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がん放置療法 - 夕刻版

2016/04/30 (Sat) 18:57:26


スレッド「がんが消滅していく生き方②」の直近(2016/04/28)の記事《ガンの対症療法》
の中で、(慶応大学の)近藤誠先生が提唱されている「放置療法」があります。
(→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6828827 )


このスレッドでは、
近藤誠さんによる著「「がん放置療法」のすすめ 患者150人の証言」から、
その概要を紹介して参ります。




《前書き》

がんを放っておいたらどんどん増大し進行して死に至る。
早期がんも放っておくと、進行がん、転移がんを経て死亡する。
――これが人々が癌に対して抱いているイメージであり、社会通念であると思われます。

しかし、どんどん進行して死に至る、ということをどうやって確かめたのでしょうか。
なぜなら昔からすべての癌は、発見され次第直ちに治療されてきました。

転移がんを治療しないことはあっても、
早期がんや進行がんを治療せずに済ませることはなかったのです。

   
とすると、がんに対するイメージや社会通念は間違っているかもしれない。
―― これが本書の出発点です。
本書の第一の目的は、がんを放置した場合の実像を伝えることにあります。

私はこれまで、がんを放置する患者を多数診てきました。
私が1980年代に著作活動を始めたころ、「治療を受けたくない」
「がんを放置して様子を見たい」、という人たちが尋ねてくるようになったからです。

がんの種類は胃がん、肺がん、前立腺がん、乳がんなどさまざまで、
進行度も早期がんから進行がん、転移がんとまちまちでした。

   
診察の結果、治療を受ける必要がないと思われる場合には、
その後の経過を定期的に診てきました。

他方で苦痛等の症状があり、日常生活の質が低下している場合には
私のほうから治療を勧めます。

こうして私が定期的に診てきた{がん放置)患者は150人以上になります。


放置してみると、がんの経過はさまざまです。
たいした変化がないケースもあれば、がんが増大して治療を始めるケースもある。
他方ではみるみる癌が縮小し、消失してしまったケースもありました。

こうした診療経験は、

①がん発生の臓器が多種類、
②がんの進行度がいろいろ、
③人数が多い、という特徴があります。さらに、
④大学病院の外来で診てきたという点も重要です。

なぜならば、世間に数限りなく存在する「これで癌が治った」式の言説が、
そもそも本当に癌だったのかという疑問があるからです。

  
これに対し、私が診てきた患者たちは、組織検査で癌と確認されており、
定期的検査(胃レントゲン、内視鏡、超音波、CT等)に携わった医者と
その他多数の病院職員がその証人となれます。

加えて慶応大学病院は、(がん専門病院と同様)
がん治療を推進している巨大組織でもあります。

そうした一外来で、これほど多種多様な癌を治療せずに放置しているというのは、
おそらく世界で唯一無二ではないかと思われます。

だとすれば、この診療経験を私だけのものとしておくのは勿体ない、
世間の人々にも伝えなければ、と考えたのが本書執筆の動機です。

(中略)

本書では患者たちの生の声を大幅に掲載したので、がんを放置するに至った経緯や、
その後の心理状態など、読者には大いに参考になるはずです。

(中略)

各ケースの経過には、どれも教訓と示唆に満ちています。
たとえば、増大し続けると信じられている進行がんでも、縮小するケースがあると知れば、
それだけで癌に対するイメージが崩れるはずです。

   
放置患者の観察・分析から、がんが転移する時期も判明します。
すべてのがんは「本物のがん」か「がんもどき」のどちらかに属し、
「本物」は初発がん発見のはるか以前に転移しているのです。

他方、がん発見当時に転移がない「もどき」は、
放置しても初発巣から転移が生じないことが確認できました。

   
がんは放っておいたら転移してしまうという考えが、
がんにたいする社会通念の一部を構成しています。
転移に対する恐怖や不安が、人々を治療へと駆り立ててきたのです。

―― もし本書を読まれて「本物」と「もどき」の違いを知り、
転移に対する認識を改めることができたなら、
もっと気楽な気持ちでがんに接することができるでしょう。

   
ところで癌を放置してみるというアイディアは私の独創ではありません。
たとえば前立腺がんの一部に対しては、泌尿器科医たちも「監視療法」あるいは
「待機療法」という方法を行なっており、今や標準治療の一つになろうとしています。

ただ、本書で述べる放置・観察の実態は、それらとはだいぶ異なります。
それは名づければ「がん放置療法」です。

(以下、略)


           <感謝合掌 平成28年4月30日 頓首再拝>

前立腺がん~『ケース1』 - 伝統

2016/05/06 (Fri) 17:15:16


     *「「がん放置療法」のすすめ 患者150人の証言」近藤誠・著(P16~28)より

本書に登場する患者さんたちは、2011年の異なった時期にインタビューを受けています。
PSA発見がんは、手術や放射線で治療されるのが一般的です。
PSAが高いほど、患者も医者も不安になって治療することになりがちです。
ここではPSA発見がんで放置・無治療の道を選ばれた方を紹介します。


『ケース1』 「腫瘍マーカーが基準値を超えた」 

『前立腺がんと診断されたのは、2004年11月で53歳のときのことです。
会社の検診で勧められて受けたら、採血検査の中にPSA検査があったのです。

基準が4で、4・3なので微妙に高いと言われた。
俺も最初、がんだと告げられたときは動揺したよ。
53歳だったからびっくりして、死ぬというのが目の前に来た。
でもその時3人の子どもの一番上がまだ中学生だったから、これはまだ○ねないよね。(○:死)

(中略)   

しかし俺には変なこだわりがあってね。
何でも絶対、比較しなくてはあかんといつも思っている。

電化製品を買うにしても、最低3ヶ所は見る。
見積もりは3ヶ所やれと思ってる。

それで、他の病院でも診てもらいたいと担当医に頼むと、すぐ紹介状をサーッと書いてくれた。
それで次に近藤先生のところに受診した。3ヶ所目は行っていない。・・・。

(中略)

最初の印象はすげぇ医者だなと思った。
普通の医者はグチャグチャしゃべるけど、先生はあんまりしゃべらない。
この医者でいいのかなという不安がないわけではなかった。

近藤先生は患者に判断させるわけですよ。
こうしなさい、ああしなさい、とは言わない。
逆に患者の側がある程度勉強しないと物事が進まない。
でも何かやるといえば反対はしないと思うけど。

先生は、もう一度PSAを測ってみよう、前と違うかもしれないし、と。
しかし12.45と高くなっていて、これはまたビビッた。
でもPSAが基準値よりちょっと高いだけで手術というのは滅茶苦茶だと思う。
進行するのは遅いようでそんなに急ぐことはないな、と思った。

近藤先生は、それじゃぁ、半年後くらいにまた診てみますか、という具合だった。
その後は慶応病院へ半年に1回のペースで通った。不安は少しもなかった。

俺自身そんなに進まないなというイメージがあったことと、
近藤先生からいきなり「半年後」と言われたのでそんなもんかな、と変に納得してしまった。
自覚症状もあれば、ちょっとは心配になったかもしれませんね。

