伝統板・第二
「霊 の 書」 - 夕刻版
2016/03/07 (Mon) 20:00:03
このスレッドでは、霊界通信の一書である「霊 の 書」からその要点を紹介してまいります。
”霊 の 書~大いなる世界に” <アラン・カーデック 編 桑原啓善 訳 潮文社>
<著者の紹介>
アラン・カーデック(1804~1869)はフランスのリヨン生まれ。
化学・物理・比較解剖学、天文学などの諸科学に通じ、また骨相学会や磁気協会でも活躍した。
カーデックの友人の2人の娘さんが霊媒体質で、この娘さんを霊媒とした。
もともと2人の受け取る通信は取るに足らないものだったが、カーデックが出席すると
通信内容は一変し、神命を受けた高級霊からの通信となった。
通信霊は、聖ヨハネ、パウロ、アウグスチヌス、ソクラテス、プラトン、
スウェーデンボルグ等々と言われる。
カーデックが質問を発し、霊がそれに答えるという方法がとられた。
カーデックは科学者であり、冷静で論理的だったので、
この通信は他の霊界通信と全く趣の違ったものとなった。
即ち、他の通信は霊の方からの一方的な啓示であるが、これちらは
はなはだ常識的・現実的な人間の疑問に、霊界からの解明を与えるというものである。
したがって、私たちの聞きたいこと知りたいことに、かゆいところに手が届くように
霊的解釈がなされているだけでなく、日常生活にすぐ応用できる霊的知識が多く含まれている。
《霊 の 書》~その1
1.金持ちと貧乏の試練
(1)神はなぜ、ある者には富と力を、ある者には貧困を与えたのですか?
⇒それぞれの道で試練を受けるためです。
しかも、その試練を選んだのは霊自身です。
(2)2つの試練のうち、恐ろしいのはどちらですか。
⇒どちらも同じように危険なものです。貧困は神の摂理を恨み、
金持ちは万事に分を超えてしまいます。
(3)金持ちには悪への試練がたっぷりあるかもしれませんが、
同時に善をなす手段もいっぱいあるのではないですか。
⇒それこそ、金持ちがやらないことです。金持ちは利己的で、
高慢で、貪欲になりがちです。財が多ければ、その欲望もそれにつれて多くなります。
彼らは満足することを知らないからです。
(4)神はなぜ、それほど価値があるとも見えない人たちに富を与えたりなさるのですか。
①現在のことしか目が向かない人にとっては、富は恵みのように思えるでしょう。
しかし、富は貧困よりももっと危険な試練であることが多いのです。
②地上の不幸は、自らの手で創り出した人為的な欠乏によるものです。
自らの欲望を抑制し、自分より富む人を羨望の目を持たずに
見ることのできる人は、地上において失望を味わうことはありません。
最大の富者とは「最も欲しがらない者」です。
③みなさんは、恵まれた富者たちを見てそれを羨ましく思います。
しかし、富者の多くを待ち受けているものが何かをみなさんは知っていますか。
もし彼らが利己的で、その富を自分のためだけに使うなら、
彼らの前途には恐るべき逆転が待ち受けています。
彼らはむしろ哀れむべき人なのです。
神は時折、悪人に繁栄を許されます。
しかし、その繁栄は羨ましく思うものではありません。
なぜなら、やがてその人は、涙と歯ぎしりでそれを償うことになるからです。
もし正直な人なのに苦しむことがあるとすれば、それは試練です。
その人が勇敢にそれに耐えれば、豊かな収穫を刈り取ることになるでしょう。
④次のイエスの言葉を思い出してください。
「苦しむ人は幸いです。彼は慰めを受けるでしょう」
<感謝合掌 平成28年3月7日 頓首再拝>
《霊 の 書》~その2「運命」 - 伝統
2016/03/08 (Tue) 18:44:34
2.運命
(1)人生には運命(あらかじめ定められている人生の出来事)がありますか。
もしあるとすれば、自由意志との関係は?
