伝統板・第二

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上機嫌 - 夕刻版

2016/01/25 (Mon) 19:05:32

このスレッドでは、上機嫌(上氣元)に関する情報を紹介して参ります。



《機嫌の悪さは人に感染する》

         *『生活の智慧365章』(P136)より

御機嫌が悪いということは自分だけの問題であり、その時の生理作用であり、
頭の具合によるのであり、他の人の関する事ではないし、それは何も重大な事柄ではない
と考えている人もあるけれども、これは非常に重大な問題なのである。

人間は1個の精神ラジオ・セット又は生きたテレビ・セットとして
自分の気分に波長の合ったものを受信し受像して、
それを自己の運命として、具体化するものだからである。

機嫌の悪さは、単にその人一個を不幸に突き落すだけではなく、
その人に触れる殆どすべての人に、その不機嫌を感染させ、
他の人々をも不幸の運命に巻き込むことになるのである。

だから、“機嫌の悪さ”は単なる自己虐待であるばかりでなく、
他の人々をも不幸に陥れる罪悪であり、それを感染させて行くとき、
大なる戦争さえも起こりかねないのである。

世界の人々がフルシチョフのご機嫌がよかったとか、
悪かったとかで一喜一憂しているのもそのためである。

            <感謝合掌 平成28年1月25日 頓首再拝>

【幼児性の克服】 - 伝統

2016/01/27 (Wed) 19:04:49


         *メルマガ「人の心に火を灯す(2016年01月25日)」より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   もし、言いたいことがあるときは、お互いに意見を主張すればいいのですが、
   それは笑顔で言えばいいことであって、ケンカをする必要はないんですね。

   大人になるということはケンカをしないということですから。


   さらに、家庭のことで言いますと、同じ言葉を他人から言われたときに、
   怒らないで踏み留まることができるにもかかわらず、
   同じ言葉を妻から言われるとものすごく腹を立てて爆発してしまう夫がいます。

   また、同じ言葉を他人から言われても怒らないけれども、
   夫から言われるとキレてしまう妻がいます。


   それは、どういうことかと言うと、外では踏み留まる能力があるにもかかわらず、
   家庭では踏み留まらないということなんですね。

   《踏み留まれない》のではなくて、《踏み留まらない》んです。

   これを一言で言うと“幼児性”です。


   実は、“幼児性の克服”のためにも結婚というものが存在します。

   家庭を持って、妻に対して夫に対して、あるいは子供に対して、
   「私」が気に入らなくて爆発する、その「私」の“幼児性”を是正するために
   結婚というものがあり、家庭というものが存在します。

   家庭というものは、ただ自分の思いを通すための甘える場所でも、
   ストレスを発散させる場所でもありません。

   幼児性を削っていって大人になっていく作業の場所として、
   結婚があり、家庭が存在するということです。

         <『楽しい人生を生きる宇宙の法則』講談社>

             ・・・

人それぞれ、その人の幼児性が出やすい場所がある。

たとえばある人は、飲食店やショップでのサービスや対応にキレてしまったり、怒鳴ってしまう。

ある人は、会社の中で、部下に怒ったり、怒鳴ったりしてしまう。

ある人は、家庭の中で、妻(夫)や子どもに対して、大声で怒ったりしてしまう。


怒鳴ったり、怒ったり、キレたりする場所は、
多くは自分が反撃されたり、相手が向かってこないと自分自身が思い込んでいる場所。

何か言ったら、相手にボコボコにされてしまうと思えば、怒ったりせずに我慢する。


幼児性を持つ人は、自律(自立)していない人。

自分で自分を律することができない人、自分の感情を自己コントロールできない人。

相手を思いやったり、相手の立場に立つことができない。


「大人になるということはケンカをしないということ」

威張ったり、怒鳴ったり、キレたり、怒ったりするのはカッコ悪いし、粋じゃない。

つまり、大人じゃない。


どんなときも、ニコッと笑って静かに話ができる大人でありたい。

            <感謝合掌 平成28年1月27日 頓首再拝>

【怒りを遠ざける方法】 - 伝統

2016/01/29 (Fri) 19:06:16


         *メルマガ「美容と健康ひとくちメモ」(2016/01/11)より

人は怒ると、自律神経が乱れて、交感神経が活発になり、
これによって心拍数や血圧が上がり、血管が収縮するため、血流が悪化して
全身の細胞に栄養が行きわたらなくなって健康を阻害してしまうそうです。

また、怒りは交感神経からのアドレナリンの分泌を増やすことも重要なポイントで、
このアドレナリンには血小板の働きを活発にして、血液を固める作用があるため、
血流が悪くなり、血がドロドロに。

しかも一度乱れた自律神経は3時間も乱れたままになるらしいです。

もちろん「怒り」をまったく感じずに生活することは至難の業ですが、

「怒りを遠ざける方法」対処法として、

(1)水を飲む、

(2)部屋を片付ける、

(3)口角を上げる、

(4)背筋を伸ばす、

(5)ゆっくり歩く、

(6)ため息をつく、

などだそうです。

            <感謝合掌 平成28年1月29日 頓首再拝>

どんなときも冷静になる - 伝統

2016/02/01 (Mon) 20:44:09


       *「強運のつかみ方」橋本 京明・著(P78~81)より

(1)この世にはさまざまなネガティブな感情が存在しますが、そのなかで
   もっとも瞬発的な負のエネルギーをまき散らすのは「怒り」の感情です。

  ①怒りは運を遠ざける、もっとも大きな原因。

  ②怒りの持つ負のパワーは、一瞬で幸せな気分や穏やかな気分を吹き飛ばし、
   心を闇で包んでしまいます。

  ③怒りの感情を表出し、怒鳴り散らしてしまえば、その負のパワーは周りをも
   巻き込んで、自分だけでなく周りの人の運気まで落としてしまいます。
   その結果、トラブルに巻き込まれることも多くなってしまうのです。

  ④一方、怒りの感情を、自分のなかに抑えつけると、心のなかで暴れ出し、
   気持ちをざわつかせます。結果、態度や表情を通して周囲に伝わっていきます。
   そのため、近寄りがたくなり、人がどんどん離れていき、運も下がってしまうのです。

(2)「怒り」の感情と無縁でいるためには、

  ①怒りを抑え込めばいつか爆発しますから、
   まずはネガティブな感情を認め、感じてあげるのです。

  ②そして、2~3回深呼吸をしてみましょう。
   怒っているときはたいてい呼吸が浅くなっているので、
   深く息を吸い込むことで、感情を落着かせることができます。

  ③そのうえで、自分自身を観察します。
   冷静になって自分の気持ちを掘り下げていくと、
   なぜ怒りが湧いてきたのか、その理由がわかってきます。

  ④怒りを生んでしまった理由を分析すると、感情的な気持ちがスッと引いていきます。

   それでも自分の気持ちを伝えたいときは、決して感情的にならず、
   冷静になって自分の伝えたいことを淡々と伝えればいいのです。

   自分の気持ちを理解してそれを言葉にできたら、
   相手はあなたに一目置くようになるでしょう。

   そそ結果、良いご縁が舞い込み、運が運ばれてくるのです。

  ⑤ただ、ときにはどうしても怒りが収まらないこともあります。
   そんなときは、「冷静な対応をしたほうが、自分が得する。自分の運気アップにつながる」
   と思いましょう。

(3)どんなときも感情的にならない。
   これは、強運な人になるために必要不可欠なことです。

            <感謝合掌 平成28年2月1日 頓首再拝>

「上気元でいる人」に、奇跡が起きる - 伝統

2016/02/04 (Thu) 18:40:17


             *「上気元の魔法」斎藤一人・著(P10~13)より


人の機嫌には「上気元」「中機嫌」「不機嫌」があります。

いつも不機嫌の人は、不機嫌な出来事がしょっちゅう起こります。

中機嫌の人は機嫌の良い時も、悪い時もある普通の人です。
普通の人には、普通のことが起こります。

普通にしていて「なにかいいことありませんか?」って言う人がいますが
普通の人には普通のことしか起こりません。


いつも「上気元」でいる人にだけ、奇跡が起こるのです。
「上気元」にしている人って、目立つんです。

いま、世間では、不機嫌や中機嫌の人がほとんどです。
その中で「上気元」でいる人は光輝いて見えるんです。

「上気元の人」は、世間から見ていても光っているけれど、
天から見ていても光って見えます。

運のいい人になるには、神さまから「マル(○)」をもらわなくてはなりません。
神さまがマルをくれるのは、「上気元」の人だけです。

神さまからマルをもらおうと思ったら、毎日どのくらい「上気元」でいられるかどうか。
それにかかっているんです。

            <感謝合掌 平成28年2月4日 頓首再拝>

”感情のコントロール” - 伝統

2016/02/07 (Sun) 18:43:17


           *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年11月07日)」より
 
   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   日本語の《優しい》という意味は、正しく説明すると、
   力の強い立場の者が弱い者に対して、その権力を行使しないことを
   《優しい》といいます。

   社長や専務、人の上に立っている人が《優しい》ということは、
   自分の強い力を誇示しないということ。

   強引なもの言いをしたり、怒ったり、威張ったりしないこと。

   その権力を行使しないことを《優しい》といいます。


   社長というのは、社員の向こうにいるお客さまに対して、
   直接的 に笑顔を示す必要はありません。

   中にいる社員全員を明るくて楽しくて幸せでニコニコしている社員にすること
   ができたら、この社長は、毎日何もしなくてもいい。

   社員が嬉々として楽しく働いてくれます。

   社員というのは、いちばん近い味方なわけですから。


   経営者の立場からすると、怒りたくないと思っても、社員が業務に支障をきたす
   ようなことをしたときには、怒らざるを得ないという方も、いらっしゃいます。

    私はこう答えるようにしています。


   「その部下が、とんでもないミスをしたことは事実かもしれない。
   社長さんが言っていることは100%正しいかもしれないけれど、
   そのどうしようもない社員に対して、自分の感情がコントロールできず、
   すぐ怒ったり、苛立ったりしてしまう・・・
 
   そんなどうしようもない社長が、あなたなのですよね。
   その社員とちょうどいい社長なんですよね」


   どんな理由があっても、どんなに自分が100%正しいと思っていても、
   《争うこと、闘うこと、怒鳴ること、威張ること》がもう不正義でしょう。

   怒った人は、怒った瞬間に100%間違っていると思います。


   “権力者”は、
   絶対に威張ったり、怒ったり、怒鳴ったりしてはいけない。

   中観管理職である部長や課長に「部下に優しくあれ」と
   指導・教育できるのは、社長しかいない。

   どんな立場でも腹を立てたり、怒ったりしない人を人格者といいますが、
   その人格者である社長、専務のもとには、その人格者に合った、
   人柄がいいよく仕事をしてくれる社員がくっついてきます。


   怒鳴ったり、威張ったり、すごくきつい言葉を使ったり、イライラしたりする人には、
   その人格に“ちょうどいい”社員しか集まってこない。

   イライラさせる社員しか集まらないのです。

          <『すべてを味方 すべてが味方』三笠書房>

               ・・・

「感情のコントロール」が必要なことは、なにも会社の社長でなくても、
親や、学校の先生など、リーダーや権威者などにみな言えること。

心理学(交流分析)で言うなら、
自分の感情をコントロールできる人のことを、「大人」という。

感情をコントロールできない人のことを、「子ども」という。


もし、たった一つだけ「怒ってもいい(大声をだして注意する)」という場合がある
とすれば、それは誰かが「命の危険」にさらされたとき。

「子どもが急に道路に飛び出そうとしたとき」などに大声で、
「危ない! 」「やめなさい! 」などと言う場合だけ。


昨今は公の場においても、
「感情のコントロール」ができない人が多くいる。

この世には、怒らせたり、イライラさせる人がいるわけではなく、
「怒ったり」、「イライラする」自分がいるだけ。

なぜなら、同じ人を見ても、怒らない人もいれば、
イライラしない人もいるからだ。


感情のコントロールができる人格者を目ざしたい。

            <感謝合掌 平成28年2月7日 頓首再拝>

機嫌の善さは万人を明るくする - 伝統

2016/02/10 (Wed) 19:50:36


           *『生活の智慧365章』(P136~137)より

「愛はよく耐え忍ぶ」と云うことは、愛深き人は、怒りや不機嫌を爆発さすとき、
その影響がどんなに多くの人々に破壊的結果をもたらすかを知っているからである。

御機嫌がよいと云うことはその人の心が明るいことであり、
心が明るい時には、その人のもって生まれた智能がいつもよりよく働くから、
よき考えが浮かび、よき仕事ができるということになるのである。

心明るき時には、不幸や災難の波長を受信することはないのである。

心明るき時には肩が凝らない。
筋肉が無理な緊張をしない。
人が自分を侮辱して来ても腹が立たない。

常に平和で、何事も善意に受けることができるのである。
新しき智慧が湧き出で、新しき勇気を生じ、どんな逆境をも好転させる不
思議なるインスピレーションを受けることができる。

次の如く念ぜよ。

 「私は神の子である。神は光である。私は光の子である。
 それゆえ私は常に心が明るくて、何事も光明面を見て暗黒を見ないのである。
 自分自身が光であるから暗(やみ)闇が近づいてもそれを光に変えてしまうことが
 できるのである。」

            <感謝合掌 平成28年2月10日 頓首再拝>

いつも機嫌がいい - 伝統

2016/02/12 (Fri) 19:11:03


             *「上気元の魔法」斎藤一人・著(P13~16)より


「一人さんって、いつも機嫌がいいですね」ってよく言われます。
私、いつも機嫌がいいんです。
それで、いつも幸せなんです。

これは、私が自分の”意思”で、幸せの方へ幸せの方へと、
いつも気持ちを向けているからです。

「一人さんって、イヤなことはないんですか? 」って聞かれることもあります。

イヤなことなんて、山ほどあります。(笑)

