伝統板・第二

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すべてに感謝!② - 伝統

2016/04/09 (Sat) 04:51:50


    *伝統板・第二「すべてに感謝!①」からの継続です。
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6462213



《すべての物に感謝する祈り》

          *「光明法語」(4月9日の法語)より 

また神はすべてのものの内にましますが故に、すべてのものに感謝し、
それを讃(ほ)めたたえることは偉大なる祈りである。

神に感謝しても万物に感謝しえないものは、
真に全く神に感謝しているのではないのである。

ただ神に対する祈りは、神の表現である「万物」に対する祈りよりも、
尚一層直接的であると言い得るのである。

されば吾々は毎日或る一定の時間は神に対して
心を完全に振り向ける祈り(神想観)を行事なければならぬ。

それと共に神の表現である万物に感謝しなければならぬのである。



・・・

<関連Web>

(1)「光明掲示板・第一」内スレッド「感謝の日々 (1211)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=278    

(2)「光明掲示板・第二」内スレッド「すべてに感謝! (10537)」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2021

(3)「光明掲示板・第三」内スレッド「すべてに感謝! (32)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=17

(4)光明掲示板・伝統・第一「すべてに感謝! (49)」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=31

            <感謝合掌 平成28年4月9日 頓首再拝>

すべてに感謝し、今病気なしと信じて報恩のために起て。 - 伝統

2016/04/10 (Sun) 04:51:46


          *『生命の實相』第37巻幸福篇上(4月10日)」より

ある人からどうしたら自分の病気が治るかという質問が来た。
こんな手紙が毎日自分の机の上に何十通と送られてくる。
わたしはその人にこう書いた。

この返事はすべての病人にあてはまるわけではないが、
また多くの病人にとって参考になるかもしれない。

「あなたは焦っていますね。早く治ろうと思っていますね。
そんなにいらいらしていては病気は治るものではありません。
そのいらいらする心そのものが病気なのですよ。

あなたは家族との間に心の摺れ合いがありますね。
そんなに摺れ合いがあっては治るものではありません。
そんなに摺れ合ってはいないとあなたは抗弁なさいますか。

撲り合いはなさらないでしょう。
しかし、本当に満足していますか。
このままでありがたい、十分尽くしていただいていると思って家族に感謝していられますか。

そうではないでしょう。
『もう少しここをどうかしてほしい』と思っていられませんか。
『ほしい』の心は不平の心です。また、同情を求める心です。

そんな心そのものが病気なのです。
病気は肉体にあるのではありません。
その心にあるのです。

右手が動かなかったら、動く左手を与えられていることを感謝するのですよ。
ありとあらゆるものを感謝の心にかえてしまうのですよ。

そしてあとに、これだけ感謝の心を起こしているのにまだ治らぬか? とおっしゃるのですか。
やっぱり終点が不平の心に到着するようでは、心の生まれ更わりができていませぬ。
不平行きの汽車に乗っているかぎりは、感謝の終点には到着しませぬ。
それでは途中の駅々での感謝の心は皆ニセ物だったということになりますよ。

すべてを感謝の心に更えて、さて今病気なしと信じて報恩のために起て。
もう病気はないのである。」

            <感謝合掌 平成28年4月10日 頓首再拝>

生きていて当り前のことに感謝 - 伝統

2016/04/18 (Mon) 04:24:20


         *「大いなる奇跡」松田 有利子・著(P91~92)より

いつでしたか読んだ本に、
便が逆流して口から出てしまうという病に苦しんでいる方のことを読みました。

わたしたちは、食べ物を口から入れ、便を肛門から出すことを当然のごとく思っていますが、
実はこうしたことも、それはすごいことなんだと思います。
便が口から出る方は、大自然の法則に大きくはずれているわけです。

その方は、そのことに気づき、心から感謝をして毎日「ありがとうございます」と
何千回も言葉にして出して、治ったという話を読みました。

感謝の心がいちばん神様に近いのでしょう。

そのことを読み、わたしは1日1万回「ありがとうございます」と
感謝することを実行してみました。

1万回、言葉に出すのは無理があるので、心のなかで「ありがとうございます」とつぶやきます。
1万回といえば、もう常時「ありがとうございます」と言っていなくてはなりません。
言葉に出るのは、「ありがとうございます」しかありません。

何から何まで感謝するのです。

目が見えることに感謝、お茶が飲めることに感謝、口があることに感謝、お水をいただけることに感謝、
水を沸かすガスがあることに感謝、火をつけられることに感謝 ―― と、
際限なく感謝することがあります。総てが感謝の対象です。

こうしたことを実行してみて初めて、
わたしたちはとてつもない恵みのなかに居ることがわかってきます。

            <感謝合掌 平成28年4月18日 頓首再拝>

生きていることは奇跡だという感謝の気持ちを持つ - 伝統

2016/04/26 (Tue) 04:32:40


     *『ベテラン弁護士の「争わない生き方」が道を拓く』西中務・著(P54~55)より

私たちの人生は、一度きりです。
私たちは毎日を同じ一日の繰り返しのように生きてしまいがちです。

たとえば、朝起きて、会社に行って、仕事をして、帰ってきて寝るというような、
毎日、そんな繰り返しのような意識になってしまうと、
すべてのものがあたりまえのように感じられてしまいます。

これでは、無感動な人生を送ることになってしまうでしょう。


私たちの人生の一瞬一瞬は、二度とない大切なときなのです。
人生の一瞬一瞬のすばらしさに気づくこと、それを教えてくれるものの
ひとつが、私は芸術だと思います。

なぜなら、芸術は、絵にしても、詩にしても、一瞬のすばらしさを
表現したものだからです。


私は芸術の中でも、詩がとても好きです。
詩は、私たちの意識を変える手助けとなります。
たとえば、何気ない一瞬にも、大きな気づきを得ることができます。
それを教えてくれるのが、詩ではないでしょうか。


私の大好きな詩があります。
私が敬愛する詩人 坂村真民さんの「二度とない人生だから」という詩です。
この詩では、あたりまえに感じて見過ごしてしまいがちな身近な存在一つひとつに
意識を向けて生きることの大切さをうたっています。

詩の中で取りあげているのは、「一輪の花」「一羽の鳥の声」
「便りをして、返事を書くこと」「身近な者たち」「つゆくさのつゆ」
「のぼる日、しずむ日」「まるい月、かけていく月」「四季それぞれの星々」
「若い人たち」など、

日々の生活の中、ともすれば気づくことができないで
通り過ぎてしまいがちなものばかりです。


これら一つひとつに意識を向け、それぞれと自分との関係性を紐解くことで、
感謝の気持ちを抱くことができます。詩の中では、「四季それぞれの星々」に対し、
心を洗い清めてくれる存在として感謝の念を持っています。


このように、「二度とない人生だから」という意識を持つことで、
感謝の気持ちをもって毎日を生きることができるようになります。

自分の命はあってあたりまえ、自分の人生はこれであたりまえ、という意識ではなく、
自分が生きていることは奇跡であり、自分の人生は二度とない、
という意識を持ちながら、日々生きていきましょう。


・・・

《二度とない人生だから》by 坂村 真民
 → http://www.tiny.jp/~kazenoushiro/project/nidotonai-jinseidakara.htm

坂村真民(さかむら しんみん、1909年1月6日 - 2006年12月11日)は
日本の仏教詩人。

熊本県荒尾市出身。本名昂(たかし)。


<参考:当掲示板内「一日一言(坂村真民)」
      → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6747223 >

            <感謝合掌 平成28年4月26日 頓首再拝>

《凡ゆる環境は自己表現の好機会 》として感謝する - 伝統

2016/05/05 (Thu) 04:12:56


         *『 生長の家 』(昭和25年4月17日)の法語より

   吾は 凡ゆる機会を自己表現のチャンスであるとみるが故に
   如何(いか)なる変化をも恐れないのである。

   吾は 常に よろこぶのである。
   吾は 如何なる環境に対しても
   自己表現の機会であるとして感謝するのである。

   画家は自分の写生する景色が常に同じ景色であっては
   完全に自己表現をとげることができないのである。

   だから色々の景色の所へ でかけて行って それを写生するのである。

   それと同じ様に 吾は自分を迎えてくれる凡ゆる境遇(かんきょう)を
   自己表現であるとして感謝するのである。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/13817989.html

            <感謝合掌 平成28年5月5日 頓首再拝>

感謝で与えられ、不平で奪われる - 伝統

2016/05/10 (Tue) 04:06:46


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月10日)」より

感謝する程度にしたがって与えられ、不平を持つ程度にしたがって奪われる。

            <感謝合掌 平成28年5月10日 頓首再拝>

「ありがとう」を言うときは、相手がしてくれた行動も付け加える - 伝統

2016/05/18 (Wed) 03:25:21

      *「ベテラン弁護士の「争わない生き方」が道を拓く」西中務・著(P60~61)より

世界一の犯罪都市であるニューヨークは、
ある取り組みによって重犯罪が半分に激減しました。

との取り組みとは、軽犯罪を徹底的に取り締まること、そして落書きや、
建物にある割れた窓ガラスの修理、放置されてたままの自転車の撤去、
そして道端に落ちているゴミの清掃などでした。


つまり、重犯罪そのものを取り締まらずに、より小さいことに目を向けたのです。
小さいことをしっかりやることで、大きな結果が得られたのです。

同じことを、私たちは日々の行動の中で行なうことができます。
それは、目の前の人に感謝を伝えることです。


たとえば、タクシーの運転手に、
「あなたの安全運転のおかげで、無事に到着することができました。ありがとう」
と感謝を伝えたとします。

このときに大切なのは、ただありがとうと言うのではなく、相手がしてくれた
具体的な行動を言葉にして感謝の理由を明確に伝えることです。
自分がしたことを、言葉にして感謝してくれる人がいたら、人は気分がよくなるものです。


こうして気分のよくなった運転手さんは、次のお客さんに対し、きっと親切な対応をするでしょう。
親切な対応をされたお客さんは、きっと他の人にも優しい応対をすることでしょう。

これが、感謝から始まる愛の循環です。


これとは逆に、「感謝するほどのことは、してもらっていない」と言って感謝をしないと、
運転手さんは気分がよくならず、次のお客さんにも不親切になっていくかもしれません。
そしてイライラした運転で、事故につながる恐れさえあります。


感謝とは、相手からもらうものではなく、自分がどれだけ人に気をかけるかです。
そして、どれだけ言葉として発することができるかです。

善(愛)の循環を自らが起こす、という意識で感謝を伝えていきましょう。


            <感謝合掌 平成28年5月18日 頓首再拝>

守護神に対する礼拝感謝 - 伝統

2016/05/24 (Tue) 04:02:58


            *Web:『生命の實相』哲學を學ぶ(2016-01-27)より

人には生まれた時から生涯その人を指導し守護する為に任命された正守護神のほかに、
その人の役職が重大な仕事である場合には、その役職について経験の深い高級霊が
その職務遂行の守護の霊として命ぜられて附き添うて来るものである。 

それを生誕と同時に来った正守護神と区別するために仮に副守護神ということがある。

いろいろの宗教の教祖が神示を「声ある言葉」の形や、自動書記的“お筆先”の形をもって、
神の言葉を聞くのは、その教祖たる人の使命に応じて命ぜられて臨ったところの
特命の副守護神を通して神示が伝えられるのである。 

そういう場合、この神示の“伝え手”を“天使(てんのつかい)”と称するのである。


聖経『甘露の法雨』に 「ある日、天使生長の家に来りて歌い給う」 とあるのは、
「特命の守護の神として観世音菩薩が生長の家に来りて真理の法輪を転じ給う」 
という意味に解することもできるのである。


普通、副守護神と称する場合には、誕生の時以来、生涯を通じて守護して下さる
高級霊なる正守護神以外に、後からその人に扈従又は憑依している守護霊の
あらゆる種類をひっくるめて称する場合が多いのである。


“守護霊”と呼ばずして「司配霊」と称する場合がある。 
これは実際は“守護”しているのではなく、霊そのものが、その霊自身の目的を
実現せんがためにその人間をむしろ司配せんとするのであるからである。 

