伝統板・第二

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ひかりの一日一言⑬~幸・不幸の岐れ道 - 伝統

2016/04/01 (Fri) 03:26:38

ひかりの一日一言《1日》

《1日 実相と現象との区別》

人生を幸福に生きて行こうと思われましたらならば、
『現象(げんしょう)』と『実相』との区別を知らなければならないのです。

大抵の人は肉眼で見てあらわれて見える相を
そのままその通りに《ある》と思っているのであります。

しかしそれは『現象』すなわち『現れている象』でありまして、
そのままその通りに《もの》が《ある》のではないのであります。

コップに水を入れてそれに箸を挿し込んで横から眺めて御覧なさい。
水面のところから折れて見えます。
その折れて見えるのが現象(あらわれたかたち)であります。

しかし実物の箸は折れてはいないのであります。
その折れていないのが実の相(すがた)であります。
これを『実相(じっそう)』と云うのであります。
 
実相は完全であるのに、現象(げんしょう)は折れたように見えます。
そのように人間は「心」の《あり》場に従って、
実相は「健康」であるのに病気のように見るのであります。

「心」をまともにしてして眺めれば
『実相』の完全な相があらわれて来るのであります。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P67) より

           <感謝合掌 平成28年4月1日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《2日》 - 伝統

2016/04/02 (Sat) 03:24:00


《2日 実相の完全さを見詰めよ》

人間の実相は、肉体ではなく、「霊的実在」でありますから、
物質的な外界のものによって決して傷つけられるようなものではないのです。

だから肉眼で見て傷ついたように見えても、
実相(ほんとのすがた)は傷ついていないのです。

また黴菌にも未だ嘗て冒されたことなく、
気候の不順にも未だ嘗て冒されたことがないのであります。

実際あなたが病菌におかされたように見えているときにも、
あなたの実相は健康なのです。

心を鎮めて実相の完全な相を見つめなさい。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P68) より

           <感謝合掌 平成28年4月2日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《3日》 - 伝統

2016/04/03 (Sun) 04:47:06


《3日 肉体は心の影》


心を騒がせていては、その心の姿が現象としてあらわれてまいります。
騒ぐ心の姿は、生理作用の攘乱となってあらわれてまいります。

恥かしければ顔が赤くなり、腹が立てば筋肉や皮膚が収縮して硬くなり、
心配すれば心臓が苦しくなり、顔色が蒼くなり、呼吸がみだれてまいります。
悲しめば泪が出るでしょうし、梅干しを見れば唾液が沢山出るでしょう。

こう云う風に心に従って、心の通りに現れて来ることを「心の影」と云うのあります。
肉体は「心の影」でありまして心を変えれば状態が変わります。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P68) より

           <感謝合掌 平成28年4月3日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《4日》 - 伝統

2016/04/04 (Mon) 04:46:19


《4日 人間を「神の子」として見よ》

心を平静にするには人間自身を、
孤立した小さな者、地球に生えた黴(かび)、「考える葦(あし)」だ
などと云うような消極的な考えを起してはならないのである。

人間を「肉体」として見る場合には、
どうしても人間は朽ち果つべき者、死すべき者、果敢なき者と考えるほか
仕方がありませんが、そんな無常な現象を見て、実相だと思ってはならない。

「観ることは創造(つく)ることである」と教えられています。
病いを観れば病いが現れ、果敢なく観れば果敢なくあらわれます。

人間を神の子と観なさい。健康が現れます。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P69) より

           <感謝合掌 平成28年4月4日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《5日》 - 伝統

2016/04/05 (Tue) 04:23:18


《5日 神に三種の別あり》

神とは何であるか。
カミの語源はカクリミの略である。
隠身(かくりみ)である。

姿形が隠れているが、ある霊妙な働きをする者を、
日本人は悉く隠身(かみ)といったのである。

その第一義は宇宙の大霊である。
姿形は見えないが生々化育の霊妙な働きをしている。

その第二義は、宇宙の大霊が方便をもって仮にある形相(すがた)に現れた場合である。
観世音菩薩とか塩椎神とかである。
方便身とも方便法身とも応化身ともいわれている。

第三義の神は人間その他の霊魂である。

すべて隠身(かくりみ)であって或る力を有する。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P69) より

