伝統板・第二

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陰陽の原理 - 伝統

2016/04/22 (Fri) 03:35:25

「生命(せいめい)」の陰陽調和

          *『生命の實相』第37巻幸福篇上(4月22日)」より

1917年発行『心理学報告』にはこんなことが書いてある。
催眠術の大家アルルッツが試みた催眠術の実験についてである ――

「被術者は不透明な外套のようなもので覆われ、耳には綿をつめられ、
(注・五官の視覚および聴覚により何が行われるかを知らしめないようにしたのである)
そして一枚の厚いガラス板を一方の腕の前方に掲げ置いた。

こうして被術者を催眠状態に誘導して後、そのガラス板に向けて触手法(しょくしゅほう=パス)
を行なった。するとその側の腕は知覚を脱出し、その反対の側の腕には知覚が増大した。

このような結果はかかる操作がどんな結果になるだろうということを予期しない場合も
同様に起こった。

アルルッツはその被術者は、どんな感覚からも、触手(パス)をいかに行なっているか、
その事情の端緒さえも感知することができないようにしてあったし、
触手(パス)に対する先入的知識は何も与えてなかったと信じている。

したがってアルルッツは触手(パス)によって起こる被術者の腕の感覚の異状は、
術者の手から放射する一種の神経エネルギーに基づくものであると考えている。」


手から放射する神経エネルギーとは生長の家で言っている生命磁気である。
人体とは、「生命」の考案製作せる腹腔という容器に内臓という電解成分を容れたる
一種の電池装置であると観る場合には、両手はその電池の両極であるし、
人体を馬蹄形磁石装置であると見る場合には、両手は磁石の両極である。

したがって両手において「生命(せいめい)」の電磁的作用が他の部分より強力なることは
有りうべきことである。

ともかく、人体は帯電生物であることは、赤血球沈降反応(赤沈反応)によっても
明らかであるし、早大心理学教室の嘘発見器の電気計における指示電波の変化によっても
分かるのである。


物質の帯電現象は、生命の陰陽調和が現象界に投影せるものであるから、
現象の陰陽あることを知って、「生命(せいめい)」の陰陽調和を知るべきであり、
その調和が隠蔽されることによって現象の陰陽調和が破れるのである。

結核病の赤枕反応の異常も、心の不調和が反映せることは明らかであり
時には男女の不調和の思い、父母、夫婦の不調和などの投影であることがある。

            <感謝合掌 平成28年4月22日 頓首再拝>

父性母性一体の原理 - 伝統

2016/05/05 (Thu) 04:18:14


          *「生活と人間の再建」第6章(P93~95)より

ここに1個の銀貨があるとせよ。
それは表と裏とで全体である。

表は陽であり、男性である。
裏は陰であり、女性である。

然しそれは2つに分かれていないのである。
そのままで1つなのである。

裏側が賛成しないのに、表側だけを支払うということは出来ないのである。
表側が賛成しないのに裏側だけを支払うということも出来ないのである。

表と裏とで1つなのである。
夫婦とはかく如きものである。

1個の銀貨はそれが多少傷ついていても、さびていても、
表と裏とを2つに分けることも出来ないし、そのままでやはり、
本来の値打ちを持っているのである。

自動車にひかれて銀貨が少し曲がっていても、
1弗(ドル)の銀貨はやはり1弗に通用するのである。

そのように人間の値打ちも夫婦互いに一体であり、
そのどちらかが錆びていても、傷ついていてもその神性にはかわりは無いのである。

表と裏とは一体であり拝みあいである。
夫婦の純潔ということは互いに一体であるその神性を
疑わないで尊敬するということである。

そして現象の姿がどうであろうともその実相の完全さを信じて拝むことであるのである。


創世記によれば「神いい給(たま)わく、吾らの像(かたち)の如く人を造り・・・
これを女と男に造り給えり』とあるが、それは色々に解釈されるのであるが、
後(のち)に創世記第2章に於いてアダムの肋骨(ろっこつ)をとりて女性たるイヴを
造り給うたという事実からみれば、

「男と女に造り給えり」ということは、人間は最初、神の如く男女両性であった
という事を現しているという事が出来るのである。

神は一切のものの生み出される「創造の原理」であって、
もしその「創造の原理」が男性のみであったならばそこから生まれてきたものは
悉(ことごと)く男性のみとならなければならないのである。

又もし「創造の原理」となる神が単なる母性即ち女性のみならば
そこから生まれたものは女性のみとならなければならないのである。

だから創造されたるものに男女の性別があるという事実から考えれば、
神なる「創造原理」の中には、父性と母性とが、換言すれば男性と女性とが同時に
内包(ないほう)せられていたものだと云わなくてはならないのである。

従って、神の像(かたち)に造られたる最初の人間は男性女性「同一人格」の中に
包蔵(ほうぞう)される所の、父性即ち母性の人間で
あったといわなければならないのである。

即ち人間の人格の完成せる像は「父性・母性」一体のものであるべきはずのものである。

これは即ちギリシャの神話に於いて、人間は本来男女両性であったものが、
ジュピターの神によって男性と女性とに切り分けられたるものであるという
象徴物語に一致するのである。

即ち創世記に於ける、最初の神の像に造られたる人間は、
《男女一体なる所の「一人格」》であったのである。
その時には一人格が中和して尚「性」というものが現れていないのである。

しかしながら「《人一人なるはよろしからず》」とて、
最初の人間の原型の中から「女性」を切り分けられた時に、
そこに「性」というものが生じたのである。

従って性別というものは本来の像ではなく、一体なるものが互いに愛するように、
一人では愛を実現することが出来ないから、男女両性に切り分けられたものである
と云うことが出来るのである。

そこで結婚というものは、本来一体なる所の「一人格」が陰陽の性別にかりに
現れたものが、もとの1つに結合して人格の高次の完成を成就するためのものである
と云うことができるのである。

            <感謝合掌 平成28年5月5日 頓首再拝>

陰陽拝み合う~陽は陰によって保ち、陰は陽によって保つ - 伝統

2016/06/10 (Fri) 04:54:43


            *「光明道中記」(6月10日)より

家庭はひとつの宇宙(いえ)であって、建物のことではない。
それは其処に宇宙の模型があらわれていることである。
それは完全なる小宇宙でなければならない。

其処には伊邪那岐命と伊邪那美命との産霊(むすび)の力が
調和して行ぜられなければならないのである。

男性は遠心力であり、女性は求心力である。夫婦調和である。
天は外にひろがり、地は内に固まる。
男性は外進が天分であり、女性は内整が天分である。

外進と内整とが整うたとき「子(みこ)」が生れる。
「子(みこ)」とは一切の生産(つくり)であり建設(かため)である。
一切の生物ことごとく天地の気(き)合(がっ)して生ずるのである。

地は天を載せて運行し、天は地を覆うてめぐる。
万物かくの如くして調和し、万ずの生命斯(か)くの如くして生ずるのである。
天地が顛倒(あべこべ)になってはならぬ。陰陽が逆転(さかさま)になってはならぬ。

雌鳥(めんどり)が暁(あかつき)を告ぐるとき禍い相踵(あいつ)いで起り、
嚊(かかあ)天下の家庭は衰滅するのである。
夫婦調和が天地の法則である。

併し陽は陰によって保ち、陰は陽によって保つ。

どちらも互いに感謝し合わねばならぬ。

            <感謝合掌 平成28年6月10日 頓首再拝>

陽と陰と愛と智慧と - 伝統

2016/08/17 (Wed) 03:18:22


         *「光明法語」(8月17日)より

一つの神分化して陽陰となり、
陽陰互いに相結んで万物を生ずるは、分化と綜合である。

愛は陽にして暖かく智慧は陰にして冷酷に審判く。
愛は善悪を共に包容して赦さんとし、
智慧は善悪をあざやかに分けて敢えて混同を許さない。

愛はより多く女性の徳であり、
智慧はより多く男性の徳である。

愛の勝れたる人は温かく見え、
智慧の勝れたる人は冷たくく見ゆ。

然りと雖も、愛のみの人もなく、智慧のみの人もない。

陽(愛)と陰(智慧)と「一」より分化してまた合して無数の変化を生ず。


            <感謝合掌 平成28年8月17日 頓首再拝>

創造は、陰陽の分化により行われる - 伝統

2016/08/19 (Fri) 04:23:06


          *光明法語「8月18日~19日)より

人間性の無限の味

神は「一」より凡ゆる変化差別を生ぜんが為に「一」より陽陰、愛と智慧を分化し、
それを結び合わせて無数の配合(コンビネーション)を作ったのである。

「一」より二生じ、二より四生じ、四より八生じ、八より十六生じ、
十六より三十二を生じ、三十二より六十四生ず・・・・・・・・・・

かくの如くして無限に一切のものは発展するが故に、
全ての人間も単に「愛に強き人」とか「義に強き人」とか概括して言うことは出来ない。

愛の強き人のうちにも、不思議に「義に強き人」もあり、
その人間味はまことに掬(きく)すべき哉(かな)。

・・・

一神にして陽陰二神なり


神はかく分化と綜合にによって万物を創り給う。

故に、神は『唯一神』または「絶対者」であり給うと同時に、
その創造にあたっては陽陰に分化して創造せざるを得ない。

それ故、神は絶対神にして同時に陽神なり、イザナギなり。
同時に陰神なり、イザナミなり。
イザナギとイザナミを相結んで万物生ず。

女性の肉体は柔らかく骨を包んで露骨に現さず内に陰(かく)すは「陰」となり。
併しその内性の「愛」は温かき故「陽」なり。

女性は外陰・内陽。

陰のみの者なし、陽のみの者なし。

            <感謝合掌 平成28年8月19日 頓首再拝>

陰陽調和の日 - 伝統

2017/03/03 (Fri) 04:47:23


           *「光明道中記」(3月3日)より

今日は桃の節句である。

三はミツであり、水であり、水は冷たく陰である。
陰は漂(ただよ)えるものである。

それを貫くものがなければ、永遠に「水」は漂うていて、
一定の形にまで固定しないのである。

「陽」あって「陰」を貫く ―― これを結びと言う。
陰陽結ばれれば其処に「固成(かため)」を生ずる、
これを修理固成(むすびかため)と言う。

「漂える国をつくり固め成せとのりごちて、天沼矛(あめのぬぼこ)
を賜(たま)いて言依(ことよ)さしたまいき」と『古事記』にあるのは、
漂える「陰」を、天沼矛を以て刺し貫きて、結び固めよとの意義である。

