伝統板・第二

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二宮翁夜話巻之五 - 夕刻版

2016/02/08 (Mon) 20:56:09

二宮翁夜話 巻之五~その1

飢饉にあった対応を詳しく説いて、草木の根や幹、皮、葉など食べられる物を数十種調べ、
その調理法などを記載した小冊子を贈ってきた人があった。


尊徳先生はおっしゃった。


草の根や木の葉など、平日少しずち食べて試みる時は、害はないものであるが、
これを多く食べて日を重ねる時は病気を生ずるものである。
軽々しく食べるのはよくない。

だから私は天保年間に2度あった飢饉の時に、郡村に諭すのに、
草の根や木の葉などを食べよというような事は、決して言わなかった。
病気を生ずる事を恐れたからである。

飢えた民が自ら食べるのは仕方がないけれども、
民を預かる牧民の職にある者が、飢えた民に向って、草の根や木の皮を食べよといい、
さらにこれを食べさせるのは、大変よくない。

これを食べる時、一時の飢えは補うであろうが、病気を生ずる時は救うことができない。
恐れなければならない。

だから人を殺すのに杖と刃物で行うのと、どこが異なろうか。
これは深く恐れなければならないところだ。

しかしながら食べなければ死を免れない、これをいかにしようか。
これが深く考えなければならないゆえんである。

私はこれによって、飢えた人を救って、病気を生ずる恐れがない方法を設けて、
烏山、谷田部、茂木、下館、小田原などの領村に施行した。

だからこういう類の書は、
私がなしたところと異なるものであるから、私はよしとしないのだ。

・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・伝統・第一「二宮尊徳(二宮金次郎) (72)
    → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=45

(2)伝統板・第二「二宮尊徳(二宮金次郎)①
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6457816 

(3)伝統板・第二「二宮尊徳(二宮金次郎)②
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6511555 

(4)伝統板・第二「二宮尊徳(二宮金次郎)③
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6543350

(5)伝統板・第二「二宮尊徳(二宮金次郎)④
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6592962

              ・・・

<参考Web:光明掲示板・第三「傳記 二宮尊徳」>

 <傳記 二宮尊徳 ①>
     → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=264

 <傳記 二宮尊徳 ②>
     → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=341

 <傳記 二宮尊徳 ③>
     → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=483

 <傳記 二宮尊徳 あとがき>
     → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=546


            <感謝合掌 平成28年2月8日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その2 - 伝統

2016/02/10 (Wed) 19:45:07


尊徳先生はおっしゃった。


世の学者たちは皆、草の根木の葉などを調べて、
これも食べることができる、あれも食べることができるといっているが、
私はそのような話は聞きたくない。

なぜかといえば自ら食べて、よく経験したものでなければ、とてもおぼつかない。

さらにこのような物を頼みにすれば、
凶歳の用意を自然と怠るようになり世の害となるであろう。

それよりも凶歳や飢饉の惨状がこんなにもひどいものだと述べる事が、
僧侶が地獄のありさまを絵に書いて、老婆を諭すが如く、懇々と説いてさとして、
村ごとに穀物を積み事を勧めることが勝っていることにしくはない。

だから私は草の根や木の皮を食べろとは決して言わない、

飢饉がどんなに恐ろしいか、
囲穀(かこいこく)を行わなければならない事だけを諭、囲穀を行わせることを勤めている。


            <感謝合掌 平成28年2月10日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その3 - 伝統

2016/02/12 (Fri) 19:16:05


尊徳先生がおっしゃった。


私が烏山その他に施行した飢饉の救助方法は、まず村々にさとして、
飢渇に迫られた者のうち、次のように区分させた。

老人・幼少・病身などの労働に従事できない者、
また婦女子などその日の働らきが十分にできない者を、残らず調査させ、
寺院または大きな家を借り受けて、ここに集めて男女を分けて、

30人、40人ずつ一組として、一所に世話人を1,2名を置いて、
一人について一日に白米一合ずつと定めて、

40人であれば、一度に一升の白米に水を多く入れて、粥にかしいで塩を入れ、
これを40個の椀(わん)に平等に盛って、一椀ずつ与え、また一度は同様だが、
野菜を少し交ぜて味噌を入れ、薄い雑炊とし、前と同じように盛って、一椀ずつ、かわるがわる、
朝から夕方まで一日に4度ずつと定めて、与えるのである。

そうすると一度に二勺五才の米を粥の湯になした物である。

これを与える時にねんごろに諭して言う。
おまえ達の飢渇は深く察している。
実に憐れむべき事である。

今与えたところの一椀の粥湯(かひゆ)、一日に四度に限るから、実に空腹にたえがたかろう。
しかしながら、大勢の飢えた人に十分に与える米や麦は天下にない。
このわずかな量の粥は、飢えをしのぐに足らないであろう。

実に忍びがたいであろうが、現在は国中に、米穀の売物はない。
金銀があっても米を買う事ができない世の中である。

しかるに領主君公が莫大の御仁恵をもって、倉を開かれ、お救いくださる米の粥である。
一椀なりとも、容易ならない、厚くありがたく心得て、夢々不足に思ってはならない。

また世間では、草の根や木の皮などを食べさせる事もあるけれども、これは大変よろしくない。
病気になって、救うことができず、死ぬ者も多い、大変危ない事であり、恐るべき事である。
世話人に隠れて、決して草の根や木の皮など、少しでも食べてはならない。

この一椀ずつ粥の湯は、一日に4度ずつ時を決めて、きっと与えるものである。
だから、たとえ身体は痩せても決して、餓死する患いはない。
また白米の粥であるから、病を生ずる恐れも必ずない。

新麦が熟するまでの間の事であるから、いかにもよく空腹をこらえて、
起き臥しも運動もしずかにして、なるるだけ腹が減らないようにし、
命さえ続けば、それを有り難いと心に思って、

よく空腹をこらえて、新麦の豊熟を、天地に祈って、寝たければ寝るもよし、
起たければ起きるがよい、日々何もするに及ばない。

ただ腹がへらないように運動し、空腹をこらえ、それを仕事と心得て、日を送るがよい。
新麦さえ実れば、十分に与えることができよう。

それまでの間は死にさえしなければ、有り難しとよくよく覚悟を決めて、
返す返すも草木の皮や葉などを食べてはならない。

草木の皮や葉は、毒がない物であっても腹になれないために、
多く食べ日々に食べれば、自然に毒のない物も毒となって、そのために病気を生じ、
大切な命を失う事がある。

必ず食べてはならないと、懇切に諭して空腹に馴れさせ、無病とすることこそが、
飢饉救済の最上の方法であろう。

必ずこの方法に随って、一日一合の米粥を与え、
草木の皮や葉などは、食べよと言わず、また食べさせてはならない、
これがその方法の大略である。


また身体が強壮な男女は別に方法を立てて、よくよく説きさとして、
平常5厘で買い上げる繩一房を7厘に、1銭の草鞋(わらじ)を1銭5厘で、
30銭の木綿布を40銭で買上げ、

平日15銭の日雇賃銭は、25銭ずつ払うようにすることによって、
村中の一同が憤発し勤め励んで銭を取って自らの生活を立つことができるようにすべきである。


繩、草鞋、木綿布(もめんぬの)などは、どれほどでも買取り、
仕事は協議工夫をして、どれほどでも、人夫を遣わせば、老幼男女を論ぜずることなく、
身体壮健の者は、昼は出て日雇賃を取り、夜に入っては繩をない、
沓(くつ)や草鞋(わらじ)を作るがよい、と懇々と説諭して、勤め励ますべきである。

さてその仕事は、道や橋を修理し、用水が悪い堀を浚(さら)い、溜池を掘、川の堤防を修理し、
沃土を掘出し、下田下畑に入れ、畔(あぜ)の曲ったのを真直ぐに直し、狭い田を合せて、
大きくするなど、その土地土地にあわせて、よく工夫すれば、その仕事はいくらでもあるであろう。

これが自分が10円の金を損をして、彼に50円、60円の金を得させ、
こちらで100円の金を損して、彼に400円、500円の利益を得させ、
さの村里に永世の幸福をのこし、その上美名をものこす道である。

ただ恵んで費えないだけでなく、少し恵んで、大利益を生ずる良法である。

困窮が甚しいのを救う方法は、これが一番よく、これが私が実地に施行してきた大略である。

            <感謝合掌 平成28年2月12日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その4 - 伝統

2016/02/14 (Sun) 20:08:07



尊徳先生はまたおっしゃった。


天保7年、烏山侯の依頼で、同領内に右の方法を、施行した大略は、
一村一村に諭して、極難の者のうち、労働につける者と、つけない者と、2つに分けて、

労働につけない、老人、幼子、病人など千有余人を烏山城下の天性寺という禅寺の講堂、
物置そのほかの寺院また新しくに小屋20棟を建設して、一人白米1合ずつ、
前に言った方法で、同年12月1日から翌年5月5日まで、救助した。


