伝統板・第二
ひかりの一日一言⑫ - 伝統
2016/03/01 (Tue) 03:09:27
ひかりの一日一言《1日》
《1日 生かす言葉を使う》
殺すなかれということは、殺人をするなとか、
殺生をするなというような、
具体的な血みどろな殺生だけでは決してない。
人の生命を殺すような言葉を吐くなというようなこともふくまれています。
せっかく人が意気揚々としているのに、
さっと止めを刺すような言葉を使って意気消沈させてしまったら、
それは人の心を殺したことになるわけです。
だから、すべての人を先ず言葉で生かしてあげなければならない。
すべての相手の心持や生命を生かすようにしてあげることは
すなわち与えることであります。
それで与える愛は相手を生かすのです。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻<女性篇>より)
・・・
<関連Web>
(1)ひかりの一日一言①
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6455552
(2)ひかりの一日一言②
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6479787
(3)ひかりの一日一言③
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6505650
(4)ひかりの一日一言④
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6527684
(5)ひかりの一日一言⑤
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(6)ひかりの一日一言⑥
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(7)ひかりの一日一言⑦
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(8)ひかりの一日一言⑧
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(9)ひかりの一日一言⑨
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(10)ひかりの一日一言⑩
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(11)ひかりの一日一言⑪
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<感謝合掌 平成28年3月1日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《2日》 - 伝統
2016/03/02 (Wed) 04:08:23
《2日 和顔、愛語で人に喜びを与える》
与えると言っても自分は何も持っていないと思っていらっしゃる人があるかもしれませんが、
すべての人間は与えるものを持っているのです。それは何でもないことです。
いつも和顔をしていること、つまり、
いつも優しい顔をしているだけでも人に喜びを与えるのです。
優しい顔や、愛に満ちた顔をしていること、それだけでも大いに与えているのです。
苦虫をつぶしたような顔、そんなものを与えてもだめですけれども、
いつも人を喜ばせるものを与えることです。
一言ものを言っても人を喜ばしめるように言う、--どなりつけるような言葉は人を殺します。
「人を殺すなかれ」とモーセも、釈迦も、キリストも教えています。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻<女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月2日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《3日》 - 伝統
2016/03/03 (Thu) 03:13:49
《3日 与えよさらば与えられん》
人のため人のためにのみ尽すように心掛けておりますと、
自分は損のようですけれども、ところがそれでおのずから
自分が却って富むということになるのです。
「与えよさらば与えられん。人は秤をよくし、押し入れ、揺り入れ、
溢るるばかりに与えられん」とキリストは路加(ルカ)伝の中に言っておるのでありますが、
それであります。
自分が与えられようと思ったら、まず与えなければならぬ。
横取りをしてはいけない。
自分がカラッポになって尽せば与えられるということになるのであります。
ですから、皆さんもできるだけ与えるようにするといいのであります。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻<女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月3日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《4日》 - 伝統
2016/03/04 (Fri) 03:10:45
《4日 与えよ! 縦から自然に供給が入って来る》
われわれの生活には横取りの方法と縦取りの方法があります。
横取りの方は、なるべく儲ける儲けるということを目的にする、
つまり奪い取るということを目的にするところの商売であります。
自分が儲けることとなれば、なるべく高く売って儲けようとするのであって、
これはたれかが損をしている。
とった方は一時はふえるけれども、とられた方は損をするのであって、
ともかく横取りで、これが所謂「搾取」であります。
縦取りの方法というのは、自分は横取りをしないで横の方へは
なるべく与えるという気持ちになり、自分は空っぽになる。
そうすると、西洋の諺にもあるように「宇宙は真空をきらう」のでありまして、
自分が空っぽになって人にやると、その空っぽを埋めるために、
縦から自然に供給が入って来るというということになるわけであります。