半年後に先生を訪ねてもPSAしか測らないし、それも微妙に上がった下がったりだけで、
体はなんともないものね。

こんなのどうってことありませんよ、それでどうこうなる数値ではないよと、
近藤先生にいわれた。

娘に言われて、サプリメントみたいなものを飲んだことがある。
月5千円くらいかかった。
しかし、馬鹿馬鹿しくなってすぐにやめた。
うまいものを食ったほうがよい、関係ねぇなぁ、と思った。

PSA5とか6で、手術など受けるものではない。

3つくらい見積もりをとるというのは、俺の人生の指針みたいなものだね。
1個だけだと誤魔化されかねない。俺には、急いでは損だなという考えがある。
もう少し待っていたらもっとよい治療法が出てくるのではと思う。

自分で何でも決めるというのでもないけど、近藤先生ものんびりしているというか、
早くなんとかせいという感じがまったくないしね。

近藤先生のところに行ってよかった。
ほかの病院に相談に行ったら、治療を勧められてその気になってしまうかもしれないし。

医者は手術をしたくてしょうがない、と聞いていた。
とくに大学病院なんかに行けば絶対そうだからね。
何があっても、切る、ということになってしまう。
それはいかんなぁと僕は思っていた。

前立腺は手術をするのが大変なところです。
ほかの患者さんが医者に勧められるままに、
いとも簡単に手術を受けるのが俺にはびっくりだね。
医者に脅かされて、手術を受けるのかなぁ。

2014年に定年だから診てやれなくなると近藤先生から言われたけど、
診てもらえるうちは診てもらおうと思っていますよ。』

             ・・・

(1)PSA発見がんは、全体の9割以上が「もどき」です。
   がんもどきというのは、病理検査で「癌」と診断されても、
   他臓器に転移していないため、放っておいても死なない癌です。

(2)がんを放っておいて経過を見ることにより、
   「もどき」の可能性はさらに高まります。

(3)本件の患者さんはまったく心配する必要はないのですが、
   「がん」と言われてしまったので、本人は死を意識している。

   「心配いらない」「がんを忘れなさい」と私は言うのですが、
   心理的に刻み込まれた恐怖や不安はなかなか追い払えないようで、
   外来にいつまでも通って来ます。

   多臓器のがんでもそういう方が多いのです。そうなる気持ちはよくわかります。

(4)最近、1人の患者さんが外来を訪れました。
   紹介状によるとPSA発見がんで、PSAは比較的低値でした。

   ただ私の著書を読んだことがなかったとかで、
   『あなたの癌は、がんもどき』(梧桐書院刊)を売店で購入し読まれました。

   やがて診察室に彼を招き入れると、
   ニコニコして「いやぁ、分かりました」「もうけっこうです」、と
   病気について一切話すことなくそのままユーターンして帰られたのです。

   ――がん放置療法の場合、この人は私の理想とする患者像です。

           <感謝合掌 平成28年5月6日 頓首再拝>

前立腺がん~『ケース2』 - 伝統

2016/05/13 (Fri) 18:50:12



『ケース2』 「腫瘍マーカーが上がるのはしょうがない、諦めました」

     *「「がん放置療法」のすすめ 患者150人の証言」近藤誠・著(P28~41)より

『私が前立腺がんと診断されたのは、12年前の1999年61歳の時です。
市でやっていたPSA検査を受けたのです。すると値が 8.5 あり、
精密検査を勧められて一泊の検査入院をしました。

市民病院へ入院するとき、ナースステーションで泌尿器科部長が
「市のほうから検査をやれ、やれ、といわれるから、仕方なしにやっているんですよ。
受けなければ70歳くらいまでは快適に過ごせたのに申し訳ないですね」、
と本音をいってくれました。

このときの生検結果は大丈夫といわれました。
しかし翌年の検診では、PSAは 10.0 に近かった。それでまた針生検を受けたら
前立腺がんが出て、2~10まであるグリーン・スコアの「9」だといわれた。

そして新任の部長は、「9だからすぐに手術を受けたほうがよい。普通なんだけど
悪いのがちょっと混じっている」というのです。
それなのになぜ急に手術を受けねばならないのか、と疑問に思いました。

「奥さんも連れて来てくれ」と言われて、
「夫がインポテンスになるから覚悟しなさい」と言いたいわけです。

まずホルモン療法を始めると言われて、1回だけやりました。
するとたった1本のLH‐RHアナログの注射で、PSAが2・2まで下がった。
だけど気力がなくなり、自分が生きた屍(しかばね)みたいな感じになってしまって・・・。
気分がよくない。

そして、私は近藤さんの『がんと闘うな』を読んでいたので、行ってみるか、と思ったのです。
先生に「ホルモン療法は続けたほうがよいですか」と尋ねたら、「すぐやめなさい」と言われた。
で、その後は1回もやっていない。

「一番よいのは、自然でいることです」といわれた。
いずれ人は死ぬのだし、それで覚悟が決められてそれから気が楽になった。
普通の生活ができる。それでももう12です。自覚症状もない。

近藤先生は「検査なんか受けなくてもいい。来なくていい」というのですが、
私は先生に会いに東京へ来れるし、たまに東京へ出てきたいし、
それで検査のために受診しているのです。

ほかの検査は何もやっていないのですが、PSAくらいはいいだろうと思って受けています。

そうすると値が上がってくるわけです。
10くらいだったのが16になり、26になり、38、50になり、いまは70台で、72です。
急にパッと上がることもある。しかし次の半年に半分くらい下がるのです。
そしてまた・・・。でも、上がってくること自体はしょうがないのです。それは諦めた。

私が今年(2011年)安心したのは、前立腺がんと告げられて12年経っているけども、
平均寿命くらいは生きられるかもしれないと思うようになれたからです。

それは近藤先生の『あなたの癌は、がんもどき』を読んだからです。
放っておくのが一番よいのだけれど、PSAが上がったとしてもいつ治療すればよいのか
その目安はない」と書いてある。

(中略)

普通に生きていれば日本の男性の平均寿命は80歳。
私は今現在73歳だから、先生の本に書いてあったPSAが136になった患者のようになるまでに
4、5年かかるとすると、私が136になるのはおよそ77歳。
それから亡くなるまでに6年半かかるとすると83歳で死亡する。
それならまぁ、普通だと思うのです。

嫌な気持ちで病院通いして、検査だなんだとやられるとそれだけで病気になってしまう。
好きなものは食べられるし、体は動くし、なんにも自覚症状が出ていない、
病院に行かないで済ませられるのなら済ましたほうがよいと思ったのです。』

             ・・・

(1)組織診断には誤診が多い

   私が乳房温存療法を唱導していた頃(80年~90年代前半)、全国から大勢の
   「乳がん」患者があつまって来て、すでに生検を受けていたケースでは組織標本を取り寄せ、
   エキスパートに見直してもらっていました。