会社の社長をやっていると、どこかの支店でもめごとがあると、
全部、私のところに持ちこまれます。

そのもめごとを、かたっぱしからやっつけていく(笑)。

なにか問題が起こったら、楽しみながら解決していくんです。

私は、イヤなことを、イヤなことだと感じません。

「いい修行になった」

「これでひとつ魂が上に行けた」と思うんです。

何が起きても、幸せ方向に持っていく。
これが一人さんの”意思”です。

そう、幸せになるには”意思”が必要なんです。

不幸とは”感情のままに生きる”ということです。

感情に流されて生きると不幸になります。

            <感謝合掌 平成28年2月12日 頓首再拝>

【いつもご機嫌でいる方法】 - 伝統

2016/02/14 (Sun) 20:05:18


         *メルマガ「人の心に火を灯す(2016年02月14日)」より

   (水谷友紀子氏の心に響く言葉より…)

   以前、ある出版社の編集者から、
   「あの~、大変失礼な言い方に聞こえるかもしれないんですが、
   水谷さんてなんでいつもノー天気なんですか? 」と質問されたことがあります(笑)。

   また、コーチングのクライアントのみなさんからも
   「水谷先生って、どうしていつもそんなにご機嫌なのですか? 」
   と言われることも度々あります。

   そんなときの私の答えはいつも同じです。


   「コーチングの最中とか、もしくは講演やセミナーでみなさんの前で喋っているときとか、
   つまり誰かとお話ししているときにはそれに集中しているのでやってはいませんが、
   ひとりでいるときには私は年がら年中自分と喋っていて、
   自分に『嫌な言葉』をほとんど聞かせないからです」と。

   つまり、私はいつも自分自身に向かって「キャ~ッ! 上手、上手~つ! 」とか、
   「私ってすごい、すっご~い! 」とか、「私ったらなんて天才なんでしょう! 」などなど、
   一日中喋ったり叫んだりしまくってくるのです。

   挙げ句の果てには年中「パチパチ! パチパチ! 」と自分自身に拍手までしている始末
   なので、きっと同居している母からすれば「また、ひとりでパチパチやってるわ~」と
   内心呆れ果てていることでしょう。


   残念ながら私たちは無意識に「8割方」心の中にネガティブな言葉を抱いてしまう
   生き物なのです。

   小さい頃から両親をはじめとする周囲の大人たちから聞かされてきた
   「ネガティブな言葉」が、心の中にビ~ッシリこびりついてしまっていて、
   それらが次から次へと頭に上がってきてしまうからです。


   「ああ、失敗したらどうしよう? 」

   「どうせ無理に決まっている」

   「私なんてなんの取り柄もないのよ」

   「私が上手くいくわけがない」

   「いつまでこんな貧乏生活が続くのかしら? 」

   「どうして私ったらいつもできないの? 」

   などなど…。

   そして、こんな言葉を聞きながら、こんな言葉にいつの間にかやっつけられてしまい、
   ひとり落ち込んでしまっているというわけです。


   このような「心のカラクリ」をもうずいぶん前に理解してしまったので、
   私はいつも自分自身に意識的に話しかけ、「ポジティブな言葉」ばかりを
   浴びせるようにしたわけです。

   「上手、上手~つ! 」とか「すっご~い! 」などと聞かされて、
   「嫌~な気分」になる人はまずいないでしょうからね。

   そして、私の場合はもう何十年も自分自身に意識的に話しかけ、
   「キャッキャ!キャッキャ! 」と自分自身と遊んでばかりいたので、
   いまではもうすっかりこれが「癖」「習慣」になってしまったというわけです。

   つまり、「落ち込め」と誰かに言われたとしても、
   その「原因」がほとんど自分の心の中に見当たらないので落ち込みようがなく、
   従がっていつも「ノー天気」「ご機嫌」な状態に保てるというわけです。

   そして、ネガティブな思いをほとんど出さないからこそ、
   自分の人生にまた楽しいこと、嬉しいことを次から次へと引き寄せることができるわけです。


   さあ、今日から意識的に自分に話しかける習慣をつけてください。

   もちろん、自分を励ます言葉や褒める言葉も選んでくださいね。

   そして、自分自身と上手に戯れる術を身につけて、いつもご機嫌に過ごしましょう!


       <『「ご機嫌」でいれば、「奇跡」がついてくる!』講談社>

                  ・・・

ある心理学の先生から聞いた話だが、
人はだれも、「愛情袋」という袋を持っているという。

その愛情袋に愛が一杯あふれていないと、
他人に、優しさとか、思いやりとか、気づかいといった愛を与えることができない。


愛情袋に愛をためるには、
例えば、人からほめられたとき、
それを「ありがとう」と言って素直に受け取ること。

「そんなことないです」「いえいえ、たいしたことないですから」と言ったら
受け取りを拒否していることになる。


もう一つの愛をためる方法は、自分で自分をほめたり、認めたりすること。

何かうまくいったとき、自分自身に
「すごいね!」「やった!」「なかなかやるね!」とほめ言葉をかけるとか、
ガッツポーズするとか、自分に拍手する。


愛情袋に愛がたまっていれば、いつもご機嫌でいられる。

いつもご機嫌でいる術(すべ)を身につけたい。

            <感謝合掌 平成28年2月14日 頓首再拝>

人は放っておくと「不安」を感じるようにできている - 伝統

2016/02/17 (Wed) 18:04:42


             *「上気元の魔法」斎藤一人・著(P16~18)より

人間っていうのは、放っておくと「不安なこと」を考えるようにできているんです。

人は不安を解消させるために、動き回ります。
忙しく動いているうちに、不安は消えていきます。

昔は、生きていくには、やることが山ほどあったんです。

ところがいまはどうでしょう。

スーパーや洋服店へ行けば、安くて、いいものがたくさん売っている。

この「なんにもしなくてもいい」というヒマな状態が、
人をますます不安にさせるのです。

            <感謝合掌 平成28年2月17日 頓首再拝>

《心を平静にするには反省せよ》 - 伝統

2016/02/19 (Fri) 21:08:08


           *『 生長の家 』(昭和26年1月20日)の法語より

   心が感情で激動し、神の方へ集注することが出来ない場合には、
   屹度(きっと)それは何か 「 身びいき 」 の我の考えにとらわれているか、
   相手の身になって考えてやらないからである。

   自分に 「 身びいき 」 の考えはないか、
   相手にとって止むを得ないのではないか考えよ。

   更に自分の今考えていることだけが善いことではなく、
   その今考えていることが 妨げられることが却(かえ)って
   一層よくなって来るために、
   神が彼をつかわし給(たま)うているのではないかを充分考えよ。


   そうした反省が入って来るとき、
   激情は止み、心は平静となり、他を赦すことが出来、

   自分の心も解(ほど)けて 神の智慧が流れ入って来るのである。


   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51

            <感謝合掌 平成28年2月19日 頓首再拝>

怒りを静める方法 - 伝統

2016/02/21 (Sun) 18:52:50


      *「EQ こころの知能指数」ダニエル・ゴールマン(著)(P120~121)より

(1)ツィルマン博士は怒りをコントロールする方法を2通りあげている。

  ①ひとつは、怒りの発端となった理由をもういちど問い直してみる方法。
   怒りは、最初に衝突があり、それに対する評価から発生し、
   さらに評価検討がくりかえされて増大していくからだ。

  ②第2の方法は、さらなる怒りを喚起する要因のない環境に身を移して、
   急増したアドレナリンのほとぼりがさめるのを待つ。

(2)怒りを静める方法で効果が期待できそうなのは、
   怒りが静まるまでひとりきりになるという方法だ。


            <感謝合掌 平成28年2月21日 頓首再拝>

自分の”意思”でいくらでも幸せの方に心を向けられる - 伝統

2016/02/23 (Tue) 19:14:02


             *「上気元の魔法」斎藤一人・著(P18~21)より

人は放っておくと、自分にとって「最悪な状況」を考えるようになっています。
自分の身を守る防衛本能として「不安」がわきあがってくるようになっているんです。

不安に行きそうな気持ちを、幸せのほうへ向けるには”意思”がいるんです。
何が起こっても、幸せなことを考えるように”意思”でもっていくんです。

「何かいいことがあったから幸せ」なにではありません。

毎日の生活の中での小さなこと、みんなが「あたりまえ」と思って見逃してしまい
そうになることこそ、幸せを感じていると、「上気元」になれるんです。

幸せなことって、どんな状況でも、必ずあるんですよ。

たとえば、

「今日もごはん食べれて幸せだな」とか
「朝目が覚めて幸せだな」とか。

「なんで、目が覚めただけで幸せなんですか? 」って思う人もいるかもしれません。
だって、眠ったまま、目が覚めなかった火とって、いっぱいいるんですよね。
眠ったまま死んじゃっている人もいるんですよね。

そう考えていくと、「目が覚めたら。幸せ」なんです。

そうやって、いろんなことを「幸せだ、幸せだ」って気づける人は、
明日もたくさんの幸せに気づけるんです。

なぜかって言うと、幸せとは、”意思”なんです。

自分で方向づけることができる。
自分の意思でいくらでも、幸せの方へ心を向けられるんですよ。

            <感謝合掌 平成28年2月23日 頓首再拝>

3分以内に怒り発散! インスタント解消法 - 伝統

2016/02/26 (Fri) 18:04:46


        *『怒るのをやめると奇跡が起こる♪』佳川 奈未・著(P25~30)より

(1)自分の中に発生したささいな怒りやイライラは、
   発生したそのつど、インスタントに解消しましょう。

   できれば、3分以内に!! 

   バクダン処理は「迅速に」がモットーです!


(2)怒りのエネルギーというのは、
   体を動かさないと自分の中から発散させにくいものなのです。

   何かしら声を出したり、アクションをひとつでもしたりすることで、
   エネルギーをうまく放出できるので、かんたんに怒りを発散できるのです。


(3)インスタント解消法(例)

   「いらないチラシや新聞紙や紙やノートをなんでもいいから破る」

   「席を立ち、早足で歩いて外にでも行くか、階段をスタスタ駆け上がって屋上にでも行く」

            <感謝合掌 平成28年2月26日 頓首再拝>

ごきげんな人 - 伝統

2016/02/29 (Mon) 20:25:16


     *『ごきげんな人は10年長生きできる』(ポジティブ心理学入門)坪田一男・著より

(1)Happy people live longer.ごきげんだから、長生きする。

(2)うまくいくから、ごきげんなのではない。
   「ごきげんだから、うまくいく。」

   思い通りにいかない事でも、楽観的に受け止めるか、悲観的にうけとめるかは、
   個人の選択次第。ポジティブに受け止めた方がよい。

(3)幸せと最も大きな相関関係があったのは、「睡眠」と「上司」。

(4)日本人の幸福度は、世界178ヶ国中90位。
   幸福度に関係するのは、健康と経済と教育。

   ギャラップ社による幸福を決定する5条件は、
   仕事、人間関係、お金、健康、地域社会への貢献。

(5)言葉の影響力は、我々が想像する以上に大きい。
   ネガティブな言葉より、ポジティブな言葉を使おう。

(6)寝る前に、一日三つの良かった事(嬉しかった事、楽しかった事等)を書き続けると、
   幸福度が上がる。

(7)幸福度を上げる方法と、アンチエイジング(老化防止)法は同じ。
   生活を楽しむ人は、心筋梗塞になりにくい。
   幸せな人には、週一回以上の運動習慣があり、喫煙者が少ない。

(8)アンチエイジングで最も重視されているのは、食事と運動。
   また、食事と運動は、うつの治療・改善にも重要である。

(9)心も体も自分が食べた物でできている。
   カロリー制限(腹八分)と血糖値を急激に上げないことが大事。

(10)幸福のパラドックス:

   生活評価は年収が多ければ多いほど高まるが、
   幸福度は年収約600万円で頭打ちになる。

   一人当たりのGDP(国内総生産)が1万2千ドルまでは、
   GDPと幸福感には相関関係がある。
   しかし、GDPがそれ以上になっても、幸福感はさほど増えない。

(11)幸せの相対理論:

   人は他人との比較で、幸福感が変わる。
   仕事や人間関係による幸福度を高めると、比較のジレンマから逃れられる。

(12)幸福度に最も大きなダメージを与えるのは、長期にわたる失業。
   仕事のほかにも、趣味や夢中になれる健康的なものを持っていると、
   幸せになりやすい。

(13)愛と絆がすべてを好転させる。
   人付き合いが苦手な人も、一人でいるのが好きな人も、
   最低1日3時間は誰かと一緒に過ごした方がいい。

(14)幸せは友達の友達の友達にまで伝染する。
   不幸もまた伝染する。

   幸せな人の周りには、幸せな仲間のネットワークができる。
   不幸な人の周りには不幸なネットワークができる。

(15)ポジティブな感情は、視野を広くし、想像力を高める。

(16)選択肢が多すぎると、人は不幸せになる。

(17)最大の幸福を求めるのではなく、満足人間になる。

   満足人間になるためには、人生における選択に
   絶対的な正解など無いということを理解することと、
   自分の価値基準をしっかり持つことが大事。

(18)ポジティブ感情とネガティブ感情の黄金比は3対1。
   ネガティブな感情も人類が生き延びるためには必要な感情。

(19)赤ちゃんの時のスキンシップは、健康で愛のある大人を育てる。

(20)自己概念(セルフコンセプト)が、ポジティブかネガティブかが、
   人生の成功、不成功に大きく影響する。

   自分は優秀だという、いわれなき万能感を持つことが大事。
   自分の強みを活かし、万能感を持って生活することが鍵である。

(21)大きな池の小さな魚より、小さな池の大きな魚の方が、幸福度は高い。
   難しい大学で成績が下のクラスの学生より、ワンランク偏差値レベルの低い大学で
   成績が上位クラスの学生の方が、自信や自尊心が高まり、学業も伸びる。

