に巧みに収録されている。
  初めのヨハネの三章は、もう見た通り、イエスとニコドモの会話の中でだ。

  イエスは彼に答えて言った、
  「よくよくあなたに言っておく。人は誰でも新しく生れなければ、
  神の国を見ることはできない」

  ニコデモは言った、
  「年をとっているのに、人はどうして生まれることができるのですか。
  もう一度、母の胎に入って生まれることなどできましょうか」

  イエスは答えられた、
  「よくよくあなたに言っておく。人は、水と聖霊とから生まれなければ、
  神の国に入ることはできない。肉から生れる者は肉であり、
  聖霊から生まれる者は霊である。

  あなたがたは新しく生まれなければならないと、わたしが言ったからとて、
  不思議に思うには及ばない。(...)天に上った者はいないが、天から下った者はいる」
                                 (ヨハネ 3, 3-13)

  2つ目は、マタイの17章、10-13節だ。
  そこで、弟子たちは、イエスに尋ねて言った、
  「いったい律法学者たちが、エリヤが先に来るはずだと言っているのは、どうしてですか」

  イエスは答えて言われた、
  「確かに、エリヤが先に来て、万事を元どおり直すのだ。しかし、あなたがたに言っておく。
  エリヤはすでに来たのだ。ところが人びとは彼を認めず、彼に好き勝手なことをしたのだ。
  人の子もまた、彼らから同じように苦しみを受けることになろう」

  そのとき、弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。


Q:それなら、聖書自体を読んだり、聖典とされるもの全般を読むことに関しては、
  どんな姿勢でいるべきですか。

A:いいかね、全ての宗教には、神、または神の使者の手によるとされる聖典があるのだ。
  そうしなければ、自分たちの神聖を正当化できないからだ。

  だが、霊的に進化している者や高次の霊に感化されて書かれた可能性があるものが
  存在していることは確かだが、現実的には、君たちと同じような人間によって
  書かれたものなのだ。

  いずれせよ、著者の名前には惑わされず、常に内容を吟味してみることが、
  騙されないための一番良い方法だ。メッセージの質を見れば、作者の霊的レベルが
  分かるであろう。

  また、一人の著者のものだとされていても、
  同じ書物が何人もの手によることもあるのだ。

  千余年にもわたって原本が偽造・改変されてきて、
  聖なる仲介者だと勝手に名乗り挙げる者の利益となってきたのだ。

  それゆえ、ある段落は霊的に進化した者によって書かれたが、その次のものは
  詐欺師の手によるということもあり、偉大な真実のすぐ脇に大嘘が書かれている
  可能性もある。そして真実は、徹底的に中味を分析して、「麦殻」を捨て「麦粒」だけを
  集めることによってのみ、知り得ることができるのだ。

            <感謝合掌 平成28年6月8日 頓首再拝>

イエスの地上での使命~その7 - 伝統

2016/06/09 (Thu) 17:34:24

《イエスの地上での使命~その7》(P329~332)

Q:地球には多くの宗教がありますが、
  その多くが一神教で、かなり厳しい戒律を設けています。
  権威者によるとそれは神の意志だそうですが、それをどう思われますか。

A:魂の「自由意志の法則」を尊重せず、権力者の見解による教義を押しつけて
  成り立つ学説や宗教は全て本物とは言えないし、
  神や高次の霊性からの恩寵だと見なすこともできない。

  したがって、これらの宗教の権威者たちを、真の霊道の導き手だとは見なせない。
  なぜなら、霊性の指導者は、絶対に力を行使したり操ろうとすることがなく、
  特定の掟を強要することもないからだ。


Q:地上の宗教は、神の意志を代弁してはいないので、
  本物ではないと言われるのですか。

A:全ての宗教には、高次の存在から閃きを得た真実の一部と、多くの虚偽とがあるのだが、
  後者は、地上の利益に左右された者たちが付け加えたのだ。


Q:例を示して下さいますか。

A:よろしい。たとえば、旧約聖書の中の十戒はかなり的を得た規律であり、
  霊的に進化した存在の教えに忠実だ。

  十戒の一つに「汝殺すなかれ」がある。

  それなのに同じ旧約聖書の中には、神と称する者が、仮定上の「約束の地」を
  征服するために、イスラエルの民を他民族の攻撃に派遣するくだりがあるのだ。
  当然だが、このような戦闘では、人びとはお互いに戦って人を殺す羽目になるのだ。

  つまり、そのくだりが本当であるなら、神が民に「殺せ」と命じたのだと
  推測できるのである。その場合、この(殺せという)メッセージは、
  最初の「殺すなかれ」と矛盾する。

  それでは、この明らかな逆説をどう解決すべきだろうか?

  神が矛盾したことを言ったのだろうか。
  でも、けた外れに進化した存在に、それは認めがたいであろう。

  それなら、二つの指示はそれぞれ異なる動機を持った別々の者に由来するのだ、
  と認める必要があるのではなかろうか。

  では、「殺すな」というメッセージと、「殺せ」というメッセージとでは、
  どちらが常識的に見て、霊的に進化したものだと言えるだろうか。


Q:僕にとっては、「殺すな」の方ですが。

A:この教えが高次の霊性からであることを認めるのであれば、
  その反対のものは、同じ源から生じてはいないのだ。


Q:では、どこで生まれたのでしょう

A:侵略に興味があった者たちによるのだ。


Q:でも、それは過去の事例ですから。

A:現在でも同じことがくりかえされているのだよ。

  表向きは熱心な神の信奉徒とされ、いつも「神のご加護がありますよう」という言葉で
  演説を終わらせているのに、自国民を他国の侵略に派遣するのをいとわないリーダーが、
  現在の地球には沢山いやしないだろうか?

  何百万もの死者を出し、何百万もの家庭を何世代にもわたって破壊しているのに、
  聖書の詩篇や「神を信じる」・「神は我々と共に!」などの言葉を、
  自分たちの行為を正当化するために利用してはいないだろうか?

  はっきり言っておこう。
  神や高次の霊性を持つ存在は、紛争の一方の側を味方することはないし、
  いかなる侵略も征服も支持することはないのだ。

  もしそうするのであれば、神自身が、宇宙に設けた諸法則の一つの「愛の法則」を
  侵すことになるからだ。

  前述のような人たちは、ユダヤ教徒やキリスト教徒が守るべきだとされる
  「主の名をみだりに唱えてはならない」という戒律を侵しているのだ。

  それなのに、あたかも神が、神の子を蹂躙することに同意したかのごとく、
  その名を利用して、自分たちの非道を正当化しようとしているのだ。

  これが、神の名をみだりに唱えるということで、一部の者が思っているように、
  俗っぽい話の中で「神」という言葉を使用することではない。

            <感謝合掌 平成28年6月9日 頓首再拝>

イエスの地上での使命~その8 - 伝統

2016/06/10 (Fri) 19:37:29

《イエスの地上での使命~その8》(P332~333)

Q:それでは、神によって選ばれた民ということについてはどうですか。

A:神に優先される民族や人間など存在しない。
  神や高次の霊性は、他の者を虐げて特定の民族や人種と特別に結びつくことなどはせず、
  全ての人に進化の計画を推し進めるように呼びかけるのであり、
  それに協力したいかどうかを決めるのは、各魂である。

  もちろん、神の法則に従うようにと、誰にも強いられることはない。

  望みとあれば、各人の意志と能力に応じて、個人や集団での人類の進化計画で、
  具体的な役割を果たす約束をすることが可能だ。
  これが、魂の選択なのである。

  ゆえに「選ばれし者」とは、自分の内面を高次の霊性に開き、「愛の法則」に従った人生を
  送る約束をした者に過ぎず、それによって、自分を成長させるだけでなく、
  まだこの呼びかけに心を許していない者の手本となるのである。


Q:そのように、霊的な世界からの呼びかけに心を開く人たちは、
  神秘主義者や預言者と関係があるのでしょうか。

A:霊界との直接的な交信は、ごく一部の人たちだけの特権ではないのだよ。
  すでに言ったことだが、全員が個々に、神や高次の霊性や自分のガイドとの直接的な繋がりを
  持っていて、それぞれが独自の方法で、それを体験していくのだ。

  大切なのは、誠実に謙虚にコンタクトを求めるということと、
  魂を成長させるという目的が、探求の動機づけであることだ。
  もしそうであれば、各人に、それぞれが必要としているものが与えられるであろう。

  体験の華々しさが重要なのではなく、その経験を、欠点を正当化するためにではなく、
  愛における進歩のために役立てることが大切なのだ。

  不幸なことに、「アセンデッドマスター」やその手の重要な人物だと思われたいという欲望から、
  自己暗示による経験を本物だと思い込み、他の人を騙してしまうような人が沢山いる。

  また、本当の霊的な交信をした後で、その経験を、自己進化や他者の援助に活かす代わりに、
  偉ぶって、自分は優れていると思い込み、他者に神のごとく扱われることを要求する人もいる。

  自分をどう改善するかを追求するよりも、他者の称賛を求めてしまうのは、虚栄心からの欠点だ。
  残念だが、これは君たちの世界ではごく頻繁に見られる現象だ。


            <感謝合掌 平成28年6月10日 頓首再拝>

イエスの地上での使命~その9 - 伝統

2016/06/12 (Sun) 18:51:35

《イエスの地上での使命~その9》(P333~338)

Q:預言者とは何ですか。

A:預言者とは、霊界の真実を教え、「愛の法則」に反する行為がもたらす結果を
  各時代の人びとに忠告するために、高次の霊性から送られて来る者である。

  一般的に、転生する惑星の平均よりも進歩した魂だが、
  そうでなければ、委託された使命を遂行することができないからだ。

  他者を助けると同時に、自己を進化させることができるのだが、それは一般的には、
  生まれ出た社会から拒否や拒絶をされ、虐げられたり罵倒されれたり馬鹿にされたりする
  からで、そのために、自己の愛の力量が試されるからである。

  彼らは、通常考えられているように、特別で神聖な特権を持つ存在などではない。

  その霊能力は、輪廻のサイクルの中で  ―― 他世界での転生であったかもしれないが
   ―― 自分自身の功績によって獲得されたものだ。

  あらかた、年下の生徒を手助けする年上の生徒といったところだが、
  それと異なるのは、他の人と同じ条件で転生して来るので、
  肉体的にも年齢からも、彼らを識別できない点だ。

  いつか、君たちの惑星の住人が充分に進化を遂げる日が来たら、その中から、
  進化の遅い人類が住む世界で預言者の役目を果たす者が出ることだろう。


Q:でも、偉大な師匠だと思われていた人が、後から、実は詐欺師で、
  人びとの純粋さにつけ込んで大金を貯え込んでいた、と発覚することがよくありませんか。

A:その通りなのだ。多くの者が猫をかぶっているのだ。
  だがその一方で、初めは良く、いい線を行っていたので、
  必要な霊的援助が与えられた、という者も沢山いる。

  問題は、その者たちが、人びとに与える効果に目が眩んでしまうことだ。

  本当に答えを探し求めている人は、内面を覚醒してくれる人に出会うと、
  その人にとても感謝して、それを大げさに表現しようとするものだ。

  そのため本人も、本当は霊的知識の光を届けているだけの筈なのに、
  自分自身がまぶしく輝いているのだと勘違いしてしまう。
  人びとも間違って、その人を神のように奉り始める。

