伝統板・第二

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或る譬話・寓話からの学び② - 夕刻版

2016/01/17 (Sun) 19:31:03

《目先に一喜一憂しては、遠大な未来を見とおせない》

            *「光に向かって100の花束」高森顕徹・著(第57話)より

イタリア、オーストリアと戦い、連勝のナポレオンが凱旋した。
イルミネーションや旗行列、たいまつや鐘、祝砲など、国民の慶賀は、その極に達する。

部下の一人が、うやうやしく祝辞をのべた。

「閣下、このような盛大な歓迎を受けられ、さぞ、ご満悦でありましょう」

意外にもそのとき、ナポレオンは、冷然と、こう言っている。

「ばかを申すな。表面だけの騒ぎを喜んでいたら大間違いだ。彼らは、少しでも情勢が変われば、
またおれを〝断頭台に送れ〟と言って、やはり、このように騒ぐだろう。
雷同の大衆の歓迎など、あてになるものか」


                ・・・


幕末の剣客で名高い千葉周作が、
ある晩、2、3の門弟を連れて、品川へ魚つりに出かけた。

松明を照らして、沖へ沖へと魚を求めてゆくうちに、方角を見失ってしまった。
どちらが陸か。

さすがの周作先生も、ろうばいして、多くの松明をどんどん燃やさせ、
四方をうかがうが、まったく見当がつかない。

あせりながら海上を、さまよううちに、たよりの松明が尽きた。

いよいよこれまでかと観念した。ところが、よくぞ言ったもの。

〝窮すれば転ず、転ずれば通ず〟あたりが真っ暗になるにつれ、
闇の中にくっきりと、濃い陸地の影が見えてきたではないか。

 一同、歓呼の声をあげた。

後日、周作が、その体験を知人の漁夫に話すと、
ニコニコしながら、こう言ったという。

「先生らしくもないことです。松明で陸は見えませぬ。松明は足元を照らすもの。
遠いほうを見るときは、かえって、その光がじゃまします。
そんなとき私たちは、ワザと松明を消すのです」

松明にたよっている間は、遠い陸地が見えないのだ。



目先に一喜一憂していては、遠大な未来を見とおすことはできないのである。


・・・

<関連Web>

(1)「光明掲示板・第一」内のスレッド「或る譬話・寓話からの学び (9201)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1744      

(2)「光明掲示板・第二」内のスレッド「或る譬話・寓話からの学び (25)」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=13  

(3)「光明掲示板第三」内のスレッド「或る譬話・寓話からの学び」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=30

(4)「光明掲示板・伝統・第一」内「或る譬話・寓話からの学び (102)」
    → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=61

(5)「伝統板・第二」内スレッド「或る譬話・寓話からの学び①」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6464916

          <感謝合掌 平成28年1月17日 頓首再拝>

十二支の始まり - 伝統

2016/01/19 (Tue) 19:26:11


         *Web より

むかーし、むかしと言うてもはるか昔、ある年の暮れのことだった。

神様が動物達に、「元旦に新年の挨拶に来るが良い。
そしたらその中の、1番から12番までをその動物の年にしてやるぞ。」
というお触れを出した。

動物達は、来年は俺の年にしてやるぞ。と元日の来るのを、今か今かと待っていた。
ところが猫は神様の所へ行く日を忘れてしまった。
正月と言うても3が日はある。それに小正月もあるしな。

猫は考えていたが、仲の良い鼠の所へ聞きに行った。鼠はけろんとした顔で言うた。
「そら、二日の朝に決まっとる。元日には人様の家を訪ねるなと昔から言うでねえか」

「そうか、そうか二日の朝だな」猫は鼠に礼を言って帰っていった。

そうこうしているうちに大晦日になった。
鼠が暗がりで覗くと牛がぶつぶつ言いながら旅支度をしておった。
「おら、のろまだべ。今夜のうちに出かけるだ」鼠はしめたとばかり牛の背中に飛び乗った。

そうとは知らぬ牛は暗い夜道を霜を踏みしめ踏みしめ神様の御殿へと登って行った。
門の前に着くとだあれも居ない。ほーう、これでわしが一番に決まったようなもんだ。
牛はよだれを垂らしながら元日の朝の来るのを、今か今かと待っていた。

やがて里の方で、一番鶏が時を告げると門は静かに開いた。
牛はにんまりして門をくぐろうとすると、背中にいた鼠がぴょんと飛び降りて、
ちょろちょろと門をくぐって「神様、あけましておめでとうございます。
鼠が新年のご挨拶に来ました」

そこで、牛は2番になり、千里の道をひゅーっと駆けてきた虎が3番になった。
続いて、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪が入ったところで、門は閉められた。

これが、子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥という十二支になったんだと。


ところで、猫は鼠に教わったとおり二日の朝早く神様の門を叩くと、
「お前は今まで、ぐうすか寝ておったんか。寝ぼけてらんで、顔でも洗って来い。
呼んだのは昨日だぞ」そう言われて、猫はすごすごと帰っていった。


それからというもの猫は、毎日顔を洗うようになって、
嘘の日を教えてくれた鼠が憎らしくて、
鼠の姿を見つけると追いかけ回すようになったんだと。


こうして猫は十二支の仲間に入れなかったが、
やはり十二支の仲間に入れなかったイタチは、神様の所へ毎日行って
「神様、おらんところへはそのお触れというのが来ませんでした。
それでは不公平です。もう1回やり直して下さい」これには神様も困ってしまった。

「イタチどん、一つ相談だが、1年に12日だけ、お前さんの日にしてやるがどうじゃ。
月の最初の日をお前さんの日にしてやろう」

「神様、1年にたったの12日だけじゃつまらんが、でも我慢します。
それをイタチの日にして下さい」そう言われて神様は困ってしまった。

そうしてやりたいが、またそれが騒動の元になる。
「どうだ、イタチの上に”つ”を付けて、つ・いたちでどうだ。
それがお前さんの日だ。だがこれは内緒だぞ」

イタチは「つ・いたち、つ・いたち」と何回か繰り返していたが
「神様、”つ”が気になりますが、でも無いよりはいいから我慢します」

それが月の初めの一日になり、この日がイタチの日なんだと。


この十二支の話が職人達の間に広まって、
時間や日を間違えて来て仲間に入れなかった人のことを
「あの人は猫年だわ」と言うようになったんだと。

おしまい。

   (http://www21.big.or.jp/~tamomo/Hiratukasihakubutukan/robata/robata20000116/jyuunisinohajimari.htm


          <感謝合掌 平成28年1月19日 頓首再拝>

《神猿》 - 伝統

2016/01/23 (Sat) 19:07:18


(1)ハヌマーン

   ヒンドゥー教では、叙事詩『ラーマーヤナ』に猿の神として登場するハヌマーン。
   ハヌマットともいう。風神の子で、文武両道に長じ、超自然力をもち、
   自由に姿を変え、,空を飛ぶことができ、特にその長い尾は威力を発揮する。

   猿の神様ハヌマーン
    → http://chaichai.campur.com/indozatugaku/hanuman001.html

(2)「神猿(まさる)」

   日本やタイ、インド、中国といったサルが生息するアジアの国では、一般的
   にサルは親しまれ、神仏として敬われるケースもあるのに対し、サルのいな
   い西欧や韓国では見下す傾向にあるそうです。

   その話の通り、滋賀県の日吉大社では、サルは神様の眷族「神猿(まさる)」とされ、
   魔除けの象徴として大切に扱われれいます。

   中国でサルの神様といえば、斉天大聖・孫悟空。彼が玄奘三蔵(三蔵法師)の
   弟子のひとりとなって天竺まで旅する『西遊記』は、日本でも知らない人が
   いないほど有名です。

・・・

以下は、山王系の大阪の鶴見神社の宮司さんによるお話の紹介です。

【鶴見神社・花谷幸比古宮司が指南! 丙申2016年の開運法】

        *Web:月刊「ムー」(2016年1月5日)より


《山王系神社と「猿」の縁》

2016年の干支は「申(さる)」。
六十干支では「丙申(ひのえさる)」の今年は、どんな一年になるだろうか? 
占術から予言、チャネリングなど多様な「読み」と出会える時期だが、
ここでは、鶴見神社(大阪市鶴見区)の花谷幸比古宮司に、
丙申・2016年の動向を伺うことにした。

なにしろ、鶴見神社は日吉神社の直系。
主祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)であり、
その御使いは「猿」「神猿(まさる)」なのだ。



《2016年は「火」の一年に!?》

2016年は「丙申」。「丙」は「火の兄」であり、燃えさかる太陽を暗示する。
「明らか」「さかん」という象意を持ち、横に燃え広がる性質がある。

一方、「申」は五行でいえば「金」で、「伸びる」という意味を持つ。
丙と申はどちらも「陽」の気が強い。
したがって丙申年は相乗的に陽が極まる年となる。

このことから、2016年は「火」への注意が必要だという。

「火山の噴火や大規模な火災が各地で起こるかもしれません。
2015年も火山の噴火が多い年でしたが、この先もつづくでしょう。
日ごろから防災用品や非常用持ちだし袋を準備しておきたいものです。
また、原子炉も火ですから、一国民としては今後の動きが非常に気がかりなところです」


加えて、経済的な「火の車」や紛争の「火種」も懸念される。

「中国の経済的な減速が、すでに各国に影響を及ぼしていますし、
ヨーロッパでは難民問題が火を噴いています。難民はまだまだ増えるでしょう。
この対処法を誤ればテロが横行する可能性が高い。かなり厳しい時代になると思いますね」



《日本の政治・経済はどのように動いていくのだろうか。》

「日本もそろそろ、アメリカの庇護下にある半独立国家のような立場を返上して、
自力で自国を守っていく時期ではないでしょうか。
その際に大切なのは、力ではなく知恵を活かすということ。

日本人は、ニュートリノやワクチンでノーベル賞を取ったことからもわかるように、
平和的な方向へ知恵を使うことができる民族です。
その能力を最大限に活用すればいい。

経済については、勝ち組と負け組がいっそう明確になるでしょう。
ただ、2016年あたりから売電が自由になってくると思います。
もう少しすれば、それこそ日本人の知恵を活かして
自宅での発電・蓄電が可能になると見ています」

エネルギー・フリーの時代がくれば世の中は大きく変わる。
願わくは、よりよい方向へ転換してほしいものだ。

さらに、花谷宮司から、2016年の運をさらに上昇させるための
ポイントをいくつか教えていただいた。


《猿にちなめ! 2016年開運法》

2016年の運をさらに上昇させるためのポイントは以下の5つ。
どれも、意識していれば簡単なことばかりなので、ぜひ日常に取り入れてほしい。



①身を慎む

「見ざる・聞かざる・いわざる」で知られる三猿は、
『論語』にある「不見・不聞・不言」の教えを示すとも、
「目と耳と口を慎んで厄を避ける」という庚申信仰に由来するともいわれている。

このことから申年は、軽挙妄動しないことが開運のポイントとなる。

「余計なことを見ない、聞かない、いわないという態度がいいのかもしれません」

いたずらにあわてない、みだりに噂を立てない。
いつも平常心を失わず、物事を冷静に判断し、
よく考えたうえで口に出すように心がけよう。



②知恵を使う

「猿はとても賢い動物です。それにあやかって、知恵を働かせましょう。
日本人は手先が器用ですし、アイデアを発展させることがうまい。
ですから、力で押すのではなく、知恵を使って工夫するほうがいい。

最初は、それこそ猿まねでもかまいません。
まねからはじめて、自分なりのものをつくりだしていけばいいのですから」

もともと日本人は、深い叡智を備えていると、花谷宮司はいう。
ただ、その叡智は、追い込まれることによって目覚めるという傾向があるようだ。

「日本も苦しい状況ではありますが、まだ叡智が目覚めるところまではいかない。
その意味では、もう少し追い込まれるといいのかもしれません。
情勢が厳しくなればなるほど、日本が伸びる機会が増えると思います」



③縁を見きわめる

「猿はエンと読みますから、縁につながります。
また、猿は群れをつくる動物です。
人間も同じで、ひとりでは生きられません。

ただ、相手はだれでもいいというわけではない。
だれと縁を結ぶかをよく考えることが必要でしょう」

同時に、群れを構成するメンバーの関係性を観察すると得るところがあるようだ。

「猿を見ていると面白いんですよ。
上下関係に敏感だし、ボスを打ち負かせば群れを率いることができます。
人間社会も似たようなものですから、動物園の猿山をじっくり見ると、
学ぶところが多いと思います」

そして、縁を結ぶ一方ではなく、ときには切ることも考えるべきだと花谷宮司はいう。

「猿はサルだけに、去ることも重要です。
中国との関係でもそうですが、これはアカンと思ったら、去り方を考えねばなりません。
去ることもまた縁のひとつなのです」



④忘れ上手になる

「猿は、いたずらをしたときに叱るとしょげますが、すぐに忘れて陽気になります。
人間も、イヤなことをいつまでも引きずらないで、忘れればいいのです」

トラブルが起こったとき、わが身をふり返って反省することは大事だが、
必要以上に自分を責めつづけることはない。
気分を切り替えて、前向きに日々を過ごしていこう。



⑤赤いものを身につける

「2016年のラッキーカラーは赤です。
とはいえ、全身を真っ赤にする必要はありません。
外から見えないところ、たとえば下着を赤にしてもけっこうですし、
ハンカチやネクタイなどの小物に赤を効かせるのもいいでしょう」



丙申・2016年は燃え盛る「火」に手を焼く一年となりそうだが、
「見ざる言わざる聞かざる」の姿勢で慎み深く「知恵」を使い、
「縁」を見極めて身を守る……といったところだろうか。

http://gakkenmu.jp/column/3735/


          <感謝合掌 平成28年1月23日 頓首再拝>

この娘を美しくないという者があれば、金子千両を出してやろう ~美人の必須条件~ - 伝統

2016/01/25 (Mon) 19:00:12


            *「光に向かって100の花束」高森顕徹・著(第62話)より

昔、インドに、摩訶密(まかみつ)という富豪がいた。

その娘は絶世の美女と、もてはやされるだけあって、見るからに美しかった。

摩訶密も、この美貌の娘が、なによりのご自慢で、いつも娘を同伴し、
「この娘を、美しくないという者があれば、金子千両を出してやろう」
とまで放言する始末。

摩訶密が誇るように、実際、娘の顔や姿態が美しかったので、
男といわず、女といわず、ひとめぼれせぬ者はいなかった。

 
得意な摩訶密は、とほうもないことを、そこで考える。

「おれの娘は、だれに見せても感心せぬものはいない。
ひとつ、出家の釈迦に見せてやりたいものだ」

摩訶密は娘を同伴して、お釈迦さまの所へ出かけていった。


娘をごらんになったお釈迦さまは、静かにこう仰せになっている。

「この女を私は、少しも美しいとは思わない。
なるほど、容貌は、いかにも美しい。

しかし人間には、もっともっと美しいものがある。
それは心の美しさだ。心の端正こそ真実の美である」

 
容貌が美しくなりたいというのが、すべての女性の念願だろう。

けれども真の美しさは、顔や姿態にあるのではない。

釈迦の仰せられるとおり、まことに人の美しさは、その人の心にある。

秋空のようにすみきった清浄な心こそ、まことの美人の必須条件であり、
男女を問わず養うべきは、心の美である。

さすがの富豪も、さとるところがあったという。

          <感謝合掌 平成28年1月25日 頓首再拝>

富んでも、昔の貧しさを忘れ、おごるなかれ - 伝統

2016/01/28 (Thu) 19:07:10


            *「光に向かって100の花束」高森顕徹・著(第63話)より

~岩崎弥太郎とその母~

明治前期の大実業家・岩崎弥太郎は、剛直果断の性格で、明治時代の代表的富豪であった。

 ところがどうしたことか、常に藁草履をはいたまま、大臣の官邸などに出かけた。

不審に思った人がたずねると、

「母の言いつけだ」

と答えた。

岩崎弥太郎の母は、わが子が天下の富豪になってからも、常に藁草履を作ってはいていた。

そして弥太郎にも、
「おまえも、これをはきなさい」
と言って、

「富んでも、昔の貧しさを忘れて、おごってはなりませんよ」

と教訓したという。

              ・・・

ある人が、アメリカの大実業家のところへ、救済事業の寄付を頼みにいった。

実業家は、そのとき、
「ほんのわずかばかり使えばすむものを、なぜこんなにたくさん使ったのだ」
と、使用人を叱っている。

なにをそんなに、叱られるほど使ったのかと、よくよく聞けば糊であった。

たかが糊ぐらいのことで、あんなにケチケチしているのだから、
寄付などは思いもよらぬことと思いながらも、せっかくきたのだからと用件を話すと、
即座に、500ドルの大金を、快く寄付してくれた。

ことの意外に、びっくりしてたずねると、

「私は平生、少しの糊でも無駄にせぬように心がけている。だから寄付もできるのです」

と、答えたという。

 
物を粗末にする者は、物から嫌われるから、不自由しなければならないのだ。

すべては人生の目的を果たすためのものなのだから、わずかの物でも粗末にしてはならない。

          <感謝合掌 平成28年1月28日 頓首再拝>

人を身なりで判断はできない ~ 一休と門番 ~ - 伝統

2016/01/30 (Sat) 19:59:36


            *「光に向かって100の花束」高森顕徹・著(第64話)より


かの禅僧・一休が、京都の富豪から法要の招待をうけていた。

前日に、たまたま前を通ったので、ちょっと立ち寄ると、
一休の顔を知らない門番は、こわい顔してどなりつけた。

「これこれ乞食坊主、物がほしいならウラから入れ」

「いやいやオレはちょっと、この家の主人に会いたいのだ」

「バカなことを言うな。おまえのような乞食に、この大家のご主人が会われると思うのか」

 
みすぼらしい身なりから、てっきり乞食坊主と思っている。

「おまえは門番だろう。客人を案内するのが役目ではないか。面会したい者がいると告げたらよい」

「なにを、なまいきなことをぬかすやつ」

激昂した門番に、たたきだされた一休。


翌日、紫の法衣を身にまとい、お弟子を連れて門前に立つと、
昨日の門番も、神妙に頭をさげて迎えている。

「ご主人、昨日は、たいへんご馳走になってのう」

奥座敷に通された一休は、ニヤリと言う。

「へえ、昨日、お立ち寄りくださいましたか」

「ちょっと用件があってのう。主人に会いたいと言ったら、
乞食坊主にご主人が会われるかって、追いだされましてなあ」

「それはそれは、知らなかったとはいえ、ご無礼いたしました。
どうしてまた、そのとき、あなたさまのお名前を、おっしゃってくださらなかったのでしょう」

 
平身低頭する主人に、紫の法衣を脱ぎすてた一休。

「この一休には、なんの価値もない。
紫の法衣に価値があるのだから、この法衣に、お経を読んでもらったらよかろう」

法衣を置いてサッサと帰っていったという。

           ・・・

人は、決して身なりで判断してはならない。

身なりなんかで、人間の価値がわかるものではないのだから。

          <感謝合掌 平成28年1月30日 頓首再拝>

「イワンのバカ」 - 伝統

2016/02/03 (Wed) 19:45:09


          *「トルストイ童話」より

むかしむかし、ある国に、お金持ちのお百姓がいました。
 
そのお百姓には、軍人のセミョーン、たいこ腹のタラス、あたまのわるい、バカのイワンという
3人の息子と、目と耳の不自田なマラーニャというひとり娘がいました。
 
イワンのふたりの兄は金使いが荒く、父親のところにきては、
「財産をわけろ」
と、せがみます。

父親が、
「では、イワンに聞くがいい」
と、いいますと、イワンは、
「ふーん。じゃあ、みんな持っていけば」

そんなわけで、イワンと父親と娘には、おいぼれのウマ一頭だけが残りました。
 
大悪魔(あくま)はこれを知ると、手下の小悪魔たちにいいつけました。

「あの家族をバラバラにしてやろうと思ったのに、
仲よく財産わけをしちまうとはとんだ思いちがいだったわい。
おまえら、やつらにとりついて、やつらをメチャクチャにしちまえ」