(22)終わりよければ、すべてよし。これも幸福度を上げる重要なポイント。

(23)不満には、感謝で対抗する。
   憎しみ怒りより、感謝や許すことが大事。

(24)自分以外の人へお金を使うか、自分の将来への投資のためにお金を使うと、
   幸福度が高まる。地域社会に貢献すると、幸福度は高まる。

(25)人の幸せを願うトレーニング。(思いやりトレーニング):
   先ず、家族から始めて、友人や会社や隣人の幸せを祈りましょう。
   最後に、嫌いな人の幸せも祈りましょう。(無理ならば、しなくてもよい。)

(26)「笑う門には福来る」は、科学的にも正しい。
   意識的に笑顔を作るだけでも、ポジティブな感情が高まる。

            <感謝合掌 平成28年2月29日 頓首再拝>

【文句を言ってもしょうがない】 - 伝統

2016/03/03 (Thu) 18:27:47


          *メルマガ「人の心に火を灯す」(2016年02月22日)より

   (竹村健一氏の心に響く言葉より…)

   人生にはいろいろなことがある。

   信じていた人に裏切られることも少なくない。
   しかし、そのときケジメをつけようとして、相手に詰め寄らないほうがいい。

   相手は「悪かった。もうこれからそんなことしない」と言うか、
   あるいはケンカになって別れるか、どちらかだ。

   そして、すぐ謝るような人間は、だいたいまた同じことをやる。

   ということは、どっちにしたところで、しょうがない。

   文句を言ってもしょうがないし、ケンカ別れしてしまうと、もう会えなくなる。

   そういうときは、人間ってそんなものなんだと、
   一種の諦観(ていかん)、あきらめを持つことだ。

   済んだことについてはあんまり嘆き悲しんだり、相手をボロクソに言ったりしないで、
   いいほうに物事を解釈していかないといけない。

   そういうほうが人間、簡単に言うとトクなのである。


   トクと言っても、何も金儲けとかいうことではない。
   腹を立てると血液が酸性になって身体にも悪い。

   まず胃がやられる。
   顔つきも悪くなる。

   しかも怒れば怒るひどだんだん相手が憎くなって殴りたくもなってくる。
   そんなのはエネルギーの損失でしかない。

   トクということで言えば、私は大学1年のとき逆にすごく損をした経験がある。

   その失敗談を書いてみる。


   私の恋人が田舎に行っていて、
   帰ってくるというので午後4時に駅で待ち合わせをした。

   ところがその時間になっても帰ってこない。

   田舎だから汽車が2時間に1本ぐらいしかないわけだ。

   それで、6時のにも8時の汽車にも乗っていない。

   だんだん腹が立ってきたが、それでも待った。

   最終の11時で降りてきたときは、もう腹が立ってピシャリと相手のほっぺたを叩いて、
   「お前なんかとはもうつき合わん」といって、自転車に乗って走り去った経験がある。


   しかしこれ、いまになって考えてみると、何ひとつトクなことはない。

   あのときに「お帰り」と言ってにこやかにしたら、
   相手は相手で約束の時間に遅れてすまないと思っているわけだから、
   非常にうまいこといったはずなのだ。

   それを殴るからケンカ別れしてしまって、あとは全然いいことないということになる。


   だから私はいつも言うのだが、そのときに駅でボーッと立っていないで、
   本でも読んでいればいい。

   そうすれば彼女が遅れてくればくるほどたくさん読める。

   4時の予定が11時になって7時間もあれば、本の1冊くらいは十分に読める。

   そして、彼女が帰ってきたときに
   「ありがとう。キミが遅れたおかげでこんなに本が読めた。こんなに賢くなった」

   と言えば、彼女はその晩は実に優しくしてくれるはずだ。

   それを、ほっぺたを叩くようなことをしたら絶対にダメ。

   なんにもトクしない。


   また、ある男が、毎月1億円の売上げの出せる広告代理店をつくるから資金を出してくれ、
   スポンサーもあるし絶対、大丈夫というから、出したことがある。

   それで社員を20名くらい集めて銀座に事務所を構えたが、
   1億どころか100万円しか売り上げがない。

   結局、言っていたスポンサーが全然つかなかったからなのだが、
   半年たってその男はいたたまれなくなってやめてしまった。

   しかし、私はその男に何も言わなかったし腹も立てなかった。

   彼に向かって腹を立てたところで、お金が戻ってくるわけではないのだ。

   その男だって悪気はなかったはずだ、と思っていたし、
   ひるがえって、悪いことされたとしても、そんなことされていない、
   何か都合があったんだろうと、私はそう思うことにしていたのである。

   結局、これがいちばんいい方法なのだ。


   そうやっていると、人生、だんだんうまく回転していくものだ。
   いいほうへいいほうへと行く。

   顔付きもよくなる、表情もよくなる、だから女にモテる、こういう好循環になる。

   人生は、やっぱり考えようでいくらでもよくなっていく。

   私などその見本のようなものである。

        <『開き直りのすすめ』青春出版社>

             ・・・

怒って状況が好転したり、問題が解決するなら、怒ることも有効だ。

だが、この地球という星では、怒って状況が好転することは、まずほとんどない。
むしろ、状況は悪化し、苦(にが)い気持ちが残る。

待つことに、イライラしない方法は2つある。

ひとつは、待っている間に、自分の好きなことをすること。

お酒を飲むとか、カフェで本を読むとか、
むしろ、相手が来なくたってゼンゼン気にならない、
と思えるような時間の過ごし方を知っていること。

もうひとつは、自分も遅れてしまうこと。

自分が遅れれば、相手に怒ったり、文句を言うことはない。


小林正観さんがいつも実行している「人をゆるす」方法だ。


誰もが怒って当然、というような状況で怒らなければ、その人の「格」は上がる。

余裕のある人、人格者、おおらかな人、度量の広い人、心の大きな人、と思われる。


「文句を言ってもしょうがない」

どんなときも、ニコニコと、ゆるし多き人でありたい。

            <感謝合掌 平成28年3月3日 頓首再拝>

気心腹口命 気心腹人己 - 伝統

2016/03/06 (Sun) 18:27:22

          *Webより

気は長く 心は丸く 腹立てず 口慎めば 命長かれ

「気」という文字は縦長
「心」という文字は丸い文字
「腹」という文字は立たせず寝かしてある
「口」は人の口を慎むが如く薄く
「命」という文字は縦長



気は長く 心はまるく 腹たてず 人は大きく 己は小さく

「気」という文字は縦長
「心」という文字は丸い文字
「腹」という文字は立たせず寝かしてある
「人」という文字は大きく
「己」という文字は小さく


    (http://ameblo.jp/micalifornia27/entry-11393839642.html

     (http://couragingword.com/goldenword2.html  → 中段の位置)

            <感謝合掌 平成28年3月6日 頓首再拝>

許せない人は神頼み - 伝統

2016/03/10 (Thu) 20:25:10


        *『怒るのをやめると奇跡が起こる♪』佳川 奈未・著(P162~165)より

(1)あなたがあなたの抱えているエネルギーをいい状態にしておくだけで、
   人生はよくなるほうに勝手に動くのです。

   すべての現象は、その人が抱えている感情のエネルギーの
   微弱振動(波動)の質に”見合ったもの”として、
   現れるだけだからです。


(2)自分が怒りを持って、相手と同じようになにかをしたならば、
   そのときあなたも相手と同じいやな人間になってしまいます。

(3)本当にこちらがなにも悪くなくて、相手だけが一方的に悪者であったとしたら、
   その怒りをどうやって解決すればいいでしょうか?

  ①最もいい方法は、「その人を神様に託す」ということです。

  ②「この人は手におえません。この問題は自分には解決するのが難しいです。
   すべてを神様にゆだねます。よろしくお願いいたします」と祈り、
   自分は自分の日常に戻るのです。

   心を整え、自分のすべきことをし、淡々と生きるのです。

   すると、不思議なことが起きます!

(4)あなたが悪者を相手にせず、心静かにすべき生き方をまっとうしていると、
   相手からあやまってきたり、物事が自然に解決に向かいはじめたりするのです。

   強力な助っ人が現れ、望んでいた状態になっていくのです。

   あるいは、相手は別の方法で、なにか頭をうつことがあったりして、
   成長していくのです。

            <感謝合掌 平成28年3月10日 頓首再拝>

”アクシデントも楽しもう” - 伝統

2016/03/12 (Sat) 18:51:23


        *メルマガ「人の心に火を灯す」(2016年03月08日)より

   (中谷彰宏氏の心に響く言葉より…)

   おいしいものを食べた時には誰でも「おいしい」とリアクションできます。

   初めてで味わい方がわからないもの、おいしくないものに出会った時に、
   その人がどのようにふるまえるかで、その人の遊び力がわかります。

   いつも当たりとは限りません。

   いつも当たりのところへ行っていると、食の範囲は狭くなります。

   たまにはひどい店もあります。

   一流でみんながほめている店なのに、
   「これはちょっとひどいよね」というところがあります。

   世間の評価は、どうしてもズレていきます。

   お店も1週間あれば味がアップ・ダウンします。

   おいしくなかったことも経験、イベントとして楽しむのです。

  「おいしかったら楽しいけど、おいしくなかったら楽しくない」

   というのは、

   「勝ったら楽しいけど、負けたら楽しくない」

   というのと同じです。

   アクシデントが起こった時に、無頓着ではなく、全然平気で、
   この後の雰囲気を壊さないようにうまく対処できるのが大人です。

   そばで赤ちゃんが泣いていると、
   「こんな店に赤ちゃんを連れて来るなよ」とムッとしている
   人がいます。

   その人には大人感を感じません。


   もし料理に髪の毛が入っていたら、お店の人も泣かせないし、
   連れの気持ちも害さないようにします。

   ここで居丈高にお店の人に怒る男は、
   女性に対して一生懸命やっているつもりでも、度量を感じません。


   そういう時に怒る人は、出入業者が失敗したら、
   ここぞとばかりに叩きつぶすタイプです。

   それは、自分もどこかの出入業者でいじめられているから、
   そのウップンを晴らしているのです。

   サービス業で育つと、常にお店の側の意識があるので、
   何かミスがあった時には、ここで「お皿に髪の毛が入っていてラッキー」と思えます。

   一緒に行った女性も、「料理に髪の毛が入っていたことで、
   ラッキーだったね」と思える流れにうまくお店の人がやってくれます。

   自分でもアクシデントをすべて演出に変えます。

   「これがあったから、もうアウト」「今日一日は最悪の日」

   と思わないことです。

   たとえば、一緒に見ようと思っていた映画が
   満席だったとします。

   「じゃ、見られなかったら帰ろう」

   と言ったらそれで終わりです。

   「満席で入れなかったからどうしようか」

   と次の計画を臨機応変にできることが楽しむということです。

   予定でどおり進まない時にどう楽しめるかが、本当の「遊ぶ」ということです。

   仕事でも、予定どおりにいかなくなった時に、
   最も力を発揮するのは遊んでいる人です。

   一生懸命遊んでいると、仕事でアクシデントが起こった時に
   対処できる力があります。

   そこでキレたりせず、精神的にグラッと来そうなのをすぐに立て直すことができます。

   弱い人は、ムッとすることがあると、そのまま一気にドンと落ち込みます。

   これでは遊びはできません。

          <『大人の友達と遊ぼう。』PHP>

            ・・・

ゲームの面白さは、勝った時も楽しいが、負けたときでも楽しい。
だからもう一度やりたくなる。
スポーツも、将棋などのゲームもみな同じ。

人は、負けたときのその態度に、その人の人間性や性格が現れてしまう。

これは、何かのアクシデントにあったときも同じ。

怒りだしたり不機嫌になるのか、反対にニコニコして機嫌よくそれを楽しめるのか。

度量や器の大きさ、という人間的魅力の幅が問われる。


アクシデントを楽しめる人でありたい。

            <感謝合掌 平成28年3月12日 頓首再拝>

【ちょっと足りないくらいが心地良い】 - 伝統

2016/03/14 (Mon) 18:08:42


         *メルマガ「人の心に火を灯す」(2016年03月13日)より

   (前リッツカールトン日本支社長、高野登氏の心に響く言葉より…)

   「人知れず」「誰も見ていないところで」など、
   本物と言われる人は陰でどんなに努力をしていても、
   それを表にださないものです。

   ホテルの現場も同様です。

   お客様のために私たちスタッフはこんなにがんばっていますとアピールするのも、
   努力の跡を見せてしまうのもプロとしては失格なのです。

   それが見えてしまうようでは一流のホテルマンとは言えません。

   役者でも、職人でも、ホテルマンであろうとも、
   プロフェッショナルであればあるほど謙虚で自己アピールなど一切せず、
   ひとりコツコツと努力を続けています。

   厳しいようですが、美徳自慢などは無粋の極みと言われてしまいます。

   周りを見回してみても、すごい仕事をしている人や忙しい人ほど、
   そんな素振りは一切見せずに、穏やかで飄々としています。

   逆に「どうだ、俺ってすごいだろう」とか、「忙しくってたいへんだ」と
   大騒ぎをしている人ほど、実はそうではなかったりします。


   こんな話題を持ち出したのは、つい最近「リア充」ということばを知ったからです。

   「リア充」とは、現実の生活、つまり「リアル」が
   充実している様子を省略して表すことばです。

   そして、いまフェイスブックなどのSNS上には、
   この「リア充」ぶりをアピールする人があふれているというのです。


   フェイスブックでは気になる投稿に対して「いいね! 」ボタンをクリックします。
   その「いいね! 」の数を追いかける人、承認欲求の強い人が増えているというのです。