飢えた人々の気を晴らすために藩士の武術の稽古をここで行わせ、自由に見ることを許し、
時々空砲を鳴して憂鬱な気分を消散させた。

そのうち病気の者は自分の家に帰し、また別に病室を設けて療養させ、
5月5日に解散した時は、一人について白米3升、銭500文ずつを渡して、帰宅させた。


また労働につける達者な者には、鍬を一枚ずつ渡し、
荒地一反歩について、起返し料金3分2朱、仕付料2分2朱、
合せて一円半、外に肥し代1分を渡し、一村で共同して精出させた。

幹事になるべき者を人選し、入札で高札の者に、その世話方を申し付け、
荒田を起きかえして、植えつけさせた。
この起返した田は、一春の間に58町9反歩植えつけた。

実に天から降るように、地から湧くように、数十日のうちに荒田が変じて水田となり、
秋になってその実りはそのまま貧民食料の補いとなった。

その外、藁で編んだ靴や草鞋(わらじ)、繩などを、製造した事も莫大であって、
飢民一人もなく、安らかに相続させ、領主君公の仁政に感激して、農事に勉んだ。

大変悦ばしいことであった。

            <感謝合掌 平成28年2月14日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その5 - 伝統

2016/02/16 (Tue) 18:41:31


尊徳先生はまたおっしゃった。

上の方法はただ窮を救う良法であるだけでなく、職業を勧める良法である。

この法を施す時は、一時の窮を救うだけでなく、遊惰の者を、自然に勉強におもむかせ、
思はず知らずに職業を習い覚えさせ、習いが性と成って弱い者も強者となり、
愚者も職業になれて、幼者も繩をなう事を覚え、草鞋(わらじ)を作る事を覚え、

その外いろいろな稼ぎを覚えて、手が遊び徒らに食う者がなくなって、
人々は手を遊ばせていることを恥じ、徒らに食べるだけなのを恥じ、
各々職業に精出すように成りゆくものである。

恵んで費えないことが、窮を救うの良法である。

しかし上の方法は、これに倍する良法というべきだ。

飢饉や凶歳のときだけでなく、窮を救うことに志ある者は、深く注意しなければならない。
世間で窮を救うことに志ある者は、みだりに金や穀物を与えるのは、はなはだよくない。

なぜかといえば、人民を怠惰に導くためである。
これは恵んで費えるだけである。

恵んで費えないように、注意して行い人民をして、
憤発し勤め励むようにするを、要するのである。


            <感謝合掌 平成28年2月16日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その6 - 伝統

2016/02/18 (Thu) 19:30:30


尊徳先生はおっしゃった。


穀物を貯蔵して数十年を経て少しも損じない物は、稗(ひえ)にまさるものはない。
申し合せてなるだけ多く貯蔵するがよい。

稗を食料に用いるに、凶歳の時は糠(ぬか)を去ってはならない。
から稗一斗に小麦4,5升を入れて、水車の石臼でひいて、
絹篩(きぬふるい)にかけて、団子にして食べるとよい。
俗に餅草(もちくさ)という蓬(よもぎ)の若葉を入れると、味もよい。

稗を凶歳の食料にするには、この方法が第一である。
稗飯にするのは損である。

しかし上等の人の食料には、稗を2昼夜の間、水につけて、取り上げ蒸籠(せいろ)で蒸して、
よく干し、臼で搗いてヌカを去って、米を少し交ぜて、飯に炊く。

大いに増えるものであるから、水を余分に入れて、炊くがよい。
上等の食として用いるこの方法が一番よい。

そうであるから富裕の者も自分のためにも、多く貯蔵しておいてよい。
つとめて貯蔵するがよい。


            <感謝合掌 平成28年2月18日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その7 - 伝統

2016/02/22 (Mon) 20:42:09


尊徳先生がおっしゃった。


人の世の災害は凶歳よりはなはだしいものはない。
そして昔から、60年間に必ず一度はあると言い伝える。

さもあろう。
ただ飢饉だけではない、大洪水も大風も大地震も、
そのほか非常の災害も必ず60年間には、1度くらいは必ずあるものである。

たとえ無いとしても必ず有る物と極めて、有志者で申し合せ、金や穀物を貯蓄するがよい。

穀物を積み囲むには籾(もみ)と稗(ひえ)ともって、第一とする。
田の多い村里では籾を積み、畑の多い村里では、稗を囲うがよい。


            <感謝合掌 平成28年2月22日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その8 - 伝統

2016/02/24 (Wed) 19:19:39


尊徳先生はおっしゃった。


窮のもっとも急なものは、飢饉、凶歳よりはなはだしいものはない。
一日ものんびりとしてはならない。

これをのんびりすれば、人命に関して容易ならない事変を生ずる、
変とは何か。
暴動である。

古語に、小人窮すれば乱す、とあるとおりだ。

むなしく餓死するよりは、たとえ刑に処されても、暴動をおこして一時の飲食を十分にし、
快楽を極めて、死につかんと、富豪の家を打ち毀し、町村に火を放つなど、
言うべからざる悪事を引き起す事は、昔からあることだ。

恐れなければならない。

この暴徒・乱民は、必ずその土地の大家に当たる事は、大風が大木に当たるようなものだ。
富裕の者は、その防ぎが無くてはならない。

            <感謝合掌 平成28年2月24日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その9 - 伝統

2016/02/26 (Fri) 18:08:30


尊徳先生はおっしゃった。


天保4年同7年、両度の凶歳は7年がもっともはなはだしかった。

早春から引き続いて、季候が不順で梅雨から土用になるまで降り続き、
気候は寒冷で、冷たい雨、曇天のみで、晴日はまれであった。
晴れるかと思えば曇り、曇ると思えば雨が降る、

私は土用前から、これを心配して注意していたが、土用にさしかかって
空の気色が何となく秋めいていて、草木に触れる風も、何となく秋風めいていた。

その折よそから、新茄子が到来したのを、糠味噌につけて食べたが、自然秋茄子の味がした。

これによって意を決して、その夕方から、凶歳の用意に心を配って、
人々を諭して、その用意をさせて、その夜徹夜して書状を作って諸方に使を発して、
凶歳の用意をすぐに行うよう実行させた。

その方法は空地はもちろん、木綿(もめん)の生育した畑をつぶし、
荒地や廃地を起して、蕎麦(そば)・大根・カブラナ・ニンジンなどを、
十分に蒔きつけ粟(あわ)・稗(ひえ)大豆などすべて食料になる物を耕作培養に力を尽させ、

また穀物の売物がある時は、何ものに限らず、皆これを買い入れ、
すでに借り入れの抵当がなく貸金の証文を抵当に入れて、金を借用したり、
この飢饉の用意を行うよう諸方に通知した。

その通知をしたうち厚く信じてよく行ったのは、谷田部・茂木(もてぎ)の領村だった。
この通知を得るや、その使いの帰りと同道して、郡奉行自らが馬に鞭を打ってやって来た。

そして私(尊徳先生)に具体の方法を質問して、
急いで帰って郡奉行・代官役など、属官を率いて、村里に臨んで懇々と説諭して、
まず木綿畑をつぶし、荒地を起こし廃地を挙げ、
食料となる蕎麦や大根の類をいたるところ蒔き付けた。

寺の庭までも説諭して蕎麦・大根を蒔かせたという。

下野国真岡近郷は、真岡木綿ができる土地であるから、木綿畑がもっとも多い。
その木綿畑をつぶして、蕎麦に蒔き替えるようにと命令したのを
愚民はことの外に嘆く者があり、また苦情を鳴らす者があった。

そのため愚民に明らにするため、所々に一畝(うね)ずつ、
もっとも出来のよい木綿畑を残しておいたが、綿の実一つも結ぶことがなく、
秋になって初めて私が説いたことを信じたと聞いた。

愚民の諭しがたいことにはほとんど困却したものだ。

また秋田を刈り取った干田に、大麦を手のまわるだけ多く蒔かせ、
畑に蒔いた菜種の苗を、田に移し植えて、食料の助けにした。

凶歳の時は油断なく、手配りして食物を多く作り出さなければならない。
これが私が飢饉を救った方法の大略である。

            <感謝合掌 平成28年2月26日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その10 - 伝統

2016/02/29 (Mon) 20:32:11


尊徳先生はおっしゃった。


天保7年の12月、桜町支配下4000石の村に諭し、
家ごとに所持している米・麦や雑穀の俵数を調査した。

米はもちろん大麦・小麦、大豆・小豆、なんであっても一人について、
俵数5俵ずつの割合で、それぞれ貯えおき、
そのほか所持する俵数はそれぞれ好きにに売り出すがよい。