物理的心霊現象を起こして心霊研究家を驚かすような離れ業をやって見せるのは、
この種の司配霊のやることである。


皆さんは練成会での神想観のとき、招神歌をうたった次に、
「天皇陛下、ありがとうございます。 天照大御神さま、ありがとうございます。 
住吉大神さま、ありがとうございます。 八百万之神さま、ありがとうございます。 
産土之神さま、ありがとうございます」 と唱えるように教えられたことがあると思いますが、


それにつづけて 「守護神さま、日夜の御守護を有難うございます」 と
唱えて感謝するとよろしいのです。

更に礼拝の時間が許せば、天地万物に感謝の言葉を唱えることは好いことです。 

「天地一切のものに和解することは天地一切のものに感謝することである」 と
教えられているのですから、常に万物の御恩を思い出して、感謝することはいいことです。


仏典に 「衆生仏を憶念すれば、仏衆生を憶念し給う」 とあるとおり、
吾々が守護神を憶い出すとき、その方へ自分の心が振向く。 

すると、守護神はいつも守護しておられるけれども、特にそこへ私たちが心を振向けたとき、
守護神も特に我々の方へ心を照準して、波長を合わして下さるということになるから、
守護が一層完全に行なわれるということになるわけです。


邪念を起しておれば邪念の悪霊に感応するし、
守護神に感謝の念を起せば守護神に感応する、ということになるわけです。


ですから宇宙遍満の絶対神に感謝すると共に、
祖先霊に感謝し、産土神に感謝し、守護神に感謝するということは、
常に怠らず、暇ある毎に、心に神名を唱え、感謝することは好い事であります。

    (http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/aa8948202583bd140df04cf711b21c34


            <感謝合掌 平成28年5月24日 頓首再拝>

《既にある恵みに感謝せよ》 - 伝統

2016/06/02 (Thu) 03:34:07


         *『 生長の家 』(昭和26年1月22日の法語)より

   既に現象界にあらわれている何らかの善きものあらば、
   神の恵みであると思って感謝せよ。

   その感謝の念が 次の恵福を現象し出して来るための
   波長を合わすことになるのである。

   日光に感謝せよ、空気に感謝せよ、水に感謝せよ、住居に感謝せよ、
   食物に感謝せよ、衣服に感謝せよ、すべての人々に感謝せよ。

   その感謝の念波によって、次の恵福が受信されて来るのである。

   不健康であるのも 感謝が足らぬからである。
   貧乏であるのも 感謝が足らぬからである。

   本当に感謝の念が高まれば
   健康ホルモンが旺(さか)んに分泌されて健康になるし、

   本当にすべての物に感謝すれば 行届いてサービスするから
   貧乏になりようもないのである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51

            <感謝合掌 平成28年6月2日 頓首再拝>

「不足」ゆえにこそ感謝しなければならない - 伝統

2016/06/10 (Fri) 04:49:03


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(6月10日)」より

すべてがすでに与えられて、
もう生み出しの必要のない世界にいるほど退屈なことはない。

「不足」を不平に思う人は、
「不足」をこのゆえにこそ感謝しなければならないのである。

            <感謝合掌 平成28年6月10日 頓首再拝>

《感謝は無限供給の源である》 - 伝統

2016/06/20 (Mon) 04:48:54


         *『 生長の家 』(昭和25年1月26日の法語)より 

   より尚(なお)一そうよき仕事がほしいと思うならば、
   今与えられている仕事に対して感謝せよ、
   そして、できるだけその仕事に 自分のもっている力をそそぐのである。

   与えれば与えられるの法則がそうに動く。
   賃金が少なければ そのもらった賃金に感謝せよ。
   感謝している中(うち)に賃金が増えて来るのである。

   自分の上役が自分に対して ひどいと思ったならば、
   それは自分が上役に対して 感謝の心の足らぬ反映であるから
   その上役に対して感謝して全力を尽せ。

   そこから無限の供給が現われて来る。


   → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/a8c99dfdc22dc89aa35868f892bddbb5

            <感謝合掌 平成28年6月20日 頓首再拝>

《値を払わねばならぬ》 - 伝統

2016/06/30 (Thu) 04:56:02


          *『 生長の家 』(昭和25年1月28日の法語)より 

   神に祈るということが、神に感謝するということも、
   結局 これらは 神に値を払っているということなのである。

   神から生命を頂きながら、その生命を頂きっぱなしにして、
   その一割の時間さえも 神に捧(ささ)げないということは
   与えない事であり 奪いっぱなしになっていることである。

   だから 常に 神からの恵みを受けようと思うものは
   常に利子を払うかの如(ごと)く、
   ある時間を割いて 神に感謝し祈ることが必要なのである。

   行わないということも、まちがった行いと同様に
   よくないことの起る原因になるのである。


   → http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/b58b264647a3d7cdc192441e11756526

            <感謝合掌 平成28年6月30日 頓首再拝>

【「ありがとう」は一日に何回でも】 - 伝統

2016/07/15 (Fri) 03:05:45


           *メルマガ「人の心に灯をともす」(2016年06月27日)より

   (リチャード・テンプラー氏の心に響く言葉より…)

   人は「忙しすぎて」「ついうっかり」などと言い訳したり、
   「前に言ったことだからいちいち口に出さなくても察してほしい」と
   平気で開き直ることがある。

   「お願いします」「ありがとう」が忘れ去られる場面はけっこうあるのだ。

   これはひとえに旧来の悪しきマナーがなせるわざにほかならない。


   基本的な人間としての品位や礼儀すらおろそかにしだしたら、
   私たち一人ひとりの存在意義がまったくなくなってしまう。

   「ありがとう」も「お願いします」も言えないくらい礼儀知らずになったら、
   それこそ人間もうおしまいだ。


   日に何回メモを渡されようが関係ない…そのたびに必ず「ありがとう」のひと言を。

   日に何回も同じことを頼もうが関係ない…そのたびに必ず「お願いします」の気持ちで。

   誰かが自分のために何かをしてくれたときも、
   それがどんなに日常茶飯の退屈なだけでたいしたことのない雑用だろと、
   「ありがとう」の言葉を絶対欠かしてはならない。


   1回でも言い忘れたら最後、「感じの悪い無礼者」の烙印を押されてしまう。

   人の気分を害さないためにも、「お願いします」と「ありがとう」は欠かさずに。


   昔の同僚に、深夜勤務、休日出勤、残業ばかりか、
   書類を自宅に持ち帰って休日返上で週末も働くなど、
   人一倍仕事に精を出す部下が自然と集まる管理職がいた。

   そこで彼の一挙手一投息に注目し、自分たちの行動との違いを探ったところ、
   それが部下の忠誠心の獲得にあることがわかった。

   ここまで来れば、私が言うまでもなく、もうお気づきだろう。

   そう、彼は「お願いします」と「ありがとう」の気持ちを忘れなかった。

   心のこもった「ありがとう」は、まさに絶大な威力を発揮するのである。


   ほめ言葉をもらったときに自分をけなさないようにする、というのもお勧めだ。

   「よくやった」とほめられたとたん、
   顔を赤らめて「いや、それほどでも」と口ごもるのはやめること。

   それでは、せっかくのほめ言葉が台無しになる。

   そんな場合はむしろ「ありがとう」と言ったほうがいい。

           <『なぜか出世する人の仕事のルール』ダイヤモンド社>

                  ・・・

何かをしてもらったとき、いちいち「ありがとう」というのはわざとらしい。

ちょっと会釈するくらいでいいのでは、という人がいる。


小林正観さんは、それについてこう語っている。

「心の中で思う力(想念)よりも、『口に出した言葉の力』のほうが、
はるかに大きなエネルギーを持っています。

ですから、『よき仲間』を増やすには、心の中はどんな状態であれ、
『ありがとう』と『口に出して言ったほうがいい』と思います」


例えば、「かけそば」を食べたいと思ってお蕎麦屋さんに入ったのに、
つい「カレー南蛮」と言ってしまったら、カレー南蛮が出てくる。

どんなに強く心の中で思っていても、言葉に出したものが出てくるのだ。

これは、心の中で、「コンチクショウ」「大っ嫌いだ」と思っていても、
口で「ありがとう」と言えば「ありがとう」の気持ちが伝わるのと同じだという。

だから、会釈でなくて、「ありがとう」と言葉に出したほうがいい。


「ありがとう」と「お願いします」を一日に何回も言いたい。

            <感謝合掌 平成28年7月15日 頓首再拝>

“ありがとう”は 魔法のコトバ  - 伝統

2016/07/30 (Sat) 03:17:04


         *メルマガ「成功への道しるべ(2016年7月27日)」より 

(1)なにか作業を始める前には、“ありがとうございます”と指折り数えながら
   声に出して50回か100回反復すると気分よくスタートできます。

   また作業が行き詰った時なども反復します。
   確かにものごとがスムースにはかどります。
   50回反復するのに1分とかかりません。

   更に機会あるごとに“ありがとうございます”を繰り返すのです。
   そうすると“ありがとう”言わざるを得ない状況を引き寄せる力が働く
   といわれます。


(2)以前、この道しるべで、 お菓子のデパート吉寿屋の神吉会長は出社されると、
   商品のお菓子に“お菓子の皆さんありがとうございます”と
   大声で反復されることを、ご紹介したことがあります。

   ある時お菓子が“僕を出荷してもお金がもらえませんよ。”と言ったのです。
   それを社員の方が無理に出荷したところ、案の定その通りになってしまった
   ということです。

   神吉会長はモノにも命が宿っていることを確信させられた価値ある経験だった
   と云われます。(※)


(3)そんな話を、親しい典型的な大阪のおばちゃんに話したところ、
   次のように言われました。

   『それは本当や! 私はいつも自転車にそう云うてるさかい分かる。
   スーパーの駐輪場なんかにとめる時も、ありがとうと言うようにしているんで、
   風の強い日、他のは倒れても、私の自転車だけは倒れへんのや。』
 
   なんか説得力あるお話で、風の強い日に試してみようと思います。


(4)モノに対してもそんな効果があるのなら、命の宿る私自身に繰り返し反復したら
   もっと素晴らしいことが期待できそうです。

   雑誌「致知」の最近号に、医者からもうどうしようもありませんと言われた
   末期がんの工藤房美さんが、とにかく“ありがとう”と言い続けて健康体に
   なった話が、遺伝子工学の権威村上和雄氏との対談形式で紹介されています。

   村上博士によると意識が前向き積極的になると、
   遺伝子の一部はオンになりガンを抑制する働きを始めるそうです。

   “ありがとう”を反復し続けることは私達の体を形成する約60兆の
   細胞の遺伝子に良い影響を与えるので、十分科学的根拠があります、
   と云われます。 


(5)語源辞典によると“ありがとう”は「有り難し」から来ているそうで、
   有り得ないような素晴らしいことが起きた時、神様に感謝し、神様を称賛する
   言葉として「有り難い」「ありがとう」が使われたということです。(※)

  ①心理学者で心学研究家だった故・小林正観氏は “ありがとうございます”
   を反復することで、素晴らしいことが引き寄せられるのは宇宙の仕組みだ
   といわれます。

   実践した人達の奇跡的な体験をまとめた本も出版されています。

   その著書の中で、
   とりあえず自分の年齢×1万回 “ありがとうございます”を反復すると、
   なにか体験できるはずと言われます。

  ②50歳の人なら50万回ですが、
   実践に当たっては反復の回数を数える方法が課題です。

   100円ショップで購入できるカウンターなどを使えば
   簡単に回数をカウントできます。
 
   ただいつも持ち歩かなければならないので、煩わしいことと
   人前でやるなどとても出来ないといわれる方もおられます。


  ③そこで前述のように50回、100回と指折り数える方法なら簡単に出来ます。
   反復する度に正の字を紙に急な時は手のひらに書いておくこともできます。

   正の字二文字で500回です。
   そしてその日の回数と累計回数を手帳に書き込みます。
   この累計回数を見るのが結構継続の励みになります。

   同じ1000回なら一気にやるより100回を10回繰り返す方が、
   間を置く反復の効果があります。
 
   またなにか作業をする度に50回あるいは100回
   “ありがとうございます”を反復することで、
   その都度小さい利益を体験できるので楽しく継続出来ます。


(6)数年前、「アファーメーションで人生に奇跡を起こす」というテーマで
   大阪の太閤園という立派な会場を借りて、数人の方に体験発表をして
   もらったことがあります。
 
   “ありがとう”は皆共通で、そのコトバ以外に“運がいい”などを
   つけておられる方もおられましたが、何回位反復しているか尋ねると、
   即手帳を取り出し、いま200何万回です等と、
   皆その場で正確に答えられたことです。


   “ありがとう”は魔法のコトバです

   まずは単純に“ありがとうございます”だけでOK、挑戦されてみませんか?