   その背景にあるのは、自分の生活の充実ぶりを、
   周りの人にアピールしたいという自己顕示欲があるようなのです。

   そんなことをしても、逆に「リアル」からは
   ますます遠ざかってしまうという矛盾に気がつかないのです。

   「リア充投稿」をみていると、
   「秘すれば花」という日本人の美徳はもはや死語になってしまった感すらあります。

   極端な感情表現や口に出すのも憚られるような恥ずかしいことは、
   秘しておくのが恥の文化を尊ぶ日本人の美徳でした。


   人間ですから、誰でも悔しいこと、悲しいこと、つらいことはあるものです。
   愚痴を言いたくなること、怒りをぶちまけたいこともあるでしょう。
   それは年齢を重ねても同じです。

   喜怒哀楽の感情の波間に漂うのが人生です。

   その波に負けそうになりながらも、ときにはグッと涙をおさえ、陰でそっと涙をぬぐう。

   喜ばしいことがあったときほど浮かれ過ぎず、静かに嬉しさをかみしめる。

   それもまた日本人の持つ美徳ではないかと思うのです。

        <『あえて、つながらない生きかた』ポブラ新書>

              ・・・

高野登氏はこう語る。

「『粋』という字は、米偏に『九』と『十』で成り立っています。
これは、『九』では足りないが『十』では完璧すぎる。
完璧には米粒ほどの差で届かないくらいが『粋』だとされていたからです。

何ごとも肝心なのは程々(ほどほど)に留めておくこと。
ちょっと足りないくらいが人にとって心地良く、
いい塩梅なのだという懐の深さからきています」(同書より)


人は、自分のことを知って欲しい、認めて欲しいと心の底でいつも願っている。

しかし、それを自らペラペラとしゃべってしまったら、
偉そうな自慢以外のなにものでもなくなる。


多くの人は、「程々に」、「我慢する」、ということが苦手だ。

だからこそ、すべてがオープンになるIT全盛の世界にあって、
「秘すれば花」という価値観はますます光ってくる。


「ちょっと足りないくらいが人にとって心地良い」

粋な人をめざしたい。

            <感謝合掌 平成28年3月14日 頓首再拝> 

この世の最高のボランティアとは『上気元でいること』なんです。 - 伝統

2016/03/16 (Wed) 18:21:04


             *「上気元の魔法」斎藤一人・著(P24~26)より

機嫌の悪い人がいると、周りが気を使います。
人に機嫌を取らせちゃダメなんです。

自分の機嫌は、自分でとるんです。
自分の機嫌くらい、自分でとって生きていくんです。

あと、もし周りに機嫌が悪い人がいたら、機嫌をとっちゃ絶対ダメですよ。
人の機嫌をとらないで、自分の機嫌をとるんです。
その人は、その人の都合で、勝手に機嫌を悪くしているんです。

機嫌を悪くするのは『悪(ワル)』なんです。

いつだって、機嫌のいい人が、リーダーシップをとっていくんです。
『悪』に引きずられてはいけません。

どんなに機嫌が悪い人がいても、それはそれで放っておきましょう。

あなたの都合でニコニコしていましょう。

            <感謝合掌 平成28年3月16日 頓首再拝> 

「天気がいいかどうか」を決めるのは自分 - 伝統

2016/03/18 (Fri) 20:11:00


             *「上気元の魔法」斎藤一人・著(P27~29)より

晴れていて、すがすがしい日だと、「今日はいい天気ですね」と言うけれど、
快晴の日だけが「いい天気」じゃないんです。

もし、曇りだったとしても、「今日はくもっていてちょうどいいな」って思ったら、
それは自分にとって「いい天気」なんですよ。

曇りだろうが、雨だろうが、
いい天気かどうかを決めるのは自分なんです。

だから、どんな状態でも「いい天気ですね」って言える気持ちがあれば、
その人にとったら、すべての日が「いい天気」になるんです。

お日様がカンカン照りだって「今日は日が照ってていいね」とか、
小雨がシトシト降っている日は、「ちょうどいいおしめりだね」とか
「雨の日もいいもんだね」とか。


何かをいいか悪いかにとらえるから、「いい日」と「悪い日」が生まれるんです。

「快晴の日」は、1年のうちで、わずかしかありません。

でも、どんな天気の日でも、自分が「いい天気だ」と感じられたら・・・。

あなたにとって、365日、すべての日が「いい天気」になるのです。

            <感謝合掌 平成28年3月18日 頓首再拝> 

【一水四見とは】 - 伝統

2016/03/20 (Sun) 19:15:57


         *メルマガ「人の心に火を灯す」(2016年03月14日)より

   (泰岳寺副住職、泰丘良玄氏の心に響く言葉より…)

   同じ水でも、四通りの見方があることを示した言葉に
   『一水四見(いっすいしけん)』という教えがあります。

   よく例に挙げられるのが、人間、魚、天人、餓鬼(がき)にとっての水が
   どのような意味を持つかです。

     水は、人間にとって飲み水。

     魚には、住みか。

     天人には、透き通ったガラス。

     餓鬼には、飲もうとした瞬間、火に変わる苦しみの水。



   他にも、たとえば「雨」というテーマで『一水四見』を見ると、こうなります。

   真夏の暑い日、久しぶりに雨が降ったら…。

     外回りが多い営業マンにとっては、ちょっとしたオアシスを感じられる嬉しい雨。

     旅行に出かけようとしていた家族にとっては、ちょっと残念な雨。

     畑仕事をしている人には、待ち遠しかった恵みの雨。

     もしかしたら、失恋した人にとっては、その日の雨は、
     自分の泣きたい気持ちを代弁してくれる癒しの雨になるかもしれません。


   このような感じで、「雨が降る」という事象は同じなのに、置かれた立場によって、
   四見と言わず何十、何百通りの様々な見方や捉え方が存在するのです。

   ということは、自分が今、感じていることは、
   ひょっとしたら全く違う感じ方ができるかもしれないということです。


   仕事で大きなミスをしたときも、もしかしたら、後輩は、
   そのミスのおかげで自分の些細なミスが目立たなくて
   内心ほっとしているかもしれないのです。

   こうして見方をほんのちょっと変えるだけで、
   圧倒的に不利だと思うことも、実は有利なことに変えられるチャンスになります。

   チャンスは不幸の顔をしてやってくるとも言いますから、
   ぜひ、一水四見の考えを、生活に取り入れてみてください。

         <『人生はブレていい。』ワニブックス>

               ・・・

荘子の面白い話がある。

「川に浮かんでいる空舟(からぶね)が、
自分の舟にぶつかってきても誰も文句は言わないが、
もしその舟に人が乗っていたら怒り出す」


その舟に、
「上司が乗っていたら」、
「強そうな人が乗っていたら」、
「絶世の美女が乗っていたら」、
「幼い子どもが乗っていたら」・・・、

たいていの人は怒らない。

また、
「見るからに弱そうなタイプが乗っていたら」、
「後輩の生意気な社員が乗っていたら」、
「近所のいたずら小僧が乗っていたら」・・・、

怒ってしまうかもしれない。


人は、「相手のタイプ」によって、「環境」によって、
自分のその時の「気分」によって、対応は全く違ってくる。

つまり、価値観が一定ではないということ。


自分の好きなタイプの後輩がミスをしても何も言わないが、
嫌いなタイプの後輩が同じようなミスをしたらネチネチと怒ったりする。

ミスしたという事実は同じなのに、タイプによって対応や価値観が変わってしまう。


広い公園で子供がはしゃいで走り回ってもニコニコ眺めていられるが、
静かな図書館で走り回ったら叱(しかり)つける。

走り回るという事実は同じなのに、環境によって対応や価値観が変わってしまう。


自分の体調がよくて余裕があるときは、人から意見されたり批判されてもあまり気にならないが、
体調が悪く気分が落ち込んでいるときに、人から意見をされたり批判されるとめげてしまったり、
反対に反発してしまったりする。

人から意見されたり、批判されるという事実は同じなのに、
自分の気分やその時の心の状態によって対応や価値観が変わってしまう。


「一水四見」

どんなときも、柔軟な見方を心掛けたい。

            <感謝合掌 平成28年3月20日 頓首再拝> 

「最高です!」と言っていると「上気元」になれる - 伝統

2016/03/22 (Tue) 19:41:16


             *「上気元の魔法」斎藤一人・著(P29~32)より

てっとり早く「上気元」になりたかったら、言うといい言葉があります。

「最高ですね!」

たとえば、

「日本って最高だよ!」
「オレの仕事は最高だよ!」
「うちの社長って最高ですよ!」

これだけで不思議と「上気元」になれるんです。

これを「言霊(ことだま)の魔法」と言うんです。


口に出すことで、気持ちは、言葉にひっぱられます。
だから、幸せになりかたったら、何もしないで待ってちゃダメです。

「言霊の魔法」をバンバン使って、幸せの方向に持っていくんです。
「最高ですね!」とか、「幸せだね」とか、「おいしいね」とか、「楽しいね」とか、
気持ちが明るくなることを積極的に言うんです。

そうやって、自分に起こることすべてを”意思”で幸せの方向にもっていく。
”意思”とは、人間が幸せになるための「舵(かじ)」なんです。

オレたちには、生まれながらに舵がついているんです。
この与えられた舵をめいっぱい使ってこそ、幸せになれるのです。

感情のままに生きていたら、
心配や不安など、不幸なことばかり考えるようになります。

「感情で生きるのが人間らしい」とか言うけれど、

サルでも犬でも感情のままに生きているの(笑)。

人間だけなんですよ、「意思」があるのって。

            <感謝合掌 平成28年3月22日 頓首再拝> 

「言霊の魔法」で毎日、「最高のごはん」を食べられる - 伝統

2016/03/25 (Fri) 18:07:11


             *「上気元の魔法」斎藤一人・著(P32~36)より


ごはんを食べるときに黙って食べたら「ただのごはん」
だけど、「おいしいね」って言って食べたら「おいしいごはん」になるんです。

「おいしい」って言葉を出すと、本当においしい味に思えてくる。
これも「言葉の魔法」です。

たとえばコロッケを食べるときに、黙って食べてると、「ただのコロッケ」なんですよ。
「これは最高のコロッケですね!」って言って食べると、「最高のコロッケ」の味がするんですよ。

「今日のカレー最高だね」って言って食べると、300円のカレーだって「最高のカレー」に
なるし、「ここの牛丼は最高だね」って言って食べると、280円の牛丼だって「最高の牛丼」
になるんですよ。

だから最高の食事なんて、わけないの。
「今日のごはん、最高だね」って言えばいいの。
言っていると、本当に「最高においしい味」になる。

人間の脳はそういうふうにできているんです。

一人さんは「言葉の魔法」で、毎日、最高の御飯を食べているんです。

それを「こんなつまんないもの食って」とか
「今日はこんなものしかなくて・・・」とか言うから、
言ったとおりになるんです。

中華丼も、「中華丼なんか・・・」って言っちゃダメなんですよ。
中華丼は野菜もお肉もご飯もひと皿に入っていて、あんなにおいしくて
オトクな料理はありません。

だから一人さんは中華丼を「単品満漢全席」って読んでいるんです(笑)。
ちなみに吉野家の牛丼は、「料亭吉野の牛丼」って呼ぶの(笑)。

そうすると高級感がぐっと増すでしょう(笑)。

こうやって勝手に名前をつけて、楽しくすることが大事ですね。

「おいしいね、おいしいね」「最高ですね! 」って言いながら食べていると、
本当に「おいしい! 」とか「最高だ! 」っていう気持ちが満ちてくるんです。

常に「最高のごはん」を食べて、「上気元」でいてくださいね。

「このおみおつけ、おいしいね」「あばあちゃんが作ったものって、最高だね」
って言って食べてると、一緒に食べてる人にも、その気持ちが連鎖するんです。

            <感謝合掌 平成28年3月25日 頓首再拝> 

イヤな気持ちは3秒で消す - 伝統

2016/03/28 (Mon) 20:16:39


         *『イヤな気持ちは3秒で消せる!』西田一見・著 より

(1)イヤな気持ちが消える「3秒ルール」とは?