  我欲とその顕現形態をまだよく知らず、自分でも克服の努力をしないのであれば、
  我欲は増大し、自分が全ての者に勝ると思い込むに至るだろう。

  そして、他者に奉仕する代わりに、その反対となってしまう。
  道義上の家来か奴隷のように仕えてくれることを人に要求し、どんな決断や願望で
  あっても決して問い正さずに、盲目的に自分に追従することを求める。

  こうして、光は段々と消えて行き、最初の思いは失われ、
  インスピレーションもなくなるのだ。

  霊的な閃きが消えると、我欲が頭脳を支配し始め、
  その時から、受け取るメッセージは混乱し、矛盾したものとなる。

  そして、本物になり得たであろうことは、守りきれずに失われてしまったものの
  混沌とした記憶として残り、我欲の高揚を正当化する多くの嘘で固められるのだ。


Q:真の預言者と詐欺師とを、どのように見分けるのですか。
  つまり、真の預言者・ガイド・霊的な使者に必要とされる条件とは何ですか。

A:肉体を持たない霊的なガイドは、何の分け隔てもせずに、全ての魂を支援する。
  真の霊性というものには、国境も経済格差も、人種や宗教や
  その他のいかなる違いも存在しない。

  それゆえ、富める者と貧しき者、白人と黒人、信者と非信者とを差別しない。
  これらの違いは、一時的な条件や状況に過ぎず、転生から転生で変化するものだからだ。

  霊的な教えを普及するにふさわしいと自認する者は、
  それと同じやり方で行動しなければならない。

  肉体を持つ真の霊的指導者は、「魂の法則」に従い、目立たず謙虚に生きようとし、
  何の見返りもなく、他者を援助し啓発しようとしている。

  それゆえ、霊的な真実らしきものを公開することで、金銭的な、または
  その他の代償を貰おうとする者たちは、全て、真の霊的な指導者だとは見なせない。

  「会員だけ」の真実というものは存在しないからだ。

  真のマスターは、自由意志を尊重する。
  つまり、絶対に自己の見解を押しつけず、自分が手本となって宣教し、
  提供するものを受け取るか取らないかは、他者の自由に任せるのだ。

  したがい、権力主義に訴えて正当化することはなく、
  絶対に「俺の言う通りにしろ。俺はマスターで、悟りを得た神の使者だぞ」などと
  言ったりしない。

  心を開いた者を説得するには、メッセージの質が高いだけで充分だ。

  それに関心を持たず説得できない人たちがいても、
  彼らにはそうして独自の道を歩む自由意志があるのだ。

  好きでもないものを信じたり同意したりを、義務づけられることも強要されることもない。


Q:偽マスターや見せかけの霊性に引っかからないための助言がありますか。

A:どんなに高次に思える宗教や政治・哲学的思想であろうと、
  その信仰のために、絶対に君たちの意志を放棄してはならない。

  信仰のために意志の放棄が求められるのであれば、そうするには値しないものだ、
  と確信しなさい。

  伝達者を偶像化せずに、メッセージを分析なさい。
  メッセージに納得できなければ、疑問を表明し説明を求め、
  それでもその教えと同調できなければ、それを拒めば良い。

  理解できなくても信じることを強要する信仰のドグマによってでは、
  一切、何も受け容れるべきではない。

  自分自身の経験・感情・理解・分析によってではなく、神聖だとされる人がそう言ったから、
  という不可解な外からの押しつけによって同意してしまうことは、
  権力主義に従うだけで、進化のためにも幸せになるためにも役に立たない。

  魂は自由でいる時だけが幸せなのだ。
  したがって、妄信的な信仰も、霊性を管理し操る社会層も必要ない。

  答えは自分の内に探しなさい。
  君たちの内面は、霊的ガイドや高次の霊性と直接繋がっているので、
  思っているよりもずっと賢いのだ。


Q:でも多くの宗教では、霊との交信は、悪魔のすることだと思われていて、
  それをしようとするのは、有害で邪悪なことだと考えられています。

  聖書がこのような交信を禁じているとのことですが、
  聖書が神の言葉であるのでしたら、神自身がこれを禁止したことになるのでしょうか。
  これについてどう思われますか。

A:各人が高次の霊性、それを神や霊的ガイドと呼ぶが、と独自の繋がりを持つことを
  認識してしまえば、教会権威者たちは、主役の地位と権力を失うこととなり、
  そうなれば、信者を気の赴くままに操ることができなくなってしまう。

  彼ら自身が矛盾しているのだ。
  なぜなら、彼らの聖典を、神から閃きを得た人によって書かれた御言葉なのだと見なすのなら、
  それは、霊界と霊的な交信を持ったことになるのだ。

  しかし、信者にはそれと同様な交信は許さず、
  彼らが崇める本を書いた過去の著者だけの特権としているのだ。

  イエスや他の進化した預言者は、高次の霊性との接触を求め、そこからインスピレーションを
  得て任務を支援してもらった訳だが、それは、肉体に宿った者が肉体を離脱した魂から
  助言と支援をしてもらうという、完全なる霊界との交信なのだ。

  霊媒力を非難するのなら、イエス自身をも批判することになってしまう。
  イエスは、霊界の教えを当時の同胞に伝達するという、
  大変強力な霊媒として、活動したのだから。

            <感謝合掌 平成28年6月12日 頓首再拝>

イエスの地上での使命~その10 - 伝統

2016/06/13 (Mon) 18:39:36

《イエスの地上での使命~その10》(P338~341)

Q:その通りですね。でも彼らは、「イエスは神の子だったから、閃きを与えたのは
  神自身で単なる霊ではなかった」、と言うことでしょう。

A:全てを盲信させて教えを分析することも認めていないのに、二千年以上も前の預言者に
  インスピレーションを与えたのが、神か、聖霊か、それともサタン自身であったのかが、
  どうして分かるのだね?

  実際、教会権威者たちが御言葉だと崇め奉る旧約聖書を書いた、本物の預言者の一人が
  今生まれ変わって、前世の業績を解析したり豊かにする新たなお告げを書いたとしても、
  昔のようにそれを公言すれば、権威者たち自身がその人を嘲り、メッセージを吟味することさえ
  許さず、その人が狂っていて悪魔の類と交信しているのだと思わせようとするだろう。

  だから、常識的に判断しよう。
  相手の能力を知る唯一の手がかりは、メッセージの質なのだ。

  現在、メッセージで暴力や戦争や他者を憎むことを奨励している人を、
  神の使者だと信じられる者などいるであろうか?

  同世代の人をそう認められないのであれば、どうして、いかに古かろうと、
  過去の著者を神の使者だと認めなければならないのだろうか?
  過去の作家が特別な存在であるのは、とても古いためだからだろうか?

  それなら、神々の代わりに恐竜や鮫や蟻を選ぶとしよう。
  それらは、古代の作家の誰よりも前に、この世に出現していたのだから。

  イエスのメッセージが人類にこれほど大きな影響を及ぼしたのは、
  イエスがそう言ったからではなく、無条件の愛を示すという教え自体が、
  偉大であったからだ。

  しかしこの世の権力者たちは、布教に歯止めをかけることができなかったために、
  自分たちの特権や搾取が終焉を迎えることを恐れ、イエスの人物像と教えを手中にし、
  その内容を著しく侵してしまったのだ。

  そして、元のお告げそのものと矛盾し、イエスが一度も口にしなかった言葉を、
  特権と権力を維持するために彼が言ったことにして、教えと反対のことを
  我々に信じ込ませることにほぼ成功したのだ。


Q:キリスト教徒にとっては、イエスは神同然か神の子なのですから、
  イエスがすることなら何でもいいのではありませんか。
  一般人が直接霊と交信することを、認めるつもりがないのでしょう。

A:初期のキリスト教徒の間では、慈善的な霊との交信がごく頻繁に行われていた、
  と知ったら驚くであろう。襲いかかる酷い迫害に耐えることができるように、
  彼らはこうして霊界から勇気づけられていたのだ。

  初期のキリスト教徒は、愛をもって祈れば、
  高次の聖霊から応援されて近くに来てもらえることを知っていた。

  新約聖書自体の使徒言行録の中にその例があるが、イエス自身が肉体を離脱した後に
  霊となって、使徒たちの前に随意に現れたり消えたりしたことがうかがえる。

  それ以後、教会自体がこの種の顕現を敵視した。
  なぜなら、そこからまた愛の種が生まれ、再び人びとの心の中で発芽し、当時の人類が
  宗教組織によっておかれていた霊的な闇から解放されてしまうことを怖れたのだ。

  イエスは戻って来なかったが、霊界と直接交信ができる非常に高度な魂たちが
  やって来て、恵まれない者を癒したり面倒を見たり、多くの善をなしたのだ。
  だが、その多くの者は、魔術使いや異端の罪状で、宗教裁判で火刑とされた。


Q:でも、悪霊を呼び出すために集まって、他者を支配したり、富や権力を獲得する能力を
  授けてくれる魔法の力を得ようとした人たちも実在するようですが。

A:そのような交信は行われていたし、我欲に満ち溢れ富と権力を渇望する魂が
  この世に存在する限り、今後も行われることだろう。

  だが、そういう意図で行動すると、同レベルの低級霊の都合のいい餌食にされて、
  あらゆる手段で彼らの支配下に置かれてしまい、隷属させられて、もっと酷いことを
  させられてしまう。

  だから、このような接触は非常に危険で、全く奨励できないものだ。

  しかし、他者に害を与えようとして、霊媒力を使って下級霊と通信する者がいるから
  といって、霊媒を介した霊界との交信の全てが有害だと結論づけることはできない。

  それとも、悪意のある目的にインターネットを使用する人がいるので、
  ネット上の全ての通信を政府が禁止することが理にかなっているのだろうか?

  理論的に考えれば、使用を制限すべきなのは、社会の健全性が狙われる時だけで、
  全体を禁じてしまう必要はない。


Q:でしたら、なぜ世間では、霊との交信がこれほど反対されるのでしょうか。

A:それは、この世の宗教権威者やその他の権力者たちの多くが、
  人が自力で神や守護霊と交信することを阻むことによって、
  支配力を維持しているからだ。

  霊界との接触を怖れさせようと、明確に意図して作成された映画は無数にある。
  それらは、ダイアリー・オブ・ザ・デッド(Diary of theDead)、
  ポルターガイスト(Poltergeist)、エクソシスト(Exorcist)などの恐怖映画で、
  全ての交信が恐ろしいものになる、と思い込ませるのだ。

  こうして、誰もが怖れによって自分自身を異端視し、直感や夢などであろうと、
  霊界からのメッセージかもしれないと思う度にそれを抑圧したり、
  誤った解釈をしてしまうのだ。


            <感謝合掌 平成28年6月13日 頓首再拝>

イエスの地上での使命~その11 - 夕刻版

2016/06/14 (Tue) 19:16:14

《イエスの地上での使命~その11》(P341~344)

Q:教会や司祭が地上での神の仲介者である、という信仰は正しくない、
  とも言われましたね。

A:そうだ。


Q:何を根拠にそう言われるのですか。

A:イエスと当時の司祭層との関係を正しく読み取るのなら、
  イエスには、司祭という身分を創る意図も、カトリック教会が創ったような
  階層制度を設ける意志も、絶対になかったという結論に至る。

  カトリックのヒエラルキーは、その時代のユダヤ教会をかなり忠実に模倣したものだ。

  イエスは、一人ひとりが神と繋がっていると教え、
  司祭を介してのみ神と交信できるという誤った考えを覆しに来たのだ。

  実際、イエスは、公の説教のかなりの部分で、ユダヤ聖職者たちに応酬している。
  イエスのやることの全てが彼らを逆なですることだったので、聖職者たちはイエスを
  手強い競争相手だと見なしたのだが、それは誤りではなかった。

