伝統板・第二
臨死体験~9つの証拠 - 夕刻版
2016/01/28 (Thu) 19:11:56
*「臨死体験 9つの証拠」(ジェフリー・ロング、ポール・ペリー共著)より
はしがき(P7)
ずいぶん前に、わたしは「死」が全ての終わりだと考えるのをやめてしまった。
だが、そう思えるようになるまでは長い時間がかかった。
科学者の一家に生まれたこともあるだろう。
父はアイオワ大学薬学部の教授だったし、ノーベル賞の候補になったこともある。
そんな父をはじめとする家族の影響で、私は科学を信奉することになった。
NDERF(臨死体験科学研究財団)で、
1300もの臨死体験の事例を科学的に研究した結果、
本書に示した九つの証拠はすべて、あるひとつの真実を浮かび上がらせたと私は信じている。
すなわち、死後の「生」は存在するという真実だ。
・・・
臨死体験では何が起こるのか~12の現象(P10~)
(1)体外離脱:肉体から意識が離脱する
(2)知覚が鋭敏になる
(3)強烈な感情、多くの場合、ポジティブな感情が芽生える
(4)トンネルに入る、あるいは通り抜ける
(5)神秘的あるいは痛烈な光に遭遇する
(6)神秘的な存在、あるいは亡くなった身内や友人など、他者に遭遇する
(7)時間や空間の変化を感じる
(8)人生回顧(ライフ・レビュー)が起きる
(9)この世のものではない(「天国のような」)世界に遭遇する
(10)特別な知識に出合い、習得する
(11)ある境界や限界に到達する
(12)自発的あるいは非自発的に、肉体に帰還する
・・・
<関連Web>
(1)“本流宣言”掲示板「ヒア アフター(来世・あの世) (7227)」
→ http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1711
(2)光明掲示板・第一「臨死体験 (7380)」~(メル・ギル氏、川津 祐介氏)
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1374
(3)光明掲示板・第二「臨死体験 ~ アニータ・ムアジャーニさんの場合」
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1821
(4)光明掲示板・第三「臨死体験 ~ アニータ・ムアジャーニさんの場合」
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=76
(5)光明掲示板・第三「臨死体験~鈴木秀子さんの場合」
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=361
(6)伝統板・第二「臨死体験~ベティ・イーデイさんの場合」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6476705
(7)伝統板・第二「臨死体験~木内 鶴彦さんの場合」
→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6635843
<感謝合掌 平成28年1月28日 頓首再拝>
12の現象~その1(体外離脱) - 伝統
2016/01/30 (Sat) 20:04:17
臨死体験では何が起こるのか~12の現象
(1)体外離脱:肉体から意識が離脱する(P13~14)
①臨死体験者の75.4%が、自分の意識が肉体を離れるのを経験しています。
②体験者による体験談
「実際に意識が体を抜け出すのを感じた。
そして、病室を出て廊下を12メートルほど進んだところで
夫と医師たちが話しているのを見聞きした。
生還したあとで、ショックを受けている夫に、
このときの会話を再現してみせた」
「手術室で、先生はなぜあんなに動揺していたんですか?
叫んだり毒づいたりしていましたよね?