2匹の小悪魔はふたりの兄にとりつくと、
せっかく父親からもらった財産をすべて使ってしまいました。

3匹めの小悪魔は、畑仕事をしているイワンのところへやってくると、
土をたがやすスキの先につかまって、さっそく仕事のじゃまをしました。

けれどイワンはそれに気づくと、スキをふりあげて悪魔をたたきつぶそうとします。
「わあ、殺さないでくれ!」
悪魔は、金切り声をあげました。

「なんでも、のぞみはかなえてやるから」

「ふーん。じゃ、おれは腹が痛いから、なおす薬をくれ」

イワンがいいますと、悪魔は地面をほって木の根を取り出しました。

「これを飲めば、どんな痛みもなくなるぜ」

「ふーん」
 
イワンがためしに一切れ飲みこむと、おなかの痛みはすっかりなおってしまいました。
 
そんなある日、王さまの娘が病気になったので、国じゅうにおふれを出しました。
『姫の病気をなおした者にはほうびをやる。もしそれが男で独身ならば、姫を嫁にやってもよい』
と、いうものでした。

イワンの親はそれを知ると、
「おまえは悪魔からもらった根っこがあるだろう。あれを王さまに持っていったらどうだ」
と、すすめました。

「ふーん。そうだね」

イワンはさっそく、家を出ました。

ところが、家の前にまずしい女の人が立っていて、

「あたしは手が悪いんだ、なおしておくれよ」と、いいます。

気のいいイワンは、

「ふーん。いいよ」 と、大事な根っこを、みんなやってしまいました。

これでは、王さまに持っていく分がありません。
 
それでもイワンは気にもせずに、おいぼれウマにまたがって城へかけつけました。
 
ところがふしぎなことに、薬のかけらも持っていないイワンが
城の階段に一歩足をかけたとたん、お姫さまの病気がなおってしまったのです。
 
喜んだ王さまは、お姫さまをイワンのお嫁さんにしました。
そしてまもなく王さまが亡くなったので、イワンが国王となりました。
 
しかしイワンはすぐに王さまの服を脱いで、
ボロボロのシャツに着がえると、畑仕事をはじめました。
 
妻になったお姫さまもイワンのまねをして、
立派な王妃(おうひ)の服を脱いでそまつな服に着がえると、
イワンの手伝いをはじめました。

それを見てあきれたりこう者は、この国からみんな出ていき、
まじめにはたらいてくらす、心のよい人ばかりが残りました。
 
小悪魔がイワンを不幸にするのを失敗したので、大悪魔はカンカンにおこり、
りっぱな紳士(しんし)に化けてイワンの国にやってきました。

そして高いやぐらの上にのぼり、『手を使って働くことのおろかさ』について、
毎日毎日、演説(えんぜつ)をしましたが、イワンの国の人たちにはチンプンカンプンです。
 
そしてある日、大悪魔は、おなかがすいて足がすベり、
やぐらのてっペんからまっさかさまに落ちて、地面の底に消えてしまいました。

          <感謝合掌 平成28年2月3日 頓首再拝>

やめよ!やめよ!と突然、早雲は叫んだ ~なりきる尊さ~ - 伝統

2016/02/07 (Sun) 18:45:22


            *「光に向かって100の花束」高森顕徹・著(第67話)より

相模国、小田原の城主であった北条早雲は、琵琶をきくのが大好きであった。

あるとき、琵琶法師を呼んで『平家物語』をきいた。

物語が進んで、那須与一が、扇の的を射るところにいたると、
早雲の顔は感激に紅潮し、心身はうちふるえた。

いよいよ佳境に入り、
「さて与一が弓を満月のごとく引きしぼり、扇の的に狙いを定め……」
と琵琶法師が言ったとき、突然、
「やめよ! やめよ!」
早雲は叫んだ。

そしてついに、やめさせてしまった。

今まで熱中して、きき入っていた武士や女中たちは、
一番おもしろいところでやめられたので、どうしたわけかといぶかった。

早雲は、そのとき、

「おまえたちは、あのときの与一の身になってきくがよい。
与一は、扇の的がはずれたら、源氏の恥辱はもちろん、武士の面目のために、
その場で切腹して、相果てる覚悟であったのだ。

今、弓を射ようとしてジーッと的を狙っている与一の、
その気持ちが、よくわかるから、聞いてはおれないのだ」

と述懐したという。

 
何事も、それになりきることが大切である。

北条早雲がつくった21カ条の家訓は、戦国大名の家訓となったのも、よくよく首肯される。


<参考Web:早雲寺殿廿一箇条>
 → http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/hojo/p09809.html

http://capm-network.com/?tag=%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%97%A9%E9%9B%B2%E3%81%AE%E5%90%8D%E8%A8%80

          <感謝合掌 平成28年2月7日 頓首再拝>

偉業を成就せんと志す者は、すべからく衣食に心を奪われてはならない。 - 夕刻板

2016/02/09 (Tue) 19:56:41

下等の人間は舌を愛し、
   中等の人間は身を愛し、
      上等の人間は心を愛する

            *「光に向かって100の花束」高森顕徹・著(第71話)より

アメリカの大統領に、クリブランドが当選したとき、獄中の男の一人が長嘆息している。

「やはり、あの方が当選されたか。立派だったものなぁ」

「おまえは、クリブランド氏を知っているのか」

看守が不審に思ってたずねると、

「中学卒業のときは一、二を争って出たが、祝いに酒飯にいこうと誘ったところ、
クリブランド氏は“味よきがゆえに断つ”と言って、途中から帰ってしまった。

おれは一度ぐらいなんだ、これが最後だ最後だ、が、たび重なって、
ついに今日のように雲泥の差が生じてしまったのだ」

と述懐したという。

 
同じ身体を持ちながら、同じ才能を有しながら、
目的を達せずして奈落に沈んだのは、勇猛精進の克己心がなかったからである。

 下等の人間は舌を愛して、身を愛さぬ。

 中等の人間は身を愛して、心を愛さぬ。

 上等の人間は心を愛するがゆえに、克己して勇猛精進する。

 
偉業を成就せんと志す者は、すべからく衣食に心を奪われてはならない。

頂上を極める者は弊衣粗食、よく初志を貫徹する者である。

          <感謝合掌 平成28年2月9日 頓首再拝>

悪魔さんの陰謀 - 伝統

2016/02/12 (Fri) 19:18:15


          *「ありがとうのすごい秘密」小林正観・著(P134~139)より

《悪魔さんは、努力すること、頑張ること、夢や希望に向かって邁進することが
幸せだと私たちを洗脳したのです。》

「私たちはありとあらゆることに恵まれている」

すごく面白い文献が手に入りましたのでご紹介します。
これは阿部敏郎さんが書いた「さとりの授業」の中に出てくるお話で、
タイトルは「悪魔会議」です。


あるとき悪魔会議が開かれました。
人間をいつまでも不幸にしておくために、人間が決して神の子だと気づかないように、
一番効果的な方法を人間界に用いてきた悪魔を、次期悪魔大統領に任命しようというのです。

現職の悪魔大統領が候補の3悪魔に聞きました。
「お前たちは、人間界で何をやってきたか」

一人目が答えました。

「私は新種のウイルスをまき散らしてきました。エイズウイルスと鳥インフルと豚インフルです。
狂牛病も付け加えておきました。欲深い人間どもが肉を食し性欲に溺れる限り、
これらの恐怖から逃れられません」

悪魔たちから拍手と歓声が湧き、続いて二人目が答えました。

「わたしは人間どもに暴力と破壊の楽しさを教えてきました。映画やゲームの様な娯楽に
悪魔性を吹き込んで、子どものころから洗脳し、無差別に人を殺してもなんとも思わなくなる
大人を養成できるようにしてきました」

ブラボー! 会場はさらに盛り上がりを見せました。

そして3人目が答えました。悪魔の中でも一番賢く、期待の星でした。

「私は聖者になりすまし、彼らの前に立って言いました。『あなたは神の子だ』と」

会場に動揺が走りました。しかし、その悪魔は続けました。

「どんなに苦しくても頑張るのだ。耐え忍びなさい。そして希望を持ちなさい。
より高き自分をめざし、神に近づくのだ。いつの日か、完全な自分になった暁には、
自分が神の子だったことを知るだろう」

会場は騒然となりました。一番期待されていた悪魔が、自分たちを裏切るとは・・・

しかし、現職の悪魔大統領は言いました。

「人間はいずれウイルスも暴力も制御してしまうだろう。
しかし、3人目のお前こそ完璧に仕事をやってのけた。

これで人間が神の子だということを知る日は永遠に来ない。

彼らは、永遠に自分を高め続け、永遠に神に憧れ、永遠に『いつの日か』を待ち続けることで、
いまの幸せに気づくことがなくなるであろう。よくやった!お前こそが次期大統領だ」

人間を不幸につなぎとめているのは、
「いまのままの自分では幸せになれない」と感じ、
「いつの日か幸せになりたい」という思いを持ち続けていることです。

                     (阿部敏郎著/『さとりの授業』)


学校ではもちろん、社会に出ても同じですが、、
私たちは、今のままでは駄目、不十分だ、目標を立てて努力し、頑張ること、
そして、その目標に到達することがいいことであって、目標に到達しないのは悪いことである、
という教育を受けてきました。

今の自分では幸せだと思ってはいけないという教育をなされてきたのです。

そして、悪魔さんが一番手を出せない非常に困った存在は、
今の普通の状態を「幸せなのよね」と言っている人です。
なぜなら悪魔さんは幸せを知ってしまった人には手を出せないからです。


今の話がわかったら、
私たちは今この瞬間にすでに神の子であったのだということに気が付くはずです。

私たちは、ありとあらゆることに恵まれているので、
その恵まれていることに気が付いたら

「ああ私は本当に恵まれてこの世に生まれてきたんだ。本当にラッキーでついている」

と思えるわけです。

          <感謝合掌 平成28年2月12日 頓首再拝>

世界一おいしいご馳走 - 伝統

2016/02/15 (Mon) 18:55:27


            *「光に向かって100の花束」高森顕徹・著(第75話)より

“世界一おいしい、料理が食べたい”

昔、ある王様がこう言って、国中の料理人を召集した。

王宮で常に、食の贅を極めているので、どの料理も、おいしいとは思えない。

「へたなやつばかりだ。もっと上手な料理人を探しだせ」

側近が困惑していると、

「私が世界一の料理人でございます」と、申しでた者がいた。

「余の満足する料理が作れるか」

「おそれながら、それには、私の言うことをお守りいただかねばなりませぬ」

「おもしろいことを言うやつじゃ。守ってやるから作ってみよ」

王様も、意地になって承諾する。

 
それから3日間、昼夜、王様のそばを離れず、ジッとしているだけだった。

「いつ、料理を作るのじゃ」

「はい。そのうちに、必ずお作りいたします」

3日目にもなると、空腹でヘトヘトの王様に、粗末な野菜料理が運ばれた。

「さあ。お約束どおり、世界一おいしいご馳走ができあがりました。
十分にお召し上がりくださいませ」

むさぼるように、それをたいらげてから、王様は言った。

「こんなおいしいものを食べたことがない。なにを、どんなに料理したのか」

 
料理人はそのとき、こう答えたという。

「料理の上手は飢えにあります。空腹で召し上がるものが、一番の、ご馳走でございます」

“おいしい”と感ずるのは、飢えという苦しみの軽減されてゆく過程である。

飢えの苦のないところに、おいしいという楽しみは、ありえないのだ。

 

人生もまた同じ。

苦しみから逃げまわって生きようとする者は、絶対に楽しみを味わうことができない。

意気地なしや卑怯者と、真の幸福は、無縁のものなのだ。

楽の元は苦、といわれるではないか。

          <感謝合掌 平成28年2月15日 頓首再拝>

殺して生かす - 伝統

2016/02/20 (Sat) 18:09:17

殺して生かす
    相手を裏切り、ののしられ、迫害も覚悟しなければならぬこともある

            *「光に向かって100の花束」高森顕徹・著(第78話)より

アメリカが今日のように、交通機関が発達していなかったときのことである。

夕闇せまる田舎道を、和気あいあいの乗合馬車が走っていた。
ガス灯のゆれるウス暗い車中には、立っている乗客はなかったが、ほぼ満席であった。

やがて馬車が、うっそうと生い茂った、奥深い山道へとさしかかったころ、
どこからともなく、物騒なささやきが聞こえてきた。

「ここによく、ギャングが現れるそうだ」

「乗合馬車が、よく襲われるそうだが、今日はだいじょうぶだろうか」

「そういえば、ギャングのでそうな、さびしい道だ」

 
すると一人の青年が、ワナワナとふるえて、隣席の紳士に相談を持ちかけた。

「今の話は本当でしょうか。私は今、汗とあぶらでためた3千ドルの大金を持っています。
もし、これを奪われたら、私は死ぬよりありません。どうしたらよいのでしょうか」

紳士は、静かにうなずき、

「私がよい方法を教えましょう。靴の中へ隠しなさい。足の下までは調べないでしょう」

青年が教えられたとおりにした直後、ギャングの一団が馬車を襲った。
車内に踏みこみ、シラミつぶしに乗客の金品を略奪し始める。

そのとき、ギャングに件の紳士が叫んだ。

「この男は、靴の中に大金を隠しているぞ」

ギャングたちは、思わぬ大戦果に酔い、後はろくに探そうともせずに雀躍と立ち去った。
乗合馬車は、何事もなかったかのように、また走り続けたが、乗客は異口同音に紳士を罵倒し、
ギャングの一味だと青年は激昂し、殺気がみなぎる。

「すまない、すまない、今しばらく辛抱してください」

紳士は、おだやかに、くりかえすばかりであった。

馬車は町へ着いた。

忍耐の限度を超えた青年は、紳士につかみかかろうとする。

「すまなかった。実は私は、10万ドルの大金をもっていた。
3千ドルも大金ですが、それで10万ドルが救われました。
お礼に1万ドルをあなたにさしあげます。どうか、お許しください」

ことの真相を知った青年は深く反省し、心からお詫びと謝礼を述べたという。

 

人生には、より大切なことを遂行するために、
一時は相手を裏切り、ののしられ、迫害も覚悟しなければならぬ
ことのあることを、知っておかなければならない。

          <感謝合掌 平成28年2月20日 頓首再拝>

欲があるから苦しみがある~アナン尊者 - 伝統

2016/02/23 (Tue) 19:20:45


            *Web:瑞雲院法話~欲の話 より

釈尊の侍者を長年つとめたアナン尊者はたいへんな美男子だったといわれ、
女性に誘惑された話が経典に載っている。
そのアナン尊者があるとき釈尊に次のような質問をした。

「婦人に対して、私はどのようにしたらよいのでしょうか」

女難の相のあるアナン尊者の質問に対し、釈尊答えていわく。

「アナンよ。見てはならぬ」

「もしも見てしまったら、どうしたらよいのでしょう」

「アナンよ。話をしてはならぬ」

「もしも向こうから話しかけてきた時には、どうしたらよいのでしょう」

「そういう時には慎んでおれ」


心を迷わせるものに対しては、

「見ざる、言わざる、聞かざる」と「慎み」で対処せよ

というのが釈尊の解答であった。

欲の第一歩は心の中にフッと浮かんできた衝動である。
だからこの衝動にどう対処するかが分かれ道となる。

「心に従ってはならない。心を従えるのだ」という言葉があるように、
衝動に従うのではなく心を従えなければならない。

心を従えることは仏道修行の核心であり、智慧そのものでもある。
しかし自分自身に打ち勝つことは百万の敵に勝つよりも難しいといわれる。

禅は意思の宗教だといわれており、坐禅修行は願心と意思の力で突きすすむ修行である。
そして坐禅をしていると意思は強くなる。
坐禅で養った禅定力(ぜんじょうりき)が心の乱れや衝動を調えてくれるからである。

しかし日常生活の隅々まで禅定力を及ぼしていくのは容易なことではない。
坐禅をしている時は禅定力に守られて弱い心に負けないが、
ふだんの生活は習慣に支配されやすい。

だから禅定力とともに、よい習慣を身につけることが大切である。

深い禅定力とよい習慣を身につけ、衆生済度のために精進していくのが仏教徒の生活である。

          <感謝合掌 平成28年2月23日 頓首再拝>

「二匹の蛙」 - 伝統

2016/03/05 (Sat) 20:12:04


蛙のグループが一緒に森の中を歩いていた時、
突然その中の二匹がとても深い溝に落ちてしまいました。

その溝の深さを見て、残りの蛙たちは、

「この深さから飛び出るの不可能だ。死んだも同然!」と

二匹の蛙に叫びました。

それにも関わらず、この二匹の蛙たちは一生懸命、
この溝から出ようと何度もジャンプしたのです。

でも、他の蛙たちは、

「まったく無理だから、そんなに必死で跳ねて苦しまないで、あきらめた方が良い!」

と叫び続けました。

そうしている間、この溝の二匹の内の一匹は、怪我をして死んでしまいました。
しかし、もう一匹はそれでも諦めずにジャンプを続け、とうとう溝からはい上がって来たのです。