   その結果、「乳がん」ケースの1割もが誤診であり、良性だったのです。
   もし彼女たちが元の病院に留まっていたなら、乳房と胸筋を切除されて
   あばら骨の輪郭が見え、腕があがりにくくなっていたはずです。

   この話の怖ろしいところは、誤診率が全国平均で1割だったと推定できる点です。
   そのころ日本では乳房温存療法の施行率がほぼゼロだったので、
   私のところには各地からがん専門病院や大学病院からも患者が集まっており、
   彼女たちも誤診されていたのです。


(2)最近、次のような経験をしました。
   某大学病院で浸潤性膀胱がんと診断された男性は、
   担当医に「膀胱全摘出」を勧められました。

   しかし患者はそれを断り、私のところに来られました。
   遠方から来ているので、膀胱がんの放射線治療を行なっている最寄りの病院を紹介すると、
   再検査が行なわれ、その結果がんではなく「良性」と診断されたのです。

   病理の誤診を防ぐために患者や家族にできることは、
   組織標本を借り出して、別の病院で病理検査をやり直してもらうことです。

   転移がんはそう間違えることはないのですが、比較的早期のがんはもちろんのこと、
   進行がんと言われても誤診の可能性が残るので、
   臓器切除と言われたら病理再検査を是非励行してください。


   その場合に必要なのは、心と時間のゆとりです。

   がんではセカンド・オピニオンが大事とよく言われますが、
   がんの恐怖があるために早く直したいと焦るあまり、
   別の治療法にたどり着くチャンスを失うのがほとんどなのです。

   ましてや病理診断をもう一度確かめてもらう気にはなりにくい。
   ですから再検査の時間を作るためには、心のゆとりが必要なのです。

   本書の目的は、がんは多少放置しても問題はなく、
   治療を受ける前にいろいろ確認する時間はある、
   ということを知らせることが一つの目的でもあります。

(3)放置療法のやり方のまとめ

  ①がん放置期間中は、がんであったことを忘れて、何も検査をしないことがベストです。
   (市町村や職場の検診には、しばしばPSA検査が含まれているので要注意)。

  ②そしてがんに起因すると思われる症状が出たときに、改めて検査して治療法を検討します。
   ただ多くの患者は、何も検査しないのは耐え難いようです。

   その場合、PSAを測るだけで十分なのですが、前述のように直腸診によると
   PSAが誤って高く出てしまい、治療に追い込まれることになります。

  ③PSAがいくつになったら治療を受けたほうがよいとする、
   合理的なデータや理由はありません。

   ひとたび放置治療を始めたら、症状が出ない限り、どこまでPSAが上昇しても
   様子を見るのが理にかなっているのです。

           <感謝合掌 平成28年5月13日 頓首再拝>

精神症状緩和のための治療 - 伝統

2016/05/21 (Sat) 19:49:46


     *「「がん放置療法」のすすめ 患者150人の証言」近藤誠・著(P49~50)より

これまで述べてきたのは肉体面での症状ですが、精神的症状も考慮すべきです。
   
具体的には、がんに対する恐怖や不安がそうです。
がんは怖いという一般通念がある現代社会では特に、がん患者は怯えて暮らすことになり、
それは立派な精神症状と言えるでしょう。

恐怖や不安は、がんを治療しないで放置する場合に一層高まる可能性があります。
がんは「本物」や「もどき」に区別されることを知って放置されることを選んだ場合にも、
不安がなくなるわけではないようです。

転移はあるかないかのどちらかであり、どちらにしても治療が寿命を延ばさないという理屈が、
こうした不安の感情を何とか押さえ込んでいるのが実情でしょう。
したがってこの理屈を理解できないならば、がんを放置することは耐え難い。

PSA発見がんで監視療法を実行した場合、医者が治療の必要を認めない段階であっても、
1割程度の患者が治療を希望することがあるようです(担当医の表情や態度が影響するかも)。

このように(人々に行きわたっているがんに対する)一般通念の効果は絶大なので、
たとえ理屈がわかっている人であっても、PSAが上がってくると恐怖や不安が増大するはずです。

そういう精神状態を好転させるために、治療をしてみなければならない事態も生じます。
それは他の臓器のがん放置療法で時々経験する事態です。

それで私は定期健診時の患者の表情や態度から不安や恐怖心を読み取ったときには、
「そろそろ治療をしましょうか」と水を向け、患者の判断を待つことにしています。

局所症状のないPSA発見がんを治療するとしたら、どの方法がよいか。
臓器転移がなければ手術や放射線のどちらかにする、と考えるのが普通です。

しかし私は、手術は合併症が怖くてとても勧める気にはならない。
その点、放射線治療はベターとは思いますが、やはり合併症があるわけで、
手術にくらべれは少しは「まし」という程度です。

「もどき」に対して、こちらから勧められる代物(しろもの)ではないと考えています。

そこで、ホルモン療法(除睾術)を勧めています。

しかしこれもPSAが50とか100を超えて、相当不安が強いときには仕方がないとしても、
PSAが10と20では行なわないほうがよいと思います。
何もしない状態に比べれば、除睾術も不自然だからです。

           <感謝合掌 平成28年5月21日 頓首再拝>

すでに無意味と判定されているがん検診 - 伝統

2016/05/25 (Wed) 18:37:50


     *「「がん放置療法」のすすめ 患者150人の証言」近藤誠・著(P50~52)より

ここでPSA発見がんの頻度と、PSA検診の是非について解説しておきます。
   
頻度を考える出発点は、国民の死因分析にあります。
この点、前立腺がんが死因となることは多くなく、日本人男性死因の1%にとどまります。

ところががんではなく、他の病気や事故で亡くなった男性を解剖してみると、
前立腺がんが高頻度で見つかるのです。
これを「潜在がん」「潜伏がん」「ラテントがん」などと呼びます。

その発見頻度は高くて、50歳以上の男性の半数以上にラテントがんが見つかります。
もっと詳しく調べるならば、ほぼ全員に発見される可能性があります。

ということはつまり、生きている男性のほとんどの人がラテントがんを持っているはずなのです。
しかし前立腺がんで死亡する人は全男性の1%に過ぎません。
つまりラテントがんのほぼ全部は、放っておいても宿主を死なせることはないのです。

その(宿主を死なせることはない)ラテントがんをわざわざ見つけ出して
治療へと駆り立てるのが、「PSA検診」なのです。

こうした検診は、健康な男性に治療を受けさせることを目的としており、
患者の側には利益はなく、(必要のない治療を受けることで)合併症という
不利益だけが残るのです。

これに対し、検診実施側にはさまざまな利益が生じることになります。
   
まず、検診にかかる費用を(自治体や会社等)誰かが負担してくれるので、医療機関の儲けになる。
(検診で)PSAの値が高ければ短期入院させて針生検が行なえるし、MRI等の検査代も上乗せされる。

手術、放射線、ホルモン治療をすれば、その治療費、入院費、術後の定期診察・検査による
診療費と、その儲けはふくらみます。そして合併症が生じればその治療費でさらに稼げるという、
おぞましい仕組みまでが存在しています。

