伝統板・第二

2472956
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

- 伝統

2016/02/04 (Thu) 04:55:59

今日2月4日は立春です。

旧暦ではお正月です。

実質、いよいよ今日から2016年(平成28年)のほんとうの幕開けです。

今日から、丙申がスタートします。

暦の上の冬は昨日までで、今日は春立つ日の「立春」、暦の上ではいよいよ春到来となります。
「寒中見舞い」は昨日までで、今日から今月末ごろまでは「余寒見舞い」となります。


昔は1年の始まりは立春からでした。
新年を表す「初春」や「新春」などの「春」も、もともとはこの「春」です。

立春の朝、禅寺の門前や家の玄関に張られる「立春大吉」の紙のお札は
縦書きすると左右対称になり、新しい1年を災難に遭わず無事に過ごせるようにとの
願いが込められたおまじないだそうです。


春を迎えた悦びを、讃春歌で感じてみましょう。

(一) 外に花咲く    春が来た。
    内にも花咲く   春が来た。
    外にも内にも   春が来た。
    
    心の中(うち)に 眠ってた
    神が目覚めて   春うたう
    心ほのぼの    春が来た。
    心ほがらか    春が来た。

(二) うれしいうれしい 春が来た。
    すべての人に   にこにこと
    瞳の中(なか)に 神の愛、
    
    ことばの中(なか)に  神の智慧、
    かみの生命(いのち)を 今いきて
    こころ明るく      笑いましょう。
    こころ青空       笑いましょう。

(三) わが魂の神めざめ
    すべての人に神を見る、

    過去のなげきの  夢さめて
    あらたに生まれた この生命(いのち)
    ここが天国    極楽と

    ひかりの世界に  歌いましょう。
    いのちの春を   歌いましょう。
  
    youtube  http://www.youtube.com/watch?v=LwVsbczg0II

・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・第二「立春 (5221)」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1078

(2)光明掲示板・伝統・第一「立春大吉」
    → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=75

           <感謝合掌 平成28年2月4日 頓首再拝>

「春一番」  - 伝統

2016/02/15 (Mon) 03:13:14


         *Web:ウェザーマップ(2月14日)より

きょう14日午前、気象庁は関東、北陸、中国、東海地方で、「春一番」が吹いたと発表した。
きのう13日から全国的に風が強まっており、東京では14日午前6時半頃、
最大瞬間風速21.4メートルを観測した。


【春一番とは】
 
立春から春分までの間に広い範囲で初めて吹く、暖かく強い南よりの風。
日本海付近に低気圧があり、概ね8m以上の強い南よりの風が吹いて、
気温が上昇した場合に発表される。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160214-00010001-wmap-soci

・・・

春一番 キャンディーズ
  → https://www.youtube.com/watch?v=RTipNzw4CiI

・・・

《陽気を孕む》

           *「叡智の断片」(P3~4)より


万物全て冬枯れて一望ただ雪の下に覆わるる時も、
すでに雪の下には逞しい萌芽がめぐんでいるものである。

滅びたように見えているときに、滅びない生々の陽気を観取し、
凍結した中に鬱勃(うつぼつ)の気を見いだす者は実相を見る者である。

霜降り、気凍り、肅殺(しゅくさつ)の気天地にみつるとき、
はや一陽来復の春を孕(はら)むを知るは達人である。

物旺んなるときに、衰退の気既に孕むを観て敢て傲(おご)らず、
衰えたるとき一見肅條の気漲れども、その奥に一転陽気を孕むを観て
敢て悲観せず常に実相は円満なるを知って、現象の外に超出して、
現象の中に在るが如くにして現象に縛(ばく)せられざるは道人である。

人誉めれども敢て人の礼讃を喜ばず、人貶(けな)すとも
敢て人の毀傷をもって心を動ぜず常に空相円満の風光を心裡に眺めて静寂なること
朝顔の種子の中に既に存在する「花の理念」のごときものである。

麦踏めば分蘖(ぶんけつ)してかえって栄え、唐茄子は移植して多くの実を結ぶ。
雪に覆われて梅花愈々清く薫る。
盤根錯節して松愈々趣深し。

苦難ありと見ゆれども苦難、苦難にあらず。
或は魚の波に戯るるが如く、或は禽(とり)の風に戯るるが如く
人生波多くして千波万波陽光を反映して燦爛たり。


           <感謝合掌 平成28年2月15日 頓首再拝>

新芽には力がある - 伝統

2016/02/17 (Wed) 03:10:17


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月17日)」より

ぼつぼつ樹木に新しい芽が出る。
まだ嫩葉(ふたば)にも開かない前の、あのふっくりとした逞しい樹の芽を見ていると、
本当に若々しい生命(せいめい)に触れた気がする。