宇宙の創造も、小宇宙なる「人間」の創造も同様である。

海原(地球)を貫いて陽光射し、其処に生物生じ、
暗黒(かげ<陰>)を貫いて光ただ射し万物生じたのである。

陰は貫くものがなければ、一定の相(すがた)はない。
それはまだ身を固めた存在ではない。
結婚(むすびかため)が完成していないからである。

陰は陽によって身を固めたものとなり、運命が定まる。

宇宙も人間も同じ組織で出来ている。
水の上に浮かぶものあり、水乗(みの)り<実>と言う。

そは桃の実であり、核のうちに桃太郎を蔵す。

水は女性で流れる許(ばか)りだが、
男性があってそこに中心が出来、生む作(はたら)きを完成する。

            <感謝合掌 平成29年3月3日 頓首再拝>

「陰陽」と「中庸」の関係について - 伝統

2017/03/18 (Sat) 04:28:21


       *「「第六感」で決めると、すべてに迷わなくなる!」
         普天間 直弘・著(P39~40)より

脳、肉体、思考、感情など、さまざまなアイテムやツールを使って、
魂のスキルアップをするために人間に生まれてきたと私は感じています。

そして、そのような私たちが住む「陰陽の世界」は、
比較するもので自分自身を知ることができる一方、その比較によって
劣等感や不平不満、妬みや嫉みといった厄介な感情も生み出します。

飢餓や災害は別として、私たちが味わう心の苦しみの大半は、
何かと何かの比較によって生まれているといっても過言ではないでしょう。

 
心が「ずれる」ということは、
心が「陰」または「陽」のどちらかに偏ってしまうことです。
「太極図(参考~http://paostao.blog66.fc2.com/blog-entry-674.html
をご覧ください。
どこかで一度くらいは見覚えのある図ではないでしょうか。

勾玉(まがたま)のような形をした黒と白は「陰=黒」「陽=白」を表していて、
黒と白の割合は常に同じ量が描かれています。
 
どうして直線で真っすぐに分かれず、波を打つような曲線になっているかというと、
陰と陽は、はっきりと真ん中で分けられるものではなく、
陰に傾いているものもあれば、陽に傾いているものもある意味です。

「陽極まれば陰となる」「陰極まれば陽となる」という言葉もあるように、
二つの極は、流動的に動いていることを表しています。

それぞれの中に小さな白丸と黒丸が描かれているのも、
陽の中に陰があり、陰の中に陽があるというように、
物事すべてが正確に分けられないことを示しているのです。
 
たとえ悲しい出来事が起きたとしても、同じだけ楽しくて幸せなことも起きることを
「太極図」は教えてくれています。

陰が悪くて陽が良いという短絡的な発想ではなく、
陰と陽の二つがあって物事が成り立つことを表現しています。

そして、波を打つように描かれた白と黒を分けるラインこそが、
「中庸」と呼ばれる状態のことなのです。

陰と陽の世界にとらわれず、常に流れるようにたゆたう真ん中の「中庸」を
歩くことができれば、私たちは最も本来の私自身らしく、
この人生を豊かに生ききることができるのです。

            <感謝合掌 平成29年3月18日 頓首再拝>

《陰極陽転の日》 - 伝統

2017/03/29 (Wed) 03:58:29


         *「生長の家」(昭和16年11月19日の法語)より

   《陰暦10月1日、住吉大神が三韓征伐に発ち給いし日。
   新に生長の家秋の記念日と定む》


   万物は陰を負いて陽を抱く、冲気以て和を為す。 (老子)


   霊は陽にして、みずから積極的に動く。
   れは能動的である。

   物は陰にして、みずから積極的には動かない。
   それは受動的である。

   霊は陰にして陰はカゲであるから顕れない。
   物は陽にして、陽はアラハであるから表面に顕れて動く。

   霊の外性は陰、内性は陽、物の外性は陽、内性は陰。

   霊と物との陰陽性について言い争う必要はない。

   すべて陰を負い陽を抱き、中心に和している。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295

            <感謝合掌 平成29年3月29日 頓首再拝>

陰陽ともに喜べるのが「生長の家」 - 伝統

2017/04/17 (Mon) 04:38:34

          *「生長の家」(昭和16年11月20日の法語)より

   1日のうちにも昼があり、夜があり、昼は陽であり、夜は陰である。
   陰陽相いだいて 『中(ちゅう)』 を得て
   和ととのい、調和成り立つ。

   陰はいつまでも陰ではなく、陰の中に陽があるからである。
   陽はいつまでも陽ではなく、陽の中に陰があるからである。

   霊は陰(かげ)であり現れないが活気溌剌としている。
   物は陽(あらは)であり外面に突出するが内に生命乏しきものである。

   外面困難の陰気のときに吾等は霊をやしない、
   外面溌剌たる陽のときに吾等は物をやしなう。

   いずれも吾等を養いならざるはない。

   陰気のときにも陽気のときにも喜べるのが生長の家である。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=295


            <感謝合掌 平成29年4月17日 頓首再拝>

宇宙の根本設計としての陰陽調和 - 伝統

2017/05/14 (Sun) 03:24:38


      *「心と食物と人相と」第1部<健康と食物と心の関係>(P27)より

万物はすべて陽と陰との調和を得た場合によって成り立っているのであります。

陽と陰との調和がやぶれると、そこに破壊が起こるのであります。

原子という小さな物質も、まんなかに陽電気をもったエネルギーの中心体
(すなわち原子核)があり、その周囲に陰電気をもった電子があります。

その中心体になっている原子核が破壊されて、陽と陰とのバランスが破れると
原子の崩壊が起こって、その原資はこわれてしまうのであります。

家庭でも男性(陽)が家長であって、中心座にいまして、家長が死にますと
一家離散することになるのであります。

太陽系統でも陽が中心座にいまして、陰が、太陽の周囲をめぐるのであります。
もし太陽が崩壊してしまえば、地球その他遊星には生物は存在し得なくなる
のであります。

万物は、陽と陰との調和が必要であります。

            <感謝合掌 平成29年5月14日 頓首再拝>

陰陽の原理 - 伝統

2017/05/27 (Sat) 04:26:39


            *『限りなく日本を愛す』(P91)より

天之御中主なる「主(しゅ)」にして「中(ちゅう)」、
「中」にして「主」なる神は、そのままでは創造が完成しないのである。

それは「陽の原理」(タカミムスビ)と、「陰の原理」(カミムスビ)とに
剖判(ぼうはん)し出でたのである。

「タカ」は高く、タクましく、タケ高(たか)く、猛(たけ)しく聳(そび)ゆる
原理であり、男性原理を象徴するのである。

「カカ」は「幽之(かすかの)又幽(またかすか)」である。
カカミムスビとカが重複するので、一字を約して、単にカミムスビとしたのである
と私は解釈しているのである。

「カ」の字は、カスカ、カゼ、カスミ、カクレル、カゲなどの語字によって
明かなるが如く、内に幽玄にカクれている原理であり、
それは陰(かげ)であり、陰(いん)である。

中心の「一」は剖判(ぼうはん)して陰陽と分れ、
再び、陰陽が交流して、創造がいとなまれるのである。

陰陽は別個の如くであるけれども、本来一体であるのである。
本来一体でありながら、その職能や働きの分担を異にするのである。

            <感謝合掌 平成29年5月27日 頓首再拝>

天国に於ける夫婦愛 - 伝統

2017/07/08 (Sat) 04:15:16


           *「光明法語」(7月8日)より

ひとたび相手を真に放ってしまった時に、愛は清まって真に法愛たるを得るのである。
キリストは「天国に於いては、彼等は結婚せず、夫婦関係もなく、天の使の如し」と
言っている。これは決して天国では人間が、中性的な人間になる意味ではない。