PSA検診については、大流行している本場米国で新たな動きがありました。
米政府の予防医学作業部会が、これまでに実施された5つの大規模臨床試験の結果を
分析した結果、年齢、人種、家族歴にかかわらず、PSA検査の実施が死亡率を下げるとする
証拠は見出せなかったとして、すべての男性に対し「検査は勧められない」とする
勧告案を発表したのです。(2011年10月8日付「朝日新聞」)

しかし米国でも日本でもPSA検診は、医療機関の経営や、医者の経済的利益に
あまりにも大きく組み込まれてしまっている。

その稼ぎで生計を立てている人々にとってはたとえば、
PSA検診が2割減っただけでも大打撃でしょう。

したがって、どういう勧告が出ようとも、かれら(こうした医療機関)が
自発的にPSA検診を止めるはずはなく、むしろ逆に推進させようとするはずなのです。

つまり、医者の世界も、経済的利益に関わる因習や偏見が一番正しにくいのです。

           <感謝合掌 平成28年5月25日 頓首再拝>

なぜか日本でだけ行なわれている「子宮全摘出手術」 - 伝統

2016/05/28 (Sat) 18:40:54


     *「「がん放置療法」のすすめ 患者150人の証言」近藤誠・著(P53~61)より

ケース1 「上皮内がんで手術を勧められた」

『私が子宮頸がんと診断されたのは5年前です。
2005年の夏、31歳の時に市が行なっている健康診断で、細胞診で3bと診断された。
精密検査のために市立病院の産婦人科を紹介され、組織診で高度異形成と言われました。

この組織診はあまり痛いものではないといわれていますが、私は痛いのです。
長いはさみを膣から挿入して、米粒くらいの組織を切っていくのですが、
ちょっと悪くて硬くなっている部分を何ヶ所も切るのです。もちろん麻酔なしです。

(中略)

子宮頸がんと診断されて、最初はびっくりしてしまいました。
市立病院へ通い出して1年経った2006年の9月のことです。
自宅の電話に、「ちょっとお話があるので病院へ来てください」とあった。

そのとき、「異形成が進んでしまったんだなぁ」と思った。すごくドキドキしました。
病院へ行ったら、「これは上皮内がんで、腺がんだ」とおっしゃっていた。
今後どうするかを尋ねられました。

女医の先生は、流れ作業の事務的な感じの診療でけっこう冷たい。
淡々としているのです。あまり患者と話をしないし・・・。
私はよいイメージは全然ないのです。

先生には円錐切除手術を勧められた。
妊娠、出産に支障はない、と説明されましたが、
私にはちょっと抵抗があったので、悩みました。

うちの母親が近藤先生の本を読んでいて、
「近藤先生のところに行こう」と話しかけてきた。

祖母が最近肝臓がんで亡くなっていて、
母親はそのときに近藤先生の本を買い込んで読んでいたのです。
抗ガン剤をやらなければよかったね、と言って後悔していた。

祖母は国立がんセンター東病院へ入院してすぐ、3ヶ月くらいで亡くなったのです。
抗ガン剤の治療を受けてからが早かった。
抗ガン剤をやるまではものすごく元気だったのに・・・。

ただ市立病院の先生が紹介状を書いてくれなくて、私が未婚で出産経験もないので、
近藤先生のところで放射線治療を行なうと、妊娠できなくなってしまうからということで、
先生とけっこうもめました。
「そんなところへは紹介できない」と、電話口でのやり取りが大変だった。

母親と、「近藤先生のところへ直接行ってしまおう」ということで慶応病院へ電話したのです。
そうしたら先生が電話口に出てくれて、「来なさい」とおっしゃってくれたので
受診したのです。

最初は病理サンプルなども出さない、といわれたのです。
近藤先生に一筆書いてもらったら、すんなり出してくれた。

「これは市立病院へ返却しないで、君がもらっておきなさい。記念として」と言われ、
近藤先生には感謝しています。

「こんなのはおできみたいなものだから、全然気にしなくていいよ」と近藤先生から言われました。
それでもう、私は安心した。今はもう何とも思っていない。
切らなくて、よかったなぁ、と思っています。

友人が扁平上皮がんの子宮頸がんが見つかり、円錐切除の手術をして子宮頸部を切除した。
その後2回妊娠したのですが、2回とも流産してしまった。
たぶん、円錐切除の手術が流産の原因ではないか、と考えています。

私は最初は不安だったのですが、近藤先生と話しているうちに、
いまは自分ががんだという意識さえも薄れてしまっています。
あれからもう5年も経ち、6年目ですから。

最初は私も一生懸命調べましたが、最近はもう安心して何も勉強していまい。

欧米では、慢性炎症と見ている医師が多い。
上皮内がんまではがんではない。
がんは浸潤がん以降ですから。中まで入ってしまっているから。

(中略)

現在、近藤先生のところには、半年に1回のペースで受診しています。
もう近藤先生でないといやだな、というのがあるから・・・。


【解説】                    

子宮頸部の上皮内がんは、ほとんどが「がん・もどき」

子宮頸部の上皮内がんを放置・観察した研究があります。
アメリカの高名ながん専門病院で67人を経過観察したところ、
ゼロ期(上皮内がん)から1期(浸潤がん)に進行したのはわずか4人のみでした。

浸潤した可能性があるが断定はできないケースが5人。
残りの58人中、上皮内がんにとどまった人は41人に上り、
あとの17人は自然消滅してしまった、という報告です(Canser 1963;16:1160)。

(中略)

上皮内がんは放っておけば消えてしまうのが原則で、
スウェーデンでの研究では上皮内がん100人の内、
99人のがんは消えてしまうと推定されています。(J Natl Canser Inst 1993 ;85:1050)

私もこれまで何人もの上皮内がんの放置経過を診てきましたが、
全員が浸潤がんには進行しないでいます。最長では20年以上になります。

今では(本ケースのように)組織検査をすることは止めていますが、
かつて組織診をしていた頃、がんが消えたという報告をもらった患者が2人います。

結局、子宮頸部の上皮内がんは「がんもどき」です。
仮に浸潤していても、1期の浸潤がんの圧倒的多数が「もどき」なので、
手術前に上皮内がんと診断されたものの99%超は「もどき」であると言えるのです。

(中略)

本件の患者は組織診が痛くて「いやだ」と言っています。
婦人科医からすれば、組織診をしなければ分からないのだから
文句を言うな、というところでしょう。

しかし出発点が「異形成」で、上皮内がんも「もどき」ですから、
客観的に見ると不必要なことをして患者を苦しめているだけなのです。

           <感謝合掌 平成28年5月28日 頓首再拝>

なぜか日本でだけ行なわれている「子宮全摘出手術」~その2 - 伝統

2016/06/04 (Sat) 18:16:06


     *「「がん放置療法」のすすめ 患者150人の証言」近藤誠・著(P66~77)より

ケース2 「出血はあるが、今は治療を受けたくありません」

子宮頸がんと診断されたのは2年前で、40歳の時です。
職場の人間ドックで要検査と告げられ、2008年8月から病院へ通うようになりました。

病院では、「確かに異形が出ている。しかしそのまま正常に戻る可能性もある」といわれ、
その後数回受診しました。

「もうそろそろ経過観察もいらないでしょう」といわれていた
矢先に、それまでとは違った少し重い結果が出たのです。

翌年(2009年)の4月に「がんです」と診断されたのですが、
最初の診断は子宮体がんで、子宮全摘出の手術が必要だろうと言われました。

(中略)