今ほど穀物の価格の高い事は、二度とあるまい。
誠に売るべき時はこの時である、速かに売って金とするがよい。

金が不用であれば、相当の利息で預ってつかわそう。
かつ今の節の売り出すは、平年に施すよりも功徳が多い。
どこへなりと売り出すがよい。

一人5俵の割合で、不足の者、また貯えのない者の分は、
こちらで確かに備えて置くから、安心するがよい。
決して隠して置くに及ばない。

詳細に調査して届け出るようにと言って4000石の村々の、
戸ごとの余分は売り出させ、戸ごとの不足の分は、郷蔵に積み囲い、
その余は次第に倉を開いて、烏山領を始め、皆他領他村へ出して救助した。


他の窮を救うにはまず自分の支配する村々が安心するように方法を立てて、
それから後他に及すがよい。


            <感謝合掌 平成28年2月29日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その11 - 伝統

2016/03/03 (Thu) 18:30:51


駿州(静岡県)駿東郡は、富士山の麓で、雪水かかりの土地であるため、
天保7年の飢饉は、ことさらはなはだしかった。

領主小田原侯は、この救助法を東京で尊徳先生に命ぜられ、
米や金の出費については、家老の大久保なにがしに申し付けられ、
小田原に往って受け取べし、と命ぜられた。

尊徳先生はすぐに出発し夜も歩いて、小田原に到着した。

そして、米と金を請求されたところ、家老・年寄の評議がいまだ決しない。
尊徳先生はこれを久しく待たれた。
正午になって、会議に出席の人々が皆弁当を食べて、後に議論しようということになった。


尊徳先生はおっしゃった。

飢えた民は今死に迫られている。
これを救うべきの議論は、未だ決していない。
しかるに弁当を先にして、この至急の議題を後にするとは、
公議を後にして、私を先にするものである。

今日の事は、平常の事と違い、数万の民の命に関する重大の件である。
まずこの議題を決してその後に弁当を食べるべきである。
この議題が決しなければ、たとえ夜に入っても、弁当を用いてはならない。

謹んでこの議を乞うと述られたところ、もっともであると言って、
列座の者は弁当を食べる事を止めて議論を再開した。

そして速かに用米の蔵を開くべしと定って、この趣旨を倉奉行に達した。
倉奉行はまら倉を開くには定った日があり、月に6回である。
定った日のほかに、みだりに倉を開いた例はない、と言って開かない。

また大いに議論した。
倉奉行は、家老の列座で、弁当うんぬんの論議があったという事を聞いて、
速かに倉を開かれた。

これは皆尊徳先生の至誠によるものである。


            <感謝合掌 平成28年3月3日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その12 - 伝統

2016/03/05 (Sat) 20:14:38


尊徳先生はおっしゃった。


私がこの時駿州御厨(みくりや)郷の飢民の救済事業を行っていたが、
既に米も金も尽きて方法がなくなった。

そこで郷中に諭してこう言った。

昨年の不熟は60年にまれである。
しかし、平年農業に精出して米や麦を余らせ、心掛けのよい者はさしつかえ有まい。

今飢える者は平年惰農であって、米や麦を取る事が少なく、遊楽を好んでバクチを好み、
飲酒にふけり、放蕩(ほうとう)無頼(ぶらい)の心がけのよくない者であるから、
飢えるのは天罰といってもよい。

そうであれば救わなければいいようであるけれども、コジキとなる者を見よ、
無頼悪行、これよりはなはだしく、ついにところを離れて、
乞食する者であるから、にくむべき極みである。

しかし、これをさえ憐んで、あるいは一銭を施し、或いは一握りの米や麦を施すのが、
世間で行われていることである。

今日の飢民は、これと異って、もとは一村同じ所に生れ、同じ水を飲み、
同じ風に吹かれ、吉凶葬祭ともに、助け来った因縁の浅くない者である。
どうして見捨てて救わないという道理があろうか。

今私は飢民のために、無利息十ケ年払いの金を貸し与えてこれを救おうとしている。
しかし飢えに望むほどの者は、困窮がはなはだしいから、返納はきっとできないであろう。

だから来年から、差し支えなく救いを受けなくなる者であっても、
日々乞食に施すと思って、銭10文または20文を出すがよい。
それ以下の中下のものは、銭7文また5文を出すがよい。

来年豊年であれば、天下豊になろう。
御厨(みくりや)郷のみ、乞食に施さなくても、国中の乞食が、飢える事はあるまい。
乞食に施す米銭で、彼が返納を補うならば、自ら損をしないで、飢民を救うことができよう。

これは両全の道ではないか、と諭したところ、郡中の者一同が感激して承諾した。
そこで役所から、無利子金を10ケ年賦に貸し渡して、大いに救助する事ができた。
その上に一銭の損なくて、下に一人の飢えた民もなく、安らかに飢饉を免れることができた。

この時小田原領だけで、救助した人員を、
村々から書き上げさせたところ、4万390余人であった。

            <感謝合掌 平成28年3月5日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その13 - 伝統

2016/03/08 (Tue) 18:42:24


尊徳先生はおっしゃった。


私は不幸で、14歳の時に父に別れ、16歳の折母に別れ、
所有の田んぼは、洪水のために残らず流失し、幼年の困窮・艱難は実に心魂に徹して、
骨髄に染みこんで、今日なお忘れる事ができない。

なにとぞして世を救い国を富ませよう、憂き瀬に沈む者を助けたいと思って、努め励んできた。

はからずもまた天保両度の飢饉に遭遇した。
ここにおいて心魂を砕き、身体を粉にして、ひろくこの飢饉を救おうと勤めた。

その方法は本年は季候が悪い、凶歳であろうと、
思い定めた日から、一同申し合せ、非常に勤倹を行い、
堅く飲酒を禁じ、断然百事をなげうって、その用意をなした。

その順序はまず申し合せて、空地を開いて、木綿畑をつぶして
じゃがいも、ソバ、ナタネ、大根、カブナなどの食料になる物を、蒔きつける手配りを尽して、
土用明けまでは隠元豆も遅くないから、奥手の種を求めて多く蒔かせ、
それから早稲を刈り取り、干田は耕して麦を蒔き、金銭を惜しまず、元肥を入れて土を培養し、
畑の菜種の苗を抜いて田に移し植えて、食料の助けとした。

このようにその土地土地において油断なく努めれば、意外に食料を得ることができるものだ。

凶荒のきざしがあれば油断なく食料を求める工夫を尽さなければならない。

            <感謝合掌 平成28年3月8日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その14 - 伝統

2016/03/12 (Sat) 18:58:51


尊徳先生はおっしゃった。


世の中の人は常の情として、
明日食べる物がない場合は、他に借りに行くとか、救い求めようとする心はあっても、
いよいよ明日は食べる物がないという時は、釜も膳も椀も洗おうという心がなくなってしまうという。

人情としては実にもっともではあるが、この心は困窮がその身を離れない根元である。
なぜかといえば、日々に釜を洗い、膳や椀を洗うのは明日食べるためであって、
昨日まで用いた恩のために、洗うのではない。

これは心得違いである。

たとえ明日食べる物がなくとも、釜を洗い、膳も椀も洗ひあげて餓死すべきである。
これは今日まで用い、命を繋いできた恩があるからである。
これが恩を思う道である。

この心がある者は天意に叶うために長く富を離れない。
富と貧とは、遠い隔てがあるのではない。

明日助かる事だけを思って、今日までの恩を思わないのと、
明日助かる事を思って、昨日までの恩をも忘れないという二つである。

これは大切な道理である。
よくよく心得なければならない。

仏家で、この世は仮の宿であり、来世こそが大切であると教える、
来世が大切であるのは、勿論であるが、今世を仮の宿として、軽んずるのは誤りである。

今、一草をもってこれをたとえてみよう。

草となっては、来世の実が大切であることは、無論であるが、
来世によい実を結ぶには、現世の草の時、芽立ちから努力して、露を吸い肥しを吸って
根を延ばし葉を開き、風雨をしのぎ、昼夜精気を運んで根を太らせ、枝葉を茂らせて、
いい花を開く事を、丹精しなければ、来世によい実となる事はできない。

そうであれば草の現世こそが大切である。

人もそのようで、来世がよい事を願うならば、
現世で邪念を断って身を慎んで道を踏み、善行を勤むることにある。

現世で人の道を踏まず、悪行をなした者がどうして、来世に安穏である事を得ようか、
地獄は悪事をした者の、死後にやられるところで、
極楽は善事を為した者の行くところである事は、鏡にかけて明かである。

来世の善悪は、現世の行いにある、
だから現世を大切にして、過去を思うべきである。
まずこの身はなぜ生れ出たかと、跡を振返って見る、これである。

論語にも、生を知らざれば、いずくんぞ死を知らん、という。
性は天の令命である。

身体は父母の賜物である。
その元は天地の令命と父母の丹精とに出る、
まずこの理から窮めて、天の徳に報い、父母の恩に報う行いを立てるべきである、

性に率って道を踏むことは、人の勤めである、
この勤めを励む時は、来世は願わないでも、安穏である事は疑いがない。

どうして現世を仮の宿と軽んじ、来世だけを大切とすることがあろうか。

現在に君主があり、父母があり妻子がある、
これが現世の大切な理由である。

釈尊がこれを捨て、世外に立たれたのは、衆生を済度するためである。
世を救うには、世の外に立たなければ、広く救い難いためである。

たとえば自分が坐っている畳をあげようとする時は、
外に移らなければ、あげることができないのだ。
しかるに世間では一身を善くするために、君父妻子を捨てるのは迷いである。