他の蛙たちは、

「君は僕たちが大きな声で叫んでいた言葉が聞こえなかったの? 」

と聞きました。

すると、この蛙は耳が悪くて、皆の叫びの内容を分かっていなかったのが判明しました。
彼は、初めから終わりまで、仲間たちが応援して叫んでいてくれたとばかり、信じていたのでした。

                 ・・・


この話からの教え:

(1)言葉には生死を決めてしまうような力がある。

   めげていたり、気力が落ちている人に、勇気や元気が出る言葉を与えると、
   その一言が、その人を救うことになることもある。

(2)弱ったり困っている人に非建設的で破滅的な言葉を浴びせると、
   その人を間接的に殺すこともできる。


   周りの人たちに何を言うか、気をつけなさい。

   人生で出会う人たちには前向きな激励の表現を使いなさい。

   言葉の威力は、人の人生をまったく変えてしまうことができるくらい、
   恐ろしい影響力を持つのだから。

   人生の困難に立ち向かっている人に対して、
   批判や士気をくじくようなことを言うのは誰でもできます。

   その反対に、いつも周りを勇気づけたり、
   激励するような言葉を使える人間になることが、
   努力を要する特別な素晴らしいことです。

   さらに3つ目の教訓としては。

(3)成し遂げたいのなら、世間と距離を置き、
   ひたすら為すべきことを為せということでもあります。

          <感謝合掌 平成28年3月5日 頓首再拝>

小欲と知足 - 伝統

2016/03/13 (Sun) 19:07:48


            *Web:瑞雲院法話~小欲と知足 より

人間はさまざまな欲を持っているが、欲そのものは善でも悪でもない。
お腹が空くのも、喉が渇くのも、修行して自分を高めたいというのも、
人を助けたいというのも、欲といえばすべて欲である。

しかし欲という言葉は悪い意味に使われることが多く、
そのため仏道修行に精進するような欲はふつうは菩提心と呼んでいる。

悪い意味の欲に限定すれば、
「欲があるから苦しみがある。欲がなければ苦しみもない」という言葉は正しい。

「世界一の大金持ちになりたいとか、永遠に若く美しく健康でありたい」といった
不適切な欲から苦しみが生じる。

また生きるために必要な欲であっても適量を知ることが大切である。
そのため遺教経(ゆいきょうぎょう)には、
小欲(しょうよく)と知足(ちそく)の功徳が説かれている。

「まさに知るべし。多欲の人は利を求むること多きがゆえに苦悩もまた多し。
小欲はよく諸々の功徳を生ず。

小欲を行ずる者は心すなわち坦然(たんねん。やすらかなこと)として
憂畏(うい。うれいおそれること)する所なし。

ことに触れて余りあり。常に足らざること無し。
小欲ある者はすなわち涅槃あり。これを小欲と名づく」

「もし諸々の苦悩を脱せんと欲せば当に知足を観ずべし。
知足の法は即ちこれ富楽安穏(ふらくあんのん)の所なり。
知足の人は地上に臥すといえどもなお安楽なりとす。

不知足の者は天堂に処すといえどもまた心にかなわず。
不知足の者は富むといえどもしかも貧し。知足の人は貧しといえどもしかも富めり。
これを知足と名づく」

「まだ足りない。もっと欲しい」ではなく「これで充分」と感謝せよ。
そうすれば大安楽の世界が開けてくるというのである。

・・・

<参考Web:「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」
        → http://www.happy-1life.com/waretada.htm >

          <感謝合掌 平成28年3月13日 頓首再拝>

セイレーンの歌 - 伝統

2016/04/23 (Sat) 19:46:57


          *ギリシャ神話 より


昔、オデュッセイスという英雄がいました。

彼は他の英雄達が怪力で勝利を得たのに対して、
彼は頭を使って勝負するタイプの英雄でした。

彼はある戦いを終わって、国に帰るために船に乗りました。

その航路の途中には、その美しい歌を歌うセイレーンという
妖怪の住む海峡を通らなければいけませんでした。


セイレーンは美しい歌声で航行中の船乗りを惑わし、
遭難させたり、難破させていたのです。


そこでオデュッセイスは他の船乗り達に耳栓をさせて、
自分だけが歌声を聞こえるようしました。

でも自分がその歌声に惑わされても、何も出来ないように
自分自身をマストに縛り付けたのです。

そのセイレーンが住む海峡に差し掛かると、
セイレーンの美しい歌声が聞こえてきました。

オデュッセイスはまるで狂ったように暴れ出しました。
でもマストにキツく縄で縛り付けたので、動く事が出来ません。

無事に海峡を進んで、オデュッセイスが落ち着くと
船乗り達は耳栓を外して、オデュッセイスの縄をほどいてあげました。


そしてセイレーンはオデュッセイスを引き込めなった事で
プライドが傷つき、海に身を投げて自殺したのです。

           ・・・

私たちの住んでいる現代でも
セイレーンの歌がたくさん聞こえてくるのです。


例えば

「タバコ吸おうよ」とか

「飲みにいこうよ」とか

「○○が儲かるよ」とか

「アジアの不動産投資が良いよ」とか


私たちのゴールである場所に行くために
いろいろな邪魔、つまりセイレーンの歌が聞こえてくるのです。

そのため人生の大切な時間をムダにして
フォーカス出来ずに、目標達成ができなくなるのです。

          <感謝合掌 平成28年4月23日 頓首再拝>

「座敷わらし」 - 伝統

2016/05/09 (Mon) 17:29:11

          *Webニュース(2016年5月8日)より

座敷わらしの言い伝えは、南北朝時代にさかのぼる。
北軍に敗れて逃れる最中、五日市家の先祖である藤原朝臣藤房の長男で
当時6歳だった亀麿(かめまろ)が病で亡くなった。

そのとき亀麿は「末代まで家を守り続ける」と言い残し、座敷わらしになったという。
宿(岩手県二戸市・金田一温泉郷の旅館「緑風荘」。2009年10月4日夜、火災で全焼)
の敷地には亀麿をまつる亀麿神社がある。

「緑風荘」は、再建し、この5月14日に営業を再開するとのこと。

緑風荘の名物は「槐(えんじゅ)の間」。

この部屋で写真を撮ると光の玉が写り込み、これが座敷わらしとうわさされた。
「一緒に遊んだ」という客の体験談も多い。

  (http://www.asahi.com/articles/ASJ4V6QVPJ4VUJUB00S.html

・・・

<関連>


(PR TIMES) - リリース発行企業:株式会社徳間書店

十凪高志著『「座敷わらし」をもらってきたら、幸せが舞い込んだ!』4月19日発売

【目次】
◎座敷わらしに会ってみたい!
・座敷わらしがもらえる?
・昔から多くの人たちが座敷わらしを感じ、見てきた
・座敷わらしはどこにいる?
・霊感などなくても、座敷わらしに会える

◎座敷わらしに会いに行こう!
・初めて訪ねた「座敷わらしの出る宿」
・お客さんが言うんですよ「ここに座敷わらし、いますよね」って

◎座敷わらしをもらってきた!
・チャンスは巡ってきたが……
・夢に出てきた座敷わらし
・いざ、再びの遠野へ
・黒い和服の少女
・いよいよ座敷わらし祈願祭へ
・夢で出会った少女がいる
・命名「千織」

◎続・座敷わらしに会いに行く、遊ぶ
・蔵わらしやまっくろくろすけ、謎の老人行列まで
・遠野の奥深い不思議世界
・宝くじが当たるご利益がある座敷わらし
・もっとも知られた座敷わらしの出る宿
*「座敷わらし同好会」メンバーの体験記

◎座敷わらしと暮らしてみたら……
・次々と起こる不思議体験
・まさかの(笑)仕事の依頼が来る
・仲間たちが手にした座敷わらしと、その後
・座敷わらし人形「福ちゃん」のご利益報告

◎座敷わらしとは何なのだろうか
・座敷わらしは「幸せの波動」
・幸せの波動は共鳴する
・あなたのそばにいる座敷わらしの仲間

◎座敷わらしと会う方法

◎座敷わらしを手に入れる方法
*座敷わらし出没地点紹介   (目次より抜粋)

http://www.asahi.com/and_M/information/pressrelease/CPRT201618785.html

          <感謝合掌 平成28年5月9日 頓首再拝>

「地獄の話」 - 伝統

2016/05/16 (Mon) 17:55:18


          *Web:ひとりさんの話 より

今まで私は地獄の話とかしなかった。
「陰と陽」の陽の話しかしなかった。
陰の話は普通の人には一切話した事がなかったんです。

この前京都の神社に行き、ある神社で拝んでいたら、
そこの神社の神様の声がしてお叱りを受けました。
詳しい事は言いません。ただお叱りを受けました。

陰と陽はバランスよく話さないといけないよということです。

知ってるのに教えないといけないよということです。

神様の言葉は短いんです。一言で分かる言い方が私には分かるんです。

この前「人が幸せになる生き方はなんですか? 」と聞いたの。
そうしたら「美化」って言ったの。いつもそうなの。一発なんです。
私には一言で分かる言い方。

それでお話ししなさいよというお知らせが来たので、話すようにしてます。
そうしたら体が楽です。


ほとんどの人は地獄に行きます。

ここにいる人はほとんどの人が地獄行きです。
場所は替わりますけどまたパーティーができます。
ただし、私は行かなくて良い方法を知ってます。
だから皆さんとは、もう会えません。

今日は行かなくて良い方法を教えます。

なぜ人は地獄にいっちゃうのか。
なぜこんなに助からない人が多いのでしょうか?
天国に行くには針の穴を通すより難しい。

理由はたったひとつ。

この世で罪にならない事でもあちらの世界で許されない事があるんです。

地獄というところは寒くて暗くて臭い。三拍子揃っています。
昔言っていたような、針の山があるとか、かまどがあるとか、ああいうところでないです。

私は光の玉に地獄がどんなところか見せてもらいました。
針の山があって針治療ができたり、かまゆでがあって温泉に入れるところで無いのです。

ただただ寒くて暗くて臭い。
下に行くほど暗くんです。
地獄の上の方に行くとそこの人達は顔がムンクの叫びのようになっているんです。

叫んでる「なんで私が地獄にいるんだ」だって悪い事もしてい無いのに。
わからない。


無関心なんです。

例えば近所に障害者の施設ができます。反対する人達がいるんです。
反対する理由は自分の子供に障害が無いから。
だから人の事はいいんです。

さっきも「癌は治る、癌は治せる」良い本ですねと言って人に薦めない人。
私の友達は本を読まないからとか。そうじゃないんだよ。

天で神様が見ています。
相手が読んだか読まないかそうじゃなく、友達だって、身内だって何人もいないよ。
それなのにこの本読みなよって言えないのは無関心なんだよ。

無関心は罪なの。

なんでも関心持っていなさいてことを言っている訳じゃないの。
宇宙エネルギーで「水晶」もらって「私お守りのように大切にしてます」という人。

それで何かしな。
遠隔するとか人助けるとかしなよ。

私これ欲しかったの。
これ持っていたら幸せなのって「真っ直ぐ地獄に落ちるよ」

これ持っていたら天国に行けるなんてものひとつもないんだよ。

私この宗教に入っているから天国に行けるっていう人います。
その宗教できる前の人は全員地獄に落ちてたの?
それ違うだろうって。

この地獄の話をする前に、床屋さんでうちのお客様で霊視とかできる人がいて、
先日なくなったお父さんをどこにいるのか霊視したら薄暗い所に
しゃがんでいたんだ、というんです。

それでお父さん立ちなよと言ったらしいの。
立って歩いてって言ったらしいんですけど、
お父さんは寒くて歩けないんだよと言っていたそうです。

それ間違いなく地獄に落ちていると。

地獄はそういうところです。

無関心しているのはいけないよ。
世界中の事に気を配れと言っている訳じゃないよ。

今自分に来ている事があるじゃない。

良い本があった薦めるとか、
せっかく「水晶」もったんだから遠隔をやってあげるよとか、
そういう事だよね。


もっと極端な例をあげると、無関心のもっとひどい人がいるんです。
だんだん(地獄の)下の方へ行くよ。

万引きする人がいるんです。
とられたら困るんです。仕入れしてます。家族養っているんです。
そういう事考えないんです。人の生活に無関心なんだよ。

だから取っちゃえるんだよ。
この人困るだろうなとか、思えたら万引きできないんだよ。


酔っ払って車運転してしまう人いるけど、引かれた人も、その家族も困るんだよ。
自分の身内だって困るんだよ。周りの事考えないんです。
人殺しする前に殺されたら痛いだろうなとか、家族が泣くだろうなとか、
関心持っていたらできないんだよ。

神の国は一個だけ。無関心はいけないよ。

だからできる範囲で自分ができる事やらないといけないの。

私は地獄を見たよ。
あんなところ行きたくないよ。
だから行かなくて良い方法を一生懸命話しています。

ただ信じる人と信じない人がいるから、私は信じてくれと言わない。
みんな死んだら分かるんです。みんな死ぬんだから。
私は行きたくないし、みんなも行かせたくないんです。

無関心やめよう。


3種類の人がいる。
薦めもしない人、この本良い本だよと、これは真っ直ぐ地獄に行ける。
特急です。

読みなよって薦める、これは中級。

上級者は真っ直ぐ天国に行ける人は
どうやったら、どうしたらこの人この本を読むかな?
と人の事に頭を使う人がいる。

薦め時にここだけでも良いよと言いながら渡すとか。
私目が悪いんですと言われたら、代わりに読んであげますよとか。
良い事するのにどうしたらいいのか考える人がいるの。分かる?

良い事するのになんで私が頭使わなければいけないんだって言う人いるけど、
人助けってそんなものだよ。

一生懸命やらないといけないよ。

上の道を行こうよって、そういう事。
なんか考えようよって言っているの。

地獄の話はそれまでなの。あんまりすごい話でないの。

      (http://www.1st-minamiaoyama.com/ho-jigoku.html


          <感謝合掌 平成28年5月16日 頓首再拝>

「すべり台事変」 - 伝統

2016/06/07 (Tue) 17:51:14

「すべり台事変」~戦いに「勝つ国」「負ける国」の法則

       *メルマガ「RPE(2016年06月07日)」より

(ロシアで、子供たちがうじゃうじゃ遊んでいる公園での出来事)

▼窮地に陥った女の子

5歳くらいの女の子がすべり台を使おうとしました。
色が白くて、痩せて、目の大きな女の子です。

ところが、体の大きな男の子が、すべり台を占領していました。
しかも、すべり台本来の使い方をせず、上に陣取って、ただ下を眺めているのです。

女の子が昇ってきて、「通してよ!」というと、男の子は、

「嫌だね! これは僕のすべり台なんだから!」

といいました。

女の子は、「あなたのすべり台じゃないわよ。みんなのすべり台よ!」と言い返しました。

すると、男の子は、カルシウム不足だったのでしょうか、
公園中に響きわたるとても大きな声で、

「あっちいけ!僕のすべり台だぞ!」

と叫びました。

その攻撃的な態度に皆驚き、二人の方をむきました。

どう見ても勝ち目のない女の子は、あきらめて逃げるだろうと思われた。

ところが女の子は、思わぬ行動に出たのです。


▼勝利した女の子

体の大きな男の子の異常にアグレッシブな行動に、怯えてみえた女の子。

とても大きな声で、こう叫びました。

「パリーナー(女性名)!

この男の子に、すべり台は『みんなのもの』といってよ!」

友達のパリーナは、その呼びかけに応じ

「すべり台は、みんなのものよ!!!」と叫びました。

それで終わらず、となりにいた男の子に、

「そうよね? みんなのすべり台だよね!?」

と同意を求めます。

となりの男の子も、「そうだ!みんなのすべり台だぞ!」と叫びます。

そうこうしているうちに、主人公の女の子の主張に同意する子供たちがどんどん増え、
すべり台のまわりに集まってきました。

そして、体の大きな攻撃的な男の子に、

「おまえは、すべり台から降りろ! 女の子に使わせてやれ! 」

と要求するようになった。

包囲網を築かれてしまった男の子は、それでも「これは僕のすべり台だ!」と主張します。

しかし、最後は泣きはじめてしまい、結局すべり台を明け渡すことになったのです。

長く書きましたが、本当に短い時間で起こり、男の子のお母さんが介入したのは、
彼が泣きはじめてからでした。

私は、このやり取りを見ながら、

「なんということだ。世界情勢と同じことが、子供の世界で起こっているではないか!」

と感動(?)したのです。

              ・・・

▼男の子の敗因、女の子の勝因

敵国に対抗するには、主に二つの方法があります。

一つは、バランシング(直接均衡)。これは、自分が責任をもって、敵国と対峙するのです。

二つ目は、バックパッシング(責任転嫁)。これは、他国を敵国と戦わせるのです。

例えば、中国が怖い日本は、アメリカと中国を戦わせるのです。

あるいは、ロシアをつぶしたいアメリカは、グルジアやウクライナをロシアと戦わせるのです。

バックパッシングの話は、今回おいておきましょう。


強大な敵(男の子)に直面したひ弱な女の子は、逃げるか、
バランシングするかの選択をせまられました。

女の子は、逃げることなく、バランシングする決定をくだします。

ところで、バランシングには、「内的」と「外的」がある。

内的バランシングとは、「自分が強くなること」。
国でいえば、軍事力を増強することなどです。

女の子でいえば、「空手を習って、男の子に勝てるよう鍛える」となるでしょう。


しかし、強大な敵は、「目の前」にいる。

彼女には、とても「内的バランシング」をしている時間がありません。

そこで彼女は、「外的バランシング」をすることにした。

これはなんでしょうか?