①運命があるとすれば、再生の時にそれぞれの霊が担おうと決意した試練の結果だけです。
その試練を選ぶことによって、彼は自分の運命をつくります。
それは彼が自分をその状況に置きたいと考え、選択した結果です。
②ただし、これは肉体的試練についてだけのことです。
精神的試練や誘惑という意味では、善悪いずれを選ぶか、それに従うか拒否するか、
ということについては選択の自由を残しておくのが通例だからです。
その状況に直面して尻込みする人がいれば、善霊がやってきて助けますが、
本人の意志の働きを侵すところまではしません。
逆に悪霊すなわち未発達霊は、あれこれと不安を吹き込んで、本人を悩ませ脅かします。
しかし、それでも本人の霊がどんな選択をするかという意志の自由は残されています。
(2)中には自分の行為とは関係なく、運命に翻弄されるように見える人がいます。
その場合、その不幸は宿命なのでしょうか。
⇒それは本人が霊界において自ら選択したために受けることになった試練でしょう。
みなさんは自分たちの失敗に過ぎない結果を運命としてしまうことがよくあります。
<感謝合掌 平成28年3月8日 頓首再拝>
《霊 の 書》~その3「試練の選択」 - 伝統
2016/03/10 (Thu) 20:31:47
3.試練の選択
(1)霊が再生に入る前に、次の人生で起こることを予見しますか。
⇒霊は独力で、やがて自分が受ける試練を選びます。
霊の自由意志とは、実にこの「選択の自由」の中にあります。
(2)神が懲罰として人生の苦難を与えるわけではないのですか。
①何ごとも神の許可なしには生じません。
なぜなら、宇宙を支配する法則を定められたのは神であるからです。
神は霊に選択の自由を授けるにあたり、
自分の行為とその結果に全責任を持つように委ねられました。
②人は何でも思いのままにできます。
前途には正しい道が開かれており、同じように誤りへの道も開かれています。
しかし、もし彼が間違ったとしても、もう一度やり直すことも許されているのです。
③もしみなさんの身に危険が近づいたら、
その危険を創ったのはみなさんでなく神です。
みなさんは、それが進歩の道だと見て自らその危険に身をさらすように選択しました。
神はみなさんがそうすることを許し給うたのです。
(3)もし私たちが自分の受ける試練を選ぶ自由を持つとするなら、
地上生活で味わう苦難はすべて私たちがあらかじめ選び、
予想していたことなのですか。
①いや、すべてがその通りとは言えません。
みなさんはこの世で起こる事柄のすべてを、その細部にわたるまで選び、
予見していたわけではありません。
みなさんは、どんな種類の試練を受けるかの選択をしただけです。
②その試練で生じた出来事は、みなさんが選んだ一般的な状況の結果であり、
またその試練に対するみなさんの反応の結果です。
たとえば、ある霊が悪人たちの中に生まれることを選択するなら、
彼は自分がどんな試みにあうかはわかりますが、
それに対してどんな行為を行なうかについてはわかりません。
そのような一つひとつの細かい行為は、彼の自由意志の働きの結果だからです。
③霊が一つの道を選べば、そのためにどんな種類の試練にあうかはわかります。
ですからだいたいの推移については理解できますが、
具体的な出来事については、その時の状況やいきさつで違ってきます。
霊にとって前もって予見できることは、新しい人生の骨格だけで、
彼の運命に決定的影響を与える事柄に限られます。
(4)霊が悪人たちの中に生まれることを選ぶなどということがあり得るのですか。
①人はその求めている試練の性質にかなった環境に入ることが必要なのです。
彼が是正したいと思っている欠点と、彼が選んで入った環境との間には、
必ず相通じるものがあります。
たとえば、もし彼が掠奪という本能と闘わねばならないとするなら、
彼は山賊の群れのなかに入る必要があるということです。
②では、もし地上に一人も悪人がいないとすれば、
霊はある種の試練に必要な環境を発見できませんね。
⇒それが事実なら、もう何も言うことはないのではないでしょうか。
これは高級霊の世界、悪の近寄りがたい善霊のみ住む世界です。
(5)霊が完全な状態に到達するためには、あらゆる種類の試練を
経験する必要があるのですか。高慢、嫉妬、貪欲、肉欲をそ
そるようなあらゆる環境を体験しなければならないのですか。
①いや、そんなことはありません。
多くの試練を受ける必要のない道を通る霊がたくさんいます。
しかし、もし道を誤ると、その道のもつあらゆる危険に身をさらすことになります。
②たとえば、ある霊が富を求め、それが認められるかも知れません。
その場合に、彼はその人格に応じて、貪欲な人物、道楽者、利己主義者、
あるいは寛大大度な人物となり、財産を活用するか、または浪費するかです。
しかし、富をもったからといって、すべての人が悪となり、
鞭打たれることになるとは限りません。
(6)霊が自分が受ける試練を決めるとき、決め手になるものは何?
⇒それは自己の欠陥を償うのに役立つもの、同時に、より早く進歩させてくれるもの、
そういう試練を選びます。
その目的のために、ある霊は貧困の苦を自己に課して、
それに耐える勇気を養おうとします。
またある霊は、財産や権力の試練で抵抗力の訓練をしようと望みます。
それは、財産や権力を持てばそれを悪用したり、
またそれがあるために悪感情を持ったりするので、更に危険性の多い道なのです。
またある霊は、悪い環境と闘う運命を選んで、自己の善意を養っていこうと志します。
(7)最も苦痛の少ない試練を選ぶのが当たり前だと思えますが‥‥。
⇒みなさんの立場からすればそう思えるでしょうが、霊の立場からすれば違います。
人が物質から解放されると、そういう考えはなくなっていきます。
<感謝合掌 平成28年3月10日 頓首再拝>
《霊 の 書》~その4「人間行為の起源」 - 伝統
2016/03/12 (Sat) 19:23:16
4.人間行為の起源について
(1)人生の中で間違いなく起こる出来事がありますか?