   ここで大きな意味を持っているのは、
   イメージ、言葉、動作の3つが脳のソフトをつくっている。

   人間の脳にとっては「入力」情報が「イメージ」であり、
   「出力」情報が「言葉」「動作」であるということ。

   そして、記憶のデータベースである脳の役割は、
   さらに細かく分けると次の3つになります。

  ①「どの情報を受け取るか?」=「入力」をコントロールする役割

  ②「どのような意味合い・位置づけで受け取るか?」=判断する役割

  ③「どのような情報を発するか?」=「出力」をコントロールする役割

   つまり脳は、情報を入力し、情報を出力し、また情報を入力し
   ……ということを繰り返しているというわけです。


(2)3つのプラスを脳に流し込む「3秒ルール」

   「3秒ルール」とは、これら「イメージの力、言葉の力、動作の力」を
   次のように掛け合わせたものです。

   「強烈なイメージの力」×「強烈な言葉の力」×「強烈な動作の力」

   「3秒ルール」を行うリズム

   カウント1で「プラスイメージ」
   カウント2で「プラス言葉」
   カウント3で「プラス動作」

   この3つのプラスを、ぐるっと一気にひと回りさせ、脳に流し込みます。
   たとえて言えば、プロレスラーのアントニオ猪木さんの「1、2、3、ダーッ!」
   という雄叫びのリズム。

   重要なのは、1秒で「いい! 」と感じるイメージ、言葉、動作をつくること。


   【プラスイメージ】
   ①1秒で、好きな食べもの、好きな動物など、自分の好きなものにひもづける。
   あるいは、
   ②1秒で「イヤだと感じた、だけど、いまはがんばりどころだな」など、
   「だけど接続」のイメージを使う。

   なお ② は強力ですが、慣れないうちは ① からはじめてみてもいい。


   【プラス言葉】
   ①1秒で、「できる! 」「いい! 」「好き」などのプラス言葉を使う。
   あるいは、
   ②「プラスイメージ漢字」+「だから必ずうまくいく! 」と発声する。

   この ② はハイレベルなので、まずは ① からやってみることをおすすめします。


   【プラス動作】
   ①1秒で、ニコッと笑う。
   あるいは、
   ②1秒で自分の決めた「お約束ポーズ」を取る。

   これも ② は強力なので、まずは ① からはじめるといいでしょう。


(3)すぐできる「3秒ルール」初心者バージョン

   なにかイヤな気持ちになったとしたら、3秒ルールで

  ①大好物を思い浮かべる。

  ②「できる! 」とつぶやく。

  ③笑顔になる。

  ④笑顔になる。

   その「出力」を、リズミカルに脳へ送り込む。

            <感謝合掌 平成28年3月28日 頓首再拝> 

自分で自分をほめると、いくらでも「上気元」でいられる - 伝統

2016/04/02 (Sat) 17:30:57


             *「上気元の魔法」斎藤一人・著(P46~48)より

一人さんは、「いばっている人」が大キライです。
どのくらいキライかというと、ゴキブリよりもキライ(笑)。

だから、いつも言っています。
「絶対にいばるなよ」
「自分より弱い立場の人にいばるって、最低なんだよ」って。

いばる人って、「不機嫌」なんです。
いつもイライラしていて、自分の心が満たされていないんです。

自分のことを「価値ある人間だ」と思うことを「自己重要感」って言っています。

いばっている人は、「自己重要感」が足りないの。
だから自分よりも弱い人にいばることで、その人からエネルギーを奪って、
自己重要感をうめようとする。

そういう「エネルギーの横取り」って、絶対にいけないんだよ。

自分の中のエネルギーが足りなくなったら、自分で自分をほめればいいの。
特別なことをしなくても、その日、自分がやったことを何でもいいからほめればいいんです。

「今日も、子どもに笑顔で接して、ららかったね」とか。
「満員電車にゆられて会社に行って、えらかったね」とか。

そうやって、自分で自分をほめていると、
だんだん自己重要感が満たされてくるんです。

それで、ずっと「上気元」でいられるんです。

            <感謝合掌 平成28年4月2日 頓首再拝>

心のフィルターで動じない! - 伝統

2016/04/05 (Tue) 19:11:48


        *『怒るのをやめると奇跡が起こる♪』佳川 奈未・著(P142~148)より

(1)人はみんな、怒りや不平不満や愚痴や苦しみを自分の内側からこしらえるものです。
   外側から受けたように見えても、実はそうではなく、自分の解釈のしかたや
   思考のくせによって、いろんなものを抱えてしまうのです。


(2)物事を”ありのまま”に見られない人は、そこにあるよいものになにもないと
   文句を言ったり、そこにない悪意にまでそれがあると言いたがったりするのです。


(3)自分が出逢う人や世界のすべては、いつも、ぜんぶ、
   自分の通す"心のフィルター"によって、質が変わるということです。


(4)それがなんであれ、よい解釈ができ、よろこびや感謝や幸せを感じられる人は、
   つねに心が満たされ、おだやかに生きられるものです。


(5)日頃から、人や物事に対して、よい解釈や、ポジティブは取り方をできる人は、
   つねに自分の中によい見方をするくせや習慣があり、また、よいものを、よいとする、
   よい心が大きくあるものです。物事を肯定的にとらえる力があるものです。

   それゆえ、出逢う世界は、よきものやよろこびや幸せに満たされるものです。
   
            <感謝合掌 平成28年4月5日 頓首再拝>

豊かな感性を持つと、どんな状況になっても楽しい - 伝統

2016/04/08 (Fri) 20:34:16


           *「上気元」斎藤一人・著(P43~46)より

普段の生活の中でも、豊かな感性を持つと、いくらでも幸せって見つけられるんです。

「朝、目が覚めて幸せ」だとか、「朝ごはんが食べられて幸せ」だとか。
「道端に咲いているタンポポがきれいだな」とか、
「散歩の途中、あさがおが咲いててキレイだな」とか。

豊かな感性を持つと、毎日が本当に楽しいんです。

こういう話しをしていると、中には「一人さんは大金持ちになったから、
幸せな出来事が多いんですよ」って言う人がいます。

それは違いますよ。

一人さんは、お金のないときから幸せだったんです。

幸せとは、どんな状況でも、どんなことが起きても、
「自分が幸せだと思っているかどうか」なんです。

私はたとえ病気をしていても幸せなんです。

前に、病院に入院していたことがあるんだけど、一人さんの病室だけ
看護婦さんがいつもいっぱいに集まってきていたんです。

「一人さんの話しを聞きたい」って、みんな仕事を抜けてきちゃうんです。

私はいつも看護婦さんに囲まれて、まるでハーレムのようでした(笑)。

そのとき、一人さんは、看護婦さんのことを看護婦さんだって思わなかった・・・。

「女の子がコスプレして、逢いにきてくれたんだ」って思っていたの(笑)。

そうやって考えてると楽しくて、入院していても、
ずっと「上気元」でいられたんです(笑)。

人間って、どう考えてもいいから、自分の機嫌を「上気元」にもっていくんです。

自分の機嫌を、自分でとっていくの。
これができないと、周りが迷惑するんだよ。

            <感謝合掌 平成28年4月8日 頓首再拝>

”上機嫌の達人”になるトレーニング - 伝統

2016/04/13 (Wed) 20:40:05


       *「読むだけで 運がよくなる77の方法」
         リチャードカールソン・著(P128~129)より

人は不機嫌な時、つい言葉が乱暴になり、他人を批判したり、いばりちらしたりする。
そういう時、その人自身は、自分が不機嫌なせいで視野が狭くなっていることに
気づいていない。不機嫌な時には、誰もがそうなることを思い出してほしい。

あなたの周りにいる不機嫌な人をゆるしてほしい。

親友だろうが親だろうが恋人だろうが、とにかくみんな同じようになる。例外はない。

あなたにも、きっとそんな経験が何度かあるはずだ。
でも、そうとわかっていれば、不機嫌な時、
人がとる行動は本心からではない、と想像できるはず。

たとえばある人が、親からひどく意地悪なことをいわれた。
「あなたとは、もう家族でいたくない! 」
以前のその人なら、きっとその言葉を、親の本音として受け取っただろう。

が、その人は私の本を読み、「相手をゆるす」ことについて学んでいたので、
たまたま親は虫の居所が悪いのだと理解し、反発もいい返しもしなかった。

そのかわり一日待って翌日、その人は親と仲直りしようと思った。
すると、親は、朝、顔を合わすなり、「私が悪かった」とあやまった。
二人は率直に話し合って仲直りをした。
「話す」ことができたから関係を悪化させることがなかった。

《イライラしていては問題は解決しない。まずは相手を受け入れよう。》

《相手や自分の不機嫌な気分など、しょせんは、”一時的”なもの。》
その場をやり過すのに《ほんの少しがまんが必要になるが、それだけの価値はある。》

《運がいい人は上機嫌な達人》である。

            <感謝合掌 平成28年4月13日 頓首再拝>

楽しくなりたいから、笑顔にするんです - 伝統

2016/04/15 (Fri) 19:59:54


楽しいから、笑顔になるんじゃない
楽しくなりたいから、笑顔にするんです

             *「上気元の魔法」斎藤一人・著(P48~51)より

人間の心は、ヒマになると 「不安なこと」 を考えるようにできています。
やることがいっぱいあった昔に比べて、いまは 「ヒマな時間」 がいっぱいあります。

そういうときのために、神は、ものすごくいいものを私たちの身体に備えてくれました。
心配や不安が沸き出てきたときに、それを制御する能力を備えてくれているんです。

それは 「ほほえむこと」。
いつも顔が笑顔でいることなんです。

口角を上げて、にこっとする。
ちょっと目じりが下がって、顔に 「マル(〇)」 ができたようになる。

そうやって笑顔にすると、心がほっとゆるむんです。
ニコニコしているうちに、だんだん幸せな気持ちになって、
不安や心配がなくなるようになっているんです。

だから、不安や心配になりそうになったら、とにかくほほえめばいいの。
ニコニコしているうちに、不安や心配は消えていきます。

不安や心配になったら、ためしに笑顔にしてみてください。

「私は不幸だ、不幸だ・・・・・・」 って言ってる人は、ほほえみが足りないんです。

いいですか?

楽しいから笑うんじゃないんですよ。
笑うから、人は楽しくなるんだよ。

笑いながら、悲しいことって考えられないんですよ。
笑顔になるから、楽しいことを考え出すんです。

            <感謝合掌 平成28年4月15日 頓首再拝>

【フィーリング・グッド】 - 伝統

2016/04/18 (Mon) 17:50:55


          *メルマガ「人の心に灯をともす」(2016年03月28日)より


   (樺旦純氏の心に響く言葉より…)

   会議室でかしこまって話をするよりも、
   コーヒーでも飲みながら話したほうが気楽だし、話も盛り上がるのは当然のこと。

   心理学的にも、飲み食いの場が
   コミュニケーションを円滑にする効果が認められている。


   アメリカの心理学者ジャニスが行った
   「フィーリング・グッド」と呼ばれる有名な実験がある。

   まず、大学生に「ガンの治療法」「アメリカの軍隊の規模」「月世界旅行」
   「立体映画」という4つのテーマについてジャーナリストが書いた文章を読ませる。

   このとき、1つのグループは、コーラを飲んでピーナツを食べながら文章を読む。

   別のグループは、何も飲み食いすることなく文章を読むことにする。


   比較してみると、飲み食いしながら文章を読んだグループのほうが、
   文章の内容を肯定的にとらえる傾向が強かった。

   つまり、人は何かを口にしているときのほうが、心を操られやすい状態になるのだ。

   理由の一つとしては、食事をしているときには緊張感・警戒感が緩んでいるため、
   相手のいうことを抵抗なく受け入れる傾向が強まることがある。


   また、美味しいものを食べるというのは、
   それじたい快感であり、大らかで受容的な心理状態になることができる。

   もちろん、口のなかに食べ物が入っている状態では、
   そうベラベラ喋ることもできず自然に聞き手にまわることが多くなり、
   議論をするのがはばかられるということもあるだろう。


   欧米では「ランチョン・テクニック」「パワーランチ」などがあるように、
   商談と食事とは切り離せない。

   日本の伝統的な料亭接待も、基本的にも同じ効果を狙ったものであろう。

   食事の最中にした話というのは、よい印象をもってもらえる可能性が高い。

   相手の心を動かそうという大切な局面なら、
   相手の好みに合わせたセッティングをして心地よい思いをしてもらい、
   おいしいものを食べてご機嫌な状態がベストである。

       <『人を動かす心理テクニック』PHP文庫>

               ・・・

「フィーリング・グッド」とは、
気持ちのよい(心地よい)環境は人をリラックスさせる、という心理法則のこと。

日本語では、気分がいい、いい機嫌、気持ちいい、という意味。

心地よい雰囲気のレストランで会話をしたり、お酒を飲んだり食事をすると、
一緒にいる人との距離がグッと縮まる。

もし、暗くてジメジメしたような嫌な雰囲気の場所で、
商談や打ち合わせをするなら、それがうまくまとまる確率は少ない。


「孟母三遷(もうぼさんせん)」という教えがある。

孟子の母が、子どもの教育環境によい場所を探して3度引っ越しをした、という故事からきた話。


子どもの教育に限らず、人は環境に左右される。

悪い友達と一緒にいれば悪くなり、良い友達と一緒にいれば良い人間となる。

だからこそ、自らよい環境に身を置くことが必要だ。


まわりの環境が悪いと嘆くのではなく、自らいい環境を作り出すこと。

それが、いつも機嫌よくいられる環境。


毎日、「フィーリング・グッド」で過ごしたい。

            <感謝合掌 平成28年4月18日 頓首再拝>

「ゆっくり、ゆっくり、お先にどうぞ」 - 伝統

2016/04/20 (Wed) 19:04:20


不機嫌な人は心の中に「あせり」がある
あせりそうになったら「ゆっくり、ゆっくり、お先にどうぞ」

           *「上気元」斎藤一人・著(P90~92)より

「あせり」っていうのは体の免疫力を下げるんです。
あせっていると、自律神経の「交感神経」ばかりが過剰になります。
人間の体っていうのは、「交感神経」と「副交感神経」のバランスでできています。