開き切った葉よりもまだ開かない新芽の方に力がある。
生命は久遠であるが、現象界のものは何物でも
まだ完全に開き切らないものには底力(そこぢから)がこもっている。

宗教でも古い時代に起こったものは過ぎ去る。
今は新しい時代が来つつあるのである。史代革新期である。
新しい酒を古き革袋に容れるときは破れる。

            <感謝合掌 平成28年2月17日 頓首再拝>

- 伝統

2016/02/23 (Tue) 04:45:21


《梅の花の香り》

      *メルマガ「幸せを呼ぶ~夢の言の葉~(2016年02月15日)より

 
 ~色よりも 香こそあはれと おもほゆれ
  誰(た)が袖ふれし やどの梅ぞも~  (『古今和歌集』よみ人しらず)
 

 
 梅は、花の美しさもさながら、香りのすばらしさに、心を寄せられてきました。
 
 
 古来、
 
 「梅が香を、桜の枝に匂わせて、柳の枝に咲かせたい」
 
 といわれるほど、その香りは、梅の魅力を代表するものだったのです。
 
 
 
 「梅香(うめか)」ともいいますが、和歌や句では、
 語呂のいい『梅が香』が、もっぱら使われてきました。
 
 
 
 梅が香るのは、寒い時期です。
 
 そこで、「寒香(かんこう・かんきょう)」も、
 梅の花の香りや、花そのものをさします。
 
 
 『梅が香』を運んでくれるのは、風。
 
 そこで、「梅風(ばいふう)」「梅の下風」などと、
 風にも、梅にちなむ名前がつけられました。
 
 
 
 そういえば、梅は、「風待草(かぜまちぐさ)」という異名も持っています。
 
 
 菅原道真が、
 
 「東風(こち)吹かば 匂(にお)い起こせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」

 と、梅の花に詠みかけた歌は、有名です。
 
 
 梅はいつも、あふれる香りを、誰かに届けてくれる風が吹くのを、
 待っているのかもしれませんね。
 
・・・

<参考>

(1)関東の梅の名所
   → http://flower.enjoytokyo.jp/ume/ranking/

(2)関西の梅の名所
   → http://eonet.jp/travel/flower/ume/

・・・

谷口雅春先生の、「梅」に関するお話

         *Web:光の進軍 より
              ~生長の家"立教の精神"に学ぶ
                仙頭 泰

谷口雅春先生はつぎのようにお話くださったことがある。

「或る霜の真っ白に降りた寒い冬の日の朝、
庭の梅の木に可憐な梅の花が一輪咲いていた。

これは、今は眼に見えないが、もうすぐ万物が馥郁として
花開く春がやってくるとの知らせである。

否、肉眼には見えなくても、もうすでに春が来ていればこそ、
この一輪の梅の花が咲きでたのである。

この一輪の梅の花の示す意義は大きいのである。」と。

http://hikarinoshingun.giri.jp/02-gyouseki/0201gysk-sendou-kouen/07rikkyou-no-seishin.htm


            <感謝合掌 平成28年2月23日 頓首再拝>

「桃の實(み)」 - 伝統

2016/03/03 (Thu) 03:32:25

今日、3月3日は「桃の節句」

上巳の節句は五節句の一つで、元々は3月上旬の巳の日だったが
後に3月3日に行われるようになりました。

旧暦では3月3日は桃の花が咲く季節であることから「桃の節句」とも言われる。
古来中国では上巳の日に川で身を清め不浄を祓う習慣があった。
これが平安時代に日本に取り入れられた。

後に、紙で小さな人の形(形代)を作ってそれにけがれを移し、
川や海に流して不浄を祓うようになりました。
この風習は、現在でも「流し雛」として残っています。

・・・

《古事記の黄泉の国の段に出てくる3つの桃の實》

日本の「古事記」では、伊耶那岐命が黄泉の国において、伊耶那美命の軍隊に追われ、
黄泉比良坂(よもつひらさか)にて、桃の実を3つ取って死神(しにがみ)の軍隊に
力一杯投げつけ、死神(しにがみ)の軍隊を退散せしめております。

 (参考 → http://mozugoe.jugem.jp/?eid=717 )

              ・・・

谷口雅春先生は、『古事記と現代の預言』(P103~106)に、
次のように述べられております。



   こうして死神が筍を食べている間に、
   時間を稼いでイザナギの神は逃げてゆかれたのであります。

     ”且後(またのち)には、其(そ)の八雷神(やくさのいかずちがみ)に、
     千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)を副(そ)えて追(お)わしめき。

     爾(かれ)御佩(みは)かせる十拳劍(とくさつるぎ)を拔きて、
     後手(しりえで)にふきつつ逃げ來(き)ませるを、猶(なお)追(お)いて、
     黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本(さかもと)に到る時に、其(そ)の坂本なる
     桃子(もものみ)を三箇(みっつ)取りて、待ち撃(う)ちたまいしかば、
     悉(ことごと)に逃げ返りき。