すべて私に聞こえているのがわからなかったんですか?」
(それに対して医師は)
「あなたの言うとおりです。手術室で疲れてイライラしていました。
万策尽きてあなたの命を救えないと思ったとき、つい叫んでしまった。
あれは叫んでいたのか、わめいていたのか・・・
あなたが死にかけているのに、手の施しようがなかったから。
しかしこれからは、意識がない患者に対しても言葉に気をつけなくては
いけませんね」
<感謝合掌 平成28年1月30日 頓首再拝>
12の現象~その2(知覚が鋭敏になる) - 伝統
2016/01/31 (Sun) 18:33:45
(2)知覚が鋭敏になる(P14~15)
①臨死体験者の74.4%が「通常より意識や覚醒のレベルがあがっていた」
と答えている。
②体験者による体験談
「現実世界ではありえない感覚で、説明できない。
すごくはっきりしていた。
ようやく故郷に帰り着いたような感じ。
自分はここに属している、ここにいるのは意味がある。
自分が完全になったと感じた」
「それまでの人生で経験したどんなことよりも、現実味を感じた」
<感謝合掌 平成28年1月31日 頓首再拝>
12の現象~その3(強烈な感情、多くの場合、ポジティブな感情が芽生える) - 伝統
2016/02/03 (Wed) 19:55:12
(3)強烈な感情、多くの場合、ポジティブな感情が芽生える(P15~16)
①臨死体験者の76.2%が「信じられないほどのやすらぎと心地よさ」を
感じたと答えている。
また。52.5%が「信じられないほどの喜び」を感じたと答えている。
②体験者による体験談
「説明するのはすごく難しい・・・。
この感覚を、言葉で説明できそうにないが、とにかくやってみる。
絶対的で無条件の包み込むような愛、慈悲、平和、あたたかさ、安全、
帰属感、理解、故郷に戻ったという圧倒的な感覚、そして喜び」
「愛、喜び、幸福感、ありとあらゆる素晴らしい感覚を一挙に感じた」
「完全なやすらぎ、完全な静けさ・一片の恐れも心配もなかった」
「光に到達したとき、人生が愛と幸せで満たされた。
それ以外のものは存在しなかった。
強烈な感覚。すごく強烈で無限だった」
「愛と平和と美しさを非常に強く感じたが、言葉に表せない」
<感謝合掌 平成28年2月3日 頓首再拝>
12の現象~その4 - 伝統
2016/02/05 (Fri) 18:43:25
(4)トンネルに入る、あるいは通り抜ける(P16~17)
①臨死体験者の33.8%が「トンネルのような閉鎖空間に入ったり
通り抜けた」と答えている。
②体験者による体験談
「次に気がつくと、波に浸してゆらゆら揺れているような感じで
トンネルの入り口にいた。トンネルの中は明るく、壁は柔らかく波打ち、
前方の明るい一点に向って狭まりながらどんどん明るさを増していた」
「私たちは猛スピードでトンネルに入った。
トンネルの中は青、黄、白、緑、赤などさまざまな色でできていた」
<感謝合掌 平成28年2月5日 頓首再拝>
12の現象~その5 - 伝統
2016/02/07 (Sun) 18:48:02
(5)神秘的あるいは痛烈な光に遭遇する(P17~18)
①臨死体験者の64.6%が「光を見た」と答えている。
②体験者による体験談
「トンネルの反対側に出ると白く輝く光があり、私は翼に包まれて、
その一部となった」
「美しい光が私を引き寄せた。その光を思い出すと、
今でも畏敬の念に打たれ、すぐに涙が浮かんでしまう」
「はじめ、光は青かった。それから白く変わった。
それは乳白色の柔らかな光で、ギラギラしておらず、明るいが眩しいほど
ではなく、白く純粋な明るさだった。”純粋”と言っても通常の意味とは違い、
それまで見たこともなくて言葉では説明できない、という意味だ」
「壁を通り抜けると光の繭の中に直接入ったようだった。中央に大きく強い光
があり、それとまったく同じだがやや小さい光の繭がいくつか連なっていた。
今考えると、ここの光の繭は私が入ったものと同様、人間の魂で、
それが中央の神とつながっていたのだと思う」
<感謝合掌 平成28年2月7日 頓首再拝>
12の現象~その6 - 伝統
2016/02/09 (Tue) 19:59:26