「同盟関係」を構築したのです。

つまり、「仲間」「援軍」を呼んだのです。

親友のパリーナに、「みんなのすべり台だといってよ! 」と頼んだ。

パリーナは、「みんなのすべり台よ! 」というと共に、他の子供たちにも、

「バランシング同盟への参加」を呼びかけた。

結局、「反いじめっ子同盟」ができてしまい、男の子は包囲され敗北しました。



▼「すべり台事変」と中国

ひ弱な女の子と、パワフルないじめっ子の男の子。

世界情勢をみると、たとえばベトナム、フィリピンと中国の関係に似ています。

両国とも、「南シナ海はわが国の海」と主張し、
実効支配を進める「いじめっ子」中国に悩まされている。

しかも、両国とも中国に比べれば圧倒的に小国。

「内的バランシングでどうの」という次元ではない。

そこで、両国は、「南シナ海は、みんなの海だ!」と呼びかけた。

結果、たとえばベトナムは、日本、アメリカだけでなく、
インド、ロシアなどからも支援を受けれる立場になりました。


そしてアメリカのカーター国防相は、

「中国は、『孤立の万里の長城』を築いている!」

と非難してまわっている。

中国は、南シナ海を手放さず、埋め立てもやめないに違いありません。

しかし、それをつづける限り(たとえば、すべり台を不法占拠しつづける限り)、

ますます孤立し、ますます破滅に近づいていきます。



▼日本が得るべき教訓

しかし、日本も中国を笑えません。

私は、中国の「反日統一共同戦線戦略」を知った後、
熱心に「日本が負けた理由」を研究するようになりました。


(●「反日統一共同戦線戦略」とは?↓
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2012_11_15/94728921/ )


そして、「孤立したから負けた」という、とても単純な結論に達しました。

1937年に日中戦争が勃発した時、中国は、アメリカ、イギリス、ソ連から支援を受けていた。

事実上の、日本 対 アメリカ、イギリス、ソ連、中国連合の戦い。

勝てるはずないですね。


「すべり台事変」から日本が得られる教訓はなんでしょうか?


「内的バランシング」(たとえば軍事力増強など)も大事ですが、
「外的バランシング」(同盟関係の強化)のほうがもっと大事で強力ということです。

そして、常に国際世論に耳を傾け、「異常だと思われる主張」はしないよう、
細心の注意をしつづける必要があります。


女の子は、なぜ短期間で強力な「バランシング同盟」を構築することができたのか?

「すべり台は、みんなのもの」

という彼女の主張が「正義」だったからです。

彼女は、「“ 私の ”すべり台」といわなかったところがポイント。

「“ みんなの ”すべり台」といった。


そして、「すべり台は僕のもの」と主張した男の子と同じ間違いを中国はしています。

一方、ベトナム、フィリピンは、「私の海」とはいわず、
「みんなの海」と主張し、味方を増やしている。


日本も何か主張するときは、「私=日本」ではなく、
「私たち=全世界」といえるものでなくてはなりません

          <感謝合掌 平成28年6月7日 頓首再拝>

ロバと兄弟の話  - 伝統

2016/06/28 (Tue) 19:07:26


         *「ベテラン弁護士の「争わない生き方」が道を拓く」(P46~47)より

こんな寓話があります。

昔、ある国にロバと仲のよい兄弟がいました。
兄弟はロバの背中に商品をのせて街に売りに行きました。
商品が売れたので帰途につきました。

ロバをひきながら、疲れて帰ってきた様子を見て、すれ違った人はこんなことを言いました。
「疲れているんだったら、ロバの背中にのっていったら? 」

弟思いの兄か、「お前がのればいい」と言ってくれたので、弟がロバにのって、
兄がロバをひいて歩きました。

するとしばらくして、また別の人にこんなことを言われました。
「兄さんをロバにのせずに、弟がのっているなんてけしからん」

それを聞いた兄弟は、ふたりでロバの背中にのることにしたのです。

しばらく進んでいくと、また別の人かがこんなことを言いました。
「ロバも疲れているのに、ふたりも背中にのって歩かせるなんて、ひどいじゃないか。
ロバがかわいそうだとは思わないのか」

兄弟は思わずロバの背中から降り、思案にくれたあげく、ロバを担いで帰ったというのです。

                ・・・

(中略)


ロバの話は単なる例えでしかありません。

日常生活で、人から言われたことや他人の目を気にするあまり、
自分のやりたくないことをイヤイヤながらやっていませんか?
間違っているのではないかと疑いながら行動していることはありませんか?

自分の心の判断規準を明確にしておくと、いざというときに迷うことがなくなります。
心の規準はそれぞれなので、意見が違っていてもあたりまえです。

自分という規準軸を、しっかりと心の中に持っていれば、
いちいち人の意見に惑わされることは少なくなります。

【人に言われるがまま動くことは、トラブルをまき散らす行為】

            <感謝合掌 平成28年6月28日 頓首再拝> 

「ばあちゃん」が聞かせてくれた不食不老の不思議な女の話。 - 伝統

2016/07/28 (Thu) 18:40:51

   
          *Web:「人生やり残しリスト」(2016-05-31)より

夜遅くまで働いていた母親にかわり、
生後数ヶ月の赤ちゃんから、小学生の長い間、
自分の世話をしてくれていた女性がいました。

血縁関係はないのですが、「ばあちゃん」と呼んでいました。

ばあちゃんは、山の中の小さな村から、嫁にやってきて、子育てし、
自分の子が大きくなってからは、近所の子の面倒を見ていたのです。

そのばあちゃんが、子守をしてくれていた時に、
体験した様々な話や、昔、親や周囲の人から聞かされた話を、語ってくれたのでした。

例えば、滝の淵に住む大蛇と結婚した娘の話。
(後に知ったのですが、
同様な昔話は日本各地にありました)


そうした話の一つが、不食不老の不思議な女の話です。

ある家に嫁にきた女性。
見目麗しく働き者。

朝は家の誰よりも早く起きて、水をくみ、
まきを割り、ご飯を作り、掃除し、畑を耕す。
夜は誰よりも遅くまで起きて、最後に寝る。

家族の中で、その嫁の寝姿を見た者は誰もいなかったのです。

そしてもう一つ、家族の中で、
誰も見たことがなかったのが、
その嫁がご飯を食べたり、何かを飲んだりする姿でした。

そう、その女性は、ご飯はおろか、おかずも、果物、木の実など何も食べず、
また茶や水を飲んでる姿を、家族はもちろん村の誰の前でも
見せたことがなかったのです。

その家の姑は、嫁が来て、人が一人増えたにもかかわらず、
米櫃の米が以前と同じような減り具合だったのに気づき、
不思議がったといいます。

(昔話の「くわず女房」だと、米櫃の米の
減り具合が尋常でないことに気づき、夫が、
夜、寝ずに天井に隠れて見張っていると、
嫁が大きなおにぎりを、頭に隠れた大きな口に
放り込んで食べるという展開になりますが……)

しばらくして子どももできました。
働き者で、家族はもちろん、誰にも優しく愛想がよい嫁に、
舅、姑は何の不満もなく、不食のことは問題にすることもなく、
年月は過ぎていったのでした。

舅、姑は年を取り、亡くなりました。
夫も年老いていきます。

子どもも大きくなり、娘は嫁に。
そして息子は嫁をもらう年頃に。

けれど、一人、不食の母だけは、
昔と変わらぬ若いままだったのでした。

夫や息子たちは、やはり不思議に思っていたのですが、
そんな母を自慢こそすれ、それについて尋ねたり、
問いただしたりはしませんでした。

そんな息子が嫁を迎えました。

嫁入りしてしばらくしたあるとき、
息子は、嫁から、母が何も食べないこと、
老けないことについて尋ねられたのでした。

何も答えられない息子。

何度も尋ねられた息子は、ある日、
とうとう母を前に、嫁とともに、
不食、不老について、問い詰めたのでした。

母は、二人に台所に来るように告げます。

そして、これからおまえたちに秘密を教えると語り、
大鍋を出し、くどにかけ、そこに様々な粉やら材料を入れ、
何かを作り始めたのでした。

かなりの時間がたち、
出来上がったのが、黒いどろどろしたもの。

母はそれをしゃもじで救い、手で一つずつ丸め、
小さな丸薬のようにして、台所の板に敷いた白布の上に並べたのでした。

「これが不老不食の妙薬。作り方は今、
教えたとおり。これからは二人で作りなさい」

そして、台所の奥の水屋に二人を招き、引き戸をあけました。

奥には、瓶が入っており、そのフタをとると、
中にはさきほど作ったのと同じ黒丸薬が、びっしりと入っていたのでした。

「これを一月に一粒、口に入れれば、お腹もすかず、若さを保てる。
だが他のものを食べたり飲んだりしては、その効力は消え失せる。
この丸薬を食べるか、これまで通り、食べ続けるか。よく考えなさい」

二人は、母の秘密にたいそう驚きましたが、
そんな大切な秘密を明かしてくれた母に感謝し、礼をいいました。

夜もふけたので、二人は床についたのでした。

まぶしい日の光に目をさました二人。
けれど、母の姿は、家にも畑にも、どこにも見当たりません。

必死で探す二人。
けれど見つかりません。
母は、いずくへか消え去ってしまったのでした。

途方にくれた二人。
何日かたった夜、囲炉裏で二人は、
丸薬がはいった瓶を前に話し合います。

「この丸薬、飲むか?」

「これはお母さんが残してくれた宝だから飲まない」

「そうだな。もし万が一のことがあったら
飲めばいい。それまでは取っておこう」

残された二人は、それから、
毎日、母のように懸命に働き、
仲むつまじく暮らしました。

子も生まれたのです。

幸いなことに、母の残してくれた丸薬を一度も使うこともなく、
また自分たちで作ることもなく、長い年月がたちました。

二人は子や孫にも恵まれ、
夫、そして妻と、この世を去りました。

夫、妻ともに、いまわのきわに、
子たちに、母の丸薬のことを言い残し、あの世に旅立ったのでした。

子孫たちが、その教えを守ったおかげか、
その家は代々さかえ、家の水屋には家宝として、
丸薬が詰まった瓶が伝え続けられているそうです。

ばあちゃんは、この話を何度もしてくれました。

そして話し終えると、いつも、
ばあちゃんちの水屋に自分を連れてきて、
戸をあけ、小さな茶色の瓶を見せてくれたのでした。

「ばあちゃん、これは?」
そう尋ねても、ばあちゃんは、にこやかに笑うばかり。

ばあちゃん、そしてその配偶者のじいちゃんは、
ずいぶん前に亡くなってしまいました。

自分が面倒をみてもらい、二人が住んでいた家も
それから取り壊されてしまいました。

少し前、その跡地に立った時、
ふいにこの話を思い出したのでした。

「あの瓶は今、どこにあるのだろう?」

頭の中には、小さい頃見た、
茶色の小さな瓶が今でもありありと眼に浮かびます。

http://yarinokoshi.blog.so-net.ne.jp/2016-05-31

            <感謝合掌 平成28年7月28日 頓首再拝> 

《ダイヤモンドはどこにある?》 - 伝統

2016/09/01 (Thu) 19:01:13


今日の掲示板の法語「無限の宝庫は 今 此処 にある」
(『生長の家』昭和24年9月1日法語)で
谷口雅春先生が紹介している「或る本」と思われる本からの紹介です。
(→ http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6990581


《ダイヤモンドはどこにある?》

        *「ダイヤモンドを探せ」ラッセル・コンウェル・著 より

昔、インダス川のほとりに、ひとりの年老いたペルシャ人老人が住んでいました。

名前をアリ・ラフェッドと言います。

アリはとても広い農場を持っていて、美しい妻にかわいい子どもと、
なに不自由ない暮らしをしていました。

ある日、ひとりの僧侶がやってきて、世界の生い立ちについてアリに話します。


その話の中でダイヤモンドの事について触れます。

「親指ほどの大きさのダイヤモンドがひとつあれば、
おまえが持っている農場の何倍も広い土地が手に入る。

ひとつかみのダイヤモンドがあれば、国を買いとることができる。
ダイヤモンドの鉱山がひとつあれば、その富の力で子孫を主座につかせることができる」


アリはこの話を聞いて、ダイヤモンドの鉱山を手に入れたいと思ったのです。

どこに行けばダイヤモンドの鉱山があるのかと言う問いに、
高い山に挟まれた、白い砂の上を流れる川に行けば見つかると僧侶は答えます。


次の日アリは、広い農場などの財産をすべて処分し、家族を親戚に預け、
ダイヤモンド探しに行ったのです。


しかし、ダイヤモンドの鉱山はそんなにたやすく見つける事ができず、
莫大な資金も次第に底を付き、アリは見知らぬ異国の果てで力尽きるのです。



ある日、アリの牧場を買った男が、ラクダに水を飲ませようと庭園に入ったところ、
小川の白い砂の中から奇妙な光が出ていることに気が付きました。

その石は七色の輝きをはなっていたそうです。

そうです。

それは紛れも無くダイヤモンドの原石だったのです。

かつて、アリ・ハフェッドのものだった庭園から、
見事なダイヤモンドが見つかったのでした。

             ・・・

この本の著者、コンウェルさんが、
イラクのバグダッドを旅行いていた時にガイドさんから聞いた話で、

実際、このお話で紹介されている鉱山は、ゴルコンダと言って、
史上最大のダイヤモンド鉱脈なんだそうです。


そして、著者は言います。


「自分が今いる場所でチャンスをつかむことができると信じている人は、

どこにいても何かをなしとげられる人です。

今住んでいるところで、人の役に立ちなさい。
学校を手伝ったり、道路を清掃したりして、人々に幸せを与えなさい。

そうすれば、どこにいようが、あなたはりっぱな人になれるでしょう。

反対に、今いる場所で何もできない人は、どこに行っても偉大な人物にはなれません。

あなたが今いる場所で、今のあなたのままで、できることからはじめてください」

            <感謝合掌 平成28年9月1日 頓首再拝>

カリフォルニアのゴールドラッシュ - 伝統

2016/09/05 (Mon) 18:42:54


  (上の記事「ダイヤモンドを探せ」のカリフォルニア版ともいうべきお話しの紹介です)

1848年、カリフォルニアの”ある川”から

『砂金が見つかった』

というニュースが全世界を駆け巡りました。

ゴールドラッシュの幕が、このニュースで開いたのです。

このニュースが流れた時、
カリフォルニアは、まだ100人そこそこの田舎街でした。

ですが、

それが3年後には3万5千人まで一気に膨れ上がるような、
そんな勢いがゴールドラッシュにはありました。

お金、富、成功、そして一発逆転を求めて、
数多くの人が大挙して押し寄せたのです。

夢や希望で胸をパンパンに膨らませ、
目を野望に鋭く光らせながら、夢追い人が大量に集まってきたのです。


その夢に溢れた屈強な金鉱探しのある男の実話です。

その男も他の男達と同様、意気揚々と
金を掘り始めたそうですが、現実の厳しさにぶち当たりました。

掘っても掘っても金が一向に出てこないのです。

1年たち、2年たって地面を掘り続けても金は一粒も出てこなかったのです。

いい加減、彼は嫌になってしまいます。

確かに2年間という膨大な時間を費やして
全く結果がでないので、その気持ちも良く分かります。

なので、彼は、

『金なんてない! 』

そう自暴自棄になって、その時点で金鉱探しを遂に諦めて、
そそくさと田舎に帰ってしまいます。

ただ、

その彼が田舎に帰ってまもなくして、
別の金鉱探しの男が最大の金鉱を発見した、
というニュースがアメリカ中を駆け巡りました。

その最大の金鉱があった場所とは、

『田舎に帰った男が堀った
わずか1m先の場所だった』

というのです。


つまり、

田舎に帰った男は後1mで大金持ちになり、
人生が完全に変わっていたなずなのですが、
その寸前で諦めてしまっていたのです。

            <感謝合掌 平成28年9月5日 頓首再拝>

「ウサギとカメのその後の話」 - 伝統

2016/09/13 (Tue) 18:00:33

「ウサギとカメのその後の話」 

              Web:mixiユーザーの日記(2015年05月25日)より

僕はウサギの「ピーター」

僕の自慢は真っ赤なかわいい目と誰よりも遠くに飛べるジャンプ力さ!!

この辺りじゃ野山を走らせたら、僕に勝てるやつは
誰もいないんだ。

そんな僕の友達はカメの「ごん太」。

ごん太はいつも、とってもゆっくりゆっくり歩くんだ。
僕とは大違い。

そんな僕らは、今では大の仲良し。

今ではって?そう、昔はね、そうじゃなかったんだ。

いつものろのろ歩いているごん太と僕は、ある日、
山の頂上までどちらが先に行けるか競争する事になった。

僕は<のろま>が嫌い。

だからごん太の事をよく<のろま>ってからかってたんだ。

そしたらさ、「それなら競争しよう」って
ごん太が言ってきたんだよ。

そんなのやる前から僕が勝に決まっている。

よーいドン。

僕は風を切って走り出した。

もうすぐ頂上と言うところで、僕はちょっと昼寝をした。

どうせごん太は、まだまだ来やしないんだ。

どのくらいたっただろうか。

ふと目が覚め、上を見上げたら、そこにはVサインをした

ごん太が立っていた。

僕は家に帰り、悔しくて悔しくてママにこう言った。

『本当は僕が勝つはずだったんだ。

うっかり昼寝なんかしてしまったけど、ちゃんと走れば
僕の方が速いんだ。あんなのろまに負けるはずない。』

『そうね、ピーター。それで、あなたはどうしたいの。』

『明日もう一度、ごん太と勝負する』

僕はごん太ともう一度勝負した。今度はもちろん僕が勝った。

『どうだい。僕の速さが分かったかい。』

僕はそう言って、ごん太にむかってVサインをした。

ごん太はついたらきっと悔しがるに違いない。

そしたらどうだろう。

ごん太はニコッと笑って、同じように僕にVサインを返してきたんだ。

僕は悔しさと驚きで家に飛んで帰った。

僕はママにこの事を話した。

『ママ、僕、ごん太が許せない。あいつ、Vサインをするんだ。
 僕が勝ったのに・・・』

『そうね、ピーター。それで、あなたはどうしたいの。』

『明日、もう一度、ごん太と勝負する。
それで、今日よりもっと速く走って、 ごん太に僕の速さを見せつけてやるんだ』


次の日、もう一度勝負を挑んだ。

『やあ、ピーター君。えっ、また競争するの。うん、いいよ。でもさ、
 山でばかりじゃつまらないから、今度は海で競争しない。』

『えっ、海で。(海じゃ僕が完全に不利だなぁ)』

『大丈夫だよ。ピーター君は海が苦手でしょ。だからさ、
 僕の背中に乗ったらいいよ。』

『・・・・』

僕は驚いた。

そして、

『ごん太・・おまえさ、2回目に競争した時、負けたのにVサインしただろう。
あれはどうしてなんだ。』


『ああ、あれね。1回目の時よりも速く走れたからさ』


僕は家に帰った。ママはこう言った。

『ゴン太くんは誰とも戦っていないよ。
いつも自分のベストを目指しているだけじゃないかしら。

私たちは1人ひとり、持っているものが違うの。
それを同じ舞台で同じように戦うのっておかしくない。

今までは確かにそうだったかも知れないわ。でもね、

これからは1人ひとりの力を発揮する場が違う事をお互いに思いやり、
認め合い、評価し合い、助け合う。

そんな世の中になるんじゃないかしらね。

ごん太君はそれを分かっているから、自分の得意な海では苦手なあなたを
背中に乗せるという、ゆとりの気持ちがあったのではないかしらね。』


その日から、僕はごん太が大好きになった。

そして、人と競争する事をやめたんだ。


                おわり
http://open.mixi.jp/user/5089039/diary/1942463196

            <感謝合掌 平成28年9月13日 頓首再拝>

葡萄園での譬(たとえ)話 - 伝統

2016/09/16 (Fri) 18:38:08


       *「光明道中記」(9月16日)より抜粋

聖書(バイブル)の中にも、イエスは譬(たとえ)をもって説いている。

或る葡萄園の主人が、朝雇い入れた園丁も、昼雇い入れた園丁も、
夕方もう仕事の終りころに雇い入れた園丁も、同一の給料を支払った。


そして葡萄園の主人は神であり、働き人は人間の譬えである。


この実話によってイエスは、人の救われるのは、その働いた分量によるのではなく
神の約束(仏の本願)による事を示し給うたのである。

            <感謝合掌 平成28年9月16日 頓首再拝>

遠回り - 伝統

2016/09/23 (Fri) 18:07:09


           *メキシコの漁村の寓話 より

アメリカ人の投資家がメキシコの小さな漁村の埠頭についたとき、
小さなボートに一人の漁師が乗っていた。

ボートの中には数匹のキハダマグロが釣られていた。

そのアメリカ人はメキシコ人に魚の品質を褒めて、
釣り上げるのにどれくらい時間がかかったのか尋ねた。

メキシコ人は答えた。

「ほんの少しの間さ」

「何故、もう少し続けてもっと魚を釣らないのかい? 」

「これだけあれば、家族が食べるのには十分だ。」

「でも、君は残った時間に何をするんだい? 」

メキシコの漁師は答えた。

「朝はゆっくり目を覚まし、少し釣りをして、子供たちと遊び、妻のマリアと昼寝し、
夕方には村を散策し、ワインを味わい、アミーゴ(仲間)とギターを弾くのさ。
それで人生は一杯さ。」