先生は、「がんは浅いが広い。3センチぐらい。浸潤部分は2センチ以下くらい。
腺がんだと普通は子宮摘出。でもヴィログランデュラーなので円錐切除ができるかもしれない」と。

「放射線での治療はできないか」と質問すると、
「腺がんは手術と決まっている。手術の決定は会議にかけて癌研独自の方法で決まる。
それが絶対なんです。そこで円錐切除ができないと決まればそれに従わないといけない」。

「慶応病院の近藤先生にも話を聞きたい」と言うと、
それが先生の機嫌をすごく損ねたようでした。

「他の方法でするなら他へ行ってください。放射線なんてあり得ない。
私の本は今度来るまでに読んでおいてください」「これから会議だから」、
と立ち去ろうとしたので夫が引き止めると、「質問しても無駄です。もう何も出てきません」
といって先生は出て行ってしまいました。

私は次の診察予約が入れてありましたがキャンセルし、
画像や生検の資料は返却してもらいました。

慶応病院へ行ったのはそのあとすぐです。

近藤先生は、「がんであることは確かみたいだね」とおっしゃいました。
   
「腺がんでも放射線治療はできる。このタイプは大きくなる可能性があるから、
もしいずれ放射線治療をするのであれば、大きくならないうちのほうがいい」
ということでした。

私と夫は、本物のがんでないかもしれないことや小さくなることを期待しており、
「しばらく様子を見たい」とお願いしました。

婦人科診察は私にとって嫌なことでした。
仕方がないと頭ではわかっていてもそれでも嫌でした。

結果に一喜一憂し、次の診察でがんが大きくなっていたらどうしようと怖かった。
夫も同じだったと思います。
診察前になるとよく眠れなくなるようでした。

私が診察を受けていたのは、治療が云々(うんぬん)というよりは、
自分があとどのくらい生きられるのかを知りたかったからです。

でもそんなことは正確にわかるはずもなく、相当進まないと困った症状は出てこないし、
それまではずい分元気でいられるらしい。

それに「あと何年」と分かったところで私はどうしたいのか。

(中略)

そんなことをぐるぐると考えながら、私はいつ死んでもいいようにしておこうと
行動するようになっていきました。

自分が死ぬことを実感できると、なぜか穏やかな気持ちになるようです。
ですからお花見だって、今でも笑って見に行けます。

2011年4月に、「もう婦人科診察はしたくない」と先生に話しました。
   
そして診察をやめてから不安になることが少なくなり、
病院へ行くことが嫌ではなくなりました。

近藤先生のところで2年間様子を見ました。
最初の診察の時より若干大きくなっているようで、
1b2期に近いのではないかといわれています。

子宮頸がんの死因で多いのは、昔は大量出血か腎不全であり、
私もそうなる可能性があります。

「症状が出てきたらどうするか」と先生に尋ねられますが、
私は今は輸血も透析治療もしたくはありません。

痛みが出てきたらできる限り緩和したいですが、なるべく自然のままでいたい。

これは治療の選択というよりも私の生き方です。
私の希望を近藤先生も夫も大事にしてくれているのがとてもうれしい。

今ある症状は不正出血ですが、自分で十分対処できる程度です。
生理なのか不正出血なのか分からなくて、このままひどくなったら死ぬのかなあ
と思うときもありますが、いつも、なんだ生理だった、とほっとします。

どんな治療を選ぶのかは患者が決める、
ということは一般的に言われるようになってはきましたが、
しかしそこには「治療しない」という選択は入れられてはいないようです。

病気を否認しているだけだと言われたこともあります。
でも将来、困難が生じる可能性も含めて何もしないことを選んでいるのであって、
私は決して人生を放棄しているのではないのです。

              ・・・

【解説】

<「もどき」でも治療したほうがいい場合がある>

がんを「本物」と「もどき」に分ける基準は、多臓器への転移の有無です。
転移があれば治らないからで、この点は子宮頸がんでも変わらない。

ただ頸がんの「もどき」を放置した場合、
がんが増大するとともに周辺の組織に浸潤していくことがあります。

その結果患部から出血し、あるいは子宮のそばの尿管を閉塞することが
死亡の原因となる可能性があるのです。(出血死や腎不全) 
というよりも適切な治療のなかった時代には、
出血と腎不全が子宮頸がんの二大死因だったのです。

それらの中には、転移のある「本物」も多々含まれていたはずですが、
転移でなくなる前に出血や腎不全で亡くなっていたと考えられます。


(中略)

   
日本の子宮頸がんのスタンダード(標準治療)は、世界のそれとは大きく異なります。
1b~2期の状態に対して行なわれる世界的な標準治療は放射線(単独)治療です。
全部を終えるのに2ヶ月近くかかりますが、外来通院で実施が可能です。

これに対し日本で行なわれる治療は、手術であり、広汎子宮全摘術です。
これは子宮はもとより卵巣や卵管、子宮を支える靭帯やリンパ節など
骨盤の中を広く切除する手術であり、合併症が甚大です。

(中略)

私の知るかぎり、広汎子宮全摘術を受けて「人生が変わってしまった」
と嘆く女性が圧倒的多数です。

しかもそれほどの負担を患者に与える手術であっても、
治療の結果は放射線治療のそれと変わらないのです。

そう断言するのは、臨床試験結果があるからです。
イタリアで行なわれた試験では、1b~2a期の患者を2グループに分け、
片方に広汎子宮全摘術、一方に放射線(単独)治療を行いました。

その結果、両者の生存期間や再発率は同じであり、
合併症については放射線治療の方が少なかったのです。(Lancet 1997;350:535)

なお2b期以上では臨床試験の対象となっていません。
これは欧米では、2b期以上の一般的な治療は放射線(単独)治療だからです。

ところが日本では、2b期であっても広汎全摘術を行なう婦人科医が圧倒的なのです。
しかもそれでも癌細胞は取りきれないために、
手術後に放射線を骨盤全体に照射することになる。

それでようやく放射線(単独)治療で行なったのと同程度の再発率や生存期間になるのですが、
そうでなくても手術による合併症は甚大であり、放射線を併用したことにより
状況は一層ひどいことになります。



要するに子宮頸がんの手術は、手術後に放射線を照射することでようやく、
放射線(単独)のみで治療した結果と同じになるわけです。
それなら手術で全摘する必要はなく、最初から放射線(単独)治療にするべきなのです。

イタリアの臨床試験結果が出てから、もう15年になろうとしています。
しかし日本ではいまだに1b期にも2a期にも、
とにかく広汎子宮全摘術がスタンダードとされているのです。
しかも術後に放射線治療の使用頻度も高い。

そこまで患者を危険にさらし、現実に数多くの合併症を作り出しているのです。
なぜ日本だけが前に述べたような科学的根拠(エビデンス)を無視し、
1b~2期の子宮頸がんに手術を行なっているのでしょうか? 