  イエスは、次のメッセージを形を変えて何度となくくりかえしたからだ。

  「聞きなさい。彼らは神の仲介者などではない。なぜなら、適切な霊的援助を差し伸べる
  ことよりも、君たちを犠牲にして経済力を失わないことの方に一生懸命だ。
  馬鹿げた法律で君たちを混乱させてしまったが、そんなものは必要ない。
  天の国に入るために唯一必要とされることは、愛すことだ」

  このメッセージが聖職者階層の目に留まり、人びとが覚醒してしまえば
  自分の仕事がなくなってしまうと考えて、イエスを殺してしまったのだ。

               ・・・

Q:カトリック教会は、なぜそれほどユダヤ教に似てしまったのでしょう。

A:最初はそうではなかった。

  なぜなら、キリスト教徒は、初めはユダヤ人、後にはローマ人から絶えず迫害され、
  常に危険に身がさらされていたので、イエスの愛の教えの信奉者となるには、
  大変な覚悟が必要だったからだ。

  しかし権力者たちは、私益に有害な思想の支持者を抹殺しようとしたにも関わらず、
  信徒が増え続けるのを見て、「敵をやっつけられないのなら、取り込んでしまえ」
  という戦略に切り替えたのだ。

  全ローマ帝国をキリスト教に改宗すると布告したコンスタンティヌス皇帝以後は、
  多くの者が信仰によってではなく、キリスト教徒にさせられた。

  そして、大半が強いられたものであったために、全てを台なしにした。
  隣人愛は、そこでおしまいになったのだ。

  それ以前の宗教の高位神官と信者たちは鞍替えをし、何の霊的改変もないまま
  キリスト教に移り、重要な職に就き始めるようになった。

  宗教の元最高神官が、キリスト教の一信者で我慢するなどとは、
  君たちでも思わないだろう。彼らは、権力の持ち分を維持したかったのだ。
  そこで、神官の帽子を、教会の司教の帽子に変えたのだ。

  いや、実は帽子でさえも変えはしなかった。
  法王と司教のかぶるミトラさえ、別の宗教に由来しているのだ。
  ミトラと呼ばれるのは、ローマ人が崇めていた神々の一つ、
  ミトラへの古代信仰の神官たちがかぶっていた物だからだ。

  キリスト教にはそれ以前の宗教儀式が沢山取り入れられ、
  元来の隣人愛のメッセージは、それに反する概念で侵されてしまった。
  カトリック教会とは、このようにして生まれたのだ。

  神と金とに兼ね仕えることはできない、とイエスは言っただろうが、
  カトリック教会は、二千余年も前のユダヤ教会のように、
  ほぼ最初からお金の方に加勢したのだ。

               ・・・

Q:でしたら、法王の絶対的権威と地上における神の代表という...

A:もちろん全て嘘だ。法王も普通の人間と同じように間違えることがある。
  法王と霊界との繋がりは、他の人のものと比べて何も特別なものではない。

  高次の霊性との繋がりは、無条件の愛を努力することによって段々と強くなるもので、
  どれほど立派な肩書きを授けられようと、それで繋がりが深まる訳ではない。

               ・・・

Q:では、どこからそんな考えになったのですか。

A:先に言った通り、教会の首長自身がそう言っている。
  通常それは、権力や富への野望にそそのかされた行為を、
  誰にも見破られないように正当化するための手段なのだ。

  救済には彼らが不可欠だ、と人びとに確信させることができれば、
  教区民を犠牲にして、誰にも咎められずに暮らせる筈だからだ。

  「神の任命した者たち」に従わなければ「永遠の罰」だぞ、
  と言っていつでも脅すことができた。

  それは「神の代理人」の命令に従わないのであれば、
  という意味で、つまり、彼ら自身のことを指していたのだ。

               ・・・

Q:悪業を清算するには告白が欠かせず、
  司祭から免罪されればそれを解消できる信念に関しては、どうですか。

A:霊的に改善する第一歩が、罪悪の自覚であるのは明らかだが、
  後悔するだけでは不十分だ。

  霊界では、「愛の法則」に反する行為は、犯した罪業を償うことによってのみ、
  解消可能だからだ。そしてそれは、我々自身でするしかない。

  乗り切るための支援を受けるのは構わないが、どれほど高次の者であろうと、
  誰にもこの仕事を代わってもらうことができない。

  司祭に免罪権を与えているのは、救済されるには教会の代理人が不可欠なので、
  経済的に支えてあげなければならない、と人に思わせる戦略の一部なのだ。

  初めに言った通り、霊的な進化は、個人の努力によってのみ達成できるものであり、
  高次の存在との「コネ」によるものではないのだ。

            <感謝合掌 平成28年6月14日 頓首再拝>

イエスの地上での使命~その12 - 伝統

2016/06/15 (Wed) 19:45:12

《イエスの地上での使命~その12》(P344~348)

Q:それでは、十字架上で死ぬことで、イエスが人類の罪をあがなった
  という信念と、彼が後に復活したことについてはどうですか。

A:これも正しくはない。

  イエスが霊性進化の道筋を教えにやって来て、彼の隣人愛の手本に従った者が
  決定的な変化を遂げたため、宗教上では「罪」とされた過ちを犯すことがなく
  その道を真っ直ぐに進んで行けた、というのは本当だ。

  だがそれで、前世での犯罪行為の償いに対処しなくて済むようになる訳ではない。

  イエスは誰の罪も払拭した訳ではなく、
  各人にそれぞれの罪をどうやってあがなうかを教えたのだ。

  大学入試の途中で、何人かの生徒の先生がやって来て、「私の生徒は答案用紙を
  提出しなくてよろしい。全員合格だ。試験官を知っていて合格にしてもらえるから大丈夫だ」
  と言ったとしたら、とても不公平だろう。

  頑張って勉強して自力で合格できる生徒を退けて、準備不足の生徒が
  値しないのに受かってしまえば、それは、各生徒の努力が公平に評価されていないのだ。

  良い先生がすべきこととは、生徒がきちんと試験準備ができるように、
  尽力することであろう。

  イエスが試みたことはまさにそれで、各転生での霊的な試験に
  合格できるように、我々にきちんと準備をさせたかったのだ。

  霊界には「コネクション」は存在しないからだ。

  我々には、犯した過ちを改める無数の機会が与えられる。
  だが、それをすべきなのは我々自身で、
  イエスや聖母やその他の聖人にすがるべきではないのだ。

               ・・・

Q:では、このことをキリスト教徒に納得させられますか。
  これは、カトリックの教えの主要な教義の一つですよ。

A:次の新約聖書のマルコの福音書(10, 35-40)でも同じことを言っているよ。

  さて、ゼベダイの子のヤコブとヨハネとがイエスのもとに来て言った、
  「先生、わたしたちの頼み事を、かなえて下さるようお願いします」

  イエスは彼らに「何をして欲しいと、願うのか」と言われた。

  彼らは答えた、
  「先生が栄光の王座に就くとき、一人をあなたの右に、一人を左に座らせて下さい」

  イエスは言われた、
  「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていない。
  あなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることができるか」

  彼らは「できますとも」と答えた。

  するとイエスは言われた、
  「あなたがたは、わたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けるであろう。
  しかし、わたしの右、左に座らせることは、わたしが決めることではなく、
  準備のできている者だけに許されるのである」

               ・・・

Q:でも、「あなたの罪は赦された」と言っていたのは、イエス自身ではなかったですか。

A:イエスが言いたかったことは、過去に「愛の法則」に反する行為をしても、
  永遠に有罪になる訳ではなく、何をしたかを問わず誰でも改悛し、
  いつでも好きな時に新しくやり始めるチャンスがあるということだ。

               ・・・

Q:でも、どうして病人を治した直後にそう言ったのですか。

A:イエスが病人の治療をする時は、肉体の毒素のみならず、
  肉体レベルでの病気の原因となるアストラル体の毒素も綺麗にしていたからだ。

  これらは、感情や思考に由来する精神的な毒や、当時は「罪」と呼ばれた、
  今生や前世での「愛の法則」への違反行為による毒が蓄積したことが原因だ。

  イエスが手をかざして行った癒しを、日頃の手入れを怠って汚れてしまった
  じゅうたん(身体)を綺麗にする、掃除機だと考えてみてごらん。

  徹底して掃除をしたとしても、人が「汚い」習慣を全く変えようとしなければ、
  少し時間が経てば、じゅうたんはまた元のように汚くなってしまう。

  実際、イエスに治してもらった後で、内面を改革するようにとの助言も聞かず、
  霊的な悪癖を続けたために、再びメンタル体で精神的な毒素が生じて、
  それがアストラル体と肉体に転移して、またもや病気になってしまった人もいる。

               ・・・

Q:それでは、病人を治癒して感謝された時に、
  なぜ「あなたの信仰があなたを救ったのだ」と言ったのでしょうか。

A:それはイエスが、レイキやプラーナ、その他どう呼ぼうと構わないが、
  癒しのエネルギーが効果を発揮するには、送り手が上手なだけではなく、
  良い受け手も必要なこと、つまり、チャクラを開いてエネルギーを
  受ける心づもりが要ることを知っていたからだ。

  癒しが起こるためには、エネルギーを受ける人が送り手を
  信頼(信仰)していなければならない。

  信頼していないと、チャクラは閉じたままで、送り手にどんなに能力があろうと、
  エネルギーは流入しないし、治療効果も出ないのだ。

               ・・・

Q:でも、病人が意識不明や重病で、治そうと努力しているのが分からない場合などには、
  本人に対してではなく、その家族にそう言っていたようですが、
  これはどういうことでしょうか。

A:イエスが、その愛と慈悲の力によって高度な治癒力を持つ高振動のエネルギーを
  伝達できたように、それを信じ必要な人を助けたいと願う者は、元の波動を
  「反響させる者」となって、エネルギーを高める力があるからだ。

  その場合は、彼ら自身も、癒しのエネルギーを流すパイプとなるのだ。

  それと同じように、否定的な思いや懐疑心があるために、
  治癒エネルギーが周囲に上手く伝わることの邪魔をしてしまう人たちもいる。

  イエスや彼の教えを信じなかった人の事例は沢山ある。そのような場合には、
  イエスがいつものように病人に手をかざしても、癒しはほとんど見られなかった。
  このような状況は、福音書自体にも記載されている。

  そしてイエスは郷里に行き、会堂で人びとを教えられたところ、彼らは驚いて言った、
  「この人は、こんな知恵と不思議な力を、どこで習ってきたのか」

  他の者は言った、「この人は大工のヨセフの子ではないか。母はマリヤといい、
  兄弟たちは、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。またその姉妹たちもみな、
  まだここで暮らしているではないか。ならば、なぜこんなに多くを知り、
  奇跡を起こせるのだろうか」

  こうして人びとは、イエスの教えを認めようとしなかった。
  しかし、イエスは言われた、

  「預言者はどこででも尊敬されるが、自分の郷里と家族の間では敬われない」
  そしてイエスは、彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇跡をなさらなかった。
                             (マタイ 13, 54-58)

            <感謝合掌 平成28年6月15日 頓首再拝>

イエスの地上での使命~その13 - 伝統

2016/06/16 (Thu) 19:43:54

《イエスの地上での使命~その13》(P348~352)

Q:ついでですので、復活についても話して下さい。

A:いいだろう。これについては非常に混乱をきたしているので、
  なるべく分かり易く説明しようと思う。

  イエスの復活について言われている多くは、完全に間違っている。

  復活という言葉を、肉体の死後にも魂が存続することだと理解するのなら、それは正しい。
  だが、死後も生き続けるという事態は、何も特別なことではない。

  魂が生き残ったのは、何もイエスが最初ではないし、もう充分話した筈だが、
  これは宇宙の法則であるので、いつもずっと起きていたことだった。

  しかし、魂が存続するには必ず身体が必要があり、
  しかも生存中と同じ身体でなければならない、というような信仰は全て、
  正しくはないのだ。

                ・・・

Q:キリスト教会の分派の中には、生命は肉体がなければ成り立たないと信じ、
  肉体の死後の魂の生を認めないものもありますが、それについてはどう思われますか。

A:肉体の死後、魂が、置き残した身体に戻るまでずっと眠った状態にあり続ける、
  ということは正しくない。これが、蘇りに関する信仰の誤りの一つだ。

  肉体の死が生じた時点から体が腐敗し始め、しまいには消滅するということは、
  明白ではないのだろうか?