①あります。みなさんが受肉(=肉体を持ってこの世界に生まれること)以前に、
自分の人生の選択をした時、みなさんはその出来事を予見しています。
②しかしながら、人生において起こる出来事が、
文字に書くように書かれていると思ってはいけません。
一つの出来事は、みなさんが自由意思で行為したことの結果であることが多いのです。
たとえば指を火傷するといったことは、前もって定められていたのではありません。
本人の不注意によって起こるこのような小さな災難は、物理的法則の結果です。
③神の摂理により予定されているものは、本人の心理に影響を及ぼす出来事です。
それが本人の浄化と気づきに役に立つからです。
(2)運のよくない人がいるかと思えば、何をやってもうまくいく
運のよい人もいます。いったい何が原因でこうなるのですか?
⇒多くの場合、本人が問題をどう処理するかというやり方によります。
しかし、試練の種類にもよります。人は成功すると、その成功に酔ってしまいます。
そして自分の運を信じ切って、最後はどんでん返しを食うのです。
(3)意志や知性も関係なく、思わぬ幸運が転がり込むことがあります。
例えばギャンブルのような場合です。
あれはどういう意味があるのですか?
⇒それは霊たちの仕業です。
人間として得た勝利が、霊としては失敗であることが多いのです。
そのような僥倖は本人の虚栄心や欲心に関しての試練なのです。
(4)では、私たちの物質上の運命をつくる、いわゆる「運」は自由意志の結果ですか。
①みなさんは自らその試練を選択したのです。
みなさんがその厳しい試練によく耐えれば、みなさんは高く向上するでしょう。
人生をぬくぬくと利己的快楽に浮き身をやつして生きる人は、
進歩が停滞する臆病な人です。
②ですから、この地上においては、いま不幸な状態にある多くの人が、
幸福な状態にある人たちよりもずっと偉大な人たちなのです。
なぜなら、一般的に霊は自分にもっとも役に立つ試練を選択するものだからです。
霊たちの目には、みなさんの壮麗さとか享楽の虚しさがはっきり見えています。
それだけでなく、最高に幸福な人生とは、
必ずある程度の波風のあるもの、悩み事のあるものなのです。
(5)自由意志の問題をもっと具体的いうと?
①人は宿命によって悪に陥るのではありません。
人の行為の筋書きは、前もって書かれているわけではないのです。
②人は「試練」として、あるいは(前世で犯した罪の)償いとして、
その一つの人生を選択したのかも知れません。
そこは誘惑で道を踏みはずしそうな環境や状況に囲まれています。
しかし、本人は常に「右に行くか、左に行くか」という選択の自由を持っています。
このように霊は、受肉(=肉体を持ってこの地上に生まれること)以前の霊界にあっては、
自由意志を働かせて次の人生で受ける試練を選択します。
また、地上世界に入ってからは、誘惑に身を任せたり、
それを拒否したりして自由意志を鍛えるのです。
③霊は物質(=肉体)から解放されて自由になると、
自分が到達した浄化の程度に応じて、未来の地上生活を選択します。
霊に自由意志があるから、このような選択をする力があるのです。
この自由意志は、受肉しても消えることはありません。
なぜなら、もし受肉した霊が物質の影響に屈することがあるならば、それは本人が選択した
試練に屈服するのであって、その場合でも本人はそれを克服するために、
神や善霊の援助を請願する自由を常に持っているのです。
④一般的に言われている「運命」とは、
「人生の出来事が前もって定まっていること」と解釈されています。
もし物事がそのような性質を持っているのなら、人間は意志のない機械に過ぎません。
人間の行為が「運命」の力で縛られているのであれば、
人間の知性など何の役にも立たないでしょう。
そこには人間の責任のようなものは存在せず、したがって、善もなければ悪もありません。
神は、行為に自由のない者の犯す失策を咎められることはなく、
またそのような者が行なう善に対して報いられることはないのです。
もしそうであれば、進歩の法を否定することにもなります。
つまり、もし人間が運命に依存するものであるなら、自己改善など思いもよらないでしょう。
自ら進んで行為する必要はなくなります。
⑤しかしながら、単なる言葉だけのものではなく、やはり運命というものはあるのです。
人間が地上に置かれている境遇や、その境遇で演ずる役割、
および霊が選択した償いや使命の結果として、運命はあります。
その選択の内容によって、人は自分が選んだ人生の有為転変
にどうしても従わなければなりません。
良いことも悪いことも、その人生における趨勢の影響を受けざるを得ないのです。
しかし、運命はそこまでです。
⑥その趨勢に従うかどうかはその人の自由です。
人生で起こる小さな出来事は、本人がどんな行為をするか、
また、本人が周囲の霊魂のささやきにどんな反応をするかによって作り出されていきます。
⑦人生において、その人の行為とは関係なく起こる出来事は、それはその人が
生まれる前に行なった人生の選択から来るものですから、運命と言えるのです。
しかし、そのような出来事がもたらす結果は、私たちの思慮いかんによって
変更できるものですから、運命というものは存在しません。