編集後記 

■(※)
「ありがとう」は英語ではTHANK YOUです。

「ありがとう」は神様に感謝するのに対し、
「THANK YOU」はあなたに対して感謝ということです。

 だから
「ありがとう」のコトバの方が「THANK YOU」よりはるかに強いエネルギー
(言霊)を持っている。そんな研究をしている学者がおられるそうです。

■(※)
ビジネスマン等に人気のテレビの番組カンブリア宮殿で
吉寿屋さんのことが8月末放映されます。
きっとこのお話も扱われると思います。 

            <感謝合掌 平成28年7月30日 頓首再拝>

躓きを含めすべてに感謝 - 伝統

2016/08/05 (Fri) 03:20:54


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』<8月5日>(P41)より

躓きは不幸な出来事であるが、われらがまた躓きにも感謝しなければならぬ。

躓きはわれらが人生の道を歩むのに、十分高く足を挙げていなかったことを
教えてくれるものである。われらは躓きによって、躓かないときよりもいっそう
多くのことを学ぶことができるのである。

躓きはまたわたしの心の眼を開いてくれるものである。
もし、今少し手前で躓かなかったら、自分の今歩いている道が、
谷底へ落下する道であることに気がつかなかったかもしれないのである。

理屈で言うのでも、失敗を諦めるために言うのでもない。
躓きは当然感謝さるべきものである。

躓かなくなりえた者は、その幸福をいっそう感謝すべきであるが、
躓きもまた感謝する価値がある。

そうすればわれらは人生のどこにも
感謝すべきものが充ちていることを発見しうるのである。

            <感謝合掌 平成28年8月5日 頓首再拝>

感謝で人生のすべてがうまくいく - 伝統

2016/08/16 (Tue) 03:11:13


           *「感謝力」原久子・著(P127~128)より

感謝すると、不治といわれるような病気が治ったり、人間関係がよくなったり、
人生が好転したり、自分にとってよいことがたくさん起こってきます。
そして、感謝の気持ちが深まるにつれて、「勇気」や「やる気」が出てきます。

さらに、感謝というのは強力なエネルギーなので、それによって創造エネルギー、
つまり、ものを作り上げるエネルギーが湧いてきます。

ですから、感謝が深くなればなるほど、自分がすべきことが見えてきて、
それも感謝に比例してよく見えてきます。

そうすると、今、自分が何をやったら人が喜ぶのか、何をさせてもらえばよいのか、
ということが、明確にわかってきますので、情熱が湧いて、いっそうエネルギッシュに
なっていくわけです。

それでよい循環が始まっていき、人生が好転していくという、
よい連鎖が起こっていくのです。

            <感謝合掌 平成28年8月16日 頓首再拝>

「ありがとう」の2つの意味 - 伝統

2016/08/27 (Sat) 04:30:39


          *Web:mixiユーザーの日記(2015年05月11日)より
           ~「ありがとう で いいこといっぱい」のがみ こよな・著より


「ありがとう」という言葉には特別の力あるといわれています。

何か事があるたびに「ありがとう」と言う習慣をつけると、
人生には良いことがいっぱい起ると言われています。
実際、すなおに「ありがとう」を言える人は恵まれた人生を送っていらっしゃるようです。

「ありがとう」という日本の言葉には、
英語の「サンキュー」という言葉にはない独特の、
ありがたい感謝の響き、バイブレーションがあります。

言葉にはイノチが宿っているのです。
だから「ありがとう」と言えば言うほど
恵み豊かな人生を歩むことになると思います。


日本は古来より「言霊の幸ふ(ことだまのさいきはう)国」と言われてきました。
言葉にはイノチが宿っていて、その霊妙な働きによって幸福がもたらされる
ということを昔の人は知っていたのですね。

日本の良さを再認識して、日本の風土に根付いた言葉のもつ
イノチの働きをよみがえらせたいものだと思うのです。



「ありがとう」という言葉には、2つの意味があると言われます。

一つは文字通り、“有り難い”すなわち“有ることが難しい”
という意味が込められていることです。

たとえば誰かと出会っているとき、

「あなたと私がいまこうして、ここに過ごすことが出来るのも、
考えてみれば実に不思議なご縁ですね。この世界には60億以上の人が住んでいるのに、
何故かあなたと今ここにこうして出会っている。一体どういう巡り合わせなのでしょうね?
奇跡と言ってもよいのではないでしょうか? 
文字通り“有り難い”ことです。ありがとうございます」

と理解することができます。



もう一つ「ありがとう」という言葉には
“難がある。だから有り難い”という意味があります。

私たちは、困難があると本能的に避けたくなるし、
そもそも困難な目にあわないように心がけて生活しているのではないでしょうか。
にもかかわらず、人生には様々な困難が、避けては通れないかのごとくやって来ますね。

だから目の前に“難”がやって来たら、
ついつい「イヤだなあ」とか「ついていないなあ」とかつぶやいてしまうのですね。

「イヤだ」とか「ついてない」とか思うと、本当にそんな現実が押しかけてくるものです。
こんなことを繰り返していると、「イヤな人生、ついていない人生」を送ってしまう
ことになりかねません。


だから、“難”が有ったときには、すかさず「ありがとう」と言って、
いま直面している困難な事態に感謝すれば、困難だと思っていたことが、
それを乗り越えることによって、能力が高まり、人生の展望が開ける、
すなわちチャンスだったということにつながります。

“難”があるから“有り難いのです。


もちろん変な苦労はしないに越したことはないのですが、
直面してしまったら、それを乗り越えていくしかありません。

「難が有ってありがとう」の心で、その困難な事態に負けることなく、
イキイキと乗り越えていけばよいということになります。

後になって、あの困難は、神様が用意してくれたプレゼントだった
と気づく時がやってくるかもしれません。

http://open.mixi.jp/user/5089039/diary/1941984980

            <感謝合掌 平成28年8月27日 頓首再拝>

感謝を積極的に表現するとよい循環が始まる - 伝統

2016/09/07 (Wed) 04:20:42


           *「感謝力」原久子・著(P156)より

多くの人は感謝されると、心地よく感じます。
「ありがとう」といわれて怒る人はまずいないでしょう。
むしろ、その人にもっとよくしてあげよう、と思うのが人情ではないかと思います。

それがお礼や感謝の言葉もなく黙っていれば、「この人は別に私の助けはいらないっだな」
と思うかもしれませんし、「別にもうかかわらなくてもいいや」というような
気分になっていくこともあるでしょう。

要は、自分が感謝を感じたら、その気持ちを具体的に表現することです。
表現して行動して表していくのです。

すると、その気持ちが相手に伝わり、逆に相手からも喜ばれるものなのです。
そして、その喜びの気持ちが自分に返ってきて、自分自身が幸せな気持ちになり、
感謝の気持ちによる循環というものが始まるのです。

            <感謝合掌 平成28年9月7日 頓首再拝>

《先(ま)ず心の目を開いて 身辺にある恵みに感謝せよ》 - 伝統

2016/09/18 (Sun) 04:54:00


           *『 生長の家 』(昭和25年2月22日の法語)より

   一切の悪は そして禍(わざわい)は、暗のようなものである。
   そこには光が現われていないにすぎない。

   光がないのではないのであって、
   自分が心の目を開いて 光をみないのである。

   天地にどんなに多くの恵みがみちているか、
   自分がどんなに多くの恵みに生かされているか、
   それを知らず それに感謝しないものは 光をみないのである。

   かかる人の生活は暗く、禍が現われ 病気が現われて来るのである。
   まず心の目を開いて、身辺にあるどんな小さい恵みからでも
   感謝し始めることである。

   今与えられている小さな恵みに感謝するとき、
   次の大いなる恵みが与えられる。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58

            <感謝合掌 平成28年9月18日 頓首再拝>

【今あるものに感謝する】 - 伝統

2016/10/01 (Sat) 03:47:39


         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2016年09月11日)より

   (秩父札所十三番慈眼寺、南泉和尚の心に響く言葉より…)

   京都・龍安寺のつくばいにある
   「吾唯足知(われただ足るを知る)」の4文字はとても有名です。

   これはお釈迦様の説いた教えを図案化したものだと言われています。

   4文字の意味を今あるもので我慢すると受け取る人もいるようですが、
   私は、今、あるものに感謝をするというようにとらえています。

   反対にあるものに満足できない人は、不知足な人ということになります。


   「足る」と思うか思わないかはとらえ方一つです。
   同じものでも、「これしかない」と感じるか、
   「これだけある」と感じるかです。

   それによって気持ちの持ちようは大きく異なります。


   2012年アメリカで作られた、『happy? しあわせを探すあなたへ』
   というドキュメンタリー映画があります。

   世界5大陸、16ヵ国を訪れ、心理学者や脳医学者とともに、
   「幸せになる方程式」を探っていくという内容ですが、
   とても興味深い発見がいくつもありました。


   たとえば、映画の最初にインド・コルカタの貧民街に住む
   人力車ドライバーの男性が登場します。

   雨漏りする住まいでも、彼は幸せだと話します。

   「雨が降るとびしょびしょになるけれど、晴れると星が見える。
   家族がいれば僕は幸せ」と笑います。

   映画の中では、このドライバーは大半のアメリカ人と同じくらいの
   幸福感を抱いていると紹介されていました。


   つまり、ものの豊かさでは幸せの度合いは測れないのです。

   同じ物でも、「これだけある」と思えば人に分けてあげることができますが、
   「これしかない」と思えば、人に分け与えることができません。

   どちらの考え方が幸せを感じられるでしょうか。

   どう受け取るかを決めるのは、あなた自身です。

        <『日常の中で悟りをひらく10の徳目』ディスカヴァー>

               ・・・

「うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる」

という相田みつをさんの詩がある。


足るを知る人は、わけ合うことができるが、
もっともっとと際限なく求め続ける人は決して満足することはない。

一つ手に入れても、別の何かが欲しくなり、それが嵩(こう)じると奪い合うようになる。


本当の幸せは、ないことを嘆くのではなく、

今どれだけ恵まれているのかに気づき感謝すること。

今ある幸せに気づくこと。


「今あるものに感謝する」

足るを知る人でありたい。

・・・
 
 *『happy? しあわせを探すあなたへ』
   → http://www.happyrevolution.net/

   → http://www.happyrevolution.net/story

            <感謝合掌 平成28年10月1日 頓首再拝>

一切を感謝に変える生長の家の到彼岸(はらみた)術 - 伝統

2016/10/13 (Thu) 04:45:06


    *「光明道中記(その身まったし)」(10月13日)より

十月十三日 甘露を飲む爽やかな日

【一つの憎みは十人の憎みを招び、一つの愛念は百人の愛念を招ぶ。(『生命の實相』第十一巻)】


「忍」がまだ自覚されているのは「忍」の最上のものではない。
キリストは、「終りまで耐え忍べ」と言ったし、また「汝の敵を愛せよ」とも言った。

「終りまで耐え忍べ」と云う語(ことば)には「忍」がまだ忘れられていないし、
「汝の敵を愛せよ」と言う語は、「忍」が超えられて「愛」に変じている点では
一段の進歩ではあるけれども、まだ「敵」が忘れられていない。