  物質界に戻る日がやって来た時に、何世紀も前になくなった肉体に戻れるのだと、
  どうしてそう信じることができるのだろうか?

  亡くなった魂は転生によって肉体生に戻るのだ、と説明する方が、簡単ではなかろうか?
  つまり、昨日まで地上に生きた魂は、明日には新しく生まれ出る子どもとなって
  帰って来る、ということだ。

  したがって、自然な物質の分解過程で失われた肉体を魔法で再構成して、
  死者が肉体生に戻る、というのは誤った信仰なのだ。

  亡くなった者は絶えず物質界に戻っているのだが、自然の法則を侵すことなく、
  新しい子どもとして誕生することで、そうしているのだ。

  魂や霊が生き続けるために肉体が必要だ、というのも正しくない。

  魂は、再び物質界に転生するまで、ずっと眠った状態でいるのではなく、
  すでに話した通りに、物質から解放されて、
  霊界で各自の暮らしと進化の工程を続けるのだ。

  
  イエスが死後に復活した、という場合には、彼の肉体が再び生を得たのではなく、
  彼の魂が生き続けたことを意味しているのだ。

               ・・・

Q:でも信者であれば、「福音書には“イエスはラサロを蘇らせ”
  ラサロはその体でしばらく生き永らえたと書いてある」、と言うことでしょう。
  これは、「肉体の蘇生」を証明するものではありませんか。

A:イエスはラサロを蘇らせたのではなく、ラサロが実際にはまだ死んでいなかったのだ。
  本当のところは、イエスは彼の意識を蘇らせたのであり、これは君たちにとっては
  何の不思議でもない。

  今日では心肺蘇生の技術で、臨床的に死んだと見なされる人を、
  医師が「蘇らせる」ことが可能だ。

  遺体安置所に何時間も放置された後で、死んだと思われていた人が
  突然目を覚まして生き返った、という特異なケースを耳にしたことがないのかい?

  それというのも、心肺停止が起こっても、一瞬で肉体から離れる訳ではないのだ。
  そうでなければ、心臓蘇生など不可能だろう。

  魂の離脱のプロセスは、物質への執着心や肉体自体の生命力によって、
  ある程度の時間を要するものだが、銀の臍の緒が完全に切れるまでには、
  最低二・三日はかかるものだ。

  イエスがエネルギーの力でラサロを蘇生させたとしたら、それは単に、
  ラサロが肉体との分離プロセスをまだ完了していなかったからで、
  現在の医師と同じように、彼を生き返らすことができたのである。

               ・・・

Q:でも、イエスの死後3日目に親族たちが墓に行くと、
  彼の体がなくなっていたではありませんか。

A:君たちの場合はそうはならないが、イエスのケースは特別で、
  魂が肉体との最後の絆を断ち切ると、非常に振動の強いアストラル体が分離したために、
  肉体が瞬時のうちに分解し、それで遺体が墓の中で見つからなかったのだ。

  この解体の工程が、遺体を覆っていた布に、体跡を残すこととなった。
  だから、遺体が墓の中になかったからといって、イエスが生存中と同じ肉体で
  生き続けたということにはならない。

               ・・・

Q:でしたら、聖骸布とそこに見出された姿形は本物なのですか。

A:そういうことだ。

               ・・・

Q:ではなぜ、炭素14法年代測定の結果が、その時代と一致しないのですか。

A:その件に関して言えるのは、年代測定の手順において不確かなことを
  確実視してしまっていて、それで年代が一致しない、ということだけだ。

  でもこれでは、話が脱線してしまう。

  聖骸布が本当に、死後にイエスの肉体を覆った布であったか否かというのは、
  彼の肉体が皆のように時間をかけてゆっくり分解または腐敗したかどうか
  ということのように、私たちが話していることとは関係がないのだ。

  これらは、イエスを受胎した時に聖母マリアが処女であったかどうか
  ということのように、霊的な教えとは無関係だ。

  君たちは奇異に思える出来事は良く覚えているが、
  それらは霊的な観点からは実のないもので、イエスが布教した
  真に重要なことに意識を向けるのを忘れてしまったのだ。

               ・・・

Q*では、イエスはどのようにして使徒の前に現れたのですか。
  死後、本当に彼らの前に出現したのだとしたらですが。

A:死後、一緒に暮らした使徒や他の人たちの前に現れた時には、
  生存中に使用した肉体を伴ったのではなく、アストラル体で顕れたのだ。

  多くの死者が、亡くなった場所やお棺の中に動かない肉体を置いたまま、
  愛する人の枕元にお別れをしに顕れるのと同じだ。

  というのも、アストラル体は特別な状況下では「凝縮する」のであり、
  肉体とほとんど同じ形に固まることも可能なのだ。

  しかも、イエスのような能力を持つ魂を相手にした場合にはなお更なのだが、
  これは、君たちが「超常現象」と呼び、多くの研究家に知られる現象だ。

               ・・・

Q:「最後の時には死者が復活する」という類の予言は、何か意味があるのですか。

A:すでに亡くなった人の魂は、転生によって絶えず物質界に戻って来ているのだ。
  つまり、復活するために「最後の時」と呼ばれるような時代を待ちはしないのだ。

  人類が物的な惑星に存在する以上、
  魂の輪廻転生というプロセスは絶えず作動し続けるだろう。

  ただ、本当に言えることは、現在は人口爆発により、歴史上の他の時代よりも
  大量の魂が同時に生まれ変わっているということだ。

  こうしてサイクルの終了時に合わせて、
  こうした魂も進化の最も重要な時期に転生する機会を得るのだ。

  これが「最後の時には死者が復活する」という一文を解釈し得る唯一のものだ。

            <感謝合掌 平成28年6月16日 頓首再拝>

イエスの地上での使命~その14 - 伝統

2016/06/17 (Fri) 18:37:09

《イエスの地上での使命~その14》(P353~357)

Q:それでは、原罪に対する信仰はどうですか。
  つまり、人類の先祖だとされる者(アダムとエバ)が罪を犯したので、
  子孫がその行為の結果を償わねばならないということですが。

A:それについては、例を示して答えるとしよう。

  ある男が銀行を襲い、逃亡時に車にはねられ死亡したとしよう。
  彼を裁くことが不可能なので、裁判官が強盗犯の息子に父親の罪を償わせる決断をし、
  親の代わりに監獄に入れようとしたとする。
  君たちは、このような決断を下した裁判官を公平だと見なすのだろうか?


Q:もちろん公平だとは思いませんよ。それに、文明化した国なら
  どこの裁判所だって、そんな決断はしないと思いますよ。

A:人間の正義観から見て、父親の罪を息子に着せるのが異常なのなら、
  どうして神の裁きが人間のもの以下になり得るのだろうか?

  霊界では、各自が自分の行為に責任を取らねばならず、他者のしたことには問われない。
  したがって、原罪や先祖から「継承した」罪などの信念は不公正なもので、
  何の根拠も存在しない。


Q:それでは、先祖から受け継いだ罪という信念は、何に基づいているのですか。

A:確かなことは、各人が自身の行為に責任を取らねばならないことで、
  それは過去生のものであるかもしれないので、先祖の中に過去に転生していた
  自分自身がいた可能性はある。

  これが、そのような信念を正しく解釈し得る唯一のもので、
  転生の存在を認めることで、初めて理解することができる。


            <感謝合掌 平成28年6月17日 頓首再拝>

イエスの地上での使命~その14② - 伝統

2016/06/18 (Sat) 18:40:44

              ・・・

Q:性が罪深く、性関係を慎む者がその他よりも清純で高潔だと信じるのは誤りだ、
  とも言われましたよね。

A:その通りだ。司祭であろうと僧侶や修道士であろうと、宗教家たちに貞潔を誓わせた
  そのような概念を、どこから引き出して来たのか知りたいものだ。


Q:イエスが示した手本によるのだと思いますが。

A:君たちはイエスに性関係がなかったと断言できるほど、
  イエスの私生活を知らないではないか!

  性関係を自制すれば神に近づいたりより純潔になれるなどと、
  イエスが公言したことは一度もない。

  たとえ本当であっても、全人類が生涯にわたって性関係を控える決意をしたとしたら、
  120年以内にこの地球から人間の命は絶えてしまうであろう!

  「生めよふやせよ」ということと矛盾してしまう、と思わんかね?

  もし君たちが、性関係以外の増殖法を知っているとしたら、お教え願いたいものだ。
  過去の時代には、試験管で受精させるなど不可能だったのだよ!


Q:あなたのお話から、性関係はいつも繁殖のためでなければならないと理解するべきでしょうか。

A:もちろん違う。もうそれについては充分話しただろうに。
  進歩した魂にとっては、性関係は親密な愛の表現方法だ。

  それと全く異なるのは、性欲を満たすために、
  あらゆる手段を用いて自由意志が侵害される場合だ。

  特に女性や子どもといった最も弱い者が性商売(売○や小児性犯罪のことだ)に
  従事させられたり、君たちの世界では良くあることだが、実際には愛してもいないのに
  愛していると言ったりして、セックスのために、あらゆる方法で人を操り嘘をつく場合だ。

  イエスはこのようなことを全て、告発したのだ。

  その時代には女性は、性も含めた全ての面において、奴隷に毛が生えた程度に見なされ、
  実質的には何の権利も持っていなかったのだよ。

  男どもは、誰にも文句を言われずに好き放題で、
  女性は、男性の権力の乱用を、宗教の加護にすがって耐えねばならなかった。

  たとえば、離縁され、他に生き延びる手段がないために、売○を強いられた。

  *○:春

  イエスは女性の権利を守るために、大いに闘った。
  女性を性奴隷と見なすことを止めさせ、彼女たちを咎める者を叱責し、
  その惨めな状況は男性のせいなのだと分からせようとした。

  しかし、教会がそれら全てを、性を卑しむ抗弁にすり変えてしまったのだ。


Q:教会は、イエスの母親の聖母マリアを例に挙げて、
  純潔と貞潔を掲げてきたのではないですか。

A:イエスの受胎については一旦置いておくが、
  マリアは大半の女性がそうであるように、伴侶であるヨセフと性関係を持ち始めるまでが
  処女であった。ヨセフとは複数の息子と娘を得たのだが、彼らはイエスの兄弟に当たる。

  特筆すべきなのは、これがキリスト教徒の福音書に記載されており、
  著者たちがイエスに兄弟がいたことを多くの者のように問題視せず、
  現在の教会のようにそれを隠そうともしなかった点だ。

  マリアに他にも子どもがいて、彼らに名と姓があったことは、福音書の様々な節
  (マルコ6, 3; マタイ 13,55; マタイ 12, 46-47; ルカ 8,19-20)に反映されている。

  幾つか例を示してみよう。

  イエスがまだ群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちとが、
  イエスに話そうと思って外に立っていた。

  それで、ある人がイエスに言った、
  「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟がたが、
  あなたに話そうと思って、外に立っておられます」

  「マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセフ、シモンとユダの兄弟ではないか。
  またその姉妹たちも、ここに私たちと一緒にいるではないか」

  他の者は言った、
  「この人は大工のヨセフの子ではないか。母はマリヤといい、兄弟たちは、
  ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。またその姉妹たちもみな、
  まだここで暮らしているではないか。
  ならば、なぜこんなに多くを知り、奇跡を起こせるのだろうか」

  福音書の著者が、イエスに兄弟がいたことを何も問題とせず、恥ずかしがらずに
  それを記載しているのに、なぜその後継者たちが問題視するのだろうか?