つまり、人の精神生活面における行為には運命は存在しないということです。
⑧人が有無を言わせぬ絶対の法の下に置かれるのは、死に関することだけです。
この人生に終わりがあることは定められたことであり、それを終わりにする
死の定めも避けられないことです。
⑨俗説では、人間の本能は精神には関係がなく、肉体器官から生まれるものである
と言われています。そして、それが人が不完全であることの弁明に使われ、
人の有り様は選択の余地がないという口実にもなっているようです。
心霊主義の主張は、このような考え方よりも道徳的です。
人の自由意志を認めていて、人が誤りを犯せば、それは邪霊のささやきに
屈したものとして、その誤りの全責任は本人にあるとするものです。
なぜなら、心霊主義の考え方は、人は邪霊への抵抗力を持っているとするのであって、
その抵抗は、人が自分の本性と闘うよりもはるかに易しいと考えるからです。
このように、心霊主義ではどのような誘惑も不可抗力ではないと考えます。
人は自分の内心にささやきかけるおかしな声に対して、精神の耳を閉ざすことができます。
それはちょうど、人の声に対して耳を閉ざすことができるのと同じことです。
⑩人は自分を悪へ誘うささやきに対して、自らの意志で反対することによって、
同時に神にその力をお与えくださるよう願うことによって、また善霊に誘惑を
叩きつぶす手助けを求めることによって、身を背けることができるのです。
この「人の行為」に関する内容は、現在、霊界から示されている教示の結論なのです。
これは道義的な面で崇高であるだけではありません。
人の自尊心を高めるにふさわしい内容です。
なぜなら、人は招かざる者の侵入には戸を閉ざすことができるとともに、
抑圧する者の奴隷ではないことを教えるものだからです。
また、人は自らの意志と関わりのない刺激によって動かされる機械ではないこと、
そして人は2つの声を聞き分けて選択できる理性的存在であることを示すものです。
⑪さら次のことを付け加えておきましょう。
人は自分の行為の主であること。
人の行為は自らの中に動機を持っているのです。
なぜなら、人は物質の衣に覆われていても、依然として霊であるということです。
一人の人間として、霊として持っていた善悪の体質を保持する存在なのです。
だから、私たちが犯す誤りは、私たち自身の霊の持つ不完全さに原因があります。
その不完全さとは、道徳的な卓越性がまだ獲得されていない
ということで、時間の経過の中で獲得されていくものです。
しかし、そこには私たちの自由意志が反映されるのです。
地上生活で、私たちは苦しい試練を経験することによって
霊の持つ不完全さを消していきます。
⑫この不完全さこそ、私たちを挫折させ、未発達霊のささやき
に心を動かされるようにする原因です。
未発達霊は、私たちのこの弱さを利用して、私たちが自らに
課している課題の達成を失敗させようと試みるのです。
もし私たちがこの闘いに勝てば、私たちの霊は一層高い段階に上ります。
失敗すれば、良くはならず悪くもならず、何度も同じ状態を繰り返します。
この同じ試練の繰り返しで、長期にわたり人の進歩は停滞します。
しかし、私たちが自己改善を積み重ねるに従って、その弱さは消えていきます。
そうして、私たちを悪に誘い込もうとする者に手かがりを与えないようになっていくのです。
こうして、私たちの精神力が高まるにつれて、悪霊はついに私たちに働きかけるのをやめます。
善霊も悪霊も、霊の総体が受肉(=肉体を持ってこの地上に生まれること)
して現人類をつくっています。
⑬そして、この地球は善霊よりも悪霊の方の受肉が多い最も遅れた世界の一つです。
我の強さが一般的傾向となっていて、人類の間にそれが目立っています。
そこで、みなさんに呼びかけているのです。
この地球へ戻ってこないように最善を尽くそうではありませんか。
もっと高い世界へ入って行けるように、功績を積もうではありませんか。
そうすれば、善が目立つ楽園で、私たちは人間として地上にあった時代を、
過去における異国に滞在した期間のように思い浮かべるでしょう。
<感謝合掌 平成28年3月12日 頓首再拝>
《霊 の 書》~その5「霊が私たちの心の中をのぞく」 - 伝統
2016/03/14 (Mon) 18:12:09
5.霊が私たちの心の中をのぞく
(1)霊は私たちのしていることを何でものぞいているのですか?
⇒そうしたいと思えばできます。
霊があなたのそばにいつもくっついていればですが‥‥。
しかし、実際には霊は自分が興味のあるものだけを見ています。
興味のないものには注意を向けないのです。
(2)私たちのいちばん隠している気持ちを霊は見抜けますか?
⇒あなたがたが隠したがっていることを霊が見抜くことはよくあります。
考えでも行為でも、霊から隠すことは不可能です。
(3)では、人間同士でも、その人が生きている間に隠せても、
死んでしまったら隠せないということですか?
⇒その通りです。
どんなに人の目から隠したいと思っても、
あなたのまわりにはたくさんの霊魂がいて、あなたを見ています。
(4)私たちの周りにいて私たちを見ている霊は、私たちのことをどう思っていますか?