           <感謝合掌 平成28年4月5日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《6日》 - 伝統

2016/04/06 (Wed) 04:05:27


《6日 神々には個性がある》

第三義の神は、霊魂の神であるから、それらは人間に色々の個性の差別があり、
能力に差等があるが如く、神に祀られていても各々個性があり能力が異なる。

生前、詩人であった人の霊魂は霊界に於いても概ね詩作に耽っているであろうし、
生前音楽家だった人の霊魂は霊界に於いても概ね音楽を楽しんでいるという風にである。

かかる霊魂がたとい神社に神として祀られていても、
かかる神々にわれわれが福寿円満を与えたまえとか、
病気を治して下さいとか願っても概(おおよ)そ見当ちがいである。

谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P70) より

           <感謝合掌 平成28年4月6日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《7日》 - 伝統

2016/04/07 (Thu) 04:44:58


《7日 心の世界に描いたことが形に現れる》

日本敗戦の理由はいろいろあるけれども、ユネスコのいうとおり、
戦争は心の世界にまず造られてそれが形の世界にあらわれて来る。

心が先で形の世界はその投影だということは生長の家の独断ではない。
全世界の識者の認めるところであるのだ。

それと同じく敗戦もまず心の世界につくられてそれが形の世界に顕れて来るのである。

日本の敗戦は既にアメリカに宣戦布告したときこう心の世界では定(き)まっていたのである。

米国と戦端をひらくべきか否かを定めた御前会議の席上、山本五十六大将すら
「1年間位は太平洋をあばれまわってみせるけれども、それ以上は難しい」と云った。

かくてその信念(心の世界)の通りになったのである。

谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P70) より

           <感謝合掌 平成28年4月7日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《8日》 - 伝統

2016/04/08 (Fri) 03:39:56


《8日 善き言葉を使いましょう》

祈りと云うものをただ神さまに泣きついたり、
懇願したりすることだと考えてはならないのである。

祈りとは命宣(イノリ)である。

「生命宣言」である。

生命(いのち)の底深く言葉で宣べることがすべて祈りである。
 
日本人は大東亜戦争が始まる前から「今度の戦争には勝つことが出来ない」と
生命(いのち)の底で考えていたのである。

上海事変のクリークの戦いで頑強に抵抗する十九路軍の前に続々日本の連隊が全滅した。

これが日本全国の新聞が名文をもって「言葉の力」で全国民の心に強く印象した。
その頃から「今度の戦争には生きて帰れない」と日本兵は家族と水盃して別れるようになった。

「言葉の力」が日本人の心に「全滅」を印象したのである。
「言葉の力」で(文章は文字に表現された言葉の力である)敗戦や全滅や
殺人や強盗やストライキを新聞に麗々しく書くものではない。

言葉は心を動かし、心はそれを行動化し具体化する。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P71) より

           <感謝合掌 平成28年4月8日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《9日》 - 伝統

2016/04/09 (Sat) 04:47:55


《9日 新聞・ラジオ報道でも、よきことのみを表現して貰いたい》


児童の学校放火を新聞が麗々しく書くと、頻々(ひんぴん)として学校放火が起る。
青酸自殺を新聞が報ずるとき青酸自殺が続出する。

これが言葉の力、文章の力である。

若し青酸自殺を新聞が絶対に書かなかったら、
特殊の化学者か医学者以外は青酸の人体に及ぼす影響を知らないから、
青酸自殺の新聞感染と云うことは起らなかったに相違ないのである。

これは一例であるが、悪い事件は、それを警戒せしめるに報道してさえも、
その報道の「言葉の力」によって、その不祥な事件を
現実の生活に模倣させることになるのである。

「人生は芸術を模倣する、芸術こそ真実の実在であり、人生はその模倣である」
といったオスカー・ワイルドの人生観は本当に正しいのである。

新聞記事でもラジオの報道でも小説でも言葉の力であるから、いくら憲法に
「言論の自由、表現の自由」が明記されているにしても、
よきことのみを表現して貰いたいものである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P72) より

           <感謝合掌 平成28年4月9日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《10日》 - 伝統

2016/04/10 (Sun) 04:44:28

《10日 何故祈りは成就せぬか》

「今度の戦争には生きて帰れない」と信じ、涙を流して水盃をかわして別れながら、
「今度の戦争に勝てますように」と祈ったとて、その祈りが成就することは難しいのである。