             ・・・

Q:今生での行いで未来が永久的に決定され、悪者や異教徒には永遠の処罰と地獄が待ち受け、
  キリスト教徒と信者のみが救われて永遠の栄光を手にする、という信心については
  どのようなご意見ですか。

A:それに関しては、魂の「進化の法則」と霊界でどのように物事が
  作用するかについて説明した時に、時間をかけて広く話した筈だ。

  だが、まだ充分明らかでないのなら、もう一度くりかえそう。

  実に全ての魂は不死であり、魂の目標は、霊性進化のより高次の段階に達することだ。
  したがって、宗教的・政治的信心や人種やその他の資質を問わず
  どんな人間でも、進化の計画から締め出される者は一人もいない。

  すなわち、神やイエスや教会などを信じようが信じまいが、
  または人間的には大失敗であろうと、不死だという性質や、霊的に改善できる可能性を
  失うことなど絶対にない。

  よって、誰にとっても死は存在しないし、永遠に罰せられることもない。

  それに、皆の魂の過去を一人ひとりじっくり回顧したならば、過去生のどれかで、
  誰もが殺人者や人食い人種、またはその両方であったと分かるのだ。

  もし今、それを異常だと思うのであれば、それは霊的に成長できたからであり、
  自分の能力を試すためにくりかえし転生したことで、
  犯した誤ちを修正する無数の機会を得たからである。

  もし、改悛の機会がなくただ一度の人生の行いで、将来が未来永劫にわたって
  決められるのなら、「地獄」はもう満杯で入れる者などいないだろうし、
  「天国」はサハラ砂漠よりも閑散としていることだろう。

            <感謝合掌 平成28年6月18日 頓首再拝>

イエスの地上での使命~その15 - 伝統

2016/06/19 (Sun) 19:45:12

《イエスの地上での使命~その15》(P357~361)

Q:それでは、司祭の前での最期の告解が罪を緩和すると考えられていることに関しては...

A:肉体を離脱した後の魂の行方は、生存中の行為でのみ決まるのだが、
  進化し改善する機会はいつでもあるので、そう決意した瞬間から「救われる」
  チャンスがある。

  だが、それは一朝一夕にはなされず、魂の心底からの変化を伴うものなので、
  反省し自覚して、否定的な態度を修正する時間が必要となる。

  また、霊的な負債や「愛の法則」に反する行為を清算するためには、
  自分の罪業を修復しなければならず、これには強い意志と時間とが必要とされる。

  このことから、司祭によって最期の瞬間に免罪されても、
  肉体の死後の魂の行方を変えることにはならないだろうと推察できるだろう。

                ・・・

Q:しつこくて申し訳ないですが、キリスト教徒と信者のみが救われるという信心に関しては、
  イエス自身が「わたしを信じる者には永遠の命が与えられる」と言って、
  救済されるのは信奉者だという信仰のきっかけを作ったのではないですか。

A:イエスはそういう意味で言ったのではない。

  彼は、各人に霊的な変革を起こさせる秘訣を教え、命は永遠であり、
  それぞれが自らの運命の創作家であることを自覚させたのだ。

  現在の言葉に置き換えるのなら、

  「わたしの言うことと教えを信じる者は、命が永遠であることと、
  『救済』(進化)は本人次第で、その人自身が自らの運命の担い手であることを
  自覚できるだろう」

  となる。

                ・・・

Q:では、キリストの信徒だけが永遠の命を手にするという信心は、
  何に由来するのでしょう。

A:イエスが言ったことが誤って解釈されてしまったためと、教会がさらにそれに、
  「教会の外に救いはない」と付け加えて改変してしまったためだ。

  この場合ではキリスト教徒のことだが、一般的に、特定の宗派の信者のみが救われる
  という信仰は、その宗派の首長自身の考えに過ぎず、信徒の忠誠を確保するために
  利用される謳い文句の一つに過ぎない。

  もっと証拠が欲しいのかね?

  「教会の外に救いはない」というのはラテン語では “extra Ecclesiam nulla salus”
  と言うのだが、これは、イエスが地上に現れてから千余年も経った、1215-1216年に
  開催された第4回ラテラン公会議で、聖キプリアヌスが最初に発言したことを、
  教義に取り入れたものなのだ。

                ・・・

Q:でも、カトリックの信者の多くが、そう確信している筈ですよ。
  つまり、キリスト教徒だけが永遠の命を手にできるのであり、善い信者であり
  救済されるためには、教会の規則に従わなくてはならない、ということですが。

A:いいかね、カトリック教会や他の多くの宗教が、
  善人とは従順であることに等しい、と君たちに信じ込ませたのだ。

  特に、教会の規則に従順になることだと思い込ませ、
  意のままに信者を扱えるようにしたのだ。

  しかし、慈悲深いのと従順なのとは全く異なることだ。

  規則に従順で、社会的に表面上は情け深い人であっても、
  個人的には我欲に完全支配された真の「悪魔」であるかもしれないのだ。

  規則や儀式をひどく愛好したのに隣人を全く愛そうとしなかったパリサイ人を、
  イエス自身も「白く塗った墓」と評し、そういう偽善を批判した。

  反対に、正直者で偽善を嫌う善人なのに、決められた規則に従わないがために、
  人から良く思われない者も沢山いる。そういう正直で誠実な人がいると、
  そうでない者との違いが歴然となるので、危険で蔑むべきだと見なされるのだ。

  ここにイエスの手本がある。

  イエスはユダヤ教会の権威者の命令には従順ではなく、
  勇敢で、自己の霊的な信念に首尾一貫していた。

  自分の考えを公に布教すれば山ほど問題を引き起こすと知っていたが、
  暴力を用いず真実と愛の力で、彼を黙らせようとした輩に立ち向かったのだ。

  多くの人もこれに追随した。

  歴史上には、支配者に「従順」でなかったために、ローマの競技場でライオンに貪られたり、
  異端や黒魔術の宣告を受けて焚き火で焼かれるなど、死に至る拷問を受けた
  正直者や善人の事例は山ほどある。

  しかしそれでも、彼らは、自由で愛すことができたのだから、幸せ者だと見なされるべきだ。
  進化の劣った同胞から苦しめられたので、きっとそれに見合う償いを受けたであろう。

  奴隷のような規則に従い、心と感受性を抑圧し、苦々しい無意味な人生を送って
  自己を嫌悪し、その上宗教に洗脳されて、不毛な苦悩自体が善人にさせてくれるのだ、
  という幻覚を信じる者の状況の方が、ずっと悲惨だ。

  内面では、自由で本当に幸せな者を羨んでいるのだ。

  中には嫉妬により、他者の罪悪感を弄んで、嫌な思いをさせようとする者もいる。

  罪悪感を利用することは、意志放棄をさせるために教会が良く使った
  手口なので、彼らも充分心得ているのだ。

                 ・・・

Q:罪悪感を弄ぶ、とはどういう意味でしょう。

A:自分の不快感を他人のせいにする、ということだ。

Q:弄ばれる人を助けるためにはどうしたらいいでしょうか。

A:その人は最初に、その問題、つまり信条とする観念によって
  自分の意志と感情が実質的に失われてしまったこと、を自覚する必要がある。

  これは、それ自体がもう凄い進歩だ。
  それというのも、普通はこのような人は、自分が他者より上だと思っていて、
  自分の宗派で信用のない人の言うことなどを聞こうとしないからだ。

  それは、教会が、規則に従わない者は「罪人」で信じてはならない悪い仲間だと、
  思い込ませたせいでもある。


  次に、内面を見つめる努力をし始める必要がある。
  本当にしたいと思ってすることは何か、したいのに規則で禁じられてしないことは何か、
  したくないのに規則に強いられてすることは何か、などを自覚することから始める。


  その次のステップは、自由意志という自己の意志力を行使し始めることだ。
  つまり、定められた規則に逆らう必要があろうと、自分の気持ちに従って行動し始めるのだ。

            <感謝合掌 平成28年6月19日 頓首再拝>

イエスの地上での使命~その16 - 伝統

2016/06/20 (Mon) 19:42:42

《イエスの地上での使命~その16》(P361~363)

Q:これまでの長い説明からは、全ての宗教は茶番であり、
  神の御心など全く反映されていない、と結論づけるべきでしょうか。

A:そこまで極端なのは良くない。
  宗教の問題は、霊的に高次な教えを幾つか取り入れてはいても、全てを「神の御言葉」だと、
  一連の信念や規則をパッケージのように、論拠のないまま教義として受容することを
  信者に要請することだ。

  そこには思考の自由も、本当に心に響くことを選ぶ自由も、自分にとって
  嘘や的外れなことを除外する自由も、何を信じ何を信じないかを選択する自由もない。

  宗教の指導者たちは、随分長い間、
  隣人愛などの高次の教えを呼び水として、人を惹き付けてきた。
  魂の成長を阻む、その他の馬鹿げた付け足しの規則には、関心がない人がいたからだ。

  信徒になり、教会の権力者の叱責を怖れて、「神の御言葉」だとされるものを
  問いただす勇気のないまま、自称「神の代理人」に導かれてゆくと、少しずつ自分の意志を
  放棄するようになり、いつしか古書の規則に従って生きるようになるのだ。

  だが、それらの規則は、自己体験に充分な意味づけと満足のゆく答えを与えてくれるには
  時代遅れなので、信者はコルセットをきつく締められて、自由な自己表現を阻まれてしまう。

  意志を放棄をすると、神の御言葉の代弁者として勝手に立候補した者の意のままになるので、
  狂信に向かって進むのだ。

  現存するほとんど全ての宗教・哲学・イデオロギーには、嘘に混じって真実がある。
  自分の心が真実だと見なし進化に役立ちそうなものを、こっちから少し、あっちからも少し、
  と選び取って、自分自身の真実を見つけていくことは、各人の仕事なのだ。

                ・・・

Q:困難な状況にいる時に、生身の人間を信頼して助言がもらえないのであれば、
  その方法にはリスクがありはしませんか。

A:霊的な真相の広い知識を有し、多くの転生と内面改善の努力によって愛の能力を
  さらに発達させたために、霊性において他者を導いて助言できる人が
  君たちの中にいることは確かだ。

  でも、それらの人は仰々しいやり方を取らない。
  司教や聖人だなどと自分で名乗ったりはしないし、
  特別な衣装をまとうこともない。

  彼らは表面的には普通の生活を送っているが、内面を改善したいという強い意志と、
  他者を助けたいという強い思いがある。
  自己顕示も目立ちもせずに、無私で行動し、手本となって教える。

  そして彼らとの比較によって、道徳性がそれほど高くないことが
  明らかになってしまった者たちからの、多大な侮辱と中傷とに耐えなくてはならないのだ。

  霊的世界からの影響は、無神論者であろうと不可知論者であろうと別の宗派の信者であろうと、
  君たち全員の一人ひとりに感じ取られるものだ。

  だが、自分自身で決断するようにと、それはとても精妙になされるのだ。
  先ず一人ひとりが、それぞれの最良のガイドである良心の声を聴き、
  それから進みたい道を選び取るのだ。

(以上で、「イエスの地上での使命」項の紹介を終えます)

            <感謝合掌 平成28年6月20日 頓首再拝>

イエスの地上での使命~その17 - 伝統

2017/11/04 (Sat) 19:52:54

以降は、「魂の法則」の続編「愛の法則」から、
「イエスの地上での使命」関する情報を続けて紹介してまいります。


Q:霊的に成長する上で転生がそれほど重要なことだというのに、
  イエスがそれを直接はっきり話さなかったことに驚きを覚えているのですが。


A:もちろん話したとも。「魂の法則」についても説いたし、
  霊的な進化と関係することは、全部わかりやすく明瞭に教えたのだよ。
  君たちが持つ彼についての情報が正しく完全だとは限らない。

           ・・・

Q:根拠を示せる文書は残っていますか?