⇒それは霊の質によって違います。
つまらない霊たちはあなたがたに些細な悩みを引き起こしては楽しみ、
いらだてては笑いものにしています。
真面目な霊は、あなたがたの欠点を哀れんで、それを直してやろうと助力を与えます。
<感謝合掌 平成28年3月14日 頓首再拝>
《霊 の 書》~その6「霊の影響」 - 伝統
2016/03/18 (Fri) 20:13:38
6.霊が私たちの思考や行為に及ぼす影響
(1)霊は私たちの思考や行為に影響を与えますか?
⇒その影響はみなさんが想像するより大きいものがあります。
みなさんの考えも行為も、これを動かしているのは霊たちですから。
(2)私たちは自分自身から生まれる考えと、他から与えられる考えとを持つのですか?
⇒みなさんの魂は考える霊です。
みなさんはこれまでに同じ問題についてもいろいろな考えが
同時に起こることを知っているでしょう。
時には正反対の考えが起こることもありますね。
その場合、ある考えはみなさん自身のものですし、
ある考えは私たちのような霊のものです。
これがみなさんを迷わせるのです。
みなさんは心の中に相対立する2つの考えをもつからです。
(3)自分自身の考えと、外部から受け取った考えとは、
どうすれば見分けることができますか?
①考えが外部から来るときは、ささやきかける声のような感じです。
②自分の考えの場合は、まず心の中に湧き起こるものです。
③実は、この区別は実際上は重要なことではありません。
区別できない方が良い場合が多いのです。
そのことで人間の行動は大いに自由になるわけです。
もし正しい道を選べば、ますます自発性を発揮することになり、
誤った道を選べば、その誤ったことは自分の責任になるからです。
(4)考えは最初に思ったことが最も良いと言われますが、それは本当でしょうか?
①その人の霊の性質次第で、善であったり悪であったりします。
②大事なことは、常に良いインスピレーションに耳を傾けるようにすることです。
(5)ささやかれた考えが善霊から来たものか
邪霊から来たものかを確かめる方法がありますか?
①その考えの性質で見きわめてください。
善霊は常に良い助言を与えるものです。
②この善か悪かを見きわめるのはあなたです。
(6)未熟霊はどのような目的をもって私たちを悪に誘うのですか?
⇒みなさんを自分たちと同じ災いに陥れようとして誘うのです。
(7)それによって彼らの苦しみが緩和されるのですか?
⇒いいえ。彼らは自分たちよりも幸せな人への嫉妬心からそうするのです。
(8)神はなぜ霊たちが私たちを悪に誘うのを許されるのですか?
①人々の信仰心と善への節操を試みる手段として未熟霊が使われるのです。
みなさん自身も霊ですから、無限なものに対する知識を深めなければなりません。
②みなさんが善に至るためには悪の試練を通らなければならないのです。
その目的のために悪への誘惑があるのです。
③私たちの使命はみなさんを正道に導くことにあります。
もしみなさんが悪の影響に踊らされるならば、
それはみなさんが自らの意志によって邪悪霊を呼び寄せたのです。
なぜなら、邪悪な霊はみなさんが望むとおりに悪の手助けをしようと、
常に待ちかまえているからです。
みなさんの方で悪の道を希望するときにのみ、
彼らはみなさんの悪の手助けができるのです。
もしあなたが人を殺したいという気持ちを持てば、あなたの周りには、
その希望を実現させてやりたいと待ちかまえている霊魂がひしめいているのです。
④同じように、あなたの周りには、
あなたを善へと導こうとしている多くの霊が取り巻いています。
それでバランスが取れているのです。
決断はあなたに委ねられています。
(9)私たちは悪に誘おうとする霊たちの影響を受けないようにすることができますか?
⇒できます。彼らが近づく人間というのは、本人の考えや欲求の中に、
彼らを引きつける悪い性質があるからです。
(10)私たちが反発すれば、彼らは誘惑することができなくてあきらめるのですか?
①それ以外に何ができますか。
目的が達成できないと見れば、彼らはあきらめるでしょう。
②しかしながら、彼らは猫がネズミを狙うように、
虎視眈々とチャンスを待っています。
(11)邪悪な霊の影響を骨抜きにする方法はありますか?
①常に自分が正しいと思うことを行なうことです。
そして、神に対する絶対的な信仰心を持つことです。
これによって邪悪な霊の影響ははねつけられ、
その力がみなさんに及ぶことはありません。
②悪い考えを思い浮かべるようにさせるもの、
不調和な気持ちを起こさせるもの、
よくない感情を刺激するもの、
そのような霊たちのささやきにいっさい耳を傾けないように注意することが肝腎です。
③特に、みなさんに媚びへつらう人を信用してはいけません。
なぜなら、彼らはみなさんにへつらうことによって弱点をついてくるのです。
(12)私たちを悪に誘い、私たちを試そうとする霊たちは、
そういう使命を受けているのですか。
もしそうであるならば、彼らにはその責任があるということですね?