生長の家では「敵はない」と言い、「忍」に代うるに「感謝」を以てするのである。

永嘉大師は、
「他の謗(ぼう)するに従(まか)せ、他の非するに任(まか)す。火を把(と)りて
天を焼く、徒(いたずら)に自ら疲るるのみ、我れ聞いて却(かえ)って甘露を飲むに似たり、
鎖融(しょうゆう)して頓(とみ)に不思議に入る」と言われたそうであるが、
この境地は素晴らしい高い大きな境地であるが、相手を見下げた感じがある。

「火を把(と)りて天を焼く、徒(いたず)らに自ら疲るるのみ」と云う語(ことば)には、
相手に対する呪詛さえある。その心境には感謝がない。
「我れ聞いて甘露を飲むに似たり」には、一種の独善的な感じがする。

どうしても一切を感謝に変える生長の家の到彼岸(はらみた)術は忍辱波羅蜜多以上のものである。

           <感謝合掌 平成28年10月13日 頓首再拝>

【感謝の気持ちを高めるには】 - 伝統

2016/10/25 (Tue) 04:12:48


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2016年10月01日)より

   (明治大学教授、齋藤孝氏の心に響く言葉より…)

   ビジネスの世界でも「運」はひじょうに大きな関心事です。
   流れの悪さをただ静かに受け入れていたら、商売はうまくいかなくなります。
   
   商売とは大きな海を航海していくようなものです。
   大きな経済という海の中で自分の会社や仕事がどうなっていくのかを
   考えながらコントロールしていくのが、
   ビジネスの世界における「運」への考え方です。


   私は商家の家訓の研究をしていたことがあるのですが、
   家訓で一番多いのは「神仏を大事にしなさい」ということです。

   これは武家でもある程度は言われていますが、とくに商家の場合は、
   感謝の気持ちを持たないと、商売が成り立たなくなってしまいます。

   まずは神仏を拝んで、自分自身を謙虚に保ち、
   感謝の気持ちを忘れないように、と戒めています。


   商家の家訓で二番目に多いのは
   「自分のためではなく、利他の心で動きなさい」ということです。

   自分だけがもうかって、お客様が損をするというのではなくて、
   自分がちょっと損したな、と思うぐらいがちょうどいい、という教えです。


   近江商人の考え方がこれです。

   「売りて悔やむ事、商人の極意」だと近江商人の家訓には書かれています。

   損得に迷わず、人が望んでいる時には、さっさと売るということです。

   なぜかというと、相手はその値段で買えたことを喜ぶからです。
   お客さまが喜ぶことで、商売がうまくいく。

   結果的にみんなが得をするやり方をすると、
   「あの店はいつもお客さんがいっぱいだ」とか「いい仕入先がついている」と言われ、
   はたから見ても「運」がよくなっていきます。

           <『運の教科書』筑摩書店>

              ・・・

感謝の気持ちを高めるのに一番いい方法が、神仏を大事にすること。

ことあるごとに、お墓参りをしたり、神社に参詣(さんけい)する。

お墓や仏壇、神社や神棚は、お願いをするところではなく、
お礼を言い、感謝の気持ちをあらわすところだからだ。


毎朝、神棚や仏壇に向かって手を合わせれば、
連綿と続くご先祖様や八百万の神さまのことを思い、謙虚な気持ちになる。

感謝すればするほど、謙虚になる。

逆に、神仏の存在を否定するなら、不遜(ふそん)、傲慢(ごうまん)になっていく。


運を高めるには…

神仏を大事にし、利他の心を持つこと。

           <感謝合掌 平成28年10月25日 頓首再拝>

真の「ありがたさ」 - 伝統

2016/10/28 (Fri) 03:22:24


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』<10月28日>(P113)より

感謝は必要であるが、ただむやむにありがたいばかりでは足りないのである。
神がすべてのものをすでに与えられている実相を知っての
ありがたさにならなければ本当ではない。

ただ手段として「ありがたい」を言っていれば無限供給やいろいろの利益が与えられると
思うのは「ありがたい」を手段として、方法としたのである。
手段や方法は過程であり、実験室でのことである。

ある程度の功徳は実験せられるかもしれないが、
大生命の海原にそのまま坐しているような大きな功徳はないのである。

法悦というものは手段としての「ありだたさ」でもなく、
方法としての「ありがたさ」でもなく、
利益が得られたからの「ありがさた」でもなく、

そのまますでに与えれている意味での「ありがたさ」である。

           <感謝合掌 平成28年10月28日 頓首再拝>

《もっと神の恵みに感謝しなければならない》 - 伝統

2016/11/09 (Wed) 03:31:51


        *『 生長の家 』(昭和25年2月23日の法語)より

   拡大鏡を以て 物をみれば大きく見えるように、
   吾々は 心の拡大鏡を以て
   小さな恵みでも大きくみることが必要である。

   大きく見る時には 大きく現われて見えるのである。

   神の恵みは 実際は無限に大きいのであるけれども、
   吾々は 概(おおむ)ね近眼鏡をかけて
   近くのものをみるから小さく見えるのである。

   そして真に豊かなる恵みを 縮小してみているのである。   
   吾々は もっと神の恵みに対して感謝しなければならない。

   感謝の念は 小さな恵みでも大きな喜びを生みだすのである。
   感謝の念は 恵みの拡大鏡である。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=58

           <感謝合掌 平成28年11月9日 頓首再拝>

洞窟の比喩 - 伝統

2016/11/24 (Thu) 04:10:38


         *Web:BlueBloomBlog( 2016/10/30)より

プラトンは、洞窟の比喩という例話で、

人間は生まれながらに洞窟の中に居て壁の方向だけを見ている。
洞窟の壁に映し出された影を真実と思っている。

しかし本当の世界は洞窟の外にあり、人間世界の現象は、
外の世界から洞窟に入ってくる光の影に過ぎない。


と書いている。

             ・・・

嫌な奴とか悪意のある人とかですね。
貴方に嫌な攻撃をしてくる人がいるとしましょう。

また、転んだとか怪我したとか不運に見舞われたとしましょう。

実はそれはすべてバーチャルな影に過ぎないと解釈してみましょう。

つまり、個人の相手や特別な事件や環境が存在するから、
それが貴方に悪さしてるのでは無く、
貴方の心の影が悪さしてるとしたらどう思いますか?



最近あったほんとうの話です。

私の友人に、
同級生同志結婚した後輩のA子から夜に泣きながら電話があって、
「もう私達ダメかも。離婚の準備をしてる。」と言ったそうです。

なんで? と聞き返すと、
相手(夫)の悪口がいっぱい出てきたそうです。
4年前から家庭内別居状態らしい。

そこで、彼女にこう言ったそうです。

「相手が貴方にしてくれた感謝できることを思い出してノートに書いて
私に見せて欲しい。」

ちなみに、
これは、「鏡の法則」という本に書かれている解決方法です。


そこまで聞いた私は、
「絶対に書かないと思うよ」と笑った。

「女っていうのは、話したいだけなんだから絶対に書かない。」


そうすると友人は、
「思ってるだけではダメ。
書かないと絶対に解決できない。」と言って、A子に電話した。

「もう書いた? 」

「まだ書いてないけど」

「書いて私に見せてって言ったでしょ? ちゃんとやってよ。」

「分かった。むつかしいけど書いてみます。」


そこから奇跡が起こったのですが
実は、効果に私も驚いたのです。


彼女が相手から受けた感謝できることを書くうちに、
自分の心から徐々に怒りが和らぎ、暖かい光を感じたのです。

そうすると、急に相手(夫)の態度も急変し、
買い物に誘われたそうである。

A子にとっては、「これはあり得ない奇跡」だそうです。

ということで、とりあえず元のさやに納まったらしい。


私達は嫌な環境に遭遇すると、
相手を怨んだり、将来を悲観したりします。
それは「相手が自分に害を及ぼすから未来は自分では変えられない」と思うからです。

しかし、実際には嫌な相手は存在せず、
私の心にある「人形」によって、相手が嫌な奴の役目を演じさせられているのです。

だから未来は絶対に変えられるのです。


そして、心の力が弱いから嫌なことがいっぱい起きるのです。
心の力を強くするには、感謝の心が重要なのです。

感謝の心がわき出ると、人形の動きが変わり、
影絵が変わるから奇跡が起こったように感じるのです。

でも本当は、実際には、光しか無いのです。

心の作り出した人形が運命を作ってるのです。

いつしか影絵が無くなった時、初めて人間は影絵に固執していた自分に気づくのです。
そして勇気を持って後ろを振り返り、ほんとうの世界は洞窟の外にあると知るのです。

http://bloom.at.webry.info/201610/article_5.html

           <感謝合掌 平成28年11月24日 頓首再拝>

《一切万事、神より来る、唯感謝あるのみ》 - 伝統

2016/12/09 (Fri) 04:12:55


           *『 生長の家 』(昭和40年3月29日の法語)より

   「 神 」即ち「 生命力 」が去ったならば、
   一瞬間もあなたは立っていられないのである。

   その美しい肉体は筋肉美も皮膚の美も悉く失われてしまうのである。

   あなたが均斉(きんせい)のとれた美しい肉体、
   つやつやした美しい皮膚をしているのは
   「 神 」があなたの中に内在しているからである。

   食物(たべもの)が胃袋の中で消化されるのでも、
   胃袋が食物を消化するのではなく、
   神が消化したまうのである。

   私達は毎日、神によって護られ、導かれ、生かされて来たのに、
   “ 自分が ”生きているかの如く錯覚して
 
   神に感謝する事を忘れ過ぎていたのである。

   道を歩むとき、空気を吸うとき、食事のとき、
   仕事をするとき、何事でも気がついた時、
   神の恩恵のあまりにも裕(ゆた)かであることを想い起して感謝せよ。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=121

           <感謝合掌 平成28年12月9日 頓首再拝>

【おかげさまの心】 - 伝統

2016/12/23 (Fri) 04:36:46


         *メルマガ「人の心に灯をともす(2016年12月09日)」より

   (ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子氏の心に響く言葉より…)

   小さなお子さんの手を引いて、一人のお母さまが
   水道工事の現場の傍(そば)を通りかかりました。

   暑い夏の昼下がりのことでした。

   お母さまは坊やに向かって、

   「おじさんたちが、汗を流して働いてくださるから、
   坊やは、おいしいお水が飲めるのよ。ありがとうと言いましょうね」

   と話してやりました。


   やがて、もう一人同じように幼い子の手を引いて、別の母親が通りかかりました。

   「坊や、坊やもいまから一生懸命にお勉強しないと、
   こういうお仕事をするようになりますよ」

   と言ったというのです。


   同じ仕事に対して、こうも違った考えがもてるものでしょうか。

   最初の母親は、この日、子どもの心に労働に対しての尊敬と感謝の気持ちを育てました。

   2番目の母親は、(手をよごす仕事、汗まみれの労働)に対しての、
   恐ろしいまでに誤った差別観念を、この日、我が子に植えつけたことになります。


   私たちがいま、子どもと一緒にこの場にいたとしたら、
   どんな会話を交わすことでしょうか。

   会話以上に大切なのは、どんな思いを抱いて、
   働いている人たちの傍を通るかということなのです。


   人は、自分がもっていないものを、相手に与えることは出来ません。

   感謝の気持ちを子どもたちの心の中に育てたいならば、
   まず親がふだんから「ありがとう」という言葉を生活の中で発していることが
   大切なのです。


   近頃の学生たちで気になることの一つは、
   いわゆる〈枕詞(まくらことば)〉のようなものを習ってきていないということです。

   例えば、「お元気ですか」と尋ねると、
   「はい、元気です」という答えは返ってきても、
   「おかげさまで元気です」という返事のできる学生が、以前と比べて少なくなりました。