人のため、人のため、人のためにやるのです。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻<女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月4日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《5日》 - 伝統
2016/03/05 (Sat) 04:04:49
《5日 吾々の生命は、不滅なる神の御子である》
その「神」というのは、『生命の實相』の本の中では、宇宙の「大生命」と書いて
其の「大生命」に「おやさま」と振り仮名をつけて、誰にでもわかりやすくする
苦心がしてあるのでありますが、
吾々の生命が生まれ出た大きな生命の元であり、生まれた吾々の生命を「子」と考えれば、
それを生み出した元は「親」と考えることが出来ますので、
宇宙の親様と云う言葉が当て嵌まります。
その宇宙の親様は、誰から生まれたかと云うと、生まれたことがない。
もとからある。だから「不生」とも言うのであります。
不生ですから滅びることもない不滅であります。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻<女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月5日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《6日》 - 伝統
2016/03/06 (Sun) 04:49:53
《6日 吾々のいのちは現世の経験を超えたところの実在である》
吾々のいのちは現世の経験を超えたところの実在である。
言い換えると吾々のいのちは現在だけの存在ではなく
現世を越えた超経験的実在であるということです。
更に言い換えると吾々のいのちは神のいのちであるということであります。
吾々のいのちそのものが現世の経験に依って初めて出来たものでないのであって、
超経験的な実在がこの肉体に宿っておって、それがここに生きているのですから、
即ち「神」がここに生きているということになるのであります。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻<女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月6日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《7日》 - 伝統
2016/03/07 (Mon) 03:49:01
《7日 赤ん坊は、何故教えられないでもお乳を吸うでしょうか》
さて吾々のいのちはオギァーと生まれた時に、その時に始まったものでないということは
生まれると直ぐ乳房を吸うことを知っているーーそういうような単純な事実から考えて
見ましてもわかるのであります。
初めてオギァーと生まれて、誰にも教えてもらわないのに乳房を吸うと、
そこからお乳が出てきて、それによって養われるということを知っているというのは、
そこに吾々のいのちの中に、学ばずして知っているところの神のいのちが宿っていることを
あらわしております。
吾々のいのちは出産の時に生まれたのではないのであって、
神のいのちというものが前からあって、それが宿って来たのである。
だから、お乳を飲むとか飲まぬとかいう、
生まれた時には経験しない事柄を経験を超越して知っているのであります。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻<女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月7日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《8日》 - 伝統
2016/03/08 (Tue) 03:18:01
《8日 人間は個性があって普遍である》
兎も角「人間は人間じゃもの」と云うことであります。
いのちはいのちじゃもの、而(しか)もそのいのちは個性があって、
谷口は谷口であり、田中は田中である。
しかも谷口と田中とはその喜びも悲しみも通じ合い、理解することが出来る。
個性があって普遍である。
具体であって普遍である、
普遍であるからこそ互いに理解することが出来るのであります。
今此処に、一定の場所におりながら同時に宇宙に充ち満ちているのであります。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻<女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月8日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《9日》 - 伝統
2016/03/09 (Wed) 04:01:27
《9日 個性がありながら天地に満ちるいのち》
人間のいのちの本当の相(すがた)と云うものは、具体にして普遍である。
個性がありながら天地に満ちふさがるいのちなのです。
いのちにはみんな個性があるのですから、
その個性あるいのちに依って操られて出来ているところの人間の肉体の心臓にはまた個性がある。
その人の魂の性質を持っておって、甲の人の心臓と乙の人の心臓とは、
外見の構造はよく似ていますけれども、
その性質が非常に個性的であって、互いに異なっているのです。
それを一様的に考えて、同じ薬を投じたら同じような結果になる、
こういうような考えを持っておりましたら、それは本当の科学ではない。
ですから医学が科学にまで発達するのは、中々難しいのであります。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻<女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月9日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《10日》 - 伝統
2016/03/10 (Thu) 03:14:58
《10日 悪しき暗示に感応しない》
人間が病気になるのは何も姓名が悪いからでも家相が悪いからでもないのであって、