すべての創造は唯一者の陰陽への分化とその融合によって行なわれるのである。

それはキリストの言った天国の状態は陰陽の結合の否定ではなく、
それは猥雑な肉的関係がないと云う意味に過ぎない。

天国に於ける陰陽の結合は魂に於いて音楽の合奏の如く行なわれる。

            <感謝合掌 平成29年7月8日 頓首再拝>

陽と陰と愛と智慧と - 伝統

2017/08/17 (Thu) 04:43:13


          *「光明法語」(8月17日)より

一つの神分化して陽陰となり、陽陰互いに相結んで万物を生ずるは、分化と綜合である。

愛は陽にして暖かく智慧は陰にして冷酷に審判く。
愛は善悪を共に包容して赦さんとし、
智慧は善悪をあざやかに分けて敢えて混同を許さない。

愛はより多く女性の徳であり、
智慧はより多く男性の徳である。

愛の勝れたる人は温かく見え、
智慧の勝れたる人は冷たくく見ゆ。

然りと雖も、愛のみの人もなく、智慧のみの人もない。

陽(愛)と陰(智慧)と「一」より分化してまた合して無数の変化を生ず。

            <感謝合掌 平成29年8月17日 頓首再拝>

人間性の無限の味 - 伝統

2017/08/18 (Fri) 03:54:21


          *「光明法語」(8月18日)より

神は「一」より凡ゆる変化差別を生ぜんが為に「一」より陽陰、愛と智慧を分化し、
それを結び合わせて無数の配合(コンビネーション)を作ったのである。

「一」より二生じ、二より四生じ、四より八生じ、八より十六生じ、
十六より三十二を生じ、三十二より六十四生ず・・・・・・・・・・

かくの如くして無限に一切のものは発展するが故に、
全ての人間も単に「愛に強き人」とか「義に強き人」とか概括して言うことは出来ない。

愛の強き人のうちにも、不思議に「義に強き人」もあり、
その人間味はまことに掬(きく)すべき哉(かな)。

            <感謝合掌 平成29年8月18日 頓首再拝>

一神にして陽陰二神なり - 伝統

2017/08/19 (Sat) 03:55:58


          *「光明法語」(8月19日)より


神はかく分化と綜合にによって万物を創り給う。

故に、神は『唯一神』または「絶対者」であり給うと同時に、
その創造にあたっては陽陰に分化して創造せざるを得ない。

それ故、神は絶対神にして同時に陽神なり、イザナギなり。
同時に陰神なり、イザナミなり。
イザナギとイザナミを相結んで万物生ず。

女性の肉体は柔らかく骨を包んで露骨に現さず内に陰(かく)すは「陰」となり。
併しその内性の「愛」は温かき故「陽」なり。

女性は外陰・内陽。

陰のみの者なし、陽のみの者なし。


            <感謝合掌 平成29年8月19日 頓首再拝>

陰陽二神の文化と結合 - 伝統

2017/09/05 (Tue) 04:53:05


          *「古事記と現代の預言」第2章第7節(P31~32)より

   宇宙の本源である普遍の神なる天之御中主神というのは
   陰陽左右どちらにも偏らない神様でありますが、

   『古事記』には『次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、
   次に神産巣日神(かみむすびのかみ)』という神様が
   現われているのであります。

   「高御(たかみ)」というのは、語源的に解釈しますと、
   「た」は「高(たか)」とか、「たくましい」とか、「凧(たこ)」とか
   「立つ」とか、まだいろいろありますけれども、
   とにかく上に秀でている意味をもっているのが「高(たか)」であります。

   「神産巣日神(かみむすびのかみ)」の最初の「かみ」は、
   高御産巣日神の「高」に対して「カミ」は「下身(かみ)」を
   あらわしております。

   「タカ御産巣日」に対して「カミ御産巣日」と、
   もう一つ「御(み)」を附けなければならぬのでありますけれども、
   併し「カミミムスビ」となりますと「ミ」が二つ重なるものでありますから、
   「ミ」を一つ省略して、そして一方は「たかみむすび」、
   他方は「かみむすび」となっているわけであります。

   「カミ」を解りやすいために「下身(かみ)」という漢字に当て嵌めましたが、
   「か」というのは、「「高(たか)」に対して低いことを意味しています。

   低い方を「下部(かぶ)」というのですね、樹(き)の切り株(カブ) 
   大根の長いのに対して低いのを「かぶ」(蕪)又は「かぶら」といいます。
   ”かぶら”の背の高いのは見たことがないのです。

   元来「か」というのは語源的に解釈しますと、「微(かす)か」であり、
   「幽(かす)か」であって秀でていない、幽微なるもの、微かであって
   表面にあらわれないので、縁の下の力持ちみたいなハタラキをするのが、
   この「神産巣日神」が象徴している女性の働きであります。

   微かであって、表面には見えない、あんまり目立たない働きをするものの
   頭文字に「か」がついた名詞が多いのであります。

   例えば「香り」とか「霞」とか「風」とかいう。

   香りなんかでも見た人はないのであってあんまり目立たないで、
   よい匂いがしている。

   「霞」もあまり目立たない。
   霞がかかると景色がボンヤリして目立たなくなる。

   風なんかもソヨソヨと肌には触るけれども、風を見た人はないのですね。

   このように幽かであって目立たない働きが、この「か」の言霊であります。

   「カミムスビ」の「カミ」はその「目立たない身」という意味です。

   「タカミムスビ」「タカミ」は「高き身」「逞しき身」であって、
   これは目立って秀でている男性の「身」であります。

   このように”タカミムスビ”と”カミムスビ”と二柱の神様が
   陽神と陰神とであって
   互いに「むすぶ」働きの神様であるという訳であります。

            <感謝合掌 平成29年9月5日 頓首再拝>

父性原理と母性原理の表現 - 伝統

2017/12/16 (Sat) 03:54:49


        *『幸福を招く365章』第3項(P64~65) より

《受けて感謝 与えて祝福》

与えると受けるとは、両方とも神の愛の出入口である。
与えるは父性愛であり、受けるは母性愛である。

両方ともに感謝が伴うとき、そこに天国が誕生するのである。
今まで受けて来たもの、今、受けつつあるもの、未来に受けんとしつつあるもの
一切に対して感謝せよ。

「有りがとうございます」は母性原理の表現、受ける感謝の表現である。
しかし受ける感謝ばかりでは足りないのである。

受けるは消極的である。
与えるは積極的である。

それは「与える祝福」(吾れ汝に幸福を与う)の父性原理に一段と飛躍するとき、
諸極と積極、受動と能動とが整備して人生に本当の天国が生まれるのである。

            <感謝合掌 平成29年12月16日 頓首再拝>

《美しき結び》 - 伝統

2017/12/24 (Sun) 03:25:29


         *「光明法語」(12月24日)より

ネクタイを結ぶにも左は中心であり、右はその中心に従って巻くのである。
かくて美しきネクタイの結び目はつくられる。

左は良人であり、右は妻である。

箒で掃くにも、擂鉢をすりこ木で摩するのも、左手は上にありて中心を保つ。
右手はその中心に従って動くのである。

太陽系統では、大なる陽(太陽)を中心としてすべての遊星は動く、
遊星は自ら光を放たず陰である。

物質の原子も、中央に陽電気エネルギーの原子核あり、
その周囲を陰電子はめぐるのである。

            <感謝合掌 平成29年12月24日 頓首再拝>

陰陽調和 - 伝統

2018/03/03 (Sat) 04:34:22


           *「光明道中記」(3月3日 陰陽調和の日)より

【性的結合は、霊魂が地上の世界へ招かれるための信号旗である ―― その最も
 明瞭にして 緊要な条件は、精虫が卵子を貫穿(かんせん)するという事である。
                      (『生命の實相』第五巻)】


今日は桃の節句である。

三はミツであり、水であり、水は冷たく陰である。
陰は漂(ただよ)えるものである。

それを貫くものがなければ、永遠に「水」は漂うていて、
一定の形にまで固定しないのである。

「陽」あって「陰」を貫く ―― これを結びと言う。
陰陽結ばれれば其処に「固成(かため)」を生ずる、
これを修理固成(むすびかため)と言う。

「漂える国をつくり固め成せとのりごちて、天沼矛(あめのぬぼこ)
を賜(たま)いて言依(ことよ)さしたまいき」と『古事記』にあるのは、
漂える「陰」を、天沼矛を以て刺し貫きて、結び固めよとの意義である。

宇宙の創造も、小宇宙なる「人間」の創造も同様である。

海原(地球)を貫いて陽光射し、其処に生物生じ、
暗黒(かげ<陰>)を貫いて光ただ射し万物生じたのである。

陰は貫くものがなければ、一定の相(すがた)はない。
それはまだ身を固めた存在ではない。
結婚(むすびかため)が完成していないからである。

陰は陽によって身を固めたものとなり、運命が定まる。

宇宙も人間も同じ組織で出来ている。
水の上に浮かぶものあり、水乗(みの)り<実>と言う。

そは桃の実であり、核のうちに桃太郎を蔵す。

水は女性で流れる許(ばか)りだが、
男性があってそこに中心が出来、生む作(はたら)きを完成する。

            <感謝合掌 平成30年3月3日 頓首再拝>

陰陽の調和と云うこと - 伝統

2018/03/18 (Sun) 03:49:44

         *「叡智の断片」(P31~32)より

すべての善は、陰陽の調和より来るのである。

天の氣と、地の氣との調和がそこなわれば作物は育たず、天変地変来り、
或いは旱魃となり、或いは水害をひき起す、
家庭に陰陽調和せざるときは家族に不健康生じ、子供は病弱となる。