しかも(他の治療法をを提示せず)、
患者に手術のみを勧めるというのはまさに犯罪的ですらあります。
広汎子宮全摘術を続ける婦人科医たちは、
医学的良心をどこかに置き忘れているのではないでしょうか?

(中略)
   
本ケースでは、患者本人は子宮全摘出を嫌がっていました。
外来でのやり取りを見ると、担当医は子宮全摘出に同意させようとすると、
別の病院へ行ってしまう可能性に気づいたようです。

それで子宮温存の可能性を匂わせて入院させ、
そのあと医者やナースの側から説得、脅迫し、
子宮全摘手術に持っていけばよい、と考えたのだと思われます。

このような病院側の真の意図を隠した入院の勧めは、
どのような臓器のがんにおいても見られる現象です。

一度入院してしまうと、自主退院するには大変なエネルギーがいるし、
医者探しを一からやり直すのは手遅れにならないかと心配になるものです。

それで、たいての患者は医者の言いなりになってしまい、
当初は希望しなかった手術を受けさせられることになるのです。

患者や家族はよくよく気をつけてください。

           <感謝合掌 平成28年6月4日 頓首再拝>

マンモグラフィ検診で乳房全適出に追い込まれる女性たち - 伝統

2016/06/10 (Fri) 19:28:40


<小林麻央さん>比較的まれ30代前半の乳がん 治療法は

         *Web:(毎日新聞 6月9日(木)18時15分配信)より

乳がんは女性のがんの中で最も患者数の多い病気だ。
日本人女性の12人に1人がかかり、国立がん研究センターの推計で
2015年に乳がんと診断された人は約9万人にのぼる。

05年には約4万8000人だったため、10年でほぼ倍にまで増えていることになる。
年齢別に見ると、30代から増加し始め、
40代後半から50代前半でピークを迎えて、その後減少する。

30歳になってまもない時期に「なかなか大変」(海老蔵さん談)な状態で
がんが見つかった小林さんのケースは、かなりレアな例と言ってもいいだろう。


《◇女性ホルモンに長くさらされるとリスク上昇》 

誰でもなる恐れがある病気だが、罹患(りかん)リスクが高くなる要因は分かっている。
(1)初潮が早い=11歳以下(2)閉経が遅い=54歳以上(3)初産年齢が高い=30歳以上
(4)妊娠・出産歴がない(5)授乳歴がない(6)祖母、親、子、姉妹に乳がんの人がいる
(7)肥満度が高い(閉経後)(8)喫煙している(9)大量に飲酒する習慣がある
(10)運動不足--の10項目のうち、当てはまる項目が多いほど高リスクだ。

乳がんは女性ホルモンにさらされる期間が長いほど、罹患リスクが上がる。
血管や骨を守り、肌の潤いを保って、心筋梗塞(こうそく)の予防効果もある女性ホルモンだが、
乳がんに関してはメリットばかりではない。

10項目のうち、初潮が早く、閉経が遅く、妊娠・出産経験がない人がリスク高となるのは、
女性ホルモンにさらされる期間が長くなるためだ。

2、3人子供を産むと、授乳中を含め5年ほど月経がなく、
女性ホルモンの分泌が減る期間ができ、相対的に罹患リスクは下がる。

逆に、経口避妊薬(ピル)の使用や、閉経後のホルモン補充療法など、
体外から女性ホルモンを追加する措置を取っていると、リスク上昇の可能性がある。

近年の患者数増加は、少子化で妊娠期間が短くなったことも要因として考えられる。

成人、特に閉経後の場合、肥満も要注意だ。
閉経後、女性ホルモンは脂肪組織で作られ、肥満の人ほど分泌量が増える。
また他の多くのがんと同様、喫煙や多量飲酒も大きなリスクとなる。

逆に定期的な運動をする人は、ほとんど運動をしない人に比べ、罹患率は3分の2ほど低い。

とはいえ、小林さんのように若く、出産を経験していて肥満でもない人でも、
乳がんになることは普通にある。
上記の10項目が一つも当てはまらなくても、リスクはゼロではない。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160609-00000049-mai-soci


・・・

マンモグラフィ検診で乳房全適出に追い込まれる女性たち

     *「「がん放置療法」のすすめ 患者150人の証言」近藤誠・著(P83~88)より

『ケース1』 「がんを放置したが20年以上変化がない」

『会社員のB子さんが右の乳房に異常を感じ、大学病院の外科を訪ねたのは1990年4月のことで、
46歳の時のことです。ところがマンモグラフィ(乳房のレントゲン撮影)で異常があったのは、
右ではなく左の乳房でした。

マンモグラフィ上の乳腺に「微小石灰化」
(細かな白い砂がパラパラ撒かれたような映像)が写ったのです。

その後B子さんは、メスで皮膚を切開して石灰化部位の一部を切り取る「生検」を受けましたが、
病理検査の結果「がんの芽がある」と言われ、入院・手術を勧められました。
つまり乳房全摘出手術をするというのです。

しかしB子さんは手術を断り、切らずに治す方法を選らぶことにし、
91年に知人が紹介した個人病院へ3ヶ月入院しました。
B子さんは多くを語りませんが、民間療法に類したものだったようです。

その頃私は乳房温存療法に関する本を出しており、
B子さんはそれを読まれて92年に私の外来を訪れました。
診察では、乳房にがんを思わせるしこりや腫瘤は触れず、まったく正常でした。

しかし大学病院からの紹介状には、生検で「非浸潤性乳管がん」と書かれています。
それは別名「乳管内乳がん」といい、癌細胞が乳管内部にとどまっているタイプの癌です。
「腫瘍内に石灰化を認めます」とも書かれていました。

B子さんは大学病院から病理標本をもらってきたので、慶応病院の病理医に再検査を依頼すると、
やはり「非浸潤性乳管がん」との返事でした。

「かなり広汎に広がっている。(生検での)取り残しの可能性が高い」と記されていました。
もっとも本件では取り残しではなく、現実です。

つまり①生検後のマンモグラフィでも、石灰化が3センチの範囲残っていること。
②本件では腫瘍内石灰化が確認されていることから、石灰化部位にがん細胞が残っていることが
確実なのです。

非浸潤性乳管がんのケースでは、
石灰化がない部位にまで癌細胞が乳管内を広がっている特徴があります。
それが前の病院で、(がんの広がりを確かめたわけでもないのに)乳房全摘術を勧めた理由です。

さてB子さんの治療ですが、私はこのタイプの癌は「がんもどき」と考えていたこともあり、
治療をためらいました。

もし手術を希望すれば乳房温存の手術をしてくれる外科医を紹介しようと思いましたが、
B子さんは「手術は受けたくない」と。そこで様子を見ることにし、半年に一度受診してもらい
その度にマンモグラフィを撮ることにしました。