   遅刻して教室に入ってきた学生が、授業の後で、
   「遅刻しました」と、名前を届けにはきても、
   「すみません、遅刻しました」という枕詞がつかないのです。


   「お話し中、すませんが」とか、「夜分(やぶん)、失礼します」という
   挨拶のできる学生も少なくなりました。

   いずれにしても、言葉が貧しくなっています。

   そして、それは取りも直さず、心が貧しくなっている証拠なのです。


   せめて、「おかげさまで」という言葉と心を、生活の中に復活させましょう。

   理屈っぽい人は、「何のおかげですか」と言うかも知れません。
   何のおかげでも良いのです。

   この表現は、私たちが実は、一人では生きられないこと、
   たくさんの〈おかげ〉を受けて生きていることを忘れない心の表れなのです。

   見えないものへの感謝なのです。


   ところで、本当にありがたいこと、何でもない時に
   「おかげさまで」と言うのは比較的に易しいのですが、
   不幸や災難に遭った時はどうしましょう。

   そんな時にも、「おかげさまで」と言える自分でありたいと思っています。

   ごまかすのではなく、不幸、災難、苦しみをしっかりと受け止めながら、
   「いつか、きっとこの苦しみの〈おかげさまで〉と言える自分になりたい、
   ならせてください」と祈る気持ちをもっていたいのです。

        <『忘れかけていた大切なこと』PHP文庫>

              ・・・

相田みつをさんの「つまづいたおかげで」という詩がある(同書より)。


「つまづいたり  ころんだりしたおかげで
物事を深く考えるようになりました

あやまちや失敗をくり返したおかげで
少しずつだが 人のやることを  
暖かい眼で見られるようになりました

何回も追いつめられたおかげで
人間としての  自分の弱さと だらしなさを
いやというほど知りました

身近な人の死に逢うたびに
人のいのちのはかなさと
いま  ここに 生きていることの尊さを
骨身にしみて味わいました」


我々が何気げなく普通にくらしていられるのは、
多くの人の、名も知れない誰かの献身的な努力があるから。

「おかげさま」という心を忘れたとき、
人は傲慢(ごうまん)になり、感謝の心をなくしてしまう。


誰の助けも借りずに、たった一人で、この世の中を生きていける人は誰もいない。

つまずいたり、ころんだりすることも、
「おかげさま」の気持ちを忘れないための神さまからのプレゼント。

どんなときも、感謝とおかげさまの心を忘れない人でありたい。

           <感謝合掌 平成28年12月23日 頓首再拝>

「潔(きよ)め」と「感謝」の日 - 伝統

2016/12/31 (Sat) 03:19:41


        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月31日)より

 本年最後の決意の日である。
 新しき天と地とを迎えるために潔(きよ)むべき日である。
 
 家を潔め、心を潔め、新しき花嫁の装いをした「真理(キリスト)」が釈迦が、
 その人の中に天降って来ても、その「真理(しんり)」の坐り場所がないような
 不潔なことをしておいてはならない。

 毎日の眠る前の神想観に、新しき次の日を迎えるべく、すべての人とその罪とを赦した
 と念じ、さらにその人に愛を送り祝福を送ったと同じように、今夜は眠るまえに
 いっさいの人々を赦し、

 いっさいの人々に感謝し、いっさいの事物に感謝し、感謝の念で心の中の汚れを洗い浄め、
 愛と祝福の念で、心の中を美しく装飾して、

 いつでも新しき「生命(せいめい)」の、新しき「真理(しんり)」
 の花嫁が天降って来ても招じえられるように魂の準備をして眠ろう。

 人々よ、安らかであれ。われはすべての人々に感謝する。
 よく戦ってくれた。よく働いてくれた。
 あなたたちがいてくれたのでわたしの生活が光栄あるものとなったのである。

 雷霆(らいてい)も、暴風も、山雨も、地震も、海しょう(津波)
 も、それはわたしを高めるためのものでしかなかったのである。

 われ、一切人(いっさいじん)、万事万物に感謝する。
 人々よ、平安なれ。

            <感謝合掌 平成28年12月31日 頓首再拝>

恩恵に包まれている - 伝統

2017/01/10 (Tue) 04:41:26


          *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月10日)より

冬の日光ほど嬉しいものはない。
寒いときに日光の恩恵について考えるほどには、われわれは空気の恩恵について感謝していない。
われわれは食物に感謝するように空気にも感謝しなければならぬ。

われわれは空気の恩恵について感謝すべきことに気がついたとき、
われわれの周囲に感謝すべきものがかくも多数に充ち満ちていることに気がつくだろう。

大地、家、畳、すべての調度 ―― ひとつも自分が造ったことのないこれらのものを
われわれは平然と使いながら生きているのである!

         <感謝合掌 平成29年1月10日 頓首再拝>

汝が感謝している心がそのまま仏である - 伝統

2017/01/19 (Thu) 04:02:00


           *「光明道中記」(1月19日)より

【そのままで既にその本来相が仏であり神の子である。(『生命の實相』第六巻)】

そのまま有難いと拝むこころが仏である。
仏はどこに在るかと探して見ても判らないが、
有難いと汝が感謝している心がそのまま仏である。

感謝が仏であり、慈悲が仏である。
仏が隠れた相(すがた)が鬼である。
鬼と云うものが別にあるのではない。仏が隠れたのが鬼である。

死んだら鬼に成ると云うのは、死ぬとは生命が其処から離れたと云うことに他ならぬ。
生命が現れたら鬼は自ら消えるのである。

お前は鬼のような心をしている ―― と言われたら、
大抵の人間は「そんな筈はない」と言って驚く。

併し「貴方はそれでは感謝と慈悲とに充たされているか」と訊くと
「そうではありません」と答える。

感謝に充たされていない者は鬼なのである。
慈悲に満たされていない者も鬼である。

今日から鬼である事を止め、今日から仏にならんとするのは大いなる進歩である。

            <感謝合掌 平成29年1月19日 頓首再拝>

《感謝は恩恵の流れに対してスイッチを捻る事である》 - 伝統

2017/02/01 (Wed) 05:08:28


         *「光明法語」(2月1日)より

吾々は電燈の光を得ようと思えば先ずスイッチをひねる事が必要である。
先ず吾々みずから或る力を与えるのである。
すると光が与えられる。

太陽は照っていても、その光を受けようと思えば先ず自分が眼を開かなければならぬ。
眼を開くと云う動作を与えることによってのみ太陽の光は与えられるのである。

そのように吾らはすべての恩恵を与えられているのであるが、
それは先ず自分が恩恵に向かって感謝することによってのみ、
その恩恵がわがものになるのである。

感謝すると云うことはスイッチを捻(ひね)る事に当る。

            <感謝合掌 平成29年2月1日 頓首再拝>

《 萬物(ばんぶつ)ただ感謝あるのみ 》 - 伝統

2017/02/15 (Wed) 04:32:13


       *「生長の家」(昭和25年6月17日の法語)より

   神さま ありがとうございます。

   眠っている間も私の生理作用をつつがなく いとなましめ給い、
   なくてならぬ日常のものを与え給い、
   色々のよきものを あなたは恵み給いました。

   神さま ありがとうございます。
   あなたは愛でいらっしゃいます。

   私はあなたの愛を、
   青空をみても、
   輝く日光をみても、
   空気を吸うても、
   梢(こずえ)の若葉をみても
   感ずることができるのです。

   神さま、私は凡(あら)ゆる所に
   あなたの美しき智慧を感ずることができるのです。

   空の星の動き、
   罌粟(けし)の花の装い、
   美しき藤の花。

   神さま ありがとうございます。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=2

            <感謝合掌 平成29年2月15日 頓首再拝>

今を生かされていることに感謝 - 伝統

2017/02/28 (Tue) 03:27:45


          *『おかげさまで生きる』矢作直樹氏・著(P35~38)より

今を生きていることに感謝すると同時に、
私たちは「今を生かされている」ことに感謝することが肝要です。

大いなる自然界に生かされているからこそ、私たちは毎日、
食べたり飲んだり語らったりすることができるのです。

生きていることは当たり前のことではありません。
様々な要素、奇蹟的な巡り合わせが重なった結果、私たちはこうして生きています。

日本人は「心構え」や「覚悟」という言葉を大事にしてきました。

生きている間に起ることすべてに対して、「自分が責任をとる」
「すべてを受け入れる」という姿勢を貫いてきたからです。
心構えも覚悟も「心の準備」なのです。

心の準備は、いつどこからすればいいというものではありません。
それは一人ひとりが普段から行うものであり、胸の内で静かに行ったらよいと思います。

武士道では「生きることは死ぬること」とされます。
あらゆる事態を想定して、つまりいつ死んでもいいように普段から身綺麗にし、
心の準備をするということです。

また「武士に二言なし」という言葉もあります。これは「武士の一言」から発生した言葉です。
武士の一言とは「言い訳なき真実を保証する」こと。だから二言はないというわけです。

病気や死についても、私たちはそれぞれが心の準備を求められます。

急性期医療、つまり、病気が発症した直後の医療よりも、
長い期間の治療を必要とする慢性期医療では、患者さんにとって、医師をはじめとする
医療スタッフや身内の方々とのきめ細やかなコミュニケーションが必要となります。

患者さんは精神的、肉体的につらいことが多く、自分の伝えたいことを
うまく伝えられないような場合があるでしょう。
また、身体の不調からストレスが溜まり、治療そのものに嫌気がさすこともあります。

そんな状況でも、忘れてはならないことがあります。
それは「すべては学び」という言葉です。

私たちは「おかげさま」という、ネットワークから、いかなる時も試されています。
例えば、何かがうまくいかない時、
「こうなったのは、あの人のせいだ」と思うことがあるでしょう。

しかし、本当にそうなのでしょうか。

自分では悪くないと思っていたとしても、客観的に見れば、
どこかで自分もその原因を作っていることがあるものです。

だから、どんなにうまくいかない時でも、
今ある現実をいったん全部受け入れてください。
そして、うまくいかない理由ときちんと向き合ってみることが大切です。

あるがままの自分を受け入れ、苦境から学ぶことが、
自分と周囲に対する最上の愛へとつながっていきます。

                ・・・

生きることとは死ぬこと。
あるがままの自分を受け入れ、「すべては学びである」と知る。


あなたは一人で生きているのではない。

自分だけが悪いとか、
相手だけが悪いと思っていては、
正しい生き方を見つけることはできない。

            <感謝合掌 平成29年2月28日 頓首再拝>

感謝の姿勢で生きる - 伝統

2017/03/09 (Thu) 03:46:30


今日は3月9日、【感謝( ありがとう)の日】。

       *「なぜ、あの人にばかり奇跡が起きるのか? 」
         ジョー・ヴィターレ(著) (P208~210) より

◆感謝の姿勢◆

感謝の姿勢で生きるようになると世界は一変します。
逆に感謝を忘れると、
意識を集中すべき対象や目標を見失うこともあります。

私が目標としているのは、自分が心からしたいと思うことをし、
ほかの人が潜在脳力を存分に生かせるように手伝うことです。

毎朝、私はベッドに腰掛け、
「今日という日を迎えられたことに、とても感謝しています」
と大きな声で言うようにしています。

【毎朝迎える新たな一日は、新たな恵みです。】

私は日々目にするものや所有しているものだけでなく、
これからの人生で手に入るものにも感謝しています。


このように感謝の姿勢でいると、
心の中にある有害なものを放出することができます。

一方、例えば誰かを恨んでいると、心の中に有害なものが蓄積されます。
そのとき最も大きな代償を払わされるのは、
あなたに嫌な思いをさせた相手ではなく、あなた自身です。

相手は、あなたが恨みを抱いていることに
気づいてすらいないかもしれないし、
気づかないふりを決め込むこともできます。

思いどおりにならないことを気に病んでいると、
ネガティブなエネルギーが蓄積されていきます。
あなたの頭や心、体に有害なものがたまっていくのです。

また、このネガティブなエネルギーは、あなたが理想の自分になり、
欲しいものを手に入れるのを妨げる障害を生み出します。

だから、あらゆるものに感謝することを学びましょう。

不快感や苦しみをいつまでも持ち続ける必要はありません。
まずは小さなものに感謝することから始めてみましょう。


もし思考パターンが心の暗い場所へあなたを引き戻そうとするなら、
気に入っているささやかな物事について考えてみてください。

例えば「今朝もおいしいコーヒーが飲めたこと」や
「また日が昇ったこと」に感謝するのです。
そのあとで、頭に最初に浮かんだ感謝すべきことを、
何でもいいので口に出して言ってみましょう。