アメリカ人は小馬鹿にし、

「私はハーバード大のMBAを取得しててね、きっと君を助けることが出来ると思うよ。」

「君は、もっと釣りに時間を割いて、その収益で大きなボートを買うんだ。
大きなボートでまた釣りをして、その収益で今度はボートを何台も買うんだ。
次第に、君は漁船の一団を率いるようになるだろう。

そして釣った魚を仲介者に売る代わりに、製造業者に直接売るんだ。
次第に、君は自分の缶詰工場を始めるようになるだろう。
君は生産・配給量をコントロールするようになる。

この沿岸の小さな漁村を離れてメキシコシティに移る必要が出てくる。
それからロスアンゼルスへ引っ越し、次第にニューヨークへ移り、
君はこれまで拡大してきた君の企業を運営するんだ。」


メキシコの漁師は尋ねた。

「でも、一体どれくらい時間がかかるんだ? 」

それに対して、アメリカ人は答えた。

「15年から20年だろうな。」

「で、それからどうなるんだ? 」メキシコ人は尋ねた。

アメリカ人は笑って

「時に合えば、君は株式公開をし、君の会社の株を売って、
大金持ちになるのさ、億万長者にね。」

「億万長者?・・・で、それからどうなる? 」

アメリカ人は言った。

「それから君は引退して、小さな沿岸の漁村に引っ越し、朝はゆっくり目覚め、
少しだけ釣りをして、子供たちと遊び、妻と昼寝し、夕方には村を散策し、
ワインを味わい、アミーゴとギターを弾くのさ・・・・・」

               ・・・

この寓話のようにやりたいことをやるのに遠回りする、
なんてことにならないようにしたいものです。

            <感謝合掌 平成28年9月23日 頓首再拝>

【おじいちゃん、おばあちゃんの存在感】 - 伝統

2016/09/24 (Sat) 18:48:02


          *メルマガ【輝く未来ビト】(2015.12.22)より

むかーし、むかし、あるところに、

おじいさんとおばあさんが住んでいました。

おじいさんは、山へ芝刈りに。

おばあさんは、川へ洗濯に出掛けました。

おばあさんが洗濯をしていると、

なにやら、川の上流から流れてきました。

よくみると...それはそれは、

大きなおおきな、桃じゃありませんか!!



・・・・というように、

日本に伝わる、昔話は数多くあります。

僕が子どもの頃は、毎週日曜日、

「日本むかしばなし」というテレビ番組がありました。

このような昔話は、どうして今も、数多く残されているのでしょうか?


ということで、NPO法人ファザーリング・ジャパンの村上誠さんのお話です。


~~~~

「父」という字は、斧の形、

「母」という字は、乳房の形

から生まれた字 だと言われています。

「子」という漢字は

小さい赤子の頭と手と足を形どったもの、だそうです。


では、「孫」とか祖父母の「祖」ってどんな意味なのでしょうか?

「祖の左側は「しめすへん」で、神様 を表します。

右側の部分は、供え物をする祭壇を表しています。

つまり、「祖」は
神様にお供えをしている意味合いを含んでいるんです。


「孫」という字は、「子」に「ノ」と書いて「糸」ですが、

右側の「ノ」と「糸」だけで、「紡いだ糸」の意味を持ちます。


このことから、
祖父母による孫育てというものを説明すると、

「神聖な物や知恵を次の世代に紡いでいく」

ということになります。


つまり、おじいちゃん、おばあちゃんが
孫に大切なものを残していくことが、孫育てのポイント なのです。



現代に伝わる昔話には、お約束の始まり方があります。

「むかーし、むかし、あるところに、
おじいさんとおばあさんがいました。」


昔話の多くに、
おじいさんとおばあさんが出てきます。


桃太郎だって、主人公は若い青年ですが、

おじいさんとおばあさんに育てられます。

親じゃないんです。



今なら、お話は本になることで、多くの人に伝わります。

でも昔は本が高価なものだったので
なかなか入手できませんでした。

だから、お話が広まっていくのは「聞き伝え」だったわけです。


お話を聞かせてあげて、その話が歴史の中で
何代も何代も語り継がれ、拡がり、現代まで残ったのです。


昔話のほとんどに、
祖父母の存在があるということは、

おじいちゃん、おばあちゃんが
子どもたちに伝えていたからだと思います。


ですから、日本では、祖父母の存在が

孫の心の成長に、非常に多きな役割を果たしていた、ということです。


~~~~


村上さんは、おじいちゃん、おばあちゃんの存在が、
子どもたちの心の成長に大切で、

祖父母がいることで、
親には言えないことを
安心して話すことができる場所が作れる、といいます。


で、祖父母の方が、

「そうか、そうか」

「そんなこともあるよ」

「そりゃ、おまえも大変だったね」

とか、言いながら、
一生懸命、やさしい笑顔で聴いてくれる。


すると、心の中が少しデトックスできたり、
スッキリしたりもする。


子どもにとっても、同世代の人だけと関わるより、
自分よりもずっと上の世代と関わる機会があったほうが、
生きる力が成長していく。

そんな気がします。


それでは、愛と笑顔と感謝、そして幸せに満ち溢れた一日を♪


-*-*-今日の輝く言霊-*-*-

日本では、
祖父母の存在が

孫の心の成長に
非常に多きな役割を
果たしていた

☆…━━━━━━━━…☆

   (http://ameblo.jp/no1leadercollege-spcn/entry-12123848810.html

            <感謝合掌 平成28年9月24日 頓首再拝>

絶体絶命の旅人 - 伝統

2016/10/02 (Sun) 18:58:55


         *Web より

一人の旅人が山道を歩いていると、ふと、うしろに異様な物音がする。
ふり返ってみると大きな虎が追っかけてくる。

「こりゃ大変! 」

と走り出した旅人は、

「あっ」

と息を呑んだ。前は絶壁だった。

「もはやこれまで!? 」

と諦めかけたとき、崖っぷちにある大樹に巻きついた藤蔓が
絶壁の下の方に伸びているのが眼にはいった。

「これはありがたい、天の恵み」

その藤蔓を伝って崖の中腹まで降り、ホンの一瞬の差で猛虎の餌食にならずに済んだ。が、

「ああ、助かった!]

と思ったのも束の間、藤蔓をにぎりしめた手が
間もなく体の重みを支え切れなくなってきていることに気付いた。

「下に降りよう」

そう思って下を見ると、とぐろを巻いた大蛇が口をあけて待っている。

「こりゃ、いかん」

と、近くに足場を捜すと、足場はあるが、そこには四匹の毒蛇が、
近寄らば噛みつかんばかりに赤い舌をペロペロ出している。

ゾッとして上を見ると、命の綱と頼む藤蔓を、
樹の根元のところで白と黒の鼠がガリガリ齧っている。

まさに絶体絶命。旅人はブルブルッと身ぶるいした。

その時、頭上二メートルほどの高さにある大枝にぶらさがった
蜂の巣から蜂蜜がポトリと落ちて来て、偶然にも旅人の口にはいった。

「うまい!」

旅人は陶然として酔ったように、絶望の現実を忘れるのであった。

             ・・・

この話は何を物語るのか。

山道を歩く旅人とは、起伏重畳の山道にも似た人生を歩む私ども人間の姿である。
いままでぼんやりしていたが、ふと気付くと、うしろから猛虎が追っかけてくる。

その虎とは何か。マラソンランナーが終始ライバルを意識し、
追跡をふり切るためにけん命に苦しみに耐えて黙々と走り続けるように、
私どもは時間やライバルや仕事や金など、いつも何かに追われている。

追われることに苦しいことだが、ときにそれを意識しないですむことがある。
たとえば海外旅行に出たときなど、電話はかかってこないし、
訪ねてくる人もなければ仕事からも開放される。

それが藤蔓にぶらさがっている束の間の旅人の姿ではないか。

崖下には大蛇が、棺が蓋をあけて待っているかのようにとぐろを巻いている。
なんとか生きのびたい。生きのびられそうな場合はある。

しかしそこには四匹の毒蛇がいる。
これは一切の物体を構成する地水火風の四大元素のことである。

四大不調というように四大元素の不調和によって病苦があらわれるといわれるが、
さらに、地震・洪水・火事・暴風ありで、たえず人間生命はおびやかされている。

藤蔓は命、人間の寿命であり、その命を、
黒白の二鼠、つまり夜と昼が絶え間なくむしばんでいる。

考えて見れば人間は上下四囲、窮地の真っ只中に放り出されている。

ところが人間、そんなに深刻な顔をしていない。
それは落ちてくる蜂蜜のしたたりが、口にはいるからである。

蜂蜜は人間の欲のこと。
仏教では財・色・食・名誉・睡眠の五欲があると教えている。

うんと儲けて色気と食い気を存分にたのしみ、苦労せずに偉くなりたいというのである。
こうした欲があるからこそファイトも湧くのだが、欲のために道を踏みはずし、
あたら人生を台無しにする人も少なくない。

人間、生命の真の姿を直視することを忘れてはならず、
日ごろ危機管理に備えるところがなくてはなるまい。

生死事大(しょうじじだい)無常迅速(むじょうじんそく)
各宜醒覚(かくぎせいかく)慎勿放逸(しんもつほういつ)

:生死の事は大なり、無常迅速なり。各宜しく醒覚して、慎んで放逸なること勿れ。
「無常迅速の偈(げ)」といい、木板の表に書かれる。

種形相に対し、無常迅速を警告し、人生の一大事をさとるべく、
寸陰を惜しんで努力精進すべきことをさとす言葉である。

 (http://www.jtvan.co.jp/howa/Sato/houwa003.html


・・・

上記の寓話は、「仏説譬喩経」に記されている とのことです。

次のWebでは、さらにわかりやすく解説がなされております。

  → http://minneko.blog.so-net.ne.jp/2013-11-02


            <感謝合掌 平成28年10月2日 頓首再拝>

電車内でのパラダイム・チェンジ - 伝統

2016/10/04 (Tue) 18:19:30


          *「7つの習慣」コヴィー博士・著(P26~27)より

( 電車内で7つの習慣の著者のコヴィー博士が事実として体験したパラダイム・チェンジ )


電車の車両内の乗客はまばらで、皆、おとなしく座っていた。

ある人は新聞を読み、またある人は、目を閉じて物思いにふけり、
車内は穏やかで平和な空気が漂っていた。

そこに、ひとりの男性が子供たちを連れて車両に乗り込んできた。
子供たちは車両に乗り込むや否や、大声で騒ぎまくった。

その子供たちのために、平穏で静かな電車( 車両 )内の空気は一瞬で破られ
車両内は騒々しい場所に変貌した。

しかし、騒いでいる子供たちの父親は子供たちが騒ぐ様子に全く関心を示さず
子供たちの迷惑千万な行動を怒るわけでなく、ただじっと目をつぶっていた。

子供たちは興奮している様子で
大声を出したり、ものを投げ散らかしたりして、いっこうに、おとなしくなりそうにない。

それなのに、父親らしい男性は、何もしようともせず、目を閉じたままだった。


私は、この情況に次第に苛立ち、その男性の無責任な態度に平静を保てなくなっていった。
周りの乗客も同じようにいらだっている様子がわかる。
非難の目を皆がその男性に浴びせかけているようだった。

私はとうとう我慢できなくなって

その男性に向かって

「 あなたのお子さんたちが騒いでいて他の乗客の迷惑になっているようです。
なんとか、できませんか? 」と忠告してみた。

その男性は目を開けると、まるで初めて子供たちや周囲の乗客の様子に気がついたようで

その男性は

「 ああ、ああ、そうですね。 ( 子供たちを )大人しくさせないと、、、

実は、たった今、病院から出てきたところなんです。
少し前に妻が、あの子たちの母親が亡くなったものですから・・・・。

いったいどうすればよいのか。 
あの子たちも、ひどく動転して取り乱しているようで、、、」


その瞬間の私の気持ちが想像できるだろうか。

私のパラダイムは、一瞬にして変わってしまった。


突然、今の状況を全く違う目で見ることができた。


全く違って見えたから、全く違って考えることができ、全く違って感じ、
そして全く違って行動できた。


今までの苛立ちは一瞬にして消滅した。

自分の行動やイライラした気持ちを無理に抑え込む必要もなくなった。


私の心には、その男性の痛みが、胸いっぱいに広がった。

「 奥さんが、お亡くなりになったのですか。
そうでしたか・・・。 私に何かできることはありませんか? 」


一瞬にして私の全てが変わった。

            ・・・

子供たちが騒いでいるのに注意をしない父親。

この父親の行動は、私たちが「母親の死」を知る前と知った後で、なにも変わっていません。
でも、私たちの父親を見る目は「母親の死」を知っているか、知らないかで、
まったく違うものになってしまいます。


この話の教訓は、見ている側の視点が変われば、
見ているモノが同じでも、見え方が180度変わってしまう、ということです。

7つの習慣では、この見ている側の視点のことを「パラダイム」と呼んでいます。


このパラダイムというのは、心のメガネみたいなもの。
常識や自分の価値観という心のメガネを通して、人は物事を見ている、
というような感じです。

この父親の話でいうと「母親の死」を知る前は
「他人が迷惑に感じていても気にしない。子供を注意しないダメな父親」
という風に無意識で考えていたのでしょう。

だから、注意しろよ、とかそういう印象になったわけです。

実際はそういうことではなかったのですが、
深く考えることなく、無意識にそう感じていたのです。


同じものを見ていても、まったく違うように見えてしまう。

これがパラダイムの力です。

            <感謝合掌 平成28年10月4日 頓首再拝>

竃神 - 伝統

2016/10/11 (Tue) 18:12:09


           *Web:八百万の神々 より

日本の竃(かまど)の神の由来には奇妙な物語があります。

ある所に東長者と西長者がいました。
二人は大変仲がよく一緒に釣りに出たりしていましたが、ある時潮待ちして休んでいた時、
東長者は寄木を枕に眠ってしまったのですが、
西長者が眠れないでいますと海の中から竜宮の神様が出てきました。

「寄木の者、寄木の者、東長者と西長者の所に子供が生まれましたから
位を付けに行きましょう」と声を掛けます。

すると寄木が「私は今人間の枕にされていて行けません。
私の代わりに行って来てもらえませんか」と答えました。

竜宮の神様はしばらくして戻ってきて

「東長者の子供は女の子で塩一升の位、
西長者の子供は男の子で竹一本の位を付けて来ました」と言いました。

寄木が「塩一升は付けすぎではありませんか?」と言うと、
竜宮の神様は「いえ。あの子はそれほどの生まれをしています」と言いました。


西長者は神様たちの会話を聞いて、自分の子供は竹一本にされたが、こ
れは今の内に何とかしておかねばと思い、東長者を揺り起こしました。

「東の旦那。私は今夢を見ました。
あなたの家でも私の家でも子供が生まれたようです。
帰りましょう」

そして帰る道々

「ねえ、東の旦那。あなたの家に生まれた子供が女の子で
私の家に生まれた子供が男の子だったら、あなたの子供をうちに嫁に下さいませんか。
そしてあなたの家に生まれた子供が男の子で私の家に生まれた子供が女の子だったら
私の子供をお嫁にもらって下さいよ」

と相談しました。

東の長者も「いいですね」というので二人は約束して家に帰りました。

さて、家に帰ってみると神様たちの言った通り、
東長者の所には女の子が、西長者の所には男の子が生まれていました。

二人の子供は大事に育てられ、18になった時約束通り結婚しました。

二人はしばらく幸せに暮らしていましたが五月の麦の収穫祭「あらまち」の日、
妻が麦の飯を炊いて神様にも供え、夫にも

「一俵の麦を一斗になるまでつき、一斗の麦は一升になるまでついた麦です。
今日はあらまちの祝いですから、これを食べてくださいね」と言って出すと、

夫は「俺は米の飯しか食ったことない。麦飯など食えるか」と言って
お膳をひっくり返してしまいました。

妻はそれを見て「私はここで暮らしをすることはできません。
この家はあなたのお父さんが下さった家ですから、あなたの自由にして下さい。
私は出て行きます」と言い、

夫がひっくり返した茶碗を拾い、こぼれた麦飯を一粒残らず集めて、家を出て行きました。


家を出た所で二人の神様が話をしていました。

「麦の奴さえも蹴飛ばされるとはな。我々もこの家に残っていると何されるかわからん。
大北の炭焼五郎は心も美しく働き者だというからそこへ行こう」と語っていましたので、