①悪へ誘う使命を受けている霊はいません。
彼らは自分の意志でそうしているのです。
ですから、その悪業の結果は自分にはね返ってきます。
②神は彼らの悪を許しておられます。
しかし、神がそれを命じられたわけではありません。
(13)霊が私たちを悪へ誘う場合は、私たちが直面する状況をうまく利用するのですか?
それとも、霊が自ら都合のよい状況をつくり出すのですか?
①それは都合のよい状況をみつけてするのですが、
彼ら自身でつくり出すこともよくあります。
②その人が気づいていなくても、
その人の欲望に沿う形でささやきかけるという形でやるのです。
たとえば、道ばたで一束の紙幣を拾ったとします。
そのお金は霊がそこに置いたわけではありません。
しかし、霊はその人がその道を通るようにささやきかけます。
そして、その人がそのお金を見つけますと、
霊はそれを着服するようにささやきかけるのです。
一方では、落とし主に返しなさいという声も聞こえます。
試練はすべてこのように行なわれます。
<感謝合掌 平成28年3月18日 頓首再拝>
《霊 の 書》~その7「憑依」 - 伝統
2016/03/20 (Sun) 19:19:44
7.憑依(ひょうい)
(1)霊は一時的にでも、生きている人の肉体をまとうことができるのですか?
つまり、生きている人の肉体に入って、本人の霊に代わって活動することができますか?
①霊はみなさんが家の中に入って行くような形で肉体に入るわけではありません。
②霊は自分と同じような長所・短所を持つ人の霊に自分を同調させ、
両者が連合して活動できるようにするのです。
しかしながら、肉体を使って自分が思うように行動するのは本人の霊の方です。
他の霊が、肉体を所有している霊に取って代わることはありません。
③霊と肉体は、摂理によって寿命が尽きる瞬間までしっかり結合されているのです。
(2)ひとつの肉体に2つの霊が住み着くという意味での「憑依」はないとしても、
他の霊が取り憑いたために本人の霊の意志が麻痺して、
他の霊の支配を受けるということはあり得ますか?
①それはあります。みなさんが「憑依」と読んでいるのはそのような場合です。
しかしながら、その支配は本人の弱さが原因で起こるものです。
それ以外では決して起こりません。
②訳者注
「憑依される」というのは、本人の霊が未発達の霊に従属させられて、
言いなりになっている状態を指して言う言葉である。
(3)人は憑依している霊を自力で追い払い、その支配から自由になることができますか?
⇒そうしたいという固い意志を持つなら、束縛を振り切ることは可能です。
(4)邪霊は取り憑き方がうまいので、
本人は取り憑かれていることに気づかないのではありませんか?
そのような場合、第三者がその縁を切ってやることはできますか?
このときの縁を切る方法とはどのようなものですか?
①高潔な人の意志力が、善霊の協力を引き寄せ、この救いの仕事に有効です。
人が高潔であればあるほど、邪霊を追い払い、善霊を引き寄せる力が強いのです。
②しかしながら、この場合も、憑依されている本人が努力しなければ、
どんなに力のある人でもその力は働きません。
なぜなら、本人が低俗な欲求に満たされ、
他力に依存していてはどうしようもないからです。
③心に不純なものがある人は、どのような場合でも、
少しも救いの力を働かせることはできません。
なぜなら、善霊はそのような人を軽んじ、
悪霊はそのような人を少しも恐れないからです。
(5)お祓いの文句は邪霊祓いに効果がありますか?
⇒まったくありません。一生懸命にお祓いをしている人を見て、
邪霊たちはそれをあざ笑いながら憑依を続けます。
(6)憑依霊から逃れる一番よい方法とは何でしょうか?
⇒ささやきに耳を貸さず、あきらめさせること、
(憑依しようとしても)無駄だということを思い知らせることです。
何もできないことがわかれば、彼らは退散します。
(7)祈りは憑依を解くのに有効ですか?
①祈りは神の助力を得るのに有効な方法です。
しかし、祈りの言葉には何の効果もありません。
②神は自らを助ける人を助けますが、力の出し惜しみをする人を助けません。
邪霊を引き寄せている自分の欠点を取り除こうと、
最大の努力をすることが大切です。
<感謝合掌 平成28年3月20日 頓首再拝>
《霊 の 書》~その8「守護霊・守護天使」~その1 - 伝統
2016/03/25 (Fri) 18:09:51
8.守護霊・守護天使
(1)守護や救助の目的で、特定の人に接触する霊がいるのですか?
⇒います。それは霊的兄弟で、みなさんの言う守護霊です。
(2)「守護天使」という言葉に当たるものは何でしょうか?
⇒高次元の守護霊のことです。
(3)守護霊の使命は何ですか?
⇒子供に対する父の使命ともいうべきものです。
守護される人を正しい道へと導き、助言を与えて救ってやり、
苦しんでいる時に慰め、地上の試練に耐える勇気を奮い起こさせる役目です。
(4)守護霊は人が生まれた時からその人についているのですか?