「交感神経」っていうのは戦闘態勢になるから、神経をしめるんです。
「副交感神経」は、神経をゆるめるんです。

ところがいまの人は、神経が常に高ぶっているので、
みんな交感神経のほうが過剰になっています。

だから心がけて、ゆるめないといけないんです。

ゆっくり、ゆっくり歩く。

大きく深呼吸する。

それだけで、神経はずいぶんゆるまるんです。


それに、どうせあせって何かをやったとしても、いいものはできません。

リラックスした気分でやったときに、いいアイデアもバンバン出て、
いいものができるんです。

いいですか?
「上気元」でいあたかったら、わざと動作を、ちょっとゆっくりするんですよ。
あなたにとって、気持ちが落ち着くスピードがあるんです。

あせりそうになったら、「ゆっくり、ゆっくり、お先にどうぞ」。
これが「上気元」でいるための魔法の言葉なんです。

            <感謝合掌 平成28年4月20日 頓首再拝>

【明るいことを考えましょう】 - 伝統

2016/04/23 (Sat) 19:48:54


           *メルマガ「人の心に灯をともす」(2016年04月02日)より

   (宇野千代氏の心に響く言葉より…)

   何事についても、「私はおばあちゃんだから」とか、
   「私はこんなに肥(ふと)ちょだから」とか、
   自分で自分の欠点を広告して歩く人がありますが、
   私はそんな人のことを、損な人だなァ、と思います。

   明るいことを考えましょう。

   いつでも、花飾りのついた帽子を冠(かぶ)っている気になりましょう。
   きものを着ても、このきものは自分に似合い、自分はきれいになれる、と、
   そう信じていたいものです。

   わざわざ、それほどでもない自分の欠点を言い立てる癖のある人。
   そんなことを言われると、聞いている人は、気持ちが好いものでしょうか。

   私はどっちかと言うと、

   「あたしは肥っているけど、平気で白っぽいきものを着てるのよ。
   何だか、その方が却って、ふっくらして見える、と、そう思ってるのよ」と言う風に、
   多少は自惚(うぬぼ)れてるような言い方をする人の方が好きです。

   おかしなことですね。

   自分で自分のことを、白いきものは似合わないとか、
   これこれだから、私は駄目だとか言って、くさす人は、
   人の眼にも、くさした通りの印象を与えるものなのです。


   みなさん、みなさんは、ぜひとも、この私のように、皺(しわ)や汚点(しみ)が出来て、
   梅干のようなおばあちゃんになっても、「おや、何だか、ヴィナスのようだわ」と、
   自分の心の中で、内緒で、お思いになるように、と、おすすめする訳です。

         <『行動することが生きることである』集英社文庫>

                  ・・・

病気の人が、「つらい」「痛い」「気分が悪い」と
いくら人に訴えても、症状は軽くはならない。

まわりの人は、困惑し、気分が萎(な)えるだけだ。


同様に、自分のことを「頭が悪い」とか「器量が悪い」「スタイルが悪い」と
卑下しても、だれも同情する人はいない。

言われたところで、どうにもならないからだ。


だからこそ、大事なのは、まわりを明るくする言葉。

どんなに状況が悪くても、明るい言葉を発すれば、まわりの気持ちも明るくなる。

まわりを明るくできる人は機嫌のいい人。
自分で自分の機嫌をよくできる人。

機嫌のいい人のまわりには人が集まる。

明るいことを考えましょう。

            <感謝合掌 平成28年4月23日 頓首再拝>

「上気元の修行」 - 伝統

2016/04/25 (Mon) 19:18:29

歳をとることで不機嫌になるのなら、自分で年齢を決めて「上気元」でいる

           *「上気元」斎藤一人・著(P93~97)より

人間って、「上気元」で生きていると、1年がすぐ過ぎちゃいます。

毎日が楽しくて、1年が感覚的に「半年ぐらいで過ぎちゃったかな」と思ったときは、
半年分くらいしか歳をとらないんです。

その逆で、不機嫌でいると、時間が長いんです。
そうすると、1年でもガクンと歳をとっちゃう。

白髪なんかも、シワなんかも、あっというまに増えちゃうんです。
いろんな人から「一人さんの髪って真っ黒ですね」「白髪がぜんぜんありませんね」って
驚かれるんですけれど、それってめずらしいことだそうですね。

私は毎日、楽しく生きています。
今日が何曜日だとか、自分の誕生日も忘れちゃうくらい、毎日楽しく生きています。

そうすると、・・・、1年が3ヶ月くらいで過ぎちゃう感覚なんです。
だから1年で3ヶ月くらいしか、歳をとらないんだと思います。

 
あと、年齢に関して言うと、自分で自分の年齢を決めているの(笑)。

どういうことかと言うと・・・、「自分の年齢を勝手に決める会」というのをやっていて、
自分の歳を自分で決めているんです(笑)。

私は昔から「27歳」が好きなの(笑)。

なぜかと言うと、30歳になると、分別があるようなことを言わなきゃいけないから。
あれがイヤなんです(笑)。
分別がないのが好きなの(笑)。

だから、いまも私は27歳です。

みなさんもね、自分の歳って、自分で決めていいんですよ。

「私は18歳」とか、「私は25歳」とか。

特に女の人は、歳をとることを気にしますよね。
「来年は、もう50歳だなぁ・・・」とか、「もう三十路になっちゃった・・・」とか。

ためいきまじりに年齢のことを考えて、不機嫌になるくらいなら、
自分で自分の年齢を決めればいいんです。

27歳って決めたら、今年も、来年も、再来年も27歳。
死ぬまでに27歳なんです(笑)。

それって最高でしょう?

誰かに「いくつですか? 」って聞かれても、答えちゃダメですよ(笑)。

「私、27歳で決めてます」って、それで通ずるんですよ(笑)

そのほうがよっぽど「上気元」で楽しく生きられるよね。

「上気元」でいるためなら、何をどう考えてもいいんです。

自分を不機嫌にする物事を、どうやったら楽しく乗り越えれられるか工夫していく。

それが「上気元の修行」なんです。


            <感謝合掌 平成28年4月25日 頓首再拝>

【自信が生まれ動揺しないコツ】 - 伝統

2016/04/28 (Thu) 19:57:41


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2016年04月21日)より

   (植西聡氏の心に響く言葉より…)

   イギリスの女性小説家だったジェーン・オースティンは

   「自分自身では『すばらしい成果だ』と思えることであっても、
   世の中の半分の人は、そのすばらしさを理解できない」と言いました。

   実際に、会社などでは、よくあることだと思います。
   自分としては、「いい仕事ができた。周りの人たちも、高く評価してくれるだろう」
   と考えます。

   確かに、高く評価してくれる人もいます。
   しかし、まったく評価してくれない人もいます。
   「あんな仕事しかできないのは、まだまだ未熟な証しだ」と言う人もいます。


   そんなふうに批判されたら、本人とすれば
   「どうして私の仕事のすばらしさを理解してくれないのだろう」と
   腹が立ちますし、心も動揺します。

   そのために気持ちが滅入って、仕事への意欲を失ってしまう人もいるかもしれません。

   そうならないためには、批判的なことを言う人ばかりに意識を向けないことが大切です。


   ジェーン・オースティンは、
   「世の中の半分の人は、すばらしさを理解できない」と述べました。

   しかし、違った角度から見れば、
   「あとの半分の人は、すばらしさを理解し賞賛してくれている」と言えるのです。


   どのような仕事をしても、批判する人は必ず現れます。

   大切なのは、批判する人の言葉に意識を奪われるのではなく、
   「すばらしい」と評価してくれる人のほうへ意識を向けることなのです。

   そうすれば自信が生まれ、心が動揺することもありません。

         <『心が揺れないクセづけ』海竜社>

                ・・・

自分の信じていることや、大事に思っていることを
人からけなされると、多くの人はへこんだり落ち込んでしまう。

逆に、それをほめられれば、うれしくてとても機嫌よくすごせる。


また、ブログやフェイスブックなどで、
必ずひとこと言わずにはいられない人がいる。

揚げ足取り的な意見の書き込みの多くは、
「自分はもっとよく知っている」「私のほうが上だ」と言っているに等しい。

つまり、「自分をもっと認めて欲しい」という欲求の表れ。


100人いたら、100人から好かれることはできない。

同様に、100人すべてから嫌われることもない。


世の中の半分は、賞賛し認めてくれるが、後の半分は批判したり認めてくれないもの。

自信が生まれ、動揺しないコツは、賞賛し認めてくれる人に意識を向けること。

毎日を機嫌よくすごしたい。

            <感謝合掌 平成28年4月28日 頓首再拝>

「上気元の人」は不況に関係なくどこからも必要とされる  - 伝統

2016/04/30 (Sat) 18:25:50


           *「上気元」斎藤一人・著(P101~104)より

いま、世の中が不況です。
「就職口がなかなかなくて、大変なんです」って言うけれど、
どこの会社も不況に関係なく、いつも優秀な人材を欲しがっています。

優秀な人材というのは、「上気元な人」のこと。

ちょっとぐらい大変なことがあっても、いつもニコニコして、楽しそうに働いて、
「ここで働けて幸せです! 」「うちの会社って最高です! 」って言っている人は、
ひっぱりだこなんです。

バブルのときは、とにかく人材がほしかったから、
「不機嫌な人」でも就職することができました。

でも、いまみたいに、採用される人数がしぼられてきたら、
「上気元な人」じゃないと採用されません。

働き出してからも、ずっと「上気元」でいられる人じゃないと、つとまらないんです。

会社の面接のときだけ、いくら「上気元」を気取っていても、いざ働き出したときに、
みんな不機嫌な態度をとっていると、まっさきにリストラの対象になります。

これは、いい傾向なんです。
不機嫌な人が、簡単に受かっちゃいけない時代なんです。

仕事がほしければ、とびきり「上気元」でいる。
そうすれば、必ずいい就職先が見つかります。
たとえ、就職先が見つからなくても、周りの人があなたを見ています。

「○○さんっていう人、すごく感じがいいよ」
「そういう人にうちにきてもらいたいよね」
と、人づてに働き口を紹介してくれるかもしれません。
 
「上気元」でいると、あなたを押し上げてくれる人が、必ず出てきます。

どんなに不況になっても、「上気元」でいるかぎり、難しいことは何もないのです。

            <感謝合掌 平成28年4月30日 頓首再拝>

「実力はあるけど不機嫌な人」と「上気元の人」では「上気元の人」のほうが出世する - 伝統

2016/05/05 (Thu) 18:15:11


           *「上気元」斎藤一人・著(P104~108)より

世の中には、「惜しい人」というのがいます。
どういうことかと言うと、仕事との実力があるのに、
「不機嫌な人」がいるのです。

そういう人は、仕事をものすごくがんばります。
なんでも完璧にやろうとするんです。
がんばって、がんばって、一部の隙も与えないように仕上げるのですが、
不機嫌な顔のままで作業をしています。

そういう人が仕事をしているときの顔をのぞくと、
眉間にはシワがよっていて、口がへの字に曲がっています。
笑顔もなく、神経質そうな感じです。

かたや「上気元な人」は、いつもニコニコ、楽しそうに仕事をしています。
「上気元な人」は、そんなに 根をつめて仕事をしているように見えません。
でも、周りの人から好かれて、どんどん出世していきます。

不機嫌な人は、これがおもしろくありません。
だから不機嫌な人は、ますます仕事をがんばろうとするのですが、
がんばっても、がんばっても、不機嫌なままでは「上気元な人」に勝てないのです。

これはなぜでしょうか?

出世というのは、「人に押し上げられること」です。
「上気元な人」は、いつもニコニコ、楽しそうに仕事をして、
自分の仕事が終わったら、周りの人を手伝ってあげます。

同僚の心を明るくするような言葉を話して、自分にいいアイデアが出たら、
惜しみなく周りの人に教えてあげる。
そうやって仕事をしていると、みんなから喜ばれたり、感謝されるんです。

何か新しい仕事があって、「この担当者は、だれがいいですか? 」ってなったときに、
「ぜひ○○さんにお願いしたい」って、みんながその人を押し上げてくれるのです。
出世とは、こうやってみんなに押し上げられていくこと。

「上気元」でいると、みんながあなたの味方になってくれるんです。

実務的な能力が高くても、不機嫌な態度をとっている人は、
周りじゅうが敵だらけです。

たとえ一時的に出世できたとしても、周りじゅうから嫌われていたら、
それって本当の成功と言えるのでしょうか?

もし、何か仕事でつまずいたとき、その人を助けてくれる人はいるのでしょうか?