女はよい話を聞いたと思い、炭焼五郎を訪ねて行きました。

女が炭焼五郎の家で一晩の宿を乞うと、五郎は
「ここはきたない家だから、向こうの大きな家に行った方がいいよ」と言います。

しかし女が「こんなに暗くなってしまってはとても歩けません。
雨だれの下でもいいですから泊めてください」と言いますと、
五郎も女を中に入れてくれました。

家に入ると五郎は炒米のお茶を出してくれました。
女は持ってきた麦飯の御飯を半分五郎にあげました。
五郎も有難がって、一緒に食べました。

すると女は「どうか私を嫁にしてください」と言いました。

五郎はびっくりして、

「貴女のような立派な方を嫁にしたらバチが当りますよ」と言いますが

「そんなことはありません。私のかつての望みですからお願いします」

と言うと五郎も承知して二人は夫婦になりました。


それから五郎が炭を焼きますと、しばしば炭の中に黄金が入っていました。
そのため二人はあっという間に長者になりました。


さて、女房に出て行かれた竹一本の男の方はどんどん貧乏になり、
竹細工を売って歩く身分になっていました。
ある時男が炭焼長者の家を訪ねて来ると、男はもう女の顔を忘れていましたが、
女は覚えていて男の売る竹細工を普通の値段の倍で買ってやりました。


男は「物の値段の分からない馬鹿な女がいるな。大儲けしてやれ」
と大きな竹の篭を作って持っていきました。

すると女はその男と別れた時の茶碗を出して見せてやりました。
男はそれを見て恥じ入り、そのまま死んでしまいました。

女はそれを哀れみ、家の竃の下に埋めてやりました。
そうして「お前には何もしてやれませんが麦の御飯だけはこの竃で炊いて
供えてあげますから、好き嫌い言わずに食べてくださいよ」と言いました。

男は心を改め竃を守る神様になったといいます。


この物語は全国各地に伝わっているようで多少の変種があるようですが
上記のものの細部は鹿児島県のものを参考にしました。


竈の神は一般には男神とされる地方が多く、ひょっとこ(火男)も
その一種の変形とされますが、子沢山の女神なので家庭を守ってくれるのだ
とする地方もあります。

また田の神とは別神とみなされることが多いですが、
同じ神様だという説も一部の地方にはあります。

また竈の神と雪隠(せっちん=便所)の神は兄弟であるとも言われます。


竈の神は普通三宝荒神(さんぽうこうじん)と同じ神であるとされ、
三宝荒神は竈神の別名であると考える人が多いのですが、
無関係の神であるという説もあります。


さて、その三宝荒神なのですが、これがまた正体不明の神です。

国語辞典などを引くとよく「三宝荒神の三宝とは仏法僧のことである」などと
書いてあるのですが、確かに仏教で仏法僧を三宝とは言いますが、
それがなぜ竈の神様に関して出てこなければならないのかこの説では分かりません。


むしろ「三宝」は本来「三方」であって三人の神様をまとめて指しているのだ
という説の方が自然に感じられます。

この三神が誰かということについてまた幾つか説があるようですが、
日蓮の御義口伝では

「飢渇の神・貪欲の神・障礙の神で、三毒即ち三徳となる」としています。

この口伝では又三宝荒神は十羅刹女である、とも述べています。


一方民間伝承として、古事記の大国主神の話の後ろに次のような記述があることに注目して、
三宝荒神とは大年神・奥津彦神・奥津媛神の三神であるという説があります。

その大年神...(中略)...天知迦流美豆比売を娶して生みし子は、
奥津日子神、次に奥津比売命またの名は大戸比売神。
こは諸人のもち拝く竈の神なり。

なお、この大年神自体については須佐之男神の話の後ろで説明されており、
次のような記述になっています。

(須佐之男の神が)また大山津見神の娘名は神大市比売を娶して生みし子は大年神、
次に宇迦之御魂神。二柱。

つまり、この大年神は穀神として知られ稲荷の神と同体とされる
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と兄弟で大年神自身も穀神と考えられています。

大山津見神は山幸彦の母木花咲夜姫の父ですので、
大年神は山幸彦と従兄弟ということになり、この説を取ると
三宝荒神は非常に由緒正しい神ということになります。


三宝荒神に関してはもう一つ伝弘法大師説というのがあります。
それによると「三」は仏教の「三昧」から来たもので、
三宝荒神の本体は文殊菩薩であるとします。

そして、「大空三昧の風に無相法身の用を磨く」として、
心いらだつ時は荒神となり、心静かなる時は如来となるとします。

三宝荒神の本地仏については、
この文殊菩薩説以外に不動明王説、火聖歓喜天説があるようです。

いづれにしても火に関連の深い神であり、
それゆえ竈の神と同一視されるようになったとも考えられ、
火の神であるが故に不浄のものを浄化する神、
そして厄除けの神と考えられるようになっていったようです。

http://www.ffortune.net/spirit/zinzya/kami/kamado.htm

            <感謝合掌 平成28年10月11日 頓首再拝>

大きな岩を先に入れろ - 伝統

2016/10/12 (Wed) 18:40:08


          *「ビジネス寓話」博報堂ブランドデザイン・編(P22~27)より

ある大学で、こんな授業があったという。

「クイズの時間だ」。

教授はそう言って大きな壺を取り出し、教壇に置いた。

その壺に、彼は一つひとつ岩を詰めた。
壺が一杯になるまで岩を詰めて、彼は学生に訊いた。

「この壺は満杯か? 」

教室中の学生が「はい」と答えた。

「本当に? 」そう言いながら教授は、
教壇の下からハケツ一杯の砂利を取り出した。

そして砂利を壺のなかに流し込み、壺を揺すりながら、
岩と岩のあいだを砂利で埋めていく。

そしてもう一度訊いた。

「この壺は満杯か? 」

学生は答えられない。
ひとりの生徒が「多分違うだろう」と答えた。

教授は「そうだ」と笑い、
今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだあと、
三度目の質問を投げかけた。

「この壺はこれで一杯になったか? 」

学生は声を揃えて、「いいや」と答えた。

教授は水差しを取り出し、
壺の縁までなみなみと水を注いだ。



彼は学生に最後の質問を投げかける。

「僕がなにを言いたいのかわかるだろうか? 」

ひとりの学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しいときでも、
最大限の努力をすれば、
いつでも予定を詰め込むことは可能だということです」

「それは違う」と教授は言った。


「重要なポイントはそこではないんだよ。
この例が私たちに示してくれる真実は、
大きな岩を先に入れない限り、
それが入る余地は、その後二度とないということなんだ」


君たちの人生にとって“大きな岩”とはなんだろう、
と教授は話しはじめる。

それは仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、
家族であったり、自分の夢であったり――。

ここでいう“大きな岩”とは、君たちにとっていちばん大事なものだ。

それを最初に壺のなかに入れなさい。

さもないと、君たちはそれを永遠に失うことになる。


もし君たちが小さな砂利や砂や、
つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君たちの人生は重要でない「なにか」に満たされたものになるだろう。

そして、大きな岩、
つまり自分にとっていちばん大事なものに割く時間を失い、
その結果、それ自体を失うだろう。

(出典:読売新聞社会部
『会社がなぜ消滅したか――山一証券役員たちの背信』)

            <感謝合掌 平成28年10月12日 頓首再拝>

○○宿の門番 - 伝統

2016/10/13 (Thu) 13:54:24


          *「ビジネス寓話」博報堂ブランドデザイン・編(P34~37)より


○○宿で門番をしている男がいた。
待遇もよくないし、あまり人に誇れる仕事でもなく、決して満足していなかったが、
読み書きを学んだこともなく、これといった取り柄もなかった。

仕事があるのも、祖父から父親までが同じ○○宿で番人をしていたからだった。
何十年ものあいだ、その○○宿は親から子へと受け継がれていた。
そしてしかたなく、その仕事を続けていた。


ある日、○○宿の主人が死に、後を継いだ息子は、
経営が思わしくないことを知り、早速経営の改革に乗り出した。

門番の男を呼び出してこう告げた。 『今日から、報告書を出してもらいます。』

『ご希望にお答えしたいのは山々ですが・・・私は・・・字が読めません』

『なんだって? じゃあ、すまないが、辞めてもらうしかないな』

『しかし私を首にするなどと言わないでください。父や、祖父のように・・・』
後継ぎは男の言葉を遮った。

『お気持ちは分かります。しかし私にできることは何もありません。
ほんとうに申し訳ありません。お元気で。』


突然仕事を失い、男は頭を抱えた。
これからどうやって食べていこうか・・
考えた挙句にようやく思いついたのは、家具の修理だった。

男は○○宿のベッドや家具の足が壊れたときに、
金づちと釘で簡単ながら修理をしていたのだ。


それを新しい仕事にしようと心に決めると男は金物屋が無いことに気づき、
自分の村を出て、2日がかりで離れた町に行き、工具を揃えた。
家に入ってまだブーツも脱ぎ終わらないうちに、誰かが家の扉を叩いた。

それは隣に住んでいる若い男がやってきた。

『金づちをお持ちでじゃありませんか? あれば貸してもらえないかと思いまして』

『ちょうど買ってきたところですが、商売道具だから貸すわけにはいかないんです』

『では、借り賃をお支払します。それならどうですか? 』

『分かりました。』 男は金づちを貸すことにした。

修理の仕事なんて、いつもあるわけじゃないし、
もしかしたら当分ありつけるかもしれない。

いま工具を貸してお金がもらえるなら、そのほうがいい・・。そう考えたのだ。


ところが村には金物屋がないだけに、
その工具貸しの仕事が重宝され、いい稼ぎになった。

男のうわさはその辺りに広まりはじめ、
近所の人たちはもう工具を買いに遠出することはなくなった。

そのうち工具の販売もはじめ、それも大繁盛して、
みるみるうちに男は大金持ちになった。

しばらくして富豪となった彼は、町に大金を寄付して学校をいくつも作った。

開校式と創設者を称える大晩餐会が開かれた。
ある開校式で彼はサインを求められた。

彼はいまだに字が書けなかったので、こう言った。

『サインができればどれほどよいでしょう。しかし私は字が書けません。文盲なのです。』

『あなたが? 』サインを求めた人は信じられないといった顔でこう言った。

『あなたのような一代で事業を大成功に導いた立派な人が読み書きもできないなんて、
もし読み書きができたらどんなことが成し遂げられたのでしょうか?』

『それにはお答えできます。』男は静かに答えた。

『もし私が字を知っていたなら・・・・○○宿の門番です』と。

            <感謝合掌 平成28年10月13日 頓首再拝>

井の中の蛙 - 伝統

2016/10/15 (Sat) 19:10:31

       *「生命の實相」第8巻観行篇(P48~50)より

「井の中の蛙」の喩(とと)えをご存じでありましょう。

ある所に一群の蛙が井戸の中に棲んでいたいたのです。
この井戸の框(かまち)は険しく、広い眺望(てんぼう)は決して見られないで、
ただ青空の一角を眺めうるのみでした。

ある日、湖に棲んでいる一匹の蛙が通りすがりにこの井戸まで来まして、
井戸の框(かまち)から下を見下ろしました。

「そこから覗(のぞ)くのは誰ですか? 」と井戸の中から一匹が声をかけました。

「湖から来た蛙だよ。お前はどうしてこんな狭いところに棲んでいるんだい」
と湖の蛙は上から声をかけました。

「湖? 湖ってなんだい? どこにそんな処があるんだい? 」
と井戸の中から声をかけました。

「湖って水のたくさんある処だよ、そんなに遠い処じゃない、
ここへ散歩に来られるくらいだからな。」

「湖は大きいかい? 」

「大きいとも、ずっと大きいよ。」

「どのくらい大きいのか? この石の大きさくらいかい? 」
井戸の框(かまち)をなしている石を指差しました。

「なんの、そんなにちいさいものかい。」

「それではこのくらいだろう」
と言って古井戸の中へ欠けて落ち込んだ板片(いたへん)を指差しました。

「そんな小さいもんじゃないよ。」

「それではこの井戸全体くらいはあるのか、それほどでもないだろう。」

「なんの、なんの、この井戸全体の百億倍からある広さだよ。
ここからでも湖が見えているよ、ここまで来てごらん、湖を見せてあげるから。」
湖の蛙がこう答えると、井戸の中の蛙はなかなそれを信じません。

「そんなバカなことがあるはずはない。お前は嘘つきにちがいない。
わたしたちをだまして、何かしようと企(たくら)んでいるにちがいない。
もう決してだまされやしないぞ。帰れ、帰れ」と、

喧々囂々(けんけんごうごう)、
井戸の中の蛙は声をそろえて鳴き叫び始めました。



この寓話を読んで、諸君はなんと思いますか。
井戸の框(かまち)を一歩外へ出たならば、そこに海があり、その海がいかに
広く、そこの生活がいかに広々と自由であることがわかるのです。

「真理はなんじを自由ならしめん」です。

われわれは皆各自が神の子なのでありますから、本来自由自在なひろびろと
した大海に住んでいるのでありますが、それが不自由な、不満足な、窮屈な、
万事において不足な世界に住んでいるのは、

それはこの譬え話の「井の中の蛙」と同様で、みずからあざむいて、
真理の大海へ出ることを拒んでいるからであります。

まずわれわれは小さな井戸から外へ出てみることが必要であります。

この「小さな井戸」に譬えたのは「人間の小知才覚」であります。
われわれは人間の小知才覚から出てみなければ、自己が神の無限無尽の
大知恵をみうるものであることが解からない。

解からないでいながら、神の大知恵の大海がないなどと言っているのは、
自己をみずからあざむいているのであります。

・・・

<参考>

上のご文章は、「百事如意」(12~13)にも収載されております。
(平成28年11月9日 追記)

            <感謝合掌 平成28年10月15日 頓首再拝>

頑張る木こり - 伝統

2016/10/17 (Mon) 17:58:30

          *「ビジネス寓話」博報堂ブランドデザイン・編(P50~51)より

昔々、ひとりの木こりが材木屋に仕事をさがしに行った。

最初の火、親方のところへ挨拶に向うと、
親方は斧を1本手渡して森の一角を割り当てた。
男はやる気満々で森に向かい、その日1日で18本の木を切り倒したのだった。

「よくやったな」親方は言った。
「この調子で頼むぞ」
その言葉に励まされて、翌日はもっと頑張ろうと速めに床に入った。

翌朝は誰よりも早く起きて森へ向かった。
ところがその日は努力も虚しく15本が精一杯だった。

「疲れているに違いない」
そう考えた木こりはその日、日暮れとともに寝ることにした。

夜明けがくると、18本の記録を超えてやるぞ、と心に決めて床を出た。
ところがその日は18本どころかその半分も切り倒せなかった。

次の日は7本、そのまた次の日は5本、
そして最後には夕方になっても2本目の木と格闘していた。


なんと言われるだろうとびくびくしながらも、
木こりは親方に正直に報告して、
これでも力の限りやっているのです、と誓った。

親方は彼にこう訊ねた。

「最後に斧を研いだのはいつだ? 」

「斧を研ぐ? 研いでいる時間はありやせんでした。
木を切るのに精一杯です」

(出店:ホルヘ・ブカイ
『寓話セラピー――目からウロコの51話』)


自分の脳みそという名の斧を研ごう

気合を入れ、時間をかけ、
頑張れば頑張ったぶんだけ、成果が上がる……
というわけではないのが、
この木こりも、私たちのビジネスも、つらいところです。

単純に斧を振り回す力や時間を増やせばいいというのではなく、
刃を研ぐことと、それにかける時間も必要なのですね。

私たちビジネスマンにとって
「斧を研ぐ」とはどういうことでしょうか。

            <感謝合掌 平成28年10月17日 頓首再拝>

人間にはどのくらいの土地が必要か - 伝統

2016/10/18 (Tue) 20:14:18


          *「ビジネス寓話」博報堂ブランドデザイン・編(P54~57)より


ある男が働いてようやく得た金で土地を買おうと思い立ち、ひとりの地主を訪ねた。
その地主は男に言った。

「日の出から日没までに歩くことのできた土地をあなたのものとしよう。
ただし、日没までに村に戻ること。
もし戻らなければ、すべての土地はあなたのものにならない」


男は朝日が顔を出すと同時に村を出て、懸命に歩いた。
歩けば歩くほど、どんどん土地は豊かさを増す。
昼を過ぎ、さらに時間が経ち、そろそろ引き返さなければ間に合わない
とは思いつつも、土地はますます魅力的になる。
もうちょっとだけ、あと少しだけ歩いたら、と男はなかなか戻る決断ができなかった。


そのうちに日はいよいよ傾き、ついに空が赤く染まりはじめたころ、
男はやっと事態の深刻さを悟った。

男はあわてて道を引き返しはじめた。かなり遠くまで歩いて来たはずだ。
これで日没までに戻ることができれば大地主になれる。
男は困懲する身体にムチ打って、とにかく先を急いだ。


村では地主だけでなく、たくさんの村人たちが男の帰りをいまかいまかと待っていた。
夕日はもうほとんど沈みかけている。村人がようやく男の姿を認めたのは、そんなときだった。


「がんばれ! もう少しだ! 」


村人の声援に応えるように男は必死で歩いた。
まさに日が落ちたというその瞬間に、男は地主のもとにたどり着いた。


「すばらしい土地を手に入れたな。おめでとう」


地主がそう声をかけたが、男はその場に倒れ込んだまま起き上がらなかった。
そして、そのまま帰らぬ人となった。

この哀れな男のために村人たちは墓をつくってやった。
男に必要だったのは、ほんの数メートル四方---自分を埋葬する土地だけだった。

(トルストイの物語より)

・・・

大きな風呂敷を広げる(大志を抱く)ことは否定されることではありませんが、
常に自己を客観的に見直すことが大切なのです。

そして、「小さな儲け」で済むうちに勝負をたたみかけ、
小さな勝利を積み重ねることで、最終的な大きな目標を達成していく、
という心構えが重要です。


            <感謝合掌 平成28年10月18日 頓首再拝>

テセウスの神話 - 伝統

2016/10/19 (Wed) 19:43:26


          *「ビジネス寓話」博報堂ブランドデザイン・編(P62~64)より

ギリシャ神話の英雄テセウスは、自分の船をなによりも大切にしていた。

どこかに壊れているところはないか、板が腐ったりしていないかと、
絶えず船の状態を気にかけ、手入れを怠ることはなかった。

熱心に手入れを続けているうちに、船の板はどんどん入れ替わり、
ついにはすべての板が新しくなった。

そこでふと、テセウスは考えた。

私は自分の船を大切にしながら、ずっと乗り続けてきた。
いまここにある船は、たしかに私の船だが、使っている板はすべて新しい。
果たしてこれは、本当に私が大切に思っていたあの船と言えるのだろうか?