(6)神秘的な存在、あるいは亡くなった身内や友人など、他者に遭遇する(P18~20)
①臨死体験者の57.3%が「他の存在に遭遇した」と答えている。
②体験者による体験談
「ほかの存在や人間に囲まれていた。見覚えがある気がした。
家族や古い友人のように、遠い昔から一緒だったように感じた。
霊的あるいは魂の家族とでも表現すればいいのか、
人生でとても大切だった人たちと、長い間、離れ離れになったあとで
再会したみたいだった。
みんな、お互いに愛と喜びを爆発させた」
・・・
「目には見えなかったけれど、父がすぐ横にいた。姉もすぐ近くにいた。
左側だったと思う。ほかの家族もいたが、もっと見ることはできなかった。
姉やほかの家族は左寄りだった気がする。
姉や父以外ではっきりとわかったのは祖母だけ。
ほかにいたが、誰だかはっきりしない」
・・・
「母と娘の声が聞こえた。娘は亡くなった当時まだ2歳くらいだったが、
聞こえた声はもっと成長したものだった。ふたりが私の名前を呼んで、
体が空気の流れの中を進むように素早く移動した。
風にさっと運ばれたように、一瞬すごく明るい光が見えたと思ったら
目の前にビーチが現れ、やがてそこに母と娘が立っているのが見えた。
娘は成長した姿だった」
<感謝合掌 平成28年2月9日 頓首再拝>
12の現象~その7 - 伝統
2016/02/11 (Thu) 20:16:10
(7)時間や空間の変化を感じる(P20~22)
①臨死体験者の60.5%が「時間や空間の感覚が変化した」と答えている。
臨死体験者の33.9%が「すべてが同時に起っているように感じた」と
答えている。
②体験者による体験談
「初めて体外離脱をしたとき、私は(ダイビング中だったために)
ダイバーズウォッチをしていた。
(中略)
そこでは、時間と距離が「規則的に進む現世とは違って、時計はまったく
役に立たない。
もうひとつ、体外離脱はとても長く、間違いなく1時間以上は続いたように
感じられた。だが、ダイビングのパートナーに意識を失っていた時間を
尋ねたら、5分から10分ほどだったそうだ」
「地上の時間ではほんの少しの間に、向こうではたくさんのことを経験した
ようだった。魂が行った場所と、この地上とでは、時の流れが違っていた」
「地上の時と空間は完全に動きを止めた。その間もあちら側の「時と空間」は
完全に動いていて、どう見てもそれが現実だった」
「そう、光の中にいるあいだは、地上と同じような時間の感覚はなかった。
別の言い方をするなら、過去、現在、未来といった連続した流れが感じられ
なかった。光の中にいたときは、過去も現在も未来もすべて同時に経験していた」
<感謝合掌 平成28年2月11日 頓首再拝>
12の現象~その8 - 伝統
2016/02/13 (Sat) 20:21:07
(8)人生回顧(ライフ・レビュー)が起きる(P22~23)
①臨死体験者の22.2%が「人生の過去の出来事を再び目にした」と答えている。
②体験者による体験談
「肉体から抜け出したばかりでまだ病室にいるときに、目の前で人生が走馬灯の
ようにめぐるのを見た。そして、これからあなたは大勢の人たちを教え導く
ようになると言われた気がしたが、まさに今そうなっている」
「私の人生で起こった重要な出来事をすべて見た。初めての誕生日からファーストキス、
両親との諍(いさか)いまで、自分がどんなに身勝手だったかを知り、戻って
やり直せるならば何でもしようと考えた」
「それまでの人生を見せられた。生まれてから死ぬまでのすべての瞬間を目の当たり
にすれば、自分だけでなく、そのとき自分が傷つけた人の対場まで体験して、
彼らの痛みや気持ちが共感できる。
このようにして、自分がどんな人間で、他人をどう扱ってきたかを、それまでと
違った視点から知ることができ、今後自分を誰よりも厳しく評価するようになる」
「他者が自分に何をしたのかはわからない。
自分が他者に何をしたかがわかるだけだ」
<感謝合掌 平成28年2月13日 頓首再拝>
12の現象~その9 - 伝統
2016/02/15 (Mon) 18:57:13
(9)この世のものではない(「天国のような」)世界に遭遇する(P23~25)
①臨死体験者の52.2%が「この世とは違う領域に遭遇した」と答えている。