食物にも陰陽あり、食物の陰陽調わざるときは、即ち病いを生ず。

「天地一切のものに調和せよ」とは
人間はどんな食物を食べても病気にならぬと頑張ることではないのである。

食物には食物の法則あり、適時、適処、適人、適量と云うことあり。
適不適を知り、それに逆らわぬことが和解である。

食物そのものには悪はあらねども、
人間が無智にして法則を知らぬがゆえに、
適時と滴処と適量とをあやまり害を惹き起す。

物質もとより自性なきなり。
適によって慈となり、不適によって害となる。

達人は自然の嗜好が適にかなうが故に、
自然の本能にまかせて取捨選擇して害はなけれども、

達人ならぬ人は達人の指し示す法則に従いて、
誤れる自己の本能を調節して害をまぬがる。

概して加里鹽の多き食物は陰性なり。
ナトリウム鹽及びカルシム鹽多き食物は陽性なり。

ナトリウム鹽とは食鹽なり。
鹽氣多き食物は引き締まりて堅実性を示し、
加里鹽多き食物は柔らかく膨らみて分散性を示す。

心に膨れる因ある者は、
加里鹽多き食物を食すれば、それが縁となりて腫物を生ず。

因縁相応じて果を生ずるのである。
因のみありて、縁なければ果を生ぜず、
縁のみありて因なければ果を生ぜず。

因果を超えるとは因果を撥無することにあらず、
因縁因果の理を知りてそれを超えること、恰も空気を無視するにあらずして
空気の流体圧力の理を知りて、空気を超える飛行機のごときものである。

食物節制の理も達人となりて心の趣くところ其の矩を越えざる境に到らざる限り、
科学者の栄養論また無視すべきに非ず、又民間の食用論必ずしも排斥すべきに非ず。

排斥すべきは一を知りて二を知らず排他的に凝り固まりたる心なり。

即(つ)いて離れずと云うことあり。
排斥せずとて、それに即いて執すれば、それ又心結ばれて悪となる。

法則に随って法則にとらわれず、事に応じて適を忘れず、
人を容れて寛恕にして偏狭あらざるを以って、
天地一切に和解すると云うのである。

            <感謝合掌 平成30年3月18日 頓首再拝>

食物の陰陽 - 伝統

2018/03/20 (Tue) 04:12:01


           *「光明道中記」(3月20日 根気の良くなる日)より

【陰陽結ばれた所に生かす力が湧いて来る。(『生命の實相』第六巻)】

植物食の中でも色々の食物がある。
その食物の中に内在する「心的存在(こころのなみ)」は
その植物の性質(こころ)だけの
相異である。

速やかに成長して速やかに腐敗し枯死するような植物には、その通りの心がある。
そいう「心」を含んでいる食物を食すれば、吾々の神の子としての自覚が
積極的に相手を支配しない限り、自分が受動的である限り、
速やかに伸びて持続性のない性質が引き出される。

(悟って超越すれば別である)

類似のものが類似のものを引き出すのである。

昆布、大根、蒟蒻(こんにゃく)、蓮根(れんこん)などの「コン」の名の附く食物は
「根気」をよくし、持続性を強める。
これは言葉の類似による「類は類を呼ぶ」心の法則の応用である。

牛蒡(ごぼう)などは一以て貫く精神のあらわれとして、
食すれば終始一貫持続性を強める。

伸びるばかりで自分ひとりで立つことの出来ない瓜類、蔓藷(つるいも)類などは
引締る力のないものとして、引締る力のある塩気を強く鹹(しおから)くして
食すべきである。

塩気は物を引締るから肉類などを鹹(しおから)くすると硬くなりすぎる。
万物は陰陽で保つ。求心力と遠心力である。

塩気は求心力、霊の力であり、
水気は遠心力 ―― ぶよぶよと膨れて外にひろがる力である。
家庭にも食物にも調和が必要である。
(以上、石塚食養法の理論)

            <感謝合掌 平成30年3月20日 頓首再拝>

「生命(せいめい)」の陰陽調和 - 伝統

2018/04/22 (Sun) 03:42:58


          *『生命の實相』第37巻幸福篇上(4月22日)」より

1917年発行『心理学報告』にはこんなことが書いてある。
催眠術の大家アルルッツが試みた催眠術の実験についてである ――

「被術者は不透明な外套のようなもので覆われ、耳には綿をつめられ、
(注・五官の視覚および聴覚により何が行われるかを知らしめないようにしたのである)
そして一枚の厚いガラス板を一方の腕の前方に掲げ置いた。

こうして被術者を催眠状態に誘導して後、そのガラス板に向けて
触手法(しょくしゅほう=パス)を行なった。
するとその側の腕は知覚を脱出し、その反対の側の腕には知覚が増大した。

このような結果はかかる操作がどんな結果になるだろうということを
予期しない場合も同様に起こった。

アルルッツはその被術者は、どんな感覚からも、
触手(パス)をいかに行なっているか、
その事情の端緒さえも感知することができないようにしてあったし、
触手(パス)に対する先入的知識は何も与えてなかったと信じている。

したがってアルルッツは触手(パス)によって起こる被術者の腕の感覚の異状は、
術者の手から放射する一種の神経エネルギーに基づくものであると考えている。」


手から放射する神経エネルギーとは生長の家で言っている生命磁気である。
人体とは、「生命」の考案製作せる腹腔という容器に内臓という電解成分を容れたる
一種の電池装置であると観る場合には、両手はその電池の両極であるし、
人体を馬蹄形磁石装置であると見る場合には、両手は磁石の両極である。

したがって両手において「生命(せいめい)」の
電磁的作用が他の部分より強力なることは有りうべきことである。

ともかく、人体は帯電生物であることは、赤血球沈降反応(赤沈反応)によっても
明らかであるし、早大心理学教室の嘘発見器の電気計における指示電波の変化に
よっても分かるのである。


物質の帯電現象は、生命の陰陽調和が現象界に投影せるものであるから、
現象の陰陽あることを知って、「生命(せいめい)」の陰陽調和を知るべきであり、
その調和が隠蔽されることによって現象の陰陽調和が破れるのである。

結核病の赤枕反応の異常も、心の不調和が反映せることは明らかであり
時には男女の不調和の思い、父母、夫婦の不調和などの投影であることがある。

            <感謝合掌 平成30年4月22日 頓首再拝>

天国に於ける陰陽の結合 - 伝統

2018/07/08 (Sun) 04:26:26


      *「光明法語」(7月8日 天国に於ける夫婦愛)より

ひとたび相手を真に放ってしまった時に、愛は清まって真に法愛たるを得るのである。
キリストは「天国に於いては、彼等は結婚せず、夫婦関係もなく、天の使の如し」と
言っている。これは決して天国では人間が、中性的な人間になる意味ではない。

すべての創造は唯一者の陰陽への分化とその融合によって行なわれるのである。

それはキリストの言った天国の状態は陰陽の結合の否定ではなく、
それは猥雑な肉的関係がないと云う意味に過ぎない。

天国に於ける陰陽の結合は魂に於いて音楽の合奏の如く行なわれる。

            <感謝合掌 平成30年7月8日 頓首再拝>

陽と陰と愛と智慧と - 伝統

2018/08/17 (Fri) 04:23:52


      *「光明法語」(8月17日)より

一つの神分化して陽陰となり、
陽陰互いに相結んで万物を生ずるは、分化と綜合である。

愛は陽にして暖かく智慧は陰にして冷酷に審判く。
愛は善悪を共に包容して赦さんとし、
智慧は善悪をあざやかに分けて敢えて混同を許さない。

愛はより多く女性の徳であり、
智慧はより多く男性の徳である。

愛の勝れたる人は温かく見え、
智慧の勝れたる人は冷たくく見ゆ。

然りと雖も、愛のみの人もなく、智慧のみの人もない。

陽(愛)と陰(智慧)と「一」より分化してまた合して無数の変化を生ず。

            <感謝合掌 平成30年8月17日 頓首再拝>

神は、陽陰に分化して創造す - 伝統

2018/08/19 (Sun) 04:40:18


      *「光明法語」(8月19日 一神にして陽陰二神なり)より

神はかく分化と綜合にによって万物を創り給う。

故に、神は『唯一神』または「絶対者」であり給うと同時に、
その創造にあたっては陽陰に分化して創造せざるを得ない。

それ故、神は絶対神にして同時に陽神なり、イザナギなり。
同時に陰神なり、イザナミなり。
イザナギとイザナミを相結んで万物生ず。

女性の肉体は柔らかく骨を包んで露骨に現さず内に陰(かく)すは「陰」となり。
併しその内性の「愛」は温かき故「陽」なり。

女性は外陰・内陽。

陰のみの者なし、陽のみの者なし。

            <感謝合掌 平成30年8月19日 頓首再拝>

陰極陽転の理 - 伝統

2018/08/23 (Thu) 03:57:58


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月23日)より

不満足さえも、またまことにありがたいことではある。
不満足があるので、われわれは信仰に志し、真理に到達し、
救われることができたのである。

不満足に対してさえもわれらが感謝するとき、どこに真の「不満足」があるか、
「不満足」と見えたのは「満足」の偽装であり仮面にすぎない。

陰極陽転の理は昭々として明らかである。
資源不足して人造の代用品いたるところに満ち、人知の進歩かえって増大する。
不足は増大の本である。

窮せずんば伸び、窮すればさらに伸びる。
人はまことに伸びるしか知らぬ偉大なる存在である。

           <感謝合掌 平成30年8月23日 頓首再拝>

陰と陽のバランス - 伝統

2018/09/12 (Wed) 03:04:39


       *宇宙にたった1つの神様の仕組み フリーエネルギー版  
        飯島 秀行・著(P110~112)より

宇宙は、目の見えない空の世界と目に見える物質の世界の、
バランスで存在しています。

目に見える物質界も、男と女、雄と雌、のようにバランスが存在し、
目に見えない世界にも、嫌気性、好気性というようなバランスで存在しています。

また、空と物質もバランスで存在する、
宇宙は大調和で存在しているのです。

この自然が作ったバランスを崩せば、自然は永久運動はできません。
地球の運動が止まれば、人類は勿論、地球に存在する全てのものは、
死に絶えます。


人間は、その事を承知しているのでしょうか。
知らないと思います。
知っているなら、自然を破壊しないと思います。

動植物とて、お互いバランスで存在しているのに、
人が生活し難いからといって、森林を伐採して、
人間だけが動きやすい環境を作ります。

しかしそこには、人間を生かしてれる、陰陽のバランスが存在している
事に、人間は気づいていないのです。

当然自然は、自然に戻すために、バランスを取る働きを生じます。

人が手間暇、時間をかけて築き上げて来た、町や村は、
一瞬のうちに壊されてしまい、更地になってしまうのです。

地震や津波は、偶然に起こるものではありません。
起こるのは、起こるだけの、原因があるのです。
起こった原因は、どんな理由があろうと、
自然のバランスを崩した結果なのです。