 
祈りが成就するためには、イエスの云ったように

「汝ら祈りて何事にても求むる時、既にそれを受けたりと信ぜよ、すなわち汝はこれを得ん」

である。

祈りは「既に受けたり」と信じなければならないのである。

「とてもそれは得られない」と信じながら、「それが得られますように」と祈っても、
それは神の救いの波長に合わぬのである。

日本敗戦の現実はこの真理を明らかに証しているのである。

大抵の人は、祈りながら「その祈りはなかなか成就しない」と信じている。

だから祈って病気がたちどころに治ったら、奇蹟だと云って驚くのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P72) より

           <感謝合掌 平成28年4月10日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《11日》 - 伝統

2016/04/11 (Mon) 04:33:32


《11日 自己に宿る宇宙大生命》

吾々が神に祈るならば、神社に祀られている神々に対してならば、
その個性能力等に適したる事柄を祈るならば、効果がある。

しかしその個性能力を超えた問題を祈っても効果はないのである。

「神は非礼を受け給わず」である。

個性能力を超えたような重大問題に対しては、宇宙普遍の大生命に祈るべきである。

しかし宇宙普遍の大生命は普遍であるから至るところに、
自己の外にも、上にも、下にも、自己の内にも在(いま)すのである。

この自己の内に神が宿り在すと云うことが普遍の神の力を動かす「支点」となるのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P73) より

           <感謝合掌 平成28年4月11日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《12日》 - 伝統

2016/04/12 (Tue) 03:14:25


《12日 われ祈れば天地応う》

イエスが

「我れみずからにては何事も成し得ず、天の父われに在(いま)して
御業をなさしめ給うのである」と云ったのは、

自己の内に普遍の神が宿っていて、自己内在の神を「支点」として
宇宙普遍の神の力を動かすことが出来るのだと云う真理を説いたものである。

自己の内に宿りたまう神を自覚するとき、
はじめて吾等は一切の不幸不安から解放されるのである。

四面暗黒に見ゆる時にも、自己の内に無限の力が宿ると自覚するがゆえに
何らの不安も恐怖もないのである。

我れ祈れば天地応(こた)うである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P74) より

           <感謝合掌 平成28年4月12日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《13日》 - 伝統

2016/04/13 (Wed) 04:55:33


《13日 劣等感を克服するには》

あなたに若し劣等感や恐怖感があるならば、
それは貴方に神との一体感が失われているからである。

「われみずから生れたるに非ず、神われを生み給えるなり。
されば神われを護りたもうに、我れ何ぞおそれんや」

この言葉を機会あるごとに、仕事の合間に、朝起きたときに、眠りしなに、
眼をつむって1回20遍ぐらい自己に言って聞かせるように
低声(こごえ)で念ずるがよいのである。

神との一体感を念ずる神想観である。

眼を瞑(つむ)って精神を統一して一心に念ずる言葉は潜在意識に落ち着いて、
あなたの心の傾向を変えてしまう力があるのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P74) より

           <感謝合掌 平成28年4月13日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《14日》 - 伝統

2016/04/14 (Thu) 04:30:52


《14日 神は貴方に特殊の使命を与え給う》

神があなたを地上に遣わし給うたのは、この地上に於て、
あなた自身でなければ出来ない特殊の使命を遂行せしめんがためである。

あなた自身が此の特殊の位置を選んだのではないから、
神が特に貴方を選ばれたのであるから、
何も貴方自身は心配することは要らないのである。

あなたは他(た)の人のする事で出来ぬ事があるかも知れないが、
またあなたには他(た)の人の出来ぬことで、
あなただけに出来る特殊の使命能力があるのである。

「吾に神宿れり、何をか恐れん」と唱えて何事にもでも邁進せよ。 


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P75) より

           <感謝合掌 平成28年4月14日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《15日》 - 伝統

2016/04/15 (Fri) 03:30:31


《15日 無抵抗が最強者である》
       
恐れたところのものが、気がついて見ると味方であることがある。
困難は自分を磨く砥石である。

気嫌いするから相手が意地悪く出る。
同じ相手が和解して見れば、実に自分にとって深切な味方である。

この真理を貴方は今一層はっきり自覚したのである。
だから貴方は如何なる境遇にも如何なる人にも和解の心をもって臨んで
決してそれに抵抗し摩擦することはないのである。

今あなたは「無抵抗の真理」を悟ったのである。
若し真にあなたが無抵抗になるならば何物も貴方を害する事は出来ぬのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P75) より