誰からか、予言的な言葉を言われて、その言葉の力によって心が動き、
心がその人の生理作用や行動を支配して、そのようになるのであります。
だから姓名判断師や、人相見や、八卦見や、
それから良人を馬鹿にしてその前途にケチをつける奥様の言葉の暗示などに感応して、
そして悪いことを心に描いてはならないのであります。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻 <女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月10日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《11日》 - 伝統
2016/03/11 (Fri) 03:53:46
《11日 先ず妻から謝りましょう》
多くの夫婦の中には、夫婦喧嘩をしたときには自分の表情を和(やわら)かにしたら損がゆく、
負けたという気持ちがする人があるのでありますけれども、併し本当は、
先ず自分が和かくなることです。
和かくなった方が勝ったということになるのであります。
どちらからでも先に謝られる方は、その人のほうが一段魂が高くなったのであります。
現在の自分の状態はよくなかったと気がつくのは、
現在までの状態よりも一段と高いところに自分の心境が上がったからでありまして、
それであればこそ、今の状態が悪かったと気がついて謝ることが出来るのであります。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻 <女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月11日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《12日》 - 伝統
2016/03/12 (Sat) 04:10:27
《12日 宗教は常識を超える》
結局、夫というものは、家長としてその家の中心座にいるときは
それは家長の理念、言い換えると父の理念の表現です。
父の理念というのは結局、神の理念であって、宇宙の親様の理念というものが
そこに姿をあらわしているのが、家長の理念であり、
それは古事記で言えば、伊邪那岐命の理念がそこに現れているのであるから、
伊邪那岐命のみことのりのまにまに伊邪那美命に当たる妻が従って行ったならば、
そこに必ず好いことが実現するのです。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻 <女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月12日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《13日》 - 伝統
2016/03/13 (Sun) 04:47:20
《13日 原子爆弾よりも強い言葉の力を駆使する》
心の思いの通りに全身の細胞もホルモンを製造する臓器も振動するのですから、
健康になりたい人は「健康だ、健康だ」と心で常に「健康」のコトバを念じていますと、
全身の細胞が「健康」の形に振動して健康になるのであります。
健康だけではありません。
われわれの言葉というものはすばらしい力のあるものなのです。
われわれが幸福をもたらそうと不幸をもたらそうと、貧乏になろうと金持ちになろうと、
病気になろうと健康になろうと、その言葉の力で自由自在です。
言葉という武器を忘れておって人間がほんとうに幸福になろうと思ってもだめです。
原子爆弾よりも言葉の力の方が強い。
原子力は破壊する為にも使えるし、あるいは文化の向上にも使えるということです。
しかし、それをよい方に使うか悪い方に使うか、それを左右するものが言葉の力であります。
『甘露の法雨』を読んで、心が転換して病気が治る人があるのも言葉の力であります。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻 <女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月13日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《14日》 - 伝統
2016/03/14 (Mon) 03:46:46
《14日 エドガー・カイシーによる結婚相手を選択するための標準》
「だれを選ぶべきかは、あなたの理想を何処に置くかということによって決定するのである。
この四人の男性は前世においていずれも、あるいは貴女の魂の進歩の協力者として、
あるいは魂の進歩の妨害者として因縁のあった人々ですよ。
あなたに、この人を止めにして、この人と結婚なさいと私が言うことは、
誤った位置に貴女を置くことになるし、誤った位置にその相手を置くことにもなります。
選択は貴女自身で行われなければならない。
選択の基準は、その結婚によって、どれだけ多く人生に貢献しうるかということです。
すべての人間は自由意志が与えられているということを知らなければならない。」
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻 <女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月14日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《15日》 - 伝統
2016/03/15 (Tue) 03:10:44
《15日 神の叡智を包み隠している状態を罪というのであります。》
ちょうどお月さまは本来まん円く輝いているけれども、
月蝕の時にはお月さんの病気のように見え、
澄み切ったまん円い姿が現れて来ないのであります。
あれはお月さまが病気になったのではない、お月さまの実相(ほんとのすがた)の
玲瓏円満の姿の上に地球の影が蔽いかぶされているというだけのことであります。
それと同じように人間は、すべて実相は完全に造られているのですけれども、
その表面を人間の心の迷いで、蔽い隠しているということになっているわけであります。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻 女性篇より)