しかし僧侶はその法を伝えた者であるから、世外の人であるために別である。
混同してはならない。
これが君子と小人の別れるところであって、私の道の安心立命はここにある。
惑ってはならない。


            <感謝合掌 平成28年3月12日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その15 - 伝統

2016/03/15 (Tue) 18:48:58


尊徳先生がおっしゃった。


私が飢饉救済のために、
野(栃木県)常(茨城県)相(神奈川県)駿(静岡県)豆(伊豆半島)の諸村を巡行して、
見聞したときに、凶歳でも、平日精出す人の田畑は、実りがそれなりあって、
飢えに及ぶに至らない。

私の歌に

「丹精は誰(たれ)知らねどもおのづから秋の実りのまさる数々」

と詠んだとおりだ。

論語に、

苟(まこと)に仁に志さば悪なし、という。

至理である。

この道理を押すと
苟(まこと)に農業に志せば、凶歳なしと言ってよい。

また苟(まこと)に商法に志せば、不景気なしと言ってよかろう。
あなたがたもよく努めよ。

            <感謝合掌 平成28年3月15日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その16 - 伝統

2016/03/21 (Mon) 18:25:34


桜町陣屋のもとに尊徳先生の家の出入りの畳職人で、源吉という者があった。
口が達者で、才能はあったが、大酒を飲み遊惰であるために、困窮していた。
年末になって、尊徳先生のもとに来て、餅米を買う金の借用を願い出た。


尊徳先生はおっしゃった。


汝のように、年中家業を怠って勤めず、金があれば、酒を飲む者が、
正月だからといって、1年間勤苦勉励して、丹精した者と同様に、餅を食おうとするのは、
はなはだしい心得違いだ。

正月は不意に来るのではない。
米は偶然に得られるものではない。
正月は360日明け暮れして来り、米は春は耕し夏は草をかり秋は収穫して、初めて米となる、
汝春耕さず夏草をからず秋収穫しないのだから米がないのは当り前の事ではないか。

そうであれば正月だからといって、餅を食べるべき道理があるはずがない。
それに、今金を貸したとして、どのように返すつもりか。
借りて返す道が無い時は、罪人となるであろう。

正月の餅が食べたいと思えば、今日から遊惰を改め、酒を止め、
山林に入って落葉をかきあつめて、肥しをつくり、
来春になったら田を作って米を得て、来々年の正月に、餅を食うべきである。

そうであれば来年の正月は、自分の過ちを後悔して餅を食う事を止めよと、懇々と説諭された。


源吉は大いに悟るところがあり、先非を悔いて、
私は遊惰で、家業を怠り酒を飲み、それでいながら年中働いている人と同じ様に、
餅を食べて春を迎えようと思っていたのが、全くの心得違いでした。


来年の正月は、餅を食べないで過ちを後悔して年を取り、今日から遊惰を改め、酒を止め、
年が明けたら、二日から家業を初め、刻苦勉励して、来々年の正月には、
人並みに餅を搗(つ)いて祝い申すべしと言い、教訓の懇切なることを厚く謝礼して、
暇ごいをして、しおしおと門を出ていった。

その時に門人のなにがしが、密かに狂歌を口ずさんだ。

「げんこう(言行・源公)が一致ならねば年の暮畳重なるむねや苦しき」、

尊徳先生はこの時、金を握っておられて、源吉が門を出て行くを見て、にわかに呼び戻し、
私の教訓がよく腹に入ったか、

源吉は答えた。

誠に感銘いたしました。
生涯忘れれることなく、酒を止めて、努め励みます。

尊徳先生は、そこで白米一俵、餅米一俵、金一両に大根芋などを添えて与へられた。
これから源吉は生れ替ったようになって、生涯を終わったという。

尊徳先生が教え諭すのに心を尽された事はこのようであった。

この類は枚挙に暇はないが、今その一を記する。

            <感謝合掌 平成28年3月21日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その17 - 伝統

2016/03/24 (Thu) 17:33:09


尊徳先生がおっしゃった。


山の裾野や池のほとりなどのくぼんだ田畑などには太古の池や沼などが、
おのずから埋って田畑となったところがあるものだ。

ここは、すべて肥やしに富んだ土が多くあるものであるから、
尋ねて掘り出して、肥料分の少ない田や畑に入れる時は多大の利益があるものである。

これを尋ねて掘り出すときは、天に対して国に対しての勤めである。

励まなければならない。

勤めなければならない。


            <感謝合掌 平成28年3月24日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その18 - 伝統

2016/03/31 (Thu) 19:09:00


下野国のある村では、風俗が頽廃することがはなはだしかった。

葬儀の墓地が定まっておらず、あるいは山林・原野、田畑・宅地皆埋葬して忌むことを知らなかった。
数年がたつと墓を崩して豆や麦を植えて忌むことがなかった。
だから荒地の開拓、堀割りや畑の土壌回復等の工事の際に、骸骨を掘り出す事がしばしばだった。

尊徳先生はこれを見て言われた。

骸骨は腐朽しても、頭蓋骨と脛(けい)骨とは必ず残る。
なぜかといえば、頭は体の上にあって、もっとも功労の多い頭脳をおおって、
寒さや暑さを受ける事が甚しい。
脛(はぎ)は体の下にあって、身体をささげもって、功労がもっとも多い。

人もまた、世にあって功労が多いところが、亡くなった後百年その骨が朽ちない。
その理は感銘するべきだ。
あなたたちも頭や脛の骨のように、ながく朽ちないことを勤めなさい。

古歌に「滝のおとは絶えて久しく成ぬれど名こそ流れてなお聞えけれ」とある。
本朝の神聖さはもちろん、孔子や釈氏なども世を去る事3000年である。
しかし今にいたっても大成至聖文宣皇帝とか孔夫子といい、大恩教主釈迦牟尼仏という。

その人は死んで大層久しくなっているが、名こそ我が朝にまで、流れ来って、なお聞えたれだ。
感ずべきことである。

おおよそ人の勲功は、心と体との二つを骨折って成るものだ。
その骨を折ってやまない時は、必ず天の助けがある。

古語に、これを思い思いてやまざれば天これを助く、という。
これを勤め勤めてやまなければまた天がこれを助めることもあろう。
世間で心力を尽して、私なき者は必ず功を成すというのはこのためである。

今の世の中に、勲功が残って、世界の有用となるところのものは、
後世に滅することなく、人のために称讃されるところの者は
皆すべて前代の人の骨折によるものだ。

今日このように国家の富の栄盛が大きいのは、
皆前代の聖賢君子の遺された賜物であり、前代の人の骨折りである。

骨を折れや諸君、勉強せよ諸君。


            <感謝合掌 平成28年3月31日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その19 - 伝統

2016/04/02 (Sat) 17:39:33


尊徳先生はおっしゃった。


どれほど富貴となっても、家法を節倹に立てて、
贅沢になれることを厳しく禁じなければならない。
贅沢は不徳の源であって滅亡の原因である。

なぜかといえば、贅沢を欲することから、利を貪る気持ちが増長し、
慈善の心が薄いで、自然欲深くなって、吝嗇(りんしょく)に陥り、それから知らず知らず、
職業も不正になっていき、災いを生ずるものである、恐るべきことだ。


論語に、周公の才の美ありとも奢(おごり)且(か)つ吝(やぶさか)なれば、
其の余は見るに足らず、とある。

家法は節倹に立てて、自分の身はよくこれを守り、贅沢になれる事なく、
飯と汁木綿着物は身を助く、の真理を忘れてはならない。

何事も習(ならい)性となりなれて常となることは、仕方がないものである。
遊楽になれれば面白い事もなくなり、うまい物になれればうまい物もなくなる。
これは自ら自分の歓楽をも減ずるのである。

日々勤労する者は、月の1日、15日の休日も楽みである。
盆・正月は大いなる楽みである。
これは平日、勤労になれているためである。

この理を明らかにわきまえて滅亡の原因を断ち去るべきである。

かつ若い者は、酒を飲むのも、煙草を吸うのも、月に四、五度に限って、
酒好きとなってはならない。煙草好きとなってはならない。

なれて好きとなって、癖となっては生涯の損害が大きい。

慎むがよい。


            <感謝合掌 平成28年4月2日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その20 - 伝統

2016/04/05 (Tue) 19:13:24


尊徳先生はおっしゃった。


「大学」に、「仁者は財(ざい)を以て身を起(おこ)す」といっているのはよいが、
「不仁者は身を以て財を起す」と言っているところはいかがか。

志がある者とであっても、仁心がある者であっても、
親から譲られた財産がない者は、身をもって働いて財をおこすことこそが道であろう。

志があっても、財産がないことをどうしよう。
俳句に「夕立や知らぬ人にももやひ傘」という句がある。
これが仁心のめばえである。

身をもって働いて財産を起しながらも、この志があれば、不仁者とはいうことはできない。
身をもって働いて財を起すは貧者の道である。
財をもって身を起すは富者の道である。