           <感謝合掌 平成28年4月15日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《16日》 - 伝統

2016/04/16 (Sat) 03:56:10


《16日 愛は努力によって研(みが)き出される》

算術でも習字でも練習したら上手になるのである。

憎んでいる人を赦す心も、怠らずそれを努めるならばだんだん上手になってくるのである。

周囲と調和しよう、素直にハイと無抵抗に従順になりましょう。
自分を憎んでいる人を愛しましょう ――

この種の努力は、それがすぐ成功しないようにみえても決して無駄に終ることはない。

斯(か)かる努力をつづけているうちに、自分の性格が淘(よな)げられ、
優しく美しい性格がみがき出され、神のみこころを容易に感受するを得る
「愛」の心が発達して来るのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P76) より

           <感謝合掌 平成28年4月16日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《17日》 - 伝統

2016/04/17 (Sun) 03:51:00

《17日 汝の悩みを神にゆだねよ》

多くの人たちは大事件にはそれほど心を騒がせないで、
家庭内の小事件に心をイライラさせて折角の人生を不快なものにしてしまいがちである。

大事件には「仕方がない」とあきらめがつくが、
小事件ほど、何とか成ると思ってその事件をつかむからである。

何でも心でつかめば、心が悩むのである。
若し貴方の心を悩ますものがあるならば、それを貴方の心から放して、

「神よ、この問題を貴方の無限の智慧のはからいにお任せ致します」

と唱えて神(大生命)のはからいにまかせてしまうがよい。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P76) より

           <感謝合掌 平成28年4月17日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《18日》 - 伝統

2016/04/18 (Mon) 04:29:12


《18日 神に一切を献(ささ)ぐること》

あなたは今日(きょう)一日何事も神に委ねて争わず、
はからず、まかせきりの其の儘の心になる稽古をするのです。

無我全托(まかせきり)になったとき神の智慧があなたに流れ込んで
最もよき導きをして下さるのある。

神は倒れたる者を起き上がらせ、
萎(な)えたる者に活力を与え、行詰った扉をひらき給う。

あなたは今日(きょう)決して自分の我を出さないのである。
今日一日を聖別(せいべつ)して、神に献納したと思え。
献納したものを取戻してはならないのである。

神にあなたの一日を献(ささ)げたとき、その一日は神聖なものとなる。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P77) より

           <感謝合掌 平成28年4月18日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《19日》 - 伝統

2016/04/19 (Tue) 03:50:36


《19日 神のから離れたときは直ぐに神に帰れ》

神に献げられた一日は平安であるが、肉に献げられたる一日は憎みに満る。
平和は唯(ただ)神より来(きた)るのである。

肉が完全に神に従うとき平和であるが、
神から離れて自分の欲望のみを遂行しようとするとき、
肉は神を失いて苦しむのである。

神は生命(せいめい)であり、
物質を生きた調和ある相(すがた)に変えるのは神の叡智であるから、
神より離れるとき、肉は自己破壊をはじめるのである。

常に静かに反省して一日の行為と想念とを吟味せよ。
而(しか)して若し神から離れたる部分があるならば直(すぐ)に神に帰る事である。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P77) より

           <感謝合掌 平成28年4月19日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《20日》 - 伝統

2016/04/20 (Wed) 04:25:00


《20日 本当の幸福は心の平和より来る》

幸福は常に内より来る。

外に百萬の富があろうとも、心の中に平和がなければ何の幸福ぞや。

外に何の富がなくとも、心に平和ありて、人を愛することが出来るとき、
それが本当の幸福なのである。

心の中の平和は神との一体感によって得られるのである。

神は我々が離れたと思っている時にも決して離れてはいないのである。

唯、自己に宿る神の声をわざと聞かず、
肉体の声のみに耳を傾けているとき最初は楽しいように感じられていても、
それは神から遠ざかるから結局淋しくなって来るのである。

自分が他(ひと)に対して腹立たしくなったり、
あまりに批評的になったりして来た場合には、他(ひと)が悪いのではない。

自分の心がイラ立っているのだと云うことを反省し、
周囲の人々に対して調和する祈り(思念)をしなければならぬ。

それは、次のように念ずるがよいのである。

『神は愛である。神の愛が私の行く処に充ち満ちている。
全ての人々は私に好意をもっており、私は全ての人々に好意をもっているのである。
私は周囲の人々から愛され私は周囲の人々に感謝しているのである。
有難う御座います。』