人間は、自分の都合勝手で自然を壊し、
災害が有ると、天災だから仕方ない、と天に責任転嫁します。

天は嘆いていると思います。

それでも天は、我々を見捨てず、バランスを取ってくれる、
偉大な神なのです。

そろそろ我々は、天に恩返しをしなければ、ならないと思います。

壊し放題壊し、汚し放題汚して来た、空気や水や大地を整理し、
自然と共に汚さない社会を、築き上げなければ、
更なる天の裁きを、受けなければなりません。

汚せば汚すほど、大きな天災が待っています。

天に逆らった社会を作るのではなく、天とバランスを取った社会を
作る事が、大事な仕事なのです。


これは、空と大地のバランスさけではなく、
すべての陰陽のバランスに、共通していえる事です。

           <感謝合掌 平成30年9月12日 頓首再拝>

宇宙生成の原理 - 伝統

2018/11/16 (Fri) 02:52:21


         『美しき生活』(P7~8)より

事物の成るのは総て言(ことば)によって成るのであって、
『鳴る』『成る』ともに同一語源であります。

「な」の片仮名は「ナ」であって「十」字であります。
「十」字は縦横交叉陰陽交叉のカミの象徴であります。

片仮名は片仮名と書きますが、実は象仮名(かたかな)であります。
「鳴ル」の「ル」は循環回転の言霊(ことば)であって、
宇宙に鳴り亙(わた)る相(すがた)を現しております。

一切の事物が+(かみ)のコトバの循環回転であるから、
事物の成就することをナルと云うのであります。

『ナ』は+(かみ)であり、名前であります。
名というのはコトバであります。

コトバのない神はない。
だから『神はコトバとト偕(とも)に在り、神はコトバなりき』と
ヨハネ伝には書いてある。

宇宙にはこの生ける火水(かみ)の原理<陰陽の原理>が
充ち満ちておりまして、そうしてそれが振動しているのであります。

宇宙が成るというのは、生々溌剌活機臨々としてコトバの響きが
循環回転していることであります。

生ける火水(かみ)の原理でありますから、総ての事物は
陰陽揃っているのが普通であります。

           <感謝合掌 平成30年11月16日 頓首再拝>

『生長の家』なる普遍的原理 - 伝統

2018/12/07 (Fri) 04:32:23


         *『美しき生活』(P8)より

『十』は陰陽交叉であるから
『完全』を表わす『十』の記号になっているのであります。

キリスト教の十字も、実は自然にこの真理が象徴的にあらわれたのであります。
この十字架の縦線と横線とを『生長の家』と云う語(ことば)に当てはめて見ますと
十字の『縦』が『生』に当ります。

これは植物の上に伸びることを表す字です。
そして十字の『横』は『長』に当ります。
これは横に広く無限に延びることを表す字です。

その『生の原理』と『長の原理』とが中心に組合わされているのが、
これが『家』であります。

家の『イ』は『息』であり、『命』であります。
『ヘ』は『塀』であって、塀をめぐらして、
イノチ達が其の中に集まっていることを現しております。

そこで、縦に無限に伸びる息と横に無限に延びる息とが交叉して出来た家が
『生長の家』であります。

『生命の實相』の第一巻に『生長の家』とは私の家ではない、と書いてありますが、
生長の家とは『縦』の息(陽)と、『横』の息(陰)との交叉せる集団を云う
のですから、それは宇宙の普遍的原理であって、小は物質の構成要素たる電子も、
大は太陽系統も悉く『生長の家』なる普遍的原理が宿っている。

だから『生長の家』とは此処に見よ、彼処に見よと云うが如くには無い、
宇宙到る処に存在する原理であります。

此の原理を素直に生きる何人も栄えざるを得ないのであります。

            <感謝合掌 平成30年12月7日 頓首再拝>

《美しき結び》 - 伝統

2018/12/24 (Mon) 04:01:06


          *「光明法語」(12月24日)より

ネクタイを結ぶにも左は中心であり、右はその中心に従って巻くのである。
かくて美しきネクタイの結び目はつくられる。

左は良人であり、右は妻である。

箒で掃くにも、擂鉢をすりこ木で摩するのも、左手は上にありて中心を保つ。
右手はその中心に従って動くのである。

太陽系統では、大なる陽(太陽)を中心としてすべての遊星は動く、
遊星は自ら光を放たず陰である。

物質の原子も、中央に陽電気エネルギーの原子核あり、
その周囲を陰電子はめぐるのである。

            <感謝合掌 平成30年12月24日 頓首再拝>

陰陽の調和 - 伝統

2019/03/03 (Sun) 04:56:32


           *「光明道中記」(3月3日 陰陽調和の日)より

【性的結合は、霊魂が地上の世界へ招かれるための信号旗である ―― その最も
 明瞭にして 緊要な条件は、精虫が卵子を貫穿(かんせん)するという事である。
                      (『生命の實相』第五巻)】


今日は桃の節句である。

三はミツであり、水であり、水は冷たく陰である。
陰は漂(ただよ)えるものである。

それを貫くものがなければ、永遠に「水」は漂うていて、
一定の形にまで固定しないのである。

「陽」あって「陰」を貫く ―― これを結びと言う。
陰陽結ばれれば其処に「固成(かため)」を生ずる、
これを修理固成(むすびかため)と言う。

「漂える国をつくり固め成せとのりごちて、天沼矛(あめのぬぼこ)
を賜(たま)いて言依(ことよ)さしたまいき」と『古事記』にあるのは、
漂える「陰」を、天沼矛を以て刺し貫きて、結び固めよとの意義である。

宇宙の創造も、小宇宙なる「人間」の創造も同様である。

海原(地球)を貫いて陽光射し、其処に生物生じ、
暗黒(かげ<陰>)を貫いて光ただ射し万物生じたのである。

陰は貫くものがなければ、一定の相(すがた)はない。
それはまだ身を固めた存在ではない。
結婚(むすびかため)が完成していないからである。

陰は陽によって身を固めたものとなり、運命が定まる。

宇宙も人間も同じ組織で出来ている。
水の上に浮かぶものあり、水乗(みの)り<実>と言う。

そは桃の実であり、核のうちに桃太郎を蔵す。

水は女性で流れる許(ばか)りだが、
男性があってそこに中心が出来、生む作(はたら)きを完成する。

            <感謝合掌 平成31年3月3日 頓首再拝>

《 「増加の法則」としての陰陽の調和 》 - 伝統

2019/03/25 (Mon) 02:44:01


       *『人生の秘訣365章』第2篇(P58) より

人生を支配する「増加の法則」が如何に行われるものであるかは、
一切の生物がいかにして増殖し、子孫を殖やして行くかを見ればわかるのである。
そこには必ず“陰陽調和の法則”が実践されているのである。

「増加の法則」はそのまま“陰陽調和の法則”と称しても差支えはない位である。

物質の素粒子が結合して、或る一定の原素が生ずるのも陰陽の調和によってである。
地球が太陽を中心に旋回をつづけているのも
陽(太陽)と陰(地球)との調和によるのである。

作物が豊作になるのも天地陰陽の気の調和によるのである。
すべての生物が繁殖するにも牝牡(ひんぼ)即ち陰陽の調和によってである。

若しあなたの家庭に夫婦が精神的に、又は行動的にも不調和なことがあるならば、
そこにあなたの家業の繁栄に支障を来す根因があるのであり、
また時には、不良の子供を発生する原因にもなるのである。

            <感謝合掌 平成31年3月25日 頓首再拝>

「生命(せいめい)」の陰陽調和 - 伝統

2019/04/22 (Mon) 03:34:47


          *『生命の實相』第37巻幸福篇上(4月22日)」より抜粋

物質の帯電現象は、生命の陰陽調和が現象界に投影せるものであるから、
現象の陰陽あることを知って、「生命(せいめい)」の陰陽調和を知るべきであり、
その調和が隠蔽されることによって現象の陰陽調和が破れるのである。