     爾(ここ)に伊邪那岐命桃子(もも)に告(の)りたまわく、汝吾(いましあ)を
     助けしが如(ごと)、葦原中國(あしはらのなかつくに)の所有(あらゆる)
     うつくしき青人草(あおひとくさ)の、苦瀬(うきせ)に落ちて、

     患惚(くるし)まん時に、助けてよと告(の)りたまいて、
     意富加牟豆美命(おおかむずみのみこと)と號(い)う名を賜いき。”
                    (以上、夜見国<よみのくに>の段<くだり>)


   黄泉比良坂(よもつひらさか)の「ヨモツ」というのは、「黄泉国(よもつくに)」
   即ち闇の国で、「ヒラ」というのは、「昼の国」で
   「サカ」というのは、「闇の国」と「昼の国」との”境い目”のことであります。

   さて、その「ヨモツ国」と「ヒルの国」との、その境の峠のところ、「生」か「死」かの
   境い目の坂本というところで、『桃子(もものみ)を三箇(みっつ)取りて、
   待ち撃(う)ちたまいしかば、悉(ことごと)に逃げ返りき』というのであります。

   どんなにイザナミの軍隊(死神の軍隊)が来ておっても、桃の實(み)を3つ取って、
   それを死神に対して投げられたら、死の国の軍隊は、悉く逃げてしまったというので
   あります。

   その”桃の實(み)”というのは一体何んであるかといいますと、
   これは『生命の實相(せいめいのほうとうのすがた)』であります。

   桃の果實は生命(せいめい)の象徴であります。



   この神話は一方では桃太郎の鬼ガ島征伐のお伽話となっております。
   これはお伽話といっても、実は神話であって誰の創作ということはない。

   個人的作者はなくて、古代の日本民族が、ズッと古く大昔から、霊感によって
   宇宙の真理を直感して物語りにしているものであります。


   桃太郎のお伽話は、こうであります。
   お爺さんは山に柴刈りに、お婆さんは川に洗濯に行ったのであります。

   この「柴刈り」というのは、心の雑草を刈り取って、そして雑草に蔽われて
   隠されている實相を、ハッキリ現わすことであります。

   そして、「お婆さんは川に洗濯に」ということは、それは實相が垢に汚れ覆われて、
   その光が輝かぬようになっているのを、御禊(みそぎ)してそれを綺麗に洗うと
   いうことです。

   心の雑草即ち、迷いの雑草を刈り取って、清らかな智慧の水で汚れを綺麗に洗ったら、
   其処へドンブリコ、ドンブリコと「桃の實(み)」が流れてきたのです。
   お婆さんはそれを拾って持って帰ったのでした。

   「桃の實(み)」というのは、「生命(せいめい)の樹(き)の實(み)」であります。

   死神に対して「生命(せいめい)の樹(き)の實(み)」を投げると
   死神は消滅して逃げ出すのであります。
   これが、桃太郎の「鬼ガ島征伐」であります。


   「黙示録」の第二十二章ニ節に「河の左右に生命(せいめい)の樹(き)ありて
   十二種の實(み)を結び、その實は月毎に生じ、その樹の葉は諸国の民を癒すなり」
   とありますが、、

   このことは”生命の實相”の真理を説いた雑誌が毎月発行されているのに一致するのです。
   「生命(せいめい)の樹(き)の葉(は)」と言うのは生命(せいめい)の真理を
   説いた”言(こと)の葉(は)”と言う意味であります。

   古今、東西の霊感の書はいずれも同じ真理を指し示しているのです。

   河の両岸に”生命の樹”というのがあって、そして月毎に實を結び、その實が
   ”生命(せいめい)の河”を流れ下ってくる、それが桃の實(み)であって、
   中から桃太郎が生まれるということになっているのです。

   こういうヨハネが霊感によって見たところの状態を書いた「黙示録」と、日本人が
   神話にこしらえたお伽話の桃太郎と符節を合わせて一致しているところに、神話という
   ものや、霊感の書というものは、

   結局宇宙の真理を感じて、表現したものであって、その神話が別の民族のものであって、
   別の表現をしているけれども、根本的には同じものを感じているのであるということが
   立証されるのであります。

   それで、桃の實を割ってみたら、そしたら其処から桃太郎というのが生まれてきたわけ
   です。

   (中略)

   山に柴刈りに言って「心の雑草」を刈り取ってしまって、川に洗濯に行って「心の汚れ」
   を綺麗に洗いながして、そして生命(せいめい)の本当のスガタ(即ち『生命の實相』)
   をあらわしたのです。