<感謝合掌 平成28年3月15日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《16日》 - 伝統
2016/03/16 (Wed) 03:32:09
《16日 その日一日の運命は、朝起きた瞬間の心持によって支配されます》
大体、その日一日の運命は、朝起きた瞬間の心持によって支配されます。
その瞬間の心持と類似の波長のものが呼び寄せられて来るのであります。
真理は簡単でありますが、教えられても行じなければ効果を現さないのであります。
これを実行するには、2分間かからないのであります。
「私は神の子、嬉しい、楽しい、幸福だ、いいことが来る、美しくなる」ただこれだけの行事で、
人生が嬉しくなり、楽しくなり幸福になり、そのうえ美貌になったら
まことに素晴らしいことであります。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻 女性篇より)
<感謝合掌 平成28年3月16日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《17日》 - 伝統
2016/03/17 (Thu) 03:26:31
《17日 夫婦の意見が対立する場合の対処》
夫婦生活をしております中には、夫婦の意見が対立するということが往々あるものであります。
そして良人は良人で「私は之を正しいと思う」と言う。
妻は妻で「私は是を正しいと思う」とこう主張して良人と奥さんとが相譲らないで、議論する。
議論に熱心になって、ついに火花を散らして興奮して争う。
その結果、良人はムシャクシャして面白くないので余所へ遊びに行く人もあれば、
「もうお前には物を言いたくない」と互いにムッツリしている家庭がよくあるのです。
けれども、こんな家庭が民主主義の家庭になるほど殖えて来ました。
そんな場合に、奥さんが本当に無我になっておしまいになったら、
却って良人の方から進んで、妻が望むであろう通りにして下さるようになるのであります。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻女性篇 より)
<感謝合掌 平成28年3月17日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《18日》 - 伝統
2016/03/18 (Fri) 04:33:47
《18日 言葉の力というものはすばらしい力のあるものなのです》
指先や掌だけでなしに、心のおもいの通りに全身の細胞もホルモンを製造する臓器も振動する
のですから、健康になりたい人は「健康だ、健康だ」と心で常に「健康」のコトバを念じていますと、
全身の細胞が「健康」の形に振動して健康になるのであります。
健康だけではありません。
われわれの言葉の力というものはすばらしい力のあるものなのです。
われわれが幸福をもたらそうと不幸をもたらそうと、貧乏になろうと金持ちになろうと、
病気になろうと健康になろうと、その言葉の力で自由自在です。
言葉という武器を忘れておって人間がほんとうに幸福になろうと思ってもだめです。
原子爆弾よりも言葉の力の方が強い。
原子力は破壊する為にも使えるし、あるいは文化の向上のためにも使えるということです。
しかし、それをよい方に使うか悪いほうに使うか、それを左右するものが言葉の力であります。
『甘露の法雨』を読んで、心が転換して病気が治る人があるのも言葉の力であります。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻 <女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月18日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《19日》 - 伝統
2016/03/19 (Sat) 05:02:22
《19日 『甘露の法雨』の功徳》
ある人が『甘露の法雨』という本をくれたというのです。
これは今では生長の家のお経だといいますけれども、これは最初はお経という意味でもなかった
のですけれども、私が霊感的に書いた自由詩であります。
『生命の實相』の本に書かれているところの真理が、
簡単な30分ぐらいで朗読できるところの一つの詩になっているのです。
京都に島津製作所という大きな電気会社が今でもありますが、
あの会社のあずかって力があったところの、明治初年の一番初めの頃の工学博士であった
小木乕次郎(こぎとらじろう)という人が、
科学者中の科学者、工学博士でありながらも私の詩を読んで、
これを読むと病気が治ったり、あるいは迷っている霊魂が救われるという事実が沢山あるが、
これは不思議だ。
これは単なる詩というよりも『聖経』とつけた方がよいだろうというので、
紫色の表紙の折本のお経の形に、その工学博士がみずから計画なさって、
それを最初京都から売り出されたのですが、本部の方ではそんなことは知らなかったくらいでした。
それが折本のお経の形になって、そのためにお経として弘がって来たのであります。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻<女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月19日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《20日》 - 伝統
2016/03/20 (Sun) 03:30:08
《20日 横取りの方法と縦取りの方法》
われわれの生活には横取りの方法と縦取りの方法があります。
横取りの方は、なるべく儲ける儲けるということを目的にする、
つまり奪い取るということを目的にするところの商売であります。
自分が儲けることとなれば、なるべく高く売って儲けようとするのであって、
これはたれかが損をしている。とった方は一時はふえるけれども、
とられた方は損をするのであって、ともかく横取りで、これが所謂「搾取」であります。
縦取りの方法というのは、自分は横取りをしないで横の方へはなるべく与えるという気持ちになり、