これは、まったく別の船なのではないか? そ
れならいったい、いつ元の船でなくなったのか・・・。

供の者たちも、この問いには誰ひとりとしてこたえることはできなかった。

・・・

「変わらないためには、変わり続けなければならない」

役割を果たし続けていく(ここでが、テセウスやそのチームを運ぶこと)には、
その要件を満たすために、メンテナンスをし、物質や機能をを不断に変えていく
ことが必要な事である。


            <感謝合掌 平成28年10月19日 頓首再拝>

舟バタのシルシ - 伝統

2016/10/20 (Thu) 18:54:36


          *「ビジネス寓話」博報堂ブランドデザイン・編(P66~69)より

昔、楚の国のある男が、舟に乗って川を渡っているときに、
うっかり持っていた剣を水の中に落としてしまった。

あわてて彼は小刀を取り出し、大急ぎで舟バタにシルシを刻みつけた。

「舟バタにシルシを刻みつけて、いったいどうするんだい? 」

一緒にその舟に乗っていた仲間が思わずそう訊ねると、男は、

「オレの剣は、ここから落ちたのだから、
こうしておけば剣のありかがわかるだろう?
舟が止まってから、あとでゆっくりこの下を探せばいいのさ」

と得意顔で言ったという。

そのあいだにも舟はどんどん川下に流されて行った。

・・・

(1)時は流れる、環境は変わる。

(2)不確実性の時代、昨日の常識は、今日の常識とは限りません。

(3)大切なのは、一人ひとりがいま社会で起こっていることに対して敏感になること。
   そして、前例にとらわれない発想や行動をおこなうことです。

            <感謝合掌 平成28年10月20日 頓首再拝>

ノードストロームのタイヤ - 伝統

2016/10/21 (Fri) 18:08:05


          *「ビジネス寓話」博報堂ブランドデザイン・編(P70~73)より

ある日、ひとりの男が4本のタイヤを携えて、ノードストロームの店にやって来ました。
そして店員に「このタイヤを返品したい。代金を返してほしい」と言いました。

「かしこまりました。現金でお返しいたしましょうか?
それとも、クレジットにしましょうか? 」そう店員が問いかけると、
男は「現金で欲しい」と答え、店員が用意した現金を受け取って帰って行きました。

しかし、ノードストロームはファッションの専門店です。
当然のことながら、開業以来タイヤを扱ったことは一度もありません。

にもかかわらず、男を接客した店員は、タイヤのカタログでそのタイヤの値段を調べて、
そのぶんを返金したのです。

ノードストロームでは、顧客からの返品はすべて無条件で受け入れる方針。
その店員はそれを貫き、「どのお店で買われたのかも訊かない。
お客様の言ったことをそのまま受け止めた」と言っていたそうです。

・・・

(1)本書では、特例的なひとつの伝説としながらも、利益を上げることを第一義にはせず、
   経済合理性越えた信念や理想を持っているノードストロームだからこそ、
   このような伝説が生まれたのは間違いないと解説しています。

(2)ノードストロームは、最先端のファッションを提供する
   アメリカ有数のデパートチェーンです。

   ノードストロームは、顧客サービスの徹底したこだわりをもとことで有名で、
   「伝説」といえるようなエピソードが複数知られており、
   この「ノードストロームのタイヤ」はそのひとつです。

(3)企業が経済合理性を超えた信念や理想を持つことは、
   そこで働く人たちのプライドや喜びにもつながるのです。


・・・

あるWebによると、この寓話について次のように述べられています。

   この話はまさしく伝説のマジック。
   いかにも起こりそうな気がしますが、実は尾ひれがついた一件です。

   実際には、ノードストロームが運営交代した店で、
   前の運営者がタイヤを販売していました。
   お客さまは前の運営者から購入していたのです。

   しかし、さすがに ノードストロームです。
   あっさり返品に応じたのです。

   (http://ameblo.jp/asongotoh/entry-11563117689.html


<参考Web:「ノードストローム」>

(1)ミスター百貨店が薦める一冊「ノードストローム・ウェイ(新版)」
   → http://blog.goo.ne.jp/asongotoh/e/93bd0fb5e2ba6fb078328bf75c877a7d

(2)「誰かに話したくなる特別な体験を」
   伝説のサービスを生んだ顧客第一主義
   『サービスが伝説になる時 「顧客満足」はリーダーシップで決まる』
   → http://diamond.jp/articles/-/36584

            <感謝合掌 平成28年10月21日 頓首再拝>

幼稚園児なら10分で解ける問題 - 伝統

2016/10/22 (Sat) 18:59:17


          *「ビジネス寓話」博報堂ブランドデザイン・編(P58~61)より

  「この問題は、幼稚園児なら5分から10分そこらで解けるだろう。
  けれどもプログラマーには1時間かかるかもしれないし、
  高等教育を受けた人々にとっては・・・・まあ、
  まずはあなたもやってみてください。

  8809=6  5555=0  7111=0  8193=3  2172=0
  8096=5  6666=4  1012=1  1111=0  7777=0
  3213=0  9999=4  7662=2  7756=1  9313=1
  6855=3  0000=4  9881=5  2222=0  5531=0
  3333=0  2581=???」

   ・・・

(1)これは寓話ではありませんが、大人が持っている視点では
   気づかないこともあるという例として、本書で紹介されていました。

(2)この問題が教えてくれるのは、
   「難しい問題に挑むときは、プログラマーやら幼稚園児やら、
   いろいろな人を集めた多様性のあるチームを組むといい」

   ということを示しているようです。

(3)??? の答は果たして何なのでしょうか?



   答は2。

   字面に「○(丸・円)」がいくつあるかを数える問題だったのです。

            <感謝合掌 平成28年10月22日 頓首再拝>

寓話が持つ力 - 伝統

2016/10/24 (Mon) 19:21:16


          *「ビジネス寓話」博報堂ブランドデザイン・編(P3~4)より


あるアメリカの教育学者が以下のような実験をしたそうだ。

<方程式で表した問題>
X x 6 + 66 = 81.90 Xを求めよ。


<文章で表した問題>
ある数字を6倍して、66を足すと81.90になります。ある数字はいくつでしょう。


<ストーリーで表した問題>
ウェイターのテッドの時給は6ドルです。
ある日、テッドは合計81ドル90セントを稼ぎ、そのうちの66ドルはチップでした。
この日、テッドは何時間働いたでしょう。



代数の授業を始めてうける高校生にとって、どれが一番、学びやすいかを調べた。
先生たちの予想では、もっとも解きやすいのは方程式で、
もっとも難しいのはストーリーだろうということだった。

理由は、ストーリーだと、読解力や方程式に置き換える能力が必要だと考えたからだ。


実際にやってみると、生徒の成績は

方程式 正解率42%
文章  正解率61%
ストーリー 70%

だったそうだ。

   ・・・

この調査結果が示唆しているのは、私たちは、無味乾燥な方程式そのものを
いきなり教え込まれるよりも、

まずストーリーで問題を具体的に思い描き、直観的に理解していく経験を
積んだそのあとで、

方程式を用いたより抽象的な処理を学ぶほうが、ずっと学びやすい
ということをあらわしているようです。

            <感謝合掌 平成28年10月24日 頓首再拝>

暗闇のなかの象 - 伝統

2016/11/09 (Wed) 18:08:57


          *「ビジネス寓話」博報堂ブランドデザイン・編(P78~81)より

ある村に、1頭の象を連れたインド人の一行が訪れた。

象など見たこともない異国の人々の見世物にしようとしたのだ。
村の片隅の暗い小屋に、象はおとなしくつながれていた。

やがて象の噂を聞きつけて、村の人々が小屋を訪れた。
だが、小屋には明かりがなく、はっきり見えなかったので、
人々はおそるおそる象に触れ、それを確かめた。

ある人は象の鼻に触れ、「象とは、まるで水道管みたいな生き物だ」と言った。

別の人は耳に触れて、「水道管? いやいや、扇のような生き物のはずだ」と言った。

また別のある人は脚に触れて、「いや、柱みたいな生き物だよ、象は」と言う。

さらに別の人は、背中に触れて「みんな違う。象は王座のような生き物だ」と言う。

 
小屋を出ても、人々は口々に言い合ったが、結論をみることはなかった。
もしも小屋に蝋燭の明かりがあったなら、このような言葉の違いも生じなかっただろう。

(イスラム教の修行者スーフィーに伝わる話をもとに編者にて構成)

               ・・・

芯となるコンセプトを持つ

象に触れた人々は、誰ひとりとして間違ってはいません。
たしかに象は水道管のような鼻を持ち、扇のような耳を持ち、
柱のような脚を持ち、王座のような背中を持った生き物です。

しかし、全体を把握できないままに個別の部位だけに触れた人々は、
自分が触れたものが鼻であり、耳であり、脚であり、
背中であることすらもわからないわけですから、
象が一体どんな生き物なのかを知ることはできません。

 
これは、企業のセクショナリズムの問題と重ねることができます。

企業を各役割ごとに特化したセクションに分けて専門性を高め、
部分最適を進めていくことで、効率化が進み、成果が高まるという面はたしかにあります。

しかし、セクション意識があまりに固定化すると、そこで働く一人ひとりが、
自分自身がなんのために、なにを生み出しているのかがわからないまま、
歯車として動いているとしか感じられないということになりかねません。

さらには、自分の専門性のなかに閉じた、小さな発想しか
できなくなるということも起こりえます。

あるいは、ブランドを形づくる際のものの考え方にあてはめることもできます。

象という生き物が鼻、耳、脚、背中といった部位の集合であるように、
企業や商品も、機能、ロゴ、パッケージ、店舗、店員などのさまざまな要素の集合
として形づくられています。

それら一つひとつの要素がどんなに優れていたとしても、
それぞれの要素が必然性なくバラバラだったとしたら、
その企業や商品は決して魅力的なものになりません。

魅力的な企業や商品をつくるには、あらゆる要素の真ん中に、
それらの芯となるコンセプトを持つことが重要なのです。


もうひとつ、プレゼンテーションの技術という文脈でもこの話は示唆的です。

人に自分の考えを伝えるとき、全貌が見えないままに
いきなり細かなデータの話などをしても、相手は戸惑うばかりです。

まず、これから自分がする話のテーマがなにで、
大きな結論がなんなのかを先に伝えることで、
プレゼンテーションはずっと伝わりやすくなるのです。


「One for all. All for one.」という言葉がありますが、
「細部」と「全体」の有機的な連帯は、
私たちの生活のあらゆる場面で大切なことなのです。

            <感謝合掌 平成28年11月9日 頓首再拝>

DHMOの危険性 - 伝統

2016/11/15 (Tue) 18:46:59


          *「ビジネス寓話」博報堂ブランドデザイン・編(P124~127)より

1997年、ネイサン・ゾナー君という14歳の少年が書いた
「我々はどのようにしてだまされるのか」というタイトルのレポートが
科学フェアで入賞し、マスコミにも取り上げられて話題を呼びました。

彼はDHMOという化学物質の害を指摘し、この物質の使用規制を求めて
周囲の50人の大人に署名を求め、うち43名のサインを得ることに成功したのです。

彼の挙げたDHMOの危険性は、

  酸性雨の主成分であり、温室効果を引き起こすことも知られている。
  多くの場合、海難事故死者の直接の死因となっている。
  高レベルのDHMOにさらされることで植物の成長が阻害される。

  末期癌の腫瘍細胞中にも必ず含まれている。
  この物質によって火傷のような症状が起こることがあり、
  固体状態のDHMOに長時間触れていると皮膚の大規模な損傷を起こす。

  多くの金属を腐食・劣化させる。
  自動車のブレーキや電気系統の機能低下の原因ともなる。

といったものです。
そしてこの危険な物質はアメリカ中の工場で冷却・洗浄・溶剤などとして
なんの規制もなく使用・排出され、結果として全米の湖や川、果ては母乳や南極の氷にまで
高濃度のDHMOが検出されているとネイサン君は訴えました。

さてあなたならこの規制に賛成し、呼びかけに応じて署名をするでしょうか?

鋭い方ならお気づきのとおり、DHMO( dihydrogen monoxide )は
和訳すれば一酸化二水素、要するにただの水(H2O)です。

読み返していただければわかるとおり、
DHMOの性質について隠していることはあっても、
嘘はひとつも入っていません。

単なる水であっても、恣意的に危なそうな事柄だけを取り出せば
いかにも危険な化学物質のように見え、規制の対象とさえなりかねない──。

ネイサン少年の指摘はなかなかに重い意味を持っているように思えます。

(出典:ウェブサイト『有機化学美術館』内「ニュースの中の化学物質」)



もののとらえ方は着眼点によって180度変わる

このエピソードは、一時ネット上でいくつものサイトに掲載されました。
ここでテーマとなっているのは、「イメージをつくる」ことの可能性です。

これに近いことを、マーケティングの大家ジャック・トラウトも述べています。

「ビーカー入りの二水化酸素を無理やり飲めと言われたら、
あなたはおそらくいやだなぁと思うだろう。
だが水を一杯飲んでくださいと言われれば、抵抗なく飲むのではないだろうか。

じつは両者は同じものである。味の差はまったくない。違うのは、イメージである」
(『ポジショニング戦略[新版]』)

 
ここで取り上げた2つの話はどちらも、
私たちが当たり前のようになじんでいる「水」ですら、
特徴の切り取り方、見せ方次第では「危険なもの」という
イメージをつくり出すことができるという、
いわば“イメージのネガティブ化”を題材にしています。

ただ、ビジネスにおいて重視すべきはこの逆、つまりは“イメージのポジティブ化”です。

 
たとえば、ひとつの茶系飲料を、「カロリーゼロの健康的な飲料」と打ち出したり、
「自然素材の力で身体をキレイにしてくれる飲料」と打ち出したり、
あるいは「食事の味を引き立てる飲料」と打ち出したり……。

すでに完成している商品であっても、どのような特徴を切り取って強調するかによって、
まったく異なるイメージをつくり出すことができるのです。

先ほどの「二水化酸素」のように、
イメージが違えば、当然、生活者の反応も違ってきます。

現代はコミュニケーションの時代と言われるだけに、
その違いは商品の命運を左右するといっても過言ではないでしょう。

そして、これは商品や企業に限らず、「人」にもあてはまることです。

私たちはさまざまな特徴や個性の集合体ですが、
その一つひとつの特徴や個性も、どのようなとらえ方をするかによって
見え方が変わってきます。

もしかしたら、工夫次第では、自分では平凡だと思っていることや欠点だと
思っていることでさえも、すばらしい魅力とすることができるかもしれないのです。

            <感謝合掌 平成28年11月15日 頓首再拝>

穴のあいた桶 - 伝統

2016/11/18 (Fri) 19:25:24


         *「Pot with the Hole 穴のあいた桶」 プレム・ラワット(著)より

昔、一人の庭師がいました。
彼は、山の上に住んでいました。

毎日、谷の下の川まで降りて
天秤棒の両端に水を満たした大きな桶をかけ
それを担いでまた庭のある山の上まで登っていきました。

とても大変な仕事でしたが、
彼は庭の世話が大好きで、楽しんでいました。

ある日、庭師はいつものように、
水をもって山を登っていると足を滑らせ、
ひとつの桶に小さな穴ができてしまいました。


それから数か月後のある晴れた日のこと。
庭師が山のふもとで休憩していると
水が満杯に入った桶が、穴のあいた桶に向かってこう言いました。

「お前はまったく役に立たないね」

「役に立たないって、どういう意味だ? 」

「お前には穴があいている。毎日親方が一生懸命に我々を運んでも、
お前のほうの水はこぼれてしまい、結局は半分しか運べていない。
何の役にも立っていないよ」

役に立っていないと言われ
穴のあいた桶はとても悲しくなりました。


次の日、穴のあいた桶は庭師にこう言いました。

「私はとても悲しいです」

「なぜ悲しいのだ? 」

「私には穴があいています。
あなたは私に水を満たして運びますが、
上に着くころには半分なくなっています」

そう聞いて、庭師は言いました。

「それは本当だ。お前には穴があいている。
でも、それがどういうことかわかるか? 」

「自分に穴があいていることしかわかりません。
穴があいていてはダメです。
穴がなければ、私は水を一滴も漏らさず上まで運べます」

と桶は答えました。

すると庭師は

「お前は、私たちが通る道を見たことがあるか?
たくさんの美しい花がさいているだろう。
あれは、お前のおかげなんだよ。

お前に穴を見つけたとき、私は道に花の種をまいた。
お前に穴があいているおかげで
私は水を運び上げるたびに、花の苗に水をやることができる。

今では、きれいな花が咲き、ミツバチが蜜を求めてやってくる。
一帯が見事な花園になっているんだよ」

桶はそう聞いて、とてもうれしい気持ちになりました。

   【 親愛なる世界中の穴のあいた桶たちへ 】

            <感謝合掌 平成28年11月18日 頓首再拝>

ヤシの実 - 伝統

2016/11/25 (Fri) 18:36:48

       *「Pot with the Hole 穴のあいた桶」プレム・ラワット(著)(05)より

ヤシの実は旅が得意です。
どんなに遠く離れた無人島にも
すくっとまっすぐに立つヤシの木を目にします。

どんなところにもヤシの木があるのは
ヤシの実がどんなに厳しい環境であっても
見事な旅をするからです。

彼らは、旅を成功させるために必要なものを
生れたときからすべてもっています。

もちろん、地図やGPSがあるわけでも
エンジンがあるわけでもありません。

でも、必要なものは備えているのです。


たとえば彼らのなかにある”水”。
海のなかに浮いている間
淡水がないと生き延びることはできません。

また、新しい岸にたどり着き、根を張るときも
水がないと成長できません。

それを彼らは自分自身のなかにもっています。

また、彼等には”厚い殻”があります。
その厚い殻で、鎧のように実を守り
浮くことで、水中から少しだけ顔を出すことができます。

そしてそれが帆となり、風を受けて進むことができるのです。


どこにたどり着くかわからないけれど
彼らは勇気をもって旅立ちます。

木から落ち、浜に転がったヤシの実は
波に打たれ、最初はなかなか岸から沖に出ることができません。

何度も、何度も試み、ようやく海流に乗って
遠い、遠い、まだ見ぬ土地に向けて出発します。

海はとても深く、とても広いのですが、
この小さなヤシの実は、波をまったく怖がりません。

人間は、巨大な船をつくり、大きな風がやってくると、
安全のために湾に逃げ、風が通りすぎるのを待ちますが
ヤシの実には逃げる必要などありません。

一つひとつの波に、挑んでは、ころころと転がり
ひと波、ひと波、旅を進めていきます。
そして、たったひとりで静かに新しい砂浜に到着するのです。


広い海の真っただなか。
新しい島が生まれると
どこからともなくヤシの実がたどり着きます。

チャンスを見逃さず、
自分の居場所を見つけて。

           ・・・

私たちが恐れるものは何ですか?
私たちもまた、旅に必要なものを
すでにもっているのではないでしょうか?