   そして、本当の”神の子”がそこに生まれてきたら、それが生長して鬼ガ島を征伐する
   ことができるのです。鬼ガ島とは、死の国の地獄の鬼を象徴しております。


   それでイザナギの神が、黄泉国から追っかけてきたところの、死の使者(つかい)の
   鬼共(おにども)を征伐するためにお使いになった桃の實――生命の實相――は3つ
   あるというのです。

   その3つの桃の實(生命の實)は何と何とであるかと謂いますと、

   (1)その桃の實の一つは、「日本天皇の生命の實相」

   (2)もう一つは「日本国の生命の實相」

   (3)それからさらにもう一つは「人間の生命の實相」であります。

   この3つの「生命(せいめい)の實(み)」の相(すがた)が本当にわかったら、
   死の国の地獄の鬼は逃げて行くのだということが、『古事記』に示されているわけで
   あります。


<関連Web:谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐「神話にあらわれた「生命の実相」」
桃太郎と生命の実相  → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=98 >

            <感謝合掌 平成28年3月3日 頓首再拝>

「600度の法則」 - 伝統

2016/03/12 (Sat) 03:41:33

気温が上がったり、下がったりしておりますが、
都心の桜はあと10日もすれば咲き初め、月内には満開を迎える見通しです。


桜の開花の季節を迎えると、春の気が盛んになり、


  『梅は匂い、桜は花、人は心ぞ、振りいらぬ』


という言葉を思い出しますが、

梅はその香を、桜は花の美しさを、人は心を愛(め)でよ、といいます。
そして、人は心があれば外見を飾りつけて装うことなどどうだっていいと言っています。

単純なことを言っているようで、なかなかに含蓄が深く、日本古典の素晴らしさかもしれません。


ところで、桜の開花日と気温との関係には「600度の法則」があることが昔から知られています。

600度の法則とは、2月1日からの最高気温を足して
600度になると桜が開花するというものです。

参考までに、先日のNHKの天気予報で、都心の桜の開花と積算気温の関係について
過去5年のデータを用いて検証しておりました。


 ◎積算気温が600度になった日  実際の開花日

      2011年3月25日   3月28日 (3日遅れ)
      2012年3月29日   3月31日 (2日遅れ)
      2013年3月19日   3月16日 (3日早い)
      2014年3月25日   3月25日 ( 同日 )
      2015年3月22日   3月23日 (1日遅れ)


積算気温が600度になった日と開花日の差がいずれも3日以内に収まっており、
まずまずの精度です。

ちなみに、予報をもとにこれからの都心の最高気温を積算していきますと
18日頃には600度に到達するそうです。

ただ、2011年がそうだったように、暖冬の年は開花が遅れる傾向があり、
今冬は前半の気温が高めに推移したため、今年の桜の開花も積算気温が600度に
なった日から3日程度遅れ、21日頃になるというのが天気予報士の見立てです。


            <感謝合掌 平成28年3月12日 頓首再拝>

サクラの開花宣言 - 伝統

2016/03/22 (Tue) 03:13:59


気象庁によりますと、昨日(3月21日)東京の開花宣言が出ました。
平年より5日早く、昨年より2日早い観測です。
(→ http://news.goo.ne.jp/picture/nation/tenkijp-40661.html )

東京の開花宣言は、靖国神社での桜の標本木を観測し、
桜が5輪咲いていることで開花とのようです。
(春分の日では、2輪咲き)

すでに、20日に、岐阜市で桜の開花宣言が発表されております。


中国古典の「采根譚」では、

   「花は半開を看る」(はなは、はんかいをみる)・・・

とあります。

桜は、一般的に咲き始めてから1週間程度で、満開を迎えます。
東京では、これからが、花をめでるに絶好の季節のようです。

お花見で桜の下で賑やかに楽しむのも、今週後半から来週にかけてでしょうか。


なお、ほぼ、全国での開花宣言を行なう際の標本木は、「ソメイヨシノ」のようです。

        ・・・

《ソメイヨシノ》

日本の桜の約8割は、染井吉野(ソメイヨシノ)と言われています。

しかし、歴史上もっとも有名なお花見・豊臣秀吉の「醍醐の花見」の桜も、
様々な時代劇の春のシーンを彩る桜も、実は染井吉野ではありません。
染井吉野は歴史的には新しい園芸品種だからです。

染井吉野は、江戸時代末期、園芸の盛んだった江戸の郊外・染井村(現在の東京都豊島区駒込辺り)
の植木屋で売り出され、明治以降になって広まりました。

ソメイヨシノ(染井吉野)は、エドヒガン(江戸彼岸)とオオシマザクラ(大島桜)の交配種です。
葉が出る前にピンクの花が咲き揃う特徴をエドヒガンから、大輪で花付きの良さを
オオシマザクラから受け継ぎました。