自分は空っぽになる。そうすると、西洋の諺にもあるように「宇宙は真空をきらう」のでありまして、
自分が空っぽになって人にやると、その空っぽを埋めるために、縦から自然に供給が入って来る
というということになるわけであります。
人のため、人のため、人のためにやるのです。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻<女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月20日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《21日》 - 伝統
2016/03/21 (Mon) 03:27:44
《21日 「神」というのは、宇宙の親様》
その「神」というのは、『生命の實相』の本の中では、宇宙の「大生命」と書いて
其の「大生命」に「おやさま」と振り仮名をつけて、誰にでもわかりやすくする
苦心がしてあるのでありますが、
吾々の生命が生まれ出た大きな生命の元であり、生まれた吾々の生命を「子」と考えれば、
それを生み出した元は「親」と考えることが出来ますので、
宇宙の親様と云う言葉が当て嵌まります。
その宇宙の親様は、誰から生まれたかと云うと、生まれたことがない。
もとからある。だから「不生」とも言うのであります。
不生ですから滅びることもない不滅であります。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻<女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月21日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《22日》 - 伝統
2016/03/22 (Tue) 03:16:02
《22日 吾々のいのちは、「神」がここに生きているということ》
吾々のいのちは現世の経験を超えたところの実在である。
言い換えると吾々のいのちは現在だけの存在ではなく
現世を越えた超経験的実在であるということです。
更に言い換えると吾々のいのちは神のいのちであるということであります。
吾々のいのちそのものが現世の経験に依って初めて出来たものでないのであって、
超経験的な実在がこの肉体に宿っておって、それがここに生きているのですから、
即ち「神」がここに生きているということになるのであります。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻<女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月22日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《23日》 - 伝統
2016/03/23 (Wed) 03:36:27
《23日 われわれのいのちは個性があって普遍である》
兎も角「人間は人間じゃもの」と云うことであります。
いのちはいのちじゃもの、而(しか)もそのいのちは個性があって、
谷口は谷口であり、田中は田中である。
しかも谷口と田中とはその喜びも悲しみも通じ合い、理解することが出来る。
個性があって普遍である。
具体であって普遍である、普遍であるからこそ互いに理解することが出来るのであります。
今此処に、一定の場所におりながら同時に宇宙に充ち満ちているのであります。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻<女性生活篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月23日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《24日》 - 伝統
2016/03/24 (Thu) 04:35:08
《24日 人間の肉体の心臓にはまた個性がある》
人間のいのちの本当の相(すがた)と云うものは、具体にして普遍である。
個性がありながら天地に満ちふさがるいのちなのです。
いのちにはみんな個性があるのですから、
その個性あるいのちに依って操られて出来ているところの
人間の肉体の心臓にはまた個性がある。
その人の魂の性質を持っておって、
甲の人の心臓と乙の人の心臓とは、外見の構造はよく似ていますけれども、
その性質が非常に個性的であって、互いに異なっているのです。
それを一様的に考えて、同じ薬を投じたら同じような結果になる、
こういうような考えを持っておりましたら、それは本当の科学ではない。
ですから医学が科学にまで発達するのは、中々難しいのであります。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻<女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月24日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《25日》 - 伝統
2016/03/25 (Fri) 04:53:23
《25日 持続的に巧みに時間を利用しましょう》
「天才は忍耐なり」という諺がありますが、
これはいやなことを忍耐してやれという意味よりも、
持続的に巧みに時間を利用せよという意味にとる方がよいと思います。
持続的に巧みに時間を利用して、何か一芸に到達しようと思ったら、
どんな天才でない人でも決して出来ないことはないのでありまして、
一時、花火線香式に或る一事に熱心になっているかと思えば、
すぐそれを止めてしまう天才よりも、持続的に少しの時間でも利用して自己開発を行う人は、
最後においては、素晴らしい能力の相違を見るに到るのであります。
(谷口雅春先生著 (新版 真理』 第5巻<女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月25日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《26日》 - 伝統
2016/03/26 (Sat) 03:53:52
《26日 人間を拝むということ》