②体験者による体験談
「トンネルを抜けると、そこはこのうえなく平和な場所だった。
想像したこともないような、清らかで静かで愛に満ちた場所」
「美しい風景、青い空、なだらかに広がる丘、咲き乱れる花、
すべてが光で満ちていた。
外側から光を浴びているだけでなく、内側から明るく発光しているようだった」
「とても楽しくて、言葉では言い表せないほどだった。
遠くには輝く町のようなものも見えた。
すべての色や造形は美しく・・・畏敬の念を抱くほどだった」
「あたりは素晴らしいやすらぎと、愛と平和を感じさせる静けさで満ちていた・・・。
左側には、見渡す限り、想像しうるあらゆる色のチューリップが咲き誇り、
どこまでも続いた。右側には、空の色と調和する美しい青色の壁があった」
「そこに流れる音楽は、言葉では表現できない。
あれほど鮮明な響きは不可能だからだ。
色はこの世界とは違った。
より深く、輝きを放ち、とても美しい! 」
<感謝合掌 平成28年2月15日 頓首再拝>
12の現象~その10 - 伝統
2016/02/17 (Wed) 18:08:20
(10)特別な知識に出合い、習得する(P25)
①臨死体験者の56.0%が「特別な知識や宇宙の秩序、ないしはその意義を知った
という感覚があった」と答えている。
②体験者による体験談
「至高の存在の”目”を見つめると、宇宙のすべての秘密が明らかになった。
彼の目を一瞬のぞき見たおかげで今、私には万物の働きがわかる。
宇宙のすべての秘密、あらゆる時代のあらゆる知識、何でもわかるのだ」
「色のついた無数の雫(しずく)は、これまでに生きたすべての人間の経験なのだ
とわかった(そう教えられたわけではないが)。それぞれの経験は独立して
存在すると同時に、全体の一部でもあった。
全体とは、すべての知識の集合体である」
<感謝合掌 平成28年2月17日 頓首再拝>
12の現象~その11 - 伝統
2016/02/19 (Fri) 21:05:44
(11)ある境界や限界に到達する(P26~27)
①臨死体験者の31.0%が「境界線、あるいは物理的に限界点を示すような構造物
に到達した」と答えている。
②体験者による体験談
「目の前のドアの向こうから音楽が聴こえ、心からの喜びのこもった祝福の声が
届いた。そこが我が家なのだと私にはわかった。
そのドアを一旦通り抜けたら、もう二度と戻れないことも」
「生へと引き返すか、このまま死へと進むのか、選択しなければならない地点に
到達したのだと悟った。そこには、2年前にがんで死んだ親友がいて、これ以上
進んだら戻れなくなると教えてくれた。
『境界線まで来たのよ。あなたが来ていいのはここまでなの』と彼女は言った。
『さあ、ここから戻って人生を精一杯恐れずに生きなさい』と」
「私がその境界線を越えることは許されていなかった。選択肢はなかった」
<感謝合掌 平成28年2月19日 頓首再拝>
12の現象~その12 - 伝統
2016/02/21 (Sun) 18:55:06
(12)自発的あるいは非自発的に、肉体に帰還する(P27~28)
①臨死体験者の58.5%が「肉体に戻ることについて選択を迫られた、あるいは
選択が可能だと自ら気づいた」と答えている。
②体験者による体験談
「眼下の光景を見つめながら、私は天使に訊いたことを覚えている。
『なぜ、彼女をそのまま死なせてあげないの? 』
そのとき私は、目にしているのが自分の肉体だとわかっていなかった。
すると、天使が威厳に満ちた声で答えた。
『あまえはもう戻らなくてはならない・・・彼女は生きなければならないのだ』。
心を落ち着かせる、柔らかな声だった。
『おまえには育てなければならない息子がいるのだから』」
「どうしてもそこにとどまりたかったのに、叶わないと知って心から傷ついた。
立ち去りがたいあの場所と、あの場で感じた存在をもっとも的確に表現する
言葉は、”純粋な愛”だ。戻りたくないと訴えながら、私は送り返された」
「これからの自分の生きる目的を悟った。
新たに得た知識をもとに『地上の楽園』を築き、それを人々に伝えるのだ。
しかし私には、生へと引き返すのか、死へとすすむのか、選択肢があった。