貧乏人は身をもって財を起して富を得、
なお財をもって財を起さば、その時こそ不仁者といえるであろう。

善をなさなければ、善人とはいえない。
悪をなさなければ、悪人とはいえない。
そうであれば不仁をなさなければ、不仁者とはいえない。

どうして身をもって財を起す者を、一概に不仁者といえようか。

だから私は常に聖人は、お大尽(おだいじん)であるというのだ。
お大尽は袋の中に自ら銭があると思っている。
自ら銭ある袋など決してあるはずがない。
このような話は皆お大尽の言葉である。

また「人あれば土あり」ともある。
本来をいえば、土あれば人ありである事は明白である。

しかるを、人あれば土ありという土は、肥料の十分な耕土を指している。
烈公の詩に「土有て土なし常陸の土、人有て人なし水府の人」
とある、この意味である。


            <感謝合掌 平成28年4月5日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その21 - 伝統

2016/04/09 (Sat) 19:06:54


硯箱の墨(すみ)が曲っていた。

尊徳先生はこれを見ておっしゃった。

すべて物事をとる者は、心を正平に持もとうと、心がけるべきである。

たとえばこの墨のようなものだ。
誰も曲げようと思って墨をする者はいないけれども、
手の力が自然に傾くためにこのように曲るのである。

今これを直そうとしゆおとしても、容易に直すことはできない。
百事その通りであって、喜怒愛憎の情ともに、自然に傾くものである。

傾けば曲るであろう、よく心がけて心を正平に持つようにしなさい。

            <感謝合掌 平成28年4月9日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その22 - 伝統

2016/04/12 (Tue) 19:19:38


ある人が尊徳先生に質問した。
論語に「三年父の道を改めざるを孝と為す」とあります。
しかし、父の道が不善であるならば、改めないわけにはいきません。


尊徳先生がおっしゃった。

父の道が誠に不善であるならば、生前によくよく諫(いさ)め、
また他に依頼しても、改めさせるべきである。

生前諫(いさ)めて改まるにまでに及ばなかった場合は、
不善ではあるが、不善と言うほどの事にはあたるまいことは明らかである。

しかるを、父が没するを待って改めるは、不孝でなくて何というか。
没後速かに改ようとするのなら、どうして生前に諫(いさめ)て改めさせなかったのか、
生前に諫(いさめ)ず改める事もしないで、どうして父が没するを待って改めるという理があろうか。

            <感謝合掌 平成28年4月12日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その23 - 伝統

2016/04/14 (Thu) 18:27:46


尊徳先生がおっしゃられた。

大久保忠隣(ただちか)君は、小田原城を拝領した時、家臣がいさめて言った。

当城は北条家が築建した城で、代々の居城ですから拝領いたされたといっても、
当城守護とおぼしめされて、本丸の住居は、ご遠慮あってもよいと思われます。
拝領したとおぼしめすときは、おんためにならないかと思われます。

それに城の内外ともに、お手入れされることなく、まずはそのままに置かれたほうが
よろしいかと思われますと献言したが、忠隣君は剛強の性質だから、たとえ北条の居城であったにしても、
築建したにせよ、今この忠隣が拝領したものである。

本丸を住居として、どうしていけないことがあろうか。
城の修理何のはばかることがあろうかと、聴き入れなかった。

その後行き違いがあって、改易の命令が下った。
これは嫌疑によるものであったが、もとはと言えば気質が剛強に過ぎて、
遠慮が無いことから起こったことである。

熊本城にも本丸は住居がなく、水戸城も佐竹丸は住居がないと聞いた。
何事にもこの理がある。
心得ておかなくてはならない。


            <感謝合掌 平成28年4月14日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その24 - 伝統

2016/04/19 (Tue) 19:20:55


尊徳先生がおっしゃった、


およそ物は一得があれば一失があるのは世の常である。

人の衣服においても大変わずらわしい。
夏は暑いといっては冬は寒いといっては、
糸を引きはたを織り、裁縫しすすぎ洗濯するなど、常に休む時がない。

鳥・けものがおのずから羽毛があって、寒さや暑さをしのぎ、生涯損ずることがない。

染なくても彩色があり、世話がいらないようだが、
蚤や虱(しらみ)、羽虫などが羽毛の間に生じ、これを追うのに、

また忙しいのを見れば、人の衣服は脱いだり着たりが自在であって、
すすぎ洗濯が自由であるのことに及ばない。

世の中で他をうらやむ類は、おおよそこのようなものである。

            <感謝合掌 平成28年4月19日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その25 - 伝統

2016/04/22 (Fri) 19:15:32


ある人が日光温泉に入浴した。

山中他邦の魚鳥を食べる事を禁じて、山中の魚鳥を殺すことを禁じない。
他の神山霊地などは境内に近い沼地や山林にて、魚鳥を殺すことを禁ずる、
これは包丁を使うところを遠ざけるの意味で、
耳目の及ぶ所で、生きものを殺すことを忌むのである。

日光温泉の制は、これに反対である。
山中の殺生を禁ぜないで、他境の魚鳥を殺すことを禁ずる、これは山神の意志である。
この理あるはずがないと言った。


尊徳先生はおっしゃった。

仏者は殺生戒を説くけれども、実は不都合のものである。
天地は死物ではない、万物もまた死物ではない。
このような生の世界に生れて殺生戒を立てる。

何をもって生を保とうか。
生を保つということは、生物を食べることによっている。
死物を食べてどうして生を保つ事ができようか。

人は皆、動物や虫・魚・鳥など動くものを殺すことを殺生といって、
草や木や果実や穀物を殺すことも、殺生であることを知らない、

飛ぶものや動くものを生といい、草や木や果実や穀物を生物ではないとするのか、
鳥獣を屠殺することを殺生といい、菓実や穀物を煮ることを殺生ではないとするのか、

そうであれば木食行者(木の実などを食べて修行する修験僧)といえども、
秋山の落葉を食べて生を保つことができましょうか、

そうであれば殺生戒といっても、ただ自分と類の近い物を殺すことを戒めて、
類を異にする物を戒めなければ、不都合なものである。
そうであれば殺生戒とはいうことはできない、殺類戒といってよいものである。

およそ人道は私に立てたものであるから、
その至るところを推し窮める時は皆この類いである。
日光の制をあやしむにたりない。

そして日光温泉は深山である。
深山などには往古の遺法が残るものであるから、私に立てた往古の遺法であろう。

かつ深山は食に乏しい、四境が通じているところと同じでないから、
昔から食物を得ることを善としたことから、このような事になったのであろう、
あやしむにたりない。


            <感謝合掌 平成28年4月22日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その26 - 伝統

2016/04/24 (Sun) 19:14:43


尊徳先生がおっしゃった。


学者は書を講ずることは詳しいけれども、活用する事を知らない。

いたずらに仁は何々、義は何々というだけである。
だから社会の用をなさない。
ただ、本読みであって、坊主が誦経(ずきょう)するのと同じだ。

古語に、
権量(けんりやう)を謹(つつし)み法度を審(つまびらか)にす、
とある。

これは、大切な事である。
これを天下の事とだけ思うから用をなさないのだ。

天下の事などは差しおいて、それぞれ自分の家の権量(けんりやう)を謹(つつし)み、
法度を審(つまびらか)にするこそが肝要である。
これが、道徳・経済の元である。

家々の権量とは、農家であれば家株田畑、何町何反歩、
この収穫が何拾円と取り調べて分限を定め、
商法家であれば前年の売上金を取り調べて、本年の身の丈にあった予算を立てる。

これが、自分の家の権量、自分の家の法度である。
これを調べ、これを慎んで越えないことこそ、家を斉える元である。
家に権量なく法度がなければ、よく久しく保つことができようか。

            <感謝合掌 平成28年4月24日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その27 - 伝統

2016/04/27 (Wed) 20:35:21


ある老中の家臣が、市中で横暴な行いをした。
横山平太がこれをそしった。

尊徳先生がおっしゃった。


執政(老中)は政治の出るところで、国家を正しくして、不正を無くする職である。
その召使いが老中の威をかり、不正を行う者が往々にしてある。

たとえば町奉行の召使たちが、両国や浅草などに出ては、
俺のハッピを見ろなどと罵るのに同じだ。

国を正しくする者が、家を正しくする事ができないようであるが、
これは家政が行き届かないのではない、勢いの然らしむるものなのだ。

かの河水を見てみよ、
水が低いところに下る勢いは、政治が国家に行はれて命令を伝達するより速かである。
そして水流が急で、あるいは岩石に当り、石倉に当るところで、
急流が変じて逆流となるものである。