結核病の赤枕反応の異常も、心の不調和が反映せることは明らかであり
時には男女の不調和の思い、父母、夫婦の不調和などの投影であることがある。

            <感謝合掌 平成31年4月22日 頓首再拝>

陽(愛)と陰(智慧) - 伝統

2019/08/17 (Sat) 04:21:12


        *「光明法語」(8月17日《陽と陰と愛と智慧と》)より

一つの神分化して陽陰となり、
陽陰互いに相結んで万物を生ずるは、分化と綜合である。

愛は陽にして暖かく智慧は陰にして冷酷に審判く。
愛は善悪を共に包容して赦さんとし、
智慧は善悪をあざやかに分けて敢えて混同を許さない。

愛はより多く女性の徳であり、
智慧はより多く男性の徳である。

愛の勝れたる人は温かく見え、
智慧の勝れたる人は冷たくく見ゆ。

然りと雖も、愛のみの人もなく、智慧のみの人もない。

陽(愛)と陰(智慧)と「一」より分化してまた合して無数の変化を生ず。

         <感謝合掌 令和元年8月17日 頓首再拝>

一神にして陽陰二神なり - 伝統

2019/08/19 (Mon) 04:06:56


        *「光明法語」(8月19日)より

神はかく分化と綜合にによって万物を創り給う。

故に、神は『唯一神』または「絶対者」であり給うと同時に、
その創造にあたっては陽陰に分化して創造せざるを得ない。

それ故、神は絶対神にして同時に陽神なり、イザナギなり。
同時に陰神なり、イザナミなり。
イザナギとイザナミを相結んで万物生ず。

女性の肉体は柔らかく骨を包んで露骨に現さず内に陰(かく)すは「陰」となり。
併しその内性の「愛」は温かき故「陽」なり。

女性は外陰・内陽。

陰のみの者なし、陽のみの者なし。

         <感謝合掌 令和元年8月19日 頓首再拝>

美しき陽陰結びの原理 - 伝統

2019/12/24 (Tue) 04:46:13


        *「光明法語」(12月24日《美しき結び》)より

ネクタイを結ぶにも左は中心であり、右はその中心に従って巻くのである。
かくて美しきネクタイの結び目はつくられる。

左は良人であり、右は妻である。

箒で掃くにも、擂鉢をすりこ木で摩するのも、左手は上にありて中心を保つ。
右手はその中心に従って動くのである。

太陽系統では、大なる陽(太陽)を中心としてすべての遊星は動く、
遊星は自ら光を放たず陰である。

物質の原子も、中央に陽電気エネルギーの原子核あり、
その周囲を陰電子はめぐるのである

         <感謝合掌 令和元年12月24日 頓首再拝>

陰陽調和の日 - 伝統

2020/03/03 (Tue) 03:05:04


           *「光明道中記」(3月3日)より

【性的結合は、霊魂が地上の世界へ招かれるための信号旗である ―― その最も
 明瞭にして 緊要な条件は、精虫が卵子を貫穿(かんせん)するという事である。
                      (『生命の實相』第五巻)】


今日は桃の節句である。

三はミツであり、水であり、水は冷たく陰である。
陰は漂(ただよ)えるものである。

それを貫くものがなければ、永遠に「水」は漂うていて、
一定の形にまで固定しないのである。

「陽」あって「陰」を貫く ―― これを結びと言う。
陰陽結ばれれば其処に「固成(かため)」を生ずる、
これを修理固成(むすびかため)と言う。

「漂える国をつくり固め成せとのりごちて、天沼矛(あめのぬぼこ)
を賜(たま)いて言依(ことよ)さしたまいき」と『古事記』にあるのは、
漂える「陰」を、天沼矛を以て刺し貫きて、結び固めよとの意義である。

宇宙の創造も、小宇宙なる「人間」の創造も同様である。

海原(地球)を貫いて陽光射し、其処に生物生じ、
暗黒(かげ<陰>)を貫いて光ただ射し万物生じたのである。

陰は貫くものがなければ、一定の相(すがた)はない。
それはまだ身を固めた存在ではない。
結婚(むすびかため)が完成していないからである。

陰は陽によって身を固めたものとなり、運命が定まる。

宇宙も人間も同じ組織で出来ている。
水の上に浮かぶものあり、水乗(みの)り<実>と言う。

そは桃の実であり、核のうちに桃太郎を蔵す。

水は女性で流れる許(ばか)りだが、
男性があってそこに中心が出来、生む作(はたら)きを完成する。

         <感謝合掌 令和2年3月3日 頓首再拝>

「生命(せいめい)」の陰陽調和 - 伝統

2020/04/22 (Wed) 04:12:13


          *『生命の實相』第37巻幸福篇上(4月22日)」より

1917年発行『心理学報告』にはこんなことが書いてある。
催眠術の大家アルルッツが試みた催眠術の実験についてである ――

「被術者は不透明な外套のようなもので覆われ、耳には綿をつめられ、
(注・五官の視覚および聴覚により何が行われるかを知らしめないようにしたのである)
そして一枚の厚いガラス板を一方の腕の前方に掲げ置いた。

こうして被術者を催眠状態に誘導して後、
そのガラス板に向けて触手法(しょくしゅほう=パス)を行なった。
するとその側の腕は知覚を脱出し、その反対の側の腕には知覚が増大した。

このような結果はかかる操作がどんな結果になるだろう
ということを予期しない場合も同様に起こった。

アルルッツはその被術者は、どんな感覚からも、触手(パス)をいかに行なっているか、
その事情の端緒さえも感知することができないようにしてあったし、
触手(パス)に対する先入的知識は何も与えてなかったと信じている。

したがってアルルッツは触手(パス)によって起こる被術者の腕の感覚の異状は、
術者の手から放射する一種の神経エネルギーに基づくものであると考えている。」


手から放射する神経エネルギーとは生長の家で言っている生命磁気である。
人体とは、「生命」の考案製作せる腹腔という容器に内臓という電解成分を容れたる
一種の電池装置であると観る場合には、両手はその電池の両極であるし、
人体を馬蹄形磁石装置であると見る場合には、両手は磁石の両極である。

したがって両手において「生命(せいめい)」の電磁的作用が
他の部分より強力なることは有りうべきことである。

ともかく、人体は帯電生物であることは、
赤血球沈降反応(赤沈反応)によっても明らかであるし、
早大心理学教室の嘘発見器の電気計における指示電波の変化によっても
分かるのである。


物質の帯電現象は、生命の陰陽調和が現象界に投影せるものであるから、
現象の陰陽あることを知って、「生命(せいめい)」の陰陽調和を知るべきであり、
その調和が隠蔽されることによって現象の陰陽調和が破れるのである。

結核病の赤枕反応の異常も、心の不調和が反映せることは明らかであり
時には男女の不調和の思い、父母、夫婦の不調和などの投影であることがある。

            <感謝合掌 令和2年4月21日 頓首再拝>

陽と陰と愛と智慧と - 伝統

2020/08/17 (Mon) 04:52:11


          *「光明法語」(8月17日)より

一つの神分化して陽陰となり、陽陰互いに相結んで万物を生ずるは、分化と綜合である。

愛は陽にして暖かく智慧は陰にして冷酷に審判く。
愛は善悪を共に包容して赦さんとし、
智慧は善悪をあざやかに分けて敢えて混同を許さない。

愛はより多く女性の徳であり、
智慧はより多く男性の徳である。

愛の勝れたる人は温かく見え、
智慧の勝れたる人は冷たくく見ゆ。

然りと雖も、愛のみの人もなく、智慧のみの人もない。

陽(愛)と陰(智慧)と「一」より分化してまた合して無数の変化を生ず。

            <感謝合掌 令和2年8月17日 頓首再拝>

《美しき結び》 - 伝統

2020/12/24 (Thu) 04:54:19


         *「光明法語」(12月24日)より)

ネクタイを結ぶにも左は中心であり、右はその中心に従って巻くのである。
かくて美しきネクタイの結び目はつくられる。

左は良人であり、右は妻である。

箒で掃くにも、擂鉢をすりこ木で摩するのも、左手は上にありて中心を保つ。
右手はその中心に従って動くのである。

太陽系統では、大なる陽(太陽)を中心としてすべての遊星は動く、
遊星は自ら光を放たず陰である。

物質の原子も、中央に陽電気エネルギーの原子核あり、
その周囲を陰電子はめぐるのである。

            <感謝合掌 令和2年12月24日 頓首再拝>

陰陽調和の日 - 伝統

2021/03/03 (Wed) 04:44:24


           *「光明道中記」(3月3日)より

【性的結合は、霊魂が地上の世界へ招かれるための信号旗である ―― その最も
 明瞭にして 緊要な条件は、精虫が卵子を貫穿(かんせん)するという事である。
                      (『生命の實相』第五巻)】


今日は桃の節句である。

三はミツであり、水であり、水は冷たく陰である。
陰は漂(ただよ)えるものである。

それを貫くものがなければ、永遠に「水」は漂うていて、
一定の形にまで固定しないのである。

「陽」あって「陰」を貫く ―― これを結びと言う。
陰陽結ばれれば其処に「固成(かため)」を生ずる、
これを修理固成(むすびかため)と言う。

「漂える国をつくり固め成せとのりごちて、天沼矛(あめのぬぼこ)
を賜(たま)いて言依(ことよ)さしたまいき」と『古事記』にあるのは、
漂える「陰」を、天沼矛を以て刺し貫きて、結び固めよとの意義である。