もし上司とうまが合わないのであれば、
今の仕事と将来もっと良い仕事に就ける可能性に感謝しましょう。

また、信頼のおける相談相手や友人、
家族と「あなたの未来」 について話し合いましょう。


人はよく「いつかそのうち」という話をしますが、
ここでの「未来」はその類いのものではありません。
仕事の面接を受け、心から望んでいる仕事に就く自分の姿などを視覚化するのです。


【感謝することは、自分に与えられたものを改めて認識することでもあります。】

【感謝は能動的な行為であり、何らかの行動を伴います。
 行動を生み出すのは思考です。
 思考によって、あなたは良いことが起こるように願い、
 それを人生に引き寄せることもできるのです。】

           ・・・

【感謝の姿勢】を身につけましょう。これはあなたに恩恵を施します。

日々の生活に感謝すれば、今よりもずっと幸せになれます。

そして、より豊かな生活が送れるようになるのです。

・・・

<参考:感謝の言葉「ありがとう」の由来>

《盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえ》

普段からよく使う言葉「ありがとう」ですが、
お釈迦様が弟子に説いたこんな教えが元となっています。

ある時、お釈迦様は弟子に対して
「人間に生まれてきたことをどのように思っているか?」と尋ねました。

すると弟子は「大変喜んでいます」と答えました。

お釈迦様が重ねて「では、どれくらい喜んでいるか?」と尋ねると、
弟子は返答に困ってしまいました。


そこでお釈迦様はひとつのたとえ話をしました。

「広大な海の底には、一匹の目の見えない亀が存在しています。
その亀は百年に一度、海面に顔を出します。
同じく、その広大な海には、真ん中に小さな穴の開いた丸太が浮かんでいます」

ここでお釈迦様は再び弟子に尋ねました。

「百年に一度、目の見えない亀が海面に顔を出したとき、
その浮いている丸太の穴に頭を入れる可能性はあるか? 」

弟子は答えに困りました。
絶対にないとは言い切れないが、あまりにも確率が低いからです。

「数億の生命がいるなかで、私たちが人間に生まれることは、
目の見えない亀が丸太の穴に頭を入れることが有るよりも難しいこと
……有り難いことなんですよ」

と、お釈迦様が説いたのです。

この『有り難い』が「ありがとう」の由来となっていると言い伝えられています。

  (https://magazine.gow.asia/life/column_details.php?column_uid=00001145

            <感謝合掌 平成29年3月9日 頓首再拝>

感謝の姿勢で生きる~その2 - 伝統

2017/03/24 (Fri) 03:10:37


       *「なぜ、あの人にばかり奇跡が起きるのか? 」
         ジョー・ヴィターレ(著) (P210~213) より

私はよく言われます。
「あなたは何でも持っているから感謝するのは簡単でしょう。
 でも、私には何もありません!」と。

これについて私が言えるのは、
裕福にならなければ感謝できないというわけではないということだけです。

私自身も、かつて貧しかった時期に感謝することを学んでいなければ、
今でも心から感謝することの意味を知らずに生きていたことでしょう。

多くの人は人生が好転し、裕福になったら感謝しようと思っています。
私はこれを「成功したら感謝します症候群」と呼んでいます。

こういう人々は、現在感謝をしていないことが、
自分の願望をかなえる妨げになっていることに気づいていません。

なぜ妨げになるかというと、感謝をしないと
感謝がもたらすポジティブなエネルギーを得られないため、
本来引き寄せられるはずのものを引き寄せられないのです。


私は誰にでも、
何でもいいから感謝できるものを見つけるようにアドバイスしています。
初めてこういうタイプの感謝の仕方を知ったとき、
私は本当に何も持っていませんでした。

貧乏な物書きで、友人よりも借金取りの知り合いのほうが多く、
成功はおろか、借金を返せるかもままならない状態だったのです。



ある日、私は心から感謝できるものはないか必死で考えました。
しばらく考えたあとで、
窓の外を見回しながらさらに考えましたが、それでも何も浮かびません。

私は何か思いつかないかと、手にしていた鉛筆を回してみました。
そして、黄色い鉛筆の側面にプリントされた
メーカーのロゴとHBの文字を見つめたそのときです。

ついにわかりました。
私は確かにこの鉛筆に感謝していると思えたのです!

鉛筆に感謝するなんて変だと思われるかもしれませんが、
鉛筆のおかげで自分の考えを
紙に書き留められるという点に着目したのです。

この鉛筆には消しゴムも付いていたので、
書いた言葉を推敲することもできます。
これは些細な発見かもしれませんが、
私に及ぼした影響は絶大でした。


あなたも生活の中で感謝できるものを見つけましょう。

ペットや親しい友人など、必ず何か見つかるはずです。

感謝するのを困難にしている問題の一つは、
これまで頭の中で繰り返してきた会話の持つエネルギーです。

ともすると、私たちは過去のすべての経験が、
良い経験か悪い経験かにかかわらず、
現在の自分たちを形づくっていること、
そして、すべての経験を良い経験として受け入れれば、
そこからポジティブなものを引き出せるということを忘れてしまいます。

しかし、私が気に入っているアファーメーション・メッセージのように

《「今日はこれまでの人生で最高の日です。
 なぜなら私は地に足をつけて立ち、健康に生きているからです」》

と考えることもできるのです。

感謝について、また、
感謝が人生に与える影響について学べば学ぶほど、
私はその素晴らしさに驚嘆しました。

そして、感謝の気持ちは誰の心の中にも存在していて、
その人が置かれた環境に関係なく、
感謝することを選択できることに気づきました。


誰でも感謝の気持ちを育むことができます。
たとえ過去に辛い経験をしていても、
感謝をしながら生きることはできるのです。

《人生を振り返り、過去の出来事をポジティブに見られる人は、
成功して満ち足りた未来を思い浮かべることができます。》

すべては今お話ししている感謝の姿勢にかかっているのです。

感謝は、私が知っている方法の中でも、
とりわけ早く引き寄せの法則を作用させられます。


            <感謝合掌 平成29年3月24日 頓首再拝>

感謝の姿勢で生きる~その3 - 伝統

2017/04/09 (Sun) 06:06:55


       *「なぜ、あの人にばかり奇跡が起きるのか? 」
         ジョー・ヴィターレ(著) (P213~214) より

感謝するということは、どんな状況に置かれても幸せでいなければならない
という意味ではありません。また、現在の状況を変えずに何か嬉しいと思える
ことを探すいう意味でもありません。

なんにでも感謝する姿勢を身につけると、どんな環境に置かれていても受け身で
現状に甘んじるようになってしまうと考える人もいすでしょうが、
私が言いたいのはそういうことではないのです。


必要とされる行動をとり、前に進む決断をするのは自分自身です。
私は感謝を自分の人生における中心課題のひとつに据えることもできると
いうことに気づきました。

試練を経験すると、試練を克服する力に感謝することを学べます。
そうして学んだことは、新たな試練を乗り越え、前に向かって歩み出すのに役立ちます。
また、どんな試練も一時的なものだということも忘れないでください。

一方、物事がうまくいっているときに感謝すると、
その幸運をさらに楽しむことができます。


感謝の気持ちや日常生活の中で感謝が果たす役割が、
健康や幸福に影響を及ぼすことは、
医学研究者をはじめとする科学者たちも認めています。

感謝は人の感情に直接伝わるので、お互いさらに親切にしたくなります。
また、感謝されると自分が愛されていることを強く感じられることでしょう。
大抵の場合、親切にすると相手も親切にしてくれます。

さらに感謝の気持ちを表現すると、人は感謝の対象に、より敏感に反応するようになり、
熱意を持ち、楽観的で活動的になるという効果もあります。

つまり、感謝の気持ちを持つことで、
豊かになるという目標に近づくことができるのです。

            <感謝合掌 平成29年4月9日 頓首再拝>

【感謝する習慣の恩恵】 - 伝統

2017/04/27 (Thu) 04:53:37


         *メルマガ「人の心に灯をともす(2017年04月13日)」より

   (ロバート・A・エモンズ氏の心に響く言葉より…)

   感謝の気持ちは、心、からだ、社会に、数え切れないほどの恩恵をもたらします。
   近年の多くの研究によって、健康や幸福への効果が確認されています。

   それらの臨床試験、実験、大規模なアンケートからは、
   ありがとうの習慣はあきらかに効果をもたらし、
   しかもその効果は持続することがわかっています。


   ☆医療関係の仕事に就く人々に、
    感謝の気持ちを2週間にわたって日記に綴ってもらったところ、
    ストレスや鬱(うつ)が減り、その効果が持続しているという回答が、
    それぞれ28%と16%に上がった。 


   ☆ありがとうの習慣がある人は、そうでない人とくらべて
    ストレスホルモン(コルチゾール)の分泌が23%少ない。


   ☆感謝の気持ちを記録すると脂肪の摂取量が25%も少ない。


   ☆自殺未遂による入院患者が感謝の思いを伝える手紙を書いたところ、
    88%が「夢も希望もない」という状態から少し立ち直り、
    94%が以前よりも楽観的になった。


   ☆ありがとうの効果によって、
    慢性的な痛みを抱える人(その76%は不眠症にも悩んでいた)の
    睡眠の質が10%改善し、気分の落ち込みが19%軽減した。


   ありがとうの習慣を身に付けると、感情をコントロールできるようになり、
   ひいては、からだにもよい効果がおよびます。

   これを治療法として見た場合、少ない費用ですぐに効果が上がり、
   誰でも利用できるという利点があります。

   これまでのところ、悪い副作用は見つかっていません。

   もちろん、感謝の気持ちだけですべてが解決するわけではありませんが、
   従来の療法の効果を著しく高めることができるのです。


   ありがとうの恩恵は、ほかにもあります。

   そのうちのごく一部を紹介すると、自尊心や意志力、よい人間関係、
   深い精神性、高い創造力などが得られ、スポーツや勉学の成果も向上します。

   このように、感謝の精神は、幅広い効果をもたらすので、
   「優れた資質の典型」とされているのも当然でしょう。

   それはまた、自分、他人、世の中のよい面を伸ばすことにつながり、
   癒しや励ましを後押しし、人生の新たな扉を開いてくれるともいわれています。

          <『ありがとうの小さな練習帳』プレジデント社>

               ・・・

五日市剛氏の素敵な言葉がある。

『いつも、心から「幸せだなぁ」と感じられる人には、ある共通項があります。

なんだと思いますか。

それは、「たくさん感謝している」ということです。

幸せなことがあるから、感謝しているのではありません。

感謝しているから、「幸せだなぁ」と感じられるんですね』


幸せなことや、嬉しいことがあるから感謝するのではない。

普段から「感謝する習慣」があるから、
他の人が見過ごしてしまうような、ほんの小さなことにも感謝できる。

もっと言うなら、大多数の人が不幸だと思うようなことの中にも、
感謝のタネを見つけることができる。


感謝する習慣を身に付けたい。

            <感謝合掌 平成29年4月27日 頓首再拝>

感謝で与えられ、不平で奪われる - 伝統

2017/05/10 (Wed) 04:00:05


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月10日)」より

感謝する程度にしたがって与えられ、不平を持つ程度にしたがって奪われる。

            <感謝合掌 平成29年5月10日 頓首再拝>

《現在従事せる仕事に感謝せよ》 - 伝統

2017/05/21 (Sun) 05:00:44


         *『生長の家』(昭和41年12月4日の法語)より

   自分の現在従事している仕事が、
   自分の希望する種類の仕事ではなく、
   自分の能力の充分なる表現ができないと思われる場合にでも
   その仕事を呪ったり、不平に思ったりしてはならないのである。

   その仕事は、人類全体の仕事に必ず何らかの貢献を
   果しつつあると同時に、あなたの魂の能力を磨いて、
   次なるもっと重要なる役割に振り当てられる順序的訓練が
   行われつつあるのである。