その植木屋は、この桜を江戸にいながら奈良吉野の桜がみられると称して
「吉野桜」と名付けて売り出し、人気を博したと言います。
本当の吉野の桜は、花が新葉と共に咲く「ヤマザクラ(山桜)」なのです。

全く系統も異なる桜(ソメイヨシノ)に、
古来名高い「吉野」ブランドをつけ、大当たりしました。

http://www.yamashin-sangyo.co.jp/cherry_sub/sakura_4.html

・・・

《生命は必ず前進している》

        *『生命の實相』第37巻(P107~P108)より

見えない間に生長する、進歩が今眼に見えなくとも生命は必ず前進しているのである。

今爛漫と咲いている桜花も、実は枯木のごとく見えていた冬に日に
その「花の美」を貯えていたのである。

沈滞期に本当に沈滞してしまったと思って、
悲観してその成長を続けない桜の木は枯れてしまうのである。

人間もまたかくのごときものである。
 
沈滞期に屈せざる心の明るさと、努力を継続せしむる意思の力と、
その意志の力を持続せしむる感激の押し出す力とを失わない者はついに大成するのである。
 
事業を成るのも、道を成(じょう)ずるのも同じことである。

「海も波のごとく動揺するものは風にさらわれて打ち上げられん」

・・・

<参考Web>

(1)本流宣言掲示板「愛される桜 (7879)」
    → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1863

(2)光明掲示板・第一「桜咲く (7148)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1338

(3)光明掲示板・伝統・第一「燦爛輝く桜花」
    → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=144

            <感謝合掌 平成28年3月22日 頓首再拝>

「西行」と桜 - 伝統

2016/03/23 (Wed) 03:26:15

22日は東京、23日は長崎と熊本、と桜の開花が宣言されました。
今日もどこかで桜が開花し、列島は場所を移しながら、桜色に染まります。


さて、今から900年ほど昔の話ですが、

鳥羽上皇の御所の北面に詰め、上皇の身辺の警護に任じたいわゆる「北面の武士」の
佐藤義清(さとうのりきよ)は、友人の死をきっかけに、
あるいは高貴な身分の女性との恋の果て、仏道に帰依し出家したとされます。

この佐藤義清が、歌人として知られる後の西行で、西行の次の歌は有名です。


  「 願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃 」


如月の望月(満月)の頃とは旧暦2月15日のことで、新暦で言えば今日です。
今がそうであるように、ちょうど桜の時期で、その日(旧歴2月15日)は
釈迦入滅の日でもあります。

漂泊の歌僧・西行は釈迦が入滅したその日に、
大好きな月と花の下で最後を迎えたいと願いました。

実際に亡くなったのは16日で、西行の願いはほぼ叶ったといえます。

ちなみに、西行の500回忌にあたる年、
西行を偲び、その足跡を辿る「おくのほそ道」の旅に出たのが松尾芭蕉です。
(西行・芭蕉と吉野桜~http://www.st.rim.or.jp/~success/J&sakura.html )

さらにその174年後、
心酔する西行にあやかり「東行」(とうぎょう)と号したのが高杉晋作で、
彼は「西へ行く人を慕うて東行く 我が心をば神や知るらむ」と詠んでいます。

高杉晋作はやがて東へ行き、京都の天子様のお膝下で事を起すのだという理想に依って、
名を東行と改名し、その後、幕府討伐を目指し、大活躍をいたしました。

今日の満月の下、先人を偲び、桜を味わう、ということもよきことかも知れません。

            <感謝合掌 平成28年3月23日 頓首再拝>

隅田川と《さくら》 - 伝統

2016/03/27 (Sun) 03:37:28


気温が上がらないためか、桜の満開はもう少し先でしょうか。

隅田川沿いの桜は、八代将軍徳川吉宗の命により造られた、桜の名所として知られております。
桜橋から吾妻橋までの桜並木はお花見のスポットとして有名です。
例年の見ごろ 3月下旬~4月上旬

http://hanami.walkerplus.com/detail/ar0313e25818/


当時は「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるほど火事が多かった江戸において、
延焼被害を少なくするために徳川吉宗は環境を整備しようと考えました。
また、庶民に花見を推奨することで憂さ晴らしをさせる狙いもあったようです。


文化年間(1804~18)には、村民の手でさらに植桜され、
桜並木はその見事さが評判となり、明治以降も数多くの文人墨客が訪れ、
今日もなお名声を保ち続けています。