しかしそれから何年経っても何も起きない。つまりしこりや腫瘤が生じてこないので、
乳房の診察は異常なしが続きます。マンモグラフィは何度撮っても石灰化は広がらず、
何年経っても何も生じない。

それで診察間隔は1年に1度となり、今では「そろそろ受診をやめたら」と伝えています
。B子さんの慶応病院の初診時からすでに20年が経ち、
最初の大学病院での診断からだと22年になります。』

              ・・・

『ケース2』「転移は、実はがん早期発見のずっと以前に生じていた!」

『1994年の春、購読していた「婦人民主新聞」に、近藤医師の「乳房温存療法」の記事が載りました。
その記事に自己検診のやり方が書いてあったので早速試してみたところ、
右の乳房に何か触れるものを見つけたのです。

「これはがんかも!」と思った私は慶応病院を訪ねました。それは40歳の時でした。
慶応病院では検査がすぐにはできないということで、近藤医師は慶応病院の近所で開業している
同級生に超音波(エコー)検査を依頼し、その日のうちに結果を教えてくれました。

直径がたった5ミリだったので、近藤医師は「こんな小さいの、よく見つけたね」と言い、
心配ないが、経過を診て大きくなるようならまた来るようにと言われました。

ちなみに50歳以下では乳房にできたしこりの8割は良性とのことです。
しかし右胸のしこりは徐々に大きくなっていきました。

大きくなっているのだからこれはがんかもしれないと思いましたが、私は受診しませんでした。
1995年に父が膀胱がんにかかり、当時出ていた近藤医師の本を全部読んで
、がんは一般に信じられているように早く切れば治るというものではない、
ということを納得したからです。(近藤注:父親はその後、がんではなく別の病気で亡くなりました)

私は仕事を休んで1日がかりで病院へ行くのが億劫ということもあり、
その後6年間がんを放置していました。

しかし最後の1年間は急速にがんが大きくなっていると感じ、2000年3月に慶応病院を受診しました。
近藤医師に診てもらったところ、やはりがんで4×4・5になっていました。

先生は、「前に来た時のことを覚えていますよ。ずい分ゆっくり大きくなったなぁ」と言われ、
脇の下のリンパ節にも転移が数個あったので、すぐに治療することになりました。

私のがん細胞は、いったいいつ誕生したのでしょうか?
   
分かっていることは、癌細胞は分裂して倍、倍と育つこと、
私の5ミリのがんが4×4・5になるまでの時間と、
1個のがん細胞の大きさ(約10ミクロン=1ミリの100分の1)です。

ですからそれらからがん細胞が誕生した時期を計算することができます。
先生の本に計算の仕方が書いてあったので計算してみました。
(近藤注:計算結果では、癌細胞の数が倍になるのに8ヶ月を要している) 
すると1994年に5ミリで発見した私のがんが最初に誕生したのは18年前で、
私が22歳の時ということになります。

また2000年には、腋の下のリンパ節への転移に気づいたわけですが、
これを1センチとして計算すると、原発巣のがんの直径がわずか40ミクロン(0・04ミリ)の
大きさの時に転移していたことになります。

がんといえば「早期発見・早期治療」だと言われていますが、
結局、それはがんの成長過程から考えると無理であるようです。』

              ・・・

【解説】

     *「「がん放置療法」のすすめ 患者150人の証言」近藤誠・著(P96~103)より
                            
(1)非浸潤がんは転移しない

   私は乳房温存療法を唱導したこともあって一時期、日本の乳がん患者の1%を診ていました。
   その中には治療せずに様子を見たいという人もおり、希望に従い、無治療で経過を
   観察した患者はこれまで70人以上に上ります。

   その観察結果はおおむね前述のアンケート調査と同じで、大きくなる癌が大部分ですが、
   大きくならないがんも何件かありました。

   しかしアンケート調査には記されていない現象も経験しました、
   全体から見れば小数ですが、放置しているうちに縮小するケースや、
   消失するケースがあったのです。

   特筆すべきはB子さんのような、しこりや腫瘤を作らないタイプの非浸潤がんです。
   そういうケースは何人も診ていますが、大きくなるケースはありませんでした。
   しかし中にはしこりを作るケースもあります。

   B子さんのような非浸潤がんは「がんもどき」の典型で、
   非浸潤がんケース全部が「もどき」です。
   縮小・消失するものはもちろんですが、増大するものも「もどき」と言えます。

   放置していても転移が出現しないことが事実的根拠なのですが、原理的根拠もあります。
   原理的というのは、がんは遺伝子の病気だからです。

   ですから最初に発生したがん幹細胞の遺伝子が、転移する能力を持っていない場合、
   その子孫の癌細胞も同じ遺伝子をを受け継いでいるので、
   いつまでも転移する能力を獲得できないわけです。

   浸潤できなければ転移できないことは当然なので、
   非浸潤がんは生来的に「がんもどき」と言えます。

   このように非浸潤がんは転移できないのですから、
   「がん」という名称は廃止にすべきなのです。

   そう主張するものは私以外にもおり、乳房温存療法の先駆者であるイタリア人外科医が
   「非浸潤がん」という名称を廃し、「良性病変」を意味する病名に変更すべきだと
   呼びかけているのが一例です。(Lancet 2005;365:1727)


(2)浸潤がんにも、「本物のがん」と「もどき」があります。

  ①放置して縮小・消失したら「もどき」でしょう。

  ②増大するがんの中にも「もどき」はたくさんあります。
   ただ、がん直径倍増時間が3か月以内というような、成長速度が極めて速いものは、
   その多くは「本物」であるはずです。


(3)マンモグラフィは受けてはいけない

   ここでB子さんのようなマンモグラフィ発見がんについて検討しておきましょう。
   近年、マンモグラフィ検診が盛んになり、多くの乳がんが見つかっています。
   組織型には非浸潤がんが多いのですが、浸潤がんもあります。

   しかしどちらにしても、しこりや腫瘤がなくて
   マンモグラフィでしか見つからなかった癌は「もどき」です。

   ところが非浸潤がんは乳管内を広がる関係から、
   治療をするとなると乳房を全摘出されてしまうことが非常に多いのです。
   B子さんも最初の病院では、乳房全摘術を勧められています。

   そしてもしB子さんが乳房全摘術を受けていたら、
   放置・観察した場合のように「もどき」であることを証明できなかった。

   ですから外科医たちが、B子さんのようなケースで乳房全摘術を強気で推し進めるのは、
   「もどき」であることが露見するのを怖れる気持ちがあるからだと思われます。

   もどきであれば転移がないのは当然ですが、術後に再発・転移がないことを
   あたかも手術の手柄であるかのように喧伝(けんでん)し、その後の患者にも
   乳房全摘術を勧めるという悪循環がそこにあるのです。