A:君たちの世界で、イエスの人柄や功績について本当のことを知っている者は誰もいない。
  彼の思想や人物像や伝達された教えのほんの断片が残っているに過ぎない。

  しかも、僅かに保存できた彼の功績でさえも、その大半が改変、歪曲されてしまい、
  当時の支配層やその後世界を支配してきた者たちにより、人びとの目から隠されてしまった。

  そして、今でもそうされている。
  真実が明らかになると自分たちの利己的な利益が損われると考えているので、
  一切の事実を知られまいとしているのだ。

           ・・・      

Q:でしたら、そのような知識は何も新しいものではないのですか?


A;もちろん違うとも! 
  それは、有史以来、地球のさまざまな場所で伝えられてきたのと同じメッセージだ。

  伝達したのは実際にはいつも同じ霊性の使者たちで、地球の平均よりも進化しており、
  「愛の法則」と他の霊的な法則を熟知した者たちだが、転生した時代によって
  それぞれ異なる名前で知られている。

           ・・・      

Q:でも、どうしてそれを知り得ることがなかったのですか?


A:もう、話したではないか。
  霊性の使者たちが帰ってしまい、その教えが霊的に劣った者たちの手に落ちると、
  彼らによって、当初の教えの中に利己的な考えが織り込まれてしまったのだ。

  元の伝達者たちがいなくなっていたので、改悪を止めることもできなかった。
  イエスという特定のケースにおいても、それと同じことが起こったのだ。

  時の経過と共にイエスの教えは歪められていったが、
  それは常に、支配者たちを有利にするためか、
  彼らの利権を損なわないようにするためだった。

  彼らは書記を雇い、本当の教えを徹底して改変した。
  そうして、支配者たちは人民に知ってほしくないことを消去し、
  書いてあった方が都合がいいことが加筆されたのだ。

           ・・・      

Q:消されてしまった教えはどのようなものですか?


A:ここで一緒に学んできた教えと同じものだ。
  魂の転生についての知識や、進化の法則などである。

  自己の人生と感情に関しては自分で決定できるという各人の権利も該当する。
  動物も含む最も弱く無防備な存在たちの生命と権利を保護して
  尊重しようという呼びかけも同様だ。

  つまり、あらゆるエゴの形態 ― 中でも強欲・貪欲・憎悪 ― と虐待や搾取などを
  糾弾して告発しようとする教えのすべてである。

  このような教えは全部、元々の意味がわからないように、
  意図的に改変されたり消し去られたりしたのだ。

           ・・・     

Q:イエスは自分の教えがいじられないように霊界から防ぐこともできたのに、
  なぜそうしなかったのですか?

 
A:それは自由意志の侵害となってしまうので、イエスであろうと
  他の霊界が遣わす使者であろうと、誰も、世界を望み通りにすることができないのだ。

  唯一できるのは、人間のエゴによって台無しにされてしまったものを
  再建するために再び生まれ変わることだ。

・・・

<関連Web>

(1)伝統板・第二「魂の法則 ①」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6932129

(2)伝統板・第二「魂の法則 ②」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7584891

            <感謝合掌 平成29年11月4日 頓首再拝>

イエスの地上での使命~その18 - 伝統

2017/11/05 (Sun) 20:43:30

(P246~248)

Q:それは、イエスがもう一度地上に生まれ変わるという意味ですか? 
  二度目に戻ってくるのですか?


A:そういうことだが、二度目ではなく、何度も来ているうちのもう一度に過ぎない。

           ・・・   

Q:では、キリストが再来するという予言は本当なのですか?


A:キリスト(ロゴス・キリスト)は、遥か以前に人間の段階を超えることのできた
  大変進化した存在なので、もう転生はしないと話したろう。

  キリストは、霊的な使命を帯びて転生している人間の進化段階にいる魂たちに働きかけるのだ。

  だが、イエスが転生するというのは本当だ。
  もっとも、すでに言った通り、二度目ではないがね。

  でもそれは、一部の人が待ち望むように、カトリック教会の陣頭に立つためではない。
  しかも、キリスト教徒を自認する多くの人たちからは、歓迎されないであろう。

  特にその上層部の者たちにね。なぜならイエスが戻るのは、
  二千年前にユダヤ教会を糾弾した時のように、彼の名においてキリスト教会が創りあげた
  あらゆる欺瞞と失態を暴くことも目的の一部になっているからだ。

           ・・・   

Q:前にイエスがもう一度地上に生まれ変わるかをあなたに質問した時には、
  キリストの例で返答されて(「魂の法則」参照)、今僕がキリストのことを質問すると、
  イエスの話をするのはどうしてですか? 二人は別々の存在なのでしょう?


A:それは、君たちがイエスとキリストとを同一視しているからだ。
  確かに、イエスが再び転生する際には、
  実際にキリストからインスピレーションを授かることになる。

  しかしキリストは、他の大変進化した存在たちが霊性進化の任務遂行のために
  生まれ変わる必要が出る際にも、インスピレーションを与えることができるのだ。

           ・・・   

Q:お言葉からすると、イエス以外の人たちもキリストに感化されていたようですね。


A:当然だ。

           ・・・   

Q:キリストは、救世主イエスが転生していない時期には、
  彼ほど進化していない人たちにもインスピレーションを与えられるのでしょうか?


A:もちろんだ。というのは、キリストの場合も含めて、
  進化した存在たちは皆、特定の時代のたった一人にだけ
  インスピレーションを与えるのではなく、

  イエスほど高いレベルではないとしても、
  無条件の愛を動機にして行動するすべての存在を感化するものなのだ。
 
  転生する人間の進化の程度により、
  キリストやその他の高次の存在たちとの繋がり具合が決まる。

  多くの者が自分を重要人物だと思いたいがために「選ばれた者」になりたがり、
  愛そうとするそぶりをするが、エゴを放棄しようとはしない。

  霊界は、愛の道を進もうとする人には誰にでも手を差し伸べる。
  しかし、エゴが動機となって行動する者は、
  霊的に進化した存在たちからの応援は期待できない。
 
  それゆえ、「選択」とは自分自身でするものであり、
  それは、エゴか愛かのいずれかを選び取ることである。

  どんな影響を惹きつけるかは、自分が選んだものによって違ってくるのだ。

            <感謝合掌 平成29年11月5日 頓首再拝>

イエスの地上での使命~その19 - 伝統

2017/11/06 (Mon) 18:15:01

(P248~250)

Q:キリストとイエスという組み合わせを、どう理解したらいいのでしょう? 
  キリスト意識の状態とでも考えるべきでしょうか?

 
A:キリストというのは高度に進化した霊的な存在で、君たちと同じように、
  独自の意志と個別性をもって存在している。
  それゆえ、ある意識状態という以上のものだ。

  意識状態というのは存在そのものではなく、ある存在の表現形態だからだ。
  人がキリストと繋がると、その人の意識は疑いなく、独りで到達できる限界よりも、
  ずっと広い範囲にまで拡張する。

  この超高次の存在からインスピレーションを与えられると、
  自分の力しかない時よりも確固とした勇気と決断力をもって行動できるので、
  取り組んでいる使命に役立てられるのだ。

           ・・・   

Q:神以外で一番進化している存在は何ですか? 
  その存在は転生していますか? 
  どのような具体的、または全般的な使命があるのですか?


A:進化の段階においては、キリストやイエスが神のすぐ下の存在だと思って
  君がそう訊いているのなら、あらかじめそれは違うと言っておこう。

  霊的な世界は広大で、キリストやイエスよりも高度に進化した存在は無数にいるのだ。
  そのような存在が生まれたのは、私にも進化の歴史を遡れないほど遥か以前のことだが、
  神は常に存在していたし創造をやめたことなどないので、その起源もわからない。
 
  君たちには制約された認識力しかないので、これらの存在に可能な最大の支援法が、
  人間として生まれ変わって地上に降りることだと思っている。

  だからイエスが神の生まれ変わりだと思ったりして、
  神そのものが人間に転生してもおかしくないという考えに至ってしまうのだ。
 
  君たちの限られた視野では、超高度に進化した彼らの力が
  どこまで及ぶのかは、想像だにできない。

  彼らには、星の数ほどある世界と人類の創始者及び管理者として、
  想像し得るよりもずっと大きな責任があるのだ。
  一人の人間に生まれ変わることは、その潜在能力が雀の涙ほどの力に制限されることなのだ。
 
  したがって、彼らが個人の人間として生まれ変わることはない。
  なぜならそれは人間に、蟻として生まれ変わって蟻の生活を送るように
  期待するのに等しいからだ。

  そのため、そういう使命を引き受けるのは、高次の存在の支援を常に受けているものの、
  進化程度が君たちに近い存在たちなのだ。

            <感謝合掌 平成29年11月6日 頓首再拝>

イエスの地上での使命~その20 - 伝統

2017/11/07 (Tue) 19:42:55

(P250~252)
            

Q:イエスが神やキリストの直接の生まれ変わりでないのなら、
  なぜ「私は道であり、真理であり、命である」と言ったのですか?


A:君たちが知っているその文言が、そのままそっくりイエスの口から出たことはない。
  言わずとも普遍的であったメッセージを、
  自分個人のものにしてしまうことはできないからだ。
 
  それは、「私は、霊的世界からの使者としてあなた方に霊性進化の道筋を示し、
  霊的世界の真実と魂の命の真相を教えにやって来た」というメッセージを
  簡略化したものに過ぎない。

           ・・・   

Q:あなたはイエスが何度もやって来たことがあると言われましたが、
  それは、ナザレのイエスという人物として生まれる以前にも
  幾度か転生したことがあるという意味ですか?

 
A:もちろんだ。
  現在の君たちの公の歴史に書かれてもおらず、認知されてもいない古い時代に、
  地球に生まれ変わったことがある。

           ・・・   

Q:それらの人生では何をしたのですか? 

 

A:イエスは君や皆と同じであった。
  そして、充分に進化を遂げてから、霊的なメッセージを携えてやって来たのだ。

           ・・・   

Q:でも、イエスとしてやって来る以前にも、
  過去に似たような使命を果たしたのではないですか? 
  彼のしたことが何か記録に残っていないでしょうか?