   その人の魂の現在の磨きの程度に従って、色々の過程を通して、
   その人の魂が磨かれるのである。

   それは日本刀の製作の如く火中に投げ入れられて
   鉄槌をもって叩かれる時代もあるが、
   荒砥をかけてゴリゴリ摩擦せられる時代もあるのである。

   すべての工程は、その時点に於いてあなたの魂が磨かれて
   大成するための過程的修行としてあるのである。

   艱難が来る毎に、感謝せよ、感謝せよ。

 
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=783

            <感謝合掌 平成29年5月21日 頓首再拝>

【何に対しても感謝する習慣を身につける】 - 伝統

2017/06/06 (Tue) 04:10:50


          *メルマガ「人の心に灯をともす(2017年04月16日)」より

   (アンソニー・バーグランド氏の心に響く言葉より…)

   人間はとかく愚痴を言いたがる生き物です。
   夏になると「暑い」、冬になると「寒い」と愚痴を言います。

   春と秋はすごしやすい季節ですが、
   それでも強い風が吹くと「今日は肌寒い」、
   雨が降ると「うっとうしい天気だ」などと愚痴を言います。

   こんなふうに人間は年がら年中、気候ひとつとっても
   愚痴を言いながらすごしているのです。

   気候について愚痴を言う人は、それ以外のことにも愚痴を言う傾向があります。

   たとえば勤務中も「いやな仕事だ」、
   食事中も「料理がまずい」などと愚痴を言います。

   要するに、いつも心に不満があり、それが愚痴となって表面化するのです。


   愚痴を言うことは決して建設的な態度ではありません。
   むしろ恥ずべき態度です。
   愚痴を言えば言うほど、心の中に不満がたまります。

   その結果、精神的にも肉体的にも経済的にも、
   ますます多くの不幸を招き寄せてしまうのです。

   変えることができないなら、愚痴を言ってもしかたがありません。

   変えることができるなら、それを変えるための行動を起こすべきです。

   どうしても愚痴を言いそうになったら、
   自分の人生の中で恵まれていることに意識を向けて積極的に感謝しましょう。

   感謝の対象はいくらでもあります。


   成功していない人は何かにつけて愚痴を言い、
   成功している人はあらゆる機会をとらえて感謝します。

   アメリカの経営コンサルタント、ブライアン・トレーシーは、こう言っています。

   「何に対しても感謝する習慣を身につけることだ。
   感謝するたびに、現状よりさらに大きな業績をあげるきっかけになる」


   《変えることができないなら、愚痴を言うな。
   変えることができるなら、変えるための行動を起こせ。》

          <『人生が変わる習慣』ディスカヴァー>

                ・・・

人の愚痴を聞き続けると、具合が悪くなる。

愚痴には毒があるからだ。

変えることができないこと、自分の容姿や、過去、
あるいは他人の性格や行動に関する愚痴は聞いていて疲れる。


不満がたまっている人は、ささいなことにも文句をつけ、愚痴をいう。

やがて、イライラや不満が、顔に出てしまう。

険(けん)のある「不満顔」だ。


「他人は変えられない。変えることができるのは自分だけ」

愚痴ではなく、感謝に意識を向ける。

何に対しても感謝する習慣を身につけたい。

            <感謝合掌 平成29年6月6日 頓首再拝>

「不足」ゆえにこそ感謝しなければならない - 伝統

2017/06/10 (Sat) 04:14:57


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(6月10日)」より

すべてがすでに与えられて、
もう生み出しの必要のない世界にいるほど退屈なことはない。

「不足」を不平に思う人は、
「不足」をこのゆえにこそ感謝しなければならないのである。

            <感謝合掌 平成29年6月10日 頓首再拝>

感謝の練習 - 伝統

2017/06/22 (Thu) 04:41:15


       *Web:貞末良雄のコラム(2014年2月28日) より

私の様な俗人が、まじめな課題に取り組むのは、いささか恥ずかしい気がする上に
そんな資格があるのか?と思われても仕方のないことなのであるが。

37歳のときである。私が勤めていた会社(1800人の従業員・年商400億円)が倒産した。

予想されたことであったが、他に例をみないこのユニークなFASHION産業は、
たとえ経営が困難になったとしても、どこからか救済の手が伸びくると、
楽観的な見方もあった。

しかし、1978年4月6日、紛れもなく倒産した。

その後3~4か月、後輩たちの再就職に奔走したが、
自分自身のことは最後になってしまった。
どこかで拾ってくれる企業があるかもしれない。
と考えたが、いつまで経っても声は掛からない。

生活を支えなければならない。
妻と子供3人、5人家族である。
なにもなければ、包丁研ぎでもやるか?

研ぎには、子供の頃、母の料理食堂の手伝いで少しは経験もある。
しかし、それで一家5人の生計が・・・?

母がラーメン屋からスタートして料理店をやっている。
私も、ラーメン屋から始めてみるか?と思い母に打診。
にべもなく断られてしまった。

ラーメン屋は60才からなら応援もする。
貴殿は37才、もっと世のため、人のために働きなさい。
万策尽きてしまった。

12年もVANに努め、それなりの実績を残したつもりであった。
あまりにも猛烈社員でありすぎたのか?
私を快く迎えてくれる業界の会社はなかったのだ。
しかし、なんとか生き延びなければならない。

一通の手紙がきた。
ヘッドハンティングされる様な大物でもない。
人材銀行というのだろうか?人材紹介の会社からである。

物流の心得があるので、ヨーカ堂の物流センターはどうか?
入社には、当時の伊藤社長の面接が必要で、一か月後である。
もうひとつは、当時、世界に飛躍するスーパーヤオハンであった。

土地購入のローンもあり、銀行からは、一日も早く収入の確定を促された。
ヤオハンの和田社長は即面接可能。
静岡県の三島市が本部である。

都落ちだ、少々寂しい。
しかし、そんなことは言っていられない。
とにかく収入をゲットすることが急務。

役員面接8人中7人には不合格。
こんな生意気な奴!と思われた様である。
(後に知ったことだが、役員に口応えすることなど、100%不可の社風であった)

最後の和田社長面接では
「貞末さん、私の会社役員のほとんどが、あなたを不合格としました。
だから、私はあなたを採用したいと思います。そんな人が私はほしかった。
しかし、貞末さん、規律乱すことなく、和を大切にしてください。」

次に社長のお母様、和田かつさん(おしんのモデルに成ったひと)に会うと、
「貞末さん、あなたはきかん気な顔をしている。仕事も良くやってくれるだろう。
しかし、会社のTOPは和田和夫だ。それを大切にして、和田和夫を助けてほしい。」

最後は副社長である和夫社長の弟。
「貞末さん、ハイという練習をしてください。
上役になんでも反発するのではなく、とにかくハイ、と受ける練習をしてほしい。
才気があるからすぐに反論も出来るであろう。
しかし反論は1週間まってやってくれないか?」

これで晴れて入社。首はつながったのだ。
しかし、これで終わりではなかった。
河口湖の練成道場で10日間勉強してほしい。
そのレポート提出で入社が決定される。

谷口雅春という方が、悟りを開き広めた生長の家道場であった。
やれやれ、宗教は大嫌いときている。

道場の門をくぐり、入口に立つ3人の女性が
いきなり手をあわせ「ありがとうございます」

私はまだ何もしていない。感謝される覚えはない。戸惑ってしまう。

いきなり、教材15,000円の購入が決められている。
10日分の食券30食。A3の大きさで切り取り線が入っている。
これを全部使わなければならない。気の遠くなる様な量だ。

部屋は1階奥の6号室、誰も案内してくれない。
部屋を探しながら廊下をあるく。
すれ違う人たちが皆、私に挨拶する。

皆が皆、手を合わせ「ありがとうございます」
何なのだ。狂人の世界に迷い込んだのか?

それにしても、皆、もの静かできれいな佇まいだ。
部屋に入っても誰もいない。
6人部屋と聞いた。

所在なく座っていると、
部屋の拡声機から何やら人の話し声が聞こえてくる。講堂があるらしい。
近づいてみると驚いたことに約300人もの人が講義を聞いている。

語り手は姑を殺して刑期を終えた50才くらいの女性であった。
凄まじい反省と後悔、腸が捻じれるような号泣、
刑は終えたが、私は許されるべきてはない。
何故あの様な恐ろしい事をやってしまったのか?

人を殺してまで自分は楽になりたかったのか?
何故、私に堪える力、どんな小さな事でも姑に感謝の気持ちが持てなかったのか?
全部が全部、何故否定してしまったのか。
地獄に落ちたが救われたい。すべてを皆の前で懺悔して許されたい。

私は茫然として立ち竦んでしまった。

次は、ガンに侵され余命1カ月位の老人の話であった。
あと1カ月、自分の人生、その犯してきた罪の深さ。
人は殺さなかったが、私は許されるべき人間ではない。
この道場で生のある限り、償いの日々を送りたい。
この様な主旨であった。

300人の方々が何らかの理由で、罪の意識から解放されて救われたい。
懺悔して救われたいと思っているのであった。
多くの重病の方々も最後の救いを求めていた。

私は37才で会社が倒産し、無一文、一からやり直しの人生。
しかし、兄弟は何事もなく裕福に暮らしている。
私の様な不幸な運命は他に無いだろうと今まで思っていたが、
何という光景であろうか?

私の不幸などというものは、とるに足らないことではないか。
私の心も体も健康だ。妻や子供たちも健康だ。
これに勝る幸せがどこにあるのだろうか?

私は幸せなのだ。
道場での話は一旦筆を置いて。感謝についてである。

ありがとうの言葉の裏に感謝がある。
会社を設立し、電話一本、机一つでスタートする。
誰からも何日も電話一本もかかってこない。

SMRオフィス、経験を生かしてコンサルの仕事もやろう!
しかし、電話はいつまでも鳴らない。
4~5日経っただろうか?

電話が鳴った。思わず電話に飛びついた。
有難う、電話下さって。
電話一本が砂漠のオアシスの様なものだ。

有難い、感謝感謝だ。
当たり前のことと思いがちであるが、考えてみれば私たちの周りには、
感謝に値することがあふれている。

何事にも感謝出来ることを探し、感謝する練習を始めることだ。

そうすれば、沢山の感謝を発見するスキルが上達する。
こんなにたくさんの感謝を探し出すことが出来れば、
不平や不満、相対的に比重が下がってくる。

感謝できれば、それは幸せに通じている。
感謝出来れば「ありがとう」が自然に声になる。

人生には、嫌なことや自分に失望することも多くある。
又、それによって、希望を失ってしまったりする。
そして、自分の不幸の比重が増加する。

そんな時こそ、周りに満ち溢れるだけある感謝すべきこと、自分が健康であること。
親兄弟が健在であること、友に恵まれていること、
優しい自分を失っていないこと、未だ私は生きていること、生かされていること、
そんな沢山の感謝出来ることに囲まれている。

それを、練習を重ねて探し出し素晴らしい健全な精神を養うことである。

“感謝の練習”

こんな考えてもいなかったことも、練習があなたを救ってくれると確信している。

          (http://www.shirt.co.jp/column/cat1/52/

            <感謝合掌 平成29年6月22日 頓首再拝>

感謝の念が供給の道を開き、創造の力を流出せしめる - 伝統

2017/07/10 (Mon) 04:18:59


     *『人間とは何か』(R.Eデーヴィス著 谷口雅春翻訳)(P152)より

私たちは、自己の必要とするものを宇宙に力んで求めなければならない、
という考えを超越しなければならぬ。

すでに〝あなたの物〟となっている物を、あなたはなぜ求めるのですか?