宇宙の創造も、小宇宙なる「人間」の創造も同様である。

海原(地球)を貫いて陽光射し、其処に生物生じ、
暗黒(かげ<陰>)を貫いて光ただ射し万物生じたのである。

陰は貫くものがなければ、一定の相(すがた)はない。
それはまだ身を固めた存在ではない。
結婚(むすびかため)が完成していないからである。

陰は陽によって身を固めたものとなり、運命が定まる。

宇宙も人間も同じ組織で出来ている。
水の上に浮かぶものあり、水乗(みの)り<実>と言う。

そは桃の実であり、核のうちに桃太郎を蔵す。

水は女性で流れる許(ばか)りだが、
男性があってそこに中心が出来、生む作(はたら)きを完成する。

            <感謝合掌 令和3年3月3日 頓首再拝>

「生命(せいめい)」の陰陽調和 - 伝統

2021/04/22 (Thu) 04:47:46


          *『生命の實相』第37巻幸福篇上(4月22日)」より

1917年発行『心理学報告』にはこんなことが書いてある。
催眠術の大家アルルッツが試みた催眠術の実験についてである ――

「被術者は不透明な外套のようなもので覆われ、耳には綿をつめられ、
(注・五官の視覚および聴覚により何が行われるかを知らしめないようにしたのである)
そして一枚の厚いガラス板を一方の腕の前方に掲げ置いた。

こうして被術者を催眠状態に誘導して後、
そのガラス板に向けて触手法(しょくしゅほう=パス)を行なった。
するとその側の腕は知覚を脱出し、その反対の側の腕には知覚が増大した。

このような結果はかかる操作がどんな結果になるだろう
ということを予期しない場合も同様に起こった。

アルルッツはその被術者は、どんな感覚からも、触手(パス)をいかに行なっているか、
その事情の端緒さえも感知することができないようにしてあったし、
触手(パス)に対する先入的知識は何も与えてなかったと信じている。

したがってアルルッツは触手(パス)によって起こる被術者の腕の感覚の異状は、
術者の手から放射する一種の神経エネルギーに基づくものであると考えている。」


手から放射する神経エネルギーとは生長の家で言っている生命磁気である。
人体とは、「生命」の考案製作せる腹腔という容器に内臓という電解成分を容れたる
一種の電池装置であると観る場合には、両手はその電池の両極であるし、
人体を馬蹄形磁石装置であると見る場合には、両手は磁石の両極である。

したがって両手において「生命(せいめい)」の電磁的作用が
他の部分より強力なることは有りうべきことである。

ともかく、人体は帯電生物であることは、
赤血球沈降反応(赤沈反応)によっても明らかであるし、
早大心理学教室の嘘発見器の電気計における指示電波の変化によっても
分かるのである。


物質の帯電現象は、生命の陰陽調和が現象界に投影せるものであるから、
現象の陰陽あることを知って、「生命(せいめい)」の陰陽調和を知るべきであり、
その調和が隠蔽されることによって現象の陰陽調和が破れるのである。

結核病の赤枕反応の異常も、心の不調和が反映せることは明らかであり
時には男女の不調和の思い、父母、夫婦の不調和などの投影であることがある。

            <感謝合掌 令和3年4月22日 頓首再拝>

陰陽拝み合う日 - 伝統

2021/06/10 (Thu) 03:31:44


       *「光明道中記」(6月10日)より

【一宗一派の儀礼や宗団を造るのが宗教であるならば、
 生長の家は宗教ではない。(『生命の實相』十四巻)】

家庭はひとつの宇宙(いえ)であって、建物のことではない。
それは其処に宇宙の模型があらわれていることである。
それは完全なる小宇宙でなければならない。

其処には伊邪那岐命と伊邪那美命との産霊(むすび)の力が
調和して行ぜられなければならないのである。

男性は遠心力であり、女性は求心力である。夫婦調和である。
天は外にひろがり、地は内に固まる。
男性は外進が天分であり、女性は内整が天分である。

外進と内整とが整うたとき「子(みこ)」が生れる。
「子(みこ)」とは一切の生産(つくり)であり建設(かため)である。
一切の生物ことごとく天地の気(き)合(がっ)して生ずるのである。

地は天を載せて運行し、天は地を覆うてめぐる。
万物かくの如くして調和し、
万ずの生命斯(か)くの如くして生ずるのである。

天地が顛倒(あべこべ)になってはならぬ。
陰陽が逆転(さかさま)になってはならぬ。

雌鳥(めんどり)が暁(あかつき)を告ぐるとき
禍い相踵(あいつ)いで起り、
嚊(かかあ)天下の家庭は衰滅するのである。

夫婦調和が天地の法則である。

併し陽は陰によって保ち、陰は陽によって保つ。

どちらも互いに感謝し合わねばならぬ。

         <感謝合掌 令和3年6月10日 頓首再拝>

陽(愛)と陰(智慧) - 伝統

2021/08/17 (Tue) 04:55:11


        *「光明法語」(8月17日《陽と陰と愛と智慧と》)より

一つの神分化して陽陰となり、
陽陰互いに相結んで万物を生ずるは、分化と綜合である。

愛は陽にして暖かく智慧は陰にして冷酷に審判く。
愛は善悪を共に包容して赦さんとし、
智慧は善悪をあざやかに分けて敢えて混同を許さない。

愛はより多く女性の徳であり、
智慧はより多く男性の徳である。

愛の勝れたる人は温かく見え、
智慧の勝れたる人は冷たくく見ゆ。

然りと雖も、愛のみの人もなく、智慧のみの人もない。

陽(愛)と陰(智慧)と「一」より分化してまた合して無数の変化を生ず。

         <感謝合掌 令和3年8月17日 頓首再拝>

一神にして陽陰二神なり - 伝統

2021/08/19 (Thu) 04:46:21


         *「光明法語」(8月19日)より

神はかく分化と綜合にによって万物を創り給う。

故に、神は『唯一神』または「絶対者」であり給うと同時に、
その創造にあたっては陽陰に分化して創造せざるを得ない。

それ故、神は絶対神にして同時に陽神なり、イザナギなり。
同時に陰神なり、イザナミなり。
イザナギとイザナミを相結んで万物生ず。

女性の肉体は柔らかく骨を包んで露骨に現さず内に陰(かく)すは「陰」となり。
併しその内性の「愛」は温かき故「陽」なり。

女性は外陰・内陽。

陰のみの者なし、陽のみの者なし。

           <感謝合掌 令和3年8月19日 頓首再拝>

【陰の力と陽の力】 - 伝統

2021/09/27 (Mon) 03:32:37


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.09.09)より

   (園田天光光(そのだてんこうこう)氏の心に響く言葉より…)

   【この世には、陰の力、陽の力がある】

   《陰と陽、プラスとマイナス、 物質界を形作る力として、
    二つの力があることは明白です。

    この陰と陽の二つの力のバランスが
    わたくしたちの人生でもとても重要です。》

   東洋思想の根本について、安岡先生は、
   陰と陽がお互いに深くかかわって物事が成立しているという
   陰陽五行の思想を説いていらっしゃるんですが、
   先生のご本を 読んで、ひらめいたことがあるんです。


   物事も人間関係でも、国や会社、家族といった組織でも、
   表に出て活躍する力とそれを裏で支える目に見えない力がある。

   それは植物でも同じです。

   茎や葉や実、 花のように、地面から外に出て、大きく広がっていく部分と、
   それを支える根っこの部分があり、

   表に出ている部分が立派に、美しく育つためには、
   地下にしっかり根を張る部分がとても重要なのではないか。

   表に出ている部分を陽と考えると、
   地下で表舞台を支えるのが陰の力ではないか。

   表の陽の部分は、陰の力、お陰様によって生きていられるのではないか......と。


   それは人間関係にもあてはまる考えでは ないかと思いましてね。

   父母とわたくし、そして主人、子供との関係について、
   陰と陽とにあてはまると、不思議と腑に落ちるんです。

   母が生きていた頃、父は毎朝人力車で日本橋蛎殻町の米取引所に通って、
   盛大に 米相場を張っていました。

   小学校の頃、ときどき母がわたくしを人力車で学校に迎えに来て、
   父の戦場である蛎殻町に行くことがありました。

   母は膝の上にしっかりと風呂敷包みを抱えていたけれど、
   今にして思うと、中身はどうやら現金だったようです。


   浮き沈みの激しい相場の世界で、
   父は莫大な書物から得た知識と直観力で、 先見の明を養い、
   勝負を張っていたのではないでしょうか。

   そのときの父は表で大きく枝を広げて伸びていく陽でした。

   そして、父の仕事の成功を祈りながら家で家族を守る母は、まさしく陰でした。

   父が外で失敗することなく、自由に大きな相場を張れたのは、
   ひとえに母の陰の力があったからと思います。


   母が亡くなったときから、父は相場師である、陽としての働きを断念し、
   家に引きこもり、陰の働きをするようになりました。

   父は、陰の力を失うと陽も力がなくなるということを
   本能的に知っていたのではないかと思います。

   そして、わたくしたち残された姉妹の衣食住と教育に心血を注いだのです。


   わたくしが昭和21年(1946年)4月の戦後初めての
   普通選挙、婦人参政権が与えられた記念すべき選挙で立候補し、
   当選させていただき、女性議員第一号

   となれたのも、支持してくださった皆様のお陰に加えて、
   父の陰の力が大きく働い たのではないか......とつくづく思います。


   父が断念した社会的活動を行う陽の立場がわたくしに回ってきたと。


         <『へこたれない心』学研
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            ・・・