勇気をもって波に飛び込んだとき、
あなたもまた、自分だけの島をみつけることが
できるかもしれません。

            <感謝合掌 平成28年11月25日 頓首再拝>

脳内共同ガールフレンド - 伝統

2016/11/27 (Sun) 18:15:13


          *「ビジネス寓話」博報堂ブランドデザイン・編(P230~233)より

第2次世界大戦下のドイツ軍捕虜収容所でのことだ。
あるフランス兵捕虜のグループは、全員で自分たちの雑居房のなかに
“架空のガールフレンド”がいると想定し、長い捕虜生活の慰みにしていたという。

彼らの設定はこうだ。

雑居房の隅にはひとりぶんの席がこしらえてあり、
そこには13歳の可愛らしい少女がいつも座っている。

仲間同士でケンカをしたり、激しい口論をしたりと
おおよそ紳士らしからぬ振る舞いをした兵士は、その席にいる少女に頭を下げ、
大きな声で非礼を詫びなければならない。

着替えのときは、見苦しい姿を見せぬように、
少女の席の前には布を吊って目隠しをする。

食事の際には、皆のぶんを分け合って彼女のために一膳をこしらえる。
さらに、あらかじめ決めた彼女の誕生日やクリスマスには、
各自が手づくりでプレゼントを用意して贈る……。

 
最初はほんのお遊びのつもりではじめたことだったが、
気がつくと全員が彼女の存在をごく当然のものとして強く意識するようになった。

捕虜たちがあまりに熱心であるせいで、監視のドイツ兵は
本当にひとりの少女がかくまわれていると思い込み、
雑居房を天井裏まで捜索する騒ぎにまでなったほどだ。

しかし、厳しい収容所暮らしを強いられ、たくさんの捕虜たちが衰弱し、
病死したり、発狂したりするなか、このグループは全員が正気を保って生き延び、
終戦後には揃って故国の土を踏んだという。

(寓話文はインターネット上に掲載されたテキストを参考に編者にて構成)

               ・・・

ゲームが、コミュニティを機能させる

このエピソードはいっときネット上で話題になったもので、実話かどうかはわかりません。
しかし、「さもありなん」という説得力のある話です。

もちろん、その雑居房にガールフレンドがいるなんて設定は、
最初はほんのお遊びだったに違いありません。

しかし、お遊びであっても、たったそれだけのことが自堕落な生活を振り返ったり、
他人を気遣う気持ちを見なおしたりするための、きっかけやリマインダーになったのです。

そうして徐々に、仲間と喧嘩したり、言い争ったりすることが少なくなり、
生活習慣やストレスへの耐性も生まれて身体や精神状態が改善し、
人と人との関わりも健全なものになっていった……。

寓話のもととなったと思われる文章や同人誌をあたると、
捕虜たちのなかでも上官にあたる人が、すさんだ仲間たちを
どうにかしようとこの設定をつくった、としているものが多いようですが、
もしそうならこの上官は、すばらしい妙手を打ったことになります。

ひとりの人格を想定したことで、折に触れて皆が
「この子だったらこう反応するんだろうな」「こう言ってくれるんだろうな」
と想像を膨らませ、誰かのリアクションが別の誰かのリアクションを
生むようなことまで起こり、おかげである種のゲーム性をもって健全に
コミュニティの運営をすることができるようになりました。

ここに、これからの時代に商品づくりに携わる人にとって
大切な教えがあるように思います。

現代はソーシャルメディアの時代です。
生活者がつくっていた「コミュニティ」が、はっきり可視化されるようになっています。

オンライン上でブランドのファン・コミュニティをつくる
ということが一般的になっていますし、既存の生活者のコミュニティに
うまく受け入れてもらって、そこで商品の価値を理解してもらおうという
コミュニケーション活動も盛んです。

そんな時代の商品づくりのキーフレーズのひとつは、
「コミュニティのなかでその商品はどう生きていくのか」ということでしょう。

そこで思うに、これからの商品は、
この脳内ガールフレンドのようになる必要があるのではないでしょうか。

「常にそこにいて、常にコミュニティのメンバーとやり取りをして、
コミュニティのなかでの新しいアクションを生み出していく」そんな存在です。

その商品と関わり合うことを、ゲームのように楽しんでもらえること。
商品づくりの段階から、どうすればそのような「ゲーム性」を商品に
持たせられるのかを考える。

そんな視点がますます重要になっているように思います。

            <感謝合掌 平成28年11月27日 頓首再拝>

2匹のアリ - 伝統

2016/11/29 (Tue) 18:23:53

         *「Pot with the Hole 穴のあいた桶」 プレム・ラワット(著)(08)より

ある日、2匹のアリが出会いました。
1匹は砂糖の丘に住み、もう1匹は塩の丘に住んでいました。

「おや、見かけない顔だな、どこから来たんだ? 」

「砂糖の丘さ」

「砂糖の丘だって? 砂糖って何だい? 」

「この世で、一番おいしいものさ。
考えただけで、よだれが出そうだ。本当に知らないのか? 」

「ここにあるのは塩だけさ。しょっぱいんだ。
食べることもできるけれど、のどが渇いてくる。
君の言った砂糖ってとてもおいしそうだね」

「じゃあ、うちに来ないかい? 砂糖をごちそうしてあげるよ」

「うん、それはいい。ぜひ行きたい」

2匹のアリは日を改めて、砂糖の丘で会うことにしました。

その日が近づくにつれ、
塩の丘のアリはこんなことを考え始めました。

「もし、砂糖が嫌いだったらどうしよう?
変な味だったらどうしよう?
そうしたら、お腹がすいてしまうな。
そうならないように、塩の塊を口に入れて出かけよう」


「やあ、久しぶり、元気かい? 」

「元気だよ。今日は砂糖をごちそうしよう。
きっとおいしいよ。ほら食べてごらん」

「うーーーん。これは塩と同じ味だ」

「本当かい? 」

「うん、塩と同じだよ。
君はこれを砂糖と呼ぶかもしれないけど
うちじゃ塩と呼んでいる」

「そんなはずはないよ、おかしいな。
よっと待って、口を開けてごらん」

「ほぉら、思った通りだ。
口のなかにこんなに大きな塩の塊が入っているじゃないか。
それを口から出して、もう一度食べてごらん」

モグモグモグ・・・。

「信じられない! なんておいしんだ!!
ぼくもずっとこの砂糖の丘にいることにするよ」


           ・・・


この物語は、新しいものを受け入れたいときには、
古いものを手放さなくてはならないことを教えてくれます。

今いる階段から足を離さないと、次の階段に上ることができないように、
何かを成し遂げるには、一つひとつ歩みを進める力が必要です。


また、私たちの一番の敵は、私たち自身であることを思い出させてくれます。
多く人は、現実をあるがままに受け入れるのが苦手で、
本当に起きていることが見えなくなってしまいます。

ときに、「私に選択肢があるのですか? 」と尋ねる人がいます。

「星の巡り合わせで運命は決まっているのではないですか? 」とか
「すでにトランプが配られ、自分では動かせないのでしょう? 」と言う人がいます。


答えはノーです。

もし悪いカードばかり回ってくると思ったら、そのカードを配ったのは、
あなたの頭がもたらす混乱です。

「こうなのではないか」
「こうあるべきだ」

と考えてしまう”壁”を取り払い、
あるがままを受け入れることで、
私たちは、ようやく新しい選択肢を得ることができるのです。

            <感謝合掌 平成28年11月29日 頓首再拝>

2羽のオウム - 伝統

2016/12/02 (Fri) 19:01:22


         *「Pot with the Hole 穴のあいた桶」 プレム・ラワット(著)(11)より 

オウムを育てるのが大好きな人がいました。

ある日、彼はとても特別なオウムを育てようと思いました。
そこで、オウムの卵を買ってきました。
やがて卵からヒナがかえりました。

彼はそのヒナたちを育て初め
自分が知っているすべてのことを教えました。

ニュートンの法則や数字の公式、音楽も教えました。
オウムたちが大人になるころには
とても複雑な公式も暗記していました。

文学作品をそらんじたり、ベートーベンのシンフォニーを
完璧に歌うこともできました。


ある日、不幸なことにオウムの飼い主が亡くなり
2羽のオウムだけが取り残されました。

飼い主の親戚がかごのなかのオウムを見て
外に逃がしてやろうということになりました。

かごの外へ出たオウムたち。
彼らにとって、初めての外の世界でした。


木の上にのほうには、もう1羽赤いオウムがとまっていました。
オウムたちはこんな会話を始めました。

「ぼくらは何でも知っているよ。
文学も、音楽も、科学に出てくるいろんな公式も」

それを聞いて、赤いオウムはたいそう感心しました。
でもそのとき、猫が近づいていることに
赤いオウムは気づいたのです。

猫もオウムたちに気づき、木をよじ登り始めました。

赤いオウムは、2羽のオウムに
「飛び方を知っているか」と尋ねました。

そう聞かれた2羽のオウムは
「もちろん知っているよ。飛ぶことならば何でも知っている。
羽の下の気圧が上の気圧より高くなって飛ぶことができるんだ。

「ぼくが言っているのは理論ではない。
本当に飛べるのかと聞いているんだ」

「いいや、でもぼくたちは、いろんなことを知っている。
難しい公式も、シンフォニーも、
本当の飛び方は知らないけれど、それがどうしたと言うんだ」


その間にも、猫がどんどん近づいてきたので、
赤いオウムは羽をはばたかせ

「元気でな、君たちの知らないこと。
それを君たちは知るべきだったんだ。
それを知らないかぎり、ほかのことをいくら知っていても、
何の役にも立たないよ」

そう言って飛び立っていきました。



「ペダルをこいで、こいで、前を見てバランスを取るんだ。
自転車に初めて乗ったとき、そう言って乗り方を教えられた。
実際に乗ることは難しかったでしょう。

言われた通りに乗ろうとするけれど、転ぶばかり。

でもある日、コツをつかむときがきます。

バランスの取り方がわかるようになり、いつしか、どこまでも
走ることができるようになります。
一度そうなると、乗れなかったことを不思議に思うくらいです。


オウムの物語や、自転車の例からわかるのは、言葉や情報を頭に
入れただけでは、ほとんどのことは役に立たないということです。

現代は情報化社会と呼ばれ、たくさん情報があふれているし、
人類史上、もっとも多くの人間が大学を卒業しています。

それなのに世の中の多くの問題は解決されず、
それどころかますます複雑になっています。

言葉や情報はときには有益ですが、心と体を忘れてはいけません。
自らの心と体を通じて感じ、体験することで、ようやくその感覚が
あなたのなかに刻み込まれ、活かすことができるのです。

            <感謝合掌 平成28年12月2日 頓首再拝>

馬鹿 - 伝統

2016/12/13 (Tue) 18:13:31


        *Web:リーラ(2016年11月26日)より


ある国の大臣が、
今世紀最高の知性と呼ばれた、とある賢者のもとを訪ねました。


そして

「私は最高学府をトップで卒業し、得られる限りの富と権力と名声を手にしました。
こんな私にさらなる深遠な知識を授けてください」


賢者は言いました。

「よろしい。あなたはとてもいい日に私を訪ねた。
それではいまから外に出て、顔を天に向け、大きく口を開けていなさい。
遠からず、素晴らしい啓示があなたに訪れるだろう」


今日はとてもいい日とは、なんと恵まれたことだろう。

大臣は早速外に出てみると、外は大雨になっていました。

それでも彼は言われた通りに、
ずぶぬれになりながら顔を天に向け、大きく口を開けていました。

雨は容赦なく顔を叩きつけてきます。

開いた口からは水があふれ、呼吸をするのもままなりません。

それでも何分も頑張り続けました。

しかしもう限界です。


彼はずぶ濡れになって部屋に戻ってきました。


そんな彼を見て、賢者は尋ねました。

「啓示はあったかね」


「いえ、何もありませんでした。
大雨の中で顔を上げて、口を開けている自分が馬鹿に見えてきましたよ」


すると賢者は言いました。


「自分が馬鹿に見えたって?

そりゃ凄い。

なかなか分かるもんじゃない。

たった数分で、それほど偉大な気づきが訪れるのだから、今日は本当にいい日だ」

            <感謝合掌 平成28年12月13日 頓首再拝>

避難指示 - 伝統

2016/12/19 (Mon) 17:23:23

登照の避難指示

        *「今昔物語・巻24-21」より抜粋

今は昔、登照(とうしょう)という僧がいた。
人々の人相を見て、その声を聞き、そのふるまいを観察して、
その人の寿命の長短や、将来の貧富や出世の有無を予測し、本人に教えた。

このように占うが、よく当たるので、都の人々、男女を問わず、僧俗を問わず、
この登照の家に無数に集まってきた。

ある時登照が街に出掛けると、たまたま朱雀門を通り過ぎた。
この門の下に老若男女がたむろして休んでいるのを、登照ふと見ると、
この門の下にいる人々の顔には、今すぐにでも死んでしまう相が出ている。

「これはどういう事だ」といぶかって、
登照立ち止まってよく観察してみるが、確かに死相は明らかだ。

登照、この原因について思いめぐらすが分からない。

「この人々がすぐにでも死ぬ、ということは、何によるのだろうか。
もし悪人がやってきて人殺しをするにしても、殺せる数には限りがある。
この人々全部が一度に死んでしまうようなことはないはずだ。不思議なことだ」と、
考えあぐねていると、

「もしたった今、この門が倒れるとしたらどうだ。そうしたら、門の下の人々は
皆下敷きになって死んでしまう。」と、思いついて、門の下で休む人々に向かって
「大変だ!この門が今倒れて、下敷きになって死んでしまうぞ。早く逃げろ」と大声で叫ぶと、
そこにいた人々は、あわてふためいてばらばらと逃げ出してきた。

登照も、門から遠ざかって、様子を見ていると、風も吹かず、地震で地面が揺れたわけでもなく、
みじんもゆがんだりしているわけでもないのに、朱雀門が急にどんどん傾きだして、
遂には倒壊してしまった。

こんなわけで、急いで逃げ出した者たちは命拾いをした。
しかし中には、登照の警告を疑って出遅れた少数の者は、門の下敷きになり死んでしまった。

   (http://ameblo.jp/fushigisoshi/entry-10183597030.html 抜粋転写)

              ・・・

福岡市の博多駅前で起きた道路陥没事故におけるトンネル現場での避難

          *宮崎日日新聞(Miyanichi e-press11月20日)より

地下鉄の延伸工事現場に土砂混じりの水が勢いよく噴き出した。

「ここから離れろ」と避難を呼び掛ける声が飛び、
作業員らが脱出したのは崩落のわずか15分前だった。

8日朝、福岡市の博多駅前で起きた道路陥没事故の直前の経緯だ。

作業員は現場から離れ、地上へつながる階段やエレベーターがある
100メートル以上離れた竪坑(たてこう)を目指した。
その直後に地鳴りとともにドーンのごう音。

工事に携わる男性は崩落時の衝撃を「隕石(いんせき)が落ちたようだった」と振り返った。
現場の9人は間一髪で難を逃れた。

異変を看過せず即刻退避するという現場の判断がなかったら大変な惨劇になっていた。

現場の作業員たちが無事だったこと、陥没した穴に車が転落するなどして
人が死傷するような事故にならなかったことは幸運としか言いようがない。



通行が再開された博多駅前からの映像を見ながら今昔物語の一節が頭に浮かんだ。

金より出世より命大事は今も昔も変わらない。

            <感謝合掌 平成28年12月19日 頓首再拝>

【ペパラピマンポプ王】 - 伝統

2017/01/06 (Fri) 19:38:13


         *Web:言語造形(2013-01-04 )より

ペパラピマンポプ王は、王様なので、炊事も洗濯も自分ではしません。

出てくる食べ物と言えば、いつも超一流品。
着る物と言えば、いつも黄金つき。

しかし、ペバラピマンポプ王は、いつも不満ばかりなのです。

目の前に出てくる食べ物が、
いつも、履き古した靴の底革や、豚の小便のように思えるのです。

そこで、供人を連れて、美味しいものを探すために
世界一周の旅に出かけることにします。

でも、どこへいっても、不味いものばかり・・・

そこへ、若い男の人が近づいて言いました。

「緑が島へ行くと、きっとおいしいものがありますよ」

その言葉を聞いて、王様は舟を走らせます。

緑一面の小麦畑に牧草地帯。
王様は小躍りして喜びます。

「やっと、うまいものにありつける! 」

超一流の料理屋の扉を開けると・・・

そこは、もう天国かと思われるところ。
人々は、食べたり飲んだり笑ったり。

王様も早く席に着きたくなりました。

けれども給仕人が言います。

「ここで、お召し上がりになるためには、一つ約束がございます。
それは、お食事の前の1時間、畑を耕していただく、ということでございます。」

家来たちは、目を白黒させます。
が、王様は静かに鍬を一丁取りました。
家来たちも一丁ずつ、鍬を取りました。

日が照りつけ、汗がほとばしります。

王様は、王冠を取りました。
王様は、王服を脱ぎました。
王様は、口髭も取ろうとしました。

あまりにも喉が渇いて、仕方がなかったのです。

「水を! 」

王様が叫んでも、誰一人、水を持ってくるものがいません。

ふと見ると、鼻の先の方に、吹き上げ井戸があるではありませんか!

王様は、裸足のまま、走ってそこへ行きました。

「ごっくん! 」

喉が大きくなりました。

「ごっくん!」

またまた喉が大きくなりました。

水を飲むたびに、喉が大きくなりました。

「ああ~、うまかった!」

王様は、にっこり笑いました。

http://ameblo.jp/serenity1217/theme-10055356477.html

            <感謝合掌 平成29年1月6日 頓首再拝>

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