不機嫌な人はどんなにがんばっても、「上気元な人」に勝てないのです。

            <感謝合掌 平成28年5月5日 頓首再拝>

イライラしない日 - 伝統

2016/05/09 (Mon) 17:33:05


《子どもをたたいてしまうのはその前からイライラしているから》

           *「上気元」斎藤一人・著(P109~113)より

いまより戦時中とか、戦前のほうが、みんな大変だったんですよね。
だけど、昔のほうが、みんな明るかった。
それは、やることがいっぱいあったから。

ヒマがなかったんです。
ヒマだと不安を感じるように、人間はできているんです。

昔は忙しくて大変だった。
大変でも、実際にやることが多いと、人の脳は、どんなに不安や心配があっても、
いつのまにか消えていくようになっているんです。

ところがいまはどうでしょう?
ご飯は炊飯器で、洗濯は洗濯機がやってくれて、
性能がいい紙オムツがあるから、ちょとぐらいオムツが汚れていても大丈夫。

要するに、ヒマができるんですよ。

ヒマができると、「このままの生活でいいのかしら? 」とか、
「この子は本当にそだてられるかしら? 」とか、
余計なことを考え出すようにできているんです。


いま時代がこんなに豊かになったからには”感情”ではもう生きられないんです。

「じぶんの気持ちを幸せのほうに向ける」という
”意思”がないと、生きられないんです。
自分を安心させるワザを知らないとダメなんですよ。

それを知らないから、理由もなく、常にイライラしてるんです。
子育て中のお母さんも、自分がイライラしてるから、
子どもが泣くと、すぐはたいちゃったりする。

子どもって、泣くものですよ。
キューピー人形じゃないんだから、何かにつけて泣きますよ(笑)。
そのたびにぶんあぐっていたら、どうしようのないんです。

子どもが泣くからイライラすんじゃなくて、
その前から、親自身がイライラしてるんです。

「イライラしてる最大の理由はなんですか? 」って言ったとき、ヒマなんです。
ヒマになると、自分の中にわきあがってくる不安や心配が制御できなくて、
イライラしちゃうんです。

感情に流されて生きていると、そういうことになるんです。

・・・

《何事にもイライラせぬ日》

             *「光明道中記」(5月9日)より

子供が不従順な場合は健康を害しているか、疲労しているために
何に対しても焦々(いらいら)してヒステリックになっている場合もある。

頭から叱り付けでも、子供の精神障害を一層大きくするばかりで、
百害あって一利なしである。
それどころか子供を叱っていると、親自身が焦々(いらいら)して来るから子供の心に
親のイライラを反映させて決して教育効果などのありようはないのである。

教育はイライラや叱責や気持の悪さで行なわれるものではない。
教育は「善」の権威を示すことによって行なわれるのである。

善の権威とは暴風の如く狂暴に暴(あば)れ狂う殺伐(さつばつ)さではない。
善の魅力、愛の魅力である。

獄中にいて検察官を手古摺(てこず)らせた左翼の闘士でさえも、
親の愛の前には転向せざるを得なかったと云う。

教育は鞭(むち)ではない。
愛である。その愛も、盲愛であったり熱愛であったりしてはならない。
智慧をもって急所急所を抑えて行かなければならない。

病気だとしていたわりすぎると、
病気を口実にして不従順や嬾惰(らんだ)の習慣が附くのである。
病気だと云う言葉を家庭の中で使ってはならない。

静かに抱(だ)くか愛撫するかして
「あなたは好い子なのです。屹度親の言うことを聴いてくれます」
と断定的に言いなさい。

愛は癒す。
言葉の力は癒すのである。

            <感謝合掌 平成28年5月9日 頓首再拝>

運がいい人は上機嫌の達人だ - 伝統

2016/05/12 (Thu) 18:12:01


       *「読むだけで 運がよくなる77の方法」
         リチャードカールソン・著(P162~163)より

運がいい人は上機嫌の達人だ。
いつも上機嫌でいるための秘策を授けよう。

「道徳を守って正しく生きる」ということだ。
あまりに当たり前のことのようだが、これはとても大切なことなのだ。

道徳を守るとは、
「公明正大を旨とし、思慮分別を持ち、強欲に走らない。ウソをつかない」こと。
私たちが子供のころから、いわれてきたような基本的なことだ。

道徳を守るのは、他人とうまく生きるため、一人前の社会人としての義務、
責任の一つと思っている人がいるかもしれない。
たしかにそういう、面はある。

だが、道徳を守ることの最大に利点は、もっと個人的なことだ。

道徳を守ると、ストレスが減る。
自分は正直で曲がったことをしない人間だという自信ぐらい、
人の心を安定させ、元気にしてくれるものはない。

そして、そういう人生を送っていると、すべてのことに対して、
愛情にあふれ、感謝の心もめばえ、思いやり深くなれる。

何日かでいいから、人間として非の打ち所のない生活をしてみればいい。
まるで魔法にかけられているように、いままで味わったことのない
清々しい気分が味わえるはずだ。


意地悪をしたり、ウソをついたり、わがままを通したりすることに対して、
人はどこかで自分でも「いけないことだ」という意識を働かせている。

何が正しくて何がいけないか、誰しも心の中でわかっている。
だから、不道徳な生活をしているとストレスがたまるのだ。

やっぱりきちんと生きている人は強いのだ。

            <感謝合掌 平成28年5月12日 頓首再拝>

どんなに周りが不機嫌でも自分ひとりでも「上気元」でいる - 伝統

2016/05/15 (Sun) 18:56:28


           *「上気元」斎藤一人・著(P131~134)より

どんなに周りが不機嫌でいても、自分一人でも「上気元」でいるんです。
会社の中で、みんながグチや泣きごとを言っているときも、
自分一人でも笑顔にしているんです。

それをやり続けたときに、とんでもない奇跡が起こるんです。

「みんながグチ言ってるから、自分も言おう」

それでは、奇跡は起きませんよ。

「私は上気元でいるのに、周りの人はみんな不機嫌なんです。
もう、イヤになっちゃう・・・」って言う人がいます。

周りが不機嫌だと、なぜ自分も「上気元」になれないのでしょうか?

だったら学校に行っていたときに、自分だけ100点取って、
ほかの人が点が悪かったら、イヤな気分になりましたか?

イヤな気分になんて、なりませんよね?
周りの人に「こんなにいい点とっちゃった! 」って自慢してましたよね?

自分が正しいことをして、周りがやらないと、なんでイヤになるのでしょう?
わかりますか?

人と同じことをやっていれば、人と同じ人生なんです。
人と違うことをやるから、楽しいんです。

楽しいことには、必ず困難がつきまといます。

富士山に行って、ご来光をあおぐと感激します。
何で感激するのかと言うと、富士山のふもとから一生懸命登ったからです。

富士山の朝日だって、ただの朝日です。
どこで見たって、同じ朝日なんです。
ところが一生懸命上がって、出てきたご来光を見ると、人は感激するんです。

それと同じで、みんあが否定的なことを言っている中で、
一人で明るく生きるのは大変です。

でも大変だから、おもしろいんです。

大変だからこそ、やりがいがあるんです。

            <感謝合掌 平成28年5月15日 頓首再拝>

腹の立たなくなる法~その1 - 伝統

2016/05/22 (Sun) 18:51:05

           *「生命の實相」第36巻幸福生活篇第5章(P107~108)より

A ―― 

  腹を立てれば自分も不快であり、癇癪を起こすと身体(からだ)にもよくないと
  いうことも知っているのですが、わたしはまだ時々腹が立つことがあるのです。


谷口 ―― 

  腹が立つのはたいていその人が善人であるからなんです。
  自分が善人だから高い理想をもっている。
  そしてその自分の理想を標準として他を判断しようとする。

  ところがその相手が自分の標準に合わないと腹が立ってくる。
  予想がはずれると、この人は自分の予想を裏切ったと思って腹が立ってくる。

  けれども、人というものは自分の標準に合うようにばかりはできていない。
  みんないろいろの考え方があり、いろいろの役目がある。
  神さまは人間を一色(ひといろ)にはつくっていられない。

  人間は顔のちがうように心も異(ちが)っている。
  心が異っているとともに行ないにあらわれるのにもいろいろちがった顕われようがある。
  こうして、いろいろあるべき人間を、自分が《こうあるべきだ》と考え、
  ただ一つの標準にはめてみようとする。

  そして、それにはまらないと腹が立つ。

  あの人は自分の思ったとおりの人でなかったとか、自分の予想を裏切ったと思って腹が立つ。
  しかし、それはあらかじめ人間を自分の尺度に当てはめてみようと思ったことが
  本当ではなかったのです。

            <感謝合掌 平成28年5月22日 頓首再拝>

「上気元」をまいている人間には「上気元な出来事」が起こる - 伝統

2016/05/25 (Wed) 18:35:45


           *「上気元」斎藤一人・著(P138~140)より

みんなが集まって楽しく話しているときに、機嫌の悪いヤツが一人入ってきて
ブスっとしていると、「あの人、そのうち怒り出すんじゃないか・・・」って思って、
みんなが不安になって、不機嫌になります。

そう、不機嫌って移るんですよ。

でもね、覚えておいてほしいのは、不機嫌の種をまいたら、
それを自分で刈り取るときが必ずくるんです。

「上気元」をいつもまいている人間には、「上気元なこと」が必ず起こるんです。
これが「上気元の奇跡」なんです。

このことを知ってしまうと、もったいなくて、もう不機嫌にはなれません。

            <感謝合掌 平成28年5月25日 頓首再拝>

腹の立たなくなる法~その2 - 伝統

2016/05/30 (Mon) 18:31:52


           *「生命の實相」第36巻幸福生活篇第5章(P108~109)より

その腹を立てて悪いことをした、
と自分で自分を批評することができるのはAさんが偉いからです。
一時は怒ってもじきに《自分の本心》に立ち帰って来る。

この《自分の本心》がすぐに帰って来る人は偉い人なんです。

偉くない人は罪を造ってもそれが罪だとわからない。
《本物の自分》を《ニセ物の自分》で包み隠していても
そのニセ物をいつまでも本物の自分だと思っている。

人間は腹が立っている最中は、
この《ニセ物の自分》が心の中にいっぱいにのさばっているのです。
だから自分が悪いということがわからない。

けれどもしばらくたつと《本物の自分》が雲の隙間から太陽の光が射すように出てくる。
「オヤオヤこれはつまらないことをした」と自分で自分を省みて思う。

腹を立てていた時の自分よりもいっそうえらい自分が出てきて、
腹を立てていた時の自分を批評して「これは悪いな」「これは失敗(しくじ)っている」
とわかる。

この時は《本物の自分》の光がハッキリ出て来ているから、
ニセ物の姿がハッキリ照らし出されてわかるのです。

この《本物の自分》が常に出ている人は神人です。
《本物の自分》とは「神」だからです。
その人は人間であって神なんです。

けれどもときどき《本物の自分》が隠れるようなことがあっても、
すぐ本物の自分が出て来て、思い直すことができる人はやはり偉い人なんです。

今まで《ニセ物の自分》で考えていた考えを、《本物の自分》で思い直して、
《ニセ物の自分》を抑え抑えして、《本物の自分》を出すように出すようにする。

これが人間の一生の修行で、人間が、神である自分の本性をみがき出す修行なんです。

            <感謝合掌 平成28年5月30日 頓首再拝>

腹の立たなくなる法~その3 - 伝統

2016/06/04 (Sat) 18:29:11


           *「生命の實相」第36巻幸福生活篇第5章(P109~110)より

このニセ物の自分とはいったい何であるかと申しますと、
捉われた自分、どこかに凝りのある自分なんです。

われわれの本物は ―― 神であって自由自在な、どこにも捉われない、
どこにも凝滞(ぎょうたい)のないのが本来の相である。この本来の相がよい具合に
自由自在な生まれつきの働きを顕わさないでひとつの何かに引っかかっている ―― 
これが「ニセ物の自分」なんです。

われわれの本性は自由自在でどこにも引っかかりようがないのが本来の相だのに
どこかに引っかかっている。だからニセ物なんです。

この「引っかかる」ことを「執着」とが「我執」とか「煩悩」とか「迷い」とかいうのです。
心がよい具合に本来の面目どおりに自由自在に働かないで、自分の考え、自分の標準、
自分の尺度にばかり引っかかっている。

ほかにいろいろの考え方もあり、いろいろの標準もあり、いろいろの立場もあり、
いろいろの尺度もあるのに、自分の考え方ばかりに引っかかっているから
他のすることがまちがったように見えて腹が立ってくるのです。

われわれの血液でも全身に自由に淀みなくスラスラと循環していたら身体の調子もよく、
どこも病気にはならないのだけれども、それが一カ所にばかり凝ると、
身体の調子が歩くなって病気になる。

心でそのとおりで、一つの判断に凝り固まりすぎると、心の自由を失って心が病気になる。
腹が立つというのは、いわばこの心の病気なのであります。

            <感謝合掌 平成28年6月4日 頓首再拝>

【未来志向で生きる】 - 伝統

2016/06/11 (Sat) 19:15:19


           *メルマガ「人の心に灯をともす」(2016年06月11日)より

   (中谷彰宏氏の心に響く言葉より…)

   自分のスイッチが、「前進」ではなく「バック」に入っている人は、感情的になります。

   バックは怖いし、前に進まないからイライラします。
   感情的になる人は、モードが「過去」になっています。
   うしろを見ているのです。

   たとえば、デートでレストランに行くと、予約が通っていませんでした。

   彼はメンツがあるので、「今の話だと私が間違っているような言われ方だけど、
   あなた方のほうで予約をミスったということを、彼女の前ではっきりしてくれ」
   と言うのです。

   これはあくまで過去についての議論です。

   スイッチが「過去」に入っているのです。


   ここで、「すみません、この近くで系列のお店に席があるか、ちょっと聞いてもらえませんか」
   と即座に言える人は、スイッチが「未来」に入っていて、前へ向かっています。

   大切なのは、今これからごはんが食べられるかどうかという「未来」です。

   「すみません、この近くで系列のお店に席があるか、ちょっと聞いてもらえませんか」
   と言う時、人間は必ず冷静な話し方になります。

   「どっちが悪かったのかだけはっきりしてくれ」と言う人は、声が大きくなります。

   声が大きくなっている状態は、「過去」にスイッチが入っている一つの証拠です。


   未来のことで怒る人はいません。

   怒るのは、過去のことです。

   過去のことで怒っても、何も解決策にならないのです。

       <『なぜあの人は感情的にならないのか』ダイヤモンド社>

                ・・・

「イラッとした時は、『今この感情的になりそうなところをどうすれば感情的にならずにすむかな』
と考えて工夫することによって、キャパを広げられます。『成長する』とは、キャパを広げることです」

と、中谷氏は本書の中で語る。


イラッとした自分を、あたかも神様になったつもりで、
客観的に、上の方から見ることができれば冷静になれる。

それができる人は、余裕がある人、つまりキャパの広い人だ。


何か問題があったとき、カッとなって大声で怒鳴る時は、「過去」にスイッチが入っている。

そして、「過去」のことで、つまらない時間を使ってしまう。

どんなに怒ったところで、過去は決して変わらないのに。


起こってしまったことは仕方がない、これからどうすればこのひどい状況を
良い方にひっくり返せるか、と考える人は、未来志向の人。

未来志向の人は、時間をムダにしない。

過去にとらわれず、未来志向で生きていきたい。


            <感謝合掌 平成28年6月11日 頓首再拝>

【無料の仕事でも感じよくしよう】 - 伝統

2016/07/25 (Mon) 19:23:13


           *メルマガ「人の心に灯をともす」(2016年07月01日)より

   (中谷彰宏氏の心に響く言葉より…)