さらに、「春のうららの隅田川」の歌い出しで有名な滝廉太郎の「花」でも
隅田川の桜の美しさは歌われています。

言問橋から200m北に上った台東区側には、
「春のうららの隅田川」の歌詞で有名な武島羽衣作詞、滝廉太郎作曲『花』の
歌碑が立ちます。


「春のうららの・・・」で始まるメロディーを聞きますと、
誰しも幼き日の思い出が蘇り、日頃の邪心は束の間消え失せるのではないでしょうか。


・・・

瀧 廉太郎『花』

春のうららの 隅田川
のぼりくだりの 船人が
櫂(かひ)のしづくも 花と散る
ながめを何に たとふべき


見ずやあけぼの 露浴びて
われにもの言ふ 桜木を
見ずや夕ぐれ 手をのべて
われさしまねく 青柳(あおやぎ)を


錦おりなす 長堤(ちょうてい)に
くるればのぼる おぼろ月
げに一刻も 千金の
ながめを何に たとふべき

( → http://www.niigata-u.com/files/oita/tk_hana.html )

            <感謝合掌 平成28年3月27日 頓首再拝>

姥桜 - 伝統

2016/03/28 (Mon) 04:42:45


この言葉は、今は一般的には老女を指す言葉として使われます。
ネガティブな場面で使われるようになっております。


ですが実はもうひとつ、姥桜には「元々の意味」があります。

女性を姥桜と呼ぶのは、本来は

「中年ぐらいの歳になっても、まだ色気があって若く美しい状態を保っている女性」

のことを指して「ほめ言葉」でした。

   (http://blog.canpan.info/yamada0807/archive/10

・・・

《『姥桜』(うばざくら)》

           *メルマガ「夢の言の葉」(2016年3月28日)より


 ☆---1.葉が出る前に花が咲く桜の通称
    2.女盛りを過ぎてもなお美しさや色気が残っている女性---
 
 
 
 「あなたは姥桜のようだ」と言われたら、たいていの人は、
 いい気持がしないのではないでしょうか。
 
 
 ですが、もともと『姥桜』は、
 葉が出るのに先立って、花を咲かせる桜のことです。
 
 
 そう、おなじみの「染井吉野(そめいよしの)」は、まさに『姥桜』ですね。
 
 とはいえ、染井吉野は、江戸時代の終わりに作り出され、明治時代に広まった桜。
 
 それ以前、桜の代表といえば「山桜」でした。
 
 
 
 山桜は、若葉と同時に、花を咲かせます。
 
 
 それに対して、「彼岸桜」などの花を先に咲かせる桜は、葉がない桜。
 
 その「葉」を「歯」にかけて、歯がない桜……。
 
 つまり「姥(うば=おばあさん)」の桜だと、江戸っ子たちは呼んだようです。
 
 
 でも、花だけの姿を見慣れた目には、葉がない方が、
 はなやかな分、かえって若々しく感じられるような気がします。
 
 
 
 『姥桜』という言葉は、
 女盛りを過ぎても、美しさや色香が残っている人という意味でも使われました。
 
 
 どちらかというと、ほめ言葉だったようです。
 
 
 たとえそうであっても、「姥」といわれるよりは、「初花」と呼ばれたい……。
 
 それが、現代の女心のようですね。
 
            <感謝合掌 平成28年3月28日 頓首再拝>

太平洋と日本海を結ぶ《さくら道》 - 伝統

2016/03/30 (Wed) 04:27:11


桜前線によりますと、名古屋の桜は満開、金沢は開花宣言のようです。


その名古屋(太平洋)と金沢(日本海)を結ぶ266kmの道を、
桜のトンネルで結ぼうと決意した男がいました。

それは、
御母衣ダム工事で、水没する山寺の樹齢400年を数える桜の古木が移植され、
見事に蘇ったその生命力に感動したからであります。

その男は名古屋と金沢を往復するバスの車掌・故佐藤良二氏です。
(1929年8月3日~1977年1月25日)

           ・・・

『この地球の上に、天の川のような美しい花の星座をつくりたい。

花を見る心がひとつになって、人々が仲よく暮らせるように』

佐藤良二

           ・・・

佐藤良二は、名古屋市と金沢市を結ぶ長距離バス「名金線」に乗務していた。
中部山岳地帯を貫く全長266キロメートルの路線であります。

佐藤良二は、この路線に桜を植え、「さくら」のトンネルでつなごうと思い立ち、
始めたのが、昭和41年、36歳からです。

良二は、自分の給料で桜の苗木を買い、平日は仕事が終わってから、休日は朝早くから
オートバイの後ろにくくりつけて、北へ、南へと走り回り、名金線のバス亭を中心に
植えていったのである。周りから見れば、異常なくらいの熱心さでありました。