老中の権威は、たとえば急流の水勢いを防ぐことができないのと同じだ。
召使いなどで法を犯す者があるのは、急流が当る処が逆流となるようなものだ。

これは自然にそうならざるをえないものである。とがめてはならない。


            <感謝合掌 平成28年4月27日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その28 - 伝統

2016/05/03 (Tue) 18:41:14


尊徳先生は、時折仕事が終わった後、疲れを癒すために酒を用いられた。

そしてこうおっしゃった。

「銘々酒量に応じて、大・中・小適当な盃を取って、各々自分の盃で自分で酌をするがよい。
献酬(けんしゅう:杯のやりとり)をしてはならない。
宴会を開くのではない、ただ勤労の疲れを補うためであるからだ」と。

ある人が言った。

私たちの報徳社の集いもこれを酒宴の規則といたしましょう。

            <感謝合掌 平成28年5月3日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その29 - 伝統

2016/05/06 (Fri) 17:17:58


尊徳先生がおっしゃった。

九の字に一点を加えて、丸の字を作れるといういうことは面白い。
○はすなわち十である。十はすなわち一である。

「元日やうしろに近き大みそか」という俳句がある。
またこの意味であろう。

禅語にこの類の語が多い。
この句は「うしろに近き」を「うしろを見れば」とすれば、一層面白いといえようか。


            <感謝合掌 平成28年5月6日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その30 - 伝統

2016/05/10 (Tue) 18:32:16


尊徳先生はおっしゃった。


世の人は皆、聖人は無欲と思っているがそうではない。
実際は大欲であって、その大は正大である。

賢人がこれに次ぎ、君子は賢人に次ぐ。
凡夫のごときは、小欲のもっとも小なるものである。

学問というものは、この小欲を正大に導く方法をいうのだ。

大欲とは何か。
万民の衣・食・住を充足させ、人身に大福を集める事を欲するのである。

その方法は、国を開いて物を開き、国家を経営し、人民を救い助けることにある。
だから聖人の道を推し窮める時は、国家を経営して、社会の幸福を増進するのにあるのだ。

大学・中庸等にその意味が明かに見えている。
その欲するところがどうして正大でなくてよかろうか。
よくよく思うがよい。


            <感謝合掌 平成28年5月10日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その31 - 伝統

2016/05/14 (Sat) 17:04:34


ある門人が居眠りの癖があった。

尊徳先生がおっしゃった。


人の性は仁・義・礼・智である。
非常に愚かであっても、この性のない事はない。

そうであれば、あなた方も必ずこの性があり、智が無いことはない。
しかる無智であるのは磨かないからである。

まず道理の片はしでも、わきまえたい覚えたいと、願う心を起こさなければならない。
これを願を立てるという。
この願を立てる時は、人の話を聞いて居眠りはできないであろう。

仁・義・礼・智を家にたとえるならば、仁は棟木であり、義ははりであり、
礼は柱であり、智は土台である。
家を説明するには、棟木・はり・柱・土台というのがよい。

家を作るには、まず土台を据えて柱を立て、はりを組んで棟木を上げるようにし、
説明するときは、仁・義・礼・智というのだ。
これを実行するには、智・礼・義・仁と次第に行うのであり、
まず智を磨いて礼を行い義を踏んで仁に進むべきである。

だから大学には、智を致すのを初歩とするとある。
瓦(かはら)は磨いても玉にはならない。
しかし幾分かの光を生じ、かつ滑らかにはなる。
これが学びの徳である。

また無智の者はよく心がけて、馬鹿なる事を行わないようにするべきである。
生れつき馬鹿であっても、馬鹿な事をさえしなければ馬鹿ではない。

智者であっても、馬鹿なる事をすれば馬鹿といえる。


            <感謝合掌 平成28年5月14日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その32 - 伝統

2016/05/17 (Tue) 17:23:47


ある村の名主が横領をしたということで、
村中が寄り集って、口が達者な者に依頼して、出訴しようと騒ぎ立てていた。

尊徳先生は、その村の主だった者2、3人を呼んでおっしゃった。


「横領はいかほどか。」

村人は答えた。
「米200俵余りです。」

尊徳先生はおっしゃった。

200俵の米は少いとはいえないが、これを金に替える時は80円である。
村民90余戸に割る時は1戸90銭に足らない。
村高で割る時には1石に8銭である。

さらに、名主や組頭などは持高が多い。
ほかの10石以上の所有者は30戸であろう。
その他は3石、5石で無高の者もあるであろう。
この者にいたっては取る物もなく、たとえ有ったとしても、僅かな金である。

しかるにこのように騒ぎ立てるのは大損ではないか。

この件は確証があるといっても、地頭の用役に関係があると聞けば、容易には勝ち難い。

たとえよく勝訴したとしても、入費は莫大となる。
寄合いのため時間を潰し、かつ銘々がそれぞれの損までを計算するならば、大損は眼前である。
なぜならば、まだ出訴しないのに数度の寄合い、下調べなどのため費やした金は少くない。

かつ彼は昔からの名主である。
これを辞めさせて、跡に名主にするべき人物は誰となるか。
私が見渡すところ、これと指す者は見えない、よくよく考えなければいけないところだ。

そうであれば今後横領のできないように厳しく方法を設け、
全て通い帳で取り立て、役場の帳簿法を改正してやろう。
願わくは名主もそのままにおいたほうがよかろう。

そのままに置くならば、給料を半分に減らし、半分を村へ出させるがよ。
横領した米の償いの方法は、私に別の工夫がある。

字某の荒れ地は、〇〇のところから水を引けば田となるであろう。
この地を一村の共有地とすれば、二町歩ほどは良田となる。
これを開拓してつかわすから、一同出訴を止めて、賃銭を取るがいい。

その上寄り合いをする時間で、共同で耕作すれば、秋には7,80俵の米は受け合いである。
来年の秋には8,90俵、来々年は100俵を得るであろう。
三ヶ年間は一同で分け取って、4年目から開拓料を返済するがよい。

返済が皆済んだ上は、一村永安の土台の田地として法を立てるがよいと、
懇々説諭された。

村民一同も了承したという報告があった。


尊徳先生は自ら集会場に臨まれて、
説諭に服したことを賞讃され、酒と肴(さかな)を与えられた。

さらにその開拓は明朝の朝早くから取り掛る、賃銭はいくらずつ払おう、
遅参してはならないと告られた。

一同拝んで感謝し悦んで退散した。

名主も5ヶ年の間、無給で精勤いたしますと言い出した。

尊徳先生はおっしゃった。

一村にとっての大難を僅かの金で買い得った。安い物である。
このような災難があるときは、あなた方も早く買い取るがよい。

一村が修羅場に陥るところを一挙に、安楽国(極楽世界)に引き止めることができた。
お寺の大和尚の功徳にも勝るであろうと、喜こばれた。

尊徳先生が、お金員を投じ、無利子金を貸与して、騒動を解決したことは数えきれない。
今その一つを記するところである。

            <感謝合掌 平成28年5月17日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その33 - 伝統

2016/05/20 (Fri) 18:59:24


尊徳先生がおっしゃった。


あなたがたも勤め励みなさい。
今日永代橋の橋の上から眺めていたら、肥取船に川の水を汲み入れて、肥しを増やしていた。
人々がもっとも嫌う肥しを取るだけでなく、このような汚物でさえ、
増やせば利益がある世の中である。

なんと面白いものではないか。

おおよそ万物は不浄に極まれば、必ず清浄に帰り、清浄が極まれば不浄に帰る、
寒さや暑さ、昼や夜のめぐり転じて止まないのと同じで、これは天理である。
物は皆そうである。

そうであれば世の中に無用の物というものはない。
農業は不浄をもって、清浄に替える妙術ではないか。

人は馴れて何とも思わないだけだ。
よく考えればまことに妙術といえるであろう。
尊ぶべきである。

私の方法もまた同じである。
荒地を熟田に帰し、借財を無借とさせ、貧を富になし、
苦を楽になす方法であるからである。


            <感謝合掌 平成28年5月20日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その34 - 伝統

2016/05/22 (Sun) 18:47:12

ある人が言った。

親鸞上人は末世の比丘(びく)が戒行を持ち難いことを洞察して肉食妻帯を許した、
これは卓見というべきではありませんか。


尊徳先生はおっしゃった。


恐らくはそうではあるまい。
私は仏道は知らないが、これを譬えるならば、田んばの用水堰のような物であろう。
用水堰は、米を作るべき地をつぶして水路としたものだ。

そのように人が欲するところをつぶして法の水路となして、
衆生を済度しようとする教えである事は明かである。

人は男女が有って相続するものであるから男女の道は天理自然であるけれども、
法の水を流すために、男女の欲をつぶして堰路となしたのだ。

肉身であるから肉食をするのも、天理であるけれども、
この欲をもつぶして法水の堰路としたのだ。

男女の欲を捨てれば、惜しい欲しいの欲念も、憎い可愛いの妄念も、
皆これにしたがって消滅するであろう。
これは人情として捨て難い物を捨てて、堰代となすからこそ、法の水は流れるのである。