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P78) より

           <感謝合掌 平成28年4月20日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《21日》 - 伝統

2016/04/21 (Thu) 04:23:41


《21日 神の子の自覚は現状満足ではない》

自分だって、自分自身は気がつかぬけれども、
他の人に対して不快な思いをさせたことが度々あるのである。

考えて見れば他を責める資格など自分にはないのである。
――― 斯う気がついたとき却って自分の心が平安になるのである。

神は謙れる者に来り給うて其人を平安に護りたまうのである。

人間神の子の自覚は、現在の自分は、まだまだ内在の神性が完全に発現していない
と云う自己反省に裏づけられるのである。
だから「神に救われている」と云う自覚は、奇しくも「罪悪深重の凡夫」と裏表である。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P79) より

           <感謝合掌 平成28年4月21日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《22日》 - 伝統

2016/04/22 (Fri) 03:30:39


《22日 神にまかせると云うこと》

神にまかせると云うことは、人間的行為の一切を停止することではない。
私的なはからいがなくなるから、神の叡智がおのずからその人に発現して、
万事においてその人の急所にあたると云うことになる。

時には医者に罹ることもあるし、医者に頼らない方がよいこともある。

自然に委(まか)して治るときは自然に委すが、
医術を加える方が自然療能を促進する場合には医術を加える。

医者も色々あって、同一症状にも同一治療を施さない。
間違った医術を施すのもある。

神に委せれば正しい医者を選ぶことにもなり、正しい医療を加えるようにもなる。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P79) より

           <感謝合掌 平成28年4月22日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《23日》 - 伝統

2016/04/23 (Sat) 04:29:57


《23日 すべての人を善しと観よ》

貴方は今日より肉の眼をもっては事物をみないのである。
実相を観る眼をもって一切の人と事と物とを見るのである。

如何に現象が不完全に見えようとも、それは現象であり、仮想(かりのすがた)であって、
実の相(すがた)は既に完全なることを見るのである。

何故なら、現象は人間の迷いの心の雲が蔽(おおう)ている姿であり、
実相は神のつくりたまえる其の儘であるからである。

人間の迷いの心を取り去って、
現象の仮の相(すがた)に捉(と)らえられることなく実相を観ることであある。

彼を善しと観れば彼の善があらわれる。
観る事は創造(つくる)ことである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P80) より

           <感謝合掌 平成28年4月23日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《24日》 - 伝統

2016/04/24 (Sun) 03:45:12


《24日 境遇の自壊作用》


誰でも、自分の境遇や環境に自壊作用が来るものである。

すなわちその境遇から得るところの魂の栄養が飽和状態になってしまい、
いくらその環境にいても、その人にはもう魂の進歩がないというようになったとき、
その人はその環境から脱皮することになるのである。

蚕が皮をぬぐようなものである。

職業が行き詰ったり、転任を命ぜられたり、家庭にごたごたを起したりする。
それについて思い煩ってはいけない。

それは内部神性の導きによって、
自分の其の境遇から卒業しつつあると思って喜ぶべきである。

谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P80~81) より

           <感謝合掌 平成28年4月24日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《25日》 - 伝統

2016/04/25 (Mon) 03:17:41


《25日 悪しき噂 話をやめよ》

人のアラさがしや、悪口(わるぐち)や、同情のない冷酷な噂話(ゴシップ)などは
相手の人を傷つける以上に自分自身を傷つけるのである。

吾々の言葉に人の悪が出るのは自分の心のうちに愛が足らず、
冷たい心があるからだと反省し、出来るだけ愛ふかき、欠点を見ないで
美点のみを見る心を養うように努力すべきである。

欠点が見えているのに見ないでいるなどと云うことは大変難しいようだが、
全ての人に「神」が宿っていることを知り、表面に何か現われていようとも
その人に宿る「神」のみを心に見ているのである。

人の欠点を見ている限り、人間の心は楽しくなれないのである。

吾々の心は自由であるから美点を見ることも出来るし、欠点を見ることも出来るが、
欠点を見ることによって自己処罰されて、自分が苦しくなるのである。

「あいつ悪い奴じゃ」と思うことは一種の攻撃精神であるから、
他(ひと)に対する「攻撃精神」は自分の方へ反転して来て、
自分を害することになるのである。

弾丸(たま)は先ずみずから薬莢を破壊してから相手に到達する。

人の悪事を見たとき、語ったとき既に自己は罰せられているのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P81~82) より