本書に「陰の時期、陽の時期」という一節がありました。


『《一人の人生には、陽の時期、陰の時期が訪れる。
  そのとき、そのときを知り、ひたむきに歩んで行きましょう。》

この陰と陽の役割分担というのは、
人間の一生でずっと決まっているのではなく、
さまざまな力関係、人間関係、状況によって変化するものではないかと
わたくしは 思います。

ある時期は陰の役目だったけれども、
会社に入ってから一つの事業の中心に据え置かれ、
陽の役割を果たすようになったとか、
いろいろ変化するんではないでしょうか。

また、陽の働きは人の目につき、華やかですが、
陽を支える陰の力があってこそ、発揮できるもの。

どの働きも大切。

それを理解してはじめて、 へこたれない考え方が生まれます。』


『安岡正篤先生のご本の中に「お陰を知る」という一文があります。

「本当にわれわれの存在というものは、究明すればするほど種々のお陰によって在る。

 天地のお陰、国家や社会のお陰、親や師友のお陰。

 この計り知ることのできないお陰をしみじみ感じとり、認識する。

 これがいわゆる恩を知るということであります。

 そこで初めて理性や感情をもった人間になるのであります」』


一生の中では、その時(タイミング)、
その置かれた場所(フィールド)、」
そして、その時の地位や役職(ポジション)により、「お陰」は変わってくる。

これを「時処位(じしょい)」という。


大事なことは、誰でも、自分が陽のときもあれば、陰の時もあるということ。

自分が陽のときは、陰に感謝する。

陰の時は、陽をささえる陰に徹する。


これは、夫婦や仕事において、
男性が表に出て女性に家に居る、ということではない。

古来より、女性が表に出ることがあるのは当たり前のことだ。

ただ、「時処位」により、それは変わるということ。


お陰様の心で日々暮らす人でありたい。

           <感謝合掌 令和3年9月27日 頓首再拝>

《美しき結び》 - 伝統

2021/12/24 (Fri) 04:56:03


       *「光明法語」(12月24日)より

ネクタイを結ぶにも左は中心であり、右はその中心に従って巻くのである。
かくて美しきネクタイの結び目はつくられる。

左は良人であり、右は妻である。

箒で掃くにも、擂鉢をすりこ木で摩するのも、左手は上にありて中心を保つ。
右手はその中心に従って動くのである。

太陽系統では、大なる陽(太陽)を中心としてすべての遊星は動く、
遊星は自ら光を放たず陰である。

物質の原子も、中央に陽電気エネルギーの原子核あり、
その周囲を陰電子はめぐるのである。

           <感謝合掌 令和3年12月24日 頓首再拝>

《陰極は陽転する、陽転のためのアイディアを受けよ》 - 伝統

2022/02/24 (Thu) 05:00:53


       *『 生長の家 』(昭和44年12月19日の法語)より

   事物の悲観面に心を注いで、
   悲観面に心が捉われてはならないのである。

   今までの生活のやり方や、考え方や、行動や計画の進行に
   間違いがあって、愈々その間違いの結果、事態が破局の最悪状態に
   近づきつつあっても、それに心が捉えられて、
   心が挫折してしまってはならないのである。

   そんな時ほどあなたの心は明るく保たれなければならないのである。

   「 事態が破局に近づきつつある 」ことを悲観的に考えないで、
   そこに陰極が陽転せんとする契機が孕んでいることを
   みなければならない。

   生命が生きてある限り陰極は必ず陽転するのである。

   その“ 陽転 ”に対して心を開いて、神から放送されて来る、
   “ 陽転のためのアイディア ”に
   波長を合わせるがよいのである。

   心に強く描いて波長を合わせたものが現実化するのである。

   破局を恐怖して、破局に心を集中してはならない。

   心を転ずることによってのみ
   “ 陽転 ”の機会をつかむことができるのである。

   http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/a2a5f6f82ed0f191f6b7f590dc542cd8

           <感謝合掌 令和4年2月24日 頓首再拝>

陰陽論を考える - 伝統

2022/02/27 (Sun) 04:14:41


      *メルマガ「大安吉日に送る勝ち神からの手紙」(2022.02.23)より

今年は寅年で、陰陽論で言えば「陽」の年になります。
「発動して伸びていく」というように、勢いのある意味になります。

中国で発祥した陰陽論は、
万物全ての事柄を、陰・陽に分けて考える思想です。

そして、陰陽が互いに作用することで、
万物の変化や生成消滅が起こるというものです。

陰・陽のどちらを好むのかといえば、やはり陽という人が多いでしょう。
良いことが起こるとか、縁起が良いとか、吉事があるとか・・・です。
もし、おみくじを引けば「吉」が出ると喜び、「凶」が出れば落ち込むというものです。

また、光と影で考えれば、光が当たっている方が華やかで、
明るくなることのように思います。
影は、暗く寂しい感じがします。


陰・陽はお互いになくてはならない存在です。
陰があるから陽が存在します。
光が当たるから影ができるようなものです。

光が良い、影が悪いのではなく、
相対立するものであると同時に、つり合っている相応するものです。

ところが、陰と陽は偏見を持ちやすいのです。
陰は悪いもので、陽は良いものと捉えることです。

実は、良い悪いで考えれば、「陽」の方が悪い面を持っています。
陽には、見栄えや見かけという意味があり、
それは嘘、偽りにつながっていきます。

うわべのことばかり見ていると、本当のことに気づくことができません。
陰陽を正しく理解していないと、
単なる吉凶や善悪という偏見で物事を見てしまうことになります。


沢山のことを見聞きすると、知識が増えてきます。
「知」は陰陽論では、「陽」です。

知識が増えることは、物知りになったような気になり、
知識を持って優越感に浸ることができます。

多くの人が知らないことを自分だけが知っているのは、気持ちの良いものです。
しかし、ここには多くの問題があります。

「知」という字に?(やまいだれ)をつけると痴という字になります。
これは、愚か、おろかものという意味です。

陽は陰があって初めて成り立ち、陽だけでは万物が起こってこないのです。

私たちの人生は一人で誕生してきたことから始まり、一人で死ぬことで終わります。
その中で様々な陰陽の出来事があります。

過去そうであったように、未来にも陰陽が必ず目の前に現れてきます。
陰ばかりでなく、陽ばかりではないのが現実の世界です。

そのような中で、人生は進歩発展そして進化していかなければなりません。

そのためには、常に「習う」ことが大切です。
「習う」とは、得た知識を実践し実演することです。
毎日の生活の中で得た知識を取り入れて繰り返し行動していくことです。

「習」という字は「羽」の下に「白」を書きます。
しかしこれは、本当は「白」ではなく、胴体を表しているそうです。
つまり、雛鳥が巣から飛び立つ様子を表しているのです。

飛び立つためには何度も何度も実践すること、つまり陰陽でいえば陰の行いです。
飛び立つ「陽」の世界は、習うという「陰」によって成り立つということです。


今年は寅年で「陽」の年ですが、知を活かし、反省を忘れず、
実践を繰り返す修養が必要になります。

歴史を知り、歴史を活かし、
今の今実践していく心がけが新たな未来を開いていくのです。

           <感謝合掌 令和4年2月27日 頓首再拝>

「生命(せいめい)」の陰陽調和 - 伝統

2022/04/22 (Fri) 07:31:57


          *『生命の實相』第37巻幸福篇上(4月22日)」より

1917年発行『心理学報告』にはこんなことが書いてある。
催眠術の大家アルルッツが試みた催眠術の実験についてである ――

「被術者は不透明な外套のようなもので覆われ、耳には綿をつめられ、
(注・五官の視覚および聴覚により何が行われるかを知らしめないようにしたのである)
そして一枚の厚いガラス板を一方の腕の前方に掲げ置いた。

こうして被術者を催眠状態に誘導して後、そのガラス板に向けて触手法(しょくしゅほう=パス)
を行なった。するとその側の腕は知覚を脱出し、その反対の側の腕には知覚が増大した。

このような結果はかかる操作がどんな結果になるだろうということを予期しない場合も
同様に起こった。

アルルッツはその被術者は、どんな感覚からも、触手(パス)をいかに行なっているか、
その事情の端緒さえも感知することができないようにしてあったし、
触手(パス)に対する先入的知識は何も与えてなかったと信じている。

したがってアルルッツは触手(パス)によって起こる被術者の腕の感覚の異状は、
術者の手から放射する一種の神経エネルギーに基づくものであると考えている。」


手から放射する神経エネルギーとは生長の家で言っている生命磁気である。
人体とは、「生命」の考案製作せる腹腔という容器に内臓という電解成分を容れたる
一種の電池装置であると観る場合には、両手はその電池の両極であるし、
人体を馬蹄形磁石装置であると見る場合には、両手は磁石の両極である。

したがって両手において「生命(せいめい)」の電磁的作用が他の部分より強力なることは
有りうべきことである。

ともかく、人体は帯電生物であることは、赤血球沈降反応(赤沈反応)によっても
明らかであるし、早大心理学教室の嘘発見器の電気計における指示電波の変化によっても
分かるのである。


物質の帯電現象は、生命の陰陽調和が現象界に投影せるものであるから、
現象の陰陽あることを知って、「生命(せいめい)」の陰陽調和を知るべきであり、
その調和が隠蔽されることによって現象の陰陽調和が破れるのである。

結核病の赤枕反応の異常も、心の不調和が反映せることは明らかであり
時には男女の不調和の思い、父母、夫婦の不調和などの投影であることがある。

            <感謝合掌 令和4年4月22日 頓首再拝>

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