そうであれば肉食妻帯しないところを流伝して、仏法は万世に伝わる物となったのである。
仏法の流伝するところは、肉食妻帯しないところにあるというべきだ。

それを肉食妻帯を許して法を伝えようとするは、
水路をつぶして、稲を植えようとするようなものだと、私はひそかに恐れている。

            <感謝合掌 平成28年5月22日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その35 - 伝統

2016/05/26 (Thu) 18:13:25


ある人が言った。

毛利元就が言うに、
百事思っても半分も、成就しないものである。
中国地方の主となろうと思って、ようやく一国の主となり、
天下の主となろうと願って、ようやく中国地方の主となるであろうと。
実にそのとおりかと思われます。


尊徳先生がおっしゃった。

理はあるいはそうかもしれない。
しかしながら、これは乱世のときの大将の志であった、
私の報徳の教えにおいては称しないところである。

舜や禹が帝王たるや、その帝王になる事を願わず、
ただ一生懸命に勤めるべき事を、勤めただけである。

親につかえては、親のために尽し、君につかえては、君のために尽し、
農業、漁業、皆その事について尽してきただけである。

舜が歴山にあって農に励んだとき、禹が舜につかえるとき、
どうして帝王である事を願ってそのようにしたであろうか。
自分の身があること忘れて、ただ君や親のある事を知るだけであった。
古書に舜・禹の事を述べるを、見て知るべきである。

このようにならなければ、一家一村といえども、
人々を心から喜ばせる事は難しく、平らかに治める事は難しい。

たとえば、家を取る事を願って、家を取り、村長となる事を願って、村長となるの類は、
その家その村を必ずや治めることはできない。

なぜかといえば、このようにしようと欲してなせば、
謀りごとやたくらみごとを用いるからである。

謀りごとやたくらみごとは、人民の恨みが集まるところであるから、
いったん勢いに乗じて智力を用い、これをなすといえども、
どうしてよく久しく保つことができようか。

どうしてよく平らかに治めることができようか。

これは私の説く報徳の教えでは戒めるところである。

東照公は国を治め民を安んずることが天理である事を知って、
一生懸命に勤めたとおおせられた。
乱世であってもこのようである。
敬服しないでいられない。

富商の番頭は、忠実をその主家に尽して、ついに婿となって、その家の主人となる者が多い。
商人の家で家を愛する事は、堯・舜が天下を愛するようである、だからそのようにするのだ。


            <感謝合掌 平成28年5月26日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その36 - 伝統

2016/05/30 (Mon) 18:24:59


尊徳先生がおっしゃった。

論語に、
哀公問うて曰く、
年饑えて用足らず、これをいかん、


こたえて曰く、何ぞ徹(てつ)せざるや、

曰く、二にして吾なお足らず、これをいかんぞそれ徹(てつ)せん、


こたえて曰く、
百姓足らば君誰と共にか足らざらん、百姓足らずんば君誰と共に足らん、とある。


これはなかなか理解しがたい理である。
これをたとえると
鉢植えの松に養いが足りず、今にも枯れようとしている、これをどうしようかと問う時、
どうして枝を切らないのかと答えたのと同じだ。


また問う、このままでも枯れようとしている、どうして枝を切るのか、と。
根が枯れれば、木は共に枯れるしかないではないか、と答えたようなものだ。
これは実に疑いようもない問答である。

日本は60余州の大きな鉢である。
大きいけれどもこの鉢の松に、養いが足らない時は、無用の枝葉を切りすかすほかに道はない。

人の身代も、銘々一つずつの小鉢である。
暮し方が不足すれば、速かに枝葉を切り捨てるべきである。

この時にこれは先祖代々のしきたりである、家風である、
これは親が心を用いて、建てた別荘である、
これはことに大切にされていた物品であるなどと言って、

無用の枝葉を切り捨てる事を知らなければ、たちまちに枯気づいてしまう物である。

既に枯気づいては、枝葉を切り捨てても、間に合わない。


これは富裕の者の子孫が心得るべき事である。

            <感謝合掌 平成28年5月30日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その37 - 伝統

2016/06/01 (Wed) 20:16:12


尊徳先生がおっしゃった。

村里で衰廃したものを挙げるには、資本を投じなければ、進まないものだ。
資本を投ずるに道がある。
受ける者がその恩に感じなければ、益はない。

天下は広い、善人も少くはない。
しかしながら、汚俗を洗い、廃村を起すに足らないのは、皆その道を得ないからである。

およそその村の長たる者や幹部である者は、必ずその村の富者である。
たとえ善人であってよく施したとしても、
自分が贅沢にいては、受ける者は、その恩を恩としない。

ただその贅沢を羨んで、自らの贅沢を止めないで、分限を忘れるという過ちを改めない。
だから益がないのだ。


このため村長は自ら謙遜してほこらず、節約して贅沢をせず、
慎しんでその分限を守って、その余財を推し譲って、
村の害を除いて、村の益を起し、

困窮を補う時は、その誠意に感じて、贅沢を欲するの念も、富貴をうらやむ念も、
救ってもらおうとか税を免除してもらおうと欲するの念も、皆散じて、勤労を厭わず、

粗末な服や粗末な食を厭わなくなり、分限を越すという過ちを恥じ、
分限の内にするのを楽しみとする、

このようでなければ、廃村を興し、汚俗を一洗するに足らないのである。

            <感謝合掌 平成28年6月1日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その38 - 伝統

2016/06/06 (Mon) 18:55:34


尊徳先生はおっしゃった。

己に克ちて礼に復れば天下仁に帰す、と論語に言う。

これが道の大意である。

人が自分勝手だけを行わないで、私欲を去って、分限をへりくだって、
有余を譲る道を行う時には、村長であれば一村が服しよう、
国王であれば一国が服しよう、
また馬士(まご)ならば馬は肥えよう、菊作りであれば菊栄えよう、

釈尊は王子であるけれども、王位を捨てて鉄鉢一つと定めたからこそ、
今このように天下に充満し、賎しい山男でも、尊び信ずるに至っているのだ。

すなわち私が説く所の、分を譲る道が偉大なところである。

己に克つの功から、天下がこれに帰するのだ。
およそ人の長である者が、どうしてこの道に依らないことがあろうか。

だから私は常に言うのだ。

長及び富裕の者は、常に粗末な服を用いるだけでも、その功徳は無量である。
衆人の羨む念を断つからである。

ましてや分限を引き去って、よく譲る者はなおさらである。


            <感謝合掌 平成28年6月6日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その39 - 伝統

2016/06/09 (Thu) 17:25:18


伊藤発身が言った。

尊徳先生の病気が重くなった。
門人が左右にあった。

尊徳先生がおっしゃった。


私の死期も近いことであろう。
私を葬むるのに分を越えてはならない。
墓石を立ててはならない、碑を立ててはならない、
ただ土を盛り上げてその傍らに松か杉を一本植えて置けば、それだけでよろしい。

必ず私の遺言に違ってはならない、と。

忌が明けるに及んで遺言に随うべきだという者があり、
また遺言があったとしてもこのようなことは弟子として忍びないところであるから、
分に応じて墓石を立てるべきだとと言う者があり、議論がまちまちであった。

ついに墓石を建てたのは、未亡人の意志に賛成する者が多いのに随ったのである。


            <感謝合掌 平成28年6月9日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その40 - 伝統

2016/06/13 (Mon) 18:36:09


尊徳先生はおっしゃった。

仏教では、この世は仮の宿であって、来世こそが大切であるというが、
現在君や親があり、妻や子があるをどうしよう。

たとえ出家遁世して、君親を捨て妻子を捨てるも、この身体あるをどうしよう。
身体があれば食と衣との二つがなければしのがれない。
船賃がなければ、海も川も渡ることができない世の中である。

だから西行の歌に
「捨てはてて身は無き物と思へども雪の降る日は寒くこそあれ」という。
これが実際の情である。

儒道では、礼に非れば、視る事なかれ、聴く事なかれ、言う事なかれ、動く事なかれ、
と教えるけれども、通常あなたがたが行う上にてはこれでは役に立たない。

だから私は自分のためになるか、人のためになるかでなければ、
視る事なかれ、聴く事なかれ、言う事なかれ、動く事なかれと教えるのだ。

自分のためにも、人のためにもならない事は儒教の書にあっても、仏教の経文にあっても、
私は取らない、
だから私が説くところは、神道にも儒道にも仏道にも、違う事があるであろう。