⇒その人が生まれた時から死ぬ時までです。
なお、しばしば死後霊界に入っても本人に付き添うことがあり、
その後の数次の生まれ変わりにも付き添うことがあります。
(5)守護霊の使命は自発的なものですか、それとも義務的なものですか?
①あなたの守護霊は、あなたを守るように義務づけられています。
というのは、守護霊自身がその役目を引き受けたのですから。
②しかしながら、霊が誰を守護するかについては、
自分に共感を持つ人たちの中から選ぶことを許されています。
この役目が喜びであることもあれば、使命や義務である場合もあります。
(6)守護霊は、いつも守護する人に付き添っているのですか?
⇒霊はいろいろな使命を遂行するため、その席を空けることがよくあります。
その場合は見張り役を交代してもらうことになります。
(7)守護されている本人がどうしても守護霊の指導に従わない場合に、
守護霊がその守護の役目を放棄するということがありますか?
①助言の効果がないと思った時、また低級霊の言いなりになって
どうしようもない時、守護霊は手を引きます。
しかし、本人を完全に見捨てたわけではなく、
言うことを聞くように努力を続けます。
②守護霊が本人を見捨てるのでなく、
守護霊の言葉に耳を閉ざす人間の方が守護霊から離れるのです。
本人が守護霊に心を向ければ、守護霊はすぐに戻ってきます。
③あなたのそばにはいつも、あなたよりすぐれた存在がいます。
その存在は常にあなたに寄り添い、助言を与え、
あなたが進歩の坂道を登っていくのを支え、助けてくれるのです。
この世でのどんなつながりよりも深い縁で結ばれ、
愛情を持ってあなたのために尽くしてくれます。
そのような存在があなたのそばにいるのです。
このように考えるならば、これ以上あなたの心を癒してくれるものがありますか。
このような存在を、神が命じてあなたのそばに置かれたのです。
その存在は、大変苦労の多い尊い使命を受けて、
みなさんのためにその任務を果たしてくれています。
みなさんが行くところには、それが地下の牢獄であろうと、
人里離れた所であろうと、どんなに堕落した人たちのたまり場であろうと、
その存在はそばにいるのです。
④みなさんはこの真理を深く心に刻んでおいてください。
必要なときにはこの真理が何度でもみなさんを助けます。
悪霊たちの落とし穴から、みなさんを救い出してくれるでしょう。
⑤しかしながら、最後の審判の日に、
守護の天使はみなさんに繰り返し言うかも知れません。
「私は強くあなたに勧めたのに、あなたは耳を貸そうとしなかった。
私は地獄を見せたのに、あなたはどうしてもそこに身を投げ入れてしまった。
真理の声を聞かせようとしたのに、あなたは私の助言に従わなかった」と。
⑥このようなことにならないように、みなさんの守護天使の言葉に耳を傾けてください。
何事も天使の目から隠すことはできません。
彼らは神の目を持っているのです。
みなさんは何一つ彼らを欺くことはできません。
未来に目を向け、進歩向上の道を進んでください。
その時、試練の日は短くなり、幸いは更に増すでしょう。
<感謝合掌 平成28年3月25日 頓首再拝>
《霊 の 書》~その8「守護霊・守護天使」~その2 - 伝統
2016/04/04 (Mon) 19:15:12
(8)もし、霊が自分の守護すべき人を導くことをしない場合、
それは守護霊がその人に害を与えようと考えているのですか?
①善霊は人を傷つけるようなことはしません。
その人に干渉する霊たちのするままに任せるのです。
②その時、人は自分が直面した不幸な運命を呪います。
それが自分の悪行の結果であるにもかかわらず、不満を言うのです。
(9)守護霊が、守護している人に害が及ぶ状態を放置しておくことがあるのですか?
①邪霊たちは、善霊の行為を骨抜きにしようとして集まるのです。
しかし、人の気持ちが守護霊に向けば問題ないわけです。
②人の気持ちが守護霊に向くまでの間、
守護霊は別の人を助ける任務を果たします。
(10)守護霊が、自分が守護すべき人を迷いの道に放置しておくのは、
彼が人を迷わせる悪霊に対処することができないからですか?
①そうではありません。そうすることを望んでいないのです。
というのは、降りかかる試練を通じて、
その人がいっそう賢く成長していくことを知っているからです。
②守護霊は常にその人の心に向かって賢明な助言を与えています。
しかし、残念ながらその人はそれに気がつかないのです。
③悪霊に力を与えるものは、人間の弱さ、不注意、高慢さです。
すなわち、悪霊が人間をコントロールする力は、
人間側が悪霊に対して十分に抵抗しないことによるのです。
(11)人にとって、守護天使の存在が必要でない時が来るのでしょうか?
⇒自分一人で歩いて行けるほどに進歩したときは、必要でなくなります。
しかし、みなさんの地上生活中には来ません。
(12)守護霊が私たちに働きかける行為には、不可解に思えることがあります。
守ってくれるのであれば、なぜ常に守ってくれないのですか?