   マンモグラフィ発見がんによると、
   50歳以下の女性に何らかの異変が見つかることが多いことも問題です。

   そのため多くの若い女性が、実際には「もどき」であるのに乳房を全摘されて泣いています。
   つまりマンモグラフィ検診さえ受けなければ、そういう目に遭うことはなかったのです。


   2009年11月、米国政府の予防医学作業部会は、「マンモグラフィによる検診は
   40代の女性には勧められない」とする勧告を出しました。それはがんを検出する精度が低く、
   誤った診断で不必要な組織検査を受けさせられるなど、デメリットが多いことが理由です。
        (2009年11月17日付「朝日新聞」)

   一歩は前進しましたが、まだまだ足りません。
   なぜなら臨床試験では、乳がん死亡を減らす効果も寿命を延ばす効果も認められてはいない
   のですから、マンモグラフィ検診は中止にすべきであり、
   その理由として死亡減少効果がないこととすべきです。

   ただ(すべての女性にとはせず)、40代の女性にと限った消極的な表現ではありますが、
   米国政府機関がマンモグラフィ検診を勧められないと公表した事実は重く受け止められるべきです。   
   なぜなら乳がん罹患率が米国よりも低い日本では、より一層勧められないことになるからです。

   ところが日本の検診関係者はこの勧告を無視しており、
   相変わらずマンモグラフィの検診を推し進めています。

   そして有名芸能人や企業、一般人たちを巻き込んで
   「ピンクりぼん運動」なるものまで推進するありさまです。

   しかしそうであっても、マンモグラフィ検診でしか発見できないものは、「もどき」なのです。
   したがって乳房を全摘された女性はピンクリボン運動の被害者なのです。
   そんな罪つくりな運動にかかわることも推進することも止めるべきなのです。

   近年、私は、マンモグラフィ発見がんで非浸潤がんと診断がつけられている人には、
   次のようにアドバイスしています。

   「乳がんと診断されたことを忘れて生活しなさい」
   「これまで受けた検診や生検、病理診断、外科医に言われたことはなかったことにしなさい」
   「もう2度と、マンモグラフィは受けないこと」
   「石灰化はいつまでも残るので、受ければ同じことの繰り返しになりますよ」と。

           <感謝合掌 平成28年6月10日 頓首再拝>

元気で長生きしたいなら「がん検診」は受ける必要はない - 伝統

2016/06/17 (Fri) 18:18:05


     *「「がん放置療法」のすすめ 患者150人の証言」近藤誠・著(P104~109)より

「がんと診断されてすぐに手術や抗ガン剤治療などを受けたのに、助からなかった」と
悔やむがん患者や家族はあまりにも多いのですが、それには「早期発見・早期治療は正しい」
とする「がん一元論」の考え方が広まっていることと関係しています。

すなわち、早期がんを放っておくと周囲の組織へがんが浸潤するとし、他の臓器へ転移する
進行がんとなり、さらに末期がんとなって死に直面するという考え方があるのです。

いわゆる「多段階発がん説」で、これによれば、早期発見・早期治療が正しいということになります。

さて私たちの体は60兆個の細胞からつくられていて、1個の細胞には2万個を超える
遺伝子が存在しています。がん細胞はそのうちの複数の、がん関連遺伝子が変異して発生します。

多段階発がん説とは、このとき一定の順序に従った遺伝子変異の積み重ねによって、
がん細胞の悪性化が段階的に進み、早期がんから進行がん、末期がんへと進行する
とする考え方のことです。

これは「ポリーブがん化説」ともいいます。

しかし、検査などでは、その中間段階と思われる病変をなかなか見つけることができません。
「ポリーブがん化説」に批判的な研究者の間にでは、「がん化というのは、夜にしか起こらない
のでは・・・そんあバカな、ハッハッハッ」と揶揄されている始末なのです。

この点私はこの説とは異なり、がんは発生当初から他臓器へ転移する「本物のがん」と、
転移しない「がんもどき」の、性質が異なる2種類のがんがあるという
「がん二元論」が正当と考えています。

「本物のがん」は、多臓器移転を引き起こす関連遺伝子に変異が生じたがんであり、
「がんもどき」は変異が認められないがんです。転移を可能とする遺伝子の有無は、
がん細胞の発生時に決定されているのであり、発生後に変わることはないというのが
このの考え方の根幹です。

実は1970年~80年代に、「大腸ポリープがん化説」の誤りが
日本人研究者によって指摘されています。

そしてこれまでこの「ポリープがん化説」こそが、すべてのがんは早期発見して
治療を行なわなければ、多臓器へも転移して進行がんに進展するという、
「多段階発がん説」を支える重要な理論的支柱となってきたのです。

たとえば乳がんでは、非浸潤がんを放置しておくと浸潤がんに進展して転移する
(だから早期に乳房全摘術が必要)、とする考え方です。

しかし「ポリープがん化説」が崩れてしまった今、「多段階発がん説」はもちろんのこと、
すべてのがんの「早期発見・早期治療」の根拠も消失しているのです。

(中略)
   
さて、がん細胞は正常細胞の遺伝子変異により発生し、それが分裂・増殖すること
で一塊(ひとかたまり)のがん、つまり悪性腫瘍をつくります。

そのため、従来は悪性腫瘍を構成する数億、数十億のがん細胞は、
どれも同じ性質を持ったものと考えられてきました。

しかし実際にはがん細胞には、いくつかの異なった性質を持つものが複数のものがあり、
その中に悪性腫瘍のがんをつくり出す大本のがん細胞があることが明らかにされたのです。
それが「がん細胞幹」です。

1個のがん幹細胞が発生するとその増殖によって、
同じがん幹細胞と激しく増殖・分裂する前駆がん細胞がつくられます。
さらにそれから分化した細胞もつくられます。

重要なの葉がん幹細胞も前駆細胞も分化細胞も、正常細胞から発生した1個のがん幹細胞から
分裂・増殖してつくられることです。
したがって、これらの細胞は原則的に、すべて同じ変遺伝子を持っているわけです。

では他の臓器へ転移して命を奪う「本物のがん」と、
転移しない「がんもどき」の違いはどの時点で生まれるのでしょうか? 

(中略)

がん細胞幹の存在が最初に明らかにされたのは1997年のことで、
カナダ・トロント大学のジョン・ディック教授によって白血病細胞の中から発見されました。
その後乳がんや脳腫瘍、食道がん、肝臓がん、大腸がんなどのがん幹細胞が見つかっています。

それは最初の11個のがん幹細胞が発生したその時であり、
つまりその時点で「本物のがん」と「がんもどき」が決定づけられています。

がん細胞の発生後に、おもむろに遺伝子変異が積み重なって悪性度が高まり、
がんが周囲の組織へ浸潤し、さらには他臓器へも転移するようになるという
「多段階がん説」は誤りなのです。

そのことはがん幹細胞の発見という事実によっても裏づけられるのです。

           <感謝合掌 平成28年6月17日 頓首再拝>

Re: がん放置療法 - imppbdcvqMail URL

2020/08/29 (Sat) 03:51:19

伝統板・第二
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