これは私の説くところが間違っているのではない、よくよく玩味してみるがよい。

            <感謝合掌 平成28年6月13日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その41 - 伝統

2016/06/15 (Wed) 19:38:06


尊徳先生が山林に入って材木を検査された。
挽(ひ)き割った材木の真が曲っているのを指して、さとしておっしゃった。

この木の真は、すなわちいわゆる天性である。
天性がこのように曲っていても、曲った内の方へは肉が多くついて、
外へは肉が少くついて、生育するにしたがっておおよそまっすぐな木となった。

これは空気に押されるためである。
人間もまた世間の法に押されて、生れ付きをあらわさないのと同じだ。

だから、材木を取るには、木の真を出さないようにに墨をかけるのである。
真を出す時には、必ずそって曲る物である。

だから上手な大工が、材木を取るように、
よく人の性をあらわさないようにすれば、世の中の人は、皆役にたつであろう。

真をあらわさないようにするとは、
ずるがしこい人もずるがしこさをあらわさず、腹黒いも腹黒さをあらわさないように、

真を包んで、そのまっすぐなところを柱とし、曲ったのを梁(はり)とし、
太いのは土台とし、細いのは桁(けた)とし、
美しいのは目につくところの材料に用いて残す事がない。

人を用いるのも、またこのようにすれば棟梁の器といえるであろう。

また山林をしたてるには、苗を多く植えるがよい。
苗木が茂れば、とも育ちで生育が早い。

育つに随って木の善悪を見て抜き切りすれば、山中すべて良材となるものである。

この抜き切りにも心得がある。
衆木にぬきんでて長育したのと、衆木に後れて育たないのとを切り取るのである。

世の人は育たない木を切る事を知って、衆木に勝れて育つ木を切る事を知らない。
たとえ知っていても、切る事ができないものである。

かつこの抜き切りが手後れにならないように、早く伐り取ることが肝要である。
後れれば大いに害がある。
一反歩に400本あれば、300本に抜いて、また200本に抜いて、
大木になればまた抜き去るがよい。

            <感謝合掌 平成28年6月15日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その42 - 伝統

2016/06/17 (Fri) 18:21:43


尊徳先生はおっしゃった。

天地は一物であるから、日も月も一つである。
そうであれば至道が二つあるはずがない。
至理は万国同じはずである。

ただ理の窮めないのと尽していないのがあるだけである。
そうであるのに諸道が各々道を異にして、互いに争うのは各
区域を狭く垣根を結び回って、互いに隔てているからだ。

ともに三界城内に立ちこもっている、迷者といってよい。

この垣根を見破って後に始めて道は談ずることができる、
この垣根の内に籠っている論は、聞くも益がなく、説くも益がない。

            <感謝合掌 平成28年6月17日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その43 - 伝統

2016/06/23 (Thu) 19:56:21


尊徳先生がおっしゃった。


老子や仏の道は高尚である。
たとえて言えば、日光箱根等の山岳の高くそびえたっているようなものだ。

雲や水の景色は愛することができ、風景は楽しむことができるといっても、
人民のためには功用が少ない。

私の道は平地村落の野鄙(やひ)であるようなものだ。

風景は愛するようなものでなく、雲や水は楽しむようなものはないといっても、
穀物が湧き出るから国家の富の源はここにあるのだ。

僧侶が清浄であるのは、たとえば海浜の砂のようなものだ。
報徳を実践する人は泥沼のようなものだ。

しかしながら蓮花は浜の砂には生ぜないで、汚泥に生ずる。
大名の城が立派であるのも市中のにぎやかなのも、財源は村落にある。

これをもって至道は卑近にあって、高遠にはなく、実徳は卑近にあって、高遠にはない、
卑近は決して卑近ではない道理を悟るがよい。

            <感謝合掌 平成28年6月23日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その44 - 伝統

2016/06/26 (Sun) 19:33:38


尊徳先生はおっしゃった。


私は久しく考えて、神道は何を道とし、何に長じて何に短であるか、
儒道は何を教えとし、何に長じ何に短であるか、
仏教は何を宗として、何に長じ何に短であるか、と考えるに皆互いに長短がある。

私の歌に
「世の中は捨て足代木(あじろぎ)の丈(たけ)くらべそれこれともに長し短し」
と詠ったのは、慨歎にたえないからである。

だから今それぞれの道の専らとするところを言うならば、
神道は開国の道であり、儒学は治国の道であり、仏教は治心の道であるといえよう。

だから私は高尚を尊ばず、卑近を厭わず、この三道の正味だけを取ったのだ。

正味とは人間界に必要なことをいう。
必要なところを取って、必要でないところを捨てて、人間界において無上の教えを立てた。
これを報徳教という。

たわむれに名づけて、神儒仏正味一粒丸という。

その功能の広大である事は、数えあげることができない。

だから国に用いれば国の病いが癒え、
家に用いれば家の病いが癒え、
そのほか荒地が多いのを憂える者が、服用すれば開拓ができ、

負債が多いことを憂える者が服用すれば返済ができ、
資本がないことを憂える者が服用すれば資本を得、
家がないことを憂える者が服用すれば家を得ることができ、

農具がないのを憂える者が服用すれば農具を得、
その他貧窮病や贅沢病、放蕩病、無頼病、遊惰病、
すべて服用して癒えないという事がない。


衣笠兵太夫が、神儒仏三味の分量を問うた。

尊徳先生がおっしゃった。

神一さじ、儒仏半さじずつであると。


ある人が傍らにいて、これ図にして、三味分量はこのようですかと問うた。

尊徳先生は一笑されておっしゃった。

世間にこの寄せ物のような丸薬があろうか。
既に丸薬というならば、よく混和して、更に何物とも、分らないようになっているものだ。

このようでなければ、口の中に入って舌に障りがあり、腹の中に入って腹の具合が悪いであろう。

よくよく混和して何品とも分らないようになっている必要がある、ハハハ。


            <感謝合掌 平成28年6月26日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その45 - 伝統

2016/06/30 (Thu) 17:40:16


ある人が問うて言った。
因果と天命との差別は何でしょか。

尊徳先生はおっしゃった。

因果の道理がもっとも見やすいのは、蒔いた種が生育することである。
だから私は人にさとすのに
「米蒔けば米の草生え米の花咲きつつ米の実のる世の中」の歌をもってするのだ。

仏は、種に因って生ずる方から見て、因果という。

しかしながらこれを地に蒔かなければ生じない。
蒔いても、天気で日の光を受けなければ育たない。
そうであれば種があっても、天地の令命によらなければ生育しない。
花が咲いて実らない。

儒は、この方から見て天命というのだ。
天命というのは、天の下知(げち)というようなものだ。

悪人が刑を免れたのを見て、仏は因縁未だ熟せずといい、儒は天命未だ降らずという。
皆米を蒔いて未だ実らざるをいうのだ。

悪人が捕縛につくのを見て、仏は因縁熟せりといい、儒は天命到れりという。

そしてこれを捕縛する者は上意(じょうい)という。
この上意はすなわち天命というのと同じだ。

借りた物を約束の通り返すのは、世の中の通則である。
そうであれば規則の通りふむべきであるのは定理であるのを、
履まない時は、貸した方はこれを請求して、上命をもってこの規則を履ませるという、
ここに至って身代限りとなる、

仏はこれを見て、借りた因によって、身代限りとなるのは果であるといい、
儒は借りて返さないために身代限りの上命が降ったというのである。

ともに言語上にいくらかの違いがあるだけだ。
その理においては違いはない。

またある人が問うた。

因縁とは何ですか。

尊徳先生がおっしゃった。

因はたとえば蒔いた種である。これを耕耘培養するのが縁である。
種を蒔いた因と、培養する縁とによって、秋の実りを得る、これを果というのだ。

            <感謝合掌 平成28年6月30日 頓首再拝>

二宮翁夜話 巻之五~その46 - 伝統

2016/07/04 (Mon) 18:11:52


尊徳先生がおっしゃった。

昔、堯帝(ぎょうてい)は、国を愛する事が厚かった。
刻苦励精して国家を治められた。

人民は歌って言った。
井戸を掘って飲み、田を耕して食べる、帝の力が何が私と関係があろうか。
堯帝はこれを聞いて大変喜ばれたとある。

常人であれば、人民は恩を知らないと怒るところを、
帝の力が何が私と関係があろうかと、歌うのを聞いて喜んだというのは、
堯の堯であるゆえんである。

私の道は、堯や舜もこれを病んだ、という大道の一つである。

そうであれば私の道に従事して、刻苦勉励、国を起し村を起し、
困窮を救う事が有る時も、必ず人民は報徳の力、何が私に関係があろうかと歌うべきである。

この時これを聞いて、喜ぶ者でなければ、私のともがらではない。

謹しみなさい謹しみなさい。

            <感謝合掌 平成28年7月4日 頓首再拝>

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