A:彼の任務は歴史のどの時代においても、人の魂に刻まれていく霊的な仕事であった。
  歴史の書物にその記述がなかったり、歪められてしまっていても、
  それが無駄になってしまったわけではない。

  なぜなら、霊的な教えに心を掴まれた魂は、その教えを絶対に忘れることがなく、
  以後の転生でそれを表明していくからだ。
 
  イエスは、さまざまな時代の異なる場所に、愛のメッセージをもたらした。

  イエスは、この世の諸悪の根源がエゴであることを
  各時代の人びとに伝える方法を熱心に探し続けた。

  また、魂の諸法則と霊性進化の行程を人びとが理解できるように、
  基礎的な霊的な知識をできる限りやさしく伝えることにも力を尽くした。

  しかしながら、その時代の大部分の人たちは、
  今の時代と比べると知性においても感性においても大変劣っていたので、
  彼の提案した改善案が実施されることはなく、彼が過去の世で認められることもなかった。

  人びとは、超常現象のように思えたイエスの数々の行いに惹きつけられはしたが、
  彼が布教した意味深い霊的な教えを汲み取ることはなかった。

  イエスが特別な存在であることはわかっていたのだが、彼を理解できなかったのだ。
  彼のことを理解することができたのは、最も身近なわずかな弟子たちだけだった。
 
  それゆえ、同じ仕事を続けていく必要がある。
  そのため、当時イエスを理解できた者たちが、
  かつて進化不足のために教えがわからなかった人たちを助けようと、
  現在、継続して任務を担っているのだ。

            <感謝合掌 平成29年11月7日 頓首再拝>

イエスの地上での使命~その21 - 伝統

2017/11/08 (Wed) 20:10:23

(P252~255)

Q:人類が救済されるかは次のイエスの転生次第なのですか? 
  それとも、イエスは過去にも転生していたので、
  また生まれ変わらなくても人類を救うことができるのでしょうか?


A:「救済」というものを人間が愛に向かう霊的な変革と捉えるのであれば、
  ある特別な高次の魂の転生いかんにそれが左右されるわけなどない。

  同時期に大勢の人が変われば集団的に愛の方向へ善い変化を起こせるので、
  それを「人類の救済」と呼べるが、それは特定の人によるのではなく皆によるのだ。

  すでに話したが、霊的に進化するかは、
  個人が自分自身で決断して行動することによって決まるのである。

  イエスや他の高次の存在たちに、
  進化の劣った人間を成長させる義務を負わしてはならない。

  進化した魂たちは、自らの手本を示すことで
  一般人を啓蒙する手助けはできるものの、
  進化するかどうかは個人的かつ自発的なものなのだ。

  これに関しては、全能の神でさえも君たちを強いることはない。

           ・・・ 

Q:イエスの使命への理解が足りないために、彼が戻ってくれば
  僕たちの罪業をあがなってもらえると、思い込んだ部分もあるかもしれませんね。

 
A:その通りだ。
  イエスの犠牲によって全人類が救われるのだとしたら、
  人は善を成すか悪を成すかにかかわらず、
  また何の徳もなく自分の意に反してまでも、救済されてしまうことになる。

  地球に高次の霊的な存在たちがやって来るのは、いつも同じ目的のためだ。
  それは、人類が自ら自覚して成長できるように、その指導をするためなのだ。

  だが、それをするかどうかは人類にかかっている。

           ・・・ 

Q:イエスが十字架上で死んだことと人類の救済とが無関係なのだとしたら、
  なぜそのような大きな犠牲を払う必要があったのでしょうか?

 
A:イエスは殺されるかもしれない危険を冒すことを知っていたが、
  人類に愛の教えを伝えるためにこの世に生まれ出ることを選んだのだ。

  しかもイエスは、人生のある時点で見せられたビジョンによって、
  事態がそのまま進展すれば磔にされて処刑されるとはっきりと知らされ、
  引き下がる選択も与えられている。

  高次の霊的な世界では自由意志が完全に尊重されているので、
  誰にも ―― たとえそれが自分たちと完璧に似通った存在であっても ――
  何の強制もしない。

           ・・・ 

Q:殺されることがわかっていたなら、どうしてそれを避けなかったのですか? 
  これは、あなたが「魂の法則」に反するとする一種の自殺行為に当たりませんか?


A:殺してほしかったわけではないし、磔にされて死んでみたかったわけでもない、
  というのが君の質問への答えだ。

  だが、彼が一個人として勇敢で、どうなろうと最後まで愛の教えを広める
  という手本を示したかったので、それを続けることにしたのだ。
 
  すでに言ったが、イエスの功績は十字架にかかって死んだことではなく、
  神の使者としての任務を果たした果敢さにあるのだ。

  そうすることで、最終的に殉教か処刑となって甚大な苦痛を被ることを
  知っていたにもかかわらず、あえてその代償を引き受けたのだ。

           ・・・ 

Q:イエスが僕たちの罪をあがなうために来たのではなかったのなら、
  彼は旧約聖書が予言する救済者なのですか、それともそうではないのでしょうか?

 
A:イエスは確かに旧約聖書が予告した使者だが、
  カトリック教会が信じさせた目的やイスラエルの民が期待した目的のために
  来たかどうかはそれと別問題である。
 
  イスラエルは、彼らを外国の支配から解放して征服者の国に変えてくれる、
  ダビデ王のような政治的な君主を期待していた。

  だがイエスはそのために来たのではなかった。

  彼の使命は全人類に及ぶもので、物的な統治者としてではなく、
  霊的世界の真相を伝える神の使者としてやって来たのだった。
 
  つまり、間違った馬鹿げたお門違いの信仰の中で
  道を見失って混乱している人類を、暗闇から助け出すために来た。

  イエスは、神や人間の進化について混迷を極めて
  完全にエゴに囚われてしまっている人類に、
  本物の霊性進化の道を示すためにやって来たのだ。

            <感謝合掌 平成29年11月8日 頓首再拝>

イエスの地上での使命~その22 - 伝統

2017/11/09 (Thu) 18:23:26

(P255~252)

Q:歴史に残る偉大な預言者やアヴァター(神の化身)の中には
  ―― モーゼやクリシュナや仏陀のことを考えているのですが ――
  イエスの前世であった人もいるのでしょうか?

 
A:君が名を挙げた人たちは確かに皆イエスと同じ使命を担って
  霊界から遣わされた神の使者だったが、誰もイエス自身ではない。

  彼らは皆同じ大義のために仕えたわけで、
  彼らが生まれ出た社会のメンタリティーの許容度においてだが、
  仕事もそこそこ実を結んだのだ。

           ・・・ 

Q:イエスと仏陀はこの地球にいたことのある最も進化した存在だと言えるでしょうか。

 
A:君たちが知っている者たちの中では、そう言える。

           ・・・ 

Q:でもユダヤの民は、イエスがモーゼの律法に反する考えを持っているとして、
  彼を疎外したのではないですか?

 
A:全員がそうしたわけではない。
  イエスを疎外したのは、ユダヤ教の僧職と彼らに影響された者たちだ。

  それにイエスの考えがモーゼの法に反していたからではなく、
  それがユダヤ聖職者たちが人民に定めた法律にそぐわなかったので、
  モーゼのせいにしたのだ。

  イエスはモーゼの律法を覆しに来たのではなく、
  捏造や改ざんされた箇所から虚偽を振り払い、
  元来授けられた姿で再提示をして、それを遵守するために来たのである。

           ・・・ 

Q:十戒のことを話されているのですか?


A:十戒とは、温存することのできたほんの一握りのもののことなのだ。
  もっともその中には初期の意味合いが変えられて、
  歪められてしまったものもある。

  だがこのことに関してはもう充分話したから、ここで繰り返すのはやめとしよう。
 
  真にモーゼの手になるものは短く簡潔であったが、霊的な観点からは真実であった。
  モーゼの五書は彼のものだとされているが、彼の死後かなり経ってから書かれたもので、
  思いあがった作り話やユダヤ民族の支配者たちが命じたいまわしい逸話に満ちていて、
  彼とは無関係だ。

  だが、有無を言わせずにそれらを正当化するために、神やモーゼのものとしたのだ。

           ・・・ 

Q:イエスのことに戻るのですが、
  イエスが最後に地上に転生していたのは二千年前なのでしょうか、
  それとも僕たちが彼だと気づかなくても、
  その後で再びやって来ていたことがあったのでしょうか?

 
A:最後に転生したのは二千年前にイエスとしてであって、
  それ以後は地球で生まれ変わるためには戻ってきていない。

           ・・・ 

Q:イエスは現在すでに地上に転生していますか?

 
A:いや、まだだ。でも、あともう少しだ。

           ・・・ 

Q:生まれ変わろうという決断やそれをいつにするかは、イエスが決めるのですか? 
  それともイエスの上位にいる存在が決めるのでしょうか?
 
 
A:地球の進化に求められていることとメッセージが最も浸透し得る
  最善の時期を把握した上で、彼自身がその自由意志で決めるのだ。

           ・・・ 

Q:イエスの転生まで、あと正確にどのくらいかかりますか?

 
A:その質問には答えられない。
  でも、そう遠くない未来に生まれ変わるであろう。
  それは物事がどのように進展していくかによるのだ。

  だが、この世代はまだ無理だ。
  とはいえ、その下準備をする者たちが、しばらく前から転生して来ているがね。

           ・・・ 

Q:「その下準備をする者たち」とはどういう意味ですか?
 
 
A:霊的な任務というものは、個人的な孤独な仕事ではないということだ。
  行き当たりばったりに進めるものでもなく、それが実行に移されるかなり前から、
  真剣かつ詳細に計画されるものなのだ。

  それは人類の霊的進化を目的にした集団的な救援であり、
  イエスほどの進化を遂げてはいないが大勢の魂が参加する。

  主役となる使者が活躍する前、最中、またその後に、
  ある者は霊的な次元から援助し、ある者は物理的次元から助けるのだ。

           ・・・ 

Q:どういう準備をするのですか?
 

A:アヴァターが転生する際にメッセージがより広く行き渡るように、
  霊的な教えを少しずつ知らしめて人びとに受け容られやすくするのだ。

           ・・・ 

Q:進化した存在たちが増えるためには、
  地球はどのような環境にあるべきなのでしょうか?

 
A:先にも言った通り、霊的な支援のミッションというものは今回が初めてのことではなく、
  過去の時代に行われた仕事と関連している。

  同じ目的を持った同じ魂たちが、さまざまな時代に生まれ変わっているのだ。

  進化が遅れている者は、愛に関する基本的な知識を学ぼうと努め、
  より高次の者には、自分の愛の能力を発展させる責務と手本となって
  遅れた者たちに愛について教えていく責任がある。
 
  教師的役割を果たす魂たちが進歩するにつれて、彼らの任務はより奥深いものとなる。
  それに伴い、遅れている魂たちも進化していくので、
  霊的な教えをより深く理解して実行しようとする魂の数も増え、
  彼らも教えの伝達者となっていく。
 
  このような霊的な改革の波ごとに、より多くの魂が次々に進化を目指す仲間入りをし、
  進んだ魂の数もだんだんと多くなっていく。

  それゆえ、進化した魂がより多く生まれ出ていることは、
  人類の精神レベルが高まっていることを反映している。

           ・・・ 

Q:今のあなたの「進化した魂がより多く生まれ出ている」という言葉で、
  イエスが言ったとされている福音書の「私よりも、もっと大きな業を行うようになる」
  という一節を思い出しました。

  でもあれから二千年も経ったのに、イエス以上のことを成し遂げられた者がいない
  という点については同意されますよね。

  イエスは間違えてそんなことを言ってしまったのでしょうか、
  それともこの部分も歪曲されてしまっているのでしょうか?