   設計の仕事をしている光君が初めて中谷塾に来た時に、僕は、

   「『悪いけど、明日の朝までにこの企画書を出してほしい』という急な依頼が来ました。
   徹夜でその仕事をして持っていくと、
   『ゴメン、ちょっと方向が変わって要らなくなった』と言われます。

   この時、あなたはどうしますか」

   という問題を出しました。


   実際、これは社会ではよくあることです。

   理系の光君は
   「一晩仕事をした分の企画書代は請求します。それが普通でしょう」と言いました。

   デジタル的には、そのとおりです。


   アナログ的には、将来の利益がなくなります。

   そこでギャラを受け取ったら、次の仕事は来ません。

   一生のチャンスを、ここで失うことになります。


   僕も広告代理店で、さんざん鍛えられました。

   その時に
   「よくあることですよ。可能性が0.1%でもある時に、いつでも声をかけてください。
   一緒にやりましょう」と言うことで、相手もまたその人に頼みやすくなります。

   不機嫌そうに「今度は可能性が高い時に声をかけてください」と言われたら、
   次に頼めなくなります。

   相手に決定権があるわけではありません。


   編集長ですら、決定権はありません。

   「あなたは編集長でしょう。あなたがここでOKと言ったことが
   翌日覆(くつがえ)るのですか。こっちはもう書き始めていたのに」と言われると、
   その人に次から頼みにくくなるのです。

   たとえ無料の仕事でも、感じよくしておいたほうがいいのです。


   あなたが今、靴屋さんで働いているとします。

   お客様が来て、いろいろためし履きをしました。

   あたなは、奥の倉庫から、汗をかきながら10足ぐらい出してきます。

   それなのに、お客様に「今度にします」と言われるのです。

   あなたが「はあ」とため息をついたら、ここでチャンスがなくなります。

   感じよく「またいろいろ履きに来てください」と言うことで、
   お客様は「次もこの人に頼もう」と思います。


   これが商売です。

   1つの出来事で、「このお客様は完全に最初から買うつもりはなかった」と
   考えないほうがいいのです。

   ここでイラっとするのは、売上げが立たなかったからではありません。

   「自分は見くだされた」「バカにされた」という気持ちが大きいからです。

   仕事そのものよりも劣等感でエネルギーを消耗していくのです。

         <『メンタルが強くなる60のルーティン』PHP研究所>

                 ・・・

嫌なことがあったとき、それをニッコリ笑って受け止めるか、
不機嫌になって顔に出てしまうかで人間の器の大きさが決まる。

ひどい人は、ムッとなって、その仕返しをしてやろうと考える人までいる。


世の中は理不尽なことだらけだ。

商売などにおいては、理不尽なことに正論で立ち向かっても、逆に跳ね返されるだけだ。

どうせ受け入れなければならないことだったら、
ニッコリ笑って気持ちよく応対したほうが天の蔵に徳を積むことになる。

逆に、不機嫌になるなら、天の蔵にためた徳が減ることになる。


無料の仕事でも感じよくする人でありたい。

            <感謝合掌 平成28年7月25日 頓首再拝>

”言い方と自律神経の関係” - 伝統

2016/07/30 (Sat) 18:49:04


         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2016年07月21日)より

   (順天堂大学医学部教授、小林弘幸氏の心に響く言葉より…)

   たとえば、こんな経験はないでしょうか。

   タクシーの運転手が道を間違え、
   「すみません、Uターンします」と言ってきた時。

   機嫌がよい場合は、「あぁ、いいですよ」と軽く流せるのに、
   イライラしている時は、「ったく、急いでるのになぁ」と、
   つい相手を責めてしまったことが。


   たとえ機嫌はよかったとしても、約束の時間に遅れそうであせっている時や
   体調が悪い場合も、ネガティブな言い方になることが多いはずです。

   なぜ、このように気分や状況によって言い方にムラが生じるのかというと、
   実は、「機嫌」「時間的余裕」「体調」などはすべて、
   自律神経を乱す要因だからです。

   つまり、さまざまな要因によって自律神経が乱れると、
   人はいろいろな言い方をしてしまうのです。

   私自身、自律神経の研究を始めるまでは、非常に短気な人間でした。

   ですから、タクシーの運転手が道を間違えた時は、
   叱責することが多かったと思います。

   でも、今は違います。

   なぜなら、私が相手をおとしめる言い方をすると、
   相手の自律神経が乱れ、結果的に私にとってさらに不利益となる
   ことを知っているからです。


   もし私が、「何やってんだよ。道くらい覚えておけよ」と、
   相手を罵ったとします。

   すると相手の自律神経はとたんに乱れだし、血圧が上がり、判断力が低下します。

   相手はひどく動揺した状態で運転をすることになるので、
   さらに道を間違えたり、最悪、事故を起こしたりしかねません。

   もちろん、これは私の望むことではありません。


   ここで大切なのは、目的を見失わないことです。

   タクシーに乗る目的とは、自分が行きたいところに行くことです。
   ですから、すでに道を間違ってしまった以上は、
   いくら相手を罵っても仕方ないのです。

   今となっては、ここから先、相手にきちんと運転をしてもらう
   ことが最大のテーマです。

   それをクリアするためには、攻撃的な言い方は厳禁です。

   「それでも何か言ってやらないと気が済まない」、
   そんな方もいるかもしれません。

   しかし、攻撃的な言い方をすると
   自分自身の自律神経も乱れてしまいます。

   一般的に、怒りによる自律神経の乱れは
   だいたい3時間から4時間は持続します。

   こんなことで、自分の大切な一日のパフォーマンスを下げるのは大損です。

   ですから、こういう場合はまず、
   「仕方ない」と気持ちを切り替える。

   そして、「今日はいい天気だなぁ」と考えるなどして、
   気持ちを別の場所に持っていくことが大切です。

   すると、自律神経が整いだします。

   「仕方ない」と諦めることは決してネガティブではなく、
   気持ちに区切りをつけて前へ進むための、
   最高のリカバリーショットなのです。

         <『人生で一番役に立つ「言い方」』幻冬舎>

           ・・・

かーっとなって怒ったあと、何時間かは気分が落ちこむ。

それは、怒りによる自律神経の乱れが
3、4時間続くからだという。

同時に、まわりにいる人もシュンとして重苦しい気分となる。

怒ると、それを聞いているまわりの人の自律神経も乱れるからだ。


「自分の口から出た言葉は、自分が一番多く聞いている」という
言葉がある。

口の近くに耳があるからだが、
これも自律神経のメカニズムと同じだ。


人に悪口、文句、愚痴、泣き言、不平不満の言葉を多く言えば、
自分もまわりも自律神経が乱れ、気分が悪くなる。

反対に、うれしい、たのしい、ゆかいだ、面白い、しあわせ、
ありがとうの言葉を多く言えば、自分もまわりも自律神経が整い、
気分がよくなる。


自分もまわりの人も気分がよくなる、「言い方」の実践をしたい。

            <感謝合掌 平成28年7月30日 頓首再拝>

どんな修行よりいいのは「上気元の修行」 - 伝統

2016/08/04 (Thu) 18:45:01


           *「上気元」斎藤一人・著(P141~146)より

一人さんの仲間は、みんなで「上気元の修行」をしているんです。
この「上気元の修行」は、やりはじめると、すごく楽しいんです。
「上気元の修行」は、特別なところに行かなくても、今日からすぐにできます。

世間で言われる「修行」には、いろんな修行があると思います。
たとえば、山の中に入って滝に打たれるのも修行だし、お寺で座禅を組むのも修行ですよね。

でも、どんな修行よりもいいのは「上気元の修行」だと私は思っています。

滝に打たれたり、座禅を組んだりして、「オレは悟りを開いた」と言っても、
普段の生活で不機嫌にしていてブスッとしていたら・・・。
それってホントに「悟りを開いた」ということになるのでしょうか?

本当の悟りとは、「上気元で生きる」ということなんです。
だから、「上気元の修行」は、最高の修行です。
何があっても、「上気元」を貫き通すんです。

一人さんとお弟子さんたちは、そういう修行をしているのです。

例えば、お弟子さんたちと青森へ旅行に行ったとき、旅館に泊まったら、
ものすごく重い布団が出てきたんです。
布団の綿が固まっちゃってるみたいで、薄っぺらい布団なのにものすごく重い(笑)。
ホントに、コンクリートじゃないかと思うほど思いの(笑)。

そういうときに「なんですか、この布団は! 」って、
旅館の人に文句を言う人がいるかもしれない。

「もうこんな旅館はこないぞ! 」って怒りだす人もいるかもしれない。

でも、一人さんたちはみんなで「この布団1枚で、10枚分のお楽しみがありますね」
って言って、笑いあったの(笑)。
それで、誰の布団が一番重いとか、みんなで競争して、また笑いあったの(笑)。

おかげで、すごく楽しい思い出になった。

布団が重いくらいで「上気元」を崩しちゃいけないんです。
これは、いつも「上気元」でいる戦いなんです。

一人さんは「上気元」でいることが習い性になっちゃってるから、
ちょっとやそっとのことじゃ、上気元は崩れません。

この「上気元の修行」は、やってみるとホントに楽しい。
「上気元」で生きることに慣れると、もったいなくて、
不機嫌ではいられなくなるんです。

不機嫌で過ごす1時間がもったいない。

不機嫌で過ごす1日がもったいない。

不機嫌で生きていることが、もったいないんです。

もし感情のままに生きていたら、「1日中、上気元の日」なんて、
1年のうち、1日ぐらいしかないかもしれません。

でも意図的に心を「上気元」に向けていると、
365日、毎日が上気元でいられるんです。

「上気元」で過ごす1年は、10年分も20年分も楽しいんです。

            <感謝合掌 平成28年8月4日 頓首再拝>

【面白がる人には、どんどん面白いことが降ってくる】 - 伝統

2016/08/09 (Tue) 19:14:23


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2016年07月27日)より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   宇宙の法則として、

   「投げかけたものが返ってくる(投げないものは返ってこない)」

   というものがあります。

   これはつまり、物理学でいう「作用」「反作用」と同じことで、
   言葉を換えて言うなら、

   「愛すれば愛される」「愛さなければ愛されない」
   「感謝すれば感謝される」「感謝しなければ感謝されない」
   「嫌えば嫌われる」「嫌わなければ嫌われない」
   「憎めば憎まれる」「憎まなければ憎まれない」ということです。


   そして、自分に返ってくるものについて「宇宙は倍返し」という方程式があります。

   投げかけたものがまだ返ってこない間に、
   不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を一切言わなければ、2倍のものが返ってきます。

   宇宙は非常に律儀な倍返しなのです。


   もし、人生の中で、普通であれば
   不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言ってしまうような出来事が起こったら、
   「来た! 」と思ってください。

   ついに私も試験を受けるようなところまで人格の修練を積んできたのだと。

   その試験に「合格」すると、
   自分にとって楽しい出来事が起き始めるようになっています。


   きちんと給料をもらえる、
   妻も舅(しゅうと)も姑(しゅうとめ)も子どももみんな優しい、
   睡眠時間も足りている、というときにニコニコしていられるのは、
   誰にでもできることで、これは人格者とは呼びません。


   給料が払われない、配偶者がわからずや、子どもが言うことをきかない、
   自分の体調も悪い、睡眠も足りていない、というような、
   1000人中1000人がイライラしてしまうようなときに、
   ニコニコしていられるかどうかが、問われています。

   「この状態でもニコニコできますか?」と宇宙が現象を降らせてくるのです。


   何度かそのような試験を経て、
   大学卒業レベルの試験に「合格」すると、もう来ません。

   こういう構造がわかって、本当に損得勘定で動くようになった自分が出来上がると、
   外から見るとちょっとした人格者に見えるようになります。


   損得勘定と人格者というのは、かけ離れた概念ではありません。

   怒ったり、愚痴、泣き言を言っていると
   血圧が上がり、胃液が濃くなって胃潰瘍(いかいよう)になったり、
   どんどん体が壊れて死ぬ方向にいってしまいます。

   つまり、そういうことが損だとわかると、
   不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言わなくなります。


   人格者になることを目指さなくとも、
   損得勘定を身に着けた結果として、
   人格者になってしまう、という構造があるのです。

           <『神さまに好かれる話』三笠書房>

                  ・・・

小林正観さんはこう語る。

「神様は…

面白がる人には、どんどん面白いこと

楽しがる人には、どんどん楽しいこと

幸せがる人には、どんどん幸せなこと

を、くださるみたいなのです。

さらに、さらに重要なこと。

感謝する人には、感謝したくなるような現象を、次々に降らせるみたいだ。

愚痴をいう人には、愚痴をいいたくなるような現象を、次々に降らせるみたいだ。

その人が“好きで言い続けている言葉”をもっともっと言いたくなるように、
現象をセットしてくださるようなのです」(同書より)


つまらなそうに、不機嫌に生きている人には、
つまらないこと、不機嫌になるようなことがどんどん起きてくる。

つまり、人は、思った通り、言った通りの人生を歩む、ということ。


二度とない人生を、面白がって、楽しがって、幸せがって、感謝して生きていきたい。


            <感謝合掌 平成28年8月9日 頓首再拝>

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