①もしみなさんが守護霊のサポートを頼りにすれば、みなさん
は自分の判断で行動しようとはしなくなるでしょう。
それではみなさんの霊性の進歩はありません。
進歩のためにはさまざまな経験をすることが必要なのです。
ときには自分自身が犠牲になることもあります。
人は自分で力を発揮することが大切です。
そうでなければ、一人歩きを許されていない子供とかわりません。
②みなさんの幸福を願う守護霊の行為は、
みなさんを自由意志によって歩かせるのが決められたコースなのです。
もし自己責任がなければ、人は神に至る道を進むことはありません。
③人は、自分を守護している存在の姿を見ることなく、自力を発揮します。
しかし、守護霊の方はその人の姿を見守っていて、
危険な事態を避けるようにいつも呼びかけているのです。
(13)守護霊は守護すべき人の指導がうまくいけば、
それによって自ら得るものがあるのですか?
①それはやりがいのある任務なのです。
守護霊自身の進歩と幸福にも役立つのです。
②彼は自分の労苦が成功と勝利の栄冠で報いられている姿を見て歓喜します。
あたかも、生徒の指導がうまくいった時の教師のようなものです。
(14)自分の守護している人が間違った道を進んでいるのを見て、守護霊は悲しみますか?
その悲しみは喜びを帳消しにするのではありませんか。
①守護霊は、自分が守護している人が誤った道を進むのを見て
悲しみますし、その人を哀れに思います。
②しかし、その苦しみの内容は地上で感じるような苦悩とは性格が違います。
彼は、悪にはそれが正される日が必ず来ることを知っています。
今日できなかったことも、明日にはできるようになるということを。
<感謝合掌 平成28年4月4日 頓首再拝>
《霊 の 書》~その8「守護霊・守護天使」~その3 - 伝統
2016/04/11 (Mon) 17:52:05
(15)守護霊はすべて高級な霊たちですか?
平均的な進歩段階の霊もいるのでしょうか。
たとえば、亡くなった父親が子供の守護霊になることができますか?
⇒父親が守護することになるケースもあるかも知れません。
しかし、守護霊になるにはある程度の進歩段階が必要条件となります。
自分の子供を守る父親の場合は、更に高位の霊の助けを必要とするでしょう。
(16)凶暴で残虐な人や道義心の低い人たちにも守護霊はついているのですか?
その場合、進歩した人たちの守護霊と同じようにレベルの高い守護霊なのでしょうか?
①どんな人でも守護霊がついています。
しかし、その役どころはそれぞれの目的とバランスが取れているのです。
読み書きを始めたばかりの子供に哲学博士をつけたりしないのと同じです。
②守護する霊の進歩度合いは、守護される人の進歩度合いとバランスが取れています。
守護した人の進歩は、自らの進歩として返ってくるのです。
(17)守護霊の他に、その人に悪をそそのかしたりするために必ず悪霊がついているのですか?
①ついているという言葉は適切ではありませんね。
確かに悪霊たちは、機会さえあればみなさんが正しい道から外れるようにと努力しています。
しかし、悪霊が人に憑くのは、自分の思うとおりにさせたいためです。
②この場合、善霊と悪霊の戦いが起こります。
どちらが勝つかは、その人が自らの自由意志でどちらの霊に従うかによって決まります。
(18)私たちには、守ってくれる霊が複数いるのでしょうか?
①誰でもその周りにはいろいろな進歩度合いの、愛情によって結ばれた霊がいます。
②同様に、悪をそそのかす邪霊たちがいるのも事実です。
(19)ひとりの人に共感している霊たちは、使命としてその人に働きかけるのですか?
⇒一時的な使命を帯びている場合もありますが、一般的には、善悪のどちらにしろ、
その人と気持ちの上で同じものがあるから引き寄せられているに過ぎません。
(20)それでは、その共感する霊とは、善霊か悪霊かのどちらかということですね。
⇒そのとおりです。どのような性格の人であろうと、人は常に、
自分に共感する霊たちに取り囲まれているのです。
(21)霊は共感することによって個人につきますが、
同じ目的で結ばれた団体につくことがありますか?
①霊は好んで、自分に似た人たちの所へ行きます。
その方が確実に影響を受けてもらえるからです。
②人は個人の場合でも、団体、都市、国家などの一員としても、
その性向に応じて霊を引き寄せます。
ですから、団体、都市、国家などは、
その特徴に応じて何らかの進歩した霊の助けを受けています。
もし団体の精神が優れたものであれば、個人の場合と同様、
邪霊を遠ざけて善霊を引き寄せることになります。
善霊は集団の廉直さを高め、逆に邪霊は集団に悪感情をまき散らします。
(22)団体、都市、国家などは、固有の守護霊を持っているのですか?
⇒持っています。このような集団は個性の集合体ですが、
一つの共通の目的を追求し、上方へ向かう性向を持っているからです。
(23)集団の守護霊は、個人についている守護霊よりもその進歩の度合いは高いのでしょうか?
⇒個人の場合と同じく、集団の進歩の度合いによります。
<感謝合掌 平成28年4月11日 頓首再拝>