まだ定められた時ではないと教えられはしたが、それでも決断は私に委ねられていた。
もし死を選べば、その後の人生で待っている、多くの贈り物を受け取らずに終わる。
一方で、もし生を選べば、病に蝕(むしば)まれ、思うに任せぬ もとの肉体に
戻らなければならないのだろうかという疑問もあった。
すると、『もし生を選べば、肉体は速やかに回復する』と教えられた。
何週間、何ヶ月後ではなく、日ごとに回復すると! 」
<感謝合掌 平成28年2月21日 頓首再拝>
シェイラの臨死体験 - 伝統
2016/02/24 (Wed) 19:24:08
*「臨死体験 9つの証拠」(P46~48)より
「私には昔から、いくつものアレルギーがあったの。
生れついてのちょっとした不快の症状という程度のものだったけど、
あの運命の日は、命を脅かされることになったわ。
外科医と麻酔医には、前もって全てのアレルギーを伝えてあった。
どうしても必要という手術ではなかったし、緊急性も低かった。
医療チームは出来る限りの予防措置をしてくれたけれど、
手術で使われた薬剤に私は深刻なアレルギー反応を起こした。
あまりにも激しくて、心臓が止まったのよ。
心臓が停止するとすぐに、自分が天井付近に浮いていると気づいた。
私につないである心電図のモニターが見えたわ。線が水平になっていた。
医師や看護師たちは必死で私を生き返らせようとしていた。
眼下に広がる光景は完全にパニック状態だったわ。
でも反対に私は深い安らぎを感じていたの。
痛みは全くなかった。
私の意識は手術室を漂い出して、ナースステーションに行ったわ。
手術室にいたフロアのナースステーションだって、すぐにわかった。
天井近くの高い場所から見下ろしていたから、
看護師たちが忙しく業務をこなしているのが見えたのよ。
しばらくそのまま見ていると、トンネルが開いたの。
引き寄せられて中を進んでいくと、やがて反対側に明るい光が見えてきた。
穏やかな気持ちだった。
トンネルを抜けると美しい神秘的な光が満ちた場所で、
私の前には、死んだはずの愛する肉親が数人いた。
また会えたことがうれしくて抱きあったわ。
圧倒的な愛と慈悲にあふれた神秘的な存在がそばにいた。
「戻りたいか?」と聞かれて「わかりません」って答えた。
当時は優柔不断だったから。
しばらく話し合って、肉体に戻ると決めた。
本当に難しい選択だったわ。
圧倒的な愛に満ちた場所にいたんですもの。
そこにいると本当の故郷にいるのだと実感した。
でも私は肉体に戻ったのよ。
1日以上たって、私はICUで目覚めた。
体中、チューブやワイヤーだらけだったわ。
でも、この深遠な体験については話せなかった。
しばらくして手術室にいたフロア ―― あの時見えたナースステーションがあるところ ――
に戻った私は、ようやく勇気をとり出して、看護師のひとりに臨死体験でみたものを話したの。
その看護師はショックを受け、怖がっているみたいだった。
そこはカソリックの病院だったから、
修道女が私の話を聞くために送り込まれてきたのはまあ、当然よね。
私が自分の体験を丁寧に説明すると、修道女はじっくり耳を傾けたあと、
「悪魔の仕業」だと断言したの。
そのあと誰にも臨死体験を話したくなくなったのも、無理ないでしょう」
<感謝合掌 平成28年2月24日 頓首再拝>
[死後の生の証拠] - 伝統
2016/02/26 (Fri) 18:06:33
*「臨死体験 9つの証拠」(P71~78)より
(1)証拠1・・・明晰な死
臨死体験は意識を失い、臨床的に死んだ状態で起こるにもかかわらず、
体験中の意識と注意力のレベルは、日常生活のいかなる場面より高い。
臨死体験の特徴は、一貫した論理的な順序に従って起こる。
・・・
意識不明、あるいは臨床的に死亡しているとき、非常に系統だった
明瞭な体験をするというのは、医学的に説明不可能である。
私たちNDERFの調査では、「身体状況がこのまま改善しなければ死に至る」と
予想されるくらい身体機能が低下している者を「臨死」状態にあると定義している。
臨死状態にある者は通常意識不明で、
呼吸と心拍が停止し、臨床的に死亡している場合もある。
臨床的な死亡状態で「意識を伴った経験」をするのがどれほど驚嘆すべきことか?