〝ああ、有難い〟と感謝することこそ神の実在を認める態度であるのである。

この感謝の念が供給の道を開き、創造の力を流出せしめるのである。

            <感謝合掌 平成29年7月10日 頓首再拝>

どんな小さな恵みにも感謝せよ - 伝統

2017/07/25 (Tue) 04:25:41


          *「栄える生活365章」(P32)より

どんな小さな恵み、小さな贈与、又は小さな幸福にせよ、
それに対して純粋な心で感謝せよ。

大きな恵福であるから感謝し、
日常の小さな恵福であるから感謝しないというのでは、
その人の心は現象的分量にとらわれ、
取引根性、打算根性に陥ってしまっているのである。

分量を見ないで、その恵みの奥にある神の愛を見なければならないのである。

そして感謝の念を起すとき、自分の心が浄まるのである。

自分の心が浄まるとき、自分の心の波長が、
実相世界に於て既に与えられている無限の供給に波長が合い、
それが現象化してあらわれて来るようになるのである。

            <感謝合掌 平成29年7月25日 頓首再拝>

躓きを含めすべてに感謝 - 伝統

2017/08/05 (Sat) 04:18:06


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』<8月5日>(P41)より

躓きは不幸な出来事であるが、われらがまた躓きにも感謝しなければならぬ。

躓きはわれらが人生の道を歩むのに、十分高く足を挙げていなかったことを
教えてくれるものである。われらは躓きによって、躓かないときよりもいっそう
多くのことを学ぶことができるのである。

躓きはまたわたしの心の眼を開いてくれるものである。
もし、今少し手前で躓かなかったら、自分の今歩いている道が、
谷底へ落下する道であることに気がつかなかったかもしれないのである。

理屈で言うのでも、失敗を諦めるために言うのでもない。
躓きは当然感謝さるべきものである。

躓かなくなりえた者は、その幸福をいっそう感謝すべきであるが、
躓きもまた感謝する価値がある。

そうすればわれらは人生のどこにも感謝すべきものが充ちていることを発見しうるのである。

       <感謝合掌 平成29年8月5日 頓首再拝>

感謝の心が高まれば、幸福感が高まっていく - 伝統

2017/08/20 (Sun) 04:35:38


        *「松下幸之助パワーワード」小宮一慶・著(P107~108)より。

有難いという気持ちがあれば、どんな仕事でも大事にします。

いただく仕事への感謝を忘れてしまったら、成長はストップします。
仕事をいただけること、社会からサポートされていることに対する、
有難いという気持ちを持ち続けなければならないのです。

また、有難いと思えば思うほど、人の幸福感は膨らみます。

逆に、有難さを忘れて、満たされない、足りないものばかり見ていると、
同じことを見ても不幸な気持ちになります。

お客さま商売にあれば、とことんお客さまに感謝することです。
感謝するだけ、幸せは増えていきます。

            <感謝合掌 平成29年8月20日 頓首再拝>

【感謝の周波数に乗る】 - 伝統

2017/09/02 (Sat) 03:34:35


         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2017年4月27日)より

   (パム・グラウト氏の心に響く言葉より…)

   人間の脳は、幻想と現実の区別がついていないから、
   「こうだったらいやだなあ」「こうだといいな」などの思考の中から、
   できるだけたくさん考えていることを選んで、現実にしようとする。

   私たちが見ているのは現実の本当の姿ではない。

   過去の怒りや恐怖が投映された、ただのホログラム(幻想)だ。


   自分は現実をそのままに見ていると思っているかもしれない。

   テレビカメラのように、ただありのままの形や動きをとらえているだけだ
   と信じているかもしれない。

   でも本当のところ、人間の目には1億3000万個の光受容体がある。

   本当はもっともっとたくさんのものが見えているはずだ。

   しかし、数百億のニューロンやシナプスとの共同作業で、
   意識が見たいと思っているものだけを見せるようにしているのだ。


   目に見える世界だけが現実だという思い込みを捨てることができれば、
   新しい可能性の扉が大きく開く。

   本当の「現実」は、私たちが思っているよりも
   ずっと魅惑的で、驚きと発見に満ちている。


   2009年6月、「神経科学ジャーナル」誌にある研究が発表された。

   機嫌が悪い状態の人は、脳の視覚野と呼ばれる部位(見ることを司る部位)が、
   情報を正しく処理できなくなるという。

   そして機嫌がいい人は、機嫌が悪い人に比べ、
   探し物が見つかる確率が50%高くなる。


   感謝の周波数に乗っている人は、いいものを引き寄せるエネルギーを発している。

   正しいときに、正しい人と出会うことができる。

   難しい問題にぶつかっても、まるで奇跡のように解決策が出現する。

   そして、まわりの人もそれに気づく。

   幸せのオーラを出している人の近くにいると、
   それだけで自分の気分も上向きになる。

   その秘密は、彼らの言葉や行動にあるのではない。

   ただ彼らの近くにいると、幸せのオーラに包まれたような気分になる。


   感謝の周波数に乗っているときは、自分でも必ずわかる。

   とにかく人生がうまくいからだ。

   私自身も、感謝の周波数で振動しているときは、
   いい文章が書けるし、いい母親になれるし、食事もおいしく感じるし、
   音楽を聴くときの喜びも大きくなる。

   それに、まったく知らない人からラブレターが届いたりもする。


   強引に愛を引き寄せる電波を出したいのなら、遊び心が大切だ。

   世界の驚異に素直に驚き、そして感謝しよう。

   そういう人だけが、宇宙に真剣に相手をしてもらえる。

   奇跡は、一切れのパイと同じくらい、簡単に手に入るものなのだ。

   ただし、たった一つだけ条件がある…。


   その条件とは、頭の中の意地悪な声を聞くのをやめることだ。

   頭の中の意地悪な声を聞き続けていると、エネルギーに雑音が入ってしまう。


   私は、『こうして、思考は現実になる』という本の中で、ある女性の話を紹介した。

   彼女は「バスが来ない」と文句を言うのに忙しく、
   そのせいで待っていたバスが来ても気づかなかった。

   苦しみの周波数に乗っていたせいで、
   いちばん欲しいものが目の前にあっても気づかなかったのだ。


   つまり、不機嫌になっていると、バスが「消える」ということだ。

   そう考えると、不機嫌なエネルギーを出しているときは、
   雑音が多く入るので、他にもたくさんのものを消してしまっているに違いない。


   では、どんな「雑音」が、私たちの願いをかなえるじゃまをしているのだろうか?

   たとえば、不機嫌、不幸、愚痴っぽい態度は、すべてのいいものを遮断してしまう。

   腹を立てたり、人生の問題のことばかり考えたりしていると、
   愛と恵みの周波数を遠ざけてしまう。

   聖なるエネルギーとの接続を切ってしまっている状態だ。

         <『「感謝」で思考は現実になる』サンマーク出版>

             ・・・

中国の四書五経の一つ「大学」の中に、こんな言葉がある。

「心ここに在(あ)らざれば、
視(み)れども見えず、聴(き)けども聞こえず、食(く)らいてその味を知らず」


心がここにない状態、つまり、うわの空で、
地に足がついていないようなフワフワとしているようなときは、
どんなに大事なものを見ても、見逃してしまう。

そして、どんなに大切な話を聞いても、何も耳に入ってこないし、
どんなにおいしいものを食べても、何を食べたのかさえ覚えていない。


心がここにない状態のときは、頭の中が雑音で一杯になっている。

その反対に、心が感謝の気持ちでいっぱいのときや、
感謝のエネルギーに満ちているときには、大事なこと(チャンス)を見逃すことはない。

それが、感謝の周波数に乗っているとき。


どんなときも、何に対しても感謝する習慣を身につけたい。

            <感謝合掌 平成29年9月2日 頓首再拝>

すべてを感謝に変える - 伝統

2017/09/03 (Sun) 04:28:03


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(P73<9月3日>)より

人を審判(さば)く者は、また自分も審判(さば)かれるのである。

聖書に「人の負債(おいめ)を赦せ」とあるのは、人に金を貸してあるのに
その借金証文を全部焼いてそれを帳消しにせよという意味ではないのである。
そんなことをしたら商取引は成り立たないのである。

「あいつはわしに損かけている」という感じを捨てて、
「あの人のお陰で商売(その他なんでも)が成り立っているのだ。
ありがとうございます」

という気持ちになることなのである。

憎しみや、呪いや、腹立ちの感じを感謝に変化してしまうことである。

できるならば、憎んでいた人の名前をいちいちとなえて

「わたしはあなたを赦しました。
わたしはあなたに感謝しています。ありがとうございます」

と毎朝夕20分くらいずつ思念するがよい。

             <感謝合掌 平成29年9月3日 頓首再拝>

感謝のエネルギーは想像を超えて作用する - 伝統

2017/09/17 (Sun) 04:21:47


         *『身軽に生きる』矢作直樹・著(P152~154)より

そして大切なこと。
《それは過去の自分と比べないこと》。

肉体は若いうちが華です。
でも若いうちは経験値も低いもの。
年を取ると経験値は上がりますが、逆に肉体は衰えます。
肉体と経験値はトレードオフ(何かを得ると何かが犠牲になる)の関係にあるのです。

私自身、例えば5年前と比べると確実に衰えました。
でも、これが加齢の正しい進展具合だなと実感していますので、
今は無理のない範囲で動いています。

そしてからだに感謝するだけで、疲労の回復が早いことは今も実感します。

私の友人に斎籐應典さんという方がいます。
彼は映画やドラマの現場に欠かせない有名なスタントマンでしたが、
ある日、仕事中に大事故に遭います。

その結果、脊椎骨折を含む全身約30ヵ所骨折、左腎臓裂傷という状態になり、
医師からは再起不能と告げられました。
絶望の淵で自暴自棄となった斎藤さんでしたが、
びくともしないからだへの強い怒りを、ある日を境に感謝の思いに変えます。

彼は自分のからだに向かって、こう言ったそうです。

「これまで悪かった。これからは大事にする、
だから一緒に頑張って欲しい。いつもありがとう」

関係者の誰もが斎藤さんが再び歩けるようになるなど想像すらできない中、
そこから不思議なほど回復を始め、斎藤さんは現在、
全国を飛び回る著名なパーソナル・トレーナーとなりました。
 
感謝のエネルギーは私たちの想像を超えて強く作用します。

 《どんなときでも、からだに感謝》。いつもありがとう、と感謝。

からだは最期の瞬間まで一緒にいてくれる、かけがえのないパートナーです。

             <感謝合掌 平成29年9月17日 頓首再拝> 

感謝の喜び - 伝統

2017/09/21 (Thu) 03:41:32


    *「人生に奇跡を起こすたったひとつの教え」MJライアン著(P18~19)より

感謝というポジティブな気持ちと、怒りや怖れというネガティブな気持ちを
同時に感じることはできない。

それが感謝の素晴らしいところだ。
何かに感謝すると心の中がポジティブな気持ちで満ちてくる。

愛や思いやり、喜び、希望で一杯になる。
気持ちを感謝に向かわせるだけで、不安や怒りはいつの間にか消えている。
気づいたときには、ネガティブな気持ちが消えている。

どうして、そんなことが可能なのか。 

それは感謝の気持ちが、成功に向かう性質を持っているからだ。
感謝の気持ちは物事のよい面を見せてくれる。
すると、私たちは自然に成功へと向かうようになる。

赤ん坊が歩く練習をしているのを見れば、それがどういうことかわかると思う。
ゆっくりと立ち上がって、片足を前に出してみるが、すぐに転んでしまう。
まだバランスがとれていない。

それでも自己嫌悪に陥ったり怒り出したりはしない。
足の出し方が間違っていたと思い、再びやってみる。
失敗してもくよくよしないで、やり方を変える。

何度も何度もやるうちに、だんだんうまくできるようになる。
転んで、転んで、転んで、歩いて、転んで、歩いて、歩いて、そうやって、
いつのまにか歩けるようになっている。

しかし、大きくなるにつれて、私たちは失敗を恐れるようになる。
物事のよくない面を見て、不満を言うようになる。
つらいことに目を向けることを覚えてしまう。

だから、感謝が力を持つようになる。
物事の悪い面ではなく、よい面を見せてくれるからだ。

それは、植物の生き方に似ているかもしれない。
植物は光から目をそむけない。
いつも光のほうを向いて生きている。

           <感謝合掌 平成29年9月21日 頓首再拝>

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