その思いは、

「社会のためになることをしたい、自分にできる精一杯の善をしたい」

という気持ちからであった。


桜の花が、どのバス亭にもあったなら、
乗る人にも、降りる人にも、笑顔があふれるだろう。
どれだけ多くの人が喜び、心がいやされるかわからない。

桜を植えることは、良二にとって、大きな善だと信じていた。
だからこそ、悔いなき人生を全うするために、全力で取り組んでいったのでありました。

しかも、台風が近づくと、苗木が倒れていないか心配になり、風雨の中を見て回る。
冬が来ると雪の重みで折れないように支柱を補強したり、除雪車に傷つけられないように
枝の先に赤い布を結んだりしていく、まるで、わが子をいたわるような神経の使い方でありました。

ひたすら、満開の桜を見て喜ぶ人々の笑顔を胸に描き、バスの走る道を、
桜の花で飾り続けていったのです。


実は、良二の体重は桜の植樹を始める前から減り続けていた。
「おかしいな」と思いながらも、仕事や植樹に没頭していたのでありました。

体調が限界に達して、
愛知県ガンセンターで診察を受けたのは昭和46年9月、42歳の時だった。


良二の日記には

「いつ帰れるかわからない。明日は病院だ。もう時間がない」

「死刑台に上がっている心地がした」

と書いてあります。

死の病を自覚し、壮絶な闘いが始まったのだ。
入退院を繰り返しながらも、桜を植え続ける良二。
その一心な姿に動かされ、職場の仲間が、少しずつ植樹に参加するようになっていった。

昭和48年4月、石川県の兼六園に、千五百本めの桜を植えた。
植樹を始めて8年め、ついに、名金線の始発・名古屋から、終着・金沢までが
桜でつながったのです。

良二は、さらに意気込む。
もっと苗木を植えて、太平洋と日本海を桜のトンネルで結ぼうと夢みていた。
しかし、体がいうことをきかない。


「再び生れてはこれない人間。人間として生れての最後の到達地点。
すべてそれを目的にした考え方と行動でなければならぬ。
せっかく生きるなら、今、一秒をそのために、その目的のために燃やし尽くさねばならぬ」

「人間がこの世に生れてきた目的は何か?
俺にとって桜を植えることは人を救うことであるのか?
オレは人を救うために生れてきたのか?
生れてきた人間の目的、目的、目的」

悲痛な叫びである。

良二は、全力で生きて、倒れる寸前まで、

「人間に生れてた目的は何か」

と、問い続けていたのだ。


昭和52年1月、良二は47歳の生涯を閉じました。


長距離バス路線「名金線」は、昭和54年になくなってしまったが、
国道沿いに植えられた桜は、今も咲き続けています。

美しく、はかない、桜の命。
そんな短い一生、なぜ生きるのか。

「人生の目的」を問い続ける桜である。

         ・・・

佐藤さんの功績はNHKの中部地方ローカル番組で紹介されて、
やがて全国ネットでドラマも放送され、映画化もされました。
さらに、「さくら道」 と言うタイトルで書籍化もされました。

            <感謝合掌 平成28年3月30日 頓首再拝>

【燦爛輝く桜花】 - 伝統

2016/04/01 (Fri) 03:22:56


      *「光明道中記」~四月「相倚りたすける」はじめの言葉 より

観る世界は観られる世界である。
能観(のうかん<あるもの>)の中に所観(しょかん<みられる>)の世界があり、
所観の世界の中に観る人の心がある。

観る者と観られるものとは本来一体であるのである。
これを吾々は心の影と言っている。


日本に美しい桜の花が多いのも、日本人の心が桜の花のように美しく潔いからであり、
執拗でなく淡白であるからである。

本居宣長の『敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花』
と云う歌は日本精神を詠んだものとしてその内容に就て色々と解釈せられているが、

『朝日に映(は)えている爛漫たる相(すがた)』が日本精神だとか、
散りぎわの潔い相(すがた)が日本精神だとか、互に言い争って、
その解釈の優劣を決定する必要はないのである。

観る世界が観られる世界であると云う真理が本当に解るならば、
日本の国の相、日本の樹木の相、日本の風光の相、すべて、日本人の心を
現していないものはひとつもないのである。

風土が人間を感化するとも言えるが、桜も生命であり、心の表現であり、
人間も生命であり、心の表現であるから、

日本人が桜を感化し、桜が日本人を感化し、日本人の中に桜があり、
桜の中に日本人があるのである。

差し昇る朝日に映える桜花を鑑賞する日本人の心には、
差し昇る朝日に映える桜花の心があるのである。

            <感謝合掌 平成28年4月1日 頓首再拝>

ウズベキスタンの桜 - 伝統

2016/04/12 (Tue) 02:46:13


         *Web:「Japan On the Globe」(2016年04月10日)より

ソ連に抑留されてウズベキスタンで強制労働に従事して亡くなった日本将兵の墓を、
ウズベキスタン地元の人々は大切に護ってくれています。


中央アジアの内陸部にあるウズベキスタンの首都・タシケントに、
1500人の観客を収容する壮麗なレンガ作りのナヴォイ・オペラ・バレエ劇場がある。

1966(昭和41)年4月、震度8の大地震が市を襲い、市内の建物の2/3が倒壊した中でも、
この劇場はびくともせず、市民の避難所となった。

劇場の外壁にはプレートがはめ込まれ、ロシア語、日本語、英語、ウズベク語でこう記されている。


   1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、
   このアリシェル・ナヴォイ─名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した。