心臓が止まったらたちまち脳への血流が止まるという事実を伝えれば
少しは解ってもらえるだろうか。
脳への血流が止まって、だいたい10秒から20秒で、
意識を保つのに必要な脳の活動はストップする。
(2)証拠2・・・体外離脱
体外離脱状態で臨死体験者が見聞きするものは現実的で、
あとになって体験者やほかの人がそれを事実だと確認することも多い。
・・・
臨死体験者は、しばしば体外離脱状態に陥り、
そこで見聞した内容はほぼ常に現実と矛盾しない。
臨死体験者は多くの場合、最初の特徴として体外離脱を体験する。
そして見えるはずのない出来事を描写する。
見るはずがないというのは、主に彼らが意識不明状態である為だが、
ときには肉体から遠く離れた出来事を説明しているためである。
意識が抜け出たあとの肉体や、自分に施される懸命な蘇生処置を目撃するケースが多い。
何百もの事例で報告されているこれらの描写は、現実と矛盾しないことが報告されている。
(3)証拠3・・・盲人の視覚
視覚障害者や盲目の人でさえも、臨死体験中には、
正常あるいはそれ以上の視覚的なビジョンを見た人もいる。
・・・
盲目の人たちにも臨死体験は起こり、視覚的体験を伴うことが多い。
生まれつき完全に盲目の人は、目の見える私たちが日常認識している
視覚的な世界を全く認識できない。
だから彼らに視覚をわかってもらおうと別の四感にたとえても、うまくいかない。
それなのに彼らの臨死体験には、多くの場合視覚的な体験が含まれている。
(4)証拠4・・・ありえない意識の向上
意識があるはずもない全身麻酔下で、典型的な臨死体験が起こることもある。
・・・
いかなる類の意識もあるはずもない全身麻酔下で、臨死体験が起こっている。
全身麻酔下で明晰な体験は不可能で、
ましてや日常より意識レベルがあがることなどありえない。
しかし調査では、全身麻酔下での臨死体験が何ダースも寄せられた。
次に挙げるデボラの例もそのひとつだ。
彼女は13歳のときに簡単な手術を受けるため入院し、麻酔が原因で心臓が停止した。
医師が懸命に蘇生を試みる中、デボラは突然、自分が体外に出ているのに気づいた。
【手術中に麻酔のため心臓が止まった・・・。
気づくと天井に浮いていて、台の上に横たわっている私の体が見えた。
医師たちが焦って、私が死にそうだと話していた。
怖くはなかった。
とても親切な人がふたり、一緒にいてくれたから。
そのときは天使だと思った。
心配しなくていいよ。守ってあげるからと言ってくれた。
ヒュン、と音がしたと思ったら暗いトンネルに入って、光に向かって進んでいた・・・。
女の人が私に手を差し伸べてくれた。私が誰だか知っていて、しかも愛してくれている
ようで、そばに居ると安心できた。誰かはわからなかったけれど・・・。
手術から何年もたってから、たまたま父方の祖母の写真を見せてくれた。
父を生むときに亡くなったそのひとは、トンネルを抜けた先で
私の手をにぎってくれたきれいな女性だった。
それまでは一度も写真を見たことがなかった】
(5)証拠5・・・完璧な回想
臨死体験中に見るライフ・レビューには、
体験者の人生に実際に起きた出来事が現れる。
忘れていた出来事を見ることもある。
・・・
臨死体験中のライフ・レビューは、たとえ本人が出来事をすっかり忘れていても、
体験者の人生を正確に再現している。
以下は、麻酔の合併症で死にかけたインドの若い女性の例である。
【頭の中に明瞭な認識の世界が広がっていた。やがて映像が見え出した。
カラーだったと思う。私と私の人生がテーマの映画みたいだったけれど、始まりが
現在からで、過去へと逆回しだった。
見える映像は母、その他の家族、それ以外の人たちなど家族に関するもので、
私にとっていちばん大切な愛といたわりに満ちた関係が焦点になっていた。
私はそうした関係の本当の意味を実感して、登場する人たちに愛と感謝を感じた。
パノラマみたいな人生の映像はとても鮮明で、出来事や人間関係の細部が全部映し出さ
れていた ―― 特に人間関係には、大切な何かが凝縮されているようだった。
ライフ・レビューはゆっくりと始まったけれど、速度が増していった。
フィルムのリールが壊れたようにどんどん速くなって、やがて頭の中の宇宙と同調して
自分が叫ぶのが聞こえた。
クレッシェンドで、「アッラーは偉大なり!」と】
(6)証拠6・・・家族との再会
臨死体験中に出会うと人物は、ほとんどが故人で、しかも身内である。