人間を拝むということは、「合掌」というオマジナイをすることによって、
相手を自分の欲する状態にならしめるというような霊術ではないのであります。
相手の「神性」を信じ、礼し、敬することであります。
自分の良人のすることはどんなことをしても、間違いがないということを信ずるようにしたら、
良人が素直になり、良人のほうから妻を信じ妻の欲することを何でも、みずから進んで
して下さるようにあらわれてくるという事実は決してマジナイの効果ではなく、
神性を礼拝する効果なのであります。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻<女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月26日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《27日》 - 伝統
2016/03/27 (Sun) 03:46:37
《27日 常に明るい言葉を家族互いに話すことにすることです。》
互いに気の腐るような言葉を話してはなりません。
気の腐るような言葉は、気持ちを腐らせます。
気持ちが腐っている時、生理作用は活発に行われません。
神経痛や脳神経衰弱や、心臓病や、胃腸病を惹き起こします。
(中略)
そうしてまた、気が腐って、生理作用が鈍っている時に考えついた考えは、
あまり好い構想でないのが普通であります。
腹立ったときに書いた手紙には取り返しのつかぬ失錯が書かれているものなのです。
決して腹の立ったとき手紙を書いてはなりません。
また、そんな時計画した仕事には自己破壊の要素が含まれているものです。
言葉は必ず明るい励まし合う言葉のみを語りましょう。
計画は必ず明るい心で行いましょう。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻<女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月27日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《28日》 - 伝統
2016/03/28 (Mon) 04:47:55
《28日 言葉が人間を幸福にする》
ともかく言葉が一切を支配しているのです。
ですから、皆さんが幸福になろうと思ったら、
まず、「私は幸福だ」と暇在る毎に唱えることです。
「先生私は不幸です。不幸なのにどうして幸福だなんて唱えられますか」
という人があるかもしれないが、そうじゃないのです。
わたしの詠んだ歌に、
「漂える雲のかなたにまん丸に澄みきる月ぞわが相(すがた)なる」というのがありますが、
お空に雲が漂うておっても、いまだ一度もお月様には雲がかかったことがないのです。
お月様に雲がかかったように見えるのは、
実は地球に雲がかかっていて、そこから月を見るからです。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻<女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月28日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《29日》 - 伝統
2016/03/29 (Tue) 03:06:25
《29日 咎める心で説教してはならない》
どんなに理論が整然としていましても、
咎める心で説教して、妻や良人がよくなったり、子供がよくなった実例は、
人間の歴史始まって以来、決してないのです。
激しい語調を伴った説教は、
憎悪を相手に伝えるばかりで、相手の反抗心を呼び起こすにすぎません。
明るいほめ言葉のみが貴方の家族の心を明るさに高め上げ、
その高めあげられた心になって、初めてよい行いが出来るのです。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻<女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月29日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《30日》 - 伝統
2016/03/30 (Wed) 04:31:55
《30日 意見の違う場合に、直ぐ高い声を出してはなりません。》
優しい語調で、ハッキリと明晰に自分の意見を述べるのです。
必ずしも人間の意見は一致するとはきまっていません。
立場が異なるに従って、見える相(すがた)は異なるのです。
多くの家庭争議は、自分の妻に、良人に、
自分と等しい意見にならしめようとして、固執するところから起こるのです。
民主主義の生活は各人の異なる意見を尊重することによって成り立つのです。
どんなに恋愛した上で結婚した夫婦でも、相手を自分の意見のみに縛りつけて置こうとすると
仲が悪くなるものです。
これが法則です。
本当に愛するということは相手を自分に縛りつけて置くことではなく、
相手を放すことなのです。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻<女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月30日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《31日》 - 伝統
2016/03/31 (Thu) 03:35:56
《31日 無我のところに神があらわれる》
本当の信仰は無我になることから始まるのでありますから、
無我と謂うのは握っているものをまず捨てることなのです。
「私はこうしたい」と思っているその「たい」を捨てればいいのであります。
「無我即神」と言った人もありますが、「無我」のところに神があらわれるのであります。
慮知の心を起こして用意周到にこうなさいと言うのだったら、
捩じ鉢巻で考えなければならないから難しいかもしれませんけれども、
自分の心を捨てなさいと言うのだから難しいことはないのであります。
(谷口雅春先生著 『新版 真理』 第5巻<女性篇>より)
<感謝合掌 平成28年3月31日 頓首再拝>