                 (中山恭子『ウズベキスタンの桜』)


劇場周辺の庭には染井吉野や枝垂れ桜、八重桜など
30本の桜が植えられ、春には美しい花を咲かせる。

ナヴォイ劇場だけでなく、タシケント市の中央公園にも600本の桜が植えられ、
「さくら公園」と呼ばれている。さらに、そこに通じる大通りに250本、
大統領官邸にも100本の桜が植えられている。

すべて日本から苗木を空輸し、日本人の造園の専門家がついて、
ウズベキスタンの人々が植樹したものだ。

今回は、ウズベキスタンに、なぜこれほどの桜が植えられたかを辿ってみよう。

以下詳細については、次のWebアドレスにてご確認下さい。

  → http://blog.jog-net.jp/201604/article_2.html

・・・

<関連>

(1)親日国ウズベキスタン

          *『致知 2012年5月号』致知出版社
           ~「逆境から復興へ」“櫻井よしこ&竹田恒泰” より

  ウズベキスタンはソ連崩壊の時に独立した国ですが、
  第二次世界大戦の時、2万5000人日本人が捕虜として現地に連行されました。

  そのうち500人が強制労働で「ナボイ劇場」の建設に従事し、
  60名が落命しています。

  そして、後にウズベキスタンで大地震があって建物という建物がすべて崩れた時、
  ナボイ劇場だけが残ったんです。

  その技術力もさることながら、強制労働で絶対に手を抜かない日本人は凄いと。

  それで、ウズベキスタンでは、子供に「日本人のような立派な大人になれ」と教育しているそうです。

  独立し、いまの大統領になってから、ナボイ劇場に「この建物は図らずも連れてこられた
  日本の労働者たちがつくった」という趣旨の石版があります。


  ウズベキスタンは「二重内陸国」といって、国境を二つ跨(また)がないと海がない、
  世界で二か国しかない国の一つです。

  日本人はそんな辺境の地に連れられていって、立派な仕事を成し遂げた。

  だからウズベキスタンの人たちはいまでも日本が好きなんです。
              

(2)参考Web:誇り高き日本人 国旗の重み …ウズベキスタンのナヴォイ劇場

       → http://ameblo.jp/e-fh/entry-11662342902.html

(3)光明掲示板・第二「素晴らしい日本 (2433)」
   子記事「せがれや、ご覧、あの日本人の兵隊さんを。 (9441)~日時:2014年06月26日 」
 
       → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=548


            <感謝合掌 平成28年4月12日 頓首再拝>

『早降り』(さおり) - 伝統

2016/04/26 (Tue) 04:30:15


       *メルマガ「夢の言の葉」(2016年04月25日 )より



 ☆------------------田植え始めの日の祝い------------------
 
 
 
 田植えを始めるにあたってするお祝いのことを、『早降り』といいます。
 
 
 「早」と書きますが、これは当て字。
 
 この場合の「さ」は、田の神をさすといわれます。
 
 
 天から降りてくる田の神を、お迎えするという気持ちが
 こめられている言葉なのですね。
 
 
 
 これに対して、田植えが終わったときの打ち上げは、
 「早苗饗(さなぶり)」といいました。
 
 
 じつは、「早上(さのぼ)り」が変化した言葉です。
 
 
 つまり、天に上っていく神を送る行事だったというわけです。
 
 
 
 田植えをする月でもある旧暦の五月は、「さつき」。
 
 田植えに欠かせない梅雨は、「五月雨(さみだれ)」。
 
 田植えをするまでに育った苗は、「早苗(さなえ)」。
 
 そして、田植えをする女性は、「早乙女(さおとめ)」……。
 
 「さ」という接頭語のつく言葉は、この時期に集中します。
 
 
 昔の人は、田の神と共に、田植えを行ったのですね。
 
 
 
 現代でも、稲はすくすくと育っていきます。
 
 
 不信心な人が増えたかもしれませんが、それでも、田の神は、
 やさしく見守ってくれているのでしょう。

・・・

民俗学者の和歌森太郎氏は、

「サ」は「サツキ(五月)」「サナエ(早苗)」「サオトメ(早乙女)」のように、

全て 稲田の神霊を指す と述べておりました。
 
            <感謝合掌 平成28年4月26日 頓首再拝> 

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.