・・・
臨死体験中に出会うのは、まず例外なしにその時点で死亡している人間で、
ほとんどの場合、親族である。
臨死体験中に知り合いと出会うとき、それは必ずと言っていいほど死んでいる人間だ。
対照的に、夢や幻覚の中で会うのは生きている人間が多い。
これも臨死体験と夢や幻覚とを区別する際立った特徴で、
臨死体験の信憑性をいっそう裏付けている。
臨死体験者が見覚えのある人物に出会う事例は多いが、誰だかわからないこともある。
しかし、のちに一族の古い写真を見るなどして、身元が判明するケースもある。
(7)証拠7・・・幼子の言葉から
5歳以下の幼児を含む子供の臨死体験は、
6歳以上の子供たちや大人たちのものと驚くほどよく似ている。
・・・
幼い子供の臨死体験と大人の臨死体験の内容が驚くほど似通っているという事実は、
それらが現世での何らかの信条に影響されたものではないと強く示唆している。
5歳以下の幼い子も含めた子供たちの臨死体験の特徴は、
大人の臨死体験の特徴とほぼ一致する。
この事実自体が、臨死体験は、夢やでっちあげではなく本物だという強力な証拠だ。
なぜなら子供たちは大人と違ってほぼ確実に、
今まで臨死体験のことなど耳にしてこなかったはずだからだ。
彼らはライフ・レビュー、トンネル体験といった臨死体験の特徴をおそらく何も知らない。
自ら臨死体験 ―― 多くは生まれて初めて ―― をして初めて、
そうしたものの存在に気付く。
子供と大人の臨死体験の特徴がほぼ一致するという事実は、
臨死体験が真実で、何らかの信条や文化的影響、人生経験に触発されたものではない
というもっとも強力な証拠と言える。
(8)証拠8・・・世界的な共通点
臨死体験の内容は世界で共通している。
非欧米諸国での体験も、欧米諸国での典型的な例と同じである。
・・・
世界中の臨死体験の内容が驚くほど共通しているのは、臨死体験が本物だという証拠である。
この事実をわかりやすく示すたとえ話がある。
アメリカ人とスペイン人とメキシコ人の家族がパリへ行ったら、
3家族とも同じエッフェル塔を見るか?
答えはもちろんイエス。
違いが出るとすれば、それぞれの説明の仕方である。
これと同じことが、異なる文化圏の臨死体験者たちについても言える。
私たちのもとに世界中から寄せられる体験談からは、
その内容の驚くべき共通性が見てとれる。
(9)証拠9・・・変えられた人生
臨死体験後の余波として、体験者の人生が変わることがよくある。
余波の影響力は強く持続性があり、共通したパターンのあとに変化が表れる。
・・・
臨死体験者は、体験後にさまざまな面で変化を遂げ、その多くは一生続く。
研究では、臨死体験後にその人の人生にはっきりした
長期的な変化が起こるという結果が出ている。
まず臨死体験者は死への恐怖が薄れ、
これと反比例するように死後の「生」を信じるようになる。
さらに、他人との関係に於いて、より愛情と思いやりを示すようになる。
死から生還したあと、人を助けたり癒したりする職業を目指すケースが見られた。
さらに彼らの多くは臨死体験によって大きく変わり、
それまでとは違う人間、つまりより善良な人間になっている。
<感謝合掌 平成28年2月26日 頓首再拝>
[完璧な回想] - 伝統
2016/02/28 (Sun) 19:00:49
マークの体験
*「臨死体験 9つの証拠」(P156~158)より
紹介するのはマークという若い男性のライフ・レビューだ。
彼はタホ湖近くをジープでドライブ中、雪道で滑って電柱に激突した。
そして車と電柱の間で押しつぶされ、重傷を負った。
このひどい事故のせいで本格的な臨死体験をしたが、
それには本書の冒頭で述べたほとんどの特徴が含まれている。
その中のひとつが、完全なライフ・レビューである。
これを読む前に、完全なるライフ・レビューはいくつかの共通する
特長があることに注意してほしい。
たとえばマークは、彼の人生で実際に合った出来事を、まるで映画の一場面のように見ている。
自分のライフ・レビューについて語るとき、臨死体験者の多くが映画という表現を使っている。
奇妙な夢のようなものとは違い、彼は自分の再体験に感情移入している。
当たり前のようだが、自分の気持ちだけではなく、
ほかの人がどう感じたのかまで知ることが出来るのだ。
また彼は、自分の人生や人間の一生というものについて、いくつかの真理にたどり着いている。