           <感謝合掌 平成28年4月25日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《26日》 - 伝統

2016/04/26 (Tue) 04:34:59


《26日 難問題は神にゆだねよ》

あなたは問題が起ったならば神の導きを受けるために、直ぐ神様の方へ振り向くことです。

「神よ、この問題は私の自分の智慧では解決する道がわからないのです。
あなたは無限の愛であり、智慧でありますから、すべての人々に調和する
よき解決法を知っていられます。あなたの愛と智慧とによってこの問題の解決法を
お導き下さいませ」

こう一心に祈って、祈ったあとは、心配や取越苦労を決して心にとどめず、
神にすっかり委(まか)せた気になって、日常の義務を怠らずにいれば、
神からの導きが来るのである。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P82) より

           <感謝合掌 平成28年4月26日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《27日》 - 伝統

2016/04/27 (Wed) 04:06:11


《27日 常に積極的明朗な心を維持せよ》

決してあなたは不安、取越苦労、懐疑、嫉妬……等あらゆる消極的な想念感情の
虜になってはならないのである。

常に信頼、幸福、楽天の積極的想念をいだくようにすべきである。
あなたの想念感情が明るい波長になればなるほど、
神の導きの声がハッキリときこえるようになるのである。

神の声をきくと云うのは耳の中で囁くように聴こえてくることもありますし、
頭の中で「声なき声」として感じられて来ることもありますが、
誰かが訪問して来て導きになる善い話をもちかけて来ることもある。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P82) より

           <感謝合掌 平成28年4月27日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《28日》 - 伝統

2016/04/28 (Thu) 03:33:54


《28日 内からの催しに素直であること》

常に神想観を行なって神の智慧の導きを受けるように祈っているところの人は、
常に内からの深い「催(もよお)し」と云うものを感ずるものである。

それは「声」ではないし、「声なき声」でもないが、どうしても、
そうしたくてたまらぬ内からの衝動が感じられてくる。
この内なる催しは神の導きであるから素直にその通りスグ実行するがよい。

素直にスグ実行しないで、躊躇してから、時間が立って行(い)って失敗することもある。
「それをして好(よ)い」と云うことは「其時(そのとき)によい」のであって、
別の時間にすれば悪いこともある。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P83) より

           <感謝合掌 平成28年4月28日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《29日》 - 伝統

2016/04/29 (Fri) 04:43:15


《29日 熟すれば堕ち、堕ちて新生する》

何人(なんぴと)にも道はひらかれているのである。
自分が勝手にその道を歩まないか、道を間違えるかするだけのことである。
その道を間違えないように髪の導きを受けれるべきである。

いつも人間が同じ場所の同じ椅子に坐っていなければならないのだったら、
人生は退屈だけれども、その椅子を卒業するに従って又異なる椅子に移って、
異なる人生を味わう事が出来るから楽しみなのである。

果実も熟すれば堕(お)つる。
堕つることによって新しき芽を生ずる。
新しき人生が開けるのである。

恐れるなかれ。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P84) より

           <感謝合掌 平成28年4月29日 頓首再拝>

ひかりの一日一言《30日》 - 伝統

2016/04/30 (Sat) 04:21:35

《30日 心に涼風を持し来たれ》

困難な問題が出て来て行き詰まった時は、暫くその困難を心より去って、
心を静かにして光明面に振り向くことである。 

物が紛失してどうしても見つからない時、その同じ混雑した抽斗(ひきだし)の中を
いくら掻き回しても見つからぬように、その同じ困難な問題を、
その苛々した心で解決しようと焦っても、解決は益々困難となるばかりである。 

先ずその問題を心から放ち去って、
心を神の方へ振り向け『神がこの問題を解決し給う』と念じて、
自分自身は清涼な心持になるべきである。 

涼風一過問題解決せん。


谷口雅春著『幸福を招く365章』第4項(P84) より

・・・

<参考Web>

(1)ひかりの一日一言①
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6455552 

(2)ひかりの一日一言②
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6479787

(3)ひかりの一日一言③
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6505650

(4)ひかりの一日一言④
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6527684

(5)ひかりの一日一言⑤
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6558249

(6)ひかりの一日一言⑥
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6584563

(7)ひかりの一日一言⑦
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6618774

(8)ひかりの一日一言⑧
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6651661

(9)ひかりの一日一言⑨
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6681257

(10)ひかりの一日一言⑩
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6711243

(11)ひかりの一日一言⑪
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6745089

(12)ひかりの一日一言⑫
       → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6778844

           <感謝合掌 平成28年4月30日 頓首再拝>

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