A:ここでイエスが言及していることは、以前すでに話したことだ。
  人間というものは、充分に進化しさえすれば、
  この地球に生きていたイエスと同レベルに到達することができる。

  さらに、魂の進化は留まるところを知らないので、
  彼よりも高次の段階に達することもできる。

  そうなれば、イエスが地上にいた時と同様かそれ以上の能力を持つことが
  可能になるという意味なのだ。
 
  君たちの惑星でいまだに彼ほど大きな愛の能力を発揮できた者がいないのは、
  地球の最も進んだ者でさえそのレベルに辿り着けるほどの時が
  経っていないということだ。

  君たちには長い年月に思えるかもしれないが、
  霊的な視点からの二千年はほんのひと時に過ぎない。

  したがって、イエスは間違ってそう発言したのではないし、
  それは歪曲されてもいない。
  ただ、まだそれが実現する時期になっていないということだ。

           ・・・ 

Q:多くの人が自分が霊的に進化していると思っていて、
  神の使者であると言っていますが、どうなのでしょう?


A:ほとんどの者がそうではない。
  注目を浴びたいあまり有名になりたいという
  願望を述べているに過ぎず、真実ではない。
 
  高次の存在は、その愛する能力と謙虚さや他者の考えや信念を
  どれだけ尊重できるかで見分けることができる。
 
  神の使者を名のる大半の者が自慢をして、
  その状況を名ばかりの優越性で人を圧倒して利益を得ることに利用する。

  人よりもすごいのだと自慢して優位に立とうとする者は謙虚さに欠けており、
  自由意志を尊重することができない。

  それを見れば、彼らが口ほどでもない者であることがわかる。

            <感謝合掌 平成29年11月9日 頓首再拝>

イエスの地上での使命~その23 - 伝統

2017/11/10 (Fri) 19:00:13

(P261~265)

Q:イエスが新たに転生するかについて話していたので、
  彼の再来を予告しているらしい黙示録のことを思い出しましたが、
  その見解は正しいのですね。

 
A:ああ、そういうことだよ。

           ・・・ 

Q:でも黙示録では、地球の未来におけるさまざまな事象についても
  予告をしていますが、その多くが破局的なものです。
  そのような予言は的を得ているのでしょうか? 
  この件について、少し説明していただけないでしょうか?

 
A:前にも言ったと思うが、黙示録というものは、
  起こり得る地球の未来のヨハネによるビジョンの一つに過ぎない。

  ヨハネはその中で、地球で起こる可能性のある一連の事象 ――
  あるものは人間によって引き起こされ、他のものは自然の地質的変化の結果であった ――と、
  その時期に人類が経験する事件や変革を見ることができたのだ。

  そして、彼はそれらを自分の能力の範囲内で、その時代の人たちに伝えようとした。
  全部の事象を一遍に伝えているので、すべてがあっという間に起こる
  という印象を与えるが、実際にはこれらの物事は千年単位の長い期間に及んでおり、
  最終的には人類の霊的な進歩が起こるのである。
 
  その時に、人間は、自分たちがどこから来てどこに向かうのかをはっきり知ることができ、
  人類よりも高次の存在がいるということを発見するだろう。

  神を筆頭に(ロゴス)キリスト、イエス、それに君たちの見知らぬ存在や
  名のない者たちが、人間を愛し、その霊的な成長と幸福とを見守ってくれている
  ことに気づくことになる。

           ・・・ 

Q:黙示録ではキリストの再来を告げると共に、
  反キリストの王国のことにも言及していますが、反キリストはいるのでしょうか? 
  これから生まれ変わるのでしょうか? それはいつでしょう?

 
A:悪において全能な者などは存在しないと話したと思うが、
  害を及ぼそうという明確な目的意識で生まれてくる魂などもいやしない。

  悪いことをしてしまうことになっても、
  霊的なミッションのようにそれを目的にしているわけではない。

  どんな魂であろうとも、あらかじめ悪い意図を持って転生することなどないのだ。

  そうではなく、霊的に進化していないがために、
  生まれ出ると自分のエゴの衝動につき動かされて、
  悪に傾倒してしまうことになる。
 
  したがって、君たちが、反キリストという存在が極悪で、世を破壊して
  キリストやその支持者をやっつけることを目標にして生まれてくる
  と思っているのだとしたら、そんな者は存在しないと言っておこう。

           ・・・ 

Q:反キリストが存在しないのだとしたら、黙示録では
  どういう意味でこの言葉を使っているのですか? 
  それとも、これも文書が改ざんされたせいなのでしょうか?

 
A:ヨハネには、未来で起こる物事が、愛に反する利己的な価値観に支配された
  人類の巨大なエゴのせいに見えたということだ。
  またメッセージの一部は、後世に簡単に改変されないように隠語で伝えられている。

  こう考えれてみれば、反キリストという者は、
  未進化の人間の利己的で野心的かつ無慈悲な面を表した象徴的な存在
  ということになり、そのために兄弟たちに多大な害を与えてしまうのである。

  つまりそれは、エゴが人格化したものなのだ。
 
  また反キリストの王国というのは、エゴに支配された世界を表している。
  我々がキリストの教えを無条件の愛だと受け取るのであれば、
  反キリストとはキリストと反対のことをする者であり、愛と真逆の者のことなのだ。

           ・・・ 

Q:では、皇帝ネロやナポレオンやヒトラーなど人類に大きな痛手を与えた人物たちは、
  反キリストだったのですか、それともそうではないのですか?

 
A:反キリストというレッテルを貼られたこれらの人物は、たいそう利己的な者たちで、
  野心や権力への野望につき動かされて、人類に多大な被害を及ぼした。

  だが彼らのような者は、歴史上には幾らでもいた。
  現在でも存在しているし、エゴが世の中で幅を利かせている限り、
  これからも存在し続けよう。

  世間の目にもっと重々しく怖く映るかもしれないだけで、
  彼らをどのような名で呼ぼうと、今より善くなるわけでも悪くなるわけでもない。

           ・・・ 

Q:黙示録に出てくる世の終わりというくだりは、
  2012年に人類の大惨事が起こるとしているマヤの予言を彷彿させるのですが。

 

A:君は、西洋人がマヤの記録にそう書いてあると思いたい、と言いたいのだろうね。な
  ぜなら、マヤ族の子孫にそのことを訊いてみるなら、
  そんなことはない、と答えるだろうよ。

           ・・・ 

Q:でも2012年には、人類を滅ぼすことになる天変地異とか第三次世界大戦の開始とか、
  何らかの終末的な出来事が起こるのでしょうか? 
 

 
A:2012年には、そういったことは何も起こらない。
  自然災害は、今までと同じような頻度であり続けるだろうが、
  そのどれも、地球環境を破壊させるほど甚大なものではない。

  君たちは自然災害のことをすごく心配しているが、
  それらは君らには防ぎようがないだろう。

  それなのに回避可能な、人間の仕業である戦争や残虐行為などの事象については、
  ほとんど気にかけることがない。
 
  残念ながら君たちの世界で頻発している紛争は、
  現在とほぼ同じような傾向で継続するだろうし、
  愛についての意識が変わらない限り、この状況は続く。

  だが今のところは、地球や人類を破壊するようなことは何も起きない。

  思い起こしてみれば20世紀の終わりにも、ノストラダムスの大予言に基づく
  似たような強迫観念があって、世紀末から21世紀にかけていろいろな大惨事が起きる
  と予告されていた。

  だが、2001年になっても、何も起きなかった。

  些細なことをおおげざにしたのは、多くの人びとの狂信や妄想や無知である。
  このようなお粗末な占いを信じてしまう人たちは、霊的進化という
  真に大切なことに集中できなくなり、恐怖や幻覚の狂気に囚われてしまう。
 
  先にも言ったが、近く到来する変化の根本的なものは霊的なもので、
  これは特定の年や日付に限定されるものではなく、
  何百年にも及ぶ時代を包括するものなのだ。

  2012年にこの世が終わると思っている者たちは、大いに失望するであろう。

            <感謝合掌 平成29年11月10日 頓首再拝>

イエスの地上での使命~その24 - 伝統

2017/11/12 (Sun) 20:01:10

(P265~267)


Q:それから、世界のさまざまな場所で終末感が漂う超常現象が起こって
  ―― ルルドやファティマにおける出現のことです ――
  大きな反響を呼びましたが、そこには真実の部分もあるのでしょうか?


A:本当なのは、霊媒能力を持つ人と直接交信してメッセージを伝えようとする、
  霊的な存在がいるということだ。

  メッセージは個人的なものもあるし、全体に及ぶもののこともある。
 
  通常はそのような出現があっても、体験者に分別があり、
  その現象を言いふらせば精神異常者にされるのがおちだと知っているので、
  あまり大きな騒ぎになることがない。

  だがルルドとファティマのケースでは、それを見たのが子どもたちであり、
  彼らが目撃したことを自然体で話したために有名になったのだ。

           ・・・ 

Q:ルルドとファティマの場合に出現したのはマリア様だったと言いますが、
  それは本当ですか? どんなメッセージを伝えたのでしょうか?


A:いや、現れたのは聖母マリアではない。
  もっともこれは、どちらでもいいことである。
  だが、女性の姿を借りて現れた高次の霊であったというのは確かである。
 
  もっとも、マリアだと名のったわけではない。
  名のることは滅多にないし、名前を言ったとしたなら、それは総称なのだ。

  それが聖母マリアだということになったのは、
  子どもたちが教えられた信仰の人物と結びつけたからか、
  そのヴィジョンの後で、大人たちがそれをマリア様だと
  子どもたちに思い込ませてしまったからである。
 
  もたらされるメッセージは一般的にとても明確で、
  人間が進化するためにこの世に存在していることや、
  エゴを解き放ち愛する能力を発展させねば進化ができないことなど、
  我々が話している内容に沿っている。

  また時には、個人や集団としての利己主義が将来全体的に引き起こすことになる、
  戦争などの未来の危険性についても警告する。

  だがこのようなメッセージを受け取ると、教会がしゃしゃり出て来て、
  自分たちに都合がいいようにそれを歪曲したり、
  利益を損なわれないように知られたくないことを黙殺するのだ。
 
  聖母マリアは特に利用価値がある。
  マリアとおぼしき人物が現れたのは、キリスト教へ改宗するように
  人類に呼びかけるためだと思わせて、さらに信者を増やそうとしたり、
  現状を保持しようとする。

  それに狂信と迷信が加わり、これらの場所は巡礼の中心地となる。
  こうして、信者の狂信と無知の犠牲の上に、莫大な儲けを得るのだ。

           ・・・ 

Q:教えてもらえるとしたらですが、ファティマの第三の秘密とは何でしょう?

 
A:霊的世界が秘密にしておきたいと思ったなら、世に伝えることなどなかった筈だ。

  霊的世界からのお告げに鍵をかけてしまっておくのは、
  それを公にすると明らかになってしまうことを怖れる人間のエゴ、
  特に世の中で物的な支配権を持つ者たちのエゴのせいだ。

  しかし、このことで頭を悩ますのはやめなさい。
  そこで告げられたことは、他の方法で、もう開示されているからだ。

(以上で、「イエスの地上での使命」(愛の法則篇)項の紹介を終えます)

            <感謝合掌 平成29年11月12日 頓首再拝>

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