臨死体験を通した自己認識のおかげで、彼は残りの人生で自分が変わるための指針を手に入れた。
アンケートにはこう書かれている。
「全ての人生は死で終わる。恐れることはない。『死は最高の冒険だ』と言ったのは、
ピーターパンだったろうか? 誰もがこの旅に出かける。死が訪れたら、恐れずに楽しもう」
以下はマークのライフ・レビューだ。
[ どんなふうに始まったのかはっきりしないが、
いわゆる「人生が走馬灯のように駆け巡る」とか、
「ライフ・レビュー」とか呼ばれているようなことが自分に起こっていた。
人生でやってきたさまざまなことについて、自分の感情を再び経験するだけでなく、
周囲の人々の感情までも経験するのだ。いちばん衝撃的だったのが、母の感情だ。
子供のとき養子になったぼくは、ちょっとした問題児だった。
少年時代はほかの子に暴力をふるい、ドラッグやアルコールに溺れ、盗みをし、
めちゃくちゃに車を乗り回し、成績も悪く、物を壊し、妹や動物を虐待した。
問題行動を並べだすときりがないほどだ。
要するに、こうした出来事全てを体験し、自分や周囲の人間の感情も体感したのだ。
だが、もっとも心に残ったのは、思ってもみなかった母の感情だった。
彼女は、ぼくの死を知って深い悲しみに打ちのめされたが、
息子がいざこざばかり起こしてきたことに対する複雑な感情も抱いているようだった。
善い行いを何もせず、こんなに早く人生を終えてしまうことが悲劇的であるのは、
私にもなんとなくわかった。
母の気持ちを知ったおかげで、人生にまだやり残したことがあると悟った。
母や友達の悲しみは、とても深いものだった。
問題ばかり起こしていたが、ぼくは友達に恵まれ、
有名人とは言えないまでも人気者だったので、多くの人々がぼくの人生を、
どうとらえているか知ることが出来た。
とりわけ母の悲しみを知ったことにより、その後の人生が大きく変わった ]
・・・
ロジャーの体験:(P160)
ロジャーはケベック市から友人と帰る途中、車の運転を誤って他の車と正面衝突した。
すぐに自分の肉体からと離脱し、事故現場を見下ろしていた。
僕は誰もいない暗い場所に行ったが、怖いとは思わなかった。
とても静かな場所だった。
そして、赤ん坊の頃から大人になるまでの自分の人生が
映画のようにスクリーンに映し出されるのを見た。
驚くほどリアルで3D映画よりもよくできており、
長年付き合ってきた人々の心まで感じることができた。
僕が彼らに味わわせた、良い気分や嫌な気持ちも感じられた。
彼らに良くすればプラスされ、嫌なことをすればマイナスされる。
そんなカルマのポイントがあるのだと知った。
・・・
リンダの体験:(P161)
リンダは薬の量を間違えて、一度に8錠服用してベッドで気を失ったまま死んでしまった
私は生まれてから今までの出来事をすべて、一瞬で目にした。
そして自分が他人に与えた苦しみや喜びを感じた。
幸せか、と神に聞かれ、幸せだと答えた。
どんなふうに感じるかと聞かれ、少し緊張していると答えた。
人生がうまくいかないのはいつも緊張しているせいだと神は説明してくれた。
善よりも悪の影響力の方が強ければ、あなたは悪に流されるとも。
だからあなたが根っからの悪人なら、いやな思いばかりするだろう。
もしも思いやりと愛情をもって人に親切にすれば、天国で至福の時を過ごせるだろう。
うまく説明できないが、私をそれほど不快ではなかった。
楽しく明るく気楽な気分だったが、少し緊張していた。
ジェットコースターにのっているかのように、
だが、全体的に見れば善の影響を強く受けていて、心は落ち着いていたと思う。
・・・
その他、いくつかの事例の紹介(P163~167)
☆回想は一瞬の出来事だったが、その速さとは関係なく、私はすぐに全てを理解した。
☆光の中で私は人生を回想し、すべてのものを見た。
人生で考えたこと、話した言葉、やったこと、やらなかったこと全てが目の前に現れた。
☆その光は私の全てを知っていた。
私が思ったこと、行ったこと、してきたことなど何もかも。
そして私の人生すべてを一瞬で見せてくれた。
これまで生きてきた人生、そしてもし生還したのなら、そこから続いていく人生も。
すべては同時にそこにあった。
すべての因果関係の詳細も、いいことも悪いことも、私の人生が他人に与えた影響も、
私に関わったすべての人が私に与えた影響も。
<感謝合掌 平成28年2月28日 頓首再拝>